1 :
三国弘:
ひょっとしたらこれらしき内容を過去に考えた
方がおられると思いますが・・・。
大いに何でもどうぞ。
漢代では主に肉といえば犬だったそうな。
俺、以前エロ漫画雑誌の「ペンギンクラブ」というのを
持っていてな、そこに「犬の肉が食べれる店」というのを
取り上げていたそうだ
その内容によるとどうも大阪市内のとある繁華街の裏側に
その店があって食べたところ「ゼラチン質がキショイ」と
言って思いっきり不味かったそうだ
ちなみにその店はその犬の肉を韓国風に調理していたそうだぞ
追伸 後その店には犬と戯れてる女の人の写真が載っている
「動物愛護週間」のポスターが貼られていたそうだ
>>3 いやいや、俺は「ニュースJAPAN」でその犬の料理を知ったぜ。
一応、その女性キャスターは美味そうに食っていたそうだがな。
でも実際、どんな味するんだ? 犬の肉は?
変だと思うが一度食ってみたいもんだな、本当。
羹とか膾の作り方知りたいな
「狡兎死して走狗烹られる」(重要な役割を果たした者が酷い形で
処分されること)
「羊頭掲げて狗肉を売る」(見かけと中身がかけ離れていること。
類似の諺で「聞いて天国、見て地獄」がある)という言葉がある。
その頃の中国は犬は大衆が食べる肉だったそうだったが、当時でも
これらの諺通り犬の肉は悪いイメージが付いていたそうだね。
そういや羊羹ははじめ本当に羊の肉の羮だったな
数年前、どこぞやの中華料理店でその原型を頂くことが出来るのを
テレビで見たことがあったぞ
>>5 うん、確かに知りたいな
古代の中国では主な調味料は塩と梅というのを
陳舜臣さんの「エッセイで綴る 中国の歴史」という
書籍で知ったよ おそらく羮、膾もそれらを使っていた
可能性はあったのではないかな?
8 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 01:35:31 0
このスレは、かつて存在した『中華料理の歴史』の後続スレでつか?
中国の古代ってのはいつまでですか
隋ぐらいまでじゃないか?
唐からはもう中世だろ。
料理法の大変化が起こった宋代までのこと扱ったほうがよくない?
>>10 19世紀中盤まで。
阿片戦争までが支那世界の古代。
三皇五帝〜春秋戦国までが上代(上古)、始皇帝の統一から清朝までが古代(中古)。
13 :
三国弘:2006/04/26(水) 21:44:54 0
私にとっては殷王朝時代から三国時代までが一番知りたいですね。
その頃の料理は味付けは濃い方だったのでしょうかね?
>>13 趙・燕・魏などの北方系は濃い味が主流。
楚・越・呉などの南方系は薄い味が主流。
15 :
三国弘:2006/04/27(木) 00:43:43 0
分かりました。ありがとうございます。
現在の北京、上海、四川、広東の違いはここから始まったと
言っても過言ではないのでしょうか?
分かれたんじゃなくて後からまとめられた。
元もと違民族なんだし。
孔子も食べた人肉塩漬け
18 :
世界@名無史さん:2006/05/01(月) 01:13:33 0
そういや中華料理史スレは落ちちゃったんだっけ?
19 :
世界@名無史さん:2006/05/02(火) 01:10:52 0
>>7 以前にNHK衛星の特番で、古代中国料理の考証してたけど、面白かった。
南北朝時代の膾のレシピに基づいて再現してた。
鯉をニンニクたっぷりのソースで和えるような。
また、中華で炒め物・麺類(小麦粉食)がブレイクするのは、
宋代以降だとか。
古代〜唐はコトコト煮込み料理が主流とのこと。
どうでもいい議論が続いているな。
古代中国は、民族的に言えば、トルコ系の影響を強く受けた、北魏〜隋唐の前まででしょう。
で、遊牧民が入ってきてから、食事に関する単語もとって変わったとか。
飲む、食は、古代に属し、北方の影響を受けてからは渇とかコク(字がでない)とかの用語だったとか。
古代は蒸す、煮る、などが主流で、焼くというのは、上記北方の影響とか。
斉民要術という5世紀頃の南朝の食事の本が残っているので、古代食事は再現可能。
あと、漢代遺跡からも当時の食事の遺物が出土している。
>>20 周や秦はもともとは遊牧系の影響が強いようですけど、後の五胡とか突厥・モンゴルあたりとは
風習が違ったんですかね。
>>21 周、秦の影響下にあったのが、漢。だから漢は既にある程度北方の影響があった。
で、周、秦の前の時代は、夏なんかは、越なんかに近かったらしい。
なんかで読んだが、「酒池肉林」は、狩猟経済と食事の名残とか。この場合の
肉林では、どのような料理だったんですかね。焼きか蒸しか。なんか燻製かなにか
のような気もするが。。。
んぢゃあ、北方で焼くが廃れたのはいつの時代?
ジンギスカンの時代には、蒙古人は肉を水煮にして食べていたようだが。
24 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 21:52:07 0
周の儀礼で羊の丸焼きを奉納するハン[火+番]祭ってのがなかったっけ。
25 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 22:56:38 0
>>23 蒙古の肉の水煮って、例の羊のしゃぶしゃぶのこと??
蒙古系中華だと、羊のしゃぶしゃぶだけじゃなくて、
鉄板焼きみたいなのもあるよ。
27 :
世界@名無史さん:2006/05/13(土) 12:12:04 0
>>25 >鉄板焼きみたいなのも
アメリカで人気の「モンゴリアン・バーベキュー」なんかは
この流れを汲むんだろうか。完全にアメリカンテイストと化しているけど。
食スレ的話題だけど、モンゴリアンバーベキューはメリケンのジャンクフード的な店のくせに
野菜を大量に摂れて結構健康的だったりする。もちろん、油っこいから太りやすくはあるけど。
ピザだのハンバーガーだののメリケンジャンクフードに比べると段違い。
29 :
世界@名無史さん:2006/05/14(日) 17:47:30 O
齊民要術は、南朝じゃなくて北魏の時代に著された農書じゃなかったっけ?
乳製品の記述が結構多くて、中華料理ぽくないんだよね。
使われてる、単語、語彙もこの時代のみ表れてるやつが多いし。
しかし、粟、黍、稲、蕎麦、麦それぞれにうるちやら粘性品種の区別をして、
さらにそれらから作られる麹の種類、調理法の別等
よくもまあ、体系化したなぁ。
日本でも延喜式が要術をパクったけど、いつの間にか廃れたな。
>>25 違う。
鍋にブツ切の羊を入れ、水を注ぎ、岩塩、若干の野草(野蒜、蓬、茴香など)を
加えて肉が柔らかくなるまで煮込み、肉を上げて浅い皿に供し、卓上で切り分け
ながら食べる。
ソップは饂飩のようなものを入れたり、粥にしたりして食べる。
野草は入れないこともある。
>>30 なるほど。
饂飩や粥を食べる→痩せる→ソップ型
餡子を食べる→太る→アンコ型
なのね。
32 :
世界@名無史さん:2006/05/19(金) 00:40:54 0
だから肉なんて食わない方が健康にいいんだよ。
人間がデフォルトでうまいと感じるのは、
生肉でもなければ、野菜でもない。
つまりこれらは不要。
うまいと感じる唯一のグループが、果物だ。
哺乳類はサルの上等半分以外は、全て2色色覚、つまり酷い色弱。
とくに緑の葉っぱから赤い木の実を見つけ出すことができない、すべて茶色的になってしまう(赤緑色盲)。
それをサルだけが、ビタミンCが合成できないので(アスコルビン酸)、
果物を多く取る必要があるため、3色色覚に復帰した。
なお、鳥類や魚類、爬虫類は殆どが4色か3色(3次元)色覚である。
霊長類は、哺乳類のなかでも体の構造からみると比較的原始的(下等)なんよ。
34 :
世界@名無史さん:2006/05/19(金) 18:11:15 0
たしか漢あたりは甘味は砂糖でなく蜂蜜だったと言う話を聞いたことがある。
三国志を読む限り茶は三国時代は高級品だったらしいね。
あとシラナイ
35 :
世界@名無史さん:2006/05/19(金) 22:06:49 0
>>34 袁術が最期に「水に蜜を混ぜて…」と言ってるのは、やっぱり蜂蜜を指してるのかな?
36 :
世界@名無史さん:2006/05/20(土) 19:16:09 0
米だって春秋時代はなかったみたいだ。
37 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 15:08:37 0
>>36 考証学のテーマの一つに「孔子は米を食べたか」という問題があると聞いたことがあります。
やっぱり当時は無かったのかな?
稲作の起源は八千年位前の長江流域でしょ?
孔子は楚まで遊説してたから、その時食べたでしょ?
個人の嗜好・先入観から米を口にしなかったかどうかの議論なら、ありかも
39 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 16:09:57 O
稲の痕跡は殷墟から出てたはずだし、
漢でも関中で稲作が上手くいかなかったので、
わざわざ越人を招聘して農業指導に充てた記録が残ってる。
しかしながら粒食は稀で、発酵させて
醸造用に専ら用いられていたらしい。
何より、淮水〜長江間の稲作は原始的な粗放直播き方式で
収穫後は一年間休閑して緑肥を施さなければ、地力は回復させれなかった。
三国志の杜預の言った、火耕水耨てやつな。
華北の乾燥地農法を応用した、水稲耕作が普及したのが南朝〜隋唐
チャンパ米が普及して、全土の国民を養えるようになったのが宋代
まあ、古代中国の調理法を考慮したら、
孔子さまが銀シャリを口にしたことは無かっただろうね。
42 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 22:28:34 0
孔子に羊の生贄を捧げるのは、あれで正しいのか。
米とか出したらかえっておかしいのか。
確かに今でも米をわざわざ粉物みたいにしてよく食べるね。
米のクスクスみたいな料理も見たことある。
でも醸造用だと、白米以上に精米しなきゃいけないのか?
あれは日本酒だけ?
釈奠といえば、獣肉はつきもの。日本では多少改変されましたが、それでも
鹿・猪の肉を使っており、『枕草子』では顰蹙をかっています。
(元々作者が漢学者の家を見下していたきらいがありますが)
時代が下ると餅などで代用されている。中世の足利学校などはこちら。
『礼記』では、牛・羊・豚が供え物に出ていた筈。
詩経小雅白華の条に
「?河北流、浸彼稲田」とあるのは北中国での稲作の古さを伺わせるが、
有名なのはやはり戦国策の東周策恵王条の水争い、
「東周欲為稲、西周不下水。東周患之。(中略)下水、東周必復種稲・・・。」
とあって、東周では以前から稲作が行われていたと思われる。
また火耕水耨については一年休閑などの特定の技術段階を指す言葉では無いこと。
またそれは史記平準書や漢書武帝紀、?鉄論などに見える。
更に宋代の江南デルタの占城稲の導入いついては、1984年に「中国江南の稲作文化」日本放送出版協会、
や、その後、足立啓二などによってとらえ直しが為されたはずだが。
文字化けしました。
最初の?はさんずいに彪、2つめの?は塩の旧漢字。です。
46 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 19:40:59 0
『火耕水耨』を解説した本には、大抵
「最初に雑草を焼いてから種籾を蒔きつけ、次に芽生えたところで水を引き込んで雑草を枯らす、非常に粗放な稲作」と書かれている。
しかし思うままに水を引き込むことができる、ということはこの時代すでに用水を管理された水田が作られていた事に他ならない。
最初に冬枯れの雑草を焼き払うことはあるにしても、「水耨」は代掻き、田ごしらえを示す語であろう。
47 :
世界@名無史さん:2006/05/22(月) 23:48:21 0
>>46 そーですね。漢書武帝紀の應邵注でも比較的灌排水の調整が効くことが分かります。
また杜預の上奏にある記載は、それが既に過去の農法ではあるが、新田の開発や荒廃した耕地
の再開発には便利であると言っているに過ぎないでしょう。
ただ史記貨殖列伝の記載はそれほど高い技術は裏付けられないでしょうね。司馬遷が華北の
陸田農法に比して遅れた農法と断じたのかも知れませんが、司馬遷と應には約200年の差がありますから、
当時の江南農法の過大評価も危険です。
代掻き説に対しては賛同しかねます( 播種後稲とともに長じた草を刈り取り、その後草が
生えて来たら冠水させて草のみ膿死させる除草の作業と考えます)、しかし決して粗放農法
のみを指すのでは無い点は同意いたします。
顔淵が到来モノの米を粥にしているとき掬って食べたことを孔子が咎めなかった
説話とかあるから、食べたんではないの?
49 :
世界@名無史さん:2006/05/24(水) 00:37:46 0
>『火耕水耨』
何て読むの?
殷、周の青銅器は鼎とか鍋みたいなのはあるけど、鉄板みたいなのはないね。
当時の料理法と関係してるのだろうか?
51 :
世界@名無史さん:2006/05/24(水) 02:12:33 O
>>49 「かこうすいどう」。読み下せば「火もて耕し水もて草切る」。
てことです。
>>48 それ面白い説話ですね。米って調理器具の発達によって調理法が変わるはずだから
最初はやっぱり蒸したんでしょうか。粥だと水漏れしない調理器具が必要ですから蒸しより技術的に進んでいると思います。
52 :
世界@名無史さん:2006/05/24(水) 02:31:35 O
>>50 青銅器の鼎とかは祭祀用でしょうが、中に食物や酒を入れて備えたでしょうから調理法と関係あるかもですね。
西安の半パ(土へんに皮)博物館には新石器時代の土器の鼎や盆(人面魚紋盆)などが展示されていますが
素焼きの割に硬そうなんですが、鼎と言うのは青銅器以前にも存在します。
半パは集落遺跡ですから、鼎を用いた調理は早くに確立していたかも知れません。
53 :
世界@名無史さん:2006/05/24(水) 12:09:52 0
>>50 日本の縄文・弥生土器をみても、煮込みの調理具が普通でしょう。
鉄板は土器・青銅器時代にはないんじゃないかな。
串焼きならあったかも。
後漢期の遺跡から、豚の丸焼きが出てきたとのこと。
>>51 土鍋を最初に使う前に、水を張って残り御飯を入れておもゆをしばらく炊いて
目を詰めて水漏しないようにするんだけれど……
55 :
世界@名無史さん:2006/05/25(木) 15:29:34 0
調味料は塩だけかなぁ。
醤というのは結構古いみたいだが
57 :
世界@名無史さん:2006/05/25(木) 20:36:02 0
>>55 梅も漢代からよく調味料として使われていたそうですぞ。
『書経』の中に「塩梅」の語が出て来ます。多用は漢代からでしょうか。
書経と漢の始まりと300年くらい開いてるんだけれど
60 :
世界@名無史さん:2006/05/28(日) 11:56:52 0
古代では、塩と梅酢で調味をしていた。
味の具合がいいのを「塩梅がいい」といい。それが発展して物事の具合がいいのを「塩梅がいい」と言うようになった・
つまり、Confuciusは梅粥を食べたことがある、そういうことだ。
62 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 00:40:14 0
古代中国にも梅干しがあったの?
63 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 01:02:46 0
『書』については始皇帝による焚書の災難に遭遇しているからなあ。だいたい漢と考えて良いんでは?
漢の時代に伏生という爺さんが壁の中に塗り込めて隠して取り出したが4分の1近くは失われたし、
加えて伏生は目と舌が不自由だったから、記憶していた内容を娘に口伝えに伝えて、娘が聞き取った
ものを文帝の遣いに伝えたものだから、怪しいといえば怪しい。
まあ塩梅という言葉くらいなら焚書うんぬんの骨幹には関わらないから時代は遡れるだろうけど、
漢初には既に広くあったとは言えるだろうね。
遣いの晁錯も中々の人物だから自分の知識による恣意的解釈もあったかも知れないけれど。
何せ伏生の言葉は娘しか聞き取れなかったんだから・・・。
64 :
世界@名無史さん:2006/05/29(月) 01:33:39 0
>>62 どーだろうね、梅雨という用語自体中国から伝わった言葉だし、長江流域で梅の果が実る頃降る雨という意味で、
梅雨が明けて保存用に干した可能性はあると思う。食用と言うより薬用として用いられたんじゃない?
今日でも梅干しは無いね、寧ろ何とも表現し難い味というか甘い干し梅のお菓子があるくらい。
漢では塩は専売で貴重品だったから、仮に梅干しが存在したとしても民間に広まっていたとも思えないし。
>>63 始皇帝も焚書坑儒も秦だよ、漢ではなくて。
>>65 その通りだよ。だから始皇帝の焚書によって
秦の時代に燃やされたの。
それが後になって壁の中に塗り込めて隠していたのが出てきたのよ。
秦末漢初の混乱で更に十数巻失われて結局残ったのは二十九巻だったか…
漢文帝期の復元については書いた通り。かくして『書』には『古文尚書』と『今文尚書』とがあるのだわ。
ありゃだいぶ端折った。
伏生の口伝が『今文尚書』ね。
また漢景帝の時、魯の恭王が孔子の旧宅を壊したら壁から出てきたものに
孔安国が解読したのが『古文尚書』。
晋の時代に偽作が加えられ今伝わっているのはこれ。
だから『古文尚書』はだいぶさっ引いて考えなければならない。
おわり。
68 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 01:18:18 0
そういやキウィーフルーツも中国原産だと聞いたが、
あれは遣唐使の時代に中国にはなかったのだろうか、結構日本の風土にも
合うから、もし遣唐使の時代に長安の都にあったら持ち帰ったような気がするのだが、
69 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 01:45:17 0
遣唐使時代どころか、三国志の時代からある。
諸葛孔明はキュウイフルーツで兵士達の壊血病を治している。
日本にまで広まらなかったのは、山深い蜀の国の果物だから長安の都には無く、
遣唐使の目にはとまらなかったからでは?
ちなみに、キウイフルーツはマタタビの同じ仲間だから、家庭で栽培すると庭が「猫の阿片窟」に
なってしまうw
えーと、サルナシって聞いた事ありません?
71 :
世界@名無史さん:2006/06/01(木) 23:12:47 0
キウイの和名は、「シマサルナシ」。
韓国の食文化スレに「韓国で食文化が発展しなかったのは、儒教を守っていたからだ!儒教は質素倹約を旨とする!」
などという論が戦わされているが、実際儒教では食をどのように位置づけていたの?
73 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 01:54:38 0
>>72 儒教が質素倹約を旨とするのは間違いではないが、
仏教・道教などと違い食のタブーはなく、酒も肉も問題なし。
というより本来の儒教の祭祀には酒も肉も必要。
(日本の釈奠では仏教の影響で使わなくなったが)
75 :
世界@名無史さん:2006/06/02(金) 10:02:51 0
まあタブーはともかく、儒教を厳密に守ると発展というか変遷は抑えられるわな。
孔子が人肉食っていたくらい目茶苦茶なはずなんだが・・・
78 :
世界@名無史さん:2006/06/03(土) 02:51:14 0
孔子が人肉を食べていたかどうかは定かではないが、
あれだけ道徳だ礼儀だというわりには人肉を食べることはまったく非難は
していないな。
斉の桓公がたしか「ワシは人肉は食べたことがない」と言ったら、料理人が
自分の息子を蒸し焼きにして献上したという話があったが、孔子はそのことを
まったく非難していないもんなぁ。
むしろ、斉の桓公を(管仲の方が偉いのかもしれないが)評価しているもんなぁ。
修身斉家治国平天下。
親に孝に、君に忠に。
孔子の説く儒教道徳に背く話しではないからな。
人肉食がどーのと言うより
孔子が如何に自らの説く道徳に忠実であったかを言った逸話の一つだろう。
親を訴えた子を非難した話しはその逆。まぁ人肉食は飢饉では日本・中国問わず行われたけども。
80 :
世界@名無史さん:2006/06/04(日) 01:47:22 0
中国の場合は飢饉でなくても人を食べるからなぁ。
信長が浅井長政の頭蓋骨で杯を作って、家来に飲ませたが、
漢の劉邦は、ほうえつ(変換できない)が謀反を起こしたとき、
死体を塩漬けにして料理して家来に食わせたりしたからなぁ。
日本人は相手がいくら憎くても、料理をして食わせるという発想は
ないが、(あるにはあったかな大戦中米軍の捕虜を食べたという話があったかな)
中国人は食べてしまうからなぁ。
人質でも日本人だとただ殺してしまうだけだが、中国人は料理して
贈りつけたという話もあるからなぁ。
81 :
世界@名無史さん:2006/06/04(日) 02:20:34 O
日本はやっぱり仏教の影響かねぇ。
信長は仏教に対して弾圧を加えたからな。
中国は漢民族王朝は仏教信仰無いからね。
むしろ首と胴体を切り離して死者の復活を封じ込めたから反逆者に対しては復活への恐れと見せしめとで
尚更食ったのかも。桑原ジツ蔵という大先生に中国の人肉食に関する論文があるね。全集に入ってる。
仏教でもラマ教なんかだと死体は抜け殻だから鳥に食わせるけど
死んだ後は無問題だし。生きた人間を調理して食いはしないね。
>>80 信長の場合は髑髏に漆を縫って金箔を貼り付け宴会の座興にしただけです。
史記だったと思いますが、シナだと実際酒器にしてます。
日本には
死人が祟ると言う怨霊の思想があるからね。
大飢饉とかだと背に腹は代えられなかったろうから食っただろうけど。
でも昔の成人の人肉って
よく働いて食は今より貧しいかかったからカタくてまずそうな気がするけどな。ロースとか霜降りは現代人かガキかもね。
それと日本と中国じゃ調理技術や調理法の差もあるし調理器具の差もあるだろうし。
商時代に青銅器作ってた国と縄文土器とじゃ調理法の発達も違うし当然調理する時の火の使い方も火力も違う。
火力が強くなったのは宋代からですから、途中まで火力はどうなんでしょうね。
もっともシナ以外でそれなりに食べる習慣はないのでシナは異質ですね。
若い娘や子供は結構人気があって値段が高かったはず>>人肉
85 :
世界@名無史さん:2006/06/04(日) 10:57:13 O
どーだろ。青銅器は約800℃
鉄は1200℃で溶けるから
料理には充分な温度やねえ。
86 :
世界@名無史さん:2006/06/04(日) 14:45:53 0
富と権力を誇った中華皇帝の食卓にはフルーツ盛り合わせはなかったのだろうか?
中国は漢代にはベトナムまで支配下においていたから、バナナくらいは
中華の皇帝の食卓に上っていてもおかしくなさそうなんだが、
現代では中華料理食った後には良く出てくるな>フルーツの盛り合わせ
ライチが好物で、南方からやたらと取り寄せたために沿道の人民が疲弊したってのは
楊貴妃だったっけ?
>>80 劉邦は人肉の塩辛を作っていないんだが・・・
嫁だろ?
89 :
世界@名無史さん:2006/06/04(日) 23:44:51 0
>>86 唐の時代、鑑真が日本渡航に失敗して海南島に漂着したとき、一行の者がパパイアをはじめて食って
感激したという記録があったな。
イチジクにも出会い、「実は毎年なるのに、花は三千年に一回しか咲かない不思議な果物」と
記録している。
90 :
世界@名無史さん:2006/06/05(月) 00:19:46 0
果物は冷蔵庫がない時代でも結構日持ちするだろう。
富と権力を誇った中華皇帝からすれば>>87の楊貴妃みたいに
取り寄せることができるだろう。
古代の中国人は肉はそれこそ人肉を食べるくらいまで、関心を
もっていたのに、どうして果物にはそんなに執着しなかったのだろうか?
キウィフルーツにしても蜀にあるなら、取り寄せるなり、植えるなり
できるような木がするのだがなぁ。
パパイアはカリブ海原産だから、16世紀まで東洋には無いだろ。
イチジクは、単語そのものは、もともと今で言うイヌビワをさしていたが、単語と
中身が入れ替わったしまった。
イヌビワも広義のイチジクで、花・実の構造・受粉の習性は同じ。ぱっと見の木の
印象は違うが、観葉植物のベンジャミンとかインドゴムノキ、沖縄のガジュマルも
近縁種で同じ構造の実をつける。食べても美味しくはないが。
中国の果実といえば桃だな。福禄寿の象徴でもあるし。
93 :
世界@名無史さん:2006/06/05(月) 21:46:56 0
今年は瀬戸内沿岸地方ではナマコの値段が跳ね上がった。何でも中国に
輸出するためだそうだ。
古代でも中華はナマコや干しアワビなんかをどんどん輸入していたのだろうか?
確か中華の例では降伏した武将に振舞う料理としてナマコを出すとか
聞いたことがあるが、昔からナマコを食べていたのだろうか?
東京湾や横浜の沿岸では中国に輸出するためのナマコ景気でウハウハだというよ。
江戸時代は北海道でアイヌにナマコを採らせ、それを干物にして長崎から輸出していた。
平成4年ころ、訪中された今上陛下はナマコにそのような意味があると知らず、うっかり食べてしまった。
そのあと卑弥呼のように金印を「下賜」されそうになったが、これは断った。
シナは卑怯!
>>93 少なくとも江戸時代から日本のなまこは輸出されています。
すみません、良く調べたら、ナマコを知らずに食ったのは田中角栄ですた。
>>94 >>96 なんか意味不明な文章なんだが。
日本からの輸入品のなまこを天皇に出したから卑怯なの?
金印(つっても別に親中倭王とでも刻字してあるわけでもないだろ)を
下賜した(意味わかってるよね?対等じゃない相手に贈り物やることだな)こといってるのなら非礼だろうが卑怯ではない。
まあ、釣りだよね?
だから、「降伏した相手が食う料理」であるナマコを何も知らない相手に食わせて喜ぶのが卑怯だというんだよ。
「ナマコ 田中角栄」でググってみな。
ま、そらしゃーないわな。実際
中国は連合国側にいた戦勝国だったし(当時は民国だったけど)
日本は敗戦国。知らなかった方が悪いて言われたら
それまで。
ただ、中国人も普通に乾燥ナマコの入った料理は食べるけど。案外高級料理のでも使うし
スープや炒めものでも使うし。
同盟国アメリカのニクソンにもナマコ料理出したんでしょ
乾燥ナマコが日本からたくさん輸入していたから出したんじゃないの?
意地悪でナマコ出したのなら、中国が馬鹿なだけで日本側は悪くないでしょうに
101 :
世界@名無史さん:2006/06/06(火) 19:43:41 0
京都に中国の要人を呼んでぶぶ漬け食わそうw
同盟国って、そりゃ人民共和国成立以前の話しで、ニクソン当時は東西冷戦の最中。
でもまー意地悪で出したと考えるのは穿ちすぎで、
京都のぶぶ漬けとはちと違うよーな。京都でぶぶ漬け勧められても食べたらあかんえーw
「降伏した相手が食う料理」=なまこ料理じゃなくて、なまこを使った料理の一つに「降伏した相手が食う料理」があるんじゃない?
そうでなきゃ、乾燥なまこを輸入するほど需要があるわけはない。
国賓に失礼な料理はださんだろ、ホスト国のメンツとして。
>>102 ヲレは京都でお茶漬け定食をよく喰うけドナー
>>104 店でぶぶ漬け食うには無問題よ。
そーいや中国で漬け物ってあんまり無いなぁ。
四川のザーサイとか北中国だとタニシみたいな形をした
茶色い色をしたシェンツァイとか、
広東の方だったか、名前忘れたけど高菜漬けみたいなのくらいしか思い浮かばない。
泡菜っていう白菜漬けたやつがあるよ。てか、古代の話から脱線してるなw
シナのお偉いさんが長野県に視察に来た際、県では信州蕎麦でもてなした。
しかし「こんな雑穀の麺出して!中国人バカにするアルか!」と、しっかり機嫌を損ねてしまったとさ。
蕎麦に薀蓄たれるのは蕎麦文化圏の東日本が首都になった日本くらいで、総じて世界で蕎麦は、
米や麦にくらべて劣った穀物と見なされる。朝鮮や台湾は、日本統治のせいで今でも日本食がある。
そこで、うどんは大人気だが、蕎麦はあまり人気が無い。
>>107 事前にきちんと説明しておけばよかったのに。
たしか蕎麦ももともとシナから伝わったもので、奈良時代あたりは練り物にして
食べていたんでしたっけ?
109 :
世界@名無史さん:2006/06/07(水) 23:02:25 0
>>106 そういやぁ、白菜が日本に入ってきたのは意外に新しくて、日清、日露戦争
以後のことだと聞いたことがある。
入ってきた頃の白菜は、中国菜に毛が生えたような代物で、今みたいに大きい
白菜じゃなかったそうだ。中国人が日本の白菜を見てびっくりしたそうだ。
日本人は白菜を漬物用に品種改良したけど、中国人は昔から、どのようにして
たべていたのだろうか?
>>107
キャビアに蕎麦のクレープをくるんで食べるのも今では金持ちのやることに
なっているが、昔はカスピ海の辺りは蕎麦とキャビアくらいしか取れなかったのかなぁ。
(中国と少しそれていて申し訳ありません、ジンギスカンくらいだとあの辺まで
征服しているからこらえてください)
中国というより、東北アジア原産。
製粉技術が発達する以前は、搗いて殻をとり、粒のまま雑炊にして食っていた。
麺に加工するようになったのは、戦国から江戸にかけて。
イタリアのアルプス山麓には蕎麦粉を使ったパスタがあるが、これも高地で小麦が出来なかったから。
112 :
世界@名無史さん:2006/06/07(水) 23:40:25 0
昔は山東白菜と言ってたよ
フランスのブルターニュではそば粉のクレープが名物だが、これも寒冷の地で小麦が出来なかったから。
三貫とか四貫とかある大型の結球白菜をみて驚いたのは日本人で、日清戦争で
みかけて種を入手したのだが、どうにも累代栽培ができない。
離れ小島で種をとることにしてようやく日露戦争後に日本で栽培できるようになった。
日本では漬物にするけれど、北支では、半地下の納屋にぎっちり詰めて保存する。
氷結寸前の温度で、乾燥した気候なので、長期保存ができる。春まで、少しずつ
出しては炒めたり汁物に使ったりする。
日本では長期保存よりも味を優先して改良し、暖地で冬中畑においたままで保存する
やり方なので、また、気候も湿っているため、今の日本の品種は収穫して納屋に詰めると腐る。
>>112 山東菜は別の品種で固く結球しない。肉厚なので長期保存はできる。
>>107 もう誰も知らないのかな。
ソバは米などが作れない寒冷な痩せた土地で、生き延びるために作って
飢えをしのいだ「貧しさの象徴」だったと言う苦難の歴史を。
漏れはそういう話をバァチャンから聞いてたから大学(トーホクの蕎麦の名所)
で蕎麦マンセーのやつが初め理解できなかった。
蕎麦を日本文化の象徴、侘び寂の世界、店主がこだわったお上品な店で1000円近く
金払ってまで食う気は起きなかったよ。
まあ、食いなれてくると旨いもんだと思うようになったが(w
日本でも焼畑をしてその後に蕎麦を蒔いている風景をテレビで見たことがあります。
宮沢賢治の書いたグスコーブドリの伝記と言う貧しい農民が出てくる童話でも蕎麦を
蒔いていた記憶があります。蕎麦ってやせた土地でも出来るんですね。
上質な蕎麦を「霧下蕎麦」というが、このような山中の霧がかかるような場所では
米はもちろん、麦も出来ない。せいぜい稗くらい。
118 :
世界@名無史さん:2006/06/11(日) 00:56:53 0
「蕎麦の自慢はお里が知れる」ということわざがある。
蕎麦の名産地は気候が悪い、という事なので、蕎麦自慢は痩せ地だとさらけ出しているようなもの、
結局自慢にはならない、という意味。
一応中国スレなので中国のネタ書けば、黄河中流の黄土高原は極端に雨が少なくて寒いので麦が出来ず、
燕麦の一種を栽培している。この穀物はクセが強くて消化も良くないので、
粉に挽いて押し出し機にかけて麺にし、トマト味のタレで食っている。
最近支那雲南四川から「韃靼そば」なるものが日本商社の手で輸入されているが、
これもあれか。棚田の表土流出が酷過ぎてソバくらいしか作れなくなったということか。
古代の話じゃないが…
120 :
世界@名無史さん:2006/06/12(月) 19:31:21 O
棚田の流出やなくて、四川も広いから
水田が出来るところばかりや無いと思うが。
四川チベット(衛だったか)、チベット民族が住む高山地帯(盆地ね周辺の山間地)の四川省では
低温で米の作付け自体無理かも知れない。
そーいや日本の昔話に
蕎麦は寒いところで育つから茎が霜焼けで赤くなった
とかいう様なのを読んだことがある気がする。
121 :
世界@名無史さん:2006/06/12(月) 20:59:51 0
>>118
トマトダレか?
中国人もケチャップ系統が好きなのか?
そういや、大豆の醤油は中国から入ってきたのに今ではあまり中国に
あるとは聞かないなぁ。
122 :
世界@名無史さん:2006/06/13(火) 00:58:54 0
エビチリがあるじゃないか。
それより、「毛髪醤油」って、マジで中国にあるというな。
123 :
世界@名無史さん:2006/06/13(火) 01:38:04 0
>>122 戦中に日本でも作ってたんじゃなかったっけ
124 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 00:36:17 0
漢代の主食は米ですか?
華北は麦や雑穀。
華中、華南は米のはずだが?
126 :
世界@名無史さん:2006/06/14(水) 20:55:24 0
ナマコの漢字表記は、四世紀頃は「土肉」、唐代は「海鼠」です。のちにこの呼び名は
「海の朝鮮人参」を意味する「海参」にとってかわり、日本でのみ生き残りました。
「海参」がさまざまに腕をこらして料理されるようになったのは明代以降。
なお、俗語でナマコを「海男子」と申します。意味はわかるよな!
>「海参」がさまざまに腕をこらして料理されるようになったのは明代以降。
なんか例のAAが脳裡をよぎるなあw
「あのお方」が乞食坊主をしていた時に浜辺でナマコを見つけ、
何とかこれを食えないものかと知恵を凝らして料理し、何とか食えるようにした。
皇帝に即位した後にふとあの味を思い出し、調理人に命じてナマコの料理を作らせた。
それが次第に下々にも広がり、ナマコは中華料理の代表的食材の一つとなった。
……みたいな逸話がありそうな。
>>127 面白いですね。
けど、「光」を禁句にしたくらい貧困時代を暴かれるのを嫌がった人だから、どうだろ。
129 :
世界@名無史さん:2006/06/15(木) 19:18:08 0
大体いつごろから、降伏した武将にナマコ料理を食わせることに
なったのだろうか?
秦の始皇帝の時代くらいだろうか?
130 :
126:2006/06/16(金) 00:28:57 0
>127
ソースは集英社新書の『中華文人食物語』。食文化の本スレの「チョウザメの骨を喰らい、焚書坑儒の恨みを晴らす」話も、
食人スレの「東坡肉は蘇東坡の肉。喰らって恨みを晴らす!」も、この本がソース。
なお、朱元璋はナマコ、鮑、フカヒレ、鶏、豚のアキレス腱を取り合わせて煮込んだものを好んで食ったという。
乞食坊主時代は、何を食っていたかは不明。三国時代の『文選』によれば、当時はナマコを「土肉」とよび、
ただ炙って食っていたという。
しかしこの本には「敗軍の長にナマコを食わせる」話は載っていない。案外、外人に納豆食わせて面白がるのと同じで、
グロイ外見のもの食わせて面白がったのが発祥かもしれない。
>ナマコ、鮑、フカヒレ、鶏、豚のアキレス腱を取り合わせて煮込んだもの ・・・うわ@なんだか旨そう!食べたいよ〜。
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L::;;,__ ..:::ゝ
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/j/三三三三三三三三三三ヾ、
l::||:::: |l
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r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
>>131 そちは驢馬の陰茎にてこしらえたまがい物の海参を喰らうがよかろう!
やだあ。
なーまこー なーまこー たーっぷりーなまこー
なーま杏ー なーま杏ー たーっぷりーなま杏ー
杏仁豆腐すきです。
136 :
世界@名無史さん:2006/06/20(火) 22:04:29 0
だから?
137 :
世界@名無史さん:2006/06/20(火) 22:07:11 O
杏任豆腐には中国には無いよね。
ありゃ日本の食い物だ。
ありゃ間違えた。杏仁豆腐でした。失礼しました。
139 :
世界@名無史さん:2006/06/21(水) 00:13:13 0
日本に「ラーメン」「天津丼」といった、「和式中華料理」があるように、
韓国には「チョジャンミョン」、米国には「チャプスイ」「フォーチュンクッキー」といった
韓式、米式の中華料理がある。
チョジャンミョンは、ジャージャー麺のような肉味噌麺。
チャプスイは野菜を炒めてとろみをつけた、中華丼の具のような料理。
フォーチュンクッキーは、おみくじの紙片が挟まったクッキー。
140 :
世界@名無史さん:2006/06/21(水) 00:17:18 0
ラーメンも結構昔からあったようだが、なんかいつ頃の記事か知らんが、
稗か粟の麺が見つかったとの記事があった。
稗や粟だと小麦みたいに伸びるのかなぁ。
確かその古代麺は、キビだったはずだよ。
稗は粉に粘りが無く、糯種もないので、整形が相当むつかしい。
143 :
140:2006/06/21(水) 23:00:28 0
>>142 しまった、ラーメンとうどんは少し違っていたんだ。ww
ラーメンはたたきつけて伸ばして作るのだが、あと卵を入れたりするのだが、
キビだと小麦みたいに伸びるのかなぁ。
昔だと卵は結構高いというよりぜいたく品に近いから麺に卵を入れるという
贅沢なことができたかどうか。
144 :
世界@名無史さん:2006/06/22(木) 03:35:30 0
卵を練りこんだ麺は「伊府麺」くらいで、珍しい部類に属する。
粘りの出ないということなら、キビ粉でも、蕎麦粉でも、燕麦粉でも、小豆や甘藷の澱粉でも、同じじゃんよ。
それでも、糸状もしくは紐状に整形した麺が存在する。
146 :
世界@名無史さん:2006/06/22(木) 20:15:46 0
ナマコは英語で「海の胡瓜」。
しかし実際は、「海の苦瓜」だな。
このスレでナマコになぜか興味を持ち、色々ナマコの画像見たせいで気分が悪くなったorz
私の知り合いが北京料理でナマコの山盛りを出されたのですが、気色悪くて
食べられなかったと言っていました。もったいないです。
黍や粟には糯種があるよ。麺条への成形は、恐らく心太式に押し出したのかもね。
149 :
世界@名無史さん :2006/06/23(金) 00:44:39 0
ナマコって、今も日本が主産地なの??
江戸期はさかんに輸出してたみたいだけど。
古代の調味料ってどんなのだろ?
酢・酒は当然あった。味噌もあったけど、現在のとは違ったのかな?
醤油とかはなかったのか??
そういえば「金山寺みそ」ってありますね。
鎮江へ行ったとき、金山寺と言うお寺があって、そこから日本に伝わったとか…。
でも金山寺みそって普通のお味噌とは違いますよね。
現在の鎮江はその醤油工場があります。大豆製品つながりかな。
151 :
世界@名無史さん :2006/06/23(金) 01:24:27 0
>>150 大豆ってそんなに昔から普及してたんですか??
四川豆板醤はそら豆の味噌だというから、
結構、いろんな豆の味噌があったりして。
テンメンジャンは米味噌だっけか??
>>150 金山寺味噌の金山寺は
鎮江の金山寺とは関係ないって聞いたことがあるんだけど…。
何処だったかは聞いたのが随分前だったから記憶がはっきりしてない。
>>151 鎮江は醤油の名産地なの?行った時気づかなかった…。
揚州への中継に2・3日泊まっただけだったから分からなかったのかも。
香醋は有名なのは知ってるけど。
153 :
世界@名無史さん :2006/06/23(金) 01:37:35 0
>>152 本で読んだ知識だけど、
江南は酢・醤油の一大産地(あと、当然老酒も)で、
紅焼(醤油+砂糖の甘辛煮)料理が名物とか。
>>153 なる程ね。酒と酢は親戚みたいなもんですもんね。
紅焼て言えばトンポー肉なんかもそーですよね。
あれは美味いです。
338 :世界@名無史さん :2006/06/14(水) 21:25:20 0
宋の時代。
かの蘇東坡は、杭州の町の裁判官として、民衆の尊崇を集めておりました。
民衆はこぞって彼にあやかり、料理屋という料理屋がメニューに彼が発明したという豚の煮付け、
東坡肉を載せておりました。
さてその町へ、蘇東坡の政敵が身分をやつしてやってまいりました。何とかして彼のアラを探し出し、
陥れようと企んでいたのです。彼が近くの飯屋に入ると、メニューに「東坡肉」の文字が。
早速注文して食ってみればなかなか美味い。給仕に聞けば、この店の名物。何処の店でもこの料理が人気だと。
あるアイデアがひらめいた政敵は、杭州中の料理屋のメニューというメニューを集めて都に戻り、奏上することには。
「蘇東坡めの悪辣きわまりない統治により、杭州の民は塗炭の苦しみでありまする。
蘇東坡を呪う声は城内に満ち、豚の肉を東坡の肉と呼び、喰らって恨みを晴らすありさま。」
驚いた帝が証拠資料として出されたありったけのメニューに目を通せば、どれにも「東坡肉」の文字が・・・
暗君だった帝はすっかり丸め込まれ、あわれ蘇東坡は海南島に流罪にされてしまったのであります。
ラフテー
157 :
世界@名無史さん:2006/06/29(木) 12:37:28 O
コテハン入りの1行レスうざい。
158 :
世界@名無史さん:2006/06/29(木) 14:18:13 0
長崎名物卓袱料理の元祖。←ベトナムの影響もあるらしいけど。
>>139 フォーチュンクッキーを初めに発明したのは、日系人。
その後、中華街の料理屋で出し始めてヒットした。
「 土地は湿地多く、虫けらどもの群がり生じ、瘴気のたちこめた風土。蛙と亀は穴を
共にし、人と鳥は群れを同じくしておる。ざんばら髪の君には長者の相なく、
入墨(いれずみ)の民は貧相な体つき呉人の亡者、建康(今の南京)に住まいし、
ちっぽけな冠帽に、ちんちくりんの着物。おのれを阿イ農{人ベンに農}(おいら)と言
ふた言めには阿(お)、お{返事などの時}の連発。菰(まこも)の芽と稗(ひえ)が
代用飯、茶が飲物代わり。じゅんさいの羹(あつもの)をガブガブ、蟹の黄(こ)を
クチャクチャ。手には豆寇{共にクサかんむり}(ずく)をつかみ、口にはビンロウを噛
む。中州のところで、魚に網うち、すっぽん掬い、菱の実、蓮の根にかじりつき、
鶏頭(みずふき)フキを採り歩いて、蛙やアサリの吸い物のご馳走。 」
* 六世紀に書かれた「洛陽伽藍記」より *
華北出身の楊元慎が、江南出身の高官張景仁を批判した言葉です、
まるで現在の日本人が、批判されてる様な気に成りませんか、どれも美味そう!
160 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 13:25:13 0
>>159 茶が飲み物代わりって、華北じゃ当時なにを飲んでたんだ??
じゅんさい、蟹黄、すっぽんって高級食材じゃないの??
ビンロウって、この時代からあったんだ…
この記述だと、江南じゃ牧畜農耕はさかんじゃなく、湖沼産物が主食
みたいな書き方ですね。
6世紀にもなりゃ、江南は結構開墾されてたんじゃないだろうか??
161 :
世界@名無史さん:2006/06/30(金) 14:00:07 0
>>159 気になるのは、マコモの芽や稗が代用飯なところだ。
江南は稲作地帯のはずだが、貧乏人は稗を食っていたということか?
(そういえば、貧乏人は麦飯を食え!という時代もあったな。)
蓮の根を食っていたというのは、日本同様に仏教の影響が希薄だった
せいかもしれない。
仏教では聖なる植物である蓮を、食用や飲用に用いているのは、日本・
中国・ベトナムなどだろう。
>>160 >江南は結構開墾されてたんじゃないだろうか?
貧富の差が激しかったんじゃないだろうか?
金持ちと貧乏人は、王様と乞食くらいの差があったんだろう。
華北は牛乳や酒か???
162 :
世界@名無史さん:2006/06/30(金) 17:24:41 0
163 :
世界@名無史さん:2006/06/30(金) 18:36:34 0
アジアで鵜飼い漁と、れんこんを食べる民族は
日本人と江南人だけやと、聞いた事有るな?
164 :
世界@名無史さん:2006/06/30(金) 21:39:55 0
蓮根にもち米をつめて蒸し、甘いソースをかけて食べる点心が
中国南部にはあります。美味しいかどうかはわからないが。
165 :
世界@名無史さん :2006/06/30(金) 21:40:48 0
インド人の書いたレシピにレンコン料理でてくるよ。
あと、蓮の実は、江南に限らず、中華料理でよくつかうのでは。
蓮の実の餡入りの菓子とか、横浜中華街で売ってるよ。
166 :
世界@名無史さん:2006/06/30(金) 21:52:00 0
香ばしくて美味しいよね。
イザベラ・バードは、日本人が蓮根食ってるの見て吃驚したみたいだけど。
「聖なる植物を食している…!」と。
呉越系弥生人=倭人はアジアのバイキングらしいな!後の福建人もはいるか
日本列島、琉球、台湾、フィリピン、百済、グアム、も呉越人の植民地?
みんなビンロウ文化圏 (百済は違うか)、海の女神馬祖(マーツ)
日本でも松(マーツ)は神聖な木だし(門松)、祭り、祀る、とも関係有りそう
ビンロウて美味いんかな口真っ赤にしてクチャクチャ噛んでるけど。
>167
ビンロウはそのまま齧ると渋くてとても食べられないが、石灰と混ぜると若干甘味の
ある青臭い味がする。
アルカロイド系の麻薬成分が含まれていて食べると血圧が上がりのぼせた状態になる。
ひどいときは酔っ払ったような感じ。
169 :
世界@名無史さん:2006/07/01(土) 06:45:12 0
>>167 媽祖は、道教の女神で出現が新しいだろう。
日本では、オトタチバナヒメ信仰と一緒になってしまっている。
170 :
世界@名無史さん:2006/07/01(土) 08:59:16 0
南朝四百八十寺
この板に江南地方出身の方、居られませんか!
居られたら、教えてほしいんですが。
古代の発音で倭人と越人が同じ(WO)ヲニンと
発音すると聞いたのですが本当ですか。
172 :
世界@名無史さん:2006/07/02(日) 10:11:16 0
>>171 江東・江南スレに移動しては?
レスが入ってるみたいですよ。
豆腐が(なっとう)で
納豆が(とうふ )やと聞いた事あるんですけど本当ですか?
174 :
世界@名無史さん:2006/07/07(金) 22:05:07 0
豆腐は中国語でもトウフで、あの白い豆腐のことですが。
175 :
世界@名無史さん:2006/07/07(金) 22:17:16 O
「豆腐名前取り違え説」は、豆腐屋が流したデマだよ。
自身が扱う品に「腐」の字がついているのが悲しくて。
ふ〜〜ん
蛇足ですが
「麻婆豆腐」は中国語でも「麻婆豆腐」。
「腐」はやわらかいって意味だったよね
180 :
世界@名無史さん:2006/07/09(日) 10:09:10 0
腐(fu):@腐る A豆腐(小学館 中日辞典)
誰か字統で調べて来い
182 :
181:2006/07/11(火) 00:01:07 0
自分で調べてきた。
説文解字の巻四下によると、「爛る」からきており朽ちるという意味に使われたとのこと。
やわらかいという意味はない。
収めるという意味は載ってなかったか?
184 :
181:2006/07/14(金) 00:27:15 0
載ってなかった
185 :
世界@名無史さん:2006/07/14(金) 21:01:02 0
日本人は、いろんな海藻をよくを食べるが、中国人はどうよ
つばめの巣は海藻だね!
186 :
世界@名無史さん:2006/07/14(金) 22:24:18 0
えーーー?ツバメの巣は海藻じゃないぞ!
強いて言えば「燕のよだれ」だろう。
>>186 海藻をツバメが噛み砕いたものだと思っていましたが?
188 :
世界@名無史さん:2006/07/15(土) 14:10:55 0
ついでに、この場合の「燕」は海燕。海に住んでるから海草で巣を作る。
単純に海藻じゃ無いから続けて獲ると、三回目位には血が混じって赤い色が付くと聞いた事がある。
191 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 14:08:24 0
血はイヤだな・・・
192 :
世界@名無史さん :2006/07/18(火) 17:36:08 0
昆布も中国じゃ、漢方食扱いだそうです。
甘くシロップ煮にするとか。乾物(乾貨)は中華の十八番だしね。
そういや、犬食って、古代じゃ華北でも普通だったのに、
今じゃ、広東だけ??なんでだろ。珍味強精食扱いなんだから、
廃れる理由がわからん。
>>192 北方遊牧民族は犬を大切にするので異民族支配後のシナでは犬が食べられなくなった
とか。南方は比較的影響が乏しいと思われます。
194 :
世界@名無史さん :2006/07/19(水) 01:58:58 0
>>193 マジ??モンゴルに牧羊犬とかいるの??
じゃあ、華北で犬食なくなったのは、北魏以降??
195 :
世界@名無史さん:2006/07/19(水) 02:15:26 0
孝を知らずといえども忠を知る也とか言って、犬をつぶして食べるのは忠臣を
欺くことだと言って儒家が忌避したからではないの?
もともと羊頭狗肉というように、羊は美味い、犬はまずいで、華北なら羊は
入手容易だし。
>>194 モンゴルでは牧羊犬というか、オオカミなんかに家畜を襲われないように
かなり獰猛な犬を飼っていて、夜襲して来たオオカミを逆に喰い殺すことも
よくあるんだとか。
だからだろうけど、モンゴルの勇猛な武人に「ノガイ(犬)」なんて名前の人物も多い。
198 :
世界@名無史さん:2006/08/06(日) 06:50:08 0
【鬼畜】赤ん坊を殺して食べる中国人★ (90) - p2でキーワード抽出 - 人権問題板@2ch
199 :
世界@名無史さん:2006/08/07(月) 02:21:26 0
魚醤はベトナムなど東南アジアに残っているけど、華南にもまだ
そういう食文化はあるんかね?
昔はあったはずだが。
200 :
世界@名無史さん:2006/08/07(月) 09:11:06 0
201 :
世界@名無史さん:2006/08/15(火) 01:01:24 0
確か、中国にも「魚露」という魚醤がある。
韓国には「ミルチジャッカル」(カタクチイワシの醤油)という魚醤がある。
202 :
世界@名無史さん:2006/08/30(水) 01:06:08 0
age
203 :
世界@名無史さん:2006/09/09(土) 09:31:39 0
秋田名物「しょっつる」も忘れねでけれ〜
204 :
世界@名無史さん:2006/09/10(日) 16:33:05 0
蝦醤も華南とインドシナになかったっけ。
英語でシュリンプソース。
205 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 12:26:32 0
イタリアのアンチョビソースもね。
206 :
世界@名無史さん:2006/09/16(土) 12:28:24 0
魚介類系のソースは、世界中にあるな。
塩とはらわた(の中の酵素)があればいいんだからまあ、簡単かなあ。
アイラグみたいな乳由来のアルコール飲料って
アフリカとか西欧だと根付かなかったのかな?
こないだ種をこっそり分けてもらって
ペットボトルで増やしてるんだが、なかなか楽しいよ。
208 :
世界@名無史さん:2006/09/17(日) 14:13:14 0
>>207 クミスも仲間かな。
あれは馬乳以外の動物のミルクからでも作れるものなのでしょうか。
209 :
世界@名無史さん:2006/09/22(金) 19:32:15 0
イカの塩辛も昔からあるんかいな?
210 :
世界@名無史さん:2006/10/03(火) 00:42:25 0
塩辛といえば、孔子も食べてた人の肝の塩辛だろ?
お箸が庶民にも普及したのは宋あたりから?
325 名前:名無しって何ですか?:2005/12/27(火) 07:14:19 ID:YevwbuuZ
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竹石 圭佑
(1986〜 愛知県名古屋市)
在日中国人の両親を持つ為か、日本語のアクセントがおかしい時が多々ある。
小学生の時に万引きで補導されたらしく、その頃から既に歪んだ性格であった考えられる。
中学・高校時代…意中の女子には露骨にちょっかいを出して気を引こうとし、また、その時の言動は挙動不審で相手に好意があることがミエミエな為、非常に痛々しい。
でしゃばりで、なぜか偉そうな態度をとっていたが、不良学生相手にはビクビクしながら機嫌をとっていたという不可解な面も併せ持つ。
また特に自分より力の弱い女性教員や女子生徒等を格好の的としていたので、その様な人間には異常に高圧的な態度をとり、馬鹿にし、いつも幼稚な悪口や悪質な嫌がらせを考えて楽しんでいた。
相当な目立ちたがり屋で「地球は自分を中心に回ってる」という性格。しかし、何の能力・才能の欠片もなく、ヘラヘラしていただけなので精神が不安定だったとも考えられる。あだ名はダメ石(何をやってもダメなくせに口八丁なので)→デメ石(非常に出目金に似た顔なので)。
愛知県の底辺の大学に通ってるが、名古屋大学医学部を目指しているらしく、医学生になった自分を日々妄想している。
余談だが、KAT-TUNの田中聖をライバル視しているらしい。
214 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 00:07:59 0
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(丶´B`)< 何か食べるものはないかのぉ
(ミ 彡) \_______
.‖ ̄‖
(__)_)
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(丶´B`)< 何かたべるもの・・・
∠ミ 彡L \_______
.≫ ̄≫
)m )m
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(丶。B゚)< 食べ物・・・・・・・
∠ミ 彡L \_______
.≫ ̄≪
)m m(
∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(┐。B゚)< 他のスレで食べ物さがすか・・・・・・・
∠ミ 彡L \_______
I~∽~I
Im Im
キキーン【ききーん】
大飢饉の被害者。
キガーと同族らしい。
上図のように次第に衰弱していき、最後には共食いをしたり、触腕を他のAAに刺してセ○のように栄養分を吸収していった。
なお彼の誕生したスレッドは珍荒らし事件により消滅した模様。
大飢饉が発生し飢えに苦しむあまり、食い物を求めて他スレにまで出没。 物事を、喰える/喰えない・うまい/まずいで判断する。
相手に内臓を突き刺して体液を吸い、仲間を増やす事が出来る。
⇒スレの
>>80-83参照
http://piza2.2ch.net/test/read.cgi?bbs=mona&key=997263799&ls=50
当時の中原の連中は休耕とか豆をたまに植えるとかの
ダメージコントロールはしてたのかな?
実際現代の中国では米と麦どっちが多く食べられてるのだろう?
>>216 一例
大小麦→蕪菁・豆類→粟→瓜・瓢
豆類から麻子→蕪菁→粟と伸びるパターンも
豆類か、蕪菁、麻子とかで地力の消耗を防止していたみたい
これは中世の農法なので、古代と一致していたとは限らんけどね
>>218 人糞の堆肥利用とかしてたんでしょうか?
>>219 チュン・チョンは人糞を食ってたから無理。
>>217 どっちが多いかと言えば、小麦粉として色々加工できる麦の方が圧倒的じゃない?
長江以北では今でも伝統的に麺類や餃子、饅頭などの点心と小麦を使うものを主食にしてるし、
長江以南でも麺類や点心などは豊富。
日本みたいに稲作に適さない寒い東北や北海道でも米を作ろうなんて情熱は無いみたいだし、
今でも温暖な南部で作られてるぐらいなんじゃないかな。
222 :
世界@名無史さん:2006/10/19(木) 12:22:25 0
北京でも普通に毎朝米だったが。
粥だろ?
224 :
世界@名無史さん:2006/10/19(木) 16:19:39 0
(漢方を「韓医学」で世界遺産申請 中国で猛反発 )この話、韓方薬ってほんと?
韓国が中国の伝統医学である「漢方(中医学)」を「韓医学」と名前を改め、世界文化遺産の
認定申請の動きが出ている。これに対して、中国内で猛反発が起き、対韓国感情が悪化しそう
な雲行きだ。(矢板明夫) 中国の華僑向け通信社・中国新聞社がこのほど、配信したもので、
この記事を「広州日報」 や「安徽日報」など多くの地方紙が転載。インターネットの反応も
大きく、13日現在、重複分 を含めて、約30万以上もの中国語のサイトがこの記事を転載
している。 このような中国での関心の高さの背景には、中韓両国間で、ここ数年、伝統文化
をめぐり繰り 広げられてきた激しい“抗争”がある。 昨年11月、中国で2000年以上の
歴史を持つ「端午の節句」(旧暦5月5日)が、韓国によって 「江陵端午祭」との名前で
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界無形文化遺産」に申請、 選定された。当時の中国
メディアは「強盗にあった気持ちだ」などと一斉に猛反発した。
>>218 それでも、数千年もやってると、砂漠化が著しいけどな。
黄河文明が滅びるまで、後わずかだな。
やっぱ、水田以外は農耕は長期続けるのは無理なのかな。
アメリカの農耕も地下水がなくなればアウトだしな。
つか、日本って本来稲作に適さない。
それなのになしてここまで米にこだわるのだろうか?
必需品として藁が必要な生活が長かったからじゃないの?
228 :
世界@名無史さん:2006/10/20(金) 01:29:30 0
>>226 武士の俸給がコメで換算されるため、年貢もコメ指定だったせい?
おかげで東北はえらい苦労を強いられたが。
土地ごとの名産じゃダメだったのかな。
230 :
世界@名無史さん:2006/10/20(金) 01:48:43 0
奥州の藤原三代が栄えていたころは、稗を主食にしていた。
稗は寒さに強いから十分やっていけた。
しかし江戸期に無理やり米で年貢を納めさせたから・・・
南部の国は、名産の馬と鉄で年貢を納めたらよかったのにねぇ。
あとはジャガイモがもっと早く伝播していれば。
水が豊富だからじゃないか?
>>225 逆に考えるんだ、いや、マジで。
もともと、古代中国にしろ、メソポタミア文明にしろ
乾燥地における農業が発祥だったと考えるほうが自然なんだわ。
豊沃な土壌が、農業開発によって疲弊して砂漠化したわけではなく
砂漠化する可能性があった乾燥地の方が、我々現代人が考える
「豊沃な土壌」、「農耕適地」よりも、農業をやり易かったのだと
確か乾燥地の一歩手前ぐらいのところが一番肥沃とされてるんじゃなかったかな
雨が多いと肥沃な土が流出しやすいとか
うろ覚えだけど
234 :
世界@名無史さん:2006/10/24(火) 19:20:25 0
844 :日本@名無史さん :2006/10/22(日) 19:02:46
それに土器が現地民の習俗に同化するなら、何で秦氏が来たとたんに
須恵器が出現したんだね?
弥生土器は縄文人自身が半島南部から技術を持ち込んで数百年かけて
徐々に完成していったが、須恵器の登場は弥生土器とは違って
出現が非常に急進的で、それまでに無かった焼成技術や器種や器形が
いきなり現れる。
それに漢人が弥生人なら鬲が確実に伝わってしまうよ。
なぜなら古代漢人は弥生人のように米を煮て炊飯するのではなく、
鬲に甑をのせて米を蒸して炊飯していたのだから。
奈良時代は米を蒸して食っていたの?
貧窮問答歌に、「竈には火の気も無く、甑には蜘蛛の巣がはり・・・」という
一説がある。
236 :
世界@名無史さん:2006/10/25(水) 18:39:21 0
古墳期に半島から竈と羽釜が伝わっているから、奈良時代には既に
羽釜で炊飯している。
弥生期の炊飯は煮て炊飯していた事が分かっているので、
甑はもち米や肉魚用だったと思われ。
237 :
世界@名無史さん:2006/10/27(金) 15:13:24 0
弥生時代の住居跡の発掘などをやると、竈の跡が一目瞭然。
楕円刑の住居にも、方形の住居にも“必ず”ある。
トレースをする時は、かならず書く。
238 :
世界@名無史さん:2006/10/27(金) 15:16:23 0
釜戸のほうだけど。
239 :
世界@名無史さん:2006/10/27(金) 20:55:34 0
釜戸って何よ?
火を焚くところは竈で、そこにかける飯炊きの容器が釜だろ?
240 :
世界@名無史さん:2006/10/27(金) 21:18:17 0
何で中国北部は麦作なのに、朝鮮半島は稲作なのかな?
気候的には日本以上に稲作は不向きだろうに。
243 :
世界@名無史さん:2006/10/29(日) 17:55:38 0
最近では東北三省でも稲作が増えているとのこと。
もちろん日本の技術指導の賜物だが。
244 :
世界@名無史さん:2006/10/29(日) 18:20:27 0
>>241 先入観。
華北は夏、商、周などの初期王朝時代から麦以外に稲、黍、粟、大豆など、
ほとんどの穀類が揃っていた。
むしろ華北では小麦より稲の方が早く入っている。
稲作の経路は山東半島から遼東半島に入って朝鮮半島に広がっていった
説が最有力だが、満州南部でも4000年前には既に稲作をしていた事が
文家屯遺跡から分っており、黄河を北上して遼西経由で広がった
可能性も高い。
しかし日本の稲作の起源は半島経由ではなく、江南から直接来たんだろ?
246 :
世界@名無史さん:2006/10/29(日) 18:51:33 0
在日中国人の工作員と馬鹿の頭の中ではな。
特に在日中国人の場合は知ってて故意に言ってる確信犯。
山東半島から遼東半島に入って朝鮮半島に広がっていったのが
最有力なのは、その付近の古代稲作遺跡から出土する彩陶、黒陶、
灰陶や土器の器種器形などの出土遺物からのの裏付けがあってこそ
なんだよ。
248 :
世界@名無史さん:2006/10/29(日) 22:45:16 0
湿潤地域は病害虫の発生が多く雑草も繁茂しやすいことから意外と作物は育ちにくい。
少雨地域での麦や陸稲などの栽培は結構簡単
249 :
世界@名無史さん:2006/10/29(日) 23:58:28 0
250 :
世界@名無史さん:2006/10/30(月) 00:02:37 0
江南から日本に伝わった稲作が日本から朝鮮に伝えられたとするのが正解
251 :
世界@名無史さん:2006/10/30(月) 00:36:20 0
米の食べ方でもチャーハンみたいなのは明治以降に伝わったなぁ。
中国だと昔からチャーハンみたいにして食べたりもしたと思うのになぁ。
だからどうだと?
江南からだったら、南九州から伝播していかないか?
254 :
世界@名無史さん:2006/10/30(月) 18:39:08 0
それに稲作を既にしていた縄文中期の最初から水田や農工具が
伝わるはず。
そして当時の江南の米を炊く道具だった灰陶の丸底釜や三足土器の鼎もな。
>>244 超既出かも知れんが、先入観と言うより
気候的に華北じゃ稲作はできない。
秦嶺(チンリン)山脈から淮河(ホワイ川)(チンリン-ホワイ線)
を越えると年降水量が足りなくて稲が育たない。現代にまで至る。
256 :
世界@名無史さん:2006/10/31(火) 19:32:57 0
漢文では、「米」と書いてあってもコメである保証は無い。
粟である可能性もある。
明を倒した李自成の出身地は「米脂県」だが、この場合の米はアワである。
現在でも漢語では、アワを小米という。
古代だと気候は今とかなり違うんだけどね
>>257 中世でもだいぶ違うしね。なんせ、グリーランドで放牧ができたぐらいだし。
黄河文明下の遺跡には未だ稲作跡は発見されてはいない。
260 :
世界@名無史さん:2006/11/01(水) 20:25:59 0
261 :
世界@名無史さん:2006/11/01(水) 20:29:29 0
262 :
世界@名無史さん:2006/11/01(水) 22:19:45 0
後漢ごろ、満州のあたりに住んでいた挹婁(ユウロウ)族はとんでもなく不潔だった。
入浴の習慣が無く垢まみれな上に、冬は肌の上に直に豚の脂肪を数センチも塗って寒さを防ぐ。
挙句竪穴住居の中に小便を入れた桶を置いておき、それで顔や手を洗っていた。
しかし、「五穀」を栽培していたという。このなかに米は入っているのだろうか。
時代が下がって五世紀ごろ、満州松花江流域に住んでいた勿吉(もっきつ)族は、
多少文化が進んで粟や麦、うるち黍を栽培し、米の口噛み酒をかもしていた。
防寒用に土を厚くかぶせた竪穴式住居に住み、 尿で手足や顔を洗っていた。
沿海州でも最初の農耕は4000年前に始まっている。
もちろん米ではなく麦・粟から始まった。
当時は今より温暖だったんだろうか。
>>260-261 のってどれが正しいの?河南省舞陽県の「北緯33.36度は当時の栽培稲の最北限とされる」
とあるが、その下には4000年前の中国東北部の稲作を示す文家屯(ぶんかとん)遺跡
と書いてあるのだが。温暖化してると訴えたいわけですか?
267 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 01:54:58 0
日本では、弥生時代には津軽まで稲作が北上していた。
北海道で稲作が成功するのは幕末の道南地方。
道央に北上するのは、明治中期。
268 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 17:04:13 0
269 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 21:52:06 0
やった。正義は勝つ。
>>255 灌漑があるではないか。
それに、気候は年代によって随分と違う。2000年前からずっと同じ気候だったわけではない。
272 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 22:45:15 0
>>271 >>264>>266 雨が降らなきゃ灌漑もできないつうか、現代ですらやってないのに
ムリだろうってことだろ。非効率だったり地味が悪かったり諸事情絡んだりな。
気候については、古代の稲作栽培北限が北緯33.36度とするなら
概ね現代と変わらないと思うが、日本も象とかワニとかいた時代だろうし
違うちゃあ違うのかも。データ希望。
273 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 22:49:40 0
274 :
世界@名無史さん:2006/11/02(木) 22:51:25 0
稲作が江南から半島南部に伝わり、そこから日本へ、という線は考えられないのか?
275 :
273:2006/11/02(木) 22:51:42 0
何がなんでも半島経由にしたいようです
277 :
世界@名無史さん:2006/11/03(金) 12:47:17 0
違うだろw
学会でほぼ確定の稲作の遼東経由を在日ビビンバの陰謀したい
在日チャンコロの陰謀なんだろうがw
何度でも言ってやろう。
学会では稲作の伝来は遼東経由でほぼ確定している。
278 :
世界@名無史さん:2006/11/03(金) 12:50:13 0
>>269 その朝鮮半島には存在しない稲はBC2C以降の新しい弥生遺構の中でも、
特に新しい時代の遺構からしか出ないの。
おそらく倭人伝にある通り、倭人が訪中した際に持ち帰ってきた品種
だと考えられる。
279 :
世界@名無史さん:2006/11/03(金) 14:04:05 0
>>274-275 全く考えられない。
朝鮮半島に稲作が伝わったのがBC20C頃だと言われているが、
朝鮮半島の稲作が江南から伝わったものならば、その当時の江南の
炊飯道具である丸底釜や三足土器の鼎や盛り付ける印文陶の鉢や
その擬似物が、当然、その頃の朝鮮半島の遺構から出てくるはずだが、
そんなものは一切見られない。
ところで、日本の遺跡から三本脚の鼎は出土していた?
281 :
世界@名無史さん:2006/11/03(金) 15:03:06 0
鼎なんか出る訳ないだろ。
例外だが、青森の縄文晩期の遺跡から鼎ではないが鬲が5つほど
出ている。
当時、豆満江下流(今のウラジオストックあたり)に粛慎という
北方民族がいたが、彼らは鬲文化を持っており、彼らとの交流で
入った輸入物との事。
やはり鮮人・やはり在日
捏造ばかり、何が何でも半島経由で学会確定!
そのうちユネスコにでも登録するのかな〜?
285 :
世界@名無史さん:2006/11/03(金) 16:49:24 0
286 :
世界@名無史さん:2006/11/03(金) 17:36:08 0
いつも朝鮮人に仕立ててくれてゴクローサン。
チャンコロくんw
>>283 青森の三足土器が粛慎の一派の挹婁からの交流物というのは
弥生文化博物館長の金関恕の見解だが。
ネット上には出てないが、彼の論文だか出版物にあったはずだが。
287 :
世界@名無史さん:2006/11/03(金) 17:37:03 0
次の三足土器ですが、今津遺跡以外にも、虚空蔵(こくぞう)遺跡、
富ノ沢遺跡、東北町黒州田からも出土しています(いずれも青森県)。
さらに5例目として、1999年、スコットランド王立博物館所蔵の
マンロー・コレクションの中に完全な形の三足土器が確認されています。
これを模倣と見るか、偶然の類似と見るかですね。小寺さんは否定的な
見方をされていますが、小林氏も「大陸招来品の模倣あるいは影響とも
見られる」と、微妙な表現を使っています。
http://www.rui.jp/message/01/54/64_163e.html
288 :
世界@名無史さん:2006/11/03(金) 17:51:44 0
いずれにせよ、稲作も水田も江南なんかからは伝わってねえよ。
日本は縄文中期から稲作を既にしていた事が大矢遺跡から知られているが、
江南から伝わったのなら、最初から水田技術や農工具が伝わっているはず。
それに、当時の江南の米を炊く道具や食器だった灰陶の丸底釜や
三足土器の鼎や印文土器の影響物が出てくるはず。
ようやく弥生時代開始で水田技術が伝わるが、無文土器の影響物なら
出てくるが、やはり当時の江南の米を炊く道具や食器だった灰陶の丸底釜や
三足土器の鼎や印文土器やその影響物なんか一切出てこない。
日本だけじゃなく朝鮮半島も通じてな(嘲笑)
289 :
世界@名無史さん:2006/11/03(金) 18:10:15 0
・稲のDNA鑑定から、弥生時代の稲は熱帯ジャポニカ米であった
・弥生時代の遺跡「池上曽根遺跡」と「唐古・鍵遺跡」の炭化米のDNA分析で
朝鮮半島には存在せず、中国に広く分布する温帯ジャポニカ米が発見された。
・朝鮮北部の経由では、早稲から晩生へ変化したことになり無理
・近年の炭素14年代測定法により弥生時代の始まりが少なくとも紀元前9世紀まで遡る可能性
が出てきたことも特筆すべき(朝鮮の稲作開始より早い)
(全て掲載されたリンクの抜粋)
稲の遺伝子が物語ってるわけです。
このスレの約一名の中では遺伝子的なものより文様や土器が出土しない事の方が
何よりの証拠なんでしょうけどね。(嘲笑)
292 :
世界@名無史さん:2006/11/03(金) 19:21:34 0
稲だけ持ってきておいて、それを食べるための何の物証の一つさえ
伝わっていないって事の方がSFホラー作品みたいでよっぽど馬鹿げていて
可笑しいじゃないか(激笑)
293 :
世界@名無史さん:2006/11/03(金) 19:26:35 0
■弥生人中国説にダマされる前に読むスレ■
1 :日本@名無史さん :2006/07/09(日) 16:36:31
江南説にしろ華北説にしろ、弥生人が本当に中国から来たのなら、
何で印文陶や灰釉陶を含めた中国灰陶の技術が全く伝わっていないのかね?
何で中国青銅器に見られる篆書などの原始漢字の金文が一字も
伝わっていないのかね?
何で中国青銅器に見られる饕餮文、龍文、鳳凰文、雷文などの
文様の一つさえ伝わっていないのかね?
何で中国土器や中国青銅器を代表する鼎や鬲などの三足器形さえ
伝わっていないのかね?
何で龍信仰も亀卜も伝わっていないのかね?
渡海すると記憶喪失になって故郷の文化は全て忘れてしまうのかね?
何で弥生文化は朝鮮無文土器が影響した弥生土器と細型青銅武器と
支石墓文化なのかね?
これらは当時の満州あたりの北方アジアから朝鮮にかけての文化ですよ。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/115243
294 :
世界@名無史さん:2006/11/04(土) 02:13:28 0
稲は未来人によって過去に持ち込まれたオーパーツ
シナやチョンに教わる訳ね〜だろ
羊は、取って食べる羌人のオマケ。
296 :
世界@名無史さん:2006/11/04(土) 18:05:12 0
>>294 そうとも言うな。
だが、正解は、単に交易で朝鮮南部に入り浸っていた縄文人自身が
持ち帰ってきて、縄文人自身で稲作も農耕具も弥生土器もやり始めただけ。
違うよ。
三っ目人の遺産だよ。
半島南部から縄文土器が出土している事実を
隠す韓国考古学会の面々w
なんで? 縄文土器も半島から渡ったって事でしょw
日本列島にいた人が土器も知らない半島の住民に土器を教えてやったんだよ。
302 :
世界@名無史さん:2006/11/05(日) 17:35:45 0
>>298 要するに、縄文時代から九州北部の縄文人が朝鮮南部に交易で
入り浸っていたって証拠だろう。
九州北部の縄文遺跡からも朝鮮半島の影響を受けた櫛目文土器が出ている。
櫛目文土器は北方アジアに広がっていた土器文化で縄文土器に由来する
ものではない。
その櫛目文土器の進化形が無文土器で、とどのつまり、朝鮮南部に
交易で入り浸っていた九州北部の縄文人が無文土器の影響を受けて
弥生土器を作り始めただけ。
303 :
世界@名無史さん:2006/11/07(火) 14:36:34 0
縄文晩期から弥生T期にかけて、半島から列島へ、稲作や道具類にかかわる
情報が、つぎつぎともたらされ、ついに弥生T期には、西日本社会の生業
システム全体が変化するに至った(田中良之)。稲作農耕のような複雑で、
高度な技術が伝来定着するについては、ふつう、技術を習得した多数の人間
の渡来が前提となるように思える。しかし、この間、半島の無文土器文化人
が集団で渡来入植した痕跡、すなわちセットをなす無文土器が集中して出土
する集落遺跡は、まだ発見されていない。この時期の列島では、無文土器の
影響を受けて出現した器種・技法・要素はあるものの、無文土器そのものは、
ほとんど出土していない。これは後で述べる弥生T期末〜U期の現象と比較
すると、不思議なことである。
歴史発掘F金属器登場 岩永省三 講談社 より抜粋
304 :
世界@名無史さん:2006/11/09(木) 07:27:57 0
中国で小麦が栽培され始めたのはいつごろからですか?
305 :
世界@名無史さん:2006/11/09(木) 10:10:42 0
殷代には麦作は行われていなかったそうです。
古代中国の主食はエノコログサ(ねこじゃらしですね)から改良された
粟だそうです(鳥越憲三郎「古代中国と倭族」中公文庫)。
大麦は結構早くから栽培されていたけれども、小麦は秦か前漢。
小麦はシルクロード通じて来たとする説がある
308 :
世界@名無史さん:2006/11/13(月) 11:43:14 0
中 食 二 翼 四
華 べ 本 が 本
ア て 足 ア 足
ル み な ル は
せ ら 物 机
シ .る 親 飛 以
ナ は 以 行 外
| 外 機
以
圏 外
椅子も食うんだな・・・
「四本足は机以外」だろ
「二本足」だったら人間しかいないだろ。
…そのつもりで書いたのか
俺が前に読んだのだと「二本足は梯子以外」だった。
奴らは、いざとなれば机も食うと思う。
314 :
世界@名無史さん:2006/11/20(月) 23:44:23 0
二本足は親以外。
妻子、隣人は食べるよ。
ニートなんか食べちゃえばいいのにw
316 :
世界@名無史さん:2006/11/21(火) 00:41:19 0
352 :世界@名無史さん :2005/10/11(火) 21:46:22 0
>148
だいぶ前、週刊新潮が「朝日新聞社版『中国が動く』(ピューリッツァ賞授賞)から削除された
中国文革 地獄の人食い」という記事を書いていた。書名は確か、そういう本だったと思う。
同書では、文革を生き延びた中国人女性の証言を基に、その実態が中国人同士の凄惨な
友食いであった事実を暴露。ところが、日本での独占出版権を得た親中国の朝日新聞社は、
同書の最も重要な部分であるカニバリズム・シーンを読者に無断で削除していて、それを
週刊新潮が告発。そして、削除されたある都市での生々しいシーンを掲載していた。
同誌の問い合わせに対して、訳者で中国史専門の東大教授が、「中国には古代から
カニバリズムの風習があったんです。中国では一般庶民も豚肉や鶏肉を食べるような感覚で
人肉を食べていたんです。そのような風習は、中国が清朝末から中国革命を経て近代化して
いく過程でいったんは消滅したはずだったんです。ところが文化大革命という異常なムードの
中で一気に復活してしまったんです。このようなカニバリズムは、○○市だけでなく、
文革当時、中国全土いたるところで行われていたんです。しかし、『中国が動く』に描かれた
カニバリズム・シーンはあまりにも恐ろしすぎて、その内容に確信が持てなかったんです。
だから削除したんです。」というようなことを語っていた。
そして、同誌は、「2千万人が殺されたといわれる中国プロレタリア文化大革命。その実態は
中国人同士の凄惨な友食いだったのである。」と結論付けていた。
岩波書店もジョンストンの『紫禁城の黄昏』で、最初の十章など、日本に都合のいい部分は
読者に無断で削除している。
ほんと、日本の左翼メディアはろくでもない。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1126353283/l50
317 :
書名とかが違う。 :2006/11/21(火) 00:43:06 0
>>316 「特集 朝日新聞社版では削除された中国文化大革命の地獄の人喰い」
『週刊新潮』第38巻第39号、140-144頁 1993年10月14日
http://www10.ocn.ne.jp/~okamiya/hohatuge.html もう一つの主題は食人事件である。映画「古井戸」で農村の水争いをテーマに、現代中国の
したたかな古さを描いた作家鄭義は、天安門事件後、地下に潜行した。中国各地で三年間
逃亡生活を送ったのち、九二年三月妻北明とともに九三年一月アメリカに亡命した。亡命後に
出版した二冊は中国社会主義の無残を描ききって余すところがない。一冊は『歴史の一部分:
永遠に投函できない一一通の手紙』(台北、万象図書股有限公司、一九九三年三月)、
もう一冊は『紅色紀年碑』(台北、華視文化公司、一九九三年七月)である。前者は逃亡者
たる著者が身代わりとして囚われた妻に宛てる形で書いた一一通の書簡体風エッセイ集で
ある。藤井省三監訳『中国の地の底で』(朝日新聞社、一九九三年一〇月)は、原書の
約六割を訳出したもの。鄭義は文化大革命を「支配者の文革」と「民衆の文革」に分ける。
毛沢東が権力闘争のために人民を利用したことが前者であるが、このとき人民もまた毛沢東
の権威を利用して、それぞれの造反を行なった。藤井は鄭義の「二つの文革」論に依拠して、
ベストセラー『ワイルド・スワン』(張戎の自伝、講談社)は毛沢東による人民の利用のみを
強調した通俗文革論だ。張承志による回想『紅衛兵の時代』(岩波新書)は高級幹部子弟
(すなわち「老紅衛兵」)であった著者が「平民紅衛兵」(造反派)の掲げた民主的要素を借り
て自己正当化を図ったものだ、と巧みに位置づけている。鄭義の一一通の手紙の圧巻は
第八、九信で、そこには文革期に広西チワン族自治区で発生した大規模な食人事件
(カニバリズム)が描かれている。文革期の食人事件は、こっそりとおそるおそる食べ出した
開始期、鳴りもの入りで行なわれた高潮期、そして食人が大衆運動化した終末期の三段階に
分けられるが、このおぞましい事件は共産党の「反人類的暴行の行き着く果て」であった、と
鄭義は結論する。藤井訳では食人事件が削除されているのは、画竜点睛を欠くもので、はな
はだ遺憾である
http://www25.big.or.jp/~yabuki/doc5/sa94xy.htm
318 :
世界@名無史さん:2006/11/23(木) 11:00:45 0
【即席めん】日清食品が明星食品と資本提携発表、否定から一転、対抗TOBへ[11/15]
7 :名無しさん@七周年:2006/11/15(水) 13:26:11 ID:L8l+E+Bw0
明が清に取り込まれて中華を作ります
11 :名無しさん@七周年:2006/11/15(水) 13:29:24 ID:VLoW/ZIQ0
>>7 それが「国民」食になるわけだ
14 :名無しさん@七周年:2006/11/15(水) 13:32:04 ID:XPx4QLw40
>>11 誰がうまいこと言えと(ry
319 :
世界@名無史さん:2006/11/23(木) 16:12:31 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を置く。
足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,湯気が立つ。
この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の『設問解字』による)。
中国では氣の元は「元気」であり,宇宙の始源にある元の気という意味です。元の一氣は
自ら流動して二つの気を生じます。一つは陽気,今一つは陰気であり,二気の循環から
万物が生じたと考えたようです。一方,大陸からこのような起源説が入る前の日本には,
生命の元,エネルギーとでもいう目には定かに見えないけれども確かにあるものを「け」
と呼んでいたようです。そう,あの「もののけ」ですね。「気配(けはい)を感じる」
などはまさにそれ。その「け」に「気」という漢字が当てはめられ,ついでに,陰陽を
占う術も伝わり太占(ふとまに)となりました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
320 :
世界@名無史さん:2006/11/25(土) 00:44:00 0
みんなの元気ん、もとい元気をオラに分けてくれ!
sdkl;skf
rwe:]r;w
fsd:fsdf:;
rer:wer;
fsdfsdfl;
rwe:rwe;r
dfsd;:fsf
佐川
324 :
世界@名無史さん:2006/12/23(土) 00:24:38 0
中国で報道された記事をちょっと析するだけでも、これだけの問題点が出てきました。
上海市民が日常的に注意している食品
*********************************
ニラ…河北省で毒ニラ問題が暴露
マッシュルーム…硫黄を使った漂白
豆腐…病院で入らなくなったギブス用の石膏を原料に
生姜…色の鮮やかなものは、硫黄を使って発色している恐れあり
みかん…洗剤につけたみかんは表面がピカピカ
スイカ…甘味料を注射、着色料を使って赤く染める
イチゴやビワ…ホルモン剤の注射で大きく成長
漬物類…工業用の塩で製造
スッポン…避妊薬を服用させている
異常にでかい淡水魚…成長ホルモン剤の使用
イカやブタの皮など…保存のためにホルマリン漬け
鶏やアヒルの卵…スーダン紅など着色料の使用して卵の色つきをよくする
クッキーやケーキ…人工脂肪を大量に使用 欧米では厳しく制限されている
豚肉…興奮剤を使用して、脂肪を少なく 上海で集団中毒も発生
白酒…工業用のアルコールを使うなどした偽酒による中毒
強いて「etc.」とつけておきましょう。
そして、今朝のニュース。
上海市の水源のうち、飲用水源としての基準を満たしている水源はたった1%。
長江や黄浦江の水は豊かなのに、
下流だから殆ど使い物にならないのが現状のようです。
『市民の食欲は旺盛だが・・・』
http://blog.explore.ne.jp/im.php?url=shanghai&number=3276 エクスプロア北京 2006年11月25日
http://blog.explore.ne.jp/shanghai/3276.php
なんか19世紀ロンドンの偽造食品のようなオンパレードだな。
みかんに防腐剤やワックスを塗るのは日本でもやることだが、洗剤とは流石支那
古代中国上海で人々が何を口にしていたかがよく分かった。
昔は日本でも野菜を洗剤で洗うことが推奨されてたし、
家庭で実際に行ってた、昭和40年代後半くらいまでだな。
以後は30年代から頻発した公害問題等で消費者が化学物質
に非常に神経質になった。
因に推奨されたのは回虫などの寄生虫対策のため。
寄生虫とはサヨクの事。
330 :
世界@名無史さん:2007/01/03(水) 14:26:10 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
設「文」解字かと
>330,331
『"説文"解字』ぢゃない?
333 :
世界@名無史さん:2007/01/06(土) 17:58:20 0
長江流域では約6000年前に三足土器の鼎が登場し、漢代まで代表的な器形であった。
2. 長江流域は約1万年前からすでに米が栽培され、約8000年前には稲作が発達しました。
土器は丸底が主流で、約6000年前には三足の鼎(かなえ)が登場します。
これらをまとめると、中国新石器時代の土器づくりは約1万2000年前に始まり、各地域
で形や種類、技法、文様などがかなり異なります。 また、農業の発達によって土器
づくりの技術も発達し、約6000年前には三足土器が登場。 中国の漢時代まで代表的な
土器の一つとなりました。土器はもちろん日常生活用品でしたが、一部は祭りに関連
したものと推察されます。
http://www.kaen-kaido.com/doki/oh.html
334 :
世界@名無史さん:2007/01/08(月) 09:45:57 0
【中国】「性経験の無い鶏料理」「獅子の頭料理」? …中華料理名の英語表記に頭が痛い[01/05]
1 :特亜の呼び声φ ★ :2007/01/08(月) 08:02:07 ID:???
最近中国のある食堂が親切で外国人たちの為に分かり難い料理名の側に解説を付け加えた
メニューを出した。
ところが料理名を直接英語式に翻訳して解説を付け加えて見ると突飛なメニューが誕生して
笑いを催している。例えば若鶏で作った童子鶏という料理に対して「性経験が無い鶏料理」と
解説が付けられている。
韓国人にも慣れた麻婆豆腐の場合「そばかすだらけの女性が作った豆腐料理」、肉団子料理
の四喜丸子に対しては「四つの楽しいミートボール」(four glad meatballs)と直訳をしたのだ。
最近北京では2008年の北京オリンピックを控えて外国人たちに中国料理を分かりやすく紹介
するために飲食店のメニューに英語翻訳マニュアルが開発されている。食堂別で外国人の
ために英語式解説を付けて見ると先ほどの例のように奇怪な食べ物名が誕生しているからだ。
どんな食堂でも必須のメニューに近い鳥肉料理の宮保鶏丁の場合、「ピーナッツと辛い
唐辛子(ピーマン?)、ネギを共に炒めた鳥肉料理」という風に英語式のメニュー案内マニュアル
を作るというのだ。
材料と料理方法によって料理の名前を決めた場合はそれなりに英語式翻訳が可能だが、
紅焼獅子頭(豚肉料理の一種)の場合、そのまま直訳した後は獅子の頭が材料であるように
誤解される。
しかし中国料理は数千種にもなる上に料理名も材料と料理法で作ったことは勿論、地名や
有名人物の名を付けた料理、故事成語が由来の料理まで名前も様々なので英語式メニュー
を作る事は生半可なことではないという。
また一部の食堂の場合、自主的に開発した料理の名前を華麗に付けたりして中国人たちに
さえ料理の内容が分からないものが少なくない。
このために一部では中国文化に慣れなくてはならない外国人たちに親切を施そうと無理やりに
英語式献立を作ってはむしろ副作用が出るという恐れも提起されている。
▲ソース:CBSノーカットニュース(韓国語)2007-01-05 18:25:32
http://www.cbs.co.kr/nocut/show.asp?idx=401275
Both leg sheep
Two foot sheep
どっちにしているのかな?
336 :
世界@名無史さん:2007/01/21(日) 03:09:50 0
337 :
世界@名無史さん:2007/01/21(日) 04:39:40 0
338 :
世界@名無史さん:2007/01/27(土) 08:09:44 0
お兄ちゃんは夢がもてないので妹を召し上がったのです。
339 :
よろずこ:2007/01/30(火) 21:57:03 0
>335
two legs
じゃないんですかぁ
340 :
世界@名無史さん:2007/02/21(水) 03:52:28 0
もろ久々Age
341 :
世界@名無史さん:2007/02/21(水) 10:10:06 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
342 :
世界@名無史さん:2007/02/21(水) 19:41:16 0
>>12 >>10が正しいです。宋は火薬凹凸印刷羅針盤発明して近世です。ヨーロッパで言うところの。
それ以後の進歩があまりありませんが。
343 :
世界@名無史さん:2007/02/21(水) 20:50:05 0
後、カニバリズムが近代まで常識だったと聴くが‥
アヘン戦争の頃の「二ツ脚のものは親以外〜」からは進歩して、
同族は食べなくなったそうだが、新疆やチベットで“政治犯”を
捕まえては食べている。
>>342 コークスもだっけ?
発明はするんだが、それを生かして
社会を進歩させるところまで行かないんだよなあ
本気で人肉を食い続けるし
347 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 12:25:25 0
人肉食は未来を先取りしているんだよ。
ソイレントグリーンで人口爆発と食糧危機の両方を一挙解決!
人肉って美味いの? あんまりおいしくなさそうなんだけど。
349 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 23:16:58 0
旨いらしい
350 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 23:29:26 O
>>349 イヤ! 人肉なんてまずくて食えたもんじゃないよ。
351 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 11:03:51 0
人肉を食べたら変な病気になるだろう。
パプアニューギニアのクール病なんか最たる例だろう。
352 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 13:51:40 0
353 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 17:13:42 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
354 :
世界@名無史さん:2007/03/23(金) 03:35:46 0
>>351 クールーの病因はBSEと同じく、脳を食べたせい。
355 :
世界@名無史さん:2007/03/27(火) 09:23:01 0
そういやあの中国人はクールー病とか狂牛病の騒ぎは起きないなww
中国人は内臓とか脳みそを好んで食べるのになぁ
赤カブと鯰料理くらいしかしらない。