ヒトラーがテーブルトークで言ってるように、
ムッソリーニはローマ進軍を1年は待つべきだったな。
その間に社共の革命が起きたはずだ。
そうそれば国王も教皇も逃げ出した。
かといって連中にはボルシェビキみたいな力はないから、
政権運営がたがたで一年も持たんし、
ファッショ党並びに黒シャツ隊を抑え込むことも不可能。
そこで国軍に先を越される前にローマ進軍ですよ。
政権掌握後も国王と教皇の帰還は認めない。
「そうしていればドゥーチェはイタリア唯一の主になるた」。
もっとも、傀儡政権とはいえイタリア社会共和国の大統領になったけどね。
ちなみに、イタリア戦闘ファッショ結成当初は
まだ社会主義色が強く、国王・貴族にも教皇・教会にも批判的だった。
我ながら誤字が凄いなぁ(苦笑)、スマソ
269 :
世界@名無史さん:2009/06/04(木) 23:30:39 0
イタリアの経済大国は無理です。スペイン・ポルトガル・イタリア・ギリシア
などは所詮欧州のお荷物。ドイツはいくら叩いても必ず這い上がってくる。
ゲルマン魂
ウ゛ェネチア商人や長いこと戦国時代が続いたって歴史から
投機的で世渡り上手の商売上手っていうイメージがある。
271 :
世界@名無史さん:2009/06/13(土) 20:07:48 O
今の日本にも統帥がいてくれたらなあ
>>271 お前見たいなタイプが真っ先に強制労働にひぱられていくけどな
強制労働は置いといて、独身税はアリだよな。
俺ヒトリミだけどさ
274 :
でもくらちーに☆ぽぽろ☆れぷぶりか☆こりあーな?:2009/06/14(日) 17:56:00 O
275 :
世界@名無史さん:2009/07/12(日) 00:11:30 0
>>260 ムッソリーニの独裁政権は戦争に負けたってだけで
ホロコーストとか大粛清みたいなキチガイ的な事はやってないからな。
どっちかっていうとスターリンの孫が政治活動してる方が問題だろ。
276 :
世界@名無史さん:2009/07/12(日) 09:43:52 0
孫娘はいい女だよ。
シナーの色仕掛けw
「古典的」自由主義者にして保守主義者ですが何か?
279 :
世界@名無史さん:2009/07/12(日) 10:20:01 O
>>260 別格でタブーなのは、ナチスとヒトラーだけだと思う
アメリカ軍が戦闘機の尾翼に旭日旗を模したデザインをすることがあっても
ハーケンクロイツは無い
死ぬ直前にまた社会主義に回帰したってほんと?
その事について詳しく載ってる本ってある?
282 :
世界@名無史さん:2009/10/03(土) 16:14:49 0
>>226 チャーチルは王制支持者だから、敵対する独裁政権でも
教皇や国王をそれなりに立ててたドゥーチェは許容できたんだろう。
逆に革命で皇帝一家を皆殺しにしたり、宗教施設の破壊を進めたスターリンとは
味方でも終生理解しあう事は無かった。
283 :
世界@名無史さん:2009/10/03(土) 20:32:47 O
>281
Republica Sociale Italiana(RSI:通称サロ共和国)
‖士‖ ["M" ̄]
G\[・ム・´リ 国王がバドリオ側に付いたからな!
\ <▼>曲\
∠ ̄∂ゝ ∠ ̄∂ゝ ∠ ̄∂ゝ
G\(^∀^ G\(^∀^ G\(^∀^ ク どぅーちぇあのい!
284 :
世界@名無史さん:2009/10/03(土) 21:07:34 0
>>251 博士(サラザール)はファシストだったけど、
ポルトガル自体は、19世紀からイギリスの経済的属国で不即不離の関係だからな。
枢軸側について参戦することはありえん。
285 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 21:43:34 0
ムソリーニは英スパイだった=ファシストに意外な過去
10月14日18時37分配信 時事通信
英紙ガーディアン(電子版)は14日、第2次大戦中のイタリアの独裁者ムソリーニが一時期、
英国のスパイとして働いており、報酬として週100ポンドを受け取っていたと報じた。
ケンブリッジ大の歴史家ピーター・マートランド博士の研究で明らかになった。
同紙によると、第1次大戦末期の1917年秋、革命を受け戦線を離脱したロシアにイタリアが続くことを
恐れた英国は、当時ジャーナリストだったムソリーニに接近。
報酬を与えムソリーニ編集の伊紙「ポポロディタリア」で戦意高揚の報道を続けさせた。
当時の100ポンドは、現在の6000ポンド(約85万円)に相当するという。
最終更新:10月14日18時37分
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091014-00000127-jij-int
286 :
世界@名無史さん:2009/10/14(水) 21:59:11 0
『中央公論 世界の歴史(旧版)14 第一次大戦後の世界』
の、「ベニト・ムッソリーニの登場」の章の中に、ほぼ同様の記述がある。
…当時、英・仏は中立国イタリアを味方につけて参戦させるため、種々の工作につとめていたが、資本家や参戦論者に対する援助も、その方法の一つであった。
ムッソリーニに対する資金は第一回一万五千フラン、ついで毎月一万フランの契約で、フランス大使館を通じて渡されたとか、
また送金額約一〇万フラン(当時の約二万ドル)であったなどといわれている。
「スパイ」とは表現していないが、実質上同じことだわな。
この本が刊行されたのは1962年。もう半世紀近く前だ。
今さらの報道をしていること自体に、何らかの意図がありそうだな。
当時のレートだと、1ポンド=5米ドル=25フラン
すると、月1万フランは週割で2500フラン=100ポンド
金額も一致してるなw
290 :
世界@名無史さん:2009/10/25(日) 00:48:13 0
イタリア軍は、なんであんなに弱かったのだろう。昔アメリカ帝国主義は、
張子の虎という中国共産党のスローガンがあった。明らかに誤りである。
しかし、ファシスト・イタリア軍は、張子の虎と言うとしたら、その通り
というしかない。
291 :
☆ありべでるちろーま☆:2009/10/25(日) 05:11:22 O
♪てぃびでぃおとぅりすたちぇありっび
てぃでふぉりえですかび
ぽいとぅっとでぃんこるぽてとろび
ふぉんたなでとれーびちぇとぅったぺるて!
292 :
世界@名無史さん:2009/10/25(日) 15:53:09 0
第二次大戦だけでなく、エチオピア戦争から大苦戦をしていた。前近代的な
エチオピア軍に対し近代兵器を装備した大軍を繰り出し、最後は毒ガスまで
使ってやっと勝った。スペイン戦争では、人民戦線軍に大敗して、その後フ
ランコもイタリアをまともに相手にしなくなった。この延長線上に第二次大
戦におけるイタリア軍の連戦連敗がある。
軍板スレよりの引用
366 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/05/13(水) 20:34:49 ID:???
※エチオピア戦争時のイタリア軍戦闘序列
【北部方面軍(エリトリア戦線)】西→東
・自動車化臨編部隊(旅団規模):Starace将軍
・第4軍団:Babbini将軍
第5Cosseria歩兵師団、第2黒シャツ師団《28 Ottobre》、第5黒シャツ師団《1 Febbrai》
・第2軍団:Maravigna将軍
第19Gavinana歩兵師団、第24Gran Sasso歩兵師団、第3黒シャツ師団《21 Aprile》
・エリトリア軍団(現地人部隊):Pirzio-Biroli将軍
第1エリトリア師団、第2エリトリア師団、他現地人編成独立部隊複数
・第1軍団:Santini将軍
第26Assietta歩兵師団、第30Sabauda歩兵師団、第5Pusteria山岳兵師団、第4黒シャツ師団《3 Gennaio》
・第3軍団:Baftico将軍
第27Sila歩兵師団、第1黒シャツ師団《23 Marzo》
【南方方面軍(ソマリア戦線)】北→南
・スルタンOlol Dinle集団(ソマリ族スルタン配下の現地人部隊)
・Graziani集団:Graziani将軍
第29Peloritana歩兵師団、リビア歩兵師団、第6黒シャツ師団《Tevere》、他イタリア人、エリトリア人編成独立部隊複数
→Graziani集団は順調に進軍し36年1月12〜16日のGenale Wenzの戦いで大勝したが
故郷から遠い戦地、地勢気候の違い等から厭戦気運に陥ったエリトリア人部隊が大脱走しエチオピア軍に合流し、一転孤立するが
どうにか踏み止まった
しかしながら敵地奥深くまで侵攻し孤立したため補給確立のため4月まで停止を余儀なくされた
367 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/05/13(水) 21:21:08 ID:???
※エチオピア戦争時のエチオピア常備軍の編成
【帝国親衛隊】
12個機関銃班、3個重機関銃中隊、1個迫撃砲部隊、1個騎兵隊、3個砲兵隊、1個無線小隊、1個衛生班、1個独立部隊
【航空隊】
12機:Akaki空港
【地方軍】
《Amino》、《Gubba》、《Gurage》、《Jima》、《Mui》、《Om Hajer》、《Sela》、《Sodo》、《Wollega》
【皇族配下の近代化された部隊】
《Bal》、《Harar》、《Sidamo-Borana》、《Wollo》、《Saho》、《Vub Abor》
【その他】
他にRas(族長)に指揮された私兵集団もおり
特に第1次エチオピア戦争で勇戦したTigre族など北方部族は皇帝の出身の南部部族を見下す傾向にあり
中央政府の統制下に服したとは言えず独自行動した
エチオピア軍が勇猛という伝説がまかり通っているが一概に全てが勇猛であったわけでない
開戦直後に北部戦線の東部地域防衛の任にあった皇族のHaile Selassie Gugsaが部隊ごとイタリア軍に投降
また同じ北部戦線の第2陣にあったGojjam族の部隊が敵前逃亡している
第2次エチオピア戦争でイタリア軍が負けらしい負けをしたのは唯一
35年12月15日の北部戦線の第2軍団第24Gran Sasso歩兵師団がDembeguina山道で優勢なエチオピア軍により撤退を強いられたぐらいである
よく間違えられるのは苦戦したから毒ガスを使用したというが
北部方面軍司令官のバドリオが毒ガスを使用したのは進軍が順調な南部方面軍を出し抜く思惑からの方が強い
367 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/05/13(水) 21:21:08 ID:???
※エチオピア戦争時のエチオピア常備軍の編成
【帝国親衛隊】
12個機関銃班、3個重機関銃中隊、1個迫撃砲部隊、1個騎兵隊、3個砲兵隊、1個無線小隊、1個衛生班、1個独立部隊
【航空隊】
12機:Akaki空港
【地方軍】
《Amino》、《Gubba》、《Gurage》、《Jima》、《Mui》、《Om Hajer》、《Sela》、《Sodo》、《Wollega》
【皇族配下の近代化された部隊】
《Bal》、《Harar》、《Sidamo-Borana》、《Wollo》、《Saho》、《Vub Abor》
【その他】
他にRas(族長)に指揮された私兵集団もおり
特に第1次エチオピア戦争で勇戦したTigre族など北方部族は皇帝の出身の南部部族を見下す傾向にあり
中央政府の統制下に服したとは言えず独自行動した
エチオピア軍が勇猛という伝説がまかり通っているが一概に全てが勇猛であったわけでない
開戦直後に北部戦線の東部地域防衛の任にあった皇族のHaile Selassie Gugsaが部隊ごとイタリア軍に投降
また同じ北部戦線の第2陣にあったGojjam族の部隊が敵前逃亡している
第2次エチオピア戦争でイタリア軍が負けらしい負けをしたのは唯一
35年12月15日の北部戦線の第2軍団第24Gran Sasso歩兵師団がDembeguina山道で優勢なエチオピア軍により撤退を強いられたぐらいである
よく間違えられるのは苦戦したから毒ガスを使用したというが
北部方面軍司令官のバドリオが毒ガスを使用したのは進軍が順調な南部方面軍を出し抜く思惑からの方が強い
エチオピア軍に関しては、前近代的というよりも玉石混淆と評するのが妥当かと。
スペイン内戦に関しては、イタリア兵の士気が低かったのは事実だが
軍事顧問ニコライ・ヴォロノフによって赤軍砲兵教本を叩き込まれる等
共和国軍が指導よろしきを得ていたことも、グアダラハラ戦でのイタリア義勇軍4個師団撃破に繋がっている。
砲撃の正確さと建築と野戦築城は見事だったらしいが
イタリア軍
何か砲兵の評価は高いね。
イギリス軍が陣地を蹂躙する際も、砲が破壊されるか砲手が倒れるかするまで
砲撃し続けてくるケースがあるとか。
299 :
世界@名無史さん:2009/10/27(火) 22:55:33 0
ドイツ軍がフランスを席巻した後、参戦したイタリアが仏伊国境でフランス
軍に挑んだが、がっちりと受け止められ、進撃を阻止されてしまった。どん
だけ弱いのイタリア軍。(^^:
イタリア軍は治安活動は米英より得意らしいな
301 :
世界@名無史さん:2009/11/10(火) 00:13:26 0
陸軍だけでなく、海軍も空軍も弱い。
302 :
Wikipediaより:2009/11/10(火) 07:41:33 O
1940年6月28日、イギリス軍による空襲の数分後にリビアのトブルクの飛行場に着陸しようとしたバルボの乗るS.M.79に対し、
イタリアの装甲巡洋艦サン・ジョルジョが対空攻撃を始め、続いて飛行場からも対空砲火があがった。そして、S.M.79は撃墜され、バルボは死亡した。
政府は同士討ちによる事故であると発表した。だが、バルボの家族などはムッソリーニの命令による暗殺であると強く信じた。
ムッソリーニが次にトブルクを訪れた時、バルボの死んだ場所に行くのを拒否したことで暗殺説がより信じられるようになった。
1997年のインタビューで、バルボの乗機を撃墜した人物は、イギリス軍のブリストル ブレニムによる攻撃後にバルボの乗機が太陽を背にして低空で進入してきたため敵機であると判断されただけだ、と述べた。
しかし、議論はまだ続いている。バルボの遺体は1940年7月4日にトリポリの外で火葬された。
303 :
世界@名無史さん:2009/11/22(日) 23:03:12 0
「ムッソリーニの血液と脳売ります」、イーベイに出品広告
【11月22日 AFP】米インターネット競売大手イーベイ(eBay)に20日、イタリアの独裁政治家ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini)の
血液と脳を1万5000ユーロ(約200万円)で売るとの広告が出された。
イーベイは人体やその一部の出品を認めていないことから、この匿名のオファーは直ちに削除された。短時間しか掲載されなかったため
入札はなかったという。
ムッソリーニの孫のアレッサンドラ・ムッソリーニ(Alessandra Mussolini)氏は同国の衛星テレビ、スカイTG24(Sky TG24)で、
「祖父の脳と血液を売ろうとするとは侮辱的だ」と非難した。
同氏は、ムッソリーニの遺体は普段はミラノ(Milan)の病院に保管されていると語った。同テレビによると、病院側は関与を否定しているという。
ムッソリーニは第二次世界大戦末、レジスタンス運動のパルチザンに捕獲された後に銃殺され、その遺体は吊された。(c)AFP
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2666506/4944445
304 :
世界@名無史さん:2010/02/22(月) 18:03:43 0
イタリア:ムソリーニの通説覆す素顔 愛人の日記
【ローマ藤原章生】イタリア・ファシズムの指導者、ベニト・ムソリーニ(1883〜1945年)の愛人の日記が昨年末、同国で出版された。
ムソリーニの反ユダヤ主義はヒトラーへの追従で、本人に強い差別意識はなかったとの通説があるが、日記には極端に血統を重んじる姿勢が記されていた。
日本人については知性や勤勉をたたえる一方「猿みたいに何でもまねする」との発言がみられる。
約500ページの本「秘められたムソリーニ」(リッツォリ社)には、一緒に銃殺された愛人クラレッタ・ペタッチ(1912〜45年)の32〜38年の日記が収められている。
これによると、ムソリーニは38年、ユダヤ人を擁護するローマ法王らについて「卑しい人種を守る連中」などと批判。「不快なユダヤ人をみなつぶすべきだ。
孤立させ閉じ込める」などと随所でユダヤ人差別を主張している。
また、同盟相手のヒトラーが式典で感涙したのを見て「センチメンタル」とくさし、長い演説は自慢ばかりで「全然面白くない」「図に乗っている」と批判している。
「私は21年から人種主義者だ。(人々が)ヒトラーのまねをしたと思うのが分からない」と、愛人を前に人種政策も自身の発案と強調した。
さらに、「アフリカ(戦線)から報告を受ける度に不快だ。きょうも黒人と同棲(どうせい)した(兵士)5人が逮捕された。(略)汚らわしいイタリア人が7年もしないうちに帝国をつぶす」
「混血を生まず、美を損なわないようイタリア人には人種意識が必要だ」と選民意識をあらわにしていた。
一方、37年10月の日記では、同盟国・日本の占領下にあった中国の大使との会談に触れている。「なぜイタリアは中国を支援しないのかと聞かれたが、
単に仏英と同じ立場になれないからだ。もし仏英が日本側につくなら、我々は中国につく」「中国人は頭がいい。だが日本人はとてつもない。猿みたいに何でもまねをする。
彼らはすごい。すぐに学習する」と語っていた。
http://mainichi.jp/select/world/news/20100222k0000e030047000c.html
305 :
世界@名無史さん:2010/02/22(月) 19:34:13 O
プギャ━━━≡≡≡≡≡⊂`⌒m9^Д^)⊃何だかんだ言ってるけどな━━━ !!!!!
∧_∧ ♪
(´・ム・`) ♪↑結局は評価してるじゃん☆
( つ▼つ
(( (⌒ __) ))
し' っ
♪
♪ ∧_∧
∩´・ム・`) ♪まあ、それがドウチェだぬ
ヽ ▼⊂ノ
(( ( ⌒) ))
c し'
306 :
世界@名無史さん:2010/02/28(日) 12:21:25 0
ムッソリーニのマフィア弾圧について詳しい本ってないかな?
307 :
世界@名無史さん:2010/02/28(日) 17:25:01 0
>>296 というか相手も同じイタリア人部隊(ガリバルディ旅団)だし、
兵員も三個旅団は黒シャツ隊という名の民兵で、おまけにエチオピア戦から文字通り直送だし。
ちなみに後退戦で義勇軍はほぼ同数の損害を敵に与えているが、
これは唯一正規兵から編成されていたリットリオ旅団の功が大きい。
309 :
世界@名無史さん:2010/06/10(木) 22:11:02 0
オーストリアは主権国家としてその独立を守るにあたって、我が国が頼りになると知っている。
ムッソリーニ 1934
来年秋には、ヒトラーにオーストリアをドイツにするようにさせよう。
1934年には彼の軍隊を打ち破ることができたが・・・今はもうできない。
ムッソリーニ 1937
310 :
萌えよ☆イタリア軍:2010/06/10(木) 22:53:31 O
311 :
世界@名無史さん:2010/07/04(日) 09:35:22 0
312 :
311:2010/07/04(日) 09:37:36 0
規制解除?
314 :
世界@名無史さん:2010/07/16(金) 16:17:10 0
>>310 吉川って人、「イタリア軍入門」の人だよな。
イタリアの軍事史家だとばかり思ってたのに、こんなキモイことしてるとは・・・
しかも美少女ヲタ・・