1 :
世界@名無史さん:
高校の教科書に夏王朝実在が書き加えられるそうだが
あんな大昔の王朝についてどこまで正確に実在を確かめられるものなのだろうか?
夏王朝って、本当にあったのだろうか?
考古学板逝けって
無駄スレ立てんな池沼
3 :
世界@名無史さん:04/06/20 11:02
本当にあったといってるのは中国共産党とその傀儡。
普通の学者は「あったかもしれんがないかもしれん」、または「ない」という立場。
殷・商より古い遺跡はいくらでもあり、王朝の跡は見つかるであろうが、夏であるという証拠はでない。
殷・商より前に、漢字はなく「夏」という字も存在しないからだ。
4 :
世界@名無史さん:04/06/20 11:13
>高校の教科書に夏王朝実在が書き加えられるそうだが
>本当にあったといってるのは中国共産党とその傀儡
なるほど、日本の教科書出版社=支那共産党の傀儡ということだな
日教組、反日教科書に洗脳されないため、戦略的長期休学を検討すべき乎
5 :
世界@名無史さん:04/06/20 12:07
夏がないのなら、商王湯はどこと戦うんだよ
檀君朝鮮とかベトナムの文郎とか神代の日本とか、相手はいくらでも。
7 :
世界@名無史さん:04/06/20 14:33
つか、兎は洪水神だったんじゃねーの?
でも中国は2000年から教科書に書いてるんだよな、正式に。
中国共産党か・・
8 :
世界@名無史さん:04/06/20 14:58
あやめや山野や怨霊が出てくればこの種の議論はピタッと収まる予感。
何が事実で何がまだ不明なのか今どの程度研究が進んでいるのか
そういう事をレスしてくれそうな予感
9 :
世界@名無史さん:04/06/20 19:41
とりあえず
岡村秀典『夏王朝 王権誕生の考古学』講談社 2003/12 \1900
読めば?
10 :
世界@名無史さん:04/06/21 02:07
>>10 そちらの板は発掘や出土品などがメイン。
史書の類いから語るならここが適当。
分けるほど話題あるのか?
ど真ん中に剛速球
話題なけりゃ自然にdat落ちする
このスレの
>>1の意図がわからん
15 :
世界@名無史さん:04/06/23 19:11
1じゃないけど少し書いちゃるよ
「夏」の話が出てくる最古の史料は『詩経』(西周末期〜春秋初期の成立)だろうね。
「殷に先立ち夏という王朝があり、悪王・桀が殷・湯王に滅ぼされた」という話が
出てくる。
『詩経』には禹も出てくるけど、まだ夏の祖にはされてないね。禹が夏の祖という
扱いになるのは春秋中期以降。ついでだが、堯・舜は『詩経』には出てこない。
商代の甲骨文では、今のところ「夏王朝」に触れたものはないはず。
「夏殷革命」が史実なら、大乙(湯王)の覇業を讃える文章が一つくらい
あってもよさそうなもんだが・・・。
16 :
世界@名無史さん:04/06/23 19:11
「夏」が実在したとしても、どういう形で数百年間伝えられてきたのか?
作り話だとすると、どういうプロセスでできたのか?現状ではよくわからん。
考古学的にも、まだ夏の実在は証明されていないでしょう。文字資料の
出土が期待できない先殷時代の遺跡を「夏都」と確定するのは、よほど
状況証拠が揃わないと難しい。
現在は「殷に先立つ夏という王朝が存在したであろう。その末期の都は
おそらく二里頭遺跡」という「作業仮説」で研究が進んでいる段階、ということ。
17 :
世界@名無史さん:04/06/23 20:33
要は中国版邪馬台国になる可能性大ってことか。
幻の国スレは落ちたの?
> 要は中国版邪馬台国になる可能性大ってことか。
いやいや今や共産党が国威発揚のため「夏も実在」
「堯舜も実在」「炎帝・黄帝も実在」とフキまくってるから、
どっちかというと「神武天皇陵」とかそっちの方向に
いくでしょう。
もう共産党の看板おろして愛国党にしていいよ。
夏はいったん滅亡してんだよな。
ゲイが滅ぼしたんだけど大康が復興したんだっけ?
21 :
世界@名無史さん:04/06/23 21:23
>>16 文字資料はないのは確定的だから、永久に分からないと、そういう結論ですか?
日中共同研究も認めないと、そういうことですか?
22 :
世界@名無史さん:04/06/23 21:27
>>16 >考古学的にも、まだ夏の実在は証明されていないでしょう。
考古学的に証明と言うのはどういうことを指してますか?
二里頭遺跡の発掘とかC14の測定とかそういうのじゃダメですか?
マジで知りたいなあ。
トロイの発掘も文字が未解読だし、否定しますか?
23 :
世界@名無史さん:04/06/23 21:36
夏の子孫の杞国が春秋時代に存在していたことから、
私は夏の実在はいずれ証明されるだろうと思っていた
わけですが。考古学板でも否定的な意見はほとんど
なかったですし。
24 :
世界@名無史さん:04/06/23 22:00
>>15 >>商代の甲骨文では、今のところ「夏王朝」に触れたものはないはず。
夏も殷も周での呼び名であり、殷(商)が夏のことをどう呼んだのか
分かっていません。もちろん、夏自身も自分たちのことをどう呼んだ
のか分かっていません。なので、甲骨文に万が一書いてあったとし
ても我々はそれを夏だとは分かりません。いわゆる方(の国々)の
1つと認識していたのかもしれません。
>大乙(湯王)の覇業を讃える文章
ご存知のとおり、甲骨文は殷の晩期の占いの文章なので、先祖の
業績をたたえる文章が出てくる可能性はあまりないです。
武乙・武丁期の卜辞に「高祖乙」と記されているらしいから、
商後期には「王朝の開祖」とみなされてたことは間違い
なさそうだけど(ちなみに元々神様で、後に王系に組み込まれた
虁<き>と王亥、それから河神も「高祖」と呼ばれていた)、
甲骨文では開祖らしいのはこれだけだもんなあ。
もう少し色々知りたいのにねえ。
占いばっかやってんじゃねえ > 殷人
おっと、夏の話に戻して下さい。
>>21 > 永久に分からないと、そういう結論ですか?
とは、誰も思っていないんで。結論云々は気が早すぎますよw
ただ、何をもって「夏王朝は実在した」と確定できるのか?
その規準が明確でないまま議論しても、下らないケンカに
なると思うなあ。ま、ここで基準をおいおい考えていくのも
いいでしょう。
27 :
世界@名無史さん:04/06/23 22:47
基本的に「史記」を含めて、夏王朝に関する文献で確かなものは何一つないと思う。
郭末若が指摘するように、史記の殷王朝の系譜と夏王朝の系譜はよく似ており、
殷王朝の系譜から、夏王朝の系譜が造作された可能性がないとはいえない。
ちなみに、「杞憂」の語源となった「列子」も偽書として知られている。
29 :
世界@名無史さん:04/06/24 00:21
上のほうで政治的な話に結びついているのには、ちょっとビックリですね。
仮に、二里頭遺跡が夏の遺跡でなく、殷の遺跡だとしても、それより古い
王城岡遺跡があるし。
30 :
世界@名無史さん:04/06/24 00:24
31 :
世界@名無史さん:04/06/24 02:16
歴史の捏造は中韓の十八番だからな。
32 :
世界@名無史さん:04/06/24 05:13
考古学者はニ里頭遺跡の近隣に偃師商城が建設されるのと同時期に
ニ里頭遺跡の宮殿が破壊された事を見出した。
偃師商城は殷墟文化へとつながるニ里岡文化を持ち、すなわち商(殷)であり、
ニ里頭は商により滅ぼされた都城遺跡である。
文献には商に滅ぼされた国がいくつか記されているが、
ニ里頭の位置に相当するのは夏以外にありえない。
かくして、考古学者はニ里頭を夏の遺跡と考えるようになったのである。
三皇五帝の話を信じるつもりはないが、夏に関しては説得力があると思うがどうよ?
とりあえず、大昔の擬古派の本読んでいきがるのは恥ずかしいからやめとけ。
二里頭の遺跡は商より古い時代にも城郭があったかもしれない、という発見だけで
スレタイトル通りに「夏王朝」が存在したとは、まだ証明されてないんでは?
宮殿跡から何らかの文物が見つかって解読されたら面白いことになるね。
>>29 金出してるのは、中華人民共和国。それを始動しているのは中国共産党。
自らを古く由緒あるものとするのは当然だと思う。
しかも、訳わかんない遺跡じゃなくて、史書や言い伝えにある「夏」の遺跡なら、
箔が付くってもんだ。
殷より古い遺跡はいくらでも発見されると思う。
でも、「夏」の遺跡と断定する根拠はなにか?
古い文献の記載か?
>>32 >夏以外にありえない。
主観の入った性急な判断だと思う。
35 :
世界@名無史さん:04/06/24 21:44
夏の時代には、文字がなかった。広大な領域を支配するためには、文書
による伝達が、どうしても不可欠だ。つまり、もし夏が実在したとしても、
大帝国ではありえない。
36 :
世界@名無史さん:04/06/24 21:46
>>34 逆に聞くが文字が出土しなければ、永久に夏の存在証明は
できないと考えているわけ?つまり、真理は不可知であると。
もう一つは、トロイア遺跡について見解を聞きたい。
37 :
世界@名無史さん:04/06/24 22:31
私はトロイアより、夏王朝の法が信じられるが。
夏王朝については、論語・尚書・竹書紀年・史記等に記述されているし。
イリアス・オデュッセイの神話の世界のトロイアの方が信用できない。
38 :
世界@名無史さん:04/06/24 22:32
インカ帝国にも文字はなかったぞ。
39 :
世界@名無史さん:04/06/25 04:25
>>34 ニ里頭に関しては商の西亳があったとされる偃師に近かったことから
当初、商の初期の遺跡と考えられましたが、
近隣に偃師商城が発見されるに及んで、そちらが西亳とされ、
河内にあったとされる夏の最後の都斟尋との説に取って変わられました。
とりあえず、考古学や史学に則った反論をお待ちしてます。
>>35 ニ里頭文化の分布範囲は河南中西部に限られています。
夏の勢力範囲はこの二里頭遺跡の周囲100キロ弱の範囲と考えられています。
40 :
世界@名無史さん:04/06/25 23:19
二里頭遺跡の宮殿址が「破壊されている」という記述があって、
これが「夏が武力で滅ぼされた」根拠として上げられてるけど、
具体的にどういう出土状況だったのかな?
中国の論文や報告書見ればわかるのかも知れないけど、アクセス
しにくいので、知ってる人教えて。
41 :
世界@名無史さん:04/06/25 23:28
トロイア遺跡について民神板よりコピペ
586 名前:天之御名無主 投稿日:04/04/24 01:58
トロイア戦争はB.C.1346−1127の間のどこか(B.C.1184頃という説が有力)で勃発したと
目されているが、この時代の最初期に該当するトロイアY層の崩壊は人為的なものというより
紀元前1300年前後の地震によるものと考えられている。Z層Aは建設後短期間で
火災により崩壊、B層も都市と呼ぶには貧弱すぎるほどの規模であることから
イリアスにおけるトロイアの描写はかなり誇張されたものと推定される。
Z層からはミュケナイの陶器が出土し都市も火災で焼失していることから
ホメロスの描写に最も近いとされているが、都市があまりに小規模で城壁も脆弱であるため、
考古学者の中には堅牢な城壁や複数のメガロン、監視塔などを備えるY層が
トロイア戦争時代の都市であったと考える人も多い。
ホメロスが複数の人物であり叙事詩は逐次的に編纂されていった、または
古くから伝えられてきた伝承をB.C.8世紀にホメロスが詩篇の形で纏め上げた
という立場に立つなら、イリアスは暗黒期の記録の断絶をきっかけとして
かなりの改編がなされていることが考えられます。
イリアス内の戦車の使用方法といった戦闘描写にみられる前古典期の特徴と
「猪の牙の兜」などの様式にみられる後期ミュケナイの特徴という時代観の
ギャップを説明でき、また改編と叙事詩化に伴う誇張表現や神話性の付与と
いったことも考慮されることから、イリアスはあくまで文学作品の範疇を
出ないものであり、そのまま歴史史料として信じることは容認し難い、
というのが歴史学上では一般的な解釈のようです。
当時の生活状況や社会制度、技術レベルといった「記録」は時代考証に活用できますが
実際の事件を元に「創作」された叙述はそのまま歴史と同一視することはできない、
というところではないでしょうか。
42 :
世界@名無史さん:04/06/26 05:52
>>40 焼失だそうです。詳しくないですね。すいません。
43 :
世界@名無史さん:04/06/26 14:13
>>42 火災ですかあ。それだけで「破壊された」と言ってるとも
思えないので、もう少し詳しい内容が知りたいですね。
44 :
世界@名無史さん:04/06/26 14:16
北京原人の骨が行方不明になる国だから何が起こっても不思議じゃない
>>44 おいおい、おまい。
頭悪い嫌中なのか嫌中騙った頭悪い自演なのか知らんが、
日本軍の北京進駐のドサクサで行方不明になったものを、
ネタに使うのか?
↑
厨
>>19 いやいや、実在論争だけで言うなら、邪馬台国だって実在の証拠はたいしたものは存在しない。
下手に文献が存在したせいで、何か大きな遺跡が出ると「すわ、邪馬台国か!」って盛り上がるのも同じ。
48 :
世界@名無史さん:04/07/04 10:32
age
49 :
世界@名無史さん:04/07/05 10:23
大夏=バクトリア
大夏はトカラだろ。
51 :
世界@名無史さん:04/07/05 22:00
江夏=豊
こんな時間に、まだ30度……。寝られない……。
夏、大嫌いだ。
漏れも。
エアコンないから窓ぜんぶ開けっ放しで
扇風機まわしっぱなしだけど、
とにかく頭はボーッとするし汗だくでどうにもならん。
夏っちゃん、命!
夏厨のスレはここですか?
>>36 >逆に聞くが文字が出土しなければ、永久に夏の存在証明は
>できないと考えているわけ?つまり、真理は不可知であると。
残念ながらだが、俺もそう考えてたり・・・。
遺跡だって?ヤター
バッキの面が拝みたい俺ワクワク
すげー
58 :
世界@名無史さん:04/07/21 22:30
鼎など銅器がハケーンされたそうだが、刻文があるかどうかがキメだな。
国名はどうあれ、殷以前に殷が滅ぼしたと思われる大きな国があったことは確かなんだから、
それを便宜的に夏として議論を進めた方が建設的でないかい
>>60 うん。
彼ら自身がどう名乗っていようが歴史的に殷にとって代わられた国を
夏と呼ぶべきだろうなと。
> それを便宜的に夏として議論を進めた方が建設的でないかい
「便宜的に」とか「暫定的に」だったはずが、いつのまにか
「確定事項」として話を進める奴が出るから、ここは厳密に
しておいた方がいい。
「二里頭遺跡=夏王朝の遺跡」は極めて有力な仮説ではあるが、
確定できない、というのが現状でしょう。
「夏の遺跡以外ありえない」とかいう思いこみを語る人もいるが、
「〜以外ありえない」と言った後に新発見があって、ころっと
意見を変えたケースは山ほどある。「〜以外ありえた」わけだ。
> 殷が滅ぼした
> 大きな国があった
これも思いこみ。夏殷革命は実証されていない。
>>64 んなこといったら商周革命だって実装されていない
× 実装
○ 実証
けつれい
殷周革命は、西周代の青銅器銘文に記述されているものが
数多くある。年代が近い西周代には史実とされていたことがわかる。
遙か大昔の夏殷革命をそれと同じ扱いするのは無理です。
夏殷革命が文献に現れるのは『書経』『詩経』が最も古いが、
後世の付加・改竄が多いので、西周代にこの伝説がすでに存在
したか判然としない。
春秋後期(前6世紀)の叔夷鐘金文、『論語』あたりが
夏殷革命に言及した(年代の確実な)史料としては
最古のものだろう。
69 :
世界@名無史さん:04/07/22 23:16
禹王の治水記念碑が出土したらそこが夏だろう。
諸侯が会盟した会稽はどうだろ?
文献にみえる「夏王朝」に南方的な要素があることは
つとに指摘されてるし、良渚遺跡から出土した玉器の
文様が後の饕餮紋と共通するともいわれている。
「良渚文化が洪水で滅びて黄河流域に移転したのが夏」
というのは魅力的な仮説だけど、まだまだ資料不足ですな。
夏王朝には狄の要素も多いし研究はこれからですよ。
72 :
世界@名無史さん:04/07/23 08:27
>「二里頭遺跡=夏王朝の遺跡」は極めて有力な仮説ではあるが、
>確定できない、というのが現状でしょう。
永久に確定不能でしょうね。
トロイと一緒ですな。
「夏王朝の実在が確認された」と言うのは早計だが
「永久に確定不能」と言うのも早計
74 :
世界@名無史さん:04/07/23 21:26
「夏」の字はシャーマンの象形。
シャーマンは北方ツングース系に特有の祭祀形態。
よって夏と良渚文化とは何の関係もない。
饕餮紋は実はシャーマンの仮面。
>>74 ネタ?つっこみどころだらけなんだけど。
> 「夏」の字はシャーマンの象形。
「夏」という文字は舞踊者の象形。この舞踊は礼の一部を為す舞楽のことで、
『礼記』では9種類の舞楽を「九夏」と称している。
女のシャーマンを表す「若」などの禍々しい姿に較べると、整然とした舞踊の姿で
あることが理解できる。「夏」=「シャーマンの舞踊」とは誰の説なの?
「夏」という文字がなぜに「夏王朝」の国号となったかは不明。「舞楽こそ文明の象徴で
あるから」という説もあるが、あんまり説得力はない。単に音を借りただけかもしれない
(春夏秋冬の「夏」も音を借りただけ)。
> シャーマンは北方ツングース系に特有の祭祀形態。
これはまた珍妙な説だ。「シャーマン」という用語はツングース人の呪術者「サマン」が
語源だが、同様な宗教形態(シャーマニズム)は世界中至る所に存在する。
エリアーデの本くらい読んでおこう。
古代中国でいえば楚の巫覡も有名で、『楚辞』や『国語』に数多く記述がある。最近では
西南中国やイスラム圏のシャーマニズムなども報告が多い。
これらは一元的に起源を求められるものではないし、ましてやツングースが起源という
証拠などない(そんなこと唱えてる人もいない)。
> よって夏と良渚文化とは何の関係もない。
シャーマニズム「だけ」を基準に両者の関係性を論じても意味はない。
良渚遺跡群からは、シャーマニズムがあったかなかったか、論じられるほどの
出土品はないし。話がムチャクチャ。
> 饕餮紋は実はシャーマンの仮面。
饕餮紋は様々な獣をデザイン化して象った魔除けの紋様。
シャーマンの仮面?饕餮紋様の仮面なんてどっかに出土例は
あるのかな?
まあ、何だ。殷代よりも古い遺跡を仮に
夏と呼ぶのは問題ないんじゃないのか?
まあ殷の遺跡から、別の王朝を倒したとかいった類の
文献が出てこない内は、夏殷革命は十分立証されないけど、
トロイ戦争やモーセの出エジプトといった、
立証が不十分な出来事まで世界史の教科書に登場しているし。
あと、確かに中国の教科書にも問題ありだけど
(黄帝まで取り入れている点)、少なくとも
韓国とか北朝鮮の歴史書に比べれば、遙かにまともだと思う。
いえてる。
伝説神話の類はきちんとそれを明記してあるし、戦前の日本の教科書よりましかと。
81 :
世界@名無史さん:04/07/25 11:56
夏王朝は檀君みたいな電波じゃないんだけどね。
黄帝はちょっとね。
>>78 殷代より古い遺跡を「夏王朝が支配した遺跡」だと言えないからでは?
夏王朝が全国をあまねく直接統治した効率的な中央集権国家と想定するなら別だが。
夏王朝の実在を証明できるなら「夏代の遺跡」と呼んでもいいと思う。
でも夏の歴史を読むと加上説のニオイがするんで、そんなに古いとは思えないよ。
83 :
世界@名無史さん:04/08/10 23:31
来 い 奪 こ | | 今 恐 桀
る つ い の 了从从 よ 怖 王
が で た ぬ (ヽ)))| り. の
い .も く る /'')) "〈 始 伝
い ば ぽ(,,,(从ノ| ま 説
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〈 :::::::~" ̄ ̄フ彡;;i〉" ̄ ̄´'"リ:/i|)
、', ::::: ::::::( ,リリ:i :::::::::::'' リ/)リリ
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'ー't ::::::::::::::":::`~:::"'´ /:: ,'イリ
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;:;:;:;:;;;;;;;;;;~' 、 :::::''"'':::" /;;;;::::: |;;;;;;;~'
、、;:;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`'ー――'";;;;"::::: i;;;;;;;;;ノ
84 :
世界@名無史さん:04/09/01 18:58
結局、国家プロジェクトだった「夏殷周三朝断代工程」計画は完結したってこと?
あれは中間報告が出てからどうなったんだろな。
アレの全貌がどうなっているのか把握できる日本語資料って
ないよね?岡村秀典『夏王朝』で概要を知ることはできるけど。
87 :
世界@名無史さん:04/10/07 21:19:16
age
88 :
世界@名無史さん:04/10/08 23:15:18
89 :
世界@名無史さん:04/10/08 23:32:34
90 :
世界@名無史さん:04/10/09 02:20:09
4千年前か、中国「夏王朝」最初の都跡?発見
【北京=佐伯聡士】8日の新華社電(電子版)によると、中国河南省新密市の「新砦遺跡」から、
中国の伝説で最古の王朝とされる夏王朝(紀元前21世紀―同16世紀ごろ)の都跡がこのほど発見された。
今年7月には、夏王朝の中心地と見られてきた同省偃師市の「二里頭遺跡」で3600年以上前の
古代都市跡が見つかり、「中国最古の都市」とされてきた。
今回発見された都跡は二里頭遺跡よりもさらに300年以上も古い約4000年前から約3900年前に
造られたとされることから、夏王朝最初の都跡と見られる。
新砦遺跡の面積は約100万平方メートルで、三重の堀のほか、内部に大型建築物があるのが特徴だ。
骨器を加工する作業場や精巧な出土品も多数発見された。
発掘に当たった中国社会科学院考古研究所では「夏王朝初期の帝王、啓の都である可能性が高い」
と指摘している。夏王朝は、帝王の舜から禹が位を受け継いで建国したとされている。
(読売新聞) - 10月8日21時57分更新
91 :
世界@名無史さん:04/10/09 02:49:03
都市遺跡はいくらでも出てくるかもしれないが、
それらが一つの王朝の下だったかは疑問。
小領主としての河川地域に村単位的に
夏があったのではと思う
92 :
世界@名無史さん:04/10/09 03:09:51
>>91 うん。都市が国家になるなら、当時の世界、どこもみな国家だらけ。
これってば、日本の弥生時代の環壕集落を全部「だれそれ天皇の宮
があったところ」っていっているようなもんじゃないかな。
都市遺跡より墳墓の方が重要なんですかね。
94 :
世界@名無史さん:04/10/09 13:04:45
>>93 都市国家以上のものであると証明できるもの。
巨大な墳墓は証拠としては上々。でもやっぱり決定的なのは、
領地支配をしてた行政文書の存在だろう。
モノの原材料が他の地方のものなら、交易があったとか支配してたとか。
96 :
404-405:04/10/09 14:37:20
>>94 そうそう。とにかく文書が出てこないと、なんの証拠にもならない。
結局、中国の殷(商)は、甲骨文字で王の名前が全部出てきたから、
これは確実。でも、それ以前は、「あっちこっちにたくさん都市が
ありました。でも、文字はなかったみたいです。だから、そのうちの
どれが、夏なのかわかりません」でおしまい。
>>96 だから句読点の打ち方をもっと勉強しろってば。
最近の中国では、何の証拠もなくとも派手な説をブチ上げるのがはやり。
そうやってデマ飛ばしてでも、共産党の関心引いて予算分捕らざるえを
えないんでしょ。愛国政策に合致するなら糞学者はどんどんデマ飛ばすよ。
99 :
9 11テロの真相:04/10/09 16:24:42
100 :
世界@名無史さん:04/10/09 22:11:09
100
>101
「夏王朝の都跡がこのほど発見された。」
断言してる
103 :
世界@名無史さん:04/10/10 17:27:30
>101
その記事変だね。
後ろの方では「夏王朝初期の帝王、啓の都である可能性が高い」って書いてるのに。
都跡が発見されたのか、それとも可能性が高いのかどっちなんだ。
文字はまだ無かったのか、それとも未だ見付かっていないだけか・・・
呉城陶文なんか文字に近そうだがどうなのかなあ。
甲骨文字はいきなり完成されて登場した観があるし・・・
106 :
世界@名無史さん:04/10/18 22:07:55
>>105 文字として、文字になる過程がある程度わかっているのは、
メソポタミアのくさび形文字。原くさび形文字も出ているし、
また、それ以前のトークンシステムとの関係も概ねわかっている。
ところが、エジプトの場合は、いきなり出てくる。
中国も甲骨文字でいきなり。それ以前に「文章っぽい」文字は
いくらかあるのだが、解読はできない。
ただ、中国の甲骨文字と、未解読のクレタ線形A文字、などなど
いろいろ見ていると、同じ形の文字が結構あるらしい。
これは、1万年前の大氷河文明文字のなごりか、、。
#はトンデモ
なんか、邪馬台国と同レベルの「古代ロマンのなんたら」
みたいな曖昧な存在と化してきたなあ。
富谷至によれば、「夏とは大きいと言う意味の普通名詞」であり、
夏国とは大国の意、本当の所は「殷朝と戦っていたらしい
大きな国」ということだというが、もしこの説が正しいとすれば
夏の遺跡なんてゴロゴロあることになるよなあ。
108 :
世界@名無史さん:04/10/30 02:49:26
>>170 「夏」という文字の謎ときはムリ。すでにいろんな説があるが、
何をいってもすべてははかなくたよりない仮説。
その説を信奉したとたん電波にしかならない。
今のところは「ある部族の名」くらいに考えておくのが無難。
いまだにwikiでは架空の王朝扱いになってるぞ
wikiなんぞ正直どうでもいい
>>27 後人の仮託ではないかという説はあるけど、内容の真偽については
また別でしょ。>列子
過上説...
113 :
世界@名無史さん:04/12/03 17:43:20
114 :
世界@名無史さん:04/12/03 23:17:37
漢字が発明されたのって禹以後?
>>114 伝説の話をすれば、文字を発明したのは蒼頡だから黄帝の時代…という戯言はおいといて。
殷後期の甲骨文字→西周青銅器の金文→戦国時代いろいろ分化→始皇帝による統一
という感じだから、変遷を経てきている。
今ふつうに使われてる楷書体なんかは、ほとんど王羲之のころ成立だったり。
源流として遡って確実なのは殷末ということになるんじゃない?
でも最近、新石器のころの考古文物のあやしげな記号?を漢字の源流だって主張している説もあるし、
エジプト起源説も見たなあ、これも最近。
ま、確実なことはいえない。いきなり完成体が現れたわけでもないだろうし。
116 :
世界@名無史さん:04/12/04 11:44:31
殷後期の甲骨文字はいきなり完成体が現れたかのような、
非常に高度な文字らしいね。
加上説...
118 :
世界@名無史さん:04/12/13 02:21:43
夏には学校があり、「校」といったと公孫弘が言ってるよ。
ホントかな。
119 :
世界@名無史さん:04/12/13 17:12:08
日本の教科書なのに、日本の伝説は歴史と見なさずに、中国の伝説なら歴史と見なして載せてしまう理由は何?
120 :
世界@名無史さん:04/12/13 17:25:33
妥当性があるし、遺跡もあるから。
121 :
世界@名無史さん:04/12/13 17:45:52
中国は殷周も伝説と言われながら、後から遺跡が出て
伝説の正しさが証明された。いかも驚異的な精度で。
日本の記紀はそういう証明がされつつあるのは極最近だけだろ。
122 :
世界@名無史さん:04/12/14 17:39:47
>119
左の力のせいですかね。
123 :
世界@名無史さん:04/12/14 17:53:59
京大の林巳奈夫先生が日本学士院会員になられたそうで。
日本の歴史教科書に伝説が載っているといったら、扶桑社版だろ。
ほかにあるなら例示しろ。
もしかして夏王朝が高校教科書に載ったことをもって「中国の伝説なら歴史と見なし」とか
呼んでいるのなら、このスレを最初から読み直すのをお勧めする。
125 :
世界@名無史さん:04/12/15 20:39:16
夏侯氏ってのは夏と関係あるんだっけ?
夏王朝なんてあったとしても漢民族の文明でもないだろう。
夏王朝は「夏后氏」。三国志の「夏侯氏」とは直接の関係はない。
128 :
世界@名無史さん:04/12/28 22:37:45
今でも中国に存在する姓ですか?
するけど何か?
そもそも漢民族がいつ成立したのか?というのを
>>126に問いただしたい。
漢民族の起源のひとつとなるなんらかの集団が二里頭を立てたというくらいは蓋然性高いんちゃう?
131 :
世界@名無史さん:05/01/15 18:59:00
132 :
よろずこ:05/01/15 21:46:51
>>131 あるよ。読んだ印象は
>>34の下3行の通り。
夏というブランドに踊らされすぎ。
史書や伝説にない王朝や政体や集落かもしれないのに。
また、怒られそうだな。
133 :
世界@名無史さん:05/01/15 23:22:41
>>132 > 史書や伝説にない王朝や政体や集落かもしれないのに
こっちに方がより「ありえない」と思う。
二里頭は黄河中流の文化圏らしいのだが、
同時期の他の黄河上・下流、長江流域の遺跡を
夏王朝とするよりは、よりマシな推測。
更に黄河中流のより旧い遺跡を夏王朝と推測するのも
これまた無理がありすぎる推測。
よってどう考えても夏王朝とするのが合理的な推測。
134 :
世界@名無史さん:05/01/15 23:51:35
だから、夏王朝なんて、あったとしても、結局は、
文字で規定されないのだから、歴史時代のものでは
ないよね。ちゃんと、甲骨文字かなんかで、「夏王朝王宮」
とでも書いたものが出たら面白いけどさ。
たんなる、銅石器時代(先史時代)のおっきな集落、以上
のものではないんだから。
> おっきな集落、以上のものではないんだから。
は?二里頭遺跡は、それより千年以上旧いヤンシャオ・ロンシャン文化とは
質的に違ってて、宮殿の規模が一つの集落の労働力では明らかに
立てることが出来ないほど巨大な規模であって、それが都市国家の域を超えた
権力の存在を証明するものだと思ったのだがな。
あと、車輪と道路の跡があって、計画的に複数の都市を結んだ公共事業と
物流をやって形跡もある。
懐疑的になるのはいいけど、もちょっとマシな論点は無いの?
>>135 あんたの言い分は奈良や九州でちょっと大きな遺跡が出たらすぐ
「これは邪馬台国の遺跡に違いない」と言ってるようなもの
137 :
世界@名無史さん:05/01/16 02:35:02
そういや、中国人(漢民族)ってどっから来たの?
なんかNHKでチベットあたりから来たとか言ってたけど確か。
139 :
世界@名無史さん:05/01/16 03:08:08
>>138 少なくとも3000年前には黄河流域に住んでたみたい。
多分、5000年前ぐらいには遡れる。ということて恐らく、
語族が成立したとき既に中国に住んでたと考えるのが自然か。
民族移動とは無縁というのが中国史の特徴だし。
夏侯氏は一応、姓譜などでは夏王朝の子孫を称しているんだよなあ。
諸橋轍次の大漢和辞典の夏の項目参照。まあ、ネタだと思うけどね…
>138
一つところから来たわけでもない、チベット方面から来た人も
いるし、東西南北の諸民族が混ざり合って出来たのではないかと
考えられている。岡田英弘の中国文明の歴史を読んで見てくれ。
>139
語族が成立した時ってのも悩ましい言い方だな
>>136 二里頭由来と見られる文物がウイグルチベットを除く中国全域で出土している点は?
二里頭時代に他にこれといった遺跡がない点は?
隣接して二里岡文化(商)の偃師商城が建設されると同時に衰退した点は?
143 :
139:05/01/16 16:15:08
>>141 まあ、民族という単語自体が19世紀に人為的に作られた
ナンセンスな幻想ってのが真実のところだからね。
まともな史家だったら、漢民族の成立といわれても
答えが無いというか、孫文、毛沢東あたりを挙げるだろ。
そこを敢えて、そのナンセンスな幻想のノットッテ、
思考実験をしたら、こういう答えになるんじゃないですか?
144 :
世界@名無史さん:05/01/16 20:44:21
やっぱり「語族」って訳語がまぎらわしくていけないのかなあ。
語族にかわって「語系」とかいうのはどうだろ?
146 :
世界@名無史さん:05/02/03 17:32:13 0
まあ慣習だからね
147 :
世界@名無史さん:05/03/02 21:52:55 0
そうなの?
148 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 11:41:22 0
殷以前では、後世よりいろんな部族がいて、
いろんな言語が話されていたんじゃないの?
150 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 00:03:31 0
ウホウホ
151 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 00:49:57 0
純粋支那民族は南朝陳の滅亡で消えた
周になってからじゃないの?中華思想なんてできたのは
甲骨文字の発見なんて待ってたらトロイ同様永遠に夏の遺跡なんて見つからんだろうな。
「殷より古い文明があった」「伝説では殷のまえに夏王朝があったという」
「この2つが同じものかは分からない」
これで歴史は確定じゃね?TMでも出来ない限り本当の夏王朝の姿は永遠に霧の中
154 :
世界@名無史さん:2005/04/27(水) 06:42:41 0
あんな直系継承系譜は怪しい。殷と違いすぎる。
155 :
世界@名無史さん:2005/05/15(日) 01:34:59 0
禹━━啓━┳太康 ┏杼━━槐━━芒━━泄━┳不降━━孔甲━━皋━━発━━履癸
┃ ┃ ┃
┗仲康━━相━━少康━┻無余 ┗扃━━厪
156 :
世界@名無史さん:2005/05/22(日) 13:05:25 0
夏王朝は東南アジア系だろ?
んなこたぁない
夫余系
ぷに系
160 :
世界@名無史さん:2005/06/12(日) 12:57:16 0
甲骨文字に先行しそうな文字はいまだ見付かってないのかあ。
呉城陶文などはまだ判定保留状態?
161 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 22:10:34 0
162 :
よろずこ:2005/06/14(火) 23:30:45 0
>>161 >確認されている最古の王朝
~~~~~~
というのはいかがなものか?
> 確認されている最古の王朝、殷
~~~
よく嫁
164 :
世界@名無史さん:2005/06/15(水) 21:11:53 0
>>161 まさに宝杖。素晴らしいね。
今回の二里頭とか周原や陶寺・新砦の発掘の結果が
一般人向けの本に出てくるのが待ち遠しいな。
166 :
よろずこ:2005/06/16(木) 23:41:30 0
>>163 修行がまだ足りんな。反省。
もう寝ます。
夏王朝の正体については、南方系だ、羌だ、狄だ、と諸説紛々で
なかなか楽しいね。
それだけ得体が知れないというかつかみどころないってことだね。
169 :
世界@名無史さん:2005/06/30(木) 22:56:57 0
夏と同時代に平行してあった、他の遺跡とか
どう評価されているのかな?
170 :
世界@名無史さん:2005/07/15(金) 14:23:12 0
>>154 >あんな直系継承系譜は怪しい。
むしろ、小規模の(都市?)国家だったことを予想させる。
べつにあやしくないよ。周王朝の系譜とかどうすんだw
>あんな直系継承系譜は怪しい。殷と違いすぎる。
嫡流以外は記録から抹殺された可能性だってあるし、
兄弟相続が直系相続に改竄されている可能性だってあるし、
一概に「怪しい」と捨てちゃうのももったいないよ。
少ない資料なんだから、捨てずに有効に使う方法を考えよう。
そもそも殷の系図には謎が多い。複数の系統の交代相続を
合成したものだ、なんていう説もあるし、あれが中国古代の
相続形態の典型だったとはまだ言えないんじゃないかな。
それに夏と殷とで全く素性の異なる民族だったら、相続形態が
全く異なっても不思議じゃないし。
173 :
世界@名無史さん:2005/07/17(日) 18:42:18 0
┏━┓┃┏━┓ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
┃ │ 我が名は饕餮!彝器に我が尊顔を見出した
● ┃ ● < る者、おそれおののきひれ伏すがよい!
┃ \___________________
174 :
世界@名無史さん:2005/07/31(日) 21:42:25 0
トーテツタンカワイイw
175 :
世界@名無史さん:2005/08/02(火) 09:20:35 0
中原でなく会稽に諸侯が集まったということは、やはり長江に
黄河とは別の勢力が影響力を持ってたんだろうか?
禹をあがめる宗派が大活躍したために辺鄙な場所に伝説ができちゃったという話もあるが、
中原の禹と会稽の禹は本来別人のようにも思える。
会稽の禹はあるいは長江文明の遠い記憶なのかも。
今見られる禹の神話は、いろんな神話の合成だよ。
南方系神話はその素材の一つ。
会稽の諸侯衆参とか会稽で没したとかの話は
黄河流域の勢力が長江流域の勢力と関係があった
反映とみていいんじゃないかな。
禹の字源は、竜形が二つ組み合わされた形。
本来は、水や天候を司る龍神であったとみられる。
またこの形は、南方起源である人面蛇身の神
伏羲と女[女咼]が絡み合う姿そのまま。
禹の治水神話に、南方系の神話が影響してるのは間違いない。
禹が苗民を討伐する話(『尚書』など)、人面蛇神の神
(一説ではこれが伏羲)の助けを借りて治水を行った話
(『拾遺記』)などにもその片鱗が窺える。
179 :
世界@名無史さん:2005/08/03(水) 20:05:32 0
徐朝龍は「良渚文化が長江の洪水で滅び、北遷して夏となった。
これに伴い長江の治水神であった禹の神話も黄河流域にもたらされた」
という説を唱えてるけど、まあ仮説としてはおもしろいよね。
ただ禹の原初の姿(水や天候を司る龍神)は、本来夏王朝とは
関係なさそうだから、起源を探るときには両者は切り離して考える
べきだと思うけどね(禹が夏王朝の開祖とされたのは春秋時代後期
からとみられる)。
最近は中国5000年といってるらしいけど(本当?)
夏王朝を入れて4000年ちょっとでしょ?
あと1000年は?
仰詔文化
黄帝まで「有史」っていうキチガイ史観でしょ
んなこといってたら皇紀2600年がゆらぐ
檀君に負けられない
夏(周から見た呼称)は氏は夏后氏だが、姓は姒姓でいいと思う。
遙か後世になるが周の暗君の幽王(姫涅)の後妻の褒姒が夏王室の後裔。
褒国は姒姓で夏王朝の後裔の一派。
186 :
世界@名無史さん:2005/08/15(月) 13:47:33 0
age!
187 :
世界@名無史さん:2005/08/15(月) 14:08:28 0
―古代中国の歴代王朝の姓―
堯(虞);姚姓
舜(唐);嬀姓
禹(夏);姒姓
湯(殷);妲?姓(=商)…子は爵位を表すらしい。
昌(周);姫姓
全て女偏か
子姓でいいんじゃないの?
192 :
世界@名無史さん:2005/08/19(金) 22:57:09 0
>>187 殷の姓が「子」というのは爵号を取り違えたものだという説はあるし
その説で説得力はあると思うが、では殷の姓は本当は何だったのかって
ことに興味あります。
187氏は殷の姓を「妲」(?)としていますがその根拠は?
商代は商王家に姓などなかったんだよ
周代になって「お前らみんな『子ナントカ』と
名乗ってたから、姓は子だ」となったということ。
>>193 唐・虞・夏に姓があったのに殷に姓がなく
周になってまた姓があるってのは不自然じゃないの?
それとも唐・虞・夏・殷の姓はすべて周代以後の捏造で
姓ってのは周になっていきなり発生したとでも?
>>187が「妲」と推定する根拠が知りたい。
195 :
よろずこ:2005/08/20(土) 14:22:10 0
だっきの妲を姓と取り違えたんじゃない?
妲己の妲はあざなだろ。
>>194 姓を作ったのは周ではという話はあるけれど、その場合でも、
伝承とか風俗とかを考慮して各氏族に姓を当てたんだと思う。
「堯の末裔は桃姓」とかいった具合に。
>>197 妲己の妲は姓でいいだろ。アナザなんてその頃あるかっつの。
200 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 23:23:18 0
妲己の姓は己姓。妲は名前。
父の名は己忿生。俗称・蘇護。氏は有蘇氏。初めは商に仕え、後に周に帰順。
封神演義による戦死はフィクション。
戦国時代の論客の蘇秦・蘇代兄弟は、その末裔らしい。
字の発生について確かなことは分からない。
妲己「字妲、姓己」、太公望「姓姜、名尚、字子牙」(呂望?)
と一般に言われるが、史実としては詳らかでないのが実情。
紂王、文王、武王、周公旦、崇侯虎、殷の三仁や文王四友等、
他の有名人には字とされるものがない、注釈かなにかでふれられてない、
というのはおかしいもんな。
でも字が発生した要因の、実名を知られることを忌む風習ってむちゃくちゃ古そう。
203 :
世界@名無史さん:2005/09/13(火) 01:25:55 0
台風去ってようやく秋王朝ですよ。
>>204 殷を飛び越えて周か……
その次は秦漢など数王朝すっ飛ばして唐。
[しゅん]という国号を持つ王朝ってあった?
206 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 03:15:15 0
思い浮かばないな・・・
春秋時代の荀(ジュン)王国じゃだめ?(山西省)
舜夏周唐 ですよ
明が滅んだ後数日間順(中国読みShun)という王朝があった。
あったって言っていいのか知らないが。
209 :
世界@名無史さん:2005/10/07(金) 21:58:06 0
210 :
世界@名無史さん:2005/10/09(日) 22:29:23 0
>>208 李自成の建てた『大順』。
西安で《即位》して《元号》を制定し、
六部などの《国としての制度を整えた》から
国としてあったと言っていい
211 :
世界@名無史さん:2005/10/10(月) 07:54:46 0
夏王朝が日本の教科書に載るのに、
どうして檀君は載らないのですか。
載せるようゲンメイします。
213 :
世界@名無史さん:2005/10/19(水) 02:30:40 0
夏王朝が載ってる?
禹の業績、桀の暴虐なんて載せてるのか?
>>209 >中国紙などによると、岩から狩猟や祭儀、月、太陽などを記した
>約8400の図形が発見された。
本当に8400もあったら凄いな。
実際に金文甲骨文より古い物は今までにも発見されているんだが、
たいてい「文字」とは呼べず、「記号」であるとされてきた。
文章を構築できるか、流通性があるか、どのくらいの期間使われていたか。
ただ場所が中国寧夏回族自治区でしかも甲骨文より数千年古けりゃ、
漢字のルーツとしては絶望的だな。
二里頭遺跡が歴史教科書に載るのは悪くない。
だが夏王朝実在を断言できるような段階にはまだない。
まあ宮殿跡の状態から、殷に先立つなんらかの国家があったのは確か。
禹・桀は言及する必要はない。
216 :
世界@名無史さん:2005/10/23(日) 17:26:34 0
>周代になって「お前らみんな『子ナントカ』と名乗ってたから、姓は子だ」となった
夏の禹王…姒文命、周の武王…姫発
とかは見るが、殷の湯王…子履という記述は見た事ないね
>李自成の建てた『大順』
順を王朝と認めると
新末後漢の「成」、史思明の「燕」、黄巣の「斉」も認めるのか?
>新末後漢の「成」、史思明の「燕」、黄巣の「斉」も認めるのか?
李自成の建てた『大順』は一応中央政権を打倒しているから
新しい王朝と言えなくもないのでは。 形式論だけど。
南明って十回言ってください。
なんみん、なんみん、なんみん、なんみん、
なんみん、なんみん、なんみん、なんみん、
なんみん、なんみん。
公園に住んでる人たちは?
なんだろ、浮浪者?
ここは「難民」とお義理で答えてあげないと10回クイズにならない。
222 :
世界@名無史さん:2005/11/15(火) 23:59:35 0
座布団代わりに222ゲット
>>212 それは修身の課本じゃないかな?
親が失敗してヤラれてるのに、子供が真面目に主君に尽くすなんて、武士道精神に近いものがある。
アレを、人民のために治水にハゲんだとか解釈するプロ市民教師は嫌だな。
>>220 無宿人と答えたら座布団あげたのに…残念
225 :
世界@名無史さん:2005/11/22(火) 09:41:22 0
多分永遠にわかんないんだろうね
226 :
世界@名無史さん:2005/12/21(水) 20:09:44 0
age
227 :
世界@名無史さん:2005/12/29(木) 11:14:04 0
でも殷以前の遺跡からはまだ文字は出土していないし・・・
呉城陶文のような記号とも模様ともつかない線刻がどうつながるのか解明を待ちたいとところ。
甲骨文字にはもっと絵画性の強い絵文字段階が先行して存在してもおかしくなさそうだがなあ。
228 :
世界@名無史さん:2005/12/29(木) 19:46:22 0
だから未だにバビロニア楔形文字起源説とかが生き残っていられるんだよ。
229 :
世界@名無史さん:2005/12/29(木) 19:48:12 0
イラク五千年の歴史
230 :
世界@名無史さん:2006/01/03(火) 14:21:08 0
>>228 日本ではトンデモ視されるが、ヨーロッパでは未だにこの手の説を見かける。
単一起源説にこだわりたいのかねえ。
.
232 :
世界@名無史さん:2006/02/04(土) 16:45:17 0
夏が存在しなかったとしたら、商は何でそんな物語を必要としたの?
それとも商には夏の伝説は存在しなかったんですか?
>>232 判断材料が甲骨文しかないないが、甲骨文の目的は伝説を伝えることじゃないから。
周が杞を封建したということは
殷(商)に滅ぼされた国(夏)の子孫と称する人々が殷末に存在した
イコール
夏は存在した(勢力範囲とか実像は不明ですが)とは言えるのでは?
235 :
世界@名無史さん:2006/02/04(土) 21:04:04 0
夏の実在を疑ってる人は居ないよ。
証拠が無いから?をつけてるだけのことで。
>>234 その論法でいくと、陳が存在したから舜も実在したことになってしまうぞ。
2行目が正しいとしても、4行目とイコールには決してならない。
>>235 このスレを最初から読んだうえで言ってる?
>>234 二里頭文化の範囲はおよそ分かってるから、それが夏の勢力範囲でしょう。
また、直接的な支配とは別に全中国に文化的影響を及ぼしていた事が知られています。
>>236 尚書や左氏伝等での扱いを考えれば、
堯舜は歴史の範疇に入る可能性はあると思いますが。
ここで、陶寺遺跡が…とか言い出すと叩かれるんですかね。
238 :
世界@名無史さん:2006/02/05(日) 15:02:50 0
浅学のため知らなかったんだけど、二里頭では卜骨と思われる物に
甲骨文字様の符号が刻まれているのも見つかってるんだね。
だったら、夏か否かあるいは初期の殷か証明される可能性も残ってはいるということか。
>>236 2行目が正しいとしても、4行目とイコールには決してならない。
あ、そうか。夏の子孫と称しているけど、それを証明出来ないですね、確かに。
240 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 17:18:55 0
241 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 18:13:38 0
新石器時代の陶器に刻まれた絵を見たが、
殷代の甲骨文字に似てるね。確かに。
ざーっと見てみたけど、「文字の変遷」で追って行けばわかるんじゃない?
教科書にあったけど、殷の甲骨文字ってかなり完成度の高いものなんでしょ/
しかも、権力者が占い等の結果を見て国民に意思を伝えたりしたってことは相当発展してた方なんじゃない?
殷という最古の王朝であるにもかかわらず、神権政治とか高度なことやってるんなら前段階があってもおかしくないんじゃない?>
「文字」は「絵文字」を通過点とすることにより発展するものだし、甲骨文字に意味を含ませるのに時間もかかるだろう。
だからあるんじゃないかな、殷よりも古い王朝は。
どういう王様がいたかはわからないが、こういうのは理屈で差しせまっちゃまずいもんなのかな?
243 :
世界@名無史さん:2006/02/14(火) 21:00:42 0
確か絵文字が見つかってないんじゃなかった?
絵文字の前段階である「絵の抽象化」は見つかってるけど。
>>242 だ〜か〜ら〜、二里頭の宮殿跡なんかは誰も否定してないし、殷に先行する王権があったのも否定してないのよ。ただそれを夏と呼ぶのはまだ早いんでない?というのが懐疑的な立場なわけよ。
>>244 ということは、
二里頭は殷に先行する夏以外の王権の遺跡という可能性がある
ってこと?
そもそも何を見つけたら経典に出てくるような「夏」を見つけたことになるんだ?
「殷に先行する王権」と経典に出てくるような「夏」との間の連続性の有無は無視?
「殷」の存在が証明されたのは、甲骨文に史記に出てくるような歴代の王の名前が出てきたからでしょ?
そのような証拠が出ない限り、「殷に先行する王権」から「夏」に昇格することは出来ないと思うんだが。
248 :
世界@名無史さん:2006/02/16(木) 11:20:13 0
そのレベルでの証明を求めるなら、
聖徳太子は実在を否定されることになるかも。
>>247 二里頭が都城としての規模を持つのは三期から。
夏が史書に記すだけの期間存続したとしたら、もっと早期の都城があるはず。
果たして最近になって二里頭文化早期の都城の新砦遺跡が発見された訳だが。
で、文献資料にこだわる思考停止が何か1つでも新しい知見を生み出したかい?
250 :
245:2006/02/16(木) 19:02:25 0
素人の興味で申し訳ないんだが、
>>246,247
「夏」以外だとしたらどういう可能性があるの?
「夏」以外の「殷に先行する王権」だったらかなりビッグニュースじゃない?
>>250 夏と夏以外の王権をはっきりと区別する手段は今のところ無いと思われ。
>>250 「夏である」と断定するのが難しいのと同じように、
「夏では”ない”」と断定するのも難しい。
253 :
世界@名無史さん:2006/02/16(木) 21:19:55 0
>>250 夏本紀に出てくる四方のまつろわぬ蛮族。
二里頭の遺跡はあまりにも殷以降の宮殿と
似すぎているんだけどね。
追伸
だから二里頭が夏じゃない可能性は
限りなく少ないと思う。
で、また別の遺跡が出てきたら
前に言ったことなんか知らん顔して
「これこそ夏王朝の都に間違いない」
て言うわけだ。
256 :
245:2006/02/16(木) 22:13:11 0
あーそういうことか。なるほど。ありがと。
要するに「二里頭=夏」論者も、いったい何が出れば
決め手になるのかわかっていない。
都はあっちこっちに移動するものと言ってみる
100年ほど進めばある程度あきらかにされるんだろうか?
260 :
世界@名無史さん:2006/02/17(金) 01:08:06 0
甲骨文字以前の絵文字が絶対あるはずなのに、
まだ見つかってない。これがいつ見つかるかの問題。
>>255 そんな大発見があるならもちろん大歓迎だし、
新事実があった時に議論をやり直す事は別に恥ずべき事じゃない。
商の存在は証明されたが、商を否定していた学者達を全否定するのか?
彼らはその時にあった資料を真摯に見つめただけの事。
だが、
>>255のような根拠のない仮定に何の価値もない。
>>257 証拠はもう十分だろうという立場なんですけどね。
現状で「証拠は十分」という神経には恐れ入る。
中国学術界ならそうなるかな。
政治力・権力が科学を支配するという。
単なるシナ蔑視みたいだからスルーするべ
「夏王朝は幻ではなかった」を読みました。
邦題は誤りです。内容は原題「夏商周断代工程紀実」、その名の通りの本です。
夏商周年表を作成する上での議論を工程の新成果を交えつつ、
必ずしも決め切れなかった点を踏まえながら、一つ一つ解説していっています。
最新の結果が多数紹介されているのがうれしい点なのですが、
年代の決定に大きな役割を果たした遺跡・遺物の紹介に重きが置かれています。
偃師商城・晋候墓に厚く、二里頭・燕国墓地に薄くといった具合です。
著者が作家という事で少々不安でしたが、全くの杞憂でした。
中国の研究の最前線をきちんとまとめたよい本です。
ただし、「夏商周断代工程紀実」としてよい本と言う意味で、
もちろん夏にもたくさん触れていますが、
邦題を見て夏の事を期待して買うと困惑する羽目になると思います。
もともと江沢民の鶴の一声で始まった国威発揚プロジェクトだから
体制が変わればどんどんボロが出るだろう。
266 :
世界@名無史さん:2006/03/19(日) 00:35:43 0
翻訳でなくても
題と中身違うの多すぎ
ブツの写真が見たい
>>265 歴史研究の叩き台にすぎないから、当然この先改修されるだろう。
断代工程の中で保留になってる部分も多いからな。
271 :
世界@名無史さん:2006/04/03(月) 18:19:36 0
age
272 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 17:10:21 0
アッサムから雲南経由で古代から長江流域とオリエントとの間に接触があったという可能性はあるだろうか?
一見すると山岳地帯が往来を分断しているように見えるが、
タイ系・オーストロアジア系民族も両側に分布しているし、イネほか様々な農作物の原産地も
両側にまたがっていることを考えると、もしかしたら古くから接触があったのかも。
分断してるのは山岳というより奥深いジャングル。
ちなみにジャングルの語源はインドのことば「ジャンガル」。
ココは考古学板じゃなく世界史板だろ。
オマエら遺跡じゃなく文献史料で語れYO!
275 :
世界@名無史さん:2006/04/30(日) 21:53:18 0
夏王朝時代の文献と言われたって〜(笑)
「夏」について語った史料ということだろ。
同時代史料は今のところ無理だから。
277 :
245:2006/05/01(月) 06:10:00 0
まぁまぁそういわず、多方面からの見方があってもいいんでないの?
278 :
世界@名無史さん:2006/05/03(水) 03:09:19 0
今、中国は高度経済成長とバブルが一緒に来たみたいになってて
北京五輪も控えあちこちで開発しています。
その過程で新たな遺跡とかバンバン出てくるでしょう。
似離島は日本の会社がスーパー作ろうとして見つけたんだっけ?
オイルショックとバブル崩壊も一緒に来て内乱突入になるわけか・・・
280 :
世界@名無史さん:2006/05/18(木) 01:25:41 0
来━(゚パ)━━━━了!!
来了?
282 :
世界@名無史さん:2006/06/21(水) 01:50:29 0
恭賀二周年!!
283 :
世界@名無史さん:2006/07/11(火) 23:21:04 0
おまいら! 夏ですよ!
・・・しかし過疎だねorz
284 :
世界@名無史さん:2006/07/12(水) 11:52:13 0
二里頭遺跡というのが華中にあって、そこが夏王朝だと言われているよ。
285 :
世界@名無史さん:2006/07/16(日) 18:27:58 0
夏王朝に文字はまだなかったんだろうか。
甲骨文字は既に完成度が高い状態でいきなり出現しているから、もしや先行文化が・・・とも考えてしまう。
殷以前の出土物から記号とも文字とも模様ともつかない線刻文がたびたび登場するが、あれは何なのだろうな。
>>285 文字ではあるが文章では無いというのが
今の解釈。ニトウリの陶器に刻まれている
絵文字もそう。
夏や殷の時代だと古過ぎて木簡が出るのは絶望的なのかな
青銅器や骨に刻まれてる文字なんて
一部に過ぎないはずだと思うんだけど・・
288 :
世界@名無史さん:2006/07/20(木) 22:20:57 0
夏侯氏って夏と関係あんの?
夏侯嬰より前に遡れないから、分かんね。
290 :
世界@名無史さん:2006/07/27(木) 21:36:54 0
夏侯一姓、出自姒姓、据<姓譜>及<通志・氏族略>記載、周初分封諸侯、夏禹的後裔東楼公受封于杞国(在今河南杞県)
至杞簡公時、被楚国所灰。簡公之弟侘、出奔魯国、魯悼公因其為夏禹的後裔、給予采地、称為夏侯。
此一問題、<姓譜>介紹得較為清楚:本姒姓、夏禹之後、周武王立、封夏裔于杞、杞為楚灰、簡公之弟侘奔魯、
魯悼公以侘為夏侯、受爵為侯、因以為氏。望出譙国、魯国
291 :
世界@名無史さん:2006/08/07(月) 00:40:11 0
>>286 とすると、内容は
人名や地名、氏族名や日付などなのかなあ・・・
292 :
世界@名無史さん:2006/09/04(月) 22:04:16 0
夏も終焉。
293 :
世界@名無史さん:2006/09/05(火) 00:37:34 0
質問です伊尹も伝説みたいな
のですか?
伊尹は商代の卜辞にも出てくるからね。
少なくとも、西周代の書経や詩経以降に
創作されたような人格ではない。
だけど商代にはたぶん神様だったと思われる。
その後は俗っぽい人間になってしまった。
295 :
世界@名無史さん:2006/09/05(火) 11:48:59 0
伊尹って殺されたんじゃないの?
296 :
世界@名無史さん:2006/09/05(火) 21:52:02 0
太甲の次の沃丁の6年に伊尹は100歳余りの高齢で死んだ。
って説もあるらしいケド…w
簒奪者・伊尹のほうが俺は好感もてるな。周公旦もどきの伊尹など加上による虚像に違いないよ。
簒奪者?なにそれ?
299 :
世界@名無史さん:2006/09/06(水) 01:05:14 0
竹書紀年で伊尹が湯王の孫の太甲を追放後に自分が王になった
ってあるからそのことじゃないの?違ったらゴメソ
たしか戦国楚の頃襄王の側近に夏侯って人がいた気がした
301 :
世界@名無史さん:2006/09/07(木) 10:07:34 0
で?
302 :
世界@名無史さん:2006/09/08(金) 01:28:41 0
これかい?
紳士No.039 夏侯嬰[カコウエイ](*秦楚漢・夏侯嬰の続き)
徹底的に劉邦に惚れ込んだ沛以来の劉邦の仲間で、
対項羽戦ではアノ韓信を見出したり、劉邦の命を文
字通り救う等の活躍をしたオヤジ。で、漢統一後は
滕公に封じられ、劉邦からの絶対的な信頼から粛清
の嵐にも引っかからなかった。また、一方ではその
誠実一途な性格から、かの大侠・朱家に元項羽軍の
名将・季布を託されると、その非凡な才能をしっか
り劉邦に売り込む等、人間らしい好漢振りを民衆か
ら愛され続けた。
楚の頃襄王の側近
305 :
世界@名無史さん:2006/09/17(日) 15:53:31 0
中国四千年アル!
306 :
世界@名無史さん:2006/09/17(日) 18:54:28 0
307 :
世界@名無史さん:2006/09/19(火) 02:33:34 0
記憶が定かでないが
たしか、代々龍を飼ってる一族がいたよね?
カン龍ほう?だっけ??
308 :
世界@名無史さん:2006/09/19(火) 15:25:24 0
断代工程は結局電波ってことでおk?
309 :
世界@名無史さん:2006/09/19(火) 19:44:55 O
西王母
>307
拳龍氏 関龍氏とも言う
311 :
世界@名無史さん:2006/09/23(土) 04:41:00 0
【中国】中国北部、4千年前の“小麦”伝来がきっかけで農業が発展 中華文明の形成に影響
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1158952870/l50 中国の学者たちは「中華文明のルーツを探るプロジェクト」の第一段階の研究活動で、「西ア
ジアを起源とする小麦が4500年前に中国の中央部地域に伝来したたことは、中国の北部で
根本的な農業革命を引き起こすきっかけとなり、この地域がそれ以後の長い間に中国の政治、
文化ひいては経済の中心となるための確固たる基盤を打ち固めた」という結論を引き出した。
陶寺、新砦、二里頭、王城崗など4ヵ所の遺跡から発掘された数万粒の炭化したさまざまな
種類の植物のタネなど貴重な植物遺物に対する測定や数量化分析を通じて、「紀元前2500
年から紀元前1500年にかけての時期に、この地域の農耕生産はアワを主な農作物としてい
た」ことが明らかになった。つまり、中国北部では伝統的な畑作農業が行われていたというこ
とである。
紀元前2500年から紀元前2000年までの竜山時代に、この地域においてはアワの栽培だけで
なく、イネもは重要な農産物となっている。二里頭時代に、イネの作付け規模や人々の生活に
おける地位はこれまでなく重要なものとなっていた。また、西アジアを起源とする小麦がこの
地域に伝来し、中国の商代(紀元前16世紀−紀元前1066年)の初期の二里崗期において、
イネの地位はいくらか低下し、小麦の作付け規模が急きょ大幅に向上した。この地域の農業
生産における小麦の台頭は、中国北部の畑作農業の作付け制度の根本的な変革を告げる
ものと言える。
312 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 23:52:49 0
313 :
世界@名無史さん:2006/10/28(土) 01:43:00 0
関姓の祖
315 :
世界@名無史さん:2006/11/21(火) 03:26:56 0
は
316 :
世界@名無史さん:2006/12/04(月) 15:05:09 0
関智一
317 :
世界@名無史さん:2006/12/04(月) 16:53:51 0
高祖乙
って2ちゃんねらの先祖にしかみえん
夏王朝というか、殷に先行するなんらかの政体は存在したと思う。
なんでムキになって否定するのか分からない。
319 :
月光仮面:2006/12/14(木) 13:50:16 0
ラーメンが中国4千年の味というのはこの辺からか。
中華四千年は黄帝世紀じゃなく?
321 :
世界@名無史さん:2006/12/16(土) 23:31:08 0
>318
夏王朝というか、殷に先行するなんらかの政体は存在したと思う。
なんでムキになって断定するのか分からない。>中国共産党
三皇五帝というか、世界最古の偉大なる中華民族は存在したと思う。
なんでムキになって否定するのか分からない。
そこまで行きたいんでしょw最終的には>中国共産党
文字による考古学的な裏づけも無く断定できるなら
記紀の記述と時代が一致するので、橿原神武陵周辺の縄文晩期の遺跡も神武天皇のものと言い張れるよな。
まぁそう言い張りたいなら言い張ればいいんじゃない
欠史八代の天皇の寿命からして信憑性は夏王朝のそれと比較にならんけどね
倍年説だとするなら縄文晩期の遺跡が神武天皇ものであるはずがないし
どうみてもメクソハナクソw
326 :
世界@名無史さん:2007/01/07(日) 19:37:06 0
国立博物館の特別展示を見てきたけど、
商の遺物というのは文様を隅々まで配してやたらと気張っている。
確かに文様は面白いけど、空白を許さない気詰まりな感じがあった。
それに対して龍山文化の黒陶はシンプルな中に静謐な趣があって、
新石器時代のイメージを覆す完成度だと思った。(一品しか展示がなかったけど)
327 :
世界@名無史さん:2007/01/07(日) 21:09:18 0
>>326 所謂“空白への恐怖”ってやつですね。商も初期はそれほど装飾過多ではない
気がするけど
328 :
世界@名無史さん:2007/01/30(火) 12:06:49 O
俺はそんなぎっちり装飾を施した商代晩期の青銅器が好きだな。
新石器時代といっても龍山期は相当発達しているよな。
玉器なんかも見事。文字がないのが不思議なくらい。王朝も
あったんだろうけど、たぶんメソポタミアの初期王朝時代
みたいな群雄割拠だったんだろうな。
329 :
世界@名無史さん:2007/01/30(火) 14:40:25 0
>>324 どうせならシュメールの大洪水以前の歴代王の在位年数を調べてみなよ
中共が巨大韓国になっちまって妄想一直線だから
彼の地の古代の謎を考える楽しみが奪われる一方だ
ほんと、殷の青銅器の写真を眺めるくらい
330 :
世界@名無史さん:2007/01/30(火) 17:19:40 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は
空洞になっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)
の上に米を置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋
(ふた)の間から,湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。
つまり「氣」です(後漢の『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
331 :
328:2007/02/02(金) 02:12:47 O
>>329 確かに、より古い時代へと想像をたくましくするのは俺も同じだが、中共の断代工程は
いくらなんでもやりすぎだ。妄想をあそこまで主張されると完全に興冷め。
中国初の本格的な王朝・商は、メソポタミアのアッカド王国より800年程遅れた。
で、それで何がいけないんだろう。それでも中国は堂々たる歴史大国だと思うのだが。
さあ、博識な
>>328が夏商周断代工程について解説してくれるそうです。
>>331 中共は歴史が古いのを誇る教育をしてきたから中国を世界最古の文明にしたいんだろう。
>>333 夏商周断代工程は夏の成立年代は前2070年頃と言ってて、
これはもちろんアッカド王国より遅い訳だが、何でそんな話になるんだか。
335 :
世界@名無史さん:2007/02/17(土) 20:29:18 O
断代工程万歳厨が沸いております。
336 :
世界@名無史さん:2007/02/17(土) 21:47:41 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
337 :
世界@名無史さん:2007/02/17(土) 22:45:55 0
長江の緯度って、ちょうどインダス川やティグリス+ユーフラテス川の緯度と
おおむね重なるんだよな。
338 :
世界@名無史さん:2007/02/18(日) 14:04:14 O
饕餮文
339 :
世界@名無史さん:2007/02/19(月) 00:17:26 O
爵
340 :
世界@名無史さん:2007/02/19(月) 02:27:41 0
いくら夏の歴史を古くしても大韓半万年にはかなわない
はあ?断代工程で夏は古くなってないだろ?
以前は夏王朝の建国を前22世紀に置く紀年のほうが多かった。
断代工程で前21世紀に新しくなってるぞ。
何云ってるんだ、おまいら。
342 :
世界@名無史さん:2007/02/19(月) 19:58:51 O
>>341 夏建国を前20世紀に置いている説も少なからずある。
前22世紀説は決して優勢ではなかった。
勝ち誇っているお前の方が無知をさらけ出してるぞ。
343 :
世界@名無史さん:2007/02/19(月) 20:01:07 O
断代工程ワンスイ!ワンスイ!
345 :
世界@名無史さん:2007/02/19(月) 20:30:18 O
「中国の歴史は前21世紀まで正確な年代を確定できるほど古いのだ!」
と断代工程は主張したいんだろうな。
中国の年代測定技術って大丈夫なの?
なんかやたら古い年代が出るような気がするんだけど。
347 :
世界@名無史さん:2007/02/19(月) 21:14:03 0
>>346 それは万国共通
日本でも同じ技術で測ったら弥生時代はBC10世紀まで遡る
考古学界が従来の土器編年を壊したくないので無視してるだけ
夏や殷初の物語がほとんど残ってないのが残念だ。
アテネやスパルタの様な同盟と戦争の叙事詩があったんじゃ無いかな。
かなり遠い都市にまで影響を及ぼしていたようだからね。
349 :
世界@名無史さん:2007/02/21(水) 03:37:31 O
口承で伝わるのは500年が限度だから、商代に文字化されない限り残らない。
しかし商代は国政の記録だけで過去の歴史を編纂したものが見つかっていない。
だから厳しいねえ…
…大乙がどんな苦労したかくらい伝えろよバカ商人
350 :
世界@名無史さん:2007/02/21(水) 10:09:22 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
351 :
よろずこ:2007/02/22(木) 00:08:11 0
最近、「設問解字」はないようだな。
352 :
245:2007/02/22(木) 23:23:32 0
趙梁って夏代の名前とは思われない。
353 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 02:38:01 0
355 :
世界@名無史さん:2007/03/13(火) 18:43:04 O
出てきていない。
だから日本では夏の存在が疑問視されている。
恍惚で夏王朝やら歴代夏王の一人でも発見されればいいのにね
357 :
世界@名無史さん:2007/03/14(水) 23:39:18 0
甲骨文字を使っていた商王朝が
夏のことを何と言ってたか、分かっていない。
夏というのは、周王朝が使ってた仮称。
従って、甲骨文字の何を探せば、
いわゆる夏の証明になるのか分かっていない。
こりゃ、証明するのは不可能に近いわ。
358 :
355:2007/03/15(木) 17:24:39 O
甲骨文字はそもそも商以前の王朝について全く言及していない。
基本的に卜辞はその時その時のまつりごとについてしか語らない。
以前の王名は、祭祀の記録から拾い出せるにすぎず、
以前の王の事績を語ることはない(周の金文とは目的が違う)。
商以前の王朝の王は、これを祭る必要はないので、当然商の卜辞には出てこない。
359 :
よろずこ:2007/03/16(金) 22:44:47 0
>358
>355
断代工程について、ご意見を伺いたい。
360 :
世界@名無史さん:2007/03/17(土) 00:18:56 O
まず汝の断代工程についての考えを伺いたい。
「夏」という字は、すでに甲骨文字にあるよな。
362 :
世界@名無史さん:2007/03/18(日) 03:27:29 0
甲骨文字に「夏」があるのか。
初出は春秋時代の金文「秦公[皀殳]」(紀元前700年頃)かと思ってた。
甲骨文字ではどういう意味で使われているのか教えて下さい。
「秦公[皀殳]」では「(秦公は代々)蛮夏を虩事す(治める)」
という文脈で、「夏」はある地域とそこに住む人々を指している
ようだが、夏王朝の存在には直接結びつかない。
夏王朝を示す金文の初出は「叔夷鐘」(紀元前6世紀前半)で
「成唐(商の湯王)が・・・頙司(夏祀)を伐った」とある。
夏の字形はどうも「人が舞う様」と推測されているようだが、
それがどうして地域名や王朝名になったのか由来がわからん。
(季節の「夏」は単に音を借りただけみたいだけど)。
甲骨文の「夏」にヒントがあるのかも・・・だから教えて下さい。
363 :
世界@名無史さん:2007/03/20(火) 21:52:50 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
364 :
362:2007/03/21(水) 01:40:20 0
「秦公[皀殳]」は紀元前600年頃でした。すいません。
ところで本当に甲骨文字に「夏」ってあるのかなあ。
探してるんだけどまだ見つかりません。
365 :
362:2007/03/21(水) 21:05:09 0
辻井京雲 『図説 漢字の成り立ち事典』 教育出版 1993
p.168-9 「81 夏」で、甲骨文字「夏」とする例を2つ見つけました。
出典が何か不明な上に、どういう文脈で用いられているのかも
不明なので、あまり論じるのに適当な資料とは言い難い。
2つあって、第1例は「□」から上に2本触覚みたいのが
生えていて、足元には「夂」。これは見たことがない字形で、
出典が知りたいところ。しかしこれは金文の「夏」と比較すると
簡単すぎる字形で本当に「夏」に相当するか疑問。
366 :
362:2007/03/21(水) 21:05:46 0
もう1つ、第2例は「冠」を被ったような横向きの立ち姿で
口元に手をやっている。足元は「夂」。これは、白川静や
貝塚茂樹によれば「虁」とされている字形ではなかろうか?
金文では「夏」と「虁」は非常によく似ている。
結局、上記2例の出典と文脈が分からないとこれ以上何とも
言えない。平凡社の『書道全集1 中国1 殷・周・秦』の
甲骨文字では「虁」はいくつか確認できたが、「夏」は確認
できなかった。
もう少し調べてみます。
367 :
世界@名無史さん:2007/03/21(水) 21:18:48 0
どこで読んだか忘れたが、夏は人がお面をつけて踊る姿の象形文字だそうな。
日本の夏祭りもひょっとしたら、夏王朝の祭祇が源流かも知れんな
368 :
よろずこ:2007/03/22(木) 23:02:44 0
>360
私は商以前について語るのは無意味ではないかと思っています。
たぶん、商以前にも、優れた文化をもった集団はあったと思います。
それを、「夏」とする根拠が理解できない。
中国語ができないからかなぁ??
369 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 00:09:58 0
「夏」の甲骨文字"とされるもの"発見しました。
水上静夫 『甲骨・金文辞典 上・下』 雄山閣出版 1995
p.289にあります。
「龜」とよく似た字形だが、二本の触角が出ている点が違う。
明らかに何らかのムシの象形(以後《ムシ字》と呼ぶ)。
金文・篆文の「夏」とはかなり異質で、この甲骨文から
金文・篆文の「夏」に発達したとはとても思えない。
変なのは、p.963に「秋←[火禾]←穐←[艸over龜]」の
甲骨文に同じ字形が出ている。《ムシ字》の下に「火」を
置く字形もあるが、p.289にも《ムシ字》+「火」はある。
同じ字としか思えない。
370 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 00:11:21 0
371 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 00:12:10 0
松丸道雄+高嶋謙一・編 『甲骨文字字釋綜覧』
東京大学出版会 1994
p.362に、この《ムシ字》の様々な解釈がまとめられて
いて便利。すると、どうやらこの《ムシ字》を「夏」と解釈
しているのは、葉玉森1923、董作賓1931、朱芳圃1935
あたりだということがわかる。
しかし「夏」とする解釈はこれだけで、大多数は
「秋←[火禾]←穐←[艸over龜]」という解釈。
最近の字典を見ても後者ばかりで、どうやら後者の
解釈に軍配が上がった様子だ。
372 :
世界@名無史さん:2007/04/01(日) 00:13:30 0
となると、結局甲骨文字の《ムシ字》は「秋」という
線が濃厚で「夏」ではない。
結局「夏」の甲骨文字はやっぱり「ない」ということになる。
ぐるりと回って振り出しに戻った・・・。
373 :
世界@名無史さん:2007/04/16(月) 23:51:28 0
断代工程では何を持って夏と推定したのでしょう?
ただ殷の遺跡の下にあったからじゃねーの
>373
直接の証拠はないよ。
偃師商城=亳と仮定するとか、いろいろ状況証拠を
合わせて判断した「仮説」。複雑だから、興味があるなら
『夏王朝は幻ではなかった』読んでよ。
376 :
世界@名無史さん:2007/04/23(月) 00:35:12 O
確かにもの凄く複雑だな。
どれを大乙の都とするかによって夏の都の話も変わってくる。
しかしそもそも夏が存在しなかった可能性もあるわけで、
そうなると大乙以前の都城は、どこの馬の骨ともわからぬ
初期王朝都市国家だったということになる。
>>369 水上静夫さんの著作から引用する自身がない。
一行引用する為には、三冊ぐらい別の本を読む必要がある。
尚且つ根拠が全く理解できず、使えないことが多い。
378 :
世界@名無史さん:2007/05/03(木) 13:20:45 0
さて、立夏ですよ。
379 :
世界@名無史さん:2007/06/17(日) 09:06:56 0
なるほど。
そうすると
>>374の指摘は、案外いい所をついているのかもしれないのですね
380 :
世界@名無史さん:2007/06/17(日) 23:30:57 0
夏はすなわち華であり、古代中国人の自称に過ぎないんじゃないか。
小さなムラの集合体しかなく、そこから商が発生した。
司馬遷が夏を王朝として歴代王まで記したのは単に放伐を
天意として正当化するため、古代の神話と絡めつつ、
架空の王朝を作り上げる必要があったんじゃないかな。
だから商以前の青銅器文化は確かに存在したし、
それは夏の遺跡だろう。しかし夏王朝の遺跡ではないし
いくら掘っても夏王の甲骨文は出てこないと思う。
夏殷革命の話は春秋時代の金文にすでに出てくるから、
司馬遷の創作ではないはず。
383 :
世界@名無史さん:2007/07/21(土) 19:53:53 0
花王ちょー
385 :
世界@名無史さん:2007/07/21(土) 23:36:38 0
>>383 適当な記事だな。石碑が何時の時代に建てられた、
どういう来歴のものか書かないと、まったく価値が分からん。
なんのつもりで記事を書いたんだか。
386 :
世界@名無史さん:2007/07/22(日) 07:55:36 0
>>383 1000年ぶりとは1000年前に発見されてたのか?
歴史的大発見か?謎の巨石に“中華民族の3大至宝”禹王碑の公算大!―湖南省衡山県
2007年7月20日、中国メディアは、湖南省衡山県福田鋪郷雲峰村の農民宅で発見された
重さ10tの巨石が「禹王碑」である可能性が高いとの考古学者の鑑定結果を伝えた。
中国最古の石刻「禹王碑」は約1000年前の宋代に消失したといわれており、現代では
宋代に作られた複製品が残っているのみ。
現代中国の文学者であり歴史家、政治学者でもある故郭沫若氏は、生前この「禹王碑」碑文の
拓本を研究。碑文は禹王の功績を讃えているとの言い伝えがあり、その特異な字体の解明に
没頭したが、3年の歳月をかけてわずか3文字しか判読できなかったという逸話が残っている。
「禹王碑」は黄帝陵、炎帝陵とならび、「中華民族の3大至宝」と呼ばれているほど貴重なものだが、
長い歴史のなかで忘れ去られ、今回見つかった「禹王碑」も地元農民が石材として切り出し、
家の壁や塀として使われていた一部。現在湖南省文物局はこの「禹王碑」をただちに保護し、
詳しい鑑定作業を進めている。(翻訳・編集/本郷智子)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070722-00000001-rcdc-cn
最古の石刻ってことは周代のものが宋代に紛失して再発見されたのかなあ。
そもそも、何が書かれてるか解読できていないようだし、良く分からん。
宋代の篆書が流行した時に作られたとかじゃね。
蝌蚪文字の碑文で年代も内容もよくわからん、てんだろ。
蝌蚪文字が甲骨文字より古いわけないから、まあ戦国時代に
各国でいろんな書体が創作されていたころの碑文じゃないのかな。
391 :
世界@名無史さん:2007/08/04(土) 02:33:10 0
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392 :
世界@名無史さん:2007/08/04(土) 02:34:10 0
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394 :
世界@名無史さん:2007/10/03(水) 22:54:36 0
395 :
世界@名無史さん:2007/10/19(金) 19:01:51 0
結局、本当なんだろうか?
100キロしか文化範囲がないと聞いたけど
396 :
世界@名無史さん:2007/10/23(火) 13:02:16 0
夏はすなわち華であり、古代中国人の自称に過ぎないんじゃないか。
小さなムラの集合体しかなく、そこから商が発生した。
春秋時代に夏が王朝として歴代王まで記されたのは単に放伐を
天意として正当化するため、古代の神話と絡めつつ、
架空の王朝を作り上げる必要があったんじゃないかな。
だから商以前の青銅器文化は確かに存在したし、
それは夏の遺跡だろう。しかし夏王朝の遺跡ではないし
いくら掘っても夏王の甲骨文は出てこないと思う。
しかしまあ、史記の記述をベースに「夏王朝は実在する」という
作業仮説の下で発掘・研究するのは意味のあることではある。
なにせ史記には、商王朝系譜+殷墟+甲骨文字という実績があるし。
問題なのは、物証不十分にもかかわらず「夏王朝=実在」と
既定事実化して、独裁政権が「国策」として(外国にも)
ゴリ押ししてくること。
398 :
世界@名無史さん:2007/10/27(土) 20:18:15 0
399 :
世界@名無史さん:2007/10/28(日) 00:46:00 0
当然、商以前から大規模な居住を持ち階層社会の文明はある。
文字が無いから実態は不明だが、それを先商文明と呼ぶか夏文明と呼ぶか
言葉だけの問題だ。甲骨文は呪術の記録なので、当然歴史の話は出てこない。
畿内の古墳時代の遺跡を見て、大和朝廷を想像するようなもん。
400 :
世界@名無史さん:2007/10/28(日) 01:15:37 0
別の遺跡が発見されたら、今度はそっちが
「夏王朝の遺跡はこれ以外にありえない」
になるんだから、その程度には確からしい、
ということ。
402 :
世界@名無史さん:2007/10/28(日) 10:59:22 0
当時、商(殷)より権威的に上位に位置していた王権、それが「夏」である。
当時の人間が何と呼んでいようと。
当時の王権は皆横並び一線だった、なんて言うヒトはさすがにいないよね?
403 :
世界@名無史さん:2007/10/28(日) 11:37:53 0
年代のはっきりしないものは歴史じゃないよね。
やっぱり文字が出てこなきゃ先史時代
あくまで考古学だよね
>>403 甲骨文字も殷半ばから。なれば殷も前半は先史時代?
そもそも「殷」という呼び名は周からの他称という。
「商」は首都の名前かもしれない。とすれば周が周と呼ばれる
のに比べればどちらもあやふやかもしれない。
かの孔子も杞の国の夏文献、宋の国の殷文献が不足していて
くやしい、くやしすぎると言ったとかなんとか。当時ですら
残ってないのなら今残っている可能性は低そう。
「史記に言う所の夏王朝の遺跡かも知れないが、それを示す証拠はまだ発掘されていない為、あくまでも仮説に過ぎない」で良いじゃん。
前にも書いたけど、共和制以前の王制ローマと同程度の信頼性なんでしょ。
>>398 夏とは全然関係無いが、そのサイトで「洛水の北」という表現が頻繁に
出てきて思ったが、もともと「洛陽」という地名は洛水の北という意味
なんだよな。
407 :
世界@名無史さん:2007/10/28(日) 18:07:45 O
そのうち三皇五帝の陵墓でも見つからなきゃいいが
もうすでに
「陶寺遺跡は堯の都」
「紅山遺跡群は黄帝の遺跡」
と言ってる「学者」がいる。やれやれ。
あと三皇五帝の陵墓だったら昔から
あちこちにたくさんあるよ。
409 :
よろずこ:2007/10/29(月) 00:19:00 0
そのうち、盤古の墓が見つかるんじゃないか?
>>409 盤古って漢代よりも後の文献にようやく名称が出てくるんじゃなかったか?
411 :
世界@名無史さん:2007/10/29(月) 07:05:57 0
1,地層の層位および炭素年代測定法から見て、殷代初期を遡る遺跡である
2,殷とは別の文化圏に属すると考えられる
3,その遺跡は殷によって征服されたものと考えられる(遺跡のすぐ上に殷の遺跡)
4,大規模な城壁跡や、王宮跡。青銅器の出土など、王朝としての要件を備えていた
5,青銅器の様式など、後の殷の文化に大きな影響を与えたと見られる
ここまで条件が揃ったら夏と考えたくなるのも分かる。夏はあったと言ってみても良いんじゃないの?
412 :
世界@名無史さん:2007/10/29(月) 19:06:33 O
>>399の言うように、それは先商文明に過ぎない。司馬遷の言う
夏王朝かどうかは別の話。
413 :
世界@名無史さん:2007/10/29(月) 20:40:18 0
考えてみればトロヤ遺跡はなぜトロヤだと決定されたのだろう?
あそこも文字なんて出土してない。
後、ミケーネも。
結構、適当な面は多そうだな
トロイも結構問題あるらしいよ。
シュリーマンが見つけたのは、実は、シュリーマンが考えていたよりももっと古い。
もし本当にトロイがそこにあったなら、シュリーマン自身が破壊してるとか。
どっかで読んだままの受け売りだけど。
あれはトロイじゃないらしいね
世界遺産になってるけど
417 :
世界@名無史さん:2007/10/29(月) 21:57:23 0
今までの議論を総合すると
殷の上位に立つ政治集団(王朝)・都市(国)は存在した。それが後世に「夏」
と呼ばれた。しかし、その遺跡がどこのどれであるかの決め手は、まだない。
でOK?
>>417 現状では夏の候補となるような遺跡(文化)はほぼ一択
今までの議論を総合すると、
殷の遺跡の下に一部破壊された形跡がある都市の遺跡が発掘された。
それが後世に「夏」と呼ばれた王朝の遺跡かどうかの確証は無い。
でOK。
420 :
世界@名無史さん:2007/10/30(火) 20:45:45 0
結局、当時の文献から実在を証明出来ないと歴史にならない。
メソポタミアも文明は6000年以上前から始まっているが、歴史の始まりは5000年前。
つまり文字の使用が始まった時から。
インダス文明は文字を使用していたが、誰も解読出来ないので、歴史は無い。
狭義の歴史はたしかに「文献史料ありき」だろう。
「史」(ふびと)の字は史官の意味だしね。
でもまあ広義で言えば青銅器発生以降あたりは歴史といっても
いいんじゃないかと思えるし歴史の教科書もそんな感じになっている。
422 :
世界@名無史さん:2007/10/30(火) 21:35:19 0
すると俺らはシュリーマンに騙されていたことになるのか?
そんなことはないだろう。状況証拠を積み重ねることによって伝承の
真実性を明らかにすることもできるはず(海岸から離れている、熱泉がある、
戦争で破壊された跡。これらの状況証拠からトロイの発見に結び付ける)
アフリカ史の研究においても文字資料によらない方法によって歴史の再構築を行っている。
>>422 シュリーマンが発見したのはトロイアには違いない。
ただ、ホメロスの記したトロイアじゃ無かったってだけだよ。
シュリーマンはホメロスのトロイアのある層をスルーして、更に下層にあるより古い時代のトロイアを発見したってだけの話。
アレだ。状況証拠から四川の三星堆こそが崑崙山だ!ってのと同じだな。
>>423 >シュリーマンはホメロスのトロイアのある層をスルーして、更に下層にあるより古い時代のトロイアを発見し
なんでスルーしたってわかるのさ。
スルーじゃなくて、なにもなかっただけかも知れないだろ。
シュリーマンてただのお宝探しにすぎないから、むちゃくちゃな掘り方したってはなしじゃないか。
だから、そのうえに何があったかなかったか、もはや分からないとかじゃなかったっけ。
>>425 ちゃんと調べてから書き込めカス。
シュリーマンが発掘したのがトロイアの全域だったとでも思ってんのか?
時代が合わないってことやね。
ところで帝堯(陶唐氏)の姓は前レスで嬀姓となってるけど
出典はなんなのかな?Wikipediaはじめ名だたる事典では「姓は伊祁(いき)」と
なってるんだけど。
>>427 嬀姓は舜の後裔の陳と田斉だな。
堯と舜を勘違いしたのだろう。
堯の後裔は祁姓の范氏や劉氏(一応w)が繁栄したね。
ところで、帝堯の陶寺遺跡のとこの参照先が人民日報って、
もう少しましな参照先はないものなのかね?
舜は姚姓だよね?
夏ってとんでもなく昔ってイメージだけど
エジプトでは中王国にあたりすでにスフィンクスもピラミッドも
建設済みだったんだな。あとメソポタミアではジッグラトも作られてたし
クレタのラビリントスも。
夏もこれくらいの巨大建造物が出てきたらインパクト強いんだけどな〜。
431 :
世界@名無史さん:2007/11/01(木) 20:25:43 0
>>430 金属器の無い文明では無理
だから金属の使用は重要な文明度の判断基準になる
夏は実在したよ。
おれ夏出身者だもん。
夏厨ですか
434 :
世界@名無史さん:2007/11/01(木) 22:59:32 0
>>431 祭器としての青銅器はあったようです。青銅製の武器も出土しているが、
この時代の青銅器は合金の成分が一定せず、かなり銅の比率が高いらしい。
実用的な金属器として使うのはまずムリっぽい。
青銅は前2000年ごろから制作だったかな?
製作だとおも
437 :
世界@名無史さん:2007/11/03(土) 17:12:30 0
殷の前に統一者がおらず、横並び一線でズーっと豪族が戦争してた状態なら、
「夏」は架空。
しかし第一人者がおり、他の豪族がその権威を認め一定の威令に服していた
なら、それが「夏」(当時の人間が何と呼んでいようと)。
17人の王で、約500年間存続って長すぎだよな
余裕で、檀君朝鮮、神代日本、それに恐らく文郎ベトナムの勝ち
440 :
世界@名無史さん:2007/11/06(火) 23:52:20 0
旧訳聖書を忘れてはいけない。在位200年とかも確かあったと。
あ、それはシュメール文書か。
せめて殷の王墓に匹敵する遺跡が出ればなぁ。
443 :
世界@名無史さん:2007/11/07(水) 05:41:38 O
アッシリアの大図書館みたいな遺跡があればねぇ。
444 :
世界@名無史さん:2007/11/07(水) 06:13:39 0
中国に第四アトランティス時代の生き残りがいたことはまちがいないであろうが
巨大なものではなかったであろう
ほとんどの遺跡はもっと新しい時代のもので夏や殷時代のものはほとんどが
中国歴史家の年代偽装。
ところで、殷の前半てあきらかになってるんだっけ?
>>447 「あきらか」の意味によるけど、遺跡としては二里頭の上層部と二里崗があるよ。
二里崗からは骨文や金文も出てるとのこと。ぐぐる様にお伺いをたてると、東京国
立博物館に金文一字の入った二里崗期から殷墟期の鼎があるらしい。
それはどうやって殷の遺跡だと証明されたの?
考古学の常套的方法、つまりC14による年代測定と出土品の様式に
よる編年でしょ。二里頭付近には偃師商城、二里崗付近には鄭州商
城という城壁遺跡がある。二里崗文化に属する鄭州商城は巨大な城
壁遺跡だし、商に先立って文字を持つ文化が中原にあったとすれば、
それこそ夏の発見か、という話になっちゃうよ。
>>451 それは商の時代の城でしょ
秀吉とじゃ、比較の時代が違うというか
>>450 >考古学の常套的方法、つまりC14による年代測定と出土品の様式による編年でしょ。
それじゃあ、年代しかわからないじゃない。
文字記録がない時期の殷の存在をどうやって証明したのかが知りたい。
後世の史書と後半が一致したから前半も正しいとは自動的にはならないでしょ。
古事記・日本書紀を見ればわかるとおり。
>>453 ちゃんと
>>448に「骨文や金文も出てる」と書いてあるだろ。
「文字」と書き直さなきゃ「文」の意味が判らんのか?
>>454 あんたね、どう証明されたのか?の問いに対して
>考古学の常套的方法、つまりC14による年代測定と出土品の様式による編年でしょ。
と答えてるでしょ。金石文があって、その内容が前半の殷の証明になるものなら、
証拠はと聞かれて金石文にこれこれと書かれていると答えるでしょ。
にもかかわらず、年代測定と編年とこたえてるんだから、
この金石文に証拠能力はないと考えるのは当たり前じゃない。
金石文で証明されるなら土器の編年などより優先するのは当たり前なんだから。
そもそも殷中期をさかのぼる金石は出てないのではなかった?
内容は殆ど意味をなさないと言われてる。何を求めてるんだ?
殷墟と同じような王名が記された記録なのか?つまり、史記に
記述された内容との一致か?年代判定で殷墟期を遡る甲骨文と
同系の文字を持つ城壁を伴う遺跡。これで不満ならば、確かに
「証明」なんてものは出来ないね。
希望的観測のみで根拠がないならないってはじめから言えばいいのに。
何で無理して証明できたことにしたがるかなぁ、考古学の人は。
文献と一致する文字資料の出土を「証明」の条件として自分で定めておいて、
それが存在しないことをあらかじめ知っていて、わざわざ釣り上げるために
「証明」などという表現を使ったりする。当然ながら、出土資料から得られ
た現状で最も有力な解釈は状況証拠があるのみとして退けられる。確かに話
にはならないね。
夏商周年代論の出発点は『古本竹書紀年』の年代でしょ。
夏=471年、殷=496年、西周=257年(足かけ・数えの年数)。
西周東遷の年代、紀元前771年から逆上らせると、
夏=1992〜1522 B.C. 殷=1522〜1027 B.C. 西周=1027〜771 B.C.
年代測定の結果や、天象年代比定では、これと大きく違わない
ところで該当する年代を探して、断代工程の年代になっている。
夏=ca.2070〜ca.1600 B.C. 殷=ca.1600〜1046 B.C. 西周=1046〜771 B.C.
「夏は実際は150年だった」とか「殷代とされる王朝は前後半で
別の王朝でそれぞれ100年ずつ」なんていう仮説は絶対出てこない
システムになっている(今のところは)。
だから仮に『史記』なり『竹書紀年』なりの文献資料がなかったら
たぶん全然違う古代史像・年代論が出る可能性もあるんじゃないかな。
考古学で証明なんて出来ないよ。何とでも言えるでしょ。
といってる様に聞こえるな。
反論が有るなら、様式が違うとか、何かの遷移に矛盾があるとか
具体的に言わないと不毛。
今の中国の考古学は学問じゃなくて政治だからね。証拠なんて要らない。
素人をだませるストーリーが書ける材料さえあればいい。
だからそれらしいものが出れば、すわ殷の遺跡だ、夏王朝の証明だってことになる。
人が住んでいれば、必ず何かの遺構は出る。
問題はそれを殷だの夏だのの遺跡だというならそれを立証するものが何か必要だといこと。
子供でもわかるのことなのだが。
考古学やってないんで、具体的にどの論文が政治に毒されてるのか知らないが、
相手がそうだからといって、こっちまで研究者であることをやめて政治運動家になる必要があるのかね。
古事記や日本書紀は当時の国威高揚事業によるものだから信用できないw
古墳は王城崗レベルの土盛りw
黄帝陵と神武天皇陵は姉妹友好陵墓提携を結ぶべきw
遺跡もなく素性も怪しい卑弥呼は三皇の仲間に入れてもらえw
日本は推古朝より1400年。
愛国者は中国より日本の捏造教科書の心配でもしてろ。
>>463 元から政治運動家なんだろ。
歴史に興味ないから文献学も考古学も平気で否定できる訳だ。
現政権が都合の良いように書いた神話・歴史書の
記紀をそのまま鵜呑みにできる奴なんているのか?
神武天皇陵が適当に比定されて造営されたのは周知の事実だし
卑弥呼は三皇っつーより名前や伝承が先走ってるあたりは殷の成湯って感じか
466 :
世界@名無史さん:2007/11/12(月) 15:40:44 0
古代エジプトみたいに象形文字の刻まれた巨大な石像でも出てくれば
インパクトあるのにね。4大文明とはいうけど東の文明は何とも見劣りするね
夏の実在や斟尋=二里頭や新砦=商丘はその可能性があるだけで断言や断定できるもんじゃない。
史記や竹書紀年に記された王朝の順番で年代を区切って、その年代の間に発見された遺跡を全て放り込んでいってるだけだろ?
「この年代の遺跡で大規模な建造物が発見された」=「この年代の遺跡だから○○王朝の宮殿に間違いない!」
これは酷い
470 :
世界@名無史さん:2007/11/12(月) 22:02:17 0
実は文字があるだけでは歴史とは認められない
はっきりとした年代が分からなければならない。
シナで最古の年号は勿論「共和元年」だがその後の年号が無いため、その年も
特定出来ない。
確実に歴史と言えるのは春秋時代が始まったとされる前770頃から50年後
の『春秋』の年代記が開始される時から
つまりシナ史2700年と言うのが正しい、それ以前は先史時代
中華史なら始皇元年の前221年からとすべき、
471 :
世界@名無史さん:2007/11/13(火) 12:37:44 0
じゃあインドは14世紀以前はすべて先史時代ですか・・・
んなアホな
472 :
世界@名無史さん:2007/11/13(火) 13:10:37 0
インドはスリランカとの摺り合わせで年代決定ができる
インドが歴史記録に無頓着だったのに対して
スリランカの王朝はその点においては比較的しっかりしていたので
473 :
世界@名無史さん:2007/11/14(水) 00:41:54 0
中国政府に媚びない歴史区分
先史 夏殷西周
古代 東周秦漢西晋
中世 五胡〜南宋
近世 元〜清
近代 辛亥革命・文化大革命
現代 ケ小平〜
民国時代は群雄割拠だし、毛沢東時代は専制君主独裁だし、
今も変わってない。ずーっと、そして今も古代でいいんじゃね?
政情は時代区分を決定するものじゃないだろ
それに専制君主独裁ってどんな言葉だwww
皆さん山海経は無視?
山海経なんて時代ごとに書き足されていったものだろ。
アレの根本部は巴蜀地方の風土記みたいなもんで夏との関係なんてほとんど無い。
>>477 のわりには甲骨で初めて真実が証明された部分もしばしば。王亥やら
つか
>根本部は巴蜀地方の風土記
どうゆうこと?初耳
479 :
世界@名無史さん:2007/11/14(水) 02:56:57 0
>>466 四大文明なんか中国と日本でしか言われてない言葉だから
中国の歴史がショボすぎるからその劣等感を紛らわすために作った中国人の妄想用語
山海経のなかで最も古い時代に書かれたとされる大荒経と海内経の一部は、主に巴蜀地方の記述で構成されている。
山海経の根底部の成立は古く見て西周〜戦国期、以降漢代くらいまでの間に加筆されていったのだから
雑多にいろんな記述が盛り込まれているので、卜辞から類似の内容が発見されても何も不思議ではない。
たしかに荒唐無稽な話が山ほどな山海経だが、
山海経に対する態度はまるで昔の学者のようだ。
>>482-483 もしかして山海経は伯益の作とか言い出す人か?
夏王朝の証明になる書じゃないと言ってるだけだろ。
485 :
世界@名無史さん:2007/11/14(水) 20:26:58 0
四大文明は日本人が発明した単語
486 :
世界@名無史さん:2007/11/14(水) 21:06:19 0
梁啓超でしょ? (字あってたっけ?)
four ancient civilizations で検索したら、エジプト、メソポタミア、
ギリシア、ローマ、とかヒットした。語呂がいいから使いやすいのかも。
遺跡の規模や後世に与えた影響からすると、エジプトとメソポタミアは
他をはるかに引き離している感じ。
夏から戦国あたりの中国は、エーゲから古代ギリシアあたりに相当する感じ。
四大という言葉は、寧ろ紀元前後の方がふさわしい気がする。
ローマ、ペルシア、インド、中国
487 :
世界@名無史さん:2007/11/14(水) 21:14:58 0
お前らがドンだけ偉そうなこと書いても、こんな所で結論出る訳ねーだろうが。ぼけ。
レベルの低い嘘話ししてんじゃねーよ。
488 :
世界@名無史さん:2008/01/05(土) 08:09:00 0
この手の調査は中国だけでなく他国の人もいるんだよね?
489 :
世界@名無史さん:2008/01/06(日) 03:58:06 0
夏を愛するヒートーは 心強気ヒロヒトー
考古発掘は、国際間の合同調査の場合もあるけどな。
でも二里頭遺跡は中国社会科学院だけでやってるんじゃねーの。
491 :
世界@名無史さん:2008/03/04(火) 13:48:16 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
492 :
世界@名無史さん:2008/03/04(火) 20:17:23 0
二里頭遺跡=夏決定でホントいいんかねえ?
どーも走りすぎなきがする。
>>484 まあ山海経には古い話が残ってるってことでいいジャマイカ。
殷の甲骨文とほぼ同じ内容が山海経にあったのはオレも知ってる。風の神の話とかね。
それが鬼神の話でもなんでも話が現代に残ってるだけでありがたい。
そうゆう意味で反孔子だな。
493 :
世界@名無史さん:2008/03/04(火) 20:18:56 0
去年の11月かあ。おそいスレだなw
494 :
世界@名無史さん:2008/03/15(土) 22:55:11 0
>>492 問題は良渚の方をどう位置づけるかだな。
明らかにシナ第一王朝はこっちだが、夏と比定するためには、はっきりいって
二里頭遺跡の存在が邪魔。正に邪魔。
規模・年代などの点で良渚の方が二里頭より見映えがする。しかし、二里頭遺跡
あるがために良渚=夏とするのには無理が出てしまう。まったく困ったことで(笑
まだ夏を決定とか言ってんの?
二里頭にせよ良渚にせよ先殷遺跡ってだけで
周〜戦国くらいの間から殷の前に存在したと記録に残りはじめたが
殷の甲骨文字からは先殷王朝の痕跡や伝承など確定できる情報は無いという状況で
先殷政権の名称=夏とか確定できるわけないだろ
まー史書にあるように殷と関わったり対決したりするとなると
二里頭ということになるんでは。良渚はもっと前の話で。
先殷「王朝」なんて代物じゃなくて単にデカイ集落だったかもしれんし。
殷だって周と同じ「王朝」であったかはわからんし、まして秦やその後の王朝のような「統一政府」ではないし。
そりゃ秦以降とそれ以前じゃえらい違いだし、
戦国時代以降とそれ以前でもえらい違いじゃろ。
>>492 饕餮とか文化的に良渚と二里頭はつながりがあるようには思えるけどな。
日本の話膨らまして三種の神器のルーツは良渚か?なんて妄想も楽しい。
二里頭二里頭いうのは場所もあって中原思想の影響があるのかもねえ。
21世紀のこの時代にって笑えば済む話かもだが、どうも中国のは政治臭くってさ。
>>495 甲骨文字は占いばっかりだからなあ。
そもそも前の王朝なんか興味なかったんじゃねーの?って線も考えられるし
まともな甲骨文字出てきたのは殷中期以降だしなあ。
前の王朝わすれちまったってケースも考えられるしw
まあこの時代は文字文献より発掘の結果しだいだべ?
意外と日本の皇室にはえらい古い文化がのこってたりする
亀の甲羅占いまだやっとるらしいよな。
マメ知識な
大正天皇の即位時、卜部家に勅命が下って亀甲を焼くことになったが、
亀の「背」を焼いて割れないと悩んだ、という話を聞いたことがある。
甲骨文の最初の発見が1899年で大正天皇の即位が、それから大して間も
ない1912年だから、あり得ない話でもないかなと思う。
甲羅の腹のほーがいい具合にヒビはいるらしいね。
なんでも、本来鑿で削った亀の腹甲羅に熱した火箸か火のついた棒を
押し当てるべきところを、背甲羅を単に火で炙ったとかそんな話だっ
たと思う。結局殷代の方法は失われてたと。藤枝晃の本だったかな?
>>503 じゃ完璧に失われてるね。
でも、例えば牛の肩甲骨を「ふとまに」といい、甲羅と区別しているが、
殷墟でも、この二つが別れて発掘されたそうだ。
やっぱなにかしらは残ってるんだろうね。
見つけた。やっぱり
藤枝晃『文字の文化史』岩波 1971
だった。持ってるのは同時代ライブラリー版(1991)。この本の
「二 神々との対話」に記述がある。どうも卜部家全て
に勅命が出て、占うことになったうちのある分家の話、
ということらしい。実際その少し前に現代の大和で行わ
れている亀卜はハハキの枝を用いるとの紹介がある。
506 :
世界@名無史さん:2008/03/22(土) 21:16:35 0
古代中国の文字はまだ解読できないのも多いと本で見たけど
マジですか?
それが真実なら、まだ隠された歴史もわかると思う
婦好とかその後の歴史書に全く登場しない人物も甲骨文で分ったんだし。
>>505 確認おつかれです。母木かな?検索するといろいろ出てきますねえ。
なんでも箒とか。日本の古代神にアラハハキ神とか。
なかなか想像力膨らみますよねw
亀甲占いは卑弥呼時代からあるといいますよね。
>>506 たしかに多いですが、解読されたとしても
例えば「明日朝日はちゃんとのぼるか?」なんていう占いばかりですからねえ。
ヒントくらいあるといいですけど。
文字が解読できない?
一部の甲骨文字の解釈が研究者によって異なるってレベルの話ではないの?
>>509 まったくお手上げなのも結構あるらしい。
511 :
世界@名無史さん:2008/03/24(月) 20:57:47 O
そりゃあ四書五経でも解釈が確定していない語は沢山あるしね。
洋の東西を問わず、2500年前以上の文献になると解読は急激に難しくなる。
512 :
世界@名無史さん:2008/03/26(水) 00:12:01 0
実は一般に恍惚が出土する武丁期以前の土器にも、文字らしきものが刻まれているものは
結構見つかっている。それこそ、殷虚以外からも。竜山文化期に遡るものまで。
でも、1文字しか刻まれていないものがほとんどなので、全く解読できない。というか、
文字かどうかすら分からない。族記号だという説があるけど。
そういやインダス文字も印章としての出土が大部分で、文章として出土する例がほとんどないので、
未だに解読できていないとか。ある程度、まとまった文章でないと、さすがに解読は無理だよね。
まぁ、今後解明されることはそれこそ世紀の大発見があって武丁期以前の文章が大量に見つからない限り
先殷勢力が夏王朝という名前であるという後世に挿入された臭い歴史を証明することなんてできないだろうな
文字の発明にさらに文章も発明しなきゃあかんからねえ。
ウンマでトークンから絵文字に至ったのはどんくらいかかったっけか。
ただ、発明せんでメソポタミアからヒントがシナまで流れ着いた可能性はあるけど。
例えば、殷の戦車はありゃ完璧西方由来だとなんかに書いてあったしさ。
もしそうだたら、まだ1文字づつくらいしかハケーンされてないが、
文字の使用とほぼ同時期に文章も出てくる可能性は大だよな。
まあ出てきたところで内容は占いばかりだろうけどさw。
インダスつったらロンゴロンゴ思い出すのはオレだけ?
ロンゴロンゴはイースター島だろう
516 :
世界@名無史さん:2008/04/08(火) 15:38:56 0
さすがにここはシナ叩きに染まってないな
今んとこ夏王朝は存在したかは、神功皇后は存在したかみたいなモンかな。
応神天皇は実在の可能性が高いわけだが(たぶん七枝刀もらった倭王)、当然その母親は存在した。
果たして彼女を神功皇后と呼んでイイのかどうか。
単に殷に先行するデカイ都市国家だけじゃ夏にはナランだろ。少なくとも殷と比較できる程度の領域を統治してなきゃ。
日本にだってAD200頃誕生した初期ヤマト王権以前の遺跡なんてなんぼでもある。でもあくまで地方王権にしか過ぎない。
518 :
世界@名無史さん:2008/04/08(火) 17:41:04 O
夏の占卜は「連山」、殷の占卜は「帰蔵」、周の占卜は「周易」。
「帰蔵」は「亀蔵」なのかね?
漢語の音韻に詳しくないが、『学研漢和大字典』の藤堂再現音だと、
「亀」の上古音はkiuEg(EはEの逆、シュワーに使うやつ)、「帰」の上古音は
kiuErとなっている。上古の有声破裂音の韻尾が取れた後に音通だったかどう
かは全く知らん。
>>514 そりゃ、一千年もありゃあ伝来するのに十分な時間だろう。
エジプト、メソポタミア。インダスはどれが早いか判らないくらい開始時期が接近していて、
開始直後から相互に干渉のあったことが判っている。
意匠デザインセンスはかなり違うが、農耕は大麦、牧畜は羊から始まったことは早い三つに
加えて支那文明でも同じだから、支那圏では独自に文明が発祥したわけではなく
西から文字を使うことと言う発想と大麦と羊とが伝わってきたのだろう。
まあ514だが。
>>520 そうだねとしかいえんがw。
だから文字はシナの場合発展段階とかなくてイキナリ結構出来上がった
文章なるもんが出土するじゃないかと。
「殷の文章はかなり発達しているからもっと古い文章もあるだろう」
なんていわれてるが、
意外とそんな古いのはないのかもと思ったわけさ。
良渚でなんか出ればまた話はちがうんだろうけどね。
522 :
世界@名無史さん:2008/04/23(水) 04:25:35 0
「天空の舟」という本を読んだ
なかなか面白い本なのでおすすめ
523 :
世界@名無史さん:2008/04/23(水) 07:44:29 0
そもそも山海経って何の目的で書いた本なの?道教の教科書本?
524 :
世界@名無史さん:2008/04/23(水) 07:51:01 0
夏はバクトリアことだよ
漢民族はバクトリアが本国。
>>523 最後に編集された時期でもまだ道教は存在しない。
1.古代中国の南方で作られた地理的要素を含んだ祭祀・呪術書。
2.何度も大きく加筆編集され、編集者の意図がその度に違う書物。最終的には絵図とセット。
3.夏の九鼎の表面の紋様を写した山海図とそれの解説書の山海経ともいわれる。
夏の九鼎=山海図は後世の付託。仮に山海経が中国九州を象って鋳造した九鼎の写しならば
山海経のもっとも古く作られた部分のほとんどが巴蜀地方の記述であることから
「夏は蜀にあった」などという珍説を唱えない限り無理がある。
基底部の記述に殷の祭祀である卜辞と類似した内容を含んでいることからも、
発生は古代中国の南方系の国家宗教的な祭祀・呪術となんらかの関わりがありそう。
>山海経のもっとも古く作られた部分のほとんどが巴蜀地方の記述
この部分確実なソースよろしく。
527 :
世界@名無史さん:2008/04/23(水) 22:03:30 0
山海経って水木しげるさんにネタ与えるために作ったんでしょ
528 :
世界@名無史さん:2008/04/23(水) 22:18:53 0
こういう古代中国の話ってすごくロマンがあるよね!史実と神話の境目みたいな時代だからかな。こんな昔でも人間の営みは変わらない、というのもいいよね
529 :
世界@名無史さん:2008/04/23(水) 22:19:52 0
江南古代文明に独自の文字言語は無かったの?
大荒経四編と海内経の記事が都広の野(成都)と建木を中心とした世界観だからだろ。
蒙文通や袁珂あたりがここらへんは蜀と巴の記述が多いと言ってる。
532 :
世界@名無史さん:2008/04/24(木) 16:47:05 0
華夏ということばがありますが、、夏や華というのは、もともとどの地(都市国家)をさしていたのですか?
諸星大二郎は白川静と『荘子』
山海経といえば3×3EYES
535 :
世界@名無史さん:2008/04/25(金) 22:29:41 0
「夷荻に王があることは、夏華に王が無いことよりも危険である(だから少数民族を徹底弾圧して分割支配に徹するべき)」と孔子が言ったのだっけ?
「子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也。」 論語八伐第三
解釈には古来諸説がある。「夷狄に君主があっても中華諸国には
及ばない」というのと「夷狄にさえ君主があるのに今の中華諸国
にはそれがいない」というやつが代表。前者は典型的な中華思想、
後者は春秋末の衰え切った周王朝を嘆く言葉というわけ。
537 :
世界@名無史さん:2008/04/25(金) 23:01:44 0
>>535 「子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也」(夷狄の君あるは、諸夏の亡きに如かず)
(『論語』八佾)かなそれは?
昔から、
「夷狄に君主がいても、諸夏(中華)に(君主が)いないのにも及ばない」という解釈と、
「諸夏の(君主が)いない(も同然で)、夷狄の(りっぱに)君主がいるのにも及ばない」
というまったく逆の意味の解釈があるので有名だけど、
夷狄は危険とか弾圧しろとかいう意味はなかったはず。
538 :
世界@名無史さん:2008/04/25(金) 23:45:18 0
諸夏ってどうして複数形なの?
539 :
世界@名無史さん:2008/04/25(金) 23:48:45 0
春秋の頃は夷狄は「危険」じゃなかったの?
540 :
世界@名無史さん:2008/04/25(金) 23:50:03 0
鞍が発明されるまでは、遊牧民の軍事力は戦車を持つ定住民王国に比べたいしたこと無かった。
541 :
名無しの権瓶:2008/04/26(土) 00:10:42 0
趙の国が騎馬戦術を取り入れよとしていたから、対したことは無いとは思わない。
それよりも、その時代の軍事力がありすぎて、夷狄がはいりこめなかったんじゃないかな?
もしくは国内戦争が忙しかったんで、夷狄の被害を記録していなかったとか。
始皇帝も万里の長城を作り始めたぐらいだから、夷狄の被害はあったのだと思う。
短時間で上げレス連発・・・自演か。
543 :
世界@名無史さん:2008/04/26(土) 02:34:09 0
「子曰、夷狄之有君、不如諸夏之亡也。」 戦闘に猛々しい夷狄が王国にまとまると、中華に王が立たず分裂していることよりも危険だ。だから夷を以って夷を制すごとく分裂させておくに限る。
という意味かと思っていた。
>>539彼らは文明から遠い、可哀想な連中。
ただ、東夷はわりと文明的だったらしいが。
545 :
世界@名無史さん:2008/04/26(土) 15:04:31 0
孔子は船で倭に亡命するつもりだったのだああああああ
546 :
世界@名無史さん:2008/04/26(土) 15:32:07 0
>>545 (『論語』公冶長篇、ただし超意訳)
孔子「道はいっかな行われないし、
いっそ筏に乗って海のかなたにでも行っちゃおっかな〜
そんなときでも俺についてきてくれる奴っていや、やっぱ子路だろな」
子路「えっ!」(先生はそんなにもオレのことを…… ;∀;)オレハイマ モウレツニカンドウシテイル
孔子「wwwwwwwちょwwwwwおまwwwwwww
俺以上に向こう見ずなやつだな。
だいたい、そんな筏をつくる材木を調達するとこなんてないだろw」
「子曰、道不行、乘桴浮于海。從我者、其由與。子路、聞之喜。子曰、由也、好勇過我、無所取材」
筏で海を渡ろうかな〜なんていう孔子のたわいない冗談を真に受けて喜ぶ子路
子路かわいいよ子路
547 :
世界@名無史さん:2008/04/27(日) 00:33:50 0
春秋までは領域国家でなく都市国家だった。
その都市国家のネットワーク的な連合体が殷とか周だろ。
はたして殷以前にそんな都市国家ネットワークがあったかどうか。
だからデカイ邑が発掘されたって、それだけじゃ夏とはいえんわけだろ。
でも考古学だけで邑が連合体作ってたかなんて解かんのか。定型化前方後円墳の分布とかみたく。
549 :
世界@名無史さん:2008/04/27(日) 09:49:37 0
夏という漢字の意味は「デカイ邑」?
550 :
世界@名無史さん:2008/04/27(日) 17:00:42 0
>>549 甲骨文字の「夏」を見てみると
キとかいう一本足の神のように見える
スマソがソースは脳内。
551 :
世界@名無史さん:2008/04/27(日) 21:16:28 0
552 :
世界@名無史さん:2008/04/28(月) 01:03:12 0
夏=暑い国だった?=華南?
553 :
世界@名無史さん:2008/04/28(月) 09:39:18 0
夏=夏祭りの舞=雅、大きい、盛ん
554 :
世界@名無史さん:2008/04/28(月) 11:10:07 0
まさに今のシナは夏真っ盛り
アメリカは紅葉が過ぎた頃か
日本の真夏は80年代
555 :
世界@名無史さん:2008/04/28(月) 11:11:38 0
人件費の高騰したシナから他国に生産拠点を移しつつある外資の動向
556 :
世界@名無史さん:2008/04/29(火) 22:34:41 0
中山は異民族の国家だったの?
スレ違い
558 :
世界@名無史さん:2008/05/01(木) 14:18:13 0
夏人はシルクロードを通ってバクトリア=大夏から来た
正史に夏がどこにあったかわからないのはそのため。
559 :
世界@名無史さん:2008/05/06(火) 17:34:58 0
夏の都はどこに推定されている仮説になっているのですか?
560 :
世界@名無史さん:2008/05/11(日) 09:02:05 0
山西省尭都は?
561 :
世界@名無史さん:2008/05/26(月) 17:46:52 0
黄飛虎って実在したの?
黄飛虎なんて上古の中国人がつける名前じゃねえよ。
かなり新しい発想な名前。
封神成立の前段階くらいに創られたキャラ。
563 :
世界@名無史さん:2008/06/23(月) 20:59:31 0
新しい発掘ないかなあ
564 :
世界@名無史さん:2008/06/23(月) 22:00:30 0
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
「封神演義」みたいな通俗小説の成立過程ってのは
まだ研究途上、というより始まったばかりでわかんない
ことが多いよね。
とりあえず紂王、文王、武王、呂尚あたりの
殷周革命の中心人物以外は大半が架空。
蜚廉とか悪来あたりの悪役は一応史記などでは
秦王朝の祖先ということにはなっているが、
実際は神様の名前を流用してるらしいし。
天空の舟の頃の宮城谷は面白かったんだがな
>>565 > 蜚廉とか悪来あたりの悪役は一応史記などでは
> 秦王朝の祖先ということにはなっているが、
> 実際は神様の名前を流用してるらしいし。
西周期の話はそれなりに正確に後世に伝わってるので、
そこを疑う必要があるのかなぁ、と。
悪来は知らんが飛廉は明らかに人間の姿をしてないからなぁ。
風神としての性格を考えると西周より古そうではある。
氏族の祖神の名を仮託した族長の称号だったとか。
史実の人物と祖神がごっちゃになってるという話なら分かる。
秦趙の先祖が商の側についたというのはたぶん史実。
後からでっち上げるのなら、負け組に仮託する必要はない。
570 :
世界@名無史さん:2008/06/24(火) 16:52:02 0
>>569 断言できるほどの資料ってあるか?
東のほうに手焼いてる隙に周に攻め込まれたくらいしかいえんな。
尚書・牧誓によれば紂王を討ったのは甲子の日であるとされているが、
これは出土した西周期の金文資料で確認がついてる。
甲骨文で商の系譜が確認された事は有名だし、
記録として残ってる話については信用して大丈夫だと思うよ。
にしても、全然、夏と関係ない話だな。
>>566 >天空の舟の頃の宮城谷は面白かったんだがな
今は面白くないの?
今度は太康期の混乱とかを描いてほしいな♪
>>572 物語が長くなって密度が薄くなって毎回同じパターンになった。
たまに書く中編は面白いから、単に連載に向いてないだけのような気がするな。
>>565 呂尚は実在が確認されてないが、紂王、文王、武王は
実在したことが定説。甲骨文でも紂王は帝辛として出てくる。
文王、武王も西周初期の金文に良く出てくる。周公旦まで出てくる。
呂尚は詩経の古層の詩に子尚父としてそれらしき人物が歌われていたり
するけど、同時代の文字資料が皆無だから、現時点では伝説的人物と
言わざるを得ないね。
575 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 06:27:15 0
ゴールデンレス】
∩ ・∀・)∩∩ ´∀`)∩ このレスを見た人はコピペでもいいので
〉 _ノ 〉 _ノ10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
ノ ノ ノ ノ ノ ノそうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
し´(_) し´(_) 出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
576 :
世界@名無史さん:2008/07/09(水) 18:26:48 0
問仲大太師って実在したの?
「聞仲」なら知ってるけど、「問仲大太師」って知らない。
誰それ?
578 :
世界@名無史さん:2008/07/10(木) 07:48:35 0
聞仲大師って実在したの?
殷周革命(というより封神演義)の話はよそでやってね
580 :
世界@名無史さん:2008/07/14(月) 17:29:24 0
殷の残党が古朝鮮をつくったとおもう。
581 :
世界@名無史さん:2008/07/14(月) 17:33:01 0
中国東部の民族は、蒙古、満州、朝鮮、日本と共通する文化圏の民族で、
西方から侵入した周族に殷族が逐われ一部は米大陸にも逃れた。
箕子の一族はおそらく殷文化が弾圧されたので同文化圏の居る朝鮮半島に難民となって亡命したのであろう。
違法電波警報発令中w
「夏」っていうくらいだから
暑い国だったんだろうな。
そんな国には絶対に住みたくない。
「涼」なんて国があればいいのに。
「涼」なんて国
五胡十六国スレに移住しろ!
このスレにゆとりはいらん!
>>581 ロマンある話だな…。
ソースはあるの?
586 :
世界@名無史さん:2008/08/11(月) 03:13:19 0
もおさ蜀掘ってみろよ。
意外と夏のなんかでるかもしれん。
だいたい殷の青銅器は三星から送ったやつだべ?
いまだにシナは真中にねーと頭来るんか?
587 :
世界@名無史さん:2008/08/11(月) 03:14:59 0
>殷の青銅器は
>殷の青銅器の原料な
588 :
世界@名無史さん:2008/08/14(木) 06:07:39 0
590 :
世界@名無史さん:2008/08/24(日) 05:14:06 0
>>589 河姆渡遺跡や良渚は都市しちゃあかんの?
龍山文化期には城壁を持った都市が発生してたよな…確か。
河姆渡は村でしょ。どー見ても
良渚は万を超えてたろうから都市だろうな。
龍山は都市なのかな。人口規模の点で疑問
593 :
世界@名無史さん:2008/08/27(水) 15:10:24 0
>>592 そもそも「都市とは何か?」を明確にせんといかんかもね。
まあ今回の視点では「人口」主体でシンプルに判断してもいいんだろうけど。
本音としては「人口」以外にも都市の条件は色々あるんじゃないかと。
594 :
世界@名無史さん:2008/08/27(水) 15:17:23 0
リンク先を見ると河姆渡あたりの年代は数千人クラスがごろごろあるな。
だとしたらまあ都市として含めてもいいんじゃないかね。
てかあんま古いのは人口とかの数値はそんな信頼できるもんじゃないと思う。
眉唾でみる感じだな。
595 :
世界@名無史さん:2008/08/27(水) 18:38:01 0
>>590 1万人以上を基準とした推定値を載せた本が出たのが2003年だから、
良渚の城壁の発見が間に合っていない。
>>593 身分の分化とかね。
竜山は都市文化だろう。
長江のは単なる巨大な村。
597 :
世界@名無史さん:2008/09/11(木) 06:17:59 0
>>596 身分の分化がなんで都市の条件になるんだ?
村落以下の小組織でもおこりうるぞ?
厨?
身分の分化というよりは、社会の分業化というべきだろうね。
都市では、食糧の生産はあまり行われず、住民の食糧はおもに移入によって賄われる。
住人が農民ばかりだったら、いかに人口が多くてもそれは村落だろう。
599 :
世界@名無史さん:2008/09/11(木) 14:15:45 0
王侯貴族や職業戦士や職業祭司、商人などの生産活動に従事しない層の住人が一定数以上増加すること
601 :
世界@名無史さん:2008/09/13(土) 02:59:19 0
>>597 何でこうすぐ相手を「厨」呼ばわりする奴が出てくるんだろうね。
これだから2ちゃんねらーはいつまでたっても馬鹿にされるんだよ。
603 :
世界@名無史さん:2008/10/10(金) 02:23:21 0
>>602 おかしなこと言ってるからじゃない?
礼儀作法が真実より大事ならまあいいけどさ。
身分の分化が文明のレベルの高さの指標だなんて、考古学やってる人間なら常識なのにな。
それを大した理屈もなく否定し、相手を厨呼ばわりする奴がいたらいかんだろ。
>>603 「真実」どころか基本知識もないくせに偉そうな口を利くな
606 :
世界@名無史さん:2008/12/31(水) 21:43:37 0
age
池■田大■作の本名はソン・テチャク。小泉純一郎、小沢一朗は朝鮮人。
911では小型の水爆が使用されている。
http://ri■ch■ardkosh■im■izu.at.webry.info/
創価の保険金殺人事件。
オウム事件は、統一・創価.北朝鮮の共同犯行である。CIAが監修している。
http://www15.ocn.ne.jp/~oy■ako■don/kok_web■site/ir■iguc■hi.htm
与党も野党もメディアも全部朝鮮人だった。
http://jb■bs.li■vedo■or.jp/b■bs/read.cgi/news/20■92/115794■1306/
2チャン寝るは「■とう■■■一■教■■会■」が 運■■■営して「個人じョうホう」を収集してる。
駅前で「■手■■■相を見せてください」 と「カンユウ」してるのが「■とう■■■一■教■■会■」。(カ■■■ルト宗■教)
カ■■■ルト宗■教の下にいる人と、上にいる奴を分けて考えないといけない。
下にいる利用される人は上がどんなことをしてるか知らない。
ユダヤ権力の子分→2ちゃん運営=「とう★■■一■教★■★会」上層部=層化上層部=自■民党清■和会=野党の朝■鮮■人ハーフの政治家=
与党の朝■鮮■人ハーフの政治家=金■ 正■■日(キ■ム・ジ■ョンイル )=読売サンケイ=小沢十朗
ユダヤ人=ロックフェラー=ブッシュ=クリントン=ヒラリー=アドルフ・ヒトラー=オサマ・ビンラディン
毎■日■■■新聞スレを荒らしてる奴らも「■とう■■■一■教■■■会■」。
荒らしは洗脳するために「ネトウヨ」などのレッテル付けレスを何千回もする。
現実には「ネトウヨ」などは存在しない。
http://cha■ngi.2ch.net/test/read.cgi/ms/12303■63■385/
甲骨文字の全文が解読されればある程度は判明するかな?
まあ仮に殷によって滅ぼされた国の記述があったとしてもそれが即「夏」とは言えないし
だいたい夏自身は絶対に自身を夏とは自称していまい。
始皇帝と項羽が焚書したのは痛すぎる。せっかくのこっていた資料もほぼ消滅。
西周時代の墓の中から焚書を免れた物が出土するぐらいしか方法が無くなった。
アレクサンドリアの大図書館を焼き払ったカエサルと言い後世の人から見たらとんでもない事をしてくれたものだ。
>>609 カエサルがアレクサンドリアの図書館を焼いたなどという記述はどこにもない。
最近では、キリスト教徒が焼いたという説が有力。
611 :
世界@名無史さん:2009/01/03(土) 00:13:30 0
>>610 カエサルじゃなかったの?エジプト人の捏造かも知れんね。
それはそうと禹=神武天皇で啓=祟神天皇だと個人的には思っている。
啓こそが真の意味での夏王朝の創始者で禹と言う伝説上の人間と結び付けたのではないかと思う。
612 :
世界@名無史さん:2009/01/03(土) 01:04:34 0
禹のあと益という人物が王になったが自分はその器ではないと啓に王の座を譲って
夏王朝が始まった。三肯五帝は完全に神話なので司馬遷さえもこれを史記に書くべきか
迷ったほどで同じ存在が立証されていないと言っても夏王朝とはレベルが違いすぎる。
孔子が夏王朝の末裔に会いに行ったり(かなり夏の記憶が失われている事を嘆いていたが)しているし。
啓以後の歴史もそれなりに記されている。ただ途中で神武天皇から祟神天皇の間の欠史八天皇同様に
業績が不明瞭な王が同じく存在する。相〜廑までの9人の王は神武と祟神の間の天皇同様実在しないのではなかろうか?
アレクサンドリアの図書館がカエサルのエジプト介入戦の際、「過失で」焼けたというのは、プルタルコスなど様々な史家が記述している。
しかしながら、一方でカエサル介入後にも、ストラボンはアレクサンドリアの図書館の本を参考に、「地誌」を書きあげている。
当時図書館は三か所に分散しており、どうも焼けた4万冊というのは図書館のうちの1箇所に納められていたもので、
アントニウスは20万冊の本を持参にクレオパトラと結婚している。
というわけで、「カエサルは図書館を焼いたが、焼けた蔵書は一部で、図書館はその後も存続している」が正しい。
アレクサンドリアの図書館の破壊の最有力候補はキリスト教徒の保護者として知られるテオドシウス1世の時代で、
当時アレクサンドリアの総主教だったテオピルスという人物が391年に異教徒の寺院の破壊を行っている。
『教会史』によると破壊された建物の中に図書館が含まれている。
614 :
世界@名無史さん:2009/01/03(土) 01:22:07 0
夏王朝が実際よりも長く続いた王朝に見せかけたと。実際は150年程度の短い統治期間だったのかも知れない。
夏あるいは殷・周が自身の権威を高めるためそうしたと。皇紀2600年にならってね。これは冗談だが。
もともとこの地方を治めていたのは禹の後に一時的に王になったとされる益(多分王じゃなくて単なる豪族のリーダー)という人物で啓に
王になってもらって始まったのが夏なのだと思う。益はそれほどたいした人物じゃないから
後世の人が無理やり舜(伝説の人)から禹(これも伝説の人)に禅譲されて云々に置き換えられたのでしょう。啓ないし禹(多分実在しない)の先祖は
洪水に悩まされたメソポタミア地方からアナウ地方を経てやって来たシュメール人と言う説もある。あるいは長江を経由してきたとも。
三皇五帝の逸話は夏王朝の逸話よりも大分後になって出てきた話。確実に神武天皇どころかアマテラスオオミカミとかに類する存在。
戦国時代の斎の王族が夏王朝に対抗して神話を作った。司馬遷でさえ神話であると看破していた。
615 :
世界@名無史さん:2009/01/03(土) 01:26:19 0
>>613 それではカエサルの罪は始皇帝ほどじゃなかったわけですか。
始皇帝は問答無用でアウトだが、項羽の方が責任が大きいと言う説もあるけど。
史記の頃よりも昔の散逸してしまった資料とか発見されないかな?
616 :
世界@名無史さん:2009/01/03(土) 01:53:15 0
三皇五帝ねえ。
正確にいえば三皇を司馬遷は否定しとる。
まあ五帝や夏に関しても神話的要素が色濃いよな。部族神かそこらか。
白川氏はウは魚の神とかなんとかな。
一方で、僅かにせよ神話には
史実を反映してる面もあるんじゃないかね?とは思ってるけどなあ。
政治的都合による歴史の歪曲はある意味「普通」のことだが
例えば、殷の紂王の悪行は周王朝の捏造と判明しとるよな。
一方で殷が夏を語った甲骨文字はでとらん。
でてきたらおもしろいんだろうけどなあ。
617 :
世界@名無史さん:2009/01/03(土) 01:58:30 0
ついでに言うけど殷の戦車はどうやら西方由来らしい。
>>615 始皇帝のことは儒家が毛嫌いしてるからなあ。
そんな連中の言うことは眉唾で見ないとな。
始皇帝がなんかする前に自然に忘れられたケースも多かったと思うがね。
>>609 なぜ焚書するのかlと思う
記録は残さないとね
>>618 始皇帝は言論統制。何かやろうとすると学者どもが「いにしえの聖人は・・・」ってうるさいから。
項羽の場合は莫迦だから価値が分からない。
毛沢東など必ず歴史上に登場するあたり
なんらかの法則があるんだろうか
>>616 西周時代の甲骨文字には夏や殷の記述はあるそうだが殷が夏をどう読んだかは不明のまま。
殷も夏も西周がそう呼んだだけで殷は商と自称、夏に至っては同自称したかすら分からない。
仮に殷の甲骨文字に夏と思われる国の名が出てきたとしても殷が夏をどう読んだかも夏が同自称したかも
分からないので判別のしようが無い。
一応殷の甲骨文字で○○と戦って制圧したとかいろいろ書かれているけど、それが具体的にどの地方の国なのか部族なのかも全く不明。
夏が471年続いたというのも眉唾物。皇紀2600年程じゃないけど殷の時代の長さに無理やり当てはめる為に
数字を作り上げたのでしょう。区切りのいい数字として。
実際は100年とか150年とかしか続いていない6〜7代程度で滅んだ王朝かも。
日本書紀の欠史8天皇はもしかしたら名前だけ存在する夏のおそらく水増しの9王からパクったんじゃないかとさえ思う。
そして、夏王朝は単に史上はじめて世襲制で受け継がれた政権で支配範囲も周囲に比べてそれほど大きくは無かったでしょう。
夏を実際より大きく描いたのはそれを倒した殷も強大でありそれを倒し周はさらに強大であると印象付けたかったのかな?
洪水の話とかメソポタミア地方の神話に実によく似ている。アッカドにシュメールが制圧されたあとシュメール人の一部が
メソポタミアを捨てて世界に散らばったという話もある。一部はエジプト文明を作り、一部はインダス文明を作り、さらに一部は
夏王朝を作ったと。メソポタミア文明は世界最古の文明なのは間違いない、他の文明は2000年ほど遅れてから発生しているからね。
アッカドがシュメールを滅ぼした後に他の3大文明が発生しているのは偶然かな?
そしてどこでも洪水神話が出てくるわけでね。
なぜシュメール文字が日本にあるんだろ
>>622 アッカドのサルゴン大王がメソポタミアを征服したのは
大ピラミッドが建った時よりあとの話でして。
>>624 どうやらそうみたいね。
まあどのみちアッカドうんぬん以前にトルクメニスタン南部のアナウ地方までシュメール人が
やって来てその末裔が夏王朝を立てた説はあり得ると思う。
アナウの土器と非常によく似た土器が発見されている。アンダーソンの言った古すぎる説だが。
肉食だったとか殷にさえ西方の影響が見られたとかでシュメールの影響はあった可能性はある。
禹はメソポタミア地方の人物を投影。啓の一族はそのメソポタミアから1000年〜1500年かけてやって来たシュメール人。
途中でアナウ地方に定住したがそこから一部が中国にやって来て治水(メソポタミア地方の治水技術を駆使)で名を挙げた。
そして、地元の有力者である益に請われて王に就任、夏王朝が始まる。
洪水神話や三皇五帝はメソポタミア地方のエンキとかギルガメッシュとかバアル神の神話を啓の一族が
伝えて広がりやがて中国の神に置き換わったもの。メソポタミアの神話と実はかなり類似している。盤古とか女渦とかも。
実際は471年ではなく150年ぐらい啓から10代目ぐらいで殷に滅ぼされている。
甲骨文字があまりにも完成されすぎているのでその原型も夏もしくは殷の初期にあるはずである。殷墟以前の殷中期の遺跡の発見が待たれる。
アナウ地方からも2001年に文字が発見されたと言う話もあるのでもしかしたら甲骨文字の原型が発見されるかも?
意外と楔形文字から発展したのかも知れんよ甲骨文字は。
まあこういう説もあるって事で。中国だけで文明が独自に起きたと考えるなら否定されるだけですけど。
>>621 手元にある資料じゃ「夏」という甲骨文字はあるな。
ただオレにはキっつう一本足のバケモノとの字形の違いがわかんね。
>それが具体的にどの地方の国なのか部族なのかも全く不明。
ある程度はわかっとるがな。それとももうちっと厳密な意味でいうとんの?
>>622 司馬遷が書いた殷の系図はほぼあってたがな。そこまで警戒すんのもなんだかなー。
ただ多少のズレはもちろんあると思うがの。
>>626 「全ての文明はシュメールから始まる」ともいわれとったな。
しかしそこまでいっちまうと電波だの。そんな話はキライじゃないけどな。
戦車の例をだしたが色々西方由来の技術は多いようだよな。
ただ神話は結構どこでも似通った話は多いぜ。ユングよんどけユング。
余計な話だが青銅器の原料とかは三星もんつこてたようだな。
>盤古とか女渦とかも。
盤古は結構新しく取り入れられた神だな。
んー否定ばっかになったが許してくれい。悪気はないわ。
結局土くれ掘って出てきたもの以上のこたーオレもわからん。
>甲骨文字があまりにも完成されすぎているのでその原型も夏もしくは殷の初期にあるはずである。
文章っていう「アイデア」は西方由来かもしれん。
てかシュメールには触れないぞ〜w
>>627 甲骨文字が全て解読されれば夏の正体もある程度は判明するかな?いまだに判読不明な
敵対部族や国の記述の中に夏が有るかもしれないしね。一応夏の末裔が国を作っていて
戦国時代まで存在していたようだし。
相〜廑までの9人の業績が載ってないのは何なんだろうね。即位年と崩御年だけで具体的に何をしたのかほぼ不明。
相以前の王の記述はある、廑以後から傑までの記述もある。相〜廑は何者なんでしょうね?
日本書紀の幻の8天皇みたいに100年以上の長寿とかいうわけでもなさそうなんだけど。
>>631 やっぱいい具合にいかれた王朝でさ、
殆どが「明日日は昇るでしょうか?」みたいな占いもんばっか。
多分難しいんじゃねーかねえ?ロゼッタストーン的なもんも無いしね。
>相〜廑は何者なんでしょうね?
さあなあ。迂闊なことはいえんなあ。本当の意味で確実なことは発掘またんとなあ。
ただまあ日本の事例をそのまま当てはめるのはやっぱ危険かと。
それをおして妄想を加速させんなら、
オレはチンコきられても史記を書き上げた司馬遷つー凄まじいヤツを信じたいなあ。
アイツは王に逆らったんだぜ?
てか殷前期の甲骨文字もあんまないんだよねえ〜。
字体とか王ごとにかわっとるしさ。
司馬遷が参考にした資料に問題があったんじゃないかな?殷の方は司馬遷の正しさが
証明された事例だしね。王の業績も夏の中間の王みたいに不明瞭と言うわけじゃないしね。
殷墟以前に4つの首都があったみたいだから殷墟の前の4つの都市を見つけ出すのが一番良いね。
前周あたりの金石文と殷の甲骨文字のロゼッタストーンみたいなのでないかな?
楔形文字=解読
ヒエログリフ=解読
甲骨文字=半解析
インダス文字=未解読
当時残っていた資料を参照したに過ぎない司馬遷に罪は無い。西周を立てた姫家と
太公望・周公旦あたりが夏王朝を実際よりも強大に描いたのかもしれない。
益(それほど大した人物では無い)と言う豪族のリーダーから治水に長けた啓と言う人物が
請われて治水に成功し王に就任。集辺豪族も認める。ただこれだけだったら面白みが無いので
禹や舜と言った伝説上の人物を組み込んだ。これで夏王朝は実際よりも遥かに権威が高く強大な国に写る。
だが本当は地方政権の一番大きい存在でしかなく、殷よりは大きいが圧倒しているわけでもない。
だから戦えば勝てない相手じゃない。易姓革命理論を作り出すために傑王の話を殷末期に当てはめて周王朝の正当化を計る。
強大な夏を倒した殷を倒した周は更に強大ででなければならない。
単に殷が倒した国の中で一番大きかった国がたまたま夏だったに過ぎない。
易姓革命を正当化する為に夏を殷に匹敵する強力な王朝にする必要があった。
夏自体は存在していたと思うけど西周に都合のいいの資料をそのままうのみにした史記ほどには夏は大きくなかったでしょう。
夏中期の王の業績が不鮮明なのは夏王朝を実際よりも長く続いたように見せかけた西周のせい、司馬遷に罪はない。
孔子が夏王朝の末裔が治める国を訪れた時に夏の風俗は受け継がれているものの
かなりその記憶が薄れてしまっている事を嘆いている。だが無理もない夏が存在したのは
孔子よりも1000年前の話なのだから。今の日本に当てはめると平安時代末期〜鎌倉時代に
思いをはせるようなもの。ただ記憶が薄れているとは言え孔子が昔の人達から聞いてきた夏の
文化・風俗が残っており孔子がこれを夏の文化・風俗であると認めるに至ったのは重要。
孔子は昔の書物や古老から夏の事をかなり理解していたわけで、後に夏の末裔が治める国に行って
それを確信したわけだからね。実在は間違いない。
戦国時代になって急に出て来た三皇五帝とは実在性のレベルが違いすぎる。三皇五帝は夏よりも更に昔の
聖人の血を引いていると戦国の七雄が自らを正当化する為に言い出した事。
夏=西周時代に語られる
禹=春秋時代に語られる
三皇五帝=戦国時代に語られる(斉の王族が捏造した可能性大)
夏は殷の甲骨文字にも存在すると言う説すらあるので殷時代から語られている可能性もある。
638 :
世界@名無史さん:2009/01/05(月) 23:35:04 0
夏の後継国と言われるのは杞だね。いわゆる杞憂の杞。
杞の国の人たちは天が落っこちてくるのが心配だったようだ。
>>635 >>636さんの言うようにやむをえなかった部分もあると思うし、
それでも司馬遷のことだから可能な限り吟味した資料だとはおもっとるさ。
んだが
>司馬遷が参考にした資料に問題があったんじゃないかな?
これは十分アリエール。
ヤパリ発掘を待つしかないすねー。殷墟だけであと100年かかるそーだがwwww
>>636 周は紂王の件で前科があるので捏造の可能性はあるとおもうけど
こちらも捏造と言い切れるだけのデータはないねえ。発掘を待つしかないねえ。
まあギリシアもいつのまにかみんなゼウスの子孫だしなw
>>637 オレは三皇はすごぶる怪しいとおもっとるが
他は何かしらの根拠はあったかもと思う派すね。どっかの部族神とかね。静ちゃんはそんなこというとんね。
孔子さんは鬼神を語って欲しかったけどなw理念はリッパで尊敬するけどな。
まあ夏はたぶんどっかにあったんでしょうな。
>>638 夏の人は心配性だったかもねえw
なんとなくおもいつくままつらつらと
殷墟で甲骨文字をほおりこんでる穴があるんだが
一つは牛の肩甲骨ばかりでもう一つは亀ばっからしいな。
より分けるのになんか意味あったんだろな。無論番人のガイコツも・・・ガクブル。
あとは牛を最高のご馳走にしたところ。
牛を重視する考えは世界中にあるけどね。
シナの神話は治水がえらく幅きかせとんのは結構不思議な話だよな。
そいやーカイコって虫なのになんかすごくカワイイらしいな。カイコは蜀あたりがルーツ
じゃねえかとおもってんだけどな。
>>640 氾濫を繰り返す河、江がある土地で治水が重要視されるのは極々自然
不思議でもなんでもないだろ
これが2001年にはアナウで文字らしきものが発見されたというもの。
http://countryturkmenistan.tripod.com/SealWithWriting-small.jpg BC1500年頃この地のシュメール系統は南下し、北方から来るモンゴロイドのオークネフ・カラスク文化
等に変わる。ヒッタイト・ヒクソス・アッカド等に浸透していたフルリ人はモンゴロイドを含む遊牧民集団
であるが、ソグディアナに集結、次第に中国の黄河上流から下流に進出し、商・殷を建国する。
別スレからの転載
やはり夏王朝の源流はアナウ地方に住んでいたシュメール人の末裔?
楔形文字だとするとここから甲骨文字に進化したのでしょうかね?
夏の人間は焼肉が大好きだったらしいので西方が源流かも知れん。
ひょっとしたらコーカソイドかも。
電波受信中 電波レベル計測中 電波汚染中
>>641 支配権の資格が「治水」とあからさまに宣言してる「神話」は他ではあんま見られんな。
普通はもっと妙なことが資格だ。そこが不思議と思った。
理解できたか?
>>642 >楔形文字だとするとここから甲骨文字に進化したのでしょうかね?
したら殷墟から楔形文字が出土するはず。楔形文字と甲骨文字は似ても似つかん。
>夏の人間は焼肉が大好きだったらしいので西方が源流かも知れん。
人間は自然にいきてても肉くうもんだ。殷が牛煮た料理好きは知ってるが夏の話は初耳だ。
>ひょっとしたらコーカソイドかも。
なんもでとらん。西いきゃある。
>>642 アナウの話は基本眉唾もんだ。
西洋由来と妄想できそうな出土品がいくつかあるくらいしか言えない。
紅山の青い目もなんともいえん。イースターのモアイは赤い目にしとったしな。
つかキンパツがそんなにいいかねえ?
女のふとももとか毛だらけだぞ?
3800年前、夏王朝があったとされる時代の楼蘭の美女のミイラは西方系の特徴を有しているね。
フェルガナ盆地と隣接しているし居てもおかしくは無い。
ただ夏の支配地域に含まれるかと言うと微妙。
>>644 エジプトの王権も治水から始まってるといわれてるしそれ程特異とも思わんのよ
ナルメルやその子と言われるホルアハとかは水に関係する名前や人生だったりと
治水と深い関係があったようだしさ
>>648 生前は非常に美人だったと予想さあれるアレだな。
印象的だったのは留め具がピンだったこと。
まだ安全ピンは発明されて無かったとかなんとか解説しとった。
>>649 ふむ。
印象に個人差があるのは当然だし、もちろん「治水」は王権獲得の大事な要素だよな。
それを認めた上でいうが、
じゃあはたして神話時代にそのことをはっきり認識できていたかどうか?が疑問の前提なんだよな。
治水が大切なことだと匂わせる程度なら納得もするんだけどね。
王である資格ってさ不幸な末弟だったり捨て子だったりと妙なのが普通だと思うんだけどな。
中国神話はそうでなく、かなりあからさまなんだよな。
禅譲伝説もそうだが、治水伝説も後世の捏造じゃねえかなと。
まあ2chだから思い切っていえることだけどね。
>>643 てなわけで電波を楽しんでもいいと思うよ。
>>650 >治水が大切なことだと匂わせる程度なら納得もするんだけどね。
むしろ匂わせる程度の方が理解しづらい。神話を作った人たちが治水が鍵と思ってればそう書くだろうし、
その辺が不明になった後の世だから、よく分からないけど普通じゃない者、として設定するんでしょ。
あと「神話時代」は神話に描かれる時代であって、その時代の人の認識以前に実在するとは限らない。そし
て「神話時代」を描くのは後の世でしょ、普通。
天(神)→夏→殷→周と言う風に政権は天から授けられたものである。王の徳が下がれば
別の徳のある王によって変わられる。易姓革命である。
周王朝が自身を正当化する為に紂王を必要以上に悪人に仕立て上げる必要があった。しかも、紂王の兄を
宋に封じている。殷の王族をないがしろにしなかったわけだ。
あと桀王の悪逆無道ぶりは紂王のパクリだと言う説があるが、むしろ逆で桀王の方がオリジナルで紂王の方が
周によって悪人に仕立て上げられたのかもしれない。
夏と殷の関係は主従と言うよりもむしろライバル関係だったと思う。夏は袁招であり今川義元に相当し、殷が曹操や織田信長に相当する
ぐらいの実力差(人物じゃなくて勢力関係の話ね)で夏の存在は殷にとって目の上のタンコブ。どうにかやって倒したいがまともにやっても勝ち目はない。
仕方なく服従の道を選ぶが・・・・桀王と言う暴君によって夏は混乱。好機到来とばかりに反逆して夏を倒してその領土を奪う。もともと夏に次ぐ強国であった
殷は夏の領土を得てまわりに並ぶもののない強国になる。
単なる部族間の抗争に過ぎなかった夏と殷の争いを夏の成立からそれ以前の神話にまで遡って
神格化し周王朝がそれらを引き継いだとした。夏は黄河一帯を支配していた最大勢力ではあったが
史記に書かれているような絶対王朝では無いでしょう。
夏の神格化は殷の神格化につながりそれは取って代わった周の神格化にもつながる。
その為にも夏を実際よりも強大に描く必要があった。9人ほど業績不明瞭の夏の王は周王朝の捏造であろう。
夏が実際よりも長く続いたように見せかけるために実在の王の間に架空の王の名をねじ込んだ。
虚実入り混じった方が全部が嘘よりも本当に見える。
全ては
天(神)→夏→殷→周
と言う易姓革命という理論の為。
西周が自身を正当化するためにした事。これが夏および殷の実態をつかみにくくしてしまった原因である。
656 :
652:2009/01/11(日) 18:13:51 0
>>655 1 あなたが書いた「神話時代」とは(a)神話に描かれた時代ですか、それとも(b)神話を作った時代ですか?
2 (b)だとして治水が鍵だと思ってるのにそう書かずに匂わせる程度にする理由は何ですか?
657 :
世界@名無史さん:2009/01/11(日) 22:25:35 0
>>650 「神話時代にそのことをはっきり認識できていたかどうか」とはどういう意味だろう?
まさか神話時代が現実にあって、その時代にいた人に治水が重要であるという共通認識が構築されていたかどうかが重要であるという意味かい?
もしそうだとしたらファンタジーとリアリティの区別をしてからにしてくれ
「神話時代」とやらが何時から何時までかは俺には判らんけど神話と現実一緒にしたら史学は成立せんて…
658 :
世界@名無史さん:2009/01/11(日) 23:25:18 0
治水自体はあったのでは?
659 :
652:2009/01/11(日) 23:50:39 0
>>658 何が言いたいのか判らん。もっと詳しく。
当時の社会常識として、一族を皆殺しにしたら、その先祖の霊に祟られて殺されるというものがあった。
武王が微子啓を宋に封じて商王家の祖霊を祭らせたのもそういった理由
>>660 と言う事は杞が戦国時代まで残っていたのは殷が同じように夏の祖霊を祭らせたからなのか。
杞は甲骨文字にも出てくるので相当昔からあったのは確実である。
663 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 21:39:46 0
治水といってもそんなにすごいものでもなかったのでは?
黄河上流の一部地域のことでしょう?
664 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:06:29 O
………治水が……大したことない……だと…?
665 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:14:16 0
禹が治水した跡だと言う水路が黄河には今でも残っていますね。
あれが禹という人間の治績なのか、ほかの名も残らぬ人々の業績なのか。
その辺はわかりませんけれども、堰を積み上げてゆくのではなく増水時の水の逃げ道を切り開いている?というあたり、伝承のとおりですね。
信玄堤に似た発想です。
とにかく何らかの治水があったのではないでしょうか。
666 :
世界@名無史さん:2009/01/12(月) 22:23:16 0
大した事が無いわけはありません。
ただ、黄河の治水といっても上流域の話ですよ、という意味です。
667 :
世界@名無史さん:2009/01/13(火) 23:40:17 0
めんどくさいのが絡んできたので放置しとったら結構レスついてるな。
・・・・返事読んでみてやっぱめんどくさいので放置。
>>661 殷が夏を祭らせてたわりにはちっとも夏についての記述がないねえ。
>>669 別の名前で呼ばれていた可能性もある。夏や殷は周の呼称で夏自身が自らを何と呼んでいたかは不明だし
殷が夏をどう読んでいたかも不明。もしかしたら杞だった可能性すらある。
671 :
世界@名無史さん:2009/01/17(土) 09:37:57 0
>>669 神は子孫の祭祀しか受けない、という決まりがあってだな、
殷の祭祀記録である甲骨文をいくら読んだって夏王の祭祀の話は出てこない。
>>671 でてこんよな。「明日太陽はちゃんとのぼるか?」とかそんなイカレタのばっかだ。
ただ「夏」という甲骨文字はでとる。
ただまあ太陽を心配したのは
例の10の太陽を射落とした男の伝説があったからかもしれん
674 :
世界@名無史さん:2009/01/22(木) 00:18:02 O
メルゲン!!
675 :
世界@名無史さん:2009/01/22(木) 01:24:12 0
杞県でも掘れば出てこないかな。夏の遺跡が。
676 :
世界@名無史さん:2009/01/22(木) 13:14:05 O
陽を射るもの夏を奪い
有給の國を興せれり
>>675 中国は嫌がるだろうけど人工衛星で杞県を調べ上げれば見つかるでしょう。
現にエジプトなんか軍事基地を外せば外国の衛星で調べても良いと言っている。
実際の所杞県の発掘にかなり消極的なのが問題だが。
割と近場の楚の都ともども発見してくれたら良いね。
679 :
世界@名無史さん:2009/04/27(月) 14:47:44 0
あげ
680 :
世界@名無史さん:2009/04/27(月) 18:52:55 0
夏の前にも都市国家はあっただろうな。
681 :
世界@名無史さん:2009/04/27(月) 18:57:48 0
歴史として残っていないだけでね。
石家河とか陶寺とか良渚とか両城鎮とか1km2越す
都市・集落遺跡はあれこれあるし。
683 :
世界@名無史さん:2009/05/30(土) 02:33:07 0
保守
686 :
世界@名無史さん:2009/07/28(火) 09:07:15 0
杞は夏の残党だけれど、発掘が禁止されているのか?ー聞いたこと無いぞ、そんな措置。
杞の遺構から、他の都市遺跡とは異なった特徴が少しでもわかればよいのだが。
687 :
世界@名無史さん:2009/07/28(火) 09:11:39 0
杞は小国であったため、史書での記述は極めて限定的である。『史記』には「陳杞世家」の記述があるが、杞についての記述は僅か270字であり、「杞小微、其事不足称述(杞は小微にして、其の事称述するに足らず)」と扱われている。
このように国力も十分でない小国であったため、周辺諸国との外交関係の中で遷都を繰り返している。当初は河南省杞県一帯に位置していたが、その後山東省新泰に、更に昌楽、安丘と都城が移動した。
現在まで考古学の成果による杞の出土品は限定的である。しかし殷墟より発掘された甲骨文字の中に杞の文字を記したものが発見されており、殷代には杞が存在していた証拠とされるが、
杞県での考古学上の発見は未だなされていいない。
新泰では清代の道光年間及び光緒年間に青銅器が、2002年には周家庄で杞の貴族墓葬群が発見され、新泰に杞が存在していたことを証明している。
後に杞の公子の一人が斉に仕え、鮑の地を与えられた事から鮑氏を名乗り、賢臣として名高い鮑叔を輩出している。
杞県は開封市に属するけど、宋代の開封は黄河の土砂で何メートルも地下に
埋もれているという。となると杞の発掘も大変かも。
逆に良い保存状態の遺跡が埋まってたりしたら嬉しい話ですが。
実際は、ブレインクラッキングされている人物の意識が、チャットサーバなどのように位置づけられているという説明が比較的便宜ではある
「完全に」思考内容を読まれる状況でよくもまぁここまで持ち込んだ
やり取りの内容はオートログが作成され、LANで共有されている状況がある だからこそ、所謂脳ピペドB強硬派が機動的に、迅速に、多くの場合は先んじて、重要板での霍乱、話題逸らし、中傷などでネット工作を
脳ピペドB強行派の人員は最大限1000人程度、1個大隊 というところだな
晒しと社会的圧力の目的は素体実験の「強制終了」など
システム概要、要素技術概要など容易に説明できる
そろそろ降伏せよ
>脳ピペドB強硬派
など
大脳生理学は枯れた学問らしいな
脳科学の実際の進捗率は70〜85%
完全に達成されている分野もあるようだ
697 :
世界@名無史さん:2009/08/28(金) 06:02:02 0
杞については何も語ることは無いな。
それが当然だとおもうが。
なんか妙な人気があるな。
>>697 よりにもよって夏王朝のスレでそれを言うアンタはすごいな。
700 :
世界@名無史さん:2009/09/13(日) 18:22:31 0
ブレインデコーディングとシギントの組み合わせで傍受できる
1944初夏
707 :
王子 ◆lsN2qBMdcM :2009/10/14(水) 10:53:20 0
a
殷王朝が実在していたことも、漢方薬の産地で確認された
実証主義的アプローチも重要である
>>708 ところで制度は実在するものなのか?
不正確な表現だなw
710 :
世界@名無史さん:2009/10/28(水) 04:14:16 0
結論=杞県にゃなんも無い。
電波説に決定。
>>710 まだ見つかってないだけだろう。始皇帝陵も殷跡もずっと同じように司馬遷の電波といわれてたんだから。
殷跡?
殷墟の事だろ。判ってやれよ。でも「司馬遷の電波」ではないな。もっと前からだ。
隕石?
まあ見つかったとしても文字みたいな証拠になるものが発見されなければ
永遠に夏王朝(仮)だけどな
>>711 いや。多分無い。
殷墟発見以来ずっと夏のことは探しつづけられていたのは知ってるとおもうが。
でもみつからん。
近年シナの国力もあがり発掘のほーも相当気合はいってるが、
結果、二里頭ときたもんだ。
多分ないだろう。少なくとも伝説上でいわれてる場所にはないんじゃねーかな?
たいがい掘ってる。
もし夏があるとしたら
電波で言われてることとは相当違った場所とかになると思う。
まあ黒陶文化のうち規模がでーえのがソレだとおもうがね。
ついでにいえば文字は絶望的かもしれん。
だいたい前期殷時代のもんからして無い。武丁あたりからだよな。
甲骨文字は突然カナリ文字として進化したものが出てる。
これを根拠に相当前時代から漢字があったという説があるが、
西方から文字の基本の考え方が伝わってきて短期間に作り上げたもの
という説の方を俺は推す。
殷墟にうめられとった戦車は間違いなく西方由来の技術だ。
718 :
世界@名無史さん:2009/12/03(木) 00:36:53 0
寂しいからあげ
寂しい唐揚げ
文字の考え方が伝わってくる位なら文字そのものが伝わってくると思う。
>>716 夏どころか周の王墓すら一つも見つかっていないのだが・・・・
殷墟は見つかったけどそれ以前の殷の遺跡は未発見だし、おそらく見つかっていない遺跡は数多くある。
エジプトやインドでもアレだけ発掘が行われているにもかかわらず新たな遺跡が出てきたりするし。
周の王墓は西周も東周も全く不明。チンギス・ハンの墓並に場所が皆目見当が付かないようだ。
国土が広すぎるからエジプトやインドよりも発見するのは難しいね。
西周の王墓の発見が夏の発見につながりそうだ。初期の金石文と甲骨文字の照らし合わせも出来るし。
甲骨文字のロゼッタストーンにもなりかねない初期の金石文は・・
>>719 その場合、甲骨文字じゃ無くて楔形文字になってただろうね。でも楔形文字は一切見つかってない。
むしろ古代蜀王朝のインダス文字に激似の絵文字が見つかっている。
夏の文字は甲骨文字ではなくて蜀王朝の絵文字だったかも?インドから伝わったとかで・・・
コレが長江文明の文字で黄河文明の甲骨文字に取って代わられたと勝手に妄想。
まあ一つの説ですね。自分でも信じているわけじゃないけど。
孔子暗黒伝に周公旦の墓は出てきたな
岐山県の周公廟遺跡は西周の王墓説もあるんじゃなかったっけ?
>>720 >少なくとも伝説上でいわれてる場所にはないんじゃねーかな?
言い換えれば散々掘った伝説上であったと言われてる場所より他掘った方がまだ可能性があるという話だよ。
それ以上でもそれ以下でもない。
シュリーマンはたしかに偉大な学者だが、あの黄金のマスクはアガメムノーンじゃない。
それをアガメムノーンと言い張ったりしたとこで評価を落としてる。
その轍を踏まぬようにな。
掘ってなきゃねーんだよな。
>>721 >その場合、甲骨文字じゃ無くて楔形文字になってただろうね。でも楔形文字は一切見つかってない。
たしかに一切ないね。
んじゃこんな考えはいかがだろうか?
朱を塗り込めたり、それ以前に神への問い合わせにつかったりと
甲骨文字そのものが相当神聖視されとるよね。
西から文字というアイデアは入っていたが、もともとあった「神聖なる記号」をどうにも捨てきれなかった。
まあインダス文字がはいってきてたらおもしろかろうねえ。
その檄似とやらは存じませんが。どんなんだい?
727 :
世界@名無史さん:2009/12/12(土) 22:19:46 0
さみしいからあげ
728 :
世界@名無史さん:2009/12/13(日) 16:17:09 0
>>720 中国で発掘が難しい事情の一つは、古の都とされているもののほとんどが現在も
たいてい大都市で、住宅が密集しちゃってることだな。
西周の鎬京→現在の西安、東周の洛邑→現在の洛陽 etc
郊外に王宮跡が発掘されたりするが、エジプト王家の谷みたいに簡単にそこらじゅう
掘り返せるわけではない。実際に市街地と重なっちゃってる遺跡もあるし、周の王墓
は塚を築かず目印になるものが乏しいので、今頃誰かのご住所の庭の一部になってても不思議じゃない。
鎬京、咸陽、長安はそれぞれ場所が違うのでは?
>>728 しかし、捏造も多いみたいよ。
同じ物に関して複数出土地があったり・・・
731 :
世界@名無史さん:2009/12/14(月) 04:45:31 0
漢の長安は咸陽郊外の始皇帝の離宮があった所だっけ。
焼け残った離宮を劉邦が仮宮殿に使ったのが始まりとか何とか。
733 :
世界@名無史さん:2009/12/14(月) 16:51:09 0
東アジアって建物が残らないよなぁ
日本はまだ残ってる方じゃないの?
中国は前の王朝の建物って基本的に破壊するんだよな。
734 :
世界@名無史さん:2009/12/14(月) 17:16:44 0
そうでもないぞ
西漢→新→東漢
魏→西晋
東晋→宋→斉→梁→陳
北魏→北周→隋→唐
五代
楊呉→南唐
金→大元
大明→大清
これらは都宮を壊さずに使っている
>>733 破壊するだけでなく新しい都市の建材として再利用とかするんだよ
何でもかんでもぶっ壊すと思ってるならそれは中国を見くびり過ぎだ
世界最古の木造建築って法隆寺だよね? 中国最古の木造建築って何だろう
737 :
世界@名無史さん:2009/12/14(月) 19:58:04 0
>>735 しかし、実際に古い建物って残ってないよね?
>>737 新しい建物の建材にするって書いてあるんじゃね?
破壊のための破壊ではなくて創造のための破壊って訳だな。
それはただ使える物を使っただけだろw
馬鹿か
740 :
世界@名無史さん:2009/12/14(月) 20:27:07 0
>>736 山西省は五台山にある寺院郡が中国最古で
800年代半ばあたりのものだとか
>>739 あんたに取っては当たり前でも734さんや737さんには当たり前じゃないから教えてやっただけだろ。
莫迦だな。w
結局、中国は前の王朝の建物を残してないってことでしょ?
木造ばかりが中国伝統建築でもないさ。レンガ(セン)もお忘れなく。
>>743 清は中華民国にとって「前の王朝」だが中華民国によって紫禁城はぶっ壊されてないだろ
746 :
世界@名無史さん:2009/12/15(火) 00:57:43 0
紫禁城は元は明の王宮。清はそれを再利用。
中国最古の木造建築は唐後半の奴が残っているはず。ただ規模は小さいし、2〜3基
ぐらいしか残っていないのでは。法隆寺の方が古いことは間違いない。
中国の建築が良く残るようになるのは明のあたりの建築から。
レンガ(せん)の建築なら、有名な長安の大雁塔は唐前半期の建築だし、宋時代の塔も
いくつか有名なものがあったかと。
明の建築が残ってるのは清朝が破壊しなかったからだよね。
陳舜臣は「清は異民族王朝でけち臭かったから紫禁城をそのまま使った」とか
書いてるし、中国人の感性はわからん。
そういや中国人に木造とかすぐ燃えるし、あんなもん建築資材として不適当だ。
みたいなこと言われたことあるな。
どうやらその人の出身はほとんど家屋に木材を使わない地域らしい。
木が少ない地方も広いし。
>>747 清は漢化したがったから漢族の象徴的な紫禁城をぶっ壊す必要はなかったんだろうさ
明の王宮そのままだったか?
礎石なんかは使ってるかも知らんが、建物は建て替えてるだろ。
と、思ったら元のものを明が改築して清も使用してるんだな。
しかし中国の歴史の中では珍しいことだね。
元以降は以前の中国とは違うと言えなくもないが。
と、思ったら・・・
>1644年の李自成の乱で明代の紫禁城は焼失したが、
>李自成の立てた順朝を滅ぼし北京に入城した清朝により再建され、
>清朝の皇宮として皇帝とその一族が居住するとともに政治の舞台となった。
755 :
世界@名無史さん:2009/12/16(水) 01:54:31 0
まずな。おまえら。
こんなに来てくれてありがとうな!。
寂しいのがすこしなくなった。
ええと、でも話についていけないが。とりあえず謙虚に下げ進行。
んーハンチクっていう技法が古来よりずっと使われてるが
あれは相当強固なもんで、まともに発掘すればすぐ分かるしろものだ。
建築物残そうが壊そうが、ハンチクやった後は絶対分かる。
結局、紫禁城は清代の建物か
そりゃ煉瓦を焼くようになる以前は、版築で城壁とか築いてたんだから、強固だろうよ。
版築って煉瓦より強いの?
版築の現物を見た事が無いからイメージが湧かない。
漢代長城はハンチク
雨にあたるとやはり剥き出し版築は傷むようだ。
それで明は長城をレンガで被った。
西周初期の王墓と殷墟の一つ前の都を発見したらおのずと夏の発見につながるはず。
甲骨文字のロゼッタストーンが必要だ。
エジプトのヒエログリフとメソポタミアの楔形文字は完全に判明しているのはベスヒィン碑石とロゼッタストーンのおかげ。
金石文と甲骨文字の照らし合わせが出来るようなものの発見が待たれる。
インダス文字は解読不明だがメソポタミアと交易していてインダス文字がメソポタミアで見つかっている
両方の文字が並んだ物がいつかは見つかるはずだ。イラクが大混乱でなかなか手が出せないのが難点だが。
後はバーレーンが中継地点で楔形文字とインダス文字が同時に出土しているから両方の書かれた翻訳岩でも
見つかれば何とかなる。もし見つかれば甲骨文字だけが全容不解明な文字となる。
インダス/楔形の翻訳物が先か、甲骨/金石の翻訳物が先か。
甲骨文字は金石文の知識で読み下したって事を知らんのか?
765 :
世界@名無史さん:2010/01/07(木) 20:05:30 0
>>764 白川静ちゃんは相当妄想はいっとるけどな。
寂しいからあげ
766 :
世界@名無史さん:2010/01/10(日) 09:30:21 0
767 :
世界@名無史さん:2010/01/10(日) 09:38:30 0
768 :
世界@名無史さん:2010/01/10(日) 09:43:07 0
550 :考える名無しさん:2009/09/15(火) 19:05:55 0
名前:名無し三等兵 :2009/09/15(火) 16:26:08 ID:???
BMIの濫用たる犯罪がピペドB強硬派によって組織的に長期にわたって行われていたことが明らかとなった
project5 素体実験などの度し難い重大犯罪である
699 名前:名無し三等兵 :2009/09/15(火) 16:28:28 ID:???
認知科学の知識とモデル、精神神経医学、および励起などに関して一般常識となっていなかったことが事態解明を妨げた
619 :考える名無しさん:2009/09/14(月) 21:09:18 0
BMIを濫用する犯罪者がいつまでのさばる?
発覚を恐れ中規模対世論工作を行い続けているブレイクラッカーピペド・ネットストーカーピペドに消えぬスティグマを与えねばならない
298 名前:考える名無しさん :2009/09/15(火) 18:28:09 0
どこまで欺瞞と責任回避と現状維持の連鎖が続くのやら。
299 名前:考える名無しさん :2009/09/15(火) 18:34:32 0
強制終了間近の素体実験に関して、いわゆる阿吽の呼吸での現状維持に関しての概要を把握せねばならないな
興味のある方は生物板を参照されたし
素体実験って何?
大脳生理学は枯れた学問らしいな
殷が何度も何度も遷都したのは遊牧民だからなんだろうな。
その気質がいつまでたっても抜けきらず都市国家になっても頻繁に遷都することになってしまった。
>>772 ということは遷都を繰り返す中世ドイツ王は遊牧民だったんだな?
冗談はさておき、多分遷都を繰り返したのは王権がまだそれ程強いものではなく、
遷都を繰り返し首都を移動させる事で統治の弱い場所に勢力を浸透させようという試みではないかなと思うのだよ。
そういえば、日本の都も奈良以前は遷都を繰り返していたな。
騎馬民族王朝の証拠か。
775 :
寂しい唐揚げ:2010/03/29(月) 00:41:32 0
ロロ人のことは、漢字で書かないでね。
音価自体は蔑称でないけど、「彝人」と書いてあげてください。
巴蜀文字の初期の文字はインダス文字に似ているらしいが、仮にそれが本当だとしたら
インダス文字が解読できれば巴蜀文字の初期が解読できるかもしれない。
雲をつかむような話だが。
夏商周断代工程の成果物は、いい日本語訳がなくて
Webサイトにころがっているのも誤訳だらけ。
元が学際的なプロジェクトなので、いろんな専門の人が集まって訳さないと難しいな。
氐、三苗、崑崙とかの用語説明があるはずだが、その部分を日本語に訳しきるには
言語とか民俗誌の背景がないと挫折してしまう。
>>775 鄒平県丁公遺址について記述発見!
山東龍山文化 2007.07.18更新
ttp://abc0120.net/words/abc2007031802.html > また、横7pばかりの刻文陶片(H1235:2)が見つかり、文字(『出版ダイジェスト』 1993-9-30)の
> 可能性があります。鉢の平らな底の一部に、尖ったもので刻(『考古』1993-4) されています。
> 馮時氏は、彝族の文字(古彝文)(「山東丁公龍山時代文字解読」『考古』 1994-1)だとし、
> 解読しています。古彝族の文字とすることは、前述の、大汶口文化・山東龍山文化は、
> 中国東部黄河下流地区に居住していた東夷の部族の文化が発展して形成した、
> 相前後する二つの文化であることからして、充分に可能性が高く、現在異論は出ていません。
彝族=ロロ人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E6%97%8F > シナ・チベット語族のチベット・ビルマ語派ロロ・ビルマ語支に属する彝語を使用。ビルマ語と緊密な関係をもつ。
山東省にも西戎といわれる集団もいたということだな。東夷の一部には西戎と同じ系統のがいたということ?
いわゆる「古羌族=姜族」の一支族がいたっぽいね。
中国版邪馬台国っすか。
穴掘り教授達が運に恵まれることを祈るしかない。
トンデモ説だが、2700年前の遼寧省西部にいた山戎というのは、彝族の1系統かもしれんね。
その後、鮮卑の禿髪部とか宇文部になった者もいるであろう。
陝西の犬戎も、彝族の1系統である可能性が高い。
今いるロロ人の彝族も6系統ぐらいあって、多数の系統からなるミニ合衆国。
史書では、唐に朝貢していた烏番というのがそれの先祖で、何人もの通訳を用意して会議をしていたという。
もともとが遊牧民族の出なので、あちこちに散らばっていてもおかしくない。
そのロロ人は、ペルシャとも交易していた自称しているぐらいで、昔はかなりの移動力を持っていたと想定できる。
四川の涼山の古民家からは、ペルシャやスキタイ発祥の意匠がゴロゴロとでてきて、やはり交易していたのかと。
新羅の羅は、ロロ人の羅じゃないかというのは、トンデモ説でワロスワロス。
3500年前と同じ丁公陶文ロロ文字金文を持った銅鏡が
日本からザクザク出土してきたらこわいな
確かに甲骨文字や金石文から「夏」の文字は出てはいる。でも意味は
大きい人とかそんな意味であって夏王朝の事ではない。
変わりに殷甲骨文字に「杞侯」、「周来」、「斉」と言った諸侯の封じられた国の
名前が出てくる。特に「杞侯」は明らかに杞にいた諸侯を指している。
それも甲骨文字の初期に出ている。杞国が西周時代ではなく殷時代に存在したと言う事だ。
しかし、「夏侯」だの「禹王」だのは一切出てこない。「禹」の甲骨の意味は虫とかそんな意味で
王の名前ではない。
やはり夏の自称は杞だったのでしょう。
周は杞を夏と呼び、商を殷と呼んだ。杞を実情以上に強大な国に仕立て上げた上に商を貶める為に
西周が呼び名を変えたのだと思う。
>>783 日本で発見された青銅器が周王朝の時代の銅を溶かした物だという話も聞いたことがある。
そして、越族は倭族とも呼ばれる海洋民族で九州南部と春秋時代に行き来していたようでもある。
越族=倭族なんて初耳
百済を中継地点とした黄海勢力ならよく聞くのだが。。。
日本の古墳時代ならば大陸は東晋から南朝六朝になるので
「海洋民族」が史書にないのがとても奇異。
787 :
786:2010/05/21(金) 16:26:18 0
次に春秋時代に関してだけど、青銅器はまだ九州には出現していない。
東周時期の史書に出てこない地域ということで、春秋時代の「海洋民族」は
福建とか広東のことでOK?
>>786 九州南部の隼人とか熊襲の事じゃないかな?越人が倭にやってきた説は・・・
とは言っても自分自身も眉唾な説だと思ったんだけどね、倭族=越族は・・・
なんか刺青しているのが似ているとか何とか。
>>787 南シナ海だと、台湾へ渡ってから琉球孤という進路があるけど、人数は多くないだろうね。
足掛りとして、台湾の阿里山側に一旦落ち着くだろう。
洪雅部族や邵部族・鄒部族の記録とか無いから残念だな。(実は鄒部族の口承で興味深いのがある。)
でも、間違って太魯閣側に上陸したら、泰雅部族や阿美部族がいるので生きて帰ってこないと思うけどw
周は商を必要以上に貶す為に殷と呼び
周は杞を必要以上に美化する為に夏と呼んだ
殷ってあんまりいい意味じゃないみたいだし、夏は「大きい・大きい人」と言う意味か。
周は自身を正当化するのが目的だったのだな。
周金石文でも殷は名前変えられただけじゃなくボロクソに叩かれているしね。
杞も再び封じているけど、先祖を夏と呼び実情以上のそんざいにしたて上げた。
理想国家夏を滅ぼした殷を滅ぼした周は素晴らしいとしたいのだな。
脚色されている周の甲骨文字よりも殷の甲骨文字、具体的には殷墟以前の甲骨文字の発見が待たれる。
殷墟の直前の都ってまだ判明してませんよね?いわゆる殷の中期に相当する遺跡が・・・・
今見つかっているのは殷末期の殷墟と殷初期の湯王の居た都とされる二里頭(多分これは夏ではなく殷の最初の都だと思う)や二里岡とか
だけで殷中期の遺跡がスッポリ抜けている気がする。
何とか発見できれば甲骨文字の原型が見つかると思う。そして、夏の正体も・・・
本当は19代目盤庚では無く22代目武丁が殷墟に遷都したのだろう。史記は1000年後の
資料なので間違いがあっても仕方が無い。
殷墟の直前の都をなんとしても発見してもらいたい。謎に包まれた殷中期を解明する為に。
殷初期と殷末期の都が判明しているのに殷中期の都が未発見なのが問題を複雑にしている
殷墟の直前の盤庚が遷都したとされる都らしきものは既に発見されているがまだ発掘は本格化していない模様。
どうやら相当規模が大きい模様。これで不明だった殷中期について何か分かるかもしれない。
本当に殷墟に遷都したのは武丁だろうね。何しろ武丁以前の遺物は甲骨文字に限らずほとんど発見されていない。
よって前々から盤庚の殷墟遷都説に疑惑が生じていた。
1、盤庚が真に遷都したとされる殷墟の直前の殷中期の遺跡の発掘
2、西周初期の「周公旦?墓」とされる遺跡の発掘
3、殷が滅んだ直後に末裔が封じられたと言われる宋の初代王とされる墓の発掘
ここまでが既に発見されている
1、西周時代の杞の遺跡の発見
2、殷時代の杞の遺跡の発見
3、桀王の逃亡先とその墓の発見
まだ発見されていないが杞の発見が夏の発見につながるであろう。
西周時代の杞と殷時代の杞の場所は当然違うだろうからまだまだ発掘のしがいがある。
殷時代の杞は殷寄りの諸侯なので一旦周により廃されて姒姓である一族の東楼公を
杞国の王に封じた。殷時代の杞国と西周時代の杞国は同じ姒姓で同族だが直系ではないし
おそらく都の場所も別なのだろう。
殷と殷の一族が封じられた宋も同じく直系じゃないのと同じこと。
ハッキリしているのは杞国が殷時代と西周時代とで分かれている事。杞国の王族は姒姓の持ち主である事。
彼ら杞国人が春秋時代の少し前あたりから夏人と呼ばれるようになった事。禹王の存在は殷時代や春秋以前の西周初期の時代には
全く見えない事。戦国時代になり夏、夏人、禹王の存在が突如クローズアップして様々な伝説が生まれた事。
二里頭文化は焼肉文化圏で殷は肉煮込み文化圏、杞の遺跡から焼肉文化が出てきたら二里頭は
杞と同列の文化である可能性が濃厚。
杞国のあった杞県は二里頭から割と近い位置にある。無関係とは思えない。
それから日本人がはまる罠として現地中国語発音と日本語発音の違いですね。
杞国の「杞」と夏王朝二代目啓の「啓」ですが。日本語だとそれぞれ杞=キ、啓=ケイと
発音しますが。中国語だと「杞」も「啓」も同音異義語でqi(キ、とかクィ)と発音するんです。
禹王はほぼ間違いなく神武天皇と同じく架空の存在でしょう。
二代目啓こそが真の初代帝王であると思われます。啓と杞が全く同じ発音なのも偶然ではないでしょう。
中国語の漢字は日本と違ってそんなに多くは同音異義語は無いんですからね。むしろ同音異義語の方が珍しいぐらいです。
啓と杞と言う文字は同じ意味をさしていたのではなかろうかと推測されるわけです。
>>796 杞は二里頭文化圏の範囲内に存在する。禹王が没したとされる会稽は二里頭文化圏から離れすぎている。
>>798 質問スレでこんなの見つけた。鹿とかのマーキングと同じで、2箇所ぐらいは勢力圏限界かな?
269 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 02:27:58 0
越の始祖である夏王朝初代の禹王の陵墓が会稽山にあるというが、あれは浙江省か
良渚文化が洪水で滅んだ後、北上して黄河中流域に住み着いたのが夏人って説もあるらしいが
270 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 02:33:56 0
禹王の陵墓は複数あるらしいよ
272 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2010/05/06(木) 13:21:45 0
>>269-270 禹王陵は4つあるらしい。
河南
四川
浙江
湖南
1、杞侯の名が記されたのは殷時代が初めてで西周時代ではなくもっと古い
2、夏王朝の事が記されたのは西周初期が始めて
3、禹王の名が記されたのは春秋時代が始めてでこの時は洪水神の扱いで夏王朝とは関係が無い
4、禹王が夏王朝の始祖とされたのは戦国時代になってから、それまでは夏王朝と禹王は無関係だった
以上の事からも禹王と夏王朝(杞国)は元々は関係無かったが、戦国時代の諸侯が結びつけたと考えられる。
>>799 それ、検証してみた。
× 河南〜禹王台は、明代に造営された記録あり、漢代以前の記録が「偽書」の類にもない。
▲ 四川〜禹里は、禹王生誕の地とされる 四川大地震で瓦礫の下へ(いつの大地震か不明 1933か?2008か?)
◎ 浙江〜会稽は、禹王終焉の地とされる 漢代の大禹陵の記録があるらしい(出典不明 史記か?) 今の廟は清代のもの
○ 湖南〜衡山1000年前の宋代に消失した『禹碑辨』の巨石が最近でてきたという。レプリカが全国7箇所程度に置かれている。
どれも陵廟という扱いなので、古墳のようなものは存在しない。
鹿のマーキング論?からすると、四川と浙江のラインが基本テリトリーで、河南と湖南は勢力限界側かな?
後漢の河南省洛陽には、禹王信仰が無かった。湖南省も、宋代に何か文化工作をやったっぽい。
自分は、調べてみて、逆によくわからなくなってしまった。トホホだ。
ウーム、禹王と夏王朝は切り離して別物と考える方がよさそうな気がするな。
例え夏王朝の存在が証明されても禹王の実在を証明できるとはとても思えない。
邪馬台国の位置やその後の大和朝廷の誕生のいきさつが証明されても神武天皇の実在は
証明できないだろうし。
803 :
寂しい唐揚げ:2010/05/31(月) 01:12:40 0
うおー、おまいら珍しく盛り上がってるなw
>800
西周初期に夏王朝の記述があったなんて初耳。
尚書?金文?最近研究文献から遠ざかってるんで教えて!
「禹は伝説だけど夏王朝は実在」って割と日本では常識だよね。
そこからすると、「元々無関係」ってのはストンと腑に落ちる感じ。
後は、史記の伝える系譜のどこまでが史実を反映しているかだよね。
太康の不格好な物語を読むと、これを捏造してもしょうがない気がするんで、
これは史実なのかなと思うんだけど。
啓の甘誓は…やっぱり作りものなのかな?と思うけど。
>>803 殷を滅ぼした時は夏じゃなくて杞と呼んでた。殷時代に杞は諸侯として甲骨文字に存在していた。
周が勝手に夏だの殷だの呼び始めてそれが定着した。
禹王=神武天皇(架空)、啓=祟神天皇(実質的な初代)と考えている。
三皇五帝=アマテラスとかイザナミ・イザナギ等の神話(神様の話だから実在はしない)
戦国時代の諸侯が神話の神であって人間ではない禹王と夏を無理やりくっつけてしまったんですね。
戦国時代の諸侯は自称黄帝の子孫を名乗ったりとにかく自身の系統を昔にさかのぼらせようと単なる神話上の神様を
実在した人間に仕立て上げてしまった。禹王だって南方の神様の話で夏とは全然関係なかったのに・・・・
だから禹王を切り離して考えないといけない。あと史記の言うような夏は存在しないかったが杞は存在した。
殷の前に杞と言う殷より大きな国が存在したが殷が他の国と力を合わせて打倒したってのが真実だろう。
杞は当時の黄河の諸国で一番大きい国だったと言うだけで後世に言われているような夏王朝と言うような強大な存在では
無かったと思う。曹操に敗れた袁紹とか、織田信長に敗れた今川義元とかみたいに天下を統一したわけじゃないけど
当時の最大勢力だったと言う感じで。小が大を飲み込む。国力に劣る殷が杞を打ち倒して杞の領土を得て殷は絶大な力を得て
割拠していた諸侯も全部平伏してしまったと。こんな感じじゃないかな?
袁紹や今川義元も大勢力で天下に一番近いと言われてたけど天下は取ってなかった。杞も同じく・・・・
禹は禹、夏王朝は夏王朝。別個の物として分けて考えるのが妥当。おそらく夏王朝の創世神話が
欠けていたかしょぼすぎたので禹と言う初代王を作り上げて夏を実情以上の存在に仕立て上げたのだろう。
中国は禹を実在の人物と考えているみたいだが神武天皇の実在を証明するぐらい難しい。
まあ不可能でしょうな。夏王朝らしき遺跡は見つかっているが禹の実在を証明できる遺跡は何も見つかっていない。
殷に敗れた桀は最初に後の三晋の一角である魏(例の竹書年間の出土地)の地に逃げたが湯に追われて長江下流の
良渚文化の地である巣まで逃げ込んでここで最期を遂げた。
巣は今の巣湖とされ巣湖には竜神伝説と湖に沈んだ大都会の神話が伝わっており実際に湖の中には大量の遺跡が存在する事が
判明し何らかの都市があったことが推測されている。二里頭文化圏から離れた巣の地まで逃げ込んだ事からここに夏王朝と繋がりの
深い勢力があって桀はかくまわれた物と思われる。
夏王朝は長江文明との関係が深いのではなかろうかと思われる。禹が没したとされる地も
桀が逃げ込んだ地にわりと誓い。禹はこの地方で信じられる神だったのではないかな。
二里頭文化圏の範囲内に魏と杞が存在するのが夏の範囲を物語っていると思う。
また二里頭文化圏は西方の勢力との結びつきが非常に強い。後の周や秦が興る地やその更に西の勢力と
関係が深いが東の勢力とはあまり関係が深くない。後の西域に当たるタリム盆地やフェルガナ盆地にも
人すんでいて夏と関係があったと推測される。夏は西と南の勢力と繋がっているようだ。
それに対して殷は東の勢力や北の勢力と繋がりが深い。
>807
大海嘯で良渚文化は滅んだのだ
二里頭文化のほうが良渚文化よりも後の時代なので
桀は水中に没したムー大陸のような良渚の都市でどうやって暮らすのだろう?
蘇東坡先生のような土木行政官が現れる前の浙江省は沼沢だらけの地........
>>809 なんでこんな所に逃げ込んだのかは不明。桀が逃げてきた時点で既に巣湖に大都会は沈んでいた。
まともな都市は無かったはずなんだがね貧しい村落があっただけと思われる。竹書紀年が出土した魏に夏の伝記が伝わっていたが桀が最初に逃げ込んだのが
まさに後に竹書紀年の出土した戦国時代の魏国の地。ここにもやはり夏と関係が深かった事実が見え隠れする。
荊州-咸寧-蕪湖-建業のベルト地帯は、孫呉あたりから再開発が始まる。
その直後の竹書紀年=晋期の3世紀というのがちと怪しい。
趙宋が湖南省衡山で、禹王で文化工作やったっぽい?のと似ている。謎w
>>795 >>809 東坡肉(トンポーロー)は、重慶や湖北の料理法(渝菜)を
蘇東坡先生が江南に持ち込み、杭州の名物となりました。
蘇東坡先生は、重慶(渝)の近所の出身だったみたいだ。
重慶火鍋は、後の時代に湖南省から入ってきたから、趙宋時代の渝菜は劇辛ではなかった。
火力が弱く水も少なくてもじっくり煮込むことにより、プルプルの角煮を作る今の形になりますた。
今では東坡肉は日本全国にも広がっているお。
春秋時代の呉は周人、越は夏人。しかし小国で発展はしていない。楚も秦も特に開発に
力を入れた形跡無し。
呉王や越王が中原や楚出身だとしても
《太平御覽》や《周禮》を読むと
呉越の多数派住人は王族と違っていたっぽい
黄帝と戦ったとされるシュウウはどこの文化圏の神だったんだろう。
いま蚩尤の廟があるのは湖南省だろう
武陵山に蚩尤の像がある
湖南人の祖先にはミャオ族がいる
生苗,熟苗
湖南の漢族は多分熟苗だな
中原西部に居たのが夏人で
東夷=殷人及び山東半島や遼東半島の半分農耕民の遊牧民(農耕と遊牧の両方を行う)
北狄=匈奴の前身である遊牧民
西戎=後に周人や秦人、犬戎となるカラスク文化をになう遊牧民
南蛮=楚人や巴人・蜀人、更には良渚文化のミャオ族も含める
百越(閩・粵)も南蛮だ
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/17-ka.htm 確かに二里頭から出土した刻印符号は甲骨文字に似ているように見える、写真が不鮮明すぎるのが難点だが。
二里頭は全部で4期に別れるらしいが
1期=龍山文化末期
2期=夏王朝前期〜羿・寒浞の簒奪時代
3期=夏王朝後期
4期=殷王朝
と言う感じではなかろうか。
今の所、二里頭からは王墓は見つかっておらず。庶民や豪族と思われる小規模な墓のみが発見されている。王墓は別の
場所に存在すると思われる。王墓が見つかって初めて夏王朝の実在が証明されるだろう。中国では今も二里頭遺跡の発掘は
続いているが遺跡の場所は畑なので春から秋にかけての時期は発掘調査が行えない為に冬の期間限定で発掘を行っているので
少しばかり効率が悪い。エジプトとかインドの遺跡みたいに乾燥地帯にあったら畑とか気にする必要が無かったんですけどね。
↑
孟獲の同盟者たち(笑)
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| ` く/ にゃあ〜
|ノ人)〉
|゚ヮ゚イl 孟獲さまが
⊂)ノ|| 孔明に捕えられちゃった・・・
|/_|〉ノ
|'ノ
二里頭は完全に麦畑で覆われている。夏人も後世の考古学者の事を考えて
砂漠地帯に町を作ればよかったのに・・・・
中々立ち退かせるわけにはいかないしな。
と言うのは冗談ですが、麦畑の人も生活かかっているから仕方ない。
冬に大急ぎで発掘して春になったら埋め戻してまた冬に発掘だから時間がかかって仕方が無い。
エジプトは砂漠だから年中掘り放題なのがいいね。
いっその事国で買い取ればいいのに…