>>951 確かにスウェーデン軍は、
その不利を補う為に多くの騎馬部隊を傭兵として雇い入れているからね。
>>947 読んでてノモンハン事変かと思った。
ノモンハンではソ連側でモンゴル騎兵2個旅団が参加して
日本の戦車隊と交戦してたような。
>>937 スウェーデン軍で騎兵が大した役割を果たさなかったのなら
三兵戦術なんて言われることすらなかっただろ
歩・騎・砲のコンバインドアームズが真骨頂じゃないの
火薬も銃砲類も元は中国だけどなw
>>953 ノモンハンに限らず、ソ連軍は第二次大戦中大規模な騎兵部隊を運用し続けてる。
これはドイツも同じで…というか早まって騎兵部隊を他軍種に改編したり後方の補充を無くしちゃったお陰で、
いざ騎兵が役立つとわかったのに補充が大変なことになってる。
>>955 なぜか中国では発展せずに、
明代にはヨーロッパ産のものを輸入するようになっていたけどね。
詳しい理由は知らないが、その頃から東アジアは軍事的には後進国になってしまった。
中国って結局国がでかすぎて戦乱が(ヨーロッパと比べて)少なすぎたのがいけなかったのかな
引金は紀元前に発明したし火薬だって結構最初の方に発明してたんだけどな
秦が統一しないで戦国時代がダラダラ続いてたらかなり凄いことになってたかも
戦国時代って冶金技術も凄かったんでしょう?
>>958 それは無理。
秦が統一した頃は北方の匈奴が大帝国を作った頃で、
中国側も大帝国としてまとまらないと、小国分立のままでは片っ端から併合されてしまう。
統一してても唐という現在のヨーロッパに劣らない繁栄期を迎えた。
戦乱が多いと発展するならアフリカは最先進国だよ。
五代十国時代に有力軍閥が政権簒奪を繰り返した反省から、
宋代に意図的に軍に力を持たせないような制度にしたり、
軍人が劣った職業だと思うような文化を作ったりしたのが後を引いているように思う。
武官軽視と商業軽視が痛いんじゃないかな
宋でせっかくコークスを用いた製鉄が行なわれてたのに
市場経済が発達してなかったから廃れてしまった
つまり儒教?
ヨーロッパについてはイスラム勢力と互いに刺激しあった面もあると思う。
地理的にほとんどありえないが、
明もチムール帝国あたりと本格的にやり合っていれば、
軍事的にも別の発展の仕方があったかもしれないが。
明だって北方民族とかと激しく抗争していたのだから、
強力な兵器作って奴らを完全に屈服させてやる、って方向に思考が働けば、
或いは兵器も発展したかもね。もともとの文化とか技術力は決して低くないのだし。
しかし実際は長城作って引きこもってしまった。
そういう選択をしてしまったのは、
やっぱりそれ以前の文化によるところが大きいのだろうなぁ。
いずれにしても、14世紀から15世紀にかけて、
東アジア地域では目だった軍事的な発展はなかったが、
その間にヨーロッパとイスラムでは火砲・銃器改良及び運用という大きな変化がおきていた、
このことが、東アジアの軍事的な後進地域化をもたらしてしまったと。
中国の場合自国が十分に豊かだからなあ。
周りが貧弱なのもあって国威発揚ぐらいしか戦争理由が無い。
騎馬民族との戦闘って「莫大な資金を費やして貧弱な地を手に入れる」事でしか無いし。
ヨーロッパ-オリエント-ペルシア-インドと豊かな地が続いて、断絶があって中国みたいな感じになっちゃってるよな。
日本やカンボジア、タイみたいなソコソコ豊かな地とは地形障害でやっぱり離れてるし、朝鮮半島も実は山脈障害がかなり大きくて直接統治はコストに見合わない
>>962 なんというか、宋の頃の中国の技術や文明が、そのまんま西洋に吸い取られてしまった感じだな。
西洋でルネサンスの繁栄を迎えたのもその後だし。
>>966 宋とか明とか、いわゆる中国の中心部を押えちゃうと、
それ以上興味を失ってしまうのが普通だからなあ。
むしろ、漢だの唐だのはよく拡大する気になったものだ。
まあ、自国が相当以上に豊かだからこそ、
そこだけでかなりの文化・技術を発展させることも出来るんだろうけど、
少なくとも該当時代における軍事技術については、完全に出遅れてしまった。
唐の李氏は元々中央アジア辺りの出身だからなあ。
馬球(ポロ)なんかも盛んだったわけだし。
漢はまあ、建国の時点で匈奴に恥をかかされた、ってんで
それを雪辱すること、後は馬などの交易品調達。
唐は出自が騎馬民族だからというより、まさしくペルシャやローマとの交易路&国家的な威信も目当て。
崇仏国家であるわけだし、西域の進んだ仏教知識の確保という意味合いもあったんだろう。
つーか、中国は自国に肥沃な国土、多数の国民、多くの通商路を抱えてて
外征発展する意味がない、というよりよほどの黄金期でない限りする余裕が無さそうだ。
明も永楽帝の時代だけなら拡大志向だったんだけど
972 :
世界@名無史さん:2005/12/25(日) 03:55:37 0
>>965 明では火砲技術の開発は進んでいたのでは?
その指摘は東アジアというよりむしろ中央アジアの遊牧国家にあてはまる。
なまじっか軍事力が強力過ぎると兵器を開発する動機がない。
>>965 欧州が19世紀末まで東アジアに軍事力では及ばなかったことは欧米の
戦史研究家でも認めていること。
974 :
973:2005/12/25(日) 07:39:50 0
アヘン戦争までだから19世紀初頭だった。
17世紀にオランダが台湾で鄭成功に完敗したことは欧州では凄く衝撃的なこと
だったらしいぞ。
欧米の海戦に関する本を読んでもジャンクの戦闘力はかなり高く評価されてるし。
おかげで西洋の軍艦は東アジアの海に寄り付かなくなってしまい、日本も清も
鎖国を守ることができたわけだ。
あちらの感覚ではアヘン戦争の勝利でやっと逆転したという感じ。
>>972 いや、全然。
16世紀にはヨーロッパ産の火器を輸入しないと使い物にならない状況だった。
鄭成功の台湾云々は兵力に差がありすぎ、
19世紀までってのはヨーロッパ諸国が東アジアまで送り込める兵力のみで、
現実に戦争をした場合の話。
そりゃあ、16・17世紀の技術力で欧州から地球半周以上してやってきた兵力だけを相手にするなら、
十分勝てるけど、国家の軍事力を総合的に見ればもはや東アジアは太刀打ちできない。
まあ逆に言えば中国艦隊がヨーロッパに遠征すればコテンパンにのされたかもしれない。
あの当時欧州がアジアに送り込める戦闘艦艇なんて10隻単位がいいところだし
陸上兵力でも常備軍のケタが違う。
しかし本国においても必ずしもヨーロッパはアジアに兵力で優越しているとは言いがたいし
ただそれだけの兵力格差を技術力で埋められるとは言いがたいな、一概に。
本来は農耕民族による土地に立脚した軍だから、中国軍がモンゴルの如くヨーロッパに乱入しても
モンゴル並みに暴れられるとは思えないが。
>>975 清の国境の最西端なんてモスクワと北京の中間ぐらいだろ。
18世紀のロシアは欧州では陸軍強国だったんだから、その頃の欧州と東アジアでは
軍事力にそんなに差が無かったってことじゃん。
ネルチンスク条約を結ぶことになったロシアとの小競り合いなら、
起こったのは清の本国ともいえる満州アムール川あたりでのことですよ?
ネルチンスク条約は対等条約で清優勢な状況で結んだものだが、
当時のロシアはピョートル大帝の西欧を見習った近代化以前で、
まだまだ列強のとまではいえない状態だったしね。
つまり欧州の並程度の国が東アジアまで出向いてきたなら、
その部隊とは対等以上に戦えるくらいが、17世紀後半における清の実力ということ。
ちょっと寂しいがそれが事実だ。
1727年のキャフタ条約も明らかに清の側に近い、キャフタで結ばれているしね。
18世紀、ロシアと清は中央アジアの遊牧民を征服して領土を広げていったわけだろ。
でも結局、ロシアが獲得できたのって北の不毛の大地が大半で、南東方面への進出は、
清−アフガニスタンのラインで停止してるじゃん。
全体としてロシアと清の国境は人の住める場所は清が全部獲得し、それ以外をロシアが
獲ったっていう感じだ。
しかし皮肉にもシベリアには手付かずの地下資源が豊富にあるそうな。
欧州厨の論拠はいつも苦しいな
>>981 基本的にロシアの狙いは最初から森林地帯だよ。
もともと毛皮目当てだったのだから。
というか、根本的に18世紀までのロシアは東進策に本腰入れてないから、
あくまでも主眼は対ヨーロッパ外交、
特に清国境までたっした頃は北方戦争のちょっと前くらいで、
とてもシベリアまで本格的に出動は出来ません。
ロシアの東進は黒テン猟師が先導したんだから当たり前だよな<ストップしたライン
国として本腰入れて東に進んだのは、黒海やバルカン方面での拡大が西欧の干渉で阻止されるようになってからじゃなかったか?
ロシアの東進の主力となったのはコサック部隊。
基本的にコサックは常に中央アジアや中東方面への領土の拡張を志向していたんだけどね。
ただ17世紀の欧州の軍隊では本格的な戦争になった場合、アジアの軍隊には絶対勝てない
という悲しい現実があった。
そのためロシア政府はコサックにこの方面の国々を刺激することを厳禁し、しかたなく
コサックたちは毛皮商人をスポンサーに、ほとんど人の住んでいないシベリアを東進する
ことになったんだよ。
補足すれば、それはもちろん実戦力でかなわない可能性がある、ということもあるが
それ以上にタタールのくびきによる心理的な敗北感があったこともある。
下手にアジアをつつけばもう一度チンギスハンが攻めてくるという恐怖感が先にたってたわけだ。
だから、本格的にロシアがアジアに手を伸ばすのは、彼らが技術先進世界・欧州の一員としての
自覚と自信を持った後、ということになった。
ロシアはウクライナをはさんで南に、直接のモンゴル・トルコ系の騎馬民族国家や
イスラムの盟主として東欧を引っ掻き回していたオスマントルコと国境を接していたしね。
このスレが議論地獄になって楽しかった。
みんな来年もよろしく。
スレの流れをかえてごめんね。
反省する。
>>977 清とロシアが条約を結んだ場所を確認してみなさい。
やはり、理解者が少ない様なので補足しておく。
機動力が高い方が有利と言うのは、当たり前の事しか書いていない「孫子」にも載っている基本中の基本。
戦場となるべき地に最初に辿り着くのは、常にこの機動力の優れた側。
「いつ」「どこで」「どのように」戦うのか、それらは全て機動力の高い側だけが決定する事が出来る。
最初に自軍にのみ有利な戦場に着き、戦場の細かい地形の下見を終え、自軍に有利な地形を全て占め、幾つもの戦術プランを練り上げる事が出来る。
その敵となった軍にとって戦術的に有利な要素は、全て排除された状態で戦う事さえも可能。
後は、敵の布陣に合わせて戦術プランの何れかを適用するという「作業」だけ。
過去の東アジアの軍事力を考察する場合、「孫子」を始めとする「武経七書」の存在を無視してはならない。
一部の軍事的天才のみが理解出来得る事柄が、マニュアルとして凡人にも理解出来るようになっているのだから。
歴史板に出入りしているのなら、歴史的な書物を読んで欲しいと思う。
>>982 当時、清はロシアと外交関係を結ぶ必要性などまったく感じていなかったから
高官をわざわざ遠くまで派遣したりしないのは当たり前。
それに対して是が非でも国交したいロシアの方が清の近くまで出向くことになった。
つまり、ネルチンスクの位置は当時の力関係が清>ロシアであったことを反映して
いるわけ。
清はその後ロシアより遥かに強敵の中央アジアの遊牧民との戦争を控えていたから、
ロシアの方は片手間で適当に処理されてしまった感じだ。
わろす
997 :
世界@名無史さん:2005/12/26(月) 21:48:35 0
良スレあげ!
ごめんね、かーちゃん議論地獄に追い込んでごめんね
ワープルートだのデカン高原だの大日本軍対欧州連合軍だのを言い始めたのは俺です。
つまんない議論地獄に追い込んでごめんなさい。わざとです。
あと、
>>865も俺です。
糞スレ化、マッハ消費スレ化させて本当に反省しています。
わろす。
セン!
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。