1 :
世界@名無史さん :
2005/10/01(土) 18:21:52 0
2 :
世界@名無史さん :2005/10/02(日) 03:36:50 0
3 :
世界@名無史さん :2005/10/02(日) 11:35:07 0
またインドネシアでテロがあったようです インドネシアではバリ島みたいな名残りはあるものの インド的なものは次第にイスラム化していったわけですよね? しかも割と近い時代に なんでだろう
4 :
世界@名無史さん :2005/10/03(月) 18:44:26 0
ヨーロッパは30世紀までに有色人種の土地になっているだろうとかいう人もいるが これは当初アラブ人が優勢だったイスラム圏にどんどん異人種が流れ込んできて 文化や政治システムがどんどん変化していったことを連想させる。 結局、カネとモノのあるところに人は集まるということだろう。
5 :
世界@名無史さん :2005/10/04(火) 17:19:05 0
>>3 イスラム商人が海岸沿いに町を建てていってそこから広まってったとか聞いたけど。
イスラーム思想史の本ってアヴェロエスまでで終わってるの多くない?
>>6 スンナ派に限って言うと、
東方哲学はガザーリーの哲学批判によって壊滅し、
西方哲学はレコンキスタによってイスラム勢力自体が消滅。
ゆえにアヴェロエスで終わるのは当然。
ただ
哲学はその後、スーフィズムと結びついて発展したし(イブン・アラビーやスフラワルディーなど)、
シーア派の哲学(モッラー・サドラーなど)は現在でもイランを中心に続いている。
フランスのアンリ・コルバンや日本の鎌田繁、東長靖らの論考が参考になるかと。
8 :
世界@名無史さん :2005/10/04(火) 19:57:24 0
ムウタズィラ派って一時期隆盛を誇ってから壊滅したようなイメージがあったけど イブン・バトゥータの旅行記なんか見るとムウタズィラ派の知識人が出てくるね。 バトゥータはいかがわしげな目で見てるけど・・・
9 :
世界@名無史さん :2005/10/04(火) 21:20:19 0
イスラムはそもそもが旧約聖書のコピーであるコーランを聖典としているし、メッカが聖地となる前はエルサレムが聖地であった。 イスラム教は単純にセム語族の擬似ユダヤ教と捕えればいいんじゃないのかな〜。何事もシンプルがベストだ。 モハメッドは商人であったし、70年にイスラエル王国がローマによって滅ぼされてからのユダヤ教も商人風ラビが聖職者に代わって中心となっている。 すなわち、商人風ラビのユダヤ教と商人モハメッドは極めて相性が良い近い存在であったということだよ。現代の投機の世界においてユダヤ人が中心であるのを見ると面白い。 イスラムの最大の功績は創業100年にして地中海世界と西アジアを支配したってことだろう。 ユダヤ人はイスラム世界では時と場所を変えて優遇されたり逆に虐待されたりしたが、ギリシャ・ロシア正教下でのユダヤ人は常に虐待の対象であった。この辺に歴史のヒントが隠されている。 イベリア半島で後ウマイヤ朝がカトリックを追い出した時にユダヤ人は万歳三唱、その後ユダヤ人はイスラムが征服したいくつかのイベリア半島の都市で警備に就いている。
10 :
:2005/10/04(火) 22:19:33 0
今回のラマダーン明けはいつになるの?
イスラム世界での「哲学」の需要は「falsafa」というくらいで ギリシア系の哲学つまり「スコラ哲学」だった。 どちらかというと論理展開の方法論や博物学関係の知識を学ぶために 研究されていた傾向にあったので、これらのギリシア系の学問の方法論を 用いて独自に「イスラム神学」なり「イスラム法学」なり諸学の発展に応用され 研究蓄積が増加し出すと、「自らの宗教の学問を発展させるため」にわざわざ 「異教の学問」に習熟する必要が無くなってしまった。 そのため「イスラム世界における『ギリシア哲学の研究』」はイブン・ルシュドを 最後に見るべきものが無くなってしまった、というのが実態らしい。 その後のイスラム世界の思想史的な展開は、13世紀半ばのナスィールッディーン・ トゥースィーとか、18世紀前半のモッラー・サドラーのようにシーア派の神秘主義 的な哲学・神学が目立ち、スンナ派は古典的な思想の継承に留まるようになったが、 (というよりも、資料が膨大すぎイブン・ルシュド以降の思想動向全体の把握がまだ 中途だというだけな気もするが) どちらにせよ、もはや「ギリシア系の哲学」は存在意義が無くなってしまっていた。
>ギリシャ・ロシア正教下でのユダヤ人は常に虐待の対象であった。 そうでもないだろう。ロシアでは15世紀に「ユダヤ風異端」とかが流行してるし カライム派なんかはリトアニアである種の特権を与えられていた。 ハザールの問題もあってあの辺の地域はややこしい。
13 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 19:12:08 0
>>7 >>11 すごくわかりやすい。
とりあえずアヴェロエスのあとにもイスラーム思想史は続いてると・・・
14 :
世界@名無史さん :2005/10/10(月) 12:32:17 0
スーフィー教団の名前を思いつく限り書いてみる ナクシュバンディーヤ シャージリーヤ リファーイーヤ ベクタシーヤ カーディリーヤ メヴレヴィーヤ ティジャーニーヤ サファヴィーヤ スフラワルディーヤ ブルハーニーヤ
15 :
世界@名無史さん :2005/10/13(木) 14:44:53 0
歴史には全くの門外漢ですが、おたずねしたい事があって 書き込みをさせて頂きます。 過日、英書を読んでいますと、サファヴィー朝の宮廷に仕えた 宦官の Saru Taqi という人名が出て来ました(もちろん実在した人)。 この人物の名をカタカナで表記するならば、 どのように書くのが最も好ましいでしょうか? 「サル・タキ」、「サルー・タークィー」、等々 色々と考えられますが、判断がつきません。 母音の長短もあわせて御教示下さい。 どうぞ宜敷く御願い致します。
マルチはやめろ。それだけで回答する気が失せる人も多い。
>>15 アルファベットの上に長音の印がついてるならのばすだろう。
18 :
世界@名無史さん :2005/10/13(木) 21:05:56 0
age
19 :
世界@名無史さん :2005/10/13(木) 21:06:30 0
歴史には全くの門外漢ですが、おたずねしたい事があって 書き込みをさせて頂きます。 過日、英書を読んでいますと、サファヴィー朝の宮廷に仕えた 宦官の Saru Taqi という人名が出て来ました(もちろん実在した人)。 この人物の名をカタカナで表記するならば、 どのように書くのが最も好ましいでしょうか? 「サル・タキ」、「サルー・タークィー」、等々 色々と考えられますが、判断がつきません。 母音の長短もあわせて御教示下さい。 どうぞ宜敷く御願い致します。
英書だからセイルー・テイキーだろう
21 :
世界@名無史さん :2005/10/14(金) 07:51:03 0
歴史には全くの門外漢ですが、おたずねしたい事があって 書き込みをさせて頂きます。 過日、英書を読んでいますと、サファヴィー朝の宮廷に仕えた 宦官の Saru Taqi という人名が出て来ました(もちろん実在した人)。 この人物の名をカタカナで表記するならば、 どのように書くのが最も好ましいでしょうか? 「サル・タキ」、「サルー・タークィー」、等々 色々と考えられますが、判断がつきません。 母音の長短もあわせて御教示下さい。 どうぞ宜敷く御願い致します。
サル・マタが正しい表記
23 :
世界@名無史さん :2005/11/01(火) 10:16:19 0
ヨーロッパ人にとって東洋とは「イスラーム圏とその他」なんだそうです。
25 :
世界@名無史さん :2005/11/01(火) 22:27:45 0
歴史には全くの門外漢ですが、おたずねしたい事があって 書き込みをさせて頂きます。 過日、英書を読んでいますと、サファヴィー朝の宮廷に仕えた 宦官の Saru Taqi という人名が出て来ました(もちろん実在した人)。 この人物の名をカタカナで表記するならば、 どのように書くのが最も好ましいでしょうか? 「サル・タキ」、「サルー・タークィー」、等々 色々と考えられますが、判断がつきません。 母音の長短もあわせて御教示下さい。 どうぞ宜敷く御願い致します。
猿滝
27 :
世界@名無史さん :2005/11/20(日) 19:14:53 0
ttp://www.worldtimes.co.jp/ 米、対テロで“思想戦”を強化
イスラム過激主義、破綻した共産主義と酷似
「自由の拡大」「圧制終結」を最優先課題に掲げて出発した第二次ブッシュ
政権。内外の難問を抱え、現在は発足以来、最大の逆風に見舞われている。
そんな中、対テロ戦争では、イスラム過激派に対する“思想戦”を強化し、
アラブ・イスラム圏での支持拡大を図っている。
大統領の演説でさらに特徴的なのが、イスラム過激主義と共産主義との類似点
を指摘していることだ。
大統領は、「イスラム過激派の残忍な思想は二十一世紀最大の試練だ。だが、
この闘いは多くの点で、二十世紀における共産主義との闘争と似ている」と
説明。具体的には、
@エリート主義の自称“指導者”が率いている(例・ビンラディン)
A政治目的のため無辜(むこ)の民を標的にする(例・ビデオカメラの前で斬首)
B全体主義を目指す
C自由社会を侮蔑(ぶべつ)する
D敗北につながる矛盾を内包している――といった点を挙げた。
29 :
世界@名無史さん :2005/11/27(日) 22:01:30 0
ワッハーブってルターみたいなモンでしょうか?
>>29 ある程度の神学上の蓄積をなしたあらゆる宗教において広く見られる、
信仰の原点回帰という点では似た要素があると思われます。
31 :
世界@名無史さん :2005/12/13(火) 00:35:16 0
では、イブンタイミーヤはキリスト教では誰にあたりそう?
32 :
世界@名無史さん :2005/12/22(木) 16:05:38 0
age
33 :
世界@名無史さん :2006/01/07(土) 11:48:15 0
東南アジアや中央アジアではシャーマニズムと混ざったイスラームですが アフリカなんかはどうなんでしょう?
34 :
世界@名無史さん :2006/01/07(土) 12:16:03 0
アフリカといえば、以前テレビでムーリド教団のドキュメンタリーをやってたな。 イスラーム系新興宗教で、マリとニジェールに多数の信徒を擁しており、 有名な信者としては歌手のユッスー・ンドゥールがいる。 イスラームの教えに加え「労働は神への道」という、聖人ムハマド・バンバの教えを信じる。 メッカの方角ではなく、フランスに迫害されたバンバが海の上に絨毯を敷いて礼拝したという 奇跡の海岸のほうを礼拝するなど、イスラーム版層化って感じだった。
ムーリッドと言えばセネガル
セネガルはアフリカでは割と順調に経済成長しているが
これはムーリッドが
>>34 のような考えだからだ
といった新聞記事を読んだ覚えがある
36 :
34 :2006/01/07(土) 12:49:06 0
イブン・アラビーって重要人物?
38 :
世界@名無史さん :2006/02/02(木) 16:51:05 0
age
39 :
世界@名無史さん :2006/02/05(日) 18:58:06 0
>>39 大した絵でもないし、そもそもムハンマドかどうかってどこで判断するんだ?
>>40 ターバンだか爆弾だか知らないけど
頭のところに「アッラーの他に神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒である」
って信仰告白(シャハーダ)の文句が書いてあるからそこにクレームが付いたんではないか。
(ムハンマドかどうかは分らないが、イスラム教徒がおちょくられてるのは分ると言うか)
>>41 あーターバンの文字がそうなのか。
しかし、これで切れるってのはやっぱり民度が低いなとしか言えないな。
せっかくきれい目に書いてあるスルス体の書面に、爆弾らや目が逝ってる 髭親父の絵に仕立て上げてるあたり、描き手の知性の欠片も感じられないけど。 画像見た瞬間吐き気を催したが、まあなんちゅーか煽りAAみたいなもんだからなあ。
俺の中でのムハンマドとイメージ違うな。 どっちかっていうと、ウマルとかそっちっぽい
45 :
世界@名無史さん :2006/02/07(火) 20:53:46 0
やっぱイスラム教徒って怖い。 なんか事件がおきるたびに、ちょっと斜めから物事を語りたがる奴らが、 「テロをやっているのは一部の人。イスラムは平和の宗教」と主張するが、 実際イスラム教徒には、客観的に見て暴力的な信者が多いのだから、 事実を素直に認めるべき。 こういう奴らは、三国人の犯罪率の高さについても、同じように弁護するんだろう。 これが他の伝統宗教なら、言論による抗議はしても放火はしないだろう。 イスラムはさすが教祖自らが戦争をしただけある。 仏教やキリスト教や神道やユダヤ教やヒンズー教は、(後世において 戦争に利用されることはあっても、)教祖が自ら戦争をするということはなかった。 こういった伝統宗教こそ、平和の宗教だ。 ムハンマドは帝国を築くために宗教を利用したのだから、イスラムは好戦的なのだ。
私は、ムスリムがイスラームの名によってイスラエル人や西洋人を攻撃したり傷つけたりしたことがない、 などと言っているのではない。 私が語っているのは、 人がイスラームについてメディアを通して読んだり見たりすることのほとんどが、 侵略行為はイスラームに由来するものであり、なぜなら<イスラーム>とはそういうものだからと表象されている、 ということである。 その結果、現地の具体的なさまざまな状況は忘却される。 言い換えれば、 イスラームについて報道するということは、 <我々>が何をしているのかを曖昧にする一方で、 このように欠陥だらけのムスリムやアラブ人とは何者であるかに脚光を当てる一面的な活動なのである。 エドワード・W・サイード『イスラム報道』(浅井信雄、佐藤成文、岡真理訳)、みすず書房、2003年、裏表紙。
>>45 イスラム教徒ってのはオウムなどのカルト集団と一緒。
自分の思想のためなら何でもする。心にゆとりのかけらもなく自分勝手。
理屈が通じない相手だからたちが悪い。
フランスの新聞では「彼ら(イスラム教徒)の行動は発言の自由を脅かすものだ」と非難してたが
彼らに理屈でせめても決して解決しないだろうな。
例え国王だろうが大統領だろうが風刺画で面白おかしく非難されてるのを
当人達がユーモアと感じられる社会こそが成熟した文明社会。
落ちこぼれイスラムはいつになったら国際社会の一員になれるのか・・・
50 :
世界@名無史さん :2006/02/12(日) 01:05:25 0
>>50 上手いこと言った、と悦に入ってるんだろうが、
煽るだけ煽っといて反応した奴(ら)を揶揄すんのは
まさにマッチポンプな行い。民度の程度が知れますなー。
そういやワッハーブ派の人もムハンマド描いたら偶像崇拝になるの? あと関係ないけど、アフガーニーの名前ってものすごいわざとらしいよね。
>>52 イスラムで絵画文化が(それほど)発達しなかった事実は高校世界史で学ぶレベルの知識。
ワッハーブ派は伝統墨守が基本方針だから、するはずない<ムハンマド描く
あと偶像崇拝禁止の起源はイスラムじゃなくてモーセの十戒。
さらに付け加えるならスカーフもブルカもターバンもイスラム起源じゃない。
メッカ巡礼も同じく。
細密画の洗練度 ムガル朝>>>ペルシャの諸王朝>>>>>>>>>>>>>>>オスマン朝
やまんらーるさん?
ティムール朝末期からサファヴィー朝の始めあたりの瑠璃の使い方なんかは 割と好きだけど、イルハン朝後期のタブリーズ派の絵画もなかなか剛健で ダイナミックな画風が素晴らしい。 オスマン朝は・・・・・ディーワーニー書体とか美しいですよ?
58 :
世界@名無史さん :2006/02/16(木) 12:28:42 0
オスマンはともかくエジプトやマグリブの絵画ってあまり聞かないのは何故?
59 :
世界@名無史さん :2006/02/16(木) 16:46:25 0
イスラム版源氏物語を書こうと思ってるんですが・・・
>59 何故?
イランのミニアチュールはえろくて良い。
62 :
59 :2006/02/17(金) 00:34:58 0
>>60 幻想の中で光源氏がアラブの格好をしているとことを見たので・・・
エジプトはマムルーク朝のころはアラビア語の写本、特に技術書や 本草書の類いに挿し絵を載せた物を大量に製作している。 絵柄とか見る限り多分イルハン朝とかイラン方面のいろいろな影響を受けている。 オスマン朝時代以降のエジプトは、オスマン朝治下の一地方に転落してしまった ため万事これといった特徴がなくなってしまった。 イラン方面やオスマン朝でその後も絵画作成の伝統が残ったのは、エジプトと違って テュルク・モンゴル系の政権がそれぞれの地域で宮廷を営んでいたため、これの庇護が あったからだろう。 イスラーム政権下で絵画作成に熱心だったのは、テュルク・モンゴル系の政権ばかり だったりするのだが、マグリブ方面に絵画らしいものが聞かれないのは、単純に マグリブはオスマン朝の間接統治以外に(広い意味での)テュルク・モンゴル系の 政権の支配を受けず、その宮廷も営まれなかったためにこの種の流行に降られる機会が 最後まで無かったせいだろう。
「マムルーク朝のスルタンに献上された王書の挿絵」というのを以前見た記憶がある。
65 :
世界@名無史さん :2006/02/23(木) 12:25:51 0
モロッコあたりだと原理主義的な聖者がベルベルなどの部族を糾合して ジハードで帝国を建設、みたいなことが定期的に起きるような土地柄で あまり絵画が流行しそうな感じがしないな。 でも似たような背景のシャー・イスマーイールは絵画のパトロンで 大酒のみだったんだよねえ・・・
66 :
世界@名無史さん :2006/02/25(土) 09:19:13 0
>>33 アラビア語の年代記によるソンガイ帝国の様子
この地方の習慣はまことに風変わりである。ここでは神秘的な事象についての科学を知ると
自任する男に出会ったが、その知識は砂地に描いた線の読み取りや星の位置、鳥の鳴き声や
飛翔の様子などにもとづいている。人びとは文字のついた護符を信ずるが、それは富を増し、
愛を高め、破滅から救うという。闘いにおいては敵を蹴ちらし、剣や毒矢から身を守る。
また、妖術師が呪文とともに行使するような多くの事からも・・・
最後に、かれ(ソンニ・アリ王)もその臣下も大モスクをはじめとしてどのモスクにもけっして
姿を見せなかった。そして王宮に住まう何千という男女は、王の怒りを恐れてラマダーンの
期間に断食もせず礼拝もおこなわない。かれはコーランの開扉の章すら暗記しておらず、まして
その他の章についてはまったく知らない。礼拝もいつもぞんざいな態度で、朗誦のあいまに
お辞儀も平伏もしない。イスラム法で認められた結婚や婚約の手続きをとらずに女たちと関わり
を持っている。気に入った女は夫や家族の承諾なしに王宮に入れる始末である。
アスキア朝のころにはちっとはマシになってたのだろうか。 マリ王国にまつわる改宗譚には旱魃で困ってる王様がイスラムの導師に 雨乞いを助けてもらうと言う話が伝わっているらしい。
68 :
世界@名無史さん :2006/03/16(木) 01:10:28 0
今でもムータジラ派の知識人っているんですか?
71 :
世界@名無史さん :2006/03/28(火) 12:09:18 0
意外とレスが伸びてないな
72 :
世界@名無史さん :2006/03/28(火) 12:56:49 0
じゃあ、なんか質問してみ
73 :
世界@名無史さん :2006/03/28(火) 13:07:07 0
じゃ質問 イスラムのアクセント、普通「椅子ラム」とやってると思うが、なぜかNHKでは 最初の「イ」にアクセント置いて、高く発音してる。どのアナも例外なし。 これって正しいの?
74 :
世界@名無史さん :2006/03/28(火) 14:33:46 0
NHKに聞けよ
75 :
世界@名無史さん :2006/03/28(火) 15:01:32 0
>>73 アラビヤ語の単語にいわゆるアクセントは無い。だからislaamの前後
どちらにアクセントを置いても、またどこにも置かなくとも、良い。
76 :
世界@名無史さん :2006/03/28(火) 15:16:57 0
アクセントがないのが普及の一因だったかもね。 吉田茂は英語に堪能であったといわれるけど、読み書きはできるが、 スピーチになると、何いっているのかさっぱりわからんと欧米人から評判が 悪かったりするし。
>>76 あーやっぱあれ評判悪いんだ。
NOVAのCMかなんかで見たとき、動画の荒さもあるだろうけど聞き取りづらいとは思った。
78 :
世界@名無史さん :2006/03/28(火) 20:08:17 0
幣原喜重郎は神域に入ってたんだってね。 で、イスラームに話しもどすと、イスラーム世界の学者はみんな普通にアラビヤ語が 出来る。ホメイニーとかアブドゥッラフマーン・ワーヒド(インドネシア大統領)とか。
79 :
世界@名無史さん :2006/03/28(火) 21:11:16 0
>>37 俺もよく知らんのだが汎神論に傾きかかっていたスーフィズムを修正した偉い人だそうだ。
80 :
世界@名無史さん :2006/03/29(水) 23:56:49 0
81 :
世界@名無史さん :2006/03/30(木) 01:57:45 0
折角回民の話題が出たのだから、王岱輿とか馬注とか劉介廉とか馬復初とかの話しを してくれ。回民情報ほんと少なくて困る。
82 :
世界@名無史さん :2006/03/30(木) 20:53:41 0
おまえがまずしろ
83 :
世界@名無史さん :2006/03/30(木) 21:24:14 0
悪いが知らん。だから訊いてる。
84 :
世界@名無史さん :2006/03/30(木) 23:53:56 0
85 :
75 :2006/03/31(金) 00:46:02 0
>>84 湾岸じゃそう言った方が通じ易いってだけのこったろ。アラビヤ語で地域差の話しし出す
とキリが無い。正則アラビヤ語の条件にアクセントはない。イントネーションは重要なようだが。
ナームよりも「ナァム」の方がよりニュアンスが近いってのはご愛嬌か(w それにしても「アラビア湾」って名称は湾岸諸国ができる以前から 中東じゃあ一般的だったのかねえ?
87 :
世界@名無史さん :2006/03/32(土) 04:08:27 0
こたえになっていないかもしれないが、西洋の大航海時代よりとっくの昔にイスラム諸国では長期航海の技術はあったと だけいっておく。 マレー系がマレー半島からマダカスカルまで広く分布していることでもわかるように、 インド洋やアラビア海、そして香辛料市場に欧州のつけいる隙は15、16世紀までまったくなかったのだから。 千一夜に出てくるシンドバッドの大冒険も大暴風にさらされる描写が随所にでてくるが、裏を返せばイスラムの海がいかに 広範囲で多用だったという傍証になりえるのだから。
88 :
世界@名無史さん :2006/03/32(土) 05:48:18 0
クルアーンを解釈する立場の人は、アラビア語ができないと話にならないだろうよ。
> 西洋の大航海時代よりとっくの昔に ああ、そういうことでは無くって、 「ペルシア湾」という名称は、サファヴィー朝時代の旅行記か史書だったかに 「ペルシアの海(ダルヤーイェ・ファールスィー)」か「ペルシアの湾(ハリージェ・ファールスィー)」 の形で載ってたように記憶してたんで実際どう書かれてあったんだっけなと。 イドリースィーとか『フドゥード・アル=アーラム』や、もう少し時代の下った 『ヌズハト・アル=クルーブ』とかマムルーク朝、サファヴィー朝時代の地理書を 見られれば、一発で分る・・・かも知れないんだけどねえ・・(手許に無い
90 :
世界@名無史さん :2006/03/32(土) 06:22:19 0
偏見かもしれないけど、 ナポレオンが南下したときのイスラム庶民は貧しいイメージがある。 実際のところ、当時のイスラム人は豊かに暮らしていたのだろうか?
中世と比べて生活レベルなどが下がったという証拠はないが 良くなったという証拠もないな。
>>90 大航海時代以降
東西交易ルートがさびれて経済力が低下したってのはあるね
エジプト〜シリアはマムルーク朝時代後半のペストの流行が度重なった おかげでかつての経済的活況は一気に下火になってしまっていたみたい。 オスマン朝のセリム1世のエジプト征服も、結局のところ肝心のマムルーク 軍団がまったく使い物にならないくらい疲弊してたためスムーズにいった 部分が大きいようだ。 その後も帝国の中心がイスタンブールだったために、ファーティマ朝から マムルーク朝時代にエジプトを巨大貿易センターに押し上げたはずの インド洋-地中海の海上ルートの重要性がすっかり薄れて、この地域は 穀倉地帯である以上の利潤は生み出せなくなっていた。 16世紀以降のオスマン朝もサファヴィー朝もムガル朝も、何分内陸指向が 強すぎてインド洋方面の海上交易にはこれといった政策をせず、せいぜい オスマン朝がポルトガルの侵出をイェメンやオマーンから追い出した程度。 ともかく、オスマン朝はまだ良いけど、他の地域では国策として国土の 大規模開発のような事業はさしてしなかったようで、多分中世のころよりも 経済的には全体としては下火だったんじゃなかろうか? 庶民の生活水準はたいして変わらないにしても。
94 :
世界@名無史さん :2006/03/32(土) 11:13:26 0
>>90 当時のフランスの富はアジア諸国やカリブ海から搾取した富によるものであり、
純粋なフランスの力ではない。
パリの庶民はフランス革命の発生でもわかるように一粒の麦ですら事書いているのに
貴族や王族は民の困窮をしろうともしなかった。
95 :
世界@名無史さん :2006/04/02(日) 20:28:18 0
オマーンのイバード派って何?いつできたの?
96 :
世界@名無史さん :2006/04/03(月) 15:40:09 0
age
イスラム圏に無神論者や唯物論者っていたんでしょうか?
>>66 のような王様の顔をうかがって礼拝とかをおろそかにしたり
ルバイヤートのような無神論「的」な作品を作ったりとかではなく、
「アッラーはいない!」と主張しちゃった人は存在するのでしょうか…??
98 :
世界@名無史さん :2006/04/04(火) 04:19:15 0
99 :
世界@名無史さん :2006/04/05(水) 19:10:57 0
>>97 人頭税さえ払えばキリスト教徒でも無神論者でも関係なし。
それが古来からのイスラム国家の見方。
>>97 オスマン帝国に招かれたイタリア人の画家の証言によると、
メフメト2世は聖母マリアのイコンの前で蝋燭をともしていたとか。
彼にとって宗教は戯れの対象でしかなかったのかもしれない。
オスマントルコの歴代スルタンでも宗教に慣用(或いは
>>100 の言うように戯れの対象)
なのもいれば「冷酷者」セリム1世のようにシーア派虐殺したのまでいるから
一概に決められない。
>>99 イスラム諸国で比較的発展している現代エジプトですら
イスラームを否定する発言をすると、上手くいって追放
ヘタすると死刑になる
103 :
世界@名無史さん :2006/04/08(土) 12:56:52 0
カリフを追放したケマル
104 :
世界@名無史さん :2006/04/08(土) 14:27:43 0
>>97 イラクやシリアには共産主義政党が存在するけど、無神論なのか
は分からん。
バース党は社会主義だな。
106 :
世界@名無史さん :2006/04/10(月) 20:16:59 0
国民の大多数がムスリムの国で無神論なんか公けに唱えたら 殺してくれと云っているような物だ。
イスラーム的社会主義とかイスラーム的共産主義とか、 主体的という意外何をどうしたいのかよく解らないものばかりだな、あっちのは。
108 :
世界@名無史さん :2006/04/23(日) 22:11:03 0
109 :
75 :2006/04/25(火) 01:40:39 0
>>86 ナアムのアは長音ではない。そしてナァムと言った方が通じ易いといったものでもない。
うーん、うまく説明できねえ。アインの説明誰かしてけれ
110 :
世界@名無史さん :2006/04/25(火) 19:58:56 0
喉の奥に息をこもらせて発音する >アイン
111 :
75 :2006/04/26(水) 00:39:48 0
いやこもらせていないだろう、むしろ絞り出す気がする。
112 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 11:52:03 0
113 :
世界@名無史さん :2006/05/03(水) 13:32:55 0
口蓋を緩く開け、気道から軽く息を吐けばよい。
>>108 そう、「ペルシア湾」のこと。
やはり気になったのでちょっと調べてみた。
欧米で「ペルシア湾」と称され、国際的にもペルシア湾で呼ばれているけど、
これはサファヴィー朝からカージャール朝にかけてペルシア方面にやって来た
欧州のイギリスやオランダなどの東インド会社の人々などが「Gulf of Persia」
と表記していることが直接の由来らしい。
それで、当のアラビア語、ペルシア語文献ではどう呼ばれているかも見てみたのだけど、
1340年にイルハン朝で書かれた『ヌズハト・アル=クルーブ(心魂の歓喜)』という
ペルシア語資料の地理篇では、
「オマーンとファールスとバスラの海:その東方のインド(ヒンドゥ)海からファールス地方に跨がって
おり、ダイル(ダビール?)まで達している。西方はアラブ、イェメン、オマーン、沙漠の諸地域であり、
北はイラークとフーゼスターン、南はインド海である」とか
「ファールスの海のうちスィンドの境からオマーンまでであるアル=バフル・ジャザーイル
(島々の海)はファールス地方の会計で(租税が)決算されている」
という表現がされていて、今のオマーン湾を「オマーンの海」とよび、ペルシア湾を「ファールスの海」
と呼んでいるようだ。あるいはインド北西岸からバスラ近海までの広い沿岸海域の総称として
「ファールスの海」と呼ばれている。
>>115 の続き。
一方アラビア語の資料は適当な物がなかったのでイブン・ハルドゥーンの『歴史序説』(1377年完成)
を調べてみた。その第1章に地球上の地理を挙げているけども、そのなかのアラビア半島周辺の記事で、
「「ペルシャの海」とも呼ばれる(ペルシア湾である)。東海岸はスィンド、ムクラーン、キルマーン
ファールスと続き、最後にウブッラがある。西海岸はバフライン、ヤマーマ、ウマーン、シフルと続き、
最後にアフカーフの沿岸がある。」
もう一つ、同じ14世紀中ごろのイブン・バットゥータの旅行記もやはりペルシア湾を横断する時、
「ファーリスの海 bahr al-Faris 」と呼んでいる。
と書かれている。『ヌズハト』の方は「ファールスの海 bahr-i Fars 」と呼び、『歴史序説』でも
「ペルシャの海(たぶん原文ではbahr al-Faris)」と書かれているが、両方ともファールス地方
の名を冠しているのが分る。つまり14世紀にはアラビア語でもペルシア語でも、「ファールス
(ペルシア)の海」→「ペルシア湾」と呼んでいたことがわかる。
イブン・ハルドゥーンが記事の多くを依拠したというイスタフリーの地理書や、その原形である
プトレマイオスの記事は確認できず、サファヴィー朝時代以降のイランや、オスマン朝、マムルーク朝
などの地理書もあたれなかった。 ただ、感触としては「ペルシア湾」を「アラブ」の名を冠して呼ぶ
慣習があったかは、少なくても前近代には無かったように思える。まあ、それだけの話しだけれども。
>一方アラビア語の資料は適当な物がなかったので あ、自分がすぐに調べられる資料で、という意味で。
118 :
世界@名無史さん :2006/05/05(金) 11:26:58 0
>>118 じゃあ、買ってレビューよろしく。
まぁ、買おうと思えば買える値段だから迷ってるんだけどさ。
どなたかナキーブ制という制度について詳しく知っておられる方はいませんか いろいろ調べたんですが時代や地域によって違うものということぐらいしか発見出来ず、どのような制度なのかも見えてきません
122 :
世界@名無史さん :2006/05/24(水) 00:48:38 0
異性愛のほうの表現がタブーだからじゃないのか
124 :
世界@名無史さん :2006/06/01(木) 00:14:04 0
地域によるな イランでは男女が乳繰り合ってる細密画まで残っている
125 :
世界@名無史さん :2006/06/09(金) 15:09:13 0
イスラムで自虐史観な歴史家っているの? これだから、科学技術が発達しない。欧米に追いつけない。 われわれは劣っている。
中東の各地が中世的なイスラム国家に支配されてた頃は 保守派・既得権層へ反対して近代化を唱えるのはそういう連中だった。 近代化が進むと、さらにそのアンチとして原理主義者が台頭。
128 :
世界@名無史さん :2006/06/10(土) 01:08:28 0
「ハジババの冒険」を翻訳・出版したイラン人なんかは なかなか自虐的だと思うw
アフガーニーとかラシード・リダーとかは自虐的とかになるのかな?
130 :
世界@名無史さん :2006/06/10(土) 18:11:53 0
そんな本を書くと原理主義者に暗殺されないの?
131 :
世界@名無史さん :2006/06/10(土) 18:23:20 O
原理主義は現状への危機感から唱えられることが多いから、 ある意味原理主義自体も自虐と言えるんじゃね
133 :
世界@名無史さん :2006/06/18(日) 11:23:47 0
ttp://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060618AT2M1601F17062006.html 政府・金融機関、「イスラム金融」受け皿整備
中東オイルマネーの受け皿の整備をめざす政府と金融機関の動きが活発になってきた。
国際協力銀行などがイスラム法に基づく金融取引の研究会を発足、政府は国際的な
イスラム金融団体へのオブザーバー参加を検討する。原油高で膨らんだ2兆ドル規模の
産油国マネーの取り込みをにらみ、独自の取引慣習をもつイスラム金融を活発に
おこなえる「イスラム金融センター」の構築が日本でも進みそうだ。
国際協力銀行はサウジアラビア、マレーシア、パキスタン出身の合計4人のイスラム
法学者で構成する「アドバイザリー・ボード」を設置。イスラム金融のノウハウ
取得を目指す。同行は三井住友銀行、みずほコーポレート銀行、三菱東京UFJ銀行と
覚書を交わし、イスラム金融の研究に一体となって取り組む。
135 :
世界@名無史さん :2006/07/08(土) 18:55:34 0
アッラーの御名に掛けて月例保守するッラー
136 :
世界@名無史さん :2006/07/12(水) 23:01:47 0
ttp://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/newsdata/News2006624_2800.html 「不寛容」なイスラム教徒、「不道徳」な西洋人(Radikal紙)
ピュー(*)の15カ国における調査は西洋とイスラム世界の間にある隔たりを
明らかにした。西洋人はイスラム教徒を「狂信的、暴力的、不寛容」と、
イスラム教徒は西洋人を「不道徳、利己的、強欲」と考えている。
ピュー・リサーチ・センターが行った、トルコを含む15カ国での調査は、西洋と
イスラム世界の間にある深い溝をあらわにした。「大きな隔絶」というタイトルの
付けられたアンケート結果によれば、西洋人はイスラム教徒を「狂信的、暴力的、
不寛容」と、イスラム教徒は西洋人を「不道徳、利己的、強欲」と考えている。
わずかに「イスラム諸国は経済面でより繁栄すべきだ」という問いなどで両者の
見解は一致したが、イスラム教徒が(経済発展の遅れの原因を)「西洋」に
求めるのに対し、西洋人は「汚職や教育不足、原理主義的なイスラム」が原因
と指摘している。
137 :
世界@名無史さん :2006/07/21(金) 23:43:48 0
「カリフ」の称号を名乗った最後の人物は誰ですか? ムハンマドの末裔で1924年に自らカリフを宣言したフサイン とかいう人物(ヒジャーズ王・在位1916〜24)が居りますが・・・。 またモンゴルによるバグダードの占領後、エジプト、そしてオスマン・トルコ に遷ったアッバース家のカリフたち歴代の名前と在位期間も教えて下さい。
138 :
世界@名無史さん :2006/07/22(土) 03:13:11 0
スンニ派法学者はエジプトのアッバース家のカリフや オスマントルコのスルタン・カリフは認めない。 従って学問的には預言者ムハンマドの代理人としての 最後のカリフはアッバース朝37代の ムスタスィム(在位1242〜58)ということになる。 スルタン・カリフ制は1922年にメフメット6世が トルコから追放されて終わるが、新たにその従兄弟の アブデュルメジト2世がカリフとして迎えられた。 しかし1924年にオスマン王族全員の追放が決まり カリフ制も廃止された。 これで歴史的存在としてのカリフも終わる。 現在セネガルを中心に教線を広げるイスラム神秘主義の ムリッド教団にはカリフが存在する。 従って自称カリフなら今でもいることになる。
139 :
世界@名無史さん :2006/07/22(土) 19:48:13 0
近代イギリス史研究者の見市雅俊氏が、イギリス留学時代の体験談として、 エジプト人学生が、現在の西洋文明の優秀さというものは、かつてイスラムの 文明から略奪したものを土台にしており、われわれはそれを奪い返しにきたと 発言したエピソードを紹介している。 なんだかニダーみたいな発想だが、中世イスラーム文明の繁栄は、古代ギリシアの 文献をアラビア語に翻訳したことからきた面も大きかったのでは?
140 :
世界@名無史さん :2006/07/22(土) 22:04:35 0
>>139 うん。大きかった。
文献ばかりか建築様式などもビザンツ帝国から影響を受けていたような。
初期のイスラム帝国は、よく言えば進取の気風に富んでいたというか、
悪く言えばその大半がビザンツ帝国やササン朝の文化のパクリという罠。
141 :
世界@名無史さん :2006/07/22(土) 22:18:17 0
>>136 >イスラム教徒が(経済発展の遅れの原因を)「西洋」に
>求めるのに対し、西洋人は「汚職や教育不足、原理主義的なイスラム」が原因
>と指摘している。
イスラム教徒でもキリスト教徒でもない俺が中立の視点で見るからに。
この点に関しては西洋人が正しいよ。イスラム諸国の経済発展の遅れは教育不足と不寛容が元凶だ。
それはインド、中国の経済発展が目覚しいのにイスラム世界だけが取り残されつつあるのが
動かぬ証拠だろう。特に教育水準の低さは目に余る。
>>140 ギリシア語文献の翻訳に当たったのはキリスト教徒が多かったらすぃ。
以前、「中国はいつからどーして後進国になたーのか」というスレが
あったが、イスラーム諸国が後進国に落ちぶれた原因は何なんだろうね?
よくよく考えればヨーロッパはギリシャのパクリのパクリと言ってるだけジャマイカ?
>>140 アッバース朝の場合は、首都のバグダードがクテシフォンの近く、イラーク・アラビー地方に
建設されたってことが象徴しているように、やはりサーサーン朝の影響がかなり強い。
サーサーン朝はとくに初期のシャープール1世や後期のホスロー1世あたりがギリシアとインドの
諸文献をパフラヴィー語(中世ペルシア語)に翻訳する事業を行っているけど、アッバース朝の
大翻訳運動はこれのアッバース朝版的な感じのもの。ギリシア語文献の翻訳が有名だけど、実は
パフラヴィー語やシリア語、インドの文献もかなりの量を「相互に」翻訳している。現存する物は
かなり量が少ないけど。
ただ、アッバース朝の神学なりは、ギリシア語の哲学関係の方法論は学んでもやはりイスラムの枠組みで
発展しているし、同時平行で勃興して来たイスラム法学諸派なども独自の規範をもって発展しているので
それは注意しておくべきだと思う。
建築などは特にそうだけど、ビザンツ帝国からの影響ははっきり言えばオスマン朝からで、それまでは
シリアやイラク、イランの建築様式が土台になってそれぞれの地域で発展したものだから、これも
注意がいりそう。特にドームそれ自体やイーワーン様式は独自にこれらの地域に元からあったものだけど
オスマン朝様式のドームは、これはビザンツ様式と言うかハギヤ・ソフィアのものを研究した結果と
見るべきだろう。
>>142 早い話が、19世紀以降に顕著になった軍事的、経済的な西欧諸国の優位性を
文化的なものも交ぜ込んで話をされるからややこしくなるんだと思う。
146 :
世界@名無史さん :2006/07/23(日) 06:45:59 0
>>144 >ギリシア語の哲学関係の方法論は学んでも
これはムータジラ派のことですか?
アル・マームーンはウラマーたちから反感を持たれていたそうですが。
147 :
世界@名無史さん :2006/07/23(日) 06:54:08 0
宝くじでも買ったつもりで気軽に始めてみました。約1ヶ月で総額65万!。 その翌月の1ヶ月は134万円に膨れ上がりました。この後、どこまでいくのか 楽しみです。 ★ 参加方法 @まず、下記3人の口座に1000円ずつ振り込みます。★必ずATM(振込機)で★。 ■UFJ銀行 宝塚中山支店 普通 3679804 ■UFJ銀行 梅田央支店 普通 1902984 ■中京銀行 桶狭間支店(223) 普通 1111201 A3人の口座の一番上の人を削除します。そして、リストの一番下に あなたの 口座を加えて順位をくり上げます。 B後は、できるだけインターネット上の掲示板に載せたり、メールで宣伝して いけば、それを受け取った人がどんどん同じように振り込んでくれます。 ☆重要 3人の口座の一番上の人は絶対に削除して下さい。そうしないと法に触れます。 一人が抜け、一人(あなた)が入るワケですから、ネズミ講に代表される無限連 鎖講やマルチ商法ではありません
148 :
阪京 :2006/07/23(日) 07:00:29 0
>>146 イスラム史上最初の体系的な神学を形成したムウタズィラ派だけではなく、
これに異を唱え神に関する思弁主義を否定した伝承主義を標榜するハンバル学派も、
同じくムウタズィラ派を否定し逆に思弁神学をもって伝承主義を擁護したアシュアリー学派も、
多かれ少なかれギリシア哲学、わけてもアリストテレスに代表される論理学の方法論の影響の
もとに「議論する」ということを展開している。
アシュアリー学派もムウタズィラ派から派生していることも重要。
いわゆるスーフィズムはまたこれと違う方向からでてきたものみたいだけど。
ギリシアの論理学の摂取は、カリフ・マフディーのころから、イスラム教をキリスト教やマニ教などの
他宗教に対して正統性を主張しうる宗教である、と論理的に証明しようという目的のもとで行われた
ものだったようだ。これがギリシア語翻訳運動の大きな契機になったようだけど、さらに武力を持って
カリフ権を獲得したアッバース朝カリフの政権自体を、論理的にもその支配正統性を立証できるもの
としてムウタズィラ派がアッバース朝カリフの御用学派に展開したのは周知の通り。
結局、伝承主義を思弁的に擁護したアシュアリー学派がスンナ派ムスリムの多数の賛同を得たため
ムウタズィラ派は衰退・消滅していくが、神学を思弁的に論証していくと言う伝統はその後も受継がれていく。
マアムーンがウラマーからの受けが悪かったのは、ギリシア的な新奇な論理で神について論議し、
カリフ権をサーサーン朝かビザンツ帝国の皇帝のようにウンマ(イスラム共同体)から隔絶したような
神授的権威化をはかり、しかもその主張に反対するウラマーたちを異端審問(ミフナ)で弾圧したことが大きい。
261 :世界@名無史さん :2005/09/16(金) 00:05:40 0
>>257-260 朱子学はともかく、中国には西欧式の科学的思考法の元となる
思想的ネタが一切存在しないから
テクノロジーは散発的に高度に達したものが出来ただろうけど
サイエンスは決して生じなかったと断言できるよ。
テクノロジーの根底にサイエンスがあり、そのまた根底に
自由な政治社会とフィロソフィー(西洋哲学)があるということは
江戸時代後期の日本の蘭学者達がはっきり気付いたことだ。
そしてフィロソフィーとサイエンスが無いテクノロジーは、
どこかで頭打ちになって進歩が止まるらしいことも。
このフィロソフィー自体は古代ギリシアが唯一の起源なんだが、
ルネッサンス期のヨーロッパ人が過去の文献から掘り起こして、
(文献自体はアラビアに受け継がれていたが本質は理解されていなかった)
再構築したものだからね。
また、逆に言えば、テクノロジーだけなら北宋よりずっと前の
オリエント世界のほうが進んでいたともいえるからね。
288 :世界@名無史さん :2005/09/16(金) 23:49:27 0
>>265 "Guns, Germs and Steel"だから日本語版でもその順番だったな。スマソ。
>>270 理由はたった一つ。「ギリシア式の自由な政治社会」という部分を
イスラム社会は決して受け入れられなかったから。
この部分はイスラム法の根幹部分=イスラム教の根幹部分に抵触するので
決して受け入れることは出来ない。もし実現させようとしたら
イスラム教社会そのものが崩壊してしまう。これは現代でも同じ。
近代西ヨーロッパのキリスト教世界だけが変形させながらも
なんとか本質部分を「受け入れる」ことに成功したのは、
「政教分離原則」「世俗国家」という方法を苦労して編み出したから。
もちろんこの過程で大量の血が流されたことはいうまでもない。
>>281 >>279 はいいところを突いているよ。「自由な議論」なるものを発明したのは
歴史上で古代ギリシア人だけだからね。ものすごく特異な社会思想なんだよ>「自由」
非常に変わった社会組織(ポリスによる民主制)を築き上げた上にある。
世界のさまざまな地方で自然発生するような代物じゃない。
それも、当のギリシアでさえ、ペリクレスの事実上の独裁などという変形を施しても
実際に機能したのは数十年に過ぎなかった。その後のフィロソフィーは
往年の遺産でなんとか発展したようなところがある。
152 :
世界@名無史さん :2006/08/12(土) 17:24:19 0
中世アラブ人のヨーロッパ人観 北方の人間は、太陽が天頂からもっとも遠いところにいる人間である。これらの 地域では寒気と湿気が強く、行けども果てしなく雪と氷が広がるだけである。 彼らは心あたたまるユーモアに欠けている。体は大きく、性質は粗野で、振舞は がさつである。理解力は鈍く舌が重く、宗教的信条は堅固でない。北方のいちばん 端にいる者は、もっとも愚鈍で、粗野で、野蛮な傾向がある。 by 地理学者マスウーディー(896頃〜956) ↑古代ローマ人といい、モンテスキューといい、先進地域の人間はいつも 気候風土で後進地域の人間のことを説明したがるんだよな。
153 :
世界@名無史さん :2006/08/15(火) 11:12:38 0
ファーティマ朝の通史を扱っている日本語の資料はないか?
155 :
世界@名無史さん :2006/08/16(水) 19:34:04 O
講談社学術文庫の「アラブの歴史」下巻にファーティマ朝エジプトの
記述がある。
>>153
157 :
世界@名無史さん :2006/08/17(木) 17:16:14 O
>>154 >>156 サンクス。さっそく見てみるよ
とゆうかそれらには一度目を通したはずだが内容を忘れてしまっていたようだorz
158 :
sage :2006/08/17(木) 17:20:57 0
178 :
世界@名無史さん :2006/08/17(木) 18:01:38 0
乙 でも読めねーよ
179 :
世界@名無史さん :2006/09/03(日) 22:34:59 0
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/globaleye/news/20060826ddm007070086000c.html グローバル・アイ:地域パワー・イランの台頭 国力支えるダイナミズム
英王立国際問題研究所が23日、イランについての報告書を出し、イランが
中東から西アジアにまたがる強力な地域パワーとして登場したと位置づけた。
今月12日のこの欄で指摘したが、米国が主導したアフガニスタン戦争と
イラク戦争は、タリバン政権とフセイン政権というイランの安全保障上の脅威
を除去する格好の機会となった。同研究所の報告書も「米国の“テロとの戦い”
の最大の受益者はイラン」というが、安全保障空間の拡大はイランに国際舞台
で主導権をふるう余裕を与えた。
ただ地域パワーとしてのイランの存在は、歴史的には珍しいことではない。
部族単位に細分化したアラブ世界が、近年まで国家・国民意識をもてなかった
のに対して、イランはペルシャ文明を共有する民族的一体性(アケメネス朝、
ササン朝、サファビー朝など)を一貫して保持し、周辺諸国を圧倒してきた。
180 :
世界@名無史さん :2006/09/03(日) 22:36:50 0
イラン革命(79年)で崩壊するパーレビ王政も、70年代初頭の石油 戦略を主導したし、イラクとの国境画定交渉では、イランに有利な 取り決めをのませるなど、地域パワーとしての存在感を示してきた。 革命後の二十余年こそ、国内の権力闘争や対イラク戦争、戦後復興に 力をそがれ、影響力を周辺に投射していく余裕はなかったが、歴史的 には例外的な一時期だ。 国土の広さ、人口、石油資源といった与件を横に置いて、イランが地域 パワーとしての地位を保持してきたのは、同国の内在的ダイナミズムに あるように思う。具体的には社会、文化的厚みである。これはイラクと 比べるとよくわかる。 イラクはフセイン大統領という強力な重しがなくなると混乱状況に 陥った。一方のイランも革命直後、反体制派の相次ぐテロで多くの 指導者が倒れた。しかしその度に、それを代替する指導者が現れた。
181 :
世界@名無史さん :2006/09/03(日) 22:38:47 0
ダイナミズムの第2は自己革新していく力だ。イラン革命は広範な大衆 抗議行動の帰結だが、他の中東の国では体制転換の契機の多くは クーデターか宮廷革命だったことを考えると大きな違いだ。イランが 国教とするイスラム教シーア派はスンニ派と異なりコーラン解釈の自由 を認めており、これが多様な政治思想をはぐくみ、大衆運動に土壌を 提供している。 第3のダイナミズムは、そのプラグマティズムだ。イラン人は状況を 見るに極めて敏である。イラクのフセイン大統領のように目算のない まま戦争に突入するようなことはあり得ない。その点で、核問題を めぐる交渉は、西側にとっては難しいものとなろう。 強力な地域パワーとしてのイランの台頭は、国際政治風景を大きく 変えていくだろう。
>>179 多分これ書いたやつは、ナセルのエジプトとかにも同じ事を言っただろうな。
178 乙?単なる潰しだよ
184 :
世界@名無史さん :2006/09/15(金) 01:36:35 0
現代のイスラーム主義運動は、中世イスラーム法学者のイブン・タイミーヤが もとになっているといわれるが、この人はスーフィズム(イスラーム神秘主義) を否定していた。 ワッハーブ派が行った聖者崇拝批判、ムハンマドやフサインの墓廟の破壊などは 宗教改革の時代にプロテスタントが行った聖像・聖遺物破壊、聖人崇拝批判を 連想させる。
>>184 >イブン・タイミーヤはスーフィズム(イスラーム神秘主義)
>を否定していた。
スーフィズムの中の過度な聖者崇拝や踊りなどのパフォーマンスを否定しはしたが、
スーフィズムそのもの(理論、実践など)は(異論はあっただろうが)否定しなかったはず。
赤堀・堀川・東長編『イスラームの神秘主義と聖者崇拝』(イスラーム地域研究叢書7)、東大出版会。
で「ネオ・スーフィズム」を取り上げた章に書いてあったと記憶してる。読むとよろしいかと。
あと上記のネオ・スーフィズムとワッハーブ派のつながりも描かれている。
>>185 >スーフィズムの中の過度な聖者崇拝や踊りなどのパフォーマンスを否定しはしたが、
>スーフィズムそのもの(理論、実践など)は(異論はあっただろうが)否定しなかったはず。
そうなんでしか。
ワッハーブ派の行った聖者崇拝、木や石の崇拝の否定だけど、日本でも明治時代に
廃仏毀釈運動で、神社から仏教的要素の払拭・仏像仏具の取り壊しなどが行われたな。
インドでも、19世紀末に「アーリヤ・サマージ」などの宗教団体が「シュッディー
(浄化)運動」を行い、ムスリムのヒンドゥーへの再改宗を進めたり、西洋的教育を
受けたエリートたちがサティー(寡婦殉死)や幼児婚、寡婦再婚禁止などの風習を、
シャーストラ(古典的ヒンドゥー法)に記載されていないことから本来のインドの
伝統から逸脱した悪習と捉え、これを改良して「あるべき姿のヒンドゥー」を
復興させようとした。
これらは一見、古代や中世への回帰のように見えるけれども、実際には「近代的」
なのよね。
187 :
世界@名無史さん :2006/09/15(金) 21:04:50 0
ttp://www.asahi.com/international/update/0915/010.html イスラムは「邪悪」と発言 ローマ法王発言に怒り広がる
ローマ法王ベネディクト16世が、イスラム教が本質的に暴力を容認する宗教
であるかのような発言をし、イスラム諸国から怒りの声が相次いでいる。
2001年9月の米同時テロ以来、欧米の一部にはイスラムの教義そのものに
暴力の原因を求める議論があり、イスラム教徒の神経を逆なでしてきた。
パキスタン議会は15日、法王に発言の撤回を求める非難決議を全会一致で
採択した。
ローマ法王は12日、訪問先の母国ドイツの大学で行った講義で、東ローマ
帝国皇帝によるイスラム批判に触れ、「(イスラム教開祖の)預言者ムハンマド
が新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」などと指摘。
その上で、イスラムの教えるジハード(聖戦)の概念を批判した。
>>187 >「(イスラム教開祖の)預言者ムハンマド
>が新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪と残酷だけだ」
これなんてオリエンタリズム?
てかサイードの『オリエンタリズム』は、とっとと時代遅れになってしかるべきもんなんだが
いまだに通用してしまうのが何かなー。
ttp://www.usfl.com/Daily/News/06/09/0914_017.asp?id=50482 対仏攻撃も呼び掛け アルカイダのナンバー2
国際テロ組織アルカイダのナンバー2、ザワヒリ容疑者が10日出したウェブ
サイト上のビデオ声明で、アルジェリアのイスラム過激派に対してフランス
への攻撃を呼び掛けていたことが分かった。14日付のフランス紙フィガロが
ビデオを分析した治安専門家の話として報じた。
ザワヒリ容疑者はアルジェリアのイスラム過激派組織「布教と聖戦のための
サラフ主義集団」(GSPC)が「アルカイダに合流した」とした上で「(両組織の)
結合でフランスの裏切り者や異教徒の心に恐怖が芽生えるだろう」と警告。
GSPCに対し「米国人やフランス人の『のどに刺さった骨』になるのだ」と攻撃
を呼び掛けた。
さらにザワヒリ容疑者は、フランスでイスラム教徒の女子生徒が学校での
スカーフ着用を禁止されたことを非難した。
フランス国内におけるGSPCの活動を注視してきたフランス治安当局は、今回の
声明を重大に受け止めているという。
>>188 昔から「オリエンタリズム」は、東洋を専門とする学者よりも、門外漢によって
形成されてきたような…
19世紀のオリエンタリストにはドイツ人が多かったが、彼らはイスラーム世界を
直接支配したことはなかったし、“文明化の使命”だのを唱えたのは保守派
よりもむしろ当時では進歩的な知識人・政治家だった。
イスラーム世界に批判されるべき点は多々あるが、こういう専門の研究者でない
西欧人の異文明(イスラームに限らず)に対する偏見や傲慢さはなんとかならん
ものかね。
こういう言説が相手国に伝わって、より一層の悪感情を引き起こす、という
悪循環が存在している。
191 :
世界@名無史さん :2006/09/16(土) 11:44:06 0
ttp://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/europe/news/20060916k0000e030015000c.html ローマ法王:「聖戦」批判を擁護…独首相「意図を誤解」
ローマ法王ベネディクト16世の出身国ドイツのメルケル首相は15日、
イスラム原理主義の「聖戦」を批判した法王の発言にイスラム社会の反発が
広がっていることについて、「法王の発言の意図を誤解している」と述べ、
法王を擁護した。
独紙に対しメルケル首相は、法王の発言が「諸宗教間の対話追求を目的とした
もので、宗教に名を借りたあらゆる暴力を断固として拒絶する内容だった」と
評価した。首相はその宗教間対話を支持し、「急務だ」とも語った。
(中略)
メルケル首相の指摘通り、法王は暴力拒絶に賛同するイスラム教徒とキリスト
教徒の間の対話を促し、テロと紛争の抑止を図りたかったようだ。だが、演説
のうちムハンマド批判を引用した言葉が突出してイスラム社会に伝わり、反発
を招く結果となっている。
>>191 >演説のうちムハンマド批判を引用した言葉が突出してイスラム社会に伝わり、反発
>を招く結果となっている。
カーライルが『英雄崇拝論』(原著1841年出版)でムハンマドを再評価してからは、
ダンテの『神曲』にあるようなムハンマド批判(というか誹謗・中傷)は、
(少なくとも本流では)なくなったと思ったんだがなー。
先日のカリカチュア問題と合わせて見ると、まだ根は深い、ということか。
で、ムハンマドが世界に何かもたらしたっけ? ガザーリーとか後世の思想家の業績抜きで。 アラブでの女性の地位の向上? これはローカルなものだし、結構異論もあるよね? 他に何がある?
>>193 大きくは世界宗教の設立
小さくはアラブ諸民族の統一
実際イスラーム共同体の成立によって、少なくとも200年間は
イスラム地域は地球の最先端地域として栄え、沢山の文物、思想、産業を
成立させた。その先鞭を作っただけでも充分じゃね?
>>193 >ガザーリーとか後世の思想家の業績抜きで
「ガザーリーとか後世の思想家」はムハンマドの言葉(ハディース)を
引用して自説を補強したりするから、彼らの「業績」とムハンマドとを切り離すのはナンセンスかと。
というかイスラム(原理主義)を批判する人たちって、「イスラムは邪教だ(大意)」てなことを言う際に
コーランの章句を引用する一方で、ハディースを引用しないんだがなぜか。
シャリーア(イスラム法)がコーラン、ハディース、イジュマー(合意)、キヤース(推論)
で構成されていることは、巷のイスラム概説書で、くどいほど書いてあることなんだが。
>>195 法学者や神学者やスーフィー、場合によっては哲学者政治家科学者etcの思想を
当時のコンテキストに即して理解しようとすればそれも重要だろうけど
ムハンマドの言葉から直接的にムスリム以外にとっても意味があって、
世界にとって新しい発展であるような何かを導きだしたてるわけじゃないんじゃ。
後半部については自分に言われても困るかな。
あの手の荒らしはやったことないし邪教と主張したいわけでもない。
ただスンナよりクルアーンの方が形式は上位だし
あの手の荒らしが喜びそうな部分も多いよね。
>>196 ガザーリーはアルガゼル、イブン・シーナーはアヴィセンナ(アビケンナ)、イブン・ルシュドはアヴェロエスetc.
こういったイスラム思想家がラテン化された名で、中世の西洋、それもカトリック思想界で知られたってことは、
「ムスリム以外にとっても意味があって、 世界にとって新しい発展であるような何か」を、
当時の西洋思想家が汲み取ったことの証左ではないか?
とりあえず
井筒俊彦『イスラーム思想史』(中公文庫)、
オリヴァー・リーマン『イスラム哲学への扉』(中村廣治郎訳、ちくま学芸文庫)
ガザーリー『誤りから救うもの』(中村廣治郎訳、ちくま学芸文庫)
あたりにでも目を通すことをおすすめする。
198 :
世界@名無史さん :2006/09/16(土) 19:08:04 0
199 :
世界@名無史さん :2006/09/16(土) 19:09:24 0
(中略) 英訳読後の現時点では、「イスラム教批判ではない」(ローマ法王庁の話) だとするにはやや無理がある印象を持った。イスラム教批判が目的ではない、 としても、結果的に批判になってしまった状況があるのではないだろうか。 一方、「直接的には」批判ではない、と言えないこともない。つまり、 いくつかのカバーというか、保護幕がつけられている仕組みになっている からだ。 まず、スピーチは、「14世紀のビザンチン帝国のある皇帝と知識層の ペルシア人の男性との会話」の中の言及を、法王が引用した、という形 になっている。そして、イスラム教や預言者ムハンマドに関して否定的な 言葉を言っているのが、この皇帝となる。つまり、「14世紀の皇帝は こう言っている」、と法王は言っているだけなのだ。 この皇帝とペルシャ人男性がイスラム教とキリスト教に関して会話・ 対話をしていたという。ここで、皇帝は、宗教と暴力の一般的な関係に 関して話し出す。そして、預言者ムハンマドがもたらしたものは、 「悪と非人間性だけだ」として、具体例として、信仰を「剣で(つまり 暴力で)広げた」としている。
200 :
世界@名無史さん :2006/09/16(土) 19:10:29 0
(中略) そして、暴力を使って信仰を広げることがいかに不合理なことかを、 皇帝は説く。「神の摂理や自然の摂理は暴力とは相容れない」からだ。 宗教指導者は、暴力や脅しを使わずに、上手に話し、適切に説いて人を 納得させるものだ」。 「理性に沿って行動をしないことは、神の摂理に反する、というのが、 暴力反対への根拠」と続け、皇帝にとってはこのことは自明のことだが、 イスラム教の教えでは、神は全てを超越するので、神の意思は、理性的 活動も含め、私たちが考えるいかなるカテゴリーによっても制限されない」。
そこで、理性に沿って行動しないことは神の摂理に反する、と考える ことは常に真理であるのかどうか?・・・と議論が進む。 (中略) そこで、15日の夜、英テレビを見て反応がどのようなものか、注目していた。 スカイテレビは視聴者からの電話を受けつけ、スカイもそうだったが BBCニュース24でも、イスラム教側、キリスト教側のコメンテーターを 招き、意見を聞いていた。 キリスト教側のコメンテーターは、「カトリック教のトップとして、自分が 信じることを言ったまでだ。当然だ」と言い、ローマ法王庁側が「イスラム 教批判の意図はなかった」とするコメントを紹介。イスラム教側は 「ムハンマドと暴力のことを言うなら、なぜキリスト教の十字軍のことも 同時に言わないのか。バランスがおかしい。したがって、イスラム教徒 への攻撃だと言っていいと思う」。
202 :
世界@名無史さん :2006/09/17(日) 02:01:15 0
ttp://www.usfl.com/Daily/News/06/09/0913_019.asp イラク分割案の支持高まる〜米政権に有効な将来計画なし
イラクを宗派と民族別に分割すべきという意見が、支持を広げつつある。
クリスチャン・サイエンス・モニターによると、クルド族が住むイラク北部では
現在、以前は公共機関で民族の旗とともに揚がっていたイラク国旗が見られない。
民族自治政府の代表が掲揚を禁じたためだ。またバグダッドでは先週、議会の
シーア派が、同派住民と石油資源が集中する南部を自治区とする内容を含む
イラク分割案を提案した。
宗派・民族による分離は避けられないと考えるイラク専門家が確実に増えつつ
ある一方、名目上の統一民主国家は可能としながらも分割が最終的には中東の
安定化につながると考える人々は多い。
ところで、イスラム以前のアラブの宗教について、日本語で資料になるような本とかあるんでしょうか?
204 :
世界@名無史さん :2006/09/19(火) 20:07:56 0
キリスト教の聖書学では、写本によって細かい部分に違いがあって、どれを 採用すべきか学者によって意見が分かれている箇所があるけど、 クルアーンの場合そういう箇所はあるのかなあ。
キリスト教だと発祥から数百年弾圧にあっていたから、伝承が地域・団体ごとに 分裂気味になっただろうけど、イスラムだと強力な中央集権で教義が決まっていたから それはないんじゃないだろうか。 初期仏教も王権などによる弾圧はされてないし、比較的初期から結集を繰り返していたから 似たようなものか?
>>204 ,205
『コーラン』の訳者の一人、井筒俊彦によると、『コーラン』にも「異本の問題がある」とか。
(前略)現行『コーラン』は教皇(ルビ:カリフ)オスマーンの命によって編集された所謂「オスマーン本」であって、
その編集のさい採用されなかった無数の異本は一応全部抹殺されたわけであるが、
非公式の形でその多くが今日に伝わっている。今日の立場からすれば、
必ずしも「オスマーン本」が全ての点で原文の正しい形を伝えているとは言い得ない(以下略)
井筒俊彦訳、『コーラン 下』、岩波文庫、339頁より。
異端審問というのはカトリック圏に特有の現象なのかな。 東方正教会ではほとんど無かったようだし、イスラームも異端審問というのは きかない。
>>208 アッバース朝の時代、ムゥタズィラ派に共鳴したカリフ・マァムーンによる異端審問があったらしい。
カトリックとの違いは、このムゥタズィラ派がガチガチの聖典主義者ではなく、むしろ理性を重んじる
一派だったこと。弾圧の矛先は聖典を重視するハンバル派であった。
この時代にギリシャ哲学が流行ったことも影響していると思われる。
こうしたこともあってか、イスラムはギリシャ哲学流の理性主義に、価値を認めつつも、懐疑的な
態度がいまでも根底にあるらしい。中世のガザーリーによる哲学批判も、おおむね、同じような文脈
だと考えられる(「確実性は、感覚<理性<信仰の順で高い」、『誤りから救うもの』、中村廣治郎訳、ちくま学芸文庫、18-20頁参照)。
マァムーンによる異端審問については、管見の限りでは
>>197 に挙げられている『イスラーム思想史』や、
上智大学が編纂した『イスラーム哲学』(中世思想原典集成、第11巻)内の竹下政孝氏による「総序」(7-36頁)
に書いてあったのを記憶している。
現代サウジアラビアではスーフィーはまっとうなムスリムとは認められず死刑
>>197 根本的にずれてないか?
一応、ビドアという言葉が異端と訳されることが多いが、やっぱカトリックの異端とは異なる概念ではある
212 :
世界@名無史さん :2006/09/23(土) 01:31:07 0
「イスラームは政教一致」とよくいわれるが、946年にブワイフ朝がバグダードに 入城し、カリフに代わって政治的権限を行使するようになった時点で、もう 政教一致ではなくなっていたのでは?
>>212 厳密に言えば政教分離という概念があってはじめて政教一致という概念が成り立つわけで
「イスラームは政教一致の宗教で分離できない」という概念が明確に唱えられるようになったは近代以降。
あくまでそういう言い方も可能というレベルじゃあるが。
イスラム政権の場合、君主などの世俗権力が宗教分野に対して保護義務を負い、 かつ『イスラム法にかなった政治』を行う義務もあるので、一般に言われている 「政教一致」というのと「政治権力」=「宗教権威」みたいなニュアンスがある 気がするけど、ちと違うんだよね。 イスラムの本当の宗教権威はコーランやハディースなどに集約されるから カリフ権力も預言者ムハンマドの時代から続く「イスラム世界(ウンマ)の政治的外核 (ダール・アル=イスラーム)を代表する第一人者」的な感じで、宗教というか信仰に ついて立ち入ったことにはあまりタッチ出来ない。専門家じゃ無いからw しかもアッバース朝時代からたびたび政治権力が宗教分野に統制をかけようとして 法学者たちがこれを牽制するなんてことも多かったし。 だからカリフが出来ることはイスラムの政治分野やその基盤についての指針みたいなもの。 そのためアッバース朝のカリフがモンゴル帝国に滅ぼされたときも、それほど大きな混乱は 起きていない。他の世俗の政治権力が似たようなことを代行できるから。 なので、実は現在のイランでイスラム法学者たちが政治を主導する体制って今までに例が無い 新奇な取り組みだったりする。もし似たような政体をあげるとすると、初期イスラム時代で 正統カリフたちやムアーウィヤあたりが教友たちと合議制でいろいろ決めていたことが 近いかも知れないけど、それでもかなりイスラム史上では特殊な例だと思う。
政教一致も政教分離も本来カトリック圏で出てきた概念で、それを他の文明圏に 無理やり当てはめたので、問題がわかりにくくなってるんだよな。
>>213 >厳密に言えば政教分離という概念があってはじめて政教一致という概念が成り立つわけで
>「イスラームは政教一致の宗教で分離できない」という概念が明確に唱えられるようになったは近代以降。
小杉泰氏が最近出た『現代イスラーム世界論』(名古屋大学出版会)で同じようなこと言ってたな。
立ち読みした程度なので詳細な紹介はできんが。
ビザンチン帝国では、皇帝といえども、総主教によりまとめられている国という 単位の教会の一員であり、また逆に総主教といえども、皇帝によりまとめられて いる国の一国民であるとされていた。 両者はこのような立場から互いを支えあい、人々の目をこの世の終わりにある 神の国に向けさせるという役割を持つ。 また、体と心を二分し、身体を俗的でだめなもの、心を聖なるもので良いものと する二元的な考え方はなく、皇帝は神に祝福された王として帝国という身体を、 総主教は神に祝福された司祭として帝国の心のめんどうをみる。 もちろん、帝国の心と身体にも葛藤はあって、国の危機を救うために異端に 媚びる皇帝に、国の良心として真っ向から対立した総主教は何人もいる。 同じキリスト教でも、カトリックより東方正教圏のほうがイスラームの考え方に 近いのかもしれない。
>>214 >イスラムの本当の宗教権威はコーランやハディースなどに集約されるから
ユダヤ教、イスラーム=律法、コーランによる支配
キリスト教=人による人の支配
クルアーンやハディースに強い権威を置くこと自体、 人の営み=歴史の中で出来てきた面も強いけどな 初期は結構いい加減だったのが学者の活動で体系化去れてきた。 法学派によって人の判断の重みが違うし 学派の伝統の制約も強かったり 単純なモデル化にはたいてい大きな穴があるってだけの話だろ、と言われりゃそれまでだが
クルアーン、スンナ、イジュマー、キヤースの四法減理論はシャーフィイー
法減… orz
アラブ・イスラーム圏では、儒教圏と同じように、職人などの手を使う仕事は 卑しいと考えられているのですか?
クタイバ・イブン・ムスリムに関する資料を探しているのですが、 おすすめの本、論文がりましたら教えてください。
そんなに詳しいわけではないけど、 史料としては、アッバース朝時代に編纂された、タバリーの『諸使徒と諸王の歴史』や ヤアクービーの『歴史』、さらにクーフィーの『征服の書』やバラーズリーの『諸国征服誌』 などの征服史関連のものがある。 クタイバ個人についての論文があったかは忘れたけど、Encyclopaedia of Isram のクタイバ・ ブン・ムスリムの項目や、Canbridge History of Iran あたりのアラブ征服についての項目で 何か載ってるかもしれない。 日本語で読める論文だったら『講座イスラーム世界3 世界に広がるイスラーム』の稲葉穣先生の 論文「アラブ・ムスリムの東方進出」あたりが手ごろかも。バラーズリーは邦訳あり。 他にもいくつか関連する論文があったような気がするけど、思い付くのはこのくらい。
230 :
225 :2006/09/25(月) 14:01:20 0
すっすばらしい、さすが学問板! 本当にありがとうございます。がんばって当ってみます。
イスラームでは飲酒と同性愛は戒律で禁止されているが、イスラーム史上の 有名人にはどちらもたしなんだ連中がイパーイいる。 理念と実態は別、ということで。
>>231 「禁止されている」ということ自体が、実際は、飲酒や同性愛がはびこっていたことの証左。
はびこってないなら、わざわざ禁止する必要なし。
>>233 ムハンマドは軍事的指導者、ってのはイスラム教徒にとって侮辱なのか?
雨乞い礼拝は、サウジアラビアでは国王が呼びかけるが、クウェートでは イスラーム問題省で、国ごとに違いがある。ヨルダンでも宗教省が雨乞い 礼拝の声明を出す。 興味深いのがバース党政権のイラクやシリアでも雨乞い礼拝が行われていたこと。 アッバース朝やマムルーク朝、オスマン朝など、過去のイスラーム世界の王朝では どうやっていたのかはわからんが。
マムルーク朝の場合は、(雨乞いもあっただろうが)ナイル川の管理(と言っていいのか分からんが) が問題になっていたと思う。
237 :
世界@名無史さん :2006/09/26(火) 19:52:03 O
マムルーク朝スルターンのムアイヤド・シャイフが行った 雨乞いの儀礼については長谷部先生が岩波の世界歴史に書いておられたかと。
オスマン朝滅亡後、イスラーム世界で誰もカリフを僭称しようとしなかった のはなぜなんだろう。
メッカのアミールだったフサイン・イブン・アリーはオスマン朝に対して アラブの反乱を起こした時にカリフ(ハリーファ)を宣言してる。 オスマン朝が滅亡してまもなく、イブン・サウードによってメッカを追われ、 二人の息子はイギリスの助力でイラクとヨルダンの国王の座に納まったが。
241 :
世界@名無史さん :2006/10/19(木) 22:22:04 0
祝一周年!
アラビア語文献の邦訳をよむと出てくる「ファルサフ(約五キロ)」という長さの単位は、 「パラサング」と同じですか?
>>242 > 「ファルサフ(約五キロ)」「パラサング」
同じ。ペルシア帝国時代から「パラサンゲース」はギリシア語文献に出てくるけど、
近世ペルシア語ではファルサング(farsang)で、このアラビア語形がファルサフ(farsakh)。
正則アラビア語は(中世&近世)ペルシア語などの p が発音出来なくて f 音で代用する。
時代によって長さが微妙に変化するみたいだけど、1ファルサフ=3ミール(マイル)とされて
きたそうなので大体5〜6kmくらいと見て良いとか。
>244 おお、やはり…… 迅速・詳細な回答ありがとうございます。
248 :
世界@名無史さん :2006/10/26(木) 04:09:01 0
《新刊情報》
ttp://www.chuko.co.jp/shinsho/ シーア派
台頭するイスラーム少数派
桜井啓子 著
イスラーム教の二大宗派の一つだが、信者は全体の一割に過ぎないシーア派。
しかし、イラン、イラク、レバノンなどでは多数を占め、挑発的な指導層や
武装組織が力を誇示し、テロリズムの温床とさえ見られている。政教一致や
民兵勢力といった特異な面が注目されるが、その実態とはいかなるものなのか。
彼らの起源から、多数派のスンナ派と異なり、政治志向の強い宗教指導者が
君臨するシステムを解明し、その実像を伝える。
新書判/272ページ/定価819円(本体780円)
ISBN4-12-101866-4 C1222
ウマイヤ朝のカリフ、アル・ワリード一世は息子を跡継ぎにしたいと思っていて、 側近らもだいたい追随していたのに、弟スレイマーンが次のカリフになれたのはなぜですか? イスラム世界では実力のある成人が跡を継ぐのが常道で、それでも正式にアルワリドが 息子を跡取りに指名していれば即位できただろうけど、す指名する前に死んでしまったから スレイマーンが慣習に従い即位した、ということでいいのでしょうか?
250 :
世界@名無史さん :2006/11/03(金) 19:49:03 0
今月発売のの『家庭画報』12月号に「手織り絨毯コーディネート」「ペルシア 文化の美を求めて 後編」という記事が載っている。 写真が美しいの一見の価値あり。 イランでも、もう10年もすれば手織りの絨毯はなくなって機械織りになると いわれているらしい。 モスクのドームの修復工事や、カリグラフィー(装飾書体)を書く人、バラ水 作りなども紹介されている。
251 :
249 :2006/11/05(日) 08:11:47 0
自己解決しました。
252 :
世界@名無史さん :2006/11/17(金) 03:15:43 0
《新刊情報》 興亡の世界史 06 イスラーム帝国のジハード 出版 : 講談社 サイズ : 四六判 / 382p ISBN : 4-06-280706-8 文明の空白地帯、7世紀のアラビア半島で誕生したイスラーム。世界帝国を 創出した共存と融和の原理とは。最後のイスラーム帝国が20世紀初頭に 滅んだのはなぜか。現代にいたる「力による布教」のイメージを問い直す。
253 :
世界@名無史さん :2006/11/29(水) 20:44:06 0
ttp://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200611291318143 正則アラビア語での電子コーラン学習が外来語蔓延に一石投じる? アラブ近代化の明暗
アラブ世界でも外来語が蔓延、難解とされるアラビア語の乱れが進行し
アラブ人の研究者やメディア関係者らは、近年教育カリキュラムやメディアで
アラビア語が徐々に後退していると警鐘を鳴らしている。一方、コーラン朗誦法
などイスラム学習には電子化の波が押し寄せている。10億人以上のイスラム
教徒対象の巨大成長ビジネスに、中国を含む世界の投資家たちが巨利を求めて
殺到、競争が加熱しているが、正則アラビア語を非イスラム圏にまで普及する
メリットを指摘する向きもある。ミドル・イースト・オンラインがこのほど
報じた。
254 :
世界@名無史さん :2006/11/29(水) 20:44:54 0
アラブ連盟メディア委員会のアミーン・バスユーニー委員長は21日、 「テレビドラマや歌謡曲で正則アラビア語が使用される割合が大きく 低下する一方で、日常会話や報道番組の司会者の言葉に英語が増えている」 と憂慮。つい最近まで人々は「詩人たちの長」と呼ばれたアフマド・ シャウキーらの作詞によるエジプト人女性歌手ウンム・クルスームの歌 を口ずさんでいたのだから、学習すれば正則アラビア語を理解できると 指摘した。 エジプト・カイロのアラブ連盟本部で行なわれた会議「アラブ世界での アラビア語の現状」の席上、同委員長は、「かつて高校生は上級専攻科目 として古典詩華集を学んでいたが、今やカリキュラムから消え去った」 と嘆いた。
255 :
世界@名無史さん :2006/11/29(水) 20:45:56 0
また、同会議でエジプト人研究者は「民族語の西洋化」に与える影響を 警告、使用されている外来語の本来の意味と同意のアラビア語の言葉を 探すよう呼び掛けた。さらに、サウジアラビア人研究者は、すべての 大学や大学院、技術学校で英語授業が行われているペルシア湾岸諸国は 「危険な変化」にあると語り、この状態が継続すれば、教育言語や共同体の アイデンティティーの危機が訪れると危機感を訴えた。 一方、コーラン朗誦法などイスラム学習の電子化が巨大ビジネスになると 投資が殺到している。カイロ大学電子通信学部のムフスィン・ラシュワーン 教授は25日までドバイで開かれていた情報技術(IT)展示会「ジーテックス」 で記者会見し「我々は正確なコーラン朗誦法の学習プログラム開発に巨額の 投資をした」と語った。
256 :
世界@名無史さん :2006/11/29(水) 20:46:42 0
これまでイスラム教徒はコーランに熟達しているシャイフ(指導者)に 教えを請うか、モスクの寺子屋式学習会に通ってコーラン朗誦法を学んで きた。プログラムはまず学習者に希望するコーランの箇所のアラビア語 の正則な発音を教え、正しい方法で朗誦出来る理想的な方法に導く。 同教授は「非イスラム国のイスラム教徒は子弟にコーラン朗誦法を教える ためにこのプログラムを待ち望んでいる」と強調した。 利益の追求心が宗教電子機器の製造業者を急増させ、業者が過当競争 に陥っているとの非難がある。だが、電子機器は信者にコーランを正則 アラビア語で朗唱させ得る。また、製品が世界に向けイスラムの真の姿 を紹介できるとの前向きな意見もある。アラビア語が英語の蔓延で乱れる中、 電子学習は貴重な補助的役割を果たしそうだ。
ダ・ビンチの母はアラブ人?指紋分析で判明
レオナルド・ダ・ビンチが使ったとされる紙に残された指紋(伊キエーティ大提供)=AP
【ローマ支局】イタリア中部キエーティ大の人類学研究所は2日までに、レオナルド・ダ・ビンチ(1452〜1519)の左手人さし指の指紋を特定したと発表した。
指紋には、唾液(だえき)も付着していると見られ、前夜に食べた料理の内容が解明できるほか、ダ・ビンチの祖先について調べる手がかりともなるという。
AP通信によると、同大の研究チームは、ダ・ビンチが残した52枚の書類などから約200点の指紋を写真撮影。それらを約3年にわたり分析・調査し、ダ・ビンチの指紋を割り出した。
研究チームは、ダ・ビンチの指紋が「アラブ人の指紋の60%に見られる形状だ」と指摘し、ダ・ビンチの母親が中東系だった可能性があるとしている。
ダ・ビンチの母親をめぐっては、当時のビザンツ帝国の首都コンスタンチノープル(現イスタンブール)から、ダ・ビンチの生まれ故郷である伊トスカーナ地方に奴隷として渡って来たとの説があり、指紋はこの説を裏付ける証拠となり得る。
地元の専門家によると、ダ・ビンチは食事中や旅行中に創作活動をすることが多く、指が常に汚れていたという。
(2006年12月2日11時56分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20061202i503.htm
興亡の歴史にイスラムは多宗教の融和の原理があるとありますが 今のイメージからするとまったく理解できない、詭弁にしか聞こえないのですが どうなのでしょう
少なくとも、イスラム優勢の時代には、彼らにもその余裕があった。
十字軍の頃、キリスト教徒は(ローマ教会でなくても)スケープゴートにされたし 最近じゃイスラエル建国に合わせて中東各地のユダヤ人は追い出された 詭弁だよね
261 :
世界@名無史さん :2007/01/07(日) 22:20:19 0
age
>>260 十字軍やイスラエルの蛮行にも触れないと片手落ちでは?
>>260 関連スレで過去にも幾度もでている話題だが、
歴代のイスラム政権は、支配地域の異教徒コミュニティーに対して、政権側への帰順と
納税義務と引換えに、安全保障(アマーン)を与えていた。これはコーランやハディースの
記述に基づいたイスラム法学的に保証されていた制度だったが、この安全保障があったため
ユダヤ教徒やキリスト教各宗派の信徒たちは宗派の違い無く、財産権や信仰生活などが
政権側や他のムスリムたちなどによって侵害される危険から守られていた。
(勿論これは原則的にそうだったというだけで、ファーティマ朝のハーキムみたいにそれまで
の慣例を破って異教徒弾圧をする君主もいたが、そのような無茶苦茶な真似をする人物は
かなりの例外に属する。その分の税収が明らかに減るため政権側に良い事は殆ど無いし、
コーランやハディースの文言をかなり無視した行為でもあるから)
イスラム政権の場合、行政関連の人員は、地域社会の名士層から任意で抜擢し、人事の裁量も
担当者が個別に行っていたので、必ずしもムスリムに限定されず、シリアやエジプト、
アンダルスのようなキリスト教徒やユダヤ教徒のコミュニティーが大きい地域は、必然的に
官僚たちにもキリスト教徒やユダヤ教徒など異教徒が多く採用されることとなった。
オスマン朝など近代に至るまで歴代のイスラム政権はこのような事情があったわけだが、
これを「多宗教の融和の原理」と表現するのはちと大袈裟すぎる気がする。
多分、執筆者の小杉先生の趣向が反映されている宣伝文句だと思うが・・
聖クルアーン第二章(アル・カバラ)第256節 「宗教には強制があってはならない。正に正しい道は迷誤から明らかに(分別) されている。それで邪神を退けてアッラーを信仰する者は,決して壊れることの ない,堅固な取っ手を握った者である。アッラーは全聴にして全知であられる。」 宗教は強制しなくても、それが正しいなら自然と信仰されるもんだ、ということだな。 創●●会の香具師等に1億回聞かせたい言葉だなw
間違えた。訂正。 × アル・カバラ ○ アル・バカラ
266 :
世界@名無史さん :2007/02/14(水) 13:15:58 0
カーバ神殿の黒い石がカルマト派に持ち去られてた間 メッカ巡礼に来た人たちは何もないところをぐるぐる回ってたんですか?
カアバ神殿がキブラに定められた理由は、神の玉座の真下。つまり地上で最も神に 位置的に近いからという神学的理由があるから。(一応紆余曲折はあったが) 預言者ムハンマドらムスリム軍がメッカを征服した時に、カアバを始祖イブラーヒーム (アブラハム)が創建した当初に戻す、という理由でカアバ内部に360体あったと 伝えられる「御本尊」が全て棄毀され、カアバを装飾した一切が剥ぎ取られたが、 唯一、神から天使によってイブラーヒームに下されたという「黒い石」のみが聖別され カアバの外壁、東の角に据え付けられ、建物をキスワという布地で覆ってキブラの中心 としてその聖性を表すようになった。 カアバの黒石はイブラーヒーム→ムハンマド→現代というイスラームの信仰の連続性を 表す象徴のひとつとして機能しているが、カアバの機能はキブラの中心としてであって、 (神学的解釈からすると)信仰の対象では無い。そのため、カアバ内部は今でも空っぽだ そうだが、巡礼の行程に黒石に触ったりすることがなくなる、ということくらいが問題に なる程度であって、 そもそもカアバは空っぽであることこそが重要。(信仰対象は飽くまでも唯一、神だけなので) だからこそ黒石は外壁に据え付けられているとも言える。礼拝や巡礼のうえでは極端に言うと 黒石は無くても根本的な部分では問題は無い。ただ、なにせ黒石を設置したのが預言者ムハンマド であるし、黒石の起源もイスラームの信仰の始祖と仰ぐイブラーヒームが関わっているので やはりカアバに据え付けられているのが好ましい。結局カルマト派に奪われた21年後に無事 返還されたが。
>そもそもカアバは空っぽであることこそが重要 なるほど・・・詳細なレスに感謝します。
269 :
世界@名無史さん :2007/03/11(日) 19:42:23 0
あの黒石を学術調査することはまず不可能でしょうかね・・・
イスラム独自の占星術ってないのですか
イスラムがなかったら中近東はもっと繁栄していたのだろうか
ムスリムがキリスト教をヨーロッパに封じ込めたって側面もあるからな 中東から東南アジアまでキリスト教が席巻してたらどうなったのやら
キリスト・ユダヤこそ悪のry
>>272 地域ごとの事情に合ったキリスト教になるだけでしょう。
275 :
世界@名無史さん :2007/04/14(土) 01:19:35 0
きっと最後の審判の日に全員解脱するんだよw
276 :
世界@名無史さん :2007/04/14(土) 08:01:15 0
イスラーム社会で少年愛や男色が盛んになったのは いつ頃からで、その動機は何だったのでしょうか?
古代オリエントにはなかったと? ヘロドトスが何か書いてたような気が
イスラーム社会って言われても広いんだが
279 :
世界@名無史さん :2007/04/14(土) 10:22:56 0
日本でヤクザや暴力団が盛んになったのは いつ頃からで、その動機は何だったのでしょうか?
280 :
世界@名無史さん :2007/05/04(金) 21:59:15 0
イスラムと関係ないでしょうが・・・
281 :
世界@名無史さん :2007/05/18(金) 14:23:39 0
中世のキリスト教国の軍隊にムスリムが参加した例はあるんでしょうか?
>>281 神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世はその軍隊に、イスラム教徒だけの精鋭部隊を持っていたはず。
シチリア王でもあったからその関係かな
フリードリヒ2世より以前の、ノルマン人のシチリア・南イタリアの征服から ノルマン王国の時代にもノルマン人がムスリム兵を自軍に組み入れて使うことはよく見られたし、 フリードリヒ2世のムスリム部隊も彼がシチリアのムスリム反乱を鎮圧した後、 南イタリア・プーリアのルチェーラの入植地に強制移住させた ムスリムに信仰や慣習の保持を認める代わりに軍役を課したもの。 さらに、フリードリヒ2世や息子のマンフレートといったホーエンシュタウフェン朝の君主だけでなく、 マンフレートやコンラーディンを破り、ホーエンシュタウフェン朝を滅ぼしたシャルル・ダンジューも バルカン遠征、テュニス十字軍、シチリアの晩?の後のアラゴン軍との戦闘など主な戦争に ムスリム兵を引き連れていっている。
グラナダのナスル朝がカスティーリャ王国の属国となった後、 カスティーリャ軍の一部として遠征に動員させられたナスル朝の軍とか。
286 :
世界@名無史さん :2007/05/28(月) 01:43:19 0
>>281 1244年のラ・フォルビの戦いでは十字軍にホムスの領主やべドゥインの軍が加勢した。
287 :
世界@名無史さん :2007/06/10(日) 17:39:47 0
その際はジハードとか言わないんだろうな、きっと…
288 :
世界@名無史さん :2007/07/06(金) 18:58:34 0
カトリックに改宗したモリスコは、他のムスリムから迫害されたりしなかったのでしょうか。 棄教者に対しては暗殺も辞さない教義とくれば・・・
グラナダ陥落後にキリスト教への改宗者を迫害できたとは思えない
290 :
世界@名無史さん :2007/07/13(金) 12:59:48 0
イスラム棄教者で有名な人物といえば ヴィジャヤナガル王国を建国したハリハラとブッカ レオ・アフリカヌス 等
292 :
世界@名無史さん :2007/08/13(月) 21:04:36 0
age
293 :
世界@名無史さん :2007/08/31(金) 00:52:59 0
294 :
世界@名無史さん :2007/09/24(月) 17:40:36 0
ハーリドとかが出ても違和感ないがナ
歴史には全くの門外漢ですが、おたずねしたい事があって 書き込みをさせて頂きます。 過日、英書を読んでいますと、サファヴィー朝の宮廷に仕えた 宦官の Saru Taqi という人名が出て来ました(もちろん実在した人)。 この人物の名をカタカナで表記するならば、 どのように書くのが最も好ましいでしょうか? 「サル・タキ」、「サルー・タークィー」、等々 色々と考えられますが、判断がつきません。 母音の長短もあわせて御教示下さい。 どうぞ宜敷く御願い致します。
296 :
世界@名無史さん :2007/09/25(火) 11:41:12 0
宇宙でもイスラム礼拝 マレーシア初の宇宙飛行士
マレーシアのアブドラ首相は24日、10月10日にロシアのソユーズ宇宙船
に搭乗するマレーシア初の宇宙飛行士に、イスラム教徒のシーク・ムスザファル
・シュコールさん(35)が決まったと発表。
同国イスラム開発局はこのほど、宇宙での礼拝の仕方などを定めたガイドライン
を明らかにした。
それによると、最初の数日はラマダン(断食月)中だが断食は免除。「座れない
場合は横になる」などの方法で1日5回の礼拝は義務付けられる。宇宙食が
イスラム教で許されるものかどうか分からない場合は「飢えをしのぐだけ
食べる」などと、柔軟な見解を示している。
シークさんは1万1000人の中から選ばれ、宇宙滞在は10日間ほどの予定。
http://www.sankei.co.jp/kokusai/world/070924/wld070924014.htm
Persian Miniaturesか? 残念ながら俺も知らん
299 :
世界@名無史さん :2007/10/02(火) 16:09:03 O
ブワイフ朝がアッバース朝のバグダードに入城した……… 『入城』って拍手で迎えられたニュアンスがあるって聞いた事があるんですが、『入城』について詳しい事教えて下さい。
資料の原文がペルシア語かチャガタイ語かわからないが、ティムール朝時代の人物に ○○・サールーって名前があるから、サールー・タキーウとかかも知れない。 サファヴィー朝は専門外なのでこればっかりは実際の綴りを見ないとなんとも。
>>299 古典の時間で習ったことだろうけど・・
だいたいは、軍隊を率いて都市に入る、ってだけの意味だね。>「入城」
欧州や中国でもそうだけど、西アジア、中央アジアの都市は城壁で囲まれていて、
特に重要な都市は市街地を囲む城壁の外側にさらに広くかこった外壁もう一つがあったりするが。
このため、「城」には城塞や要塞の他に「都市」としての意味もある。唐の都長安を「長安城」
とも言うけど、こちらも市街地を囲む城壁と城門を備えていた。
イスラム政権の場合でも、その軍隊が歓迎される場合はその都市の有力者層が郊外まで
出迎えて、街のカーディーやウラマー、シャイフとか政府側のワズィールたちが挨拶するけど、
(本当は歓迎されなくても、色々町中を荒らされるのが嫌だから迎えに出る場合も良くある)
ブワイフ朝の場合はどうだったか・・
清水先生の本もあるけど、この論文とかどうだろう。
>橋爪 烈「初期ブワイフ朝君主の主導権争いとアッバース朝カリフ
: イマーラ、リヤーサ、ムルクの検討を中心に」『史学雑誌』vol.112-2(2003.03.30)
302 :
世界@名無史さん :2007/10/05(金) 07:50:58 O
マレーシア、宇宙に行くイスラム教徒向けガイドを作成
近く国内初の宇宙飛行士を送り出すマレーシアが、
宇宙に滞在するイスラム教徒向けのガイドラインをまとめた本を世界で初めて作成した。6日付の地元紙スターが伝えた。
記事によると、全18ページの同書には、
イスラム教徒の宇宙飛行士がどのようにみそぎを行うかに加え、
祈りをささげる際に聖地メッカを特定する方法、
礼拝時間、断食の方法などが掲載されている。
今後は英語、ロシア語、アラビア語などにも翻訳される見通し。
クアラルンプール出身の整形外科医で大学の講師を務めるマレーシア人宇宙飛行士、
シェイク・ムザファ・シュコアさん(34)は今月10日に
国際宇宙ステーション(ISS)に向けて出発する予定。
シェイク・ムザファ・シュコアさんはイスラム教徒で、
今回の飛行中に世界で初めて宇宙でラマダン(イスラム教の断食月)を過ごす。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071008-00000345-reu-ent
304 :
世界@名無史さん :2007/10/09(火) 19:02:01 0
>299 典拠とおぼしき史料の当該箇所でどんな記述がされているのか調べてみては? アラビア語史料ならdakhara「入る」かなぁ。
306 :
世界@名無史さん :2007/10/25(木) 08:27:50 0
完全な複製本で最古のコーランが競売に、最高額で落札
ロンドン――競売大手、クリスティーズは23日、1203年に制作されたとみられるイスラム教の聖典コーランの
複製本が競売に出品され、230万ドル(約2億6500万円)で落札されたと発表した。
最も完全な複製本では最古のものとされる。予想の落札価格は最高で71万5000ドルだったが、3倍以上となった。
競売で扱われたコーランの複製本、イスラム教文献の落札価格では史上最高。
また、10世紀に制作されたとみられるコーランは187万ドルで売却された。北アフリカもしくはアジア西部で
発見されたものだという。
この2冊は米国のヒスパニック研究の組織が売りにだしたもので、落札者はロンドンの業者としている。
http://www.cnn.co.jp/business/CNN200710240026.html
307 :
☆ :2007/11/06(火) 08:55:10 O
アラビア語の影響を受けた商業用語が使用されるなど、アフリカ東岸地域に見られた独自の文化とは何ですか??
308 :
☆ :2007/11/06(火) 08:58:23 O
ウマラーを養成するために、神学・法学など固有の学問を中心に教授した高等教育機関とは何ですか?
×ウマラー ○ウラマー
大学
311 :
世界@名無史さん :2007/11/07(水) 12:18:19 0
ローマ法王とサウジ国王が会談
【11月7日 AFP】バチカンを訪問したサウジアラビアのアブドラ・ビン・アブドルアジズ(Abdullah bin Abdul-Aziz、84)国王は
6日、同地でローマ法王ベネディクト16世(Pope Benedict XVI、80)と会談した。サウジアラビアの国王が、外交関係を
結んでいないバチカンを訪問するのは今回が初めて。
ローマ法王庁の公式発表によると、アブドラ国王とローマ法王は「キリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒が
協力することの価値」や「宗教間の平和的かつ実りある共存に向けた知的な対話」への新たな取り組みなどを強調し、
中東紛争、特にパレスチナ・イスラエル間の紛争についての公正な解決策に関しても話し合われたという。
また、ローマ法王は会談の席上、「サウジアラビアにおける熱心なキリスト教徒の存在」に言及したという。
サウジアラビアは、イスラム教の聖地メッカ(Mecca)とメディナ(Medina)を擁し、イスラム教スンニ派(Sunni)の
なかでも非常に保守的として知られるワッハーブ派(Wahhab)を主に受容している。約100万人のキリスト教徒や
非イスラム教徒を抱える同国にとって、宗教の自由に関する問題は非常にデリケートな問題といえる。
9月に発表された、宗教の自由に関する米国務省の年次報告書は、サウジアラビアでは一部の地域では改善が
見られるものの、全体の政策としては「宗教の自由に対する厳しい規制」を設けていると指摘している。また、
嫌がらせや「殺人」にまで及ぶことさえある非イスラム教徒やワッハーブ派以外のイスラム教徒に対する差別にも
言及している。
アブドラ国王が、ローマ法王と会見するのは今回が初めてではない。同国王が、腹違いの兄であるファハド(Fahd)
前国王の皇太子だった時代に、前法王ヨハネ・パウロ2世(John Paul II)と会談したことがある。
アブドラ国王は、ローマ法王に貴重な宝石のちりばめられた金の剣を贈り、お返しとして16世紀に作られた
バチカンの彫刻を受け取った。アブドラ国王は、バチカンに続きドイツとトルコを訪問して帰国の途につく。(c)AFP
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2308271/2321296
312 :
世界@名無史さん :2007/11/07(水) 18:20:53 0
最近原書で読んでる架空歴史小説が面白い。 14世紀の黒死病でヨーロッパが滅亡し、その後の世界がイスラム圏と 中国の2大勢力を軸に動いていくという話。 キリスト教は伝説上の存在でしかなくなり、大英帝国やアメリカ合衆国は 存在すらしない。イタリアの代わりにサマルカンドでルネッサンスが 起こったり、中国とイスラムが新大陸を東西から取り合ったり、 コンスタンティニエを陥落させるのがインドのトラヴァンコールだったりと、 そそる展開が多い。 邦訳されたら嬉しいけど題材が地味だからなあ・・・。
313 :
世界@名無史さん :2007/11/07(水) 18:44:57 0
>>312 14世紀の黒死病では、ヨーロッパ以上に、エジプト等イスラム諸国も大打撃を
被ったそうだ。
モンゴルの侵略がなければ、サマルカンドのみならず、メルブやバクダード等で
ルネッサンス?みたいな事がありえたかもしれないが、残念な事である。
314 :
312 :2007/11/07(水) 22:33:21 0
>>312 その辺は少し言及されてる。
物語の発端は、(史実と違い)東方ではなく西方への侵略を決めたティムールの
偵察部隊がハンガリーの滅亡を知るところ。
偵察部隊のメンバーが、この病気でペルシア人・トルコ人・モンゴル人・チベット人
インド人・タジク人・アラブ人・グルジア人も大勢死んだと語ってる。
しかも、この西方遠征中にティムールが急死し、モンゴル勢力が衰えてしまう。
やがて、空き家になったヨーロッパにイスラム圏が広がり、地名まで変わっていく。
旧スペインは「アル・アンダルス」となり、北欧のイスラム国家「スカンディスタン」
なんてのも生まれたりする。
とにかくディテイルがすごくて、面白いけど読むのに難儀している。
科学へのアレルギーが少ないイスラム世界でルネサンスが勃興していたら、 イタリア・ルネサンスみたく暗黒時代にもみ潰されることはなかったかもな。
316 :
世界@名無史さん :2007/11/12(月) 14:22:26 0
ちょっと面白い記事
Taha Akyol コラム:経済発展とエスニック・ナショナリズム
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20071111_183910.html > (クルド民族主義の担い手は)アンタルヤに別荘を買い、イスタンブルで働き、ディヤルバクルの総合産業地区に
> 銀行からの融資で工場を立てたりフランチャイズを買うクルド人実業家を裏切り者と非難している。
> 「クルド人の預言者は(ゾロアスター教の開祖)ザラスシュトラだ」というプロパガンダによって宗教を共にする
> 絆を壊そうとしている。
クルド民族主義者は、クルドをゾロアスター化させてイスラームからの離脱を考えているのか。
マレーシア、世界初「イスラムカー」の開発に意欲
マレーシアがイランやトルコと共同で、世界初となるイスラム教徒向けの車「イスラムカー」の開発を計画している。
国営ベルナマ通信が報じた。
国営自動車メーカー、プロトン・ホールディングスのサイド・ザイナル最高経営責任者(CEO)の話として伝えた
ところによると、イスラムカーには聖地メッカの方向を知るためのコンパスに加え、聖典コーランやスカーフの
収納スペースが設置されるという。
同CEOはイラン訪問中に「われわれがマレーシアかイラン、トルコで開発・生産できる車について特定する」と説明。
今回の計画ではプロトンの開発コスト削減のほか、生産量増加による規模の利益も追求できるとの考えを示した。
プロトンが8月に発表した2007年4─6月期の決算は、5四半期連続となる赤字。売上高は減少傾向にあり、
グローバルパートナーの獲得も達成できていない。
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081194845015.html わざわざ気合入れて開発するほどのものなのだろうか?
318 :
世界@名無史さん :2007/11/13(火) 17:34:33 0
金持ちが買う
イスラムを殲滅するには欧米社会の反イスラム感情を決定的に高める必要がある。9.11後の アメリカはもとより、マドリード、ロンドンのテロ以来欧州はどこもイスラム教徒への不信感が 強まっている。中東には心強い殺戮の下手人候補イスラエルがあり、ナチスにやられた虐殺を 転嫁してくれそうだが、まだ世界は偽善的な人道主義が覆ってどこも実行できない。アメリカは 殲滅ではなく民主化を旗印にしてるから、イラクも偶発的な虐殺はあるが絶滅戦ではない。重要 なのはかつての世界恐慌のような深刻な経済的・社会的危機が発生する事である。そうすれば かつてのドイツがそうだったように、大衆や政府は不満の吐け口を潜在的に敵意を持っていた 相手に向ける。現在の欧米なら確実に鼻つまみ者の少数者のイスラム教徒である。やっと偽善の 仮面が剥がれ落ちる。またイスラム世界は世界経済において中国やインドのように重要かつ 不可欠な要素ではない。中東の幾つかの国は、国民の能力ではなくたまたま石油が湧いたから 繁栄しただけで、別にその受益者が彼らである必要はない。移民としてのイスラム教徒も、 かつての欧米のユダヤ人のような社会的、文化的に重要な役割はない。逆にテロや暴動や犯罪の 温床で社会の邪魔者である。イスラム教徒を一掃すれば国際社会はより安定し、彼らが占めて いた広大な土地は人口過剰国からの移民先として役立つ。殺戮に情けも容赦も必要ない。これは 人類という共同体にできた致命的な悪性腫瘍を取り除く外科手術であり、痛みを伴うが勇気を 出して貫徹するしかない。さもなければ彼らは不気味に増殖を続け、遂にはその毒素で母体で ある人類全体を死に至らしめる。女子供とて見逃してはならない。イスラム教徒が生き残る限り すぐに健康な部位に転移し、手術後の弱った肉体の中で再び勢力を盛り返し病を再発させる。 彼らを全て取り除く大手術は一回で済まさなければならない。我が国の優れた科学技術も、 その際には優秀な手術機器や放射線療法や抗癌剤や免疫療法として役立ってくれる事を望む。
320 :
世界@名無史さん :2007/12/31(月) 18:51:35 0
ガザーリーってキリスト教に於けるアウグスティヌスみたいなもんだと思うんよ 正統ができるとそれ以降の世界は硬直化する、そんな感じ
321 :
世界@名無史さん :2008/01/07(月) 20:35:21 0
ちょっと上の方で出てた架空歴史小説の件で。 イタリア・ルネッサンスはギリシア古典文化への回帰と再解釈が端緒だったかと思うんだけど、 その辺はサマルカンド・ルネッサンスではどうなってるんかな?
リアルかつイケメンな王様の肖像画が後世に残る。 ついでに、イスラーム圏になってもマリア・テレジアはラズィーヤ女王の例からすると出てはくる…かも。 名前はマリヤムになってると思うけどね。
かつて栄えたイタリアだからのルネサンスだから サマルカンドで「再生」はないわな サマルカンドが栄えたのってティムールの時くらいでしょ?
>>323 サマルカンドはギリシア植民都市の一つでもあっただろ。
マラカンダってソグドやマッサゲダイだったんじゃ… それに当時栄えていたバビロンやスサからもえらく離れてるし
326 :
世界@名無史さん :2008/01/20(日) 11:28:54 O
サファヴィー朝とムガル帝国が争う戦争ってなかったんですか?
327 :
世界@名無史さん :2008/01/20(日) 11:34:26 0
しょっちゅう慢性的に争ってたよ
328 :
世界@名無史さん :2008/01/21(月) 22:32:47 0
スンニ派シーア派の争いでもあるし… むしろ、なんでタフマースブは援助したんだろう
329 :
世界@名無史さん :2008/02/02(土) 22:44:37 0
サファヴィー朝とムガル帝国の抗争というとジャハーンの頃か
ペルシアがシーア派になってから周辺のスンナ派諸邦との戦争では ムスリムを奴隷化するのは禁じられているにもかかわらず 捕獲した相手国民を奴隷として売買することが行われていたんですよね?たしか
331 :
世界@名無史さん :2008/02/04(月) 13:53:27 0
>>330 以前読んだナーディル・シャーの伝記にちらっと書いてたけど
アフガン人ギルザイ族の軍隊がイスファハーンから駆逐されたあと
一部はシースターンだかどこかから船に乗って脱出しようとしたけど
マスカットに流れ着いてアラブ人の奴隷にされてしまったそうだ。
この場合は両方ともスンニー派だけど、実際あまりそういうことは
気にしてなかったのかもね。
332 :
世界@名無史さん :2008/03/11(火) 21:59:37 0
中央アジアの連中はスンニ派の筈だが いまいちイスラムぽくない感じ
確か、トルクメニスタンのニヤゾフ大統領って自分を神として崇拝させてたんでしょ? 国内のイスラム教徒は反発しなかったのかな・・・。
334 :
世界@名無史さん :2008/03/21(金) 23:33:54 0
そこはほら、マフムードガザンやティムールのような「神意を得た帝王」なんじゃない?
モスクで金曜の説教のとき、自分の名前を称えさせてたのかな?
336 :
世界@名無史さん :2008/03/24(月) 21:03:49 0
確か、何か聖典みたいなのを自分で勝手に作ったんだよな。 イスラム原理主義者とかに狙われなかったのか? すごい大統領だな。
そういえばカザフスタンかどこかの大統領で、装甲リムジンにRPG撃たれて生きてた人がいたような
338 :
世界@名無史さん :2008/03/29(土) 11:45:28 0
ニアル・ファーガソンの"Colossus: The Rise and Fall of the American Empire"に、 〈1917年、英国軍はイラクに進攻し、モード将軍は「占領者ではなく解放者と してやってきた」と宣言した。これは米国のせりふと同じだが、英国の統治は 58年まで続いた。1920年には反乱を武力で討伐するような事態も起きたが、 立憲君主制がつくられ、40年間、イラクは国内的には相対的に安定した時代だった〉 という記述があるけど、これは正確な史実でつか?
339 :
世界@名無史さん :2008/03/29(土) 12:08:30 0
その後のフセイン独裁や現在のグチャグチャ状況に比べれば、 まだ王政時代の方がマシだったかもしれんが、所詮は英国の傀儡。
>>339 フセイン独裁自体も親米路線の堅持が、政権長期化の要諦だった。
米軍と闘うハメになったクゥエート侵攻が破滅への序曲と成った。
341 :
世界@名無史さん :2008/03/30(日) 13:08:43 0
イラクのスンニーってハナフィー派?
パンダは チベットの動物 である (再掲)
http://miko.iza.ne.jp/blog/entry/133604 _ _
/::::::;ゝ-──- 、._/::::::ヽ
ヾ-"´ \::::::|
/ ヾノ
,,.r/ _ノ ヽ_ ヽ
,'::;'| /:::::ヽ /::::::ヽ |
l:::l l (:::>ノ ▼ ヽ<:::) l ぼく、本当はチベット生まれなのに・・・・
|::ヽ` 、 U (_人_) /
}:::::::ヽ!`ー 、_ /
{:::::::::::::::::::::::::::.ー―――''"´
'三三ミト、::::::::::::::i^i三三/
`ー--' ヽ:::::::::::l l;;;;::::ノ
`ー-"
北京オリンピックまで出来るだけコピペして下さい
343 :
世界@名無史さん :2008/03/31(月) 13:54:32 0
世界のイスラム教人口、史上初めてカトリック人口上回る
【ローマ=松浦一樹】バチカン(ローマ法王庁)の日刊紙「オッセルバトーレ・ロマーノ」(電子版)が30日伝えた
ところによると、世界のイスラム教徒の人口が史上初めて、カトリック信者を上回った。
Click here to find out more!
法王庁が毎年発行する「バチカン年鑑」のフォルメンティ編集長が同紙のインタビューに答えて推計を明らかにした。
これによれば、2006年の時点で、カトリック信者は世界人口約66億人の17・4%を占めたが、国連統計などに
基づくイスラム教徒の割合は19・2%。実数は明らかにしていない。
同編集長にによれば、カトリック信者の割合はここ数年ほぼ一定しているが、イスラム教徒の家庭では子どもが
多く、増加傾向が続いているという。
ただ、プロテスタントや正教会などを合わせたキリスト教信者全体の割合は33%で、依然としてイスラム教徒数を
大きく上回っている。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080331-OYT1T00283.htm
344 :
世界@名無史さん :2008/04/12(土) 20:19:28 0
サウジで10歳の少年と9歳の少女が結婚!!
サウジアラビア北部のとある部族の町で、10日結婚式が行われた。新郎はMohamad Marzuk君(10歳)。
新婦は9歳の少女で、名前は公表されていない。
招待客は両家の親族や、隣の部族の友人、あとはもちろん新郎新婦の小学校の友達など数百人。式中には、
詩のコンクールも行われ、その地域のいくつかの部族から、さまざまな詩人たちが参加したとあって、かなり
大規模だったことがうかがえる。
新郎新婦には、新郎の家の中の特別な部屋が用意され、そこに住む予定だという。
このニュースを発表したサウジアラビアの地方サイト「Sabq」によると、Mohamad君はその地域の中で一番若い
新郎の一人であるということだが、サウジの社会、特にベドウィン(アラブの遊牧民)社会の慣例にのっとって、新婦に
ついては一切言及していない。
サウジアラビアでは、コーランに基づくイスラーム法(シャーリア法)を適用しており、それに従って、10歳前後での
早婚も公に認められている。無論この場合、結婚は両家の親族によって設定されたものであり、本人の意思は
反映されないものだ。
また、このイスラーム法における女児の最低結婚年齢は9歳で、これは預言者ムハンマドがアーイシャと結婚し、
初性交を行った時の年齢に由来しているという。
http://www.latina.co.jp/html/topics/topics_disp.php?code=Topics-20080412140721 http://www.latina.co.jp/img/img_topics/img_topics1A/saudita.jpg
345 :
世界@名無史さん :2008/05/25(日) 23:29:25 0
あ
346 :
世界@名無史さん :2008/05/27(火) 00:24:52 0
四川地震で回族、支援物資の豚肉が食えないとか… 緊急の時も駄目だったんだっけ?
347 :
世界@名無史さん :2008/05/27(火) 00:39:15 0
>>346 イスラム教徒が豚肉を食べるのは、基本的には
死ぬか生きるかという時など、どうしても仕方がない時には
やむをえないということだが、
戒律を厳格に解釈する人はどこにでもいるからなぁ。
戒律が高じて嫌悪感やらにまで行き着いたら、緊急時だろうが受け付けない人いるだろう。 「緊急時だから」人肉やら犬とかのペットの肉が食えるかっていうと難しいだろ。
>>348 >戒律が高じて嫌悪感やらにまで行き着いたら
トルコに行ったときにガイドの兄ちゃんに聞いたら
「トルコじゃ豚肉は別にタブーじゃないですよ。
でも、食べ物だと思っていないんで…」
って言っていた。
インドネシアでイスラーム系の異端とイスラーム強硬派との紛争がおこっているそうな。
もともとはキリスト教だって豚は食わなかったが 豚好きのギリシア人に布教される際にゴニョゴニョ
352 :
世界@名無史さん :2008/06/22(日) 08:05:57 0
カザフ人は普通に馬乳酒呑んでるし
>>353 難しいって言ってるだろ。
アンデスの聖餐ぐらい、俺だって知ってるわw
緊急時にかこつけて嫌悪感抱きかねない食いもんを送りつけて
「なに律儀に戒律守ってンだよ。そんな場合じゃねぇだろ」
なんてうそぶくのは悪趣味としか思えん。
無論、しかたなしに豚肉を食う人を戒律を理由に非難するなんて以ての外だが。
ムハンマドって、宗教者としてのイメージよりも、チンギスハンやヌルハチのような征服者・軍事的指導者と思うんだが そこらへんどう研究とかでは扱われている?
356 :
世界@名無史さん :2008/07/19(土) 12:37:09 0
>>355 そうか?一族が宗教者としてのムハンマドを旗印として利用したイメージのが強いけど
>>355 遷都先のメディナは、ムハンマドを調停役として(少なくとも当初は)迎え入れた訳だから、
政治家としての顔も持つな。
宗教者の典型としてイエスとか釈尊とかを念頭に置いてるんなら確かに違和感あるだろうな。
釈尊は孔子と同じで本来は思想家のカテゴリーな気がする。 仏教が宗教化していったのはお釈迦様死後のお話
>>358 そんなこといったらキリスト教が宗教化していったのもキリスト死後。
最初から「新しい宗教」を意識して打ちたて、それを世界宗教にまでしてしまったのは、ムハンマド一人だけだろうね。
>>359 キリスト死後の教団化はキリストの関知しないところだろうけど
宗教ではあっただろう。キリスト本人も神の存在を自明としていたわけで。
お釈迦様は真理に目覚めることで一切の苦しみを克服しようといっただけで
そこには神などの人間を超えるものが存在するという信仰がない。
だから、西洋人の宗教研究家は初期仏教は宗教ではないというらしい。
361 :
世界@名無史さん :2008/07/24(木) 00:08:14 0
釈迦もイエスも偶像否定していたのに何故かいろいろと経緯があって云々 むしろ何故イスラームは偶像崇拝の浸透などは起きなかったのか?
>>360 政教一致体制の、ある種の改革運動を、宗教と呼ぶべきかどうか>イエス
>>361 わりと中世では預言者の顔を描いた絵は残ってるね。
宗教者=厳格ではあったが世俗では多分もうちょっとゆるかったと思う
聖獣ブラークに連れられて夜の旅をするムハンマドの絵とか残ってますね、たしか
偶像崇拝がなかったことで書道やアラベスクや建築のなんかの細かいところへ目がいくようになったんだよなあ… 芸術ってすばらしい
サウジなんか未だにうるさいらしいな<偶像崇拝
>>366 たしか「偶像崇拝につながるから」という理由で、辞典とかに掲載する
動物のイラストでも、首のあたりに斜線がひいてある。
なお、おなじイスラームでもシーア派はちょっと違うみたいで、イマーム
のポスターとかもあるみたい。
さすがワッハーブ派の本拠地。
369 :
世界@名無史さん :2008/07/27(日) 00:56:58 0
>>367 ムハンマドのポスターすらあるんだよね>イラン
だから、周りから異端扱いされる。ぶっちゃけイスラエルが無きゃ真っ先に攻撃されてる。
アルトゥク朝のあたりはキリスト教勢力と接しているから かな?
メフメト2世も自分が戦車に乗ってマルスの加護を受けてる ギリシャ風の図柄のメダルとか作らせてたね。 戦車の後ろには「ギリシャ」「トラブゾン」「アジア」の三人の乙女が捕まってるっていうw
アルトゥク朝は残念ながらよく知らないんだが、メフメト2世(ってオスマン朝でいいよね?)はローマ皇帝の継承者をもって自認してたんだから、その辺が理由だろう。
374 :
世界@名無史さん :2008/07/31(木) 18:47:12 0
ともかく、預言者ムハンマドが9歳の少女にいきり立ったペニスを挿入したことは 厳然たる事実
>>374 最初に娶せた時は5歳くらいで「婚姻を完成させた」「一緒になった」のが9歳だったってことだけど、
これは年代記とか確認しても、せっくるしたかとかはっきり書いてあるかは分かるもんかねえ。
結局ムハンマドの子供たちはほとんどが15歳年上の最初の妻ハディージャとの子供で、ムハンマドは
離婚したり死別したりし、最終的にクライシュ族内外の名家との子女を妻として10人娶っていたけど、
彼女らはほぼ全員既に結婚経験があり、アーイシャはそれらムハンマドの妻としては最年少で唯一処女の
まま結婚した、ってことはだいたい主立った文献では一致してらしい。
アーイシャとはその後9年間他の妻たちとも一緒に過ごしたものの、ムハンマドとの子供を儲けた
という話は伝わっていない。
> 厳然たる事実
言うほど厳然って訳ではないみたいだが・・
>>375 勉強になった。へー。
ということは、ムハンマドが「天使に天国に連れて行って見せてもらったら、処女とやり放題だったぜウッハー」とか言ったのは、処女とやれない自分の中の願望の垂れ流しだったのか?
それもあるだろうし、みんなに夢を与えたかったんじゃないかな
そもそも「処女」のくだりは 「ブドウ」の誤訳だと聞いたんだがどうよ
どちらにしても信仰に対する我々の感覚とはちがうなぁ
文化も風土も違うんだから違って当然 世界各地で同じだったら気味悪いわw
382 :
世界@名無史さん :2008/08/02(土) 11:59:47 0
ムハンマド本人は11人と結婚したのに、コーランでは妻帯は3人、4人までとはこれいかにw
コーラン読んだこと有るのか?ムハンマド本人は預言者とかいう罰ゲームみたいな苦難の代償としてスペシャル特権として4人オーバーOKと神が気を利かせてくれたのだ
>>382 一応異論として、詩文のリズムで2.3.4人ってところで切りが良かっただけで
本当はもっと結婚していいって説もある
>>382 ムハンマドは戦争による未亡人を娶っていたらしいから。
まあアイーシャさんにはベタ惚れだったようだが。
386 :
世界@名無史さん :2008/08/03(日) 01:08:10 0
お前らオススメのアザーンの動画(音声)あったら教えてくれ できるだけ長いやつで
ムハンマドは妻は多いが子供は全然いないし、 現在のそこらのスルタンと違って、ストイックだったのだろう。
388 :
世界@名無史さん :2008/08/03(日) 10:37:45 0
ウマイヤ朝時代に捏造されたハディースについて知りたいんだが、 そういうものの資料はどうやって当ればいい?
コーランにでてくる神様って、融通結構きかすよね。 ある戒律があまりに厳しすぎると民が苦しんでると マホメットに神の啓示があって、神は考え直して ある程度なら許してくだっさったとか
その調子で啓示が続いていれば時宜に応じて緩く解釈してくださっただろう事を、イスラム法学者は厳しい方向に解釈していって 原理主義者のような頭がおかしい連中にいたっちゃってるんだよな
原理主義の連中って、女性とかには厳格(?)に解釈するくせに、 カセットテープとかの新技術に関しては何の議論もしねーで導入しやがるからな。 調子が良いにも程がある。
393 :
世界@名無史さん :2008/08/03(日) 18:46:31 0
原理主義者ってさ正統カリフ時代のシリアの人頭税返却とか知らないわけ? アッバース朝とか後ウマイヤ朝とかあの辺を理想にしないのは何故?
本人たちに聞いてくれ
395 :
世界@名無史さん :2008/08/03(日) 19:20:51 0
原理主義者は何もしらんだろ
>>393 「原理」主義なんだから、ムハンマドの言動あたりまで巻き戻しちゃうわけ
なんじゃないの。
まあ、原点に帰るってのは逡巡を断ち切るのにはいい手なんだけどさ。
397 :
世界@名無史さん :2008/08/03(日) 19:23:57 0
アラビアの多神教徒を殺しまくってた頃ですか なるほど
398 :
世界@名無史さん :2008/08/03(日) 19:24:29 0
原理主義者ってスンニ派になるわけ?
わかったからsageろ あと基本的な文献くらい読もうぜ
400 :
世界@名無史さん :2008/08/03(日) 19:50:33 0
さげる必要なんて無いだろ 過疎板なのに
401 :
世界@名無史さん :2008/08/03(日) 20:04:41 0
作ったら面白そうなアニメ ラート・マナート・ウッザーという3人の超能力少女が、 カーバ神殿の邪神アラーを粉砕する
>>391 けっこう昔は厳格にやってたらしい
電話を導入するか、って時に法学者は禁止したかったらしいが
スレイマン大帝が電話越しにコーランを読ませて
「この聖なる言葉を話せる機械が魔人のものであるわけがない」
と説き伏せた、という逸話が有る。フィクションくさいが
スレイマン大帝の時代に電話があったの?
404 :
世界@名無史さん :2008/08/03(日) 22:10:29 0
ムハンマドは一晩に11人とセックスした男
>>404 一晩ずつ相手にする妻決まってたし。
てか肝なのは愛人じゃなくて妻ってトコ。
一夫一妻とか言いながら不倫を半ば容認してるような
社会にいて、どの面下げて批判できるんだか。
>>402 ,
>>403 私が見たのはアブデュルハミト2世が電信でコーランが通せるから
これは悪魔の機械では無いとイスラム学者をやりこめたとか、
そんなだった。
408 :
世界@名無史さん :2008/08/05(火) 13:53:38 0
>>405 天国で一人当たり72人の永遠の美少女とセックスし放題
戦場での戦争捕虜の強姦合法
9歳の少女のワギナにペニスを挿入しても合法
『結婚するなら処女にしろ・・・ぐへへへ・・・』と熱弁
これだけ見てもまだムハンマドを擁護するのか?
なんだ、自分の人生が上手くいかないからイスラームを叩いて憂さ晴らししてる負け犬か
ワギナってかなりオッサンだろ いいとししてそんな文章かいてはずかしくない?
411 :
世界@名無史さん :2008/08/10(日) 20:56:02 0
財産分与がめんどくさくねーのかな、一夫多妻で
イスラムの預言者は小学生につっこんだ犯罪者
413 :
世界@名無史さん :2008/08/16(土) 16:32:54 0
歴史序説には財産分与について書いてますな
ラマダーン、今日からだったのか。
毎年ズレていくから、季節と一致しないんだよね 尤も、砂漠で季節感なんて無いんだろうけど
416 :
世界@名無史さん :2008/09/20(土) 13:25:51 0
age
・イスラム聖職者会議、9歳からの女子結婚認める宗教令を批判 モロッコ
モロッコのウレマ(イスラム法学者)高等評議会は21日、あるイスラム神学者が
今月初めに出した「女子は9歳から結婚できる」とするファトワ(宗教令)を非難する
声明を発表した。
問題とされたMohamed Ben Abderrahman Al-Maghraoui師のファトワは、預言者
ムハンマド(Prophet Mohammed)が9歳児を妻の1人に迎えたことを根拠にして
いる。同師は批判を「イスラム国家とその神学者への俗世的な攻撃だ」とかわしている。
国王モハメド6世(King Mohamed VI)が議長をつとめる同評議会は「宗教を盾にし、
9歳女児の結婚を正当化しようとしている」とした上で、同師を「扇動者」と非難した。
首都ラバト(Rabat)の弁護士、Mourad Bekkouri氏は、このファトワは子どもの人権を
損ない、性的暴行を助長して家族を侵害し、刑法に違反するとして、同師とこのファトワ
に対する裁判を申し立てている。
>>>
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religion/2520136/3363853
確か、ハワーリージュ派(イスラム最初の分派)は、 愛妾を持つことも、9歳の女児と結婚することも、ムハンマドの特権と見なして ムハンマド以外の者が実践するのを認めなかったようだが。 ちなみに当然ながら、人権なんぞという概念がない時代の話。 神学者の欲情が垣間見られる、実に興味深い事例ですなぁー(藁)
419 :
世界@名無史さん :2008/09/27(土) 22:59:38 0
イスラム法学者の見解であれこれ許され、そして否定される ムスリムにとっての正統ってなんだろうね?
>>419 シーア派の見解は大アヤトラ(一応トップはハメネイ?)の見解が標準
スンナ派は元々はカリフだけど、今はカリフいないからなあ
サウジの法学者か、アズハル大学の法学トップってとこかね
>>419 まあ、「解釈改憲」みたいなイメージじゃないかな。
>>420 大アヤトラは一人じゃないしね。ハメネイはイランの最高指導者というだけで彼が大アヤトラになったいきさつはインチキ臭いから権威がそれほど無い。
複数のマルジャエ・タクリードの誰に自分が帰依するかはシーア派信者の自由。
423 :
世界@名無史さん :2008/10/06(月) 21:58:15 0
アフマディーヤやムーリッドはイスラームなのかな? バハーイみたいに「新宗教です」って言っちゃうとジハードの対象になるんかね?
長いことねぇ…共存したりしなかったりだったような… 十字軍のとばっちりで殺されたりしたんだろ、キリスト教徒、エジプトじゃコプトか
426 :
世界史@名無史さん :2008/10/06(月) 22:46:20 0
>>423 アフマディーヤは異端認されてる
というか「イスラームではない」って見解。違うから無視してくださいってあり方だね
しっかし、アラビア語って日本での呼称が統一されんな。
>>427 「アラビア語圏」ですら、統一されていないわけで。
429 :
世界@名無史さん :2008/11/03(月) 23:34:36 0
age
430 :
世界@名無史さん :2008/11/14(金) 13:07:46 0
ttp://dubai.cafe.coocan.jp/topics/archives/2007/10/post_954.html#more 現代版・知恵の館
イスラム黄金期のアッバース朝の時代、バグダードの都にカリフ・アル・マアムーン
(Al Ma'amun)がアラブの知恵の館(House of Wisdom)を設立した。アラブ世界の
学問の発展に大きく貢献した館は13世紀にモンゴルの侵攻により破壊されたが、
それから750年後の現在、新たな知恵の館をつくる計画が明らかになった。
ドバイで開催されたナレッジ・カンファレンス(Knowledge Conference)の初日、
UAE副大統領・首相でドバイ首長のシェイク・モハメッド・ビン・ラーシド・アル・
マクトゥム(H.H. Sheikh Mohammad Bin Rashid Al Maktoum)は、若いアラブ人
たちにより広範な教育を提供するための現代版・知恵の館として、ナレッジ・
コンプレックス(Knowledge Complex)を設立することを発表した。
もうドバイはいいよ…。
知恵の館もマドラサみたいになるんですかね?
433 :
世界@名無史さん :2008/11/26(水) 12:35:15 0
?
434 :
世界@名無史さん :2008/11/29(土) 19:34:05 0
《新刊情報》
ttp://www.shinchosha.co.jp/book/309630/ ローマ亡き後の地中海世界(上)
塩野七生/著
西ローマ帝国が滅んだ後、地中海の国々を震駭させたのは、イスラム教を信奉
する海賊の台頭だった。「右手に剣、左手にコーラン」を掲げ拉致・略奪を
繰り返す海賊たちの蛮行に、キリスト教国の人々は戦慄する。『ローマ人の
物語』の続編ともいうべき待望の歴史巨編。
発売日:2008/12/24
塩野婆さんは今時珍しい徹底した反中世だからなぁ あの時代のイスラムやキリスト教国の書き方は かなり偏見まじりそう
いいれす
塩婆は歴史学者じゃないからな。司馬遼太郎みたいなもんだ。あれはあれでいいだろ。 問題は塩野信者どもなんだよなー。ローマ人の物語読んだだけで鼻息荒くして一席ぶちあげやがる。
438 :
世界@名無史さん :2008/11/30(日) 15:23:24 0
バグダードのアル・マームーン、およびビザンツ帝国のミカエル2世の治世に、 クレタとシチリアがアラブ人に征服されたから、あの時代を中心に描くのかな。
「ああ、アーイシャ、美しいよ」 後に真実の宗教イスラームの預言者と知られるようになるムハンマド・ イブン・アブドゥッラーフは、そういって眼前の少女の性器に感嘆した。 9歳の少女アーイシャの無毛の性器は、今まで年増しか知らないムハンマドにとって 極めつけの刺激であった。 ムハンマドはペニスを取り出すと、そのままアーイシャの性器に擦り付ける。 「預言者様、怖い・・・」 幼い瞳を恐怖に染めるアーイシャ、しかしそれも今のムハンマドにとっては 情欲を高めるエッセンスにしかならなかった。 大きく腰を引くと、そのまま一気に前に突き出す。 アーイシャの純潔は、あっけなく散らされた。 アーイシャの幼い性器にめり込む黒々した預言者の陰茎、処女膜を紙のように 打ち破り、狭い膣口を限界まで押し広げる。結合部からは血がどくどくと 流れ、あまりの悲痛さにアーイシャは涙を流した。 預言者ムハンマドは、そのまま数回ピストンを繰り返す。しかし9歳の 幼い少女の膣は、いかに神の預言者とはいえ50を過ぎた初老の男にとっては あまりにも耐え難い快感だった。 「うう、そろそろ出るよアーイシャ・・・ああ、アッラーの他に神はなし、アッラーに 感謝いたします。」 そういってムハンマドは腰を深く打ちつけ、アーイシャの子宮に精液を放った。
440 :
世界@名無史さん :2008/12/04(木) 19:11:36 0
ばふぉめっとばふぉめっとってうるさいですぅ くろやぎさんはいーどるあどはのひに ろってりあのひつじでもくってやがれですぅ くろやぎさんのあくまはろりこんですぅ このあいしゃをれいぷしやがって おまけにれいぷひがいしゃのしんじゃを いけにえにささげまくりやがったですぅ もうゆるせんですぅ こらしんじゃのおまえら とっととあろっくよこせですぅ のどがかわいてしにそうですぅ はちうるいじんのちがさわぐですぅ ですぅですぅって すいせいせきのぱくりなんていったら ゆるさんですぅ のろいころすですぅ ばふぉめっとさまをおよびするですぅ おまいらにほんじんは たかだかよげんしゃいえすのたんじょうびに せくろすしすぎですぅ しかもくりすますは よげんしゃいえすのたんじょうびじゃないですぅ いいかげんにしやがれですぅ あいしゃより
寂しいスレ
442 :
世界@名無史さん :2008/12/19(金) 17:30:44 0
443 :
世界@名無史さん :2008/12/19(金) 19:38:23 0
>>437 塩婆がローマ、ローマって馬鹿の一つ覚えみたいに言ってるのは鼻につく。
だが、一般の大多数の日本人にとってローマ史なんて趣味の域を出ないんだから、
講談調の物語レベルの知識で何の問題もない。
まあ、塩婆の受け売りでウンチク語る奴がうざいのは認めるが。
444 :
世界@名無史さん :2008/12/21(日) 11:13:57 0
むはんむはんむはんまーど よーめさんはきゅーさーい むはんむはんむはんまーど おちんちーんをそーにゅー むはんむはんむはんまーど ろーりこーんのへんたーい
たまにはサウダ・ビント・ザムアとかウマルの娘のハフサとかウンム・サラマとか ザイナブ・ビント・フザイマとかウンム・ハリーマとかジャワイリーヤ・ビント ・ハーリスとかウンム・ハビーバとかサフィーヤ・ビント・フヤイイとか マイムーナ・ビント・アル=ハーリスとかコプトのマーリーヤとか思い出して あげて下さい。全員既婚だったらしいけど。>嫁
446 :
世界@名無史さん :2009/01/06(火) 23:42:03 0
age
447 :
世界@名無史さん :2009/01/09(金) 09:33:46 0
正直、『ローマ亡き後の〜』は事実誤認が多すぎてひどいと思った。
449 :
世界@名無史さん :2009/01/09(金) 15:16:44 0
オスマンに滅ぼされるまで存続してたとか
それのどこが間違い? トルコ皇帝がルーム・カイセリと名乗ってたとかいいたいの?
452 :
世界@名無史さん :2009/01/13(火) 14:06:06 0
>>437 塩野本人もいってるが、あれはローマ人の物語という小説であって、歴史書ではないんだからな。
ある程度、小説らしくするために装飾されている部分がかなりある。
それは、司馬小説と一緒。
それをさも歴史上の事実だといわんばかりに勘違いする奴がいるんだよな。
そういう意味では塩婆がなんでも悪いわけじゃないと思うが。
>>452 勘違いならまだしも、自己啓発や説教に使う頭のおかしい人までいるからなあ
塩婆様は、自分の作品は歴史でも歴史小説でもなく、「歴史エッセイ」だと 行っているお。
456 :
世界@名無史さん :2009/01/28(水) 21:54:26 0
age
457 :
世界@名無史さん :2009/02/10(火) 15:32:31 0
>>458 うおおおおありがとう!
個人的にはオスマンスレに貼って欲しかった気がしなくもないが!
連続してすまんが(しかもくだらないが)
>>457 の5つ目の真ん中にいる人
ナポレオンに見えるのは俺だけだろうか…
ムガルはイスラム史と言っていいのか? ヒンドゥー教やら何やら混じりまくってるイメージだが
王様がそうだからいいんでね?
>>460 イスラームの伝統的な地域概念的に言えばヒンドゥスターン地方の王朝であることは間違い無いが、
ムガル朝の支配正統性の拠り所はアミール・ティムール・クールカーンの血統であり、かつ
唯一なる神アッラーを信仰しムハンマドはその使徒と認めそのアッラーから地上の支配権を
預託されているとするイスラーム政権でもある、というところに尽きる。
そのためイスラム史の範疇で語ることも十分可能だが、同時にインド世界を領土とする
中央アジア出身の王朝のひとつとしても、インドに展開したデリー・サルタナト諸政権
以来のイスラーム政権としての文脈でも、モンゴル帝国の後裔の諸政権のひとつとして
見ることも十分に可能だ。
色々混じるのはどこでもそうだし、特にイスラーム政権とそれ以外の政権が混じりあう
境域地域ではなおさらだろう。いわゆる中国内陸とかモロッコ、アンダルスなどもやはり
そこらへんは同じだろう。
なるれす
464 :
世界@名無史さん :2009/03/01(日) 05:11:19 0
三角貿易というと欧州、西アフリカ、西インド・北米の三角貿易、あるいは 英国、インド、清朝の三角貿易ばかりが語られて、イスラーム商人による 地中海、インド、東南アジアの三角貿易はほとんど知られていないな。 イスラーム商人が銀を持ってまず途中のインドで綿布を買い、これを携えて 東南アジアで香辛料を入手した。それを地中海まで運んでヨーロッパ商人に 売り、また銀を得るという方法。
465 :
世界@名無史さん :2009/03/06(金) 12:07:53 0
【政治部】偉大なるイスラームの預言者ムハンマドとイマームたちの無謬性をめぐる
モハンマド・モジュタヘド=シャベスタリーの発言が、波紋を呼んでいる。
モハンマド・モジュタヘド=シャベスタリーはエスファハーン工科大学での講演で、預言者の
無謬性についての質問に答える形で次のように述べた。
「預言者の責務とは、ただ人々を神の方向へと呼びかけることにあった。この責務において預言者は
無謬であり、一切の過誤はなかった。しかし〔その他の点で〕預言者が過ちを犯したかどうかについて
言えば、彼の発言や伝承を見る限り、預言者が無謬であったと考えることはできない」。
シャベスタリーは預言者一族の無謬性を明示するクルアーンの章句に触れることなく、偉大なる
預言者や信徒たちの長〔初代イマーム・アリーのこと〕の懺悔の言葉を指摘して、預言者とイマームたちの
言動を次のように解釈している。曰く、「彼らは毎晩のように長時間にわたって祈りを行った。これは、
彼らが自らに欠点があることを感じ取っていたことを証明する。自らの欠点を取り除くために、彼らは
祈りを行ったのである。そうでなければ、欠点も誤りもない人物が〔神の赦しを〕強く求めて悶えることなど、
ありえようか」、と。
シャベスタリーはその上で、「もちろん、これらの〔預言者やイマームたちの懺悔の〕言葉は人々の
心を自らに引きつけるための偽りの言葉だ、という解釈も可能だ〔=もし預言者たちに欠点があったという
解釈を認めなければ、彼らの懺悔は偽りのポーズだった、ということになる〕」と続けている。
このように、シャベスタリーは預言者の無謬性を否定する発言を行っているが、クルアーンの多くの
聖なる章句や数々の論理学的・伝承学的証拠は、ムハンマド一族と偉大なる預言者たちの無謬性を
明確に示している。
最高指導者専門家会議の議員であるアーヤトッラー・セイエド・アフマド・ハータミーは、
モジュタヘド=シャベスタリーのこの発言に対して、預言者とイマームたちの無謬性はわれわれの
宗教上の定理の一つとなっていると指摘、シーア派の信仰の定理の一つこそ〔預言者一族の〕無謬性に
他ならないと述べている。
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20090305_224945.html
870 名前:NPCさん[sage馬鹿をマジに相手する馬鹿] 投稿日:2009/04/02(木) 06:25:50 ID:???
ブルースフィアにイスラーム相当ってのはやっぱ中東地域にはおるんかいな?
>>846 アッラーフ Allah
イスラムにおける唯一な神の呼称。語源的には、アラビア語で神を意味するイラーフilahに、
定冠詞al- が付加されたal-iah(the God)が同化してアッラーフ(アッラー)Allahになったと
いわれる。イスラムの教義では、この神は天地創造以前の永遠の昔から、永遠の未来に
わたって存在するものであるが、歴史的に見れば、すでにイスラム以前のアラブの間に
知られていたことが、碑文や人名やコーランの記述などから知られる。とくにアッラーフは
メッカの人々の間では至上神として信仰されていた(コーラン:106)。ちなみにムハンマド
の父の名はアブド・アッラーフ Abd Allah(アッラーフのしもべ)であった。アッラーフに
次いでよく用いられる呼称ラッブrabb(主)があり、そのほかに、神の性質を表す名として
「慈悲深きお方」al-Rahman, 「慈愛あまねきお方」al-Rahimなどのような呼称もある。
神学者はアッラーフを神の本質を示す本質名ism al-dhacと、それ以外の属性を示す
属性名 asma' al-sifar とに区別する。これらの属性名は、後に99の神の美名として
まとめられ、”数珠とともに”ジクルで用いられる。
コーランの中で繰返し強調されていることは「汝らの神は唯一なる神」(22章34節)
という一神教の原理である。全知全能なるアッラーフ以外に、天地創造の創始者・
支配者はいないということであり、アッラーフ以外のすべてのものは神の被造物である。
このように神の力は普遍であり、この世にそん存在し生起するもので一つとして
神の意思と力によらないものはない。
神が一つであるということは、万物の主たることにおいてそれだけで十分であり、
伴侶も助力者も必要としない「並ぶものなき神」(42章11節)ということでもある。
神の無比性ということは、神の超越性を意味する。神が超越者であるということは、
空間的・時間的な意味においてではない。神はその本質において被造物からの類推を
いっさい拒否する存在だということである。(略
平凡社 2002 日本イスラム協会+島田襄平+板垣雄三+佐藤次高
467 :
世界@名無史さん :2009/04/03(金) 19:24:48 0
ところでカリフの敬称は日本語だと「陛下」だろうか、「猊下」だろうか カリフが「陛下」だとしたらスルタンは「閣下」?
モロッコの国王が今もカリフ名乗ってんじゃなかったっけ? だとしたら「陛下」だろうな。
オスマン帝国のスルタンが出てくる小説とかではたいてい「陛下」と呼ばれてるような
セルジューク時代ならスルタンが将軍でカリフが天皇みたいなもんだけど、 オスマンになっちゃうとスルタンがカリフの権威なんてもう利用しなくなってるから事情が違う?
イスラム世界とムスリム世界は違うのに 日本のメディアは未だに混合してる
くわしく
ついでに言うとアラブ世界とイスラム世界を混同してる節もあるよな
>>473 イスラム世界=イスラム国家を総称した世界
イスラム国家は建前上イスラム法(シャリーア)によって運営している国家
ムスリム世界はムスリムが国民の多数を占める国家
つまりトルコとかはムスリム世界ではあってもイスラム世界ではない。
オバマの就任演説では「ムスリムワールド」って指して言ったのに訳では「イスラム世界」になって
これじゃオバマが想定していたアフガンなんかじゃズレがある
なるほど、国のどこに注目するかの違いか。体制か民か
477 :
世界@名無史さん :2009/04/14(火) 23:53:39 0
ローマ亡き後の地中海世界(上) 不勉強なため、中世ヨーロッパで海賊といったら中世中頃のノルマン人しか知らなかったけど、 イスラム教誕生以降、北アフリカよりの海賊がここまで猖獗を極めたとは 全然知らなかった。 常識のことなの?
常識だと思ってたけど… ヴァイキングは略奪より移住のイメージで(もちろん略奪してただろうが) 略奪を生業にする海賊としては、むしろ北アフリカ方の海賊のイメージ
考えてみりゃあバルバリアってすごい名前だな……
イスラム合法ロリコン合法 イスラム最高 ロリコン守るのはイスラム マジ強い
482 :
世界@名無史さん :2009/05/06(水) 00:07:33 0
8歳とかでも合法になりうるってスゲーよな 別に羨ましくも何ともないけど
イランのガチガチの保守派なら、アメリカ文化そのものが退廃的悪魔崇拝だろうね。
メタリカやアイアンメイデン悪魔崇拝で摘発の対象になるのなら 北欧のブラックメタル勢は総じてヤバいよね
486 :
世界@名無史さん :2009/07/06(月) 23:02:31 0
age
487 :
世界@名無史さん :2009/07/12(日) 23:57:32 0
12〜13世紀までの、イスラム社会はどのようにして高度な文明を つくりだしたんですか
東ローマ帝国の地域を併合することで、旧ローマ文明をかなりの部分を承継できた
同じことは旧ペルシア帝国版図にも言える。
ローマ帝国西部&ゲルマン部族&カトリック = ヨーロッパ ローマ帝国東部&ペルシャ帝国&イスラーム = ウマイヤ朝・アッバース朝
イスラム信者にとって、礼拝は仕事や私生活以上に日常的な行為。スンニ派、シーア派、スンナ派など
宗派いくつもあれど、神に対して敬意を持って意思を伝える重要なひとときである。
それほどまでに重要な礼拝でありながら、ここ最近は礼拝中にケータイ音が鳴り響くことが多くなったのだとか。
礼拝中にケータイ電話の呼び出し音やメールの着信音などが鳴り響くたびに、礼拝を中断しなくてはならない
状態に陥(おちい)るという。
ケータイの音を出したら罰金を科すというルールをもうけたものの、貧困生活の人たちが罰金を支払えるはずが
なく、まったく効果なし。しかし、「これ以上礼拝をケータイに邪魔されたくない!」ということで、礼拝中にケータイの
電波を受信できないように妨害電波を出す装置の導入に、礼拝の指導者が乗り出したという。
しかし、指導者もそんなお金があるはずもなく、カンパでケータイの妨害装置を購入するお金をためようと
計画しているとのこと。指導者が注意をしてもケータイを持ち込んでしまう信者たち。それほどまでに、
ケータイがなくてはならない存在になってしまったということだろうか。宗教にも近代化の波が押し寄せて
きているということかもしれない。
http://rocketnews24.com/?p=12348 唯一新アッラーフも、現代化の波にはかないませんな。
493 :
世界@名無史さん :2009/07/21(火) 02:29:01 0
電源切らせりゃいいじゃん。
事前に「電源切ってください」って言っても、必ず鳴らす奴は居る。 マナーモードになってると思い込んでたり、アラーム設定忘れてたり。 大教室で何回か試験監督やってると、必ず出くわす。
495 :
世界@名無史さん :2009/07/21(火) 02:52:54 0
ビンラディンとかザワヒリのような 過激派の幹部って 下っ端に自爆テロを呼びかけてるけど 自分達はやらないんだよなw 本性がよく分かる
>>494 TOEICのテストのときくらい徹底すれば、携帯鳴らす奴はほとんどいないんだけどな
>>496 あれをモスクで一日五回とか、大変そう。
498 :
世界@名無史さん :2009/07/24(金) 04:05:57 0
>>495 そりゃそうだろう
幹部自ら自爆テロしてたら組織が崩壊しちまう
まあ、不特定多数の市民を殺す、しかもそのために配下の人間に平然と死を要求するような連中は どのみち屑だわさ。 どこの世界でも一流は、敵も味方も殺さない方法を考えるものだ。
501 :
世界@名無史さん :2009/08/09(日) 22:06:08 0
age
とりあえず、9歳の少女におちんぽつっこんでも合法なのは イスラーム
社会的束縛はイヤ! 親を捨て海外移住を目指すサウジアラビアの若者たちが増加
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200810161101124 同国の王族が所有するアル・ワタン紙(2008-9-24)が掲載した
サウジアラビア人評論家、アミーラ・カシュガリー女史が記した評論、
「何故若者は移住を考えるのか?」を以下に紹介しよう。
以前サウジアラビアの雑誌が実施した調査には、若者たちを移住に
駆り立てる理由に触れている。ある若者は理由をこう語る。「僕の生活は
決まりきっていて退屈だ。喜びを感じられる唯一の時間は、サウジアラビアを
離れる瞬間だ。国外での生活は変化があり楽しめる。そこには望む全ての
ものが得られる。娯楽・歓楽施設も公共図書館もある。より重要なのは、
国外で生活することは、人をして生命を愛させること。しかし、懐具合が
悪いので、今すぐ希望するスペインには出掛けられない」
別の若者はこう語る。「何処の国でも人が束縛され自由を奪われたと
感じたら、いずれその場所を離れるだろう。サウジアラビアでは、社会が
若者に、過酷な慣習・伝統を押し付ける。社会は先祖が体験した同じ方法で
若者を生活させたいのだ。禁忌項目は日々増えているように感じる。
国外移住という考えが3年前から私の頭をよぎるが、怖くてなかなか
実行には踏み込めない。移住地で新たに根を張るのは容易ではなく、
移住は後戻りできず、決定するには勇気が要る」
3番目の若者は、「今の仕事より好条件の仕事が見つかれば当然移住を
考えるが、外国語が出来ないし、子供の教育問題があるからアラブ諸国、
中でもアラブ首長国連邦が望みだ」と語る。
社会研究家のムハンマド・ドウサリー氏が行った「移住を考えさせる
理由」に関するサウジアラビア青年への聞き取り調査によると、金銭的理由、
すなわちより好条件の就職理由の割合は僅か4%に過ぎない。ところが、
「西欧諸国での自由を求め、開放的な生活スタイルに惹かれて」が46%と
首位を占めている。
504 :
世界@名無史さん :2009/08/28(金) 19:49:32 0
クーラーつきモスク、お昼寝の場と化す―マルディンのモスク
マルディンのクズルテペで暮らす人々は、クーラー付きのモスクで礼拝を行っている。
しかし、礼拝を行うために来たものの、礼拝の場所を見つけられない人々は、このことにちっとも喜んでいない。
マルディンのクズルテペ地区にある、クーラー付きの中央モスクを訪れる人々は、断食月と極度の暑さのために、礼拝の時間を待つ間、
(モスク内で)気ままに寝転がり、何時間も寝ている。モスクで礼拝を行うために来たものの、場所を見つけられないでいる人々は、
「モスクは寝る場所ではなく、礼拝の場所だ」と反感を示している。
中央モスクに昼ごろ訪れ、断食明けの食事の時間まで気ままに寝転がって眠る人々は、(この)反感の原因となった。断食月が訪れたことと、
外が40度にも達する極度の暑さであるという理由により、単にアザーンの時間に外出して、礼拝のために身を清め、礼拝を行った後に、
(モスクの)中でくつろぎ、何時間も眠っている人々は、(その他の人々の)反感を集めた。モスクはホテルではないことや、
礼拝を行う場所であるとする信徒たちは、「時々、モスクで礼拝を行う場所を見つけられずにいます。
ムフティ局がこの状況に対する解決策を見出してくれることを望んでいます」と述べた。
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20090824_055445.html http://i.radikal.com.tr/644x385/2009/08/23/fft5_mf234226.Jpeg これはひどいw堂々と寝すぎだ。
505 :
世界@名無史さん :2009/09/12(土) 20:57:11 0
age
506 :
世界@名無史さん :2009/09/12(土) 21:09:42 0
モスク居心地いいからね 天井広いし
坊主の説教中に寝るのは失礼だが 特に何もないなら寺でも寝るな いいんじゃない?
509 :
世界@名無史さん :2009/12/01(火) 23:41:36 0
age
510 :
世界@名無史さん :2009/12/13(日) 19:15:45 O
イスラーム
511 :
世界@名無史さん :2009/12/28(月) 03:20:04 0
イスラーム勢力は、唐代に中国に到達していましたが、日本まで 来たような記録を知りません。中央アジア経由の場合は、多くの遊牧民族や 漢族、朝鮮などがあり、日本に到達できなかったのかも知れませんが、 南方海路であれば、14世紀頃は倭寇とも接触し、海路日本に来て大々的に 通商していていてもおかしくないように思うのですが、そうならなかったのは 何故なのでしょうか?ポルトガルが来る前に、イスラーム海商勢力が日本に来ていても よさそうなものなのですが。。。。皆様のご意見をおきかせください。
イスラムだけに、海のモズクになったんだよ。
室町時代にイスラームの商人らしき人物が京都に来た記録がある。 幕府に仕えて日本人の女と結婚した。
わくわく島がそうだと言われるのはちゃうのん?
515 :
世界@名無史さん :2009/12/29(火) 04:28:12 0
>>513 情報ありがとうございます。その話に言及している書籍について
お教えいただけますと助かります。調べてみようと思います。
516 :
名無し募集中。。。 :2009/12/29(火) 04:53:19 0
日本がそれほど豊かではないことを中国で聞いたんじゃないの? 商人は現実的で合理的じゃないと勤まらんからね
>>516 違う。
イスラームの多い福建方面と日本の交易は、琉球王国が独占していた。
この琉球王国の権益にイスラム商人は入り込めなかった。
519 :
世界@名無史さん :2010/01/01(金) 17:32:15 0
>>517 情報ありがとうございます。父親がどのような経緯で来日したのか、
交易があったのかどうか、興味あるところですね。調べてみようと思います。
ありがとうございました!
520 :
世界@名無史さん :2010/03/09(火) 14:02:38 0
モロッコ、預言者を人間の姿で描くイラン映画の国内撮影を拒否
2010年03月05日付 al-Quds al-Arabi紙
【カサブランカ】
モロッコ映画センターの渉外担当者ムハンマド・バクリーム氏は、イランのマジッド・マジディ監督による
預言者ムハンマドを題材にした映画の撮影にモロッコが合意したとの情報を 否定した。
マジディ監督によると、3部から構成されるこの映画では、預言者が具体的な人間の姿で描かれるという。
モロッコの新聞「アフバール・アル=ヤウム」は水曜日、バクリーム氏の以下の発言を報じた。「同センターは
モロッコでこのイラン映画の一部を撮影したいというマジディ監督の要求を認めなかった。外国映画の撮影において
モロッコには明快な指針がある 。
バクリーム氏は「マジッド・マジディ監督の映画は製作面から見て規模が大きいが、それでもモロッコは
しばらく以前に結論を出している。モロッコでは扱えない、撮影許可もできない数々のテーマ が含まれているためだ」とも述べた。
これ以前にマジディ監督は預言者ムハンマドの生涯に関する 映画をイラン、モロッコ、ヨルダンで撮影すると発表していたが、
モロッコ王国での外国映画撮影は、様々な行政法および財政法に則って行われねばならない。
http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20100308_110126.html これはお互いのイスラーム観と言う意味で興味深い
ムスリムは9歳とセックスできる
522 :
世界@名無史さん :2010/05/15(土) 19:32:01 0
中世のヨーロッパでは、宗教や国家がキリスト教化されても、11〜12世紀ごろまでは、 「古い時代の貴族たちは神性を体現している」と信じられており、また、根強く 残っていたフェーデ(血の復讐)が意味したものも、権力と暴力の分散、すなわち 多数のカリスマとゲルマンの神々の遺制だった。 ところで、イスラーム圏の場合、いまだに部族制や血の復讐が残っているだけではなく、 強力な専制君主国さえできていない地域(アフガニスタン、ソマリア、ナイジェリア北部など) があるのはなぜなんだろう? 真理が一つであるならば、当然、地上の支配者も一人という考え方になっても よさそうなものだが。
だれか>522の文章を日本語に訳してください
違うかもしれないが、意訳
中世のヨーロッパはキリスト教の影響下にあったはずだが、にもかかわらず
非キリスト教的な神性やそれに基づく習慣・制度も残っていた。(宗教の影響力は完全じゃないんだなあ…)
イスラームの影響下のある国々は
イスラームの考えのもとで、地上の支配者が一人だと考えればいいのに
支配者が一人になりえない非専制君主国があるのはどうしてだろう(こっちも宗教の影響力は完全じゃないんだなあ…)
こんな感じか。
>>522 は宗教がどのように人々の暮らしや体制にとりこまれてきたか
その過程を想像したことすらないんだろう、きっと。
日本の仏教も実態は(以下ry
>>522 >ところで、イスラーム圏の場合、いまだに部族制や血の復讐が残っているだけではなく
アルバニアやモンテネグロの山岳地帯のキリスト教徒は20世紀初頭までそんな感じ。
アイルランドあたりはどうだっただろう?
527 :
世界@名無史さん :2010/06/13(日) 22:09:30 0
突然すいません キリスト教の聖書にもガブリエルっが出てきて イスラム教においても、ムハンマドに神の言葉を伝えるガブリエルが登場しますが この二つのガブリエルは同一なのですか?それとも全く違った人物なのですかね?
同一なんじゃないですか。よく知らんけど。アブラハムやヨセフ、モーゼは イスラムでも聖人だし、ムハンマドは彼ら(イエスも含む)最後の預言者だし。
>>527 いっしょいっしょ。
イスラームでは「ジブリール(Jibril)」というよ。
ただし、クルアーンでは天使の名前があがることが少なく、
ジブリールでさえ3回しか名前が出てこないby岩波イスラーム辞典。
天使に関するイメージは後世に付与されたものが多いみたい。
魔界天使、いやなんでもない。
アリラトへの信仰とか残ってないものなのかね?
532 :
世界@名無史さん :2010/08/05(木) 10:37:00 0
非イスラームの聖所が残ってても、みんなイスラーム風に変化してるだろ。
イスカンダルのこと?
エルサレムやヤズドはイスラーム風になったの?
イスラムでは中絶も嬰児殺も当たり前 売春にも寛容 一夫多妻 ロリコンオーケー これこそまことの保守 西洋近代やポストモダンやフェミニズムや純潔主義にはまねできない クオリティ
保守とは?