1 :
Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :
04/06/11 23:38 前スレ「双頭の鷲・ハプスブルク家の人々」の後継スレッドです。 宜しくお願いします!
2 :
世界@名無史さん :04/06/11 23:51
ルドルフ一世が2ゲット!
3 :
Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :04/06/11 23:51
前スレの祝電再録 何でハプスブルグごとき成り上がり者がこんなにスレ立てとるんじゃゴルァ!! 神聖ローマ皇帝冠にふさわしいのはわしじゃー!!! ボヘミア国王オトカル2世より 早速祝賀の使いを差し向けたが門を閉ざすとは何事か! 寒さに凍える我が民を見て何とも思わぬか!! オスマン・トルコ皇帝スレイマン壮麗帝より 新スレおめでとうございます。 ところでお祝いにきたのに誰もいないとはどういうことですか? 早く帝冠を下さい。どうもこのところからだの調子が・・・。 ハンガリー王マーチャーシュより 大変めでたいことじゃ。 まあヨーロッパ最強の陸軍を擁する我が国と同盟を結んだのだ、 大船に載ったつもりでおるがよい! ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世 しかし・・我が主よ、なんという軽薄な祝電を打つのじゃ・・。
>>4 2年ほど前なんですね。。その頃はわたしはまだお邪魔していませんでした。
Reichsprotektor殿 もうそんなになり申すかな・・。 ところでヤフオクなるところに英雄広場の本の独語版 が出品されておるとの情報が、我が手のものより入り申した。 英雄広場で検索されたし。
Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM 様。スレ立てありがとうございます! 私もこれからは一常連として参加させて頂きます。 本当にホスト規制には困惑させられました。別にここ2年くらいスレ立てもしてないんですけどね〜。
いやいや基本的にこちらはカウニッツ卿のサロンという舞台設定になっております 故・・・。 ホスト規制というのはなんなんでござろうな、一時期、拙者は書き込みが一切でき ず、自分の館の管理も出来ず困ったことがござる。
前スレでアルバニアの国旗の話が出てござるが、あれはかの国の 英雄スカンデル・ベグの鷲と呼ばれてござるな。 かの御仁の軍旗に由来すると耳にしたことがござる。
>>8 たぶん、ヤーノシュさまのプロヴァイダでスレ立てをした人がどこかに
いたんでしょうね。。
わたしの場合、普段おります兵舎ではIPが番号のままのため、アクセスを
拒否されるケースもあります。
今度赴任致します国は、場合によっては国名で撥ねられるサイトがある
らしく(2chはその代表例!)、あわてて2chビューワに入った次第で。。
>>6 ロリータシンドロームさんですね<出品者
お世話になりまくっています(笑)
わたしが見た時には洪語版が出ていましたが、それとは別にドイツ語版
もあったんでしょうか...残念。
11 :
世界@名無史さん :04/06/13 20:32
すみません、ハプスブルグファンなんですが、教えてください。 現在、オットー大公やそのご子息の方々は、自由にオーストリアに行き来できるんですか? 現在、どちらにお住まいなのでしょうか。 オットー大公は、なんだか昭和天皇のような神々しさが感じられますね。
遅くなりましたが、新スレおめでとうございます!
今後ともよろしくお願いします。
>カウニッツさま
前スレのブルボン・“パルム”家のお話は、Ryuju ◆RlujhF6VrA氏の
おっしゃる通りのようですね。 「パルムの僧院」 という小説もありますしね。
>>11 「反ハプスブルク法」 というのがいちおう残っているらしいですが…。
オットー大公自身は、皇位継承権を放棄して、共和国に忠誠の意思を
表していたと思うので、入国禁止ということはないと思います。。
新スレおめでとうございます。 >シュヴァルツェンベルク氏 私のことはRyujuだけでいいです。トリップつけなくても。
Reichsprotektor殿 拙者がウイーン在住の友人に聞いたところではフォンは禁止らしいですな。 ドイツだと今でもフォンは普通に名乗ってますが・・・。 もっともウイーンの上流階級ってのは今でも貴族様だらけで、なんとか伯爵 とかいうのがゴロゴロして由にござる。
>>15 Grafとついてもvonがないという...ことになるんでしょうかね?
Graf **** von Lobkowitzというところからvonと取ってしまう?
奇妙なことになってしまいます。。
ロプコーヴィッツ。なんかかっこいいですね。それと「…ハウゼン」なんかも。
Reichsprotektor殿 公式にそんな名乗りはいたさぬが、貴族同士の間ではあの人は○○伯爵 だという了解があるという意味でござる。 そういえばハンガリーのエステルハージ家のご一族で作家をされておられ る御仁がおわすが、名前を見れば称号がなくても誰だかわかるという意味 のことをおっしゃっておられましたな。 カウニッツ殿 ○○ハウゼンというと拙者はミュンヒハウゼン男爵を想起してしまい申す。 歴史とは全く関係ないがかの御仁を主人公とした「バロン」という映画は なかなか面白うござるな。願わくば拙者もあのような老人になりたいと思 い申す。
>>17 カウニッツさま、
わたしはロブコヴィッツという響きがなんとなく好きなのです。。
>>18 なるほど、公然たる秘密な訳ですね。
友人に聞きましたけど、元貴族の人々が経営する古着(いや、コスプレ屋?)
があるらしいですよ。
わたしもクロアチア騎兵の恰好をしてみたいものです!
...ハウゼンと言えば、シュヴァルツブルク・ゾンダーハウゼン家なんか どうでしょ? ミュンヒハウゼンというからには、お坊さんのお家があったところに 住んでいたのでしょうね。
グリンメルスハウゼンもお忘れなく。
Reichsprotektor殿 ブダペストの民族衣装店でマジャール騎兵の装束をあつらえようか と思ったことがござる・・家人からは絶対に止めろときつく申し渡 されており申す。 拙者の場合な本来はフス派の傭兵の格好をするのが正しいのでござ ろうが・・・・。
>>21 ...あとでググって見ます。はじめて見た名前です。。
>>22 作っちゃいましょう!!
わたしはフザールの服から派生した肋骨服を持っておりますが、
小さすぎて着用は出来ません。。
>Ryuju さま 失礼しました。今後ともよろしくお願いします。 >カウニッツさま グリンメルスハウゼンは作家でしたっけ? 私は、どちらかというと某ひなたぼっこ提督を思い出しますがw >Reichsprotektor さま 「ミュンヘン」 の名前も、同じく修道僧に由来するそうですね。 イタリア語だと、発音より意味が先行して、ミュンヘンをモナコと呼ぶんだとか。
Reichsprotektor 殿 ブラスバンドかなんかと間違えられるのではござらぬか・・。 シュヴァルツェンベルク殿 ミュンヘンの市の紋章が修道僧でござるな。 最初見た時は一瞬ムササビの類のシルエットかと思いましたぞ・・。 紋章と言えば貴家の紋章もなかなか凄みがございますな。
シュヴァルツェンベルクさま ですね<ミュンヒェン モナコも僧という意味なんですか? 混乱しそうです。中国だったかどこだったか、ある地名を われわれが使う別の名前で呼ぶので混乱するという事例が あったような。。。 ヤーノシュさま 参謀飾緒なぞぶら下げた日には間違いなく。。 紋章は勉強してみたいですが、どうも難しい。 麦酒と古本のプラハに紋章学の入門書のことが書かれていたの で、あちらの図書館で複写したいところ。 読み込む時間がないことが一番の問題かも知れませんが(笑
シュヴァルツェンベルク様。 そうですね、ある意味作家と言えますね。 三十年戦争での自分の体験を「阿呆物語」に描きました。因みに1669年です。
呼んだかの・・
「わたしの心をつねに讃嘆と畏敬で満たす二つのもの、 それは頭上にきらめく星空と心の中の道徳律である。」 byカント
クイズ・「つねに警戒せよ」とは誰の合言葉だったでしょうか?
正解は、プロイセン国王フリードリヒ2世陛下でした。
32 :
世界@名無史さん :04/06/17 23:33
宰相閣下 そんなハプスブルク家の仇敵の言葉をクイズにしないように・・・。
ウィーン会議の時、カウニッツ・ホテルと言うのがあったそうです。。。
1873年のウィーン万国博覧会は終わってみれば15000000グルデンの赤字を計上しました。 途中、株式の大暴落もあり、凋落していくハプスブルク帝国を象徴している様でした。
その話、なんか近未来の中国と被るんですよ・・・。 縁起でもないんですがね。
37 :
世界@名無史さん :04/06/21 18:04
恐れ多くもフランツ・ヨーゼフ陛下とその弟君たちのことを知りたく思います。 陛下と、マクシミリアンブラジル皇帝に関しては資料もあるのですが、 その下の弟君たちについては調べることも難しく…。 何か良い資料などありましたら、どんなものでも構いませぬ、教えていただきたく…。
>>35 ですねぇ。。立派な株式市場が出来あがった時(?)には
バブル崩壊後とか。。
>>36 燃料戦争が深刻化しないうちに、中国さまには潰れて欲しい
のですが...最近は汚いやり方ばかりが目立ちますので。
39 :
チタ・フォン・ブルボン・パルマ :04/06/21 23:58
>>37 三男のカール・ルートヴィヒ大公殿下は、とても敬虔なカトリック者でございまして、聖地巡礼にもよく行かれていらっしゃいました。
ヨルダン川の聖水をお飲みになり、発病してしまって帝都に運ばれましたが、当地で薨去されました。お子様は沢山いらします。
四男のルートヴィヒ・ヴィクトール大公殿下は、確か近衛師団の司令官をされていたと思います。
晩年は、ご病気のため、カール1世陛下の弟オイゲン大公殿下が、後見人をされていました。
ルートヴィヒ・ヴィクトール大公殿下は、1919年に薨去されました。ご結婚はされませんでした。
>>37 ブラジル皇帝ではなくメキシコ皇帝で御座いますよ
41 :
世界@名無史さん :04/06/22 01:41
俺、ヨーロッパの王家ってあんま興味ないんだけど ハブスブルグ家だけは面白いなあ。 神聖ローマ帝国皇帝ってのが、イイですね。 なんともロマン溢れる響き。 一応、法的には全ヨーロッパの皇帝という事でしょう? (違うのかなあ?もちろん実質的な権力が無い事は知ってますけど) 西ヨーロッパ世界の名門中の名門ですな。 (もちろん始めは、しがない一地方のちっぽけな領主でしたけど)
>41 神聖ローマ帝国皇帝は別にハプスブルク家だけという訳ではござらぬ。 例えば、名君カレル4世陛下やらジギスムント陛下を出したルクセン ブルグ家、大空位以前のホーエンシュタウフェン家の皇帝陛下の事績 なども非常に興味深いものでござるぞ。
フランツ・ヨーゼフ陛下の末弟のルートヴィヒ・ヴィクトール大公殿下は同性愛者で、 トルコ風呂に出入りしたり女装に耽ったりして皇帝陛下を閉口させたそうです。 エリーザベト皇后陛下がこの大公殿下に美しい男性の写真を入手してくれる様にと、 手紙で依頼されています。 あまりこの手の話はしたくないのですが…まぁ事実ですし。。。
44 :
シュヴァルツェンベルク :04/06/22 22:46
>26 Reichsprotektor さま モナコもミュンヘンも、僧(Monk) に由来するんだそうです。 紋章は私も詳しくありませぬ。 キリスト教の図像学は多少やっておりましたが、 紋章なども、見て意味がわかるようになれば面白いと思うのですがねえ。 >37 フランツ・ヨーゼフ帝については、刀水書房の「フランツ・ヨーゼフとその時代」が お勧めです。 とかく美化されがちな、「古き良き皇帝」というイメージではなく、非常にドライに 書かれておりますので。 わりと最近のものなので、新刊でも手に入ると思います。 >43 カウニッツさま まあ、プリンツ・オイゲン公も、お若い頃はマドモワゼルなどと呼ばれていたと 言いますし、けっきょく独り身で通しておられますしね。 その手の話は 色々ございますね。
>37 すいません、本のタイトル訂正です。正しくは「フランツ・ヨーゼフと ハプスブルク帝国」です。 ホーフマンスタールとごっちゃになってました。
シュヴァルツェンベルク様。 深い泉はたぶんそれを知っている 嘗てはみんながそれを知っていた いまは一つの夢があたりをめぐって閃めいているばかり ホーフマンスタール「世界の秘密」より(富士川秀郎・訳) たそがれてしまいますね…。
47 :
カール・フォン・プァルツ=ツヴァイブリュッケン :04/06/25 14:55
宰相カウニッツのせいでアマーリエ様と結婚できなかったんだけど
48 :
世界@名無史さん :04/06/25 14:57
パルマでしたい放題w
なにやら、やんごとなき客人の方が多うござるなぁ・・。 シュヴァルツェンベルグ殿 オイゲン公子の服を軍事博物館で拝見させていただいた ことがござるが、女性、それも小柄な方が着ても不思議 でないような感じの服でござった。 相当に細身の方であったようでござるな・・。 しかし、その戦ぶりは凄まじいものであったそうでござ るな。
ギシュクラ様。 偉大なるプリンツ・オイゲンがおられなければ、スレタイにもある「ドナウ君主国」には なれなかったかもしれませんね。しかし、かの勇将が小柄であったとは興味深いです。
51 :
シュヴァルツェンベルク :04/06/26 14:25
カウニッツさま たそがれますねえ(´・ω・`) しかし、ウィーンはそのたそがれを愉しんでいるようなところが好きですw 大赤字の万博の時も、「破産のポルカ」を踊ってしまうようなところとか… >47,48 ツヴァイブリュッケン公といえば、ヴィッテルスバッハ家と縁続きになる お家ですね? バイエルン史のなかでお名前を知りました。 「二つの橋」は、具体的にどこか由来の場所があったりするのでしょうか。 ギシュクラさま ブダペストの王宮の丘に、プリンツ・オイゲンの像が残っていたのが 印象的でした。 前スレで、英雄広場の皇族がたの像が撤去されたという話が ありましたので、プリンツ・オイゲンという名前はやはり別格なのかと思いまして。 しかし、公子がもしスラリとした長身だったら、ブルボン家に召し抱えられていたかも しれないので、小柄でよかったかもしれないですねw
シュヴァルツエンベルグ殿 オイゲン公子とエルジェーベト王妃は別格の人気ですなぁ。 皇帝陛下の名前を冠した橋は自由橋に変わりましたが、王妃 の名の橋は今もそのままの名でござるよ。 オイゲン公子の像に関しては、「小男なので騎馬像にした」 とか言われてもおりもうすが、撤去されたことはなかったと 思いますぞ。 ルイ14世陛下もまさか追い払った青年が無双の武将に成長し て牙をむいてくるとは想像できなかったのでござろうな。
53 :
シュヴァルツェンベルク :04/06/27 16:54
54 :
世界@名無史さん :04/06/27 18:46
西暦1453年は百年戦争の終結とコンスタンティノープルの陥落が有名だがフリードリヒ3世が ローマで戴冠したのも忘れられては困るぞ
>53 あそこの倉庫はなんかとんでもないものが眠ってそうですな。 他にも何か出てきてのではございませぬか?
こちらも宜しくです。。。
57 :
世界@名無史さん :04/07/01 21:46
ルドルフ皇太子と心中した女性の名前知りません?
確か、ツィタ。
>>57 さん。マリー・ヴェッツェラのことだと思います。
マイヤーリンク……。
>57 皇太子殿下のお名前がわかれば、検索すればわ かりそうなものじゃが・・・。 >58 それは最後の皇帝陛下のお妃の名前でござろう。 >59 カウニッツ卿はあの事件についてどうお考えで ごりましょうや?一説では暗殺だとかいう不穏 な話もあるそうでござるな・・。
マリー・ヴェッツェラについてはウィーン駐在ドイツ帝国大使が放った密偵との噂もあります。 またマイヤーリンク事件後まもなくヨハン・ザルヴァトール大公がヨハン・オルトと名を変えて オーストリアを脱出、その後大公の乗った船がホーン岬沖で座礁し大公が落命したとの話も あり、個人的にはツィタ皇后も述べられた暗殺説に傾いてしまいますね。
62 :
チタ・フォン・ブルボン・パルマ :04/07/06 20:07
当初、フランツ・ヨーゼフ陛下がローマ教皇聖下に、確か葬儀の許可を求めたのですが、 カトリックでは自殺が厳禁のため教皇庁はそれを拒否、 陛下が事件の詳細を述べた長文を聖下に打電すると、即座に葬儀の許可が降りたそうです。 他にマリア・テレジア大公妃やジクスト公、他に司教様なども、 部屋が滅茶苦茶になっていたとか(公式の記録では室内は全く通常通りだったと書かれています)、 皇太子殿下の遺体に著しい損傷があったと言っていたと思います。 あと、ジョヴァンニ大公の遺体はあがっていませんね。 日本に渡って現地で生存しているという噂もあったほどですから。
傭兵隊長如きのの疑問に皇后さま御自らお答えいただけるとは・・。 なんとありがたきことか・・・。
64 :
シュヴァルツェンベルク :04/07/07 23:46
ふーむ。ヨハン・サルヴァトール大公という名前は存じませんでしたので 調べてみました。 1859年、トスカナ大公レオポルド殿の三男としてフィレンツェで誕生。 レオポルド大公は皇帝レオポルド二世陛下の孫に当たります。 1890年、南米に向かう途中で遭難し行方不明。その後、確証のないまま 1911年に死亡と宣告。 …こう見るとミステリーの匂いがするのは確かですねw しかし、イタリア統一で無領公になったトスカナ大公の、しかも三男に、 皇太子を暗殺して何か得るものがあったかというと…。 ねたみによる犯行?…となると、これは本当に推理小説の世界ですよね。 というか、恨むならむしろイタリア王を…w
65 :
世界@名無史さん :04/07/08 15:29
そもそも暗殺だったとしてそれを隠す理由は何なんでしょうか? いくら当時皇帝と皇太子が政治的なことで対立していたとはいえ…
66 :
チタ・フォン・ブルボン・パルマ :04/07/08 22:51
マイヤーリンク事件は帝国に対する不安定化政策の一貫なのです。 サラエボ事件も不安定化政策の一貫でした。 あくまで噂ですが、ルドルフ皇太子はフランツ・ヨーゼフ陛下の廃位をたくらむジョヴァンニ大公の計画に参与していたらしく、 その露見を恐れた誰かによって暗殺されたという憶測もあります。 暗殺を隠す理由としては、皇太子が暗殺されたということになると、反皇帝勢力が勢いづくことが挙げられますが、 皇族が暗殺に関与していた場合は暗殺であると公表できませんね。 当時は皇族達も政治や外交の問題でかなりもめていた様子も見受けられます。 カール陛下も基本的にはフランツ・フェルディナント大公の影響をかなり受けられていましたし。 リベラル派という点ではルドルフ皇太子もフランツ・フェルディナント大公も同じなのですがね。 ルドルフ皇太子は国内問題ではエリーザベト皇后陛下と同じく親ハンガリーで、 フランツ・フェルディナント大公は以後親ベーメンになりますが。 とにかくマイヤーリンク事件で怪しいのは、証言のあやふやな侍従のロシェクやホヨス伯爵などになるでしょう。 ザクセン=コーブルク=ゴータ公(どなたかは忘れましたが)も、事件の前夜まで皇太子と一緒にいました。
67 :
シュヴァルツェンベルク :04/07/09 23:36
恐れながら、“不安定化政策”とおっしゃいますが… では誰か、たとえば外国政府などに黒幕がいたということでしょうか? 私としては、そういった陰謀説には首をかしげざるを得ないので、 具体的な裏付けがあればお教え願いたいところです。 ルドルフ皇太子については、事件の数年前から自殺願望があったことが 警察資料に記録されていると読んだことがあります。 いずれにせよ、ルドルフ皇太子や、ジョヴァンニ(ヨハン)大公などが、 フランツ・ヨーゼフ帝の廃位を画策していたという話は、にわかには 信じられません。
68 :
チタ・フォン・ブルボン・パルマ :04/07/10 00:21
私はその点についても語っておりませんが、黒幕は今のところ不明ということになっています。 不安定化政策といいますより不安定化工作でしょうか。 マイヤーリンクもサラエボもそれだとすると、国内の民族主義者による犯行ではないかという憶測が強まります。 マイヤーリンク事件のしばらく前に、皇太子はカール・ルートヴィヒ大公に、 「父に対して恐ろしい陰謀が企まれている。しかし、それを密告すれば私は殺されてしまう。」 と語っているようです。 でも誰が何のために殺害したのかはよくわかりませんね。 私が参考にしている文献は『ハプスブルク家の悲劇』(ワニ文庫)です。これに詳しく書かれています。 この著者に関してはよろしからぬ風評も聞きますのでどうかとは思いますが。 皇太子が暗殺されたことは確かです。 1950年代に、マイヤーリンク事件の真相を探る為、ヴェッツェラ家の人々が医師立会いの下でマリー嬢の墓を掘り返し、 マイヤーリンク事件直後の検死報告書によればマリー嬢はピストルで頭を撃ち抜かれたことになっていましたが、 遺体にはそのような跡はなく、頭部に大きな打撲傷の跡が見受けられたそうです。 1990年代にもマリー嬢の遺体が再調査されたようですが、50年代の調査を再確認するに至ったようです。
69 :
世界@名無史さん :04/07/10 00:35
はて? 「ツィタ皇后は、マイヤーリンク事件について語るときに マリー・ヴェッツェラについて言及したことなどなかった」 と、「うたかたの恋と墓泥棒」という本に書いてあったような。 この本では暗殺説を明確に否定してるね。
70 :
シュヴァルツェンベルク :04/07/10 23:54
>チタ様 その著者というのは桐○操ですね?w 確かに、風評…というより、マユツバな部分が多いと思われますので、 資料として用いられるのは注意が必要かと^^; >69 私が以前に紹介した、「フランツ・ヨーゼフとハプスブルク帝国」という 本でも、自殺説は疑われておりませぬ。 『ルードルフが愛人関係にあったマリー・ヴェッツェーラを撃った後に自らを 撃ったことはかなり明白であるにもかかわらず、二人の自殺は今日でもなお ミステリーの靄[もや]に包まれ、ほとんど神話的な地位を「マイアリング」に 与えている。 ターフェ政権は自殺の事実(それは王朝の大部分のカトリック教徒にとっては とてつもなく大きなスキャンダルだった)を隠匿する試みに失敗し、そのことは 大衆の病的なまでの好奇心のためにすでに用意されていた筋書きに、 陰謀説をつけ加えただけであった』 とあります。
71 :
チタ・フォン・ブルボン・パルマ :04/07/11 00:48
完全にHNのキャラになりきらなくちゃいけないと思ってる香具師は農奴。 シュヴァルツェンベルクさん そうですその著者です。本当は怖いグリム童話という本もこの著者でしたっけ。 真相はフランツ・ヨーゼフ・オットー大公が多分知っているのでしょう。 事件当時のハプスブルク家の人々も真相を多分知っていたと思うのですが。 カール・ルートヴィヒ大公もマリア・テレジア大公妃も。 チタが発表したことが本当でない場合、 マイヤーリンク事件の「真相」の公表はチタやフランツ・ヨーゼフ・オットー大公に不利益だということですね。 今となっては真相を発表しても差し支えはあまり無いと思うのですが。 もしくはフランツ・ヨーゼフ陛下がカール陛下に教えた事件の「真相」事体が、真相ではなかったとか。 まぁ他に暗殺説の証拠としては、駐墺のドイツ大使がビスマルク侯に 「宮廷司祭が、皇太子の遺体は傷だらけで、皇太子のものではないピストルが部屋にあり、しかも六発の弾丸は全て発射されていた」 と報告しているようです。
72 :
エステルハージ :04/07/11 01:13
>完全にHNのキャラになりきらなくちゃいけないと思ってる香具師は農奴。 やんごとなきお方がそのようなはしたなきお言葉を使われてはなりませぬ。 洒落を解しない無粋な輩は放置なさるのは一番でござりましょう。 桐生女史の本と江村先生の本は中身的に時々ちょっとどうかと思うことが・・・。
73 :
シュヴァルツェンベルク :04/07/11 22:57
>チタ様 ま、まあまあ、穏便に参りましょう。。。 マリー・ヴェッツェラが、ドイツ帝国やあるいは国内の民族主義派の 密偵だったという話がありますが、逆の考え方もできるのではないかと 思いました。 つまり、マリー・ヴェッツェラは警察の密偵で、ルドルフの自殺を止めようとして 失敗して殺されたということも、考えられない話ではないと。 それなら「部屋が荒らされていた」等という話が事実だったとしても つじつまは合いますよね。 警察としても、身内の不始末となれば揉み消そうとするでしょうし。 >エステルハージ様 江村先生の本には、あまり疑問を感じたことはありませんでした。 桐生氏と同列に扱うのはいかがなものでしょうか^^; 私がいまいちだと思うのは、マクシミリアン大公の本などを書いている 菊池氏の本ですね。 どうも内容がアマチュアっぽくて…
江村先生の書かれた物は史実としては嘘は書かれていないと思われます。 ただ、心理描写の部分は江村先生の憶測がかなりのウエートを占めている本もありますね。 特に訳書に多いですね。
>シュヴァルツェンベルク卿 菊池氏は本来、歴史学というより文学研究者ですから。 そこら辺でアマチュアっぽく見える(というより古い通説を多く採用する) のは仕方ないかと。 >カウニッツ卿 実際問題、訳書に憶測を入れられるのでしょうか? 自著の方が入れやすそうに思うのですが。
どこぞの密偵かもと言った話が出ていますが マリー・ヴェッツェラの身元ってそんなにわかってないんですか?
Ryuju ◆RlujhF6VrA 様。そうですよね、何故訳書って書いたか自分でも不思議です。 訂正します。御指摘どうもです。
78 :
シュヴァルツェンベルク :04/07/14 22:52
>Ryujuさま 確かに略歴には「専攻:オーストリア文学」となってますね>菊池氏 しかしそれにしては、文学系の本はあまり書いてないような…w 「アマチュアっぽい」と書いたのは、ナントカ会戦の布陣がどうとか陣形が どうとか、戦闘シーンの描写ばかり細かくて、軍オタっぽい感じがしたもので… >76 マリー・ヴェッツェラですが、男爵の爵位を金で買った、新興ブルジョアジーの 家の娘だったと記憶しています。 男爵位までは売買できたそうなので、 そういうことも珍しくなかったようですが。 マイアーリング事件の時には、マリー・ヴェッツェラと皇太子の間は冷めていて、 皇太子の本命はミッツィ・カスパルという女性だったそうですが、現実的な カスパル嬢は、ルドルフの心中の誘いを一蹴したそうです。
シュヴァルツェンベルク侯、ミッツィ・カスパーは確か高級娼婦でしたね。
80 :
シュヴァルツェンベルク :04/07/16 23:22
>カウニッツさま おっしゃる通りです。 ルドルフ皇太子については、世を儚んでマンションから飛び降りた某氏のような、 ナイーヴな男性だったと考えるのが一番自然なんですかね…
81 :
世界@名無史さん :04/07/17 18:52
身内は政治的暗殺説に傾くんだよね。 ボリス三世の身内とか
ブルガリア?
>完全にHNのキャラになりきらなくちゃいけないと思ってる香具師は農奴。 多分、私のことですな。 一定のルールで遊んでいたのですが、白けました。やめます。 >シュヴァルツェンベルクさま 江村先生の本で私が謎に感じているのは講談社新書の「ハプス ブルク家」でハンガリーのマーチャーシュ王のことを「トルコ のの太守の後ろ盾あってのハンガリー王」「ハンガリー軍には かなり多くのトルコ人やトルコ製の武具・大砲などが含まれて いた。」とあるのですが、これの出典というのは何なのでしょ う。ハンガリーで出版されている本にはこの手の話は出てこな いもので・・・。 確かにトルコと和約して西方攻略に向かってはいるのですが、 教皇からボヘミアの異端撲滅(イジー王)十字軍を命ぜられた 彼がトルコの傀儡になっていたのかどうか・・・。 ハンガリーの友人はオーストリア側の年代記かなにかが出典 ではないかと言うのですが他で聞かない(この本を参考資料 に挙げている本2冊で同様の記述は見ましたが・・・)話な ので・・何かご存知でしたらご教示ください。 あと、どの本か忘れましたがプシェミシュル家のオットカル 2世に関して気になる記述を見たような・・。
>>82 ,83
横レス失礼します。
ボリス三世はブルガリアの国王です。
1943年8月14-15日にドイツでヒトラーと会談を行った際に対ソ参戦とブルガリア国内の
ユダヤ人の強制送還を打診されたのですがボ王はこれを拒否し、会談は相当険悪な
ムードで決裂しました。そして帰国して1週間後位にボリスは体調不良を訴え、医師の
手当ての甲斐もなく28日に死亡しました。その死亡の原因が実はあまりよく解明されな
いまま現在に至っており、これがボリスはヒトラーの逆鱗に触れたため暗殺されたので
はないかとの憶測を呼びました。一応公式には死因はなんらかの心臓疾患ということに
なっていますが、現在でもブルガリア人には毒殺説を信じている人は少なくありません。
86 :
シュヴァルツェンベルク :04/07/20 01:32
ギシュクラさま ふむう、マーチャーシュ王がトルコの尖兵… 確かに、見たところ他の文献ではそういう話は出てこないですね。 オーストリア贔屓の記述が多い、彩流社 「オーストリア史」 にも 特にそういったことは書いてありませんね。 ただ、この本や、江村氏訳の他の本で、マーチャーシュ王を 敢えて 「マティアス・コルヴィヌス」 と呼んでいるところが 気になるくらいで…w しかし、新書を参考文献に挙げる本というのも、どんなものなんでしょう^^; それから、HN云々のお話は、あまりお気になさることもないかと思います。 今後とも良きレスを賜わりますよう・・・
シュヴァルツェンベルグさま マティアス・コルヴィヌスはマーチャーシュ王がイタリアにかぶれて 自分で名乗っていたのではないでしょうか。 御用学者にローマ貴族のコルヴィナ家に遡るとかいう系図を作らせた りしていたはず。 本来はフニャディ・マーチャーシュが姓名ですね。 江村先生はハンガリーの地名を全部ドイツ語でお書きになるのも困り ます。グラン=エステルゴムぐらいならまだいいいですが、複数地名 表記のハンガリーの地図を持っていないとわからないような地名は現 在の○○と書いていただかないと・・・。
88 :
世界@名無史さん :04/07/26 17:21
カウニッツage
御免なさい。パソコン故障中です。近日中に復帰しますので宜しく御願いします。 今、ネットカフェからです。 ギシュクラ様。 くだらない中傷は気になされずに。ツィタ様を「チタ」なんて言っている輩ですから。 お互いなりきってレスし合うのが楽しいのですから。これからも今まで通りやって行きましょうよ。 私だってカウニッツ宰相になりきっていますし。(本物は偏屈者だったと言う説も…) ハンガリー・スレ、なかなか良いですね。ロムってますよ。(笑)
先程PCが無事直りました!さあ、世界史板復帰だぁ。。。
91 :
世界@名無史さん :04/08/04 11:15
チタ・フォン・ブルボン・パルマは農奴。(w
92 :
世界@名無史さん :04/08/05 23:10
翻訳本にも「チタ」って書いてあるじゃん?
93 :
シュヴァルツェンベルク :04/08/08 22:40
カウニッツさま、復帰おめでとうございます ギシュクラさま マーチャーシュ王のコルヴィヌスというのは自称でしたか。 ローマ貴族とのつながりとのことですが、つかぬことを伺いますが 御国ハンガリーとイタリアというのは、いろいろ因縁というか、関係が深いのでしょうか。 確かハンガリー王でナポリ出身の御方がおられたような気がしましたが… 国旗が似ているのは…これは偶然でありますか?^^;
シャルル=ダンジューの家系のことを言ってるのかな?
シュヴァルツェンベルグ殿 正式にはフニャディ姓です。兄上はオペラの主人 公にもなっている悲劇の武人フニャディ・ラース ロー殿です。 ご存知かと思いますがフニャディ家の家紋は「指輪 を咥えた大鴉」です。 この大鴉のラテン語がコルビヌスであるわけです。 フニャディ家はフニャディ・ヤーノシュ殿の父上の 代より前は、全く家系が不明でして、一般にはワラ キアからの亡命者が武功をあげて、フネドワラに所 領を与えられ貴族化した家柄だと言われており、人 種的にも恐らくはルーマニア人だと言われています。 マーチャーシュ王はどこかに出自に対するコンプレ ックスがあったのかローマ貴族のコルヴィナ家の末 裔がフニャディ家であるというような家系図を作ら せたそうです。 コルヴィヌスと名乗ったりするのもその現われかも しれません。 マーチャーシュ王陛下には嫡出子がなく、妾腹の息 子さんが一人おられるだけですが、彼がコルヴィン ・ヤーノシュ殿です。 このお子さんへの政権の委譲はマーチャーシュ王陛下 が若死にしたために失敗に終ってしまいましたが、も し成功していればコルヴィン朝というものが出来たの でしょう。
父上のヤーノシュ殿もあまりの出世ぶりからか、ハ ンガリー王で神聖ローマ皇帝であったジギスムント 殿の隠し子だという噂があった人物で、大鴉の紋章 の指輪にはそれにまつわる伝説があります。 イタリアとは因縁が深いというか、アドリア海の覇 権を巡ってベネチアあたりと抗争を繰り広げています。 王様でいうとイシュトヴァーン1世陛下の後を継いだ ペーテル・オルセオロ陛下(イシュトヴァーン1世陛 下の娘婿)はベネチアのご出身でしたし、仰っておら れるのは、アールパード朝の断絶後の混乱の後にハン ガリー王位につかれたナポリ・アンジュー家のご出身 のカーロイ・ローベルト王陛下もことですね。 ご子息がポーランド王・ボヘミア王も兼ねるナジ・ラ ヨシュ(ラヨシュ大王)と呼ばれるラヨシュ1世陛下、 そのお嬢さんがポーランド王になるヤドヴィガさま・ ハンガリー王となるマリアさまです。 お二方とも若くしてなくなり、アンジュー家の治世は ここでお終いとなってしまいました。 国旗に関しては偶然ではないでしょうか。ハンガリー の三色は本当かどうかは存じませぬがマーチャーシュ 王陛下の時代に遡るとかいう話もあるそうです。
97 :
世界@名無史さん :04/08/10 21:21
臣下や以前の王様の話が多いなあ
君たちハプスブルクは神に選ばれた人々じゃそうじゃが朕は現人神。 敵対したゆえ滅ぼしてやったのじゃ。
99 :
世界@名無史さん :04/08/11 22:55
ハプスブルク家には最近興味持ったばかりなんですけど、 いまもハプスブルク家の子孫ってちゃんといるんですか?
100 :
世界@名無史さん :04/08/11 23:08
101 :
世界@名無史さん :04/08/13 15:30
102 :
シュヴァルツェンベルク :04/08/13 23:16
ギシュクラさま 詳しくお教えいただきありがとうございます。 コルヴィヌス、が大鴉の意味とは面白いですね。勉強になります φ(..)メモメモ フニャディ家がルーマニア系という説には驚きました。 ハンガリー側としては あまり認めたくないのではございませんか?(笑 ルーマニアとは色々折り合いがよくないと伺いますが ナポリ出身の王様は、そうそう、カーロイ・ロベルト様でしたね。 アンジュー家が中欧に根を下ろしていたら、と考えると面白いですね。 色々想像が膨らみます。
シュヴァルツェンベルグさま フニャディ家の家系についてハンガリー側でどうこうは言ってないはずで、マジ ャールの系統の出身ではないと皆思っているのではないでしょうか? それにしてもマーチャーシュ王は人気がありますね。子供向けの絵本の主人公 (確かアニメもあるのかな)でも活躍中です。なんか、えらく親しみやすい王様 のように描かれているのですが、実際は周囲の人間には理解不能の人物だったよ うな気がします。 アンジュ−家の覇権はラヨシュ1世に息子さんがいれば・・・。しかし、親父の 滅茶苦茶の後始末は大変だったろうと・・・。アンドラーシュ1世の後始末に生 涯苦しんだベーラ4世の二の舞になった気がします。
104 :
世界@名無史さん :04/08/22 00:21
保守
105 :
世界@名無史さん :04/08/23 23:25
バビロン捕囚
106 :
世界@名無史さん :04/08/24 22:43
>105 ありがとう、つまらんが。
107 :
世界@名無史さん :04/08/24 22:45
マティアス・コルヴィヌスの「マティアス」は、名前(ギブンネーム)だとは思っていましたが、 「コルヴィヌス」は、ファミリーネームだったんですか、勉強になりました。 なお、ファミリーネームのフニャディは、フネドアラのマジャール読みだと聴いてますので、 このファミリーネームはあんまり古いものではないんですね。フネドアラに領地を貰ってからのものでしょうから。
108 :
世界@名無史さん :04/08/27 21:48
神聖ローマ帝国にもマティアス名の皇帝がいますね
>107 フネドアラを与えられる以前どんな名乗りだったのかはわかりません。 あとルーマニア語の「フネドワラ」はハンガリースレでしい坊さまか らご教示いただいたところでは「フニャド ヴァール(城)」という ハンガリー語からだそうです。昔はヴァールではなく「ヴァラ」と言 っていたそうで、そういう古い発音が残っているのだそうです。
110 :
カウニッツ :04/08/29 20:41
御無沙汰してしまい済みませんです。 最近、「ハプスブルク家史話」がリニューアル発売されました。ついつい買ってしまいました。 後書きにも書いてありましたが、江村先生の御健康が回復されることを心よりお祈り申し上げます。
111 :
世界@名無史さん :04/08/30 05:14
もう、王政が復活することはないんですか?
カウニッツ殿 江村先生、お具合が悪いのですか・・。 一日も早くご健康になってほしいものです。 >111 今の法律であるかぎり、ハプスブルク家が元首に返り咲く というのはありえないでしょう。
113 :
世界@名無史さん :04/08/31 01:17
代わってオスマン家に帝位を!
114 :
世界@名無史さん :04/08/31 07:05
それいい
115 :
カウニッツ :04/09/01 22:14
江村先生は1995年の春に体調を崩されたそうなんです。 以前、谷沢書房に本を注文した時に、関係者の方が教えて下さいました。 私としては奇跡が起こってくれればと思っています。 ギシュクラ様、ありがとうございます。
カウニッツさま もうずいぶんになるのですね・・・。 まだまだ、教えていただきたいことは数多あります。 必ずやお元気になられると信じようではないですか。
117 :
世界@名無史さん :04/09/02 09:13
朝age
118 :
世界@名無史さん :04/09/02 17:10
菊池を評価していない人間が江村を評価するというのが分からん。 どっちもダメだろ?
119 :
世界@名無史さん :04/09/02 20:52
118よ、自分が社会に評価されないことをひがむなw
>118 内容に関しては、確かにどっちにも眉唾な部分はある。 ただ、江村氏にはいわば「先駆者」としての功績があるからな。 「ハプスブルク家について、初めて日本に本格的に紹介した功労者」というか。 あとこのスレ、当然ながらハプスブルク贔屓が多いんで、その辺で 惜しむ人が多いんだと思う。 「自分が初めて手に取ったハプスブルク家関係の本が江村氏のだった」 という人は、結構多いと思われ。
121 :
世界@名無史さん :04/09/03 01:01
皆様、夜の果てよりごきげんよう。 ハプスブルク家の皇后といえばシシことエリザベト陛下が有名ですね。 私は長らくこの方が「最後の皇后」だと勘違いしておりました。 実際にはブルボン家のチタ陛下がラストエンプレスでしたが、 チタ皇后というのはどのような方だったのでしょうか。 あまり評判のよくない方というふうに小耳にはさんだことがあるのですが…… ご教授願えませんか。
>118・120 評価云々と病身の先達に対する思いは別かと・・・。 >121 「チタ」 グリーセル・ペカール著 新書館 という伝記が出ております。 あまり評判が良くないというのは、自分の縁者を通じての和平交渉が 利敵行為と捉えられたためではないかと思います。
123 :
カウニッツ :04/09/03 23:00
おお、ギシュクラ様、ニアミスですね。 確かにツィタ皇后はご自分のご兄弟を使って和平をもたらそうとなさいましたが、 表向きは戦争、裏では和平交渉、二重外交とそしられました。 カール1世陛下をないがしろにしているともいわれました。 本当のところはカール陛下もツィタ皇后と意を同じくされていたのですが。 尚悪かったのは、イタリアがオーストリア=ハンガリーを裏切ったことです。 何しろ「ツィタ・フォン・ブルボン=パルマ」という名前からも御分かりの通り、 ブルボン家とはいえイタリア系のパルマが名前に入っている点です。 裏で行っていた和平の交渉が失敗したことが人民にわかった時、 「あのイタリア女が」と罵られもしました。私個人としては嫌いじゃないのですけど。。。
皆様、夜のしじまよりごきげんよう。 ギシュクラ様、カウニッツ様、お答えまことにありがとうございます。 伝記が出ているのは存じませんでしたので、早速探してみようと思います。 欧州では外国の姫君と君主の結婚というのはそれほど珍しくはないとはいえ、 やはりお妃たちは嫁ぎ先では大変な苦労をなされるものなのでしょうか。 ところでチタ皇后は「イタリア女」と罵られたとのことですが、 エリザベト皇后を殺害したのも確か「イタリア人」アナキストでしたね。 (この辺の知識は某ミュージカルからでございます) 先帝の妃を殺害したのがイタリア人だったということが、余計にチタ皇后の評判を 悪くしていたということはないのでしょうか。
初めまして ハプスブルク家も良く知らない状態でにウィーン・ブダペスト行って来ました それで、ハプスブルク家関連では、 シェーンブルン宮殿と、旧王宮内の皇帝の間(の主にシシィ・ミュージアム) をみてきたんですが、 もう感想としてはエリザベト皇后、シシィ最高って感じでした。正直恋しました。 本人はあの立場は辛かったかもしれませんが、 いろんな悲劇性(息子の自殺、本人自身の刺殺)とか、お忍びで色々遊びに行っちゃう所とか、もちろん美貌な所とか 民衆に受ける要素が、何かと多い王女様で、とても良いですね。 今でもオーストリア国民のアイデンティティのよりどころとなっているような印象を受けました。 それで本題ですが、ハプスブルク家の、特にシシィのことが書いてあるような解説書があれば 教えて下さい。写真が多ければなお可です。関連映像(映画など)でもかまいません。
126 :
カウニッツ :04/09/04 20:00
>>125 さん。エリーザベトに関する本は結構出ていますし、特にどれといった推奨本は
私的にはないですね。ゴメンナサイ。ギシュクラ様ならあるかもしれませんが。
大抵シシーの本は著者の思い入れが強いのが特徴であまり客観的ではないですね。
ウィーンに行かれたのですか。美術史美術館と自然史博物館の間にあるマリア・テレジア像は
御覧になられましたか?私も台座のところに出演しています(笑)。
>125 ハンガリー関係ということで拙宅には一通り王妃関連の伝記があります。 ご希望とあらば、リストアップいたしますが・・・。 文庫からハードカバー、ムック本までたぶん十種類以上あるのでは。 私は持ってませんが、コミックも書店で見たことがあります。 映像関連というとロミー・シュナイダー主演の映画がありました。 私は個人的にあんまり思い入れがない方なので、どの本がお勧めと いうのはありません。
カウニッツ様、ギシュクラ様、レスありがとうございます。 本日書店に行きましたところ、王妃関連の本を数冊見かけましたので、 一応購入しておきました。 お二方ともに特に推奨本はないようですので、適当に集めて行きたいと思います。 映像関連の情報もありがとうございます。 マリア・テレジアの像は見て写真を撮っておきましたが、 台座部分をフレームアウトさせて撮影してしまいました。 失礼しました、カウニッツ様。
>128 私の雇い主のお名前もエリザベート王妃というお名前でした。 時代ははるかに遡りますが・・・。 冗談はさておいて 興味がある人物の本であれば、片っ端から買うというのが私 の流儀でして・・その結果として自分の意見にあった本が出 て来ると思うのです。 あと、フランツ・ヨーゼフ帝の伝記や周辺の人々の伝記、あ るいは同時代の諸国の動静等を広く読まれていけばエリザベ ート王妃の生きた時代を知ることが出来るのではないでしょ うか。
130 :
カウニッツ :04/09/05 22:56
ハプスブルク 愛の物語 王冠に優る恋 (東洋書林) ハプスブルク 愛の物語 悲しみの迷宮 (東洋書林) ジクリト=マリア・グレーシング 著 江村洋 訳 上記の本をお持ちの方が居られましたら、感想お願いしますです。。。 それによって買うかも。。。
カウニッツ卿どの 2冊とも書架に収まってます。 テア・ライトナー女史の「ハプスブルク家の女たち」にラヨシュ2世の妃のマ リア王妃の評伝があり、こちらの方にラヨシュ2世の妹でフェルディナント1 世の妃のアンナ王妃の評伝がありで、モハーチ関連ということで購入しました。 個人的には村娘に恋をして、それを貫き通したヨーハン大公のエピソードが好 きですね。
132 :
カウニッツ :04/09/06 00:36
ギシュクラ様。おお、2冊ともお持ちですか…凄いですね。 ヨーハン大公は良いですよね。後、もう少し詳しい感想を戴けると嬉しいです。
話の流れを無視して申しわけないですが、 最近、『ハプスブルクを作った男』(菊地良生著 講談社現代新書) を買いました。すごく面白いです。 中世欧州史好きにはお奨めです。
134 :
世界@名無史さん :04/09/06 13:40
>>134 レスありがとうございます。
「皇妃エリザベート ハプスブルクの美神」は購入しました。
確かに図版が多くて良いですね。
「エリーザベト皇妃 写真アルバム」も余裕が出来たら買ってみたいと思います。
貴重な情報ありがとうございました。
136 :
カウニッツ :04/09/07 20:06
「ハプスブルクを作った男」本屋にありました。 パラパラとめくったところ、フリードリヒ3世陛下辺りまでだったので購入せず。 お金が有り余ってるぐらいの状態なら買ったかも。
カウニッツどの 逆に私の場合は興味の対象としている時代の範疇なんで、発売即購入でした。 基本的に東欧関連の書籍は無理をしても購入してます。 ハプスブルク関連はともかくハンガリー関連あるいは、一部でもそれに関する 記述のある本は数は少ないですし、見つけた時に買っておかないと、次に出会 う可能性は著しく低いもので・・・。
138 :
カウニッツ :04/09/07 21:54
流石ですね、ギシュクラ様。見習わなくては…。 幸い、ハプスブルク家関連はどんどん本が出版されていて、 精選して買わないといけないぐらいです。
139 :
カウニッツ :04/09/08 20:55
今宵もここシェーンブルンで皆様のお越しをお待ちしております。 by ヴェンツェル・カウニッツ=リートベルク伯
140 :
シュヴァルツェンベルク :04/09/08 22:23
お言葉に甘えて参上いたしました。お邪魔いたします。 そういえば「ハプスブルクの宮殿」なる本も現代新書から出ておりますね。 「ハプスブルクを作った男」 はルドルフ建設公“デア・シュティフター”のことなのですね。 面白そうなので今度見てみます。 ルドルフ大公の立像がウィーン歴史博物館にあったのを見たのですが、かなりの 痩身だったので意外に感じたのを覚えています。 頭のどこかで、でっぷりした皇帝ルドルフ二世陛下のイメージがあったのかも しれません(笑 エリザベート皇后を含めた帝国末期については、須永朝彦 「黄昏のウィーン ハプスブルク王朝の終焉」 (新書館)がお勧めです。 この著者も文学畑の人なので どちらかというと感傷的なタッチの本ですが、読みやすく、装丁も綺麗なので 気に入っています。
今宵もサロンは賑やかですね。 ルドルフ大公という破格の人物の評伝が出るとは思ってもみません でした。歴史の本としてどうなのかという気がしないでもないです が、小説的面白さがありますね。 以前、佐藤賢一さんがいつかルドルフ1世を書いてみたいとおっし ゃっておられた記憶がありますが、いつになったら書いてくださる のか・・。黒鉄と黄金の王オットカル2世やクン・ラースローと呼 ばれ、ハンガリーの在来宗教に回帰しようとした悲劇の青年王ラー スロー4世とか登場人物にはことかかない小説になると思うのです が・・。で、売れてくれれば東欧本ももっと出版されるのでは・・・。
142 :
カウニッツ :04/09/08 22:57
シュヴァルツェンベルク様。 「黄昏のウィーン・ハプスブルク王朝の終焉」 須永朝彦 著 持ってますよ! 巻頭の方の「オーストリア皇后エリーザベト(1858年・ホロヴィッツ画)」は、 胸がキュンとなってしまいそうなシシィの肖像画の一つですね。
私はウイーンで等身大の大理石の像を対面した折に、なんと美しい 人がいたものだとつくづく思ったことがありました。 石の像でありますが、視線があったおりに、それこそ胸がキュンと なるという感じでした。 ブダペストの王宮の博物館だと思うのですが、王妃が暗殺された折 に着ておられたドレスが展示してあるのを私の友人の女性が見て、 こんなウエストの細い服とても着られないと言ってました。その 方も充分にスレンダーな方でしたが・・・。
ハプスブルク家と聞くとマクシミリアンとカール5世が思い浮かびます 中世ヨーロッパ最後の騎士と最後の皇帝 すごすぎです
145 :
カウニッツ :04/09/10 19:35:41
そりゃそうです。 マクシミリアン1世→ハプスブルク世界帝国の礎を築きました。 カール5世→ハプスブルク家最盛期の中世的皇帝理念を抱いた最後の皇帝。 ですもん。
146 :
カウニッツ :04/09/11 10:24:18
土曜日ですね。。。今夜は皆さん来てくれるかな〜。。。
147 :
カウニッツ :04/09/11 10:33:03
あれ?よく見たら秒数まで出てる! :04/09/11 10:24:18
148 :
世界@名無史さん :04/09/13 20:59:40
ハプスブルグを作った男の内容キボンヌw今時キボンヌだって逝ってきます
149 :
世界@名無史さん :04/09/13 21:19:23
カール大帝ってどうなったの
>148 本屋でご覧になるのが一番手っ取り早いのでは? 本の評価というのは人によって異なりますし・・・。 私なんかは情報に餓えてますのでとりあえず買って から考えることにしてます。 >149 陛下はボヘミアに出かけたきりお戻りではありません。
151 :
カウニッツ :04/09/14 01:36:14
ギシュクラ様。 え、陛下はベーメンに御滞在ですか…それにしても長いですね。 早くアーヘンの宮廷に御戻りになられないと、廃位されるかも…。
152 :
世界@名無史さん :04/09/14 18:57:42
女帝マリア・テレージアはモーツァルトの就職をフイにしたね。
153 :
カウニッツ :04/09/16 00:03:10
とりあえず、ハンガリー・スレに行って見て下さい。 ハプスブルク家の血にトルコ系の血が……。
154 :
アマデウス@匿名希望 :04/09/16 14:47:15
フェルディナント大公に雇用されていればミラノのスカラ座で指揮してたのになぁ。
155 :
カウニッツ :04/09/16 19:51:08
156 :
世界@名無史さん :04/09/19 13:49:43
連休アゲ
157 :
東京大学世界史同好会 :04/09/19 22:36:21
☆良スレに認定します☆ 2004.9.19
158 :
世界@名無史さん :04/09/20 18:04:51
ルートヴィヒ2世は18歳で王位を継いだのですか? それはバイエルン国王位でいいのでしょうか? 教科書に載ってないので教えてください。
159 :
世界@名無史さん :04/09/20 20:18:37
日本でいうと近衛家みたいもんかな。
160 :
世界@名無史さん :04/09/21 01:52:20
>158 え?ハンガリーとボヘミア王位かと思ってましたが・・・。 ヤゲヴォ家じゃないんですか・・・。 というのは冗談です。
162 :
カウニッツ :04/09/22 22:21:34
ギシュクラ様。 え?ルートヴィヒ2世はザクセン王ですよ…。 ホーエンツォレルン家ですし…。 というのは冗談です。……放置で結構です。。。
163 :
世界@名無史さん :04/09/22 22:57:21
スルーで・・
カウニッツどの お互い人の悪いことで・・・。
165 :
カウニッツ :04/09/29 23:05:37
寂れてきた…
166 :
世界@名無史さん :04/09/29 23:46:43
僕チンヨーゼフ。皇帝の僕が、僕がだよ、土地を耕したゾ。 アントワネットは仏には僕とHやってから渡したもんねー
167 :
世界@名無史さん :04/10/03 12:23:48
スルーで・・
168 :
世界@名無史さん :04/10/03 19:05:32
ちなみに、1938年版世界年鑑ではユダヤ人は1600万人存在していたとされる。 1948年2/22号のニューヨークタイムズによれば最小1500万、最大で1800万人となってる。 すると、6年間で1100万人殺して500万人になった筈のユダヤ人の人口が、1945年までの たった3年間で1500〜1800万まで一気に膨れ上がったわけか? 単純計算して3倍〜3.6倍の人口増加率って何だ。ネズミ算式に増えたって言いたいのか? この分だと、アンネの日記の筆跡が統一されてなかったり、4巻目がボールペンで書かれて いたことも知らないんだろうな。収容所から生還したアンネは1945年に発疹チフスで病死を 遂げているんだが、1951年になるまでボールペンは存在しない。つまり、書けるわけがない。 実は既に本当の筆者も判明している。ユダヤ系アメリカ人のメイヤー・レビンという人物な。 裁判で明らかになったんだが、そのニューヨーク最高裁判所判決書類2241-1956は、地方 裁判所に保存されて「いた」。紛失原因は不明。調査すれば圧力で断念させられる、いわば 曰く付きの判決書類。証拠隠滅もいいところだな。
169 :
シュヴァルツェンベルク :04/10/03 23:28:44
「ユダヤ人は、ドーナウ帝国の多様性から誰よりも多く恩恵を受けた」(W・ジョンストン) と申しますな。 カウニッツさま いつもながら遅レスで申しわけございませぬ。 「黄昏のウィーン」の本、お持ちでいらっしゃいますか(^^ エリザベート皇后の御写真をはじめ、図版も多くて面白いですよね。 フランツ・ヨーゼフ帝崩御の場面など、何度読んでも感慨深いところが ございます…。
170 :
世界@名無史さん :04/10/04 11:46:41
初めまして、ハプスブルク家の政略結婚について詳しく教えて いただけますか?
171 :
世界@名無史さん :04/10/04 18:55:03
代表的なのはマリー・アントワネットだよね。 「外交革命」って世界史用語にもなってる。
172 :
カウニッツ :04/10/08 00:09:42
皆様、お久しぶりです。
>>170 >>171 さん。
マリア・アントーニア大公女とベリー公(フランスの王位継承順筆頭者)の
結婚協定イコール外交革命と思われるのは間違いです。
外交革命はブルボンとハプスブルクの国益の一致がもたらしたものです。
>カウニッツ氏 その辺のハプスブルク家側の事情はよく分かるんだけど、 ハプスブルク家と同盟を結ぶことによるフランス側の利益って何?とふと思った。 対イギリスという意味なら、オーストリアとプロイセンの戦いには 中立を宣言すれば十分だったろうと。そしてイギリスに専念する。 いくらフリードリヒ二世が信用ならないと言っても、フランスに攻め込む 余力はなかったろうに。 実際、フランスとプロイセンが直接戦ったのは最初だけで、 途中からはイギリスと連合王国関係にあるハノーバーで足止めされていた というから、この「同盟」が、積極的な意味でそんなに役に立ったとも 思えないんだよね。
174 :
カウニッツ :04/10/08 23:39:15
Ryuju ◆RlujhF6VrA 様。 それは簡単な事ですよ。 フランスがオーストリアだけではプロイセンに勝てないと判断したと言う事です。 プロイセンに大勝させて、みすみすイギリスの大陸での影響力を拡大させる事もないでしょう。
>カウニッツ氏 イギリスがプロイセンと同盟したことが、外交革命の直接の契機だから、 要はイギリス+プロイセンの方がオーストリア+ロシアより強いと考えたと。 ただ、プロイセンが勝つことで大陸におけるイギリスの影響力が拡大するってのは、 どういう意味合いでだろう? フランスとの同盟関係より国益を取ったフリードリヒが、 イギリスに対してだけは協力的になるとも考えにくい。 実際、後でイギリスの仲介断って援助もらえなくなってるし。 文字通りの純粋な影響力(優位性や威信など)という意味なら、 そうなんだろうけど。 どうもその辺が見えにくいというか分かりにくくて、「敵(イギリス)の味方 (プロイセン)は敵」「その敵の敵(オーストリア)は味方」という、割と単純な判断で 同盟結んだような印象が、この時期のフランスにはあるなあ。
176 :
カウニッツ :04/10/09 22:17:48
Ryuju ◆RlujhF6VrA 様。 私(カウニッツ)とポンパドゥール侯爵夫人の果たした役割も御考慮下さい。 …、うーん、色々考える余地がありそうですね。国益と言いきってしまうのも乱暴だったかなぁ。 他の皆様はどうお考えでしょうか?遠慮なく書いて下さい。
177 :
世界@名無史さん :04/10/13 02:12:59
ハンガリー・スレに専門家風荒らし登場!
178 :
カウニッツ :04/10/14 19:25:01
そして誰もいなくなった……。
179 :
マリア・アントニア :04/10/15 20:05:07
カウニッツのガリガリジジィ!!
カウニッツ卿 ちゃんとおりますよ。 私にはわからぬ話題だったもので・・・。
181 :
カウニッツ :04/10/17 01:25:00
ありがとうございます、ギシュクラ様!
182 :
カウニッツ :04/10/19 23:13:03
十月か…カール6世陛下が急逝されたのも十月の今頃だったような…。 このスレも逝ってしまうのだろうか。。。 最近、話題に乏しいし…。
183 :
Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/10/21 22:40:26
では、今宵はちと軽めのネタでも。 博多座でミュージカルの「エリザベート」見たんですが、内野トート萌えとかはさておき(w フランツ・ヨーゼフの母親のゾフィーって、彼女自身は皇后になれなかったわけですよね。 しかも前の皇后は、精神異常とも言われるフェルディナントに嫁いでいて、 苦労しているのを見聞していた。 だからある意味、皇后というものにすごく理想像を持っていて、 それを当てはめようとしてエリザベートと反りが合わなかったというか、 そういう風に感じました。
シシィといえば、彼女の娘のマリー・ヴァレリー。 このヴァレリーという名前はハプスブルク・ヴィッテルスバッハ両家の 近親者の誰から取られた名前なのでしょうか。 探しても見当たらない。謎だ…。
Ryuju さま 私は未見です。 最近、レミゼラブルのコンサートを見てきましたが、ウイーンやら ブダペストでもバリケード作って立て篭もったのだなぁと変な感慨 を持ちながら見ていました。 コッシュートとかペテーフィとかベム将軍とかを登場させたミュー ジカルなんてのを妄想したりして・・。
186 :
カウニッツ :04/10/25 22:24:35
皇帝と呼ばれた「シンボリルドルフ」の馬主さんはハプスブルク家の ドイツ国王ルドルフ1世陛下を御存知だったのでしょうか?
187 :
世界@名無史さん :04/10/28 13:41:20
カウニッツAGE
188 :
カウニッツ :04/10/30 00:06:02
保守アゲされている様じゃもうダメポ。。。
189 :
世界@名無史さん :04/10/30 00:24:24
世間じゃエリザベート王妃のミュージカルが流行っているというのに なんという弱気なお言葉です!!
190 :
カウニッツ :04/10/30 00:55:52
頑張ります。。。
191 :
カウニッツ :04/11/01 01:32:58
カール大帝の宮廷の様にしては申し訳ないので、11月は頑張ります!
192 :
フリードリヒ・バルバロッサ :04/11/03 11:59:02
ふぁあ〜あ、よく寝た。 しばらく見んうちに世界は激変しているようじゃな。 西方の地で皇帝選挙やっておるようじゃが、わしのころと変わらんな。 選帝侯を増やせば良いというものではないぞ。
193 :
世界@名無史さん :04/11/05 00:10:06
カウニッツは何をしておるか!!!
テスト
お、ここも書き込めた! こんばんは、みなさま、ご無沙汰しております。 あと1ヶ月半で内地に帰還致します。
196 :
世界@名無史さん :04/11/10 00:24:43
ageageageageage ageageageageage ageageageageage ageageageageage ageageageageage
巷で話題の島田シンスケさん、 「自分はオーストリア皇太子の生まれ変わり」 「セルビアに異常に興味がある理由がわかった」 …フランツ・フェルディナント大公の生まれ変わりですか?
とりあえずベルヒトルトは 大馬鹿者だということで。
199 :
世界@名無史さん :04/11/14 13:22:20
カウニッツ逝去
200 :
世界@名無史さん :04/11/14 14:17:26
201 :
カウニッツ :04/11/14 19:26:55
>>199 さん、生きてますよ!
最近、ご無沙汰してしまって本当に申し訳ないです。。。
今週中には何か話題を見つけたいと思ってます。
202 :
世界@名無史さん :04/11/15 01:14:30
オットー大公の誕生日は今週だそうですが 一体何歳になられるのでしょうか?
203 :
世界@名無史さん :04/11/15 14:05:42
確か1912年生まれだから、92歳? もう高齢ですが、長生きしてほしいですね。
204 :
世界@名無史さん :04/11/19 13:19:04
「余である」のカール大帝どこ逝っちゃったんですか
205 :
世界@名無史さん :04/12/01 19:27:13
「カウニッツ」はどこ逝っちゃったんですか
206 :
世界@名無史さん :04/12/01 19:43:16
NHKでドナウ川特集
207 :
世界@名無史さん :04/12/01 19:45:07
いまやってるね↑
堺屋太一の解説中。
生放送とは言いながら、VTRがやたら多い番組。
210 :
世界@名無史さん :04/12/01 20:05:52
ハプスブルク帝国(オーストリア)とドイツ帝国(プロイセン)、どっちが好き?
211 :
世界@名無史さん :04/12/01 20:11:25
何でもかんでも秀吉の話に振ってくる堺屋うざい でしゃばって訳のわからない話にするおばさんしね 前のスペインのときはまともなスペイン史の人が でたのにorz
212 :
世界@名無史さん :04/12/01 20:12:42
なんか大和魂を持ったサムライ日本人はゲルマン魂のドイツ帝国を愛し、 女々しい西洋カブレの軟弱者はオーストリアを愛すような感じがする。
Ausgleich
Der Kongress tanzt.
最後の皇帝はフランツ・ヨーゼフじゃなかった。
216 :
世界@名無史さん :04/12/01 20:23:10
NHK はやはり凄いね
217 :
世界@名無史さん :04/12/01 20:24:57
周りの観光客が 「なんか醜い日本人がテレビ中継やってるな」 って顔で通り過ぎていくのが面白い
>>211 去年出てた木村尚三郎はスペイン史の専門家じゃない。
219 :
世界@名無史さん :04/12/01 20:31:15
最近ではメタリカの曲も歌うウィーン少年合唱団。
あれは木村尚三郎だったのか。専門はフランス史だっけ? なにより日本の西洋史でも高名な人の一人だし。 少なくともわざわざシェ−ンブルンまできて、 秀吉やらブランド云々いわれるよりはいいいな。
美紀タン可愛すぎ(;゚∀゚)=3
>>219 どの曲唱ってるの?
222 :
世界@名無史さん :04/12/01 20:37:01
何で清楚なはずのウィーン少年合唱団に黒人の子供がいるんだ????????
223 :
世界@名無史さん :04/12/01 20:37:26
224 :
世界@名無史さん :04/12/01 20:38:25
おい! ウィーン少年合唱団に黒人がいるぞ!
>>223 こんなのあるんだ...
微妙に聞きたいな。
森本哲郎氏が出てきてくれればよかったのに。 文春の「世界の都市」シリーズのウィーン担当したんだから。
ロイスとかも良いな。ゲラに行ってみたい。
229 :
世界@名無史さん :04/12/02 15:10:06
三都がドナウ川沿いにあるみたいなこといってたがプラーハは違うよね
230 :
世界@名無史さん :04/12/02 18:03:36
ハプスブルク帝国の領内だったからって無理やりプラハを入れてる チェコ人が知ったら怒るにちがいない
気になって調べてみたが、一応ドナウ川の支流はチェコにもある。 モルダウとか。
プラハなどボヘミア地方を流れるモルダウ(ヴルタヴァ)川は、ドナウ川ではなくエルベ川の支流。 チェコの河川でドナウ川の支流になっているのは、東部、モラヴィア地方のモラヴァ川(モラヴァ川の支流としてスヴラトカ川、スヴィタヴァ川、ディイェ川など)。
うーん、そうなのね。 地図見てても都市名多すぎて川の方がよく分からんかった。 幾つか支流はあるってのは分かったんだけど、上流の繋がりの方が・・・。
>>232 ズノイモでディイェ川をみました。遥かしたにあって、怖かったです。
モラヴァ川はオロモウツで見ました。あんまり印象に残っていません。
モラヴァ川はデヴィン城で合流点を見ました。こちらも、お城の崖の
具合で見づらく、余り印象にありません。
マルヒフェルトをのんびり歩いてみるのが、取りあえず今の夢です。
235 :
世界@名無史さん :04/12/04 22:53:37
マルヒフェルトで負けていたらハプスブルクは崩壊し神聖ローマ帝国は 中央集権化されていたかも
237 :
世界@名無史さん :04/12/05 00:14:53
中央集権化しても海が事実上閉ざされているのは変わらないな。 まあオットカル王の子孫たちなら伊仏西葡白蘭を制して海も制しかねないが。
238 :
世界@名無史さん :04/12/05 00:18:02
>>230 まあ、チェコの観光産業にとってはプラスになるから大目にみるんじゃない?
239 :
世界@名無史さん :04/12/05 00:18:37
カレル橋の上は日本人だらけでキモかった
三匹の蛙の看板はあったん?
241 :
世界@名無史さん :04/12/05 12:58:02
>>239 それはキモいな。
俺もクレムリンに行った時、中国人の団体ばかりでキモかった。
観光地で目クソ歯クソ共にキモがるってやつだ。
243 :
カウニッツ :04/12/06 21:48:50
皆様、お久しぶりです。蘊蓄をひとつ。 カール6世帝まで男系で続いていたハプスブルク家は、マリア・テレジアの代から ハプスブルク=ロートリンゲン家となります。カール6世帝までの ハプスブルク家は、古ハプスブルク家とも言います。
244 :
世界@名無史さん :04/12/06 21:50:31
カウニッツ卿 おひさしぶりです。 ドナウ紀行はご覧になりましたか?
なんだ、みなさんいらっしゃるんですね(笑) 姿が見えないんで、黙っていました。 ...というか、カウニッツさまご自身のドナウ紀行はどうなったんでしたっけ?
鳥を変えてみようと思います。こちらにします。
248 :
世界@名無史さん :04/12/07 19:57:04
>>220 逢坂剛
スペインを舞台にした小説を書く。
249 :
カウニッツ :04/12/07 21:55:39
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 様。 NHKで21時頃から何夜かやっていたドナウ紀行ですよね? 新聞を見てチェックするも観れず…でした。ビデオもセットし忘れてしまいました。 本当に観たかったです!放送するのが分かった時は狂喜乱舞でしたのに〜。 皆さん、どんな内容だったかレス希望です。 Reichsprotektor ◆pbXeO96O3o 様。 お久しぶりです。嘗ての論文に追われる生活、大変で御座いましたね。 今はどうですか?充実かつ幸福に満たされて居られれば幸いです。 私の方ですが、私自身のドナウ紀行の事は後々…(汗)…。 とにかく長期の精神的な安定が欲しい、今日この頃です。 来年の二月辺りにまたウィーンに行ければと思っています。 と言っても舞踏会に参加できる身分でもありませんが(涙)。 ウィンナーワルツの中ではヨハン・シュトラウス2世の皇帝円舞曲が 一番好きです。確か、フランツ・ヨーゼフ帝即位40周年のお祝いの曲 だそうです。ヨハン・シュトラウス2世は1848〜49年の革命騒ぎの中 作った曲の件で、皇帝陛下に嫌われていて、皇帝円舞曲のあたりで 機嫌を取りたかったのでしょう。
250 :
カウニッツ :04/12/07 21:58:19
シュヴァルツェンベルク様もまた来て下さいね。 ところで爵位は侯爵でしたっけ?公爵でしたっけ?
>>249 カウニッツさま!お元気でいらっしゃいますか?
さきほど受け入れ機関の最終レポートを提出し、近々帰国する予定でおります。
最近はこちらの国にいるロシア人と仲よくなり、あれこれ
世界史ネタで語っていました。
...同じく質問で、カウニッツさまは伯爵さまで宜しいのですか?
長期的な(精神的)安定、誰しも欲しいものですね(笑)
わたしの場合は長期的な経済的安定の確保が急務でして、
帰国したら仕官先を探してあちこち動く予定です。
...ブコヴィナにもガリツィアにもいかないままに仕官して
しまったら、もう一生行けなさそうな気持ちで辛いですが。
252 :
世界@名無史さん :04/12/08 18:07:52
佐久間大介「カウニッツ外交の再検討」京都大学大学院文学研究科修士論文
253 :
カウニッツ :04/12/08 23:22:40
Reichsprotektor ◆pbXeO96O3o 様。
女帝の帷幕に加わった時点では「伯爵」でしたが、
最終爵位は「公爵」であったと記憶しております。
この板での出始めの頃は、フリードリヒ2世様に「カウニッツ伯」と
呼ばれていたので、「伯爵」で結構です。
>>252 その方の修士論文、読みたいですね。
Reichsprotektor 殿 ご無沙汰いたしております。 ご健勝でなによりです。 諦めなければ、出かけるチャンスは必ずありますよ。 諦めてはだめです。
>>253 伯爵閣下!!
京大図書館に聞いてみると、見られるかも知れません。
こないだまで滞在していた某国の某大学は(コンテンツは別として...)
(一部の)修論やD論がPDFでダウンロードできたので、ああいう面は
見習わないとならんな、と思いました。
>>254 お久しぶりです!
そうですね、諦めないように致します。。
明日、スロヴェニア人の友達に会います。スロヴェニア人はドナウ君主国
のことをどう考えているんでしょう、そこを聞いて来ようと思います。
256 :
世界@名無史さん :04/12/10 17:42:34
あした Nhk総合テレビ 15時5分から17時5分 青きドナウの旅最終日放送
257 :
世界@名無史さん :04/12/12 18:02:20
実際はしくも青くもないドナウ川
258 :
世界@名無史さん :04/12/12 18:03:33
美抜けw
東欧の臭いドブ川ドナウでは視聴率が取れないだろうが!
260 :
世界@名無史さん :04/12/13 11:30:06
NHKドナウ番組よかった再放送 総合テレビで希望。
261 :
世界@名無史さん :04/12/14 12:11:17
age
262 :
世界@名無史さん :04/12/15 16:40:47
age
263 :
世界@名無史さん :04/12/15 20:30:31
>>260 あれ?今月の23日の10時から再放送やるんじゃない!?
23日に何回かに分けてやるみたいだけど・・・、ただしBS2でだけどね。
これは再放送じゃないのか?
264 :
世界@名無史さん :04/12/16 12:52:53
ちょっと質問させてください。 (一通りレスを読んだのですが、見逃していたらすいません) ハンガリー王国はハプスブルク家のものでありながら、 神聖ローマ帝国に組み入れられていないのはどうしてですか? 世界史の参考書や図説を見るたび疑問に思いつつも、 解説がなくてわかりません。よろしくお願いしますm(__)m
いつの時代を指して言ってるのかな? てか別に神聖ローマ帝国はハプスブルグ家のものじゃないよ。
266 :
264 :04/12/16 13:46:56
>>265 ごめんなさい。17世紀中頃の、ウェストファリア条約下のところです。
図説では、オーストリア・ハプスブルク家の領土がでっかく色で塗りつぶされてるんですけど、
その領土を神聖ローマ帝国の境界線が縦にひかれて区切っています。
境界線の右側にハンガリー王国と書かれています。境界線の左右は同じ色です。
オーストリア・ハプスブルク家の領土の大部分が神聖ローマ帝国の中に入っているのに、
ハンガリー王国のところだけちょこっと帝国の外側に出てるのか不思議に思いました。
世界史の成績よくないので申し訳ないんですけど、よろしければ教えてくださいm(__)m
267 :
世界@名無史さん :04/12/16 13:51:46
教科書上の神聖ローマ帝国ってのは、帝国議会に代表を 送る権利のある領邦を指す。
268 :
264 :04/12/16 14:00:09
>>267 そうなんですか!!
ということは、その権利のある領邦にハンガリーは入っていなくて
たとえハプスブルク家がハンガリーを支配していても
神聖ローマとは関係ないってことですか?
269 :
世界@名無史さん :04/12/16 14:20:14
>>268 そういうこと。ハンガリーに権利が無かった理由は、
哲学的には理由が無い。当時の人々にとっての既得権や利害の
駆け引きの結果、偶然にそうなっただけのことに過ぎない。
ハプスブルク家の政治力が格段に高まれば、
そうなるときがいつか来たかも知れないが、
そうなる前に神聖ローマ帝国自体がナポレオンに滅ぼされた。
270 :
世界@名無史さん :04/12/16 14:29:37
それに神聖ローマ帝国の正式名称は 「ドイツ人の神聖ローマ帝国」だしね。 「ドイツ人の」ですよ、「マジャール人の」ではなく。
271 :
264 :04/12/16 17:48:58
>>270 遅くなってすいません。
そういえば、正式名称についても山川の参考書に書いてありました。
あくまで「ドイツ人の」帝国なのですね。
マジャールはたしかアジア系でしたね。
謎が解けてかなりスッキリしました。ありがとうございましたm(__)m
272 :
264 :04/12/16 17:56:26
>>269 こちらのレスを見落としていました(汗)
ご指摘があった通り、僕は神聖ローマ帝国はハプスブルク家の帝国のように考えていました。
ハプスブルク家も帝国の統治には苦労していたんですね。
それから、
>ハンガリーに権利が無かった理由は、 哲学的には理由が無い
理由がなく偶然と聞いて少しほっとしました。
「なんでだろう?」とずっと悩んでいたもので。
ありがとうございました(^^)
273 :
世界@名無史さん :04/12/16 18:28:17
>>271 正式には「領域外のローマ帝国」。古代ローマ帝国の
領域外にあったから。この領域外というラテン語の単語が
ドイツという単語の語源になった。だからマジャール人を
除外してるように見えるが、ドイツというアイデンティティとは
直接は関係無い。
274 :
世界@名無史さん :04/12/16 19:47:24
>>263 BS2で
23日と25日
23日の10時からの分が25日に一つ移動
>>269 哲学的って意味がよく分からないけれど、ハンガリーが神聖ローマの一部で
ないのは、ハンガリー王冠が教皇によって授けられたものだからじゃない?
フリードリヒ・バルバロッサ以降、帝国諸侯=皇帝の封臣であるわけだから
皇帝と同じく、教皇に由来するハンガリー王が皇帝の臣下になるわけがないし。
276 :
世界@名無史さん :04/12/16 20:22:40
A.J.P.テイラーの「ハプスブルク帝国」はどうですか 同じ著者の「近代ドイツの辿った道」はあまりに酷いドイツへの敵意に閉口しましたが
277 :
世界@名無史さん :04/12/16 20:56:17
>>273 神聖ローマ帝国の原語名称は
das Heilige Roemische Reich Deutscher Nation
ドイツ民族の神聖ローマ帝国
と言います。
ドイツというアイデンティティとは関係ない
と言えるでしょうか?
278 :
世界@名無史さん :04/12/17 14:46:33
ラテン語名のSacrum Romanum Imperium Nationis Germanicaeの方が
歴史的には正式かもね。ただ調べたけど、ゲルマンという語の語源は
古ガリア語の「隣人」で
>>273 のような領域外という意味じゃないようだが。
das Heilige R"omische Reich Deutscher Nationという名前が最初に登場するのは
1450頃のフリードリヒ3世の時代以降で、それ以前は単に神聖ローマ帝国
das Heilige R"omische Reich (Sacrum Romanum Imperium)
「神聖」の語句を付けたのはフリードリヒバルバロッサで、
それ以前はローマ帝国だったりローマ王国だったり、案外正式国名もいい加減なもの。
279 :
世界@名無史さん :04/12/17 14:58:42
一応神聖ローマ帝国の下にはドイツ王国、イタリア王国(といっても北部の一部だけ)、 ボヘミア(ベーメン)王国といった王国が存在する。神聖ローマ帝国の中の王国の数も 時代によって変化している。 1701年成立のプロイセン王国の領地は、形式上神聖ローマ帝国の域外の 東プロイセン地方だけで、西プロイセン地方は、あくまでもドイツ王国 (国王は神聖ローマ帝国皇帝が大概兼ねていた)の下の ブランデンブルク辺境伯爵、選帝侯領ということになっている。 またハンガリー王国がハプスブルク家の配下に入ったのは1699年から。 結局のところ形式上の問題なんだが、ボヘミアが神聖ローマ帝国に組み込まれたのに、 ハンガリーが神聖ローマ帝国に組み込まれなかったのは、歴史的な流れもあるし、 マリア=テレジアをはじめとする歴代皇帝の配慮とか何とか。 ハンガリー人は自分たちをスラヴ人よりも格上と思ってたらしく、 19世紀のオーストリア=ハンガリー帝国で、スラヴ人の権利を認めようとしなかったのも ハンガリー人たち。
280 :
世界@名無史さん :04/12/18 16:12:40
Peter TruhartのHistorical Dictionary of States (1996)によると 1034年にImperium Romanum (ローマ帝国) 1157年にSacrum Imperium (神聖帝国) 1254年にSacrum Imperioum Romanum (神聖ローマ帝国) 1483年にSacrum Imperioum Romanum Nationis Germanicae (ゲルマン民衆の神聖ローマ帝国) となっている。ただ962-1034年の間の正式国名はコメントされていない。 帝国内の王国は4つで、 1. Regnum Teutonicum (テュートン (ドイツ) 王国) 962-1806 ただし国王のタイトルはRex Romanorum ローマ王 都はないが、大法官府 (裁判所)はマインツ 国王の戴冠式はアーヘン 962-1531かフランクフルトアンマイン 1531- 国王選挙はフランクフルトアンマイン 議会はクヴェトリンブルクとレーゲンスブルク 王宮はゴスラー、グローナ、プラハ (1346-1378, 1583-1612)、 ヴィーン (1532-1583, 1612-1806)などなど
281 :
世界@名無史さん :04/12/18 16:24:39
2. Regnum Italiae (イタリア王国) 951/962-1801 都はパヴィア、ミラノ (1024-)、大法官府はケルン 3. Regnum Arelatense (アルル王国) 1033-1200 / Regnum Burgundiae (ブルゴーニュ (ブルグント) 王国) 1200-1456 都はアルル 大法官府はブサンソン、1157年からヴィーン、1308年からトリエル 1378年以降は実質フランス領で、 ブルゴーニュ公国 (1477-1793, 都はブリュッセル)はオランダ領 4. Regnum Boheiae (ボヘミア (ベーメン) 王国) 1198-1471, 1708-1806 但し1471-1708の間はローマ帝国外扱いで、その間選帝侯の地位もない 都はプラハ
282 :
世界@名無史さん :04/12/18 17:27:45
選帝侯の数も時代とともに変わり、金印勅書以降だと 聖職者代表 ケルン大司教 1257-1802 (都はケルン、ブリュール (1262-1273)、ボン(1273-)) マインツ大司教 1257-1803 (エルトフィレ、マインツ (1462-1798)、 アシャッフェンブルク (1798-)) トリエル大司教 1257-1803 (コブレンツ) レーゲンスブルク大司教 1803-1305 (レーゲンスブルク) [帝国崩壊期の一時的なもの] 世俗代表 ライン宮中伯 1257-1623, 1654-1777 (ハイデルベルク、1720年以降マンハイム) [ヴィッテルスバッハ家] バイエルン公 1623-1654, 1777-1806 (ミュンヘン) [ヴィッテルスバッハ家] ブランデンブルク辺境伯 1257-1806 (ベルリン、タンガーミュンデ (1373-1701)、 ベルリン (1701-)) [アスカニエン家 (-1319)、ルクセンブルク家 (1323-1411)、ホーエンツォレルン家 (1411-)] ザクセン=ヴィッテンベルク公 1257-1554 (ヴィッテンベルク) [アスカニエン家 (-1423)、ヴェッティン家 (1423-)] ザクセン公 1554-1806 (ライプツィヒ、ドレースデン (1554-)) [ヴェッティン家] ベーメン王 1257-1471, 1708-1806 (プラハ) [プシェミスル家 (-1306)、 ルクセンブルク家 (1310-1437)、ハプスブルク家 (1437-)] ハノーファー公 1692-1806 (ハノーファー) [英国王室ハノーファー公家] 〜〜〜以下は帝国崩壊期の一時的なもの〜〜〜 ヘッセン公 1803-1806 (1866年までヘッセン=カッセル選帝候と称する) (カッセル) ヴュルテンベルク公 1803-1805 (シュトゥットガルト) バーデン辺境伯 1803-1806 (カールスルーエ) ザルツブルク大司教 1803-1805 (ザルツブルク) [なぜか世俗代表] ヴュルツブルク大司教 1805-1806 (ヴュルツブルク) [なぜか世俗代表]
283 :
世界@名無史さん :04/12/18 18:05:48
そういえば、"Historical Dictionary of States"によると 「イタリア王国」Regnum Italiaeは、1530年以降ハプスブルク家が王位を兼ねて 帝国崩壊期の1801年まで存続しており、ミラノ (ハプスブルク家)、モデナ、 マントヴァ (ハプスブルク家)、パルマ=ピアチェンツァ、トスカナ (ハプスブルク家)、マッサの6公領、 マッセラノ、ピオンビノの2侯爵領、カッラーラ伯爵領が1850年の時点で含まれていることになっているんだが... 山川などの日本語の世界史史料集では、17,18世紀の神聖ローマ帝国はイタリア北部を 含まないことになっており、ドイツ王国+ベーメン王国(≒ドイツ連邦)のみの構成になっている。 これは、実質存在しないイタリア王国を無視したのか、それともイタリア側が そのような王国は存在しなかった (あるいはドイツ側が王国が存在した) と主張 している政治的な理由によるものなのか、それとも何となく慣例的にこう書くように なってしまったのか、分かる方がいたら教えて下さい。 ちなみにウェストファリア条約時の帝国領土の地図は、吉川弘文館や山川の史料集だと 北イタリアを除外してボヘミアを加えているし、"The Encyclopedia of World History" でも同様。一方Britannicaだと北イタリアを加えてボヘミアを除いており、 Historical Dicrionary of Statesの記述と同じ。
284 :
世界@名無史さん :04/12/18 18:16:52
285 :
訂正 :04/12/18 18:18:33
>>280 からでした。
その上に書いてる方も皆さん乙!
議論をお続け下さい。
>>279 いわゆる「西プロイセン」は、1701年当時はまだポーランド王国領だった。
ここがプロイセン王国領になったのは、1772年の第一次ポーランド分割の時。
ポンメルンとかブランデンブルク辺境伯領とかは、確かにその通りだが。
>>286 すまん
ブランデンブルクとかの神聖ローマ帝国内の領土を指すつもりで、
とっさに西プロイセンという言葉を使ってしまったが、
よく考えたら西プロイセンといったら別の地域を指すんだったな。
それに東プロイセンという呼称が使われるようになったのも、
確か神聖ローマ帝国消滅後のことだったし。
ブルグント伯は実に微妙ですね。 確か皇帝への封建的な義務は免除されてたんだよね?
>>288 ブルゴーニュ王国とブルゴーニュ公領とブルグント伯領は厳密に区別すべき。
ブルゴーニュ公はフランス王の封臣で、ブルグント伯はドイツ王の封臣。
ロタールの王統の断絶後に成立した中世ブルゴーニュ王国は発展的にアルル王国に変質した。
(ブルゴーニュ=アルル王国)
何が微妙なんだかよく分からないけれど、托身と臣従礼を行う以上は封臣と見てよいかと。
>>280 1034年よりも前は単にImperium 帝国
1034年に初めて公文書にImperium Romanum ローマ帝国の名が登場
1157年に初めて公文書にSacrum Imperium 神聖帝国の名が登場
1254年に初めて公文書にSacrum Imperium Romanum 神聖ローマ帝国の名が登場
Sacrum Imperium Romanum Nationis Germanicae ドイツ国民の神聖ローマ帝国
の名が公文書に採用されたのは遅くとも1512年だが、「神聖ローマ帝国とドイツ国民」
とか「神聖ローマ帝国と威厳あるドイツ国民」とかいった呼称はすでに
15世紀中頃から登場しており、いつからこの国名になったかは議論がある。
291 :
世界@名無史さん :04/12/20 11:01:12
>>283 神聖ローマ帝国皇帝が名乗っていたイタリア国王というのは、
歴代イングランド国王がフランス国王と名乗っていたのと同様実体のないもの。
ただ、いつをもってイタリア王国が消滅したかは曖昧。
一般にはマクシミリアン帝の頃とし、
マクシミリアンがドイツ王(ローマ王)になった1493年
イタリア戦争が勃発した1494年
マクシミリアンがローマでの教皇による戴冠を廃止して皇帝になった1508年
マクシミリアンが公文書でドイツ国民の神聖ローマ帝国と記述し、
ドイツ国内の7の管区Kreis(1500年頃に制定)を10、または11の管区に再編した1512年
もちろん1801年までイタリア王国が存在したとする考えもある。
ちなみにマインツ大司教が帝国大宰相、トリエル大司教がブルゴーニュ王国大宰相、
ケルン大司教がイタリア王国大宰相を兼ねてたらしい。
292 :
世界@名無史さん :04/12/20 15:30:38
もるだう
293 :
世界@名無史さん :04/12/21 01:03:29
>291 昔の中華民国の台湾省以外代議士みたいだな>イタリア・ブルグント大宰相
双頭の鷲ではなく帝国ネタで申し訳ないのだけど・・・ みんなで以下の文章に反論してみませんか? 「われわれの古い国民性は、真にローマ的であったと思う―― そのはずだ、われわれはローマ人とまったく同様の道を歩んで成立したのだから―― すると、神聖ローマ帝国という名称は、本当に見事で、意味深い偶然だといえるのではないか」 ノヴァーリス「さまざまな覚書」63(沖積舎『ノヴァーリス全集1』二三五頁以下)より
295 :
世界@名無史さん :04/12/21 17:08:11
ついでにage
296 :
世界@名無史さん :04/12/21 20:12:30
>>255 スロヴェニア人は、オーストリア帝国主義の
尖兵としてのオーストリア=ハンガリー帝国を大変憎悪している。
オーストリア帝国主義者は去れ、とのこと。
最後はフランツ=ヨーゼフ2世の人徳で持たせたようなモンだったな。 シシィのこと考えたら何でゾフィーにあれほど辛く当たったのかなあ? その息子に皇位継承認めん、などとは明らかに時代錯誤。
>>297 伝統の重み、それを体現するフランツ=ヨーゼフ帝の存在で何とか
国家としての統一感を持たせていたオーストリアだから
臣下如きと結婚したいなんて言われたら混乱するだろうと思うよ。
貴族といったって侍女勤めしてたような女性だもの。
時代錯誤である事によって、生き長らえる道を選んだ彼にはショックだろうと思う。
>>298 実子のルドルフ皇太子も貴賎結婚を反対されて心中してるしね。
結婚することによって拡大してきたハプスブルグ朝も、
結婚問題によって衰退したのは皮肉だね。
300 :
世界@名無史さん :04/12/23 01:14:42
300get!
301 :
世界@名無史さん :04/12/23 01:20:54
>>299 ルドルフ皇太子は心中相手の女と結婚する気はなかったんじゃ?
愛人の女優にも心中もちかけたそうだし、とっくに結婚していたし。
302 :
世界@名無史さん :04/12/23 09:12:48
なぜホテク伯爵家は身分が低いのでしょうか ? 伊藤博文みたいな勲功貴族だったの ?
>>302 ベーメンでも屈指の家柄だったそうですよ。
でも伝統があるという事と、家格の高さは必ずしも比例しないし
ハプスブルクに釣り合う相手ってのが、旧教の王家出身位しかなかったと
皆が思っていただけの事でしょう。
>>303 そうなればマドリードのブルボン家しかなくなってしまうわけで。
ベルギー王家はまだできたところだし、ルクセンブルグは大公だし、
英・蘭・独・北欧諸国は新教だし、ロシアは東方正教だし、
トルコがいいはずもないし。
305 :
世界@名無史さん :04/12/23 16:06:16
結論 ヴィッテルスバッハ家との近親結婚を続けるしかない。
>>303 まぁ、裏ワザとして改宗という手もあったんですけどね。
ルドルフ皇太子の嫁探し旅行ではイギリスの滞在もあった筈ですし。
で、連れて帰ってきたのがベルギーの姫君だったと。
そういう事を考えるといかにツィタを歓迎されたかが想像できますね。
307 :
世界@名無史さん :04/12/25 00:28:26
ハプスブルク贔屓でためになる個人のHPありませんか
308 :
世界@名無史さん :04/12/28 01:06:31
age
309 :
世界@名無史さん :04/12/29 16:34:37
雪の東京、雪のウィーン なんかいい
310 :
カウニッツ :05/01/01 22:10:45
諸卿の皆様、新年明けましておめでとうございます! 本年は昨年の様に書き込みが少なくならない様に頑張りますので、 本スレ御引き立ての程、宜しくお願い申し上げます。 2005年1月1日 ヴェンツェル・カウニッツ=リートベルク伯爵
311 :
世界@名無史さん :05/01/05 23:31:57
age
312 :
世界@名無史さん :05/01/06 01:12:56
「悲劇の皇太子フランツフェルディナンドについては、本人はErzherzog(太公)だが、夫人は、太公妃は名乗れなかった。子供たちも、Erzherzog(太公)でない。」 これだけで、ハプスブルク家が嫌いになりました。 息子が自殺し、甥のフランツフェルディナンドが皇太子となった際、あわてて、ホーエンベルク公爵を作ったそうです。つまりは、婦人に太公妃の敬称がないので、ホーエンベルク公爵家(Herzhog)を創始して、彼女を、ホーエンベルク公爵夫人と呼ばせたそうです。 ただしくは、女公爵ということでしょうか(ヨーロッパ語では、女公爵も公爵夫人も同じになるので、手元資料では、このへんが、よくわかりません)。とすると、この女性が、初代公爵となりますが。 そして、子供たちのうち、長子が、母親の死後、二代目Herzhogとなるはずだったんでしょうか。 いずれにしても、息子が自殺するのも無理はないと思います。 (ホーエンベルク家創設のタイミングは、いまいち自信なし。皇太子になるまえかもしれない。)
313 :
世界@名無史さん :05/01/06 01:13:18
「悲劇の皇太子フランツフェルディナンドについては、本人はErzherzog(太公)だが、夫人は、太公妃は名乗れなかった。子供たちも、Erzherzog(太公)でない。」 これだけで、ハプスブルク家が嫌いになりました。 息子が自殺し、甥のフランツフェルディナンドが皇太子となった際、あわてて、ホーエンベルク公爵を作ったそうです。つまりは、婦人に太公妃の敬称がないので、ホーエンベルク公爵家(Herzhog)を創始して、彼女を、ホーエンベルク公爵夫人と呼ばせたそうです。 ただしくは、女公爵ということでしょうか(ヨーロッパ語では、女公爵も公爵夫人も同じになるので、手元資料では、このへんが、よくわかりません)。とすると、この女性が、初代公爵となりますが。 そして、子供たちのうち、長子が、母親の死後、二代目Herzhogとなるはずだったんでしょうか。 いずれにしても、息子が自殺するのも無理はないと思います。 (ホーエンベルク家創設のタイミングは、いまいち自信なし。皇太子になるまえかもしれない。)
314 :
世界@名無史さん :05/01/06 01:13:59
「悲劇の皇太子フランツフェルディナンドについては、本人はErzherzog(太公)だが、夫人は、太公妃は名乗れなかった。子供たちも、Erzherzog(太公)でない。」 これだけで、ハプスブルク家が嫌いになりました。 息子が自殺し、甥のフランツフェルディナンドが皇太子となった際、あわてて、ホーエンベルク公爵を作ったそうです。つまりは、婦人に太公妃の敬称がないので、ホーエンベルク公爵家(Herzhog)を創始して、彼女を、ホーエンベルク公爵夫人と呼ばせたそうです。 ただしくは、女公爵ということでしょうか(ヨーロッパ語では、女公爵も公爵夫人も同じになるので、手元資料では、このへんが、よくわかりません)。とすると、この女性が、初代公爵となりますが。 そして、子供たちのうち、長子が、母親の死後、二代目Herzhogとなるはずだったんでしょうか。 いずれにしても、息子が自殺するのも無理はないと思います。 (ホーエンベルク家創設のタイミングは、いまいち自信なし。皇太子になるまえかもしれない。)
315 :
Erzherzog(太公)に拘ると :05/01/06 19:27:35
この称号の発生は、別スレ(ドイツの歴史を熱く・・・・・)に詳しい書き込みある。 マリアテレジア皇后の息子二人は、皇帝になったが、ならなかった息子でケルン選定候がいます。 ケルン選帝侯マックス2世。 この人も、太公ということでいいかなぁ。 また、この人も子女も太公・太公女ということでよいかなぁ。 一方、ケルン選帝侯という位の方だけど、 こっちは、長子だけに伝わるのか、どうなんですかなぁ。 以上、質問でした。
司教選帝侯は世襲じゃないのでは。
317 :
世界@名無史さん :05/01/08 16:49:42
Erzherzog =太公、Erzherzogin =太公女 (Erzherzogin =太公妃)に拘ると、 皇帝レオポルドU世帝の息子たちであるが、 (あ)トスカナ大公( Groβherzog グロースヘルツォーク)を名乗った 「フェルディナンドV世」については、彼も、Erzherzog(太公)も併せ名乗るのか。 その子女も、やはり、全員Erzherzog(太公)とErzherzogin(太公女)か。 ただ、トスカナ大公位は、長男だけが継ぐ? (い)カール大公(これは、Erzherzog)は? 彼の子孫も、全員Erzherzog(太公)か。 (う)ヨハンは、メラン伯爵(グラーフ・フォン・メラン)を授与されたが、 同時にErzherzog(太公)も名乗るか。 その子孫は、メラン伯爵とErzherzog(太公)の二つの称号を持つのか。 もっとも、メラン伯位の方は、長子孫だけも。
318 :
世界@名無史さん :05/01/09 20:43:16
神聖ローマ帝国のころは、 ボヘミア王国、ハンガリー王国、トスカナ大公国、オーストリア太公国、などの 同君連合で、そのうえ、さらに、帝国皇帝に選出されていたのだと思っているんですが、 オーストリア帝国になってからは、どういうふうになったんでしょうか。 ボヘミア王国、ハンガリー王国、トスカナ大公国、オーストリア太公国は、 オーストリア帝国内の領邦となったんでしょうか。 同君連合ということではなくなったんでしょうか。 トスカナ大公国の君主が、皇帝の弟になっているみたいですし(>>317)。 このあと、彼(フェルディナンド三世)の息子が、イタリア統一戦争のときまで、 大公の地位を継ぐように見えますが。
トスカーナは別じゃないかな。(トスカーナ・ハプスブルク家) 同君連合の概念が、いまいち掴めないというか、 オーストリア皇帝はオーストリア太公やシュタイアーマルク公の称号も持っている筈だけど、 オーストリアの帝冠は、これら全ての領域の上に及ぶはず。(アウスグライヒからはハンガリー王冠と別れるが) ボヘミア王やモラヴィア辺境伯の称号もあるが、聖ヴァーツラフの王冠諸邦といういいかたで一くくりにしてたような。 戴冠式は、オーストリア皇帝とハンガリー王(アウスグライヒ以降)だけか。
従って、太公国やボヘミアはオーストリア帝国の領邦ということで多分問題はない。 アウスグライヒ以降ハンガリーだけ別格、しかしハンガリーの下にもクロアチア・スラヴォニアとかあってややこしいこと極まりない。 そういえば、「スペイン王」も、便宜的に使われていたけど正式になったのはナポレオン戦争のあとで、 それまではカスティーリャとレオンと〜の王にして、ブラバントと〜の大公にして、〜が正式だった筈。
ミラノ公を兼ねてたのが ハプスブルク家のイタリア支配に決定的に重要だったと思う。 その忠実な同盟者のサヴォイア家が喧嘩をしてきて、 かの家がイタリア王家に納まるんだから歴史は皮肉なものだ。
322 :
世界@名無史さん :05/01/10 18:41:15
>319 :世界@名無史さん :05/01/10 01:39:22 >トスカーナは別じゃないかな。(トスカーナ・ハプスブルク家) なるほど、フェルディナンド3世以降は、とりあえずは、 オーストリアとは別の国、別の君主ということでしょうか。 (宗主権は、あったかもしれない、 あるいは、一族の当主としての家長権だったかもしれないが、 ご教示、乞う)
323 :
世界@名無史さん :05/01/11 23:24:08
age
324 :
世界@名無史さん :05/01/12 22:59:22
age
325 :
世界@名無史さん :05/01/14 23:51:06
カウニッツはどうしたのだ!
326 :
世界@名無史さん :05/01/15 01:32:49
今まで続いていたら皇帝の称号も複雑になっていただろうか。 それとも単純にオーストリアの皇帝・ハンガリーの王になっていたのだろうか。
327 :
世界@名無史さん :05/01/15 02:03:23
>>326 多分、ドナウ連邦帝国の皇帝という感じじゃない?
そういう方向に進みつつあったし。
>>327 しかしボヘミア人はそれに納得せず、あくまで独立を要求した。
329 :
世界@名無史さん :05/01/16 17:31:23
>>317 、
>>319 皇帝レオポルドU世帝の息子たちであるが、
(あ)トスカナ大公( Groβherzog グロースヘルツォーク)を名乗った
彼以降のトスカナ大公のリストは、ないでしょうか。
大公国が、イタリア統一戦争で滅ぶまでの代々の大公なんですが。
331 :
世界@名無史さん :05/01/20 01:32:46 0
age
332 :
世界@名無史さん :05/01/22 19:32:50 0
329.330さん、 330さん、ご紹介のWeb見ました。サンクスです。 すると、フェルディナンド4世が、1860年まで居て、そこでトスカナ大公国は滅亡した。 (イタリアに併合されることにより、)ですね。 ところで、「1799-1801 フランスによる統治」は いったん、フランス帝国に併合され、その地方となった(県かな???)、 ことと思います。県ですよね?なんという県かご存知ですか。 その後の、ブルボンによるエトルリア王ですが、これはどういう地域でしょうか。 また、ブルボン王家というのが解せません。 パルマ公の称号を持つ王族出身のようですが、 オルレアン公のような革命派の王族というか、気を見るに便な王侯なんでしょうか。
333 :
世界@名無史さん :05/01/22 20:21:18 0
どなたか、 トスカナ大公国とオーストリア帝国の関係はどういうものだったのか、 簡単に説明してもらえないですか。
334 :
世界@名無史さん :05/01/22 20:36:21 0
335 :
世界@名無史さん :05/01/22 22:07:51 0
>>333 すくなくとも、 オーストリア系とスペイン系に分かれたときの話とはだいぶ 違うと思われる。 ◎このときは、本家と分家の区別はなかったと思われ。 ◎仮にあったとしても(スペインが本家のように見えるが)、 どちらが本家だ、分家は従えという話はなかったかと。 なお、 そもそも、分家は従えというのは、いつから始まったのか。 これが俺には疑問であるが。
336 :
世界@名無史さん :05/01/22 22:15:03 0
貴賎結婚をなんで左手結婚というのでしょうか。 知っている人、居ますか。
>>332 フランス領時代はArno,Méditerranée,Ombroneの三県。
エトルリア王国はトスカーナ大公国と領域的に同一です。
ブルボン家ですが、スペイン系のパルマ・ブルボン家ですね。
パルマ(モデナ、ピエモンテ、ジェノヴァ、ミラノに囲まれたエミーリャ地方の公国)
がフランスに占領>併合されてしまったのでリュネヴィル条約で代りに与えられました。
338 :
質問 :05/01/23 21:55:46 0
皇帝マキシミリアンの弟、ひとりは、チロル大公フェルディナンド2世。もうひとりは、内オーストリア大公カール2世。 このカール2世に息子に、チロル大公レオポルド5世がいます。 Herzog von Tirol ( Erzherzog von Tirol ? ) などは、急遽、作ったものでしょうか。 そのとき、一応、レーエン/領地としてのチロルなり、内オーストリアなりが、定めたんでしょうか。 それとも、むかしから、チロル公領などの領邦はあったのでしょうか。
339 :
世界@名無史さん :05/01/27 22:50:07 0
age
>>335 ソースが菊池の本なのであれだが、三十年戦争の時に皇帝フェルディナントが
ハプスブルク家の領地の非分割=長子単独相続を定めたのが一つのきっかけの模様。
ただ、例外として皇帝の弟にはチロル伯領を与えることになった。
>>338 手元にハプスブルク家所領の紋章がまとめて載ってるのがあるんで見てみたが、
シュタイアーマルク、ベーメン、メーレン、シュレジエン辺りと並んで
チロルの紋章があるから、一応「領邦」扱いでいいと思う。
>>335 分家ってのは、つまり分割相続した際に主家に対して誠実義務を持つかどうかという事。
簡単に言えば帝国諸侯ではないという事。ドイツ国内に限って言えばね。
>>338 系図を見てみましょう。
マクシミリアン1世の前までは、ハプスブルク家はかなり分裂してました。
あと封と領邦は厳密に区別する必要があるものなので気をつけて。
>>340 が挙げてるのは封であって領邦じゃないから。
領邦という意味で挙げるのなら、三十年戦争後のオーストリア太公領がそれかな。
342 :
世界@名無史さん :05/01/28 23:18:53 0
×太公 ○大公
>>342 ハプスブルク家の太公は通常のそれとは違う性質を持っているので
区別する事があります。
違う性質というか別物だね
345 :
世界@名無史さん :05/01/30 23:10:52 0
>>341 初歩的なことを聞くのですが、
封(レーエン)、領邦(ラント)でよいですか。
で、その意味の違いなんですが、どういう風に理解したらよいんでしょうか。
「領邦」というのは、封は封でも、ドイツ王に対しての封土に限定されている、ということでどうでしょう。
一方、「封」の方は、ドイツ王から得た封土をさらに与えられている(転貸のような感じ)ということで、どうでしょう。
したがって、領邦をドイツ王から与えられている諸侯の場合、
すなわち、それは、100%帝国諸侯であって、帝国議会に出席できる
(100%は、言い過ぎでしょうか、少し不安)。
領邦を有する諸侯(領邦君主と呼んでも良いかな)から、
封土を与えられるのは、分家であったり、他家(家来・家臣)であったりする。
他家の場合、爵位は采地名になんらかの爵位が着くことが多い。
しかし、分家の場合は、それに加え、本家と同じ爵位を名乗ったりすることもあるし、
あるいは、采地名に本家と同格の爵位を付することもあったりする。
これで合っていますか。
>>341 その問題で何冊も本が出版されている位に重要な問題なのですが
簡単に(乱暴に)言ってしまうと、「封土の家産化の極相=領邦」と言えるでしょう。
封というのは、受けた側には授けた側の意思に従う義務が発生します。
(いくつかの例外事項、例えば自らの家産が脅かされる場合などは除きます)
で、臣下が主君の命令に従わなかった場合、主君は臣下の封土を没収する事が出来ます。
(フリードリヒ1世によるハインリヒ獅子公のレーエン没収が代表例)
しかし、封土の授与の際には臣下の自有地を主君に寄進した上で、それにいくつかの知行を加えて
改めて封土として授けるというのが、大貴族を封建制度に組み込む上でのスタンダードだったので
封というものは当初から家産的な性格を持たざるを得ませんでした。
それに対して領邦というものは、ほとんど君主に対して独立している状態です。
帝国諸侯は複数の封を保有していましたが、その世襲封土を併せたものを領邦と呼ぶべきかも。
初期の帝国諸侯には封土を受けているが故に、皇帝に対しての一定の義務が発生しましたが
これがほとんど存在しなくなった時、彼らは帝国諸侯というよりは領邦君主と呼ばれるべき存在に
なったと言って良いと思います。
>>336 不完全な結婚だからです。
当時、左手は右手に劣ると考えられていました。
(日本における左右大臣の上下と同じようなものと考えて良いのでは?)
348 :
世界@名無史さん :05/02/02 23:26:01 0
>>348 右と左の間に差を付けるという風習(?)は
それほど珍しくないという例に出しただけです。
ちなみに中世初期では敗れた貴族への制裁としてかなり残虐な刑罰が
行われていますが、右腕の切断は対象者の名誉を貶めると言う点では
かなり上位に来ていたようです。
350 :
世界@名無史さん :05/02/03 15:45:17 0
助命されただけでもめっけもの 中国なんかアンタ
>>350 その後は城とは名ばかりの牢獄に押し込められて、大体の場合は
そのまま死んでしまいます。
目を潰したり、手を切断するというのはその貴族がもっていた特権や
権威が失われたという事を示すパフォーマンスのようなものと考えるべきかと。
確かに中国なんかに比べると穏やかなのかも知れませんけれども
死体を引っ張り出してきて裁判にかけて遺体を損壊するくらいの事は
中世ヨーロッパでもあったようで。
352 :
世界@名無史さん :05/02/05 19:35:44 0
345.346さん。 「封土の家産化の極相=領邦」とは、わかりやすい説明ですね。 封土は、でも、@王から、家臣へ、 Aその家臣からまたその家臣(又家来)へ、 Bその又家来から、、、、、 と続きます。 領邦と呼べるのは、@のケースで、 AやBの場合は、いくら家産化が進んでも、領邦とは言わないのかな、と思いますが、 いかがでしょうか。
353 :
世界@名無史さん :05/02/05 20:06:14 0
>>621 >オーストリア太公国がひとつのラントと言えたのか よくわかりません
とありますが、上の話から見れば、
封土が極度に家産化したので、ひとつのラントだと言えましょうか。
その下部レーエンとして、
オーバーエーストライヒ、ニーダーエーストライヒ、ケルンテン、
シュタイアーマルク(インマーエーストライヒ)、チロルかな(ほかにもある?)。
このうち、オーバーエーストライヒとニーダーエーストライヒは、
当初、ひとつの采地であったのを、
封土受領側の都合で分けた(本来は授与する側が分けるのが筋かと思うんで)。
どうでしょうか。
>>352-353 質問の意図がいまいち掴めない所もありますが・・・。
まず
>>352 ですが、封土の家産化が始まったと同時に、封土の上級封主への
回収という動きが見られるようになりました。封土の回収という事はそれに
付随する様々な特権の回収と同義です。
フランスは最終的に国王の元に集約する事が可能でしたが、様々な要因によって
ドイツではそれが不可能でした。よって皇帝から直接、封を受けている帝国諸侯が
独自に封土の回収を行い、これをほぼ達成しました。
これによって成立した構造を領邦と呼んでいるので、用語上では1以外のケースは
有り得ないという事になります。
>>353 のレーエンの分割に際しては専門ではないので確実な解答が出来ません。
355 :
世界@名無史さん :05/02/06 21:01:35 0
オーバーエーストライヒ、ニーダーエーストライヒ: これは、エーストライヒの下部レーエンではないでしょうか。 本来、領邦にはなりえない筈のものですが、君主が皇帝その人だから特別扱いかもしれません。 シュタイアーマルク、ケルンテンは、のっけの当初から、ひとつの封であって、別に、 受封側の事情で分けたものではないですね、きっと。 (私は専門化ではないですが) シュタイアーマルクが、インマーエーストライヒかどうかはよくわかりません。
356 :
世界@名無史さん :05/02/06 21:09:58 0
続けますが、 >チロル大公フェルディナンド2世。 >もうひとりは、内オーストリア大公カール2世。 第一の気になる点ですが、これを見ると、チロル大公に少なくともフェルディナンド1世が居るはず、 内オーストリア大公にカール1世が居る筈と見えます。 すると、だいぶ前から、独立に殿様が居たのか、居たこともあるのか、と見えます。 さて、第二の気になる点です。 この「チロル「大公」」と「内オーストリア「大公」」ですが、原文にあたれば、 ヘルツォーク(公)か、エルツヘルツォーク(太公)のことになると思います。 グロースヘルツォークではないと思いますが、どうですか。 たしかに、ご本人は、チロル大公位、内オーストリア大公位とは、別に、 「太公」を持っていたからといって、 「チロル大公」とか、「チロル太公」を発明してはいけませんよね。 手元に資料がないので、なんともいえないのですが。
オーストリアに関してはどこかの王族貴族関連スレかハプスブルク関連スレに解説があったはず。 上下オーストリアはオーストリアの下部レーエン、 シュタイアーマルクは内オーストリアとあったはず。 あとシュタイアーマルクやケルンテンは、いつ頃までかは忘れたけどオーストリアとは別の人に相続されていたような。 その辺のハプスブルク家内部の主導権争いについてもどこかのスレに記述があったはず。 探したけど見つからないから過去スレかな
358 :
世界@名無史さん :05/02/10 00:28:19 0
ageage
359 :
世界@名無史さん :05/02/12 00:14:35 0
age
360 :
世界@名無史さん :05/02/12 11:49:20 0
ハプスブルク家領って封建的所領の寄せ集めだから、ややこしいよね。
ごめん、話ぶった切ります。 エリザベートの末娘、マリー・ヴァレリー好きな人いない? エリザベート唯一自らの手で育てることができたっていう末娘 大人になってからは孤児院や貧民救済活動なんかして市民に人気があったとか 長女にはエリザベートって名前をつけたんだよね 検索して分かったんだが、マリーヴァレリーってホテルあるんだねw しかも変な物語まで創作されてる…
362 :
世界@名無史さん :05/02/13 20:25:55 0
ごめん、話ぶった切ります。 エリザベートの末娘、マリー・ヴァレリー好きな人いない? エリザベート唯一自らの手で育てることができたっていう末娘 大人になってからは孤児院や貧民救済活動なんかして市民に人気があったとか 長女にはエリザベートって名前をつけたんだよね 検索して分かったんだが、マリーヴァレリーってホテルあるんだねw しかも変な物語まで創作されてる…
>>361 変な物語ってどんな話なのか激しく気になる!
エリザベートといえば昨日宝塚の「エリザベート」舞台裏みたいな番組が
やってましたね。中々面白かったです。
ところでここの人の話題はなんかマリア・テレジア以降の時代の話が多い
ような気が…マクシミリアン1世時代とか…駄目ですか?
ググってみたら、最初にくるのがラブホのURLときたもんだ⊂⌒~⊃。Д。)⊃
365 :
カウニッツ :05/02/14 23:31:02 0
マクシミリアン1世。おおいに結構です、って言うかお久しぶりです!
カウニッツ卿キ・キ・キ・キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!お久しゅう存じ上げます。 最近は生きているのかどうかも訝しんでいましたよ。
367 :
世界@名無史さん :05/02/16 23:29:14 0
マリアテレジアでググっても・・・・・・ フランツと2人で池とでもいうのだろうか?
エリザベートって神秘的なんだけど、時々人間味があって(カタリーナに嫉妬してデブと言ってみたり)惹かれる こんな嫁に尽くしたい でも苦労すんだろうな…
>>368 ダンナがフランツ・ヨーゼフみたいな朴念仁じゃなかったら
エリザベートの一生もああもややこしいものにはなってなかったでしょ。
シャルロッテの代わりに皇弟のマクシミリアンとでも結婚してた方が
マクシミリアン共々幸せになっていたろうと思う。
>>369 そうだね、フランツ・ヨーゼフがね…もうちょっと母親に頭が上がれば、っていうのもあるよね
エリザベートが嫁いだのが確か15歳だっけ
バイエルンの田舎で乗馬したり駆けたりしてた子がいきなりオーストリアに嫁いで
妃になって、姑に牛耳られて、生んだ子供奪われたら誰でもおかしくなりそう
マクシミリアンか、確かメキシコで射殺されたんだよね
エリザベートだったら自分たちを嫌うメキシコ国民のために尽力出来ただろうか
エリザベートっていう人間が掴みきれないから想像もつかんw
ただ、フランツ・ヨーゼフ(+ゾフィー)との結婚生活よりかはマシだったかも
ただ、エリザベートくらい美人ならその美貌でメキシコ人の心を捉え、 ということもあり得たように思う。 実際、ハンガリーではまずそれで支持を得たわけだし。 (彼女も最初からハンガリー語を勉強したり、ハンガリーびいきだった わけではないと思うので)
フェルディナント・マクシミリアンとエリザベートってなんか接点あったっけ? なんか唐突な組み合わせだと思った。そもそも性格的にあの二人は合うのかな…
>>372 ブリギット・ハーマンの伝記によると、二人は親密だったそうです。
…但しシャルロッテが嫁いでくるまでは。
さて、マクシミリアンは野心家妻シャルロッテにお尻を叩かれて
無理矢理メキシコ皇帝の帝冠を受取ってしまい、
そこから例の悲劇が始まる訳ですが、
エリザベートみたいに帝位に野心も興味もない嫁を貰っていたら、
マクシミリアンはルートヴィヒ・サルヴァトールのように
趣味に生きる自由人として、平和に生をまっとうできたかもしれない
と思うのです。
>>373 氏
詳しいレスありがとうございます。
奥さんの尻に敷かれていたのか…マクシミリアン……なんかすごい悲哀を感じるなあ。
最期は銃殺だからな…あの最後の言葉とかは逃れられない運命をなんとか受け入れよう
としている彼の覚悟が伝わってきて、涙なしでは読めないよ。
エリザベートと結婚してたなら二人とも幸せだったかもしれないな。
>>371 それは無理。
マクシミリアンが皇帝に就く前からのフランスへの怨嗟が銃殺の原因だから。
>>376 女の子は二人とも美人だなあ。
ギゼラの乗馬服姿なんてお母様そっくり。
>>376 シュテファニーはベルギー王室出身なので、エリザベートには
蛇蠍の如く嫌われた。
エリザベートとシャルロッテの不仲は有名だったし、
どうやら当時のハプスブルク家では、
「マクシミリアンを死に追いやったのはシャルロッテの責任だ」
という見方が主流だったらしく、ルドルフとシュテファニーの婚約が
決まったことを知らされたエリザベートは
「ベルギー王室なんてあんな縁起の悪いところからまた嫁を貰うなんて!」
とカンカンに怒ったらすぃ。
シュテファニー本人は保守的で体制順応型、宮廷では、将来の皇妃を
約束された身分として、一時はエリザベートを凌ぐ威勢を誇っていた。
当然リベラルなルドルフとは性格が合わず、晩年のルドルフは
彼女との離婚を画策したりしている。
ただ、シュテファニーは家族の中でただ一人、ルドルフ自殺を予感しており
夫を救うために、皇帝へ直訴までした。結局止められなかったのだが。
ルドルフ死後の彼女は、ウィーン宮廷に居場所がなくなり、
遂にハンガリー貴族エレメール・ローニャイとの再婚という形で
ハプスブルク家を出る道を選ぶ。
娘エリザベートは丁度思春期だし元々お父さん子だったしで、
母の再婚にショックを受ける。
この不幸な母子の仲は最後まで修復されることはなかった。
>>380 その赤い大公女・エリザベートは漫画化もされてるよね。
世界大戦の最中を生き抜いた人だから、なんか親とか祖父母以上に凄い生涯を
送っているんじゃないかと思う。あくまで自分勝手な主観だけど。
382 :
カウニッツ :05/02/18 22:54:54 0
ハプスブルク帝国末期の人間模様は「黄昏のウィーン」に結構載ってますよ。
話ぶったぎってスマンが、このスレ的にマクシミリアン1世はどう評価する? 最近「中世最後の騎士」読んで嵌った…
>>383 金欠ではあったのだろうが、何だかんだで大帝国の基礎固めはしたんじゃない?
ハンガリーの時といい、スペインの時といい、バクチが好きそうな気もする。
フリードリヒ3世は意外に優秀なんじゃなかろうか?
最後まで動かず長生きってのは、なかなか出来るもんじゃない。
385 :
>>356へ :05/02/19 20:06:04 0
>>357 シュタイアーマルクは内オーストリアとあったはず。
と書いてるのを鵜呑みにすると。。。
要するに別名ですか。
シュタイーマルクは、ハプスブルク家が得たときから、公領だったから、
その意味で、ヘルツオーク・フォン・インナーエーストライヒというが、
ヘルツオーク・フォンシュタイーマルクの別名として、OKか。
386 :
カウニッツ :05/02/19 23:26:34 0
最近このスレのレヴェル高!って思います。うん、正直。 私も本棚を探さなければと感じさせられます。 スレも何とか維持されていて、本当に皆さんに感謝してます。
387 :
世界@名無史さん :05/02/21 18:34:21 0
>>384 うーん…フリードリヒ3世は「中世最後の騎士」読んでるとヒキオタチキン野郎にしか
見えないところがなんとも…新妻ほったらかしエピソードとか、女性苦手なのかな〜と
思いました。まあ、なんというか、変人といいますか…
マックスのやる事に関してもお前は口出ししてくるな!このヘタレ親父!!と怒鳴
りつけてやりたいというか。(どうしてもマックス視点で読んでしまう…)
中丸明氏の「ハプスブルク一千年」を読むとそうでもないのですが…あれはギャグ
タッチで書いてある所為か、ワハハと笑って読むことができますね。でも真面目に
その人物像を書かれると、正直傍にいて欲しくないなあと思うのです。
でも、あれだけ長い間帝冠を守りぬいたのは凄いと思います。というかあの忍耐
力は常人に真似できるものではないです。しかし人柄に難ありなのではないでせ
うか。教会に隠してたへそくりとか、息子の為に使ってやれよ!!とツッコミたい。
えーと…ちょっと意見が二転三転してたりして分かりづらいかもしれませんが、こ
んなイメージです。マックスに関しては、本当に金欠さえなければ…としみじみ思
います。最期も金欠病が引金になっていますし…最期は本当に一国の皇帝にしては
悲惨すぎないかと、第三者的には思われます。でも金欠じゃなきゃマックスじゃな
いとも思っております。長レススマソ。
>>387 彼が常に資金に事欠いていたのは有名ですが、財産がないのではなくて
単に現金が無かったという面が強いと思います。
不動産には困っておらず、本来は自給自足が原則だった中世の貴族層は
常に現金が不足気味だったようですから。
都市間、領土間の交易が復活、貨幣経済が本格的に復活する際には
豊富に貨幣が流通している北イタリアやブルゴーニュなどが有利になるのは
当然なのかな?と。
389 :
カウニッツ :05/02/24 23:50:00 0
>>388 勇者トンヌラ様。
仰る通りですね。「トンヌラ」とは何処からとられたお名前でしょうか?
>>389 コテハンスレの過去ログにいきさつが載っていますが
売り言葉に買い言葉的な展開でトリップを付ける事になり、名無しの人に
名前をつけて貰いました。多分、ゲームじゃないでしょうか?
マクシミリアンをして『中世最後の騎士』というのは彼の勇敢さもあるでしょうが
その財政状況が非常に中世的である事からなのかも、と思います。
また、彼の代に今までの親フランス的姿勢が一変したというのも
その後の西洋史を見る上で、やはり忘れてはいけないんでしょうね。
>>390 > また、彼の代に今までの親フランス的姿勢が一変したというのも
嫁さん取り合ったからナー。
と、あくまで俗っぽく解釈してみる。
とんぬらってのは、ドラクエシリーズにちょくちょく出てくる名前ですね。
>>388-391 貴族層は皆金持ちと思っていたのですが、意外とそうでもないのですね…
現金に事欠く生活は、想像するだけでも辛そうです。財産を売っ払って何とかできなかった
んでしょうか?
>親フランス的姿勢が…
嫁取り合戦もあるけど、ルイ11世が諸悪の根源…と極端な事を言ってみる。
トンヌラってドラクエですよね。ぱふぱふと同じくらいしつこく出てくる名詞です。
マクシミリアンが晒した生き恥 ・お見合いで食い逃げなんてコッパズカシイ ・白馬に乗ったりりしい王子様が囚われの姫(すでに姫じゃないけど)を助けに行く なんてコッパズカシイ ・途中で旅費がつきて親戚の家に物乞いに行くなんてコッパズカシイ ・義父に気に入られて嫁ゲットコッパズカシイ ・結婚してからも、嫁さんの実家に食わせてもらってたなんてコッパズカシイ ・嫁さんの実家にパラサイトするマスオさんコッパズカシイ ・生活費も嫁さんに出してもらってたなんてコッパズカシイ ・金に釣られて再婚コッパズカシイ ・教皇盲信コッパズカシイ ・ランツクネヒトは存在自体がコッパズカシイ (どこまで史実かはわかりません…) 現代的な視点から見るとかなりダメ男ですが、実に中世的ですね。
>>393 生き恥ギガワロス
ていうか中世的な視点から見ても白馬に乗った王子様云々はコッパズカシイと思われる。
つーか マ リ オ かよ!!…マリオよりはマシか?
>>393 それだけ並べても、
実父の「給料払えと兵士に突き上げられて雲隠れコッパズカシイ」
義父の「調子に乗って無惨な戦死コッパズカシイ」
嫁の「夫にベタぼれ、実家の財産貢いで財政難コッパズカシイ」
にくらべりゃかわいいもんさ。
>>392 軍隊を動かしたりするには焼け石に水でした。
様々な特権を担保にフッガー家から資金を調達したり、諸侯達から
援助をしてもらったりというのは、所詮、一時金でしかないわけです。
問題はこのお金を恒久的に徴収する手段がドイツの、しかもオーストリアでは
まだまだ未発達であったという事で、それが発達していたフランス等と伍すのでは
どうしても二手、三手と遅れてしまうわけです。
軍隊を動かす前に、資金調達に奔走しなければならないわけですから。
397 :
世界@名無史さん :05/02/26 16:45:42 0
ハプス家のフリードリヒ3世ですが、評判悪いですが、、、、 江村氏の講談社現代新書によると、ケルンテン等3州の領主の貧乏伯爵とあります。 ケルンテンは、公爵領だったと思うのですが、どうしたことでしょう。 伯爵領に格下げであったのでしょうか。 かつてのケルンテン公爵領が分割されたようなものでしょうか。 また、他の2州は、どこだったのか、と思います。
398 :
世界@名無史さん :05/02/26 16:57:32 0
ルドルフ建設公の義父であるルクセンブルク家皇帝家は断絶したですが、 この家の領土は、今のルクセンブルクなんでしょうか。そうですよね。 この領土は、その後結局、なんでまた、 ブルゴーニュ家の支配に入ったんでしょうか。
399 :
世界@名無史さん :05/02/26 20:55:10 0
>ハプスブルク家のフリードリヒ3世は、 >江村氏の講談社現代新書によると、ケルンテン等3州の領主の貧乏伯爵 上下オーストリアはどうしたのでしょうか。 息子のマクシミリアン帝は、 上下オーストリは親から相続しているものと頭から思っていましたが。 そもそも、本家のマクシミリアン帝はどことどこを最終的に持っていたのでしょうか。 そして、孫のフェルデナンド帝はどことどこを兄からもらったんでしょうか。
>>398-399 ハプスブルク家はフリードリヒ3世の時代には甚だしく分裂していました。
最終的にこれを再統一したのはマクシミリアン1世の功績です。
江村さんの貧乏伯爵についてですが、正確には内オーストリア公のようです。
しかし、この時代の爵位はあまり格式に拘る必要はないので
公という名前が抱かせる伯に対しての優越が、フリードリヒには無かったという意味で
伯と使った可能性があります。
まだ大公は自称ですし。
401 :
世界@名無史さん :05/02/26 22:53:16 0
「サン=ジュスト研究会」
http://www.kt.rim.or.jp/%7Evulcan/saintjust/ (URLにあるバルカンという文字は、自称画家・長谷川佳子氏(60歳)
が作った自費出版会社/代表取締 兼 社員一名・長谷川佳子氏)
これは私がサン=ジュストを研究するサークルの人間と関わったことから生じた
トラブルの一部始終である。交わした会話のごくごく一部もアップした。
実際のところ、元をたどれば、この研究会のドン(60才女性独身)が、私が
ネットで発表している小説が気に入らない、という個人的感情に端を発している。
恐るべしサン=ジュスト「の」研究会。
根拠もないのに「お偉いさん」だと思いこんでいる人々ほど、扱いにくいものはない。
意見を出し合い、それが自分の意に添わないものであれば、ネチネチ嫌みから始まり
やがてヒステリックな攻撃となる。善意で人が何かを引き受けたら、確認を求めても
気が乗らなければ返事をしない、それでいて相手が思い通りに動かなければ、悪口を触れ回る。
それがサン=ジュスト「の」研究会の実態である。
402 :
世界@名無史さん :05/02/26 23:32:17 O
さっきフジでやってたラ・ストラーダとかいう番組でハンガリーでの馬車の改良について触れていたのですが、 ハンガリーについて「マーチャーシュ王の頃、首都がブダペストから新しく征服したウィーンに移り、マーチャーシュ王はウィーンとブダペストを行ったり来たりしていた」と言ってました…。 ハンガリーの領土内にウィーンが入ってる地図説明も出てたのですが、えーっと…そんなもんなのでしょうか。 録画してなかったので確認できないけど、誰か見た人います?
403 :
世界@名無史さん :05/02/28 16:09:50 0
403age
藤本ひとみのハプスブルクの宝剣が好きでハプスブルク家に嵌った俺は異端ですかそうですか
>402 そのへんはギシュクラ・ヤーノシュ殿の専門のようにも思いますが (マーチャーシュ王の配下の武将だし・・) マーチャーシュ王の治世の末期に彼はオーストリアに攻め込んでウ イーンを攻め落とし王宮をウイーンに移しています。 彼が亡くなったのもウイーンのホーフブルクでのことです。 その当時は今のスイス宮を中心にした部分しかなかったはずですが。
ギシュクラ・ヤーノシュ殿マダー?
>404 私は、 ベルバラ→マリー・アントワネット→(興味がフランスからハプスブルクへ)→マリア・アントーニア(やんちゃでかわいい幼少時代)→ マリア・テレジア(偉大だね!)→エリザベート(息子・従兄弟など、話題豊富)→興味範囲がハプスブルクのマリアテレジア以後全般に広がる ベルバラからこっちに流れた人って結構いる気がするんですがどうですか 王家でいうとハプスブルクの次にロマノフも波乱万丈で好き。(クーデターばっかの歴代女帝時代も、最近のアナスタシア動乱も) でもやっぱり一番すきなのはハプスブルクだな。 マリア・テレジアの時代が一番好き。その時代自体が。ペチコートマンセー
ベルばらの威力は凄いと思います。絵柄で引いてたけど読んでみたらやたらと惹きこまれた… あれだけのスケールの話を2年位で纏めたというのに仰天。20巻くらいかけても良さそう な感じがするのに…最後に主要人物が軒並み死んでいくのに涙が止まらなかった(ノД`)・゚・。 これだけでは板違いな感じが致しますのでハプスブルクに嵌ったきっかけを↓ 塩野氏のルネサンス系小説→なんかマクシミリアンとかいう名前頻出→誰??→調べる →うげーヘンな顔→もっと調べる→マリー・ド・ブルゴーニュとの純愛物語にノックアウト おとぎ話に出てきそうなとか少女漫画っぽいシチュエーションにめちゃ弱いです… 今ではマクシミリアンがすごいカッコよく見えるorz あとマリア・テレジアとフリードリヒ2世のライバル関係とか面白いと思います。
>>393 >ランツクネヒトは存在自体がコッパズカシイ
別のスレでランツクネヒトの事が書いてあった。
>左右身頃で色違いの極彩色の縞模様、左右が丈違いのズボン、
Lieseからのぞく柄物の下着といった奇抜な出で立ちで…
工工エェ(´Д`;)ェエ工工
私の場合も、あんまり大したきっかけじゃないんだなあ。 「北の雷鳴」という歴史系ラノベがきっかけで、三十年戦争→ヴァレンシュタイン →ハプスブルクという入り方。 でもってその前から学習漫画「世界の歴史」旧版で知ってたこともあり、 プロイセン、フリードリヒ大王、ビスマルク辺りにも(対立勢力ということで) 興味持って調べ出す。 持ってる本の数はプロイセン関係とハプスブルク関係で同じくらいかな。 両者のスレに出入りしてる人が少なそうなのが、ちょっと寂しい。 この時代は横の駆け引きが面白いんだと思ってるから。
>>410 あのね、歴史を考える上で他国との関係を重要視しない人なんていないよ。
412 :
カウニッツ :05/03/03 23:01:04 0
私の場合は、 ヨハン・シュトラウス親子の音楽→ウィーン→ハプスブルク家 と言う入り方でした。
413 :
世界@名無史さん :05/03/04 06:20:18 0
イギリスの歴史の教科書にセポイの乱とかアヘン戦争とか書いてあるの?
414 :
413 :05/03/04 06:23:47 0
あ 誤爆です、失礼
私は、モーツァルト→ヨーゼフ2世でした。
416 :
カウニッツ :05/03/04 18:57:57 0
>>416 映画「アマデウス」も見たけれど、ヨーゼフ2世に興味を持ったのは
井上太郎さんの本でした。
映画のヨーゼフ君ったら、お馬鹿さんなんですもの。
418 :
世界@名無史さん :05/03/05 00:45:29 0
ヨーゼフって1世も2世も肝心なときに死ぬからな。 不吉な名前だ。
419 :
世界@名無史さん :05/03/05 14:57:56 0
私はマリーアントワネットはじめ マルガリータ・マリア・テレサ、ルイ14世妃マリー・テレーズ、マリア・テレジア のファンです! でも、シシイて人気だけど彼女はヴィッテルスバッハ家でハプスブルクのひとではないですよね。 しかも、血つながってたっけ? ルイ14世、15世、16世らは、ハプスブルクと血が繋がっているけど。
420 :
世界@名無史さん :05/03/05 15:51:15 0
>>407 私の場合は、
小6春休み→まんが世界の歴史で、バロックロココのファンになる
中1春→美術の資料集で、ラスメニーナスとマルガリータのとりこになる
中1春→ベルサイユのばらを見る。
先にみた世界の歴史で王妃悪のイメージがついてるので最初は信じられない。
中1〜中3→ベルばらを買い、美術書を読み漁る。
ベルばらでは、オーストリアハプスブルクのおおらかさ美しさが好きになった。
中3春休み→受験すんで、アニメのベルバラをみる。
というふうに、私のきっかけは美術なんですけどね。
421 :
世界@名無史さん :05/03/05 15:52:03 0
>>419 血が繋がってる・・・う〜ん・・・
ルイ14世の母親はスペインの方のハプスブルクで
ルイ15世の母親はイタリア系だし
ルイ16世の母親もスペインの方のハプスブルクだし
ある意味“ドナウ君主国”ハプスブルク家とは遠いんじゃないかな・・。
422 :
世界@名無史さん :05/03/05 15:55:40 0
>>421 スペインハプスブルクも、近親結婚でオーストリアハプスブルクとは
かなり血は濃いかったですよ。もう純血種?
で、なんでルイ13世妃は
アンヌ・ドートリッシュなんでしょう。スペイン出身なのに。
>>422 ルイ13世本人が、スペイン嫌いだったかららしい。
しかも女嫌いでもあったそうだ。(真偽は不明)
424 :
世界@名無史さん :05/03/05 16:07:59 0
ルイ14世妃もマリー・テレーズ・ドートリッシュ スペイン人なのに、「オーストリアのマリーテレーズ」という名前で マリー・アントワネットはオーストリアのロートリンゲンハプスブルクの生まれだから ド・ロレーヌ・オートリッシュなのは当然として。
425 :
世界@名無史さん :05/03/05 16:09:15 0
>>423 プラトニックなホモというのは史実だが
スペイン嫌いは三銃士のネタでは。
426 :
世界@名無史さん :05/03/05 18:34:48 0
やっぱりスペインハプスブルクも オーストリアという認識だったのかな。 たしかに血でいくと、ほとんどドイツ人なわけだし。 それに分家だし。
427 :
世界@名無史さん :05/03/05 20:16:39 0
>418 :世界@名無史さん :05/03/05 00:45:29 0 >ヨーゼフって1世も2世も肝心なときに死ぬからな。 >不吉な名前だ。 どういう意味ですか。 1世の場合、スペイン継承戦争の肝心なとき? 2世の場合は、?
428 :
世界@名無史さん :05/03/06 02:05:29 0
>427 改革に七転八倒しているときという意味じゃねえの?
429 :
世界@名無史さん :05/03/06 02:19:47 0
ハプスブルク家自体オーストリア家とか呼ばれてなかったっけ
「ハプスブルク」はドイツ語で「鷹の城」を意味する。 だからどうということはないんだけれども。。。
431 :
世界@名無史さん :05/03/06 13:24:35 0
>>429 フランスの場合、デ・ボルボンとか家の名前だけど
ハプスブルクはオーストリアという名前になるな。
やっぱり、スペインハプスブルクもオーストリアという認識だったんだ。
>>431 それはたとえば、「マリア=テレジア・フォン・ハプスブルク」ではなく、
「マリア=テレジア・フォン・エスターライヒ」だったと言うことでしょうか?
ヨーロッパ最高の名門だろ?
434 :
世界@名無史さん :05/03/06 17:38:03 0
>>432 スペインにとついだ本家ハプスブルクは「デ・アウストリア」だった。
マリア・テレジアのフルネーム知らない。
しかしオーストリアにいる場合、「オーストリアの○○」
という必要があるのか、疑問だ。
435 :
世界@名無史さん :05/03/06 18:05:46 0
オーストリア系のフルネーム調べてきた。 オットー大公はオットー・フォン・ハプスブルグ・ロートリゲン アントワネットは、マリア・アントニア・ヨゼファ・ヨハンナ・フォン・ハプスブルグ・ロートリゲン やっぱりオーストリアという名前にはならないみたい。
436 :
世界@名無史さん :05/03/06 18:28:12 0
スペイン系のフルネームが知りたい。
437 :
世界@名無史さん :05/03/06 23:21:40 0
調べたら、どうやらデ・アウストリアらしい。
438 :
世界@名無史さん :05/03/07 19:54:12 0
オーストリアで愛子さまが人気という記事を読んだんですけど、オットー大公も 人気はあるんでしょうか?
439 :
Deutsch史だと(からコピー) :05/03/07 21:16:02 0
K"onig 王 = King (一応イタリア国王とかドイツ国王(ローマ王)とかいった 称号が神聖ローマ帝国崩壊まで存続していた) Kurf"urst 選帝侯 =Prince Elector (19世紀のヘッセン=カッセル公国などは むしろ選帝侯を好んで称しており、Dukeよりも上と見なされていた節がある) Erzherzog太公 = Archduchess (オーストリアのみ) Grossherzog 大公 = Grand Duke (19世紀以降) Herzog 公爵 = Duke Markgraf 辺境伯 = Margrave (Markherzog 辺境公と呼ばれていた時期もある。 英国などの侯爵Marquisと同格) Landgraf 方伯 = Landgrave (元々はDukeと同格とされた) Burggraf 城伯 = Burgrave (Landgrafよりは小さい土地を支配する) Pfalzgraf 宮中伯 = Count Palatine (元は皇帝の司法代理人) Reichsf"urst 帝国侯 = Prince of Empire (無冠のF"urstと違って帝国会議に参加できる) F"urst 侯爵 = Prince (元々諸侯という意味であり、どっちかというと 領主聖職者(後述)を指した。 ドイツ史ではMarkgrafやLandgraf等などの独立的な地位を持った grafたちよりも下とみなされた。神聖ローマ帝国末期には、侯爵といえば総てReichsf"urstであり、 無冠の侯爵は存在しなかった)
440 :
Deutsch史だと(からコピー) :05/03/07 21:17:58 0
Reichsgraf 帝国伯 = Count of Empire (無冠のGrafと違って帝国会議に参加できる) :Graf 伯爵 無冠の伯爵は帝国会議に参加できない。この他Rheingraf ライン伯 = Rhinegrave), 高地伯 Altgraf = Altgrave), Wildgraf 僻伯 = Wildgrave), Raugraf 土伯 = Raugrave)等々 怪しげなタイトルが地方により使われていたらしいが、これらは帝国的には無冠のGrafと 何ら変わりがなく、辺境伯、地方伯、城伯、宮中伯とは比較にならない。 Vizegraf 子爵 = Vicecountはドイツ史では一部の伯領内でのみ存在。 Reichsfreiherr 帝国男爵 = Baron of Empire Freiherr 男爵 = Baron (伯爵等の下の低い身分の帰属) ********* 前置きが長くなりましたが、 この男爵より下にAdel貴族がいたということでしょうか、どうでしょうか。
441 :
世界@名無史さん :05/03/07 21:33:18 0
ハプスブルク家の始祖とも言えるルドルフ1世ですが、 彼はハプスブルク伯ということですが、 これは、どういう「伯」なのでしょうか。 ブルク伯(城伯)ということでもないようですが。また、 彼を皇帝にする会議には、出席していなかったようですが。
442 :
世界@名無史さん :05/03/07 21:39:02 0
>>438 世界史板でまで、クソ愛子に「様」つけるな。
つーか、板違い。
ハプスブルクのスレが汚れるわ。
443 :
世界@名無史さん :05/03/08 03:59:03 0
>>442 失礼な!!大日本国の内親王だぞ。
おまい秋篠宮の娘なら、〜様とかいうんだろ。
皇太子も弟の秋篠宮も瞼以外は同じ顔だということをしらんらしいな。
444 :
世界@名無史さん :05/03/08 04:02:14 0
>>441 もとは、身分高くない貴族だったが
神聖ローマ帝国の統治者に当選したらしい。
それで皇帝に。
445 :
世界@名無史さん :05/03/08 04:08:01 0
>>438 愛子様人気なのか。^^
オットーは長命だし、ハプスブルクだし貴重だよなあ。
娘か孫娘の写真見たが、なんか金髪で普通の人だった。よくいる美人?
アントワネットたちの面影あるかなーとか思ったが。
まあアントワネットらも実物だと普通の人間の美人にみえるんだろな。
>>439 その制度が確定したのは大分後の事ですので、中世ドイツ史をその概念で
考えると混乱する事が多いと思いますが。
>>441 いくつかの伯管区を兼ねて、台頭してきた貴族である事は間違いありません。
上で述べた通り、まだ“伯”というだけで身分が低いとは限りません。
447 :
世界@名無史さん :05/03/09 23:10:21 0
age
448 :
世界@名無史さん :05/03/11 21:00:59 0
金持ちグントラム降臨
449 :
世界@名無史さん :05/03/12 14:11:20 0
フランスの画家は真実を描かない気がするな。 王妃マリーテレーズの絵、スペイン時代とフランス時代で顔が違う。 しかし、ハプスブルクって同じ系統の顔ばっかだけど美しいと醜い紙一重な家族だ。 アンヌ・ドートリッシュやマリア・テレジアらは美人だし。 でもレオポルト1世なんてタラコ唇とかいわとるしのう。
450 :
世界@名無史さん :05/03/12 14:27:41 0
>>449 以前に、マリー・アントワネットお抱えの女流画家と、そうでない人との肖像画
の比較を見たが、何故アントワネットが彼女を気に入ったか分かったよ。
修正技術がウマー。おそらく、アントワネットにとってはコンプレックスであった
箇所を巧みに修正(顎とか鼻とか)全体的に可愛く仕上がっていた。
それと、アントワネットとおっかさんの肖像画(共に少女時代)を見たコトもあったが、
ソックリでビクーリ。親子なんだから当たり前なんだろうけど。
でも、おっかさん(マリア・テレジア)の方が凛としていたが、アントワネットの方は
おっとりノホホンとしていたなー。
451 :
世界@名無史さん :05/03/13 12:43:26 0
>>450 アントワネットの肖像画は、ルブラン夫人の有名な赤いドレスで子供たちと一緒の絵と
茶色のドレスで子供たちと一緒の絵の二つが、最も本当の姿に近いのだそうだ。
(たしかに有名なバラ持つ肖像も顔は同じだが、この2つは蠍座特有の雰囲気をしてる。)
なぜ、画家にルブラン夫人を選んだかというと、「自分の美点を引き出してくれる」からで
顔立ち自体は写実的なのだけど、優美さを引き立て、若く描いていた。
だから、顔立ち自体は修正はされていない。
アントワネットの顔は、「乱杭歯、オデコには骨の形がみえ、肌が透き通り、コメカミは血管が浮いてる」
らしく、アントワネットの胸像がこの条件に一致してるので、
ベルサイユのあの胸像が立体的にみた本当の顔だろう。
452 :
世界@名無史さん :05/03/13 12:58:52 0
肖像画というとかならず美化されているものだと思う人がいるけどそうでもない。 見分けるポイントは、 @写実画家だったかどうか(有名なのでベラスケス、ゴヤ) A画家の技量(単に下手なだけの宮廷画家は多い) B複数の絵と比べる(美化されてる場合、複数の絵の顔は一致しなくなる) C実際にありえない顔に描かれてたら美化の可能性が高い(美化するとき、特徴のない人形顔になるのが常) D歴史資料と比べる
453 :
間 :05/03/13 13:07:45 O
ジキルとハイドって何だっけ?
454 :
世界@名無史さん :05/03/13 13:09:05 0
ハイドはあれだろラルクアンシエルだろ
455 :
間 :05/03/13 13:17:24 O
じゃあジキルは?
456 :
世界@名無史さん :05/03/13 18:07:33 0
ジキル・寶井秀人 ハイド・hyde ?
457 :
世界@名無史さん :05/03/13 23:16:40 0
カルロス二世について、 彼は知的障害者ですか?
458 :
世界@名無史さん :05/03/15 11:17:10 0
459 :
世界@名無史さん :05/03/16 07:01:34 0
ハプスブルクの男は美男子すくないけど女は無難な顔ばかりだなあ。 (美男子だと思うのはフェリペ2世・レオポルト2世・ヨーゼフ1世・フランツヨーゼフ) マクシミリアンの子供は男の子はおもしろい顔なのに女の子はまともな顔だ。 フェリペ3世の子供も両親血族婚なのにアナはすごい美人と評判だったし でも息子フェリペ4世はあまり綺麗でない。(もっとも女であの父親似は致命的だが。) 近親結婚で男に顕著にあらわれたでかいアゴも、女はあまりめだたないうえに、 生まれる男児も次第に顔が綺麗になっていってる。 近親結婚でもくりかえせば特徴が薄まるのか。それと女にはあまり遺伝してない? 遺伝子って不思議だ。
>>459 > (美男子だと思うのはフェリペ2世・レオポルト2世・ヨーゼフ1世・フランツヨーゼフ)
マリア・テレジア一家の男性陣はほんとに惚れ惚れしますよね。
461 :
世界@名無史さん :05/03/16 20:45:51 0
446の勇者トンヌラさま
「
>>439 その制度が確定したのは大分後の事ですので、」
この制度は、なんと呼ばれていますか。教えてください。
辞典を引くときのよすがにしたいのです。
>>461 広義には帝国諸侯制度で良いと思います。
ただこの制度自体はもっと古くに成立していて
彼の時代にあった大きな改革運動の結果のひとつとして
>>439 となったようです。
463 :
世界@名無史さん :05/03/19 16:07:20 0
王様で〜す!!
464 :
世界@名無史さん :05/03/19 16:16:58 0
>>459 マクシミリアン1世の息子はフィリップ美公ですが。
妃のファナも不思議な雰囲気(頭がアレだからかも)の美人です。
しかし、その子達は男女ともなんとも・・・男子二人はすごい顎だし、
女の子達は女装した男かと疑うような容姿。
465 :
世界@名無史さん :05/03/19 16:25:26 0
466 :
世界@名無史さん :05/03/19 16:53:43 0
>>465 左上がマクシミリアン、右上がマリー
マリーの左で父の方を向いてるのがフィリップだろ
マリーは24歳で死んでるのでこれは想像図
ファナはいない
下はフィリップとファナの子供たちで
中央がカール、左がフェルディナント
右は女の子だと思うよ、イサベラかな
467 :
世界@名無史さん :05/03/19 17:03:32 0
フィリップ鼻孔 ワロス イメージぶち壊しw
468 :
世界@名無史さん :05/03/19 17:11:18 0
>>465 右上はマクシミリアンの娘のマルガレーテでは?
ファナとは髪の色も顔立ちもぜんぜん違う。マリーはもっと美人のはず。
469 :
世界@名無史さん :05/03/19 17:27:46 0
>>466 でも、単独肖像画のフィリップとその右の
女みたいな子がなんとなく似てるからさあ。
フィリップは鷲鼻でもなくアゴもしゃくれてなかった。
>>468 フアナは次の世代のひとでしょ。
フィリップと結婚するのはもっとあとでしょ。
470 :
世界@名無史さん :05/03/19 18:00:52 0
>>469 下の子供達は、左からフェルディナンド1世、カール5世、エレオノール(ポルトガル王妃、
再婚でフランス王妃)だと思いますが。
1504年イサベル女王薨去のあと、フィリップとファナはカールらを残して、スペインに
行って、1506年フィリップ薨去、ファナ発狂だから、これは想像図ではないでしょうか?
エレオノールやカールはマルガレーテが養育しましたが、1503年生れのフェルディナンドは
スペイン育ちだったかと。
471 :
470 :05/03/19 18:08:26 0
追加です。 今、本が手元に無いので確認できませんが、イサベル重態というので フィリップがファナをつれて、慌ててスペインに行ったような記憶が。 狙いはもちろんカスティーリアの王位です。
>>465 何度見ても飽きない絵だ…壮観。
カールはこんな小さな時分から顔が確立されている。すごいよ、ある意味。
物凄い遺伝家族だけど、やっぱマクシミリアンが一番ホラーだなあ…
それにしても鼻孔はないだろwふとした時に思い出し笑いしそうだー!
あとフィリップ美公の肖像画って結構残ってるね。不機嫌っぽいやつとか。
不機嫌っぽい肖像画が性格を表わしているようで印象的。
473 :
世界@名無史さん :05/03/19 20:30:11 0
>>465 の絵は「ハプスブルグ家の栄光」とかいうような寓意的な肖像画ではないかと思いますが。
マクシミリアン1世と、その血を引くただ2人の子ども(フィリップとマルガレーテ)
マクシミリアンの血統を長く伝えるであろう孫息子2人(二人いればどちらかは残る)と
当時ポルトガル王太子と婚約していた孫娘(場合によってはイベリア半島全部ハプスブルグ)
というような。
フィリップの顎は血統の正しさを示す誇張でしょう。他の肖像画では見たことが無い。
フィリップは母親似だったようです。
474 :
世界@名無史さん :05/03/20 19:45:07 0
>>464 >女の子達は女装した男かと疑うような容姿。
そんなの嫁に押しつけられる方はたまったもんじゃないな
>>473 右上の女性ってマルガレーテだったっけ?マリーだと思ってたんだが。
諸説入り乱れてるのか?あと、あれは寓意画だったのか…気付かなか
ったよ。只の家族集合図とばかり思ってた。
>>470 フィリップ、本当にやな奴だなあ。
そういえば「中世最後の騎士」でマクシミリアンの若い頃の肖像画
が載っていたけど、あの美化ぶりは後世の人が描いたやつ?
金羊毛皮騎士団の正装をしていて、爽やか系美青年に描かれてるが
どう贔屓目に見てもデューラーの肖像画と繋がらない。
476 :
世界@名無史さん :05/03/21 01:38:16 0
>マクシミリアンの若い頃の肖像画 うpキボン ハプスブルク家は兄弟で相談して、片方スペイン の婿養子になって、スペインハプスブルク家を誕生させたんでしょ。 その兄弟って誰のことだろ?? しかし、ハプスブルクって家族仲よくていいなあ。王家では珍しいな。
>>476 ゴメン無理orz本屋で「中世最後の騎士・マクシミリアン1世伝」読めば分かるよ。
三省堂とかそういうでかい本屋じゃなきゃ無いかもしれないけどorz
>兄弟
カール5世とフェルディナント1世兄弟。フィリップ美公とファナの子供たちのこと
家族仲は大抵良さげだけど、フェリペ2世とドン・ファン・ダウストリアとかはハプ
スブルクに珍しく仲悪そう。フランツ・ヨーゼフ1世とルドルフとかも。
478 :
世界@名無史さん :2005/03/21(月) 14:30:26 0
ルドルフって暗殺されたフランツ・ヨーゼフの息子か?
479 :
世界@名無史さん :2005/03/21(月) 14:52:57 0
>>478 暗殺ではなくて、多額納税者の男爵令嬢(16歳)と心中です。暗殺されたのは甥。
カール5世とその兄弟って、父親のフィリップは美男、母親のファナは美人、
母方の祖父母のカトリック両王も美男美女と言ってもおかしくない。
なぜあんなにすごい顔なのか不思議。
>>479 いや、フィリップはある程度美化されてるんじゃないかと言ってみるテスト。
顎もちょっと位はしゃくれてたんじゃないかと思うんだけど、どうだろう。
凄い顔なのはハプスブルクの遺伝子だから…
481 :
世界@名無史さん :2005/03/21(月) 17:32:39 0
482 :
世界@名無史さん :2005/03/21(月) 17:44:38 0
>>480 たしかにあの強烈な顎が遺伝してないのは不思議だ。
美公といわれてるくらいだから美形だったんだろうが。
レオナルド・デカプリオもしゃくれてるくらいだから
ちょっとはしゃくれてるほうが美男子なのかな。
483 :
世界@名無史さん :2005/03/21(月) 17:56:34 0
もしかすると、年をとるにつれて段々顎が出てくるのかも。 若くして死んだ人は顎が出なくてすんだとか。
484 :
世界@名無史さん :2005/03/21(月) 19:44:04 0
おそらくy遺伝子が伴うとスイッチが入る仕組みなんだと思うよ
>>482 フィリップ美公は肖像画を見ても素直に美形だと思えない。
狂女ファナの話で「性格悪いな」と思ってしまって色眼鏡で見てるだけかもしれんが
そういえばヨーゼフ2世の顔は顎しゃくれとかそういった物を超越した顔してるよな。
全体的に長い顔…ああいった例が出てくるのも、ハプスブルク遺伝子に組み込まれて
いるリボ核酸の所為なんだろーか。
486 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 00:02:24 0
>>484 根拠はわからんが肖像画みるかぎり同意せざるをえない。
Y遺伝子は父親から息子にそのままの形で遺伝するというし、
マクシミリアン1世のY遺伝子がそのまま男の子に遺伝してるとしたら・・・
(ではフィリップ美公は??)
>>485 ヨーゼフ2世は「アマデウス」のヨーゼフ2世役の人に似てる。美男子だと思う。
監督も最近出たDVDで「似てる」っていってるし。
鷲鼻で長い卵型の輪郭でカツラが顔にぴったりの。
487 :
485 :2005/03/22(火) 00:33:30 0
>>485 ヨーゼフ2世→フランツ2世
素で間違えた…486氏スマソorz
488 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 00:43:36 0
フランツ2世とシシは美男美女だと思うがなあ。 フランツがそういわれないのはルートヴィヒに美形の座を奪われてる からだろうか。
489 :
488 :2005/03/22(火) 00:48:45 0
あ、フランツヨーゼフと間違えてた。すまん
>>486 マリア=テレジア一家は奇跡的な美男揃いだよね。
ロートリンゲン公家の血が良かったんだろうか。
マリア・テレジアも肝っ玉母さんになるまでは、美少女だったけど。
491 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 17:03:24 0
父系がロートリンゲンに変わってから男の子の容姿レベルがあがったね。 フランツ・シュテファンとマリア・テレジアは従兄妹同士の近親結婚だけど、 シュテファンの母がハプスブルクなのか父がそうなのか。 子孫がまともなアゴしてることから、マクシミリアン1世のy遺伝子は シュテファンは受け継いでいないのか?そしたら母方がハプスブルクなのか。
492 :
世界@名無史さん :2005/03/22(火) 22:16:43 0
ハプスブルク家が18世紀までは大らかな印象なのに19世紀は 陰気な印象なのはヴィッテルスバハ家と親戚になったせいか?
フランツ・シュテファンの若い頃の肖像画ってないの?
なんか中年以降の肖像画ばかりだから、どうしてテレジアがあれだけベタ惚れ
したのかいまいち分からないな。
>>492 メッテルニヒの反動政治の所為じゃない?
494 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 01:18:27 0
アンヌ・ドートリッシュは毎朝入浴、 マリー・アントワネットとルイ・シャルルも風呂好き。 だからハプスブルクは入浴の習慣があったのかもしれないけど さる漫画には、19世紀シシィが「私はバスタブに入りたいの。実家ではそうしてたわ。」 というと「全裸で?まあはしたない!」という会話があった。 真実はどうなんだろ。ナポレオン時代とかにバスタブ入浴禁止令でもでたのだろうか?
王族は下賎な人間達に裸見られても気にしないような気もする
496 :
日本@名無史さん :2005/03/23(水) 02:15:26 0
>>494 16世紀英国のエリザベス女王も大の清潔好きで
「年に2回も入浴した」らしい
497 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 02:17:55 0
>>496 彼女は月1では?
というか、イングランドと比べてもしょうがない。
ハプスブルクの話なんだから。
498 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 02:28:26 0
アンヌ王妃が毎日入浴してたのに 夫や息子は風呂嫌いで一生数回しかはいってないのは不思議だ。放任主義? ルイ17世については、タンプル塔のシモン夫婦がルイ・シャルルが母に似て風呂好きだとわかると 彼のためにバスタブ用意させたと書かれてあった。
フェルディナント3世→エレオノーレ→レオポルド・ヨーゼフ→フランツ・シュテファン フェルディナント3世→レオポルト1世→カール6世→マリア・テレジア
500 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 05:51:19 0
ではハトコか。
又従兄弟じゃないの?てか又従兄弟=はとこ?
502 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 17:34:04 0
マタイトコ=ハトコ
504 :
世界@名無史さん :2005/03/23(水) 23:55:38 0
500突破でし
505 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 20:25:32 0
>>493 ハプスブルク家が、というよりはフランツ2世がと言った方が。
彼だって非常にハプスブルク的だと思う。
結局は弟の貴賎結婚も許したし。
506 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 21:11:27 0
>>505 ん?492あてですかい?
ナポレオン妃マリー・テレーズはおおらかな印象だから
フランツ2世のころはおおらかなんだろう。
でも、ゾフィー大公妃やらそれ以降19世紀あたりは暗い印象がある。
政治のせいでそうなったと493さんはいうが・・・
いままでにも危機はあったろうしなあ。
507 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 21:19:15 0
家の雰囲気がかわるってのは 違う家の人間に主導権がうつったときじゃないかなと思うんだが。 それに狂人が多いとされるヴィッテルスバッハの血を ハプスブルクが引くことにもなるし。
ごめん、493だけど冗談半分で言ってました…orz メッテルニヒのときは「ビーダーマイヤー時代」と言われてるし、それなりに 文化が花開いてたからなあ…じゃあ何故19世紀のハプスブルクは暗いイメージ があるのだろうか。急激な近代化とハプスブルクの伝統の間の軋轢の所為かな? 時代の流れというのが一番の要因であるような気がする。
509 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 21:24:18 0
>>508 近代化はマリア・テレジアのころからされてたではないの。
急激な近代化やったのはマリア・テレジアの息子のヨーゼフ2世だし。
死後、急な改革に民衆がついていけずに暴動があったりしたけど
なんとかなったような。
>>507 あの〜、ヴィッテルスバッハとハプスブルクの婚姻といったら
14世紀くらいから始まって20例ほどありますが。
511 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 21:45:27 0
>>510 へええ。それは初耳
ハプスブルク家にヴィッテルスバハを迎え入れたのは
フランツ・カールが最初ではないのか?
まさか、ほかの家に嫁いでいった皇女たちのことを数にかぞえてないよね。
512 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 21:52:08 0
そもそも19世紀のハプスブルクって暗いイメージなのか? むしろゾフィー妃のように野心満々なお嫁さんが異質に映るんだけど。 フランツ2世は臣下任せの凡庸な人だったようだし、後継者のフェルディナント1世は 虚弱で学者肌の人。フランツ=ヨーゼフは最初は恐れられたけど クソ真面目な所は実にハプスブルクの伝統に則っている。
>>509 啓蒙専制君主の近代化とか、そういうのじゃなくて…本格的に現代に近くなっていく
というそういう時代に(飛行機とか)ついていけなかった、ついていこうとしなかっ
たフランツ・ヨーゼフが全て悪いと…ごめん、言い過ぎた。
どうしてあのあと改革とか、近代化とかに興味なくしたんだろう。
なんか数十年くらいしか経ってないのに、マリア・テレジアとヨーゼフ2世時代とフ
ランツ2世とかフランツ・ヨーゼフ1世時代はすごい隔たりを感じる。
それこそ1,2世紀単位くらいの。
514 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 22:07:04 0
シシの立場で本が書かれてるからそうみえるのかもしれないが フランツ・ヨーゼフだって、ゾフィーが遊び女やって性欲処理したっていうしこの愛情は異常だ。 しかもそんなのを抜きにしても、笑いや微笑ましさが消えてる。 皇帝は歴代真面目なんだけど、やっぱ19世紀は暗くなってる。 18世紀のフランツ2世は、ナポレオンが嫌いで、ナポレオンの絵を踏んだり蹴ったりで すかっとしたというし、娘のマリー・ルイーズはそんな父の影響で 醜い人形をコルシカ男と名づけて弟と遊んだという。 マリー・ルイーズは父親が色情だったのでそうならないように、純粋培養だった。 彼女がナポレオンと結婚したとき、にっくき敵だとおもっていたら 本物はハンサムで優しいことがわかって、ナポレオンが好きになってしまった。 微笑ましいエピソードじゃないか。
515 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 22:14:33 0
結局、ゾフィーが怖いというイメージでOk? よくよく考えて見リゃ、滅亡寸前の王朝が明るいワケないよ。 むしろ、最後まで王者としての矜持と、伝統を堅持した ハプスブルク家に驚くべき。 カールとツィタの結婚エピソードとか、フランツ・フェルディナントとゾフィーの 大恋愛とか、充分に微笑ましいと思うけどなぁ。
516 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 22:22:24 0
>>513 そういえば、フランツ・ヨーゼフが老齢のときに上下水道つけたんだっけ。
ドイツ人らしい節約精神だろうと解釈してたが。
マリア・テレジアのころからのペースで行けば18世紀後半には
上下水道完備になっててもいいかもな。
>>513 ウィーンを始めとした近代化は遅々としたものだったけど、着実に
進んでいたよ。プロイセンに比べると遅れてて、それが決定的だった。
政治方面では改革=民族自決の方程式が出来てしまっていたから
簡単に譲歩するわけにはいかなかったって事でしょう。
518 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 22:27:33 0
>>515 ツィタのころはいくぶんマシになった雰囲気だが
いままでの子供向けの雰囲気が大人向けの重いかんじ
になってるような。
519 :
世界@名無史さん :2005/03/24(木) 22:30:35 0
>>517 近代化の早さ
スペイン>イギリス>プロイセン>オーストリア>フランス>ロシア
かなあ。
>515 そう考えると今の天皇家は・・・・ フェルディナンドの貴賎結婚あたりか!?
>>519 なんでスペインが一番?
漏れのイメージだと
英国>フランス>プロイセン/ドイツ>イタリア>オーストリア>>>ロシア
スペインはよく知らん。
19世紀オーストリアは、内ではハンガリーやチェコの民族運動やアナーキズムの激化、
外ではイタリア統一にバルカン問題とロシア伸張にドイツ統一問題で暗くなるのは当然かと。
メキシコでマクシミリアンが処刑されるしマイヤーリンク事件も起こるし…シシィも殺されたし。
カウニッツさ〜〜ん、 馬鹿が一匹棲み付いたようですよ。 何とかしてくださ〜い。
523 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 17:02:19 0
>>521 スペインはフェリペ4世の時代にはすでに民間小学校があったらしい。
その後、近代化が停滞してしまったのだろうか。
イギリスはいつが近代化にするのかわからないが、
オレンジ公とメアリの時代からなのか、エリザベス1世の徒弟法からなのか。
だから多少前後するかもしれない。
フランスはかなり遅い。フランス革命のあと近代化した。そのまえはアンシャンレジーム(旧体制)と呼ばれる。
プロイセンとオーストリアはフランス革命がある前から近代化改革している。
524 :
世界@名無史さん :2005/03/25(金) 17:26:00 0
民間小学校→小学校 消し忘れ
525 :
521 :2005/03/25(金) 18:36:16 0
近代化の早さと19世紀での近代化の進展の速さを取り違えてたスマソ
526 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 03:09:19 0
ハプスブルク関連の書籍で翻訳されてないのってあるのかな。 外国語はできないが、もしあれば辞書引きながらなんとか読んでみたいな。
527 :
世界@名無史さん :2005/03/26(土) 15:18:15 0
>>526 翻訳されてないものって、そりゃ翻訳されてる方が少ないんだから山ほどありますが。
外国語のレベルによりますが、普通の本を読んで1ページに辞書の必要な単語が10以上
あったら、とても専門書は読めません。
翻訳ソフトだと変な訳になるけど、内容が大まかに分かってれば見当つけて読めますよ。
オーストリアって憧れるわ(*´д`*)
529 :
世界@名無史さん :2005/03/28(月) 01:21:12 0
>>527 やっぱりドイツの本のほうが多いかな。
スペイン・ハプスブルクのもしりたいんだが、それを詳しく知りたければ
スペイン語になるのだろうか。
何語を習得するのがいいと思われますのか?
そりゃ英語でしょう。 これが専門書読めるレベルなら、あとは大抵の事は何とかなるかと。 邦訳は無くても、英訳はある場合も多いですし。 英語ペラペラで、そういうレベルを超越されてる方でしたらゴメンなさい。
531 :
世界@名無史さん :2005/03/28(月) 04:24:58 0
英語というと地獄のような学生時代を思い出すから嫌いだ。 ほかの言語のがいい。
日本語しか話せない俺は、フランス語の文法メチャクチャで母国語はほとんど忘れてしまった マリー=アントワネットでさえ尊敬する
533 :
世界@名無史さん :2005/03/29(火) 17:24:59 0
>>465 の絵、「カール5世とハプスブルク帝国」(創元社)には、
右下がカール5世の妹マリアと説明されてあるのに
同本の94pには妹マリアちがう顔で描かれてる。女装した男と形容できそうな。
>>464 の表現と一致する。これが本当のマリアなんじゃないか?
そして、465の右下はラヨシュでは。ラヨシュの肖像画に似てる。
534 :
世界@名無史さん :2005/03/30(水) 00:53:28 0
>>533 >>465 の絵は、フィリップ死亡の1506年かその直前あたりに描かれたものでは?
寓意画であっても無くても1504年ならフィリップ26歳、マルガレーテは最後の夫
サヴォワ公と死別したばかりで24歳。フィリップの長女エレオノーレ6歳、カール4歳、
フェルディナンド1歳、1506年の方が子どもの歳にはふさわしい。
ラヨシュと結婚したマリアは1505年生まれ、ラヨシュは1506年生まれで、ちと無理かと。
535 :
世界@名無史さん :2005/03/30(水) 00:54:47 0
じゃあ右下のは誰だ?
536 :
世界@名無史さん :2005/03/30(水) 01:07:23 0
ポルトガル王妃でのちにフランスのフランソワ1世と再婚したエレオノーレ、 と思うんですが。
ヨーロッパ最高の名門だろ? イギリス王家よりも格上だな。
test
539 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329/04/02(土) 03:51:02 0
オットー・ハプスブルクが皇帝になれますように
>>539 オットーさんは帝位相続権を放棄してた筈。
現在の要求者はその息子だよ。
541 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/02(土) 19:00:26 0
オットーさんの二人の息子さんの奥さんは どういう出身なのですか?教えてください。 個人的には、EUヨーロッパ連合が進めば ハプスグルクが実質的な中心になるんじゃないかと思ってます 息子さんもEU議員なんですよね
542 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 07:17:07 0
僕もハプスブルク家の一員になれますか?
543 :
世界@名無史さん :エジプト暦2329年,2005/04/04(月) 17:56:24 0
結婚したらね
話変わります。 エリザベート関連の本を読んでたらよく、「このときマリー=ヴァレリーの日記には『〜〜〜。』と記してある」とか マリー=ヴァレリーの日記が出てくるが、これって日本では出版されてないよね? 激しく読みたい
>>544 多分翻訳は出ない。自分で訳した方が早いと思われ。
547 :
世界@名無史さん :2005/04/07(木) 22:24:01 0
ハープスブルク家でもO.K.牧場
話の流れから外れて恐縮ですが、皆様のお知恵を拝借いたしたく、質問させて頂きます。 佐藤亜紀「バルタザールの遍歴」文春文庫 上記の小説において、主人公のオーストリアの没落(元)公爵が洗礼を受けたのは、1906年6月4日に設定してあります。 この日付、年は話しの流れに合わせて都合のいいように設定しただけかも知れないんですが、 6月4日の方はオーストリア=ハンガリー帝国に関連する何か重要な事件が起きたか、 或いは某かの人物の生没年月日に当たっていたりするのでしょうか?
549 :
世界@名無史さん :2005/04/10(日) 15:09:42 0
洗礼って出生の一日後にやるんじゃないのか?
550 :
世界@名無史さん :2005/04/10(日) 17:07:45 0
>>548 20世紀だと、洗礼は普通生後1ヶ月くらいです。
特に何かの記念日に合わせる習慣はないはずですが。
551 :
フリードリヒ大王 :2005/04/11(月) 23:16:17 0
カウニッツ卿はどうしたのじゃ。
陛下、敵の健康を気遣う前にまず自分のスレを見てきては如何でしょうか!
553 :
世界@名無史さん :2005/04/12(火) 06:06:55 0
フェリペ4世の時代、妃の子供が育たずに次々と死んでいくのを フェリペ4世は「私の女遊びの罰だ。」と思ったそうだが、 スペイン市民は王の私生児は育ってることから「姪と結婚したせいだ。」と言っていたという。 また、その昔ヘンリー8世のイギリスでは血が繋がらなくても近親結婚は罪だった。 そして16世紀のアメリカ植民地のインディオの近親相姦・男色は反自然的だと考えられてた。 ということは、昔といえど近親結婚が人類のタブーだってことはわかっていたのか? ここすごい謎。
554 :
世界@名無史さん :2005/04/12(火) 09:34:49 0
>>553 近親結婚がよくないことくらい、近親結婚を実践してみれば分かりますが。
いとこ婚を3代続けると、たいがい子どもが育たなくなります。
奇形はほとんど発生しないが、知恵遅れはかなり多い。
>>553 そもそもキリスト教的には絶対のタブーだったんだけど。
近親の規定も今よりもずっと広かった。
>553-555 6世紀のビザンツ皇帝・ヘラクレイオスの後妻が実の姪だったので 強い非難を浴びた例があるように昔から近親婚はタブー視されてた。 しかしそれにもかかわらず、カール5世(イトコ同士)→フェリペ2世(伯父と姪) →フェリペ3世(またイトコ同士。ちなみに妃も叔父と姪の間の子) →フェリペ4世(伯父と姪)…と恐ろしいまでに近親婚を続けたスペイン・ハプスブルク家って一体…。 市民から批判されたフェリペ4世の祖父の2世も姪と結婚してるが、 さすがに怖くて誰も表立って批判できなかったのだろうか?
557 :
世界@名無史さん :2005/04/13(水) 01:30:32 0
なんで?近親結婚はフェリペ2世が純血と財産を守るためにはじめたらしいが。 なぜ危険なことをしたんだろう。 でもハプスブルク家は脳は侵されなかったみたいからよかったんだろうな。 支配者たちは魅力的な性格だし、頭もいいし。例外もあるが。 近親婚は極端によくなるか悪くなるか、といわれるけど ハプスブルクは脳にプラスでマイナスが早死にってことか。
558 :
世界@名無史さん :2005/04/13(水) 01:35:24 0
>>557 ハプスブルグは顎がしゃくれて伸びる末端肥大症の傾向もある
559 :
世界@名無史さん :2005/04/13(水) 03:30:14 0
あのアゴさえなければ美男子なのに。微妙な顔だよ。 でも性格が好きだからいい。
>>556 フェリペ二世の場合は、他にも結婚したのがいたからね。
一番有名なのがエリザベスの姉のメアリだが。
近親婚がタブーと言っても、従兄弟くらいだとほぼ許容範囲だったみたいだし。
ただ、近親婚だとそれを理由に離婚が出来るから、敢えてやったという節もあるんだよね。
>>560 全くもって不明確で間違ってる。
当初、キリスト教は七親等までの婚姻を禁止していた。
(この親等は現在の数え方と異なっていて、父系を昇るだけ。つまりは七代前の男子が同じなら近親)
しかし同格出生を原則とする貴族階級にとっては、この制度は守る事は難しく
1215年に四親等にまで狭められるようになった。また近親結婚でも教皇の許しがあれば認められていた。
また結婚を破談にする際には、近親である事が“思い出されて”無効になる。
でないと再婚できないからね。
スペインとドイツのハプスブルク家間の婚姻政策はひとえに両家の共同路線の保持の為だった。
両者の間で関係がこじれ出すと婚姻という結果で修復される事が多かった。
また、ハプスブルク家の王位や財産の分散を防ぐという近親結婚特有の理由もあっただろう。
スペイン王位は女系相続は禁止されていなかったからなおさらだ。
562 :
世界@名無史さん :2005/04/13(水) 15:33:59 0
ブルボンの近親結婚は ルイ14世とマリー・テレーズが二重イトコ婚だった、など。 近親婚してないのはイギリスかな。
563 :
548 :2005/04/13(水) 23:55:05 0
遅レスでまたまた話しをぶった切って済みませんです。
>>550 いやまあ、現実社会の習俗ではそうだったのかもしれませんけれど、
小説内で主人公の出生に関わる日付として設定されているので、何か曰くでもないものかと思ったんです。
ちなみに触れられているのは受洗日だけで、出生日は設定されておりません。
スレ汚しで申し訳ございませんでした。
>562 イギリスでは名誉革命で即位したウィリアム3世とメアリ2世がイトコ婚。 ウィリアムはジェームズ2世の娘・メアリの配偶者であるとともに ジェームズ2世の姉の子なので王位継承権があり、2人は共同統治していた。 他の有名どころでは時代下るけどヴィクトリア女王とアルバート公がイトコ婚。 ちなみにメアリ1世とフェリペ2世もメアリはフェリペの父カール5世のイトコなので 近親婚と言えなくもない。 フェリペ2世は4回結婚したけどほとんどが近親婚だったりする。
565 :
世界@名無史さん :2005/04/14(木) 13:10:47 0
>>564 まあでもメアリーは子供を生んでないし。
>>564 その時代だと国王が首長の国教会体制だからね。
カトリックとはルールが違うんじゃないだろうか?
567 :
世界@名無史さん :2005/04/14(木) 22:10:55 0
カール5世は、体は均整がとれているがひとつ美を損ねているものがある。 それはアゴだ。 って当時の人に書かれてるよ。 矯正してたら美形だったのかな。 クリントン大統領の写真みてたら彼もシャクレてんな。受け口?まさか。
>>567 既出かも知れないけど、突出した下唇や顎はハプスブルク家の特徴として
意図的に強調されて表現されていると言われてる。
(もちろん尖ってたんだろうけど)
だから彼はその事を誇りはしても、引け目には感じていなかったんじゃないかな。
569 :
世界@名無史さん :2005/04/14(木) 23:06:10 0
>>568 ガイシュツもなにもそんなことは知ってるって。
カール5世のアゴのことを文書で記したひとがいるってのに笑ってしまったんだよね。
いっていいのかそんなこと。
ハプスブルク=顎は当時でも周知の事実だとすると わざと顎を欠点として書いたという事は 『カール5世はハプスブルク家でなければいい人物だ』という皮肉に 解釈するという事はできないだろうか?
571 :
朱由檢 :2005/04/14(木) 23:45:21 0
多産の名家で、美人が多いから引く手あまたと光の部分に囚われがちだけど、 ハプスブルグの女性は家庭的に不遇の人が多くてかわいそう。
572 :
世界@名無史さん :2005/04/15(金) 00:13:12 0
>>571 そうかな、逆に他の王家に比べれば夫婦仲のいいパターンの方が多くて不遇な人は少ないように思うけどな。
マクシミリアン1世とマリア
フェルディナント1世とアンナ
カール6世とエリーザベト・クリスティーネ
フランツ1世とマリア・テレジア
ヨーゼフ2世とマリア・イザベラ
レオポルド2世とマリア・ルドヴィカ
上記は全部、夫婦仲が非常によかったといわれている。
逆にあまり良くなかったのはフィリップ美公とフアナぐらいしか思い浮かばないけどな。
エリザベートはフランツヨーゼフ1世と愛し合っていたが、姑のせいで不遇だったといえば確かにそうかもしれないけど。
573 :
世界@名無史さん :2005/04/15(金) 00:16:08 0
>>570 皮肉?
いや、むしろアゴさえまともなら完璧容姿だってことだろ。
顔半分から上は美形じゃん。
>>572 ハプスブルク家の女性だから、ハプスブルク家から嫁に行った女性の事を指してるんだろう。
まぁ、王家の女性なんてどこも同じ感じだろうけど。
575 :
世界@名無史さん :2005/04/15(金) 00:25:42 0
>>571 ハプスブルク-ハプスブルク間での結婚はうまくいくみたいだがなあ。
まあ結婚しなくてもかなり近い親族だし、お互いそう意識してるから家族の情がでるのかな。
ルイ14世妃マリーテレーズは夫を愛したのにほとんど省みられなかったし。
>>574 有名どころだと
マリア・テレジアの娘マリア・アントニア(嫁ぎ先で刑死)
マクシミリアン1世の娘クニグンデ(離縁1回、死別2回)
フランツ1世の娘マリー・ルイーゼ(よりによって宿敵ナポレオンの妻に)
あたりかなあ。
クニグンデはフリードリヒ3世の娘で、マクシミリアンの妹でした。
578 :
世界@名無史さん :2005/04/15(金) 14:57:55 0
>>576 でもマリー・ルイーズは明るくて、父親の宿敵にあったとき
「ぶ男だと思ってたのにハンサムだわ」で
初夜やってからナポレオンになつきまくりで
「あの方はこわくないわ。むしろ私がこわがられてるのよ」っていってるし
まあ、ナポレオン島流しまでの愛だそうだが。その後再婚したっけ。
>>576 マリー・ルイーズよりも、ブラジル皇后になった妹のレオポルディーネの方が
圧倒的に不幸かも。
ブラジル独立に大きな役割を果たした賢夫人なのに、
夫の愛妾に悩まされ続け、最後には夫に殴り殺されて20代の若さで死去。
580 :
世界@名無史さん :2005/04/15(金) 15:17:15 0
>>577 マクシミリアン1世の娘のマルガレーテもシャルル8世と離縁(婚約だけらしい)
カトリック両王の跡取りのファン王子と死別、サヴォワ公と死別です。
581 :
世界@名無史さん :2005/04/15(金) 15:33:21 0
>>579 ひえ〜〜〜
しかしアメリカ大陸までよくもはればれやってくるもんなんだなあ。
582 :
世界@名無史さん :2005/04/15(金) 16:06:03 0
多産っての遺伝するもんなのかな。 ナポレオンが「ハプスブルクは多産系だ。私はいつまで子作りできる?」 とウキウキしたというが、科学的根拠がしりたい。 骨盤の形が遺伝するから?ハプスブルク女子は女性ホルモンが多いとか?
>>577 クニグンデって確か、親父の反対を押し切ってバイエルン公と結婚したんじゃなかったっけ?
>>581 そこはそれ、メッテルニヒの結婚政策ですよ。
585 :
世界@名無史さん :2005/04/15(金) 19:11:28 0
>>62 ちゃんとした系図の本だと、Heinrich RaspeもWilhelm von Hollandも
「対立王」として認められているね。
ドイツ王国の「王」と神聖ローマ帝国の「皇帝」の違いも結構曖昧だな。
選帝侯が選ぶのはあくまでも「王」だし、アーヘンやフランクフルトで行った
戴冠式は、「王」としての戴冠式。
皇帝の戴冠式はローマで教皇によって行われるものであり、
今日「対立王」と呼ばれている方が正式に皇帝になったこともある(Otto IV)。
また、実はマクシミリアン1世を最後に神聖ローマ帝国の滅亡までの300年間、
正式に「皇帝」としての戴冠式を行った人はいない。
ttp://www.tacitus.nu/historical-atlas/regents/germany/germany.htm まあ1500年前後以降は国名もSacrum Imperioum Romanum Nationis Germanicae
(ゲルマン民衆の神聖ローマ帝国)に変わったわけだし、皇帝になるためにローマでの
戴冠式を踏まなくても良い別の国家になったとも言えるかも知れないけど。
586 :
585 :2005/04/15(金) 19:12:50 0
587 :
576 :2005/04/15(金) 19:29:53 0
>>580 , 583
× マクシミリアン1世の娘クニグンデ(
>>576 )
○ クニグンデはフリードリヒ3世の娘で、マクシミリアンの妹(
>>577 )
なのですが、嫁ぎ先は
>>580 さん、
>>583 さんの書いているとおりで、マルガレーテが離縁1回、死別2回です。
娘と妹を取り違えるなんて…。
588 :
世界@名無史さん :2005/04/15(金) 19:54:03 0
多産は夫婦仲が良くないと難しいよな
フリードリヒ3世とエレオノーレ、マクシミリアンとマリーは何気に子供多い と思うんだけど。マクシミリアンとか結婚後5年で4人だし、親父も5人くらい 産ませてるし。とくにマクシミリアンはマリーが生きてたら子供が何人出来て いたことやら…
>>575 二重いとこ婚だからか幼少で死んでるのも多いが(というかほとんどそうだが)、
ルイ十四世とマリー・テレーズの間には七人くらい子供がいるな。
流産除いたら六人か。
愛してない割にやることやってる感じだ。
>>590 王族の子作りは義務。子供が出来ないとなるとなりふり構わないのが常識。
フランスだけで見ても、他人の妻を奪って破門食らった奴もいるし
敬虔王の二つ名をもつロベール王にしても複数の離婚経験を持つ。
政略結婚なんだから、愛が無いのが普通。だからハプスブルク家がどちらかというと異常なの。
それと子供の早死には血縁による弊害はあんまり関係ない。
庶民の家庭の死亡率はもっと高かった。これは常識に近い話だと思うんだが。
>>591 それにしても、成人したのが王太子一人って低すぎのような。
ブルボン家の前後の代を見てみたけど、
おおよそ二人に一人は二十歳過ぎまで生きてるし。
これが平均としても、七分の一だとちょっと影響を疑いたくもなる。
またフランスって特に清潔観念無かったからな〜。 つか、当時の王族・貴族なんて近親結婚がほとんど。同格出生の原則があるからね。 極端なのじゃなければ無かったと考えた方が無難。いや、あったとしても平均的な生活水準が 低すぎて血族結婚の弊害が目立たなかったと言うべきかも知れない。 他の家門にも目を向けましょう。
594 :
世界@名無史さん :2005/04/15(金) 23:15:23 0
>>591 子どもの早死にには血縁結婚による弊害が関係しています。
庶民の家庭の乳幼児死亡率は高かったけれど、たくさん産んで一人も
育たないというのはほぼ、血族結婚の王侯貴族のみ。
うちは、戦前まで血族結婚の家だったんで解ります。
続けると女の子は何とか生まれるが、男の子は生まれなくなる。
次には子どもは流産・死産で全く育たなくなる。胎児の段階ですでに弱い。
この辺で、よその血を入れると正常値になります
血族結婚による弊害ってのは、なかなか優生学的に断定するのは 難しいらしいので・・・。(村同士でしか結婚しない奥地なんかで生きているのは何故?とか) 余りに重視するのはどうかと思うけれども。スペイン系ハプスブルクの末路を見ると何とも言えない。 とはいえ、あれは特別濃かったからなぁ。 ま、ブルボン家はどうでも良い。 ハプスブルクに戻るとして、もしもマクシミリアンとマリーの間に複数の息子がいたとすると この段階でオーストリア系とブルグンド系の分裂が予想される。 とすると、早期の段階でネーデルラントは独立してたんじゃないかと思ったりもするが。
597 :
世界@名無史さん :2005/04/16(土) 20:24:09 0
>>594 スペインハプスブルクの最後の子供たちで
成人したのがマリー・テレーズとマルガリータとカルロスだけだしな。
女の子二人で男の子一人。男は育ちにくいって本当なんだなあ。
でもカルロスって池沼で身障で心臓病なのになんだかんだいって39歳まで生きた。
598 :
世界@名無史さん :2005/04/20(水) 03:17:23 0
>>579 本で読んだが、レオポルディーネって美人にみえる。そして姉と似てる。
でも比較するとブスってことなのかな。コンプレックスだったというと。
で彼女天才なんだな。数週間で外国語覚えるって人間じゃない。
ラテン語の素養があると以外に楽なのかもよ?
それはいえてる
601 :
世界@名無史さん :2005/04/20(水) 18:49:48 0
でも数週間ではふつうは無理だ。 モーツァルトとレオポルディーネくらいだ。
>>598 残念ながらレオポルディーネは容姿の点では姉マリー・ルイーズにも
劣るもので、醜女といってもいいような容貌だったようです。
でも、フランツ1世の子供たちの中では、群を抜いて聡明でした。
メッテルニヒは
「この姫なら政治上の難しい局面にも上手く対応できる」
と踏んで彼女を政略結婚の道具にしたのでしょう。
それが彼女の命取りになるとは、何とも痛ましいですね。
もしも生涯にブラジルへ行く機会があったら、彼女のお墓に
たっぷりお花を捧げたいものです。
603 :
世界@名無史さん :2005/04/20(水) 19:34:31 0
>>602 肖像画マリー・ルイーズはかわいいし、
レオポルディーネも姉ににてるうえにかわいい。
首は短いのが醜いとか書いてあるけど、バレエやってない
ふつうのひとなら短い首が普通なわけで
別に醜いとは思わないよ。
ブラジル王も金髪碧眼の王妃を気に入ったというし。醜ければ金髪でもいやだろ。
604 :
世界@名無史さん :2005/04/20(水) 19:43:51 0
ハプスブルクは男は政治で働き、女は結婚と我慢で働いていたんだよな。 レオポルディーネは王や医者が人でなしだったから不幸になったけど もっと大事にされてたらアンヌ・ドートリッシュみたいに 陰謀にまきこまれてストレス散々でも長生きできたろう。
>>603 あのマリー・ルイーズを可愛いと言える審美眼って凄いなぁ。
女性に対して優しいのね。いや、褒めてるんですよ。
606 :
世界@名無史さん :2005/04/20(水) 20:41:33 0
>>605 ん?
安心して見れるうえに落ち着く容姿ですよ。
2世代前のアントワネットの姉は目がくぼんで婆さんみたいな顔だからね。
あれが不細工に見える審美眼こそどうかしてますよ。
肖像画は美化されて描かれてると思った方がいい、 とはよく言われる話。 それ以上は、まあ個人の好みですから。
608 :
世界@名無史さん :2005/04/20(水) 21:30:35 0
肖像画は必ず美化されてるという話を鵜呑みにするのは間抜けである。 なぜなら見合い写真代わりにつかわれたりした絵が実際とかけ離れていたら 肖像画の意味がない。
610 :
世界@名無史さん :2005/04/20(水) 21:55:26 0
>>609 誇張されてる場合は、記録に残りますよ。
ポンパドゥール夫人の肖像は弟が「ひとつも実際に近い肖像がない」
といってる。
なにも言わないまたは本物そのものだといってるものは、写実とみていい。
>>609 なんだかヘビっぽい女性ですね。
微妙だな……。
えええ 釣り目で猫みたいにかわいいじゃん。 もうきみたちのことがわからないよ。
微妙にかわいいといった感じかな 静止画である肖像画だと微妙だけど実物は普通に可愛らしいんだろうと思ったり。
美醜論争はいつもどうして荒れるんだろう。 ちょっと前にあばれてたシシィ厨を思い出しちゃったよ。
615 :
世界@名無史さん :2005/04/21(木) 13:34:28 0
あばれてたのはシシ厨でなくマドレーヌ厨
>>614 若い男の子って、自分のアイドルが何もかも完全無欠でないと
気が済まないところがあるからでしょう。
何か一つでも欠点を指摘されると怒り狂って荒らし回る。
でも、オトコでも年を取ってくると、美しくない女の魅力が
なんとなく分るようになってくるというかw。
元々の顔の造作は悪くても、知性が顔に光り輝いているような女は
いいもんですよ。
レオポルディーネやマリア・テレジアの長女のマリアンドルは
きっとそんな女だったんじゃないかな。
617 :
世界@名無史さん :2005/04/21(木) 17:51:01 0
>>609 ヘンリー8世はアン・オブ・クレーブスの実物に激怒して担当者の首を
切ってますから(解任ではなく、物理的に切断させた)洒落になってませんよね。
>>615 マドレーヌなんてハプスブルクにいたっけ?
621 :
世界@名無史さん :2005/04/21(木) 21:29:53 0
王女スレ324,331,342でこのスレの615ですが、 私はシシオタじゃないよ。マルガリータ大好きなひとではあるが。 美意識が欠如したやつらがマルガリータを不細工というから反論したまで。 反マルガリータ≒マドレーヌ厨房がスレ嵐です。
622 :
世界@名無史さん :2005/04/21(木) 21:49:48 0
>>621 マルガリータは不細工だと思います。別に美意識は欠如していませんが。
これで過剰に反応するならマルガリータ廚。
>>620 >>621 なるほどね。
しかしマデリーン王女は現代人で、まだ歴史上の評価が固まっていない
人物なのだから、そもそもそこで語るのは板違いでは?
海外芸能人板に王室スレの方が相応しいんじゃないかな。
それと、エリーザベト皇后やウージェニー皇后は
19世紀最高の美女と言われたほどの佳人なのだから、
彼女たちと比較するのはマデリーン王女がちと気の毒かも(笑
624 :
世界@名無史さん :2005/04/21(木) 21:54:05 0
>>622 美意識が欠如してないと自分でわかってないんでしょう。w
脳神経科に診療にいくことをお勧めします。
625 :
世界@名無史さん :2005/04/21(木) 21:55:58 0
>>623 そうなんですよね。マドレーヌはまだ健在なのだから
板違いだったんですよ。
626 :
世界@名無史さん :2005/04/21(木) 22:07:29 0
>>624 反対者を基地外呼ばわりするのはマルガリータ廚。
627 :
世界@名無史さん :2005/04/21(木) 22:11:54 0
>>626 厨でけっこうw
反論されないために前もって先手を打つおまえの手には乗らない。
それに基地外でなく脳の病気を心配してあげてるだってば。
「廚」 こんな字、よく見つけてきたな。
>>620-622 ,624-627
お前ら、余所のスレでの喧嘩をここに持ち込むな。
スレ違いだ。
630 :
マリン :2005/04/24(日) 00:41:19 0
ルドルフ皇太子って、十代少女と無理心中したバカ男だぁ。 死ぬんなら一人で死ねといいたくなる。 まぁ両親ともども育児放棄した状況で 生育なさったからいたしかたない点もあるか。 残された妻のステファニーが気の毒。 初夜の晩、ルドルフは彼女を強姦。 周囲の全人々はステファニーを冷遇。 おまけにルドルフに性病うつされて不妊症にされ。 ルドルフの遺児エルジィは、舅姑夫婦に奪われる。 ・・・そんなこんなからエルジィとの関係は超氷河期。 最悪。
631 :
世界@名無史さん :2005/04/24(日) 06:43:18 O
すいません シシィが美女に見えません でも、当時から美女の誉れが高かったんですよね 私ら庶民からすると、全体的にメリハリつきすぎて恐いんだけど、美女ってそんなもんですか?
美人とはその時代・地域におけるもっとも平均的な顔とかって言われたりもするけど まあ結局は主観的なもんだから別にシシィが美女に見えなくてもいいんじゃね?
633 :
マリン :2005/04/24(日) 10:26:46 0
ハプスブルク家って、近親相姦一族だから。
マルガリータ厨がパプスブルクスレで暴れてるので引き取って下さい とりあえずこいつのせいでマルガリータヲタ=痛い との認識が出来ますた。ありがとう、マル厨!
635 :
世界@名無史さん :2005/04/24(日) 16:37:17 0
>>634 おまえばかじゃないの?
ここがハプスブルクスレだ。
そしてあばれているのは622=626で、もう終わった話題だ。
636 :
世界@名無史さん :2005/04/24(日) 16:39:39 0
628ですでに終わった話題なのに読解力の無い629が蒸し返しただけの話。
>>633 エリザベートの生まれはハプスプルクじゃないじゃん。
638 :
世界@名無史さん :2005/04/26(火) 22:23:34 0
そのとおりだ。
多産系のハプスブルグ家といえば、 フェルディナンド1世とアンナ夫婦には15人子供がいたけど そのうち20歳前に死んだのが3人だけって結構すごいよね。 フェルディナンド1世とその兄弟姉妹は彼含めて全部で6人いて、6人とも成人できているからその血かな。 でも彼の末の妹カタリーナとポルトガルのジョアン3世夫婦の9人の子供は全員20歳前に死んでる・・・
>630 ステファニー気の毒に同意 ルドルフ亡き後、宮廷には居づらかっただろうし まだ若かったんだから再婚するのも当たり前だと思うが お父ちゃん子のエルジィに嫌われちゃったし 本当に哀れ そうそう、そういやエリザベート(シシィ)って自分がゾフィー大后妃に子供奪われたように エルジィ奪ったんだよね シシィって精神崩したりと繊細な心の持ち主(ただの遺伝かもだけど)なのに、 ルドルフの気持ちには気づいてやれなかったり、自分がやられて嫌だったことを 同じ立場の人にやったりと、結構無神経とゆうか、おいおいって思うことがよくある 最近、他の区域の図書館からエルジィの方のエリザベートの本を取り寄せてもらって 読んでるんだが、この子も凄まじいな、
641 :
世界@名無史さん :2005/04/30(土) 02:00:10 0
シシイの性格はなんかわかる。 ひとことでいえば超ナルシスト。 自分を最高に愛してるので、夫や子供は人任せでもまあいいかなかんじ。 それでも惹かれるのは、美容にたいする執念が一般女性に共感させるのだな。
女性の人気より男性の人気の方が高そう
そんなこと言ったら変なのがまたヒステリー起こしちゃうよ…。
644 :
世界@名無史さん :2005/04/30(土) 04:28:34 0
ヘンなのってなに?
645 :
世界@名無史さん :2005/04/30(土) 04:32:33 0
シシイはなんか出身もちがうし ハプスブルク嫌がってたし、この家族の一員としてはみれなくなった。 でもツィタは別だ。ブルボン家のひとなのに ハプスブルクの誇りをもちつづけたなんてなあ。 てっきりハプスブルク出身かとおもってしまった。 このひとはハプスブルクの一員でいいかもしれない。
646 :
世界@名無史さん :2005/04/30(土) 04:45:41 0
ハプスブルク本の表紙に堂々でかでかとシシイの肖像画が載るのも 舞台で人気なのも実は嫌だ。 心はヴィッテルスバハで出身もヴィッテルスバハ。嫁ぎ先は見下す。 だったらヴィッテルスバハ本つくってその表紙にすればいい。 このひとこそハプスブルクの女性だと思われたくない。
今度は嫌シシィ厨が出たかw
まともに議論したいのにレッテルはるの辞めてくれない?
641=644-646 です。
アンヌ・ドートリッシュはブルボン家なのかハプスブルク家なのか、 ダイアナはスペンサー家なのかウインザー家なのか 難しい問題だ。
651 :
マリン :2005/04/30(土) 21:59:10 0
ステファニーとマリー・ヴァリー(ルドルフ実妹)の、回想録とか日記よみてー。 しっかし日本で翻訳されているのかなぁ。 マリー・ヴァレリーって名のラブホあったなぁ。
652 :
世界@名無史さん :2005/05/01(日) 11:27:34 0
>>64 o
赤い皇女のことですか。
この本でも、ステファニーを保守派だと非難していたけど。
でも、この本の著者や読者も、未来の人間から見たら同じような
保守的な人間だと写るんじゃないかな。
653 :
マリン :2005/05/03(火) 00:25:41 0
失楽園無理心中男ルドルフ。 暗殺説もあるかもしれんけど・・・。 父と一緒で、おぼっちゃま育ちの政治論って・・・説得力皆無。 汗水たらして働いたことない人間が、一国の政治をになう。 理にかなってるのかぁ。
でもマリア・テレジア様とかお姫様育ちだし フリードリヒ二世もな。
ようやく復帰できそうじゃ。 激務が続いておるゆえ 宮廷は開けぬかもしれぬが。 カウニッツ卿はまだおるのだろうか。 リートベルクについて多少、報告したいと思っておる。
>>652 一般論として「その時代にしても保守的」というのは存在すると思う。
今だったら「男は仕事、女は家」という考えはもう古いのと同じように。
逆の例を挙げると、ビスマルクのいわゆる「アメとムチ」政策だって、
アメの部分は今は当たり前だけど当時としては進歩的だったと思うし。
>>654 ただ、二人とも庶民の生活を知るために努力してたらしいね。
地方の視察をしたり、うわさ話を積極的に集めさせたり。
あと戦争は、庶民の生活を考えていたら出来ない部分もある。
>>656 庶民の生活って・・・。
当時の貴族思想の観念を知らないんだろうか?
庶民の幸福を願っての絶対統治という啓蒙君主思想は、この頃の話だけど
それ以前から権利を持つ貴族が持たない民衆を守護するという概念は普通にあったし。
それは貴族、特に王族には義務であって“現場を知らない”なんて事は全く関係無い。
小説なんかではよく出るネタだけどね。>世間知らずの王族が愕然となったりとか。
つか、自身で権利を行使できない自由民が有力者に委託する様になったってのが 中世初期における貴族階級の発生の要因の一つでもある。 Ryujuはもうちょっと基本的な事柄から勉強した方が良いぞ。
659 :
ヴェンツェル・カウニッツ=リートベルク伯爵 :2005/05/04(水) 00:32:02 0
>>655 大帝陛下、臣はここに居りますです!
本当にお久しぶりですね。
是非、我がリートベルク家について御教授下さいませ。
660 :
ヴェンツェル・カウニッツ=リートベルク伯爵 :2005/05/04(水) 22:38:17 0
陛下。。。
661 :
世界@名無史さん :2005/05/06(金) 22:34:23 0
陛下降臨期待あげ
662 :
世界@名無史さん :2005/05/06(金) 23:37:23 0
カール大帝ってあのカール5世様ですか?
663 :
カウニッツ :2005/05/08(日) 05:18:12 0
いいえ、「シャルルマーニュ」のことですよ。
>>511 >ハプスブルク家にヴィッテルスバハを迎え入れたのは
>フランツ・カールが最初ではないのか?
超遅レスですが、残念ながら完全な間違いです。
皇妃だけでもヴィッテルスバッハ出身者はエリーザベト以前に3人います。
レオポルド1世妃エレオノーレ・マグダレーナ
ヨーゼフ2世妃マリア・ヨゼファ
フランツ1世妃カロリーネ・アウグスタ
思いつくままですので良く調べたらもっといるかもしれません。
>664 早速で申し訳ないが、フェルディナント2世妃マリア・アンナも追加。 ちなみにフェルディナント2世の母で同名のカール大公妃マリア・アンナも同家出身。 そう言えば、ヨーゼフ1世とカール6世の2人ってあまり聞いたことない家から妃迎えてるけど、 やっぱりスペイン系断絶を見て血族婚の弊害を避けようと思ったのかな? 結局両方とも女の子しか生き残らなかったのが皮肉だけど…。
ヨーゼフ一世はフランスとの同盟を受けて。 マリア=テレジアは徹底して親ブルボンの婚姻を行ってた。
667 :
世界@名無史さん :2005/05/10(火) 20:54:02 0
家柄としてはヴィッテルスバッハとハプスブルクはどっちが上ですか?
>>667 ヴィッテルスバッハの方が古いよ。
神聖ローマ皇帝も何人も出しているし。
>>667 家柄という事ならハプスブルク。
へールシルト制の頂点にマクシミリアン1世以降は君臨する事になったから。
古くから勢力を持っていたのはどちらか?といえばこれはヴィッテルスバッハ家だけど。
670 :
世界@名無史さん :2005/05/10(火) 22:28:49 0
ヴィッテルスバッハ家は没落しちゃったね
>>671 没落しちゃったの? 宗家はしっかり残っているし、
今でもプリンス・プリンセス等の称号を許されて
いるって聞いたけど・・・。
>666 親ブルボンで結婚したのはヨーゼフ「2世」では…。 確か最初の妃はブルボン・パルマ出身で 再婚したのがヴィッテルスバッハ出身の人でしたね。 知りたかったのはレオポルト1世の息子の方のヨーゼフ「1世」と カール6世(=マリア・テレジア父)の皇妃についてなんですけど。 スペイン継承戦争の時期なので親ブルボンってことはないだろうし…。
674 :
666 :2005/05/12(木) 17:36:01 0
>>673 あ、申し訳ない。見間違えてました。
ヨーゼフ1世の妃はブラウンシュヴァイク・リューネブルク家出身という事で、全然地味な家じゃないです。
フリードリヒ1世と争ったハインリヒ獅子公の直系の子孫なので、旧王家の流れを汲んでいる名家で、北西ドイツでは有力な諸侯です。
カール6世もその分家の家出身ですね。
ヨーゼフ1世は帝国内の統一を堅持すべく、北の新教諸侯との宥和を政策方針に置いていました。
結婚相手を選ぶ際にもそれは影響していて、『余はいかなるフランス女も南欧の女も欲しない』と言ったと記録されています。
>>674 カール6世のってのは、カール6世の妻もという意味だよね?
余計かとも思ったけど一応。
>666-667 なるほど。ヨーゼフとカールの妃はハインリヒ獅子公の子孫なんですね。 (ブラウンシュヴァイクというとつい某小説を連想してしまいますがw) ハプスブルクってヴィッテルスバッハ以外のドイツ諸侯とは あまり縁組しないイメージがあったので意外でした。 どうもありがとうございました。 しかし「余はいかなるフランス女も南欧の女も欲しない」って カトリック&婚姻政策好きなこの家ではかなり斬新な発言だな〜
677 :
世界@名無史さん :2005/05/15(日) 23:08:46 0
そろそろageて置かないとな
へールシルト制って何ですか? ググってもわからない・・・
>>678 中世ドイツの諸法律書によって定式化された独特の身分制度です。
レーエン(授ける、または受ける)能力の序列で階層化されたもので
自己の順位を低下させる事なく、どれだけの封臣を持つ事が出来るか?というものを表現した
ドイツの封建制度の根幹を成しています。
つまり頂点に位置する国王(皇帝)以外は、自分よりも下位に位置づけられたものから
領土を授封されると、自分のシルトも低下してしまうわけです。
これが更に発展して、帝国等族制度になりました。
680 :
世界@名無史さん :2005/05/18(水) 01:54:18 0
・・・〜へー・・・ルシルト
681 :
世界@名無史さん :2005/05/19(木) 16:28:20 0
683 :
ヴェンツェル・カウニッツ=リートベルク伯爵 :2005/05/22(日) 18:12:33 0
655の大帝陛下は偽者みたいですね。 (ToT)/~~~<陛下〜 勇者トンヌラ様。ヘールシルト制のご説明、ありがとうございました。 スレの方達にもご理解頂けたと思います。 ハンガリー・スレは最近如何なんでしょう? ギシュクラ様が出没(失礼!)されてるスレってなんでしょうね。
684 :
アンドラーシ伯爵 :2005/05/24(火) 15:08:09 0
ハンガリー・スレに来てください
大帝陛下 いずこにおわしますや。ボヘミアにお出かけになると言い置いて宮廷を去られて 既に2年・・・。 カウニッツ伯爵さま 私がハンガリーへ出かけている間に、落城してしまいました。 最近は時々フス派スレと二重帝国海軍スレでしょうか・・。 アンドラーシ伯爵さま ハンガリースレは既にござらぬ。 亡国の遺臣としては故国再興の兵を起こすべきでございましょうか?
686 :
アンドラーシ伯爵 :2005/05/27(金) 13:12:52 0
ギシュクラ殿、是非頼みまする。
もし今も王家だったら、エリザベスさんところよりも格上?
>>697 今でもイギリス王家は田舎者扱いで変わらない。
ヨーロッパの大陸側の社交界ではね。
比べるだけ失礼だと思う。
689 :
アンドラーシ伯爵 :2005/06/05(日) 00:28:16 0
ウィンザー家ってチョットね。
690 :
世界@名無史さん :2005/06/05(日) 02:31:41 0
>>687 うん。あちらは家格も息子達の出来もまるで駄目ね。
でも”王室”と聞くとやっぱりイギリス王家が思い浮かぶ。
まぁ海を制したからねぇ
だってハプスブルクは“帝室”だもの。
ハプスブルク家は自称カエサル一門の出身らしいけど、かなりあやしい。 出自がはっきりわからないのは、本当の名門といえないのでは。
出自が最初からはっきりしている家系なんてありゃしないけどね。 伝説の類を自称して、それを皆が認めるような家なら名門といって良い。 ちなみにハプスブルクがイエスの時代にまで遡るなんてのは、作らせた系図で 誰もがそれを知ってたけど、認めざるを得なかったわけで。 イギリスの王家だって、最初はただの蛮族でしょ?
696 :
カウニッツ :2005/06/07(火) 20:10:33 0
どの皇帝陛下か忘れましたが、系譜学者達を諌めて 「羊飼いまで遡ってしまわないといけなくなるよ」と仰ったそうです。 マクシミリアン1世陛下は、系譜学者のおべっかを、 上機嫌に聴かれたそうです。 私の中学生時代の世界史の先生が、 アーダム・ヴァントルツカ著の「ハプスブルク家」を私に貸してくれた時、 「ヨーロッパ最高の名門のハプスブルク家に興味が有るの?」と 興奮気味に言われてました。 と言う事で、ハプスブルク家>イギリス王家、と思います。
実はハプスブルク家よりも、バーベンベルク家、プシェミスル家の方が名門だったりする。
>>697 ハプスブルクがヨーロッパ最高の名門と俗にいうのは
皇帝位を長きにわたって独占していた事が第一要素ですから
家門の歴史自体はあまり問題ではないかと思います。
699 :
世界@名無史さん :2005/06/08(水) 16:13:51 0
勇者トンヌラ様のハプスブルク家に対する功績により、 ダン・ピエール重甲騎士団の一員に任命致します。
ハプスブルク家は暗君がいない
>>700 ハプスブルク家に限った話ではなく、ヨーロッパの君主には暴君や極端に無能な
君主と呼ばれる人は少ないように思います。
これは能力や人格の話というよりは、西欧中世の権力システムが細分化されていたからではないかと。
振るえる権力が小さければ、君主の能力が治世に反映される度合が小さくなるのは道理だと思います。
703 :
世界@名無史さん :2005/06/14(火) 11:34:31 0
>>701 レーオポルト2世は早世が惜しまれた啓蒙君主でしょ?
兄貴の代打だった1世の間違いじゃないかな?
でも、彼がオイゲン公を配下に加えなかったらと思うと・・・。
>>703 すみません、嘘書いてしまいましたorz
江村洋という人の著書を読んで、最近ハプスブルグ家に興味を持ち始めました。 この人の本も面白かったのですが、 もう少し小説っぽい、(司馬遼太郎の小説のような)軽めのものが 読んでみたいのですが、何かお勧めを教えてください。 カール5世あたりの話が読んでみたいです。
>>703 レオポルト2世はクラシック音楽ファンにはとかく評判が悪いけどね。
マリア・テレジア、ヨーゼフ2世のお気に入りだったモーツァルトが、
皇帝が変わったとたん冷遇されたってね。
戴冠式に新曲(ピアノ協奏曲第26番)を持って行ったのに無視されたりとか。
>>701 フェルディナント2世、3世親子はヤバメなんじゃないかと。
威勢の良い時期もあったけどさ。
>>705 小説仕立てだと宗教改革を邪魔する権力者、ローマ劫掠を起こした悪人という
描かれ方が多くなるような気がする。
実例を見たことはないけど。
んでもって、ラブレーの「ガルガンチュア物語」にはカール5世をモデルにしたと
おぼしき登場人物がいるんだけれど、例の「もっと遠くへ」を皮肉って、
領土欲の権化のようにかかれてます。
ラブレーはフランソワ1世時代のフランス人だから仕方ないけれど。
小説とか物語ではそうするとお話が作りやすいということでしょう。 ただ、領土を得ること=ハプスブルクの利益とは断じてならなかったと いうことも作中に併記してほしいものだが。
領土を得る=その土地から得られる諸利益を完全に収公できるという事では なかった時代なので仕方が無いかと。 むしろ発生する防衛の義務の負担の方が往々にして大きかったわけで。 ハプスブルク家の場合はそれが大きすぎて、フランスに遅れを取る結果となってしまったように思います。
711 :
カウニッツ :2005/06/20(月) 18:04:39 0
sage進行は止めて、ageましょうよ! 見られて恥ずかしい内容ではないですし。
>>709 利益にならないのにどうしてわざわざ領地を増やしたのでしょう?
713 :
カウニッツ :2005/06/26(日) 20:42:31 0
ルイ14世曰く「領土を増やす事は君主として最も魅力的な事である」と。 つまり、現実的利益の計算よりも領土獲得欲が強いこともあるのです。
714 :
フィーリプ・ヴィルヘルム・フォン・ホルニク :2005/06/27(月) 23:45:58 0
意思あらば何時でも世界に冠たるオーストリア
715 :
世界@名無史さん :2005/06/29(水) 23:44:24 0
ウィーンに世界に冠たるオーケストラならあるが。
>>712 利益にならないというのは流石に言いすぎかも。
しかし純粋な国益の追求として領土獲得が行われたかというと疑問符が
付く場合が多いのはカウニッツさんの指摘の通りだと思います。
ところでフランツ・ヨーゼフの帝妃エリーザベトが姑との折り合いが
非常に悪かったという話は有名ですが、彼に結婚相手を取られてしまった格好になる
姉との仲はどうだったのでしょう?
近代史は門外漢なのですが、ふと気になりまして。
717 :
カウニッツ :2005/06/30(木) 01:07:39 0
カロリーネ・テレーゼとエリーザベトとの仲は普通だったようです。 因みにヘレネ(1834−90)はトゥルン・ウント・タクシス公爵家に 嫁ぎました。 ヴィッテルスバッハ家本家の男系は1777年に断絶していまして、 ノイブルク・ズルツバッハ家→ビルケンフェルト・ツヴァイブリュッケン家 と、バイエルンのヴィッテルスバッハ一族は続いていきます。
718 :
世界@名無史さん :2005/06/30(木) 02:24:00 0
>>713 ,716
文字通り「もっと遠くへ」行きたいがためだけに領土を拡張しつた
ということでしょうか。国益追求よりタチが悪いような気が…。
>>717 あの郵便侯爵として有名な一族に嫁いだんですか。
教えて下さって、どうもありがとうございました。
>>718 カール5世の領土拡張は目的というよりは結果の積み重ねだったと思います。
特に植民地の拡張はカトリック両王時代にレールが敷かれていたので。
イタリア戦争に関しては、神聖ローマ皇帝としての責務と感じていた・・・と書くと
ハプスブルク贔屓になってしまうのかも知れませんけれども。
フランソワ1世が純粋にフランス王家の利益を追求したのと比べると対照的というのは言えるかと。
ところでハプスブルク家の隆盛のきっかけを作ったルードルフ1世ですが
当時としてはかなり強力なグラーフだったと思うのですが
選定侯達が御しやすい候補と見做されたという理由を目にする事が多いのは
何故なのでしょうか?
根拠になっている文書でもあるのですかね?
720 :
カウニッツ :2005/07/01(金) 22:04:31 0
勇者トンヌラ様。 ルドルフ1世の国王選出の経緯の話の中で、その点は疑問に感じていました。 貧乏伯とか散々言われてますが、そうでもなかったのではないかと思います。 「ハプスブルク家の名が初めてドイツ史上に登場する始祖ルードルフ一世の 祖先が、11から12世紀頃に根城を据え、シュタウフェン朝の皇帝たちの 近くに仕えていたことは明らかで、彼らは聖地への巡礼の途上で客死した 家系を吸収したり、跡継ぎの絶えた名門貴族たちの遺産を相続したり、 あるいはアルプスの峠道の監視人として王朝に貢献したりして、次第に その地位を拡大していった。」 「1273年にルドルフが国王に選出された際には、この宗家はすでに スイスの発祥地からアルザス地方にかけての、かなり広大な領域を その配下に加えていたと言える。」 との文章に触れた事もあります。私が思いますに、ハプスブルク領が ドイツの中央部に位置していなかった事と、オットカル王や 大空位時代に権勢を誇っていた諸侯らとの相対的な比較かと思います。 当たり前過ぎの事を言ってすみません。
721 :
カウニッツ :2005/07/01(金) 22:07:54 0
訂正です。
>>717 トゥルン・ウント・タクシス公爵家×
トゥルン・ウント・タクシス侯爵家○
……流石は勇者トンヌラ様。今、気付きました。
722 :
世界@名無史さん :2005/07/03(日) 20:57:01 0
ageておきます。
723 :
世界@名無史さん :2005/07/05(火) 18:30:46 0
>>441 ハプスブルク伯とはどんな伯?
tp://homepage3.nifty.com/ryuota/charles4.html
によると、地方伯のようだな。
この動きに対し、シャルルは甥のフランス王フィリップ3世を皇帝位に就けようと策動した(22)。彼はこれを実現可能だと思っていたが、
教皇の意図を完全に見誤っていたとしかいいようがない。
実際、シャルルは教皇の支持を受けようとしたものの体よく拒絶されている。
結局、1273年10月エルザス方伯であるハプスブルク家のルドルフが
国王に推戴された。このことはシャルルにとっては外交的敗北であり、
その北イタリアにおける支配の正統性を大きく揺るがすことになる。
724 :
世界@名無史さん :2005/07/05(火) 18:55:56 0
>>697 イギリス王家はなんで田舎ものなのでしょうか、
ご説明ねがえませんでしょうか。
大陸から離れた島であるイギリスの王家だからでしょうか、
それとも、出自が問題なのでしょうか。
出自ならハノーバー家にて、
もともとリューネブルク家につながると思うのですが(うろ覚えなので失礼)。
>>724 王位の由来が問題だと思います。
ヨーロッパでは古代ローマ帝国の版図内にあったかどうかで田舎者扱いを
する事がありますが(主にドイツを揶揄する場合に)
シャルルマーニュに辿り着く王冠かどうかで判断する事も出来ます。
ドイツ、フランス、あるいはイタリアの諸王国は全て彼に遡る事が出来ますが
イギリスはそうではないので、田舎者と言われる事があるのかと。
現在の英王家の出自は確かにドイツ系ですが、王冠の由来にはあまり関係しませんし
なにより肝心の王家自身が、その事実を声高に話さないので、参考にはするべきではないでしょう。
そもそもゴシップのような類ですし。
726 :
カウニッツ :2005/07/05(火) 23:25:31 0
Hol tanul magyarul?
727 :
カウニッツ :2005/07/06(水) 21:57:39 0
726は「貴方は何処でハンガリー語を勉強していますか?」の ハンガリー語(マジャール語)表記です。 反応無しとは……。 (ToT)/
728 :
世界@名無史さん :2005/07/07(木) 21:02:04 0
Sombre dimancheを歌おう。
729 :
カウニッツ :2005/07/08(金) 01:08:18 0
Sombre dimanche って、反ハプスブルクの内容でしたっけ?
え、そうなの?
歌った端から自殺しちゃうんだから、反ハプスブルクのプロパガンダには なりにくいと思うが・・・。
732 :
世界@名無史さん :2005/07/09(土) 18:22:38 0
>>724 &725
ハドリアヌスの長城のことは、無視なのだろうか。
ブリテン島の南部は、ローマ帝国に支配はあまりに短かったということか。
カウニッツどの Sombre dimanche は「暗い日曜日」という邦題で知られるシャンソンです。 この歌を題材にしたドイツとハンガリーの合作映画もありますよ。
>>732 だから区別してるじゃん。
ローマ起源で考えるとすると、イギリスもローマの支配地域だったって事で
ドイツを蛮族呼ばわりするね。
でもイングランドとしては、ノルマン・コンケストを始まりとしたいらしいが。
まあしかし女の唇が厚いのはチャームポイントだけど 野郎の唇が厚いのはクドいというのかブサいというのか
736 :
カウニッツ :2005/07/12(火) 17:50:37 0
ギシュクラ様。 そうだったのですか。お恥ずかしい。 あてずっぽうでものを言うものではないですね。
たまたま知ってたに過ぎません。 ところで、亡国の遺臣は故国復興の兵を挙げ、ハンガリースレを復活 させましたので、また書き込んでください。
鷹司
739 :
世界@名無史さん :2005/07/14(木) 22:50:44 0
>>723 エルザス方伯 エルザスは、独仏係争の地だけども、 ここは、もともとドイツ王の臣下の収めるところだったんだね。 住民も、ドイツ系の言語を話す筈(エルザス語はドイツ系) ロートリンゲンはどうなんだろう。 マリアテレジアの夫君はもともと、ロレーヌ公だけども、 ドイツ王の臣下という位置づけですよね(ドイツ王、ここでは、神聖ローマ皇帝)。 そして、住民の言語は、何?
740 :
世界@名無史さん :2005/07/14(木) 22:56:51 0
方伯、は、城伯、辺境伯、宮中伯とともに、元来は官職としてのものだと思います。 公(ヘルツオーク)は、どうでしょうか。部族大公と地域大公があるようですが、 後者の地域大公は官職といえるように思えます。 ちなみに、部族大公は、部族の長で、部族が移動すると、それとともに、移動してしまい、 特定の領地を持たないのでしょうか。 部族の代表者が大公になる段階は、間違いなく部族大公だと思いますが、 よその部族出身のものを大公に付けたり、 部族の総意に反する者を大公につけたり、しても、部族を抑える意味でなら、 部族大公とはいえ、官職のような気もします。 一方、部族を解体してしまったならば、地域大公かもしれません。 ご批判ください。
741 :
カウニッツ :2005/07/19(火) 22:33:56 0
シャルルマーニュまで溯らないといけないですね。。。
>>740 部族大公という存在が成立してからは、部族の大移動というものは起きなかった
と思います。ドイツでも部族制の名残が近代間近まで残りました。
部族の完全な解体は最後まで起こりえませんでした。
ここでの部族大公とは、カロリング末期の混乱後に改めて成立したものを指していますが
ドイツ王国は部族大公であるザクセン公が、他の大公達と封建的主従関係を結ぶ事によって
成立したものであるため、部族大公を官職とは言えないと思います。
また地域大公は部族大公が完全に崩壊してから、成立した官職ではなく
部族大公を掣肘するための存在として設置されました。
しかしすぐにこの地域大公も領邦君主となっていったので、官職であった時期は
非常に短いといえます。
743 :
世界@名無史さん :2005/07/20(水) 19:43:23 0
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 何故半角?
744 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 21:55:52 0
ハプスブルク朝の全盛期はカール5世の時ですか フェリペ2世の時ですかマリア=テレジアの時ですか
745 :
カウニッツ :2005/07/21(木) 22:39:18 0
私としては、1557年にフェリペ2世がフランス国王アンリ2世を破った、 サン・カンタンの勝利から1571年のレパントの海戦後十年位までが、 ハプスブルク家の極盛期と見ています。 が、カリスマ性からはカール5世期、バランス性からはマリア・テレジアとも 思います。
746 :
カウニッツ :2005/07/21(木) 22:42:41 0
……マリア・テレジア……。 ↓ ……マリア・テレジア期……。
747 :
世界@名無史さん :2005/07/21(木) 23:22:22 0
よく科学雑誌などをみると「人類の未来は宇宙進出にあり」みたいな こと書いてあるけれど現実的な見解からするとどうなのでしょうか? ガンダムや銀河英雄伝説は、人類の未来の歴史をある程度予言して創ら れた作品と言われています、スペースコロニー計画やテラフォーミング計画 などを元にしていて現実の歴史が持つエッセンスの部分や理論的に証明可能 な未来技術などをふんだんに取り入れています、そんな作品郡が予言するよ うな未来史、宇宙時代は本当に到来するのでしょうか?
そういう未来でもハプスブルク家は相変わらずタラコ唇しゃくれ顔なのだろうか、スペースコロニーよかそっちが気になる
人型ロボットの時点でガンダムははずれでねえかな。いや好きだけど。 佐藤大輔の遥かなる星という小説は妙にリアルでいいよ。
750 :
740 :2005/07/23(土) 17:49:51 0
お返事ありがとうございます。 部族大公とは、例の5つかと考えておりますが、 これらはいずれも、部族をなしていたと考えてよいでしょうか。 ザクセン、ロレーヌ、バイエルン、フランケン、アレマンだったかな?。 チューリンゲンなどは、フランク族に撃退され、部族大公を戴くことが できなかったんだろうかなぁと。
751 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 18:06:01 0
エルザス方伯 今のフランスのエルザス県とほぼ同じかなぁ。 それにつけても、いつの間にフランス王の宗主権下になったんだろ。 ブルボンのフランス王傘下の貴族爵位に、エルザス方伯が含まれたんだだろーか。 詳しい方のご教示願う。
752 :
世界@名無史さん :2005/07/23(土) 20:57:54 0
750 ボヘミア大公も部族大公のひとつ? (後、王になったけど・・・部族王というべきかも) 「部族王」というより、「民族王」がよいかもしれない。
漏れは世界史板ではこのスレしかきてません(´・ω・`) ヨーロッパ最高の名門ハプスブルク家万歳!!( ̄ー ̄)
欧州の重病人のくせに 世界大戦の諸悪の根源のくせに
755 :
カウニッツ :2005/07/24(日) 18:22:12 0
754さん、一応つっこんでおきますね。 「欧州の重病人」ってフレーズは、 一般的には19世紀のオスマン・トルコ帝国を指すのに使われます。 第一次世界大戦は一概にオーストリア・ハンガリー二重帝国のせいだとは 言えない側面もあります。 各国間の火種は、フランツ・フェルディナント大公夫妻の暗殺より 深刻な問題が以前から燻っていました。
>>755 オスマン帝国は病人。
オスマン帝国よか酷いから重病人。
>>755 それもこれも弱体化したくせにいつまでも神聖ローマの気分で
異民族征服しようとしたハプスブルク帝国の所為だ。
758 :
カウニッツ :2005/07/24(日) 23:59:34 0
ハプスブルク家がそんなに御嫌いですか? 帝国主義の時代と風潮について学ばれては?
大嫌い。 欧州の均衡崩れたのは統一ドイツが強くなったからではなく ハプスブルク帝国がいつまでたっても弱いままだったから。 そのくせ異民族にちょっかいかけようなんざ100万年早杉
760 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 00:58:38 O
嫌いですか?→大嫌いと素直に答える辺りに大爆笑。 歴史に対して、好きはあれど大嫌いってあるのだろうか。
761 :
世界@名無史さん :2005/07/25(月) 16:45:49 0
この必死な弁護っぷりは昔、姫スレで暴れてたシシィヲタを思いおこさせるな
わかりやすい人だな。 うらみ云々より浅はかな思考がいやがられてると気づきなさいよ。
男ってのは自分の好みの女をけなされると激怒するものなんですよw シシィといえば、ホーフブルクのシシィ博物館って見る価値ありますかね?
ハプスブルク家なんかよりモドローネ公爵ヴィスコンティ家の方がイイ(´・ω・`)
ルドルフ皇太子自分はあまり好きじゃないなあ。 若死にしたのとリベラルだったのとで大分理想化されてるように思う。 不仲だった妻シュテファニーとの結婚だって、 周囲(特に母親エリザベート)が危ぶんだのに、本人は最初は乗り気だったんでしょ。 (女性経験豊富な彼にはうぶでぼーっとしたシュテファニーが新鮮に映ったらしい) ルドルフとシュテファニーの初夜は半ば強姦のような感じで、 知識の全くなかった彼女に手酷いショックを与えたっていうし、 おまけに性病を彼女にうつし、不妊にさせてしまうし。
767 :
カウニッツ :2005/07/26(火) 21:03:49 0
ふぅ〜。ageます。
sageるぞ。
769 :
ヨーゼフ2世 :2005/07/29(金) 02:19:07 0
ageるぞ。
770 :
世界@名無史さん :2005/07/30(土) 21:25:37 0
>>742 ありがとうございます。
部族大公は、上位の権威から官職として役割を与えたものではないから、官職ではない
ということでしょうか。自称か、上位の権威から与えられた、あるいは「自称」を承認された
そんなものであって、とても、官職とは言えないという意味でしょうか。
小生、不安内なもので、確認させてください。
また、部族大公を掣肘するための地域大公も、領邦君主となった以上、
大公とは領邦君主の称号に過ぎなくなり、もはや、官職を意味するものではなくなったという意味ですね。
ちなみに、領邦君主となった後は、これは地域大公と呼ぶこと自体ふさわしくない、
そんな気がしますがいかがでしょうか。やはり、地域大公と呼んでおいてもよいでしょうか。
771 :
カウニッツ :2005/08/03(水) 20:04:26 0
ageます。
772 :
世界@名無史さん :2005/08/03(水) 20:59:34 0
顎が長い一族
唇がメガエロス マリアテレジアたんハァハァ
774 :
カウニッツ :2005/08/04(木) 21:32:44 0
NHKで20時からシェーンブルン宮殿とハプスブルク家の 番組やってましたが、皆さんは観られましたか?
なんと・・みそびれました。
顎ヽ(・ω・` )ノ鼻 顎(ω・`ノ鼻 (・`ノ鼻 ) (鼻 )顎 鼻ヽ( )ノ顎 鼻( ´)ノ顎 ( ´ノ顎 ( ノ顎 ) 顎,´・ω) 顎ヽ( ´・ω・)ノ鼻 顎ヽ(´・ω・`)ノ鼻 顎ヽ(・ω・` )ノ鼻 顎(ω・`ノ鼻 (・`ノ鼻 ) (鼻 )顎 鼻ヽ( )ノ顎 鼻( `)ノ顎 ( `ノ顎 ( ノ顎 ) 顎,`・ω) 顎ヽ( `・ω・)ノ鼻 顎ヽ(`・ω・´)ノ鼻 シャキーン! 鷲鼻としゃくれ顎のハプスブルクゲノムを持つ ヨーロッパ最高の王家ハプスブルク家マンセー!
真のゲルマン民族はドイツ人ではなくオーストリア人 ヨーロッパ最高の王家ハプスブルク家マンセー!
779 :
カウニッツ :2005/08/07(日) 00:12:02 0
ついでにageも忘れずにお願いします。
780 :
カウニッツ :2005/08/09(火) 22:53:03 0
シェーンブルン宮殿のアパート部分に住めたら最高!と思っています。
カウニッツ卿 ご自身の宮殿ではご不満ですか??
782 :
世界@名無史さん :2005/08/11(木) 20:20:56 0
世界遺産の再放送を見ました。素敵すぎる、シェーンブルン。 タイトルの栄華の残照っていうのが悲しかったけど。
783 :
カウニッツ :2005/08/11(木) 22:23:39 0
うん、うん。確かに素敵過ぎますよね、シェーンブルン宮殿。
784 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 02:25:44 0
カウニッツ公爵ってメッテルニヒみたいに回顧録ありますか
785 :
カウニッツ :2005/08/12(金) 20:04:56 0
メッテルニヒは3月革命後、政治の第一線から退いたから、 その後の人生で回顧録を執筆できたと思われます。 カウニッツは生涯、重責を担うべき立場にあったので回顧録等は無いと 思われます。
786 :
世界@名無史さん :2005/08/12(金) 23:16:11 0
そうなのですか残念ですね 18世紀最高の外交官といわれることもあるのに・・・
787 :
世界@名無史さん :2005/08/13(土) 02:30:44 0
ふん たかだか伯爵風情が
789 :
カウニッツ :2005/08/15(月) 17:30:25 0
ヨーゼフ陛下、あんまりですよ〜。。。 陛下こそスペイン継承戦争中の大事な時期に天然痘であっさり崩御されて、 カール殿下が九分九厘てにしていたスペイン王国が ブルボン家に渡ってしまう原因を作られたではないですか〜。。。
そうだったな 正直悪かった
791 :
カウニッツ :2005/08/15(月) 23:31:52 0
(アウトローっぽく) ま、わかればいいってことよ。気を付けろよ、ヨーゼフちゃん。
792 :
カウニッツ :2005/08/16(火) 22:28:46 0
陛下、本当にすみませんでした!! 調子に乗ってしまいました。どうか臣をお許し下さい。 無視は止めて下さい……、結構堪えます。
793 :
世界@名無史さん :2005/08/16(火) 22:41:18 0
カウニッツ氏、最近出番多いでつね。
馴れ合い禁止
795 :
カウニッツ :2005/08/17(水) 00:13:08 0
すぐ下がってしまうもので……、うざかったら済みませんです。
796 :
世界@名無史さん :2005/08/18(木) 08:47:18 0
別にうざくないですよ〜
797 :
世界@名無史さん :2005/08/19(金) 22:04:10 0
んだんだ
798 :
世界@名無史さん :2005/08/21(日) 07:26:42 0
とにかく戦争に弱いハプスブルグ
外交交渉で敵さん孤立させて王手かけたも同然に持ち込んでおきながら 何故か毎回のように負け続けるハプスブルク帝国最高w バルカン半島の弱小国相手なら楽勝だろうと戦争しかけた挙句 ドイツ様の足を引っ張るだけで全くやる気のないハプスブルク帝国最高w
800 :
カウニッツ :2005/08/21(日) 16:10:22 0
>>798-799 さん
別に良いんですよ。だって、
「余人は戦をすべし、汝、幸いなるオーストリアはまぐわうべし」
ですから。
それぞれの王家のカラーがありますからね。
801 :
世界@名無史さん :2005/08/21(日) 19:42:52 0
菊池氏の「ハプスブルクをつくった男」を読んで、建設公に宰相としてつかえた ヨハン・リビに興味が湧いたのだが、彼に関して何か文献とかってあるかな? ぐぐった限りだと彼を扱うどころか名前すらほとんどヒットしない… 日本語の本やページだとひょっとして望み薄か… ヨハン・リビの綴りはどんなだろ。
>>800 逆に言うと、結婚政策が(各国ナショナリズム・民主主義の成長で)
上手くいかなくなった時点で、ハプスブルク家の衰退は始まっていたとも
言えるわけで。
基本的に君主主権の時代に功を奏する政策だからね、政略結婚ってのは。
803 :
カウニッツ :2005/08/21(日) 22:35:02 0
仰る通りで、ナショナリズムの台頭前、つまり大きい括りで言えば中世なら 結婚政策は問題なかったと言いますか、そもそも国境と言う意識が ヨーロッパの住人になかったんですよその当時は。 でも、早くもマリア・テレジアの時代には女帝自身も言われたように、 「新しい事は革命を伴ってはならぬ」になっていたんです。 皮肉な事に、オーストリアの絶頂期に帝国の将来性の限度と崩壊の危惧を 抱かなければならないほどハプスブルク帝国は多民族国家であると女帝も 認識されていた様です。
804 :
カウニッツ :2005/08/21(日) 22:59:04 0
モーツァルトのフィガロの結婚はオペラとしては滑稽で 音楽も流石ですが、成功の割には上演回数が伸びなかったのも、 ヨーゼフ2世からみたら民心を刺激してしまう危険な物に映ったのが 一因かもしれません。時あたかもフランス革命前夜でしたし。
805 :
世界@名無史さん :2005/08/22(月) 05:07:45 0
>>799 ドイツが勝手にベルギーに飛び込んだんじゃん。いい迷惑。
>>805 オーストリアが勝手にバルカンに飛び込んだんじゃないか。
そこからロシア→フランス→イギリスと飛び火するのはわかっていたはずだ。
欧州の癌はくたばれ!
スレ違いかもしれませんが。 最近(今年)ハプスブルク家の皇太子(世が世なら?)がご結婚、 という噂を聞いたのですが本当でしょうか? 全然ニュースにもならないもので。
808 :
世界@名無史さん :2005/08/23(火) 00:50:27 0
ハプスブルク陸軍萌え。
>>806 原因はセルビアにあり、ドイツは対セルビア開戦についてオーストリアを支持したじゃないですか。
そもそもあの時代に飛び火するのを予測してた人なんていたっけ?
原因はセルビアにあり 原因はセルビアにあり 原因はセルビアにあり 原因はセルビアにあり 原因はセルビアにあり 原因はセルビアにあり 実力も無いくせに火事場泥棒的にバルカン半島に突っ込んでいったのは何処のドイツだっけ? ドイツじゃないよね似非ドイツだよね。
>>802 ハプスブルクの衰退と、結婚政策はほとんど関連が無いよ。
問題はナショナリズムの嵐が来る前に、強力な王権を樹立する事が出来なかった点にある。
互いの国土の完全な継承権を設定する婚姻なんて、王侯の間でもほとんど例がないわけで。
(だからこそハプスブルクの成功は人口に膾炙された)
あと、別に君主主権じゃなくても、政略結婚政策が重要だった時代は腐るほどあるよ。
婚姻政策=領土獲得の方法とするのは短絡過ぎでしょう。
812 :
世界@名無史さん :2005/08/24(水) 19:08:02 0
中欧では洪水で死者が出ているそうですね、オーストリアでも・・・
813 :
カウニッツ :2005/08/28(日) 16:02:21 0
夏ですね〜
スイス、オーストリア、スロヴェニアあたりと、ルーマニアで被害が出ています。 そのうち、下流にも被害が及ぶのでしょうか??
815 :
カウニッツ :2005/08/29(月) 05:17:23 0
ギシュクラ様。 ドナウ川が氾濫してるのですか?
816 :
世界@名無史さん :2005/08/29(月) 19:01:18 0
818 :
カウニッツ :2005/08/30(火) 00:10:10 0
ギシュクラ様。 情報ありがとうございました!
819 :
世界@名無史さん :2005/08/30(火) 19:51:52 0
age!
フェルディナント1世の次男のフェルディナント大公(マクシミリアン2世の弟)はヤギェウォ家が断絶したポーランドから国王 就任の要請を受けたが、愛妻のフィリッピーネ・ヴェルザーとの貴賎結婚を認知してもらえなかった為に断ったそうですね。 結局ポーランド国王には、フランス王に就任する前のヴァロワ家のアンリ3世が就任。 もし実現していればハプスブルグ家に非常に有利に傾いていただけに悔やまれます。
821 :
カウニッツ :2005/08/31(水) 19:22:32 0
初耳ですが、本当ですか? ……アンリ3世にとってはずっとポーランド国王だった方が幸せだったかも。 それは惜しいことをしてしまいましたね。 当時は、ポーランド=リトアニア連合王国だったと記憶しておりまして、 国土も広大でしたしね。 あと、フェリペ2世とメアリ1世の間に子供がいたらと思うのは 欲張りすぎでしょうかね。
822 :
820 :2005/09/01(木) 18:04:25 0
ソースは江村洋氏の「ハプスブルグ家の女たち」からです。 フェルディナント大公も母親のハンガリー王女マリアを通じてヤギェウォ家の血を受け継いでいるので、全く 血縁のないアンリ3世よりははるかに王になる資格はあったと思います。 ポーランドにとってもヤギェウォ家の断絶以後短命の王家が続いたせいで弱体化し外国による干渉・分割を招 く不幸の歴史を重ねただけに惜しまれる話であったと思います。
823 :
カウニッツ :2005/09/02(金) 01:11:57 0
その本持ってますが、忘れていましたね。 読み直します。
824 :
世界@名無史さん :2005/09/04(日) 00:48:02 0
カウニッツage
825 :
世界@名無史さん :2005/09/04(日) 14:59:02 0
ギシュクラ・ヤーノシュage
>>822 ポーランドの弱体化は選挙王制に代表される様な、貴族層の過度の伸張が主因だから
ハプスブルクになった所で変わらないと思うけどね。
大公フェルディナントにしても、貴賎結婚をした位だから権力への執着もそんなには無かったろうし。
史実通りの暮らしで十分に幸せだったんじゃないだろうか?
ハプスブルク家はプロイセン国王より格上?(; ・`д・´)
828 :
世界@名無史さん :2005/09/07(水) 12:23:16 0
当たり前
家の格”だけ”上でもしょうがないじゃないのさwwww
830 :
世界@名無史さん :2005/09/09(金) 01:22:41 0
なんか変質者が一匹いるな。 女の腐ったみたいに愚痴愚痴いってないでさ、ホーエンツォレルン・スレでも作ればいいじゃん。
そのホーエンツォレルン家の顔色を伺うようなレスしてるのは何処の誰でせうか?
832 :
世界@名無史さん :2005/09/09(金) 12:05:08 0
ドナウエッシンゲン
833 :
世界@名無史さん :2005/09/10(土) 15:57:56 0
ヴィッテルスバッハはいいけどホーエンツォレルンは嫌いだ
834 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/10(土) 19:19:23 0
今朝の旅番組で、ハンガリーの旅を放送していましたね。素敵でした。
「女の腐ったみたいに」って言い方、女が聞いたら不快です。 スレ違いごめんなさい。
>>835 「腐った男」という言い方もあるように、腐り方にも男女の別があるだけ。
女が腐っていると言っているわけではないし、語法としては「男勝り」とかわらない。
じゃー女勝りは?
838 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 18:25:51 0
カウニッツ氏は本を読んで勉強中でつか?
839 :
カウニッツ :2005/09/11(日) 23:27:33 0
そうでもないですよ。 今、選挙速報の特番観てます。
男勝りも不快っていわれることがあるぞ
ヨーロッパ女帝界最強の男! (*検閲*)ポンドー、マリアー!テレージーアー!
842 :
カウニッツ :2005/09/14(水) 19:37:03 0
神聖なる女帝陛下に失礼ですぞ!
843 :
カウニッツ :2005/09/17(土) 14:12:50 0
問題:マリア・テレジア女帝のシェーンブルンの造営に 巨額の援助をしたユダヤ人を挙げよ。
844 :
カウニッツ :2005/09/17(土) 23:49:25 0
反応なしなので、三択にします。 @ザムエル・オッペンハイマー Aサムソン・ヴェールトハイマー Bディエゴ・デ・アギラール 誰でしょう?
845 :
カウニッツ :2005/09/18(日) 14:54:47 0
正解は、Bでした。虚しい……。
846 :
世界@名無史さん :2005/09/18(日) 15:39:59 0
じゃーアントワネットの好きな色はどれ? @ピンク、白 A赤、黄色 B青、紫
A番!・・・と思う。
バッハが仕えたというウィルヘルム・ヘルンスト大公について詳しく
849 :
世界@名無史さん :2005/09/20(火) 20:09:40 0
板ちがい
850 :
846 :2005/09/20(火) 20:13:13 0
残念Bでした
851 :
世界@名無史さん :2005/09/22(木) 18:01:24 0
講談社学術文庫 「オーストリア皇太子の日本日記」 明治二十六年夏の記録 フランツ・フェルディナント/安藤勉訳 ¥840+税 2005年9月10日 第1刷発行 本邦初訳! 「サラエボの悲劇」の主人公が綴る日本紀行 長崎−熊本−宮島−京都−大阪−奈良−大津−岐阜−名古屋−宮ノ下−東京−日光−横浜 一八九二年末、オーストリア帝国帝位継承者、皇太 子フェルディナントは世界周遊の旅に出た。翌年長 崎に到着した彼は東京を目ざすが、その途次、各地 で日本文化との出会いを堪能しつつ、のちにウィー ン民俗学博物館日本部門の礎をなす一万八千点もの 美術品等の蒐集も行う。二十一年後、サラエボで暗 殺される悲運の皇太子若き日の日本紀行。本邦初訳。
852 :
世界@名無史さん :2005/09/23(金) 15:33:07 0
フランツ・フェルディナントは悲運の人じゃないでつ
853 :
851 :2005/09/23(金) 19:46:46 0
俺に言われても困る。 本にそう書いてあるんで。
854 :
カウニッツ :2005/09/23(金) 22:46:25 0
851さんはその本を買われたのですか?
855 :
851 :2005/09/24(土) 07:43:22 0
買おうか買うまいかと悩むほどの金額でもないので・・・ 皇太子が水雷巡洋艦エリーザベト皇后号で行った世界一周旅行の日記を 帰国後発刊した本のうち、日本滞在中の7月29日〜8月24日間が本書の期間。 当人はお忍び旅行を希望していたが、この2年前にあった大津事件の影響で 行く先々に巡査がうじゃうじゃいて、窮屈な思いを終始感じていたようだ。 「日本では、どこに目をやっても清潔さと快適さが満ちあふれている。 中国の不潔さとは、心地よい対照だ。」 という文を読むと、この旅行記全体を読んでみたいと思う。
856 :
世界@名無史さん :2005/09/24(土) 09:05:13 0
そういう馬鹿ウヨの喜びそうな一文で判断するとは・・・
857 :
851 :2005/09/24(土) 09:25:02 0
ん?馬鹿ウヨ?
858 :
Ryuju ◆RlujhF6VrA :2005/09/24(土) 10:02:26 0
いや、このスレ的には他に読むべき部分があるだろうと。 彼が誰に会って、どう迎えられたかとか。 一万八千点もの日本の美術品をどうやって手に入れたかとか。 (一応予算があるはずだが、大丈夫だったのかな)
>>856 馬鹿ウヨというか、明治初期の日本が国家威信の為に
衛生事業に取り組んだのは、西洋列強の帝国主義の一典型の模倣だったりして
一生懸命研究してる人もいたりする罠。
だから『清潔』というキーワードに着目するのは間違ってなかったりする。
当時の欧米列強はそういう観点で区別してたわけだからな。
板違いだから、詳しくは日本史板へ行ってくれ。
>>858 お前ちょっとは時代考えろよ。
海外の著名な日本コレクションが成立したのは、大体この辺りなんだぞ。
それこそ二束三文の世界だな。
また親善大使として芸術品は最適な訳だ。
860 :
851 :2005/09/24(土) 12:22:38 0
宮島は、有名な神社があるため、いわば西日本のマリアツェルといってもよい巡礼地だ。 マリアツェルの巡礼教会の周囲もそうだが、ここ厳島神社の周囲にも土産物屋や露店が数限りなく 軒をつらね、・・・・・・・ わたしは、こうした露店に立ち寄り、すてきな品々、とくに小机、花活け、玩具、曲がった木で 何かの形を模した物、それ以外にも数百点、馬車一台ほども買い込んだ。 だが日本政府は、わがコレクションを少しでも充実させたいと考えたのか、宮島でも用意周到に 準備をしてくれていた。・・・・・・・ ところがよく見ると、さっき露店で見たのと同じ品物も少なくはなく、・・・・・・・ だからねらいを古い甲冑にのみ絞り、恐ろしげな口髭をたくわえた異形の面頬もあわせて 買い入れた。
861 :
世界@名無史さん :2005/09/24(土) 12:48:29 0
>>859 ハプスブルクスレにまで日本賛美厨=日本オタが来るのか・・・
他国を貶めて、自国がいかに立派だったかってことを強調したいのなら、
それこそ日本史板のお仲間とやってくれ。
ここで日本自慢を延々やられてもうざいだけ。
>>861 世界史板住人のくせに欧州の疫病神ハプスブルク帝国賛美厨がいるのか…
他国を賛美して、自国の下賎連中と違って「わかる奴」だってことを強調したいのなら、
残念ながら欧州の「あの国」ハプスブルク帝国じゃ逆効果だ。
空気を読めずにドイツ巻き込んで無理心中した挙句
ヒトラーをドイツに送り込むなんてエグすぎる
863 :
世界@名無史さん :2005/09/24(土) 13:25:06 0
>>862 ハプスブルク帝国のスレに来て、何を言ってるのやら。
>>861 859氏は近代西洋史の中での重要テーマである帝国主義が
衛生な西洋と不潔なアフリカ(アジア)というスローガンをもって行われたという説を
引いているだけだと思いますが・・・。
中世から強まった王権(政府)が中世ではある程度の自治権を保有していた都市に対して
衛生事業を積極的に推し進める事で段々と掌握していきました。
植民地への衛生事業の展開はこれの拡大版だと言えます。
(不潔で未開な後進地域を救う為の植民地化であるという大義名分ですね)
その方針を明治初期の日本政府が真似た事は有名ですし、その事実を指摘した所で
何ら特定の思想に偏ったものでない事は明白ですよ。
ちなみにハプスブルク家が推し進めた啓蒙的な絶対主義もこれと同じ論理によります。
皇帝が無知な民衆を責任を持って教え・導くと言ったような。
そしてバルカンに手を出した挙句 ドイツ巻き込んで無理心中かよ。おめでてえな。
866 :
世界@名無史さん :2005/09/25(日) 15:16:15 0
↑こいつアホ
868 :
世界@名無史さん :2005/09/27(火) 18:04:59 0
↑平日のその時間に書き込める暇な馬鹿はいいな
869 :
世界@名無史さん :2005/09/27(火) 18:30:26 0
埋めよーぜ
何故ハプスブルク系やフランス革命関連のスレは荒らされやすいのかね
藤本ひとみ読者が狙っているからじゃない?
872 :
カウニッツ :2005/09/30(金) 19:43:38 0
ageておきます!
873 :
世界@名無史さん :2005/10/01(土) 02:22:00 0
二重帝国って植民地持ってたの?
元々のゲルマン人もマジャール人も全然足りないのに 植民地持ってどうするの?
ああクーデンホーフ光子の居た。
中国にあった租界が植民地といえば植民地
877 :
カウニッツ :2005/10/05(水) 17:57:25 0
ageておきます!
878 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 21:11:23 0
>>861 私も日本愛国のハプスブルクオタだよ。
どうして世界史オタとなると日本を軽視したがるのだろうか。
日本史の場合主役が日本だから、日本の価値観でみれるが
世界史だと外国の立場で見るから時々日本の敵にもなってしまうのだろう。
でもそれで自分自身を偏らせる必要はない。
国それぞれの立場で見て、「それでも自分はこう感じる」ってのがいいと思ってる。
879 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 21:23:27 0
いや、そもそも
>>859 は日本擁護でも何でも無いから。
>>864 の通り、当時の状況を書いてるだけだろ。
つまりフランツ・フェルディナントは日本の清潔さに衝撃をうけたわけだ。
それまでのアジア=不潔→西欧が進出して啓蒙してやる義務があるという概念と
相容れないからね。だから日記で特に取り上げて書いたし、これは重要なテーマだから注目した
>>855 の見方は正しい。
それを馬鹿ウヨと非難する
>>856 や
>>859 は残念ながら全くの的外れとしか言いようが無い。
これ以上詳しく知りたいなら日本史板で聞けば良いと思うよ。
880 :
879 :2005/10/05(水) 21:31:46 0
おっと、リンクミス。申し訳ない。
誤:それを馬鹿ウヨと非難する
>>856 や
>>859 は残念ながら全くの的外れとしか言いようが無い。
正:それを馬鹿ウヨと非難する
>>856 や
>>858 は残念ながら全くの的外れとしか言いようが無い。
881 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 21:36:21 0
いや、そういう話題だけ強調してるのが2ちゃんに多い嫌韓ウヨってことだろ。 旅行記の中からそういう部分だけ取り出して、強調せんでもいいだろってこと。
882 :
879 :2005/10/05(水) 21:41:49 0
>>881 何回も言ってるけど、重要な視点なんだからしょうがないじゃないか。
中国に代表されるアジア全体=不潔ってのは当時のスタンダードだったんだから。
その構図に気付いて浄化政策を取った明治政府は慧眼と言って良いんじゃないか?
これだけだとまたウヨ呼ばわりされるかも知れないから書いとくけど、清が倒れた後に
中華民国政府も国是のひとつに清潔な環境の構築を挙げてるよ。
つか、中国と日本比べてるのに嫌韓ウヨかよw。
883 :
879 :2005/10/05(水) 21:48:35 0
あ、弁解ついでにいっとくけど中国に代表されるアジア全体=不潔というのに 中国を貶めるとかいう他意は一切無いからな。 当時はやっぱりアジアで一番知名度のあった国だから。 何だか脱線しすぎてスレ違いだ罠。 申し訳ない。
884 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 21:52:58 0
自分がハプスブルクにこんなに惹かれるのは 日本の美徳ににてるとこがあるからだと思う。 兄弟はなかよし、暴君はなし、趣味は質素 全体的に不潔な西欧のなかでは割と清潔好きな感じもする。
885 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 21:57:26 0
西欧→西洋
886 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 22:00:53 0
>>855 憧れのハプスブルクの皇太子が日本のことを褒めてる
ってのは気持ちいいね。
887 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 22:09:43 0
ともかく、ハプスブルクならもっと語るべき話題が山ほどあるのに、 ことさら近代日本の話題に絡めようというのがいやらしい。 結局、日本は立派な国だ、素晴らしい国だって結論に持っていきたいだけだろ。 そんな話はハプスブルクスレでやらなくても、日本史板に存分にできるだろ。
888 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 22:14:19 0
世界史板で日本自慢されても困る。
日本は立派な国だ、素晴らしい国だって結論を妄想するのはやめれ。
>>855 は何も言ってない、というか皇太子の日本訪問日記の紹介で
この訪問は好意的な結果を引き出して終了したんだから、どこ引用したって好意的に決まってるだろうが。
いつまで何を粘着してるんだか。
>>884 結構、兄弟間で争ったり不和になったりしてるけどね。
フランツ1世と貴賎結婚したヨハン大公も微妙な関係だったみたいだけど
結婚を認める辺り、なかなか度量が大きいと思った。
890 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 22:19:15 0
NHKラジオ第2放送 NHKカルチャーアワー歴史再発見 「ハプスブルク家とヨーロッパ世界」 10月〜3月 毎週火曜日 午後9:30〜10:00 再放送 水曜日 午前11:00〜11:30 講師:西澤秀男
ハプスブルクは華麗な一族だからなぁ… 最初どこかの伯領から始まって、姻戚で拡大した、んだっけ…?
892 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 22:42:48 0
>>889 だいたいは仲いいよ。
フランスやら中国やら権力争いはすごいよ。
893 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 22:52:15 0
>>878 =
>>884-886 です。
879さんとは別人で、違うことを語っています。
日本自慢がしたいのではなく、
日本もハプスブルクもそれぞれすばらしいのだから喧嘩はやめてね、
という意味が含まれてます。
894 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 22:55:52 0
兄弟間の殺人的権力争いは一件のみ きわめて例外的
何にせよ、日本ネタは荒れるからやめましょう。
896 :
世界@名無史さん :2005/10/05(水) 23:20:50 0
シェーンブルンの水はお肌にいいと思う。 アントワネットは透き通るような肌だったというし。裏山。 でもアンヌ王妃も綺麗な肌だというな。 遺伝かもしくは入浴してたせいかも・・ それだと現代人の参考にならんな。
898 :
ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. :2005/10/06(木) 00:59:16 0
>>884 >全体的に不潔な西欧
その元凶はハプスブルク帝国
900 :
世界@名無史さん :2005/10/06(木) 17:48:59 0
フランスのほうが不潔だよ。今もだけど。 ハプスブルク家の人は入浴の習慣があったのに ブルボン家では廃れてたからな。 でも美術センスはフランスが上。
なんか急にスレのレベルが下がったな・・・。
>>894 ちょっと考えただけでも、フリードリヒ3世と弟のアルブレヒトの争いや
ルードルフ1世と弟のマティアスの争いなんか思いつくけどな。
アルブレヒト1世は甥っ子に殺されてるし。
“殺人的権力争い”というのが何を表現しているのか、よく分からんが
ハプスブルク家は分割相続が長かったから、相続争いは長子相続制が早くから確立した
フランス王家よりも多かったと思うぞ。
902 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 00:56:48 0
>>901 殺して王位を奪ったのは一件のみ。
マリア・テレジアとヨーゼフは共同統治だったし弟は
ヨーゼフのやった(当時にしては)失態を正した。
レオポルト1世は兄の死で皇帝になったが、聖職者志望だったので野心はない。
まずこの家族で血肉を賭けた争いはめったにない。
フランスはルイ14世は弟に王位を狙われて殺されそうになるし
ルイ16世も弟や従兄に王位を狙われて間接的に殺した。
アンリ4世だって兄弟間陰謀の争いがあった。
中国では親兄弟をころすのはよくあった。
客観的に見れないおまえのほうがレベルが低いぞ。
>>902 中国とヨーロッパを比べるのは止めた方が良いでしょう。
その両者は余りに条件が違いすぎて、比較する事が全く無意味だと思うので。
世間に流布しているハプスブルクの団結の固さ、仲の良さといったものは
カール5世の治世時の兄弟間の連携による所が大きいような気がします。
(とは言っても、カールとフェルディナントの間に全くの波乱が無かったわけではないですが)
またスペイン系とオーストリア系の間の同盟関係と度重なる婚姻でしょうか?
その他の当主を見てみると、>901氏も挙げていますが長子相続制が確立するまでは兄弟間の争いは少なからずありましたし
長子相続制が確立してからは、長男とそれ以外の間の兄弟は微妙な関係にある事が多かったようです。
(フランツ1世やフランツ・ヨーゼフがそれにあてはまると思います)
フランスで起きた王位簒奪というのは、兄弟の仲の悪さというよりもドイツとの貴族制の違いに
着目すべきではないでしょうか?フランスは王族をかついで貴族が党派を形成しますが
ヘールシルト制の中でのオーストリア貴族は王族と利害を同じくしないでも一定の影響力を持てたわけで。
私はフランス史は門外漢なので、フランスを贔屓するつもりは毛頭ありませんが
貴方が挙げられた仲の良さの例はフランス王政の中にも容易に見つける事が出来ますよ。
904 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 01:21:45 0
>>903 条件の違いはどうでもいい。結果が大事。
フランスは王位争いだけでなく、貴族間の権力争いもすごい。
家族といえども信用できない。でもそこが好きなんだけどね。
(ハプスブルクはマティアスの時代から外国人やら口をそろえて仲のいい家族だといわれてる)
フランス勉強したあとオーストリアみると、開放的にみえるよ。
905 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 01:25:24 0
マティアス →マクシミリアン 間違い
>>902 本題とは関係ないけど、
>フランスはルイ14世は弟に王位を狙われて殺されそうになるし
フィリップ・ドルレアンってそんなに悪い奴だったっけ?
それとも鉄仮面の話?
>アンリ4世だって兄弟間陰謀の争いがあった。
アンリ4世って一人っ子じゃなかった?
>>904 夫婦間、家族間の仲が良いのは人口に膾炙し通りですけれど
成人した兄弟間(別家族を形成する)の仲とはまた別に考えるべきですよ。
確かにブルボン朝とハプスブルク朝を比べると、前者により退廃的な雰囲気を感じる事には同意しますけれども。
結果が大事と仰いますが、同様な例であれば見つかると書いたのは>903の通りです。
オーストリア(ドイツ)とフランスの国制の違いは、両者を比較する上で非常に重要です。
貴方の言われる通り、結果だけを単純に見るならば確かに西洋と中国の間での比較も可能ですが
それは残念ながら比較とは言い難いと思いますが。
908 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 01:30:06 0
いいかげんうざいな鷹城アンチ アンチスレ立ててそこでやれ。
>>902 >レオポルト1世は兄の死で皇帝になったが、聖職者志望だったので野心はない
やる気も無かったみたいだけどなw。
910 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 01:32:22 0
>>906 ルイ14世の弟(プチムッシュー)は
モンテスパン夫人らにそそのかされて
ルイ14世暗殺計画に手を貸した。
アンリ4世が王位についたのは兄弟間の争いに勝ったから。
911 :
909 :2005/10/07(金) 01:33:40 0
>>908 論破されたからって、いきなりアンチ扱いはやめとけよ。
過去ログ読めばトンヌラ=アンチなんて言えないぜw。
ちなみに漏れもアンチじゃないからな。
レオポルド1世はオイゲン公を見出したというハプスブルク家史上、特筆すべき功績が
あったのを忘れてた。これだけは本当に彼個人の功績じゃないかな?
912 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 01:34:03 0
>>907 国政の違いがあると比べられないというなら
どこの国も他の国と比べられないことになる。
913 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 01:34:56 0
>>911 論破されてないだろ。どこ読んでんだよ。
>>912 国制の違いをきちんと理解した上での相互比較が必要なわけです。
ですから制度を異にする政体の比較というものは非常に難しいものだと思います。
両者の文化・制度・歴史に精通している必要があるわけですから。
それから言っておきますが、ハプスブルク家の家族に美談が多く存在している事を
否定するつもりは一切ありませんので。
ただ全てがそうだったかというと、それなりに不和もあったという事実を指摘しただけの話です。
915 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 01:42:30 0
>>910 アンリ4世ってブルボン朝の創始者だろ?
確かに彼には兄弟いるけど、みんな早世してるよ。
もしかして新旧両教対立の話をしたいのかも知れないけれど。
916 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 01:43:23 0
>>914 ハプスブルクの有名な美談は
「家族仲、暴君なし、皇族意識」
これを無視して語るなかれ。
「〜だったはずだ」とかそんなこじつけでハプスブルクの現実を
無視するのはアンチとしか思えん。
917 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 01:48:39 0
>>915 宗教戦争は兄弟じゃなかったのか
でも親戚にはちがいない。
>>916 どの辺りにこじつけがあるのかご指摘頂けると有難いのですが。
自分ではそう過激な事は書いていないつもりなんですが。
ドイツの貴族階級がヘールシルト制を背景として、縦よりも横の連帯を意識していた事は事実ですし
それによって上の階級に対して、一定の影響力を持っていたという点も間違っていないでしょう。
また長子相続制の確立後、皇帝になる事が確定している長男と、それ以外の兄弟とでは
微妙な温度差がある事が多かったというのも多くの書籍で見る事が出来ると思いますし・・・。
(フランツ・ヨーゼフの弟のマクシミリアン大公がメキシコへ渡る決意をした動機としても挙げられますね)
ハプスブルク家の歴代の皇帝達が神聖な職務を持っていると固く信じており
マキャベリズムに迎合しなかったのは事実で、私もその辺りは興味深いのですが
暴君が出なかったというのは、個人の資質よりも君主の意向がストレートに反映できなかった
オーストリアの政治体制に起因する所が大きいのではないかなと。
マリア・テレジアの改革後、君主権が目に見えて強化された君主達については話を別にすべきでしょうが。
(と書くとまたアンチ呼ばわりされるのかも知れませんが)
919 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:01:12 0
>>917 ユグノー戦争の原因を王家の仲違いに話を持っていくのは無理がありすぎ。
920 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:04:55 0
こじつけ >貴方が挙げられた仲の良さの例はフランス王政の中にも容易に見つける事が出来ますよ。 >それなりに不和もあったという事実を指摘しただけの話です 程度の違いというものを無視して語る。説得できると思ったのだろうが 歴史だからそうはいかんな。
921 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:06:07 0
>>919 当時のフランス王家が陰謀うずめいたということを
忘れて語るほうが無理ありすぎ。
923 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:10:55 0
924 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:14:03 0
>>920 ハプスブルク家でも家長の座を巡った争いは複数あったし
当主が一族の者に刺殺されたという衝撃的な事件もあったりするんだけど知らない?
既出でスマソだが。
同時にフランス王家でも夫婦仲・家族中を喧伝された王は複数いるんだな。
ハプスブルク家が特に強調されるのは、子供の多さとそれが生み出した大きな利益によるものだろうな。
>>921 つか、ブルボン家を当時の王家と言うのは無理ある罠。
王家の陰謀が宗教戦争を生み出したわけでもないしな。むしろ話が逆。
925 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:16:14 0
堂々巡りだな。同じことを何度も。
926 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:21:53 0
仲のいい家で育った子供はそういう家庭を築くもの。 ハプスブルクは長く続いたからそれが可能だったろう。 しかもだいたい同じ家からの近親結婚。 だから余計に仲がいい。 と思ってる。フランスは家族の結束は薄い。 でも家風の違いは同じ日本人でもそれぞれ違うのだから オーストリアの国がよかったというつもりはない。
>>910 フィリップ・オルレアンってモンテスパン夫人事件に関与してたっけか?
陰謀というよりは嫉妬に狂った愛人が黒魔術に走った事件だったと思うが。
>>925 確かに。
>>924 でFAだな。
しかしハプスブルク家に興味を持つのは良いと思うが、盲目的に褒め称えるのはちょっとな。
フランスにしたって聖王ルイと王妃の仲の良さは有名だし。
ブルボン朝のルイ14世と15世はちょっとアレだがw。
928 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:28:35 0
>>924 ブルボンでなくヴァロワ家。
宗教のいざこざで争えるのも血のつながりは関係なく
他人だったからだろう。
929 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:34:15 0
>>927 >フィリップ・オルレアンってモンテスパン夫人事件に関与してたっけか?
してたよ。ラボワザン陰謀発覚のときルイ14世が
名簿にモンテスパン夫人と弟の名前を見つけてる。
弟は特に咎めなしだったが、モンテスパン夫人は愛妾の終わり。
>確かに。
>>924 でFAだな。
盲目的に褒め称えてはない。現実をみてるだけ。
ハプスブルクの欠点は「容姿、フランスにビデ水洗トイレ設備で遅れる、
風呂設備でヴィッテルスバハに遅れる」
>>928 何を勘違いしてるんか知らんが、アンリ4世はブルボン家であってるよ。
当時の王家は確かにヴァロア家(正式にはアングレーム伯系だけど)
ブルボン家は王族の一因で王家の親戚ではあったけど、王家ではなかった。
だから
>>924 は間違ってないぞ?
931 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:38:47 0
>>930 アンリ4世はブルボン家だけど
王になる前の話だろ。
ヴァロワ家が王権を握ってたろ。
>>929 あの名簿はヴォアザンの顧客名簿であって、ルイ14世暗殺には
直接関係してないと思うぞ。勿論、王命で焼却されちゃって真相は藪の中だけど。
933 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:42:55 0
>>932 へー顧客名簿ぉぉ?
じゃあモンテスパン夫人もただの客って
言いたいんだな。
>>931 ブルボン家を当時の王家と言うのは無理がある、という指摘に対して
君のレスは何を言いたいの?
当時の王家でヴァロア家ある事は誰も否定してないと思われ。
プチムッシュー人気あるのか。ホモだからかな。
>>933 話を混同してはいけないな。
黒魔術や堕胎を請け負うヴォアザンに依頼して、ルイ14世の呪詛や暗殺を試みたモンテスパン夫人。
ヴォアザンなんかが逮捕されて、明るみに出た名簿は別系統で依頼してた顧客であって
告訴された被告の罪名も黒魔術だのそっち方面なんだけど。
この裁判は途中で中止されたから、フィリップが何の目的で顧客になっていたのかは藪の中というわけ。
937 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:49:23 0
>>934 「当時の王室は陰謀うずめいていた」
というレスが一連の反論レスの発端だからさ。
これはヴァロワ家のことを言ったんだよ。
アンリ・ド・ナバールの家でもブルボン家のことでもないよ。
938 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:51:45 0
>>937 その前にアンリ4世が陰謀渦巻くフランス王室の例として挙げられてるんだけどな。
レス番号でいうと
>>902 とか
>>910 なんだけど。
それに対して、そもそもブルボン家は分家も分家だから
当時の王家とはとても言えないと書いたわけで。
当時のヴァロア王家の陰謀というと、カトリーヌ・ド・メディシス辺りが思い浮かぶけど
彼女は王家内の仲違いというよりは、守る為にあらゆる陰謀を駆使したというのが一般的なイメージじゃないかな?
940 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:57:30 0
>>939 >その前にアンリ4世が陰謀渦巻くフランス王室の例として挙げられてるんだけどな。
あってるじゃん。
>ブルボン家は分家も分家だから 当時の王家とはとても言えないと書いたわけで。
王族だが、王家とはちょっとちがうな。
カトリーヌ・ド・メディシスはどうでもいい。
イタリア人だろ。
941 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 02:58:57 0
しつこい煽りにつきあって疲れた。 忙しいのに。
943 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 03:06:21 0
>>942 陰謀が多い環境のなか他人としてみれるから争いがおきたんだよ。
ハプスブルクスレで無理矢理フランス擁護気持ち悪い。
>>942 というか
917 :世界@名無史さん :2005/10/07(金) 01:48:39 0
>915
宗教戦争は兄弟じゃなかったのか
でも親戚にはちがいない。
という時点でこいつはアレだと気付くべき。
あんまり関わると粘着する輩っぽいのでスルー推奨。
945 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 03:07:25 0
>変な奴が湧いたな〜 おまえらだろ。まともなの少ないのは深夜のせい?
>>943 ここはハプスブルクスレだけど、無理矢理フランスを貶める必要はないだろ。
そんな事しなくたってネタはある品。
まずは自分が何を書いているのか、きちんと読み直してから書き込もうな。
947 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 03:10:30 0
>>944 アレ?勝手に言ってろ。
アンリ4世は血肉の争いで王位継承だったから
勘違いしてただけ。
948 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 03:12:31 0
>>946 事実をゆがめてフランス賛美してるからだろ。
無理やり貶めるという発想がどうかしてる。
>>943 スマン。
『陰謀が多い環境のなか他人としてみれるから争いがおきたんだよ』の意味を
説明してくれないか?はっきりいって理解不能なんだけど。
>>947 だからアンリ4世は骨肉の争いでも何でもないよ。
宗教戦争の最中、ヴァロア王家が断絶したので傍系の中で筆頭継承権を持ってた
ブルボン家が王位を継承しただけの話で。
950 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 03:13:44 0
学問板といえど、偏ったやつが多いんだな。
951 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 03:14:48 0
>>949 しつこいよ。時間を割いて相手にしてやったんだ。
忙しいから続きは明日の深夜ね。
953 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 03:17:36 0
>>951 ROMってたけど、お前にワラタw。
どう見ても間違ってるから、もう来ない方が良いぞ。
スレ違いだしな。
ハプスブルクというとすぐさまフランスとの因縁を連想するけど
マクシミリアンまではむしろ良好な関係だったんだよな。
>>923 もうね、食べちゃいたいくらいwwwwwwww
>>910 それどこから引用したの?
特に前半のルイ関連。
ひたすらageてフランスの陰謀について書いてる奴は全部同一人物だと思うんだが
そもそも日本語から勉強し直した方が良いんじゃなかろうか?
何だよ、「血肉の争い」とか陰謀うずめく」って。
そもそもフランス史の話はフランススレでやってくれ。 ここでの話は、せいぜいハプスブルクとフランス王家の比較のみ。 フランスで起きた陰謀の中身や文献がどうのはスレ違い。 で。 ある人々の仲がいいかどうかは「統計に基づく傾向」として、ある程度言えると思う。 例えば「アメリカ人は謝らない」というのは「そうでない人もいるよ」程度の話だが、 「アメリカでは裁判が多い」となれば立派な統計で、傾向としてもある程度客観的に そう言えるだろうし。 家族間で温度差があるのはどこの家でもそうだから置くとして、 じゃあそれが、具体的にどういう事件や風聞などになったか、 更に事件・風聞の数はどれくらいかをみれば「傾向」として説明できると思うけど。 フランツ・ヨーゼフの頃の家族仲は、普通に悪かったと思う。 嫁さんと弟が家を飛び出すわ、息子は自殺するわ、代わって跡取りになった甥っ子は 自分の言うこと無視して勝手に結婚するわ。 これで仲いいとは誰も言わないだろう。
>>956 家族と一族(宗族)はきちんと区別しないと西欧史は痛い目見るよ。
家族間は家長権で強圧的に支配できるけど(中世〜近代では親子間の愛情はスタンダードではない)
一族となると離反者が出る事も多々ある。一族で団結する事は大抵、皆の利益になったけど
時にはどうしても利害が対立する事もあるからな。
学問的な突っ込みを入れたいなら、もう少し専門的に勉強してから書こう。
ハプスブルク家とブルボン家が家族仲という点で比較されるのは、マリア・テレジアと
ルイ15世の比較をそのまま当てはめているからという気がするな。
非常にドラマチックで面白い時代だし。
>>955 けつにくのあらそい →親子兄弟、血族のあらそい
うずめく → うずまくのなまり
と思われ
まぁ、普通は骨肉の争いだわな。血肉の争いとは使わないわけで。 血肉を分けた、とかは言うんだけど。
血肉の争いもつかうよ
>>959 血肉
(1)血と肉。また、生身の体。(2)血のつながりのある一族。肉親。骨肉。「血肉の争い」(小学館『現代国語例解辞典 第二版』)
というわけで語句は間違ってないぞ。
ただ
>>910 の内容自体は疑問符が一杯という指摘自体は正しい。
でもスレ違いだし、書いてる奴は粘着っぽいのでこの話題はスルー汁。
962 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 21:44:50 0
このスレ伸びまくっていますねぇ。
>>949 アンリがカトリックに改宗しなかったらシャルルに殺されてたろ。
964 :
世界@名無史さん :2005/10/07(金) 22:08:17 0
>>956 私もフランツ・ヨーゼフのころは
現代日本の一般家庭並みに仲が悪かったと思ってます。
その時代は暗い。
腹減った。だれかオリオスープおごって。
966 :
カウニッツ :2005/10/07(金) 23:48:43 0
遅レスすみません。
>>901 さん、ルドルフ1世と書かれているのは、
ルドルフ2世の間違いですね。
>>963 シャルルってシャルル9世の事?
だったらそれは君の勘違い。
なぜならアンリ4世がカトリックに改宗したのはフランス王に即位した後。
968 :
世界@名無史さん :2005/10/08(土) 01:06:52 0
王になる前も改宗してるよ。
>>963 方便で改宗してるな。
でもアンリの改宗問題と陰謀渦巻くってのは関係ないなぁ。
三アンリの戦いになるとちょっとどろどろしてくるけど。
で、おまいは何を強情に言い張りたいのかよく分からんのだが。
陰謀なんてのはフランスでもオーストリアでもしょっちゅうあった事だぞ?
>>964 こういうとイメージ崩れるかも知れないんだけど
ハプスブルク家も当時の慣習に従って、家族といっても別々に暮らしていたわけで。
夫婦仲が円満だというのは同家の美徳としてよく語られるけれど
家族仲が良いという記述が史料に見えたとしても、現代のような家庭を想像しちゃいけない。
親子間で争わなかった=家族仲が良い位にイメージしても、そう違わないよ。
971 :
世界@名無史さん :2005/10/08(土) 01:40:50 0
強情にがんばる?はて 約束を守ってやってきただけだ。
972 :
世界@名無史さん :2005/10/08(土) 01:42:33 0
>>970 いや嫁姑戦争と、ゾフィの子供へのすごい執着が
現代一般家庭なみだとおもっただけ。
>>971 じゃあもう巣へお帰り。
ここは君のいるべき場所じゃないからさ。
>>972 嫁姑っていうか、エリザベートはさっさと放棄しちゃったんだよね。
少し可哀想だけど、手段のひとつではあるよね。
974 :
世界@名無史さん :2005/10/08(土) 01:47:10 0
975 :
世界@名無史さん :2005/10/08(土) 19:50:11 O
オットーさんはまだ生きてるんだよね
976 :
世界@名無史さん :2005/10/09(日) 12:32:00 0
嵐は去ったのか…
977 :
世界@名無史さん :2005/10/09(日) 18:43:51 0
この人たち、まだ宮殿とか城とかに住んでるの?
978 :
世界@名無史さん :2005/10/09(日) 21:11:39 0
カウニッツ氏に新スレを立ててもらわねば。
979 :
世界@名無史さん :2005/10/09(日) 22:42:06 0
なんでカウニッツに頼むんだ?
>>976 議論が終わっただけ。
>>976 バカは手付けられないよな。議論っていうか、ひたすら難癖つけてただけ。
フランスは陰謀一杯なんだとかいって。
981 :
世界@名無史さん :2005/10/10(月) 17:49:12 0
あおりは終わり終わり。 悲劇の幼女クニグンデについて語ろう。
982 :
世界@名無史さん :2005/10/10(月) 22:32:26 0
クニグンデ?中世最後の騎士マクシミリアン皇帝の妹の?
983 :
世界@名無史さん :
2005/10/11(火) 03:23:03 0 マクシリミリアン周辺の女って運が悪くねぇ?