■■■ フェニキア人を語るスッドレ ■■■

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1世界@名無史さん
アルファベットの歴史でもポエニ戦争でもミイラの製法でも
何でもいいので語っちゃってください
2世界@名無史さん:04/11/19 23:16:12
emileeにささげる二ゲット
3世界@名無史さん:04/11/19 23:17:57
ポエニ戦争の時、本国は何してたんだろう
4世界@名無史さん:04/11/19 23:24:00
フェニキアは独立した都市国家群だったからな

レバントは前7C頃からアッシリア→新バビロニア→ペルシアと強国の支配下だったし
ポエニ戦争時には本国は相当衰退してたと思われ
5:04/11/19 23:25:06
本国ってビュブロスやティールね
6:04/11/19 23:26:08
カルタゴのが強かったのか・・・
まぁなんか分かる気がするが
7:04/11/19 23:27:48
カルタゴってフェニキアの植民地じゃなかったっけ?
8世界@名無史さん:04/11/19 23:35:52
フェニキア語で「新都市」を意味するqrthdst(カルト・ハダシュト)
ティールの植民市やね
前814年建設
9世界@名無史さん:04/11/19 23:41:08
ティールの人たちは最初リビアの原住民との取り決めで
牛1頭分の皮の広さを割譲されることになったが、
機転を利かせて皮を薄いひも状に削り出来る限り広く地面を囲うことで
海岸線の土地を手に入れることに成功した、
という伝説があるそうな
10世界@名無史さん:04/11/19 23:43:19
>>9
それ知ってるw
いかにもって感じだけどな
11世界@名無史さん:04/11/19 23:43:29
>>7
その植民市はギリシア式の植民市で、移民市と思った方がいいよ。
ビュブロスやティールは、カルタゴの親都市だったけど、本国ではない。
12世界@名無史さん:04/11/19 23:45:06
>ポエニ戦争時には本国は相当衰退してたと思われ(>>4)

ポエニ戦争当時、地中海東岸のフェニキア系都市は
セレウコス朝の従属都市だった時期では?
13世界@名無史さん:04/11/19 23:46:30
>>12
そうだね
あの辺は7C以降ぱっとしないw
14世界@名無史さん:04/11/19 23:49:50
>>11
移民市と植民市って違いあるの?
当時のギリシア式の植民ってまさに移民そのものだったと思うが
15=11:04/11/19 23:56:14
>>14
そそ<当時のギリシア式の植民ってまさに移民そのもの

>>11は、「近現代の『植民市(植民地)』と違って、本国-植民地の関係にはないよ」、と言いたかっただけ。
んーと、「移住開拓地」とでも言った方がよかったかな?
※ただし、ギリシア・ポリスでも終盤、本国-植民地っぽいタイプの植民もあった。
16世界@名無史さん:04/11/19 23:59:30
まあ古典古代の用語としては移住地の意味も含め「植民市」で統一されてる感はあるが
17世界@名無史さん:04/11/20 00:01:45
>>16
まぁそうだが大航海時代とかの植民地と比べると大分イメージ変わるからな
学問的にはなんら間違いはないが
18世界@名無史さん:04/11/20 00:03:40
ギリシアでも前古典期にあった
コリントス主導のシュラクサイ移住やメガラのカルケドン建設なんて
移住開拓の類じゃないか?
19世界@名無史さん:04/11/20 00:08:20
>>16-17
話のポイントは>>4にあるような「本国」って関係にないてとこでは?
<フェニキア系都市
20世界@名無史さん:04/11/20 00:20:40
おおもとの文化こそ同じだったけど、基本的にフェニキア人は都市間での
統一的な紐帯があったわけではないからね
アレクサンドロスの侵攻時なんかビュブロスはさっさと降伏して進軍を援護したのに
ティールは最後まで粘って壊滅させられたし

>>3‐4
よく考えたらティールは東方遠征時の包囲作戦でほとんど滅亡してんな
ポエニ戦争の時にはフェニキア都市としては残ってないかも
21世界@名無史さん:04/11/20 00:26:33
前から不思議に思ってたんだけど、
地中海東岸のフェニキア系都市って
1次産品の供給ってどうしてたんだろ?

そんなに自給率高かったとも思えないんだが。
22世界@名無史さん:04/11/20 00:30:17
カアナンの悪魔の僕民族か
23世界@名無史さん:04/11/20 00:37:23
今でこそ禿山だけどレバノン山系は元々それほど痩せた土地じゃなかったみたい
ギリシア・ローマ時代に杉が乱獲されるまではオリーブが自生したり春先には柑橘類がとれたり
豹や山羊など狩猟対象にも事欠かなかったそうな
24世界@名無史さん:04/11/20 00:41:09
フェニキア語はヘブライ語とかなり近い。
25世界@名無史さん:04/11/20 00:46:36
語群としては同じ北西セム系だしフェニキア語を借用したヘブライ語文書もあるしね
サマリアあたりが特に影響を受けて混合していたみたい
26世界@名無史さん:04/11/20 01:14:41
今はもう滅んじゃったの?
強いてあげるなら現代のどこの人たちが
フェニキア人に近い?
27世界@名無史さん:04/11/20 01:22:38
そもそも起源からしてひとつではないし混血や離散を繰り返した集団なんだけど
もしフェニキア系の一派が2000年以上にわたって古来の土地に定住してたとすれば
血統的に最も近いのはレバノンのジュバイルかベイルート、キプロスのパポスあたりでないの

今もレバノンには「フェニキア人の末裔」を自称する人々がいるらしいが
28世界@名無史さん:04/11/20 01:48:39
フェニキア語ってそもそもなに?
アラム語とかの方言みたいなもの?
アッカド語やアッシリア語は東方系らしいけれど、
西方系は基本的には同じでしょう。
ヘブライ語も西方系だから、結局はアラム語か。
だったら、イエスはアラム語だったとかいうけれど、
実際は、たんに、ナザレの方言で、ヘブライ語とも
アラム語ともなんともつかん田舎ことばしゃべっていただけか。
よくわからん。パルミュラのゼノビアとかの言葉もアラム語
だというが、かなりパルミュラ方言だったらしいし。
で、フェニキア語はどうなのだろうか。
29世界@名無史さん:04/11/20 02:04:08
北西セム系はウガリット、ヘブライ、アラム・シリア語などを含むセム語群の一派。
アッカドなど東方系がメソポタミア地域に広がっていたのに対して
アラビア半島北西部(レバント)一帯の諸民族が使っていたことから「北西系」と呼ばれます。
フェニキア語は前15C頃の原カナン(より古くはウガリット)に起源をもつ言語で、
その派生は前13C以降拡大を見せたアラム語およびヘブライ語より少し先行します。
実際似通った部分は多いのですが発音や動詞の語根などに違いがみられるそうです。
30世界@名無史さん:04/11/20 02:20:21
>>29
いや、そうなんですけれどね、私がいいたいのは、その意識の
問題であって。フェニキア人がフェニキア語で文章を書いたり
しゃべったりしているときに、はたして、フェニキア語を書いたり
しゃべったりしているという意識があったのか、それとも、その
中近東の基本的に流通する言語を使っていると思っていたか、って
いうような話です。
現代の言語はすくなくとも学校で教えられ印刷物で、平均化され、
非常に規範的なものになっております。しかしそういう意識がない
古代において、ヘブライ人がヘブライ語で、フェニキア人が
フェニキア語で、アラム人がアラム語でっていう意識で書いていた
のか、たんに、「標準的に通用する言語で書いた」けれども、
書き手の方言が、そのまま現れただけ、とみるか、です。
文字についても、フェニキア文字とウガリットのアルファベットに
しても、あるいはその後のアラム文字にしても、さらには、
アラビア文字にしても、基本的には、書体の違いであってすべて
対応がつくわけです。のちのシリア文字の、セルトーとエストランゲロ
との違いとかと同じような意味がありそうだと。
アルフレッド大王が、古英語を使ったときには、あきらかに英語で
書くぞ!という意識が感じられます。フェニキア人とかってどうなの
かな。中近東標準語のつもりで、フェニキアの「方言文字」つかって
「方言をついつい書いちゃった」レベルなんじゃないかと。
パルミュラ語はアラム語(あるいはシリア語)と呼ばれていますけれ
どかなり特殊だと聞きます。だったら、そういうのと同じレベルじゃ
ないの?というのが提案です。
だから、ローマ時代のユダヤ人はヘブライ語じゃなくてアラム語とか
いっちゃえるというか。ヘブライ語はたまたまバビロン捕囚のころの
ヘブライ人の言語がモーゼの五書として固定されたので、残っている
だけで、本当はたんにアラム語で書いたつもりだったかもしれない。
31≠29:04/11/20 02:27:22
>>30
最初期のヘブライ語は、カナン語群の一方言と区別がつかなかいと読んだことがあります。
カナン語群なるカテゴリは最近は学問的でないとしてあまり言われないかもしれませんが。
仮にこフェニキア語もヘブライ語も、文法的には同根から分化したと言えるはずでしょう。

で、「フェニキア語を書いたりしゃべったりしているという意識があったのか」ですが。

思うに、そうした意識は希薄だったのではないでしょうか。
どちらかと言えば、ビュロス言葉なり、ティルス言葉なりを使ってるという「意識」だった可能性の方が高いと思います。

ヘブライ語とアラム語の関係と、使用者の意識の問題はまたちょっと違った点があるだろうと思いますが。
32世界@名無史さん:04/11/20 02:40:30
>>31
ありがとうございます。実際に専門的にこの分野を見ているわけで
はないので、ちょっと「意識の問題」というのをもちだしてみた
わけですが。
日本語でも、源氏物語の言語と、枕草子の言語と、平家物語の言語
を比べると、まるで違うわけですね。まあ、平家物語の場合は、
漢文訓読体であって、源氏物語と枕草子はともに平安女流文学系
ですが、文体は違うし、レトリックも大幅に異なる。語彙の選び
かたもちがう。でも、紫式部と清少納言は同時代で、かつ、同じ
宮中にいたわけで、普段の言語は基本的に同じものだったわけで。
そうすると、文献ごとに違うというのは、言語の違いなのか、
書いた人、編纂した人の違いなのか、そのあたりが不明ですよね。
しかも、ヘブライ語といえば、モーゼの五書の文章、文体があって、
フェニキア語は、いろいろな碑文とか、粘土板の文書が中心で、
ってことだと、それらは、2ちゃんねるの言葉と、朝日新聞の言語
との違いくらいあってもよいわけです。文体も、語彙の選びかたも。
とすると、次は、民族意識になります。フェニキア人という言葉
はあるんだけれど、それもどの程度のものか、というか。
私の推測としては、現在の、「イスラムの国の、アラビア語が
標準的に用いられている人たち」程度のものではないかと。
そりゃ細かく分ければ、イラク人だのカタール人だの、エジプト人
だの、サウジアラビア人だのとなりますが、全体として、イスラムの
アラビア語の人たちという意味ではひとくくりになります。
あと、パレスチナの人々とかもかなりそのざくっとしていますね。
気持ちの上で、イスラム教徒のアラビア語ができる人なら、人種も
出身も関係なく、意識の上でパレスチナ人になれるような要素がある。
実際、パレスチナには、真っ黒な黒人系の人たちもいるし、イスラム
のスルタンにもそういう人がいたわけです。さらにいえば、都市、
シドンとかチルスとかには、当然、いろいろな人たちがあつまって
いたわけですね。だから、もうぐちゃぐちゃで、民族もへったくれも
ないっていうか。
33世界@名無史さん:04/11/20 02:44:32
実際に言語としては諸都市群の植民市拡大と併行してキプロスやキリキア、シチリア、
サルディニアまで広がっていたため共通語としての認識はもっていたでしょう。
またフェニキア人は自らをカナニ(カナン人)と呼んで他の部族と区別していました。
しかし彼ら自身帰属は個々の都市国家にあると考えていたようで、碑文でも
「ゲバルの」「シドンの」と前置きしてから人名を挙げることから共通語もカナニ内
で利用される以上の意味はもたなかったようです。
前730年ごろのアジタワッダ碑文には古期標準フェニキア語とヒッタイト語に起源をもつ
ルウィ語が併記されるなど、話者自身も自らの母国語と共通語を分けて考えていたことを
窺わす例が存在しますし、カルタゴでは独自の方言であるポエニ語へ変化し、
北シリアでは早くからアラム語との混合も確認されます。
公用文書に際しても語法などにこだわった様子が無いことからすれば、
フェニキア語そのものにアイデンティティを求めるということは無かったと
考えられるかもしれませんね。
34=31:04/11/20 02:54:30
>>32
>>33さんが書いてくれた
>フェニキア語そのものにアイデンティティを求めるということは無かったと考えられるかもしれません
というお話は、私には説得力ありました。が、そこから

>もうぐちゃぐちゃで、民族もへったくれもない
と話をつなぐのはやはり飛躍があると思います。
例えば、今のクルド人だって、普通4種類とか言われる方言集団に大別され、
その下位に幾つもの部族集団があり、部族集団はさらにクランのような氏族
集団からなる。

アラブ人のような大集団だと、国籍の関係もあるし、地域によっては部族社会
が解体してる場合もあるけど。
民族「的」な意識ってのは、伝統的には、クルド人の事例をモデル化したように
重層的な在り方をしていた、と考えられます。

ですから、古代のフェニキア人も、現在言う民族意識に準じたというか類した
ような同胞意識というのは持っていたと思われます。
>>33氏のお話にも、そうした意識の裏付け証拠になるようなお話も散見されて
ると思います(←これは私見で、>>33氏がそうした見方を示唆されてるかどう
かは、私にはわかりませんけどね)。
35世界@名無史さん:04/11/20 02:57:22
>>33
とすると、世界史の見方がかなり違ってきますよね。
フェニキア人と言う非常に固定的な観念でみて、
1)フェニキア人は、レバノンあたりに住んでいて、
2)フェニキア人は、フェニキア語を話し、
3)フェニキア人は、カルタゴに植民地をもち、
4)フェニキア人は、、、、
という見方だと、フェニキア人の価値観とかエスニックなものが
非常に固定的にみえてきて、そうなると、いかにも、フェニキア人
は「汎フェニキズム」にそって、行動し、フェニキア人の利益の
ために動いていた、という、非常に近代国家、近代民族的な歴史観
がでてしまうのですが、都市とか、商人とか、血族的な部族とかが
あって、大枠での「だいたいこのあたりがフェニキア人と呼べる
範囲」程度のものだと、内部におけるいろいろな利害の対立もあるし、
また、フェニキア人とされる人とそれ以外の人との間の個人的交流
もあれば、移動もあるし、ということになって、固定的な見方は
しにくくなります。なんかこういうことをいいだすと、やっぱり、
歴史の見方として、近代的な国家観、つまり、国家は、民族、言語、
宗教の三位一体みたいな感覚で、しかも、かならず国家を代表する
(つまり、民族と宗教と言語を代表する)リーダーがいて、という
ような感覚は、古代には通用しないってことになりそうです。
いや、だとして、どうか、というのはさらなる議論がありそうです
が。
36=34≠33:04/11/20 03:08:52
>>35
たびたび脇から失礼します。おもしろい話なもんで勘弁してください。

>フェニキア人の価値観とかエスニックなものが非常に固定的にみえてきて

というのは半分は、正しいと思います。

多分、こんな考え方があると思うんですが。
カナン人というまとまりには、本来は、沿岸都市の住民も、内陸性の牧畜民などもいたわけです。

フェニキア人というのは、古代ギリシア人による他称ですし、ポエニ人というのは古代ローマ人による他称だということはご存知と思いますが。

古代オリエントの国際政治動向の内で、特にメソポタミア勢力とエジプト勢力との確執の下、海洋交易民として活路を開いてきたのが、フェニキアと他称された都市系(あるいは海系)のカナン人集団だったと思います。
彼らの自意識がカナン人だったとしても、海洋交易民として直面した時代の課題のようなものには、フェニキア系諸都市に共通性はあったはずです。

もちろん、都市ごとの自律性が高くて、全体は一体の集団としては活動してなかったわけですけど。
民族「的」な共通性は、伝統的なカナン人としての基層の上に、海洋交易民的都市民という社会様態から、かなり近い性質のものを分有していただろうと思えます。
37世界@名無史さん:04/11/20 03:20:42
>>35>>36
以前よりフェニキアの起源をベドウィンの一部族から派生した隊商的集団の
都市国家とみなすような考え方はありましたが、確かに「フェニキア都市群」
と呼ばれる都市国家は個々に自治権を有する別個の集団とも考えられるでしょう。
起源についてはおいておくとして、ビュブロスやティルスといった都市国家は
各都市に君臨する王の下、時に対立し(例>>20)、競争し(これはカナニとしてではない
都市単位の植民市建設に表れているでしょう)、また協力もしていました。
この意味で、フェニキア都市群は言語を含む文化基盤や血縁的な起源を一に
したことでギリシアのそれよりより親密性を保ったポリスのような存在ではなかったか、
とも考えられます。
集団的な商取引を生業とするようになったのはエジプトやメソポタミア諸国家といった
強国の狭間に存在するという外圧要因があったことは確かでしょうけれども、
これはカナン人としての協力体制(海上交易の中継地はおそらく供用であったと
考えられています)を生む背景にもなりました。
以上のことから、フェニキアは対外的な経済活動で協力体制をとる一面、
自立性を失わず内的には競合し続けた集団といえるのではないかと思います。
3837=33:04/11/20 03:25:14
寝ようとしてた矢先のカキコで文章が微妙に変だ…orz
分かりにくかったらスマソ
39世界@名無史さん:04/11/20 04:55:15
ポエニ語による文書は残っていないのですか?
40世界@名無史さん:04/11/20 09:26:14
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/feature/0410/index2.shtml

地中海の覇者フェニキア人

古代の地中海世界を股にかけて活躍し、2000年前に歴史から消えた、
謎の海洋民族の子孫を最新のDNA分析によって探す。

船を操って精力的に交易を行った人々として、古い文献にたびたび登場するフェニキア人。
だが、彼らのことはよく分かっていない。赤味を帯びた紫色の高価な布を輸出したことから、
ギリシャ人は彼らを「赤い人々」を意味する「フォイニケス」と呼んだ。


http://magma.nationalgeographic.com/ngm/0410/feature2/index.html

Whe were the Phoenicians?

We know they dominated sea trade in the Mediterranean for 3,000 years.
Now DNA testing and recent archaeological finds are revealing
just what the Phoenician legacy meant to the ancient world?and to our own.
41世界@名無史さん:04/11/20 12:49:04
>>39
>ポエニ語による文書は残っていないのですか?

カルタゴの滅亡に伴い、焼失・散逸したと考えらているそうですよ<ポエニ語による文書

いわゆる「文書」とは少し違いますが、考古学的な碑文研究はなされてます。
42世界@名無史さん:04/11/20 15:20:02
>>37
いろいろありがとうございます。
で、都市という言葉が出てきたとたんに、都市は本来、多民族的ですよね。
そもそも国境的な概念も、せいぜい勢力範囲という意味でしかない時代に
おいて、都市には都市の親分がいて、その親分の傘下の用心棒みたいなのが、
都市の治安とか、取引とかを取り仕切るわけでしょ。で、その用心棒みたい
なのも、基本的にはいろいろな地域から集まってきた人々の中で、その
親分に傾倒しちゃったやつら、というような程度の話ですね。
ただ、農民となると、土地との関係が深いので、比較的単一的な言語と
風習をもった「民族的」なものがあったと思いますけれど。
でもって、海洋民はどうかというと、これまたいろいろいたはずですね。
この場合は、船を取り仕切る親分がいて、その親分は当然、港湾都市の
親分に属しているとかなんか契約しているとかそういう関係。
なんとなく、シドンを起点にした船乗り連中とか、そこに集う血族的な
関係をもった部族の連中、みたいな程度のあつまりで、それがフェニキア
とかいうものになったと。言語的には、北西セム語系が「共通語」であり、
都市ごとに多少のなまりがあって、海洋ジャーゴンがあって、というような
感じでしょうか。
こうなると、もっとダイナミックな古代史っていうのが出てくるように
思います。ギリシアの場合も、たとえば、マケドニアになると、これが
ギリシアなのかそうでないのかは微妙なところにきますね。アリストテレス
もむちゃくちゃなまりがあったとかいうけれど、彼の書いたものは標準
ギリシア語になっていたりするけれど、本当はちょー田舎もんだったと
いう話があって、アレクサンダー大王も本当の意味で、ギリシア人といえ
るのかどうか微妙とかいわれているし。
その程度の揺らぎと、本質的な多民族、多言語性みたいなのはあったと
思うという意味です。
43≠37:04/11/20 16:40:22
>>42
>そもそも国境的な概念も、せいぜい勢力範囲という意味でしかない時代において、

うーんと。古代都市国家を、近代的国家概念の適用でどこまで実態分析できるか? みたいな論点でしょうか(?)。

都市には都市の親分がいて、その親分の傘下の用心棒みたいなのが、都市の治安とか、取引とかを取り仕切るわけでしょ。

フェニキア系都市の場合、基層的には宗教祭儀を都市国家システムの主要紐帯にしてた気がします。
カルタゴの場合は、碑文研究などで、政務官、執政官などの制度化が進んでた事が覗われるようですが。

どちらにしても、フェニキア系都市国家(古代都市国家)の場合は、
「都市には都市の親分がいて、その親分の傘下の用心棒みたいなのが、都市の治安とか、取引とかを取り仕切る」といった要約はちと乱暴かと。

>シドンを起点にした船乗り連中とか、そこに集う血族的な関係をもった部族の連中、みたいな程度のあつまりで、それがフェニキアとかいうものになった

ここも飛躍が大きい箇所のように思えます。
44=43:04/11/20 16:41:55
>>42
>海洋民はどうかというと、これまたいろいろいたはずですね。
>この場合は、船を取り仕切る親分がいて、その親分は当然、港湾都市の親分に属しているとかなんか契約しているとかそういう関係。

こちらも、交易業者という集団と、状態的になりたった交易港という社会システムとは、一応別カテゴリだと思います。
まず、たまたま、フェニキア系集団には、交易業に専従するものもいれば、交易港システムの維持に従事する者もいれば、都市国家が交易業者のスポンサリングをするとか、やはり都市国家が公的事業として交易業を経営することもあった、とかいろいろだったわけで。

ただし、交易港というシステムが繁栄を追求するためにも、また地中海沿岸の時代的環境としても、フェニキア系交易都市を、多民族の交易業従事者が利用することも状態的に多々あった、とのはもちろん言えるのですが。

※と言うか、もう少し正確に言うと、古代オリエントの国際情勢が、在地民による自律的交易港運営を許す状態にあったとき、フェニキア系都市国家の独自発展が可能になった、だと思いますが。
45=43:04/11/20 16:44:48
>>42
>言語的には、北西セム語系が「共通語」であり、都市ごとに多少のなまりがあって、海洋ジャーゴンがあって、というような感じでしょうか。

これについては、多分、次のように考えた方がいいと思えます。

北西セム語というのは、言語学上のカテゴリですから、これは定義からしても「共通語」ではあり得ません。
実態としては、本来地域偏差を含んだ語群と言うか同系言語の集団と思った方がいいです。
>>42さんが言ってる通り、揺らぎを含んでるんですが、それを「多言語」とくくってしまうのはちょっとまずい)

で、各都市でのコミュニケーションの実態は、海洋ジャーゴンと言ってもいいかもしれませんが、クレオール的言語環境が実態としてはあった、と想像しても構わないと思います。

しかし、一方で、交易港という社会システムの維持発展には、「公用語」に相当する言語は、実務的に必要だったはずです。
例えば関税表を作ったり、業務記録を採ったりのためにですね。
日常的言語コミュニケーションはクレオール的でも、公用語使用では統一ベクトルが実体化されていた、といったところだと思えます。
46世界@名無史さん:04/11/20 20:39:03
>39
カルタゴの前にティルスもアレクサンドロス大王によって徹底的に破壊されたしね。
ティルスでも膨大な資料が失われたんじゃないかな。
しかし、勢いのあったアレクサンドロスに対して七ヶ月も篭城戦で戦ったんだから
ティルスはすごいと思う。
47世界@名無史さん:04/11/20 20:43:01
出島みたいなティルスの周囲を埋め立てて進軍したマケドニア軍も相当凄いがw
48世界@名無史さん:04/11/20 20:53:03
>>46-47
あの辺は、フェニキア側史料が伝わって無い分、あれこれ想像を刺激するものはあるよな(w)。

ティルスはなんであそこまで篭城戦がんばってたのだろうか?
やっぱり、アケメネス朝に従属しつつ、海運なり海軍力提供なりの分野にて、かなり旨みを採ってたんだろうか? とかな。
49世界@名無史さん:04/11/20 20:54:39
フェニキア人の子孫は生き残っていないの?
カルタゴ滅亡で全滅してしまったの?
50世界@名無史さん:04/11/20 21:08:00
>>49
カルタゴのポエニ人は、生き残りも全員奴隷として売られたらしいので、
民族的まとまりを失って、他民族に吸収同化されてったはずです。

地中海東岸の方のフェニキア系諸都市の方は、セレウコス朝シリア、
プトレマイオス朝エジプト、ローマ帝国、ササン朝ペルシア、古代アル
メニアと、次々と覇権勢力の出入りが続いたので、その内わけわかん
なくなったみたいです。

全滅と言っても、別に全員虐殺されたわけではないです。
ローマ帝国の所業は、古代版の民族浄化ではあっただろうけど。

「実は、秘密結社化していたフェニキア人が、密かに移住して、ガラス
工芸の秘伝を伝えたのがベネチアン・グラスのルーツだ!」とか言い出す
と、ただのトンデモ説になります(w)。
51世界@名無史さん:04/11/20 21:17:53
マロン派のフィランジスト達は、自分たちはムスリムのアラブじゃなくてフェニキア人の末裔だって自称してたよ(フェニキア主義)。
52世界@名無史さん:04/11/20 21:24:57
>>51
うーん、マロン派フィラジストなどの民族伝承は、
学問的評価、面倒そうですねぇ。
専門家はどうしてるんでしょうか?

一度、古代シリア語と区別つかなくなってただろう
って気がするんですが。
後、一時期、あきらかに、新仏勢力の旗印として
吸引された人たちもいたようですし。

想像だけど「民族伝承としては尊重しますが……」
てとこではないのでしょうか??
53世界@名無史さん:04/11/20 21:28:09
>>50-51
ていうか、バール神信仰からキリスト教になってるんだから、
末裔かもしれないけど、古代フェニキア人とは一応別です、
でいいじゃん(w)。<マロン派
54世界@名無史さん:04/11/20 21:34:11
>>49
シドンやビュブロスはペルシア敗退後すぐマケドニア側に寝返ってるし、
アケメネス朝との緊密性はそれほど高くなかったんじゃない?
ティルスはネブカドネザル軍すら撤退させた対陸戦守備力の高さへの自負が
自らの首をしめた要因じゃないかと思うが。
55世界@名無史さん:04/11/20 21:34:30
>>51
×「フィランジスト」
○「ファランジスト」
56世界@名無史さん:04/11/20 21:34:52
バールでなくバアルなw
5754:04/11/20 21:39:24
レスは>>48へのミス
スマソ
58=49:04/11/20 22:00:26
>>54
>ティルスはネブカドネザル軍すら撤退させた対陸戦守備力の高さへの自負が
なるほど。
59世界@名無史さん:04/11/21 00:52:11
60世界@名無史さん:04/11/21 01:03:05
カルタゴのフェニキア系の人々がどこにいったのか知らないが、
たしか、セウェルス朝のローマ皇帝は、あのあたり出身で、
中近東の宗教にはまっていて、しかも、彫像からすると、
顔立ちがセム系だろうって話だから、フェニキア人の子孫って
ことになるんじゃないかな。他にも、パルミュラの女王の
ゼノビアも、最後には、ローマに引きずられてきて、でもって
処刑されなかったという説ががあって、そのまま、ローマの
元老院議員の妻となったとかいうし、でも彼女は、本来、
ローマ皇帝を目指していたらしい。Augustus に対応する、
Sebaste とかいう称号をもっていたというからギリシア語だけど。
ってわけで、ローマはたしかに、イタリア発祥の国家だけど、
帝政期になると、中近東から北アフリカもふくめて、地中海
のいろいろな民族全体にとっての帝国だったから、結局、
フェニキア人(っつうか、この時代はセム系民族でくくった
ほうがいいけど)も、そこに組み込まれて中には皇帝になる
やつもいたと。
61世界@名無史さん:04/11/21 01:53:37
第3次ポエニ戦争前から、カルタゴの衛星都市や、ヌミディアに亡命したカルタゴ人も居たはず。
62世界@名無史さん:04/11/21 02:01:42
シドンから異教のバアル信仰を持ち込んで唯一神ヤハヴェへの信仰を危機に陥れ、
預言者エリヤを迫害したフェニキア人の后イゼベルやそれに同調したイスラエル王のアハブは
旧約聖書の中でもトップクラスの極悪人なのに、ヘブライもフェニキアも一緒くたにするとは。
63世界@名無史さん:04/11/21 17:42:32
>>60
セウェルス帝は、確かに現リビア沿岸のレプティス・マグナ出身ですが。
在位は、A.D.193〜211年ですね。
「老齢になってもアフリカ訛りが抜けなかった」そうですが、父親の従兄弟が、二人執政官位についていると思います。
セルフ・イメージは、多分、アフリカ出身のローマ人(帝国臣民)でしょうし、フェニキア系かどうかも不明と思います。

>>60さんは、民族系統と、ある時点での民族帰属とを、一旦区別して考えた方がいいと思います。
これはフェニキア関係の話題だけでなく、広く歴史関係の話題で、かなり重要なポイントになるはずですから。

例えば、日系アメリカ人なり、中国系アメリカ人なりの帰属意識は、体制としては、あくまで日「系」であり中国「系」なのであって、日本人なり、中国人なりそのもとしてのアイデンティティを保ってるわけではありません。
こうした事例以上に、フェニキア系の自律的都市国家が失われて久しい時代、仮にフェニキア系の系統を引くと自覚する人物がいたとしても、本人が、自身をフェニキア人と自己規定していたとは考えづらいです。

つまり、フェニキア人の血統の後裔であることは、フェニキア人であることの必要条件になるかもしれませんが、それだけでは充分条件を満たしているとは言えません。

ゼノビアの場合も同様なことが言えます。彼女は、夫の死後パルミアの実権を握った、とされることが多いですが。
これは、A.D.267年頃のこととされます。
伝えられるところによれば、ゼノビアは自信を、エジプトのクレオパトラ(7世)の再来と気取ることが多かったそうです。
この伝承を信じるならば、彼女の自意識にフェニキア人としての帰属意識があったかは疑わしいです。
64世界@名無史さん:04/11/21 19:37:58
デムパも史実も併せて載ってる良サイト
http://www.phoenicia.org/
65世界@名無史さん:04/11/22 03:41:31
パルミュラやハトラといった内陸の諸都市はたしかアラム語をつかうアラブ系で
フェニキアとは系統が違ったような・・・(汗

パレスチナ南方の都市ペトラをつくったナバタイ族なんてアラブそのものだったはず
66世界@名無史さん:04/11/22 10:27:00
言語は、
・広域の経済交流は言語の差異を無くす方向に作用する
・似たものは混ざりやすく、差異の少ないものが混ざるときには差異が摩滅しやすい
というような性質がある。

で、異なる集団を仲間として認識するには、
・言葉が似ている
・暮らしぶりが似ている
・伝承上の御先祖様が同じ
67世界@名無史さん:04/11/23 23:27:53
過去最良のフェニキア系スレage
68世界@名無史さん:04/11/24 03:05:14
ゴーン
69世界@名無史さん:04/11/24 18:57:40
ドテチーン
70世界@名無史さん:04/11/29 11:04:43
シリア沿岸におけるフェニキア人領土の南限北限はどこからどこまででしたか?

ガザは含まないのですか?アンチオキアが北限でしたか>?
71世界@名無史さん:04/11/29 20:01:16
ゴーン

72世界@名無史さん:04/11/30 00:55:29
マンモー
73世界@名無史さん:04/11/30 01:52:16
>>66
すいません。ちょっとご無沙汰していました。
フェニキア人に疑問をもったものですが、、。
どうも、いろいろそう簡単にはいえないみたいで、
北西セム語というのは、互いに似ているのでたぶん、
共時的には方言的で、通事的な違いのほうがあった
くらいでは、みたいに思いました。
ただ、文字言語としてみると、一方で、ウガリットの
アルファベット(くさび形)があったり、アラム文字
があったり、フェニキア文字があったり(書体の違い
にすぎないけど)、それぞれがそれなりに民族意識
っぽいものはあって、たとえば、それはある意味宗教
とも絡む、みたいな感じですかね。
ゼノビアについて出したのは、彼女がフェニキア人と
おもっていたとかじゃなくて、彼女のアイデンティティ
は中東のローマ人という意識だというつもりで、また、
セウェルス朝の皇帝がもしセム系だとしても同じような
意味で、と。つまり、セム語を話すローマ人っていう
のは、いろいろいて、なかにはフェニキア人の末裔も
またユダヤ人も、シリア人(これなんだろう?)とかで
それらが、宗教とか部族とか生業とかそういうのでなんと
なくいくつかの種類にわけられたけど、基本はローマ人さ、
みたいな時代が紀元前後の話かな、と思ったわけです。
はい。では。
74世界@名無史さん:04/12/28 22:28:19

「非戦つうしん」http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/hisen0.html

経済制裁でなく、対話による真相究明を求める声明」賛同署名のお願い
http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/seisaino.html


75世界@名無史さん:05/01/17 04:12:59 †
あげ
76世界@名無史さん:05/01/18 04:38:44 0
>>33
ギリシャ語にしたって、共通語ができたのはマケドニアの伸張以降。
それまでは、各地でてんでバラバラの方言で喋り記述しときに使う文字すら
違っていたりした。
それでも、仲間である「ヘラス」と仲間ではない「バルバロイ」を区分する
決め手は言葉が通じるか否かであった。「バルバロイ」の語源からして言葉の
通じない者たちという意味だ。
77世界@名無史さん:05/01/18 06:52:46 0
そーいえばローマ字のXが-ks音だったり、
本来のギリシア文字のΡとちがってRの文字が-r音だったりするのは
ペレポネソス半島以西のギリシア文字の影響らしいね。
78世界@名無史さん:05/02/08 15:27:15 0
hosu
79世界@名無史さん:05/02/24 00:06:16 0
現代でもモロッコやアルジェリアのベルベル人が用いている表音文字
「ティフィナグ」はフェニキア文字の流れを汲む古代リビア文字の末裔で、
名称の「フィナグ」が「フェニキア」と同語源だそうな。
余談だが「ポエニ」も同語源なんですね。
80世界@名無史さん:05/02/24 01:40:08 0
同語源ってかポエニはそのままフェニキア(紫)のことなんだけど・・・
ψοινιξ、英語で書けばphoenixね
81世界@名無史さん:05/02/24 18:27:58 0
フェニックス
82世界@名無史さん:05/02/24 22:09:45 0
ヘロドトスの聞いたフェニキア人の伝承ではエリュトラ海に面した地域からシリア海岸に移り住んだと
いうのがある。エリュトラ海というのが諸説あるんだが、ペルシャ湾という説と、紅海という説とがある。
紅海はシバの女王のアラビア、ペルシャ湾岸ならザンジバルを制圧したオマーンの拠点で、
どちらも東アフリカへの海上通商路だ。
もひとつ、今度はユダヤ教の聖書の伝承。フェニキア系都市シドンやティルスの住民は南に広まったアブラハムの
子孫ハムの末裔ということになっている。
2つあわせると、フェニキア人は、実はアフリカと繋がりの深い血統ということにはならないか?
ユダヤ教の伝承では、ハムは呪いによって子孫まで兄弟のセムとヤペテに隷属すべき者ということに
なっており、イスラエル人に敵対する種族を悉くハムの子孫に分類し、「南にハムの子孫」についても
反エジプトの整合性の為とも考えられるため、鵜呑みにできない部分があるけれども、イスラエルの
真北シリアの住民を「ハムの子孫」と分類していることには、何か、アフリカとの関係を見いだして
いるのではないだろうか?

83世界@名無史さん:05/03/01 03:10:09 0
ジブラルタルの柱の向こうへは出たことあったんでしたっけ?
84世界@名無史さん:05/03/01 09:04:26 0
ブラジルまで辿り着いたとかいうのは伝承にすぎんが
ネカウ2世時代のアフリカ周航ではヘラクレスの柱を西→東へ渡ったな
85世界@名無史さん:05/03/02 14:11:55 0
南半球の天体運行を思わせる描写が航海誌にあったんでしたっけ。
ブラジルの大西洋岸に建材で有名な「鉄の木」が自生しているが、
フェニキア語で鉄をバルゼルなしブルズルと称していたのと関係はあるや否やはてさて?
 
86世界@名無史さん:05/03/02 21:37:49 0
ブラジルって国名も元々鉄のような赤色染料を産出する「ブラジル木」
から来てるんじゃなかったっけ
87世界@名無史さん:05/03/13 00:55:08 0
>>83
イギリス方面へ錫鉱を求めて探検に出たことがなかったっけ。
88世界@名無史さん:2005/03/29(火) 00:40:04 0
イベリア半島はジブラルタル海峡以西の南海岸も
フェニキア植民地でしたよ。少なくとも第二次ポエニ戦争ごろまでは。
89世界@名無史さん:2005/03/29(火) 13:09:13 0
>>88
カディスはもちろんコルドバ、セビーリャもフェニキア人の築いた町が起源だったよな。
対岸のリクスス(現ララーシュ)も古い拠点。
90世界@名無史さん:2005/03/29(火) 13:13:08 0
それからリスボンとタンジールもフェニキアの植民によるといわれています。
91世界@名無史さん:2005/03/31(木) 10:57:01 0
謎の民族エトルリア人は実はこの民族だという説がある。
92世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 22:38:12 0
エトルリア語の系統はいまだ不明のはずだが。
まあアフロ・アジア語族説があるにはあるけど。
93世界@名無史さん:2005/04/14(木) 22:20:23 0
エトルリア(Etruria)=小アジアのトロイア(Troja)説も見かけたことが有ります。
94世界@名無史さん:2005/04/24(日) 11:37:06 0
でもエトルリア語はフェニキア語と全くの別系統では・・・
というよりエトルリア語が系統不詳だしね。
95世界@名無史さん:2005/05/02(月) 17:54:26 0
バスクとも関係が深かったと聞いたがな
96世界@名無史さん:2005/05/02(月) 21:33:17 0
印欧語族以前に地続きの謎の「環地中海語族」でもあったのかもね。
あと、ロマンシュ語などゲルマン系に同化したものの系統不詳の語彙が多い
アルプス沿いの少数言語も気になるところ。
97世界@名無史さん:2005/05/08(日) 11:51:08 0
第三次ポエニ戦争で滅亡した後、辺境へ逃れた者などはいたんでしょうか。
イベリア半島やジブラルタル以西の大西洋側は手薄そうにも見えますが。
98世界@名無史さん:2005/05/13(金) 06:11:43 0
カルタゴって名前がかっこいいさね
99世界@名無史さん:2005/05/22(日) 04:36:36 0
>>98
>>16参照
実はキプロスとかフェニキア人の入植していたほかの地域にも
「カルタゴ」はあったりする
100世界@名無史さん:2005/05/22(日) 04:37:31 0
全然レス番違った^^;
>>8
101 :2005/05/25(水) 11:23:47 0
>>97
アトラス山脈南麓の砂漠に今もあるベルベル系の住人は、
ここへ落ち延びてきたカルタゴ人の末裔ではないだろうか・・・

と「世界・ふしぎ発見!」のカルタゴ特集の回で取り上げていたなあ。
102世界@名無史さん:2005/05/25(水) 16:31:36 0
スペインにはカルタヘナ(カルタゴ・ノヴァの訛り)という地名が未だに残ってます。
103世界@名無史さん:2005/05/25(水) 16:56:01 0
先週の「世界の車窓から」はチュニジア鉄道の週。
その名も「カルタージュ・ハンニバル」駅まで登場。
土地の人にとっては地元の英雄だそうな。今はのどかで平凡な田舎道。
104世界@名無史さん:2005/05/25(水) 23:55:50 0
「フェニキア人→カルタゴ人→スファラディ・ユダヤ人」という仮説はどうだ?
105世界@名無史さん:2005/05/28(土) 22:33:48 0
>>104
実際にそういう説なかったっけ?
ユダヤ教に改宗したカルタゴ人がスファラディユダヤの先祖だっていう説。
106世界@名無史さん:2005/05/29(日) 12:30:21 0
カルタゴ人は、幼児を生贄の儀式で虐殺してたんだろ。
「衝撃のユダヤ5000年の秘密」ユースタス・マリンズ 著 
という本に、歴史的な欧州での反ユダヤ暴動の背景に、そういう儀式があったという事実と、
今現在も、米国等で、特に大物のユダヤ人たちの間で行われているという話が書いてあって、
カルタゴの儀式を連想し、フェニキア人の活動領域とスファラディの居住地域が
重なると思ったよ。
107世界@名無史さん:2005/05/29(日) 13:53:01 0
未だにフローベールの『サランボー』に毒されてんのか
トフェト調査の結果からは反論も多く挙がってて
カルタゴが幼児生贄を行ってたか集団埋葬墓だったかの論戦は決着してねーぞ
108世界@名無史さん:2005/05/29(日) 16:27:05 0
モレク神?
109世界@名無史さん:2005/06/01(水) 00:08:29 0
ティロス→カルト・ハダシュト(新しい町)、→カルタゴ
→カルタゴ・ノヴァ(新カルタゴ)→カルタヘーナ
→バスク人→ザビエル
110世界@名無史さん:2005/06/02(木) 01:49:27 0
「カルタヘーナ⇒バスク人」
ここだけえらく突飛・・・
111世界@名無史さん:2005/06/15(水) 22:00:50 0
後半はもう故地のレバントからは全くいなくなってしまったの?
もしやルーツを忘れてしまったとか?
112世界@名無史さん:2005/06/21(火) 00:02:31 0
最後のポエニ戦争の頃にはカルタゴ(チュニジア部分)以外の
領土は既に全て失っていたのでしょうか。
他に落ち延びるような領地はなかったのかな。
113世界@名無史さん:2005/06/21(火) 00:35:34 0
 言葉は後々まで残ったけど、ローマの支配下で民族意識みたいのは
無くなったみたいだね。だいいち民族主義なんて近代からだからな。
114世界@名無史さん:2005/06/21(火) 22:15:52 0
>>102
「スペイン」自体、フェニキア語のウサギを意味する単語から。
115世界@名無史さん:2005/07/01(金) 00:32:28 0
>>112
第二次の時点で他の領土はローマに奪われてたんじゃなかったっけ。
116napoles:2005/07/01(金) 01:09:24 0
フェニキア人とカルタゴ人、オリジンは同じなんですか?
117世界@名無史さん:2005/07/01(金) 05:09:22 0
ハンニバルらカルターゴー人の間で男色が盛んであったという話は
かなり以前から耳にするところではある。
したが、ラテン語の或る文献を除いては、今まで殆ど目にしたことが無い。
フェニキア人は神殿売春を行っていたから、イスラーエール人と同様に
神殿男倡も居たはずだとは思うが、それ以外に男色習俗に関しての史料は
どなたか御存知あるまいかのう?(とくに世俗界の念契など)
118世界@名無史さん:2005/07/01(金) 09:21:01 0
>>115
第二次開始時点では、シチリアやサルディニアは
ローマに奪われてたはずだけど、
スペインとかはまだカルタゴ領だよ。

>>116
伝承では、フェニキアの都市テュロスからの植民で
カルタゴは出来たみたい。
119世界@名無史さん:2005/07/25(月) 13:28:20 0
カルタゴの語源はなに?
120世界@名無史さん:2005/07/25(月) 15:37:27 0
>>119
>>109さんが書いてる通り、カルト・ハダシュト(新市)でつ。
121世界@名無史さん:2005/07/26(火) 08:23:07 0
フェニキア人といっても、本国のパレスティナ沿岸からカルタゴは除いて、カルタゴ・ノバ(今のスペインのカルタヘナ)などに殖民した人々は
結局の所、ローマ帝国に吸収され、土着の民族などと一緒にアイデンティティを消失させていったのではなかろうか?

ローマの寛容な政策?により、ローマ人より有力なイタリア半島のアカイア人やギリシア殖民都市はみんなローマ化してそのアイデンティティを
喪失させていったし、(その代わりローマ人と対等なローマ市民権やその他の権利を彼等は取得した)地中海沿岸にあるフェニキア諸植民地も
根拠地であったカルタゴはともかく、他の諸都市はみんなローマに飲み込まれてしまった。

ローマの偉大な点は正にそのローマ化にあり、異民族に対して排他的な態度を取らなかったことが最大の勝利要因だったと思う。

しかしそのローマも、文明的な地中海諸都市ならいざ知らず、蛮族(ガリア(ケルト)、ゲルマン諸族)には、通用しなかったのは興味ぶかい。
122世界@名無史さん:2005/07/26(火) 08:33:57 0
北シリアやキプロス辺りにも植民市は数多くあったけど
こっちはローマ化以前に東方遠征であぼーん
123世界@名無史さん:2005/08/08(月) 01:09:32 0
東征でお留守の本国は防衛はできてたんだろうか?
スキをついて近隣国が攻め入ることもできたんでは。
124世界@名無史さん:2005/08/21(日) 22:33:38 0
ちょっとは留守番軍が残ってたんじゃないのか?
125世界@名無史さん:2005/09/02(金) 21:49:27 0
武将以外で名が知られたフェニキア人っていたっけ?
学者や商人では思い浮かばない・・・
126世界@名無史さん:2005/09/03(土) 01:55:36 O
コイツら新大陸いってたってほんと?
127【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守:2005/09/03(土) 02:02:39 O
>126 ありそうもないですね。 カナリア諸島や西アフリカ沿岸には行っていたようですが、仮にアメリカ大陸に到達したとしても、難波して流されただけで、おそらくインディアン(アメリンディアン)に殺されちゃって、おしまいだったでしょう。
128世界@名無史さん:2005/09/07(水) 21:45:25 0
>>125
名が知られた、というのがどの程度を指すのか知らんが王族なんかは結構名前残ってる
墓碑銘とかには精錬工や冶金業者の名前なんかもある
129世界@名無史さん:2005/09/23(金) 21:31:33 0
歴史は善と悪の闘争の舞台であり、それを真に鑑賞しうるのは神の意思を背景にして見た場合だけである。
善のグループとは、人間は根源的に悪であるから絶対的モラルの支配を要すると主張するグループで、ユダヤ人が代表的存在。フェニキア人も含まれる。
悪のグループとは、人間は崇高なる存在であり、それゆえにモラルは相対的でかまわないと主張するグループ。カトリック・帝政ローマ・帝政ロシア・ビザンチン・ソ連が代表的存在。
歴史上のほとんどの大戦は善と悪のケンカになっている。
ユダヤ人はポエニ戦争でローマに戦いを挑んだが敗れ、ユダヤ国家もローマによって滅亡、ここにおいてユダヤ人は世界中に四散していくことになる。
70年以降、ユダヤ教会は聖職者中心からラビ中心に代わり、ラビは合理性を旨とするシルクロード商人でもあったから、ここにおいて市場原理主義的ユダヤ教が確立していく。
130世界@名無史さん:2005/09/23(金) 21:33:33 0
>>128
母音が分からんから正確な名前は分からんけどねw
131世界@名無史さん:2005/10/03(月) 19:39:01 0
>>130
古典期の末期にはフェニキア語とギリシア語、ラテン語が併記されてる
碑文も多数あるからクロスチェックすることで多少は分かるよ

まあ古典ギリシア語自体発音が正確かどうかなんて分からんし
それ言い出したらきりないけど
132世界@名無史さん:2005/10/13(木) 00:52:04 0
hosu
133世界@名無史さん:2005/10/15(土) 13:11:07 0
>>53
キリスト教が最も早く普及したのが北アフリカのカルタゴがあった
地域周辺らしいから、事態は複雑というか。
なんかどす黒いものは感じる。
134世界@名無史さん:2005/10/17(月) 08:15:54 0
アウグスチヌスはカルタゴ語知ってたの?
135世界@名無史さん:2005/10/18(火) 10:25:08 0
まあ、要するにフェニキア人こそが実質的なキリスト教の生みの親なのでは?
そうであれば、ユダヤの宗教であるはずのキリスト教の不可解な反ユダヤ主義も説明が
付く。
136世界@名無史さん:2005/10/21(金) 13:20:14 0
レバノン元首相暗殺、神奈川で盗難のトラック使われる
---
国連が20日公表したハリリ・レバノン元首相暗殺の報告書によると、
現地調査団に加わった警視庁鑑識課の捜査員3人は、
暗殺に使われた日本車が昨年10月12日に神奈川県相模原市で盗まれたものだったことを突き止めた。

警視庁のチームは現場に散乱したエンジンの一部など69個の破片を調べ、
日本で盗まれた三菱ふそうのトラックであることを特定。
調査結果を先月27日、国連の独立調査委員会に提出したという。

★ ソースは、読売新聞 [日本] とか。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20051021it04.htm
137世界@名無史さん:2005/10/29(土) 18:22:05 0
ゴーン会長が記者会見で「私にはフェニキアの商才が・・・」と語ってた記憶が。
まあレバノン出身という以上の意味はないと思うが。
138世界@名無史さん:2005/10/29(土) 18:44:29 0
フェニキア人の間では男色や神殿男娼が盛んであった。
よってその植民都市たるカルターゴーに於いても、
当然ながら衆道が愛好されていた。
と云われては居るが、具体的な例はありますか?


139世界@名無史さん:2005/11/16(水) 00:23:29 0
1970年代〜80年代、マロン派キリスト教徒、右翼、

ドルーズ教徒はフェニキア志向が強かった。

イスラム教徒や左翼がアラブ志向・親シリアだったから

それへの反発に過ぎなかったのかもしれないが。

ベイルートのパレスチナ難民キャンプを襲って、

赤ん坊・女性・老人を含む数千人のパレスチナ人を

虐殺したのもファランジストの右翼民兵隊。

それを黙認したのがイスラエル軍で、その責任者はシャロン。

ベギン首相は知らんかったらしい。
141世界@名無史さん:2005/11/20(日) 18:03:39 0
第二次ポエニ戦争におけるカルタゴ勝利の可能性
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1129213215/l50
 
142世界@名無史さん:2005/11/30(水) 16:37:44 0
スレタイがあれだけど、ジブラルタルの柱の向こうに出た云々の話は、
色々文献に残っているらしい。ここに登場するフェニキア人の基地となった島は
多分カナリア諸島のどれか。

【アトランティスの謎】イリヤッド入矢堂見聞録
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1125790182/138
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1125790182/140

ネカウ2世時代のアフリカ周航の話は、ヘロドトスの歴史に詳しく出ており、
確かに航海中の太陽の動きとかは正しく伝わっている。
ヘロドトス本人は、フェニキア人の伝える太陽の運行はありえないとか言って、
この航海を否定している。
143世界@名無史さん:2005/11/30(水) 16:46:36 O
こいつらの碑文史料読むと結構おもしろい
会計目録に猫ちゃんの餌代が入ってたりw
144世界@名無史さん:2005/12/01(木) 21:56:45 0
フェニキア人ってブリテン島とかアメリカにも行ってたんですか?
145世界@名無史さん:2005/12/01(木) 22:44:30 0
ブリテンはガチ
新大陸はガセ
146世界@名無史さん:2005/12/16(金) 01:55:10 0
ブリテン島へは錫鉱石の採取が主な目的だったらしいな。
147世界@名無史さん:2005/12/16(金) 06:56:47 0
フェニキア人の間では男色や神殿男娼が盛んであった。
よってその植民都市たるカルターゴーに於いても、
当然ながら衆道が愛好されていた。
と云われては居るが、具体的な例はありますか?



148世界@名無史さん:2005/12/16(金) 12:57:11 O
フェニキア人の間じゃアスタルテ神殿で未婚女性が売春する方が一般的
149世界@名無史さん:2005/12/22(木) 09:01:18 0
age
150世界@名無史さん:2005/12/29(木) 11:08:36 0
150ゲット
151世界@名無史さん:2005/12/30(金) 12:50:17 0
アルファベットの並び順はフェニキア起源なのでしょうか?
152世界@名無史さん:2005/12/30(金) 14:26:51 0
ギリシア世界に伝わる過程で欠落したり逆に追加されたりした文字もあるけど
基本的には同じ
従来は経済的な交流が密になったことで文字技術も伝えられるようになったと
考えられることが多かったけど、最近ではロードスやイオニアでみられる
最初期のギリシアアルファベットがどれも同一時期に同様の変化(Θが追加される等)
をみせること、前8C頃のアルファベット碑文の殆どがホメロスの詩篇の断片
を伝える数行の刻印でしかないことなどから、一人の人物、特定の集団が
ホメロスのような叙事詩を文字記録として残すためにフェニキア世界から
アルファベットをもたらしたのでは、と考える研究者も多い
興味あるならBarry B. PowellのHomer and the Origin of the Greek Alphabet
とか比較的手に入りやすいから読んでみるといいよ
153世界@名無史さん:2005/12/30(金) 14:31:13 0
このサイトかなり充実してるから一読をオススメ↓
ttp://phoenicia.org
154世界@名無史さん:2006/01/07(土) 04:53:14 0
>>152
おいおい、すげーロマンある話だな!
155世界@名無史さん:2006/01/15(日) 21:04:25 0
カドモス王の伝説が現実味を帯びそうだなあ。
156世界@名無史さん:2006/01/16(月) 09:55:54 0
「フェニキア人は逞しい青年を愛好した」と某書で読んだが、
彼等の間では男色が制度化していたのだろうか?
神殿男娼といった者たちとの性交渉だけではなくして。
カルターゴーに男色が一般的に普及していた事実から推測して
至当なこととは思われるが・・・
157世界@名無史さん:2006/01/16(月) 13:43:20 O
シドン、ティルスに関してはこれまでに出土してるどんな史料からも同性愛の普及してた事実は伺えないってば
158世界@名無史さん:2006/01/16(月) 13:46:03 0
考古学では性風俗の実態は殆ど何も判らぬであろうぞ。
159世界@名無史さん:2006/01/16(月) 13:50:43 O
碑文も含めての史料なわけだがそれ以外にどこから探れってんだよ
CISにも目を通したことがない素人か?
160世界@名無史さん:2006/01/16(月) 16:55:09 0
ホモ吉は放置
161世界@名無史さん:2006/01/16(月) 17:21:22 0
ホモ吉にセム語碑文集成読めと言っても無理な話だろw
162世界@名無史さん:2006/01/17(火) 10:03:31 0
単なる愉快犯荒らしかと思ってたんだが
もしかして真性ホモが空気も読めずに(略
163世界@名無史さん:2006/01/20(金) 11:52:34 0
レバノン杉で作った船を操って 地中化を闊歩
おかげで 今はレバノン杉絶滅寸前

環境破壊の先駆者
164世界@名無史さん:2006/01/20(金) 12:18:28 0
オカマ婆あの160〜162は無視されよ。
可哀相な不具者ゆえに。


165世界@名無史さん:2006/01/20(金) 14:34:03 O
お前が素人なだけ
フェニキア関連の専門書なんて読んだこともないんだろ?w
166世界@名無史さん:2006/01/20(金) 16:00:17 0
>>163
古典期あたりからはギリシャも似たようなもんだったけどな
ペロポネソスは禿山化しマケドニアや黒海沿岸部が船材の供給地になった
今も低木しか生えない岩山が其処彼処に広がっとる
167世界@名無史さん:2006/01/30(月) 06:52:41 0
レバノン杉の貴重さに比較できないだろ
168世界@名無史さん:2006/01/31(火) 01:00:39 O
レッドデータブックに載るレバノン杉www
169世界@名無史さん:2006/02/11(土) 20:41:36 0
以前に植林して増やす計画とかあったみたいだけどどうなってんだろね
170世界@名無史さん:2006/02/14(火) 10:11:29 0
レバノンという国自体がつい最近までガタガタだったからな。植林云々よりも内戦をナントカする方が先だった・・・
余裕が出来てからじゃないと、そんなことには気(木)が回らない、ナンチャッテw
171世界@名無史さん:2006/02/16(木) 03:20:52 0
さむっ
172世界@名無史さん:2006/02/19(日) 23:14:36 0
レバノン山中にわずかに残るレバノン杉の森。
ローマ皇帝が「この森伐採厳禁。禁を破りし者に厳罰を」との勅令を刻んだ石碑が
今も入口に立っているそうな。

誰の御世の時のなんだろうな。
173世界@名無史さん:2006/02/20(月) 23:09:17 0
つーか、古代にレッドデータブックがあれば、確実にレバノン杉は記載されてたわけで。

それから2000年以上経っているのに、未だに残っているのは奇跡的だろう。
174世界@名無史さん:2006/02/21(火) 17:15:50 0
>>125
カルタゴ人だけど農学書で有名なマゴという人がいる。
あと航海術書とかも誰か書いてたかな。
敗北後も残った貴重な文献だったはず。
その後やっぱり散逸したらしいが……

>>172
たしかハドリアヌス帝だったと思う。
175世界@名無史さん:2006/03/02(木) 22:51:29 0
前6世紀ごろだったか、タルシシ船団を大西洋に派遣したり
サハラの南へ探検隊を送り出したりと、この時期は探検的なことをフェニキア人が
たびたび行なっているのだが、交易相手と新ルートの開拓が目的だったんだろうか?

ハンノのアフリカ周航は次の世紀だたかな。
176世界@名無史さん:2006/03/03(金) 03:43:51 0
アフリカ周航はネカウ2世の時代(前600頃)に一度、ハンノ(前5C初)の時代に一度か
フェニキア人も開拓好きだな
177世界@名無史さん:2006/03/05(日) 16:03:43 0
>>135
例えば本邦の狂信的な宗門の例として、創価学会。
反寺門派、反日蓮正宗だが、日蓮正宗の信徒団体の一つが大きくなったもので、
日蓮正宗が“生みの親”であることは疑いようもない事実。
つい何年か前まで、日蓮正宗の本山への参詣を推奨・支援していた。
今のキリスト教も、カトリックが創世神話こそ否定したが、ノア伝承、モーセの
十戒、ダビデ王やソロモン王の正統性なんかを認めているでよ。
そりゃ、同じく狂信的な宗門の日蓮正宗が、日蓮や法顕を認めているのと同じ
ようなものだ。
178世界@名無史さん:2006/03/19(日) 00:22:08 0
>>169
植えても植えても放牧してある山羊や羊に若木の芽を食われてしまうので
いいかげん諦めかけたところ内戦が起きて、現在でもそのまま放置されてるそうだw
179世界@名無史さん:2006/03/25(土) 19:09:06 0
柵で囲まないのか
180世界@名無史さん:2006/04/03(月) 19:15:40 0
>>175-176
ヒミルコも探検航海していたな。
181世界@名無史さん:2006/04/11(火) 18:37:44 0
古代フェニキア人の子孫を名乗る人たちは今でも時々でてくるね。
182世界@名無史さん:2006/04/17(月) 00:40:49 0
日産のゴーンも取材で言ってたっけ?
183世界@名無史さん:2006/04/17(月) 04:16:53 0
ポエニ戦争後に「俺はフェニキア人だ」
なんていったら殺されたんだろうな
184世界@名無史さん:2006/04/17(月) 04:43:42 0
レバノンスギはマツ科ヒマラヤスギ属で
イトスギはヒノキ科でイトスギ属っていう
独立した属を作っててそれぞれ違う樹種だったのね。

取り敢えず花粉分析とかに基づいた「レバノン杉の森」
を含む「シリアの山々」の復活キボン
185世界@名無史さん:2006/04/17(月) 07:38:26 0
>>183
ポゾーリとかカプリ島にはフェニキア人のStatio(公益目的の駐在所)があったけど
戦役の最中もそれ以降も戦役に絡んでの取り壊しも無ければ罰金を課された記録も無い
(土地貸借のために課された税金はあったが戦役とは関係なし)

どうもローマ人はカルタゴ人(ポエニ)とそれ以外のフェニキア人を分けて捉えてた節がある
戦役後は地中海の海上覇権はローマに移ったわけだから当然商売はやりにくくなったろうし
フェニキア人であることのメリットは無くなっていったから次第にローマの経済システムの中に
同化していった(フェニキア人が自ら民族を名乗る必要はなくなった)のだろうけど
フェニキア人だからという理由で殺されたりそのために名乗らなかったりってのは無かったと思うよ
186世界@名無史さん:2006/04/17(月) 18:07:43 0
>185
ローマ自体、イタリア半島に点在していたギリシア植民地や北部のアカイア人を吸収合併して”イタリア”という
国家?概念が当時既に人々の意識の中に芽生えつつあったからな。
その意味では大らかな国であり、フェニキア人(民族)憎しというより、カルタゴ(都市国家)憎しという感が強かった
からな。フェニキア人もカルタゴはともかくとしてローマ”帝国”の支配下に入った後は、ローマ化していったから
なんともはやな感じがするんだけどね。
187世界@名無史さん:2006/04/28(金) 23:44:02 0
フェニキア人の交易範囲というのは具体的には何千キロくらいになるのかね???
188世界@名無史さん:2006/04/29(土) 18:10:21 0
>187
単発でなく継続的に交易を行なっていた地域というと・・・

北:ブリテン島南部
南:?(紅海へは行ってたんだろうか)
西:イベリア半島大西洋岸(カナリア諸島へは探検のみか?)
東:地中海東岸(黒海へは足を伸ばしたんだろうか?)

こんな感じだろうか?
189世界@名無史さん:2006/05/03(水) 14:49:18 0
タルシシ=タルテッソス、というのはもう確定なの?
190名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/04(木) 19:57:52 0
フェニキア人って白人(地中海人種)のことですよね?
191世界@名無史さん:2006/05/04(木) 22:20:55 0
>>189
確証をもって異論を唱える研究者は今いないと思う
前9世紀ころまでしか遡れないとはいえタルテッソスは暗黒時代以降のイベリアでは
かなり早くに興っていた大規模都市だったしGuadalquiver下流からはカディスほか
フェニキアのエンポリオンとの交流を示す精錬所跡・冶金工芸なんかも見つかってる
まだ都市勃興の最初期や550年の都市放棄については未解明な部分が多いけど
文書的にはこれ以上の新解釈望めないし更なる考古学調査を待ちながら
状況証拠上「タルシシ=タルテッソス(?)」ってので落ち着いてるはず

M.E.Aubet(ed.)『Tartessos』, Sabadell, 1989が詳しいよ


>>190
今の北シリアからイスラエルくらいの沿岸部で北西セムの一派が
細かく散らばっていた遊牧民(ベドウィンみたいなのか)とか
クレタから移住してきたフィリスティみたいなのと混ざりまくってできた集団だから
地中海系とかアナトリア系とか明確に区別できるのかは分からないけど
コーカソイドの仲間ではある
間違っても黒人ではない(エチオピアあたりの美術様式は結構吸収してた
みたいだから文化的混交はあったけど)
192世界@名無史さん:2006/05/05(金) 01:39:06 0
フェニキア人は、1にもあるように喜望峰を通過して航海したんだよね?

売国NHKの番組で、世界で始めて喜望峰を越えて航海したのは中国の鄭和!と
言っていたぞ。
193世界@名無史さん:2006/05/05(金) 03:54:24 0
現代につながるのは鄭和が最初なんだろ

原始時代にも丸木船で渡った奴はいただろうし、
神話や伝説や伝聞だけならもっといたんだろ。
194世界@名無史さん:2006/05/05(金) 22:21:18 0
5万年前にサフルランドへ渡ったアボリジニの祖先とかな。
195世界@名無史さん:2006/05/06(土) 18:00:49 0
>鄭和
残念ながら現代につながってないし
196世界@名無史さん:2006/05/06(土) 22:00:52 0
鄭和の航海記録は、財政縮小をとなえる官僚によって焼かれ、
明は以後鎖国してしまうからなぁ。
197世界@名無史さん:2006/05/06(土) 23:05:38 0
>>195
>残念ながら現代につながってないし
中国が発明したコンパスと火薬、
鄭和の海図と成功を元に
西欧が大海に乗り出した、
と中国はいいたいんだよ。
198世界@名無史さん:2006/05/06(土) 23:09:57 0
真偽はともかく個人名のわかってる最初の渡航者が鄭和ってことでしょ
フェニキアの場合伝わってるのはパトロンのネコU世だけだし
199世界@名無史さん:2006/05/06(土) 23:24:01 0
つ「幸運のレイフ」
200世界@名無史さん:2006/05/06(土) 23:55:29 0
ってか、地元の漁民は、しょっちゅう大西洋とインド洋の間を行き来してたんではないの?
201世界@名無史さん:2006/05/07(日) 00:15:53 0
沿岸航法が主体だった時代にはたしてどれだけ漁師が
遠洋漁業に出かけるメリットがあったのかは疑問だが
古代でも交易目的とかでアフリカ周航したヤシがいてもおかしくはない
202世界@名無史さん:2006/05/07(日) 01:02:04 0
おまえらメンシーズのトンデモ説を真に受けるなよ
鄭和が喜望峰を越えたなんてのはまともな学者なら全く相手にしていない説だ
203世界@名無史さん:2006/05/07(日) 11:52:47 0
>>200
>地元の漁民
喜望峰に住んでたコイサン系のクン族のことかねw
204世界@名無史さん:2006/05/07(日) 13:53:28 0
ウティカはカルタゴ陥落後も引き続き残ったそうですが、
ローマに投降して生きながらえたフェニキア都市って結構あったんでしょうか?

殺されもせず、奴隷にもされずにカルタゴ滅亡前と同じ待遇を受けられたってことかな。
205世界@名無史さん:2006/05/09(火) 17:19:39 0
逆に、カルタゴ以外の都市は先に降伏したんで攻撃対象外だったんでしょ。
カルタゴ陥落時に、他の都市には何万人くらいいたんだろう。

カルタゴの攻防の最中、どう思って傍観していたのか知りたいところ。
206世界@名無史さん:2006/05/09(火) 18:54:56 0
ヘロドトスの原文

ttp://www.perseus.tufts.edu/cgi-bin/ptext?doc=Perseus:text:1999.01.0125:book=4:chapter=42:section=1

ネコの命によりポイニケス(フェニキア人)達は、ネイロス(ナイル)川から
運河を通ってアラビオス(アラビア)湾へ出て、エリュトロス(紅)海から南西へ南下し、
最後はヘラクレスの柱(ジブラルタル海峡)からアイギュプトス(エジプト)へ戻ったと書かれている。

途中二回船を降り、そこで作物を育て、延べ三年を書けてリビュエ(アフリカ)を周回した。

ヘロドトス本人は、アフリカの南端を回った時に太陽が右手に見えるはずがないと、
フェニキア人の航海について疑問を呈している
(ヘロドトスは地球が丸いと思わなかった)。
207世界@名無史さん:2006/05/09(火) 19:27:11 0
>>204
>>204-205
ポエニ戦争後西地中海の制海権も交易ネットワークもなくなった
他のフェニキア都市に数万なんて単位で居住してたのだろうか?
最盛期のギリシャポリスでも10万弱もいればほぼ最大規模だったし
戦中戦後のカディスやウティカにはどう見てもそれだけの人口
支えるだけの都市プランもネクロポリスもない

他の都市は相次ぐ戦役のなかで次第に地方都市化して
カルタゴが孤軍奮闘しているところで一応の交易中継地として
作用する以外はほとんど意味を成さなくなっていたんじゃないかな
208世界@名無史さん:2006/05/09(火) 20:24:43 0
紀元前400年頃の各都市人口
32万人: 下都(燕)
20万人: 洛陽(東周)・臨し(齊)・バビュロン(アケメネス朝)・カルタゴ
15万人: ローマ
13万人: 商丘(宋)
12万人: シュラクサイ
10万人: 邯鄲(趙)・呉(越)・曲阜(魯)・安邑・大梁(魏)・新鄭(鄭)・雍城(秦)・宜陽(韓)・
    ヴァイシャリ・パータリプトラ(マガダ)・メンフィス(エジプト第28王朝)・
    エクバタナ・マラカンダ(アケメンス朝)・アテナイ

紀元前300年頃の各都市人口
50万人: カルタゴ
40万人: パータリプトラ(マウリヤ朝)
35万人: 臨し(齊)
32万人: 下都(燕)
30万人: アレクサンドリア(プトレマイオス朝)
25万人: 洛陽(東周)・ローマ
20万人: 大梁(魏)・宜陽(韓)・ヴァイシャリ(マウリヤ朝)・シュラクサイ
18万人: 曲阜(魯)
12万人: 新鄭(韓)
10万人: 呉(楚)・安邑(魏)・商丘(宋)・咸陽(秦)・タクシャシラ(マウリヤ朝)・
    バビュロン・マラカンダ・セレウケイア(セレウコス朝)
    メンフィス・イェルサレム(プトレマイオス朝)・カプア
209世界@名無史さん:2006/05/09(火) 20:25:43 0
紀元前200年頃の各都市人口
60万人 アレクサンドリア (プトレマイオス朝)
35万人 パータリプトラ (マウリヤ朝)
21万人 ローマ
20万人 洛陽(漢)・ペルガモン(アッタロス朝)・セレウケイア(セレウコス朝)・カルタゴ
15万人 タクシャシラ(マウリヤ朝)
10万人 臨し・咸陽・長安(漢)・ヴァイシャリ(マウリヤ朝)
    イェルサレム・エフェソス(プトレマイオス朝)・アンティオケイア (セレウコス朝)

紀元前100年頃の各都市人口
100万人 アレクサンドリア(プトレマイオス朝)
40万人 長安(漢)・ローマ(ローマ)
30万人 セレウケイア(アルサケス朝)
20万人 洛陽(漢)・パータリプトラ(シュンガ朝)
15万人 タクシャシラ(バクトリア)
12.5万人 アンティオケイア(セレウコス朝)
10万人 臨し・魯・茂陵(漢)・ヴァイシャリ(シュンガ朝)・アヌラダプラ(スリランカ)・
   エフェソス・ベルガモン・アパメア(ローマ)・イェルサレム(ハスモン朝)・キビュラ
210世界@名無史さん:2006/05/09(火) 21:33:02 0
ヘレニズム期に入ってから戦役越えるあたりまでのローマ以西の植民都市の凋落具合がスゴスww
211世界@名無史さん:2006/05/10(水) 02:13:04 0
>>205
カルタゴへの物資輸送を手伝った都市もあったそうだが。
ヌミディアにも一部協力者がいたらしいね。
212世界@名無史さん:2006/05/10(水) 02:25:54 0
( ゚д゚) サムラァーイ

( ゚д゚) サムラァーイ

(♯゚Д゚) ブシドー!!
213世界@名無史さん:2006/05/12(金) 03:50:41 0
http://www.mel-at-carinya.com/news/updates/news.html より引用>
◇ヴィン・ディーゼルは本気!
以前(2005年5/22付)ここでお伝えした彼のプロジェクト、紀元前3世紀の英雄
カルタゴのハンニバルの物語なんだが、ヴィンはこのほどメルが「パッション」
の時にお世話になった古代言語学者のBill Fulco師を正式に雇ったとのこと。
もちろんメルの推薦付き。ヴィンがこれから特訓するのは、なんとまったくの
死語であるPunicつまり古代フェニキア語の方言であるカルタゴ語。うわぁ、
これは聞いたことがない。どんなのだろう。楽しみ!
その他ギリシャ語とラテン語も映画では使う予定と言うんだが、メルの応援が
あるにしてもヴィンは監督と確か主演も兼ねるはず。大変そう....でも、メル
の映画に大触発されて発奮してて原語にすごくこだわってて絶対やりたいって
がんばってる。それだけでもこっちも応援したくなる。ぜひぜひやり遂げて欲
しい!
<引用終わり>

↑期待してもいいのだろうか? ワクワクしてしまう。
214世界@名無史さん:2006/05/20(土) 23:54:58 0
84歳で末っ子を作ったマシニッサ王スゴスw
215世界@名無史さん:2006/05/21(日) 17:22:14 0
前近代の人口なんて、どうやったら判るの?
216世界@名無史さん:2006/05/21(日) 18:21:54 0
・住居址
・ネクロポリス
・その他の生活遺物
・近現代地方村落の数量モデル化

よく利用されるのはこのあたりじゃね
217世界@名無史さん:2006/05/21(日) 21:40:41 0
住居跡
 部屋に何人住んでいるかとかは、どうやって判るの?
 日本人の住居なら、高度成長期まで、1部屋に複数人数住んでいたし、夜具は家族の
 数よりも2つや3つ多く持っているのは普通だった。
 が、そこから30年後の今は、1部屋に1人、夜具は1戸の人数と同数が普通だ。

・ネクロポリス
 墓と同義とみていいか?
 同時性がどうやったら判別できるの?
 出身地で埋葬する習慣は日本の近代以降特有のもので、死亡地で埋葬するのが
 世界的には通常。戦争を頻繁にやっている政治圏では、墓からそのコミュニティーの
 死者の数、ひいては人口は推定するのが難しいのではないか?

・その他の生活遺物 ・近現代地方村落の数量モデル化
 日本では、人数に拘らず食器は5個ずつ買う習慣がある。住居のところで述べたように、
 布団の数はこの30年で大きく変動した。
 衣類は、生活習慣や美意識で保有数・消費数が大きく変動する。
 日本だけでも大きく変わるのに、数千年前の滅んだ文化圏の遺跡から出てきた品物から
 人数が類推できるか疑問。

まぁ、考古学というものが学問とはいえないようなええ加減なものだから、それでもいいんだろうけれど。
218世界@名無史さん:2006/05/21(日) 22:47:09 0
グレコローマン社会は通常核家族といわれる
(一部屋に複数人ではなく一家に親子+奴隷の計数人がいいとこ)
こうした家族形態は古典史料や碑文(墓碑)からはっきりしている

墓地に関しても同様で市民と奴隷、少数のメトイコイが一定期間に埋葬された場所がある
(アテネならケラメイコスとかを見ればわかるが古典期の墓碑というのは
30〜50年単位でどの時期のものか判別可能)
ちなみに戦場で死亡した場合その場で火葬にしてその場に埋めるか別途塚を作るのが普通で
都市近郊の墓地に改めて埋葬するということは稀
埋葬数=総人口とストレートに推定するのは論理的に無理があるが
ギリシャローマの地方農村社会の場合古代も中世も近現代もほぼ居住分布と人口密度に
変わりはなかったろうとの推測から数量モデルを作って住居址・墓碑・墓地の推定数を補完する形で
算出したのが>>208-209だろう
まあ考古史料や碑文史料の数量化は古代史研究では珍しいアプローチではないよね

中国やインドのケースはよく知らね
219世界@名無史さん:2006/05/22(月) 01:44:17 0
ギリシャなんかは土地は基本的に均等配分だから
都市内の家屋のサイズも様式もほとんど同じだしね
郊外出て農場主みたいのになると酒宴場が着いたりまた大きくなってたみたいだが
住居跡の総数さえ分かれば住人数はほぼ割り出せそう
220世界@名無史さん:2006/05/22(月) 03:10:49 0
一応カルタゴの人口は、ストラボンの『地誌』(18.3.15)によると、
紀元前264年より前は70万人(実際よりも誇張があると考えられる)。
ディオドロスの『歴史叢書』(20.10)、および『地誌』(17.88.3, 17.52.6)によると、
紀元前310年には戦士が4万人、紀元前146年には3万人いた。
兵舎には常時2万4千人がいた。200艘の五橈漕には300人の漕ぎ手と
120人の戦士が乗っていたとして、海軍には約6万人の男子が所属と推定。

この辺までが文献値の限界。

遺跡からだと、滅亡時のカルタゴの城壁は海岸部を含めて37 km、
城壁内面積は114 haであり、当時の非常に高い都市人口密度(10万人/km2)で多くても15万人程度。
但し全盛期のカルタゴはこれの数倍広かった。

ローマ時代になると再びカルタゴは町として栄え、
城壁の無い320 haの市街地で30〜40万人の人口を抱えた。
城壁が復活するのは425年。

まあ研究者によって数字は桁すら変わるし。
221世界@名無史さん:2006/05/22(月) 17:09:42 0
>>208-209は、下のスレに載っている値だな。
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1044984645/
222220:2006/05/23(火) 01:18:11 0
すまん。

>>220は一部本からの丸写しなんだが、城壁の長さが37 kmもありながら、
城内面積が114 haは変だな。多分1140 haの誤植だと思う。
そして、ローマ時代のカルタゴの面積も3,200 haの誤植だろう。

>.220で、不自然に思いつつも10万人/km2などと書いてしまったが、
Bairochの推定によると、人口密度に関しては、
古代オリエント世界では、1.5万人/km2が相場らしい。
ギリシアローマ世界で、1.0〜1.15万人/km2
イスラム世界で2.5万人/km2
近世西欧で、1.75〜1.9万人/km2程度。
10万人/km2なんて高い人口密度は下水の完備した現代のマンション街でなければ不可能。
223世界@名無史さん:2006/05/25(木) 13:30:37 0
ポンペイウスが討伐した地中海の海賊がフェニキアの残党って本当かね?
224世界@名無史さん:2006/06/10(土) 04:46:34 0
ほっしゅ
225世界@名無史さん:2006/06/14(水) 00:54:31 0
ふたりはふたりはフェニキア♪
226世界@名無史さん:2006/07/01(土) 18:01:12 0
ahe
227世界@名無史さん:2006/07/02(日) 19:27:26 0
大航海は何度かあっても沿岸航海がほとんどだよね?
全く陸地が見えない海を航海する技術はまだなかったのかな。
228世界@名無史さん:2006/07/03(月) 03:44:47 0
岸伝いじゃない航海も無くは無いが一般的じゃない
季節風に乗ればペロポネソス⇔エジプト・リビアが行き来できるってくらいの経験則的なもの
時期とおおよその発着地を限定したいくつかの航路以外は難しいだろうね
229世界@名無史さん:2006/07/03(月) 11:53:20 0
コンパスと外洋海図、船尾の舵、風上に向かっての帆走技術は
中国から伝わるまで待つしかなかったんだもん、仕方ない
230世界@名無史さん:2006/07/08(土) 06:22:18 0
フェニキア人の航海技術は秘密にされた技術が多かったそうだから
不明な点も多いらしいね。
231世界@名無史さん:2006/07/08(土) 11:11:56 0
海運立国だからそうたやすくは教えてくれなかったろうな。
内輪だけの海図なんか作ってたのかもな。
232世界@名無史さん:2006/07/08(土) 23:41:18 0
ぶっちゃけ、幼児供犠ってまだ結論出てないの?
233世界@名無史さん:2006/07/09(日) 00:55:14 0
>232
モロクの像の内部に火を焚いて投げ込んだとかいう話ですか?
234世界@名無史さん:2006/07/17(月) 08:39:05 0
ローマやギリシア側の記録があるが、誇張や歪曲が多そうだしなあ・・・
出土物だけじゃなんとも判断つかないのだろうか。
235世界@名無史さん:2006/07/17(月) 14:45:58 O
トフェトやモロクに関連した記述(それらの単語)のあるポエニ語碑文も多少あるけど
どれも祭儀の内容は直接には書かれてないからなぁ

でもフェニキア全体で見れば人身供犠するより犠牲獣の奉納やテラコッタ像焼くほうが一般的だし
幼児犠牲が全く無かったとは言えないけど
古代オリエントの宗教観に批判的だったフロベール以降の習慣的祭儀説は
話半分に受け止めるほうがいいかと
236世界@名無史さん:2006/07/22(土) 22:57:12 0
そうなのか・・・
ローマがカルタゴを占領した際に、住民に幼児供犠を禁じたというくだりを読んだことがあったんで。
しかしフェニキアの神々の崇拝自体は引き続き許容されてるんだよね。
はてはローマ人の信者まで現れるし。
237世界@名無史さん:2006/08/03(木) 00:53:25 0
フェニキア語ないしポエニ語の辞書って出版されているでしょうか?
探してみたが見当たらず・・・
238世界@名無史さん:2006/08/03(木) 01:49:40 O
北西セム語研究の第一人者C.R.KRAHMALKOVのPHOENICIAN-PUNIC DICTIONARYというのがあります
がセム語学の基礎と碑文学の知識がないと多分全く使えないでしょう
実際のフェニキア語碑文から用例を引っ張って解説するという形式のものだから

米アマゾンで15000も出せば買えると思うけど
買うなら同じ著者の文法書も併せて注文すべき
239238:2006/08/03(木) 06:19:47 0
ついでに邦語で読みたいなら谷川政美『フェニキア文字の碑文』国際語学社がお薦め
代表的な碑文を取り上げ一つ一つ解説してくれてるうえ巻末に簡単な語彙集も付いてる

Krahmalkovの辞書は専門家が碑文研究してるときに語彙や同例の用法を
手っ取り早く知るのには使えるけど、専門外の人が全体ぱらぱら眺めても
面白いと感じるような内容ではないです
とりあえず谷川氏の本読んでみて飽き足りなかったら
Krahmalkov文法に手を出すってのがいい流れなのではないかと

プロソポグラフィー的な人名研究に興味あるなら発刊1972年とちょっと古いけど
F.L.BenzのPersonal Names in the Phoenician and Punic Inscriptionの一読を薦めときます
240237:2006/08/09(水) 22:51:58 0
>>238-239
詳しい紹介、ありがとうございます。
早速探してみます。
241世界@名無史さん:2006/08/19(土) 00:01:15 0
ttp://www.asyura.com/sora/nihon1/msg/147.html

>カルタゴは第三次ポエニ戦争で滅亡しましたが、「マゴ家」を始めとする国際金融家=国際商人たちは、
>厖大な資産を伴って脱出しています

と書いてありますが初耳。徹底抗戦の末に全滅の印象があるカルタゴ上層部ですが、
実際にこんなことがあったんでしょうか?
242世界@名無史さん:2006/08/24(木) 15:37:15 0
しかし当時、かくまってくれる地域なんてあったろうか?
ローマの版図外でもないと難しそう。
243世界@名無史さん:2006/09/10(日) 01:01:15 0
ベネチアも滅びる前に富裕商人は脱出してるんだよな
244世界@名無史さん:2006/09/10(日) 14:16:03 0
ウティカのような、先にローマへ帰順した他のフェニキア系都市はどう?
245世界@名無史さん:2006/09/20(水) 08:09:39 0
今日でも、マロン派キリスト教徒は西アフリカの経済覇権を掌握している
246世界@名無史さん:2006/09/21(木) 00:46:24 0
>>1
ところでフェニキア人とミイラって接点あったっけ?
247世界@名無史さん:2006/09/21(木) 13:34:23 O
ミイラの防腐剤にはタールとか蜂蜜とかいろんな材料が使われたけど
中でもよく用いられたのはセダーやレバノン杉から抽出される油

エジプトにとってフェニキアから輸入される木材は
船や家屋の建材としてもさることながらミイラの製造に必要不可欠で
ウェンアモン以下ぼりすぎにも思われる取引をフェニキア間と繰り返したのは
まず王侯貴族にとって杉油の確保が重視されたから
248世界@名無史さん:2006/09/21(木) 19:02:04 0
松ヤニのようなものか?
249世界@名無史さん:2006/09/23(土) 23:30:03 0
松脂を乾留して採れるロジンやタールを防水塗料・防腐剤として
船体に塗っていたこともフェニキアと関係しているかも。

旧約聖書の創世記で登場するノアの方舟も、建造の際に船材に塗ったくだりが出てくるし。
250世界@名無史さん:2006/09/28(木) 16:40:53 0
↓スレ主がカルタゴ話をここで語っちゃまずいだろうと思って新しく建ててる件

ポエニ戦以前のカルタゴを語れ
ttp://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1158994856/

実際のところ、こっちの連中はどう思ってるんだ?
251世界@名無史さん:2006/09/29(金) 13:47:41 0
スレの伸び具合もマターリしてるし統合していいんじゃね
そこの>>1が「ポエニ(カルタゴ)とフェニキアは別物だ!」
って拘るんなら無理にとは言わんけど
252世界@名無史さん:2006/09/29(金) 22:12:19 0
出生地は現在の北アフリカリビアの都市レプティス・マーニャの皇帝セヴェルス が、
カルタゴ人の子孫というのは本当ですか?
http://www3.cnet.ne.jp/pas31225og/Rome-II.htm
253世界@名無史さん:2006/09/29(金) 22:20:24 0
254世界@名無史さん:2006/09/29(金) 22:30:27 0
255世界@名無史さん:2006/09/30(土) 07:33:19 0
フェニキア語は廃れても、その子孫は、活躍しえいるな。
西アフリカの商権を握るレバノン・シリア人とか。
中南米では、政界にも進出している。
256世界@名無史さん:2006/09/30(土) 16:36:42 0
>>250-251のお二方、わざわざ有難うございますた・゚・(つД`)・゚・向こうのカルタゴスレ立てた者で
あちらにこっちへの統合の旨も書きましたので、どうかよろしゅう…。
まあ、別に以後も何の変化も無いだろうけどwwww
257世界@名無史さん:2006/09/30(土) 18:21:18 0
258世界@名無史さん:2006/09/30(土) 18:27:56 0

http://www.jetrobkk.or.th/japanese/pdf/3.7.2.6.pdf - 108k

中東で契約はそんなに重かったっけ?
それとも、王侯のみいい加減なのか!?
259世界@名無史さん:2006/09/30(土) 18:32:30 0
ウラジオストクにまで、キリスト教徒のレバノン系オーストラリア人が
住んでいるのか
http://www.mita.cc.keio.ac.jp/~mb030025/cgi-bin/diary/?date=20050928-10
260世界@名無史さん:2006/09/30(土) 18:38:24 0
シリアは、2001年9月の米国同時多発テロ以降、米が指定するテロ支援国家として
メディアに取り上げる機会が一気に増えた
(しかし米大使館が存在し、米国議員が来訪するとシリアの大統領と
簡単に会える不思議な関係)。

レバシリ商人にはイラン人もかなわないとよく言われるが、
シリア人はコストダウン意識が強い。ある本によると、
子供の頃から値引きの必要性を徹底して体で覚えさせるという。
日本の商社によると、シリア政府の入札は二番手の価格を提示した会社に対して、
「一番手の値段以下で引き受ければ落札するが、どうか」、という事を繰り返すから、
何回も入札が流れるので、日本人はついていけないという。
彼らにとって「急ぐこと」でも急いではならず、「値段」がいつも最優先である。
http://www.iist.or.jp/wf/magazine/0258/0258_J.html
261世界@名無史さん:2006/09/30(土) 18:48:42 0
レバシリは見た目は白人でもアラビア語を話し、何事にもルーズで評判は悪い。
http://2.suk2.tok2.com/user/fmode/?y=2004&m=09&all=0

 某所では、いじわる顔とぼろくそに言われているレバノンの美人歌手パスカル(バースカール)・マシュアラーニー。
http://blog.goo.ne.jp/mujinatw/e/dcfdf06c5f7a74f802bb46da94e5c471
262世界@名無史さん:2006/09/30(土) 18:57:49 0
レバノンに帰っている二重国籍のレバノン系カナダ人は5
万人もいるというので、カナダに留まっているレバノン系カナ
ダ人も含めれば、相当な数になるものと思われます。 

数年前のカナダ政府の統計をみると、カナダに住む全アラブ系
の人は20万。 ユダヤ人も20万。 その中でレバノン人の占め
る割合はかなり大きいのだろうと思います。 日系人の数字は
記載されていませんでした。 

「レバシリ商人」と言われるくらい、レバノンとシリアの人は、
ビジネスの才覚に富んでいるのでしょうが、中東の「エコノミ
ックアニマル」といったところでしょうかね。 その人達が、
一旦カナダ国籍を取得すると、再びレバノンに戻り、5万人の
うちの半分はレバノンの永住者だそうですから、地中海の香港
人といった存在ではないかと思います。

http://blog.mag2.com/m/log/0000033930/107521799.html
263世界@名無史さん:2006/09/30(土) 19:17:26 0
当時、アラブビジネスの中でも最も難しい商売相手は、フェニキア人の末裔である
レバノン人とシリヤ人であると言われていました。

「レバシリの後には草も生えない」と言われるほどに、徹底的に相手から搾り取ることで有名でした。
こと商売に関しては、日本人の手にはとても負えません。そのしたたかさは、
ゼノビア女王の時代にもうかがうことができます

砂漠のオアシス都市であり、アラブ湾からローマへの隊商ルートにも位置して
いたこと、シルクロード上の宿場町としても栄えていました。
パルミラとは「ナツメヤシの都市」と言う意味

ローマ帝国は、おとなしく従う意思のある国は属国として保護され独自の統治方式を認めるが、
反乱する国は徹底的に撲滅してしまうという方針でしたから、パルミラもカルタゴのごとく
歴史上から抹殺されてしまったのでしょう。
このあとパルミラにとって代わって、アレッポやダマスカスが繁栄することに
なったと言われています。
http://mstk.air-nifty.com/somaqs/2006/05/post_bc53.html


パルミラ宮殿は、ダマスカスから砂漠の中を北東に約250kmひたすら走り続けますと、突如としてドラマチックに出現するので有名です。

264世界@名無史さん:2006/09/30(土) 19:36:30 0
レバシリ人=大阪人
265世界@名無史さん:2006/09/30(土) 19:38:42 0
安宅産業破綻
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AE%85%E7%94%A3%E6%A5%AD%E7%A0%B4%E7%B6%BB

レバノン系米国人実業家ジョン・F・シャヒーン
シャヒーンはリチャード・ニクソンら共和党の有力政治家と親交があり、「政商」「寝業師」と噂される人物であった。
266世界@名無史さん:2006/09/30(土) 19:50:24 0
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%B3+++++&ei=UTF-8&fr=top_v2&fl=0&x=wrt&meta=vc%3D

ニューハンプシャー州知事や大企業のCEOにも、
シャヒーンなる苗字の人がいる。
267世界@名無史さん:2006/09/30(土) 20:53:15 0
>>265-266
どうも、シリアは、こうした人脈に助けられている気がする
268世界@名無史さん:2006/09/30(土) 21:13:37 0
ポーラ・アブドゥルやシャキーラもそれぞれ
父親がレバノン系。
芸能界にも多いね。
269世界@名無史さん:2006/09/30(土) 21:28:11 0
中南米だけでなく、合衆国内でも、なかなかのものだな
270世界@名無史さん:2006/10/14(土) 12:22:47 0
個々の有名な都市国家は滅んでも、
他の都市国家は、名より実を取って生き延びたようだな
271世界@名無史さん:2006/10/14(土) 12:24:54 0
>名より実を取って生き延びた

ローマに降伏・帰順したってことですかね。
272世界@名無史さん:2006/10/14(土) 17:31:24 0
西方都市でポエニ戦争後も残ってたフェニキア都市は取るに足らない規模に成り下がってる
後背地の土着経済同士を港湾通して結びつける
仲介業みたいな役割を果たしてたフェニキアの地方都市は
カルタゴの交易網が崩壊しローマに制海権を奪われてまで
独自に生計立てれるほどのものではないから
意地になってポエニ文化を継承するよりはさっさとローマ化したみたい
(にもかかわらずエシュムンやらタニットやらフェニキアの神はローマ文化に根付いたけどw)

東方都市なんかだとアレクサンドロスの遠征以降さっさとディアドコイの諸王国に帰順して
ちゃっかり将軍職に修まってる連中もいたし転身上手い連中だw
273世界@名無史さん:2006/10/14(土) 17:38:00 0
既出の軍人皇帝セヴェルスなんて、北アフリカの属州出身ながら、
元老院議員に引き立てられているものな。
おまけに、一軍団の指揮を委ねられていた。
http://www1.odn.ne.jp/~aah01610/rome/ryaku/severus.htm
274世界@名無史さん:2006/10/18(水) 02:13:37 0
カルタゴ陥落の翌日、私は妻とともに城外へ連行された。
もう春だというのに木々は焼き尽くされている。
人々の表情は抑圧からの解放と新たな占領への不安に満ち、額から流れるカルタゴ市民の汗が太陽光を反射していた。

「海運立国の時代は終わったのだな」
昨日まで執政官だったバルカさんが、ぞっとしたように私たち夫婦に言った。
「ええ、これからはローマが統治する時代なんですよ」
普段は滅多に話に加わらない妻のソフォニスバが、バルカさんの肩に手を置いて不安に満ちた声で言った。
「ローマ軍旗を御覧なさい。あの鷲こそ地中海の覇者の象徴じゃないですか」
通りがかりの髭の長い中年男がそう言って顔をしかめた。

農夫は長年使ってきた鍬を鋳潰し、黒光りする甲冑を拾い上げた。
「武力闘争はもうやめだ。これからは属州中に拝金主義の銭の音を響かせよう」
ローマ軍に滅ぼされんとするマケドニア末代王の表情で男は言った。

青空のなかを米軍ヘリが横切っていった。
275世界@名無史さん:2006/10/19(木) 17:45:02 0
突然すみません!皆さんの知恵をお貸してくださぃ!!
現在自分は某ゲームでカルタゴ興亡の歴史みたいなゲームを作ってみようと思ったんすが、
如何せんご近所では資料が足りなすぎる……。そこで皆さんにどんなストーリーをピックアップするべきか
または歴史のこの部分をもっと詳細に、などのご教授をお願いしますふ!!
ゲームはAge of EmpiresII:The Conquerors Expansin(略AOC)っていう古臭い奴なんだけど、それはまあ、どうでもよくって。
カルタゴの面白どころを教えてチョ!

とりあえず今のところ
@カルタゴ建国
Aギリシア戦(ヒメラとアクラガス占領)
Bディオニシオス戦(モティア陥落〜前396シラクサ包囲後疫病で解散の件まで?)
Cアガトクレス戦(シチリアは無視で、カルタゴ本国に潜入したアガトクレスとの戦いを重点的に)
Dエピルス王ピュロス戦(離反したシチリア島民との戦いカルタゴがエピルスの船を攻撃したっていうのは本当?なら是非とも入れたい)
E以下ポエニ戦争って流れで。

サハラ探検やジブラルタル越えはどの地点をゴールにするか、クリア条件があまりよく決められないので入れかねてます。
どうか、皆の古典知識を貸しちくり!
276世界@名無史さん:2006/10/19(木) 18:29:20 O
使えそうで使えない小ネタ

・シチリア近海で海賊マメルティニが輸送船襲撃
・南部からマシニッサが侵攻
・都市内部で外国人傭兵が反乱
277275:2006/10/19(木) 18:54:57 0
さっそくのレスサンクス!有り難くて目から水が…(´;ω;`)

>シチリア近海で海賊マメルティニが輸送船襲撃
第一次ポエニ戦争はクサンティッポス参上までローマ視点でいこうと思ってます。
なので、マメルティニがローマと係わり合いを持った出来事があるなら登場させるやも?(ローマ軍の初期戦力で登場させる手もあり?)
メッシーナ市は出します。

>南部からマシニッサが侵攻
第二次ポエニ戦後のヌミディア侵攻すか…ううむ、第三次勃発の原因だし、何とか出させたいなぁ。
イベントっぽくプレイヤー操作不能の傍観シナリオにすればなんとか?

>都市内部で外国人傭兵が反乱
ハミルカルの武勇伝はできる限り登場させたいけど、いかんせん詳細がわからない…(´・ω・`)
@ポエニ戦での功績
A反乱鎮圧、本国との確執風景もできれば
Bスペイン上陸。ハンニバル登場の土台作り
1はともかく、2と特に3の情報が全然…。もし知ってたら是非教えてほしいです!
(そういやハンノのポエニ戦争での働きも全然わかんないや…誰か知ってる?)
278世界@名無史さん:2006/10/19(木) 21:16:00 0
ポエニ戦争以外だと

紀元前241年から238年まで続いた「傭兵戦争」は使えるんじゃないでしょうか。

☆概略
 カルタゴ第1次ポエニ戦争での敗北の結果、賠償金支払いのためシチリアに派遣されていた
傭兵への給与支払いが不可能になった。アフリカに引き上げてきた傭兵達はカルタゴ門前に
集結し給与支払いを求めたが、カルタゴ側は一括支払いができず、各々に約束した給与の
一部だけを支払って内陸のシッカ市へ移動させ、その後騎兵隊長ハンノを通じて約束どおりの
給与支払いが不可能なことを傭兵側に伝えた。

傭兵達はこれに激昂してハンノとの交渉を拒否。カルタゴ市に進軍し、スペンディオスとマトスを
司令官にして反乱が勃発。この反乱が直ちにカルタゴ領アフリカ各地に飛び火し、カルタゴ国家を
崩壊させかねない勢いを示した。ハミルカル・バルカの指導力の下カルタゴはなんとか危機を
乗り切るも、この間にサルディニア島をローマに占領されるなど甚大な損害を出した。


後はAoCならカルタゴのイベリア開拓なんかは「どこそこに町の中心をいくつ作りなさい」みたいな
形でシナリオ化できるかもしれないです。

279世界@名無史さん:2006/10/20(金) 02:54:00 0
傭兵戦争とイベリアの話もできれば出したい!!
てか、ハンノって騎兵隊長だったんだ…てっきり文人のボンボン親父かとw聖職者にするところだったdクスwww

とりあえず第一話から順番に自分の知りうる限りのカルタゴ話を載せていこうっと。
ここは実際の話と違うぞバカヤローとかここはもっと深く言うとこんな感じだバカヤローとか是非突っ込んでください。ええ、是非とも。

第一話『カルタゴ誕生』(BC.814〜BC.560頃)
有名人物:エリッサ(別名.ディド)、アスタルト神父、マルクス将軍(名前では無く、王の称号名?だとすると別名でメレクとも)
@カルタゴ建国。
A先住民との関わり(【資料不足】。暴力的?友好・理知的?ゲームの展開としての理想は暴力的だが…)
Bシチリア制覇を目論むギリシア人との戦い(【資料不足】。現地のシチリア人、エリミア人と共闘したというが…)
Cフォーキア系ギリシア人が占領したサルデーニャ・コルシカ(サルデーニャ島を占領したのは恐らく別組織だろうけど面倒なのでごっちゃ(ぉ)をエトルリア人と共闘して奪い返す。
DBでもCでもギリシア人の殲滅までには至れない。Bはモティア市の防衛さえ出来ていれば良い、Cは勝っても負けても良いものとする。
Eカルタゴの町を大きくし、町民を100人生産するのがゲームクリアの条件。陸づたいにエジプトとも友好交易可能にする?
勢力一覧【予定は未定。*プレイヤー含め8軍までしかゲーム上用意が難しい】
1.カルタゴ
2.ウティカ
3.モティア
4.ギリシア人(シチリア島の敵対勢力)
5.フォーキア系ギリシア人
6.エトルリア人
7.先住民族(アフリカの先住民)
8.エジプト

ええ、ぶっちゃけ資料不足ばっかしです。情けなひ(´・ω・`)しょぼーん
この時代の詳しい歴史を知っている方、別にこの内容に関するツッコミじゃなくても構わないので色々ご教授くださいまし!!
ていうかカルタゴの歴史を網羅してくださる方がいたら感謝の極みで死ねます。ハイ。クレクレで本当にスマソ
280世界@名無史さん:2006/10/20(金) 17:21:41 0
とりあえず思いついたツッコミ

・カルタゴ以前にウティカ・ガディス・リクソスは成立させておくべき
 できれば最古の西方フェニキア碑文の発見されているサルディーニャにも
 初期段階でギリシア勢力に潰されてしまうような駐屯地(中継所)を置くとよい
 (いずれも年代的にはカルタゴ建設に先行して存在したため)

・ディド一派がアスタルテ神殿の要職であった(あるいはティルス王の縁者であった)のは
 ヴェルギリウスやヨセフス以下に伝えられるところだが、ディド父が東方フェニキアの王で
 あることはありえない→高位神官、神官長くらいにしとくといいかも
 (この時代のシドン王とティルス王は兼職で、王ピグマリオンの名が残されている。
 メレクは「王」という意味以外に人名でもよく用いられるが、メレクの名を冠するからといって
 王族であるとは限らない。また、この時代のフェニキア都市は富裕な一般人が王族の支持母体
 としてかなりの権力を有しており、純粋な専制国家とは若干異なる存在であったと考えられている)

・カルタゴが東シケリアのギリシア人に対抗するため軍隊を送ったのはC.550BC。
 エトルリア・カルタゴ連合がコルシカ沖でシケリオタイ(ギリシア人)・サルディニア人に
 勝利したのは535BC。(なおフォーキアでなく普通はフォカイアと呼びます)
 →〜560BCという時代設定は微妙では?

なお参考まで

・シケリオタイとの抗争後、西シケリアは将軍マルコス→将軍マゴ→マゴの子孫によって
 支配。マゴ家は神官も兼任。

・スフェテスが登場するのは前7C頃から。それ以前の段階のフェニキア都市では
 東方にも西方にもスフェテスは置かれていない(時代によって内容は少しずつ異なる)

・前550年ころからカルタゴに300人体制の元老院と将軍による支配が確立

・タニット神信仰と幼児供儀がみられるようになるのは前5C初頭から
 (エジプト・リビアとの交流の中で成立したと考えられている)
281世界@名無史さん:2006/10/20(金) 17:30:46 0
もうちょっと参考に

・サルディニアのフェニキア拠点ノラはサルディニア最南部。
 ここには他にもサルキスやタロス、ビティアなど交易拠点が存在

・ガディスとモテュアは半島や島本体にくっついておらず1kmほど離れたところにある
 小島なので、地形データ自作の場合は注意

・ディオニュシオスとの絡みはモテュアがシナリオ開始即効で滅ぶように布陣されていて
 後に近くの地域に新都市リリバエウム建設でクリアとかでも面白いかもしれません
282世界@名無史さん:2006/10/20(金) 19:56:53 0
詳細なレス有り難うございます!!

まず、ご指摘の通り地形データは全て手作りで行うつもりです。なので、
・カディスやリクソスなどのジブラルタル付近までピックアップするのはマップのサイズ的に厳しいんですorz
いや、出来なくも無い事は無いですが…一応、やれる限りやってみようかな。うーむ。
・ウティカに関しては、スタート直後にウティカに資源の提供を求めるイベントを作ってみようと思います。
それでウティカが先駆の都市であることをアピールできれば、という考えです。

・ディドはテュロスの王女なのか、と漠然に考えていたのですがそう簡単な話では無いのですね。
夫がピグマリオンの叔父アケルバスであるというぐらいしか知らなかったので、かなり参考になります。感謝です。

・時代設定に関しては正直な話、適当でした^^;)
次のストーリー(第二話)のセリヌス、ヒメラ、それにアクラガスとジェラを攻撃するシナリオで傭兵のキーワードを初登場させたいから、
マゴの兵制改革が行われるBC560の前にしておこう…という曖昧な考えで、対フォカイア人のと食い違うのに気付きませんでした。
フォカイア人との戦いは第一話のシナリオ内で決着をつけておきたいので、BC530頃とします。ご指摘、有り難うございます。
(マゴの兵制改革は……傭兵支援イベントがいきなり発生してもプレイヤーが混乱しかねないので、軍事テクノロジーのアップグレードだけでお茶を濁しておきましょう。うん)
あ、それとフォカイア人の軍団はコルシカ・サルデーニャに海軍基地のみ登場させ、マッシリアの町は登場させないでおこうか、
とも考えているのですが、もしカルタゴがマッシリアへ侵攻した、もしくはマッシリアからギリシア人が撤退せざるを得ない理由をカルタゴが作ったなどがありましたら、マッシリアの根拠地も登場させるかもしれません。
283世界@名無史さん:2006/10/20(金) 19:58:16 0
・シチリア島の対ギリシア人との戦いについても追記を。
まず、ギリシア軍は絶対に滅びないようにするつもりです。どれだけシチリア島内の勢力図が劣勢でも優勢でも関係無い、モティア市さえ防衛できれば良いとします。
次からシチリア島内での戦いばかりになりますから、ここでは昔っからギリシアと領土争いが絶えないんだという印象を与えようかと。
ゲームクリアの条件は町を指定まで発展させることですので、シチリア島では交戦状態の維持、のみでいいかな……と。

・すみません、スフェテスって何ですか?(´A`;)無知で申し訳ありません…

・元老院制度と神信仰に関してはゲーム内で活かせようが無いので、ここではスルーさせて頂いて…orz申し訳ない

・サルディニアの町は無名の小さな家々として登場させようかと思ってます。

・このゲーム、『船で軍隊を輸送』なんていう上等な思考をなかなか働いてくれません(泣)
なので当初はシチリア本島とモティアの離れ小島は浅瀬で歩いて行けるか、橋がかけて攻められるようにしようとも考えましたが、いっそのこと断崖絶壁、いわば大砲を備えた灯台のような絶対安全圏の場所にしてやろうかとも企ててます。

・ディオニシオスとの絡み話は後述になりますが、ここでも少し。
モティア陥落は作成側にとってもめったに無い面白展開なので是非ともやろうと思ってますw
それと建設クリアは考えになかったので、これもまた参考になりました。感謝です!



ふー……長っ!!ウワァーン ( `Д´)=○)3゚)∵ ……正直に謝ります。ゴメンナサイorz
284世界@名無史さん:2006/10/20(金) 22:23:12 0
某ゲームじゃなくてちゃんと教えれ
285世界@名無史さん:2006/10/20(金) 22:39:12 O
ちゃんとレス見れ
286世界@名無史さん:2006/10/20(金) 22:56:55 0
そういえばエリッサはカルタゴに着く前に、一度ジブラルタル海峡の外まで出ていたんでしたっけ。
その後地中海へ再び引き返して、最後にカルタゴを見付けたそうですが。
287世界@名無史さん:2006/10/20(金) 23:07:25 O
まあ西方植民市の建設年代からいっても当時の航路から見ても
いきなりカルタゴ建設ではなく
キプロス→クレタ→シチリア・サルディニア→南仏・南スペイン→北アフリカ
という新都市拡張の流れがあったろうから
フェニキアの西進を端的に表した伝承としては不思議はないんじゃないかな
288283:AOCでカルタゴ作り:2006/10/21(土) 03:02:41 0
>>284
Age of EmpiresII:The Conquerors Expansin(略:AOC)なんて古臭い作品でございます。
ゲームの概略は西ローマが滅亡した時期の戦争モノで。…ん?何か?
>>286-287
ジブラルタルまで越えていたのは初耳なので少し驚きです。
…とはいえカディスまですでに建設済みなのですからそりゃあ可能ではあるのか。ううむ、勉強不足

ゲーム内では船での放浪終了直後がゲーム開始地点とするつもりです。
開始直後に船で好き勝手航行させて、敵地に迷い込んでゲームオーバー、なんか目も当てられませんから…(苦笑)
289世界@名無史さん:2006/10/22(日) 19:56:35 O
ポエニ戦争直前までのカルタゴとローマの間には
シチリアを境としてお互いの周辺海域に近寄らない、
勝手に上陸は出来ないとしたフィリノス条約があったから
あんまり早い段階でローマを出さない方がいいかも
290AOCでカルタゴ作り:2006/10/24(火) 17:13:25 0
>>289レスサンクス!!
フィリノス同盟っていうんですか…ちゃんとした名前初めて知りました(´Д`;)この阿呆…
ローマはエピルス王ピュロス戦で同盟国として初お目見えさせようかと思ってます(それ以前でローマと関わった記録ってありますか?)
あと、ここまでの流れで既に理解されたかもしれませんが、書くわりに自分カルタゴ理解してません。知ったかです。恥ずくて吊りたい
気になる穴抜けがあったら即突っ込んで馬鹿にしてくれると有難いです。ていうか、こういう話をここでしてていいのか今更に不安…。

とりあえず第一話は…アレでいいのか?ま、まあ問題になったら後でまた掘り返せばいいでしょう(まだ作り途中だし)
今後、AOC知らなくても大丈夫なように話すつもりですが、解り辛かったらごめんなさい。

第二話は時代を一気に飛んでBC410〜405のディオニシオス登場寸前のギリシアとの抗争を舞台にさせます(多分)
…今から自分が知りうる限りの歴史概要を並べ立てるので、補足、疑問点、ここオカシイってのがありましたら是非お願いします。
291AOCでカルタゴ作り:2006/10/24(火) 17:16:32 0
概要:
カルタゴがセジェスタ市とセリヌス市の争いに介入、ハンニバル率いる先鋒隊が西シチリア【地点詳細不明】に上陸した。
だが、本格的にカルタゴが動き出すのは一年後の5万の後続部隊(傭兵軍団)が到着してからになった。
軍勢が整ったハンニバル軍はセリヌス市を包囲し、やぐらを組み、破城槌を振り回して城壁を破壊した。
市内に突入した傭兵達は殺戮、暴行、略奪などの蛮行をくりひろげ、ハンニバルはこれを制止せず寺院からも略奪させた。
勝ちに乗じたハンニバル軍は、過去敗戦した(ゲーム中は『ここで我々の祖先は負けた』と喋らせるのみとする予定)ヒメラ市と対決する。
ヒメラ市はシラクサ市の援軍と共に抵抗するもカルタゴの大軍の前に玉砕、ヒメラ市は完全に破壊された【以後詳細不明】。
ハンニバルはここまでの勝ち戦に満足し侵攻を中断、軍を解散させてしまう。

それからいくらかもたたないうちにセリヌス市をシラクサ市が占拠し、ハンニバルは二度目の遠征に出る。
シチリア南西部【地点詳細不明】に上陸したハンニバルはセリヌス市を奪い返し、シラクサに向けて軍を進めた。
【アクラガス市までの詳細不明】シラクサ市までの道中のアクラガス市(アグリジェント)まで侵攻するも、ここでハンニバルは病没。
原因はアクラガス包囲戦の最中に蔓延した伝染病である。(病気は恐らく腸チフス?)ここから先は部下のヒミルコが指揮を振る事になる。
アクラガスは天然に築かれた堅牢な要塞であり、攻略はなかなかに難航する。
さらに救援に駆けつけたシラクサ軍に分隊を破られるといった場面もあった【ここでディオニシオス殊勝をたてる?詳細不明】。
しかしBC406の11月、ついにアクラガス市民は降伏する【詳細不明】。
カルタゴはアクラガスに貯蓄されていたギリシア文明の莫大な戦利品にありつくことに成功した。
さらに東進するカルタゴ軍はジェラ市を守らんとするシラクサ軍と対決する(この軍隊は独裁寸前のディオニシオスが指揮)
ディオニシオスはジェラ市の西方に布陣するカルタゴ軍に、水陸両面からの同時攻撃するという大胆な作戦を立てるも
十分に訓練されていないシラクサ軍では上手く作戦を実行できず、カルタゴ軍に各個撃破されてしまう。ジェラ市もカルタゴが占領する。
292AOCでカルタゴ作り:2006/10/24(火) 17:17:09 0

残すところシラクサ本国のみとなったが、戦場から退却しシラクサ市に逃げ込んだディオニシオスが和約をカルタゴに申し立てる。
条件はシラクサ市におけるディオニシオス独裁を認める代わりに、カルタゴに非常に有利な内容ばかりであった【詳細不明】。
カルタゴはこれに快く受諾し、アクラガス等で得た戦利品を手に意気揚々と本国に凱旋帰還することになり、今回の遠征は終了となった。
だが、このとき本国に持ち込んだのは財宝ばかりでは無く、恐ろしい伝染病も一緒だった……。

ここまでが第二話に載せようと思う内容です。突っ込み、さらに詳しいご解説ありましたら是非教えてください。
293世界@名無史さん:2006/10/25(水) 00:19:06 0
みんなはフェニキアに行ったことがあるの?
フェニキアは現レバノン?シリア?
レバノンのベイルートはいいところらしいね
海が見えるカフェでマターリと地中海の歴史について語りたいものだ
294世界@名無史さん:2006/10/25(水) 00:41:50 0
ヒズボラさえおとなしければね・・・
295世界@名無史さん:2006/10/25(水) 14:25:54 0
>>283
・スフェテス(スフェス、スフェット)は毎年選出される2人の最高執政官
 時代的に第1話でスフェスの冠位を出す(としたら)避けたほうがいいんじゃないかと

・580年にはペンタトロスというギリシア人が西シケリアのリリバエウムを攻め
 カルタゴ人はエリュミ人の力を借りて追い払ったという事件もありました
 (西シケリアでのギリシア・カルタゴ抗争のはしり)

・あと後々大きな役割を果たすアクラガスも580年建設といわれています
 小村みたいな感じで1話目に出しておくといいかも


>>291
・条約面では前6世紀末にエトルリアとカルタゴ間で鉄・銅⇔金・銀・錫の通商条約が結ばれており、
 同時期(509)にローマ・カルタゴ間でもサルディニアがカルタゴに属し、
 カルタゴはラティウム他ラテン人の住まう領域に居城しないとする旨の協約が結ばれています
 (ローマ人はサルディニア・リビアではカルタゴの監督官立会いの下交易を可能とし、
 シケリアではそれよりも比較的自由に活動できたことはひとつのポイント)

・480年のヒメラで敗死したハミルカルはハンニバルの爺さん、たった2世代前なので
 「祖先」というのはちょっと^^; 「父祖」くらいがベターかと

・アクラガス戦では地形の複雑さのため功城やぐらが機能しなかった点に注意

・ゲラ占領後は近くにあったカマリナという小都市も押さえられています
 読みとしてはシラクサ→シュラクサイ、セジェスタ→アイゲスタ、ジェラ→ゲラのほうがいいでしょう

・講和はディオニュシオスからではなくヒミルコから為されたという話が伝わっています

・伝染病が危機的な状況をもたらすのはモテュア戦後のシュラクサイ包囲のときのほうが
 よく伝わっています。一度目のシュラクサイ包囲でも伝染病のため滅ぼさず退却したという説も
 ありますがここでの出し方には疑問。シナリオのナレーション(?)をもう少し推敲したほうがいいかも
296283:AOCでカルタゴ作り:2006/10/26(木) 07:14:17 0
>>295かなり専門的なレス有り難うございます!
ああ、こうして自分の浅はかさがばれテイクorz=3 …くだらん事言ってないでさっさと返信しよっと

>スフェテス
あー……そういえば聞いた事あるような無いような。  ネェダロヴォケガァ (#`Д´)=○)3゚)∵ヘナップ
無名の執政官方や当時の政治体制などはゲーム中に表現させ辛いので出来る限り無視したいところなんですが、
(ゲームで登場するのは主に、街や施設を築く町人と戦闘する兵士達、それに同盟国との交易の象徴となる荷馬車や交易船のみです)
将軍など軍事関係で名前が記録されている人は一般兵よりも若干強い優秀な兵士キャラみたいに登場させたいです。
(ただし、兵士ユニットではあるものの戦闘には直接せず、プレイヤーの道標となる解説役として文官を登場させることも可能です)
とりあえず、スフェテスの単語はゲーム中には永遠に出さない(出せない)かも… =■○_
ただ、個人的に勉強になってとても感謝です!…ううむ、勉強不足

>BC580
リリバエウムはペンタトロス側が建設したものだとばかり勘違いしていましたが…( *)ω・`)Φ手直しッと
とにかく、ペンタトロス達とカルタゴが争い、カルタゴが一応勝利したというのに間違いは無さそうですね。
第一話はこの部分とフォカイアとの争い、あとは同盟国間の交易風景を掻い摘むぐらいでいいかな……?

>アクラガス
ナクソス、シラクサ、メッシナ、レギウム等々が建つ都市の位置には一軒家(オイ)でもいいから面影を作ってみようかと思います。

>エトルリア、ローマとの関係性
詳しい解説サンクスです。エトルリアとは諍いは特に何も無い良好な関係と見ていいのかな

>父祖
おおぅっ(・ω・´)素晴らしい発想!いや、『祖先』や『祖父たち』とかぐらいの言い方しか思いつかなかったもので…。
そちらの方が響きが良いですね。参考にさせて頂きます! 感謝!

>攻城やぐら
再びおおぅっ(・ω・´)それは知りませんでした。いや、ゲームの内容が一に戦争二に戦争するばっかなので、
そういう実際の戦闘がどういう状況だったかという説明は非常に有難いです。感謝感謝!
297283:AOCでカルタゴ作り:2006/10/26(木) 07:16:11 0
>伝染病
ここがキーポイントですね…。まず、自分が知りうる伝染病の発生ポイントは3つです。
まずはアクラガス戦時中、それと戦時中に発生した病原菌が本国に持ち込まれ、市内で猛威を振るい対ディオニシオスに隙ができた事。
最後にモティア陥落後に態勢を整えシラクサを包囲した時に、軍隊を解散させるまでに追い詰めた凶悪な疫病が発生した事。

伝染病はアクラガス包囲戦後に一時決着させ、(第一回シラクサ包囲時に)講和した理由について伝染病を持ち出すつもりはありません。
しかし、次のモティア陥落→シラクサ包囲の流れの前後には伝染病が大きく関わっているのではと思い、
次のシナリオに不穏な影が忍び寄っているのというのを示唆させたかったのです。誤解を招きまことにスミマセン。
もっと推敲して、語弊が無いように努力しなければ……。
あ、それと二回目のBC396年頃のシラクサ包囲時の伝染病はかなり大きな被害だったとみなしていてもよろしいでしょうか?
298世界@名無史さん:2006/10/26(木) 15:09:38 0
BC480のヒメラとの戦いは完全省略?
ギリシア視点でやると、前後のシチリア島内ギリシア勢力の関係性が描けて面白いかもしれないと思うけど…番外編チックかなぁ
299世界@名無史さん:2006/10/27(金) 13:39:46 O
ゲラのヒッポクラテスとアクラガスのテロンによるシュラクサイ占領とかは
ギリシア勢力の拡大を語る上では欠かせない
カルタゴに協力的だったセリヌス(前5世紀初頭)への戦闘参加を呼びかける
ハミルカルの部下がゲロンに捕らえられて反撃受けるくだりとか
面白いエピソードだと思うけどね
300世界@名無史さん:2006/10/27(金) 19:13:48 0
300
301世界@名無史さん:2006/10/27(金) 19:25:29 0
>>293-294
海外で「アラビア料理」といえばレバノン料理

ってくらい、アラブ人の文化の体現者なのに、統一されないんだよな。

本当に宗教のせいだけなのか?
302世界@名無史さん:2006/10/27(金) 21:13:37 0
>>297
ディオドロスに拠れば前396年の被害の中心はリビア人傭兵で、
多くの兵が高熱や下痢、吹き出物や嘔吐、錯乱、記憶喪失に苦しめられ
陣中に死臭が漂ったというから被害は相当のもんだったろう
よく知られている伝染病被害はその3回で問題ない

ただモティア陥落時にはカルタゴに広まった伝染病の被害によって
ディオニュシオスに反撃する余裕が生じたというよりも、
(2度目の伝染病の影響で厭戦気分が高まり締結されたといわれる)
ディオニュシオスとの和約が彼の体勢建て直しを
大きく下支えしたことのほうが影響あるように思う
実際モティアに攻め込んだ時点では伝染病は一応治まっていたわけだし

僭主とはいえ通常戦犯扱いされ追放される程の敗戦を経験した後にも
ディオニュシオスがペリクレス並みの巧みな煽動で
シュラクサイに君臨し危機を乗り切れた背景には
アクラガス、セリヌス、ヒメラとシケリアの大半を掌握した「権力者」カルタゴが
ディオニュシオスの地位を明文化し保障したことが強く影響していたはず
(まさにこれこそシケリア問題を長引かせるカルタゴの失策であったのだけれど。
 カルタゴは疫病を圧してもシュラクサイに攻め込み王位を簒奪すべきだった)

不穏な雰囲気は疫病という自然現象によってではなく
ディオニュシオスに止めを刺し損ねたカルタゴの政治的な甘さからもたらされた
としたほうがいいんじゃないかな
303世界@名無史さん:2006/10/29(日) 20:03:19 0
現代のレバノンで、強力な軍事組織といえば、ひずぼら

304世界@名無史さん:2006/10/29(日) 20:04:02 0
>>303
あ、でも、シリア軍はそこそこ頑張ってるかな
305世界@名無史さん:2006/10/29(日) 21:20:21 0
非ズボラだからな
306世界@名無史さん:2006/10/30(月) 19:58:24 0
>>302レス有り難うございます!
かなり参考になります。というかやっぱ自分はどうもイメージばかり先行させてしまっているような気がありますね。猛省せねば……orz
クリア後の解説に活かさせていただいてと……本ッ当に感謝!

>>298-299
ギリシア視点ですか!その考えは無かったなぁ。

ゲラ市の僭主ゲロンがアクラガス市の僭主テロンと手を結び、シラクサを攻略する【詳細不明】。
ゲロンはシラクサを新しい首都とし、大艦隊の本拠地と定める。その後、ゲロンとテロンはシチリア西方への進出を開始。
親カルタゴ派のテリロスが治めるヒメラ市まで進軍し、彼を追い出した【ヒメラを攻め落とすまでの詳細不明】。
テリロスはカルタゴに救援を求め、ここにきてカルタゴはゲロン勢と衝突することになった。
(この時期ギリシア本土ではペルシア戦争が勃発しているのだが、ゲロンは支援を行っていない)
【『ディオドロス曰くカルタゴとペルシアに挟撃の密約があったとの主張だが、反対意見も多い』と自身参考の書】
【ただ、東方の本国にいるフェニキア人はクセルクセスの支援を行っていたとあり、ペルシアの動向を探る事はカルタゴにも可能ではあったらしいとか】
【何にせよ自分だけでは詳細不明なので『ゲロンもギリシア本国も協力しあえる状況では無かった』とだけ記すことにする】
傭兵を引き連れたカルタゴ軍の将軍ハミルカルは大軍を引き連れてパレルモに上陸する。
敵の妨害こそ無かったが、航海中の時化で騎馬隊などの軍の一部を損失していた為、セリヌス市にて兵の徴集を行おうとする。
だがゲロンはこの期を逃さず、カルタゴの新規補充兵に味方を忍ばせ、頃合を見て軍船に火をつけ、ハミルカルを驚愕させた。
気を取り直したハミルカルは何とか応戦しようとするも、初手の被害が大きくヒメラの戦いでゲロンに大敗した。
ハミルカルも名誉の戦死を遂げたとか。

…で、いいかな?詳しい突っ込み批判ありましたら是非。
307世界@名無史さん:2006/10/30(月) 19:59:26 0
この後の出来事確認。
・ヒメラでの敗戦と時を同じくして本国ギリシアがサラミスの海戦でペルシア軍に勝利。
・カルタゴ、シチリア島の諍いへの干渉を止める【本当に何も無かったかどうかの詳細不明】。
・カルタゴ、貴族政から共和政への移行。【敗戦による影響大か】
◆ヒミルコが海を渡り、ハミルカルの息子ハンノがサハラ砂漠を探検する。富が大に蓄積される。
・ペロポネソス戦争勃発。シラクサがアテネに包囲されるも守りきる【援軍到着までの詳細不明】。スパルタと協力して撃退。

・セジェスタ市とセリヌス市が諍いを起こし、セリヌス市がシラクサに救援を求める。(>>291へ)


うーん、こうやって改めてみるとやっぱり◆の段落はなんとかゲーム内でピックアップさせてみたいなぁ……。
でも【詳細不明】ばっかし……好き勝手に想像してみちゃろか(ぉ 隣市の図書館にでも行って再勉せねヴぁ|ω・`)ノシ
308世界@名無史さん:2006/11/01(水) 11:25:44 0
(´・ω・`)。o(この人ひょっとしてこのままカルタゴの歴史全部載せていくつもりなのかな...?)
いや、応援してる。ガンガレ
309世界@名無史さん:2006/11/01(水) 18:02:13 0
ハンノは船でジブラルタル海峡を越えて陸沿いで南に向けて航行しただけだったはず。
しかもサハラ横断の方も、レプティス・マグナの方に行っただけだっのでは?違ったらごめん

クリア条件は多分『金を○○○○○以上保有する』とかになると思うけど、単調になってツマラナイ気がする。
ヒミルコの北方探検(てか航海)もいまいちどこがゴール地点だかよくわからないし、
ゲームスタート前の概略で簡単に紹介する程度でいいのじゃないだろか
310世界@名無史さん:2006/11/01(水) 18:34:32 0
ヒミルコの北方航海はガディスかどこかスペインの植民市に始まって
ブルターニュ、南ブリテン(コーンウォールもしくはシリー諸島)と回って錫を得るものだったはず
アヴィエヌスの詩句にはそれほど詳しく書かれていないけど
北アイルランドのフォイル河周辺でもカルタゴの遺物が見つかっているとPicardは報告してる

ハンノの場合はテュミアテリオン、アラムビュスといった小規模な植民市建設を
北アフリカ沿岸部の方々で行いながら南下、ギニアで火山と「ゴリラ」に遭遇
(この逸話からアフリカに発展しそうに無い「ゴリラ」の小規模集落でも作っといて
 殲滅クリアでも面白いかと)

アフリカ交易はレプティスに置かれていた税関を通じて
リビア南西部のフェザンあたりと行われていたらしい
一日1タラントの収入があったというので、リビアに金鉱脈でも大量に置いて
金稼がせればいいのでは
311世界@名無史さん:2006/11/01(水) 19:03:18 0
ギリシア勢力のシュラクサイ占領時の初期段階ではゲラの僭主はヒッポクラテス
その後をゲロンが継ぐ(どの時点で交代したかは不明だがヒメラ侵攻までのどこか)
またヘロドトスによればハミルカルは戦死ではなく生き延び、敗退後
その責を負って自ら火の中に飛び込んで死んだと伝えられる
(一説にはカルタゴ人の間で敗戦時に人身供儀を伴う神への誓願の習慣があったことを
ギリシア軍が知り、火を焚いて待ち構えていたという)

あとディオニュシオスとの抗争が終わってからもカルタゴはコリント人ティモレオン(在位345-337)、
アガトクレス(-289)とシュラクサイのギリシア系僭主と抗争は絶えなかったので
カルタゴのシケリア干渉はポエニ戦争開戦まで一貫して継続していると考えてよい
この間カルタゴ側の送り込んだ将軍はマゴ、ハスドルバル&ハミルカル、ギスコ、
ハミルカル、ハミルカル、ボミルカル、と似た名前が延々並んでいてややこしいので注意
312世界@名無史さん:2006/11/01(水) 19:03:50 0
>>311>>306-307へのレスね
313世界@名無史さん:2006/11/02(木) 02:06:19 0
>火を焚いて待ち構えていたという
ハミは闘牛かwww

ティモレオン登場シナリオもギリシア側視点の方が面白そうだと思う
いや、あんま気にしなくてもいいけど
314世界@名無史さん:2006/11/03(金) 18:04:00 0
>>309-310
ゲゲェー!? ものっすごい勘違いしてましたねorz 二人ともサンクスw
ゲームクリア条件はお察しの通り『金の一定数所持』にしようと思っています。
(このシナリオをピックアップする理由が『カルタゴが貿易や探検で金持ちになった』ことを紹介する事ですし)
それに>310さん案のゴリラ殲滅イベント→金を大量確保!とか組み入れたりして少しでも単調を軽減するつもりです。
…まあ、そこまで難易度の高いものを作るつもりはありませんので飽きるほどのプレイ時間もかからないはずw

あと、どうしてもわからなかったんですが、カルタゴ(というかフェニキア)はギリシアとは熱心に交易しなかったんでしょか?
交易自体は普通にしてるイメージがあるのに、それが確認できる情報に出会えなくて…(もしくはど忘れ( ゚∀゚)=◯)`Д゚)・;' ゴメッ
もしそういう記録があったら第一話でのギリシアとの関係性にも多少変化が起こせるのですが……。
(現在第一話は完全にフェニキアVSギリシアの犬猿関係に…ゲーム的にはそちらの方が扱いが楽といえば楽なのだけれど)

>>311-313
ヒッポクラテスとゲロンの交代劇がいつだったか自分は全く知らなかったのでかなり有難いwサンクス!!
ハミルカルはここで死んで息子が大西洋岸を航行して孫が祖父の復讐をはかる……うーん、良い感じに因縁めいてますなぁw(ぇ

この後のギリシア抗争の間登場したカルタゴの将軍に関して自分が知っているのは、
富豪のハンノが金の力でカルタゴ国内での権力を支配しようとしたけど失敗したこと、
アガトクレス対戦時、ギスコの息子であるハミルカル将軍は人望があってシセル人に人気があり、シセル人の味方が多く出来たこと、
アガトクレスがアフリカに突如来襲した際、国内にハンノとボミルカルという犬猿の仲の二人の将軍がいて、
この内ハンノは戦場にて(裏切られ)戦死、ボミルカルは混乱する国を武力で支配しようとして失敗し処刑されたこと、
以上で限界……。 _○■= バタッ

今回も誤りの訂正や、さらに詳しいカルタゴ人物の紹介、よろしくお願いします!|ω・`)ノシ
315世界@名無史さん:2006/11/04(土) 18:56:56 0
>>314
古典期、ヘレニズム時代を通じてフェニキア人はギリシア世界との交易自体は
それなりにやっていた(特に東方フェニキア)
オデュッセイアにはシドン商船がギリシアへやってくるエピソードがあるし、
ローマ時代(第2次のポエニ戦役時代)にもプラウトゥスの「ポエヌルス」という喜劇で
ギリシア都市カリュドンで活動するカルタゴ商人が主人公となっている
考古学的にはレバントにあるエウボイア系の東方植民市アルミナで前800年頃に
シドンやアラドゥスとの交流が確認されるし、フェニキア人もクレタや
ペイライエウス(アテネのピレウス港)に自前の神殿を建立したりしていた
カルタゴの場合ギリシア本土と直接交流というよりは両者の入植があった
シケリアやキプロスを通じて間接的に
プトレマイオス朝時代にはエジプトと
316世界@名無史さん:2006/11/04(土) 18:58:25 0
途中カキコになってまったスマソ
改めて後半部分

カルタゴの場合ギリシア本土と直接交流というよりは両者の入植があった
シケリアやキプロスを通じて間接的に文物の交流があった
プトレマイオス朝時代にはエジプト(支配層はギリシャ人)とも接触が見られる

317世界@名無史さん:2006/11/05(日) 01:45:40 0
多少スレ違いになるかもしれないけどふと思ったこと。
AOCでするならカルタゴのチームカラーは【赤・青・緑・黄・紫・青緑・オレンジ・灰色】の中からどれにするんだ?
海の青色か、貝紫染め繋がりで紫色も面白いかもね。
318世界@名無史さん:2006/11/05(日) 18:18:23 O
貝紫は紫っつーか朱色とかエンジに近いんだけどな
319世界@名無史さん:2006/11/07(火) 01:34:00 0
>>314
シチリア島内に絞れば確かにフェニキア人とギリシア人は戦争のエピソードぐらいしか見当たらないね
せっかくの陸続きで異文化交流が出来るんだから、戦争以外にも何かしらおひとつやふたつお話があってもいいのにとは思う
320314:2006/11/08(水) 15:44:09 0
み…皆さん、地中海西岸(エジプトから左ぐらいの)フェニキアの都市がいつぐらい建てられたかってオオヨソ教えてくれません?
特にカルタゴが建国する前のカルタゴ周辺都市とシシリー島が…。なんで自分の周辺図書館はこんなに資料が少ねぇんだorz
321世界@名無史さん:2006/11/08(水) 19:56:23 O
時系列順に主だったところを並べると

リクソスはプリニウスがガデスより古い最古の植民市と論じており12CBC
ガデスが1110BC、次いでウティカ1101BC、タルテッソスが10C、
キプロスのキティオンとクレタ中部に950-900BC、
サルディニアのノラやビュティアが9C初頭、若干遅れてタロスやサルキスが9C、
カルタゴ814BC、マルタや南シケリアが8C末、
タプソスやサブラタ、ヘルマコンなどの北アフリカ諸市が800BC前後
モテュアは8-7C、パレルモとソレントは若干遅く7C初頭
バレアレス諸島はさらに遅くイビサが654/3BC


最初期の植民市(タルテッソスまで)は考古学的には証拠が確認されておらず
現実的には7C頃からの遺物しかない
これらイベリア南部の伝説的な都市を除けば
植民はキプロス・クレタ→南仏・南西・地中海西部の島々→北アフリカ
と北回りで順々に進展したと考えればいいんでない
322世界@名無史さん:2006/11/08(水) 21:36:57 O
スマソ
時系列と言っときながらマルタと北アフリカの順序が逆だったな
アフリカ諸市が多少落ち着くのと前後してマルタ・シケリアに移ったみたい
323世界@名無史さん:2006/11/08(水) 21:41:22 0
>>321
リクソス、ガデス・・・と、
故地から遠いところほど古く建設されていっているんですね。面白いな。
ジブラルタルの外へは何を求めて行ったのでしょうね。
当時の大西洋岸は未開の土地でしたよね。コーンウォールの錫かギニアの金か?
324世界@名無史さん:2006/11/08(水) 23:17:30 O
最初はイベリアの鉱山拡大が目当てだったんだろうね
で日毎にどんどん先に進んでたらコーンウォールまで行っちゃったと
実際大西洋沿岸の植民市は後背地に鉱山持ってるところが少なくないし
昔から航海に慣れた開拓精神旺盛なフェニキア人にとっては
自然の摂理だったんだろう
325世界@名無史さん:2006/11/08(水) 23:28:40 0
やべぇあまりに有難過ぎて泣きそうだおいら。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン
>>315
レス遅れてしまって申し訳ない!吊りロープと台は持参したのでどうかご安心を(ぉ
そんなに大々的で無かったにせよ、ある程度の交流の流れはやっぱりあったのですね。教えて下さってサンクス!!
しっかしこうやって見るとつくづく東方フェニキアとカルタゴの繋がりが希薄に見えて仕方が無かったり

>>321-322
まさかここまで細かく紹介して下さるとは思いませんでした!地味にタルテッソスとかまで…おっと目から水(ry
カルタゴ誕生シナリオ時のフェニキア都市作りに大いに参考になって、本ッ当に感謝に尽きませぬ!
ってそういえばタルテッソスとカルタゴに関する話はあまり詳しくないのだけど、第一話で登場させると面白かったりするのかな?

>>323
元々はスペイン(タルテッソス)と東方フェニキアとの交易ルートを繋ぐ中継地点が必要になって北アフリカ沿岸に数多くの町が建てられ、
中でも特にチュニジアの地域は緑豊かだったためこの辺りの街が特に栄えて大きくなったという話らしいです。

アフリカ西岸探検は黄金貿易のための植民地作り、ブリタニアには青銅工業に必要な錫を得ることが目的だったらしいです。
ところで、ヒミルコの北方探検はどうやらいまいち不首尾だったらしいとの噂を小耳に挟んだんですが…マジ?

それとカルタゴの属州になった北アフリカの都市はウティカ以外城壁を無くさせたっていうのもちらと見かけたのですが、
さすがに鵜呑みにしていいものやら?
326世界@名無史さん:2006/11/09(木) 23:25:34 O
別に東方と西方の繋がりが希薄ってことはない
前4世紀に入るまでカルタゴ人は自身を「カルトハダシュト(新都市)
のティルス人」と称してティルスとの繋がりを維持していたし
古典期には東方フェニキア諸市で在留カルタゴ人がそのまま一生を終え
「△△屋○○、カルタゴの人」と銘打たれた墓石を立ててたりもする
政治的に統一的な紐帯がなかったというだけで
民間人の都市間移動は結構頻繁にあったみたいだよ
327世界@名無史さん:2006/11/09(木) 23:33:00 O
あとヒミルコの航海については>>310に書いたとおり
詳しく史料に書かれておらずその成否は如何とも判断しがたい
ただブリテン各地でカルタゴ系遺物が散見される(大規模遺構等はない)ことから
定住したり植民市建設したりといった活動こそないものの
それなりに開発を進めてはいたらしい
328世界@名無史さん:2006/11/10(金) 18:34:26 0
最初のブリタニアへの航海は波風が無風の時期に航海したらしくてブリテンに到着するのに異様に時間を喰ったらしい。
>>325が小耳に挟んだのはその航海者であるカルタゴ人ヒミルコの報告のことかと。
ただ、>>327の言うとおり遺物は幾つか発見もされているし、
その後打ち切りになったとか全く成果を見込めないと睨んだわけでは多分無いと思う。
329328:2006/11/10(金) 19:21:03 0
すまん、正確にはビスケー湾を航海したカルタゴ人の中の数少ない記録者であるだけで、
ヒミルコがブリタニアに最初に到着した人物かどうかはわからない。
それにヒミルコが航海した時がたまたま船足が悪かっただけで絶対無風というわけではないというのも、まあ、一応補足。
(この凪の無風状態はスペイン北部すぐの海では発生せず、北緯45度線を越えた先で時折起こるらしいですっても地理はよぅ知らん)
330世界@名無史さん:2006/11/10(金) 22:53:52 0
ケルト人の助けは借りなかったのでしょうか。
沿岸航海での航海ならば小規模ながらケルト人も大西洋岸で続けていたようですが。
どんな船を操っていたんだろう?
331世界@名無史さん:2006/11/10(金) 23:44:02 0
革舟カラハは馬鹿にしちゃいけない。
あれでなかなか荒海の航海に耐える代物らしいよ。
332世界@名無史さん:2006/11/11(土) 08:35:59 O
フェニキアの舟形模型ってティルスあたりでいくつも残ってるけど
どれも初期のラウンドシップを更に小型化したみたいなボートで
あんまし外洋向きに見えん(それでもキールはしっかり付いてるが)
333世界@名無史さん:2006/11/18(土) 17:37:25 0
333ゲット
334世界@名無史さん:2006/11/28(火) 21:29:56 O
ゲーム制作は頓挫したのかな…?
335世界@名無史さん:2006/11/28(火) 21:34:32 0
ポエニ戦争を題材にしたゲームって無いの?
336世界@名無史さん:2006/11/29(水) 17:35:22 0
そんなのいっぱいあるよ。何個でてるかわからん。
有名どこならHannibalとかPuunic WarとかCarthageとか。



ただし英語でしかも盤上遊戯だけどな……。
337325:2006/11/29(水) 18:18:14 0
ゲーム製作は歴史を追うのに夢中で頓挫中……ギリシア関連とか本国フェニキアとかほとんど知らなかったんでorz
ディオドロスの『歴史』とかを最近ようやく読めてます。タルテッソスに関する資料も無いかなぁ…っと模索中。
西アフリカやブリテンの航海に関するお話もあまり自分は知らないのでレスせずROMってますた。申し訳なひ

>>326-329サンクス!
>>330
ヒミルコはタルシシ人やジブラルタル地方の者達と一緒にブリテンに航行していたらしですが、
ケルトは…どうなんだろうね?海岸に沿って航行したのなら、なんらかの関わりがあっても不思議じゃないね

>>332
実物見たいなぁ(´・ω・`)ウラヤマシス
昔のアフリカは緑がまだまだいっぱいで水無し川も新鮮な水を海に運んでいたっていうし
外洋の風波が地中海のものよりしんどくてもそのたび岸で休めばいいだけで、
今みたいな長期間海を航行するような技術はそれほど必要に迫られなかったのかも……知らんけど(´・ω・`)実物テラウラヤマシス


ポエニ戦争って映画化すれば面白そうだと思うけど、作らないのかなぁ?
338世界@名無史さん:2006/11/30(木) 05:28:06 0
>>337

ハリウッド次第

でも、脚本家の腕次第だな
ラッセル・クロウの映画よりはすぐ面白くなる、といいたいところだが
339世界@名無史さん:2006/11/30(木) 07:34:22 0
>>337
ゲーム作りより資料漁りが面白くなって頓挫する悪寒w
340世界@名無史さん:2006/11/30(木) 14:02:43 0
タルテッソスについては↓こんな感じで研究書あるけど
http://155.210.60.15/HAnt/Bibliografias/bibliota.html

この中では基本書である
 M.E.Aubet(編)、 Tartessos: Arqueologia protohistorica del Bajo Guadalquivir
あたり読んどけばいいんでない
スパ語が辛かったら同著者の別の本(英訳あり)
The Phoenicians and the Westってのでも簡潔に触れられてるけど上のほど詳しくない
341325:2006/11/30(木) 16:00:46 0
英語も赤点なのにスペイン語なんて一文字たりともわかんねえぜセニョールorz
342世界@名無史さん:2006/12/01(金) 01:10:08 0
セニョリータ以外はイラネ。
343名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 20:29:50 0
344325:2006/12/02(土) 07:38:14 0
第一話が全くといって完成のメドが立ちそうにないけど、とりあえずMAPはここまで再現させるイメージ
(MAPの土台は戦術の世界史さんの地図を拝借致しました。ごめんなさい)
ttp://www.uploader.jp/user/sample/images/sample_uljp00122.gif

時代背景はカルタゴ誕生直後BC814頃からおおよそBC550頃まで。この間の時代で
予定図の枠内(多少外でも可)にフェニキアの古い都市がこの辺りにもあるぞとかこんな出来事起きとるぞとか
位置のミスや設定のミス、アドバイスというか突っ込みあったら是非お教えください。是非
345世界@名無史さん:2006/12/02(土) 08:01:37 0
最低でもこれくらい補足説明しなくちゃわけわからんですね。スマソorz

>ヌミディア民族
この時代にヌミディア民族とカルタゴが関わったという資料は残念ながら自分は持っていません。
ただ単純に、後年ポエニ戦争にて大きなキーマンになる彼らなので今から名前を早く覚えてもらおうと思って参戦させているだけです。
(実際こいつら自軍に援軍を与える以外何の役割も無いままにするつもりですし。)
時代考証を無視していたら即変更して、今シナリオでは登場させずもっと後のシナリオで出します

>フェニキアの交易地
>主導はドレパナ
これは、シチリア系ギリシアからの攻撃を受けて、一番ドンパチが激しいのがドレパナ辺りだから。
ギリシアに対抗するための軍事施設とかをしっかり用意する分、他の各施設と比べてドレパナは立派な装いの町になる予定。

>イベリアの岸
自分調べでは今のところあの辺りにフェニキアの古い都市が建てられたことは無かった気が……しますので(汗)、
プレイヤーがあの地点に拠点を築いたりしないように、っていうだけの措置です。


つくづく言葉が足りない自分に鬱orz
346世界@名無史さん:2006/12/02(土) 08:02:52 0
あ、>>345は全て>>344に載せた画像に一緒に書いてある備考のことねorz
347世界@名無史さん:2006/12/02(土) 08:39:56 O
348世界@名無史さん:2006/12/02(土) 13:09:31 0
イビサ(エブスス)の位置が変
いま置いてあるよりもうひとつ西の島にある
で地図上で3つ並んでるバレアレス諸島のうち東のやつにはマゴって交易拠点もあった
(マッサリア、エンポリウムはフォカイア系、アンティポリスなどはアカイア人植民市
といったふうに南仏がギリシア勢力に抑えられたことに対して、西地中海を安全に
渡航できるような役割を果たしていた植民市がこの2都市
マゴの建設はイビサより少し遅いくらいでポエニ戦争時まで残っている)

あとフェニキア交易地の主導都市をドレパヌムに置くのはどうかと思う
>>321にあるとおりシケリアでの最初の入植地はモテュア(もしくは南シケリアの
小規模な住居群・・・ゲラ、アクラガス、セリヌスへギリシャ人が入植した時点で消滅)だし
前6世紀段階までは勢力拡大の拠点になっていたのもモテュアのはず

イベリア南東部はカルタゴ・ノヴァとかが出来るまで空白地帯でいいんでない
(実質的にはフェニキア勢力圏だったと思うけど)
349世界@名無史さん:2006/12/02(土) 22:41:09 0
シチリア島内でドレパナが際立つのって確かモティア陥落後ぐらいからだった希ガス
350世界@名無史さん:2006/12/03(日) 01:46:39 0
何だかわからなくなったんだけど、
色んなサイトを巡るとディド(或いはエリッサ)王女とか女王って称されてるけど、
>>280辺りの説明によるとディド夫はただの富裕階級で王じゃないと……
じゃあディドは元々テュロスじゃ王族なんかじゃなくって、カルタゴ作った後に女王だって持ち上げられただけ?
351世界@名無史さん:2006/12/03(日) 05:14:39 0
フェニキア人男性は逞しい青年との男色関係を好んだ
というけれど、その典拠となった文献は何でしょうか?

ドイツ人の書いた『フェニキア人」という本に書いてあった
かと記憶して居りますが・・・
352世界@名無史さん:2006/12/03(日) 14:41:01 0
フェニキア語の碑文で「シェケル」「タレント」などの単位が登場しますが、
通貨や度量衡は独自のものを使っていたんでしょうか。
シェケルはセム系共通の単位かもしれませんが、ギリシアやローマの貨幣や度量衡の単位系も
用いていたのでしょうか。
353世界@名無史さん:2006/12/03(日) 20:30:56 0
>>351
遺跡から、同人誌がたくさん出てきたんだよ。
354世界@名無史さん:2006/12/05(火) 15:04:15 0
>>350
ディド伝説の内容は史料によって少しずつ違う
女王と語っているのはヴェルギリウスだがこれはローマ建国に際した悲恋の叙事詩(創作)
ヨセフスはディドをピュグマリオンの妹、その夫アケルバスはアスタルテ神殿の神官と伝える
ユスティヌスは名前こそ出さないものの王家の内紛で分派がリビアへ旅立ったとしている

ただ史学的に見ればカルタゴ建設年代の前後の期間に
ティルスでピュグマリオン王が即位していたのは碑文史料の記述から確実で、
ピュグマリオンの妻がディドであったり夫アケルバスが一時的にでも王位についていた可能性はない
という点だけは譲れない

そもそも建国の伝承自体真偽のほどは定かではないのだが
前古典期ギリシアでも政争や食糧難で口減らしのために植民市建設が行われたように
内紛を契機に分派が移住を行ったというユスティヌス説は十分ありえる話で、
王族ではあったかもしれないが正当な王位継承者ではなく支持者とともに渡ったカルタゴで
改めてまつりあげられた、ってのがいい落とし所なんじゃないかと
>>280の「ディド父」は「ディド夫」の誤りだな
355世界@名無史さん:2006/12/05(火) 15:09:30 0
>>351
ゲルハルト・ヘルムの邦訳題『フェニキア人 古代海洋民族の謎』のことかな
ざっと見直してみたけどそんな記述なかったよ
どこで読んだかページ数までわかれば原文(ドイツ語版)も見てみるから出典示してみて
基本的なとこだけどヘルムおじさんは専門の研究者じゃなくて物書きだからね
モンタネッリや塩野七生みたいなもんで個々の事例について参照するには値しない
ハーデンやモスカティ以下の概説を下敷きにモノの本にあるような俗説ごちゃ混ぜにして
通史っぽく書いただけだから史料的根拠も糞もないことが多々ある点注意

で性愛に関する史料をまとめなおしてみると、ギリシア世界と違ってフェニキア側に伝わる
どんな叙述史料にもインタリオ等にも男色の存在した痕跡はまったく見当たらない
神殿売春についてはヘルム本でも若干触れられていたけどフェニキアの聖娼が女ってのは確実
神殿売春に関する碑文史料には「(アスタルテの)神殿で犠牲的行為を払った女性たち」
と若い女('LMT)であることが明記されており、男娼が売春行為を行っていた事実は一切ない
アドニス信仰もファロス崇拝につながるものはあるがこれを男色と結びつけるのは恣意的過ぎる
根拠のないものは無いとしか言いようがないので
フェニキアが男色好きという俗説(そんなんあるのか知らんが)は史学的にはダウトでFA
356世界@名無史さん:2006/12/05(火) 15:10:16 0
>>352
通貨に関してはギリシアポリス同様、各都市国家で自前のを発行していた(特に前5世紀は鋳造ラッシュ)
通貨単位についてはQP’(読みがはっきり定まっていないがクァパ?)、QR(クァル?)などがあり
重さについてはQS.R(クァシル?)、T.B'(ティバ?)などが知られている
(いずれもどれくらいの価値であったか詳細不明。ただしQP’やQRなどは
人夫への月のお給料だったのでそんなに高くはないだろうと推測される)
シドンやティルスなどヘブライの諸王国と交流があった地域では一部で
キカル、ホメル、バテ、キュビトなど聖書でもよく知られた単位が用いられていたことが分かっている
357世界@名無史さん:2006/12/05(火) 15:29:31 O
タレスってギリシャ人じゃなくてフェニキア人なの?
358世界@名無史さん:2006/12/05(火) 15:36:44 0
ヘロドトスはそう伝えてるようだが(1.170)疑問説もあるみたいだね
359世界@名無史さん:2006/12/05(火) 16:45:21 0
>>355
351はホモ吉というキチガイ荒らし。他スレでも同時間帯に男色関連の
レスをつけているヤシ。放置しといて。
360世界@名無史さん:2006/12/05(火) 17:27:54 0
>>359
知ってるよ
二度と来ないようにスレ的な回答出しとくだけ
答え出てることに対してソースも持ってこないで再度同じことのたまうような
真正キチガイを自認するつもりがあるなら懲りずにまた来ちゃうんだろうけどw
361世界@名無史さん:2006/12/05(火) 18:03:01 O
ホモ吉は質問に答えを求めてんのか答えられないのを求めてんのかどっちなんだろねw
後者だとしたら最悪の性格してるよな
そりゃ現実だけじゃなく2ちゃんでもウザがられるわw
362世界@名無史さん:2006/12/07(木) 16:37:15 O
ところでフェニキアについての専門書て
日本じゃあまり見かけない気がするけど
みんなどんな本読んでそんなに詳しく勉強したん
363世界@名無史さん:2006/12/07(木) 22:47:36 0
新しい歴史教科書をつくる会の教科書。

って、あれは内容薄いんだよなぁorz
364世界@名無史さん:2006/12/08(金) 10:09:34 0
・カルタゴ 古代帝国の滅亡【河出書房新社】アラン・ロイド[著] 木本彰子[訳]
・ハンニバル 地中海世界の覇権をかけて【講談社学術文庫】長谷川博隆[著]
・ポエニ戦争【白水社】ベルナール コンベ=ファルヌー[著]石川 勝二[訳]
ぐらいしか実はまともに読んだことがないんだよねorz
あとは図書館で地中海歴史本や古代ローマ史にチラチラと載ってるのを見るぐらい
アマゾンでめぼしいのを買うべきかなあ…やっぱり
365世界@名無史さん:2006/12/10(日) 01:19:24 0
ハンノのアフリカ航海では、寄港地ごとに入植者を下ろして住まわせていたんですね。
その後はどうなったんでしょう。本国との交易を通して接触は保たれていたのかな。
366世界@名無史さん:2006/12/10(日) 20:00:57 0
【レバノン料理】【世界4大料理】
http://food6.2ch.net/test/read.cgi/gurume/1165393919/l50

3 :食いだおれさん :2006/12/06(水) 23:07:17
シリア、レバノンの両方の、いろんな地方のいろんな格式の店で食べ比べたが、
アラブ風に料理するならシリアのほうがおいしかった。個人的にはダマスカス
よりアレッポが好き。
レバノンで感激したのはフランス料理。

12 :7:2006/12/07(木) 23:48:35
>>10-11
ベリーサンクス!
シンドバッドは日本初のレバノン料理店らしいし、マイレバノンはカルロスゴーン夫人の
店って...2店とも興味アリアリですよ。メニューも美味しそうな物だらけだったし。
アイランドタワーも代官山も近いので是非、行ってみたいなぁ。



367世界@名無史さん:2006/12/10(日) 21:43:24 0
>>365
3万人の男女と食糧を載せた50人漕ぎガレー船60艘ってのは本当?
ざっと1艘500人乗ったのか。
探険と植民を兼ねた開拓船団だったのかも知れん。
368世界@名無史さん:2006/12/15(金) 19:20:40 0
ところで、ちょっと教えて君でスマソ。
歴史的に見て通説としてモテュア陥落はどんな風に
とらえられているのかってのが知りたいんだけど、
なんかいい参考図書ないっすか?
369世界@名無史さん:2006/12/15(金) 23:46:09 0
>>367
人数に誇張が無かったとすると60艘にさらにいくつかの輸送船が食料や生活必需品を積んで同行したらしい。
さらにハンノが残した冒険談の冒頭はまず植民地建設に関する事から始まってる事から植民も目的なのは明らかなのだとか。
あと、この探検はライバル諸都市(ギリシア等)には絶対極秘裏に進められたらしい。

>>368
>>364一行目の本によると
「大軍隊の先頭に立って、ディオニシオスは陸路まっしぐらにモティアへと進んだ。
彼らはかつてのハンニバルの残虐行為を想いおこし、行く先々でカルタゴ人を探し出しては暴力をふるい、虐殺した。
モティアでは、急を知った守備隊が決死の抵抗をする覚悟をかため、市につづく土手道を破壊したてこもった。
いま、あわてて傭兵集めに奔走しているカルタゴが援軍を派遣してくれるまで一ヶ月かかるだろう。

ディオニシオスは、カルタゴの傭兵隊がととのう前に決着をつけてしまおうとした。
破壊された土手のかわりに提を築いた。城壁の上にいる守備隊を射落とすためには矢倉の上から投石隊が攻撃し、
地上では穴掘り部隊や破城ツチ隊が工作した。こうして、ついに城壁を突破し、城内で市街戦が展開されたが、
これについてディオドロスは「生きながらえる希望を捨てた」フェニキア人が獅子奮迅の戦いをくり広げた、
と記述している。市は全滅した。モティアの陥落は、カルタゴに対するディオニシオスの圧倒的な勝利の証だった」

...とあります。
ただこれまでの流れを見るに他の本と書き方に違いが多く見られるようだし
別の本も読んでみた方がいいかもorz
自分もまだこれぐらいしか読めてないので自分も皆のおすすめ参考図書すごいワクテカ
370世界@名無史さん:2006/12/16(土) 04:12:17 0
日本語書籍ではあまりいいの出てないよね
興亡の世界史シリーズの栗田・佐藤『通商国家カルタゴ』は期待してるけど
超基本のモスカティの概説書すら訳書ないし本格的に勉強したかったら洋書読むしかない

以下あくまで個人的な邦語関連書ランキング(◎は卒論に利用してもいいレベル)

〔★3つ(学術的にも読む価値あり)〕
 ◎・長谷川博隆『カルタゴ人の世界』、『ハンニバル』
 ◎・コンベ・ファルヌー『ポエニ戦争』
 ◎・ウルス・ミエダン『カルタゴ』
 ◎・ウィリアム・キュリカン『地中海のフェニキア人』
 ◎・谷川政美『フェニキア文字の碑文』
〔★2つ(まあまあ良書)〕
 ◎・メートランド・エディー『ライフ人類100万年 海のフェニキア人』
 ◎・アズディンヌ・ベシャウシュ『カルタゴの興亡』
 ◎・中日新聞社『古代カルタゴ美術展』
  ・アラン・ロイド『カルタゴ』
  ・ゲルハルト・ヘルム『フェニキア人』
〔★1つ(関連内容が薄め、あるいは信頼度低)〕
 ◎・サバティーノ・モスカティ『古代オリエント史』
 ◎・ロバートソン・スミス『セム族の宗教』
 ◎・長谷川博隆『ギリシア・ローマの盛衰』
  ・谷川政美『セム族流転小史』
  ・松谷健二『カルタゴ興亡史』
  ・塩野七生『ローマ人の物語』
  ・服部伸六『カルタゴ』

あとはやっぱヘロドトスとか古典原書系ね
ここにあるの全部読んだら趣味的には充分じゃないかな
地図はリチャード・タルバート『古代ギリシア・ローマ歴史地図』で参照するのがいいと思う
楠田直樹『カルタゴ史研究序説』は読んでないので持ってる人いたら感想キボン
371世界@名無史さん:2006/12/16(土) 20:25:56 0
>>369 >>370
はやくもレストンクス
お勧めの本てきとうに読んでみます
372世界@名無史さん:2006/12/18(月) 02:48:42 0
フェニキアとフェラチオって似てね?
実は関係あんの?オナニーと同じで聖書出典?
373世界@名無史さん:2006/12/18(月) 20:44:48 0
                             |
                             |
      ∩___∩             |
      | ノ  _,  ,_ ヽ        ((  | プラプラ
     /  ●   ● |         (=)
     |    ( _●_)  ミ _ (⌒)   J  ))
    彡、   |∪|  ノ
⊂⌒ヽ /    ヽノ  ヽ /⌒つ
  \ ヽ  /         ヽ /
   \_,,ノ      |、_ノ
374世界@名無史さん:2006/12/22(金) 06:28:39 0
フェラチオの言葉を広めたのは、チャップリンの離婚裁判だが
375世界@名無史さん:2006/12/22(金) 06:51:30 0
マジレス古典古代で「フェ」ニキアなんて呼ばれても無いしな
po-ni-ki(ミケーネ時代末)かPonnim(前10Cフェニキア)か
Φοιν?κη?(古典期)かpunicus(共和政期)だ
376世界@名無史さん:2006/12/22(金) 06:52:39 0
文字化けたけどポイニケスね
377世界@名無史さん:2006/12/23(土) 01:01:42 0
「カナニ(Chanani)」という自称があったそうだが、実際はいかに?
378世界@名無史さん:2006/12/23(土) 01:14:24 0
お隣さんであるヘブライでの呼び方がKN'N(カナン)
スレの最初のほうで「自称した」と書かれてるがフェニキア人自身が自称したことはないはず
Ponnimは特にティルス、シドンに限定して使用されていた自称で
語源はレバント沿岸部を指すPTからといわれる
379世界@名無史さん:2006/12/23(土) 01:29:27 0
ちょっと補足するとウガリット文書ではkn'nyと記されているので
「カナニ」の語がまったくフェニキア起源ではないわけではない
前14Cのアッカド語文書ではkinahhuと呼ばれているしアマルナ文書でもkinahhiとされるので
歴史的には「カナニ」という用法のほうが古い(Ponnimという語の初出は前9世紀ころ)
が通常「フェニキア」と呼ばれるアラム・フェニキア時代(前9C)以降のフェニキアに
「カナニ」の自称を適用させるのはどうかと思う
実際前9世紀以降のフェニキア語碑文でフェニキア人自身が刻む場合はPonnimとだけ出てくる

日本語だとどこググってもCanaaniと出てくるしPonnimの記述はないけど
多分Aubetの著作が元になってて(あるいはヘルム本かもしれないが)
碑文研究の成果が十分反映されていないことが原因
言語研究の面からいえば歴史時代の東方フェニキア(シドン、ティルス)はPonnimと呼ぶことを推す
380世界@名無史さん:2006/12/24(日) 03:37:40 O
今間違いに気付いた
>>370の★ひとつ
『セム族流転小史』著者は谷川氏じゃなくて飯島紀氏だった
スマソ
381世界@名無史さん:2006/12/24(日) 13:30:10 0
タニト神もフェニキア起源だったのか?
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/ouken/newsletter/news7.html
382世界@名無史さん:2006/12/26(火) 22:05:07 0
レバントからどの程度タニト神の護符が出ているのか分かんないけど
古典時代のカルタゴと東方世界は結構緊密な関係を保っていたと目されているし
前5世紀にしか遡らないなら単純にカルタゴからの搬入品ってことも
考えられなくはなさそうだけどなあ・・・
383世界@名無史さん:2006/12/27(水) 01:26:58 0
詳説ありがとうございます。
カルタゴなど西方の植民都市では、出身を聞かれたら都市名を名乗っていたんですかね。
フェニキア人と名乗っていたのか、あるいは単に「ウティカ人」「リクスス人」という風に、かな。
384世界@名無史さん:2006/12/27(水) 22:25:38 0
カルタゴ人の場合カルトハダスティ(カルタゴ人)って書かれるからそのまんまだね
リクソスやウティカの例は見たことないけど調べてみるわ
まあ東方でも民族的な呼称としての「Ponnim」だけ使用してたわけじゃなくて
シドンの何とか、ビブロスの何とか、っていう呼び方こそ普通だったから
西方都市でも基本は「どこそこの都市の人」、って感じだったんだろうけど
385世界@名無史さん:2006/12/29(金) 15:25:14 0
ガデスのある場所って昔は大陸とは陸続きでない小島だったんだね…つい最近知ったおorz
386世界@名無史さん:2006/12/29(金) 16:29:28 0
ガディスに限らずティルスもモテュアもそうだけど陸近くの小島に居住って多いよね
やっぱ大陸と隔たってるって地理条件は交易と防衛両面に利用できるし
本土側の後背地では全体を耕作したりできるって利便性からじゃなかろうか
天然の港湾をそのままコトンに変えてるケースは結構ある
387世界@名無史さん:2007/01/03(水) 21:12:03 0
いまNHKの「北アフリカ世界遺産紀行」でカルタゴ遺跡が登場中!
コトンのCGも出てきましたよ。
388世界@名無史さん:2007/01/04(木) 10:17:01 0
見れんかった…orz
389世界@名無史さん:2007/01/07(日) 17:03:00 0
今もコトンの輪郭がおおまかながら残存しているのには驚いた。
現地の住人は先祖代々、普通の入り江と思っていたんだろうなw
390世界@名無史さん:2007/01/07(日) 17:15:58 0
モテュアのコトンってフェニキア都市の中では一番よく保存されてて
今も50m×35mの港湾まるごとと埠頭、係留索を結ぶ穴なんかが見れるぞ
391世界@名無史さん:2007/01/07(日) 17:24:16 0
392世界@名無史さん:2007/01/07(日) 17:26:43 0
おおー、すごい!コトンって軍港だよね?
こんな綺麗に残ってるのか
行ってみたいなあ
393世界@名無史さん:2007/01/27(土) 11:49:51 0
>>386
小島だと飲み水などはどうしていたのだろう。
本土まで汲みに通ったりあうる場合もあるのかな。
394世界@名無史さん:2007/01/28(日) 13:42:08 0
古い時代の飲み水=何でもかんでもどこでも井戸っていう先入観があるなぁ・・・
395世界@名無史さん:2007/01/28(日) 13:54:11 0
どっかで海底に水道を通していたってのを読んだことがある
396世界@名無史さん:2007/01/28(日) 17:04:51 0
島に川があればいいんだろうけど。
あとは天水頼り?
397世界@名無史さん:2007/02/04(日) 15:03:58 O
フェニキアはレバノン杉や紫ものを交易売買してた…ていうのはよく聞くけど
じゃあカルタゴやガディス、ウティカとかの地方の売りって何?
398世界@名無史さん:2007/02/04(日) 23:02:07 O
農作物と貴金属
399世界@名無史さん:2007/02/05(月) 00:09:00 0
ガラス製品はどこだっけ
400世界@名無史さん:2007/02/05(月) 06:02:11 O
カルタゴかティルス
401世界@名無史さん:2007/02/05(月) 10:53:56 0
貝紫の話題が少なすぎるのは、意図的に避けてるのかい?

この板の住人が日本の考古学に詳しいはずもないか―とすると何でだろ
402世界@名無史さん:2007/02/05(月) 13:19:41 O
語りたい奴が好きに語れば?
403世界@名無史さん:2007/02/06(火) 08:11:34 0
貝紫を使って出来たもののうpキボン
皇帝紫と一緒の色?
404世界@名無史さん:2007/02/28(水) 02:31:32 0
405世界@名無史さん:2007/02/28(水) 16:44:58 0
ヌミディア人はカルタゴと領土争いとかしなかったんだろうか
406世界@名無史さん:2007/02/28(水) 16:47:11 0
ローマはカルタゴ滅ぼしたあと、塩をまいて農耕できないようにしたんだろ?

しかし後にカルタゴのあとにローマ都市が出来た。
その都市や周辺の住民は、土壌汚染に悩んでいたの?
407世界@名無史さん:2007/02/28(水) 17:20:24 0
雨がきちんと降るような環境なら、塩なんて流れちゃうでそ。
408世界@名無史さん:2007/02/28(水) 17:36:14 0
あれってただの願掛けじゃなかったのか
それともマジで塩まくと農耕出来なくなるの?

たかたが20年で再建計画が持ち上がるくらいの土地だしそんなに物騒なモンまかねーだろと思っていたがw
409世界@名無史さん:2007/03/01(木) 00:34:51 0
>>405
つマシニッサ
410世界@名無史さん:2007/03/01(木) 01:07:24 0
小競り合いというか隙あらばっていうピリピリしたものはずっとあったんジャマイ?
第一次ポエニ戦争でレグルスがアフリカに上陸した時、ヌミディアも便乗してカルタゴに攻撃してたらしいし
411世界@名無史さん:2007/03/03(土) 05:43:02 0
フェニキアとフェニックスって文字が似たようなもんっていうの以外に何か関係あんの?
412世界@名無史さん:2007/03/03(土) 18:56:47 0
>>408
塩害って調べてみ
413世界@名無史さん:2007/03/03(土) 20:44:31 0
つか塩害を人工的に起こすほど膨大な量の塩を人力でまくなんて当時可能なのか?
414世界@名無史さん:2007/03/03(土) 20:59:41 0
ローマが塩をまいた土地なんだよ、ここは。ってだけでも意味があるな
415世界@名無史さん:2007/03/03(土) 21:28:30 0
清めの塩みたいなイメージ
416世界@名無史さん:2007/03/04(日) 02:13:24 0
日本じゃ闘う前に撒くけどな。
417世界@名無史さん:2007/03/04(日) 21:17:37 0
>>413
海水まけばいいんじゃないか?
418世界@名無史さん:2007/03/05(月) 16:47:14 0
降水量>蒸発量である限り、そうそう塩類は土壌に蓄積しないので、
かなり塩をまいたところで、すぐに水に流されちゃう。

>417
水道橋とか使って海から引いてくるのか?
人力で海水運ぶとしたら、よほど組織的に大量動員して長期間行わない限り
たかがしれている。
419世界@名無史さん:2007/03/05(月) 17:26:49 0
塩おにぎりが食べたくなるようなお話ですね
420世界@名無史さん:2007/03/06(火) 15:22:08 0
俺は味噌おにぎりが食べたいな


ところで当時の航海者達の主食って何だ?
421世界@名無史さん:2007/03/06(火) 16:03:02 0
基本的に沿岸航海だから、寄港する港によって激しく変わってきそうな雰囲気が
422世界@名無史さん:2007/03/07(水) 20:53:22 0
>>420
2度焼きしたパン
今のビスケットみたいなもの
423世界@名無史さん:2007/03/11(日) 04:13:18 0
おにぎりはどこの港に行ってもないけどなw

ハンニバルは明太子味
424世界@名無史さん:2007/03/11(日) 06:03:38 0
ハンニバル戦争はカルタゴ側の大将以外も武将の名前が大量に出てくるから面白いのだが、
如何せん名前が似たり寄ったりで分かり辛いことこの上ないんだよなー
誰か教えて
425世界@名無史さん:2007/03/12(月) 00:22:30 0
>>414
ペロポネスソスでもまいてなかった?
426世界@名無史さん:2007/03/24(土) 12:13:45 0
カルタゴ陥落の紀元前146年、同じ年にコリントも滅ぼされた。

古代地中海に繁栄したフェニキアとギリシアが、奇しくも同じ年にローマに滅ぼされたのは
何か運命のようなものを感じる。
427世界@名無史さん:2007/03/26(月) 01:39:53 0
>>365
大西洋岸の各入植地どうしの交易は、カルタゴ滅亡まで継続していたそうです。
ハンニバルが率いたゾウも西アフリカから輸入したものなんでしょうか?

カルタゴ滅亡間もない頃に、ポリュビオスがアフリカ大西洋岸の各入植地を
訪れて地理誌を残しているようですが、何が目的だったんでしょうね。
カルタゴが秘密にしてきた交易網や特産物を調べるためかな。
428世界@名無史さん:2007/03/26(月) 14:02:35 0
>>426
コリントはシラクサの植民市だし尚更ね

ところでさっきハ●ニバル異聞って本を読んでたら
「”バルカ”とは、さきの大戦における彼(ハミルカル)の
海戦での活躍を知ったカルタゴ市民達がたてまつった船乗りを意味する異称である」
ってあって何か妙に納得してしまった
他にもハミルカルの父祖はマケドニア軍に攻められてカルタゴに亡命したテュロスの将軍だったとか
でもハンノとハミルカルがなんか妙に仲良かったりバルカ家大活躍だし
どこまで信じていいんだかわかんねーw
429世界@名無史さん:2007/03/26(月) 23:43:29 0
>>424
大量って、バルカ一家以外じゃギスコとマハルバルぐらいしかエピソードねえじゃん…
430世界@名無史さん:2007/03/26(月) 23:57:50 0
バルカって雷光って意味じゃなかった?船乗りと関係あるん?
431世界@名無史さん:2007/03/27(火) 00:37:33 0
そう。フェニキア語barqa=「雷」。

ちなみに、イスラエルのバラク元首相の名も同系のヘブライ語baraq「雷」が語源。
 
432世界@名無史さん:2007/03/27(火) 00:51:07 0
雨や嵐とかを担当してる神のバールって名前が絡んでそうな以上
船乗りっていう意味合いも言いようによってはあるかもしれんだろうけど、
>海鮮での活躍
↑これをアピールしたかったがためのなんちゃって表現でしょ

っていうかハミルカルって海戦でそんなに活躍したことあったのか?
433世界@名無史さん:2007/03/27(火) 01:11:14 0
語源はともかく「バルカ」が家名じゃなくて異称であるってのはマジだよね?
あの一家の他に親の名前以外で二つ名付いてるカルタゴ人出てこないし
英訳本とか読んでねーからよく知らんけど

>>431
wikiで調べたら女装ってワラタw
そういやハンニバルもよく変装して暗殺者から身を守ってたらしいが…
434世界@名無史さん:2007/03/27(火) 01:14:38 0
ドイツ代表はバラック
http://www.bunotukasikata.com/ikumou/dedoks.html
435世界@名無史さん:2007/03/27(火) 01:25:42 0
家名か称号かははっきりしないが二つ名を持つフェニキア人は
バルカ以外にもいくつかあるよ
例えばサルディニア系のフェニキア人の中には
〜〜〜・シャルデンという部族名だか家名だかを名乗りにしていた連中がいた
436世界@名無史さん:2007/03/27(火) 01:41:43 0
>>435
そうなのか、知らんかったd
っていうかもうちょっと名前にバリエーション付けようぜフェニキア人
437世界@名無史さん:2007/03/27(火) 01:44:37 0
名前も一般に知られてるのが少ないだけで結構な数ある
438世界@名無史さん:2007/03/27(火) 01:52:10 0
マゴ家、ハンノ家・・・
439世界@名無史さん:2007/03/27(火) 01:52:31 0
>>437
例えばどんなのがあるの?
440世界@名無史さん:2007/03/27(火) 02:03:49 0
523 :世界@名無史さん :2006/02/16(木) 23:00:38 0
水氏って誰?

525 :世界@名無史さん :2006/02/24(金) 01:21:25 0
だから、水さんって誰?
441世界@名無史さん:2007/03/27(火) 02:05:05 0
アビバアル、アビハリル、アビナドブ、アビコム、アビセアン、
アビサロム、アドム、アドナイバアル、アドナイセメス、アデル、
アデルバアル、アヒナドブ、アヒロム、アムエシュムン、
アムアシュタルト、オシリガン、ボドメルカルト、ビトエシュムン
etc... 
現在知られてるフェニキア人名全部挙げたら100はゆうに越えるよ
442世界@名無史さん:2007/03/27(火) 02:09:57 0
うぇwwwwwこんなにあるのかwww全く知らなかった

オシリガンて凄い名前だなw
443世界@名無史さん:2007/03/27(火) 02:15:29 0
オシリガンのオシリは尻ではなくエジプト神話のオシリスのこと
「オシリス神は我を護りたもう」みたいな意味の名前
オシリ何とかって名前はカルタゴ人に多い(らしい)
やっぱエジプトと少なからず交流あったせいだろうな
444世界@名無史さん:2007/03/27(火) 02:18:33 0
スゲー!!!そんなにあったんだw
なんか>>441なら>>424の質問にも答えてあげられる気がするw
実は俺も気になってますwww
445世界@名無史さん:2007/03/27(火) 02:23:52 0
>>438
ヒメラに関わったマゴ家の者はハミルカルとハンニバルって名前があったが
第一次に出てきたハンノは
ハンノなのかハンノ・ハンノなのか●●・ハンノなのかハンノ・●●なのk
446世界@名無史さん:2007/03/27(火) 15:39:14 0
「フェニキア人男性が逞しい青年を愛した」と或る書物で読んだことがあります。
フェニキア人の男色に関して詳しく教えて下さい。
447世界@名無史さん:2007/03/27(火) 17:08:57 0
聞くなら先ずある書物とやらの名前を明らかにしろ
448世界@名無史さん:2007/03/27(火) 17:10:17 0
>>446
>>355>>359-361
自分もそんな一文まったく読んだことねーよ
449世界@名無史さん:2007/03/27(火) 17:27:32 0
ホモ吉は放置
450世界@名無史さん:2007/03/27(火) 20:02:16 0
>>443
九州北西部の方言で、ケツメドのことを「しりのす」と言ったりもする。
451424:2007/03/28(水) 00:09:25 0
>>429
第一次じゃローマに捕まって第二次じゃローマに降伏勧告に行って失敗したカルタロ、
シシリーで本国上官にブチギレてローマに寝返ったムティネス、
アルプスで人肉喰いを提案しただとか(却下されたらしいが)
ハンニバルが行った残虐行為は殆どこいつのせいだとか言われたらしい汚れ役のモノクマ

盛り沢山じゃないか!
452世界@名無史さん:2007/03/29(木) 11:31:07 0
>>428
   / ̄ ̄\
 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)
. |     (__人__)   異聞って書いてあんだから鵜呑みにすんなよ…
  |     ` ⌒´ノ    常識的に考えて…
.  |         }
.  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \
453世界@名無史さん:2007/03/31(土) 06:28:03 0
カルタゴが誕生した814年頃って、テュロスはもうアッシリアに征服されてたんだっけ?
確か陸土がアッシリアに荒らされたせいで島に本格的に移民したような…
454世界@名無史さん:2007/03/31(土) 19:10:51 0
アッシリアの直接支配は前709年からのはず
サルゴン2世のシリア・パレスチナ遠征の完了をもってレバントの都市国家群は掌握された
シャルマネセル3世時代(前840頃)にもシドン、ティルスからアッシリアに対して
貢納があったことが知られてるが政治的に属州化したのは
455世界@名無史さん:2007/03/31(土) 19:21:21 0
途中カキコ失礼

(続き)政治的に属州化した(アッシリア側の監督官が派遣されるようになった)のはシリア遠征後の話
ただセンナケリブからアッシュールバニパル時代に至るまで
テュロス王ルリの逸話に見られるような抵抗は何度かあったみたい
456世界@名無史さん:2007/03/31(土) 19:59:02 0
>>454-455
サンクス!
457世界@名無史さん:2007/04/01(日) 00:20:16 0
フェニキア人の子孫のればしりも、アルメニア人も
海外雄飛しているのに
母国は駄目な状態
458世界@名無史さん:2007/04/01(日) 05:20:35 0
フェニキア人・カルターゴー人の偉大さは、何と言っても男色を尚んだ点にある。
459世界@名無史さん:2007/04/01(日) 05:21:39 0
・家名『稲妻』 ・バアル神(嵐と慈雨の神)に愛されし者
・奇襲戦法と変装の名人 ・百戦錬磨のつわものどものリーダー
・政治家、軍略家、策略家 ・生粋のトラブルメーカー ・成り行き任せ
・カリスマ ・大佐、親衛隊隊長、戦艦の艦長、司令官、将軍階級
・船乗り ・象使い ・馬術に精通 ・ジョークが上手い
・人喰い ・医者、博士 ・洗脳術 ・動物並の嗅覚
・魂喰い ・猫属性 ・悪霊を呼び寄せる ・生者の魂を吸う
・ネクロマンサー ・罠外し ・異名『トラキアの盾』、『伝説の機械化戦士』
・サムライ ・重機動メカ操縦 ・ビームセイバー ・お菓子を常に携帯
・腕力が25(人間中最強) ・槍、斧に才覚あり、小剣も嗜み、何より剛剣の冴えは圧巻
・一方で自動小銃や爆弾を愛用、格闘戦も得意
・着ぐるみ俳優 ・ジョン・スミス(偽名) ・太い葉巻がチャームポイント


韓信の勝てる要素が見当たらないw
460世界@名無史さん:2007/04/01(日) 05:22:26 0
おもいっくそスレ間違えたwwwwwスマソ
461世界@名無史さん:2007/04/01(日) 07:03:00 0
モノクマって初めて聞いたな。kwsk
462世界@名無史さん:2007/04/01(日) 07:34:02 0
>>459-460
バーローwww
463世界@名無史さん:2007/04/02(月) 12:09:28 0
>>461
>>451じゃないけど歩兵隊指揮官モノクマ
ってどっかの絵本で見かけたってばっちゃが言ってた!

>>453
もとから島に住んでたわけじゃなかったの?
464世界@名無史さん:2007/04/12(木) 00:23:05 0
>>461
アルプス越えが主題の本に(だけ)よく登場してる
ボリュビオスからの引用らしいから全くの架空人物ではないと思うが、
歩兵だから別にこれといった戦功もなかったんだろうな

あとモノマクの間違いorz
「ハンニバルの象つかい」も確認したけど、モノマクだったよ
勘違い付きあわせてスマソ
465世界@名無史さん:2007/04/14(土) 11:05:32 0
結局、ハンニバルが率いたゾウはどこから連れてきたんだろう?
西アフリカあたりから輸入してきたんだろうか。
だとしたら、あの巨体でよくサハラを越えられたもんだ・・・
466世界@名無史さん:2007/04/14(土) 21:11:31 0
セレウコス王国(シリア)経由でインドから輸入
467世界@名無史さん:2007/04/14(土) 21:18:34 0
ハンニバルが率いてた象部隊の中にいたインド象は
ルカニアの牛と一緒に渡ってきた奴か?
468世界@名無史さん:2007/04/15(日) 09:38:33 0
ピュロスが持って来た象のこと?
469世界@名無史さん:2007/04/16(月) 00:26:14 0
>>465
アフリカゾウは人間に飼い馴らせないのでは。
470世界@名無史さん:2007/04/16(月) 04:08:40 0
うろ覚えだけど、確か今は絶滅したそんなに大きくないサイズのアフリカゾウが連行されたハズ。
櫓なんか到底乗せらんない、一人か二人乗るくらいの

あと何かの本で、アフリカゾウ(小)の群れだけでアルプスを越えさせることは無理だろう、
可能とするには人の言う事をよく聞くインド象がリーダー格として一頭は必要だ、って話を聞いたような
471世界@名無史さん:2007/04/16(月) 04:58:43 0
アルプス越えで生き残った最後の1頭が象部隊唯一のインド象だった
という話は信憑性あるのかな?
472世界@名無史さん:2007/04/16(月) 05:42:00 0
アルプス越えた時点で大抵は6〜3頭ぐらいまで激減した、
あるいは20頭生き残っていた、とか資料によって本当にまちまち
でも続くトレビアの会戦でそのほとんどが殺されたらしい。

問題はその後のアペニン山脈越え。
ハンニバルが失明したっていうアルノ河渡りでハンニバルが乗象?していたのが
シュルスって仲間内で呼ばれる、アルプス越え組唯一の生き残りである戦象だ、っていうのが>>417の聞いた話だと思う。
(名前の由来はシリアとかそういう意味合いらしい。つまりほぼ確定的にインド象ぽい)

信憑性があるかないかと言われると、原文読んだこともないからわかんない
インドゾウいない派からすれば、この渡河話もでっち上げの一言で終わるだろうし
473世界@名無史さん:2007/04/18(水) 22:44:39 0
>>472 に補足
一応、シリア側でも同時代の記録に残ってるそうだ<インドゾウを贈った
それ以外のは、当時北アフリカに棲息していた、小型のマルミミゾウと考えられている。

ま、一次資料読めてるワケじゃないのはご同様。
474世界@名無史さん:2007/04/20(金) 11:49:22 0
フェニキア人の文明って、分類的にはメソポタミア系?それともエジプト系?
475世界@名無史さん:2007/04/20(金) 12:29:01 0
フェニキア人の男色風俗に就いて語れ。
476世界@名無史さん:2007/04/20(金) 13:25:15 0
オマエガカタレヨ
477世界@名無史さん:2007/04/20(金) 16:15:21 0
そういう気の話に受け取れなくもない例えがフェニキア人たちに
全く一つどころか眉唾ものもホコリどころか気体としても存在しないかと言えば嘘になるが、
ンなもん語ることなど一涅槃寂靜単位で有り得ない
478世界@名無史さん:2007/04/20(金) 16:59:07 0
先ずは>>355を十回読んで
>>447-448に答えてからにしようぜ
479世界@名無史さん:2007/04/21(土) 08:16:04 0
>>478
わかったお
エロい人
480世界@名無史さん:2007/04/23(月) 00:56:53 O
フェニキア人の祖先がカナン人あり、カナン人の信仰してたのが、邪神バール。カナン・バールから、カーニバルって言葉が生まれたらしい。因みに、キャナル(運河)は、カナン人→フェニキア人→ベネチア人が住んでた街並みから、この言葉が生まれたらしい。
481世界@名無史さん:2007/04/23(月) 01:01:42 O
ベネチアは、イタリア語読み。英語読みは、ベニス。このベネチアでフェニキア人の子孫達は、黒い貴族として生き延びたらしい。さらに、ベネチアの黒い貴族の子孫が、今世界を支配している、イギリスのロス・チャイルド家。ハムとカナンの子孫そのもの。
482世界@名無史さん:2007/04/23(月) 01:08:01 O
歴史の本より、オカルト系の本のほうが、詳しく書いてあるよ。 カナンの呪い、イルミナティ・悪魔の13血流、ロス・チャイルド家の密謀、300人委員会等。中丸薫先生の書物も良い。俺は、学生時代に哲学を勉強していて、そこから興味を持ったんだけどね。
483世界@名無史さん:2007/04/23(月) 01:23:15 O
ただ、これらの書物を読むと、歴史イコール人口削減って結論が出て、鬱になるよ。第三次世界大戦から世界統一政府のことまで未来に関しても書かれてる。ダ・ビンチコードや天使と悪魔レベルではない。バチカンやアメリカ(ロック・フェラー)を動かしているのも、ロス家。
484世界@名無史さん:2007/04/23(月) 01:29:38 0
        ∩___∩
. \     | ノ      ヽ
   \  /  ●   ● |
     \|    ( _●_)  ミ  そんなエサでおれが釣られるかクマー!
      彡、   |∪| ,/..
       ヽ   ヽ丿/  /⌒|
       / \__ノ゙_/  /  =====
      〈          _ノ  ====
       \ \_    \
        \___)     \   ======   (´⌒
           \   ___ \__  (´⌒;;(´⌒;;
             \___)___)(´;;⌒  (´⌒;;  ズザザザ
485世界@名無史さん:2007/04/23(月) 01:30:26 O
興味があるひとは、フェニキア人だけじゃなくて、その子孫についても学んでみては。歴史も違う視野から学べるし、裏の視点も分かる。政治、経済、国際情勢に至るまで理解出来るようになるよ。ただ、障らぬ神に祟りなし、深入りしすぎずに・・・。
486世界@名無史さん:2007/04/23(月) 01:32:07 0
バールなんて表記してる時点でセム系言語の特徴理解してないのがバレバレ

って言っても分からんのだろうなあ
487世界@名無史さん:2007/04/23(月) 01:48:59 0
カナン・バールって……それ、ギリシア・ヘラクレスとか言ってるようなもんじゃないのか?
あと、たまには現実の世界地図も見ましょうね。レバノンとヴェネツィアの位置を特に
488世界@名無史さん:2007/04/23(月) 02:14:40 0
さすが携帯厨といったところか。
489世界@名無史さん:2007/04/24(火) 12:45:57 0
せっかく484が流してくれそうだったのに
490世界@名無史さん:2007/04/24(火) 13:39:27 0
2ちゃんは釣られてナンボ
491世界@名無史さん:2007/04/24(火) 22:29:05 O
興亡シリーズのカルタゴの巻はいつ出るんでしょうか?
492世界@名無史さん:2007/04/27(金) 00:58:56 0
ポエニー人の男色風俗も知らぬ痴呆が居るぞよ。
493世界@名無史さん:2007/04/27(金) 01:50:07 0
       ローマ?ぼこぼこにしてやんよ
ハ→ ∧_∧     ∧_∧
ン  ( メω・)=つ≡つ);:)ω・).,,';
ニ  (っ ≡つ=つ ⊂  ⊂)
バ  /   ) ババババ (   \
ル  ( / ̄∪      ∪ ̄\_)

       ∧_∧ ∧_∧∧_∧
    ∧_∧´・ω・)(´・ω・`)・ω・`∧_∧
   (´・ω・)∧_,∧   ∪)∧_∧:;)ω・`)
    ∧_∧ ´・ω∧_∧ (・ω・∧_∧⊂)
   (´・ω・)   (メω・ )   (・ω・`)___\
   (っ  つ    (っ  ⊂)     ⊂ ⊂) \ )
   /∧_∧∧_∧ ∧ ∧_∧∧_∧\
   ( ´・ω)(  ´・)(    )` )(ω・` ) )
   (っ  つ/    )(    )   \ ⊂)
   /   )`u-u'. バ∪ ̄∪バ`u-u'   \

ボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコ
コボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコボコ
ボコボコボコボコ∧_∧∧_∧∧_∧ボコボコボコボコ
ボコボコ∧_∧´・ω・)(´・ω・`)・ω・`∧_∧ボコボコ
ホコボコ(´・ω・)∧_,∧lll ∪)∧_∧:;)ω・`)ボコボコ
ボコボコ∧_∧ ´・ω∧∪∧(・ω・∧_∧⊂)ボコボコ
コボコ(´・ω・)≡つ);)メω(;;(⊂≡(・ω・`)___\ボコボコ
ボコボ(っ  つ=つ (    )⊂=⊂≡ ⊂) \ )ボコボコ
ボコボコ/∧_∧∧_∧ ∧ ∧_∧∧_∧\ボコボコ
ボコボ( ( ´・ω)(  ´・)(    )`  )(ω・` ) )ボコボコ
コボコ(っ  つ/    )(    )   \ ⊂)ボコボコ
ボコボ/   )`u-u'. バ∪ ̄∪バ`u-u'   \ボコボコ
494世界@名無史さん:2007/04/29(日) 01:37:00 0
カルタゴ滅亡で一度無人になったはずなのに、ローマが再建したあと
ポエニ語が話されていたのは一体どういうこった?

近隣の生き残ったフェニキア系都市の住民が移住してきたからだろうか?
ポエニ語自体はローマ滅亡をも生き延びて、
はるかイスラム時代まで生き延びたというから凄い生命力だ。
 
495世界@名無史さん:2007/04/29(日) 01:45:15 0
現代の先進国のように国の隅々まで国語教育が行き届いているわけじゃないからね
言葉は簡単には滅びないでしょう。現代でもアジア、アフリカあたりは
滅んだり併合されたりした国の言葉でも結構残ってるよ
496世界@名無史さん:2007/04/29(日) 16:43:47 0
カルタゴは滅ぼしてもシチリアやヒスパニアの都市は生き残っているしな。
497世界@名無史さん:2007/04/29(日) 20:48:14 O
新ポエニ語は文法・書体の流派としては開戦前や滅亡直後よりもむしろ
戦役まっただ中の前3-2世紀前半のリビアに祖形が求められれるらしいから
戦乱期になってから結構な数のカルタゴ人がそこらに疎開してたのかもね
498世界@名無史さん:2007/04/29(日) 20:52:15 0
カルタゴの町は無人どころか、ローマ時代に繁栄している。
499名無し:2007/04/30(月) 00:08:52 0
彼らがイタリアに渡って黒い貴族になったって本当ですか?
500世界@名無史さん:2007/04/30(月) 16:50:52 0
>>498
しかしローマ時代の住人は入植者でしょ?
カルタゴの旧住民は殺されるか奴隷に売られたかで全てカルタゴから消え去ったんじゃなかったっけ。
501世界@名無史さん:2007/05/02(水) 11:55:30 0
ローマ時代の奴隷を、大航海期〜近世の奴隷とを、混用しては見誤るよ。
古代の奴隷というのは、立場的には現代の賃金労働者や小作農に近いもので、
自前の生産手段と参政権を持たない者のこと。
船に寿司詰にされて運ばれたり、主家の身勝手で暴行を受けたり殺されたり、
家族から切り離されて売買されたり、ということはない。
カルタゴの全住民が奴隷にされた、というのはどこかに連れ去れられてしまった
わけではなく、農地や港湾や船舶について権利を失い、武装を解除され武器を接収され
政治的な権利を失ったというに過ぎない。
502英吉利は屑:2007/05/02(水) 13:28:05 0
ノルマントン号事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ノルマントン号事件(Normanton Incident)とは、1886年(明治19年)10月24日にイギリス船籍の貨物船、ノルマントン
号(Normanton、より英語に忠実な表記は「ノーマントン」)が、紀州沖で座礁沈没した事から始まった事件である。
この船にはイギリス人、ドイツ人、中国人、インド人、日本人らが乗船していたが、事故の際、船員であったイギリス
人、ドイツ人ら白人はほぼ全員が生存した一方で、乗客であった日本人は25名全員が死亡した。(また、インド人の
乗組員も全員死亡した。)さらに、助かった船員らは救命ボートで避難していたため、船長が適切な避難誘導をせず
に、乗客である日本人を取り残したのではないかとの疑念から当時の世論が沸騰した。

事実検証についても不平等条約の壁に阻まれ満足な解決が得られず、裁判では、ドレーク船長らイギリス人全員
が無罪となった。その後、日本政府の抗議により、再審理がなされ、船長のみに禁錮3ヶ月の刑が言い渡された。

当時の日本では、外国人に対する治外法権があり、日本側で裁判を行うことができなかった(領事裁判権)。
この事件以降、不平等条約撤廃の動きが高まった。領事裁判の不当さを日本人に痛感させた事件として歴史に残
るものになった。

現在は中学校の歴史などで学ばれている。


503世界@名無史さん:2007/05/02(水) 20:51:32 0
>>501
カルタゴに入植がなされたのは戦役終わって数十年経ってからでしょ?
新たに持ち込まれたならともかく
前146年段階でローマにカルタゴを属州都市として再建する意図はなかったし
戦役のとき捕えられた奴隷がそのままリビアに残っていたわけではないのでは?
504世界@名無史さん:2007/05/03(木) 03:47:13 0
>>501
大部分を否定するつもりは全くないけれど、
ローマはカルタゴと戦り合うまで半島内でしかあまり人が動きようもなかったら地味だっただけで
どこぞの故郷から連れ去られてきた奴隷、ってのは普通に山のようにいたと思うが

それと、
政治的機能を完膚なきまでに叩き壊したカルタゴに
政治的権利を持たない奴隷を放ったらかしてどうすんの
最低でもウティカや近隣のリビア・フェニキアの領に無理矢理移動させたりするでしょ
505世界@名無史さん:2007/05/03(木) 12:14:59 0
カルタゴ再興を目指して結束されたら困るしな。
塩撒きの話はともかく、前146年から20年以上は無人の廃墟だったということですかね。
506世界@名無史さん:2007/05/04(金) 08:58:26 0
>最低でもウティカや近隣のリビア・フェニキアの領に無理矢理移動させたりするでしょ

ついこの間まで徴税して虐げた連中の下に奴隷として送られちゃ、
もうろくな扱いは期待出来なかったろうなぁつд`;)
507世界@名無史さん:2007/05/05(土) 10:45:28 0
ぶっちゃけ、事前にカルタゴから逃げ出した人っていなかったのだろうか?
市民全員玉砕覚悟だったのかも知れないが・・・
508世界@名無史さん:2007/05/08(火) 08:11:44 0
なぁ、タルテッソスが滅んでからカルタゴは
イベリア半島ルートでの銀の確保が出来なくなったんだよな?

でも、どっかの本でタルテッソスを滅ぼしたのはカルタゴだって載ってて、それに凄い違和感を覚えた
ケルト・イベリアがタルテッソスを滅ぼしたとかならまだわかるのに
公益の中継点をわざわざ潰すような真似するのは何故だろう?とか
509カナン人:2007/05/26(土) 12:56:17 0
http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb112.html
アダムからイエスまでの血統図
ノア→ハム→カナン→フェニキア人

http://vimon.ld.infoseek.co.jp/Zipang/k-0001.html
カナン人をギリシャ人がフェニキア人と呼んでいたと、手元の資料にあります。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8A%E3%83%B3
カナンという名称の起源は不明であるが、文献への登場は紀元前3千年紀と
たいへん古い。シュメール人の都市マリの紀元前18世紀の残骸で発見された
文書では、政治的な共同体として明瞭に見いだされる
(恐らくは都市国家間のゆるい連合であろう)。
「カナン人」という用語は、まさに「フェニキア人」に符合

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB
シュメール
シュメールの言語、文化、おそらく外見は周囲のセム系の民族とは異なっていた。
シュメール語は孤立した言語であり、たとえばアッカド語がセム語族に
属するような形での近縁関係にある言語をもっていない。
510カナン人:2007/05/26(土) 13:09:09 0
http://vimon.ld.infoseek.co.jp/Zipang/k-0001.html
ここで「バアル神を信仰し、神に忌み嫌われていた「呪われた民族カナン人」
とされる人々が、桃樓じいさんの「消えたイスラエル十部族」によると、
なんとモーセを助け、教えを授けているのだ。
この矛盾は何処からくるのかというと、旧約聖書の記述が非常に曖昧で、
それ自体矛盾しているからだ。
キリスト教が想定する悪魔のほとんどは、みなメソポタミア地方の神々
なのです。キリスト教からすれば、異教の神々なんですね。
バールやアスタロトなどは、みなフェニキアの宗教の神。そのルーツは、
シュメールに繋がります。

バールやアスタロトなどは、みなフェニキアの宗教の神。
バールやアスタロトなどは、みなフェニキアの宗教の神。
そのルーツは、シュメールに繋がります。
そのルーツは、シュメールに繋がります。
511カナン人:2007/05/26(土) 13:14:48 0
http://www.asyura.com/0411/lunchbreak4/msg/367.html
↑より抜粋
本来のユダヤ教には、シュメールの神を信仰する多神教であり、
ヤハウェ1神教となるのは、旧約聖書の編纂された時期辺りからだと、
推測されています。信仰に関しては、シュメール教=ユダヤ教であったという
訳です。

信仰に関しては、シュメール教=ユダヤ教であったという訳です。
512カナン人:2007/05/26(土) 13:23:46 0
http://www.asyura.com/0411/lunchbreak4/msg/367.html
またエジプト神話のイシスはアシュトラ神であり、
オシリスはバール神の別称です。オシリス(つまりバール神)
はその象徴として、オリオンの三つ星、オリオン座の神であり、
オリオン座の三つ星の位地と、三大ピラミットの位置関係が同じである、
というのは『神々の指紋』の作者、グラハム・ハンコック氏の調査に
あるという事です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%B9
513世界@名無史さん:2007/05/26(土) 14:03:45 0
>キリスト教が想定する悪魔のほとんどは、みなメソポタミア地方の神々

サタンとかはあれ別の地域の神々だったの?
何でキリスト教に悪魔の概念があるのか妙だったんだけど
514カナン人:2007/05/26(土) 16:08:23 0
>>513
http://www.asyura.com/0411/lunchbreak4/msg/367.html
古代ユダヤ教では、バール神を明けの明星という別称で象徴しています。
ところが、驚いた事に王仁三郎氏の『霊界物語』や和歌などには、
オリオンの三つ星や、明けの明星といった、そのものズバリの
言葉が出てきます。

 ところが、キリスト教では『明けの明星』の象徴の、天界一の天使が
傲慢の罪で地獄に落とされた、サタンとしています。シュメールの神から、
一神教のヤハウェ信仰に代わってしまった訳ですが、
国常立大神も退隠を余儀なくされ、常世彦に神政を交代せられた、
という話しと似ています。
515世界@名無史さん:2007/05/26(土) 20:15:55 O
あーあ
良スレが一気にクソスレ化
電波うぜえ
516世界@名無史さん:2007/05/26(土) 21:10:17 0
いやここはたいした良スレでもなかった。

前半読んでも凡庸なレスばかり。
517世界@名無史さん:2007/05/27(日) 07:54:49 0
>509だけ信用して見てればおk?
518世界@名無史さん:2007/05/27(日) 08:00:11 0
519世界@名無史さん:2007/05/27(日) 08:08:03 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2
バビロニア
シュメール文明とアッカドを征服して、チグリス川とユーフラテス川の間
を中心に栄え、後にアッシリアの支配を受けた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2
アッシリア
メソポタミア北部の地域、また、そこに興った世界帝国(本稿で詳述)。
1.の末裔を自称し、現代アラム語を話すネストリウス派のキリスト教徒。
アッシリア人を参照。
1.の末裔を自称し、現代アラム語を話すネストリウス派のキリスト教徒。
アッシリア人を参照。
後にメソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国を築いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%A0%E8%AA%9E
セム語 セム語の言語系統樹より
東方セム語
アッカド語(w:Akkadian language)-- 消滅
アッシリア語(方言)
バビロニア語(方言)
エブラ語(仮説)(w:Eblaite language)-- 消滅
520世界@名無史さん:2007/05/27(日) 08:12:21 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%A0%E8%AA%9E
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フェニキア
521世界@名無史さん:2007/05/29(火) 08:05:22 0
タルテッソスとカルタゴの関係詳しく知ってる人いたら教えて…orz
522世界@名無史さん:2007/06/22(金) 16:12:57 0
age
523世界@名無史さん:2007/06/23(土) 15:35:58 0
第二次ポエニ戦争でついて疑問に思った事があるんだけど、

カンネー直後の援軍をスペインに送ったカルタゴ本国の判断ってそんなに悪かったのかな?
そうしなきゃスペイン戦線が崩壊してたんでしょ?
524世界@名無史さん:2007/07/15(日) 19:33:03 0

ハンニバルして1h以内にスキピオアフリカヌスされなければ神
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1177739034/l50
525世界@名無史さん:2007/08/12(日) 20:24:06 0

 『海軍と貿易と海賊は三位一体だ。これが分らない奴は航海の素人』
 ゲーテ「ファウスト五幕」より メフィストフェレスの言葉


「彼らは・・・ 一体なんだって、あそこまでやられたの?
 カルタゴの最後にしても、ティルスの最後にしても、ムゴスギじゃないの?
 ローマはカルタゴを滅ぼした時、ほとんど皆殺しにしてるよね?
 ローマという国は普通、他の国にはあそこまで残虐に出ないよね?
 またアレクサンダー大王のティルス攻略も、明らかに異常だよね?」
 
「ティルスというのは、フェニキア諸市の盟主にあたる都市国家で、
 港の沖合いに島があって、そこに全部の都市機能があったから、
 昔から「難攻不落」を誇った要塞都市だったんですね。
 現にアッシュルバニパルや ネブカドネザルもここを攻めて敗退してます。
 べネチアも多分、ここをモデルに作った町だったんでしょう。」

「でも大王は、港から島まで海に堤防を築くほどの異様な執念で
 強引に攻め入って来て、フェニキア人8000人を皆殺しにしたよね?
 残った2000人は島の城壁の周囲に磔にした。もの凄い光景だよね。
 元々アレクサンダー大王は人格者で、占領地の文化を尊重して
 ギリシアと中東の融合に努めたヘレニズム文化の生みの親だよね。
 現地女性と結婚し、部下もそれを真似た。降伏した敵にも寛容で、
 ましてや、一般人の大量殺害なんて絶対しなかった人じゃないの?」

「大王にとって彼らは『敵』の範疇に入らなかったんでしょう」

「フェニキアが『敵』でなかったら一体なんなの?」
526世界@名無史さん:2007/08/12(日) 20:25:13 0

「あのひとたちは人さらいですよ」

「ホメロスやヘロドトスでは、彼らは人さらいの代名詞ですよ。
 買い物をするためにフェニキア商船に乗った王女と侍女が
 そのまま連れ去られた記述がヘロドトスの「歴史」にあります。
 カンビュセスのエジプト遠征に協力した時も、フェニキアの艦隊は
 陸から人をさらっています。艦隊っていうからこれは国家ぐるみです。
 一方、ローマ人の間では彼らは「裏切り」の代名詞です。」


「フェニキア人はなんだって人さらいなんかするの?」

「あのひとたちは奴隷商人ですよ」


「古代地中海における奴隷貿易はフェニキアが独占支配してたんです。
 これはちゃんとした論文にも書いてますが、世界最初のオークションは
 フェニキア人による『奴隷のオークション』だったそうです。

 最初は自分たちで人間をさらってたんですが、時代を下るにつれ、
 『下請』に人さらいをさせて、自分達は『元請』として獲物を買い取り、
 地中海の交易網を利用して、それを全然別の地域で捌くようになりました。

 北アフリカの例ではガラマンテス族に、トログロデュタイという蕃族を
 奴隷狩りさせてるんです。これはトカゲを食べてる様な未開の人たちです。
 それが、ガレー船の中で船こぎ奴隷として一生を送ることになるわけです。
 フェニキアの繁栄を支えたのは、実は奴隷貿易だったんです。」

「なんだってフェニキア人にはそんなことができるの・・・」
527世界@名無史さん:2007/08/12(日) 20:26:05 0

「あのひとたちは、海賊ですよ

 マラトンの戦いの時も、ギリシアの神殿から像を略奪しています。
 彼らは「貿易」と「海賊」を兼業しそれはもはや国家ぐるみというより、
 フェニキア全市が完全に連携していて、王や神官も公認の下、
 地中海最強の艦隊がバックアップしてます。誰も止めれられない。

 それと、彼らが世界から忌み嫌われるには、別の理由もあります。
 有名なコドモの人身御供です。これは伝説でもなんでもなく、
 現実にカルタゴからは子供の頭蓋骨が大量に発掘されています。

 紀元2世紀頃の文芸作品に「フェニキア海賊」の話は多く出てきます。
 クセノフォンの「エフェソス物語」、ロンゴスの「ダフニスとクロエ」
 タティウスの「レウキッペーとクレイトフォン」なんかには
 フェニキア人海賊に捕まって切り刻まれて食べられた話が満載です」


「つまりアレクサンダー大王にとって彼らは犯罪組織に過ぎなかったと?」

 塚田孝雄「ギリシア・ローマ盗賊きたん」より


繁栄したテュロス・カルタゴの裏に潜む恐ろしさには身の毛もよだつ
ものがあり、ギリシア人は彼らを天道にも人道にも反する民族として
心の底から畏怖していた事だろう。

アレクサンドロスが海賊帝国テュロスの覆滅に異様な執念を見せた
のも、戦略上、経済上の理由によるものばかりではなさそうだ。
528世界@名無史さん:2007/08/12(日) 20:27:16 0

「あのひとたちは基本的に人の物と自分の物の区別がつかない人なんです」

「一般にフェニキア人は薄利多売を行なって、現地の産業を潰して
 市場を独占する貿易戦略をとっていました。現にティルスでは
 派手な製品が量産されて、それが現地の素朴な商品を駆逐しています。

 これは日本とよく似てますが、日本人の場合は資本主義のルールに
 従って活動していくうちに公共性をはみ出すといった感じですよね。
 でもフェニキア人は、もともとが、人食い人種に近い海賊だから
 彼らにとって貿易は、最初から「略奪行為を偽装して行なう手段」に
 過ぎなかったのかもしれない。

 ギリシアやローマなど、同時代の人間から見たフェニキア人の印象は
 『常に何を考えてるんだかわからない』存在です。彼らの証言には
 色々矛盾があります。『裏切り』『嘘つき』『ずる賢い』『陰謀』『信心深い』
 『敬虔』『質素』『残忍』などなど。私はこれが全部事実だと思うんです。 

 私は彼らの考えていた事がわかるような気がします。それは、それほど
 間違っているとは言えないのではないか?とさえ感じます。
 また、彼らは他民族を「同じ人間」とは見ていないのかもしれない。

 豚や牛を屠殺する人も、個人的に信心深くもありうるし善良でもありうる。 
 ただ、それが結果的に他民族の怒りを買い、ナチスドイツによる
 ユダヤ人虐殺にまでつながってくるわけです。

 フェニキア人はある意味で今のユダヤ人の『原初の姿』なんです。
 フェニキアを知らずに、ユダヤにおける「ゴイム」という言葉を
 正確に理解する事はおそらくできないと思いますよ」
529世界@名無史さん:2007/08/20(月) 09:12:40 O
塚田という人の著作(子供向け歴史書かな)の引用でしょうか?
かなり香ばしい気がしますが
530世界@名無史さん:2007/08/25(土) 11:48:51 0
-
531世界@名無史さん:2007/09/03(月) 10:29:34 0
アルファベットの元・フェニキア文字を考案したが、
その文字によって自らの民族を書き残すコトはなかった。

そんな寡黙な商業民族であるフェニキア人が主人公となった史実は、
滅多にお目にかからない。

いつも書き残したのは、
フェニキア人の敵だった。
532世界@名無史さん:2007/09/03(月) 14:03:13 O
史料がないとはいうけれど碑文なんかは東西あわせて2万点くらいは残ってるんだよね
533世界@名無史さん:2007/09/04(火) 02:08:14 0
>>531
書き残したモノが残るコトがなかった、と書くのがどちらかといえば正しい
さらに正しくは少ないというだけで

と全力で釣られてみる
534世界@名無史さん:2007/10/15(月) 02:08:04 0
カルタゴの街のように
言葉さえ徹底的に破壊し消し去ったのか?
535世界@名無史さん:2007/10/29(月) 21:22:45 0
フェニキア語がどんな言葉だったのか
記録はないの?
536世界@名無史さん:2007/10/29(月) 22:00:01 0
どんな言葉って何よ
文法も語彙も把握されてるし文字史料はいっぱい残ってるよ
537世界@名無史さん:2007/11/29(木) 17:03:43 0
フェニキア人がスファラディユダヤになったという説は興味深いな…。
538世界@名無史さん:2007/11/29(木) 17:30:46 O
「フェニキア語とヘブライ語は、一つの言語の方言と言っても
過言でないほど近い」ってホントですか?
539世界@名無史さん:2007/11/29(木) 17:44:36 0
>>537
フェニキア人と同時期に並行して存在してた「ユダヤ人」
に関する旧約の叙述は今で言うカヴァーストーリーじゃね
考古学資料が何も無い。
540世界@名無史さん:2007/11/29(木) 17:57:24 0
イエスが忌嫌っていたパリサイ派ユダヤ=フェニキアの可能性はないでしょうか?
541世界@名無史さん:2007/11/30(金) 01:15:59 0
関連をつけるとすればサドカイ派の方じゃないかしら?
ユダヤ教サドカイ派→フェニキア民族宗教?
ユダヤ教バリサイ派→今現在のユダヤ教?
ユダヤ教エッセネ派→現在のキリスト教?

バリサイ派というのは要は今のユダヤ教のことだから。
サドカイ派とは神殿に寄生する職業的神官階級で、それに反旗を翻したのが
在俗司祭主義のバリサイ派。(これは16Cの宗教改革と同じ図式) 
現在のユダヤ教はすべてこのバリサイの流れを引き、確か近世まで
ラビの専業化は行われなかった筈。サドカイの方はフェニキアが
歴史から姿を消すのと同時期に姿を消してる。バリサイよりも
さらに革命的になったのがエッセネ派で、これは教義がキリスト教と
クリソツなので昔から「=キリスト教」説が後を絶たない。
542世界@名無史さん:2007/11/30(金) 22:19:51 O
エッセネ派→洗礼者ヨハネ→ナザレのイエス
543世界@名無史さん:2007/12/01(土) 15:57:00 0
エジプトに進入したヒクソスもユダヤ人説があるよな。何でもヒクソスを示す単語がユダヤに対しても使われているからとか。
史書では同時期に平行して別民族として存在しているのに、実際は同一民族だった可能性があるから不思議だ。
544世界@名無史さん:2007/12/01(土) 17:41:50 0
紀元前三世紀以前のユダヤ人の実在って
旧約とヨセフスの戦記以外にはほとんどどこの文献にも出てこないから。
545世界@名無史さん:2007/12/01(土) 18:48:13 O
それでも現存する最古の民族?
546世界@名無史さん:2007/12/04(火) 05:35:37 0
普通は国が滅んで国外へ追い出されると民族が現地に同化して
2000年もあったら消滅しちゃうよね
547世界@名無史さん:2007/12/04(火) 05:36:28 0
日本人だったら日系でも3世ともなると殆ど現地の人
548世界@名無史さん:2007/12/07(金) 00:18:47 0
第3次ポエニ戦争のときにローマ人に徹底的に破壊され
文献などすべて抹消されたためカルタゴ側の物が残ってない・・ただローマ人はずるいことに
ワイン作りのレシピだけを自分たちのものにしたらし。。チュニジアにはマゴンという
赤ワインがありますがカルタゴ人たちのワイン作りのレシピの名前だったみたいです
また幼児いけにえの習慣があったといわれていますがローマ人たちが広めたうそという
ことも言われてます カルタゴ(フェニキア)人の悪いことばかりを吹聴していたため
なので現地のガイドによってトフェの説明がぜんぜん違います
あとヘラクレスの柱といわれていたジブラルタル海峡をいとも簡単にすり抜け南は
現在のカメルーンのあたりまで北はイギリスのあたりまで行ったといわれてます
ポルトガルのナザレは独特の景観ですがフェニキア人が建設したといわれてます
モザイクもフェニキア人たちが最初に使った技法らしいです
ピンク 黒 白 3色だけのとってもシンプルなものです チュニジアに残っています 
549世界@名無史さん:2007/12/07(金) 16:52:15 0
>第3次ポエニ戦争のときにローマ人に徹底的に破壊され
>文献などすべて抹消されたためカルタゴ側の物が残ってない

これのソースというか、根拠はなんなの? よく撒かれてるんだけど

550世界@名無史さん:2007/12/08(土) 01:50:45 O
フェニキア語・ポエニ語の史料なんて19世紀末の時点で6000点近く刊行されてんのにね
単に長い「物語(文学作品)」が現存してないってのを「文字史料」がないと勘違いしてる人が多いだけかと
551世界@名無史さん:2007/12/08(土) 01:56:28 0
だいたいローマは帝国期になっても農業関係の指導書はカルタゴのものを使っていた訳だが。
552世界@名無史さん:2007/12/08(土) 11:30:30 0
マゴの農業書だな。あれをきっかけに大量の奴隷を使う大規模農園に
553世界@名無史さん:2007/12/17(月) 00:33:29 0
カルタゴ興亡史って文庫で出てたんだな。
図書館で文芸書サイズの読んだけどつい買っちゃったよ
554世界@名無史さん:2007/12/21(金) 20:47:08 0
>>541
ユダヤ教サドカイ派→フェニキア民族宗教?

フェニキアってバアル神はじめとする神々を奉じた多神教で
頑迷な一神教を持つユダヤのヤハウェ崇拝とはまったく異なるんじゃないのか?
もちろん過去(ソロモン王とか)は異教の神々とごっちゃの時代があったが、
徹底的に排撃されてた異教の神々が、イエスの時代まで並立してたなんてあるうるの?
555世界@名無史さん:2007/12/21(金) 23:57:38 0
エリアーデをちゃんと読む
556世界@名無史さん:2007/12/23(日) 14:05:31 0
ユダヤの民族宗教の特徴は排他的で選民思想の一神教
古来から周辺の多くの民族や国と軋轢を起こしてきた厄介者
フェニキア、カナンの多神教それとは相容れない
557世界@名無史さん:2007/12/23(日) 19:32:35 0
200人の天使━━━━人間の娘
           ┃
         ネフリム ━━━━ イブ ━━━━ アダム
                 ┃           ┃
                 ┃         ━━━
                 ┃  殺害   ┃    ┃
                カイン  →  アベル . セツ
                 ┃             ┃
      ━━━━━━━━━━          ノア
      ┃             ┃     .     ┃
    ナアマ        トバル・カイン      ━━━━━━━━━
(人身御供・人肉食)   (魔術・妖術の祖)    ┃     ┃     ┃
                             ヤペテ  ハム   セム
                                    ┃     ┃
        ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   アブラハム
       ┃        ┃       ┃          ┃     ┃
      カナン      プト     ミツライム       クシ  イスラエル人、アラブ人
       ↓        ↓       ↓          ↓
      カナン      リビア    エジプト      エチオピア
       ↓                            ┃
      カナン人(バリサイ人、サドカイ人、ゼロテ党   ニムロデ
       ┃   エサイン派、アシシン党、ヘロデ党     ┃
       ┃   律法学者、カザール人)       .    ┃
    フェニキア人                     セムに殺された後
       ┃                     一派は地下に潜り秘密結社化
    ベネチア人                          ↓
    黒い貴族ーーーーーーーーーーーーーーー→ ロスチャイルド
558世界@名無史さん:2007/12/23(日) 23:50:01 0
>>556
R・de・vauxが述べているように
カナンの供犠とイスラエルの供犠は共通の規則を持っている。
カナンの供犠体系はその大部分がイスラエルによって踏襲された。
またイスラエルはカナン人の農耕儀礼の多くを、そして一部のオルギー的
儀礼さえも取り入れている。

イスラエルの儀礼制度、聖地、聖所はカナン人から取り込んだものであるし
その祭祀階級はカナンのモデルに倣って組織されている。
農耕儀礼とのシンクレティズムに対してたちまち反発する「預言者」は
イスラエルに特有とされがちだが、これもカナンの影響・産物である。


またMウェーバーが古代ユダヤ教で述べているように、イスラエルという
共同体は、連合の戦争神であるヤハウェとの間で結ばれた契約の下での
軍事連合であり、ヤハウェは民衆が「契約によって受容する神」という
特異な性格を持つ。つまり民族の存亡期において「新たに建てられた」神である。

ちなみにヤハヴェはモーゼ六書の最終的編集段階になってはじめて唯一神になる。
559世界@名無史さん:2007/12/24(月) 01:06:50 0
イエスの時代にカナンの神々(バアル神など)なんか残ってたら
ユダヤ教〜派じゃなくて偶像崇拝の悪習として排斥されてるだけだろw
560世界@名無史さん:2007/12/24(月) 01:41:46 0
>>558さんは、チェスタトンの「人間と永遠」についてどう思ってますか?
あと、ヴィットリオ・メッソーリの「イエスの仮説」については?
561世界@名無史さん:2007/12/24(月) 01:46:28 0
>イスラエルの儀礼制度、聖地、聖所はカナン人から取り込んだものであるし
その祭祀階級はカナンのモデルに倣って組織されている。

カナンの神々をもろに取り込んだわけじゃないんだから、
ユダヤ教サドカイ派→カナンの民族宗教なんて図式は誤解を招く
562世界@名無史さん:2007/12/24(月) 17:23:18 0
>>559
イエスの時代にはユダヤ教はすでにファリサイ派の体制になってたのだが・・・
基本的な知識の面で大丈夫か? 

それと>>561でもなにか論旨を誤解してるようだが・・・
ファリサイ派こそが最初からのユダヤ教であって記述の乏しいサドカイの方は、
先行宗教をそれに仮託して描写していたのでは?と言ってるだけなのだが。。。

どのみちこんなもの通説でもないし、議論に難点があるとすれば、むしろ
発見されたヘブライ語碑文にBC6世紀以前と推定されてるのが
ある事の方だろうな。(年代測定をどうとったのかは知らない)




563世界@名無史さん:2007/12/24(月) 19:02:57 0
ヘブライ語は前10世紀のゲゼル・カレンダー以降ヘレニズム時代に至るまで
発展の経緯は文字・文法ともにかなり明確に把握されてるんじゃなかった?
アラドやサマリヤには同時代史料から年代確定できる前8、7世紀頃の
公文書もゴロゴロしてるみたいだし
564世界@名無史さん:2007/12/24(月) 19:21:50 0
>>563そこでヒントですよ
マソラ「本文」と七十人「訳」ギリシア語聖書
565世界@名無史さん:2007/12/24(月) 20:31:39 0
AOCでカルタゴシナリオ作るって言ってた人がいたけど
時代的に見て同シリーズのRORで作ったほうがいいんジャマイカ?
566世界@名無史さん:2007/12/24(月) 22:07:42 0
RORなら選択出来るプレイヤー文明にフェニキアもカルタゴもあるからね
そっちのが圧倒的に楽だし正しい。でもAOCのが好きだったから

まぁ案の定 頓挫してんだけど
567世界@名無史さん:2007/12/28(金) 09:53:13 0
330 :KG ◆XK9DTM1U/. :2007/12/24(月) 19:19:06 0
>>325
下記のスレッドでパリサイ派の「基礎知識」について議論されているようです。
ぜひそこで、ユダヤ戦争「以前」の、@メシア運動、Aサンヘドリンの権威、Bパリサイ派の指導的役割について尋ねてみてください。
その際には、@〜Bの“実態”がどの史料に報告されているのか、その史料は“どの時代に”成立したのかも問い合わせてみてください。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1194522663/

ということで
ユダヤ戦争「以前」の、@メシア運動、Aサンヘドリンの権威、Bパリサイ派の指導的役割
についておしえてください。それと
@〜Bの“実態”がどの史料に報告されているのか、その史料は“どの時代に”成立したのか
についても教えてください。
568世界@名無史さん:2007/12/28(金) 13:48:59 0
大河小説「旧約聖書」とヨセフスの戦記以外まともなものはほとんど無いよ

569世界@名無史さん:2007/12/30(日) 20:26:50 0
チャールズ・H・H・ライトは、『エジプトのパピルスからの光』 で
次のように語っている。

「ネブカドネザル王 [新バビロニア王、前605〜562年] がエルサレム
 を破壊した直後、ユダヤ入植者の一団がエジプトの南側国境の
 アスワンに進んだ。そこで彼らは、自分達の家と土地を手に入れた。

 金貸しとしての商売を営む者もいた。銀行家とも言えるかもしれない。
 これらは、L印の付いたパピルスから分かる。L印パピルスには、
 お金の貸付の通例の契約が、正式に記録されている。貸したお金
 に対して月々返済される利息のために、契約書が慎重に作られた。
 五名の証人が書類に署名を書き添えた。

 それらのパピルスの中にヤフ(エホバ)の家や、毎日生け贄が
 捧げられたという祭壇についての記述がある。」


この頃ユダヤ人は、大っぴらに黄金の神であるバール神を崇拝
していたが、バール神の祭壇の前で行われた飲めや歌えの祭礼が、
あまりにも下劣で猥褻なものであったために、世間の人々に忌み
嫌われ、地下に潜ることを強いられた。

バール神の偶像は溶かされ、ユダヤ人はそれをヤフすなわち
エホバと改名した。このようにしてユダヤ人は、世間に隠れて、
バール神崇拝の祭儀の多くを続けたのである。
570世界@名無史さん:2007/12/31(月) 01:37:12 0
>>562
>記述の乏しいサドカイの方は、先行宗教をそれに仮託して描写していたのでは?と言ってるだけなのだが。。。

先行宗教=フェニキアの民族宗教ということなら(そう仮定してる阿呆もいたがw)
ユダヤ教〜なんて形で描されるわけが無いw
フェニキア人やその諸都市の宗教ってどんなもんか基本的な事も知らんようだなw
571世界@名無史さん:2007/12/31(月) 01:38:34 0
>>562
>記述の乏しいサドカイの方は、先行宗教をそれに仮託して描写していたのでは?と言ってるだけなのだが。。。

先行宗教=フェニキアの民族宗教ということなら(そう仮定してる阿呆もいたがw)
ユダヤ教サドカイ派wなんて形で描写されるわけが無いw
フェニキア人やその諸都市の宗教ってどんなもんか基本的な事も知らんようだなw
572世界@名無史さん:2007/12/31(月) 02:29:33 0
>>562じゃないけどフェニキアの宗教ってどんなもんなんですか?
神話体系じゃなくて宗教祭儀上での特徴を教えてください
573世界@名無史さん:2008/01/08(火) 20:59:52 0
あわてふためいて駄レスを連投してるバカに聞いても・・・
(しかも大晦日に)
574世界@名無史さん:2008/01/10(木) 02:54:26 0
フェニキア宗教の紹介っていうと大抵、馬鹿の一つ覚えみたいに
「特筆すべきは子供を供物に〜」だから困る
575世界@名無史さん:2008/01/10(木) 03:33:25 0
>>531
古今東西、商売やっているところって、他人が見る記録を残すのって嫌がるよ。
現代でも、実際にやったことを書いている記録は裏帳簿で見せない。
見せるためのは形式的な粉飾帳簿。
創業何十周年記念事業で社史編纂とかになっても、増資をしたとか、新製品を
開発したとか、大きな取引先との契約とか、目立つ建物を作ったとか、そんなことばっかし。
で、争ったとか重役が大ポカやって解任したとか、法令違反で罰金いっぱい絞られたとか
いうことは社史に載せようとするとすげぇえ邪魔が入る。

金や商品の出入りを自ら把握するための帳簿、直接の取引相手との約束事を書きまとめた
契約書なんかは、熱心に書くけれども、第三者に見せるような記録は商売人に期待することは
大方無理。どうせ見せるなら、売り込み広告。

一民族街丸ごと商工民なら、そりゃ、民族や都市・国家の歴史はええ加減だろうよ。
576世界@名無史さん:2008/01/10(木) 03:46:44 0
>>574
まぁセンセーショナルな話だからな。
ちょうど>>548

>また幼児いけにえの習慣があったといわれていますが
>ローマ人たちが広めたうそということも言われてます

という話が気になって図書館で「カルタゴ人の世界」という本を
パラパラと見てみたのだが、諸説あるようだな。

基本的には著者はフェニキア人の宗教にその手の儀式があるとしながらも、
後代において(BC4世紀頃)は見られなくなったとも述べている。
他にも”トヘト”は幼児専用墓地であるという意見も紹介している。

門外漢なのでカエレと言われそうだが、この辺りの情報は当スレではどういう扱いなのだろうか?
577世界@名無史さん:2008/01/10(木) 11:17:27 0
諸説あるとは言いながらその時期や形式に関わる議論がほとんどのようにみえる。
幼児生贄が存在しなかったとまで言い切る論者は少ない筈だが
578世界@名無史さん:2008/01/11(金) 03:50:15 0
もっと一般生活に関わる宗教の話は出ないものかなぁ
ご飯を食べる時に「いただきます」と手を合わせるレベルぐらいの

…というか古代の宗教って言われると、
行動を縛ったり何か約束事を守らせるようなイメージが薄いのは自分だけ?
579世界@名無史さん:2008/01/11(金) 04:43:46 0
>>577
なるほど、理解した。
ありがとう!
580世界@名無史さん:2008/01/12(土) 14:37:29 O
>>578
他のオリエント国家にもみられる慣習だが祭儀の時には司祭が床屋を呼んで調髪するとか
手水のためか沐浴のためか知らんが神殿にバスタブが備え付いてるとか
あとは奉納物を境内で焼く護摩みたいな行事とか
春先に社から社へと練り歩くメルカルト大祭くらいかね宗教関連で有名なのは
一般市民の生活に関わるネタって殆どない気がする
581世界@名無史さん:2008/01/14(月) 12:16:12 0
フェニキア諸都市の宗教は、男性最高神(主人)と女性最高神(女主人)による、都市の二神支配が一般的。
(三大都市中、テュロスはメルカルトとアスタルテ、シドンはエシュムンとアスタルテ、ビュブロスはバアルとバアラト)
農業の周期に連結した祭儀が重要視され、最大の年中行事が春の目覚めの祝祭。
(豊穣神である主人が、相方の女主人との結婚を通じ復活を果たし、周期的な自然の再生、しいては宇宙の秩序の回復を表す春の祝祭)

フェニキアの信仰生活では、ある特定の神、神殿を中心とした「マルツェ」と言う宗教的な親睦会が重要。
祝宴や弔いの宴会もそのメンバーで行い、供物や生贄を捧げ、大酒を飲んだ。
古くからある宗教慣習では、大女神アスタルテ信仰と結びついた神殿売春が有名。
占い(夢、動物の内臓、自然現象、矢の飛び方などに現れる予兆を様々に解釈)や神官による予言も盛んだった。
582世界@名無史さん:2008/01/16(水) 16:12:43 0
神殿売春って古代エジプトってイメージが
583世界@名無史さん:2008/01/26(土) 00:46:10 0
フェニキアってどういう由来からついたの?
584世界@名無史さん:2008/01/26(土) 01:11:40 0
585世界@名無史さん:2008/01/26(土) 22:43:56 0
フランスの文豪フローベールの小説「サランボー」読んだ。
第一次ポエニ戦争後の、カルタゴの傭兵大反乱をモチーフにした、歴史小説。
19世紀中葉の小説にしては、戦争描写がハリウッド的に華麗で、
傭兵隊長と神官の娘の恋とか、現代ラノベに通じる要素テンコ盛り。
なかなか面白い。読んで損はないと思われ。
586世界@名無史さん:2008/02/15(金) 20:15:11 0
>>584じゃちょっと不十分だ。
ギリシア人がフェニキアをポイニクスと呼んだのは沖のキュテラ島の港の古代名が
ポイニクスだったからで、ここがフェニキアの前線基地だった形跡がある。
(2000年紀のミノア時代に紫の染料の生産センターだった事や鉄鉱石の
産地だった展など) 鉄器時代の地層が未発掘なため居住の証拠はまだないが
587世界@名無史さん:2008/02/25(月) 23:25:40 0
588世界@名無史さん:2008/02/26(火) 00:44:24 O
すいません、別スレで神殿売春について色々書いたり質問したりした者ですが、歴史学的には無視といった反応がほとんどでした

フェニキアにそういった風習、またはその伝承が残っていたならば詳しくしりたいです

ビブロスには行きましたが、海岸近くに低い石壁が残っているだけで、聖書の語源となった世界都市遺跡というのが不思議でした
589世界@名無史さん:2008/02/26(火) 02:08:23 0
ヘロドトスの言うような全未婚女性や女性神官が負う売春義務なんてのではないけど
神殿付きの売春婦がいたのは確実(給金の明細とかが文字史料として残ってる)

プロが職業としてやってたものか一般人が願掛けのためにやってたものかは微妙だが
590世界@名無史さん:2008/02/27(水) 07:26:09 0
フェニキア人とカナン人のちがいは?
591世界@名無史さん:2008/02/27(水) 17:01:35 0
592世界@名無史さん:2008/02/28(木) 02:04:55 O
>>575
教えて下さい
商は詐欺って判るのですが工でも駄目?なものなのでしょうか

換金する際に明瞭な指針がないって事なのでしょうか
日本が豊かになる為にはどの産業ならいいのか…

変な質問ですね
593世界@名無史さん:2008/02/28(木) 17:44:43 0
工にも偽装表示食品、耐震偽装建築が多い
594世界@名無史さん:2008/03/01(土) 13:51:04 0
595世界@名無史さん:2008/03/02(日) 21:19:59 0
596世界@名無史さん:2008/03/08(土) 16:00:55 0
カナン人というのは、イスラエルに敵対したグループ
フェニキア人というのは、シドン、ツロのようにイスラエルと通商条約を結んだグループ
597世界@名無史さん:2008/03/08(土) 16:06:06 0
>>596
kwsk
598世界@名無史さん:2008/04/01(火) 19:13:15 0
フェニキアの前身がカナンだろ。
599世界@名無史さん:2008/04/01(火) 22:58:01 0
でもアラム人とフェニキア人の関係に詳しい邦語資料ってほとんどないな。
グーグルアースを立体にして観たんだけど、レヴァント沿岸から山を一つ越えると
バールベックで、ここは内陸とはいえフェニキア人の町らしい。
でももう一つ山脈を越えたらダマスクスだ。
600世界@名無史さん:2008/04/12(土) 21:47:46 0
素人ながらに一神教の根本は何かということを考えるのですが、
おそらくそれは「明示的な万能の理性」を権威とする父権的な
共同体文化なのだと思います。

言葉というのは理性の明示化であり、宇宙の諸相は(究極的には)
「全能の理性=父なる神」の言葉で言い表すことができるし、「実際に」
そうなのだと。で、これは良い悪いではなくて、そういう自然条件にある
共同体には自然にそういう文化・宗教が発生するのだと思います。

つまり、食糧生産に向いた土地が限定的で、広い地域に点在する
共同体どうしが互いに交易等を通してなんとか生きていけるような
ところでは、どうしても家族や個別共同体を越える超越的・抽象的で
かつ明示的な存在にジャッジを委ねる必要がある、すなわち取引上の
正当性を皆が認める「一つの神」に保証してもらうという必要があった
のだと思います。

また、そのために使われる「言語」にも、嘘偽りのない厳格さと「力」が
備わっていると同意形成をする必要があったでしょう。また、この延長
上に取引媒体である「貨幣」が発明されたのも自然な流れだと思います。

ここで、貨幣が単なる交換手段であるなら問題ない。父権的な一神教
の教義そのものも、抽象的な概念・契約の範囲にあれば、実際の取引、
すなわち共同体どうしの存続を維持するものである限り、何の問題もない、
というよりも必要な文化であった。

これが問題化するのは、父権的教義が特定の人物や組織、あるいは
貨幣のような形で実態化・固定化してしまったからだと思います。本来、
伝統的宗教はそういう概念の固定化・実態化(仏教用語でいうところの
『法執』)を抑えるために様々な制御機構を有しています。例えば特定
人物・組織あるいは偶像崇拝の禁止であり、利子取得の禁止であり、
万物の流転・循環を意味するメメントモリ・無常観であったはずです。
601世界@名無史さん:2008/04/12(土) 21:49:25 0
西洋の宗教に問題があるとしたら、伝統的宗教から「誰か」が巧妙に
この制御機構を無効化または「逆転」させて、大衆支配のために悪用
した部分だと考えています。

私は、このアイデアを思いついたのは、ローマ時代の「被差別民」
だったと推定します。キリスト教がローマで国教化された頃に活躍した
教父たちの背後が、とても怪しいと思っています。

その実際の仕掛け人が、カルタゴ後のフェニキア人なのでしょう。

『彼ら』が積年の恨みと自己の身の安全を守るために、先祖代々に
渡って人間支配のノウハウを練り上げたと推定しています。これにより、
かつての被差別民が、宗教闘争により「選民」となり、その後また新たな
被差別民が多大な犠牲を払って次の「選民」になることを繰り返して
きました。その度に宗教が本来守るべき共同体が崩壊し、滅亡した
過去の民族の「怨念」が「狂った父」に注ぎ込まれたのだと思います。

すでに守るべき共同体のない「狂った父」は、ただただ地球上の生命を
去勢し、服従させるだけの存在になっていきます。つまり、現在我々が、
「一神教」や「科学万能・唯物思想」として否定的に見るものの根本は、
本来の伝統的一神教ではなくて、以上のような過程を経て、父権性が
あまりに肥大化した「破壊カルト」なんだと思います。

その父権的力の象徴が指数関数的に増殖する貨幣であり、国際金融
資本は、共同体を失った人間が狂った父の力にとても強く惹かれること
を知っており、それ利用している、ということだと思います。

このような心性を持つ人が増えれば、後はなるべく民衆が分裂する様な
教義・理念・法を与えて、それぞれに狂った父を掲げて(自称)「被差別民」
であるという認識の下に、互いに憎しみあって殺しあい、その結果として
『彼ら』に利益と安息の時を提供するという仕掛けが完成します。
602世界@名無史さん:2008/04/12(土) 21:53:24 0
フニャキア人
603世界@名無史さん:2008/04/12(土) 23:17:41 0
おもしろいね
604世界@名無史さん:2008/04/13(日) 00:21:02 0
>>601
ポンペイウスがキリキアのフェニキア系海賊を退治して、
シリアを征服した後の経緯がなんかイマイチよくわかんない
ジェノサイドでもあったんだろうか?という気がする。
605世界@名無史さん:2008/04/22(火) 02:44:12 0
伝説の「あっしら」さんの影が・・・・。
606世界@名無史さん:2008/04/24(木) 00:02:41 0
重点スレなので、フリメ教授の巡回です
607世界@名無史さん:2008/05/07(水) 15:33:18 0
探検家ハンノとかが西アフリカ海岸を航海したのはよく聞くけど、
以降西アフリカの文化との関わりってあったの?ノク文化とか
608世界@名無史さん:2008/06/28(土) 20:30:15 0
ノク文化にフェニキア人の影響の形跡なんて話は聞いた事ないしなあ。
何か関連を裏付ける遺物でも発掘されれば凄いけど。
609世界@名無史さん:2008/06/29(日) 01:53:11 P
フェニキアゲ
610世界@名無史さん:2008/06/29(日) 15:52:54 0
 フェニキア人は民主主義の生みの親です。

 民主主義のデモクラシーという言葉には、かなしい響きがあります。
この言葉のもとになったギリシア語の『デーモス』という言葉には、
元来『別れ』という意味があったんです。

 なぜ民主主義が、『別れの政治』なのか?
 なぜ『別れ』という言葉が、民主主義そのものを意味するようになったのか?

 一般に、古代ギリシアで最初の民主主義が誕生したのは紀元前9世紀頃
とされています。ところがその誕生の経緯自体があまりハッキリしない。
本当ははっきりしているのかも知れないが、とにかく「あまりはっきりとは」
教えられてはいない。

 実は古代ギリシアには暗黒の200年といって歴史に大きな断絶の時期が
あるんです。それより前の時代の史料は多く残ってる。それより後の時代の
史料も多く残ってる。なのに、その間だけはなぜか異常に史料が乏しい。

 そして、古代ギリシアが王制から民主制に移行したのは、実はこの謎の
時期なんです。人類初の民主制がどういう経緯で誕生したのかは、歴史の
闇に包まれてるんです。

 史料がなぜか『消失』しているこの暗黒時代を過ぎると、それ以前に
ギリシアを支配していたミケーネ王国という「領域国家」はどこかへ姿を
消してしまって、どこからともなく現われた数百の「都市国家」が、いつの
まにか、ギリシア全土に成立しているんです。

 驚くのは、そのほとんどが、民主制だってことです。

 領域国家としてのミケーネが、数百のポリスに「分割」されたのはなぜ
なのか?王家の人たちが消されて、いつのまにか民衆たちが支配している
異常事態はどうしてなのか?この間、いったいどんな事が起こったのか?
611世界@名無史さん:2008/06/29(日) 16:00:44 0
 ひょっとすると民主制というのは、もともと植民地統治の一形態だった
のではないか?

 外からやって来たまったくのよそ者が、同じ血の繋がった民族同士と
しての家族的な紐帯を持つ「王家と民衆」を切り離すためにはどうすれば
良いでしょう?

 王という民族全体の総本家の代表による行政上の統治を、「加害行為
になぞらえて」「大衆を煽動」するレトリックは、たぶんこのときから始まり
ました。現在でも民主主義の正当性を讃える場合は、いまだにこうした
やり方が行なわれてますね。

 おそらく徹底した教育を行って、民衆に必死で叫ばせるわけです。
そこは日頃、人間を調教していた奴隷商人ならではの腕前です。
私には、太古のギリシアの浜辺で、横一列に並ばされて、声の限りに
民主制の素晴らしさを叫ばされている人たちの姿が目に浮かびます。
エーゲ海の残酷なぐらい真っ青な海から風に乗って、今でもその絶叫が
耳に響いてくるようです。

 事実、ギリシアはフェニキアの支配を脱した紀元前9世紀以後に
なっても、なお民主制を正しいものだと「信じ続け」、後々までずっと
この制度を保ち続けるんです。

 それともう一点、フェニキアの様な「都市国家」が、ミケーネの様な
「領域国家」を植民統治しようとすると、これはどうしてもバラバラに分割
する必然性が生じてきます。そこでやはり民衆の口から「都市国家こそが
国家の理想」なのだと叫ばせるわけです。

 これはおそらくユダヤの分割統治の最初の例であり、そしてこの
「分割統治最初の例」は同様に彼らの常套手段である「民主的統治の
最初の例」と併用されていたわけです。民主主義とは、奴隷商人の商品
管理技術に過ぎなかったのかもしれない。
612世界@名無史さん:2008/06/29(日) 16:04:33 0
面白い話だけどそーすは?
613世界@名無史さん:2008/06/29(日) 16:14:11 0
 学界ではタブーですが、フェニキアがギリシアを植民化していた説は
昔からあるそうです。例えばギリシアは最初ミケーネ文字を使用してた
のですが、この暗黒時代以後にはフェニキア文字(アルファベット)を
使用しています。ギリシアの古代文学にもフェニキアがギリシアを支配
していた事を仄めかしている作品がいくつかあります。考古学的にも、
ギリシアからはフェニキア製遺物が多く出土しています。

 また、ギリシアがフェニキアの支配から解放された9世紀頃というのは、
フェニキア本土がアッシリアの支配下におかれた時期にちょうど重なって
るんです。そしてこの時期、ギリシアは『民主主義ポリス群』として世界史
に華々しく登場します。この頃はフェニキア自身がもう植民地どころでは
ない状態だったんでしょうね。

 そして実はローマも、町の起源はエトルリアという中東系異民族に支配
されていた歴史に遡る。そしてこのエトルリアはフェニキアと連携してい
ました。フェニキアはサルディニア島やコルシカ島を直接支配しており、
ローマへもエトルリアを通じて影響力を及ぼしていた事が分ってます。

 ところで、ギリシア神話の神々とローマ神話の神々は同じですよね。
例えば、ゼウスに当たるのがジュピターで、アフロディーテに当たるのが
ビーナスです。ところが本来、ギリシアもローマも全く別の地域で、全く別
の民族のはずです。なのに、その神々には一人一人対応関係がある。
これはなぜなんでしょうか?実は彼らの神々は、もう一つの『ある民族』の
神々とも対応関係があるんです。もちろんそれはフェニキア人です。
614世界@名無史さん:2008/06/29(日) 16:17:16 0
 古今東西の民主制誕生の陰には必ずあの人達が居るんです。

 ユダヤ陰謀論の一つの特徴は「革命を煽動する」という事ですよね?
ナチス陰謀論や軍事独裁国家の陰謀説には、そういうのはあんまりない。
この点が、民主制を理想化する戦後教育が行なわれてきた日本において、
陰謀論に対抗意識まるだしで臨んでくる人があとを絶たない理由です。

 でも、ロシア革命やフランス革命など、現実にブルジョワ資本が資金
提供を行なっていた事例は数多いです。また、革命煽動的なジャーナ
リズムがメディアの大勢をほぼ独占してきた現状も、日常テレビや新聞
に接している国民だったら、普通に知っています。

 これに対するメディア側の人達の反論としては、民主制というものは
「民衆の自然な欲求」であって「世の中の自然の流れ」であり、仮に資金
提供やメディア操作が行なわれていた実態が有ったにしても、そのことが
革命の主因ではなく、メディアの報道も、メディアに雇用された人間一人
一人がそういう民衆の動向に触発され反応したためであるというものです。

 そして、その決定的証拠として、西欧における民主主義の伝統が、
西欧の歴史にユダヤが登場するはるか以前の古代ギリシア時代から
連綿と続いている事実が例に挙げられる。

 ところが、三千年に渡ってユダヤに寄生されてきた欧州周辺地域以外で
西欧的意味での民主制が独立に誕生した地域は、世界に殆どありません。
この圏外で民主制が誕生するのは、「西欧による植民地化」以後の話です。

 さらに、もしもその「原初のギリシア民主制」からしてが、民衆本来の意思
によらない、外部からの暴力的強制を伴う洗脳工作であったのだとしたら、
これはもう、「民主制」というものは寄生民族の異民族支配の論理だと
認めざるを得ないのではないでしょうか。
615世界@名無史さん:2008/06/29(日) 16:32:12 0
ローマ人もギリシア人も印欧語族の同系民族だろ?
ゼウスとユピテルなんかももとは同じ神で、印欧語族が共通にあがめてた神様らしい
西欧で民主主義が古代ギリシアから連綿と続いてきたというのも歴史的事実に反するし
ユダヤが寄生民族というのもどうなんだ?
だいたい三千年にわたってって・・・・例の「現代ユダヤ人はカナン人の子孫の偽ユダヤ人」とか言う説か?
616世界@名無史さん:2008/06/29(日) 17:01:56 0
民主主義じゃなけりゃ、何主義が適当なんだ?
今更王制か?
無責任なこと言わずに教えてもらおうじゃないか。
アンチ民主主義を叫ぶと人気が出るとは日本は平和だね。民主主義の微塵も
ないNKがどうなってるか見るだけで十分だろ。
617世界@名無史さん:2008/06/29(日) 17:08:50 0
>>610-614
オカ板へ池
618世界@名無史さん:2008/06/29(日) 17:23:23 0
>>616

北朝鮮は、民主主義の共和国ですよ。
619世界@名無史さん:2008/06/29(日) 18:36:02 0
自称な
それがどうした?
620世界@名無史さん:2008/06/30(月) 01:14:42 0
僭主がのさばる時代を民主主義と捉えるならそりゃあ民主主義でしょうね。何でも
621世界@名無史さん:2008/06/30(月) 08:32:29 0
それはそうと、何もこんなところでけしかけなくても。。。
622世界@名無史さん:2008/06/30(月) 09:21:04 0
フェニキアに対するちょっと歪んだ愛ゆえにだよきっと
623世界@名無史さん:2008/07/01(火) 01:12:04 0
      _j^⌒ヽ=、_r─、.
        /: : : : : : : : : : :`´`='ハ、.
      /: : : : : : : : : : : : : : : : : : : `t、_
     /: : : : : : : : : :.__: : : : : : : : : : : :ハ
     {: : : : : : : : : /´   ``ー-、: : : : : : : :j
      |: : : : : : : /        `ヽ: : : : : |
     f: : : : : : 彳           、: : : : :}
     |:,._: : : /  __          |: : : :/
     !f´ヽ.: ト、   `ー-、         i: : :/
      { l=7:j  ヽr'´ャュ、`ヽ‐- -‐‐- j: :./
     ヽ `.   |  ` ´ ノ⌒´ャェァ、ヽ:f´
       トl    `-____.ノ  代 ` ´ fノ'   
      レ|       (   .ヽ`ー--'/     
      _ト     .: .:.`:.l´:. . ..  /      
  __   /|,-、    `ーニニY=、,.  /     
  ! ヽ. / !__jヽ    `ー‐ '  /        
  _,ハ j.  | 1 \_`_   ノ/``‐、
/ ハ ∨ !__.i   ` ̄ ̄ /|`,   ヽ``ヽ
   ハ ∨| ト、       レ'     ヽ  ``ヽ.
 民主主義じゃなけりゃ、何主義が適当なんだ? 今更王制か?
無責任なこと言わずに教えてもらおうじゃないか。
624世界@名無史さん:2008/07/01(火) 18:28:22 0
鸚鵡返しかよ
625世界@名無史さん:2008/07/02(水) 07:45:11 0
鸚鵡返しという言葉の意味をよく理解できてない件について

相変わらずバカな奴だな
626世界@名無史さん:2008/07/02(水) 19:12:45 0
相変わらずって何の話ですか?
あと>>623の書き込みには何の意味があるんですか?
627世界@名無史さん:2008/07/03(木) 03:59:13 0
なんにせよ過疎スレにレスがくるのはいいことだ、と思っておく
ここからフェニキアに話が広がればもっといいのだが
628世界@名無史さん:2008/07/05(土) 06:57:45 0
ほら>>627、お前が妙に大人ぶるから
みんな居た堪れなくてまたどっかイッちまったよ
629世界@名無史さん:2008/07/05(土) 10:11:45 0
     _j^⌒ヽ=、_r─、.
        /: : : : : : : : : : :`´`='ハ、.
      /: : : : : : : : : : : : : : : : : : : `t、_
     /: : : : : : : : : :.__: : : : : : : : : : : :ハ
     {: : : : : : : : : /´   ``ー-、: : : : : : : :j
      |: : : : : : : /        `ヽ: : : : : |
     f: : : : : : 彳           、: : : : :}
     |:,._: : : /  __          |: : : :/
     !f´ヽ.: ト、   `ー-、         i: : :/
      { l=7:j  ヽr'´ャュ、`ヽ‐- -‐‐- j: :./
     ヽ `.   |  ` ´ ノ⌒´ャェァ、ヽ:f´
       トl    `-____.ノ  代 ` ´ fノ'   
      レ|       (   .ヽ`ー--'/     
      _ト     .: .:.`:.l´:. . ..  /      
  __   /|,-、    `ーニニY=、,.  /     
  ! ヽ. / !__jヽ    `ー‐ '  /        
  _,ハ j.  | 1 \_`_   ノ/``‐、
/ ハ ∨ !__.i   ` ̄ ̄ /|`,   ヽ``ヽ
   ハ ∨| ト、       レ'     ヽ  ``ヽ.
630世界@名無史さん:2008/07/30(水) 15:28:37 0
あげ
631世界@名無史さん:2008/10/03(金) 04:19:42 0
フェニキア名物っていえば何
632世界@名無史さん:2008/10/03(金) 08:17:23 O
>>631

杉、美人、商人
633世界@名無史さん:2008/10/03(金) 17:28:54 0
>>631
ガラス、石棺、銀細工、テラコッタ、子焼き
西アジアではレバノン女はイスラエル女に次いでTバックを好むらしいね
635世界@名無史さん:2008/10/04(土) 03:14:22 O
レバノン女性はクリスチャンのみならずムスリマまでハイレグで海岸を歩く。

それがまた(・∀・)イイ!

イランもホメイニ革命なんてなかったらなぁ・・・

中東の周辺諸国もイスラエル女、レバノン女を見習え。せめて大都市のトルコ女ぐらい奔放になれ。

アルメニアとグルジアはイスラムじゃないのに、やかましいらしい。

そういうところに限って組織犯罪が酷い(シチリアも保守的)。
636世界@名無史さん:2008/10/04(土) 03:18:42 0
>>634
彼女らは西欧からのリゾート客
637世界@名無史さん:2008/10/04(土) 03:23:58 O
>>636
それはまた別なんだよ。西欧女性の露出っぷりはよく知ってるけど、

レバノン女性はいわゆる「アラブ諸国」は珍しくハイレグ好き。
638訂正:2008/10/04(土) 03:25:24 O
アラブ諸国では珍しく

シリア人男性が嘆いていたよ
639世界@名無史さん:2008/10/04(土) 08:33:39 0
十字軍が撤退し逃げ遅れたフランク女をry
640世界@名無史さん:2008/10/04(土) 18:44:53 0
フェニキア人ってもう滅んだの?
641世界@名無史さん:2008/10/12(日) 13:52:24 0
ずっと昔に本にのってたけど古代フェニキア人は
生まれたときから頭に金属製の環を嵌めてたので
頭蓋骨がとんがりコーンみたいになってる写真が
のってたけど、知ってる人いる?
642世界@名無史さん:2008/10/12(日) 15:44:49 0
フェニキア人ってアメリカ大陸まで行ってましたか?
643世界@名無史さん:2008/10/12(日) 19:25:49 O
>>641
フェニキアとかカナンの彫刻でよくあるとんがり頭は
レバントの伝統的な三角形の帽子を模したもので人間が頭骨を矯正してたわけじゃないよ

>>642
難破で漂着したことは一度くらいあったかもしれないしなかったかもしれない
ただし今んとこ世に出てきている「フェニキア人大陸到達の証拠」なる遺物は全部ガセ
ブラジルのパライバに残した碑文とやらも聖書の文言を適当により抜いてつぎはぎにした文面と
その繋ぎ部分にフェニキア語には存在しないラテン語の文法則が入り混じるデタラメなもの
同じくブラジルで見つかった貨幣も19世紀末の模造品と断定されてます
644世界@名無史さん:2008/10/12(日) 20:03:17 0
>>635
つうか
アルメニア、グルジア、レバノン人までが
欧米じゃ白人扱いされるんだろ?
645世界@名無史さん:2008/10/12(日) 21:25:19 0
>>615
イシス→イシュタル→アシタルテ→アフロディーテ→ヴィーナス
ギリシャ・ローマの神々の中には、中東起源のものがあるそうです。
646世界@名無史さん:2008/10/13(月) 02:55:27 0
>>645
シュメルのイナンナ(アッカドのイシュタル)とイシスは
起源の異なる別物だ、馬鹿w
647世界@名無史さん:2008/10/13(月) 05:08:50 0
イシス→イシュタルという話はさすがに初めて聞いたがw (「イシス」はギリシア語形)
中央アジアでソグド人やクシャーン人に崇拝されていたナナ(イ)女神は
語源的にも神格的にもイナンナ女神に直接関係しているじゃないか、という
説があるそうだが・・ 
> 円筒印章なんかに刻まれているイナンナ女神もライオンの背中の上に立ったり
 しているが、ナナイ女神もライオンの背中に跨がったり腰を下ろして座したり
 している点などが注目されている。

ゾロアスター教のアナーヒター(アナーヒド)女神はセム語のイシュタルとか
アシュタルトがアヴェスター語(と中期ペルシア語)に転訛した形だろうって
話はおおよそ確定っぽいようだけど。
648世界@名無史さん:2008/10/13(月) 19:16:42 0
>>643
頭骨を矯正してたのはマジだよ。
図書館の本で実物画像が載ってたから。
リアルとんがりコーン。
649世界@名無史さん:2008/10/13(月) 19:59:03 0
>>645
そりゃあるだろうさ。ギリシャ人といえど周辺の民族から影響を受けないわけがない
650世界@名無史さん:2008/10/13(月) 22:57:07 0
>>648
それって発掘された古代人の遺骨がそうなってんの?
フェニキア人の遺体はこれまでいくつか見つかってるようだが
モノの本で一度もそんな話書いてあるのみたことないし
一番保存状態のいいタブニト王の遺骨見たって全然普通なんだけど↓
http://farm3.static.flickr.com/2259/2234756086_0eb2202b9f.jpg?v=0
651世界@名無史さん:2008/10/13(月) 23:07:16 0
>>650
そう。骨つうか干物だった。
服着て座った状態のね。
古代の干物ばかりが乗った古い本で10年以上前に見て
衝撃だった。
赤ん坊のときから金属の環を頭に嵌めるから頭骨が上にしか
発達せずとんがりコーンになるって解説だった。
652世界@名無史さん:2008/10/13(月) 23:17:58 0
それ本当にフェニキア人か?
フェニキア人のミイラは今んとこシドンで数体見つかってる
(それも普通の頭のやつ)くらいしかなかったはずだが
653世界@名無史さん:2008/10/26(日) 02:52:44 0
とんがりコーンが食べられなくなった・・・
おまえらのせいだ
好きだったのに、あやまれよ
654世界@名無史さん:2008/10/26(日) 11:48:39 0
食べられなくなったのなら指に挟めばいいじゃないの
655世界@名無史さん:2008/11/04(火) 20:27:30 0
609 :異邦人さん:2008/11/02(日) 16:43:58 ID:UHawE3BD
なんでレバノンの女性って、あんなにオープンなんですかね?。 服装とか欧米と変わらないし。
イスラム国家なのにね。
610 :異邦人さん:2008/11/02(日) 16:53:51 ID:jQ+tOlhU
イスラム国家か?
611 :異邦人さん:2008/11/02(日) 18:53:27 ID:xYf/fdQZ
町ごとの宗派構成によって異なる。
クリスチャンが多ければ開放的だし、
ムスリムが多ければ保守的だし。
ただ、ムスリムの両親の間に生まれた
子供なのに、ミッション・スクールに通わされて
いる子供も多数いるので、単純な切り分けは
できないんだけどね。
612 :異邦人さん:2008/11/02(日) 23:41:28 ID:H78Hnz+7
バールベックの土産物屋はおもしろいよな。
ヒズボラグッズのシュールさがたまらん。
意味もなく、極彩色にビカビカ点滅するピンバッジとか
ナスラッラーの顔写真が連なったストラップとか。
あんなもん、実際に使えるわけねーよ!
おもしろがって買い込んだはいいが、部屋に転がしたまんまだwww


656世界@名無史さん:2008/11/19(水) 03:00:36 0
文明の興亡史のフェニキア編まだ出てないのか。ローマ編は出ているのに
657世界@名無史さん:2008/11/21(金) 01:02:57 0
岩波のローマ建国史(中)早く出ないかなー
658世界@名無史さん:2008/12/22(月) 22:28:06 0
最近とは言えませんが9月にシリアのアレッポ→レバノン→シリアと旅してきました。
レバノンVISAは国境で25000LPで取得。帰りのシリアVISAもレバノンとの国境で取得できました。
レバノンではベイルート、トリポリ、そしてレバノン杉を訪れました。両都市ともいたる所に銃を持った兵士がいた他は特に緊張感があるようには感じませんでした…

それにしてもレバノン杉が生えている一帯はモスクに変わって教会が多く見受けられ他の中東の地域とは雰囲気が全然ちがいますね。話されている言葉もフレンチアラビック?とのことでした。

トリポリからブシャーレまで約一時間。バスの運転が荒すぎて生きた心地がしませんでした(笑)バスは景色の良い左側の席に座ることをお勧めします!
ブシャーレからレバノン杉まではタクシーで20分ほど山を登り片道8000LPでした。
帰りは徒歩で2時間かけて町まで帰りましたが景色が良かったのと下り坂だったためそれほど苦にはなりませんでした。


659世界@名無史さん:2008/12/23(火) 03:29:14 O
マロン派らキリスト教徒のレバノン人はフェニキア語を復活させるべきだ←文字はラテン文字でいい。
シリア正教徒もアラム語を日常生活でも使うようにして。
フェニキア語、アラビア語、アラム語と公用語が3つあっても、
英語かフランス語を共通語にすれば問題なし。
レバノンは「アラブ」とされる国で脱アラブ化が唯一可能な国。
非イスラム化もトルコに可能な国。
660エビちゃんファン:2008/12/28(日) 01:53:57 0
>>611
ミケーネ人の王国はドーリア人に滅ぼされました。
その混乱期の後、ドーリア人が中心になってギリシャ文明となった訳です。
まあこれは通説の俗論そのままだけど。
661世界@名無史さん:2009/02/02(月) 18:03:16 0
フェニキア人には、アルファベットなどという
欠陥文字を発明した責任を取ってもらわないと。
662世界@名無史さん:2009/02/04(水) 20:28:21 0
フェニキア人とユダヤ人ってどこがどう違うの?宗教以外で。
663世界@名無史さん:2009/02/21(土) 14:57:27 0
>>662

フェニキア人は海洋民。

ユダヤ人は元々トルコ系の部族だから、騎馬民族的な性格が強い。
664世界@名無史さん:2009/02/21(土) 16:00:06 0
ユダヤ人がトルコ系?んなわけねー
665世界@名無史さん:2009/02/21(土) 16:48:11 0
ざっと適当に通しで読んだから、見逃したかもしれんが、
ここまででカドモスの話がまったく出てきてないな。

ミュケナイ時代以前の古代ギリシャがフェニキア人の植民地だったのでは?
というのもこのテーバイのカドモス伝説が元。
これはフェニキア人を語るには結構重要なんでないか?
666世界@名無史さん:2009/02/21(土) 19:14:33 0
今から語ればいいサー↑
667世界@名無史さん:2009/02/22(日) 18:39:42 0
>>663
しったかって楽しいか?
668世界@名無史さん:2009/02/27(金) 13:04:39 0
>>664
ハザールのことだろう。
669世界@名無史さん:2009/02/27(金) 14:58:06 0
>>662はフェニキア人と比較してるんだから、パレスティナのユダヤ人についての話だろ?
670世界@名無史さん:2009/02/27(金) 20:13:38 0
>>664
エジプトを支配した騎馬民族のヒクソスにユダヤ人説があるから彼らの言語の系統を調べればその可能性はあるかも。
671世界@名無史さん:2009/02/27(金) 20:25:09 0
ヒクソスはセム系と言われているな
トルコ系なんてのはまったくの無根拠
672世界@名無史さん:2009/02/28(土) 01:05:54 0
トルコ語を含むテュルク語族が原住地らしい中央アジアから
中東方面に出てきたのはようやく紀元後5世紀以降だっていうし
紀元前二ケタのユダヤとかヒクソスとかは関係ないんじゃないかさすがに。
673世界@名無史さん:2009/03/21(土) 17:21:13 0
古代から海洋を支配してきたのは、南ユダ系ではなくて北イスラエル系の民なのです。
南ユダ系のベニヤミン族が、突厥(とっけつ)として騎馬民族に特化したのとは異なり、
エフライムを中心とした北イスラエルの民は、フェニキア海洋民族と成りました。
674世界@名無史さん:2009/03/21(土) 17:45:13 0
>>673
初耳です
ソースは?
675世界@名無史さん:2009/03/21(土) 17:47:12 0
北イスラエルと南ユダっていうけどフェニキア人て
ダヴィデ・ソロモンの時代からもうひとつの集団としてまとまってたろ
676世界@名無史さん:2009/04/01(水) 21:16:20 0
ヒクソスって資料残ってないのか?
なんでだろ。
エジプト支配するくらいの力あったなら
もっと色々分かるはずだけど。
677世界@名無史さん:2009/04/01(水) 21:54:49 0
それなりに残ってたと思うけど
678世界@名無史さん:2009/07/12(日) 19:00:33 0
仙台市博物館で、カルタゴ展覧会が開催中。
679世界@名無史さん:2009/07/12(日) 19:46:17 0
あーこれ始まったのね
3年前に企画上がってたのに随分時間かかったな
680世界@名無史さん:2009/07/14(火) 22:32:04 0
なんで辺境でやるんだか。せめて東京の植民地周辺でやってくれよ。行きたかったのに。
681世界@名無史さん:2009/07/15(水) 20:47:25 0
新幹線を使えば、東京からでも2時間で行ける。
飛行機なら1時間かからない。
682世界@名無史さん:2009/07/15(水) 21:23:19 0
駅や空港に住んでる人ならそうなんでしょうが、うーむw
683豚松 ◆4FfyOtW0fiF5 :2009/07/15(水) 23:19:49 0
【カナン人】ならぬフェニキア人(特にローマに滅ぼされたカルタゴ
遺民)がユダヤ教に改宗し、更に一部はキリスト教に改宗して、
へブルー末裔のユダヤ人やハザール末裔(人種・民族は問わない)の
ユダヤ教徒と組んで、
世界征服を目論んだor目論んでいるなる【カナン陰謀論】なる
超電波陰謀説もあるよね。
アンティ・セミティズムによる捏造・妄想の一種だけどね。
684世界@名無史さん:2009/08/05(水) 23:43:18 0
そもそもキリスト教徒の妄想って、鏡を見てるのかというの多い

ベニスの商人にシャイロックが、人肉切り取るのに執着したりとか
685世界@名無史さん:2009/08/05(水) 23:46:07 0
フェニキア人には孫が多い件
686世界@名無史さん:2009/08/06(木) 00:46:13 0
ソフトバンクの?
687世界@名無史さん:2009/08/07(金) 21:15:17 0
>>683

チュニジアは、CIAと親しい3人の人物によって支配されているそうな
それでも、イスラエルと国交結んでいるとは聞かないな

もともと地元にいたユダヤ人と仲良いとされているのは、モロッコ
ここも、イスラエルとの正式の国交はない
フランスにモロッコ系ユダヤ人が多いんだっけ?
688世界@名無史さん:2009/09/11(金) 08:38:33 0
言語は消えても、シリア人、レバノン人、チュニジア人は、フェニキア人の末裔だろ
689世界@名無史さん:2009/09/22(火) 12:08:02 0
フェニキア諸都市は結局、統一国家を作ることがなかったが、あれはなぜなんだろう。

オリエントの諸帝国の圧迫を受けていたんだから、それらを「共通の敵」として
団結してもよさそうなものだが。
690世界@名無史さん:2009/10/18(日) 11:21:54 0
古代カルタゴとローマ展
http://www.karutago-roma.jp/top.html

見に行った人いる?
第三次ポエニ戦争で破壊しつくされたと思われていたカルタゴから
最近結構遺物が出土したとの画期的な企画。
691世界@名無史さん:2009/10/31(土) 19:12:32 0
来年行きたい
スケジュール頓挫しませんよーに…
692世界@名無史さん:2009/10/31(土) 23:32:31 O
トルコ
693世界@名無史さん:2009/11/05(木) 14:26:12 0
wikiでカルタゴの項を読んでて疑問に思ったんだけど、
シエラレオネ辺りにフェニキア人が辿り着いたのって紀元前415年のハンノが初めてってわけじゃないの?
紀元前6世紀にはもう辿り着いてたの?モティアをモーチャってのも呼び慣れないというか、資料ではあんま見たことないような…
694世界@名無史さん:2009/11/06(金) 12:21:40 O
ネコ2世ん時のアフリカ周航でもうたどり着いてたろ
695世界@名無史さん:2009/11/06(金) 15:50:10 O
あれはアフリカ周航をなしたようだぞ?までしかわかってないはず
新情報があるのかもしらんが、とりあえずハンノの登場年ではない
696世界@名無史さん:2009/11/07(土) 17:42:54 0
いやだから帰還できた以上はシエラレオネ沿岸部も6世紀の周航の時点でたどり着いてたってことだろ?
wik見てないけどその6世紀云々の記述にハンノが関係してないのは当たり前
697世界@名無史さん:2009/11/08(日) 01:04:18 0
wiki見てみた
>商人や探検家たちは、広大な通商路を開拓し、そこを通って富や人が行き来した。
>紀元前6世紀前半、海洋探検家のハンノは北アフリカ沿岸のシエラレオネにまで辿りついたと推測されている。
>その後、シエラレオネは、マルカスという指導者のもと、アフリカ内陸と沿岸一帯に領土を拡大した。

でも第二次シチリア戦争の項で
「アフリカ大陸沿岸を巡る航海者ハンノの旅行を後援している」とハンノことにも触れている。
問題は
・ネカウ2世に依頼されたフェニキア人の名前って判明していただろうか
・紀元前6世紀の時点で周航のみならずフェニキアがシエラレオネにダイレクトに接触しているか
・ぶっちゃけアフリカ周航の人物と航海者ハンノの業績がこんがらがってないか
てとこか。
どっちにせよwikiで聞くべきだね
698世界@名無史さん:2009/11/13(金) 17:18:19 0
先月カルタゴ展行ってきたけどちょっと微妙だった。
もうちょっとローマ(化)以前のものが多いかと思ってたんだけど…
やっぱ期待してるほど前2世紀以前の遺物とか出てないのかな。

まあそれ以前にローマ絡ませないと集客に問題ありそうだけど。
カタログは良かった。
699世界@名無史さん:2009/11/17(火) 17:08:25 0
>698
そうなんだw
カルタゴの異物はローマに破壊されつくしたのかな
700世界@名無史さん:2009/11/24(火) 20:47:47 O
フェニキア語の辞典とかってあるんだろか
701世界@名無史さん:2009/11/25(水) 08:46:19 0
Krahmalkovという人の書いたのがあるが在庫切れというか絶版。
俺もずっと探してるんだがネットでは海外の書店も含めてぜんぜん見つからん。
その辞書とセットの文法書ならまだ売ってる。

和書なら谷川という人が書いた『フェニキア文字の碑文』に
フェニキア語とその親近の言語の語彙集が付いてる。
702世界@名無史さん:2009/11/25(水) 15:59:48 0
Krahmalkovの辞書は単体で読むもんじゃないからな

人名に使われるようなフェニキア語が知りたいなら>>239のBenzの著作で十分だし
資料そのものが知りたいならCISは難しいとしても先にDonnerとかGibsonの碑文集読むことを薦めるよ
703世界@名無史さん:2009/11/25(水) 20:40:58 O
レスありがとう。
自分も頑張って探してみる
704世界@名無史さん:2009/11/25(水) 21:14:00 0
まあPPDは辞書として体裁イマイチだし結構載ってない語句もあるから
探すにしてもあんまり期待しない方がいいと思う

ある程度碑文読んだことある人が参考程度に見る感じの本です
705世界@名無史さん:2009/11/25(水) 23:52:47 0
シドンのタブニト王の石棺の碑文ってなんか笑えてしまう。
盗掘とかを威嚇するのはどの墓もそうだろうけど、
これは超ビクビクしてる王の姿が目に浮かんでしまって…

706世界@名無史さん:2010/01/09(土) 01:06:14 0
フェニキア関連ってなんかかわいそうだよね。
史的重要度のわりにカルタゴも含めて資料が乏しすぎる。
オリエント史とかギリシア古典古代以前とか、
彼らが自分で残した資料があれば大いに歴史の穴埋めになりそうなのに。

アルファベット広めた民族としてはあまりにもねぇ
707世界@名無史さん:2010/01/09(土) 02:53:33 0
フェニキアとかカルタゴの出てくる古典史料の一覧みたいなのってどこかに無いですかね?
アリストテレスとかポリュビオスとか代表的なのは読んだけど他のマイナーなのも一読してみたい
708世界@名無史さん:2010/01/10(日) 01:26:58 0
ネット上のはわからない。
最近だと講談社の興亡の世界史シリーズの通商国家カルタゴの巻末に、
関係あるギリシア・ローマの古典作家が紹介してあったり、
邦訳あるやつが参考文献に挙がってたり。
とはいってもがっつりカルタゴ載ってるのは少ないだろうね。

フェニキアに関しては、
むしろホメロスとか旧約(エゼキエルとか列王記?)によく登場する気が。
709世界@名無史さん:2010/01/10(日) 02:06:43 0
がっつり載ってるのなら何といってもディオドロス・シクルスとシリウス・イタリクスだろう
どっちも邦訳はないけどLoebで読めるよ
710世界@名無史さん:2010/01/10(日) 13:32:37 O
リウィウスのポエニ戦争の項の邦訳、
生きてるうちに出るかなぁ
現代の日本語が廃れるのが早いかな
711世界@名無史さん:2010/01/11(月) 01:23:33 0
そろそろ誰かレバノン行ってこいや
712世界@名無史さん:2010/01/29(金) 00:45:15 0
本屋で見た資料で、胴体を輪切りにした
金属製の解剖模型がすでにあったらしいw
鳥肌ものだわw
713世界@名無史さん:2010/01/30(土) 12:24:04 O
ポエニ戦争でカルタゴがローマを滅ぼしてたら、ヨーロッパとアフリカの文明化の差はかなり縮まってたろうな。
714世界@名無史さん:2010/01/30(土) 13:02:26 O
「神聖カルタゴ帝国」という黒人の国家
715世界@名無史さん:2010/01/30(土) 13:25:39 0
ポエニ戦争でローマが負けること自体は想像することができるけど
その後の、カルタゴあるいはマケドニア支配下のローマってのはちょっと想像できないかも
716世界@名無史さん:2010/02/01(月) 22:39:10 0
>>670
何が「調べれば」だ
てめえが思いつくようなことはすでに学者が調べてあんだよ
ヒクソスの人名を調べてみると明らかにセム語だ
二度とヒクソスがトルコ系とかいい加減なこと抜かすんじゃねえ
717世界@名無史さん:2010/02/01(月) 23:19:54 0
>>225
案の定
718世界@名無史さん:2010/02/17(水) 21:04:55 0
フェニキアとは具体的に定義すれば、シリア沿岸のどこからどこまでですか?
719世界@名無史さん:2010/02/18(木) 00:47:06 0
どちらかというとフェニキア人の都市(建設、一定の自治)自体はレバノンに集中してる。
都市で言うと、
北:アルワド(タルトゥース/シリア) 南:アトリト(カルメル山南/レバノン?)
かな。
北はウガリトまで含めてる文章も見たことあるけど、
たぶんウガリトはフェニキア人の都市ではない。
720世界@名無史さん:2010/02/18(木) 21:18:27 0
現イスラエル=パレスチナのアッコはフェニキア人ではなかったのでしょうか?
721世界@名無史さん:2010/02/19(金) 00:57:03 0
フェニキア人の都市らしいよ >アッコ
722世界@名無史さん:2010/02/19(金) 05:53:18 0
ハイファは?
723世界@名無史さん:2010/02/19(金) 05:54:07 0
内陸部にはすまなかったの?
724世界@名無史さん:2010/02/19(金) 23:26:30 0
最北は多分テル・スカス
最南がテル・アブ・ハワム(ほぼ今のハイファ)
ドルやテル・カシレ、アシュケロンも前1100〜1000年頃の混乱に乗じて一時的に入ってた可能性はあるけど
定住という意味ではこのあたりが限界かと
725世界@名無史さん:2010/02/19(金) 23:31:24 0
フェニキアとぺリシテの関係は?
726世界@名無史さん:2010/02/20(土) 00:16:20 0
フェニキア側にカフトル(海の民時代のペリシテ)の伝承や活動の後が一切残されてないことから
ペリシテ人は既にフェニキア人が占拠してたレバントを避けて、最終的にドルとかアシュケロンとかのイスラエル沿岸部に落ち着いた

その後ペリシテ・フェニキア間で特に大きな戦争は無く
(アシュケロンの崩壊にアッコやハイファあたりのフェニキア人が関わってるという説もあるにはあるが)
文化的にも似たようなバイクローム土器を使ったり同じような神様を信奉したり交易もしてた

しかしそれまでフェニキア人にとって最大のお得意様だったエジプトに対してペリシテ人がしょっちゅう戦争仕掛けてたことで
エジプトは衰退、行き場を失ったフェニキア人はキプロス・ギリシア方面へ進出し、
結果的に新天地を開拓しまくったフェニキアの都市国家は栄え戦争ばかりしてたペリシテの都市国家は滅亡

ていう感じ
727世界@名無史さん:2010/02/20(土) 00:51:29 0
>ペリシテ人は既にフェニキア人が占拠してたレバントを避けて
ここを解明してほしいよね

ちょっとズレるけど海洋民族の記録がまた塗り替えられたかも↓
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100218-00000000-natiogeo-int
728世界@名無史さん:2010/02/23(火) 13:03:37 0
アレクサンドロスがフェニキアとぺリシテを虐殺して滅ぼした。
729世界@名無史さん:2010/02/25(木) 00:17:24 O
サラミス海戦後からのギリシアとの関係はちょっと気になる
730世界@名無史さん:2010/03/03(水) 20:40:30 0
731世界@名無史さん:2010/04/08(木) 22:41:02 0
「アルゴスの市場で、彼らは到着後五日目か六日目に商品を全部売り尽くしてから、
 王女イーオーに襲いかかって、彼女を船に押し込み、エジプト方向へと去った。」

                                       ヘロドトス
732世界@名無史さん:2010/04/09(金) 14:55:30 0
さすがギリシア人
733世界@名無史さん:2010/07/02(金) 17:42:28 0
『西洋古典学事典』を読んで、はじめて「フェニキア人の行為をする」という言葉の意味を知った。
生理中の女に対してクンニリングスすることを指す古代のスラングだという事実を!
734世界@名無史さん:2010/07/25(日) 16:23:10 0
目茶苦茶だなこのスレ
見て損した
735世界@名無史さん:2010/08/02(月) 00:57:28 0
にゃー
736世界@名無史さん
落ちたかと思ったぞこのスッドレ