オスマン・トルコ帝国に関して語るスレ

このエントリーをはてなブックマークに追加
1世界@名無史さん
帝国の興亡自体のみならず、その歴史的意義(立ち位置といっても良い)に関しても語ってほしいと思います。

歴史を巨視的な視点から見るとオスマン・トルコ帝国の解体とその遺領の分配という19世紀以来の問題が現在もなお進行中であり、収束する気配が全く見えてこない。

かつてチェチェンを含むカフカス地域はオスマン・トルコ帝国の支配下に入っていた。
しかしトルコの衰退に乗じて南下するロシア帝国によってカフカス地域は制圧され、多くのイスラム系民族がロシアの支配下に入った。
チェチェン人は険阻なコーカサス山脈に拠って抵抗を続けたが1859年、ついにチェチェン人もロシアの軍門に下った。
オスマン・トルコは最盛期には西はモロッコ、東はイランまでを支配下に置いたがその後衰退、それでも19世紀末には、バルカン半島、パレスチナ、メソポタミアを領土としていた。
しかしこれらの領土も19世紀末から20世紀初頭の数々の対トルコ戦争と第1次世界大戦後のオスマン・トルコ帝国の解体によって失われてしまう。
これらかつてのオスマン・トルコ領がその後どうなったかというと、

バルカン半島
第1次、2次のバルカン戦争、第1次世界大戦の火種、第2次大戦中のパルチザン戦争、冷戦終結後のユーゴスラビア紛争、コソボ紛争

パレスチナ
第1から第4次までの中東戦争、レバノン内戦、パレスチナ解放闘争

メソポタミア
イラン・イラク戦争、湾岸戦争、イラク戦争、その後のテロ活動
とこのように紛争多発地帯になっている。これに先に書いたカフカス地域、
ここも民族紛争多発地域であり、最大の戦争であるロシアとチェチェンの戦いは1994年以来、和平期間を挟みながらも延々と続いている。
2世界@名無史さん:04/09/12 11:12:48
ロシアに屈しなかったのはチェチェン人と日本人だけだと聞いた事がある
3世界@名無史さん
これはどー考えても重複でしょう

オスマン朝
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1008047030/l50