1 :
世界@名無史さん:
真面目なスレッドです。
戦前に女性参政権が認められなかったのは史記の影響が大だと思う。
3 :
世界@名無史さん:03/12/15 20:30
洗濯機など文明の利器が普及しなかったのも?
4 :
世界@名無史さん:03/12/15 20:42
夏〜前漢までのスレは一応あるじゃないか
唐のスレ立てろよボケが
「一応」なんだろ?
唐に比べれば夏〜前漢など雑魚
世界史に比べれば唐など雑魚
地球史に比すれば世界史など雑魚
項羽なんか武川鎮軍閥の前では中堅どころがいいとこだろう
唐の相手は突厥、高句麗などレベルが高い
項羽はボクトツにボコられた劉邦ごときに負けましたとw
10 :
世界@名無史さん:03/12/16 15:20
1日1章づつ列伝を読んで行くのはどうか。
11 :
世界@名無史さん:03/12/16 16:02
始皇帝稜の現存が確認されたというわけで、始皇本紀の記述がキになるところ。
日本語で史記が読めるサイトってないの?
ヴァカモン。なんぢゃその一日一章とは、史記をヴァカに
しておるのか。写本、伝本を照らし合わせて一日一字読ん
でいくのぢゃ。専用うぷろだを探すのが先ぢゃ。
いや、精読がしたいわけじゃないしさ。
横山光輝の漫画 史記を読んでおおよその内容を頭に入れた後、史記を原文
(書き下し文)で読み進めることは是か非か?
漏れは世界の名著の貝塚先生ので読んだ。
面白かった。
板違い。
古文・漢文板でやるべし。
これが板違いなら三国志正史スレッドも板違いになるだろーが。
どうも日本語で読める史記サイトはないみたいですね。
その使命、お主に託した!
殷周スレ・春秋戦国スレ・劉邦スレがある以上、ここも埋没する運命。
23 :
世界@名無史さん:04/02/18 19:43
どっかの高校の歴史クラブとかで手分けして
日本語で読める史記サイトを作ってほしい。
24 :
世界@名無史さん:04/02/18 19:50
横山「史記」の司馬遷の宮刑シーンは、三田村泰助の「宦官」のまんまだな。
26 :
世界@名無史さん:04/02/19 00:47
27 :
世界@名無史さん:04/02/24 03:05
あぼーん宮萌え
.‐'' ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
| ________ |
| | ∧__∧ | |
| |
>>25 | |
| |_/ 二\ | |
| |_/\ \\) | |
| | \ \ | |
| | / /\ ̄ ̄ ) |
| | / /  ̄| ̄ 非 常 識 |
| \ \ \ \ |
ゝ、 \ \ \ \ ノ
29 :
世界@名無史さん:04/03/03 04:42
皆さん、史記は何で読みましたか?
漏れはちくま学芸文庫で読みましたが、ほかにありますか。
中華書局からも出てなかったか?
31 :
世界@名無史さん:04/03/03 11:44
平凡社の黄色の3分冊本
明治書院も
結構出てるんですね。参考に致します。
汲古書院からでてるの読んだ人いますか?
岩波文庫で読んだな
いまは列伝しか売ってないんだっけ?
10年待てばリクエスト復刊するさ
重耳
37 :
世界@名無史さん:04/04/28 00:04
>>29 もれは朝日新聞社文庫。
白文と書き下し文と現代後訳が載っていてグー。
ホシュ
39 :
世界@名無史さん:04/06/22 14:01
age
おや、史記のスレが立ったんですね。
>30
中華書局からも出ています。顧頡剛校点で三家注を附す。中国大陸の出版ですから日本語は勿論ついていません。
>31
平凡社中国古典文学大系の別売りシリーズ「中国の古典シリーズ」(だっけ?)の一つですね。
>32
新釈漢文大系の吉田賢抗・青木五郎・水沢利忠訳のものですね、
以前読んだ事が有りますがあの訳は小難しいです。気軽に読めるものではない(水準は高いですが)
>35
あれは元々世家と列伝と平準書しかないんですよ。世家3冊、2年前位に重版されて神保町の岩波本店に
山積みになってたなあ。
>37
あれは抄訳ですが、訳者の視点が物凄く独特で大好きです。
亀杉
42 :
世界@名無史さん:04/07/02 01:23
史記って何か検閲にあって闇に葬られた部分があった気がしたんだけど、
正史のどこを読めば書いてある?
史記の武帝本紀でそ。あれは史記封禅書と前漢書武帝紀から補ったもので
もともとの史記武帝本紀ではない。もともとの史記武帝本紀は削除されて存在せず。
孝景本紀・今上本紀(孝武本紀)・三王世家・亀策列伝・日者列伝・礼書・楽書・…などは早いうちに失われた。
但し、42の言うように検閲にあって葬られたかどうかは定かでない。
諸説あり。
45 :
世界@名無史さん:04/07/03 00:41
>>43 誰が補ったの?
>>44 その記述はどこに書いてあるの?
質問ばっかですまん。
さあ。後世の人でそ。漏れも詳しくないがどうせ唐の司馬貞あたりじゃないの?
47 :
世界@名無史さん:04/07/05 12:07
韓信と彭越、鼻切りの上腰斬ってひどくね?
48 :
世界@名無史さん:04/07/25 09:54
49 :
世界@名無史さん:04/08/25 06:25
何か放置されてんね。
50 :
世界@名無史さん:04/08/27 16:05
史記って司馬遷の存命中は公表されなかったんだっけ?
51 :
世界@名無史さん:04/08/29 23:56
史記が正史の上で最初に史記と呼ばれたのっていつ?
晋の時代に史記と呼ばれるようになったとは聞いたんだけど、
その記述が見つからない。
べつに改名したとか名付けたとかの記述があるわけじゃなくて
晋代の記録の中でぼちぼち「史記」という表現がでてくる
ってことではないの?
史記って最初から史記と呼ばれていたわけじゃなかったのか・・・
と思って、漢書芸文志みたら確かに史記ではなく「太史公百三十篇」と書いてあった。
54 :
世界@名無史さん:04/08/30 12:31
また一つお利口さんになったな
55 :
世界@名無史さん:04/08/31 20:27
今の武帝本紀は司馬遷の手による物じゃないの?
>>55 司馬遷が書いたのは散逸してもう無いんじゃないの?
57 :
世界@名無史さん:04/09/03 00:11
司馬遷の作った武帝本紀が無い事に関して、
三国志魏書王粛伝に、武帝が読んで怒って捨てさせたから
とあるけど、史記を武帝が読んだなんてあり得るのかな?
>>57 三国志魏書に言う「武帝」は曹操のことじゃないのか?
と言ってみるテスト。
『魏武帝註孫子』の事を言っているのか?
この魏武帝って曹操の事なんだが・・・
孫武または孫ピン本人が書いた物が残っているとでも思っているのかな?
早々は注釈しただけじゃないの?
漢武帝聞其述史記,取孝景及己本紀覽之,於是大怒,削而投之.於今此兩紀有?無書.後遭李陵事,遂下遷蠶室.
62 :
世界@名無史さん:04/09/06 16:27
宮脇俊三の「史記のつまみぐい」を読んだ
軽めのエッセイで面白い
63 :
世界@名無史さん:04/09/06 21:32
64 :
世界@名無史さん:04/09/08 01:02
司馬遷が景帝本紀と武帝本紀を武帝に見せたのが事実としても
焼かれたまんま欠巻にするとは思えないよね。
65 :
世界@名無史さん:04/09/17 17:41:01
始皇帝が死んだ時の趙高と李斯の密談の内容を司馬遷は
どうやって知ったんですか?
66 :
世界@名無史さん:04/09/17 17:57:49
>>65 可能性1.
趙高か李斯が誰かに「こういう密談をした」と打ち明けたのがいつの間にか広まった。
可能性2.
趙高と李斯が継承順位の低い胡亥を擁立したところから
「こういう会話があったんじゃないか」と言う憶測がいつの間にか事実として広まっており、
司馬遷も事実と思って収録した。
可能性3.
司馬遷の創作。
司馬遷は史記を書くに当たって、熱心に各地の伝承を調べている。
胡亥擁立に関する伝承の中に、「ああいう密談があったよ」という話が含まれていて、
それを収録した可能性が一番高いと思う。
可能性8
なんたら春秋とかいう演劇が作られていて、司馬遷はその台本をそのまま書き写した。
なんたら春秋というタイトルだったかどうかは知らんが
歴史から題材をとった民衆演劇みたいなものから
司馬遷はかなり取材してるってのはいろいろ論証されてと思うが。
69 :
世界@名無史さん:04/09/19 01:17:20
司馬遷は演劇の内容を鵜呑みにするような人だったのか?
陸賈の楚漢春秋
>>69 鵜呑みにはしてないでそ
参考にしたというか…。気に入ったとこは採用みたいなことでわ?w
72 :
世界@名無史さん:04/09/19 09:15:53
>>69 演劇の内容を丸呑みしてしまったのではなくて、
歴史とはリアリズムのみを追い求めることではなく、ロマンチズムも取り入れることだということを知っていたのだと思われ。
個人の劇的な言動は民間伝承(昔話)や演劇の名台詞に依ったところが大きいだろ。
73 :
世界@名無史さん:04/10/08 12:07:11
班固は百家の言葉や俗語を取り入れたと言ってるがね。
俗語に演劇って含まれるのか?
それに楚漢の抗争がいかに面白くとも演劇にするのを
前漢政府が許すわけないと思う。
忠臣蔵だって南北朝時代の話に仮託しなきゃならなかった
訳だし。
>それに楚漢の抗争がいかに面白くとも演劇にするのを
前漢政府が許すわけないと思う。
そうか?
宮崎市定『史記を語る』(岩波書店)より要約すると、
・漢代、二人一組で対話舞踊によって劇を演じたりすることが
宮廷や市場で行われており、偶語と称した。
・偶語劇を司馬遷は史記の記述の中に取りいれた形跡がある。
・刺客列伝のケイカのくだりに「ケイカガンガレー」というような
合いの手だと思われる「時惶急」などの語句が挟まっている。
・漢の宮廷で秦の二世皇帝を愚弄する偶語が行われていたらしく、
それを司馬遷が史記に取りいれている形跡がある。のだそうだ。
宮崎氏の説が正しいと仮定するならば、「楚漢の戦いを題材に
していた偶語を見てそれを記述に取りいれた」可能性は否定できないだろう。
陸賈の楚漢春秋が既に漢の高祖に献上されていたわけだし、
楚漢春秋を題材にした偶語が上演されていたのかもしれない。
>忠臣蔵だって南北朝時代の話に仮託しなきゃならなかった
訳だし。
これはあくまで日本の江戸時代の話しだろ。国も時代も違うと思うんだが。
75 :
世界@名無史さん:04/10/09 00:11:18
演劇に高祖が出てきたりするのは不敬に当たるんじゃないの?
前漢時代は特に不敬罪厳しいし。
荊軻とかの話ならまだ大丈夫かも知れないけど・・・
宮崎説も何を論拠にしてるか挙げてないなら鵜呑みにはできないね〜。
76 :
世界@名無史さん:04/11/12 21:56:22
age
匈奴ってのは、前漢を凌駕してたんでしょ?
78 :
世界@名無史さん:04/12/07 14:00:15
甥っこに史記の魅力を話したら
“大学で史記の研究したい”
というではないか
文学部なのだろうが
学科はやっぱ史学科なのだろうか
教えてちょんまげ
ちなみに俺は経済卒です
79 :
世界@名無史さん:04/12/07 23:27:55
>>78 中国文学科かもな。
どっちにしろここの住民の知ったことではないし聞くべきことでもない
親切な79さむありがとう
81 :
世界@名無史さん:04/12/13 02:24:32
楚漢春秋っていつ頃誰が名付けたの?
82 :
世界@名無史さん:04/12/23 23:53:47
今現在、史記研究の第一人者って誰?
ものすごい良スレw
84 :
世界@名無史さん:04/12/24 03:01:23
史記を読んでいると司馬遷の漢王朝に対する敵意・憎悪をばんばん感じます。
85 :
世界@名無史さん:04/12/24 08:37:14
そりゃそうだ。切り落とされたんだからな。
滝川かめたろう
87 :
世界@名無史さん:04/12/26 20:42:48
司馬遷以外に罪を贖う為に宮刑に処された高官っている?
88 :
世界@名無史さん:04/12/26 21:09:52
漢の武帝はやたらと官吏を刑罰に処し、勅命でいれる詔獄にはいつも5万人
以上居たそうだ。
宰相がそんなに死刑にしては優秀な官吏はいなくなります、と諫言したので
優秀な高官は死刑を免じてほとんど宮刑にしたらしい。
名前は調べてみないと分からないが、大勢居るはず。
>>87 張賀はとりあえず該当するかもしれないですな。
>>87 高官ではありませんが、許広漢もそうですね。
91 :
世界@名無史さん:04/12/26 22:24:03
去勢人間に溢れた朝廷・・・
何ともイヤだなあw
ところで去勢すると声も高くなるんだよね?
92 :
世界@名無史さん:04/12/26 23:21:28
カルーセル麻紀は太い声を出すぞ
93 :
世界@名無史さん:05/01/08 15:47:43
朝廷じゃなくて後宮
94 :
世界@名無史さん:05/01/08 16:33:19
>>91 それは、声変わりする前に去勢した場合。
ヨーロッパのボーイソプラノの人がそれを維持するために
去勢するなんていうのは、結構あったらしい。
95 :
世界@名無史さん:05/01/10 18:00:24
武田泰淳の発憤説は少数説か?
秦の始皇帝のホントーの父ちゃんは誰なんだ?
96 :
世界@名無史さん:05/01/10 18:43:41
発憤説って何?
>発憤説
司馬遷が去勢されたことに憤りを発して史記を書いたという
説ですね。発憤と言う題名で確か三浦国雄氏も論文を書いていました。
武田説は否定されたわけではないですね、一般的には今でも
有名でしょう。まあ、伊藤徳男氏による反論も有りますが殆ど知られて
居ませんし、個人的には無理があるとおもうなあ。
98 :
世界@名無史さん:05/01/11 01:27:37
司馬遷が去勢される前に武帝に史記の草稿を見せた話があるじゃん。
それにオヤジの遺言で編纂を開始したんだし・・・
何でそんな説が否定されないの?
>司馬遷が去勢される前に武帝に史記の草稿を見せた話があるじゃん。
はて、史記太史公自序にも漢書司馬遷伝にもそのような話は載っておりました
でしょうか?伊藤氏の「これを名山に蔵し云々」の話とは別なのでしょうか。
もしかして陳寿が張華に正史三国志の草稿を見せた話と混同してらっしゃいませんか?
>それにオヤジの遺言で編纂を開始したんだし・・・
正確に言うと、司馬談も既に史記を書いておりましたね。
六家の評価の部分などは司馬談の筆だと古来より伝えられております。
まあ、発憤説だと「そもそも司馬談が発憤していた」という
話も有るのですが。
発憤と脱糞の違いについて
101 :
世界@名無史さん:05/01/12 22:52:07
漢武帝聞其述史記,取孝景及己本紀覽之,於是大怒,
削而投之.於今此兩紀有録無書.後遭李陵事,遂下遷蠶室.
此為隱切在孝武,而不在於史遷也.
と三国志魏書王粛伝にある。
これは明帝の問いに王粛が答えた言葉。
ただし、王粛は孔子家語の偽作者なのでいまいち信用できないが・・・
魏志王肅伝ですか、ありがとうございます。
…司馬遷から大分後の記録ですね。
三家注でその件に触れているかどうか確認して見ます。
滝川資言の『史記会注考証』安く手に入れる方法ないかなあ……。
史記会注考証どこにやったかなあ
亀太郎どこ〜?
>>103 神保町あたりをうろつけば台湾発行の縮刷本が5000円くらいで手に入るよ。
>>105 とんくす。東京出るときは探してみるよ。
107 :
世界@名無史さん:05/01/14 20:00:53
史記の漢朝に対する批判の部分を集めた考証って誰かやってる?
>>105-106 おいおい。神保町なんてコミケ会場より広いんだぞw
あまり出来のいい案内書もないし。
中国書取り扱い店に限ればそんなに多いわけでもないし優れたガイドがWEB上にある。
110 :
世界@名無史さん:05/01/19 20:27:36 0
滝川の研究ってまだ勝ちあるの?
111 :
世界@名無史さん:05/01/24 13:43:34 0
斉の崔杼が荘公を殺した際の史官の逸話が意味するところ?
@この逸話のように、すごい使命感で職務を全うするのが
当たり前の史官だった。身を挺して事実を伝えた。
Aこの逸話の史官達は、逸話にするほど珍しい存在だった。
おおよその出来事を記すのが史官の仕事、やばくなったら
書き換えろ。
112 :
世界@名無史さん:05/01/24 15:37:06 0
「光儒堂」な。メガネ屋の2F。ちょいと高めだがヘンなものが置いてある。
114 :
世界@名無史さん:05/01/24 16:37:17 0
思い出した!「海風書店」。
どうやら今は無いらしい。
代わって今あるのが「光儒堂」。
え?海風書店ってもうないの???
店名が変わっただけじゃないの?
117 :
世界@名無史さん:05/01/29 18:33:29 0
常識的なことなのかもしれませんが教えてください。
伝存する最古の史記の版本って宋代のものですよね?
どこに行けば見られますか?
118 :
世界@名無史さん:05/01/29 20:22:32 0
版本・・・
苦手な分野だな。
北京図書館とか言われたらどうすんの?
119 :
112=114:05/01/29 20:31:03 0
海風書店は一階。
今は一階は眼鏡屋で二階が光儒堂。
※書店が無くなって眼鏡屋に建て替えられたのは知っていたが、二階が書店というのは最近まで知らなかった。
>101
三家注を見ましたが、その件については何も書いてありませんね。
また、王肅の発言では削除されたのは「景帝本紀」「今上本紀」の
二つとなっていますが、「今上(武帝)本紀」が削除された可能性は
ある(三家注でも触れている)のですが
景帝本紀が削られた可能性は余り無いように思いますね。
そもそも宮崎市定氏が論じるように武帝本紀を司馬遷が書いたのかどうか
よくわからないんだよなあ。
>110
まあ、研究の基本ですから。価値は無いわけでは無いです。
>117
千葉県佐倉の国立歴史民俗博物館に南宋黄善夫本(通称上杉本)があります。
南宋の黄善夫が印刷した善本で、南化和尚・直江兼続・前田慶次郎らの
考証が欄外にびっしりと書き込まれて居ます。これが史記会注考証の
種本の一つですね。
後、海風書店=光儒堂みたいですね。
>>119 二階に移って海風書店って言う時期があったのよ。
122 :
世界@名無史さん:05/01/29 22:50:08 0
前田慶次郎の考証なんてあんの?
コーエーオタが聞いたら喜びそうだな。
って俺も喜んでるし。
>>122 前田慶次郎利益は当代きっての文化人だよ。
プロの学者と源氏物語や伊勢物語に関する学術的な議論をしてるし、
一流の歌人・茶人でもあった。
著作も残している。
124 :
世界@名無史さん:05/01/29 23:47:55 0
つか、具体的に何を考証したの?
孝景本紀は他に見えないオリジナルな記事が多いし、司馬遷の手によるものをとどめているように思うんですよね。
誰だったか、孝文本紀の方がオリジナルを消されたんじゃないかって言ってたような。
126 :
世界@名無史さん:05/01/30 03:56:45 0
孝文本紀も怪しい
>122
まあ、黄善夫本の欄外の考証は個人名が書いてなかったはずですから、
南化の考証はこれで直江がこれで前田がこれだということを特定することは事実上
不可能だと思います。詳しくは水沢利忠『史記正義の研究』参照。
ちなみに、瀧川亀太郎の先祖は戦国武将・瀧川一益ですが、
前田慶次郎は瀧川家の出身なので、戦国時代のご先祖が書いたものを
瀧川先生が世に出したような所が有ります。不思議な因縁がありますね。
>124
基本的には史記正義佚文の追加など。水沢さんの本を見ると詳しく書いてある
と思われ。
128 :
世界@名無史さん:05/01/30 19:17:36 0
瀧川家って江戸時代大名だったの?
>瀧川家
大名じゃないけど旗本(500石くらい)ですね。ただ家学として史記を
代々やっていたのかどうかはわかりません。
松江に武家屋敷あって亀太郎先生の生家だってんでびーくりしたことあるよ。
131 :
世界@名無史さん:05/02/07 16:38:48 0
藤田勝久氏ってどうよ?
132 :
世界@名無史さん:05/02/12 05:58:22 0
>>127 まるで孫武と孫ピンのようだ
(名字違うけど)
滝川家について調べていたら、なんとなんと、一益の養子雄利の
子正利が江戸初期に常陸片野藩主(2万石)だったことが判明。
まあ、すぐに病気で領地を返上してしまったので、
大名だったのは極短い期間だけですが…
というわけで訂正しておきます。ただこの系統は大目付にまで登った
ようですが漢学をやっていたかどうかは不明です。滝川亀太郎資言先生は
史記会注考証に「日本出雲」と署名しているように松江の出身ですから
この系統ではないようですね。
134 :
世界@名無史さん:05/03/12 20:53:20 0
酷吏列伝イイ!
大目付の滝川具挙は鳥羽伏見の戦で真っ先に逃亡した人ですが、資言先生の
御先祖なんですか?>
「史記會注考証」を戦後になって中共で復刻した時に吉川幸次郎さんが「そういう海賊行為は
止めてほしい、目下うちの水沢君が日本全国の諸傳本を校定して、滝川氏の著述の増補本を
何年か後に出す予定になってるんだから」と文芸春秋で訴えていたそうです。うちにあるのは
その海賊本です。何しろ当時の中共出版書はめちゃくちゃ安かったんですから、海賊の功績も
認めてあげないと・・・。
と叔父が(ry
そうです、叔父から聞いた話です。今だったら中華書局の二十四史+「清史稿」が
いくらしてるか知りませんが、昭和40年代に叔父は十数万円台の値段で揃えたと
言ってました。
序でだから叔父の話。
「そうか、海風書店は光儒堂ってのになったのか。30年くらい前に俺がよく行ってたころは
ツルはげの爺さんが帳場に居てダベリの相手になってくれたもんだ。俺にどこの大学の人って
尋ねるから、ただの役人だよ大学教員じゃないと言ったら、大学に納めると金もらうのが一苦労と
言うので事情を聞くと、某大学の先生に多額の書物を売り掛けたが一向に払ってくれないので、
催促したら、研究費だから大学に請求書送ってくれと言うのでそうしたら、大学からは先生の
個人の研究資料でしょうから先生から払ってもらえと言うんだ、ところが先生は大学に研究の
申請を出して認めてもらったから買ったんだ大学に請求しろの一点張り、大学と先生で調整して
くださいお願いしますと言ったんだが双方ともホッ被り決めてしまって、結局のとこ先生から
一部だけ回収して諦めてしまった、全く大学ってとこは・・・・・・と爺さん嘆いてたよ」
140 :
世界@名無史さん:05/03/20 21:30:37 0
司馬遷の史記著述に武帝が協力したと、伊藤某氏は述べているが・・・
どうなの?
141 :
世界@名無史さん:05/03/21 03:06:56 0
朋治書院の新書版漢文大系を通販で買ったんだが安物買いの銭失いだったよ・・・・orz。
なんで白文がなくて書き下し文だけなの?
なんで藺相如廉頗列伝で廉頗と藺相如しかでてこないのよ?李牧とか趙親子はどこにいったのよ?
千円かえして・・・・。
142 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 23:42:46 0
司馬遷の子孫たちは司馬姓をもじって同氏と馮氏を名乗ったらしいぞ。
143 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 07:05:12 0
司馬遷を知らない日本人って結構多いのかな?
司馬遼太郎の元ネタとまで知ってる人はどれくらい
いる事やら・・・
144 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329/04/01(金) 08:45:56 0
>>141 文庫本にはよくあるけど、かりにも「漢文大系」を名乗って、それはひどい。
ところで「東洋文庫」の『醒酔笑』は現代語訳です。あんなもの素人が読むと
考えてるんだろうか?
145 :
世界@名無史さん:2005/04/12(火) 12:44:22 0
地下の司馬遷は今の手前勝手な論理で暴れる漢民族末裔をどう見ているのだろうか?
民、傲慢にして利を好む
の一行でスルーされる
きっと西門豹みたいな人がなんとかしてくれるさ
148 :
世界@名無史さん:2005/04/21(木) 00:40:29 0
史記が日本訳で読めるサイトはないのかな?
150 :
世界@名無史さん:2005/04/21(木) 18:53:48 0
ケイカの始皇帝暗殺の部分はないですかね?
153 :
世界@名無史さん:2005/05/08(日) 21:38:29 0
>>152 んなこたあないだろうけど。
司馬遷に息子がいたって記述はどこにも無いはずなんだけどね。
まあ、司馬遷の郷里に伝わる伝承らしいから。
関連スレに誤爆してマルチみたいに見える・・
横山光輝氏の項羽と劉邦を読んでふと思ったのだが
当時の剣って本当にあんなのですか?
戦場の剣は斬ると油や骨にあたって切味鈍くなったり、変形したりするもんなのだが
あの刀では斬れないし突けないと思う
三国志の場合後半や再販の時はわざわざ当時の服装や武器に変更してるのだから
どうなのかなとふと思いました
そんなこといったら鐙の存在はどーよ・・・
156 :
世界@名無史さん:2005/05/11(水) 21:59:34 0
史記にそんな剣の形まで載ってる訳ないじゃん。
>>156 史記に載ってなくても、兵馬俑とか参考にするものはあるわけだが・・・
158 :
世界@名無史さん:2005/05/11(水) 22:19:07 0
ここは史記スレッドですから
160 :
世界@名無史さん:2005/05/11(水) 22:49:54 0
>>159 ここは史記という本の内容及び成立を語るスレッドです。
考古学的な話題についてはその時代専門のスレッドに。
161 :
世界@名無史さん:2005/05/11(水) 22:54:18 0
伯夷叔斉伝はすばらしい。
「暴を以て暴に易へて」良いのかどうか
今に至るまで我々に問題提起している。
163 :
世界@名無史さん:2005/05/24(火) 00:25:26 0
司馬遷とヘロドトスどっちが偉大よ?
>>163 フィールドワークを採用したからどっちも偉大だよ。
ただ、司馬遷は純粋に史家として偉大。
ピラミッド建造の創作話をそれらしく披露したヘロドトスは、
物書きとして偉大かな。
ヘロ様は実際に行ってない地域の記述もテキトーだからな
又聞きの又聞きって感じで
芝先は任侠物講談マニヤ
楚漢抗争を面白く書き杉
楚漢戦争の芝居を見て感動し、台本をもらいうけ、そのまま載せました。
168 :
世界@名無史さん:2005/05/25(水) 21:46:19 0
それは陸賈先生の功績ですよ。
169 :
世界@名無史さん:2005/05/26(木) 20:37:25 0
始皇帝が呂不韋の子ってのは漢の捏造なんか?
170 :
世界@名無史さん:2005/05/29(日) 07:15:33 0
貨殖列伝が後世の史書から消えたのは残念だよな。
171 :
世界@名無史さん:2005/06/14(火) 20:31:14 0
age
172 :
世界@名無史さん:2005/07/07(木) 17:38:04 0
>>169 「有名人物の親は実は・・・」という類は演義物に多い希ガス。
173 :
世界@名無史さん:2005/07/22(金) 05:22:29 0
呉起や白起、廉頗に管仲が活躍する史記は面白い
174 :
世界@名無史さん:2005/08/06(土) 16:55:28 0
175 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 12:00:10 0
>>174 後世の正史に貨殖列伝、つまり富豪や商人の列伝が無くなった事
が残念な訳。
176 :
世界@名無史さん:2005/08/07(日) 13:56:46 0
>>175 貨殖列伝は、司馬遷が宮刑を宣告された時、八方金策に駆け回ったのに
罪を購う銭を用意できなかった無念さから書かれたと何かで読んだことがある。
つまり貨殖列伝はもともと、司馬遷の財貨に対する個人的関心から書かれた項目なんだそうな。
それでも後世の史書がこの項目を残さなかったのは残念という意見には激しく同意。
中国の正史は経済的観点に着目しないのが多いのは貨殖列伝が散逸した事と関係があるんだろうな
儒教だと殖産する奴はゲスヤローだし
179 :
世界@名無史さん:2005/08/08(月) 12:01:53 0
>>176 司馬遷は獄中にいたから金策に駆けずり回るのは無理ではないか?
180 :
176:2005/08/08(月) 12:21:15 0
>>179 本人は獄中にいたとしても、その一族郎党がいるじゃありませんか。
181 :
世界@名無史さん:2005/08/22(月) 21:51:31 0
>布衣匹夫之人,不害於政,不妨百姓,取與以時而息財富,智者有采焉 .作貨殖列傳第六十九.
と、司馬遷先生も仰有っているし、
182 :
世界@名無史さん:2005/08/22(月) 23:21:44 0
難しい文だな。書き下しておくれ。
183 :
世界@名無史さん:2005/09/18(日) 02:22:10 0
700番からジャンプアップ
184 :
世界@名無史さん:2005/09/22(木) 10:14:17 0
傍若無人の意味を教えて
185 :
世界@名無史さん:2005/09/22(木) 10:20:08 0
傍らに人無きが如し
186 :
世界@名無史さん:2005/09/22(木) 10:27:53 0
傍らに人無きが若し だな
187 :
世界@名無史さん:2005/09/23(金) 12:39:56 0
中公バックスの抄訳版だけ読む
岩波文庫の列伝5冊読むのはしんどい
188 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 20:35:11 0
岩波文庫
史記世家がもうすぐ復刊されます
189 :
世界@名無史さん:2005/11/13(日) 19:58:00 0
カラageすんのもなんだから、質問。
『史記』と『竹書紀年』って、どっちが信用できますか?
190 :
世界@名無史さん:2005/11/22(火) 09:50:57 0
どっちが信用できるかとか、そんな単純なもんじゃないと思うが。
日本書紀と古事記どっちが(ry
みたいなもんだ
191 :
世界@名無史さん:2005/12/21(水) 14:44:33 0
竹書紀年も古本と今本とあったるするしな
192 :
世界@名無史さん:2006/01/07(土) 02:52:00 0
横山の漫画はよく読んだ
儒教臭いよな
そろそろ『古本竹書紀年』と『逸周書』の翻訳してほしいね。
平勢センセの役目だとは思うが、訳注でデンパは控えめにしてね。
>>193 デンパとか関係なしに、単純に質が心配なんだけど。
院生に丸投げ疑惑、漢文読めない疑惑があるからねぇ。
.
漢文板行けって言われるかも知れないが
項羽の軍を離散させた四面楚歌の楚歌はどんな歌だったんだろか
楚辞の中に収録されてたりするといいんだが
197 :
世界@名無史さん:2006/02/06(月) 20:25:32 0
age
史記読んで感動した。
例えば、劉邦が統一後、故郷の沛に凱旋して舞を舞いながら頬に涙数行を流すシーン・・・。
・・・んん?涙が頬を流れるところなんてお前はこれを見たんか??
物語、演劇の類なら分かるが、これって史書に記述が必要な客観的な史実か?
中国史書の暗黙の了解で
「歴史の流れさえ曲げなければ後の表現は著者の好きに書いてよい」
・・・んん?著者が好きに書いているところなんてお前はそれを見たんか??
お前は見なきゃ何も理解できないのか?
ならば概念とかはどうやって認識してるんだ?
引用元をまったく明記していないなんて、ひどい書物だな
現代の基準で2000年前の書物を評価するヴァカはここに居るの?
・・・んん?ヴァカがここに居るところなんてお前はそれを見たんか??
↑あんた太公望??
206 :
世界@名無史さん:2006/03/05(日) 19:42:58 0
韓信が北伐でほろぼした代ってどこにあるんですか?
韓信は西魏を討ったあと代を落としてから東に向かい趙を討ったようなので、
普通に言われている代ではおかしい。
また、夏悦を捕らえたというアツヨというのは自分が見た地図だと、
太原の真下ぐらいに位置していたので、これまたおかしい。
どこか間違ってますか?
>>206 趙王歇はもともと信都にいたけど、項羽が張耳を常山王に封じて信都(襄国)を治所としたので、
代王となって代にうつっている。陳余が張耳を破って趙王歇を襄国に迎え、再び趙王にした。
韓信が趙(代)を討ったのはその後の話。
韓信の進軍ルートは、郭沫若主編『中国史稿地図集』上冊のP27、28を見るべし。
もし上書がなければ、学研の歴史群像33『項羽と劉邦下巻』P14、15でもいい。
韓信軍の主力は平陽から閼与・井を経て常山にいたっている。
韓信軍は代(代郡)を通過していないよ。
趙王歇が代にいないんだからあたりまえ。何もおかしいことはない。
ちなみに閼与は太原から東寄りの南東に位置してるよ。
208 :
世界@名無史さん:2006/03/06(月) 11:43:19 0
>>207 >韓信の進軍ルートは、郭沫若主編『中国史稿地図集』上冊のP27、28を見るべし。
>もし上書がなければ、学研の歴史群像33『項羽と劉邦下巻』P14、15でもいい。
どちらもないです。近くの図書館にも。後者は品切れで注文も不可です。
>韓信軍の主力は平陽から閼与・井を経て常山にいたっている。
これは史記のどこに書いてあるのでしょうか?
>韓信軍は代(代郡)を通過していないよ。
史記淮陰侯列傳には『漢王が張耳を派遣して韓信とともに趙・代を攻撃させ、後九月に代の兵を破る』と書いてあるのですが、
そうするとこの戦いはどこで行なわれたのでしょうか?
>ちなみに閼与は太原から東寄りの南東に位置してるよ。
朝日選書の史記(中)の地図では南東というより晋陽(太原)のほぼ真下なのですが。。。
閼与というのは、現在の地名はなんでしょう?英語名がわかると検索が効くのですが。
209 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/03/06(月) 20:23:10 0
「史記索隱」には「司馬彪の郡國志には上黨の沾縣に閼與聚有り・・・正義には閼與聚城は
潞州の銅鞮縣の西北二十里に在り」とあって、山西省沁縣の管内です。なお戦国時代には
閼與は韓の邑で後に趙に属し、山西省の和順縣の西に当るそうです。
211 :
世界@名無史さん:2006/03/06(月) 22:31:30 0
武帝の史記著述に司馬遷が協力したと、平勢某氏は述べているが・・・
どうなの?
>>210 閼與は漳水上流の西岸に位置し、邯鄲と晋陽を直線で結んだちょうど中間と
考えれば分かりやすいと思います。
銅鞮は、邯鄲から真っ直ぐ西に、晋陽から真っ直ぐ南に進んで行くと、凡そ
突き当たる位置にあり、閼與からは南西に位置します。
>史記淮陰侯列傳には『漢王が張耳を派遣して韓信とともに趙・代を攻撃させ、
>後九月に代の兵を破る』と書いてあるのですが、 そうするとこの戦いは
>どこで行なわれたのでしょうか?
『史記』の「曹相国世家」では「趙相国軍於鄔東,大破之,斬夏悦」とあり、
「淮陰侯列伝」では「禽夏悦閼與」とあります。
ここから類推するに、代国相であった夏悦の代軍は趙の国内で戦っていたと
みた方が自然じゃないでしょうか。
鄔は平陽から汾水に沿って北上すると東岸で突き当たり、進軍ルートとして
みても自然に思えます。
魏豹が叛いたのが八月なので、代まで北上してとなると日程に無理があると
思うのですが。
>>212 どうも
>閼與は?水上流の西岸に位置し、邯鄲と晋陽を直線で結んだちょうど中間と
>考えれば分かりやすいと思います。
これは上でいう、和順縣の方ですね。ここと、
>銅?は、邯鄲から真っ直ぐ西に、晋陽から真っ直ぐ南に進んで行くと、
の位置は直線距離でおよそ130km、300里は離れているので、『銅テイ縣の西北二十里』(約8km)の閼與とは共存できそうにはありません。が、ともかくその位置を探すと
http://maps.google.co.jp/?ll=36.500391,112.328854&spn=0.062786,0.084972&t=k でしょうか?銅テイは。まったくの山の中ですが。
>『史記』の「曹相国世家」では「趙相国軍於?東,大破之,斬夏悦」とあり、
なるほど。曹相国世家ですか。手元にないので見てませんでした。これはもっともですね。
少なくとも、代軍との戦闘は太原のある盆地で行われた。これは必然だとは思いましたが、
証拠がなかったのでどうしたものかと思っていたのですが、この曹相国世家の記述で裏が取れました。
この後の、韓信軍の進軍経路は楡次から東に入って、陽泉付近を経由して井ケイに抜けるというのがもっともありそうです。
さて、問題は太原郡がどこに属する領地だったのか・・・ですが、淮陰侯列傳には、『漢王遣張耳與信倶,引兵東,北撃趙、代.』となっていて、漢王が趙・代の討伐を命じています。
しかし、ご指摘のとおり代は遠すぎるので、この時点での代を撃てという命令は、どうも不自然に思われます。
このことと、実際の戦闘が太原郡で行われたということを考え合わせると、漢軍が西魏を下した時点では太原一帯は代の領域ではなかったかと思うのです。
この盆地そのものが代であったのか、あるいは、大行山脈の外側ぐるっと代の領域であったかはわかりませんが。
こういう考えと言うのは、突飛過ぎますでしょうか?
北撃趙(王歇)、代(王陳余)
>>215 申し訳ないけど、それは成立しないと思います。
もし『漢王遣張耳與信倶,引兵東,北撃趙、代』が、趙王と代王を撃つという意味であるとしたら、
太原を制圧した後でも代王はまだ生きていますから命令はまだ有効なはずで、
それならばその後の、『信與張耳以兵數萬,欲東下井ケイ撃趙.』は“撃趙代”でなければつじつまがあいません。
太原の制圧以後、代が消えてしまうことから、代を撃つという命令は太原制圧で果たされたと見るべきではないでしょうか?
欲東下井ケイ撃趙←地名
218 :
あやめ ◆C0.O2CxIMg :2006/03/08(水) 00:34:04 0
沁は現在は長治市を構成する縣となっているようです。
和順縣の閼與は戦國時代には韓魏趙の交錯する要衝の地で、韓の本土と上黨を連絡する咽喉に当り、
後に趙の属地になりますが、秦がこれを攻めたので趙王に救援を命じられた廉頗が尻ごみしたのを、
趙奢が買って出て秦軍を退けたので、馬服君に封ぜられたということが「史記」の「廉頗傳」に見えます。
>>218 >沁は現在は長治市を構成する縣となっているようです。
はい。
>>214の泌県は長治市だと思います。長治の西があの長平ですね。
>和順縣の閼與は戦國時代には韓魏趙の交錯する要衝の地で、韓の本土と上黨を連絡する咽喉に当り、
ますますわからなくなりました。韓本国って、上党の南ですよね?
>>210の和順や、『邯鄲と晋陽を直線で結んだちょうど中間』(
>>214)は、上党の北で趙との
境界近くに位置しているはずです。何かが違っています・・・・・
調べていたら、3っつ目の閼與が出てきました。
洛州武安県の西南50里だそうですが、これはたぶん邯鄲のすぐそば。
結局、古くから趙奢が秦を破った地と伝えられる閼與は3ヶ所あって、
どれが本当かわからないっていうのが結論みたいです。
念のため、秦本紀の註。
正義閼,於達反.與音預.閼與聚城一名烏蘇城,在[シ路]州銅[革是]縣西北二十里,趙奢破秦軍處.
又儀州和順縣■古閼與城,亦云趙奢破秦軍處.然儀州與[シ路]州相近,二所未詳.
又閼與山在洛州武安縣西南五十里,趙奢拒秦軍於閼與,■山北也.
按:閼與山在武安故城西南,又近武安故城,蓋儀州是所封故地.
夏説が切られた閼與については、銅テイ県西北20里という注だけなので、
こっちは、これでいいのではないかと思います。。。
222 :
世界@名無史さん:2006/03/27(月) 11:00:24 0
hosyu
223 :
世界@名無史さん:2006/03/27(月) 11:15:24 0
224 :
世界@名無史さん:2006/03/27(月) 11:29:42 0
225 :
世界@名無史さん:2006/03/27(月) 11:36:55 0
これはいいものを。多謝です。
227 :
世界@名無史さん:2006/04/14(金) 01:33:12 0
ライブドア堀江が獄中で史記を読んでるらしい。
司馬遷に我が身を準えてるのだろうか?
まあ、貨殖列伝に載せたいキャラではあるがなw
というか、「史記」なんて読むまでも無くわかってた事だし、読めば歴然なんだが、
堀江とライブドアの凋落に驚いてる奴らが多すぎて呆れた。
歴史を学ぶ意義ってこういう時にこそあるんだが、今の日本人はもうダメなんかね。
>>228 そういうことは事が起きてから言うもんじゃないよ。
ただの後出しじゃんけんじゃん。
起る前に言えば電波扱い
起きた後だと後出しじゃんけん
この手合いが多いよな
231 :
世界@名無史さん:2006/04/14(金) 16:44:14 0
>歴史を学ぶ意義ってこういう時にこそあるんだが
前世紀の遺物みたいな人だな。現代では史学というのは過去の体系的認識以上に、
鑑戒や指針にしたりってのは雑誌プレディデントの役割だろう。
目前の現実を理性的に分析することこそ将来に向かって有効な対応だ。
>>230 わざわざ誇示する必要そのものがないんだよ。
>>230 電波を言われることを恐れる程度の自信しかもてない程度なら、
>>228程度のことが頭にあったヤツはいくらでもいるよ。
口に出さなかったけど・・・ってヤツはめずらしくない。
批判を恐れずに自分の予測を信じて実行するのが難しいんじゃねぇか。
お前は史記に登場する人物の偉大さを理解していない。
破滅したとはいえ実行力を持っていたホリエモン
>>>>>>>>>>>>電波呼ばわりを恐れずにホリエモンの破滅を予言した人(ただし、電波呼ばわりされようと2chでなら匿名だし実質被害ゼロで実行力なんて必要ない)
>>>>>>>>>>>>後だしでしかモノを言えない228
236 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 09:53:13 0
季布について語りたい。
>>236 嘘ついちゃいけません
約束は守りましょう
給食は残さない
238 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 19:29:54 0
堀江保釈らしいな・・・
宮刑食らわせてやれば良かったのに。
239 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 19:58:58 O
滑稽列伝
240 :
世界@名無史さん:2006/04/26(水) 21:49:41 0
太史公曰く。保釈金3億も払うなら株主に還元しろやブタ!
241 :
世界@名無史さん:2006/04/27(木) 23:07:36 0
242 :
世界@名無史さん:2006/04/28(金) 08:01:04 0
史記列伝を毎日読み進めていたから、少し驚かされるニュース
243 :
世界@名無史さん:2006/04/28(金) 23:07:59 0
こんなブタを出演争奪ってホントマスコミって下司だよな。
もうTVに映して好き放題いわせんなよ!
244 :
世界@名無史さん:2006/04/29(土) 13:14:34 0
呉楚七国の乱は東の国のほとんどが反旗を翻してるのな。
東南の国というイメージだったが。
245 :
世界@名無史さん:2006/04/29(土) 13:34:03 0
今の時代に司馬遷がいたらどんな歴史書を書くかなあ・・・
246 :
世界@名無史さん:2006/05/01(月) 00:50:57 0
李広が好き
248 :
世界@名無史さん:2006/05/01(月) 04:42:35 0
堀江はバカマスコミが視聴率の為に騒ぎ立てるから
人気者と勘違いするんだよな。
つか、裁判控えてるのにTV出演とかする訳ないよな。
弁護士からも釘刺されてるだろうし。
ヤツは武帝を誑かした方士の類だろう。
249 :
世界@名無史さん:2006/05/14(日) 23:42:39 0
そこで酷吏列伝ですよ。
250 :
世界@名無史さん:2006/05/15(月) 22:47:53 0
史記を読破って史学専攻の俺でも挫折したぞ。
堀江ごときに読破できるもんなのか?
列伝だけ
252 :
世界@名無史さん:2006/05/16(火) 00:42:02 0
>>250 別に漢文で読んでるんじゃなくて、現代日本語訳でしょ。
現代日本語訳なら、俺は中高生の時、読破したよ。
亀策列伝は読まなかったから、読破じゃないかな。
253 :
世界@名無史さん:2006/05/16(火) 02:56:27 0
中高生の時って・・・
堀江は2〜3ヶ月で読破だぞ。
しかも史記だけじゃなく200冊とかじゃなかったか?
最近出た徳間文庫のとか?
あれは全訳じゃなかった希ガス。
255 :
世界@名無史さん:2006/05/26(金) 04:33:11 0
しかし、見てきたように書いてるよなあ。
高祖が黥布を足洗いながら謁見したトコなんて
誰が記録したんだw
>しかし、見てきたように書いてるよなあ。
>誰が記録したんだw
と感じることはあるけど
>高祖が黥布を足洗いながら謁見したトコ
を例に挙げたやつは初めてみた。
257 :
世界@名無史さん:2006/05/27(土) 18:18:56 0
イヤ、普通漢の史官なら
上見黥布
とか記すだけだろ。
何故足を洗わせながらと余計な事まで記述したかだよ。
258 :
世界@名無史さん:2006/06/11(日) 20:56:45 0
貨殖列伝に
堀江・村上伝を立てたいな。
259 :
世界@名無史さん:2006/06/24(土) 19:53:11 0
大史公ならこの二人にはかなり辛らつな表現使うな。
260 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 02:30:54 0
「堀江貴文が近鉄の買収に名乗り出た時、民衆はこぞって彼の辣腕を讃えた。
また、ニッポン放送買収や総選挙立候補に及んでその名声は衰えるところを知らなかった。
しかしながら証券取引法違反のため、ついにその名声を保つことが出来なかった。故に堀江貴文列伝を作る−太史公自序」
261 :
世界@名無史さん:2006/06/26(月) 14:49:13 0
村上列伝もよろしく。
「堀江貴文が阪神の買収に名乗り出た時、大阪の民衆はこぞって彼の辣腕を誹謗した。
また、阪急へのTOBに応じるや否やに及んでその誹謗は衰えるところを知らなかった。
しかしながら内部の人間でもないのにインサイダーとされた証券取引法違反のため、ついにその名声を保つことが出来なかった。
故に村上義清列伝を作る−太史公自序」
263 :
世界@名無史さん:2006/07/05(水) 04:41:09 0
村上義清列伝
戸石崩れかよ!
265 :
世界@名無史さん:2006/07/06(木) 00:10:40 0
>堀江貴文が阪神の買収に
変え忘れ・・・
266 :
世界@名無史さん:2006/07/23(日) 01:23:10 0
>>1 「その壱」ということは続編も目指しているのかね?
267 :
世界@名無史さん:2006/07/29(土) 17:06:52 0
司馬遷って大旅行家だよな。
当時の人であれだけ旅した人間は張騫くらいしか見当たらなくない?
それだけさせてあげたパパンも偉い
ああ、いい選手だったね。ジャン・ピエール・パパン。
>267
それは中国の人限定?
西の方ではアレクサンドロスはじめ、
人がバンバン長距離移動してたわけだが。
巴蜀王朝の世家がないのは、あそこが独特の文化圏で外国扱いだったからかな?
長距離移動だけで言うんなら
そりゃ戦乱期の武将は物凄い距離を移動してるだろうよ
韓信とか中国全体をぐるりと一周半ぐらいしてるんじゃないか
>>270 征服のための移動と、個人的な旅行を一緒にするなよ。
しかも、個人のものとして記録に残っているかどうかも問題。
そういう意味では張騫も別として考えるべきだ。
中国限定だと思ったから書かなかったが、ヘロドトスとか
イブン・バットゥータを忘れるな。
>>275 もうなんでもありだな。
俺の友達は世界一周旅行にいったぞw
ソロンも結構な旅行家だぞ
司馬遷を「当代随一の旅行者」なんて切り口で
持ち上げるから無理が出る。司馬遷が偉大なのは
そんな部分じゃないだろ。
279 :
世界@名無史さん:2006/08/07(月) 02:43:52 0
いらっしゃい!お客さんご注文は何にしますか?
メニュー
・太公のスープ
・レキ食其の唐揚げ
・彭越のタタキ
・戚夫人のお造り
280 :
劉邦:2006/08/07(月) 18:29:13 0
>>279 我が父を煮るなら、その肉羹を一杯わけてくれ。
281 :
世界@名無史さん:2006/08/22(火) 22:03:28 0
age
( ゚Д゚)
283 :
世界@名無史さん:2006/09/14(木) 12:55:46 0
あげ
『史記』は褚少孫という人がでっちあげた偽書です。
騙されてはいけません。
班固の親父の班彪がこの偽書を持ち上げたために変に有名になってしまいました。
ほんらいは正史に列することも恥ずかしいデタラメ三昧な書物です。
285 :
世界@名無史さん:2006/10/05(木) 07:58:20 0
『史記』の時代に対応する地図帳や図版のようなものがあれば紹介してほしい。
286 :
世界@名無史さん:2006/10/11(水) 00:11:01 0
287 :
世界@名無史さん:2006/10/14(土) 10:08:39 0
288 :
世界@名無史さん:2006/11/06(月) 18:51:25 0
太史公って丞相よりえらいの?
289 :
世界@名無史さん:2006/11/07(火) 18:44:58 O
そんなこたぁない。
丞相>>>>大史公
290 :
世界@名無史さん:2006/11/07(火) 18:56:16 0
丞相に就く=人臣を極める
291 :
世界@名無史さん:2006/11/11(土) 01:29:11 0
集解如淳曰:漢儀注太史公,武帝置,位在丞相上.
とある訳だが・・・
292 :
世界@名無史さん:2006/11/11(土) 06:15:18 O
司馬遷は宮刑の前には父司馬談と同じ太史令(史官の長)になっていた。
宮刑後、恩赦で中書令(内廷の秘書長官)になった。
太史公とは太史令だった司馬遷の自称であり、司馬遷本人を意味する。
中書令は晩年の武帝が内廷に引きこもりがちなったことから、内廷で政務の奏上・決裁・伝達をする為に新設された。
宦官である司馬遷は、内廷に出入りするのに支障がなかった為、中書令に任じられたわけだが、結果的に武帝の側近となり実質的に宰相並の実権を持つようになった。
宦官が宮刑になるわけないじゃん。
>>292はネタってことでおk?
あ、宮刑後か・・・
295 :
世界@名無史さん:2006/11/11(土) 12:58:51 0
位在丞相上は中書令ではなく太史公(官名)のことだよ。
武帝が司馬遷を置く訳ないし。
296 :
世界@名無史さん:2006/11/11(土) 16:05:11 O
『史記 1 覇者の条件』 市川宏+杉本達夫訳(徳間文庫)より一部引用
(宮刑から)
二年後、大赦令によって出獄した司馬遷は、一転して中書令(内廷の秘書長官)に取り立てられた。
それは、武帝が寄る年波には勝てず内廷に引きこもりがちになったことから新設されたポストで、
政務を奏上し決裁を伝達するという、実質上の宰相にも相当する要職であって、内廷に出入りを許される男子は、去勢された者に限っていたため、司馬遷に白羽の矢が立ったわけだった。
(中略)
『史記』は、百三十巻におよぶ膨大な著作である。
司馬遷自身は、これを『太史公書』と名付けた(『史記』と称されるようになったのは、三国時代以降のことである)。
“太史公”とは、太史令だった司馬遷の自称であるから、この書名は、“太史令司馬遷の著書”といった程度の意味である。
黄帝者
299 :
世界@名無史さん:2006/12/22(金) 22:08:23 0
質問
横山マンガでボクトツの活躍が
書かれているのは、第何巻くらいですか?
本屋で探すときの目安として。
ホリエモンねたで盛り上がる史記スレ(´・ω・`)
301 :
世界@名無史さん:2007/03/04(日) 19:40:26 0
史記って最近の若者は読んでるのかな?
歴史オタしか読まないか。
>>301 さすがに原書から入る人は少ないでしょう
(何せ世界史履修する人が激減のご時勢じゃなお更)
抜粋本や横山光輝のマンガから入る人ならそこそこ居るでしょう。
昔だって、どれだけの人が読んでたのやら。
安直に「最近の若者は」って言うのはイクナイ
横山史記を読んでる分だけ昔より多い気が汁
305 :
世界@名無史さん:2007/03/07(水) 17:15:30 0
結局越ってどうなったの?
教科書みるといつの間にか楚になっててびっくりした。
306 :
世界@名無史さん:2007/03/07(水) 19:58:18 0
紀元前330年頃に楚の威王が滅ぼした。
漢建国の頃、王族の子孫がいて東越王になった。
307 :
305:2007/03/17(土) 03:45:16 0
>>306 どうもありがとうございます!
中国の古典は暗記するほど読み込む価値がある読み物だと思った。
普遍的な実用書だなぁとおもたよ。
論語とか孫子の兵法とかもっと教育現場にとりいれるべきじゃない?
そうだ!ついでに西周の祭祀も学校で必修にしよう。
給食は祭祀で使った祭肉を配るのだ。教壇は南面させて。
にしあまねも祭られるぐらい偉くなったか
310 :
世界@名無史さん:2007/03/22(木) 23:32:04 0
史記、孫子、韓非子あたりは中高生の必修にするといいと常々思っている
三国志好きなのが多いからか授業でちょっと話をすると食いつきがとてもいい
とくに史記
311 :
世界@名無史さん:2007/03/23(金) 00:01:51 0
三国志と史記ってそんなかぶってるか?
皇帝が劉氏なのが同じくらいじゃね?
312 :
世界@名無史さん:2007/03/23(金) 01:26:29 0
史記と三国志はかぶらんだろ。国名とかか?
てか三国志好きな中高生って多いのか?
そりゃあ他の中国史よりは面白いだろうし知ってる中高生も多いだろうけど。
漢文でやるのは難しい、世界史でやるにはマニアック。
食いつきが良くても小学校社会じゃないんだから三戦ばっかりできんわな。
313 :
世界@名無史さん:2007/03/23(金) 09:50:33 0
自分の周りでは三国志好きな中高生が多いんだがなぁ
なぜかはわからんがよく知ってる奴が多い
呂布とか張遼とかが人気ある
姜維が好きだっていう女子高生もいる
諸葛亮が尊敬してた楽毅とか、曹操が編纂した孫子とか結構興味を持つみたい
後漢末まで数種伝わっていたテクストを(最近見つかった竹簡孫子はこの中のひとつ),曹操が十三巻に編纂しなおして注釈を付けたんだよ.
これが「魏武帝註孫子」で、現在孫子と言うとこれのこと。
司馬遷って武帝に去勢されたよね