1 :
世界@名無史さん :
2007/01/20(土) 23:32:18 0
1000ゲット
3 :
世界@名無史さん :2007/01/20(土) 23:35:22 0
891 :世界@名無史さん :2006/12/26(火) 06:03:42 0 語源から言うと、カラやモロコシよりは、まだシナの方が妥当かと。 カラ 朝鮮半島南部にあった加羅に由来。今の韓国南部。 朝鮮半島から中華圏全体、そして諸外国の意味に、示す範囲が拡大していった。 朝鮮を示すときは韓、中華圏や単に外国を示すときは唐と表記する。 モロコシ 諸越に由来。中華圏南部の海岸沿いに、かつて越と呼ばれた地域があり、その南には南越(大越、越南)と 呼ばれた地域があった。 これらの地域をまとめて諸越と呼び、モロコシと訓読みされが、やがて中華圏全域の呼称になり、唐土と 表記するようになった。 昔あった諸々の越のうち、現代は中国ではなく、ベトナムに編入された地域もある。
4 :
世界@名無史さん :2007/01/20(土) 23:36:21 0
846 :世界@名無史さん :2006/11/21(火) 18:17:23 0 ところで日本という国名は誰がつけたのだろうか? 通説では日本書紀からという。 さらに新羅本紀に「倭国、号を日本に更む。自ら言う、日出づるに近きを以て名を為す」 というように自ら日本と名乗った、とある。 だけど本当にそうか?この「日出に近き」という方向を示す一文は誰が基準になった場合を 言うのか?もちろんこの場合は新羅から見た場合に日の出る方向(東)だから日本、というのだ。 だとすると日本というのは外国からの日本への呼称ということになりはしないだろうか? 古代日本人(倭人)の自国への自称は「豊葦原の中つ国」である。これが新羅においては日の出ところ、 となって日本、ひいては日本人となるのだ。「自ら名乗り」というのは「新羅人からしたら日本なので 日本と言った」ということではないだろうか?国は変わって支那人は英語圏の外国では「チャイニーズ」と 自称する。これは仏典の漢訳から由来する「支那(China)」から派生したさまざまな呼称がヨーロッパなどに広く分布して おり、外国人相手には「中国人」というより「支那人(チャイニーズ)」と名乗ったほうが通りがいいからである。 ここで、日本だ。日本も外国人(この場合は朝鮮半島と支那しかない)から見た場合に「日の出る方向、扶桑の国」という ことで「日本」と「名づけられた」のではなかろうか?古代支那に日本人(倭人)が行く。当然「どこから来たアルか?」と 問われる。そこで「ワから来ました」と答えた。「ワ?ワとはどこにある国アルか?」と官吏がさらに問う。ワ人は東を指差し 「あの日の出てくる方角にある」と答えたはずだ。なぜならその当時ヤマト(統一政権)という自称はなかったはずだからだ。 それを受けて支那人の外交官は「ああ、日の出る方向にあるのか。日の本にある国なわけアルな」とでも言ったかもしれない。 ここから日本呼称が成立したのだと思う。日の出る、旭日の勢いのある国という尊称、ではなく、外国から見た場合の通称という 意味で日本ができ、それを自称としていったのである。どうだろ?
5 :
世界@名無史さん :2007/01/20(土) 23:37:17 0
933 :世界@名無史さん :2007/01/15(月) 23:42:14 0 “支那”一詞的由來據說是來自於印度的梵文,在梵文的經典中以Shina稱呼中國; 據說是來自於「秦」(chin)發音的轉變。《辭海》解:“梵語謂中國為支那, 亦作脂那、震旦、真丹、真旦、振旦、神丹等”。 《宋史·天竺國傳》:“天竺表來,譯云伏願支那皇帝福壽圓滿”。 據『西域地名』所云:「支那者,梵文边鄙之称,原为雪山以北诸种之名,后以为中国之号。」 而中國的另一代詞「震旦」是即「支那地(Cina Sthana)」之省稱。 『华严经音义』則云:「支那,此翻为思维,以其国人多所思虑,多所制作,原以为名, 即今汉国是也。」如『西域地名』,則支那一詞不帶褒貶之意。如『华严经音义』, 則為對中國人民思虑深沉之美稱 >則為對中國人民思虑深沉之美稱。
6 :
世界@名無史さん :2007/01/20(土) 23:38:46 0
934 :世界@名無史さん :2007/01/16(火) 12:45:38 0 而中國當時的留學生,尤其是反对清朝统治的革命家们,也以支那標誌出身國。 1902年,章太炎等在日本東京發起《支那亡國二百四十二年紀念會》。 1904年,宋教仁在東京創辦了名叫《二十世紀之支那》的雜誌。 另如孫中山的革命伙伴,日本人梅屋庄吉,在辛亥革命成功後在日本發起成立 「支那共和國公認期成同盟會」(此一歷史在廣州黃埔軍校的孫中山紀念館內有記載, 該期成同盟會的匾額亦可見於該地),敦促日本政府承認中華民國,此時的支那也 顯然沒有侮辱之意。 >此時的支那也顯然沒有侮辱之意。 当時の支那に侮蔑の意味が無かった事は、明らかだ。
7 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 00:11:32 0
またスレタイの末尾にキモイものつけてるな。チーってなによ。 杉田かおるの役名か?
次スレはポンか?
パーだろ、案外知識が無い人達なのね
10 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 18:29:27 0
チーといえば、ホワイトチーチーだ
12 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 18:31:23 0
冊封体制と日本
日本列島の勢力は弥生時代・古墳時代から朝貢を行っており、467年には倭の五王である「倭王武」が安東大将軍を、
479年には征夷大将軍の称号を受かるなど冊封国家であった。しかしながら607年、遣隋使(小野妹子)が持参した国書にある
記述「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」は、この体制からの自立を意図したものだとされている。
その後、冊封国家以外とは国交を持たなかった中国との交易を続けたいなどの思惑から、その後も関係を維持するため冊封を受けて朝貢も続いた。
隆盛を誇った唐が滅びた鎌倉時代になってから、冊封や朝貢を意識することはなく日本は独自に軍事力を増強し始め、
次第に日本は独自の道を進んだが、南北朝時代、自勢力の正統性を証明する為に懐良親王などか「日本国王」として冊封を受けた。
室町時代になると、倭寇撲滅など明との貿易を意識した3代将軍足利義満が朝貢して「日本国王」に冊封され、
室町幕府が滅びるまで朝貢形式の勘合貿易が続く。従属的な朝貢形式の貿易は日本のメンツを傷つけるものとして
4代将軍義持の時に一時中断されるが、莫大な利益をもたらした明との貿易と幕府の財政状況の悪化を考慮し、
6代将軍義教の時に再開。国内の商人や倭寇に中国人も多数いたためか明側の要望もあり、その後、室町幕府が滅びるまで続いた。
江戸時代になると冊封体制下にあった琉球を介して、明と貿易をするようになる。
満州族に制圧され掛かった明は徳川家光に援軍を求めたが、家光は断った。 柳川一件、大君一件などを通じ、
江戸幕府及び天皇の日本の冊封体制における立場は曖昧なものであり続けたが、
名実共に冊封体制から離脱したのは明治維新以降と考えられる
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81 (´・ω・`)倭奴は2000年間中国様の属国で冊封体制下にゐたんだから中国様を中国様と呼ぶのは当然だよね
(´・ω・`)倭奴は2000年間中国様の属国で冊封体制下にゐたんだから中国様を中国様と呼ぶのは当然だよね
(´・ω・`)倭奴は2000年間中国様の属国で冊封体制下にゐたんだから中国様を中国様と呼ぶのは当然だよね
(´・ω・`)倭奴は2000年間中国様の属国で冊封体制下にゐたんだから中国様を中国様と呼ぶのは当然だよね
13 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 18:32:10 0
▼よく分かる日本の歴史 ┃ ┃有史以前 : 無人の地。 ┃1世紀 : 倭の奴国中国から金印を授かる。 ┃此頃から日本(倭)は中国(漢)の属国になる。 ┃4世紀 : 沢山の国に分れていた所を百済人が征服、統一。 ┃7世紀 : 中国(隋)の属国になる。 ┃9世紀 : 中国(唐)の属国になる。 ┃17世紀 : 鎖国し世界の孤児となる。(併し中国の冊封体制下) ┃19世紀後半 :日清戦争。一時的に冊封体制から離脱 ┃20世紀前半 : 戦争を繰り返す。お父さんである中国に対し、非道の限りを尽くす。 ┃弱体化した帝政ロシアに勝った事で勘違い、世界に戦争を仕掛けてボコボコにされる。 ┃20世紀後半以後 : アメリカの属国になる。併し中国の冊封体制下にも戻る。 属国なんだから中国様を中国と呼ぶのは当然
14 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 18:33:00 0
ry『彼等(日本人)は中国を支那と呼んでいる。この支那とはどういう意味であろうか、 これは死にかかった人間の意である。これでも分るように彼等の眼中には中国の 存在はないため、我等を中華民族と呼ばないで始終支那といっている。』 このように台湾の中国政府蒋主席が対日戦争中の言論の中にいっているくらいに 「支那」という言葉は中国人を非常に侮べつしたものである。 1952年12月30日朝日新聞学芸欄 劉 勝光 こんな意味の在る名前で呼ぶなんて右翼って最低だよね 日本はずっと中国様の属国だったのに
17 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 18:34:18 0
「シナ(支那)」ということばは、中国古代の王朝の一つ「秦(シン)」が語源といわれ、 英語の「チャイナ」も同じ出所だとされています。日本にも、仏典を通じてこの名称が伝えられ 、江戸時代にしだいに普及し、明治時代にも引き継がれました。 このように、「シナ」は、外国人が中国を呼ぶ用語として、それなりの歴史的根拠をもっています。 しかし、問題は、それが、戦前・戦中、日本の中国侵略と結びついて、中国にたいする侮蔑語として使用されたことであり、 中国国民はこの呼称を拒否しています。当時、日本政府は、「中華民国(中国)」というその時期の正式国号を無視し、 ことさら「シナ」、「シナ人」などと呼んで、中国と中国人をさげすむ態度をとりました。 これは、中国侵略戦争のさい唱えられた「膺懲(ようちょう)支那」(「支那を懲罰せよ」)などというスローガンに端的に示されています。 戦後は、侵略戦争への反省を重要な柱とする憲法が施行され、中国(一九四九年十月以降、 正式名称=「中華人民共和国」)との関係でも、日本は「戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、 深く反省する」(七二年の日中共同声明)ことを確認しています。 こうした歴史の真実を直視すれば、中国を「シナ」と呼ぶことは、単に時代錯誤というだけでなく、 過去の侵略戦争への無反省がその根底にあることは明らかでしょう。 ソース:赤旗新聞
18 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 18:35:20 0
日本では、孫文もかつて「支那」という呼称を使ったことがあるではないかと弁解する人もいる。
孫文は一八九九年、一九〇三年の少数の場合に確かに「支那」という言葉を使ったことがある。
当時は「支那」という言葉がさげすむ意味へと変わる初期にあったことも理由の一つとしてあげられよう。
一九〇五年以後、「支那」のさげすむ意味が逐次濃厚になり、そのときから孫文は二度と「支那」を使わなくなり、
そのかわり「中国」を用いるようになった。もう一つの理由は、孫文は革命者として、「支那」は清王朝と等しいと考え、
「中国」はその革命を進めて樹立をめざす中華民国であり、中華民国の建国以前「支那」と呼称したのは清王朝を指すものであって、
辛亥革命後、「中国」と改称した。
http://kyoto.cool.ne.jp/jiangbo/china/edu/edu004.htm 国士様がシナを使いたがるのはなぜ?
地域名ならなぜ政治の話題で好んで使う?
現在の政治関連なら現体制が絡むことでもあるし、現国名でないと誤解が生じやすくなるだろう。
国名なら国境線がほぼ確定した国家を指す名詞として機能するが、地域名では国家を指す名詞として不十分だ。
それに二十世紀前半の中国史を語ってるわけでもないだろう国士様は。
※ネトウヨは蔑称らしいので国士様にしました。
>>14 原典は↓
日本為要併呑我們中國,而須先征服俄羅斯,吃下美國,擊破英國,
才可這到他的目的,這是他們早已決定的國策。他叫我們中國叫「支那」,
這「支那」兩字,照日本話是什麼意義呢? 就是半死人!
可知他眼中就沒有我們中國,所以不稱我們中國為中華民國,
而始終叫我們為「支那」。其次,他叫俄國叫什麼呢?他叫「露西亞」,
露是雨露的露,這個「露」字,是表示什麼意義呢?他就是自比日本為太陽,
將俄國看作是露水,太陽一照到露水,那露水馬上就要乾!
由此可見日本的國策,早已決定,他非消滅俄國不可。
再看他叫美國叫甚麼呢?我們是叫「美利堅」,而他日本則叫「米利堅」,
亦叫做米國。米原來是人們一種必需的食糧,他拿這個字來叫美國,
意思就是決心要把美國吃下去!
"抵禦外侮與復興民族 ─中華民國二十三年七月十三日對廬山軍官訓練團講─”
913 :世界@名無史さん :2007/01/10(水) 20:29:38 0
>896の大意は「支那を侵略し、英米と肩を並べた日本が半死人=支那として
見下したのはけしからんアル」といったいつもの反日内容。アヘン戦争時の
尊大な中華思想が抜けるのはいつになるやら。
915 :世界@名無史さん :2007/01/13(土) 20:41:51 O
>>913 ありがとう
>>895 に記されている抄訳は知られたところだけど、
>>896 は訳されていない部分を含んでいる。
ロシアやアメリカに言及しているらしいその未訳部分を知りたかったんだ
916 :世界@名無史さん :2007/01/13(土) 22:26:38 0
全く支那語の分からん香具師が口から出任せの大意を述べたり、それに礼を言ったりするスレはここですか?w
>>915 次に彼らはロシアを何と呼んでいるか?「露西亜」と呼んでいる。露は雨露の露、この「露」の字はどのような意味を表しているか?彼らは日本を太陽に比しており、ロシアを露と見なしている。ひとたび太陽が露に照れば、露はたちまち乾いてしまう!
このことから日本の国策は、ロシアを消滅しないのは不可であるとつとに決定するものと見られる。
さらに彼らはアメリカを何と呼んでいるか?我々は「美利堅」と呼ぶが、日本は則ち「米利堅」と呼び、また米国と呼ぶ。米とは元々人間に必要な食料であり、彼らがこの字を使ってアメリカを呼ぶのは、アメリカを呑み下してしまおうとの決心の意味である!
支那
梵語に.漢國を支那泥舎(.ナテイシャ)といへり.この泥舎は.中國といふを
麼駄也泥舎(マダヤテイシャ).天竺國を[口皿]怒泥舎(キドテイシャ)などいふを見れば.國といふ
ことゝ見ゆ.支那(シナ)は按(オモフ)に晉の字音なるべし.佛書の初
て唐山(モロコシ)へ来たるは.後漢明帝の時なりといへども.盛(サカリ)に
行(オコナ)はれたりしは.晋代より六朝の間.天竺の僧等おほく来
て.専ら翻譯のわざをせしことゞも見ゆ.今こゝにも
人の尊(タフト)むめる.法華経は晋の鳩麼羅汁(クマラジフ)といひし僧
の翻訳せしなり.されば.晉字を梵音にうつして支那
といへるなるべし.晉は舌内声の字にて.門を摩那.文を
謨尼といふにおなじ.又按に.八字三昧經に.於此瞻部洲東
北方有國名大振郡云々.この大振郡は.大秦にて.大支那
といはむがごとし.漢書張騫傳に.益發使抵安息奄蔡
犂軒條支身毒國云々.とある註に.師古曰自安息以下五
國皆西域胡也.犂即大秦國也といへり.是によりて見れ
ば.本は秦字の音にや.されど秦晋ともに舌内聲なれ
ば.義は違(タカ)ふ事なし.また震旦とも書(カケ)り.是も支那と同
じ.那字の漢音ダなれば.シダとも.シナとも轉るなり.震
旦の二字.共に舌内聲なれども.韻を省(ハブ)きてシダと呼(ヨ)
べるなり.今俗シンダンと唱(トナ)ふるは僻事(ヒガコト)なり.是らは.御
國言(ミクニゴト)にわたらぬことなれども.天竺の音は御國(ミクニ)の音と
いとちかく.脣舌内の韻などのさま違(タガ)ふ事なければ.
因(チナミ)にいふなり.御(ミ)國にても信濃をシナヌ.雲梯をウナ
デ.民太をミノダ.雲飛をウネビなと訓るがごとし.此
雲民信等の字は.文欣真諄等の韻にて.共に舌内
聲なり.
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/ingaku/yojirei/07.JPG http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/ingaku/yojirei/08.JPG
<支那呼称問題についての参考文献> 支那は悪い言葉だろうか(文春文庫『本が好き、悪口いうのはもっと好き』所収)高島俊男著 「支那」の発生から消滅まで(第一書房『中国留学生史談』所収)さねとう けいしゅう著 絶版 『ホントのはなし』(小学館文庫)呉智英著 『日本人と中国人』(祥伝社)イザヤ・ペンダサン著 『日本とシナ―1500年の真実』(PHP)渡部昇一著
27 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 18:49:28 0
ヒステリーで優しい時は、非常に優しく、こわい時は、非常にこわい、佐々木先生に變つてから、 慧眞はめつきり幼稚園へ行きたくなくなつた。バスケツトを下げて、 「イツテマヰリマス」を云ふ時ももとのやうに、はしやがなくなつた。 「どうしたの?チビちやんは、此の頃餘り幼稚園へ行きたくないやうね。何か嫌な事があつたの?」 と玉華が心配そうに聞いても只小さい聲で、 「ダツテ今度の先生、とつても嫌なんだもの」と云ふばかりであつた。慧眞の一番嫌なのは、先生が時々 「みんなはヨイコですから、支那人のやうに惡いヒトになつては不可ませんよ。」 と云ふことであつた。「支那人のやうな惡い人」と云ふ言葉が幼い慧眞の胸にも鋭どく突き指すのだつた。 淋しい日が幾日か續く。 『漂浪の小羊』陳將蛛@戦後初期台湾文学叢刊1 南天書局
28 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 18:52:38 0
「お前、支那ポコペンだらう。」大將らしい大きな男の子が云ふ。慧眞はあまり突然なので、呆氣に取られた。 「チヤンコロ!」「チヤンコロ!」イタヅラツコは口々に叫んで、忽ち慧眞を圍んだ。 「あんた達はどうして其んな事を云ふの、私は何も云はないのに……」慧眞は激して云つた。まはりを圍んだ男の子達の中で、 一人が、「お前は支那人だからさ、ポコペンだからさ」と落ち着き拂つて云ふ。 「ポコペンなんて云ふものぢやないわ。ちやんと中國人つてお云ひなさいよ。」 「何生意氣云つてゐるんだい。馬鹿野郎!」鼻垂れ大將は、棒を持つた方の手をサツと高く上げた。 と潮の寄せるやうに三十人位の、イヂメツコ部隊の伏兵が押し寄せて來た。 「デ!ンデンデン」「チヤンコロ!」「支那の敗殘兵!」 さあ大變だと慧眞は思つた。幾らこちらが正しくても、一人對三十五人では話しにならぬ、しかも敵は男の子である。 『漂浪の小羊』陳將蛛@戦後初期台湾文学叢刊1 南天書局
29 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 18:54:02 0
30 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 18:56:29 0
31 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 18:58:36 0
漢口北端の坦々とした九キロの道を、私は鶏を背負い、支那兵(ツンコピン)の捨てて行った 日傘を拾って、秋の陽をさけながら、歩いたのですけれど、白い蝶々が二つ三つ、進軍してゆく 兵隊さんの頭上をひらひら飛んでいたのをおもい出します。 『戦線』林 芙美子 S13.12.15 朝日新聞社 H18.7.25 中公文庫
32 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 18:59:58 0
こんな処で病気になりたくないと思います。 私はこんな支那の片田舎の歴史なんか知りもしませんし、知ろうともおもいません。 たとえ、ここで孔子が生まれ、李白が生まれていたにせよ、私の知ったことではないでは ありませんか。私はこんな汚い土の上に死にたくないと思います。ry 母さん(ムーチン)!母さん!私はこのごろ覚えた支那の子供の母を呼ぶ声を真似て、 あんまり苦しいので、母さん!母さん!と呼んでみます。梅干を溶かした舌の切れる ような熱い茶を持って来て下さい。ああありがとう、私はふうふう茶碗を吹く真似をして、 梅干を舌へ転ばしています。渦巻くような酸味が舌の上へ湧きあがる。 私は眼がまいそうにうれしいのです。 『戦線』林 芙美子 S13.12.15 朝日新聞社 H18.7.25 中公文庫
33 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 19:01:42 0
戦線は苦しく残酷な場面もありますが、また実に堂々とした、切ないほど美しい場面も豊富にあるのです。 私は、或る部落を通る時に、抗戦してくる支那兵を捕えた兵隊のこんな対話をきいたことがあります。 「いっそ火焙りにしてやりたいくらいだ」 「馬鹿、日本男子らしく一刀のもとに斬り捨てろ。それでなかったら銃殺だ」 「いや、俺は田家鎮であいつの死んでいった姿を考えると、胸くそが悪くて、癪にさわるんだ……」 「まァいい一刀のもとに男らしくやれッ」 捕えられた中国兵は実に堂々たる一刀のもとに、何の苦悶もなくさっと逝ってしまいました。 私は、この兵隊の対話を、どっちもうなずける気持ちで聞いたのです。こんなことは少しも残酷なこと だとは思いません。あなたはどんなにお考えになりますか。こう言う純粋な兵隊の心理も解って戴きたく おもいます。戦死して行った戦友への激しい思いは、こうした場合の兵隊の心を、 『戦線』林 芙美子 S13.12.15 朝日新聞社 H18.7.25 中公文庫
34 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 19:02:30 0
私は戦線へ来て思うことは、内容空疎な急ぎ足の日支親善はまっぴらごめんだということでした。 極端に言えば、日支親善なんかいまは早いとさえも思ったりしますがどうでしょうか…… 『戦線』林 芙美子 S13.12.15 朝日新聞社 H18.7.25 中公文庫
35 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 19:03:26 0
シナモンの「シナ」をハングルで書いてみると시나となります。 これを分解するとㅅㅣㄴㅏになるね。これが実は ㅅ=s ㅣ=i ㄴ=n ㅏ=a とそれぞれ対応しているわけ。
36 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 19:05:18 0
われわれが(なぜそう言うのか理由も根拠も知らぬままに)、チナ(27)と呼びならわしてきたこの国は、 周辺諸国の人たちからはサングレイ(28)と呼ばれ、またチナ人自身の言語ではタイビンコ(大明国)という。 タイビンコとは王国というほどの意味にすぎない。 『シナ大王国史』大航海時代叢書Y(岩波書店)ゴンサーレス・デ・メンドーサ著 長南実/矢沢利彦訳1965/12 Ioan Gonzalez de Mendoca,"Historia de las cosas mas notables,ritos y costumbres del Gran Reyno de la China, ssabidas assi por los libros de los mesmos Chinas,como por relacion de religiosos y otras personas que an estado eo el sicho Reyno",Roma,1585.
37 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 19:06:03 0
(27)「この極東の国はわれわれヨーロッパ人にはいろいろの名称で知られてきた。 もっとも古い、すなわちトロメオ[プトレマイオス]時代の呼び名はシナSinaであり、 ついでタメルラン[通常ティムールをさすが、ここでは蒙古]時代には、 後述するところによって明らかなように、マルコ・ポーロによってカタイオCataioという名で伝えられている。 しかしこれらの期間を通じてもっとも著名な名称はチナChinaという名である。 この名は長い危険な航海の末にこの国に到着し、その極東地域、すなわち広東省で通商に従事しているポルトガル人が創始したものである。 われわれイタリア人やそのほかの国民はこれをキナChinaと呼ぶのだと思っているが、 これはエスパニャ語の発音と綴字法とに誤られているためであって、 エスパニャ語の口語ではニ、三の文字の場合、ラテン語式の発音法をとらないのである」 (Ricci,op.cit.,vol.I,pp.7-9) 『シナ大王国史』大航海時代叢書Y(岩波書店)ゴンサーレス・デ・メンドーサ著 長南実/矢沢利彦訳1965/12 Ioan Gonzalez de Mendoca,"Historia de las cosas mas notables,ritos y costumbres del Gran Reyno de la China, ssabidas assi por los libros de los mesmos Chinas,como por relacion de religiosos y otras personas que an estado eo el sicho Reyno",Roma,1585
38 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 19:06:44 0
(28)西洋の諸学者の間ではこの名の起源についてさまざまの意見がある。 かれらはおおむねこの語を中国語起源としているが、ボクサーはこれに反対してタガログ語起源であろうとし、 フィリピン諸島に来たエスパニャ人は原住民から聞いたこの語をもって、 中国人なべて、ことに福建省から諸島にやって来るものを呼んでいたが、 十七世紀には次第にフィリピン諸島に居住する中国人を意味することになったとしている。 なおボクサーがマニラで手に入れた一五九〇年ごろの文書に中国人の男女を描いた図があり、 この絵の上部には「Sangley 常来」と説明が書いてある。 (Boxer,op.cit.,p.260)アビラ・ヒロン『日本王国記』大航海時代叢書]T 『シナ大王国史』大航海時代叢書Y(岩波書店)ゴンサーレス・デ・メンドーサ著 長南実/矢沢利彦訳1965/12 Ioan Gonzalez de Mendoca,"Historia de las cosas mas notables,ritos y costumbres del Gran Reyno de la China, ssabidas assi por los libros de los mesmos Chinas,como por relacion de religiosos y otras personas que an estado eo el sicho Reyno",Roma,1585
837 :世界@名無史さん :2006/11/19(日) 23:56:59 0
>>833 >>835 石原慎太郎は楊振亞・第五任駐日大使から、
シナという言葉を使うのは全然構わないが、
漢字に当てはめて「支那」と書かれるのは困ると言われたそうだ。
「支那」はまったく意味のない当て字で、支那人にとって迷惑かつ不愉快なので、
漢字を止めてくれれば結構だと言われたらしい。
石原慎太郎がこのはなしを「Noと言える中国人」の著者・張蔵蔵にしたところ、
それは楊大使個人の考えで、大部分の支那人は異なった考えを持っていると即座に反論されている。
「日中激突 −Noと言えるのはどっちだ」『文藝春秋』1997/11月号 新潮文庫版「Noと言える中国」(莫邦富編訳)再録
はっきりと支那共産党が明文化してるわけじゃなくて、個人個人のものさしででたらめに判断してるんじゃないの?
「学問板」としてはいうならば ・支那という単語に差別的な意味は無い ・支那の由来はサンスクリット語で秦がなまったもの ・現在欧州で使われている「シナ大陸」を表す単語はチャイナ、ヒーナ、チーノなど秦を元にしたものと、 キタイ、ヒタイなど契丹を元にしたもののニ系統 ・「中華民國」「中華人民共和国」の短縮としての「中國」「中国」は現代の国名であり、殷以来の国家を表すには不適切 ・ただし礼記などにも「中国」が中原国家の美称として使われた形跡はあるのでそれをもとにMiddle Kingdomの意で「中国」というのは問題ない ・仮に地理的にあらわすならば中原、China properの意味として「支那(シナ)」がふさわしい 以下はスレ違いであり論外 ・「中共が日本に中国呼称を押し付けるのは暴論だ!」→中華民國KMTが日本に中国呼称を押し付けるのならいいのでしょうか?スレ違いです ・「中国呼称を公務員に義務付けているのは中共の横暴であり政府がヘタレだ!」 →中国呼称を公務員に義務付けたのは1946年7月の中華民國日本占領團の命令です ・「支那は右翼の言葉だ!」→右翼の定義は個人個人で違います。「中国様」と呼ぶ自虐的な右翼もいます ・「tu-ka、一般的にはもう『中国』が普及してるんだし中国でいいじゃん」→そうかもしれませんがここでは学問板のみとしての議論です ・「でも軍国主義時代に支那って呼んでたんだから差別の意味があるでしょ!」 →1930年10月日本政府は外交文書での「支那」呼称の撤廃と「中華民國」の使用を閣議決定しました。 ⇒さらに南京維新政府(汪兆銘政権)に対しては、段階的に日本国内での「支那」呼称廃止も約束しています。 →支那に差別の意味はないのに、戦前の軍部も政府も誤った善隣外交を繰り広げていたようですネ お人よしすぎます! ・「大体『中華』人民共和国の略で中国なんて認めたら中共の中華主義を認めることになるでしょ!」 →『中華』民國の略の中國を認めて、台湾の正当中華、中華復興運動を支持しましょう。実害がないので、楽ですよ ・「中国って言葉を聞くと虫唾が走るから許せない!!」→支那と呼びましょう ・「支那、中共って言葉を聞くと虫唾が走るニダ。アイゴーーーーーーーーーーーーー」→共匪、ゴキブリと呼びましょう
42 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 19:35:20 O
なら脂那でおk?
我一向喜愛吃油膩食物 我れ一向して油膩し食物を喫することを喜び愛せり ウォイーシャン シーアイチー ヨウニーシーウー 為什麼在現在 却説不能 現在にありて却ってあたわずというを甚だあやしむなり ウェイシェンマ ザイシェンザイ チュェシュオブーノン 難道年紀大了 就不能像従前 年紀大にしてすなわち従前のごとくあたわずとはいい難し ナンダオニィェンジーダーリャオ ジウブーノン シャンツォンチエン 假装不幸福 做不到 幸福にあらずと偽り装うをなすはいたらざる ジャーチュワンブーシンフー ズオブーダオ 是因為"黒烏龍茶”改変了我 これ黒ウーロン茶がためによりて あらためかわりし我れ シーインウェイ “くろうーろん” ガイビエンリャオウォ 譲我イ門 品嘗着 油的香濃 我らに譲り給え 油のかぐわし濃しを甞んことを ランウォメン ピンチャンジャ ヨウダシャンノン 没恋愛 没有油 人生不敢想 恋もなけり 油もなけり 人の生くるに敢えて想わざる メイリエンアイ メイヨウヨウ レンションブーガンシャン 那雟不是 太無味 それすべてあらざりし およそ味なきなり ナーチィーブーシー タイウーウェイ
44 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 20:15:42 0
>>1 乙だけど、なんで「世界史板の猫娘」止めちゃったの?
チーってなんだよ、チーってw 地井武男か?w
俺は"雪恥(せっち)"を薦めたんだがな。 次スレは、なぜ学問板なのに支那と表記しない?くるくる。パー
47 :
世界@名無史さん :2007/01/21(日) 21:44:28 0
加えて宋代になりますと、禅院でも、「今上皇帝万歳万歳万々歳」なんていうことを申しました。 これは古い時代の仏教者の立場とは違うと思うんです。たとえば廬山(中国江西省南康府。中国浄土宗 の聖地)の慧遠の「不敬王者」という言葉は、帝王に対してお辞儀しなかったことですね。 その態度で通しましたから、彼は廬山から外へは出なかったわけです。それは古い仏教者の立場を 示す一つのしるしでございますね。 それから、唐までの仏教者はインドに対する絶対の崇敬の気持がありまして、たとえば玄奘三蔵が 「中国」といった時にはシナのことじゃないんですね。あれはがんジス川の流域のことなんです。 そして自分の国を「秦土辺地」といってるんです。正法という点から見ると、理想の国はあちらにある、 こっちははしっこだから、ほんとうの教えを求めたいと思って、命がけでインドに巡礼にいったわけです。 仏典で中国と申しますと、今申し上げたように大体ガンジス川の流域のことなんです。 バラモン教の法典でいう場合の「中国」は、ガンジス川とジャムナー川の、ちょっと上流のほうなんです。 つまりガンジス川の中流地帯に仏教が出て、新しい文明が興ったわけでございましょう。 そこが世界の真中だと思っていますから、漢民族の仏教者は素直に受け継いでインドからの宗教に 驚嘆していたわけです。 ところが宋代になると違いますね。禅僧でも、「中華」という言葉を使っていますでしょう。 自分の国が中心だという、ある意味では漢民族の伝統的な概念を受けているわけでございますね。 そして、それが宋代の国家権力あるいは世俗的な支配権力というものと結びついていたと思います。 『濁世の仏教 〔仏教史講義〕』 中村元+水上勉 1980/4/25初版 (朝日出版社)
48 :
世界@名無史さん :2007/01/22(月) 01:26:38 0
また「日本は支那の冊封に入ったアル!」ってデタラメ歴史のコピペしてやがる・・ ここは支那共産党も見ているのか?
49 :
世界@名無史さん :2007/01/22(月) 05:59:15 0
共産党の言うことをきかないと臓器売買のために殺されたり味の素の原料にされちゃうので。
50 :
世界@名無史さん :2007/01/23(火) 00:19:15 0
唐代までの仏教の学問というのは、どっちかというと体系的ですね。 達磨大師に帰せられている二入四行の論でも、かなり体系的で、インド的なんです。 ところが、唐末に五代の乱(九〇七-九六〇 唐の滅亡から宋の統一にいたる分裂・抗争の時代)がございましょう、 そうするともうすっかりお寺は荒れはててしまい、経典はどこに行ったかわからなくなる。 そこで難しいインド的な教義の体系を離れて、中国風のとらえ方をする。そこから禅問答が出てきたと思うんですね。 意表をつくような禅問答というのは、割合、宋代のものが多うございましょう。 唐代のものを見ますと論理があるんですよ。たとえば言葉では言い表せないということにしても、 それはそれで一つの論理であり得るわけです。「極大は極小と同じ」なんていうのは、西洋でいったら、 コインキデンツィア・オポジトールム(相反するものの一致)と申しますが、 そういう形式論理を超えた一つの論理が唐代の禅問答にもあるわけです。ところが、宋代の禅問答を見ますと、 これは私なんかにはわかりませんですわね。自由奔放になって、その代わり銘々の人の 生活や体験に即して禅を生かそうとしたというふうに、かなり変わってきたような気がするんでございます。 『濁世の仏教 〔仏教史講義〕』 中村元+水上勉 1980/4/25初版 (朝日出版社)
51 :
世界@名無史さん :2007/01/23(火) 00:49:18 0
52 :
世界@名無史さん :2007/01/29(月) 19:45:09 0
「欧米がchinaと使っているのだから、日本もシナと言っていいはず」という主張への反論としては、
言葉は文脈によってその意味を全く違えるのであって、日本語における支那と欧米の言語におけるchinaは全く意味が異なるという意見もある。
ただし逆に言えば日本語の文脈上で支那を尊敬すべき呼称として使用されている例もある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E9%82%A3 なんかちょっと前と記述が変わってるけど未だに意味不明な文章だな
もてない男がからんでるんジャマイカ
54 :
世界@名無史さん :2007/02/05(月) 23:57:50 0
>>26 追加
『貝と羊の中国人』加藤徹(新潮新書)
「中国に「『支那』は差別語だ」と言われたら」小谷野敦 『歴史の嘘を見破る』中嶋嶺雄編(文春新書)所収
後者は、以前の「晴れときどきラディカル」などの主張に比べ、だいぶ2ちゃんに毒されたと思う。
以前の作品の、呉智英「支那=China」主張の起源を1981年とした箇所は参考になった。
55 :
世界@名無史さん :2007/02/06(火) 00:03:07 0
普通に専ブラ入れればいいと思うが
57 :
世界@名無史さん :2007/02/11(日) 12:05:38 0
Shina (支那, Shina? シナ); IPA: [?ina]) is a Japanese term that is viewed by most Chinese people as a highly offensive racist term for China. Originally a word used neutrally in both Chinese and Japanese, the word gained a derogatory tone due to its widespread usage in the context of the Second Sino-Japanese War. racist term for China. (´・ω・`)ここの倭人はひどいね
58 :
世界@名無史さん :2007/02/11(日) 18:24:11 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
古代支那では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
……もしかして鼎は金属製でなければならないのか? リンク先読んでないけど
61 :
世界@名無史さん :2007/02/24(土) 08:15:29 0
>>52 >言葉は文脈によってその意味を全く違えるのであって
墓穴を掘るというやつだね。それなら肝心の「中国人」だって犯罪報道で使われたらまさに
「言葉は文脈によってその意味を全く違えるのであって」という法則に当てはまって別称に
なってしまう。
62 :
世界@名無史さん :2007/02/24(土) 12:55:14 0
エゲレスの女王はアヘン戦争に心を痛めることはなかったのだろうか?ふつうに考えて どこかの国の人々を麻薬漬けにして、その麻薬を買わなかったから戦争って最悪じゃん。
63 :
世界@名無史さん :2007/02/25(日) 19:46:58 0
>>62 イギリス女王は他にもあたまを痛めることが数多くあったと推察される。
その一つが、当時支那からイギリスが「夷」と呼ばれていたことであった。
イギリス人代表は「夷目」、イギリス領事館は「夷館」。
これは、大英帝国臣民にとって耐え難い屈辱ではなかったか。
第二次アヘン戦争(アロー戦争)の結果、イギリスはこの不平等をやっと返上したと言われている。
イギリスが国家間の対等を回復した条約文は以下。
"Treaty of Tien-Tsin between the Queen of Great Britain and the Emperor of China"
LI. It is agreed, that henceforward the character "I" ('barbarian') shall not be applied to
the Government or subjects of Her Britannic Majesty, in any Chinese official document issued by
the Chinese authorities, either in the capital or in the provinces.
<中英天津條約>
第五十一款 一、嗣後各式公文,無論京外,内叙大英國官民,自不得提書夷字。
(日本語訳)
爾今英国女王陛下の政府もしくは臣民に対し、首都または地方に於ける清国官憲の発せる
清国公文書に於いて「夷」の文字を使用せざるものとす。
64 :
世界@名無史さん :2007/02/25(日) 19:52:03 0
>>62 蒋介石も毛沢東もアヘンで荒稼ぎしてたし、
ビルマやマレーで華僑がやってることはイギリス商人とまったく同じ。
心を痛めるどころか、現在でも現地人を使役して麻薬漬けにしている。
65 :
世界@名無史さん :2007/02/25(日) 21:34:52 0
>>63 どうでもいいがイギリス人も支那人を見下していたから(香港なんかでは狗と支那人
立ち入るべからずなんて立て札があったんだっけ)、一方的に白人の肩を持つべきではないよ。
>>65 ブルース・リーの映画ではその立て札は租界時代の上海で日本人が立てたことになっている。
黄埔公園。イギリス植民地時代の香港では直接イギリスを悪者に出来なかったので日本を悪役に
したのだが、残念なことにあの映画を本当のことだと信じてしまった人間も少なくないようだ。
一方的に白人の肩を持つわけではないが、日本人としてはやはり支那人の肩を持つわけにはいかないだろうな。
774 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2005/05/13(金) 00:18:57 0 『犬と中国人入るべからず』という看板が上海の日英仏共同租界の公園に 日本人によって立てられたと言われるが、立てたのは イギリス人。 件の看板は、1868年建設された英国人用公園に立てられた看板を参考。その内容も直接的ではなく 「その1、犬と自転車は不許可」・・・「その5、外国人に従 う従僕以外の中国人は不許可」 と6項目の公園規則の一部を抜き出し、合成した物。 なぜ間違った内容で、世界中(含む日本人)で日本人が立てたことになっているかというと 世界的ヒットした映画「ドラゴン怒りの鉄拳(精武門)」で、そうなっていたため。
>>67 そのシーンは今もyoutubeでばらまかれているかもな
69 :
世界@名無史さん :2007/03/04(日) 10:48:30 0
wikipediaで「東シナ海」の項を見たけど、「シナを蔑称だとする人は『東中国海』と呼ぶ」って。 もうどこまで三跪九叩したら気がすむねんw
70 :
世界@名無史さん :2007/03/04(日) 18:09:14 0
>>69 インドシナはインドチャイナらしいぞw
オランダ語やポルトガル語は駄目で
英語で言わないと駄目らしいwww
71 :
世界@名無史さん :2007/03/06(火) 22:41:02 0
英語のChinaは梵語のシナスタンだろ。 もう支那共産党と日本の社民党なんかが言ってるシナってなんのことなんだろう?
72 :
世界@名無史さん :2007/03/08(木) 03:39:12 0
アヘン戦争は侵略戦争だったのかね? あの後、清は半植民地状態に
支那が仏典からきているなら他の仏教国例えばタイとかはどのように呼称しているのでしょう?
74 :
世界@名無史さん :2007/03/10(土) 22:58:31 0
>>73 支那は支那の漢訳の仏典から来ている
サンスクリットやタイでは違う言葉でしょ
75 :
世界@名無史さん :2007/03/12(月) 02:56:44 0
サンスクリットではチーナchi-naだよ。 インド文化圈の東南アジアあたりは当然同じでしょう。 「支那」を使わせてもらえないのは、支那朝貢体制に組み込まれてた朝鮮と 越南と日本だけでしょう。 つまり今でも朝貢意識を維持してるわけよ。
76 :
世界@名無史さん :2007/03/12(月) 06:06:02 0
日本は冊封に入ってないっての。 将軍や時の権力者程度じゃダメだ。 天皇自身が入らなければ意味がない。
77 :
世界@名無史さん :2007/03/12(月) 07:56:00 0
78 :
世界@名無史さん :2007/03/12(月) 07:56:28 0
>>76 そもそも天皇が実権を握っていた時期は、遣隋使、遣唐使の時期だけだよね
(日宋貿易は私貿易だったし)。中国は対等な貿易など認める訳が無い。
それでやったのが、遣唐使による国書偽造
79 :
世界@名無史さん :2007/03/13(火) 02:41:36 0
>>76 どっちにしろ、支那側では朝貢させてるつもり。
だから日本朝鮮越南にだけ「中華」を強制する。
他の国は全部「チーナ」と呼んでOK。
今のインドもサンスクリットと同じでチーナと呼ぶだろ多分。
だって中国って呼びようがないじゃん。
もちろんインドの英語でもチャイナ、つまりチーナ。
80 :
世界@名無史さん :2007/03/14(水) 07:57:37 0
つーか支那の歴史なんて負け惜しみの記述でしかないだろ。 あと100年後くらいには「大英帝国には香港を租借させてやった。暴に徳を 以て対処したので礼に合している。その後愚かにも大日本帝国が5か条の要求を 清に課したが、大したことはなかった」 とかさ。
81 :
世界@名無史さん :2007/03/14(水) 08:13:14 0
5か条の要求???
82 :
世界@名無史さん :2007/03/14(水) 08:38:25 0
21か条の要求となっているのは戦後の話。 五箇条の要求を21に細分して21か条の要求と言う風に誇大化させた。 南京大虐殺6000万人なんかと同じリクツ。
83 :
世界@名無史さん :2007/03/20(火) 15:45:36 0
遼・・ポルトガル・イスパニア 金・・オランダ・イギリス モンゴル・・アメリカ・ロシア 北宋・・清朝 南宋・・民国
84 :
世界@名無史さん :2007/03/23(金) 20:42:48 0
85 :
世界@名無史さん :2007/03/24(土) 23:00:37 0
ウソなんていずればれるものさ。南京大虐殺みたいに。 ウソで成り立っている国なんて、工法を間違った建築物みたいに 高く大きくなればなるほどその矛盾も大きくなって、大々的に ウソをごまかさなければならないもの。 アメリカのCIAやソ連のKGBや支那の情報工作がそれにあたる。 こういう国は倒れたときが恐ろしいねえ。
86 :
世界@名無史さん :2007/03/24(土) 23:46:41 0
アメリカは倒れないからばれないだろ
倒れないって事は無いが、 そのとき日本が共倒れするか、 別の国に付いているか、 そもそも存在しているか、は別
88 :
世界@名無史さん :2007/03/29(木) 21:40:31 0
あと数十年後の歴史教科書にはアメリカ帝国の領土として日本列島が同じ色に されてると思うよ。それか海外植民地として紹介されてるだろうね。
↑コードギアスでも見てトチ狂ったのか?(プ
90 :
世界@名無史さん :2007/04/01(日) 18:34:27 0
91 :
世界@名無史さん :2007/04/01(日) 22:35:15 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
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http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
英語 Taiwan アフリカーンス語 Taiwan ブルトン語、ブルターニュ語 Taiwan カタロニア語 Taiwan ウェールズ語 Taiwan デンマーク語 Taiwan エストニア語 Taiwan バスク語 Taiwan フィンランド語 Taiwan フリジア語 Taiwan フリウリ語 Taiwan スコットランドのゲール語 Taiwan ハウサ語 Taiwan イボ語 Taiwan インターリングア Taiwan イタリア語 Taiwan ドロミテ・ラディン語 Taiwan オランダ語 Taiwan ノルウェー語 Taiwan オック語 Taiwan ポルトガル語 Taiwan ロマンシュ語 Taiwan ルーマニア語 Taiwan シチリア語 Taiwan スロバキア語 Taiwan 北方サーミ語 Taiwan スワヒリ語 Taiwan スウェーデン語 Taiwan ワロン語 Taiwan
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97 :
世界@名無史さん :2007/04/02(月) 00:47:45 0
http://www.geonames.de/coucn.html こっちやろ
eng / arg / ast / cos / glg / ina / nld / nor / oci / por / roh / ron / spa: China
dan / fao / hrv / sqi / swe: Kina
bre / fry / lat / mlg: Sina
cat / nah / tet: Xina
ita / jav / scn: Cina
ces / slk: ?ina
deu / ltz: China / China
est / vor: Hiina
fra / wln: Chine
hun / isl: Kina
kin / run: Ubushinwa
kur / zzz: Cin / ???
smo / tpi: Saina
afr: Sjina; China
aze: Cin / Чин
bam: Sini
bos: Kina / Кина
cor: Cheyna
csb: Chine
cym: Tsieina; Tseina
epo: ?inujo; ?inio
eus: Txina
fin: Kiina
fur: Cine
gla: Sina; Siona
gle: An tSin / An tSin
glv: Yn Cheen
hat: Chin
98 :
世界@名無史さん :2007/04/02(月) 00:48:18 0
hau: Sin; China haw: P?k?; ??ina; Kina ibo: Chaina ind: Cina / ????; Tiongkok / ??????? kaa: Qy'tay / ?ытай kmr: Cinistan / Чиньстан / ???????; Cinistan / Чинистан / ???????? kon: Tsunkwo lav: ??na lim: Sjina lit: Kinija lld-bad: Cina lld-grd: China; Cina mfe: Lasinn mlt: ?ina mol: China / Кина mri: Haina msa: Cina / ???? nds: Kina / Kina pol: Chiny rmy: ?ina / ???? slv: Kitajska sme: Kiinna; Giinna som: Shiina; Shiine swa: Uchina tah: Taine tat: Q?tay / Кытай tgl: Tsina ton: Siaina tuk: Hytay / Хытай tur: Cin
ヒンディー語 ताइवान (Tāivān); तायवान (Tāyvān); तैवन (Tævan); टाइवान (Ṭāivān) ベンガル語 তাইওয়ান (Tāioyān) パンジャブ語 ਤਾਈਵਾਨ (Tāīvān) マラヤーラム語 തയ്വാന് (Tayvān) タミル語 தாய்வான் (Tāyvāṉ); தைவான் (Taivāṉ) 國語/普通話 臺灣 / 台湾 (Táiwān) 広東語 臺灣 / 台湾 (Tòihwāan) 日本語 台湾 (Taiwan) ハングル 대만 (Daeman) チベット語 ཐའེ་ཝན (Tʰa'e.wan); ཐེ་ཝན (Tʰe.wan); ཐའི་དབན (Tʰa'i.dban); ཐའི་ཝའན (Tʰa'i.w'an)
100 :
世界@名無史さん :2007/04/02(月) 00:49:35 0
uzb: Xitoy / Хитой; Chin / Чин ven: Tshaina vie: Trung Hoa; Trung Qu?c vol: Tjinan; Tsyinan wol: Ciin xho: iTshayina zha: Cunghvaz zul: iShayina chu: Китаи (Kitai); Ср?диняне (Sr?dinjane) abq / bul / che / chm / chv / kbd / kjh / kom / kum / oss / rus / udm: Китай (Kitaj) alt: Кыдат ?ер (Kydat d'er); Китай (Kitaj) bak: ?ытай (Qytaj) bel: К?тай / Kitaj kaz: ?ытай (Qytaj) kir: Кытай (Kytaj) krc: Къытай (Qytaj) mkd: Кина (Kina) mon: Хятад (?jatad); Дундад улс (Dundad uls) srp: Кина / Kina tab: К?ит?ай (?i?aj) tgk: Чин (?in) / ??? (??n); Хитой (?itoj) / ???? (?it?y) tly: Чин (?in) tyv: Кыдат (Kydat) ukr: Китай (Kytaj) ara: ????? (a?-??n) ckb: ??? / Cin fas: ??? (??n) prs: ??? (??n)
ゾンカ語 ཏའི་ཝཱན (Ta'i.wān) タイ語 ไต้หวัน (Tái[h]wân) ラオ語 ໄຕ້ຫວັນ (Tái[h]wân) クメール語 តៃវ៉ាន់ (Taivan) ビルマ/ミャンマー語 တုိင္ဝမ္ (Taĩwã)
102 :
世界@名無史さん :2007/04/02(月) 00:50:06 0
pus: ??? (??n); ???? (?at?y) snd: ??? (??n) uig: ????? / Hitay; ????? / Junggo urd: ??? (??n) div: ?????? (?a'in?) heb: ??? (Sin) lad: ?'??? / China yid: ???? (?ine) amh: ??? (?ayna) ell: Κ?να (Kina) hye: ???????? (??inastan) kat: ?????? (??ine?i) hin: ??? (??n) nep: ??? (Ts?n) ben: ??? (??n) guj: ??? (??n) pan: ??? (??n) sin: ???? (??naya) kan: ???? (??n?); ??? (??na) mal: ??? (?aina) tam: ???? (????) tel: ???? (?ain?) zho: 中國 / 中国 (Zh?ngguo) yue: 中國 / 中国 (Junggwok) jpn: 中國 / 中国 (Ch?goku); 支那 (Shina) kor: ?? (Jungguk) bod: ?????? (rGya.nag); ??????? (Kru?.go); ??????? (Kru?.hwa) dzo: ?????? (rGya.mi) tha: ??? (??n) lao: ??? (??n) khm: ??? (?in) mya: ????? (Ta?ou?)chr: ?? / Tsina
104 :
世界@名無史さん :2007/04/02(月) 00:56:36 0
正名運動なんてするまでもなく、すでにして台湾を中華民国なんて呼ぶ国は世界にいっこもあれへんのやな。これも時勢か。
肝心の台湾語がないのはご愛嬌ですね
106 :
世界@名無史さん :2007/04/02(月) 01:08:22 0
>>103 これでいいだろ。コンゴに注目してくれ。
Afrikaans アフリカーンス語 南アフリカ Sjina, China
Arabic アラビア語 サハラ以北ほか الصين (aṣ-Ṣīn)
Amharic アムハラ語 エチオピア ቻይና (Čayna)
Igbo イボ語 ナイジェリア Chaina
Rwanda キニヤルワンダ語 ルワンダ Ubushinwa
Xhosa コーサ語、コサ語 南アフリカ iTshayina
Zulu ズールー語 南アフリカほか iShayina
Spanish スペイン語 スペイン語圏 China
Swahili スワヒリ語 ケニヤほか Uchina
Somali ソマリ語 ソマリアほか Shiina, Shiine
Hausa ハウサ語 ナイジェリア、ニジェールほか Sin, China
Bambara バンバラ語 マリほか Sini
French フランス語 フランス語圏 Chine
Venda ベンダ語 南アフリカ Tshaina
Portuguese ポルトガル語 赤道ギアナほか China
Malagasy マダガスカル語 マダガスカル Sina
Mauritius Creole モーリシャス諸島のクレオール語 Lasinn
Rundi ルンディ語 ブルンジ Ubushinwa
English 英語 南アほか China
Kikongo コンゴ語 コンゴ Tsunkwo
Wolof ヴォロフ語 セネガル Ciin
107 :
世界@名無史さん :2007/04/02(月) 01:14:09 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足士器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
108 :
世界@名無史さん :2007/04/02(月) 01:17:45 0
俺今日から支那のことを「ちんこ」って呼ぶよ
中国における訳経の歴史をみてわれわれが疑問に思うことが二つある。 第一は、あれだけ苦心をして輸入したインドの原典が跡形もなく消失し、 中国本土からはひとかけらも発見されていないことである。 第二には、梵語の教育をせず、翻訳の後継者を作ろうとしなかったことである。 このうち第一の疑問に対しては戦乱がその理由のひとつに挙げられるであろうが、 一旦翻訳したあとは原典の保存にあまり関心がなかったとも言えるであろう。 第二の疑問に関してはやはり中華思想からみれば、外国語の学習に興味がなかったというのがそのおもな理由であろう。 この点については古代ギリシア人と共通するのではあるまいか。 ただ例外として梵語を学習させる機関を一度だけ作ったことがある。 宋の世となり、九八二年、太宗のとき、開封の太平興国寺に 「お経の話」渡辺照宏(岩波新書)
中国における訳経の歴史をみてわれわれが疑問に思うことが二つある。 第一は、あれだけ苦心をして輸入したインドの原典が跡形もなく消失し、 中国本土からはひとかけらも発見されていないことである。 第二には、梵語の教育をせず、翻訳の後継者を作ろうとしなかったことである。 このうち第一の疑問に対しては戦乱がその理由のひとつに挙げられるであろうが、 一旦翻訳したあとは原典の保存にあまり関心がなかったとも言えるであろう。 第二の疑問に関してはやはり中華思想からみれば、外国語の学習に興味がなかったというのがそのおもな理由であろう。 この点については古代ギリシア人と共通するのではあるまいか。 ただ例外として梵語を学習させる機関を一度だけ作ったことがある。 宋の世となり、九八二年、太宗のとき、開封の太平興国寺に 「お経の話」渡辺照宏(岩波新書)
震旦ひろしと云へども五天(北天竺・中天竺・東天竺・南天竺・西天竺)にくらぶれば一辺の小国なり 『神皇正統記』北畠親房(1339年)
112 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 14:57:25 0
宋の世となり、九八二年、太宗のとき、開封の太平興国寺に三人のインド人僧侶、 天息災、施護、法天を迎えて訳経院を建て、翻訳に従事させた(この三人のインド名は記録されていない) ここには印刷所まで付属し、翻訳者や助手たちは国家から任命された。 そのとき、天息災たちが奏上して、将来インド人が来ない場合を予想し、 中国人少年五十人を選んで梵語を学習させるように、と申しでた。これに対して惟浄たち十人が選ばれた。 この場合もインド人からの発言であることが注目される。 「お経の話」渡辺照宏(岩波新書)
113 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 15:03:37 0
このころインド僧が引続き、梵本をたずさえて到着し、訳経の事業もはかどった。 九九九年には早くも訳経院廃止の議が出たが、皇帝は存続の方針を進め、一〇三六年にも五十人の少年が選ばれて梵語を学習した。 しかしその後は次第に衰え、一一一九年には太平興国寺そのものさえも廃止されてしまった。 せっかく開始された訳経や後継者の養成も中止され、蒐集した梵本も跡形なく失われてしまった。 「お経の話」渡辺照宏(岩波新書)
114 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 15:05:19 0
震旦ひろしと云へども五天(北天竺・中天竺・東天竺・南天竺・西天竺)にくらぶれば一辺の小国なり 『神皇正統記』北畠親房(1339年)
中国じゃなければ、中華でいいよ 中華料理とか中華そばとか支那より通じてるから 「華人」ってどうゆう意味だっけ?
日本の仏教なんて原典がないどころか、 中国語に訳された仏典を無理やり日本語読みしてお経唱えてるアホっぷりですが何か?
>>115 「華人」は支那血統の人間を指す言葉です。
118 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 15:26:39 0
>>116 学会は法華経の日本語読みを鮮人や支那人に強要して信者を増やしているらしいから、めでたい話ではないか。
119 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 15:42:01 0
日華仏教両界の継続的な交流がなければ、日本語語彙における漢字は呉音・漢音だけの味気ないものになっていたろうな。 禅僧が宋・元・明から持ち帰った「唐宋音」と呼ばれる新しい漢字の読み方 椅子(いす) 払子(ほっす) 緞子(どんす) 行燈(あんどん) 炭團(たどん) 炬燵(こたつ) 蒲團(ふとん) 暖簾(のれん) 算盤(そろばん) 饅頭(まんじゅう) 饂飩(うどん) 湯婆(たんぽ) 石灰(しっくい) 喫茶(きっさ) 瓶(びん) 和尚(おしょう) 庫裡(くり) 普請(ふしん) 胡乱(うろん) 胡散(うさん) 行脚(あんぎゃ) 栗鼠(りす)
戦前の支那を代表する仏教研究機関といえば欧陽修らによって作られた「支那内学院」だが、 何故か日支仏教の交流誌は「日華仏教」という名前なんだよな。 支那内学院のエロい人は日本嫌いだったという証言も残っているし… 支那人自身の「支那」に対する毀誉褒貶は甚だし過ぎる気がするよ。
121 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 16:01:39 0
(経典の)翻訳には誤訳があったかも知れないし、原典の不完全、訳者の意志や、不注意による節略や脱漏もあったかも知れないが、 一度漢訳仏典を受容した中国仏教徒は、その原典を求めて漢訳と対比研究することなく、また訳文についてインド語の原語を究めて 原典的意味にあくまでも忠実ならんとするものもきわめて例外であって、漢文化優越の意識が強く、自らの文字を尊重し、文書に 書かれたものを信用する傾向の強い中華民族は、性質の異なる漢文になった仏典を、正しい仏陀の説法の記録として信受し、中国的 読解を加えていくのが普通であった。ここに当然インド原典の原義は、中国的解釈へ移行もする。そしてその解釈が原典的に誤解で あっても、その誤解を正解とした上に、中国仏教は発展して行くのである。 『中国仏教通史 1』塚本善隆博士
122 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 16:06:58 0
シナの訳経三蔵は、インドあるいは中央アジアから将来された梵語あるいは胡語の経典を 漢訳することに全力を傾注し、ひとたび自国語に訳出されると、もはや原文を全く捨てて かえりみなかったのである。 『東洋人の思惟方法 2 シナ人の思惟方法』中村元
123 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 16:11:35 0
少なくとも、中国仏教史上の近世には、日本の慈雲尊者飲光(おんこう)(一七一八〜一八〇四) の『梵學津梁(ぼんがくしんりょう)』一千巻のような、梵語研究が世に問われることはなかった。 『仏教漢文の読み方』金岡照光 春秋社
震旦ひろしと云へども五天(北天竺・中天竺・東天竺・南天竺・西天竺)にくらぶれば一辺の小国なり 『神皇正統記』北畠親房(1339年)
125 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 19:59:06 0
sina wa sabetugo nano de tukawaanai de kudasai!
>>117 それは華人が、一般に言う中国人
又は歴史的な意味での中国人に取って代わりうる言葉であることを示していますか?
それとも中国人と華人の違いはありますか?
127 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 20:56:58 0
チベット人や満洲人を華人とはいはないでせう
128 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 21:01:11 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
129 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 21:11:18 0
華人なんて支那が欧州化したときに力ずくで決めた民族じゃん
130 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 21:17:59 0
>>127 つまりチベット人やウィグル人と区別する意味でも
歴史的には華人呼称は望ましい?
131 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 22:25:10 0
>>130 >>127 だけど
支那文学の大家、故・青木正児先生は
「華国」「華人」と書いていたと思う。
でも、私は
今の、中華人民共和国を「中国」と
「チベット」「東トルキスタン」を含めて国家国民としての「中国人」
と呼ぶのには反対してないから
(まあ、前者に反対している人は少ないでしょうが、省略の仕方の話だし)
他の人と少し違うかもね
>つまりチベット人やウィグル人と区別する意味でも
>歴史的には華人呼称は望ましい?
望ましいかはわかりませんが
私は違和感はないです。
辞書や孫文以降の「中華民族」云々からははずれるでしょうけど。
ちなみに辞書では下、主に[2]で使われてる
私は華人でもいいと思いますけど
ややこしくなるから漢人の方がいい気がします。
支那民族、漢民族を華人、漢人と呼ぶのがダメだと考える人は
このスレでももともとそんなにいないと思う
歴史的な場所、地名に関しては
>>1 >>40 なんだろうけど
>>115 かじん[くわ―] 1 【華人】
[1] 中国人。
[2] 居住国の国籍・市民権を取得した華僑の自称。 大辞林
>>130 歴史的には、でなく、民族学的には、「漢人」や「華人」、「支那人」が望ましいと言えるでしょうね。
華人という言葉は、華僑という言葉の、出稼ぎ先への仮住まい的なニュアンスを嫌った国外在住支那人が、自ら自称しだした言葉です。
アカヒや日支憂苦団体のお気に入りワードのひとつでもあることは、覚えていてくださいね。
ちなみに、支那血統でも、支那文明に浴していない人間は、華裔と呼ばれるようですが、
日本語では今のところ、使われる例はほとんどないようです。
母親が支那系フィリピン人のリア・ディゾンなんかが、華裔と呼ばれるのだと思いますが。
あとゆうせんの社長とか。
133 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 22:40:21 0
>>103 オセアニアで支那がなんと呼ばれているか調べてきたぜ。どうだ。
smo Samoan サモア語 サモア独立国及びアメリカ領サモア Saina
tah Tahitian タヒチ語 タヒチ(フランス領ポリネシア) Taine
tpi Tok Pisin トク・ピジン語 パプアニューギニア Saina
ton Tongan トンガ語 トンガ王国 Siaina
haw Hawaiian ハワイ語 アメリカ合衆国 Pākē, 'Āina, Kina
eng English 英語 オーストラリア、ニュージーランドほか China
fra French フランス語 フランス語圏 Chine
por Portuguese ポルトガル語 チモール China
mri Maori マオリ語 ニュージーランド Haina
tet Tetum テトゥン語 チモール Xina
134 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 22:42:14 0
全部「支那」系統だな 「契丹」「中国」ではなく
>>103 アメリカでは支那はこう呼ばれているらしい。
spa Spanish スペイン語 スペイン語圏 China
chr Cherokee チェロキー語 アメリカ合衆国 Tsina
eng English 英語 USA、カナダ China
hat Haitian Creole ハイチ・クレオール語 ハイチ Chin
nah Nahuatl ナワトル語 メキシコ Xina
ina Interlingua インターリングア 人工言語 China
vol Volapük ヴォラピュク語 人工言語 Tsyinän, Cinän
epo Esperanto エスペラント 人工言語 Ĉinujo, Ĉinio
136 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 22:46:44 0
エスペラントでも「中国」と呼ばれないあたりが哀れを誘う。
137 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 22:50:52 0
どっちが哀れなの? 支那?日本?
138 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 22:53:49 0
支那が哀れだお。
139 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 23:05:39 0
人工言語でも支那なのに 中国と呼ばされてる日本のほうがあはれなりけり
140 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 23:17:11 0
isl Icelandic アイスランド語 アイスランド Kína gle Irish Gaelic アイルランドのゲール語 イギリス、アイルランド an tSín / an tSín sqi Albanian アルバニア語 アルバニア Kinë ita italian イタリア語 イタリア Cina yid Yiddish イディッシュ語 東欧 כינע (Ḫine) cym Welsh ウェールズ語 イギリス Tsieina, Tseina est Estonian エストニア語 エストニア Hiina nld Dutch,Flemish オランダ語 オランダ China cat Catalan カタロニア語 スペイン Xina glg Galician/Gallegan ガリシア語 スペイン China
141 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 23:18:00 0
ell Greek ギリシア語 ギリシャ Κίνα (Kína) kat Georgian グルジア語 グルジア ჩინეთი (Č̣ineṭi) hrv Croatian クロアティア語 クロアチア Kina cos Corsican コルシカ語 フランス China smi Sami/Lappish サーミ/ラップ語 フィンランド Kiinná, Giinná scn Sicilian シチリア語 イタリア Cina swe Swedish スウェーデン語 スウェーデン Kina gla Scots Gaelic スコットランドのゲール語 イギリス Sìna, Sìona spa Spanish スペイン語 スペインとスペイン語圏 China slk Slovak スロバキア語 スロバキア Čína srp Serbian セルビア語 セルビア Кина (Kina) ces Czech チェコ語 チェコ Čína
142 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 23:19:12 0
dan Danish デンマーク語 デンマーク Kina deu German ドイツ語 ドイツ、オーストリア China / China lld-rd Ladin(Gardena) ドロミテ・ラディン語(ガルダイナ方言) イタリア China, Cina lld-bad Ladin(Valle di Badia) ドロミテ・ラディン語(バディオット方言) イタリア Cina nor Norwegian ノルウェー語 ノルウェー China eus Basque バスク語 スペイン、アンドラ、フランス Txina hun Hungarian ハンガリー語 ハンガリー Kína fin Finnish フィンランド語 フィンランド Kiina fao Faroese フェロー語 デンマーク自治領フェロー諸島 Kina fra French フランス語 フランスとフランス語圏 Chine fry Frisian,Western フリジア語 オランダ Sina bre Breton ブルトン語、ブルターニュ語 フランス Sina
143 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 23:20:26 0
pol Polish ポーランド語 ポーランド Chiny por Portuguese ポルトガル語 ポルトガル China mkd Macedonian マケドニア語 マケドニアほか Кина (Kina) mlt Maltese マルタ語 マルタ共和国 Ċina glv Manx マン島語 イギリス yn Cheen mol Moldavian モルドバ語 モルドバ China / Кина lat Latin ラテン語 西欧 Sina lav Latvian ラトビア語 ラトビア Ķīna lit Lithuanian リトアニア語 リトアニア Kinija ron Romanian ルーマニア語 ルーマニア China ltz Luxembourgish ルクセンブルク語 ルクセンブルク China / China roh Romansh ロマンシュ語 スイスほか China wln Walloon ワロン語 ベルギー Chine eng English 英語 イギリス、アイルランドほか China
144 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 23:21:43 0
nds Low German 低地ドイツ語 ドイツほか Kina / Kina arg Aragonese アラゴン語 スペイン China ast Asturian アストゥリア語 スペイン China cor Cornish コーンウォール語 イギリス Cheyna csb Kashubian カシューブ語 ポーランド Chinë fur Friulian フリウリ語 イタリア Cine lad Ladino ラディノ語 イタリア ג'ינה / China lim Limburgan リンブルグ語 オランダ、ベルギー Sjina oci Occitan オック語 フランス China rmy Romani, Kalderash ロマ語 ブルガリア Čina / चिना sme Sami, Northern 北方サーミ語 フィンランド Kiinná; Giinná vor Voro ヴォロ語 エストニア Hiina
145 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 23:24:35 0
契丹系だお ukr Ukrainian ウクライナ語 ウクライナ Китай (Kytaj) kom Komi コミ語 ロシアほか Китай (Kitaj) slv Slovenian スロベニア語 スロベニア Kitajska bul Bulgarian ブルガリア語 ブルガリア Китай (Kitaj) bel Belarusian ベラルーシ語 ベラルーシ Кітай / Kitaj rus Russian ロシア語 ロシア Китай (Kitaj) chu Old Church Slavonic 古代教会スラブ語 Китаи (Kitai) chm Meadow Mari 牧地マリ語 ロシア Китай (Kitaj) udm Udmurt ウドムルト語 ロシア Китай (Kitaj)
146 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 23:30:16 0
>>139 日本は「中国」と呼ばさせられてるんでしたっけ?
「中国」と呼ぶか「支那」と呼ぶかは個人の選択の自由だと思っていましたが…
対外文書での「中国」呼称決定は、戦前の1931年に日本が自主的に閣議決定したものですし、
戦後1946年7月の外務省通達も、慣習的/地理的表現に関しては従来どおり「支那」を使うことをなんら制限してはいない文章ですよ?
キーワード【 土器 炊飯 China 支那 中国 Taiwan 古代 】
148 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 23:36:50 0
ヘブライ文字が文字化けするのはなんで?
149 :
世界@名無史さん :2007/04/08(日) 23:38:52 0
>>146 そうだったね
ごめん
でも、なんでやたらと大学等で
支那学は中国が苦になっていったんだろ?
ロシア学がソヴィエト学にはなってないのに
150 :
世界@名無史さん :2007/04/09(月) 00:08:05 0
>>149 教育機関での「中国」呼称の決定は外務省と同じく1946年7月の文部次官通達に依拠します。
この決定は中華民国占領軍の命令に基づくものとされてきましたが、最近出版された本によると、
それを立証するのは非常に困難なようです。
実際に、東京・北の丸にある国立公文書館にも、占領軍としての中国軍に関する記録は
ひとつとして残っていない。東京・目黒にある防衛研究所軍史部によれば、それは次の
ようなわけだという。
「まず、占領軍ですから、その関係者については入国記録がそもそもありません。
上陸すると、そのままストレートに国内に入ってきていました。とりわけ中国軍に
ついてはアメリカ軍の影に隠れていて、ほとんどその実態がわかっていません。
どこに駐留していたのかも、まったく文書も残っていないのです。オーストラリア
軍やイギリス軍ならば若干は記録が残っているものもあるのですが、おそらく中国軍に
ついては、国内には一切ないでしょう」
『闇市の帝王 王長徳と封印された「戦後」』七尾和晃(草思社)2007/1/30初版
151 :
世界@名無史さん :2007/04/09(月) 00:10:16 0
草思社の本をどこまで信じられるか、という話。
152 :
世界@名無史さん :2007/04/09(月) 00:21:42 0
中国による圧力が立証困難である以上、外務次官通達/文部次官通達いずれも日本国官僚組織の自主的判断によるものと考えて差し支えないでしょう。 通達文章にも名言されているとおり、歴史的地理的又は学術的の叙述などの場合の支那呼称は保障されているということです。 一部の過敏な自主規制に惑わされず、「支那」呼称を公然と使用する権利を行使している日本人は少なくありません。 今夜の選挙を見れば分かりますが、日本国民は、支那呼称の自由な使用を支持しているのです。
>>150 恐らく中国ではそのころに蒋介石の国民党とけざわひがしの中共が内戦を始めていて日本の占領云々なんてしている余裕なんてかけらもなかったのではないか?
いたとしても、ごく少数でしょう。
そこが米英豪と異なる点。
154 :
世界@名無史さん :2007/04/09(月) 07:38:07 0
中華民国と中華人民共和国の いい省略方法を考えてくれ 特に中華民国 中華人民共和国も中共だと 中国共産党自身が中国共産党の略として中共をつかってるし 党の意味になってしまう
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
156 :
世界@名無史さん :2007/04/10(火) 08:00:00 0
>>136 トキポナではSonko
Zh?ngguo から名づけてる
157 :
世界@名無史さん :2007/04/11(水) 15:51:11 0
mnc manchu 満洲語 nikan(漢?)
158 :
世界@名無史さん :2007/04/11(水) 16:36:32 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
159 :
世界@名無史さん :2007/04/11(水) 20:48:05 0
俺だけかもしれないが、支那に関する書物を書いている人で中国呼称しか使わない著者は信頼しないな。 支那、中原、これらの単語を多用している人のが中立的でよく読める。中国しか使わないのって岩波あたりに 多くない?
>>153 『闇市の帝王 王長徳と封印された「戦後」』によると、
占領軍将校として王長徳が福岡に上陸したのは1946年6月だったとか。
中華民国占領軍は満洲国大使館(現・中華人民共和国大使館)を接収して
活動を開始したそうですから、1946年7月に外務省/文部省に圧力をかけて
「支那」呼称禁止通達を出させたと考えると、非常につじつまが合うのですがね。
証拠がないのは、残念なことです。
1946年は内戦も激化していませんでした(始まったばかり)し、ソ連も含めた世界の多くが、
圧倒的な戦力・物量差を背景にした中華民国国民党の勝利を信じて疑わなかった頃ですから、
中国にはまだ日本に圧力をかける余裕があったのでしょう。
繰り返しますが、証拠がないのは非常に残念なことです。
しかし、だからこそ現在の「支那」呼称自粛は当時の文部次官/外務次官通達の指定した範囲を
越えた根拠のないものとして公然と「支那」呼称を使用出来るとも言えるでしょう。
>>154 >中華民国と中華人民共和国のいい省略方法を考えてくれ
台湾と支那
>>159 かつて中帰聯の「三光」を出版していた光文社、それから民主党贔屓の講談社、平凡社なんかは
「支那」を使用した本も少なからず出しているね。その多くが小説や戦前の復刊だが。
変わったところでは、朝日新聞社も「東京外語支那語部」を朝日選書で出していた。現在は絶版のようだが。
岩波でも、津田左右吉の本なんかでは、「支那」使われてるよ。
164 :
世界@名無史さん :2007/04/14(土) 16:29:53 0
しかしまたその反面において漢訳には資料としての欠点がないでもない。というのは、中国文学とインド文学とは どちらも古い歴史を持ち、独自の発達を遂げていたのであるから、インドの原典を中国語に翻訳するときに、必ずしも 原文に忠実であったのではない。 千五百年以上も広く読まれているクマーラジーヴァの訳文がそうである。たとえば『法華経』第八章に次のような文章がある。 まずサンスクリットの原典から訳すと 「神神は人人を見、人人も神神を見るであろう」 古い漢訳(『正法華経』では 「天上は世間を視、世間は天上を見るを得ん」(天上視世間、世間得見天上) これがクマーラジーヴァの『妙法蓮華経』では 「人と天と……両つながら相見ることを得ん」(人天……両得相見) と訳してある。 「お経の話」渡辺照宏(岩波新書)
165 :
世界@名無史さん :2007/04/14(土) 16:36:26 0
また同じ経典の「提婆達多品」では竜王の娘がたちまちのうちに男の姿に変り、仏陀となる描写において 「その女根が消失して男根が出現し」 という原文を、漢訳は両本とも 「変じて男子と成り」(変成男子) というように、やんわりと訳している。 こういう心遣いがクマーラジーヴァの漢訳には行き届いていて、 それ故にこそ漢訳として読みよいのではあるが、 問題によっては原典から遠ざかっているという嘆きもある。 玄奘以後の訳文は比較的に原文に忠実であるが、 それにしても漢文の約束や習慣を尊重しているし、 訳文を読み易くするために、本文を編集し直した形跡さえもある。 「お経の話」渡辺照宏(岩波新書)
166 :
世界@名無史さん :2007/04/14(土) 16:39:13 0
震旦ひろしと云へども五天(北天竺・中天竺・東天竺・南天竺・西天竺)にくらぶれば一辺の小国なり 『神皇正統記』北畠親房(1339年)
167 :
世界@名無史さん :2007/04/14(土) 17:35:27 0
逆に中国語での国名は美国、韓国と「国」付くのに 日本国は日本と言われることが多いね。 多分、中国の一部なんだろう。
実際、支那人は朝鮮人から垢奴と呼ばれても気にしないからなあ。 台湾と違って、半島には最後まで「支那」呼称は根づかなかったし。
169 :
世界@名無史さん :2007/04/14(土) 18:14:22 0
高麗版大蔵経にも「支那」と書いてあるだろうに。
170 :
世界@名無史さん :2007/04/14(土) 18:50:15 0
>>161 ちがうちがう
歴史上の国家の名前だ
殷周秦漢・・・・・・・・・・元明清、・・・←ここ
お経の話、か。面白そうだな。岩波新書はまだマシなんだよね?
蒋、毛、でどうかな
174 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 14:00:14 0
abq Abaza アバザ語 ロシアほか Китай (Kitaj) alt Aitai/Altay アルタイ語 ロシアほか Кыдат јер (Kydat d'er), Китай (Kitaj) uig Uighur ウイグル語 ウズベキスタンほか ھىتاي / Hitay, جۇڭگو / Junggo uzb Uzbek ウズベク語 ウズベキスタンほか Xitoy / Хитой, Chin / Чин oss Ossetian オセット語 ロシアほか Китай (Kitaj) kaz Kazakh カザフ語 カザフスタンほか Қытай (Qytaj) kbd Kabardian カバルド語 ロシアほか Китай (Kitaj) kaa karakalpak カラカルパク語 ウズベキスタンほか Қытай (Qytaj) krc Karachay-Balkar カラチャイ・バルカル語 ロシアほか Къытай (Qytaj) kir Kyrgyz キルギス語 キルギスほか Кытай (Kytaj) kum Kumyk クムク語、クミク語 ロシアほか Китай (Kitaj) tgk Tajik タジク語 タジキスタンほか Чин (Čin) / چین (Čīn), Хитой (Ĥitoj) / ختای (Ḫitôy) tat Tatar タタール語 ロシアほか Qıtay / Кытай tab Tabassaran タバサラン語 ロシアほか КІитІай (Ḳiṭaj) che Chechen チェチェン語 ロシアほか Китай (Kitaj) chv Chuvash チュバシ語 ロシアほか Китай (Kitaj) tyv Tuvinian/Tyva トゥバ語 ロシアほか Кыдат (Kydat) tuk Turkmen トゥルクメン語 トゥルクメン Hytaý / Хытай kjh Khakassian ハカス語 ロシアほか Китай (Kitaj) bak Bashkir バシュキール語 ロシアほか Ҡытай (Qytaj) pus Pushto/Pashtu パシュトゥー語 パキスタン、アフガニスタン、イラン、ロシアほか چين (Čīn), ختای (Ḫatāy) mon Mongolian モンゴル語 モンゴルほか Хятад (Ĥjatad), Дундад улс (Dundad uls) rus Russian ロシア語 ロシア Китай (Kitaj) chm Meadow Mari 牧地マリ語 ロシア Китай (Kitaj)
175 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 14:15:09 0
ara Arabic アラビア語 الصين (aṣ-Ṣīn) aze Azeri/Azerbaijani アゼルバイジャン語 アゼルバイジャンほか Çin / Чин ckb: Kurdish(Sorani) クルド語 چین / Çîn fas persian ペルシャ語 イラン、アフガニスタンほか چین (Čīn) heb Hebrew ヘブライ語 イスラエル סין (Sîn) hye Armenian アルメニア語 アルメニア Չինաստան (Č̣inastan) kmr Caucasian Kurdish/Red Kurmanji (赤いクルマンジー) ロシアほか Çînistan / Чиньстан / چینستان, Çînîstan / Чинистан / چینیستان kso Kurdish/Sorani クルド語/ソーラーニー語 ロシア、イランほか چین / Çîn kur Kurdish/Kurmanji クルド語/クルマンジー語 イラク、シリア、トルコほか Çîn / چین prs: Dari ダリ語 アフガニスタン چین (Čīn) pus Pushto/Pashtu パシュトゥー語 パキスタン、アフガニスタン、イラン、ロシアほか چين (Čīn), ختای (Ḫatāy) tgk Tajik タジク語 タジキスタンほか Чин (Čin) / چین (Čīn), Хитой (Ĥitoj) / ختای (Ḫitôy) tly: Talysh タリシュ語 イラン、アゼルバイジャン Чин (Čin) tur Turkish トルコ語 トルコほか Çin uzb Uzbek ウズベク語 ウズベキスタンほか Xitoy / Хитой, Chin / Чин zzz Zazaki ザザ語 トルコ Çîn / چین
176 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 14:16:10 0
urd Urdu ウルドゥー語 パキスタン、インド چین (Čīn) kan Kannada カンナダ語 インド ಚೀನ (Čīna) guj Gujarati グジャラート語 インド ચીન (Čīn) snd Sindhi シンド語 インド、パキスタン چين (Čīn) sin Sinhalese シンハラ語 インド、スリランカ චීනය (Čīnaya) tam Tamil タミル語 インド、スリランカ、マレーシアほか சீனா (Čīṉā) div Dhivehi ディビヒ語、モルジブ語 モルディブ ޗައިނާ (Ča'inā) tel Telugu テルグ語 インド చైనా (Čainā) nep Nepali ネパール語 ネパール चीन (Tsīn) pan Punjabi パンジャブ語 インド、パキスタン ਚੀਨ (Čīn) hin Hindi ヒンディー語 インド चीन (Čīn) ben Bengali ベンガル語 インド、バングラディシュ চীন (Čīn) mal: Malayalam マラヤーラム語 インド ചൈന (Čaina)
177 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 14:20:16 0
khm Khmer クメール語 カンボジア ចិន (Čin) ind Indonesian インドネシア語 インドネシア Cina, Tiongkok jav Javanese ジャワ語 インドネシア Cina tha Thai タイ語 タイ จีน (Čīn) tgl Tagalog タガログ語 フィリピンほか Tsina por Portuguese ポルトガル語 マカオ China msa Malay マレー語 マレーシアほか Cina lao Lao ラオ語 ラオス ຈີນ (Čīn) eng English 英語 シンガポールほか China
178 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 14:22:01 0
dzo Jongkha/Dzongkha ゾンカ語 ブータン རྒྱ་མི (rGya.mi) bot Tibetan チベット語 インドほか རྒྱ་ནག (rGya.nag), ཀྲུང་གོ (Kruṅ.go), ཀྲུང་ཧྭ (Kruṅ.hwa) mya Burmese/Myanmar ビルマ/ミャンマー語 ミャンマー တရုတ္ (Táẏouʿ)
179 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 14:28:37 0
ind Indonesian インドネシア語 インドネシア Cina, Tiongkok uig Uighur ウイグル語 ウズベキスタンほか ھىتاي / Hitay, جۇڭگو / Junggo zho Chinese 國語/普通話 中国 中國 / 中国 (Zhōngguó) zha Zhuang 壮語 中国 Cunghvaz tib Tibetan チベット語 インドほか རྒྱ་ནག (rGya.nag), ཀྲུང་གོ (Kruṅ.go), ཀྲུང་ཧྭ (Kruṅ.hwa) kor Korean ハングル 中国ほか 중국 (Jungguk) vie Vietnamese ベトナム語 ベトナム Trung Hoa, Trung Quốc mon Mongolian モンゴル語 モンゴルほか Хятад (Ĥjatad), Дундад улс (Dundad uls) yue Cantonese 広東語 中国ほか 中國 / 中国 (Jùnggwok) jpn Japanese 日本語 日本 中國 / 中国 (Chūgoku), 支那 (Shina) kon Kikongo コンゴ語 コンゴ Tsunkwo tokipona トキポナ 人工言語 Sonko
180 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 14:49:12 0
おかしい倭奴
181 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 15:20:44 0
厥雷聲震于支那。動三韓矣。 新編諸宗教藏總録(卷1)
182 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 15:22:51 0
又不免勞佗初祖達磨逗器支那。教外菱花。不磨磚鏡。 建中靖國續燈録 卷第十六
183 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 15:24:30 0
是知法輪再轉於支那 帝日長輝於震旦。若然者。 建中靖國續燈録 卷第十六
184 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 15:25:27 0
おかしい垢奴
185 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 16:19:29 0
おかしい倭奴鬼畜
186 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 18:14:23 0
187 :
名無し :2007/04/15(日) 19:54:39 0
北東アジアの地域を各民族がそれぞれ命名している。 1.支那人:中華、中国(発音:チュウコワ) 2.英米人:チャイナ(支那人にとって中国) 3.ロシア人:キタイ(支那人にとって中国) 4.フランス人:シーノ(支那人にとって中国) 5.日本人:支那(支那人にとって中国) 日本人は支那語を強制されているのでやめること。日本語を使う。 日本語の中国は廣島地方のことである。 ちなみに中共が中国を自称するのは、正体を隠蔽し日本人をだます ためである。正確に名前を呼ぶべきである。中共の歴史は50年しか ないのだ。
188 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 20:24:04 0
何を隠蔽して日本人を騙すの?
因に広島あたりの中国は 遠国(九州)と近国(近畿)の間の中国 世界の中心では無い
190 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 21:11:32 0
大韓民国も大きくないから韓民国に変えるべし。 天皇も一ヵ国しか支配していないから王となのるべし。
191 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 21:15:24 0
>>188 なんにも中華の文化を継承してないのに自称中華の末裔という大嘘だよ
192 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 21:37:25 0
>>191 「学問板」としてはいうならば
・支那という単語に差別的な意味は無い
・支那の由来はサンスクリット語で秦がなまったもの
・現在欧州で使われている「シナ大陸」を表す単語はチャイナ、ヒーナ、チーノなど秦を元にしたものと、
キタイ、ヒタイなど契丹を元にしたもののニ系統
・「中華民國」「中華人民共和国」の短縮としての「中國」「中国」は現代の国名であり、殷以来の国家を表すには不適切
・ただし礼記などにも「中国」が中原国家の美称として使われた形跡はあるのでそれをもとにMiddle Kingdomの意で「中国」というのは問題ない
・仮に地理的にあらわすならば中原、China properの意味として「支那(シナ)」がふさわしい
以下はスレ違いであり論外
・「中共が日本に中国呼称を押し付けるのは暴論だ!」→中華民國KMTが日本に中国呼称を押し付けるのならいいのでしょうか?スレ違いです
・「中国呼称を公務員に義務付けているのは中共の横暴であり政府がヘタレだ!」
→中国呼称を公務員に義務付けたのは1946年7月の中華民國日本占領團の命令です
・「支那は右翼の言葉だ!」→右翼の定義は個人個人で違います。「中国様」と呼ぶ自虐的な右翼もいます
・「tu-ka、一般的にはもう『中国』が普及してるんだし中国でいいじゃん」→そうかもしれませんがここでは学問板のみとしての議論です
・「でも軍国主義時代に支那って呼んでたんだから差別の意味があるでしょ!」
→1930年10月日本政府は外交文書での「支那」呼称の撤廃と「中華民國」の使用を閣議決定しました。
⇒さらに南京維新政府(汪兆銘政権)に対しては、段階的に日本国内での「支那」呼称廃止も約束しています。
→支那に差別の意味はないのに、戦前の軍部も政府も誤った善隣外交を繰り広げていたようですネ お人よしすぎます!
・「大体『中華』人民共和国の略で中国なんて認めたら中共の中華主義を認めることになるでしょ!」
→『中華』民國の略の中國を認めて、台湾の正当中華、中華復興運動を支持しましょう。実害がないので、楽ですよ
・「中国って言葉を聞くと虫唾が走るから許せない!!」→支那と呼びましょう
・「支那、中共って言葉を聞くと虫唾が走るニダ。アイゴーーーーーーーーーーーーー」→共匪、ゴキブリと呼びましょう
日本海の表記もおかしいよな
194 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 23:35:46 0
195 :
世界@名無史さん :2007/04/15(日) 23:43:17 0
>>171 絶版の津田左右吉「支那思想と日本」を別格として、
このスレに少しでも関係あって入手可能な岩波新書というと、
島田虔次先生の「朱子学と陽明学」かなあ。
島田虔次先生が桑原ぢつ蔵の息子さんと共同で現代語訳した、
中江兆民「三酔人経世問答」も岩波文庫で読めるな。これはねらー向きの本だと思う。
196 :
世界@名無史さん :2007/04/16(月) 00:03:36 0
東震支那事少同問十二時中。如何得不昧於師宗師云。 天聖廣燈録
197 :
世界@名無史さん :2007/04/16(月) 00:05:18 0
支那弟子無人識。碧眼胡僧笑點頭。 五天不納到支那。塞壑填溝無避處。無避處。不遮護。汲興相逢。 續刊古尊宿語要
198 :
世界@名無史さん :2007/04/16(月) 00:09:27 0
隨縁濟度。展轉遊化。達我支那。 《翻譯名義集》卷1
199 :
世界@名無史さん :2007/04/16(月) 00:16:48 0
上堂:「春風楊柳眉,春禽弄百舌。一片祖師心,兩處倶漏泄。 不動歩還家,習漏頓消滅。暗投玉線芒,曉貫金針穴。 深固實幽遠,無人孰辨別。慚愧可憐生,頭頭皆合轍。 不念阿彌陀,南無乾屎橛。無智癡人前,第一不得説。」 上堂:「見得徹,用時親,相逢盡是箇中人。 望空雨寶休誇富,無地容錐未是貧。 踏著秤鎚硬似鐵,八兩元來是半斤。」 上堂,舉「世尊生下,指天指地」公案, 頌曰:「五天一隻蓬蒿箭,攪動支那百萬兵。不得雲門行正令,幾乎錯認定盤星。」 五燈會元卷第十四《瑞巖法恭禪師》
200 :
世界@名無史さん :2007/04/16(月) 00:24:25 0
咸謂經入支那。未有此解。今則少夷矣。 夫其奮乎百世之下。披剥陳言。發揮己見。 不可謂非北方豪傑之士。 《楞嚴經疏解蒙鈔》卷1
201 :
世界@名無史さん :2007/04/17(火) 00:45:05 0
202 :
世界@名無史さん :2007/04/17(火) 00:45:41 0
203 :
世界@名無史さん :2007/04/17(火) 01:16:25 0
傳正誤 毎紙題○支那 毎紙摺處有支那二字。元本無之。凡典籍摺處有題支那撰述。以分於天竺日本諸撰。 今題支那必亦其意也。然則碑支那撰述可也。傳則海東崔致遠作實海東撰述也。而題支那何也。 唐大薦福寺故寺主翻經大コ法藏和尚傳 (卷1)
204 :
世界@名無史さん :2007/04/17(火) 01:18:36 0
彼支那國及大支那國。 《大方廣菩薩藏文殊師利根本儀軌經》卷18
205 :
世界@名無史さん :2007/04/17(火) 01:19:16 0
相關搜尋: 印度支那 支那之夜 密支那 抗媒-拒支那媒毒入侵台 支那堪布 支那豬 手打支那 印度支那bar 新支那論 印度支那市民大道
206 :
世界@名無史さん :2007/04/17(火) 01:44:28 0
サンスクリットをマスターした最初の中国人は、四世紀後半の訳経家竺仏念である。 それ以前では聶道真、聶承遠、帛遠といった中国人僧や在俗者が 外国人訳経者の助手として語学訓練をいくらか受けたようである。 他方、外国人伝道者たちのなかには中国語に堪能な者もいた(康僧会、支謙、ダルマラクシャ、クマーラジーヴァ) しかしこの時代の最も傑出した中国人高僧や注釈家たち(たとえば支遁、道安、竺法汰など)はまったくサンスクリットを無視した。 Cf. R.H.van Gulik,Siddham,an Essay on the Histry of Sanslrit Studies in China and Japan,Nagpur,1956,esp.P12-14 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
207 :
世界@名無史さん :2007/04/17(火) 01:55:46 0
問曰。子云經如江海其文如錦繡。何不以佛經答吾問。而復引詩書。合異為同乎。 牟子曰。渇者不必須江海而飲。飢者不必待敖倉而飽。道為智者設。辯為達者通。書為曉者傳。事為見者明。 吾以子知其意故引其事。若説佛經之語。談無為(nirvana)之要。譬對盲者説五色。為聾者奏五音也。 弘明集 (卷1)
208 :
世界@名無史さん :2007/04/18(水) 16:32:33 0
>207 これは牟子「理惑論」かと思うが、「支那」という文句は出てきていない。この部分を引用した意図は何か?
209 :
世界@名無史さん :2007/04/21(土) 11:41:56 0
問曰。子以經傳之辭華麗之説。褒讚佛行稱譽其コ。高者凌清雲。廣者踰地圻。 得無踰其本過其實乎。而僕譏刺頗得疹中而其病也。 牟子曰。吁吾之所褒。猶以塵埃附嵩泰。收朝露投江海。子之所謗。猶握瓢觚欲減江海。 躡耕耒欲損崑崙。側一掌以翳日光。舉土塊以塞河衝。吾所褒不能使佛高。子之毀不能令其下也。 弘明集 (卷1)
210 :
世界@名無史さん :2007/04/21(土) 11:51:20 0
問曰。吾子訕神仙抑奇怪。不信有不死之道是也。何為獨信佛道當得度世乎。 佛在異域。子足未履其地。目不見其所。徒觀其文而信其行。夫觀華者不能知實。視影者不能審形。殆其不誠乎。 牟子曰。孔子曰。視其所以。觀其所由。察其所安。人焉廋哉。昔呂望周公問於施政。各知其後所以終。顏淵乘駟之日。 見東野畢之馭。知其將敗。子貢觀邾魯之會。照其所以喪。仲尼聞師曠之絃。而識文王之操。季子聽樂。覽眾國之風。何必足履目見乎。 弘明集 (卷1)
211 :
世界@名無史さん :2007/04/21(土) 11:56:29 0
問曰。孔子曰。夷狄之有君。不如諸夏之亡也。孟子譏陳相。更學許行之術曰。 吾聞用夏變夷。未聞用夷變夏者也。 吾子弱冠學堯舜周孔之道。而今捨之。更學夷狄之術。不已惑乎。 牟子曰。此吾未解大道時之餘語耳。若子可謂見禮制之華。而闇道コ之實。窺炬燭之明。未睹天庭之日也。 孔子所言矯世法矣。孟軻所云疾專一耳。昔孔子欲居九夷曰。君子居之何陋之有。 及仲尼不容於魯衛。孟軻不用於齊梁。豈復仕於夷狄乎。 禹出西羌而聖哲。瞽叟生舜而頑嚚。由余産狄國而霸秦。管蔡自河洛而流言。 傳曰。北辰之星。在天之中。在人之北。以此觀之。漢地未必為天中也。 佛經所説。上下周極含血之類物皆屬佛焉。是以吾復尊而學之。何為當捨堯舜周孔之道。 金玉不相傷。隨碧不相妨。謂人為惑時自惑乎。 弘明集 (卷1)
212 :
世界@名無史さん :2007/04/21(土) 12:34:32 0
>>208 >>206 の『仏教の中国伝来』に抄訳が載っていたから。
>>206 は、当該箇所の注釈。
『仏教の中国伝来』の原題は、正しくは
The Buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA だった。
だいぶ古い本のはずが、今年の春にライデン大学支那学科より三版が出たようだ。
日本語版序文で著者が輔弼の要ありとして挙げていた、
明清に於けるキリスト教伝来との比較が加筆されているとうれしいのだが。
そうなると、現代支那で最大人口を誇る少数民族・回民との比較も見てみたいが、これは蛇足。
支那語を話すイスラム教徒の先祖をすべて海外に置き、
支那人回心者を無視しえる数とする支那学の公式見解は如何にも紋切り型だ。
既然從這得到一個訊息我也提出一個在五甲路上...有一間"手打支那"的拉麵店也是有日本氣氛...不過最近裝潢越改越氣氛越沒有了!
晩餐我們在五甲路上的"手打支那"用餐, 跟原本在我家附近的"神座"是一樣性質的店(不過後來倒了>_<) 最喜歡的是他們的豬排套餐,來十次有九飯點豬排套餐吧,
我就跟著老婆回到學校還跟著去吃"手打支那" 買了一堆東西再回去.
ˊˋ"...都欺負我啦..下次不敢ㄑ手打支那吃東西嚕~~~~超可怕ㄉTT... Reply:, 哈哈哈哈哈! 我今天又有去吃哦! 哪會可怕? 我們都很和善啊= = 對拔,阿君? ^^! ...
有的日本人甚至認為味噌味的不算是拉麵,因為太不「中華」了,春木屋至今還稱為「荻窪支那soba」,所以是道道地地的拉麵。
218 :
世界@名無史さん :2007/04/21(土) 13:31:38 0
震旦ひろしと云へども五天(北天竺・中天竺・東天竺・南天竺・西天竺)にくらぶれば一辺の小国なり 『神皇正統記』北畠親房(1339年)
Chinaみたいな呼称の日本語版ならシーナとか片仮名で書くのがいいな。 どうも漢字を使ってる時点で、中国文化っぽいから 日本独自の呼称と言うからにはひらがなかカタカナが良さげ。
220 :
世界@名無史さん :2007/04/22(日) 07:18:59 0
カンコック タイワーン
221 :
世界@名無史さん :2007/04/22(日) 10:29:06 0
222 :
世界@名無史さん :2007/04/22(日) 10:37:11 0
サミー・コンドック ヒッティ・カッター リオ・サカモンド サイモン・タクモーリー キッド・タッカー
>>219 ひらがなもカタカナも漢字を崩して出来た文字ですが、何か?
224 :
世界@名無史さん :2007/04/22(日) 10:41:37 0
チャイナにすれば問題解決
>>221 既然從這得到一個訊息我也提出一個在五甲路上...有一間"手打支那"的拉麵店也是有日本氣氛...不過最近裝潢越改越氣氛越沒有了!
もうここでひとつ出てるけど、オイラもオカップstのニュースをば…「手打支那」つーラーメン屋も日本ムードがあるよ。
けど最近改装してやればやるほどブチ壊しだけど。
晩餐我們在五甲路上的"手打支那"用餐, 跟原本在我家附近的"神座"是一樣性質的店(不過後來倒了>_<) 最喜歡的是他們的豬排套餐,來十次有九飯點豬排套餐吧,
晩飯はオカップの「手打支那」で食べた。もともと家の近くの「かみくら」と同じタイプの店だ(あとでつぶれた>_<)
一番好きなのがスペリブ定食。十回に九回は頼んでる。
我就跟著老婆回到學校還跟著去吃"手打支那" 買了一堆東西再回去.
ロボと学校に戻ってそれからまた「手打支那」で食事してあれこれ買い物してまた戻った。
ˊˋ"...都欺負我啦..下次不敢ㄑ手打支那吃東西嚕~~~~超可怕ㄉTT...
みんなで俺をいぢめる…もう二度と手打支那でメシくわねえ~~~~超こえーTT...
Reply:, 哈哈哈哈哈! 我今天又有去吃哦! 哪會可怕? 我們都很和善啊= = 對拔,阿君? ^^! ...
Reply:, ははははは!今日もくってきたぜ!ナニがコワイ?俺らみんな優しいじゃん= = だろ、阿君? ^^! ...
有的日本人甚至認為味噌味的不算是拉麵,因為太不「中華」了,春木屋至今還稱為「荻窪支那soba」,所以是道道地地的拉麵。
ある日本人は味噌味はラーメンに入らないとさえ考えている。とても「中華」でないからだ。
春木屋は今でも「荻窪支那そば」を名乗っている。だから昔ながらのラーメンだ。
「阿君」が分かんないな。単なる「あっくん」ではないだろう。
226 :
世界@名無史さん :2007/04/22(日) 15:29:42 0
おかしな垢奴老乞大
227 :
世界@名無史さん :2007/04/22(日) 15:55:12 0
又支那國者蔑戻車地。輕人賤法。諸佛所以不生。志狹垢深。 大唐大慈恩寺三藏法師傳 (卷5)
228 :
世界@名無史さん :2007/04/22(日) 15:58:46 0
黄病鬼名 呼都盧(一)阿知那知支波破(二)阿那耆支波破(三)呼梨吒支那吒支波破(四)伊耆那知支波破(五)莎呵(六) 七佛八菩薩所説大陀羅尼神咒經 (卷4)
229 :
世界@名無史さん :2007/04/22(日) 16:00:46 0
支那玄響應之者稀。大眾若據如斯見識一何少哉。 續傳燈録(卷20)
230 :
世界@名無史さん :2007/04/22(日) 16:04:11 0
夫人曰。清淨界中。失念至此。支那縁盡行即西歸。適我願兮。何怪之有。 樂邦文類 (卷3)河東鸚鵡舍利塔記
231 :
世界@名無史さん :2007/04/22(日) 16:07:57 0
攪動支那神莫測。夜深偏照古嵒隈。(宗楷元) 宗鑑法林卷五十五
>>224 それで思い出したが、谷沢永一は、うつ病の本なんかも書いてるんだな。びっくりした。
>>223 まあ、そうなんだけどさ
ひらがな、カタカナ位になると起源はともかく日本独自っぽいじゃん。
漢字を使いながら、日本における呼称ってのがちょっと引っかかるんで
既に中華とかあるのに今さら漢字で書くくらいならカタカナがいいかと
>>224 のチャイナもいいけど、「支那」も取り入れてシーナとでも言っておけば
語感が、アラビア語など他の言語とも似てるし。
234 :
世界@名無史さん :2007/04/23(月) 13:53:17 0
>>225 ありがとう。手打ち支那に日本ムードがするって・・
235 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 17:41:24 0
さて、右のことからもおわかりの通り、おれは中国料理が好きであり、 それは子供の頃、親につれていってもらった支那料理の時代からずっと続いている。 支那料理→中華料理→中国料理と次第にまずそうになっていく名称の変化はあっても味は変わらない。 そしてこの中国料理好きが、即ち以下の体験をおれに齎したのであった。 「薬菜飯店」筒井康隆 昭和63年6月新潮社 平成4年8月同文庫←現在絶版 『ヨッパ谷への降下』平成18年1月同文庫収録
236 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 17:50:05 0
「わ」おれはのけぞった。「そこまで甘えることはできません。だいいちお孫さんが 可哀相です。だってまだ、二十歳前でしょうが。このひとの爺爺ともあろうかたが、 なんてことおっしゃるのですか」 「お前のいうこと非科学的よ。それに頭も極めて古いな。人間、男女の性行為十二、三歳から可能よ。 日本人の社会的未成熟、未成年者の性行為禁じるからだよ。ライヒ言う偉い心理学者の学説がある。 人間十二、三歳から男女の性行為自由にやらせる。これ健康にも精神にもよい。 社会も安定するよ。遠慮せず誰とでもやること本当に本当によいのことだよ。 青娘(チンニャン)も喜ぶよ。それともお前、この娘嫌いか」 「薬菜飯店」筒井康隆 昭和63年6月新潮社 平成4年8月同文庫←現在絶版 『ヨッパ谷への降下 自選ファンタジー傑作集』平成18年1月同文庫収録
ジョジョ好きなら、だいたいこれ(第四部イタリア料理店の元ネタ)は読んでるだろうな。 ねらーはジョジョ好きだから、これでもう現代日本で「支那」が自粛ワードとは口が裂けても言えない訳だ。
238 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 22:29:20 0
晉何充等執沙門不應敬王者奏三首(并序) 東晉咸康六年。成帝幼沖。時太后臨朝制。司徒王導録尚書事與上舅中書令庾亮參輔朝政。 後導等薨。庾冰輔政。謂諸沙門應盡敬王者。充等議不應敬。下禮官詳議博士等議與充同。 門下承冰旨為駁。充等因為此奏焉。初奏 尚書令冠軍撫軍都郷侯。臣充散騎常侍左僕射長平伯臣翠。散騎常侍右僕射建安伯臣恢。尚書關中侯臣懷守。 尚書昌安子臣廣等言。世祖武皇帝以盛明革命。肅祖明皇帝聰聖玄覽。豈干時沙門不易屈膝顧以不變。 「弘明集」集沙門不應拜俗等事 (卷1)
239 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 22:46:05 0
八座等答桓玄明道人不應致敬事書一首 中軍將軍尚書令宜陽開國侯桓謙等。惶恐死罪。奉誨。使沙門致敬王者。何庾雖論意未究盡。此是大事。 宜使允中。實如雅論。然佛法與堯孔殊趣。禮教互乖。人以髮膚為重。而彼髪削不疑。出家棄親。不以色養為孝。 土木形骸絶欲止競。不期一生要福萬劫。世之所貴已皆落之。禮教所重意悉絶之。資父事君天屬之至。猶離其親愛。 豈得致禮萬乘。勢自應廢。彌歴三代置其絶羈。當以神明無方示不以涯檢視聽之外。或別有理。今便使其致恭。 恐應革者多非唯拜起。又王者奉法出於敬。信其理而變其儀。復是情所未了。即而容之。乃是在宥之。 弘王令以別答公難孔國張敞在彼想已面諮所懷道寶。諸道人並足酬對高旨。下官等不諳佛理。率情以言。愧不足覽。 謙等惶恐死罪 「弘明集」集沙門不應拜俗等事 (卷1)
240 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 22:56:00 0
仏教は老子、孔子と異なった道を歩んでいます。(世俗の)礼の教えは(彼らの理想から)まったくはずれています。 (一般の)人々は自分たちの髪や膚を価値あるものとみなしますが、彼らはそれを剃ったり切ったりすることをためらいません。 彼らは両親の世話を孝行とみなすことなく、その家族を捨て親族を捨て去ります。 彼らはその欲望を断じ、(すべての)争いを止めて、身体を土や木のようにします。 彼らの最終目的は(この)一生(では到達され)ず、万劫を経て幸福を得ようと期しています。 世間で高く評価されるすべてのものが、彼らによって退けられています。 礼の教えによって強調されるすべてのものは、彼らが断とうとするものであります。 父を養い王者に仕える―それは自然の関係のなかで最も完全なものであります。 しかし彼らは(一方では)彼ら(自身)の家族に対する愛着を断っていながら、 どうして(他方では)万乗に敬礼することができましょう。 八座等答桓玄明道人不應致敬事書一首(部分) 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
241 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 22:57:45 0
桓玄與中書令王謐論沙門應致敬事書一首 沙門抗禮至尊。正自是情所不安。一代大事宜共論盡之。今與八座書。 向已送都。今付此信。君是宜任此理者。遲聞コ音 「弘明集」集沙門不應拜俗等事 (卷1)
242 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 23:12:49 0
どうして結局、桓玄が屈したかは明らかではない。慧遠伝によれば、桓玄は慧遠の返答を得て、「躊躇して決しなかった」 おそらく慧遠の反論の力が桓玄のもっとも信頼する協力者である王謐の反対とあいまって、 ついにその計画を変更させたのであろう。いずれにせよ、彼は帝位についた直後かおそらくその数日前、 すなわち四〇四年一月の初め頃、サンガが世俗の王者を敬礼しない特典を許す詔を発した。 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
243 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 23:15:46 0
桓楚許沙門不致禮詔一首 桓楚得廬山遠公書及論。以太亨二年十二月三日。乃下詔停沙門致敬事。 詔曰。門下佛法宏誕所未能了。推其篤至之情故。寧與其敬耳。今事既在己苟所不了。且當寧從其略。諸人勿復使禮也。便皆使聞知 「弘明集」集沙門不應拜俗等事 (卷2)
244 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 23:22:10 0
齊武帝論沙門抗禮事一首 齊武帝。大明中敕定林上寺僧法獻。長干寺僧玄暢。於三吳沙簡僧尼。時暢獻二僧皆少習律檢。不競當世。與武帝共語。毎稱名而不坐。 後中興僧鍾於乾和殿見帝。帝問。鍾如宜鍾。答貧道比苦氣。帝嫌之。迺問尚書王儉。北地沙門與王共語。何所稱又正殿坐不。儉答。 漢魏佛法未是大興。不見記傳。自偽國稍盛皆稱貧道亦預坐。及晉初亦然。中代有庾冰桓玄等。欲使沙門盡敬。朝議紛紜事皆休寢。 宋之中朝亦頗令致禮。而尋竟不行。自爾迄今。多預坐而稱貧道。帝曰。暢獻二僧道業如此。尚自稱名。況復餘者。挹拜則太甚稱名亦無嫌。 自爾沙門皆稱名於帝王。自暢獻始也 「弘明集」集沙門不應拜俗等事 (卷2)
245 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 23:26:23 0
隋煬帝敕沙門致拜事一首(并興善寺沙門明贍答) 隋煬帝。大業中改革前政。令沙門拜帝及諸官長等。懸之雜令。至五年南郊謁帝。大張文物廣位群僚。 于時佛道二眾依前跱立。有敕云。條式久行。何因不拜。黄老士女聞便致禮。唯僧尼儼然。 時興善寺沙門明贍答帝曰。僧等據佛戒。不合禮俗。帝曰。宋武之時僧何致拜。贍曰。宋武狂勃。不拜便有嚴誅。 陛下有道。不拜不懼顯戮。帝令問對。僧尼遂散。贍明旦至闕重參有司。募敢死者對詔謝過。 内史為通昨不拜之罪。帝夷然不述。乃盡京僧尼設齋。人別施錢帛。後帝至西郊。顧謂蘇威曰。 朕謂京師無僧。昨南郊中亦有人焉。拜事因寢 「弘明集」集沙門不應拜俗等事 (卷2)
246 :
世界@名無史さん :2007/05/01(火) 23:27:55 0
震旦ひろしと云へども五天(北天竺・中天竺・東天竺・南天竺・西天竺)にくらぶれば一辺の小国なり 『神皇正統記』北畠親房(1339年)
247 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 01:43:53 0
陳 戴天仇の話がでたので思い出しましたが、戴天仇の中国における一つの系譜があると思うんですよ。 日本人が中国人を見ると、大陸的とかなんとか言うんですけど、そうじゃなくて、 やっぱり激烈な感情の起伏のある人間が中国にもいるわけですよ。 そしてこの連中を見てみると、最後に仏教に行ってしまうのね。 司馬 自分の激烈さをしずめるためには、そこにいかざるを得んでしょう。 陳 戴天仇は、終戦直後に自殺しているんですね。重慶にいたころは、仏教に凝ってしまってね。 この人は中国共産党の創立時代にも関係しているし、それから一転して、 極右になってるわけですね。それに自殺未遂は何べんもあるんです。 それから、もう一人詩人で、蘇曼殊。横浜生まれの男ですけど、これも坊主になってしまうんですね。 これは自殺じゃないけれど、ほとんど自殺に近い死に方をしているんです。 彼も最後はやっぱり仏教ですね。もう少し前の、阿片戦争のころの龔自珍、彼も最後は仏教に行く。 この連中はみな天台宗です。 「対談 中国を考える」司馬遼太郎 陳舜臣 1978年文芸春秋 1983年同文庫 2005年第27刷
248 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 01:47:07 0
倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族
249 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 01:48:46 0
陳 まあこういうふうに、大恋愛をしたり、なんやかんややってながら、 仏教に入って、しまいに何かおかしな死に方をするという一連の系譜があると思うんです。 この連中は歴史をけっして動かしてはないんですよ。 ただ、龔自珍なんかのように歴史の激動を予言したりするんですね。 これはどうも日本人に近いようなキャラクターですよ。 蘇曼殊というのは、お母さんが日本人だという説がありますけどね。 「対談 中国を考える」司馬遼太郎 陳舜臣 1978年文芸春秋 1983年同文庫 2005年第27刷
250 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 01:53:41 0
司馬 そうした激烈な感情の持ち主たちが仏教に行ったというのは面白いですね。 どちらかというと、中国では道教のほうが頑張っていて、 仏教は早い時期からそんなに強い流れではなくなっていくでしょう。 唐の時代でも栄えてはいたけど、強いものではない。 玄宗皇帝でも、仏教を選ぶか道教を選ぶかっていう段になると、道教を選ぶようなところがあるでしょう。 「対談 中国を考える」司馬遼太郎 陳舜臣 1978年文芸春秋 1983年同文庫 2005年第27刷
251 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 02:02:34 0
陳 まあそういう意味では、仏教が中国に広がる「三国志」の時代は、非常に重要な時代だと思うんですよ。 その前は道教が支配的だったわけですからね。 太平道がああいうふうにして滅びていって、それで五斗米道が残るわけだけれども、 五斗米道の中に仏教がずいぶん入っているという気がするんですね。 (略) ちょうど仏教も、直前に西域の居留民の宗教として入っていて、それがようやく広がりつつあったときですね。 それがパッとあのときに広がったと思います。 それに対抗するのではなくて、刺激されるかたちで道教があった。 仏教という競争者がなかったら道教も発展しないんだけれども、 競争者がいるから、あのころに道教は組織されたという気がするんです。 「対談 中国を考える」司馬遼太郎 陳舜臣 1978年文芸春秋 1983年同文庫 2005年第27刷
252 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 02:09:18 0
司馬 そうでしょうね。道教には仏教のような大きな形而上学、つまり宇宙観とか世界観は最初はなかったわけだから、 当然それを仏教から取り入れるでしょう。 ところが、ご利益というか、効き目は道教のほうが実際にはあるということだったんでしょうな。 やっぱりなんといっても仙人の作った丸薬は効くぜ、なんてところがあったと思う。 仏教にはないんだ、効くぜ、というやつが……効くというのは即物的ですよね。 道教は組織的に日本に入ったことはないけれども、いろんなものにくっついて入ってるね。 日本の神道の効き目の部分を形づくっているのが道教で、神官のやる礼拝部分は儒教礼ですね。 日本のお宮で交通安全のお札を売ったりするのは完全に道教の名残りですね。 道教というのは、非常に即物的なわけで、日本人の薬好きというのも、道教的かもしれんな(笑) 「対談 中国を考える」司馬遼太郎 陳舜臣 1978年文芸春秋 1983年同文庫 2005年第27刷
253 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 02:12:37 0
陳 鑑真和尚が、日本で律師を求めているときいて、行こうとするんだけども、 唐の玄宗は仏僧だけでなく、道教の道士も連れて行け、というんだね。 日本は道教なんかいらん、仏教だけだというので、ややこしくなった。 けっきょく、鑑真は密出国ですね。 唐の皇室は李姓で、老子の子孫と称していたので、いやに道教を大切にしていた。 「対談 中国を考える」司馬遼太郎 陳舜臣 1978年文芸春秋 1983年同文庫 2005年第27刷
254 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 02:17:19 0
垢奴人は三千世界厭離穢土の老乞大民族馬大哈
支那人は十九世紀から二十世紀にかけて日本から多くの単語熟語を輸入しましたが、 「鮮人」→「鮮族」もそのひとつです。 でもまあ、「朝族」は収まり悪いしな。。。
256 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 03:04:32 0
於閻浮提脂那國内作大國王名為大行。彼王能令脂那國内一切眾生住於佛法種諸善根。 震旦脂那。蓋梵楚夏耳。此稱末者。正法既滅去佛漸遙。 歴代三寶紀 (卷12)
257 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 03:06:13 0
某年月日那爛陀寺戒賢法師為脂那國僧講瑜伽論。 汝當往聽。因此聞法後得見佛。何用王為。今見脂那僧來師復為講。 大唐大慈恩寺三藏法師傳
258 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 03:07:52 0
説是語已踊躍歡喜。或歌或舞。或身動轉。以種種花散佛及僧。所謂天優缽羅花。 拘物頭花。波頭摩花。分陀利花。曼陀羅花摩訶曼陀羅花。曼殊沙花摩訶曼殊沙花。 散陀那花摩訶散陀那花。盧脂那花摩訶盧脂那花。香花大香花。適意花大適意花。愛見花大愛見花。 大般涅槃經
259 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 03:09:51 0
承脂那東國盛傳大乘佛法崇盛贍洲稱最。 乃搜集大小乘經律論五百餘甲合一千五百餘部。 以天皇永徽六年創達京師。 開元釋教録
260 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 03:12:54 0
滅遂爽本心。既是梵人不從華服。秉古志節乞求返邦。國家依聽以禮放遣。 我脂那者。實是閻浮之陸海也。為諸遐裔殊服異形咸所奔湊。其非樂土。 寧感致斯慕化而來。來者容納。思郷欲去。去者不違。還向北天。路經突厥。 遇値中面。他缽可汗。慇重請留。因往復日。 大唐内典録 (卷5)
261 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 10:13:51 0
262 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 11:04:55 0
倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族 倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族倭奴人は史上最低最悪の鬼畜民族
263 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 19:53:41 0
>>261 日本の仏教事典には、眼花の意味なり、としか書いてないのですが、
どういう意味でしょうか?線香の煙で目がチカチカすることでしょうか。
盧脂那花(亦云盧遮那此云眼花也)…一切經音義
盧脂那(譯曰牛黄)…翻梵語
まあここではその単語が含まれていればいいと思ってます。
さすがに、「一支那種的感覚」などは書きたくありませんが。
264 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 20:07:22 0
概略すれば、僧侶に反対する議論には次の四つの型がある。 a 仏教界の活動は、政府の権威と国家の安寧と繁栄とに多くの点で有害なものである。 (政治・経済面での議論) b 僧院生活は、現世ではいかなる具体的な結果も生みださない。それゆえ無用で非生産的なものである。 (実利面での議論) c 仏教は「夷狄」の教えで、未開な外国人の要求に沿うものである。 仏教は黄金時代の記録には記されていない。 すなわち古代の聖人はそれを知りもしなかったし、必要ともしなかった。 (文化的優越感に基づく議論) d 僧院生活は、社会的礼を規定した聖典に対する非人道的な侵害を意味する。 それゆえに非社会的で、まったく不道徳なものである。 (道徳面での議論) 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
265 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 20:18:11 0
剃髪と僧衣は社会との完全なる断絶を象徴する。 換言すれば、サンガは世俗の権威に関するいかなる義務をも免れた自主的組織で、国家の管理に頼らないと主張する。 いうまでもなくこの態度によって、サンガは儒教国家の最も根本的概念の一つである原理に異議申し立てをした。 中国人王朝が外国の侵略者によって南方へ追われ、皇帝自身が完全に無意味な存在となっていた四世紀においてでさえ、 儒教を奉じる政治家・学者・将軍たちは、(この三者がおおいに一致して)皇帝の権威という虚構を維持しつづけ、 そして実際の状況を完全に無視して、 「天下に王のものでない土地はなく、国の果てに至るまで、王者の臣民でない者はいない」と繰り返し主張した。 この態度は政治的な便宜主義によるが、この時代でさえ中国思想の特性であった統合、階級という伝統的な理想によって、 四世紀と五世紀初めに仏教界と国家間の衝突を再三引き起こすこととなった。 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
266 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 20:32:21 0
支配者とは宗教的霊気に包まれている者である。すべての臣下を生あらしめるのが王であり、 自然の創造力を体現する。そして王の務めそれ自体が、自然の運行そのものをさす語、「化」である。 権威者に対する不服従やそれからの退避は、単に不法や反社会的なばかりでなく、 そのような行為は、サンガの自治についての論争で明らかに示されるように、冒瀆という要素を含んでいる。 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
267 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 20:33:32 0
其尊一也。沙門所乘雖異跡不超世。豈得不同乎天民。 集沙門不應拜俗等事 (卷2)
268 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 20:35:51 0
僧が信奉する(その教えは)素晴らしいであろうが、 (通常の)活動において彼らはこの世界を超越してはいません。 どうして彼らは普通の人と異なるとみなされる(特権を)もちえるのでしょうか。 集沙門不應拜俗等事 (卷2) 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
269 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 20:47:54 0
今沙門甚眾。或有姦宄避役多非其人。可料簡詳議偽。 高僧傳 (卷9)
270 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 20:51:27 0
匈奴王の石虎(在位三三五〜三四九)が発したサンガの沙汰を命ずる布告には、以下のように述べられている。 今や僧侶の数ははなはだ多い。彼らのうちには悪漢や労役の忌避者があり、 その多くは(宗教的責務を行うに)ふさわしくない。これは考慮され調査されるべきで、 (個々の僧侶の)真偽は詳細に審議されるべきである。 高僧傳 (卷9) 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
271 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 20:52:54 0
里閭小人無爵秩者。為應得事佛與不。 高僧傳 (卷9)
272 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 20:54:34 0
また同じく匈奴王は、以下のようにも質している。 爵位や地位もない村里の民衆が、仏に仕えることを許されるや否や。 高僧傳 (卷9) 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
273 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 21:06:27 0
則可以道廢人。固不應以人廢道。 弘明集 (卷12)
274 :
世界@名無史さん :2007/05/03(木) 21:11:53 0
どの場合にも仏教側の反論は同じである。すなわち比較的少数の下劣な僧侶の悪い行為をもって サンガ全体を(ましておや教義を)非難するべきではない。 堕落した儒学者がいるからといって、経典を廃止することを望むであろうか。 不尚の息子丹朱の性格を改められなかったからといって、偉大な尭の教えは不適当なものであろうか。 慧遠は桓玄への手紙で述べている。 道のために人を廃しても、人のために道を廃するべきではありません。 弘明集 (卷12) 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
275 :
世界@名無史さん :2007/05/09(水) 21:16:10 0
ここは仏教系スレになったのか?
276 :
世界@名無史さん :2007/05/13(日) 21:20:25 0
ところで、中国はおもしろい国でですね、せっかくサンスクリットの梵本のお経を中国語に翻訳したのに、 翻訳してしまうと、そのサンスクリットの原典を捨ててしまうのです。 われわれ日本人はそれに反して、そんなことはしません。 たとえば、ヘーゲルやカントの原典を、ドイツ語から日本語に訳しても、 ドイツ語の原典も大事にして、大学ではゼミナールに使うでしょう。 中国はアメリカと同じようです。 アメリカと同じというのは、アメリカもおもしろい国なんですね。 ドイツ哲学をやるのにですね、カントやヘーゲルの英訳書でやるのです。 つまり英語になおしたものはそれで充分だというのです。一々ドイツ語に戻らなくてもいいという。 中国もそういう気位をもっておりまして、サンスクリットの原典をすててしまうのです。 そして、自分たちの訳した漢訳の佛典が一番のよりどころであると考えるのです。 「大乗仏教入門」大無量寿経 早島鏡正 大蔵出版
277 :
世界@名無史さん :2007/05/13(日) 21:26:57 0
孫悟空がおともをした三蔵法師は、唐の時代の玄奘というお坊さんがモデルだそうだ。 玄奘は中央アジアの砂漠をこえて、はるばるインドにおもむき、大量のお経をたずさえて帰国した。 それから亡くなるまで、仕入れてきたお経を中国語に翻訳し続けた。 ところで、そのお経はインドや中央アジアの言語で記されていたのだから、貝葉という薄くて細長い葉っぱに書いてあったはずである。 (中央アジアなら白樺の皮、のちには紙に書かれた) 訳された経典の膨大さから考えたら、さぞかしたくさん葉っぱがあったろう。 ところが玄奘がもってきたはずの葉っぱのお経は、一枚も残っていない。猪八戒が食べたのだ。 シリーズ道教の世界3「老子神化 道教の哲学」 菊池章太 春秋社
278 :
世界@名無史さん :2007/05/13(日) 21:28:23 0
震旦ひろしと云へども五天(北天竺・中天竺・東天竺・南天竺・西天竺)にくらぶれば一辺の小国なり 『神皇正統記』北畠親房(1339年)
279 :
世界@名無史さん :2007/05/13(日) 21:37:34 0
280 :
世界@名無史さん :2007/05/13(日) 21:46:40 0
この宇宙観は外国人である仏教徒によってどのように受けとめられるだろうか。 唐代の名僧である玄奘は、この図式のほかに、次の図式をも示している。 それは贍部州の四君主についての図式であって、それによれば、南に象主が現われ、西に宝主、北に馬主、東に人主が現われる。 すなわち、東には人主が配せられ、さきの図式よりは東の格が一段とあがっている。 東の地域は仁義の行われる土地であって、あきらかに中国をさしている。 西の宝主の治める地域とは、イランを含むオリエントであり、人々は財貨を重んじて、礼儀を欠く。 北の馬主の治める国の人民は性質があらあらしい。 南の象主の治める国は、仏教僧である玄奘にとっては、上等でなければならない。 だから彼はいう。礼や法は東の国がすぐれているが、宗教は南の国がすぐれている、と。 「須弥山と極楽 仏教の宇宙観」定方 晟 講談社現代新書
281 :
世界@名無史さん :2007/05/13(日) 21:53:17 0
あるとき、豊臣秀吉の御前で、だれが一番大きい歌をよむかという競争が行われた。一人の家臣が進みでて歌った。 須弥山に腰うちかけて眺むれば雲の海原目の下にあり すると、他の家臣が、私のほうがもっと大きい歌を、といって次のように歌った。 須弥山にかけたる人を手にとりてぐっと呑めどものどにさわらず そこで、秀吉の寵臣で一番の知恵者である曾呂利新左衛門がもっと大きい歌を歌う。 須弥山にかけたる人を呑む人を鼻毛のさきでふきとばしけり 「須弥山と極楽 仏教の宇宙観」定方 晟 講談社現代新書
282 :
世界@名無史さん :2007/05/13(日) 22:08:36 0
私どもが、むかし小学校で習いました読本のなかに、つぎのようなお話があります。 雪山、つまり、ヒマラヤの山中で、ある若い修行者が修行していた。たまたま天に声があって、 いろはにほえどちりぬるをわがよたれぞつねならむ という歌が聞こえてきた。 この歌の声を聞いて、素晴らしいことばだと感じたけれども、どうもそれだけで終わっているようにはみえない。 何かそのつづきがありそうだと、その修行者はしきりに気になった。そこに羅刹があらわれまして、 「知りたければ教えてやろう。ただしおれは飢えておる。生き血と肉がほしいのだ」といいます。 その羅刹の恐ろしい顔をみても修行者はひるむことなく、 「よろしい、私の命をさしあげましょう」と答えます。羅刹は うゐのおくやまけふこえてあさきふめみしゑひもせず とあとの半分をうたってくれた。約束にしたがってその修行者は山の峰から谷底に身を投げた。 そのとたん、その恐ろしい姿をした羅刹が、帝釈天の姿に変わって、修行者を抱きとめてくれた。 その修行者こそほかならぬ若き日の釈尊であったというようなお話であります。 このお話の出所がどこにあるか、そのときは知るよしもなかったわけでございますが、 これが実はこれからお話する『涅槃経』のなかにでてくる一つの大変に有名なお話なのであります。 「大乗仏教入門」涅槃経 高崎直道 大蔵出版
283 :
世界@名無史さん :2007/05/13(日) 22:29:48 0
「あなたがたはまだ心が揃っておりません、修行がたりません。 兎だけが何も贈りものをしてくれませんからね」 そのとき兎がいった。 「みなさん、たきぎをたくさん集めて下さい。ちょっと私に考えることがありますから」 狐と猿は走っていって枯れ草や枯木を集めてきた。兎はそれに火をつけてからインドラ神にいった。 「御老人、私には力がなくて食べものをもってきてあげることができません。 どうか私のこのからだを食事にあてて下さい」 兎はそういうと、ただちに火の中にとびこみ、焼け死んだ。 インドラ神は本来の姿に戻り、たきぎの中から兎のなきがらをとりだし、ためいきをつきながらいった。 「なんとやさしい心根なんだろう。ここまで思いつめるとは…… この出来ごとを後世に伝えるため、兎を月の中に残そう」 それ以後、月の中には蝦蟇蛙がいるようになった。 「須弥山と極楽 仏教の宇宙観」定方 晟 講談社現代新書
284 :
世界@名無史さん :2007/05/13(日) 22:35:18 0
それらはインド仏教では、僧侶が現世で守るべき行動規範とは解されていなかった。 しかし中国では「身体の犠牲」(遺身)がこのように理解され、それゆえに実行された例がきわめて多い。 「遺身」の風習は、一つの有名な文献に由来している。それは『法華経』に述べられている一切衆生喜見菩薩の物語である。 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
285 :
世界@名無史さん :2007/05/13(日) 22:42:02 0
四世紀にこのような「身体の犠牲」(atmabhavaparityaga)の唯一の例がある。 「薬王菩薩の例にならうことを願」う僧法羽は自らの身体を燃やすことを決め、 現在の山西省にある蒲坂の都督に当時任ぜられていた姚緒(チベット人支配者姚襄の伯父)からその許可を求めた。 都督はただちにその計画の遂行を認めた。そこで法羽は油を浸した布で身を包み、 『法華経』「薬王品(捨身品)」を誦し、火をつけた。 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
286 :
世界@名無史さん :2007/05/13(日) 23:07:27 0
自焚は五世紀には不気味な流行となった。 四二五年、慧紹は薬王菩薩の物語に感動して、見物人の群衆の前で自らに火を放った。 四五五年、「薬王品」にならって僧瑜は、大勢の僧侶を集め、薪の山に登り、炎が頭に達し声のつきるまで『法華経』を誦しつづけた。 平南の長史張弁はその光景を目のあたりにして賛を書いたが、それは『高僧伝』に残されている。 四五九年僧慶は二十二歳のとき、蜀の太守と大勢の見物人の見守るなか、「成都、武惨擔寺の西、維摩詰の像の前で」自らを燃やした。 四年後、皇帝、皇子、宮女、多くの貴顕が見守るなか、慧益は周到に準備したのち、 衣服に油を浸しそれに火を放ち、声の続くかぎり「薬王品」を誦しつづけ自焚した。 これに類する多くの異常な記述が、『高僧伝』巻一二(大正蔵五〇)と『続高僧伝』巻二七(大正蔵五〇)に載せられている。 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
287 :
世界@名無史さん :2007/05/13(日) 23:21:20 0
或難曰。 周孔之教。以孝為首。孝コ之至百行之本。本立道生通于神明。故子之事親。 生則致其養。沒則奉其祀。三千之責莫大無後。體之父母不敢夷毀。是以樂正傷足。終身含愧也。 而沙門之道。委離所生棄親即疏。刓剔鬚髮殘其天貌。生廢色養終絶血食。骨肉之親等之行路。 背理傷情莫此之甚。而云弘道敷仁廣濟群生。斯何異斬刈根本脩枝幹而言文穎碩茂。 未之聞見皮之不存。毛將安附。此大乖於世教。子將何以祛之 弘明集卷第三 孫綽喩道論
288 :
世界@名無史さん :2007/05/13(日) 23:28:51 0
沙門の道は、彼に生を与えたものを捨てることから成る。 彼は肉親を捨て、他人へ向かう。沙門は髭と髪を剃り、生来の容貌を損なう。 (両親が)生きているとき彼らを「悦びの顔色」で養うこと(色養)をやめ、 死んだときも(彼らの霊に対する)犠牲を断つ。沙門は肉親を路傍の他人と同じにみなす。 適理の無視、人情の冒瀆、これよりはなはだしきものはない。 弘明集卷第三 孫綽喩道論(部分) 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
>>275 「支那」が仏典に由来する言葉である以上、
「支那」という言葉を包む仏教的価値観の何を支那は受容し、何を変容させたのかってことかな。
仏教社会の変質と科挙の関係について語るところまで行くと、学士論文レベルにはなるような
最初の方向性とは関係無く レベルが高くなるというのは 妙に「支那」っぽくて面白い。
292 :
世界@名無史さん :2007/05/28(月) 15:59:41 0
政治的呼称の「中国」と 学術的呼称の「支那」と この板で使うべき名称は 明らかだな
293 :
世界@名無史さん :2007/06/06(水) 14:11:36 0
政治的呼称の「日本」と 学術的呼称の「倭」と この板で使うべき名称は 明らかだな
294 :
世界@名無史さん :2007/06/06(水) 21:20:17 0
>>293 まつたく上と対応関係にないけど・・・・・
295 :
世界@名無史さん :2007/06/06(水) 21:34:26 0
政治的呼称の「大和、日本」と 学術的呼称の「日本」と この板で使うべき名称は 明らかだな 倭は蔑称じゃん。 これに対応するのは蛮子じゃないの。
297 :
世界@名無史さん :2007/06/06(水) 21:39:03 0
「日本」は中国に対する政治的呼称。 「倭」は古くからの日本の自称でもある。古事記にも使われている。 蔑称などではない。
298 :
世界@名無史さん :2007/06/06(水) 23:58:15 O
中国って呼び名が定着してる中、未だに頑張ってシナと呼び続けてる人って何なの?
>>298 スレタイにあるけど一般社会では中国でいいけど、学問板では支那を使わないと
m9(^Д^)プギャーーーッされるというだけのお話。
たまたま別件で戊戌変法の梁啓超を調べいたらペンネームの一つに「支那少年」を
使っていてビックリ
300 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 01:05:10 0
一般社会では日本でいいけど、学問版では倭を使おうね。 古事記、万葉集の時代から倭なんだから。
301 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 01:53:10 0
>>298 「中華人民共和国」の略として、だわな。
それ以上でもそれ以下でもない。
あの国のことだから、どうせ今世紀中にはまた国名が変わる。
変更後の略称が「中国」にならない場合、もう日本人がこれを呼ぶことは無いよ。
崩壊の前後を区別する必要性が生じるからね。
>>300 そうそう、古事記に由来するなら中国(なかつこく)でもいいよねw
爾高御産巣日神・天照大御神之命以、於天安河之河原神集八百
万神集而、思金神令思而詔、此葦原中国者、我御子之所知国、言依所賜之
国也。
>>300 「倭」というのは、記紀万葉の時代「から」じゃなくて、「まで」だろう。
支那の典籍には、それ以後にも「倭」の用例が見受けられるけれども、
それは「支那における学問」の領域に過ぎず、こちらとは関係が薄い。
こちらは、支那でも「支那」という用語を使え、と言った覚えは無いぞw
われわれが「支那」という用語を使うのは、たとえば上記の文のように、
「○○では、それ以後にも」という場合、他に適当な言葉が無いからだ。
唐、明、清、その他すべてを引っくるめて指す言葉は「支那」以外に無い。
支那人なら「中国」という言葉が使えるけれども、外国人は使えないから。
304 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 07:28:01 0
>>303 おいおい、平安だって倭を自称として使っている。
日本なんてたかだか7世紀頃に作られた政治名称に過ぎないのだから、
政治名称に無関係に呼ぶなら倭が適切。
305 :
296 :2007/06/07(木) 08:07:07 0
>>297 調べてみるとほんとだった。
支えるの一字をもって支那を蔑称とするがごとき早計さである。
ご指摘ありがとうです。
306 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 09:09:05 0
>>301 「中国」は「中華人民共和国」の略称じゃないよ。調べてみろ
307 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 09:31:13 0
>>305 歴史的名称として「倭」=(和、大和)と呼ぶことに誰も異存はないだろう。
「漢和」辞典は本来「漢倭」辞典だ。
「日本」という名称は7世紀頃に作られた政治的名称で、これについては
網野善彦がしつこく書いていた。
「倭」を「和」と書き換えた理由はよくわからない。漢字で「倭」に悪い意味は
ないのに勝手に教養のない日本人が悪い字だと誤解して変えたという説はある。
308 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 10:09:13 0
【倭】 [1]イ(ヰ) @したがうさま。柔順なさま。また、つつしむさま。 Aうねって遠いさま。 [2]カ(クワ)、ワ やまと。昔、中国で日本を呼んだ名称。 【委】 [1]イ(ヰ) @ゆだねる。まかせる。「委託」 Aくわしい。つぶさ。ことこまか。「委細」 Bまげる。かがめる。 C積む。かさねる。「委積」 Dすてる。すておく。みすてる。「委棄」 Eしおれる。なえる。「委靡」 [2]イ(ヰ) 役所にたくわえておく穀物。また、その倉庫。 [3]イ(ヰ) 美しいさま。また、ゆったりしたさま。
309 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 10:11:22 0
aaa
かっては周の都城のみが「中国」だった。
311 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 12:34:55 0
>>307 そのことだけど、古代(漢代以前)の「倭」はもしかしたら朝鮮半島を含む
極東に住む異民族だったのかもしれない。
そしてハクスキノエの戦いで大敗した列島の「倭」は半島の「倭」を
憎み(任那を失ったし)対立し、差別化を図る意味で「倭じゃなくて
日本を使ってくれ」とときの支那皇帝に主張したのかもしれない。
312 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 13:34:24 0
そこで古田武彦説=九州王朝説ですよ。
313 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 13:42:36 0
>>298 最初の統一王朝「蓁」に由来するものかと。まあ、
中国という国号が用いられたのは、やはり「中華民国」「中華人民共和国」が
定着した事。中華とは東夷、西戒、南蛮‥と文明に浴さない未開人に囲まれた
世界の中心の華という事になろうけど、上記の国々の建国時は、冗談でも、
世界の中心に咲く華と呼べる状態ではなかった。ま、建国の志を国名に託して
見せたという事かと。
逆の意味でシナの時代こそ、東アジアの覇権国家として、諸王朝が周辺諸国を
侍らせて威張っていたわけだろうから、「支那」の呼称はその時代への懐旧を
籠めているんだろうな。ただ、今の中国がこの呼称を拒んでいるのは、
東アジアの覇権国家じゃ物足りない、というのが真意かも
所謂「支那」と呼称される地域、はっきり定義されてるわけじゃないだろうけど、 それと現在の中華人民共和国の領土などが一致しないからだろう。 だからこそ支那と呼びたい人もいるし、 逆に呼ばせたくない人もいると。
315 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 16:57:16 0
東北以北や沖縄はかつては現在の観念の「日本」じゃなかったのだから、 学問版では「倭」と呼ばないといけない。
>>304 名乗りの動機なんて、政治的だろうが、外交上だろうが、何でもいいんだ。
日本の場合は、どの時代でも、「日本」で用が足りるんだから、それでいい。
「支那」も、「学問上の正確さ」より、「学問上の必要性」が先に立っている。
漢とか、明とか、その他すべての時代を通して指す言葉は、どうしても必要だ。
で、「から」「漢土」「大陸」に比べりゃ、「支那」のほうが、まだ「正確さ」がある。
他にマシな言葉がないから、「支那」を使っているだけの話で、他意はないんだ。
317 :
316 :2007/06/07(木) 18:35:11 0
また、言わずもがなの補足をするならば・・・・・ それぞれの時代、それぞれの地域を指すときは、 もちろん、それぞれ、適切な用語を使うわけだが。 しかし、「倭」やら「大和」やら「大日本帝国」やら、 すべてを引っくるめて、「日本」という言葉が必要だ。 同じく、「殷」やら「元」やら「中華人民共和国」やら、 すべてを引っくるめて、「支那」が必要、というわけだ。
>>316 >>317 おまえの文章の「支那」を全て「中国」に置き換えて読んでも何の不都合も無い訳だが。
>>318 もしも、あなたが支那人であるなら、それで何の不都合もないよ。
「中国」というのは、「われわれ」「わが国」という意味だから。
現在の支那では、この普通名詞としての「中国」の持つ感覚と、
「中華人民共和国」の略称としての「中国」が結びついている。
しかし、それは、あちらの話で、こちらとは何の関係もないわけだ。
日本人にとって、普通名詞としての「中国」は「日本」なんだから、
「中国」という言葉に同じ感覚を持て、というのは無理な話だろう。
「中国」という言葉に抵抗を感じない人は、言葉に対する感覚の鈍い人か、
漢籍に親しんだ経験のない人か、あるいは「中華崇拝」の儒者ぐらいだろう。
320 :
世界@名無史さん :2007/06/07(木) 22:48:53 0
>>319 その「中国人」にとっては、江戸時代の日本には沖縄は含まれない。
だから中国人は、日本を「倭」と呼ぶしかないんだ。
321 :
世界@名無史さん :2007/06/08(金) 00:06:29 0
琉球に藩がおかれるのは1872年の事だし、 沖縄県設置は1879年位の事だからね。 琉球は薩摩藩に従属していたけど明治以降なら未だしも 明治以前は別の国と考えるのが妥当。 琉球国は独自に外交をしていたり条約まで締結している。
>>320 日本も、支那も、時代によって版図が変わっているでしょう。
で、すべての時代を引っくるめて、ということを言っている。
日本においては、「日本」と「支那」が適当なところだろう。
支那においては、「中国」と「日本」が適当かな、と思うけど、
これは、こちらの考えであって、実際には、支那人の勝手だろう。
あちらで学問をやる限り、好きなようにしたらいいんじゃないかな。
しかし、日本においては、日本での用法というものがあるのだから、
支那での用法を、そのまま使ったって、話が通じないだろうと思う。
まぁ、支那人ともあろうものが、外国で自国の流儀を押し通すような、
田舎臭い真似をするはずもないから、心配は無用だろうと思っている。
>>319 >「中国」というのは、「われわれ」「わが国」という意味だから。
>日本人にとって、普通名詞としての「中国」は「日本」なんだから
「わが国」の意で「中国」つって話が通じると思ってんのか?
おまえの言葉に対する感覚の方がよっぽどどうにかしてる罠。
現代人が普通に「中国」つったら現在の中華人民共和国がある地方の通称のことなんだよ。
明治期〜戦前に「支那」つってた意味で「中国」つって何の不都合も無い。
324 :
世界@名無史さん :2007/06/08(金) 01:40:21 0
>>323 もちろん、日常会話では、「中国」でも構わないでしょう。
わたしは使いませんが、使う人に対して異を唱えません。
で、このスレで問題になっているのは、学問の領域なんです。
歴史を学ぶ人間でありながら、普通名詞「中国」が通じない、
なんていう人があったら、信用しないほうがいいでしょうね。
326 :
世界@名無史さん :2007/06/08(金) 10:10:53 0
「中国」を「わが国(誇るべきわが国といった含意あり)」と言う意味で使う場合は 必ず「悪いエビス」がその文脈に出てくる。たとえば「礼がないのは中国に あらず、エビスである」という風に。「エビスの礼を取り入れエビスの服を着るのは 中国の人にあらず」など。
327 :
世界@名無史さん :2007/06/08(金) 12:56:24 0
日常的に中国と使用されているのに中国と言う用語を否定しようとする人たちは頭がイカれているのではないのですか? シナを変換しても支那という語すらでないし、 支那が枯れた言葉であるのは間違いないのですよ 結論から言うとシナ推奨派は死ねよ
328 :
世界@名無史さん :2007/06/08(金) 13:09:49 0
>>327 だからこれは政治の問題なんだよね。公的には現在の中国政府の見解
に拠るしかない、という事。ただ、認識としては所詮は歴代諸王朝の一
つの展開という事で
329 :
世界@名無史さん :2007/06/08(金) 14:11:31 0
支那を中国と呼ぶなら 北朝鮮を「共和国」と呼ばないとな
330 :
世界@名無史さん :2007/06/08(金) 14:41:48 0
支那を中国と、北朝鮮を共和国と呼ぶなら 日本国を「国」と呼ばないとな
>>325 >で、このスレで問題になっているのは、学問の領域なんです。
東洋史学でも今時「支那」なんて言わないのに、おまえの言う学問とはどの領域だ?
そもそもある概念に対する名称なんてものは何でも良い訳で、彼の地を指す通称が戦前はたまたま抹香臭い「支那」だっただけのこと。
その以前は「もろこし」だったし、現代は「中国」ってだけ。
政治的だろうが仏教的だろうが山姥ギャル言葉だろうが、8〜9割り方普及してしまえばそれが正。
将来例えば「チョンコ」が普及すれば「チョンコ」と言えば良いし、「支那」が復活すれば「支那」で良い。
史学者間でも曾ての「支那」を「中国」に置き換えて事足りてるのに、おまえだけが言葉っつうもんはコミュニケーションの手段であって目的ではないことが分かってないだけ。
332 :
世界@名無史さん :2007/06/08(金) 22:56:47 0
シナが秦に由来するなら、当然日本は倭でなければならない。
別に倭でもいいけど。倭建命もいるし。 当然読みは「やまと」になる。英語表記だとYamato。 おお、なんかJAPANよりカックイイぞ、YAMATO!
334 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 09:51:39 0
>>333 そのとおり。「倭(やまと)」だね。
だからマジで中国をシナと呼ぶなら、日本は「倭(やまと)」であるべき。
335 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 15:32:30 0
때놈(垢奴), 쪽발이(猪脚), 조센징(朝鮮人)
http://xacdo.net/tt/index.php?pl=385&ct1=-1 중학교때 별명이 '때놈'인 친구가 있었다.
중국 사람처럼 생겨서 때놈이라고 부르고 놀렸는데,
가만 생각해보니까 이게 욕이 아닌 것 같았다.
때놈은 때국놈, 즉 중국을 때국이라고 부르는 것에서 나온 말인데,
여기서 때국이란 다름아닌 대(大)국이다.
즉 '때놈'은 '큰 나라 사람'이라는 뜻이다.
336 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 15:34:34 0
때놈은 욕이 아니고 뙈지놈의 준말이랍니다.
337 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 15:35:22 0
왜놈,때놈 정벌!
338 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 15:39:07 0
339 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 15:42:09 0
한족(때놈)이 언제 우리 조상이오? 漢族(テノム)がいつうちの先祖です? 백제가 일본으로 흡수됐다한들 일본이 우리것이오? 百済が日本に吸収されたと言ったところで日本が私たちのものです? 말도 안돼는 사고방식........ 言葉もならないa考え方。。。。。
340 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 15:42:56 0
왜놈,때놈 정벌! 倭奴、垢奴征伐!
支那と中国、どちらを使っても構わないだろう。 高島俊夫先生の新刊「座右の名文」の内藤湖南と津田左右吉のところなんか、 支那乱舞で実に微笑ましい。 もっとも、支那使いである先生の内藤湖南評は、ウヨにはあまり面白くないかもしれない。 呉智英は明らかな左翼崩れだし、現代の支那使いって実は反日共系のサヨなんじゃないかと思わないでもない今日この頃。
日共系のサヨ=スターリニスト 反日共系のサヨ=トロツキスト ゲバT=ただの若者
343 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 18:31:42 0
例えば、江戸時代の百科事典「守貞謾稿」の貨幣編に「支那」の二文字は使われているけれど、
同時に「中華」も使われているんだよね。
「皇国」は昔は自国鋳造の貨幣がなかったので「異邦」から輸入し、
「皇国」で貨幣を鋳造するようになってからも「宋」「元」「明」から輸入を続け、
江戸時代に「和蘭」「支那(中華)」と出島貿易を開始し、
江戸末期の黒船来航以降蕃人と小判を闇レートで取引するものが出てきて…と、
「支那」を使っているにも関わらず呼称が一貫してないんだよね。
古代支那は「異邦」で永楽銭の輸出元は「明」、作者の執筆当時国交があったのは「支那」
なぜこういうおかしな表記をしているのかというと、
欧米化が進むまで日本の知識人が仮想の支那に呪縛されていたから、としか言いようがないけどね。
守貞謾稿
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E8%B2%9E%E8%AC%BE%E7%A8%BF
古代支那を「異邦」と呼び、清を支那と呼ぶ感性は、朝鮮人の小中華意識と通ずるものがあるといえよう。
345 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 18:45:18 0
ちなみに「守貞謾稿」は貨幣編以外の個所では、「もろこし」も使ってます。
346 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 19:43:02 0
まず「外(外国)から呼ばれる通称」と「自国がよぶ美称・尊称」を 分けて考えたほうがいいよ。 「支那」とは「外国から呼ぶ場合の」中原ないしは支那大陸にある地域や皇朝名を言う。 「中国」とはそこに住む人々が自国を呼ぶ場合の美称。ちなみに日本も自国を「中国」と 名乗った場合もある。 「倭(やまと)」は「外国から呼ぶ場合の」日本列島の地域や国家の通称。蔑称ではない。 北朝鮮が蔑称という意味で「倭国」と使っているが、それは日本領だったときに日本人が 嫌ったからその名残か? 「日本」は日本が自ら名乗る場合の呼称。尊称では実は「ない」。日本の尊称は「中国」で あり日本ではない。日本とは「日の出る方向」をいい、「旭日のごとき勢いのある国」という 意味はない。かつて日本が支那の煬帝に送った手紙で「日出ところの天子云々・・」という 手紙があったが、あの文章で煬帝を怒らせたのは「日いずる処」じゃなくて「天子」を使った から。なぜか日本人の多くはこれを「旭日の国から落ち目の日没する国へと書いたから煬帝が 怒った」と勘違いしている人が多いが誤りである。ときに支那朝鮮が天皇を「日王」と呼ぶのも こういった華夷秩序意識からきている。日本の尊称は葦原の中つ国でも可。大和言葉でイイ!
347 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 19:45:06 0
とよあしはらのなかつくに
348 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 19:49:35 0
四世紀後半以前では、サンガに入った者は本姓を師のそれに改めるのが一般的であった。 (もし師が外国人であるときは、それは実際の姓ではなく、一種の民族名であった。 パルティア人は安、月支人は支、インド人は竺、コータン人は于、ソグド人は康、 クチャ人は帛 -クチャを治める一族の姓の音写であった)。 この慣習を道安が変えた。彼が襄陽に住んでいたときに(三六五〜三七九)、 すべての僧侶の姓として釈(釈迦)を導入した。 ややのち(三八五)、この方法は『増一阿含』の一文によって正当化されたようで、これが一般的な慣習になった。 四三四年に没した有名な竺道生は、現存する文献によれば、この古い形の宗教姓をもった最後の中国人僧侶の一人であった。 われわれにとって改姓はささいなことであろうが、家やそれに係わるすべてがほとんど絶対であった社会では、 それは最も意味深い象徴的行為であった。 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
349 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 19:59:32 0
仏教とは、老子が「化胡」のために西方へ出発したのちに説いた教えにほかならないとする説は、 二世紀後半の道教社会で生まれた。後世、仏教の対抗者、特に道教徒はこの伝説を仏教界に対抗する武器として用いた。 彼ら道教徒たちが主張するのは、この異国の教えが単なる道教の弱体化し堕落したものであり、 野蛮な人々の要求に適合し、あるいは彼らの破壊をも目的としており、 したがって中国へ将来するにはまったくふさわしくないという点である。 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
350 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 20:17:42 0
然王浮化胡經云。胡人凶_。故化之為佛令髪赭絶嗣夫何惑哉。 胡人は邪悪で野蛮であった。それゆえに(老子)は彼らを仏教に帰依させ、 剃髪し、茶褐色(の衣)をまとい、子孫をもたないことを命じた。 北山録(卷5) 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
351 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 20:31:22 0
三破論曰。有此三破之法。不施中國。本正西域。何言之哉。 胡人無二剛強無禮。不異禽獸。不信虚無。老子入關故作形像之教化之。 又云。胡人麤穣欲斷其惡種故。令男不娶妻女不嫁。夫一國伏法自然滅盡 胡人は仁(の情)をもたない。彼らは荒々しく、強情で、礼節を欠いており、何ら野獣と異なるものではない。 このような獣ゆえに、彼らは虚と無(何ら形をもたない)を信ずることは(でき)なかった。 そのために老子は(西の関)門に入って、彼らを帰依させんとさまざまな像を造った。 胡人は野蛮人であるので、(老子)は彼らの邪悪な種を止滅しようとした。 それゆえに老子は男たちにいかなる女とも結婚せず、女たちにいかなる男とも結婚しないよう命じた。 (胡の)国はおのずから消滅するであろう。 弘明集 (卷8) 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.Z
352 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 20:45:13 0
六六八年、唐の高宗のとき、『化胡経』は禁止となったが、六九六年には道教徒は武后を説得してこの決定を無効にしようとした。 九年後の七〇五年、僧恵澄は上奏してこの書の禁止を求めた。 そしてこの年に、再び『化胡経』とこの種の著作が、道教びいきの廷臣たちの反対にもかかわらず、公式に禁止された。 しかしこの禁令は効果がなく、化胡文学は宋代になってさらに伸展した。 だが最後の勝利を獲得したのは仏教界であった。 十三世紀中頃に、仏教界はモンゴル宮廷での特権的地位をもって皇帝を説得し、 書籍の審理、すべての化胡文学の厳禁、さらに禁止された書物の写しまですべて完全に廃棄すべしという勅令を発布させることができた (一二五八年、一二八一年、一二八五年の勅令)。このときの禁令は功を奏した。 初期の文献、特に仏教の護教論に散在する引用文や、後世の奇妙なさまざまな種類の『化胡経』 (その一つは敦煌出土、マニ教の影響の跡が見られる)の数巻を除いて、『化胡経』とこの類の書物は消失してしまった。 『仏教の中国伝来』エーリク・チュルヒャー著 せりか書房 原題:the buddhist CONQUEST OF CHINA THE SPREAD AND ADAPTATION OF BUDDHISM IN EARLY MEDIEVAL CHINA by E.ZÜRCHER
元代は正史に「支那」の二文字を記載させた画期的な王朝でもあるな。脱脱万歳。
日本では漢文、支那では国語の時間に学校で支那の古典籍を教えているが、 そこに仏教漢文が含まれていないことが、原義を正しく理解した上での「支那」呼称普及の妨げになっている感は否めないな。 論語(儒教)や老子荘子(道教)は教えられても、仏教漢文はチンプンカンプンとはこれまたおかしなはなしだ。
355 :
世界@名無史さん :2007/06/09(土) 21:21:04 0
この神、竺土にありてはこれをよびて仏法となし、 震旦にありてはこれをもつて儒道となし、 日域にありてはこれを神道といふ。 神道を知れば、すなはち仏法を知り、また儒道を知る。 およそ人の世に処するや、仁をもつて根本となす。 仁義にあらざればすなはち君、君たらず、臣、臣たらず。 天正一九年(1591)ポルトガル領インド総督宛太閤秀吉書簡
>>346 >日本の尊称は葦原の中つ国でも可。大和言葉でイイ!
大和言葉・・
357 :
世界@名無史さん :2007/06/10(日) 18:40:50 0
近ごろ、伊勢大神宮の祠官がその社殿に参篭したときのことである。 正門と思われる場所で、音高く扉をたたくものがあった。 少しして、内から誰何する声があった。 それに応えて来訪者は、震旦国隴山の神です、少しお話ししたいことがございます、といった。 再び内から、「伊勢の神様はこのごろ下界にはおいでになりません。 衆生がみな煩悩に汚され、神慮にかなわない時代になってしまったからです。 「日枝山王利生記」より 現代語訳は「神国日本」佐藤弘夫(ちくま新書)に依る
358 :
世界@名無史さん :2007/06/10(日) 18:46:06 0
正安四年(一三〇二)「綾部時光等起請文」勧請神リスト 梵王 帝釈 四大天王 炎魔法王 五道大神 泰山府君 日本第一熊野・金峯 王城鎮守諸大明神 御寺大仏 八幡菩薩 「神国日本」佐藤弘夫(ちくま新書)に依る
>>269-272 支那仏教の堕落ぶりはまんがにもなっている。
「仏教の歴史 中国」ひろさちや/監修
発行元●鈴木出版 定価●1,223円 サイズ●A5判 160頁 ISBNコード●978-4-7902-1952-1
例え逃亡奴隷であっても僧侶となったのなら皇帝も尊敬しなければならないインドと、
そもそも逃亡奴隷が(逃亡者であるがゆえに主の許可が下りないので)僧侶集団に帰属出来ない支那ではだいぶ違う。
360 :
世界@名無史さん :2007/06/10(日) 19:15:30 0
歳は、高昌の(元号)延寿、神なる大イルテベル王の一六年(西暦639年)であった。 豚の年で、漢語では五月、ソグド語ではクシュムサフィッチ(=12番目の月名)と呼ばれる月の二七日に。 かくして高昌の市場で、人々の面前で、チャン姓(張)のオタの息子である沙門ヤンシャン(延相)が、 サマルカンド出身のトゥザックの息子であるワクシュヴィルトから、 チュヤック姓の女でトルキスタン生まれのオパチという名の女奴隷を、 とても純度の高い(ササン朝)ペルシア製の一二〇(枚の)ドラクマ(銀貨)で買った。 (買い主)沙門ヤンシャンは、この女奴隷オパチを以下のようなものとして購入することとする。 (売り主は)買い戻しをせず、(オパチの身には)負債も財産もなく、(第三者からは)追奪されることなく、 (所有権をめぐって)訴訟されることなく、子子孫孫(におよぶ)永久財産として。 それゆえに沙門ヤンシャン自身とその子々孫々は、彼女を好きなように打ったり、酷使したり、 縛ったり、売りとばしたり、人質としたり、贈り物として与えるなり、何でもしたいようにしてもよい。 まさしく父祖伝来の遺産や、自家の身内で生まれた固有の(?)女奴隷や、 ドラクマ(銀貨)で買われた永久財産に(対して)するように。 以下略 「麴氏高昌国時代ソグド文女奴隷売買文書」吉田豊/森安孝夫訳 「シルクロードと唐帝国」より
361 :
世界@名無史さん :2007/06/10(日) 21:27:51 0
「支那」の発生から消滅まで(第一書房『中国留学生史談』所収)さねとう けいしゅう著 絶版 この本を読んで あまりの気違いぶりにおどろいちゃいました><
362 :
世界@名無史さん :2007/06/10(日) 21:52:31 0
支那ってやっぱ道教の国だよね? 現代の支那って相手と話すときにいちいち年上か年下か 考えて言葉を選んでる?
>>362 支那は地理的・歴史的呼称であって国名ではないよ。
364 :
世界@名無史さん :2007/06/16(土) 20:37:04 0
王曰。師從支那國來。彼有秦王破陳樂歌舞之曲。秦王者何人。有何功コ。致此詠歌。 法師報。秦王者。即支那國今之天子也。本國見國王有聖コ。能除兇禁暴。覆潤群生者。則歌而詠之。秦王是大聖之人。 大唐故三藏玄奘法師行状 (卷1)
365 :
世界@名無史さん :2007/06/16(土) 20:41:13 0
與戒賢法師曰。弟子願見支那國大コ。願師發遣慰此欽思。戒賢得書告眾曰。 鳩摩羅王欲請玄奘。但此人眾差擬往戒日王所與小乘對論。今若赴彼。戒日儻須如何可得。不宜遣去。 乃謂使曰。支那僧意欲還國。不及得赴王命。 大唐大慈恩寺三藏法師傳 (卷5)
366 :
世界@名無史さん :2007/06/16(土) 21:14:15 0
一九 為支那堪布翻案 唐時,西藏初受内地佛教之化。有支那堪布者(考得此為北系之禪者,隨金城公主入藏),弘法藏衛,唱頓悟成佛之道。 印度蓮華戒至,與共辯論,支那堪布失對於當時,遂被放而不得行其道。西藏佛教,乃日化於印度晩期──神祕欲樂之教。 此則公案,西藏學者,輒引為談助。如宗喀巴『菩提道次』,即毎指異義為同於支那堪布,一若支那堪布,為異見之代表者。 此含有鄙視性之傳説,聞太虚大師嘗為之翻案,未詳作如何説。夫教學之短長,非一人所可得而代表,亦非徒競辯足以定是非。 印度舊習,特好論辯。今日甲勝乙,佛弟子被逼改宗,然佛法豈即此而壞!明日乙勝甲,而甲又剃落出家,此又豈外義之盡失! 昔如意論師以語言失次,被判為墮負。華氏城佛教,為外道所屈,竟不得鳴楗槌,過城門。 競真理於唇舌之間,以空談為是非標準,假借王臣之權力以相侵軋,此印度之陋習也! 佛教之末流,佛弟子熏染其間,論辯之風彌盛,思想若嚴密而落於繁瑣 [P192] 纖巧。 學者習於空談,於身心實益,社會利樂,轉漠然視之,而佛教雄健之風,篤實之行,蕩然無存矣! 西藏佛教以神祕欲樂為尚,愧見支那堪布多矣! 『華雨香雲』印順法師
367 :
世界@名無史さん :2007/06/16(土) 21:20:00 0
支那堪布V.S.達ョ喇嘛 筆者當日之所以將記者群與鎂光燈引到祝壽研討會上,只是對師長與中國佛教的一念愚誠而已。 一、在對師長方面,筆者認為:台灣社會一般只知有達ョ,不知有印順,故為導師頗為叫屈,所以聽從江燦騰教授之建議, 不但促使陳總統於導師九六大壽前夕親自前來拜會導師,肯定他「玄奘以來第一人」的歷史地位, 而且要在印公祝壽會上,讓瘋迷「達ョ」的記者們與台灣人民也知道有「印順」其人,是佛國之瑰寶, 五十七年前就已有了「兩性平等」的真知卓見。 二、在對中國佛教方面,筆者更期西藏佛教津津樂道「支那堪布落敗公案」之人注意:今之「支那堪布」並不亞於達ョ喇嘛, 有些地方(如人間佛教、女權或動物權之提倡)更是佛教界的思想先趨! 民国九十年七月十五日《佛音時報》
368 :
世界@名無史さん :2007/06/16(土) 21:20:53 0
支那堪布V.S.達ョ喇嘛 筆者當日之所以將記者群與鎂光燈引到祝壽研討會上,只是對師長與中國佛教的一念愚誠而已。 一、在對師長方面,筆者認為:台灣社會一般只知有達ョ,不知有印順,故為導師頗為叫屈,所以聽從江燦騰教授之建議, 不但促使陳總統於導師九六大壽前夕親自前來拜會導師,肯定他「玄奘以來第一人」的歷史地位, 而且要在印公祝壽會上,讓瘋迷「達ョ」的記者們與台灣人民也知道有「印順」其人,是佛國之瑰寶, 五十七年前就已有了「兩性平等」的真知卓見。 二、在對中國佛教方面,筆者更期西藏佛教津津樂道「支那堪布落敗公案」之人注意:今之「支那堪布」並不亞於達ョ喇嘛, 有些地方(如人間佛教、女權或動物權之提倡)更是佛教界的思想先趨! 民国九十年七月十五日《佛音時報》
支那仏教がサンスクリット語の仏典を残さず、 サンスクリット語から逐語訳されたチベット語仏典と漢語仏典の摺り合せ作業にも不熱心だったのはこういう理由なのかな? 河口慧海ほどの苦労をしなくても、ラサにもデルゲにもラプランにもクムブンにも行けたろうし、 五台山でも擁和宮でも承徳でもそういう作業はできたろうに。
370 :
世界@名無史さん :2007/06/16(土) 21:47:46 0
印順の師匠の太虚のエピソード。 毘盧寺は南京陥落時に災禍に見舞われたが、日本軍占領中も仏寺として保護されていた。 筆者は昭和十年(1935年)六月この寺に林彦明大僧正禿氏祐祥教授のお供をして、 ともに太虚師を訪れたことがあり、支那内学院の欧陽漸居士が、かたくなに日本人との面会を悛拒したのに対して、 太虚師は大らかな気持ちで、抗日の風潮を意に介することなく、 日中仏教の友好親善について誠意を吐露されたことは印象深かった。 アジア仏教史全20巻中国編U「民衆の仏教<宋から現代まで>」中村元・笠原一男・金原秀友 上記引用部分は金原秀友筆
371 :
世界@名無史さん :2007/06/16(土) 22:33:46 0
>>361 在日支那人劉ナニガシと青木正児先生の朝日新聞上での論争も載っててお得な本だ。
青木正児先生は戦後「華国」「中華」「唐土」「もろこし」など支那呼称を避けて苦労し続けた。
1946年7月の中華民国日本占領団の命令に基づいた文部省通達が如何に過酷なものだったかがよく分かる。
それも知らずに、蒋介石の「支那は死人の意味だ」を引用するバカ支那人には腹が立つ。
青木正児先生は生涯最後まで支那を「中国」と呼ばなかった。
372 :
世界@名無史さん :2007/06/16(土) 22:45:30 0
仁寿は今の四川省永寧道仁寿県で、成都の南方にある。 ここが虞集の先祖からの郷里で、集の父なる汲に至り、 南宋の滅亡後、臨川の崇仁に僑居したのであった。 私は海の幸に恵まれた中国西端の港に育った者で、 芋食い人種でも「豆食い人種」でもないが、子供の頃から、 やはり「殺生を喜ばない」で、豆腐が大好きである。 「豆腐腐談」青木正児 昭和34年12月「洛味」初出 「酒中趣」筑摩書房 「酒の魚・抱樽酒話」岩波文庫
373 :
世界@名無史さん :2007/06/16(土) 22:50:56 0
それが近来はわが郷においてさえ、料理屋の看板や新聞の広告まで、 皆「ふぐ」と濁って記してあるのは、目ざわりであり、不快である。 この物は「福」であり、「不具」ではない。嗚呼また冤なる哉。 「魚飯・鯛飯・河豚雑炊」青木正児 昭和33年3月「甘辛」初出 「酒中趣」筑摩書房 「酒の魚・抱樽酒話」岩波文庫
震旦ひろしと云へども五天(北天竺・中天竺・東天竺・南天竺・西天竺)にくらぶれば一辺の小国なり 『神皇正統記』北畠親房(1339年)
375 :
世界@名無史さん :2007/06/25(月) 00:12:09 0
「元康(291〜299)の風」を物語る逸話はきわめて多い。 ここでは、さきに神仙説の理論家としてあげた葛洪の『抱朴子』に見える話をあげてみよう。(略 その最もはなはだしい例に『戯婦の法』とよぶものがあり、親族をまじえた大勢の前に婦女をつれだし、 醜言をもってこれに問いかけ、その返答を迫るのである。女が恥ずかしがって答えないと、 むちで打ったり、両脚をしばって逆さにぶらさげたりして拷問のまねさえする。 なにぶんにも酒に酔っているので、度を過ごして血を流させたり、手足を折ることさえもある。 しかも、かれらはその行為を恥じるどころか、周公や孔子をけなし、自分らは世俗を超えるものであるとし、 老荘の言葉を都合のよいように引用して『大行は細孔を顧みず』とか 『至人は道徳に拘束されず、自由奔放にふるまって道を体得するものだ』などと、うそぶく。 そのくせ書物の一紙さえもろくに読まず、知っていることといえば酒を飲むことだけである」(疾謬篇) 「老子・荘子」森三樹三郎(講談社 人類の知的遺産5)(講談社学術文庫)
376 :
世界@名無史さん :2007/06/25(月) 00:23:52 0
のちに北伐に成功した東晋の桓温は、かつての西晋の都であった洛陽の廃墟をながめて、 「神州を百年の廃墟とさせたのは、西晋末の宰相の王衍らの諸人の責任である」と慨嘆したが、 その王衍自身も蛮族の手に殺されたとき、「われわれがもし淫虚の風を尊ばなかったならば、 ここに至ることはなくすんだものを」と後悔したという。 「老子・荘子」森三樹三郎(講談社 人類の知的遺産5)(講談社学術文庫)
377 :
世界@名無史さん :2007/06/25(月) 00:33:30 0
夷狄の王朝の支配下に入った中国人は、「一銭漢」(一文のねうちしかない中国人)「狗漢」(犬ころの中国人)という、 あざけりの言葉に耐えなければならなかった。 南方に逃れた東晋王朝の下の中国人も、今さらのように夷狄の実力を再認識する必要に迫られた。 この永嘉の乱は、中国人の中華意識に深刻な打撃をあたえた。これを徹底的に消滅させることは不可能であったとしても、 いちじるしく低下させる効果をもたらしたことは否定できない。 このため中華意識の厚い壁にさえぎられていた仏教は、五胡十六国の北朝においてはもちろん、 南朝の東晋においても、あたかも大河の堰を切るようなすさまじい勢いで、社会の上下をおしつつむようになった。 ここに中国仏教の黄金時代の幕が開かれたのである。 「老子・荘子」森三樹三郎(講談社 人類の知的遺産5)(講談社学術文庫)
378 :
世界@名無史さん :2007/06/25(月) 00:46:24 0
この仏教の需要が老荘思想にも微妙な影響を及ぼすことになった。 ほとくちにいえば、従来は享楽主義の立場から理解されやすかった荘子の「逍遥遊」の思想に、道徳の立場からの新解釈が現れたことである。 『荘子』の逍遥遊については、西晋の向秀や郭象の注では、 「大鵬は九万里の高空に昇るのに反して、小鳥は樹木のこずえに止まるのがせいぜいというように、 それぞれ性に大小の差はあるが、もしあたえられた性のままに安んじることができれば、逍遥の境地にあるという点では同一だ」といった解釈であった。 ところが東晋の支遁(314〜366年)はこれに反対して、「もし、あたえられた性のままに行動することが逍遥であるならば、 桀王や盗跖のような大悪人も、その凶悪の性のままに逍遥したことになる。それは不合理である。 あたえられた自然の性を、可能な限りの高さに達せしめてこそ、はじめて逍遥ということが許される」と唱えた(『世説新語』文学篇、『高僧伝』4) 「老子・荘子」森三樹三郎(講談社 人類の知的遺産5)(講談社学術文庫)
魏晋南北朝時代をあやめがこのスレで取り上げていたが、こういうことが言いたかったのかどうかは分らない。
380 :
世界@名無史さん :2007/06/25(月) 16:48:24 0
五胡十六国時代あたりから中原人の忠狗根性は始まっていたのか。
381 :
世界@名無史さん :2007/06/25(月) 19:19:45 O
日本製パソコンの北京語辞書に「中国狗」という単語が入っていて 中国人ユーザーが蔑視だと騒いだ事があった。結局辞書を作った のは中国のソフトウェア会社だったというオチがついた。2ちゃん での反応は「中国狗?支那狗だろうがチャンコロども」
382 :
世界@名無史さん :2007/06/25(月) 20:04:44 0
狗猪だろ現代支那人は
383 :
世界@名無史さん :2007/06/25(月) 20:53:53 0
384 :
世界@名無史さん :2007/06/30(土) 19:45:32 0
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20) 厨房、工房のための現代語訳解説 [古文・漢文] 人類進化総合スレ3 〜600万年で足りるかな〜 [考古学]
385 :
世界@名無史さん :2007/06/30(土) 19:53:09 0
継光はある時 奇怪な剣を突きつけられる 「これなるは倭寇の剣」 「わ?海を隔てた東夷国の…」 「戚継光この倭刀を極めい 」 海賊・倭寇の剣法を封じるのは明の武将の務めである そのために己自身が捨て石になることを 主君に命じられたらなら よろこんで 仰せつかるのが士の本懐である どこでどう はぐれたものか 遠い異国より流れ着いた一振りのいびつな剣 そこに戚継光は己自身を重ね合わせた 数年後 "日本刀"と呼ばれる刀剣を装備した明軍が蒙古軍を めった切りにしたそうな。
386 :
世界@名無史さん :2007/06/30(土) 21:17:42 0
従来の中国人は現世だけを考え、したがって人生は一回限りのものと信じていた。 そのため、この「現世」を無限に延長しようとする神仙説が生まれたほどであった。 しかし死を避けることは、なんとしても不可能である。 神仙説に絶望した中国人は、無限の生死のくりかえしを説く仏教に走った。 「老子・荘子」森三樹三郎(講談社 人類の知的遺産5)(講談社学術文庫)
387 :
世界@名無史さん :2007/06/30(土) 21:34:08 0
この禅と浄土の両教は、あらゆる中国仏教のうちでも最も中国的な性格の強い仏教である。 それは何より歴史上の事実となって現われている。六朝から唐末までは、多くの宗派仏教が生まれてそれぞれに栄えたが、 唐末から五代・宋・元・明・清の一千年間についてみると、実質的に仏教界を支配したのは禅と浄土だけである。 とくに明代以後は、その禅と浄土の両者が融合する傾向がいちぢるしく、禅浄一致が唱えられ、 坐禅とともに念仏もするという念仏禅が普及するようになった。 今日の中国や台湾には、日本の宗派仏教に相当するものはなく、禅寺・禅林を名のるものばかりで、 しかもその修行や信仰の内容はすべて念仏であるといってよい。 この歴史の事実が物語るように、禅と浄土は最も中国民族の体質に合った仏教である。 というよりも、実は中国人の体質に合うように改造された仏教なのである。 「老子・荘子」森三樹三郎(講談社 人類の知的遺産5)(講談社学術文庫)
388 :
世界@名無史さん :2007/06/30(土) 21:45:14 0
もともとインドの仏教での救いとは、知恵によって真理を悟ることであったといわれる。 その意味ではきわめて理性的な教えであり、哲学的な宗教であったといえよう。 むろん仏教はたんなる哲学でなく、やはり、宗教であるから、理性による認識だけでなく、そこには認識が加わる。 昔から仏教を修める基礎的な条件として、戒・定・慧の、いわゆる三学があげられる。 戒は戒律、定は禅定であり、坐禅もそのうちに含まれる。 しかし戒と定とは、慧すなわち正しい知恵を獲得するための方法であり、手段であるというにとどまる。 悟りはあくまでも知恵によるほかはない。その意味では、インドの仏教は「慧」を中心とした教えであったといえよう。 「老子・荘子」森三樹三郎(講談社 人類の知的遺産5)(講談社学術文庫)
389 :
世界@名無史さん :2007/06/30(土) 21:49:18 0
知恵を中心とする以上、その教えが精密な理論の構成を求めるのは、必然の勢いであろう。 しかもその精密の度が過ぎて、ときに煩瑣となることも避けがたい。 仏教の教義のうちに、往々にしてスコラティシズムにも似たものが見られるのは、このためであろう。 とくにインドの仏教をひろめたものがアーリア系の人々であったとすれば、この傾向はいっそう助長されたにちがいない。 「老子・荘子」森三樹三郎(講談社 人類の知的遺産5)(講談社学術文庫)
390 :
世界@名無史さん :2007/06/30(土) 21:57:46 0
ところが同じアジアでも、中国人は理屈が苦手であり、きらいである。 おそらくその言語の構造が、その原因となり、結果となっているのであろう。 もっとも戦国時代の諸子百家のうちには論理ないし詭弁を専門とする名家があったが、 大成しないままに終わり、その伝承も絶えてしまった。 中国の文章は、論理的にすじが通ることよりも、形式的な美しさのほうが優先する。 マックス・ウェーバーは『論語』をよみ、 「その内容は別として、その表現の方法はアメリカ・インディアンの酋長の話しぶりとそっくりである」と批評した。 宋代以後に生まれた禅宗の語録の原型は、この『論語』にあるといってよい。 中国でも六朝から隋唐にかけては、仏教の専門家の間で唯識論などのずいぶん面倒な論理が好まれ、 しかも言語の構造がこれに対応しきれないために、難解きわまる仏教理論が生まれた。 しかし、それもやがて廃れ、宋元以後は理屈のない禅と浄土だけが残ることになった。 「老子・荘子」森三樹三郎(講談社 人類の知的遺産5)(講談社学術文庫)
391 :
世界@名無史さん :2007/06/30(土) 22:12:29 0
『無門関』に、次のような問答がある。ある僧が雲門和尚に「仏とはどのようなものか」とたずねた。 すると雲門は「それは乾屎橛(くそかきべら)だよ」と答えた。 すべてが仏性をもち、すべてがそのまま仏であるという意味であろう。 「老子・荘子」森三樹三郎(講談社 人類の知的遺産5)(講談社学術文庫)
392 :
世界@名無史さん :2007/06/30(土) 22:15:40 0
無門関(むもんかん、無門關)は、中国宋代に無門慧開によって編集された公案集である。
無門関には48もの公案が無門慧開によって様々な語録から選ばれ、それぞれに頌と評唱が付けられ、看話禅では必ず使用されるテキストであり、
特に最初の「趙州狗子(趙州無字)」(じょうしゅう くす(むじ))の公案は、「犬にも仏性はあるか」に対し、「無」と答えた、というだけの内容であるが、
禅者が最初に与えられる課題であり、これを解くのに3年はかかるといわれているほどの難問である。
中世においてはそれほど注目されなかったものの、江戸期に脚光を浴びるようになり、現在においても盛んに提唱されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E9%96%80%E9%96%A2
393 :
世界@名無史さん :2007/06/30(土) 22:30:53 0
この拈華微笑の話は、禅宗が釈迦の教えから出たものであることを証明し、 しかもそれが釈迦の言葉を文字にした経典によらず、いわゆる「以心伝心、教外別伝」によって 伝えられたという主張の、重要な根拠とされるものである。 このため宋の大慧(1089〜1163)の法語『正法眼蔵』と名付けられ、 わが国の道元(1200〜1253)にも同名の書があることは、あまねく知られる通りである。 しかしながら、この拈華微笑の話の出典とされている『大梵天王問仏決疑教』は、じつは中国で偽作された経典であると見られている。 思うに以心伝心、教外別伝の起源をインドに求めようとしても、なかなか見つからないために、 苦しまぎれに偽作を思い立ったのであろう。 そのさい偽作者の脳裏に、『論語』里仁篇の問答が、意識的な無意識的か浮かんだと思われる。 そもそも不立文字、以心伝心といったことは、アーリア系で理屈ずきなインド民族よりも、 理屈ぎらいで体験的直観を好む中国民族の体質にこそ、よりふさわしいものであろう。 「老子・荘子」森三樹三郎(講談社 人類の知的遺産5)(講談社学術文庫)
394 :
世界@名無史さん :2007/06/30(土) 22:38:42 0
(安史の乱のさい) 朝廷では何よりも軍資金を必要としたから、その一つの手段として僧侶志望者から免許料をとることにした。 僧侶にはいろいろな特権があたえられるから、志望者はきわめて多い。 したがってその免許料すなわち香水銭は、有力な財源となる。 朝廷の要請を受けた神会は、都の洛陽で俗人に戎を授けて出家させるための戒壇を設け、 香水銭を出させてこれを朝廷の軍資金に供した。 「老子・荘子」森三樹三郎(講談社 人類の知的遺産5)(講談社学術文庫)
オレンジレンジの盗作疑惑と支那仏教の関連まで誰も辿り着けなかったのは遺憾
396 :
世界@名無史さん :2007/07/03(火) 19:17:41 0
なにがかんけいあるの?
威信電信
戸坂潤「日本イデオロギー論」(岩波文庫)は「シナ」がカタカナで残っていた。 宇野哲人「清国文明記」(講談社学術文庫)は、 書名自体は原題「支那文明記」を「清国文明記」に変えているだけだが、 文中の「支那」はすべて「中国」に変更されている。 ご子息の宇野精一は序文でタイトル変更の理由を述べているが、 文中の「支那」をすべて「中国」に変更した理由には触れていない。不思議である。 ----------------以下序文引用------------------------------------------ さて、この『清国文明記』は、原題『支那文明記』であったが、諸々の事情で現題に改めた。 この書は、著者が東京帝国大学文科大学(今の東京大学文学部)助教授として、明治三十九年 (一九〇六)初から四十一年までの二年間、清国の北京に留学した時の記録で、 まさに清国の末期であるので、歴史的なその国名を用いる方が適当だと考えたからでもある。 ---------------------------------------------------------------------- 文中の「支那」をすべて「中国」に変更した理由には触れていないどころか、 ごまかしているかのようにすら感じてしまう。言葉は魔物だ。
399 :
世界@名無史さん :2007/07/15(日) 17:33:02 0
敗戦直後の外務省による「理屈抜き」の通達程度がなんでこんなに大きな「言葉狩り」になってるんだろ?
この頃の新聞雑誌をみると、支那人は自国を支那と呼ばれ、 自分らを支那人と呼ばれるのを頗る不快に感じるというような事がしばしば伝えられている。 現にこのたび上京した映画俳優なども、自分らを支那人と呼ばれるのは最も不愉快であると語っている。 昭和十三年二月「月旦」誌掲載 岡本綺堂筆 「中国怪奇小説集 新装版」(光文社文庫)岡本経一(岡本綺堂養嗣子)解説に所収
そんなわけであるから、支那という字が悪いなどというのは俗説で、我々は遠慮なくかれらを支那人と呼び、 かれらの国を支那と呼んで差支えない。それが日支親善に支障を来たそうなどとは考えられないのである。 いささか所感を述べて、世の博識の示教を俟つ。 昭和十三年二月「月旦」誌掲載 岡本綺堂筆 「中国怪奇小説集 新装版」(光文社文庫)岡本経一(岡本綺堂養嗣子)解説に所収
内容は一切改めていませんが、文庫本の性質上、表記法や引用文の取扱いには工夫をこらして頂きました。 もとの形のままで読みたい方は、『桑原隲蔵全集』第三巻(一九六八年、岩波書店)を見て下さい。 「中国の孝道」(講談社学術文庫)まえがき 一九七七年一月 桑原武夫 1977/7/10 初版 1989/11/10 三刷
NHK取材班・編 作画 帯ひろし(ホーム社発行 集英社発売) 「コミック版 その時歴史が動いた 昭和激動編 満州事変 関東軍独走す」注釈 ※支那⇒現在の中国付近にあたる場所にあった ※中華民国⇒当時中国大陸を支配していた国家 現在は台湾を領有 ※逆鱗⇒心臓に持病のあった田中は これより三ヵ月後に不帰の客となった 天皇はこれを自らの叱責によるものではないかと悔やみ 以後政府の方針に一切口を挟まなくなったという ※蒋介石⇒中国国民政府主席 のちに台湾で中華民国を再建し 国家主席となる ※菊文⇒奉天柳町にあった料亭 ※朝鮮軍⇒当時日本が領していた朝鮮半島に駐留する日本軍の通称 朝鮮国軍ではない ※景仰⇒徳を慕って敬うこと ※満州国⇒当時は「満州国」と表記されていたが 現在の中華人民共和国・中華民国では「偽満州国」あるいは「偽満」と呼ばれている ※シャム⇒現在のタイ王国 第二次世界大戦では枢軸側で参戦した ※乳嘴腫⇒ポリープのこと いぼ状の腫瘍
NHK取材班・編 作画 殿塚実(ホーム社発行 集英社発売) 「コミック版 その時歴史が動いた 昭和激動編 盧溝橋事件 運命の四日間 中国派兵への重大決意」注釈 ※支那駐屯軍⇒日本陸軍の海外派遣軍のひとつ 「支那」とは現在の中国のこと ※華北⇒現在の中国北部・東北部 ※東亜局⇒外務省の東アジア担当部局 現在のアジア大洋州局 ※北支⇒北支那の略 華北と同じ意味 ※廬山⇒江西(ジャンシー)省九江(ジウジャン)市にある 古来より名勝として知られ 現在はユネスコの世界遺産にも登録されている
405 :
世界@名無史さん :2007/07/15(日) 21:57:33 0
ヨーロッパの場合、キリスト教が普及した後は、キリスト教が政治を支配する状況となる。すなわち宗教による政治の支配である。 近代のフランス革命は、政治から宗教を取り除くという意味での政教分離を主張し、実質化した。 しかし、中国の場合、沙門不敬王者論は許されなくなり、七世紀に律令国家の唐代となると、仏教の僧侶も道教の道士も、皇帝の臣下となり、官僚となる。 慧遠より少し後の北魏時代(四―六世紀)には、すでに僧統という長官職があったが、唐代には僧録という長官を、さらには僧録司という役所を設けている。 因みに、日本では唐代を模倣した律令制の平安時代に、すでに僧正・僧都・律師等を置いている。 また、南北朝時代から始まっていたようであるが、唐代になると、度牒という証明書を与えられて僧となることができた。 すなわち官による認可である。これは、税金逃れに僧となることを許さないためである。 日本もこれに倣って僧尼に度牒を発した。それも宗派(天台宗とか真言宗とか)ごとに人数を定めたりした。 こういう公認の度牒がなくて、勝手になった僧は私度僧と言われ、正式の僧として認められなかった。 このように、僧は官僧であるが、日本では中国に比べて僧の地位ははるかに高く、大僧正は大納言、正僧正は中納言、権僧正は参議に相当とする。 大納言と言えば、中国の官制では亜相すなわち丞相(首相)に次ぐ(亜ぐ)重臣の御史大夫(検事総長兼警察庁長官)相当の高官である。 日本では大僧正がそれに相当するとは信じがたい思いである。日本の神官は、神祇官としてもとより官僚である。 つまり、中国も日本も、結局は政治が宗教を支配したのであり、ヨーロッパのキリスト教社会とはまったく逆であり、政教分離の意味も逆となっている。 だから、出家して僧侶となっても、現実社会の規則である皇帝の政治的支配から逃れることはできなかった。 結局は、現代以前における東北アジアのあらゆる宗教は、儒教の家族主義を越えることはできなかった。 「孝経 全訳注」加地伸行(講談社学芸文庫)2007/6/10
406 :
世界@名無史さん :2007/07/15(日) 22:04:48 0
振りかえって見ると、南アジアに生まれたインド仏教が東南アジアや中央アジアに進出したときは、仏教に対抗できる文化・思想・宗教がなかったので、 仏教の原形がそのままに定着し、今日に至っている。 しかし、インド仏教が西アジア(中近東)に向かったとき、一神教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)に敵対され、進めなかった。 一神教側の実力行使があったからである。ましてイスラム教がインド侵略したときは、仏教は壊滅状態となり、 仏像の顔面は、偶像崇拝を禁じるイスラム教徒により削り取られ破壊された。 それと同様に、インド仏教が一世紀に中国に伝来したとき、中国人による激しい抵抗に出会う。 「孝経 全訳注」加地伸行(講談社学芸文庫)2007/6/10
407 :
世界@名無史さん :2007/07/15(日) 22:05:27 0
以上、述べてきたように、西暦一世紀に伝来したインド仏教は、儒教と衝突したわけであるけれども、しだいに儒教と融和できるような努力をしていった。 その根本的な点は、孝と死生観との問題であった。(以下、次ページ四行まで朱嵐『中国伝統孝道的歴史考察』蘭台出版社、二〇〇三年、台北) まず孝について言えば、インド仏典を漢訳する際、原文と離れて中国の家族倫理に沿うことばを加えたりした。 たとえば『善生経』「凡そ為す所有れば。、先ず父母に白す」とか「父母の為す所には、恭順して逆わず」。 それがさらに進むと、インド仏典としては存在しなくて、中国で創作された仏典が登場する。 のみならず、それを仏教の教えとするのである。このような仏典を「偽経」(「偽」とは「人為」的)と言う。 これら偽経は中国人の心性、感性、慣習に合うように創られたので、中国で普及することとなる。 その際、中国人の死生観、わけても儒教の死生観を導入する。すなわち、儒教における祖先への尊崇、祖先祭祀の導入である。 ただし、インド人の死生観の輪廻転生と抱き合わせにする。 『仏説父母恩重経』『仏説孝子経』『梵網経』等々。中でも『仏説盂蘭盆経』『仏説睒子経』は、<中国仏教の『孝経』>とまで称せられたのである。 「孝経 全訳注」加地伸行(講談社学芸文庫)2007/6/10
408 :
世界@名無史さん :2007/07/15(日) 22:06:03 0
さて、魂魄を呼び寄せる。 香のよい植物を焚いて煙が昇ると、その煙に乗って魂が降りてくる。 香のよい酒を地上にまくと、その酒の香に乗って魂が上がってくる。 呼び寄せられて帰ってきた魂魄が憑りつく先は、 もともと呼び寄せる霊魂の持ち主であった死者の頭骸骨をかぶった人間(依り代)であったが、 それを象徴化した木主(四角い木の台に長方形の板を差し込んだもの。神主とも言う)に憑りつく。 木主は大切なものとして代々祭られる (因みに、後に中国仏教・日本仏教は、それらを焼香や位牌として取り入れる)。 これが儒教の死生観の表現であり、シャマニズムの展開された形である。 「孝経 全訳注」加地伸行(講談社学芸文庫)2007/6/10
409 :
世界@名無史さん :2007/07/15(日) 22:06:42 0
そのようにして完成した中国仏教から進展した日本仏教の場合、 私の見るところ、一割が輪廻転生のインド仏教的なもの、 一割が現世利益や祈祷や呪占術など道教的なもの、 そして八割が葬儀・墓・祖先祭祀(先祖供養)など儒教的なものであり、 日本仏教は、インド仏教とは全く別の宗教なのである。 「孝経 全訳注」加地伸行(講談社学芸文庫)2007/6/10
411 :
世界@名無史さん :2007/07/15(日) 22:19:31 0
一体孝なる文字には和訓がない。これは支那人から借りた語である。 ある人は、西洋には孝なる文字がないといって非難したが、わが国にも、従来はこの語がないのである。 しからば語がなければ、その実もないのかというと、西洋にも、その名なくしてその実あるが如く、わが国にも、その実がある。 何処の国にも、親子相互間情愛なき所はない。 通俗教育普及会編『古今孝子録』 新渡戸稲造 序文 大正三年五月初刷 大正十三年四月百三十六刷 「孝経 全訳注」加地伸行(講談社学芸文庫)2007/6/10 収録より
>『仏説父母恩重経』 小説版「けんかえれじい」には、主人公キロクちゃんが特高に不敬罪容疑で捕って、淀橋署でこのお経を何度も朗読させられるシーンがある。 軟派学生の目を覚まさせるのに支那の偽経を使うとは、我が国の警察のやることは実に渋いと言わざるを得ない。
413 :
世界@名無史さん :2007/07/22(日) 19:34:19 O
21世紀になっても、中華帝国復活以外の国家モデルを描けない 支那はどうにもならんよ。
414 :
世界@名無史さん :2007/07/22(日) 21:47:07 0
middle kingdomだからしょうがない。
415 :
世界@名無史さん :2007/07/22(日) 21:55:49 0
キャプ翼アニメの初代OP「燃えてヒーロー」 ♪あいつの噂でチャンバも走る やはりこの「チャンバ」は支那馬の意味だろう。チャン馬、チャン酎(チュウ)、チャン料… ネットで同じ推論を出している人がひとりしかいないのは残念だが。
416 :
世界@名無史さん :2007/07/25(水) 15:44:42 0
確かに「チャンバ」という言葉は以前よくつかわれてた。 駆け出しは速いが、じきに遅れだして着外になっちゃうような馬のことだったような。 マージャンやってて最初は好調なヤツがいると、「なーにチャンバだよ」とか、 「今年のベイ(横浜)は期待できそうだな」「なーに春だけのチャンバさ」なんて使ってた。 最近あまり聞かれなくなったのは、民族差別狩によるものか?
417 :
世界@名無史さん :2007/07/26(木) 15:30:27 0
内藤湖南の若いころの支那旅行記に「チャン汽車に乗遅れという生涯の大ヘマをやらかした」という 記述が見える。明治30年代くらいには既に「チャン」という言い方はあったようだ。
418 :
世界@名無史さん :2007/07/28(土) 00:07:14 0
津田左右吉の本でオススメの本ってある?
419 :
世界@名無史さん :2007/07/28(土) 23:49:10 0
津田左右吉の本としては 岩波新書 支那思想と日本 高島俊男さんもこの本にショックを受けたと語ってる。古本屋を探すかネット検索してみたら。
シナと音表記のみで充分。わざわざ漢字で書いても意味無い。
421 :
世界@名無史さん :2007/07/31(火) 00:49:42 0
422 :
世界@名無史さん :2007/07/31(火) 00:51:50 0
相關詞が支那豚(猪)とか 台湾では完全に差別的に使われてるね
423 :
世界@名無史さん :2007/07/31(火) 00:55:19 0
そりゃ支那という用語を始めて問題視したのが台湾の建国の祖だからねえ
424 :
世界@名無史さん :2007/08/01(水) 22:51:47 0
誰のこと言ってるの?
後藤新平かな?
台湾民主国年表
5月23日:「台湾民主国自主宣言」発表
5月25日:台湾民主国総統に唐景ッ就任,台灣民主国が正式に成立。永清と改元
5月29日:近衛師団が澳底より上陸
5月30日:唐景ッが令民主国部隊に対し瑞芳龍潭堵及び基隆獅球嶺砲台の防衛を命令
6月1日:清国代表李経芳と日本代表樺木により台湾割譲成立。民主国議長林朝棟廈門へ逃亡
6月3日:獅球嶺砲台と基隆が陥落、民主国軍崩壊
6月4日:唐景ッ、丘逢甲が公金を横領し中国に逃亡。第一共和崩壊
6月6日:民主国軍により台北略奪。辜顕栄などの商人が日本統治を承認
6月11日:日本軍台北を占拠
6月17日:日本による施政開始
6月22日:日本軍新竹を占拠
6月26日:劉永福が台湾民主国総統に就任
7月9日:台湾民主国義勇軍新竹にて敗北。呉紹組自殺
8月14日:日本軍苗栗を占拠
8月28日:彰化八卦山の闘い。呉湯興及び呉澎年死亡
8月29日:台湾知府黎景嵩逃亡
8月29日:日本軍彰化を占拠
9月:廈門にて「台湾民主国股份票」発行
9月1日:日本軍雲林を占拠。羅汝沢中国へ逃亡
10月7日:日本軍斗六を占拠。簡義雲嘉山に逃れ鉄国山を名乗る
10月10日:日本軍第四旅団嘉義布袋港より上陸
10月11日:日本軍第二師団枋寮より上陸
10月12日:民主国駐東港管帶呉光忠逃亡
10月15日:日本軍嘉義を占拠
10月16日:日本軍鳳山を占拠
10月18日:日本軍台南市を包囲
10月19日:台湾民主国総統劉永福中国に逃亡
10月20日:民主国首脳が逃亡した為台南市内混乱。台南商人が日本軍による治安維持を要請
10月21日:日軍台南入城、「台湾民主国」崩壊
11月18日:台湾総督府による全島平定宣言が出される
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%9B%BD
台湾建国の祖といえば、台湾征討軍の指揮にあたり、1895年(明治28年)、49歳の若さで現地で戦病死した北白川宮能久親王陛下でらあう。
428 :
世界@名無史さん :2007/08/03(金) 01:07:30 0
蒋介石だ、バカ
♪裏声で歌へ君が代
431 :
世界@名無史さん :2007/08/03(金) 18:54:24 0
ああ国父は孫文だったっけ?
432 :
世界@名無史さん :2007/08/03(金) 19:08:14 0
いや、鄭成功でしょ
433 :
世界@名無史さん :2007/08/04(土) 13:11:01 0
>>427 陛下じゃなく殿下だろ、親王なんだから。
もっとも奥羽越列藩同盟に担がれて、東武皇帝と号したという噂があるから、当時は
陛下だった可能性はある。
434 :
世界@名無史さん :2007/08/11(土) 23:06:41 0
シナ語がはなせるようになりたいです
435 :
世界@名無史さん :2007/08/13(月) 02:34:07 0
シナといいたがる人の気持ちがちょっと分かった。 これって、髪を染めたがる若者と同じ発想なんだ。 髪を染めたってその人の本質が何ら変わるわけじゃないし、 中国をシナと呼んだってその国の本質が何ら変わるわけじゃない。 でもそう呼んでみたい年頃なんだね。
まあほとんどの日本人にとってはどうでもいい問題だわなw
何そのできの悪いミスリード
>>435 低脳な人間は、スレタイも読めないのか。
┏━━┳┓┏┳┳━┳┳━━┓┏━━┳━━┳━━┳━━┓ ┃┏━┫┗┛┃┃┃┃┃┏┓┃┃┏━┫┏┓┃ ━┫ ━┫ ┃┗━┫┏┓┃┃┃ ┃┏┓┃┃┏━┫┏┓┫ ━┫ ━┫ ┗━━┻┛┗┻┻┻━┻┛┗┛┗┛ ┗┛┗┻━━┻━━┛ . _∧∧_, // 支\ \ ./ ( `ハ´)、 `、 / /\ \つ つ、ヽ | | ,\ \ ノ | | ヽヽ し \ \) / / \ `\_____\' // ヽ、 ____,, /
上のAA、「R」のロゴがイマイチだな
441 :
世界@名無史さん :2007/08/17(金) 19:35:24 0
私は在日中国人の3世です ですが 中国に行ったことはありません 弟がひとり妹がひとりの長男ですね 母方のおじいさんは戦争中に強制労働で 父方のおじいさんは国共内戦の時 ひと山 あてようと夢を見て日本に来ました この父方のおじいさんが強烈な人でしてね 私たちは団地で暮らしていたんですが花火大会 の時に大量の爆竹を鳴らして暴れましてねー えーもちろん私たち家族への風当たりは ますます強くなったりしたわけですよ いやまあその前からけっこう白い目で見られていた わけなんですけどね ま 明らかに浮いてましたから 週刊少年マガジン「オーバードライブ」2007年夏休み合併号 龍雲飛(ロン ウンフェイ)の科白 なぜユンフェイと読ませずウンフェイと読ませるのか訝っていたが、3世という設定で納得。
442 :
世界@名無史さん :2007/08/17(金) 19:55:42 0
当時植民地だったソウルで父が会社をしていたので、小学校3年まで現地の学校に通いました。 教育ママだった母が大阪のお嬢様学校に編入させたんですが、 「朝鮮人」といじめを受けた私は相手の髪の毛を引っ張ってケガをさせ、問題児として転校することに。 2007/8/14 朝日新聞夕刊 人生の贈りもの いつも死と隣り合わせ 脚本家 橋田寿賀子(82) 2
443 :
世界@名無史さん :2007/08/17(金) 20:03:39 0
だるまさんは とおいみなみの うみをわたって 三ねんがかりで シナのカントンへ つきました 「さあいこう! ほとけさまの ただしいおしえを ひろめに………」 だるまさんは もう ろうじんに なっていましたが おしえのためなら いのちも おしくないと はるばると シナに わたりました 「だるまさんの おつきだ! はやく王さまに おしらせしなければ…… ハイ ヨウ!」 (有)大道社 こどもの本シリーズ 教育まんが だるまさん 監修 松原泰道 画 井上与志夫
444 :
世界@名無史さん :2007/08/17(金) 20:09:14 0
そのころ南シナには 梁というくにがありました リョウのくにの王さまの 武帝さまはだるまさんがおいでになったことをしると まるで天から金のちゃがまが おちてきたようにおどろき そしておおよろこびしました 王さまはさっそくだるまさんを おむかえいたしました 「こうしておめに かかれるとは ゆめにもおもいませんでした ありがたい しあわせに ぞんじます」 だるまさんをおむかえした 王さまはしたにもおかぬ もてなしよう 王さまはたいへんうぬぼれやで みえぼうでしたので お寺を たくさんたてたり じぶんで お説法したりすることなどを じまんいたしました そのあとで 王さまは いいました 「わたしくらい ねっしんに ほとけさまにつくしたら きっと ごりやくが あるでしょうね」 (有)大道社 こどもの本シリーズ 教育まんが だるまさん 監修 松原泰道 画 井上与志夫
445 :
世界@名無史さん :2007/08/17(金) 20:15:37 0
でも 王さまは <信じられない> というように ふしぎそうな 顔つきです 「ごりやくですって? そんなもの ありませんよ」 と だるまさんは とても おかしそうに こえをたてて わらいました だるまさんは 王さまの よくのふかいのが かなしくなりました 「ごりやくやおかえしほしさになさるのなら どんなよいことをしてもなんにもなりません そのような心をすてて ただすなおに よいことをおこなわなければ いけません」 と しんせつに おはなしになり ごてんをさって ゆかれました 「こんや このくにをさることに しよう」 王さまのすむ お城の上に お月さまが みえます 「いいお月さまだなあ あのように きれいにすんだ こころで しないと どんなに よいことをしても なんにも ならないのです ……………」 だるまさんの のった 小さな船は 揚子江をわたって ゆきます (有)大道社 こどもの本シリーズ 教育まんが だるまさん 監修 松原泰道 画 井上与志夫
446 :
世界@名無史さん :2007/08/17(金) 20:23:37 0
北シナに北魏というくにがありました ホクギのくにのみやこにきて だるまさんは ただひとりおかの上にたっていました りっぱな いえがたちならんでいる うつくしいまちでした 秋のおわりの さむいかぜがふいていました だるまさんはきにもとめずひとびとはしあわせでいるかどうかをじっとみつめていました 「ここからではよくわからぬ もっとちかづいてゆかなければ……」 だるまさんはおかをくだりました おかねもちの女のひとが こじきにおかねをやりました 「おありがとうさま あなたさまが もっと おしあわせに なれますように」 とこじきは おせじを いいました そのひとは また べつのこじきにも おかねをやりました 「ありがとう ございます」と こじきは こころから おれいをいいました 「おれいだけなのかい… なぜ さっきの こじきのように わたしのしあわせを いのってくれないのかい」 と 女のひとは さいそくします 「まあ…」とこじきは びっくりして そのひとの よくのふかいかおを きのどくそうに 見あげました それを みていた だるまさんの おかおは なお さびしそうです (有)大道社 こどもの本シリーズ 教育まんが だるまさん 監修 松原泰道 画 井上与志夫
447 :
世界@名無史さん :2007/08/17(金) 20:28:58 0
このくにの王さまはまだ十一さいでしたので かわりにおかあさまがさしずをしていました そのさしずのしかたがわるいため ごてんではいろいろと まちがったことが へいきでおこなわれていました お寺や仏像をたてたり おまつりなどにはおかねをかけても ただしいほとけのおしえはいっこうにまもられていません だるまさんのうわさをきくと 王さまのおかあさまはさっそくつかいをはしらせて だるまさんをさがさせました 「いくらさがしまわっても こんなにひろいみやこのなかでは とてもさがしきれるものではないさ」 (有)大道社 こどもの本シリーズ 教育まんが だるまさん 監修 松原泰道 画 井上与志夫
448 :
世界@名無史さん :2007/08/17(金) 20:41:02 0
かべにむかって 九年かん たくさんのけらいがおおさわぎをして だるまさんをさがしているころ だるまさんは みやこを とおくはなれた 嵩山の少林寺というお寺で かべにむかって坐禅をしていました ゆきのふるさむい日でした ひとりの学者がだるまさんにおしえていただこうとお寺にきましたが なかなかあってくれません 学者は じぶんのうでをきって けっしんをみせました 「わたしは 心がちって おちつけないのです どうしたらよいのでしょうか」 ―そうか なおしてあげよう あなたの心を ここへだしてごらん 「それはこまります だせません」 ―それごらん だせないものは ひとになおしてもらえない じぶんでなおすほか しかたがないのだよ わかったね この学者はだるまさんのでしになって慧可(エカ)という名をもらいました のちにだるまさんのあとつぎになりました そのご―シナへおきょうをもらいにいった役人がパミールの山のなかで 片方だけのかわぐつをもっている だるまさんにあったといわれます だるまさんは死んでも おしえは いつまでもいきているという たとえであります だるまさんのお墓の中には 他の片方のくつがのこっていたとつたえられています だるまさんのお徳をしたってたくさんの人がおしよせました だるまさんはしんせつにおしえをといて 「わたしのしごとはおわった」とのことばとおけさをのこしてまもなくおなくなりになりました (有)大道社 こどもの本シリーズ 教育まんが だるまさん 監修 松原泰道 画 井上与志夫
449 :
世界@名無史さん :2007/08/17(金) 22:22:35 0
渡る世間は鮮人ばかり 引っ張る髪あれば引っ張られる髪あり
龍気の集まる処に埋葬をすると子孫繁昌し、これに反すれば子孫断絶の虞れがある。 そこでその良地を得ざるがために、葬ることを得ざるものが、棺を寺に預けて置く。 北京城外の各寺院にこの棺の二つ三つない処はない。 これを停葬といい、法律でこれを厳禁して停葬をするものは罰するということになっているが一切なんらの効き目もない。 宇野哲人「清国文明記」(講談社学術文庫)
NO!CHINA . _ ∧∧_, // 中\ \ ./ ( `ハ´)、 `、 / /\ \つ つ、ヽ | | ,\ \ ノ | | NO!北京五輪 ヽヽ し \ \) / / \ `\_____\' // ヽ、 ____,, / CHINA FREE
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454 :
世界@名無史さん :2007/08/17(金) 23:32:26 0
“ChinaFree”(不含中國元素)
英語文法がどんどん中国語に近付いている好例だな、チャイナフリー。 逆に支那語は、チャイナフリーを訳すさいにも、 「中国(の)要素を含まない」と膠着言語的に訳さざるを得なくなっている。
barrier-free は法律の名前だから辞書に載ってるが、 ストレスフリー、アルコールフリー、ジェンダーフリーはなかなか見つからない。
chinfree,chinkfree,yallowfree,orientalfree,gookfreeで検索したがどれひとつとして開きたくない。
唐絵(からえ)
中国から伝来した絵画、あるいは日本人の手になる中国風の絵
画。元来は舶載された中国絵画の呼称だったが、平安時代中期
に日本の風物を描く「大和絵(倭絵)」が現れ、旧来の仏画を含
む中国風の風物などを中国風の画法で描いたものを「唐絵」と呼
ぶようになり、室町時代には主として中国伝来の水墨画を中心と
する宋元画が「唐絵」と呼ばれた。狩野永納の元禄6年(1693)
刊『本朝画史』に「狩野土佐氏是倭画之専門也、雪舟子是漢画
之祖筆、狩野家是漢而兼倭者也」とあり、江戸時代では日本人
の手になる中国風の絵画に対し「漢画」の呼称が一般的になる。
谷文晁の文化8年(1811)『写山楼無声詩話』に「唐画和画とい
ふこと、今人誤て土佐狩野二派を以て和画と称し、其他を唐画浮
世絵なんといふものあり、是不然なり、和画の称すてに久し、弘
仁姓氏録云、雄略天皇御時、卒四部集帰化、男龍一名辰貴、善
画工、五世孫勤大壹恵尊亦工絵、天智天皇御世、賜姓倭画師」
「また唐絵といふは異邦のこと絵たるをいふなるへし、本邦のこ
と絵たるをは大和絵といふなるへし」とある。
ttp://www17.ocn.ne.jp/~verdure/yogo/yogo_ka.html
棟方 志功(むなかた しこう、1903年9月5日 - 1975年9月13日)は日本人の板画家。青森県出身。
20世紀の美術を代表する世界的巨匠。
少年時代にフィンセント・ファン・ゴッホの絵画に出会い感動し、
「わだば、ゴッホになる」と芸術家を目指す。
ゴッホのファンになって以来、頻繁にゴッホの名を語る棟方に対し周囲の知人は
「風邪でも引いたのか」とからかったという。
棟方の肉筆画作品は「倭画」と言われ、国内外で板画と同様に評価を受けている。
大変な近視の為に眼鏡が板に付く程に顔を近づけ、軍艦マーチを鼻ずさみながら板画を彫った。
仏を題材にした作品が特に有名。
ttp://shigotobaka.jp/word/show/%E6%A3%9F%E6%96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F
461 :
世界@名無史さん :2007/08/25(土) 15:08:44 0
青森県立美術館でやってる「旅順博物館展」に西域将来の非漢語経典が展示されてた。 乾燥した西域と違って、内地では紙の保存が思うようにできず、サンスクリットの経典が残らなかったというが、 宋・元・明・清と原典写経が行われなかった言い訳のような気がする。
463 :
世界@名無史さん :2007/09/01(土) 21:27:45 0
464 :
世界@名無史さん :2007/09/01(土) 21:31:46 0
支那は宋で滅んだ。 騎馬民族は元で以下同。 要するに今支那大陸にいるのは なんの関係もないガラクタ。
465 :
世界@名無史さん :2007/09/01(土) 21:33:59 0
466 :
世界@名無史さん :2007/09/02(日) 08:58:16 O
支那がダメなら、他に呼称を考えようぜ 腐海国とか食屍国とか
467 :
世界@名無史さん :2007/09/02(日) 09:00:37 O
喫人国(チーレングオ)
468 :
世界@名無史さん :2007/09/02(日) 11:39:42 0
国号が変わっても変わらない地域呼称が「支那」だからね。
かな文字は、坊主がサンスクリット文を読み上げる時に使うカンニング用文字として広まったとか。
471 :
世界@名無史さん :2007/09/24(月) 18:36:03 0
そうなの?
472 :
世界@名無史さん :2007/10/27(土) 14:14:51 0
まだあったのかこのスレ
473 :
世界@名無史さん :2007/10/27(土) 16:33:12 O
>>468 つまり中「国」という呼称も不適格ですね(^ω^)
474 :
世界@名無史さん :2007/10/28(日) 05:09:47 0
475 :
世界@名無史さん :2007/10/28(日) 18:13:47 O
支那が駄目なら脂那でいいだろ
476 :
世界@名無史さん :2007/10/28(日) 21:41:36 0
固有名詞はかなでかく。 シナとかけばよいのだ。
小日本は漢字で支那と呼んではいけないアル。常識アルヨ。
>>475 表記としては「脂那」も「至那」もあったよね。
いつ頃から「支那」だけになったんだろうな。
それに「脂」も「至」も「支」も美字だったのに
いつ頃から「支店の支」になったんだろうね。
日本に対する劣等感かな。せめて国号だけでも「世界の中心」と 呼ばせたいのか。国家の発展モデルとして、未だに中華帝国/華夷 秩序しか描けないんだな。