教科書が教えない朝鮮の歴史

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・・・・同じ講演において、次に私は、アメリカ人の日本に対する否定的で
批判的な態度を取り上げた。それはもちろん、我々が中国に対して取った
後援者的・保護者的態度の裏返しであった。我々が日本に対して持っていた
不満は、日本が当時東北アジアにおいて占めていた地位(朝鮮と満州で
占めていた支配的地位)に主として関わっていたと思われる。それらの地域は
正式には日本の領土ではなかったのだから、日本による支配は、法的にも
道徳的にも不当であると、我々は考えたのである。私はそのような態度に異を
唱え、それは我々自身の法律家的・道徳家的判断基準を、それらの基準とは
実際にはほとんど全く関係の無い状況に当てはめようとするものであったと
批判した。

そして私は、この地域における活動的な力である、ロシア・中国・日本
という三つの国は、道徳的資質という点ではそう違わなかったのだから、
我々は、他国の道義性を審判する代わりに、それら三者の間に、安定した
力の均衡が成り立つよう、試みるべきであったと論じたのである。
日本をアジア大陸において占めていた地位から排除しようとしながら、
もしそれが成功した場合、そこに生ずる空白を埋めるものは、我々が排除した
日本よりもさらに好みに合わない権力形態であるかもしれないという大きな
可能性について、我々は何ら考慮しなかったのだと、私には思われた。
そしてこれは実際に起こったことなのである。

このことに関連して、私が今言及している講演が、朝鮮戦争中に行われた
ものであることを指摘したい。私は当時、朝鮮半島において我々が陥って
いた不幸な事態の中に、我々が以前日本の国益について理解を欠いていた
ことへの、また日本に代わる好ましい勢力があるかを考えもせずに、
日本をその地位から排除することにのみ固執したことへの、皮肉な罰と
いうべきものを認めないわけにはいかなかった。

この例によって、私は外交政策における我々の選択が必ずしも
善と悪との間で行われるのではなく、むしろより大きい悪とより小さい悪
との間で行われることが多いことを指摘しようとしたのである。

「我々は、大陸からの圧力を防ぎ止めるために、この地で戦うこととなった。
思えばこの圧力こそ、他の誰かが防ぎ止めていた時には、なんということは
ないと思っていた圧力なのだ。」 (朝鮮戦争勃発に際して)
ウォルター・A・マクドゥーガル著 『太平洋世界』 (共同通信社)

ジョージ・F・ケナン
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1067694901/11-24