1 :
世界@名無史さん:
「敦煌」「楼蘭」などの作品で、作家井上靖氏が扱った西域地方。
その未知なる土地というイメージは、大変興味深いものがあります。
そこで、皆さんの西域地方についての想いを是非伺いたいとこのスレッドを立てました。
では、どうぞ。
では銅像。
汗血馬に乗ってみたいです
4 :
世界@名無史さん:04/10/12 18:22:53
西域はトルコ人なのか?
トルコなのかな?オレもよくわかんない。
何々系とか言って、血がいっぱい混じってるイメージはあるなぁ。
文化交流されててさ。
6 :
世界@名無史さん:04/10/13 05:44:52
中央アジア総合スレッド?
一応トルコ系。でもいろいろ混ざってしまってる。
見た目ほとんど漢民族とか。人さまざま。
元ウイグルはまた違う民族だったらしいが。
ウイグル語もトルコ語系で、現代のトルコ語とでも
通訳がなくとも6割くらいは通じると聞く。
8 :
世界@名無史さん:04/10/13 06:11:23
西域の主な少数民族であるウイグル族がトルコ(チュルク)系。
他にカザフ、キルギスやウズベクもそうだな。
タジク族だけがイラン系の民族だったと思う。
西域ってさ、前漢、唐とかの一瞬国力が強い時に支配して、
それで国力が弱まったら捨てちまおうっていう、
そういう事を繰り返してきた土地なんだよね?
やっぱ砂漠とか環境がきつかったから、居座る漢人も大変だったんだろうな。
西域ってのは、漢族の勝手な(差別的かつ征服対象としての)視点で
見た内陸アジアのことでしょ。今どきそんな見方はやんねーよ。
内陸アジア史を、小説やNHKだけで勉強したつもりになっちゃだめよ。
> その未知なる土地というイメージは、
そりゃ漢族が知らなかっただけで、大昔からたくさんの
人間が住んでいたんだ。勝手に未知とか発見したとか騒ぐのは愚か。
なんでウイグル王国は亡んでしまったんだ・・・
14 :
世界@名無史さん:04/10/13 17:26:32
個人的にはジュンガル部が存続していれば・・・無理か。
西夏文字って、読めそうで読めない!
18 :
世界@名無史さん:05/01/04 23:24:40
19 :
世界@名無史さん:05/01/05 17:31:41
中国が関与していない間の西域についての扱いって、低いよね。
ウイグル王国の国王だって知名度低いし。妃が西トルキスタンについては比較的通史が
あるのに、東トルキスタン(西域)の扱いは低いように思う。でちょっとわかる範囲でまとめてみた。批判してくだされ。
・漢の支配以前
都市国家があちこちにできる。ホータンの璧や絹のやりとりが始まる。住民はイラン系。塞(サクと読むらしい)族というのがいた
らしいが、彼らはサカ(スキタイ。イラン系)の一派だと思われている。つまり、スキタイ族などによって交易がなされていた可能性がある。
また、アケメネス朝崩壊により、アケメネス朝の遺臣などが、東トルキスタンに亡命してきていた可能性がある。
・漢支配中
前漢後、独立。ゼンゼン国が強勢。後漢支配後、クシャン朝が西部支配。カニシカ王はホータン出身とも言われる。232クシャン、ササン朝支配下に。同時に西域支配終焉。
・漢支配後
各地の王が独立割拠。特にクチャ(亀磁)が強勢。魏成立とともに、名目的に魏の支配下に。
東部は、代々の涼国の支配、西部は400年頃から、エフタルの支配。またこの時代は高昌国存続時代。
・400-650頃
西部はエフタル〜突厥、東部は涼、高昌、北魏、突厥などの支配下
・唐支配時代(650-790)
・吐蕃支配時代(790-850)
・ウイグル王国時代(850-1200)
・モンゴル(チャガタイ汗国時代)1200-1500
チムール朝支配含む
・ウイグル王国時代(1500-1750)
チャガタイ汗国の太守分立時代
・清朝支配
こんなとこか?
王鉞 『シルクロード全史』 中央公論新社 2002
は、悲惨な本だったな。中華思想バリバリで中国の西域経営史を
自慢してるだけなのに、この仰々しいタイトル。
> 従来の西欧史観に依らずに描く東西交流史
とかのたまって、そのかわりが貧しい貧しい中華思想なんだから、
ただのゴミ本。
>>20 漏れは立ち読みで呆れちゃって買わなかったよ
『後漢書』の「塞」はスキタイやクシャン朝などの「サカ」とインドの「釈迦」族を混同したんではないかという説が有力らしいね。
クシャン朝のカニシュカは数年前にアフガニスタンで発見されたラバータク碑文で
始祖曾祖父クジュラ・カドフィセス(丘就卻)から数えて、祖父ヴィーマ・タクトー、父ヴィーマ・カドフィセス(閻膏珍)に継ぐ4代目の王だと宣言してる。
服飾史の研究でクシャン族大月氏のルーツは甘粛省ではなくてアム河流域らしく、パミール以西のスキタイ勢力の一派が起源である可能性が高くなったとか。
23 :
世界@名無史さん:05/01/08 05:31:29
>>22 インドの釈迦族はものすごくマイナーな部族で中央アジアの塞とは
歴史的にも文化的にもまったく関係ない。・・・・ということらしいけど、
漏れもそれ調べるまでかなり混乱していた厨でつ。
25 :
世界@名無史さん:05/01/08 14:14:43
>>19 乙
セレス(中国)とインディアの中間という事で、西域はセレンディア諸国ともいうらしいね。
26 :
世界@名無史さん:05/01/09 22:24:49
>>22 クシャン族は、もともと大月氏に服属していた地元民だったんじゃなかったけ?なので、アム河あたりの
出身でいいのでは。
とはいえ、トルファンで発見された古代語が、印欧語系のトハラ語だし、ミーラン(今のチャルジャンあたり)で発見された
天使の絵も明らかにソグドの図像と似ていることから、大月氏がサカ同様イラン系だった説も捨てきれないのでは。
そもそも、秦への西方の影響は明らか。
27 :
世界@名無史さん:05/01/09 22:28:52
ところで、絹って製造法国外不出扱いだったよね。でホータン辺りに嫁いだ公主が髪にまゆを隠してもってでた、
という伝説があるよね。でも絹自体は輸出されてたよね。
で、本題なんですが、紙の場合も製法は門外不出だったのでしょうか? タラス河畔の戦いで、紙漉き工云々の話を
聞くと、門外不出技術だったように思えますが、明確に記載のある記述に出会ったことがない。
また、あれだけ爆発的に西洋に紙が広まったことを考えると、751年以前に、紙はあまり
西方に輸出されなかったのかな?と思ってしまいますが、この点どーなのでしょうか?
28 :
世界@名無史さん:05/02/11 12:11:50 0
age
29 :
世界@名無史さん:05/02/11 12:26:00 0
輸出しつつも製法は門外不出、という品物なら磁器もそうだね。
30 :
世界@名無史さん:05/02/24 19:23:53 0
西域なき構造改革を!
31 :
世界@名無史さん:05/02/24 21:57:44 0
>>27 何年か前の某私大の問題になっていた英語長文によれば国家機密だったそうな(w
32 :
世界@名無史さん:05/03/06 00:37:21 0
野蚕を紡ぐ習慣は中国以外にもあったんですよね?
インドにも古くから絹があったよ。
『エリュトゥラー海案内記』に出てくる。
34 :
世界@名無史さん:05/03/13 02:00:39 0
ネパール・ブータンなどヒマラヤ諸国には今も
野生の蛾の繭を集めて製糸する伝統が残っているが、中国の絹とは別起源なのかな。
35 :
FLASH626:2005/04/06(水) 22:58:36 0
/⌒ヽ
/ ´_ゝ`) ちょっとすいません・・・
| / AA晴らしてもらいますよ。
| /| |
// | |
U .U
スレ汚し申し訳ありませんが、FLASH『大谷探検隊』の没ネタ救済でございます。
どうか笑ってやっれ下さい。
36 :
はじめ:2005/04/06(水) 22:59:37 0
大谷光瑞
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \
/ ヽ
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ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ
いわずと知れた西本願寺22世門主。法名は鏡如。
親鸞の直径子孫として、末寺一万寺、檀信徒1千万人に君臨している。
明晰な頭脳と熱い情熱を兼ね備え、その圧倒的な行動力と欠落した経済感覚で本願寺の財政を赤く燃やしている。(もうボーボーと)。
火の車の台所事情を省みず、仏教のルーツの解明に大金を注ぎ込んだその活動は歴史好きからの熱狂的な支持を得ている。(多分)
Λ_Λ . . . .: : : ::: : :: ::::::::: :::::::::::::::::::::::::::::
/:彡ミ゛ヽ;)ー、 . . .: : : :::::: :::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/:: ヽ、ヽ、 ::i . .:: :.: ::: . :::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
/ :::/;;: ヽ ヽ ::l . :. :. .:: : :: :: :::::::: : ::::::::::::::::::
 ̄ ̄ ̄(_,ノ  ̄ ̄ ̄ヽ、_ノ ̄
本願寺内局幹部:汲めど尽きせぬ光瑞のアイディアから生まれた様々な事業の金策に走り回る献身的な僧侶。
学校建設、大谷探検隊、二楽荘の建築、世界各国との要人との交流・・・
本願寺の予算は集会で決められるはずなのにどんどん事業を拡大する光瑞に絶望にくれている。
「築地に本願寺をよくろうよ」→「予算どーすんだよ。」
はお決まりの黄金パターン
38 :
その3:2005/04/06(水) 23:00:55 0
ちなみに光瑞は大正天皇の義兄である。
∧_∧
∧_∧ (´<_` ) ケーブルカー付きの個人邸宅を建てるとは
( ´_ゝ`) / ⌒i 流石だな、兄者
/ \ | |
/ / ̄ ̄ ̄ ̄/ | | 少しは探検隊を援助してくれ、弟者
__(__ニつ/ FMV / .| .|____
\/____/ (u ⊃
*光瑞の妻は、五摂家の九条家の姫で、妹が皇太子妃(後の貞明皇后)。
39 :
その4:2005/04/06(水) 23:01:31 0
_____,. -──-.....、
,.;':':':':':':::::::::::::::::::::::::::::ヽ
/:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::;\
/::::::::::::::::::::::::::::i、l`、;;;、-、;:::::::│
!::::::::::::/;:::;:i:::i|;,;!ヾ<;;ヾミ-ヽ;::::::!
|;::::::::::i'_,;;;;/!;ノ!ノ ,ィ'⌒` ',;:::;;|
.|;::::::l,ィ!i'ノ '__ |;:::;|
.|;::::::::! ,ィ'´ ,. , |;::::;|
.|;::::::', <´ ノ ヽ,ノ!:!:::|
.|;::::::;ヽ ,! " ´ ,.ィ'ー!:,!:l──--、
l;:::::::;:`;´─ _ 、- _´ イ、 ノ,'::/,. --ヽ'ー ヽ--,-,-,-,-,-,-,-,-,-,-,-,-,☆,
|;::::::;;ヾ 、i'ゝヾ、 .^X^ヾ,/:ノ´ `ー' ̄`i ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄i ´
ヽ;;ヽ;;`;、/ /ゞヾ===彳/ .| 私と一緒に |
\;:`;;< < .)丿;; : ノ .| 西域に .|
` 、 ;;ゝ ゝ丿 . ̄ヽ .| 行こっ☆ .|
__ _ i(__ノノ` . 丶 j________i
,.'´ ! ! ーi '´/ . .l
i !ヾ ヽ` ノ,./ . l
ヾ`_,.ィ´,/ i
` =,=_= = = = ,==l
i'´ミ_,ノ l `彡`,
橘瑞超
第二次、三次探検隊の中心メンバー。
光瑞に「彼ならばどんな野盗でも殺す気にならないだろう」といわれたほどの優男。
しかし外見で判断すると酷い目にあう、チーム大谷の特攻隊長。
タクラマカン砂漠を22日間かけて、街にもオアシスに立ち寄らずひたすら踏破するという、考古学的にはあまり意味の無いことを強行した、手段と目的が逆転している特攻野朗。
水は減り続け、街影も自分たち以外の生物も認められぬ砂漠の中で、トルコ人従者が精神的に追い詰められひたすら神に祈りを捧げる様を冷静に観察し記録している。
「(私にとって)死の問題は解決しており、何事も恐れないで一筋の光明にあふれていた。」しかし付き合わされるほうはたまらん罠。
「 ̄ `ヽ、 ______
L -‐ '´  ̄ `ヽ- 、 」
/ ヽ\ /
// / / ヽヽ ヽ〈
ヽ、レ! { ム-t ハ li 、 i i }ト、
ハN | lヽ八l ヽjハVヽ、i j/ l !
/ハ. l ヽk== , r= 、ノルl lL〉
ヽN、ハ l ┌‐┐ ゙l ノl l
ヽトjヽ、 ヽ_ノ ノ//レ′
r777777777tノ` ー r ´フ/′
j´ニゝ l|ヽ _/`\
〈 ‐ わたしを lト、 / 〃ゝ、
〈、ネ.. .lF V=="/ イl.
ト |西域に ヽ二/ l
ヽ.|l 〈ー- ! `ヽ. l
|l連れてって☆ lトニ、_ノ ヾ、!
|l__________l| \ ソ
ホッブス。
橘がロンドンで第三次探検隊(1910〜14)のメンバーを募集したとき、その魔性の美貌にひっかかったかわいそうな少年。(ウソ)
若干18歳で西域に憧れ、助手としてついていく。
トルファンでの発掘を終えた後、橘はタクラマカン探検を計画する。「死の22日間縦断」を含む砂漠をぐるっと一回りする恐ろしい計画である。
発掘の成果を携行するわけに行かないので、橘は蒐集品を全てホッブスに預け、クチャの街へ行くように命じる。
「大変だろうけどがんばりなさい、あたはも誇り高いアングロサクソンでしょ☆」
この一言でホッブスは、一人で何百キロも離れたクチャの街まで行き、橘の帰りを待ち続ける。
しかし、3ヵ月後橘がクチャに到着すると、ホッブスははやり病で亡くなっていた。
流石に橘は悲しみ、ホッブスを丁重に弔い墓を立てている。
連続投稿大変失礼いたしました。
41 :
世界@名無史さん:2005/04/09(土) 20:47:33 0
大谷探検隊ってのは大谷光瑞のまさに「道楽」。
まともな調査報告もないし、一番ひどいのは
略奪品を研究することもなく私蔵して、
あげくのはてに借金の形に売り払って散佚。
各国の調査隊と比較してレベルが低すぎる。
これじゃ調査隊じゃなくて略奪隊と言われても
仕方ない。恥ずかしい。
>>41 「道楽」
まあそう言われても仕方ないですねw
しかし、まだ多くの蒐集品が旅順博物館に残っていますから研究の余地はあるかと。
43 :
2-1(再開):2005/04/22(金) 23:01:14 0
'´, ノiViヽ
ビューーーーン ! ノ#从`1)〉 今日は新疆、明日は天山
================= | lゝ゚ ヮ゚ノゝ 3時のおやつにタクラマカン☆
================== ミ⊂)i介!つミ
================== ノノ/__`」
し'、ノ
橘はホッブスの葬儀を終えると再び探検を再開した。
44 :
2-2:2005/04/22(金) 23:04:20 0
しかい時代は1911年春。辛亥革命の勃発直前(武昌起義は10月)の不穏な空気の中だった。
.∧_∧ 辺境革命バンジャーー… アレ?
(; ´Д`)
( ,つ ,つ ___ | 鉄道を外国に渡すな!
〉 〉 〉 /o__⊥ \__ _____
.(__)_) ∠=√・∀・)つ≡ ∨
/o__⊥ つ≡/ M/
∠=√´∀`)つ[〓〓二二ヨ =
/ つ / ∧ W\
___ /
/o__⊥ /
∠=√,,゚Д゚)/
/ つ≠∩ヨ===┷
/ ∧
/ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| 寝言言ってねーでさっさと帰国しろ!
・・・緊張の高まる情勢下、やがて橘から本願寺への連絡が途絶えた。
45 :
2-3:2005/04/22(金) 23:05:08 0
________
/ \
/ \ _人从∧从人从/\
/ ヽ _/ 橘君が消息を絶った!!
l:::::::::. | ノ 直ちに現地に赴き捜索せよ。
|:::::::::: (●) (●) | ノ 費用は必要なだけ送る!!
|::::::::::::::::: \___/ | ゙VWvVWvVWWV
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ ,, _..r ‐ ァ─-‐''^゙二ニつ
ヽ _ノ_ - ‐' ,,r ーァ' "´ l くr } }}
..-‐''~、`ー--‐'"ノ. ̄´ ノ l一'ヽ、_,,つノ
.‐'7 ヽ `Y´ ̄,,ノ ( /
/ | | / 丿 /
./ | | l 、 _,,, /
/ | | | / /
1911年5月29日。
光瑞は橘瑞超捜索のため、吉川小一郎を派遣した。
__________
| | 僕に任せてよ!
/ ̄ ̄ ̄ \
│. \ / |
|:::: ● ●) |
ヽ:::::::.....∀.... ノ
/、 、`\
/ __ │> )
(___) │(_/
| /
| /\ \
| / ) ) 光瑞の切り札、
∪ ( \ 吉川小一郎このとき初めて西域に立つ。
\_)
大谷探検隊のメンバーは、光瑞個人に選ばれた私的な団体であるが、
その出身は2つに分けられる。
橘や渡辺哲信といった僧侶と、吉川や上原芳太郎といった元本願寺家臣団の出身者である。
吉川家は、石山本願寺の時代から大谷家に仕える寺侍の家柄である。
明治維新後の大谷家家臣団解体後も大谷家に円を持ち続けた。
幼いころから光瑞の側に侍り、光瑞に気に入られ高い教育を授けられた。
橘遭難の危機に光瑞はこの秘蔵の懐刀をぬいたのだ。
小出しにしてスミマセンorz