【 【  中国の地方豪族、名家 part1  】 】

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1世界@名無史さん
曲阜の孔家(衍聖公)、麗江木氏(土司)、清朝の蒙古王族など
4000年の中国史を彩る王侯将相権臣門閥名紳貴顕勢族富家など
について語りましょう。
2世界@名無史さん:2005/05/19(木) 22:54:46 0
俺んち、先祖が孫武に斬られた宮女の妹
3世界@名無史さん:2005/05/19(木) 22:58:09 0
良スレの悪寒2001
4世界@名無史さん:2005/05/19(木) 23:26:43 0
潁川陳氏、弘農楊氏、琅邪王氏、太原王氏、陳郡謝氏、
陳郡袁氏、潁川庾氏、河南褚氏、譙國桓氏、渤海刁氏、
清河崔氏、范陽盧氏、趙郡李氏、渤海高氏、隴西李氏。

六朝隋唐の名家はメジャーどころだとここらへんか。
5世界@名無史さん:2005/05/19(木) 23:28:49 0
契丹の耶律氏とか石抹氏ってまだいるの?
6世界@名無史さん:2005/05/19(木) 23:35:23 0
http://www.dltravel.cn/web/japanese/zmjd/zmjd-08-1.htm
ナシ族の皇居 麗江木府
7世界@名無史さん:2005/05/19(木) 23:40:07 0
楚の昭、景、屈氏

晋の六卿

魯の三桓
8世界@名無史さん:2005/05/19(木) 23:43:42 0
こういう連中もやっぱり科挙には受かりまくりなんだろ?
血筋ってのは尊いものだ。
9世界@名無史さん:2005/05/20(金) 00:37:18 0
age
10世界@名無史さん:2005/05/20(金) 00:54:03 0
毛利家
11世界@名無史さん:2005/05/20(金) 04:53:33 0
ちん家
12世界@名無史さん:2005/05/20(金) 21:47:48 0
>>4
ソース希望
13世界@名無史さん:2005/05/20(金) 23:08:11 0
中国4000年の歴史とかいう馬鹿な謳い文句を使ってるやつとは
話をしたくない。
>>1よ、おまえがいう4000年とは何の歴史だよ?
14世界@名無史さん:2005/05/20(金) 23:09:00 0
チンコが剥けて4年です。
15世界@名無史さん:2005/05/20(金) 23:13:08 0
>>13
嘘八百の八百と同レベルと考えればエエ
16世界@名無史さん:2005/05/21(土) 01:50:19 0
次スレが続くとは限らないのに、「part1」などとスレタイをつけてしまった
恥ずかしい>1がいるのはここですか?
17:2005/05/21(土) 21:22:52 0
>>13
はい、お答えします。
そもそも文字によって王朝や国家の歴史が記録され初めたときが歴史の
はじまりだと1は認識しています。4000年というのは語感がいいので
適当に云いました。

18:2005/05/21(土) 21:29:30 0
>>13
1の幼少のみぎり明星中華三昧のコマーシャルで
〔中国4000年の歴史〕とかいっていたような気がします。
おとなりの韓国の方が檀君以来5000年の歴史と云うのを聞いたことも
あります、、、
まあ〜そんなことはどうでもいいじゃないですか。
とにかく何か書き込んでくださいです。〔あくまでスレタイに沿って、、、〕
19:2005/05/21(土) 21:33:18 0
>>16
別の板で1が立てたスレはパート3をマタ〜リ進行してます。
餅論このスレもそこまで行きますが何か?
20世界@名無史さん:2005/05/22(日) 06:01:21 0
age
21世界@名無史さん:2005/05/22(日) 06:39:59 0
                                            香
                ( ⌒ )                      \ | /
               (    `)    ⌒ヽ⌒⌒ヽ 、        ―(・∀・ )―
       ⌒Y⌒    (´      )  (       ⌒)         / | \  (⌒ヽ
   ⌒Y⌒        ゝ      `ヽ(          )              ( 
              (             、⌒     ヽ            (⌒ 、
             (    (⌒       ノ       )          (     ヽ
       /||               台              マカオ §
      ,/  ||              ∋oノハヽo∈            ゝ彡三ミ/
___________/  . ||\∧∧ _____________________ ( ´D`)________________________ノソ ‘∀‘)__________________
 〜〜,/   || / 中 \   〜〜〜  (  つ(\ 〜〜〜  〜  (  つ(\ 〜  〜
 ~ 〜/     .||( ^∀^)    ~~ (\_ノ(___)⌒ ⌒ヽ_゚~~ 〜 (\_ノヽ  )⌒ ⌒ヽ_ ~
 ~~ . ̄ ̄ ̄||(    つ 〜〜   ) ____  ・_つ    ) _ し'________  ・_つ_〜~
 〜〈 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゙̄^フ 〜 (/      (/  ~ 〜 (/       (/ 〜〜
 ~ 〜"~~'〜:''^''〜'''~~''^〜'''" 。 ゚   〜〜  〜〜~~  。 ゚  ゚~~ 〜〜~~ 〜 〜〜
22世界@名無史さん:2005/05/22(日) 10:51:54 0
age
23世界@名無史さん:2005/05/22(日) 19:12:57 0
おまいら中華料理のうたい文句に洗脳されすぎ

本当は6000年
24世界@名無史さん:2005/05/22(日) 23:43:59 0
はあ
25世界@名無史さん:2005/05/23(月) 00:31:18 0
客家の名家というのはあったのでしょうか?
26世界@名無史さん:2005/05/23(月) 00:35:08 0
紅夢(1991)
Raise the Red Lantern 大紅燈篭高高掛

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD16451/

↑の舞台になった広壮な地主屋敷がどこにあるか知りませんか?
27世界@名無史さん:2005/05/23(月) 00:45:15 0
>>25
郁達プのスマトラじん奥さん家
28世界@名無史さん:2005/05/23(月) 02:40:53 0
age
29世界@名無史さん:2005/05/23(月) 21:00:42 0
渤海刁氏って何?
30世界@名無史さん:2005/05/23(月) 22:11:48 0
>>26
山西省平遥市郊外。
ぜひ行って見れ。
31世界@名無史さん:2005/05/24(火) 22:27:18 0
>>30
ありがとう。
平遥って城郭都市で有名なところですね。
32世界@名無史さん:2005/05/25(水) 00:48:35 0
age
33世界@名無史さん:2005/05/25(水) 22:15:25 0
>>10
毛利家というと毛沢東を生んだ毛氏一族のことですか?
34世界@名無史さん:2005/05/25(水) 23:22:55 0
>>30
いいえ。満蒙を征服し支那を征服するという、田中上奏文を残したとされる
田中義一を生んだ家です。
35世界@名無史さん:2005/05/25(水) 23:24:24 0
訂正>>30>>33
3633:2005/05/26(木) 21:37:24 0
わかりました。

ところで孟子の子孫とかも中国人にとっては名家なのかな?
37山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/05/26(木) 22:00:34 0
武林隆重も孟子六十一世という事でしたが、自称がずいぶんといそうですね。
勿論、認められた家というものもあったのでしょうが。
38世界@名無史さん:2005/05/26(木) 23:13:23 0
日本名が武林なら本姓は武氏?ですか。
孟子の直系子孫は孔家と同じく貴族待遇と聞いたことがあります。
39山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :2005/05/27(金) 00:01:03 0
孟姓で、来日後故郷の名を取って日本風に武林と改めたとか。
すみません。典拠が手元にある訳ではありません。
4036,38:2005/05/27(金) 00:57:55 0
武林唯七隆重は赤穂浪士ですね。江戸時代に帰化した中国人はけっこういるみたいです。
医家や僧侶が多いような気がします。
41あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/27(金) 11:23:03 0
武林は杭州の雅称です。唯七の先祖が杭州の出身だったようです。
徳川時代に帰化した明・清人にはこうした本貫の日本風読みがしばしば見られます。
(高氏)渤海>深海>深見ふかみ(陳氏)潁川えがわ(劉氏)彭城さかき(趙氏)鉅鹿おおしか
(郭氏)汾陽かわきた 
以上はちょっと思いついた例だけですが、他では「江夏」もそうだったように記憶します。
42世界@名無史さん:2005/05/27(金) 19:21:10 0
確かトヨタの張富士夫氏の先祖も明清交替期の亡命
華僑だと思ったけど、これは本姓で通してる珍しい例。
43世界@名無史さん:2005/05/27(金) 22:07:03 0
AGE
44世界@名無史さん:2005/05/31(火) 02:47:46 0
蒙古王族徳王について詳しい本はないでしょうか?
45あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/31(火) 14:48:27 0
「徳王自伝―モンゴル再興の夢と挫折」(森久男訳、岩波書店刊)がありますが、
10年くらい前に出た本なので絶版になってると思います。
46あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/31(火) 15:06:39 0
>>41
訂正 「鉅鹿」の訓みは「おおしか」ではなく「おおが」で、唐姓は「趙」ではなく
「魏」が正しいようです。この家系も深見や彭城と同じく長崎の唐通辞で、
現在の当主は鉅鹿直賢という方です。あやめの叔父の話では40年程前に
裁判官で鉅鹿姓の方がおられたそうです。また戦前の横浜にあった野球の
クラブチーム(金港クラブ)の選手に潁川姓の人がおり、陸上自衛隊の将官に
汾陽姓の方がおられたそうです。
47あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/05/31(火) 15:35:59 0
また訂正 「汾陽」の訓みは「かわきた」ではなく「かわみなみ」のようです。
北里大獣医学かに汾陽光盛という教授がおられます。この方の御先祖は
薩摩藩の琉球在番奉行だった人ではないかと思います。
48世界@名無史さん:2005/05/31(火) 16:30:35 0
「貞観政要」の中で、地方豪族同士が近親婚(異姓の従兄妹婚)を続けていることに関して、唐太宗が怒ってこれを禁止したとかあったように記憶していますが、こういった行為はそれ以前もそれ以後も一般的であったと考えて宜しいのでしょうか?
(禁止しても、その代だけとか。)
49世界@名無史さん:2005/06/02(木) 19:00:03 0
教えて君うざいって言われてるってことに気づけ。
知識も時間も無料じゃない。
そのどっちも費やしたくないならROMってろ。
漏れみたいにな(゚∀゚)
50世界@名無史さん:2005/06/02(木) 22:22:45 0
↑いやなマルチだな。
漏れも丁度歌舞伎の高麗屋の由来について尋ねようと思ってたところだったのだが。
よしにしよう。
51世界@名無史さん:2005/06/02(木) 22:48:33 0
→「汾陽」の訓みは「かわきた」ではなく「かわみなみ」のようです。
漢籍では河川の北側を陽というので「かわきた」のほうがしっくりくるような
気がしますが姓名なのでなんとも言えませんね。
 他にも例があったら教えてください。
52世界@名無史さん:2005/06/02(木) 22:52:25 0
>>48
春秋戦国時代に諸侯の間で近親間の姦通が多かったらしい。
53世界@名無史さん:2005/06/02(木) 22:58:00 0
>>45
ありがとうございます

蒙古の徳王が来日したとき、どこに行っても人が一杯なので自分の後に人が付いて
きていると思っていたらしい。

54斉襄公:2005/06/03(金) 13:04:46 0
>>52
えっ、妹、姦通?なんのこと?あなた魯の人?
5552:2005/06/03(金) 22:04:31 0
そうですロシア人です
56世界@名無史さん:2005/06/03(金) 22:08:59 0
あやめってまだ生きてたんだ・・・
57世界@名無史さん:2005/06/04(土) 05:15:54 0
>>41
長崎唐通詞の例だと
馮氏→平野氏 林氏→官梅(かんばい)氏等 
参考「長崎唐通事」について
ttp://www5.big.or.jp/~n-gakkai/katsudou/reikai/200104_01_01.html
あと張氏→弓長(ゆみなが)というもあったな。
>>42
トヨタの張氏はいろいろいわれているが徳島県には中国とは何の関係もない「張」という
姓がある。まぁご本人は東京の都会育ちだから先祖のことなど知らんかもしれん。
ついでに秋田県には韓国とは何の関係もない「金」という苗字があり、作家の
今東光、今日出海兄弟はこの一族出身。
以上スレ違いスマン。
5842:2005/06/04(土) 07:44:48 0
>>57
張富士夫氏の本籍(というか本貫)って阿波なの?!
以前何かの本で明清交替期亡命華僑の末裔だって、
本人のインタビュー付きで読んだ事があるんだけど、
見間違いだったのか……?!(汗

>ついでに秋田県には〜「金」という苗字があり

秋田というか東北一帯ね。ついでに読み方は「きん」じゃなくて「こん」。
同じく東北一帯に多く見られる、「今」「紺」「昆」「今野」「紺野」「近野」
「昆野」「金野」等の「こん」「こんの」姓も、この亜種(同族)と見られる。
59あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/04(土) 14:54:53 0
>>51
御指摘のとおりで最初カワキタと読んだのは叔父の話からで、叔父も汾水の陽なら
北だろうと思っての記憶のようです。そしてぐぐったら北里大の先生がヒットして
ミナミと振り仮名があったので、それに従った次第です。
馮氏の平野という和姓の由来が判らないけど強いて考えると、郡望に始平(陝西)の
馮氏というのがあるから、その辺から持って来たものか?
唐通詞の和姓に河間というのは郡望から河間の張氏、清川というのは清河の崔氏が
推定できます。江夏も郡望から江夏の李氏あたりでしょうか。
>>56 
あやめは不死です(w) あなたいつまで名無史さんやってるつもり
60世界@名無史さん:2005/06/07(火) 16:15:15 0
天皇家
61世界@名無史さん:2005/06/08(水) 21:27:11 0
あやめ姐さん郡望って何ですか?
62世界@名無史さん:2005/06/10(金) 22:01:55 0
age
63世界@名無史さん:2005/06/11(土) 20:20:29 0
age
64世界@名無史さん:2005/06/13(月) 01:22:54 0
中国で最高の名家は?
皇室か孔家のいづれかだと思うのですが。
65世界@名無史さん:2005/06/13(月) 23:55:29 0
あるいは延恩侯朱氏か?
66世界@名無史さん:2005/06/14(火) 23:37:59 0
age
67世界@名無史さん:2005/06/15(水) 02:13:52 0
朱舜水の子孫は日本に居ないの?
68世界@名無史さん:2005/06/15(水) 08:04:49 0
息子は大陸に残ったはず
69世界@名無史さん:2005/06/15(水) 23:17:01 0
age
70あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/16(木) 00:38:44 0
>>61 「あやめ姐さん」て左褄とってるみたいで、ちょっぴり嬉しいかも(w 
下がってたので気が付かなくって御免なさい。
「郡」は説明不用でいいわね?「望」は"celebrity"といった意味合いかしら。
漢末このかた各地の豪族は教養の水準が高くなっていて、徳行や才能で評判を
競うようになり、そうした人物を輩出する家系は自然と官界での地位も向上し、
出自の郡内での有力者となる一方、郡名と族名がセットになって全国的知名度が
顕われるようになりました。このようにして六朝時代から唐代にかけて「何郡の
何氏」といった「郡望」が形成されたものです。瑯琊の王氏とか博陵の崔氏とか
朧西の李氏とか、前のレスにも実例がいろいろ出てますよ。
71世界@名無史さん:2005/06/16(木) 10:57:23 0
中国で最高の名家は皇室だから、
中国の国家元首は天皇に拝謁すべきだ。
72世界@名無史さん:2005/06/17(金) 02:13:06 0
>>70
丁寧な御教示まことに恐縮です。
このような家系は次の王朝の創業者を出すこともあったのでしょうか。
73世界@名無史さん:2005/06/17(金) 04:04:00 0
毛家譜による毛沢東の血筋
横浜市大名誉教授 矢吹晋『毛沢東と周恩来』 ttp://www2.big.or.jp/~yabuki/doc/mz9110.htmより
 中国には「族譜」とよばれる記録がある。日本の系図に似ているが、記述されている内容はずっと豊富であり、
一族の系譜にはじまり、伝記、墓地、祠廟、家規家訓におよぶ。したがって族譜の編纂には調査研究や出版のために
多額の費用がかかる。族譜がつくれる宗族は少数の大地主にかぎられる。毛沢東は「封建的宗法的支配」こそが
地主体制をささえていると攻撃したが、毛沢東一族は族譜をもつほどの家柄なのであった。
……毛沢東の先祖は毛太華という。朱元璋が明朝を建てたとき、江西省吉州府龍城県(現在の吉水県)から朱元璋の
部隊に身を投じた青年がいたが、その青年こそ毛太華である。彼は下級軍官として雲南省まで遠征し、雲南の平定後、
軍人としてそこにとどまった。現地には漢民族の住民がいなかったので、毛太華は多くの戦友と同じく少数民族の
娘を妻とし、四人の息子をもうけた。毛沢東には雲南の少数民族の血が流れている。毛太華は老いてから内地に
帰ることを朝廷に願い出て、湖南省韶山に妻、長男、四男を連れて帰ることを許された。以後約五百年、
毛家は農業を営んできた。
74世界@名無史さん:2005/06/17(金) 04:07:16 0
 毛沢東は毛氏二〇代目にあたる。毛沢東の父毛貽昌の字(ルビ・あざな、本名のほかに別名をつける習慣がある)は
順生である。毛貽昌は妻文氏を娶った。彼女は文氏の七番目の子供なので文七妹とよばれた。
父母は五男二女をもうけたが、長男、次男と二人の娘は夭折し、三男の毛沢東が長男として育てられた。
……毛沢東の字(あざな)はこれまで潤之とされてきたが、『族譜』によれば、正しくは詠芝である。湘潭方言では
同じ発音であるが、毛沢東は潤之を好み、よく用いた。
……毛氏一族は科挙とは縁が薄かった。第三代の毛有倫が歳貢(科挙制度のもとで国子監で学ぶ資格をもつもの)
になったのは珍しい例であり、国子監の学生になる者(監生、現在の大学生)さえほとんどなく、大部分は韶山で
農民として暮らしてきた。しかし、毛恩毅(一八代)が清代提督軍門で重要な職務についたように、軍功を立てて官職を
得た者は少なくなかった。たとえば毛沢東の祖父の世代七四〇人のうち功名を立てた者は一〇人いるが、
九人は軍官である。毛沢東の父の世代八一四人のうち功名を立てた者は二六人で、うち一七人は軍官である。
毛沢東の世代六七〇人のうち功名を立てた者は一七人、うち一四人が軍官である。このなかには、
毛沢東、毛沢銘、毛沢覃の三兄弟も含まれる。

毛沢東て雲南少数民族の血が流れてるのね。( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー 
75世界@名無史さん:2005/06/17(金) 04:20:55 0
同史料より周恩来の血筋
 周恩来の原籍は浙江省紹興小保佑橋百歳堂にある。魯迅逝去二周年記念のとき、周恩来はこうのべた。
「血統では私は魯迅先生の本家筋かもしれない。二人とも浙江紹興の周家だからである」。
周恩来の祖父周殿魁の時代に「師爺」となって紹興から淮安に転居した。師爺──これが周恩来の人生を解く
一つのキーワードである。封建時代に読書人の活路は科挙をうけることにあったが、紹興人は科挙をうけて
正規の役人になるよりも、官職ではない師爺になり、全国各級の役所で文書を扱う道を選んだ。
 師爺とは県知事など役人の幕僚であり、老夫子と尊称されていた。県政府では司法担当は
刑名(シンミン)師爺(シーイェ)、財政税務担当は銭糧(チェンリャン)師爺(シーイェ)とよばれた。師爺というのは
県知事の意をうけて実務をおこなう官僚であり、県知事側としても彼らに依拠して行政をおこなうのが常であった。
師爺はむろん紹興人に限られないが、紹興(シャオシン)師爺(シーイェ)は有能なことで知られ、一つのギルド的な
人脈をつくっていた。毛沢東につかえる周恩来の姿は、周恩来が師爺の体質を継承しているとみるとわかりやすい。
紹興人に多かったもう一つの職業は商人である。彼らは大都市に雑貨店をひらき、その一角では紹興酒も売り、
あるいは呑ませた。師爺といい、大都市商店といい、いずれも都会的なスマートな職業で、各地の情報につうじている。
周恩来の体質のなかには紹興人気質、師爺の血統あるいは遺伝子が脈うっている。 
祖父周殿魁は晩年に淮安で淮安府山陽県(現淮安県)の知県(県知事)を務めた。周殿魁には四人の息子がいた。
末子の貽能が周恩来の父親である。周殿魁は五〇数歳で死に、父親貽能の時代にかなり貧しくなった。
周恩来の母親万氏(十二番目の娘なので、万十二姑とよばれた)の父・万青選の原籍は江西南昌で、やはり師爺出身
である。淮安府下清河県(のち淮陰県)で三〇年間知県を務めた。万十二姑は周貽能に嫁いで周恩来と二人の
弟恩溥、恩寿を生んだ。周恩来が一歳にもならないときに、最も若い叔父貽淦が病没した。「不孝に三つあり、
後継ぎ亡きを大となす」の考え方から、周恩来は貽淦の養子となり、養母陳氏に育てられた。

魯迅と周恩来は親戚筋。。( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー 
76世界@名無史さん:2005/06/17(金) 16:04:24 0
郷紳
77世界@名無史さん:2005/06/18(土) 05:04:14 0
78世界@名無史さん:2005/06/19(日) 16:07:13 0
sage
79世界@名無史さん:2005/06/21(火) 22:05:35 0
age
80世界@名無史さん:2005/06/22(水) 22:36:59 0
延恩侯朱氏って本当に明の末裔ですか?
81あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/22(水) 23:57:59 0
延恩侯のことは最近になってジョンストンの「紫禁城の黄昏」の新訳で俄かに
著名になったようです。一応は明裔として宜しいかと思います。もう深夜なので
就寝させていただいて、詳しくは明日になったら書きますが、御用とお急ぎの
方は下記にアクセスしてください。
http://www.sinica.edu.tw/ftms-bin/ftmsw3?ukey=-41435018&path=/26.3.9.2
82あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/24(金) 17:51:59 0
延恩侯については「清史稿」の「宣宗本紀」の「道光十七年春三月戊寅朔丙申」の條に繋けて
「上は明の長陵・獻陵・泰陵・景陵・永陵に詣り酒を奠(そな)へ、明裔の延恩侯書桂を以て
散秩大臣と爲す」の記事が見え、「諸臣封爵世表」中に「一等延恩侯」の格を設けて世系を
列記しています。これによると初代の朱之lは正白旗漢軍の出身で、雍正二年十二月に
明裔ということで正定知府の官から一等侯を特賜されています。彼が卒すると雍正八年
十一月に子の朱震が襲爵しています。乾隆十一年二月に朱震の子の朱紹美が一等侯を
襲爵しますが、十四年八月には一等延恩侯世襲に改封され、これに伴い朱之lに対しても
一等延恩侯が追贈されます。朱紹美は何かの事端によって革爵され、彼の従子つまり甥の
朱儀鳳が乾隆四十年十二月に襲爵しました。次に朱儀鳳の子の朱毓瑞が嘉慶二年に襲爵し、
彼の子の朱秀吉については「襲」の記載がなく、その弟の朱秀祥が道光八年に襲爵しており、
次は朱秀祥の族祖の朱貽坦が翌年に襲爵したことになっています。恐らく秀祥は幼年で
嗣爵し直後に夭折したため近親に成人の適格者がおらず、祖父の儀鳳の等輩に当る貽坦が
襲爵することになったのかと想われます。
83あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/06/24(金) 18:04:55 0
次には書桂が道光十六年に襲爵していますが、彼は貽坦の族叔ということですから、更に
一代を遡って朱紹美の等輩に当ることになり、継襲の順がが些か不自然な感じを受けます。
書桂の次が鶴齡ですが彼は書桂の繼子ということで、果たして血縁の継続があるのかさえ
疑わしくも想われます。また「襲」の記載もなく書桂・鶴齡の二代は名諱のみで何故か朱姓が
加えられていないのが異例です。書桂は前記の「宣宗本紀」の記述でも朱姓が省かれています。
鶴齡の次の誠端も朱姓が加えられていませんが、鶴齡の族孫ということで同治八年に襲爵し、
次の朱U勳は誠端の子で光緒十七年に襲爵しています。彼は「紫禁城の黄昏」に出てる人です。
ところで初代の朱之lは明の宗室のどういう系統に連なる人物か、それは次回に書きます。
84世界@名無史さん:2005/06/24(金) 23:05:49 0
>>83
期待してます。
85世界@名無史さん:2005/06/26(日) 22:35:50 0
期待age
86世界@名無史さん:2005/06/28(火) 00:47:38 0
age
87世界@名無史さん:2005/06/30(木) 23:31:23 0
age
88世界@名無史さん:2005/07/01(金) 23:14:13 0
姐さんまだ〜?
89世界@名無史さん:2005/07/01(金) 23:19:50 0
魯智深の「提轄」というのは巡査のような職?
90世界@名無史さん:2005/07/02(土) 02:14:43 0
age
91世界@名無史さん:2005/07/03(日) 12:22:14 0
あげ
92世界@名無史さん:2005/07/05(火) 02:44:48 0
あげ
93世界@名無史さん:2005/07/05(火) 21:14:25 0
客家ネタの本に出てくる、日本に洪秀全末裔が居るという伝説はウソだったの?
94世界@名無史さん:2005/07/05(火) 22:30:04 0
三国志の好漢の一人。
小旋風柴進の出自である柴氏について教えてください。
95世界@名無史さん:2005/07/07(木) 23:19:57 0
age
96世界@名無史さん:2005/07/08(金) 23:00:56 0
age
97世界@名無史さん:2005/07/10(日) 02:38:24 0
sage
98あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/07/11(月) 00:38:09 0
>>83
ここんとこちょっとした病臥とか負傷とか重なって高い棚に収まってる本が取れなかったりして、
レスが遅くなって御免なさい。
さて朱之lの明室との連枝関係ですが、なかなか書籍では発見できなかったんですがネット検索で
「搜狐網」の関連サイトに沙梨熊という人の執筆した「清十三朝漢軍王公們的最終結局」という記事が
見つかりました。沙梨熊という筆者については後にふれます。この記事は清一代の間に漢人にして
王・公・侯爵を蒙った者の本末を略記したものです。基本情報は「清史稿」の「諸臣封爵世表」に載って
いますが、これを補う事実も述べられているので貴重です。
延恩侯についても初代の朱之lの身上がいくらか明白にされています。即ち彼は安徽鳳陽の人で、
明の太祖の庶十三子である朱桂の後裔となります。朱桂は代王に封ぜられ、子孫の朱彝は明末に
洪承疇のために軍を松山に監していたところ、敗軍して甥の朱文元と共に清軍の俘虜となったので、
清朝に帰降して鑲白旗の隷下に属することとなり、雍正時に一等侯を賜ったことに伴い上三旗たる
正白旗に昇格したというわけです。
次回には明の代王の家世について書くこととします。
99あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/07/11(月) 00:47:16 0
>>93
大鹽中齋の子の格之助が大陸に渡って洪秀全になったという怪しげな伝説は
ありますけどね。陽明学が耶蘇教に化けるかしら?
100あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/07/11(月) 00:49:20 0
>>94
後周の柴氏についてもそのうち書きますよ。
101世界@名無史さん:2005/07/11(月) 15:04:49 0
>>94
三国志ではなく、水滸伝ね。
102世界@名無史さん:2005/07/11(月) 20:24:00 0
>98-100
嗟乎、あやめ姐さん、病臥とか負傷とか重なって高い棚に収まってる本が取れなかったりしていても、
的確かつ奥深いレスをする貴台は素晴らしい。
お体お大事に。
103世界@名無史さん:2005/07/13(水) 23:19:36 0
あやめさん、感謝
104世界@名無史さん:2005/07/13(水) 23:29:59 0
あやめはネカマだろw
105世界@名無史さん:2005/07/14(木) 23:44:28 0
age
106世界@名無史さん:2005/07/15(金) 23:00:29 0
age
107世界@名無史さん:2005/07/16(土) 03:00:43 0
108世界@名無史さん:2005/07/16(土) 19:10:26 0
age
109世界@名無史さん:2005/07/18(月) 23:58:43 0
みんなガンガレ
110世界@名無史さん:2005/07/19(火) 03:28:49 0
毛沢東や周恩来の子孫はなにしてるの?
表舞台には一切出てこないけど。
111世界@名無史さん:2005/07/20(水) 04:42:52 0
age
112世界@名無史さん:2005/07/20(水) 22:31:53 0
毛沢山、、、毛沢東の孫。中国最大の鬘メーカーの創始者。(民明書房)
113世界@名無史さん:2005/07/21(木) 00:26:55 0
おやじギャグだなー、わらったけど。
114世界@名無史さん:2005/07/21(木) 22:11:13 0
みんな使ってくれ
115世界@名無史さん:2005/07/25(月) 15:55:13 O
.
116世界@名無史さん:2005/07/25(月) 21:59:19 0
age
117世界@名無史さん:2005/07/27(水) 00:13:28 0
目指せ1000レス
118世界@名無史さん:2005/08/10(水) 18:37:47 0
age
119世界@名無史さん:2005/08/12(金) 23:28:16 0
中華民族始祖 軒轅黄帝
  黄帝姓公孫(亦姓姫)名軒轅,有熊國君。其先出自少典,母曰附寶,
  至祁野,見大電繞 北斗樞星,感而懷孕。二十四個月生帝於壽丘,
  日角龍顏, 有景雲之瑞,故史稱[生而神靈]。 其初都於涿鹿,
  (今察哈爾省涿鹿縣)。當時帝楡罔不能治天下,人民塗炭。
  黄帝乃脩コ振兵, 戰楡罔於阪泉, 誅蚩尤於涿鹿, 而後安天下。
  諸候擁立為天子。都有熊(今河南新鄭縣)。 披山通道,未嘗寧居。
  東王至海,登丸山及岱宗(泰山)。西至空同(甘肅省平涼縣西)登雞頭。
  南至江弓登熊湘(湖南益陽縣)。北逐葷粥(匈奴)。合符釜山。
  遂建立中華萬世之基業。
120世界@名無史さん:2005/08/12(金) 23:33:15 0
  黄帝以前,氏族混雜,源流未辨。我始祖制十二姓,
  (姫ˋ酉ˋ祈ˋ己ˋ滕ˋ箴ˋ任ˋ荀ˋ 僖ˋ佶ˋ儇ˋ依 )。
  帝二十五子, 立二十五宗,今之諸姓氏倶由此十二母姓演變而來,
  乃鑄成今日之中華民族。故稱黄帝子孫。

  我始祖又創造各種文化。其重大者,倉頡造字,容成造暦,隸首作數,
  伶倫制十二律, 製衣裳作冕旒充\,服牛乘馬,作舟車以通道,
  作宮室以安居,造弧矢以振威, 造指南車,為鎮營之法,女累祖教民養蝉以製絲,
  著内經以明醫藥,制法度正名百物, 建立合宮以祀上帝,中國文化從此大備。
121世界@名無史さん:2005/08/12(金) 23:34:42 0
 史記漢武帝本紀,載我始祖且戰且學仙,餘年然後得與神通,
 采首山銅,鑄鼎荊山下, 鼎既成,有龍垂胡髯下迎,黄帝上騎,
 是我始祖昇天,亦神人也。中國歴經變亂,而不動搖者,
 均ョ我始祖在天之靈。今我輩子孫當全心全力,發揚黄帝精神,
 振起五千年之民族魂, 邁往新生之大道。
122世界@名無史さん:2005/08/17(水) 23:07:11 0
age
123世界@名無史さん:2005/08/28(日) 04:18:20 0
age
124世界@名無史さん:2005/09/08(木) 23:21:43 0
やっぱり孔家が一番なのかなあ。商王の後裔だし
125世界@名無史さん:2005/09/10(土) 11:20:08 0
献帝の子孫は晋以降どうなったんだろ?
ある程度分からないと坂田上田村麻呂の家系が不明になる。
126名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:31:43 0
>>125
後漢書にかいてあるよ
127世界@名無史さん:2005/09/15(木) 01:52:03 0
あげ
128世界@名無史さん:2005/10/06(木) 23:09:46 0
保守
129世界@名無史さん:2005/10/07(金) 00:09:26 0
130世界@名無史さん:2005/10/07(金) 15:39:45 0
甄邯、文昭甄皇后、甄恬、甄琛、甄濟
甄皇后以下全員、中山無極(毋極)の人。
甄邯の後裔は甄皇后と甄琛。
甄恬と甄濟は甄邯の後裔だかは不明。
131世界@名無史さん:2005/10/25(火) 22:58:23 0
age
132世界@名無史さん:2005/11/08(火) 01:10:02 0
ドニー・イェン(甄子丹)は関係ないかw
133世界@名無史さん:2005/12/03(土) 23:03:21 0
保守
134世界@名無史さん:2005/12/22(木) 16:00:14 0
age
135世界@名無史さん:2005/12/24(土) 14:59:17 0
孟府あげ
136世界@名無史さん:2006/01/14(土) 23:01:01 0
保守
137世界@名無史さん:2006/01/29(日) 22:07:04 0
孫文が孫子の末裔って本当ですか。
朱前首相も朱元璋末裔とか。
日本にも渡来人として来てる。東儀英明も秦の皇族の末裔とか。
さすがに孫正義が孫子の末裔って言うのは虚言だろうけど。

138世界@名無史さん:2006/01/29(日) 22:29:11 0
>>137
USO800に決まってんじゃん。
139世界@名無史さん:2006/02/18(土) 23:06:44 0
age
140世界@名無史さん:2006/03/05(日) 12:32:58 0
>>137
丹波哲郎も後漢の霊帝の末裔だそうだがw
141世界@名無史さん:2006/03/05(日) 20:14:28 0
後漢の霊帝の末裔って話さ、霊帝には子が2人しかいなくて、
その一方の少帝は子を作る前に殺されただろうから、
必然的に献帝の子孫ってことにならね?



っていうのは無知で実は霊帝にはもっと子がいたりした?
142世界@名無史さん:2006/03/07(火) 22:12:55 0
古代の渡来系氏族の当宗(まさむね)氏は、後漢献帝の4世孫山陽公の子孫を称してる。



143世界@名無史さん:2006/03/19(日) 15:31:35 0
     
144世界@名無史さん:2006/03/29(水) 19:09:07 0
丹波哲郎は医心方を編纂した丹波康頼の子孫
145世界@名無史さん:2006/04/13(木) 22:58:43 0
保守
146世界@名無史さん:2006/04/15(土) 09:39:20 0
宇多天皇の母班子女王の母は当宗忌寸氏から出ている。
147世界@名無史さん:2006/04/24(月) 17:52:32 0
age
148世界@名無史さん:2006/05/10(水) 17:22:52 0
最初からスレタイにpart1なんか付けた割りに、レスが少なすぎる、何とかしてやってくれ。
>>1よがんがれ!
149世界@名無史さん:2006/05/24(水) 12:40:55 0
>>1よ、折角トップ・レスに麗江木氏(土司)を挙げたんだから、土司の名家について少しは書いてくれ
150世界@名無史さん:2006/06/01(木) 01:24:09 0
乳出して?
151世界@名無史さん:2006/06/24(土) 11:31:28 0
      
1521:2006/06/25(日) 12:32:00 0
>>148>>149
正直すまんかった
1531:2006/06/25(日) 12:40:13 0
木氏の町を城郭で囲むと「木」氏だけに「困」ってしまうので
麗江は大陸の都市なのに城郭で囲われてないって話はガイシュツかな?
154世界@名無史さん:2006/06/25(日) 20:19:20 0
國だと惑っちゃうから圀みたいな話だな
155世界@名無史さん:2006/07/16(日) 16:18:33 O
甄家age
156世界@名無史さん:2006/07/17(月) 22:07:45 0
長宗我部元親の先祖は始皇帝



と称していた。
157世界@名無史さん:2006/08/07(月) 00:09:54 0
月例宗親会に上がりました。
158世界@名無史さん:2006/08/07(月) 14:37:10 0
中国:高額納税者優遇 子供の入試に得点加算 福建省の市

私営企業を経営する高額納税者の子供に対して、高校の一般入試の得点を20点加算する政策を始めた。
貧富の差が入試の得点に直接影響する不公平な措置に批判が集まる一方で、
中低収入の家庭からは「金持ちが特権を持つのは仕方ない」とあきらめの声も出ている。
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060807k0000e030013000c.html
159世界@名無史さん:2006/08/28(月) 14:13:07 0
有名作家の金庸は、浙江で代々進士を輩出してきた家と聞いた
160世界@名無史さん:2006/09/09(土) 05:18:19 0
宇喜多氏
161世界@名無史さん:2006/09/14(木) 21:55:00 0
金庸は査継佐・査慎行・査嗣庭などを輩出した海寧の査氏の一族に連なる
162世界@名無史さん:2006/09/14(木) 22:05:37 0
名家といえば劉鳳です。
163世界@名無史さん:2006/09/15(金) 21:22:21 O
>>158
なべやかんにコメントしてほしい
164世界@名無史さん:2006/10/02(月) 23:08:21 0
日本と違ってしょっちゅう支配階級の面子が入れ替わってる中で
春秋戦国以来ずっと特別扱いされ続けてるってすごいね>孔家

ある意味、日本の天皇家みたいなものなのかな?
神道の代わりに儒教で…。
165世界@名無史さん:2006/10/10(火) 23:41:57 0
中国の歴史に関する娯楽・文学は三戦板のご利用を

http://hobby8.2ch.net/warhis/
166世界@名無史さん:2006/11/07(火) 22:27:25 0
保守
167世界@名無史さん:2006/11/11(土) 17:18:01 0
168世界@名無史さん:2006/12/10(日) 19:08:20 0
>>162
劉鳳?
169世界@名無史さん:2006/12/10(日) 20:43:15 0
中山靖王劉勝って子供が120人もいたというけど、
それだったら、日本にも一人か二人は末裔がいそうなもんだけど、いないかなあ?

霊帝や始皇帝の末裔がいるのなら、いそうな気もするんだが。
170世界@名無史さん:2007/01/13(土) 18:37:37 0
あげ
171世界@名無史さん:2007/01/14(日) 17:49:25 0
>>169
子供と孫を合わせての数。
172世界@名無史さん:2007/02/25(日) 19:17:38 0
正解
173世界@名無史さん:2007/03/03(土) 00:14:47 0
南宋は貴族社会だったと聞きましたが、具体的にはどのような豪族・貴族がいた
のでしょうか?
174世界@名無史さん:2007/03/23(金) 21:51:17 0
五大姓 劉 李 張 鄭 金
175世界@名無史さん:2007/03/28(水) 10:20:49 0
趙では
176世界@名無史さん:2007/04/02(月) 09:31:14 0
朝鮮にも金海金氏 とか宗族があるね
177世界@名無史さん:2007/04/14(土) 01:17:23 0
>>156
丹波哲郎の先祖は後漢の霊帝

と何でも鑑定団で丹波家家系図を披露していたっけな。
178世界@名無史さん:2007/06/09(土) 22:51:22 0
保守
179世界@名無史さん:2007/08/17(金) 11:19:27 0
李みたいなポピュラーな姓だと同姓同名が多そうだ
180世界@名無史さん:2007/08/20(月) 20:58:53 0
age
181世界@名無史さん:2007/08/20(月) 21:01:15 0
>>173
六朝の宋と勘違いしてないか?
182世界@名無史さん:2007/08/29(水) 14:27:14 O
イルミナティ系の財閥なら、香港の季家が本場だろ?ユダヤ系だと、上海のサスーン家。

台湾に、陳宝(チンポ)という実業家がいるらしい。(笑)
183世界@名無史さん:2007/08/29(水) 14:32:51 0
中国共産党って、いつの間にやら名門貴族と大資本家の政党になっているな。
184世界@名無史さん:2007/08/31(金) 21:49:08 0
三国時代の呉の四性の陸、張、朱、顧は呉が滅んだあとはどうなったの?没落した?
185世界@名無史さん:2007/09/12(水) 21:48:34 0
君主の政権維持が破綻しても、貴族の政治的社会的地位には影響がない。
これが六朝時代の特質である。
従って呉の四姓も中央政界で依然として一定の地位を保持することができた。
ただし王氏や謝氏などの北方貴族よりも相対的に下位ランクに甘んじてはいたが。
186世界@名無史さん:2007/09/12(水) 23:56:15 0
中国人にとっては南北朝は愛国心を掻き立てられる時代だろうな
北方の異民族に立ち向かう中華王朝という感じで
187世界@名無史さん:2007/09/13(木) 02:55:04 0
>>177
後漢の霊帝が先祖って家は日本中にあるぞ
庄屋の家系に多い
漢末の混乱に故国を離れて来日したわけだね
なにしろ皇室や源平藤橘の名族に繋がなくていいから便利だ
188世界@名無史さん
>>187
んなもんほとんどが嘘っぱちだろ・・・