1 :
世界@名無史さん:
なんでお互い農民出身で天命うけて皇帝になったのに
映画や小説 漫画などでは劉邦のが人気あって知名度も
高いし尊敬されてんの?
むしろ朱元璋のが、貧農で、どん底からのスタートなのにね
なんででしょ
2 :
世界@名無史さん:04/03/14 03:14
先だから
3 :
世界@名無史さん:04/03/14 03:14
2
4 :
世界@名無史さん:04/03/14 03:15
3 :世界@名無史さん :04/03/14 03:14
2
5 :
世界@名無史さん:04/03/14 03:16
司馬遷の筆力
デブゴンによる人気向上はなかったか・・・
これ間違いなく名スレになる。
主現象は即位後に殺しまくったからな。
劉邦だって似たようなものだが。
司馬遼太郎が『項羽と劉邦』を書いたから。
10 :
世界@名無史さん:04/03/14 08:26
朱元璋の天下取りはドラマ性がないからだと思いまつ
11 :
世界@名無史さん:04/03/14 08:26
朱元璋の天下取りはドラマ性がないからだと思いまつ
朱元璋には、劉邦にとっての項羽に当たる人物がいないって事?
13 :
世界@名無史さん:04/03/14 09:33
餓死寸前になった乞食坊主。
14 :
世界@名無史さん:04/03/14 09:42
陳友諒と雌雄を決した鄱陽湖の戦いは、
火攻めで逆転大勝利。
三国志演技の赤壁の戦いの描写は、
実際には鄱陽湖の戦いをモデルにしていたとも言われる。
15 :
世界@名無史さん:04/03/14 10:06
飢餓と疫病で、父、母、長兄を失い、途方にくれる子供時代。
結局、寺に預けられたが、寺にも食べ物がなく、
寺に入って50日目で、托鉢行脚の旅に出される。
どこへ行っても飢えに苦しむ人々だらけ。
わずかな施しすらままならない。
やがて寺は元の部隊に略奪を受ける。
寺に戻ると寺の建物は焼け落ちて、瓦礫となっていた。
行き場のなくなった元璋25歳、
濠州の郭子興の紅巾軍に身を投じる。
・・・・
ドラマ性は十分ある。
作家の力量があれば・・・。
16 :
世界@名無史さん:04/03/14 10:19
堺屋太一『超巨人 明の太祖・朱元璋』(講談社)
伴野朗『朱龍賦』(徳間書店)
17 :
世界@名無史さん:04/03/14 10:24
漢の方が反映したからでしょ。
明はなんか暗い。
庶民の活気はあったそうだが、
中国人が自慢できる国とは思えない。
18 :
世界@名無史さん:04/03/14 10:29
統制的な朱元璋ではなく、放任的な張士誠が勝っていたら、
中国が自由主義的な風土になっていただろうに。
19 :
世界@名無史さん:04/03/14 10:33
漫画化を希望。
20 :
世界@名無史さん:04/03/14 10:43
朱元璋の暗さが、その後の500年以上の今に至るまで中国に影響を及ぼしている気がする。
それだけ偉大な人物だったとも言えるわけで・・。
21 :
世界@名無史さん:04/03/14 10:49
理不尽な暴力で徹底的に統制しないと、
巨大な大陸国家を維持できない。
張士誠のような生ぬるさでは、
中国沿海部のみで繁栄するだろうが、
内陸部へ進出することは不可能なんだろうな。
22 :
世界@名無史さん:04/03/14 10:52
主現象はあるとき脱走をしようとして捕まり、斬首されそうなところ、あまりにも顔が醜かったので、殺すには惜しいと助けられたそうな。
秀吉と似ているな。秀吉も顔がサルで物珍しかったから、信長のペットにされた。それが結構使えることがわかり、出世できた。
顔が普通だったら、目立たず出世もできなかったかも。
23 :
世界@名無史さん:04/03/14 11:00
清代の考証学者の言葉
「明の太祖は、一人で聖賢と豪傑と盗賊の性格を兼ね備えていた。」
24 :
世界@名無史さん:04/03/14 11:20
劉邦は明るい性格、かつ男前で男にも女にもモテまくりだったけど
朱元璋は暗くてブサイコだったからかな?
劉季の方は「仁にして人を愛し、意豁如たり」と司馬遷が評したとおり
からっとした性格であったのに対し、朱重八の方は所謂「雄猜の主」で
腹の中は常に「あいつ何か企んでいやしないか」と疑惑の塊がいっぱい。
彼は生まれてから好き放題を通してきたのに、此はガキのときからして
辛酸なめ子。性格が違ってしまうのも無理ないところ。
明の太祖は信長のような痛快な自然児風のとこもないし、家康のような
部下に対する厚情も乏しい。キャラとして人気を博する要素が見出しにくい
英雄です。
26 :
世界@名無史さん:04/03/14 11:27
>24
>劉邦は・・・かつ男前・・・
そういや劉邦は若い頃、「・・・貴人の相が・・・」と
言われたとか言われなかったとか。
賎しい出身の割に、王侯貴族みたいな顔してたのかもな。
27 :
世界@名無史さん:04/03/14 11:34
>>25 憎まれっ子世にはばかるの典型的な人物ですな
28 :
世界@名無史さん:04/03/14 11:40
三国志演義風で言えば
朱元璋 = 玄徳
劉基 = 孔明
陳友諒 = 曹操
張士誠 = 孫権
って感じか。結果は全然違うけど。
29 :
世界@名無史さん:04/03/14 11:43
>>21 結果的にはそれが一番良かったのでは。
中国全体は、ヨーロッパ全体よりも広いのだから
むしろ無理矢理一つの国家にまとめる方が不自然。
30 :
世界@名無史さん:04/03/14 11:50
農民出身は農民出身でも劉邦は富農出身ぽいな。
好き勝手にブラブラしてたし、亭長という最下級とはいえ役人に
なれたのも文盲ではなかったからだろうし。
31 :
世界@名無史さん:04/03/14 11:56
>>30 そうそう。中国で下層民から成り上がった皇帝は、劉邦、劉備、朱元璋の
3人だけど、劉邦は地元でそれなりの力を持ってたし、劉備も学者の所に
師事したり、派手に着飾ったりしてるから、庶民レベルではそこそこ裕福。
朱元璋が本当に何もない(才能はあったが)一番ひどい境遇だった。
あれで成り上がれたのだから、やっぱり運命か
>>29 現代でも農村と都市との格差が問題になっているからなあ。
孔明の天下三分の計が一番よかったのかもね<中国>
そこに東北を加えるなら天下四分の計か。
33 :
世界@名無史さん:04/03/14 22:15
文化大革命が賞賛されていた頃、
朱元璋も高く評価されていたはず。
貧農出身で、一般民衆のための善政であったと。
実際、彼の治世中に戦乱で荒廃した農村が復興し、
耕地面積は5倍に増加し、
水利事業などの殖産に務めながらも、
農民たちの負担が増えないよう気を配っている。
朱元璋の基本戦略は「不殺」。
厳しい軍規で、略奪行為を厳禁し、人民の信頼にこたえた。
もっとも地主や官僚階級への粛清は当然!ざまぁみろ!!
て、な調子で。・・
34 :
世界@名無史さん:04/03/14 22:21
>朱元璋の基本戦略は「不殺」。
で、晩年路線が変わったところも秀吉そっくりだなぁ。
35 :
世界@名無史さん:04/03/14 22:43
その後の子孫がDQN続きだったのも敗因
朱元璋について知識が得られる良著を紹介してくださーい。
37 :
世界@名無史さん:04/03/14 22:57
不正官僚、地主は粛清対象だが、「不殺・養民」路線は変わってない。
晩年になると、ますます民を慈しんだそうな。
わずか十数万人の犠牲で、
無政府状態の混乱から脱却できれば、
数千万人の幸福につながるじゃないか。
建国の功臣というものは、高禄を食いつぶし、
新王朝のガンになりやすいので、
必要がなくなった段階で消してしまった方がいいのさ。
劉邦に学んだだけだよ。
実に立派な政治家じゃないか。
部下には絶対になりたくないが。
38 :
世界@名無史さん:04/03/14 23:04
>>37 しかし、孫は有為な人材がおらず、叔父に帝位を簒奪される羽目になった。
39 :
世界@名無史さん:04/03/14 23:11
路線変更と言えば、
紅巾軍から身を起こしたくせに、
途中で白蓮教を邪教と断じて、弾圧している。
40 :
世界@名無史さん:04/03/14 23:14
劉邦って先祖が貴族だろ?
41 :
世界@名無史さん:04/03/14 23:31
今の中国でも殺人以外の軽い罪での死刑が多い。
世界の死刑執行数の大半が中国だ。
政府高官も汚職で死刑になるケースが多い。
朱元璋以来の伝統だろう。
42 :
世界@名無史さん:04/03/14 23:32
洪武帝の粛清は>37が言うような戦略に基づいたものとも言えない。
上奏文に皇帝揶揄の文字が隠されているのではないのか、という病的な猜疑心によって多数が処刑されている。
まして謀反の疑いなどが報告されようものなら、係累を何万人もたどって処刑している。
無駄な処刑が大杉。
近代以前のイスラムのように、根本的に人口(人材)不足の地域なら、統治政策も寛容になるだろうが、
明にせよ現在にせよ、中国は人口が過剰だから、多少の処刑で人材が枯渇することはない。
よって粛清は当然。むしろ寛容は分裂を呼ぶ。
44 :
世界@名無史さん:04/03/14 23:45
トインビーは劉邦を優れたリーダーとして非常に高く評価していた、そうだ
45 :
世界@名無史さん:04/03/14 23:51
>43
あそこまで無茶苦茶な殺し方をすれば、ろくな人材がいたとしても政権に参加しようとはしないだろう。
政権に残っている人間もモラールは低い。
建文帝政権が脆くやられたのも当然。
46 :
世界@名無史さん:04/03/14 23:54
中国って
動乱になるぐらいなら、
圧制による安定の方がましという感覚があるよね。
共産党支配が続けられる理由も、
その辺に原因があるのではなかろうか?
47 :
世界@名無史さん:04/03/15 00:27
>>45 明の官僚ってほんとモラル低いよな。
優れた人材が仕官せず在野にいたから逆に民衆文化は発展したのかもな。
>>45 それでも明という王朝は、それから200年以上続いてる。
ろくな人材がいなくても、長期にわたって体制を維持できるのなら、まともな人材を粛清しても問題ないという計算もできる。
つっても、北と南から、族に襲われてもろくに国民すら守れないダメポな体制は流石に不味いだろう。
劉邦も北の遊牧民族に襲われて散々な目にあっとる。
国家内部の政治闘争に、外部勢力を引き込んで、
余計に混乱させるのが、中国・朝鮮史の特徴のような気もするが。
52 :
世界@名無史さん:04/03/15 01:29
劉邦に比べて朱元璋は暗いイメージがあるのは事実だろうね。劉邦のように面白
いエピソードが少ない(というか私は知らない)というのも人気がない理由だろ
うね。
功臣の粛清に関しては、劉邦のまねをしたというけど、これは劉邦に失礼じゃな
いかな。朱元璋は、李善長や宋濂といった、謂わば張良にあたるような功臣は勿
論、幼い時からの友人である徐達でさえも粛清の対象になったっていうもんね。
おそらく劉基も生きていたら文句なく粛清されたろうね。しかも有名な胡藍の獄
ってほとんど完全にでっち上げでしょう?
劉邦は、少なくとも沛時代の友人には廬綰を除けば手を出していなかったんじゃ
なかったっけ?張良も陳平も健在だったもんね。
政治家、軍人としてみたら圧倒的に朱元璋の方が有能だと思うけど、そこがかえ
って気味悪い感じもするんじゃないかな。凡人からは想像し難いほど非常に有能
な根暗の人物。ある作家は「魔性の人」と言ってたけど、この辺も人気のない理
由じゃなかろうか?
53 :
世界@名無史さん:04/03/15 01:42
劉邦は後半生はともかく前半生は好感もてるキャラじゃん。
民衆にも人気があったみたいだし。そうじゃなかったら劉邦が皇帝になってふるさとに行幸した帰り際、いくら郷里の英雄とはいえ全県総出で見送ったりするかな。
漢といい、劉家といい、人気があったんだろう。
朱元璋の時代には、もはや劉邦のように、功臣を王として封建する余地はなかろう。
明の時代には、すでに科挙に基づいた官僚制が確立している以上、
力のある臣下は、帝位を乗っ取る以外に、家門を末永く繁栄させる手段はあったのか?
単純に比較するには、時代背景が違いすぎる。
55 :
世界@名無史さん :04/03/15 01:54
朱元璋がブサイクだったからだろ、マジレスで
56 :
世界@名無史さん:04/03/15 01:57
やっぱり成り上がり度数では朱元璋のほうが上じゃないかなあ。
劉邦の実家って室町時代の松平家ぐらいのレベルだったんじゃないの?
そうじゃなきゃショウカみたいな連中とつきあえないだろう。
それに中国の県って日本の国ぐらいの規模でしょ?
57 :
世界@名無史さん:04/03/15 09:50
>48
明は建文帝で一度滅びている
永楽帝政権は、洪武帝-建文帝政権とは別王朝。
58 :
世界@名無史さん:04/03/15 11:26
>朱元璋 = 玄徳
>劉基 = 孔明
>陳友諒 = 曹操
>張士誠 = 孫権
陳友諒は、項羽にも似た豪傑タイプなんじゃないの。
59 :
世界@名無史さん:04/03/15 11:34
中国史上、最初の統一王朝といえば始皇帝の秦ですが、それを継承して4百年の
社稷を築いたのは劉邦。漢は西洋でいえばローマ帝国にあたる存在で、「中国
はひとつの国」というイデオロギーを確立したのではないか。
秦の崩壊後は、斉とか楚とかが復活してた。あのままだったら、ドイツや
フランスみたいに、完全に別の国だったかも。
60 :
世界@名無史さん:04/03/15 11:40
朱元璋には、歴史上において、高く評価される要素があります。それは
「漢人王朝の再興」。金・元・清と、異民族王朝の千年史の中で、明の
時代は異彩を放ってます。
もし朱元璋がもうちょっと明るかったら、民族の大英雄なのは間違いない。
61 :
世界@名無史さん:04/03/15 12:31
太祖の肖像に良く描かれたものとそうでないものがあるってエピソードを
よく見るけど、あれは比較する方が完全に間違ってる。
温和な爺さんの肖像画は美化を含んでいるとしても写実的だけど、
醜悪な顔の方はほとんどポンチ画並のもの。ぜんぜん比較できないよ。
62 :
世界@名無史さん:04/03/15 12:43
>>59 むしろ、それが良かったと思います。
現代の中国は、満州、華北、華南、西域=ウイグル、チベット、雲南
と6つに分かれてるのが理想だと思うのですが。
63 :
世界@名無史さん:04/03/15 12:46
>>61 しかし、いくら写実的と言っても本人とは似ても似つかぬ
全然別人の美男子をモデルにしてたら、完全空想のポンチ画&マンガ絵
と大して変わらないと思うが・・・
しかし、中国歴代の皇帝たちの肖像画を見ると、
太祖たちはみんなワイルドなお顔をなさっているが、
滅亡前の皇帝たちになると、本当にノーブルな顔になってしまうのが笑える。
清の光緒帝なんて本当に高貴なお顔ですからなあ。
すれ違い、スマソ。もうしませんから許してください。
65 :
世界@名無史さん:04/03/15 13:02
>>63 だからさ、ほんとうは「比較すること自体が間違ってる」んだよ。
間違ってるという認識のもとで自分はどう思うかというと・・・
私は写実的な方が実は本人に近いと思うけどね。
まがりなりにも皇帝の肖像だから、別人として描くわけにはいかないし。
ポンチ画は当時の漫画の類で、本人見たことあるやつが描いたかどうかも
怪しいと思う。
秦という儒教を排斥した強大な「悪の帝国」を滅ぼし、儒教を普及させた漢と比べるとやはり
儒教的には明のほうが目移りするっていうのは関係ないかな?
67 :
世界@名無史さん:04/03/15 15:15
>>30 >>31 中国の農村部ってのは昔から慢性的な嫁不足で貧乏人には嫁が来ないのに、劉邦のオヤジの大公には奥さんが二人以上もいて、なおかつ息子にいい年までブラブラさせてたんだから余程裕福だったと思う。
女房二人+その子供たち を養えるってのはすごいよ。
しかも、末子の交はいい教育受けていたらしいし。
現代日本のリーマンには無理。ワンマンオーナー社長レベル。
貧農出身だっていうのは偏見だと思う。
68 :
世界@名無史さん:04/03/15 15:39
朱元璋の「山の字を横に倒したような顔」って要するにアントニオ猪木みたいな感じか?
色目人の血でも入ってたのかねえ。
69 :
世界@名無史さん:04/03/15 16:00
二番煎じでは人気は出ないんだよ
70 :
世界@名無史さん:04/03/15 19:22
>>57,70
>明は建文帝で一度滅びている
>永楽帝政権は、洪武帝-建文帝政権とは別王朝。
>南明、北明と区別すべきだよな
それはどういうことですか?具体的に教えてください。
自分は、高校で健文帝は太祖の孫で永楽帝は息子、と習った程度なんで。
72 :
世界@名無史さん:04/03/15 22:04
盗賊皇帝といえば、中国では李自成が一番人気。
南明というのは通常は隆武帝や弘光帝などの政権を指す用語として定着していますので、
建文帝の政権を呼ぶのは適切ではないでしょう。燕王は君側の奸を除いて国難を靖んずる
師を興したという名目で起兵したもので、南京の朝廷と対立する別の国家を志向する
意図は無かったのだし。
74 :
世界@名無史さん:04/03/15 22:10
>>67 劉邦は秦の官僚組織の末端で吏員をやってたわけだし、裏社会の人間でもあった。
現代日本でいえば、特定郵便局長 兼 ヤクザの親分 といったところ?
ぼちぼち裕福そうですな。
75 :
世界@名無史さん:04/03/15 22:12
>73
後漢も前漢と対立する別の国家を志向したわけじゃないし。
たしかに南明は既に使われているから、前明、後明だな。
後漢は前漢がいったん滅亡してから成立した政権で対立する相手がいません。
永楽帝は建文帝を革除して直接に洪武帝から政権を継承した形式を採用し、
簒奪の名を避け体統の連続性を企図したわけで、前後に分断する意味はありません。
もしそういうことを考え始めると正統帝と景泰帝の関係では2度も明朝が断絶した
ことになってしまいます。
劉邦は基本的に無能な男だから人気があるんだと思うんですが
無能な農民が個性豊かな部下を引き連れ何度も敗走しながらやっと掴んだ天下ってとこが面白い
部下も忠実に働く地元の人材やよそ者の一癖あるような将軍まで多種多様だし
無能な農民が天下を取る、痛快で面白くしかも解り易いのが人気の秘密かと
>76
靖難の変により、政権の人々の大半が入れ替わっている。
土木の変で交代したのは一部首脳だけ。
79 :
世界@名無史さん:04/03/15 22:58
永楽帝って太祖の官僚組織をそのまま受けついだから、
新しい帝国を作ったと言うほどのものでもないんじゃない。
ちなみに俺も太祖の顔は肖像画の方が近いと思う。
ただ肖像画は立派に描かれるものだけどね。
俺のイメージではスターリンが近い。
体が小柄で痩せいて、繊細で暴力的な感じのする独裁者タイプの顔。
80 :
世界@名無史さん:04/03/15 23:01
>79
易姓革命で禅譲の形式をとった場合、基本的に官僚機構を継承しているが。
劉邦は、人口の八割がた農民の世界で、
最下層の足軽で天下をとったみたいな感じ?
凄い事は凄いが、もっと下がいたと。
82 :
世界@名無史さん:04/03/15 23:07
永楽帝はモンゴルの気風が濃い気がする。
83 :
世界@名無史さん:04/03/15 23:08
84 :
世界@名無史さん:04/03/15 23:12
85 :
世界@名無史さん:04/03/15 23:13
>83
うん。しかも中央政府は総入れ替え。
官制・法制と地方機構しか継承していない。
禅譲の易姓革命の場合の方が継続性があるということ。
地盤が南から北に180度変わったわけだしねぇ。
87 :
世界@名無史さん:04/03/15 23:39
劉邦の家は、所謂貧農ではなかったはず、そこそこの土地を持つ独立自営農民の
ようなものだったんじゃ?
それに対して朱元璋は、極貧の孤児だった。托鉢僧もしていたよね。それで「僧」とか
「禿」という文字を下手に使うと死刑になったというのは有名な話。
一方、劉邦の父親と兄に対する微妙な感情というか対立は、結構現代に通じる
ものがあって中々面白い。これも人気の秘密だろう。
88 :
世界@名無史さん:04/03/15 23:46
堺屋太一といえば、太祖光武帝を毛沢東に、成祖永楽帝をケ小平になぞらえて
いた。
前者が強権的な統制支配で政治的な安定を確立し、後者がそれを緩めて、長続き
する体制を作り上げたと。
これ、秦の始皇帝と、漢の高祖劉邦にも言えることだと思うんだけどね。
永楽帝も朱姓なんだから
易姓になるわけがない
でも、中央政府の人員が入れ替わったら革命なのでは
アメリカじゃ政権党が交代するたびに革命という道理では
91 :
世界@名無史さん:04/03/16 09:43
朱元璋の部下たちには、
個性的で有能で魅力あふれる連中がそろっている。
彼らの一人ひとりでも十分ドラマになるぐらいだ。
無頼、土豪、儒者、濠州の24人衆、・・・。
だが、いかんせん朱元璋の個性が絶対的に強すぎて、
全く目立たなくなってしまう。
結局多くが処刑、自殺などで最期を遂げているのでは?
報われない人々だなぁ。
92 :
世界@名無史さん:04/03/16 13:30
南京の洪武帝陵にオウムの麻原らが詣でたことがある。
洪武帝のエネルギーを得るためとかいう口実で。
元信者の証言集の一文にも
麻原が自分は洪武帝の生まれ変わりだと述べたくだりがあった。
オウムは帝国樹立を妄想して、武装化していったが、
洪武帝の著しい残虐さと成功を目標にしていたのだろう。
93 :
世界@名無史さん:04/03/16 13:41
大正大学の高岡真由子さん、かわいい。
94 :
世界@名無史さん:04/03/16 21:58
班固によると豊には劉氏の墓が少なく、劉氏は流れ者だった。ってことですが本当に農家だったんですか。
中国では流れ者でも土地を容易に獲得できるのかな
95 :
世界@名無史さん:04/03/16 22:56
忠誠は報われない、給料は安い(歴代王朝で官の俸禄が最も低い)で、
かえって汚職がはびこることになった明朝。
っていうか流れ者としても劉邦のじいさんぐらいにはいついたんじゃないの。
劉邦の連れたちがそっくりそのまま重臣になっているんだから。
しかし劉邦の連れ達って才能があるヤシ多いよな。
ハイの片田舎にあれだけの才能が埋まっているのか不思議だなぁ。
項羽なんか人材乏しいのに(永遠の青談)
97 :
世界@名無史さん:04/03/16 23:36
>>96 劉邦のじいさん=豊公のことですね。
その通りです。彼の代には既に劉氏は豊に住みついていたとされています。
親戚(劉賈、劉澤)との関係もよく分からないときたもんだ。
始皇帝の天下統一戦争の仮定で戦乱が相次ぎ楚も荒廃したからな。
劉氏も楚あるいは他国あるいは亡国の民で流れに流れてきたのだろう。
100 :
世界@名無史さん:04/03/16 23:44
>>99 劉氏は元々晋の正卿士会の子孫で魏から移ってきたとされています。
101 :
世界@名無史さん:04/03/17 00:06
>>88 >光武帝
世が世なら凌遅処死にされそうな誤字だな。
スマソ。
「こうぶてい」と入力して変換すると、フツーに「光武帝」になるんだよな。
それはともかく、後漢の光武帝は、なんであんなに人気あるんだろ?
103 :
世界@名無史さん:04/03/17 00:18
>永楽帝も朱姓なんだから
>易姓になるわけがない
たしかに易姓じゃないけど。でも、中国では南と北は、別の国みたいに違う
ということを考えれば、北京から攻め込んできて南京政府を倒すというのは、
大きな事件だなあ。
日本で言えば、京都から江戸に政権を移すくらいのインパクトはあるんじゃ
ないの。
しかもモンゴル軍団連れてきて・・・
江南の人々はどう思ったんだろう。
燕賊奪国
>>100マジかよ
馬の骨の一族じゃなかったんだな。
>>103 今の北京政府も潜在的な脅威として隣国ソ連ーロシアと同様に
「南」の人民解放軍を恐れてる。
南京軍区、広州軍区は台湾との絡みもあって増強中。
故葉剣英が毛の失政による文化大革命の大混乱を収拾した功績もあって
葉一族の支配が長年続いた。ケ小平ー江沢民が葉亡き後葉選平を引きずり
下ろし腹心を送り込んだが、近未来の大乱の元となりそうな予感。
>>104 江南の地から中国を征したのは蒋介石と朱元璋ぐらいしか思いつかないねぇ。
後は項王ぐらいだけど儒子すぎて劉邦にやられてしまったし。
>>105 燕賊奪位じゃなかったっけ。 ウロ覚え。
108 :
世界@名無史さん:04/03/17 05:43
>>100 ってことは元々は范氏だったのかな。
本家は晋で滅亡後斉に行ったと思ったけど。
109 :
世界@名無史さん:04/03/17 06:06
>>102 とてもおおらかというか、基本的に部下を殺したりするのが嫌いな人だったらしい。
おかげで有力諸侯がたっぷり残って、皇帝の権力がイマイチな帝国になってしまったけど、
平和の代償といったところか。
この人も、実は経歴がかなり怪しい。まあ、劉家の人間ではあったんだろうけど、
元々は伯父だったかの側にいて、頭角を現してきた人なんだよな。
劉備はむしろを織ってたってのが正史に載ってたと思う。だとすれば、こいつは
下層階級でしょう。劉邦にしてもそうだが、裏の社会と付き合いがあると、身分
以上にいろいろな連中と対等の立場、あるいは特殊な関係で結ばれる機会を得る
ようになる。そういうところが、この二人の共通項かもな。もっとも、劉邦はたしかに
自作農クラスの生活はしていたようだが。
その点、朱元璋はマジ悲惨。
前漢の景帝の子孫の中山靖王はなんでも何十人と子供がいたので、
その自称末裔は当時相当多かった、と聞いたけど、劉備は本当に景帝の末裔なの?
111 :
世界@名無史さん:04/03/17 17:29
>>102 庶民派でミーハー。
消極的でおとなしい性格。ぼーっとしていて根は小心者。
しかし、いきなり単騎突撃をしてみたり、戦時中に夜遊びをしたりとたまにDQNなことをしたがる。
とにかく変な言動をかまさないと気がすまない、爆笑問題太田のような男。
10歳年下の美女を「お嫁さんにしたい!ハァハァ」と発言
あんまり強そうじゃない&頭がよさそうじゃない部下が多い。
また、そのためかどうか知らんが統一後の粛清が無い。これは快挙だと思う。
また、統一後に慢心して失政や暴政を繰り替えすというお決まりのパターンも無く、「政治って楽しいよ♪」の名言も。
二代目もきちんとしている。
♪嫁にするなら、徐麗華
北宋→南宋より継ぎ方が異質だと思うんだけど。
五代の後唐は異質過ぎなのに連続・・・・・・・
南明は勉強不足でした。
前明、後明ですね。
115 :
世界@名無史さん:04/03/18 00:12
モンゴル騎兵を率いる世祖永楽帝が北京から攻め込んできたときの
南京人たちは、ちょうど東国の源氏が坂東兵を率いて攻め込んできた
ときの京都人みたいな気分だったのではないか。
116 :
世界@名無史さん:04/03/18 00:20
つまりアズマがタサツマを倒すということだな。
117 :
世界@名無史さん:04/03/18 09:31
洪武帝の海禁政策、農本主義(表向き農民重視で商業蔑視)って
徳川幕府の鎖国政策、農本主義と似たようなものかな?
118 :
世界@名無史さん:04/03/18 09:41
日本航空客室乗務員の山崎知春さん、かわいい。
119 :
世界@名無史さん:04/03/18 10:12
>>117 徳川家康が、太祖洪武帝をいろんな面で参考にしてたって話は、よく
聞くね。
でも、中国史には「織田信長」が欠けている。「近代化の父」みたいな
人物が見当たらない・・・。
日本史の話題をふるとはい山野の薀蓄↓
121 :
世界@名無史さん:04/03/18 11:23
日本史ネタです。
洪武帝が制定した明律は江戸時代に盛んに研究されました。
荻生徂徠の「明律国字解」、高瀬喜朴の「大明律例譯義」、
紀州藩文書には「大明律例諺解」「大明律例譯義」「明律解」
などがあります。
これらは幕府や諸藩の法令に大きな影響を与えました。
>>119 後周世宗、柴栄は?
統一の方向性を定めるも中途挫折、子孫が簒奪の憂目にあうなど類似点多し。
123 :
世界@名無史さん:04/03/18 11:42
洪武帝の六諭に見習ったのが、教育勅語。
明治政府が採用した皇帝一代で一元号という一世一元の制も洪武帝が始めた。
洪武帝は偉大だ。
柴栄=秀吉
>64
>しかし、中国歴代の皇帝たちの肖像画を見ると、
>太祖たちはみんなワイルドなお顔をなさっているが、
>滅亡前の皇帝たちになると、本当にノーブルな顔になってしまうのが笑える。
初代がどんな醜男でも、代々の嫁さんは美女揃いな訳だから、
別に画家が作らないでも何代もすればそういう顔になってくる。
徳川も家康は丸顔だったけど、後代は瓜実顔になったしね。
日本のやんごとなき一族の方々も、弟のほうはそれにあてはまるね
127 :
世界@名無史さん:04/03/18 15:04
あのやんごとなき一族の方々はなぜああ、みんな貼り付いた笑顔なのか・・・
民間から入った人でさえあの顔になる
128 :
世界@名無史さん:04/03/18 15:15
>>127 それはともかく、嫁さんは代々、才媛ぞろい。
インテリ家系へとまっしぐら。
美人で頭いい女性とばっかとってたらどんどん遺伝子がよくなるはずなのに中国の王朝は・・・
130 :
世界@名無史さん:04/03/18 15:41
>抜かれねえよ。物凄い周回遅れだったのが1週追い付いたという程度。
たしかに中国も急速に進歩してますが、日本でもここ10年くらいの
間に、グローバル製造業は世界の製造業界における主導的地位を確立。
国内でも金融革命・流通革命が劇的に進行している。
差は見た目ほど縮まってないですよ。
どこの誤爆?
スマソ。「中国はいつから後進国になったのか」スレに書くつもりだった・・・。
なるほど。気落ちせずにがんばってください
>>115 どちらかというか木曽義仲ですかね。一応頼朝の方は山猿では無かった(その
事も彼が担がれた理由の一つ)。
>>119 『貞観政要』や『吾妻鏡』を精読して政権構想をねり、学問好きを知られて公家の山科
などから『拾芥抄』(鎌倉時代の辞書)を送られたほどの勉強家でした。
この点が信長・秀吉あたりとは違う点で、最後に安定した政権を樹立する
為にはこうした知恵や機転以外も身につけた着実なやり方を行う人物が求
められたのだろうと思われます(頼朝も『貞観政要』の愛読者)。
ちなみに信長の行動は小説などでかなりいじくられていますが、比叡山焼
き討ちの前に祟りが無いかどうか吉田神道に相談したりしているのでやは
り中世的な心情も持ち合わせていたのではないかと。
135 :
世界@名無史さん:04/03/18 23:16
洪武帝=信長+秀吉+家康+頼朝
【劉邦】
武力 :☆☆
政治力 :☆☆☆
残虐性 :☆☆☆☆
猜疑心 :☆☆☆☆☆
カリスマ:☆☆☆☆☆☆
運 :☆☆☆☆☆
【朱元璋】
武力 :☆☆☆
政治力 :☆☆☆☆☆
残虐性 :☆☆☆☆☆☆
猜疑心 :☆☆☆☆☆☆
カリスマ:☆☆
運 :☆☆☆☆
洪武帝の部下はいやずら
劉邦が殺すのは主にライバル的なお偉いさんだが、朱元璋は見境無し
138 :
世界@名無史さん:04/03/19 09:21
139 :
世界@名無史さん:04/03/19 09:41
バス・コーポレーションの上野良子さん、かわいい。
140 :
世界@名無史さん:04/03/19 15:49
朱元璋の大河ドラマを考えてみた。
回を重ねるにしたがって暗くなる問題作。
第1回 流浪の朱家
第2回 牧童のガキ大将
第3回 旱魃、イナゴ、疫病
第4回 托鉢僧
第5回 郭子興軍団へ
第6回 聡明な妻
第7回 元軍猛攻
第8回 24人の軍団誕生
第9回 李善長の智恵
第10回 紅巾軍の宋国樹立
第11回 紅巾軍北伐失敗
第12回 郭子興の死
第13回 揚子江渡航作戦
第14回 集慶奪取
第15回 大宋国呉国公
第16回 劉基と宋濂
第17回 陳友涼の台頭
第18回 鄱陽湖の戦い
第19回 呉国自立
第20回 張士誠との戦い
141 :
世界@名無史さん:04/03/19 15:49
続き
第21回 大宋国小明王の死
第22回 北伐
第23回 大明帝国誕生
第24回 論功行賞と猜疑心
第25回 空印の獄
第26回 胡惟庸の獄
第27回 続く粛清
第28回 里甲制
第29回 皇后の死
第30回 李善長の獄
第31回 皇太子の死
第32回 藍玉の獄
第33回 独裁者の孤独
見てみたいかも…
143 :
世界@名無史さん:04/03/19 16:10
>>140-141 そんなんじゃ視聴率とれないんで、
トンチのきいたお坊さんがその才知で多くの仲間やライバルと巡り会い、
いつしかその仁愛で天下を統べるという『太祖記』をお楽しみいただきます。
農民を愛し、逆境にあってもへこたれない元気な主人公・朱元璋を香取慎吾さんが明るく演じます。
お楽しみに!
すげぇ皮肉
145 :
世界@名無史さん:04/03/19 18:24
>>141 ワロタ。
最後の10週は大殺戮ばっかじゃねーかw
146 :
世界@名無史さん:04/03/19 22:43
>農民を愛し、逆境にあってもへこたれない元気な主人公・朱元璋を香取慎吾さんが明るく演じます。
>お楽しみに!
ヤパーリ、朱元璋は怪異な容貌でなければ。
147 :
世界@名無史さん:04/03/19 22:44
>回を重ねるにしたがって暗くなる問題作。
同じくワロタ。でも、餓死寸前で反乱軍に拾われた少年時代も、十分に
暗いぞ。
148 :
世界@名無史さん:04/03/19 22:55
最終回 「誰もいなくなった」
149 :
世界@名無史さん:04/03/19 22:58
主役は にしこり でぜひ
150 :
世界@名無史さん:04/03/19 23:36
大河ドラマ『朱元璋』最終回
死んだ朱元璋が、自ら処刑した40万の亡者達(皮剥がされてたり手足無かったりする)と共に
高笑いしつつ地獄でタップダンスを踊り狂うという衝撃のラスト
>>150 演出は是非『ムトゥ・踊るマハラジャ』の人で。
ミュージカルですかw
処刑されながら歌ったりする訳ですな。
>>140 足利尊氏の太平記も、展開的には相当暗いはずなのに、当時はあまり気に
ならなかった。
南朝方武将の続く討ち死、高兄弟の失脚、弟・直義との確執、屈辱の南朝への
降伏、息子・直冬との対陣中の死、…と南朝勢力が壊滅してからは、ずっと
足利政権内の仲間割ればっかりだったわけだからなぁ。
あれは陣内正則演じる佐々木道誉のキャラに救われていたのかな…。
154 :
世界@名無史さん:04/03/20 03:17
>>153 何だかんだ言っても足利尊氏は優柔不断なお人好しの部分も多分にあるしね。
それに比べると朱元璋はねえ、、、、。最後の方はやはり見るに堪えないね。
豊臣秀吉の秀次粛清も暗い話だけど、そんなものはかわいく見えるもの。
ところで、大河で暗いと言えばやっぱ「花の乱」じゃないですかね。
徹底的に泥沼の上に英雄不在という救いがたい展開ですからね。
>>154 でも、秀吉と根っこは同じやん。規模が大きってだけで。
156 :
世界@名無史さん:04/03/20 05:28
共立女子大の村上由華さん、かわいい。
157 :
世界@名無史さん:04/03/20 07:23
花の乱は、一応山名宗全が英雄ポジションだったのでは。脇役だが
158 :
世界@名無史さん:04/03/20 07:56
>>154 でも、数ある「項羽と劉邦」モノでも、たいてい「四面楚歌」の話が
クライマックスで、劉邦が中国統一してオシマイ。
後の功臣粛清のところまでやるのは少ないと思うのだが・・・。
秀吉:一家皆殺し
洪武帝:ジェノサイド
160 :
世界@名無史さん:04/03/20 08:10
漢の粛清話は、劉邦が死んでからの方が本格的に陰惨だからな
劉邦存命中だけの分をやると中途半端になる。
161 :
世界@名無史さん:04/03/20 08:22
洪武帝の機嫌がちょと悪いだけで、周囲の人々は生きた心地もしなかった
とか。
162 :
世界@名無史さん:04/03/20 10:27
ヒロインが不足しているなぁ。
劉邦なら女好きなことで知られるし、
虞や呂后などよく知られた女も登場する。
洪武帝は子沢山なので、
後宮に多数の妻妾をかかえているはずだが、
名前が史書に出ていたっけ?
良妻賢母と謳われた馬皇后ですら
ファーストネームがわからないのでは?
163 :
世界@名無史さん:04/03/20 10:50
ジャンルはホラー・ミュージカル。
田中は中国の皇帝に心酔してるから脳内フィルターで残虐行為とかはシャットアウトしてるんだろ
>>165 田中ちゃんがモデルにしているのは漢の光武帝の方だと思うが、
君は明の洪武帝のことを言ってないか?
それはともかく劉備は下層じゃないだろ。むしろ上のほうだ。
「(大明)英烈伝」の翻訳本or種本小説登場→ヒット
とくれば、すこしは知名度あがるかも?
…でも「英烈伝」ってあまり面白くないような…
(漏れがもってるのは上海古籍出版社のやつ)
169 :
世界@名無史さん:04/03/20 14:54
>>155 確かにそうなんだけど、規模にあれだけ差があるとちょっと同列には論じられな
いと言うか何と言うか。ちなみに秀吉を弁護する気は全くありません。
>>158 朱元璋は、洪武帝になってからの功績が凄いでしょう。極端なこと言えば洪武帝
になってからが本領発揮って感じだもん。治水の成功や灌漑の整備、大規模な農
地改革とそれに伴う農村振興政策、法律の制定等々。その大事業と平行して大粛
清があるからたまらないね。
帝位にあった期間も30年くらいあったはず。天下取ったところで終わりという
わけにはいかないんじゃないかな?それに比べると劉邦の在位期間は10年もな
いでしょう?
でも朱元璋のドラマ見てみたい気もするね。怖いもの見たさと言うか悪趣味と言
うか。
170 :
世界@名無史さん:04/03/20 15:29
洪武帝のは恐怖政治だからなぁ。
秀吉のはそういうカテゴリーではない。
171 :
世界@名無史さん:04/03/20 17:31
>>152 >処刑されながら歌ったりする
スターリンの粛清の場合は、処刑する方だけでなく、
処刑される方も「スターリン万歳」を叫びながら死んでいった。
処刑されながら歌うという演出は意外と実録に近いかもしれない。w
172 :
世界@名無史さん:04/03/20 18:16
>>169 朱元璋って一体いつ学を修めれたんでしょうかね?
173 :
世界@名無史さん:04/03/20 18:37
>>171 ジロントもラマルセーズを歌いながら、ギロチンされたのでしょう。
174 :
世界@名無史さん:04/03/20 20:40
若い頃の朱元璋って文字を読めましたっけ?
一応修行僧だったんだよな?
176 :
世界@名無史さん:04/03/20 22:15
幼い頃、村の塾で学んだことがあるが、
貧しさのためすぐに地主の牛飼いの奉公に出された。
皇覚寺に入ったのは十代後半。
寺の食料が尽きたため、寺に入って50日目に托鉢の旅に出されてしまう。
約3年間、各地に旅をした後、寺に戻る。
寺には4,5年いた後、郭子興の軍に参加している。
寺にいる間に文字を覚えたと考えるのが自然かな?
177 :
世界@名無史さん:04/03/20 22:23
>帝位にあった期間も30年くらいあったはず。天下取ったところで終わりという
>わけにはいかないんじゃないかな?
それは言える。中国は広大だ。地方には、それぞれ有力者がいる。現代の
共産党政権ですらそうだが、中央の有力者も、それぞれの地方に権力基盤
を持っている。面従腹背なんか当たり前。「信頼」なんて世界ではなく、
統治するには、力で抑えておくしかない。
有力な家臣や官僚を粛清したから、大明の社稷が長続きしたのだ・・・。
178 :
世界@名無史さん:04/03/20 22:26
永楽朝にとって代わられましたが。
んで、新たな功臣が出来た筈なんだが。
179 :
世界@名無史さん:04/03/20 22:30
洪武帝は起こした文字の獄では、
「光」、「禿」、「僧」などの文字を使った学者を、
托鉢僧だった洪武帝を誹ったとして、次々に処刑した。
しかもどういう文字が駄目なのかを明確にしたのは
文字の獄が始まってから10年以上後のことだった。
しかも洪武帝自身は、自分が托鉢僧だったことを広言しており、
自分の経歴を語った布告も出している。
従って、明らかに文字禁止が目的ではなく、
托鉢僧だったことにコンプレックスがあったわけでも、
嫌な文字を見て怒ったためでもない。
単に殺したい学者を殺すためのものだった。
180 :
世界@名無史さん:04/03/20 22:41
>>179 同様に知識人を大量虐殺した毛沢東の場合は、明らかに学歴コンプと
いう人が多いけどね。
こっちの方が、現代だけに後遺症は深刻だ。
181 :
世界@名無史さん:04/03/20 22:42
>>178 確かに永楽帝のおかげで宦官の力が増した。
洪武帝は宦官の地位を低めておいたのに。
但し、皇帝独裁体制の明では、皇帝が変わると、権臣も力を失う。
権臣の横暴は皇帝一代限りという仕組みになっているらしい。
182 :
世界@名無史さん:04/03/20 22:52
紅巾軍時代の朱元璋は自分が無学であることを自覚し、
李善長、劉基、宋濂といった儒者たちから喜んで教育を受けていた。
いつしか古典、歴史に通じ、詩作もできるようになったらしい。
183 :
世界@名無史さん:04/03/20 23:09
>>121 洪武帝が制定した明律は全30巻に及ぶ緻密なもので、
後の清、日本、朝鮮に長く影響を与えている。
但し、洪武帝自身は明律を完全に無視して、超法規的に厳刑で裁いた。
洪武28年に自分は法外に刑罰を用いたが、後継者は明律に依拠しなければならないと宣言している。
人治を止めて法治にせよ、といけしゃぁしゃぁと。
184 :
世界@名無史さん:04/03/20 23:31
北朝鮮憲法だって、幸福な物質文化生活、言論、出版、集会、示威、宗教、結社の自由を保障している。
応制賦三山 絶海中津
熊野峰前徐福祠
満山薬草雨余肥
只今海上波濤穏
万里好風須早帰
御製賜和 明 洪武帝
熊野峰高血食祠
松根琥珀也応肥
当年徐福求仙処
直到如今更不帰
186 :
世界@名無史さん:04/03/21 06:51
>180
洪武帝も似たようなものだった。
張士誠が士誠の名を知識人に相談して選んでもらったが、
実はその名前が古典の「士、誠に小人なり」という節から取られた、
という説を聞いて知識人への反感を募らせ、文字の獄を思い立ったという。
187 :
世界@名無史さん:04/03/21 07:51
>>186 へえー。宿命のライバル・張士誠がだまされたのに腹を立てたわけか。
学力コンプってのはそういうものなんだね。
188 :
世界@名無史さん:04/03/21 09:37
朱元璋は、ある程度、文字の読み書きに関する素養はあったんだろうけど、
それと、古典の堅い漢文を読み書きできる能力とはまた別だしな。
189 :
世界@名無史さん:04/03/21 09:48
>>140-152 戦乱の英雄を描くシリーズでは、もっとも陰惨な例の一つだな・・・
もっとも、ロシアではイヴァン雷帝のドラマが作られているから、
それといい勝負か。(こいつ、たしか息子を自分で斬り殺しているし)
対極にあるのが前のレスでもでている光武帝だ。日本語読みだと
同音だが、その性格・生涯を含めて、あまりにも違いすぎる。
「こうして王子様とお姫様は末永く幸せに暮らしましたとサ。おはり。」
って感じ。
息子も名君の誉れ高い男だし、お家騒動も起きてない。
後漢時代は、なんかのんびりしてるよな、雰囲気的に。
やはり、その時代のイメージというのは、創始者に依るところが大きいのだろうか。
191 :
世界@名無史さん:04/03/21 12:30
>>187 学力コンプっつー問題じゃないでしょ。
これはアタマくるよ。
192 :
世界@名無史さん:04/03/21 15:09
>>186 この話非常に有名だけど、本当なのかなあ?本当だとしたら頭来るよね。
でも本当だとしたらいくら何でも誰かが教えたんじゃないかな。
張士誠に同情的に見ると知ってたんじゃないかと。わざと謙虚な命名にしたのを
朱元璋の武官に悪用されたのではないかなんて言うのは無理な話かな。
>>189 後漢は光武帝自身を含めて豪族が政権の中枢で、
豪族がいいとこどりするという体制を政権が公認したから摩擦が少なかった。
皇帝の側は多少は抑えようとする動きもあったが、大抵は潰されている。
だから黄巾の乱以降
群雄割拠状態になっちゃったのね
195 :
世界@名無史さん:04/03/21 18:50
党錮の禁なんかを見ると、後漢はかなり宮廷集権的だったと思えるが。
196 :
世界@名無史さん:04/03/21 22:11
後漢は豪族政権じゃねーずらよ。
どっちかというと豪族と宮廷側官僚(酷吏)との対立の歴史。
しかし劉秀は政権成立時に豪族の力を必要とし自然と豪族の影響力を前漢のように排除できなかったのは
事実だが。
豪族の影響力は前漢と比較にならんし。
198 :
世界@名無史さん:04/03/21 22:45
前漢がスタートして、わずか数十年後には「呉楚七国の乱」が勃発し、前漢
の統一は危機を迎えた。
春秋戦国時代にも、楚は明らかに別世界。気候も人種も違うし、早くから
周王室の権威を認めていなかった。秦の統一が短期間に終わったのも、
楚の項梁・項羽グループが旗揚げしたから。秦を滅ぼした後の項羽は、故郷
の楚に帰って、秦に滅ぼされた諸国を続々と復活させた。
もし呉楚七国の乱が成功していたら、たちまち中国は南北に分裂。多分、
「中国はひとつ」というイデオロギーが定着せず、「北と南は別の国」と
いうのがコンセンサスになって、その後の歴史はまったく変わったのでは
ないか。
>>198 それ以前に項羽は再起をかけて河をわたるべきだった。
吾とともに河を渡った八千旗のことごとくが死んでいって
おめおめと帰れぬくやしさはわかるが・・・・。
もっとも司馬遷は演劇が好きで史実以外の虚飾が加わる
癖があると宮崎さんの著書で眼にしたおぼえがあるので
史記の表記はじじつでないかもしらんが・・・。
あぼうきゅうが焼かれてなかったらしいし、史記は色々と間違いが入ってる可能性があるよね
項羽と虞美人との最後の邂逅ー四面楚歌の下りはどうも演劇っぽい
202 :
世界@名無史さん:04/03/22 01:10
>>200 この話も聞いたことがあるけど、確か考古学調査では、阿房宮(漢字あってるかな?)
のあったと推定される場所から火災の跡があるとも聞いた。兵馬俑にもあると
聞いたけど、どっちが真実なんだろう。やっぱり後から分かった方かな?
史記を弁護するわけではないけど、この時代の歴史書にしては結構正確な史書なんでは
ないかと思うけど、どうだろう。
勿論四面楚歌の話は項羽に対するサービスで脚色満点でしょうけど。
それこそ例えようもないような名文とはこのこと。項羽のこと好きだったんだろうな。
>>202 あぼうきゅうに関してはつい最近発表されたことだから間違いないんじゃないかな?
まあ、話がドラマチックに脚色されてる可能性が大ってことは確かだと思う
204 :
世界@名無史さん:04/03/22 01:28
司馬遷は屈原が好きだった
焼失していないと発表されたのはシーアン郊外での発掘調査2年目の報告(今年の年初)での報告だったね。
あと4年あるわけで(いちおう予算がおりているのは)
今後も新発見があいつぐだろう。
もっともシーアン郊外での全容が解明するのは楽観的にみつかって100年後・・・・
俺らはもうこの世に・・・・・
というのは兵馬傭などはごく一部で地下宮殿事態はまだまだ未発掘というか全容すらわからんのです。
今のペースでいくと100年(しかもこの予算規模が100年続くと仮定しての話)だからなぁ・・・・
支那で内乱が起こったら遺跡はやばいかもしれんな…
このまま中共がうまく民主化してくれればいいんだが
1927年に発掘された北京原人の貴重なサンプルが日華事変で行方不明になった前例がありますからねぇ・・・
まあ、戦乱よりも文革の方が破壊がひどかったな。
もし日本が戦中に文化遺産を略奪していたらどれだけのものが救われたことか。
救われたかもしらんが、その後の謝罪と賠償が(nyと
話題ふったらコヴァが沸いてきそうで嫌だな。
ただ、大英博物館などの如きは文字通りわが国が
保護したから散逸を防止できた感謝汁なんてほざいて
本当に返さないし・・・・日本からも持ち出すし・・・・
スタイン・ヘディンのように硫酸で壁画やいて持ち出すし・・・
どうも異民族というものは基本的に文化に対して敬意を
もたざるものかと諦観もあるのだが・・・
211 :
世界@名無史さん:04/03/22 01:59
台湾にわたった国民党軍が大陸から持ち出した文化物の大半は故宮博物院に所蔵されたが、
蒋介石はじめとする政府首脳陣の中には私物化して売りさばいた例もすくなからぬそうで・・・
蒋介石なんかもろに裏の世界とつながっていたしね・・・・今でも国民党と裏社会は切っても切れない縁
と聞くし。
まあ、そろそろスレ違いはやめようや
文化財については専用スレもあるしさ
>どうも異民族というものは基本的に文化に対して敬意を
>もたざるものかと諦観もあるのだが・・・
そうだろうか。
スレ違いだから多くは言わんが、李朝時代の高麗青磁とかギリシア文化のローマやイスラムにおける扱いとか
文化が異民族によって本国以上に敬意をはらわれた事象はいくらでもある。もちろん逆の方が多いだろうけど。
>>211 宋美齢の一族は強盗だ、と合衆国側は怒っていたらしいからね
強盗殺人犯に強盗呼ばわりされたのか。
目くそ鼻くそを笑う
217 :
世界@名無史さん:04/03/23 20:54
>>198 やはり、高祖のみならず、文帝や景帝の為したことも偉業ってことでしょうか。
218 :
世界@名無史さん:04/03/24 16:33
光武帝(劉秀)>>>>>>>>>>>>>>>>>>>劉邦>朱元璋
というのは確定だと思うが、
光武帝のドラマってないね。
地味なの?
>>218 もそっと詳しゅうに、光武帝が漢高祖や明太祖より優れるという理由などを述べられよ
でないと同意も反論もできん
220 :
世界@名無史さん:04/03/24 17:23
粛清がなかった点で
劉備と孫権のいない曹操や項羽のいない劉邦を見ても楽しくなかろうて
賢人 田中芳樹が劉秀をマンセーしているからだろ。
223 :
世界@名無史さん:04/03/24 21:48
>>219 統治能力では浩武帝(朱元璋)も決して光武帝(劉秀)に劣っているわけではない
のだけれども、人間性の問題で劉秀の方が優秀ってことかと。劉秀は皇位継承者も
死んでないし、4代目くらいまではかなりまともな人材が揃ってる。これは結構珍しい。
清朝がそれに近いか。
ようするに、無駄に人が死んでない。その点では劉邦も劉秀には敵わないな。
(嫁さんのちがいだ、こちらは)
・・・だからドラマになりにくいんだろうな。>光武帝
田中芳樹は素晴らしい
艱難辛苦が無ければ、忠臣も烈臣も無い。
悲劇が無ければ、ドラマも無い。
無論、光武帝の生涯にそれらが全く無かったわけではない。
だが、物語を作れば「サザエさん」しか出来上がらない。
さざえさんというか、物語の文法的に勝ちが見えてておもんくないんだろうな。
むしろ王モウの方が話になる。
227 :
世界@名無史さん:04/03/24 22:13
>>225 兄貴を殺されたりしてるので、相当辛い思いはしているはずなのだが、
何故か全体的にのんびりしているように見えてしまう。
これが彼の器の大きさなんだろうけどね。牛に乗ってきたりお笑いネタ
が実に多い英雄だ。逆に朱元璋は笑えん。
ろうを得て蜀を望むって光武帝の言質が元ネタの故事だよね。
あーそうなんかそれは知らなかった。公孫述を討伐した時の言葉か。
してみると後世の劉備も(ny
>ろうを得て蜀を望む
>井の中の蛙
おお、これは光武帝の言葉ですか。
文才があったんですね。
232 :
世界@名無史さん:04/03/24 23:20
主人公が徹底的にいい人にされてしまう大河ドラマには向いているキャラだな
実子を窓から投げ捨ててもなお臣下がついてくる劉邦の方が英雄としては好きだね。
親や上司にはしたくないけど。
>>231 井の中の蛙は馬援の言葉
>>232 奥さんは美人、子どもは優秀なのが多い (当然バカもいるけど)、部下は有能揃い、
名言多数とくればまさに家族揃って楽しむ大河ドラマ向け。
235 :
世界@名無史さん:04/03/25 00:08
馬援というとベトナムの独立に尽力した美人双子姉妹を捉えて兵士達に与えて
恵美押勝の娘モードに突入したとか
徴姉妹か。双子だったのか?
だって朱元璋はバカじゃないじゃん
恵美押勝の娘モードって何?
241 :
世界@名無史さん:04/03/25 01:15
242 :
世界@名無史さん:04/03/25 06:57
劉邦と朱元璋はどちらもDQNだが、方向性が決定的に違う。
>>239 恵美押勝(藤原仲麻呂)
藤原不比等の孫。孝謙上皇と対立、乱を起こし、一族は一人を残しことごとく処刑される。
で、押勝が太政大臣時代、その娘の顔を見た僧侶が「千人の男と交わる相じゃ」
と言った。高貴な姫君がそのような事をするはずもなく、人々は一笑にふすが、
反乱のとき、捕まえられた姫を千人の兵士がもはや息絶えたその体を苛んだ。
と、歴史小説で読んだが、徴姉妹もそんな目にあったのか。
杉本苑子「壇林皇后私譜」
壇林皇后(橘嘉智子)を主人公にした話で、
まだ幼い嘉智子に、姉が支配者階級に生まれた者は、女と言えど、権力闘争に
勝つだけの政治的力量を持たなければならない、と言い諭すシーンで
敗者の運命として出てくるエピソードで、
高貴な姫君を千人の荒くれ男がレイープするシーンが描かれるわけじゃないです。
あいにくと(w
>>245 そんなシーンはさすがに読みたくないなw
でも日本史でもそういう事件あるんだね。今度読んでみるよ
レスありがとう
247 :
世界@名無史さん:04/03/25 14:46
>>242 陽(劉邦)<<<<<<<【DQN】>>>>>>>陰(朱元璋)
こんな感じか?
そういや洪武帝はモンゴル貴族の妻妾を捕らえて遊女に貶めたと聞くな。
>>245 その小説の中だけの話だと思うぞ。他にそういう資料はなさげ。
山野が恵美押勝の娘について語っていたような記憶がある。
分からん時は雑談スレで彼を呼びにいくのが確かだろうな。
司馬遼だったか海音寺だったかの小説にもあったネタだよ。>恵美押勝の娘ネタ
このどっちだったかがも出していたネタだから、あながち資料無しとは言えない。
>19
ゴンタはもういいよな?
海音寺潮五郎 「蘭陵の夜叉姫」(「中国妖艶伝」文芸春秋社)のラスト。
「水鏡、廃帝の巻」から引用していますね。
俺も歴史小説と歴史をいっしょにする気は無いけど、
もともと中国ネタだったのが、日本に入って恵美押勝娘話になったか、
杉本苑子が勝手に創作したが、どっちかだろうな。
海音寺の小説も読んでみよう。
山野さん、正確なところを教えてくれないかな。
>234
井の中の蛙の出典は荘子
すまん カブッタ
260 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/03/25 22:34
『水鏡』で間違いありませんが、他に記した例もあった筈です。因みに『水鏡』
自体は眉唾ものの史話のオンパレードで「鏡物の中で一番出来が悪い」と
されています。
南北朝時代に書かれた『源氏物語』の注釈書に呂后が墓を暴かれて(これは本当)
遺体が500人に犯されたという話があるのでこれが元ネタかもしれない・・・・
とは私もあやめさんも前から考えていた事ですが、二人とも未だにソースを見つ
けられていません。
>>252 山岸涼子の日出る処の皇子にもそんなエピソードがあったような。
恵美押勝の娘ではなかったかもしれないけど。
262 :
世界@名無史さん:04/03/26 13:18
水鏡によると押勝の娘に「千人の男と交わる相がある」と言ったのは鑑真
なのだが、問題は彼が既に盲目だということだ。
一次資料鬼の二人が見つけられてないなら、眉唾ってことなのかな
まあ、続報があったら楽しみ
『水鏡』の注釈書としては未だに江見清風の『水鏡詳解』(明治書院・明治36年)
くらいしか無い(研究史のまとめは別)ようなので、また当たってみます。
265 :
世界@名無史さん:04/03/26 19:42
このスレはよく話しが脱線するな。
結論は出ているからねw
もちろん朱元璋のほうが人気がある、という結論だよな!
恵美押勝の娘の話は水鏡には書いてあるはず
(2次資料しか見ていないが)。
もちろん水鏡は道鏡巨根説など出鱈目な話だらけで、
内容が事実かどうかを云々できる代物ではないが。
>>267 そりゃーモチロン、ゲームでプレイヤーとして扱いたいのは朱元璋の方だね。
本人の能力値もかなり高めだし、部下も有能ぞろいだもんな。
劉邦はといえば、魅力だけで他は見るもの無し。
部下は優秀だけど、一癖も二癖もありすぎるからね。
270 :
世界@名無史さん:04/04/02 01:16
自作自演
271 :
世界@名無史さん:04/04/11 14:15
このスレおわったの?
272 :
世界@名無史さん:04/04/11 14:31
劉邦の同郷ハイから家来で、本当に優秀なのって言ったら
ショウカとソウシンとロワンとハンカイ位じゃないか?
外の武将は、ただ標準以上に腕が立つだけの、どこにでもいるって感じの人で。
273 :
世界@名無史さん:04/04/11 14:48
抵抗したというだけで杭州を焼き払い、
当然のように地域差別を惹起させたから。
274 :
世界@名無史さん:04/04/11 14:52
それまでは元王朝の下で貿易に従事していた人達を、
逆らったというだけの理由で迫害したから。
これにかぎらず朱元璋には狭量さが目立つ。
朱首相の御先祖だから才能有る立派な人だったのは確かだろうし、
見せしめが必要という時代の制約もあったのかもしれないけれど、
どうも明という王朝には、滅亡の時まで、この種の不条理が付き纏う。
275 :
世界@名無史さん:04/04/11 16:12
>>261 たしか、後の聖徳太子の妻、蘇我馬子の娘が物部の兵達に犯される。
276 :
世界@名無史さん:04/04/11 16:15
277 :
世界@名無史さん:04/04/11 17:52
朱元璋は元王朝のもと栄えていた自由貿易を禁止し、一気に内閉的鎖国体制にした。
元時代は中国史上最も貿易や海外との交流の栄えた時代。日元貿易も史上最も盛んだった。
まあ、商人に搾取される農民の反乱から起こったためとも言えるが。
残っていたモンゴル貴族の子女を娼婦に貶めた。
また、モンゴル族、色目人に同族間結婚を禁止し、同化政策を進めた。
ところで毛沢東も農民革命から起こって鎖国体制を敷いた点は似てるね。
毛沢東も少数民族、特に清代に支配された満州族、モンゴル族に対しては
厳しい弾圧をもって強制的に同化した。
最終的に殺した人数からいけば
毛沢東>>>>>>>>>>>>>>朱元璋>>>>>>劉邦だけどな。
>残っていたモンゴル貴族の子女を娼婦に貶めた
マジで?
279 :
世界@名無史さん:04/04/11 18:16
武田信玄も同じ事しているね。
信州の旧領主の妻子達を女郎屋に売って軍資金にしている。
もちろんその前に、あんな事や、こんな事を・・・・
280 :
世界@名無史さん:04/04/11 18:17
漢高祖は粛正したといっても一部の功臣だけで民衆を虐殺したりとかしていない。
そこが評価されているのでは?漢王朝が人気あって長続きしたのもそこにあると思う。
朱元璋より朱由検の方が日本人好みだもの。
282 :
世界@名無史さん:04/04/11 18:33
>>279 外国の話だがイギリスも侵略したミャンマーの王族に近いことやってる。
王女をインドの最下層の軍人に引き渡した。
>>280 やっぱり一番当たり障りなく名君と言えるのが劉邦だから人気なんだろ。
負けた方って贔屓されるから項羽の方が人気あるような気もするが
項羽は随分と平気で虐殺やってるしな。
漢高祖にせよ、明太祖にしても、北方騎馬民族を撃退した国だからなあ・・・。
(漢は武帝時代だけど。)
・・・宋は・・・比較さえもしてもらえない・・・。
蒙古>>金>>遼>>〔絶対に越えられない壁〕>>宋 で終わってしまう。
284 :
世界@名無史さん:04/04/11 19:24
でも、文化の発達の面では、宋が一番の気がする。
>>282 そういや聞いたことあるな…
美人で有名だった王女をなんか一般兵士の嫁はんにしちゃったんだっけ?
2chで読んだ話だから、できたらそういうの載ってる本とか教えてくだされ
>>272 周勃は間違いなく有能。王陵も有能だと思う
夏侯嬰、周緤、周昌は微妙ですが、味のある人物と思う
夏侯嬰も十分有能でしょう、あの人助けと推挙の実績を見れば。
その上に御者としても数々の死地を乗り越えた。
>>287 いや、自分もそう思うけど、人によっては疑問を抱くんじゃないのかなって
沛出身というと他に任敖とか周苛などもいて、かなりの数の人物が史書に名を残しているんですよね
自分としては、多くの人物が劉邦の元で適所を得て活躍したことから
劉邦の凄さを改めて思い知りましたよ。将の将とはよく言ったもんです
289 :
世界@名無史さん:04/04/12 20:13
>>280 呂后も大勢皇族を殺したけど、民政的には安定していたらしいし。
>>277 毛沢東もある意味「農民出身の皇帝」だよな。
290 :
世界@名無史さん:04/04/12 20:37
291 :
世界@名無史さん:04/04/12 22:21
ただ毛沢東は朱元璋のような貧農ではなく劉邦と同じ中〜富農だが。
292 :
世界@名無史さん:04/04/15 22:45
劉邦と朱元璋に共通なこと。
両方とも帝尭の子孫。
まあ後付けなんだろうけど
秀吉も、さるやんごとなき方のご落胤とされたそうだし、
王侯将相の種はそこら辺にころがってそうだ
294 :
世界@名無史さん:04/04/17 09:27
>>290 呂后時代の話の根拠は「史記」食貨伝だったような気がする。
295 :
世界@名無史さん:04/04/17 11:18
キャッチフレーズはカコイイよね。
「明祖は、一人で聖賢と豪傑と盗賊を兼ねたり」
ただし殺しすぎだね
アレだけ殺して、よく人材が枯渇しなかったな。
>>295 自分ですべてを兼ねちゃったから、他の人間なんて要らなかったんだよ。
やっぱり人間はちょっと足りない所があるぐらいで丁度イイね。
曹操みたいな。
第壱話 項羽、襲来
第弐話 見知らぬ、漢中
第参話 鳴らない、戦鼓
第四話 定陶、逃げ出した後
第伍話 韓信、心のむこうに
第六話 決戦、第3新垓下市
以下略
300 :
世界@名無史さん:04/05/04 16:40
>>243 確か平安末に書かれた「水鏡」にも出ている話…もっともソースは不明だが。
ソースは水鏡じゃないのか?
302 :
世界@名無史さん:04/05/06 21:25
>>301 水鏡は源平の合戦前後の作品だから、仲麻呂の時代より400年も後の話。
だから、水鏡の作者もどこかからソースを持ってきたと考えられる。
つまり水鏡に書かれてることのソースがわからない、ってことなのか。
理解したよ。
劉邦>皇帝
朱元璋>政治家
って気質の差じゃね?などと無責任なこと言ってみる
『水鏡』の作者は奈良時代について執筆するのに『続日本紀』も読んでいません。
内容が(当時の感覚を知る役には立ちますが)いい加減なのは有名な話で、史書
とも言えぬ俗書の類から引っ張って来たのでは。それでも気になりますが。
>>304が苦労して流れを戻そうとしたのをコテハンがぶち壊しましたw
307 :
世界@名無史さん:04/05/28 12:21
>苦労して流れを戻そうとしたのをコテハンがぶち壊しましたw
そう思ったらアンタが本来テーマのネタ書き込んで、また流れを引き戻せばいいんだよ。
308 :
世界@名無史さん:04/05/28 15:23
南朝・宋の劉裕も、ものすごい成り上がりだな。生まれたときの家が貧しくて、
間引かれる寸前。
全土を統一できなかったので目立たないけど。
/;;;;;;;;;;;;;\
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L::;;,__ ..:::ゝ
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/j/三三三三三三三三三三ヾ、
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r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
朱元璋:明の建国者。貧民の子から身を起こして,群雄を平らげ,元王朝を北方に追放
有能な家臣をほとんど殺し、一万人以上の処刑者を出したりと苦難続きだが、持ち前の冷酷さ(残酷さとも言う)と、その恐怖あふれる発言で混迷する明王朝を暗くしている(多分)。
その陰湿なキャラクターから、そのキャラクターが皆から嫌われていることは、各種AAが全く開発されていないとからも明らかである。
310 :
世界@名無史さん:04/07/05 14:39
主現象が怖いから
司馬遷の筆力&司馬遼の筆力
312 :
世界@名無史さん:04/07/08 09:49
中国の歴代建国者ランキングがあったら面白いかも。
ノミネート
秦、前漢、新、後漢、魏、晋、劉宋、斉、梁、陳、隋、唐、武周、宋、元、明、清
やっぱ始皇帝でしょ。
始皇帝より朱元璋のほうが怖い
315 :
世界@名無史さん:04/07/09 19:06
劉邦よりも朱元璋の方が個人能力
が高くその為、優秀な配下でも必要
なくなれば気軽に粛清ができた。
その上愛嬌が全くない。
始皇帝>劉秀>李世民>朱元璋>曹操>宋の太祖>ヌルハチ>司馬イ>劉邦>
楊堅>>>>>>>>アホの壁>>>>>王莽
すまん唐の始祖は李淵だった・・・(影薄いな)
始皇帝>劉秀>朱元璋>曹操>宋の太祖>ヌルハチ>司馬イ>李淵>劉邦>
楊堅>>>>>>>>アホの壁>>>>>王莽
318 :
世界@名無史さん:04/07/09 20:45
なんで始皇帝がトップにくるんだろう?
漢の両祖や明太祖にくらべたら生まれが恵まれすぎてないか?
早かれ遅かれ秦が中国を統一するのは目に見えていたし。
319 :
世界@名無史さん:04/07/09 21:44
人格も加えれば、宋の太祖と光武帝が1位争い。
320 :
世界@名無史さん:04/07/10 00:47
朱元璋(の肖像画)って三谷幸喜に似てねぇ?
321 :
世界@名無史さん:04/07/10 01:16
>>320 本当のカオはやたらでかくて赤ら顔、あばただらけにクチは耳元まで裂け、
歯がとんがってたんだそうだ。
322 :
世界@名無史さん:04/07/10 03:32
始皇帝がいなきゃ今頃中国は
ヨーロッパみたいに複数の国家が乱立してたかもしれないな
>>318 >早かれ遅かれ秦が中国を統一するのは目に見えていたし。
そこで暗君が生まれて、国を傾けるってのがありがちなパターンだし、
統一を妨げなかった点で評価されるべきじゃないか?
324 :
世界@名無史さん:04/07/15 00:15
>>321 確かに、そんな記述あったね。
でも本当にそうだったら、人間じゃね。^^!
なんだか、三国志演義の南蛮の将軍を彷彿とさせるような・・・
326 :
世界@名無史さん:04/07/15 00:32
>早かれ遅かれ秦が中国を統一するのは目に見えていたし。
どうかなあ。始皇帝の死後、秦の統一はたちまち破れた。項羽は「西楚の
覇王」と号して公然と楚を復活させたし、斉・魏などもすぐに復活した。
この様子を見ると、始皇帝の存在がヤパーリ大きかったのを感じさせる。
大国の斉は、天才武将・楽毅の猛攻を受けて、たまたま弱体化してただけ
だった。もうしばらく生き伸びていれば、復活した可能性は高い。同様に、
魏も底力のある大国。
楚に至っては、結局は打倒秦の中心になったし、漢が統一してからも
呉楚七国の乱を起こして抵抗した。宮崎市定教授も、「楚漢対立も
呉楚七国の乱も、結局は楚の勢力による挑戦が続いたものと総括できる」
と言っていた・・・。
結論としては、たしかに秦の勢力は突出していたのだが、統一はそれでも
難しかったのだ。
327 :
世界@名無史さん:04/07/15 01:02
始皇帝が死んでまもなく中国は再び分裂した。
それを再統一したのが漢高祖。しかも高祖はなにもないところから立身したのである。
この時点で 漢高祖>始皇帝
しかも漢高祖は文景という後継者に恵まれ、国内に長い平和をもたらした。
厳しい法で民衆を雁字搦めにし、無謀な土木事業に従事させ、後継者に恵まれなかった始皇帝より漢高祖のほうが偉い。
328 :
世界@名無史さん:04/07/15 08:25
なんだかんだいって始皇帝はコロンブスの卵。
>>321 朱元璋が醜く描かれてる絵は、
当時のマンガにあたるポンチ画で、
あんまし信用できない
肖像画はもとの顔を美化して書くものなので
まだ肖像画の方が面影残してる
>>327 別に漢は何もない所から統治システムを構築したわけじゃないでしょ
ほとんどは秦のおさがり
331 :
世界@名無史さん:04/07/19 11:17
>>317 晋は司馬炎でしょ
王莽よりちょっと上くらいで(アホの壁より下)
332 :
世界@名無史さん:04/07/19 11:52
始皇帝が統一しなかったら中国はヨーロッパのようになっていたという意見がある。
しかしその可能性は無い。
ヨーロッパが分裂することが出来たのは近隣に巨大な遊牧民の存在が無いため。
中国が分裂していたら巨大な北方遊牧民に征服されて統一されていた。
つまり中国では弱小国が連立する安定した分裂状態は不可能。
333 :
世界@名無史さん:04/07/19 13:22
>>332 じゃ、今ならできるな。モンゴル・シベリア・マンチュリアなんて、もはや
脅威じゃないし
>>332 百歩譲って四行目まで正解だとしても、
近世以前のヨーロッパ各地の雄邦と戦国時代の列強諸国を同じように考えるのはナンセンスかと。
>>332 >中国が分裂していたら巨大な北方遊牧民に征服されて統一されていた。
巨大な北方遊牧民の詳細キボン
338 :
世界@名無史さん:04/08/07 01:21
ag
そもそも漢民族の統一王朝なんて晋以降に
ある程度続いたのは2つしかないのでは
340 :
世界@名無史さん:04/08/21 16:20
高皇帝は
偉大だよ偉大
その後の繁栄を見れば劉邦の方が偉大だったことがわかるよな
やっぱし強権的な政治には限界がある
締め付けも行き過ぎると慢性的な腐敗を生み出すからね
342 :
世界@名無史さん:04/08/31 02:21
だね。
やっぱり小説とかの知名度の差では。
後、漢は紀元前だし、かなり美化されてる部分があるのではないかと。
秦の制度は古いどころか当時は斬新だったはずだが
根本的に問題がある訳でもなく、ただ急進的すぎて受け入れられなかった
漢が秦の制度をそのまま引き継いだなんてでたらめもいいとこ
封建制を取り入れるなど前時代の制度に大幅に退行し、秦時代の人々の不満を緩和した
で、結局そこから段階的に秦の制度に近くしていった
これはつまり秦の制度が優れていたから
>秦の制度をそのまま引き継いだ漢のように、
>屋台骨が古すぎて腐りきってる
そのあと漢は何百年続いたと思ってるんだ?
346 :
世界@名無史さん:04/10/03 02:24:20
劉邦は天才
>>345 秦の制度は先進的だったけど、実現が難しい段階では政治的に「優れていた」とは
言えないだろう。不満だらけで國が傾いたんじゃ意味なしおちゃん。
348 :
世界@名無史さん:04/10/06 14:47:26
漢>>>>>秦
349 :
世界@名無史さん:04/10/06 15:17:54
史記の影響で劉邦に好意を抱くのではないか。
350 :
世界@名無史さん:04/10/06 18:01:02
>漢が秦の制度をそのまま引き継いだなんてでたらめもいいとこ
>封建制を取り入れるなど前時代の制度に大幅に退行し、秦時代の人々の不満を緩和した
>で、結局そこから段階的に秦の制度に近くしていった
その流れが行きついたのが朱元璋の皇帝独裁制なのかな。
結局一代限りでは、どんなことをしても当時の統治者としては一級品の評価は
得られないんじゃないかな。創業はわずか数年、それを後代に引き継いでこそって事で。
実際に統治される民衆にとっては特にそうだろう。
評価の高い後漢の光武帝、唐の太宗(実質李世民が作ったようなものだし)、
宋の太祖あたりは、その点で合格点と言うことだろう。創業後の統治にも粛清が
殆どなく、民衆への暴虐も少なかったと言う点で。
宋なんて国力は哀れなもんだが、暴君がいなかったってだけであんなに大人気だし。
352 :
世界@名無史さん:04/10/07 12:36:58
>>351 その三人はレールが敷いてあったから
そんなに強引なことする必要がなかったんじゃないかな
あと、唐の太宗は歴史改竄してるから
歴史読めば、太宗が一人で唐作ったようになってるが、
実際は親父とその部下達の功績だろ
李淵が歴史書のように情けないやつだったら
まずボスになれないと思う
兄貴や弟も一軍を率いて激戦を戦い抜いてるんだから、一角の人物だったろ。
355 :
世界@名無史さん:04/10/07 17:32:10
光武帝はレールがひいてあったとは言い難い・・・
356 :
世界@名無史さん:04/10/07 19:10:51
>>355 光武帝のころはメチャクチャだったよな。
統一後に的確な温和政策をとれたのは名君の証
けど光武帝は全く新しいものを作ったというわけじゃない
豪族主体になったとはいえ、基本的に前の王朝の継続路線だし
358 :
世界@名無史さん:04/10/08 19:17:50
359 :
世界@名無史さん:04/10/08 19:23:26
>>357 新しいシステムを作った奴は偉いが、制度疲労を起こして崩壊したシステムを組み直して、
見事に再生させた奴も十分偉いと思うぞ。
どっちが上でどっちが下と言う話でもない。
国を安定させ、民衆に喜ばれるなら新しいものを作ろうが作るまいが良い政治だ。
360 :
世界@名無史さん:04/10/08 19:53:58
>>359 そうだな。いいこというね。
お上手〜〜
高祖も光武もどっちも偉大だ。
361 :
世界@名無史さん:04/10/10 22:48:41
劉秀>劉邦>しゅげんしょう
光武帝についてよくわかる本ってない?
三国志とか史記みたいに有名なのがないよね
後漢書
364 :
世界@名無史さん:04/10/23 05:16:52
劉秀>劉邦>しゅげんしょう>呂政
365 :
世界@名無史さん:04/10/23 17:11:17
劉氏には二種類あって、帝堯の子孫である劉累、周の王室の新しい分家で子爵の劉氏(劉康公など)がある。
漢王室は前者。前者と後者はお互いに濃厚な婚姻関係を代々きづいてきたから漢王室は周王室の親類だよ。
文帝の祖母は魏の王女だし。
366 :
世界@名無史さん:04/10/23 17:18:18
>>365 とは言っても、劉邦の時代には農民になってるから高貴なご先祖も無意味な罠。
367 :
世界@名無史さん:04/10/24 04:35:09
へえ すごいんだな 劉邦。
というは、多分後付けの設定なのかもね。
369 :
世界@名無史さん:04/10/24 06:30:19
何故?
370 :
世界@名無史さん:04/10/24 08:32:42
日本以外に歴史が本当にある国はみな詐称だからさ
天孫降臨史実以外は全て妄想。
なぜならばこの世界をつくったのが日本人だからな
韓国以外に歴史が本当にある国はみな詐称だからニダ
壇君降臨史実以外は全て妄想。
なぜならばこの世界をつくったのが韓国人だからニダ
馬后>>>呂后 で、異論のある方はおられますか?
373 :
世界@名無史さん:04/10/25 07:14:19
>>365 帝堯と周王朝宗室の血を色濃く引く劉邦のほうが野蛮人の酋長にすぎない秦王より血筋が断然上。
>>372 嫁としては馬氏>>(超えられない壁)>>呂氏
為政者としては呂氏の勝利ですかね。
呂后も劉邦が貧しい頃は決して悪い人物じゃなかったのにね…
夫が自分より先に死んだかどうかが問題ではないだろうしなんでだろ
376 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/10/25 21:15:33
>>375 この人、結婚してから劉邦が中国統一するまで苦労しっぱなし。
中国統一して皇后に立てられても、戚夫人に地位を脅かされる。
しかも、旦那は女好きかつ無責任で、逃げるのに邪魔だと言って子供を捨てようとしたり、
他の女性と遊んでばかりいるろくでなし。
項羽にも長いこと捕らえられてるし、一人の人生として見たらえらい苦労人です。
苦労して人間が丸くなる人と、人間がとがっていく人がいますが、
呂后は後者だったんでしょうね。
2ちゃんねらは、苦労もしてないのにとんがっていく人ばかりですね。
378 :
荘周は蝶です。:04/10/26 05:53:24
呂后はそんなに悪人ではないように思われますよ。
戚夫人への復讐の仕方は度が過ぎましたが、彼女は復讐されて当然。
そして呂后は敏腕政治家でしたよ。それを裏付ける事もできますが省略さしていただきます。
劉邦の方が人気があるのは猜疑心による大粛清の規模と、明は明るい時代ではなかったから、
あと容姿と性格が妖魔的存在であったからではないでしょうか。
清の順治帝が群臣を集めて歴代皇帝を論評した時、このスレと同じく劉邦と朱元璋の名が挙がりました。
結局賢帝順治は劉邦より朱元璋を高く評価しました。理由は省略。
僕は後年の劉邦を見ているとどちらもあまり好きにはなれません。
しかしどちらも農民から『男一代にして冥利大成す』
これには僕はどちらも偉大で至大であることは間違いないと思います。
みなさんはお互いの軍師の、張良・劉基どちらが優れていると思いますか?
僕はどちらも優れていると思いますが、劉基の方を高く評価します。理由は今度。
>>378 俺としては軍師の話より、省略された二つの理由の方が気になる。
>>379 呂后の方はスレ違いで長文になるので辞退さしていただきます。
賢帝順治の方ですが、まず歴代皇帝の論評の中で王朝創建者の名を挙げました。
・・・魏の曹操(帝位に就いたのは子曹不ですが、事実上創建者)・晋の武帝司馬炎
隋の文帝楊堅・唐の高祖李淵・宋の高祖趙匡胤・・・他にも多数。
どの皇帝もいずれ貴族・実力者(軍閥)の家柄や出身者、テムジンは弱小ながらも部族の首領の家柄。
名は挙がったのですがそれが理由で除外されました。
ここは僕の推測ですがそんな彼らはなんらかのコネがあり、
何度かそのコネに助けられたのが除外された理由なのでは。
そこで残ったのが本題の劉邦と朱元璋でした。そしてなぜ朱元璋を高く評価したのか。
ここからは多種の本半分と自説自論半分なので、
それは賢帝順治は清をさらに繁栄させ、何よりさらに長命国家を築き上げたいという大志があり、
朱元璋の死後暗黒の時代が続くとはいえ、それは死後のことであり、
庶民から二百七十余年の長命国家の基礎を築き上げた彼を高く評価したのではなかろうか。
これが論評の全容だと思います。
381 :
世界@名無史さん:04/10/27 06:26:49
劉家は豊ハイの名士でしょ。だから高祖の交際範囲もひろかった。
劉邦は、名士といっても、せいぜいの所自営農という程度だった。
たしかに、朱元璋のような貧民の出身ではないが、彼の出自
そのものがどれほどその後の人生に大きな影響を与えたか
は何とも言えないところだ。
むしろ、呂氏と婚姻関係にあったことと、ハイの街に比較的
近い場所に居住していたこと−つまり酒場に近かったこと(藁)−
が彼の人生を支えた気がする。
>>381 他の人にも言えますが、名士だからとか周王室の血筋だからと言って元勳は劉邦に近づいたのではなく、
劉邦の人徳の才能に惚れこみ近づいたのではなかろうかと思いますよ。
>>382 僕も同意見です。あとは上に書いた通り。
そして朱元璋は白蓮教の信者であったのが運命を変えた点ではないでしょうか。
ほぼ自説自論ですが、
それを裏付けるに確かに後々邪教扱いもしましたが、『明』の国号の意味は、
唐の時代、邪教と弾圧され地下に潜行したマニ教の生き残りとされるのが、
白蓮教であり、そのマニ教は光明の神を信仰しました。
ですからその白蓮教の別名を明教と言います。
そこから自分を育て感謝と敬意を払い、国号を『明』としたと思います。
朱元璋も人間味のある粋なことをすると思いませんか?
>>380 レスありがとう。
あと劉邦は対外政策で失敗している、そういう点も考慮に入れてたのかね。
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>>351 >宋なんて国力は哀れなもんだが、
国力は当時世界屈指だと思いますが?
哀れなのは軍事力です。
スレ違いなのでsage
>384
朱元璋が国号を明としたのは人間味のある粋なことの結果では無いのでは
と思われます。
朱元璋が紅巾軍に身を寄せていたとしても、白連教への信心がどの程度で
あったのかは疑問ですし、国家統一のための必然からの命名ではなかった
かと考えています。
マニ教の二宋三際思想の影響で当時の白連教には救世者として、東系紅巾
では「明王」が、西系紅巾では「弥勒仏」が存在していました。
そのうち朱元璋は「明王」韓山童->「小明王」韓林児の系統にいたことから、
その後継者であること、自分が光明世界の実現者、最終的な救世者である
ことを宣言し、中国全土にいる白連教徒をまとめるためには「明」という国号
を用いたのではと考えます。
また国号を決定するほどの信仰なら、後に白連教を禁圧するのか理由がわか
らないし、もし信仰を捨てたのなら、その際に国号も変更されるのではと。
>>389 僕は別名の明教からだと思っていますが、
でも説明はほぼ僕と同じ文章で同意見です。でも真意のとらえ方が違うのかな。
人々が、感謝の敬意とるか、信者をまとめるための利用ととるかは、価値観の違いでは。
信心はどれほどまでかは断言できませんが、当初はそこそこ信仰していたのでは。
391 :
荘周は蝶です。:04/10/28 05:46:57
あと僕は朱元璋より劉邦を高く評価してますよ。挙げるとたくさんありますが、
英布討伐後、故郷の沛(現在の江蘇省沛県)に立ち寄った時に、正確には豊邑かな
そこで沛も者を皆招待し、宴会を披きました。その頃は老い体調を良くなかった。
続々と集まる人々に昔の顔ぶれもたくさんいまして、若かりし頃の自分を思い出したと思いますが、
劉邦が頬に涙をこぼしながら『みんなよくきてくれた』と言い、
子供みたいに大喜びし大はしゃぎ(我ながらここで瞳がうるうる)
そして劉邦が歌を作り歌います。劉邦が歌を作るのはきわめて珍しく現在でも沛で歌われています。
392 :
荘周は蝶です。:04/10/28 06:30:52
続き・・・ その歌は
大風吹いたぞ 雲吹っ飛んだ
おれの威勢は天下に響き いまはこうして故郷にあるぞ
猛士よ猛士 いずこにあるか
長くこの国 守ってくれよ
そしてそれを筑で即興で音階をつけていく、集まった沛の子供百二十人くらいが、
大合唱しはじめ、聞いてるうちに劉邦は感極まり立ち上がり、歌い、踊り、
また頬に涙がつたう・・・(僕はここで劉邦と叫び号泣)
僕のような若輩者が、この歌の心情を察するのは無礼ですが、さしていただきますと、
若かりし頃、・・・項羽との戦いに明け暮れ、そして猜疑心で粛清をしてしまい・・・
故郷に帰った時だけはそんな悩みも吹っ飛び、今はこうして故郷に錦を飾っているぞ。
沛の神よ長くこの国守ってくれよ。と察しました。違ってたらごめんなさい。でも感動。
そして劉邦は終わりがけ『沛を無税にするぞ』といいました。
劉邦が故郷にあたえ報いた恩恵でしょう。
劉邦はこの宴では沛の方言で話しました。無礼講という意味だったと思います。
なんか劉邦らしい一面と劉邦がうみ出す空気と光景が思い浮かびます。
これは史実と一部僕が色付けした文なので注意して下さい。
393 :
永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/10/28 09:23:13
>>378 >呂后はそんなに悪人ではないように思われますよ。
>戚夫人への復讐の仕方は度が過ぎましたが、彼女は復讐されて当然。
失脚して無力になった彭越に同情するふりをして、裏で処刑されるように策動したことは無視ですか?
功臣を皆殺しにしようと、審食其と謀議したことは無視ですか?
劉邦の息子を殺しまくって、空いた封土に一族で封じたことは無視ですか?
あまり善良な人がすることでは無いと思いますが、どうでしょうか?
>そして呂后は敏腕政治家でしたよ。それを裏付ける事もできますが省略さしていただきます。
そうですね。太史公も呂后の治世に最大級の賛辞を送っていますしね。
>劉邦の方が人気があるのは猜疑心による大粛清の規模と、明は明るい時代ではなかったから、
>あと容姿と性格が妖魔的存在であったからではないでしょうか。
まあそうでしょうね。
>>379 劉邦の治世は政情不安定で、何度も大きな反乱が起きていました。
匈奴との戦いでも大敗し、屈辱外交を強いられることになりました。
宰相蕭何の活躍で制度を定めることは出来ましたが、戦乱で荒廃した国土を回復させることは出来ませんでした。
それに比べて朱元璋の治世は大粛清があったものの、自ら制度を定め、善政を施して民衆の生活を安定させました。
建国の功はともかく、皇帝としての治績は朱元璋の方がはるかに勝っています。
それゆえ、順治帝は朱元璋をより高く評価したのではないでしょうか?
394 :
世界@名無史さん:04/10/28 13:41:14
漢の始めのころは中国が統一されてまもなく戦国時代の習慣が色濃く残っていた。
旧各国の国民同士に同じ中国人であるという意識はない。だから政情も安定しなかった。
加えて蒙古にも英雄が現れて蒙古を統一した日の出の勢いの勢力があった。これは運みたいなもので、劉邦には責任はない。
そんななかで統一王朝を400年も続かせ、武帝以降の時代になったとはいえそんな匈奴を撃退し、文化を花開かせた漢王朝の功績は大きい。
それに引き替えて、明の時代には蒙古は内輪もめ等で疲弊し、没落期に入っていた。それに中国は最初の統一から1000年以上がたち、同じ漢民族という意識ができていた。これは明の太祖の功績ではなくひとえに運。
やはり劉邦の功績はでかい。
>>393 確かに呂后のやったことは「善良な人」のやることだとは思えませんが、
彼女は「太史公も最大級の賛辞を送る」「敏腕政治家」だったということを
考えてみてください。政治家としてみれば、自分の権力を守るために
能力のありすぎる部下を粛清するのは、まあ、よくある話。
劉邦の子を殺し、劉邦の遺言に背いて異姓の呂氏を王にした事だって、
呂后は呂氏であって劉氏ではないのです。自分の子以外の皇子が後を継いだら、
もはや自分や自分の一族は、皇太后とその一族と言う地位から追われ、
権力をなくしてしまう。劉氏と呂氏の利害が完全に一致するわけではないのです。
ひょっとすると、呂后は、劉氏を廃して、呂氏を皇帝にしようとしていたのではないかと
いう気もします。名君や名政治家が政敵に残酷であったと言うのは
よくある話で、呂后の言動を「人格」だけで捉えるのはどうかと思います。
ここで、この後に現れる「稀代の悪女」武則天を思い出してください。
呂后のやったことは、武則天が権力を握るためにやったことと
さほど変わらないような気がします。ただ、武則天は自分の子以外の
李氏を皆殺しにしたため、後の唐王朝は武則天の末裔でしたが、
呂后の場合、恵帝が子を残さなかったため、漢朝の皇帝は呂后の末裔ではなかった。
従って、唐は自分達の直接の先祖をあまり悪く書くこともできず、
「稀代の悪女」ではあったが「名君」だったと書き残し、
呂后は、あのとおりの筆誅を加えられ、その後は、儒教の婦徳が定着したため
呂后の悪女としての面ばかりが強調されてしまったような気がするのですが、
どうでしょうか。
まあ、確かに結婚するなら、呂后より馬后の方がいいけど。
劉邦の偉大さはわかりにくいところがある
しかし、明と漢を比べてもやはり漢の方が偉大な帝国だ
それに比べ明はどんどん萎縮していった
それは結局のところ朱元璋より、劉邦の作り出した体制の方が
優れていたからだと思う
一個人の力量としては朱元璋の方が劉邦よりはるかに優れているが
皇帝や王としたなら劉邦の方が優れてるんじゃないかな
ただ時代や状況があまりにも違うので比べるのが難しい
朱元璋が大粛清したのもその時代だから許容されたのかもしれないし
>>394 >漢の始めのころは中国が統一されてまもなく戦国時代の習慣が色濃く残っていた。
>旧各国の国民同士に同じ中国人であるという意識はない。だから政情も安定しなかった。
漢建国後の大きな反乱の中で、明確な反意があって反乱したのは陳キぐらいで、
あとは疑心暗鬼に駆られたり進退窮まって反乱を起こした人たちばかりでした。
同じ中国人という意識は無くても、旧七国の民族意識を理由に分離独立しようという動きは
劉邦の治世では起きていません。
政情不安定は、粛清が強引過ぎたからと思われます。
>加えて蒙古にも英雄が現れて蒙古を統一した日の出の勢いの勢力があった。これは運みたいなもので、劉邦には責任はない。
>それに引き替えて、明の時代には蒙古は内輪もめ等で疲弊し、没落期に入っていた。それに中国は最初の統一から1000年以上がたち、同じ漢民族という意識ができていた。これは明の太祖の功績ではなくひとえに運。
漢と匈奴の戦いは、新興の中華帝国と同じく新興の外国の戦い。つまり、対外戦争です。
元と明の関係は、崩壊しつつある中華帝国とそれに取って変わろうとする勢力の戦い。つまり、内乱です。
漢人と異民族の関係と単純に捉えて対比するのは不適切です。
>そんななかで統一王朝を400年も続かせ、武帝以降の時代になったとはいえそんな匈奴を撃退し、文化を花開かせた漢王朝の功績は大きい。
人物論ということで劉邦や朱元璋が一代で残した功績と、子孫が残した功績は区別して考えることにいたしました。
>>395 >呂后
私は
>>393で呂后は「善良な人ではないけど、名政治家」と評価したつもりですが。
長続きする王朝はだいたい二代目か三代目に政治を完全に安定させた指導者がいるものですが、
西漢の場合はそれは呂后であったと思っています。
彼女の意思が簒奪にあったことは明らかですが、
それでも彼女の治世が戦乱に疲れた民衆にとって最適なものであったことは間違いありません。
文帝・景帝の世の繁栄の基礎は彼女の時代に築かれたと思っています。
ですので、あなたと私の意見のどこに違いがあるのか分かりません。
>武則天
長文ありがとうございます。しかし、呂后も太史公の評では良い政治をしたと評価されていますし、
少しでも歴史をかじった者の間では名君という評価が定着していると思うのですが、どうでしょうか?
呂后も武則天も、悪女かつ名君という評価で良いと思うのですが、どうでしょうか?
善人で無ければ名君になれないわけでもありませんしね。
>>396 何でも初代のせいにするのは良くないですよ。
たしかに初代の定めた制度の影響は大きいですが、それを修正したり、変更したりして、
帝国を長持ちさせようとするのは後の世代の仕事ですよ。
漢が発展していったのは、劉邦の後に頑張って成果を出した人が多かったから。
明が萎縮していったのは、朱元璋の後に頑張って成果を出せなかった人が少なかったからですよ。
>頑張って成果を出せなかった人が少なかったからですよ。
文章が変では?
>>378 代弁ありがとうございます。同意さしていただきます。
>>393 善良の人のとありますが、僕は善良な人と一度も書いてませんよ。別に書いても弁護できますけど、
それに若い時、普通の何倍も苦労した人は猜疑心の虜になり粛清するのはよくある話。
劉氏殺害の権も権力闘争ではよくある話。しかし民衆には一切粛清をしてませんよ。
政治について当時民衆の生活は安定していて、それは国家は赤字傾向にあったにしても、
呂后が内政に力を入れ、橋や道路の建設・医療の設備・・・他にも多数整備しましたよ。
国家の赤字はこれが原因だと思われます。
これは史実かはわかりませんが、匈奴王はそんな彼女の政治手腕を高く評価し、
二度ぐらい「我の后にならないか?」と使者を送ってますよ。後世の創作でしたらごめんなさい。
賢帝順治の理由ですが、その理由は間違い。
確かに対外政策は失敗しましたがその点も考慮し、理由は明白長命国家ですよ。
あと自ら制度を定め、善政とありますが、これは明らかに劉基の功績ですよ。
彼は常に文明政治の大志を抱き、自らの号を『郁離子』としています。
郁離子とは自ら書いた書物で・・・。あとの説明は省略さしていただきます。
他にも文明政治対する想いを詩にし詠ってます。詩は感動しますが省略さしていただきます。
でもその劉基を高く評価し、政策をある程度採用した朱帝の功績でもありますね。
>>399 けど明が萎縮していったのは初代がやりすぎたからじゃね?
明は朱元璋の影響力が強すぎるせいか窮屈でありつづけた
政治体制にしても露骨な独裁制で不健康
後世の人が成果だせなかったのは朱元璋に要因があると思う
あの体制じゃ国のために働こうと思うやつは少ないだろ
官僚は安月給だし、結果出すと粛清される
そりゃ賄賂に走って腐敗もするわ
なんというか全体的にモチベーションが低く利己的なやつが多すぎる
逆に漢の場合、有能な人材を優遇するという風土は
劉邦の時代から変わらない
もちろん粛清もしたけど対象は外様が多いし、
明のやる気のない皇帝や家臣に比べて全体的にモチベーションが高い
劉邦は家臣をやる気にさせるのがうまかったから
こういうところも後の漢の気風に影響を与えたと思う
>>401 申し訳有りませんが、本当に私の過去レスを読んでから発言なさっておいででしょうか?
しょうがないので抜粋させていただきます。
>それに若い時、普通の何倍も苦労した人は猜疑心の虜になり粛清するのはよくある話。
>>376 >この人、結婚してから劉邦が中国統一するまで苦労しっぱなし。
>苦労して人間が丸くなる人と、人間がとがっていく人がいますが、
>呂后は後者だったんでしょうね。
>劉氏殺害の権も権力闘争ではよくある話。しかし民衆には一切粛清をしてませんよ。
私が呂氏が民衆を害したとどこで書きましたか?
何度も名君であると上で書いているのに、お読みいただいていないのですか?
なんかあなたは私の過去レスを読まず、「あいつは呂后をただの悪女扱いしている」と
決め付けているようにしか思われません。
>これは史実かはわかりませんが、匈奴王はそんな彼女の政治手腕を高く評価し、
>二度ぐらい「我の后にならないか?」と使者を送ってますよ。後世の創作でしたらごめんなさい。
あなたは漢書匈奴列伝をお読みになったでしょうか?
漢より優位に立って驕慢になった冒頓単于は呂后に
「(前半略)あなたは独身で、私も独身でお互い楽しく無いです。できたら余った所で足りないところを補いませんか?」
という書状を送り付けています。
これに対し、呂后は激怒して出兵しようとし、樊噲も強硬論を唱えていますが、
季布に諌められて取りやめたとあります。
この書状は全般的にかなりふざけた文章で、特に文章の最後尾は露骨な性行為を意味しており、明白な侮辱です。
どこにも呂后の政治手腕を評価したと言う記述はありません。
あと、誤解の無いように申し添えておきますが、主戦派の樊噲は妹婿で信頼している人物、
非戦派の季布は新参かつ官位も低かったのですが、
呂后は発言者をえこひいきしないで、正しい意見を取り入れるという大きな度量を見せています。
このエピソードは呂后が政治判断に私情を交えることの無い立派な政治家であることを示しています。
>>401 >政治について当時民衆の生活は安定していて、それは国家は赤字傾向にあったにしても、
>呂后が内政に力を入れ、橋や道路の建設・医療の設備・・・他にも多数整備しましたよ。
>国家の赤字はこれが原因だと思われます。
呂后は赤字どころか、国費を使う大事業をなるべく避けて節倹に努め、
経済を安定させていますよ?
彼女が赤字を招いたと言うのは、どこにソースがあるのでしょうか?
>賢帝順治の理由ですが、その理由は間違い。
>確かに対外政策は失敗しましたがその点も考慮し、理由は明白長命国家ですよ。
私の説は自説持論の部分が多いです。あなたも自説持論半分とおっしゃってますが、
そこまで言い切られてしまうと、残りの半分の多種の本に強力なソースがあると思われるので、
御教示いただけると幸いです。
>>401 >あと自ら制度を定め、善政とありますが、これは明らかに劉基の功績ですよ。
>彼は常に文明政治の大志を抱き、自らの号を『郁離子』としています。
明を代表する制度と言えば皇帝独裁制、里甲制、衛所制ですが、
皇帝独裁制は朱元璋の意思。里甲制を提案したのは范敏ですね。衛所制を提案したのは劉基です。
劉基が引退したのは1370年ですが、衛所制が定まったのは1374〜1376年頃。
里甲制が定まったのは1381年。皇帝独裁制が定まったのも1381年ですね。
劉基は明律制定に参加しましたが、中心になったのは李善長。修正が続いて最終的に定まったのは1397年です。
劉基は建国初期に明の制度を定めるのに参加しましたが、あくまで参加した人の中の一人であり、
しかも早目に表舞台から去っています。多くの制度が定まったのは、彼の死後のことです。
>>400 ごめんなさい。「頑張って成果を出した人が少なかったからですよ」の間違いです。
>>403 >明
確かに当初は極端な独裁制ですね。しかし、永楽帝は内閣を置いて官僚を枢機に参与させるようにして、
宣徳帝の代には内閣首輔が事実上の宰相となっており、皇帝の独裁権はかなり薄められました。
宣徳帝自身は強力な独裁者でしたが、その死後は皇帝に代わって国政を取り仕切る内閣首輔も現れてきています。
官僚が極端に冷遇されてたのは朱元璋の時代だけですよ。
>漢
名君が有能な人材を思い切って優遇することもありましたが、あまり多い例ではないですよ。
明よりは多いですが、それは明より漢の方が名君が多く出たからに過ぎません。
基本的には漢代でも皇帝の姻戚や寵臣、官僚制度の中で着実に出世階段を歩いてきた人が幅を利かせてました。
あと、劉邦の時代以降でも粛清されたり、政争で死んだりする重臣は少なくありませんでした。
特に武帝時代の粛清は壮絶で、丞相に内定したと知って泣き喚いた人もいるぐらいです。
お疲れ様。必死ですね。
長文が嫌なので短文で反論。適当には読みましたよ。
「あいつはただ呂后を悪女扱いしている」について、ただとは思ってないですけどなら僕が378で書いた、
呂后はそんなに悪人ではないようにに対して反論するのは矛盾してますよ。
まるであとから意見を一変するのは潔くなくそれは自己の為の保身では。
我の后についてですが、最初に後世の創作でしたらごめんなさい。と潔く詫びたのに、
指摘するのは筋違いで、卑怯で卑劣では。
劉基の政治観については、劉基作の詩と郁離子を深く読んでみて。
上に書いた通りの人間性であるなら御教示する必要がないと思います。
これでほとんどのことに反論できたのかな。
>>408 >我の后についてですが、最初に後世の創作でしたらごめんなさい。と潔く詫びたのに、
>指摘するのは筋違いで、卑怯で卑劣では。
不確かな部分をソース添えて指摘されたのにこう返すのは卑怯で卑劣、だね。
何か必死なものを感じるなぁ。
潔くしたいなら執着しなさんな。文章見てるとアンタの方が見苦しい。
>>409 議論に横から口をはさんで、安易に優劣の審判を下すような書き込みも
卑怯で卑劣では?
>375 :世界@名無史さん :04/10/25 15:52:10
>呂后も劉邦が貧しい頃は決して悪い人物じゃなかったのにね…
>夫が自分より先に死んだかどうかが問題ではないだろうしなんでだろ
>376 :永遠の青 ◆pkFA3D428. :04/10/25 21:15:33
>この人、結婚してから劉邦が中国統一するまで苦労しっぱなし。
>中国統一して皇后に立てられても、戚夫人に地位を脅かされる。
>しかも、旦那は女好きかつ無責任で、逃げるのに邪魔だと言って子供を捨てようとしたり、
>他の女性と遊んでばかりいるろくでなし。
>項羽にも長いこと捕らえられてるし、一人の人生として見たらえらい苦労人です。
>苦労して人間が丸くなる人と、人間がとがっていく人がいますが、
>呂后は後者だったんでしょうね。
と言うのを読んで、呂后の行為は、個人の行為でなく、
政治家・権力者が政敵に対してしたことなのに、どうして人格の問題になるのだろう、
政治家・権力者としての呂后の立場を考えたら、
若い頃の庶民であった時は悪い人ではなかったということと、
皇后・皇太后になってからの「悪業」とは別に矛盾することではないだろう、
と思っただけです(むろん、どんな立場の人だって人格は必要です)。
呂后にかぎらず、
前々から、どうも歴史上の女の政治家・権力者(武則天、エカテリナ二世etc)は、
業績より人格や私生活を問題にされる傾向があるような気がするけど、
それっておかしいのではと思っており、
と
>>375-376が何故そのようなことを書いたのかを考えず、
自分が、以前から考えていたことを脊髄反射で、しかも横レスで書いてしまいました。
申し訳ありません。このあたりで、呂后の話はやめてください。
>>410 お前馬鹿か?他人が議論に横から口を挟んで優劣判定するのは、2ちゃんじゃあたりまえだろよ。
>>412 それは知りませんでした。失礼しました。
序章に任命されて泣いた人、いたね。思い出した。
名前は何と言ったか・・・・
武帝が頼み込んで序章に就任したのでした。
でも、この人も結局失脚して死んだはず。
>>411 男女関係無く、人格論に限定すれば、
陰謀を多用したり、政敵に残酷な政治家・権力者は善良な人とはみなされない場合が多いですよ。
「人間としてはろくなものじゃないが、政治家としての業績は素晴らしい」という評価がされている人は
たくさんおりますよ。
あなたが名前をあげた人も、ちゃんと優れた政治家としての
歴史的評価が定着していますんで、安心してくださいね。
あの人たちが「ただの権力欲にまみれた悪女」扱いされてるのは、俗説の世界だけですよ。
>>414 公孫賀ですね。武帝の太子時代からの側近だった人です。
丞相に就任した後に、息子の罪に連座して一族もろとも処刑されました。
どうでも良いことだが。
>「あいつはただ呂后を悪女扱いしている」について、ただとは思ってないですけどなら僕が378で書いた、
>呂后はそんなに悪人ではないようにに対して反論するのは矛盾してますよ。
この部分はスルーですか?
417 :
世界@名無史さん:04/11/01 09:02:42
やっぱ俺も劉邦はすごいとおもうよ
>あの人たちが「ただの権力欲にまみれた悪女」扱いされてるのは、俗説の世界だけですよ。
「375-376が何故そのようなことを書いたのかを考えず」
と書いているのに…
>>416 すいません。僕はそのことにノーコメントで・・・。
>>417 僕は俗世が嫌いで歴史以外に宗教の本を読んでますが、
劉邦の歌を聞くと心が切なくなり、目頭が熱くなります。
僕も劉邦も至大で偉大だと思います。
僕も、劉邦も朱帝が至大で偉大だという意味なので、
間違いに注意です。まぎらわしい文章ですいません。
421 :
世界@名無史さん:04/11/14 03:18:36
意味不明
大した意味のない長文が増えたな
423 :
世界@名無史さん:04/11/14 17:51:39
425 :
世界@名無史さん:04/11/18 21:18:25
劉邦って周の将軍の子孫らしいね。
なんでそのことを日本の学者は書かないの?
426 :
世界@名無史さん:04/11/19 14:22:28
>>403は
>なんというか全体的にモチベーションが低く利己的なやつが多すぎる
とか言ってるが、明代は皇帝に諌言する官僚が比較的に多いと聞いた事があるぞ。
言官とかいう諫言専門の役職があったからじゃないの?
428 :
世界@名無史さん:04/11/19 16:40:46
>>425 豊臣秀吉は天皇の御落胤である
くらいの信憑性しかないから
429 :
世界@名無史さん:04/11/19 18:18:53
430 :
世界@名無史さん:04/12/11 10:06:15
信憑性がないっていうんならどこがどうないのかぐらい説明してもいいのだがな
劉邦(この名前も怪しいので、学問的には普通漢の高祖と言うことが多い)
が名族だという主張は、珍説といったほうがいいのではないかね。
以下の矛盾をどう説明するのだろうか。
1、史記に、高祖の先祖の話は全く出てこない。
2、高祖の父の名は史記に出てこない。名族としては不自然。
(西京雜記に出てくる「執嘉」という名は信用できないとされている)
3、なにより、高祖の行動が名族らしくなく下品。
432 :
世界@名無史さん:04/12/11 12:10:11
主観にこりかたまった馬鹿野郎だな。
なにが名族らしくてなにが名族らしくないんだろうか。
433 :
世界@名無史さん:04/12/12 00:19:26
珍説どころか、劉氏が帝堯の子孫であるっていうことは漢の時代から広く言われていたことなんですが?
時の皇帝も帝堯を自らの祖先として祀るべきか臣下に広く問いただしたりしている。
1.漢書には高祖の先祖の話はでてくるし、通鑑にも十八史略にも帝堯の後っていう記述があるが?
2.名前が出てこないなんてことはよくある。春秋以前には秦楚よりはるかに名門の諸侯がいたのに史記の記述に漏れているものも多い。
3.班氏によれば、高祖は帝王としての5つの資質を全て満たしていたとありますが?
434 :
世界@名無史さん:04/12/12 00:36:16
つーか、帝堯自体つくりもんだろうに。(藁
435 :
世界@名無史さん:04/12/12 00:39:25
そんなこといったら夏商周秦すべての先祖がつくりもんだろうな。
436 :
世界@名無史さん:04/12/12 00:42:29
まあ現代の中国がああだから昔の事も胡散臭いのは確か。
総てが嘘に思えてきた。
437 :
世界@名無史さん:04/12/12 00:42:40
漢の高祖に名前あったっけ。
名は劉兄い、字は末っ子、父は劉小父さん、母は劉小母さん、とかじゃない?
438 :
世界@名無史さん:04/12/12 00:43:43
高祖以前の劉っていう氏は稀少で高貴な氏だよ。
439 :
世界@名無史さん:04/12/12 01:24:25
【劉】〔動〕ころす。ばらばらに切り離す。殺戮の戮と同系。
440 :
世界@名無史さん:04/12/12 01:44:06
劉という氏は河南省の地名に由来している。足利、小笠原などと同類。
441 :
世界@名無史さん:04/12/12 01:45:43
>>439 周公の封じられた魯だって馬鹿って意味があるぜ?
442 :
世界@名無史さん:04/12/12 09:21:52
朱元璋って初めて聞いた
この歴史好きの漏れでさへこうなのだから
日本でしっているのは1000人いないだろ
>>442 高校世界史に太字で出てくる人物の知名度が日本で1000人?
笑わせないでくれ。
おまいが知らないだけ。
444 :
世界@名無史さん:04/12/12 13:28:57
445 :
世界@名無史さん:04/12/12 13:33:20
/;;;;;;;;;;;;;\
/;;:::::::::::::::::::::::\
∈=━/,,;;:::::::::::::::::::::::::.;ヽ━=∋
L::;;,__ ..:::ゝ
//;;;;::::::.. ̄ ̄ ̄ ̄..::::;;;ヽ
/ ;;;;;;;;:::::::::::;;;;;;;;;;;;;::::::::;;;;; ヽ
/j/三三三三三三三三三三ヾ、
l::||:::: |l
/ ̄\ヽ-=・=-′ヽ-=・=-′||
r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ < ぬぬぬ、腹の虫が収まらん!
| _( ̄ l―---oo-――'"ヽ__
>>442、凌遅三千刀、滅九族!
| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
446 :
世界@名無史さん:04/12/12 13:41:42
なんでお互い農民出身で天命うけて主席になったのに
映画や小説 漫画などでは劉少奇のが人気あって知名度も
高いし尊敬されてんの?
むしろ毛沢東のが、貧農で、どん底からのスタートなのにね
なんででしょ
>>446 捻りが足りません。
40点。
釣りのテクニックを身に着けましょう。
>>446 誤認。
日本でも中国でも欧米でも、毛沢東のほうがはるかに人気もあり知名度も高い。
ただ歴史的評価として劉少奇のほうが同情もされてるし、ポジティブに考えられてはいる。
もしかして、毛沢東…朱元璋、劉少奇…劉邦のつもりで書いたのか?
それなら分からないでもない。
>>446 これは中国での話か?
劉少奇なんて今時話題になることあったかな
劉少奇にスポットライトが当たる映画や漫画なんて思い浮かばないよ・・・
>>442 劉邦は幼い時から知ってましたけど、僕も朱元璋と文字で出会ったのは1年くらい前でして、
邪教と愚弄されて弾圧されてきたマニ教を調べて読んでいるうちに出会いました。
僕も歴史や宗教に関しては人にはそれなりに負けず劣らずと思ってましたよ。
授業中寝てたのか?
朱元璋って李世民ぐらい知名度あると思うけど・・・
もしかして、こいつらチョソ?
m9(^Д^)プギャー
455 :
世界@名無史さん:04/12/18 12:51:26
劉邦の方がよく漫画化されるから
>>451 歴史や宗教ぐらい知らなくても生活には困らん。
ただ、お前の自己認識のしょっぱさは日常生活にも出てると思うぞ。
李世民ってそんな知名度高いか?“唐の太宗”ならともかく。
世間は思ってた以上に世界史に関心ないし、知名度もないかと・・・学生除けば
「貞観政要」も名著中の名著の一つだと思うんだが、マイナー書物の一つ。
江戸時代頃は結構メジャーなものだったと思ったが、現代に生かすには儒教臭が強すぎるのかな?
>>452 寝てたのかな。
>>456 確かに歴史や宗教に詳しいからといって生活には困らない。
得することといえば女性を口説くときぐらいかな。
偉人や書物や神の名を語り女性を口説く僕は下郎ですよ。
>>457 唐の太宗も微妙ではないかと・・・。
世界史に関心が無いのはともかくとして、日本人としまして自国の歴史に興味がないのは・・・。
特に新人類者達がもっと関心をもってほしいものであります。
といいつつ僕もまだまだハナタレ小僧でありますからして。
460 :
世界@名無史さん:04/12/28 07:43:46
461 :
世界@名無史さん:05/01/09 16:44:07
日本人が他国とくらべて歴史に無関心というソースを。
>>461 僕の周りの人で言えば僕は愛知県民なのですが、
戦国時代に天下をとった武将を三人答えてって言うと一人も知らないという人もいた。
もう少し具体的な例でいいますと、新人類者の人達は三島の楯の会自決事件が起きたこと、
どれだけの人が知ってるんだろうか?多分わずかではなかろうか?
もちろんここにいる人達はほとんどの人が知ってると思いますが。
オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件、彼らがどんな宗教でどんな教義・経典を学んだか?
他にも北朝鮮問題でも、拉致・核・訪朝・・・。まるで人事のような新人類者も・・・。
他にも二十代の選挙率は三分の一ぐらいですよ。他にも多々ありますよ。
豊臣秀吉も徳川家康も「戦国時代」に天下をとったわけじゃないからな。
織田信長にいたっては統一してないから、「天下をとった」わけじゃない。
知らないやつは正しい(w
「三島の楯の会自決事件」…「東大安田講堂」なら知ってるかもしれんぞ。
「新人類」…「新人類」世代ももう40代になってるはずだな。死語使ってると、年がばれるよ。
464 :
世界@名無史さん:05/01/10 13:02:23
age
465 :
世界@名無史さん:05/01/11 17:39:46
劉邦様はイケメン☆
>他にも二十代の選挙率は三分の一ぐらいですよ。他にも多々ありますよ。
これはおもしろい日本語ですね・・・
>>463 上の文はかまわなくてもいいですよね。
一言言わしてもらいますと、詳しく時代を説明して答えが出るのであれば、
最初の段階で答えがでると思いますよ。(w
新人類者とありますが、新人類者も10代・20代の人も知らないと思いますよ。
それとどうでもいいことですが、別に年がばれてまずいことは一つもありませんよ。
>>466 文章がおかしいですね。気にしないで下さい。
20代が1/3程度しか選挙に行かないと言うデータはどこが発表したもの?
469 :
世界@名無史さん:05/01/22 00:53:52 0
イケメン皇帝ってほかにだれがいんだろう?
470 :
世界@名無史さん:05/01/22 01:03:29 0
これがサヨクの心の支え、中国という国のやっていることです。
1949年 ウイグル侵略、占領
1950年 朝鮮戦争参戦
1951年 チベット侵略
1959年 インドと国境紛争
1969年 珍宝島で中ソ両軍が衝突
1979年 ベトナムと戦争。中国「懲罰戦争」と表明
1992年 「領海法」制定により南沙諸島、西沙諸島の領有を宣言。
1995年 歴史的にフィリピンが領有してきたミスチーフ環礁を、中国が占領。
1996年 台湾海峡でミサイル発射。台湾を恫喝
1997年 フィリピンが歴史的に領有してきたスカーボロ環礁に、中国が領有権を主張。
同年 日本が固有の領土として主張してきた尖閣諸島の領有を主張。
2000年〜 中国の軍艦が、日本列島を一周。尖閣諸島付近で、海底油田調査を敢行
明って地味だよね
>>457 確かに。一般(の日本)人は李世民なんてまず知らないだろうし
劉邦を知ってるやつも少数派だろう。
日本でそれなりにメジャーなのは孔明、劉備、曹操、呂布、関羽ぐらいじゃねかな。
まあ中国本土では李世民も朱元璋も普通にメジャーだと思うけど。
三国志読んでない日本人はおしまいだな・・・それじゃ。
最メジャーは、始皇帝、楊貴妃、西太后、諸子百家あたりかと。(どれも姓名じゃないけど)
溥儀、毛沢東なら世界史履修せずに誰でも知ってそう
>>473 残念だが一般人だとその二人は知らない人間多いぞ
むしろ項羽と劉邦のほうが有名なぐらい
ただし何した人間かは知らないようだが
三蔵法師ぐらいだろ
項羽と劉邦は司馬遼太郎が本書いてるから名前聞いたことだけあるやつは多いよな
>>473 つうか日本での知名度は三国時代の武将が圧倒的だっつーの
楊貴妃西太后諸子百家なんて比較対象としては論外でしょ
伊達にゲーム漫画の威力をなめんなよ
孔明とか曹操とか呂布>>>始皇帝=毛沢東>>越えられない壁>>>>>>楊貴妃西太后溥儀>>>>>>>>>>>諸子百家
まあ始皇帝や毛沢東は名前だけなら有名
呂布とか関羽は一般人の間でも日本の信長秀吉家康クラスには及ばないが信玄謙信程度には有名なわけで
ゲーム漫画の影響で若年層の間でもメジャーだしな
ゲーム漫画ってのは一部の人間であって、大多数は意外と知らないもんだよ
すまん始皇帝も楊貴妃や西太后と同程度かも知れん
俺が始皇帝わりかし好きだからちょっと贔屓してしまったかな
>>478 ミリオンセラーを記録する大ヒットシリーズの三国無双や星の数ほどある三国志がネタ元の漫画やアニメが一般的知名度に影響してないはずがない。
むしろ他にどのような要因がこれ以上に一般的知名度を広めるんだ?
小難しい歴史本を読んで楊貴妃を知るような人のほうが「一部の人」でしょ
>>480 三国無双なんて同じ人間が買い続けてるってのもあるよ。
話題にだしても全然知らない人間って本当にけっこういるし、中にはコーエーのゲーム
やってるのに関羽の名前を覚えていないという衝撃的なやつまでいる。
一般人なんてそんなもんだ。
>>481 百歩譲っておんなじ人間が買ってるとしてもだ。
100万人というのはすでに「一部」とはとてもいえませんよ。
>>中にはコーエーのゲーム
>>やってるのに関羽の名前を覚えていないという衝撃的なやつまでいる
自分が知ってるもの珍しい奴を一般人の典型みたいに語ってくれても困る。
少なくともそんな重箱のすみつつくように無理してまで三国志関連の巨大な市場規模を否定する理由はどこにもないと思うが。
ここまで映像メディアに出まくってる三国時代の人物を知名度で上回ってる中国市場の人物はあまりいないでしょ
現に一般人に中国史上で知ってる人を聞いたら三国志の人物が上位を占めると思われる
中国市場→中国史上、ね
うれしそうだね
だから三蔵法師を無視すんなよ。
そのおかげで周倉やらが実在の人物と思われたりもしちゃうわけだけどね
世間的に認知されてるのは「三国志」だから
>周倉やらが実在の人物と思われたりもしちゃう
なにか困ることでもあるのか?
日本で一番有名な中国人はやっぱり孔明だと思うが。
>>487 知ったかぶったニワカが恥ずかしい思いをする
>>482 アンケートとかとったことある?
俺が高校のときに卒業アルバムのネタに日中の有名な歴史上の人物をあげろってのを
やったことあるんだが、中国は「知らない」が一番多かったんだよ。
二位が始皇帝で、三位以下は忘れた。
俺はこういう経験あるから「一般人は知らない」と思うんだよ。
まあ、大学とか入ってから知るようになるかもしれないけど。
やべ、俺周倉知らねえわ
俺が高校の時にとかそういうのやめてくれ
>>490 でもだからといって他の西太后やその他が有名ってわけじゃないでそ
反証になってない気がするが
>>494 俺は三国志とかがそんな有名じゃない、と言ってるだけで他のやつのほうがとかは主張してないから。
他の人とごっちゃになってるかも。
ガキは単純だから今は三国志超有名だよ。
ミリオンセラーという事実がどれだけ大衆に受け入れられてるかわかってなくて困る。
休み時間に呂布最強とか言ってるよ。
>休み時間に呂布最強とか言ってる
俺の時代は悟空だった
時代はかわったねえ
つか三国志は普通に有名だし
バカ高校の生徒だと織田信長や徳川家康も知らなさそうだがそれだと戦国時代は有名じゃないってことになるのか?
>>490がバカ高校出身という意味では言っとらんが
>>498 ごめん。
一応県トップの進学校。
世界史選択してる文系は答えてくれたけど理系の非世界史選択者はほとんどが「知らない」だったよ…。
「三国志」は有名でも中身知らないorうろ覚えが多いんじゃないかと思う。
どっかの調査会社が大々的にアンケートとってくれればいいんだけどな。
せっかく日中関係が冷え切ってるんだから日中友好のためとか言ってさ。
かえって怒らせるだけだと思う
でもやっぱりシナでの典型的な戦国時代というと三国時代をイメージする人がほとんどだと思うよ、一般人やビギナーは。
俺も初めはそうで三国志がきっかけで中国史に興味持ったけど、
他の時代にも詳しくなると三国時代ってたいして面白味ないんだよな。
春秋戦国時代が一番面白く感じる。
春秋戦国時代は文字通り群雄割拠だから確かに楽しいよね
でも俺は朱元璋もけっこう好きだな
なり上がり者ここに極まれりって感じで
>>502 いや、三国時代もそれなりに面白いんだよ。
漢民族最後の時代だったわけだし。
やっぱり晋までと五胡十六国以降では少し体質違うように思える。
春秋戦国時代は、中国史の始めの方に近代ヨーロッパ史が入り込んでいる
ようなものだから、面白くて当たり前といっては当たり前かと。
俺もきっかけは三国志だったが、今は明清民国に関心が移ったな。
紫禁城は長城、山海関等のビジュアル面で思い浮かぶ中国例が明以降だからかな。
ところで洪武帝/建文帝代の南京城壁跡って今でもあるのですか?
やはり紫禁城ばりの規模だったのでしょうか
日本では、
秦の評価は功罪ともにみとめながら暴虐性のために嫌いな方が多く、
元の評価は、日本に対して無礼千万な国書を送ってきたり対馬や福岡に
攻めてきたりもしながらも、施策・制度なんかのために悪くない評価で
感情的にも嫌ってはいない。
暴虐な秦を討ち滅ぼして政権をとったことで劉邦の人気は高く、
朱元璋の方は、元の作り上げた制度施策を灰燼に帰し、今に繋がる支那の
衰退をもたらした諸悪の根元として、嫌われているんだろう。
二百何十年か続いた明朝は、結局、前代までの資産の食いつぶし。
新しく生み出したものは、景徳鎮の陶器と紹興酒だけだろ。
>>504 三国時代が漢民族最後の時代って???
>>506 それは個人的評価ですか?それとも一般論ですか?
508 :
世界@名無史さん:05/01/24 23:16:55 0
リア工房のダベリ場スレと化してるな・・・。
ラウンジあたりに逝けや。
510 :
世界@名無史さん:05/01/25 13:06:36 0
>>482 一般人ってオタだけじゃねーぞ…。生身の女と話してみろ。だいぶ認識変わるわ。
生身の女と話さない人間なんざおらんだろ。
ただ普段は中国史の話なんぞしないから相手が知ってるかどうかわからんというだけで。
現代に近づくほど記録が多く残るため、当然都合の悪い記録も残りやすいし、
細かいところまでわかるために幻想を抱きにくい。
あとは司馬遷のような有能な宣伝マンがいなかった。
513 :
世界@名無史さん:05/01/25 14:20:37 0
>>512 司馬遷は劉邦のことをけっこう叩いているけどね
また彼は対向者の項羽を一時的と言っても中原全土の実権を得たと、史記では劉邦と同じく王(皇帝)と同様に扱っている。現実に史記以前の漢の歴史書では項羽は「公」の扱いであり、劉邦より明らかに下に扱っていた。
これなど司馬遷がいかに王朝の面子よりも歴史の事実検証を重視する人物かわかるだろう
また司馬遷自身も、何しろ一物を切り落とされる刑罰を受けた人物だからな。皇室に必ずしも好意的ではなかった。
だいたい、神のみ等しい王朝の開祖のことは、王朝の正史ではべた褒めするものだが、しかし劉邦に関しては、かなりあけっぴろに出されている。
宮中で儒学者を貶して、その帽子を床に叩きつけ小便をかけたことまで伝えられている。
ようするに劉邦の素行があまりにも悪いので隠すに隠し切れなかったのだろうな。
だが逆にそれが劉邦ごとき無教養な粗暴者でも天下を取れたと、庶民の人気の所以になったように思えるが。
神に等しい王朝の開祖である我らが朱元璋もけっこうひどいこと書かれてるだろ
515 :
世界@名無史さん:05/01/25 14:43:10 0
>>514 朱元璋についての知識はまったくないからわからんが、朱元璋について細かく書かれた正史はいつの時代に書かれたものだ?
隋の煬帝のように王朝の後主となった皇帝は後の王朝から滅茶苦茶に書かれるのが常だ。
王朝の始祖でも正史の書かれた年代や政治状況によっては扱いも違うだろう
清は直接明を滅ぼしたわけではなくて、建前上は反逆者李自成を倒した
ことにしているらしい(むしろ明の敵討ち気分)。
それで最後の皇帝毅宗のこともそんなには悪く言ってないようだ。
ただしその後反抗を続けた南明諸帝には厳しい。
朱元璋がやったことぐらいになると隠すのも難しいだろう
規模がでかいし、それに二代目と三代目があれだしねえ
毅宗って娘二人を斬り殺した人だっけ?陵辱されないようにと
悲しい美談だよなあ、あれは
>>513 司馬遷は漢朝にタマ無しにさせられたんだろ。
昔の支那で、怨恨は一族係累に及ぶし、祖先を侮辱することが最大の屈辱だから、
漢朝への仕返しのために劉邦を侮辱し項羽を褒めてるんだろ。
>>513 「史記以前の漢の歴史書」ってなんだ?『楚漢春秋』か?
「王朝の正史ではべた褒めするもの」…『史記』は勅撰じゃないからね。もっとも自由に(作者の勝手で)書かれた正史といわれてる。
>>519 「劉邦を侮辱」してるんだったら、班固『漢書』あたりで軌道修正されてもよさ
そうだが、さして記述変わってないし。
521 :
世界@名無史さん:05/01/25 23:48:10 0
>王朝の面子よりも歴史の事実検証を重視する人物
バカw
522 :
世界@名無史さん:05/01/26 00:23:55 0
漢民族の王朝で、中国大陸を統一できたのは漢と明だけ
両方とも出自は武人や官吏と程遠い卑しい身分で
外圧などでなく、ただひたすら内部の腐敗で滅亡した点もそっくりだ
これはそっくりそのまま今の中共にも当てはまる
523 :
世界@名無史さん:05/01/26 00:53:50 0
劉氏には二種類あって、帝堯の子孫である劉累、周の王室の新しい分家で子爵の劉氏(劉康公など)がある。
漢王室は前者。前者と後者はお互いに濃厚な婚姻関係を代々きづいてきたから漢王室は周王室の親類だよ。
文帝の祖母は魏の王女だし。
>>513 >現実に史記以前の漢の歴史書では項羽は「公」の扱い
これについて教えて。どの歴史書なのか、原文とかどうなってるのか、とか。
ゴメン俺初耳。
「楚公は沐猴にして冠するのみ」と、史記に出ている。
言ったとされるのは劉邦で、楚公は項羽のこと。
沐猴というのは川っぺりによく居るおサルさんの種類。
項羽は正装したところで、田舎のサルだ、と言ってる。
526 :
世界@名無史さん:05/01/26 04:07:52 0
やっぱりゲームで朱元璋が出て、マンガやアニメになってメディアで流された
なら、日本での朱元璋人気も上がるだろう。
でもキモメンだし
528 :
世界史@名無史さん:05/01/26 18:43:59 0
顔も性根もキモい主減少
>>525 それって「楚人は沐猴にして冠するのみ」じゃないんですか?
史記項羽本紀ではそうですけど。
しかも言ったのは劉邦ではないようですが。
劉邦がこの言葉を「楚公」として発言したというのは史記のどこにあるんですか?
中国の王朝創始者でイケメンといったらやっぱり劉秀かね。
李世民もなんとなくイケメンぽいが。
>>504 確かに。五胡は言うなればゲルマン人だからな。
西ローマでのローマ文明がゲルマン人の侵入で混合・消滅したのと同じで、
五胡侵入以後の華北(西ローマに当たる)はそれ以前の中華文明とはやはり異質になってるだろうな。
南部(これは東ローマに当たる)の方が純粋性保ってるんじゃね?
ローマと違って中国は公的にはずっと続いてることになってるから見落としがちですが。
だから宮崎市定すら読まずにレスするなと何度言えば(ry
大型書店なら大体置いてあるから、『大唐帝国』。文庫本。
533 :
世界@名無史さん:05/01/28 09:34:39 0
>>530 勿論、劉秀さんもイケメンですが、先祖の劉邦さんも充分イケメンですぜ。
何しろ女にモテモテですし
534 :
世界@名無史さん:05/01/28 18:13:36 O
子孫の劉備はダンボ
535 :
世界@名無史さん:05/01/28 23:07:11 0
>>533 劉邦が女にもてた何て話は知らないな。女好きだったって話なら幾らでも知っているが。
後漢の光武帝は、劉家の分家の傍流のそのまた傍流くらいで、彼の家は地方豪族程度だったと聞いているが
劉邦と違い非常に教養ある人物だったそうだが、晩年は予言や迷信にのめり込んでしまったとか
536 :
世界@名無史さん:05/01/28 23:25:07 0
朱元璋は確かに抗蒙古の民族的英雄なのだが出自が黄巾賊であったということと天下を
獲ってから邪魔になる側近を次々と抹殺した黒歴史があるから人気がないものだと思われる。
ちなみに香港映画の立役者、洪金寶は「燃えよデブゴン出世拳」で朱元璋役をやっている。
>>535 劉秀は非常に教養があったというほどでもないだろう。
一応高学歴だけど、わが国の早慶出身者を「非常に教養のある人物」と言ったりはしないだろ。
上品だけど変わり者という、典型的なボンボンの次男坊だろうな。
宗教にハマったのも、狂信的になったというよりも、ミーハー趣味だったんだろ(当時は占いとかが流行ってた)。
どんな高学歴だろうと「非常に教養のある人物」のある人物なんて言わないだろ。
学歴に関係なく、どのような教養を自分で身につけているかどうかが問題なんであって。
>>541 いや、流れというよりも、あんたの日本語がわからない
543 :
世界@名無史さん:05/01/29 11:38:03 0
>>538 当時の状況は知らないが、占いなんてものは何時の時代にもあるものだ。
しかし劉秀の場合はそれを政治にまで反映させた上にも老いてからそうなった。単に年をとってアレになっただけのように感じるけど
それに「非常に教養があった」との表現は、単に劉秀が学があった人物と言いたいだけであって別段深い意味はないけどね
何しろ「士官するならシッセイゴ、妻にするなら陰レイカ」との言葉を若き頃に残した人だから、若いころは単に立身出世して美人の妻をもらいたいと思った若い野心に燃える普通の青年だっただろうに
>>542 何がわからないかを言ってくれないと俺にもわからんよ。
まあ、スレ違いだとこのへんで終わらせておこう。不毛だ。
劉邦も若いころは大学者の元で学んでいたそうだが(ボソ)
劉備か劉邦の弟あたりと勘違いしてない?
ほんとの話劉邦もそこそこ悪くない家柄だったんだろ。
40前までニートだかチンピラだかよくわからん生活してたんだし、
ちょっと気まぐれで真面目に働いてみるか〜ですぐコネで警察署長につけるんだから。
朱元璋こそまさにどん底から這い上がった男。
>>547 そういうこと。
さらには張耳など食客にメシを食わせたりもしてたし、劉邦の弟は学問をしていたという。
あの当時に学問の道を選べる時点で、ある程度の経済的基盤があったことは確実。
劉邦の「邦」はアニキの意味でうんぬんとかいうのは、司馬遼か知らないがでっちあげの類。
じゃあ劉邦の兄、劉喜や弟、劉交はどうなるんですかと小一時間
>劉邦も若いころは大学者の元で学んでいたそうだが(ボソ)
このネタ元が知りたい。大学者って誰?
>>549 うるおぼえだが、宮崎市定あたりが言っていたはず。
552 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/02/04 11:28:55 0
「史記」の「盧綰傳」に「高祖、盧綰の壯なるに及び、倶もに書を學ぶ」とあります。
劉邦と盧綰は同日生まれで幼年時からの仲良しさん、一緒にお勉強もしたんです。
当然ながら先生がいたわけですが誰だったのか不明です。高名な学者じゃなかったという
蓋然性は至って低いと思われます。
553 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/02/04 11:30:47 0
訂正
学者じゃなかったという蓋然性は>学者だったという蓋然性は
554 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/02/04 12:48:45 0
「漢書」の「楚元王傳」には高祖の同父少弟の劉交は書を好んで材藝多く、
少年時に魯の穆生・白生・申 公とともに詩経の学問を荀子の弟子の浮丘伯に
学びましたが、秦の焚書の際に辞別しました。劉邦が項羽と争った時期には
劉交は盧綰とともに、常に劉邦の傍に居て謀略に参画していたのです。
楚王韓信が廃されると、彼の封地は分割され半分が劉交に与えられました。
楚王となった劉交は穆生・白生・申公を中大夫に任じました。高后の時代に
浮丘伯が長安に在住するようになると、劉交は子の郢客と申公を遣わして
中途半端になっていた勉学を卒業させました。申公は詩経に精通していると
評判されて博士に任じられました。劉交の諸子も皆な詩を好み穆生・白生・
申公らを厚遇しました。劉交の次に子の劉戊が楚王になるとやや待遇が落ち、
不満の穆生は去ってしまいました。その後まもなく劉戊は呉王と共謀して
呉楚七國の乱を起こし滅ぼされてしまいました。しかし楚王の後裔からは
劉向・劉歆の父子のような大学者が出ています。
漢の高祖の出自は必ずしも無教養な環境の家庭ではありません。
宮崎さんが言及したのは劉交のことではないでしょうか。
555 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/02/04 12:56:24 0
朱元璋もどん底から立身したわけですが、お寺に居たりして多少は文字にも
親しんでいたはずです。後年も下手ながら詩作もしたようだし。
556 :
世界@名無史さん:05/02/04 14:31:56 0
河南の劉という土地は中原の中の中原という重要地で、歴史がはじまって以来ここには中国の名族が封じられてきた。
ここを本貫地とする劉邦は秦や楚の公室のようなどこの馬の骨か分からない成り上がりよりはるかに高貴な血筋なのである。
項羽??そんなもの初めからお話にならない。
>>555 その下手な詩はやはり当時は絶賛されたわけですか?
スターリンのグルジアなまりの下手な文章がソ連で大絶賛されたせいでロシア語に悪影響を
与えたとかいう話を聞いたことがあるんですけど。
朱元璋、なまじそのいくらか学があったばかりにインテリにコンプレックスをもって
それで文字の獄を起こしたとか言う説もありますね。
まあそんなに単純なもんでもないんでしょうが。
劉裕がご先祖じゃないかと言われて否定したとか言う楚王は劉交でしたっけ?
559 :
世界@名無史さん:05/02/05 08:19:54 0
劉邦様は晩年に著作をいくつか書き残しておられる。散逸してのこってないが。
インテリコンプレックスというのは確かにあったんだろうけれど、それだけの話しじゃないよ。
実際にそのインテリたちが何をやっていたのか、その内容は俺よりも貴方達の方がよく知っているんじゃないか?
「清官三代」なんて今更持ち出してもって感じだが、それがインテリの特権だなんてほざくDQNはいないだろう。(ネタはともかく)
「君主は、国家第一の下僕」とは明太祖・朱元璋に一番相応しい言葉だ。
あやめさんが登場して、このスレも格調高く成った気がするなw
ところで、遂にトリップをお付けに成ったんですね?
562 :
世界@名無史さん:05/02/06 07:16:02 0
>あやめ
宮崎さんだったかどうか確信はもてないけど(同じくらいのレベルの学者だったかも)若い頃大学者に学んだっていう記述があったのは楚王交ではなく高祖だったよ。
563 :
世界@名無史さん:05/02/06 07:17:26 0
追加
つまり楚王が学問好きだったっていうのはこのスレにいる人間なら誰でも知ってるわけで。
高祖が若い頃勉強してたっていう記述が意外だったので覚えてるわけ。儒者ぎらいなのにね。
564 :
世界@名無史さん:05/02/06 11:34:24 0
提灯記事でしょ
565 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :05/02/06 16:49:36 0
>>561 面映いことです。せいぜい世界史板の格調を落とさないように気をつけます。
トリップは潜伏期(笑)に入る直前にニセモノが、紛らわしいレスを付けたりしてたので
今回は皆様のお勧めに従い付けることにしました。
>>562 大学者に学んだのであれば「史記」も「漢書」も特筆大書するはず。多分そんなことは
無いでしょう。誰がどこに書いてたか一生懸命に思い出してくださると、あやめにも
皆さんにも益することになります。
このスレの人が誰も承知してることを、ことごとしく書いた点は反省です。
566 :
世界@名無史さん:05/02/11 19:21:17 0
すいません
宮崎先生ではなくて貝塚先生でした
ごめんなさい
567 :
世界@名無史さん:05/02/21 18:03:06 0
劉氏万歳
568 :
世界@名無史さん:05/02/22 22:23:01 0
実際の漢高祖って出自も高貴だし、学問もあるんだな。
認識を改めました。小説をまにうけていてはいけませんよね。
なんで四人兄弟の三番目なのに、あざなが「季」なの?
570 :
世界@名無史さん:05/02/23 15:59:43 0
勉強になるスレですね。
571 :
世界@名無史さん:05/02/27 21:12:42 0
なんで長男じゃないのに項伯なの?
572 :
世界@名無史さん:05/03/19 18:36:34 0
s
573 :
世界@名無史さん:2005/03/23(水) 19:06:43 0
劉邦なんてまだいいよ。先祖は士会や劉の康公なんだから。
それにくらべて
秦の始皇帝は
父親が卑賤(どこの馬の骨だかわからない商人 商人は当時農民より下)
母親も遊女(要は売春婦 名前もわからない卑賤の出)
もうダントツですごい
574 :
世界@名無史さん:2005/03/23(水) 19:54:58 0
>>573 秦の始皇帝の父は、系図上では秦の王族でしょ。
ユリウスカエサル
l
俺
という系図を書けば俺も系図上は立派にカエサルの息子だな
>>575 残念ながら、若禿じゃなければ血を引いていないと見なされる
577 :
世界@名無史さん:2005/03/25(金) 14:54:12 0
笑
おまけにスケベじゃないとな。
ああ、それは合格か。
それも簡単じゃない。
仮に
>>575が東京都民だった場合、『全ての都民の夫であり、妻である』と言われるくらいの変態じゃないと。
580 :
世界@名無史さん:2005/03/27(日) 12:11:08 0
つまらね
581 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 14:48:21 0
582 :
世界@名無史さん:2005/03/28(月) 18:58:26 0
>>536 劉邦も建国の功臣を粛清している。太祖だけの問題じゃなく、その後の明の暗い歴史も影響してるんじゃないかな。
584 :
世界@名無史さん:2005/03/29(火) 10:02:12 0
高祖は功臣を「粛清した」といえるかな?
消化 横領 跳梁 半壊 送信 珍ペイ 週没 などの功臣は高祖が崩御した後も生きていたが?
反逆者・裏切り者を倒しただけで「粛清した」などといったら臣下を粛清しなかった創業の帝王はいないのでは?
粛清の規模が違いすぎる
粛清したのも外様だし
586 :
世界@名無史さん:2005/03/29(火) 10:13:28 0
夏侯嬰も生き残って文帝を補佐したし
劉邦の「身内」で失脚したのは匈奴領に逃亡した盧綰だけか
それもどちらかというと呂氏からみだしな。
588 :
世界@名無史さん:2005/04/09(土) 12:57:29 0
漢の劉氏は祁姓
589 :
世界@名無史さん:2005/04/20(水) 00:49:08 0
>>18 超亀レスでスマンが。ついでに陳友諒はどんな国家ビジョンを
持っていたかも教えてくれんか。
590 :
世界@名無史さん:2005/04/29(金) 14:09:58 0
劉邦、劉備、劉基、劉少奇ってどこかで繋がってるの?
劉という名前が多いだけなのかな?
劉邦台頭までの劉姓はレア
以後はコモン
592 :
世界@名無史さん:2005/05/12(木) 23:51:20 0
蒼き狼と白き牝鹿IV
朱元璋
政 戦 知 歩 弓 馬 海 戦闘 内政
91 72 92 B B B E 火 伏 農 商 建
項劉記...やったことない
劉邦のデータわかんねorz
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r┤ ト::::: \___/ ||
/ \_/ ヽ:::. \/ ,ノ 殺!殺!殺!
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| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
●朱元璋が不快感を示しています。
おいおい・・・大ちゃんAAはあっちだけにしてくれよ...
朱元璋のキモメン度って大したこと無いと予想してみる。
ブサイクっつってもヤンキース松井ぐらいのレベルだろう。
トナメで好評だったからって、このAAが板のマスコットである。って言うのを
板住人の総意。と勘違いして居るんだろうな、>594は…
AAつったて殆ど野球板AAの改変パクリじゃん。
>>594だってそうだろ。
>>596 「お前も参加しろ!」などと言う訳ではないが、「怖いもの見たさ」の感覚で海外お見合いサイトの中国サイトをのぞいてごらんw
日本人女性が美しいと感じるだろう・・・。
なあ、朱元璋を評価するに際して、白蓮教徒だった(信仰心の有無は問わず)って
点はどう考えるの?朱元璋が成り上がっていけたのも信仰集団の中だからって
のもあったような気がするけど、こういうメリットを考えるのは現代的過ぎるか…
601 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 06:58:30 0
白蓮教って、中国史にはたびたび登場して反政府暴動やってるが、
教義その他の宗教自体の情報を見かけたことが無いな。
現代でいうと、法輪功みたいなもんだったんだろうか?
602 :
世界@名無史さん:2005/07/21(木) 07:40:15 0
>>1 劉邦が最初だからだろ
他は皆n番煎じ(nは自然数)
農民出身天下人の知名度
劉邦=毛沢東>>>>>>越えられない壁>>>>>>>>朱元璋
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ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
>>603は事実を見誤っておるな。
しばらく錦衣衛の牢で反省するがいい。
607 :
世界@名無史さん:2005/07/26(火) 20:33:06 0
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| _)_ノヽ\ ハ // / ヽ
ヽ____)ノ  ̄ ̄ ̄ / ヽ、
●朱元璋が不快感を示しています。
↑の場合は、わかりやすいらしいけど、劉邦の場合は
l:::::::| |. |
|:::::::| |: (●) (●) | 君謀反の罪で、処刑だからね。
|:::::::| |::::::: \___/ |
ヽ::::::| |::::::::::. \/ ノ
のように愛想が良かったんじゃないかな。
無邪気に残酷っぽいよなあ
お猿のジョージ・ブッシュっぽい
逆に朱元璋はプーチンっぽい
後、ゴアさんは項羽っぽい
(注)この間の選挙でブッシュに負けた御菓子屋を
項羽と言ってはいけません
611 :
世界@名無史さん:2005/08/29(月) 18:34:00 0
「劉邦とともに苦難を乗り越えていくスレ」とか出来ないかな
それを作るなら劉協だと思うけど
項羽とともに楚の歌を聞くスレとか
.
615 :
世界@名無史さん:2005/09/08(木) 23:23:35 0
田舎のあんちゃんがどうして劉という希少且つ貴種な氏をもっていたのか
616 :
世界@名無史さん:2005/09/09(金) 07:59:41 O
氏の由来は後付けだから
劉備を皇帝に数えるなら、下層出身の皇帝はもっと多くなるぞ。
それから毛沢東も中程度の農民だったそうだから、農民出身「皇帝」の一種と考えられるんじゃないかな。
618 :
世界@名無史さん:2005/09/09(金) 15:05:41 0
ケ小平も
619 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:31:40 0
620 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:29:50 O
史記と漢書の本紀が沈黙してる。
何一つ不名誉なことではないのに書いてないんだから、そんな話自体なかったか、信憑性がなかったんだろ。
ちなみに漢書は王莽については一族の由来を長々と書いている。
621 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:46:29 0
春秋時代にある程度精通していれば、劉氏が希少で高貴な氏というのはわかるはず。
622 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 15:52:50 0
>>620 でたらめいうな。漢書には高祖の由来が書いてある。
623 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:02:39 O
ああ確かに蛟竜の子供とか書いてあるね。
624 :
世界@名無史さん:2005/09/13(火) 00:53:14 0
>>623 贊曰:春秋晉史蔡墨有言,陶唐氏既衰,荀ス曰:「唐者,帝堯有天下號。陶,發聲也。」
韋昭曰:「陶唐皆國名,猶湯稱殷商矣。」臣瓚曰:「堯初居於唐,後居陶,故曰陶唐也。」
師古曰:「三家之說皆非也。許慎說文解字云:『陶,丘再成也,在濟陰。夏書曰東至陶丘。
陶丘有堯城,堯嘗居之,後居於唐,故堯號陶唐氏。』斯得之矣。」其後有劉累,學擾龍,
事孔甲,應劭曰:「擾,馴也,能順養得其嗜欲也。孔甲,夏天子也。」師古曰:「擾音繞,
又音饒。」范氏其後也。師古曰:「晉司空士蒍之孫士會為晉大夫,食采於范,因號范氏。」
而大夫范宣子亦曰:「祖自虞以上為陶唐氏,師古曰:「范宣子即士會之孫士丐也。」在夏為御龍氏,
師古曰:「即劉累也。」在商為豕韋氏,師古曰:「豕韋,國名,在東郡白馬縣東南。」
在周為唐杜氏,師古曰:「唐、杜,二國名也。殷末豕韋徙國於唐,周成王滅唐,遷之於杜,
為杜伯。杜伯之子隰叔奔晉。士會即隰叔之玄孫也。唐,太原晉陽縣也。杜,京兆杜縣也。」
晉主夏盟為范氏。」
625 :
世界@名無史さん:2005/09/13(火) 00:54:27 0
范氏為晉士師,師古曰:「言晉為霸,主諸夏之盟,而范氏為晉正卿。」
魯文公世奔秦。師古曰:「文公六年,晉襄公卒,士會與先蔑如秦逆公子雍,
欲以為嗣。七年,以秦師納雍,而趙宣子立靈公,與秦師戰,敗之于刳首。先蔑奔秦,士會從之。」
後歸于晉,其處者為劉氏。師古曰:「文十三年,晉人使魏壽餘偽以魏畔,
誘士會而納之。秦之歸其帑,其別族留在秦者既無官邑,而乃復劉累之姓也。」
劉向云戰國時劉氏自秦獲於魏。文穎曰:「六國時,秦伐魏,劉氏隨軍為魏所獲,
故得復居魏也。」師古曰:「春秋之後,周室卑微,諸侯彊盛,交相攻伐,故總謂之戰國。」
秦滅魏,遷大梁,師古曰:「秦昭王伐魏,魏惠王棄安邑,東徙大梁,更號曰梁,
非始皇滅六國之時。」都于豐,故周巿說雍齒曰「豐,故梁徙也」。
626 :
世界@名無史さん:2005/09/13(火) 00:55:20 0
是以頌高祖云:「漢帝本系,出自唐帝。降及于周,在秦作劉。涉魏而東,
遂為豐公。」晉灼曰:「涉猶入也。」豐公,蓋太上皇父。其遷日淺,
墳墓在豐鮮焉。師古曰:「鮮,少也,音先淺反。」及高祖即位,置祠祀官,
則有秦、晉、梁、荊之巫,應劭曰:「先人所在之國,悉致祠巫祝,
博求神靈之意也。」文穎曰:「巫,掌神之位次者也。范氏世仕於晉,
故祠祀有晉巫。范會支庶,留秦為劉氏,故有秦巫。劉氏隨魏都大梁,
故有梁巫。後徙豐,豐屬荊,故有荊巫也。」世祠天地,綴之以祀,
豈不信哉!師古曰:「綴,言不絕也。」由是推之,漢承堯運,
コ祚已盛,斷蛇著符,旗幟上赤,協于火コ,自然之應,得天統矣。
孟康曰:「十一月天統,物萌色赤,故云得天統也。」臣瓚曰:
「漢承堯緒,為火コ。秦承周後,以火代木,得天之統序,故曰得天統。
漢初因秦正,至太初元年始用夏正,不用十一月為正也。」師古曰:
「瓚說得之。」
627 :
世界@名無史さん:2005/09/13(火) 01:25:41 0
>>616 あとづけも何も周の王族で劉氏ってのがいるんだけど。
君は左伝をまったく読んでないのかね?
>>627 >君は左伝をまったく読んでないのかね?
「君」じゃないけど、普通読まんだろ。
629 :
世界@名無史さん:2005/09/13(火) 14:23:44 O
それ以前に
周の王族の劉氏と劉邦の関係は不明だろ
さらに、周の王族だとしても劉邦はそれを利用して世に出た形跡がない。
つまり周の王族だろうが関係ない。
それとも、例えば藤原さんて人がいたとして、昔先祖が関白だったからって現代人が無条件に敬うか?
血筋なんて、それそのものは意味なんかほとんどないんだよ。
630 :
世界@名無史さん:2005/09/14(水) 23:55:39 0
たしかにアレキサンダー大王とかジンギスカンは父親が王、カエサルは名門。
世界史で制服王とか王朝の創始者のような人物は親の遺産・力などが多分に影響してる。
そう考えると劉邦はすごい。
父親の力を利用したわけでもないのに混乱する中国を統一して400年にわたる統一王朝を築き、その後も中国のみならず、
周辺諸国まで多大な文化的な影響その他を与えたつづけた人物というのは世界史上にも稀有な人物。
偉大といってもぜんぜん大げさではない。
631 :
訂正:2005/09/14(水) 23:57:42 0
たしかにアレキサンダー大王とかジンギスカンは父親が王、カエサルは名門。
世界史で制服王とか王朝の創始者のような人物はみんな親の遺産・力などが多分に影響してる。
そう考えると劉邦はすごい。
父親の力を利用したわけでもないのに混乱する中国を統一して400年にわたる統一王朝を築き、その後も中国のみならず、
周辺諸国まで多大な文化的な影響その他を与えたつづけた人物というのは世界史上にも稀有。
偉大といってもぜんぜん大げさではない。
>>631 ざんねん
肝心な制服王ってところが直ってない
制服王ハァハァ
>>631 ジンギスは尾より他に鞭も無し、影より他に友も無しと言われたほど没落してたんだぞ。
劉邦の方がよほど裕福だ。
635 :
訂正:2005/09/15(木) 00:46:20 0
たしかにアレキサンダー大王とかジンギスカンは父親が王、カエサルは名門。
世界史で征服王とか王朝の創始者のような人物はみんな親の遺産・力などが多分に影響してる。
そう考えると劉邦はすごい。
父親の力を利用したわけでもないのに混乱する中国を統一して400年にわたる統一王朝を築き、その後も中国のみならず、
周辺諸国まで多大な文化的な影響その他を与えたつづけた人物というのは世界史上にも稀有。
偉大といってもぜんぜん大げさではない。
636 :
世界@名無史さん:2005/09/15(木) 16:45:06 0
>>634 そういったら、乞食坊主時代の朱元璋なんか
ボロボロの僧衣と素焼きの鉢しか無かったんだぞ。
しかし朱元璋とチンギス・ハンじゃスケールが違うからな
638 :
世界@名無史さん:2005/09/17(土) 19:01:08 0
劉邦が范氏の子孫だってのは資治通鑑に書いてあったような
639 :
世界@名無史さん:2005/09/17(土) 22:11:47 0
皇甫謐云では劉邦の父は「劉執嘉」、母は「王含始」と書かれている。
640 :
世界@名無史さん:2005/09/26(月) 09:56:36 0
史記や漢書に書いてないからうそだ、なんて聖書に書いてないから進化論はうそだっていうぐらい幼稚な論理だな。
641 :
世界@名無史さん:2005/09/26(月) 21:13:39 O
まああれだ、つまりこういうことだろ?
高祖、姓は劉、名は兄貴。父の名を爺さま、母の名を劉婆さまという。
642 :
世界@名無史さん:2005/09/26(月) 23:32:33 O
邦≠兄貴
都市伝説だぞ兄貴説は
643 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/27(火) 00:37:32 0
>>638 劉邦が范氏の子孫だという説は「漢書」の「高帝紀」の末尾の賛にちゃんと書いてありますよ。
劉氏出自祁姓.帝堯陶唐氏子孫生子有文在手曰:「劉累」,因以為名.能擾龍,事夏為御龍氏,
在商為豕韋氏,在周封為杜伯,亦稱唐杜氏.至宣王,滅其國.其子隰叔奔晉為士師,生士_.
_生成伯缺,缺生士會.會適秦,歸晉,有子留於秦,自為劉氏.生明,明生遠,遠生陽,十世孫,
戰國時獲於魏,遂為魏大夫.秦滅魏,徙大梁,生清,徙居沛.生仁,號豐公.生_,字執嘉.
生四子:伯、仲、邦、交.邦,漢高祖也
645 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/27(火) 16:38:04 0
>>644はソースを示していませんが多分「帝王世記」でしょう。誤解があるといけないので
「高帝紀」の賛を書下しておきましょう。
贊に曰く:春秋の晉の史なる蔡墨に言有り(「左傳」昭公二十九年)、陶唐氏の既に衰ふるや
其の後に劉累有り、龍を擾(な)らすことを學び孔甲に事ふ、范氏は其の後也、而して大夫の
范宣子(士匃)も亦た曰く「祖は虞より以上は陶唐氏と爲し、夏に在りては御龍氏と爲し、
商に在りては豕韋氏と爲し、周に在りては唐杜氏と爲す、晉の夏の盟を主るや范氏と爲す」と、
范氏は晉の士師と爲り、魯の文公の世に秦に奔り、後に晉に歸る、其の(秦に)處(とどま)る
者を劉氏と爲す、劉向は云く「戰國の時に劉氏は秦より魏に獲(とらへ)られ、秦の魏を滅ぼすや
大梁に遷り豐に都す、故に周市は雍齒に説きて『豐は故は梁より徙れる也』と曰へり、是を
以て高祖を頌して云く:漢帝の本系は唐帝に出自す、降りて周に及び、秦に在りて劉と作 り、
魏に渉りて東し遂に豐公と爲る」と、豐公は蓋し太上皇の父なり、其の遷りてより日淺く、
墳墓の豐に在るもの鮮し焉、高祖の即位するに及び祠祀の官を置き、則はち秦・晉・梁・荊の巫
有り世よに天地を祠り、之を綴して以て祀る、豈に信ならず哉、是に由りて之を推すに漢は堯の
運を承けて、コ祚は已に盛にして、蛇を斷ちて符を著はし、旗幟は赤を上(たっと)び、火コに
協ふは自然の應にして天統を得たり矣、
646 :
世界@名無史さん:2005/09/27(火) 20:38:29 0
漢高祖が范氏の子孫だとすればまぎれもなく貴族の子孫ということになる。
単なる富農出身だという従来の学説を覆すな。
ちなみに朱元璋は一時期、朱子学の朱熹を先祖に置こうとしたが
断念したらしい。
648 :
世界@名無史さん:2005/09/27(火) 20:41:06 0
晋の正卿だからな范氏は。日本でいえば付け家老というところか。
姫姓の劉氏と婚姻していたというから子爵相当なのだろうか。
649 :
世界@名無史さん:2005/09/27(火) 22:55:24 O
貴族の子孫と単なる富農は矛盾しないよ。
先祖は貴族だけどどこかで農民になったんだろ
江戸時代の大名の家老の子孫だからって現代でも経済的政治的に重要な地位にいるとは限らない。
650 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2005/09/27(火) 23:10:51 0
但し漢室が帝堯の後裔という説は漢が火徳の運を承けたとする主張を強化するための
工作という疑念は残りますので、范氏の子孫というのが果たして歴史的真実か否かは
断定できない所です。
651 :
世界@名無史さん:2005/09/28(水) 08:04:07 0
>>644 によると劉邦の父が劉タン(執嘉)その父が劉仁(豊公)その父が劉清その親父が魏の大夫でその十世の祖が劉陽でその父が劉遠でその父が劉明でその祖父が士会。
ということか。
ソース激しくきぼー
652 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 20:34:11 0
当時の中国は激しい階級社会だからそれなりの出自じゃないと人はついてこない。
653 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 20:37:05 O
陳勝も?
654 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 20:43:30 0
陳勝は舜の子孫
655 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 20:46:38 0
劉,最早的兩個來源,一是出自堯帝,堯帝尹祁氏,其後裔封於劉,得姓。劉姓後裔在周時姓杜。周宣王時,殺大夫杜伯,杜伯後裔逃往晉國,官拜士師,遂姓士,後代士會曾歸秦,他在秦國的後裔復姓劉,即祁姓之劉。
其二,周匡王少子封劉邑(河南偃師),其後裔為姬姓之劉。劉邦就很可能出自這支劉姓。
656 :
世界@名無史さん:2005/09/29(木) 20:50:20 0
以邑為氏,據《元和姓纂》及《通誌.氏族略》載,帝堯裔孫劉累之後,在周為唐杜氏,遷於杜邑(陜西西安東南),時稱杜伯。周宣王殺杜伯,其子逃奔晉國擔任士師。曾孫士會。食邑於范邑(河南范縣),世稱范武子,子孫逐有范氏。
657 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 17:43:07 0
晋の正卿ってたらすごいよな。日本で比較するときぱっと尾張藩の付け家老を思い起こすが、春秋時代当時の晋は尾張よりはるかに(相対的に)強力だったし。
じっさい6つある正卿のうち、3つは後に天子から侯爵に叙されてるしなあ。
658 :
世界@名無史さん:2005/09/30(金) 17:49:56 0
周の制度で日本の家老にあたるのは大夫。
正卿は天子みずから叙するので上。晋のような大国にしか存在しなかった。
660 :
世界@名無史さん:2005/10/03(月) 18:33:30 0
劉邦って魏と縁が深いのか・・道理で魏がひいきなわけだ。
661 :
世界@名無史さん:2005/10/03(月) 18:59:23 0
劉邦は漢民族だろうけど朱元璋当時の中原住民も同じ漢民族と言えるのかな?
著しく混血が進んだようだけど。
漢文化の中で育っていれば漢民族でしょう
隋、唐だってまぎれもない漢民族王朝だよ
血だけみて異民族王朝っていうのは、それこそ乱暴だ
664 :
世界@名無史さん:2005/10/07(金) 23:46:56 0
帝堯陶唐氏→劉累→御龍氏→豕韋氏→杜伯(亦稱唐杜氏)→杜隰叔→士_→ 士缺→士會→劉氏→
劉明→劉遠→劉陽→(十世)→ 魏大夫劉某→劉清→劉仁(豐公)→劉端(太上皇執嘉)→
劉邦(漢高祖)→ 劉恒(文帝)→劉啓(景帝)→劉発(長沙定王)→ 劉買(春陵節侯)→劉外(鬱林太守)
→劉回(鉅鹿都尉)→劉欽(南頓令)→劉秀(光武帝)→劉荘(明帝)→劉タツ(章帝)
>>661 横槍を入れてすまんが、個人的には劉邦が漢民族っていう表現には違和感があるな。
漢の統一以降生まれた人間に使うならまだいいんだが。
666 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 22:00:09 0
だったら劉邦は何民族つーわけ?
667 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 22:27:05 0
劉邦が生きていた時代に漢族と言う概念はない。
漢族と言う概念は近代に作られたものだから、
近代以前のシナ大陸人に漢族と言う表現が当てはまるとは思わない。
それに当時は民族と言う概念自体、ないのではないか?
民族と言う概念は世界が繋がり始めて作られたものだと思うから。
当時の世界は地域的なもので小さいものだった。
668 :
世界@名無史さん:2005/10/31(月) 22:30:37 0
民族と言う概念がない時代の人物に対して、
何民族か区分しようとするのはできないのではないか?
669 :
世界@名無史さん:2005/11/05(土) 19:35:40 0
劉邦はすごいね
670 :
世界@名無史さん:2005/12/09(金) 12:46:16 0
朱元璋って貧農の出身だしそんなに学があるとは思えないんだが
郭子興の部下になって速攻嫁までもらえるぐらい手柄上げてるのって
何でできたんだろう?
671 :
世界@名無史さん:2005/12/10(土) 09:01:43 0
正直朱元璋にとっては劉基達も無学な彼が学を得るためだけの道具に過ぎなかったのかも
劉邦と違う点は彼自身が優秀過ぎたということ
猜疑心から部下を殺したというけど俺としてはある意味予定調和だったんじゃないかなあと
672 :
世界@名無史さん:2005/12/12(月) 20:26:09 0
朱元璋の場合、天性の才能+幼少から培われた富裕層(知識人も含まれる)
への憎悪が大きく関係していると思う。
それと皇帝独裁権の確保という名目での功臣粛清も出身地などから
派閥作って横暴を極め始めた臣下側にも責任はあっただろう。
とりあえず民族という概念自体が実はいい加減な作りをしていると気付くべきだよな。
何故かは自分で調べろ。
675 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 01:25:43 0
朱元璋は英雄としても暴君としても超A級のすげー面白い人物なのになぁ。
現地で人気イマイチなのが納得いかん。
中国では聖人君子しか受けないのかね?
最近のメッキを半分剥がされた毛沢東の人気の無さなんかもそう思う。
あまりにアクが強過ぎて政府が扱いかねてるんじゃないかね
677 :
世界@名無史さん:2005/12/13(火) 21:45:18 0
明史とか見ると朱元璋強すぎだろって感じがする
ほとんど負けらしい負けないし軍事においても内政においても超優秀
確かに部下いらねーよ
>>672 元々派閥自体朱元璋が恩賞を出身地ごとに偏らせたからできたんじゃねーの?
陳友諒とか思いっきり噛ませ犬
>>677 まあ、あんだけ強くなければ最下層から這い上がることなんてできないだろうしね。
農民だった紅巾軍に参加してから元滅ぼすまでわずか十六年
ここまで急激に成り上がった例って他にあるのか?
劉秀が父親が県令という程度の身分から挙兵して即位するまで3年、天下統一まで14年。
奴隷身分だと石勒だけど、八王の乱で奴隷から山賊になり、趙王になるまでが約20年、
帝位につくまでが約30年。
県令は大分アドバンテージがあると思う。
劉氏だったから割と歓迎されてたようだしね当時の風潮は
普通に劉邦の方が早いと思うけど>挙兵から即位まで
劉邦はBC.209に挙兵してBC.206に漢中王。BC.202に皇帝即位。7〜8年ですな。
685 :
世界@名無史さん:2005/12/20(火) 12:03:52 0
漢字、漢語、漢民族、漢化。。。
もともと「漢」なんてのは辺境の地名だったのに、漢王朝成立以降は
漢≒中国みたいな使われ方をしている。
中国の基本的な骨格を完成させたという意味で、史上、漢の存在は相当インパクトが大きいのでは?
(先代の秦も画期的だったけどあまりにも短命だし、殷周は時代が古すぎて伝説的要素が大きく、支配領域も狭い)
そういう一時代を画す大王朝の創始者が、「いつも武ばあさんと王ばあさんの酒屋で飲んでいた」
なんて史書に書かれるほど庶民的な男で、粗暴で好色で貴人の相のかけらもなかった俗物なのに、
いつのまにか皇帝になってしまうというサクセスストーリー、部下たちも個性的で名脇役揃い
という点で、劉邦は人気があるのかも。
あと、三国志演義で培われた庶民の劉備贔屓が、漢王朝や劉氏への親近感に影響しているかも。
686 :
世界@名無史さん:2005/12/20(火) 12:15:27 0
しかもツケで飲ませてもらって、結局チャラにしてもらってた>劉邦
687 :
世界@名無史さん:2005/12/20(火) 17:29:21 0
劉邦が飲みにくると、自然とその友人知人が集まって繁盛するから
大目に見たんでしょ。
それとも皇帝になった後でツケを払ったかも。
688 :
世界@名無史さん:2005/12/20(火) 18:13:56 0
>皇帝になった後でツケを払ったかも。
とんでもない額を受け取っていそうだな
689 :
世界@名無史さん:2005/12/20(火) 18:59:12 0
韓信も楚王になった時に昔、飯恵んでくれた婆さんに千金あげたから
あり得る話だな。
>>675 毛沢東の偶像が落ちているのか?
大衆レベルではそこそこあったと聞くが。
691 :
世界@名無史さん:2005/12/20(火) 19:27:48 0
毛沢東の話題はスレ違い。他所でどうぞ。
692 :
世界@名無史さん: