傭兵を語るスレ

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236世界@名無史さん:2005/05/17(火) 23:18:29 0
>>234
さすがオランダ人とイギリス人のハイブリッドだけはある。
>>233
まあその愛すべき能天気さがある意味ではうらやましい。
自分たちを守っているのが日本のマネー・パワーと資本主義社会の軍事力であることも知らず
知る権利によって守られていると思えるのだから。
237世界@名無史さん:2005/05/17(火) 23:27:48 0
たとえ、戦車や戦艦に乗っていても「警備会社社員」だから
国際法上、「軍人」ではなく「市民(シビリアン)」に分類されるという罠。

いやいや、こいつぁー、一本とられましたね。
238世界@名無史さん:2005/05/18(水) 11:57:56 0
ビアフラ戦争では、ビアフラ軍、連邦軍ともに白人傭兵を雇っていた。
なかにはビアフラ側に対する思い入れから、義勇兵として活躍した
C・G・V・ローゼン伯爵のような人物もいる。
239世界@名無史さん:2005/05/19(木) 00:34:31 0
なんつーのか、セルバンテスが書いたローゼン伯の伝記があったらマジで読みたいね。良くも悪しくも最後の騎士と称するに相応しい。
240世界@名無史さん:2005/05/19(木) 03:36:56 0
ttp://funchun.hp.infoseek.co.jp/hanamiti/mercenary.html
スウェーデン人、カルル・グスタフ・フォン・ローゼン伯爵。反共主義者の
飛行機キチガイ。趣味が高じてなのか世間的には 傭兵という稼業に憂き身を
やつすことになる。彼の親父エリックも やはり戦争好きの飛行機キチガイで
帝政ロシア(いや、もうソヴィエトかな)からのフィンランド独立戦争に
飛行機にのって義勇兵として参加。 フィンランド空軍の端緒をつくった男。
やはり血は争えないというところか。脇道にそれるがカルルの姉はナチス
ドイツのゲーリングの 嫁さんである。 ま、一族そろってそういうのに縁が
ある連中なのだ。
成人になって、スタント飛行やらをやるようになったカルルは、まず、1935年
に起こった イタリアのエチオピア侵攻に義憤を燃え立たせる。医療支援の
ためにアジスアベバあたりを飛び回る。 KLMに勤めはじめて まっとうな
コースを歩み始めたかと思いきや、 今度は先代からの得意先、フィンランドへ。
WW2初期に始まるソ連のフィンランド侵攻を阻止するべく先代同様 やはり
飛行機に乗って助太刀にいくのである。なんといっても昔からヨーロッパの
名家は馬に乗って戦場へいくのだ。飛行機でいってなにがおかしい? まぁ、
その通りなのだが持っていった飛行機が かなりおかしいのである。伯爵の
乗機はダグラス社のDC-2。純然たる旅客機なのだが、こいつの天井をぶち抜いて
旋回銃座をつけ、主翼の下に爆弾架をとりつけて、座席を全部取り払ってしまう
というのだ。そう、彼は、この飛行機でロシア人たちにちょいとした爆弾の雨を
サービスしてやろうというのである。
241世界@名無史さん:2005/05/19(木) 03:40:15 0
冬の戦い後?、再びKLMに戻るが オランダはドイツにあえなく敗北。
その後何をしていたのかよくわからないが、戦後は、再びエチオピアに登場。
エチオピア皇帝ハイレ・セラシエの空軍の近代化の任務についたあと、
スウェーデンの航空会社「トランスエア」のパイロットになる。
トランスエアでは、伯爵は飢餓に苦しむビアフラへの食料と医薬品の
空輸作戦の責任者となる。
ビアフラを攻撃中のナイジェリア軍のレーダー網をすり抜けるべく、
自ら低高度でDC-7を飛ばしてビアフラへ向かう。
定年の60歳を目前にしても伯爵の血はなお熱い。 ナイジェリア連邦空軍
による爆撃の惨状を見た伯爵はナイジェリア連邦空軍のミグを片づける
決心をする。 今回はサーブ社のプロペラスポーツ機、MF1-9Bに目をつけた。
こいつを改造してミニコイン機にして地上襲撃に使うのだ。 今度の改造は
わりとまっとうだったといえよう。スポーツ機といっても小国での軍事
利用を想定した機体で、翼下に300キロのパイロンだって 取り付けれる
のである。タンザニア政府を隠れみのにしてビアフラ政府は5機のMF1-9B
を購入。 機体はフランスでロケットポッドを取り付けられて梱包、
輸送される。パイロットは伯爵を含むスウェーデン人3人、ビアフラ人が2人。
MF1-9Bは密かにビアフラ空軍の秘密基地へ向かう。 1969年5月22日に
最初の襲撃を敢行。ミグやらイリューシンやらを ロケット弾で破壊して
気勢をあげる。あまりにうまくいったので同じ日にもう一度襲撃を行う
という熱のいれよう。が、伯爵の参加はすぐにばれてしまった。
さすがにまずいのか5回ほど襲撃しただけで伯爵は帰国。
その後もこのミニコイン機たちは、まぁよく戦うが、 いかんせん数も
少ないし、秘密基地の発見とともに新生ビアフラ空軍は 再び泡と消えたのである。
242世界@名無史さん:2005/05/19(木) 03:49:15 0
243世界@名無史さん:2005/05/19(木) 10:33:24 0
ドイツのトップエースの義弟がこんなのだったなんて
面白いもんだね。
パヤオあたりが映画にしたそうな人材だ。
244世界@名無史さん:2005/05/19(木) 18:21:42 0
1997年に、ECOMOG(西アフリカ連合軍)がシェラレオネに介入したが、
このときもイギリスの大手PMCサンドライン社の支援がなかったら、ゲリラ
に勝利することはできなかったのではないかといわれている。
245世界@名無史さん:2005/05/19(木) 18:26:15 0
アツいぜアツいぜアツくて死ぬる一家だ!>フォン・ローゼン伯爵家
感動した
246世界@名無史さん:2005/05/21(土) 00:45:41 0
サーサーン朝滅亡後、ペルシア兵はアラブや中国の傭兵になって生き延びた。
彼らは一人が一時に5本の矢を射ることが出来たという。
247世界@名無史さん:2005/05/21(土) 08:31:24 0
それはトルコマン。
248世界@名無史さん:2005/05/21(土) 15:37:43 0
>>247
いや、同じ弓騎兵でも定位置から連射するのはイラン系の技らしい。
249はじめまして。:2005/05/21(土) 21:27:43 0
>>246-248
横山光輝:作「ウイグル無頼」ですか。
250249:2005/05/22(日) 10:41:45 0
知ってます?
あと傭兵つながりで、パイナップルARMYの話題は板違いでしょうか?
251世界@名無史さん:2005/05/22(日) 19:48:47 0
>>250
どうぞ。
252世界@名無史さん:2005/05/23(月) 21:40:49 0
>>218-219の続き

兵士の勤務年数については、18世紀前半のハノーファー軍のことがくわしく
わかっている。この国にあるゲッティンゲンという都市に駐屯した二つの
連隊(2552名)の勤務年数を示した表によれば、勤務年数が1年に満たない兵士
は全体の15〜20%である。10年以上勤務する兵士は、ドゥルヒトレーベン連隊
で約2割となっている。ブロック連隊では調査機関が7年間しかないため正確な
数値はわからないが、他の勤務連隊の数値が似ていることから、ドゥルヒト
レーベン連隊と同じぐらいの割合であったと推測してもよいだろう。1年以上
4年未満の兵士の割合は、両連隊ともほぼ同じで、40%弱に達している。
数値を見る限り、どうやらこの兵士たちが全体の多数のようである。とすると、
常備軍の兵士の多数は一生涯勤務する職業軍人ではなかったということになる。
かりに10年以上勤務する兵士を生涯勤務の古参兵とすれば、その割合は全体の
2割程度で、残りの多くの兵士は、数年間の短期間労働として軍役に志願して
いたのである。実際、いくつかのドイツ諸領邦を検討した研究においても、
兵役期間は長くて6〜7年で、平均勤務年数は約3〜4年と見積もられている。
「職業軍人」とも呼ばれる常備軍の兵士は、やはりその多数が短期間勤務で
あったのである。
253世界@名無史さん:2005/05/23(月) 21:59:47 0
この点をふまえたうえで、極めて図式的ないいかたをすれば、常備軍時代の
兵士は、戦力と組織の両面において部隊の中核をなした古参兵、数年間
というかぎられた年限の仕事として兵役を志願した兵士、そして危急時や
戦時に強制徴募で集められた不本意入隊者の三種類に分類されるのでは
ないかと思われる。
とりわけ平時には、軍隊への志願者が一定数存在し、強制徴募はきわめて
稀だったという指摘もあることから、兵士はほぼ第一、第二類型の者たち
で構成されていたと考えられる。しかしながら、短期間の大幅な兵員補充
が必要になった戦時には、やはり犯罪者や浮浪者が数多く編入され、
強制徴募兵も増加した。
254世界@名無史さん:2005/05/24(火) 00:00:34 0
しかし短期志願兵=傭兵じゃないだろう。
255世界@名無史さん:2005/05/24(火) 00:26:46 0
ttp://www.f5.dion.ne.jp/~mirage/hypams00/2e.rep.gcp.html
仏陸軍 外人部隊第2落下傘連隊パラシュート・コマンド(GCP)
French Foreign Legion Groupe Commando Parachutistes
256世界@名無史さん:2005/05/24(火) 00:30:45 0
フランス外人部隊には、伝統的にドイツ人が多かったというのはホント?
257世界@名無史さん:2005/05/24(火) 00:37:28 0
時代によるでしょ。
第二次大戦後に多かったのは確か。
258世界@名無史さん:2005/05/24(火) 01:18:09 0
作家のエルンスト・ユンガーは、少年時代に北アフリカのフランス外人
部隊に参加したことがある。
259世界@名無史さん:2005/05/24(火) 01:43:23 0
>>256
外人部隊の結成前の傭兵隊にもドイツ人は多かったそうな。
しかし部名が高く、最後まで残ったのはスイス連隊だったように思う。
260世界@名無史さん:2005/05/24(火) 11:46:07 0
フランス革命が勃発した1792年、パリのテュイルリー宮では、パリの国民衛兵と
マルセイユなど各地の連盟兵が王宮を守るスイス人傭兵と激しい戦いを展開し、
スイス人傭兵は600名をこえる死者を出した。
261世界@名無史さん:2005/05/25(水) 10:37:38 0
ランツクネヒトが一躍悪名をはせたのが、かの名高い「サッコ・ディ・ローマ」。
もともとランツクネヒトは、貧しい農村出身者で大半が占められていた。
彼らは日ごろから、聖職者の貪欲な搾取や目に余る腐敗や、教会に支払う
十分の一税の重さなどに憤懣を抱いていたが、それがイタリアに来て一気に
あふれ出し、教会や僧院ときくと逆上した。故国でプロテスタントの反教皇庁
宣伝を聞きかじり、怒りを募らせていたランツクネヒトは、当然のことながら
悪の巣窟と見えたヴァティカーノ宮へも押しかけた。ヴァティカーノ宮の
「署名の間」の壁には、槍で“V.K.IMP.”(カール皇帝万歳)という略文字と、
マルティヌス・ルテルス(マルティン・ルター)というラテン名を刻み付けた。
262世界@名無史さん:2005/05/25(水) 12:40:19 0
ttp://movie.goo.ne.jp/joanni/
映画『ジョヴァンニ』公式サイト

16世紀初頭。ヨーロッパ全土に覇権を広げた神聖ローマ帝国(ゲルマン軍)は、
イタリア北部を制圧、ポー川を越え教皇庁のあるローマに一気に攻め込もうと
していた。その進軍を阻止する教皇軍の隊長は、28歳の若さで名将の誉れ高い
ジョヴァンニ・デ・メディチ。しかしそんな彼も、身内である貴族の裏切り、
厳寒の地で戦う兵士への賃金不足と、今回ばかりは窮地に立たされていた。
苦境の中、彼が思いだすのは故郷で待っている妻子と、熱い愛を交わした
ある貴婦人のことだった…。
263世界@名無史さん:2005/05/28(土) 10:34:16 0
最近、フランス外人部隊は東欧人が減って、中国人が増えてるらしいね。
全体では約500人のアジア人がいるが、約300人が中国人。
連隊長いわく、「彼らの目的は国籍取得のようだ」とちょっと不満げに
打ち明けたそうな。
入隊して5年たつと希望者はフランス国籍が取得できる。
264世界@名無史さん:2005/05/28(土) 10:48:09 0
アメリカは、他国の軍隊に属したり、他国の利益のための軍事行動に
参加した場合は、アメリカの国籍(市民権)は喪失すると聞いたのですが、
フランス外人部隊に入隊するのも、これに当たりますか。

独立戦争の際のゴタゴタをひきずっている野蛮な法律として、
批判の対象にもなっているらしいけど。
265263の感想。:2005/05/28(土) 10:54:15 0
やはり国内がアレだからじゃ……となると東アジアにまた大規模な混乱が?
そうなったらどうしよう。
266世界@名無史さん:2005/05/28(土) 11:03:02 0
>>265
パリの中国人街には滞在許可証も労働許可証もない不法滞在者がいる
そうでつ。フランス国籍を取れば社会保障もあり老後も安泰。
267世界@名無史さん:2005/05/28(土) 11:05:29 0
フランス外人部隊のトレードマークの白ケピ(円筒帽)は創立時は
カーキ色だったが、1939年に正式に白が採用された。歴戦の兵士の
ケピほど熱砂と洗濯で色あせ白くなるので、わざと日光にさらしたり、
洗濯して白さを競う兵士が増えたためだという。
ttp://www.ecotox.dk/flegion.jpg
ttp://www.johnhelmer.com/products/full/119.jpg
↑白ケピ
268世界@名無史さん:2005/05/28(土) 12:00:13 0
ttp://www.asahi.com/national/update/0528/TKY200505280106.html?t1
イラク武装勢力が斎藤さん死亡と声明

イラクで英国系警備会社スタッフの斎藤昭彦さん(44)が拘束されたと
見られる事件で、スンニ派の武装組織「アンサール・アルスンナ」が斎藤さん
の遺体だとする映像と声明をウェブサイト上に掲載した。日本政府が28日、
確認した映像では、この男性は「アルアサド米軍基地で安全確保指揮官として
働いていた日本人」とされ、戦闘で銃弾を受けて死亡したと伝えている。斎藤
さんのパスポートや身分証も映された。日本政府は男性が斎藤さん本人か
どうかなど分析と情報収集を急いでいる。
269世界@名無史さん:2005/05/28(土) 12:01:02 0
武装組織の声明は、「アンサール・アルスンナ メディアセクション」
の名前で3分45秒のビデオ映像として出された。冒頭、アラビア語で
「アルアサド米軍基地で安全確保指揮官として働いていた日本人を示す
ビデオ映像」だと説明。日本人が同基地を出た後、「聖戦士」との
激しい戦闘で負傷し、体に受けたいくつかの銃弾がもとで死亡した、
と述べている。
その上で、イスラム教の聖典コーランの朗読を流しながら、斎藤さんの
身分証やパスポートの映像を改めて映し出した。
続いて「米軍と契約し働きたいと望むすべての者に、この映像を見る
ことを勧める」との警告文が出た後、東洋人風の男性が横たわる映像が
流れた。
270世界@名無史さん:2005/05/28(土) 12:01:54 0
撮影者は「アラーは偉大なり」とつぶやきながら撮影を始めた。男性は
茶色い戦闘服風のジャケットとズボンに、黒のTシャツ姿。コンクリート
の床の上に仰向けに大の字となり、周辺の床に広い範囲にわたって血痕
がみえるほか、首から顔にかけて出血の跡がある。建物は道路沿いに
あるらしく、車の走る音が聞こえた。
撮影者は「彼は自らの罰を受けた。彼はイスラエルの(情報機関)
モサド、ユダヤ人、背教者の犬だ。アラーは偉大なり」とつぶやき
ながら、撮影を続けた。
最後に、「これは、我々の宗教、土地、名誉を強奪し、作物と子孫を
破壊するすべての者に対する、預言者ムハンマドの兵士からの答えだ」
などと述べている。
271世界@名無史さん:2005/05/28(土) 23:39:25 0
>>264 外人部隊はよく判らんが、第二次世界大戦で、二重国籍で日本兵として戦った日系米国人の場合は

・徴兵に応じ、銃を取って戦場に出て米軍と戦った←OK。君は国民として当然の義務を果たしたまでだ。米国籍を選択するかどうかもう一度決めてくれ。
・国政選挙に(棄権せず)参加した、あるいは志願して将校となった。←NG。君は行動により大統領より天皇への忠誠を選択した。一度決めた以上再考は認められない。 だったそうだ。
272世界@名無史さん:2005/05/30(月) 17:25:25 0
バチカンのスイス人衛兵に不細工はなれないと姉が言っていたが、本当か?
273世界@名無史さん:2005/05/30(月) 18:05:19 0
>>272
バチカンに限らず、王室の近衛兵など、目立つところに配備されるのは
眉目秀麗な人。
274世界@名無史さん:2005/05/30(月) 18:49:38 0
板門店の兵士も両韓ともに池面。
275世界@名無史さん:2005/05/30(月) 19:29:20 0
ttp://www.europe-z2.com/chusei/ad1377it_n.html
中世イタリアの戦争の主役といえば、悪名高い傭兵部隊だった。そんな
荒くれ兵たちを率いる傭兵隊長の中でも、当時最強と称賛されていた
のがジョン・ホークウッド(イタリアでは、ジョヴァンニ・アクートと
呼ばれていた)だった。

ジョン・ホークウッドは西暦1320年にイングランド(イギリス)で
生まれた。革なめし職人の息子だった。その革なめし職人だった父が
亡くなると、ジョン・ホークウッドは遺産を売り払って武具を買い、
イングランド軍の兵隊となった。
276世界@名無史さん:2005/05/30(月) 19:30:07 0
イングランド王エドワード3世指揮下のイングランド軍の一員として
海を渡ったジョン・ホークウッドは、イングランドとフランスとの間の
百年戦争に参加。やがて、ポワティエの戦いでの活躍により、騎士に
叙せられる。ところが、イングランドとフランスとの間に束の間の和平
が成立し、騎士ジョン・ホークウッドの活躍の場は無くなってしまった。

西暦1361年(あるいは1362年)、騎士ジョン・ホークウッドは100人
ほどの部下を従えて、都市国家同士が争っていたイタリアへ渡ってきた。
そこで彼はドイツ人傭兵隊長アルブレヒト・ステルツの傭兵部隊に参加
した。
277世界@名無史さん:2005/05/30(月) 19:31:04 0
やがて、有能な指揮官ぶりを発揮したジョン・ホークウッドは、
アルブレヒト・ステルツに次ぐ地位にのしあがる。それどころか、
部下たちの支持を得たジョン・ホークウッドはアルブレヒト・ステルツ
を追い出し、自分が傭兵部隊の指揮官となったんだ。
それから、傭兵隊長ジョン・ホークウッドは中世イタリアを舞台に縦横
無尽の戦いを続ける。ピサに雇われてフィレンツェと戦ったかと思えば、
次にミラノに雇われてフィレンツェやピサと戦う。立場を換えてローマ
教皇に雇わたかと思えば、再びミラノ。
278世界@名無史さん:2005/05/30(月) 19:32:04 0
百年戦争で練り上げられたイングランド軍の戦術を駆使する傭兵隊長
ジョン・ホークウッドには、いくつもの都市国家が誘いをかけていた。
そして西暦1377年、傭兵隊長ジョン・ホークウッドは軍司令官として
イタリアの古都フィレンツェに迎えられたんだ。
フィレンツェ軍の司令官として各地で戦った傭兵隊長ジョン・ホークウッド
なんだけど、西暦1390年には優勢を誇るミラノ軍に敗れた。既に70歳と
なっていたジョン・ホークウッドも敗戦のショックが大きかったのか、
戦いの日々に疲れたのか、故郷のイングランドへ帰りたくなっちゃった
んだそうな。
そして西暦1394年、帰国を目前にしたジョン・ホークウッドを襲ったのは
病魔だった。亡くなった傭兵隊長ジョン・ホークウッドの葬儀は、
フィレンツェの中心ともいえるドゥオモ(花の聖母マリア大聖堂)で
行われたんだそうな。
279世界@名無史さん:2005/05/30(月) 20:18:08 0
>>272-274 
   〃                 i,        ,. -‐
   r'   ィ=ゝー-、-、、r=‐ヮォ.〈    /
    !  :l      ,リ|}    |. }   /   .や
.   {.   |          ′    | }    l
    レ-、{∠ニ'==ァ   、==ニゞ<    |    ら
    !∩|.}. '"旬゙`   ./''旬 ` f^|    |
   l(( ゙′` ̄'"   f::` ̄  |l.|   |     な
.    ヽ.ヽ        {:.    lリ     |
.    }.iーi       ^ r'    ,'    ノ    い
     !| ヽ.   ー===-   /    ⌒ヽ
.   /}   \    ー‐   ,イ       l    か
 __/ ‖  .  ヽ、_!__/:::|\       ヽ

 、        ヽ
 |ヽ ト、  ト、 ト、 、.`、
/|l. l. | |l l | | l |l.| |l. l
/' j/ ノ|ル'/レ〃j/l |
-‐7" ヾー---┐|_.j
 ̄   ./゙ニ,ニF、'' l _ヽ
::   ,.,. |ヽ 」9L.` K }.|
    l'  """  l ) /
  h、,.ヘ.      レ'/
          レ′
 r.二二.)     /  
  ≡≡    ,イ
.       / !
\   /  ├、
::::::` ̄´   /  !ハ.


280世界@名無史さん:2005/05/30(月) 20:52:22 0
38度線はハッテン場か
281世界@名無史さん:2005/05/31(火) 02:20:59 0
>>280
とくれば映画「JSA」みたいだな。
「女には踏み込めない男だけの世界がある」と言わんばかりの展開がw
282世界@名無史さん:2005/05/31(火) 17:43:29 0
《三十年戦争時代の傭兵》

軍隊では魔女裁判も行われた。魔女にされることが多かったのは、輜重隊の
中で特別な治癒力があると噂された女たちである。彼女たちは傷病兵の看護や
動物の世話に失敗すると、すぐさま魔女の疑いをかけられた。
魔女裁判としては、1644年にシュヴェービッシュ・ハルで行われたシュポルク
連隊のものが比較的有名である。魔女と疑われた女たちは、全裸にされ、手足を
十字に縛られたうえ、綱で固定され湯の中へ放り込まれた。これは、魔女で
あるかを確かめるための審判である。女が水の中に沈めば無実であり、水に
浮くと魔女の疑いが確認された。多くの野次馬が見物する中、審判は3回
繰り返され、結果的に魔女と断定された女は、その後拷問によって自白を
強要され、斬首され、燃やされたのであった。
283朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/05/31(火) 21:12:22 0
魔女裁判は最後まで魔女と自白しなかった場合には、
「ここまで過酷な拷問に耐えれるのは魔女だからだ!
間違いない!」…って、殺されちゃうんだよね。

自白しても魔女、しなくても魔女なんだから、
嫌疑をかけられた時点で死刑と一緒でしょ(藁
284世界@名無史さん:2005/06/03(金) 21:06:47 0
傭兵輸出までして自国の中立と共和制を守ったスイス人が、
絶対王政の権化みたいなブルボン王朝を最後まで支え、
フランス革命を潰そうとしたんだよな…

まぁ、とりあえず、HEVETIORUM FIDEI AC VIRTUTI!
285世界@名無史さん:2005/06/04(土) 01:42:46 0
>>284
中立とは言っても山岳地で交通の便も悪く産業も無く周辺諸国が欲しがら
なかったから。共和制とは言っても実態は都市貴族が権力を独占し、平民は
産業も無いので傭兵出稼ぎ。現実は辛いな・・・。
286世界@名無史さん:2005/06/04(土) 03:39:46 0
> 共和制とは言っても実態は都市貴族が権力を独占し、平民は産業も無いので傭兵出稼ぎ。

歴史を通してみれば、そういう「共和政」のほうがむしろ普通だろう。
共和政と主権在民をセットにしたフランス革命は、まさに世界史の新しい時代の始まりだったんだね。
287世界@名無史さん:2005/06/04(土) 10:03:28 0
フランス革命って初め立憲君主制目指してませんでしたっけ?それをルイがアホやらかしてサヨ暴走、でナポレオンがそれを収拾したと
288世界@名無史さん:2005/06/05(日) 19:52:38 0
>>285
>中立とは言っても山岳地で交通の便も悪く産業も無く周辺諸国が欲しがらなかったから。
スイス南部のザンクト・ゴットハルト峠はドイツ〜イタリアへの交通路。
神聖ローマ帝国にとって、ローマとの交通路として重要な土地だったんでは?
実際、ハプスブルグ家が誓約同盟初期の頃に重騎兵隊編成して攻め込んでます。
289世界@名無史さん:2005/06/06(月) 23:51:32 0
>絶対王政の権化みたいなブルボン王朝を最後まで支え、
フランス革命を潰そうとしたんだよな…

金の切れ目は縁の切れ目は、ノーマネー、ノースイスと言うらしいと
何かで読んだ。旗色が悪くなっても金さえ払えば寝返らないが、金を
払わないと旗色が良くても縁切れになると。
バチカンのガードが、スイス人衛兵なのもそうしたことに由来するらしい。

>平民は
産業も無いので傭兵出稼ぎ。現実は辛いな・・・。

ハイジのおじいさんも出稼ぎ傭兵だったしな。

しかし、スイスが平和的な中立国だという奴は最近はさすがにいなくなった。
国民皆兵、各家庭に自動小銃が置いてある世界有数の軍事武装国家。
対戦中はナチスの金庫と連合軍への武器供給で立ち回ったしたたかさ。
中立を維持するには、脳みそと筋肉を使わねばならないというよくも悪くも
現実的なサンプル。
290世界@名無史さん:2005/06/07(火) 12:38:06 0
>>289
バチカンの傭兵がスイス人なのは、サッコ・ディ・ローマのとき、
イタリア人傭兵はみんな逃げたのに、スイス人傭兵は最後まで戦ったからだ
ときいたけど。

291世界@名無史さん:2005/06/07(火) 16:04:36 0
>>290
そんくらいの時期にアレ発見されたよね
292世界@名無史さん:2005/06/07(火) 16:05:02 O
「キャロル・ジュネの手記」に出て来たオヒューロルって傭兵だっけ?
293世界@名無史さん:2005/06/07(火) 16:06:02 0
>>292
ゾネス
294世界@名無史さん:2005/06/07(火) 16:06:06 0
>>291
キャロルなんとかの手記だっけか?
295世界@名無史さん:2005/06/07(火) 16:06:16 0
いや衛兵とかですらなくて使用人だったろ
296世界@名無史さん:2005/06/07(火) 16:06:29 0
>>293
それははっきりしないんじゃなかったっけ?
297世界@名無史さん:2005/06/07(火) 16:08:15 0
>>292
それってミントル事件の全貌が書いてあるんだよね?
298世界@名無史さん:2005/06/07(火) 16:08:51 0
オヒューロルとゾネスが恋仲(雄×雄)
んで主人が当たり前だけどその二人を切る
ジュネがゾネスに惚れてた
あとはそんなよく把握してない
299世界@名無史さん:2005/06/07(火) 16:09:02 0
>>297まぁ首謀者だからな
300あぼーん:2005/06/07(火) 16:10:02 0
あぼーん
301世界@名無史さん:2005/06/07(火) 16:10:17 0
>>297
それはメンセル事件w
ミントル事件は(ry
302世界@名無史さん:2005/06/07(火) 16:11:38 0
オヒューロルの料理は美味いって、妹が言ってた。
303世界@名無史さん:2005/06/09(木) 20:49:49 0
マルシェウモール!
304世界@名無史さん:2005/06/12(日) 20:43:21 0
ttp://www2.asahi.com/special/iraq/TKY200505110182.html
自ら戦地に赴く理由は? イラク拘束で関係者の反応

神戸出身の38歳の男性は89年から6年間、仏外国人部隊の「第2外国人
落下傘部隊」に所属した。日本では陸上自衛隊の第1空挺団で、団長賞を取る
ほどのエリートだった。でも、なぜか「足りひん(足りない)」と思った。
所属部隊の日本人は10人前後。接した日本人の3分の1が自衛隊出身だった。
アフリカ・チャドでクーデターが起きた際、銃弾が飛び交う戦闘に遭遇した。
初めは恐ろしくて仕方がなかった。威嚇射撃をした。「2、3日たったら
慣れた」
除隊後、世界各地の大規模プラントなどで警備対策要員になる人もいる。
こうした仕事をあっせんする会社も英仏にはある。日本に帰る人は少ないと
いう。
305世界@名無史さん:2005/06/12(日) 21:47:20 0
>>301
ミントル事件って何よ?
306世界@名無史さん:2005/06/14(火) 07:55:22 0
ミントル事件ってどういう事件?
307世界@名無史さん:2005/06/20(月) 00:12:23 0
ビザンツ帝国では、テマ(軍管区)制が衰えるにつれて、外国人傭兵の割合が
増えていった。
皇帝の警護にあたるヴァリャーギ親衛隊は有名だが、そのほかにもペチェネグ人、
クマン人、セルジューク・トルコ人、ブルガリア人、アラン人、ノルマン系
イタリア人、ヴェネツィア人、ユダヤ人、アラブ人など、ありとあらゆる
民族出身者がいた。
308朱由檢 ◆MfD.4zQt1. :2005/06/20(月) 00:29:56 0
ビザンツ帝国を防衛する立場なのに、ビザンツ帝国と対峙して封土を勝ち取る…。
オスマン帝国も本来はソユト軍管区を防衛していたビザンツ帝国臣民だったよね。
309世界@名無史さん:2005/06/20(月) 01:00:26 0
>>308
傭兵たちは、給料が支払われない場合、敵側に寝返ってビザンツ領を
略奪する、なんてこともよくあったみたい。
トルコ系諸民族は軽騎兵、フランク人やノルマン人は重騎兵、
ロシア人やヴァイキングは歩兵、アングロ・サクソン人やデーン人は
ヴァリャーギ親衛隊になることが多かったようです。

一方、セルジューク朝やオスマン朝も、ギリシア人、グルジア人、
アルメニア人、フランク人、セルビア人などを傭兵として雇っていました。
310世界@名無史さん:2005/06/20(月) 01:34:44 0
ノルウェーのハーラル苛烈王は、若いころヴァリャーギ親衛隊の一員だった。
オーラフ2世が1030年のスティクレスタズの海戦で戦死し、ノルウェーが
クヌート大王の王国に帰属することになると、ハーラルは故郷を離れて
キエフ公国へ亡命し、そこでヤロスラフの親衛隊の指揮を引き受けた。
その後彼はビザンツへ向かい、皇帝ミカエル5世の親衛隊の首領に出世した。
彼はこの間、ユーフラテス河畔とシチリア島でサラセン人と戦い、
1040年ごろにはアテネの反乱を鎮圧し、その後イェルサレムに巡礼する。
ビザンツに戻った彼は皇帝一家と不仲になり、ノルウェーへ帰って
マグヌス善良王と権力を分割する。
311世界@名無史さん:2005/06/21(火) 19:57:50 0
逆に、ヘイスティングズで敗れたハロルド・ゴドウィンソンのハスカールの中には、
ウィリアム征服王に対して二度と武器を取らないことを誓約した後、
ビザンツに渡ってヴァリャーギ親衛隊に入ったものが多数いたらしい。
John Godfrey,"The Defeated Anglo-Saxons Take Service with the Eastern Empire",
Proceedings of the Battle Conference on Anglo-Norman Studies 1(1978)

1066年の戦役は、中世の、しかも辺境の島国の話にしては、えらいスケールがでかい。
312世界@名無史さん:2005/06/25(土) 11:44:43 0
NHK総合 6月26日(日)
午後9:00〜

“戦争”請負人
 〜イラク・民間軍事会社の実態〜
313世界@名無史さん:2005/07/01(金) 22:22:29 0
314世界@名無史さん:2005/07/03(日) 23:09:39 0
191 :世界@名無史さん :02/12/21 21:26
ブワイフ朝以前の10世紀前半のダイラム人・ギール人傭兵隊長の活動        柴山 滋
 
10世紀前半のイラン北部の地域はアッバース朝カリフの権力が
衰退し,様々な地域の利害関係者が互いに競いあった,
イラン史上の「ダイラム人の幕間」と呼ばれる時期であった。
9世紀末にエルブルズ山脈西部の山岳民であるダイラム人と
その麓のギーラーンの農耕民であるギール人の大部分は,
アリー家のハサン・アル・ウトルーシュの宣教に応じて
イスラームに改宗し,タバリスターンとグルガーン地方の
アリー家国家の再建に協力し,917年のハサンの死後は宗教の
影響が薄まった国家を建設した。この地域は935年以降,
ブワイフ朝によって統合されていくが,その前段階で
活躍するのが,リーリー・ブン・アル・ヌウマーン,アスファール・ブン・スィーラワイフ,マーカーン・ブン・カーキー,マルダーウィージ・ブン・ズィヤールの4名のダイラム人・ギール人の傭兵隊長である。
 
リーリー・ブン・アル・ヌウマーンについては,多くのことが
知られているわけではない。彼はハサン・アル・ウトルーシュ
の息子達に仕えた指揮官の一人であった。彼はハサンの義理の
息子で,かつ後継者であるハサン・ブン・アル・カーシムに
より,920年にグルガーンの代官に任命された。921年,
ハサンはダイラム人・ギール人に略奪のはけ口を与えるために
リーリー指揮の下,当時サーマーン朝の配下にあった
ホラーサーンに派遣した。彼はダームガーンを占領し,
さらにニーシャープールとメルブまで手中に入れたが,
サーマーン朝の大軍によりトゥースに追い込まれ,敗死した。
315そういえば、:2005/07/14(木) 20:13:50 0
「風魔の小次郎」の飛鳥武蔵と伊達総司は傭兵なんですよ。
316世界@名無史さん:2005/08/07(日) 04:58:11 0
戦争の犬たちの傭兵はいい傭兵だったな
317世界@名無史さん:2005/08/14(日) 17:24:04 0
hosyuage
318世界@名無史さん:2005/08/14(日) 23:43:31 o
ハイジのおじさんもスイス傭兵として派兵され頭がおかしくなってしまったという設定らしい
319世界@名無史さん:2005/09/13(火) 00:58:25 0
320世界@名無史さん:2005/09/13(火) 02:46:56 0
中国史における傭兵なんてどうだろう。
321世界@名無史さん:2005/09/13(火) 03:41:16 0
太平天国を鎮圧したのは傭兵だよね。
322世界@名無史さん:2005/09/13(火) 19:30:00 0
>>320
ヨーロッパ史に出てくる傭兵のコンパニーのようなものは中国ではあまり聞かないね。
323世界@名無史さん:2005/09/14(水) 00:31:05 0
地方軍閥はみんな傭兵みたいなもんだろ
つかむしろ正規軍と傭兵の境界があいまいだというべきか
324世界@名無史さん:2005/09/14(水) 08:26:17 0
 日本の足軽の給料ってどんなもんだろう。
325世界@名無史さん:2005/10/05(水) 19:41:09 0
>>323
中国の軍閥はむしろこういう感じではないか。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1056968799/117
326世界@名無史さん:2005/10/14(金) 23:44:40 0
江戸時代の足軽の俸給は
幕府では、
与力(戦国時代なら足軽組頭クラス)で130俵〜200俵前後。
同心では十五表二人扶持〜30俵2人扶持。
これだけでは食っていけないので内職をしていた。
平時には幕府の仕事も少ないので、内職が本業となっていた。
諸藩の足軽は、幕府の与力同心より少なかったが物価などから考えるとそれほど差はなかった。
また組ごとに俸給が支払われ、そのなかで分配されるのはヨーロッパの傭兵とにてるかも。
327朱由檢:2005/10/14(金) 23:54:04 0
>>326
江戸時代の与力は給料の比較事例にもってきちゃダメだってば…。
328世界@名無史さん:2005/10/15(土) 00:07:27 0
江戸時代の足軽は、戦国・安土桃山時代の規模をそのまま縮小したようなものらしい。
先手組(前線部隊)と御手組(本陣詰め)があって、御手組の方が俸給がいい。
幕府の親衛隊ともいうべき小十人組は、格が御目見え級であるのに俸給が100俵しかなく生活が最も苦しかったとか。
一方、町奉行所与力同心は付け届けや礼銀によって旗本よりリッチだった。しかし、卑しい身分とみられていた。

329朱由檢:2005/10/15(土) 00:14:07 0
傭兵の給料といえば、ハプスブルグ家はよく踏み倒してるよね(藁

傭兵への給料未払いはカルタゴが滅亡した理由にも数えられるほどタブーなのにね。
330世界@名無史さん:2005/10/15(土) 00:24:31 0
>>328戦国・安土桃山時代には、1万石につき平均250〜300人
豊臣・明智にいたっては、500・600人の動員力があったのに、
江戸時代は、平均100人しか動員力がない。
331世界@名無史さん:2005/10/15(土) 00:33:58 0
現在でも最強はグルカ兵だろ?
332朱由檢:2005/10/15(土) 00:49:06 0
戦争は戦争が養う〜と、30年戦争時で暗躍したユダヤ系財閥と中小傭兵団。
そして、ワレンシュタインとの黒い関係とかってまだ出てないのかな。
333世界@名無史さん:2005/10/15(土) 02:55:13 0
>>331
自衛隊で傭えないかな?
334世界@名無史さん:2005/10/15(土) 15:13:22 0
グルカ兵が最強ってどっから出てきた話なん?
帝国主義時代からいわれてた話か。
335世界@名無史さん
 戦国期の足軽は当人が死ねばそこで雇用関係終了。家族が離散しようが
しった話じゃないが、幕末期は当人が死んでもお家の為って事で家族は扶持
がもらえる。動員力に差がでるのはここいらの所為かな。