世界帝国モンゴルの征服史を語れ!
-「6745年(1237年)、神をしらぬバトゥ汗がタタールの大軍を率いてルーシの地に押しよせ、
リャザーンの地に程近いヴォロネジ河畔に陣を張った。
バトゥはリャザン大公ユー-リー・インゴレヴィッチのもとに無頼漢の軍使を派遣して、
諸侯と全ての住民のあらゆる収入から、10分の1税を支払うことを要求した。
リャザンの大公ユーリー・インゴレヴィッチは不徳なるバトゥ汗の襲撃を知ると、
ウラジーミル大公ユーリー・フセヴォロドヴィチに使者を送り、
不徳なるバトゥ汗に対する戦いに援軍を派遣するか、さもなくば大公自身が出馬するように要請した。
しかし、ウラジーミル大公ユーリー・フセヴォロドヴィチは、自ら出馬せぬばかりか、
援軍も派遣しなかった。彼は一人でバトゥと戦うことを望んだのである。…
…呪われたバトゥ汗はリャザンの地に攻め入ってリャザンの町に迫った。そして町を取り囲み、
5日間のあいだ絶え間なく攻め立てた。バトゥの軍は次々と新手を繰り出したが、住民たちは休むまもなく戦った。
住民の多くは殺され、残りのあるものは負傷し、あるものは疲労し尽くしてしまった。
6日目の朝早く、異教徒どもは、あるいはたいまつをもって城壁へ近づき、あるいは破城用の大づちをひき、
あるいは無数のはしごをもって城壁に近づき、ついにリャザンの町を占領した。…
…タタール勢は町の中で、あまたの住民を女子供に到るまで剣で切り尽し、あるものは河でおぼれさせ、
僧侶と修道士を一人も余さず切り尽くして、町全体を焼き払った。…
…神を知らぬバトゥ汗はキリスト教徒の血がおびただしく流されるのを見て、ますますたけり狂い、
心すさび、ルーシの地をくまなく攻め取ってキリストの教えを滅ぼし、神の教会を根こそぎ打ち壊さんものと、
スーズダリとウラジーミルの町へ向かった。」-
〜「バトゥのリャザン襲撃の物語」より〜
ttp://www.educ.cc.keio.ac.jp/~te04811/page1-1-1-11.htm
2 :
世界@名無史さん :2005/05/20(金) 12:38:17 0
700年後にナチスドイツがやったのと同じことだな
3 :
久井 :2005/05/20(金) 12:53:09 0
モンゴルって昔は相当強かったよね
6 :
九州節度使兼殿都護 :2005/05/20(金) 16:41:11 0
その虐殺説は、いきすぎだとききます。 たとえば、中欧亜細亜で行われたとされる大虐殺は、当時のサマルカンドの人口以上で、仮にソコニ中央アジア人をみんな引き連れてきてもたらなかったて。 しかも、モンゴル支配下のサマルカンドはちゃんと繁栄していて、その事実を思わせない。 モンゴルの大量虐殺は宣伝だけでそれを、広域を覆うことができる騎馬で宣伝したから一気に広まり恐怖を与え、戦わずして開城をせまった。 ドイツ・ポ-ランドの連合軍と戦ったとされるワールシュタットの戦いは、それすらもあったかもわからないのが今の現状らしい。 しかも、ロシアで行われたタタルのくびきは、モンゴルによるものではなく、親モンゴルを称していた当時の諸侯・地主どもによって行われたらしい。
7 :
世界@名無史さん :2005/05/20(金) 17:25:08 0
今も世界のモンゴルに対する視点ってこんなもんだよな。 杉サマの気持ちがちょっとわかるような気がした
8 :
世界@名無史さん :2005/05/20(金) 17:29:27 0
モンゴル帝国関係のスレこれで4つ目だぞ。
10 :
世界@名無史さん :2005/05/20(金) 17:38:05 0
そのときの権力者が都合よく編纂して残したような物語=歴史を 研究してる奴ってむなしいよな。
11 :
世界@名無史さん :2005/05/20(金) 18:13:37 0
12 :
世界@名無史さん :2005/05/20(金) 18:43:05 0
戦略として残虐さなどのネガティブイメージを流布したのは知っているが 徹底的にやられたところも少なくないみたいだよ。 例えば、ホラズム、イラン、バグダッド、金など。 九州で極悪行為をしたのもイメージ戦略ではなかろう
13 :
世界@名無史さん :2005/05/20(金) 18:49:38 0
で、この物語の漁夫はだれ?
14 :
世界@名無史さん :2005/05/21(土) 18:34:58 0
まあ朝青龍をみても大虐殺ぐらいやらかしそうだなとは思うが
>九州で極悪行為 著名な残虐行為と、出典は以下の通り。 腹を割き、生き胆を食らった→『八幡愚童訓』 女の掌に穴を開け、縄を通して船べりに繋いだ→日蓮書簡 如何せん、『吾妻鏡』に出て来ないので、全貌がよく分かりません。 周辺住民の拉致や略奪はあった様ですが、山中に逃れたせいもあってか、 少なくとも島民皆殺しは無かった様です。 異民族に対するイメージが肥大化した事もあって、どこまで信頼して良 いのか、判断に苦しみますね。
16 :
世界@名無史さん :2005/05/21(土) 20:14:53 0
大虐殺史ではなく大強姦史として欲しかった。
17 :
世界@名無史さん :2005/05/21(土) 21:30:47 0
>腹を割き、生き胆を食らった→『八幡愚童訓』 >女の掌に穴を開け、縄を通して船べりに繋いだ これは大陸人特有の略奪の方法だよな。
つうか捏造としてありがちだよな。>腹を割き、生き胆を食らった 日蓮なんかは敵対していた僧侶を捏造でこきおろしているから 発言の信憑性は謎だよな。
>>18 >敵対していた僧侶を捏造でこきおろしているから
ライバルの律宗の僧忍性は、ライ病患者を救済し、死体遺棄にまで関った名
僧でしたが、それを「人肉を食べている」等と中傷しています。
かくいう日蓮も、「海人の子」と自称して、大衆救済に活躍しましたが。
『八幡愚童訓』は、対蒙古戦に関する描写はほとんどこの本から引かれたも
のといっていい本ですが、これまた宗教色濃厚です。
早い話、どちらも主観が露骨に現れそうなので、当時の他の東アジア諸国で
記された史料と突き合せた方がいいでしょう。
朝鮮史ではどうなっているのか、気になるところですが。
20 :
世界@名無史さん :2005/05/21(土) 21:59:47 0
ホラズムのスルタンは喉から溶けた銀を流し込まれて殺されたんだっけ?
中国での食人習慣を日本側が記したものの中で、一番古いのが『入唐求法巡礼行記』 でしょうが、これには敵地に赴かなかった健児が怠慢を指摘される様にと、無実 の人を捕らえて処刑し、「了ればその眼や肉を割いて喫」ったとあります。 当時、高麗や南宋に赴く僧侶は数多く存在しましたが、この手の印象に残りそう な話が、物珍しいものとしてよく広まったのかもしれません。
>>20 ホラズム王の母の縁戚で、オトラルの知事だったイナルチュクの事でしたら、
眼と耳から溶けた銀を注ぎ込まれて死んでいます。
国王自身は、カスピ海の島で崩御していた筈では。
西ではバグダードが陥落した頃、東で『守護国家論』や『立正安国論』を著していた日蓮の方が鎌倉幕府よりよっぽど国際感覚が鋭い。
24 :
世界@名無史さん :2005/05/21(土) 22:53:11 0
>>19 岩波文庫から『高麗史日本伝』(上)出ました。
25 :
世界@名無史さん :2005/05/21(土) 23:06:00 0
ちょうど明日大統領選挙ですな
>>23 それが、当時の「護国」意識というものは、現代のそれとはズレがありました。
当時、国といえば仏神の守護によって成立しうるもの。
十万億土の彼方に住む佛菩薩、天上の彼方に住む天部とは別に、応身である佛
像や、垂迹である明神・権現が国を守護してくれていた訳です。
どうして守護してくれているのかと言えば、それは日本が仏法を奉じているか
らであり、国歌鎮護の為の東大寺大仏殿が焼失した後には、どこそこの神或い
は仏が、愛想を尽かして他国へ行ってしまわれた等の流言が飛び交いました。
重源による東大寺大仏(殿)再建は、ミサイル防衛網設置の様なもの。
「神風」というのも、神仏分離後のイメージとは異なり、仏法を守護する日吉や
春日といった神々が吹かせてくれた風であり、仏教国に与えられた保障でした。
さて、日蓮は当時の日本に災害が相次いでいる事を、憂慮していました。
正しい仏法が行われているのであれば、災害に襲われる筈は無い。
→逆に言えば、災害に襲われているのは、仏法の有り様が正しくないからだ!
これが、日蓮の至った結論でした。中世的思考というやつです。
その結果、彼は『法華経』のみを奉ずる様に訴えかけ、他宗・衆を非難します。
ところが、非難の対象であった西大寺の叡尊が祈祷を行ったところ、「神風」が
吹いて、蒙古軍は退却してしまいました。
日蓮のシナリオでは、日本には神風が吹かぬまま、追い詰められて『法華経』を
選択して、土壇場で救われる筈だったのです(これが彼の護国計画)。
「叡尊の仏法が正しく、私の理解が間違っていたという事になるのか」
「神風」が吹いた後の日蓮は、二度と亡国の危機を口にしませんでした。
>24
ありがとうございます。
安易な比較ですが、 佛→アメリカ 神→在日米軍 神風→核の傘 と考えれば、分かり易いか。
惨じめったらしいのも貫けば人生なんだな。 単に糞味噌とも言えるが。
何故スペインの南米征服は栄光の歴史でモンゴルのヨーロッパ征服は暗黒と野蛮とされるのか。
30 :
世界@名無史さん :2005/05/22(日) 02:30:16 0
スペインの残虐行為は黒い伝説として伝えられているだろ。 栄光の歴史などという解釈はあまり無いよ。 モンゴルに関しては、日本では肯定的な意見のほうが多いと思うが。 ついでにモンゴルの欧州遠征はハンガリーに莫大な被害をもたらした。 モンゴルの侵略とその後の大飢饉で人口が半分になってしまったらしい。 当然、ヨーロッパから見ればモンゴルは野蛮な侵略者だろう。
31 :
世界@名無史さん :2005/05/22(日) 02:48:00 0
残虐民族ランキングで 1位がモンゴル人、2位がスペイン人になった記憶がある。
コロンブス以下、スペインの征服者達は勇敢な冒険者であり、モンゴルの将軍達は残虐な野蛮人というのが世界史的な通説となっているが。
34 :
世界@名無史さん :2005/05/22(日) 07:56:17 0
>>30 大飢饉てモンゴルの影響によるものなの?
ペストの流行に馬駅伝制度が一役買ったのは知っているが。
たぶん丸一年分の収穫が台無しになったんだろう。
36 :
世界@名無史さん :2005/05/22(日) 18:46:06 0
fh
37 :
世界@名無史さん :2005/05/24(火) 01:09:50 0
そういえばノモンハンでモンゴルの生殖可能年齢の男は 7割高が死んでしまったんだっけ? ロシア督戦隊恐るべし
38 :
世界@名無史さん :2005/05/24(火) 12:39:03 0
それってモンゴル人が虐殺されたって言うこと?
39 :
世界@名無史さん :2005/05/25(水) 13:31:07 0
朝青龍を見れば700年前の伝説が事実だというのに頷ける。
40 :
世界@名無史さん :2005/05/25(水) 14:09:53 0
旭鷹山みたいな温厚なのもいるがな
41 :
世界@名無史さん :2005/05/26(木) 11:28:56 0
fg
42 :
世界@名無史さん :2005/05/26(木) 12:30:00 0
実際、モンゴルはバグダッドで何人ぐらい虐殺したの? 80万人という人もいるが、そんなに人がいたのか?
カナート破壊したからそれ以上の結果が出たかもな
バグダード周辺は大河が流れてるから農業にそれほど影響はないだろう。 ホラーサーン辺りでは100年後のティムールによる破壊で農地が砂漠化してしまった例もあるとか。
イル汗国のせいで交易ルートが変わってバグダードを通らなくなったので廃れてしまったと何かで読んだ。 「ヨーロッパ覇権以前」だったかな?
10世紀半ばにはもうアッバース朝の中央権力はイラク周辺しか 支配できなくなったが、なかでもブワイフ朝による支配で衰微は 決定的になったというのが一般的。 通商ルートについていえばこの頃エジプトがシーア派のファーティマ朝 によって完全に独立してしまい、これがカイロを基点に地中海交易と 紅海・インド洋通商路を確保したので、バグダード中心の南海交易が 廃れてしまいカイロ・紅海経由のルートが繁栄することになった。 しかも紅海はメッカ巡礼の幹線ルートだったから、これがエジプトの その後のヒジャーズ地方における勢力伸長の地盤にもなっている。 ペルシア湾の入り口のキーシュ島が11世紀にインド洋交易の拠点として 発展を始め、アッバース朝やその後のイルハン朝との提携で一時ペルシア湾 ルートが活況する。しかしイルハン朝が滅亡してから後はジャラーイル朝に しろアクコユンル朝にしろ内陸の紛争に手一杯で、マムルーク朝による紅海 ルートの安定化にくらべ、インド洋交易をねらってのバグダードの経済発展 にはほとんど手が付けられなかった。 あまり認識されてないかもしれないが、バグダードはフレグ西征軍による陥落以降、 イラク州知事ジュワイニー(歴史家の方)による復興政策が早くも実施されており、 イルハン朝後期にはガザン・ハン以来歴代イルハンの主要な冬営地になっている。 イルハン朝以降のバグダード・イラク地方史はあまり研究されていないような・・・
マムルーク朝からきた船がペルシャ湾あたりを通ると攻撃されたりすることはなかったのか? シリアからイラクへ行こうとした旅人がスパイ容疑で殺さるようなことがあったらしいけど。
48 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 02:21:47 0
>>47 それは香田さんのことかあああぁぁぁぁぁl
「スレイマン大帝とその時代」にあった当時のバグダードを訪れた人の記録ではなんかもう廃墟みたいな印象。
ジュワイニーって最期はどうなったの?
51 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 04:55:39 O
モンゴルの現首都名を度忘れして気になって死にそう 誰か教えて…
>>50 公金を横領したという政敵からのでっち上げを喰らって、
拷問されたあげくバグダードの船橋に裸同然にくくりつけられたらしい。
金の隠し場所を白状するように強要されて私財を二回も没収され、
最後は無一文同然になって卒中で亡くなったらしい。
兄のシャムスッディーンはアルグン・ハンの即位半年も経たぬうちに
処刑執行人にさんざん殴打されて絶命したあげく斬首されたと
バル・ヘブラエウスが記録している。
>>53 たしかラシード・アッディーンもそんな最期だったな・・・
>54 シャムスッディーンの処刑場面は『集史』にも載っているが、それを編纂したであろう ラシードゥッディーンも長男イブラーヒームと一緒に胴体を両断されて処刑されたことが 後世のハーフェズ・アブルーなどが記録している。 ラシードやシャムスッディーンだけでなく、イルハン朝の他の宰相(ワズィール)たち、 シャムスッディーンの後任のサアドゥッダウラやサドルッディーン・アフマドや ガザン・ハン即位初年の財務総監サアドゥッディーンなどが次々と就任したが、 いずれも王家の内紛に関わったり政庁内部の権力闘争に敗れるなりして処刑されている。 ラシード自身これらの政庁内部の政争を経て宰相位についているようで、 ラシード親子を讒訴して宰相位を奪ったアリーシャーは処刑を免れたが、どうやら彼は 処刑される前に自殺したという説が有力視されている。 総じてイルハン朝の宮廷内部ではイラン系官僚同士で熾烈な権力闘争が常態化しており、 シャムスッディーン・ジュワイニーやラシードゥッディーンのように長期政権を保てていても 最後は悲惨な結末を迎える場合も珍しくなかった。
56 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 13:16:32 0
57 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 13:21:43 0
どうせならさ、モンゴルのレイプ史も語ろうよ。実際どうっだったの? どれほど凄まじいものだったの?ロシア、東欧の一部でも盛んだったのか? ロシアの農村に略奪しに来たモンゴル兵が美人を連れ去ってレイプする話しキボン(*´Д`*)
キプチャクやチャガタイ汗国でもディーワーンがあったみたいだけど あまり官僚で活躍した人の話はないような。資料が残ってないのか。 ところでモンゴル系諸国でイクター制があったのはイルハン朝だけですか?
>>57 ttp://apodion.com/vad/article.php?id=25&aid=20 The Slavic peoples tend to have sex face-to-face but lying on their side.
The Turko-Tatars, at least when they rape, kneel atop the woman with the woman lying on her side.
The men sits atop one leg, holding it down with his weight, while he holds up the other leg in his arm.
This renders the woman unable to fight or move much. Squatting atop her one leg, he rapes her.
The penis would enter her vagina from a 90 degree rotated direction (i.e., face to face would be straight
up in line, "doggy style" would be 180 degree rotated entrance). There are drawings of such rapes of
invading Turko-Tataric peoples. They also would seat women on their laps and have sex with them while
they rode away with them an their horses; again, drawings do exist. Another position taken by these people,
when not raping women or invading, is with the woman an her back with her legs raised up and placed on the
man's shoulders while he faces her and has sex, front-to-front. The positions taken by most of these people
happens to be face-to-face, however, despite the gymnastics.
60 :
世界@名無史さん :2005/05/29(日) 22:12:02 0
>59 うーん、英語で書かれても解らないよ
61 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 00:21:25 0
エキサイト翻訳 面と向かってセックスする傾向がありますが、彼らの側に横たわるスラヴの民族。 Turko-Tatars、彼らがレイプするとき、少なくとも、女性が彼女の側に 横たわっている女性の上にひざまずいてください。 男性は1本の脚の上に座ります、彼の体重でそれを押さえて、 彼が彼の腕のもう片方の脚を妨げますが。 これは女性をたくさん戦うか、または動くことができないようにします。 彼女の1本の脚の上にしゃがんで、彼は彼女をレイプします。 陰茎は90度回転する指示(すなわち、面と向かって、線でまっすぐです、 「小犬のスタイル」が180度回転する入り口であるだろうということである)から 彼女のちつに入るでしょう。 Turko-Tataricが住ませる侵入のそのような レイプの図面があります。 また、遠くでそれらで自己の馬に乗っていた間、 彼らは、彼女らの膝に女性を着席させて、それらとセックスするでしょう; 一方、図面は存在しています。 女性をレイプしないときこれらの人々に よって取られた別の立場か侵入がある、女性、彼女の脚がある彼女の背中は、 男性の肩で上げて、彼は、彼女に面していて、セックスしますが、入賞しました、 向かうために、前です。 これらの人々の大部分によって取られた立場によるた またましかしながら面と向かう、体操。
62 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 00:31:26 0
レイプのメソッドらしい
チャガタイ家やジュチ家の財務政策についてはそれほどよく分かってないのだけど、 例えばマーワラーアンナフルのワクフ文書によればではイランのように 国有地(マムラカ=イ・ディーワーン)、王領地(マムラカ=イ・イーンジュー)、私有地(ミルクorミルク=イ・ハーッス)、 ワクフ地の4種類があったことがわかっている。ただ、マーワラーアンナフルではイルハン朝の ガザン・ハンが導入したようなイクター制にあたるものはなかったらしい。 恐らくジョチ家ではイクター制を施行するほどの都市や農耕村落部があったとは思えないので、 こと「土地からの収益」というと従来の麾下諸部族間で区分された放牧地からののみだったろう。 (これは少し自信がない(汗)
財務庁(ディーワーン)では国有地や私有地を含む様々な税収をもとにハンの勅命によって 資金を管理供出する任にあった。つまり中央官庁は王家主催の宴席やクリルタイ、畜獣が 大量斃死した場合などの損失補填などの財源を管理していた。 (ただし王族たちが所有する王領地の管理は別に王領地財務庁(ディーワーン・イ・イーンジュー)が設けられていた) しかし、イルハン朝のイクター制の場合は、混乱甚だしい国情をガザン・ハンによる極めて 強力な施政方針によって、度量衡や全国的な戸口調査、住民の安全保障、さら既存の有力部族の首長たちを 大量に粛清した末にやっと財源と各地の投下部族への配分を決定して実現したものだったため、 多分、チャガタイ家やジョチ家でイクター制の施行はされなかったと思う。
65 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 13:05:59 0
ジャライール朝やカラコユンル・アクコユンルの時代にはイクター保有者が不輸不入の権までもって 封建領主みたいになってたらしいけど、イランでは近代になっても遊牧民が暴れまわってる所をみると そういう状況がずっと続いてたのかな。 なんか前に読んだ本では、ティムール朝でも「タルハン」という騎士みたいのに「ソユルガル」という 封土を与えてたとか書いてたが・・・
68 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 20:00:26 0
69 :
世界@名無史さん :2005/05/30(月) 20:12:26 0
チョイバルサンについて語るスレはここですか?
ハルハはなんとなくモンゴル人というだけでモンゴル史に関係ない人達。
71 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 01:13:27 0
チンギスハーンは史上最多のレイプ魔で子孫が全世界に1600万人いるとかいないとか。
72 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 13:56:32 0
>>71 そのソースはx51.orgの記事かな?
俺も読んだことあるけど、ハザラ人のもっていたY染色体がアジアの各地でみられるから
それがチンギス・カンの遺伝子だとか言ってるのがDQNだと思った。
それを実際にやってる連中のページだが
ttp://www.oxfordancestors.com/genghis_khan.html 「有料でチンギス・カン遺伝子の有無を検査します」とかいってるけど、4万円近く取られる。
どう見ても商売でやってるとしか思えん。
黄禍論的な適当なイメージで書いてるのも客寄せのためだろう。
>>67 タルハンはロシアにもある。免税領主と訳されてる。
57のテキトーな訳 スラヴ人は向かい合って、しかし横向きに寝て性交する傾向がある。テュルク=タタール人は、 少なくともレイプをする際には、女を横倒しにしてそのうえにひざまずく。女の片脚のうえに坐り、 体重で押さえつけながら、もう一方の脚を腕に抱えこむ。こうすれば女はほとんど動くことも 抵抗することもできない。女の片脚のうえにしゃがみこんでタタール人はレイプをするのである。 ペニスは90度回った方角から女性器に入りこむ(つまり、正常位では平行になり、後背位では 180度からの挿入)。侵攻してきたテュルク=タタール人がそのようなレイプをしている絵がある。 彼等はまた、女を馬に乗せて連れ去るときに、腿のうえに女を乗せて性交する。これもまた絵が 実在する。こうした人々が、レイプや侵略をしている以外のときにおこなう別の体位は、女が あお向けに寝て、両脚をあげて男の肩に乗せ、向かい合って性交をするというものである。 最後のセンテンスは意味が分からず訳せなかった。
75 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 22:08:53 0
>>74 サンキュ。
スラブ女性がモンゴルにレイプされてる絵キボン
76 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 23:12:55 0
極悪人が世界的なヒーローになるのは古今東西を問わない。 アレキサンダー、ティムール、朱げんしょう、織田信長、ナポレオン、ヒトラー、スターリン、毛沢東 こいつらみんな極悪人だ。 もちろんチンギスハンもな。
77 :
世界@名無史さん :2005/05/31(火) 23:18:13 0
日本でも政教分離を無視している宗教団体の指導者やサリンをばらまいた教祖等もある人々の中ではヒーローだ。 何故、極悪人は権力を持ちやすいのか。 その理由の一つに他者への共感性の欠如があげられる。 共感性の欠如によって容赦なく敵対者を蹴散らすことが出来る。 苛烈な権力闘争を勝ち抜くには有利な資質である。
79 :
世界@名無史さん :2005/06/03(金) 03:09:25 0
モンゴルは暗殺教団をどうやって滅ぼしたの?
80 :
世界@名無史さん :2005/06/03(金) 03:29:01 0
悪(人間特有の開くプラグラム)は栄える。 ってか、チンギスハンが残した子孫は1600万人とかいうけどさ、 それならチンギスハンを生み出した親の民族、さらにはその前の前の・・ という風に逝くと、曹操などは5000万人くらい子孫のこしてるんじゃ ないのか? チンギスハン一族は恐ろしいレイプ魔っていうイメージが世界史では 常識みたいだけど、戦争の後、統治しなければいけない土地でそんなに 略奪&強姦を繰り返してたら農民やら町人の反乱ばかりで民心をうしない そうなものだが。
81 :
世界@名無史さん :2005/06/03(金) 03:34:52 0
漏れはチンギスハンは逆に中原人にモテた人なんだと推理する。サル山のボスだって メス猿に嫌われればメスは浮気ばかりして、正確に自分の子孫を残せないんだから、 中原のメスにとって、中原を制した 騎馬民族の長はかっこよく、女たちは喜んで股を開いたんじゃなかろうか。 そしてその後、例によって儒者によって暴虐な侵略者としての物語が作られた・・・ そう思う。どうだろう。
83 :
世界@名無史さん :2005/06/03(金) 15:44:55 0
中原を制覇した民族の出身地であるのにもかかわらず、いわゆる中国領に なってないのはモンゴルだけ(内モンゴルは抜かす)。
84 :
世界@名無史さん :2005/06/04(土) 03:45:07 0
85 :
世界@名無史さん :2005/06/04(土) 21:54:04 0
蔡文姫燃え
86 :
世界@名無史さん :2005/06/04(土) 21:59:23 0
87 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 05:27:30 0
まあ、理由はわからないが、あんまりモンゴル人を攻めなくても いいでない。 なんせ、一度覇権を失ったあとのモンゴル人悲惨きわまるよ。 中国人、ロシア人に自分達がした以上のことをされているからね。
いやそーゆーことじゃ無いだろう。 前近代における君主との婚姻関係を持つということがどういう意味か、まるで分かってない 根拠皆無の妄想マンセーなレスに>81は呆れて返ってるだけだと推察するが。
89 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 13:25:22 0
>>79 アラムート山を囲んで投石器などで攻撃し開城させた。
>>80 帝国を築くような連中はたいていそんなことやってるよ。
しかしその中でモンゴル帝国と日本帝国だけが今だに大量殺人とレイプで糾弾される。
これは黄禍論ではないのか。
>>81 選秀女も知らんのか。
90 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 14:40:32 0
>>80 モンゴル帝国が農民や町民の民意なんか気にしていたかな?
元なんて圧倒的な数の南宋人が最下層だったんだから。
91 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 15:09:04 0
元朝では蒙古人>色目人>漢人>南人という民族差別があったとかいわれてるが それがどの程度本当だったかははっきりしていない。 これは要するに「モンゴルの遊牧民」「西域の諸民族」「金朝の遺民」 「南宋の遺民」であって、そのように区分することによって文化や慣習の違い を尊重していたとも解釈できる(たとえば農耕民族からの徴兵をモンゴルと 同様におこなえば働き手がいなくなって悲惨なことになる)。 南人が官界で出世できなかったのは、早くから征服されていた漢人と違って モンゴル王族とのコネクションがなかったからとも考えられる。 江南の大富豪であった沈萬三のように経済的に大きな影響力をもつ南人もいた。 また方国珍や張士誠も元に帰順して官位をもらってたりしたので 少なくとも南人を官にするのが法で禁じられていた訳ではない。
92 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 22:27:10 0
>>89 >選秀女も知らんのか。
ん?なにが言いたいの?詳しくきぼん。
93 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 22:32:22 0
中原という場所は古くから異民族の征服&その民族がまた征服され&またその民族が征服され・・・ の繰り返しで、中原以外の諸民族はみんな中原を狙う挑戦者であったはずだ。 漢代だろうが唐代だろうが、王朝の高祖はほぼそのときの中原以外の場所から来た 民族だった。だから中原や中国は旧異民族で今は皇帝の出身地を吸収しつつ、 国境を持たずに広がり続けるのだ。 それなのに中原を制した数多くの異民族の一つであるモンゴル族はなぜにこれだけ 拒否されるのか?
94 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 22:36:50 0
スターリンや中共の淫棒だ!
95 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 22:38:21 0
>>93 そこで、島夷日帝ヒロヒトも中原(首都)を制したものの力及ばず
島帰しただけの周辺異民族の一つとして軽く流して欲しいんだけどな。
97 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 12:26:11 0
第二倭寇
>>92 すまん、フビライ・ハーンと間違えた。
>>93 モンゴル人が漢人を拒否してるんだよ。
中共はできれば外蒙古やブリヤートも版図に収めたいでしょ。
99 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 14:34:49 0
中国とは 河江文明・文化を受け継いだ地域の、最も強くかつ栄えている国の呼称です。 いや、最近ふとそう思って・・
100 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 14:36:00 0
選秀女って占領した土地の若い女をずらっと並べて夜のお供を選ぶことですか? 不愉快極まりないですね。
101 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 20:09:59 0
従軍慰安婦ってそう考えると亜細亜の人々になんというひどいことを してしまったのかと思うよね。
102 :
世界@名無史さん :2005/06/06(月) 22:51:30 0
>>101 強制連行は捏造。
まあ、大陸では昔からよくあったことだから、日本もしたに違いないと
勘違い妄想したんだろう。
103 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 01:55:02 0
>>100 選秀女は中国の制度。皇帝のために各地から美人を後宮に集める。
選ばれた者の家族が権勢をふるうようになることもあるので
そんなに悪い話ではない。
ちなみにモンゴルの習慣ではない。
テムジンが戦で奪った女性はたいてい国の王族クラス。
フビライ家が中国の支配者になってからやったみたいだけどね。
104 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 10:38:57 0
↑それは確定事実なのか? ってかあれか、アヘン戦争後、 様々な国家に支那清朝は蹂躙されてたのに、 あたかも日本のみが侵略していたというような モンゴルたたきプロパガンダか?
105 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 11:55:52 0
106 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 13:50:55 0
いや、支那歴代王朝や落とした城に残る女たちの運命なんてそんなモンだろ。 だのになぜ蒙古だけ特別に抽出して叩くのか。
107 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 13:54:40 0
選秀女をぐぐったら詩集と出た。よってお前たちはウソつきアル。
108 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 22:32:19 0
>>106 中国史ではモンゴルの残虐行為はあまり資料に残っていないと思う。
逆にイスラムや西欧の文献には多数ある。
おそらく東と西では野蛮さの尺度が違ったのかも。
それで東では普通の行為でも、西では極めて残虐な行為と映ったんじゃないかな。
109 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 23:01:20 0
>>108 はようするに資料がないのに史実を語っているということですね。
君もうかきこまなくていいよ。 不愉快だから
110 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 23:02:05 0
学ぶものとして当然認識しなければならないことは チンギス・ハンと東条ひできは同じ類であるという事実だ
111 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 23:03:23 0
どういう意味で?
同じモンゴロイドです。
113 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 23:12:03 0
それ以前に同じ日本人だろ? テムジンは義経なんだから その事実に嫉妬した朝鮮人やシナ人がモンゴルの事を謗っている わけだ。 で、このスレで書き込んでいるのは火病おこした在日。
114 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 23:17:23 0
やっぱりモンゴルの日本遠征は義経の怨念だったんですね!
115 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 23:20:39 0
つまらん釣り
116 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 23:36:18 0
てかさ、冷静に考えろよ。 モンゴル族は夜盗強盗の類じゃなくて、一国家の代表政権なんだぜ? その政権がさ、支配したい土地で、後に自分自身で統治しなければ ならない国家でだよ、わざわざ略奪や無駄な労働力の殺生、恨みを買うような 行動をするか? 普通はその逆で、前の為政者を悪く言うような流言をはなったり、人気取り 政治をして民心を手名づけることがまずやるべき常識だろ? なんでそんな後々自分が居座るところ土地でそんなことをせにゃならんのだ? 淫棒を感じるぞ。
117 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 23:38:08 0
淫棒
118 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 23:41:42 0
>>116 君は恐怖政治という言葉をしらないのかね?
119 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 23:46:53 0
恐怖政治、敷く必要あたのか?
120 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 23:54:03 0
考えるに、なかたある。でもその前はあたかもしれない。
121 :
世界@名無史さん :2005/06/07(火) 23:57:49 0
冷蔵庫に牛乳もあたかもしれない。でももうくさたかも。
122 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 00:01:25 0
元の住民の声 私は生粋の漢族ですが、モンゴルが支配するようになってから 虐殺など見たことありません。 宋なんか弱かったしもうどうでもいい フビライ様マンセー!
123 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 00:05:34 0
元って史上最大の帝国を築いた王朝だろ? その王となれば、女どもは歓喜の表情で股を開いたに違いない。
西洋人からしたらモンゴル人なんて過去の栄光にいつまでもへばり付いている極東の黄豚人 って思っているだろな〜
125 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 00:09:10 0
戦国シュミレーションゲームをすれば分かるが、民心を失うと大変なのよ・・・
126 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 00:10:16 0
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ >ー-"'" ⌒,,ィシヽミミiミミ 、 / 三彡彡彡ィ`、ミミミ`、 / シ彡彡彡彡ノ'ヽミミミ`、 ,' ,三彡彡彡彡彡ソ,ー--' l _ _ """'彡彡彡彡彡ノi {;、 ';;;='''"""` 彡彡彡 - 、ノノi kr) .ィェー 彡彡' r、ヽ}彡i レ' .. シ彡' )ァ' /彡' と思う吉宗であった {_,,,、 ;、 シ彡 ニンミミ{ l '''"::. 彡ミi ! ̄"` ...:::::::: ノ""{ l .......::::::::: / \_
127 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 15:06:40 0
>>116 モンケ・カーンあたりまでのモンゴルはダルガチを通じて華北やイランを支配してるだけで
定住農耕地帯に住み着くつもりはなかったし、定住民は家畜のようなもんでしょ。
128 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 15:11:36 0
家畜なんて財産やんけ。まして人間をや。 その人材だの労働力だの肥沃な土地だのを 遊び心や欲望のみで減らしたり荒らしたりするか? そんな単純な奴等で中原をせいするような偉業を達成できるのか?
129 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 15:48:12 0
>>128 遊牧騎馬民族のリーダーに求められるのは他の遊牧民との牧地争いに勝つことと
定住民への略奪遠征を成功させること。
たいていの遊牧民は軍事的にそれほど強くないので定住農耕文明の産物を
手に入れるために略奪をしなければならない(交易という手段もあるが)。
定住民を征服できるほど強くなると略奪のかわりに徴税をするようになる。
遊牧民にとって統治し徴税することは略奪のオルタナティブにすぎない。
あと、モンゴルもフビライ・ハーンがいなければ南宋を征服するのは
難しかったのではないかと思う。
130 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 15:53:53 0
しかし遊牧民はケモノのように略奪し、また風のように去っていく程度なら 後々うらみを買わずにそのまま生きていけるだろうが、 国の次元ではそんなことが勤まるかね。
131 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 16:05:11 0
軍事的には遊牧民は強くなかったのに、なぜに北宋その他はあんなにすぐ 負けたのかな? 遊牧民にエボラ出血熱でもついてたんじゃね?
132 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 16:16:55 0
>>130 明の時代のモンゴルなんかほとんどそういう感じ。
略奪と交易に徹してた。
>>131 だから「たいていの」と書いた。
133 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 16:51:00 0
純粋に遊牧民だけの軍隊だと、軽装の弓騎兵が主体になるので 機動性が高く略奪行には向いていても征服戦争には不向き。 中国人にとって遊牧民の恐ろしさというのは ・どこに襲ってくるかわからない ・迎撃する軍勢を集める間に逃げてしまう(集めた軍勢が弱ければ襲ってくる) ・追撃しようとしてもなかなか追いつかない ・本拠地のモンゴル高原を攻めるのはロジスティクスなどの関係で難しい こういう感じ。海からヴァイキングが襲ってくるのに近い。
134 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 18:16:46 0
( ´_ゝ`)フーン でもさ、海賊がヨーロッパ大陸を丸ごと征服できるか? 数も少なけりゃ、組織戦にも向いてない遊牧民がなぜ大陸を席巻できたのか。 まじで分からん。
135 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 18:21:00 0
ヒットアンドアウェイのマギング集団が なぜ大統領にまでなれるのか。
>>133 モンゴル高原を日本に直せば倭寇の話でも通用するな
137 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 19:04:08 0
>>134 というかモンゴルの征服した領土って中国、ルーシ、イラン以外は
遊牧民しか住まないような砂漠や草原が多い(オアシス民もいるけど)。
ステップ地帯の遊牧民を統一したついでに、周りの農業国がちょうど
分裂・弱体化してたんで属領化してみましたみたいな感じ。
杉山正明も、バトゥの欧州遠征は実はクマン族の征服がメインで
ヨーロッパに攻め込んだのはついでだったみたいなこと書いてる。
138 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 19:17:15 0
モンゴル帝国ってアメリカみたいなものなのかな。 たとえば、実質日本や韓国、カナダ、オーストリアなんてアメリカ領みたいな ものでしょ? それと同じで、でかい戦いにかった余波で中原やイランの有力者を手懐けはした が、直接統治はせず、首領を親モンゴルにして、版図にしたって言う・・・。 どうだろ?
139 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 19:21:43 0
>>1 >異教徒どもは、
この一文でもう何が言いたいのか丸分かりだなw
140 :
世界@名無史さん :2005/06/09(木) 03:43:14 0
フビライ以降は中華皇帝になっちゃったけどね
元の時代には大衆文化が花開いてるね。中国史は言論封殺の歴史だから、この奔放さは異色
142 :
世界@名無史さん :2005/06/19(日) 19:31:59 0
やっぱモンゴル族は受け入れられてたんじゃないの? モンゴル帝を異常に忌避してるのは人種差別王の白人国家と 爬虫類の支那貧民飽和国だし。
>>129 清の皇帝なんかは中国から巻き上げた金をモンゴルにばら撒いてたからな。
あれも略奪の一種か。
モンゴルはそれで骨抜きにされた訳だが。
>フビライ以降は中華皇帝になっちゃったけどね その概念は華北以南以東の住民向けジェスチャーだったらしいね。 チベット方面では「転輪聖王」的なもので、パミール以西だとそれこそ 純粋に「モンゴル皇帝」として認識されていたんだとか。 もっとも中央アジアでもクビライ家が没落して以降は、 チンギス・ハン家とその君主にイスラム的な「預言者性」を論じる言説が 目立って来てる感じがするけど。
145 :
世界@名無史さん :2005/06/19(日) 21:46:43 0
モンゴルが嫌われて西欧が嫌われないのは文明の差だろう。 つまりモンゴルは野蛮な遊牧民族が文明ある農耕民を支配した。 西欧は近代文明の力によって世界を支配した。 文明のない野蛮人が世界を征服するなど許し難いことだってことだ。
146 :
世界@名無史さん :2005/06/20(月) 08:11:30 0
という冗談はさておき、やはり蒙古がこのように忌避されるのは未だモンゴル共和国が 中国化していないからではないからでしょうか? 異民族の歴代皇帝の中でモンゴルだけが中国領ではないということが 支那のモンゴル嫌いに繋がっているんだと思います。
モンゴルは軍事力と経済的利潤にしか興味がなかったしそれ以上は根本的に 支配地域の様々に関心がなかったけど、西欧の場合は初めから自分たちを 「文明人」だと勘違いして軍事的優位を「文明の差」だと盛んに喧伝し、 向こう側でも自分が劣勢にあるのを「文明の差」だと誤認したから。 西欧が工業力で世界的に優位に立つようになったのはやはり19世紀から。 どっちにしろ野蛮なことにはかわりがないんだけどねえ。 モンゴルや遊牧勢力は地域の文化にとってパトロン的存在にはなったが、 西欧のように「文明・文化の体現者」みたいなのにはならなかった。 遊牧民が農耕地域を支配する構図はそれこそ紀元前からずっと続いてきたが、 モンゴルの場合、それと直接関わってきた政権が19世紀、20世紀まで 存続していたから色々言われてる部分が大きい。 「遊牧民に文明がない」なんて主張はありがちなただの無知から来る発言だが、 これは「文明」の定義に関わるか。だいたいこの手の主張は自分の「文明」なる ものを自画自尊する場合の常套手段みたいなもんで(ry
148 :
世界@名無史さん :2005/06/20(月) 08:31:09 0
文明ってさ、要するに栄えた地域をいうんだよね。 それなら今現在のアメやイギ日本などは文明国だあね。 廃語となってる世界四大文明も結局栄えたということを基準に 制定しているんでしょ。
149 :
世界@名無史さん :2005/06/20(月) 12:24:02 0
エンパイアーズ 〜近代の夜明け〜 (カプコン)
http://www.capcom.co.jp/pc/empires/index.htm ■「コリア」の紹介項目
古代よりコリアは、チャイナの諸王朝、北アジアの遊牧民族諸国と東アジアの覇権を賭けて
争いを繰り広げてきた。13世紀に入るとチャイナはモンゴリアによって征服されたが
コリアを屈服させる事は出来なかった。コリアとモンゴリアは一時和議を結び、アジアの覇権を
共に両立させた。15世紀になるとモンゴリアはチャイナより撃退されたが、これは、コリアの
軍事力が絶えずモンゴリアを脅かした結果でもあった。
16世紀後半日本との戦争が勃発した。コリアは連戦連勝の名提督李舜臣の力により勝利した。
この勝利以後、李舜臣はアジア最高の司令官という名声を獲得し、歴史に永く刻まれる事となった。
一方敗れた日本の痛手は大きく王朝が交代するまでに至った。日本はその後、格下待遇の講和を自ら結ばざる得なかった。
19世紀後半コリアは西洋文明を自らの文明に融合させ大きな飛躍を遂げた。極東アジアに進出してきた
ロシアと肩を並べた。その背後で日本は策略によってコリアを貶めようとしていた。
よって、20世紀に入るとコリアと日本の間に永き戦闘が始まる事となった。
>>148 文明というのは情報が蓄積された状態だ、という解釈が個人的にはしっくりくる。
151 :
世界@名無史さん :2005/06/20(月) 17:47:09 0
情報だけなのか?富は?
伝統があっても貧乏な国なんていくらでもあるからねえ
153 :
世界@名無史さん :2005/06/20(月) 18:30:53 0
反万年の歴史のある国の事ですね!
155 :
世界@名無史さん :2005/06/20(月) 19:29:16 0
韓国なんて反日のために独立させられた国家なんだから、もっと温い目で 見てやれよ。なまじ日本人とそっくりなのがあんなデンパなことやってると 悲しくなる。戦勝国しねよ。
156 :
世界@名無史さん :2005/06/20(月) 23:29:18 0
生暖かい目でみています。
157 :
世界@名無史さん :2005/06/20(月) 23:31:17 0
モンゴルの侵略と同じに語られるのが十字軍だ。 そのころの西欧はイスラムに比べれば未開野蛮な地域だった。 野蛮な西欧人が文明が栄えるイスラムを侵略した。 だから十字軍は批判されるんだよ。 モンゴルも同じ。 基本的に野蛮国家が文明国家を支配しちゃいけないわけ。 その逆は黙認されてもね。
158 :
世界@名無史さん :2005/06/20(月) 23:33:52 0
モンゴルは史上最大の野蛮による文明の侵略として嫌悪されている。
あにが華夷秩序だべ? はんかくさいことぬかしてんじゃねえべ。 オラと喧嘩して勝った事あっか? メェ ∧∧ ∧∧ ∠Y"´゙フ / 蒙\ /支 \ きっ貴様は! ;' ゝ‘,,ェ) 彡`∀´ミ (`ハ´; )ミ 羊飼いのハーン! ゙;(ノ ';) ( ~__))__~) (~__))__~) 何しにココに来たアルか?! ヾ,;' '; | │ | | │ | ''∪''∪ (__)_) (__)_)
160 :
世界@名無史さん :2005/06/21(火) 01:17:54 0
ヤギが通った後は何にも残らない
161 :
世界@名無史さん :2005/06/21(火) 01:19:17 0
そうか
162 :
世界@名無史さん :2005/06/21(火) 01:31:59 0
>>159 てか蒙古だって長い年月を経て混じったり混じられたりしているのだから、当時の支那と親戚みたいなもんだべ。
ウイグルとは親戚感覚はあったろうけど震旦の輩には全くそんなのは 感じて無かったろう。大体言葉も風俗もまるで通じない。 十字軍はただの侵略者だが、モンゴルやテュルクはイスラムの庇護者でもある。 ペルシア語でモグールといえばモンゴルのことだが、これはムスリムとは名ばかりの 粗野なテュルク・モンゴル系の遊牧勢力をさす蔑称でもある。テュルク・モンゴルで ムスリムたることを自覚していた連中は系統によってウズベクとかチャガタイとか 言ったが。 イスラム圏でモンゴルを侵略者と見なしていたのは主にマムルーク朝だが、これは マムルーク朝側の一種のイデオローグの面がある。バフリー・マムルーク朝のスルターンや アミールを見れば殆どモンゴル人やテュルク人だったりするのはご愛敬か。
164 :
世界@名無史さん :2005/06/21(火) 07:37:11 0
>>162 小日本もモンゴルも朝鮮もみんな人民中国の子供達です。
みんなそろって中華ソビエト連邦に加入するのが幸福でしょう。
>>157-158 「文明世界を侵略した」のは中華、イスラム(その周縁部)=最先進地域においてであって
火薬も知らんヨーロッパごときがとやかくいうべきではないだろう。
ブーツ、火薬、挽肉料理伝えたのもモンゴルだし
>>165 中東ではフレグの征服以前から「中国の雪」が知られていたようだから
モンゴルと関係ないんじゃないの。
168 :
世界@名無史さん :2005/06/22(水) 05:34:56 0
ヒトラーは悪く言われてなんでナポレオンは英雄みたいに言われてるんだ? 意味分からん、欧州人って馬鹿なのか?ドイツ人も悔しくないのか!
169 :
世界@名無史さん :2005/06/22(水) 08:01:58 0
敗戦国はすべての罪を着せられるという歴史の常識
モンゴル軍がまるで歯が立たなかった謎の軍団 女は人間だが男は犬の姿でモンゴル軍が来ると犬男達は 川に入った後地面をゴロゴロ転がる。身体に氷がまとわりつき それを繰り返すと身体は氷の鎧に包まれる。 氷の鎧はモンゴルの矢も剣もはね返し多くのモンゴル兵が噛み殺され モンゴル軍は少数の女を奪って逃げ去った。 ジャン・ド・プラノ・カルピニ「モンゴル人の歴史」
171 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 17:45:27 0
モンゴル帝国を擁護したいならとりあえず杉山正明ぐらい読んでからきてくれ
172 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 21:29:00 0
その杉山さんって蒙古帝を見学した人なの?
伝説の犬男を探し出せばモンゴル軍は怖くないはず
174 :
世界@名無史さん :2005/06/23(木) 23:33:55 0
見て来たように話す歴史家を これまた自分も見て来たかのように話す人。 現代政治は楽だねえ〜
175 :
世界@名無史さん :2005/06/24(金) 17:36:50 0
>>172 「もはやモンゴルが史上最強とはいえない。モンゴルは陸を支配していたが
アメリカは海や空まで支配している」とかあとがきに書くナイスな学者だ。
とりあえず「遊牧民から見た世界史」がおすすめだ。
176 :
世界@名無史さん :2005/06/24(金) 17:47:07 0
アメリカも中国みたいなもんでしょ。支那・中原といったほうがいいかな。 とりあえず異民族が大量に流入して栄えた国というとこは一緒だよね。 白人が旧人種を滅ぼし、国を建てたのも、 いつかの中原が五胡十六国時代になって変わっていくのも似てる。 っていうか世界の国々なんてそんなもんか。
人種、文化的に複合国家だというのは事実だ が先住民を追い散らして建国したという部分は重ならない。
むしろ先住民を上手く利用して建国或いは発展したと言った方がいいかな 対金戦争なんか契丹族や漢族先鋒にしてるし。
179 :
世界@名無史さん :2005/06/25(土) 01:39:46 0
180 :
世界@名無史さん :2005/06/25(土) 02:58:17 0
モンゴルの重要な部分は内モンゴルとして中国に急襲サルトル
もっとヨーロッパ軍とのバトルについて語ってくれよ
>>182 だからモンゴルは漢民族だとでも言うのか?
中央ヨーロッパの連中=ドイツポーランドって火薬知らなかったし、井の中の蛙の日本兵みたいに 単騎突撃して戦ってたみたいだね。 で、集団戦法とるモンゴルにコテンパンに伸された。 ははっはは キエフ・ルーシ征服も相当ひどかったよう
ヨーロッパの騎士は単騎突撃なんかしないよ。 集団ごと突っ込んで全滅した。
>>186 馬に乗ってないやつを真っ先に殺して回ったんだってね
馬に乗ったやつらだけだと何もできなかったのがヨーロッパの騎士
188 :
世界@名無史さん :2005/06/28(火) 02:14:10 0
189 :
世界@名無史さん :2005/06/28(火) 02:16:29 0
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ >ー-"'" ⌒,,ィシヽミミiミミ 、 / 三彡彡彡ィ`、ミミミ`、 / シ彡彡彡彡ノ'ヽミミミ`、 ,' ,三彡彡彡彡彡ソ,ー--' l _ _ """'彡彡彡彡彡ノi {;、 ';;;='''"""` 彡彡彡 - 、ノノi kr) .ィェー 彡彡' r、ヽ}彡i レ' .. シ彡' )ァ' /彡' と思う吉宗であった {_,,,、 ;、 シ彡 ニンミミ{ l '''"::. 彡ミi ! ̄"` ...:::::::: ノ""{ l .......::::::::: / \_
蒙古覇極道!
192 :
かきつばた ◆O1SdlnknBs :2005/06/29(水) 01:20:09 0
使い手の名は、なぜか獄長ウイグル(プゲラッチョワラププ
大モンゴル帝国、これがなかったら 明、オスマントルコ、大航海時代も無かった。 今の世界ももっと違ったものになっていたろう。
共産党政権下のモンゴルで、虐殺された僧は2万人。 ロシア人が赤旗持って逆襲にやってきたわけだ。 モンゴルでは近年当時の遺骨がものすごい数掘り出されている。
195 :
世界@名無史さん :2005/07/01(金) 17:54:57 0
196 :
世界@名無史さん :2005/07/01(金) 18:05:37 0
チョイバルサンはモンゴル最高の英雄です。
197 :
世界@名無史さん :2005/07/01(金) 19:15:55 0
どうせなら、暗殺者教団だけでなく、イスラム教を徹底的に破壊して欲しかった。 こんなに中国がグダグダいうなら、中国は全部、牧草地にして欲しかった。
俺はイスラムなどに興味も恨みもないな。 西欧に侵攻していたら、どうなっていたのかを夢想することはよくある。 西欧近代もなかっただろうね。
199 :
世界@名無史さん :2005/07/02(土) 01:41:11 0
>>193 それをいったら古代の帝国は全てそうなるよ。
200 :
世界@名無史さん :2005/07/03(日) 19:54:02 0
200ゲット!
201 :
世界@名無史さん :2005/07/03(日) 21:20:18 0
202 :
世界@名無史さん :2005/07/04(月) 06:50:05 0
モンゴルも日本も支那と闘っておいて「中国」にならなかったから支那に恨まれてるんだろ? 特にモンゴルは皇帝まで出しておいて中国になってないから余計。
203 :
世界@名無史さん :2005/07/04(月) 14:38:43 0
>>202 朱元璋が元朝をモンゴルへ追い払った後に、モンゴル側から大勢が明へ投降してきたらしいが
これは元の臣民の中で、漢化したモンゴル人とモンゴル化した漢人が草原での生活に適応できなくて
仕方なく戻ってきたものらしい。
204 :
世界@名無史さん :2005/07/15(金) 17:37:24 0
モンゴル国に流入しつつある漢族も内蒙古モンゴル族を僭称
205 :
世界@名無史さん :2005/07/15(金) 20:47:14 0
しかしなんで蒙古といえば「レイプから始まってレイプに終わる」といわんばかりの 虐殺話ばっかなんだろ?
>>205 というかどんな本を読んできたらそんな知識になるのか聞きたい。
207 :
世界@名無史さん :2005/07/15(金) 22:45:08 0
すべての蒙古帝に関する本ってやれチンギスの母からしてレイプされて産んだ子だの、 誰々の嫁が奪われて孕まされただの、読むのがイヤになってくるような記述しかないじゃん。
208 :
世界@名無史さん :2005/07/16(土) 03:01:05 0
209 :
世界@名無史さん :2005/07/16(土) 18:11:48 0
>>207 レイプというかアブダクションの記述だな。
つーか「元朝秘史」を読んで、全体の中でそういう部分しか覚えてないなら、君の方に問題があるな。
210 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 19:56:25 0
世界史板に嫌韓スレが立たれると困る方いらっしゃいます? 「ウザイ!」じゃなくて「困る、都合が悪い」方々。 ぶっちゃけ、出自が日本人じゃないとか(笑) 前者は全く持ってスルーしますが(他の迷惑スレ糞スレに同じレスつけないから相手にしない) 後者は検討の余地がありそうですね。 なにしろ在日の推奨している人権法のキモは「在日韓国朝鮮の皆様が安心して閲覧できるサイト」をコンセプトに 運営する差別の無い友好的で偽善的なコミニュティを目指されているとかで。 そんなん歴史板でやられた日にはあなた、捏造と謝罪と賠償で火病なレスの連続ですよ。 そんなのは半島のネットでやってください。 日本人は自由な討論の場として2ちゃんねるを活用しているんですよ(笑) 「韓国スレがウザイだけなんだよ消せ!」という、ただ韓国を否定できない思考・環境にいる左巻連中は消えてください。 僕は彼ら半島の連中が歴史的にみて嘘とハッタリをかますのが大嫌いで、事実を指摘すると 「嫌韓厨は社会の迷惑」と問題をすりかえるその思考プロレスがまったくもってよくわからんのです。 僕の探究心は学問的態度としてごくごく妥当な思考ですが、彼らはまったくもって事実を提示すると てんでお話にならない。 モンゴルに関しての質問とソース発言にしてもそう。 事実を指摘すると、彼らが残虐でないと「困る」連中がいるんですよ。 日本ではモンゴルを撃退したから 冷静な判断ができるんですけど「あの国」の人たちは弱いから悪い国を守れないのが悪の時代に やれ野蛮だの残虐だのそしっているわけですよ(笑) バグダートで80万人虐殺(笑) 南京より60万人多い(笑) いや、まったく白髪三千丈の国や 息をするように嘘をつく「あの国」の討論水準とはまず「恨」や「怨」があって、事実は心象によってかえてしまうのが デフォのようです。 いやまったくこれは解せない。 奇奇怪怪という他は無い(笑)
蒙古族は強姦を趣味にしていた、とかいう説を最初に言い出したのってどこの国?
212 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 20:20:13 0
半島人
蒙古民族の顔って見てるだけでむかついてくるぜ、こんな顔した奴らがユーラシアを 荒らし回っていたのを想像すると恐ろしいぜ。 まだアングロサクソンに世界を握られている現代なんか本当に幸せだ。
214 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 21:45:32 0
フビライ主導の下にベルケとフレグが和解し、 バイバルスとミカエル・パレオロゴスを引きずり込んでいたら モンゴルは西欧制覇に成功しただろうか。
215 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 21:51:18 0
>>213 日本人の顔は蒙古民族にそっくりだけどな。
216 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 21:52:42 0
>>214 正直、当時の西欧は弱かったと思うよ。
モンゴルが本気出せば征服は簡単に出来たでしょ。
バイバルスは西欧侵攻を目して大艦隊を建造していたらしい。 実際マムルーク艦隊でキプロス遠征を敢行している。
218 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 22:34:32 0
>>215 ぜんぜんちがうよ・・・・・・・・・・気分悪くなるくらいブサイク。
あと、中央アジアのテュルク系諸民族も日本人と似てると言われてるけど、似てない。
219 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 23:01:27 0
キルギスのアカエフ大統領って日本人そっくり
220 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 23:02:08 0
221 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 23:04:23 0
そうか?日本人はモンゴロイド系民族の中で最も美しいと思うけどね。
222 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 23:04:53 0
>>210 ナニコレ? (笑)が多いのがキモイ。
チベットのおっさんは日本のおっさんと似てるな。
若い男や女はファッションが全然違うけどさ。
224 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 23:40:26 0
どんなファッション?
225 :
223 :2005/07/21(木) 23:53:21 0
いや、日本人はファッションとか髪型でそうと判るとか言われるでしょ? ただ、ランニングのシャツとかをだらしなく着てるチベットのおっさんと 家に居て似たような、油断したカッコしてる日本のオッサンは似てるよ。
226 :
世界@名無史さん :2005/07/22(金) 00:11:00 0
北方モンゴロイドは全部同じに見える。 中国人も韓国人もタイ人も日本人もモンゴル人も。
227 :
世界@名無史さん :2005/07/22(金) 00:13:07 0
今の中国の主席なんか日本のサラリーマンそのまんま。
いまモンゴルに住んでいる人と800年以上前に皇帝になった民族の容姿は同じなのか?
229 :
世界@名無史さん :2005/07/22(金) 00:40:20 0
で、誰が蒙古族はレイプが生きがいの虐殺の権化のように言い出したのですか? 元朝の後の明朝の歴史書ですか?
230 :
世界@名無史さん :2005/07/22(金) 09:23:18 0
半島人
>>229 ロシア人じゃないの?
>レイプというかアブダクションの記述
あの辺というかアジアの遊牧民はこういうの普通なのでは。厭だけど。
>>214 ベルケとフレグの軍隊が騎馬弓兵ばっかりなのがネックかな。
バトゥの遠征が途中で終わったのも大量の馬に食わせる糧秣がなかったから
だという説があるようだし。
直接のソースは多分ドーソンの邦訳の文章で、それをどっかで読んだ連中が 鬼の首をとったみたいに騒々しく喧伝してるのだろう。 取りあえずドーソンが述べてる『集史』の当該個所を見つけたが、 今はちと余裕がないので書くのは別の機会にしようかと思う。
234 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 05:30:54 0
韃靼人って蒙古のこと?
235 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 08:58:02 0
キプチャク汗国やその派生国家の人々は、モンゴロイドの顔だったの?
236 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 08:59:49 0
たとえばアストラハン汗国とかクリム汗国の住人って、朝青龍みたいな顔だったのかな?
237 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 09:32:12 0
リーグニッツの戦いとか、殲滅戦だものね。儀礼を重んずる中世の 騎士や領民は、破壊と殺戮の雲霞のごとき蒙古軍は恐怖だったに違 いない。 "我々は何者なのか・・・我々は何処へいくのか・・・" 某教会の壁に記された名も無き蒙古兵の落書き
>>235 庶民は今のトルコ共和国の住民みたいな感じだったかも。
モンゴルは母親の血筋も重視するので、少なくとも王族レベルでは濃いモンゴルの血が流れてたのでは?
239 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 11:24:15 0
>破壊と殺戮の雲霞のごとき蒙古軍 ってのは本当なの?例えばムダに兵力=国力を使いたくないからわざと残虐な話を 流布させ、無血開城という手ではなかったのかな?それにそんな後に自分が治めなければ ならなくなるような土地を荒地or盗賊が跳梁跋扈するようなスポイル戦をするかな? よく分からんけど。
>>231 略奪婚とレイプは必ずしもイコールではないんだけどね。
かけおちも略奪婚とみなされるし。
241 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 15:00:49 0
蒙古=レイプ好きの民族でFAなの?
242 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 15:13:40 0
ロシアに移住したカルムイク人が、いまでもコテコテのモンゴル顔なんだから、 キプチャク系の汗国の住民もずっとモンゴル顔だったんじゃないの?
>>242 ジョチ・ウルスの住民のほとんどはもともと非モンゴル系で
14世紀には公用語もキプチャクトルコ語になりましたが何か?
17世紀にやっと移住してきたカルムイクを例に持ち出されても。
>234
厳密に言えば違う。
「タタル」の初出がキョル=テギン碑文の三十姓タタル Otuz Tatar だろうというのはこの際端折って、
>『蒙韃備録』立国に「韃靼、始めて起きた地処は、起丹(契丹?)之西北である。その族は
>沙陀の別種から出ており、ゆえに歴代において聞くことはなかった。その種に三つある。
>曰く黒。曰く白。曰く生。いわゆる白韃靼は、顔貎やや細く、人となり恭謹にして孝。父母の
>喪に遇えば、すなわちその面をきり哭する……いま、成吉思皇帝および将相大臣みな黒韃靼である」
>とありました。ここで白韃靼がオングートかどうかわかりませんけれど、黒韃靼はモンゴルと
>いうことでしょう。
ttp://www.minajiri.com/tabula/gige/gige.html という↑のサイトの説明にも有るとおり、『蒙韃備録』や『黒韃事略』が編まれた1200年代前半の
金代や宋代では北方のテュルク・モンゴル系の遊牧勢力を「達坦」とかそれにちなんで「韃靼」などと
呼ばれていた。とくにモンゴル宮廷を見聞した『黒韃事略』では表題からしてそうだが、『蒙韃備録』
にもあるようにモンゴルを「黒韃靼」と表現している。
ちなみに本物のタタル部は、当時興安嶺西麓のフユンブイルの南から金朝国境まで展開していた
強大な部族集団で、『元朝秘史』ではチャガン、アルチ、ドタウト、アルクイの4氏族の名前が載り、
『集史』「タタル部族誌」によればトトカリウト、アルチ、チャガン、クイン、テレイト、バルクイの
6氏族を数える。(『秘史』『集史』ともに出る「チャガン」と「アルチ」はそれぞれモンゴル語で
「白」と「赤」を意味する)
245 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 16:20:59 0
よく知っているなあ・・・
>244の続き。 この大族は明昌7年(1196年)に金朝の右丞相、完顔襄によってオルズ河の戦いで敗滅した。 『元朝秘史』によれば、これに若いテムヂンとケレイト部族のトオリル・ハンやそれに呼応した キヤト・ジュルキン氏のサチャ・ベキとタイチュ兄弟らが王京丞相完顔襄の金軍に同盟してこれを 撃破し、族民は彼らに分配されるところとなったことが載せられている。この時テムヂンとトオリルが 共にタタル部族長メグジン・セウルトゥを討ち取る大功を得たのために、完顔襄よりテムヂンには 「ジャウト・クリ」の称号が、トオリルには「王」号が賜与され以後「オン・ハン(ワン・ハン)」と 称されるようになった。 この時完顔襄は「武勲を九つの峰のある石壁に書き付けた」とされ、長らくこの碑文の所在が 不明だったが、1991年に加藤晋平氏によって女真文字碑文と漢字碑文の二種が発見され、 その内容も解読されてこの年オルズ河の戦い(『元朝秘史』では「ウルジャ河の戦い」)の起った 年時が碑文から「明昌七年六月」とのことが明らかになった。 どこで聞いたのか忘れたが、元々「タタル」というのはテュルク・モンゴル系では「自分たちとはまた別の余所の 連中」ほどの意味で、「カザフ」と同じく「塞外、境域の民」ほどの意味だったらしい。 そのためホラズムシャー朝はこの東方から勃興したモンゴルを「タタル」と呼んだために、シリアや エジプトなど当時まだモンゴルの傘下に含まれなかった西アジアの地域では、その後もアラビア語文献で もっぱらモンゴルのことを「タタル」と呼んだらしい。このため欧州でも「タタル」や訛って「タルタロス」 と呼ばれることになる。
一方ペルシア語が主要言語だったイラン・中央アジアといった東方イスラム世界では、ほぼ全土が モンゴルの傘下に降ったため、「モンゴル」のペルシア語訛音である「モグール、ムグール」が使われた。 そのためモンゴル全体に対して「タタル」という名称は使われない。この地域では「タタル」といえば チンギス・ハン家の姻族でモンゴル帝国の各政権を支えた中核部族である上記のタタル部族の余裔たちを 指した。そのためグユク・ハンの即位に立ち会ったプラノ=カルピニのヨハネス修道士ら欧州の使者たちは モンゴル側から「我々は『モンゴル』であって『タタル』とはその内の一部族の名称である」との指摘を 受けている。 ロシアのタタルスタン共和国の「タタル」は「タタル部族」のタタルではなくて、「塞外、境域の民」の 意味の方の「タタル」ではないか、という説があったような気がするが自信がない。(汗 ちなみにチンギス・ハン勃興後は主にチャガンタタル、トトカリウトタタル、クインタタルの3氏族が チンギス・ハン家を支える姻族としてキュレゲンやハトゥンたちを大量に輩出し、コンギラト、ケレイト、 スルドスなどの他の名族と並ぶモンゴル帝国を代表する中核部族として権勢を誇った。
248 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 16:45:29 0
明ではモンゴル人を指すのに「蒙古」では元朝を連想させるので「韃靼」にしたとか何かで読んだが
249 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 18:53:45 0
ポロディンの韃靼人の踊りってどの民族を指したんだろ?世界史板の碩学よ、答えてくれ。
>>249 あれは本当は「ポロヴェツ人の踊り」だ。
日本人にわかりやすいように「韃靼」にしたの。
イーゴリ公が俘虜になった時の話と関係あるの?
>>251 というか「イーゴリ公軍記」を元にしたオペラでしょ?
253 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 19:30:16 0
現代ロシアのカルムイク人は自分をオイラト人だと思ってるの?中国や蒙古国のオイラトを同胞だと思ってるの?
>229,>230,>240 参考になるか知れないけど、>233で少し触れたドーソンの情報の元ネタになった 『集史』の記述についてちょっと書いてみる。そんなに長い内容でもないのだが、 ドーソンはそこそこ端折っている。これは、 「チンギス・ハン紀第三部;称讃すべき性格と品行、彼の選ばれた習慣と各々の時期の ために言い命じた良い金言と言葉とビリクと命令の数々、及び先の二つの部に入らなかった ものについて良く知られたことで各々の人物や各々の本から散乱し整理されなかったために 単独で書かれてしまった彼の治世中に生じた逸話と出来事について」
255 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 20:36:42 0
というやたらと長い題名の一章に出てくる逸話集の最後のエピソードなのだが、 面倒なので訳をそのまま載せてみる。必要そうな箇所は()で補った。 「次に曰く。チンギス・ハンがある日、諸将の首長であったボオルチュ・ノヤンに 「男子の快楽とジルガミシュ(=テュルク語で「快楽」の意味。同義語反復の例)は何であるか?」 と尋ねた。ボオルチュが曰くに、 「男子のそれ(快楽)とはこれであります。すなわち、己の色の紺青なる鷹をその肩に食い込ませ (ペルシア語で鷹を肩にのせることをこのように言う)、冬には羽毛を生えさせ、取り巻きの全てを 手にとり(?)、太らせた良い去勢した速く静かに走る馬に跨がり、春の緑には紺青なる頭の鳥ども (ワシタカの類いか)で狩猟し、立派な衣と衣服を着ることです」 チンギス・ハンはボログル(ボロウル)にも言った。 「汝もまた言え」 ボロウルが曰くに、 「男子のジルガミシュとはこれであります。すなわちソンコル(白ハヤブサ)に似た動物どもを 灰色の鶴の上に飛ばし、それらのカギヅメの傷によって空から落ちて捕らえるまで(行うこと)です」 そしてその後ドゥラダイ、クビライにも尋ねたが、「男子のジルガミシュは狩猟と動物を飛ばすことです」 と言った。 その時チンギス・ハンが仰せられることには、 「汝らは良しとすることを言わなかった。(=自分の望みに適うことを言わなかった) 男子の快楽とジルガミシュとはこれである。すなわち謀叛人を粉砕し、敵に勝利を納め、 彼を根こそぎに覆滅し、その持てる物を征服することである。そして彼らのボグタクを 持てる者(既婚女性のこと)たちをの眼を涙ぐませ、彼(女)らの鼻の面の上に涙を流させ、 彼らの尻の太った態度の良好な去勢馬どもに跨がり、彼らの見目の麗しいハトゥンたちの腹と 臍に眠りと寝床の衣服を設け(着させる?)、彼(女)らのバラ色の頬を見ながら口付けし、 彼女らの砂糖のナツメ木色の(ペルシア語で恋人の唇を指す詩的な言い方)唇を吸うことである」 『イスラームの民のうえに平安あれ』
256 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 20:38:49 0
ここでのボオルチュとは、モンゴル帝国の勲臣第一等アルラト部族のボオルチュ・ノヤンのこと。 チンギス・ハンの青年時代から幕僚となった帝国の最古参のひとり。 ボログルとは、幼少時代ジュルキン部族から拾われてチンギス・ハンの養子となった、ムカリ、 ボオルチュ、チラウン・バアトルと並ぶチンギス・ハン四傑(ドルベン・キュルウド)のひとり ボロウルのこと。 ドゥラダイは主要な勲臣のひとりだとは思うが、特定はできなかった クビライとはジェベ、ジュルメ、スブタイらとともに勇名を馳せた、チンギス・ハン麾下の四狗 (ドルベン・ノガイ)のひとりクビライ・ノヤンのこと。 いづれも帝国の筆頭と呼ぶべき名のある勲臣たちだが、そのどれもが鷹狩りをあげていることから 当時モンゴルの人士の内では鷹狩りによる狩猟が最大の娯楽だったことがわかる。要は鷹狩りなどの 遊技を「男子の快楽」とすべきでなく、征戦による武功とそれにより馬匹と子女とを獲得しこれを 愛でるこそ「男子の快楽=本懐」たるを心せよとのことだと見るのが穏当だろう。 ボオルチュが自分の去勢馬を〜というところを、対してチンギスは征戦によって獲得した敵の去勢馬を 駆ることにこそ上とすべきと述べているが、これによってもとくに良好な去勢馬が珍重されていたことが 見て取れる。
257 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 20:42:43 0
ボオルチュが自分の去勢馬を〜というところを、対してチンギスは征戦によって獲得した敵の去勢馬を 駆ることにこそ上とすべきと述べているが、これによってもとくに良好な去勢馬が珍重されていたことが 見て取れる。 さて、肝心の「陵辱・レイプ」問題だが、チンギスの言葉それ自体からはそれらしい文言は出ていない。 チンギスが「男子の快楽」として述べた文言の内容は、1)敵対者に対する征戦とこれの撃滅すること、 2)それによる敵対者の財物を制圧すること、3)敵対者のハトゥンたちを獲得してこれを愛でること、 である。 婦人達に涙を流させることが「陵辱」の見ることもできそうだが、財物の征服と良好な去勢馬を駆ること の間に述べらおり、テュルク・モンゴル系の遊牧諸族では家産の管理を各家の婦人たちが担っていたので これはむしろ敵対者家族の財物を容赦なく制圧し、もう少し穿ってみれば虜囚として家族が分散されこと で「婦人達の涙を流させる」ということではないかと思われる。 さらに最後の部分だが、「ハトゥン」とは「ハン」の女性形、「妃」とか「王妃」に類するような 王侯貴族の婦人や子女のこと。ようするに「妃、姫君」のような高貴な女性たちのこと。 「砂糖のナツメ木色の唇」とか「バラ色の頬」とかいった表現はペルシア語文学のロマンスものでも 頻繁にでてくる表現で、「バラ色の頬」などは『元朝秘史』でも似た表現がある。 つまりここでは、敵対勢力から勝利して獲得した姫君を飽くまで「愛でること」が主眼となる。 同盟者や敵対者の頭目からその子女を獲得することはモンゴルに限らず日本でも欧州でも中世期では 一般的だったので、ここではチンギス・ハンが何か特殊なことを言ったわけでもなければ、強姦らしい ことを奨励したわけでもないと見てとったほうが妥当だろう。もっとも中世には君主が有力勢力の子女を 妻君や側室として獲得することは一般的だったし、これと睦むことが強姦だと言うのであれば別だが。
258 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 20:46:28 0
>254-257の結論からすると、 チンギス・ハンは、敵対者を征戦によって打倒しその家産を略奪しその后妃・姫君を愛でる ことこそ男子の快楽とは述べてはいるが、婦女子を陵辱し蹂躙することこそが快楽、などとは 全く言っていない。
259 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 21:29:54 0
長文での回答、ありがたく存じ上げます。 >彼女らの砂糖のナツメ木色の(ペルシア語で恋人の唇を指す詩的な言い方)唇を吸うことである ここでの唇=女陰の隠喩だと意図的に解釈されたような感じですね。 やはり後々統治しなければならない土地を荒らすなんてことは、普通に考えたら ありえませんもんね。 ・・・このような流言で誰が利益を得たのだろう?
>258 もちろん女陰を表す隠喩もペルシア文学の世界ではあるのだが、 わざわざ「砂糖の」と形容して言ってることからも分かるように、 ここでは単純に口唇同士による接吻を典型的な詩的表現で表している。 ちなみに女陰の隠喩は、日本の好色・恋愛文学にも見られるような、バラの花や 蕾で形容したりしている。無論そんなドギツイ隠喩表現はここでは出てこないし、 そもそも『集史』のペルシア語は、テュルク語モンゴル語の簡単な形容をそのまま ペルシア語に翻訳して載せてる場合が多いので、ロマンス文学のように回りくどい 隠喩や形容は用いられていない。大体文言通りに解釈して差し支えない。
261 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 23:11:13 0
モンゴル軍が史上最強の強姦集団であったことは言うまでもない。
262 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 23:12:12 0
スーフリの和田とチンギスはどことなく風貌が似ている。 スーフリの最強版がモンゴル軍だと。
>231,>258 せっかくレスを貰ったのでもう少し書くと、 ソ連が中央アジアを再征服する段階で、当時の風潮として工業>農業>畜産業という 産業形態の階級わけをする考えがあった。それからすると土地を転々として牧畜地が 定まらない(というふうに欧州・ロシアの人間には見えた)遊牧民は、未開野蛮の 輩でこれを文明の光で啓蒙開化することが欧州文明、ひいては社会主義の責務である と信じられていた。 つまり遊牧民が多くの家畜を季節移動していた土地を大規模に開発して広大な農耕地帯を 建設することがその土地の最も効率的な使用法と考えられていた。 しかし現在では、中央アジアの土壌は良質ではあるが、大規模に耕作すると表土が薄く、 あっというまに養分が枯渇し砂漠化が進展するため、常に家畜を移動させることによって 牧地の使用休眠のサイクルが安定している遊牧形態のほうが、中央アジアの土地利用には むしろ適している、と環境学サイドから指摘がされている。
これは中国でも事情が同じで、現在新疆や内モンゴルで工業開発や農地開発が盛んだが、 これを推進するにあたって遊牧は前近代的な遅れた生産形態で、農業や工業開発こそが 生活安定化に繋がると喧伝されている。実際には過剰開発で今は生産がのびているが、 やがて近い将来に中国本土内陸部と同じに沃土が枯渇し急速に砂漠化するのではと懸念されている。 チンギス・ハンはじめ遊牧民への蔑視は無論歴史的に明代からやモンゴル政権に組みさなかった勢力など モンゴル政権に成り変わって政権を掌握したような勢力によって流布されたものや、欧州が世界進出する にあたって、自画礼讃の逆としてそれまでの既存勢力を貶める言説を流布した傾向のものもまたある。 ソ連時代にモンゴルなどでは現地の族祖として崇められていたチンギス・ハンが、「ロシアを苦しめた 蛮族の頭目」として歴史から抹殺されていたのは有名なはなし。 それとはまた別に近現代の国家が工業化、農地拡大にあたって既存の遊牧政権の象徴としての チンギス・ハンを歴史的な実像として捉えず中傷するためだけに喧伝された部分も多いのではと思える。
正直なところ、当時の史料を見る限り略奪や殺戮についての記述であれば、それこそ どこそこの都市では何百万人も殺されたとか信じられないような数字が飛び交うのだが、 強姦とか婦女暴行とかの記述はあまり出てこない。 虜囚が男と婦女子に振り分けられ、男は殲滅されたり補助軍として徴発されたりし、 婦女子は隷民として遠征軍傘下の諸部族に分配されたり奴隷として売却されたりと いう記事は頻繁に出てくる。 無論、婦女暴行の記述がないわけではない。しかしその場合はモンゴル勃興時代の 部族同士の戦争だったり、支配地域で政権の統制がとれず無政府状態でモンゴル軍民が 野盗化して定住民の村落を略奪したりするような場面でないと出てこないように感じられる。 遠征中の行動では反抗した勢力に対して殺戮や略奪が行われるのが常だが、敵勢力への報復と 討滅としての殺戮と、戦利品の獲得とその分配のための略奪とか強奪を迅速に行われるのが 「殺戮と略奪」の主眼なので、勝手に強姦などと定住民的な悠長なことをやっていて良い状況とは 個人的には思えない。 略奪とはそもそも遠征軍を指揮している将帥によって、参戦した軍士に公平に分与されることを 大前提としていた。野盗化しているならともかく、遠征軍として組織されている状況で、一軍民が 勝手に戦利品の一部である婦女子を手込めにしてしまっては、略奪品の集計に時間がかかり、また 分配の公平性にかかわるからだ。戦利品の分配の公平性についてはその軍の将帥の資質に関わる問題で、 これはペルシア語文献での史書では特に重要とされて、縷々戦時には述べられているものでもある。
フレグの遠征などで中央アジア、イランの諸都市が降伏したり陥落したりしているが、はじめ守備軍が 抗戦しのちに住民側が降伏したときは一旦全住民を都市から全部だしてのちの収税のために人口統計をとり、 空になった都市で軍が略奪を行っている。上述のように抗戦しても虜囚は男と婦女子に振り分けられ、 男は場合によっては虐殺または補助軍として遠征軍に徴発、婦女子は隷民として遠征軍に参加した 諸部族に分配され、あるいは奴隷として売却されたされるのが常であったことが記載されている。 勿論抵抗して略奪と虐殺の対象となった都市もあったが、中央アジア、イラン、シリアの諸都市では 反抗するか帰順するかは半々くらいで、しかも住民虐殺までに至った都市は征服した地域の2割も行くか 知れない状況。しかもそこでの文言はやはり報復としての「殺戮と略奪」が主眼であって「強姦」の 言葉は見えない。「恐らくあったのだろう」的推量はできるかも知れないが、史料的裏づけは難しい ように思える。 アラビア語文献でのモンゴル遠征について現地の情報であれば、それなりに説得力があるが、 混乱した中央アジアから伝え聞いた情報などであったらソース的にどこまで信用したら良いのか 注意が必要だろう。 ロシアの『ガリーチ=ヴォイニ年代記』などの同時代的な史料であれば傾聴に値するだろうが、 後世の伝聞でモンゴルが語られる場合でもやはり最悪眉唾ものと覚悟して史料をみる必要もあろう。
そんなわけで長々となってしまったが、 「モンゴル=殺戮&略奪」という図式はまあ実際そう書いてあるので不思議ではないと 納得は行くのだが、最近世界史板で流行ってるような「モンゴル=強姦」というのは、 史料的に眼にする場合がほとんどない、ひどく今風の勇み足が過ぎる見解だなと 首を傾げてしまう。 あるいは欧州のほかの同時代の、例えばバトゥの遠征を受けた地域の年代記にそのような 記述があるのであれば、それはそれで別の問題だろうけども。
むかし、プレスター・ジョン王の伝説を扱ってたNHKの番組のなかでは 侵攻して来たモンゴル軍が白人の少女達を窒息死するまで複数で犯しまくったり 馬と交接させて出血死させた様を描いた絵画(木に縛り付けた娘に馬を嗾けている) と、それについての記録から引用したナレーションがあった。 まぁ、伝聞なのかも知れんけど。
269 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 08:28:09 0
なんか旧日本軍と重なる部分があるね。あるいは殷の中央とかさ。 ようは負けた勢力って本当に真実がいえないんだね。 戦争がなくならないわけだ。
欧米にはそういう黄禍論的なファンタジーが伝統的にあるけどね。 戦前のアメリカでも「日本軍がロサンゼルスに上陸してハリウッド女優とやりまくり」 みたいな小説がパルプ雑誌によく載ってたから(w
271 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 14:08:44 0
>>267 敵の女を奪うのが楽しみなんて言うほど女好きなやつが強姦しない訳ないだろ!このボケッ!
あの時代にせっかく捕まえた女をタダで手放すとでも思うのか?戦利品だぞ、一般兵士どもにとってはそれが給料みたいなもんだしな
むしろ、強姦するぐらいしか楽しみなんか無かったろう
273 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 15:15:03 0
強姦はモンゴルの文化の一つだったんだろ
不細工はおとなしくしてりゃあいいんだよ>豚鼻モンゴル
275 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 18:31:11 0
>>268 >モンゴル軍が白人の少女達を窒息死するまで複数で犯しまくったり
見てみたいでつ(;´Д`)ハァハァ
どうでもいいが、長文コピペうざい
今はマッチョな白人・黒人兵士にロリ系の可愛い日本の少女が沖縄でレイプや 性的暴行を受けているけどな。
278 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 19:42:37 0
しょうがねえじゃん。マゾ国家なんだからよw
>271はすごい平和ボケだな
>>268 十数年前に放映した「大モンゴル」のことかと思うが、
> 侵攻して来たモンゴル軍が白人の少女達を窒息死するまで複数で犯しまくったり
とかいう部分は出てたろうか? 例の「モンゴル・タタールの軛」でダルガチが
ルーシ諸国の定住民に酷税を課して支払い不能ならば子女を売り払ってでも完納
させたって話は出てたが。
> 馬と交接させて出血死させた様を描いた絵画(木に縛り付けた娘に馬を嗾けている)
あれは武士と騎士スレの、前スレあたりで少し出てきたイングランドのマシュー・パリス
年代記の挿し絵らしいと聞いたことがある。その時の説明ではあの挿し絵は、裸にした
虜囚に暴れ馬をけしかけて「蹂躙、轢殺」している場面だと聞いたことがある。
あと別の部分にモンゴル人が虜囚や死体を串刺しにしたり火焙りにして食べた話も
出てきてるが、勿論モンゴルに人肉食の習慣はないのでやはり眉に唾つけて見る類いの
情報だろうと目されている。
>275
長文打ってると途中でブラウザが落ちることがよくあるので、最近は別に打ち出してから
コピペしないとかきこ出来ない。
最近、誰が言い出したか知れないが、どっから引用したのか分からぬあやふやな情報を
何とかの一つ覚えよろしくモンゴル、チンギス・ハン=レイプだ強姦だと世界史板で
ことあるごとに書きまくってる輩に、正直辟易していたので取りあえず学問板らしい
対応してもよさそうに思えたので長々と書くことにした。
物としては「ハンガリーはフン族のガリアの意味だ」的な俗説っぽい内容なので
この際、文献的に分かっていることといないことの峻別くらいはしても良さそうに思えたし。
まあ、分量の割に別段真新しいことは言ってないので、軽く流してくれい。
281 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 21:43:52 0
とりあえず、>279が馬鹿ってことはよくわかった
>>273 別段言うまでもないことだが、プラノ=カルピニのヨハネス修道士や『集史』など
同時代の記述によると、「チンギス・ハンのヤサ」ではモンゴル人で不倫や強姦が発覚した
場合、余程の人物でない限り例外無しに死刑に処すべしと定められていたそうだ。
略奪婚とレイプの境界線がよく分からない。
284 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 21:54:49 0
やっぱり戦勝側の淫棒か!!
>282 自分もそんな峻別ができてるわけではないが、前近代だったら 相手を妻君、側室など「一族郎党のひとり」に加える場合が「略奪婚」 それっきりで使い捨てだったら「強姦」の類いか、と思えるがこれは さすがに社会学の人に聞かないと何とも。
ハネムーンも略奪婚の風習がもとだってどっかネット上で読んだ。
>>285 というかそれだと女側の一族と話がつけば不起訴みたいな感じか?
288 :
世界@名無史さん :2005/07/24(日) 23:15:21 0
和漢ですか?
平均的な出会いってどんなだ? ・・・・やっぱ、目を付けた娘を攫って押し倒して既成事実化 というよな略奪?しか思い浮かばん。
290 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 00:13:36 0
友好的な部族・氏族同士→親同士の話し合いで結婚 敵対的な部族・異民族→女をさらってきて強引に既成事実を作る(つまり略奪婚) というような使い分けがもともとあったんではないかと思うが、どうだろう。
291 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 00:52:53 0
当時だと戦争で負ければ財産と若い女性を奪われるのは当然だと思われてるから、 特別に「略奪」とは認識してなかったんじゃ?
292 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 01:01:50 0
国際社会なんかない時代だぜ、モンゴルに限らず何処の国でもやってたろ ましてはモンゴルなんか女はブスばっかだったろうから ロシアや東欧の女なんか最高の戦利品だったろうね まあ、モンゴルは他の国に比べても強姦好きだったようだけど
293 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 01:28:38 0
だからモンゴルは女を略奪しただけで、強姦はしてません。
294 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 02:23:15 0
>292関係ないが漏れは白人はダメだなあ・・・
>292 美的センスを白人にレイプされちゃった人ハケーン
>>290 > 友好的な部族・氏族同士→親同士の話し合いで結婚
> 敵対的な部族・異民族→女をさらってきて強引に既成事実を作る(つまり略奪婚)
ああ、やはりそっちの方が正解かな。よくモンゴルの略奪婚の例に挙げられてる
テムヂンの父イェスゲイ・バアトルが、メルキト族へ娶られる途中だったオルクヌウト氏族の
姫君ホエルンを兄弟打ち揃ってこれを略奪する話があるけど、これには事情がある。
これはオルクヌウト初めコンギラト部族全体が、イェスゲイを初めとするキヤト・モンゴル
部族全体にとって元々姻族かつ同盟部族だったのを、この時メルキト部族のイェケ・チレドゥ
が横車を通して近隣のオルクヌウト氏族との婚姻を介しコンギラト部族全体を吸収する先鞭に
しようと計っていたらしい。
これにイェスゲイの兄ネクン・タイシら危機感を抱き、兄弟でコンギラト全体との同盟・姻族
関係を死守するためこれを実力で「奪還」したというのが真相らしい。
これによってコンギラト部族との既得権益は守られ、また当時まだ兄弟で婚儀のなかった
イェスゲイがホエルンを娶ることになった。
しかし、この事件でキヤト・モンゴルとメルキト部族との関係は決定的に悪化して紛争が頻発し、
ついにはイェスゲイはメルキト部民から毒を盛られて謀殺されることになったのは有名。
だから、イェスゲイの場合もやはり一般にイメージされるような「略奪婚」とは些か違うか。
>>296 の補足。
ちなみにイェスゲイとホエルンの場合も、テムヂンと許嫁だったボルテの場合も
ちゃんと婚礼を上げている。(ボルテもホエルンと同じオルクヌウト氏族の出身
だったことは『秘史』に「母方(ナガチュナル)のオルクヌウト」と出てくる)
第2正妃クランもメルキト族討滅のどさくさを何とかやり過ごして無事チンギスの
もとに嫁いだが、これも宿将ナヤアの機転でメルキト部族長のひとりダイル・ウスンに
より子女クランの奉献を受けて娶ることになったので、これも略奪婚ではない。
これによって父の代から宿敵のひとつであったメルキト部族がチンギス・ハン王家にとって
コンギラトやケレイト部族に次ぐ家格をもつ姻族・中核部族となる嚆矢となった。
>>296 >「奪還」したというのが真相
初めて聞いた。どういう資料?
299 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 22:26:09 0
>296それだと略奪ではなくて政治ですね。 やっぱりそんなに簡単に言われるようなことは起きないと思うんだ。 民心の獲得も大事なんだし。
300 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 23:19:05 0
屠城300回目
301 :
世界@名無史さん :2005/07/26(火) 00:32:24 0
モンゴルのような無法地帯では強姦くらい当たり前だろ。 殺されないだけありがたく思えって感じじゃないの
>>297 今は亡き村上正二先生の名著、『モンゴル秘史』の脚注で先生が
族祖伝承から遡ってコンギラト部族とキヤト・モンゴル氏族との関係性を
検証して「略奪婚」云々についても少し意見を述べておられる。
当時のキヤト・モンゴルの取り巻く政治状況については
本田実信博士の十三翼についての研究や、白石典之先生による
最近のモンゴル本土における考古学的な検証も傾聴すべきところ。
>>298 モンゴルはつい最近まで氏族レベルの政治単位が高原全体の政治動向を左右して
いた典型的な部族社会・氏族社会で、のほほんとしてるようでその裏では
厳格な規範・習俗と権謀術数が渦巻く世界だったことは、念頭に置くべきだろうと思う。
(厳格な規定の部分はそれこそ〜をやったら即死刑みたいのは結構あるが、それ以外は
狩りか遠征に出てるか常時酒でもかっ食らってるかみたいな印象が無くは無いというか)
ただ、歴史的にモンゴルでは嫡子も養子も分け隔てなく平等に育てるのが原則だったから
そこらへんは他の定住社会の部族社会とは若干違うところか。ただ後継問題とかになると
時と場合によって年長者で選ぶか母方の家格の高下によって選ぶか問題になることもあったようだが。
303 :
世界@名無史さん :2005/07/26(火) 21:54:17 0
モンゴルの部族争いは暴走族の抗争をより大規模に残虐にした感じじゃないかな。 そんな中で女の権利なんか保障されるわけ無いよ。
304 :
世界@名無史さん :2005/07/26(火) 21:55:56 0
そういう連中が世界を征服していったんだから、世界はモンゴルの野蛮さに驚いた。 その残虐さや獰猛性はイスラムや西欧に完全なカルチャーショックを与えたようだ。
305 :
世界@名無史さん :2005/07/26(火) 21:57:13 0
女はまた開いていればいいと考えるのがモンゴル人か。 少子化に悩む日本で彼らを強姦無罪の特権与えれば あっというまにアイノコワラワラできることは半島で証明ずみw
逆に「女性は財産」扱いなので無駄に殺されることはないと言う見方も出来るがな。
307 :
世界@名無史さん :2005/07/26(火) 23:58:36 0
日本語話せる力士が書き込みでもしてんのかモンゴル擁護多過ぎ
308 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 00:09:31 0
女性は物、というより穴。 これがモンゴルの現代まで受け継がれる伝統的な女性観。 物に人権なんか認められない。 レイプ?人間じゃないんだから罪になるわけ無い
309 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 01:56:35 0
310 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 07:02:19 0
なんかチャンコロ沸いてない?
中国では悲惨なケースがやまほどありましたがな。
312 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 12:45:28 0
「中国」なんてその時代時代でどうにでも変化するんで、紛らわしい使い方をしないでくれよ。
313 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 13:25:49 0
>>1 当時はそれが標準だろ
豊臣秀吉だって朝鮮出兵で現地人の鼻と耳殺ぎ落としただろ
314 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 14:13:04 0
よお!313の在日工作員くんいつになったら国にかえるんだw
315 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 14:14:49 0
ここはチョソも沸くのかよw
316 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 14:18:07 0
そりゃあちょうせんじんは朝青龍に非礼な事をしてキムチ野郎と怒鳴られているんだから モンゴル人に含むもの多いんだろ。まったくやつらときたら世界史とみれば真実の追究で なく捏造の探求となるんだからすむ世界がちかうよな
>>313 オイオイ。戦果確認の為に戦場で敵兵の死体の一部をとっていくのは別に
残酷でも何でもないだろw
318 :
313 :2005/07/27(水) 14:39:15 0
生粋の日本人なんだけど 別に朝鮮に肩持ってるわけじゃないし 俺が言いたいのは、昔は残虐行為はどこでもあったってこと。 それが普通。 生贄だってあったし、敵国の人間に非道の限りを尽くすのは昔は当たり前ってこと。 誰でも知っている秀吉の話を例に挙げただけ 別にウガンダのアミンの話を出しても良いけどぽまえら知らないだろ? カルタゴの話しても良いけど知らなんだろ? ぽまえらYAHOOの検索じゃないんだから、朝鮮がらみのキーワード出てきただけで自動的に在日にすんなよ
>>318 >誰でも知っている秀吉の話
在日かどうかはともかくお前がその話の中身を全然知らない事は分かった。
320 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 14:46:40 0
昔は残虐行為はどこでもあって「普通」のことだったとしたら、 それは残虐行為とはいえないのでは?
321 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 14:50:21 0
>>313 戦死体から「首を取る」のは日本を含め世界中で当たり前の事
だったがそれを「残虐行為」と言うかね?
当時の日本では首は重いので次第に鼻や耳で代用するように
なっていっただけなのだが。
朝鮮人なんて糞でも舐めてろ
324 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 15:07:15 0
だから日本人だって
>>323 ぽまえの文笑えるぞ
ぽまえらは残虐であるか普通であるかが気になるのか?
殺される側からすればどんなことだって残虐だし、傍観者から見ればどうでもよいことだろう
哲学板で議論すれば?
部屋にこもって他にすることないのか?
325 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 15:29:32 0
>>322 一応釣られてやるけど、鼻と耳を削ぎ落としたのは戦死者だけじゃなくて生きてる住民からも削ぎ落としたこと知ってるよな?
くどいようだが俺は生粋の日本人だw
326 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 16:18:51 0
生粋の日本人ですがと話し出す奴はザバニーズときまっとる
>>325 無知丸出しな馬鹿に教えてやるが生きてる人間から鼻を削ぐのは中国の刑罰だw
328 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 17:57:28 0
だよな。 日本軍の悪行に目をつぶすとか鼻を殺ぐとか妊婦の腹を裂いて赤子を出すとか その手の蛮行とされているものは国民党兵士の所業を責任転嫁させたのと そっくり。
>生きてる住民からも削ぎ落としたこと知ってるよな? そんな手間のかかる事を誰が何の目的でするんだよw
330 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 18:02:12 0
>>327 あのな、お前とどちらが無知かを論ずる気は無いんだが日本でもあるぞ
何で中国だけの専売特許なんだ!?
当時は知的所有権など無かったはずだがw
331 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 18:03:39 0
>>329 そんな手間のかかる事までしなくてはならない事情を知らないのか?
戦果報告の為にやるんだから、住民のを取ってきたら戦果が水増しに なって困るのは日本軍の方だろうが(何しろそれに合わせて恩賞払う んだからな)。 馬鹿はこれだから困る。
>>331 自称「生粋の日本人」君の脳内にだけはその「事情」とやらが存在する様子。
>>307 朝青龍は内モンゴルの出だかモンゴル国の出だか忘れたが、
モンゴル国の出身だったら昔話以上のことは知らない可能性が高い。
社会主義時代にチンギス・ハン家や主要な部族長家がことごとく抹殺されたせいで
社会主義化以前の歴史を知る人間は大学で古典史料を眼にできるほんの一握りの
学者だけだったらしい。90年代の民主化で中国側や日本での研究、各地の寺院に辛うじて
保存されていた仏教史関係の史料から歴史を再構築してるらしいが、チンギス・ハンの
名前が昔語りにちらほら出てくる以上のことは一般的にはモンゴル帝国史などほとんど
知られてないそうだ。現在はどうなってるのか・・・
内モンゴルは少数民族政策のあって制限はあったものの一応アルタン・ハーン伝のような
仏教史の関係から説き起こされているようだが、コンセプトはやはり「中国人・中華民族の
英雄としてのチンギス・ハーン像、モンゴル像、元朝像」で語られてきたらしい。
これは噂以上には知らない。
日本のモンゴル研究は戦前の満州における満州族・モンゴル族についての多角的な研究から 出発している。勿論当時の日本や満州国の国策が陰に陽に関わっているが、戦後もこれに携わって いた人やその弟子達が精力的に研究を続けてきたおかげでモンゴルやアルタイ学についての 言語学、文献学、歴史学などの研究蓄積は世界屈指のレベルを誇っている。 (これは日本における北アジア研究が戦後もあまり政治的障害を蒙らなかったことが原因) 日本の場合、これに本田実信博士が先鞭をつけたペルシア語文献学からのアプローチによって、 漢文資料やアルタン・ハーン時代以降に作られた仏教史関連のモンゴル語資料とは別の系統の ペルシア語による同時代資料へのアクセスが可能になった。本田博士はペルシア語資料と漢文資料 両方の精査によって文献学的にチンギス・ハンの時代や後代のイルハン朝時代の研究に不朽の業績を 残されたが、これによって博士はバルトリドの中央アジア文献学の潮流を受け継ぐかたちで 超言語資料的な「モンゴル帝国時代史」という分野を開拓された。しかし現在、漢文資料やモンゴル語、 チベット語資料に基づく従来の東洋史と、アラビア語ペルシア語を根本資料とするイスラーム史・ 中央アジア史を包括した「モンゴル帝国時代史」研究は途上であり、東西の資料を駆使した研究が 望まれるが語学修得の壁はやはり大きく、今後の研究者の育成がネックとなっている。
336 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 21:38:04 0
>>334 朝青龍ら角界の蒙古系力士らが元使塚に参っていることぐらい知ってから
書き込め。
彼らは日本語の読み書きを苦にしないし(週刊アスキーを読んでいた事のある人ならこの辺わかるはず)
彼らがネットでモンゴル語や日本語でチャットしているのも有名な話、歴史探訪も趣味のひとつなのに
知らないという事はない。
歴史よむしろ内蒙古の文献の方が彼らには「わからない」という事を力士たちが証言している。
従来のキリル文字からモンゴル文字に切り替えると10年以上前から方針を打ち出しているけども
朝青龍ですらモンゴル文字での自分の名前すら日本でのモンゴルイベントに足を運ぶまで知らなかったと
語っている。
337 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 21:41:45 0
>>334 ちなみに日本にいる力士はすべてモンゴル国の出身。
338 :
世界@名無史さん :2005/07/27(水) 21:45:26 0
ちなみにモンゴル出身力士たちの勉強家ぶりは安置でもない限り相撲板の住民ややかつての週刊アスキーの連載を見たこと ある人なら納得いくはず。
339 :
世界@名無史さん :2005/07/28(木) 11:43:17 0
てかなんで内モンゴルって中国化されてんだろ?中共が戦後のどさくさにまぎれて 分捕ったんだっけ?
清の時代にはモンゴル全土が清に征服されていたんだよ。
>>340 満州族の首長が中華皇帝とモンゴルのハーンを兼任してただけ。
漢民族がモンゴルを征服した訳ではない。
342 :
世界@名無史さん :2005/07/28(木) 15:22:31 0
>>303 そんな世界でレイプなんかしたら
女の親族に襲撃されて凄惨なリンチで殺されるよ(w
>>342 モンゴルではそうやって敵対部族と争うのが普通の日常だったわけだが。
>343 過去ログ嫁。
345 :
世界@名無史さん :2005/07/28(木) 22:54:26 0
モンゴルが世界を制覇できたのはその凶悪な野蛮さと戦闘を繰り返し続けた経験値にある。 つまりモンゴル高原での覇権争いは日常的な殺戮と略奪(女、家畜)が横行する無法地帯。 その世界で鍛えられ続けたモンゴル族が農民主体の農耕民族を圧倒したのは当たり前である。 モンゴル民族は純粋な戦闘民族だった。 サイヤ人と地球人が戦えば勝敗は明かである。 戦闘民族の野蛮なる風習がイスラムやキリストに衝撃を与えたのは当たり前である。
>336 それはNHKあたりでニュースになったが、それだけでは何とも。 数年前の大河ドラマでも元
347 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 10:41:12 0
>>345 騎馬戦術による機動力が勢力範囲を広げられた要因だろ
相手が準備する間もなく攻め入るから侵略できた
ナチスドイツ軍の電撃作戦による超短期決戦が成功したのと同じ原理
時代によらず勝敗はスピードが勝負
残虐さは関係無い
なぜなら戦に負ければ残虐だろうが何だろうが関係無い
戦に勝つことが先決
残虐さと言うのはその後に付いてくるもの
それとモンゴル人は地球人だ
>>347 それともう一つ騎馬遊牧民は家畜と同行することで長大な補給線を
造らなくて済むというのもモンゴル軍の強さの一つ。
あと柔軟に征服地の軍事技術を吸収し「諸兵連合部隊」を形成できた
のも大きい。
某S先生が怒り狂いそうなスレだなw
350 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 14:35:05 0
蒙古を過剰に悪役扱いしたのってスターリンのころのソ連じゃなかった? 中共の日本たたきと同じような構図って聞いたんだけど。
そもそも、前近代の征服戦争において人間を収奪するのは当然だろう? 一般兵士にとって、略奪による富こそが戦争参加のモチベーション。 また、略奪した物資を現金化するため、征服戦争には必ず商人集団がついて回った。 もちろん、収奪した人間も、奴隷として現金化された。 その際、女であれば現金化する前に味見したくなるのは男の性。 気に入れば奴隷として自分の傍に置くこともあった。
352 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 16:38:41 0
>>350 おかげで日本以上に自虐教育が徹底していて、
「モンゴル人はユーラシア中で殺戮行為をしてきたから
世界中で嫌われている」と思いこまされているらしい。
まともなモンゴル史教育もされていないから、モンゴル帝国
時代の出来事は彼らは何も知らない。中国でも同様、ていうか
むしろ「モンゴル帝国=中華民族の一員蒙古族の王朝」という
認識だけ。欧米では「侵略者=モンゴル」という図式が強い。
だからそういう制約が一切ない日本のモンゴル学はレベル高いよ。
353 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 16:58:29 0
モンゴルはユーラシアを席巻したけど、 欧米は世界を侵略したのに侵略者扱いじゃないんだよな。
>>349 正直、S様はもう研究者としては終わった人だから、
怒らせておけばいいんじゃね?w
356 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 17:36:54 0
S様とは杉山正明のことですか?
>>347 ホラズムは一応迎撃体制を整えようとしたし(兵を分散させたので負けたが)
ハンガリーのベーラ4世はかなり前からモンゴルの侵攻を予期していた。
モンゴルも戦争の前に降伏をすすめる文書を送ったりしてる。
>>348 バトゥやフレグの遠征軍が撤退したのは大量の家畜に食わせる糧秣が
不足したからという説もあるらしい。良し悪しだろう。
358 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 19:41:54 0
age
>杉山正明 ゴルゴ13の名前の由来はペルシャ語の「ゴルグ(狼)」だと思っていたという人ですね。
仮にオゴタイが病死しなかったら、モンゴル軍は容易にイベリア半島まで 到達して全欧州を支配していただろう。 そしてあらゆる宗派のキリスト教を保護したのでルターの宗教改革も 異端審問も無かっただろう。 誰かが言っていた。
>>360 荒らしまわるなら可能かも知れないがヨーロッパ統一は無理。
その根拠は? 当時の分裂状態のヨーロッパじゃモンゴルには勝てないと思うが。
363 :
世界@名無史さん :2005/07/29(金) 22:44:28 0
当時の欧州は弱小なので、モンゴルによる侵略は可能。 統一的な勢力を作ることは出来たと思う。 ただし、反乱続出で元よりも早く崩壊しそうだが。
>>357 ホラズムがちゃんとした迎撃体制を取れず兵を分散して各個撃破されたのは
王の実母のカンクリ族を始めとする諸部族の謀反の危険性があったことや、
各部族が戦利品の期待できる侵略には乗り気でも、防衛戦にはまるで興味が
無かった事などが原因であり、最初からモンゴルと戦える状態では無かった
のに喧嘩を売ったのがそもそもも間違い。
少なくともアラーウッディーンは広大な領土を獲得し、ホラズムに絶頂期を
迎えさせた実績のある人物だったはずなのに、こういう馬鹿な真似をしてその
王朝をあっという間に滅ぼしてしまったのは甚だ不可解だ。
365 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 00:24:11 0
>>347 スピードは大事な要素なんだが、それが全てではない
ドイツ軍は伝統的な包囲殲滅理論では複数の敵に対抗出来ない為に
第一次大戦に開発された浸透戦術を自動車化して、電撃戦の祖形を作った
電撃戦のポイントは速度*質量の前者を最大化して、敵の弱点を志向し
敵野戦軍の捕捉壊滅を図るところにある
しかし大戦後半、赤軍は意図的に自軍陣地に弱点を設営し、そこにドイツ軍を
誘引して、火力の集中によりその戦力を破砕する事に成功した
この為、ドイツ軍は遂に速度の優位を喪失し、その後は量の勝負となった
要するに、戦さに万能薬や万能戦術はない
モンゴル軍は情報収集能力が抜群で、ハンガリー侵攻の前には、軍事密偵が
乗り込んできた事が当時の記録に残っている
襄陽攻囲戦を中核とする第二次宋攻撃の時は、完全な正攻法で、スピードだけ
では中国全土の征服が不可能である事を完全に学習していた
また騎馬民族の特徴である出処進退の自由を、攻勢防御の域に高めていた
「全てに効く処方箋は無い」これを知っていた事がモンゴルの強みだと思う
366 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 00:30:43 O
邪魔
367 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 00:41:50 0
長文読解力の無いお子ちゃまは寝てなさい
368 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 01:50:52 0
実際にロシアにはコマロワみたいなのがゴロゴロいるんだぜ? 強姦したくもなるよ、レイプしなくても俺だったら連れ去るな、で自分の嫁にする あの時代のモンゴル兵になりたい
369 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 09:12:22 0
白人なんてきもくて抱けませんがなにか?
370 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 09:17:12 0
「胡水満腹」という言葉が高麗時代にあったよね 確かホスマンポと発音したと思うのだが、「胡」はモンゴル兵 「水」は精液、「満腹」は女が妊娠した状態を表す この造語が出来るほど、強制的に妊娠させられ、混血児を出産せざる を得なかった女が大量発生した 遺伝子レベルの研究で知っての通り、強姦輪姦時は妊娠の可能性が 高いから、やはり状況証拠としてはかっての旧日軍と同じ体質を 一部持っていたと判断できるのではないかと思う もっとも軍隊本体の能力では到底比較にならぬほどモンゴルが上手だし、 そもそも倫理観を6世紀も隔てて比較されたらモンゴルの強姦野郎の方が 怒るかもしれんな(笑
クマー
>>347 >それとモンゴル人は地球人だ
たとえもわからんのか…馬鹿みたい
脳みそ冷やして来い
モンゴル兵は残虐かどうかはともかく比較的冷酷ではあったんじゃないか
374 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 10:57:55 0
>>347 >それとモンゴル人は地球人だ
いっきにしらけた
>>347 ってまさか
>>345 が本気でモンゴルを宇宙人だと思ってると勘違いするほどのアホなの?
>>347 はもう少し柔軟に物事を考えた方がいいよ。恥かくから
376 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 11:51:30 0
ギャグに決まってるじゃん
377 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 11:52:13 0
ギャグにしてはつまらんね 寒い寒い
? ?. ?? ?? ???? ???? ?????????????? ????????????????? ????????????????? ????????????????? ????????????????? ??????????????? ???????????? ??????????????? ????????????????? ????????????????? これを見ると今年の受験に落ちます。 これを今から1時間以内に3回他スレにコピペすれば100%、受かります。 貼らないと 落 ち ま す
>>363 ヨーロッパの大陸部分を支配下に収めようとするならドイツかフランスあたりに
大規模な牧草地がないと難しいと思う。
イルハン朝がイランの農耕地帯を支配していたのもアゼルバイジャンとホラーサーンの
牧草地を拠点にしていたからだった。
それにひきかえ金帳汗国はポーランドすら支配できなかった。
380 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 12:56:01 0
>>373 ビンゴ! モンゴル軍は被征服地の住民を家畜として扱った
羊毛が必要なら、その生命は保全するし、肉が必要なら処分した
家畜に対しては残虐ではなく、クールに対応したというのが真相
だと思う、思うに文化的伝統だね
ただ戦闘が長引くと、女を犯しまくった可能性は高い
そこはやはり男の弱点
モンゴルは攻城戦の時、占領地の住民を軍の前に出して盾として扱った。 モンゴルの侵略に各地の都市が次々と陥落していったもそのためである。
>>382 お前がモンゴル擁護の馬鹿だという事は分かったから黙ってくれる?
おまえに説明しているわけではないんで。
論理じゃなくて話が飛んでるのか。 ロシアやホラズムの都市を次々と陥落させられたのは キタイから連れてきた攻城戦技術者の存在が大きい。
385 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 14:38:22 0
>>382 無謀なほど飛躍はしてないと思う
モンゴル中軍を温存するのに、人間の盾は役立ったし
自国の哀れな住民が駆り立ててられて、梯子で城壁に登ってくるのを
見た防戦側兵士の矛先が最初は鈍っただろう事は当然推測可能だし
それらしい記録を読んだ覚えもある(in中国)
ただ、激戦になれば逆上した防戦側兵士が情け容赦なく自国住民を
屠戮したのも間違いないだろう(inホラズム)
モンゴル軍大殺戮の噂に怯えて戦意が既に萎えていた城郭都市には
人間の盾は間違いなく役立ったと思う
てゆうか田中芳樹の本で文天祥の奴があるけどアレの中でバヤンが屠城しているよね。 たしか出典も明記していたし、奴は一応学習院の院卒のはず
387 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 15:08:05 O
ここレス長っ!
>>386 「元は南宋を無傷で手に入れたっていってる人いるけど一回虐殺やってるんですよ」
って強調してるけど、あの部分は杉山正明を意識してるね(w
>>387 この板来たの初めてだな?
389 :
[387] :2005/07/30(土) 15:55:11 O
モジモジ‥
wつけた所で虐殺には違いないわな。
391 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 17:51:18 0
だから冷静に考えろよ。もともと騎馬民族で攻城戦には向いてない兵種が、 城門を開かす場合、どうするか? それはやっぱり残虐なうわさを流し、場内で意見分裂やら内部崩壊、士気の低下を 狙うだろ。 それに行く先々でなんで虐殺を思いのままにやる必要があるんだ? そんなことしたら、統治どころか、民心を離れさせ、むやみに戦が長引き、 その間に他国や他民族に侵略されるだろ。 島国で平和ボケでアカくさい日本人は戦略オンチなんだよ。 だから中共の幼稚なプロパガンダ「歴史の反省」だとかに容易にだまされるんだよ。
http://www.educ.cc.keio.ac.jp/~te04811/page1-1-1-11.htm ドーソンの「蒙古史」によれば、両公子は乱戦のさなか戦死し(ガーリチ=ヴォルニィ年代記によれば、フセヴォロドは
まだ若かったので命が惜しくなり、バトゥの元へわずかな手勢とともに投降したが切り殺されたとのことです。)、
民衆や大公妃、貴族や僧侶達は教会内に避難しました。モンゴル軍は教会の扉を破って乱入して中にいた全員を殺害したのち、
聖具室に立てこもった大公妃および貴族達に身の安全を保障し投降を薦めました。
しかし人々はこれを受け入れなかったため、モンゴル軍は教会に火を放ち、聖堂ごと彼らを火中へ葬り去りました。
わずか6日間ののちウラジーミルは陥落したことになります。
(略)
コゼリスクの住民は血刀を振るって戦いましたが、いよいよ最期のとき来るを知るや、民会でモンゴル本陣への決死攻撃を決定、
最後まで残った戦闘員が市から打って出て突撃を開始し、破城槌を破壊、モンゴル人の諸隊を攻撃しました。もちろん部隊は全滅し、
町を占領したバトゥは少年から乳飲み子まで容赦なく殺害します。戦いの後、バトゥはヴァシーリーの死体を捜させましたが、
遺体が多すぎて発見できなかったといいます。
394 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 18:14:53 O
項羽 ‥
395 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 14:27:16 0
モルゴール
モンゴル擁護したいヤシはとりあえず杉山正明読んでこい! 以上!
397 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 16:23:55 0
宗教の勧誘ですか?
398 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 19:52:58 0
世界はモンゴルのせいで地獄を見た。 征服には地獄がつきもの。 アレキサンダーもティムールもナポレオンもヒトラーも地獄を作り出した。 世界最大規模の征服活動を行ったモンゴルが、史上空前の地獄を作り出したのも当たり前。 しかもモンゴル人は遊牧民なので農耕民に対する容赦のない殺戮を行った。 ナチスの対ソ戦に匹敵する大量虐殺を世界各地で行った。
399 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 20:56:14 0
>>398 殺戮は殺戮なので弁護の余地などないが、一番非道いのはティムール
ではないかと思う
「ローマ帝国衰亡史」の中でギボンが「彼の存在は疫病であった」と
断じているのに素直に賛成、政治的感覚と継承意識の無い破壊は最低だ
400 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 21:53:02 0
いたる所で首塚を築く過程で、ティムールの兵士達の精神状態は 狂気に近いものになった事は容易に想像が出来る 「血に酔ったティムール軍」などと陳舜臣先生に書かれちゃうしw
うわ。そんな軍隊恐怖だな
402 :
世界@名無史さん :2005/08/02(火) 22:04:59 0
ティムールは崇拝していたチンギスハンの真似をしていただけだよ
403 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 00:35:36 0
チンギスハンが攻め込んだ国々はまさに異邦、文化も体制も宗教も バラバラで、そこに恐怖の噂と現実をばらまくのは、手段として 或る程度理解可能 ティムールはジハード気取りをしていたにもかかわらず、イスラムという 共通項があり、文化的にも或る程度近似した諸国家を攻め滅ぼし、不要な 残虐行為を行っているように見える、よって理解困難
404 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 12:23:08 0
そのティムールだって、チンギスハンの子孫なんでしょ? いやはや恐ろしい血ですな モンゴルは圧倒的な強さで残忍な性格な上に強姦好きだから始末に負えない しかも不細工ばかりと来るから、犯される女性もたまったもんじゃないよな
405 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 15:58:35 0
ティムールが実はチンギス裔じゃないってのは有名な話。 オゴタイ家のソユルガトミシュなどを傀儡のハーンにして 自分はただ「アミール・ティムール・キュレゲン」と名乗ってた。 彼の子孫たちは「スルタン」「シャー」などの称号を用いた。
406 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 16:01:53 0
チンギスハンの邪悪なる遺伝子は危険だ。 麻原のような異常者ばかりに違いない
407 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 16:02:50 0
スーフリの和田はチンギスハンの遺伝子を引き継いでいそうだ。 どことなく顔も似ている
409 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 16:07:53 0
戦国自衛隊という作品があるが、逆に現代にチンギスハンとその軍隊がタイムスリップするなんていう作品も見てみたいな。、 チンギスハンがどんな悪逆非道な事を現代において行うのか想像するのも楽しい
410 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 16:08:52 0
おそらくレイプサークルを作ることだけは間違いない
>>408 チンギスン・ハンと同時代を生きたシリアの歴史家イブン・アル=アシールは
チンギス・ハンの風貌を碧眼らしいことを言ってらしいのが唯一の例。
ただし、遠方からのおどろおどろしい伝聞の類いなので、黒船来航時に伝聞のみで
描かれたペリー提督の想像的な肖像同様あまり当てにならない。
ほかに『元朝秘史』にもいくつか容貌について出てくるが、これは北アジアや
仏教圏でよく見られる君主や聖人の「賢明さ、聡明さ」を表す慣用的表現なので
これも決め手に欠ける。
要するに歴史上の人物の多くがそうであるようにどんな容貌だったかは良く分からない。
412 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 20:52:24 0
>>404 >しかも不細工ばかりと来るから
いや不細工なのはどうでもよくて、いずこの国の兵隊も汚れ放題のところにきて
水にあまり親しまず、入浴の習慣がないのに、あの気候の中で厚手の服を着て
汗と垢まみれで口臭の酷い男にのしかかられたら・・・貞節観念がどれだけ
現代とは相違するとはいえ、命が助かってもトラウマだったろう
あの突き刺すような陽光の中で、陽に焼けたことのない生白い身体が全裸に
引き剥かれたのかもと思うと・・勃たんわw
どうでもいいが、「厚手の服」があわない気候で「あの突き刺すような陽光の中」で 女が「陽に焼けたことのない生白い身体」っていったい地球上のどこやねんw
>>411 イブン・バトゥータなんか「呪われたティンギースはもともと貧しい鍛冶屋だった」
とか訳のわからないこと書いてるしな。
おそらくテムジン→鉄→鍛冶屋みたいな連想ゲームがあったのか。
415 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 00:02:52 0
「厚手の服」はモンゴル兵 「陽に焼けたことのない生白い身体」は、「あの突き刺すような陽光の中」 で紫外線から身を守る知恵とイスラムの戒律のミックスを守る地元の女 って、妄想だからどうでもいいなw
>>414 キプチャク草原のテュルク・モンゴル系の諸族の間では早い時期から
「テムヂン」を「テムルヂ」と訛って伝承されていたところがあったらしい。
「temur(鉄)-ji(人)」とは「鉄(に関わる職掌の)人」の意味で、
つまりテュルク・モンゴル語で「鍛冶師」のことを指す。
北アジアの古くからの習俗では、鉄から刀剣や鉄鏃を生み出す鍛冶師は
祭祀、神職、巫覡の徒が担っていたもので神聖な職掌と見られていたと
考えられている。
その種の伝承がイドリースィーなどの北方関係の記事に載せられている
そうだが、イブン・バットゥータの場合は既存のイスラム側の北方関係の
情報とキプチャク草原での伝承を習合してると目されているとか。
417 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 12:14:27 0
>>412 犯されるだけなら(それだけでも地獄だと思うが)ともかく
そんな酷男に連れ去られて、無理矢理嫁にさせられて子供まで孕まされたらマジで地獄だろうな・・・
しかも、普通にこういうことは日常茶飯事だったんだろうね・・・
ロシアや東欧の美しい女性がこういうことされたのかと思うと・・・
自分だったら嫁や娘が目の前でこんなことされたら二度と立ち直れない気がする
418 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 12:33:17 0
だからモンゴル軍にとって女は穴だったんだよ。穴。
まぁ、最近100年くらいになるまでは、キリスト教でも 女には魂が存在しない、つまり、人間として認識されてなかったしな。 そんなもんだってことさ。
420 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 19:18:41 0
イブンファドラーンもモンゴルは恐ろしい野蛮な蛮族と言ってたしね
421 :
世界@名無史さん :2005/08/04(木) 21:35:27 0
同時代の人間でモンゴルを評価しているのってマルコポーロくらいじゃないの?
>>416 モンゴル族の祖先が鉄の山に閉じ込められて、ふいごで鉄を溶かして脱出したという伝説が
「集史」に書いてあるようだけど、それとは何か関係あります?
423 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 00:43:19 0
ここで蒙古残虐説を布教しているのはスターリン崇拝者?
>>422 多分関係あるのではないかと言われている。
例のウチュケン山から巨大なふいごで山塊を溶かして現世に出たという伝承は、
突厥時代から伝わる北アジアで広く流布していた古い神話で、モンゴルだけで
無くオグズや金朝などでも同様の族祖の起源神話を伝えている。
『集史』や『元朝秘史』の族祖神話は、狼が祖先だったという神獣起源説や
月光感生起源説、さらにはウチュケン山の溶解伝承と族祖神話のパターンを
一通り上げているが、これらの伝承はこの後も『オグズ・ナーメ』などの
文学にも広く影響を与えている。
中央アジアでの冶金技術の歴史は紀元前2000年代にまで遡るが、
鍛冶や火にまつわる禁忌や聖別についても王権や祭祀にかかわるものも
少なからずあるので、その文脈から鍛冶=王の権威と結びつく場合もあるとか。
もとより鍛冶=武器の製造→軍事力なのでそれもあるのだろうと。
425 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 01:33:52 0
>>423 残虐ではなくて、家畜を扱うようにクールなんだと思うが
誰も興味ないみたいw
>>422 今一つ思い出したが、白石典之先生が非常に面白い指摘をしていて、
キヤト・モンゴル族をはじめとして、モンゴル高原一帯の諸族は
支配地域に必ず鉄山を持っていたようだ。
テムヂンがメルキトやケレイト、ナイマンの諸族を圧倒して高原統一を
一気に押し進めた1203-4年は、東方のコンギラト部族や陰山方面の
オングート族との同盟を勝ち得た時期だった。
特にオングートの支配していた陰山山脈は現在でも優秀な鉄資源の産地で、
1207年までの短期間に強大なキルギスやコリ=トマトなどを征服できたのも、
この陰山の鉄を入手できたからだ、というようなことを述べておられる。
ケレイトはハンガイ山地、ナイマンはアルタイ山脈、キルギスはケムケムジュート、
現在のノボクズネツクの鉄鉱山を抱えていた。モンゴルの高原統一とは一面、
高原全体の鉄資源の争奪戦の側面があったという説は、非常に傾聴すべきと思った次第。
427 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 01:39:40 0
モンゴル大虐殺とヨーロッパ大虐殺は両方とも人気だな
428 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 01:43:50 0
共産主義大虐殺も人気だよ
アメリカ原住民やアフリカ人の方々のことも、少しは思い出してあげてください…
430 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 02:39:42 0
>>429 あの時代でモンゴルvsアングロサクソンを見てみたい
アングロの傲慢な態度を見る限り、モンゴルが勝ったらメチャクチャにされそうだが・・・
>>424 >>426 d
「モンゴル帝国史の考古学的研究」図書館にあったんで読んでみました。
メルキトやキルギスが製鉄で有名だったと以前何かで読んだけど地図をみて納得。
キルギスやバルグトって強大だったんですか。ジョチに掃討されたイメージしかないけど。
432 :
世界@名無史さん :2005/08/05(金) 21:41:24 0
433 :
世界@名無史さん :2005/08/06(土) 23:54:49 0
強姦伝説
>>431 コリ・トマトorバルグトは殆ど歴史の登場することはなかったが、
キルギスは、遊牧ウイグルを南方に追いやって一時期高原を支配したが、
ほどなく契丹に逐われてモンゴル高原の西隅に住むようになったのは
良く知られている通り。
南に隣接したカルルクはやがてカラハン朝が出現し、西遼が勃興したが
チンギス・ハンの勃興まで勢力を保っていた。キルギスも高原の西辺境だった
ということもあろうが、遼や金の盛衰やその後のモンゴル高原の群雄割拠にも
関わらずその勢力は保持していた。自分としてはキルギスやカルルクは圧倒的
とまでは言えないものの、高原全体からすればかなりの勢力だったと思う。
「征服」と書いたが、『元朝秘史』ではジュチ率いる遠征軍に対して、キルギスの
ノヤン(首長)たちであるイェディ・イナル、アルディエル、オレベクディギンらが
貢ぎ物をもって帰順してきた、と出てくる。『集史』では「"イル"になるために来たった」
とまで書かれていることからも、征服戦や掃討戦は行われていない。
なので「征服」と書いたのは誤りだった。
「モンゴルの征服」というと圧倒的軍事力で周辺諸族を力ずくで征服していった感があるが、
戦争になる前に、まず帰順や同盟のための使者(これが"イルチ")が送られ、これを当該の
勢力が受け入れたりして帰順や同盟、あるいはそれに反発して戦闘になるのが普通だった。
圧倒的な軍事力で〜というのも勿論あるが、やはりモンゴルも一個の政治組織であるので、
戦争以外で帰順や同盟の例となる、先のオングートやウイグル王国、カルルク、オイラトや
キルギスといった勢力の存在もやはり念頭に置くべきだと思った次第。
>>434 また質問で申し訳ないですが、イルとウルスに意味の違いってありますか?
>>435 これもよく知られてることとは思うが、
イル "il" はテュルク語で「くに、人民」の意味で、
これに対応するモンゴル語がウルス "ulus" になる。
『元朝秘史』の直訳体漢文訳註では、原文の「兀魯思(ulus-)」を
「百姓、百姓毎、国」と書いているので「人々」やその人々の集団
としての「国」と解することができる。
『集史』ではペルシア語文で頻繁に使われる同義語反復の一例として、
"il va ulus"、"ulus va lashkar"、"lashkar va il" などの表現がよく出てくる。
「ラシュキャル」"lashkar" とはペルシア語で「軍、兵団」の意味だが、つまり
「ウルス」や「イル」はペルシア語での「軍団、兵団」と意味的に近いと当時の
中央アジア・イランでは認識されていたことがわかる。
("va"はアラビア語のペルシア語形で英語の"and"(〜と…)と同じ意味と解してかまわない)
北アジア、中央アジアの遊牧政権では遊牧部族の人民の集団は武装することによって 即軍事単位となった。『元朝秘史』では「ウルス・イルゲン(ulus irge[n])」で「百姓毎」、 つまり「国民(くにたみ)」などという表現があるが、護雅夫先生によれば 「《ウルス》は自然成長的な基礎的社会集団ではなくて一エジェン ejen (君長)の下に 人為的にまとめ合わされたところの《百姓》――イルゲン――の集団、つまり《国民》《国》 なのである」と解釈しておられる。 これは>436に書いた『集史』で"ulus"が"lashkar"の同義語とされた背景を端的に説明している。 「エル」ないし「イル」/el/〜/il/ は突厥時代から確認できる最も 基本的なテュルク語の語彙だが、この「イル」という単語が人々の集団や その延長としての「くに」とする意味は通時代的な概念だったと言える。 結論からすると、「ウルス」は「イル」の近似の言語間での同義語の類いで 意味の違いは無いと考えて差し支えない。今のところ両者に決定的な意味的差異が 存在していたという傍証は見つかっていない。現代中国語と日本語で普通名詞の 「国家or國家」という単語に意味上の差異はまず無いのと同じレベルことと考えて 良いかと思う。 "ulus" という単語自体は純粋なテュルク・モンゴル語ではなく突厥時代にソグド語か何かに 由来するらしいという問題はとりあえず置くとする。
>>436-437 ulus va lashkarというのは現代英語のHordeのニュアンスに通じて面白いですね。
モンゴル支配下の漢地で軍戸制がしかれた理由に、漢人への徴兵の負担が大きかったというのがあるようですが
それまでは壮丁がすべて戦闘員になる遊牧民型のシステムで徴兵してたんでしょうか。
ロシアやイランの農耕民からの徴兵など詳しく知らないのでよく分からんですが・・・
>>438 中世史での他の地域でほとんどがそうであるように、イスラム世界での
歩兵軍の実体も、実はあまり良く分かっていない。元朝史についてはよく
知らないので何ともだが、イランについては部分ながらある程度の情報が残っている。
『集史』「ガザン・ハン紀」第25章によれば、ガザン・ハンはジュチ家、チャガタイ家、
オゴタイ家との度重なる戦争に対して、モンゴル軍とタジク軍によりホラーサーン、ファールス、
ケルマーン、バグダード、ディヤールバクル、ルーム、そしてダルバンドといった王国全土の
境域全体の防衛の増強する計画を実施したという。
そこで山岳のような峡谷や狭隘な地域に対しては、被服を施したタジク軍を歩兵軍(ピヤーデ)として
任命配備し、これらの辺境守備軍全てを千戸、百戸ごとに編成して被服とイクターを賜与したことが
述べられている。
>439の続き。 本田實信博士の研究によれば、14世紀半ばに編纂されたイルハン朝後期の財政史料のひとつ、 "Risala-yi Falakiya"にモンゴル軍とタジク軍に支払われたイクターの金額を記載されている ことを述べておられる。 それによればイルハン朝の首都タブリーズ地区の支出3,288,000ディーナール中、軍人への イクターは750,000ディーナール、つまり支出全体の約23%に相当した。 この内タジク軍への支出は200,000ディーナール(以下DN)。 スルターニーヤ城の1,000人には100,000DN、アリンジャク城の700人には35,000DN、 カフカハ城の600人には60,000DN、アラタグ城の500人には20,000DN。 主に城塞守備についた人員について書かれているが、別の項目ではホラーサーン方面軍の タジク軍部隊についても人数はわからないが50,000DNが支出されたことが出てくる。 1人あたり100DNだったり50DNだったりするが、これは同地タブリーズに配備された モンゴル軍の1万戸に支給された一人当りの支給額と同等かそれ以上の金額に相当する。
タジク軍の配備についての説明でチンギス・ハンの西征の時期に投入された部隊のことを 述べた部分が出てくるが、これは降伏した中央アジアの都市住民の男子を歩兵軍として再編し、 各地の攻城戦などに投入したジュワイニーや『集史』の他の記事に依っている。 タジク軍による騎兵部隊があったかどうかは定かでは無い。状況から考えると、タジク軍は 境域での定住・駐屯を目的とした定地守備の歩兵軍だけだったように思える。 チンギス・ハンの時代は征服地域の定住民が強制的に挑発され歩兵軍に転用されたが、これら イルハン朝時代のタジク軍がどのような基準なりで歩兵軍として編成されたかは分からなかった。 このあたりのことはドーソンの『モンゴル帝国史』第6巻で少し触れられているので一読される ことをお勧めしたい。 ちなみに英語の"horde"はモンゴル語のオルド"ordo"(斡(舌)児朶:「宮室、宮」)に由来して いたりするが、「オルド・ゲル」などといい「ゲル」が普通のテントの家屋の意味に対して 「オルド」は君主の「宮廷」、后妃が統括する「後宮」の類いで、まさに「幕府」に相当する という話しは有名なところか。
>>441 6巻で触れられてるのは第9章の「辺境防衛」でしょうか。
前半の「ガーザーンは各軍戸に命じ」というのはたぶん千戸や万戸に属する
トルコ・モンゴル遊牧民のことですね。
辺境防衛のタジク兵については「それらの地は歩兵によって防衛される」
などと書いていながら「これらのペルシア人を歩兵・騎兵の百戸軍、
千戸軍に編成し」とも書いてあるんでよく分からんですね。
元朝の漢人なんかは弓矢や馬の使用を制限されてたとか聞きますが・・・
イルハン朝のイクターはアゼルバイジャンとホラーサーンの遊牧地に
多かったようですが、やはりトルコ・モンゴル系遊牧民の人口も
それらに集中してたんでしょうか。
ムザッファル朝の戦争についての記述を読むと「ファールスの2千騎と
ルリスタンの1万騎を率いてアゼルバイジャンに攻め込んだ」とか
書いてありますが、そういう地方の軍隊はどういう民族構成だったのか
非常に気になるところですね。
クルト朝なんかも兵隊が全員グール族って訳でもないだろうし・・・
443 :
世界@名無史さん :2005/08/13(土) 22:36:31 0
モンゴル文字はどこから来たのですか・アラビア文字に近いですか?
444 :
世界@名無史さん :2005/08/15(月) 00:19:38 0
ここはモンゴルの大虐殺について語るスレです。 関係ないスレは控えてください
445 :
世界@名無史さん :2005/08/15(月) 11:31:49 0
てかロシアのスターリンや支那の赤化、そしてモンゴル自体の赤化と かつての大帝国元帝の誹謗中傷ってぜってぇ繋がってるよ。 一応自由主義陣営の日本ですら、過去の帝国主義で自虐だぜ? 共産圏の帝国の非難ってもっとすごいんじゃないか?
チンギスはモンゴルの英雄ですが?
447 :
世界@名無史さん :2005/08/15(月) 15:56:53 0
社会主義だった時代も英雄なのか?
表向きは駄目だけど、民間伝承で語り継がれたんでしょ。
>>442 個人的に色々と思うところのある内容だったのであれこれ調べていたらつい
間が空いてしまった。申し訳ない。
さて、その「辺境防衛」の項目で
ドーソンは確かに「これらのペルシア人を歩兵・騎兵の百戸軍、千戸軍に編成し」云々
と書いているが、『集史』本文では「タジク人を歩兵と騎兵に〜」という直接的は表現は
しておらず、文脈的に百戸と千戸に編成された「騎兵(サヴァール)」と「歩兵(ピヤーデ)」
とはモンゴル軍とタジク軍両方をあわせたもののようにも受け取れそうに、個人的には思えた。
当時の中央アジア方面は『元朝秘史』や「イェスンゲ功碑文」にもあるように、「サルタグル」
とよばれその住民はイラン系・テュルク系をとわず「サルタグタイ」と呼ばれていた。
もしも『集史』などの「タジク」がイラン系・テュルク系を含めた「サルタグタイ」の同義語と
して使われていたのであれば、また「騎兵と歩兵」の問題もまた違った意味を持つことになる
だろう。が、『集史』ではテュルク系の部族は「トゥルカーン」とかアラビア語風に「アトラーク」
などと呼んでいるので、恐らく単純に「イラン系の定住民」などの意味で「タジク」と呼んでいた
と見て間違い無いだろう。
>449の続き。 アッラーンやアゼルバイジャン地方、バグダードの方面には歴代のイルハン朝下の 有力部将たちのイクターや私領(ミルク)が多数設定され、多くの万戸が投下された ことが周知の通り判明している。ただ、ホラーサーンのイルハン朝軍の実体については、 イルハン朝史では最重要な問題であるにも関わらず、その動向も志茂先生の研究以上の ことについては今一つよく分かっていない。これは『集史』の各帝王紀の記述内容が首都 のあるタブリーズ・アゼルバイジャン地方に絞られていることに起因している。 『集史』の部族誌や各部将や動向などに軽く眼を通すだけでも、アッラーンやアゼルバイジャン などの北西イランと、東北のホラーサーン地方の境域地域に冬営地や夏営地が設定され、イクター なども与えられていたことが出てくるため、イルハン朝のモンゴル軍の主力はこれら双方の北部 境域地域に集中していたことが伺える。 多分指摘の通り、これの地域にテュルク・モンゴルの諸勢力の人口が集中していたと見て良い ようにと思う。個人的には後のジャラーイル朝、カラコユンル朝のこと考えれば、イラクや ディヤールバクル・シリア方面のイルハン朝時代の投下部族の構成なども気になる。なにより バグダードがイルハン朝宮廷の主要な冬営地だったことを考えれば、イラクの動向も十二分に 注意を払う必要があるだろうから。
ホラーサーン、アゼルバイジャン、イラク、シリアの諸地域は、チンギス・ハンの 侵攻やホラズムシャー・ジャラールッディーンとの戦争、フレグの西征で大規模な 戦闘が続いたが、モンゴルにいち早く帰順したため、クルト朝のシャムスッディーン・ クルトのアフガニスタン方面やファールス地方などイラン南部はほとんど無傷だった。 これについては後のムザッファル朝のアゼルバイジャン遠征とも関係があると思うが、 それの話題はまた今度にしようかと思う。
>>449-451 「集史」本文なんて参照する術がないので非常に有難いです。
タジクはやはり歩兵として拠点の守備や補助兵に使われることが多かったんでしょうかね。
ペルシア人も昔は騎射の民だったみたいだけど、この頃ならもうすっかりトルコ・モンゴル系
軍事貴族に取って代わられてるんでしょうね。
イルハン朝時代に活躍してるタジクといったらクルト朝の君主ぐらいですし、しかも大抵の場合
ヘラートを死守してるような感じ・・・
その割にティムールが征服戦争を始める頃になると、イランの東半分はムザッファル朝、
サルバダール、クルト朝に分割されて遊牧民はどうしてるのかよく分からなくなる。
カラウナスなんかも諸勢力の中に解消しちゃったんでしょうかね。
イラクといえばベドゥインも砂漠ではそれなりの戦力があったようですね。
アブー・サイード没後にメッカの王族の者がヒッラを一時期占領したとか。
最近、元気ないねこのスレ。
>>452 アラブ征服時代にはサーサーン朝軍やアブー・ムスリムに対抗した
サマルカンドのソグド人王が、アラブ騎兵と戦ったことがタバリーなど
が書いているが、そもそもアラブ征服以前に突厥の余裔がアフガニスタン
方面まで進出していたので東方イスラーム世界ではもともとテュルク系の
騎馬軍団が軍事の主導権を握っていたとみるのが妥当だと思う。
ケルマーンとヤズドを領有していたムザッファル朝のムハンマドがアゼルバイジャン地方へ
侵攻できた理由は、とりもなおさず、イルハン朝の諸勢力の抗争がもっぱらホラーサーンや
アゼルバイジャンなど北方に集中していたため、ルリスターンやファールスもこれらの戦禍
に巻き込まれず勢力を温存していたことが原因だろう。当然ながらアフガニスタンはクルト朝が
完全に押さえていたため、ヒンドゥスターン方面からの侵攻の心配もなかった。さらにクルト朝
自身ホラーサーンの抗争を見守ることが精一杯で、ファールス方面の動向には手を出す余裕が
無かったことも原因している。
翻って、セルジューク朝が中央アジア〜イラン〜アナトリア一帯に進出して以来、これらの地域 にはオグズ・トルコマン系の遊牧民が多数流入したことは周知のことかと思う。その後のこの地域の 歴史はガズナ朝、グール朝、ホラズムシャー朝との抗争も全てムスリム政権を標榜するテュルク系の 諸勢力によってなされたものだった。サーマーン朝の頃ですら騎兵軍団のほとんどはテュルク系の グラームによって占められていたことを考えれば、イルハン朝時代に「タジク人の騎兵」がいたかは やはり疑わしく思える。 恐らく、フレグの西征以降これらのオグズ系の勢力は順次イルハン朝軍の一部として吸収されたと 思われる。ガザン・ハン登極からアブー・サイード・ハンころにはその後のチョバン朝、ジャラー イル朝、ムザッファル朝、ひいてはアクコユンル・カラコユンル両朝の成立にも関わる土台が形成 されていったと考えられる。特にガザン・ハンはその治世中に多くの麾下勢力の改廃を行い、イルハン朝 国家全体の改造に腐心したため、ティムール朝時代までのスパンを考えてもこの頃の諸部族全体の 動向の把握が必要不可欠だろう。 各地のセルジューク、ホラズムシャー朝起源の勢力がどのようにモンゴル側に吸収され、その後の 動向がどうなったかを究明することは、モンゴル諸部族の各地への分封と合わせて重要だと思うが、 史料的にどこまで辿れるかはなかなか難しい。双方とも非常に興味はあるが。
クルト朝については、本田博士の研究にあるように始祖マリク・シャムスッディーン・クルトは グール朝のスルタン・ギヤースッディーン・ムハンマド麾下のグール貴族の出身だったことが、 諸史料で述べられている。彼シャムスッディーンはホラーサーン東部のヘラートを中心に皇帝モンケ の時代に現在のアフガニスタン一帯の諸領を安堵されその後のクルト朝の基礎を築いた。 この地域に投下されたモンゴル軍もこれとは別に駐屯していたらしいが、イラン総督アルグン・アカ により金印状が発せられたことで、それらも含めてアフガニスタン一帯のモンゴル系のアミール、マリク といった部将たちもシャムスッディーンの指揮下に組み込まれ、その支配もフレグによってさらに 追認されたようだ。 こうしてシャムズッディーン・クルトはその後スィースターンの帰属をめぐって争いがあったものの、 名実共にホラーサーン東隅のヘラート以東アフガニスタン一帯の支配権を手に入れた。 これはホラズムシャー朝の侵攻以来混乱していたこの地域の和平を取り戻し、シャムズッディーンが グール朝を再建したと当時みなされていた。 しかし、起源的に考えればシャムスッディーン・クルトはグール朝系であるのは明白だったのだから、 「グーリー」と呼ばれても良さそうに思える。一時期自分は「クルト(krt/Kurt)」という名前は テュルク語やペルシア語では聞き慣れない単語なので、モンゴル語で「グール人」という意味かとも 考えたのだが、『集史』でのモンゴル語の部族名などの転写は「コンギラト(qwngGr't)」 「ベスト(byswt)」「タイチウト(t'ycywt)」となっている。もし「グール人」の意味で 「クルト」と書くのであれば(krwt)(kwrwt)あるいは(qwrwt)などと書いたはずなので もっと別の意味かも知れない。
本田博士はグールの人々をイラン系と述べておられた。しかし、住民はともかくシャムスッディーン・ クルトはじめグール朝系の家臣団を母体とする当時の支配層もイラン系だったかはいささか自分には 判断できなかった。 クルト朝についてだが、ガズナ朝自体テュルク系であるし、グール朝にしてもこの地域はイスラム以前 に突厥の後裔が政権を担っていたので、かれらクルト家はあるいは「タジク」なのか、イラン化した テュルク系ではないかというような気がしなくも無いが、ガズナ朝、グール朝は詳しくないので何とも 言えない。『ヘラート史記』を読むことができれば、あるいは「グール人」の構成を見ることができる かも知れないが。 14世紀のサルバダール政権はイルハン朝末期の混乱と圧制によって引き起こされた、ホラーサーンの 都市住民が起こした反乱が政権化したものなので、モンゴルなどの遊牧諸族を自勢力に取り込んでは いなかったように聞いている。都市や周辺村落の住民、神秘主義教団組織などが加わった都市民衆の 自治運動として恐らくイスラム史上でも特異な現象だとされているが、なむしろこのサルバダール政権 こそが、当時純粋な意味での「タジク」政権なのかもしれない。
>>454-457 アフガンにいた突厥の余裔って三蔵法師の記録に出てくるやつかな・・・
手元にある一般向け中世軍事史の本では
「例えばサーマーン朝の君主は、土着のイラン系貴族のディフカーン層に対抗するためにトルコ系マムルークを使い・・・
ディフカーンは後に雑多なmuttawi'a(宗教的義勇兵)に吸収されたかもしれない」
などと非常に興味深いことを書いてありますが、ソースが書いてないんで何とも。
ディフカーンはイスラム時代には自作農ぐらいの意味だったとも聞きますが。
まあ野戦の主力はトルコ系の騎射の民にグラームやマムルークだったんでしょうね。
セルジューク朝やアタベク政権の時代には近接兵器で武装したアラブ人やクルド人の騎兵、ダイラム人の歩兵隊なども
用いられていたようですが。
そういえばイブン・バトゥータの旅行記でアブー・サイードの天幕群の移動の様子が描かれてますが、
そこに「スルタンのマムルーク軍人」なるものが出てくる。
これは文字通り奴隷軍人だったのかそれとも実際は親衛兵だったのか・・・
アフガン方面のモンゴルもマリク・シャムスッディーンの指揮下に組み込まれてたというのは面白いですね。
これまたイブン・バトゥータだけどクルト朝とサルバダールの戦闘で、双方とも物凄い数の騎馬軍団を投入して
戦ったように描写されている。
シュッタールなどの無頼漢と同類みたいに描かれてたりするサルバダールが馬を駆って野戦に突入するとは思わなかったし、
グール人も歩兵のイメージがあったのでかなり意外でしたが、そう驚くことでもないのかも知れない。
若い頃のティムールは「シースターンのマリク」のところで傭兵をやってたとかいうし、そういうトルコ・モンゴル系の
浪人みたいな連中も結構いたのかも知れない、などと妄想してますが。
ムザッファル朝なんかはトルコ・モンゴル系の連中が潰しあっていく内に、相対的に勢力になってしまった感じですかね。
何だか元末の華北と江南みたいですね。ボロト・テムルやココ・テムルの勢力がトルコ・モンゴル的だったかは兎も角。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Death_toll#Famine より
歴史上の戦争による死者
*50,000,000-60,000,000 - 第二次世界大戦 (1937-1945),
*30,000,000-60,000,000 - モンゴル(チンギス・ハーンなど)による征服 (13th century)
*33,000,000-36,000,000 - 安史の乱(あんしのらん) (中国 756-763)
*25,000,000 - 明による満州征服 (1616-1644)
*20,000,000 - 太平天国の乱 (1851 - 1864)
*15,000,000 - 20,000,000 - 第一次世界大戦 (1914-1918)
*17,000,000 - ティムールによる征服 (1370-1405)
*10,000,000+ - 日清戦争 (1931 - 1942)
*7,500,000 - 30年戦争 (1618 - 1648)
*6,194,000 - 中国内戦 (1928 - 1949) この数値は、第二次世界大戦の死者を含まない
*5,000,000 - ロシア革命 (1917 - 1921)
*4,000,000 - ナポレオンによる一連の戦争 (1804 - 1815)
*3,800,000 - 第二次コンゴ内戦 (1998-2004)
*3,000,000 - スペイン内戦 (1936-1939)
*2,500,000-3,500,000 - 朝鮮戦争 (1950-1953)
*1,750,000-3,100,000 - ベトナム戦争 (1945-1975)
*300,000-3,000,000 - インド−パキスタン戦争 1971
*1,500,000-2,000,000 - アフガニスタン戦争 (1979-2001)
*300,000-2,000,000 - メキシコ革命 (1910 - 1920)
*230,000-1,400,000 - エチオピア内戦 (1974 - 1991)
*1,000,000 - イラン−イラク戦争 (1980-1988)
-------------------------------------------------------------------------
WW2に匹敵するとは、モンゴル凄いぜ!!
……って本当かよ?!
460 :
459 :2005/09/14(水) 00:09:08 0
あ、翻訳にかけたときに一部の数字と語句が変になってるけどてきとーに修正してね。 (WW2の死者を45,000,000〜68,000,000に、日清戦争→日中戦争とか)
>>459 コレは過大評価だろうな。そんなに人居たっけ? あの辺の原っぱ?
462 :
世界@名無史さん :2005/09/16(金) 08:27:00 0
>>461 チンギス・ハーンのモンゴル統一からフビライ・ハーンの死去までとか無茶な数え方してるんじゃないか?
十字軍が居ないのは何故だろう・・・
>>459 資料に載っている「殺害された人口」情報をそのまんま流用した
某S教授いうところの「お粗末な」数字なんだろう。しかし
3千万〜6千万なんて数、当時の中央アジア〜イランから人間が
殆ど絶滅する数字だな・・・
安史の乱や明による満州征服、ティムールの征服なんかも怪しいなあ。
ジュヴァイニーによれば、1222年春、ホラズムシャー・ジャラールッ
ディーンがパルヴァーンの地においてシギ・クトク率いるモンゴル軍
(3万騎ほどらしい)をうち破ったことに呼応して、ヘラート市民が
にわかに蜂起した。
モンゴル側から派遣されたダルガだかハーキムだかのアブー・バクルと
ミンタイという二人の人物が知事の任にあったが、これは蜂起した市民らに
降伏と偽って殺害されてしまう。ホラーサーン方面軍を指揮していた
イルチギデイがこれの報復のためヘラート市を六ヶ月と17日間包囲し、
同年6月半ばに陥落。一週間市内を殺戮、焼却、破壊をほしいままにしたという。
>>465 の続き。
このためヘラート「市」では160万人殺害されたと『世界征服者史』などに載るが・・・
当時のヘラート市に含まれる郊外を含めてもこんな数字が出るかどうか全く怪しい。
ティムール朝時代のヘラート市は1km四方あるほぼ正方形状の城壁をもった市街で
近隣の郊外に村落や庭園が多数点在していた。旧サマルカンドであるアフラシアーブ
の規模を考えれば、おそらくモンゴル時代前後でもそれほど市街地の規模に違いは
なかったろうと思われている。
なので1km四方に籠城だったにせよ半年強も160万もいたなど、糧食以前にまず
物理的に不可能だろう。郊外からの避難民も含まれてるのだろうが、例え元からの
城壁内部の市街地の住民の人口にしてもこの10分の1でもかなり厳しいだろう。
実数を推定できる資料が手元にないので確実なことはいえないが、現在旧エルサレム
市街地で居住者は3万もいかないと聞いているので、ヘラート市規模で当時居住者が
5万もいれば相当なものだろう。
>>458 バットゥータの旅行記とかはまだ確認してないので、クルト朝関連も併せてレスする
のはもうちょっと待って頂きたい。「トルコ・モンゴル系の浪人みたいな連中」
という表現もなかなか的を射たような言い方で非常に面白い。
468 :
世界@名無史さん :
2005/10/04(火) 19:19:14 0 age