1 :
1:
釈迦は自分の家来をおいて城をでたんだろ。自分の国のことを
何も考えなかったのか?
2 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 19:34:50 0
インドの山奥で修行して、ダイバダッタの魂やどし・・・
3 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 19:35:56 0
訂正:インドの山奥で修行してるうちに、妻はダイバダッタの胤やどし・・・
4 :
1:2006/01/20(金) 19:38:25 0
釈迦は人生とは何だと悟りをひらくために城をでたけど、手塚治虫の
漫画みたいにいい生活してなかったのかもしれないな。飯なんて
マズかったのかもしれないし、家来にヒソヒソ話で悪口いわれてたのかも
しれない。
5 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 20:02:25 0
釈迦は白人なんでしょ。
シャカ→サカ→スキタイ
と聞いたがどうなんでしょ
中央アジアにサカ族というのはいたそうですが、シャカ族は浄飯王などの名
に表される様に、米食を重視する中央アジア系とは別系統の民であったとも。
自分の子供にすげぇ名前をつけてたような。
ラーフラですか。通常は出家の「障壁」という意味で解釈されますが、実は
不義の子という意味で「悪魔」と呼んだという説もあります。
もっとも、当時のインドでは『実利論』に出て来る様な祖先供養が重視され
ており、それを絶やさぬ様、後継者を儲けるという義務を果たした上で出
家されたのであり、ラーフラへの愛着自体は障壁となったものの、存在自
体はきっかけとなったという説もあります。
もっとも、十大弟子の内の一人となられたラーフラの子孫が存在したとい
う話は聞きませんが(私が知らないだけか)。
釈迦が涅槃に入られる際、ラーフラへの思いを口にされたという話は、凡
夫なれば尚更の事と、昔から人々の共感を呼んでいます。
そういやチンギスも長子はそんな名前をつけていたな。
13 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/21(土) 00:50:29 0
ラーフラ(羅睺羅)は釋迦が耶輸陀羅との間に儲けた唯一の実子で、誕生の報せを聞いたとき
「ラーフラがこの世に出てしまった」と言ったところから命名されたものだそうです。意味は
「覆障」ということで、山野さん御指摘のように不義の子だったのかもしれません。いずれにせよ
望まれない出生だったのでしょう。しかしラーフラは後に出家して釋迦十大弟子の内「密行第一」と
称されるほどになったそうです。
ところで密教占星術では「羅睺星」は九曜の一つで「計都星」と共に、日月食を起こす魔星とされます。
これもラーフラが「覆障」と解釈されていることと関係がありそうです。因みに九曜は日月火水木金土
七曜に羅睺と計都を加えたものです。唐代にインドから伝来した「九執暦」は「9個の捉えられたもの」を
意味して九星を指しているのだそうです。
悪魔ラーフが霊薬アムリタを盗み飲み、これを日天・月天に密告されて首を
落とされたので、恨んで飲み込もうとしたが、首を切られたので飲み込んで
も後で出てしまうのが日食・月食だというインド神話がありますね。
バルカン半島にも類話がある様です。他にもあるでしょう。
命名の由来になったという悪魔ラーフ伝説の方が先かもしれません。
仏典では日月に蝕をもたらす悪魔を羅睺阿修羅王と呼んでおり、『法華経』
序品にも登場しています。サンスクリット原典では「ラーフの四アスラ王」
の一角と説明されている。神話の成立時期が気になるところ。
失礼。サンスクリットの原典では、「羅睺阿修羅王」という固有名詞は登場
しておりません。漢訳の方には、四阿修羅王の名が夫々記されていますが。
>>14 仏教ってオナニー禁止?
ゴータマもオナニーしてたの?
ラーフの説話、『大智度論』にありましたね。勿論、だからといって釈迦の
子としての羅睺羅に先行して存在していたという事にはなりませんが、そ
れでも相当古いらしい。『ミリンダ王の問い』にも出て来ます。
山野さん!オナニーは不邪淫戒をやぶったことになるんですか!?
教えてください。
妻のいる男性が長瀬愛のビデオでオナニーすると不邪淫戒をやぶったことになりますか?
妻の写真なら不邪淫戒をやぶったことにはなりませんか?
それともオナニー自体が罪でしょうか。
気になってペンギンクラブを買えません。
お釈迦様はどう処理されてたのでしょうか。
スポーツですか?
>>18 とりあえず司馬遼の「牛黄加持」を読みなされ
下品な質問には山野は答えない。
丁寧に聞きなおせ。
●質問
私は一人暮らしを始めて間もないとある大学の男子学生です。
実は、私には仏教徒としての戒律に関する疑問と悩みをもっております。
さて、その悩みについてですが、これは性器を手などを使用して刺激を与え、快感を得る行為、所謂自慰行為に
ついての悩みでございます。
私は去年より念願の一人暮らしを始め、いつでも好きな時に自慰をすることが出来るようになりました。
元来自慰は、性行為とは別の快感を与えてくれるものであり、両者は全く別個の娯楽であるというのが
私の持論です。その為、私には恋人がいるのにもかかわらず毎日のように自慰行為を続けていました。
しかしこのような生活は私の夢であったのにも関わらず、まったく心が満たされることがありませんでした。
自慰をし終わっても虚しさが募るばかりで、虚しい位ならいっそ自慰をするのをやめるべきかと思ったほどですが、
またニ、三日すると我慢できず自慰を行ってしまうという悪循環に陥ってしまい、自らの業の深さに嘆く日々です。
根っからの小心者ですから、このような性に関しての悩みを菩提寺のお寺様に相談するわけにもいかず、
かといって手に入る限りの仏教解説書に、ズバリ私の悩みを解決するような項目も見当たりません。
ついには、来世で阿修羅か餓鬼か畜生かと何度も転生し、苦しむ夢まで見る始末です。
ほとほと困り果て、この掲示板にたどりつき仏教に関して深い知識をお持ちである山野野衾様に相談すれば、
私の迷いも少しは晴れるのではないかと思い至り、現在慣れない手つきでキーボードを叩いているところでございます。
ズバリ自慰行為は仏教の戒律である不邪淫戒を破ることになるのでしょうか。
男性として全く自慰行為を行わないというのは余りにも不自然だと思いますが、かといって毎日続けるというのも
不健全であり虚しい行為だとも感じます。このあたりの線引きに関して山野様はどのような解釈をしてらっしゃる
のでしょうか。
また、不邪淫戒というのは不倫を戒める戒律であるとお坊様より聞いた事があります。とすれば恋人の写真で
自慰行為をするのであれば破戒にはならないという解釈は正しいですか?
それからお釈迦様も男であった以上、お釈迦様になる前は性欲に悩まされていたはずです。
お釈迦様はその性欲をどのように昇華されていたのでしょうか、何か記録や伝承、教えなどがありましたら
なにとぞご教授下さいますようよろしくお願いいたします。
どうぞ、どうぞ私をお助け下さい。
>21−22
(表面上は)下品な表現でもありませんし、長文レスに敬意を表して、お答
え致します。ここまでして頂かなくても良かったのですが、悪い気がしま
すね(さりとて、あの状態でというのも躊躇われました)。
自慰行為というものについてですが、私の探求しております日本仏教史上
にはなかなか出る機会が無く、浅学者が読んでみたいくつかの経典の中に
も、相応する規律は無い様でした。
ただ鎌倉時代に成立した『宇治拾遺物語』の中に、不犯の僧侶が説教に呼
ばれ、法事の参列者の前で講座に上がってくれる様に請われたところ、躊
躇っている様であったので聞いてみると、
「皮つるみ(自慰)は不犯の内に入りましょうか」
と言って来たので、一同爆笑したという話があります。
然程専門的な知識が無くても務まる役だったのではないかという説もある
のですが、説教が出来るほどの学僧に判断のつかなかった事ですので、こ
の点について厳密に制定した経典は、なかなか無いものと思われます。
私も『梵網経』を全て読んだ訳でも無いのですが、はっきりした禁令は無い
と判断しても良いのでしょう。
釈尊が如何にして性欲を克服されたのか、具体的な行為としては存じませ
ん。悟りを開かれる前の悪魔の誘惑から、凄まじい葛藤とその克服があっ
たのでは無いかと想像されるのですが。
とはいえ、貴方が仏を目指して修行されるのでも無い限り、そこまで完璧
をお求めになられる必要も無いでしょう。
後は不邪淫戒の解釈ですが、それは貴方がおやりになられればよろしい。
人の性質に応じて教えが説かれたのですから、出来る事をおやりになられ
ればよろしい筈です。日々の心がけが大切なのでは無いかと。
言及したものが見つかる事があれば、いずれまたお伝え致します。
24 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 16:55:55 0
釈迦が城を出たのは、国が滅ぼされるとわかっていて殺されたくないから
一人だけこっそり逃げたとも考えられないか?
>>1 釈尊は、知恵も才能も財産も名誉も全てお持ちであった。
しかし、生老病死のこの世の現実に驚かれた。
生きる苦しみ、年とっていく苦しみ、病気になったときの苦しみ、
どうしても逃れられない死の苦しみ。どんなに金があっても逃れられない。
釈尊は、今でこそ自分は若いが、
死んだらどうなるのかと悩んで苦しんでおられた。
ご両親はそんな気持ちは知りませんので、
唯食べ物や飲み物、着る物、いい住まいを与えたらいいのだろうと思っていた。
堀エモンが没落する様子には仏教的な無常感を感じた。
27 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 17:25:30 0
釈迦はシャカって国の王様だったんだよな。でも、シャカって小国じゃなかったけ?
釈迦いようがいまいが、どっちにしろ攻めこまれて滅ぼされたかもしれないな。
28 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 17:31:34 0
なぜ?仏教はインドで生まれた宗教なのに、インドでは広まっていないんだろう。
釈迦のおいたちを見れば分かるが、仏教はニートな貴族を中心に広まり、その没落とともに
消えたり、あるいはヒンズー教に吸収されたりして衰退した。
ぶっちゃけて言っちゃえば、
いいとこのボンボンが退屈な毎日のあまりに鬱病になって家出した。
で、なんとか自力で鬱を克服して、「悟り」を開いたと宣伝し始めた。
いまでもいるじゃん。本屋の「自己啓発書」コーナーに行ってごらん。
「あなたを変えるこの一冊」って本が何冊も置いてある。
釈迦といっても、要するに当時のインドにおける自己啓発運動家の一人だったに過ぎない。
たいそうな話したところで、実はしょせんそんなもんでしかない。
そして上記の「しょせんそんなもん」ってのが、難しく言えば、「仏教の無常観」だ。
31 :
25:2006/01/22(日) 17:36:31 0
>>1 (続き)
殆どの人がそう思う。
一生懸命育てた両親の気持ち、
国民の期待、奥さんも、子供も泣かせることは、
釈尊は良くわかっておられた。
「まことに申し訳ない」、と思っておられた。
それでもなぜ釈尊は行かれたか。
「私には生老病死の大問題があるんです。これは私だけでなく大問題が
全ての人にある。ただ気がついていない人が殆ど。
これを解決しなければ私は何も手がつかない。
まず私がその大事を解決して、皆さんに知らせたい。
皆、本当の幸せになってもらいたい。
そのためには、まず自分が大問題を解決しなければならない。
泣かせるのはわかるが、妻や子供、国民を、本当の幸福にしたいのです。」
これが釈尊のお気持ちだったと思います。
>>21-23 どの経文か覚えていない上に不邪淫戒の女性に対するものですが、
流れのある川で沐浴していたら、流水の水圧を「あそこ」に当たるように
(つまり、頭を下流に、股を広げて足を上流に)横たわったら悟りを得たとかいう告白に、
弟子連は総括を加えようとしたけど、釈尊は「それもいいんじゃない?」みたいな回答をした
というのをどこかで読んだ。
けど、どこで読んだか思い出せない(三島由紀夫の小説だったか?)
何でも最初にやった奴が偉いのさ。
34 :
25:2006/01/22(日) 17:40:58 0
>>1 (間が空いたのでもう一度書きます)
釈尊は、知恵も才能も財産も名誉も全てお持ちであった。
しかし、生老病死のこの世の現実に驚かれた。
生きる苦しみ、年とっていく苦しみ、病気になったときの苦しみ、
どうしても逃れられない死の苦しみ。どんなに金があっても逃れられない。
釈尊は、今でこそ自分は若いが、
死んだらどうなるのかと悩んで苦しんでおられた。
ご両親はそんな気持ちは知りませんので、
唯食べ物や飲み物、着る物、いい住まいを与えたらいいのだろうと思っていた。
殆どの人がそう思う。
一生懸命育てた両親の気持ち、
国民の期待、奥さんも、子供も泣かせることは、
釈尊は良くわかっておられた。
「まことに申し訳ない」、と思っておられた。
それでもなぜ釈尊は行かれたか。
「私には生老病死の大問題があるんです。これは私だけでなく大問題が
全ての人にある。ただ気がついていない人が殆ど。これを解決しなければ私は何も手がつかない。
まず私がその大事を解決して、皆さんに知らせたい。皆、本当の幸せになってもらいたい。
そのためには、まず自分が大問題を解決しなければならない。泣かせるのはわかるが、妻や子供、国民を、本当の幸福にしたいのです。」
これが釈尊のお気持ちだったと思います。
王というか、跡継ぎの王子でした。
『因果経』には、
相師「若在家せば、転輪王と為りて四天下を統べたまはん。若出家せば、天
人の尊と為りて、薩婆若を成じたまはん」とある(原漢文)。
他に、『仏所行讃』では阿私陀という仙人が正覚道を成すと説いて、それを
聞いた王及び諸の眷属が危惧した、『仏本行集経』では王の師の婆羅門が未
来を見通し、「転輪聖王」になると告げたとあります。
そして、何とか出家した覚者ではなく、世俗の王になってもらおうと父王
が手を尽くすも、四門出遊を機縁として出家されたと。
オウムの麻原がかつて「最後の解脱者」を自称していたときに、漏れは違和感を感じた。
当時は上手く説明できなかったが、いまでは以下のように答えられる。
要するに、「解脱者」になったのなら、俗世のこと一切にとらわれることなんてなくなるはず。
自分を「解脱者」しかも「最後の解脱者」なんて吹聴してるって時点で、世の中に認められたいって
欲望がむき出しになってる。
きっと釈迦と麻原との決定的な違いは、自分を「解脱者」とか規定して偉そうぶるかどうかのところにあるんだろう。
タイムマシンで現実の釈迦にインタビューしたら、
「解脱者? なに、それ? ああ、ワシのことをそんなふうに言ってる人がいるの? いいんじゃない?」って答えると思う。
麻原だと「おれだけがげだつしゃだ〜。おれいがいのだれもげだつしてないぞ〜!!」って思い上がったことを言うはず。
そしてそういう現実世界に対して背を向ける無頓着な姿勢が、本来の仏教なんだと思う。
>>35は
>>27宛て。今東洋文庫本の『ミリンダ王の問い』を読んでおりますが、
解説が原始仏典との違いも記してくれているので、なかなか面白いですね。
38 :
34:2006/01/22(日) 17:58:23 0
誰か返事ください。
グレコバクトリアのメナンドロスかー
>>34 返事を求める = 自分の文章の反響を気にする って時点で解脱までまだまだ遠い。42.195qほど離れてるぞ。
寂滅じゃ。返事が無くとも気にするな。つーか、返事自体を求めるな。
そもそも返事を期待するから、返事がなければ気に病むことになる。
返事を期待しなければ、意外な返事があればかえって嬉しさ倍増だ。
このスレ(仏教)的に言えば、こうなる(笑)
41 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 18:06:55 0
シッダールタが出家しなかったら
マガダもコーサラもメディアもバビロニアも春秋諸国も滅ぼして世界制覇すか?
42 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 18:10:23 0
シャカ国ってどこにあるか知らないけど、釈迦はいまでも昔、シャカ国が
あったところに住んでる人には嫌われてるかも。
>>1 >自分の国のことを
仏伝を素直に読めば、父王は転輪聖王になる可能性を持つ王子に出家される
事を恐れ、自らは世俗の事を王子に任せて出家したいという願望があったの
で、悦楽のみを教え、出て行かない様にされた。
しかし、老・病・死と来て修行者を見せてしまった為、今の悦楽の虚しい事、
それを解決する方法を知って喜びを得た王子は出家された。
この様になると思います。敢えて行間を補足すれば、義務を伝えず悦楽だけ
を教えていたから、却ってその虚しさが衝撃を与え、出家に踏み切らせたと
いう事になるでしょう。
しかし、これも現代の物の見方。
父王の望みでもあった様に、当時のインドでは既存の価値観に飽き足らない、
老後に死を前にして希求するなどの理由で出家する事が流行していた様です
から、王子が出家するというのも、そう有り得ない価値判断では無かった様
です。釈迦の弟子たちも、家業を捨てて出家した訳ですし。
>1氏が世俗の義務を第一に考えておられるから、疑問に思われるのでしょ
うが、等価値であった、或いは出家がそれ以上だという価値観があったとす
れば、そうおかしな選択では無いのでは。
だからといって、大半が出家し、なおかつ成果を挙げた訳ではありませんが。
今でも5年間寝たままとか、10年間立ったままとかいう人間だけでも10
万人いる様な国に、義務とか言うのも野暮というか明後日の方向を向いた発
言だと言われるかもしれません。
何にせよ、陳腐な言い方ですが、現代の価値観から過去を批評するのは。
(小林よしのり氏辺りが使用する様になって、この言葉も使い様だと思う様
になったので、使用がためらわれますが)
最近の、或いは今の日本人でも、貴方とは別な評価をする人もいます。
44 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 18:11:29 0
釈迦国なんぞシッダルタが生きてるうちにコーサラ国に滅ぼされてる
アショーカ王の時代にはまだシッダルタの生まれた村ってのがあったらしくて
免税措置をもらっているが。
45 :
34:2006/01/22(日) 18:15:17 0
>>40 別に俺は出家してるわけじゃないし・・。
修行してるわけでもないのに。
46 :
34:2006/01/22(日) 18:16:28 0
ただ、読んで欲しかったからね。
だって正論だと思うからね。
詰めて考えれば、釈迦だって、自分の欲望のために王国を投げたわけだ。
どこが解脱者やねん、ってことになる。
そこらへん、エピクロス派と似てると思うんだが、どうでしょう?
・釈迦 = 生・老・病・死を目にして、そういう輪廻から脱出したいと修行する。解脱 = 自己の幸福 で、
輪廻 = 苦から脱出する。それって最終的には「自己の満足」を求めるってことにならないか?
・エピクロス派 = 精神の平穏を求める。なぜ精神の平穏を求めるかと言えば、それが最高の「快楽」だから。
・ニーチェの「超人」 = そういうのを目にしても「ようし、もう一度!」と永遠回帰の中に自ら飛び込む。
>>34 たかが2chでそこまでムキにならんでもよかろう
>>34 悪くないというか、特に異論はありません。40氏にも一理ありますが(笑)。
最初は、衆生の救済より目の前の問題解決があったという気もします。>悟り以前
修行をすれば功徳になるという観念があったのかもしれませんが。
50 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 18:20:24 0
>>46 >だって正論だと思うからね。
そこまで行くとただの我見です。
>>47 既に書いた通り、「王国を投げた」と非難するのが今流の発想かと。
生・老・病・死を克服しない限り、王国があろうと無かろうと四苦八苦がつ
いてまわるのであり、その根本的解決を目指された訳ですから。
王国を維持しインドを統一する事<四苦八苦の克服
52 :
『ハドリアヌス帝の回想』より:2006/01/22(日) 18:29:34 0
・・・わたしは通訳を通して彼に話しかけたが、彼は返答してくれなかった。これは賢者だったのだ。
しかし彼の弟子たちはもっと多弁で、その語るところによると、これら敬虔なる放浪者たちは
インディアから来たのであり、彼らの師は有力なバラモン階級に属しているとのことだった。
わたしが理解したところでは、彼らは瞑想の結果、全世界は幻影と錯覚によって織りなされたものに
すぎぬと考えるにいたった。そしてかれにとっては克己と諦観と死とが万物流転の流れから逃れる
唯一の手段なのであった。われわれのヘラクレイトスはそれとは逆に万物流転の波に身をまかせ、
感覚界の彼岸において、純粋に神的なものの領域――プラトンもまた夢みた虚な不動の天上界――
に復帰しようとしたのである。拙劣な通訳を通して、わたしは、それゆえわれわれの賢者のある人びとと
全然無縁ではない思想を感じとったが、しかしこのインド人はその思想をもっと断定的で赤裸々な
やり方で表明していた。このバラモンは、彼がそれと一体になろうとしている当の神――触知しえぬ、
実体も形もない神――から彼をへだてるものはもはや彼の肉体あるのみ、という境地に達していた。
>>46 正論という感覚がイカン。
自らの考えを疑うことから始めよ。
54 :
34:2006/01/22(日) 18:30:38 0
反応ありがとうございます(笑)
反応を期待するのが人間です。
>>44 城を出られたのは悟りを開く前ですから、問題ないように思われます。
大悟徹底後は衆生の救済をなされました。
55 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 18:37:46 0
これって世界史板の話題じゃないよな。
どっちかというと宗教や思想系の板の範疇だ。
釈尊や仏教を純粋に歴史的存在として語るならここだけど。
56 :
47:2006/01/22(日) 18:37:52 0
>>51 ちょっと表現がまずかった。「王国を投げた」と書いたが、別に釈迦を非難する意図はありません。
ただ、詰めて考えたら、
「四苦八苦の克服」というものも、釈迦自身の願望であり、そういう自己の願望の解決を目指している時点で、
自己の問題解決 → 自己の欲望充足 → 自己の精神の平穏
というエピキュリアン的なものがあるんじゃないかと指摘したわけです。
金があるとか、株を持ってるとか、いい女をモノにしたとか、いい家を持ってるとか、もっと言えば、背が高いとか、頭がいいとか・・・
そんな物質的=世俗的なものから背を向けているという点で、エピキュリアンと仏教というのは共通してるんじゃないかと。
いま話題のライブドア堀江氏のようなタイプとは180度ほどかけ離れたものじゃないかと。
ただ、それですら、釈迦もエピキュリアンも「自己実現」という快楽を優先させている。
ニーチェの「超人」だと、そういう快楽すら投げてしまう。解脱した方が楽なのに、「ようし、もう一度」と永遠回帰の渦に自ら飛び込む。
快楽というものを完全に否定するのなら、自ら逃げていける運命に、自ら飛び込む。
ここで予防線を張っておきますが、どちらが正しいとか間違ってるとかいうつもりはありません。
ただ、個人的な感想として、仏教には「生きる意欲」が欠けるなぁと。
私はかつて鬱に苦しんだ経験があり、その反動からか、ニーチェの方に魅力を感じてしまいます。
57 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 18:39:16 0
>>43 なるほど、釈迦の時代は家をでて悟りをひらくのはそんなに珍しいこと
ではなかったのか。
今でもいるよ、家族も会社も捨てて出家する社長さんとか。
59 :
『ハドリアヌス帝の回想』より:2006/01/22(日) 18:43:59 0
・・・あのバラモンはこれらすべてを侮蔑していた。拒否に酔ったあの男は、恋人が寝床に
すべり入るように欣然として炎に身を投じた。彼が何ものにもまさると思ったあの不可視の
空虚な中心、あの唯一の実在を自分の目から隠すものとして、衣服を脱ぐようにして事物を、
人を、そして自分自身を、脱ぎ捨てたのだ。
わたしは自分が彼とはちがっていて、別の選択をしようとしているのを感じていた。
禁欲や諦念や拒否はわたしにとって全然無縁のものではなかった。二十歳のころ、その年ごろ
にはだれでもたいていすることだが、わたしはそういった態度を固執していた。二十歳より
もっと若いころ、わたしはローマで友につれられて、ドミティアヌスに追放される直前の
老エピクテトゥスを、下町の陋屋に訪れたことがある。かつて残忍な主人に足を折られながら
呻き声ひとつあげなかったその昔の奴隷、いまは尿砂の病の長い苦しみを忍耐強くこらえている
この虚弱な老人が、わたしには神々しいまでの自由を所有しているように見えた。
・・・
しかしエピクテトゥスはあまりにたくさんのものをあきらめすぎていた。わたしはすぐに、
自分にとってはあきらめるほどたやすいことはなく、しかも危険な安易さを伴うものだと
いうことに気がついた。あのインド人はもっと論理的で、生命そのものを投げ捨てた。
これらのひたむきな狂信者から学ぶべき点は多いが、ただし彼らの垂れた教訓の意味を
わざと曲解するという条件つきでである。これらの賢者たちは形象の海の彼方に神を
見出そうとし、神が自己を宇宙ならしめんと欲した日以来放棄してしまったあの唯一無比の、
触知できぬ、非形態的な形質に、ふたたび神を還元しようと努力していたのだ。
>>56 成る程。そうした意味でしたか。失礼致しました。
ただ、「生きる意欲」も「死ぬ望み」も無く、生死も俗にも執着せず、俗で
あれ、そうでないものであれ受け入れるというのが結論かと思われます。
説法等に相応しい場所(騒ぎ過ぎない場所)は、定められていましたが。
十牛図の十番目を思い出して下さい。
ただ、修行中は心を掻き乱されず、向き合える場所が必要とされた。
>>57 六師外道と言いますが、記されなかったものも含めて百花繚乱の時代であっ
た様です。真理を求める者が多数存在した時代であったと。
61 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 18:46:20 0
インド以外にも中国の諸子百家といいギリシアの哲学者たちといい
あの時代は全ユーラシアにわたって重要な思想家が多いな
何かものすごい速さでスレが進んでいるようで、タイミングを逃した感じですが、山野さんを始め
質問に答えてくださった皆さんありがとうございます。
自慰には罪悪感が付き物ですが、耶蘇教を始めとして他の宗教では、自慰を罪なら罪と認めた上で
説明していることも多く、それならば仏教ではどうだろうと思ったのが疑問の始まりでした。
今私が抱えている罪悪感は、文明開化以後に性倫理が耶蘇教の影響を受けて変化したために
無意識的に耶蘇教的な罪悪感を感じているだけで、実際には人間が本来持っている感覚とは
かけ離れたものではないかと思っていました。しかし平安時代の僧も自慰に少なからぬ罪悪感を
感じていたというお話があったように、自慰に罪悪感が伴うのは自然であると今は思っています。
これは射精後の虚脱感と共に訪れる冷静さを単に罪悪感と誤認してるだけではないでしょうか。
それならばその罪悪感を受け入れた上で、今後もその罪悪感にとらわれることなく自慰に励もうと
思います。明確に仏教で禁止されているわけではないようですし、医学的にも自慰はどんどん
やった方がよろしいそうです。皆さんのおかげで気兼ねなく自慰ライフがエンジョイできそうです。
一つ悩みが消えました。これは一種の悟りということでいいでしょうね。
というわけで今から今月のペンギンクラブを買ってきます。
>>55 気にするな。世界史板だろうと気にするな。
ここで思想や宗教の話題をしてもいいし、宗教板で歴史の話題をしてもいい。
変にカテゴリーでくくるから、縄張り意識が生まれるし、さらには排他的になる。
たとえば、このスレだって、内容的には「思想の歴史」として扱ってもいいじゃないか。
>>60で山野師も
>「生きる意欲」も「死ぬ望み」も無く、生死も俗にも執着せず、俗で
>あれ、そうでないものであれ受け入れるというのが結論
ともおっしゃられている。このスレに関しては、スレ違いというのは野暮というモノだ。
64 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 19:09:23 0
少なくとも仏教は釈迦が死後にできたものだな。釈迦の死後に弟子達が
釈迦の教えを仏教と呼んだんだろきっと。キリスト教と同じで、イエスが
死んだあとにキリスト教が生まれた。イエス自身は、ユダヤ教だし。
66 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/23(月) 00:11:34 0
>>14 「マハーバーラタ」によるとラーフは魔女シンヒカーの子で、アムリタを飲んで
不死身となったが日月がビシュヌ神にこれを訴えたので、ビシュヌはラーフを
切断したがアムリタの霊験で生命を保ち、日月に食を発生させて復讐していると
語られています。切断された身体の頭がラーフとして生きながらえ、尾の方は
ケートゥになったとされていますが、これはヘレニズム世界に広く語られていた
説話の、ドラゴンが頭と尾で日月を害するのが食であるという天文現象神話が
インドに伝播したものだそうです。
インドでは食現象については元来は専らラーフが惹起するものとされており、
「アタルヴァ‐ヴェーダ」の詩節に見られるのが早い出典だそうです。ケートゥも
「アタルヴァ‐ヴェーダ」に見えますが意味する実体は諸説があって不明です。
語の釈義としては「煙を旗として執る者」となるので彗星という説が有力のようです。
「アタルヴァ‐ヴェーダ」の成立は4ヴェーダの中の最後で西紀前5世紀以降と
説かれています。最も早く成立したとされるリグ‐ヴェーダではアスラ(魔神)の
スヴァルバーヌが、タマス(闇)により太陽を傷つけるのが日食とされています。
67 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/23(月) 00:15:47 0
「マハーバーラタ」の成立時期も諸説あるようですが大体はグプタ朝時代の
西紀400年ころまでとされているようです。従って「アタルヴァ‐ヴェーダ」の
ラーフ・ケートゥの記載よりも後に、アムリタを飲んだラーフの首尾切断説話が
発生したと考えられます。
前記のようにインドの天文観念では食現象は当初はラーフの所為とされていて、
黄道と白道の交点を意味するバータの異名であったそうです。インド天文学では
「捉える」とか「掴む」とか「取り憑く」といった意味の「グラハ」という単語で、日月を
含む惑星一般つまり七曜を呼びますが、実態上の天体ではないラーフもやがて
グラハに加えられ、次いでケートゥもグラハに加えられるようになるに当ってラーフと
組合わさって、説話上は切断された首と尾にされ天文上は昇交点と降交点とされ、
日月食に相当する観念的天体となったもののようです。そして日月火水木金土の
七曜に羅睺(ラーフ)と計都(ケートゥ)を併せて「九曜」または「九執」(ナヴァグラハ)と
呼ばれています。
>>66 内典はあまりお持ちでなかったそうですが・・・ヴェーダというか、インド
文学はお好きでしたか。ありがとうございました。
『マハーバーラタ』の方も、また確認しておきたいと思います。
山野さんに嘘を言うのは恐ろしいので内証を明かしますが、「マハーバーラタ」や
ヴェーダは内にはないので、インドの天文学や占星術の関係の書物から孫引しました。
火羅の書ですか。そちらの方が凄い気がしますが。
>>36 麻原彰晃は「最終解脱」と言っていたと思います。オウム真理教の事件の当時、
私はまだ小学生だったので、そんなに詳しいことは言えないのですが、
おそらく、「最後の解脱者」とはニュアンスが異なると思います。
アーレフの教義によると、6番目のチャクラを開発すると、光の世界である
コーザル世界に入ることができ、その光源に飛び込むと、絶対自由・絶対幸福の
世界であるマハー・ニルヴァーナを経験することができとのことです。
このときはすぐにそこから押し戻されてしまいますが、マハー・ニルヴァーナに
入ることによって修行者は絶対幸福の状態を味わっています。そして、完全な幸福
を味わっているが故に、この世の快楽など色あせて見えてしまうので、これ以上
カルマを積まないで済むのだそうです。(この修行法はおそらく、チベット仏教の
カギュー派の修行法から取られたものだと思います。そっくりですから)
ただ、以前積んだカルマが残っているが故に、それを消化するために時間が必要
なのだそうです。そして、すべてのカルマが清算されたときに、マハー・ニルヴァーナ
に入ることが出来、これが「最終解脱」なんだそうです。アーレフによれば、解脱には
段階があります。麻原彰晃は最終的な解脱を果たしたということみたいです。
>>71 ありがとうございます。一通り読みました。
パーリ戒経というものには故出精戒という戒律があるんですね。
一般信者は五戒で、出家者には二百五十以上の戒律があるっぽいですね。こりゃきびしい。
>>72 麻原の解脱とLSDの関係って何なんですかね。
LSDをインスタント禅とか呼んでた西洋由来のヨガな香りが麻原からはします。
本で読んだんですが、オウムのヨガのネタ本は基本的にダンテス・ダイジの「ニルヴァーナのプロセスとテクニック」だそうです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4627999704/503-8605676-7299123 こういった本あたりからクンダリニーヨガのテクをパクって前立腺をかかとで刺激しながらピョンピョン飛ぶヨガをやって
オーガズムを得るというのがオウムの言うニルヴァーナの世界なのかなと。
>>32さんも言ってますが、性的快感と悟りってもしかしたら近かったりして、そういった伝統が仏教とかヒンズー教には
あるみたいな気がします。そういえば真言立川ってのもありましたね。
悟りと性的快感は勘違いしやすいが全くの別個のものなのか、それとも基本的には近いものなのかが気になります。
自慰を趣味にしてる人間としては気になって自慰にはげめなくなりますよ。
自慰にはげんでいいのか、悪いのか。
75 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/24(火) 12:52:49 0
>>70 一行禅師の「梵天火羅九曜」は下記サイトで閲覧できます。
http://www.buddhist-canon.com/SUTRA/JMiJiao/T210459b.htm しかし内容は真言と真形が載っているだけです。真形では羅睺は頭に3匹の蛇を、
また計都は頭には9匹の蛇を戴いています。また本文末尾に「按ずるに聿斯經に云はく、
凡そ人は只だ七曜の有るを知りて虛星に晴(あきらか)ならず、(虛星は)號して羅睺・計都と
曰ふ、此の星は隱位に在りて見(あらは)れず、日月に逢へば即ち蝕す、號して蝕神と曰ふ、
計都なる者は蝕神の尾なり、豹尾と號す」とあるだけで、
>>67に書いた情報は矢野道雄著
「占星術師たちのインド」(中公新書)などの歴術天文関係の本から得たものです。
76 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/01/24(火) 12:58:02 0
訂正
虛星に晴(あきらか)ならず、(虛星は) > 虚星に晴(あきらか)ならず、(虚星は)
>75
ご親切にどうも。実は、もう本棚にあったのですが(笑)。>梵天〜
78 :
世界@名無史さん:2006/01/27(金) 22:20:48 0
>>74 つまり山野氏が例にあげた「不犯の僧」は少なくとも戒律をやぶった僧であるのは間違いないと。
不犯かどうかは別として罪悪感を感じていたのも当然か。
79 :
世界@名無史さん:2006/01/27(金) 23:34:42 0
恵まれた境遇に不公平感を抱いたからなんでしょ。
三大宗教の創始者は皆、食べるには困らない環境から出自してるな。
>>78 漢訳も出ていたとはいえ、『パーリ戒経』までは知らなかった可能性も。
一切経を披閲した人は、僧俗ともに一時代に何人かいましたが、特定の経典
以外に言及するほどの僧侶は、案外少なかった様に思います。
『法華経』以下、基本は私よりは余程確かだったでしょうが。
(直接参照せず、まとまったネタ本から引用した著作もあります)
そういえば、『ビルマの竪琴』に対して、ビルマの僧侶は竪琴の演奏が許さ
れていないという突っ込みが入ったそうですが、日本では古代から楽器や
囲碁は僧尼令でも娯楽として許容されていました。
『今昔物語集』巻4−9に、ダルマ和尚が天竺の寺で囲碁を打つ僧侶を見た
という話があり、直接の出典は不明ですが、『賢愚経』などの影響を受けた
ものらしい。地域・時代ごとに戒律の扱いも異なる様です。
琵琶法師ってのはあれは法師というくらいだから仏教関係者なの?
>琵琶法師
平安時代中期から存在したもので、『源氏物語』でも明石の入道が自らを琵琶
の法師に喩える場面があります。
その頃から、今も存在する九州の地鎮盲僧の様に門付けをし、物語を語ってい
ましたが、『平家物語』以前の内容は、はっきりしていません。
或いは、『将門記』の様な内容を語っていたものかもしれませんが。
『今昔物語集』に、その頃庶民の間で古の合戦譚がもてはやされていたとい
う事を示したものと思われる記述が存在しています。
で、結局何かと言えば、「乞食をする非定住の芸能・宗教者」でした。
乞食自体がそもそも僧侶の修行ですが、僧体というのは社会的に自由になっ
た装いであり、所謂「一般人」とは異なっていた事を示しています。
大体、中世には正式な僧侶では無くても、芸能と宗教が関係していた事から、
芸能者の中には僧形をとるものが数多く存在していました。
前近代というのは、装いで身分や職業が分かる時代と言ってもいいと思いま
すが、その点彼らの姿形は他の人々とは明らかに区別する事が出来る。
別スレでも述べた事ですが、近世の医師や義太夫や落語家も僧体でした。
御伽衆というのも、全てではないにせよ、多くは剃髪した人々であり、16
世紀に日本に伝わった『イソップ物語』の主人公が、日本風に描かれた挿絵の
中で、僧体であったのも、こうした装いの存在と見なされたからでしょう。
余談:化物に○○坊主、××入道が多いのも、一般人の対極に位置すればこ
そでしょう。他には、爺・婆・女・小僧など。
いずれにせよ、社会の中心となる普通の男の姿はしていませんでした。
髷の形で武士か町人かぐらいは分かった時代に、髷を結わなかったのが坊主
やそれに扮した化物です。
84 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 20:46:43 0
age
85 :
世界@名無史さん:2006/02/13(月) 06:37:41 0
2 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/01/20(金) 19:34:50 0
インドの山奥で修行して、ダイバダッタの魂やどし・・・
3 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/01/20(金) 19:35:56 0
訂正:インドの山奥で修行してるうちに、妻はダイバダッタの胤やどし・・・
あぼーん
>>52、
>>59 興味をひかれました。ユルスナール著、ですよね。読んでみようかな。
88 :
世界@名無史さん:2006/02/20(月) 20:57:46 0
age
89 :
マハーマーラ:2006/02/20(月) 22:31:49 0
ぼくは仏教と六師外道の主張を比べて、特に仏教だけが思想的にすぐれて
いたように思えないので、仏教の興隆は偶然と権力の保護を得たことが、
主たる原因だという仮説を立てます。
ゴータマは、29歳で出家して35歳で悟りを開きますが、世間知らずの若者が
6年間修行をして、おそらく縁起説や四諦八正道を唱えたにしても、あんなに
短期間に大教団を形成したのが納得いかない。
既に教団を保有していたカッサバ三兄弟が、出自の尊いゴータマを広告
塔として利用するため、教団ぐるみの入信を申し出たのではないでしょうか?
そしてなにより仏教が世界宗教となり得た要因は、仏教の特質によるという
より、アショーカ王の異様なまでの仏教への偏愛によるものと考えます。
もしカリンガ戦争を終えた時、アショーカがジャイナ教にはまっていたら、
ジャイナ教が世界三大宗教の一つになっていたものと思います。
90 :
よろずこ:2006/02/20(月) 23:42:47 0
>85
>>2 虹男
>>3 知らん。
仏典とか、ジャータカにあるのか??
六師外道の内、ジャイナ教以外は運命論や死後には何も無いから何しても同
じといった唯物論、分からないという懐疑論です。
『華厳経』の中に、運命論、神の意志論、因果否定論を挙げて、これでは進歩
も努力も気力も失せてしまうと述べた後に、改めて因縁を論じた箇所があり
ました。恒久的な支持を受けられなかったのは、当然かと。
で、問題は仏教とジャイナ教の扱いの違いですが。
>短期間に大教団を形成
生前の出家した弟子は500〜1000人規模という説もあります。
ジャイナ教についてですが、マウリヤ朝でも初代のチャンドラグプタは入信
していたでしょう。やはり、仏教の苦からの解放や女性や奴婢も救済すると
いう思想が、より広範囲に働きかける事が可能だったからでは。
ジャイナ教も差別的ではありませんが、実行には困難が伴う。
何時頃始った戒律か知りませんが、聖職者が乗物を使えないとかで、神戸に
ある日本唯一のジャイナ教寺院は、未だに無住だとか。
>アショーカ王の異様なまでの仏教への偏愛によるものと考えます。
とは思えませんね。一時的・個人的な帰依による広まりとも思えませんし。
やはり、広範囲を対象として「苦」という根本的な問題からの解放を説いた融
通(仏教用語)性ゆえでしょう。
後年インドで廃れたのは、逆に融通性がありすぎて溶け込んでしまい、ジャ
イナ教ほどはっきりしていた方が残存しやすかった為では。推測ですが。
92 :
世界@名無史さん:2006/02/21(火) 00:06:49 0
>>18 絶対に厳禁。
特に尼僧の場合には禁令がより多くすさまじい。
陰部に水滴、水流でオナニーすることも戒律で禁止という。
>91
そうですね、いくらアショーカ王が宣伝しても、魅力のない教えだったら
すぐに衰えたはずですね。
たしかに、つい期待してしまうほど魅力的な思想には違いないです。
実際、浅学なぼくでも、無常とか空とかの視点に、部分的には救われてる
気がします。仏説を知らなければ今頃は鬱病になってたかも。
インド仏教が後年インド本土で衰退した原因ついて面白い話が。
そもそもインドでの仏教の立場はカーストからの脱却と言ういわば
「反ヒンドゥーイズム」に主眼がおこれていたとか。
北インドでは、12世紀以降にゴール朝やその係累であるデリー・スルタナトの
奴隷王朝などアフガニスタン方面から来寇・入植してきたイラン・テュルク系の
政権下で、それまでの多くの仏教支持層がムスリムに転身したらしい。
イスラームは宗教的な知識の保有が社会的ステータスにはなるけど、基本的には
カースト的な社会階層は存在しない。いわば今までの仏教が担っていた役割が
イスラームにとって変わったため、特に北インドからは仏教が消滅したのだろう、
とかいう話し。
インドにおける最初期にペルシア語文献である「チャチュ・ナーマ」などを調べた
保坂俊司という方が『インド仏教はなぜ亡んだのか』というズバリな題名の本で
そんな内容のことを書いてました。
>反ヒンドゥーイズム
しかし、それならそれで、わざわざ仏教に代ってイスラームを選択した理由
が分かりません。並存したのならまだしも。税金逃れでしょうか?
私もイスラーム勢力による仏教寺院の破壊即インド仏教滅亡と考えている訳
ではありませんが、そもそもイスラーム侵入以前から、仏教は最盛期を過ぎ
ていた筈です。玄奘の頃にはもう衰退していた様で・・・。
>それまでの多くの仏教支持層がムスリムに転身したらしい。
転身の理由がどうも不鮮明です。
教義を見れば、イスラームとは矛盾したもので、反ヒンドゥー以外に共通性
がなく、敢えてこちらを選択した理由が、よく分かりません。
ペルシア側の主観は働いていないのですか?
教義がイスラーム>仏教であったと主張したがっていたという様な。
失礼ながら、保坂先生がこれを鵜呑みにされた可能性は無いでしょうか。
庶民からすれば、教義はさておきまず現世の災害消除と来世の安穏が重要な
訳で、庶民の転身はありえたかもしれませんが、既存の仏教側も喧伝には勤
めていたでしょうし、知識階級の転身した理由がよく分かりません。
支配階級として生活しにくくなったからでしょうか。
(正三の『破切支丹』はキリスト教徒の教義の矛盾を突き、奇跡の喧伝を教え
の尊さとは無関係だと批判した書ですが、実際に庶民が求めて入信の動機に
したのは、分かり易い「奇跡」による救済でしたね)
それまでの衰退に、庶民への税の圧迫と知識階級への出世の有無が同じ反ヒ
ンドゥーでもイスラームへの転身を促した?
ところで、ベルニエの『ムガル帝国誌』の中に仏教徒が出て来るのですが、
これは岩波文庫本の翻訳の不適切な例なのでしょうか。
96 :
世界@名無史さん:2006/02/21(火) 18:01:04 0
その本もってないので、どう不適切な翻訳なのか指摘してください。>山野様
>96
不適切なのか、本当に当時ムガル領内に仏教徒がいたのか分からないという事ですが。
「実際、仏教徒(バオッド)と呼ばれる七番目の宗派があって、そこから十二の違った
宗派が出ています。でもこの宗派は他の宗派ほど行き渡っていません。
この宗派の人々は、他の宗派から憎まれ、軽蔑され、無神論者か無宗教の人として扱わ
れており、他の宗派とは生活まで違います」
注:七番目というのは、ヒンドゥーの一宗派と見たため。
南インドではしばらく仏教が信仰されていたそうですが、まだあったという事でしょうか。
或いは、スリランカあたりから逆輸入されていたか。
99 :
世界@名無史さん:2006/02/21(火) 22:24:06 0
100 :
世界@名無史さん:2006/02/24(金) 02:16:07 0
100ゲット
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
意外とおもしれーぞ
unCrEewHghc
103 :
世界@名無史さん:2006/03/14(火) 19:48:15 0
FhHfkEfQSeI
105 :
世界@名無史さん:2006/03/14(火) 19:59:02 0
iMabuTaRmeKepo!
106 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 11:31:46 0
釈迦「こと」って被疑者じゃねーんだぞ
1は仏罰を覚悟せよ
お釈迦様はそんな些細な間違いでお怒りにはならないでしょう。
勝手に仏罰を主張する106の方こそ覚悟した方がよいのでは?
罰に関していえば、どちらも無問題です。業に相応の報があるだけの事。
三悪道に落とすのは、他ならぬ自分自身です。
中国や日本の仏教であれば、仏は怒りを示さない代わりに眷属の鬼神が罰を
下すと言って、仏法への不遜を戒めていましたが。
つまり汚い嫌われ仕事は鬼にやらせ、自分は好かれる美味しい仕事ばかりをやっているのが仏。
真に尊いのは嫌われ、毎年豆を投げつけられ、あるいは一日何度も鉛を口に注ぎ込まれる
鬼や閻王こそ本物の存在。
仏は氏ね。
110 :
世界@名無史さん:2006/04/22(土) 20:37:42 0
氏んだから仏になったわけで・・・・・・
つ即身成仏
112 :
世界@名無史さん:2006/05/08(月) 11:25:51 0
hosyuage
113 :
世界@名無史さん:2006/05/21(日) 17:05:20 0
人に見られた時点で仏でなくなるんじゃないの
115 :
世界@名無史さん:2006/06/07(水) 06:18:57 0
釈迦って「善人」として認識されてるか?
なんかそう言うのとは違うと思うんだが……。
116 :
世界@名無史さん:2006/06/07(水) 06:48:08 0
いやみが目立つ山野は仏にはなれないとまで読んだ
117 :
世界@名無史さん:2006/06/16(金) 15:08:25 0
釈迦は悟ったから普通の人とは違う崇高な人格を常にキープしていた、人間離れしていた
というのは後世の誤解みたいだね。
仏典読むと、けっこう人間臭い。
腰痛持ちで腹痛持ちで、それをぐちぐち弟子にぐちってるし、
50歳になると「体力的にきつくなってきたので、そろそろ、わしにも秘書をつけてくれんか?」
と教団にねだってるし、
母親と元妻が教団に押しかけてきた時には、困り果てて
「王宮の楽な暮らしに慣れている年老いた母上が修行生活に苦しまれるのを
見るのは息子としては見てられません。私の煩悩になるから帰ってください!」と
アレ。。。もう解脱したんじゃなかったの??の解脱者らしからぬ発言するし、
腹痛で横になっていた時、弟子の一人が前を遮ると
不機嫌に「どけ!」と八つ当たりしてたという話もあるし。
後世の創作じゃねえか馬鹿じゃねえの
>>118 かなり初期の仏典パーリ語のニカーヤに載ってるから信憑性あり。
120 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 19:42:09 0
>「王宮の楽な暮らしに慣れている年老いた母上が修行生活に苦しまれるのを
>見るのは息子としては見てられません。私の煩悩になるから帰ってください!」と
>アレ。。。もう解脱したんじゃなかったの??の解脱者らしからぬ発言するし、
根本的に解脱というものを理解していないんだな。
世界史板に書き込むのをやめたらどうだ?
121 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 20:04:09 0
ゴータマに「善人」のイメージはないなぁ。
悟りって、究極の無関心じゃないかな。
少なくとも「人情」とか「浪花節」が似合う人じゃなかったと思う。
数劫の転生の話とかは、後世の創作なんでしょ?
123 :
世界@名無史さん:2006/06/25(日) 20:19:25 0
>>122 転生が今の地動説みたいに常識だった時代に「転生はあるかどうかわからん」と答えたのが
釈迦であって。
124 :
世界@名無史さん :2006/06/25(日) 20:47:20 0
輪廻転生の苦しみから解放されるのが、解脱なんじゃなにの??
125 :
世界@名無史さん:2006/06/25(日) 23:17:34 0
哲学者、思想家、向けの答え
神の存在の有無、前世、後世の存在の有無についてそんな人智で確かめようもない事に
議論し執着するのは苦しみの解決には無意味。有害。だから
転生はあるのかという問いに対する釈迦の答えは不記(判らん)
在野信徒向けの答え
なんせ転生が今の地動説みたいに常識だった時代だから
布教のための解かり易い「方便」として輪廻転生話を活用することもあった。
来世については無記。生命は五蘊の集合体であり、自律する「霊魂」は認めない。
在俗の信徒に対して、善行が天界に生まれる要因であると説いた例あり。
また、霊魂は認めないが輪廻転生は認めていたともいう。
これではよく分かりませんが、要するに輪廻は霊魂が主体となって果たされる
のではなく、「業」が影響を与えて一刹那の間に中有に転生し、更に来世に
転生するので、前世・現世の行いが新たな生における境遇を決定するのだと
もいう。
霊魂を認めない考えと輪廻説の両立は、『ミリンダ王の問い』でも一応説明され
てはいるものの、やはりよく分からない難問。
上に述べた霊魂は輪廻せず業が輪廻するという事については、戦前に木村泰賢
によって解説されていますが、近年になって、原始仏典を解析してみるとやは
り当初は輪廻説は認められていなかったという意見が出されています。
これで話が収まるとは言えませんが。
127 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 01:27:11 0
輪廻思想が当時の(今でもか)インド人の道徳観念を支えていたから、
お釈迦さんとしては無下に否定はできなかったんじゃないかなと思う。
カントの所謂「実践理性の要請」みたいなもんで、
輪廻転生を実証することはできないが、人が道徳的に生きるためには
輪廻や業があると信じることが要請されるという話。
六師外道の中には輪廻などないとはっきり否定するものもあったようだが。
>六師外道の中には輪廻などないとはっきり否定するものもあったようだが。
六師外道は、マハーヴィーラ以外は基本的に道徳否定論者でしたからね。
しかしブッダもそうでしたが、誰も彼も思想が革新的過ぎる。
『法句経』の生まれの尊さよりも行いの尊さを重んじた思想は凄い。
今でこそ当たり前ですが、基本的に前近代を舞台にした小説に出てきたら場
違いだと言われる考え方ですよ。
若い頃の仏陀は武術の達人で、腕に任せて略奪婚したらしい。
>>128 >ブッダもそうでしたが、誰も彼も思想が革新的過ぎる。
紀元前5世紀頃のインド、ギリシャ、中国の都市国家に興った思想は、
そろいもそろって革新的ですよね。
なのに、古代、中世と社会の権力構造が定まってくると、思想も宗教臭く
慎ましいものが主流になっちゃいますね。
紀元前5世紀頃の都市国家社会って、かなり特殊な社会だったんでしょうか?
ヤスパース言うところの「軸の時代」ですね。
>紀元前5世紀頃の都市国家社会って
インドに限って言えば、商工業の発達する中で、ヴァルナ制の下位に置かれ
ていた商工業者の勢力が増し、それに伴って身分関係無く救済される新思想
が模索されていた事が、仏教興隆を支えたと言いますね。
まあ、紋切り型の大雑把な説明ですが(身も蓋も無い)。
『維摩経』は在家の商業者の立場を肯定したものですし、釈迦十大弟子の一
人であったプールナは元はインド洋を利用していた交易商。
祇園精舎の説話は有名ですし、最後に供養したスダッタも貴金属を扱うかな
り裕福な人物であった様です。他にも、キャラバンが出てくる説話が多い。
サンガ(教団)では、在俗時の身分は問題とされず、法揩ニ呼ばれる出家し
た後の年数で順が定められていました。
やはり十大弟子の一人であったウパーリは元は身分の低い理髪師でしたが、
ほんの一瞬先に出家した事から、出家した釈迦族の元公子達に拝まれていま
す。なお、出家した順というのは今の日本でも同様で、中高年で出家した場
合は、子供の僧侶を兄弟子として敬わねばなりません。
今は子供で出家する様な事もまずありませんが。少なくとも、半世紀ほど前
までは、そういう事もありましたよ。
社会が変化していく中で、新たな思想が百花繚乱。中国もそうだったと思い
ますが、やはり固まる前の粘土の様な社会状況だったのでしょう。
ブッダの存命中にはまだ未発達であった貨幣経済も、その後どんどん発展し
ていった為、遂には禁止されていた貨幣の布施を受けるか受けないかなどの
十の問題が、大乗部と上座部の分裂を招きました。
改革の中心にいたのがヴァッジ族の出身者でしたが、ヴァッジの国はとりわ
け商業が盛んであったらしい。その事とも関係するのかもしれません。
132 :
世界@名無史さん:2006/06/28(水) 15:07:22 0
大乗部と上座部の分裂を招いた会議の論争の一つ。
「アラハンは夢精をするやいなや」
しない♪→上座部(アラハン認定の長老達)
する!→大乗部
もうちょっと、ましな事でケンカ別れしてもらいたいねw
所謂「十事」の中にはありませんね。
内容は、先に述べた金銭を布施として用いるという事の他、午後になってか
らも日時計の影が指二本分移動するまでは食事が出来るという事、塩を後日
の分までとっておいてもよいという事(蓄財は禁止されていた)、人数が足
りなくてもありあわせで儀式を行ってもよいという事など。
これらはかなり重要です。川口慧海がチベット旅行記に書いていた通り、困
難な旅の最中に時間を定めて食事をとる事は容易ではなく、塩も何時手に入
るか分からないという事があった。
それでもあくまでも戒律を重視して堕落に予防線を張るか、柔軟な姿勢をと
るかというのは、双方に言い分があった大問題でした。
十事の他の問題も、主に食と布施してくれる信者に関わるものが多い。
132氏は笑っておいでですが、性と救済というのも難問で、戒律を記憶し
ていたウパーリが、夢精をしてしまってサンガを出て行こうとした者を許し
たなど、一大関心事だったのは間違いありません。これは他の宗教も同じ。
食物と性関連の商品が氾濫している時代には、分かり難いでしょうが。
なお、戒律の内、戒は悟りに至る為に個人が行うものであり、律はサンガで
守るべき規律の事ですが、『遊行経』には、入滅前のブッダによるわずらわ
しい事項は削除してもよいという言葉が見えています。
上の儀式云々にも関わって来る話ですが、本来は出家に際して十人の僧侶の
立会いが必要とされていたのを、辺境では五人で良いと言われるなど、ブッ
ダは融通無碍(仏教用語)な方でしたね。
仏教と平等についてですが、記録に遺されている佛弟子の割合から言うと、
バラモン5割、クシャトリア4割、シュードラ1割といったところです。
シュードラ出身で長老として尊敬された人も出ていましたが、佛陀御自身の
出身階層の事もあり、差別したという訳ではなくても、やはり庇護者兼信者
の階層には偏りが見られ、それが後代まで続いた様です。
それでも階層を越えるというのは大きな魅力であり、『ミリンダ王の問い』
について言われる様に、民族宗教でないという理由で外国人の信仰も集めて
はいましたが、後代に衰退した理由はこの辺りにあるのかもしれません。
要するに、支持していた階層の衰退に合わせたのではないかと。
>94氏の示された説も考え直してみると、政治的に優位な立場を利用して、
イスラームが新たな平等思想を大々的に宣伝し、それに乗りかかって佛教が
消えるまでに至ったと考えてもよいのかもしれません。
佛教→イスラームに乗り換えるにあたっても、教義を気にする信者というの
は実はそういませんし、寺院の破壊というイスラーム側の行動もあって、知
識階級の間でも教義が考えられる機会は失われたか。
改宗しなければ命をとられるという訳でなくとも、階級が高ければムスリム
でないと生き難いという面もあったでしょうし。
135 :
世界@名無史さん:2006/07/30(日) 20:17:19 0
age
136 :
世界@名無史さん:2006/08/27(日) 19:14:36 0
age
無意味にageんなアホ
138 :
世界@名無史さん:2006/10/30(月) 17:28:38 0
age
139 :
世界@名無史さん:2006/12/18(月) 19:08:31 0
上げて悪いか
140 :
世界@名無史さん:2006/12/20(水) 17:20:34 0
湯田 豊「ブッダvs.ニーチェ」は必ず読みましょう。
141 :
世界@名無史さん:2007/01/19(金) 02:36:23 0
ぶつじょー
142 :
世界@名無史さん:2007/01/22(月) 22:40:14 0
釈尊が出家し息子で王子のラーフラも出家したのちこの王国の跡を継いだのは誰なんですか?
それは釈尊からみてどういう関係に当たる人なのでしょうか?
143 :
世界@名無史さん:2007/01/22(月) 22:57:17 O
史料がほとんどないから分からん。
ほぼ同時代の孔子と比べても釈尊関係の史的資料が少ない。
インドと中国の歴史に対する姿勢の違いがここら辺によく出てて学者泣かせなんよ。
145 :
世界@名無史さん:2007/01/25(木) 22:39:24 0
mano pubbaGgamA dhammA manoseTtA manomayA
あげ
一応、ラーフラ出家の時点では、釈迦の従兄弟のバッディヤが王でしたね。
元々貴族による共和制で、王制になってからまだ間もなかったようです。
大きな混乱もなかったのでは。「分からん」とは言い切れないと思いますが。
なお、釈迦族滅亡は、実際には釈尊入滅後のことではないかということです。
輪廻転生 カルマ 諸行無常
カピラパストウ
自分の息子にラーフラ障害と名づける
釈迦族って今もインドにいるの?
151 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 16:15:45 0
>>146 釈迦族の行く末がよくわかっていないということは、
釈迦の血族に対する関心が薄かったということなんでしょうか?
152 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 19:55:17 O
当時、仏教は釈迦派以外にもいくつかあり、釈迦派は自らを第一にする為に激しい弾圧?を行った。
更に、当時のインドのどこだかの国が国家統一の為に釈迦派と組み、結果釈迦派が広まった。
っていう説があるのをなんかで読んだか、見た希ガス
>釈迦族の行く末
いつ滅亡したのか分からないのは、インド人歴史というものに対する関心の
せいだと思います。
釈迦の生没年すら確定出来ていないくらいですから。
一応、釈迦入滅の100年後にアショーカ王が即位したとか、釈迦入滅後ま
もなくアレクサンドロスの軍がインドに侵入してマガダ国の手前まで迫った
ということはありましたが、インドの記録の年代がある程度分かるのがその
アレクサンドロス侵入の時代以降という話ですから。
マウリヤ朝の成立に至るまでの混乱もあったと思います。
だからといって、釈迦の血族に対して強い関心がもたれていたかといえば、
そうでもなかったと思いますが。