▼もしもモンゴル帝国が世界を統一していたら▼

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1世界@名無史さん
歴史はどう変わっただろう…
2世界@名無史さん:2006/12/14(木) 22:27:21 O
(´・ω・)つ『モンゴルの残光』
3世界@名無史さん:2006/12/14(木) 22:29:23 0
はい重複。削除よろしく。

【もしも】歴史IF専用スレ【だったら】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1139321910/l50
4世界@名無史さん:2006/12/15(金) 07:29:22 0
>>3
死んでね。そんな大雑把なスレで語れるか
5世界@名無史さん:2006/12/15(金) 09:52:04 0
フビライになった時点で抵抗勢力が大勢出てきたんだからありえないんでは
6世界@名無史さん:2006/12/15(金) 20:33:52 O
全ての文明があぼーん。
7世界@名無史さん:2006/12/15(金) 20:35:54 0
清みたいに、どうせ内部から崩壊するから
500万ぐらい虐殺して間違いなく100年の間に解体されるだろ
8世界@名無史さん:2006/12/15(金) 21:09:24 0
豊田有恒?の『モンゴルの残光』っていう小説がこんなテーマだったよね?
どなたか読んだ方いない?
9世界@名無史さん:2006/12/15(金) 21:18:06 0
世界統一したところで一瞬で崩壊するから意味ない
モンゴルに征服された中国もアラブも普通に再興した
10山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/12/15(金) 22:17:31 0
>>8
あの先生、同じようなテーマで二本書いておいでであったような気が。
それとも、光瀬先生の方とごっちゃになっているのでしょうか。
ヨーロッパ連合軍がモンゴルに敗れて大陸が占領され、独立を保っていたイ
ングランドがビクトリア女王の下で近代化を成し遂げ、朝鮮民族は檀君の末
裔で世界最優秀民族であると言う朝鮮の独裁者ヒットラ(漢字の当て字あり)
及び満洲と三国同盟を結んでモンゴルと戦ったものの敗北し、最後はロンド
ンに世界史上初の原爆が投下されて無条件降伏していた筈。
日本はモンゴルに占領されたものの、移民が新大陸で活躍して後世に「東部
劇」が作られるような入植を成し遂げ、独立して林間(リンカン)大統領ら
が出て来ていたような・・・?
日本人は支配階級の黄色人種なのに、何度も反乱を起こして最下級。
白人は彫りが深い「不恰好な人種」で、地位も低い(北欧も占領地域)。
白人はタイムマシンや恒星間移動が可能な宇宙船には触らせてもらえない。
キリスト教は弾圧を受けて地下に潜っている少数勢力。
あの先生の小説は、いい意味でB級です。真面目に考えない方が吉。

『モンゴルの残光』は14世紀の改変(日本は南北朝時代に占領された)で
、それとは別に文永年間に突入して河野一族に協力する話『退魔船記』もあ
ったので、記憶がごっちゃになっているかもしれません。
11世界@名無史さん:2006/12/15(金) 23:38:08 O
銃や大砲がでてきたらすぐモンゴルは終わる
12世界@名無史さん:2006/12/16(土) 00:05:36 0
>>11
お前、馬上から鉄砲撃つモンゴル兵を想像してみろよ
13世界@名無史さん:2006/12/16(土) 03:19:16 0
偉大な「大親征」の後、武宗・仁宗の二皇帝の治世が終わった頃、亜細亜、阿弗利可、欧羅巴のほぼ全ての土地が蒙古人の支配下にあった。新たな占領地は、それぞれ王族功将に分封され、新たな汗國が設立された。
東南亜細亜の都哇汗國。身毒の察八児汗國。西欧州の蒙哥汗國。北阿弗利可の喇失汗國等である。
支那本土に於いて、仁宗朝以後の二世紀の間に、科学技術が飛躍的に進歩した。特に大都へ移住した回回人の科学者は、種々の発明を行うようになった。
伊児汗國に渡った古代希臘・羅馬の文献を元に、様々な技術が再発見され特に蒸気機関の発明は産業革命を惹起する本因となった。
更に西亜細亜で多量に産出する石脳油を精製した施火石脳油の爆発力に注目し、爆発力で生じる上下運動を回転運動に転化した石脳油機関が発明され、この動力を用いた車や船、さらに滑空機が発明され、運用されるようになった。
蒸気機関と石脳油機関の発明によって、広大な帝國を結ぶ陸路と海路の連絡は、従来の数倍の速度で保たれるようになり、技術の進展はこの後の天順帝乱によって更に加速された。
14世界@名無史さん:2006/12/16(土) 03:19:53 0
仁宗皇帝の死去後、仁宗の子磧徳八刺が英宗皇帝として即位したが、外戚である也孫鉄木児やその腹心の右丞相脱脱との対立が表面化していた。
そもそも仁宗朝の頃より也孫鉄木児の叛意は噂されていたが、武仁宗両者の威光により押さえ付けられていた。
両者が没すると、蒙古諸族の黄人共同体に対する不満が俄に宿衛諸軍の腐敗となって表れる様になった。
英宗は人事に能が無く、仁宗の内政策を引き継ぐ事が出来なかった。
也孫鉄木児は仁宗朝により疎かにされた蒙古諸族の憤りを煽り、磧徳八刺帝からの離叛を訴えた。
即位から八年で誅殺同然で英宗が没すると、也孫鉄木児の子である天順帝阿速吉八が即位した。
天順帝は直ちに、科挙によって登用された、官衙職員の半分を占める漢人の追放を行った。
追放された漢人達は、宦官の張起厳を中心として、宿衛諸軍の主将である星卜刺と結託して叛乱を起した。
星卜刺は、欽察汗國、蒙哥汗國、察八児汗國等の諸汗に親族を持つ強大な武将である。
星卜刺の要請により、諸汗國連合軍は旧窩濶台汗國の首都也迷里に集結した。
これに対し天順帝阿速吉八も、伊児汗國の外戚チューバンと結託して星卜刺の盟友である不賽因汗と宰相喇失慯丁を誅殺し、更に欽察汗國、蒙哥汗國への侵攻を図った。
星卜刺は諸汗國連合軍を喀喇和林に進ませて一気に大都汗都城のある北支那を制圧しようとし、天順帝派宿衛諸軍と全面的に激突した。

天順帝乱は亜細亜大陸全体に拡がって二十余年続き、諸汗國の被征服民族将兵まで動員された。
15世界@名無史さん:2006/12/16(土) 03:22:15 0
この頃、蒸気機関と石脳油機関の発明による産業革命が蒙古人の支配する領土全域に拡がる様になった。
汽船や汽車による長距離交通網が整備されて被征服民族も産業革命の恩恵を受けられる様になり、志を得ない被征服民族は各地で新しい土地への脱出を図った。
その内最も顕著な行動を採ったノルマン人は、アイスランドを伝って当時まだ蒙古人に知れ渡っていなかった西方の北部新大陸に植民地を築いた。
これに旧英國のアングロサクソン人やゲルマン人が続き、阿斗喇と名付けられた北部新大陸の植民地は急速に拡大した。
白人達はこの活動を耶蘇教聖書中の故事になぞらえ、植民地はやがてレコンキスタ(祖國奪回)を果たす為の拠点と考えていた。

一方、支那に近い倭國や占城等の人々は、東や南に新天地を求めた。既にこの時代、伊児汗國のダブリズ天文台や、大都の回回人科学者である阿痲慯丁等によって、地球が球体である事が証明されていたが、未だにこれを実証した者がいなかった。
初めに東に向けて出航した黄人航海者は、布哇諸島に到着し、これを英國の近辺だと考えた。だが、その後に航海の基地となった倭國と目的地である英國との間に、南北に跨がる新大陸が介在する事が確認された。
また経由地の調査に伴い、南方にも新大陸の存在が確認された。
これにより新大陸の探検が、航海の基地となった倭國や高麗、占城、大理等の被征服民族の探検家達により、新大陸に理想郷を求めるように行われた。
その後耶蘇紀元十五世紀初頭までに、新大陸の南方を統べるインカ帝國や、北方のアステカ帝國と交易を持つ様になった。
16世界@名無史さん:2006/12/16(土) 03:24:27 0
耶蘇紀元一三九四年、天順帝乱は諸汗國連合軍の勝利により終熄し、第十一代皇帝に武宗の孫である明宗妥歓帖睦爾が即位した。
長い内乱により今まで諸汗國の下で呻吟して来た被征服民族の叛乱が相次いで起こっていたが、明宗により一天平等の勅令が出される事で諸民族の不満が押えられ、諸汗國では被征服民族の科挙による官衙への登用が認められた。
これにより今まで封建的だった諸汗國の行政が改革され、更に中央亜細亜を中心に出回っていた紙幣を諸汗國の通貨に統一し、兌換が容易に出来る事で諸汗國の流通が一層伸展した。

この頃、伊児汗國では木刺夷國人の叛徒が首都ダブリズを占領、國政を独占していたチューバン族は全員が処刑されていた。
蒙哥汗國でもゲルマン人の武将ドロイゼンを頭首とするノルトラインの叛乱が仏蘭西から独逸北部にかけて巻き起こり、
また英國はジョン・フォード一世の擁立によるイングランド人民の一斉蜂起により蒙古人宦官の國外追放にまで至っていた。
明宗は喇失汗國や察八児汗國と協力して木刺夷國人の叛乱を平定し、科挙により登用された胡人の喇敏呶汗による善政を布いた。
また明宗の勅令を受けた喇失汗國の武将弟慕喇によりジブラルタル海峡経由で蒙哥汗國に水軍を派遣し、ゲルマン人やイングランド人の叛乱を平定して廻った。
17世界@名無史さん:2006/12/16(土) 03:30:26 0
欧羅巴各地では、次第にカトリック系耶蘇教の旧弊から脱し、黄人の科学技術や社会制度を積極的に学ぶ風潮が次第に高まってくる様になった。
カール・マルビーノは平民に搾取しておきながら蒙古人階級にへつらって既得権を維持し続けるカトリック教会を猛然と批判し、耶蘇教徒は発祥当時の敬虔な生活に戻るべきだと説いた。
後にプロテスタントと呼ばれる耶蘇教の新たな宗派がまとまり、北部新大陸の植民地へ理想郷を求め大量に移住する事となった。
ヨシュア・ガヴェリは天体を細部に渡り観測し、地動説を唱えた初めての欧羅巴人である。
彼程の研究を行った科学者は回回人にも居らず、蒙哥汗國の官衙長である譜屡玩はガヴェリに援助を行って遠方航海に必要な地域別の星図を作らせた。
彼はこの作業中に幾多もの惑星及び衛星を発見する等の多大な功績を収め、近代天文学の父と呼ばれた。
レオナルド・ダ・ヴィンチは芸術や工学等に秀で、様々な器械を発明したり優れた絵画や彫刻を製作する一方で、欧羅巴各地に大学を設立して欧羅巴人の民度向上の為に尽力した。
後にこのような動きを総じてルネッサンスと呼ばれ、白人諸民族の北部阿斗喇新大陸への植民に大きな影響を与えるようになった。

伊児汗國や喇失汗國等に於ける回回人の間では、当地で大量に産出する石脳油を利用した技術が伸展していた。
石脳油を分溜させ純化させると爆発の威力が増す事は知られていたが、その分溜出生物を粘土等と混ぜて固めると軽く強固な塑形材が出来る事を発見し、これを建築物や道具の材料とした。
また他の分溜出生物の中に、薬品や塗料等に転用出来るものも発見し、更に様々な製作方法を研究する事で石脳油化学という新たな産業を生み出した。
蒸気機関や石脳油機関を利用した重工業も発達し、工業の中心地では工業の象徴である高楼が競って建てられた。
また諸外國への貿易進出が増大し、特に都哇汗國を南に下り数千里に在る美廚喇洲新大陸に於いて回回人の植民地を置くなどの功績を得、産業革命の社会への影響は量り知れないものとなった。
18世界@名無史さん:2006/12/16(土) 03:39:14 0
耶蘇紀元一四○九年に明宗が没した後、第十二代の阿宗鉄木碼が三二年間在位した。
彼は有能では無かったが治世に失態を曝す事無く凡庸な治世を維持した。
しかしその嫡子である譜玩都が四一歳で即位すると、臣民は蒙古人・漢人の区別なく俄に不安が拡がった。
厳帝譜玩都汗は皇太子の頃より暴君として知られ、その行状は全く寛容し得るものでは無かった。
即位してすぐに厳帝は大都市内での謀反者の検挙に乗り出し、数十万に上る臣民を根拠なく逮捕して処刑した。
さらに腹心である宿衛諸軍主将の儡把に命じ、朝廷に離叛しようと画策する諸汗國への討伐軍を結成、進軍させた。
この報を受けた諸汗國は察合台汗國の汗である哇玖眤を盟主として直ちに防護軍を編成し、内蒙古に於いて儡把軍を撃ち破った。
その後諸汗國は元帝国からの離叛を一斉に宣言し、同時に元本土から察合台汗國や都哇汗國に至る主要道を封鎖、また元から防備する為の長城を築いた。
これにより勃興より二世紀半を経た大蒙古帝國は初めて完全な分裂を来す事となった。

元帝國ではさらに帝國分裂より二八年後、漢人官衙長の侏玄章が首領となり結成された甲斤党を中心とした叛乱が発生した。
甲斤の乱と呼ばれるこの事件を契機に各地方勢力が元に対する反旗を翻した。
それに対し大都を鎮守する宿衛諸軍は諸汗國との断続的な衝突で兵力が激減してまともに戦い得る状態では無かった。
そして厳帝の孫である第十五代の順宗伽琉臥汗は喀喇和林への逃亡の途中、婪陽で右丞相の倶工咤に誅殺されていた。

耶蘇紀元一四七六年、按台の会戦に於いて大元宿衛軍は全滅した。
これをもって元帝國は滅亡、二世紀半に渡る蒙古人の支那大陸支配体制は幕を閉じた。
19世界@名無史さん:2006/12/16(土) 09:41:34 0
フビライはヘブライであり、失われたユダヤの後継者を称していたという説もあるな
フビライは旧約聖書の中の救世主の再来であり、ヨーロッパを征服する大義名分を象徴したと
20世界@名無史さん:2006/12/16(土) 17:34:24 0
フビライはクビライだろw
21世界@名無史さん:2006/12/16(土) 17:43:29 0
世界史の本が非常に読みづらくなる事がわかった
22世界@名無史さん:2006/12/16(土) 18:18:14 0
日本がある限りモンゴルに世界征服は不可能
23世界@名無史さん:2006/12/16(土) 18:44:20 0
純粋な白人は絶滅
程度の差はあるがすべての白人にモンゴル人の血が混じる
24世界@名無史さん:2006/12/17(日) 12:27:06 0
>美廚喇洲新大陸

これどうやってついた名前なのかよく分からなかった
オーストラリアということは想像がつくが
25とてた ◆0Ot7ihccMU :2006/12/17(日) 20:43:32 0
>>13-18
久々の歯ごたえのあるIFですね。

ただ…振り仮名希望です。
26世界@名無史さん:2006/12/18(月) 13:42:54 0
>>23
モンゴル人が種馬になる
27世界@名無史さん:2006/12/28(木) 17:30:43 0
test
28世界@名無史さん:2007/02/02(金) 15:49:11 0
test
29世界@名無史さん:2007/03/03(土) 01:49:29 0
モンケが早死にした時点で世界帝国への道は閉ざされただろ。
クビライとその子孫は世界帝国を志向していたとは思えない。

モンケが長生きしてその子孫が順調に政権を継承したらひょっとして。。。
30世界@名無史さん:2007/03/03(土) 01:52:59 0
攻城戦がへたな騎馬民族には世界征服は無理です
31世界@名無史さん:2007/03/03(土) 11:54:10 0
モンゴルは攻城戦上手だよ
32世界@名無史さん:2007/03/03(土) 18:29:03 0
モンゴルは海戦が下手だから、イギリスと日本だけが生き残る可能性もある…

ヨーロッパがアラブみたいに没落してしまって
違う歴史になったかな?
でもロシアも復興したしな
33世界@名無史さん:2007/03/03(土) 19:32:00 0
アフリカは安泰だろ、モンゴル騎兵はギニア湾沿岸まではどう考えても行けない
せいぜい北アフリカぐらい

まあ、どうせモンゴルが世界を統一してもアフリカの悲劇は変わらんだろうが
34世界@名無史さん:2007/03/03(土) 19:38:16 0
現実の仁宗は、名君だったんだろうか。
講談社の新書では、ただのかいらいで、自分の勢力を維持する理由で
中国人を優遇しただけと書いてあったけど。
35世界@名無史さん:2007/03/03(土) 19:44:55 0
>>32
支配下の他民族で海軍をつくるだろうさ。
36世界@名無史さん:2007/03/06(火) 19:39:53 0
 新大陸がどうなるというんだ?
あそこをモンゴルが手にできたとは思えない。
オーストラリアもな。
アフリカもオスマン帝国が掌中にした北アフリカあたりで
限界に到達しただろう。
ブリテンと日本も手にはできたなっただろう。

ブリテンと日本の場合ブリテンは早々にモンゴルに妥協して
普通の交易くらいしそうだが・・日本の場合は
戦国乱世になって国内ばらばらになるまでは・・

はっきりいって近代資本主義だの近代文明の進歩は
逆に遅れたような気がする。

37世界@名無史さん:2007/03/06(火) 19:44:34 0
>>32
ロシアの復興も西欧との関係を考えないといけないだろう。
そしてモンゴル帝国の統一で西欧が中東ユーラシアと分断されずにいた場合
あのような独自の発展は西欧には無理になる気がする。
ずーと世界の辺境OR田舎どまりになった気がするな。

38世界@名無史さん:2007/03/06(火) 22:22:25 0
>>1
ゲームオーバーなので、リセットして最初の原始共産制からスタート。
39世界@名無史さん:2007/03/16(金) 02:13:02 0
ここは、「もしもモンゴル帝国が成立しなかった世界だった」にお題を変更しないか?
40世界@名無史さん:2007/03/16(金) 06:52:34 O
西ヨーロッパにローマ汗国成立
ハンはローマ郊外に幕営
41世界@名無史さん:2007/03/16(金) 07:19:57 0
>>40
ローマみたいな低湿地帯なんてモンゴル人が一番嫌う場所だろうに。
スペインあたりの高原地帯から支配するんじゃないかね?
42世界@名無史さん:2007/03/16(金) 09:18:43 0
>>39
それ、影響が広範囲すぎて別にスレが一つ要りそう
43世界@名無史さん:2007/03/24(土) 22:41:27 0
馬の食う草のないとこにいけない
44世界@名無史さん:2007/03/25(日) 08:03:23 0
イングランド征服のためヴェネチア・ジェノヴァ・エジプトなどの艦隊がはるばる
ジブラルタルを越えて大西洋まで回航され・・・人々はそれを「無敵艦隊」と呼んだ
45世界@名無史さん:2007/04/02(月) 19:51:17 0
モンゴルって中東ロシア欧州にまで足跡残して混血児を残したらしいね
すごい繁殖力だな
46世界@名無史さん:2007/04/03(火) 20:55:53 0
それは「繁殖力」ではなく「軍事力」という
47世界@名無史さん:2007/04/06(金) 11:35:54 0
繁殖力なら漢民族が一番凄い
48世界@名無史さん:2007/04/21(土) 17:55:14 O
分裂して元の黙阿弥
49世界@名無史さん:2007/04/22(日) 20:27:40 0
対日本・ベトナム侵攻はどうやって成功したんだろうな
50世界@名無史さん:2007/04/22(日) 21:59:49 0
>>47
日帝が三千万、共産党が七千万殺しても人口は増え続けたからなw
51世界@名無史さん:2007/04/30(月) 18:24:26 0
もうちょっとで征服できるのに……というところでカーンが死んで、
後継者を決めるクーリルタイに司令官が参加するため、軍が引き返す。
モンゴルの戦史はそういう展開が繰り返されるから、
カーン達がそれぞれもっと区切りの良いところで死んでくれたら、
帝国の征服地はさらに広くなっただろうな。

それでも、モンゴル人が各地で土着化する傾向は止めようが無い。
最も都合良く歴史が展開しても、
ユーラシア各地の諸文明に、モンゴル貴族が寄生するだけで、
モンゴル主導の人類文明なんてものは実現しないだろう。

モンゴル人が現地化するのではなく、現地人がモンゴル化するためには、
もっと高度で魅力的な文明をモンゴル人がもっていなければならないが、
そういう改変を導入するのは不自然すぎて、何でもありになってしまう。
52世界@名無史さん:2007/04/30(月) 19:12:31 0
>>30
篭城を決め込む敵軍に対し、
モンゴル軍はペストによる死体を城内に投石器で放り込むなど
世界初の『生物兵器』を使用するほど、
高度な城攻めを行っていました。
53世界@名無史さん:2007/04/30(月) 20:34:25 0
>>52
その時はペストのせいでタタール軍自体も攻囲を続けられなくなってるんだが
54世界@名無史さん:2007/04/30(月) 21:39:29 O
>>51
1241年バツが東欧を攻めるとき軍を4隊に分けた
うち1隊がリーグニッツで勝利した
しかしバツの本隊はノイシュタット城を攻囲したが、皇帝フリードリヒ2世の子
エンツォの率いる帝国軍に敗れた
後継者問題で主力がその後撤収したのは事実だが
4隊の内1隊は残置され、翌1242年に再度オーストリアに襲来したが再び帝国軍に敗れ撃退された
55世界@名無史さん:2007/04/30(月) 22:29:10 0
>>54
え?そうなの?
56世界@名無史さん:2007/05/06(日) 00:29:24 0
>>54
初めて聞いた。ソースは?
57世界@名無史さん:2007/05/06(日) 02:10:49 0
なおエンツォ(名目上はサルデーニャ王)はその後教皇派の軍に捕らえられ、死ぬまで幽閉されることになる
58世界@名無史さん:2007/05/06(日) 08:06:04 0
西夏のカラホト城を水攻めにしようとしたが、水の流れを読み違え
自軍の陣地に水を引き込んでしまいチンギスハンは命からがら脱出しているという
チンギスハンの意外な微笑ましいエピソードが残っている。
59世界@名無史さん:2007/05/06(日) 15:12:43 0
>>13->>18
これ書いたの「てる兄」さん?
60世界@名無史さん:2007/05/06(日) 15:15:30 0
 日本の司法制度は、遺族の痛みを無視している。判決に意義 

東京都足立区東綾瀬で、18歳と16歳の少年が帰宅中の女子高校生を誘拐、両親も
同居する自宅に監禁し、暴行殺害する事件が発生した。40日の監禁中、少年らは
被害者の陰毛を剃り、手足に揮発性オイを塗ってライターで火をつけ、熱がるさまを
見て笑い転げた。遺体の性器及び肛門にはスポーツドリンクの瓶が突き刺ささっていた。
 このような犯行にもかかわらず、未決勾留期間が刑期に算入され、仮保釈制度が適用
されるため、主犯以外は最高でも6年半で仮出所、主犯も今年には仮出所した。
服役中は給料(作業報奨金)が支払われ、土日休業、平日は毎日3時間の自由時間がある。
主犯は7月には大検(高校卒業程度認定試験)を受験するという。
 受刑者1人当たり月20万円の税金が投入され、被害者側の税金(消費税を含む)
で賄われている。一方、被害者の遺族は、警察の検死場所から遺体を引き取るための
自動車代まで支払わねばならなかった。 女子高生コンクリート詰め殺人事件 より

  詳細は、女子高生コンクリート lynch で検索できます。 
61市村慧芳:2007/06/27(水) 03:56:04 O
モンゴル貴族についての情報源は宮内庁ですか?誰かそのまでばらしたですか?困るよ!
62世界@名無史さん:2007/06/28(木) 21:20:32 0
ここは良いモンゴルの残光スレですね
63市村慧芳:2007/07/26(木) 03:28:11 O
私はモンゴルのルートという訳ではなくて、私はニューヨークからのルートだと思う。
64ノムなが:2007/07/26(木) 04:21:23 O
もんごる800
65世界@名無史さん:2007/07/26(木) 17:41:57 0
>>62
けっきょく今の流れになったのってシンボラのせいじゃなくて
斜め上の国からきたタリマチリ姫のせいだよな
66636:2007/07/28(土) 06:43:59 0
もし、モンゴルが欧州を征服したら、どこの本営を置いたんだろう
あと、カトリックとの関係が気になる
もしかしらイスラーム教が布教されているかも・・・・

何かモンゴルが勢力を後退させても、変わりにオスマン帝国に征服されてそうだが
67世界@名無史さん:2007/07/28(土) 08:41:32 0
以前読んだ歴史改変ものでは「ウロプ汗国 首都・ワルシャワサライ」というのがあった。
68世界@名無史さん:2007/07/28(土) 15:33:29 0
>>66
ハンガリア平原が有力だと思う。
ヨーロッパに進入したフン族やマジャール人といった遊牧民はみんなハンガリア平原を本拠にした。
69世界@名無史さん:2007/07/28(土) 17:07:54 0
>>61
>モンゴル貴族
ロシアにも1917年の王政崩壊までいたらしいな
70636:2007/07/29(日) 06:10:37 0
>>67
ワルシャワサライ。何いいな
よろしければその本?の題名でもお伺いできれば

>>68
やっぱりハンガリー辺りですか。てことはハンガリーがモンゴル系国家になってたりして
やはり高原や平原部に本営を設置するのかな?

>>69
確か海軍提督で、巡洋艦の艦名にも使用されたウシャコフもモンゴル系貴族でしたね
71名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 09:21:40 0
もしモンゴル帝国が世界を征服しても、なんにもならない
それどころか、世界の文明が停滞いや没落し、その状態が
数百年数千年と続き、いつ終わるかわからない暗黒時代に突入
そしてそのまま人類は滅亡。だから、モンゴル帝国が滅びて良かったほんとーに良かった
72名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 09:36:04 0
>>71
もうちょっとそれを具体的に書くと面白いと思います。IFスレなので。
73名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:58:50 0
>>70
"Gurps Alternate Earths"所収の"Ezcalli"
74名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 19:01:36 0
意外と今と変わらない社会になってたかも

米国がモンゴル族によってインディアン虐殺の後に
建国された国になってて、ネオコンはムスリム原理派。

韓国は、やはり国軍の指揮統帥権をムスリム米軍に握られてて、
仏教テロリストのアフガンに、無茶で図々しいイスラム布教に行って
人質に取られて泣いてんの。でもって、仏教テロストにポアされる直前。
75名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 20:08:01 0
モンゴル人ならインディアンの精霊信仰をすんなり理解した上で
仏教となんなく融合させていただろう。人種的にも近いから同化もすんなり進み、
蒙古語がインディアン諸部族間の便利な共通語として急速に広まる。
バッファローの遊牧に成功して北米モンゴル人というあたらしいエスニシティが生れる。

インディアンと文化的に同化した先行組の北米蒙古人と
漢化・キリスト教化またはイスラム教化した後発のモンゴル人との間に衝突が生まれ、
これが独立戦争に発展。先行組は西海岸、後発組は東海岸を南北に支配し3つに分裂。
しかしこの緊張関係も同族意識によって緩和され、交易を通じて相互に発展する。
ともに新技術を旧大陸に伝達する役割を担い、旧大陸のイスラム圏・キリスト教圏・漢字圏は
ほぼ均等のスピードで科学・経済が発展する。

キリスト教の独善と暴走を食い止める可能性がモンゴル帝国にはあった。
76名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 20:12:17 0
ヨーロッパにできるウルスはジュチ系で、アフリカにできるウルスはフラグ系ですかね。
それとも遠方各地にできるウルスはチンギス汗の子孫ではなく、家来の子孫が治めるウルスもできますかね。
ヨーロッパはスブタイの子孫が治めるウルス、東南アジアはムカリの子孫が、というように。
77世界@名無史さん:2007/07/30(月) 20:56:14 0
>75
フラグ・ウルス矢ムガルのことを考えるとモンゴルが温和だったとは思えない。
それにインディアンがモンゴロイドというように理解されだしたのは20世紀も中盤以降でそれ以前は日本でも別人種扱いしていた。
78世界@名無史さん:2007/07/31(火) 16:08:14 0
>>75
>キリスト教の独善と暴走を食い止める可能性がモンゴル帝国にはあった。

キリスト教は関係ないんだよ。
仏教だって同じことをやっているのだ。あの空海は、蝦夷を「羅刹の流(たぐ)いにして
非人の儔(ともがら)なり」(人を食う鬼の類であって、非人=悪鬼の仲間である。
『性霊集』)とか「人面獣心」とののしっている。古代日本における仏教は支配の道具であった。
縄文人の末裔たる東北の先住民文化を根絶やしにするために大和朝廷が使った残酷な常套手段は、
王民であるか仏教徒になるかしなければ清らかな人間にはなれないと説くことである。
そして蝦夷やアイヌとその文化を駆逐していったのだ。
79世界@名無史さん:2007/07/31(火) 17:39:22 0
そういえばこれを題材にしたゲームがあったぞ
名前:KHAN

これやって思うが化け物ばっか
80世界@名無史さん:2007/08/10(金) 22:42:30 0
朝青龍がモンゴル帝国を復興したら日本はどうなる?
81世界@名無史さん:2007/08/11(土) 00:15:44 0
イワユル民主主義は存在しなくなるだろうな・・・
モンゴルが欧州を征服したのならば、欧州諸国はことごとく、明や
ロシア、スペインのような専制君主国となったことであろう。
植民地や奴隷制に対する批判などありえない事となったであろう。
スペインとオスマン・トルコが、1914年までに工業化しなかった事
から、おそらく、産業革命、機械文明も生じなかったかもしれない。
しかしながら、当たり前と言えば当たり前だが、数千年を経れば、
なんとかなるでしょうが・・・
82世界@名無史さん:2007/08/11(土) 01:43:25 0
モンゴルがユーラシア一帯に勢力を伸ばせたのは、あの家族主義と、
国民皆が騎馬兵であると言った所でしょう。

家族主義である以上、
拡張すれば、いつか崩壊するのだから、あれがせいぜいでしょう。
それぞれの国が外部からではなく、内部の民衆の反乱にあっているわけだし・・
元→明(だっけ?)

なので、妄想の価値もないのでは?
せめて、バチカンまで辿り着けば、世界情勢は大きく変わったかな。
キリスト教の白人至上主義は無くなっていたと思う。
83世界@名無史さん:2007/08/12(日) 22:29:15 0
骨折してもサッカーが出来る人種になっていただろう。
84世界@名無史さん:2007/08/12(日) 22:35:19 O
上のヤツに御意(笑)

キリストがドクゼンとか言ってたヤツ
おまえバカでなんも知らんくせに知ったかすんなや

おまえキリストなんかなんも知らんやろが
殺すどゴミ
85世界@名無史さん:2007/08/12(日) 22:57:54 0
>>81
モンゴルにだってクリルタイがあるのだが。
86世界@名無史さん:2007/08/14(火) 04:26:15 0
>85
昨年やってた。
ttp://www.office-mongol.no-ip.com/mm/mm.cgi?page=20


カーンクエストとというのをやってるらしい。今年もやるのか?
ttp://www.mongolia-mp.com/khaan06.html
87世界@名無史さん:2007/08/14(火) 08:58:04 0
>アメリカ、タイ、トンガ、フィジー、インド、バングラディシュ

何この顔ぶれ
88世界@名無史さん:2007/08/16(木) 00:18:17 0
>>84
キリストとキリスト教徒では大違い。
歴史勉強しなおせバカ

釣られてやったぞ
89世界@名無史さん:2007/08/16(木) 09:01:36 0
やはり史実で到達したラインの前後が
遊牧騎兵を軍事力の中心とした国家の征服しうる限界だったのではないだろうか
90世界@名無史さん:2007/08/17(金) 00:16:20 0
そうすね
アッチラは東欧は抑えたけど西欧には進出できなかったし
アルプアルスランはアナトリアまで進出したけどエジプトには進出できなかったし
遊牧騎兵の限界はありますね
91世界@名無史さん:2007/08/17(金) 09:16:54 0
フランス平原部は蒙古の得意とするところだと思うが
たとえ飛び地になっても此処は拠点に抑えそう
クリルタイ帰還さえなければ、な
92世界@名無史さん:2007/08/17(金) 09:30:10 0
ハンガリー大平原でさえモンゴル軍の大量の馬は養えなかったらしいから
軍事力は以前と同じ規模では維持できないのでは。
アッティラの軍隊もカタラウムの戦いの頃にはゲルマン人が多かったというし。
93世界@名無史さん:2007/08/19(日) 11:37:36 0
>>87
かつてモンゴルに蹂躙された国は参加したくないんだろ
94世界@名無史さん:2007/09/09(日) 10:19:50 0
【もしも】歴史IF専用スレ【だったら】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1139321910/
95世界@名無史さん:2007/10/13(土) 08:38:54 0
オゴタイハン国の残党か、探検隊みたいなのがシベリアからベーリング海峡渡って
新大陸に突入してればなあ
向こうは馬も鉄も知らんのだから、千騎くらいで南北アメリカ征服なんちゃって!
新モンゴル帝国の恐ろしさを知れ!
コロンブス?コルテス?ピサロ? ボコボコにしてやるよ!
96世界@名無史さん:2007/10/13(土) 20:10:25 0
>オゴタイハン国の残党

アルマリクあたりからシベリア横断するのかい
97世界@名無史さん:2007/10/14(日) 08:21:08 0
シベリアはただの助走。アラスカ、北米、南米はホーン岬まで
第二のグレートジャーニーだい!
98世界@名無史さん:2007/11/24(土) 19:22:28 0
【モンゴル】伝統の乳製品「馬乳酒」
http://news.ameba.jp/hl/2007/11/8237.html
99世界@名無史さん:2007/11/28(水) 18:43:32 0
『モンゴルの残光』みたいに日本人が新大陸西海岸に到着するとしたら、
北太平洋を千島→アリューシャン→アラスカの順に島伝いに探検していったと思う。
元に占領されて皮製品の重要が高まり、皮と綿を使った防寒装備が発達していれば
北方開発が進んだだろう。
100世界@名無史さん:2007/11/28(水) 18:56:31 0
>>1
世界は大きく歪もう
101世界@名無史さん:2007/11/28(水) 19:04:52 0
Y染色体が全部モンゴルに
102世界@名無史さん:2007/12/01(土) 21:46:00 0
モンゴルでゲームばかりしてるニート急増中!
http://news.ameba.jp/internews/2007/12/9033.html
103世界@名無史さん:2007/12/02(日) 07:42:13 0
そのゲームがチンギスハンの世界征服物だったら笑えるな
104世界@名無史さん:2007/12/02(日) 15:42:14 0
>>102
「モンゴルの新疆ウイグル自治区」ってどこの国だよw
105世界@名無史さん:2008/01/18(金) 14:04:11 0
今の北欧みたいにモンゴル人に近いほど
優秀みたいなナチ思想が世界で広がってたかもな
106世界@名無史さん:2008/01/22(火) 19:53:53 0
あのウイグルは旧ウイグルとは関係ねぇし
107世界@名無史さん:2008/01/23(水) 20:04:48 0
バイキングにモンゴル系の血がたくさん混じってたと
いう証拠が…という報道が最近は多いね
108世界@名無史さん:2008/02/02(土) 19:05:56 0
何でワールシュタットの戦いが有名で
モヒの戦いは知名度イマイチなんですか?
109世界@名無史さん:2008/02/03(日) 00:53:33 0
そう? その二つの戦いはセットだと思ってたが
110世界@名無史さん:2008/02/05(火) 01:07:01 0
>シベリアからベーリング海峡渡って
シベリヤやアラスカじゃ馬は死んでしまいそう。
まずはモンゴル犬橇軍団を編成しよう!
111世界@名無史さん:2008/02/05(火) 01:12:38 0
そういやモンゴル帝国の駅伝制度は駅ごとに替え馬を用意して行われていたが
満州あたりに行くと犬ゾリになったらしいですねw
112世界@名無史さん:2008/02/05(火) 09:45:40 0
もしフビライが西方遠征に行ってフレグが南宋攻略を担当してたら
113世界@名無史さん:2008/02/05(火) 12:40:44 0
なんでヨーロッパを征服出来なかったのだろう
オゴタイ死後は何をやってたんだ?
114世界@名無史さん:2008/02/05(火) 13:22:48 0
>>113
ポーランドに侵攻して、略奪して引き上げたり
ハンガリーに侵攻して、略奪して引き上げたり
ビザンツ帝国に侵攻して、略奪して引き上げたり

13世紀末にキプチャク汗国の西部を支配したノガイは
自分の息子をブルガリア皇帝に即位させたりしてたが・・・
115世界@名無史さん:2008/02/08(金) 01:24:32 0
当時の欧州は辺境だから中国やアラブ平定できれば満足だったんだろ
116世界@名無史さん:2008/02/10(日) 10:31:25 0
フビライ以降の元朝皇帝の在位年数が異様に短いのは
何か理由があるんですか?
117世界@名無史さん:2008/02/10(日) 23:12:03 0
宮廷での党派争いが原因では。
118世界@名無史さん:2008/02/11(月) 00:25:53 0
>>113
ノガイは充分やる気だった
バルカン遠征でブルガリアの農民軍にやられたりもしてるけど
>>114も指摘しているが、バルカンへ自分の息を掛けるようにしたのは間違いない
だがキプチャクハン国の支配を巡ってトクタとやり合っちゃったんで御破算に
119世界@名無史さん:2008/02/11(月) 00:46:23 0
>>113

それほどの大兵力を組織できる力がなくなってしまったんだろう。
広範にわたる複数の国を征服するというのは圧倒的な力を持たないといけないからね。
120世界@名無史さん:2008/02/11(月) 01:38:53 0
キプチャク汗国西部のノガイが支配してたあたりの領土は
14世紀になるとモルダヴィアやリトアニアに侵食されるが、別に手を打ってない
もともと割りとどうでもいいような場所だったのか
121世界@名無史さん:2008/02/12(火) 13:21:52 0
モンゴルの歴史研究家・斉藤俊一(モンゴル在住)です。
[email protected] 
ぜひ歴史認識のご意見をお願いします。
モンゴル政府の歴史管轄機関に伝えていきます。
122世界@名無史さん:2008/02/12(火) 16:10:19 O
今頃は朝青龍が即位してたな
123世界@名無史さん:2008/02/13(水) 09:54:08 0
>>122
チンギス裔でないものがハーンに即位することはできない
124世界@名無史さん:2008/02/13(水) 16:19:44 0
今のモンゴル人と蒙古帝国支配してた民族は厳密には違う民族
125世界@名無史さん:2008/02/14(木) 15:41:55 0
確かハーンの位は満州人が継いで愛新覚羅家は今は日本に帰化したから
実質日本がモンゴル帝国継いでるようなもんだな
126世界@名無史さん:2008/02/14(木) 21:15:11 0
普通に中国に住んでる愛新覚羅家の人もいるよ
127世界@名無史さん:2008/02/15(金) 00:52:26 0
>>125
イヴァン雷帝のようにまず日本の天皇位を愛新覚羅家の者に譲って
それからまた禅譲させるという手続きを踏まないと
モンゴル帝国の後継者にはなれないのでは?
128世界@名無史さん:2008/03/03(月) 13:40:45 0
もしもモンゴルが欧州を征服していたら、ドイツ辺りなんて森林が伐採されて牧草地にされてそう
あるいは華北やイスラーム圏から派遣された行政官によって、中国式・イスラーム式の統治が実現されてたりしたら面白そう
129世界@名無史さん:2008/03/03(月) 22:12:17 0
>>128
ロシアに派遣されたダルガやバスカクはイスラム教徒の商人など。
キプチャク汗国にそもそも漢人があまりいなかっただろうし。

面白いことに元朝にはロシア人軍団がいたんだが。
130世界@名無史さん:2008/03/06(木) 03:34:24 0
もし欧州(それこそドイツからフランス、イタリア、さらにはバルカンまで)を征服していたら、どんな統治したんだろうか?
ちょっと想像できないな
131世界@名無史さん:2008/03/12(水) 09:48:23 0
>>130
西方を統治する人間がありきたりなモンゴル帝国の伝統的な政策を採った場合
とりあえず統治下の諸国が税金さえ払えばあとは放っておく。
反乱とかが起きればそのつど騎馬軍団を侵攻させる。
で、軍事力の中心である草原地帯から遠い地方ほど先にどんどん離反していくw

でもフビライ・ハーンみたいな人物が現れたらどうなるかちょっと想像がつかない。
元みたいにしてモンゴル版ローマ帝国みたいのを建設したら面白いんだが。
132世界@名無史さん:2008/03/12(水) 13:37:56 O
世界中が朝青龍みたいな顔になる
133世界@名無史さん:2008/03/12(水) 18:40:02 O
>>132
>ボケとして最低やw
134世界@名無史さん:2008/03/12(水) 19:48:45 0
>>130
やっぱ、中華皇帝を兼ねたように、ハーンがローマ皇帝を兼ねるだろな
西ローマと東ローマを統合したさ
135世界@名無史さん:2008/03/12(水) 21:30:18 0
それで東西教会のケンカに悩まされ続けると・・・
136世界@名無史さん:2008/03/16(日) 18:53:40 0
というか、ローマはキエフと同じ運命を辿ったんじゃまいか?
137世界@名無史さん:2008/03/16(日) 20:59:47 0
顔悪杉 この世から消えてくれ
138世界@名無史さん:2008/03/17(月) 01:42:55 0
モンケ次第だったがな…。
発展が遅れるという意見もあるが、モンゴルの拡張への意欲を考えれば
逆に近代化が促進されていたような気もする。
139世界@名無史さん:2008/03/17(月) 02:48:39 0
その後の経緯を見ていると、問題はモンゴルが去った後の処理の仕方にある。
もとの地域秩序に戻るところはまれで、(イルハン国占領部分くらいか?)
だいたいがモンゴル時代の強大な権力と版図の継承を目指そうとする。
ヨーロッパもおそらく早くから統一国家になろうとするだろう。
中国みたいな中央集権のドロドロになった可能性も有る。
140世界@名無史さん:2008/03/17(月) 06:25:00 0
>>130
征服過程での欧州諸侯の動向によってかなり状況は違ってくると思うけれど、
ポーランドとハンガリー王国はバトゥの遠征で交戦しているから、モンケが存命してバトゥや
フレグみたいな遠征軍が派遣されモンゴル側に降服しても、王家は取り潰しになるかもしれない。
欧州に派遣される軍団がジョチ・ウルスがメインになった場合はなおさら。モンケ存命中に
ジョチ家の当主を継いだベルケはバトゥに従ってハンガリー周辺の征服に参加しているから
中欧や東欧一帯の牧地や鉱山群はかなり魅力的なはず。

モンゴル王家の娘婿である附馬家になるような家柄は命脈を保つかも知れないけれど、在来の
諸侯勢力の政治的権限は大きく減退し、代わってキリスト教会が政治的発言権は相当縮小される
ものの、モンゴル王侯から多大な寄進によって各地の教会管轄の所領を大きく拡大する可能性は
大いにあると思う。
丁度イルハン朝下のアルメニア王国やルーム・セルジューク朝のようにイラン一帯の在地諸侯・
君主層が、フレグ家王族たちによる直接支配や駐留モンゴル諸侯によって支配権限が徐々に
縮小されて、代わって各都市の有力市民・大地主階層が中央との人脈を築いて地元への影響力を
強化し、農耕地の大規模開発を促進したり遠隔地交易に資本を投入したりして多角経営を展開した
ように、同様の事が欧州支配でも起こりうる可能性は高いと思う。
(ウイグル王家もカイドゥ勢力とクビライの大元朝による長期の境域紛争の影響で、大元朝側に
 ついたチャガタイ王家チュベイ家の王族たちなどの進出によって実際の領地支配の権限を大幅に
 縮小されている。)

もしそのような諸侯家の政治的没落が進展した場合、代わって欧州諸侯家による宗教界への進出が
促進し、特定家系の大司教位の占有が固定化してこれに基づいた諸侯家の存続が計られる可能性も
考えられる。(これはモンゴルの進出に関係なく欧州では普通にあると思うけど)

ジョチ・ウルス時代のルースィの教会権力とルースィ諸侯との関係ってどうなってたんだろう?
141世界@名無史さん:2008/03/17(月) 06:30:22 0
>>140の続き。

ただ、ポーランドとハンガリー平原は馬群を養えるような土地だから、モンゴル皇帝直轄地に
なってしまう可能性も大いにあり得る。

アルプス周辺からハンガリー一帯は地下資源がめじろ押しで、モンゴル帝国としてもこれらの
鉱山の確保と開発は是が非でもにやりたいはず。モンケやクビライが積極的に進めた雲南開発や
中国沿岸部の塩田開発を考えれば、欧州でも鉱山の開発は人員と資本をありったけ投入して
大規模に行われると思う。多分これらの鉱山もモンゴル皇帝が直接管理してくると思う。

バトゥの遠征軍が近くにやってきた地域でも、例えば、ザルツブルグやポーランドのヴィエリチカ塩山
なんかがあるし、銀山でいえばザクセン地方のランメルスベルクなんかがある。他にも鉄鉱石や金銀銅の
鉱山は色々知られていたから、これらの管理がどこの帰属なるかは別にして、開発自体は実際の中世期
でのもの以上に進むと思う。ジョチ・ウルスのルースィ支配は、「タタールの軛」と言われるように
強圧的支配が思い浮かべられるが、ジョチ・ウルス全体からするとルースィ地方は境域地域にあたり、
しかもルースィ自体にこれといった産業も産物もなかったせいで文化的恩恵も少なかったかも知れないが、
中世の欧州では農業に限らず鉱山や各種の産業が発展した時期であり、モンゴル側も王家への収入を
大いに期待して資本を投入し、これらの産業の発展を狙ってくるだろう。
142世界@名無史さん:2008/03/17(月) 06:34:06 0
>>140-141の続き。

農業開発自体も農村社会全体でかなり大きな変化が起きるかも知れない。イラン・中央アジアでも
中国でもそうだったと思うが、自由民や隷民を問わず、モンゴル政権の農耕地開発は数十人〜数百人
単位で人員を大量に投入して行う大規模農業が基本で、欧州では12、3世紀からドイツ系入植者が
欧州東部各地に入植した事がしられているけど、あれのもっと計画的で大規模な入植と耕地開発が
占領地の各地で行われると思う。

「放牧地の拡大」が主要目的になるかは分からないけれど、森林の伐採と耕地の拡大、農業技術、
科学、医療技術の進展はより促進すると思う。中国や中東の農書が欧州でもラテン語訳などで移入され、
三圃制農法がさらに改良されたり、どれだけ現地に根付くかは分からないが東方から農作物が多く
移入され、中国やイラン・中央アジアからの文物や技術を踏まえた欧州独自の技術が開発されたり、
また寒冷でも収量の多い大麦や小麦の開発が進むかも知れない。

モンゴル帝国時代は東西の知識の交流も活発化した時期で、例えば大元朝で編纂された『農桑輯要』
のような農書の知識がイルハン朝へ移入され、13世紀前半に華北で編纂された『王叔和脈訣』
や『銅人』などの漢籍の医学書や本草書がラシードゥッディーンの『タンスーク・ナーマ』で
ペルシア語訳がされているし、授時暦がプトレマイオスなどの古典的な研究に加え同時代の
マラーガ天文台などイランでの天文学的成果を土台して完成したように、これらのモンゴル帝国内の
技術交流の範囲が欧州へも拡大されるに違い無い。

とくに12〜13世紀は欧州でもアリストテレスやプトレマイオスなどギリシア古典学が隆盛した
時期であり、大元朝で宋代の古典研究を受継いで原典研究や研究書、その要約本などが大量に出回った
けれど、恐らく欧州でも、アリストテレスなどのギリシア古典の再編集作業が国家プロジェクト並みに
企画され、ギリシア語原典の精査と校訂が確立され、それに基づいたラテン語訳やアラビア語訳、
ペルシア語訳の決定版が作られると思う。ガレノスやイブン・スィーナーの医学書なども欧州や中東では
この頃古典として尊重されていたから、イブン・スィーナーの全集も精度の高いギリシア語やラテン語
の完訳が編纂されると思う。
143世界@名無史さん:2008/03/17(月) 09:08:54 0
ペストの広がる速度、領域が共に大幅UP、全世界大流行で大混乱
144世界@名無史さん:2008/03/17(月) 13:10:37 O
統一してた時期によるけど

欧米がみなロシアみたいになったんじゃないの
145世界@名無史さん:2008/03/17(月) 17:25:11 0
キリスト教国は徹底的に交戦しそうだから廃墟になったんじゃないか?
146世界@名無史さん:2008/03/18(火) 00:12:31 0
>>145
そういやモンゴルが破壊して住民を虐殺した中央アジアのメルヴとかいう都市は
当時、世界一の大都市だったんだっけ?
147世界@名無史さん:2008/03/18(火) 01:41:07 0
ホラズムは大きな国だったからね。
でも記録に残ってる数字は少々大げさに記述されているみたいだよ。
148世界@名無史さん:2008/03/18(火) 08:26:37 0
当時世界最大の都市といえば杭州や泉州では?
149世界@名無史さん:2008/03/18(火) 12:09:21 0
西欧も東欧レベルで東アジアが完全に中心になってたんだろな
150世界@名無史さん:2008/03/18(火) 18:53:16 0
ロシアが遅れてたのはモンゴルがどうとかいうより単に「ど田舎」だったから
151世界@名無史さん:2008/03/19(水) 04:58:28 0
>>146
メルヴ(ムルガーブ川下流のもう一つのメルヴと区別して「マルヴ・アッシャーヒジャーン」と
呼ばれていたそうだが)は、セルジューク朝のスルタン・サンジャルの本拠地になった都市で、
ギリシア語文献に「マルギアナ」として出てくる古くから名を知られたところ。(サンジャルの廟がある)
アラブ征服時代にはアラブ側のマーワラーアンナフル征服の拠点、軍事都市として一時市域が
拡大したものの、サーマーン朝やカラハン朝がブハラやサマルカンドを首都としたため軍事都市
としての機能を失い、相対的に衰微した。セルジューク朝時代、東方経営の拠点として再び脚光を
浴び、実質サンジャルが一代でホラーサーン地方の最有力都市に成長させたようなと都市。

1200年前後でもサンジャルの晩年を悩ませたオグズのイラン東部侵入を辛くも耐え凌ぎ、
アフガニスタンのゴール朝やセルジューク朝を滅ぼしてイラン東部、中部まで南下して来た
ホラズム・シャー朝の争奪の対象になったが、ヘラートやニーシャープールなどと並び、
ホラーサーンの主要都市としてまずまずの繁栄を保っていたらしい。

「世界一の大都市」云々というのはサンジャル以来の主要都市化のことを言っているが、直接的には
ナサウィーやジュワイニーなどモンゴル侵入を体験したイラン東部出身の歴史家たちの文飾に由来する
んじゃなかろうか。実際のこの頃の都市の規模はアラブ征服時代に築かれた1〜1.5km四方の市壁に
サンジャルによって南北にやや拡張された程度の規模で、同時代の中東から中央アジアの主要都市の
規模とそれほど変わらず、バグダードや杭州などに比べればさすがに小さい。
152世界@名無史さん:2008/03/19(水) 17:26:54 0
>>142
東欧や中欧は、大体想像ついたけど、フランスやイタリア・イベリア辺りはどうなるんだろうな
あと、もしフラグの遠征でエジプト・シリア辺りまで征服したとしたら、
地中海世界を巡って、フラグウルスとバトゥウルスの攻防とかあったりして
153世界@名無史さん:2008/03/19(水) 23:18:54 0
西欧が征服されてもビザンツ帝国だけ微妙な地政学的位置のおかげで存続してるとかw
154世界@名無史さん:2008/03/20(木) 20:54:26 0
 大モンゴル帝国が大西洋沿岸まで制圧したらというパターンであっても
ブリテンは生き残る気がする。
 何せ海が苦手というのもありブリテンに食指を伸ばすべき魅力もなさげだし

というわけでブリテン内部がイングランド、スコットランド、アイルランド・・
といった独立性が低くなり統一感が増す反面
欧州大陸との文化的文明的な乖離が進んだと思う。
 そして欧州大陸は今のシナよろしく巨大統一国家を繰り返し誕生させる
歴史ループに突入するという図式になったと思う。
155世界@名無史さん:2008/03/20(木) 22:41:19 0
ピレネー山脈の向こうは?
156世界@名無史さん:2008/03/20(木) 23:28:30 0
ローマが包囲殲滅されるシーンを思い出すだけでワクワクします。
157世界@名無史さん:2008/03/21(金) 07:01:07 0
>>154
欧州のモンゴル支配が崩壊した後、イングランドによる英仏連合王国が成立するというネタを思いついた
158154:2008/03/21(金) 08:54:41 0
逆だわ
モンゴルの欧州支配崩壊後、イングランドによる英仏連合王国が成立するというネタを思いついた
やっぱオールのカラオケの後だから、疲れてるな
159157=158:2008/03/21(金) 08:55:49 0
あ〜>>158の名前欄の154はおもくそミスです
だめだ、寝よう
160世界@名無史さん:2008/03/21(金) 13:03:30 0
クビライが南宋滅ぼした時漢族皆殺しにして
城も街も全部壊して草原地帯にして羊放す計画があったけど
重臣に止められて諦めたらしいが今の中国人観ると惜しいことしたな
161世界@名無史さん:2008/03/23(日) 18:09:37 0
新華社は22日までに、チベット情勢をめぐる中国当局の対応に、
北朝鮮、シリアなど14カ国が支持を示したと伝えた。

北朝鮮スポークスマンは「チベット分裂勢力による独立の企てを
強く非難する」と述べ、シリア外務省幹部も「一連の破壊活動は
民族団結への打撃と北京五輪妨害を狙っている」と中国を擁護
したという。

ほかに支持を表明したのはセルビア、フィジー諸島、ザンビア、
シエラレオネ、ベナン、カザフスタン、タジキスタン、キルギス、
グルジア、モンゴル、ネパール、バングラデシュ。(共同)
       ~~~~~~~~
ソース:http://sankei.jp.msn.com/world/china/080322/chn0803221849012-n1.htm


モンゴルは中国の犬。
日本から金を吸い上げながら、チベット大虐殺を支持しております。

モンゴルの本音
中国様は、我々の資源を開発、お買い上げくださる友好国です。
日本?おまえらは金だけ落としてきゃいいんだよ、猿www
162世界@名無史さん:2008/03/23(日) 19:28:31 0
中共は核爆弾を握った狂犬だから、下手に刺激すると、とても怖い目に遇う。
実際にベトナムを“懲罰”したからなー。
長い国境を接しているモンゴルは怖いんよ。
163世界@名無史さん:2008/03/23(日) 19:39:55 0
モンゴルって中国とロシア「のみ」に国境かこまれてるんだよね。こわっ

かつては支配していたはずの民族に圧迫されるというのも歴史の皮肉ですね
164世界@名無史さん:2008/03/23(日) 23:51:50 0
>>163
こういっちゃあ、なんだが・・今のモンゴルは
かつてのモンゴル帝国の残滓にすぎないぞ
大部分は各地で溶け込んでしまっている。
中国とロシアにも溶け込んでいるわけだから
そう単純に圧迫されてるといっていいものか

165世界@名無史さん:2008/03/24(月) 11:00:10 0
オイラトやジュンガルはどこいった?
166世界@名無史さん:2008/03/24(月) 16:36:49 O
満漢蔵回蒙のアジア人種に
欧阿海赤の四色人種を加え
オリンピック旗を
国旗とする世界統一国に
167世界@名無史さん:2008/03/24(月) 21:49:22 0
>>165
清軍に虐殺されたんでなかった?
168世界@名無史さん:2008/03/24(月) 23:42:17 0
>>165
中共の民族認定ではホシュートもハルハも「モンゴル族」で統一されてます(なぜかダフールは別民族に認定された)
何処へ行ったと言えば、別に何処へ行ったわけでも無く中国に住んで居ます(ロシアに住むカルムイクもいるのだが)
その前にジュンガル「左翼」と言う意味で、左翼が何処へ行ったかと言うと(ジュンガルは部族名ではないんすよー)
やっぱり中国になるのであった(ちゃんちゃん
169世界@名無史さん:2008/03/28(金) 21:31:58 0
>>160
むしろそういう発想が残ったんだと思うんだが
170世界@名無史さん:2008/03/29(土) 02:38:28 0
というか>>160はオゴタイとトゴン・テムル時代の話がごっちゃになってて
しかも全然関係ないフビライの話になってるけど
ここまであからさまだと誰も突っ込まないのか
171世界@名無史さん:2008/03/29(土) 08:49:58 0
>>170
フビライはむしろ漢文化に相当理解の有った方だからな
誰かと勘違いしてると思ったけどやっぱりか
172世界@名無史さん:2008/03/29(土) 16:11:03 0
大体南宋の領域をを草原にするって・・・・
173世界@名無史さん:2008/03/29(土) 17:09:16 0
これが清朝となると「故郷の森林を中原に!」ってなるんだけど
その割にはモンゴルで植林はしないのね…
174かきつばた ◆O1SdlnknBs :2008/04/02(水) 08:26:44 0
>>165
 ボルガ河のほとりにあるカルムイキア共和国が、オイラトの末裔。
 新疆ウイグル自治区にいる「蒙古族」は、ボルガ側のほとりから
 また新疆にもどってきた、これもオイラトの末裔。

 青海省の「蒙古族」もオイラト族で、ホショト族が中心だけど、
 ジュンガルを含めオイラトの全部族がそろっている。
175かきつばた ◆O1SdlnknBs :2008/04/02(水) 08:28:34 0
168氏とかぶったかw

168氏より、ちょびっとだけ、
正確で、かつ具体的かなww
176世界@名無史さん:2008/04/02(水) 19:02:02 0
なぜハーン諸国は時代の波に乗れなかった?
177世界@名無史さん:2008/04/03(木) 02:06:26 0
>>176
いつ頃の時代の波?
178世界@名無史さん:2008/04/03(木) 20:25:44 0
キプチャクは今のどのあたりなの?
179世界@名無史さん:2008/04/04(金) 05:04:37 0
>キプチャク
バトゥの遠征の頃は現在のタタスタン共和国の首都カザン一帯がヴォルガ・ブルガール人が、
そのブルガールの南からカスピ海の北岸あたりの草原地帯を活動拠点にしていたのが
キプチャク人だったらしい。>『世界征服者史』や『集史』の話によると

現在のカスピ海北部沿岸からロシアとカザフ国境一帯のステップ地域がいわゆる
「ダシュテ・キプチャーク」(キプチャクの草原)と呼ばれていたようだ。
180世界@名無史さん:2008/04/04(金) 07:01:12 0
「モンゴルの残光」ではモンゴルによる世界征服後の20世紀に
「欽察汗国」があるはずなのにポーランドへの通り道として
「月即別(ウズベク)汗国」が言及されてた。
181世界@名無史さん:2008/04/09(水) 02:00:40 0
よくオゴディが数年生きていたら欧州が危ないと言われる
ハンガリーを席巻したモンゴル軍が、ドイツかイタリアか、あるいは南下してバルカンを狙うかは分らないけど

それよりもオゴディ後の大ハーン位はどうなるんだ?
グユクもモンケもモンゴル高原に到着してるだろうし
182世界@名無史さん:2008/04/09(水) 03:16:46 0
おいらは「蒼き狼と白き牝鹿」で世界を何度か征服したが
PC98版の第一作が渋い作りだと思う。

183世界@名無史さん:2008/04/09(水) 06:27:40 O
蒼き狼で思った。
>>1
由美かおるが、お代官様のオルドに呼ばれる。
水戸黄門はこうなるはず。
184世界@名無史さん:2008/04/09(水) 07:18:36 0
>>181
生前、オゴデイの後継者に指名され南宋遠征中に陣没した三男クチュの長男で、
オゴデイの孫のシレムンが後継候補第一位になっていたから、順当に行けば
シレムンがそのままモンゴル皇帝になった可能性が高い。

グユクがオゴデイの後を継げたのは、生母のドレゲネがオゴデイの皇后では最年長者で第2皇后に
なっていたからだけど、もうひとつの理由としては、オゴデイが没した時、クチュの生母で第1皇后
ボラクチン・カトンも前後して亡くなっていたから、ドレゲネの「前皇帝オゴデイの存命皇后筆頭」
+「皇后としては最年長者」という2重のゴリ押しが効いてシレムンが後継者から降ろされて、
グユクが皇帝になれたって事情がある。(グユクがオゴデイの長男で成人して戦闘指揮官としての
実績もかなり積んでいたという大きく有利な条件があったにも関わらず、やはりかなりのゴリ押し
だったので5年近くも皇帝位が空位になったけど)

オゴデイがもう少し長生きして、ボラクチンも存命していれば、そのままシレムンが擁立されたろうけど、
トルイはオゴデイ派に暗殺された疑惑があるので、やはりトルイ家とジョチ家はこれを恨んでこの時も
何らかの行動に出ると思う。ボラクチンが没した前後を見計らって離叛するとか、シレムンを暗殺するとか
するかもしれない。最悪、クビライとアリクブケの時みたいな内戦になるかも。

グユクも遠征中にバトゥと諍いを起こしてジョチ家の人たちとかなり険悪な仲になっているけど、グユク自身が
シレムンの擁立に回るか否かでまた違ってくると思う。擁立に反対した場合、モンケあたりが仲介役になって
バトゥと和解してモンケの擁立に加担するかも。シレムン擁立の場合、やはり、トルイ・ジョチ家連合に
破れる公算が高いので、やっぱりバトゥあたりにチャガタイ家のブリともども処刑されそうな感じ。
185世界@名無史さん:2008/05/10(土) 13:30:30 0
>>154
別に海が苦手などということはないだろ。
元寇は相手の日本が強過ぎただけで。
文永の役程度の兵力を投入すれば、ブリテンなんて簡単に征服できるよ。
186世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:22:48 0
>>185
モンゴル帝国やその後の諸汗国のハーンであれだけの艦隊を作って
海上遠征しまくったのはフビライだけということから推して知るべし。
元でさえフビライ一代の事業で、彼が死んだ後は興味をなくして
末期には制海権すら南人の海賊に奪われている。
イル汗国はマムルーク朝のインド洋交易を妨害しようとして
ジェノヴァ人傭兵部隊を送り込もうとしたことがあったが
失敗して二度とやらなかったし。
ジョチ系も同じ。クリミア汗国でさえ陸軍しかなく
黒海の制海権をもたずにオスマン艦隊の遠征で属国にされたうえ
コサック船団に襲撃されっぱなしだった。
187世界@名無史さん:2008/05/10(土) 14:55:18 0
>>186
元の海上遠征がフビライ一代で頓挫したのは、弘安の役で10万もの艦隊が壊滅したからだろ。
相手が悪かっただけ。
それまで元の海軍力は右肩上がりだったんだから、日本侵攻の大敗がなかったらモンゴル帝国は
杉山の言うような大海洋帝国になっていたはず。
188世界@名無史さん:2008/05/11(日) 00:59:21 0
>>187
海軍(水軍でなく)を動員した遠征は三別抄や南宋の残党狩り以外ほとんど弘安の役以後で、
しかもフビライが死ぬと誰もやらなくなってるんだけど。
189世界@名無史さん:2008/05/11(日) 03:14:59 0
>>188
弘安の役以後も海軍を動員した遠征してるんだから、フビライの海洋進出の意思は
強固だったんだよ。
でも悲しいことに三別抄や南宋の残党狩りで活躍した強力な海軍は、弘安の役で壊滅
しちゃったから、フビライの期待に十分応えることができなかった。
だからそれ以後の皇帝もやらなくなった。
モンゴル帝国は海洋進出の意思がなかったわけでも、海が苦手だったわけでもない。
日本がそのチャンスを奪った。
190世界@名無史さん:2008/05/11(日) 13:45:18 0
>でも悲しいことに三別抄や南宋の残党狩りで活躍した強力な海軍は、弘安の役で壊滅
>しちゃったから、フビライの期待に十分応えることができなかった。
>だからそれ以後の皇帝もやらなくなった

なんか東路軍と江南軍が一気に消滅したようなこと書いてるけど
三別抄や文永の役で経験を積んだ東路軍系統の連中は壊滅してないよ。
蒲寿庚船団系の江南艦隊は被害が集中したそうだが大型艦は沈まなかったらしいし
その後東南アジア遠征で使われたのも江南軍と同じ蒲寿庚の泉州を中心とした艦隊。
東南アジアでの元軍は土着の勢力がジャングルに逃げ込んでゲリラ戦をはじめたから
泥沼化して消耗しただけで、通常の戦闘では元寇より小規模の兵力で普通に勝ってるし
インドシナの諸国は結局朝貢するはめになってるから、元から見れば辛勝ってところだろう。

結局高麗、南宋、日本と経験を積んで海軍力によって何が出来るかということを
認識していたフビライがモンゴル王家の中では特異なキャリアの持ち主だった
ということなんだろうね。
彼の死後は、インドシナは朝貢してるしジャワや日本はほっとけば何もしてこないんで
後継者たちもわざわざ海軍力を行使したいと思わなかったんだろう。
元末に倭寇が運糧船を襲うようになった頃にはもう手遅れだった。
191世界@名無史さん:2008/05/11(日) 17:43:04 0
>>190
元のベトナム侵攻が上手くいかなかったのは、あきらかに弘安の役で江南艦隊が
壊滅した影響。
海軍が兵站線を支えることができたら、ジャングルに逃げ込んだベトナム軍など
問題ではなかった。
でも弘安の役のせいで元がベトナム戦に投入できる艦艇数は激減。
弱体化した艦隊が兵糧運搬に失敗したから元軍は撤退に追い込まれたのね。

もしベトナム侵攻が成功していたら、フビライは占城を拠点にこの付近の海域を
支配するつもりだったのに。
ジャワに侵攻するのにも江南から出港するのと占城から出港するのとでは距離が
全然違うし。
全ての計画を日本が狂わせた。

それから、元は「日本はほっとけば何もしてこない」なんて考えていない。
1292年に日本の商船が武装していることが発覚して大問題になってるからね。
元寇の大敗以後、元は常に日本からの報復に怯えていたんだよ。
192世界@名無史さん:2008/05/12(月) 20:43:23 0
>>191
ヴェトナム遠征の経緯を見るとそうは思えない訳だが
本当に船舶が足りていれば大丈夫だったと思ってる?

ジャワ遠征の時は1年分の兵糧があって(不足した場合の購入資金に
4万オンス相当の銀まで用意していた)、2万の兵のうち死傷者は
まだ3千程度、現地の地図まで入手していたという状況で撤退してるから
距離が遠かったってのは言い訳にならないな。
現地人との会戦では余裕で勝ってたみたいだから、あと理由として考えられるのは
やはりジャングルや疫病ぐらいだが。

あと、「日本国の報復」なんてレベルでなくても元の当局は日本商人を
警戒する充分な理由があったんだよ。
何しろ1307年には市舶司との日本商人との関税をめぐるトラブルで
都市ひとつ丸ごと焼き払われてるからね。
この頃ちょうど元に留学していた禅僧の雪村友梅や龍山徳見が
巻き添えで逮捕されたりしている。
193世界@名無史さん:2008/05/12(月) 23:47:42 0
>>192
ベトナムの陳朝は1257年に雲南駐留軍のウリヤンカダイの軍に攻められ、首都のハノイが
(当時は交趾というか大羅城だったか)陥落されているんだっけ。

『元史』の安南国列伝とかだと、ウイヤンカダイの軍に破れて海上へ逃走した陳朝の初代太宗は、
息子の聖宗に譲位して、撤退したウリヤンカダイとともにモンゴル皇帝モンケに使節を派遣して帰順し、
以後ハノイにダルガチが常駐するようになったとかだったか。

ベトナムはクビライの時代に元朝と戦争になるけど、これはクビライの皇子トガンがチャンパー遠征に
派遣されて陸路で南下した時。ダルガチ(ヌールッディーン某という人物だったらしい)や
駐留モンゴル軍の苛斂誅求に辟易していた聖宗は、陳朝の領内を通ろうとしたトガン軍からさらなる
糧秣その他の徴発要請が来るもんだから、とうとうぶち切れて色々言い逃れして事実上要請を拒絶
したため、トガン軍から謀反と見なされて討伐を受けたのが原因らしいね。

トガンとかの元朝軍はベトナム領内を荒し回って陳朝の軍を何度も敗走させるんだけど、夏になると
暑さや降雨、軍に疫病が発生してりで撤退し、そこを再編した陳朝軍が追撃して、またこれを元朝軍が
迎撃しての繰り返しで、結局トガンはほうほうの体で広西方面へ撤退した。
陳朝の方も数年に渡る元朝軍の戦火で疲弊仕切っていて、聖宗の息子仁宗がクビライに臣従するため
恭順の意を示し、陳朝の再度の帰順が認められて、取り敢えずそれで手打ちになったとか。
(トガンはこのベトナム戦役の責任を取らされてクビライから鎮南王位を剥奪されたとかいう話が
 あるらしいけど、これは『元史』のどこかに記述があるんだろうか)

高麗が元宗の時代に離叛してモンゴル軍から討伐を受けたり再びモンゴル側に帰順したりを繰り返したけど、
ベトナム遠征は、状況的には日本よりも高麗の状況に近いよね。
そう言えばこの時のチャンパー遠征にも弘安の役に参加した阿里海牙も派遣されていたんだったか。
チャンパーとかジャワにクビライから遠征軍が派遣された経緯ってどんなだったけ?
194世界@名無史さん:2008/05/14(水) 17:52:34 0
>>193のは基本的に1284年−1285年におこなわれたベトナム侵攻のストーリーだろ。
この時の陳朝は非協力的だったから攻撃されただけで、元軍のメインターゲットは
あくまでもチャンパーだった。
元軍の陳朝に対する本格的な侵攻は1287年−1288年。
この時は前回よりも大幅に兵力を増やし、その増加した兵力の兵站を支えるために
水軍500艘を動員して、兵糧17万石を海路運搬する作戦がとられた。

この時も元軍はあっさりとハノイを占領するんだけど、水軍を率いていた烏馬児が
勝利に気をとられて後方の糧食を失うという失態を犯したため、直ぐに兵糧不足に陥る。
その後派遣された張文虎率いる糧船はベトナム海軍との戦闘で痛み分けとなったため
突破を断念し、米を海に沈めたうえで退却。
更に費拱や徐慶率いる糧船も派遣したが、いずれもベトナムに到着することができず、
兵糧不足の元軍は遂に撤退に追い込まれた。

1287年−1288年のベトナム遠征の経緯を見ると、失敗の原因はあきらかに弘安の役で
元の海軍が弱体化していたから。
つまりベトナムが助かったのは日本のお陰だ。
195世界@名無史さん:2008/05/15(木) 23:57:20 0
>>194
ヴェトナムの第3次元寇でトゴンが撤退を決めたときの議論では
たしかに張文虎の船がいつまでたっても来ないということも言及されてるんだが、
その直前に現地調達で11万石の兵糧も確保してるのね。
もし撤退の主要因が兵糧不足だったとすると、張文虎らの米17万石が
すべて予定通り合流できたとしても、少なくとも撤退時に必要と考えられた
兵糧の2〜3倍しか確保できないことになる。
それが許す時間の範囲内で、ゲリラ戦を始めた連中をどうにかできたかどうかは
疑問といわざるをえない。
1世紀ほど後の明の永楽帝はヴェトナム遠征についてはおおむねフビライよりも
成功を収めていて、雲南と広西から安南に合計20万もの軍隊を送り込んで
占城近くまで明の領土に編入して占領し続けたが、それでも陳氏のゲリラを
鎮圧するのに8年もかかっている。
196世界@名無史さん:2008/05/16(金) 08:28:56 0
>>195
制海権さえ確保できれば兵糧なんて本国から幾らでも送ることができるんだから、
元軍は何年だろうとベトナムに居座ることが可能だよ。
逆に張文虎の船がいつまでたっても到着せずに兵糧の海上輸送の目処が立たなければ、
現地調達でその場を凌ぐことは出来ても、その先の展望がまったく開けない。
元軍の作戦の成否を決定する最大の鍵は制海権の有無なのね。

まあ元々、弘安の役の東路軍が900艘で11万石の兵糧を輸送すれば良かったのと比べれば、
500艘で17万石輸送という計画自体、元軍にとってはつらいものだったんだけどね。
江南艦隊3500艘が健在ならベトナムなんか一蹴できたのに・・・
197世界@名無史さん:2008/05/16(金) 22:34:03 0
まあベトナムなんか当時金や銀が出まくった日本と比べると無理して取るような必要もないとこだしな
そもそもモンゴル人的には糞暑いだろうし
198世界@名無史さん:2008/05/17(土) 07:56:54 0
>>196
食糧が後からいくらでも送れる状況で(これは疑問だが)、そこまで長期の軍事行動を見越していたのなら
海上輸送路を確保する海軍がないというだけで輸送を諦めて撤退したりはしないよ。
洪武帝によって統治システムの整備が行われた後の明では
軍事行動の際に国境への兵糧の輸送は開中法によって商人が行っていたが、
明軍のヴェトナム侵攻の際にはちゃんと陸路のルートを確保していたので
海禁政策の時代に民間人を利用した輸送で兵站を維持できている。
199世界@名無史さん:2008/05/20(火) 17:39:32 0
>>198
>海上輸送路を確保する海軍がないというだけで輸送を諦めて撤退したりはしないよ。

兵站って軍事作戦では最重要の問題なんだけど・・・

結局、元軍と明軍の差は海軍力の差。
鄭和の大航海の期間と明軍のベトナム侵攻の期間が重なるのは偶然じゃないの。
元と明とのベトナム侵攻を比較すれば、弘安の役の大敗による元海軍の弱体化がどれだけ
大きな違いをもたらしたかが一目瞭然だな。
200世界@名無史さん:2008/05/23(金) 10:16:21 0
>兵站って軍事作戦では最重要の問題なんだけど・・・

だから陸路で兵站の維持が可能って例を出したんだが・・・

>結局、元軍と明軍の差は海軍力の差。

しかし羅栄邦の研究(50年前位のだけど)によると
15世紀初頭の明海軍の主要船舶数は外洋航行船が約3500隻、
そのうち戦艦が1700隻以上、穀物輸送船が400隻以上と
トータルでやっと弘安の役の江南艦隊と同程度だったりする。
永楽年間において艦の新造は、多い年で数百隻とかスローなペースで
(小舟なら1000隻位造れた年があったようだが)、永楽末年までにやっと
2000隻ちょっと(小舟を除くと1000隻位)。
外征に振り向けられたのはその一部。
江南の穀物を華北へ輸送するのがが重要な任務だったらしく、
内陸運河の再開削により海運の必要性が減るにともなって
規模が縮小されたようだ(ヴェトナム戦役の末期に手痛い敗北を受けて
船舶数を減らしたというのもあったらしいが)。

ちなみに鄭和艦隊は大航海時代のポルトガル等と比べてその規模が
強調されたりするが(宝船とサンタ・マリア号とか)、人員等の規模で言えば
末期高麗軍が軍船324艘、兵力約2万5千で済州島の元軍残党を掃討した
マイナーな作戦時と大差なかったりもする。
201世界@名無史さん:2008/05/23(金) 11:58:16 0
>>200
トラックや鉄道もない時代に、10万近い規模の軍隊の兵站を陸路で長期間支えることなんか
物理的に不可能だよ。
軍隊がどれだけの量の兵糧を必要とするか、馬や人夫がどれだけの量の兵糧を輸送可能か、
そしてその輸送のための馬や人夫がどれだけの兵糧を消費するかを計算すれば簡単に分かる。
前近代の長距離軍事作戦において兵站は水運と現地調達の二者択一。
202世界@名無史さん:2008/05/23(金) 13:58:00 0
>>201
洪武帝の時代に元の残党を討伐するために内陸部の雲南地方へ明軍が侵攻したが、
この時も泥沼化して長期間の掃討戦になっている。
当初投入した兵力は30万ほどだったが「その後洪武二三年までの一〇年ほどのあいだに、
泥沼化した軍役に参加した衛所はほとんど中国全土に及び、のべ動員数は確認
されるだけでも一五六万七九八名に及んだ」(上田信)。
この時の輸送を支えたのが開中法。
203世界@名無史さん:2008/05/23(金) 15:04:42 0
>>202
雲南へは長江という水運が利用できるからな。
204世界@名無史さん:2008/05/23(金) 22:59:27 0
>>201
> トラックや鉄道もない時代に、10万近い規模の軍隊の兵站を陸路で長期間支えることなんか
> 物理的に不可能だよ。

20世紀ロシアの東洋学者V.V. バルトリドの推計だと、チンギス・カンの対ホラズム・シャー朝遠征では、
モンゴル帝国軍は15万〜20万人くらい投入されたんじゃないかと論じているみたいだけど、1219年から
1226年にチンギスがモンゴル本土へ帰還する7年程の間、タリム盆地周辺の旧西遼領や天山ウイグル王国の
諸都市、西夏、天山山脈周辺の牧草地帯や山脈内外で新規に開拓された屯田地などでは、遠征軍の兵站として
食料生産がフル稼動され、マーワラーアンナフル征服までの時期はスィルダリヤ東岸からイリ周辺、
マーワラーアンナフル制圧後はブハラやサマルカンド周辺に設営された中継基地まで糧秣が運搬されていた
とかで、それらの中継基地から各戦線へ配給されていたそうだ。

だから、「10万近い規模の軍隊の兵站を陸路で長期間支えることなんか物理的に不可能 」というのは
ちと憶断が過ぎるんではないか。

勿論、ベトナム方面は中央アジアと違って高温湿潤なうえ周囲は山岳と森林に囲まれ、中央アジア遠征軍
の主力はテュルク・モンゴル系の遊牧諸部族軍から構成されていたから、全く同じには論じられないだろう
けど、少なくともベトナム遠征以前に10万規模のモンゴル帝国軍による5年以上に渡る陸路での兵站の
維持の例はちゃんとある。

>>202
なるほど〜 モンゴル帝国軍はモンケの時代までに雲南へ数万くらいの兵力を数度に渡って派遣し、開城勧告
とかも出しながら先方から投降し易い状況を作りながら降伏させて雲南支配を固めていったそうだけど、
洪武帝の雲南遠征はクビライのベトナム遠征以上に力づく感に溢れているというか・・・
この違いはなんだろうねえ。
205世界@名無史さん:2008/05/25(日) 18:01:48 0
>>204
チンギス・カンの対ホラズム・シャー朝遠征の兵站を陸路で支えていたなんてのは
単なる幻想。
屯田地などでどれだけの量の食料生産が可能だったのか、どれだけの補給物資を
どれだけの規模の補給部隊が輸送していたのかという数字の根拠が皆無じゃん。

弘安の役の東路軍4万の3ヶ月分の兵糧が11万石だから、仮にホラムズに侵攻した
モンゴル軍が16万なら3ヶ月で44万石が必要なことになる。
1石60キロで2万6400トン。
1年だと176万石で10万5600トン。
1422年に明の永楽帝が37万石の兵糧を輸送した時には驢馬34万頭、車輌17万余台、
人夫23万人を投入しなければならなかった。
この時期のモンゴルがこんな規模の輸送部隊を組織できるわけないし、屯田地では
戦闘部隊のための年176万石に加え、補給部隊のためにも兵糧を供給する必要がある
んだぞ。
絶対不可能。

チンギス・カンの対ホラズム・シャー朝遠征は略奪によって現地調達した物資で
食いつないでいたんだよ。
206世界@名無史さん:2008/05/26(月) 13:37:21 0
>>203
地図上では江南と長江ハイウェイで直結できそうに見えるけど
雲南までダイレクトに行こうとすると途中に三峡とかあるから
海上の運糧艦隊と同じ規模でやるのは厳しいよ?
雲南に行くなら四川から岷江〜金沙江のルートが堅いだろうが
穀倉地帯の江南との関係で言うとあまりハイウェイとしての
意味はなかったりする。
もっと近場に商屯がどんどん開かれてるし。
>>204
段氏を排除したからでないの?
207世界@名無史さん:2008/06/23(月) 22:21:04 0
age
208月読:2008/07/11(金) 17:39:58 0
日光よろしく!
209世界@名無史さん:2008/07/12(土) 15:49:28 0
なにも変わらない。
史実と同じように分離して、その土地の人による政権に乗っ取られる。
もしかしたら、一時的に交易が活発化して、文化面では違いはあるかも。
210世界@名無史さん:2008/07/14(月) 13:52:28 0
史実のモンゴルの版図でも
「○○汗国」とかが存続したのってもともと遊牧民の多い土地だけだよな
211世界@名無史さん:2008/07/16(水) 01:42:53 0

全世界が共産主義になってたろうな

共産国家ってのはようするに遊牧民の均等分割相続の現代版
212世界@名無史さん:2008/07/16(水) 09:49:30 0
>遊牧民の均等分割相続

kwsk
213世界@名無史さん:2008/07/16(水) 10:05:51 0
遊牧民てのは兄弟で均等に分割するから
モンゴル帝国もそれでどんどん小さくなった

共産革命はモンゴルや遊牧民の影響にあった地域のみで成功した
214世界@名無史さん:2008/07/16(水) 16:36:01 0
> 共産革命はモンゴルや遊牧民の影響にあった地域のみで成功した
知らなかった。キューバは遊牧民の影響があったのか〜
215世界@名無史さん:2008/07/16(水) 22:38:56 0
あるわけねーだろ
216世界@名無史さん:2008/07/17(木) 18:42:58 0
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l!   `''==ヲ'  l:.:^''=li,     ,r .: :.ヽ、    ,:,りミ、  ヽ `` ー一 ''"/´  リ
217世界@名無史さん:2008/09/25(木) 21:13:23 0
age
218世界@名無史さん:2008/09/25(木) 21:43:21 0
タイムパトロ−ルというSFでは
モンゴルが新大陸に向けてベーリング海峡を横断してわたるという設定があった。
つまり新大陸にネイティブアメリカンと交配混血したモンゴルに
華橋が若干加わるという構図になるようだ。

で旧世界では欧州は中東東洋との商業貿易路が遮断されてないので
わざわざ海洋航路を巡る必要性が低くなる。
新大陸のアドバンテージが十分に世界の歴史に生かせない展開になるわけだ。
欧州から新大陸に向かうというのが一番無難なんだろけど
欧州がモンゴルの統治下にあった場合人口は結構減退していた可能性がある。
ペストの災いのほか東洋への人口移動とか普通に有りそうだし。

結論からいえば文明の発達は遅れていただろうなと思う。
219世界@名無史さん:2008/09/25(木) 23:26:23 0
>>214
スペインはアラブ遊牧民に支配されていたからSI !
220世界@名無史さん:2008/09/25(木) 23:43:00 0
SIってなに?
221世界@名無史さん:2008/09/25(木) 23:58:24 0
モンゴルはなぜコンスタンティノープルを攻めなかったのか?
落とせたかどうかは判らないが、包囲するくらい朝飯前だったろうに。
222世界@名無史さん:2008/09/26(金) 00:24:52 0
Si=Yes
223世界@名無史さん:2008/09/26(金) 08:30:38 0
欧州とインドを落とせなかったのは痛い
なんか中途半端だよな
224世界@名無史さん:2008/09/26(金) 15:19:14 O
逆にもしモンゴル帝国が存在しなかったらどうなってたかな?
225世界@名無史さん:2008/09/27(土) 01:22:32 0
>>221
ルーム・セルジューク朝とかアルメニア王国、グルジア王国なんかがモンゴル帝国に帰順→バグダード、
シリア征服の直後でモンケが死んでフレグ遠征軍の対外遠征が中断。

イルハン朝もジョチ・ウルスも中央アジアのカイドゥ政権と大元朝との戦争に始終気にして居たし、とても
外へ領土征服を目的とした遠征をやれる余裕が無かった。イルハン朝はイルハン朝でマムルーク朝側が隙を
見たらアナトリアを征服しに掛かって来るんで、それに対抗して(かなり無理して)シリア征服を何度か
敢行しているけど、殆ど失敗に終わっている。

モンケが死んでゴタゴタが続いていた頃、コンスタンティノープルを攻める前にパレオロゴス朝が
コンスタンティノープルを奪取してミカエル八世の皇女がフレグ→アバカの妃の一人として迎え入れ
られている。

> コンスタンティノープルを攻めなかったのか?
簡単に言うと、攻めたり何かする前に向こうから皇女を入嫁して講和して来たから、ということになるだろうか。
それよりもモンゴル帝国全体の支配体制に関わる重大問題が中央アジアで収まらなかったのも大きいけど。
時期的なこともあるし、コンスタンティノープルに隣接するルーム・セルジューク朝や第二次ブルガリア帝国が
地域国家としてそれだけ強力だったとも言えるかも。

>>224
ホラズム・シャー朝が朝貢していた西遼を完全に屈服させるか滅ぼすかして、ルーム・セルジューク朝や
ゴール朝、さらにインドの奴隷王朝も制圧するくらいはしたかも知れない。
スルタン・アラーウッディーンやジャラールッディーンあたりが軍事力の基幹であるカンクリ諸部族を
統御しきれれば、の話しだろうけど。ティムール朝の支配地域と同じ規模くらいにはなったんじゃなかろうか。
226世界@名無史さん:2008/09/27(土) 13:40:24 0
なぜモンゴルは奴隷王朝を征服出来なかったか?
227世界@名無史さん:2008/09/27(土) 13:53:48 0
砂漠があるからねえエジプトは
228世界@名無史さん:2008/09/27(土) 14:08:29 0
インドのほうじゃね
229世界@名無史さん:2008/09/28(日) 01:15:26 0
モンゴルさえいなければ、イスラムも中華も朝鮮もロシアも、
今より少し穏やかな世界になってたんじゃないかと思う。
イスラム世界や中華世界なんかは世界をリードする極の一つであり続けたかも。
虐殺破壊魔にしてペストの運び屋のモンゴルさえいなければ。
230世界@名無史さん:2008/09/28(日) 01:48:53 0
レイプでモンゴルの人口増えまくり
231世界@名無史さん:2008/09/28(日) 17:59:06 0
陸続きでもヨーロッパだけは生き残ったよな
232世界@名無史さん:2008/09/28(日) 19:12:53 0
つインド
233世界@名無史さん:2008/09/28(日) 22:29:07 0
シリアや東南アジアも失敗に終わった。
234世界@名無史さん:2008/09/29(月) 00:25:48 0
モンゴルがヨーロッパを征服していたら、
多くの白人奴隷が東アジアへ送られ、現代でも人種差別が残っているかもしれない。
日本でもアパルトヘイトで白人居住スラムとか、電車の白人専用車両とか。
あ、モンゴル人はヨーロッパ人ほどには人種差別はしなかったんだっけ。
異民族でも優秀なものはどんどん取り立てるのが伝統だったね。
235世界@名無史さん:2008/09/29(月) 00:29:38 0
なんにせよ黒人は結局差別の対象にされてそう
236世界@名無史さん:2008/09/29(月) 01:25:29 0
現実世界でも白人奴隷はイスラム圏とかで結構居たから
結局あんまり変わらんかも。
黄禍論は激しくなったか、それとも現実的になったか?
237世界@名無史さん:2008/09/29(月) 03:38:20 0
>>235
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/bd/Liu-Kuan-Tao-Jagd.JPG
上右端(赤の服、芦毛馬)と、下右から二番め(緑の服、月毛馬)が黒人。
上中央やや右寄り(白に黒の斑点の外套、青鹿毛馬)がクビライ皇帝
238世界@名無史さん:2008/10/05(日) 20:26:56 0
宋代には南周りの交易ルートで東アフリカ沿岸に中国・インド商人がやってきてるから
華南では黒人の存在はそれなりに知れてたと思う。
そういえば映画300で犀(サイ)やら黒人やらナルト風味の忍者やらがペルシャ軍として
出てきて、どういう経緯でやってきたのか考察してるスレがあったよな。
239世界@名無史さん:2008/10/11(土) 18:49:27 0
>>219
当時のアラブ軍は遊牧民よりむしろオアシス都市民が主力
240世界@名無史さん:2008/10/15(水) 21:26:00 0

モンケが自身の後継者に考えていたのは、誰ですかね?
そんな記録も残っていない気がするけど
シリギとか?
241世界@名無史さん:2008/10/16(木) 20:02:54 0
>>240
『集史』でも『元史』でもそこら辺はっきりした事は書いていないので良く分からない。

ただ、『集史』のモンケ・カアン紀にはモンケの第一皇后だったイキレス部族出身の
クトクタイ皇后(『元史』后妃表ではチンギス・カンの皇后ボルテの弟であるコンギラト
部族の首長アルチ・ノヤンの孫娘だと書いてあっていまいち出自の記述が一致していないが)
との間にバルトゥとウルンタシュという兄弟がいて、『元史』宗室世系表には、「憲宗皇帝、五子
:長 班禿大王;次二 阿速歹大王;次三 玉龍答失大王;次四 河平王 昔里吉;次五 辯都、早卒無嗣」
とあって、バルトゥとウルンタシュも「大王」と書かれているから、バルトゥあたりが本来、順当に
いけばモンケ一門の当主となるはずだったんじゃないだろうか。

『集史』によるとシリギはバヤウト部族出身のバヤウチンという側室から生まれたそうなので、
『元史』宗室世系表の「次四 河平王 昔里吉」と四男と説明されていることから考えると
モンケの存命中に後継候補の上位に居たかどうか怪しいように思う。

1276年のシリギの乱はモンケが没してから17年後だけど、バルトゥとウルンタシュもこの頃没して
いたのかして、モンケの諸子で存命ないし遠征に参加できるモンケ一門の最年長者がシリギだった
んじゃないだろうか。

モンケ一門でシリギの乱に加わった王族にサルバン(撒里蠻王)という人物がいるが、彼は一応
『集史』でも『元史』でもウルンタシュの長男とされている。クビライがカイドゥへ差し向け
シリギの乱でこの中央アジア遠征軍は空中分解したが、この遠征軍の総司令だったのはクビライと
皇后チャブイとの皇子ノムガン(皇太子格だったチンキムの同母弟)。
このサルバンは遠征軍総司令ノムガンをジョチ・ウルスの当主モンケ・テムルへ引き渡したという、
地味に重要な人物だったりするんだが、シリギがその可能性もあるが、もしかしたら1270年代の
モンケ一門の当主はこのサルバンだったのかもしれない。

ジョチ家やチャガタイ家の系譜は割と充実しているし、碑文研究の進展で最近本格的に研究され
はじめたけど、モンケやアリクブケの一族についてはいまいち良く分かっていない。
242世界@名無史さん:2008/10/16(木) 21:10:04 0
そう言やアリクブケの一族ってのもイマイチよく分かんないんだよなぁ
クビライに破れたけど許されて、だけど数年後に没だっけ。
その死去も一部じゃ密殺じゃないかって噂も有ったし
んで100年後にはフビライの子孫からハーン位を奪取したり
あるいはフレグのハーンの地位を受け継いだのが居たりと
その辺りの系図とか人脈もいまいちどうなってるのかさっぱりだし
243世界@名無史さん:2008/10/18(土) 07:42:00 0
>>241
わざわざ済みません
全然知らないことばかり・・・・
つか研究すら余り進んでいないのか
今後進むといいが・・・

>>242
そうそう
たまに突然出てくるんですわ>モンケやアリクブケの一族・祖先

まだまだモンゴル帝国については、研究すべき箇所があるんだろうな
244市民:2008/10/19(日) 00:04:18 0
国連常任理事国と相撲

http://mofa9.hp.infoseek.co.jp/0202/7/167.html

http://mofa9.hp.infoseek.co.jp/02/4/43.html

モンゴル出身の力士達は、日本が常任理事国になるための貴重な人間だ。

韓国、北朝鮮や中国の同意が得られず、その当てつけとして、モンゴルと仲良くする。

245世界@名無史さん:2008/10/19(日) 00:17:19 0
朝青龍ってフビライ・ハーンに似てるよねw
246世界@名無史さん:2008/10/19(日) 00:21:38 0
ロシア人の残虐性はモンゴル譲りだそうだ。
モンゴル人の支配がロシア人を陰険な民族に変えた。
247世界@名無史さん:2008/10/19(日) 11:43:36 0
新大陸やアフリカでやったことを見る限り、イギリス人もフランス人もスペイン人もポルトガル人も・・・以下略
残虐性はロシア人に負けていない。
これは誰譲り?
248世界@名無史さん:2008/10/19(日) 16:19:34 0
アフリカの最初の人譲り

まぁ、皆人間だし
249世界@名無史さん:2008/10/23(木) 02:24:38 0
杉山先生の本を読んでいると、フレグはエジプト征服以後欧州(というよりも地中海世界?)へ進攻する意思をもっていたのでは無いかと推測しているけど、実際どうなんでしょう
バトゥの征西よりは、可能性があるとは思うけど
250世界@名無史さん:2008/10/24(金) 03:00:01 0
>>0
実際、統一したようなもんだろ。
251世界@名無史さん:2008/10/25(土) 20:43:00 0
とりあえずカイロくらいきっちり破壊しとけよといいたい
252世界@名無史さん:2008/10/28(火) 14:11:11 0
まあさすがにモンゴル人もあれだけ征服したら飽きてくるだろうしな
253世界@名無史さん:2008/10/28(火) 14:56:02 0
あれだけってヨーロッパもインドもインドシナも日本も征服してないのに?
254世界@名無史さん:2008/10/28(火) 18:55:35 0
あの時代で考えれば十分「あれだけ」
255世界@名無史さん:2008/10/28(火) 20:06:26 0
>>253
あれだけでも陸地面積では史上最高。
256世界@名無史さん:2008/10/28(火) 23:12:07 0
ヨーロッパやインドはともかくモンゴルにとってはインドシナとか日本とか僻地すぎて支配する価値無いような
257世界@名無史さん:2008/10/29(水) 08:16:07 0
>>255
大英帝国のほうが陸地面積も海上面積も圧倒的に上
258世界@名無史さん:2008/10/29(水) 10:58:19 0
モンゴル3500万平方キロ
大英帝国3100万平方キロ
という資料もある。
259世界@名無史さん:2008/10/29(水) 11:21:25 0
モンゴルはシベリア征服してないからな
実際は2200万平方、ソ連よりちょっと広いぐらい
260世界@名無史さん:2008/10/29(水) 12:08:55 0
お前ら面積で考えるなよ
モンゴル帝国が実現した最大版図を、19世紀に例えると欧米列強を丸ごと飲み込んだ英国位のインパクトはあるぞ
261世界@名無史さん:2008/10/29(水) 21:46:02 0
イギリスは、北米やオーストラリアみたいな未開の地に銃器片手に乗り込んだんだからな。
勝って当然とも言える。
モンゴルは中国や中央アジア、中東、ロシア、東ヨーロッパと、戦争慣れした、
自分と同格か、格上の相手ばかりだからな。
そしてほとんどの場合、相手より少人数だった。
確かに面積だけで片付けられないものがあるね。
262世界@名無史さん:2008/10/30(木) 21:23:20 0
>>259

ブリヤートは普通にモンゴルだしキルギスやユグラも征服していたような
まぁロシアは更に北のツンドラにも杭打って領土だって主張したけど

ちなみに森の民の征服を指揮したのはジョチ
263世界@名無史さん:2008/10/31(金) 14:26:10 0
シベリアなんか糞寒いだけで占領しても何の旨みも無いしな
264世界@名無史さん:2008/10/31(金) 22:40:03 0
いや、地下資源が発見される前の段階でも毛皮が大変重要。
ノヴゴロドやロシアは毛皮でボロ儲けを夢見て北の大地に攻め入った
のであって面積自慢するために攻め入ったのでは無い。
265世界@名無史さん:2008/11/01(土) 11:05:28 0
征服の仕方が中途半端
ドイツ、フランス、イタリア辺りまで征服してたらおもしろかっただろうに
日本も九州全土とか
その後の歴史は白人至上主義じゃなくなってた希ガス
266世界@名無史さん:2008/11/01(土) 13:53:28 0
>>256
日本が特に意味ないな。
しかしでかい大陸がすぐ東にあったりしなくて本当に良かった。
267世界@名無史さん:2008/11/01(土) 17:24:29 0
モンゴル人に征服されてたらと思うとぞっとする
268世界@名無史さん:2008/11/01(土) 17:47:07 0
モンゴル人に征服されてたらと思うとワクワクする
269世界@名無史さん:2008/11/01(土) 23:27:02 0
インド、エジプト、エルサレムが征服されてないのは意外
270とてた ◆0Ot7ihccMU :2008/11/02(日) 10:34:02 0
「モンゴルの残光」と「白い鹿」なら後者の方が日本人の扱いは良いですね。
271世界@名無史さん:2008/11/03(月) 20:02:59 0
海があったおかげで蛮族の来襲にも耐えることができた
海は偉大ですなぁ
272世界@名無史さん:2008/11/03(月) 21:45:36 0
征服されてたら「神風」なんて思想も起こらなかったわけで、
無謀な太平洋戦争へ突入することもなかったのでは?
273世界@名無史さん:2008/11/06(木) 09:26:36 0
>>269
インドはとにかく他は遠すぎる
274世界@名無史さん:2008/11/06(木) 22:41:02 0
>>268
素晴らしいマゾ思考だ
アメリカの支配くらいじゃ満足できんだろ
275世界@名無史さん:2008/11/07(金) 19:58:45 0
日本人て奴隷向きだよな
276世界@名無史さん:2008/11/07(金) 22:09:53 O
モンゴルマン
277世界@名無史さん:2008/11/07(金) 22:18:16 0
>>270
とてたさんへ質問です。(ほかの方でも可)
「モンゴルの残光」と「白い鹿」
とかかれてますが・・「モンゴルの残光」
は知っておりますが
「白い鹿」という本があるのでしょうか?
教えてください。
278世界@名無史さん:2008/11/08(土) 09:28:23 0
>>273
遠すぎるって・・・イル汗国の領土から普通に侵攻してたが?
マムルーク朝が邪魔で征服できなかっただけ
279世界@名無史さん:2008/11/08(土) 13:51:45 0
モンゴル帝国の軍隊になれば世界征服も可能だろう
侍が兵法指南役していたりするかもな
280世界@名無史さん:2008/11/08(土) 14:36:34 0
戦国時代ならともかく
鎌倉期の日本に他国に教えるような実用性のある軍事技術などないよ
厚遇されるのは水軍くらいだろう
あとは職工かな
281世界@名無史さん:2008/11/08(土) 16:33:14 0
モンゴル帝国って実際強かったのかな
282世界@名無史さん:2008/11/15(土) 01:16:13 Q
モンゴルが 全世界を 支配したら 人種序列
http://j2k.naver.com/j2k_frame.php/japan/gall.dcinside.com/list.php?id=history&no=258626&page=6

1:モンゴロイドなの 東北アジアである(モンゴル人,韓国人)
2:アラブ,イラン係 白人(元国で かなり デウゾッアッダゴする)
3:南欧係 ラテン百である(エネドルは その当時 ヨーロッパでは ゼルブザドングネだと 特別待偶)
4:北ヨーロッパ係 ノ−ルマンバックである(北ヨーロッパ女たちは 過去にも 人気あったので 待偶してくれる)
5:西ヨーロッパ係 アングロサクリン百である(ヨーロッパで 第一後進町内なので 3等級 ケルト白人たちは 1+1)
6:マルレイノ−イドギェ 東南アジア人(モンゴルが 唯一に ゴセングハンドングネだと モンゴルが 不敬罪適用させて チァビョルデウクリ)
7:チァングケ,倭人(ごきぶり渦動汲引種子,島国猿)
283世界@名無史さん:2008/11/15(土) 07:47:28 0
杉様の本を眺めていて思ったこと
クビライ政権が、モンケ政権までと異なり漢地などの東方に寄った政権であったと言うが
もしクビライ政権が成立せず(モンケが陣没せずorなど適当)、カラコルム中心に政権が続いたら、どうなっていたんだろう?
もっともモンケ死去の時点で、帝国が広がりすぎて改革の時期を迎えていたとは思うが

つかモンケによる支配構想とか残っているのかね?
漢地に関しては、オゴディ以来の統治方針を引き継いでいるように思えるけど
284どろりんぱ ◆O1SdlnknBs :2008/11/16(日) 13:13:09 0
モンゴル軍が蝦夷地あたりまで南下して、トゥルイの庶子あたりが君主
をつとめる政権(モンゴル人皇族が支配するアイヌ人国家)がつくられ
てたらおもしろかったのに。

サハリンから破竹の勢いで南進して蝦夷地を征服、津軽海峡をわたって
ほどない位地で和人勢力とぶつかり、進軍停止。アイヌ攻撃のための小
規模部隊ではとてもこれ以上前進できないので、アイヌ居住地帯の統合
だけで妥協。東北北部において、「アイヌ=和人」交易のアイヌ側利権
を引き継ぐかたちで南部氏を交渉相手に共存体制が成立。

で、フビライの日本遠征について、蝦夷ハン国より南部氏に接触。
弱体な蝦夷ハン国としては、対日攻撃の最前線に立たされるのはまっぴらなので、

とこしえの天の力のもとに。
 大ハーンのミイツのもとに。
  ヒタカミ国王より
  ヒノモト国王へのことば。(中略)兄
 大ハーンは、国使を殺害した野蛮なジップン国の征伐を計画しております。
   つきましては、
  ヒノモト国より我が国にご加勢をいくばくかおつかわしいただきましたなら、
  わが国と
  ヒノモト国の和平をよりいっそう固めるうえで多いに益がありましょう。


 



285世界@名無史さん:2008/11/18(火) 11:52:24 0
はてなれす
286世界@名無史さん:2008/11/28(金) 00:36:15 0
ここにいる猛者たちに質問がある。
ぜひその力を借りたい。

モンゴル帝国のユーラシア支配の形成と確立について説明してほしい。
ちなみにキーワードはチンギスハン フビライハン 超広域交流圏 イスラーム
首都圏である。
字数は150字ほどをヒントに検討してほしい。
287世界@名無史さん:2008/11/29(土) 07:38:26 0
まず、「チンギス・ハン」はまあおkだが「フビライ・ハン」は表記としてアウト。

「超広域交流圏」は「オルトク」とかムスリム商人(主にマー・ワラー・アン=ナフルとか
ホラズム、ホラーサーン方面の)とか染付けとかあるいはミニアチュールで検索。

「イスラーム」は人物だけだったらアサン・サルタクタイとか蒲寿康とかサイイド・アジャッルとか
アフマド・ファナーカティーとか色々いるが、政権だったらホラズム・シャー朝とかマムルーク朝、
ルーム・セルジューク朝、ラスール朝とか色々。宗教や制度、文化にかかわるものだったら、
ワクフとか『集史』とかオグズ・カガン伝説、モンゴル王族のイスラーム改宗、クブラウィー教団、
サファヴィー教団その他もろもろ、あげ出したらきりが無い。

「首都圏」は遊牧政権における「遊牧」という生産形態が持つ季節移動の必要性から宮廷であるオルドが
営まれた冬営地、夏営地の選定と、これを都市化したものとしてのカラコルム、大都、タブリーズ、
バグダードその他の都市。およびその季節移動領域で考えていけば良し。

あとは『岩波講座 世界歴史』あたりの執筆者の著作なり論文なりを手掛かりに調べて150字くらいに
まとめればおk。
288世界@名無史さん:2008/11/29(土) 08:25:04 0
せめて西欧やアフリカ大陸は征服して欲しかったなwww
たくっあの毛唐やクロンボどもは今ではアメリカで調子乗ってるが嘗ては僻地で細々と暮らしてた劣等民族だったくせに本当運だけはいいぜ
せめて正々堂々と戦ってみろよ
289世界@名無史さん:2008/11/29(土) 09:43:21 0
>>286
そのお題出した先生、杉山正明好きそうだな
290とてた ◆0Ot7ihccMU :2008/11/29(土) 10:26:41 0
>>277
あ、「白い鹿」じゃなくて「白い雄鹿」でした。
C・W・ニコル氏の作品で、
モンゴルの征服によって日本は牧畜文化化しています。
アラスカやオーストラリアに日本人植民地もあったり。

「楠木正成 異形の逆襲」(火坂 雅志)
なんてのもあります。
こちらはモンゴル統治下の日本で王政復古レジスタンスをする楠公さんです。
291世界@名無史さん:2008/11/29(土) 13:10:24 0
>C・W・ニコル氏の作品で、
>モンゴルの征服によって日本は牧畜文化化しています。

征服した農耕社会を牧畜化したら税収が減るだけじゃねえかって突っ込みたくなるな
292世界@名無史さん:2008/11/30(日) 04:14:54 0
>>287
こんなにも詳しく説明してくれてマジサンクス!
今からちょっくら調べてくるぜ!
293世界@名無史さん:2008/12/03(水) 18:19:54 0
>>283サンクスおかげで疑問が解消しました。
294293:2008/12/03(水) 22:03:02 0
すまん>>290の間違いでした。
295世界@名無史さん:2008/12/05(金) 22:22:20 0
>>275
冗談半分ではあるが、日本人とロシア人は隷属性でトップ2
w
独裁をもしろ喜ぶとか、金利0政策(他国では暴動もん)でもビクともしないとかw
296世界@名無史さん:2008/12/05(金) 23:23:47 O
朝鮮人、支那人、もちろんアメリカインディアン、アフリカのニグロは奴隷向きみたいだな。
297世界@名無史さん:2008/12/06(土) 09:22:07 0
>>296
黒人て歴史が様々な展開をしても結局奴隷として扱われちゃう運命だと思うわw
298世界@名無史さん:2008/12/06(土) 09:52:19 0
>>297はいくら転生を重ねてもニートとして一生を送る運命だと思うわw
299世界@名無史さん:2008/12/06(土) 10:53:13 0
黒人は肌の色からして終わってる
300世界@名無史さん:2008/12/07(日) 00:10:46 0
>>22
  
白人がいる限り黄猿ジャップの世界征服は絶対に不可能。
敗戦国日本よご苦労さんwwwwwww
301世界@名無史さん:2008/12/07(日) 03:03:16 0
>>300
核兵器がある限り何処も軍事的世界征服なんて無理
経済的世界征服なら可能だが
302世界@名無史さん:2008/12/14(日) 03:13:46 0
>>295
昨今の金融恐慌で、0金利を導入する国増えているけどな。
303世界@名無史さん:2009/01/05(月) 23:03:35 0
>>296
あけおめだな朝鮮顔のニートさんよw
一番社会の中で歴史の中で最も存在感が薄くてこの世に生きてる意味がない
奴隷はおまえのことだよww
やっぱチョン顔なやつが奴隷になるべきだろwwwww
304世界@名無史さん:2009/01/24(土) 02:22:46 0
そもそもチンギスハンは何のためにあんなに領土広げたのだろうね
占領したって統治できるわけでもなく,すぐにばらばらに分裂してしまったのに
305世界@名無史さん:2009/01/24(土) 02:59:47 0
モンゴル帝国が滅んでも
チンギスハンの遺伝子を持つ子孫は1800万人に達している
306世界@名無史さん:2009/01/24(土) 09:44:52 0
>>305
それチンギスハン本人じゃなくてハザラ族の遺伝子で調べたデータだろw
307世界@名無史さん:2009/01/24(土) 09:46:14 0
>>304
統一されたばかりのモンゴルの結束を高める目的もあったと思う
もちろん略奪や征服による利益の分配も大事なお仕事
308世界@名無史さん:2009/01/24(土) 17:07:12 0
>>304
それは結果論でしょ。
大日本帝国だって似たようなことをやったじゃん。
309世界@名無史さん:2009/01/24(土) 17:09:37 0
>>306
ソースは?
310世界@名無史さん:2009/01/24(土) 17:58:13 0
>>308
あの戦争と昔の戦争とは戦争の形態が違うから比較はできないよ
ローマ帝国やウマイヤ朝や唐のように着実に支配権を広げていくのが普通
その点モンゴル軍はめちゃくちゃに暴れまわって終わり
311世界@名無史さん:2009/01/24(土) 20:01:09 0
定住国家と遊牧国家も単純に比較はできないのでは?
そもそも金も西夏もカラキタイもホラズムも、チンギスが攻め込んだのは全てなんらかの遺恨を晴らすため。
征服、支配したのは結果に過ぎない。

>>めちゃくちゃに暴れまわって終わり
遊牧騎馬民族の精神構造がそうなのだから仕方がない。
ジェベとスベエデイのロシア侵入なんかその典型だね。
あれこれ批判しても意味はない。
312世界@名無史さん:2009/01/28(水) 23:40:53 0
>めちゃくちゃに暴れまわって終わり

遊牧民の帝国について今時こんな認識のやつが
まだいたのか
313世界@名無史さん:2009/02/16(月) 03:43:24 0
このスレだと、以外と質問が返ってくるので甘えて・・・・

モンケはフレグを征西に赴かせたけど、もし事がなった暁にはフレグはどうするつもりだったのかね?
史実ではモンケ死去と帝位継承戦争で、帰還を断念してイル・カン国を打ち立てたけど
もしモンケが死なず、かつエジプト・アナトリアあたりまで征服したら、どうする予定だったんだろうね

そのままイランから中近東・小アジアの軍事指揮権を総括させたのか?
あるいは別個に指揮官を派遣するなりして、フレグとその軍団はモンゴル高原に帰還させるつもりだったのか?
(その後どこかへ派遣されるかはともかく)


そこんとこ、定説ってあるんですかね?
314世界@名無史さん:2009/02/16(月) 05:46:25 0
>>304
>>311
オトラル事件がなければ、やはり金帝国に止めを刺したところで、彼は満足
して生涯を終えた事であろうな。
遠方のホラズムではなく、隣国の金への出兵ならば、西夏は従ったであろう
から、西夏はウイグルや高麗のように属国として存続しただろうな。
言うまでもなく、金帝国滅亡後のモンゴルと南宋の対決だけは、
やはり不回避の所謂歴史の必然という事であろうな。
315世界@名無史さん:2009/02/18(水) 02:22:07 0
宋は対遼政略で「夷を持って夷を制す」ことに失敗して金を強大化させた轍を
対蒙古外交で見事に踏んだからなw
316世界@名無史さん:2009/02/18(水) 07:30:33 0
モンゴルと金は、イスラエルとパレスチナみたいな仇敵同士、南宋と西夏は
周辺アラブ諸国みたいなものですな。
ホラズムは、パレスチナ難民支援をする先進国のプロ市民みたいな、ものですな。
317世界@名無史さん:2009/02/18(水) 22:43:38 0
わかりにくい譬えだなあ。
318どろりんぱ ◆O1SdlnknBs :2009/02/19(木) 04:05:00 0
>>314
 モンゴルとホラズムは、ユーラシア大陸の草原地帯の統一をかけて争うライバル同士。
 したがってモンゴルとホラズムとの関係は、
  織田信長と、信長が打倒対象とした武田・毛利等との関係に相当。
  信長は天下統一の前に死んだがチンギスは成功。

 そうなると、モンゴルと金、西夏、宋…との関係は、豊臣秀吉と朝鮮(+明、船着き寧
 波府等)との関係に相当。
 これも豊臣秀吉は失敗したが、モンゴルは相当程度に成功。
319世界@名無史さん:2009/02/19(木) 07:36:04 0
>>317
ホラズム側からモンゴル側に様々な干渉をしていたみたい。
オトラル事件で殺された商人らもホラズム領内出身者だったとされる。
モンゴルに滅ぼされる事になるサマルカンドやバルフなど諸都市の人々は、
自ら災いを招き寄せたとされる。
ムハンマドやイナルチュクら、ホラズム支配層らもモンゴルを挑発した事に
なっている。ムハンマドは、後のチムールのような東方遠征の構想があり、
金を征服するつもりだったとされ、モンゴルの金征服を不快に思い妨害した
かったとされる。現実にムハンマドは、チンギス自身による金帝国全土征服
を妨害する事だけは成功したw
320世界@名無史さん:2009/02/19(木) 22:17:23 0
サマルカンドやブハラなどトランスオクシアナがホラズムに併合されたのは征西よりわずか10年前。
為政者はともかくも、住民たちはいい迷惑だったような気がするね。
321世界@名無史さん:2009/02/24(火) 09:28:43 0
西遼はクチュルクの支配がひどかったんでモンゴルを歓迎したんでしょ?
まあチャガタイが沐浴やイスラム式屠殺を禁止したんで後悔しただろうけど
322世界@名無史さん:2009/03/05(木) 02:52:32 0
関連スレ
■■■ジンギスカン家が欧州占領してたら■■■
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1230212115/
323世界@名無史さん:2009/03/10(火) 02:03:11 0
>>318
モンゴルと南宋による金帝国挟撃=スペインのレコンキスタ
324世界@名無史さん:2009/03/31(火) 17:40:40 0
金やホラズムと違ってさほど因縁も無いのに滅ぼされた西夏かわいそう
325世界@名無史さん:2009/04/01(水) 07:46:48 0
一度降伏して存続を許されたのに講和条件破ったんでしょ
326世界@名無史さん:2009/04/25(土) 14:48:42 0
.
327世界@名無史さん:2009/07/24(金) 23:05:22 0
test
328世界@名無史さん:2009/08/14(金) 16:15:24 0
test
329世界@名無史さん:2009/08/14(金) 19:39:18 0
>>1
単純に考えてみて、ユーラシア大陸の大部分を支配化に治めたモンゴル帝国は四つの
汗国と元に分裂してその後別々の道(国)をたどる事になった。
これが全世界に広がっただけの話で長く統一王朝を維持するなんて事はできないんじゃ
ないのかな。 ただし世界中のあちこちにその時の痕跡(言語、習慣、血統)は残るん
じゃないのかな。 ロシア、ポーランド、イランのように。
330世界@名無史さん:2009/08/14(金) 20:42:22 0
>>329
>世界中のあちこちにその時の痕跡(言語、習慣、血統)は残るん
>じゃないのかな。 ロシア、ポーランド、イランのように。
確かに。もしモンゴル帝国が無かったら
今のロシア・ポーランド・イランは実在する事は無いとまで
言われているからね。
それに、この事が切っ掛けで「ロシアはアジアかヨーロッパか」
という観念も生まれているし。「トルコはアジアかヨーロッパ」と
いうレベルと同じかは知らないが。
331世界@名無史さん:2009/08/14(金) 21:07:39 0
ロシアはモンゴルにレイプされたから劣等、みたいな偏見も生まれたよね
332世界@名無史さん:2009/08/14(金) 22:00:04 0
モンゴルが滅亡しないで強大なままだったら日本に何度も侵攻してきただろうな、
それはそれで嫌だ何時の時代も中国大陸は内乱してるのが一番wwwwww
333世界@名無史さん:2009/08/14(金) 22:02:14 0
モンゴルが滅亡しないで強大なままだったら日本に何度も侵攻してきただろうな、
それはそれで嫌だ何時の時代も中国大陸は内乱してるのが一番wwwwww
334世界@名無史さん:2009/08/14(金) 22:52:10 0
軍事政権(?)誕生前の平安時代中期とかで、もし台風も来なかったら、
日本は全面征服されてたのではないか?
335世界@名無史さん:2009/08/26(水) 19:55:03 0
文明発展に関してならむしろキリスト教のせいで科学発展は何百年もおくれた
モンゴル人が支配してたほうがどんどん発展していったかもしれん
336世界@名無史さん:2009/08/29(土) 06:56:45 0
このスレでの質問します。↓の書き込みがあったけど、
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間、朝鮮人男性は結婚を禁じられていて、
朝鮮人の「祖先」は蒙古軍兵士の強姦魔って本当?


196 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/08/28(金) 15:40:05 ID:Oote8rzq
1、何故、しきりに現代韓国人は日本人に向かって「日本軍は強姦魔」とかっていいがかりするか?
2、何故、現代の韓国でも強姦犯罪が多く、又、半島生まれキリスト教団が性犯罪問題を頻繁に起こすか?

それは、元寇で朝鮮半島の婦女子を性奴隷化した蒙古軍兵士たち(現在の朝鮮半島人の「祖先」) が「景教」(キリスト教の亜流)だったから。
つまり、強姦魔の景教信徒だった自分たちの祖先を、韓国社会は現在の祖先崇拝文化で批判できないから。
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間近く、朝鮮人男性は結婚を禁じられていた。

朝鮮半島人は、李王朝初期での自分たちの「祖先」(蒙古軍兵士)が強姦魔集団だったから、
その「祖先の悪行」の歴史上での相対的な希釈効果を狙って、日本軍を必死に貶めたがってるだけ。
そのへん、台湾人とはまったく異なる歴史観をつくりたがってる。

つまり、「現代南北朝鮮人の祖先(蒙古軍)」の超大規模な軍関与による組織的強姦、
性奴隷化を隠蔽するために、現代朝鮮半島人は、日本軍にこじつけ、アテコスリしてるのだ。


337名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:32:41 0
このスレでの質問します。↓の書き込みがあったけど、
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間、朝鮮人男性は結婚を禁じられていて、
朝鮮人の「祖先」は蒙古軍兵士の強姦魔って本当?


196 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/08/28(金) 15:40:05 ID:Oote8rzq
1、何故、しきりに現代韓国人は日本人に向かって「日本軍は強姦魔」とかっていいがかりするか?
2、何故、現代の韓国でも強姦犯罪が多く、又、半島生まれキリスト教団が性犯罪問題を頻繁に起こすか?

それは、元寇で朝鮮半島の婦女子を性奴隷化した蒙古軍兵士たち(現在の朝鮮半島人の「祖先」) が「景教」(キリスト教の亜流)だったから。
つまり、強姦魔の景教信徒だった自分たちの祖先を、韓国社会は現在の祖先崇拝文化で批判できないから。
元が朝鮮半島を支配していた13世紀末−14世紀初頭の100年間近く、朝鮮人男性は結婚を禁じられていた。

朝鮮半島人は、李王朝初期での自分たちの「祖先」(蒙古軍兵士)が強姦魔集団だったから、
その「祖先の悪行」の歴史上での相対的な希釈効果を狙って、日本軍を必死に貶めたがってるだけ。
そのへん、台湾人とはまったく異なる歴史観をつくりたがってる。

つまり、「現代南北朝鮮人の祖先(蒙古軍)」の超大規模な軍関与による組織的強姦、
性奴隷化を隠蔽するために、現代朝鮮半島人は、日本軍にこじつけ、アテコスリしてるのだ。

338世界@名無史さん:2009/09/02(水) 00:31:41 i
>>337
貴方は貴方の嫌う何かに似てきてしまってるね。歴史好きなら知ってるよね?ニーチェの言葉を。
339世界@名無史さん:2009/09/11(金) 18:32:24 0
中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」

スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介し、波紋が広がっている。
27日、サイバー外交使節団「バンク」(www.prkorea.com)によると「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。
中国に1895年まで属していたが、1910年の韓日合併までの15年間にわたって独立を味わったりもした」とわい曲した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213

http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129
世界の教科書
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」
340世界@名無史さん:2009/11/12(木) 06:45:47 0
モンゴルは親日らしい。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/MONGOLIA/kankei.html
>2004年11月に在モンゴル日本国大使館が実施した世論調査では、「日本に親しみを感じる」と答えた回答が7割を超えたほか、
>「最も親しくすべき国」として第1位になるなど、現在のモンゴル国はきわめて良好な対日感情を有する国となっている。


モンゴルは中国を嫌っているらしい。

モンゴルの極右勢力が過激な「反中」運動を展開―中国紙
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0721&f=politics_0721_005.shtml


>歴史的に何度も中国からの侵攻を受けたモンゴル国は、中国に対する激しい敵対心を抱いており、
>中国人がモンゴルで襲われるほどである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E4%B8%AD


>歴史的に中国との関係は悪く、今でも一部の民衆には反中感情がある。
>例えば日本人観光客が中国人に間違えられるとトラブルに巻き込まれ、
>中国関連の施設に「看板等に使用している漢字を3日以内にモンゴル語に変えなければ、強制的に撤去するかペンキで塗り潰す」
>という過激な内容警告文を出され、さらに独立記念日に活動家に襲撃される事もあるくらいである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%9B%BD
341世界@名無史さん:2009/11/13(金) 00:35:12 0
モンゴル国の国際関係
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E9%96%A2%E4%BF%82

南に隣接する中国とは、伝統的に関係が悪い。「娘が中国人と結婚したら一家の恥」との通念が今でも通用しているし、国政選挙でも中国との関係改善の是非が争点になる。
モンゴルが漢字文化を一切受容しなかったのも、モンゴル人が中国人を嫌ったためである。
モンゴル人にとって「中国人のようだ」というのは最大の悪口となり、選挙でも「あの候補は家系に中国の血が入っている」というのは最大のスキャンダルとなる。
日本人を含めた東洋系外国人が、街頭で「中国人か?」と聞かれることはまずない。中国人は蔑称であり、喧嘩を売っていることになるからである。
通常であれば、「中国生まれのモンゴル人(または韓国人)か?」と聞かれる場合が多い。ただし、日本とはまだ縁遠いため、日本人かと聞かれることは少ない。
モンゴル人と中国人との衝突事件、あるいは中華料理店に対する襲撃事件は、ニュースにもならないほど日常的に起きている。
学校教育で、中国人に敵意を煽る教育は行なわれていないが、家庭教育で敵意を植え付けている場合が多い。
モンゴル人の子どもが語る「学校の怪談」でも、中国人による殺人事件が頻繁に登場する。
現在、中国人が嫌いなモンゴル人は9割、好きなモンゴル人は1割と言われる。
衣料品や、家庭電化製品は、中国製がほとんどであるが、モンゴル人は、「中国の商品は構わないが、中国人の思想が気に食わない」と語る。
342世界@名無史さん
バトゥは西征を続けるべきだった