1 :
世界@名無史さん:
建築・土木などの建築物・構造物・構築物についてかたれ
前スレのリンクは?
画家や音楽家に比べると建築家の知名度って低くない?
5 :
世界@名無史さん:2006/12/04(月) 14:55:48 0
バビロン空中庭園ってホントにあったのかね?
真空ポンプはすでに発明されていたのか?
6 :
世界@名無史さん:2006/12/07(木) 00:12:32 0
ここでいう空中庭園とは、二階とか三階に庭園があるだけでしょw
7 :
栴檀公主 ◆MDuA7Bsu5M :2006/12/07(木) 00:30:14 0
おそらく、メソポタミア地方によくある
日干し煉瓦造りの建物の陸屋根に鉢植えの植物などを並べ、
庭園風に設えたものであったのではないか。
今日見れば、他愛のないものであろうが、
当時の遊牧民族などによって、驚異の的として
語り継がれてきたものであろう。
ヨーロッパに高層ビルが少ないのはなぜ?
9 :
栴檀公主 ◆MDuA7Bsu5M :2006/12/07(木) 02:04:23 0
一言で言えば、歴史的景観に対する保護意識が強いためである。
実際に、パリをはじめヨーロッパの多くの都市で、
特定地域における高層建築の建設が、法令で禁止されている。
このような都市では、高層建築は都市辺縁部に散在しており、
わが国や合衆国などに見られる都市のスカイラインとは対照的である。
10 :
世界@名無史さん:2006/12/07(木) 23:30:16 0
【韓国】 扶餘に11階建て「百済木塔」を再現 漆塗りをしたのは韓国では初[12/07]
1 :死にかけ自営業φ ★ :2006/12/07(木) 22:31:40 ID:???
百済(ペクジェ、B.C.18〜A.D.660)の木塔が韓国内で初めて再現された。
忠清南道(チュンチョンナムド)は最近、扶余郡窺岩面(プヨグン・ギュアムミョン)ハプジョン里に
造成中の「百済歴史再現団地」のなかに超大型の5階建て木塔を建設した。
この木塔は、570年・百済時代の寺の跡地に確認された扶餘邑陵山里(ヌンサンリ)の陵寺
(ヌンサ、王宮を守る寺)にあったものを、学界の考証を経て、最大限原形に近い形に作ったもの。
陵山里では93年「百済金銅大香炉(国宝第287号)」と「百済昌王銘石造舍利龕(国宝第288号)」が出土された。
57億ウォン(約7億円)を注入し、04年5月に着工、2年7カ月ぶりに完工した木塔は、
底の面積が16坪、高さ38メートル(11階建て)。
塔には、松ノ木513トンと瓦3万1768枚が使われた。
また、塔の頂上に設けられた相輪(鉄の飾り)は風化による腐食を防ぐため、
うるし塗りと金のめっきを6回ずつしている。
黄銅で作った相輪(高さ9メートル、直径1.04メートル)はうるし塗りが終わった後、120〜200度で熱処理。
相輪が曲がってもうるし塗りの部分が黄銅と分離されるのを防ぐためだ。
うるし塗りの上には金のめっきを6回もし、変色を防ぐために紫外線遮断剤でコーティング処理した。
ここにはうるし10キロ(600万ウォン)と金3キロ(約5000万ウォン)が使われた。
めっきは、うるし分野の無形文化財第113号のチョン・スファ氏(53)など
専門家およそ10人が、約70日間にわたって手作業だけで仕上げた。
制作チームは、めっき処理のため少なくとも30年間は相輪が腐食したり変色することはないと見込んでいる。
チョン氏は「外部に露出された造形物に腐食を防ぐためうるし塗りをしたのは、
韓国内では今回が初めて」とし
「このうるし塗りの技術は百済時代の建築物で多く使われたが、現在は姿を消した」と語った。
金芳鉉(キム・バンヒョン)記者
ソース 中央日報
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=82515&servcode=400§code=400
11 :
世界@名無史さん:2006/12/07(木) 23:42:30 0
日本の五重塔などはのぼることができないものが多いけど、
中国や朝鮮にはのぼれるタイプが多いよね。
12 :
世界@名無史さん:2006/12/08(金) 00:19:55 0
ていうか、朝鮮の五重塔は、法隆寺なんかの塔と同じものだったのか?
13 :
世界@名無史さん:2006/12/09(土) 14:35:11 0
>>10 日本の城も再建でコンクリートを使用したりしているよな。
14 :
世界@名無史さん:2006/12/09(土) 14:59:55 0
木造で再建したくとも、樹齢500年以上の檜なんか手に入らないでしょ。
15 :
世界@名無史さん:2006/12/09(土) 15:02:21 0
16 :
世界@名無史さん:2006/12/09(土) 18:42:28 0
ヨーロッパだと身分によって家の大きさの制限はしないよね。
高さは教会よりも低くなければならないとはいえ、都市部の富豪
の家以外は関係ない。
それに比べ、一方アジアだと何間までという制限が多いのは何故。
17 :
世界@名無史さん:2006/12/09(土) 19:27:59 0
>>16 ヨーロッパの身分制度って、要は貴族と市民に分かれるんだろうけど、
本来貴族は市外の城に住んで、市民と隣り合わせに住むことはなかったから、
どうでもよかったんじゃない?
後世になると、市内に宮殿を構えることも多くなったけど、
実際の使用頻度はともかく、建前としては別荘だよね。
一方、アジアで身分によって家屋の規模を規制しているような地域では、
支配層と被支配層の生活圏が非常に近接している。
18 :
世界@名無史さん:2006/12/10(日) 00:44:31 0
都市部だと、古代ローマでは、巨大な住宅を建てて、入り口
とかは別でいくつもの世帯にその一部を賃貸していた。
金持ちから貧しい人たちまで同じ建物に住んでいたりすること
も関係しているのかもしれん。
近代で高層化すると、下層階は金持ちや商人が、貧民は上階
や屋根裏に住んだ(不便)。賃金も下の階ほど高かった。
19 :
世界@名無史さん:2006/12/10(日) 00:56:34 0
>>16日本では出雲大社より大きい建物は建てられなかったよ
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 01:42:30 0
>>18 そうだねぇ、例えば近世フランスでは、
貴族達のオテルがパリ市内を飾ったけれど、
稠密化した市街地では、街路に沿った別棟には、
使用人の他、一般市民が賃借してこれに住むことも多かった。
建物自体はあくまでもお屋敷の一部
(というより、外部から見て「顔」に当たる)だから、
身分によって間口を制限する意味が全くないことになる。
21 :
栴檀公主 ◆MDuA7Bsu5M :2006/12/10(日) 04:50:16 0
浅学を恥じる者であるが、
「アジアで身分によって家屋の規模を規制しているような地域」とは、
具体的にどこを指すのであろうか。
わが国にせよ中国にせよ、貨幣経済が発達すると、
富裕な市民階級は、支配階層のそれを凌ぐほどの広壮な邸宅を築いている。
ときの権力から制限を受けたのは、建築の規模ではなく、
むしろその仕様や、奢侈な生活様式であることのほうが多いのではないか。
江戸時代なら身分によって、大きさ、畳、瓦、長押、床の間、漆喰塗壁、門、
式台などなど沢山ありすぎてきりがない。江戸などでは、防火としての規制も
あったが、事細かくあって、褒美としてちまちま許可を出していたりする。
こんだけ多いと実際に取り締まれたのかが妖しい。
23 :
世界@名無史さん:2006/12/10(日) 20:32:33 0
寝殿造りも、身分によって門が違うし、掘りや屋根も制限がある。
だから「日本建築」が一番発達したのは、身分制度がなくなった明治だった。
>>22 ただ襖・障子・畳の大きさは、ビシッと統一されているから
300年前に作られた隣町の解体家屋の襖が、250年前に作られた俺の実家の
桟にピッタリ入るからすごい。
畳の大きさ一つとっても、現代は目茶苦茶だな。
ある意味で、JIS規格!
で、結局何間までという制限があったというのはガセ?
日本なら
亀山藩 享保14年(1729)では、新造の百姓の家は、
梁間二間半、庇一間、桁行六間を超えてはならない。
宇和島藩 宝暦4年(1754)の令で、梁桁は4間まで。
とかだろ。
29 :
世界@名無史さん:2006/12/11(月) 00:14:50 0
ローマの建築技術は凄い!
でもアーチは半円アーチ。
31 :
世界@名無史さん:2006/12/16(土) 22:57:54 0
ログハウスの発祥の地は、北米ではない。
そう。
ケルト時代の遺跡から、ログハウスの遺構が出土している。
33 :
世界@名無史さん:2006/12/17(日) 01:28:41 0
敵はローマの水道橋とかを壊さなかったのだろうか?
あんなに目立つのに。
34 :
世界@名無史さん:2006/12/17(日) 01:35:51 0
現にゲルマニアの野蛮人は、ローマの水道を破壊したじゃないか。
35 :
世界@名無史さん:2006/12/17(日) 01:36:12 0
確かヴァンダル族が・・・
ただし橋梁部でなく上流の水路部分だが。
都市攻めの際に、市街地への給水を断つために破壊したそうな。
36 :
世界@名無史さん:2006/12/17(日) 02:47:15 0
>>10 何だその捏造様式wwwww
西岡棟梁が見たら何て言うかなwww
37 :
世界@名無史さん:2006/12/17(日) 13:39:55 O
竪穴式住居を語ろうぜ!
平安時代まで残ってたんだよな。
平安時代どころか、戦前まで関東地方の農家には「竪穴式」の作業小屋があった。
さすがに母屋は高床式だったが。
北陸や東北の山村では、付き固めた地面の上に直にゴザを敷いて床にする「土座式」が主流だった。
このほうが保温効果があり、寒冷地では好都合。
沖縄とかでも、暴風・台風からの避難場所として利用していたし、
歴史としては長い。
41 :
世界@名無史さん:2006/12/22(金) 02:09:00 0
ベルギーやオランダなどで見かける荷物を上階へ
引上げるための引上げ梁はいつ頃の発明?
42 :
世界@名無史さん:2006/12/23(土) 11:50:15 0
考えてみれば、あの滑車は帆船の帆柱の滑車を陸上の家屋に応用したものなのかもな。
海洋国ならではの発想かも。
大航海時代ごろからということか?
44 :
世界@名無史さん:2006/12/24(日) 02:03:49 0
しかし和船の帆も、滑車で引き上げるぞ。
ちなみに帆を巻き上げると滑車がギイギイ鳴るので、滑車を「蝉」ともいう。
上階を倉庫にする。加重は大丈夫なのだろうか。
オランダは昔から人口過密気味で、家の間口も階段も狭かったため、
家具など大きい物品は玄関から入れられなかったこともしばしば。
そういった住宅事情で苦肉の策として編み出されたのかも。
オランダでも間口の幅に準じて課税されていたんでしたっけ?
見ろ!家並みが京のようだ!
オランダは知らんが、仏英などでは、
窓税が実施されて、窓を潰したりもしたな。
49 :
世界@名無史さん:2006/12/25(月) 23:50:23 0
アイルランドは円塔
イングランドは方形塔
という違いはなぜ生まれたの?
>>48 あるいは、窓のよろい戸に漆喰を塗って壁そっくりに作り変えたりもw
竈税や暖房税に比べて、課税が容易というメリットがあったな。
52 :
世界@名無史さん:2006/12/28(木) 01:58:29 0
「ウナギの寝床」は、過密都市の習いか・・・
ウサギ小屋は、日本の習い
54 :
世界@名無史さん:2007/01/03(水) 22:36:03 0
ヨーロッパの城は馬出の部分がないのは何故?
モット&ベイリーのベイリーは一種の馬出?
セントルイス郊外のカホキア遺跡にある墳墓、モンクス・マウンドは
長さ316m、幅241mの長方形で高さは30.5m。
建造年代は恐らく800〜1000年頃か。
N38°39′、W90°03′に建つユネスコ世界歴史遺産。
59 :
世界@名無史さん:2007/01/07(日) 17:35:09 0
ぬぬっ、仁徳陵といい勝負か?
googleアース、googleマップの座標をならべると
29°58'44.46"N,31°8'2.73"E
ギザのピラミッド(クフ、カフラー、メンカウラー)
38°34'20.03"N,28°2'42.18"E
アリュアッテス陵と思われる
34°22'52.85"N,109°15'13.13"E
始皇帝陵
19°41'33.08"N,98°50'37.64"W
テオティワカンの太陽のピラミッド
34°33'48.26"N,135°36'33.07"E
誉田御廟山古墳(応神天皇陵)
34°33'51.05"N,135°29'14.78"E
大仙陵古墳(仁徳天皇陵)
38°39'37.35"N,90°3'44.90"W
多分、これがカホキアのモンクスマウンド。googleアースの計測では316mより短く見えるが、浸食前の推定値か?
イギリスの修道院跡が沢山残っている。
ヘンリー8世の修道院解散命令によって解体され
そのまま放置されたため。
おかげで当時の史料となった。
ロシアの農村部の伝統的な住宅は、床が高く、地面から戸口まで
数段の階段で上ってはいる必要があるものがあるが、降雪のため?
湿気を防ぐ為。
ロシアでは、実はそんなに積雪量は多くない。
ところで、
「地面から戸口まで数段の階段で上ってはいる」住宅って
そんなに珍しいか?
世界的に見ても、そうじゃない住宅を探すほうが難しいぞ。
64 :
世界@名無史さん:2007/02/04(日) 18:55:53 0
西洋にはバロックとかロココとか建築様式があるけど。
中国の建築様式はどのようなものがあって、どのように
区分されているの?
65 :
世界@名無史さん:2007/02/04(日) 20:17:23 0
以前食文化スレに「北海道では20世紀まで庶民は竪穴式住居に住んでいた」などという電波飛ばしているバカがいたが、
分断目的のチョンでなければどこからこんな世迷いごと吹き込まれた?
66 :
世界@名無史さん:2007/02/05(月) 23:50:40 0
平安時代でも庶民の家は竪穴式住居。
鎌倉時代だと方形の竪穴式住居が残り、
江戸時代とかだと漁小屋・狩猟小屋ぐらい
67 :
世界@名無史さん:2007/02/06(火) 00:52:24 0
春の雪解けによる洪水対策で、高床式になっている教会
とかがあるな。
68 :
世界@名無史さん:2007/02/06(火) 01:05:21 0
北海道アイヌの住居は搗き固めた地面に藁やゴザをひいた床だが、
穀倉は高床式になっている。
69 :
世界@名無史さん:2007/02/12(月) 02:01:12 0
四合院以前の中国の住宅形式はどうなっていたんだ?
70 :
世界@名無史さん:2007/02/22(木) 02:09:32 0
どうなっていたんだろうね?
竪穴式住居
72 :
世界@名無史さん:2007/02/22(木) 07:12:13 0
中世のヨーロッパの城や宮殿の2階以上の床の素材や構造って、どうなってたの?
木
74 :
世界@名無史さん:2007/02/23(金) 20:48:17 0
だから石造建築でも、内部から容易に出火する。
以前質問スレで「ヨーロッパの石造建築でも何故火事になるんですか?」なんていう質問があったな。
お前は石の床の上に、裸でゴロ寝できるのかと・・・
>>69 唐代の墓から出た住宅のミニチュアも四合院だったからねえ。
「四合院以前」っていつだろ。
77 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 22:45:33 0
世界最大の延べ床面積を誇るのは、ペンタゴン?
78 :
世界@名無史さん:2007/03/10(土) 22:47:47 0
中西部のどこかの穀物倉庫が世界一と聞いた記憶が。
79 :
世界@名無史さん:2007/03/17(土) 00:29:20 0
漢代の墓から出土した陶器の供え物は、四合院の形をしていたから、
漢代に確立したとされる。長い時代を経ても変わらず。
変化がなかったのは、家族制度が大きく変化しなかったから?
80 :
世界@名無史さん:2007/03/17(土) 00:38:31 0
81 :
世界@名無史さん:2007/03/17(土) 06:07:22 0
>>79 中華民族の左右対称に対する偏愛というものはあるでしょうね。
外気や光を取り入れつつ、最小の面積で多くの居室を左右対称に
配置しようとすれば、自ずと四合院の形態になります。
部屋から部屋への移動は屋外に出る必要があるから
雨が少ない気候も影響しているのか?
83 :
世界@名無史さん:2007/03/19(月) 22:34:52 0
五重塔が地震で倒壊した例がない・少ないから、地震対策が
優れていたというが、もっと低い建物は倒壊している。
84 :
世界@名無史さん:2007/03/19(月) 23:06:51 0
絵画は水墨画で、建築は極彩色。このバランスのなさは何故?
85 :
世界@名無史さん:2007/03/20(火) 00:26:49 0
そういえば朝鮮の民家には「廊下」というものが無く、
部屋から部屋へ移るには一度障子をあけて縁側に出、それから次の部屋に入るのね。
冬は寒い気候なのに、これでは辛いだろうに。
86 :
世界@名無史さん:2007/03/20(火) 23:38:44 0
ヨーロッパは廊下が無く部屋から部屋に移動。
87 :
世界@名無史さん:2007/03/21(水) 00:25:56 0
88 :
世界@名無史さん:2007/03/21(水) 01:37:39 0
しかし朝鮮はオンドルの熱効率を高めるため、部屋そのものが小さいんだよ。
小さい部屋を土壁で仕切ってある。日本のようにふすまで仕切っているのではない。
日本ならふすまをあけて部屋から部屋へ移動できる。
中廊下でも移動できる。
しかし朝鮮は縁側でしか移動できない。
濡れ縁というのがあったな
90 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 09:09:28 0
>オンドルの熱効率を高めるため
民家の天井が妙に低いのもそのせいだろうか?
同じく出入り口が身をかがめるほど小さいのも開口部からの放熱を抑えるためか。
日本の茶室のにじり口の起源ニダとの説があるがはてさて。
91 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 18:56:17 0
>>85 火災予防のためか、台所と食事をとる所が別々なのは
日本も共通では、食事を運ぶために外を経由する。
庶民は建物ごとに分けようがないが
建物ごとに役割があり、それをつなぐ。
92 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 19:38:56 0
東北以北では囲炉裏が生活の中心だよ。
囲炉裏で調理をし、囲炉裏端で飯を食う。
寒い北方では戸外に出る回数を減らすため、台所も便所も馬屋も一棟の中に収める。
戸外に出るのが苦痛ではない南方では、馬屋、厨、便所は臭気除けや火の用心のため、
別棟にする。
93 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 20:10:00 0
庶民は
庶民は
庶民は
庶民は
庶民は
チョイマル(縁側)以外でも、
房は横並びで二、三室つづき、部屋から部屋へ移動できる。
反対側はピョクジャン(押入れ)なので移動できないが。
95 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 21:18:54 0
ああ、そうだったの。
あと、日本家屋では竈のある台所から畳敷きの座敷まで普通に出入り出来るが。
何故か朝鮮の民家ではオンドルの熱源でもあるブオク(釜屋、台所)と居室であるアンバン(安房)は土壁で隔てられていて、
台所から居室には直接出入りできない。
台所で作られた料理はその土壁に作られた小窓から出し入れするか、一度台所を出て縁側から居室に運ぶ。
オンドルの熱源でもある台所は、煙の流通が良いようにほかの部屋より床を低く作る。
台所の上にはその高低差を利用して、タラクという物置を作る。タラクにはアンバンから梯子を使って出入りする。
昔は嫁さんが一人になれるのは、タラクの中だけだったという。
96 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 22:40:14 0
日本では、釜戸は普通座敷側と反対でしょ。隣接した部屋でも。
朝鮮でも、隣接した房。ただ、オンドルの関係で座敷側、でも
耐火・防火のため土壁を設ける。
97 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 23:45:25 0
チマチョゴリはオンドルの熱を貯める効果がある
98 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 23:56:51 0
シャルトルに逝きたい
99 :
世界@名無史さん:2007/03/25(日) 19:19:08 0
韓国では超高層ビル(500m級)の建設予定が多いね。
ソウルだと北朝鮮の恰好の標的にならないのだろうか?
100 :
世界@名無史さん:2007/03/25(日) 19:27:11 0
たとえしっかりした建築であったにせよ、500m越えのビルなんか
話を聞いただけでゾッとするね。
下の階から火事になったらどーすんだよ。エレベーター故障したらどーすんだよ。
500mでも200mでも、同じといえば同じだがな。
102 :
世界@名無史さん:2007/03/26(月) 05:42:46 0
>朝鮮半島は、少なくとも李王朝時代から室内靴脱ぎの習俗を持っています。
>民家の造りが日本と同じ「揚げ床式」(地面から4,50pに床が上がっている)で、
>中国の「じか床式」(地面から浮いた床がない)とは、違います。
>建築史から見ると、日本と韓半島は同系統と言える。
これは正しいのか?
103 :
世界@名無史さん:2007/03/26(月) 17:46:52 0
朝鮮の民家からオンドルを無くし、構造をもっと開放的にして床に畳を敷けば、
日本の民家と変わらなくなる。
日本は南方民族の要素も強いが。
104 :
世界@名無史さん:2007/03/26(月) 20:40:24 0
>>103 「揚げ床式」って、素人目にも南方の高床式住居の系統だと思うのだが。
東南アジアから高床式住居の文化が北上し、日本・朝鮮半島へと伝わり、そこでストップしたと言うことか。
だとしたら、古代の建築技術は、日本から朝鮮半島へと文化が流れたことになるが、そうした事例は他の文化領域にはないことでは。
あっ、前方後円墳があったか。
105 :
世界@名無史さん:2007/03/26(月) 20:57:17 0
半島で前方後円墳が発見された当初は
「前方後円墳はウリナラ起源、日王はウリナラ起源ニダ!」と得意満面だったが、
後に半島南部の前方後円墳が日本のものより新しいことがわかり、
「任那日本府が実証されたら大変ニダ!」と、
今では徹底的に無視しているそうだね。
106 :
世界@名無史さん:2007/03/26(月) 23:29:23 0
南向きに家を建てるのは、東アジア特有?
ヨーロッパはこだわらないよね?
107 :
世界@名無史さん:2007/03/26(月) 23:51:38 0
豪州は南半球でも、北向きにこだわることはしないそうだ。
風水の影響か?
109 :
世界@名無史さん:2007/03/30(金) 10:46:25 0
110 :
世界@名無史さん:2007/03/30(金) 12:33:35 0
でも高床式の建築は、北方では倉庫専用だろ?
北方で「住居」に高床を用いたら凍え死ぬよ。
111 :
世界@名無史さん:2007/03/31(土) 19:30:58 0
日本で「住居」に高床を用いたら凍え死ぬかね?
弥生開始期の九州北部では渡来人によって稲作と同時に高床式建物も
持ち込まれて登場するのだが、彼らの一般家屋は竪穴住居で環濠集落を
作って住んでいて、高床式建物(掘立柱建物)の方は最初から倉庫利用
なんだよ。
ロシアに高床式教会があったな
なんだ、まだ高床建物が南方にしかないと言っている馬鹿がいたのかw
114 :
世界@名無史さん:2007/04/09(月) 02:32:50 0
age
つか、煉瓦に暖炉が基本でしょ。
日本の家屋は燃えやすいから楽だって、ルメイタンが言ってたらしいですよ。
116 :
世界@名無史さん:2007/04/09(月) 02:53:59 0
鬼畜ルメイ
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
118 :
世界@名無史さん:2007/04/17(火) 20:25:22 0
【三重地震】“江戸時代のは崩れず” 亀山城跡の石垣、崩れたのは昭和47年に修復した部分だけ
1 :ままかりφ ★ :2007/04/17(火) 19:47:25 ID:???0
三重県亀山市で15日に震度5強を観測した地震で、亀山城跡の石垣が
崩れた現場を専門家が調査したところ、30年余り前に比較的小さな石を
使って修復した部分だけが崩れていたことがわかりました。
15日の地震で亀山市では、亀山城跡の石垣が幅2メートル、高さ6メートルに
わたって崩れました。亀山市教育委員会の担当者と専門の業者あわせて4人が
17日、現場を訪れ、原因を調査しました。この石垣は、およそ400年前の
江戸時代に加工していない自然の石を積んで築かれたものですが、調査の結果、
石垣の崩れた部分は、昭和47年に修復した部分だったことがわかりました。
これに対し、400年前に石が積まれたままの場所はまったく壊れていませんでした。
調査の担当者によりますと、修復の際に、江戸時代に築かれたときと比べて
小さな石が使われたため、重さが足りず、土台の盛り土に石がしっかりと
食い込んでいなかったことが原因とみられるということです。
亀山市教育委員会まちなみ・文化財室の嶋村明彦室長は「貴重な文化財なので、
昔の石垣の積み方を踏まえて、工事方法を検討し復元していきたい」と話しています。
http://www.nhk.or.jp/news/2007/04/17/k20070417000116.html http://www.nhk.or.jp/news/2007/04/17/d20070417000116.html
「ソロモンよ、我は汝に勝てり」
と、ユスティニアヌスが誇ったハギア・ソフィア萌え。
そしてその千年後にソロモンがリベンジを果たした
ソロモンのモスク萌え。
120 :
世界@名無史さん:2007/04/30(月) 02:24:23 0
創建当時から一度も解体修理されていない現存する最古の
木造建造物は何?
121 :
世界@名無史さん:2007/04/30(月) 07:38:25 0
鑑真の寺じゃね?
>>119 ソロモンのモスク?
ソロモンはユダヤでしょうが。
>>122 スレイマニエ・ジャーミー = ソロモンのモスク
スレイマン = ソロモン
何だ、ただの言葉遊びね。
125 :
世界@名無史さん:2007/04/30(月) 23:35:50 0
アレキサンドリアは、アラビア語ではイスカンダル。
だから宇宙戦艦ヤマトは、アレキサンドリアを目指していたのだ。
世界史板では常識だが、一般人はどれくらい知っている?
つチラシの裏
127 :
世界@名無史さん:2007/06/01(金) 02:06:54 0
age
ピラミッドの化粧石がパクられなかったら、どんなに綺麗だっただろう?
あげ
130 :
世界@名無史さん:2007/06/10(日) 21:55:05 0
131 :
世界@名無史さん:2007/06/10(日) 21:59:38 0
133 :
世界@名無史さん:2007/06/14(木) 23:11:00 0
フリーメーソン(石工組合が元)のような組織ってヨーロッパ以外にもあったのかな?
134 :
世界@名無史さん:2007/06/14(木) 23:13:04 0
135 :
世界@名無史さん:2007/07/14(土) 14:02:34 0
>>131 頂上の像は誰を象る予定だったんだろう。
マルクスに見えなくもないが。
レーニンにしか見えませんが。
近代建築史の本ではレーニン像と書いてるものしか見たことはないです。
当時のソ連は世界初の電子音楽機器テルミン、初めてモンタージュされた映画を製作させたりしたからかなりアヴァンギャルドだよな。ダダイスム宣言を書いたのは実はツァラじゃなくレーニンとか。まぁソビエト宮殿の頃は既にご隠居だが。
つーかレーニンが世界の中心でF○ckYouしてるな
手の向きがよくわからんからな。
それを言い出すと聖ヨハネだって・・・。