歩兵と騎兵の歴史

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319例のにゃあにゃあ
とりあえず、調べてみたニャ。
1066年から1346年を封建騎兵(馬に乗った騎士)優位の時代と見るかどうか何だニャ。
ttp://www.deremilitari.org/RESOURCES/ARTICLES/rogers.htm
上のロジャーズ論文のWar in the "Age of the Horse"の章のはじめの方と注15と16によると騎兵優位論をとなえるのは
オーマン、デルブリュック、バーブリュゲン、コンタマイン、ジョーンなど多数に上るみたいだニャ。
歩兵優位論をとなえるのはリヨン、ブラッドベリーだニャ。
ただし、ロジャーズ自身が騎兵優位論に傾いてるみたいなんで、
この研究者の人数の差をそのまま信じていいかどうかは分からないニャ。
この中で我が輩が一部とはいえ読んだのはオーマン、ブラッドベリー、バーブリュッゲンだけだニャ。
j.f.verbruggen,the art of warfare in western europe,suffolk,1997(orig. ed.1954)
sir charles oman, a history of the art of war in the middle age vol.1-2,london, 1978(first ed.1898)
jim bradbury, the medieval archer, suffolk,1985
ブラッドベリーの本のp.40によると、歩兵と騎兵に関してオーマンとホリスターが議論していて、
ブラッドベリーはホリスターの指摘に従って論を構成したみたいだニャ。
そこで、我が輩はホリスターの下の本の一部を読んだニャ。
warren hollister,anglo-saxon military institutions,oxford,1962
ホリスターはヘースティングス以降に行われた
アングロノルマン期において最も重要と考えられる5つの戦いを論拠としているニャ。
ブラッドベリーもこれに従い、更にアランソンの戦いも例として加えてるニャ。
そこで、この5つの戦いをホリスターとオーマンがどのように解釈したかを並べてみるニャ。
320例のにゃあにゃあ:04/04/04 05:19
騎兵優位論
オーマンによるとこれらの戦いの特徴は主力はもちろん騎兵だが、歩兵の支援がしっかりしていた側が勝利したと見ているニャ。
タンシプレーの戦いでは、騎兵による側面攻撃によりイギリス王が勝利し、
ブレムールの戦いでは歩兵の援護を欠いたフランスの騎兵隊が歩兵に援護されたイギリスの騎兵に敗退し、
ブルグ・ゼロールドはタンシプレーとほぼ同じで、
ノーサラートンの戦いはスコットランド・イングランド両軍とも徒歩で戦ったアブノーマルな戦いとし、
スタンダートの戦いはイングランド王軍、反乱軍共に歩兵に支援された騎兵による戦いだったとしているニャ。
基本的にどの戦いでも主兵力は騎兵だが、歩兵の支援が勝利の重要な要素だったとしているニャ。
それにしても、騎兵は歩兵なしでも戦えるが、歩兵の支援があった方がよりよい、というとこみたいだニャ。
バーブリュッゲンはこの5つの戦いを騎士が下馬して戦った例外的な戦いと位置づけているニャ。
バーブリュッゲンによると騎士が下馬して戦うのは地形が原因か、
それ以外の何かの障害要因があっての事で通常下馬して戦う事はないと見てるみたいだニャ。
321例のにゃあにゃあ:04/04/04 05:19
歩兵優位論
ホリスターは5つの戦いでイギリス王側の騎士の大半が下馬していた点に着目しているニャ。
ホリスターは騎士が下馬して戦うようになったのはヘースティングスの戦いの影響で、
騎乗して戦うより下馬して戦った方が有利だと考えるようになったからと見ているニャ。
オーマンはタンシプレーの戦いでは騎兵による側面攻撃を決定的な一打として重視したが、
ホリスターは側面攻撃の効果は騎兵だろうと歩兵だろうと変わらないとし、
それを補足するようにブラッドベリーがアランソンの戦いを例に出しているニャ。
アランソンの戦いもタンシプレーの戦いと同様に側面からの奇襲攻撃が戦いを決したが、
この時側面攻撃を行ったのは歩兵だったニャ。
ホリスターによるとアングロ・サクソン軍にも騎兵があり、騎乗して戦う事もできたが、
下馬して戦った方が有利だからそうしなかったと見てるみたいだニャ。
322例のにゃあにゃあ:04/04/04 05:20
一つ気がついたのはこの5つの戦いはロジャーズがいったような騎兵の機動力が生かされてない、と言う点だニャ。
騎兵は真っ直ぐ敵陣へ突撃してるだけだニャ。
側面攻撃が行われたタンシプレーやブルグ・ゼロールドの戦いでも戦いの前に伏兵として騎兵が伏せられていただけで、
騎兵が機動力を生かして回り込んだというわけではないみたいだニャ。
それと、騎兵が歩兵の隊列へ突撃して敗退した時でも、騎兵は素早く逃げる事ができずに多くが捕虜になってるみたいだニャ。
この点については、勝利者側は直ぐに馬に乗って追撃したと、オーマンが補足してるニャ。
この5つの戦いはバーブリュッゲンの言うように例外的な戦いだったかもしれないし、
ホリスターの言うように代表的な戦いだったのかもしれないニャ。
矛盾した言い方だけど、これは両者が対象とした範囲の違いに過ぎないと思うニャ。
バーブリュッゲンは9から14世紀の全ヨーロッパを対象としたし、
ホリスターは11から12世紀のアングロ・ノルマンを対象としていて範囲が異なるんだニャ。
だから、5つの戦いは9から14世紀のヨーロッパでは例外的な戦いだったが、
11から12世紀のアングロ・ノルマン地域では一般的な戦いだった、
別の言い方をするとアングロ・ノルマン地域は他のヨーロッパ地域とは異なる戦い方をする地域だったと、
まとめる事ができると思うニャ。
だけど、やっぱりどちらの研究者も自分の主張に都合の良いように戦いを解釈してるみたいな疑惑が抜けなくて困るニャ。
もっと調べないといけないニャ。