884 :
世界@名無史さん:05/03/10 15:34:23 0
2ケタ多いだろw
いやそれでも多すぎか
政府の統治能力によって把握できる数が変わってくるからなあ。
納税等を嫌ってとんずらこかれたぶんはカウントされないから。
1311-40って、元の一番平和だった時代だと思うんだが。
1211-40年と読み違えてた。(汗 金朝攻略戦の事かと思ってたが
1311-40年って仁宗アユルバルワダの初年皇慶元年から、英宗シデバラ、
泰定帝イェスン・テムル、天順帝アリギバ、明宗コシラ、文宗トク・テムル、
寧宗イリンジバル、順帝トゴン・テムルの治世9年の至正元年までか。
1341年に華南方面で反乱が続発したらしいが、それ以前は何かあったか?
>>887 トゴン・テムルが即位するまでは内紛続きじゃん
教科書に何も書いてないから「平穏だった」と
思っちゃだめよ
890 :
ty270410:05/03/13 00:29:24 0
赤坂恒明先生の
『ジュチ裔諸政権史の研究』を
今日(05.03.12.)入手しました.
本文,注,史料,系図という構成になって
います.
系図には圧倒されました.
本文もおいおい読むつもりです.
斜め読みした範囲では,〜14C前半までのジュチ・ウルスを
論じておられる第3章はかって雑誌に発表されたものに
大幅に加筆されており,左翼と右翼の消長が詳細に
論じられており,大変読み応えがありました.
891 :
世界@名無史さん:05/03/13 01:48:11 0
クチュ
オゴデイの子。グユクの異腹の弟。才能,人柄とも申し分がなく、
オゴデイが後継として最も期待していた人物であり、
オゴデイの二大遠征の東方、対宋戦を担ったが湖広での戦中に病没。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
南宋って凄いね。アッバースや西欧は、運良く生き延びたって感じだけど、
南宋はオゴデイ、モンケが失敗して、フビライの長期戦でやっと滅んだって感じ。
この湖広の戦って、どんな陣容だったの?
オイラトのエセンって、可汗までは名乗らなかったのか流石に?
どっちにしてもムッ殺されたことに変わりは無いだろうが。
>>890 『ジュチ裔諸政権史の研究』を探してみたけど、やっぱり本屋には置いてませんね。
図書館には購入依頼を出しておいたけど、どうなることやら。
ところで、赤坂先生はクリコヴォの戦いについて言及していませんか?
宮脇論文の脚注にしたがってCollins氏の博士論文を手に入れたけど、
まったくそれらしい記述が見つからず困っています。
だいたいこの論文は15世紀後半から16世紀初めにかけてを扱っていて、
ママイやトクタミシュなんてほんの数回しか出てきません。
894 :
ty270410:05/03/17 23:00:20 0
赤坂先生のご本は
Amazonでは在庫切れ
池袋のジュンク堂では版元注文品
八重洲ブックセンターでは入荷なし
のようです.
>>893 >ところで、赤坂先生はクリコヴォの戦いについて言及していませんか?
言及しておられないようです.
第4章 14世紀中葉以降のジュチ・ウルス
では
第1節14世紀中葉〜16世紀初におけるウズベク
第2節「金帳汗国(キプチャク汗国)」という概念
の2節から成っています.
いずれも,最近ここから抜粋して雑誌発表なさって
おられますが,その典拠論考で浩瀚なものです.
895 :
ty270410:05/03/17 23:17:39 0
赤坂先生のご本ですが,第2部の史料編もすごいです.
集史アラビア語版のテキストの影印(私は読めませんが)
五族譜のテキスト影印と訳(わかり易く表示されています.)
勝利の書なる選ばれたる諸史の校訳(注記つきです.)
同テキスト(43ページ)
以上の構成です.
勝利の書なる選ばれたる諸史の全貌がわかるのが
嬉しいです.
>>894 お返事ありがとうございます。
それは残念です。
897 :
ty270410:2005/04/06(水) 21:42:22 0
赤坂先生の
ウズベクについてのご論考は興味深く読みました.
従来はシャイバニ・ハンの遊牧ウズベクから分離して
カザフが形成されたと読んでいました.
先生は,ウズベクの用語を当時の史料で博捜されて,
ウズベクとは,カスピ海の東の草原ばかりを指すのではなく,
西の黒海北岸地方をも含むことを論証しておられます.
そしてウズベクの名はウズベク・ハンに由来すると推定して
おられます.
ウズベク・ハンによって統一された地域がウズベクの地
であるということです.
(先生はウズベク・ウルスとまではおっしゃっておられませんが
そんな感じでしょうか?)
そしてその地には分裂期以降さまざまなジュチ裔の政権が
生まれたとされています.
挙証の上での論考なので大変説得性があるように思われました.
しかし何で堺屋太一なんかにモンゴル帝国を語らせたんだろ
他にモンゴル通の作家いないの?
>>898 現代グローバリズムとモンゴル帝国の征服活動は共通点があるといいたかったのでは?
なんかそういう語り口は勘弁して欲しいな。
信長や竜馬に見る経営手腕とかなんでも現代と関連付けてやるのはどうだろうね。
>>900 そういう安っぽい切り口を好む視聴者(読者)がいるんだよ
プレジデントの読者とかさ。
別に吉田茂に見る経営手腕でいいと思うんだが
それじゃあ駄目なのか
>>897 赤坂先生が書かれたウズベクについての論文、以前自分も読んでみました。
確か、ウズベク・ハンによるジョチ裔諸政権の再統一でムスリム化した遊牧諸族に
ムスリムとなったウズベク・ハンにちなんで自らを「ウズベク人」とする意識が形成さた。
と論じられ、これが黒海北岸からマーワラーアンナフルまでのジョチ裔諸政権に属す遊牧諸族の
「ウズベキー」という自称、他称となったというように結論されていたやに記憶してますが、
どうだったでしょう?
904 :
ty270410:2005/04/07(木) 21:26:22 0
>>903 おっしゃるとおりです.
赤坂先生が以前に雑誌に発表しておられた論考に
若干加筆され,注を充実して著書に収めておられます.
創始者の孫クビライが日本遠征やったけど
南宋と高麗の軍隊を処分するためという目的もあって差し向けたってほんと?
なんでも反乱起こされたらかなわんという理由で。。
>>905 いくつかの小説ではそういう解釈してるね。
史書にそういう記述でもあるんだろうか?
新参者を先鋒にするというならともかく
最初から負けると思って、わざわざ遠征なんかしないから
処分するためというのは、穿ちすぎな気が
だな。たとえ処分目的でも負ければ面子が潰れるわけだし。
909 :
世界@名無史さん:2005/04/09(土) 14:26:41 0
>>905 旧南宋軍を接収した時に老人や子供など戦闘員に使えない弱兵が大勢いたので
「日本の土地を切り取ったらそこで何とか自活してください」みたいな感じで
農具とかを持たせて送り出した、ということらしい。
(「モンゴル帝国の興亡」の記述による)
高麗や女直の兵は一応実戦部隊だったのでは?
モンゴル軍の中では二線級の部隊だったろうけど。
>>909 元寇は高麗軍と南宋軍で編成されていたが、このときの南宋軍は
非武装の移民(を希望する)集団だったらしいね。
これはクビライの対南宋戦略の補助的役割に過ぎない、との見解がある。
つまり、軍事力を解体して、反乱予備軍を処分するためであると。
高麗軍についても、同様であった。
モンゴルの精鋭が来て上陸すれば日本を簡単に打ち負かせただろうに
まあ、とるに値しない存在だったんだろうな。なにせ貧しい農業国であったのだし。
911 :
世界@名無史さん:2005/04/10(日) 04:06:17 0
マジャパヒト朝まで遠征したのももしや?
>>910 モンゴルの精鋭は船になんぞ乗りません。
博多などの港を支配下においてモンゴル騎兵が上陸したらどうなる?
915 :
世界@名無史さん:2005/04/10(日) 12:47:13 0
太宰府まで占領されて、一部の人間が日本に帰順していたはず
916 :
世界@名無史さん:2005/04/10(日) 18:10:52 0
917 :
世界@名無史さん:2005/04/10(日) 18:21:49 0
ローマ帝国 モンゴル帝国 アメリカ合衆国
この三つが歴史上、最もデカイ覇権を握ったベスト3だろ。
ローマは地中海、北アフリカなど限定的。
モンゴル帝国には及ばない。
英国、米国も近代であって昔のとは意味が違うからな。
米国に保護されて経済大国化した日本を偉大な国みたいにいうアホはいないだろ?
920 :
世界@名無史さん:2005/04/11(月) 13:02:12 0
モンゴルは悪魔のような軍隊だな。
♪1192作ろうジンギスカ〜ン♪
♪794坊さんジンギスカ〜ン♪
♪1941発ジンギスカ〜ン♪
♪ひつじ〜ひつじ〜ひつじ肉〜♪
この歌には、かつて行くところどころで大虐殺を行った
チンギス=ハーンのように大虐殺をしたいという
柚原このみの願望がこめられていたのだ!!
参考:
http://www.geocities.jp/ryuoutan/index.html(グロ注意)
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922 :
世界@名無史さん:2005/04/11(月) 13:56:38 0
>>918 領土面積×維持年数で算定すればローマもやはりモンゴルに引けを取らないんじゃないかな。
それに農耕民の帝国だと考えればやはり最大限の領土だろう。
そんな算式勝手に持ち出されても・・
ローマってペルシャ以西まで及ばなかったんだけど。
>>922 その算式でいったらエチオピア帝国もけっこういい線いったりしてw
勝手にって言うかそっちのほうが公平だろ
普通に考えたら
>>922 ×維持年数でいいなら日本だって結構良い線いくぞ。
多分。
年数は帝国の偉大さを計る尺度にはなりえないだろう。
やっぱり領域支配の大きさ。
世界帝国:モンゴル帝国
地域覇権国:歴代イスラム、シナ王朝、ローマ他
ま、そういうスレができたらやっぱり年数は重要な指数としてみなされるんだろうね。
ここはモンゴルスレだしまあしょうがない。
930 :
世界@名無史さん:2005/04/13(水) 09:58:17 0
トキタン(;´Д`)ハァハァ
子供トキたんに有情拳(弱)を試したい〜ハフハフ〜
微妙に気持ち良よさげな感じに、、、、♪
あの虐待エロ師父ならやりかねん〜つか変わってくれ。
ちなみに有情拳を教える際、手取り足取り『こんな感じになるんだと』
試されたぜ。きっと〜♪、、、、迷惑な虐待エロ師父のヒイキ修行時代。
だからラオウには有情拳は教えられていないw
ケンの有情拳はトキの見よう見真似。
イェケ・モンゴル・ウルス万歳
=大モンゴル国
年数を考慮してもモンゴル帝国は最強です
ムガールも清もモンゴル帝国の後継だからな
>>904 赤坂先生の著作のほうをあたってみました。「金帳汗国」概念そのものが後代の
ロシア帝国によって形成されたものであることや、「金帳」や「青帳」、「白帳」
という言葉自体もオルドを指すのであって国家の名称ではないこと、「シャイバーニー朝」
や「アストラハン汗国」などを「ウズベク族」や「タタール族」という概念で別個に理解
することの誤りなど、傾聴すべき論説を原資料を駆使して論証されており改めて目から鱗の
落ちる思いがしました。
ジョチ家歴代統主の即位順を本文と注でシャーミーの『勝利の書』とヤズディーの『勝利の書』、
ホーンダミールの『伝記の伴侶』との記述を列挙して比較しやすく掲載されてるのがとても
嬉しいですね。アストラハンのことを(ハージー・タルハーン)と書かれてたのはそういう意味
だったのかと衝撃的でした。
完璧な仕上がりではありますが、ただ本田実信先生の本のような索引を付いていたり、
『集史』アラビア語版のほうは良いのですが、『五族譜』の写真版が小さくて読みづらい
ので原本は1ページづつ添付して欲しかったなと思いました(汗
やはり紙面の都合上やむを得なかったんでしょうか。