【超世の傑】曹操は世界史上最高の英雄【奸雄】

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1世界@名無史さん
世界史上最高の英雄は誰か?と問われれば、それは間違いなく曹操であると断言できる。

カエサル、オクタヴィアヌス、ユスティニアヌス、アレクサンドロス、メフメト二世、
サラディン、チンギス、ティムール、ナポレオンといった英雄と呼ばれている人物達も、
曹操と比べれば思想・政治・内政・軍事・文芸あらゆる面で遠く及ばないと言わざるを得ない。
2世界@名無史さん:2007/06/01(金) 19:36:18 O
比肩しうる英傑ではある。
だが世界的知名度はいまいち。
3世界@名無史さん:2007/06/01(金) 19:54:34 0
武田信玄の次は曹操か。
この板もすっかり三戦板の厨どもに占拠されてしまったな。
4世界@名無史さん:2007/06/01(金) 20:01:44 0
孔子や蔡倫以下
5世界@名無史さん:2007/06/01(金) 20:26:04 0
始皇帝、漢高祖、漢世祖、唐太宗、元世祖、明成祖、清高宗よりもすごいのか?
6世界@名無史さん:2007/06/01(金) 22:10:41 O
彼は確かに英雄だが、それは地方政権レベルでの英雄
7世界@名無史さん:2007/06/06(水) 00:32:44 0
 
8世界@名無史さん:2007/06/06(水) 03:09:08 0
人間に最も関心を示した破格の英雄と言われる。
好きな言葉は「アモーレ!」と「ならばよし!」
9世界@名無史さん:2007/06/06(水) 03:36:58 O
世界最高の英雄は、
大谷刑部に決まってる。
10世界@名無史さん:2007/06/06(水) 05:16:50 0
登場した時代が古代帝国が崩壊していく時代だからな。
個人の努力や才覚だけではどうしようもない。
曹操が始皇帝になれなかったのは、カロリング・フランクの
カール大帝がオクタヴィアヌスになれなかったと同じ。
11世界@名無史さん:2007/06/06(水) 06:14:46 0
>>5
 「英雄」って、支配領域の広狭で決まるのか?
生前は君主にならなかった関羽だって立派な英雄だろ?
>>6
 三国の中でも「魏」を地方とは呼べんでしょ。
>>10
 でも、帝位の簒奪と即位は最初にやっても良かったのではと
12世界@名無史さん:2007/06/06(水) 08:43:21 0
>>3
 ま、日本史板、戦国時代板がありながら、殴り込みを懸けて来る
より遥かにマシかと
13世界@名無史さん:2007/06/07(木) 15:03:42 0
曹操と信長ならどっちがすごいの?
14世界@名無史さん:2007/06/07(木) 20:00:08 0
三国時代のみなら曹操は英雄。
中国史全体からみたら、さほど特徴のない存在。
15世界@名無史さん:2007/06/08(金) 00:26:01 O
>>14
文武両道という意味では、類まれな存在だと思うんだが。
16世界@名無史さん:2007/06/08(金) 06:56:55 0
カエサルとか?
17世界@名無史さん:2007/06/08(金) 12:40:10 O
毛沢東のお気に入り武将
18世界@名無史さん:2007/06/08(金) 20:21:38 0
・徐州に於いて罪の無い民衆を虐殺
・袁紹軍の降兵八万を阬殺
・赤壁、漢中戦等ここぞという場面で惨めに敗退し天下統一を逃す
・屯田制、兵戸制の実施によって民衆を苦しめる
・荀ケ、崔琰、毛玠、孔融といった有能な人材を死に追いやる
・才能による人材登用を謳いながら一族近親者を重用
・異民族内徙政策により五胡十六国時代到来の原因を作る
19世界@名無史さん:2007/06/08(金) 23:22:23 0
>>15
器用貧乏とも言えるな。
重要な場面では臣下の言で窮地を脱することもしばしば。
同世代の関羽、諸葛亮には遠く及ばない後世への影響力などもそうだな。
20世界@名無史さん:2007/06/09(土) 01:12:00 0
つっこみどころ満載だな19
21世界@名無史さん:2007/06/09(土) 09:41:28 0
>>15
文武両道か。うーん、劉秀とか李世民(書家として著名人)とか王陽明とかも
中国だといるから、中国史レベルでも最高かと言われれば厳しいとは思うよ。
22世界@名無史さん:2007/06/09(土) 11:25:33 0
>>20
具体的にどのあたりだ?
曹操マンセー目線じゃなくて、納得のいく説明をしてくれよ。
中国史全体から見れば曹操なんてその程度のレベルだよ。
23世界@名無史さん:2007/06/09(土) 12:22:20 0
三戦板で関羽、諸葛亮並に持ち上げられる曹操に気をよくした
曹操厨が勘違いを起こして世界史板でこんなスレを立てちゃったんだろうな。
24世界@名無史さん:2007/06/10(日) 02:08:08 0
レベル論争すんなよ
小学生が
25世界@名無史さん:2007/06/10(日) 23:36:37 0
反論できなくなると稚拙な文句しか言えなくなるのも曹操厨の特徴なんだな
26世界@名無史さん:2007/06/11(月) 03:39:03 0
こうして一層の恥をさらしていくわけかw
27世界@名無史さん:2007/06/11(月) 14:29:58 O
十代で挙兵し、20代で天下をとり、世界帝国を築いた唐の太宗。幼くして帝位につき、王朝の基盤を確かにした清の聖祖。

個人的にはこの二人のうち、どちらかが中国史最高の英雄だと思う。

魏武は優れた人物ではあるが先ず、統一に失敗している点で減点。文化的な分野にも功績があるのは確かに素晴らしいが他にも清の高宗や君主に限らないなら、顔真卿、岳飛、王陽明などがいる。(中国史に限らないなら君主でもあり天文学者でもあったトゥグリル・ベクとか)


誰が世界史において最高かはわからないが魏武でないのは確か。
28世界@名無史さん:2007/06/11(月) 19:19:10 0
現在では孔子と同格とまで言われる関羽に曹操如きが肩並べ出来るのか?
曹操は所詮、三国志の中では英雄という範囲。
29世界@名無史さん:2007/06/11(月) 19:56:44 0
三国志の中でも英雄・・・かなあ?
洛陽でも関林廟(関羽)に人気を独り占めされてるし。
30世界@名無史さん:2007/06/12(火) 00:27:01 O
それ史実の関羽じゃないだろ。架空のキャラが配下にいるし。
31世界@名無史さん:2007/06/12(火) 01:58:53 0
ここはアンチスレか
32世界@名無史さん:2007/06/12(火) 15:58:57 0
創業と守成の両方を着実にこなして、ほとんどコケなかった点では唐太宗だろうな。
傷は兄弟殺しと高句麗遠征ぐらいか。
33世界@名無史さん:2007/06/12(火) 17:05:12 0
>>30
 いや、英雄伝説ってそうだよ。あることない事ひっくるめて
虚像が膨らんでいく。蜀の皇帝にすらならなかった椰子が、
数多の実在の皇帝を差し置いて第一に奉られているんだよ。
 ここまで後世の人々に慕われ奉られているキャラが英雄じ
ゃないと云われてもね‥
34世界@名無史さん:2007/06/12(火) 18:52:21 0
まあ、当時の事なんて後世の人間は確かめようがないから
これはと思う人物を英雄として祭るわけだしな。
そういう意味では曹操は後世では英雄の末席にも居座れない負け組。
業績だけ並べても、それほどの存在じゃないけどね。
35世界@名無史さん:2007/06/12(火) 23:50:49 0
>>33
アンチは曹操否定に夢中で
論旨が錯綜する傾向があるね
36世界@名無史さん:2007/06/13(水) 19:23:46 0
【曹操厨の生態】

    /\___/ヽ
   /''''''   '''''':::::::\
  . |(●),   、(●)、.:| +   
  |   ,,ノ(、_, )ヽ、,, .::::|      
.   |   mj |=‐ァ'  .::::| +   
   \,〈__ノニニ´ .:::/    +
  /ノ  ノ -‐‐一´\


始皇帝って誰?
関羽、諸葛亮?あんなもん雑魚だろwww
関帝廟?なにそれ。
三国時代以降はカス。



・世界史板にこんな奴らが紛れ込んでます。気をつけましょう。
37世界@名無史さん:2007/06/14(木) 00:32:15 O
いくら捏造や宗教で持ち上げても
関羽、孔明は科学上では曹操に勝てないへたれ
38世界@名無史さん:2007/06/14(木) 21:07:59 0
科学上って何?
39世界@名無史さん:2007/06/14(木) 23:54:02 0

    /\___/ヽ   ヽ
   /    ::::::::::::::::\ つ
  . |  ,,-‐‐   ‐‐-、 .:::| わ
・o゚/ ̄ ̄.)  _ く・。゚t.|ぁぁ
./ / ̄ ::<      .::|あぁ
i  〈   /( [三] )ヽ ::/ああ
ヽ   `ー‐--‐‐―´\んあ

曹操は最高なんだお
理由なんかないお
証明するものなんて無双で十分だお
どうして認めてくれないんだお
40世界@名無史さん:2007/06/15(金) 00:42:17 0
アンチは曹操否定に夢中で
論旨が錯綜する傾向があるね
41世界@名無史さん:2007/06/15(金) 02:39:31 0
曹操?ああ政宗公のことか
42世界@名無史さん:2007/06/15(金) 04:33:37 0
ああ夏侯惇のことか
43世界@名無史さん:2007/06/15(金) 16:39:27 0
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/
44世界@名無史さん:2007/06/18(月) 14:42:56 0
でも水晶と結婚させてやりたかったよね。
心のどこかにいつもずっと水晶がいたんだろうね。
45世界@名無史さん:2007/06/18(月) 22:10:39 0
釣りか?漫画家がでっちあげた人物じゃん・・・
46世界@名無史さん:2007/06/19(火) 00:33:20 0
しかし、三国志の人気が理解できない。
これで300年続く王朝ができたわけではない。蜀は2代で滅び、魏もすぐに
司馬炎に帝位を簒奪され晋になる。
その晋も北方民族に滅ぼされ、皇帝は奴婢にされ最後は殺された。

何がいいわけ?
47世界@名無史さん:2007/06/19(火) 01:05:15 O
話としては水滸伝の方が面白いよな
時代背景も中国史上最盛期だし
48世界@名無史さん:2007/06/19(火) 05:14:07 0
>>46
そもそも吉川英治の「三国志」以前ではあまり人気がなかったようだ
しかもその吉川版「三国志」も600万部程度で
同時期の山岡荘八の「徳川家康」の3000万部に比べると大ヒットではない
本当に三国志がブレイクするのは横山光輝の「三国志」で7000万部らしい
同作がアニメ化され光栄の「三国志V」の発売が重なった
1992年にピークに達したみたいだ
そして近年、koeiの「三国無双」で再ブレイクという流れらしい
49世界@名無史さん:2007/06/19(火) 07:48:04 0
>>46
 門外漢からすれば、そんな数行の知識で収まる歴史を
虚実取り混ぜて、長大な中国史の中でも最高級の読み物
に仕立てあげた事さ
>>47
 ただ、虚構と言うのが痛い。何か元になった史実でもあったのかな?
50世界@名無史さん:2007/06/19(火) 19:21:34 0
>>46
時期に恵まれたんじゃないか?
三国志の伝説化は正史成立後から、そう時をかけずに行なわれたらしい。
関羽は唐代で既に関帝菩薩として仏教尊に祭られた。
こうなってくるともう勢いでどんどん広がっていくんだろうな。

俺も水滸伝の方が好きだけどね。
武将、知将、内政担当から果ては道士まで何でもござれな義侠集団が
汚職で腐った国を変えようと奮闘する話は血が燃える。
多少、ご都合主義的に宗江の威光が効き過ぎてる場面もあるけど
それはそれでいいかな。
「好漢達」の名の通り権力に汚い豚が主役勢に存在しないのも清清しい。
51世界@名無史さん:2007/06/28(木) 16:02:42 0
水滸伝て読んだ事ないけど三国志みたいに史実のモデルになった話はなかったのか
52世界@名無史さん:2007/06/28(木) 16:46:30 0
宋史の徽宗本紀に宋江を頭とする三六人が山東省で反乱を起こした実話がモデル
53世界@名無史さん:2007/06/28(木) 18:06:23 0
江戸時代は水滸伝人気の方が高かったみたいだね
八犬伝の着想もかなり水滸伝からきてるし
もちろん三国志も人気はあったけど
54世界@名無史さん:2007/07/27(金) 08:34:34 0
三国志の史実は面白みのかけらもなかった気がする。
赤壁もないし豪傑もなし。面白いのは演義のみ。
そう考えると三国志も水滸伝も同じじゃないだろうか。
55世界@名無史さん:2007/07/30(月) 01:51:55 O
本人も詩人だし息子に曹植がいるのもいい。文人度ではかなり評価できる。
56世界@名無史さん:2007/09/20(木) 00:44:53 0
曹操が204年に建設した鄴の都は全体が長方形で宮殿は北側に一まとめ
に作られ、市街は格子状の街路がひかれた。
後の長安や平城京を思わせる先進的な都市計画だった。

中国の歴史04 三国志の世界 P298
ttp://asalab.blog11.fc2.com/blog-entry-569.html
57おぎまる ◆JJi5gOTcvk :2007/09/22(土) 14:54:49 0
>>48
いや、やはり三国志演義は「絵本通俗三国志」として江戸時代かなり読まれていましたよ。
水滸伝が三国志より人気が有ったようなことを言う人もおりますが根拠はありません。
どちらも同じくらい人気があったんじゃないですかね。

>>52
徽宗紀ではなく、侯蒙伝では?

>>54
赤壁の戦いそのものはありましたよ。
58世界@名無史さん:2007/10/11(木) 14:59:11 0
詩、音楽、碁には優れていたが、絵画に関して実績が無い!
59世界@名無史さん:2007/12/01(土) 08:05:54 0
そんだけ才能があれば十分だろ
60世界@名無史さん:2007/12/01(土) 08:51:52 O
曹操は英雄って言うよりもラオウのような世紀末覇者の方が似合う。英雄っていうのは身をていして志のためってことでジャンヌダルクや、周喩、周泰の方が似合うような…。っていう俺の英雄は明智光秀、上杉謙信なんだけどなw
61世界@名無史さん:2007/12/01(土) 10:42:51 O
光秀も悪役されてばっかだけど
才気、教養ともに優れた素晴らしい人物だったのに残念だ。
つか水滸伝は英傑、好漢ばかりじゃなくて信じられないような極悪人も平然といるぞ。
旅人殺して人肉饅頭にして客に売る奴とか人殺しが大好きな奴とかさ。
62世界@名無史さん:2007/12/01(土) 11:02:47 0
確かに器用で優れた人物だがイマイチ突き抜けたところがないんだよな〜
うまくまとまってるしまってる
63世界@名無史さん:2007/12/01(土) 21:37:37 0
文人としては優れてると思うけど、軍事の方はたいしたことない。
64世界@名無史さん:2007/12/02(日) 18:40:40 0
軍事に関してなら劉備の方が上だよな
65世界@名無史さん:2007/12/03(月) 12:05:17 0
日本で三国志が人気なのは中国史でそれしか知らない奴が多いからだろ
他の時代も知れば春秋戦国時代とかのほうが桁違いに面白いってのがわかる
曹操については、その三国志でラスボス扱いだから必要以上に持ち上げられてる面が大きい
他の国・時代の歴史で探せばもっと化け物なのはいくらでもいる

>>61
光秀は最近は神経質・小心などの欠点が描写されることはあれど善玉一色だろう・・・加えて光栄効果で美形属性まで付与されてきている
66世界@名無史さん:2007/12/03(月) 14:55:47 0
三国志しか知らない者は、三国志の時代が中国史上の最盛期で、
それ以降は異民族の侵入で文明を築いた純粋な漢民族は滅んで、
中国は転落して今にいたる、
というような論法で語ったりすることがある。
67世界@名無史さん:2007/12/03(月) 19:37:24 0
その異民族の侵入によって老荘、中国仏教の発達があり
後には禅宗、浄土宗も生まれてるんだよね。
現在の中国仏教、老荘思想を組み込んだ道教の発展を思えば
三国時代がいかに文化的に閉鎖的な時代だったかというのは
一目瞭然。
三国時代はなんだかんだで儒一尊の時代だよ。
68世界@名無史さん:2007/12/03(月) 19:57:07 O
>>60
KOEIのまわしもの?
69世界@名無史さん:2007/12/04(火) 19:11:07 0
>>60
ちっちゃいラオウだなw
明らかに迫力不足だろ。
70世界@名無史さん:2007/12/05(水) 10:38:19 0
ラオウのモデルは項羽だって聞いたことある。
71世界@名無史さん:2007/12/05(水) 13:31:19 0
三国志人気で必要以上に持ち上げられてるだけ
72世界@名無史さん:2008/01/01(火) 20:30:08 0
>>65
>他の国・時代の歴史で探せばもっと化け物なのはいくらでもいる
例えば、誰ですか?
73世界@名無史さん:2008/03/04(火) 13:48:57 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
74世界@名無史さん:2008/03/05(水) 18:35:49 0
当時の他の地域ってのは記録がはっきりしてないから
明確な武勇伝が残ってる中華の三国志が有名になるんだろうな

中国で「待て、これは孔明の罠だ」みたいに戦争やってる頃
日本では槍持った野蛮人がウキャウキャ狩りしてて
欧州では弓持った野蛮人がウホウホ部族間抗争してたわけだから
75世界@名無史さん:2008/03/23(日) 04:09:21 0
曹操はそこまで悪人扱いされるべき存在ではないと思う
劉備だって関羽殺された時兵力あったら曹操みたいに
虐殺してると
思うよ
76世界@名無史さん:2008/03/23(日) 04:51:05 0
信長=曹操
秀吉=劉備
家康=孫権だから
77世界@名無史さん:2008/04/06(日) 05:41:26 O
違う
董卓=信長
曹操=秀吉
司馬懿=家康

知恵者で人たらしだが貧相な曹操は、じつは秀吉タイプ。
ちなみに呉蜀は薩長
78世界@名無史さん:2008/04/06(日) 05:46:22 O
それも違う
信長=五右ェ門
秀吉=ルパン
家康=銭形
79_:2008/04/18(金) 21:55:40 0
信長の方がスゴイ
80世界@名無史さん:2008/05/01(木) 02:16:24 0
曹操>>>>>永久に越えられない壁>>>>信長(笑)家臣に殺された馬鹿殿ww
81世界@名無史さん:2008/05/01(木) 03:51:01 0
はっきり言って、日本の自称三国志好きの中には
孔明が死んで以降はどうなったか知らない奴が多い。
蜀が天下を統一したと思い込んでる奴も居る。
82世界@名無史さん:2008/05/01(木) 04:26:45 0
>>曹操は英雄って言うよりもラオウのような世紀末覇者の方が似合う

始皇帝、項羽、李世民、朱元璋の方が余程ラオウだよ
83世界@名無史さん:2008/05/01(木) 10:38:03 0
戦略詭計の面なら太公望がいるしな。
84世界@名無史さん:2008/05/02(金) 09:36:58 0
曹操と石勒てどっちのほうが領土でかいの?
85世界@名無史さん:2008/05/05(月) 11:44:41 O
ノブナガ
86世界@名無史さん:2008/05/05(月) 22:38:34 0
曹操=信長のミニチュア版
87世界@名無史さん:2008/05/06(火) 16:26:41 0
それ逆信長が曹操のミニチュア版


88世界@名無史さん:2008/05/06(火) 22:08:55 0
>>87
知識の足らん奴が言いそうな台詞だな。
89世界@名無史さん:2008/05/07(水) 07:06:12 0
曹操の領土など、朕に比べれば猫のひたいほどもないぞよ。そのうえ魏は5代で滅亡した短命王朝じゃ。
汝らは誠に歴史を知らぬな…
             /;;;;;;;;;;;;;\
            /;;:::::::::::::::::::::::\
       ∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
            L::;;,__     ..:::ゝ
          //;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
          / ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
         /j/三三三三三三三三三三ヾ
         l::||::::              |l  
        / ̄\ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′||  
      r┤    ト::::: \___/     ||      
     /  \_/ ヽ:::.  \/    ,ノ    
      |   _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
      |   _)_ノヽ\  ハ // /    ヽ   
     ヽ____)ノ      ̄ ̄ ̄   /     ヽ
90世界@名無史さん:2008/05/07(水) 07:47:12 0
三国志偏重の日本人は勘違いしてるが、
曹操なんて中国史の中では中原を統一すらできなかった小物だぜ?
中国人の曹操に対する認識なんて、日本の歴史人物に例えてみたら
信長なんて格好良いものじゃなくて、せいぜい吉良上野介程度だよ。
91世界@名無史さん:2008/05/07(水) 13:04:16 0
毛沢東が詩の中で取り上げてるからそういうわけでもない。
92世界@名無史さん:2008/05/08(木) 18:38:05 0
吉良上野介が実は非常に評判の良かった名君だったことはあまり知られていない
93世界@名無史さん:2008/05/08(木) 19:00:51 0
>>84
曹操
石勒は奴隷出身だから高く評価されてるんだと
94世界@名無史さん:2008/05/08(木) 19:02:22 0
信長が北条や島津その他を倒しきれなかったことはスルーなのか
95世界@名無史さん:2008/05/15(木) 00:13:31 0
>>90

俺某所で曹操なんか日本で例えたら赤穂浪士。講談のネタとしての価値しかない
って書いたんだけど。読んだ?
読んでなくてかぶったならすごい偶然チョイス。
96世界@名無史さん:2008/05/15(木) 06:08:15 0
>>95
いや、読んでない。
ただ、曹操っていうのは中国では古きよき定番の悪役&やられ役だから、
日本史で例えたら忠臣蔵の吉良が一番しっくりくる。
中国人に曹操が好きって言ったら不思議な顔をされるそうだ。
そりゃあ、中国人で吉良上野介が好きな奴なんて居たら、首をひねっちゃうよね。
97世界@名無史さん:2008/05/15(木) 17:18:07 0
確かに三国志事態がメジャーじゃないからね。

ただ講談のイメージしかないならともかく赤穂浪士にすげー詳しいやつなら別に吉良上野介が好きなヤツがいてもおかしくない。
理由は>>92。むしろ相手役の浅野のほうがすぐキレる危ないヤツってコトで評判だったそうだ
98世界@名無史さん:2008/05/15(木) 17:29:13 0
まさに吉良じゃねーかw

曹操:社交的で器が大きく部下によく好かれた
   が、後世には冷酷で利己的な人物として伝わる

吉良:人格者で慕われ、老翁として頼りにされた
   が、後世には小ずるい小悪党として伝わる
99世界@名無史さん:2008/05/17(土) 14:33:22 0
曹操が有能な指導者なのは疑うべくもないし、個人的にも好きだが
中華統一の夢半ばで亡くなった時点で
始皇帝、漢高祖、唐太宗、元世祖、明太祖、清高宗あたりに劣るのでは?


100世界@名無史さん:2008/05/17(土) 15:11:01 0
だからメジャーならないんだろうな
時の権力者でしかないからね。

実質的に覇権を握っていたにもかかわらず勝ちぬけられなかったという点では項羽や信長に通じる所があるかもしれない
101世界@名無史さん:2008/05/17(土) 16:26:35 0
曹操が有名なのは、やっぱり三国志演義の影響がデカイんだと思う
羅貫中が居なかったら、後漢三国時代も五胡十六国、五代十国時代みたいに
中国史の一時代みたいな扱いにしかならなかったんじゃ
102世界@名無史さん:2008/05/17(土) 16:44:35 0
そうだと思うよ。
現代で物凄く詳しく勉強してる人も興味の発端はそういう小説やゲームだったりするし

物語性っていうか浸透する媒体がないと歴史ってやっぱ面白くないのかもしれない
俺も父ちゃんが歴史好きで父ちゃんの本棚に置いてあった本とかから入ったし。
103世界@名無史さん:2008/05/17(土) 16:46:24 0
後世の人間からすると曹操とか信長みたいな当事者に天下統一して欲しかったな。
棚ボタで秀吉や司馬氏が天下統一をするのはどうも・・・
104世界@名無史さん:2008/05/17(土) 19:18:59 0
三国志演義て明初をモデルにしてるんだっけ?
105世界@名無史さん:2008/05/18(日) 16:59:39 0
>>101
むしろややこしい時代として嫌われてたかも。
106世界@名無史さん:2008/05/18(日) 18:05:06 0
>>104
そう。演義の諸葛亮のモデルは劉基(伯温)。
107世界@名無史さん:2008/05/18(日) 18:57:09 0
演義の呂布は常遇春をモデルにしたんだっけ?


108世界@名無史さん:2008/05/21(水) 22:44:37 0
横山三国志だと結構ドジっ子
109世界@名無史さん:2008/05/22(木) 14:07:15 0
横山三国志の曹操はひどい


110世界@名無史さん:2008/06/20(金) 16:40:40 0
曹操は50年に一人の英雄
111世界@名無史さん:2008/06/20(金) 17:01:18 0
カエサルとアウグトゥスを足して割ったような男だな。
112世界@名無史さん:2008/06/20(金) 17:08:56 0
チビでだらしがなくてオタクで女好きで戦争中に詩なんか読み出す分裂性格で、その上親父を殺されるとトチくるって虐殺をはじめる困った人・曹操。
113世界@名無史さん:2008/06/20(金) 19:31:32 0
・中華を一枚岩の強大な国にした皇帝(始皇帝、唐太宗、明太祖など)

・儒教、仏教、道教の根本を作り上げた
 もしくは発展に大きく貢献した人物(孔子、老子、荘子、智など)

・文武両道、忠義双全を備えた武将(関羽、岳飛、文天祥など)

この3タイプのどれかに分類できないと
中国では1流の英雄とは言えない。


・・・曹操は該当しないね。
114世界@名無史さん:2008/06/20(金) 19:37:29 0
中華統一に失敗し、
孫子に注釈はしたが教団を開いたりしたわけでもなく、
文武はあるが臣としては完全無欠の不忠者。
まさになり損ねた男。
115世界@名無史さん:2008/06/21(土) 00:48:37 0
間違いなく三国志前後史上最高ではあるが、間違いなく史上最高ではない。



てか権力者って言ってみれば比較できんけどな。劉秀や朱元章だって揚げ足とろうと思えばいくらでも取れる。後だしで勝手に評価付けてるだけだからな。
116世界@名無史さん:2008/06/21(土) 04:38:26 0
人物批評なんてすべからくそうしたものだろう。
批判する資格とか言い出せば、批判できる人間は同時代のしかも曹操の間近にいた人間だけじゃないかねw
117世界@名無史さん:2008/06/21(土) 10:03:20 0
曹操って常勝って感じではないよね
118世界@名無史さん:2008/06/21(土) 11:04:51 0
その時代の正史自体が権力者には媚び媚びの極甘な内容だからな。
寧ろ、その権威が及ばなくなった後世評価の方が真っ当な評価に思えるよ。
119世界@名無史さん:2008/06/21(土) 20:06:48 0
後世評価て石勒の曹操評のこと?
120世界@名無史さん:2008/06/22(日) 09:51:58 0
三国志のお蔭で知名度は高いけどそこまでだな
121世界@名無史さん:2008/06/22(日) 17:22:28 0
まあ正史の事をいっちゃったらそれこそどの時代にも共通して言えることなんだけどね。


曹操の評価のされ方は項羽に通じる気がする
122世界@名無史さん:2008/06/22(日) 19:43:53 0
だから演義の方が遥かに価値も高く
三国時代の常識として世間一般にも深く浸透してるんだな
123世界@名無史さん:2008/06/22(日) 20:29:19 0
羅貫中が三国志演技を書かなければ三国時代は
五胡十六国時代や五代十国時代みたいなややこしいだけの時代

本当に偉大なのは羅貫中だな
124世界@名無史さん:2008/06/22(日) 21:02:15 0
吉川栄治やシバリョ−が偉大なのと同じだな

ただ価値の高い低いは比べられないけどな
史書は歴史書で、小説は文学だから。カテゴリーが違う。
どちらもそれぞれの分野において価値が高いのは間違いないが。
125世界@名無史さん:2008/06/22(日) 21:10:29 0
正史は演義と後世のメディアがなけりゃただのかび臭い歴史書で
逆に演義は正史がなけりゃただのお話だからな。というか存在してない。

実際にあった話が元で、しかもドラマとして面白いから今日まで人気があったんだろうよ。
やっぱ俺等のよく知る三国志は正史と演義の両方ないとなりたたん
126世界@名無史さん:2008/06/22(日) 22:24:49 0
三国志は正直なところ演義があれば十分だけどな。
正史の簡素でつまらない内容を大幅にボリュームアップさせ
今や三国志の正統ともなっている。
正史は演義のおまけのようなものと覚えておけばいいでしょ。
127世界@名無史さん:2008/06/23(月) 01:26:07 0
それは逆だよ。正史から派生した小説作品が演義だからどうしたってカテゴリー的には下位に位置する

大本は正史。そもそも正史は読み物じゃなくて歴史書だから読んで面白いとかそういうもんではない。日本書紀とかの類だから。

どこまでいっても三国志が史実である以上正統は正史三国志。大体演義は小説だから正統もクソもない。道長をモデルにした源氏物語みたいなもんだ。
分類で言えば超三国志や蒼天航路や三国無双のほうが近い。三国志を題材にした作品のスタンダートとなってるから特別「三国志演義」と言われてるだけで数多ある作品の類と分類的には同じ。
どんなに面白くても小説が正統な歴史書として摩り替わる事はない。

三国志の正史が史書であって、それを題材にして書いた傑作小説が三国志演義。
歴史書は歴史書、小説は小説。ごっちゃにしてはいかん。
128世界@名無史さん:2008/06/23(月) 01:34:21 0
もちろん演義の話をするなら正史は元ネタ程度の認識でいいだろうが
歴史を学ぼうと思ったら演義は判断材料にならない。むしろ当時の民話や伝説とかのが身にはなる。

どっちが優れてるとかどっちが面白いとかどっちが正しいとか、そういう次元の話じゃない。
129世界@名無史さん:2008/06/23(月) 01:44:57 0
世界史上クラスの英雄ってバイバルスやムハンマド、カエサルやチンギスと同格って事だよな?
どう考えてもレベルが違うと思うのだがw
130世界@名無史さん:2008/06/23(月) 19:16:47 0
>>129
>>113がすべて結論を出しちゃってるしな。
131世界@名無史さん:2008/06/23(月) 19:51:27 0
三国志は演義の影響力が圧倒的すぎる。
正史あっての演義かもしれんが、正史では巧妙に隠蔽させた事も
演義では晒されてる可能性もあるんだよな。
演義成立の過程で、陳寿や後世の作家達がとりあげなかった民間での逸話も
少なくないという見解が現在の演義評。
正史、演義の二人三脚というより演義が正史を引っ張ってるという感じは確かにある。
132世界@名無史さん:2008/06/23(月) 22:01:09 0
史書が都合が悪くてはぐらかしたエピソードというなら三国志から千年以上経ってから書かれた演義より当時の平話なんかを参考にしたほうがいいんだよ。
演義は「三国志」をもとにしてハイショウシの付けた注や民間伝承とかの参考文献から得た知識をもって羅貫中が自分の世界観を膨らませて時代の流れに沿って歴史ロマンとして書いた小説。
基本的に「読んで楽しい」ものであって歴史にメスを入れようとかいう論文の類ではない。

そもそも正史だけを鵜呑みにするなっていうのは重要な人物の伝が抜けてたり(たとえば司馬イの伝は晋書に書いてある。ちなみにこれも正史)明らかにこじつけっぽいエピソードがあったりするからで、信憑性があるないの問題じゃない。べつにウソ書いてるわけじゃないからね。
おまけに記述が簡略でさらに紀伝体で書いてあるからどの期間に何が起こったかがわかりにくかったりしてどうしても前後の歴史も勉強する必要があるから。
だから「三国志」には書かれてないエピソードが書いてある歴史書も存在してる。ほとんど現存してないけどこっから面白そうな話を抜き出したのがハイショウシの注。
そもそも陳寿はかなり厳格に事実「らしい」話にもと付いて書いてるから胡散臭い話は少ないしな。だから記述がやたら簡単なんだけど。

長くなったけど「史記」を疑って「項羽と劉邦」を信用するなんて事がないように、「三国志」がデタラメで「三国志演義」が真実、なんてこともない。
三国志の事を勉強しようと思ったら正史だけじゃなくて他の文献も調べなきゃならないけどそこで演義に歴史の信憑性を求める事はできない。

三国志演義がなかったら一般の日本人は三国志なんぞ知らんかったのは確かだろうけどね。
歴史を学ぶってなったらそれはまた別の問題


133世界@名無史さん:2008/06/23(月) 22:14:41 0
魏志倭人伝があるから日本人が知らないままってことはないだろ
134世界@名無史さん:2008/06/23(月) 23:07:41 0
まあ存在はね。でも起こりから収束までわざわざ学ぼうとするヤツはほとんどいないだろうよ。
135世界@名無史さん:2008/06/23(月) 23:44:30 0
>>132
曹操伝の胡散臭さは相当なものだけどな。
北朝鮮の将軍様並のあの褒め称えようにはさすがに失笑。
あんなもんを真に受けたら、それこそ>>1みたいになっちまうなw
136世界@名無史さん:2008/06/24(火) 00:17:11 0
だから史書だけじゃなくほかの文献も調べる必要があるのさ。これは中国史に限った事じゃないよ。

演義をはじめとした創作作品や流行のアンチテーゼを真に受けてあれが歴史の真実だと思い込むほうがよっぽど失笑モノだしね


ただ一つ言えるのは、基本的に史書には事実無根はない、ということだね。勿論書き方によってその印象はかなり違ったものになってしまうけど。
その点陳寿はかなり蜀や呉の人間を必要以上にこきおろしてない分優秀な学者だと思うよ。まあ記述自体も少ないけど。
137世界@名無史さん:2008/06/24(火) 00:37:32 0
他の文献を調べれば調べるほどに曹操がチープに見えてくるのも事実なんだよな。
史実寄り方が評価できる人物なんで、他時代と比べるとどうしても王としての質で差がつくね。

138世界@名無史さん:2008/06/24(火) 11:16:34 0
むしろそういう文献が残ってる曹操が異常だろう。
他の皇帝だって叩けば埃は出るはず。
139世界@名無史さん:2008/06/24(火) 11:34:52 0
CAOCAOはAをやったからBである。

というのはそれなりに凄い。
しかし、

CAOCAOはBだからA以上のことも出来たはず。

とか

CAOCAOはA程度のことしかやってないけど、
Bであることに関してはA以上のことをやった連中より上。

とかそういう論法で語るのが多すぎる儲が多いのがGENJITSU
140cqhchina:2008/06/24(火) 12:32:39 0
実は、私と韓国の方の研究結果によれば、曹操は韓国人です。
141世界@名無史さん:2008/06/24(火) 17:55:42 0
史実をないがしろにして亜流の文献のみ信用するならそれは正史のみ信奉する輩にすら劣る見識だ

>>140
てことは曹操は曹家出身ではなかったの?むしろ曹家の元が韓国からの移民かなんかなのか?
142世界@名無史さん:2008/06/24(火) 18:12:14 0
歴史への対し方としてもっとも優れた立場は「何も信用しない」。
これである。
どんなに権威のある大学者が言うことでも信じず、
また素人の言うことで放り捨てにしない。
143世界@名無史さん:2008/06/24(火) 18:27:02 0
正史の曹操より
註に出てくるコスイ曹操の方が好きだな
144世界@名無史さん:2008/06/24(火) 18:46:47 0
>>138
曹操は1流の人物と並び立てる場所にすら居ないんだよ。
145世界@名無史さん:2008/06/24(火) 19:11:34 0
なぜそう思う?文献の話をしてるのに
146世界@名無史さん:2008/06/24(火) 19:17:49 0
スレタイを見たまえ
147世界@名無史さん:2008/06/24(火) 19:27:21 0
スレタイの前に会話の流れの方を読んだ方がいいだろう

文献が多い→3流とは繋がらない
148世界@名無史さん:2008/06/24(火) 19:29:24 0
>>145
曹操が世界最高の英雄と断言できる文献なんてどこにあるんだ?
中国の北半分しか取れず、重要な戦では負け、思想、宗教への貢献もごく小規模。
大事業を起して文化遺産を残したわけでもなく、国家への忠義に厚い好漢ですらない。

149世界@名無史さん:2008/06/24(火) 22:18:27 0
別に曹操そのものの評価についていってるわけではない
ただ文献の話からいきなり曹操の評価に飛んだからおかしさを感じただけだ

曹操よりも多くの事績を残した英雄は他にいるし別に曹操が世界で最も影響力の大きかった人間だとは思わない。
後漢末から隋が中国を統一するまでの間に関して言えば有数の英雄だとは思うがね。もちろんN0,1といってしまうと語弊があるが
希薄なバックボーンから旗上げしひしめく大勢力を軒並み滅ぼして中国の半分以上を制覇し、何度も綱渡りのようなギリギリの戦いをしながら勝ち抜き非常に高い勝率を収め、道教を容認、保護し
後の詩文学の基礎を固め、最後まで皇帝にはならずを漢朝を保護し続けた事を考えたら。

お前がただ単純に曹操が嫌いなのか、曹操の優れていない理由をやたら主張したいのか、曹操が必要以上に持ち上げられるのをきらうのかは知らんがね。
150世界@名無史さん:2008/06/24(火) 22:26:36 O
漢奸
151世界@名無史さん:2008/06/24(火) 22:47:28 0
>>149
お前は過保護になりすぎ。
曹操は世界史レベルで見れば確かに何もかも中途半端だよ。
悪く言えば、>>148のようにもなる。

三国志正史の名君評加え、歴史的建造物の着手、道教神の大物入り
儒仏道に多大な影響のいずれかくらいは与えていないと中国代表の世界史1流英雄とはいえない。
ただでさえ、三国志正史が限りなくマイナーなのでそれだけってのもキツい。
都合のいい時だけ演義のメジャー度を後押しにでも加えたいのかい?

それに正史評価をしてるはずなのに
何故、ifまで評価に加えてしまうのかも意味不明。
152世界@名無史さん:2008/06/25(水) 00:04:37 0
バックボーンなら劉備や孫堅の方がはるかに恵まれてないけどな
袁家は恵まれすぎてたから比較対象にならんよ
153世界@名無史さん:2008/06/25(水) 07:02:16 0
孫堅は成り上がりものとはいえ長沙太守からスタート。軍歴も抜群。
劉備は文字通りなにもない。
154世界@名無史さん:2008/06/25(水) 09:16:17 0
いや、劉姓という看板だけはある。
それがなければ途中で魏武の配下に付くしかないだろう。
155世界@名無史さん:2008/06/25(水) 11:35:16 0
曹操は普通にやってれば旗揚げまでに州の太守ぐらいなれる家柄だったが
途中で宮仕えが嫌になって実家に帰って余裕のニート暮らし
金持ちはいいよな
156世界@名無史さん:2008/06/25(水) 12:00:21 0
>>153
けど孫堅の場合、長沙太守の地位は自分の実力で勝ち取ったからそれがバックボーンといえるかどうか
バックボーンというと自分の実力以外の部分、やっぱ家格だよ
地方でもほとんど無名の田舎貴族の孫家と中央で最高位の三公をだした曹家じゃ比較にならない
ちなみに劉備の一族も田舎貴族だったけど、どんぐらいのレベルだったんだろうか
157世界@名無史さん:2008/06/25(水) 19:10:57 0
やはり素寒貧からのスタートといえば明太祖
158世界@名無史さん:2008/06/25(水) 20:19:17 0
明太祖に勝る人物は世界史的に見てもなかなかいないんじゃないかな。
曹操も三国志の中では間違いなく一流の人物
159世界@名無史さん:2008/06/25(水) 21:45:15 0
我らが豊臣秀吉はほとんど農民かせいぜい足軽からの出世だから十分明太祖に匹敵する
160世界@名無史さん:2008/06/25(水) 22:07:42 0
秀吉は百姓って言っても貧民ってわけじゃなかったけどな
161世界@名無史さん:2008/06/25(水) 22:16:22 0
>>158
>明太祖に勝る人物は世界史的に見てもなかなかいないんじゃないかな。

重八に勝る奴なんざ五万といるだろ
まぁ、顔のキモさと基地外っぷりでコイツに勝る奴はそうはいないだろうがw
162世界@名無史さん:2008/06/25(水) 23:10:25 0
>>161
163とびどぐもたないでください:2008/06/26(木) 01:52:53 O
なんか曹操叩かれてるねー。
んじゃまぁ敢えて、曹操を弁護してみる。


まず、政治的才能。
『武帝紀』の描く若いころ(済南の相時代)の曹操は、なかなかの酷吏っぷりである。
「酷吏」はどの時代にもいるが、たいていはろくな最期を迎えない。同じ三国時代で比べるなら呉の呂壹なんかが酷吏であろう。
「酷吏型政治家」が成功した例は少ない。その数少ない例外が、蜀の孔明である。
(重八は「酷吏」なんて枠におさまらないバケモノなので除外)。
つまり、若い頃の曹操は孔明のように私心なく、自らの信念に基づいて政治を行なっていたのである。また机上の空論を弄するのではなく、実行力もあった。
済南での改革などには、当然、凄まじい抵抗があったはずである。しかし、曹操はそれらをおさえつけ、「郡界粛然」という状況をつくった。まず、地方行政官としてもタダモノではない。
屯田制の採用も重要な業績である。
前漢末以来の豪族の大土地所有が、結局は後漢の弱体化を招いたとも言える。いわば「国家が最大の大土地所有者になってやろう」という屯田制は、曹操政権に強大な財政基盤と中央集権体制とを確立させた。
つまり曹操は中国史上はじめて、「経済」というものを視野に入れた英雄と言えるのではないだろうか。これは、すごい。
例えば劉邦なんかは補給はショウ何に任せっきりで、自分では何も考えてないだろうし、項羽は「補給?ナニソレ?」状態だろうし。
やがて屯田制は隋・唐の均田制へとつながっていく。
つまり、曹操はその後の政治史・経済史・社会史に無視しえない影響を与えたことになる。
164とびどぐもたないでください:2008/06/26(木) 03:05:35 O
次に軍事的才能。


勝敗は兵家の常。勝率ではなく、その戦いぶりをみてみる。


まず、個人的な武勇。
裴注にひく孫盛の『異同雑語』には「並外れた武技」とある。かなり強そうだ。ちなみに有名な「治世の能臣、乱世の姦雄」もこの『異同雑語』が出典。


次に指揮官としての能力。
なんといっても、官渡の戦いはすばらしい。
圧倒的な大軍を相手に守りぬく、そのねばり強さは、ナポレオンをはるかに凌いでいる。
そして状況判断。許攸のもたらした情報は、ワナだろ、と判断するのが常考。それをチャンスと捉え、敵の補給を断つことで勝利したその一瞬の状況判断能力は神がかっているとしか思えない。本能寺の際の秀吉がややこれに近い。
そして敵補給部隊への奇襲を自ら率いるその勇気。奇襲は失敗すれば死地に孤立することを意味する。
その危険極まりない役割を、君主自ら引き受けるというのは、古今東西ちょっと例がないのではないか。隋末のトウ建徳ぐらいか。
でもトウ建徳も「失敗したら敵に降伏すればいいや」的な軽いノリで奇襲してるようだし、曹操とは比べられない。胆力でも曹操はなみの人ではない。


さらに戦略家・軍略家としての能力。
赤壁では負けたが、その後荊州北部は確保。
荊州は要は南陽郡だけが重要で、南部4郡なんてのはだだっぴろいだけのカスみたいな所。徒に兵力を消耗させず、荊州北部を確保しただけでも、戦略的には正しいだろう。漢中を「鶏肋」と言い切るのも同じ。
何の戦略眼もなく、補給も考えず占領地を広げ、ガダルカナルに固執して自滅した日本軍なんかとは比べものにならない。


また曹操は『孫子』に注をつけている。
『孫子』はいわば戦争の「マニュアル」である。しかし現場はなかなかマニュアル通りにはいかない。曹操は自らの実体験を加味して、注をつけているのだ。軍事理論家としても優れた能力を持っていると言えよう。
165とびどぐもたないでください:2008/06/26(木) 03:56:43 O
さらに、これがメインだが、文化人としての曹操。これは文句のつけようのない英雄である。


「建安文学」の後世への影響は、書いていけばきりがない。中国のその後の文化史は「建安文学」の上に成り立っていると言ってよい。
さらに曹操はパトロンたるに飽きたらず、自らも詩人として、「建安文学」を盛り上げた。しかもその詩は「魏武」として後世高く評価されている。ネロのようななんちゃって詩人ではない。
そのような雰囲気の中で育った曹丕だからこそ『典論』が書けたのである。そのような雰囲気で育った曹植だからこそオヤジアニキをしのぐ詩人になれたのである。
ちなみに書や画などが芸術として発達しはじめるのもこの時代のことである。
曹操の「建安文学」はその後の中国の「芸術のありかた」を決定づけた、と言っても過言ではない。
そして曹操が凄まじいのは、これらを戦争と並行しておこなっている点である。
よく言われることだが、『蜀書』が異常にボリュームが少ないのは、蜀では史官すら置かれなかったからである。チンピラあがりの劉備はともかくとしても、孔明ですら、戦争〉〉〉〉文化事業だったのである。


道教も曹操が保護したからこそ、生き残りえた。
曹操が張魯の首をチョンパしてれば、現在の道教はないのである。

中国史上、乱世の英雄で、曹操のように文化に尽くした人がいないのは、毛沢東が『沁園春』で述べた通りである。
唐太宗は天下平定後、正史の編纂事業を行い、とりわけ『晋書』は一部を自ら執筆するほどだったが、『晋書』の後世の評価は、正史中でも最低ランクである。


曹操という人に「文化的業績がない」という人は、明らかに歴史を知らない。
曹操は中国文化史上の巨人である。
166とびどぐもたないでください:2008/06/26(木) 04:25:10 O
最後にまとめ。


これは古今東西どの英雄にも言えることだが、曹操は適材適所人をつかうことができた。
また人をよくゆるした。息子を殺した張繍もゆるしたし、自らを「贅奄の遺醜」と罵った陳琳もゆるした。このあたりも古今東西の英雄にひけをとらないだろう。


よく「曹操は中途半端」と言う意見を見かけたが、それはあたらないだろう。
例えば、全ての種目の世界記録を持ってないからと言って、「北島康介は中途半端なスイマーだ。」と言えるだろうか。
「戦術はエパメイノンダスに、戦略は張良に、決断力はカエサルに、政治はルーズベルトに、外交はリシュリューに、切りとった領土はティムールに、詩人としては李白に、それぞれ劣るから曹操は中途半端」はおかしい。
それらの英雄がよってたかってやっと、「曹操は中途半端」と言えるのである。これはすごいことではないか。
「総合点」というものがあるなら、曹操より優れた人は果たしてどれだけいるのか。


オレも別に「曹操は世界史上最高の英雄」なんて思っちゃいないが。
なんかあまりにもアンチから過小評価されてるみたいだから書いてみた。
長々長々と読んでくれた人はありがとう。
167世界@名無史さん:2008/06/26(木) 16:20:02 0
単純に挙兵した時点から数えて拡大させた勢力の度合いで言えば劉裕に匹敵するからな。
これだけで考えたら中国史でベスト10には十分入るよ。勿論最高ではないけどね。朱元璋は異常。

>>151
あと俺149氏じゃないんだけど、どこら辺がif評価?
文面だけ見れば史実に沿っているように見えるのだが
168世界@名無史さん:2008/06/26(木) 16:31:24 0
>曹操は中国史上はじめて、「経済」というものを視野に入れた英雄
無理矢理すぎる持ち上げ方

>その危険極まりない役割を、君主自ら引き受けるというのは、古今東西ちょっと例がないのではないか。隋末のトウ建徳ぐらいか。
>でもトウ建徳も「失敗したら敵に降伏すればいいや」的な軽いノリで奇襲してるようだし、曹操とは比べられない。胆力でも曹操はなみの人ではない。
踏み台思考なのが気に入らない。

>さらに戦略家・軍略家としての能力。(略)
>南部4郡なんてのはだだっぴろいだけのカスみたいな所。
出鱈目すぎて吹く。

>曹操は適材適所人をつかうことができた。
はあ?

>「総合点」というものがあるなら、曹操より優れた人は果たしてどれだけいるのか。
総合点で一位とか寝言吐いてるのが>>1だろ。

こんな贔屓に塗れた提灯記事は弁護どころかアンチの活動をより悪化させるだけ。
無駄に比較対象を貶めて持ち上げるというのがヨイショの仕方としてはクソだな
169世界@名無史さん:2008/06/26(木) 17:58:53 0
贔屓の引き倒しですね。わかります。
170世界@名無史さん:2008/06/26(木) 18:27:30 0
でもアンチのこき下ろし方はこれと同レベルだよね。トントンでいいんじゃないの。
171世界@名無史さん:2008/06/26(木) 18:34:44 0
とびどぐもたないでください は曹操アンチじゃね?
172世界@名無史さん:2008/06/26(木) 19:24:38 0
それは違う。
中国の文化の中心は儒教、仏教、道教を中心に回っていたようなもの。
六朝時代初期に仏教が異民族の侵入と共に隆盛を見て以来
常に王朝〜民衆に至るまでこの三大主義が文化面をリード。
詩とは儒教の四書五経における「詩経」に収められてるため
それのみをメジャーに押し上げてもそれほどの功績と言えるのかも微妙。

道教に関しても同様。
三国時代の道教はまだまだ発展途上。
(上記の仏教隆盛に対抗するため老荘思想を中心核におき養生説、神仙説
 占朴、古代のシャーマニズムなどを取り込み、
 神々のヒエラルキーなども確立して大宗教に発展するのは六朝時代)

それ故に、この時代に張魯が討たれたとしても道教はほぼダメージを受けていないようなもの。
代々の張天師家系が一時中絶するような事態は起きるかもしれないがね。


173世界@名無史さん:2008/06/26(木) 19:40:54 0
<外政>
・67戦58勝9敗 勝率0.865
・エン予司隷徐冀青ヘイ涼の八州を完全制圧、揚幽荊の三州の大半を制圧
・青州黄巾、五斗米道の吸収合併
・天子奉戴
・孫権との講和

<内政>
・屯田制
・求賢令
・魏武注孫子
・建安の三曹七子
・段掛け方式


30年以上戦場を往来して統一出来なかったのは、
大局観の問題より、部下に大軍を預ける度量に欠けていたからだろうけど。
174世界@名無史さん:2008/06/26(木) 19:49:35 0
曹操は結局ワンマン武将だったからな。
175世界@名無史さん:2008/06/26(木) 20:18:59 0
武将、君主としてより文人として評価した方が順位は高そう。
間違いなく時代の英雄だったとは思うけどね。
176世界@名無史さん:2008/06/26(木) 20:27:06 0
>>1が厨臭すぎる事言ってしまったがために
本来なら熱く語れそうな曹操の話題を台無しにしてるな
177世界@名無史さん:2008/06/26(木) 20:53:56 0
いや軍人としても十分すぎるだろ。
領地もほとんど自分の指揮で切り取ってるし、
赤壁と漢中でこけたものの、あの形勢なら呉蜀が落ちるのは時間の問題。
途中で司馬氏の簒奪を許したが、それは文帝の皇族政策のミスだし。

後漢や明のように初代がいきなり統一したようなケースがおかしいのであって、
別に曹操にそれが出来なくても減点すべき要素にはならないはずだろう。
贔屓しすぎも不自然に厳しい基準もおかしいだけ。
178世界@名無史さん:2008/06/26(木) 21:49:11 0
清みたいに数代かけて勢力を伸張させて天下をとるのなら良いが、
曹操の場合、後に司馬氏に完全に乗っ取られてしまってるから減点でいいよ。
一族の覇権の礎を築いたわけでもない。
179世界@名無史さん:2008/06/26(木) 23:53:33 0
魏武帝⇒魏文帝⇒魏明帝⇒……⇒晋武帝という感じなんだが。
魏晋は首がすげかわっただけで胴体は一緒だろ。
180世界@名無史さん:2008/06/26(木) 23:53:49 0
>>177
曹操は戦術家としては2流〜3流。
ほとんどの大戦で窮地に見舞われたが、それを救ったのは自身の能力ではなく
すぐれた幕臣の知恵や武勇。
壮大な戦略を立てられても、戦術面まではそうもいかなったのが曹操。
181世界@名無史さん:2008/06/27(金) 00:21:41 0
徐州大虐殺の事に触れないのはお情けのようなものか?
相当なマイナス点だろ、これ
182世界@名無史さん:2008/06/27(金) 00:34:32 0
兵站が破綻してたんじゃねーの?
その後のエン州争奪戦で相当死んでるみたいだし。
官渡以上に肉弾戦な印象
183とびどぐもたないでください:2008/06/27(金) 01:21:01 O
別に曹操厨でもないんだけどね。とりあえず書いてみたってだけで。


>>168
荊州は、
北部3郡(南陽・江夏・南郡)>‖越えられない壁‖>南部4郡(長沙・武陵・桂陽・零陵)
だろ。常考(後漢末はね)。
なにが「出鱈目すぎてふいた」だ。地図みろ。


>>172
お前さんは、儒仏道をもちあげすぎ。
いや、それはいい。それはいいんだが、詩をあまりにも過小評価し過ぎだ。
詩賦は中国士大夫にとってそれはそれは大切な精神の柱のひとつなんだな。
その証拠が、
科挙
なわけで。これだけでも如何に中国士大夫にとって詩が重要かわかってもらえると思う。
そしてその詩を『詩経』の世界とは一変させた功労者こそが曹操をはじめとする「三曹七子」なわけだ。
「仏」に関しては、お前さんも書いてるとおり、後漢末はまだまだマイナー教団。それに曹操が関わってないからと言って責めるのは酷だろう。
「儒」については曹操は孝廉に挙げられているくらいだから、人並みかそれ以上に勉強してるはず。それに最期まで「漢臣」としての分を守ったわけだから、『演義』のイメージで叩かれてるだけで、本来は儒教道徳の体現者として賞賛されてもおかしくない(?)
で、「道」。
張魯時代はまだまだ卑弥呼レベルの「鬼道」。それを「儒」・「仏」と同レベルにまでひきあげたのが「清談」なのではないだろうか。
「清談の祖」とされるのは、曹操の養子、何晏。そして「建安文学」があったからこそ、「清談の風」は生まれたのである。
なかなかどうして、曹操は「道教」の成立に一役買っていると言えるのでは?本人が意図してかどうかは別として。
184世界@名無史さん:2008/06/27(金) 01:59:52 0
>>183
>南部4郡なんてのはだだっぴろいだけのカスみたいな所。
とか言ってるだろうが。
南部四郡は押さえるのに失敗しただけだろ。おまけに江夏・南郡も南半分を分捕られてる。
それが戦略的撤退に見えるようなら曹操儲でもなんでもなく只の馬鹿だろう。

>儒仏道
詩をその三つに並列するなんて話初めて聞いたぞ。
演義の成立以前に石ロクに叩かれてるし、息子に簒奪させてる時点で説得力ねーよ。
息子や養子の仕事を召し上げてまで曹操を誉めるのが強引すぎなんだよ。
過大評価とかそんなレベルではなく評価方法自体が出鱈目だな。
185世界@名無史さん:2008/06/27(金) 02:10:18 0
>南部4郡なんてのはだだっぴろいだけのカスみたいな所。

関羽は南部四郡のさらに半分で総勢5万近い兵力を持ってたが。
186とびどぐもたないでください:2008/06/27(金) 03:10:26 O
>>184
だから、誤解のないようにって、ガダルカナルの例挙げたろ。
赤壁で負けたのは負け。南郡を失ったのまで「戦略的撤退」なんて全く言ってない。なんでそんな曲解するかね。
荊州南部4郡は、長沙を除いてほとんど人口もないし、抑える意味ないんだよ。
南郡を周瑜に取られた段階で、南部4郡失陥は必然。
オレが言いたいのは、大して戦略的価値もない南部4郡を確保するために、南郡を取り返すため再出兵しなかった点が評価できる、ということ。
いわばその、思いきりの良さ、だよ。戦略>個人のプライド、的な。だから「漢中を鶏肋と言い切るのも同じ」と言っている。
ちなみに蜀と呉とはその「カス」な4郡をめぐって、戦争起こしているわけだ。本来は魏に対抗するために手をとりあわなければならないのに、だ。
しかし南部4郡をあっさり捨てた曹操も、南陽郡は死守。南陽郡は経済力もさることながら、孟達の叛乱を迅速に抑えることができたことからも、その地理的重要性がわかる。
戦略的に意味のない所には固執しない。その大局観が曹操にはあったのさ。


また、儒仏道と詩とが同じなんて言ってない。もうその曲解と揚げ足とりはやめれ。小学生の口喧嘩じゃないんだから。
>>172が文化史上の詩の重要性を過小評価してるようにオレには思えたから、それに意見を述べたまで。
それに、「清談の風」の成立は「建安文学」あってのものでしょ。
それまでお前さんは否定するのかい?何晏もまた「建安文学」の影響を濃厚に受けて育ったのさ。オレはそれが言いたいだけで、「何晏の業績」=「曹操の手柄」なんて言ってないよ。
187とびどぐもたないでください:2008/06/27(金) 03:16:17 O
>>185
関羽は南郡持ってるだろーが。


なんか必死だな、オレ。
188世界@名無史さん:2008/06/27(金) 07:06:47 0
でも半分は孫権に持ってかれたじゃん。
189世界@名無史さん:2008/06/27(金) 10:15:11 0
>>186
曹操に対する結論の部分ではあんたと大して変わらんだろう。
各分野のトップでなくとも、複数の分野に顔を出すマルチタレントであることには間違いないのだから。

だとしても、弁護の中身である>>163-166>>183の内容は
過大評価のそれにしか見えない。

>「清談の風」の成立は「建安文学」あってのものでしょ
正始の音の方が遥かに大きな根拠だろう。なぜ曹操に直結してんの?
>>183の議論の展開だと
>曹操は「道教」の成立に一役買っていると言えるのでは?
↑が言いたいようにしか見えない。
>「何晏の業績」=「曹操の手柄」なんて言ってないよ。
と言うようだからいいけど、誤解を招く文章は一行だろうと書かない方がいいだろう。
誇張は曲解されるし、結論を急いだ故の疎漏は揚げ足とりされるものだ。
190世界@名無史さん:2008/06/27(金) 10:15:38 0
>戦略的に意味のない所には固執しない。その大局観が曹操にはあったのさ。

南郡は地政学的に最重要だろう。
曹操が手中に収めてる限り孫権と劉備の入蜀が不可能になるんだから。
戦略>個人のプライドを優先したのではなく、
自信をなくしたから荊州戦線に手を出せなくなったのでは?

一番旨味のある南陽を手放さなかったから、
地理的重要性が分かってたとかいうのも意味不明。
大局観があろうがなかろうが首都圏の一角に敵を食い込ませる訳がない。

「南部四郡は曹操にとって戦略的価値がない」という仮定も理解しがたい。
後漢書地理志では荊州内でも南部四郡には2位と3位の人口を抱える土地。
曹操の第一の敵である孫権or劉備にとっては垂涎の地だ。
「抑える意味がない」から撤退した、なんて言い草は
事実を曲解して曹操にとっての不都合を誤魔化そうとしているようにしか見えない。

「統一出来なかった」という減点法の評価だけで曹操を語るのは不当だとは思うが、
結果オーライの手柄を大袈裟に大局観としてアピールしたり、
深刻なミスを大したことがないように語る出鱈目な擁護は
より理不尽なものを感じてならない。
191世界@名無史さん:2008/06/27(金) 12:12:32 0
つーかさ信長にしても曹操にしても
はじめから全てを見通して行動してたわけじゃないんだ
実際現実問題、結果オーライの部分の方が大きいんだよね
優れた指導者は予定通りにいかない難局をいかに切り抜けるかが重要なわけで
この二人の信者はそういったことを無視して
最初から全てを見透かして完璧な戦略で行動してたと思ってるからな
192世界@名無史さん:2008/06/27(金) 12:48:28 0
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
193世界@名無史さん:2008/06/27(金) 16:03:15 0
>>191
曹操をスーパーマンみたいに言ってる奴等って、絶対蒼天航路の影響だと思うw
194世界@名無史さん:2008/06/27(金) 16:11:51 0
事実スーパーマンだろ。
ただ蒼天航路みたいな漫画キャラじゃないというだけで。
195世界@名無史さん:2008/06/27(金) 17:24:05 O
人間行動力だな
196世界@名無史さん:2008/06/27(金) 17:26:25 0
曹操をスーパーマン扱いするヤツは漫画脳。
うむ、確かに通じる所はあるかもしれん。
じゃあ曹操を1流じゃないと言い切るヤツは?おそらく演義が大好きな人達だろうな。

実際今でこそそれなりに歴史の知識も増えて色々講釈たれてる俺たちだが、最初に歴史に興味持ったきっかけは?大方小説だったり漫画だったりそういうメディアの影響が歴史好きに講じたんだろう。
贔屓の引き倒しをしてはならない、なんていうけどそんなのムリだ。俺ら人間だもん。どう頑張ったって根っこのイメージは抜けない。
劉備が若い頃に自分をバカにしたヤツらを偉くなってから殺した事を知っても劉備好きが劉備嫌いになることは無いだろうし、
曹操が自分の親父が徐州にいる事をしりながら攻撃の準備してた事を知っても曹操好きが曹操嫌いになることは無いだろう。

そこら辺の事情があるからこそ、冷静に考えなきゃいけないと思うがね。
光武帝や大ハーンだって非人道的な振る舞いや常識的に考えてありえないようなポカはやってるんだよ。それでもこいつ等を能無しだと言うヤツはいない。
曹操も同じでね、客観的に見てこれだけマルチにいろんなことやった人間ってのはそうそういない。しかも一時代を代表する権力者だった。これだけの人物を捕まえて歯牙にもかけないような鈍物だ、というのはどうにも見識に乏しいと思うがね。
197世界@名無史さん:2008/06/27(金) 17:46:39 0
横レスだが荊州の南郡って今はともかく当時はベトナムに程近いド田舎だぞ。

北の政権からみれば取られたからってすぐに取り返しにいかなきゃいけないほど重要な所でもない
198世界@名無史さん:2008/06/27(金) 18:17:35 0
悪役としての知名度があるからこそ印象が先行するんだろうなぁ。
しかし興味を持てば実像の方を知りたくなるわけで。
150ぐらいから後の議論はとても面白い。
199世界@名無史さん:2008/06/27(金) 19:35:08 0
>>183
清談が儒・仏のくらいまで道教を引き上げた?
それは過大評価を飛び越えて単なる妄信だ。
清談は老荘の気風を帯びているが、竹林七賢の連中は
それを語弊解釈し、己の怠惰を正当化しただけの鼻つまみ者として
当時は煙たがられてたそうな。

道教の完成に至るには重要な「教義」の部分もまたこの時代にはまだ存在していなかった。
北方異民族の進入と共にやってきた仏教のそれを丸ごと拝借するような形で成立し
そこへ癒着の老荘思想や養生説、神仙説などを盛り込み
更には葛洪の抱朴子による神仙になるための要綱、神仙伝によるそれらを駆使して仙人となった超常者の存在の確立。
陶弘景の真霊位業図による神々、神仙のヒエラルキーの確立。などによる宗教としての重厚な風格と
オリジナリティーを持って仏教と互角の立場に立てたのは六朝末期〜唐代になる。

清談は単に老荘思想を誤解した集団の暴走に過ぎないよ。
老荘の深淵は怠惰ではなく、無そのものと同質になること。
その究極は生死の区別さえ分けないほど。

曹操の建安文学が清談に多大な影響を与えていたと主張してしまっては
返って曹操を辱めるだけかもしれんね。
200世界@名無史さん:2008/06/27(金) 19:46:44 0
石井仁先生も言ってたけど、曹操って結構いい加減なんだよね。
政治にしても軍事行動にしても行き当たりばったりが多いというか。
憎むべき相手を許したかと思えば、その場の感情ですぐ人を殺しちゃうこともあるし。
201世界@名無史さん:2008/06/28(土) 00:05:05 0
いきあたりばったりなんてそれこそどいつもこいつも大差ないよ。はじめから最終像や二十年も先の事を見通してるヤツはいない

特に身分の低かったヤツや弱小勢力のヤツが自分が天下人になるまでのプロセスを綿密に組み立ててるわけ無いだろうが
そういうのって大概プラン通りにいかんしな。戦争がらみなんて不覚的要素の塊だし。むしろそこを切り抜けられるかどうかが武将の能力じゃね?
202とびどぐもたないでください:2008/06/28(土) 00:09:41 O
>>199
むぅ。確かに>>189の言うとおり、今回はやや結論が飛躍しすぎたようだ。改めて、自分の文章を読んでみて、誤解を招く表現だったのは認める。申し訳ない。
確かに「道教を儒・仏と同列にまで高めたのは清談」的なことを書いてるな。まぁそこまで言い切るつもりもなかったんだが、勢い、だな。
でも清談という「無駄な」知的遊戯が、その後の中国の思想に及ぼした影響も考えて欲しい。
誰だってあるんじゃないの。高校の頃とか友達と愚にもつかない論争したりとか。それはそれで楽しいものだった。五石散なんか使わなくても充分ハイになれた。
まぁそういう知的鍛錬をへて、「鬼道」が「道教」へと、南北朝期に変貌していくんじゃないかな。
203世界@名無史さん:2008/06/28(土) 01:20:39 0
曹操が孫堅や劉備に比べてはるかに恵まれてる名門だ、みたいな意見があったが…後漢でハバをきかせたような名家じゃないぞ。
後漢末期から三国時代って後の司馬氏の台頭見てもわかるように門閥の権威が物凄く強かった時代だぜ
宦官の孫なんて怪しい血統持ってる曹操は後漢の制度では出世できなかった。宦官になるって事は家が落ちぶれてたって証拠だから。いくらじーさんが宦官として最高の地位についててもそれは関係ない。宦官だから。
そもそも劉備が遊学した事からわかるように、孫堅と劉備も最初はきちんと儒教その他の学問を勉強して官僚になろうとした、けど上手くいかずに腕っ節でなりあがる道を選んだわけだ。
曹操は試験パスして官僚になったはいいけど、汚職をなくしたり頑張って見るものの出世できずにやめちまった。

でも家は金持ちだろ、と言う人もいるだろうが、当時は戦乱で物価もバカ高い。実際曹操は私財を潰しても寄せ集めの5千しか集められなかった。それでも個人の資産としたら凄いけどね。
ただ、他の州牧として地方をまかされてたり官爵もらってる連中はこんなもんの比じゃない。土地も民もいるから下から吸い上げられるし、地元の豪族とも癒着できるしね。
当時天下取りレースに名乗りを上げてるのはこういう連中で、曹操、劉備、孫堅なんぞその他大勢。いくら家が金持ちでも目糞鼻糞、たいしたアドバンテージではないよ。
むしろアドバンテージというなら勢力的なものより親や自分が太学で得たそういう名士たちとのコネじゃないかな。無論ほかの名家に比べりゃそれもかなり貧弱なもんだけどね。
204世界@名無史さん:2008/06/28(土) 11:30:45 0
>>203
曹操信者は出自が悪いっていつも叫んでるけど
当時宦官は大勢力で
曹操の祖父の曹騰は宦官のトップで中央において中枢を左右する程の権力を握ってたわけだ
>>宦官の孫なんて怪しい血統持ってる曹操は後漢の制度では出世できなかった
親父は最高位の三公にまでのぼりつめたんだが
平和な時代で途中で職を辞さなかったら曹操なら三公まで十分いける位置にいる
これでどこが不利な状況なんだよ
曹家の名は天下に鳴り響いてたから何をするにしても孫堅や劉備よりはるかに有利だぞ
お前の言うとおり門閥の権威が物凄く強かった時代だからな
袁家ほどではないが曹操はかなり有利な立ち居地だった
205世界@名無史さん:2008/06/28(土) 14:02:45 0
>197 :世界@名無史さん:2008/06/27(金) 17:46:39 0
>横レスだが荊州の南郡って今はともかく当時はベトナムに程近いド田舎だぞ。
>北の政権からみれば取られたからってすぐに取り返しにいかなきゃいけないほど重要な所でもない

ハノイ(緯度21.01 経度105.50)
襄樊(緯度 32.03 経度 112.023)
洛陽(緯度:34.75 経度:112.47)
206世界@名無史さん:2008/06/28(土) 15:17:21 0
>>202
残念ながらそれもちょっと的外れ。
お遊戯レベルの程度で、なんとなく道教が発展したなんてこともない。
清談は「格義仏教」という仏教用語を老荘思想を持って置き換えてわかりやすく
解釈し、中国仏教の流行に一役買ったという功績はあるけどもその程度では
仏教発展の踏み台として存在してるだけのようなもの。
道教が宗教として大成するためには>>199の意見のように独特のオリジナリティーが
どっしりと中心核に根付くようにしなければならない。

曹操は武人という面を完全に捨てて、詩人として生涯を全うしたら
恐らくは儒、老荘の垣根に拘らない
柔軟な大詩人として李白、杜甫にも匹敵する存在として語られていたかもね。

武人としての面もあるから、天下簒奪の不忠不義を犯した悪党などとも
呼ばれてしまい詩人としての一面まで汚れてしまっているように思える。

207世界@名無史さん:2008/06/28(土) 20:03:20 0
>>204
だから宦官としては出世できるても役人としては出世できないんだって。
確かにお前の言うとおりこの人太学できちんとお勉強してエリートコースにのっかってるけど実際についてた役職は地方の警察官。手柄も立ててるし詔も出すけど取り上げられなかった事実がある
それに袁家見たいな門閥たちが有利だといわれるのは先祖代々高官で、有力な名士や豪族を取り込んでたところにもある。
横行してた売買官をフル活用して親父は三公に上り詰めたがそれ以前に曹家の家柄ってのは没落してたから周りには軽く見られてた。
要はナメられてたわけだ。一代でいきなり官職を買って出世してもここら辺はダメなんだ。中央で引篭もってる分には十分だけどね。金の力で。それでも敵は多いよ。

だからこそ一度出来た名士とのコネは大事にするし、後々偉くなってからもこういう名士連中に神経を使い続けてるわけなんだな。そもそも自分自身が他が押し黙るような強力な家柄ならそんな必要ないもんね。
曹家は端にも棒にもかからない家柄だったのは事実。ジーサンが宦官にならざるを得なかったのはそうしないと出世できなかった、つまり家に力が無かった事をはかるいいモノサシだよ。
間違っても政府の最高管理職まで自力で上り詰められるような位置にはいないね。むしろ出世コースからは外れてるよ。
天下に名が轟く?確かにそうかもね「卑しい血筋の、タマヌキ野郎の糞息子」としてね。



208世界@名無史さん:2008/06/28(土) 20:13:36 0
むしろ金で買った高位に胡坐かいて力の無い朝廷で引篭もってるより
役人に見初められて州牧にでも赴任して地方を乗っ取って実力を付けてったほうが天下取りには近いな。

そう考えると曹操って富裕層ではあってもかなり逆境だったのかもね。おれも温室育ちのボンボンのイメージがあったけど。
209世界@名無史さん:2008/06/28(土) 20:41:56 0
いや、ボンボンなのは本当w平和な世の中ならそれこそ一生何もせんでいいくらいジーサン稼いでたからね。

ただ出世できるか否かって観点から行くと、門閥の「真っ当なボンボン」とは種類が違う。
宦官って当時の価値観からすりゃ人間やめるってのに近いからね。そうしないと官職につけないくらい没落してたって事だから。
当然親父や曹操自身も周囲からも鼻つまみものな扱いを受けるわな。
210世界@名無史さん:2008/06/28(土) 21:12:28 0
なんか曹操は凄いピンチを乗り越えて勝った、だから凄い……みたいな論調になってるな。
あっさり就職出来き順調に出世出来る時点でそれほど不遇なはずないだろ。
エン州牧に推戴された時も家柄を理由に反対した連中などいなかった。

袁氏あたりと比較するのがそもそもおかしい。
211世界@名無史さん:2008/06/28(土) 23:57:36 0
劉備なんか貧乏の草鞋売りから始まり、流浪の弱小君主を延々と続けて
魏呉と張り合える国の君主にまでなったからな。
出から比べるのなら、劉備の方が凄いな。
212世界@名無史さん:2008/06/28(土) 23:57:46 0
曹操の祖父曹騰は清流派の人物と交流があり彼らから一目置かれてたらしい。
また普通宦官は辟召権を持てなかったんだけど、宦官の最高位である大長秋は辟召権が認められてたらしい。
つまり彼は袁家ほどではないが門生故吏を抱えていたことになる。
このような人的コネクションが曹操に有利に働いたのは間違いないと思う。
213とびどぐもたないでください:2008/06/29(日) 03:56:01 O
>>206
ご指摘ありがとう。
まぁもうちょっと勉強してみるわ。


出自論が盛んなようなので、オレ的に脳内イメージでランク分け。

小豪族レベル

馬騰:馬援の子孫らしい。父は県尉。しかしその後免官となり、父はおちぶれて、馬騰は貧乏で木こりをしていた→募兵に応じたちまち持ち前の武勇で出世。韓遂に担ぎだされて、西涼に割拠。

劉備:本人曰く前漢景帝の子孫。祖父は県令。父が早くに亡くなったため、ワラジ売りをしたことも→益州を領有。(蜀)漢皇帝に。

孫堅:孫子の子孫?代々呉の役人をしている家柄→県丞を歴任。平和な世なら県令かうまくいって太守・都尉クラスか?黄巾賊平定で頭角をあらわし、区星の乱を平定して湖南に勢力圏を築く。ところでなんで孫堅の配下には程普や韓当といった遼西人がいるんだろう?

孫策:孫堅の子。父の死後勢力を保てず袁術に身をよせる→わずか千人ほどの手勢を元手に江東を平定。呉の基礎を築く。

董卓:父は県尉。「六郡良家の子」として羽林郎に選ばれる→並外れた武勇で出世、将軍に。何進死後の混乱に乗じて政権を握り、相国に。
214とびどぐもたないでください:2008/06/29(日) 05:45:01 O
中豪族クラス

公孫サン:家は代々二千石。だが庶子→持ち前の美貌と才能と武勇とで、自力で這い上がる。袁紹・袁術と並ぶほどの大勢力を築く。

司馬懿:項羽の封じた十八王の一人、殷王司馬ギョウの子孫だという。
家は代々二千石クラス。父司馬防は京兆尹。曹操を洛陽北部都尉に推挙したのが司馬防。
ただし司馬懿ははじめひきニート→曹丕に信任され遺嘱を受ける4重臣の一人に。クーデターで曹爽との権力争いに勝利し、魏の政権を握り、晋王朝の基礎を築く。


大豪族クラス

曹操:曹家は、曹参の子孫だという。さんざん既出だが、祖父曹騰は宦官で、中常侍・大長秋となった大物。
父曹嵩は曹騰の養子。売官で太尉の地位を得た。
まずとんでもない金持ちであったことは間違いない(太尉を一億銭で買ったという。前任者の崔烈が司徒の位を500万銭で買っている。それと比べるとケタ違いの額だ)。
曹嵩の実家は夏侯氏であるという。夏侯氏は夏侯嬰の後裔。
曹操は20歳で孝廉に推挙され郎に。ついで洛陽北部尉、という起家。その後も順調に出世して済南国相。
官を辞しひきニート、その後兵5000を集めて挙兵。→中国の北半(国力的には7割くらい?)を支配。魏太祖・武帝と追尊。

袁紹:泣く子もだまる「四世三公」汝南汝陽の袁氏。ただし父親がはっきりしない。袁逢の庶子で伯父袁成の後を継いだともいう。
幼少で郎に、20歳で県長となる。その後ひきニート。
再び出仕し、大将軍の掾(七品官)、侍御史(七品官)、中軍校尉(四品官くらい?)、司隷校尉(三品官)ととんとん拍子に出世。
勃海で反董卓の挙兵→河北4州を支配。官渡までは文句なしに群雄ナンバー1。

袁術:袁紹の異母弟とも従弟とも。ただしこちらのほうが嫡流のようだ。
孝廉にあげられ、郎中に。その後順調に出世して折衝校尉・虎賁中郎将(五品官。袁紹よりだいぶ低い)→皇帝。
215とびどぐもたないでください:2008/06/29(日) 06:13:36 O
皇族クラス

劉虞:東海恭王とかいう人の子孫。皇帝とはかなり遠縁のようで、県の戸曹の役人という低い起家。
その後職務に精励してやっと孝廉にあげられ、郎に。その後も出世を続け、皇族内の信望もあつく、宗正となり、転じて幽州牧に→袁紹に皇帝に推戴されるも拒否。

劉表:どういう繋がりで皇族なのか、オレはわからん。
若い頃から名声があり、大将軍の掾から荊州刺史→そのまま荊州に割拠。

劉焉:前漢魯の恭王の後裔。皇族官僚の大物で、洛陽令、冀州刺史、南陽太守、宗正、太常などの要職を歴任→蜀に天子の気あり、との予言に従い、益州牧となってそのまま割拠。
216とびどぐもたないでください:2008/06/29(日) 06:55:34 O
こうやってつらつら眺めてみるに、スタートがずばぬけて恵まれているのは袁紹・袁術・劉焉の3人かな。


でも曹操も全然悪くはない。寧ろかなり良いスタート地点と言えるのではないか。
曹操の事実上の起家といえる洛陽北部尉は四百石なのだそうで、だいたい八品官に当たるくらいだと思われる。これは袁紹の県長(八品官・三百石)よりも高いのである。
時代が全く違うので、単純な比較は出来ないが、科挙のトップ合格者の起家が正八品だったようである。
曹操もまたエリート予備軍としてかなり優遇されたスタートだったと言えるのではないか。
その後の出世も袁紹が中軍校尉の時、典軍校尉に任命されている。
門地も年齢も上の袁紹とほぼ同格の地位を与えられているのは、出世の面でも優遇されていた証拠であろう。


しかし曹操の出世を支えたのは本人の才能と、ジイサン・オヤジの金と地位だろう。
これもさんざん既出だが血統面では全く尊重されなかったに違いない。
とにかく曹魏の血統には、ダーティなイメージがつきまとう。
宦官の、しかも異姓養子の子というのはかなりの負のレッテルであろう。
曹操がくりかえし求賢令で「卑賎でもよい、不孝でもよい」と呼びかけたのは、自分自身の血統の低さにも関係あるのだろう。
さらに一説に言うが如く、曹叡が袁熙の子であるならば、ますます人々は「曹家の血」を神聖視などできなかったであろう。
さらにトドメが「誰の子かわからない」曹芳である。
曹氏が力を失い、司馬氏に輿望が集まっていく一因が、この曹氏の血統のアヤシさにあるのではないだろうか。
217世界@名無史さん:2008/06/29(日) 14:47:19 0
ていうかさ素朴な疑問なんだけど、曹操が家柄で出世できたのならなぜそうしなかったのよ?
地方で汚職役人を掃除したりマジメに仕事やってたんだから、中央で本当に出世できるなら同じ事をすりゃいいじゃん。
太守になれるような血統ならなんで地方に出たときに貧弱な勢力だったんだ?袁家みたいなスーパーセレブ以外にも劉岱や陶謙みたいな一端のヤツ等はワリといたのになんでそうならなかったの?
後に魏王になってからも名士達に常に気を配ってたのはなぜ?自分が後漢の制度でうまく立ち回れるような門氏なら、そんな必要なくてもっと思い通りに出来るじゃないか。後々司馬氏に台頭されたのもおかしい。曹氏が本当に名門なら巨大化する他貴族を十分押さえ込めたじゃん。

どうも曹操を名門、門閥の類としてしまうと説明の付かない所が多すぎると思うんだよなあ。官職辞めてニートやるにしてもそんなめんどくさい事しなくていいし、勢力的にももっとラクに戦えたじゃん。あんな力ずくでいく必要ない。
まさか本当に働くのがイヤでニートやってたわけじゃないだろ?仕事はきちんとやってんだから。
218世界@名無史さん:2008/06/29(日) 15:05:56 0
劉備も素寒貧だと思われがちだが一応県令の孫だったりするらしい
219世界@名無史さん:2008/06/29(日) 16:36:22 0
遊学する時親戚に金だしてもらってるしな

実は食うものには困ってなかったのかも
220世界@名無史さん:2008/06/29(日) 19:36:12 0
家柄よりも州牧相当のポストを得るまでの時間だろう。そこで出遅れるとどうにもならない。
221とびどぐもたないでください:2008/06/29(日) 21:33:37 O
>>217
中華帝国の官僚は「三年一考」と言って、3年ごとに部署を変えられ、地方官と中央の役職を交互にこなしながら次第に出世していく。
別に昔の中国に限らず、今の日本の公務員だって同じ。企業でも本社採用のエリートがずっと本社勤務のままなんてありえない。地方の支社で修行したり、留学をかねて海外支社で勤務してから、本社に戻る。
前述したように、大体有力者の子弟は8品官ぐらいで起家。これは曹操も袁紹も同じ。
いきなり殿上人スタートの藤原氏が異常なだけで、中国ではこれでもかなり優遇スタート(九品中正導入後の晋代では有力貴族の子弟は六品官で起家したようだが)。
前述したとおり、袁紹が田舎の県長・三百石なのに対して、曹操は首都の警察署長・四百石と袁紹よりも優遇されている。
それに後漢では、劉虞のところで述べたように、たいていは地方の有力者の子弟でも、まず地方の役所の下級官吏→孝廉という順番のようだ。
いきなり孝廉に挙げられている曹操は、やはり名門扱いだろう。


それに曹操はひきニート後、いきなり典軍校尉である。新設軍とはいえ、ただのひきニートがその指揮官に抜擢されるなどありえない。
また董卓は政権奪取後、曹操を驍騎校尉に任官し、懐柔しようとしている。やはり、その勢力が無視できなかったからではないだろうか。
とるにたらない存在なのであれば、曹操のような若造はほっておけばよいのだから。
曹氏の勢力は、本貫の地、亳県に大規模な曹氏一族の古墳群があることからもわかる(倭人字磚が出土したことでも有名)。
曹騰は没落したからではなく、末子だから、手っ取り早く出世するために去勢したのだろう。
222世界@名無史さん:2008/06/29(日) 21:49:13 0
曹騰だけに相当な特殊なコネがあったんだろう
223とびどぐもたないでください:2008/06/29(日) 21:49:49 O
いったい魏晋は、宮崎史観の受け売りだが、中世で、皇帝権力が弱体化していった時代。>>10もそのことを指摘していると思われ。
袁紹ですら、配下の名士・豪族のご機嫌をとるため、苦労しているようだ。
逆に配下の豪族の意見を無視すれば、孫皓のように「暴君」のレッテルを貼られてしまう時代。
誰であれ、君主は配下の豪族に気をつかわなければならなかった。
それがイヤなら、孔明のように厳しい法律で恐怖政治をしくしかない。
曹操が配下の豪族に気をつかうのは、門地が低いからではないと思う。


曹操は袁紹や楊脩にこそ劣るものの、やはりかなりの名門と認識されていたのではないだろうか。
ただし、前述したように、その血筋はかなり特殊で、陰口はそうとうたたかれであろうけど。
224世界@名無史さん:2008/06/29(日) 21:52:00 0
>陰口はそうとうたたかれであろうけど。

曹騰だけにね!
225世界@名無史さん:2008/06/29(日) 22:00:23 0
う〜んでもそれだとやっぱり弱小から始まった事や後々の名士とのしがらみが疑問に残るよ。

そんな名門なら一旦地方に出ちまえば人にしろ物資にしろもっと大々的に集められたし、曹操やその一族は後漢の制度ならそれこそどんな名士も相手にならないくらいの大貴族になってたやん。
でも実際はほかの名士の影響力がずっと強いままだったろ。最終的には乗っ取られてるくらいだし。

俺はやっぱり宦官になったのはそれだけ曹家が落ちぶれてたからだと思うけどなあ。
226世界@名無史さん:2008/06/29(日) 22:47:14 0
>>223
横レスだがやはり家柄と実力と併せ持っていればほかの名士も完全に押さえ込めたのでは?
とくに司馬氏の専横の時は名士達からも曹氏はあまり支持されていなかったようだし。
漢の丞相であり実質的に国政を握っていたにもかかわらず名士の助長を止められなかったのはやはり家柄がジャマしてうまく立ち回れなかったのでは?
名士有利の機構の中で曹操自身が名家と認識されていたのなら、大多数はほっといても自分に付くし怖いもの無しだろう。
227世界@名無史さん:2008/06/29(日) 22:55:29 0
落ちぶれたが曹騰の代で復活したんだろ
曹操以前では曹家史上最高に出世した人間だよな
曹操信者は曹操をもちあげるために宦官だからといって曹騰を貶めるなよ
曹騰は人望もあつく立派な人物だったし
だからこそ曹家も栄えた
もちろん汚い仕事もしただろうが宦官としては非常にマシな部類だ
228とびどぐもたないでください:2008/06/29(日) 23:32:26 O
>>226
ちゃんとオレのレス読んでくれ。


今までのオレの意見を要約すると。
・曹嵩は大金持ち。しかも太尉。
・その子の曹操は名門扱いで起家&出世。
・「中世」という時代の流れの中で、曹操が豪族たちに気をつかわなければならない場面もあった。


・曹騰は大物だが宦官。
・曹嵩は異姓養子。
・曹叡は曹丕の子ではないかもしれない。
・曹芳は誰の子かわからない。
・以上のように「血統」面で非常にマイナスイメージのある曹氏は次第に支持を失っていった。


とまぁこんなところ。


しかし、曹操は清流派最大の名士荀イクを殺しているが、その政権はびくともしていない。
また「弘農の楊氏」の楊脩だって殺して平気である。
さらに逆らうヤツは孔融・許攸・婁圭・崔エンみな殺しである。これらは全員「名士」であるにも関わらず、だ。
曹操は配下の名士に対して、硬軟いずれの態度もとれる人物だった、とまで言うとまた「儲」扱いされるかな。
いずれにしても弱腰一辺倒でなかったのは事実。
229世界@名無史さん:2008/06/30(月) 00:00:55 0
なるほど、だから後世では史書家からもボロクソに叩かれるハメになったんだな。
230世界@名無史さん:2008/06/30(月) 00:21:25 0
よくある粛清や人材登用を大袈裟に言い過ぎだと思うんだが。
それにしても、統一過程でここまで粛清するのはホメるにも躊躇するはずだろうに。
231世界@名無史さん:2008/06/30(月) 00:36:10 0
用はメジャーだからだろ。
意識はしていなくとも、曹操をそこまで褒めたくなるのは
三国志演義人気による引き上げ効果なんだよ。

でなければ、あんな地方政権三すくみの一角でしかなかった王が
そこまで言われる事もない。
232世界@名無史さん:2008/06/30(月) 00:58:56 0
もし演義が無かったら今頃曹操は暴君扱いだったかもね。
実際暴君的素質がある人物だけど、それを補って余りある多彩な才能の
おかげでそういったマイナスの部分があまり注目されなくなってるね。
233世界@名無史さん:2008/06/30(月) 01:03:23 0
とびどぐもたないでください

はコテつけない方がいいんじゃね?
意識して儲やってるなら構わんけど、無意識でそれはねーわ。逆に心配する。
234世界@名無史さん:2008/06/30(月) 17:43:16 0
>>228
だから支持されなかったならそれは当時の認識では名門ではないのでわ?
これは既出だがそんな名門ならもっと初期の段階で豪族にプッシュされててもいい気がするが。もっと沢山兵も集まっただろう。他の奴等がそうだったんだから。
235世界@名無史さん:2008/06/30(月) 17:53:57 0
自分の息のかかった連中を高位につけて勢力を拡大していく、みたいな事を曹操のじーちゃんやとうちゃんもやってたんかね?
土地もあっただろうし小作人も抱えてるだろうからもっと序盤の基盤はラクになったような気がするけどね。
夏候氏も一応豪族だし、そんなに力があったのならもっと大勢力から始まっててもいい気がするけど。なんで人もモノも集まらなかったんだろう?反トウタクの時は十七の諸侯の中には入ってなかったくらいの弱小群雄だったし
236世界@名無史さん:2008/06/30(月) 17:56:57 0
坊やだからさ
237とびどぐもたないでください:2008/06/30(月) 22:45:33 O
>>233
そもそもは曹操があまりにも過小評価されてるのが気になってちょっと書いてみただけなんだが。
オレ自身は三国では孫策&周瑜厨なんだが…。なりゆき、だな。
いや、いっそ面白い。
オレのコテハン=曹操儲ならそれで貫き通してみるか。
学生時代のディベートを思い出す。
今は若干ドズルの気分。「アンチ曹操にやらせはせん!やらせはせんぞ!!」的な。オレ独りで引き受ける的なwww。

もちろん、へたれなので、ボコられたら逃げるけど。

てなわけで、>>234
お前さんの「名門」の定義って何?「汝南の袁氏」・「弘農の楊氏」だけが名門、というなら曹操は及びもつかないだろう。
しかし、中小豪族と比べると、前述したように、曹操が名門扱いされていると考えないと、その起家&出世の優遇ぶりが説明つかない。
それに考えてほしい。お前さんが宝くじに立て続けに50回連続当選して巨万の富を得たとして、それで挙兵して何人集まる?
もちろん、後漢と現代日本とでは社会背景が異なるが。
他の反董卓諸侯は太守だの刺史だの、土地を押さえている。
徒手空拳に近い曹操が5000もの兵を集めたのは、やはり名門ゆえのネームバリューではないか。
それに曹操の挙兵には陳留の豪族衛茲が全面協力している。
また徐栄に負けた後、揚州刺史陳温らが丹陽兵4000を援助してくれている(その統率には失敗しているが…)。
さらに李乾(李典のおじ)が数千の食客を率いて曹操に帰伏している。
曹操が「名門」の子弟として信望があったからではないか。
曹操一代の間はそのカリスマ性ゆえに血統のマイナス面が封印されていた→曹操死後マイナス面が吹き出す→司馬氏の台頭を許す。
と考えられるのではないか。

てか、曹操儲なら「曹操は名門じゃないのに勢力を築いた→エライ」の流れなんじゃね?
なんで「曹操は名門」論のオレが曹操儲扱い?
238世界@名無史さん:2008/06/30(月) 22:58:17 0
無職ニートなのにいきなり5千の兵を集め
反董卓連合軍総帥の袁紹とはガキの頃から顔見知り
東郡太守に任命されたらたった1年でエン州を征服
あっさりと地盤を築いてる
人材も文官、武官とバランス良く集まってる
これは名門出身だからできること
というか経歴見れば完全に名門だろ

239世界@名無史さん:2008/06/30(月) 23:00:38 0
>>237
でもなんで土地を押さえてなかったんかね?それこそ金の力でどうともなりそうだけど
てか素朴な疑問だけど血統がジャマしてんならそれはもう名門じゃなくない?出世できたのはじーちゃんととうちゃんのコネだろ。
240世界@名無史さん:2008/06/30(月) 23:12:14 0
対董卓戦で曹操以上に活躍した孫堅と比較すると
個人の武勇とカリスマ性で孫堅軍団を形成するも
袁術配下の遊軍みたいな感じで
ちゃんとした地盤を築けたのはやっと息子の孫策の代
それも揚州の名門出身の周癒の尽力が大きい
周一族、顧擁のいる顧一族、陸遜の陸一族、
こういった揚州の名門の支持によってやっと地盤を築けてる
スタート地点が孫堅以上に不利だった劉備は地盤築くのにもっと時間かけてる
これは1年で地盤築いた曹操とすごい違いだな
小豪族出身だった両者は大豪族レベルの支持を取り付けるのが大変
で当時の知識人はほとんど大豪族レベル出身なんで
劉備と孫堅の場合知識幕僚が弱かった
曹操ははじめから旬イクや程イクがいたけど
241世界@名無史さん:2008/06/30(月) 23:14:20 0
曹操の家柄はいいのか悪いのか判断が難しいみたいだね
とりあえず曹騰より前の曹家ってどうだったの?
曹騰がどんな人間だったにせよ宦官ってだけでまわりから「卑しい」イメージがつくし、プライドにも関わる事だからやっぱりよっぽどの事がないと宦官になんてならないと思うけど。
242世界@名無史さん:2008/06/30(月) 23:17:12 0
>>240
四族のうち三族がバックについてりゃ十分じゃねーの?陸一族には嫌われてっけど。
243世界@名無史さん:2008/06/30(月) 23:21:00 0
田舎モンだからな。
曹操の場合は家柄の土地だったり名声だったりよりも中央官僚とのコネができたことのがアドバンテージだろ
ジーサンと父ちゃんのおかげだな
244世界@名無史さん:2008/06/30(月) 23:28:44 0
>>242
俺が言いたいのは孫一族の場合
無名でどこの馬の骨ともわからんような家柄だったから
周りの豪族の支持によって政権が成り立っていたということ
ところが曹操の場合、自分自身が大豪族出身だから
そこまでしなくても地盤を築けたってこと
祖父は宦官とはいえ、実力的には相当な家柄だからな
245世界@名無史さん:2008/06/30(月) 23:29:42 0
とりあえず孫堅や劉備じゃなくて他の太守や門閥と比べてどんくらい有利だったか不利だったかを考えた方がいいかもね〜
246世界@名無史さん:2008/06/30(月) 23:36:44 0
そうだな
韓フクあたりとか
247世界@名無史さん:2008/07/01(火) 13:32:45 0
むしろ東郡太守になった際に実力主義的な名士や寒門出身者が
曹操の配下となったことから見ても名門というには
実力はともかく名分の点で瑕疵があったのではないか?
248世界@名無史さん:2008/07/01(火) 13:34:07 0
そうそう
249世界@名無史さん:2008/07/01(火) 13:34:42 0
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
250世界@名無史さん:2008/07/01(火) 14:05:57 0
>>247
だから祖父が宦官で名分に瑕疵があったのは誰もが認めるだろ
けど実力的には代々続く門閥と変わらん
結局金と力があるところに人は集まるからな
251世界@名無史さん:2008/07/01(火) 17:24:08 0
実力と同じくらい大事なのが名声ってやつだけどね〜

金はあってもおじいちゃんがなり上がりである以上曹操もなりあがりって扱いだろうからね。
当時の人はあんまり成り上がりもんには付かんよ〜
曹操もエン州を手に入れたのは力ずくだし
252世界@名無史さん:2008/07/01(火) 18:02:41 0
董卓戦でマトモに戦ったのって孫堅と曹操だけだよな。
売名行為にもならんのだったろうか?
253世界@名無史さん:2008/07/01(火) 19:40:45 0
やっぱ自分とこの兵は失いたくないじゃん?
254世界@名無史さん:2008/07/01(火) 21:20:08 0
でも曹操陣営には後々清流派の人物が結構参加してるよね。
特に穎川系の人達が。
255世界@名無史さん:2008/07/01(火) 21:32:27 0
>>251
だから名声もあるんだって、親父が大尉だぜ
成り上がりといっても3代たてば名門だよ
劉禅や孫権は2代目だけどもう名門だろ
それと同じだ
曹家は名門で金も実力も名声あった
祖父が宦官なのはちょっときな臭いなって程度だよ
そもそも宦官の祖父の代で大成功したんだからプラス面の方がはるかにでかいだろ
そうじゃなかったら曹操は夏候家のままで群雄の一人になれたのか?

>>曹操もエン州を手に入れたのは力ずくだし
曹操はエン州刺史劉岱死後、エン州牧に推戴されたんだよ
256世界@名無史さん:2008/07/01(火) 21:54:13 0
>>255
孫権は名門な扱いではないだろ
劉禅は名門とか以前に皇太子だから。漢の人間じゃない。
曹家の場合は後漢でハバを利かせた名族の出じゃないんだからそういう名門とはニュアンスがちがうべ。
じいさんの金と権力の力だ。ツブシが利かない。現に他の門閥よりスタートは出遅れたしな。それでもなんとか勢力を持てたのはじいさんと父さんのおかげやな。

ロシュクが孫権に「曹操に降伏したらあなたは行くあてがありません」って言ってたのと同じだな。
257世界@名無史さん:2008/07/01(火) 22:27:35 0
スタートが遅れたのはニートだったからだろうが
それは曹操の自己責任だろ
しかも兵を挙げただけでいきなり典軍校尉だしな
反董卓連合のときセイ北の相で曹操より官職が上だったホウ信が
劉岱が死んだとき自らでなく曹操をエン州牧に推戴してる
これは曹家が一定の影響力がある証拠

郡の太守にすぎなかった袁紹が名門ゆえに軒並み諸侯を抑えて
反董卓連合の総帥になったように
地位だけで勢力は測れない
エン州牧の件からして曹家の勢力がわかるよな
反董卓での挙兵から東軍太守、エン州牧のスピード出世は
曹家の影響力なくしてありえん

258世界@名無史さん:2008/07/01(火) 22:34:34 0
曹操が名門だとすると、なんで最初から土地をもってないような状態からはじめなきゃならなかったんだろう?
それこそ成り上がりにしろ名門にしろ力はあるわけだから大地主やってて小作人とか抱えてても良さそうなもんだけどな。
兵だってもっと沢山集まったろうし。

まあ曹操の扱われ方みるとやっぱ成り上がりな側面が強い気がするけどな。後々まで濁流扱いだし、結構名士には嫌われてたしな。
後々曹操のトコに集まってきた清流派の人物は太学や官僚時代に作ったコネから拾ってきたんじゃないか?
259世界@名無史さん:2008/07/01(火) 22:41:53 0
>>258
曹操を嫌ってた名士と言えばたとえば誰?
260世界@名無史さん:2008/07/01(火) 22:42:08 0
>>257
それこそ曹氏の力でなくて親父の力でないの?てかコネクション?
ニートやってたのは自己責任たって汚職なくしたりマジメに仕事はやってたんだぜ。上のほうには取り上げられなかったけど。出世のメドが立たなかったのでは?

それに典軍校尉になれたのは普通に考えたら黄巾で実績があったからじゃないの?黄巾で一部隊とはいえ正規軍の司令官になれたのは、お勉強とコネで官僚になったおかげだろうけどね。
エン州牧のころはもう曹操自身が軍人として結構有名だったんじゃないかね。
261世界@名無史さん:2008/07/01(火) 22:43:39 0
>>259
有名どころだが孔融
262世界@名無史さん:2008/07/01(火) 22:48:34 0
董?だっけ?暗殺企んでたの
263世界@名無史さん:2008/07/01(火) 22:50:08 0
董承だろう
264世界@名無史さん:2008/07/01(火) 23:24:13 0
>>258
黄巾の乱で済南の相に
次に東郡太守に任ぜられたのに出仕しなかった
その後、韓遂と戦って典軍校尉になって中央に出仕
董卓が曹操をギョウ騎校尉に任じようとしたが
故郷に逃亡、その結果無位無官に
それで挙兵、成り行きで土地がなかっただけ
地方で勤めたてたらそのまま挙兵できた
それだけの違いだよ
袁紹も逃げたけど、袁家を恐れた董卓が渤海郡の太守に任じた
まぁこれはもっと前の段階だからそんな余裕があったんだけど
265世界@名無史さん:2008/07/01(火) 23:33:10 0
>>260
いくら軍人として有名でも孫堅は袁術配下のままだったし
曹操が中央で名が知れてたのがエン州牧に推戴された理由のひとつじゃないか
実際宦官掃滅の時袁紹と一緒になって活動してたわけだしね

266世界@名無史さん:2008/07/03(木) 10:30:21 0
>実際宦官掃滅の時袁紹と一緒になって活動してたわけだしね

こんなの大してステータスにならん。
中央で抜擢を受ける可能性はあるが地方じゃ無意味。
袁紹も曹操も結局は自力で領地を獲得してるわけで。
267世界@名無史さん:2008/07/03(木) 16:20:33 0
>>264
でも洛陽から逃げてきたヤツって結構たくさんいたよな?袁術とかもいたし。

袁紹とかはもともともってた土地を足がかりに周辺を着々と切り取っていったからな。
268世界@名無史さん:2008/07/03(木) 19:56:55 0
もってねーだろ。韓馥の領土をのっとってはじめて地盤ゲットしたんだよ。
渤海なんて兵力引き出しただけ。
269世界@名無史さん:2008/07/03(木) 20:41:21 0
一応渤海の太守だし大々的に徴兵してるくらいなんだから渤海は地盤に入れていいのでわ?
270世界@名無史さん:2008/07/06(日) 06:44:05 0
曹操が中国統一するには如何すれば良かったのか
271世界@名無史さん:2008/07/06(日) 06:55:42 0
所詮内乱。周辺国にはフルボッコにされる奴等。
272世界@名無史さん:2008/07/06(日) 12:56:05 0
当時は周辺の異民族がそれぞれの政権に帰依していたけどな。山越は微妙だが

統一されてないからイメージ無いけど何気に曹操台頭→三国県立までの中国はかなり強いよ
273世界@名無史さん:2008/07/06(日) 13:00:13 0
曹操は烏丸征伐を成功させたし孫権はベトナムの方まで勢力を伸ばしてたもんな
274世界@名無史さん:2008/07/08(火) 22:17:39 0
逆に言えばその頃の異民族はかなり弱体化してたとも言える
275世界@名無史さん:2008/07/09(水) 11:06:56 0
中原勢がそれより弱体化したから五胡十六国になったのか。
異民族がすさまじく強くなったのか。
276世界@名無史さん:2008/07/09(水) 16:18:51 0
司馬炎は軍備縮小を推し進めたから多分前者だよ
277世界@名無史さん:2008/07/09(水) 20:02:23 0
>>270
曹操が無駄な野望を捨てて漢帝国に帰依。
それで皆、従ったさ。
278世界@名無史さん:2008/07/10(木) 05:58:25 0
それじゃ皇帝になれない。覇者どまり。
279世界@名無史さん:2008/07/10(木) 17:56:17 0
>>277
しかも中国史上そんな王朝は数えるほどしか無い

普通実力者が権力握らないと治まるものも治まらんよ
280世界@名無史さん:2008/07/10(木) 20:24:32 0
しかし、実力者と言えるほどでもなかったんだよな
281世界@名無史さん:2008/07/10(木) 21:24:34 0
そこの判断が難しいんだ、統一できたわけじゃないし分け目の戦でポカやったし。

ただ拡大させた版図が歴代と比べても遜色なかったり、勝率自体は高かったりするからめんどい。上の烏丸征伐みたいにムリっぽい戦争も勝つし。
282世界@名無史さん:2008/07/11(金) 18:30:22 0
ここ一番を乗り切って、楽勝の相手を取りこぼす。で、タイトルとれない。

スポーツでもこういう選手いるわなあ。
283世界@名無史さん:2008/07/12(土) 06:16:38 0
曹操て異民族には強いんだよな
284世界@名無史さん:2008/07/12(土) 09:37:17 0
曹操が弱いというより敵である劉備政権や孫権政権が強かったとは考えられないだろうか。
285世界@名無史さん:2008/07/12(土) 11:54:01 0
>>284
魏=徳川
蜀=島津
呉=伊達

みたいなもんかな?
286世界@名無史さん:2008/07/12(土) 13:13:00 0
>>283
北の人間とかな

むしろ南側の人間に相性悪い気が
287世界@名無史さん:2008/07/12(土) 13:30:41 0
横山光輝の三国志には、曹操の評として「1000年に一度の逸材」と書いてあった記憶がある。
288世界@名無史さん:2008/07/12(土) 13:40:46 0
>>287
横山は参考にならんわww

まあ天下統一してないとかに目を瞑ってかなり贔屓目に見て光武帝死後から劉裕が出るまでの400年に一人とは言ってもいいかもしれない

実際勝った戦いの数とか勢力圏とか政治機構だったら石勒あたりよりは上な気がする
289世界@名無史さん:2008/07/12(土) 13:48:11 0
石勒は奴隷から身を起したってことでちょっと多めに評価されてるよな

実は支配版図とかはそこまで広くない
290世界@名無史さん:2008/07/12(土) 22:55:40 0
>>289
石勒崩御前後で、ようやく相対的最大勢力になれた程度だったからな。
もう少し、石勒の寿命が続けば、ドミノ理論とまではいかなくても、
幽州・涼州の攻略は比較的容易だったかもしれん。

郭敬の襄陽攻略も、石勒の寿命一歩手前での時宜を得ないものだったし、
晩年の石勒は、戦略方針を固める前に、ポックリ逝っちゃった感が強すぎるなあ。
個人的には、長江上流域(成漢・荊州)を抑えて、東晋圧迫路線を採ろうと
してたっぽいんだが。
291世界@名無史さん:2008/07/12(土) 23:13:02 0
石勒の軍事能力てどんなもんよ?
曹操のほうが凄いと思うんだけど
292世界@名無史さん:2008/07/15(火) 18:11:35 0
いや石勒のほうが凄いだろう
293世界@名無史さん:2008/07/15(火) 19:06:44 0
その心は?
294世界@名無史さん:2008/07/15(火) 19:38:37 0
イメージです。
成り上がりだしさっぱりしててカッコイイから俺も好きだが
意外に勢力がそこまででかくない。
よく曹操について「統一してないからスケールが小さい」という意見があるが、彼はそれ以上に小さいしな。

両方とも小規模なゲリラ戦から大規模な戦争まで幅広く経験してる軍人だが単純に比べたら残念ながら石勒が下回るだろう。
もし生きてたら…ってのはあるがね
295世界@名無史さん:2008/07/16(水) 08:36:19 0
石勒て祖逖に結構負けてなかったけ
296世界@名無史さん:2008/07/16(水) 17:49:13 0
成り上がりっぷりでは石勒の方が上じゃないの?
297世界@名無史さん:2008/07/16(水) 19:39:48 0
繁体字で三国志の原文が読めるサイト知らない?
探しても簡体字ばかりでてくる。
298世界@名無史さん:2008/07/17(木) 20:35:48 0
>>296
身分ということで考えたらそうだろうね。石勒は奴隷に取られて夜盗になったりもしてるし。
ただ軍事能力と言う事で比べたら曹操に分があるかな。
曹操も黄巾の時一司令官として若い頃から戦ってるし、基盤の無い頃から独立して転戦してたからな。侵略した領土や勝率考えたら曹操かな。ボンボンらしくなく修羅場くぐってるし。

>>297
紀伊国屋で本買った方が早い
299世界@名無史さん:2008/07/17(木) 23:14:58 0
統一王朝の開祖を除くと、曹操を上回る勝率や領土拡大を達成したのは
南朝宋の劉裕ぐらいしかいない気がする。
300世界@名無史さん:2008/07/18(金) 01:51:08 0
>>299
柴栄も結構拡大してね?
301世界@名無史さん:2008/07/18(金) 16:03:36 0
曹操が叩かれる一番の原因て信者が痛いからだよね
302世界@名無史さん:2008/07/18(金) 22:35:48 0
アンチのほうがさらにイタイかもだけどな
303世界@名無史さん:2008/07/19(土) 02:06:18 0
曹操って中国の半分くらいだろ。統一もしてないのに凄いも糞もないんじゃね?
韓信みたいのがいたら瞬殺されてそう。
304世界@名無史さん:2008/07/19(土) 20:35:58 0
だから石ロクも統一してない罠。
305世界@名無史さん:2008/07/19(土) 20:44:35 0
劉裕とかはどうだっけ?

この人は東晋から中原まで制覇したから曹操と同じくらいだろ。
北伐ってトコが凄いが
306世界@名無史さん:2008/07/19(土) 22:32:11 0
>>305
北府軍の将校出身だから、幾分か軍事的基盤には恵まれていた。
ローマの軍人皇帝みたいな印象が、個人的には強い。
2ちゃんでは、陰気くさいとか敵対勢力の粛清のせいか、曹操や桓温ほど
大らかな人物ではないという評価をよく見かけるが。

石勒の勢力は、曹操から涼州と幽州を差っ引いて、漢中やオルドス・朔方を加えた
感じになるんかな?
涼州も幽州も称藩しているとは言え、実効支配には程遠かったからな。
307世界@名無史さん:2008/07/19(土) 22:56:25 0
>>306
俺はなんかナポレオンとかぶる
308世界@名無史さん:2008/07/19(土) 23:21:50 0
>>306
南や東側ってどうなってたっけ?
309世界@名無史さん:2008/07/20(日) 00:54:47 0
>>304
だってスレタイが世界史上最高なんだもん。
中国統一もしてないのに、思想が凄い・軍事が凄い・内政がどうだとか言われてもな。
そんな劉備とかと変わらんのじゃないか?
310世界@名無史さん:2008/07/20(日) 02:56:31 0
>>306
その北府軍の将校の地位と軍事的基盤は自分の力で勝ち取ったんだけどね。
劉裕は貧窮した下級役人の家の出身で赤ん坊の時に父親に口減らしで殺されかけてるし。
曹操とは違って劉裕は自身が直接兵を率いた戦いでは殆んど負けが無い。
ってか曹操って結構負けが多いよね。戦の数も多いけど。
311世界@名無史さん:2008/07/20(日) 11:43:54 0
だれか劉裕の戦歴教えて
312世界@名無史さん:2008/07/20(日) 12:09:58 0
【超世の傑】曹操を語る【奸雄】

スレタイがこんな感じで>>1も厨臭い台詞ぶちまけなければ
良スレとなったかもしれんものを。
あれしきの事しかできなかったのに世界史最高などとは贔屓目線が過ぎる。
313世界@名無史さん:2008/07/20(日) 23:34:59 0
>>310
曹操も自身で兵を率いた時は殆ど負けてないよ
負けがハデだがそんなイメージがあるが

厳密に言ったら石勒や劉裕も何回か負けてるしな
>>312
統一したことそのものにこだわりすぎるのもよくない気がするけどな。曹操や石勒が司馬炎以下ってことにはならないだろうが。
まあ世界史上最高は言いすぎだよな。中国史屈指とかならまだわからんでもないが

てか中国の3分の2を一代で取って漢の時代から中国を悩ませてた北方異民族も帰順させたのに「あれしきの事」ってwwそりゃ厳し過ぎるだろ。
314世界@名無史さん:2008/07/20(日) 23:37:24 0
>>309
本当にそう思ってるなら曹操とかそういう問題じゃなく歴史を学んでないとしか思えない
315世界@名無史さん:2008/07/21(月) 00:12:29 0
個人的に魏晋南北朝期の人物で軍事能力的に曹操を上回ると思うのは劉裕と慕容垂だけ
316世界@名無史さん:2008/07/21(月) 00:39:51 0
>>313
漢武帝の方が北方異民族対策になら効果を上げていたと思うが?
あれしきといわれてしまうのは恐らく、漢を完全崩壊させた張本人なのに
漢を引き継ぐほどの大国を作り上げる事ができなかったからかもな。
漢〜隋までは雑多な分裂の時代で国力そのものが分散、低下してしまった時代。
その間の時代は思想、宗教面は非常に発展を遂げた時代でもあったけれども
その分野は曹操にはあまり関係のない事柄だしね。
317世界@名無史さん:2008/07/21(月) 05:27:45 0
>>314
世界史最高なんて言ったら大抵の歴史好きは笑うと思うけど。
318世界@名無史さん:2008/07/21(月) 10:26:15 0
>>317
そんなもん俺だって笑うわw

ただ統一してないから結局辺境独立政権の王様にしかなれなかった劉備と似たようなもんなんていっちゃったらそれこそ笑われる。
100以下は0も同然なんて考え方はナンセンスだろ。
それいったら司馬炎最強って事だし
319世界@名無史さん:2008/07/21(月) 10:38:48 0
>>316
曹操の代に本格的な討伐を成功させ曹ヒ以降は烏丸を始めとした北方異民族がほぼ完全に帰順してるんだぜ。
曹操、というか曹氏の時代はかなり北方問題が安定してた時代だよ。

あと漢を崩壊させたのは曹操じゃないよ。と言うか誰でもない。内部から壊れていった王朝だから。
黄巾の乱の時にはすでに皇帝が絶対権を持つ強い漢王朝ではなくなっていたし、トウタクに乗っ取られて地方の有力者が挙兵するようになってからは完全に壊れてるよ。
皇帝を握ってる中央に兵を向けるなんて中央の権限が全く無視されてるって事だから。地方の太守たちが官軍に対し賊として反乱したわけだからね。
曹操が皇帝を握った時は完全に名前だけのものだったし、それでも曹操の代には漢の名前は消えなかったからな。あくまで形式上は漢の臣だった。
漢が崩壊したのは時代の流れだよ。一個人のせいじゃねえ
320世界@名無史さん:2008/07/21(月) 11:42:23 0
>>319
臣はあくまでも臣。
結局、曹操も献帝には「何もさせなかった」だけじゃないの。
簒奪者と罵られても仕方ないよ。
それに後漢末〜魏までの北方異民族はそれほど精強でもなかったしなあ。
321世界@名無史さん:2008/07/21(月) 12:31:29 0
>>318
同じようなもんだよ
領土の広い、小さいでは計れないんだろ?
なら似たようなもの
322世界@名無史さん:2008/07/21(月) 12:49:06 0
>>321
そういうことじゃないよ
奴隷から成り上がった石勒は領土が小さいからってその他大勢ですか?
自力で拡大させた領土の広さは始皇帝とか歴代王朝の皇帝と比べても上位に入る曹操は一代で統一できなかったからって凡人ですか?
ってことだ
323世界@名無史さん:2008/07/21(月) 12:53:20 0
劉備にも全く当てはまる論ですな。
その論でいくと曹操との差がどこにあるのか。
324世界@名無史さん:2008/07/21(月) 13:03:33 0
>>320
>>後漢末〜魏までの北方異民族はそれほど精強でもなかったしなあ。
まるで見てきたかのように言うんだなww
よくある意見だが光武帝の対策より400年も経ってるんだから勢力は回復してきてると考えた方が自然だよ。
実際に他の時代と比べて強かったか弱かったか明確にはわからん。光武帝の時代だけ特別強かったわけでも無い。
むしろ異民族を下してた中国側が強かったと言った方がいいだろう。

「何もさせなかった」というけど、お前がもし総理大臣になったとして、それまで政治した事のない天皇に政権を預けるか?
実力あるヤツが権力握るのなんて当たり前なんだよ。司馬氏の台頭だってそうだろが。特にあの混迷期にそんな建前実践できるか。
簒奪者云々は曹操が由緒正しい名士の類ではなかったのと、そういう名士との摩擦があって嫌われたからだ。個人的には誹謗中傷に近いと思う。
袁紹が天下を取ったとしたらここまで言われなかっただろうしな。
325世界@名無史さん:2008/07/21(月) 13:12:57 0
>>323
そんなの単純に事跡の差だっつの
中央に居座り続けた曹操と辺境しか取れなかった劉備とどっちが凄いかってことだ
戦った戦争にしても獲得した領土にしても政治的な影響にしても文化的な事跡にしても同列には語れないだろうが。
同時代であるから劉備とは余計に明暗が分かれるしな。
無論曹操だって光武帝や朱元璋に比べりゃ見劣りするが、確実に一時代の中心人物だったわけだしそういう人間を評価しないわけにはいかない
326世界@名無史さん:2008/07/21(月) 13:16:32 0
>>324
孫権もベトナムのほうまで勢力を伸ばしてたしな。
異民族が弱かったって言うより三国県立の時の中国が強かったって事だろう。
327世界@名無史さん:2008/07/21(月) 15:11:02 0
というか異民族が台頭した王朝だってあるのに曹操だけこだわって簒奪者呼ばわりされんのがおかしな話だよな。
歴代の王朝なんてほとんど放伐か禅譲と言う名前の簒奪なんだし。
無能な皇帝がいるなら倒して新しい皇帝になっちゃっていいよって孔子だって言ってるし。
むしろ最後まで皇帝にならなかった曹操はその点で言ったら忠臣として評価されるべきだが。
そもそもその価値観で言ったら最後まで官軍に刃向かった劉備ってどうなるんだろう。
328世界@名無史さん:2008/07/21(月) 15:47:10 0
檀石槐死後北方異民族の中に有能な指導者が現れなかったというのも三国の指導者達にとっては幸運だったろうと思う。
あと檀石槐が登場するまでは後漢政府は結構異民族に対して優勢だったし、漢民族の側はいっつも北方異民族にやられてたわけではない。
329世界@名無史さん:2008/07/21(月) 16:20:38 0
>>328
そんなんわかってるが魏の時代には北方異民族が完全に帰順してたのは確かだろう。
どれだけ安定していたかを相対的に比べるしかないだろうよ。
有能な指導者といっても中国の史書には異民族の記述ってあまり残らないから明確に図るのが難しいし。
カヒノウとか名前だけはちらほらでるが。それでもあんまり詳しくは書いてないしな。
330世界@名無史さん:2008/07/21(月) 17:25:01 0
魏も氐や羌には手を焼いていたみたいだけど
331世界@名無史さん:2008/07/21(月) 18:48:15 0
>>325
ていうか、劉備は関羽や張飛などの名臣がいたから
あそこまで戦えたようなもんだけどな。
関羽、張飛ほどの人傑が魏に居たら天下を収まってたかもしれんね。
332世界@名無史さん:2008/07/21(月) 19:06:23 0
けど漢の後期にはもう匈奴は帰順してなかったか
何でも曹操の功績にするのはな
333世界@名無史さん:2008/07/21(月) 19:08:56 0
にしても曹操は人気あるね
それでも世界史レベルではどうってことないし
中国史上でも屈指の英雄かというと微妙な線だよな
334世界@名無史さん:2008/07/21(月) 19:10:28 0
>>331
関張はあの時代では別格の武威を誇ってたからなあ。
それは一理あるかも。
曹操にしても関羽は何が何でも欲しかったみたいだしね。
335世界@名無史さん:2008/07/21(月) 19:19:24 0
曹操に必要だったのは関羽や張飛みたいな豪傑ではなく、韓信みたいな人物だろう
336世界@名無史さん:2008/07/21(月) 19:19:52 0
>>334
優秀なブレインなら魏には腐るほどいたからな
確かの武将の面が天下取りを伺うには心もとなかったか
337世界@名無史さん:2008/07/21(月) 19:34:00 0
>>333
拡大版図の度合いで劉裕と互角だって考えたら十分中国史屈指だと思うぞ。
他にも学門だったり政治面だったりいろいろ手ェ出してるしな。
あと一部の専門家によると詩文学への貢献が曹操最大の功績なんだとか。
338世界@名無史さん:2008/07/21(月) 19:35:55 0
>>336

李世民=曹操
李靖=韓信(三国時代には該当者不在)
魏徴=郭嘉
房玄齢=荀ケ
秦叔宝=関羽
尉遅敬徳=張飛


こんな面子ならばいけたと?
339世界@名無史さん:2008/07/21(月) 19:39:22 0
>>333
むしろコアぶった三国志アンチのせいで2ちゃんでは過小評価されてる気がする。
確かに世界史上最高はゲーム脳としか思えないが、それでも上で言われてるような何百年かに一人の人間ってのはあながち間違いじゃない。
340世界@名無史さん:2008/07/21(月) 19:51:14 0
>>337
曹操の本質は文才かもな。
ここなら間違いなく中国屈指のレベルと言っても過言ではないと思う。
儒一尊の時代に老荘気風の詩も読上げて、儒、老荘問わずの敷居を広めた
功績はのちの文化発展にも貢献してるといってもいい。
道教の本格的な発展も五胡十六国時代の仏教に対しての老荘思想を中心とした
理想武装によるものが大きいけど
その魁となる老荘の幅を広げておいたのは曹操のナイスプレー。
文学者としての功績なら曹操はかなりのものを上げているよ。
341世界@名無史さん:2008/07/21(月) 19:54:00 0
>>338
いや、そこまでしなくても曹操が赤壁で暴走しなければ勝てたw
342世界@名無史さん:2008/07/21(月) 19:55:31 0
逆に曹操のマイナス点ってどんなとこだろ?
343世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:10:12 0
>>341
至弱を持って至強を制す

悲しき大勢力敗北フラグだよな
義の漢である関羽が劉備軍を離れるはずもないが
曹操の陣営に居たらとは、俺も個人的に結構思ったりする

>>342
重要な戦でポカをやってしまう。
運がなかった。

この点くらいじゃないか?
三国志系の人物はメジャーであるためか
過小評価に徹底する人も2ちゃんねるにはかなり居るので酷いやね。
344世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:14:55 0
強引過ぎる点かな
上で出てるけど赤壁の敗戦はそれまでの快進撃を考えれば事故としかいえないような暴走っぷりだったし
名士から人気のある知識人を変革や中央集権のために排除したりしてるからな。それで名士に嫌われたりするわけだ。

でもその強引さってプラス面と表裏一体だからな
袁紹とやりあったり烏丸征伐みたいな無謀な事をやってのけたのもこの強引さあってのものだし。
求賢令なんかも実力至上主義と同時に倫理は軽視していいと大っぴらな形で布告してるわけだから当時としてはかなり強引な宣言だったろう。
345世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:15:27 0
あと残酷な面があったくらいかな
346世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:19:13 0
■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【治世の能吏】 曹操 【乱世の姦雄】 [中国英雄]


中英板の方がいいスレタイだな・・・。
347世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:23:55 0
>>345
それは演義のイメージが強い
確かに徐州ジェノサイドとかは褒められたものじゃないが、結構誰でもやってる事。
儒教的には親を殺されるって徹底的に仕返ししてやら無いと気が済まないものだったから、逆にやり返さないと評判を落す事になったかもしれない。

でも当時の人に命がいかに軽かったかって思い知らされるエピソードではあるよなあ。
348世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:29:03 0
>>347
しかし、当面のライバルたる劉備、孫権にはジェノサイドエピソードはなかったと思うので
そこがマイナスに響く面もあると思う。
349世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:29:08 0
丁氏との逸話に見られるように女性に物凄く優しかったとか
偉くなってからも宴会は無礼講で客人に勺をしながら大笑いしてたとか人間らしい話は多いけどな
350世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:33:07 0
立ち去った関羽を止めなかったのは人格者っぽいエピじゃないか?
普通いくら手柄を立てたとしてもあんなすんなりフェードアウト許したりしないぞ。しかも敵方に付くのを。
351世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:34:54 0
>>342
気分屋、感情的すぎるところだろう。
その場凌ぎ、行き当たりばったり(それで苦境を脱出していたから始末に終えない)、
良くも悪くも天才肌。

石勒は、曹操みたいな軍事学の素養はゼロだが
どっちかと言うと、曹操よりは戦理戦略の要点を抑えている。
曹操は、兵法を修めていながら、自ら定石を破る=ポカする。
まあ、人間味があると言えばあるかもしれないが。
352世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:37:21 0
伏完と献帝の伏皇后、そしてその一族数百人を皆殺しにしたりとか曹操は結構黒いことやってる。
まあ確かに中国史ではよく見られることだが、誉められる行為ではないな。
353世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:38:28 0
>>350
アレはストレートに器の大きさを感じたな。
関羽が一代の傑物であることを考えるとなおのこと手放したくないはずだしな。
正史曹操は結構人情家なんだよな。
徐州大虐殺も一重に父への情の深さ故・・・と思いたいな。
354世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:41:24 0
>>352
自分を殺そうとしてたヤツを三族皆殺しにするのは当時の権力者的には当然の事だよ
皇族の関係者だったから皆「ええっ!?」ってなったわけだけど
355世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:45:42 0
>>351
学問はやってるけどあんま身になってない感じはあるよな
爆発力はすごいがポカるとまたすごいのは気性にも問題ある気がする
356世界@名無史さん:2008/07/21(月) 20:46:20 0
徐州大虐殺が特に非難されるのは一般の民衆を自分の私情で大量虐殺している点。
このことは曹操にとって消すことの出来ない汚点だろう。
357世界@名無史さん:2008/07/21(月) 22:35:56 0
何で今まで「チビ」が出てこないんだ?
358世界@名無史さん:2008/07/21(月) 23:46:54 0
ところで曹操って勝率いいほうなの?結構負けてるような気がするんだが
359世界@名無史さん:2008/07/22(火) 00:10:20 0
勝率高いだけじゃ意味ないと思うけどな
どうでもいい戦で負けが込んでも
重要な戦いで勝ってれば天下とれるからな
360世界@名無史さん:2008/07/22(火) 00:20:04 0
コピペだが
67戦 58勝9敗 勝率 .865
数え方によって違いは出るとしても史書にある戦いだけ数えたら大体こんなもんかと

これを信用するとして後漢末期の背景を考えたらはっきり言って異常な数字
しかもゲリラ戦みたいな小規模な戦から何万を指揮した大規模な戦まで経験してるのが強み
361世界@名無史さん:2008/07/22(火) 00:26:32 0
9敗を負けが多いととるか少ないととるか
362世界@名無史さん:2008/07/22(火) 10:34:55 0
重要な戦で負けるし
戦績も歴代の名将と比べると普通レベルだな
まぁ君主=名将とは限らないから君主レベルでいえばいい方だけど
負けまくっても最終的に勝つ異常なしぶとさの劉邦や
ゲリラレベルで近代兵器に勝った毛沢東に比べると
なんか淡白なんだよね
363世界@名無史さん:2008/07/22(火) 11:22:32 0
>>361
70戦近く戦ってる事考えたら少ないだろう
武田信玄が目標としてた勝率が6割だったっていうし、農兵中心の時代だった事考えたら信じられないくらい高いよ実際
364世界@名無史さん:2008/07/22(火) 11:26:11 0
>>362
>>重要な戦で負けるし
コレ言われる時ってなぜか袁紹や袁術に勝ったことはスルーされるんだよね
ポッと出の小物が本命馬を倒したのに。

敗戦が多いって言うよりは、負けた戦ばっかりピックアップされて勝った戦は評価されないのが問題だと思う。
365世界@名無史さん:2008/07/22(火) 11:32:33 0
>>360
9敗の中に徐栄に負けた後の新兵の反乱とか張シュウの反乱とかはいってないか?
まあ負けは負けだが、直接戦って負けたって感じではないだろう。それ抜かしたら9割くらいいくかと
366世界@名無史さん:2008/07/22(火) 12:13:54 0
>>362
俺は曹操の戦い方はキレイだと思うけど
歩兵中心で伏兵を用いて寡兵で勝利するような戦が多くある
367世界@名無史さん:2008/07/22(火) 12:14:23 0
流石に中国史上の一流どころと比べるとそんなに凄い戦績という訳では無いけれど、
後漢末から三国時代にかけての人物の中では抜群の戦績だと思う。
そこそこ負けも有るし、漢中や赤壁など肝心な場面での敗戦もある割には、
あそこまで領土拡大できたのはなんか不思議。
368世界@名無史さん:2008/07/22(火) 12:21:07 0
8割越えで凄くないとかww
確かに項羽みたいな負けたことねーヤツもいるから一番ではないがそれこそ一流どころと十分勝負できる数字だぞ。

赤壁で負けるまではほとんど負けがねーよ
涼州勢は苦手みてーだけどな。上で出てる徐栄や張シュウ。
369世界@名無史さん:2008/07/22(火) 12:29:52 0
>>367
>>寡兵で勝利するような戦が多くある
領土拡大はこれに尽きるんじゃないか?
しかもエン州の時みたいなピンチも何度もあるのにその度に相手を撃破して切り抜けてる
劉備みたいに逃げるのが普通だよ。周りが敵だらけで兵力も貧弱だったのに勝ち抜けたのはひとえに戦闘の強さかと。
勿論曹操の軍事センスだけがそのすべてではないけどね
370世界@名無史さん:2008/07/22(火) 12:34:54 0
いや曹操の戦績は素晴らしいとは思っているよ。
ただ劉裕みたいに史書を見る限り殆んど敗戦の描写が無い人物もいるし、
項羽や劉秀みたいに生涯一敗や二敗ぐらいしかしてない人物も結構いるから
曹操の戦績が中国史上異常に凄かったとは言えないんじゃないかと思っただけ。
371世界@名無史さん:2008/07/22(火) 18:34:39 0
むしろそいつらが異常なんだよ。結構どころか数えるほどしかいねえし。

戦争の不安定さを考えたら十分常勝と言える数字だし、陣頭指揮だったらもっと勝率も高くなるだろうしな。
372世界@名無史さん:2008/07/22(火) 18:39:08 0
劉秀や劉裕は何回か負けたことあったろ。

項羽はガイカの戦い抜かしたら無敗だけど。
373世界@名無史さん:2008/07/22(火) 18:44:14 0
>>364
そこが限界だったけどな。
曹操はどうにも大軍を要すると負けが嵩むらしいね。
374世界@名無史さん:2008/07/22(火) 18:44:48 0
誰だっけ40万人生き埋めにしたってやつ。白起だっけ?あいつも凄くない?
375世界@名無史さん:2008/07/22(火) 19:20:59 0
劉秀が負けたのは、小長安の戦い(ただしこの時の劉秀は総大将ではなく一部将として参加)
と順水北の戦いの二度だけ。
劉裕に関しては桓玄配下の名将皇甫敷に苦戦を強いられ同僚の檀憑之を殺されるも、
後に反撃して皇甫敷の首を斬ったという記事は発見したけど明確に劉裕が負けたという記事は発見できなかった。
劉裕に関しては自分が見つけきれていないだけでホントは負けがあるのかもしれない。
もし劉裕の負け戦を知っておられたら自分も興味あるので是非教えて欲しい。
376世界@名無史さん:2008/07/22(火) 19:39:28 0
>>373
袁紹と戦った時って3万くらいか?大軍と呼べるかは微妙だな。
一説には7万だとか。これだと大軍と呼んでもいいだろうな。
諸説入り乱れてるが実際はどれくらいだったんだろう?
377世界@名無史さん:2008/07/22(火) 19:52:16 0
>>372
劉裕は目に見えた負けは無くないか?劉秀は負けてるけど

なんかの戦いで苦戦して一時撤退したってのはどっかで見た気がするが、アレは負けに入るんだろうか。
378世界@名無史さん:2008/07/22(火) 20:39:46 0
劉秀て負けたことあんの?
379世界@名無史さん:2008/07/22(火) 21:37:44 0
順水北で負けとる
380世界@名無史さん:2008/07/22(火) 21:43:50 0
あと劉縯とセットで甄阜にボロ負けした
381世界@名無史さん:2008/07/22(火) 22:03:22 0
>>377
なんかそういう小競り合いの負けって探したらちらほらありそうだな
382世界@名無史さん:2008/07/22(火) 22:11:08 0
>>367
絶対アカンやろっていう大博打をちょくちょく成功させるから最終的にプラスにでるんだろう

それでなくても勝率8割ってムチャクチャ高いしな。特に兵が寄せ集めだったり武器の粗悪だったといわれる時代だった事を考えるとかなり安定してるし。
383世界@名無史さん:2008/07/22(火) 23:03:33 0
でも、絶対に負けちゃならない赤壁でコケちゃったんだよな。
これにより曹操も地方君主止まりになっちまった。
384世界@名無史さん:2008/07/22(火) 23:16:23 0
勝ってたらそれこそ一代で統一を完成させた事と拡大版図の広大さという点で劉秀らと並ぶ評価を受けたかも知れんのにな。
まあ勝っちまったら三国志は存在しなかったしここまでの知名度も得られなかっただろうが。
統一できなかった事にロマンがある気がする。

ただ地方じゃなくて中央だけどなw
385世界@名無史さん:2008/07/22(火) 23:18:24 0
中共と同じエリアを曹操も治めていたのですねw
386世界@名無史さん:2008/07/22(火) 23:25:18 0
地方だと中原以外になっちまうだろ、当時の感覚で言うと
387世界@名無史さん:2008/07/24(木) 14:33:29 0
劉備と孫権の勝率はどれくらい?
388世界@名無史さん:2008/07/25(金) 20:10:31 0
最近正史などを読んで、それで思うのだが曹操の本質は文人という気がしてきた。
それも徽宗に近い方の。だから冷酷無比とか覇道の体現者とかいうより、
仁君みたいな評価の方が曹操には似合ってる様に思えてきた。
戦面でもあまり強い印象持てない。曹操の勝利というのはほとんど
敵が自滅してくれたり、家臣が頑張って得た勝利の方が多いし。
だから、もしかしたら演義の劉備に一番近いのは曹操のような気がする。
389世界@名無史さん:2008/07/25(金) 21:24:43 0
あ、そう
390世界@名無史さん:2008/07/27(日) 15:00:30 0
劉裕はどうしたら中国統一できたのか教えて
391世界@名無史さん:2008/07/27(日) 15:26:26 0
彼はすべてが上手くいってたのでひとえに運でしょう
392世界@名無史さん:2008/07/28(月) 06:12:33 0
劉裕は子孫が有能だったら統一できたんじゃないかな
393世界@名無史さん:2008/07/28(月) 23:15:59 0
劉宋の皇帝て結構酷いよな
劉裕の子孫とは思えん


394世界@名無史さん:2008/07/28(月) 23:17:47 0
それまんま曹操の子孫にも当てはまるよな
末期とかもう…
395世界@名無史さん:2008/07/28(月) 23:23:17 O
信長なんかもそうだよなあ
396世界@名無史さん:2008/07/29(火) 14:21:14 0
でも明にくらべたらマシだろ
朱元璋や永楽帝の子孫とは思えん、とくに英宗
397世界@名無史さん:2008/07/29(火) 17:01:53 0
土木の変なんて永楽帝じゃありえん失態だもんな


398世界@名無史さん:2008/07/30(水) 13:05:58 0
普通親が優秀ならガキも相応に出来るモンなんだけどな
スポーツとかそうじゃん。むしろ親父より出来るケースのが多い
399世界@名無史さん:2008/07/30(水) 21:33:44 0
禿の息子の永楽帝は優秀
曹操の息子の文帝も優秀
400世界@名無史さん:2008/07/31(木) 16:04:23 0
でもその子や孫までいくと目を瞑りたくなってくるじゃん
401世界@名無史さん:2008/08/01(金) 08:46:31 0
信長も息子は有能だったけど孫はアレだしな
402世界@名無史さん:2008/08/01(金) 18:33:11 0
曹操の晩年の心境

「私は雑草的存在に過ぎないけれどそれで満ち足りてゐる
雑草は雑草として生え伸び咲き実り
そして枯れてしまへばそれでよろしいのである」
403世界@名無史さん:2008/08/02(土) 19:18:27 0
それ誰のセリフだっけ?
404世界@名無史さん:2008/08/03(日) 16:12:19 0
>>398
一茂とカツノリがどうしたって?
405世界@名無史さん:2008/08/03(日) 18:32:18 0
>>404
そういう具体例はやめい!!本人達も気にしてるだろうに。
でもトータルでいうと親子二代で優秀ってのが多いよね。
オヤジが昔選手で息子も強豪とか。有名人でいったらKIDの一族はそうだよな。
406世界@名無史さん:2008/08/03(日) 21:25:48 0
一茂優秀だと思うけど
結構打ったじゃん
ミスターと比較するのは酷だよ
407世界@名無史さん:2008/08/03(日) 22:46:38 0
>>406
一時期1割ってのがあったからなあ〜
まあプレッシャーもあったんだろうけどね

優秀かはともかくプロの中でも並の実力はあったよな。それって凄い事だ。
408世界@名無史さん:2008/08/04(月) 02:57:25 0
>>405
競技人口がさほど多くない場合は、親が強豪、子供も強豪
というのが割と可能だと思う。それほど儲からない競技だから
才能のある人間がさほど入って来ない分、競争が緩やか。

日本の総合格闘技と野球ではどっちが稼ぎが多いか明らか
だから、体も大きく、運動神経の塊のような人間は基本的に
野球をやることになる。よって野球の方がプロになるための
競争が激しく、プロになった後もレベルの高い層と戦わなくては
ならない。

野球で親子で強豪というのは相当レアだろう。
アメリカのアメフトとか、ヨーロッパのサッカーでも親子で
強豪選手というのはあまり聞かない。
409世界@名無史さん:2008/08/04(月) 11:14:19 0
410世界@名無史さん:2008/08/04(月) 11:25:28 0
>>403
種田山頭火
411世界@名無史さん:2008/08/08(金) 04:45:46 0
八割とか謎の算出方法だなあ
そして謎の補正>365 が入る
412世界@名無史さん:2008/08/09(土) 22:43:20 0
アンチ活動乙

主要な戦いや史書に見られる分だけ頑張って集めたんじゃない?
てかいまさらその話?こんな過疎状態でわざわざそんな話を蒸し返す方が謎だ。
413世界@名無史さん:2008/09/04(木) 21:25:12 0
>>360
徐栄、黄巾(鮑信が戦死した時)、呂布(兗州)、張繍の追撃2回目、張繍の反乱
張繍と劉表に挟み撃ちされる(最後は勝った)、官渡の中盤の総力戦、袁譚戦(最後は勝った)
赤壁、馬超戦で奇襲される、漢中での劉備戦

細かいところも入れてみた。純粋に戦術レベルでの大敗は徐栄戦と黄巾戦(鮑信が戦死した時)と呂布戦くらいかな。
414世界@名無史さん:2008/09/04(木) 21:31:42 0
呂布戦は大敗じゃないな
415世界@名無史さん:2008/09/04(木) 21:41:22 0
Bクラスの名将って感じの戦績
416世界@名無史さん:2008/09/05(金) 01:49:19 0
>>413
兗州は勝ってない?
417世界@名無史さん:2008/09/07(日) 18:39:39 0
対張繍戦の敗北も結構痛い気がする
418世界@名無史さん:2008/09/07(日) 19:04:38 0
唐太宗のスケールを3割くらい小さくした感じだな
S級(唐太宗)→B級(曹操)
419世界@名無史さん:2008/09/07(日) 20:45:53 0
李世民と比べられる対象となるだけでも相当凄い
420世界@名無史さん:2008/09/09(火) 17:32:23 0
421世界@名無史さん:2008/09/25(木) 12:14:07 O
三割減でB級か…それもたいしたことないな。
422世界@名無史さん:2008/10/09(木) 01:47:29 0
すげえ過大評価
八割もいまいちいいかげん
423世界@名無史さん:2008/10/11(土) 07:38:30 0
過大評価言うか
人気だけ高くてやった事は中国史で特に目立ってないという
424世界@名無史さん:2008/10/18(土) 09:11:35 0
曹操は中国史上でも優れていることも認める。軍事の才能もあった事も認める。
でも軍事的才能は、チンギスやアレクサンダーには及ばない。
チンギスは曹操に似ていると思う。人材登用という面では。
425世界@名無史さん:2008/10/18(土) 10:02:16 0
曹操が世界史上最高の英雄?ばかじゃないの?

世界史上最高の英雄は聖徳太子、源頼朝、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康
世界史上最高の名君は明治天皇、大正天皇、昭和天皇で間違い無しだろ。
シナ内部の1領邦がなんで「世界最高」なんだ?

>>1はリアルばかで世界史板には不向きだから三戦板に帰れよ
426世界@名無史さん:2008/10/18(土) 12:01:49 0
425さん。お前アホか。ウケ狙ってんのか(笑)なんで世界史上の英雄、名君を
全部日本人が占めてんねん。君、おもろーやな。
427世界@名無史さん:2008/10/18(土) 12:44:08 0
>>426
日本厨にマジレス砂
428世界@名無史さん:2008/10/18(土) 15:33:02 0
日本の人物なんて世界の人物と比較するとたいした事ないよ。

ビル・ゲイツ氏と日本の金持ちを比べるようなもの。
格が違いすぎる。
米国の金持ちと日本の金持ちを比較するようなもので、
次元が違うんだな、次元が。
429世界@名無史さん:2008/10/26(日) 01:16:41 0
曹操信者は理解不能なこと言ってるから気持ち悪い。
430世界@名無史さん:2008/11/12(水) 00:05:15 0
ティムール>曹操
431世界@名無史さん:2008/11/15(土) 22:24:21 0
ムハンマド>>>チンギスハン>>普通の人間>>お前ら>>曹操
432董卓:2008/11/17(月) 09:17:20 0
普通クソ真面目に考えたらこうなると思う
チンギス=ハーン>>>曹操>>>ムハンマド>>>普通の人間>>>お前ら
433世界@名無史さん:2008/11/17(月) 10:17:22 0
>>432
ありえん。
ムハンマドほど世界に影響力を与えた人間はいない。
曹操とかゴミだろ。
434董卓:2008/11/17(月) 10:48:20 0
ムハンマドって一言でいったらイスラム教を開いただけだろ?
世界に影響を与えた人間だったらキリストや釈迦のほうがすごいと思う。
曹操よりムハンマドの方がゴミ。はっきり言ってイスラム教邪教だと思うし。
435世界@名無史さん:2008/11/17(月) 11:31:28 0
ムハンマドは優秀な軍人でイスラーム社会の建設者。
ナザレのイエスは弟子が神格化しただけ。
曹操にしてもムハンマドより勝るところなんてないだろ。
436董卓:2008/11/17(月) 14:32:30 0
ムハンマドなんてただの邪教の教祖。
曹操がムハンマドに勝っているところは徹底した「実力主義」
百姓や、下賤の身から取り立てられ才能を発揮した人物は数えきれないくらいいる。
曹操みたいな君主は中国史にいくらでもいるというが、彼ほど個人の実力を徹底して
尊重した人はいないだろう。「人材登用」という意味では世界史ではチンギス等に
匹敵するのではないだろうか?
437世界@名無史さん:2008/11/17(月) 14:38:23 0
登用するだけして使いこなせてないけどな。
438世界@名無史さん:2008/11/17(月) 16:34:33 0
使いこなせてない具体例はいつも出ないよな

使いこなせてる例は降将とかいるけど
あと楽進なんかは身分低いけどとりたてられた中の一人


439世界@名無史さん:2008/11/17(月) 17:48:07 0
そんなんでいいんなら、べつに曹操だけとも限らないんじゃないの?
実力本位の五代十国なぞ、誰もが曹操以上になりそうね。
440世界@名無史さん:2008/11/17(月) 18:41:32 0
史書に残ってるだけでもこれだけいる、ということは歴史に残らないようなヤツらならもっといっぱいいたはずだ
なにより儒教が深く浸透していた後漢末の時代で、中央官僚出身の曹操がそうだったから特に言われるんだよ
五代十国はそんな時代じゃねえだろ
441董卓:2008/11/17(月) 18:55:12 0
曹操が出した求賢令、「ただ才あれば是挙げよ」この儒教時代の観点から考えれば
求賢令を発令しただけでも凄いと言えるのではないだろうか?
そりゃ一杯人材がいたのだから全員を使いこなせるわけはないだろう。
曹操ではなくても誰でも無理。他の中国史に出てくる名臣・名皇帝等が曹操と同じ
時代に生きていて、彼の様に求賢令等の画期的な法令を発布できたであろうか?
442世界@名無史さん:2008/11/17(月) 19:53:26 0
で、その実力のみで将相になったのに、有名なのは誰?
443世界@名無史さん:2008/11/17(月) 19:55:43 0
いない。
444世界@名無史さん:2008/11/17(月) 20:27:06 0
呑岳
445世界@名無史さん:2008/11/17(月) 20:33:38 0
たしかに五代は儒教ばりばりの社会ではなかったけど、その過渡期は
貴族社会という、ある意味儒教の世よりも縛りのきつかった世なんだがな。
で、ことさら求賢令を発令せずとも、辟召権が認められたから
家隷ですら相位になれたりしたんだよ。
まぁそのおかげで、暴力が支配するとんでもない世の中に移行していったけど。
あ、それと誤解なきようにいうと、文人でも貧家の出で宰臣になったものは多い。
有名なところでは、趙普かな。
科挙生ではなく、辟召からの推薦で宰相になった人。
446世界@名無史さん:2008/11/17(月) 21:20:14 0
ジュンイク並みの大物はいないのか
447世界@名無史さん:2008/11/17(月) 21:36:18 0
荀彧は曹操に見出されたの?
448世界@名無史さん:2008/11/17(月) 21:40:03 0
>>442
才能はあるけど人格には問題っていうのが一番当てはまるのは曹操
449世界@名無史さん:2008/11/17(月) 22:32:42 0
>>447
袁紹を見限って曹操の所に再就職しに来たのを
諸手を挙げて大歓迎。

450世界@名無史さん:2008/11/17(月) 22:56:53 0
>>448
それは言えてるw
>>442
上で出てる楽進とか、軍事肌の人間は結構素姓のよくわからないようなヤツらがいる
官僚はほとんど名門の士大夫だが、これはある意味しかたがない。名声のあるやつのコネから拾っていくってのが当時のスタンスだから。
曹操や息子は実力主義の官僚雇用制度のヒナ型みたいなことをやってたがね。が、やっぱり一人の人間だけじゃ歴史の流れは変わらないだろう。
むしろ評価する所はそういう思想をたとえイビツでもきちんと形にしたところだろう。
曹操がわざわざ求賢令なんてもんを出さなきゃならなかったのは、その当時の中央がそれだけしがらみが多かったことの裏返しでもある

余談だが荀ケのコネから拾われた郭嘉は素行が悪くて訴えられるほどだったが有能だから曹操に使われてたな
あと自分に一度降っておきながら裏切って殺されかけ、長男も殺された張繍と賈詡の再度の降伏を許して後までずっと重用してるな
ここらへんはたしかに実力主義の匂いがする。普通だったらこんなキナ臭いやつらばっかり手元に置いておけないと思うよ。
451世界@名無史さん:2008/11/17(月) 23:03:42 0
>>450
宦官と縁続きの曹操とジュンイク
人肉食わせたという風評のあるテイイク
金に汚い曹洪
親に勘当された曹仁
おべっか使いと面罵されたことのある董昭
長安破壊のきっかけとなったカク
主を見限った張遼、徐晃、張コウ
同姓婚をした曹操と陳矯

こういう連中が高位につくのを正当化するのが「ただ才あれば」なんだよ
452董卓:2008/11/17(月) 23:22:11 0
↑ひねくれ者。それはたまたま曹操及びその臣下達の履歴がそーだったってだけだろ。
求賢令とは一切関係ない。どちらにせよ求賢令を出した事で魏の人材が蜀・呉を凌駕したことは
事実である。主に求賢令によって登用された人物の記録がないのが意味不明だが。
とりあえずいろいろ反論などはあるらしいが、この当時としては求賢令を出したこと自体に
意義があるのではないだろうか?
453世界@名無史さん:2008/11/17(月) 23:24:28 0
>>452
>主に求賢令によって登用された人物の記録がないのが意味不明だが。
そう自分で言っておいて
>どちらにせよ求賢令を出した事で魏の人材が蜀・呉を凌駕したことは
>事実である。
などと言い切れる神経が意味不明だ。
454世界@名無史さん:2008/11/17(月) 23:33:37 0
>>451
いや、たしかに曹操のその人材登用は、その時代一流のものだが
問題としているのは、そうしたのが曹操とチンギスだけ、とか言っていること。
455世界@名無史さん:2008/11/17(月) 23:51:57 0
>>451
つうか求賢令出す前から曹操のところはそういう考え方でやってたってことだろ。
まあ「いい加減ガタガタ言うんじゃねー!!これがウチの方針なんだよ!」っていうノリで出されたっていう見方もアリだけどな。
だけどただの正当化だけの詭弁というのはあまりにも穿ち過ぎ。
事実曹操のところは官僚が充実していてその布告という形の思想体現は息子の代に九品官人制という制度につながってる
あの時代にわざわざ出したってのに意義があるよ。
456董卓:2008/11/18(火) 10:47:29 0
曹操とチンギス=ハーンの共通点。
@人材登用。曹操→張繍・カク。 チンギス→耶律楚材。などなど降将を登用。
A急速に勢力を拡大した。曹操190年〜208年までに中原・河北を制圧。
チンギスはモンゴルを統一した1206年〜自身が死ぬ1227年までに空前の大帝国を築き上げた。
Bどっちも小さい頃は不幸。曹操の祖父は宦官。曹操も宦官の孫ということで馬鹿にされていたと思う。
チンギスは幼いころに父を他部族に毒殺された。
457世界@名無史さん:2008/11/18(火) 21:21:23 0
劉邦とチンギス=ハーンの共通点。
@人材登用。劉邦→陳平、季布。 チンギス→耶律楚材。などなど降将を登用。
A急速に勢力を拡大した。劉邦前206年秦制圧〜前202年までに中国統一。
チンギスはモンゴルを統一した1206年〜自身が死ぬ1227年までに空前の大帝国を築き上げた。
Bどっちも小さい頃は不幸。劉邦の母は龍と交わって劉邦を生んだ。私生児と馬鹿にされていたと思う。
チンギスは幼いころに父を他部族に毒殺された。

458世界@名無史さん:2008/11/18(火) 22:21:54 0
ワロス
459世界@名無史さん:2008/11/18(火) 23:06:08 0
劉邦がこんなにチンギス=ハーンと共通点が多かったとは!!
460世界@名無史さん:2008/11/19(水) 07:43:31 0
>>446
荀ケだったら、孔融の方が上。格も才能も。
朝廷で堂々と、曹操に反発できた人。だから殺された。
461董卓:2008/11/19(水) 12:25:50 0
つーか457俺の引用パクッてるだけやん。まず龍と交わって劉邦が生まれたって
ありえへんやろ。でもよー考えたらいろんなやつ普通にチンギスと共通点が多いような気がする。
462世界@名無史さん:2008/11/19(水) 13:46:52 0
テムジンは鹿とオオカミの子
463董卓:2008/11/19(水) 18:39:08 0
イエスゲイとホエルンの子や。
464世界@名無史さん:2008/11/20(木) 00:46:32 O
>>263
掘って来たが
あたりのレスが凄かったな
非常に興味深い
その後は過去レス読んでないと思われる奴多いね
465世界@名無史さん:2008/12/11(木) 13:10:03 0
>>396
朱元璋や永楽帝の子孫と思えば「なんじゃこりゃ?」と思うかも知れんが
どこの馬の骨だかわからない農民の子孫と思えば「こんなもんか」って思えてくるよ。


466世界@名無史さん:2008/12/30(火) 13:01:28 0
>>456
遅レスでスマンが曹操も宦官の孫ということで馬鹿されたというのはどこの出典?
陳琳の檄文というなら信憑性皆無だぞ
曹操が小さい頃不幸だったなんて憶測以外は寡聞にして聞かない
少なくとも若い頃は濁流勢力の妨害はあったがエリート街道一直線だったし
チンギスとの共通点にしちゃ無茶過ぎるわ
467世界@名無史さん:2009/01/01(木) 19:13:09 0
「贅閻の遺醜」問題等まで信憑性皆無とまで言っちゃうと殆どの逸話の類が信憑性皆無だぜ
チンギスにも伝説的な記録は多いし
あと霊帝お気にの宦官を法に照らして殺して中央から遠ざけられたり粗さがしされるようになったから、エリート街道一直線とは言えないんじゃないかなあ
チンギスにだってトグリルのような父のパイプで得た協力者がいたし


てか>>456はどう考えても釣りでしょw
468世界@名無史さん:2009/01/02(金) 01:51:36 O
後10年生きていれば中国統一出来た筈だ。
加来耕三が曹操に似ているという信長も後数年で天下統一出来た筈だし。
469世界@名無史さん:2009/01/02(金) 02:54:42 0
>>468
曹操は60半ばまで生きてるんだからもっと生きろというのはムリだ
重臣に寝込みを襲われた信長はそれ以上に論外
気配りもなければ身近の身辺も足らない。そういう人間はどんなに有能でもコケる
たとえ光秀じゃなくても別のだれかに殺されたろう
470世界@名無史さん:2009/01/02(金) 16:01:05 0
曹操は10年とは行かなくとも5年長生きすれば、文帝が寿命で死ぬから
曹家の分裂がなくなってまた違う結果になるかもしれない
471世界@名無史さん:2009/01/02(金) 16:38:00 0
>>467
曹操は宦官勢力から憎まれて左遷されたり身の危険を感じて引きこもったりしてるけど
その度中央に呼び戻されたり地方長官に任命されたりと朝廷内にも味方が多い感じなんだよな
曹操の交友関係は清流派の大物を中心に幅広い
「贅閻の遺醜」と罵られるほど不遇だったとは思えない
檄文ってのは味方を持ち上げ相手を扱き下ろす宣伝文、嘘八百並べる文化だから内容にそれほど意味がない

>>468
曹操の統一のチャンスは赤壁でコケて終了
征蜀は無理でしょ
472世界@名無史さん:2009/01/02(金) 20:09:35 0
>>471
>>曹操の統一のチャンスは赤壁でコケて終了
それは違う、漢中を降伏させた時などはまだ征蜀のチャンスはあった
また丕が曹操死後に呉を攻めた時は結局失敗したものの江陵を陥落寸前まで攻めてる
曹操が10年とはいかないまでもあと数年生きていたとしたら状況が変わったことはあり得るし、たとえ統一まで行かなくとも曹氏の代での統一は可能性としてはある
そもそも呉を倒せなかった事は丕の時代が短かった事が大きい。丕が実働していたのは5年か6年ほど。これじゃ長江を越えて呉を征服するようなプロジェクトを完成させるのは厳しい。その後の叡も40行かずに死んでるからな
また文、明、と続いて早死にし体制が乱れたことが側近に権力を握られた原因だった
統一を考えるなら蜀より呉のほうが全然重要だしな
曹操なら出来た、というより政権のぐらつきがなければ、という問題だな

473世界@名無史さん:2009/01/02(金) 20:34:34 0
>>曹操の交友関係は清流派の大物を中心に幅広い
それが曹騰と曹崇のコネなんだろう。たぶん主に爺さんのほうなんだろうが
ただ清流派の中にも孔融のようないわゆる「反曹操」の名士は多い

宦官てのは鼻つまみ者だが、それ以前に曹崇の出自も「その出生本来をつまびらかにせず」と残っている
そもそも宦官にならなきゃいけないというのはそうしないと出世できない証拠だし、曹崇の家もわざわざそんな所に養子をださなければならない程度の家柄だったということ
つまり曹操は金持ちのボンであることには違いないが、本来後漢で幅を利かせられるような家柄ではない
単純にそんな曹操が上司なのが面白くない連中もいるだろうし、曹操の力が強くなってその子飼いが出世するようになれば、自分たちが本来見るはずだった旨い目が見れない
大体トップの曹操からしてキナ臭いのに、行儀の悪い郭嘉とか、賊上がりの許褚みたいのがいるわけで、そういうのが漢代の名門と政権を組むわけだから摩擦がないわけがない
そこらへんの問題は曹操暗殺等後々まで尾を引いていくことになる
実際には曹氏よりも後漢の名士達のほうがうまく立ち回れる所はあって、漢が滅んでもまわりの名士達の影響力が強くなることになる
譜代の人間もいなくなって曹氏の皇帝が幼帝ばかりになると司馬氏をはじめとした漢代からの門閥が権力を握った。
そういう意味でやはり敵が多かった事は想像がつく。利害的にも一致しなかったんだろうね
そこらへんの事情のもっとも象徴的な言葉が「贅閻の遺醜」という事なんじゃないかな
474世界@名無史さん:2009/01/02(金) 22:33:11 0
>>472
>漢中を降伏させた時などはまだ征蜀のチャンスはあった
その時点ではそのとおりだけど、そのチャンスを曹操が自ら見送ってるからカウントすべきかどうか
>呉を攻めた時は結局失敗したものの江陵を陥落寸前まで攻めてる
こっちも失敗しているというのもあるが、蜀と呉が激突した後の漁夫の利を狙っても上手くいかなかったというあたり、どちらかというと「赤壁、漢中というチャンスを生かせなかった曹氏は結局統一できなかった」と評価せざるを得ないんじゃないかな
それでいて長期的政権を目指すなら、二代続けて短命だろうとなんとかする体制を整えられなかったのだからどうしようもない
呂氏による危機に功臣や一族が団結して立ち向かった漢と、司馬氏の専横に曹操以来の臣も尻尾を振った魏との差は大きすぎるし、そういう体制になってしまったことについて曹操から曹叡までの君主に責任なしとは言えないな
475世界@名無史さん:2009/01/03(土) 00:18:11 0
>>474
漁夫の利を狙っても攻めきれなかったのはお約束の疫病などイレギュラーな要因が大きい
戦い自体は三路から攻めて包囲に成功していた

曹丕が死んだのが40くらいで、叡が継いだ時なんて20くらいなんだぞ?当然皇帝への集権性は薄れ、周りの権力が強くなる
曹操の代でそんな所まで何とかできる体制なんて作れるわけねえだろ
むしろ体制といえば丕がすぐ皇帝に付けた点から見ても十分整ってる
問題は丕が急逝したことで、あれだけの短命政権では次代の盤石な体制を整えることはいくらなんでも不可能だ。曹操にそんな所まで見越せというのはなおのこと不可能だろう
未来予知でもできれば別だがね
息子が40、孫が30で死ぬのを予見しておじいちゃんに体制作れなんていうのは無理さ。早逝って言っても早すぎる
もっとも丕も自分がそんな早く死ぬとは思ってなかっただろうが

曹丕が後々にも長江の凍結で軍を引いているように、支流が多く漢水、長江に隔たれているという土地事情では短期決戦は土台望みが薄い
少なくとも漢代から考えれば南側の経済は当時のほうが発展しているからな。逆に中原は痩せている
やはり曹操か曹丕が長生きするしかないんだが、曹操の子らが軒並み短命なのと、曹叡の早死にを考えるとどうも他殺の匂いがしてくるんだよな…
少なくとも時間さえあれば状況が変わったことは十分あり得るよ。断言はできないがね
476世界@名無史さん:2009/01/03(土) 00:19:41 0
すまん、あげちまった
477董卓:2009/01/03(土) 10:59:01 0
魏の崩壊は曹叡の晩年くらいから始まった。ただでさえ蜀・呉との戦いで疲弊してた
財政・国力に「宮殿造営」なんていう国家が破綻するくらいの事業したからな。
478マキ・イズミ:2009/01/03(土) 12:49:51 0
>>477
曹叡の造営……ぷ、くく……。
479世界@名無史さん:2009/01/03(土) 14:01:32 0
>>475
曹操が全て作るべきだとまでは言ってないし、確かに無理だろうね
ただ、彼から始まっている以上、責任の一端はあるということだ
曹丕の短命政権がかなり魏王朝の目算を狂わせた部分があるのはそのとおりだと思うよ
でも即位から7年、これは劉邦が皇帝に即位してから死ぬまでとほぼ同じ年数だ
年齢その他の違いはあるが、劉邦は7年の間に反乱者を滅ぼしつつ体制を固め、適切な後継者と大臣を残していったわけだ
この時代、40歳は早死にだがありえない話でもないし、曹丕だって後継者のことは常々意識していた
それでも、名士たちからは距離を置かれてしまうような体制や行動を繰り返して皇帝の孤立を深めたことは、痛恨の失策だと思うよ
曹叡も同様で、彼も早死にという問題を抜きにしても、大規模造営と数々の諫言など、生前から名士層の心を失いつつあった
早死にしたからボロが出なかったんじゃないか、とさえ言えるかもしれない
それが死後の司馬氏による専制に名士たちが乗っかっていく契機の一つだったと思う
早死にしたから、長生きしていればわからなかった、という程度の問題じゃあないよ
480董卓:2009/01/03(土) 16:24:45 0
478。何笑ってんの?キモローやな。
481世界@名無史さん:2009/01/04(日) 07:19:22 0
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482世界@名無史さん:2009/01/05(月) 01:11:33 0
>>479
だから長生きしてればもっと曹氏の権威の安定した、名士に左右されない体制が作れたんじゃないか、ということさ
自分たちに反対する漢からの門閥の影響力を弱め、徐々に曹氏とのつながりの強い人間たちで固めていく。
そもそも曹氏が全部の名士と上手く折り合いを付けるのはハナから不可能。
>>473が言ってるように曹操は後漢で幅を利かせた門閥、名族の類とは違う。摩擦は避けられない。
曹操の時代には半ば実現しつつあった。対立や反乱やら熾烈な権力闘争の末にだが。
そして満を持して皇帝にまでなった二代目の代にそれを実現するのは不可能ではなかったと思う。ただそれには時間が必要。
二代目が早死にしたことでせっかく固めてきた体制がまたグラついてしまう。曹叡が死んだ時にはすでに幼帝で、まわりの有力者に実権を握られる後漢後期の皇帝と同じだった。
長生き程度、じゃなくて長生きすること自体が重要だったんだよ。

>>年齢その他の違いはあるが、劉邦は7年の間に反乱者を滅ぼしつつ体制を固め、適切な後継者と大臣を残していったわけだ
それ曹丕との対比で使うの?反秦戦争から挙兵してずっと頭として戦ってきた劉邦と?

前の
>>呂氏による危機に功臣や一族が団結して立ち向かった漢と、司馬氏の専横に曹操以来の臣も尻尾を振った魏との差は大きすぎるし、
というのに繋がってるところがあるのかもしれないが
呂氏の専横の時に戦った周勃や陳平などは白馬の血でも有名な劉邦以来の宿将、
曹操以来の夏侯惇を始めとした宿将は曹丕時代には軒並み死んでいる。
適切な後継や大臣という点でも二代目と創業者という点でも、自分が台頭してから10年にも満たない曹丕とではとてもじゃないが比較には出来ないよ。
まだ若い曹叡やその後の政権を盤石にするだけの人間で固めてやるには、あまりにも足りない
劉邦の時代よりはるかに名士の影響って強いんだし。
もっとも彼自身が曹洪につらく当たっていたあたり、そこら辺は曹宇を罷免した息子ともども疎いというべきか。
483董卓:2009/01/05(月) 15:38:45 0
曹操率いる曹氏と儒者・名士達との対立、平清盛率いる平家(平氏?)と後白河法皇・旧貴族(藤原氏等)
との対立は似ている(?)
484世界@名無史さん:2009/01/24(土) 00:29:53 0
>>468
全然似てないし
三国志なんてたいした人物いないよ
曹操なんてその中でも勝ち切れない程度
485世界@名無史さん:2009/01/24(土) 02:35:44 0
>>468の見識は論ずるに及び申さん
486董卓:2009/01/25(日) 22:15:02 0
484よ。じゃあ君はどの時代だったらたいした人物がいると言えるのか?
487世界@名無史さん:2009/01/25(日) 23:03:57 0
南北朝
488世界@名無史さん:2009/01/25(日) 23:18:54 O
キモロー!!
489世界@名無史さん:2009/01/25(日) 23:49:17 0
わかってたことだ
490世界@名無史さん:2009/01/26(月) 03:53:09 0
こんなもの世界史板であげてるな
491世界@名無史さん:2009/01/26(月) 08:18:51 0
>>485
グシャッ
492世界@名無史さん:2009/01/26(月) 16:27:24 0
>>484
じゃ、ないが、折角の魏はさっさと司馬仲達さんたちにフルボッコにされて、
その晋も、すぐに騎馬民族にフルボッコにされて、その後は延々と異民族にいじめられ続けることを考えると・・。
大漢帝国から続いた漢民族栄光の歴史の断末魔に頑張った内戦の指導者くらいにしか曹操その他大勢のことを評価できないなあ。
やっぱ三国志演義って本当にすごいと思うよ。
493世界@名無史さん:2009/01/26(月) 18:06:11 O
>>484は大層な事を言っているが、漢詩も詠めなければ兵法もしらず部下もいないと思う。

こういってはなんだが貴方が思っているよりも、三國志は奥深い。
494世界@名無史さん:2009/01/26(月) 18:26:46 O
キモローやな
495世界@名無史さん:2009/01/26(月) 21:00:50 0
三国志に細かい理屈つきで兵法なんかでてくんの
496世界@名無史さん:2009/01/27(火) 15:24:12 0
>>492
まずお前が魏晋南北朝期の泥沼具合を理解していないことはわかった
497世界@名無史さん:2009/01/27(火) 15:32:59 0
まあ生産力の低下とか人口の減少とか貴族の増長とかそこらへん全然知らないのに
表面触っただけで劉秀SUGEEEE!!!!曹操とかwwwwってファビョるうかつなファンは最近増えた

まあ曹操マンセーに呼応して発生した流れなんだろうけど
498世界@名無史さん:2009/01/27(火) 18:49:23 0
そこらへんはぜんぜん知らないな
皆さん凄いですね、プロなの?
それとも趣味の領域?
499世界@名無史さん:2009/01/27(火) 19:30:29 0
>>492
その論だと三国志がどうかはともかく
晋をフルボッコにして大昔には大漢帝国の高祖もメッタウチにした騎馬民族を唯一倒すことに成功したのが曹操なんだけど
500世界@名無史さん:2009/01/27(火) 20:18:00 0
三戦なみのレベルだな
的外れな非難に匹敵する酷い擁護
501世界@名無史さん:2009/01/27(火) 20:35:09 0
>>500
おンしのレスは中身がないただの煽りだからその三戦レベル以下じゃろうて
502世界@名無史さん:2009/01/27(火) 20:59:01 0
学問板の内容じゃないのは事実だろ
503世界@名無史さん:2009/01/27(火) 21:06:21 0
>騎馬民族を唯一倒すことに成功したのが曹操なんだけど

安置乙
504世界@名無史さん:2009/01/27(火) 21:43:25 0
>>499
唯一???
505世界@名無史さん:2009/01/27(火) 21:57:06 0
そろそろキングゴンタ信者は洗脳から覚めたほうがいい。
曹操は時代の英雄ではあるが、時代を超えた英雄ではない。
506世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:03:07 0
>>505
こういう事言う人って頭良いと持ってるんでしょうか
507世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:06:10 0
>>506
自分ではそうなんだろうな

マジメに考察してる人はアンチだろうが信者だろうがこんなところの煽り文句で一喜一憂したりしないだろうさ
一口に言えるほど歴史はそこが浅いもんではない
508世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:16:01 0
いや、蒼天航路は俺も好きだが、
それしか読んでないような持ち上げ方をするやつが大杉
509世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:21:47 0
でも実際異民族征伐はすごいけどな
統一に成功した晋がやられ劉邦が冒頓にやられたことを考えれば
まあ冒頓程の強敵がなく、北の異民族も劉邦の頃より疲弊してたが、当時の中原以北も同じように資源不足や寒冷化等で痩せてるからね
持ち上げられてもおかしくない功績であると俺は思うよ
510世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:23:09 0
ナポさんでもロシア征服は叶わなかったからなあ
511世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:24:21 0
>>510
まあナポさんの大陸軍とは規模が違うがね
曹操も遠征は大変だったらしいね
512世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:25:22 0
遠征して征伐した異民族って烏丸だけだよな?
513世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:29:18 0
>>511
たしかね
烏桓のほうが疲弊は激しかったしね
514世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:30:33 0
ああここ懐かし漫画板じゃなかったのか
515世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:32:21 0
匈奴にやられて東湖が烏丸と鮮卑に別れたんだっけ?
あのへんややこしくてようわからん
516世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:35:09 0
>>512
つかそもそもの話袁氏と結んでたから烏丸は攻撃されたんじゃないの?
517世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:37:49 0
曹操
518世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:43:50 0
>>515
前漢だと匈奴がそのあたりの種も全部支配下に置いていたらしいが、匈奴が漢に破れ軍門に下って以降、烏丸や鮮卑が相対的に強くなった

遼東烏丸を長駆して破って根こそぎ移住させたり、鮮卑に対しても優勢だったりしてたから、その方面で優れていたのはそのとおりなんだけど、
劉邦なんかと比べてどっちが上ってのは違和感があるな
メジャーリーグのマウンドで滅多打ちになった投手と、甲子園予選決勝でノーヒットノーランをやった投手のどっちが上か、みたいな感じで、そもそも比較できるような同じ土俵にいない
519世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:50:34 0
嘘だよ鳥丸は滅茶苦茶強かった
520世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:52:27 0
つまりそれを抑えてた劉虞や破っていた公孫サンはもっとスゲエ
521世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:57:47 0
公孫讃には降参そん。
522世界@名無史さん:2009/01/27(火) 22:58:56 0
こうそんさんは白馬陣があるからずるい
523世界@名無史さん:2009/01/27(火) 23:15:50 O

曹操は世界の英雄だとおもうけどな…

とりあえず三國志の中ではズバ抜けて輝いていたwww

国力 蜀<呉<魏

人材 蜀=呉<魏

大将の器 龍備<孫権<曹操

こんな感じ?

反論、求む!
524世界@名無史さん:2009/01/27(火) 23:46:04 0
曹操は華北の英雄だよ
525世界@名無史さん:2009/01/27(火) 23:49:26 0
曹操はもはや宗教だな。
いい意味でも悪い意味でも。
526世界@名無史さん:2009/01/28(水) 00:39:04 0
ツァオツァオ
527世界@名無史さん:2009/01/28(水) 15:29:46 0
>>518
>>メジャーリーグと高校野球予選

おなじような遊牧民でそんな差がつくわけがない
というか北が弱体化したのと同じように中国も弱体化してるからやっぱり土俵的にはそんなに変わらんよ
528世界@名無史さん:2009/01/28(水) 15:37:12 0
>>518
まあ項羽の靴を舐め冒頓にボロ負けした劉邦が何度も再起できるくらい中国が潤ってた時期だから
曹操の時代だとそこまで再起のチャンスなんて与えられてない。赤壁で失敗しただけで南方進出が困難になるくらいだし
五胡まで下るともっとひどいな。大勢力でもすぐひっくり返る

それこそ巻き返しの効くプロ野球と一回負けたら終わりの高校野球くらいの差があるね
529世界@名無史さん:2009/01/28(水) 17:41:35 0
差、あるか?
530世界@名無史さん:2009/01/28(水) 19:50:44 0
曹操に都合のいい意見だなーと思った
統一は出来たらラッキーくらいのもんだろ
出来なければならない、で考えてるからおかしな論調になる
531世界@名無史さん:2009/01/28(水) 19:56:12 0
まあまとめると曹操はしょぼい。
532世界@名無史さん:2009/01/28(水) 21:26:30 O
↑まとまってねぇーよ。
533世界@名無史さん:2009/01/28(水) 22:25:20 0
曹操の活躍した魏晋南北朝時代は400年も分裂期の続いた暗黒期
別に曹操じゃなくても石勒や苻堅のような英雄が出たが誰も統一出来なかった
だからそういう意味で>>530の意見はある種の真理
別時代の人間が統一できたからそれに比べてしょぼいなんていう安直な考えがそもそも間違いだ

>>530
まあ曹操に都合の悪い意見の反論が曹操に都合のいい意見になるのはある意味当然だろ
534世界@名無史さん:2009/01/28(水) 22:59:01 0
セキロクやフケンも所詮二流の英雄だからしょうがない。
李世民や朱重八だったら当たり前のように統一してる。
535世界@名無史さん:2009/01/28(水) 23:08:09 0
>>534
まあ上っ面だけ見て二流と断ずるのは構わん。
だが、名前に資源や人望がついてくる訳じゃないんだから無理なものは無理
そもそも同じ条件でもう一度統一出来るかどうかも怪しい
536世界@名無史さん:2009/01/28(水) 23:11:37 0
http://president.jp.reuters.com/article/2009/01/24/5F1B626C-E213-11DD-BA78-EDC13E99CD51.php?rpc=110
「三国志」なぜ曹操は「専務止まり」だったのか

プレジデント 2008年2.4号

曹操とは、良くも悪くも他人が真似の出来ない行動によって、天下を握りかけ、
そしてとり逃した人物だ。
 現代の会社で例えてみると、人並み外れた業績もあげてきたが、
それを帳消しにしかねない欠点もさらして、社長になりきれなかった
専務取締役のような感じかもしれない。

曹操のプラス面とマイナス面、それぞれを見ていこう。

まずプラス面。『三国志』の時代、表舞台で活躍した英雄たちには
1つの共通点がある。それは皆、後漢王朝末期におこった
黄巾(こうきん)の乱の鎮圧に力を振るった人物やその子孫たち、
ということだ。曹操、袁紹、孫権、劉備……すべて、そうだ。

ところがこの戦いのなかで、曹操だけが1人異彩を放っていた。
 それは、彼だけが黄巾賊を味方につけてしまったことなのだ。

192年、かれは青州(いまの山東半島)にいた黄巾の大規模な
残党と戦い、苦戦に苦戦を重ねて和議を結んだ。
その中身というのが、黄巾側は降伏して身の安全を確保するかわりに、
黄巾軍30余万の軍隊から選ばれた精鋭が丸々、
曹操の配下に入るというものだった。

曹操が戦略の礎とし、自ら注釈も施した『孫子』には、こんな1節がある。

・必ず全きを以って天下に争う(相手を傷めつけず、無傷のまま
味方にひきいれて、天下に覇をとなえる)謀攻篇
537世界@名無史さん:2009/01/28(水) 23:11:50 0

当時、主要な英雄たちの多くは『孫子』を愛読していたが、
曹操だけがこの理論をきちんと現実に活かしてみせたのだ。
 敵と見れば叩き潰すことしか考えない他の武将たちに比べ、
敵だったものを味方につけた曹操は、大きく勢力を拡大することに成功する。

・魏武の強、これより始まる(曹操の強さは、ここから始まったのだ)

清代の学者・何●(かしゃく)の言葉だが、確かにこの軍事力こそ、
曹操覇業の原点だった。
 一方、これとほぼ同じ時期、曹操は自らの覇業を逆に
掘り崩す振る舞いにも、手を染めている。
538世界@名無史さん:2009/01/28(水) 23:12:39 0
ここに関わるのが、意外にも、曹操の情の深さ、という一面なのだ。
曹操には曹嵩(そうすう)という父がいて、徐州(今の山東半島の付け根部分)
という所で戦乱を避けていたのだが、194年に、徐州の長官だった
陶謙(とうけん)の手の者に惨殺されてしまう。

怒り狂った曹操は、父の仇をとるべく徐州に攻め込み、
陶謙軍を打ち破っていくのだが、このときに起したのが「徐州の大虐殺」だった。
 軍隊の通る道すがら無関係な住民を虐殺し、死体の山を築き続ける。
怒りに目がくらんでの所業だが、これが後々、曹操の覇業を阻む
最大の要因になっていく。

『三国志 正史と小説の狭間』(満田剛・白帝社)という本には、
こんな指摘がある。

「以後、徐州からは大量の難民が出た。その影響は、三国時代の
人物で徐州出身者を挙げてみればすぐに分かる。
張昭、厳o(げんしゅん)はともかく、魯粛(ろしゅく)・
諸葛瑾(しょかつきん)。そして諸葛亮である。
彼らはこの際に南へ遷っていったと見られるが、
後に三国鼎立(さんごくていりつ)の流れを作り上げた張本人たちである」

539世界@名無史さん:2009/01/28(水) 23:13:08 0
挙げられた中で、諸葛孔明(名は亮、字(あざな)が孔明)と魯粛は、
それぞれ別個に「天下三分の計」を構想し、劉備と孫権に授けた2人として有名だ。
 孔明と魯粛は、おそらく自分たちの出身地の惨状を見聞し、
無関係な住民まで虐殺する曹操に天下をとらせるわけにはいかない、
と考えたのだろう。

以後の歴史は、2人の描いた青写真に近い形で、曹操、孫権、劉備
による天下三分が形成されていく。
 どんな素晴らしい才能があっても、1つの感情的爆発がすべてを
台無しにしてしまう――これが、曹操から後世のわれわれが学ぶべき教訓となる。
 敵を無意味に増やしてはならないのだ。

●=「火へん」に卓

540世界@名無史さん:2009/01/28(水) 23:18:58 0
曹操に殺されるのならむしろ光栄
541世界@名無史さん:2009/01/28(水) 23:56:24 0
>>540
最近ちょっと本気でそう思っている自分はヤバイ人だと思う。
542世界@名無史さん:2009/01/29(木) 17:23:57 O
「俺が神に逆らっても神が俺に逆らうのは許さぬ」
だったかな?
信長のような台詞だな…

しかし、豚の処理を暗殺と間違え、召し使いの殺害の口塞ぎにリョハクシャを殺した後には似合わない台詞だな…
543世界@名無史さん:2009/01/29(木) 20:10:27 0
当新聞社の優秀な友田道郎熊本支局次長が下着泥棒で
逮捕されたとの報道がなされた。

だが、待って欲しい。一回だけなら冤罪かもしれない。
パンティーの息づかいを感じていれば、事前に下着を取られる気配があったはずだ。
隣室の女性会社員は洗濯物を干すのに慎重であってほしかった。

なあに、一回ぐらい下着を取られてもかえって免疫力がつく。
心配のしすぎではないか。

今回のこたえは数字のうえでは「友田道郎は変態犯罪者」派が圧倒的だったけれど、
応募しなかった多数のサイレントマジョリティを考慮にいれて決定させてもらいます。
友田道郎は変態ではない。

ああ、これも小泉失政のツケか。
下着泥棒の心配よりも、まず自民党の失策にに注意すべきかもしれない、

今必要なのは政権交代ではないか。
544世界@名無史さん:2009/01/29(木) 22:10:57 0

曹操
全67戦 58勝9敗 勝率 8.65
(でも信長同様に戦下手で有名)
ナポレオン
全41戦38勝3敗 勝率9.26
(稀代の戦術家として有名)

生涯不敗
孫武、呉起、霍去病、韓信
ソンガイ帝国のスンニ・アリー大王、オスマン帝国のセリム1世
イギリスのマールバラ公、
帝政ロシアのスヴォーロフ、フランスのダヴー

上杉謙信、毛利元就、吉川元春、
カエサルもほぼ無敗で勝率はナポレオンに匹敵。
545世界@名無史さん:2009/01/30(金) 00:19:46 0
>>544
また一番眉唾臭いデーダ出してきたな
勝率とか
546世界@名無史さん:2009/01/30(金) 02:04:33 0
特に記述されなかった小規模を入れると曹操もっと下がるだろうしな
正確にわからない勝率なんて無意味
547世界@名無史さん:2009/01/30(金) 11:27:50 0
もっと上がる可能性は?
548世界@名無史さん:2009/01/30(金) 12:33:11 0
ない
549世界@名無史さん:2009/01/30(金) 12:35:20 0
信長も負けの印象強いけど勝率は8割前後、しかも局地戦で負けても致命的大敗が無く負け上手
最後は必ず勝ってる
550世界@名無史さん:2009/01/30(金) 13:12:37 0
>>548
あるよ同じ理由で
ついでに曹操以外だって勝率の変動の可能性があるのは例外じゃないわ
551世界@名無史さん:2009/01/30(金) 13:17:16 0
曹操にだけシビアなのは
他をスポイルしてるのと同じなんだがな
552世界@名無史さん:2009/01/30(金) 14:15:45 0
シビアな評価する人がいるのは過剰評価をする人への反発だろう
553世界@名無史さん:2009/01/30(金) 14:43:17 0
アンチ派の脳内にしかいないマンセー香具師に反発されてもね
554世界@名無史さん:2009/01/30(金) 15:31:22 0
もう曹操はNGワードにしたほうがいいな。
マジで宗教。
555世界@名無史さん:2009/01/30(金) 16:06:01 0
曹操スレでマンセーするのはいいけど
他のスレまで出張してくるな
曹操厨と信長厨は世界史板の癌
556世界@名無史さん:2009/01/30(金) 16:26:09 0
>>555
まあスレタイ読むことから始めたほうがいいと思うんだ

釣りか?
557世界@名無史さん:2009/01/30(金) 16:35:56 0
>>552
スレタイみたいな評価は失笑ものだが
アンチが言うほどつまらない人間でもないだろ
まあこんなクソスレは潰れた方がいいけど
558世界@名無史さん:2009/01/30(金) 19:33:00 O
世界史上どころか、中国史上でも最高とはいえないだろ。後漢の光武帝や、唐の太宗の方が、普通に考えて上だろ。こんなクソスレ、はやく三戦板に移動しろや!
559世界@名無史さん:2009/01/30(金) 21:42:43 0
上っ面だけなぞった意見はもう出尽くしましたが
560世界@名無史さん:2009/01/31(土) 19:10:38 0
曹操は人材コレクターであったが故にあそこまで領土を広げられたようなもんだな。
軍才は相当に乏しい。
ジュンイクが居なかったら、袁紹軍の猛攻に耐えかねて撤退。
カクが居なかったら、馬超と韓スイの仲違いに失敗し撤退確実。
司馬イが居なかったら、関羽の猛攻を恐れて遷都。

人を使う立場だったから良かったものの、人に使われる立場だったら
並の凡将程度じゃないの。
561世界@名無史さん:2009/01/31(土) 19:16:00 0
曹操は将の将
562世界@名無史さん:2009/01/31(土) 19:21:30 0
自身がしょんぼりしてるのは情けない話でもあるけどな。
563世界@名無史さん:2009/01/31(土) 19:43:08 0
もはや釣りの域を超えている………!!
564世界@名無史さん:2009/01/31(土) 19:49:04 0
前25世紀から21世紀までの戦史を見れば
曹操のように自分の陣頭指揮だけで
あれだけの土地を切り取れた人間はほとんどいないのは明らか
565世界@名無史さん:2009/01/31(土) 20:34:45 0
566世界@名無史さん:2009/01/31(土) 21:15:40 0
>>565
一人で国を動かした人間がいると思うか?動かそうとして成功した奴がいるか?
もしそんな国があったら真っ先に潰れて大混乱になるけどな
567世界@名無史さん:2009/01/31(土) 21:31:08 0
人材は集めたが使いこなせてない印象
張コウ、カクあたりは劉邦配下ならもっと伸びるはず
568世界@名無史さん:2009/01/31(土) 21:51:09 0
項羽
569世界@名無史さん:2009/01/31(土) 23:45:43 0
>>566
人材コレクターであったのにあの程度の成果。
劉邦陣営と比べても量だけなら勝っていたのに。
570世界@名無史さん:2009/02/01(日) 00:34:42 0
たまたまいい人材がいなかったんだからしょうがない
571世界@名無史さん:2009/02/01(日) 01:10:57 0
いやいいのはいくらでもいた
全部自分でやろうとしてコケただけ
572世界@名無史さん:2009/02/01(日) 01:46:16 0
なんて中途半端な奴
573世界@名無史さん:2009/02/01(日) 03:56:34 0
まあどこへいっても叩かれる役だというのはよく分かった。

どっかいい板ないかなぁ。
574世界@名無史さん:2009/02/01(日) 11:56:01 0
無いな。
曹操オタは痛すぎるので叩かれる。
575世界@名無史さん:2009/02/01(日) 13:09:01 0
本人は中々の人間なのに
儲が痛すぎて叩かれる哀れな人

まあスレタイが喧嘩売ってるからしゃーないわ
576世界@名無史さん:2009/02/01(日) 14:45:02 0
全てゴンタのせい
577世界@名無史さん:2009/02/02(月) 18:52:31 0
>>575
史実的には世界史レベルで中の中くらいの人物ではあるしな。
578世界@名無史さん:2009/02/02(月) 19:25:04 0
>>575
いや上の下くらいだろ
579世界@名無史さん:2009/02/02(月) 19:30:01 0
そんなには行ってないなあ。
上まで行くには最低でも君主系なら天下統一レベルはないとな。
580世界@名無史さん:2009/02/02(月) 20:31:21 0
いや、北半分統一するだけで大変だろうが
統一したのにしても十人ちょっとしかいねーし。
581世界@名無史さん:2009/02/02(月) 20:43:34 0
そもそも統一した・しないは必ずしも人物の出来・不出来に直結しないからね
582世界@名無史さん:2009/02/02(月) 21:20:34 0
南部が孫権、劉備でまとまったから時間切れ
寿命制限ないなら、そもそも魏に負ける要素はない
その意味で赤壁は慎重にやるべきだったかもしれんが
疫病の要素まで計算できない
583世界@名無史さん:2009/02/02(月) 21:51:33 0
統一を達成できたかどうかや、領土をどれだけ拡大できたかってのは
その人物の能力を計る上で一つの指標にはなるだろうけど、
それだけで評価が決まってしまうってのは確かにおかしな話だね。
584世界@名無史さん:2009/02/02(月) 22:25:36 0
逆に曹操は中国の半分を支配下に置いたから能力以上に評価されてる
585世界@名無史さん:2009/02/02(月) 22:27:54 0
どこからどこまでを天下とするのかも問題だしな
遼東、遼西、敦煌、雲南、鬼国、広東、広西なんかは天下の範囲に入るのかどうか、とか
586世界@名無史さん:2009/02/02(月) 22:48:54 0
始皇帝、武帝以下は駄目とかいう強迫神経症にかかってるな
朝鮮は放棄したくせに
587世界@名無史さん:2009/02/03(火) 00:14:30 0
>>583
それ以外も入ると曹操には厳しい評価も入ってしまうぞ。
中の下あたりまで落っこちるかもしれない。
588世界@名無史さん:2009/02/03(火) 01:15:42 0
>>587
とりあえず司馬炎はどの程度?
589董卓:2009/02/08(日) 13:52:30 0
大したことない凡将。祖父、伯父、父の三代で帝位へのレールは敷かれていた。
それ故に帝位に即いただけだし、司馬炎が晋帝になった時には蜀は既に滅び、
呉帝国だけになっていた。そして呉を滅ぼし、天下を統一した。まあ要するに
時代の流れに乗っていただけ。
590世界@名無史さん:2009/02/08(日) 22:51:40 0
司馬炎は名君になる素質はあったと思うんだけどな。
591世界@名無史さん:2009/02/08(日) 23:13:09 0
>>590
つうか
馬鹿息子(恵帝)
三世紀の危機に代表されるように異常気象によって政治が不安定だったこと
肉親がほぼ悉く屑

の三点が評価下げまくってる感じが…
まあ魏衰退の教訓から親類の権限強化を図って
結果後漢衰退の教訓を生かせなかった点では駄目だけど
592世界@名無史さん:2009/02/08(日) 23:41:31 0
>>591
>親類の権限強化を図って
>結果後漢衰退の教訓を生かせなかった
後漢は同姓親族には冷たかったから、少なくとも司馬氏視点からは後漢の教訓を活かした(つもり)だったんだと思うよ
それと、見方を変えると、いずれ暴発する異民族の跋扈や分裂時代でも晋が存続したのは親族に強い力を持たせて各地に置いたおかげ、と言えないことも無い
593世界@名無史さん:2009/02/10(火) 14:22:42 0
司馬炎は駄目な楊堅



594世界@名無史さん:2009/02/10(火) 20:29:19 0
>>593
自称司馬遷の子孫の人はレベルが違うからなあ
政治的手腕にしても残虐さにしても
跡継ぎの煬帝は確かに暴君だけど
世を乱した点以外の施策は恵帝なんぞ歯牙にもかけられないし
595世界@名無史さん:2009/02/10(火) 22:16:30 0
>>594
司馬炎は司馬遷の子孫を自称してないぞ
何を言ってるんだ?
596世界@名無史さん:2009/02/10(火) 23:34:42 0
>>595
鮮卑族出身で自称楊震の子孫の楊堅さんを言ったつもりだったんだが
勘違いさせるような文ですまん
597世界@名無史さん:2009/02/14(土) 12:26:07 O
自分の有能な部下に子孫の代に天下を乗っ取られたのは信長−秀吉に似てるな。
もっとも秀吉は自分の子供の代で滅亡だが。
598世界@名無史さん:2009/03/08(日) 21:06:04 0
司馬家の末路も悲惨だろ
599世界@名無史さん:2009/03/09(月) 21:24:34 0
>>598
秦以来の王族皆殺しだもんな
っつうか趙宋って例外を除くとそれ以降完全デフォになってるから
司馬一族に限ったわけでもないきがするけど…
600世界@名無史さん:2009/03/16(月) 13:09:15 0
その時代まで常識を覆し、あらたな時代を作ったシンボルであるからこそ『英雄』
ゆえに『英雄』は必ずしも
正義(その時代において正しいとされるイデオロギー)の味方ではない。
 
その点では、曹操もアレキサンダーもナポレオンも始皇帝も英雄。
601世界@名無史さん:2009/03/16(月) 16:05:47 0
>>594
清の趙翼が文帝は楽して天下をとったて言ってたけど、
一番楽して天下取ったのは司馬炎じゃねぇ?
602世界@名無史さん:2009/03/16(月) 23:56:25 0
        ∧_∧ ハァハァ大喬タンと小喬タンと3P…
 シコ   ( ´Д`/"lヽ
      /´   ( ,人)
 シコ  (  ) ゚  ゚|  |
      \ \__, |  ⊂llll
        \_つ ⊂llll
        (  ノ  ノ
        | (__人_) \
      【曹操】
603世界@名無史さん:2009/03/23(月) 14:09:09 0
新末は三国時代よりレベルが低い

曹操>>>>>>>>>>>廃后、宦官重用で王朝滅亡の遠因を作った匹夫光武帝
荀ケ>>>>>>>>>>>常敗将軍ケ禹
張遼>>>>>>>>>>>>>>>>>>裏切り者ケ奉に殺されかける雑魚賈復
鍾会>>>>>>>>>>>延岑を勝手に処刑する野蛮人呉漢
張飛>>>>>>>>>>>>>>>>>>公孫述の刺客に暗殺される馬鹿岑彭

新末は三国時代よりレベルが低い
604世界@名無史さん:2009/04/15(水) 22:05:18 0
>>598
司馬氏の生き残りいなかったっけ。
明帝紀に恭帝の子孫らしい零陵王司馬某の記事があったけど。
605世界@名無史さん:2009/04/15(水) 23:22:46 0
傍流は残ってるんじゃ?
王朝が滅びる時の皇族は悲惨だよな
606世界@名無史さん:2009/04/24(金) 16:57:13 O
自分を殺そうとして、そのために将や息子を亡くしているのに、その相手を重鎮に取り立てる。他にいるか?そんなヤツ。
607世界@名無史さん:2009/04/26(日) 23:57:14 0
殺されそうになったのは曹操の自業自得じゃない家?
608世界@名無史さん:2009/04/27(月) 00:19:45 0
>>606
光武帝
609世界@名無史さん:2009/04/27(月) 01:03:46 0
少府といえばえらいのかな
宮内庁長官兼大蔵大臣みたいな?
610董卓:2009/04/27(月) 12:20:16 0
曹賊があ!
611世界@名無史さん:2009/04/27(月) 12:53:12 0
>>606
ま、探していけばいつの時代どの英雄にもありそうだが。
612世界@名無史さん:2009/04/27(月) 21:54:16 0
まっさきに頭に浮かんだのは光武帝だな
613世界@名無史さん:2009/04/28(火) 11:20:00 0
>>606
つ信長
614世界@名無史さん:2009/04/29(水) 12:21:48 0
曹操も光武帝好きだったよな
615世界@名無史さん:2009/04/29(水) 12:55:19 0
唐太宗も光武ファン
616世界@名無史さん:2009/05/01(金) 00:19:53 0
>>606
テムジン
617世界@名無史さん:2009/05/06(水) 12:40:42 O
156センチことHYDEさんは実は曹操の生まれ変わりってみんな知ってた?


618世界@名無史さん:2009/05/07(木) 06:59:06 0
この板でHYDEの名前が出るとは
619世界@名無史さん:2009/05/17(日) 23:03:11 0
このスレで曹操の悪口を言う奴はスレチだ。
レッドクリフなんざ作製する奴もクソだ…これに不満だった
映画スレの馬鹿どもは全員、死にやがれ!
620世界@名無史さん:2009/05/19(火) 18:18:18 0
>>613
信長がいつそんな事したんだ?
自分を殺そうとした奴はむごい仕打ちしてるのは知ってるが。
621世界@名無史さん:2009/05/20(水) 13:32:08 0
松永久秀とか
622世界@名無史さん:2009/05/20(水) 17:36:12 0
>>601
司馬炎は祖父、伯父、父が偉大だったからな
623世界@名無史さん:2009/05/20(水) 18:58:06 0
司馬炎も統一時に死んでれば惜しまれるレベルじゃないの
前半始皇帝、後半桓帝
624世界@名無史さん:2009/05/21(木) 08:54:13 0
楊堅は父親も偉大だけど、
本人もそれ以上の実績残してるからな

司馬炎は楊広と同じようなタイプだと思う
625世界@名無史さん:2009/05/22(金) 12:37:10 0
鳥丸ぼこった曹操まじ英雄
626世界@名無史さん:2009/05/22(金) 15:39:42 0
英雄に非ず。
627世界@名無史さん:2009/05/26(火) 04:07:24 O
魏武は英雄!偉大!超世の傑!万歳!!!!
628世界@名無史さん:2009/05/27(水) 08:15:08 0
普通に英雄だろ・・・
629世界@名無史さん:2009/05/27(水) 22:39:34 0
袁術も英雄
630世界@名無史さん:2009/05/28(木) 17:50:53 0
>>1
曹操は好きでも最強ではないね。ここは世界史板だよ、曹操最強スレは三戦板のほうが似合う、
広く視野をみよう。
631世界@名無史さん:2009/05/28(木) 17:57:36 0
故人の好き嫌いは排除の理由にならないのだが。w
632世界@名無史さん:2009/05/28(木) 17:59:00 0
あ、まちがい。

個人の好き嫌いは排除の理由にならないのだが。w

客観的に最凶かどうかはともかく、世界史板的な考察をして何が悪いのだろう?
633世界@名無史さん:2009/06/12(金) 12:02:26 0
曹操とカエサルが英雄
634世界@名無史さん:2009/06/12(金) 12:41:17 0
パルティアに勝てなくて小便もらしたハゲザルと
南匈奴ボコって土下座させたスーパーヒーロー曹操

比較にならない
635世界@名無史さん:2009/06/12(金) 13:04:15 0
ローマ共和国→帝政ローマへと統治システムを変更したカエサル。
情報公開によって、元老院寡頭制を打破したカエサル。

曹操は『孫子』ぐらいかな?
636世界@名無史さん:2009/06/12(金) 13:15:46 0
追記
パルティア失敗したのは、クラッスス。
カエサルはしてない。もしくはクラッススの後に計画したのみだよ。
637世界@名無史さん:2009/06/12(金) 13:31:04 0
暗殺を何度も潜り抜けたCAOCAO>暗殺された禿げ

比較にならない

っつーか禿は過大評価すぎる
ユリウス・クラウディウス朝自体は短命
内乱を収め千年帝国の基礎を築いたから偉大云々みたいな評価は
帝政中国が前221から1912年まで続いたから始皇帝は神!みたいな妄言と一緒
638世界@名無史さん:2009/06/12(金) 13:55:50 0
>禿は過大評価
曹操知名度なさ杉。東アジアとアメリカの一部の人ぐらいだよ!!

>ユリウス・クラウディウス朝自体は短命
魏だって短命じゃん!!

>内乱を収め千年帝国の基礎を築いたから偉大云々みたいな評価〜
私はそんな評価してないよ

>内乱を収め
表面上収めただけだから、暗殺されたんだろ?
収めたのはオクタヴィアヌス。
曹操も収めてないじゃん。




639世界@名無史さん:2009/06/12(金) 19:14:45 O
>>634
>南匈奴
漢代にほとんど身内になってる奴ボコって何か楽しいか
640世界@名無史さん:2009/06/12(金) 21:58:14 0
>>638
別に>>637は特定の一人のことを言ってないよ
641世界@名無史さん:2009/06/13(土) 15:45:53 0
曹操に対して誰が謀反したんだよ
病死じゃねーか
ハゲザルとは違う
642世界@名無史さん:2009/06/13(土) 15:49:49 0
>内乱を収め千年帝国の基礎を築いたから偉大云々みたいな評価は
>帝政中国が前221から1912年まで続いたから始皇帝は神!みたいな妄言と一緒

だよな
皇記2669年や三皇五帝と同じ
ネタにしかならん
まあ西欧人もハゲザル評価してるのは無教養層っぽいけどな。
643世界@名無史さん:2009/06/15(月) 06:03:17 0
日本でも人気あるよなカエサル
644世界@名無史さん:2009/06/15(月) 15:29:14 O
ハゲのエロ親父と言われても笑って許したカエサル
チビの事を気にして外交官が来ると代役をたてそれがバレそうになるとそいつを殺した曹操
645世界@名無史さん:2009/06/18(木) 13:08:32 0
>>644
ハゲザルはみっともなく暗殺され、カエサリオンを殺されて簒奪された
曹操は寿命まで生きて二世までの引継ぎには成功した
曹操のほうが上だってことだね
646世界@名無史さん:2009/06/18(木) 14:00:11 0
関連スレ

中国史の人物を中国語に近い発音で語る中国史スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1245137786/l50
647世界@名無史さん:2009/06/21(日) 13:19:12 0
>>645
簒奪も何も元々カエサルは遺言でオクタヴィアヌスを後継者に指名してたわけだが
大体ローマ市民権も持たない私生児を後継者にするつもりなんて毛頭ないだろ
648世界@名無史さん:2009/06/25(木) 17:20:09 0
曹操は陳霸先レベル
649世界@名無史さん:2009/06/25(木) 17:24:31 O
簒奪の簒という言葉を見るたび、

「燕賊簒位!」

と叫びたくなる俺。
スレ違いですねごめんなさい。
650世界@名無史さん:2009/07/05(日) 16:45:42 0
横山三国志見てると曹操っていつも苦戦してるイメージしかない
651世界@名無史さん:2009/07/06(月) 22:16:02 0
>>650
史実でも最後勝っている戦いでも苦戦は多いよ
652世界@名無史さん:2009/07/07(火) 22:57:12 0
馬超と戦った時も
最後に大勝したけど、その間にも死にかけたしな
653世界@名無史さん:2009/07/09(木) 00:00:11 0
それ演義捏造だろ
654世界@名無史さん:2009/07/09(木) 22:51:46 0
曹操の序盤なんて運勝負じゃん
袁軍に勝てたのも偶然に偶然が重なっただけだし
運も実力のうちって言われたら終わりだけど
少なくとも他の英雄は不運を実力によってこじあけてる
655世界@名無史さん:2009/07/11(土) 22:55:27 0
官渡なんかは運だけじゃないだろ

ただ赤壁以降は判断能力鈍ったか?とも思うけど
656世界@名無史さん:2009/07/12(日) 00:26:40 O
運だろ
運がなきゃどうにもならなかったんだから
657世界@名無史さん:2009/07/12(日) 02:03:22 0
桶狭間や金ヶ崎の退き口みたいなもんか
658世界@名無史さん:2009/07/12(日) 06:20:04 0
許褚伝の一部訳

潼関に韓遂、馬超を討つに従う。
太祖将に北に渡らんとし、河を済るに臨んで、
先ず兵を渡し、独り許褚及び虎士百余人と南岸に留まり後ろを断つ。
馬超歩騎万余人を将いて、太祖の軍に来奔し、矢を下すこと雨の如し。
許褚太祖に白す。
賊多く来たり。今兵は已に渡り尽くす。宜しく去るべし。
乃ち太祖を扶けて船に上る。
賊の戦い急しく、軍は争いて済り、船は重なりて没まんと欲す。
許褚船に攀る者を斬り、左手で馬の鞍を挙げ太祖を蔽う。
船工流れ矢に中りて死す所と為り、許褚右手で並べて船を遡らせ、僅かに乃ち渡るを得たり。
是の日、許褚微かりせば幾危うきか。
659世界@名無史さん:2009/07/12(日) 09:46:32 0
曹操結構マヌケだな
660世界@名無史さん:2009/07/12(日) 14:09:43 0
訳じゃなくて書き下ろしだったな
661世界@名無史さん:2009/07/16(木) 10:13:53 0
>>648
陳霸先は宇宙大将軍や王僧弁、北斉の大軍打ち破った名将だぞ
662世界@名無史さん:2009/08/27(木) 23:52:56 0
世界の超英雄である
663世界@名無史さん:2009/09/01(火) 22:37:26 0
あげ
664董卓:2009/09/01(火) 23:31:09 0
官渡の戦いで勝てた真実=ジュンイクに励まされたから。許ユウが寝返ってきたから。
665名なし:2009/09/02(水) 02:49:20 0
元寇のとき朝鮮人に対馬をのっとられ、民間人が
虐殺されたのをご存知でしょうか?
さらに女子供も連れ去られ、高麗の王に献上された。

その対馬が今朝鮮人たちに「対馬は朝鮮のものだ」とか
言われてるんですが、どなたかご意見ください。
666世界@名無史さん:2009/09/06(日) 19:54:16 0
667世界@名無史さん:2009/11/13(金) 22:09:07 0
>>655

>>664が正解
官渡は運のみで勝利
最大の功労者はもちろん許ユウ

赤壁以降は相手より大軍で攻めても負け戦多い
668世界@名無史さん:2009/12/16(水) 12:16:38 0
669世界@名無史さん:2009/12/27(日) 20:29:33 0
「三国志」曹操の陵墓発見 中国河南省、遺骨も出土
ttp://www.47news.jp/CN/200912/CN2009122701000388.html
670世界@名無史さん:2009/12/27(日) 20:48:24 0
エンショウってソウソウと対峙するときに同数かそれ以上の兵数を要していたらしいけど
やっぱあの辺は麦の生産量が当時すごかったのかなぁ
671世界@名無史さん:2009/12/27(日) 20:49:33 0
どっちかっていうと張魯に興味がある
672世界@名無史さん:2009/12/27(日) 21:30:20 0
おい、おまいら!曹操の墓がみつかったぞ!!
673世界@名無史さん:2009/12/27(日) 21:37:43 0
よく発見してくれたよ。

しかし「副葬品200点以上」って
文帝も家臣も全然曹操の遺言守ってない・・・。
674世界@名無史さん:2009/12/27(日) 21:44:02 0
ダミー墓の気がしないでもない。
675世界@名無史さん:2009/12/27(日) 22:19:26 0
ダミーでこの副葬品なら、本物はかなり豪奢な墓だったかもな
676世界@名無史さん:2009/12/27(日) 23:37:11 0
薄葬どころか、瑪瑙の宝石まで出土しているじゃないか・・・。
遺言完全無視だな。

「項石」ってのが良く分からないけど
「魏の武王、常に慰め用いる所の」とか石牌に書いていたから
まさしく曹操の遺品なんだろうな。
677世界@名無史さん:2009/12/28(月) 03:41:42 0
世界史どころか中国史ですらトップ10にも入らんわ
678世界@名無史さん:2009/12/28(月) 05:51:31 0
         / ̄\
        |朝鮮海|
         \_/
          |
       /  ̄  ̄ \
     /  \ /  \
    /   `      ´   \      よくぞ発掘してくれた
    <  ヽ  (__人__)     >      褒美として黄海を西海と改める権利をやるニダ
    \    ` ⌒´    /   ☆
    /ヽ、--ー、__,-‐´ \─/
   / >   ヽ▼●▼<\  ||ー、.
  / ヽ、   \ i |。| |/  ヽ (ニ、`ヽ.
 .l   ヽ     l |。| | r-、y `ニ  ノ \
 l     |    |ー─ |  ̄ l   `~ヽ_ノ____
    / ̄ ̄ ̄ ̄ヽ-'ヽ--'  / 三国無双 /|
   .| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/|    | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/| ______
/ ̄ 三国志 /|  ̄|__」/_ 三国志   /| ̄|__,」___    /|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ 信長の ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄|/ オプーナ /|   / .|
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/l ̄ ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/| /
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
679世界@名無史さん:2009/12/28(月) 12:48:27 0
世界史的にいえばむしろ孫氏や諸葛亮が江南や雲南、四川盆地を開拓したことのほうが偉大じゃね?
680世界@名無史さん:2009/12/29(火) 18:56:46 0
曹操のダミー墓の一つに、現代の中国人がダミー副葬品とダミー人骨を入れた。
人骨はどこかの墓から適当に盗んできた新しいもの。目的は観光振興。
古今合作ダブル・ダミーである。曹操の本物の墓は松柏すでにくだかれ、
真上を鉄道が通っている。
681世界@名無史さん:2009/12/30(水) 01:12:37 0
香港の衛星テレビ局、鳳凰衛視(フェニックス・テレビ)は14日、
民主党の小沢一郎幹事長を中心に、日本の政局を解説した。
中国への大型訪問団については「朝貢団か?」などと紹介。
一方で、国内政治での小沢幹事長の手法を、
漢の皇帝をいただきながら自分の思う通りに諸策を実行した曹操に例えた。

曹操→小沢 
袁紹兄弟→鳩山家
岡田→顔良 
前原→文醜
菅→賈ク 
興石、横路→李カク、郭
献帝→天皇陛下
682世界@名無史さん:2010/01/01(金) 20:26:24 0
曹操って野良犬に噛み殺されたんだろう。
何やってんだよ中国人はw
683世界@名無史さん:2010/01/01(金) 20:34:27 0
そうそう
684世界@名無史さん:2010/01/01(金) 21:03:47 0
>>681
小沢なんぞ董卓の前の中常侍の張譲だろ
んで

鳩山→段珪
管 →蹇碩
685世界@名無史さん:2010/01/02(土) 07:08:04 0
岡田→顔良 
前原→文醜
菅→賈ク 

この辺意味不明
岡田や前原は猛将じゃないし
管は切れ者じゃないし
686世界@名無史さん:2010/01/02(土) 08:22:25 0
>>685
いとも簡単に党首から引きずり下ろされた>岡田
知らん間に党首から引きずり下ろされた>前原

って事じゃないの?
まあそうなると安倍→関羽になっちゃうけど
687世界@名無史さん:2010/01/02(土) 17:00:32 0
曹操は小泉じゃね?
良くも悪くも
688世界@名無史さん:2010/01/04(月) 14:39:44 0
曹操の頭がい骨は後輩部を動物に噛まれたあとがあって
それが致命傷だってサイトに載っていた。
野良犬に噛まれて死んだというのも、あながちデタラメではないだろう。
どうせ非力な文盲バカだったんだろうし。

ま、チンギスカンやフビライも腕立て伏せが一回も出来ないほど貧弱でたるんだ体型だったようだし、
亜大陸にはインド以東でまともな男は居なかったのかもね。
689世界@名無史さん:2010/01/04(月) 22:42:12 0
超世の穴
690世界@名無史さん:2010/01/09(土) 02:52:26 0
a
691世界@名無史さん:2010/05/04(火) 10:56:55 0
曹操の死亡原因は脳梗塞だよ〜
692世界@名無史さん:2010/06/01(火) 15:51:01 0
BSジャパン 6/12(土)21:00〜22:55 開局10周年記念番組 三国志の覇王・曹操の墓は語る!

歴史ファンを驚愕させた「曹操の墓発見」のニュース。中国政府の特別な許可を得て海外メディアとして初めて撮影が実現した。
本当に曹操の墓なのか?曹操の意外な実像とは?1800年の時を越えて壮大なミステリーに挑む。
693世界@名無史さん:2010/06/01(火) 20:55:36 0
>>691
『三国志演義』で読んだ印象だと、脳腫瘍だったんじゃないか思うんだけど、
脳梗塞と断定した根拠は?
694世界@名無史さん:2010/06/02(水) 12:25:45 0
正史だと頭痛持ち
695世界@名無史さん:2010/06/05(土) 19:14:04 0
華蛇の外科手術を拒んだ話なんか読んでいると、脳腫瘍だったんじゃないのかなあって
いう疑い捨てきれないんですけれど。
696世界@名無史さん:2010/07/06(火) 18:25:00 0
ふうむ
697世界@名無史さん:2010/07/08(木) 01:01:52 0
 
698小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/10(土) 21:08:25 0
糞スレに糞コテ参上。

なんだ、このイかした、もとい、イかれたスレタイはwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
699小銀玉@ ◆Gay/Ho..tI :2010/07/10(土) 21:14:44 0
英雄か…

英雄ゆえに皇帝になれんかったとも言える。

劉邦は英雄ではなかったから皇帝になった。

項羽は英雄であったがゆえに皇帝になれなかった。

この論法なら曹操は英雄の一人であるといえるが、

世界史上最高の英雄ではないだろうが、どう考えても!!!!!!!!!!!!!!!!!!11111111111111

>>1は逝ってよし!
700世界@名無史さん:2010/07/20(火) 11:02:55 0
アジアの英雄
701世界@名無史さん:2010/07/20(火) 11:26:07 O
ソウソウの死体は、後頭部が犬のような動物に噛まれたものだった
もともとシナ人はまともな戦争もしたことがなく
だから戦闘力も武力も日本人女子より弱かったことは厳然たる事実
さらにシナ人はほとんどは餓死してきた(させられてきた)わけで
ソウソウの場合も極めて貧弱で矮小化した骨格が
シナのどうしようもない劣等性を物語る
702世界@名無史さん:2010/07/20(火) 11:34:48 0

偉大なる曹様に敬礼!
703世界@名無史さん:2010/07/21(水) 04:36:46 0
俺は孔明が好き
704世界@名無史さん:2010/07/21(水) 17:05:24 0
それもまたよし
705世界@名無史さん:2010/07/22(木) 10:03:57 0
俺は韓信
706世界@名無史さん:2010/07/23(金) 02:04:54 0
BSジャパン 7月25日(日)14:00〜15:54 三国志ミステリー 覇王・曹操の墓は語る![再]
出演 北村一輝
ttp://www.bs-j.co.jp/sousou/
707世界@名無史さん:2010/07/28(水) 11:15:19 0
 
708世界@名無史さん:2010/07/31(土) 15:46:51 0
三国志列伝
709世界@名無史さん:2010/08/04(水) 14:22:50 0
 
710世界@名無史さん:2010/08/10(火) 17:36:27 0
 
711世界@名無史さん
「曹操の墓はニセモノ!」、画像石から電動ノコギリ跡=専門家が指摘―中国 


黄教授によると、墓から出土した画像石(絵を彫刻した石)は全体的に溝が深く、現代の工具である
電動ノコギリで彫ったとしか思えない。しかも、彫られた絵は山東嘉祥の漢代の画像石を
模倣したもので、何を表したものなのかは地元山東省の考古学専門家でも分からないという代物。
黄教授は「このニセ作者は戦の場面を表すのに丁度良い、これなら曹操らしくなると思ってこの絵を
拝借しただけ」とあきれ気味に話した。

さらに、彫刻は北魏(386−534年)時代によく見られた「線刻」という技法が使われており、
「ニセ作者は漢代の彫刻技法も知っていたが、腕が悪かったため、線刻で彫るしかなかったようだ」と
同教授。画像石のふちの部分には石で彫ろうとした痕跡もあるが、とても彫れないと思ったのか、
削りかすも十分に払われないうちに上から黄土を塗りつけてごまかした跡まで発見されたという。
(翻訳・編集/NN)

http://news.livedoor.com/article/detail/4965445/