687 :
世界@名無史さん:2009/08/07(金) 21:15:17 0
>>683 チュニジアは、CIAと親しい3人の人物によって支配されているそうな
それでも、イスラエルと国交結んでいるとは聞かないな
もともと地元にいたユダヤ人と仲良いとされているのは、モロッコ
ここも、イスラエルとの正式の国交はない
フランスにモロッコ系ユダヤ人が多いんだっけ?
688 :
世界@名無史さん:2009/09/11(金) 08:38:33 0
言語は消えても、シリア人、レバノン人、チュニジア人は、フェニキア人の末裔だろ
689 :
世界@名無史さん:2009/09/22(火) 12:08:02 0
フェニキア諸都市は結局、統一国家を作ることがなかったが、あれはなぜなんだろう。
オリエントの諸帝国の圧迫を受けていたんだから、それらを「共通の敵」として
団結してもよさそうなものだが。
690 :
世界@名無史さん:2009/10/18(日) 11:21:54 0
691 :
世界@名無史さん:2009/10/31(土) 19:12:32 0
来年行きたい
スケジュール頓挫しませんよーに…
692 :
世界@名無史さん:2009/10/31(土) 23:32:31 O
トルコ
693 :
世界@名無史さん:2009/11/05(木) 14:26:12 0
wikiでカルタゴの項を読んでて疑問に思ったんだけど、
シエラレオネ辺りにフェニキア人が辿り着いたのって紀元前415年のハンノが初めてってわけじゃないの?
紀元前6世紀にはもう辿り着いてたの?モティアをモーチャってのも呼び慣れないというか、資料ではあんま見たことないような…
694 :
世界@名無史さん:2009/11/06(金) 12:21:40 O
ネコ2世ん時のアフリカ周航でもうたどり着いてたろ
あれはアフリカ周航をなしたようだぞ?までしかわかってないはず
新情報があるのかもしらんが、とりあえずハンノの登場年ではない
696 :
世界@名無史さん:2009/11/07(土) 17:42:54 0
いやだから帰還できた以上はシエラレオネ沿岸部も6世紀の周航の時点でたどり着いてたってことだろ?
wik見てないけどその6世紀云々の記述にハンノが関係してないのは当たり前
wiki見てみた
>商人や探検家たちは、広大な通商路を開拓し、そこを通って富や人が行き来した。
>紀元前6世紀前半、海洋探検家のハンノは北アフリカ沿岸のシエラレオネにまで辿りついたと推測されている。
>その後、シエラレオネは、マルカスという指導者のもと、アフリカ内陸と沿岸一帯に領土を拡大した。
でも第二次シチリア戦争の項で
「アフリカ大陸沿岸を巡る航海者ハンノの旅行を後援している」とハンノことにも触れている。
問題は
・ネカウ2世に依頼されたフェニキア人の名前って判明していただろうか
・紀元前6世紀の時点で周航のみならずフェニキアがシエラレオネにダイレクトに接触しているか
・ぶっちゃけアフリカ周航の人物と航海者ハンノの業績がこんがらがってないか
てとこか。
どっちにせよwikiで聞くべきだね
先月カルタゴ展行ってきたけどちょっと微妙だった。
もうちょっとローマ(化)以前のものが多いかと思ってたんだけど…
やっぱ期待してるほど前2世紀以前の遺物とか出てないのかな。
まあそれ以前にローマ絡ませないと集客に問題ありそうだけど。
カタログは良かった。
699 :
世界@名無史さん:2009/11/17(火) 17:08:25 0
>698
そうなんだw
カルタゴの異物はローマに破壊されつくしたのかな
フェニキア語の辞典とかってあるんだろか
Krahmalkovという人の書いたのがあるが在庫切れというか絶版。
俺もずっと探してるんだがネットでは海外の書店も含めてぜんぜん見つからん。
その辞書とセットの文法書ならまだ売ってる。
和書なら谷川という人が書いた『フェニキア文字の碑文』に
フェニキア語とその親近の言語の語彙集が付いてる。
702 :
世界@名無史さん:2009/11/25(水) 15:59:48 0
Krahmalkovの辞書は単体で読むもんじゃないからな
人名に使われるようなフェニキア語が知りたいなら
>>239のBenzの著作で十分だし
資料そのものが知りたいならCISは難しいとしても先にDonnerとかGibsonの碑文集読むことを薦めるよ
レスありがとう。
自分も頑張って探してみる
704 :
世界@名無史さん:2009/11/25(水) 21:14:00 0
まあPPDは辞書として体裁イマイチだし結構載ってない語句もあるから
探すにしてもあんまり期待しない方がいいと思う
ある程度碑文読んだことある人が参考程度に見る感じの本です
シドンのタブニト王の石棺の碑文ってなんか笑えてしまう。
盗掘とかを威嚇するのはどの墓もそうだろうけど、
これは超ビクビクしてる王の姿が目に浮かんでしまって…
706 :
世界@名無史さん:2010/01/09(土) 01:06:14 0
フェニキア関連ってなんかかわいそうだよね。
史的重要度のわりにカルタゴも含めて資料が乏しすぎる。
オリエント史とかギリシア古典古代以前とか、
彼らが自分で残した資料があれば大いに歴史の穴埋めになりそうなのに。
アルファベット広めた民族としてはあまりにもねぇ
707 :
世界@名無史さん:2010/01/09(土) 02:53:33 0
フェニキアとかカルタゴの出てくる古典史料の一覧みたいなのってどこかに無いですかね?
アリストテレスとかポリュビオスとか代表的なのは読んだけど他のマイナーなのも一読してみたい
708 :
世界@名無史さん:2010/01/10(日) 01:26:58 0
ネット上のはわからない。
最近だと講談社の興亡の世界史シリーズの通商国家カルタゴの巻末に、
関係あるギリシア・ローマの古典作家が紹介してあったり、
邦訳あるやつが参考文献に挙がってたり。
とはいってもがっつりカルタゴ載ってるのは少ないだろうね。
フェニキアに関しては、
むしろホメロスとか旧約(エゼキエルとか列王記?)によく登場する気が。
709 :
世界@名無史さん:2010/01/10(日) 02:06:43 0
がっつり載ってるのなら何といってもディオドロス・シクルスとシリウス・イタリクスだろう
どっちも邦訳はないけどLoebで読めるよ
リウィウスのポエニ戦争の項の邦訳、
生きてるうちに出るかなぁ
現代の日本語が廃れるのが早いかな
711 :
世界@名無史さん:2010/01/11(月) 01:23:33 0
そろそろ誰かレバノン行ってこいや
712 :
世界@名無史さん:2010/01/29(金) 00:45:15 0
本屋で見た資料で、胴体を輪切りにした
金属製の解剖模型がすでにあったらしいw
鳥肌ものだわw
713 :
世界@名無史さん:2010/01/30(土) 12:24:04 O
ポエニ戦争でカルタゴがローマを滅ぼしてたら、ヨーロッパとアフリカの文明化の差はかなり縮まってたろうな。
714 :
世界@名無史さん:2010/01/30(土) 13:02:26 O
「神聖カルタゴ帝国」という黒人の国家
715 :
世界@名無史さん:2010/01/30(土) 13:25:39 0
ポエニ戦争でローマが負けること自体は想像することができるけど
その後の、カルタゴあるいはマケドニア支配下のローマってのはちょっと想像できないかも
716 :
世界@名無史さん:2010/02/01(月) 22:39:10 0
>>670 何が「調べれば」だ
てめえが思いつくようなことはすでに学者が調べてあんだよ
ヒクソスの人名を調べてみると明らかにセム語だ
二度とヒクソスがトルコ系とかいい加減なこと抜かすんじゃねえ
718 :
世界@名無史さん:2010/02/17(水) 21:04:55 0
フェニキアとは具体的に定義すれば、シリア沿岸のどこからどこまでですか?
719 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 00:47:06 0
どちらかというとフェニキア人の都市(建設、一定の自治)自体はレバノンに集中してる。
都市で言うと、
北:アルワド(タルトゥース/シリア) 南:アトリト(カルメル山南/レバノン?)
かな。
北はウガリトまで含めてる文章も見たことあるけど、
たぶんウガリトはフェニキア人の都市ではない。
720 :
世界@名無史さん:2010/02/18(木) 21:18:27 0
現イスラエル=パレスチナのアッコはフェニキア人ではなかったのでしょうか?
721 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 00:57:03 0
フェニキア人の都市らしいよ >アッコ
722 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 05:53:18 0
ハイファは?
723 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 05:54:07 0
内陸部にはすまなかったの?
724 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 23:26:30 0
最北は多分テル・スカス
最南がテル・アブ・ハワム(ほぼ今のハイファ)
ドルやテル・カシレ、アシュケロンも前1100〜1000年頃の混乱に乗じて一時的に入ってた可能性はあるけど
定住という意味ではこのあたりが限界かと
725 :
世界@名無史さん:2010/02/19(金) 23:31:24 0
フェニキアとぺリシテの関係は?
726 :
世界@名無史さん:2010/02/20(土) 00:16:20 0
フェニキア側にカフトル(海の民時代のペリシテ)の伝承や活動の後が一切残されてないことから
ペリシテ人は既にフェニキア人が占拠してたレバントを避けて、最終的にドルとかアシュケロンとかのイスラエル沿岸部に落ち着いた
その後ペリシテ・フェニキア間で特に大きな戦争は無く
(アシュケロンの崩壊にアッコやハイファあたりのフェニキア人が関わってるという説もあるにはあるが)
文化的にも似たようなバイクローム土器を使ったり同じような神様を信奉したり交易もしてた
しかしそれまでフェニキア人にとって最大のお得意様だったエジプトに対してペリシテ人がしょっちゅう戦争仕掛けてたことで
エジプトは衰退、行き場を失ったフェニキア人はキプロス・ギリシア方面へ進出し、
結果的に新天地を開拓しまくったフェニキアの都市国家は栄え戦争ばかりしてたペリシテの都市国家は滅亡
ていう感じ
727 :
世界@名無史さん:2010/02/20(土) 00:51:29 0
728 :
世界@名無史さん:2010/02/23(火) 13:03:37 0
アレクサンドロスがフェニキアとぺリシテを虐殺して滅ぼした。
サラミス海戦後からのギリシアとの関係はちょっと気になる
あ
731 :
世界@名無史さん:2010/04/08(木) 22:41:02 0
「アルゴスの市場で、彼らは到着後五日目か六日目に商品を全部売り尽くしてから、
王女イーオーに襲いかかって、彼女を船に押し込み、エジプト方向へと去った。」
ヘロドトス
732 :
世界@名無史さん:2010/04/09(金) 14:55:30 0
さすがギリシア人
733 :
世界@名無史さん:2010/07/02(金) 17:42:28 0
『西洋古典学事典』を読んで、はじめて「フェニキア人の行為をする」という言葉の意味を知った。
生理中の女に対してクンニリングスすることを指す古代のスラングだという事実を!
目茶苦茶だなこのスレ
見て損した
にゃー
736 :
世界@名無史さん:
落ちたかと思ったぞこのスッドレ