武士・侍って弱くないか? 三太刀目

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1世界@名無史さん
前スレ
武士・侍って弱くないか? 二太刀目
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1073734829/
2世界@名無史さん:04/05/16 00:10
何故か武士も侍もどうでもよくなってますが鐙の議論が面白いんで立ててみました。
3世界@名無史さん:04/05/16 00:13
軍板で聞いてみました。

鐙の発明と普及が戦術にもたらした影響は、騎馬訓練を容易にしたことと、
それによる騎兵の一般兵科化(騎乗が特殊技能ではなく一般の兵科として使えるようになった)、
そして非騎馬民族でも、騎兵の大量装備が可能になったということがあります。
これは、火縄銃の発明と普及が戦術に与えた影響と似ているかと思われ
ます(火縄銃の性能が戦術を変化させたのではなく、弓矢や石弓と比べ
安価で訓練の容易な火縄銃が、戦争と軍隊の肥大化に追従した)。

多くの騎馬民族が勢力拡大に役立てたのが弓矢と鐙。
騎乗したままで姿勢を正しく保って正確に矢を射るためには鐙が必須。
鐙の上に足を乗せている状態と、馬の胴を両脚で挟むようにしてただまたがっているだけの状態と、
それぞれの態勢で弓を引き絞って狙いを定め、矢を射ることを想像してみればいい。鐙なしでの
馬上弓術には相当の熟練を要する。馬上の射手にとって、鐙は間違いなくあったほうが良いものだ。
弓兵を歩かせていては戦闘で機動力が確保できないし、弓が無くてはアウトレンジ攻撃は出来ない。
全ての騎兵が騎乗したままで弓を射ることができたからこそ、かつてのモンゴル族などは機動力の
確保とアウトレンジ戦術とを両立させられたのだ。

と言うことらしいです。
4世界@名無史さん:04/05/16 00:24
>>3
これも書いとけ

戦術の変化とは何かという定義付けがなされていない状態で
議論するのは雑談よりも不毛な作業だ。
本気でやるなら定義付けからスタート。

空を飛んだり音速で機動できるようになるわけじゃないんだから
所詮は打撃力や機動力が何%アップという事実を変化と定義するか否かの議論にすぎん。
否定派も肯定派も認識してる事実は同じなんじゃないの?という感想だ。

少なくとも言えるのは鐙は絶対に必要な技術。
無ければ世界史は変わっていたと思うよ。

5世界@名無史さん:04/05/16 00:24
>>3
そんなもんだろうね
ほとんどの場合、鐙が戦力化されるとその便利さから廃止されることは無かった
その点からも鐙の有効性がわかる。
6世界@名無史さん:04/05/16 00:25
このスレは日本史板と軍事板の派出所スレという事でよろしいか?
7世界@名無史さん:04/05/16 00:36
せんじゅつ 0 【戦術】


(1)個々の具体的な戦闘における戦闘力の使用法。普通、長期・広範の展望をもつ戦略の下位に属する。

(2)一定の目的を達成するためにとられる手段・方法。
「牛歩―」
8世界@名無史さん:04/05/16 00:56
戦術と戦法は同じ意味なんだってな。今まで知らなかった。
戦略>戦術>戦法の順に大局視点だと思ってた。

実際は
戦略>(戦術=戦法)
9世界@名無史さん:04/05/16 06:30
有用な物は普及する。無用な物は普及しない。これが不変の基本原理。
10世界@名無史さん:04/05/16 07:20
戦略>旅団・師団以上
戦術>中隊以上
戦闘>個人以上
11世界@名無史さん:04/05/16 09:13
和鉄は鍋釜、日本刀は和鋼。
12世界@名無史さん:04/05/24 11:08
前すれ、前々すれが見れねえヽ(`Д´)ノ
13世界@名無史さん:04/05/26 21:23
samuraiで検索すると面白いぞ
shinsengumiとか
14世界@名無史さん:04/05/26 21:53
ムサは強いの?
15世界@名無史さん:04/05/27 12:13
戦術的思考:任務(目的)達成のために、保有する資源を、如何に効率良く運用するか。
戦略的思考:任務(目的)達成のために、如何なる資源が必要かを見積もり、手配し、配当するか。

周知であろうが、上級部隊の目的達成のために設定された目標は、下級部隊の目的となる。
このため、部隊規模が大きくなるほど、戦略的思考の比重が大きくなる。
が、日本では、現在に至るまで、現場で何とかしろ、という風潮が続いている。

戦法は、戦闘行為の基礎をなすものであり、上述した戦術・戦略とは趣きを異にする。
16世界@名無史さん:04/05/27 12:26
>> が、日本では、現在に至るまで、現場で何とかしろ、という風潮が続いている。

補給線の重要さは戦国時代から現代まで文献にイヤというほど書かれているが?
17世界@名無史さん:04/05/27 13:22
大丈夫でしょ。中国側は別に天皇と皇帝を対等とは認識して無いだろうから。
ちょっと変わった名前の王くらいにしか考えて無いっしょ。
18世界@名無史さん:04/05/27 13:25
誤爆りましたorz
19世界@名無史さん:04/05/27 22:10
資源というのは、業界では、人事・兵站から戦力組成に至る物的なもの、及び、時間・空間などの無形の要素まで含むんだな。

日本人は、与えられた条件下で最善を尽くすことには、大変優秀な民族なのだが、
何が必要なのかを問われると、途端に思考の幅が制約される人が大多数を占める。
20世界@名無史さん:04/05/27 22:12
資源というのは、業界では、人事・兵站から戦力組成に至る物的なもの、に限らず、
時間・空間や任務の幅などの無形の要素まで含むんだな。

日本人は、与えられた条件下で最善を尽くすことには、大変優秀な民族なのだが、
何が必要なのかを問われると、途端に思考の幅が制約される人が大多数を占める。
21世界@名無史さん:04/05/28 09:23
>> 日本人は、与えられた条件下で最善を尽くすことには、大変優秀な民族なのだが、
>> 何が必要なのかを問われると、途端に思考の幅が制約される人が大多数を占める。

ワオ!出た民族論。レッテル貼りや思考停止の出来る人は幸せだなァ。
22世界@名無史さん:04/05/28 13:49
民族性というよりも教育の積み重ねかもしれないね。
有名なのは、CMでも紹介された足し算の練習
23世界@名無史さん:04/05/28 14:12
>16
うん。教育や試験では、そこらへん凄く重視するのよ。
でも、実際の運用では、制約多すぎて、これで我慢汁ということばかり。
24世界@名無史さん:04/06/02 06:08
それよりちゅんまげってどれくらいの間隔で添ってたんだ?
25世界@名無史さん:04/06/09 22:32
 大英帝国並びに日本国のサムライ達に告ぐ 我々は薩摩藩である!
いわゆる修好通商条約と呼ばれた不平等条約が偽りのものであることは誰の目にも明らかである!!
なぜならば協定は日本国の名を語る幕府の売国奴によって結ばれたからだ
我々はいささかも戦いの目的を見失ってはいない! それは間もなく実証されるであろう!!
我々は日々思い続けた! 亜細亜諸国の自主独立を信じ、戦いの業火に焼かれていった者たちのことを!
そして今またあえてその火中に飛び入らんとする若者のことを!
亜細亜諸国の心からなる希求である独立に対し白人国がその強大な軍事力を行使してささやかなる
その芽をつみ取ろうとしている意図を証明するに足る事実を私は存じておる・・・!
見よ! これが我々の戦果だ! このエンフィールドの銃剣は亜細亜人を弾圧するために開発された
このエンフィールドの銃剣が亜細亜人の血を吸い続けた事実をもってしても呪わしき白人国の悪意を否定できる者がおろうか!!
顧みよう! なぜセポイ独立戦争が勃発したのかを! なぜ我らが武士道と共にあるのかを!!
我々は3年間待った・・・ もはや我が軍団にためらいの吐息を漏らす者はおらぬ!
今、若人の熱き血潮を我が血としてここに改めて私は大英帝国に対し宣戦を布告するものである!
繰り返し心に聞こえてくる祖国の名誉のために!! 薩摩藩、万歳!!
26世界@名無史さん:04/06/10 08:36
薩摩藩って言うとイギリスにぶん殴られてから握手したとこ?
27世界@名無史さん:04/06/10 22:06
日本では薩英戦争とか言ってるけど、イギリスとかはどんな呼び方してるんですか?
28世界@名無史さん:04/06/10 22:17
46 :天之御名無主 :
●モナー●(日本全国)

Λ_Λ  
 ( ´∀`)
 (    ) 
 | | |  
 (__)_)  
        
夜遅くまでインターネットをしていると、画面に猫のような
ものが現れて「お前モナー」と話し掛けてくることがある。
しかし、この言葉に答えてはいけない。これはモナーという
妖怪だからだ。この妖怪が現れたらすぐに「逝ってよし!」
と唱えると、姿を消したという。
佐藤有文「日本妖怪大豆巻」より
29世界@名無史さん:04/06/10 22:33
>>26
っていうかイギリスって世界中でぶん殴ってから押し売りってのがお家芸。
30世界@名無史さん:04/06/10 22:37
>>29
善戦して協定結べたよ。
31世界@名無史さん:04/06/10 23:10
善戦って言うかまー城下町火の海にされてしまったわけだけど。
32世界@名無史さん:04/06/13 04:06
本来はイギリス艦の艦載砲の射程は薩摩藩陸上砲台の三倍だから、完全にアウトレンジされて
パーフェクトゲームになるはずだったんだけど、波が荒かったので沿岸近くまで寄らないと艦の動揺で
艦載砲が当らなかった。
33世界@名無史さん:04/06/16 03:57
サムライスピリッツは多国籍な感じで面白かったな。
居合いなんて平和な時代ゆえにできた剣術なんだろうけど、
西洋で剣が細身になっていく過程とかと比べると面白いかもなぁ。
34世界@名無史さん:04/06/16 14:09
>>31
被害数でいえば、イギリスの方が多かったからなぁ・・・
結果的にノモンハンと同じだった。
35世界@名無史さん:04/06/17 22:27
>>33 居合いなんて平和な時代ゆえにできた剣術なんだろうけど、

そうでもない。抜刀術と剣術の発生時期はかなり似通っている。
居合は抜き打ちのスピード以上に「どんな斬り方をしてくるかわからない」のが存在理由だからちゃんと実用性はあるよ。

(また副次的な効果として斬りつけてくるまで刀の長さやリーチがわからない、というのもある。
これは剣道の脇構え(手を右腰につけて刀を体の後ろに隠す構え)も同様の理由によるもの。)


サムライスピリッツに限らず、「鉄を持って戦う者」にはロマンがあるねぇ。
36世界@名無史さん:04/06/17 22:35
でも、剣術という体系の発生自体戦国時代も後期になってからなんだよな・・・


何者かによって戦法の体系が作られ、更にそれが世の中に受け入れられて一定の権威を得、
何人ものフォロアーを経て特定集団に対する一種の思想体系にまでなったからこそ
武士道や騎士道は生き残ったのかもしれない。

進化の可能性を得ることなく、またそして歴史の中で日の目を浴びることなく消えていった
武器や戦法、戦場での思想や死生観、技術や職人集団も沢山あるんだろうな。
37世界@名無史さん:04/06/17 23:42
剣術は室町時代でしょ。念阿弥慈恩こと相馬四郎の念流あたりを嚆矢とするんでねーのかな。
それが戦国期に入って集団戦の発展に伴って後退して天下の情勢が固まるにつれて再び陽の目を浴びるようになったんでないの?
38世界@名無史さん:04/06/18 00:14
>>35
>サムライスピリッツに限らず、「鉄を持って戦う者」にはロマンがあるねぇ。

メリケンサックでも可ですか?
39世界@名無史さん:04/06/18 20:11
俺は剣術の源流(の一つ)は愛州移香斎って習ったなぁ。
40世界@名無史さん:04/06/18 21:16
日本馬の時速が30キロぐらいしかスピードが出せない
とバカににしたような言い方をする学者がいるけど
競技用自転車で時速30キロで走ってみたら
結構速くて十分騎兵突撃として成立しそう速ささだったぞ
あとイベントで体高140cmぐらいの馬に乗ってみたことがあるが
乗ってみると横から見るのと違って足が地面に届かないせいか結構高さを感じた
NHKで鎧武者を乗せて走らせたらすぐにばてた
という話もあるが訓練された馬と、これから調教を始める馬を
同じ能力として語るのはいかがなものか
少なくとも騎兵突撃難で時速30キロありゃ十分
体高140cmの馬でも文弱な学者がオシッコちびるには十分なたかさ
41山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/18 21:20
300kgの馬に100s近い重さが加わり、徒歩の兵がついて来れた
のならどう考えても速くは無かったでしょう。
実際には日本でもヨーロッパでも騎兵のみでの突撃は近代まで無かった
ようです。
42例のにゃあにゃあ:04/06/18 21:52
>>41
中世ヨーロッパでは騎馬隊のみによる突撃が行われていたみたいだニャ。
というより、そう考えられているニャ。
バイユーのタペストリーあたりを根拠に1066年に行われたヘースティングスの戦いの時にノルマン騎士は騎馬の者、歩行の者、弓を持つ者に分けた部隊編成を行い、騎馬の者が攻撃、歩行の者が防御、弓が両者の支援を行っている事になってるニャ。
今は手元に本がないから出典は明示できないけど、必要ならガッコでもう一度調べてくるニャ。
43世界@名無史さん:04/06/18 21:52
騎兵っていうのは騎馬だけで編成した部隊のことで、日本では常に徒歩つきだったので騎馬部隊はなかったと言える。
西洋も同じ。ちゃんと編成できたのはモンゴルだけ。
44世界@名無史さん:04/06/18 21:54
ローマのゲルマン騎兵やケルト騎兵はどうなんだろ?
45世界@名無史さん:04/06/18 21:58
というか突撃なんて戦争全体のほんの数%だろうに。
ただひたすらに黙々と歩き、兵営を作り道を拓くのが兵隊の仕事。

これは第二次大戦後までずっと続く。その後のヘリの登場で状況は一変する。
(西部戦線異常なしを見ればある程度雰囲気を掴めると思う)
46例のにゃあにゃあ:04/06/18 22:03
>>43
わかったニャ。我が輩も興味あるところだから調べるニャ。
ところで、中世西洋でも騎馬の者が攻撃を行う際に、必ず歩行の者が随伴していたとする史料とか、本とか教えて欲しいニャ。
調べる際に参考にするニャ。
少し時間がかかるかもしれないけど、それは許して欲しいニャ。
47山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/18 22:16
『日本騎兵史』に欧州の例もあるようですが、未見です。もっとも1963年の
本ですので、今はどうなっているのか分かりませんが。
中世の戦いといえば、我が国では弓矢が主体であったようですが『コンスタンチ
ノープル征服記』にも、次のように書かれていますね。
「侃々諤々の論議の末、前衛はフランドル藩主ボドゥワン伯にお委せすること
となった。配下にすぐれた武者を大勢かかえ、また軍団中どなたよりも弓矢、
弩の射手を多数擁しておられたからである。」
実際には華々しい討ち取り方・討ち取られ方をしたものなんてほとんどいなか
ったのではないかと。矢に当っての死亡者ないしは怪我人多し。
48例のにゃあにゃあ:04/06/18 22:53
>>47
返答感謝するニャ。
それはジョフロアの「コンスタンチノープル征服記」147節の記述だニャ。
コンスタンティノープル攻城戦に挑もうとしての記述だから、飛び道具が重視されるのは当然と思うニャ。

中世西洋の戦いでは諸候や騎士の死傷者は少ないみたいだニャ。
だから、我が輩も華々しい討ち取り討ち取られはないと思うニャ。
捕虜をこんなに取ったぞと自慢するような記述は年代記なんかにちょくちょく現れるてるみたいだニャ。
死傷者が少ない原因の一つが戦争の目的がが兵士個々人にとっては身代金で、戦争当事者は何らかの利害対立が原因だから殺す必要がないからみたいだニャ。
軍同士の衝突も少なく、攻城戦が主で、中には一方が相手を凌駕する兵力を集めてただ敵領を行進しただけで終わった戦いも多々あったニャ。
戦いなく終わった戦争の例としては下の本に面白い例が幾つかあるニャ。

桜井利夫,中世ドイツの領邦国家と城塞,2000

たしか、イギリス王ヘンリー二世も戦わずに戦争を終わらせた事が多々あったように覚えてるニャ。
人の死が少ない戦いで弓矢がどの程度重視されたか、今の我が輩には判断できないニャ。
あと、下々の兵がどうだったかはいまいち分からないニャ。
調べてみない事には....
49世界@名無史さん:04/06/18 23:03
西欧中世では普通に騎馬隊同士の突撃はあったんじゃないスか?
(少なくとも戦術レベルでは。
 戦略レベルでは>>43氏の言うとおりかも知れないが。(但し百年戦争中のchevaucheeのような例もあるが。))

中世戦術は、Verbruggen の The Art of War in Western Europe in the Middle Ages に詳しいが、
ブーヴィーヌ会戦などを例にして、騎馬部隊同士のガチンコ戦が一般形として説明されている。
でないと日頃熱心にトーナメントやってたのも説明つかん。

いずれにせよ、例の・・・氏の報告待つ。
50世界@名無史さん:04/06/18 23:34
中近世の装甲槍騎兵の突撃も、その後に軽騎兵や歩兵が続いて突破口が開けばそこに殺到した
故に広義では突撃は重騎兵のみで行われていた訳ではない
ただし、歩兵に突撃の衝撃力が期待されていたか否かを問うならば、スイス槍兵のような
僅かな例外を除けば、全くといってよいほど期待されてはいなかった
極言してしまえば中近世ヨーロッパ(少なくとも16世紀以前)において
突撃の衝撃力を備えた兵科は重騎兵のみ

トーナメントは厳密には戦技と言うよりもスポーツに近く、
更に中世においては社交としての意義も高かった
中世において騎兵同士の本格的な戦闘は古代に比べて非常に少ない
中近世の重騎兵の主敵は騎兵よりもむしろ歩兵であり、通常、
騎兵戦力で劣る側は騎兵を下馬させ重装歩兵として運用した
百年戦争ではイングランドの騎兵は下馬して歩兵とともに徒歩で戦っているし、
フランスの騎兵も下馬突撃を行っている
薔薇戦争でも騎兵はお互いに徒歩で殴り合った
攻城戦でも騎兵は下馬して戦っている(当たり前だ)
どうも西欧の騎士様は乗馬戦闘にはあまり拘泥してはいなかったようだ
51山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/18 23:56
>>47
他に「馬(を食べてしまって)が無い騎士が200人もいた」という記述もあり
ましたね。フロイスならずとも、日欧文化比較というのは面白そうです。
桜井先生の御本は、またその内に参照させて頂きます。
>>50
日本でも戦国期には下馬戦闘が主流でしたね。こちらは徒歩の兵が長槍を使
って集団戦闘を行うのが主流になったからだといいますが。
フロイスは「ヨーロッパの騎士は、馬に乗って戦う。日本の武士は、馬から
下りて戦う」と書いています。もっとも極端な表現の多い人ですので、あま
り信用出来ませんが。
52世界@名無史さん:04/06/19 00:00
だからといってヨーロッパの騎兵が下馬戦闘が主流かといえば



んなわきゃねえ
53世界@名無史さん:04/06/19 00:01
だってフロイスは軍人じゃないもの。
54例のにゃあにゃあ:04/06/19 00:15
>>49-52
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1052016599/319-322
とりあえず、西洋の戦場における騎兵と歩兵については以前我が輩がまとめたものを出すニャ。
5549:04/06/19 00:20
中世て言っても、14世紀歩兵革命以前以後じゃ違うでしょ。

確かに百年戦争〜薔薇戦争は、騎士の下馬戦闘が多く見られるけど、留意したい点が2つ。
1.フランス騎士を下馬戦に納得させるのにはえらい苦労した。
2.下馬戦闘の英国的伝統・特殊性も考慮せにゃならん。

あと近世以降の「騎兵の復活」では普通に騎乗戦闘してるでしょう。
しかもだいたいまず騎兵同士でぶつかり合って(ピストル戦もあればサーベル戦もある)、
その後、勝った方がおもむろに敵歩兵の側背を衝く。
56世界@名無史さん:04/06/19 00:23
14世紀の歩兵革命って何?
57世界@名無史さん:04/06/19 00:24
フランク王国の時代でも騎兵が下馬戦闘するのは珍しくも何ともなかったんだが・・・
58世界@名無史さん:04/06/19 00:30
>>55
すまんが、どこをどう文句つけたがってるのかさっぱりわからん
ところで14世紀に歩兵革命なんてあったか?
59例のにゃあにゃあ:04/06/19 01:12
>>56-57
サー・オーマンによる中世軍事史の時代区分(1885年頃に発表された説)
(一応、この区分が今でも通用するみたいだから使うニャ)
初期中世 フランク王国の軍制(476−1066)
封建騎士優位の時代 (1066−1346)
歩兵優位の復活 (1346−)

うる覚えで悪いけど、サー・オーマンによるとフランク形の歩兵中心の軍が、新たに登場した乗馬騎士を主体とした軍に敗れた象徴的な戦いが1066年のヘースティングの戦いって事になってたニャ。
騎士が主兵力として台頭するのは封建騎士優位の時代の1066から1346年とされるから、我が輩はこの時期に焦点を絞ってカキコしてるつもりだニャ。
範囲を広げるなら広げるでいいけど、直ぐには対応できないニャ。
フランク関係の事も調べなきゃならなくならから...

ttp://www.deremilitari.org/RESOURCES/ARTICLES/rogers.htm
14世紀の歩兵革命は上の論文でロジャーズが主張したことで、クレシーの戦いでイングランドの長弓兵と下馬した騎士を中心とした部隊が、乗馬騎士を中心としたフランスを撃ち破った辺りで始まったとされるニャ。
騎士の時代が終わり、平民が軍の主力になる時代が来たとか言う主旨だったニャ。
ただ、これはサー・オーマンも言ってた事でそれほど新しい考えじゃないみたいだニャ。
ロジャーズの新しいところは14から16世紀へと続く軍事の変化と、その影響による社会の変化の流れの中に、歩兵革命を位置づけたというところみたいだニャ。
6049:04/06/19 01:17
>>58
すまん。わかりにくかったね。>>55>>50へのレスね。やっぱ丁寧に書き直す。

>中近世の装甲槍騎兵の突撃も、その後に軽騎兵や歩兵が続いて突破口が開けばそこに殺到した
>故に広義では突撃は重騎兵のみで行われていた訳ではない
同意です。

>ただし、歩兵に突撃の衝撃力が期待されていたか否かを問うならば、スイス槍兵のような
>僅かな例外を除けば、全くといってよいほど期待されてはいなかった
同意です。

>極言してしまえば中近世ヨーロッパ(少なくとも16世紀以前)において
>突撃の衝撃力を備えた兵科は重騎兵のみ
同意です。

>トーナメントは厳密には戦技と言うよりもスポーツに近く、
>更に中世においては社交としての意義も高かった
そのとおりですが、社交・スポーツだから戦術と無関係だったとは言えないと思う。
というか、中世の戦術に関しては極端に史料を欠くため、
トーナメントの有りよう等も考慮して戦術の「具体」を考えていくしかない。(・・・とVerbruggenが言ってた。)
6149:04/06/19 01:18
続き

>中世において騎兵同士の本格的な戦闘は古代に比べて非常に少ない
そうでしょうか?
「古代=歩兵優位/(盛期)中世=騎兵優位」という通説を前提にすると、俄には頷けない。

>中近世の重騎兵の主敵は騎兵よりもむしろ歩兵であり、
>通常、騎兵戦力で劣る側は騎兵を下馬させ重装歩兵として運用した
>百年戦争ではイングランドの騎兵は下馬して歩兵とともに徒歩で戦っているし、
>フランスの騎兵も下馬突撃を行っている
>薔薇戦争でも騎兵はお互いに徒歩で殴り合った
>攻城戦でも騎兵は下馬して戦っている(当たり前だ)
これが後期中世に典型的な風景であるという前提ならば、ほぼ同意です。(ただ、その場合でも留保したい点がある。>>55
ただ、盛期中世についてはそう言えるのか?
また近世を16世紀に限っても、これは近世の光景なのだろうか。(>>55の後半。)
イタリア戦争〜ユグノー戦争を見ても、まず騎乗の騎兵同士がぶつかり合うのが普通だと思うが。

>どうも西欧の騎士様は乗馬戦闘にはあまり拘泥してはいなかったようだ
こういう結論にはならないと思う。特に日本などと比較すれば。
6249:04/06/19 01:27
>>57
すまん。フランク時代はよく知らん。
ただ図式的には、(古代末期以来の騎兵優位という大トレンドの下で)
「メロヴィング期=歩兵優位」→(鐙の普及)→「カロリング期=騎兵優位」
なるわけだが、騎兵が下馬戦闘する例もそれはあったかもしれん。

ただフランク時代は盛期中世に増して戦術の具体例の史料に乏しい時代じゃなかったかな?
(漏れが知らんだけかもしれんが。)
ちょっと思いあたらんので適当な戦例があれば教えてください。
6349:04/06/19 01:37
>14世紀歩兵革命

14世紀前半にブリテン島やフランドルで、
歩兵主体の部隊によって(主として長槍などで武装した歩兵が戦列を敷く)
騎兵の突撃を効果的に防御するシステムが同時多発的に考案され、
これによって盛期中世の「騎士の時代」が終わりに向かった、
・・・というような説です。
6449:04/06/19 01:40
すまん。>>63はかぶったね。
>>59のが詳しいので、これは流して。
65世界@名無史さん:04/06/19 02:12
>「古代=歩兵優位/(盛期)中世=騎兵優位」という通説を前提にすると、

その通説にどれほどの根拠があるのか知らんが、兵科の戦術的役割が違う以上、
どちらが有利か、どちらが不利かなど一括りで決めつけるなど乱暴に過ぎる
ましてやそれを前提とされても非常に困る

>そのとおりですが、社交・スポーツだから戦術と無関係だったとは言えないと思う。
>というか、中世の戦術に関しては極端に史料を欠くため、
>トーナメントの有りよう等も考慮して戦術の「具体」を考えていくしかない。

そんな薄弱な根拠で違うと決めつけられても困っちゃうぞ
あれのどこが実戦的なのか?

>ただ図式的には、(古代末期以来の騎兵優位という大トレンドの下で)
>「メロヴィング期=歩兵優位」→(鐙の普及)→「カロリング期=騎兵優位」
>なるわけだが、騎兵が下馬戦闘する例もそれはあったかもしれん。

鐙の登場で騎兵優位の時代が訪れたという根拠がよくわからん
メロヴィング朝期のフランク軍も有力な騎兵戦力の整備に努力している
繰り返すがそもそも何をもって優位か否かを決定しているのか?

>また近世を16世紀に限っても、これは近世の光景なのだろうか。

ああ、重騎兵が下馬戦闘するのは中世の頃だな
近世もと誤解させたのは謝罪する
16世紀頃の重騎兵は13世紀頃のそれとは全く別種の兵科と
言い切れちゃうほど変化してしまっているからな

>イタリア戦争〜ユグノー戦争を見ても、まず騎乗の騎兵同士がぶつかり合うのが普通だと思うが。

散発的な前哨戦での騎兵戦までは否定しちゃいないぞ
66世界@名無史さん:04/06/19 02:18
おっと、訂正しとこう
× 16世紀頃の重騎兵は13世紀頃のそれとは全く別種の兵科と
○ 16世紀末以降の重騎兵は13世紀頃のそれとは全く別種の兵科と
67世界@名無史さん:04/06/19 02:21
すまんも一回訂正
16世紀後半以降の重騎兵は13世紀頃のそれとは全く別種の兵科と
だな
6849:04/06/19 07:39
>>65
古代−中世について。

>その通説にどれほどの根拠があるのか知らんが、兵科の戦術的役割が違う以上、
>どちらが有利か、どちらが不利かなど一括りで決めつけるなど乱暴に過ぎる
>ましてやそれを前提とされても非常に困る
そりゃ図式的な話してるもん。しゃあないべ。乱暴なのは。
それに
>中世において騎兵同士の本格的な戦闘は古代に比べて非常に少ない
これも相当乱暴と違う? 間違ってたらごめんだけど。

まあ漏れの聞き方が悪かったのだと思うが、
>そうでしょうか?
これは反論と言うよりは、素朴な疑問として受け取って下さい。

つまり、
>中世において騎兵同士の本格的な戦闘は古代に比べて非常に少ない
というのが、そうだっけ? というかピンと来ない。(例のその図式が頭にあったので。)
まあフランク期や古代についてはよく知らんから教えて欲しいんだけど。
(下駄を預けるというか、いわゆる挙証責任押しつけてすまんが。)
6949:04/06/19 07:40
トーナメントについて。

>あれのどこが実戦的なのか?
騎兵が2組の集団組んで隊列維持しつつ衝突しあう、という体裁を取るのだから、
取りあえず騎乗の集団戦を想定した「実戦性」は推定出来るのでは?
もちろん
>トーナメントの有りよう等も考慮して戦術の「具体」を考えていく
というのを前提にしての話だけど。
7049:04/06/19 07:42
鐙について。

>鐙の登場で騎兵優位の時代が訪れたという根拠がよくわからん
ブルンナー〜ホワイトの古典学説にそういう話があった。
「鐙→ショック・タクティクス→騎兵の優位→(ついでに)封建制の成立」
という8世紀革命説。
色々批判はあるようだけど(4項目は嘘だとか、全体にもっと長期的な過程だとか)
大ざっぱには今でも妥当だと考えられているんじゃないの? 最初の三項は。
まあ、
>何をもって優位か否かを決定しているのか
と言われると虚を突かれて困るんだけど。(何が問題なのかもわからん。)
7149:04/06/19 07:48
近世について。

結局、議論のポイントは、盛期中世の戦術をどう考えるのか(騎乗か下馬か)にあるわけだから、
(後期中世については一致していると思うが。あと繰り返すがフランク期は知らん。勉強してみる。)
近世の話を問題にしてもしょうがないけど、一点だけ。

>散発的な前哨戦での騎兵戦までは否定しちゃいないぞ
漏れが「前哨戦」という言葉を理解してないのかも知れんが、
わりと普通の会戦でも騎兵はまずトイメンの騎兵をつぶしにかかってるようだけど。
(Oman の The Art of War in the 16th Century をパラパラっと見ても、
フォルノーヴォ,1495とか、チェレゾーレ,1544とか。)

(あと
>16世紀後半以降の重騎兵は13世紀頃のそれとは全く別種の兵科とだな
本当はこれもよくわからんのだが、ここまででも十分に「教えて君」だからな・・・)

あと、何かスレ違いみたいで(←今気づいたけど)他の人には済みませんです。
72世界@名無史さん:04/06/19 14:10
>まあフランク期や古代についてはよく知らんから

知らんけどお前が間違ってると言われては返す言葉もないな

>>トーナメントの有りよう等も考慮して戦術の「具体」を考えていく
>というのを前提にしての話だけど。

前提にしたがってるのは君の都合であって、自分がそれに付き合う義理はない

>「鐙→ショック・タクティクス→騎兵の優位→(ついでに)封建制の成立」
>という8世紀革命説。

君の主張しているいわゆるショック・タクティクスが登場したのは10世紀以降
時間的なギャップが大きすぎる

>4項目は嘘だとか
>大ざっぱには今でも妥当だと考えられているんじゃないの? 最初の三項は。

君の言っている4項目とか三項目を具体的に説明してもらわねばコメントの仕様がない
自分のPCは君の脳内までハッキングできないし、自分の脳は他人の脳波を受信できるほど高性能じゃない

>と言われると虚を突かれて困るんだけど。(何が問題なのかもわからん。)

それは困ったな
君の主張している「優位」の定義とは何かな?
何をもって「優位」「劣位」を決めてるのか?
73世界@名無史さん:04/06/19 16:58
論理無視で反論(と信じるもの)を繰り広げてもねぇ…。>>49は自分の書いたレスを最初から
読み返した方が良いですね。知識的に不十分なのを自覚しながらも、今の知識だけで何とか
自説に従うよう論理を無理に構築している辺り、客観的に見ても議論の根底を覆す態度です。

「私は知識はないが、君の言うことは間違っている(ように思う)。
私の思考過程は(当然ながら第三者であっても)理解できる筈だ。
議論・私見の正当性を論じるよりも優位・劣位を論じたい。(私の定める基準に従って)」

要約すると>>49の主論は、こうなります。
自分は論議の席に座ることなく、相手の座る椅子を蹴り飛ばすような行為ですね。これでは
全く正常な議論というか、議論にすらなりませんね? 前提条件で既に頓挫しているのです。
まず「相手意見の何処が指摘に値する点なのか」を「理解に足る言葉で」見定めて下さい。
74例のにゃあにゃあ:04/06/19 17:13
>>50 >>65-67 >>72-73 は同一人物かニャ?
分からないから同一人物だとしてカキコするニャ。
>>54 >>59と、そこに示された資料やカキコを読んでからもう一度意見を聞きたいニャ。
>>59の論文は War in the "Age of the Horse"章の最初の方だけでもいいニャ。

正直、我が輩も騎兵優位論にしても、歩兵優位論にしてもどういう意味での優位なのか計りかねてるところではあるニャ。
騎兵優位論を例に取ると、
当時の人々が騎乗した方が歩行より有利と考えていたという意味なのか、
当時は歩行を中心とした部隊は騎馬を中心とした部隊にはたいてい勝てないとか言う意味なのか、
たぶん後者を意味していると思うけど、前者を強く意識しているような意見もあるからよく分からないんだニャ。
但し、この議論は騎兵が強いか、歩兵が強いか、を論じると言うよりは、中世盛期の戦争の性格をどう定義づけるかの定義を設けようとしての事だニャ。

それから、>>50 >>65-67 >>72-73が同一人物か教えて欲しいニャ。
同一人物なら、言いたい事があるニャ。
違うのなら、違うなりにレス毎に言いたい事があるニャ。
75世界@名無史さん:04/06/19 17:28
古くは騎乗弓兵もいるんだけどね、これはちょっと色々ズレてるか
76ター氏:04/06/19 17:49
牙突!!
77ター氏:04/06/19 17:52
飛天御剣流! 奥義!! 天翔龍閃!!!
78世界@名無史さん:04/06/19 18:04
>> 君の言っている4項目とか三項目を具体的に説明してもらわねばコメントの仕様がない
>> 自分のPCは君の脳内までハッキングできないし、自分の脳は他人の脳波を受信できるほど高性能じゃない

意見の内容(どちらが合っているとか、論理的展開とか)は別として、このレスはないだろう。
相手が引用元の文献まで指定している以上、それ以上議論を続けたいならその本を読んで内容を理解した上で
反論するのが当然。さらにその反論に説得力・有効性を持たせたいならこれまた反証の載っている文献を指名するのも当然。
79世界@名無史さん:04/06/19 18:07
確かに論理の展開の仕方についてなら知識がなくても反論はできるし、それは正しい行為だ。
だが記述の内容について反論したいなら、間違っているという根拠と相手の示した文献に関する調査は必要。
8073:04/06/19 20:49
あ、一応>>72とは別人物です。
かなり興味のある考察なので双方意見の整合性・摺り合わせをした上での御意見を
窺いたいと思いましてレスした次第。感情的な議論からは何も生まれませんから。
81世界@名無史さん:04/06/19 21:15
>>78

俺もそう思うな。49にいちゃもんつけてる方は内容はどうであれ人間として嫌な奴に見える。
知識が無いのに開き直って・・・カッコ悪い。
82世界@名無史さん:04/06/19 22:35
なんかどっかでみたような流れになってきたな。
83世界@名無史さん:04/06/19 23:55
文献の名前だけ出せば議論が成立するの?
それは楽でいいね。
84世界@名無史さん:04/06/20 00:35
>>83
裏付けの無い素人の理論はただの妄想、という意味ではないでしょうか?
私は学生の時教授からそう言われました。論文の一行ごとにその思考の証拠文献
を求められました。だから78氏の言うことはよくわかるのですが、実際にそうや
って論文を書くのは恐ろしく骨が折れることもまた事実です。
(ちなみに私は社会学とそこから派生する一部の哲学でした)

まあ、2chという場でそこまでやるのはどうかと思いますが。(むやみに文献を挙
げる姿は、傍から見れば49氏が素人を知識でいたぶっているように見えます)

ただ、私には49氏と論戦している方の意見は支離滅裂でただやみくもに喧嘩を売
っているように見えます。
具体的な反論としては例のにゃあにゃあ氏の意見をお聞ききしたいところです。
85例のにゃあにゃあ:04/06/20 01:41
ちょっと他のスレを見てサゲとか学んできたニャ。
これでサゲできてるかニャ?

>>73 返答感謝するニャ。
だけど、もし感情的な議論を望まないのなら、一見すると冷静なようで内容はメチャ感情的と思えるようなレスは避けた方がいいと思うニャ。
相手の感情を逆撫でするだけだから。
特に>>72のようにあからさまに相手を誹謗するレスが出た直後となるとよけいに悪いニャ。
この辺りについてはもうなにも言わないニャ。

>>65-67 >>72は反論を向ける相手を間違っているニャ。
騎兵優位論があると最初に言ったのは我が輩であって49さんはそれにのっかっただけだからニャ。
その説明がどこにあるかは>>74に示してるニャ。
>>74 これは後で見ると説明が悪かったニャ。
>>54で示されたカキコと、>>59の論文の一部だけでも見て貰えれば何とか優位論がどんな感じで展開してるかが少しは分かると思うんだニャ。
あの章の最初の一節と次の一節の辺り、後半の一節は下に訳があるニャ。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046634307/525

>>84 ごめんニャ。反論はできないニャ。
我が輩は調べた結果、というより本で読んだ記述をまとめるだけだニャ。
その内容がたまたま、一部の方の意見と食い違うだけだニャ。
史料を組み立てて論理を組むほどのところには、まだ来てないんだニャ。

しばらく、ヘースティングスの戦いの時に騎馬の者だけの突撃があったかどうか、現在の研究者はどう考えてるかを調べる事に専念するニャ。
ちょっと、ひかかってる事があって時間がかかるニャ。
二、三日以内には何とか一応のまとめ出すニャ。
86例のにゃあにゃあ:04/06/20 01:42
>>85 あ、まちがえた。サゲてないニャ。
手遅れだけどこれがサゲかニャ?
87世界@名無史さん:04/06/20 02:05
「よく知らないけどお前は間違ってる」なんて言うほうが
喧嘩売ってるように見えるけど・・・・。
>>84
どこら辺が支離滅裂なの?
8873:04/06/20 02:37
>>85
失礼しました。>>73では感情的ではなく客観的に見たままを述べただけなのですが…。どうやら時宜を
弁えていない内容だと思われたようですね。感情を逆撫でないように相手の意に沿う形で指摘するには
どのように柔らかい語調で書けば宜しかったでしょうか?

誹謗と端的に捉えるのは容易なことですが、少なくともどう弁明しても>>49の要旨・主論は>>73のように
要約されてしまうかと思うのですが。(知らないが間違っている、と言われては議論も成り立ちません)
私は指摘をしただけであり、>>49さん個人に対して一切の誹謗・中傷をする意図は無いのですが…。
もう少し感情と論理を切り離した上で議論されては如何でしょうか。
8973:04/06/20 02:41
>>85
あ、それと蛇足ですが。sageは>>86の方法で合ってます。
時と場合に応じてage・sageは使い分けるようにすると便利ですので、ぜひご活用下さい。
90世界@名無史さん:04/06/20 03:13
個人同士の武力限定なら個人差があるんじゃないの?武士の時代じゃね。
それに武士が一致団結しての対外戦争の経験がないから、強い弱いを限定するのは
難しいんないかな。結果がないから仮定でしかないしね。

弱いって?俺は武士が世界最強だとは思わないけど、弱いとは思わないよ。
9149:04/06/20 03:31
>>72

>>まあフランク期や古代についてはよく知らんから
>知らんけどお前が間違ってると言われては返す言葉もないな

漏れの理解する流れでは、
>>49で漏れがブーヴィーヌ(盛期中世)の例を上げたら、
>>50が、百年戦争〜薔薇戦争(後期中世)の例を出してきた。
んで漏れが>>55で「歩兵革命以前以後(盛期中世/後期中世)では事情が違うべ?」と言ったら、
>>57がフランク王国の例を出してきた。
それで漏れが、>>62>>68で、「フランク期や古代の例はよく知らんのよ」と答えた。
・・・漏れとしては正直に手札を晒しているつもりなのだが。
9249:04/06/20 03:33
ただ「間違ってる」云々については、

>>どうも西欧の騎士様は乗馬戦闘にはあまり拘泥してはいなかったようだ
>こういう結論にはならないと思う。特に日本などと比較すれば。

このように>>61で言ったのがまずかったのかも知れん。
漏れは
>どうも西欧の騎士様は乗馬戦闘にはあまり拘泥してはいなかったようだ
という部分を、
>騎兵のみでの突撃は近代まで無かったようです。(>>41
のような「強い」主張と同一視していた。不快に感じたら謝る。

漏れの側では、「中世では必ず騎乗戦闘していた」みたいな「強い」主張をするつもりはない。
盛期中世にも、特に英国がらみでは、騎士の下馬戦闘の事例が見られるし(Tinchebrai,1106)、
また後期中世でも探せば騎乗による突撃の事例はあるだろう。(ポワティエ,1356/Verneuil,1424)
ただ大ざっぱには、
「盛期中世=騎乗戦闘」→(歩兵革命)→「後期中世=下馬戦闘」
という図式を立てることが出来るんじゃないの? てことです。

また以上2レスは>>73氏への部分的な応答でもある。あと>>87氏と。
9349:04/06/20 03:36
>>72

>>トーナメントの有りよう等も考慮して戦術の「具体」を考えていく
>>というのを前提にしての話だけど。
>前提にしたがってるのは君の都合であって、自分がそれに付き合う義理はない
ここはもうこれ以上話にならなそうなんだけど。

ただ、漏れが念頭に置いているネタ本の
J.F.Verbruggen, The Art of Warfare in Western Europe during the Middle Ages
は、多分盛期中世の戦術をいちばん詳しく説明している研究書だと思うんだけど、
(初版1954年だから、種種の批判は相当累積しているとは思うが。)
騎兵戦術の様態を、トーナメントの延長線上に理解・再構成している。
(10騎〜数十騎の隊列を組んだ騎兵が、突撃・衝突→旗の下に再結集→突撃・衝突)
たしかに論点先取の嫌いもないわけではないが(「年代記とかの記述を読むと、トーナメントのやり方によく似てるよね」的な。)、
では限られた史料の下でどうするのか? 不可知論にとどまるのだろうか?

たしかに「付き合う義理はない」のかもしれないが・・・。
9449:04/06/20 03:39
>>72

>>4項目は嘘だとか
>>大ざっぱには今でも妥当だと考えられているんじゃないの? 最初の三項は。
>君の言っている4項目とか三項目を具体的に説明してもらわねばコメントの仕様がない

4項目=「封建制の成立」
最初の三項=「鐙→ショックタクティクス→騎兵の優位」
わかりにくくてすまん。

>君の主張しているいわゆるショック・タクティクスが登場したのは10世紀以降
>>70でもちょっと触れたけど、ブルンナー〜ホワイト説に対しては、
「技術改良→戦術変化(→社会変革)」が極めて短期間(8世紀、特にカール・マルテル時代)に生じた、
という主張が批判された。「もっと長期的な過程だろ?」と。

ただ、ざっと文献いくつか見た感じでは、論理の大枠としては
「鐙→ショックタクティクス→騎兵優位」という図式は広く共有されているように思うのだが。
いや、これもちょっとまずいな。
(「ショックタクティクス」は通じているみたいだからいいとして)問題の「騎兵の優位」は外すとして、
また、鐙だけが重要な技術改良ではないから、こう変えさせて。
「技術改良(※)→戦術変化(ショックタクティクスの普及)」(※=鐙・前後が隆起した新式の鞍・couched lance、の利用)

↑このような図式は軍事史的には広く共有されているんじゃないの?
だとすると、「少なくとも中世のいずれかの時点で、騎乗した騎士による突撃という戦術が主流になった」という風には言えるんじゃないの?

あとちょっと聞いておきたいのは「10世紀」というのはどこから来たのかな?
ちょっと思い当たるフシがないもので。「お前間違ってんだろ?」と反論してるのではないですよ。
ことの性質上、史料的にも「これだ」という契機は決めにくいだろうし、
逆に言うと、いろいろなメルクマールを立てられるだろうから、
(例えば、ショック・タクティクスの導入を示していると考えられる図象的な最古の記録としては、
バイユー・タペストリー(1180頃)が上げられるらしい。Ph.Contamine, War in the Middle Ages )
9549:04/06/20 03:41
>>72
>>と言われると虚を突かれて困るんだけど。(何が問題なのかもわからん。)
>それは困ったな
>君の主張している「優位」の定義とは何かな?
>何をもって「優位」「劣位」を決めてるのか?

正直言うと、「・・・の時代は騎兵が優位だった」「歩兵中心の時代」などという表現はよく見かけるので、
ほとんど無自覚にマジック・ワード的に使ってました。すまん。

今改めて考えると、
例えば、歩兵革命以降を「歩兵優位の時代」と言えるのは、
歩兵を上手く組織することによって、騎兵の攻撃=突撃をほぼ常に防御できるシステムが成立した、
ということなんじゃないかな。
つまり勝ちに行くことを考えるとき、歩兵をどう用いるかが主たるファクターとなった時代、と。
逆に「騎兵優位」、今問題になっている「騎兵優位の時代」というのは、
そういうシステムがまだ無い時代でしょう。
戦場で歩兵は補助的に使われるけど、下手すると騎兵だけで勝敗が決まってしまう時代。
・・・ってことなんじゃないのかな。
もちろん会戦(battle)だけを考えての話なんだけど。

まだ問題の所在がわからない感じだが、取りあえず今はこんなところで。(眠いし。)
9649:04/06/20 03:42
>74
>当時の人々が騎乗した方が歩行より有利と考えていたという意味なのか、
>当時は歩行を中心とした部隊は騎馬を中心とした部隊にはたいてい勝てないとか言う意味なのか、
このように腑分けしてくれたんだけど、
漏れにはこの違いもよくわかりませんでした。>「例の・・・」氏。

ただ、あれもこれも改めて考えると、>>65の、
>兵科の戦術的役割が違う以上、
>どちらが有利か、どちらが不利かなど一括りで決めつけるなど乱暴に過ぎる
この部分を漏れがよく理解していない(でスルーした)のが問題かな?
9749:04/06/20 03:49
今日はもう12時から文章作って、いろいろ死ぬほど後悔しているんだけど、

>>84
>いたぶっている
ひどいこと言うな・・・
一瞬息を飲んだよ。
「このカス野郎」ってことだからな。
まだ>>73氏のように「お前バカだろ?(超訳)」って言われる方がましだよ。
9884:04/06/20 11:31
>>97 49氏

それは失礼しました。私としてもその単語には最後まで引っ掛かりを感じていたの
ですが、きつい言い方だとは思いつつも代替の言葉が見つからず使用しました。

知識・情報的に優位にある人が資料や文献を矢継ぎ早に浴びせて相手を翻弄すると
いうのは、よく見られる光景です。

この行為自体に悪意はありませんが、少しでも相手が知らないであろう、調べるの
に手間と時間がかかるであろうと想像した上で使用するなら、それは悪意と言われ
ても仕方が無いことではないでしょうか。


(49氏の議論の相手がレスにおいてほとんど引用や文献を挙げていないことから、
文献を挙げる知識・環境に無いのであろうという推測です。)


(49氏には悪意は無いのかもしれませんが、読んでいる人たちには「意地悪だな」
という印象を与えてしまいます。もちろん、応援している側が反対なら「いい気味
だ」と思うでしょう。繰り返しますが行為自体には善悪・悪意はありません。)
99部外者A:04/06/20 12:13
そうか?
漏れはんな文献とかまともに読まないから「○○って文献には○○と記されてる」って言われれば丸め込まれちゃうけどなw
まぁそれでも自分なりの考えで反論することはするだろうけど
そういうとき他の人間が別のことを綴ってある参考文献を上げてくれればそれに対してももう少し議論の幅が出ると思うし

それと今現在はディスカッションじゃなくて個人同士の戦いになってるからもう少しマターリしたほうがいいんでないかと思われ
100世界@名無史さん:04/06/20 13:36
>(49氏の議論の相手がレスにおいてほとんど引用や文献を挙げていないことから、

やれやれ、酷い言われようだな
兵科の優位劣位を主張しているからその定義について質問してるだけなんだが
文献名と引用だけ書けば議論が成立すると言うのなら、一応あげとこう
フランク王国の騎兵がしばしば下馬戦闘に従事した描写はFuldの年代記にもある
ブルンナーやホワイトも使ってる一次史料だ
ポピュラーすぎだなw

で、自分が知識不足でお勉強できるような環境じゃないことはよくわかったから、
>>84の「支離滅裂」とは何を指してるのかご教授願いたいのだが?
101世界@名無史さん:04/06/21 12:12
>>72みたいな煽りにしか見えないレスをする辺りが……
>>72でもまっとな反論はしてるけど反論したいだけなら煽りはいらんよな
10284:04/06/21 20:28
つーか名無しで喚いたって誰も聞きゃせんだろ。
103例のにゃあにゃあ:04/06/21 21:13
文献羅列して悪いニャ。
 1.alfred burne, the battlefields of england, london, 1950,pp.28-33
 2.john beerler, warfare in england 1066-1189,new york,1966,pp.19-24
 3.sir charles oman, a history of the art of war in the middle age vol.1,london, 1978(first ed.1898),pp.159-166
 4.jim bradbury, the medieval archer, suffolk,1985,pp.28-29
 5.hans delbruck, medieval warfare, london,1990(org ed.1923),pp.151-154
 6.david douglas, william the conqueror, yale,1999(first ed.1964),pp.200-204

上の本にヘースティングスの戦いの流れが記されていたけど、戦いの流れの概略においてはだいたい一致してるみたいだニャ。
ただどこまで細部を記述するか、戦いのどのステップを書き、どのステップを省略するかに差があるニャ。
基礎史料もだいたい決まっていて、バイユーのタペストリーと、ポワティエのギヨームの年代記が使われるニャ。
一番詳まとまりいいバーン(1の本)の記述を土台にして流れを書くニャ。
1.ノルマン弓兵の攻撃。
2.ノルマン歩兵隊突撃、失敗。ここで攻撃失敗に伴う反撃があったが全て撃退されている。
3.ノルマン騎馬兵突撃、失敗。
4.ノルマン総攻撃(騎兵も歩兵も全て前進)、イギリス崩壊、ノルマンの追撃
104例のにゃあにゃあ:04/06/21 21:14
本によって騎馬兵の記し方が異なってるニャ。騎馬兵は cavalry,knight,horsemen で、歩兵は infantry でだいたい統一されてるニャ。
この中で最も研究者の関心を引いているのが、1、3だニャ。
他はどうでもいいみたい。
1を根拠に11世紀には既に弓兵の集団運用が行われていたとか言う解釈が生まれてるニャ(ブラッドベリーの説(4の本))。
ヘースティングスで騎馬兵の集団突撃が行われたという共通認識があって(この認識が問題視されている様子が見つからない)、
ヘースティングスの戦い以降、アングロ・ノルマンの戦いは騎馬兵による集団突撃が主流となる、という意見と、
この戦いで騎馬兵による集団突撃の不利な点が認識されて行われなくなると、言う意見が対立する事になるニャ(>>54のカキコ)。
105例のにゃあにゃあ:04/06/21 21:15
少し変わったところでは、ヘースティングスに見られるような騎馬突撃は極めてまれなケースで、
その原因はたいていの軍では騎馬兵その物が不足していたからだという意見もあるニャ(フランスの説 :john france, western warfare in the age of the crusades 1000-1300, new york, 1999,pp.157-165)。
どれも戦場での騎馬兵、歩兵の兵科分けは当然として、それがどう使われているのかって感じで記述が進んでいるように見えるニャ。
106例のにゃあにゃあ:04/06/21 21:17
後、ヘースティングスの戦いとブーヴィーヌの戦いを比較して気がついたんだけど、
騎馬突撃って最後の一撃って感じで行われるんじゃないかって気がするニャ。
ヘースティングでは弓兵、歩兵、騎馬兵、総攻撃って順で、ブーヴィーヌは右翼、中央、左翼で独立した感じで戦いが行われたけど、
その中でフランスの右翼では軽騎兵の突撃、敗走、騎士の突撃、敵将の捕縛って感じだニャ。
他のところはいまいち戦況を掴みづらいけど、
ジョン・フランスの図(john france, western warfare in the age of the crusades 1000-1300, new york, 1999,pp.xiv-xv)によると
右翼が騎馬兵同士のメインの戦場で中央左翼は歩兵の防壁で皇帝の攻撃を受け止めるといった感じだニャ。
皇帝軍も主力の騎馬兵は右翼へ回して中央左翼は歩兵をぶつけてるニャ。
だけど、戦いの帰趨は右翼で決してるニャ。
ヘースティングでも、ブーヴィーヌでも騎士より先に歩兵とか、軽騎兵(騎士より身分の低い騎馬兵を指すみたい)を突撃させて敵陣を乱してから、
メインの騎士が突撃すると言った感じだニャ。
たしか、ファルカークの戦いも騎兵(歩兵という説もある)の迂回攻撃と正面からの歩兵の牽制攻撃が同時に行われて、続いて弓兵の攻撃、
最後に騎士部隊の突撃で幕を下ろしてるニャ。
107例のにゃあにゃあ:04/06/21 21:17
ここでも、ちょくちょく話題になっているバイユーのタペストリーのサイトを見つけたから出すニャ。
当時の戦いの雰囲気をよりよく掴めると思うニャ。
ttp://www.angelfire.com/rnb/bayeux_tapestry/index.html
タペストリーはバイユー司教オドが制作を指示したと言われてるニャ。
オドはヘースティングスの戦いにも参加したウィリアム征服王の腹心だニャ。
108例のにゃあにゃあ:04/06/21 21:22
最後に、フランク期はもとより中世盛期においても下馬戦闘が行われた例は幾らでもでも見つかるし、
歩兵優位論を展開する研究者もそこを論拠にしているニャ。
逆に騎兵優位論者も下馬戦闘があった事を知った上で
中世盛期を「封建騎兵優位の時代」と呼んでるんだニャ。
問題は下馬戦闘があったかいなかではなく、それが当時としては
ノーマルな戦い方だったのか、
アブノーマルな戦い方だったのかという点にあるみたいだニャ。
109世界@名無史さん:04/06/21 21:35
>>102
議論に参加せずに他人にケチつけてばっかりの君もなかなか香ばしい。
110世界@名無史さん:04/06/21 21:47
>>102
名無しだから何を言ったところで説得力はない?
じゃあ漏れが名前欄に84と書けば何を言っても誰かが聞くのかね?
11173:04/06/21 22:11
>>にゃあさん
基本的に合ってます。兵科分けして、それがどのように用いられたかを記述して活用するために
記録しておくわけですからね。だからこそ(事実を記しているならば)価値があるというものです。

騎馬兵(というか、にゃあさんの例での騎士)は最初から正面切って突撃を仕掛けていたわけでは
ありません。乱戦をある程度、制することが出来た後、最終的に突撃を仕掛けて中央ライン突破を
図るのが一般的(な戦術)であるというような主旨で記されています。

>>106にて「敵陣を乱してから〜」という発言もありますが、弓兵→軽騎兵(この場合は騎士よりも
身分の低い騎兵・領兵)の順で敵の動きを止め、薄手を狙って騎馬が突撃を仕掛けるのが通例と
私は考えています。無論、混乱状態に陥らせるという意味合いでは同様ですが。
趨勢を見極めた上で打破、或いは撤退の判断を下すというのは非常に合理的ですね。

ただし、馬での突撃は長時間行えるものではなく「馬を捨てて」、つまり下馬して戦う場合も数多く
存在していたとする説もあります。(乗馬の機会が多い私個人の経験則としても頷けます)
112例のにゃあにゃあ:04/06/21 22:33
>>111
返答感謝するニャ。
まず、なぜ我が輩のカキコが合っていると言えるニャ?
我が輩はこの手の本の記述が本当に信頼にあたるかどうか、もう十数冊読んでも確信を持てずにいるのに、なぜ、こうもあっさり言えるのか我が輩には分からないニャ。

それから、他の部分については何を見てそう思うのか教えて欲しいニャ。
これだけでは、信頼できる記述なのか、単なる想像なのか判断できないニャ。
113黒沢明「七人の侍」は:04/06/21 22:40
満洲国の現実を、時代劇に置き替えて製作された映画である、という真実。

「勝ったのは百姓だ…」
114世界@名無史さん:04/06/21 22:53
むう、文献名を出したら今度は逆切れさせてしまったようだな
しかし匿名掲示板でそんなこと言っても仕方が無いぞ>>102

当時既に騎乗歩兵や騎乗弓兵が珍しくなかったこと、
当時の軍隊が主に自由民で構成となっていたこと、
メロヴィング朝初期の兵制改革後、フランクの騎兵と歩兵の装備に
ほとんど差異が見られなくなったこと等を考えれば、
騎兵が必要以上に下馬して戦うことを躊躇う理由は考えにくい
当時の年代記にも、沼沢地のような騎兵の運用に不利な地形等では
下馬して戦っていたし、一方で騎兵の華々しい活躍を記述した記録も珍しくない
徒歩で戦ったほうが有利と判断すれば徒歩で、騎乗して戦ったほうが有利と思えば
騎乗してとういうふうに、結構フランクに両刀使いで戦っていたのではなかろうか
なんせフランク王国だからな
115例のにゃあにゃあ:04/06/21 23:26
>>114
フランクの軍制について教えて欲しい事があるニャ。
フルダ年代記の何語版を使ってるニャ?
フルダ年代記でないとしてら何年代記かニャ?
我が輩は最近、フランクの軍制についても調べ始めたんだけど、フルダ年代記の英語版はみつか無かったニャ。
>>100 を見てからこの年代記がどう重要かは分からないけど重要らしいからと思って調べたんだけどドイツ語版しか見つからなかったし、ドイツ語は読めないから断念したニャ。
だから、具体的に何年に行われたなんという戦いか、例を示して欲しいニャ。
戦いの例さえ示して貰えれば、
他の本からその戦いがどのように評価されているか分かるからニャ。
116世界@名無史さん:04/06/22 01:49
ごめんね、にゃあにゃあが○○いんであぼん機能使ってたから気がつかなかったよ

>フランクの軍制について教えて欲しい事があるニャ。

質問の意図とその後の質問の関連性について説明が無いのでどう答えれば満足するか
自信がないが、取り敢えず答えとく
質問の意図を汲んでなかっららごめん

>フルダ年代記の何語版を使ってるニャ?

すまんが戦前のラテン語のガリ版だ
ドイツ語版のほうが百万倍マシだな
しかし自分が何語版を読んでるのかがフランクの軍制と関係あるのか?

>フルダ年代記でないとしてら何年代記かニャ?

フルダを挙げてるのにその質問の意図がよくわからんが、糾弾されてるのか?
正直文献をぶつけ合うだけなんてのには興味を感じないんだ、ごめんね

>例を示して欲しいニャ。

「よく知らんけどお前は間違ってる」とか「文献名出してんだから後は自分で調べろボケ」とか
言われた手前気が引けるが、デイル(デールか?)戦はブルンナーも引用してるから
調べやすいだろうか?
後のローマ皇帝アルノルフも絡んでるし

>どう重要かは分からないけど重要らしいから

まあ、知識不足で支離滅裂な素人の名無しが妄想喚いてるだけだから気にしちゃいかんぞ!
>>102の言ってることは全く正論だ
117世界@名無史さん:04/06/22 02:46
まぁなんというかキモイ喋り方するコテハンが○○ってのは同意するが
最後の二行がなんだか……自虐的というか、んなこというぐらいなら名前欄になんかつっこめ
118例のにゃあにゃあ:04/06/22 04:21
>>116
解答感謝するニャ。
Fuldとあったから、正直なところフルダ年代記か自信がなかったんだニャ。
我が輩が見た本ではたいてい Fulda、親切なところだとannales fuldenses って書いてあったから、
我が輩の知らない未知の年代記かもしれないと思ったんだニャ。
言語を聞いたのはもしかしたら英語か日本語版かと思ったんだニャ。
あるなら、そっちの方が読み易いからニャ。

中世ラテン語が読めるのかニャ。
うらやましいニャ。
ついでだから、もっと教えて欲しいニャ。
最近ガッコの図書館で、ドイツの古文書集を見つけて短い文ばっかりだから読んでみようと思ったんだけど、
ぜんぜん読めなかったんだニャ。
オックスフォードのラテン語辞典とか、研究社のラテン語辞典を使ったんだけど、
載ってない単語ばっかりだし、古代ラテン語となんか感じが違うんだニャ。
といっても、古代ラテン語もよく分からないから、どう違うとは言えないけど...
なにかいい、入門書か辞典ないかニャ。
何とか意味が取れるのは決まり文句みたいに文頭に出てくる。
In nomine sancte et individue trinitatis. とか
In nomine domini nostri Jhesu Christi.
くらいだニャ。だけど、 individue って individae じゃないかと思うんだけどどうなのかニャ?

>>117
ごめんニャ。ここに来たばかりの時にも言われて、
「ニャ」を抜いて書いてみたらもの凄くいやみったらしいおばさん言葉になって、
周りは一気に引いちゃうし、我が輩もその文を見直してみて自分ながら凄くめげたから、
元に戻したんだニャ。
どうも、変な言葉で自分をごまかさないと、文がきつくなるみたいんなだニャ。

宿題で徹夜明けでハイだから文がおかしいところは許して欲しいニャ。
119世界@名無史さん:04/06/22 08:00
そんな自分の都合言う前に他人の言うこと事考えるべきだと思う。

結局、自分が酔えるからそうなさってるんでは?

それでは某冒険とかわりません
120世界@名無史さん:04/06/22 10:12
論点がずれてる、ここは誰それにラテン語を教わるスレじゃないかと。
121例のにゃあにゃあ:04/06/22 20:48
>>120
49さんと一連の議論をした人と同一人物か分からないから、同一人物と判断してレスするニャ。
当初は「中世西洋では騎馬兵にのみによる突撃が行われた事があるかいなか?」だったからヘースティングスではあったとか言う話を出したら、
何か不思議な議論を始めて、
ついにはフランクの軍制がどうのというところへ話をずらし、
>>71でスレ違いとの疑問が出てもかまわず話を続けるような人だから、
論点だとか、スレ違いがどうのとか気にしない人だと思ったから、
ふってみたんだけどどうしてここに来て論点とか、スレとかを気にするニャ。
それに、辞書や入門書を教える程度なら、1レスですむのになぜ?
正直なところ、49さんとなぞの名無しさんの一連の議論をどう判断し、理解したらいいか、判断しかねているところだニャ。

「まあ、知識不足で支離滅裂な素人の名無しが妄想喚いてるだけだから気にしちゃいかんぞ!」

たしかに、気にせずこの態度を取ってもいいのだろうし、そうした方がよけいな労力払わなくて済むのだろうけど、
せっかく近いところを調べた事だし、新しい本との出会いのきっかけになるかもしれないし、
一部の人はそれ相応の労力を払ってカキコしたと思うから、調べているところだニャ。
122世界@名無史さん:04/06/22 21:00
馬の足が人間より速いのは認める
でも純粋に格闘の道具として馬は強いの?
123120:04/06/22 21:21
いや、漏れただの通りすがり。
漏れはただ単に
「自分が読んだこの本にはこんな事が書いてあったが、オメーは一体に何を読んだんだ?本当に読んだのか?」
と、やたら自分の知識的優位をひけらかして相手を痛ぶってるようにも見えるから
話を元の方向に戻したくてツッコんだだけだよ
124世界@名無史さん:04/06/22 21:51
むむ、怒ってるようだな

>ついにはフランクの軍制がどうのというところへ話をずらし、

フランク騎兵の下馬戦闘の妥当性の根拠の一つに軍制を挙げただけだが、
話をずらして逃げてると思ったか?
フランクの軍制について質問があると言いながら、
全然軍制についての質問が無いから之如何と思っていたが、
そういう意図だったか
これ以上君にレスすると更に君の血圧を無駄に上げかねんから
またあぼんさせてもらう
すまんね
125例のにゃあにゃあ:04/06/22 22:08
>>120 ごめんニャ。勘違いしたニャ。
あの質問にこれはないだろうって思ったんだニャ。

ここに来たばかりの頃に、ちょっと本の話をふったら、それを凌駕する量と質の本を教えてもらったんだニャ。
下の弓スレと騎士団スレで、
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1065707943/
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046634307/
たがら、ここには凄い読書家や研究者の人がいると思ってるんだニャ。

それで、知ってそうな人がいると質問せずにはいられなくなるんだニャ。
こちらの手の内を全て晒せば、そこに足りないものを教えて貰えるだろうと。
それなのに、あの答えはないだろう、って感じだニャ。

別人なら別人で、早とちりを誤るニャ。
ごめんなさい。それじゃ。
126世界@名無史さん:04/06/22 22:41
>>122
格闘の道具というか、戦場でも扱えるようにした馬(軍馬)を飼育する手間とコストに見合うだけの価値が
存在したからこそ普及・用いられた。主に機動力確保のためであり、斥候・伝令などの「速度を要する」
兵科にとっては騎馬は必須といっても過言では無かった。

ただし、当然のことながら騎馬そのものに戦闘力を求めることは無理な話。訓練・調教が不十分な馬は
戦場での喧騒だけで竦み上がる。本来が神経質で従順、臆病な性格の馬が多いからね。(例外あり)
弓矢を射掛けられれば容易に打ち倒されるので弓兵隊は天敵。(ただし数を頼みに突破する例もある)
ちなみに日本では馬が貴重種だとして弓を射掛けたり傷付けたりすることを禁忌としていたとされる。
127世界@名無史さん:04/06/22 23:05
騎兵というのは馬の体格にもよるが並の人間より数十センチ以上背が高い大男みたいなもんで
その大男は武器を振り回すだけでなく四本もある足で強烈なキックを放ち
しかも足も速くてとても逃げてきれないとくれば弱いわけがない
128126:04/06/23 08:35
>>127
実際に馬に騎乗したことはないな?
貴方の軍馬のイメージはあまりにオーソドックスな代物なんだが、実際はその逆。

上背(高さ)を生かしての攻撃は確かに強烈。だか、歩兵・徒歩に対して極端な攻撃力を
有するのかといえば答えはノー。騎馬のメリットは機動力の一点に尽きる。

四本もある足でキックを放つような馬は、戦場では駄馬と言える。戦闘の際に、制御に
気を配らなければならない馬は軍馬にはなれない。必要なのはスタミナと速度、それと
喧騒と突発的な事態(弓矢を射掛けられるなど)に対応するだけの沈着さ。
重い武具を身に着けた騎手が武器を振り回し、馬は前足・両足でキックを放ち、縦横無尽に
戦場を駆け抜けるなんていうのは漫画や映画だけのお話。実際にやったら、すぐにバテて
戦闘どころではなくなること必至。(アラブ系原産馬ですら十分も持てば良い方だ)

もちろん、背走する兵の追撃時に有効なのは確かだ。
ただ、それに伴って他の兵科も前進しなければならないから、追撃役は軽騎兵が担う。
129山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/23 12:50
>>126
ようやく出番が・・・
>ちなみに日本では馬が貴重種だとして弓を射掛けたり傷付けたりすることを禁忌としていたとされる。
延慶本『平家物語』や『源平盛衰記』の記述を信じるとすれば、当時(治承・寿永の内乱期)には馬を
射ることが流行しており、そのため最初から組打に持ち込む様になっていました。
また従者も長刀で相手の馬を足をなぎ払って攻撃する事があったらしい。
現存する文書の中には、遠征先から館に送った「馬に従者を乗せて現地まで送って欲しい。但し馬具が間に合う
ようでなければ、馬を曳かせて来させてくれ。」という手紙が存在しており、全くの創作では無かったかと。
なおこの頃には馬体を敵にぶつけるような戦い方も出て来ますが、特に馬に慣れていない人間が馬に乗るように
なったために生じたものではないかという解釈もあります。それまでの基本は騎射。
>>128
>もちろん、背走する兵の追撃時に有効なのは確かだ。
実は我が国でも騎乗したまま戦うのは追撃時が多かったようで、戦場で常に馬に乗ったまま戦うのは下
策であり、追撃に用いよとは大久保彦左衛門が回想を記した『三河物語』などに書かれている事です。
中世前期の絵巻でも、そこそこ馬を走らせているのは追撃・移動時の様ですね。
>気を配らなければならない馬は軍馬にはなれない。
以前中世日本の馬が「人や猿に噛み付くような」凶暴なものが好まれていた事を「難」と見做したところ、
Krt氏から「去勢をしていない男性ホルモン旺盛な元気のよい馬」でもないと甲冑付きの重量を支えき
れなかったろうから、去勢がなく気性の荒い馬を選んだのは正解では無かったかと言われてしまいました。
小さな馬体で重量を支えるための処置というお話で、必須という訳では無かったのですが。
ただ「並の人間より数十センチ以上背が高い大男」になれるような馬が暴れる必要はありませんね。
130例のにゃあにゃあ:04/06/23 18:30
>>125
よ、ようやくまともな論者が現れたニャ。
山野様、質問してもよろしいですか?
>>51に関わる事です。
私は中世日本の戦いは映画とか、小説でしか知らないのですが、
戦いでの戦死者の数は多かったのでしょうか、少なかったのでしょうか?

私のイメージは、日本の戦いはまさに殺し合いで戦死者が多い、と言った感じです。
もし、このイメージ通りなら、中世西洋と中世日本とで騎馬兵の運用法が異なる原因はここにあるのかと思うのです。
中世西欧(封建騎兵優位の時代と言われる時期の11から14世紀初頭迄)の戦いは
一昔前はスポーツ、近年に入ってからはビジネスと評される事があります。
そう言われる理由は戦いでの戦死者が異様に少なく、捕虜が多いからです。
死傷者が多数出たヘースティングスの戦いは例外中の例外として捉えられていまして、
この戦いで余りに多くの戦死者が出た事に対する贖罪を理由に、
参加者とそれに続く二、三代の子孫達は教会に多くの寄進をしたとかいう説も現れています。
(寄進の真の理由は経済的なものらしいですが)

それから、ここで示されたKrt様の発言とはこれの事ですか?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1022771504/785-786
131山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/23 19:15
>>130
>戦いでの戦死者の数は多かったのでしょうか、少なかったのでしょうか?
なかなか難しい問題ですね。平将門の乱の顛末について記した『将門記』に
出て来る戦死者は一回の戦闘で数十人程度で、一度の戦闘に動員されたのが千
人になるかならないかであったとしても多いとは言えません。
(当時の合戦の武器はほとんどが弓矢であったようです。)
また前九年の役について記した『陸奥話記』によれば既に残党狩りも存在して
おり、戦闘終了直後の戦場には僧侶しか入れませんでした。
この時、敵に知り合いがいたので捕まってからも釈放された武士がいましたが、彼
は虜囚の辱めを受けてコネでのこのこと戻って来たというので謗られています。
残党狩りについて分かり易いのは元寇時の話でしょう。文永の役の時には取り
残された船の120人全員が殺害され、弘安の役の時にも2000人ほどが降
伏したものの、旧南宋兵が下人扱いで助かった以外は殺害されています。
(国内戦とは単純に比較出来ませんが)
元々武士の本分は『男衾三郎絵詞』にあるように、
「馬庭のすゑに生首たやすな、切り懸よ」 「この首を戦神に奉らん」
といった日常的に殺生を行う事にあったとも言えるので、少なくともスポーツ
的なものでは無かったと思われます。武士と庶民層の台頭が著しい『今昔物語集』
には、早くも悪人往生の思想が見られるのも、そうした殺生を行う人間の社会
進出を無視出来なかったためでしょう。
ただそれが騎馬兵の運用につながったかどうかは・・・?
戦死者に関する具体的な数字としては関ヶ原の合戦で当日に生じた死者数がお
よそ5000人ほどであったというのがあります。10万人以上が戦った割に
は少ないと思いますが。
>それから、ここで示されたKrt様の発言とはこれの事ですか?
はい、それの事です。
132山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/23 19:20
改めて、武士の名誉について。治承・寿永の内乱の頃から、それまでの騎射
も含めた弓矢中心の戦の中に馬上組打(東国に多く、組み合って相手を刺殺)
や、馬上打物(西国に多く、刀で兜を打って落馬させた)が加わるようにな
ります。しかし、合戦時の傷は中世を通して矢(後に鉄砲が加わる)による
ものが多数を占めており、白兵戦による被害は寧ろ少数派でした。
にも関らず白兵戦のイメージが強いのは、結局首をとるのが目的であったか
らというのが大きいようです。
狩猟採集民は現在では採集狩猟民と言うそうですが、彼らの口にする食事の
大半は目立つ狩猟ではなく地味な採集によって得られているにも関らず、狩
猟による成果とそれを行う男の地位が高位に位置づけられているらしい。
目立つもの、珍しいものに重点が行くのは共通しています。
敗者は軍功の証として首や見事な鎧を剥ぎ取られて見世物にされるのが常で
あり、死ぬ前に従者に取って行かせたという話も見えています。死体を晒す
事も恥とされていたらしい。
つまり我が国では相手の首や鎧を取ることが名誉に繋がり、取られる事が不
名誉に通じるために、実際に活躍した矢戦よりも組打などの描写が増えたと
いう事でしょう。全体から見た戦死者数はともかく、高位の者は殺すか殺さ
れるかでした。
133世界@名無史さん:04/06/23 22:10
騎馬で突撃とか迂回攻撃とかは相手の戦列を突き崩すことが目的だから馬で蹴り殺すとかそういうのは副次的なもんじゃないかな?
もちろん敵兵を殺せるならそれにこした事はないのだろうが。騎兵は殺傷力より衝撃力でしょう。あと機動力。
134例のにゃあにゃあ:04/06/23 22:47
>>131
解答感謝するニャ。
一回の戦闘で、千人程度参加して数十人の戦死者でしたら、
中世西洋の戦いと比べると極めて多いように思います。
西洋ではそのくらいの人間が戦って、一人とか二人とか言うレベルです。
その代わり捕虜が何十人、何百人と言った感じです。

西洋と日本では戦いに対する基本的な考え方が大きく異なります。
日本では相手を殺す事が名誉と言う事ですね。

西洋ではキリスト教徒同士が殺し合う事は基本的に罪とさています。
そのかわり、異教徒や異端ならどのような手段を弄して殺しても良いようですが、
それにも一定の制限がかかることがあります。
例えばドイツ騎士団は改宗の見込みがある異教徒まで殺すと現地の司教に非難されて教皇庁へ訴えられた事があります。
一三世紀頃に教皇庁から戦争は法に従い不和を解決する一つの手段だとの公式見解が出された事もあります。
キリスト教徒同士の戦争において、戦争とは戦術の限りを尽くして相手を殺すと言うよりは、
一定のルールの下で戦いによる採決を行うと言った性格のもののように見えます。
交渉相手や、身代金を取れる金蔓を殺してしまっては元も子もないといった感じです。
135例のにゃあにゃあ:04/06/23 22:48
1214年に行われたブーヴィーヌの戦いはキリスト教徒同士の戦いの様式が最も整った戦いだと考えられています。
メインの戦いは馬に乗った騎士同士の戦いと考えられていますが、
馬で突撃してしその衝撃力で相手を撃ち破ると言うよりは、
馬で相手に近づき、後は個々に一騎打ちをすると言った感じです。
戦いでは人ではなく、馬を殺したとか馬を殺されたとか言う記述が目立ち、
個々の戦いの勝敗も何とかと言う人が何とかという人を捕虜にした、と言った感じの記述が目立ちます。
一騎打ちにこだわる要因の一つに身代金があります。
身代金を受け取れるのは基本的に捕らえた人です。
従って他人に介入されると、身代金の取り分が減る、あるいは全く取れなくなる恐れがあります。
中世西洋の戦いがビジネスだと言われる一因は、この身代金制度が整っていた事によります。

この騎士の戦いが、勝つためには手段を選ばず、殺しもやむ得ず、といった感じに変化するのが、
平民の兵が主力となり始めた14世紀初頭頃と考えられています。

日本と西洋で騎馬兵の運用法が異なる原因と、戦死者の数に関連があると考えたのは、
日本では戦術とは効率よく相手を殺す術だと考えられ、
西洋では殺すよりも捕らえる方に重点が置かれたためではないかと考えての事です。
136山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/23 22:58
>>135
御丁寧にどうも。またえらくのんびりしていたのですね。しかし、
>この騎士の戦いが、勝つためには手段を選ばず、殺しもやむ得ず、といった感じに変化するのが、
>平民の兵が主力となり始めた14世紀初頭頃と考えられています。
これには驚きました。それというのも、我が国でもほぼ同時期、南北朝時代
から楠木正成・赤松円心やそれに従う有象無象の輩が戦闘に参加するように
なり、放火やゲリラ戦といった「卑怯な」方向に戦闘法が進化していたから
です。
騎乗した者と徒歩の兵の連携が見られるようになるのも『太平記』から。
一騎打ちを望んで進み出た者がいても、「アホらしい、こんな奴ら相手に命
を捨てられるか」と雑兵が砦から一斉に矢を射掛けて殺害する光景も展開す
るようになります。
そして騎乗した侍に従う存在であった徒歩の兵の重要性を増し、応仁・文明
の乱の頃には彼らが長槍を構えて集団戦を行うようになります。
137ttdd:04/06/24 10:56
キリスト教徒の死生感というのがあります。絶望的な戦いで戦うのは自殺行為
とも取られました。キリスト教では自殺はしてはならず、天国へもいけず埋葬も
区別されました。自殺的神風攻撃は教理上できませんでした。
また、そのような絶望的状況で戦い、生き残ったとしても裁判にかけられ有罪になることもありました。
138世界@名無史さん:04/06/24 11:04
>>135
>解答感謝するニャ。
>一回の戦闘で、千人程度参加して数十人の戦死者でしたら、
>中世西洋の戦いと比べると極めて多いように思います。
>西洋ではそのくらいの人間が戦って、一人とか二人とか言うレベルです。
>その代わり捕虜が何十人、何百人と言った感じです。

>西洋と日本では戦いに対する基本的な考え方が大きく異なります。
>日本では相手を殺す事が名誉と言う事ですね。


一概にそんなこと言えますかね・・・
ちゃんと日本・西洋の戦死者を比較考量しないと・・・
139世界@名無史さん:04/06/24 11:21
百年戦争とか見ると、ヨーロッパの方が戦死者とかは桁違いに多かったような気がするんですが。
140126:04/06/24 12:19
>>129
お久し振りです、山野さん。相変わらず含蓄深いご意見で感服しています。

>全くの創作で無かったかと。
なるほど。戦場において馬を切り崩して騎乗する者を仕留める戦術が日本に存在していたことは
知っていましたが、西欧と比較して馬を調達する労力とコストが割高であったことから馬に対して
危害を与えることには消極的であった、と考えていたのですが実情は異なっていたのだね。
>騎乗したまま戦うのは追撃時が多かった
ここに関しては私も承知の通り。どう考えても戦場にそのまま騎乗したまま突っ込んでいくような
戦い方は非効率且つ危険を伴うものであったという点には大いに頷ける。(下策の下策だろう)
三河物語の追撃にこそ馬を用いよ、という件は私も知っていたために敢えて追撃の例を挙げた。
>去勢をしていない男性ホルモン旺盛な元気のよい馬
これも頷ける意見。私の意見は「大人しさを追求した馬が軍馬に向くというわけではない」ので。
実際に騎乗すれば分かるのだが、気性の荒い馬は信頼を勝ち得ると意のままに動いてくれる。
制御する手間すら不要。あくまで「無意味に暴れまわる」馬は軍馬になれない、という意見です。
141世界@名無史さん:04/06/24 12:27
>>133
その通り。全く同意見。
隊列を突き崩すために軽騎兵→正騎兵の順で仕掛けられていた、という要旨の記述が目立つ。
殺傷力(攻撃力)そのものよりも撹乱・追撃などの速度を要する戦術において重用されたのだろう。

>>138
動員された兵数と戦死者の割合を考えても妥当な意見と思われる。
身代金目当てに敵兵を捕縛するのが主流であった西洋と、相手の首級を挙げて恩賞を得るという
日本を比較すれば当然ながら後者の方が戦死者の割合は多い。ただ、これも時代が進むに従い
西洋でも身代金云々という概念は廃れていった(民兵による数と数の衝突に移行した)ので、戦死
割合は徐々に高くなっていった。
142山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/24 14:59
>>140
ご心配なく。あなたの御意見を否定しようとした訳ではなく、ただの追加でしたので。
なお『平家物語』で有名な生喰は、従者が止めようとしたのを振り切って敵に向って行
ったそうです。でも御陰で磨墨相手に先陣が切れましたし、こうした馬を制御するのが
乗り手の器量と見做されていたようですが。
名前からして噛み付く馬であったようで、小栗判官の「鬼鹿毛」のようなものであった
のでしょう。こうした馬は厩の猿に噛み付く事もあったようです。
へラクレスの冒険譚に出て来た人食い馬というのもこの関係でしょうかね。
143例のにゃあにゃあ:04/06/24 19:31
>>136
日本も同じ時期とは、これは凄いニャ。
何か変な関連を想像したくなるけど、
いま分かるのは西洋と日本でほぼ同時期に戦いの手法が変化したという事だけだニャ。

西洋で戦いの手法が変化した原因は色々な要因が絡み合っていまして、
明確な説明はできませんが、
その色々ある要因の中で三つの要因なら提示できそうです。

一つは領主層(騎士層と言ってもいいかな)の意識の変化です。
例えばイングランドでは13世紀中頃から騎士達が戦争に参加する事を忌避する傾向が強くなります。
当時の慣習では王の求めに応じて戦争に参加するか、軍役代納金を支払うかの選択ができました。
13世紀中頃から騎士は軍役代納金の支払いを選択するケースが増えてきます。
理由は戦争に出るよりも、軍役代納金を支払っても領地経営に専念した方が経済的に有利だと考えるようになったからだ、
と言うのが一般的な理由のようです。
144例のにゃあにゃあ:04/06/24 19:32
もう一つは戦争を行う当事者の都合です。
君主が臣下に出陣を求め、臣下は自費で戦争に参加する、という形の封建形の軍制ですと、
従軍期間、従軍地域、対戦する相手などが制限される事が多々あります。
特に対戦する相手が制限される原因の一つに
西洋では騎士は当たり前のように複数の君主を持つ事があげられます。
自分の君主同士が戦争になった時に参戦を拒否したり、
戦争中に陣営替(裏切りですね)を繰り返したりする事が多々あり、
このタイプの軍はとても信頼にたる代物ではなかったそうです。
そこで、君主は傭兵に依存するようになり、
臣下には戦争参加より軍役代納金の支払いを求める傾向が強くなります。
イングランドはその意味でフランスなどより進んでいまして、
13世紀末頃にはインデンチュア・システムと呼ばれる特殊な傭兵制度
(ほんとはこう言うと語弊が多い制度だけど説明が難しいので、とりあえずこう呼びます)
を採用して徐々に軍全体をこの制度に合わせて改編し、一四世紀初め頃にはほぼこの新システムへの移行を完了しています。
新システムの軍は君主の手足のように動き、戦争に勝つ事を目指して編成されていますので、
従来のように個々人が身代金目当てで一騎打ちをするなどという事が許されず、
身代金目当てで参戦するわけにもいかなくなったようです。

殺そうが殺すまいが、卑怯であろうがあるまいが、キリスト教的道徳がどうだろうが関係ない。
とにかく何をしてでも戦争に勝て、こんな感じの軍隊が作られ始めたといった感じでしょう。

この二つを合わせて考えると、一般的には臣下は戦争に参加したくないと考え、
君主は臣下に戦争へ参加するより金を払って欲しいと考えるようになり、
君主と臣下の利害が一致したと言えます。
145例のにゃあにゃあ:04/06/24 19:33
最後の一つは平民の台頭です。
スイスに代表されるように、平民が領主の支配を嫌って自ら軍を編成して領主に戦いを挑み、
平民が勝利すると言った事態が一四世紀初頭頃から多発します。
これは都市が経済的にも軍事的にも相応の実力を備えてきた事が大きな要因のようです。
それから、平民の軍は騎士の軍より追い詰められた状態で戦う事が多いように思えます。
例えば、一四世紀初め頃に行われたデンマーク・ハンザ戦争だと、ハンザは初戦で敗退を喫し、
軍を率いていたリューベック市長は敗戦の責任を問われて公開で斬首に処されています。
ちなみに、最終的にはデンマーク王が全面降伏する形で戦争は終結しています。

封建領主の戦争なら、戦争当事者たる領主が納得するか我慢すれば済む話ですが、
都市の場合は多くの市民(たいていは裕福な市民)がみんなで話し合って戦争やむなしとなり、
市民の多くが苦しい台所事情をやりくりして何とか軍資金と人員を拠出したんだから、
どんな手を使っても、どれだけ犠牲が出ようと、なんとしても勝たなければならない、
そうでないと市民の決断と犠牲が無駄になる、
という感じです。

以上三つの他にも様々な要因が絡んで一四世紀初頭頃から西洋では戦い方や戦いの様相が様変わりし始めます。
戦死者が急増し、戦争に参加する兵員数が増大し、戦争に費やされる物資の量と期間が拡大します。
146山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/24 19:50
>>145
詳細なご説明、有難う御座いました。しかし(知ってはいましたが)複数の
君主を持つ騎士といい、デンマークを全面降伏させるハンザといい物凄い
世界ですね。傭兵といえばスイスなどのものを除いて数合わせという印象
が強かったのですが、そうした騎士との関連性があったとは。
147世界@名無史さん:04/06/24 20:00
厨な質問だが、
日本刀は結構優秀みたいだけど、
日本の馬、弓、鎧、兜なんかは優秀なの?それともショボイの?
それと、弓&刀と槍&刀はどっちが強いの?
148世界@名無史さん:04/06/24 20:07
日本の防具は日本の武器を想定してつくられてるし西洋の防具は西洋の武器を想定して作られてる。
だから比較することにはあまり意味などないよ。
弓&刀と槍&刀という組み合わせの意味がようわからんのだが
想定される敵との距離によって使い分けるのでその比較もあまり意味がない。
149世界@名無史さん:04/06/24 21:46
>>148
レスサンクス。
まあ直接比較する意味は無いよな。
ていうか構造的に技術的にはどっちが進んでたの?
150世界@名無史さん:04/06/24 22:29
馬は当時の世界の標準くらい?
弓は世界一デカい?、威力はいろんな意見があるみたい。
鎧や兜は機動性と防御力のバランスが取れてて優秀。
151山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/24 22:55
馬→体高は、通常130cm。大きなものでも145cm。兵馬俑の馬とほぼ同じです。
弓→世界有数の大きさでしょう。通常のものでも2m25cmほどで、源為朝などは本
人が大柄であったので2m50cmほどもある五人張りの強弓を使用していました。
しかしそのせいで肝心の騎射の方は死角が多く、門や静止した馬の上から射たという描
写が多いですね。この頃組打や打物に犯されつつあった騎射に必要とされたのは短弓。
こちらの方が馬上で使い易いからで、年寄りは若者に短弓を使うように指導したとい
う話が延慶本『平家物語』などに出ています。
モンゴル軍は馬上用の短弓と地上用の長弓を使い分けており、矢も各三十本ずつ用意
していたといいます。
152149:04/06/24 23:20
ありがとう。長年の疑問が晴れた。
153例のにゃあにゃあ:04/06/25 00:22
>>146
ハンザは怖いニャ。
この商人集団は15世紀後半にイングランド王に対しても戦争をしかけてるけど、
イングランド王に全要求を呑ませるのに成功してるニャ。
ハンザにしてみれば完全勝利って感じだニャ。
だけど、勝てばかつほど衰退の度を深めてるのも面白いところなんだニャ。
それで、質問したい事があるニャ。矢継ぎ早に質問してごめんニャ。

日本では戦いの様相が変化した要因としてどのようなものが考えられるのでしょうか?
もしかしたら、西洋と似たような傾向が見られるのでしょうか。
154山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/25 00:48
>>153
>日本では戦いの様相が変化した要因としてどのようなものが考えられるのでしょうか?
一説によれば、というものですが。
中世初期
→従来の戦は弓矢ばかりが目立ったが、騎射を行う武士(=中流の軍事貴族)が出現し始める。
古代でも鎮守府将軍を務めた坂上・紀・小野氏の人間が「騎射」或いは「弓馬の道」に優れていた
という記録は多いが、元々騎射は京都で行事として毎年行われていた技であった。
源氏や平氏が「兵の家」として独立するようになり、「兵の家」の出でも無い貴族が武芸を誇る事
は(しばしばあったが)非難を浴びるようになる。
『今昔物語集』には藤原保昌(和泉式部の夫)が武士でも無いのに武芸を宗としていたので子孫が
栄えていないと書かれているが、これは一世紀以上後に生れた観念で、当時は異なっていた筈。
なお清少納言の兄は保昌の下で源頼光の弟と抗争を行った末に殺害されているなど、平安貴族
の世界は中・下流を中心に血生臭いものがあった。
しかし元々が都での勢力争いから生れたもの。当初は小規模なもので、源義家も後三年の役で
戦った時には国府の兵と地元の清原氏の協力無しには動けなかった。
治承・寿永の内乱期
→戦闘が全国規模のものとなり、兵力も数百人レベルから数千人レベルに増加。騎射を遵守し
ようとする老武者もいたが、東国で主流であった組打戦や西国で主流であった打物戦が増加し、
騎射には以前ほどの勢いが無くなる。馬の扱いになれない人間の参加が増加したため(?)。
また源義経は壇ノ浦の合戦で水夫や舵取りを優先して射殺させたというが、『愚管抄』巻第五に
よれば、源氏は合戦においては人夫にまで矢を射させて勝利を収めたという。
155山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/25 01:08
南北朝時代
→打物戦が定着したためか、14世紀初期に描かれた『春日権現験記絵』には、
長刀で相手を馬上から刺し殺す武士の姿も描かれるようになる。
後醍醐天皇の挙兵から足利尊氏との戦闘まで、天皇方に立って戦った「異類異
形」の悪党たちに、非人層が加わっていた可能性あり。
『平家物語』には木曽義仲が後白河院に矛先を向けた時「いふかひなき辻冠者原、
乞食法師ども」が投石行為で抵抗したとある。投石は武士の行わない下賎の行
いとされていたらしいが、彼らは検非違使庁の管轄下にあった為に天皇家の直
属の武力として動員されていたらしい。勿論刀や鎧を備えたものもいた。
これに加えて楠木正成やそれに従う「凡下・甲乙人」などと呼ばれる下層民が戦
に参加するようになり、「身を全うして敵を亡す計略」を重視したゲリラ戦や奇
襲が臆面も無く使用されるようになる。
元々華々しい活躍や先祖を誇る場を与えられる事も無い彼らの事、戦に誇りも
何も無く、生きて帰るのが最優先と知恵を尽くして「勝つ事」を追及し始めた。
重代の従者が騎乗した者の補佐をするばかりでは無くなり、それ以外の徒歩の
兵と騎乗した者が連携して戦うようになった。
馬甲が出現するのは、馬に執着せず意図的に狙う者が増えたためか。
他に槍が出現し、扱い易そうな打刀や馬上では使い難い野太刀も登場して来る。
応仁・文明の乱
→火槍が登場(影が薄い)。足軽が台頭し、彼らだけで長槍を扱う集団戦が主力
になる。こうなると騎乗していても危険なだけなので、下馬して戦う事に。
ここに到って、騎乗した武士と徒歩の兵の戦場における重要性が逆転する。
元々長刀は個人が集団を相手にするのに都合が良いものなので、よってたかっ
て串刺しにしようという観点から槍が出現した?
156世界@名無史さん:04/06/25 01:55
>>147
馬 普段は農耕に用いられたため、足は遅い。力は強く粗食に耐えるが、軍用に不向き。
弓 弱い。螺旋状に飛ぶ性質があるため正確。支那や西洋の矢はまっすぐ飛ぶ。
鎧 割と実用的で、矢や刀をかなり防げる。また動きやすい構造。
兜 実用性乏しく、装飾目的。
157例のにゃあにゃあ:04/06/25 23:05
>>154 解答感謝するニャ。

戦争の規模の拡大に伴い、
参加兵員数が増大し、
参加する人の種類が増え、
戦いの様相が変化し、
武具にもその影響が表れた。
簡単にまとめると、こんな感じの理解でいいかニャ?

最初は特定の武士(戦士階級とか階層とか言われる種類の人って理解されている人々)のみが戦に関わっていたが、
戦争の規模の拡大に伴い、下層民が戦に関わるようになり、
戦の形態がより「勝つ事」にこだわる方向へ変わったといった感じみたいだから、
西洋の歩兵革命による戦い方の変化の際に
よく使われる平民兵の増大が戦いの様相を変えたみたいな説明と同じに見えるニャ。
後、装備についても西洋でも馬の防具や鎧が大きく変化するのが14世紀頃に戦いの様相が変化してからだから、
日本においても同じような変化があったと見て取れるということかニャ。
戦い方も、個人戦から集団戦へ移行したと言う点も同じに見えるニャ。

最後に問題は違いは何かって事になると思うけど....違いの抽出を始めたら、際限が無くなりそうだニャ。
158世界@名無史さん:04/06/26 14:35
>>山野氏
当時は弓が主体であったからこそ、揺れる船上の扇子を射止めた那須与一が「武人の誉れ」として
語り継がれることになったのでしょうね。源義経・源為朝などに関しても弓を扱う場面が多いですし。
>長刀・槍の出現
西洋でも同様に馬上の敵を止めるために地面に突き立てて使うパイクなどが発明されてますしね。
攻撃の間合いを広げる、訓練が容易且つ有用な武器を仕立てるという点でも共通しているようです。

>>にゃあ氏
確かに。戦線に投入される規模の拡大(下層民の動員)に従って変化が見られるようになります。
東西の違いに関しては幾つも挙げることは出来ますが、基本的に同様のものであったと考えても
差し支えないかと思われます。
159山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/06/26 15:29
義経は弱弓であったという話もありますね。西洋だと「弓は卑怯者の道具」
と見做されることもあったようですが。
160世界@名無史さん:04/06/26 17:09
日本の古典に詳しい方がいるようなのでお聞きしたいのですが、古典の戦記物で
歩兵(足軽)が密集隊形(ファランクスやレギオンのような)を組んで戦ったという
記述はあるのでしょうか?
 
日本の戦争というと小領主(騎馬)に従者(歩兵)たちのいくつもの小集団同士の
戦いという感じで、兵種ごとの編成で戦うというイメージがないのですがどうなの
でしょう?
161世界@名無史さん:04/06/26 18:14
日本は山や森ばかりだからそうゆう戦い方は流行らなかったんだと思う。
162世界@名無史さん:04/06/26 20:33
鎌倉以前は各地の武士団の規模も小さいしね。
利根川以東の大きな武士団の連中が表舞台に立つ様になってからとかじゃね。
どうだろう?適当に考えてみた。
163世界@名無史さん:04/07/14 17:43
お前ら日本はサムライの国だとか昔のサムライ魂が無くなっただの知った風な口をきいてるが?
だがな,その昔サムライより多かったのは農民なんだよ
つまりお前らが戦国時代に生まれていれば確実に農民だったのは間違いもない事実な訳
お前らは野武士に怯えながら脱穀したり肥やしをかき回したり縄をなってたに違いない
だからお前らがサムライ云々言うのは俺からしたら片腹痛い訳よ
まああれだ,2ちゃんを毎日巡回してにレスつけるってのはある意味農作業みたいなもんだしな
スレ建ててレスつけて自演して煽ってageてsageて・・・
本当毎日ご苦労様
今年も豊作だといいな,農民さん
164世界@名無史さん:04/07/15 00:23
大豊作だな。なんか妙なのまで収穫しちゃったし。
165世界@名無史さん:04/07/21 10:54
>163
すまん、家源氏の家柄だから当時でも武士だわ
166世界@名無史さん:04/07/21 19:33
中尊寺に先祖の武士の名前が書かれた位牌だか何だかが置かれているらしい。
ただ、「先祖が侍でした・武士でした」なんてのは現代の俺には一切関わりない話だし、実際に
生活基盤を支えてた農民の人達の方がある意味で偉かったんと違うかな。階級云々で人間の
優劣・偉さを語るような間抜けにはなりたくないもんだ。
167世界@名無史さん:04/07/22 00:05
http://www.daitouryu.com/japanese/col_theory3.html
日本は腰抜けの国 by大東流合気柔術
168世界@名無史さん:04/07/22 00:09
大多数が農民だったとしても、なにぶん昔の事だから、
現代人には、おさむらいさんの血が少しは混じってるんじゃない?
169山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/22 00:18
遡り続けたら、日本国民のほとんどが親戚ともいいますからね。
中世の男子なら刀や弓矢の扱いも出来た筈ですし、遡ればゴロツキ地方豪族
クラスの一人や二人はいるでしょう。きりがありません。
「サムライ」だけ特に取り上げるのにも違和感がありますが。
170山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/22 00:38
そもそも、どこからどこまで武士としていいのか分かりませんからね。
中世前期なら騎乗して「名字」を持っていた侍でしょうが、「兵器にたえうる輩」
であれば他にもいましたし、今の名家にしたところで多くは応仁・文明の乱
以降に出て来た出来星です。
近世からのものを誇るのも何か違う気がしますし、足軽あたりは武士に入る
のか(騎乗資格がない)という疑問も浮かんできます。
171世界@名無史さん:04/07/22 00:52
楠木正成みたいな悪党なぞはそもそも武士なのかどうかよく分からないし・・・
得宗被官だったという説もあるけど。
172山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/22 00:54
悪党なんてのはあらゆる階層から出現しましたからね。
それまでは血統や華々しい活躍を誇っていたのが、家名もへったくれ
もない連中が加わってから「勝てばいい」内容になった。
しかしそれでも子孫は名家面していたりする。
173世界@名無史さん:04/07/22 01:22
名和伯耆守長年の子孫は明治に入って爵位をもらったとか。
楠公の子孫はいないのかしらん?
174世界@名無史さん:04/07/22 03:53
>>173
戦国期には楠公の子孫が門徒として石山合戦に参加。
ソースは津本小説。
175山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/07/22 06:21
小説って・・・まあ、いいか(w)。家康も新田義貞の係累を称していましたね。
当時は貴種でないと統治出来ないという感覚というか不文律があった為。
176世界@名無史さん:04/07/22 14:00
信長の祐筆におったでしょ
177世界@名無史さん:04/07/29 12:00
178世界@名無史さん:04/09/12 12:29:54
山野あげ
179世界@名無史さん:04/09/12 12:51:55
名和伯耆守長年の子孫は懐良親王に従って肥後の八代に下り、戦国期は相良や阿蘇などと
土着戦国大名になってる。子爵になったのはこの系統だと思うが、南朝忠臣の後裔という
縁で受爵できたんだろう。
180世界@名無史さん:04/09/12 13:04:25
楠氏の子孫は伊勢の北畠の家臣となっていたが、北畠の養子になった織田信雄が
徳川家康に担がれ秀吉に抵抗したため、北畠氏とともに滅亡してしまった。
江戸時代には太平記読みが流行し、正成が演義の孔明のようなカリスマ軍師として
もてはやされ、由比正雪までが楠流軍学者と称するようになった。
181世界@名無史さん:04/09/12 15:33:01
>>160
 槍で叩き合いしっていなかったっけ>>足軽
182世界@名無史さん:04/11/04 00:24:32
あげ
183世界@名無史さん:04/11/06 09:43:52
184世界@名無史さん:04/11/09 19:44:55
アゲ
185世界@名無史さん:04/11/09 19:45:16
あがってなかった
186世界@名無史さん:05/01/04 10:06:31
両班が最強
187世界@名無史さん:05/01/04 11:19:50
両班、確かに世界最凶の寄生虫人種。
あくどさではスパルタのホモイオイとためを張るが、
彼らと異なり戦争にさえ使えないろくでなし集団。
出切る事と言ったら仲間内の醜い権力闘争と搾取だけ。
188世界@名無史さん:05/01/04 19:48:42
まるで日本の政治家みたいだ
189世界@名無史さん:05/01/08 07:50:23
>>187
それじゃどういう手段で搾取したんだ。
190世界@名無史さん:05/01/10 23:05:29
日本の国営放送天気予報は朝鮮上空の寒気を冬将軍と呼んでいるニダが、
その冬将軍が武者よろいを着ているのはおかしいニダ!!

日本起源ではない大陸寒気に日本由来の鎧を着せることによって、日本軍国主義はウリナラを侵略する意図を日本人に植え付けようとしてるニダ!
絶対に許せないニダ。謝罪と賠償を要求するニダ。
191世界@名無史さん:05/01/20 18:07:30 0
>>189
自分が上手い汁を吸うためなら知恵をつくすが、権力握っても国のためには何もしない人間ってのは古代から存在する。
貴族階級に生まれ、親兄弟親類皆殺して政権独り占め、しかし暗殺と謀略以外能力全く無し。 結果、失政続きな奴とか。
口先だけで民衆の代表者として最高権力者になるが、口先だけなんで何の役にも立たなかった奴とか。
192世界@名無史さん:05/02/05 10:53:13 0
亜gえ
193世界@名無史さん:05/02/08 00:04:55 0
葉隠れの「武士道とは死ぬことに見つけたり」という節が安易な自己犠牲を連想させるので
大嫌いなんですが、葉隠れ以外に武士道倫理を体現した良い書物ってなんかありますか?
ちょうど西欧でいうローランの歌みたいなやつです。
 あと、質問なんですけど、現在の武士道倫理体系としての新渡戸稲造の武士道って、
鎌倉〜戦国期の武士が権勢を振るっていた時代の、実際の「武士とはかくあるべき」って
規範とのズレはどの程度あったのでしょうか?
西欧では十字軍士を称えて「完全無欠の騎士タイプ」なんて言葉もあったそうですが、
日本でそういう言い回しがあったかどうかなんてのも知りたいです。
国民道徳として、仏教と共に武士道に復活してもらいたいと思う今日この頃。
194世界@名無史さん:05/02/08 04:19:38 0
武士道にしても騎士道にしても確立したのは武士や騎士が無用の長物と化した後だからなあ。
彼らが活躍してた時期に持ってた倫理観とは又別のもんになってるんじゃね―の?
195世界@名無史さん:05/02/08 12:45:44 0
なんでこんな初心者が書き込んでるんだ。
人の迷惑考えろ。

世界史板は大学院以上推奨だ。
196山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :05/02/09 17:42:57 0
>>193
『葉隠』については、確か大隈重信以降、何度か批判されていますよ。
元々鍋島藩主にやたら都合のいい観念論で、引用している連中も、碌なもの
では無い事がほとんどです。

では、中世前期の「武士(もののふ)の道」、「兵(つわもの)の道」を。
道徳的な心得としては、婦女子などの非戦闘員・降人・軍使の保護がありま
したが、護られたのは私戦限定で、朝敵相手ならほぼ殲滅戦です。
また、何を「降人(自首して来た人間)」と見做すかにも、解釈がありました。

これとは別に、「もののあはれ」を知らない、「殺人の上手」の顔もあります。
恥をかかされたとか、舐められたとか、障害となった相手の除去が目的。
殺し屋・やくざ的イメージと、軍人・中流貴族のイメージが混在したもの。

『新猿楽記』にある典型的イメージはもう何度も引いたので、『今昔物語集』から、
清和源氏の武者であった源頼信の逸話を引いておきましょう。

ある時、頼信の乳母子の家に捕らえられていた盗人が逃げ出し、その家の子
を人質にして、壺屋(倉庫)に篭城した事がありました。
我が子を人質にとられた乳母子は、慌てて頼信に相談に行きます。
すると頼信、「泣くのが世間一般の法なのだろうが、ここで子供の様に泣い
ていてどうする。神にも鬼にも立ち向かう勢いが欲しいというのに、情け無
いものよ。殺させておけ。そうした心があってこそ、兵の道は立つものだ。
身を思い、妻子を思っていては、武士が廃るぞ」と言い出しました。
結局頼信が盗人の所まで行き、説得して子供を解放させ、盗人に食料を持た
せてやり、「また悪さをしたら、命は無いと思えよ」と言って、解放して二人
とも救ってやっています。
『今昔物語集』の編者曰く、これは頼信の「兵の威」によるものであると。
つまり、武士の心得とは、非常に徹する事だとされていたという訳です。

それに、度胸と細心の注意と命知らずな挑戦心ですね。道徳面は薄い。
197世界@名無史さん:05/02/26 21:04:20 0
>「武士道とは死ぬことに見つけたり」

自分は、何故武士が死ぬことを前提に考えるか
といえば、人間は結局死ぬという無常観と、
死と生は表裏一体という考え方とで、
やがて死は必ずやって来るのだから、死ぬときは
仕方ないものと潔く受け入れて、
生きているときは、いつ死ぬ時が来ても良いように、
悔いなく、恥ずかしくなく、満足して死ねるように生きよう、
いつか死ぬときの準備をして生きよう、という事
なのじゃないかと勝手に思ってる。

あと、死は避けられないのだから精一杯
自分の生きたい生き方で生きよう、
自分の信じる大切な何かのために
人生をささげよう、とも。

「毎日、今日が自分の死ぬ日だと考えて行動すれば
良い結果を残せるだろう」みたいな格言もあるし。

何より日本人は、桜の散るのを美しいと思う。
桜は咲いて散るために咲く。 そのために美しく咲く。
散るのが定めならば、咲くのは何のためか。
それは精一杯、醜くなく堂々と胸を張って、咲くためである、と。


要は、
>彼らが活躍してた時期に持ってた倫理観とは又別のもんになってるんじゃね―の? 
解釈しだいって事で。
198世界@名無史さん:05/02/27 11:06:17 0
いやそんな風に考え出したのはすでに武士が戦場に立たなくなってからのことだろ
199世界@名無史さん:05/03/02 14:02:13 0
>>198
戦国と江戸じゃあ武士・侍の考え方も変わったんだ。
現代人が武士・侍の理想を独自に解釈したとて、
過去の文献からわかる当時の武士道は変わらないし、
現代のは現代での武士道の理想って事で、別にいいんじゃないのか?

過去の文献あさって真実追い求めるのも、
現在の価値観を否定するためのものじゃないだろ?
現在ではこうだからと言って、それを昔から変わらない
事だったと思い込むのも正しくは無いがな。

戦国→江戸→現代へと続く武士道の変化というのもまとめてみると面白いかもな。
200世界@名無史さん:05/03/02 18:03:17 O
論点がずれてるって。
201あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/03/17 00:00:29 0
武士が廃りきっては残念なので
age
202世界@名無史さん:2005/04/11(月) 16:42:22 0
侍の時代ももう終わりなのか・・・・・・・・
203世界@名無史さん:2005/05/02(月) 18:54:25 0
とっくに終わってる
204世界@名無史さん:2005/05/03(火) 12:56:40 0
応仁の乱の頃に終わっててもおかしくなかった。
205世界@名無史さん:2005/05/16(月) 15:40:26 0
お寒雷
206世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:04:19 0
ティッシュペーパーでお尻を拭くともったいない気がするし
トイレットペーパーで口を拭くと汚いような気がする
これは俺だけなのかな?応仁の乱のころの武士の人も考えたことあるだろうな・・・
207世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:09:28 O
>>206
確に、そういう分野は今も昔も変わらないだろな
208世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:09:43 0
>>206
そんな時代にティッシュが有るわけないわ!

だが「ティッシュペーパーでお尻を拭くともったいない気がするし
トイレットペーパーで口を拭くと汚いような気がする」
の感覚は同意せざるを得んな
209世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:10:57 0
いや、待ってくれよ
鼻水はトイレットペーパーで拭くだろう?
それとどう違うんだ?
210世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:11:27 0
うちの田舎のババァは桑の葉でどこでも拭きやがるぞ
211世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:11:32 O
>>206
おしりを刀
口を手裏剣

に、置き換えて考えられるな
212世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:12:30 0
>>209
鼻水はアコムので鼻くそは武富士ってのがデフォ
213世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:12:51 O
>>209
それは都市伝説
214世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:13:19 0
>>211
詳しくと敢えて言わせてくれ
215世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:13:42 0
>>209
「武士は食わねど高楊枝」っていうだろ
武士が鼻水をトイレットペーパーで拭くわけがない
216世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:13:51 0
ポケットティッシュだとうんこのとき足りなくない?
オレ最低2個はいる
217世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:14:44 O
だいたい、口かケツかどっちがデリケートなんだろな
紙の素材が違うだろ?
218世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:15:29 0
>>217
切れて痛いのはケツのほうだろう
219世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:16:30 0
>>216
そりは自分のケツ穴が
ボボボーボ・ボーボボと宣言してるのと一緒だぞ。
恥ずい奴だなww
220世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:17:05 O
>>217
まずはそこからだな

武士にも痔持ちが多かったって聞くからな
221世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:18:07 0
>>220
禿同
馬にも乗るしな ケツは大事だ
222世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:18:17 0
>>220
それは衆道との関わりが有るとおもうんだがどうよ
223世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:19:15 0
>>222
戦場に出てそれはないだろう
行く先の女を陵辱してたはずだ
224世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:21:19 O
>>223
背水の陣も、ケツ拭きながら引いたって話だからな
225世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:22:52 0
>>223
経血は不浄也!の精神からすると
ガチ戦場にはさすがに連れてはいけんだろう
舐める奴が居る今とはエライ差だがな
226世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:24:50 O
>>225
経血こそティッシュで拭くべきだな
あれだけはガチだ
227世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:26:30 0
>>226
いや、人によっては経血って相当の量だぞ
ティッシュで拭いて流すとトイレが詰まる恐れがある
228世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:28:41 O
>>226
塩サバとか喰うと、口の周りアブラだらけになるだろ?
あーいう時ってティッシュではチト頼りない希ガスから
トイレットペーパーで拭くよ
229世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:30:04 O
>>228
鯖も、油がもう少し少なければいいんだけどな
230世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:30:33 0
>>225
それは出陣前の話で、
戦場では普通に抱いていたらしいぞ。
夜鷹にしても稼ぎ時らしく出向く者もいたとか何とか。
231世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:31:17 0
>>229
煮付けとかならそんなに油っこくないだろう
232世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:34:35 0
要するに問題は、武士が戦場で塩鯖を食ったかどうかだ
233世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:35:38 O
>>231
いや、それだと逆にアブラが足りねーんだ
焼きの方向でいきたいんだがな
234世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:36:40 O
>>232
そりゃあるだろう
鯖街道ってのがあるくらいだし
235世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:37:55 0
>>233
確かに鯖などの青魚のアブラには「EPA」や「DHA]が豊富だからな
236世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:39:42 0
>>234
若狭湾から京都か
京都の侍はガチで鯖食ってたってことだな
237世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:40:49 0
アニサキスは大丈夫だったのだろうか
238世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:42:16 0
>>236
焼き直しの方か?
239世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:42:47 0
>>237
そこで焼き直しですよ
240世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:43:47 O
>>238
詳しく
241世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:44:32 0
>>238>>239
どういうこと?
242世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:48:54 O
まとめると
ケツと経血はガチだからティッシュペーパー
鯖食った口の周りは半ガチだから桑の葉
って事か


じゃあ、トイレットペーパーは不用だったんだな。当時から
243世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:49:55 0
>>240
今でも人気のある松美屋の名物料理「塩さばの焼き直し」ってみんな知ってるだろ?
わざわざ焼き直すのが難しいらしく今では93歳のオヤジにしか出来ないんだって
今では1人だけどその時代だとまだ職人さんがいっぱいいたのかと思って
244世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:52:00 0
>>242
まとめ乙
245世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:53:29 O
>>243
いや、恥ずかしながら知らんかった
創業も長そうな名前だな
246なすーん:2005/05/16(月) 17:54:11 O
なすーん
247世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:54:22 0
>>243
塩鯖の焼き直しか…いい時代だったんだな
例えトイレットペーパーがなくても、その頃に生まれたかったよ
248世界@名無史さん:2005/05/16(月) 17:56:59 0
出遅れついでに言うと
松美屋は某百貨店の地下にしかないぞ。
抗菌納豆もオススメしておく
249焼きで思い出しコピペ:2005/05/16(月) 22:57:14 0
931 :マロン名無しさん :2005/05/13(金) 16:36:53 ID:???
http://ime.nu/www.sf-japan.net/Gallery/taranntyura.htm
イラクの本物の子供奴隷は大変だな。将来心配。
932 :マロン名無しさん :2005/05/13(金) 16:38:43 ID:???
http://ime.nu/magical.mods.jp/futaba/uma/src/1082200641373.jpg
http://sports2.2ch.net/test/read.cgi/iraq/1087219277/137
こっちもきついよー。その手のが趣味の人じゃなきゃビビッとくる。
出血無し針or電気無しでも拷問は拷問だな。
934 :マロン名無しさん :2005/05/14(土) 17:37:37 ID:???
スリーサイズとかってどうなってるの?
935 :マロン名無しさん :2005/05/15(日) 00:12:04 ID:???
ばらつきが微妙にはっきりしてるのが労働の重さがうかがえる奴隷ボディだね。
子供なのに・・・。
936 :マロン名無しさん :2005/05/15(日) 10:56:46 ID:???
肉体改造の詳細についての情報を希望。
937 :マロン名無しさん :2005/05/15(日) 18:09:21 ID:???
改造というか、毎日の労働生活と食生活でああなったのでは。
ひどさ満載の微マッチョ牝厨牝消(就学してないに決まってるけど)。
250焼きで思い出しコピペ:2005/05/16(月) 22:58:16 0
あの芯棒はブロック塀を支える物で、熱っして児童奴隷に押し付けるものじゃ
ないと思うな。
251世界@名無史さん:2005/05/17(火) 00:20:58 0
日本刀ってほかの刀と比べて何が優れてるわけ?
252世界@名無史さん:2005/05/17(火) 20:10:11 0
材質と鍛え方
253世界@名無史さん
刀身自体の美しさ