1 :
世界@名無史さん:
元代の概説および諸問題を1000文字程度でレポートに書かなくてはいけないのですが、
手伝ってもらえないでしょうか。
レポートを書くうえで入れた方がいい事項など、ぜひ教えてください。
2 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 16:49:39 0
杉山正明の著作類を読め。
それで事足りる。
>>2 あの人はモンゴル至上主義の過激派だけどね。
資料不足の曖昧なところは、全てモンゴル絶対肯定に解釈する。
4 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 17:17:56 0
○儒は娼と同程度のランク
○科挙は滅多に行われなかった
○蒙古・色目・漢人・南人の人種差別政策
○チベット仏教(ラマ教)の尊崇
5 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 07:26:34 0
○交鈔の乱発でインフレ
1000文字なら図書館行って一冊本読んで要約すれば事足りるからね。
高校生でもできるぞ。
8 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 14:44:55 0
9 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 15:36:34 0
元は交鈔を乱発してインフラを整備した。
↑
出るよ(バンバン!
>>2 まあ、大元朝は早い話「なんちゃって中華帝国」で「中華帝国」の外面は
華北以南以東の漢字文化圏の地域にしか使って無くて、基本は飽くまでも
「モンゴル帝国」であって、本質的には突厥なんかと根が同じだからねぇ。
要は杉山センセの場合そこら辺のことを散々言ってるわけだけど、もちろん独特の文体はもとより
既存の宋・元・明時代の一般解釈を前提にしてこれに挑戦的な内容で一般書を書いてるから
とっかかりでいきなり杉山センセの著作だけを見てレポート書くのはちと公平に欠けるか。
とりあえず『アジア歴史研究入門』の元朝の部分とか『宋元時代史の基本問題』は基本か。
杉山センセの論点を知りたければ講談社現代新書の『モンゴル帝国の興亡(上・下)』と
中央公論社の『大モンゴル帝国の時代』とをさらっと目を通すだけで充分そう。
『モンゴル帝国と大元ウルス』は時間があればだろうね。
チベット関連は石濱裕美子センセの『チベット仏教世界の歴史的研究』とか、貨幣史は
高橋弘臣著『元朝貨幣政策成立過程の研究』あたりはどうか。松田孝一センセあたりの
碑刻資料関係の論文もあたれれば良いけど、さすがに1000頁のレポートじゃそこまで
手が回らないかねえ。
11 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 21:13:40 0
中国史で五指に入るくらい権力闘争の激しすぎる王朝
12 :
世界@名無史さん:2006/01/17(火) 00:15:11 0
大都に遷都後の正式国号は「大元大モンゴル帝国」
>>12 それについては異論もあるとか。詳しくは知らん。
14 :
世界@名無史さん:2006/01/17(火) 14:18:38 0
元って中国王朝扱いじゃ狭すぎ。
最大版図はトルコ、東欧、中央アジア、
インド、ベトナムから朝鮮まで含んでる。
元は中国王朝を呑み込んだ世界帝国。
実は有力者の私領がモザイク状に入り乱れた封建諸侯の連合国家
16 :
世界@名無史さん:2006/01/17(火) 15:39:46 0
大元ウルス、オゴタイウルス、チャガタイウルス、キプチャクウルス、イルウルスの
連合がモンゴル帝国。
>>15 モンゴルに封建制みたいのがあったん?
どっかのスレでイル汗国にあったとか書いてたような
>>17 丙申年の分撥とか調べてみな。
華北はモンゴルその他諸民族有力者の私領だらけだよ。
>>17 杉山正明の「中国の歴史8」p.336見てみな。
いっぱいあるのがわかるから。
というわけで、トゴンテムルが北帰したら
連中は北帰する気もなく、みんなあっという間に
明に帰順しちゃった。
元朝の支配体制は、モンゴル王侯の封建領土と
中央から派遣された官僚と土着の権力者が
入り乱れていて複雑だね。いまだに実状が
よくわかってない。
20 :
世界@名無史さん:2006/01/17(火) 20:51:26 0
>>19 岡田英弘の本では明の軍戸はモンゴル軍の残党とかまで書いてたな。
21 :
世界@名無史さん:2006/01/17(火) 23:38:33 0
元末に流行した疫病ってペスト?
23 :
世界@名無史さん:2006/01/18(水) 14:32:06 0
正軍戸と貼軍戸による軍戸制ってモンゴルが起源?
24 :
世界@名無史さん:2006/01/26(木) 08:04:28 0
マルコポーロが元へ行ったかどうかは怪しいといわれてるらしい。
万里の長城や纏足についてまったく書いてないとか。
25 :
世界@名無史さん:2006/01/26(木) 09:32:36 0
それってよく言われるが、元時代の長城なんて遼金時代の土塁の残骸だろ。
いまのレンガ造りの立派な長城とはものが違うんだから
注目されるほどのインパクトが果たしてあったかどうか。
纏足だって西方人コミュニティーのなかだけで生活していたと考えれば説明がつく。
ま、マルコ・ポーロに関しては元に行ったかどうか以前に
実在したかどうかも怪しいわけだが。
イブン・バトゥータも一読して元まで行ってないのがわかる。
昔の旅行記にはハクをつけるために聞き書きで、行ってない
場所のことをもっともらしく書いてるのは多い。
27 :
世界@名無史さん:2006/01/26(木) 21:03:13 0
マルコ・ポーロは回回砲を自分の手柄にしてるあたりがよく分からない。
イブン・バットゥータは多分泉州のあたりまでは来たのかも知れないけど、
大都まで行ったかはかなり怪しい。実際見て回ったほか地域では、その地域の
君主たち(勿論ほとんどムスリム)の宮廷を訪れ、宮廷の内外の情報を
けっこう詳しく述べているが、元朝の部分の場合それがほとんどない。
編者というか口述筆記者のイブン・ジュザイイは、バットゥータが近くまで来た
けど実際には行っていないような地域(例えばブルガール以北の極北地域など)の
情報は、当時の古典的な地理書からの情報をそのまま抜書きとかしているので、
油断ならない。むろんバットゥータが行った先で聞いた別の地域の情報を述べて
いる場合もあるので、それは分けて考えるべきだが。
29 :
世界@名無史さん:2006/01/29(日) 21:52:26 0
東方見聞録は他の資料から裏付けが取れる情報が多いらしいが
肝心のマルコ・ポーロ本人が記録に残っていないw
30 :
世界@名無史さん:2006/01/30(月) 14:35:10 0
日本史になるのかなあ?
元のフビライが、2回日本に攻めている。
日蓮が予言、的中(立正安国論)
それって予言なのか?
32 :
世界@名無史さん:2006/01/30(月) 14:59:09 0
経典に出てることだから神の罰として大変な事件が起こるぞ
ということなので「予言」というより聖書的「預言」
33 :
世界@名無史さん:2006/01/30(月) 15:00:46 0
なんで黒死病は日本では流行しなかったんだろう?
34 :
世界@名無史さん:2006/01/30(月) 15:03:00 0
予言者として教科書に載っていたけど。
流罪を赦免になったのも、それを恐れたとか・・・
鎌倉幕府が衰退したのも、この「元」の為とも言われている。
守りに徹した為、与える褒美がなかったらしい。
35 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 01:16:00 0
チャガタイ汗国やイル汗国、金帳汗国にもケシクってあったの?
36 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 14:13:53 0
>>35 イブン・バトゥータの旅行記でキプチャク汗国の宮廷に
「スルタン(ハンのこと)のマムルーク軍人」がいたと書かれてる。
侍衛親軍のようなものでは?
37 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 14:19:16 0
>>33 大陸との交流が少ない。
免疫のせいで発症しても症状が穏やかで規模が小さく記録に特筆されない。
39 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 14:59:04 0
んなわけない
40 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 15:06:10 0
ペストは、感染したら2〜3日で発症し、1週間ほどで死ぬのだから
大陸の向こうからやってきてさらに海を渡って拡がるのは確率として非常に低い。
41 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 15:43:17 0
>>39 常識的にそういいたくなるのはわかるが、
前近代世界における疫病の実態については
マクニールの『疫病と世界史』を読んで認識を改めるのがいいと思う。
42 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 18:56:09 0
マクニールは直接読んでないが「ヨーロッパ覇権以前」で紹介されてた。
たしかペストは雲南あたりの風土病だったのが、草原のげっ歯類に広まって
パクス・タタリカで交通が盛んになっていたシルクロードを通じて
ユーラシア中に蔓延したとか、そういう話だったような。
43 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 10:00:54 0
豚を食べなかったから。
という説もある。日本人が豚を食べたのは確か江戸末期の一部から。
まあイノシシもいるではないか。ではなくて、養殖!?のこと。
人間の排泄物を豚が食べる。それを人が食べる。ペスト広まる。
マホメットはそれを嫌い、豚は神聖な動物なので食べちゃだめ!って事にしたらしい。
当時お風呂に入らなかったキリスト教徒に対して、イスラム教とはお風呂好き。
ヨーロッパでは、お風呂に入ると異教徒として、火あぶりにされた事もあったそうな。
44 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 10:05:17 0
>マホメットは・・・豚は神聖な動物なので食べちゃだめ
「卑しい動物」だったはずだが
45 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 10:08:05 0
イル汗国にも外国人のケシクはいたはずだが。
>ヨーロッパでは、お風呂に入ると異教徒として、火あぶりにされた事もあったそうな。
チャガタイが沐浴したイスラム教徒を処刑した話みたいだな・・・
47 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 10:17:34 0
44さん
ご指摘有難う御座います。
ヒンズーの牛と間違えちゃった。お恥ずかしい。
>>45 イルハン朝にとっての外国人とは?インド人とか?
49 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 13:43:30 0
50 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 13:59:28 0
51 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 21:38:57 0
>>43 その割にイスラム圏でもペストの被害は大きかったが。
マムルーク朝ではインド洋交易に従事していたカーリミー商人が大勢死んで
経済的に打撃を受けたとか。
バグダードやメッカでも大流行してる。
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
意外とおもしれーぞ
53 :
世界@名無史さん:2006/03/15(水) 00:52:57 0
55 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 11:24:32 0
人気のないスレじゃのう
元王朝で面白いのは世祖フビライと順帝トゴン・テムルの時代だけだからな。
57 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 23:04:14 0
皇位継承で何度も内戦になったりとか面白いと思うけどなあ
RMBのことあるね
59 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 23:50:58 0
あげさせてね
60 :
世界@名無史さん:2006/04/17(月) 23:58:46 0
行方不明になった皇帝は泰定帝だったか?
行方不明はいなかったと思うけど・・・暗殺は多かったが
62 :
世界@名無史さん:2006/05/03(水) 16:50:11 0
カイシャンの代あたりが中興期に見えなくもないが、
いかんせん話題が乏しいね。内部抗争に明け暮れた話ばかりだからか・・・
63 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 01:29:12 0
蒙古式の辮髪は強制されていたのか
それとも民の自由に任せていたのだろうか。
>>63 明の洪武帝がわざわざ「胡俗」を禁止しなければならなかったところを見ると
自由意志でやっていたのでないか?
元代にはモンゴル名を名乗って弓矢を携帯するのは特権だったし
65 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 07:37:59 0
元と高麗
66 :
世界@名無史さん:2006/05/04(木) 08:01:06 0
>17
ジュチ家領といえば北アジア〜南ロシアを思い浮かべるけど、
山東半島あたりにも小規模な領地があったりして複雑怪奇(時代が下がれば名目的になっていくけど)。
逆にイランあたりの都市部が名目的には大都の大汗直轄領だったりもする。
元にあるフレグ家領の収益をわざわざイランから取りに来てどうのこうのってのを何かで読んだな。
>>67 この論文のことだね。
松田孝一「フラグ家の東方領」『東洋史研究』39-1 1980.
チンギス・ハン征西の時期にフレグに分与された、被征服地である旧金朝領内の
「打捕鷹房民戸七千餘戸」がはじまりで、フレグ西征後のアバカの時代、
至元十二(1261)年に一旦元朝側に返上されていたけど、大徳八(1304)年に
ガザン・ハンの使節が入朝したおりに再度下賜されたようだね。
場所としては河南安陽周辺の彰徳路と河東・陜西の民賦がそれだそうで、
フレグ・アバカ、ガザン・オルジェイトゥの時代それぞれにダルガチ以下の
諸吏が管理にあたっていたとか。
>68
多分それでした。ありがとう。
打捕鷹房民戸って狩猟の勢子か何かかな・・・
70 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 23:05:03 O
ポ・イエンについて誰か教えて!
冷酷な人だったらしいが
>70
漢字で何て書くん?
72 :
世界@名無史さん:2006/05/23(火) 09:18:35 0
それは伯顔(Po-yen)のことじゃないのか。普通は「バヤン」というな。
イルハン国の使節だったがクビライに気に入られて将軍になり南宋攻略を指揮した人。
冷酷だったって話はよく分からん。街ひとつ皆殺しにした程度のエピソードしかない。
73 :
世界@名無史さん:2006/05/23(火) 10:01:17 0
百の眼を持つバヤン
顔が相当に大きいんだね
75 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 16:32:51 0
月例保守。
76 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 20:29:37 0
話題の無い王朝スレだな。
モンゴル関係スレは乱立してるからね。
それにクビライ以降は人気ないし。
トゴン・テムルの時代が一番面白いと思うけど
>>34 時宗は朝鮮侵攻を考えたが
頼綱のせいで中止になったんだっけ?
80 :
世界@名無史さん:2006/07/10(月) 00:09:02 O
元朝も、しかしながら、末期になるとたががゆるんでくる。親中派といわれ、古典の教養の深い順帝が急にラマ教に転向し、あやしげな房中術に魅入られて、まったく政治をかえりみなくなった。
皇太子にもラマ教への改宗をせまったぐらいである。順帝はまた建築を好み、籠臣のために設計図を書いてやり、「大工の天子」の異名をもっていた。
また、順帝のふたりの皇后のうち、皇太子を生んだひとりが高麗出身だったせいで、宮廷内部は、やがて高麗色にぬりつぶされた。
世祖フビライ・ハーンが、元室に高麗婦人の入嫁を固く禁じていたのに、順帝によってその家法が破られたときから、識者たちは元朝の命運を予知したといわれる。
『世界の歴史14 明と清 』三田村秦助 1990 河出書房新社
81 :
世界@名無史さん:2006/07/21(金) 20:34:41 0
騎馬軍団再現、戦闘シーンも…建国800年のモンゴル
【ウランバートル=加藤隆則】建国を迎えたモンゴルで、初代皇帝チンギス・ハーンの騎馬軍団が再現され、海外の観光客を含む約3000人を前に10日、13世紀の軍服姿で戦闘シーンを披露した。
建国記念行事の目玉イベントで、同国のエンフバヤル大統領、エンフボルド首相のほか、行事に協力している日本からも森喜朗前首相らが参加した。
会場は首都ウランバートル南郊約45キロの草原。モンゴル国軍兵士による計500騎の騎馬軍が約45分間、弓矢やヤリ、剣による戦闘を演じた。同イベントは8月まで計30回開催の予定。
800周年事業実行委員会の責任者ガラムオチルさん(70)は「世界最大の帝国を築いたモンゴル民族の偉大な力を改めて見直し、その力を特に今の若者たちに授けたい」と熱弁を振るった。
見学に来ていた中学生バトオルンホー君(16)は「隊列がきれいで格好よかった。騎馬隊のことは本の中でしか知らなかったので、本物を見ることができ感激した」と話していた。
(2006年7月10日19時47分 読売新聞)
ttp://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=66986
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
83 :
世界@名無史さん:2006/08/22(火) 17:36:45 0
age
sage
85 :
世界@名無史さん:2006/09/11(月) 13:01:20 0
保守
86 :
世界@名無史さん:2006/09/11(月) 20:17:29 0
宋や明、清は歴代皇帝の廟号とか継承順を覚えられるんだが
元は駄目だ。何であんなに系図が複雑なんだ。
87 :
世界@名無史さん:2006/09/11(月) 20:20:48 0
>>86 長子継承制が確立されず、皇族や貴族が次の皇帝を誰にするかを
めぐって争ったからでは
しかもその皇族・貴族が独自の軍事力を持っていたから余計始末が悪い。
加えてモンゴル至上主義派と漢化派との派閥争いも影響している。
89 :
世界@名無史さん:2006/10/30(月) 19:25:18 0
90 :
世界@名無史さん:2006/11/13(月) 19:18:17 O
ならば保守
91 :
世界@名無史さん:2006/11/13(月) 19:30:31 0
杉山正明の講談社現代新書ブクオフで上下800円で売ってたけど
財布の中身が厳しくて買えなかった。無理してでも買えばよかったよ。
ブクオフ遠くてそう簡単に行けないんだ。
>>80 偉大なる大帝ピョートル陛下も、
我らが救い主のこの世の父君も大工にあらせられたでなひか。非礼者め!w
>>91 それは惜しい。
岡田英弘の同タイトルの新書が百円で売ってるの見たことある。
やたらと朱線引いてあるので買わなかったが。
94 :
世界@名無史さん:2006/11/25(土) 18:46:45 0
age
スレタイに元とモンゴルを併記すれば人が来るのに
96 :
世界@名無史さん:2006/12/27(水) 21:49:48 0
あんちゃん、
「◆◇◆はだしの元◆◇◆」にすれば人が来るのにのう。
あんちゃん、わしゃわからんよ
モンゴル系スレって数は多いけど、どこも寂れてる・・・
100 :
世界@名無史さん:2007/02/28(水) 00:59:23 0
100ゲット
高麗人を母に持つ皇太子が誕生→大元ウルスが中国喪失→クビライ王朝断絶
あの法則がまた一つ。
くだらん
略奪婚はモンゴル人の風習
モンゴルってこの時代以外はパッとしないね
105 :
世界@名無史さん:2007/04/14(土) 17:44:52 0
次点は匈奴か。
106 :
世界@名無史さん:2007/06/16(土) 01:43:38 0
age
モンゴル人のおかしな名前はどこの地方が由来なのかな
漢民族と全然違うし
108 :
世界@名無史さん:2007/10/04(木) 00:37:28 0
>>107 モンゴル人の名前はそもそもは、テュルク系やツングース系の民族の名前に近い。
モンゴル トルコ
テムル ティムール
トゥリル トゥグリル
モンゴル 満州
ドルゴル ドルゴン
但し、モンゴルがチベット仏教を受け入れた後に、チベット語やサンスクリット語の名前が
使われたりしてわけわかめ状態になった。
例:センゲリンチン - チベット語で宝の獅子
ヨーロッパでピーター(ペテロ)とかポール(パウロ)とか
セム起源の名前を平気で使ってるのと同じ。
>>108 いや、「テムル」に関してはモンゴル語でもテュルク語でも読みは変わらない。
「ティームール」とか「ティムール」で読むのは(アラビア文字に写したものの)ペルシア語読み。
「トグリル」なんかもそうだけどはテュルク語のγ音(アラビア文字ではghで表される)が一部
モンゴル語では無声化して ' 音になるため「トオリル」とかになる。
テュルク語 モンゴル語
tuγ(u)ril / toγril to'oril
テュルク・モンゴル系の王族でも信仰している宗教によって名前が色々と違ってくる。
例えば、チャガタイやクビライ、モンケ、テムルなんてのは純粋にテュルク・モンゴル系由来の
名前だけど、チャガタイ家の第五代当主のムバーラク・シャーなんてのはばりばりイラン系の
イスラーム文化を受けたムスリム王侯の名前だし、生まれた時からイスラム教徒だったことで
有名なジョチ家のベルケなんてのも、読み方をちょっと変えるとアラビア語で神の「祝福」を
意味する単語になる。(barakaのこと)
大元朝の皇帝アユルシリダラなんてのは普通にチベット仏教からだけど、サンスクリット語や
チベット語の(仏教由来の)語彙はやたらと長くて、しかもそれをモンゴル語訳したものとかも
あるので名前はさらに長くなる。数は少ないはキリスト教徒の場合はやはりキリスト教関係の
人名になる。例えば、ケレイトのオン・ハンの祖父はマルクズ・ハンと言ったが、これは
そのまま使徒のマルコ(マルクス、マルコスの音写)に由来する。ケレイト王家やオングート
王家はネストリウス派のキリスト教徒だったため。
sage
112 :
梵阿弥:2008/01/22(火) 21:44:29 0
授時暦は優れていたそうで
113 :
世界@名無史さん:2008/02/24(日) 12:08:35 0
age
>>108 >モンゴルがチベット仏教を受け入れた後に、チベット語やサンスクリット語の名前が
>使われたりしてわけわかめ状態になった。
モンゴル人的にはチベット語がしゃれて聞こえるらしくて
女の子の名前なんかチベット風が多かったりするらしいよ
日本で女の子にまりあとかつけるような感覚なのかね
115 :
世界@名無史さん:2008/05/02(金) 23:23:46 0
>>110 資料も多様な言語に渡るし、
名前もそれだけ多様だと、研究者は大変だな。
116 :
世界@名無史さん:2008/05/02(金) 23:54:36 0
杉山正明センセによれば
本格的にモンゴル帝国の研究をしようと思ったら、
20種類くらいの言語を習得する必要があるとか。
人づてに聞いた話だと、ラテン語ができればな〜と仰っていたとか。>杉山センセ
実際、同時代史料だけとっても、(古典)モンゴル語、(古典)ウイグル語、ペルシア語、
アラビア語、漢語、チベット語、日本語(鎌倉時代の)、女直語(満州語)、グルジア語、
アルメニア語、シリア語、ラテン語、中世フランス語、(中世)ギリシア語、ロシア語など。
サンスクリット語や東南アジア、インドの言語も場合によっては必要だから、
軽く見積もっても同時代史料の言語だけでも16言語は必要。これにフランス語とかドイツ語とか
イタリア語とか、19世紀、20世紀の研究文献の言語も加わる。
契丹語が解明されていたらまたかなり状況が違うんだろうけど。
118 :
世界@名無史さん:2008/07/26(土) 18:45:50 0
119 :
世界@名無史さん:2008/07/26(土) 21:13:16 0
あの時代に不換紙幣を流通させただけでもすごいと思うのだが、
今のアメのドルも金の裏づけない不換紙幣だが、
堺屋太一の論文によると、ドルの下落率と、元の不換紙幣の下落率は
ほぼ同じだそうだ。
>堺屋太一の論文
何てタイトル?
_ ●●● ●●●●●
/ \ ● / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ ●
/ 元 ヽ● / 元 \●
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123 :
世界@名無史さん:2008/10/18(土) 14:04:02 0
age
124 :
世界@名無史さん:2008/11/14(金) 19:24:42 0
中国に臣従する異民族とだけ交易する。中国は地大物博、バランスの取れた
あらゆるものがあるから、周辺の惨めな連中に恵んでやるという思想。
これは中国とそれ以外の国に物流において明確な壁を作ることになる。
それが現実化したのが万里の長城や海の長城だ。
しかし、この中国の主張には嘘がある。中国が飛びぬけて強いから朝貢貿易
をするのではなく、朝貢貿易をしなければ中国が崩壊してしまう。それどころか
中国というものが消えてしまうという恐れがあるからなのだ。
これはモンゴルがもたらした、海上のシルクロードと大陸のシルクロードの
完備による中国のローカル化。つまり、中国は物資の豊かな一地方としか
扱われなくなってしまったということ。
その痛みは現代人にもよく分かる外国への財の流出、安価な商品の流入
国家の統制をとびこえる商人。実際に元朝でもたらされた改革は「中国の
植民地化」。そしてそれは之までの十八史でまとめられてきた「偉大な中国」
が消えた瞬間でもあった。
システム、構想、領域すべてモンゴルが中国を越えていたからだ。これを
中国人が認めないから歴史的な混乱が起こる。中国人に歴史を尋ねると
モンゴルのところで支離滅裂になる。これは結構歴史好きな中国人でもそう。
これはこの時代に起こった内容を本当にはっきり書いてしまうと、中国人の
アイデンティティが崩壊してしまうから。だから中国の王朝史のなかで元だけが
格段に歴史資料としての質が落ちるといわれている。これは異民族王朝を
馬鹿にしたのではなく、書くわけにいかなかったことが多すぎたために
支離滅裂になったのだと思う。
そして元のあとに生まれる明は「モンゴルを倒して漢民族王朝を復興させた」
といわれるが、俺は「モンゴルのDNAを受け継いだ漢民族王朝の名を借りた
過去の歴史と断絶された中国」「そして、漢民族というものを完全に腐らせた王朝」
と位置づけている。
125 :
世界@名無史さん:2009/01/05(月) 01:16:13 O
元寇でサムライは集団戦に苦戦したと言うが、実際は直ぐに対応して互角だったらしい。
それは戦後になって公立中学教師が言いふらしてたんだろ。
日教組の吹き込みだよ。
127 :
世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:02:47 0
>>125 武士はもともと集団戦闘。
伝統的な九州防衛ドクトリンに基づいて、
福岡平野に誘引して騎射戦→突撃の必殺コンボで圧勝した。
逆に元軍は日本の武士の、槍持ちなどと構成した少人数ユニットで組織された日本軍の攻撃に
そうとう混乱したらしい。
129 :
世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:22:04 0
当時日本には槍なんてまだないんじゃない?
鉾と言うべきか。
131 :
世界@名無史さん:2009/02/14(土) 20:32:56 0
現在では矛と槍を区別することは無意味と考えられている
それはともかく、槍が再出現する直前の時期に当たっていると思うんだがね。
平家物語とかだと「手鉾」が小長刀の意味で使われてたりして割と混乱してるとか
元の朝廷で主に使われていた言語や文字ってモンゴルのものなんでしょうか?
それまで中国にあった文化は完全に消滅させたんですか?
135 :
世界@名無史さん:2009/06/22(月) 22:40:37 0
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∩
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北大 名大 九大
招待工作などに気をつけませう
137 :
世界@名無史さん:2009/09/14(月) 22:57:31 0
リンダン・ハーン以降の元の宗族はどうなったの?
139 :
世界@名無史さん:2009/12/26(土) 09:46:14 0
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140 :
世界@名無史さん:
文化遺産観光庁長官「マルコ・ポーロはスパイ目的でシルクロードを旅した」
2010年01月10日付 Mardomsalari紙
http://www.mardomsalari.com/Template1/News.aspx?NID=69346 文化遺産観光庁長官は、マルコ・ポーロの旅は政治目的によるものであり、
西洋を東洋に対して対抗させることが彼の真の狙いだったと述べた。同長官に
よると、マルコ・ポーロの旅には、恐らくスパイ的な側面があったのであり、
西洋人のために情報を収集することが彼の目的だったという。というのも、
彼らにとってシルクロードは極めて重要で、彼らはシルクロードという道を
経済的観点から大いに活用したからである。
バガーイー長官はまた、「シルクロードは、遠い過去において、中国人と
イラン人が互いの利己的な利益に縛られることなく、互いに結びつきを
保っていたことを示す実際の証拠である。経済的な結びつきは、彼らの
関係を図るパラメーターの一つに過ぎなかった」と指摘、その上で、
「長い歳月の中で、シルクロードでは様々な戦争が起きたが、この道が
封鎖されるようなことは一度もなかった」と述べた。
バガーイー長官はさらに、「異なる地域の人々が結びつくことは、
人類の思考の深化にとって必要条件である」と述べ、次のように指摘した。
「西洋諸国はいつも、人類の必要を自らの利益のために利用しよう試み
ている。より多くの結びつきを手に入れようと、西洋人たちが植民地獲得
ゲームを始め、東洋の知や文明を利用するために、植民地を支配しようと
考えたのも、そのためであった。現在も、西洋諸国は別の形で、自らの
利己的な利益を獲得しようと企てている」。
バガーイー長官は最後に、「シルクロードは単なる交易ルートだった
のではない。むしろこの道を通じて、様々な文化的・社会的交流が
行われたのだ」と指摘した。