中国の六大古都

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1世界@名無史さん

中国の六大古都

洛陽 長安 開封 北京 南京 杭州
2世界@名無史さん:04/06/09 16:53
最近は、六大古都に安陽(殷墟)を加えて、「七大古都」とする数え方
もあるようだ。
3世界@名無史さん:04/06/09 16:54
安陽は中国七つの古都の一つである。

紀元前14世紀ごろ、273年間に渡って殷の都であった。
これは中国歴史上初めて、”都”と文字で記載され、考証もされた物である。
安陽は河南省の北部にあり、亜熱帯半湿潤季節風気候に属し、冬は寒く雨雪が
少なく、春は日照りで風が強くて砂が多く、夏は多雨で暑く、秋は晴れで日照り
が多い。気温は1月-3度〜3度、7月24度〜29度である。

周武王が殷を滅ぼし、安陽が荒れて廃墟になり、殷墟と呼ばれる。
長い間無名のままで過ごした。
1899年、甲骨文が出土され、安陽が一躍脚光を浴びた。
後に、青銅器、と10万枚の甲骨文が出土し、殷王族の墓が発見され、殷商文化
が認められた。

古代遺跡は「中国の初めての牢獄」であるユウ里城(周文王はここで拘束され、
周易を作り出した)、殷墟があり、また、二帝陵、文峰塔、唐塔、高閣寺など
がある。
4世界@名無史さん:04/06/09 23:36
杭州ってそんなにすごいの?
5世界@名無史さん:04/06/09 23:50
朝歌=大邑商=殷墟 でいいのか?
6世界@名無史さん:04/06/09 23:50
臨安(杭州)
南宋の都、当時世界で最も繁栄した都市。
7世界@名無史さん:04/06/09 23:56
>>5
朝歌≠殷墟。
朝歌は、春秋時代前期(斉の桓公の頃)に狄の攻撃で放棄されるまで衛の都城。
8世界@名無史さん:04/06/09 23:57
南宋の都・杭州は、隋の煬帝が建設した大運河の南端に位置してるん
だよな。北宋の都・開封は、大運河と黄河の結節点に当たる。

それまでの政治的中心だった洛陽・長安・南京から、運河中心の経済社会
に移行してたってことだね。
9世界@名無史さん:04/06/09 23:59
「封神演義」に出てくる殷の都は朝歌だね。あれは大邑商とは違うんだ。
10世界@名無史さん:04/06/10 00:16
河南省には、洛陽・開封・殷墟と、古都が集中している。さらに、朝歌・
許昌(魏の曹操の都)・商丘(春秋の宋の都)もある。中国歴史ツアーを
組むなら、最初の目的地はココ!

http://www.jcbus.co.jp/chinahotel/map/henan/index.htm
11世界@名無史さん:04/06/10 05:41
>>8
>それまでの政治的中心だった洛陽・長安・南京から、運河中心の経済社会
>に移行してたってことだね。
杭州でなくて開封のことね。
12世界@名無史さん:04/06/10 21:20
会稽って今の紹興市旧市街のことですよね。
夏の時代からもう登場してくる古都なのだが・・・入ってないな・・
13世界@名無史さん:04/06/11 09:27
秦の人から見れば、燕が政治の中心になるなんて思ってもいなかっただろうな
そして今の秦地のに没落も
14世界@名無史さん:04/06/11 12:29
呉の人から見れば、南京が政治の中心だったのは明初めと中華民国だけだなんて思ってもいなかっただろうな。
そして今の呉地の没落も。
15世界@名無史さん:04/06/11 12:34
呉は今をときめく先進開発地帯だろ。
くすんだ西安あたりとは対照的。
16世界@名無史さん:04/06/11 14:34
北京は古都と呼ぶには新しくないか?
17世界@名無史さん:04/06/11 15:49
>>16
十分に古都だろう<北京
統一王朝の都となったのは、元の大都以降だけど、それ以前の金や遼の頃から
既に都だったからな。日本で言えば平安時代末期から都だったわけだ。

>>14
魏晋南北朝時代は無視ですか?
統一王朝時代以外は無視というなら確かにそうだけど。

ただ、隋以降は、現在に至るまで中国経済の中心地ではある<江南
18世界@名無史さん:04/06/11 16:05
北京が首都になったのは13世紀の元代。鎌倉時代?
漢人と蒙古女真等とのボーダーにあたる政治都市。
モンゴル人から見て、草原から遠くなく、しかも漢土を統治する地の便を求めた結果。
それ以前の遼とか金とかもその周辺に複数の準首都をおいてますが。
明は南京に首都をおいたけど、北京の燕王府が反乱を起こして南京を攻め落とし、そのまま北京に永楽朝を開きました。
辺境の交易都市だけど、軍事的な要衝でもあることは確か。
京都ももとは軍事上の都合で選ばれた首都。
でなければ今頃、難波宮が京都と呼ばれていたことでしょう。
19世界@名無史さん:04/06/11 16:11
洛陽は古都の風格も何もないこぎたない街。
20世界@名無史さん:04/06/11 16:18
>>18
最初に首都になったのは金代かな。(「燕京」のことね)
燕雲16州の中心でもあるし、古代から重要な都市であったことは間違いない。
21世界@名無史さん:04/06/11 16:54
金の四代目のナントカ王ってのが会寧府から中都大興府(燕京)に遷したのが最初かな?
統一王朝でっていうならフビライがカラコルムから遷都した1267年になるが
22世界@名無史さん:04/06/11 19:41
海陵王だっけ。
23世界@名無史さん:04/06/11 19:45
首都で言うと限られるけど、中国には千年くらいの歴史を持つ地方都市がざらにあるよね。今観光して楽しめるかってことは別問題としても。
24世界@名無史さん:04/06/11 19:47
中国は地方都市の古い町並みの保存にもっと力を入れるべき。自国に癒しの空間が少ないってのはやっぱりさびしいよ。日本もひどいけど。
25世界@名無史さん:04/06/11 20:36
関中盆地から華北平原に漢土の首府が移ったのは何故?李自清の順はすぐぽしゃったし。
26世界@名無史さん:04/06/11 20:41
隋唐の頃の関中盆地は土地の生産力が低下し、また水利の要衝にあるわけでもなかった。
自然に捨てられたんだろう。
27世界@名無史さん:04/06/11 22:06
北京はもともと、燕の都・薊(別名、燕京)。2000年以上の歴史がありますがな。
もっとも、当時は邯鄲とか臨淄の方が大きかっただろうけどさ。
長安も、秦の都・咸陽のすぐそばに建設された。
28世界@名無史さん:04/06/11 22:34
>>26
関中盆地の土地の生産力が低下したのはなぜなんですか?
29世界@名無史さん:04/06/11 22:39
>>28
黄土高原も元は沃野だったといいますから、土地が荒れたんではないでしょうか。
日本と違ってあちらは麦作で、連作障害もあったかもしれない。
30世界@名無史さん:04/06/11 22:51
五大古都 =  洛陽 長安 開封 北京 南京

六大古都 =  洛陽 長安 開封 北京 南京 杭州

七大古都 =  洛陽 長安 開封 北京 南京 杭州 安陽

十一大古都 = 洛陽 長安 開封 北京 南京 杭州 安陽 成都 太原 揚州(江都) 咸陽

十二大古都 = 洛陽 長安 開封 北京 南京 杭州 安陽 成都 太原 揚州(江都) 咸陽 鄴
31世界@名無史さん:04/06/11 22:54
内陸交易が盛んだった頃は関中に都が有る意味もあったろうけど唐代後半からは南海交易の方が
かなり大きくなってきているからなぁ。
32世界@名無史さん:04/06/11 22:54
日本人の感覚だと、蜀の都・成都あたりは、真っ先に思い浮かぶけどね。
天下の都になったことはないから、仕方がないのだが。
33世界@名無史さん:04/06/11 22:56
>>28
三国志にも「この辺は土地が固くて・・・」という話が出てくる。もともと、
地理的に重要な位置にあるだけで、豊かな土地ではなかった。
34世界@名無史さん:04/06/11 22:57
>>32
それは三戦板の感覚かと
日本人としては長春でしょう
35世界@名無史さん:04/06/11 22:59
>>33
正史で?
36世界@名無史さん:04/06/11 23:03
>>35
正史じゃなくて講談の方。
37世界@名無史さん:04/06/11 23:04
元会稽/現紹興市は?
http://www.xitong.net/tourzj/toursx.html
38世界@名無史さん:04/06/11 23:04
>>28
秦末漢初の頃の関中の農業生産力は高かったみたいだけどね。
蕭何の行政能力が幾ら高くても、生産力がなければ兵士に食わせるのは無理だから。
39世界@名無史さん:04/06/11 23:07
>>36
そんな、千年も後のことを言われても。
40世界@名無史さん:04/06/11 23:19
>>37
江南では、孫呉の時代に新首都・南京(建業)が建設されたわけだが、
会稽は春秋時代の越からの歴史があり、当時は江南の先進地帯といえば
会稽だったそうだ。今でも「紹興酒」と言えば中国の酒の代名詞なんだ
から、立派なもの。
41世界@名無史さん:04/06/11 23:20
江南の生産力が急増して、華北の生産比率が相対的に落ちたんじゃ。
時代が下ると養っている人口も増えているわけだし。
42世界@名無史さん:04/06/11 23:27
>>40
なんせ禹陵があるw
43世界@名無史さん:04/06/11 23:38
ムクデンとかは古都にはならんの、やっぱ?
44世界@名無史さん:04/06/11 23:48
首都じゃないけど、準首都でいいんじゃない。故宮みたいのもあるし。
45世界@名無史さん:04/06/12 13:44
成都が出来たのはいつの時代?
流された罪人が街を作ったような感じでしょうか?
46世界@名無史さん:04/06/12 19:52
>>45
長江文明の解明が待たれる。
47世界@名無史さん:04/06/12 22:23
>>46
成都周辺は、3000年前から蜀の中心地だった。蜀の起源が三星堆遺跡にさかのぼる
とすれば、蜀および成都には五千年もの歴史があることになる。
48茶散:04/06/12 22:29
>45 流された罪人が街を作ったような感じでしょうか?
中国史的発想の一番なじみにくいところだと思う。何でもかんでも国がやったことになっちゃう。
49世界@名無史さん:04/06/12 22:38
成都は、北京とはカナリの時差があるのに、北京政府が時差を認めず、
強引に北京に合わせて全国一元化したので、朝が早くて悲惨。
50世界@名無史さん:04/06/12 23:31
戦国時代にも蜀の国ってあったんですね。
知らなかった・・・・
51世界@名無史さん:04/06/13 11:00
秦の恵文王が巴・蜀を秦の領土に組みこんだはず
その前ってだれが治めてたんだろ。チベット系?
52世界@名無史さん:04/06/13 12:06
>>49
もっと悲惨なのは新疆だろ。
53世界@名無史さん:04/06/13 12:09
ロコツにチベットと新疆への嫌がらせに見える・・・
54世界@名無史さん:04/06/13 23:08
洛陽は、漢末の董卓に破壊された。長安は、唐末の朱全忠に破壊された。

洛陽は、周の時代から数えれば、漢末には既に千年を超える歴史があった。
「千年の古都」を焼き尽くすとは、なんとまあ、もったいない。歴史に残る
大悪人とされるのは当然だ。それ以前に、中国人としての意識を持たない
異民族だったんだろうけど。
55世界@名無史さん:04/06/14 02:41
>>51
長江流域を押さえてた楚だったと思います。
もともと戦国時代中盤までは、楚の都は武漢のあたりにあったので、
そんなに遠い地じゃないはずです。
そのうち蓁に圧迫されて、東方に遷都する羽目になりましたが。
56世界@名無史さん:04/06/14 08:00
楚が巴蜀の地を治めていたことはないと思うが。
そもそも発祥が湖北・湖南なんだから、下流から上流を征服・支配するのは
かなり難しいと思われ。
57世界@名無史さん:04/06/15 00:29
三星堆文化のやつらの直系…かどうかはしらんが末流の子孫どもだろ。

55は激しく勘違いしてるな。
前316年に秦に滅ぼされた蜀国を知らんのだろ。
58世界@名無史さん:04/06/15 01:53
>>57
55は全くの間違いってわけじゃない。
蜀国とは別に、巴国があった。後世の巴郡。
巴は春秋時代は楚と争うことが多かったが、前361年の段階では楚に
服属していた(『史記』秦本紀)。その後蜀と同時期に秦に征服された。
59世界@名無史さん:04/06/15 07:26
蜀って項羽が国分けした時に誰に帰属したの?
漢中の劉邦?
60世界@名無史さん:04/06/17 21:34
長江中流の中心都市である、湖北省の武漢も、漢の荊州以来の歴史があるらしいが。
61世界@名無史さん:04/06/23 23:29
広東省の広州市は、発祥は紀元前にまで遡れるものの、歴史の表舞台に登場するのは
清代に入ってからでしょうか?
交易で栄えてはいたろうけど、有名人や大事件がないとだめかな・・・
62世界@名無史さん:04/06/23 23:47
>>61

秦始皇帝が中国を統一した後、広東省の地に「南海郡」を設置した。
広州は、そのときから南海郡の首府だったらしい。当時は「番禺」と
呼ばれてたとか。

広東省は、五代十国時代に「南越」の国が出来て、歴史の表舞台に
登場した。千年も中国の支配下にあったベトナムが独立を勝ち取った
のも、この南越から。

広東省は、宋の時代に開発が進められ、名実ともに「中国」の一員と
なった。
63カラジチ ◆mWYugocC.c :04/06/23 23:51
ベトナム人的には「南越」はどういう扱いなんでしょうね。
ベトナム最初の王朝? それとも異民族支配?
64世界@名無史さん:04/06/24 00:01
唐代の中国人にとって、広東省は酷熱瘴癘の異国だったようだ。唐詩
には「林昏瘴不開」(林には瘴癘の気がたちこめて暗く晴れない)と
歌われている。

宋代、蘇軾は海南島に左遷される羽目になったが、このときは広東省
までが中国で、海南島は異国だったようだ。海南島から本土に帰還し、
広東省を臨んで「青山一髪是中原」と言ってるので(藁)
65世界@名無史さん:04/06/26 22:53
昔は華南というと左遷先の定番で
肯定的なイメージで語られないね・・・

>>64
「中国の涯」といった碑があるのは海南島の海岸でしたっけか?
66世界@名無史さん:04/06/26 22:58
間違っても○大古都に台北は入ってほしくない
67世界@名無史さん:04/06/26 23:06
>>63

「南越」は、広東省の国だよ。薩摩藩が琉球を支配していたのと同様に、
広東省がベトナムを支配していた時代があった。

ベトナムが国号を「南越」にしようとして清から横槍を入れられ、
さかさにして「越南」にした、というのは有名な話。
68おぎまる ◆JJi5gOTcvk :04/06/26 23:21
>33さん
蜀は「肥沃な土地が千里広がる天府の国」として三国志蜀書
諸葛亮伝に登場しており、豊かな土地だったはず。ちなみに
この文章は三国志演義にもそっくり引かれています。豊かな土地ではない
という説も有ることはありますが、殆ど否定されています。
都江堰などの優れた水利施設も三国時代以前からあります。
現在中国でも四川省の農業生産高は全国2位で、相当なものです。

>62さん
南越国は漢の頃にもあり、秦末に趙侘が「越」を称して建国しています。
この国は相当な強国だったようで、漢と張り合って
帝号を称し、発掘調査で豪華な副葬品が
発見されたりしています。
惜しいことに前漢武帝の時に漢に滅ぼされ、史記ではまともに国として
あつかわれず「南越王」という屈辱的な名称で属国として扱われていますが、
趙侘(尉侘)が越の武帝を称したように、実際は独立国でした。
69世界@名無史さん:04/06/26 23:31
南越って武生付近のことじゃないの?
70おぎまる ◆JJi5gOTcvk :04/06/26 23:42
南越(越)国に対してもう少し補足しておきます・・・

この王朝は趙佗(前のレスでは字を間違えてました)
が番禺(広州)を首都として前203年頃建国され、
国内では帝号を用いたものの、漢の高祖が派遣した陸賈の降伏勧告に
応じてからは冊封体制に組み込まれ、対外的には漢に服属したような
格好になっています。甌貉国(アウラック)を滅ぼして
北ベトナムまで支配を広げるなど、初代武帝・二代文帝の頃までは
随分威勢が良かった(文帝は漢に入朝しなかった)
のですが、三代明王の時に帝号を廃止せざるをえなくなり、明王没後
内紛により衰退、漢の武帝により前111年に滅ぼされています。
正直な話、この王朝は中国史では正統王朝として認められておらず、
司馬遷は終始一貫して漢の属国扱いですし、現代の中国でも
デリケートな存在です(ベトナムの王朝として南越国を扱うことが
有るためか?)。広州の歴史も相当古いのですが、古都として認められて
いないのもこういう問題が在るせいでは無いでしょうか。
71世界@名無史さん:04/07/12 15:23
北京て、元々は異民族の都市だったんだな。
72世界@名無史さん:04/07/12 15:26
>>71 それを言ったら南京もそうだし長安だって・・・
73世界@名無史さん:04/07/12 21:06
遼が燕雲十六州を獲得し、北京が南方進出の拠点となった。金が遼を滅ぼして、
満州の地から北京に首都を移した。元が金を滅ぼして、モンゴルの地から北京に
首都を移した。

明の時代、北京は北方異民族対策の拠点となった。北方の軍団長だった燕王
朱棣は、南京政府を乗っ取って北京に遷都した。その後、清が明を滅ぼして、
満州の地から北京に首都を移した。

・・・このように並べてみると、北京の歴史は北方異民族による征服史だ罠。
現代の地図で見ても、東北部(旧満州)や内モンゴル自治区とスレスレの位置
にある。
74世界@名無史さん:04/07/12 21:16
>>30の十二大古都にある「業」ってどの王朝の都ですか?
三国志にそんな都市があったような気もする・・・
宋代の北京大名府のことですか?
75世界@名無史さん:04/07/12 22:24
鄴は魏晋南北朝時代、北朝の頃が有名だ。戦国時代の魏の頃からあったが、
三国志の魏では主要都市のひとつ(一時、遷都)。コーエーの三国志
ゲームシリーズでも、経済力のある重要拠点だね。洛陽、許昌と同じ
河南省にあって、距離的にも近い。

鄴を都とした王朝としては、前燕(鮮卑族慕容部)と東魏が有名。
76世界@名無史さん:04/07/12 23:09
>>68
33が言っているのは関中のことだろ。
77世界@名無史さん:04/07/13 22:37
2000年6月に中国で出版された「世界の邪教=人類の公敵」(朱海出版)という書は、
日本の神道をはっきりと全世界でも主要な「邪教」としてリストアップしている。
そこでは神道を世界的にもとくに危険な邪教と断じ、次のような要旨が記されていた。
「神道は日本の古代からの伝統宗教で、本来は先祖の崇拝が主体だったが、次第に
政治化して、政教一致となり、全盛時代には信徒七千万人を数えた。侵略を
進める軍国主義の危険な宗教として発展した。明治神宮、靖国神社をはじめ
日本各地の神社が拠点となる。現在、日本の政治家は靖国神社に参拝しているが、
戦争の死者の魂を拝むためではなく、日本軍国主義の復活手段のためなのだ」

78世界@名無史さん:04/07/14 18:28
毛沢東はなぜ北京を首都にしたんだろう?
王宮を造るのが、めんどくさかったのかな?
79世界@名無史さん:04/07/17 11:37
他に候補あるか?
長征の延安?ソ連ゆかりの瑞金?国民党の南京?
1000万都市北京は無視できないよ。
80世界@名無史さん:04/07/17 12:22
今の中国はモンゴル帝国の末裔らしいからな。
81世界@名無史さん:04/07/17 17:03
>77
あのさー、そんなトンデモ本の話をわざわざ関係の無い
スレに張って楽しいか?

>80
はいはい、鹿島昇厨房はどこかへ帰れよ。
82世界@名無史さん:04/07/24 23:49
今は影も薄いが、山西省省都の大同なんかかな。
群雄割拠時代には何度か首都になったこともあるし。
83世界@名無史さん:04/07/24 23:57
ちと話題変えるが、開封はとにかく災難続きの都市だな。

清明上河図に描かれている北宋の開封城は後に金国の都になったが、
モンゴルに攻められて滅ぶ際、城内では飢饉から人肉食の惨劇が発生した。
そして元代の黄河の洪水で、厚い泥土に埋もれてしまった。
明の末期、李自成率いる反乱軍に攻められてやはり人肉食が発生、
戦乱前の人口百万だったが、九ヵ月後の陥落時には城内には一万人しか生き残っていなかった。

二十年ほど前、開封の酒造会社が地下倉庫を作っていた際、五メートルあまりの土中から
埋没した宋代の城壁を発見したという。
84世界@名無史さん:04/07/25 15:46
開封って明末でも人口100万もいたのか
85世界@名無史さん:04/07/27 21:51
>>82

北魏だね。雲崗石窟、見に逝きたいなあ。(山西省の省都は太原だが)
86世界@名無史さん:04/07/27 22:02
[592]日本人の師匠 03/10/02 9:55 d35e67a6
みなさんに中国内での殺人依頼手数料をお教えしましょう。

年々上昇傾向にある。三万円で殺してもらう所はもはやないだろう。
腕一本か足一本折ってくれとか歩けないように
傷つけてくれなら日本円にして7〜15万円。
完璧に傷つけて身体障害者にしてもらうならその二倍ぐらい。

殺しの依頼なら一般人15〜30万円。金持ち、中級幹部その二倍。
警察官、高級幹部の場合拒否される。(徹底的な調査が行われかねないので)

また実際にやりにくい相手とやりやすい相手、現場までの交通費、諸費用
などによって違っても来る。

上の誰かが言ったように中国人は直ぐ人を殺す。中国では人殺しとは立派な
ビジネスである。

 また中国では即死刑というのは間違い。人一人殺しても被害者が一般人なら
100〜200万で無罪放免である。中国では金で出来ないことはないと
思った方がいい。逆に金のないものは人間以下の生活をしざるおえないことは
言うまでも無い。

 この世で中国ほど金で人生が左右される国はないだろう。
87世界@名無史さん:04/07/27 23:15
香港が古都と呼ばれるようになるのはいつごろだろう・・・
88世界@名無史さん:04/07/28 00:26
202X年、中華人民共和国崩壊、再び群雄割拠の時代に。
華南では、広東省+海南省+広西自治区を
特別行政区長官・董喧嘩が統一し「粤」王朝を建国。
都を香港に定め「粤京」と改称。
内戦に疲弊する華北を尻目に急成長し、広州市・深センを併呑し巨大都市に。
香港は大陸部に重心を徐々に移すにつれて
香港島嶼部は旧市街と化し、前世紀の情緒を留める落ち着いた古都になる・・・わけないか。
 
89世界@名無史さん:04/07/28 10:23
大半の陸地は海の底
南極の氷 溶けてな
90世界@名無史さん:04/07/28 11:40
香港も海のそこだw
91世界@名無史さん:04/07/28 23:19
開封の西隣にある鄭州の町は、殷代からの歴史があるそうだね。
92世界@名無史さん:04/07/29 00:07
そのまんま鄭だな。西周滅亡直後は威勢が良かったんだが・・・・

あと許(許昌)・陳(陳留)も古そうだ。
93世界@名無史さん:04/07/29 07:57
>>82
上海は駄目?

>>84
今では西安でも、300万人
94世界@名無史さん:04/07/29 08:31
上海が都だったことは一度も無し。
敢えて数えれば、大韓民国臨時政府1919〜1945
95世界@名無史さん:04/07/29 08:43
もう一回あったか。
第2次大戦後の国共内戦で国民党が負け続け、台湾に脱出する前、
大陸での最後の所在地が上海だった。
96世界@名無史さん:04/07/29 10:21
>73
北京は北方出身の征服王朝にとっては、本拠地である北方ににらみを利かせつつ
中原を治める為の要地。
明の場合も同様。北の異民族に対抗する為に、異民族の侵入苦しめられつつも
北京に首都を置いたのは正解だったとの事。もし異民族を恐れて首都を江南に
戻していたらもっと早く滅んでいたそうだ。
97世界@名無史さん:04/07/29 10:49
もしくは南北朝に。
南朝=大明、北朝=大清
98世界@名無史さん:04/07/29 19:51
935 名前:世界@名無史さん :04/07/29 16:37
数年前、韓国人観光客だったかな・・・・中国旅行中に事故死したら、
両親に連絡いく前に食用に臓器摘出されちゃって、ちょっと話題になっとったね。
食料提供拒否の意思カード携帯してないと、こういう目に遭う国なんだよ。


99世界@名無史さん:04/07/30 05:21
南朝=中華民国、北朝=大満洲国
100世界@名無史さん:04/08/01 18:51
我獲百了
101世界@名無史さん:04/08/02 06:33
2004年重慶事件
中国政府は、一切謝罪しなかった。

サッカーを見に行っただけなのに!
>> 無題 Name 名無し 04/08/01(日)22:40 No.371999
100均のプラスチックザルとかタッパーですら、中国より日本で作った方が安く上る、という状況になりつつある。
単純作業ですら脱中国の流れが大きくなっているよ。
>> 無題 Name 名無し 04/08/01(日)22:47 No.372000
「日本は50年前に中国を侵略した」か…。
んじゃ今、ネパールを侵略してんのは何処の国さね?
>> 無題 Name 名無し 04/08/01(日)22:50 No.372001
世界の下請け国家が生意気なことを。
>> 無題 Name 名無し 04/08/01(日)22:59 No.372004
『反日』は人民の数少ないハケ口だからな。
それを潰すのは当局としてまかりならんって事だろ?

漏れとしてはどうでも良いんだけどな。
歴史とやらにいつまでも拘って早いところ淘汰されてくれないかな? <チャンコロ
>> 無題 Name 名無し 04/08/01(日)23:42 No.372019
SARSは神風邪
>> 無題 Name 名無し 04/08/02(月)01:55 No.372054
>「日本は50年前に中国を侵略した」か…。
>んじゃ今、ネパールを侵略してんのは何処の国さね?

チベットじゃね?
>> 無題 Name 名無し 04/08/02(月)04:28 No.372064
チベットって国じゃないよ
>> 無題 Name 名無し 04/08/02(月)04:46 No.372065
と、中国は主張してるよなw
102世界@名無史さん:04/08/02 21:43
アイヤー!
靖国参拝で軍靴の足音が
聞こえてくるアルヨー!!!
 ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ∧∧     ウリナラにも聞こえるニダ! ノ       ゚.ノヽ  , /}
  / 支\     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄,,イ`"      、-'   `;_' ' ヒィー、スミマセンスミマセン!!!
 ( `ハ´)        ,-、  ∧_∧          (,(~ヽ'~∧ ∧
 ( ~__))__~)     )'~  レ 、<丶`∀´>.         i`'}  (@Д@-),,  ノ ))
 | | |      ~つ  /  ∧_∧          | i'  (( l|lll|lll| (⌒,)
 (__)_)     /   "ゝ<丶`∀´>      。/   ! と(   とノレ
           /     {   }         /},-'' ,,ノ   ∨ ∨ Σ ガンガンガン…
   ./.|  ./.|   ./.|  ./_;=-" ,i' _,,...,-‐-、/    i
   /核/  /核/  /核/   .   <,,-==、   ,,-,/     / ̄ ̄``\l|l|l|l|l|l|l|l/
_ / /_ / / _ / /      {~''~>`v-''`ー゙`'~_-_ニ三ミ:/ /"^`\、、二 の 言 ギ ひ そ 二
\/ ./ヘ\/ ./ヘ\/ ./ヘ .     .レ_ノ        ./´    ヾ|テ〉 'テテヽ二 か っ  ャ .ょ れ  二
 .◎丶i  ◎.丶i .◎丶i      '' .        |テ〉 'テテ` |.〈ッ   u 二. !? て  グ っ は  二
   ./.|  ./.|   ./.|                |.〈ッ  u  | `ニ''   二    る  で. と     二
   /核/  /核/  /核/               | ゙ニ''′  ノ `r--‐''_, 二         し     二
_ / /_ / / _ / /                 `r--‐''__, ┘ ̄´   二.          て    二
\/ ./ヘ\/ ./ヘ\/ ./ヘ               ,.-┘ ̄´ /   0     /l|l|l|l|l|l|l|\
  ◎丶i ◎.丶i ◎.丶i
103世界@名無史さん:04/08/03 01:21
夏だなあ。夏中が涌いてるね。
佐藤武敏『長安』(講談社学術文庫)をのんびり読んでるとこ。
104世界@名無史さん:04/08/03 03:34

というお前が一番厨だったりしてねw
105世界@名無史さん:04/08/09 00:52
重慶逝ってよし!
106世界@名無史さん:04/08/09 01:42
重慶って三国時代の巴のことですよね、歴史は凄く古い。
なのに首都になったことは国民政府が逃げてきた時以外ないんですよね。
地方政権ができてもいつも成都ばかり首都になるし。
107世界@名無史さん:04/08/09 02:48
重慶と言えばドラグナー
108世界@名無史さん:04/08/10 15:06
グン・ジェム隊だったっけ?
109世界@名無史さん:04/08/14 22:53
ギョウは河北省だが・・・
袁紹の本拠地だった事からも明らかに河北と分かる。
110世界@名無史さん:04/08/28 22:04
北京みたいな北方に首都作ったから後進国になった気がする。
長江〜黄河の間に首都置いてた頃の方が政治的にも文化的にも
優れていたような・・・
111世界@名無史さん:04/08/28 22:51
>>110
中華人民共和国設立時は、満州が工業地帯で共産党支配地域だったから、
北京を選んだのでしょう。

中華民国なら首都は南京だったろうね。
国共内戦で南京→広東→重慶→台北に移してるけど。
112世界@名無史さん:04/08/29 07:38
>国共内戦で南京→広東→重慶→台北に移してるけど。
南京以外は安在所。今も中華民国の首都は南京。
113世界@名無史さん:04/08/29 07:59
宋代が清朝前期に比べて政治的に優れていたかなぁ。文化的にはともかく。
114世界@名無史さん:04/08/30 00:22
>>113
清の民衆抑圧政策が優れていたなんて、何という事を申されるのか!
115世界@名無史さん:04/08/30 22:02
鄴は冀州の袁紹が本拠地とした所で、曹魏も一時的に遷都してた。「冀州」は現在の
河北省。

河北省と言っても北京のような北方ではなく、河南省の洛陽や許昌に近いのは確か
なので、歴史地図を見たら錯覚するかもね。
116世界@名無史さん:04/08/31 17:58
黄河の北だから河北省でしょうが・・・
袁紹が黄河を渡って軍事行動を取ったのは有名だから、
ギョウは河北である事は明白という事。
117世界@名無史さん:04/08/31 18:37
鄴は現在の安陽縣で鄴の故城跡は縣下の鄴鎮に相当する。そして安陽縣は河南省に属する。
黄河の北にあるから河北省と誤解されやすい。
118世界@名無史さん:04/08/31 18:48
>>111>>112
南京ってのはあくまで臨時首都だろ?
北京は袁世凱から続く歴代軍閥が支配していて蒋介石の力が及ばなかったから。
やっぱ国共内戦にかって国民党が中国統一したら便利さから言っても北京に遷都したと思う。
119世界@名無史さん:04/08/31 20:02
東洋史辞典に今の河北省邯鄲地区臨ショウ県の地にあった都市と
書いてあるんだが・・・
曹操政権の本拠地となったとも書いてある。
こっちが間違ってるのか?
120世界@名無史さん:04/08/31 20:46
北京は、もうそろそろヤバい。理由はもちろん、華北の砂漠化と、黄河の流水量
激減による水不足だ。最近の黄河は、下流がしばしば干上がり、砂漠が拡大して
あと40kmで北京に達する。
121世界@名無史さん:04/08/31 21:02
>>120
地下水吸いすぎて毎歳メートル単位で地盤沈下していると聞いた
122世界@名無史さん:04/08/31 21:04
>>59
劉邦は項羽から漢中と巴蜀をもらった。
123世界@名無史さん:04/09/01 22:34
>>120
> あと40kmで北京に達する。
40kmってすぐそこじゃないか。つーか現在でも北京の都市圏ではないの?
124世界@名無史さん:04/09/01 22:46
>>119
臨漳縣は現在は河北省だが戦前は河南省に属していたんだ、安陽縣とは30kmくらい離れてる。
この辺は河北河南山東の3省が入り組んでたので、共産政権は平原省というのを置いてた時期がある。
戦後それを廃止した際に省の境をすっきり整理してしまった。
で魏の都がどこかというのは安陽の近郊だが、臨漳の近くと言えなくもない。
125世界@名無史さん:04/09/02 00:28
http://www.oct.zaq.ne.jp/afdlr005/page077.html
これだと鄴鎮という村は安陽ではなく臨漳の県下にあるみたいだ
126世界@名無史さん:04/09/04 13:41
長江デルタ地帯は、黄河の中流と並び、古都が集中してる地域だ。要するに、
中国の心臓部。

この地域の中心は、会稽・南京・揚州・杭州・蘇州と、時代に応じて移って
きたわけなのだが、今はなんといっても上海の時代。昔は蘇州語がこの地域の
共通語だったが、今は上海語に取って代わられつつある。
127世界@名無史さん:04/09/04 15:42
>>118
一応、北伐が成功したあとの1928年に北京は北平と改名させられて、日本軍支配下の1940年に北京に戻っているところをみると蒋介石は北京を首都とは考えていなかった筈。
傍証になるかは分からんが、袁世凱以後も密やかに編纂されていた正史の原稿「清史稿」が国民党軍の北京占領後に編纂禁止になって結局満州で編纂された(後に蒋介石は台湾で辛亥革命を正当化する「清史」を作らせるわけだが)。
孫文が漢民族による政権を唱えている以上、元や清などの異民族王朝の匂いのする北京に首都をおくという考えはなかったのでは?
128世界@名無史さん:04/09/04 17:22
明の永楽帝は、洪武帝の命により北京に赴任し、満州・モンゴルという
北からの脅威に対抗する担当だった。南京を軍事的に攻略して帝位を
奪取した後も、北京に首都を移して引き続き北辺にニラミをきかせた。

それ以来、北方異民族による征服王朝の都だった北京が、中国全体の
首都になったわけだが、現代の中国には北辺を強化する理由が特に無い。

経済の重心が南に移動している今、「北京が首都」というのは、日本に
例えれば札幌か函館あたりに首都がある感じ。バランスが悪い。洛陽・
開封あたりの方が中国大陸の中心に見える。遷都を考えても良いのでは(藁)
129世界@名無史さん:04/09/06 12:46
>>128
中ソ対立時はともかく、今はそんなにメリットないな。
むしろ、共産国家らしくこれまでの歴史に拘束されない新首都のほうがいいと思う。
例えば、上海の海上を埋め立てて新首都建設とか。
130世界@名無史さん:04/09/07 23:51
>>128
永楽帝もある意味簒奪者だな。
131世界@名無史さん:04/09/08 05:18
>>120
埋め立てした場合、日中の中間線は動いたりするものなのだろうか?
132世界@名無史さん:04/09/08 08:08
杭州はヴェネツィアのように浅瀬に杭を打ち込んでその上にできた町なのだろうか。
133世界@名無史さん:04/09/08 22:33
北京と南京の間辺りに「中京」でも造りゃいいのに
「中共」
134世界@名無史さん:04/09/10 23:49:14
「西京」はないの?
135世界@名無史さん:04/09/11 00:46:39
広東省の古都、仏山市
136世界@名無史さん:04/09/11 01:46:09
「番禺」という地名はつい最近まで続いていたが、隣の広州市に併合された
みたいだな。現在の広州は、人口千三百万人の大都会。広東人にとっては
「全世界に数千万人の華僑ネットワークをはりめぐらし、香港をも凌ぐ、
世界の中心」だ。
137世界@名無史さん:04/09/12 08:54:29
歴代王朝の複都制でなら中京もあるのでは?
138世界@名無史さん:04/09/12 09:02:13
渤海

上京龍泉府(黒龍江省寧安近郊の東京城)
東京龍原府(吉林省渾春)
中京顕徳府(吉林省和龍)
南京南海府(北朝鮮清津近郊)
西京鴨緑府(吉林省臨江)

北宋

東京開封府
西京河南府(洛陽)
南京応天府(徐州)
北京大名府(濮陽)

139世界@名無史さん:04/09/12 09:06:19
>>136
じゃ、そこで愛を叫ぼう。ブーイングが起こるかも知れないが。
140世界@名無史さん:04/09/12 23:31:10
>>134

「西京」はないけど、「長安」を「西安」と改名した昔の皇帝には、そういう意図が
あったように思う。
141世界@名無史さん:04/09/13 06:59:42
>>140
西安改称って元の時代?
142世界@名無史さん:04/09/13 18:10:42
改称というよりも、廃墟となっていた長安の故地に次第に人が集まり、西安ができあがった。
143世界@名無史さん:04/09/14 02:47:30
何で長安じゃなくて西安って名前になったの?
故地にできたのなら長安でいいじゃん。
144世界@名無史さん:04/09/14 15:11:34
明の時代に西安府長安県となったのが始まりなのでは?

元の時代だと
奉元路長安県(西安)
大都路大興県(北京)
河南路洛陽県(洛陽)
杭州路銭塘県(杭州)
集慶路江寧県(南京)
べん梁路開封県(開封)
145世界@名無史さん:04/09/14 15:18:41
ちなみに明の時代は

西安府長安県
河南府洛陽県
開封府祥符県
順天府大興県(北京)
応天府江寧県(南京)
杭州府銭塘県
146世界@名無史さん:04/09/14 19:18:34
>>144-145
博識光臨
147世界@名無史さん:04/09/14 20:20:56
西安に改名されたのは明の時代で、
どうも民国の時代には「西京」に一時期改名されていたらしい。
1943年に再び西安に戻る。


148142:04/09/14 20:27:21
うろ覚えを未確認で書き込むのはいかんな。反省次郎。
149世界@名無史さん:04/09/26 00:04:32
age
150世界@名無史さん:04/10/05 22:52:11
>渤海
>上京龍泉府(黒龍江省寧安近郊の東京城)

最近、ここの衛星写真が話題になってたな。つくりが中国風なので、「やはり、渤海
は朝鮮ではなく、中国だった」というような話。
151世界@名無史さん:04/10/05 23:38:41
中国は歴史のある都市が多いですね
何故か歴史のある建物は少ないけど

日本は奈良と京都ぐらいだよなー
博多とか神戸とかもそこそこ歴史あるけど
中国の諸都市の歴史には随分及ばない
いや、中国だけで無くヨーロッパの諸都市にも

あと、平泉や坊津の落ちぶれぶり(もはや都市では無い)も見事だ
正に「兵共が夢の跡」
152世界@名無史さん:04/10/06 00:02:24
>>150
朝鮮風ってのがよく分からんが、当時の東夷の都なんて中国のパクリなんとちゃう?
153世界@名無史さん:04/10/06 00:52:10
>いや、中国だけで無くヨーロッパの諸都市にも

「ヨーロッパの諸都市」で京都より歴史があるのは、ローマと、南欧のいくつか
の都市くらいだろ。

洛陽の歴史が京都より長いのは確かだが、今の洛陽は、ちょと汚い感じ。
154世界@名無史さん:04/10/06 12:46:50
ロンドン(ロンディニウム)もパリ(ルテチア)もウィーン(ウィンドボナ)も
ケルン(コロニア・クラウディア・アラ・アグリピネンシウム)も、
帝政ローマ時代からの都市ですよ。
155世界@名無史さん:04/10/12 17:53:29
ローマ帝国に侵入したゲルマン人は結構ローマ都市をそのまま活用していたらしいからね。
156世界@名無史さん:04/10/20 09:20:22
エリコに比べればたいした歴史ではない。
157世界@名無史さん:04/10/20 09:26:57
今井絵理子、男子誕生おめでとう。
158138:04/10/21 13:33:59
忘れてたので追加、

高麗

楊州(南京)
開城(開京)
慶州(東京)
平壌(西京)
159世界@名無史さん:04/10/21 13:39:55
160世界@名無史さん:04/10/25 14:45:40
>>155
ローマ時代の都市でゲルマン民族に破壊されて完全に消滅した都市は数ヶ所のみといわれている。
大抵はそのまま利用か、破壊されても都市内の教会等が残ったため、その後教会を中心に町が出来て復活した。
161世界@名無史さん:04/10/25 20:04:32
北京は「燕京」とも称されることがあるけど、燕の都である薊とは連続性があるの?

>>151
日本でも、難波津や博多津なんか、奈良・京都より古いってことはないだろうか。
「都市」の定義にもよるかもだが。
162世界@名無史さん:04/10/30 11:36:02
趙の都のあった邯鄲って鄴の近く?
163世界@名無史さん:04/11/01 12:15:32
ロンドンパリウィーンミラノナポリ全部ローマの入植が起源
ヨーロッパの町は所詮ローマのおこぼれ
164世界@名無史さん:04/11/01 12:52:48
>>163
ナポリ(ネアポリス)はロードス島人(ギリシア圏)の植民市。ローマじゃないよ。
あと、ローマ領になったことのある地域でも、ローマ植民市やギリシア植民市
起源でない街は少なくない。マドリード、ヴェネツィア、リヴァプールなど。

>>162
邯鄲(河北省南端)と業β(河南省北端)の間には州境がありますが、距離は
数十kmってとこです。わりと近い。
165世界@名無史さん:04/11/01 12:53:10
>>162
ttp://www.h3.dion.ne.jp/~china/timei2i.html

むしろ邯鄲の方が普通に現在の地図帳に出てるけど?
166世界@名無史さん:04/11/01 13:14:25
邯鄲が政治的に栄えていた頃
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1044984645/316

鄴(臨漳)が政治的に栄えていた頃
ttp://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1044984645/334
167世界@名無史さん:04/11/05 18:00:39
>>161
一応、今の北京の一部らしい。
ついでに言うと、コーエー三国志で公孫瓉が本拠にしている北平と今の北京(>>127参照)は関係ない。
168世界@名無史さん:04/11/05 19:19:49
だから、第7サティアンはサリンプラントではなく、
オウムのレベルでも作れるアンフェタミン製造設備だった。
オウムがあちこちに係留していたモーターボートは、原料のアンフェタミンを
第三国から受け取る用途。
オウムのシャブは後藤組が流通させ、ヤバイ警察の取り締まり
情報は、創価が組織に流していた。
オウム真理教とは、創価の覚醒剤組織の別名です。
教祖の松本は、ただのお飾り。もちろん,統一も一枚かんでるよ。
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=koumei&key=979195748
169世界@名無史さん:04/11/10 13:00:17
五胡十六国とか五代十国とかの都って今でも都市としてあるのですか?
170世界@名無史さん:04/11/10 13:31:50
汴州:後梁-後晋-後漢-後周(黄河の洪水により泥の下、その後同地に再建、現開封市)
洛陽:後唐(継続)
成都:前蜀〜後蜀(継続)
江陵:荊南(継続、現荊州市)
潭州:楚(継続、現湘潭市)
金陵:呉〜南唐(明末破壊、その後再建、現南京)
杭州:呉越(継続)
広州:南漢(継続)
晋陽:北漢(継続、現太原市)
171世界@名無史さん:04/11/11 12:37:27
>>170
金陵の破壊って南唐滅亡の時じゃなかったですか?
「唐宋八大家」の明治書院版で誰か金陵の詩を書いていたと思ったのですが…。
172世界@名無史さん:04/11/11 13:09:22
そうだったかな。
明末と、それから太平天国滅亡の時の破壊は、この世の地獄と読んだことがあるが。
173世界@名無史さん:04/11/23 12:12:01
>>154
ユヴァーウム(ザルツブルク)も。
174世界@名無史さん:04/11/23 17:26:01
中国の古い都市って歴史が断絶してるんじゃねえの?
175世界@名無史さん:04/11/23 23:49:54
位置がずれてたりするしね。
176世界@名無史さん:04/11/24 01:43:43
いちばん断絶が大きいのは、春秋呉の姑蘇と後世の蘇州。
次は南朝滅亡のとき、更地にされてしまった建康(現・南京)。
ほかは断絶というほどの断絶ではない気がする。
咸陽と長安くらいの差しかないよたぶん。
177世界@名無史さん:05/01/01 17:35:17
ふむ。
178世界@名無史さん:05/01/15 13:46:11
小日本は京都千年の歴史とほざくがわらわせるね
179世界@名無史さん:05/01/15 15:02:35
現在の日本だと
東京・神奈川・名古屋・京都・大阪・兵庫・福岡
くらいが「都会っこ」の意識があると思うんですが
現在の中国ではどの都市がそれらにあたるんでしょうか?
180世界@名無史さん:05/01/16 06:06:13
大きい順だと
重慶市>北京市>上海市。
いずれも東京都、サンパウロ市、
ニューヨーク市より大きいな。
181世界@名無史さん:05/01/16 11:14:02
神奈川と兵庫は都市じゃないぞ。
182世界@名無史さん:05/01/16 12:20:37
天津大連広州も入るんじゃない?
183世界@名無史さん:05/01/16 14:17:06
>>179
全土から人が集まり、経済だけでなく文化面でも発信するものが多い街=都会
という定義だとすると、3直轄市、広州、深?、大連、武漢あたりじゃないかな。
西安や南京、成都などはどちらかというと「古都」だろうし。

それから、札幌を忘れてますよ・・・クスン
184世界@名無史さん:05/01/16 23:48:03
>>183
>札幌を忘れてますよ・・・クスン
札幌、那覇、台北は外地だから
内地の人間は無視するんだよ
185世界@名無史さん:05/01/20 22:51:01 0
台北ワラタ
186世界@名無史さん:05/01/21 22:56:58 0
京城も忘れちゃいかん。帝大があるんだし。
187世界@名無史さん:05/01/22 01:55:03 0
漢城と書こう
188世界@名無史さん:05/01/22 17:23:57 0
それを書くなら「首爾」だろ
189世界@名無史さん:05/01/23 00:45:55 0
いや、「西蔚」だろ。
190世界@名無史さん:05/01/23 03:41:34 0
漢城でいい。
191世界@名無史さん:05/02/01 15:38:10 O
扶余には、何もない。
「ここに、昔は百済の都があったんだあ」と想像して楽しむ。
192世界@名無史さん:05/02/01 16:09:23 0
ブヨがいるだけかな?
193世界@名無史さん:05/02/03 15:58:51 0
ぷよまんを売っている
194世界@名無史さん:05/03/02 21:51:38 0
は?
195世界@名無史さん:05/03/02 21:52:41 0
そのうち将軍様もアサダルとか言い出す悪寒w
196世界@名無史さん:05/03/06 18:42:13 0
「天下は四川から乱れ、最後に治まるのも四川」
四川省と言えば、重慶。

1189年、南宋朝の趙淳が王となり、その後帝位についたことから、
二重の喜びを意味する「重慶」と呼ばれるようになった。

メンゲ=ハン モンゴル帝国第4代のハン(在位1251〜59)。
対外的には,次弟フビライを派遣してチベット・雲南・交阯を征服させ,
三弟フラグにはバグダードを攻略させるなど,帝国の領域を拡大した。
1258年自ら南宋征服を開始したが,重慶北方の合州にて病没した。

楊応龍 〜1600
播州(貴州遵義市)の土豪。家門は唐代から四川に居住し、明朝では
潘州宣慰使とされていた。隆慶五年(1571)に宣慰使を継ぎ、まもな
く都指揮使を加えられたが、万暦二十年(1592)の朝鮮の役に乗じて
より反服を繰り返した。苗族を主力として貴州方面に拡大する一方、
二四年にはいちじ重慶に迫り、地勢を利用して頑強に抵抗したが、
四川総督の李化龍のために平定された。朝鮮の役と同時期に起こさ
れたこの兵乱は明の財政を一層窮乏させた。
197世界@名無史さん:05/03/06 18:53:00 0
建陽
福建省、書物の都
198世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 00:43:47 0
199世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 00:44:14 0
sage
200世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/02(土) 14:21:48 0
コーエーの三国志]で「七王都巡り」というのがあったけど、随分強引な設定じゃなかった?
201世界@名無史さん:2005/04/30(土) 00:16:44 0
そうかね?
202世界@名無史さん:2005/05/20(金) 00:40:10 0
わからん
203世界@名無史さん:2005/05/20(金) 02:35:44 0
なんか、>>138からの流れを見たら書きたく成った。

北浦和
中浦和
浦和
武蔵浦和
東浦和
西浦和
南浦和
204世界@名無史さん:2005/06/01(水) 11:53:55 0
>>203
浦和美園が抜けてるな
205世界@名無史さん:2005/06/10(金) 21:32:15 0
ん?
206世界@名無史さん:2005/06/23(木) 01:15:12 0
しらん
207世界@名無史さん:2005/06/24(金) 00:19:19 0
西周の都だった鎬京はどうなったんだろう?

それから周の東遷によって都となった洛邑と洛陽の連続性、如何?
208世界@名無史さん