外交・攻勢限界を語れ・兵站

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ヒットラーのソ連侵攻作戦(バルバロッサ作戦)、ナポレオンのロシア遠征、
関東軍の支那事変拡大、シベリア出兵・・・
敵より優れた軍事力を持ちながら、戦略的に敗退する。その原因は攻勢限界なる概念で語られる。

ならば歴史上の攻勢限界を予め設定し、その理由を語れ。
2世界@名無史さん:04/05/09 19:26
まずお前が攻勢限界って言葉を勉強しろ
3世界@名無史さん:04/05/09 19:27
これ世界史板か?
テキニカルすぎ
4 ◆6hgEmzypp2 :04/05/09 19:27
残念ながらあまりにも軍板の向けのスレです。
外交、とスレタイにつければいいってもんじゃありません。

5世界@名無史さん:04/05/09 19:28
攻勢限界を予め予想するのは無理なのだろうか。
6世界@名無史さん:04/05/09 19:32
モンゴルとかは、攻勢限界を突破したような気がする。
軍版より世界史板の方が、事例が多い気がした。
7世界@名無史さん:04/05/09 19:59
>>6
草原世界に隣接する中国、イラン、ロシアは征服出来たけど
日本、ベトナム、エジプトは征服は出来なかった
8世界@名無史さん:04/05/09 19:59
策源との物理的時間的な離隔と戦線の拡大が、情報伝達の希薄化と
需要と供給のバランスの崩壊による兵站の破綻を生み、
これらが複合的に組み合わさって攻勢限界が発生する
モンゴル軍ですら例外ではない
9世界@名無史さん:04/05/09 20:01
空間的時間的と言ったほうがよかったか
10世界@名無史さん:04/05/09 20:09
>>8
モンゴル軍の攻勢限界が、遥か遠方に出現した理由は、
遊牧による兵站にあるのだろうか。
しかも情報伝達は、分割統治で解決したような。
11世界@名無史さん:04/05/09 20:17
>>10
何が言いたいのかよくわからん
情報伝達上の支障は分割統治で解決できる問題ではない
分割統治は指揮権の分与の問題
12世界@名無史さん:04/05/10 20:46
>>11
十分な兵力が分配されれば、中央との情報交換は必要最小限で済む。
13世界@名無史さん:04/05/10 20:49
ヒットラーのソ連侵攻作戦は、英仏の協力があれば成就できただろう。
独軍だけで行えば、攻勢限界がモスクワあたりということは予想できていた。
14世界@名無史さん:04/05/10 20:50
>>12
現代の企業組織でも言えそう
15世界@名無史さん:04/05/10 20:53

日本マクドナルドは明らかに攻勢限界に達したと思う。

>>14
最近は投資資金が莫大になってきたせいで、
十分な資金が分配できず、航空、自動車業界は、逆に統合してるが、
さてどうなることやら。
16世界@名無史さん:04/05/10 21:34
>>12
十分な兵力とはどれ位の兵力?
17世界@名無史さん:04/05/11 21:20
>>16
分割統治部の近隣諸国に攻勢をかけられるのに十分な兵力。

信長やオゴタイハーンは、うまく分配した気がする。
18世界@名無史さん:04/05/11 21:22
石器時代とかどうだったんだろうね?
19世界@名無史さん:04/05/11 21:39
攻勢限界は兵力の多寡だけじゃ決まらんよ
20世界@名無史さん:04/05/11 21:46
オゴタイハーンはヨーロッパ遠征も南宋遠征も戦争目的を達せられず
失敗しているのだが
21世界@名無史さん:04/05/11 21:51
撫で斬りにして攻め進むことだろか?
22世界@名無史さん:04/05/11 22:02
駄獣を使った輸送は通常50kmが限界である
なぜなら輸送する駄獣が要する食料の重量と、その駄獣が輸送可能な重量が
50kmでほぼ拮抗するからである。

それ以上の前進を行うならば、補給倉庫を用いるか
現地での調達を行う必要がある。
23世界@名無史さん:04/05/14 00:03
>>22
ナポレオン、モンゴル軍、アレクサンドル、皆、現地調達ということに。
24世界@名無史さん:04/05/14 00:15
>>23
補給拠点を設ける、都市を攻略して拠点を占領する
倉庫を造る、海上・水上輸送に頼る
いっぺん停止して、穀物を集めるなどの方法があるぞ
25世界@名無史さん:04/05/14 00:22
>>23
ナポレオンもモンゴル軍もアレクサンドルも、皆、後方連絡線を準備してるんですけど
26世界@名無史さん:04/05/14 18:05
・後方連絡線
策源並びに兵站基地と作戦行動部隊を結ぶ路線 部隊の生命線

敵陣深く入り込むと、拠点都市や連絡線に余計な人員が必要。
つまりこの辺から、攻勢限界を予測できそう?
27世界@名無史さん:04/05/30 00:06
トラウトマン工作時に攻勢限界を研究していれば、南京の勝利に惑わされずに・・・
28世界@名無史さん:04/05/30 00:09
「トラウトマン工作」(トラウトマン−こうさく)
 昭和十二(1937)年、駐中ドイツ大使トラウトマンによって斡旋され、失敗に帰した日中和平工作。
盧溝橋事件に始まった日華事変は順次拡大していき、長期戦の様相を呈し始めていた。これを憂慮した
のはドイツである。ドイツは蒋介石政権に軍事顧問などを派遣して中独関係は緊密であったし、日本に
対しては日独防共協定の手前、ソ連を圧迫する力が弱まってくれることはドイツとして望ましからざる
ことであった。そこで、駐中ドイツ大使トラウトマンを中心として日中和平工作が進行することになる。
トラウトマンはこれを日本の広田弘毅外相に申し出、広田はさらに駐日ドイツ大使ディルクセンに和平
斡旋を要請した。交渉開始当初に広田が求めた条件は、
(1)内蒙古へ自治政権の樹立
(2)満洲国国境から天津・北平にわたる非武装地帯の設定
(3)上海の停戦地帯の拡大
(4)抗日政策の停止
(5)共同防共
(6)日本商品に対する関税低減
 を骨子としており、これは日本が従来主張してきたものとほぼ同様であり、トラウトマンもこの内容
を蒋介石に伝えたところ、蒋は華北に対する国民政府の宗主権、領土保全権、行政権が確保されるなら
この条件を基礎とした交渉を行いたいと言明した。日本国内でも広田外相はこの条件を近衛文麿首相、
杉山元陸相、米内光政海相に打診して諒解を得ていた。
29世界@名無史さん:04/05/30 00:10
 ところが、杉山の態度が徐々に怪しくなってくる。というのは、これまで膠着していた上海戦線が打
開され、上海が占領されて日本軍は着々と南京に迫っていたからである。南京に迫れば、日本はより有
利な条件で城下の盟いを強いることが出来、和平などという手ぬるいことをする必要がなくなる、とい
う考えが陸軍省にあったのである。
 そして十二月、いよいよ南京に日本軍は接近し、これを陥れる見込みであった。また、北平には軍
主導で王克敏による中華民国臨時政府が樹立され、和平への基礎的条件は急速に失われつつあった。
その中で、近衛首相ら政府はこの戦果に浮き立ちつつあり、先に広田外相が示した条件を加重しよう
と言う意見が大勢を占めた。閣議では「だいたい敗者としての言辞無礼なり」との結論に達し、戦費
賠償や満洲国の正式承認などを加え、しかも期限付での回答を迫っていた。末次信正内相はこれを見
て、「かかる条件で国民が納得するかネ」と発言したが、米内海相は「ぼくは、和平成立の公算はゼ
ロだと思う」 と言ったようにこれは客観的に和平の見込みをまったく失わせるものであった。トラ
ウトマンも、これで事実上和平の公算はなくなったと考えざるを得なかった。また、外務省東亜局長
石射猪太郎もこの回答では全くだめになってしまうから再検討をしたいという意志も却下された。こ
うしてトラウトマン工作は烏有に帰したのである。
30世界@名無史さん:04/05/30 00:24
「手持ちの資産で実現可能な行動範囲、終末点を正しく認識する。」
トラウトマン工作において、外交における英米ソの存在、戦線拡大による兵站、
手持ちの兵力を考えれば、手詰まりを予測できたのでは無いだろうか?
31世界@名無史さん:04/06/07 22:23
攻勢限界って言葉をこのスレで始めて知りますた・・・
真・スレッドストッパー。。。( ̄ー ̄)ニヤリッ