1 :
世界@名無史さん:
2 :
世界@名無史さん:2005/12/26(月) 23:14:37 0
ローマ vs 漢
モンゴルなどの騎馬遊牧民は、イランや中国、東欧など
草原地帯と隣接した文化圏しか支配できなかった。
一方スペイン・ポルトガル、オランダ、イギリスなどの
いわゆる「シーパワー」は、あまり内陸部まで影響力を
及ぼすのは難しかった。
前スレで基本的なことを理解していない人がいたようだけど。
ロシアと清の条約は単純にロシアの勢力がアムール川流域まで伸びてきた為に、
そこで衝突が起こってその結果結ばれたもの。
当時の技術力ではそんな遠方までロシアがまともな軍を派遣できないのは明白なこと。
まあ、自国やそれを含む地域を優れテいると思いたいという気持ちはごく自然なものだし、
実際いかなる時代いかなる分野でも欧州の方が優れていたなどと考えるのは馬鹿げたことだが、
少なくとも16世紀以降の軍事技術に限定して考えるなら、
欧州の東アジア地域に対する優越は認めざるを得ない。
18世紀までは単純に技術的な限界から欧州から東アジアまで送り込める兵力が、
極めて限られたものであり、そうしたもののみを相手にしていたから、
その限りにおいて東アジア地域内において優位に立っていたに過ぎない。
15世紀、14世紀あたりはどんなもん?
欧州厨は対オスマン戦については距離の問題を一切無視するくせに、清に負けた
言い訳には距離の問題を持ち出すんだな・・・
>>6 オスマン朝と清の位置関係を確認してみなよ。
ウィーンなんてオーストリアの首都なんだから距離ゼロだろ。
モスクワ-アムール川間とイスタンブール-ウィーン間を同一視する感性の中身を知りたいわけだが
当時ヨーロッパは兵站などの後方支援の分野がアジアに対して比較にならない程
遅れていた。
だから少数の冒険家をアメリカやシベリアに送り込むことはできても、本格的な
軍事行動を伴う戦争では自分たちのいる地域内ですらイスラムに劣勢だった。
清が18世紀前半には新疆ウイグル自治区に万単位の軍隊を送り込んで征服したのに
対して、ロシアが中央アジアでそれに匹敵する軍事行動が可能になったのは、
それから1世紀以上も後になってから。
>>10 まあ後方支援がアジア>ヨーロッパだった(てか清の様な超大国が出現せず分裂していたからの気もするが)のは確かだが、
>ロシアが中央アジアでそれに匹敵する軍事行動が可能になったのは、それから1世紀以上も後になってから。
はおかしくないか?
ロシアは当時のヨーロッパでも極めて遅れた国だし、ロシアは中央アジアよりもポーランドや黒海、バルカンを重視してたと思うんだが
西洋人は戦争が強いイメージはあんまりないな
神が絶対的存在だから無駄死には嫌がるが合理的とも言える
機械兵器が優れて戦争する感じだな
>>11 ロシアはいつでもどの方角に対しても拡張主義だよ。
時代ごとに相手が与し易いと判断した方面に侵攻する。
中央アジア方面からは常に深刻な軍事的脅威を受けていたから、安全保障上は
むしろこの方面の方を重視していたはずだ。
基本的にヨーロッパを志向するロシアにとって、
西アジアの目前の脅威を無視して、黄色人種と原野しかないシベリア方面に進撃する動機はないしね。
下手に深入りして、本来の係争地域である北欧〜バルト海方面や
クリミア半島〜黒海方面を保持すべき兵力を奪われたら本末転倒だし。
>>14 ロシアは中央アジア方面の防衛のために莫大な予算や兵力を割いていたわけだが。
1630年代には20年の歳月をかけて全長800キロのベルゴロド防衛線を建築し、80年代にも
さらにイジューム防衛線を建築している。
その維持や監視にも毎年予算や兵力が必要だし・・・
ロシアは遅れていたが18世紀になるとバルカン進出してオスマンを侵食
ヨーロッパに介入してるから
この頃は弱いとはいえないな
ただ清は遠すぎるし、シベリアは寒い
逆に考えると鉄道もない時代にシベリア進出してアムールまでいったのは凄いことだよ
ウラジオストクからモスクワまでなんて、寒波もあいまって考えるだけでも寒いわ
>>13 >時代ごとに相手が与し易いと判断した方面に侵攻する。
>中央アジア方面からは常に深刻な軍事的脅威を受けていたから、安全保障上は
むしろこの方面の方を重視していたはずだ。
上と下で自己解決しとるやん。
自軍の補給とか土地の魅力を考えたら、不凍港も無く不毛で自分の主要都市から遠いのに抵抗がソコソコ強い土地はスルーすると思われ。
シベリア鉄道も無い時代に中国方面や中央アジアでの大規模な軍事行動なんてアリエナス
>>15 そりゃあ、アジアの向こうはタルタロスの地獄程度に思って何もしていなかったおかげで
モンゴル軍にあっという間に蹂躙され、国を建てられるわ町は焼き払われるわこき使われるわと
まさに無茶苦茶な状況に叩き落されたからな。
アジアに直接国境を接する国としては、それくらいしないと恐怖感が拭えなかったんだろう。
>>17 ロシアに脅威を与えていた遊牧民がいたのは、現在のカザフスタンだよ。
遊牧民の機動力なら一歩間違えばモスクワへ直接攻め込むことも可能な距離。
ロシアは17世紀前半だけで、この方面からの侵攻によって15万人から20万人を連れ去られてる。
ちなみに脅威だったカザフ人は、1681年以降、ジューンガル部の攻勢を受けて弱体化する。
ところが、そのジューンガル部も清によって征服されてしまう。
つまりこの関係を整理すると、清>ジューンガル部>カザフ人>ロシア。
欧州厨は沈黙かww
21 :
世界@名無史さん:2005/12/27(火) 17:07:00 0
日本の中世頃の東アジアで軍事力最強の国は日本か明でしょう。
古代ゲルマン人はそれぞれ自分の部族の周りを無人にしておくとタキトゥスは描写したが、
いまではその性向はロシア人にこそ当てはまる。
>>19 あの、カザフが脅威だった時代と、
ジュンガル部が清に攻撃された時代との間に100年以上の差があるのですが。
>>20 当時のロシアが東アジアに全力を注いではないなかった、
というか、地理的にそんな事は出来なかったといわれているだけなのだけど?
その上その頃のロシアは必ずしもヨーロッパで強豪とはいえない国だったし。
そういう国が極東まで送りこめる兵力相手に有利な内容の条約を結んだからといって、
勝った勝ったとはしゃぐのはあまりにも滑稽だ。
そもそも、ロシアのウラル山脈以東への本格的な進出は、
16世紀後半イヴァン4世の頃からだが、ロシアはそのイヴァン4世の死後大混乱の時代に陥る。
王朝は断絶するは、反乱は起こるは、偽ツァーリは3人も現れて内戦状態になるは、
モスクワはポーランド軍に占領させるはで、全くぼろぼろ。
その状況をどうにか打破してロマノフ朝が成立したのが1613年。
その後もポーランドやスウェーデン等と争ったり、
大規模な反乱が起きたりして、17世紀中ごろまでのロシアは全般に劣勢な状況。
そして、後にロシアを近代化させたと言われるピョートル大帝が即位したのが1682年、
彼が西欧に習って近代化を進めるために、大規模な遣欧使節を派遣したのが1697年、
そして1700年からスウェーデンとの間に熾烈な北方戦争を展開し、それに勝利したのが1721年、
ロシアが強国と言われ始めるのはこの頃から。
もちろんその後もいきなり一方的な強国になったわけでもなく、対欧州、対オスマン情勢は一進一退。
で、シベリアへの進出はそういう状況の時に、
いわば片手間で、交易品となる毛皮目当てに行われていたもの。
例えば清とアムール川流域の国境を定めたネルチンスク条約締結が1689年、
とても極東に本腰を入れていられる状況ではありません。
>>22 危険な隣人滅ぼすべしのローマ人が言える言葉じゃないな…
まあ、特に18世紀以前において、ロシアをヨーロッパの軍事力の指標に据えるのは正直無理だと思うが
だからといって、アジア勢力と直接干戈を交えたヨーロッパ国家といえば
オスマントルコにぼこぼこにされた東欧・オーストリアか
16世紀に無茶な遠征をして国家が消滅してしまったポルトガルくらいしかないしね。
当時の欧州軍事力の雄だったフランス・スペインは直接陸上でアジアと戦っていない以上、どうしようもない。
海軍、特にガレーが役に立たない外洋での戦闘・航海に関してはどうなんだろう?
陸への進出口をイスラムに塞がれたヨーロッパが奇形的に発達させた分野だが
>>14 諸公国を統一して帝国になる以前の時代は、基本的にロシア人の領土拡張は
北東方向に向かっていた。
>>18 キエフ・ルーシの時代からペチェネグ人やクマン人の襲撃に備えて
防衛ラインを作ってましたが何か?
>>19 クリミア・タタールを征服するのに18世紀までかかったのを忘れないでくれ。
>>26 18世紀以前だとオランダが介入しマタラム王国を滅ぼしたしたジャワ継承戦争や
イギリスのインドにおけるプラッシーの戦い、マイソール戦争、マラータ戦争がある。
何か前スレでもそうだったけどイギリスは海軍が凄すぎるせいか陸軍が過小評価
されているが陸軍も編成、装備ともに欧州でも一流だった。
ウェリントンの例を出すまでもなく、ウィンストン・チャーチルのご先祖様の
初代マールバラ公ジョン・チャーチルはスペイン継承戦争で英蘭軍を率いて
フランス軍やバイエルン軍を散々に打ち破っている。
>>26 直接干戈を交えていなくとも、銃・砲等の技術的立ち遅れから、
東アジアの劣勢は隠しようがないよ。
>>29 イギリス軍は確かに強いけど、戦争が長引いた時の大量出血には耐えられない印象があるな。
スペイン継承戦争とかも最後はそんな感じだったし・・・
島国だからね。日本もそうだけど、究極的には海軍(現代では空軍も含む)を完全に整備して
敵兵を国土に一人も入れなければ、陸兵が0でも理論上問題ない。
あくまで島国の国防という観点からのみ見れば、だけど。
ロシアやフランスのような広大な国境線を持つ国は、逆に陸軍は必要だが
海軍は(海を縦横に必要とするシーレーンがない限り)基本的にいらない。
だから海軍国の陸軍ってのは、海兵隊的・少数精鋭主義になるので、長期の大量消耗には耐え切れないわけだ。
ローマ教皇がアメリカ大統領を批判しても地位は揺るぎないが、
アメリカ大統領がローマ教皇の悪口を言ったら大変なことになる。
アメリカでも旧ソ連でもバチカンだけは恐れ多くて攻撃できない。
軍隊がなくても世界一安全なバチカンこそ最強の国である。
>>33 イスラム教徒ですが、バチカンはどう考えても攻撃目標です
>>33 それって天皇家を攻める大名がいなかったから、天皇家最強といってるみたいなものだ。
「権威」が現実の抑止力として期待できる世界なら
>>33は正しいが
世の中権威だけで飯が食えるような世界になるとは限らない。
飯くらいなら権威だけでも食えるけどな。
それ以上となるとどうも。
>>37 天皇家の場合、金が無くて葬儀出来なかったりした事もあるが
何しろ実質三万石で、名目上の政府、祭式の統括と維持、文化的な事業、
てんで役に立たないダメ公家どもの面倒まで見なきゃいけなかったからなあ。
まあ徳川幕府じゃなくて織田幕府だったら多分もっと悲惨だったので
まだマシというべきか。
ポエニ戦争のローマとか第二次大戦のソ連とか、「どれだけの敗北に耐えることができるか」って
その国の強さを決める結構重要な要素だよね。
それだと単純に国土が広い=成年男子が多い=兵力の補充が容易という国が
古今東西優位になるからなあ。
セオリーだと確かにそれでいいんだが。金があって、人が居て、兵士が熟練していれば強いのは当たり前。
>>41 でも、アケメネス朝ペルシアのようにたった2、3回マケドニアに負けただけで
崩壊した国もあれば、ベトナムみたいに延々とゲリラ戦を続けて元や米国を
撃退した国もあるから、単純に国土や人口や経済力だけで国の耐久力が決まる
わけではないと思う。
それは結局、国土と国民、国民意識が
どれほど戦力に直接繁栄してたかの違いじゃない?
極端な話、ペルシアの民草はダリウス3世のために命を張ってマケドニア軍と戦う義務も無ければ義理も無い。
44 :
世界@名無史さん:2005/12/31(土) 17:54:29 0
>>43 多民族国家は民草をまとめあげるのが難しい。
だからこそのナショナリズムであり、
それ以前で言えばヒッタイトのように征服者自ら被征服者ハッティの名前を継承したり
ヒッタイトのほかにローマやギリシアのように部族を神ごと迎え入れて同化したりしたわけだ。
46 :
世界@名無史さん:2006/01/02(月) 15:53:55 O
紀元前1500〜1000年頃のオリエント周辺の最強国の変遷誰かおせーて
47 :
世界@名無史さん:2006/01/02(月) 15:54:53 0
>>46 前1570年にエジプトに新王国が成立してから前1430年にヒッタイトに新王国が
成立するまではエジプト最強。
その後、前1190年にヒッタイトが滅亡するまではエジプトとヒッタイトの2強時代。
その後はエジプトとアッシリアが2強。
かなり大雑把にしか調べてないが、こんな感じだと思う。
膿の民
50 :
世界@名無史さん:2006/01/06(金) 01:22:35 0
>>48 当時ならば、オリエント限定といわず世界最強と呼んでもいいだろうね。
>>50 インドは統一されてないにしても、中国があるからそれはどうだろう?
殷、東周と強国揃いだが
東周じゃない西周だ…スマン
青銅器が鉄器に勝てるのか?殷・西周はまだ鉄器段階ではないよな?
問題はその地域で相対的に強力かどうか。
鉄器じゃないね。中国の鉄器時代は確か戦国から。
只、アレだけ人口に違いがあるし、青銅っても滅茶苦茶質の良い奴だからなあ。どうだろ?
中国って戦車が初めて登場するのも殷代末の前1100年頃だろ。
機動力でも、オリエント>中国なんだよね。
実際戦国時代を制したのは青銅器の武器を使っていた秦だからなあ、
いうほど決定的な要素ではないのでは?
>>56 馬の原産地(というか危うく最後の生息場所になるトコだった)黒海北岸からの距離の差だろうなあ…
まあ、そうだろうねえ。
確か夏王朝時代も中期になって、弓が画期的な新兵器だったはず。
17世紀のスウェーデンを調べたら人口200万正規兵2万
これじゃ、いくら強くても限界があるね
まあ、職業傭兵団が幅を利かせた最後の時代だから
正規兵の数と同時に国家の備蓄した資金を考えないとね。
インドで一番強いのはムガールになるの?
インドで史上最強なのはどう考えても現在のインド共和国ですが。
世界との比で最強だったのはマウリヤ朝では無かろうか。ムガールも強国だけど中国やオスマンの方が強いのでは?
同時期に周囲にどれほどの強国があったのかも重要だ。
ムガールは明・清やオスマン・ペルシアもそうだが
ヨーロッパ諸国も比較するとな。
ムガル帝国は、カンダハルを巡ってサファヴィー朝と、サマルカンドを巡って
シャイバーン朝と何度も戦争をしている。
結果はほぼ一方的にムガル帝国が負けているが・・・
ムガルってもともと中央アジアが起源の王朝なんだけど、中央アジアでは
サファヴィー朝やシャイバーン朝に勝てなかったから、その代わりにインド方面
に勢力を伸ばしていったんだよ。
1750年までは中国が世界経済の3分の1 インドが世界経済の4分の1を占めてた
中国派分裂しそうだし、インドは人口の多さから統制が難しい
今世紀はこの2国はなさそうだね
>>65 中央アジアが起源も何も、アナトリアを荒らしまわったティムール帝国の残党の残りだよ。
69 :
世界@名無史さん:2006/01/11(水) 00:51:56 0
>>67 俺もおかしいと思うが
文明の衝突に書かれてるんだよね
70 :
世界@名無史さん:2006/01/11(水) 00:58:08 0
>>66 それってどっかで見たことあるけど、GDPの数字だったと思う。しかも購買力の。
今と経済の仕組みが全然違う時代にGDP適応しても意味はあるのだろうか。
18世紀半ば以前のアジアがヨーロッパを経済力で圧倒していたってのは欧米の
歴史関連書籍では、ほとんど共通認識だろ。
豊かで弱いインドを征服したからイギリスは他国に対して優位に立つことができた
わけだし。
イギリスにとってアメリカ喪失はそれ程国力に響かなかったけど、インドを失って
からは目も当てられないほど弱体化したじゃん。
インドが上だったら最初から植民地になんてならないし。
経済的に豊かな大国を、貧しくて人口も少ない国が軍事力で征服する話なんて
世界史の中では珍しくないぞ。
74 :
世界@名無史さん:2006/01/11(水) 06:44:45 O
オスマンも中国もロシアも落ちぶれた理由→民族多すぎ!。
75 :
世界@名無史さん:2006/01/11(水) 06:55:24 O
時代別の最弱な国は?。
76 :
世界@名無史さん:2006/01/11(水) 07:18:23 O
バチカン
77 :
世界@名無史さん:2006/01/11(水) 15:44:16 0
もなこ
78 :
世界@名無史さん:2006/01/11(水) 15:44:50 0
ムツゴロウの動物王国
79 :
世界@名無史さん:2006/01/11(水) 20:41:46 0
>経済的に豊かな大国を、貧しくて人口も少ない国が軍事力で征服する話なんて
>世界史の中では珍しくないぞ。
昔はこういうのが当たり前にあったけど
現代はかなり難しくなったね、ほぼ無理か
現代は、ごく一部の国を除いて経済大国=軍事大国になるからね。
81 :
世界@名無史さん:2006/01/11(水) 22:49:44 0
極一部というか経済大国で軍事大国なのはアメリカだけ。
現代は金を持てば技術が買える→技術が買えれば近代兵器量産ウマー→貧乏国家は侵略なんて無理。
というオチになるからな。
ベトナムやアフガンのような状況ならまだしも、征服なんて夢のまた夢。
83 :
世界@名無史さん:2006/01/12(木) 01:19:13 0
>>82 ということはモンゴル帝国の復活はありえないということか
それ以外のかつての栄光ある少数民族も無理か
84 :
世界@名無史さん:2006/01/12(木) 01:20:37 0
>>83 近代以降は無理だろうね。国民全員が一夜にして凄腕の戦車兵になるなんて無理だもの。
中世モンゴルは、国民全員が剣さえ持てば練達の騎兵になれたから。
20世紀は「総力戦」の時代だから、日本軍にもしハンニバルが一人いても、
アメリカの工業生産力にはかなわなかったんだなあ・・・
>>86 20世紀前半は、ですね。
核分裂弾頭の実用化で総力戦=滅亡。
よって局地戦たる代理戦争を繰り広げる冷戦が幕を開けました。
つまり核分裂弾頭の実用化まで日本は戦争を避けるべきだったのです。
88 :
世界@名無史さん:2006/01/12(木) 17:06:02 0
ドイツは核作ってから戦争始めればよかったんだよ。
アインシュタインに無理やり作らせてさ。
>>87 >つまり核分裂弾頭の実用化まで日本は戦争を避けるべきだったのです。
軍部が体質を改善しないまま続いていたら、冷戦をすべき時代でも核を使用
→本土に反撃をくらってあぼーん
という、空気を読まない戦争&負け方をしそうだが。
90 :
世界@名無史さん:2006/01/12(木) 17:25:42 0
ロンメルは戦車2倍の兵力を何度か倒したけど
続けるほどジリ貧で押されぎみになってた
てか日本が核配備出来たのか?
ソ連から技術持ってこれる訳でも無いのだが
>>88 アメリカが核にぶち込んだ費用はどう足掻いてもドイツには出せませんよ。
ドイツの財政はポーランド侵攻時には破産寸前だったんだから
>>85 加えて言えば、予備の馬や食料、水や替えの武器のような戦略物資を
モンゴル人は普段から自弁してたようなものだからね。
94 :
世界@名無史さん:2006/01/12(木) 20:37:38 0
>>92 ドイツの財政はポーランド侵攻時には破産寸前だったんだから>
なんだこれ。
95 :
世界@名無史さん:2006/01/12(木) 21:02:15 0
ドイツの財政はポーランド侵攻時には破産寸前だったんだから>
. ィ
.._ .......、._ _ /:/l! またまたご冗談をw
:~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、| _
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=. _〜:、 /_.}'':,
``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ
,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:' ノ゙ノブ
" .!-'",/ `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
.-''~ >'゙:: ‐'"゙./ ヽ.,' ~ /
//::::: ', / ,:'
96 :
世界@名無史さん:2006/01/12(木) 21:45:59 0
1世紀 ローマ
2世紀 魏、呉、蜀
3世紀 ササン朝
20世紀前半
アメリカ>>ドイツ>ソ連>日本≧イギリス>フランス≧中国>イタリア>オランダ
ドイツとソ連、日本とイギリスがそれぞれ逆だな
. ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(;´Д`)< すんませんすぐ捨ててきます
-=≡ / ヽ \_______
. /| | |. |
-=≡ /. \ヽ/\\_
/ ヽ⌒)==ヽ_)= KGV命
-= / /⌒\.\ || || ( ゚Д゚ )
/ / > ) || || ( つ O.
>>99 / / / /_||_ || と_)_)
し' (_つ ̄(_)) ̄ (.)) ̄ (_)) ̄(.))
---------------------------------------------
101 :
101:Over 100 Thread:2006/01/14(土) 16:58:32 0
このスレッドは100を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
このスレにカキコするなら大国の興亡ぐらい読んどけということだな
ウルトラ自転車操業ってか、開戦後も占領した国の中央銀行から片っ端から金を回収したりして維持してたような状態。>
. ィ
.._ .......、._ _ /:/l! またまたご冗談をw
:~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、| _
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=. _〜:、 /_.}'':,
``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ
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" .!-'",/ `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
.-''~ >'゙:: ‐'"゙./ ヽ.,' ~ /
//::::: ', / ,:'
105 :
世界@名無史さん:2006/01/14(土) 23:42:35 0
エジプト→ヒッタイト→エジプト→新バビロニア→アケメネス朝ペルシア→マケドニア→セレウコス朝シリア→秦→前漢→
ローマ帝国→ビザンツ帝国→ササン朝ペルシア→隋→唐→アッバース朝→宋→神聖ローマ帝国→アイユーブ朝→
モンゴル帝国→オスマン帝国→ティームール帝国→オスマン帝国→スペイン→ハプスブルク帝国→オランダ→
イングランド→フランス帝国→イギリス→ナチス・ドイツ→アメリカ
106 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 03:05:41 0
>>105 セレウコス朝シリアはポエニ戦争直後のローマに完敗しているから却下。
匈奴に貢物を納めていた前漢が世界最強なわけがない。
アイユーブ朝はサラディンの時代ですら2万を動員するのが精一杯。
ティームール帝国を入れるのなら明も入れるべき。
スペイン、ハプスブルク帝国、オランダの時代はヨーロッパよりもアジアのほうが遥かに上。
それに国名がイングランドってことはスコットランドすら併合できていないってことだろ・・・
ナチス・ドイツがアメリカより強かった時期なんかない。
>>105 このスレッドで、よjく日本を叩く理由を以って
兵站を維持出来なかったフランス帝国が
世界最強である道理が無いです。
>>105 ナチス・ドイツもいらんだろ。
ヨーロッパ限定で瞬間風速的に強かっただけだもん。
普仏戦争からWW1まではドイツかなぁ。1920年代以降はアメリカなのは絶対に確定。
WW1では陸のフランス、海のイギリスの二カ国合わせてようやっと西部戦線でドイツに
対峙できていたわけだし、さらにドイツは東部戦線も抱え込んでいたわけだから、
一カ国だけをとりあげればドイツが最強でそ。
冷戦後のアメリカのようにただ一国「最強」の国があった時期って実はあんまりなくないか。
111 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 08:37:02 0
>>110 モンゴルは1強
ローマと漢の2強時代
明とティムールの2強
アメリカとソ連の2強時代
>>106 秦・楚との殴り合いを終えたばかりの高祖の時代、その後の呉楚七国の乱の頃はともかく
武帝時代になると名実共に強い。軍事的にもそうだが、文化的にもアジアをリードしていた。
大喬と小喬もですね。>二喬
115 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 13:21:34 0
大朝鮮帝国を忘れてないニカ?
116 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 14:03:44 0
今から100年後の最強国を予想しよう!
117 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 14:45:31 0
アメリカ最強は今後50年はかわらんだろうな
118 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 15:18:54 0
アメリカの次はどこの国が台頭することやら。
119 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 15:47:09 O
パルティアを忘れてもらっちゃ困る。
>>119 アルシャク朝って、イマイチ冴えませんねぇ。
121 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 16:46:53 0
パルティアって影薄杉
122 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 16:58:49 0
モンゴル帝国は凄かっただろうな。
やろうと思えばヨーロッパの国々も全部支配できただろうし…モンゴル帝国ほど最強の国はないだろうな。
123 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 17:23:40 0
モンゴル人の相続法があれほど分割・分裂誘発型でなかったなら、
スコットランドまで席巻してた鴨南蛮
124 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 17:28:31 0
ローマ≧漢=パルティア
相続法ってか、クリルタイの制度的問題(支配領域が小さければ国境から中央まで
数日で行き来できるが、チンギスの時代にそれが不可能なまでに広がったにもかかわらず、
その問題が顕かになったのがチンギスの死を前にしたとき)ってことだろう。
WWII当時のような数日以内なら地球の何処にでもいける手段があったら、
クリルタイ(ヤルタ会談)をして、数日後には前線の指揮をとるなんてことも出来たかもねw
126 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 17:45:01 0
唐vsイスラムも中学時代の歴史資料に必ず出ていた。戦争でもイスラムが勝った
文化、学問後世への影響もやはりイスラムが上だろう。シナ、チョーセンはやはり
儒教の影響でいつまでたっても停滞のイメージだ。
127 :
123:2006/01/15(日) 18:21:49 0
トップが逝く度に進軍を止め撤兵し、相続する度に領土を含めた全財産が細分化されていく。
そんなモンゴルって、拡散しながら瓦解してるよな、って
128 :
125:2006/01/15(日) 18:30:29 0
んー、違う違う。
トップが次期トップを自死の前に事前に指名しておく(中央集権体制国家では当たり前のこと)と、
前線指揮官がトップの死のたびに中央に呼び戻される必要性はない。
細分化はそれぞれの指揮官がその相続を認めるか否かでは。
相続を前トップの生前(つまりは前トップが内外に絶大な権力を持っていた時期)に異議を唱えるか、
前トップの死後、次代トップが誰だかわからず戦功で決められそうな雰囲気の会議か、ってこと。
一件、後者の方が能力評価主義っぽく見えるけどね。
評価ってのは軸をおく位置で評価の値が変わるものだしw
129 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 18:31:34 0
ウィーン体制時
土・墺・露
晋仏戦争〜WWT
英・仏・独・露
WWT〜WWU
米・英・仏・伊・日
WWU〜ソ連崩壊
米・ソ・中
現代
米・中・EU
130 :
123:2006/01/15(日) 18:49:11 0
>>128 125さん、彼等はそのへん上手く無問題にしてたの?
バトゥ君はトンボ返りしてたし。
末子から順番に相続ってのもあったと思うんだが。。
131 :
世界@名無史さん:2006/01/15(日) 19:15:48 O
しかしまあ・・・モンゴルはありえんわ。世界史上の奇跡だな。
>>130 各戦線の前線指揮官が同時に継承権を持つ政治的トップだったのが問題なんだろ。
あの時代じゃしょうがない、というかモンゴルでは軍を握る=民を支配するってことだったし。
元の中華帝国へのシフトをはじめ、各ハン国の分裂と独立はしょうがないと思うよ。
一人の大王が直接統治するにはシルクロードは広すぎるし、モンゴルは文化的に弱すぎる。
キリスト化スラブやイスラム、中国なんかに文化的に埋没したのはまあしょうがない。
>>105 ササン朝ペルシアが最強の時期なんて無いだろ。ホスロー一世の時だって末期にはビザンツに大敗してるぞ?
後正当カリフ時代のイスラム帝国と後ウマイヤが無い事について。モンゴル以前としちゃ空前に近いぞあの規模は
後ウマイヤ→ウマイヤです。ミスった;
>>133 空前に近いってほどではないな。アレクサンダーがいるもの。
アレクサンダーはエジプト以西とアラビア半島は征服していないかわりに、
ギリシャや小アジアといったもっと重要な地域は征服しているわけで。
136 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 02:38:15 0
アレクサンドロスは短期間だったけど
その後に与えた文化の影響を考えれば世界の王だったろうね
とすると、その前のペルシアも世界1強になるかな
137 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 15:56:20 0
世界と主張するには狭すぎます。
世界史やっててなんだが
『世界』の規模がイマイチわからん
139 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 16:48:39 0
SF用語の「恆星間國家」から、「世界帝國」は以後、
「文明間國家」と呼ぶのが宜しいでしょう。
あるいは単純に「超帝國」
141 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 20:36:48 0
アレックスはガンガったさ。
用意されたミッションに対して達成率というものがあると思うんだな。
最先端地域を広範囲に統べ歴史に多大な影響を与えるという“ミッション”は、間違いなく当時の
世界で最大のものじゃない。
彼はそのほとんどを達成してしまってるんと違う?
インドの先には中華帝国もあって確かに世界はもっともっと広い罠。
しかし、当時の「世界」には、膨張する宇宙論と同様?に“茫洋とした地域”“果て”がある。
その先は考えられないよ。
最先端地域を中心とした内側のかなり狭い所が「世界」なんじゃないかと思われ(ry
142 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 21:37:32 0
>>105 ササン朝が東ローマより強かったときなんて一瞬たりともない。
ホスロー2世の時だって一瞬でヘラクレイオスに逆転されたし。
古代は中国、オリエント〜インド、(もしあれば)アメリカのそれぞれが
それぞれ文化的に小世界を作ってた。
極端な話、周辺にとってはバビロンも洛陽もテノチティトランもエルサレムも世界の中心。
144 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 22:45:38 0
紀元前
世界・・・エジプト&メソポタミア、ヒンド平原、中原
世界の中心・・・バビロン、パータリプトラ、洛陽
古典古代
世界・・・地中海周辺、イラン、インド、中国
世界の中心・・・ローマ、セレウキア、パータリプトラ、長安
中世前期
世界・・・キリスト教圏、西南アジア&北アフリカ、インド、東アジア
世界の中心・・・エルサレム(細分化するとローマとコンスタンティノープル)、
バグダード、カナウジ、長安
モンゴル時代
世界・・・ユーラシア
サブ世界・・・キリスト教圏、西南アジア&北アフリカ、インド、東アジア
世界の中心・・・大都
サブ世界の中心・・・ローマとコンスタンティノープル、カイロ、デリー、大都
145 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 22:47:32 0
モンゴル以後
世界・・・ユーラシア、中米、南米
サブ世界・・・ヨーロッパ、イスラム世界、南アジア、東アジア
世界の中心・・・不在、テノチティトラン、クスコ
サブ世界の中心・・・ローマとコンスタンティノープル、カイロ、デリー、北京
近世
世界・・・全地球
サブ世界・・・西洋、イスラム世界、南アジア、東アジア
世界の中心・・・不在
サブ世界の中心・・・ローマ+パリ+ロンドン+ウィーン、イスタンブル、デリー、北京
近現代
世界・・・全地球
サブ世界・・・(西洋、イスラム圏、東方アジア)→世界と融合化(グローバリゼーション)
世界の中心・・・ニューヨーク
>>143 エルサレムが政治の中心になった事って殆ど無かった気が…
パレスティナは世界的には決して貧しい土地じゃないが、メソポタミア、シリア、エジプトと挟まれりゃ中心は夢のまた夢
147 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 22:55:24 0
まあ中世キリスト教圏の世界観・地理観では世界の中心だし、
ローマもコンスタンティノープルも単独でキリスト教圏の中心というには弱く
かといって東欧と西欧が全く未知の異文明世界と解するのも無理がある。
>>144 乙。でも突っ込みどころ多すぎる…
・セレウキア
セレウコス朝シリア入れるんならエジプトとマケドニアは入れなきゃ拙いだろ。
カルタゴ…って際限無くなるぞ。決して国力に大差あった訳じゃないんだから。
・エルサレム
143で述べたとおり。コンスタンティヌス後のローマがキリスト教受容した後のキリスト教の中心とすら言い難い
・大都
モンゴル帝国の中心になったのはごく一瞬。むしろカラコルムじゃないか?
・都市としてのローマ
過大評価し過ぎ。西ローマの首都はラヴェンナだし、ベリサリウスと東ゴートの戦闘で一時人口が数百まで落ち込んでる。
その後もキリスト教域の中心…とすら言い難い。経済的には言うまでも無いしな
149 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 23:08:15 0
>セレウキア
エジプトやマケドニア(紀元前後の古典古代には地中海帝国ローマの一員)とは違って
独立の大国の都であり、ゾロアスター教文明の中心。
しかもローマとパルティアはローマとエジプトメソポタミアの相互関係よりも
はるかに疎遠(相対的な話だが)で、互いの実態に対する知識も乏しい。
よって異文明。
>エルサレム
ローマは正教圏まで含めた全キリスト教世界の中心とはいえないし、
コンスタンティノープルも西欧カトリック圏の仰ぐ中心とはいえない。
しかし東欧と西欧は異文明同士というには関連と相似が多すぎる。
そこで象徴的な位置づけを持つエルサレムを無理やり引っぱってみた。
>大都
杉山正明流のモンゴル観。カラコルムが中心だった時代だと、
まだユーラシア大陸全体がひとつの歴史単位としてまとまるには微妙に時期が早い。
>都市としてのローマ
都市の経済規模や政治機能はともかく、そこには教皇がいて、かつての世界帝国の旧都でもある。
よってローマを制するものがキリスト教圏(とくに西欧)において
世界の支配者=皇帝と認識されえたというのは、歴代「神聖ローマ皇帝」の行動から明らか。
150 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 23:09:23 0
訂正。
>ローマとエジプトメソポタミアの相互関係よりも
ローマとエジプト・マケドニアな。
151 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 23:11:42 0
ああ、セレウキアをクテシフォンにすればよかったのか。
現実の政治経済と分離した、宗教的意味ではエルサレム、
ついでローマは世界の中心には違いない。
そういった宗教的意味での世界の中心といえばメッカとか、日本における京とか。
クテシフォンなら理解できるが、ローマはどうかなあ…?
エルサレムも、宗教的なある種の象徴ではあったが十字軍を見ると死守!という感じではないし、
ローマも同様な訳で。
中世ヨーロッパは無理に中心設定するべきでない時期なのでは?
近世のローマは既に宗教的な象徴という意味すら薄れてると思われ
モンゴル以降のコンスタンティノープルが中心ってのも解せない。十字軍による陥落後の東ローマは既に地域大国ですら無い気がする
こーゆー恣意的な範囲指定が跋扈するから、
合理的な
>>140を提案したのです。
>>154 「文明間国家」て何?
シルクロードの諸都市国家の事?
恒星間国家は恒星に住んでるわけじゃないから意味が通る訳だが
複数文明圏国家と呼べばよろし
トロヤ史観
トロヤ→(略)→ローマ→西ローマ→フランク→神聖ローマ→イタリア→
スペイン・ポルトガル→オランダ→フランス→イギリス→アメリカ→?
ギリシア→マケドニア→ディアドコイ→ローマ帝国東部→
東ローマ→ロシア→ソ連→中国?→インド?ブラジル?
ヨーロッパ中心なわけだが、アメリカ建国によるヨーロッパ文明の
非ヨーロッパへの移植によって、アメリカ名を連ね、
社会主義でキリスト教を否定したソ連を介することによって、
その崩壊によってはじめて中国の名を連ねることができるようになった。
誰か補完して。
>>161 文明間国家だと「文明と文明の間にある国家」としか読めない罠。
恒星間は恒星(間にある惑星)と考えれば意味が通るが。
だから電波SFおっさんはスルーで。
俺用語とかキショくて見てらんない。
>>162 クソッ……なんて世の中だ。
恆星間國家とは、恆星系間國家であり星系間國家と同義である事、
複数以上の惑星を統合する國家を惑星間國家または星間國家と呼ぶ事、
などを一々書いてやらねばならないのですか。
ふーん。で?
基地外が粘着してるなぁ。
基本的には「多民族国家」と書けば良いだけなんでは?
もっとも、狭い土地に多くの民族がひしめき合っているような事もあっただろうから、それだけでは説明不足になるかも知れんが。
「超大帝国」とか、従来通りの「世界帝国」で十分だと思う。
SF用語的には、あちらじゃ“Space Ship”と“Star Ship”の簡潔な違いだけで説明されてるもんだろ。
前者が普通の「宇宙船」、後者が「恒星間航行が可能な宇宙船」。
>>153 軍事・政治的にはコンスタンティノープルは確かにほとんど価値を失ったが
宗教・文化・経済の面ではそうでもないよ。
あそこは黒海以北のスラブの蛮族ども、シリア以東のオリエント・イスラム文明、地中海やヨーロッパ文明の交易の結節点だったし
宗教的にはキリスト教世界の王、ローマ教皇と並ぶ宗教的絶対者であるカエサルの子孫、東ローマ皇帝陛下がくっついてた。
171 :
世界@名無史さん:2006/01/22(日) 20:47:01 0
モデルスキーの本ではこう書かれてるな・・
世界大国 挑戦国
1500年 ポルトガル スペイン
1600年 オランダ フランス
1700年 英国 フランス
1800年 英国 ドイツ
1900年 米国 ソ連
1500年ポルトガルに激しく違和感がある…
世界大国はオスマン・トルコで
それに挑戦したのがスペイン・神聖ローマ帝国だと思うんだが
>>171 客観的に見て普通そうだろ。スペイン>ポルトガルかもしれないけど。
エジプト、シュメール、アラビア、ギリシア、ローマ、スペイン、ポルトガル
イギリス、フランス、モンゴル、ドイツ、ソ連、アメリカ
これらの国が歴代最高の国々。
「客観的に」ではなく、西洋しか知らない西洋人の主観、というか希望に過ぎないよw
1600年オランダも、あまりに短期的だからなあ。
多分同時期の明やオスマン帝国に比べたら、ポルトガルなんてカスみたいなもの。
彼らは、「ヨーロッパの他国より早くアフリカ〜アジア航路を見つけた」という
それだけの存在だからな、極端な話。
軍事的にも強国とは言いがたく、あっさり同君連合をスペインと結んでいる。
紀元前5世紀 ペルシャ
前4世紀 ペルシャ
前3世紀 マウリア朝、秦
前2世紀 ローマ、匈奴
前1世紀 漢、ローマ
1世紀 ローマ
2世紀 ローマ
3世紀 ササン朝、ローマ
4世紀 ローマ
5世紀 北魏、エフタル
6世紀 ササン朝、突厥、
7世紀 唐
8世紀 イスラム帝国
9世紀 イスラム帝国
10世紀 ビザンツ
11世紀 セルジューク朝、遼
12世紀 アイユーブ朝、金
13世紀 モンゴル帝国
14世紀 モンゴル帝国(チムール含む)
15世紀 明、
16世紀 オスマン朝、スペイン
17世紀、フランス
18世紀 イギリス、ロシア,フランス
19世紀 イギリス
20世紀 アメリカ
21世紀 USA?
つーか、遊牧民族の場合、西洋風の領域国家論では捉えきれないことがある。
12世紀はアイユーブ朝よりも二ザール教団の方が強いだろ。
181 :
世界@名無史さん:2006/01/23(月) 23:52:19 0
>多分同時期の明やオスマン帝国に比べたら、ポルトガルなんてカスみたいなもの。
プッ
オスマン帝国も明も東洋で引き篭もってるゴミだろがw
戦も政治もポルトガルには遠く及ばない
遊牧民族はモンゴル以外はカスばっかだからな。文明の発達の貢献度に関していえば、まさに無能の集団。
183 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 00:13:38 0
184 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 00:20:24 0
多分同時期の明やオスマン帝国に比べたら、ポルトガルなんてカスみたいなもの>>
なんだこれ。
つまんねーギャグだな。
えープレヴェザとかレパントでオスマンとハプスブルク(スペインね)は
一進一退を繰り返していた
が
ポルトガルはモロッコにさえ勝てない
それはまだいい
エチオピアあたりでも、ジンバブエあたりにも勝てない
弱すぎる
すげーポルトガルってつおかったんだね!!
地中海の制海覇権をコントロールして、東欧をイスラム化し、一時は
オーストリアを壊滅寸前に追い込んだオスマンよりすごいや!
卓越した航海技術で、ジャンク数百隻から数千隻の船団で大洋を渡った明なんて足元にもおよばないね!
何しろ、ポルトガルは年数隻という凄まじい規模の艦隊をアジアに派遣し、
オスマンがあっさり征服した北アフリカに英雄的突撃を行ったもんねwwwww
まあ何かといえば、とりあえず
>>181はアホ。
188 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 00:38:28 0
15世紀 ポルトガル、明
16世紀 スペイン 、ポルトガル
>>187 航海技術が卓越してるかどうかはかなり疑念がある。
長江→東南アジア(マラッカとか)→インド→アフリカ東沿岸
どれも、とっくの昔に開発されてたルート。規模はでかいし船も大きいが、元々あったルート使ったに過ぎない
190 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 00:45:46 0
つか明なんて何もしてないだろ
15世紀 ポルトガル、明
16世紀 スペイン 、ポルトガル、オスマン帝国でいいよ
191 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 00:46:50 0
間違えた
15世紀 ポルトガル
16世紀 スペイン 、ポルトガル、オスマン帝国
>>187 また「コロンブスより明の宝船のほうが凄かった」とかいうトンデモを信じている馬鹿が一匹
193 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 00:56:30 0
21世紀 朝鮮
つーか、国力を基準にするスレなんだから、ポルトガルの船乗りが
未開拓の航路に果敢に挑んだ勇者だったとかはどうでもいいよ。
問題はその航路をどれほど維持でき、またそこから集積された富をどれだけ国家に還元できたかだ。
そういう意味では、折角の新航路も十分に保持できず、また世界の航路を支えるだけの国力もなかったポルトガルは
ただの航路開発国にしか過ぎない。
そもそも、同時期の明やオスマンの艦隊に対し、ポルトガル一国でなにが出来るよ。
明なんてモンゴル人相手にやっとこさのゴミ国
196 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 01:09:56 0
最弱国家を決めようか
全歴史 コリア
197 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 01:15:41 0
22世紀 朝鮮
>>181 キリスト教的情熱に浮かされて、政府ごと消滅したアヴィス家にそれを言う資格はないと思うぞ。
ついでに言えば、オスマントルコがどこで引きこもってたんだか。
明の場合にしても、引き篭もるというよりも、広大な領土の維持に手一杯で余計な領土を増やしたくなかった上
周辺諸国に手を出しすぎて自滅した元を見てるからねえ。
199 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 02:00:46 O
最強の国家は分からないが最強の男は分かる。それは範馬勇次郎だ。世界中の国家と戦っても彼の勝利は明白だからだ。
>>198 政府ごと消滅した例なんてほとんどの国がある
全盛期を基準に比べないと意味がないだろ
201 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 02:10:06 0
対モンゴル戦という基準で比較すれば世界で一番情けなかったのはヨーロッパ。
ドイツ・ポーランド・ロシアよりも南宋や高麗の方が遥かに善戦している。
クルミア・ハン国なんて17世紀になっても東欧に影響力を持ち続けていたし。
このスレには、モデルスキー(すら)読んでる人あまりいないようだね。
203 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 02:12:55 0
>>201 ドイツ・ポーランド・ロシアよりも南宋や高麗の方が遥かに善戦している>>
あたま大丈夫か?
事実をしっかり確認汁。
視点の基準を変えて良いなら、
モンゴルなんてわずか2世紀で滅びて、今じゃ中国の犬の弱小国家なんだが
経済文化科学国力全てが最弱クラスだな>モンゴル
206 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 02:22:19 0
>>204 別に滅んだわけではないだろ。
それに、欧州が世界中に植民地を持っていた期間なんてモンゴルが覇権を
握っていた期間に比べれば遥かに短いし。
植民地化されてなくても雑魚なわけだが>モンゴル
208 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 02:26:14 0
産業革命以前はヨーロッパも雑魚だぞ
だから基準変えたらキリがないだろ?
210 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 02:51:08 0
欧州が世界中に植民地を持っていた期間 1600年〜1950年
モンゴルが覇権を握っていた期間 1200〜1400
意表をついてオマーン帝国ヤールバ王朝をあげてみる。
212 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 04:28:21 0
ロシアは17世紀までタタールに貢物を納めていたよ
タタールなんて今じゃただの弱小国家だけどな。現在進行形で。
214 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 07:03:11 0
信玄よりも信長は最強だったかもしれないな。鉄砲を利用した戦術が。
政策はともかく
合戦は最強だったかもな
217 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 11:41:32 0
>>203 おいおい、モンゴル帝国の通史とか読んだことないのか?
218=自分で物事を調べることの出来ない学習障害者。おまけに包茎。
南宋が持ちこたえたのは築城術と
騎馬軍団の侵入しにくい地勢のおかげでは?
>>220 南宋が持ちこたえた>>
;゚Д゚) !?
>>221 最終的に滅びたとはいえ、かなり長期間持ちこたえたぞ。
全盛期のモンゴルが全力を挙げて戦ったって事を忘れちゃいけない。
西夏や金があっという間に滅びたのとは大違い。
大河という地形障害と、空前に近い造船能力(年間三千隻と言われる)が原因だろ。
平原がウラルからずーーーーっとピレネーまで続くヨーロッパとか凄まじく真っ平らな華北とは比較できない
>>222 そりゃその通りだが、嘘はいけなかったな。
218=224=キチガイ
220 :世界@名無史さん :2006/01/24(火) 16:48:07 0
南宋が持ちこたえたのは築城術と
騎馬軍団の侵入しにくい地勢のおかげでは?
222 :世界@名無史さん :2006/01/24(火) 17:07:42 0
>>221 最終的に滅びたとはいえ、かなり長期間持ちこたえたぞ。
全盛期のモンゴルが全力を挙げて戦ったって事を忘れちゃいけない。
西夏や金があっという間に滅びたのとは大違い。
229 :
世界@名無史さん:2006/01/24(火) 20:11:30 0
23世紀 東島(旧朝鮮属領)
日本と呼ばれた弱小国は21世紀半ばに統一朝鮮の属領となり
原住民の多くは虐殺、または奴隷として遠国に売却された。
230 :
220:2006/01/24(火) 20:32:16 0
なんか予想もしなかった展開に・・・
>>223 艦隊って役に立ってたか?
たしか長江を封鎖してたのが華麗にスルーされてたような
219 :世界@名無史さん :2006/01/24(火) 16:24:05 0
218=自分で物事を調べることの出来ない学習障害者。おまけに包茎。
225 :世界@名無史さん :2006/01/24(火) 17:44:14 0
>>224 はぁ?
226 :世界@名無史さん :2006/01/24(火) 17:45:21 0
218=224=キチガイ
228 :世界@名無史さん :2006/01/24(火) 18:11:42 0
>>227 発狂乙
230 :220:2006/01/24(火) 20:32:16 0
なんか予想もしなかった展開に・・・
>>201 >南宋や高麗の方が遥かに善戦している。
どこがだよ、一瞬で滅ぼされたじゃん
まだヨーロッパの方が抵抗できだろ
取り合えず、南宋は一応モンゴル軍を退けたことはあったけど、
東欧はオゴタイハーンが死ぬまでやられっぱなしだったと思うが。
まあ、侵攻の規模が違うが。
どんな規模の侵攻でもとにかく退ければいいといったら、
日本もエジプトもベトナムも退けてはいるわけだし。
南宋はモンゴル本国の軍勢が全力で侵攻した罠。
東欧なんてバトゥのそう多くない軍勢による一過性の侵攻なのにボロボロやん。
>>237 何を言っている?
バトゥを主将に、四狗四駿最後の一人、当時最高の戦術家であるスブタイを参謀に配し、
各王家からグユク、モンケといった後に大ハーンとなるもの達も参加した大遠征ですよ。
少なくともオゴタイ・ハーン当時の南宋遠征の規模をはるかに凌ぐものだったのは間違いない。
>>239 でも規模は約一万人。それにハンガリーがハンガリア・ハン国にならなくて済んだのはオゴタイが死んだからに過ぎない。
一方、同時期の南宋遠征は司令官に大ハーンの子クチュを擁し、本軍のほかに別軍を置いている。
>>241 ワールシュタットのモンゴル軍って一万程度だったか?
3万〜15万辺りを挙げてる資料しか見た事無い。
インドネシアの歴史家が言ってたが、
モンゴル帝国と大日本帝国は黄色人種の誇りとして捉えられているらしいね。
244 :
世界@名無史さん:2006/01/25(水) 07:28:49 0
ヨーロッパで一番善戦したのは
>>201が挙げてないハンガリーだと思うが。
245 :
世界@名無史さん:2006/01/25(水) 07:43:04 0
三別抄の抵抗が数十年続いたのはフビライ以前の
モンゴルの海軍力が貧弱だったからではないかと思える
南宋攻略に15年以上かかったのはモンケが死んだからでは。
フビライも襄陽攻略に5年かかってるけど、その後の展開は早かった。
>>230で言及されている艦隊スルーの後は各地の部隊が続々と投降。
>>245 三別抄の乱自体は1270年〜1273年の約3年間しか続いていない。
一般的には高麗の抵抗期間といえば、1231年〜1259年の約30年間。
この期間、モンゴル軍が高麗王室のある江華島を攻略できなかったのは、
海軍力が貧弱云々というよりも、戦略的にその必要性を感じなかったから
という方が大きいと思う。
国のトップが自分たちだけ安全な孤島に引き篭もってしまうという事は、
国民や国土を守る義務の放棄に等しいわけで、モンゴル軍は江華島を
スルーして、好きなだけ半島全土で略奪や殺戮を繰り返していた。
それを「朝鮮の人々は数十年もモンゴルに抵抗した」と言うのは、正直
「物は言いよう」だなと感じる。
アイヌはモンゴルより強い。
チンギス以来100年以上本隊と抗争して、北海道上陸すら許していない。
意味がわからん
アイヌというより日本が強かったわけだが
183 :世界@名無史さん :2005/07/19(火) 12:54:36 0
>>182 骨嵬は「モンゴル本隊」と戦ってた訳ではない。
元寇は30万人も送ってきたのにこっちは数千人規模だし、精鋭の蒙古騎兵を満州の彼方に送っても
意味がないから普通に考えて漢人とか高麗人とか女真族の兵だろう。
元と骨嵬が抗争してたのは13世紀半ばから14世紀初頭までで、100年も戦ってない。
「北海道上陸すら許さず撃退した」とあるが、骨嵬にとっては樺太に上陸されただけで十分迷惑。
元の側にしてみたら樺太の骨嵬を屈服させれば作戦目的は達成されるし、そもそも樺太の南の地理を
ちゃんと把握していたのかも定かではない。
251 :
世界@名無史さん:2006/01/25(水) 23:05:38 0
だから朝鮮だっていってるだろ
モンケ・ハーンまでのモンゴル帝国と
その後の諸ウルスを一緒に考えないほうがいいと思う。
>>245 クチュが死に、モンケ自身も側近共々戦病死だったからね。
その間にグユク即位などでモンゴル自身も随分ごたついてたし。
>>248 「北の元寇」でぐぐれ。
アイヌに比べると日本軍の勝利は、ハッキリ言って高麗の自爆。
またぐぐれ厨か。
ぐぐれもしないガキが
>>255の如く逆切れするからな。
255=包茎
258 :
世界@名無史さん:2006/01/30(月) 20:17:49 0
とりあえず現在戦争をやらせたら最弱は日本だろう。。。
日本の軍事力は世界有数ですよ閣下
260 :
世界@名無史さん:2006/01/30(月) 23:00:16 0
だから朝鮮だっていってるだろ
>>258 ほとんどの兵器がロクに役に立たない某独裁的共産主義国家よりはマシ。
>>254 山○が鎌倉武士の射撃戦の実相を語り始めるので覚悟するよろし。
でも意外と、文永の役は日本軍独力で押し返したらしいね。台風は止めを刺したに過ぎなかったそうな。
264 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 21:00:55 0
でも民主党が政権を取ったら、人道的見地から使用出来る武器は麻酔銃
のみとなるだろう。日本の生命はどうでもいい政治家達。
265 :
世界@名無史さん:2006/01/31(火) 22:34:09 0
日本は朝鮮固有の領土なんだから、
非武装して早急に朝鮮の領地になるべし。
勘のいい連中は朝鮮語を習い始めたのもその証。
今更言われると、なんとなく信じてやるのが人の情けのような気もしてくるから不思議だ。
シッパルとか、テノムとか覚えたほうがいいかなあ。
267 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 00:03:47 0
北朝鮮に、「○○なら態度で示そうよ」なんて言おうもんなら、
核を落としてきそうだな。
268 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 01:14:51 O
大日本帝国が最強!!何故なら現人神である天皇陛下の治める神国であり、優越種である大和民族の国だからだ。
劣等な他人種とは、比較にすらならない。
とりあえず5世紀あたりには大暴れしたのは間違いないようだがな>日本
大暴れといってもせいぜい半島だが。
270 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 20:37:36 0
さらに言うなら
半島に統一国家ができるまでだな。
話が変わるが
日本って鎖国したほうが平和じゃないか?
歴史がこれを証明している気がする。
>>270 そりゃそうだが、某独裁国家がある限り無理
272 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 22:16:35 0
現時点では最強アメリカ・最弱ハットリバー王国で異論はないな?
>>270 鎖国というか、危険な日本海や東シナ海を横断して、
大軍を率いて日本にわざわざ攻め込んでくる酔狂な国が歴史上ほとんどいなかったおかげで
外国という存在に基本的に日本は危機意識を感じていないだけ。
274 :
世界@名無史さん:2006/02/01(水) 22:41:35 0
20世紀の大暴れで制圧した海の面積を含んで、瞬間最大風速的には
大日本帝国も一瞬は世界一になったのでは?
>>274 それだと東太平洋、西大西洋、カリブ海はアメリカの海になりますが
>>273 大化の改新の時点ですら通用しない妄言乙。
277 :
世界@名無史さん:2006/02/02(木) 00:57:47 0
中国は実際朝鮮半島あたりが攻勢限界だと思う。
>273
確かに、特に文化的に外国から分断された平安時代以降は
ほとんど国家単位での接触はなかったな。せいぜい元寇や明治維新以降の一連の戦争くらいか。
>>276 むしろ、大化の改新の時点『だから』通用しないんだと思うがな。
>>279 通史やり直しなさい。
多元化克服がキーワード。
まぁ13C、14Cは
イングランドが世界最強だ。
長弓兵と重装騎兵の軍団の強さは歴史で証明済み。
>>281 西欧なんていうド辺境でなにをやろうとねぇ
どこだって地球全体から見れば辺境には違いない。
はい。つまらない流れはそこまで。
モンゴル関連の考察、続きがあればどうぞ。
>>281 13世紀はもろにモンゴルとかぶるし、
14世紀だってイングランドは数で劣るスコットランド軍に、
バノックバーンの戦いとかでボロ負けしていますけど。
つまり、世界最強どころかブリテン島内ですら最強ではないです。
286 :
世界@名無史さん:2006/02/05(日) 18:29:32 0
a
287 :
世界@名無史さん:2006/02/05(日) 20:14:05 0
はーい朝鮮でーす
>>285 14C後半の西欧限定ならいい線いくのでは?
そんなせこい話は、スレッドの趣旨から外れています。
中世イングランドなど問題外。次。
オマーン帝国
ネタじゃなくてマジで
なんか勝手に自分好みの結論に帰着させようと鍋奉行やってる人がいるね・・。
中世イングランドは領土を広げることには殆ど執着心がなかったが、
領土ではなく軍隊の強さを問題にするのであれば当時最強の国といえよう。
>>285=
>>290 かぶってるが、それがどうした?
バノックバーンは騎兵を使わなかったなど戦略ミスで例外みたいなもんだ。
それが軍隊の強さの否定になるとは思わない。
「そんなせこい話は」と言ってるわりには重箱の隅をつつくね。
>バノックバーンは騎兵を使わなかったなど戦略ミス
その戦略ミスをしない、あるいは補うような指揮・作戦能力も合わせて世界最強だと思うが?
優れた剣に盾もった兵士だけがいて、将軍がアホぞろいならそりゃ最強には程遠いな。
いろいろ条件をつけないと擁護すらできないイングランドなど問題外。
次。
つ数
戦いは数ですよ閣下。どんなひん曲がった目で見たら、中世ヨーロッパの辺境に世界最強の称号与えられるんだ
>>291 まあ、インド洋や東アフリカでは最強だろうが・・・・・・
世界的には・・・・・どうだろ?
>>292 お前はバカだなあ。そういう戦略ミスがあったこと自体が、既に最強でないことの証なのに。
イングランド最強を唱えるわけではないがバノックバーンを例にするのは悪い。
バノックバーン以前の英軍と以後のものは全く違う。
詳しくは
マクレガー ノックス ウィリアムソン マーレー (著),
『軍事革命とRMAの戦略史―軍事革命の史的変遷1300~2050年』
参照
はいはい。イングランド厨は失せろよ。
バノックバーン以降の14,15世紀になって、英国は世界に覇を唱えたんでつか?w
>>299 だから誰もイングランド最強なんて言ってないだろ、白痴か?
エドワード2世は統率力・思考力に欠け人格的にもイングランド史上最悪の王だった。
イングランドは、彼の代でこそ低迷してたが
最強の国の候補として挙げるにおかしくない国だと思う。
イングランド厨房、いいかげんにしろ。
西欧に限定するなら見るべきところはあるだろうけど、
モンゴル・元・ティムール・オスマンといった世界帝国が存在する時代に、
イングランドを世界最強どうのこうのというのは正直全くお話にならない。
>>302 ごめん、ビクトリア女王の時代になってから言ってよ。
14、15cの「イングランド軍」に関しては高い能力を誇っていたが、それが国力最強には結びつかない。
当時のイングランドの人口は高々3~400百万で遠征できる兵力も1~2万。
圧倒的な技術力の差が生じる産業革命以降でなければ人口と領土がその国の国力の重要な要素。
国力数倍のフランスをあれだけ苦しめただけでも大したものだが結局フランス征服には至らなかった。
基礎的な国力が低いもしくは人口が少ないということは
指揮官・軍政家として優秀な人材の総数も少ないということだしな。
現代みたいに能力主義じゃないから一概には言えないけど。
もちろん、兵力の総数や質も重要な要素だけど。
イングランド好きの人にはなんだが、当時のイングランドは仮に兵士の質で優れていたとしても
その優れた兵士を多数抱えるだけの国力と、適切に運用できる頭に欠けてたのかも。
>>304 それらの帝国は「世界帝国」ではないわな。
大陸ゆえに国土がムダに広かったというだけであって。
それを世界帝国と言わんか?
大陸の隅っこだけを領土にして世界帝国といわれても、その、なんだ、困る。
はいはい、じゃ
>>140から超帝国。
で、中世イングランドは、超帝国ではない。
次。
イングランド厨の逆切れ乙www
313 :
世界@名無史さん:2006/02/09(木) 00:11:47 0
中世にイングランドという国は無かった。島はあったが。
フランスのノルマディ地方のアンジュ公爵(つまり王の配下)の領地の飛び地だった。
>>313 イングランド国王にしてアンジュー公爵だが。
…ここ世界史板だよな?
はいはい、じゃイングランドは超越帝国。
で、世界の中心はエジプト→ヨーロッパ→アメリカ。その他は辺境の地。
次。
イングランド厨ボコボコだなww
317 :
世界@名無史さん:2006/02/09(木) 21:28:45 0
いきりですが、歴史上最強の戦略(戦術)家って誰だと思いますか??
やっぱりハンニバルか諸葛亮でしょうか??個人的には竹中半兵衛であって欲しいですがw
じつはかなり根強いファンがいる「ロンメル将軍」に一票っす!!
さげ
十字軍と当時世界最強のモンゴル軍を撃破したバイバルスに一票
優秀な戦術家=優秀な戦略家ではないでしょう。
例えばハンニバルにしても戦場ではほぼ無敵であったがローマの力を見誤ったという戦略の失敗をしている。
逆にワシントンは戦場での指揮は稚拙だったが最終的にはイギリスに勝利することができた(ワシントンの才能だけではないが…)
>>319 チンギス・ハーンのホラズム侵攻を迎え撃ったのがマムルーク朝軍だったとしても
たいして違う結果になったとは思えないが・・・
田舎者の王の下、弱く儚くすぐ負ける漢軍を率いて99回負けながら
最後には天下を取らせた張良・蕭何なんて人材もいますな。
つか戦術家ならまだしも、戦略はたった一人が決めるものでもないだけに
最高の戦略家、という個人を選ぶのは無理なんじゃないか?
戦略なんて状況次第で無限に変わってくる。例えば戦わない、あるいは自国を弱いままにするというのも立派な戦略になり得るわけで。
>>318 あの歩兵馬鹿は、最高の戦術家とは言いがたいね。必ずしも常勝じゃないし。
戦術にしても、ロンメルのように一つの戦術に優れていても、他の戦術ではボロクソなんて例もあるから評価は無理だな。
>>319 モンゴル軍なんてザコを撃破したからと言って大したもんではない。
却下。
>>323 フランス軍を圧倒したイングランド軍最強か?
>>324 フランス軍なんてザコを圧倒したからと言って大したもんではない。
却下。
「戦術」に拘るなら人名だけでなく、
画期的な用兵案の併記が必要でありましょう。
327 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 00:06:41 0
328 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 00:07:51 0
エジプト王国→ヒッタイト・エジプト・バビロニア→ペルシア帝国→アレクサンドロス帝国→シリア王国→前漢→ローマ帝国→東ローマ→アラブ帝国→イスラーム帝国→
ファーティマ朝・ブワイフ朝→セルジューク朝→アイユーブ朝→モンゴル帝国→元・イルハン国・マムルーク朝→明・ティムール帝国→オスマン帝国・サファビー朝→
スペイン王国→オランダ王国→清→イギリス王国→フランス帝国→イギリス王国→イギリス・ドイツ帝国→アメリカ→アメリカ・ソ連→アメリカ
経済の中心を押さえ、強い軍事力をもつ領域国家=最強とした
>>328 で、あっちこっちで撃退され放題なモンゴル帝国とその継承国家群が
何故に最強なのでしょうか。
最大の国、と勘違いしていませんか。
>>328 >スペイン王国→オランダ王国
コレに到っては、悪質な冗談。
>>329 そう感じたのはやはり自分だけでなかったか・・。
モンゴル厨がこのスレで幅を利かしているようだが、
日本にさえ撃退されてるという事実は見て見ぬ振りのようだ。
332 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 00:32:40 0
君らの理屈だと世界最強の国家は朝鮮になるね
333 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 00:51:19 O
世界最強の国は、大日本帝国です!!
何故なら日本は現人神である天皇陛下の統治する神国であり、神に選ばれた優越種である大和民族の国だからです。
>>333 大きい時間の流れの中で連続性を保つ存在、という意味においては最強。
「生残った者が勝者」論ですね。
ソヴィエト聯邦など疾風のように過ぎ去っていった。
しかし時代別に世界最強を云々するのですから、そのポテンシャルは兎も角として
戦績において日本が証明を欠く時代が多いのは事実であります。
泰平の世を野蛮と蔑み満州における対露殺戮を文明と持て囃す欧米は野蛮だ、
と批判した近代日本人の精神で以って日本は、時代別平和国家のランク付けで競いましょう。
336 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 01:04:35 0
>>329 ひょっとしたらこの後に
一度も戦争に負けた事がない→だから朝鮮が最強
そういうことを言い始めるのでは?
そんな事を言うなら半島に帰って糞でも嘗めてて下さい。
スレがキムチ臭くなります。
338 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 01:07:02 0
>>333 禿同。
こういうアホスレで正論が聞けるとは感動です。
>>337 >>328が「経済の中心を押さえ、強い軍事力をもつ領域国家=最強とした」と書いてるのに
敗北の有無を問題にするのは不適切でしょう。
340 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 01:19:05 0
エチオピア最強!!
最弱はイタリア!!
異論あるか?
341 :
328:2006/02/11(土) 01:27:11 0
あくまでも相対的な強さってこと。
モンゴルは言うまでもないでしょ。局地的な負けが何?
スペインは少なくともレパント海戦〜アルマダ海戦までは最強だと。
アメリカ大陸の富を独占してたしね。
オランダの全盛期は17世紀前半。
このときは、明もオスマンも衰退してる
342 :
吉村裂痔:2006/02/11(土) 01:37:09 0
>>341 その理屈だと
>>328に唐が入ってないのおかしくない?
またヨーロッパの評価も17世紀以前とかは低くすべきじゃない?
スペインやオランダ、アイユーブ朝とかは地域の強国とか
その時代に別の意味で世界史に実績を残したとか
そう考えるべきかと思うが?
>>341 大航海厨房は、素直に最大領域競争を謳えば良いのですよ。
オスマン朝に圧迫されて石器時代の軍隊いびってたスペインの
どのあたりが最強なのでしょうか。
海洋国家幻想も度が過ぎます。
セレウコスが最強の時期なんて無かったと思うんだが…確かに領土は無駄に広いが本当にそれだけだろ。
同時期ならインドのマウリヤとか秦の方が軍事力では圧倒してるし、経済力も巨大。
経済力で言えば中国華南>東ローマも明白だし、隋に至っちゃ言うまでも無い。
全般的にオリエント高く評価し過ぎの観があるなあ…経済力は明らかに明らかにインドや中国>オリエント全部なんだが
マウリヤ帝国もセレウコス朝シリアを叩いているし名目上であれ大戦力を誇っていたし
富栄えていたので世界最強国に加えるべし。
347 :
346:2006/02/11(土) 01:59:59 0
(///Д///)ケコーンした もう御婿に行けない
>>344 逆に言うと、それだけ敗北を重ね、さらに分裂や内乱を繰り返しつつ
あれだけの期間をシルクロードを完全に支配した領域国家として過ごせた、というところは
かなりすごいことだ。
例えば単純に強いといえばアレクサンドロスのマケドニアやナポレオンのフランスもかなりのものだが
彼らは軍事的な成功を恒久的な利益に結びつけることが出来なかった。そういう意味ではダウト。
>>349 で、それが最大領域国家でなくて最強国家たる所以は?
>>350 相対的に見て匹敵する強さの国が同時代になかったから
>>351 撃退されてる時点で相対的に弱い。
何度も書いていますが、領域で云々したければ最大領域国家を競いなさい。
敗者が勝者より強いなどありえないのだから。
354 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 07:05:43 0
>>352 で、イングランドが最強なわけだな、包茎くん
356 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 11:16:06 0
どうせ朝鮮は勝率10割とか言いたいのだろう?
在軍団は本当にう在。
なんかキムチ臭いヤツが多いスレだな。
工作員は2chを利用して「彼らの一方的な妄想」を押し付ける作戦に出たのかw?
洗脳されてるヤツラにゃ何言ってもムダだが、とりあえず一言。
「とりあえず外(世界)を見ろ。目を見開け。自分達がいかに小さいものだったか分かるだろう。」
朝鮮史しか知らなかったら人生勿体無いぞ。 ・・・あと、工作は止めろ。
まあ、そもそも「最強とは?」からはじめる必要が出てくるからね。
単純に軍事的な成功をその時代で最も積み上げた者が最強なのか
経済力や領域、指導者の資質を含めた総合的な国力が優れた国が最強なのか。
他の力は除いて、軍の規模と錬度など、軍事力に直結した部分だけで比較するのか。そこらへんだな。
モンゴルに限って言えば、積み上げた勝利はヨーロッパからユーラシア中央地帯、さらに南宋まで。
基本的に負けた場合は、何らかの理由で騎馬民族としてのモンゴルの地力を発揮できなかった場合。
もちろん、時代によっていろいろと変遷はあるけど。
二つ目の総合的な国力だと、シルクロードを整備し、がっちり支配したことによる富が彼らを支えていた。後に旧南宋の海運も抑えたし。
軍事力の比較は、俺より詳しい者もいるだろう。
つーわけで、こと13世紀にかけてはそれなりに最強といってもいいんじゃないの?と思う。
>基本的に負けた場合は、何らかの理由で騎馬民族としてのモンゴルの地力を発揮できなかった場合。
すっごく意味のない一文ですな。
それはどの軍の敗北の理由にも当てはまるだろ。
自軍の強みをいかに最大限発揮させ相手の強みを発揮させないかがそもそも戦略の鍵だからな。
戦略が相手より劣ってたわけだ。
それなりに最強どころか、文句なしに最強だよ。
軍事的な成功によって領土を獲得し、その領域が同時代で桁違いに広大であり、
その上複数の文化圏地域を含んでいる以上、それは全く軍事力が最強だったことを示す。
逆にそれだけ広域を支配していえば、いずれかの地域で局地的に敗北することも珍しくはない。
ただそれだけのこと。
モンゴルの拡大が軍事力による物ではないというなら話は別だけどね。
「最強とは?」の定義を争っても、ここでは荒れるだけだろ。
大体、このテーマでは結論は出ないんだから、このままオナニースレでいいんじゃない?
狭い知識の中でモンゴル厨が一生懸命オナニーしてんだから、そっとしておいてあげようよ。
まあ、最強って言い方自体がアレではあるからね。
それが馬鹿らしいというなら最初からこのスレに来なければいい。
実際、中国と中東という当時のもっとも豊かだった地域を占領して、
東欧も制圧しているモンゴルを、当時最強だったとすることに納得できないようでは、
東西の交流が希薄だった時代に世界最強の国なんて想像も出来ないからねえ。
>軍事的な成功によって領土を獲得し、その領域が同時代で桁違いに広大であり、
>その上複数の文化圏地域を含んでいる以上、それは全く軍事力が最強だったことを示す。
オナニー乙。
領域が広大とは言うが、たまたま活躍の場が人口密度の低い大陸だったという点を見逃してないかい?
私としてみれば、1日もあれば近隣の国から兵が押し寄せるという密集状態の中で、
それを軍事的・戦略的に押さえ込みつつ天下統一まであと一歩まで辿り着いた織田信長の方がよほど凄いと思うが。
また、騎馬民族で移動力に優れてたからあの時代で他の国よりも領域を広げられたという理由も忘れずに。
軍事力を理由に挙げてるが、あの程度の軍事力じゃ、当時近隣諸国に移動力に優れてる国がいなくてよかったなと言いたい。
>>363 ほう、中国もイスラム圏も人口密度は低かったと。
だったら何でそれらの地域では、
モンゴル並みの大帝国があの時代に成立していなかったのですかね?
というか、人口密度が低い方が、軍事的には不利なんだけどね。
兵員数もその動員の効率も遠方への遠征もその方が難しくなる。
あと、
>騎馬民族で移動力に優れてた
これはまさしくモンゴルの軍事的な優位点の一つ。
>>328 経済力という点では話にならないだろうけど、
匈奴とか突厥とかアッティラ帝国とかも、
短期間でみれば最強候補にあがるのではないだろうか。
少なくとも初期の前漢よりも明らかに匈奴の方が強かったと思うけど。
>>364 よく読め(ヒント:移動力)。
>>365 おいおい・・・読解力大丈夫か?
「遠方への遠征もその方が難しくなる」ってのは攻めてくる相手にとっても同じ条件だろ。
この立地条件は移動力があるから不利にはならん。移動力のない相手にとっては辿り着けない。
攻め込まれる危険性はこの立地条件のおかげで皆無に等しくなってる。
>これはまさしくモンゴルの軍事的な優位点の一つ。
そうだが?私の書いた文の再確認か?
>>367 そういう優位点もあり、モンゴルは強かったというだけだが。
>>367 草原地帯のみで拡大したならそういう言い方も出来るが、
そこから他の地域も制圧しているのですが?
ここはモンゴル厨に占領されたスレでつか?
なんで撃退されまくりなモンゴルが挙がってるんだ?歴史認識がおかしいぞ。
>>371 強大な軍事力を持つ国が拡大を志向すれば、
それが広大な領域を支配するようになるのはごく普通な流れ、
そして広大な領域を支配すればその全てには完全には手が回らなくなり、
局地的には敗北することも起こり、いずれ拡大はストップする。
通信や移動が未発達な時代では特に。これもまた当然のこと。
その最後の状況だけみて強くないというのはおかしいということ。
その前提に強大な軍事力で拡大したという事実があるのだから。
>>371 北ベトナムに撃退されたアメリカは、
北ベトナムより弱いのかい?
>>373 他の国って何?
草原地帯の勢力で中国・中東・東欧を全て制圧した国なんて、
同時代に存在しませんが。
ここで話になっているのは、各時代において最強の国だよね?
376 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 14:10:22 0
モンゴル帝国を持ち出すなら、それを撃退した以下が勝るのは当然。
戦略持久戦で撃退した陳朝か、
射撃戦で撃退した日本か、
奇襲で撃退したマムルーク朝か。
戦略持久で三度撃退した陳朝ですね。
>>374 当り前です。
冷戦期の北ヴェトナムは、アメリカ合衆国に勝ります。
戦争を仕掛けて撃退された以上、相対的に弱いのです。
勝って万歳負けてリスク無しなんて御都合はありません。
>>374 ちょwおまw
いつアメリカは北ベトナムに撃退されまくったんだ?
>>372 おかしいよ。本当に強ければ敗北しないでしょ。
より強力な軍隊に排除されただけなのに、手が回らないというのは言い訳。
モンゴル厨、ボコボコだな
20世紀後半の世界最強国はアメリカを中心とする多国籍軍を撃退したソマリア
ソマリアって・・・多国籍軍が負けたのは衛生面などで環境が劣悪だったからかな?
ベトナム戦争でアメリカが負けたと言われるからといって、
アメリカよりベトナムの方が強国だなんてことを、
普通に発言できる相手とは、ちょっと話は出来ないでしょう。
>>386 戦争で打ち勝った国は、その国に戦争で打ち負かされた国より強い。
当り前の話です。
>>387 おいおい、言いすぎではないか?
アメリカは1度負けただけだぞ。モンゴルみたいに「撃退されまくり」ではないんだぞw
>>388 実績を無視して仮定の話をするより理性的です。
冷戦期の北ヴェトナムの勢力は、
フランス共和国、アメリカ合衆国、中華人民共和国を撃退しています。
イランもアメリカを撃退しているよね
というか、
どこかで負けたという理由で最強ではないと言うなら、
モンゴルに限らず最強の国なぞ存在しないことになるが、
なんでモンゴルだけ目の仇にして騒ぐんだ。
>>391 在日の洗脳活動に煙たがってる奴が多いんじゃない?
ぶっちゃけモンゴル厨がこのスレに粘着してるせいだと思う。
いや、負けたというだけで最強ではないということにしてしまっては、
そもそも最強の国なんて存在しなくなるってとこに問題を感じないのか?
このスレに書き込みをしているような者としては。
モンゴル帝国は、確実なところで
陳朝に三回、日本に二回、マムルーク朝に一回、負けていますね。
>>395 負けて最強というのは、意味不明。
>>398 陳朝と日本とマムルーク朝の戦績を比較すれば最強が出ます。
この三国に撃退されたモンゴルは最強ではありません。
>>400 それ以前の国々はモンゴル帝国より弱かった。以上。
>>399 それなら、陳朝と一進一退で争っていたチャンパ王国も最強候補だと?
>>402 議論の対象にはなりますな。
陳朝大越にモンゴルを三度撃退した実績がある以上。
最大領土厨房には耐えがたい事実かもしれませんが。
ほう、じゃあソマリア最強とかも議論の対象なんだ。
>>404 そうなりますね。
死体引き摺られたくらいで最高指導者が根負けして撤兵するなんて
ヘタレの典型ですからね。
なるほど、よく分かった。
407 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 15:13:20 0
モンゴル厨と在日の激しい戦いw
朝青龍が一回負けたから最強じゃないって言ってるようなものだなw
全くおまえら朝鮮くさいよw
>>383 ソマリアで多国籍軍が撤退に追い込まれた最大の要因は、多国籍軍にイタリア軍が
加わっていたから。
マジであの時アメリカはイタリアに対してキレそうになっていた。
むしろアンチモンゴル厨が一人で暴れてる気がしてきたぞw
>>383 ソマリアに留まり続ける意味が薄れてたから、「撤退理由キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!」で撤退したのが本当のトコ
只、それがアメリカ弱腰論→テロ支援してもOKになっちゃった観は否めない
410 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 16:53:47 0
アンチモンゴル厨=在日
411 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 17:07:27 0
日本史版でも基地外アンチ信長厨がいたが、
ひょっとしたらお前?
話を逸らす人は、スレッドから失せなさいな。
そして時代別に最大領域国家を決めるスレでも立てなさい。
413 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 17:42:47 0
モンゴルはシナやイスラムに寄生して富を吸い上げることで生き延びてただけ
自分で富を生産できないヒッキー民族
ヒッキーじゃなくてジャイアンだよ。
415 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 19:58:21 0
朝鮮が最強で文句ないね?
416 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 20:03:23 0
21世紀の番付
横綱 アメリカ
大関 インド
関脇 EU
小結 日本
前頭筆頭 ロシア
二枚目 分裂シナ(沿岸地方)
・
・
・
序の口 統一朝鮮(元首 金正男)
417 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 20:05:52 0
418 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 20:23:01 0
チリのアラウカノ族という民族は
最後まで白人の侵略に屈しなかった
本当の最強民族。
でも近代以降は白人社会への同化が進んでしまった。
対モンゴルということでは樺太アイヌの存在も
忘れてはいけない。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/11(土) 20:25:25 0
でもモンゴルなんて今じゃ最貧国だよね、ロシアに翻弄され続け挙句の果てにはシナに内モンゴル領を奪われる。
最終的に勝ち組は欧米と日本だけと言う事か。
ランドパワーの時代はもう来ない?
このスレで他はともかくモンゴル帝国にいちゃもんつけるのが現れるとは、
正直思わなかった。
422 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 21:30:02 0
423 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 21:30:10 O
エジプトがモンゴルを撃退出来たのは補給線の限界、ベトナムは地理的条件、日本は台風
424 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 21:32:04 0
日本は台風>
こういわれてるけど、「神風」ということにして愛国心を高揚するためでしょ。
実際は実力で撃退したんだよ。
日本も地形障害だろ。日本海が無かったら普通にアボンヌだ
確か、アイヌも交戦してるんだよね?
427 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 21:44:02 0
地形も実力のうち
攻め込まれてそれを撃退しただけではね。
一度でも攻め込んで勝ちをあげていればまだしも。
>愛国心
当時、「愛国心」がありましたかね。
神の子孫の国、粟散国といえども仏教東漸の果て、仏教国であり、他に異な
るという意識は存在した様ですが、愛国心というと違う気が。
>>429 と、言う人が多いけど
自国を守るのは強さだし
他国を攻めないのなら、それは賞賛すべきことだと思うんだよ。
432 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 22:06:23 0
ただ単に勇戦したというだけで評価してくれるのだったら
16世紀〜18世紀の南インド諸王朝も評価すべき。
ムガル・イギリスにも一歩も引かぬその戦っぷりは素晴らしい。
遺跡や城砦からもその偉大さを実感する。
433 :
世界@名無史さん:2006/02/11(土) 22:16:51 0
>>424 文永の役は実力で勝ってた部分もある(台風は単なる駄目押し)が
弘安の役のほうはまさしく天佑以外の何者でもないと思うが?
それ以前に日本海にさえぎられて馬がほとんど持ってこれなかったこと、純粋モンゴルの兵が少なく
戦意はあっても忠誠心がなかったことも大きいな。弘安の役においては元・日本の友好国であった南宋の兵も多かったし。
え?南宋が元の友好国?
と一瞬見えてしまったorz
436 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 01:27:27 O
最強の国は、仙台伊達藩です。鉄砲騎馬最強!!
>>436 鉄砲騎馬はどう考えても使えません。ピストル騎兵すらあの有様です。本当に有り難うございました
…日本で鉄砲騎馬がマトモに活躍した戦いってあったっけ
戦国後期の日本は欧米宣教師も舌を巻いたそうだ。
あの頃は世界でも類を見ないほど日本式火縄銃『種子島』が流通してたからなぁ。
よって日本はこの時点で表彰台には上がれる。
そして1940年代初頭では海洋国家の中では最強。一瞬だったけどね。
あとは1980年代かな。これも一瞬だけど、国力・経済力世界一になった。
439 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 01:48:13 0
>>434 何ヶ月も海岸にとどめてりゃ台風の一つや二つぐらい来る。
戦意や忠誠心が無かったとすりゃ元の国力の限界が見える。
ま、そういう意味では元の作戦能力(情報収集能力)が劣っていたってことだろうね。
奴らは世界の果てまで騎馬で行けるとでも思ってたんだろう。
忠誠心がないのはしょうがない。数年前まで打倒モンゴルに燃えていた連中なんだから。
逆を言えば、そういった兵を使わざるを得ないほどモンゴルは領域を拡大し、各地に兵を置いていたことになるし
そういった兵を反乱を起こさせず使えるほどに優れた国力を有していたということになる。
とまあ、微妙に擁護してやったから在日は失せなw
441 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 02:39:14 0
高麗は元に忠実だったし、やる気も満々だったよ。
高麗王朝は日本を征服して自国の地位を高めたり、国内基盤を安定させたりするつもりだった。
ただ弱かっただけ。
442 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 03:01:20 O
八幡大菩薩も言っていた。
日本の国運が衰えた時は、他人より我等、他国より我が国を救うと此れによっても我が国が神国であることが分かる。
443 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 04:08:21 0
世界史でナルシス国粋馬鹿はむなしいだけ
>>438 > あの頃は世界でも類を見ないほど日本式火縄銃『種子島』が流通してたからなぁ。
> よって日本はこの時点で表彰台には上がれる。
あがれません。兵站はどうするの?
> そして1940年代初頭では海洋国家の中では最強。一瞬だったけどね。
最強じゃありません。作戦行動範囲が全海洋の1/4も無い海軍が、ほぼ世界中の
海洋を作戦範囲としている英米に比肩しうるとは言えません。確かに、日本の作戦
行動範囲に両国の艦隊が入ってくれば、それなりの勝負はするでしょうが。
>>438 > あとは1980年代かな。これも一瞬だけど、国力・経済力世界一になった。
なってません。明治以降、米国の経済力を日本が上回ったことはありません。
総生産、総所得、流動性資産等々、あらゆる統計的資料で、それは裏付けられています。
成長率でトップに立ったことはありますが、それは経済力が上ということではありません。
>>444 兵站を基準に比較すれば16世紀末の日本は確実に表彰台に上がれるな。
半島への兵站すら破綻したのに?
7年間も維持できただろ。
当時の日本以外の国は長くても1〜2年。
448 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 07:54:00 0
モンゴル時代のマムルークと並びそうな勢力は北インドのハルジー朝でしょう。
ハルジー朝は初めてインド全域を支配し、北から侵入してくるモンゴル軍を五回も撃退しています。
さらにモンゴルに対抗するために騎兵四十万の常備軍を編成したそうです。
当時の隠れた大国です。
>>448 日本の入門書や概説書では「ムガル以前の短命政権」で終りな
アレクサンドロスの再来キタ━━━(゚∀゚)━━━!!!!
>>447 途中で維持できなくなったから、
半島ごときも制圧できなかったんじゃあないか。
>>450 朝鮮遠征とほぼ同時期に行なわれたアルマダ遠征でスペインが用意できた兵站は
半年分。
当時の日本以外の国の兵站レベルなんてそんなもの。
>>447 1592年の文禄の役ではその年の内に兵糧が欠乏して、
講和をはかるようになっているじゃあないか。
講和は双方がのぞんだことじゃないか。
日本軍はその後も朝鮮に居座り続けているだろ。
どっちにしろ明には勝てなかったという結果が残っているだけだろう。
兵站の議論じゃないのかよ?
>>451 第一次イタリア戦争(1521〜1526)
第二次イタリア戦争(1526〜1529)
ではフランスも神聖ローマ帝国も約9年間戦い続けていますよ。
>>453 だから、日本側が講和を望んだのは、
兵站が破綻して食料が欠乏していたからじゃあないか。
だから、理由が兵站かどうかは関係なく、勝てなかったという結果があるだけ。
最強かどうかを議論するにはその結果だけ考えればいいだろう。
>>458 軍事力を維持し続けたんだから破綻じゃないだろ。
前線で食料が不足しがちになるのは、戦争なんだから当たり前。
>>460 その結果戦争目標を達成できなくなっているのに破綻ではないと?
戦国期の日本が明朝に二度も撃退されている以上、
明>日本は、明らかです。
>>461 いや、戦争目標って秀吉のそれは最終的には天竺まで制覇だろう?
兵站云々以前に実行不能。
まあ、いきなり半島で躓いてしまったのは、いかにもしまりが悪いが。
>>462 一度目は撃退されていないぞ。
秀吉も勝ったという認識で交渉していただろ。
>>464 そりゃあ、小西が偽の条件で交渉進めたいしているから、
秀吉の認識ではそうだっただろうが・・・。
せっかく占領した地域を、
海岸部分を残して放棄してしまっていて、負けていないとは言えないよ。
>>465 日本軍は漢城は放棄したけど、南部は放棄していない。
晋州城を日本軍が攻略したのは明との講和が成立した後。
朝鮮側の最大の拠点を潰して南部での一定の成果を上げたから、交渉の推移を
見守るために軍事活動を低下させただけ。
文禄の役の時点では、北京に帝をお迎えして自分は寧波に住むとか言ってい
たのに、講和条件が明の皇女の輿入れや朝鮮南部の割譲でしたからね。
(北京云々の計画が出たのは1592年、講和は1596年)
講和の時点で、既に目標を大幅に縮小していたのは間違いありません。
それまでに、大名によっては、軍の半分から三分の二を失っていた。
慶長の役では南部割譲だけでも自力で強行しようとしていましたが、仮に秀吉
が長生きしていたとしても、うまくいったかどうか。
泥沼状態で戦争が続行出来ましたかね。寧ろ厭戦ムードが漂っていた。
>>466 だから、どうしても講和しなければならない状況だったから、
占領地を放棄し、戦線を下げたのじゃあないか。
向こうが一方的に講和を望んだから話を聞いてやる、程度なら、
戦線を下げる必要はない。
つまり日本側も講和を願っていたのであって、
その点で当初の戦略が破綻していた事実に変わりはないよ。
>>468 戦争の経過によって当初の戦略を変更することなんて良くあることじゃん。
他国に攻め込んでその国の領土を占領したまま講和に持ち込めばそれは普通勝利だろ。
要するにそこまでの変更を余儀なくされたってこと。
それをどう評価するかは人によるだろうけど。
>>469の言うことも一理あるだろう。
当初の目的なんてどう考えても実行不能な誇大妄想的な品物なのだし、
それを現実的なものに変更してその実現を図るというのは実に理にかなっている。
つまり当時の日本の実力では朝鮮半島の南の一部を占領するくらいが現実的だった、
ということになるわけだけど。
明も日本の半島南部領有を認めたならそうかもしれないが、
講和内容がすりかえられた交渉だったからなあ。
1592年の文禄の役の時点では戦乱の途中で、
さすがの秀吉も最初の計画が無謀だったと気付いて、
目的を朝鮮半島南部の領有等に切り替え1593年中に和平交渉開始。
交渉は双方の担当が虚偽の講和内容を提示したりしてうだうだ長引いたが、
最終的に明が朝鮮南部の領有等すら認めていないことが発覚して1597年に戦闘再開(慶長の役)。
この戦いは1598年の秀吉の死去により終結。
つまり、秀吉自身も認めた当時の日本の現実的な戦略目標は朝鮮半島南部の領有。
ただしこれは秀吉の主観で明側は認めていない、
本当にそれを実現するだけの実力が日本にあったかどうかは不明、といったところ。
>>469 日本側→平壌から撤退して南下
明側→碧蹄館で敗北して南下停止
お互い続投が危ぶまれたからこそ講和になった訳で、日本側が優勢であれば、
わざわざ和議などする必要も無い。明側も及び腰でしたが、妥協しようとし
た訳でも無く、日本がどこまで続けられたかも疑問。
義兵の蜂起が相次ぎ、晋州城で住民を殺害するなどの行為を行っていたので
は、長く居つくのも難しいでしょう。
少なくとも、このスレに例として挙げられるとは思えません。>当時の日本
相手が相手でしたし、地域大国とは言えるでしょうが。
>>438 >あの頃は世界でも類を見ないほど日本式火縄銃『種子島』が流通してたからなぁ。
>よって日本はこの時点で表彰台には上がれる。
マスケットが多い=強いとは言えないよ。
当時のマスケットは射撃速度が低すぎ、騎兵の突撃に対応できない。
よって槍兵を混ぜて守る必要が本来ある(銃剣の発明まで)んだが、日本は騎兵が貧弱過ぎて槍兵が必要なかっただけ。
戦国末期の日本の軍は実質的に騎兵強襲に対応不可能なアンバランスな軍になっちゃってる
>そして1940年代初頭では海洋国家の中では最強。一瞬だったけどね。
当時の日本は海洋国家とは言えない。
補給線をまともに守れない、単なる艦隊同士の殴り合いに特化したドクトリンを持つ海軍では海洋国家とは言えない。
同時期のアメリカ海軍は、東太平洋と大西洋の補給ラインをガッチリ防衛していた事を忘れてないか?
騎兵に弱いといっても、正面から突っ込んでる来るぶんには対応できるでしょう。
長柄とかもあったのだし。
まあ、騎兵部隊の不在による戦術の幅の狭さは不利な点ではあるだろうが。
文禄慶長の役において日本軍の海上兵站で特筆すべきは、
そもそも海軍という意識が0、外洋に適応した船も0、守るべきシーレーンも0という状況下で
7年も兵站を支え続けられる海軍を瞬間的に作り出したことにあると思われる。
陸上兵站で言えば、荷駄隊を数で揃えた戦国日本の兵制は同時代のどこより上。
武田信玄なんかは駿河を手に入れると即座に伊勢から海賊衆を招いて、
海軍を創設・強化しようとしているし、
信長の石山本願寺攻めでは毛利による海上輸送の可否が争点となった。
厳島の戦いの例もあるし、北条家にも優れた海軍があった。
秀吉の小田原の陣では海上からも封鎖が行われた。
海軍という認識がゼロなんてどこから出てくるのやら、
まあ本格的に運用できる外洋船がなかったのは事実だし、
おかげで痛い目に会ったわけだが。
480 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 12:44:24 0
そもそも秀吉の戦略プランが杜撰なだけという問題を
戦術や兵器の問題にするのはいかがなものか?
規模や戦力が遥かに劣る女真族が30〜40年後に
征服に成功したことをどう説明する?
秀吉が国内の不満分子のガス抜きとして行き当たりで対処したのが問題。
軍事ヲタは別板で議論すべき。
>>480 当時は騎兵隊の威力も相対的にかなり大きかったから、
半猟半遊牧の女真族を戦力が劣るとは簡単にいえないと思うが。
というか、情勢が全然違うから説明する必要もないだろう。
>>480 女真族は明が李自成の乱で滅亡するまでは、長城以南を征服することはできなかった。
明滅亡後も、呉三桂みたいな明の残存部隊が旧明領を再征服したと言う方が実体に近い。
呉三桂とかは、そのまま中国南部で独立国並の勢力を確立しちゃうし。
白村江で壊滅してから明治日本が再建するまで
日本における海軍は日本近海での行動しか前提としていなかった。
村上水軍は瀬戸内海、九鬼衆は伊勢志摩、今川(北条、武田、徳川)水軍は伊勢湾から相模湾まで、という風に。
遠洋を作戦海域とする本格的な外洋海軍としては蓄積は0だな、確かに。
波が比較的おとなしく、よしんば嵐になっても陸地の陰に即座に逃げられることを前提とした、喫水の浅いガレーが何をどうやったら日本海を縦横に渡れるのやら。
松浦党の作戦海域は遠洋
戦国時代には衰微してたがね。松浦なんて。
>>475 >当時の日本は海洋国家とは言えない。
阿呆は即座に氏になさい。
アメリカの補給線は戦術的なものでしかないのです。
故に護衛艦艇を集中できた。
しかし日本の補給線は戦略的なものであり、どうあがいても
護衛の間に合うものではなかった。
潜水艦による対米通商破壊戦が成立すると夢想する初心者によくある
非国民発言。
>>486 >アメリカの補給線は戦術的なものでしかないのです
それはジョークで(ry
対英支援、対ソ支援、対豪支援を戦術的輸送と言い切る人をはじめて見たよ。
リバティシップをあんだけ建造し、505隻の護衛駆逐艦と76隻の護衛空母を作った理由は全て「戦術的輸送」ですかそうですか。
いや、単なる戦術的輸送のためにあれだけの物量をかけられるアメリカは偉大だなw
戦略的に海上輸送を必須とする国よりも遥かに膨大な物量を戦術的輸送の為だけに
用いることが出来るなんて、なんて贅沢なんだwww
久々に笑える釣りだ。でも、あんまりアメリカと日本をバカにするもんじゃないよ?
489 :
世界@名無史さん:2006/02/13(月) 21:34:57 0
>>487 猿よ。
それは、米国の補給線ではない。
自身で書いているように、英国、ソヴィエトにとっての補給線でしかない。
豪洲は外部からの援助に依存しておらぬしな。
判るかね?米国にとっての戦略的輸送網とは、国内の輸送網なのだよ。
故に、米国には潜水艦による通商破壊が成立しなかった。
んで、1942年当時のアメリカは北米大陸の陸上輸送のみを通商路として持つ、
完全に世界から遮断された社会だったとでも?
ニューヨークからロサンゼルスまで、海上通商路が存在しなかったとでも?
ハワイやフィリピン、アラスカなどに鉄道と陸軍でつながってたとでも?
アホウはお前だよ、
>>489。紀元前と紀元後を間違えてるんじゃねえのか?
>>489 米国に対する通商破壊なんて米国の海上輸送網を全て「戦術輸送」と言い切る人以外誰も言ってないんだけどな?
日本は自国の通商路を守れなかった。正確に言うとドクトリン上守る気が無かった。
本質的に迎撃専門のブラウンウオーター・ネイビーの拡大版でしかないんだな。
(相手に米国なんて化け物が居なかった場合どのような発展をしたのかは興味があるが、それは単なるifでしかない)
アメリカは連合国全ての通商路に防衛力を提供し、なおかつ大海軍を太平洋・大西洋に置くだけの海軍力を有していた。
どっちが「海洋国家として最強」かは明白だと思うんだが
492 :
世界@名無史さん:2006/02/14(火) 02:36:14 0
>>490 反論のための反論をするな猿。
そんな瑣末なものを叩いて米国を干上がらせられるかどうか考えれば自明である。
>>491 「海洋国家ではない」から「どっちが海洋国家として最強か」へ摩り替えぬよう。
>日本は自国の通商路を守れなかった。正確に言うとドクトリン上守る気が無かった。
大東亜戦争時の南方輸送路を守る能力は、何処の海軍にも無い。
米海軍の護衛艦艇でもだ。
大西洋でドイツ潜水艦に輸送船を食われても米国の国力が揺るがなかったのは、
始めから米国を対象としたものでないからだ。
米国に対して潜水艦による通商破壊戦は、成立しないし、日独はやっていない。
されてもいない米国(戦術的に商船を沈めた話を持ち出さないよう、無意味だから)と、
された日本の間で比較は成立しない。
>反論のための反論をするな猿。
まさしくおまえじゃねえかw
自分が物を知らないから揚げ足取られたことを少しは自覚しなよw
あと、瑣末なものと切り捨てられるほどに当時のアメリカ経済は一国で完結していたんじゃないよ。
基本的に当時のアメリカは、機械製品やその他もろもろを世界各国に売って生きていた。
当然ながら両大洋に巨大な通商路があり、それを守り、また軍艦をより戦略的に運用できるように
巨大な米海軍とパナマ運河があったわけだが。
つか、他国との通商路を作らないというのがモンロー主義なら
なんでアメリカは中国に門戸解放だのと喚き、米西戦争で叩き、債権国だの債務国だのになってたんだかな。
中学校のものでいいから、教科書でも読んでこいよ。
日本は明治に入るまでは東洋で2〜3番手ってとこだったんじゃない?
>>494 極東の、と言うのならその通り。特に人口にスポットを当てれば極東では常に2番手。
(近代以前は、人口がそのスケールの源なので)
東洋の、という定義だとスエズ地峡、ボスポラス海峡、ウラル山脈より東側全部、とか
いう凄まじく壮大なスケールになるw
>>493 総論的には間違ってないが、パナマ運河の場合は軍事目的以上に経済目的が強い
希ガス。
パナマができるまでは非常識なカナダ北極航路か、わざわざ南米ホーン岬を回るしかなかったからな。
スエズと同じで、東西の海上通商のコストダウンという面が強い気がする。
>>493 実際、第一次世界大戦の時点で、アメリカ海軍の規模はかなり巨大なものだしね。
完全に戦術目的に特化するにはコストがかかりすぎる。
確かにアメリカ国民が食ってくだけなら、アメリカ大陸の物資で十分だっただろうけど、人はパンのみにて生きるにあらず、と。
あれだ、大陸国家であり巨大な島国でもあるので両方の長所を併せ持つ
反則国家。
それがアメリカクオリティ。
498 :
世界@名無史さん:2006/02/15(水) 13:20:19 0
>>493 >基本的に当時のアメリカは、機械製品やその他もろもろを世界各国に売って生きていた。
嘘を書くんじゃない、猿よ。
巨大な市場を持つ米国が外需へ依存などするか。
お前は内需主導国家と外需依存国家も区別もつかぬ奴。
そんな輸送網など米国にとって生命線でも何でもない。
499 :
世界@名無史さん:2006/02/15(水) 16:31:26 0
ここで猿猿言ってる猿は、本当に歴史を学んだことがあるのだろうか?
>巨大な市場を持つ米国が外需へ依存などするか
希望混じりの憶測を言う前に、当時について書かれた本なり論文なり読んでみな。
当時の米国がなぜ好景気だったのか?
当時の人口はどれほどか?
国内に売りさばくのと国外に売りさばくの、関税その他を差し引いてもどれだけコストの違いがあったか?
これらを学びなおしてくるまで、このスレに沸いて出るな、クソガキ。
ついでにいえば、内需主導だの外需依存だのというカテゴリ分けすら、本来無意味だ。
近代国際社会の中で経済面での地位を持つ国家が外需を持たないことはありえないし
アメリカのような政体の国家で、そういった外需と結びついた産業界を無視することもまた、ありえない。
502 :
世界@名無史さん:2006/02/15(水) 23:00:45 0
>>501 猿。
当時の米国の輸出のGNP比は、5%だ。
猿こそ資料を読め。
503 :
世界@名無史さん:2006/02/15(水) 23:21:09 0
エテモンキー!!「ウッキー!」
さあ、みんな行くぞ!!!
ヒント:GNPには「自国で外国企業が生産した分が含まれず、他国で自国企業の生産した分が含まれる」
当然輸出入の割合はきわめて低く表示される。
後、5%が少ないと思えるのは何故か逆に問い質したいのだが。
通商破壊されると・・・
日本→干上がる→されんだー
イギリス→干上がる→されんだー
ドイツ→たいへん困る→でも徹底抗戦
ロシア→たいへん困る→でも徹底抗戦
アメリカ→たいへん困る→でも徹底抗戦
要はこの違いを言いたいんだろ?
「シーレーンを潰されても耐えられる国家」=「海上通商を必要としない国家」ではなかろうに。
潰されても耐え切れるが、『戦術的なんたら』に出来るほど軽く扱えるものでもないな。
まして、アメリカのように産業資本家がかなりの権益を持つ近代国家ならなおさらのこと。
向こうさんは、
「海外と交易しなくても大多数の民は生きていけるから海外交易してる商人は氏んでいいよ」
と国家元首があっさり言えるような国じゃない。
つか、それ以前にGNPにおける輸出入比5%をなんで「外需に依存してない」とみなせるのか不思議だ。
つか、厨はほっとけ。どうせろくに理解もしていない。
508 :
世界@名無史さん:2006/02/17(金) 09:58:38 0
>>506 希望的観測をダラダラ書連ねるなよ。
具体的な数字で反論してみな。
>>508 もう消えろって言ったのに。それにどこが「希望的観測」になるの?w
もうほっといたほうがいいと思う。いやマジで。
512 :
世界@名無史さん:2006/02/17(金) 21:54:08 0
なんか子供っぽくて楽しい。
>>509 もう消えろって言ったのに。
もう消えろって言ったのに。
もう消えろって言ったのにいぃぃぃい
ageてる奴を無視すればいいんだから、ここまで楽なことはないな。
514 :
世界@名無史さん:2006/02/18(土) 00:39:02 0
チョソが荒らしてます・・・
議論から単なる罵り合いになるのは2ちゃんならでは。
もう消えろって言ったのにいぃぃぃい
取り敢えず、世界制服一歩手前まで行ったモンゴル帝国は偉大。
それに勝ったマムルークと陳朝と鎌倉幕府とジャワとアイヌはもっと偉大と。
そして話題はループする。
調べてみたけどアイヌがモンゴルを撃退したという話のソースがわからない。
元史によれば普通にモンゴル軍に対して敗退を重ね、その後降伏を余儀なくされたって
感じなんだよね。
何で誰も異論を唱えないまま、アイヌがモンゴルに勝ったことになっているのか不思議。
一体誰が広めた話なんだろう?
>>520 元の側から見れば辺境での小競り合いで、作戦目的は達成されてるんだけど
日本中心史観の持ち主が北から日本を征服するプランだったと勘違いして
それをアイヌが食い止めたと思い込んだ、というところだろう。
世界観の違いなんだろうな。
アイヌの時は日本と違って大自然のおしおきは無かったんだな・・・。
博多で負けて逃げ帰る元軍に対して更に大自然のおしおき・・・
何かタイムボカンシリーズみたいだな。
ってねえさまが言ってた。
>>523 >>525 この板の住人はナコルル知らんだろ・・・
ところでジャワはどんな感じでモンゴル撃退したんだっけ?
ジャワでは勝ってなかったか?
そうだっけ?よく覚えてねえや
529 :
世界@名無史さん:2006/03/01(水) 21:56:40 0
w
530 :
世界@名無史さん:2006/03/01(水) 22:00:43 0
カムチャッカあたりに元の残党がいて
フビライの大剣を持っていたという話をきいた事があるが、
どういう話だったっけ?
531 :
世界@名無史さん:2006/03/02(木) 19:54:48 0
ジャワは騙し討ちじゃないか?
532 :
世界@名無史さん:2006/03/12(日) 13:20:22 0
S
533 :
世界@名無史さん:2006/03/12(日) 13:30:19 0
ギルピンとかモデルスキーの翻訳本を復刊して呉
>>518 主力軍とは戦っていないからなあ。
曲りなりにも主力といえるような軍と戦って撃退出来たのは後にも先にも南宋だけ。
結局は滅ぼされたけど。
負けた理由なんて一方だけでなんとでも言えるし、歴史の中で話が変わってしまう可能性もあるからなぁ・・・。
その点、勝った負けたという事実は双方の国の史実から検証できるから、確実だ。
>>535 勝ったか負けたかだけを検証するならね。
しかし、そこから国の強弱を考察しようとするなら、
どういう状況で戦ってそういう結果になったかを考慮しなければならない。
>どういう状況で戦ってそういう結果になったかを考慮
そこが問題だ。いくら信頼性のないデータを元に考察しても真理は得られないからね。
538 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 18:18:25 0
d
こういった最強厨スレって、モンゴルとか漢は大人気なのに、
オスマン帝国 は実質無視されてるんだ!?
540 :
世界@名無史さん:2006/03/22(水) 11:50:53 0
それでいて16世紀最強は日本。何故なら日本の鉄砲(ry
って言い出す厨がいるから困る。このスレの事じゃないよ。
オスマントルコはスレイマン1世以降が停滞しているからな。
戦国日本最強厨は海軍の貧弱さを知ってから言えと言いたい。
542 :
世界@名無史さん:2006/03/22(水) 20:25:54 0
>>539 いや、最強だったという人も、
スペインと二強だったといっていた人も普通にいたけど?
少なくとも実質無視なんて事は全然ない。
むしろ、ある時期のオスマン帝国が、
最強候補として挙げられなかったことなんでほとんどないと思うが。
開く時代ごと網羅的に最強候補を上げた人はそのほとんどが、
その中にオスマンの名を挙げていた。
1699年に神聖ローマ及びロシアに敗れるまではオスマン帝国最強ってとこか
>>540 守り(外来勢力の侵入)は強いけど、攻め(外征)には弱そうな感じだな>16世紀の日本
547 :
世界@名無史さん:2006/04/09(日) 20:06:33 0
age
548 :
世界@名無史さん:2006/04/09(日) 21:01:05 O
いつものことだが、日本に不利なことを言う奴は朝鮮人扱いか。
よほど朝鮮が気になって仕方がないようだな。
オスマンフェチがキモ過ぎる
オスマン>明>スペインですし
551 :
世界@名無史さん:2006/04/14(金) 01:00:40 0
つーか16世紀から17世紀はオスマン派とスペイン派、日本派(w)
でもう平行線で決着つかない
他の時代の話でいいだろう
>>550 明は弱すぎ、モンゴル、女真に圧倒された明に負けた日本
もっと準備してから朝鮮出兵すれば朝鮮南部ぐらいは征服できたかもな
553 :
世界@名無史さん:2006/04/14(金) 16:25:46 0
高校時代の教師が「古代から現代までずっと先進国だったのはイタリアだけ
なんです」と言っていたが本当か?
>>548 お前女々しいヤツだな。何根に持ってるわけ?怖いし
555 :
世界@名無史さん:2006/04/14(金) 20:39:40 0
>>552 明はモンゴルにも女真にも圧倒されてなんかいないぞ。
明の国内がどんなに内乱でボロボロになっても、女真は結局最後まで山海関を
越えることができなかった。
>>553 古代、ギリシアやペルシアが先進国だったときにイタリアは後進国だったよ。
ローマ帝国ですらイタリアを見捨てて、首都をコンスタンティノポリスに
移したんだし。
556 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 08:26:31 0
インドについて言及が無さすぎる。
>>555 しかし皇帝が捕虜になるような国だからな
>>557 だがモンゴルも北京の前まで来るのがせいぜいだった。
559 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 11:32:52 0
>>557 当時は皇帝や国王が軍の指揮をとることが多かったから、捕虜になったり戦死
したりすることはどこの国でもあることなんだよ。
1071年、マラズィギルトの戦いでビザンツ皇帝がセルジューク朝の捕虜になる。
1250年、ファリスクールでフランス国王がマムルーク軍の捕虜になる。
1356年、ポアティエの戦いでフランス国王がイギリス軍の捕虜になる。
1402年、アンカラの戦いでオスマン朝スルタンがティムール軍の捕虜になる。
1524年、パヴィアの戦いでフランス国王が神聖ローマ軍の捕虜になる。
ここに書いたのは主だったものだけだから調べれば他にも沢山あると思う。
ポアティエの戦いで国王が捕虜になっても百年戦争で最終的に勝利したのは
フランスだし、オスマン帝国の最盛期はアンカラの戦いの後だろ。
強国ほど強気に外征をおこなうから時々そういう事態になってしまうんだよな。
>>559 最後の一文だけはどうだろう?
いずれも部下に任せるわけには行かない規模の軍の動員が必要だった、
つまり、最高筋力者が直接指揮ととらなければならないほどの大敵が相手だったからでは?
「最高権力者」ね。
明の英宗が捕虜になったのは中国史上では珍事
滅亡時に皇帝が捕虜になることは中国史では珍しくないけど
英宗の時はそういう時期じゃなかったからな
捕虜になった英宗はエセン・ハンと友達になったらしい
モンゴルと明は五分五分って感じかな
563 :
世界@名無史さん:2006/05/13(土) 11:41:26 0
>>556 インドの王朝で、南アジアの外へ外征した国ってあったっけ?
チョーラ朝がシュリヴィジャヤ王国へ遠征したくらいか。
それでさえも、別に現地を占領したわけじゃないしね・・・
564 :
世界@名無史さん:2006/05/13(土) 13:33:13 0
帝政ロシアはこのスレではどう評価?
べらぼうに高い国力と人口は常に世界トップクラスだったと思う
当時の最強国家は英仏のどちらかだと思うが
産業革命後のイギリス、フランスとトルコ、サルディニア、オーストリア連合軍相手にいい勝負をして
イギリスを財政破綻させて内閣総辞職させている化け物国家だと思うが
1820 年 GDPの世界総計に占める割合(%) 人口の世界総計に占める割合(%)
1.清** 28.7 35.5
2.印度* 16.0 19.6
3.仏蘭西 5.4 2.9
4.英吉利 5.2 2.0
5.露西亜 4.9 4.2
6.日本* 3.1 2.9
7.墺太利 1.9 1.3
8.西班牙 1.9 1.1
9.亜米利 1.8 0.9
10.普魯西 1.7 1.1
本当に良くイギリスは清に勝てましたね
ヒッタイトがいきなり海の民に滅ぼされたのと同じ
567 :
世界@名無史さん:2006/05/19(金) 21:14:35 0
大英帝国はあまり語られないね
ナポレオン三世も捕虜になったね
570 :
世界@名無史さん:2006/06/18(日) 20:09:49 0
>>563 ハルジーがイルハン朝へ攻撃を仕掛けている
571 :
世界@名無史さん:2006/06/19(月) 22:51:50 0
中世ヨーロッパは遅れていて弱い。
572 :
世界@名無史さん:2006/06/20(火) 01:18:12 0
レコンキスタの余勢を駆って、シチリア島、イタリア、ギリシャを併合した
アラゴン地中海帝国などをあげてみる。
573 :
世界@名無史さん:2006/07/05(水) 11:25:37 0
13世紀後半もモンゴルの各ウルスを別々の国とみなせば結構群雄割拠の時代だな。
574 :
世界@名無史さん:2006/07/05(水) 11:59:24 0
覇権循環論なスレ
575 :
世界@名無史さん:2006/07/08(土) 09:05:37 0
世界史上専制的な国度
1.インカ帝国
2.マウリヤ朝
3.ハルジー朝
4.明朝
5.近世ヨーロッパ絶対主義諸国
576 :
世界@名無史さん:
国度って何?