1 :
世界@名無史さん :
03/11/27 04:59 だよね?
2 :
世界@名無史さん :03/11/27 05:03
はいはい。2GET
3 :
世界@名無史さん :03/11/27 05:32
華僑ならぬ日橋がいれば。
sage
チョンマゲが世界の常識になっていた!! 黒人はチョンマゲできないのか? いつまでも奴隷のままか・・・
事大主義が無ければ朝鮮は世界を制覇していた 中華思想が無ければ中国は世界を制覇していた 冬将軍が無ければナポレオンは世界を制覇していた WWEが無ければ新日本プロレスは世界を制覇していた 任天堂とSONYが無ければセガは世界を制覇していた
アイヌ王国と日本皇国が日本帝国作るトンデモ下層戦記もどき ならネットで読んだことがある。 鎖国してたけどアイヌが露払いしてくれて維新後日本が中心に なるというやつ。
こういうのを典型的な希望的観測という。
包茎で無ければ俺は世界を制覇していた
落合信彦に3分で敗れ無ければブルース・リーは世界を制覇していた
このスレッドを立ててしまうほど低脳でなければ
>>1 は世界を制覇していた
日本が無ければ1920年代に朝鮮は高度成長し宇宙開発が行われた
14 :
世界@名無史さん :03/12/10 00:19
いや無理でしょう。どうせ1の釣りスレだと思うがあえて カキコすると日本が単純に海外進出するだけだと欧州列強と 競り負けて、オスマントルコの二の舞に近い状況に 陥っていたろう。基本的に体制順応で保守主義の強い島国農耕 民族が基本の日本が産業革命に出遅れて史実と大差ない状況に なったかもね。 ただその場合多少は島国根性が是正されてたろうが。
>>1 の希望通り、思いっきり希望的観測をするが
鎖国が無かったら東南アジアに植民地を作りまくるぐらいは出来たかも知れぬ
だが、そういう海外からの収入に頼った国は衰退も早いんだよもん。スペインは今は一流国だろうか?
今の日本の繁栄があるのは、江戸時代に鎖国をして内政を頑張ってたおかげだと知れ。
16 :
世界@名無史さん :03/12/19 02:29
んじゃ否定的観測の方を。 徳川幕府が鎖国政策を取った理由の一つには支配下に置いた大名が貿易で勢力を回復するのを 防止するという意味を持っていたので、鎖国政策が取られなかったとしたら幕府はあっという間に分解。 日本はいつまでも統一状態を作れず、江戸期に起きた経済発展や技術発達も無くアフガニスタン状態。 ってな可能性も・・・。そこまで酷くはならんかな。
17 :
世界@名無史さん :03/12/19 13:39
>>16 内戦で荒廃してしまう可能性もあるけど、
戦国期が再び来て、やがて再統一という可能性も。
再統一時にどういう政体になっているかは、不明ですけど。
内戦に諸外国の干渉の危険性とかある?
19 :
世界@名無史さん :03/12/19 15:33
その代わり異民族が大量に日本住んでると思うよ
スエズ運河・パナマ運河が建設され、蒸気船が発達し、 鉄道で大西洋岸と太平洋岸が鉄道で連結される…… といった発展段階になるまでは、太平洋沿岸では、 欧州全部を合わせたよりも日本の方が有利だ。 本格的に日本が海外進出していたら、南北アメリカの太平洋岸、 オーストラリア・ニュージーランドくらいまでは日本の植民地にできただろう。 その場合、太平洋は「日本洋」と呼ばれることになったかもしれない。
21 :
世界@名無史さん :04/01/25 23:02
本土は多民族国家になっていたかもな。
22 :
世界@名無史さん :04/01/25 23:08
>>17 既に戦国期でさえ、列強の植民地が九州に出来つつあったのに。。。
再び戦国なら、西日本ぐらいはキリスト教化してかもね。
23 :
世界@名無史さん :04/01/25 23:23
キリスト教化がなんで植民地化になるだよ(w 大友は九州をキリスト教王国にしようとしたが、スペイン王に支配されていたわけではない。
24 :
世界@名無史さん :04/01/25 23:29
1が本当なのか検証するにはシュミレーションをするしかない。 鎖国をしなかった場合、日本は琉球、台湾、フィリピン、パプアニューギニア、オーストラリア、ニュージーランドまで進出した可能性は高い。 日本に対抗できる国家が存在しないからだ。 北は北海道、北方四島、アリューシャン列島、アラスカをえてアメリカ西海岸へ進出できただろう。 太平洋沿岸の北部には日本しか国家がなかったからだ。 当時のシベリア極東地方には女真族がいたので征服は無理だが、19世紀あたりにはロシアが支配したように完全に日本の植民地になった可能性が高い。
25 :
世界@名無史さん :04/01/25 23:35
鎖国をしなかった場合、日本が内乱に陥った可能性は高い。 しかし応仁の乱以後の戦国時代のようなカオス状態にはならなかった可能性が高い。 徳川幕府初期の段階で兵農分離が成立し、社会としても国家としても統一性が強固になった。 もはや秀吉のような農民あがりの人間が天下を取れる時代ではなくなっていた。 信長のような一地方の大名が天下布武できるような時代ではなくなっていた。 そうなると、徳川政権は崩壊したとしても、日本の統一性がなくなる可能性は低い。 豊臣政権が崩壊しても明治維新によって徳川政権が崩壊しても統一性が失われなかったのと同じ状況になったのではないか。 新しい新政府のもとで海外発展が継続されれば日本はイギリスと同じように海洋帝国を作ることができただろう
26 :
世界@名無史さん :04/01/25 23:43
>>23 長崎が正真正銘、スペインの植民地になってた話は知らない?
秀吉がそれをみてキリスト教の禁止を決意したそうな。
27 :
Ryuju ◆RlujhF6VrA :04/01/26 00:07
少なくとも当時の国際情勢からして、オランダにはめられて 鎖国した面は相当あると思う。 だって1620〜30年代ってドイツ三十年戦争の最中だし。 40年代には+清教徒革命。中国も明清の交代期。 どこに日本を侵略する余力のある国があるというのか。 貿易で大名が利益を得るのが怖ければ、幕府の直轄事業にすればいい。 で、もしこのタイミングで鎖国をしていなければ、 少なくとも大砲の国産程度は実現していたろう。 島原の乱で使われたのはオランダでなく国産の大砲だったかも。
17世紀末に英国が交易再開を求めて来た時には英国王と葡萄牙王女 の婚姻をちくって幕府側の心証が悪くなるようにしむけたようです。 その後のロシア側との折衝でも暗躍していたようですが、幕末には逆 にオランダ国王から開国を求めたのはご存知の通り。
29 :
世界@名無史さん :04/01/26 00:34
1の言うことは正しいと言うことでよろしいか?
鎖国してなかったら、日本は100年は進んでいただろうな。 江戸時代は日本史上最も停滞していた時代だし、 内戦が起っても問題なし、というか内戦マンセーだな。
釣りにしても下手過ぎます。
ただ江戸時代って同時代の西洋に比較するとそれほど悪い時代じゃないよね。 科学技術や法体系だけは大きく水をあけられてしまったけれど。 確かに江戸時代は封建制特有のダメな所も沢山あったが、本当に駄目な時代だったら 明治の凄まじい発展は絶対にありえなかったな。 特に一文の得にもならん不毛な対外戦争がなかったのがデカイと思う。
駄目な時代だったから、明治期にかなり無理をしなければならなかったのだが。
幕末の訪日デンマーク人のステンセルの本なんか見ると 江戸時代の人って結構マトモだったんだなぁって感心するね。 ステンセル自身も言ってるけど、意外に思考が近代的なんだよ。 ステンセルは当時の人間にしてはかなり偏見のない観察をした人なんだけど、 客観的に見て中国・韓国と日本は全然違うと言っている。 「この国には下地がある。日本の科学力や軍事力、特に海軍力は、今は幼児期ではあるが 今後数年から数十年で類を見ない程急激に発展するだろう」と的確な批評もしている。 実際に竜骨もない船使ってた日本が80年後には大和やら瑞鶴(←正規空母)を建造してるんだから よく考えたらスゲーよな。
勤労意欲に価値を見出し、現世を肯定する信仰の存在が日本の近代化 を助けたといいますが、おそらくあたっているでしょうね。
>>33 うーん釣りだろうが一応言っておくよ。
たしかに日本は貧乏国家で発展の為にかなりの無理をしたが、
19世紀〜20世紀前半の国で日本並みの無理をしなかった国なんてほとんどない。
大体あの時代に比較的恵まれてたのはフランス・イギリス・アメリカの
一握りの都市の金持ちだけで残りは重労働・圧制・経済破綻・流血革命の歴史。
あまり知られていないが、20世紀初頭のイギリスの下位30%ほどの市民は、
平均して一日に16時間も働かねばならなかった。しかも10歳以下の子供も工場等で
容赦なく酷使されていた。これは実は当時の日本よりひどい。モームの小説なんか読んでも
下層階級の悲惨な庶民(と一握りの金持ち)が山程出てくるだろ。
フランスも酷い。帝政ドイツ、帝政ロシア、共産ソ連はもっと酷い。
>>33 の意見はちょっと視野狭すぎだな。
20世紀前半までで本当に豊かだったのはアメリカだけなんだよ。 国土が広く、血みどろの対外戦争も経験せず、第一次世界大戦ではおいしい所だけを GETしたからね。 大英帝国は20世紀初頭には既に落陽の兆しが見えていたし、実際の社会事情は上記のとおり。 フランスも19世紀中頃こそ経済・芸術で我が世の春を謳歌したが、あい続く大規模国家戦争で 20世紀初頭にはやはりボロボロの状態。
鎖国うんぬんよりも、戦争がなくなった事が停滞の原因か? 鎖国しなくても周りが鎖国じゃ戦争できないし 戦国時代に人口2倍、GNP3倍とかなったらしいけど、 ヨーロッパみたいに戦争ばかししていてもやだし、 平和な時代があったのに追いついて植民地化されず かつ今も平和ってのはすごいことだ
>勤労意欲に価値を見出し ってマッカーサーが言ってたらしいね 俺自身実際なんか働いてないとダメなんだけど 日本人がやたら掃除好きだったり、 古いけど伊勢神宮とか毎回立て替えたりして 今でも不動産作りすぎたりとか なにからできた価値観なのかな
まあ戦争って言っても戦国時代の戦争と西洋の戦争は全然違うからね。 戦国時代の戦争は実際にはあんま人死ななかったけど、西洋の戦争は イタリアの都市戦争や貴族の出来レース合戦を除けばまさに虐殺戦争。 ドイツなんかは長々と戦争の舞台になったために極度の停滞に陥った。 いくら科学技術が発展するって言っても、国民の6人に1人が戦争で死亡して人口が 3分の1に(ドイツ)とか、国民の15人に1人が戦死(スイス)なんて国はいやづら。 飢饉でン百万人が餓死(愛蘭)とかな。それでは何のための発展かワカランよ。 ちなみに江戸時代の日本は科学は遅れてたが農業は非常に進んでた。 1haあたりの収穫量は、主作物が小麦でなく米(米は収量が高い優秀な穀物)なのを 差し引いても西洋に比較して異様に高かったはず。 肥料(魚を肥料に使うような贅沢なマネを・・・)や農具の質が非常に高かったためだ。
>>36 釣りじゃないよ。
江戸時代は中期以降は人口も増えず、(寒冷化などの影響もあるが)
食料生産を始め多くのものが停滞した時代だった、
明治以降大発展を遂げたのは、それだけ明治政府の高官が有能であることと、
それだけ無茶をしただけ。
アジア的停滞とか言う言葉あるけど、明できたくらいから 戦争無駄だなって気づいてたんじゃないかな、 中華思想だってむやみに戦争しない思想ともとれるし 勝手に戦争して植民地争ってっていうのはヨーロッパが貧しいバカだったからデス っていうことにはならないかな
近世〜近代で発達した国家ってどこよ? エゲレスとかフランスなんだろうけど、正直産業革命や国家戦争や植民地搾取で 科学・経済だけが肥大化したって印象なんだが。それも18世紀以降急激に。 上で出てるけど、俺らは西洋というとアッパークラスしか見ないけど 西洋の一般庶民ってかなり悲惨だったんだろ?
初期資本主義は本当に悲惨です。 だからこそ共産主義が生まれてきた。
45 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/01/26 19:29
>>39 勤労を美徳とする価値観は各分野に所属する神仏への信仰やそれらの「道」
を賞賛する向き(技術者の職人技を重視すること)がまずあったと思われます。
ただ原因はともかくとして戦国期頃から「天道に顔を向け、正しく仕事をして
いればよい報いがある」という「良識」が出て来るようになったらしく特に町
人の家訓にはよく見る事が出来ます。
「何の事業も皆仏行なり」といった禅僧の発言やあらかじめ生前に救われている
とされた浄土・法華信者らの積極的な行動もこうした時代に活きて来たもので、
近世に活躍した近江商人はほとんどが真宗門徒でした。
>>41 3000万人まで増えた時点で日本列島では養いきれなくなったというだけでし
ょう。寧ろそれまでは順調に増加しています。
それと歴史は個人(「英雄」と言い換えてもいい)で動かせるものではありません。
有能さは認めますが、そうした人々と国の下地はすでに出来ていたと考えるべきです。
西洋が技術的な進歩の1つに、周辺諸国の文化や技術をパクリ合っていた事がある。 日本の周辺諸国は儒教思想で停滞してしまった、中国と朝鮮だけ。 どう頑張ってもムリポ。 戦争がない200数十年を遅れただけでも、幸せだよ。 当時の国々で、江戸庶民ほど恵まれていた庶民はいないと思う。
47 :
世界@名無史さん :04/01/26 20:12
まぁ、鉄砲の保有量は多かったし、鉄砲の威力は弩より低いって よく言われるけど、貫通力はともかく破壊力は高かったからね。 (ただの鉛球だからダムダム弾のような効果を出した。) 戦場ではそれなりに強力な軍隊だったろうけど、硝石のほとんどが 輸入じゃねぇ・・・・。人海戦術には勝てなくて、新興の清(満州)と いずれはぶつかって大陸から追い出されてそれで終了なんじゃないの? それか、大陸をすっぱり無視して南洋にだけ進出して、山田長政 みたいな半独立勢力を大量につくってるとか。
つーか、ペリーみたいな強固な開国嘆願野郎が100年早く来てたらなぁ。 (この場合、ラクスマンとかレザノフは強固とは言わないよ。 結局日本を力で開国させることはできなかったんだから) 日本から北の領域は占領してただろうなぁ。。。
なんだか意外にまともなスレ展開になって来たな
>>41 >3000万人まで増えた時点で日本列島では養いきれなくなったというだけでし
ょう。
違いますな、西国は順調に増えつづけていますが、東国(東北と特に北関東)が停滞ないし減少しています。
そもそも明治以後急激に収穫量が増加しています。
>それと歴史は個人(「英雄」と言い換えてもいい)で動かせるものではありません。
個人ではなく、幕藩体制というシステム的な欠陥が原因です。
例えば参勤交代や江戸滞在、普請などにより、諸藩に莫大な出費を強いて、諸藩の領内経営を悪化させたのが代表でしょうか。
江戸や街道はそれにより潤いましたが、地方の諸藩は財政悪化により二進も三進もいかなくなりました。
西南雄藩の中には、なんとか再建できた藩もありましたが、小藩や東国の諸藩の多くはどうしようもなかったですね。
>>50 こちらから反論するだけのソースを提示出来ませんので・・・とりあえず失礼
しました。ところで北日本の人口が減少を続けた理由や、その後増加した理由
はなんだとお考えですか。
>>51 速水氏や鬼頭氏の孫引きもあるが、
減った理由
まず気候、寒冷化がやっぱ一番の原因、そして元々そのころの米は米作に適してしない地域だったのがそれに拍車をかけた。
それが西日本も打撃を受けたが、東国ほど酷くはなかった要因。
すでに述べた江戸幕府の体制的な問題、その結果困窮した諸藩が米の飢餓移出をし、餓死者を出してしまった。
付け加えるなら、江戸との物価の差などにより、関東近郊の人が江戸に出て、移動という形で減ったものもある。
(北関東の人口の減少が著しいのはそれが最大の理由と個人的に判断している)
増えた理由
気候には大きな変動はない(というか未だに区分的には寒冷期なんです、そろそろ終るみたいですが)
ですから体制の崩壊が大きいでしょうな、公共事業を積極的に行っており特に水利灌漑の整備が大きい。
その結果収穫量が比較的安定した水稲の作付け面積が増えていきました。
明治期以降の東北の地主層が経営に積極的だったのも大きいかもしれません、
俗に寄生地主と言われる畿内型はどうしようもありませんでしたが、
東北型と呼ばれる地主達は、経営に必至で新式の農法などをつくり、収穫量の増加に努めました。
他には、単純に戸籍や検地の徹底により、増加分がすぐに記録できたというのもあるでしょう。
減った理由の方は、歴史人口学関係、増えた理由の方は、明治以降の農業史や地主関係を参考にしてます。
お手数をおかけしました。そういえば東北の飢饉が悪化した原因は芋作を無理 矢理米作に移行させた事が原因だという説がありましたね。
もうちょっと詳しく説明したかったのですが、参考資料をもう図書館に帰してしまったので、
うろ覚えなんです、借りたのも何年も前ですし。
>>53 米の商品化は大きいですね、日本統治下朝鮮でも似たような事が起きてます、
まあ朝鮮の場合は、満州から代替食物を輸入していましたから、餓死者は出てませんがね。
>>45 勤労を美徳っていうのはある意味知恵なんじゃないかと思う
大友克洋ってマンガ家の大砲の町ってのが、日本を風刺してるんだけど
町全体が大砲を作るためにあって、1日一回儀式として大砲を撃つ。
どこに当たってるかわからないけどみんな満足しちゃってるっていうのなんだけど
でもそれで社会としてみんながうまくいくっていう
56 :
世界@名無史さん :04/01/27 09:26
江戸期に鎖国したのが西国雄藩の交易制限でしょう。 とすると、鎖国せずに海外進出を行った場合、やはり西国雄藩の 資金はかなり苦しいことになるので同じような効果があると思われる。 ここで、仮に南洋方面に軍事的には進出できる能力があったとしよう。 それでも、幕藩体制という体制のままで新規海外領を経営することは 難しい。かと言って獲得地を全て天領とすることも困難だろう。 となると、幕藩体制そのものの変質を経験せねばならない。 この過程で内戦は必至で、絶対王政的な体制に移行できるか否かが 問題となる。天皇制を維持したままで、これは非常に難しいのでは ないだろうか。 あと、海外進出するとしても軍事面で。 武士階級だけで軍事作戦を継続することは動員数からみて困難だろう。 かといって、足軽クラスの半農階層を再び大量に動員する体制になった としても、キリスト教系社会での法王のお墨付きがなければ士気を 維持するのは極めて困難にはならないだろうか。 また、船舶にしても、イスラムが西洋に負けたのと同じく、大砲を積める ようなキールのある大型船舶の生産技術で日本は遅れており、 モルッカ辺りを根拠にしたオランダ海軍が少数でも駆逐できる可能性は 高い。制海権が握れず、輸送失敗による兵員損失が大きくなり、 遠征を強行継続するのであれば、豊臣政権と同じく国内体制で 不協和音が大きくなると思われる。 結局、軍事面を考慮せず進出したとしても内戦、軍事面を検討しても 結局は内戦、ということになるんではなかろうか。
>>55 大砲の町は駄作『メモリーズ』で唯一見る価値のある作品だな。
シニカルな物の見方もイカスし、1カット作品なのも驚異的。
58 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/01/29 22:52
「開国ニッポン(清水義範)」では家光の頃から開国して、かなり経済発展をとげてました。 元禄時代の江戸市中にコーヒー店やアイスクリーム店が並ぶくらいに…。
「鎖国」というのは江戸後期にケンペルの著書が日本語に翻訳されて から生じた言葉・概念であって実際には清・オランダ・琉球・アイヌ 社会との交流があった事から近年は使われていない筈。 それに実際どういう状態を「開国」したものと見做すべきかという問 題もある訳で、もし英国などと交易を続けていたとしても国外にあま りちょっかいは出さずにいてそう変化は無かったかも。
60 :
世界@名無史さん :04/01/30 10:34
どうなんでしょうね。少なくとも日本側から積極的な輸出は行って いなかったわけで、その意味では鎖国といえるんじゃないでしょうか。 自由貿易が実現できていれば、随分と経済状態もかわったはずです。 明治期の主要な輸出品と言える様なものは絹糸だけでしたが、清朝 の創設混乱期で、東アジア産品の輸出が可能な国が日本しかなかった 状況では、木綿や麻の製品も輸出品になりえたはず。それらの 物品を輸出用に大量生産するようになっていれば、日本の産業革命 の発生時期は、かなり早くなったのではないでしょうか。
当時は木綿も生糸も輸出出来るほど生産出来ていなかったといいます が、輸出だけのために大量生産に踏み切ったのでしょうか。 むしろ脅威を除くために面倒な要素は排除して・・・ううん、途中まで なら「鎖国」というのも案外よい手段だった気がします。
これだけ言うのもなんなので。 「開国」するなら田沼時代あたりが良かったかと。
本来の意味での「植民地」なら東南アジアに 室町時代後期からちょろちょろ作ってたんだけどな。
64 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/01/31 10:01
>>60-61 >>58 のでも、江戸初期は綿織物を大量輸入していました。
史実でも後期には、東インド会社の発注で唐津焼をつくったり、
山鉾のために海外発注してますしね。
>>62 やっぱりその時代ですねぇ。
「大江戸ルネッサンス」…。
>>20 >その場合、太平洋は「日本洋」と呼ばれることになったかもしれない。
韓国が文句をつけます。
66 :
世界@名無史さん :04/01/31 22:17
.__,冖__ ,、 __冖__ / // `,-. -、'ヽ' └ァ --'、 〔/ / ,. ‐ ''  ̄ ̄" ‐ ヽ_'_ノ)_ノ `r=_ノ / ゙ ヽ .__,冖__ ,、 ,へ / ,ィ ,-―'`ヽ `,-. -、'ヽ' く <´ 7_// ,ヘ--‐ヽ‐゙へ ヽ、 ヽ_'_ノ)_ノ \> / ,\__,,. ―i ̄ ', '., \ .\ ヾ, n 「 | / i7´ l´ i i i ヽ ヽ .',゙., ll || .,ヘ / i/ .i i i i i ヽ , , ll ヽ二ノ__ { i .l l | l l l l l l ヽ ', i .i l| _| ゙っ  ̄フ .i i i i i .l l .l .l i i l i i |l (,・_,゙> / .i i i i i i i l_ 、l| i | i i | | .l l ll __,冖__ ,、 > | i_,,,.L.|+‐||ii.l''「,l., ./iト-| ,,|,」|_l .i .| | l .l l l| `,-. -、'ヽ' \ .| | | i,| i,.|.ii ', ゙,ヽ /ii.| / | /レii.l .i l .l .| .| | |l ヽ_'_ノ)_ノ トー .l |ヽl il__ii_i_ i ヾ,/ ノ レ__|/ ii l l /レ | | | ll __,冖__ ,、 | | | .l Or" ̄~~` '" ̄`Ol /l/ .| | l ll `,-. -、'ヽ' i l ト ゙ , 、 .lノ /| |, |, ', |l ヽ_'_ノ)_ノ {l l .lヾ、 ,―-┐ l |/ | | ', l ヾ、 .n. n. n l l l lヽヽ. l l イ /| | l、l ..|! |! |! l i i .l. `' , ヽ___ノ ,. ‐ " / | / | lli .| ヾ ..o o o ,へ l .|、 lヽ .l, ` ‐ ._ ' ヽ|/ | /-| /_ .| / ii / ヽヽl ヽ ヽ l ` ‐ ,_|_,./ |.レ レ ゙| /
67 :
世界@名無史さん :04/02/01 00:02
>>64 その時代はもうだいぶ幕藩体制は解体してたから
大江戸ってイメージはあんま似合わないな。
鎖国していなければ日本が太平洋沿岸は完全に支配していた。 オランダなんか問題にはならない。
69 :
世界@名無史さん :04/02/01 01:51
無ければってのは話にならんな。 イギリスが鎖国してれば大英帝国を作ることも無かっただろうが、そんな事を仮定してどうなる。
オランダはちゃんと義務果たして江戸幕府の高官はヨーロッパ情勢も かなり詳しく把握していたし幕府に従順だった。 日本の銀や銅がオランダのアジア内の貿易の源泉になったことを考えると 惜しい気もするけどその時の最先進国と手を結べたのは悪くもないかな。 大砲の鋳造と船舶技術で並ばないと手が出にくいし17世紀ヨーロッパの 戦争技術の進歩についていくのも大変でしょ。 もはや
秀吉が攻め入らなければ朝鮮は中原を制覇していた。
戦国・江戸期じゃ遅い。平安時代ぐらいに台湾まで欲しい。 多民族帝国は嫌だ。単一民族国家のまま領土が広がるならいいけど。
>>72 畿内以外は化外の地扱いで奄美ですらまだ異国同然だった時代に何を期待し
てらっしゃるのやら。第一メリットがまるでない。
単一民族云々も・・・。
74 :
とてた ◆0Ot7ihccMU :04/02/01 17:24
>>67 ゲームの名前ですから。
>>70 ロシアやイギリスが来た時にも貿易再開できてれば、それなりによかったんだと思いますが。
>>72 遅くない。台湾には政府は出来ていなかったし、海南島と違って中国の領土でもなかった。
台湾を支配しフィリピンにコマを進めるのは大変ではない。
76 :
さりこんぎゃ :04/02/01 21:18
>75 大陸の統治はなんといっても中国をおさえないと成功はない。 フィリピンにむかえば、当然のことながらヨーロッパ を敵にする恐れがある。当時の日本の戦力では太刀打ちできない。 海軍力の差で補給が続かなくなる。
世界を制覇するなんで不可能です。 世界史上、世界に最大級の影響力を持つ、現代のアメリカ合衆国ですら、イラクを 統治できていない。また、ベトナムでも撤退した。日本には不可能です。
78 :
世界@名無史さん :04/02/01 23:19
>を敵にする恐れがある。当時の日本の戦力では太刀打ちできない。 >海軍力の差で補給が続かなくなる。 そりゃ、鎖国していたときの海軍力と比べりゃ勝てないだろうさ。 でも、このスレでは鎖国してなかったら、という前提だろ? そこら辺の分析を示してくれよ。
そういえば佐藤信淵が日本による世界征服計画を練っていましたね。
満州行って、モンゴル人や満州人に日本酒呑ませたら、 彼らが呑んでいる馬乳酒よりはるかに美味だから、簡単に日本に服属する っていったアレですか。
>>80 まあそういった内容のものでした。
蝦夷・東北・北陸勢→満州を東西から挟撃し、満州以北の清国領を制圧
関東勢→まず八丈島に進出し、警備兵を常時1000人以上配置。そこ
を足がかりにして南洋諸島を制圧
九州・山陰勢→朝鮮を制圧
四国勢→フィリピン諸島を制圧
その上で各地に神社・学校を建てて教育し、彼らの中からも官吏を採用すれ
ば自然と治まるであろうと(どっかで聞いたような)。
82 :
世界@名無史さん :04/02/02 01:51
言語と宗教の強制は止めたほうが良いね。反発買うから。
おいおい。鎖国する前から海軍力は勝負できてないじゃん。
>つーか、ペリーみたいな強固な開国嘆願野郎が100年早く来てたらなぁ。 >(この場合、ラクスマンとかレザノフは強固とは言わないよ。 > 結局日本を力で開国させることはできなかったんだから) >日本から北の領域は占領してただろうなぁ。。。 そもそもアメリカ大陸内に侵略する場所がなくなったから 日本に着たんだよ。100年早かったらアメリカ合衆国自体は 東部の13州以外は未開地だったわけだから。 侵略の矛先はアメリカ大陸にむいてたんだがな。
>>83 ・・・・。寛永12年(1635年)に大船建造禁止令(500石以上の軍船禁止)が
出てるけど、当時の幕府が海外進出を目指した場合でも、船舶の大きさを
500石(150tぐらい)に制限すると思う?
>84 アメリカに日本を領土化する意図があったんかい?
>81 もろ大東亜共栄圏ですなw
>>87 佐藤信淵は平田篤胤の門人。島崎藤村の『夜明け前』を引き合いに出すまで
もなく、平田派の思想は明治維新の原動力となっていましたからね。
発想が似ていてもおかしくはない。それでも・・・やはり笑えますね。
89 :
世界@名無史さん :04/02/06 00:21
鎖国する前の海軍力に雲泥の差はなかった。 すくなくとも19世紀の幕末のような悲惨なまでの海軍力の差はなかった。 鎖国しなければ島国という利点を生かしてイギリスのような海軍国家になっていただろう。
90 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/06 00:23
鎖国前にはそもそも「海軍」と呼べそうなものが無かったのでは。
海賊の延長線上だよな。しかもほとんどは沿岸や内海しか行った事の無い。 そんな日本人が東南アジアに繰り出したところで、欧州勢から支配権を 奪い取ることはできんし、華僑から職を横取りすることも出来まい。 傭兵ぐらいしかなりようが無い。
ポルトガルもスペインも外洋に出て行かなければ海軍発達しなかった 日本が鎖国体制を取る明をあきらめて海洋国家になることもできたはず
長崎出島検疫居留地。これがなかったら日本人は伝染病で全滅していた。こきたない 外人の流入を止めるには之しかなかった。施薬院、現代の厚生省の苦肉の策だった。 その扇は「防疫」と「貿易」を願い懸詞でぼうえき。平和になってみんな死にたく なくなり、乳幼児の死亡減少に役立った。今はテレビがあるので厚生省がニュース で鳥インフルエンザ、牛肉の輸入停止他を伝え伝染病の流入を抑えているが当時は これしか方法が無かった。
94 :
世界@名無史さん :04/02/08 17:04
考えてみれば、日本には明治になるまでペストが無かったんだよね。
1石=180リットル(kg)に相当。
>86 ペリーは勝手に、日本の土地に名前を名付けるぐらい傲慢な男だった。 もちろん、日本への領有意欲はあります。(太平洋諸国を参照) ただ、南北戦争で日本に構っていられなくなった。
97 :
世界@名無史さん :04/02/08 17:21
☆日本の貿易先の国々。
◎アジアとの貿易(朱印船貿易)
朱印状という渡航許可証をもつ船が,東南アジアで行った貿易。
朱印船貿易は豊臣秀吉のとき本格的に始まり,徳川家康のころ最盛期をむかえて鎖国までつづいた。
朱印船を送った船主は,島津simadu・鍋島nabesimaなどの九州の大名や,
大阪の末吉、京都の角倉堺・博多・長崎などの大商人が多かった。
朱印船はシャム(タイ)・ルソン(フィリピン)など東南アジア各地に派遣され,
銀・銅・刀剣・いおう・しょうのうなどを輸出し,生糸・絹織物・綿布・スズ・皮革などを輸入した。
朱印船貿易が発展すると,商人・浪人・キリシタン(キリスト教の信徒)などで東南アジアに移住する者がふえ,
アジア各地に日本町が生まれ,その多くは自治制がとられた。
☆貿易関係各国の地図
http://db.gakken.co.jp/jiten/sa/211300.htm
98 :
世界@名無史さん :04/02/08 17:36
世界征服そものに意味はない。 無駄な事。
切支丹禁令。ところがこのタイトル。どこにもない。タイトルは「定め」「条条」 となっている。キリスト教禁止とは書いていない。切支丹とはキリスト教か? ちがう、切支丹とは懸詞です。ひとつは四肢五体を切る、すなわち外科手術の禁止 丹とは薬の末尾です、今は剤を使う。阿片のことを一粒金丹という。すなわち麻薬 の使用禁止です。キリスト教の国の人の持ち込みを禁止したのです。施薬院、現厚生省 の通達です。今鶏を焼却しています。昔は人を焼却したのです。
>99 はい? 何を言ってるんだろう。(´・ω・`)
101 :
世界@名無史さん :04/02/08 18:24
ネット版 トンデモ本の世界 でしょう。 いまはインターネットが発達して、わざわざ本を読まなくても トンデモな文章にお目にかかることはすくなくありません。 もちろん、ご本人は大まじめであり、「キリスト教徒は麻薬を持ち込む 悪党だ」と本気で信じ込んでおられるわけです。それは思想・良心の自由で あって、われわれが口を挟む筋合いのものではありません。 ところが、そういう思想をひとたび文章化して表現の自由のレベルに 持ち込むと、我々にも少しは関係が出てくる場合もあります。 とりわけこうやって実物を目の当たりにすると、なんだか感慨深いものが あります。
現在でも病院では麻薬を使っています。モルヒネです。阿片から抽出します。抽出 とは固形薬剤を溶解で溶かし、有効成分を選び出すことを言います。当時抽出技術 が未熟で副作用が多かったのです。施薬院は禁止したのです。思想、宗教ではなく 粗悪品の使用禁止です。今は精製がよくなり手術のときに安心して使用します。 そこまで至るに200年かかったのです。
>>93 >>99 施薬院なんて、平安時代以降機能していないのでは?
「切支丹」以外にも当て字はありましたし(ヤソ教)、「伴天連」も薬名ですか?
それから、阿片(ケシ)は奈良時代には伝来していたかと。
伴天連というのはパードレといってカソリックの医薬担当の神父のことです。 施薬院は室町幕府において形骸化し、秀吉側近の主侍医全宗、家康時は全宗 の養子宗伯により復活しております。秀吉、全宗共に幼い子を喪う。 消毒薬のない時代何だかの伝染病を船で来た外人が持ち込んだと思われる。 それに対する一連の対策が鎖国です。
切支丹の語源
キリシタンの語源は、ポルトガル語でキリスト教を意味する
「christao」である。
日本には天文18年(1594年)に、フランスシスコ=ザビエルらに
よって伝えられた。
当て字の漢字表記もあり、「吉利支丹」から禁教後には
「鬼理支丹」「切死支丹」などと書かれ、徳川綱吉が将軍になった以降
は、「吉」の字を避け、「切支丹」などと書かれた。
http://gogen-allguide.com/ki/christian.html
丹 タン (漢呉) (なりたち) 鉱石を掘る井戸の形と点とを合わせて、赤い石(丹砂)を井戸から掘り出す ようすをあらわす。 赤い丹砂のことから、「あかい」という意味に使う。 (意味) 1.あかい。赤い色。<(例)丹朱たんしゅ><丹青たんせい> 2.ありのまま。まごころ。<(例)丹誠、丹念> 3.良く練った丸薬。ねりぐすり。<(例)練丹→付・同訓意義(あかい)> 完全な当て字だと思われるが、2番目の意味(ありのまま。まごころ)は、 キリスト教の教義に合っているように思われる。 丹=麻薬は説としては面白いが、意味としては無理がある。
「邪法をつたえしは」と言う文面がある。昔、邪とは伝染病をさす。風邪も邪の文字を 使う。法とはその治療法だ。丹、なんだかの麻薬の入った丸薬だ。一時的に良くなるが 後が怖い。その一連の医療行為の禁止。ヨーロッパではアヘンチンキという薬が一時期 汎用され後日禁止になっている。そのたぐいだと思われる。
で、日本は鎖国しなければ大英帝国になれたと思う?
東アジアは制覇できたかもしれんが、「鎖国が無ければ」というよりは「徳川幕府がなければ」とした方が良い。
>>1 豊臣秀吉は朝鮮征服さえも出来なかったんだよ。日本が世界制覇なんてとてもとても。
111 :
世界@名無史さん :04/02/10 02:05
西洋人に発見されてるが 新大陸はまあフィリピン、オーストラリアと見て 植民地化するか否かの決断させるには 朝鮮、中国との国家の存亡を賭けるような競争がなくちゃいかん。 つーかアジア人は以外と現実的で 好奇心とか夢が少ないのかもしれんとも思いますが関係ないかな
112 :
世界@名無史さん :04/02/10 02:35
鎖国があったため植民地化を免れたという意見はどう考えるんだ?
確かに列強は1600年代の段階ではまだそんなに圧倒的では無かったかもしれんね。
でもキリシタン蜂起が日本でも多発していることを考えれば鎖国してなければ
危なかったかもしれない。
少なくとも江戸幕府の判断としては開国のメリットよりもデメリットのほうが
大きかったんだろう。
>>109 東アジア制覇はきついでしょ。
技術力に大差が無いあの時代なら生産力&人口≒勢力だと思うので、日本が
統一された中国にに勝てる可能性は限りなく低い。しかも島国の民が慣れな
い大陸での戦闘…
目を向けるなら西欧列強、華僑、現地勢力が競合している東南アジアだと思う
>112 妄想。 軍事力も1600年で鎖国して停滞したから、1850年ごろになって「植民地化」 されるほど軍備が貧弱になってたわけでね。 それまでに日本+台湾、東南アジア、フィリピン、インドネシア、オーストラリアを 抑えていたら資源には困らんし、早期にインドあたりでイギリスと戦争になってるだろう。
>113 いや、それは一概には言い切れませんよ その直後に弱体化した明を女真族が倒してるわけで、実際には後少しで明は こけてたふしがある。 秀吉が早世せず、拡大路線が継続していたら、朝鮮半島と明までは制圧でき ていた可能性が結構あると思ってます。 東南アジア、フィリピン、インドネシア、オーストラリアの方が進出しやすかった であろうことはまったく異論ないです。
日本にとって鎖国とはちょうど昆厨のサナギ期のようなもの
戦国の殺伐とした世が終わり、武断派が去り文治派と医者が台頭してくる。職業が 世襲となり乳児の死亡は社会的問題となったのです。伝染病は経済にも打撃を与える。 不特定に入港する外国船の流入の阻止をせざるをえなかったのです。出島はお家賃 年額銀55貫でオランダ東インド会社が落札しました。多額の家賃を払っても採算が とれたのです。交易は安定し、伝染病はこなくなりました。元禄の太平を生んだのです。 今日本は戦後五十数年、インフルエンザで騒いでいます。当時もおんなじだったのです。
戦国の殺伐とした世が終わり、武断派が去り文治派と医者が台頭してくる。職業が 世襲となり乳児の死亡は社会的問題となったのです。伝染病は経済にも打撃を与える。 不特定に入港する外国船の流入の阻止をせざるをえなかったのです。出島はお家賃 年額銀55貫でオランダ東インド会社が落札しました。多額の家賃を払っても採算が とれたのです。交易は安定し、伝染病はこなくなりました。元禄の太平を生んだのです。 今日本は戦後五十数年、インフルエンザで騒いでいます。当時もおんなじだったのです。
>118 貿易の制限は、むしろ商人や各藩が経済的に強くなりすぎないように 意図してなされたと思います。
120 :
世界@名無史さん :04/02/10 13:47
鎖国があったため植民地化を免れるっていうのもありそうだ 当時の日本に西洋ほど積極的な対外政策やる根拠がないし まず鎖国の前提として 家康が布教と貿易をセットでするポルトガルスペインを排除して 貿易だけのオランダを選んだ 家康にはキリスト教が広がると植民地化するかもしれんという考えがあった
出島の完成以後、貿易額は数倍に増えており、当時ヨーロッパで一番安定していた ギルダーとの為替レートも決まり出島乙名の商人は多額の利益を上げており幕府も 税収が安定していたと思われる。スペイン、ポルトガルを排除したのは単なるお家賃 の折り合いが悪くご遠慮願ったということでしょう。わたくしミッションスクールで 6年学びましたが、曹洞宗でもあり、神棚もあります。あんまり関係ないような気が します。近所のご高名の方ですが世間ではクリスチャンで通っていました、死ぬ間際 奥さんに「お寺のお墓に入れてくれ」といったそうです。奥さん。「ムッ」
薩摩を圧迫しまくって薩摩が新天地を求めてオーストラリアへ移住。
123 :
世界@名無史さん :04/02/10 16:36
>>1 何故家康が鎖国したのかというとカソリックの脅威があったため。
あの時代はフィリピン、南米みたいに植民地化される恐れがあった。
300年の平和と庶民の繁栄・・・
浮世絵、下町文化など俺は好きだが。
漏れも鎖国は英断だったと思う。 200年以上に及ぶ平和をもたらすような事は鎖国無しには不可能だっただろう。 それに今の日本文化といわれるものの多くは江戸期に定着したもの。
125 :
世界@名無史さん :04/02/10 17:07
よく鎖国をしなければ植民地になってたと言われるが・・・ なぜよ? 本当に日本を植民地にできるような軍事力があれば、鎖国して ようが、植民地にしてたんやないの?
ヨーロッパ人が南米に到達して以来、伝染病でインディオがバタバタたおれ滅亡して いった話は有名です。船の中に牛馬羊を積み込み、殺して食用にしていたのは海賊映画 をみればよくわかる。何だかの病気が発生しても当然です。隔離して育った支配階級が バタバタ倒れインカは滅んだのです。植民地とは伝染病の病人を送り込んだのかもネ。
一応、マジレスするが。 清潔好きで有名だった日本にどうやって伝染病をはやらせる? ペスト?無理だ。 インフルエンザ?あんな潜伏期間が短いものをどうやって持ち込む? コレラ?日本にもあったわい。 天然痘?これもあったっつーの。 梅毒?実際に入ってきたが、それほど猛威はふるってない。
128 :
世界@名無史さん :04/02/10 17:38
>>125 キリスト教を広め(洗脳工作)、現地の準支配勢力を取り込み内乱を起こさせ、それに乗ずる形で遠征軍送って征服する。
これが奴等のシナリオ。伊達政宗とか九州の大名ほとんどキリシタン大名だったろ?
実際、かなり危うかったらしいぞ。やっぱし家康の鎖国決断は賢明だったろう。
因みにあの時代の日本の軍事力-陸軍-は世界最強クラスだった。でも海軍弱かったし、外敵に一致団結する力がなければ絵に書いた餅状態。
>>115 慶長の役の時点で南朝鮮四道の割譲と目的を大幅に縮小していますが。
>>128 政宗はキリスト教徒ではなかったでしょう(娘はともかく)。
確かに不安要素ではあったでしょうが。
ただ日本軍が最強だったかというとどうでしょうか。負けはしなかったでしょ
うし、例え植民地化されそうになっても跳ね返したとは思いますが。
(でも余計な問題をあらかじめ退けるという意味では「鎖国」は正解。)
130 :
(-_☆) :04/02/10 18:02
>>125 同感!戦国日本はもっと積極的で建設的な発想の持ち主で統一されるべきだったのだ。
(その意味で徳川信康の死は惜しまれる)
私的に次の策を取ればいいと思う。
1)幕府だけが軍船を保有・運営する法度を定め、幕府海軍を創設する。
これは一定以上の規模の商船や交易船団の護衛を有料で行うことで、雄藩の交易から
くる利益を抑える。
一方、本当に海賊行為に対抗できるだけの実力を磨かねばならないから、史実では
平和な中に埋もれた軍人向けの人材を生かし、実戦的な軍学の創始・発展を促す。
2)史実のような人口抑制をせずに各藩の余剰の人口を近辺の開拓に回す。
史実より200年以上早く台湾や蝦夷地や樺太、カムチャッカ半島の土地や漁業海域の
開拓を実施する。
3)戦国の終焉で失職状態になる各地の忍群を吸収統合させ、国際的な規模で運営
展開する日本忍軍を創設させる。
効果については説明の必要もないでしょう。
4)幕府の親藩や御三家の人材で運営される南洋開拓奉行を発足させる。
最低でもボルネオあたりを日本化する。
131 :
世界@名無史さん :04/02/10 18:03
>>129 伊達政宗はキリシタンに改宗していたのをご存知ないので?
支倉常長一行をローマに送っていたが、自分の領地で布教を許可する旨、約束している。
表向きは家康への対抗戦略だったとかいわれていますがね。
また”軍事力で跳ね返す”もなにも南蛮勢力と内応している大名が全国各地にいるのだから対抗にならんでしょう。
私としてはイスパニアが日本支配に固執した理由として
・隣国のシナ征服のための前哨基地確保
・銀をはじめとする天然資源の貿易独占
があるとみてます。
132 :
(-_☆) :04/02/10 18:03
5)明国崩壊時に軍事介入し、南明政権を幇助する。 日本の庇護のもと中国人本来の国を維持・運営させ、戦前の台湾のように日本文化 をも教えながら共に近代化していき、大陸南東部に広大な親日中国人国家を誕生させる。 また、清国とは緊張関係を維持して、他国任せな防衛構想を日本人の思考から一掃し、 できる事なら、清国の有力者だったドルゴン一派の満州への防衛と独立をも支援して 中国王朝としての清帝国と満州を歴史的に切り離し、日本の対ロ防衛の要地として 史実より100年早く使用可能にする。 6)キリスト教の布教は禁じてもあくまでも異文化研究の対象として学ぶ事は奨励する。 これによって欧州の標準言語とも言うべきラテン語で西洋の思想や科学が研究され、 史実よりも100年早く西洋研究が進む。 7)西洋の科学や技術の情報は徹底収集し、異端審問などの迫害に遭った学者は亡命させる。 これで宗教的な制約でその研究を頓挫させられた優秀な人材を日本へ迎えられます。 (できるなら近代史上最高の天才スウェーデンボルグを日本に亡命させたいものです) 8)欧州の有力な海洋国家(どこの国とは言いませんが・・・)の足を引っ張る。 例:ワーテルローの戦いで欧州派遣日本軍をフランス支援で参加させたらどうなるか?(w
133 :
(-_☆) :04/02/10 18:04
5)明国崩壊時に軍事介入し、南明政権を幇助する。 日本の庇護のもと中国人本来の国を維持・運営させ、戦前の台湾のように日本文化 をも教えながら共に近代化していき、大陸南東部に広大な親日中国人国家を誕生させる。 また、清国とは緊張関係を維持して、他国任せな防衛構想を日本人の思考から一掃し、 できる事なら、清国の有力者だったドルゴン一派の満州への防衛と独立をも支援して 中国王朝としての清帝国と満州を歴史的に切り離し、日本の対ロ防衛の要地として 史実より100年早く使用可能にする。 6)キリスト教の布教は禁じてもあくまでも異文化研究の対象として学ぶ事は奨励する。 これによって欧州の標準言語とも言うべきラテン語で西洋の思想や科学が研究され、 史実よりも100年早く西洋研究が進む。 7)西洋の科学や技術の情報は徹底収集し、異端審問などの迫害に遭った学者は亡命させる。 これで宗教的な制約でその研究を頓挫させられた優秀な人材を日本へ迎えられます。 (できるなら近代史上最高の天才スウェーデンボルグを日本に亡命させたいものです) 8)欧州の有力な海洋国家(どこの国とは言いませんが・・・)の足を引っ張る。 例:ワーテルローの戦いで欧州派遣日本軍をフランス支援で参加させたらどうなるか?(w
134 :
(-_☆) :04/02/10 18:08
>>133 の修正
>清国の有力者だったドルゴン一派の満州への防衛と独立をも支援して
↓
清国の有力者だったドルゴン一派が粛清されそうな時に満州への逃亡・反乱・独立
を支援して
キリスト教布教は単に彼らが良いと思う信仰を世界に広めたいという唯それだけの純粋な信仰心からくるものだろう。 キリスト教布教と植民地支配を結びつけるのは偏見と思い込みに基づいた根拠のない説だと思いますが。 実際植民地経営には熱心だったオランダやイギリスはキリスト教布教にはそれ程関心がなかったというのは周知の事実ですし、カトリック国のフランスですらそうだった。
>>131 臨済宗で法名は「貞山禅利大居士」では無かったのですか。
情けない話ですが手元に本が無いので検索してみただけでもどこにも
洗礼を受けたとは書かれていないのですが。
支倉常長もマドリードに着くまで洗礼を受けていない。
>南蛮勢力と内応している大名が全国各地
具体的にどれが反抗するかどうかは全く未知数でしょう。それに日本
を占領するなどと言われて言うことを聞く訳もなし。
137 :
(-_☆) :04/02/10 18:24
私は鎖国を英断とは思わない。あれは単に問題を先延ばしにしたというだけ。 アジアの平和を日本が守るのではなく清国が守ってくれるから後はのんびり 徳川の安泰を維持すれば言いという退嬰的な発想の政策だ。 当時の日本が自国を守れても何百年か先にモンゴル帝国級の強国が出て 日本本土が巨大な軍事力に晒される時がこないという保障はない。 だからこそ日本という国の領土を中国の及ばない無主の地(国家の成立 していない土地)へ広げて拡大し、容易に攻め滅ぼせない大日本国家を 作ろうという発想がない時点でヘタレもいいとこだ・・・ せめて、史実では取り潰しとなる大名を台湾や蝦夷地に移封させて開拓 させる事ぐらいやればいいのに・・・ったく!
>だからこそ日本という国の領土を中国の及ばない >容易に攻め滅ぼせない大日本国家を作ろう 江戸幕府は充分にその条件を満たしています。 元寇はまぐれや天佑で助かったのではありません。 >せめて、史実では取り潰しとなる大名を台湾や蝦夷地に移封させて開拓 >させる事ぐらいやればいいのに・・・ったく! んなことしたら幕府が潰れます。 そうなればいくら日本の総合力が高くても諸侯を各個撃破もしくは取りこみ すればいいだけなので列強の植民地になるのは時間の問題。 朝鮮出兵のようなことを何度も繰り返せば日本はあっという間に疲弊します。 他国を滅ぼすために自国を滅ぼすなど政治家として愚の骨頂。
139 :
世界@名無史さん :04/02/10 19:35
>>135 中にはそういう「純粋な」信徒もいたでしょう。組織の末端に限ってね。
スペイン(イエズス会)は植民地化のてっとりばやい方法としてそれら布教(原住民洗脳)活動を
広く採用していたようですよ。征服するにしても入植者の数千倍以上、現地にはいるわけですからね。
またご指摘の「オランダは布教に熱心でなかった」というのは仰るとおりです。日本に対しては交易対象としか
思ってなかったみたい。
イギリス・フランスの植民地支配については圧倒的な武力(海軍力)あってこそ可能でした。この両国の時代は蒸気機関ね。
日本も幕末に両国にやられてますが、このときは現地の準支配勢力(日本の場合下級士族)を自国(宗主国)の首都に呼び寄せ洗脳紛いの”教育”を施し
傀儡として”原住民”政権を政変で打倒(明治維新!)させたでしょう。スペインの時代はそこまで上品にやるノウハウがなかったわけ。
まあ、あの時代のカソリックは相当狂信的だったのもあるでしょう。
>>136 それならどうして日本に職人呼んでガレオン船つくってローマまで送ってるの。
伊達は徳川に知られたくない秘密でもあったんでしょ。
>>140 その英仏流のやり方は結局諸刃の剣だったよね。
啓蒙された原住民が英仏に完全に洗脳されなければ、自国を独自の欧州列強
に並ぶ国民国家に改変しようとするやっかいな存在になるんだから。
141 :
世界@名無史さん :04/02/10 20:05
>>140 大英帝国の日本管理は大方うまく遂行されていたのでは?
自国の伝統文化ぜんぶぶち壊してイギリス式の資本主義(財閥制度)移植されて
連中の植民地守るためにロシアと戦わされた歴史を鑑みると・・・(笑)
142 :
世界@名無史さん :04/02/10 20:35
欧米の植民地になる危険性は、17世紀初頭より19世紀の方が断然高かった。 明治維新の際、英仏に付け込まれなかったのは奇跡だし、日清・日露戦争の勝利も奇跡。 やはり鎖国は失敗だった。ただ鎖国時代の土台が、世界第2位の経済大国に押し上げたのは事実だが。
143 :
世界@名無史さん :04/02/10 20:55
>>142 幕末には主にアメリカ、次にイギリス、フランスからの脅威がありました。
ところがアメリカは国内の南北戦争があり、日本に関与する暇が無くなったため、イギリスとフランスが
争い、イギリスが現地人(伊藤博文ら)取り込みに優っていたため、”後押し”明治維新でその支配下にいれることができた。
また、日清・日露の戦いにおける勝利もイギリスの対日支援によるところが大きい。
”前近代地域”の清国を打ち負かしたのもイギリス資本が侵食しやすくするため、ロシアの南下を牽制したのも
イギリスの極東植民地の防衛のためという戦略の一環でした。
また、WWU後の経済大国化も大きくは新たな覇権国米国により共産勢力との対抗上支援あって達成されたものでした。
144 :
世界@名無史さん :04/02/10 21:52
>143 そもそも外交は利用しあうものだし まあしかし今は英国より大国になってるという事であるから やはりうまくやったんじゃないの? 昔を美化するかもしれんけど、 戦争で負ける前までは1等国としての誇りを持っていたと思う
まあ要するに運がよかったと。
146 :
世界@名無史さん :04/02/10 21:57
まあ アトランティス大陸を発見したのは日本人だからな
ここまでで読む価値があったのはツバキの妄想話だけだな。情けないスレだ。
>>139 つまり「政宗はキリシタン」云々はあなたの推測だと。
それならそうと早く仰って下さい。
149 :
世界@名無史さん :04/02/11 03:38
何でキリスト教が広まるとヨーロッパの植民地になるんだよ(w 大乗仏教が広まって中国や朝鮮の植民地になったか?(w 例えば大友は九州にキリスト教国家を建設しようとしたが、スペイン国王の手先になろうとしたわけではない。 日本人のキリスト教国家を作ろうとした。 だいたい、19世紀でも日本を植民地化出来なかったのに、17世紀に日本を植民地化できるわけない。 もっと時代背景や国力や軍事力を学びましょう。 ここで一言聞きたいのだが、キリスト教が広まってヨーロッパの植民地になった国ってどこよ? ほとんど全ての植民地は軍事力によって征服され、その後キリスト教の布教を行ってるんだが。
150 :
世界@名無史さん :04/02/11 03:47
鎖国していたから日本は植民地化されなかったという意見は世界史をしっている人間の発言とは思えない。 鎖国をしていたから19世紀の日本は植民地化の一歩手前までいってしまった。 鎖国の時代に徹底的に軍事力を弱体化させ、科学技術の発展を阻害させた。 鎖国をすれば国家は停滞する。 ヨーロッパの発展はグローバル化と結びついている。 日本はその逆を行って長期的な停滞を招いてしまった。 日本の軍事力とヨーロッパの軍事力の差は16世紀と19世紀はどちらが大きかったのかな?
152 :
世界@名無史さん :04/02/11 05:12
鎖国の前後を問わず 肝心の火薬を輸入に頼っていたのだから 技術格差がどうと言っても始まらんよ。 オランダ、中国頼みの外交が失効しただけ。
外交はむかしから三流なんだなこの国は。
>肝心の火薬を輸入に頼っていたのだから >技術格差がどうと言っても 意味がわからん。 あと、鎖国した場合は、当然ながら貿易利益を獲得できなくなるね。 その分の損失は資源のない日本というお国柄からいっても、莫大な ものだろう。
155 :
世界@名無史さん :04/02/11 11:01
>>149 じゃあ聞くがたかが数百人規模のスペイン入植者に南米が征服されたのは何故だ?
>>150 >日本はその逆を行って長期的な停滞を招いてしまった。
世界水準-西欧-の学問、軍事技術に追い抜かれたのは周知のこと。
ただ、あのままバテレン追放せずにいても南米、フィリピンみたいになったろうな。
出島みたいな貿易港ぶんどられるくらいじゃ済まない。
鎖国の本質は南蛮排除にあるということ。オランダ、明、朝鮮、琉球とは交易していた。
カソリックの脅威というが、近所にあってもなにも感じない。お寺の坊さんとカソリック の神父さんが喧嘩した話も聞かない。長崎出島検疫居留地が開港したころ欧州は30年 戦争の真っ最中、庶民はその辛苦を味わう。特に不治の病の患者、傷病兵は行き場がない。 カソリックは神の名の下に修道院に之を預かる。今ここに一枚の修道院の絵がある 中に横たわる累々と横たわる患者とそれを介護する修道士達のけなげな姿です。 周りの人の服装をみると一見して金持ちと解る。お布施が多かったのでしょう。 それでは貧しい人はどこに横たわったのでしょう。当時「病院」はありません。 修道士達は古いガレー船に目を付ける。そこに貧しい患者を横たわらせたのです。 しかし戦争は長引き患者はドンドン増えます。維持費がかさみます。ついに維持 できなくなります。神の名の下に決断が下る。
>>152 石油を輸入に頼ってるから、自動車の技術格差があろうがなかろうが
日本の自動車輸出は(石油が産出しないことを原因として)やがて
衰退するわけか?
158 :
世界@名無史さん :04/02/11 12:46
『覇信長記』を読めば良いじゃないか。 大明と争わず、東南アジアに勢力を広めるという、かの羅門が考えたストーリーではわりかし現実的な部類だ。 幸村はおかしいがな。この作品そのものが『覇王の軍』の肉付けストーリーであるのだが。
>>158 「覇王の軍」と微妙に食い違っているところもあるかと(作者は中岡潤一郎)。
とはいえ、今後どうなるんでしょうね?
160 :
世界@名無史さん :04/02/11 12:54
>>159 歴史背景は中岡氏だよね。知識も絶対に。
大明との盟約が出来るから、次は満州総攻めかもな。ここを取って大明にくれてやる。
その後はイスパニアを始めとしたヨーロッパ列強とのせめぎあいだろうと思う。
台湾の攻略はなんだかなーと思いましたけどね(意図はわかりますが)。 疾病のことを考えると、近代医療までいかないと沿海拠点程度しか維持できないでしょうし。 琉球王府も、西表島開拓に何度も失敗したそうですし。
>161 やっぱ、マラリアでしょ?
マラリアって癪だと聞いたけどどうなんだろう。
船は放たれたのです。神のすむ新天地を求めて。 天正、慶長、元和、寛永と度々発する「定め」。かれうた船渡海の儀、はなはだもって しかるべからずと。商売の黒船とはべつものだ。そして火をもっての焼却となるわけです。 不幸なことでした。携帯電話もなく良い薬もない時代どうしようもなかったのです。
>>130 1、そもそも現代的な意味での国軍を作ると言う発想が当時世界中のどこにも無く、そんな発想を
17世紀の人間にある日突然要求するのは無理。また幕府は海賊行為の統制には成功しており
そうなったとして軍学の発展につながったかどうか怪しい。
2、当時の蝦夷地で居留民を食わせるだけの農業生産を挙げられたとは思えない。樺太なんて
言わずもがな。
3、異なる体系に属した組織(この場合には各地の忍郡?)を統合し運営するってのはそんな
簡単なもんじゃないです。現代の大学の学部統合とかですらめちゃくちゃもめるのですが・・。
4、ボルネオの産物に当時の日本で需要があるものがあったんでしょうか?
5、大陸南部の広大な中国人国家が日本におとなしく従うと思うあたりは妄想の類。 対露防衛ってあらかじめロシアの動向を予知できてなければならず妄想の類。 朝鮮半島を通行できないのにどうやって満洲に干渉するのかも謎。 6、言論統制ってのはそんな都合よくできません。異文化研究をしている人間は異文化の中に 見出した正しさに染まる事が多いから。旧ソ連や北朝鮮でおこっている事も同じ事で、 「アメリカ的価値観を排除しつつアメリカの技術や制度だけを学ぶ」事は無理なのです。 キリスト教に関する事だけを学んでもしょうがないし、キリスト教を排除して西洋学問を 学ぶのはまさに片手落ち。 7、・・・・・言葉も通じず同胞も殆どおらず生活習慣もまったく異なり遥か遠方の彼方にある 日本にそんな学者が大量移住すると思うんでしょうか・・・。 8、食体系の問題(だけじゃないけど)から第一次大戦時でも日本は欧州への陸軍派遣をしぶっています。 第一地球の反対側でそんな莫大な兵力を展開してたら足元をどうするんでしょうね・・・。 それと当時の情報伝達技術では日本でワーテルローの戦いが起こる事がわかってから 軍を派兵してもまるで間に合わない。 例:ワーテルローの戦いで欧州派遣日本軍をフランス支援で参加させたらどうなるか?(w 答:何もできずに終わり欧州側の史実に影響しない。
大陸南部の広大な中国人国家は、当時の人口100万だったモンゴル民族(元)や、 当時の人口60万だった女真族(金、清)に支配されていたわけだが。 部分的に言えば、5胡16国時代なんぞ、異民族にピザのように切り分けられていたが。
>>166 167も言っているが、中国なんて異民族に簡単に従うよ。
国民国家も出来てない時代なんだから、激しく抵抗なんてのはありえない。
>>167 何か勘違いしているようですが、モンゴル帝国や清は「中華皇帝」として
中国大陸を支配したのであって、いわゆる植民地として支配したわけでは
ないのです。
>>132 には
「大陸南東部に広大な親日中国人国家を誕生させる。」
とあり、日本の政治形態とは別個のイデオロギーの元に中国人政権を
打ち立てる事が想定されています。
国民国家云々ではなく大陸南東部の広大な中国人国家と言うものが成立
した場合、用が済み次第日本に従わなくなるのが目に見えています。
天皇なり将軍なりが中華皇帝として即位し、事実上中国と日本を同化させて
日本人による中華王朝を建てる、と言うケースは考えられますが、この場合
日本列島をも含む「中華世界」が成立するだけでしょう。(現に清代にこれが起きた)
満洲と同じく、日本列島も中国の一部分になっているかもしれませんね。
五胡十六国時代に至っては荒唐無稽な話です。
彼らは集団で故地を離れて中国大陸に移住したのであって、遠方から
中国大陸を営利事業のために支配したわけではないです。
ピザのように切り分けられていたと言う程秩序だったものでもありません。
日本列島を捨てて大挙移住し、中国内部に日本と言う国を建てる、
と言うのであれば類例として意味がありますが、大航海時代以後の
西欧型の植民地を形成する際の類例にはなりません。
>>168 力関係で異民族に簡単に従うのは世界史上よくある話で、別に中国に限りません。
では中国人が従いたくなるほどの圧倒的差異を当時認めさせる事ができたか、
と言えば無理でしょう。
南明政権を助けると言う事は、明の残党のために全力で清と戦ってあげねば
なりません。かといって完全に清を倒してしまえば明が復活してやっぱり言う事を
聞かなくなるでしょう。
つまり中国に傀儡政権を打ち立てるためには
・内部対立が激しい明の残党勢力をまとめあげる (でないと援軍を送っても意味が無い)
・大量の援軍をおくって清をやっつけてあげる。 (でないと援軍を送った意味が無い)
・日本の援軍を得て意気上がる明残党を押しとどめて清を完全に滅ぼさせない。(でないと言う事を聞かなくなる)
・明残党を分裂させて統一を防ぎ日本の言う事を聞く程度に弱い国を乱立させる。(でないと言う事を聞かなくなる)
・弱い国のどっかが強くなりそうになったらそのたびに叩いて勢力均衡状態を保つ。
・弱い国が乱立する中国に周辺から異民族が侵入したらそのたびにやっつける。(でないと支配した意味がない)
これだけの矛盾した条件を整えないと無理じゃないかなと思うのですが。
中国の遊牧民問題を解決したのは清なので、清がちゃんと成立しないと言う事は
遊牧民の脅威に晒され続けるって事なので金がかかりそうですな。
>>・大量の援軍をおくって清をやっつけてあげる。 (でないと援軍を送った意味が無い) <<・大量の援軍をおくって清をやっつけてあげる。 (少ないと援軍を送った意味が無い)
イギリスはわずかの兵力で膨大な人口のインドを支配したわけだが・・・・
>>155 南米が数百人のスペイン人に征服されたのは圧倒的な軍事力の差だ。
つまり南米の国家はそれほどまでに弱かったということ。
南米ほど弱くないアジア諸国は19世紀までは植民地にすることができなかった。
キリスト教の布教がヨーロッパの植民地化につながったのではなく、軍事力の格差によって植民地化されていった。
南米もアジアも同じだ。
なぜキリスト教が広まるとヨーロッパの植民地になると考えているの?
もうちょっと現実的に考えて江戸1600時点で日本は大量に兵士を長距離海を 越えられるほど船を作り技術があったのだろうか?と思うのは俺だけか? それが無いなら朝鮮やシベリアあたりから東南アジアへ迂回するしかなかっ たのでは?そうだとすれば仮に日本が勝ち続けたとして中国との戦争は南へ 迂回するというより西方拡大になったのではないだろうか?
なぜ江戸は竜骨付き外洋船を禁じたのか
>>174 東南アジアに進出するのに長距離航海する必要は全くない。
琉球、台湾、フィリピンと島づたいにいけば対した距離ではない。
そもそもフィリピンや台湾がスペインやオランダの植民地になったのは大量の兵士を投入されたからではない。
単に国家が存在せず、組織的な抵抗ができなかったため、わずか数百人の兵力に征服された。
南米と同じかそれ以下である。
そんなところを征服するのに大規模な軍隊など必要ない。
まあ、フィリピン・インドネシア・パプアニューギニア・オーストラリアあたりまでは 確実に日本の物になってたでしょうな。
>>169 >何か勘違いしているようですが、モンゴル帝国や清は「中華皇帝」として
>中国大陸を支配したのであって、いわゆる植民地として支配したわけでは
>ないのです。
無茶苦茶勘違いしているようだが、清は兎も角、モンゴルは中華皇帝として中国を治めたわけではない。
明らかに中国人を劣等民族として植民地支配している。
色目人を間に挟んだ分断統治、上級官僚のほぼ全てをモンゴル人が独占するという、
他の中華王朝としては明らかに違う体制が取られている。
反発は勿論大きかったが、それすらも受け入れてしまうのが中華ってとこだ。
清にしても満州族の風習を中華に押しつけ、満州族へと帰化させている。
中華の官僚制や、それまでの風習も取りこんでいるから、同化したとこちらは言えるかもしれないがな。
けど大モンゴルだけは違う。
>>177 ついでに北海道、樺太、アリューシャン列島、アラスカ、カナダ西海岸、アメリカ西海岸もね。
なぜこのスレの人間は、必要に応じて技術は進歩する、と 理解していない人が多いんだ?自説に都合がいい、悪い技術で 停滞させたままでシミュレートしても意味ないじゃんかよ。 (かといって都合よくSF的に技術進歩の可能性を語れというんじゃないぞ。)
>>180 正直、日本史版ならこの程度の認識でもしょうがないと思う。
しかしここは世界史版だ。
それなのに日本では海外進出無理とか西欧の植民地になった、という意見が横行している・・・・・
182 :
世界@名無史さん :04/02/12 01:21
まあいいじゃん?今日本史板は崩壊しかかってるからな(ある意味)
海禁策がなければ中国は世界を征服していた。日本なんてイチコロだ! って中国人もネットで話し合ってるんだろうなあ
中国の軍事力と当時の日本の軍事力じゃ、レベルが違うだろ?
185 :
世界@名無史さん :04/02/12 02:59
>>174 朱印船が作れたんだから造船技術的には問題なし
>>177 >>179 頭の中でありもしない妄想を玩ぶのは勝手だが、そのような事は現実的じゃないだろ。
仮に百万歩譲って、それだけの広大な植民地を獲得したとしてどうやって維持するんだよ。
西欧諸国ですらアフリカから沢山の黒人奴隷を連れてきて何とか植民地を維持・経営していた。
日本にはそのような奴隷を獲得できる場所がねーだろ。
日本の場合、日本の「土人」を連れて行けばよろし。 なんで奴隷が必要なのかと。 フィリピン・インドネシアの場合、現地人だけで十分人口いるし。
伊達政宗の所では、ガレオン船を造ったはずだとオモタ。 ローマ法王の所まで、使者が行ったっしょ。
189 :
世界@名無史さん :04/02/12 04:34
てか、そんなに植民地持ってたことにしたいのか?w よっぽど西欧にコンプレクス持った香具師らが集まってんだな。
190 :
世界@名無史さん :04/02/12 05:32
>>186 バーカ、アフリカから黒人奴隷を運んだのは、現地住民が白人の運んだ梅毒や
ペストで激減したからだ。汚らしいに白人と違って清潔な日本人なら、
土人に病気をうつす心配はない。つまり、現地の土人労働力がそのまま労働力として
利用できる、ってことだ。レス書く前に少しは頭で考えるんだな、タコ助。
191 :
世界@名無史さん :04/02/12 06:01
>>190 きれい汚いというより、単純に免疫の問題だと思うのだが…
ペストや天然痘はアメリカ大陸になかったから
ネイティブアメリカンには免疫が皆無だった。
それに、病気だけでなく、ネイティブ・アメリカンに対する
過酷な使役(→過労死、餓死)も問題の一翼をになっている。
192 :
世界@名無史さん :04/02/12 06:06
>>191 だから、性病も疫病も持っていない「清潔」で、しかも弱者にやさしい日本民族なら
土人を使役しても大量死なんて起こらないだろっていってんだ。んな常識的な話
繰り返さないで結構。俺は無知で愚かな
>>186 だけに言ったんだから。
193 :
世界@名無史さん :04/02/12 06:22
火縄銃1万程度、兵数万人規模が占領地に移住覚悟で攻め入るのならば 中国を手にすることも可能だったかもしれないが、 どう考えても日本の方が住みやすい状況じゃあ攻め入る気分にならん。 中国が異民族に征服される原因は、定住生活をあまりしていない異民族が 民族大移動してきたからで、征服にかけるポテンシャルが違った。 中国はそういうなりふり構わない相手には勝てない。 あと、当時の東アジアは鎖国がデフォルト。
194 :
世界@名無史さん :04/02/12 06:32
>>193 戦国時代が終わって以降、徳川幕府によって事実上の解禁政策が取られるまでは、
浪人上がりの日本人傭兵は東南アジアではかなりポピュラーだった。
オランダのアンボイナ事件でイギリス人を警護していたのが日本人傭兵だったのは
有名だし、オランダは日本人の武士・商人勢力が東南アジアに進出してることに
危機感をもっていたそうだ。従ってこれらいわば民間の勢力を先導として東南アジア
各地からオランダ・ポルトガル・フィリピンなどを駆逐してこれを植民地化するのは
それほど困難ではない。兵站の点から言ってもヨーロッパよりも日本のほうが地理的にも近く、
人口も優位。中国は海外進出に消極的だからヨーロッパ以外には対抗相手がいない。
こう考えると日本の植民地拡大は容易に思えるな。
195 :
世界@名無史さん :04/02/12 06:58
当時の東南アジアに日本人が多く居住していたのは、 奴隷として輸出されていた事情もあるだろう。 それと一口に火縄銃一万丁といっても、 それを使いこなせるだけの技術を持った武士団そんなにいない。 鈴木一族のようにかなり限定されてるんじゃないかな? 海軍も同様で村上水軍とかあの辺だろう。 何れも本願寺の息のかかった奴らだな。 大体、弾薬はどこから手に入れる? あの当時も火薬はかなりの貴重品で南蛮貿易による 輸入が殆どだったんじゃないかな? 敵から買うのかな? 補給線だって東南アジアよりも遥かに近い朝鮮征伐で 餓死寸前だった事情を考えるとねぇ・・・。 大東亜戦争の時でも南方における 兵士の死因は餓死が殆どだったものね。
>>192 にビューティフルドリーマーの称号を与える。
火薬、というよりその原料の硝石は、最初は輸入に頼っていたけど
大量に使われるようになる頃には相当量が国産になっていました。
ちなみに当時最高の塩硝とされたのが加賀の塩硝で、
本願寺との加賀を巡る闘争にはこの塩硝を巡る戦いの意味もありました。
硫黄と木炭は日本ならどこでも幾らでも手に入るので問題ありません。
関が原時点での日本国内の銃の推定総数は15万丁。
銃が減った筈の江戸時代でさえ、現在残っている教育委員会に登録された
火縄銃の数が6万5千丁有りますから、
輸入だけで賄えるような量ではありませんでした。
朝鮮の役での補給切れは物資自体の不足ではなく輸送ルートの確保が
できなかった事が原因で、その理由は海軍力の問題です。
毛利相手に鉄甲船を作った信長なら別の結果になっていたかもしれません。
こんな話も
http://nvw.nikkeibp.co.jp/nvw/sairoku/toppage/sairoku0309.html 最も純軍事的に強いかどうかと、征服者足りうるかは別の話で、
日本と言う国が支配者になれたかという観点から見ると、
最初の内は調子良く勝ったにしても、反乱が相次いで結局撤退するしかない
と言う事になりそうな気がします。
兵站確保もろくに出来ずにアジア制覇なんて出来ねーよ
1665年貿易の覇権をめぐりオランダとイギリスは戦争を始める。オランダ艦隊は テムズ河を遡りロンドンに迫る。ピープス氏の「ひめられた日記は語る。」砲声は 殷々と響きロンドン市中でも聞こえる。すると市中に怖い噂が飛ぶ。コレラだ。 下町の市民はバタバタと倒れる。貴族は郊外の別邸に難を逃れて避難する。1666年 9月、何者かによるロンドン市中への放火はロンドンを廃墟にしコレラは終演を遂げ オランダ艦隊も引き上げ戦いは終わりました。市中消毒の薬は何ら無く、火をもっての 焼却しか方法が無かったのです。出島はこれを完全に防いだのでした。
200 :
[○]開戦百周年[X]「日露軍歌」 :04/02/12 11:18
露軍討つべし破るべし われら同胞四千万 一つの喉より発したる 声は天地にひびきけり わが忠勇の軍隊が 血を流したる遼東に 干渉したる三国の 首謀は彼ぞ露政府せいぞ
201 :
世界@名無史さん :04/02/12 12:22
>>132 ,167清に対し南明を応援していくとか親日政権立てるとかで
討論があるけど
そもそもそんな事する必要性が日本に無かったと思う。
当時の状況を考えれば清や明が海外進出はかって脅威となるとか
秀吉の朝鮮征伐の遺恨から日本制圧企てたとかでもなければ
必要ないでしょ。
せいぜいどっちが勝っても暗黙の不可侵(日本との交易の
許可もらえればむしろ大陸を安定的に治める王朝の方が交易上
都合がよいし)
交易の許可くれれば深入りする必要もメリットもないでしょ。
まして親日政権にして政治に首突っ込むおり交易専念が問題ないかと。
立場としては勝ちそうな方(というと清)に使者立てて勝ったら
いち早く新政権を認めて朝貢して交易許可願い出ておく。
形式的に清の臣下になる形となるが、交易と国力増強に専心して
大陸との無用な衝突は避ける。
それで、何のために領土を広げるんだよ。領土が広い方が(・∀・)カコイイ!! ってだけなのか。 交易と侵略の違いは、資源(人・モノ・金)への入手手段の違いでしか無いぞ。 さらに国内開発とのトレードオフだ。 江戸時代の成果を見ると海外に行くより、国内を満遍なく開発した方が投資収益率は 高いと思うんだけどなあ。
国内への投資集中と、鎖国しないことでの交易拡大による貿易利益 獲得は矛盾しないと思うが? 鎖国しないと投資集中できなかったのか?外様の経済力拡大を 抑える手段として鎖国が最効率だったと言えるのか?
遣欧使を派遣というのはどうだろう。
>国内への投資集中と、鎖国しないことでの交易拡大による貿易利益 >獲得は矛盾しないと 交易に利益しかないなら矛盾しないが、国内の経済基盤が戦乱でガタガタな 状況じゃそれこそ外国の食い物にされて終わりでは。 そのうち交易の対価となる商品作物を作るだけの植民地経済に陥りそう。 >外様の経済力拡大を抑える手段として鎖国が最効率だったと言えるのか 早くから交易をしていた島津が後に討幕の中心になったことを考えれば、 言えると思うが。似たような藩があと2,3もあれば徳川は短期政権に 終わったかもね。 あと、幕藩体制のような諸侯連立政権は他国から見たら突け込む隙だらけ。 普段から外国と接触させてたら、手を結び植民地化のリスクを犯してでも 政権を奪おうとする輩は必ず出てくるだろう。
>交易に利益しかないなら矛盾しないが、 貿易によるデメリットをあげてみてくれ。おそらく何か勘違いを されている。 >国内の経済基盤が戦乱でガタガタな状況じゃそれこそ外国の >食い物にされて終わりでは。そのうち交易の対価となる商品作物を >作るだけの植民地経済に陥りそう。 ガタガタだった?あと、どうやって外国の食い物にされるんだ? 19世紀型の植民地経済を200年も早くできる国が当時あったのかね?
>>206 日本の場合貿易のデメリットで一番懸念されるのは金の流出かな。
工芸やその他様様な産物が発展するのは江戸中期ぐらいからだから、
対価は貴金属しかないわけで掘っても掘っても足りなくなるかも。
まさに外国の食い物状態だ。
そうして欧州産、東南アジア産のモノを大量に買えば当然国内産業は
廃れるわけだ。もしくは比較優位の産業に特化してしまう。
日本の場合間違っても中国のように有り余るほど銀が入ってくるなんて
こたないだろ。
当時既に現地勢力の手から離れプランテーション化されていた所は多々あるけど?
戦争で負けても赤字で苦しんでても欧州の連中に土地渡しちゃ駄目だね。
幕府に藩が勝手に土地うっぱらうのを止める力があるとは思えんが。
うーん、これじゃ仮定ばかりでまるで電波だな。逆の言い方をしよう。
日本が植民地化しなかったのは自立した経済を持ち、欧米に収奪されること無く
国内で資本を蓄積出来たからでは?鎖国無しにそれだけの経済基盤を持ち得るか?
208 :
世界@名無史さん :04/02/12 17:51
海外雄飛に乗り出す要因 @宗教上の情熱・・日蓮宗や一向宗のような一部はともかく 日本全般で海外に押し付けるような価値観 はない。 A人口増加・・・・とりあえず国内に開拓に余地があり、無駄 に遠方に行く必要性が無かった。 B海外交易・・・・海外の物産と交換しえる国内産業が無く 金の流出を招くのでわざわざ積極的に乗り 出す必要性が薄い。中国と欧州の交易ルート に便乗し国内向けに輸入品扱うしかない。 C領土拡大欲・・・日本は本格的な他民族の扱いに慣れてない。 (アイヌや蝦夷、琉球は該当するか不明だが) ともかく海外に押し出しても殖民地を巧く運営維持するノウハウも 人材も不足してるし必要性や意欲に乏しいので、結局破綻していくか。
>>207 >日本が植民地化しなかったのは自立した経済を持ち、欧米に収奪されること無く
>国内で資本を蓄積出来たからでは?
で、当時の欧米(というより欧州)に、日本を収奪できるような経済構造
があったと?30年戦争の真っ只中に?
>>207 日本の場合貿易のデメリットで一番懸念されるのは金の流出かな。
金が流出したとして何が問題になる?金本位の経済状態のままなら
しょうがないにせよ、当時、藩札やら何やら、信用経済の基礎は既に
あったはずだが。
>対価は貴金属しかないわけで掘っても掘っても足りなくなるかも。
>まさに外国の食い物状態だ。
貿易というとお金と物品の交換としか認識できない?例えばお茶や
陶器を大量生産する可能性も出てくるね。貿易を開始するということは
その国の産業構造そのものが変質していくことになる。比較優位なんて
言葉を知っているなら、それぐらいわかるだろ。
>そうして欧州産、東南アジア産のモノを大量に買えば当然国内産業は
>廃れるわけだ。
比較劣位にある競合産業が廃れて何か問題でも?
>もしくは比較優位の産業に特化してしまう。
素晴らしいことじゃん。モノカルチャー経済と勘違いしてないか?
で、あの当時の物資輸送能力でモノカルチャー経済化できるほどの
貿易量を確保できたとは思えないが。さらに言えば、日本で生産
可能な産物で大規模なプランテーション栽培をする価値があるものって
お茶とみかん以外になんかある?また、お茶がプランテーション栽培された
として、当時の日本の人口から言えば、余剰労働力がでまくること
になると思うけど、それが全て失業者として流浪農民になると思う?
>>210 藩単位の紙幣が信用経済の基礎!?あんなもの世界じゃ信用0だぞ。
国内でもまともに通用しないものが何の役に立つんだ?
当時国際的に通用するのは日本じゃ金だけだ。それで
一つや二つしかプランテーション栽培できるもの無いなんて
とてもじゃないが資本の蓄積なんて出来ない。
まあ本当に勝負できる産業があればまだマシなんだけどね。
陶磁器や茶は明らかに中国に完全に負け、蜜柑は保存の問題で国際貿易
にゃつらいだろ。他に有効な産業は無い。売るものは金か傭兵か奴隷ぐらい
しかないぞ。
基幹産業も無い技術も無い資本も無い自立性も無い・・あるのは貴金属と欧州の
需要頼りのプランテーションだけ。まさに新植民地支配を受けている国々と同じ。
確かに当時の輸送能力ですぐにそうなるとはいえんが、2世紀かけてじっくり
植民地化が完成したって同じ事だし、鎖国と比べてどっちがましか。
212 :
世界@名無史さん :04/02/12 19:19
>信用経済の基礎は既にあったはずだが。 それは鎖国していたから成立するんだから 開国したら金の流出は問題に決まってるだろ >例えばお茶や陶器を大量生産する可能性も出てくるね。 インドも同じことして結局植民地化されたから単にいいこととはいえないだろ むしろ外国から何を買うのか、別になんも必要ないかもしれんし >お茶とみかん以外になんかある? みかんなんかが売れるのか、別に紡績でも鉄砲でも何でもできたとは思う >お茶がプランテーション栽培された >として、当時の日本の人口から言えば、余剰労働力がでまくること >になると思うけど もともと農民なのだから農業すればいい したがって開国無用
そのものずばりが通用するわけないでしょ。 そういうものを礎に経済体制だって変わるってこと言ってるの。 それと、プランテーション栽培なんてやらねーでしょ。って言ってる のに、なんで逆の意味にとるよ?
214 :
世界@名無史さん :04/02/12 19:31
日本て銀もすごいんじゃなかった? 金銀すごくても新大陸だって同じ事で インドみたいに収奪されるだけになっちゃうのはどうしてか インドの内部分裂につけこまれた、軍事力の差か、 日本は戦国明けで軍事力はあったのだろうと ちなみに東インド会社は貿易独占していたが それが次第に植民地支配機関代わっていったそうです
とりあえず利益の無い対外進出で無駄金使った秀吉よりは 慎重かつ堅調な家康を評価するな、自分は。
たしか幕末、日本では金銀の変換レート上、金がずいぶん安かったので 大量流出したとか。
217 :
世界@名無史さん :04/02/12 20:33
それは、金がいっぱいあったからじゃなくて 金は小判で蔵にあって(千両箱?) 流通貨幣である銀貨が信用貨幣(紙幣と同じ) それで銀を改悪してマネーサプライを増やしてた 鎖国してたからできた。結構経済的には発展してたようなきがする
鎖国してなかったら阿呆将軍が遠征して国力衰退して一気に占領されとるって。
江戸時代でも金銀の流出が問題になっていたのに……。 そもそも鎖国なんて幕府による管理貿易だろ。その上、密貿易も 盛んだったし。 何か誤解している人が議論に混ざっている気がするんだけど。
220 :
世界@名無史さん :04/02/12 20:52
じゃあ政策変えたとたんに流出したのはなぜ?
221 :
世界@名無史さん :04/02/12 20:59
>220 開国当初 外国から買う物はあったが、外国に売る物がなかったから。
コピペ 開港と悪い影響 輸入超過に転じる…海外の安価な大量生産製品の流入 (e) 輸出品目…生糸(80%)、茶(10%)、蚕卵紙、海産物、水油など(半製品、食料品が主体) (f) 輸入品目…毛織物、綿織物、武器、艦船、綿糸など(繊維製品と軍需品) (a) 金貨の大量流出……約50万両の金が流出 社会的混乱の激化……下級武士・農民・下層都市民の困窮化
金銀比価の相違 ←内外貨幣同種同量による通用(第5条) 5条は安政の五カ国条約の条文。やっぱ開港が原因だろ
あー、ちなみに伊達政宗が作らせたガレオン船だが、 あれは幕府側の大工を呼び寄せてワザワザ作ったもの。 幕府側も許可している。 意外だが、あの一件は幕府が意外と積極的に関与してるのだよ。 正直、伊達の天下取りの野望のためってのは後付けの面白話という 印象しか受けない。
なんて言うかなあ。 鉄砲作った経緯からして武器はかなり自給自足できるだろうし、 艦船だってその気になれば作れたろうよ。 鎖国の罪はその辺の機会を潰したこと。 第一、インドなんかで侵略が問題になるのは十八世紀になってから。 その時点で鎖国してもよかったはずだ。 何も三十年戦争と明末清初の混乱のまっただ中、どの国も日本侵略など 不可能な頃に鎖国せずとも。スペインも落ち目だったし。 大体、開国と侵略をイコールで結びつける必要はない。 東南アジアまで船を出して、貿易だけしておけばいいわけで。 それに当時のヨーロッパ人にとって、日本の市場より中国の市場の方が 遙かに重要だ。人口が十倍違うから。 日本がよほど弱体化しなければ、侵略される恐れはない。
>>225 お、完全に同意。
もともとあった交易による技術進歩の機会がなくなった。これは
大きな損失だと思う。
交易があった結果として、和時計という優れた技術の成果もあった
のだから。鎖国により、進取の気風が失われた・・・というか、その
チャンスが技術者レベルで抑圧されたのではなかろうか。
だから遣欧使派遣して知識だけ吸収すればよかったのに。
使節送るだけで技術吸収できれば世話がないわ。
一度に1000人くらい各国の大学に留学させるとか。
230 :
世界@名無史さん :04/02/13 01:47
>>219 ところで、あのイギリスさえアヘン・アロー戦争で清を開国させるまでは国内から
清への銀の流出が問題になっていたのは知ってる?
ようするに、ヨーロッパ最強のイギリスでさえも清には貿易収支の赤字を長らく
強いられたということで、江戸時代の日本が、鎖国しなければ清の経済的従属下に
おかれるというのは至極当然のことだった。かといってこれは日本が海外に植民地
をもてないということを意味するわけではない。オランダが香辛料貿易に力を入れたのを
そのまま侵略して継承するのも不可能とはいえないし、日本の漆器や木材を輸出して
東南アジアからインド洋を結ぶ交易圏を形成することだって、西欧があれほどわずかな
軍事力でイスラム商人を駆逐したことや、南米に植民地を建設したことから考えて、
不可能とはいえないと思う。
231 :
世界@名無史さん :04/02/13 01:52
日本が島国であるという利点を忘れていないか? イギリスが世界を支配したのは圧倒的な海軍力のおかげだ。 島国だったので海軍の増強に集中することが出来た。 また当時の軍船は貿易船でもあったので、圧倒的な貿易量を誇ることが出来た。 そのためイギリスは長期にわたってヨーロッパの覇権戦争に勝利し続けた。 日本も島国で高度な組織力を江戸時代前半に確立していた。 鎖国さえしなければイギリスと同じような海洋国家の道が開けていた。 その可能性をつぶしたのが鎖国だ。
>230 そりゃ金銀交換比率の問題だろ。 論点がずれてる。
233 :
世界@名無史さん :04/02/13 01:57
>>232 まあ、レートの問題もあるけど、ここで大事なのがアヘン戦争後も清への
イギリスからの工業製品の輸出が思うように進まなかったという点。
つまり、産業革命をもっとも早く経験したイギリスさえ清の工業力に対抗するのが
容易でなかったということで、それゆえ江戸初期の日本が鎖国なしでは清の経済的従属化
におかれるのは当然、ということが言いたかったわけ。
234 :
世界@名無史さん :04/02/13 02:04
日本が鎖国した当時の中国は明朝の崩壊期でぼろぼろだったわけだが。
235 :
世界@名無史さん :04/02/13 02:06
そもそも鎖国しなくても貿易統制すればいい。 現在のグローバル化時代でさえ、保護主義的な貿易統制は当たり前なんだから。
236 :
世界@名無史さん :04/02/13 02:09
>>234 別に日本の為政者がうえのような判断に立って決断したのだろうとはいってない。
ただ、あくまでも結果論だけど、日本の鎖国政策は
対中国貿易の観点から見れば、妥当だったんじゃないかということよ。
237 :
世界@名無史さん :04/02/13 02:22
だから日本の産業を守りたいなら保護主義を行い貿易統制を行えばいいだけ。 高率な関税をかけるとか、中国との貿易を制限すればいい。 産業を発展させたいなら鎖国をする必要はなかった。
当時の日本の銀はオランダ海外貿易の生命線でした。 イギリスとかが東アジア方面の貿易で最初はずっと赤字を出していたなか オランダは日本の銀のおかげで結構儲かっていたはず。 主にアジア内の貿易でまわされていたけれどアメリカの銀に匹敵するものだよ。 他に日本産の銅とかは最高級の評価を得ていた。 だが、船は何とかなるかもしれないけど鋳造の技術は一朝一石には いかないと思う。 もっと国内の権力を一転に集めないと鎖国を解いてもいい方向には行かないでしょう。
当時 日本鉄も最高級で且つほぼ世界最安値だった。
240 :
世界@名無史さん :04/02/13 02:29
>>237 だから鎖国ってそもそも制限貿易じゃん。長崎でやってるから。
それに私は鎖国が日本の産業を保護した側面があるってことを言いたいだけで、
鎖国をやったのがベストだったとはいってない。ヨーロッパのような海外進出を
成功させられていたら、それに越したことはないが、下手にやって国力を減退
させるくらいだったら、鎖国政策で国内産業を保護したのも次善の策として評価
できるということ。
当時の世界情勢から判断して海外進出してたらほぼ成功していただろう、 っつー解釈の人が鎖国政策を愚策とみるんだろうなあ。。 まあ、俺もその一人ですが。
242 :
世界@名無史さん :04/02/13 02:37
鎖国政策は国力の発展という立場からすれば史上最悪の政策だったと思う。 この狭い日本に全てが押し込められてしまった。
>>238 オランダが日本銀で利益をあげたのは事実だけど、オランダが当初東アジア交易
で主導権をとったのはそれだけが理由じゃないだろ。
南アフリカをおさえたことや、香辛料貿易を制覇したことのほうがずっと大きい。
保護貿易? まっとうな貿易ルールなんぞ存在しない時代にそんなの通用するか。 軍事力の強い国が弱い国に勝手な条件を押し付けるのが当時のやり方。 当時の日本のような海軍の弱い島国なんて話にならん罠。 しかも西欧列強、とくにイギリスは密輸ぐらい平気でやる連中。 例え簡単に倒せない軍事力と圧倒的に有利な産業を持っていたとしても それこそ中国のように連合艦隊組まれて麻薬漬けにされるのがオチだな。
当時ヨーロッパの銅の値段は日本産の銅によって左右されていた。 更に火薬の原料である硫黄も当時の輸出品目。 中国は日本から大量の刀を輸入している。 木綿が日本に根付いたのはまさに戦国期、当時の木綿は戦略物資。 安土桃山時代の日本は別に略奪貿易を受けていたわけではない。 スペイン王もフィリピンの総督に日本と軍事的衝突を避けるように命じている。 なんか日本と東南アジアを同レベルで見てるみたいな人がいるが、 仮にも歴史を知ってる人間が集まってる筈だろうに。
246 :
世界@名無史さん :04/02/13 09:01
>>225 >日本の市場より中国の市場の方が遙かに重要だ。人口が十倍違うから。
戦国時代〜江戸時代末期まで日本とシナ(明・清)の人口格差は3〜4倍ですが。
戦国1500万 明6000万 江戸3000万 清1億
日本がよほど弱体化しなければ、侵略される恐れはない。
キリスト教によるじわじわとした侵略を忘れてないか? 信仰のためなら死んでも惜しくない狂信徒が日本にも大量に居たわけだが。 それにインドが完全に、中国トルコまで半植民地化していることを考えれば 東南アジアの国より多少強いところで支配されるのは時間の問題に過ぎない わけで。 略奪貿易を受けていたわけで無いといってもはじめはどこの国でもそんなもん。 戦国期の日本の対欧州主用輸出品目の一つは日本の側から売ったにしろ奴隷だしね。 わが国は植民地化されたあの国とは違うと思って結局植民地化された国なんて、 ほとんど全ての植民地にあてはまるだろうし。
248 :
世界@名無史さん :04/02/13 09:29
私も上海大好きでした。4ヶ月前までは。 主人が仕事で去年の12月から行っていたので大好きでした。 でも4ヶ月前。急に帰国した主人。 主人は上海のカラオケ小姐に生活費の全てを貢ぎ 骨抜きにされ仕事も手につかない状態で 会社側から急遽日本に強制帰国させられました。 帰国から1週間後にこの事が判明して家庭はめちゃくちゃに壊されました。 私をはじめこども達や親達も主人を嫌い あげくのはては上海も嫌いになってしまいました。 日本に帰国してからも小姐と縁を切らなかった主人。 また中国で仕事をすることになり今月19日に上海へ入りました。 小姐へのおみやげの日本のCDとお金をもって。 たったの4ヶ月で人の脳と魂を吸い上げた上海! 上海をあんなに好きだったのに今は悲しい思い出しかありません。 上海でスキンヘッドの日本人を見かけたらそれが主人です。 脳と魂があるか確かめてみて下さいね。
明から清に移行するときに6000万→1000万になってるけどな〜 あんな不安定な市場は当てにならないのでは?
250 :
(-_☆) :04/02/13 10:55
>>245 さんの言うとおり、当時の日本は世界の先進国として急成長を遂げていた。
信長が生きていればいいんだが、あえて徳川が天下を取ったとして、俺は
秀忠のような退嬰的で弱いものにつらく当たる男ではなく、信康のような
漢に家康の後を継いで欲しかった。
また蝦夷地や台湾の開拓のことだけど、当時の日本(本州、四国、九州)は
技術的に十分開拓がなされており、耕地面積の大幅な拡大は望むべくも無か
った。
これは幕府の全時代を通じて人口増加率がほぼ抑えられていたことと、
吉宗時代に無理な農地拡大で水害が多発したことを考えれば明らかだ。
当時の蝦夷地や樺太は農業用地としてではなく、肉、皮、木材、海産物
の供給地として考えれば大変有望なところでもあった。(嘘だと思うなら
明治初期の蝦夷地に関する資料を見ればいい)
当時の幕府が日本国唯一の海軍保持者として大量の木材の供給地を求めるなら
まずは蝦夷や台湾しかなかっただろう。
当時の幕府が米本位制を取らずに信長と同じ近代的な経済政策を取り続けて
いけば、当然、米の殆ど取れない蝦夷地の産物や天然資源にも目を向けて
直轄領としたはずだ。
蠣崎のような腐れ大名家が統治するよりもはるかにマシな状態になっただろう。
(アイヌ政策も含めて)
史実でも和人漁民が入植して海産物を内地に供給していた。
252 :
(-_☆) :04/02/13 11:07
>>251 知っているよ。でもそれを計画的に、史実では間引きや飢え死にで死ぬはずの
人々を開拓民の入植という形で送り込みながら蝦夷地を開拓できないかという
のが私の考えだ。
>>250 ダウト
江戸時代初期、17C初頭の人口(本によって異同があるが)1200〜1500万人)は
18Cまでに2700万人に増加しており江戸時代通じて人口が一定だったと言うのは嘘。
18C以後、ほぼ3000万人前後で安定するが、初期においては日本国内の生産で
人口を増加させるのに十分だったと言う事がわかる。
それと江戸時代中期にもなると、都市部では出生率が減少して死亡率が出生率を
上回るようになる。それを埋めたのが農村の高出生率。
特に農地の零細化を防ぐために1673年に分地制限令が出されてからは、農村でも
長子相続が普通になり、あぶれた人間が都市に流入して人口を調整していた。
海外に移住する人間が多いと言う事は都市部に流入する人間が減るって事なので
江戸期の都市文化の発達の阻害要因になる。
信長が生きていれば云々とかは仮定として無意味。死んだ人間は何もできず別の
選択肢があったわけでもない。
>18Cまでに2700万人に増加しており江戸時代通じて人口が一定だったと言うのは嘘。 >18C以後、ほぼ3000万人前後で安定するが、初期においては日本国内の生産で >人口を増加させるのに十分だったと言う事がわかる。 ??? もう少し説明してください。 18世紀以前が不安定で、18世紀以降は安定したと言う事ですか? 江戸時代の農村と都市部の知識がURLがあれば教えて下さい。 (江戸の女性は大名屋敷に奉公に出て、男余りだったために出産率が下がったのかな?)
欧州を旅したときです。古い宮殿、現在は博物館、美術館に江戸初期長崎から輸出 された伊万里の壺を沢山みます。共通して上にキャップがついている。キャップが 壊れたのもある。茶壺に似ている。絵柄は花が多い。ボタンが一番多い。ボタン、 それは根の成分がボタンピといい昔消炎鎮痛の基剤です。ということは中身は薬だ。 堅い高価な磁器に詰め込まれた薬はインド洋の熱気にも耐えはるか欧州に送られ 金1グラムより高い価格で取引されたのでした。中身は貴族、金持ちが飲み干し 入れ物だけが残ったのです。伊万里とは「万里をわたり伊多利へ」ドイツは30年 戦争以後長く分断され神聖ローマ帝国をその盟主としたのです。
>>249 それは人口変化というより政府の掌握力の変化だよ。
戸籍に載らない闇社会が存在するということは密輸やりたい放題!
とうじの欧州にとっちゃ美味しい市場だろう。
>1よ。 鎖国がなければ……よりも、本能寺の変が起こらなかったら…… のほうが、我々は奔放な想像力を駆使できると思うんだがどうよ? 信長が討たれなければ、順当に日本を統一した後、強力な海軍を 創設して一大通商国家を築き上げただろう。徳川幕府よりも遥かに 可能性を感じるね。
>>254 日本にとって江戸時代初期・・・17Cは明治期程ではないものの人口爆発の時代です。
例えば、速水融・宮本又郎編著 経済社会の成立 17・18世紀 ・・・・岩波書店によれば
1600年には1200万人だった人口は
1650年には1718万人。
1700年には2769万人と、100年で二倍を超える人口に増えています。
1730年には3208万人でピークに達します。
1750年には3110万人と減少に転じています。
この時代、特に17Cにはこの時期の開発が無ければ今の日本の影も形も無いと
言われる程の大規模な農地開拓が行われた時代でもあり、日本の
主要な大河川の大半はこの時期に改修・流路変更が行われています。
つまり
> また蝦夷地や台湾の開拓のことだけど、当時の日本(本州、四国、九州)は
>技術的に十分開拓がなされており、耕地面積の大幅な拡大は望むべくも無か
>った。
とか
> これは幕府の全時代を通じて人口増加率がほぼ抑えられていたことと、
>吉宗時代に無理な農地拡大で水害が多発したことを考えれば明らかだ。
とかは事実では無いという事です。・・・続く
後、吉宗時代の無理な開発・・・とあるのですが、日本の新田開発は寧ろ 吉宗の前の時代、17C後半がピークであって、江戸が始まったころには まだ農地開発可能地が多々存在した事もわかる。 この無理な開発が洪水や旧田の荒廃を招いたのは本当ですけどね。 開発の付けが回ってきたのがその頃だったと言う事だと思いますが 農業史には詳しくないので断言できません、すいません。 あと江戸時代の都市部の出生率低下は今の日本で起きている事と同じです。 生活水準が高く娯楽の多い地域では出生率が低下します。これは現代特有でなく、 例えばローマ帝国時代の記録に 「最近の若者は結婚したがらず子供も作ろうとせず遊びふけっている」と言う物があります。 江戸で起きた事も同じです。 ただ男余りというのも事実のようです。ちょっと記憶が曖昧なのですが、 江戸東京博物館の展示によれば江戸の人口は17Cを通じて男が6割程度で 女不足だったようです。おそらくは一種の移民都市であったためだと思います。 余談ですが、当時の奉公人等は若いうちは妻帯を許されなかった等という事情もあった と言う事で、女不足と相まって江戸では遊郭等風俗産業が大いに発展する事になります。
ちなみにURL・・・というのはちょっと知りません。
>>178 見落としていたので遅レスですが・・・。
元朝は少なくても歴代中国式の官制を維持しており、植民地支配と言うのは
実態を表しているとは思えないです。
また元史日本国伝の対日本向けの国書の文面等からも、歴代王朝と元との
連続性は意識していたのは明らかでしょう。
モンゴル帝国がそれ以前の中華王朝と同一とはとても言えないのは当然ですが、
少なくても在地政権化の傾向があり、中華皇帝でもあったと思われます。
満州族の風習押し付けにしても、それを帰化と表現するのはよくわかりません。
本題に戻ってモンゴル帝国の例が無意味な理由としては、日本による植民地、
と言う以上、それは上級官僚を全て日本人が独占する中国大陸王朝、ではなく
あくまで日本から遠隔支配される中国大陸内の領域と言う物が想定されます。
故にモンゴルができたから日本もできるとは言えないと思うわけです。
北京なり南京なりに首都をおく日本人政権と言うのは果たして「日本」でしょうか?
日本「国民」も存在しないこの時代に、広大な中国大陸を支配する日本人が本国の
命令に粛々と従うとは考えがたい物もあります。
人口の面から言うと日本は18世紀から明治維新まで人口は殆ど変化しなかった。 この2世紀間にヨーロッパやロシアは人口を数倍に増加させた。 例えばイギリスは17世紀当初、人口が500万で当時の日本の2分の一以下の人口だった。 ところが19世紀後半には人口が2000万人を優に超えて4、5倍になっている。 ロシアなどは直接的な領地が拡大したため17世紀から19世紀後半にかけて人口が7,8倍増えている。 フランスやドイツやイタリアも同じ。 江戸時代の日本は人口が二倍になったが鎖国が続いたため18世紀から150年間、人口の停滞を招いてしまった。 その間にヨーロッパは農業革命や産業革命を経験し、領土を広げ、植民地を増やし、アメリカ大陸だけではなく豪州にまで進出した。
まあ、日本が世界の覇者にならなくて良かった。 それだけは言えるよ。 歴史に感謝。
ようは鎖国は国家の発展という観点から見ると停滞を招くことになった。 16世紀以降、大航海時代が始まり世界は商業と軍事技術の時代になった。 遊牧民の軍事的優位は17世紀ヨーロッパの歩兵、騎兵、砲兵の三兵戦術の完成によって覆された。 日本はその流れにのらず、自ら大航海時代に参加するのを放棄してしまった。 ところで鎖国したほうが良かったと思っている人は鎖国して何が良かったのか教えて。
>>263 少なくてもプラスになったと思われる点。
・貿易を幕府の統制下におく事によって諸大名の勢力拡大を阻止し安定政権を築いた。
・人口の移動を国内に限定する事で世界的に見ても早く都市化が進んだ。
と言うのを挙げれるかな。
なお鎖国した方が絶対に良かったとは言っていないです。
鎖国してなければフィリピンやオーストラリアを植民地にして世界に冠たる〜〜〜ってのが
単なる妄想に過ぎないと思うんです。
中国を植民地化ってのは300年後実際に失敗
したように無理。南北アメリカは遠すぎ。牧畜の盛んでない日本にオーストラリアが果たして
価値があったか・・・、(金の発見は19Cに入ってから。)しかも江戸初期にはまだ国内の
金銀山がちゃんと残ってる。
東南アジア各地に日本人町が形成されていた事を考えるとその後の展開はひょっとしたらと
思わないでもないですが、それも相当都合の良い仮定を繰り返さないとならないでしょうし。
後大航海時代の流れってのはヨーロッパの特殊事情によるものなので、ヨーロッパ外にある
日本がその流れにのらないのは当然でしょう。まして日本の場合、徳川幕府が成立した時は
朝鮮遠征失敗から間もない頃で、秀吉政権が対外拡張政策で傾いた事とあわせて海外領土
獲得ってのが国内の支持を取り付けられたかどうかも微妙な所。
>>261 産業革命前のイギリスと日本の人口増加率は共に0.7%前後で殆ど差が無い。
イギリスの急激な人口増加は産業革命による物と考えた方が良いと思います。
農業革命や産業革命が単に植民地があれば発生するという類の物で無い事は
スペインやポルトガルでそれが発生しなかった事からも明らかです。
ロシアも人口が拡大しても欧州内では相当遅れた国です。
産業革命は何故起こったか、それが何故イギリスだったか・・・という話になると
私の手には負えなくなってしまいますが・・・。
仮に日本が植民地を拡大したとして日本で産業革命が起こったかは別の話でしょう。
>>264 >鎖国してなければフィリピンやオーストラリアを植民地にして世界に冠たる〜〜〜ってのが
単なる妄想に過ぎないと思うんです。
私は鎖国していなければ普通にフィリピンやオーストラリアは日本の植民地、兼日本人の居住地になっていたと思う。
世界地図を見てください。スペインやオランダ、イギリスがどこにありますか?
フィリピンやオーストラリア、ニュージーランドがどこにありますか?
ようは日本は海流に乗れば一週間でフィリピンに行けたが、スペインからは半年以上航海しなければフィリピンには到達できない。
補給線というものを考えた場合、日本のほうが圧倒的に有利なのは明か。
島国で社会が高度に組織化されていた日本が鎖国しなければ、フィリピンやオーストラリアは簡単に日本のものになった。
そもそも当時の太平洋沿岸に日本に匹敵する国家は存在していない。
イギリスがオーストラリアを植民地にしたのは純粋に領土的野心からであり、牧畜が目的だったのではない。
日本も海外進出すれば領土的野心は当然持つはずであり、パプアニューギニアやオーストラリア、ニュージーランドは日本人が住み着き日本のものになっただろう。
>中国を植民地化ってのは300年後実際に失敗
17世紀に中国を植民地化するのは難しい。
しかし鎖国しなければ、日本の海軍力が巨大化していきイギリスがインドを支配したように、沿岸部から植民地化を進めていく可能性は高い。
もちろん中国もそれに対抗しようとするので一筋縄ではいかないだろうが。
>南北アメリカは遠すぎ 北米の西海岸はそれほど遠くはない。 北海道、アリューシャン列島、アラスカを得てカナダ西海岸、アメリカ西海岸へと島づたいに進出することが出来る。 アメリカの西海岸はヨーロッパよりは日本のほうがはるかに近い。 ヨーロッパがアメリカ西海岸に到達するには、海からはマゼラン海峡を回ってこなければならない。陸からは巨大なアメリカ大陸をつききってこなければならない。 アメリカ西部の開発が始まったのは19世紀になってから。 日本が鎖国していなければそれまでに日本人が海岸沿いで西海岸に進出した可能性が高い。
アラスカは19世紀にロシアが植民地にした。 それまではエスキモーしか住んでいなかった。 イギリスもスペインも全く手を出していなかった。 鎖国しなければロシアではなく日本がアラスカを支配しただろう。 陸路よりも海路のほうが長距離を移動する速度は圧倒的に速いからだ。 ロシアは人口の多い本国から遙かに離れたシベリアを経てアラスカまで進出した。 日本の本土はロシアよりも遙かにアラスカに近い。しかも海路で進出する事になる。 沿岸部にすぐに日本人の居住都市が出来たと思う。
日本がアラスカに進出する理由は何か? 鎖国していなければ商人の活動が活発になっただろうから、毛皮をとりにアラスカまで進出しただろう。 ロシアはそれでアラスカを植民地にした。 経済的な側面と共に領土的野心も触発されただろう。 ヨーロッパ各国が植民地を持ったのは経済的な側面だけではなく、領土的な野心もあった。
>>268 >沿岸部にすぐに日本人の居住都市が出来たと思う。
そんな事にならなくて良かった。
>・貿易を幕府の統制下におく事によって諸大名の勢力拡大を阻止し安定政権を築いた。 それが日本の停滞を生んだのでは? 江戸時代が暗黒時代といわれる由縁。 個人的には江戸時代は、戦国時代より酷い時代だと思いますね。 戦死者が出ない変りに、餓死者のやまと。
東北の口減らしにシベリア侵略はどうだろう。
鎖国により良かったことは戦争が無かったことです。悪かったことは出島の 独占貿易により、高級サムライと豪商のみが多くの利益を得る、偏った社会ができた ことです。伝染病も少なかったことも良かったと思う。
>>271 おいおい、江戸時代は基本的には安定的成長の時代だぞ。
餓死者の山が出たの東北や稲作に向かない一部の地域の話。
全体としてはむしろ豊かな時代。商人が大名を超える力を
持ったり、民衆娯楽が栄えたりと暗黒時代ではありえない
事象が多々起こっている。
そもそも政権の安定していない国なんて植民地化候補でしかない。
まちがっても政権安定無しに世界に雄飛なんて無理。
275 :
世界@名無史さん :04/02/14 10:13
遠洋航海能力が無かった明治前の日本でどうやってアラスカまで行くんだ?
そこで伊達正宗のガレオン船ですよ
世界制覇には、中国との衝突が起きる事は間違いない 大陸へ進出せずに、海洋へ出るとしても、だ 鄭氏を支援しつつ、中国を分断させ続ければかなりいけたのでは 欧州の絶対王政のような海外進出は難しいが、個別に進出し 東南アジアで武士がマムルークみたいな形で勢力を得たりしても中国から茶々が入らない 貿易の事を考えると、当時のアメリカに進出する意味が見出せん
中国は強敵だが、中国は海外に関心はうすいから、中国とは同盟関係を結びつつ、東南アジアに進出して、香辛料貿易を独占 するのを目指すのが、江戸初期としては最善。18世紀に入ると香辛料需要が 減るから、それまでにインドに進出しなくちゃならんが、イギリスにできたことだから 日本にもたやすいだろう。ニュージーランドに進出するのも、地理的な位置からすると 日本にとってはいい策かもしれない。
感情的に鄭氏を応援したいのは分からんでも無いが、実際それをやれば 台湾の領有が不可能になるし、むしろ金や物資を出させられるのがオチ かと。それで清が揺らぐとは限らんし。 漏れなら逆にまず琉球を直轄領にして、そこから台湾に攻めこむな。 鄭氏はまわり敵ばっかりだし、台湾全体を完全に支配できているわけでもない。 日本が総力をあげればなんとかなるだろう。(それでも何とかならないなら アジア進出なんて無理)で、鄭一族と明のロイヤルファミリーを清に引渡し 敵意が無いことを表明。むしろ朝貢しますぐらいの態度にでておく。 清としてもやたら滅多ら敵を増やすのは得策じゃないから無理に敵対路線は 取らないだろう。
>>278 その根拠の無い日本の強さはどっからくるんだ?
楽観だけなら北だってアメリカに勝てるわw
>>275 だから日本に遠洋航海の能力が無かったのは江戸時代の鎖国政策のせいだ。
大型船の建造を禁止して、海外への航海も禁止した。
日本は遠洋航海の能力を鎖国によって完全に殺したんだ。
鎖国する前は朱印船貿易でわかるように、日本にも遠洋航海を行う船を建造する技術があった。
そのまま貿易を行っていけば、西欧の影響をうけたりして造船技術も発達するだろう。
日本は島国なんだから本来、遠洋航海の能力を身につける上で有利な状況にあった。
なんか、ここで鎖国は良かったとか言っている人って17世紀から近代までの世界史の流れが知識的にかなり欠落してるんじゃないかな?
>>280 根拠ならある。豊富な食糧生産力に豊かな人的資源、加えて武器生産力や軍隊の
運用能力も戦国時代を経て一流になっていた。また、ヨーロッパに比べると
東南アジアに対しては地理的な意味でも優位だった。
>鎖国が無ければ日本は世界を制覇していた このタイトルスレッドで云々してる時点でアウトさ。 ゲームパラメーターや火葬戦記の話はガンダム板行けよ
>>283 そんな一流国家が朝鮮すら占領できず政権崩壊起こすのか。
それじゃ同じ一流の西欧列強はアフリカの部族抗争に巻き込まれて
滅亡してるかもね。
鎖国しなければ日本は分裂したみたいな意見がある。 戦国時代の下克上は秀吉の天下統一で終演し、兵脳分離が確立された。 秀吉から家康への移行は日本を分裂国家にさせなかった。 秀吉の時代で日本は社会システムがアナーキーさを克服する段階になった。 もはや秀吉のような農民上がりの人間が天下を取れる時代ではなくなった。 日本としての統一感が形成された。 だから鎖国をせずに、江戸幕府の崩壊が早まろうと日本そのものが分裂した可能性はほとんど無い。
>>285 当時の朝鮮の人口は500万人とイギリスと同じくらいの人口があった。
決して小国ではない。また国家として民族として完全に統一されていた。
だから歴代の中国政府も完全な直轄地にすることは出来なかった。
モンゴルや清もそうだ。
朝鮮が弱小国になったのは19世紀からだ。
また秀吉の朝鮮侵略は明の援助を受けることも出来た。
海外からの強力な援助は弱小国でも大国に抵抗する力を与える。
アメリカのベトナム戦争、ソ連のアフガン戦争等。
西欧がアフリカを本格的に植民地化したのは19世紀からだけど・・・・ アルジェリアやモロッコさえもヨーロッパは19世紀まで征服できなかった。
ところで鎖国して18世紀から150年間人口が停滞してるってどう思う? 18世紀から19世紀にかけてヨーロッパは人口が激増しているんだが。 中国でさもね。
>>287 アメリカだってソ連だって自国を潰すほどの勢いで攻めれば勝てたわけで、
日本はそれをやっても勝てなかったわけで。
それじゃ強力な西欧の大国の援護付きの東南アジア諸国や
強力な大国の遠征基地を兼ねる植民都市には勝てないって。
>>290 そりゃ産業革命を起こした国々と国際貿易一人勝ちしていた国だからな。
そのどっちかが日本に出来るのなら(もちろん鎖国下で得られた資本の
蓄積や経済の自立性無しに)日本も人口大激増したかもね。
>>290 朝鮮をアフリカの部族と比較するのはどうかと思う。
日本と朝鮮との国力比をヨーロッパで強引に例えるならモロッコが妥当だ。
ヨーロッパと隣接していた。当時の欧州諸国と比べれば国力は劣るが19世紀後半まで独立していた。ヨーロッパは征服できなかった。
征服が容易になったのは西欧の国力が急激に発達した19世紀になってからだ。
国家意識のある文明国家を征服するのは容易なことではない。
朝鮮も同じ。
東南アジアに関しては西欧は強力な勢力ではなかった。日本が本格的に進出すれば、容易に西欧勢力を駆逐できただろう。
強力な西欧の大国の擁護付きに東南アジア諸国ってどこ? ジャワ?タイ?フィリピン?スマトラ?マラッカ?ベトナム?
>>266 距離的な問題を超えて、16Cにはスペインポルトガルの植民地が増大していった
所が世界史上特異なわけですし、フィリピンがスペイン領だった事実を考えれば
距離を考慮する必要はあまり無いのでは?
海流に乗れば一週間でいける?と言うのは謎なんですが・・・・
フィリピンから日本へは日本海流(所謂黒潮)が流れていて押し戻される事になるかと。
倭寇は別に海流にのって南下していたわけではないですよ。
仮に一週間でいけたとして、その位置にあるフィリピンに16Cまで日本人が進出しなかった
事実を見ればそれほど魅力的な土地だったようにも見えませんが。
海外進出すれば領土的野心を、ってのは順序が逆では?単に交易すれば領土化を
するわけではないでしょう。アラブ人の商圏は全インド洋に渡っていましたが
実際に領土化された地域はそれほどありません。例外的にオマーンのような例もありますが、
広大な領域を支配したにも関わらずヨーロッパ型の発展を遂げていません。
当時の太平洋沿岸には既にスペイン・ポルトガルオランダが進出を開始していて
それほど先行アドバンテージがあるわけでもないです。
インドと中国を同一視するのは無茶です。インドには清にあたる巨大勢力が無かったわけで。
>>267 島伝いに進出って正気の沙汰とは思えません。
千島列島の気候は冬季には吹雪が続き、集落は孤立します。
これは第二次大戦で失うまで変わらず、択捉島や国後島の住民は冬季には
雪に包囲された集落での耐乏生活を強いられていました。
夏には濃霧に覆われる日が多く航海は危険です。
晴天が多いのは秋ですが、この時期は台風が頻発する季節でもあり
17Cの段階で安定した補給ルートになりえるでしょうか。
アイヌ人がイタオマチプというカヌーの一種を用いてオホーツク海を航海は
していましたが植民地を維持できるほどの輸送力を維持できるようになったかは
疑わしいです。それが北米大陸までとなれば尚更。
アラスカに移住した日本人はそこで自給自足しろとでも言うんでしょうか。
それと北米大陸太平洋岸は山脈と砂漠が続きます。カリフォルニアは
ゴールドラッシュ以後、相当人工的に環境を改善してようやく人が住めるように
なった場所で、ある日突然到着しても魅力は感じないでしょう。
東海岸で大規模農場経営が可能であればこそ、ヨーロッパ人は東岸に住み着いたわけで。
実際ロシアはそれでアメリカ大陸から手を引いています。
296 :
世界@名無史さん :04/02/14 14:54
バンクーバー、シアトル周辺は暖冬冷夏でかなり気候もいいし 雪山の山脈がひかえているので水も不足しない。 そこに達するまでは確かに大変だが。
>>271 じゃあなんで江戸時代に人口爆発がおき、しかも生活水準が向上したのでしょうか?
戦国時代が続いていれば餓死者が出なかったとも思えません。
植民地のあったヨーロッパでも食糧不足は頻発しています。
>>278 中国との同盟は歴史上悉く失敗しています。中国は日本を対等とは認めないでしょう。
日本は中国の風下に立とうとはしないでしょう。
イギリスにできたから日本もって江戸時代が始まった頃はまだムガル帝国が健在。
1660年頃までにはオランダ・イギリス・フランスが進出を開始していて、これらの国との
競争になります。
基本的に自分達に無い概念を生み出すのは非常に困難で、欧州から離れた日本が
欧州の波に乗ったとは思えないですね。
ニュージーランドがタスマンに発見されるのは1642年の事で、当然それ以前の日本人も
知らない島です。存在するかしないかも分からない島に進出なんてのが現実的な
政策になるはずもありません。
結局東南アジアに勢力を築けるかどうか、と言う可能性はあるとして、その後の展開は
妄想に頼るしか無い部類になるでしょうね。
(日本銀を背景にした日本商人の財力は当時東南アジアでも相当だったはずなので。)
>>289 中国の人口増加は決定的な学説が無いそうですが、欧州のそれとは違う要因に
よるものでしょう。
ttp://www.geocities.co.jp/CollegeLife/7906/2-1-s.htm 上記ページの解説を信じれば、清代の急激な人口増加の一因は
制度的改変によって隠匿、戸籍漏れしていた人口が一気に統計に
出るようになって膨れ上がった物と解されるようです。
実際に多少人口も増加したようですが、寧ろ中国にとってマイナスに働いています。
ヨーロッパでの人口増加は植民地獲得によるものでなく産業革命によるものです。
例えばイギリスの人口増加率は18Cを通じて0.3〜0.7を推移しているのに対して
19Cに入ったとたん1.45%に跳ね上がっています。
つまり18C〜19Cにかけてではなく19Cに突然です。
ただ例外もあって、フランスでは18Cから異様に高い出生率でしたが、
(ナポレオンが「余には毎年30万人の新たな臣下ができる」とかなんとか言ったそうです。)
19C半ばには出生率が激減し始め20C初頭には高齢化問題を抱えるというある意味
特異な国です。
この辺ちょっとどうなんでしょうね。フランスの人口史について詳しい人がいれば教えて欲しい所です。
二度目の「唐入り」で明国も大打撃を受けて、清に滅ぼされているわけだから、 三度目の「唐入り」があれば、朝鮮半島くらいは完全支配できただろう。 李舜臣も死んでいないわけだし。 秀吉の後継者育成能力の欠落は、本当に頭にくる。どういうセックルしてたんだか。
>李舜臣も死んでいないわけだし。 死んだのか死んでいないのか。
301 :
世界@名無史さん :04/02/14 19:21
70 :大人の名無しさん :03/09/21 15:01 ID:whstMPvv (´・ω・`)ヤマトタケシのテーマ どうせ この世に 生まれたからにゃ お金も欲しいさ 名も欲しい〜 自分の幸せ守りた〜い 僕だって〜 人間さ〜 僕だって〜 若いんだ〜 けれでも この夢 捨てさせ〜る〜 この世の悪が 捨てさせ〜る〜 71 :大人の名無しさん :03/09/21 16:07 ID:gR4ZRCRd にっぽんじんわーじゃまっけだっ!(死ね!) しねしねしねぇ しねしねしねぇ せーかいーのちーずぅーかーら消しちまえ しね(あ〜ん) しね(う〜ん) しねしね
19世紀の学会の次元にも達していないこのスレのレベルには脱帽。
>>294 >フィリピンがスペイン領だった事実を考えれば
距離を考慮する必要はあまり無いのでは?
距離を考慮する必要がないってどういう事でしょう?
フィリピンが征服されたのは国家が存在しない未開地だったから。組織的な抵抗ができなかった。
距離を考慮しない世界史の分析なんて不可能。
東南アジアにおける覇権争いなら本国の距離の近い日本のほうが圧倒的に有利なのは明かだ。
そもそもスペイン支配下のフィリピンの軍事力がどんなものだったと思ってるの?
>その位置にあるフィリピンに16Cまで日本人が進出しなかった
事実を見ればそれほど魅力的な土地だったようにも見えませんが。
17世紀のフィリピンは魅力的な土地になっている。
日本が鎖国しなければ、東南アジアの貿易拠点になる。また稲作が可能なので、大規模な農業生産が可能である。
またサトウキビなどの生産も可能である。
地政学的にもフィリピンは重要な位置を占めている。フィリピンを支配すれば、後は香料諸島、パプアニューギニア、豪州と南下する道が出来る。
日米開戦でフィリピンは重要な拠点だった。
貿易、地政学的、農業生産力、などフィリピンを植民地にすれば日本にとって非常に魅力的な土地になった。
>海外進出すれば領土的野心を、ってのは順序が逆では?
海外進出すれば領土的野心は当然でてくるものだが。植民地獲得戦争に日本が参加しないわけがない。19世紀以降の日本を見てみればわかる。
20世紀以前の大国というものは必ず領土的野心をもつものだ。
>>295 > アイヌ人がイタオマチプというカヌーの一種を用いてオホーツク海を航海は
していましたが植民地を維持できるほどの輸送力を維持できるようになったかは
疑わしいです。それが北米大陸までとなれば尚更。
なんでアイヌ人の航海能力を参考にしてるの?日本が鎖国しなかった場合のシュミレーションなんですけど。
>アラスカに移住した日本人はそこで自給自足しろとでも言うんでしょうか。
アラスカは豊かな土地で農業だけでなく林業や毛皮などの産物もある。当然、本国にそれらを輸出すれば非常に大きな利益になる。
沿岸部に出来た小規模な都市民が暮らすくらいの自給能力くらいはある。
どうしても食料が足りない場合は本国から輸入すればいい。
アラスカもシベリアもそんなに気候は変わらない。むしろ内陸のシベリアのほうが遙かに自然環境は厳しい。
アラスカは海流の影響で緯度のわりには温暖な気候である。
>北米大陸太平洋岸は山脈と砂漠が続きます。
北米大陸の太平洋沿岸部は極めて豊かな地域だと思いますが。大規模な農業も可能。
>ロシアはそれでアメリカ大陸から手を引いています。
ロシアが手を引いたのは、シベリア経営が大変なのにアラスカまで手が回らないから。
それならアメリカに高く売り渡そうということで売り渡した。シベリアそのものが人口過少でアラスカの開発に手がまわらなかった。
日本の場合はアラスカのすぐ近くに大規模な人口を有する本国が存在する。また北米の太平洋沿岸に日本が植民都市を建設すればそのルートにもなるので支配する必然性がでてくる。
勝手に脱帽していなさい
>じゃあなんで江戸時代に人口爆発がおき、しかも生活水準が向上したのでしょうか? 人口が増えたのは18世紀初頭まで。それ以後の150年間は殆ど人口は増えなかった。 当時のヨーロッパとは対照的だ。 何故人口が停滞したかと言えば、灌漑能力や農業生産力が停滞したため。 19世紀の開国後は西欧の技術を導入して再び急激な人口増加が始まっている。 鎖国のおかげで日本の人口は停滞した。
沖縄だってアイヌだって征服 東南アジアだってできれば征服する、だができなかった 船がダメで行く事ができなかった ってのが単純な意見で正しい
>ヨーロッパでの人口増加は植民地獲得によるものでなく産業革命によるものです その通りです。しかしヨーロッパの発展には海外進出や貿易による商業の発展が深く関わっています。 日本は鎖国していたので商業の発展がある一定の段階で抑えられてしまった。産業革命が起こるのは開国以後だ。 鎖国していたら永遠に産業革命はおきていないだろう。
>>303 実際に進出していなかったのですから、魅力も何も無いでしょう。地政学云々
は今だからこそ言えることで、当時の感覚からすればわざわざ辺境を狙うより
も国内の開発に力を入れた方が現実的というもの。
秀吉は朝鮮に出兵する以前にフィリピンに降伏を促しており、スペイン側は本
国に援軍を要請する一方で逆に台湾を占領する案も出していましたがどちらの
案も実現には至りませんでした。
結局明・朝鮮に目を向けた点からしても、「蛮地」を切り開くよりは新しい知
行地を増やす方が優先されていたのは明らかでしょう。
朝鮮出兵時の行動からしてみても、国外に攻め入るというよりは日本にあった
所領を拡大するという意識があったらしい。
そもそも「領土的野心」の対象外だったと言えるのでは。ジャングルや砂漠に
行くよりも明を狙う気になるというのが当時の常識的な発想であったかと。
>香料諸島、パプアニューギニア、豪州
江戸初期に発見された小笠原と香料諸島の区別も当初はついていなかったよう
ですよ。ましてやそれより南の地域など魅力以前の問題だったでしょう。
胡椒や黄金が山ほどあるといった求心力やそれを求めねばならない切羽詰った
状況も無いのにわざわざ冒険をする必要はありません。
310 :
世界@名無史さん :04/02/14 23:22
しかしスレがすすめば進むほど在日やサヨクの惨めさが浮き彫りに なるね。 今度生まれるときは日本人になって生まれて濃いよ。 あっ在日なんか魂なんかないから転生なんて無理だね
織田信長は世界初の装甲軍艦(総鉄張り、百丁艪、大鉄砲、大砲装備)ばかりか、炸裂砲弾まで開発していた。 加害用の小鉄片や延焼用の油脂をつめた砲弾が敵陣で炸烈する。 スペイン軍司令官ゴイティは織田軍がマニラ進撃を開始した時、勝利を確信していた。 織田軍はタガログ族と同レベルだ…。 むろん、完膚なきまでに撃破されたのはゴイティの方だった。 マニラはあっけなく陥落した。 ところが織田軍船団が澳門のポルトガル艦隊を急襲した留守、強大なスペイン艦隊が出現した。
312 :
世界@名無史さん :04/02/14 23:27
秀吉は朝鮮に出兵する以前にフィリピンに降伏を促しており、スペイン側は本 国に援軍を要請する一方で逆に台湾を占領する案も出していましたがどちらの 案も実現には至りませんでした。 > このスレでは鎖国していないのだから、ルソンは制圧は余裕。 日本人街は東南アジア中にできており山田長政のように 優秀な武将もいた。 したがって土人の軍事占領なんか簡単です。 千人や5千人も首を跳ね飛ばせば彼らは余裕で従うでしょうね。 胡椒や黄金が山ほどあるといった求心力やそれを求めねばならない切羽詰った 状況も無いのにわざわざ冒険をする必要はありません。 > 古代から日本人は魏史和人伝に記載されているように海洋民族でした。 つまり日本はチャレンジ精神が旺盛なのです。 かつて満州や南洋にいった先人たちの偉大さは昔からつちかわれていた ものなので、あなたの説は端から無理がありますよ。
>在日やサヨクの惨めさが浮き彫りに 見えない相手に良くやるなオジサン
314 :
世界@名無史さん :04/02/14 23:28
海外の宗教対策も万全。 信長のように現地の寺院を焼き討ちし、逆らう者は切り捨てれば 土人は従うものだしね。
315 :
世界@名無史さん :04/02/14 23:29
>>300 死んでいるよ。
遠く明国にまで聞こえし島津家が討ち取ったりぃ〜
>>312 >このスレでは鎖国していないのだから、ルソンは制圧は余裕。
「鎖国」をしていなかったからといってわざわざ海外へ侵攻する必要なさそ
うですが。制圧は出来るでしょうが、当時「日本」以外の土地にそこまでの
魅力を感じていたのかどうか。
>古代から日本人は魏史和人伝に記載されているように海洋民族でした。
魏志東夷伝倭人条とまでは言いませんが、誤字は止めましょう。第一素もぐ
りしたぐらいで「海洋民族」というのは?そもそも海洋民族とは何です。
意味も無いのに海外へ船を繰り出すような人々の事ですか?
それにあなたの言い分を受け入れると弥生時代から「日本人」という一つの
概念が存在し、しかもそれが17世紀まで変化していなかった事になります。
邪馬台国が九州にあったのか畿内にあったのかは分かりませんが、あの中に
東日本の風俗が描かれているとは思えず、しかもそこの人々もまた「海洋民
族」と言われるような生活をしていたとは限りませんが。
日本はほぼ「単一民族国家」と言えるかもしれませんが、「多民俗国家」で
あり続けたのは確かな事です。
そう、島津お得意の作戦、退く様にしておいて安心した敵を急に攻立てる
318 :
世界@名無史さん :04/02/14 23:56
半島すらも制圧できなかったのに。。。 世界? 無理無理。
だからモロッコを制圧出来なかったスペインが当時の海洋を支配してたんだって。 国家意識のある文明国家を征服するのは容易ではない。 東南アジアの諸島国家はタイやベトナムをのぞき国家意識がなかった。 そのため容易に制圧できる。 もちろん19世紀になれば近代化に成功した国は軍事力で圧倒的な優位にたつ。 近代になってから朝鮮もモロッコも征服された。
320 :
世界@名無史さん :04/02/15 00:00
>>318 首都が陥落して、王族の多くが捕虜となっても制圧できなかったってか?(w
朝鮮は民族浄化しなきゃ制圧と認められないのかな?
>>316 日本が鎖国しなかったことを前提に話してるから。
鎖国しなければ、海外進出を行っていただろう。少なくとも鎖国して19世紀後半に開国した後に侵略を始めた史実の日本よりは。
322 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/15 00:09
>>319 制圧出来なかったとは言いません。ただスペインが求めた黄金のように、日本
が積極的に求めるべきものが無かったのではないかと。
>>320 兵站の確保が出来ず、恒常的な占領に至らなかったという事でしょう。
>>321 ただあれも欧米を脅威と感じるようになった日本がそれに追いつこうとやっ
たと考えられるのですが・・・。それ以前に侵略したでしょうか。
まあ仮に積極的に侵略したとしてもオスマン帝国同様18世紀後半あたりか
ら差をつけられてせっかく占領した地域を奪われそうな気もするのですが。
323 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/15 00:11
>>321 よく考えたらおかしいですよ。
>日本が鎖国しなかったことを前提に話してるから。
だから「開国」=対外侵略にはならないでしょう。
>鎖国しなければ、海外進出を行っていただろう。
ここから始まれば意味がとれますが。
当時の太平洋沿岸に日本に匹敵する国家は存在していなかった。 台湾、フィリピン、香料諸島。 どれも貧弱な軍事力しか持っていない。 日本が本気で進出すれば容易に制圧できた。 さて進出する動機だが、領土欲や海外との貿易における覇権争いなど無数の動機が存在する。 実際に九州大名の有馬は台湾に兵隊を送っている(失敗したらしいが)
江戸幕府が琉球を支配したのはどんな動機だったのか? 北海道を支配したのはどんな動機だったのか? 樺太を支配しようとしたのはどんな動機だったのか? ロシアがシベリアを支配したのはどんな動機だったのか? 答は領土の獲得と貿易と富を求める野心だ。
326 :
世界@名無史さん :04/02/15 00:15
鎖国政策を行わずに、海外貿易を盛んにすることによって、 日本国内の産業の発展を推し進めることができた、という論は大いに理解できます。 でも、日本が海外進出して、北米大陸や東南アジアやオセアニアを 植民地化すればよかった、と言っている人たちの気持ちは理解できないなあ。 江戸時代に、日本がそんな広大な植民地を獲得していれば、 現代の日本の姿、日本人の姿そのものが、大きく変わってくるわけだよね。 日本国の領域って、現在の日本列島だけじゃ足りないの? 僕はどちらかと言うと、思想的には右に近いと思う。 帝国主義時代の日本の行動も、大いに評価してる。 でも、江戸時代に北米大陸やオセアニアを植民地に、というのは理解できない。
327 :
世界@名無史さん :04/02/15 00:17
>>322 それなら恒常的な占領なんてありえない。
アメリカ領ハワイ諸島なら恒常的占領と言えるかも。
家康や秀吉本隊を温存してたからなんともいえないけど、総力戦なら明国は滅びていたよ。
328 :
世界@名無史さん :04/02/15 00:17
>>326 そんな考えではオーストラリアがイギリスに取られるのは当たり前。
江戸時代に、海外に広大な植民地を獲得していたと仮定すると、 我々が住む現代の日本国は、全然違う姿になっていた可能性が非常に大きいよね。 植民地獲得を推進していればよかったと考える野心的な人たちは、 いったい今の日本の姿を、どのように考えているのか。 どうあってほしいと考えているのかを、教えてほしい。 僕は頭が悪いので、そういう歴史を踏まえた日本の姿というのが想像できないんだ。 このスレではいろいろ議論が紛糾していて面白いけど、 鎖国否定派の人たちも、ふたつに大別できるような気がするな。 植民地の獲得を目指すべきとする人たちと、 海外と交易することによって、西欧の産業発展についていくことを、 目指すべきだったと考える人たちと。
>>328 そもそも、オーストラリアがイギリスに取られることは、
悪いことなの?
331 :
世界@名無史さん :04/02/15 00:58
>>323 鎖国前まで日本人は積極的に進出していたのだが。
それに侵略ではない。従わない奴らを討伐しているだけだ。
332 :
世界@名無史さん :04/02/15 01:00
>>330 横レスだが、戦に善悪は無い。
日本という国家にとって魅力的な土地を確保し、
大和民族が住みやすいように改造するのは
当然の話だ。
対立する文化圏や住民を討伐し自国の生存権を
拡大するのは当然の話だ。
333 :
世界@名無史さん :04/02/15 01:02
>>323 つーか満人ですら余裕で明を倒したからな。
シナの軍隊は皇軍に連戦連敗だったし、
おそるるに足らず
334 :
世界@名無史さん :04/02/15 01:07
間宮林蔵などの行動を見ていると、鎖国をしてなければ、カムチャッカからアラスカ、北米は日本領になっていたのは確実。
335 :
世界@名無史さん :04/02/15 01:13
>>334 つーか林蔵が発見したのだから樺太はもちろん、シベリアや沿海州は
日本領土と主張できるはずなのにね・・・・・
間宮海峡を発見したのは彼なんだし。
336 :
世界@名無史さん :04/02/15 01:19
>>329 日本はアメリカ人や中国にかわって北米とシナの大部分を制圧し、
シベリア、沿海州、南米、東南アジアらを影響圏とし、
天皇を中心とした大帝国を築いていただろうね。
オナニースレの香り・・・
l|..;' .r''Yj .|'ン_,,,_ナ'‐/ | _ j゙ l l |l, ', '; ゙ l |. | (;!.| l<f;':::::j`゙ ,、/ヽ!.| |.|! l l,.リ | lヽ!.l .|'┴‐' /ィ:ハ リ.j.ハl .j| .j.| l | :| い| , ヽ/ ゙ィ゙|//.ノ|/j /ノ j .| .|. l' 、 。 /j| j / ソ l | j | \,_ _,..ィl,ノj.ノ ,' j ,r'iノ ./ _,、..Yj'T´l,. | l, …それは私のことですか? /,.- '´:::::l, | ,.-‐'.ド、;: l,. l,.';、 /,ヾ;.、:::::::::::::ヾ! ´ ノ:::::::「ド、'l l, /´ ゙\'、'、:::::::::::::l 「:|::::::l.l| ゙l,l,'、 | \ヽヽ、::::| j:::|::::/,イ .j.'、ヽ l、 ヾ'7-、,.;゙ l、::j;/ト;l, l, ヾミ、 ト、 .| ゙'j Fj.ヒ;'_ノ l l, ヾ、 ! ,,...、、.ヽ, / |´ f/ .レ‐―:、 ヾ;.\ l,/:::::::::::;;;;;Y .f7''ト! 〉-‐-、l, い,.'、 l;::::;r‐''´ ./ |' !.! / Y゙ ! |. l, ヾ;ム { |. | | l, .|lヽ l j ! ,.ィ'´゙ト-、 l l,.|. \ .ハ, /'´.,n i.゙'ヽ. j L_ |\,_ .,ィ゙ l/j, .j:r' ノj ,'.ド! .j`゙゙'7'''''フ'ーr‐:ッ'/7::l゙ト-:<ノ.ノ /::::::/::::/::::/::rシ/:::;'::l:::|:::::|゙'´!'、 ,'::::::/::::/:::/:://:::::::::Lr‐y:::::|:::::l:::'、 ./:::::/:::/:::/:://:::::;.ィ'" .ヽ、,|::::::l;::::'、 .,':::::/:::/:::/:/::∠,,,,,,_,...--‐'´゙>ァ:::::::l, /:::::/::/::://:::/ ∞ / `'ヽ、,l'、 .,'::::/::/:::/;'_;;ハ、; ;/ ゙ト;l, /::::/:/::::/;r' \ / |〈! /l:::;':/:::::;イ `'ドr=/ |:::
>>293 全部。
国が潰れる危機ならば何処にだって援助を求めるさ。
求められた側もそれで権限拡大できるなら喜んで参戦する。
340 :
世界@名無史さん :04/02/15 02:12
>>339 西欧の大国って17世紀の段階では東南アジアでは大した勢力ではないが
東南アジア諸国ははっきり言って弱いよ。鎖国していない日本の海軍力に容易に蹴散らされただろう。
341 :
世界@名無史さん :04/02/15 02:16
日本人は適応力がある。開国すれば電光石火で状況に適応できるのだ。 これはシナや半島には皆無の能力である。 実例をあげよう。 開国時に欧米の軍事力に真っ先に反応したのは実は江戸幕府なのである。 黒舟をみて彼我の差を痛感した幕府首脳陣は文久の軍制改革を行い 豊富な資金力をいかして瞬く間に洋軍装備を整え、海軍を整えたのである。 フランスの援助を当初仰いだが、国産に切り替え、国産の武器を使用 したのだ。 考えてみてほしい。 日本が薩長のテロリストに震撼していた時期になぜ列強の侵略が無かったか? 簡単な話である。幕府が強かったからである。 この事ひとつとってみても日本の潜在能力の高さが伺える。 幕府が本気になればアジアや世界など簡単に掌握できたとみて まちがいないのだ。
342 :
世界@名無史さん :04/02/15 02:18
まともな議論が始まったかと思うと、厨房がオナニーレスして、それの繰り返し。 もううんざり。やはりこのスレタイでまともに議論が起きるのを期待するのには 無理がある。
343 :
世界@名無史さん :04/02/15 02:18
無論鎖国をしていないという前提条件であるが、 幕府は兵器の改良を禁じていた。 しかし、必要に迫られると瞬く間に欧州の侵略を阻止できる 実力を身につけたのである。 まさしく家康や家光が本気を出せば世界は日本の物となったで あろう。
344 :
世界@名無史さん :04/02/15 02:27
日本史板は厨の巣窟と化しているからここの方がまだマシだよ
>>304 17C前半時点の場合、距離が近い=日本が勝利できるの構図をたてるのは無理では
って事です。その理屈でいけば別に東南アジア島嶼部を支配するのは
チャンパでもアユタヤでも有利な事になってしまう。
スペイン支配化のフィリピンの軍事力より先にそこまでの補給が問題でしょう。
距離的に近いはずの朝鮮半島でさえ兵站面で問題が出たわけで。
17Cのフィリピンが魅力的な土地になっていたというのもよくわかりません。
18C半ばまでフィリピンの財政はメキシコ政庁に依存して成り立っていたのですが。
道ができるってのも意味不明です。この時期の東南アジア交易路の主流は南シナ海の
西部、ベトナムを経由するルートが主流だったはずです。
300年以上後の太平洋戦争で重要な位置を占めていたからと言って江戸初期にそうだと
言うのは暴論です。太平洋全域が戦域に含まれるような大戦争を当時予見できるわけありません。
また香料諸島、パプアニューギニア、豪州と言うのは当時日本でまるで知られていない土地で、
無い土地に向かって前進しろなど、誰からも呆れられるだけでしょう。
346 :
世界@名無史さん :04/02/15 03:15
兵站が問題になるほど戦力要らないだろう? んじゃスペインはどうやってフィリピン侵略したんだよ。 語るに落ちるとはこのことだな(w
348 :
世界@名無史さん :04/02/15 03:22
そもそもメキシコとフィリピンの距離と 日本とフィリピンのどちららが近いか考えてみよう
>>304 当時オホーツク海での航海をしていた実例としての参考ですが。
なんせ1600Cにオホーツク海を航海した日本船の話は聞いた事が無い物で。
アラスカで稲作は不可能です。林業って当時日本の材木需要は国内生産だけで
十二分にまかなわれていたので、距離が遠い分輸出競争力がありません。
本国からの輸入が困難なのは先に述べたとおり。
って言うか耕地面積が足りない云々で対外進出すべし論が展開されているのに
進出先で足りなくなった食料を本国から輸入できるなら最初から海外領土なんて
いらないって事になるんでは?
ロシアに関して、ロシアが放棄したのと同じ理由で日本も要らなくなると思いますが。
北海道、千島、カムチャツカ、アリューシャンはどれも人口希薄な地帯で
しかも自然環境は必ずしも良くなく経営努力の必要な地域です。
日本からアラスカまでがすぐそばと言うのも分からない話です。
アメリカ大陸西岸に植民都市を建設して本国に何を送るんですかね?
米なら本国で作れるし金はまだないし、石油は当時使わないし木材も本国にある。
冒険商人の活動は圧倒的に東南アジアに偏るだろうし、およそ非現実的です。
人口について、鎖国後(1639年とする)も100年近く人口は増加を続けているのですが
如何お考えでしょうか?あと欧州の技術を導入してすぐ人口が増大するのなら、海外領土は
いらないでしょう。開国していたからといって海外雄飛の必要は無いのですし。
350 :
世界@名無史さん :04/02/15 07:51
60 :名無しさんの主張 :04/02/14 00:20
新人レイプマン誕生!スーフリとの関連は?!
電通のレイプマン
サトウ食品のバカ息子を追放せよ
広告板は今お祭り騒ぎ!!
http://society.2ch.net/test/read.cgi/koukoku/1076247919/l50 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
電通社員と受付嬢が会議室でバックでやってるところを会議室の監視カメラが
しっかりと記録していて、受付嬢だけが首になった。社員はというと・・・、結局
なんの影響もないし。
これってどうなの?
※スーフリの元幹部
※名 前:サトウカズヒロ
※出身大学:関西学院大学
※出 自:サトウ食品の息子
※部 署:ネットワーク3部フジテレビ担当
351 :
世界@名無史さん :04/02/15 09:52
個人的には、鎖国しなければ東南アジアに進出していたろうとは思うが、 北米大陸方面はピンと来ない。 沿海州〜オホーツク海、樺太まで行っていた可能性は高いだろうがね。 実際、室町時代から東北ではそっち方面の交易活動が盛んだったようだし。 秀吉の朝鮮戦役の場合、ある程度組織的に敵が補給を妨害できたから 苦戦した。 中国人、現地人、ヨーロッパ人と利害の錯綜する東南アジアの海域で、 (特に現地人とヨーロッパ人はそれぞれの国があるわけだし) そこまで組織的に日本人の活動だけを妨害できたとは思えない。 「敵の敵は味方」だし、日本人と手を組もうという勢力もあったろう。 貿易中心にやってる限り、補給の問題は心配するほど大したことには ならないと思う。
今起きた。
>>332 >日本という国家にとって魅力的な土地を確保し、
>大和民族が住みやすいように改造するのは当然の話だ。
>対立する文化圏や住民を討伐し自国の生存権を
>拡大するのは当然の話だ。
なるほど。
で、あなたは日本が太平洋を支配すべきだったと思いますか?
この質問は、非常にパーソナルな質問だと思ってください。
教科書的な答えはいりません。
あなたが、日本が太平洋の覇権国家たることを望むか否か、それを聞きたい。
私の考えを先に述べさせてもらうと、私は今の日本の姿で十分だと思っています。
狭いけど美しい日本列島に、我々日本人が住んでいる。これで私は満足です。
私が仕事の接待で連れて行かされるフィリピンバーの
お姉ちゃんたちも「日本人」だなんて、理解できんのです。
330さんじゃなくても、330のように考える人からのお答えをお待ちしとりますです。
354 :
世界@名無史さん :04/02/15 13:26
俺たち国民は国家がより繁栄すべく常に演習しなければならない。 それを否定する奴はまず工作員と思って間違いない。
>>347 最後までムスリム系王国との抗争を続けました。地図上では16C以降、
フィリピン全域がスペイン領という事になってますが、南部地域の支配権を
最終的に確立する事はできずじまいだったはずです。
しかも相当期間オランダの攻撃を受けていて、1600年の攻撃以来、
1848年まで続きます。
このスレの流れだとフィリピンでも「大規模な日本人の殖民」が想定され
ているようですが、これらを保護するのにも兵力が必要になります。
征服したらその後は防御しなくてはいけないのですが兵站が問題になる
程の兵力がいらないと言うのは理解できません。
当時スペインの兵力は恐らくはメキシコからの補給と現地調達で成り立って
いたはずですが、日本にはメキシコは無いし、原住民の取り込みは日本の
苦手とする所(実施した例もあまり無いように思う)で、成功したとは思えません。
中国人が貿易で活躍してた事を考えると中国からの補給があったとも考えれますが・・・
>>348 メキシコとの貿易がフィリピン経済の根幹を成していたので、、
日本領だった場合とスペイン領だった場合を同一視できないと言う
事です。
近けりゃいいって物ではありません。政庁の収入をメキシコからの
補助金で頼ってたって事は現地政府だけで自立できるだけの経済
的基盤も無いって事なので、日本が制圧した場合本国の資金から
それを提供しなくてはなりません。この辺魅力が無いと考える点ですが。
結局フィリピン領有について
能力的には微妙、できたかもしれないしできなかったかもしれない。
(今までの書き込みのとおり、できなかった可能性が高いと考えてますが)
しかし実利は殆ど無かっただろうと思いますよ。
鎖国前は日本人街ができはじめてたのだから、 鎖国しなければ東南アジアにより進出していたのは明らか 華僑が国策的にあんまり出てこないとすれば 統治しようとするか、しなくても華僑とかのように牛耳ることはできそうだ ただ、西洋人のように完全に異人種と見て奴隷にできるのか、 モンゴル人とか、西洋人とか狩猟民族とやり方が違うかもしれない
南蛮人の来日といえば、南蛮屏風に描かれているような黒船(ナウ)のイメージ が強いですが、元々マラッカ海峡より東では中国人の勢力が強く、初期の南蛮交 易は途中でジャンクに乗り換えた面々と行われていたようです。 16世紀後半以降も已然として無視は出来なかったらしい。 >357 >狩猟民族 今時「狩猟民族」とか「海洋民族」といった表現で国民性を表す事はまずあ りえません。日本にも芋作・狩猟の盛んな土地は多かったですし、農耕云々 を言うなら農業大国のフランスはどうなるんだという話になりますから。
>>357 華僑のネットワークとヨーロッパの軍事力が手を結んで現地住民を支配する
当時の東南アジアに日本人移民がどれだけ入って行けたか。
傭兵以外の需要を見出せれば東南アジアのあちこちに日系社会ができたかもね。
フランス人がフランク人で、槍を投げる人って意味だったようなきがするんだが
>358 いいやすいように使ったのだけど そんな事を言い出すなら、国民性という言葉自体、ありえなくなるね。
牧畜の一般的でなかった日本では奴隷や宦官が発達しなかった、というのはある。
363 :
世界@名無史さん :04/02/16 02:50
>>361 国民性はありえなくならんだろ。
海洋民族・狩猟民族・農耕民族の区分けは意味が無いってだけで。
西洋人が狩猟民族ってのが意味不明。
農業中心の地域だから農耕民族でもあり大航海時代を開いているんだから
海洋民族でもあると言う事になるんでないかい?
364 :
世界@名無史さん :04/02/16 05:17
どっちかというと日本は、東南アジアの文化に近いんじゃないかな。 海洋民族って感じか。 古くから大陸の文化の影響を受け、江戸時代に儒教をが入って、かなり薄くなったが、 その影響は色濃くのこっている。(血より村というか集団を大事にする体質とかね) だから案外、儒教の強い影響が入る前なら、東南アジアに土着するのは無理ではないと思われ。
>>364 んじゃどういうことなんだ?
頭の悪い俺にわかるように教えてくれ。
俺の頭じゃ文脈から狩猟民族・海洋民族・農耕民族ごとの行動様式がある
と言う風な主張にしか読めん。
>>363 私も国民性自体を否定した訳ではありません。もっとも県民性同様、これも
一つの目安にしかなりえませんが。
368 :
世界@名無史さん :04/02/16 10:21
頭悪くてかわいそう
>>362 =
>>364 =
>>368 ↑
思いこみを他者に通じるよう求められ、
実は何も根拠がなかったことに気付いてファビョり、
罵倒に走り出したアワレなヤシ。
>>362 =
>>364 =
>>368 ↑
思いこみを他者に通じるよう説明することを求められ、
実は何も根拠がなかったことに気付いてファビョり、
罵倒に走り出したアワレなヤシ。
鎖国がなければって… 今まで何時何処でどの国が世界を制覇した事があるんだ? アメリカか?ロシアか?ドイツか?イギリスか?フランスか?スペインか?トルコか?中国か? あるいはモンゴルとか… それだってパレスチナやヴェトナムや日本やらを支配できなかったわけで それなりに拡張したかもしれんが制覇など、無理
種子島式火縄銃を中国と朝鮮に伝えたのは 意外にも日本である アジアの先進国であった明も、銃や砲術に関しては日本より百年近く立ち遅れていた 当時の明の銃は銃床が無く銃身のみ、片手に持った火縄や火箸で直接点火する手銃や三眼銃だった もののけ姫に出てくる銃を想像してもらえればよい 保持しにくい上銃身の形も悪く短く、命中率は最悪だった ところが秀吉の朝鮮出兵の際、加藤清正の部下の岡本越後守が捕虜となってしまい 種子島銃の製法を伝えてしまったのである(この後越後守は土着し金忠善と改名 民間伝承で沙也可として有名) ちなみにこの朝鮮出兵の際、日本の火縄銃や大筒が予想外の長射程から狙撃し、明・朝鮮軍を驚愕させた 慶長三年秋の泗川攻防戦の際、550mも先の敵側の火薬集積所を特別な長銃身火縄銃で狙撃 爆破し 敵の士気を瓦解させ勝利の元を作ったのはつとに有名 日本武士の前に敵はいない!
>>355 新資料をみれば分かるように日本武士は「最強」なんだよ。
そこんところをかんがえようね。
ちなみに島津は泗川攻防戦の時に30万の明・半島の連合軍に対して 圧勝した。 琉球討伐も鎧袖一触であったわけだし、一地方の軍だけでもこれほど強い わけなんだよ。 ルソン島の野蛮人なんか余裕だよ。富士川の平家のように戦わずして 降参すると思うよ。
また個人の戦闘力も凄いものがあった。 加藤清正は虎を退治したし、岩見重太郎は大狒々を退治したし、 佐々木小次郎は燕を風と共に切り、宮本武蔵は吉岡道場の面々を なで斬りにした。 これは武士が勇敢で敵に後ろなど見せないから出来る事なんだね。 明なんか三国無双のように1人に999人オーバーでなできりさ。
376 :
世界@名無史さん :04/02/17 02:08
>>371 マイクロソフト。
もしかしたら日本は経済・技術で世界を制覇してたかも。
何とでもいえる妄想の話で。
狩猟民族って言ったのはゲルマンがそうだったから、それ以外なし 日本は弥生前まで狩猟、採集、漁労だったけど、一か所にいたことに代わりない モンゴル、トルコ、ゲルマンとか、移動しながら狩猟牧畜とか、 北ユーラシアの子孫が起した国の征服のしかたと違うのかも知れないなあ といっただけ、狩猟民族がダメなら国民性だめんはいいすぎたが 西洋人=残酷を表現するのにぴったりな感じだった
>>377 おまいはヨロイカブトに身を包んで、神風連の乱でも起こしてなさい。
>378 アジア人を奴隷としか見てなかったんだから残酷にきまってんじゃん 西洋人は中華秩序も関係ないしそりゃひどい事やってたろうよ、 神風連の乱だって死ぬ覚悟なんだよ 何がヨロイカブトだバーカ
380 :
世界@名無史さん :04/02/17 05:41
dykdkg
また話が厨な方へ・・・ このスレでは陸の方は純軍事的にはいいところまでいくってのは もう共通認識なんだよ。問題なのは ・そもそも鎖国政策を取らず開国して貿易推進を行った場合どうなるか ・仮に海外進出するとして、軍事力を利用する必要性がどこら辺で 出てくるのか ・当時の欧州に対抗するだけの海上戦力・輸送力の整備は技術的に可能か。 ・海外の進出先において日本本国の統制がどれほど有効か? ・多民族国家となった日本の国家的性格がどれほど変化するか? ってこと。
ガイシュツだが、「鎖国しない」=「海外侵攻」ではない。鎖国してない 状態で貿易関係だけ発展させても、海外に当然、日本人街ができる。 (欧州の商館みたいなもの。日本の場合、郷に入っては郷に従え的に 生活する可能性も高いだろうから、現地で独立した治外法権エリアを 持つ必要性もないだろうが、日本人が多い町はできるはず。) 当時の現地状態や他国の例から言えば、日本人街を警備する武力 集団が派遣される可能性もある。 その武力集団が単なる警備ですむか、そもそも現地権力がそれを 受け付けるか、何らかの武力闘争が起こるか、は多岐の可能性がある だろう。 「鎖国しない」ということから直ぐに、軍事制圧だぁ〜!と騒ぐなんて ちょっと前の世界史板なら信じられん。
>>374 375の内容からして冗談でしょうが・・・一応つっこませて頂くと島津と
戦った明・朝鮮軍の総数は数年前の『歴史学研究』に掲載されていた論文に
よれば明軍34500人に朝鮮軍2200人といったところであった
ようです。島津は8000人。
日本が世界史に何らかの影響を与えることになるので、 話自体は世界史板の範疇。
世界史板云々言うなら、「鎖国が無ければ」などという前提自体が・・・
>>382 大東亜の理想を未だに信じている人達がいるから
日本特殊論は日本特有
390 :
世界@名無史さん :04/02/17 23:56
日本および南蝦夷連合王国 確かこんな国の話が出てくる同人誌があったらしいが… 当然イギリスは鎖国しているんだろうな。
「南蝦夷」というと東北でしょうかね。まあありえませんが。
イギリスと退避してるわけだから 現北海道の南半分だろ。 ただいずれにせよ、蝦夷の呼称は使わないだろ。 蝦夷は意味的には差別用語だし。
そうなると北半分が問題となる訳ですが。何故南だけ?
394 :
世界@名無史さん :04/02/18 00:28
清に攻め込まれた明が日本に援軍を要請しているが、幕府は断った。 この時点で幕府が援軍を出していたらどうなったろう? ――清は華北を支配するが、明は華南に生き延び、冷戦状態が続く。 援軍の対価として台湾と福建省を割譲された日本も中国情勢に巻き込まれ、 明清倭の三国時代が現出して、恒常的な戦争状態が続く。 軍拡競争の結果、三国の銃火器の技術は急速に進歩し、 鉄張りの軍船が作られるようになり、それを動かすために蒸気機関が発展し、 軍事技術・工学技術の発展の暴走が開始する―― というシナリオはどうかな?
歴史的には北海道の南半分は「東蝦夷」、北半分が「西蝦夷」。 松前を基点に蝦夷を二つに裂いて分割したらこういう名称になった。
萌えますな。日本=イギリス
397 :
世界@名無史さん :04/02/18 00:44
>>393 いや南蝦夷は普通に北海道
北蝦夷は樺太、千島、カムチャッカ、アリューシャン、アラスカ?
ってとこか?
398 :
世界@名無史さん :04/02/18 00:46
イギリスが鎖国するとしたらどういう経緯だろう?
>383 イギリスの地図見たら?
>ガイシュツだが、「鎖国しない」=「海外侵攻」ではない。鎖国してない >状態で貿易関係だけ発展させても、海外に当然、日本人街ができる。 >(欧州の商館みたいなもの。 実在したものとしては、朝鮮南部に成立した「三浦」など、典型的ですな。 > 日本の場合、郷に入っては郷に従え的に生活する可能性も高いだろうから、 三浦の場合は、日本人が日本人の風俗習慣を保ったままのコロニーが成立しておりました。 > 現地で独立した治外法権エリアを持つ必要性もないだろうが、 > 日本人が多い町はできるはず。) 三浦の場合は、ほぼ「独立した治外法権エリア」になってました。 >当時の現地状態や他国の例から言えば、日本人街を警備する武力 >集団が派遣される可能性もある。 >その武力集団が単なる警備ですむか、そもそも現地権力がそれを >受け付けるか、何らかの武力闘争が起こるか、は多岐の可能性がある >だろう。 三浦の場合は、対馬島主の任命を受けた頭目たちが、朝鮮王からも名目的 な官職を授かって、「日本人による日本人の統治」が展開されておりました。
>>394 その対立を利用して欧州諸国が次々に教会や商館を建て、しまいには中国・
日本。朝鮮などで軍隊を編成できるまでに勢力を拡張。
さらには領地そのものを持つようになり、東アジアは植民地戦争の舞台に…
>>400 「可能性も高い」という文言を「それしか起こりえない」と解釈する
のかね?
>>402 >「それしか起こりえない」と解釈するのかね?
何か電波を受信なさったようで。
>>403 氏ご指摘のとおり、単なる例示であります。
405 :
世界@名無史さん :04/02/18 23:30
当時の世界情勢の流れから鎖国をしなければ領土的野心は起きたものと思われる。 その理由として、北海道などの未開地が多く、それらの占領は鎖国でも行われた。 鎖国していなければ北海道や東南アジアには商人が毛皮や貿易品を求めて進出するだろう。 西欧と同じように、海外領土の拡張が行われるプロセスは似てくる。 一つ違うのは宗教が関係していないことだ。 鎖国しなければ世界地図の情報も自然に入ってくる。 未開地への探検隊などが繰り出され領土的な野心も当然刺激されるだろう。 鎖国していない日本が北海道や台湾をいつまでも未開のままにしておくとは思えない。
406 :
(-_☆) :04/02/19 09:36
>>405 同感だ・・・特に5毛作も可能な常夏の土地は史実では財政難に悩む幕府に海外開拓の
国家的推進を決意させるだろうし、その結果として18世紀の半ばまでには国内の農民
が海外の土地を求めて殺到し始めるだろう・・・
米作が全く不可能な樺太やカムチャッカあたりでは海産物の採集を目的とした漁民達が
殺到する。
史実のような間引きを当然とした人口抑制を喜んで受け入れる人間はいないから
食糧増産を主目的とする海外開拓は進むだろうし、人口が増えれば幕府・・・引いては
日本人に人口と領土の規模に合わせて統治機構や運輸システムを改編しようとする
発想が養われるだろうから・・・
日本の土地は増えるばかりでなく、多分に米国人のような進取の気性を備える事に
なっただろう。
407 :
(-_☆) :04/02/19 09:39
なお、蝦夷はたしかに蔑称だから、徳川時代に多くの人が住んだ場合、昔の 名称「日高」が採用されると思う。(青森あたりは昔、「日高見」と言った そうだが・・・)
408 :
(-_☆) :04/02/19 09:53
>>394 面白いね・・・でも当時の台湾は明の領土でさえなかったから割譲されなくとも
日本独自の判断で領有しても問題なしです。
あえて補給基地として沿岸部が開発され、後に派遣軍用の軍需物資調達の為に
内陸部が開拓・産業化されるという筋書きが自然でしょう。
さらに福建省を中心とした沿岸地域を「中国派遣軍の総大将が拝領する」という
形で日本統治が始まるシナリオにするとベスト!
義経=ジンギス汗説というのが有るが、 ああいう説が出てくるのも日本人の中に征服へのロマンがあったから というのはどうだろう。
日本が制覇してたなんて思う前に 実際俺ら、平民やらが キリスト教に良く騙されるから鎖国したんだろ。 いくら軍事力があっても 宣教師どもに頃ってきてしまって、 宣教師のおかげで 織田信長の寺嫌いに拍車がかかり 島原で戦争が起きた。 天草島の位置を九州の地図で 確認してみな。 ヨーロッパ人は布教活動の 重点をあそこに集中した理由が分かるから。 あの島を砦にしてまずは九州をおさえ その後本州を占領しようと考えていた。 その後におこることはフィリピンと 同じ運命。 日本人を救いもしない。 南蛮人どもがトップを牛耳り、 俺ら日本人はスペインやポルトガルの王に 貢物をするために奴隷労働させられる。
んじゃぁ、鎖国じゃなくて布教禁止で十分なんじゃね?
413 :
世界@名無史さん :04/02/20 00:28
>>410 当時のフィリピンと日本を同じにしないで下さい(w
西欧にとってどのくらい違ったのかは不明だがね。
>414 この当時の西欧で日本より強力な軍事力をもった国家はない。 世界史自体履修して無いだろ、お前。
>410 妄言にもほどがある。 日本の過半数の戦国大名を改宗させない限りそれは不可能。 当時の全ヨーロッパの鉄砲・大砲を集めても日本の保有していたそれよりずっと少ない。(5倍以上) しかも全ヨーロッパの軍隊を書き集めても日本の軍隊の方が大きい。(3倍以上) 対ヨーロッパ全体と地続きでまともにやりあったとしても日本が圧勝する。
鎖国と言う詞は当時なく、長崎出島の開港により、日本の高級な産物は世界を制覇 していた。
418 :
世界@名無史さん :04/02/20 10:59
世界を支配すれば中国の悪習も日本人にうつるぞ。食人とか
>>415 まあ数から言えばそうでしょうね。まともに侵攻されて負ける心配は無い。
>>416 大砲、はどうでしょうか。ところで三倍以上というのは日本と欧州の兵力を
それぞれ何十万とした場合の計算ですか。
>419 人口比と軍人率で計算しれ。
>>420 いやだから肝心の「日本と欧州の兵力」に関する情報とその出展を明示して
いただきたい訳です。
手元に無いわ。 ノエル・ペリン「鉄砲を捨てた日本人」より出展。 そのソースは巻末に全てソース記載があるのでそれを参考にすべし。 (ちなみに日本語で出版されてないソースも多々あるので確認したければ自分で訳してくれ) ちなみに1600年当時 ・当時の人口は全欧州と日本でほぼ同じくらい。 ・欧州の兵力は人口比で1%を超える国は無い。 ・日本の兵力は人口比で8%程度と想定される。 単純計算だと8倍。 各ソースを吟味したわけではないから3倍以上とした。
423 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/21 00:09
>>422 中公文庫本161〜162頁のあたりにも似たような記載がありますね。
しかし「当時の人口は全欧州と日本でほぼ同じくらい。」というのはどうで
しょう。この本の中には各国の人口を
日本→2500万人 フランス→1600万人 スペイン→700万人
イギリス→450万人
と書いてあるので、あなたの記憶違いではないかと。だいいち最近の研究成果
には当時の日本の人口はここに挙げられているものの半分だという説まであり
ます。
それを考慮に入れても3倍は下ってないから結果としては OKでいいんじゃないの。 兵力比率の正当性は割と確度高いと思うよ。 そっちは元ソースも見た。
ちなみに当時のドイツあたりは人口が激減してたらしいので (特に男手が不足だった)兵力も格段に低いと思われ
>>424 1588年にスペインがイングランドに向けて派遣した艦隊に乗って
いた陸兵が2万人弱、艦隊が勝利した後にパルマ公が率いて渡ろうと
していた兵が3万強として、欧州(オスマン領除く)全体に匹敵とい
うくらいなら素直に納得出来たのですが・・・。
日本の場合は朝鮮出兵に際して肥前名護屋城に集結したのが約32万
人でしたね(大名家によっては約半分が百姓・漁師らを徴収した人夫
でしたが)。まあいずれにせよ数で圧倒出来るのは間違いないか。
>>425 三十年戦争でドイツの人口が1800万人から700万人に激減した
そうです。
427 :
世界@名無史さん :04/02/21 01:47
>>426 >三十年戦争でドイツの人口が1800万人から700万人に激減した
そうです。
私は2200万から1800万人に減ったと聞いたが。
どっちにしても日本が圧勝。 中国・朝鮮で負けたのが不思議なくらい。 補給線の確保をあの秀吉が出来てないのが問題で、やはり老耄していたのだろうと考えざるを得ない。
429 :
世界@名無史さん :04/02/21 02:49
>>428 >中国・朝鮮で負けたのが不思議なくらい。
日本は海軍が弱かった。それが敗因の原因。
島国のくせに。
あと中国はもちろん朝鮮も当時は弱小国ではなかったよ。
>
>429 というのは通説で当時の朝鮮水軍自体出来たばっかりだったという話を聞いた事がある。 日本海軍の弱さは日本史を通じての問題ではあるが、この段階では世界最大級の装甲船 があったりしたはず。(九鬼氏が建造した奴。全部で4隻あったとか。) つまり海軍の戦闘力では日本が勝っていたはずで、問題があったとすれば補給線くらい しか考えられない。 この部分で、補給が重要であることに敏感であるはずの秀吉がやってないのが不思議だと。
>>428-429 >日本は海軍が弱かった。それが敗因の原因。
そんな単純な理由ではなく、秀吉の「対外戦争の指導者としての手法」が
際だって、著しく稚拙だったことにつきる。
国内平定の時は、大軍同士の正面決戦により勝敗を決するということはほとんどなく、
・敵の敵と結ぶ。
・敵の同盟勢力を切り崩し、寝返らせ、もしくは中立化する。
・敵の中枢部に謀略をしかける。
などの手法を最大限に駆使し、敵を可能なかぎり弱体化したあげくに屈服させるという
手法を積み重ねることで、天下人にのし上ることを得たわけだが、
対外戦争の指揮に当たっては、このような手法を用いるどころか、
調略可能な勢力をほとんど取り込むことなく、朝鮮・明を相手にいきなり正面からの
単調な消耗線に突入した。
これに対し、明の宮廷にまで浸透し、調略可能な勢力はことごとく調略して味方につけ、
万全の体勢でサルフの決戦に持ち込んだのがヌルハチ。
手法の上でも、著しい巧拙の差が見られる。
あえて言ってしまおう、この時代の日本人で調略が勤まり、かつ中国語が出来た人物がいなかったのだと。
>>432 人材の有無よりも、外征にあたって、調略の必要性を認識する能力
を失い、闇雲に突っ走りだした秀吉のフメイが大きい。
434 :
世界@名無史さん :04/02/21 11:42
>>1 アジア小島の黄猿が何を言うか。美しいヨーロッパ文化を滑稽な日本の
文化で荒らしたいのか?
435 :
世界@名無史さん :04/02/21 11:57
>>433 というか、当時の朝鮮を完全な植民地にするのは無理。人口500万人の国で民族も国家も統一されていた。
明確なナショナリズムも存在する数少ない国の一つだった。
国家意識、民族意識のある統一された国家を植民地にするのは少しの国力の差ではできない。
国家としての国力の差が拡大する産業革命以降でないと朝鮮を完全に植民地にするのはむずかしい。
秀吉の失敗は朝鮮のナショナリズムと明の軍事力を過小評価したことだ。
九州出兵の延長戦程度に考えていたのではないか。
>>427 どっちなんでしょうね。よく言われる「三分の一に激減」というのを考えれ
ば1800万人から700万人の方が当てはまりそうですが。
>>429 当時の朝鮮は兵力は勿論、火薬の備蓄すら独立国のものとも思えない脆弱さ
であったという事ですが。ソースは『織豊政権と東アジア』です。
>>430 九鬼家の「装甲船」のことですが、実は「鉄の船」と『多聞院日記』にある
だけで、『信長公記』にもオルガンティーノの書簡にも鉄張りだったとは書
かれていません。大砲は三門ずつ積んでいたそうですが。
ただ慶長の役で元均率いる朝鮮水軍が撃破されていた事を考えると、水軍自
体よりも李舜臣とその幕僚らの存在が大きかったのではないかと。
うーん、安宅船は船というより城の延長だし、 鉄張りの城門や城壁は当時さして珍しくもなかったから、 鉄張りの船があったとしても不自然ではないと思うけどなァ。証拠がないから何も言えないけど…
多聞院日記の書かれた時代背景を考えると、鉄の船が一般的に珍しくなければ敢えて書かないこともあるのではないの? 描かれないからといって存在しないというのはどうかと。 例えは悪いが、柿を描写するときに種について記載が無いからといって種無し柿と断定するのは変だろう。 一部の資料とはいえ記載があるものを採用すべきではないか?
>>435 それだろうな。
というより、他民族を植民地化するのに、日本国内での権力闘争と同じやり方したんじゃ目的を達することができるわけない
441 :
世界@名無史さん :04/02/21 13:38
当時の日本人の感覚からすると、九州への出兵も朝鮮への出兵もそれほど違わないと思っていた。 当時の日本人は対外戦争の経験がない。 秀吉だけが愚かだったのではなく、日本人の海外認識の甘さが引き起こした無謀な戦争だった。
442 :
世界@名無史さん :04/02/21 13:41
あちょんちょんちょんちょんちょんまげ
443 :
世界@名無史さん :04/02/21 13:45
アジア最強の軍事力・・・それだけで征服できたら世話ない。 恨み買うやり方では長続きしないしね。文化力もかなり重要。 でもあの時代の日本にそのようなソフトパワーなかったから無理・・・
444 :
世界@名無史さん :04/02/21 14:05
というか、弱いところから攻撃するのが常識。どう考えても秀吉は琉球攻略 を優先すべきだったろう。倭寇に委任状を与えるのも良かったかも。
琉球攻略はやっているが、台風にあって舞い戻ってきたのよ。
30年戦争の人口減ですが、日本でググると1800→700が多い
ですねぇ。でも、昔は「全人口の1/3になった」ではなくて、「1/3が
減った」と聞いた覚えがあるんですが。
http://geschichtsverein-koengen.de/DreissigKrieg.htm ドイツのこのサイトだと、都市人口の40%、1650万人の人口が
1050万人に減ったと書いてますし、パーセントで人口減少を
示してるサイトや本だと25-40%ぐらいの人口減だと書いてある
んですよね。なんか、1800のうち700が減った、がネットでは
1800から700に減ったにかわちゃったんじゃないの?
447 :
世界@名無史さん :04/02/21 14:48
当時の朝鮮アンド明の連合軍を打ち破って征服できる国家が世界にあったの? オスマントルコでも無理だろう。
448 :
世界@名無史さん :04/02/21 14:54
>>445 秀吉が琉球攻略やってたなんて初耳だが?
というか、島津が成功したのに秀吉が失敗するわけなかろう
449 :
世界@名無史さん :04/02/21 15:00
というわけで、朝鮮の征服が無理だったんだから鎖国しなくても日本の海外進出は無理という意見は誤っていることが証明されました
450 :
世界@名無史さん :04/02/21 15:11
小笠原諸島が発見されたのは太閤検地の時だったっけ? 秀吉には太平洋方面に進出しようとする意向はあったのかも知れんな。
>>439 オルガンティーノあたりはかなり詳細に記述しており、大砲の出所が分から
ないと記しています。鉄張りという目立ったものがあれば記したと考えるの
が妥当でしょう。江戸初期の「日本丸」が銅張りだったことといい、技術的
に無理だったとは言いませんが。
>>441 髷を結わせて伊呂波を教えようとしたといいますから、抵抗もあって当たり
前。国内戦争の延長線上に考えていたというのが敗因という事はあるでしょ
うね。
>>446 ネットの方ではなく、手元に史料が無かった私の記憶違いのようです・・・。
それにしても2200万と1650万ではどちらが正しいのやら。現地の情
報の方が信憑性がありそうですが。
>>450 発見されたのは文禄の役開始の翌年だったともいいますが、秀吉が知ってい
たかどうか。
>2200万と1650万 ドイツ人口と神聖ローマ帝国の人口の違いでは?
453 :
世界@名無史さん :04/02/21 15:45
秀吉っちゃんが朝鮮へ向かったのは・・・・・・ 中国を叩くためだった。 補足トリビア:秀吉っちゃんは朝鮮にちゃんと「通るから道開けて」という伝言を送った。 ところが、「んなの嘘だろ」と朝鮮側はまともに取り合わず、 結果、やってきた秀吉っちゃん達に驚き、戦いが始まった。 これが真実。
454 :
世界@名無史さん :04/02/21 15:46
日ノ本唐天竺
読んでいると軍国主義者の集まりにみえてくる。長崎出島の開港は戦国時代が終わり 平和を求める人々が考えた一つのルールであり当時としては画期的な貿易安定策だった と思う。勝手に入ってくる外国船をオランダ東インド会社一社にし為替レートの安定を計り 税を取る。幕府にとっては濡れ手に粟の財政安定策だったのが解る。当時のヨーロッパ 貴族、金持ちは漆器、薬、化粧品というような高級贅沢品をこぞって求め、オランダは かなり潤ったのがシーボルトのもって帰ったものからも解る。
スレタイが韓国がなければ日本は世界を制覇していたに見えました。 まあ鎖国と韓国どっちがあろうがなかろうが日本が世界を制覇するなど、 限りなく不可能に近い一応可能性は有りの世界でしょう。
457 :
デジャブー :04/02/21 16:17
>>435 > というか、当時の朝鮮を完全な植民地にするのは無理。人口500万人の国で民族も
> 国家も統一されていた。
> 明確なナショナリズムも存在する数少ない国の一つだった。
ですから、成功したヌルハチ一族は、併合・領有ではなく、
短期侵攻の繰り返しにより「威圧して屈服」させること
を目標におき、これを達成しました。
その結果、朝鮮は明との宗主・属国関係を断絶しています。
朝鮮に対して「いきなり攻撃しての領有」をめざした秀吉とは、現状把握から実際に行使した手
法の巧拙まで、雲泥の差で懸絶しています。
458 :
世界@名無史さん :04/02/21 17:04
昔からの疑問なんだけど、明も日本も台湾に目を向けなかったのは何でだろう? 日本にしても明にしても、その気になりさえすれば簡単にとれたはずだが。
459 :
世界@名無史さん :04/02/21 17:10
まだ先住民の部族社会があるだけでまとまった政治勢力がなかったからか。
460 :
世界@名無史さん :04/02/21 17:15
清代に至るまで台湾は「化外の地」のような扱いだったもんな。
>460 台湾>日本人が日清戦争後やって来て、衛生状態の改善をするまで、 「疫病の島」だったんだが。
462 :
世界@名無史さん :04/02/21 18:36
>448 琉球守 台州守 亀井茲矩 で検索せよ。
464 :
世界@名無史さん :04/02/21 21:41
難しいとは思うが、やはり新大陸西岸を征した日本 東岸を征した英国 やがてそれぞれの植民地が本国より独立 独立戦争時には協力しあった両者だが、やがて大陸中央部でついに武力衝突…。 というのは一度火葬戦記でもいいから見てみたいテーマだな。
465 :
世界@名無史さん :04/02/21 21:57
>>458 オランダのほうが先に台湾を領有したね。本当に不思議
オランダはあの辺に貿易の拠点を作りたかったんでないの? 別に、日本も中国も領有の必要無い島で
467 :
世界@名無史さん :04/02/21 22:04
>>465 先住民の抵抗がすさまじかったからじゃないの?
>お前ら世界史履修してないだろ。 このスレの決め台詞はこれでキマリだな
ところで本多利明や海保青陵について 知ってるエロい人教えて。
当時鎖国しなけりゃ、日本は銀流出で輸出超過で国内産業が育たず滅んでたろうよ。 17世紀は、別に日本に限らず、「航海条例」とか欧米も保護貿易主義だったし、 国境を人や物に閉ざそうとするのは、世界的流行だったと思うけどね
17世紀は全体的に海上交易が沈静化する傾向がありましたからね。後から 見てみないと分からない事かもしれませんが。 明も清も朝鮮も積極的だった訳ではないし、脅威だとはっきり感じないまま に交流を続けた状態で19世紀を迎えた方が怖い事になったかも。
473 :
世界@名無史さん :04/02/23 01:04
鎖国のように解禁策を取ったのは痛かった。 保護貿易をすれば良かったのに鎖国をしてしまうとは・・・・・ 国家の発展を自ら疎外してしまった。
474 :
世界@名無史さん :04/02/23 01:09
>>471 大和民族の無限の可能性を否定する敗北主義者は必要ない。
日本は開国時に世界の麒麟児となった。
江戸初期の日本人街の発展を考慮しても地球の支配民族に
なったことはまちがいないし、否定できないし、批判してはならない。
過去ログさがすと、474は当初精一杯真面目に議論してたが、 途中で論破され荒しに転じたってところかなあ? 可能性のひとつとしては、レスの「底の浅い自称ニヒリズム」と 第三者的に見て「荒廃」が感じられるところから・・・・ ベンゼンさん?
476 :
世界@名無史さん :04/02/23 01:34
ここで論破されてるのは明らかに鎖国肯定派だな。
477 :
世界@名無史さん :04/02/23 02:08
そのとおりだね。ベンゼン呼ばわりまでしやがるしね。 鎖国は誤りであり、日本は欧米に変わって世界を統治すべきであった。
478 :
世界@名無史さん :04/02/23 02:12
作詞:高野 辰之 作曲:岡野 貞一 著作権:消滅(曲・詞) 一、 白地に赤く 日の丸染めて ああ美しや 日本の旗は 二、 朝日の昇る 勢い見せて ああ勇ましや
479 :
世界@名無史さん :04/02/23 21:00
東南アジアに日本人町がたくさん出来て日本が貿易国家になるのはいいとして、 これが世界制覇に繋がるかっていうと違うのでは。 そもそも、国のトップが貿易をしたところで、 庶民が国際人になる時代とは違う。平清盛の時日宋貿易なんてやってたが、 それは一部の商人や為政者が儲けていただけのことであって、 農民や武士など下層階級は相変わらずだったではないか。 足利義満時代の日明貿易も同じこと。 鎖国肯定派へ。 幕府が「鎖国だぁ」(鎖国という言葉はなかったけど)と言って、 それで諸外国が「日本は鎖国だから行かない」なんて考えると思うか? 日本が鎖国できたのは、お隣の中国が鎖国して、 その存在が日本にとって外壁になっていたから。 ヨーロッパとしては日本に攻め込む前に中国に立ち寄る時点で挫折するから、 日本が鎖国できたわけだ。 逆を考えると日本が外に出たくても出られない壁になっているんだがな。 ラクスマン以前にロシアが日本に来たのは千島であって樺太ではなかった。 これも中国が樺太に影響力をもっていたからのこと。 んで、日本が鎖国にもかかわらずロシアが来て国境を荒らしている。 日本は独自の鎖国政策で守られたんじゃない。
・・・・・・・・・・・・。 凄い電波だな、おい。
>>479 中国に限らず一体性のあるアジアの国をヨーロッパが征服するのは
17Cの段階では極めて困難でした。日本も世界有数の軍事力を持つ
地域であり、鎖国しなかったとしてすぐにヨーロッパに征服された可能性は
相当低いと思います。
鎖国の必要性は国内の敵に対するものでしょう。鎖国と言う言葉が訳語
である事からも分かるとおり、当時の幕府には国を閉ざしたと言う感覚は
それほど強くなかったと思います。
幕府がやりたかったのは対外関係に対して強い統制をかける事だったので
はないでしょうか?
それに自由気ままに大名が外国と交易しているようでは地方反乱の原因に
もなりかねません。
ヨーロッパが直接支配する可能性は低くても、例えばどこかの大名が
自己の勢力拡大や財力拡大のためにヨーロッパ勢力を引き込む可能性も
あります。
と言うわけで日本(と言うか幕府)が鎖国によって守られていたはある程度
真であると考えますがいかがでしょう。
>>479 >日本が鎖国できたのは、お隣の中国が鎖国して、
>逆を考えると日本が外に出たくても出られない壁になっているんだがな。
>これも中国が樺太に影響力をもっていたからのこと。
は?
>んで、日本が鎖国にもかかわらずロシアが来て国境を荒らしている。
いったい国境のどこを荒らしたんだ?千島や樺太が日本領である
ことが昔っから確定してたと思ってるのか?
>当時鎖国しなけりゃ、日本は銀流出で輸出超過で国内産業が育たず滅んでたろうよ。 わからん。なんでそうなる?貿易の話と資本取引の話をごっちゃに してるじゃんよ。当初時点では大量の銀流出が起こっていたイギリス なんかでも、産業が育たずに経済的に滅亡したの?
484 :
世界@名無史さん :04/02/23 22:58
>>479 君馬鹿?
ルイス・フロイスが1500年代の日本人は既に勉学が出来、清潔で
あると表明しているんだよ。
シナ・朝鮮はおろか当時の欧州人もそんな事はできていないんだよ。
おまけに庶民うんぬんといっているけど、産業革命時の大英帝国や
フランス革命時のフランスなんかボロボロなんだけどね。
結論として世界史に燦然と輝く日本に因縁を付ける輩の欺瞞が
明らかになったわけだ。さあ遁走した前。
485 :
世界@名無史さん :04/02/23 23:00
>>481 というか逆にやられる。
ルイス・フロイスが日本なんか到底征服できなんよん。
銃だらけだよーんと書き送っているしね。
鎖国とあわせて武器改良を禁じたから近代の軍事技術に
たちおくれたのであって
世界史に燦然と輝く日本人の辞書に不可能は存在しない!
>>479 .481
マトモな考察がしたいなら別のスレ行った方が良いぞ。
このスレは妄想にしてもつまらない
どっちも間違ってるから似たようなもんだと思うぞ(w
488 :
世界@名無史さん :04/02/24 01:39
>>486 妄想って?鎖国しなかったら日本の発展が海外に向かったことが?
鎖国しなかったらヨーロッパに征服されたっとか言ってるほうが可笑しい。
鎖国したから軍事力が無くなり、科学技術が停滞し、人口が停滞し、国力の発展が抑えつけられた。
それでも日本は何とか植民地にならずにすんだ。
それは鎖国のおかげではなく、開国のおかげ、近代化のおかげだ。
>妄想って?鎖国しなかったら日本の発展が海外に向かったことが? >鎖国しなかったらヨーロッパに征服されたっとか言ってるほうが可笑しい。 どっちもつまらない妄想
普通に日本最強!マンセー!じゃ妄想としてもつまらんと思うが。 SLGで常に弱小勢力しかとらない漏れにとってはw
え?もう春厨の季節なの?このスレでは世界制覇云々よりも 鎖国政策を採用しなかったときの影響を考えてたと思ってたん だけど・・・・
>>491 最近のこのスレ読んで素でそれを言ってるならある意味神!
493 :
世界@名無史さん :04/02/24 20:01
では、武士の年貢を前提にした 農村型社会が事実上、行き詰った 18世紀初頭。吉宗時代に開国で 商品経済と海外向けの重商経済に 転換してたら今の日本はどうだった?
鎖国と攘夷を混同している人が多いねー。 開国と大航海時代を直結する人も。
それをやろうとしたのが田沼意次だったわけだが、 奴のは江戸3大改革にすら挙がってないのな。 他の3つは改革とはいわんやろ、と。 いいかげん教科書に見直しが入ってないのだろうか。
日本人がいくら強くたって、 強い伊達政宗とか豊臣秀頼その他もろもろが スペインと組んで徳川政権を打倒しようとしていたのだが。
この時期のスペイソなんて使い物にならんでしょ。 強さ的に言うと10万石の戦国大名クラスの武力あればいい方。 しかもそれを全部日本に振り向けるわけも無いわけで、 鉄砲100挺・兵隊200人借りれたら良い方でしょうな。 伊達には国際感覚が皆無だった由。
>>498 百年後ニ百年後ならそうとも言えまい。
多くの植民地は何十年も、場合によっては百年以上かけてじっくり植民地に
なったわけで。当時スペインが日本とまともに戦えるだけの軍を持ってこれない
からって開国しても大丈夫なんてのは楽観に過ぎる。
18世紀に日本の経済は飽和に達したわけだけど、 それは鎖国をしたからできたわけなのだが。 関が原、鎖国以降ゆえに開墾、都市計画、道徳の徹底化(主人を裏切らない、 年をとった親を捨てない)などをできたわけだが。 言うなれば鎖国以前以後は戦前戦後の差みたいなもの。
鎖国せず=海外侵攻って考え方、いい加減にやめれ。 だいたい17世紀前半なんて、スペイン・ポルトガルもメキシコ除けば 寄港地としての植民地しかもってねーじゃねぇか。海外貿易を活発化 させると何で国内経済振興ができないのか、きっちり小一時間説明 してくれや。
>>501 アフリカ、東南アジア、南米が商品作物の一次産業主体で先進国需要がないと
生きていけない貧弱な経済基盤しか持っていないのを見ても分からないの?
独立を保った一部の国ですら到底裕福とは言えない。
欧州にとっては南米や既に得た植民地から搾取した物で対価を支払っているから
自国だけを考えれば只で買っているも同然。そんな連中とマトモに国内の産物で
勝負したって負けは当然。多少強い産物があってもすぐに欧州がプランテーション
で自前生産にする。どうしても勝てない強力な産物があった場合は麻薬で潰された。
で、劣勢な貿易を活発化して十分な国内経済振興が出来るかどうかはGNPの内訳
でも見りゃ分かる。
経済だけでもこんなに苦しいのに宗教でも軍事でも隙あらば攻めてくる・・・
制限貿易にして出来る限り放置以上の手段はあるまい。
実際に欧米と活発な経済交流を持って資本の蓄積が出来た国が一国でもあれば
挙げてくれ。
503 :
世界@名無史さん :04/02/25 21:09
田沼の政策=貿易拡大といっても、実際には幕府の貿易独占体制に変わらないのでは。
開国という開国ではない。海外渡航禁止令がなくなったのとも違う。
>>479 ,482
>>んで、日本が鎖国にもかかわらずロシアが来て国境を荒らしている。
>
>いったい国境のどこを荒らしたんだ?千島や樺太が日本領である
>ことが昔っから確定してたと思ってるのか?
北のほうは国境が漠然としている感じだったよね。
とりあえず1813年ごろウルップ島を暫定的国境にしていたのでは。
ロシアが攻めてきたのはむしろ「鎖国」の影響だろ。
後にロシアが来なくなったのもやはり「鎖国」の影響。
いちがいに鎖国とか通商だけで語るのは無理がある。
504 :
世界@名無史さん :04/02/25 21:21
森本右近太夫はヒンドゥー教の聖地に 仏像を奉納したわけだが。
>>502 基本的に時系列がむちゃくちゃ。19世紀の欧米に17世紀の日本を
持ってきてたらまるで意味なし。安直なアナロジーだけで歴史や経済
を論じるのやめれ。
あとね。比較優位産業に特化すれば、基本形としてはどんな財に
特化しても、それはその国の経済状態を改善するよ。特化することと
モノカルチャー経済の問題点を同一視したら駄目でしょ。
”現代の”モノカルチャーの問題は、農業革命による生産過多によって
基幹産業の価格の常態的低下と国際競争力の喪失によるものだ。
これは当該財の価格弾力性の問題であり、貿易パターンそのものの
問題ではない。
あとの箇所は全く意味不明。それと、今時GNPなんて言うのやめれ。
>既に得た植民地から搾取した物で対価を支払っているから 何のこっちゃ。 >自国だけを考えれば只で買っているも同然。 あなたの好きな19世紀のイギリスをとっても、ランカシャー地域の 綿紡績産業はインドに向けて大量に輸出してるが? >多少強い産物があってもすぐに欧州がプランテーションで自前生産にする。 貿易利益そのものを完全否定するわけね。で、この箇所の説明は 「只で買っている」という記述と矛盾しないのかね?生産活動をせずとも 只で買ってるんだろ? >どうしても勝てない強力な産物があった場合は麻薬で潰された。 麻薬でどうやってつぶしたんだ?何でもアヘン戦争のせいにするのは やめれ。 >劣勢な貿易 劣勢な貿易って何よ?貿易収支が赤字だろうとその国の経済厚生に 貢献してることに間違いはないよ。なんかなぁ。金とモノの流れを同一 に考えて、自説に都合が良いマイナス面だけ取り出してくるのやめれ。 >実際に欧米と活発な経済交流を持って資本の蓄積が出来た国 そうさね。17世紀の欧州と活発な貿易を行い、経常赤字に悩みながらも 資本蓄積した国というと、アメリカ合衆国なんて国があるね。
>>504 ……当時のアンコールワットは仏教寺院なわけだが。
>>503 17世紀時点しか考えなければ大丈夫なんていわんでも誰でも分かる。
誰も交易をした次の日滅亡するとはいうとらん。百年二百年後の事
を考えずにどうして鎖国しなけりゃ日本は豊かになったって言える?
まあ数百年先の安定を睨んだ鎖国政策と数十年先を見ているかどうかも
怪しい積極開国論ではそこら辺ずれるのは必然か?
比較優位特化したのは全ての植民地にあてはまるがそれらは総じて豊かだったのか?
ただモノカルチャー経済の土台を築き挙げ、且つ都合の良い独占市場になっていただけ
にしかみえんが。
まあ東南アジアの場合は貿易の利益は全部現地支配の白人と華僑が持って帰っちゃった
ってのがあるが、ダラダラ国を開いていたら同じ事がいつ起こっても不思議じゃない。
確かにイギリスは大量に綿をインドで買って綿製品をインドに売りつけてるね。
君の理論だとそれでインドは大もうけしたことになるのかな?
100円で原料売って200円で製品(消費財)買っても儲けになるのか?んなわけない。
>アメリカ合衆国
そうだね。18、9世紀の欧州の戦乱需要でようやく経済力を得て、しばらく
すれば不干渉主義を採って資本を蓄積させたね。間違っても赤字貿易のおかげじゃ
ないね。
ちなみに当時は国民総生産で見た方が良くないか?
外国人が働いている国に利益を還元することは中々無く、儲けは本国送りなわけで。
活動領域よりも活動主体の母国のほうが大事かと。
一切直接的支配の無い状況で普通に交易する場合を考えてみた 始めはマトモな対価無しに得た金銀産物で買いあさり、まあ、この時点ではまだ 直接的な被害はそんなにないわな、むしろ+。 で、次に欧州側は現地プランテーションで欲しいもの作るようになってあんま儲から なくなる。それどころか東南アジア産物を買わされ資本流出開始。 欧州側としては自国の資本や資源をろくに使わずに売ってるんだから大もうけ。 最終的には産業革命で糞安い消費財をひたすら買わされ資本を溜める暇も無くなる。 そのうえ、キリスト教の流布があったり各藩が外国と組んで幕府をひっくり返そうと すること考えたら、さらに華僑の繁殖とか・・・鎖国以上に良い対策ってある?
つまり日本で技術進歩することはない、と。こう言いたいわけだね。
↑つまり、日本はヨーロッパ以上のペースで技術進歩しなければ勝ち目が無いわけか。
512 :
世界@名無史さん :04/02/26 01:32
明治維新後、瞬く間にシナ半島を越え、西洋においつき薫風香る日本をつくりあげ 脱亜入欧を果たし、第2次世界大戦後の戦略的撤退による進駐軍の後、 日本は瞬く間に世界の麒麟児となった。 つまり大和民族の潜在能力は世界一という事に他ならない。 すなわち、戦国時代から飛翔しつづけていた日本の「力」ならば欧州の科学の取得など 児戯に等しいのである。 世界史に燦然と輝く日本は多民族とIQそのものが異なるのだから比較の対象にもならない ということを侮日国賊の輩どもは祖先の墓前で腹を割いて詫びるべきだろう。 もっとも半島の血が入った輩であれば切腹の作法も禄にしらぬであろうが、な。
明 脱 日 つ。 す 児 世 と も
世界史に名乗りをあげるには対外戦争しなきゃだめだめ 日本なんか太平洋戦争以外でてこないじゃんすか。 アニメ文化とかロマンがないです。 ロマンを求めて秀吉も朝鮮へいきました。鎖国が間違いだったのです。
浪漫か・・・やっぱアメリカ西岸に進出しかあるまい
>>509 ひょっとして経常収支が赤字=外国からの搾取って考えてない?
>>508 ここまで我田引水な論理展開も世界史板では珍しい。ひょっとして
釣られてるのかな?
基本的に、あなたは貿易というものを理解していない。貿易利益を
企業利潤と同一視しかしていないから、それまで購入できなかった
ような商品を購入できるようになった利益を無視している。それと、
100円の原材料費の商品を200円で購入すれば損なのか???
付加価値という概念はどこに消えたんだ?原料費=販売価格でないと
購入サイドは損をするわけか。恐れ入った。究極の奴隷労働を
生産者に強いたいわけだ。
不完全競争市場が形成されたデメリットは確かに存在するわけだが、
それを全て貿易のせいにしたいわけだ。そういえば、この間大統領
候補選挙をリタイアしたゲッパート氏も同じようなことを言っていたね。
>18、9世紀の欧州の戦乱需要でようやく経済力を得て、
はぁ?アメリカが独立したのは一体いつなんだ?18世紀に資本蓄積
できたのなら、植民地でも十分に資本蓄積ができるわけだね。
>しばらくすれば不干渉主義を採って資本を蓄積させたね。
>間違っても赤字貿易のおかげじゃないね。
赤字貿易と資本蓄積の間に相関関係があると主張したいのかね?
んなもの、赤字だろうが黒字だろうが大勢に影響ない。
>外国人が働いている国に利益を還元することは中々無く、儲けは本国送りなわけで
ほぉ。すると
>>508 には「貿易の利益は全部現地支配の
白人と華僑が持って帰っちゃった」そうだから、清でも資本蓄積が
進展したわけだね。
>>509 >欧州側としては自国の資本や資源をろくに使わずに
>売ってるんだから大もうけ。
資本=お金、ということか?資本家という存在が欧州には存在
しなかったというわけだ。じゃぁ、資本蓄積云々なんて全く意味が
なくなるね。
で、資本を使わずに生産可能な商品で欧州が販売していた
産業革命の精華となる大量生産品として何があるのか、ぜひ
小一時間ご教示してほしい。
519 :
世界@名無史さん :04/02/26 15:44
>>518 マスケット銃でもってアヘンや奴隷貿易で大儲けしたに決まっているだろ
和猿よ。
>416 あのなだから戦国大名の過半数の支持を得られなければ不可能なのは分かってんだよ。 ただ結局あらたな火種を摘むには鎖国しかなくなるだろ。 日本全体で鎖国しなければ戦国大名のいくつかが鞍替えするたびに 戦争がおきるし天草の乱は反乱を起こしてるのが百姓、キリシタンたちなのだから こういった勢力が日本各地にできればどうなっていたかは実際分からんよ。
単独の軍事力だけが力だと信じてる奴が多い。 が現在メディアや外交が大事なように 人心をつかむ術がそれに勝ることもある。 >416 当時の記録を読むとキリスト教宣教師と まともに討論して論破できる日本の 僧侶はいなかった。 討論で負けだすと僧侶は怒り来るってたらしいから。 とにかく相手は有無を言わさぬ一神教。
絶対王政を実現して中央集権国家になる必要があるわけだな。 外部勢力と呼応した反乱勢力との内乱状態になるのは封建体制 国家の宿命。それを乗り越えて中央集権を実現すれば、その手の 問題はなくなるわけだ(明治維新にしても、幕府&仏と明治政府&英の 内戦状態なわけだし)。 明治維新を待たずに、中央集権体制になりうる可能性と時期としては 17世紀の方が19世紀よりマシだったのではないだろうか? ・・・・と言ってみるテスト。
そりゃ既知害カルトの宣教師と哲学者じゃ討論にならんだろう
フロイスと対決したのは信長にこび売ってた馬鹿僧侶やろ? そんなもん論破されて当然だと思うが・・・ この時代に人心を掌握できていたのは明らかに一向宗やろ。 一向宗門徒がキリスト教に帰依することはありえんぞ。 九州はそもそも一向宗勢力が少ない土壌だから島原の乱が 起こったりキリシタン大名が多かったりしたわけで、それが 全国に波及すると思えるのは妄言だろ、やっぱし(w
525 :
世界@名無史さん :04/02/26 21:38
なんだか「世界を制覇」ってスレタイが無意味だな。 それどころか国の維持が是か非かって話になってる。 つまり、世界制覇は無理って言う結論で決定ですね。 開国によって列強の植民地になるとは思わないけど、 やっぱり世界に進出して挙句制覇なんてのは無茶だ。
タイトルの世界制覇を真に受けていた人はほとんどいないと思うよ(w せいぜい、早い時期に世界的に無視でない影響を与えるだけの大国に なっていた可能性があるかも?というレベルじゃないかな?
日本は神の国@森前首相という名言もあるし 自分の属する国家の繁栄を念頭に議論するのが正しい日本人の在り方だし それ以外の意見は存在してはいけない。 一部の反日サイドの意見はおそらく土筆や粂の洗脳に被れて極東3馬鹿のマインド コントロールにやられた侮日史観の持ち主であろう。
>>526 今の日本も世界的に無視出来ない国であると理解しているが…
これは私の思い違いなのか?
逆な事を言うと、アングロサクソンが世界を制覇しているわけでもない
10年前ならそうだろうけど、今はほぼ無視しても問題なくなってるような・・・
早い時期に、と書いたつもりだったんですが・・・。日本って江戸時代に 世界史に影響を与えてました?少なくとも教科書レベルでは出てこない レベルだと思いますが。
鎖国が無ければと言う前提よりも あと、100年早く開国してたら 日米戦争はほぼ互角だったろうに・・・
532 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/27 00:03
>529 腐っても鯛。 >530 欧州やペルシャでもてはやされていた銅はどうです。スウェーデンのものよ り安く、また品質もよかったとか。 >531 そううまくいったかどうか。
鎖国してるのでやはり影響はあまり与えてない。 ロシアの国策には結構影響与えているが。 逆に世界も日本に大きくは影響を与えていない。 国内で隆盛を極めた和算がライプニッツに先んじて いたことも。海外では当然認知されない。
535 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :04/02/27 00:09
>>534 百年の間に大ポカやらかしている可能性もある訳ですが。
対外戦争で負けるとか、大赤字を出すとか。田沼時代の「開国」というのは
見てみたかった気もしますけどね。
だからー。鎖国せずに貿易していたら、進んだ技術を模倣改良していく から、幕末のような状態にはなってないって。 鎖国したせいで海外技術を何かの拍子に見知っても、それを知らぬ 存ぜぬで通さねばならなくなったわけでしょ。改良したほうがいいと わかっていても、異人の技術というだけで導入がためらわれた。 こういった技術開発問題については、新しい技術を模倣発展させる 過程で新技術が生まれることも多い。開発経済とか少しかじって みれば、技術開発における競争環境が如何に大切に扱われているか わかるよ。
1768年に開国していたら、アメリカの南北戦争どころか独立戦争にも 何らかの影響を与えれたろうかね?独立戦争に付込んで、英仏との 外交交渉を有利に進展させる・・・なんてのはいくらなんでも無理か。
どうせくだらねー妄想なんだから、合意点見つける必要ないだろ。 失敗すると思ってるやつは失敗する妄想に耽ればいい。 制覇すると思ってるやつは制覇する妄想に耽ればいい。
何だかんだ言って一番単純に言えば
>>511 が答えかも。
もちろん技術だけでなく制度や経済力の面でもだけど。
>>538 いっちゃってる宣教師のようなことを言うなよ。何を言われても
「全ては神の御心のまま」とオウム返しを続ければ討論では無敵
だろうな。少なくとも当人の脳内世界では。
>>537 今までのスレで言った鎖国しなかったら南方諸国を
日本が抑えたになれば・・・
少なくともハワイは日本よりだったから日本になってただろうね。 そうすると真珠湾じゃなくて直接本土攻撃できるから、第2次大戦も 違ったものになってただろう。 そもそも、それまでに南方を抑えていたとすると日米開戦自体 不要なわけだが。
>>543 い、いやぁ。流石に漏れはそこまでは。。。。
でも、太平洋を巡って日米がもっと昔から
戦争してたら今の日本はもっと東南アジアとかと
深い関係が築けてたし、日米関係も成熟してたと思うよ。
アジアで大勢力の国家があったらアジア人蔑視もなかったかもなぁ・・・
546 :
世界@名無史さん :04/02/27 01:30
鎖国が無かったら、アメリカ大陸の太平洋岸は日本領になるだろうから、 USA(アメリカ連邦)という国自体、相当に違った形になっているはず。 戦争が起きるとしたら、日系の独立国と欧州系の独立国がアメリカ大陸で戦争する みたいな形になっただろう。
547 :
(-_☆) :04/02/27 10:20
>>546 南北戦争ならぬ東西戦争ですな・・・
これは大規模夜襲を可能とする忍軍と騎兵隊を迎撃する鉄砲隊をどれだけ揃え
られるかが日本勝利のかぎでしょう。
でも私の個人的見解では日本が太平洋に広がったとしても北米への大規模植民は
アメリカが大陸横断鉄道を敷く頃でしょうから戦争等できる体制ではないと思います。
むしろ、南軍に味方するか、リンカーン暗殺を阻止して、米国内部の親英勢力の
あぶり出しに手を貸すかで米国の歴史を変えるというのが丁度いい役割ではないで
しょうか?
あるいはハワイが幕府海軍の勢力下に置かれた状況で(南米南端を回航した)
ペリーの米海軍と日本(幕府)海軍との本格接触が始まるというのが常識的な
筋書きです。
それからどこぞで日本が植民地を持っても大して経済発展はしないという馬鹿者が
いましたが、戦国時代からこっち日本の”占領政策”は殖産興業型ですので、遅くとも
吉宗時代までに大規模な開拓を実施すれば、幕末の幕府勢力圏の経済状態は史実の
日本並に好転したと思います。
ただし、日本本国よりも広大な領土が海外に展開するわけですから、統治システムも
史実よりずっと軍事、輸送、情報の効率を重視したものになるでしょう。
又、遠方の領土を守るためにも情報の収集伝達は速さと精度で桁外れな要求がなされ、
日本忍軍は英国情報部と張り合う謀略機関として成長し続け東半球を駆け回ったかも
しれません。
>531 いつ戦えば互角なの? ようはのんびりしていた日本人が悪いわけだろ。 開国っていっても無理やりこじ開けられて やっと目覚めるまで 幕府は怖がってびくびくしていた。
>>531 江戸時代初期において東アジア〜東南アジアで利用される銅のかなりの
部分が日本産だったので、幕府による貿易政策はアジア各国の経済に多
くの影響を与えていますよ。
例えば江戸初期の時期において李氏朝鮮では銅需要の大半を日本からの
輸入でまかなっていましたが、17C後半頃からの幕府の法的統制によって李朝
の銅輸入は1/10まで激減。その結果18Cには朝鮮半島で大規模な銅価格の
値上がりが起きています。
実例:李氏朝鮮における銀と銅の交換レートの変遷(法定価格)
西暦 銀(両):銅(文)・・・()内は単位
1655------1:600
1678------1:400
1744------1:200
川勝平太編 アジア太平洋経済圏史・・・藤原書店より
とまあ、法定価格ですら銅価格の大幅な値上がりが確認されます。 実際には日本からの銅輸入がピークに達するのは17C末の事なので それ以前から銅不足が始まっていたとも考えられますが、1697年を境 に日本からの銅輸入量は突如1/10以下になります。 これによる銅不足のために1697年に李朝は銅銭の鋳造を停止する事に なり、再開するまでに30年以上の時間がかかりました。 政治的な影響を与えたとか広大な範囲を支配したと言う派手な意味では 確かに江戸期の日本は影響を与えていませんが、日本が鎖国した事自体が 各国に影響を与えたのも事実でしょう。 まあ、教科書に出てこないレベルと言えばそうですが、別に教科書にのらない =なんの影響もないと言う事でも無いと思います。政治的イニシアティブを 握るような話は確かに無いですけどね。 目立つ=良いってわけでも無いのでこれはこれでいいんじゃないでしょうか。
江戸時代という「商業や教育は最高水準に発達してるのに決して近代ではない」 特異な時代を経験していなければ今の日本はないんじゃないの?
そりゃ過去が変わったら「今の日本」はないだろうさ。
個人的には、幅広く大衆に広まって支持を受けたことを下敷きにした、 伝統芸能集団の巨大集金システムが完成される前に近代化して欲し かったりする。 なんで免状ひとつもらうためにウン十万も支払わねばならんのだ・・・。
実力の伴わない目立ちたがりやは潰れるのがオチだね。特に分をわきまえず我々に 不可能は無いみたいな思い込みは危ない。 幕府の鎖国はただびくびくしていたわけじゃなく、幕府首脳には常に十分な情報を 持ちつつ、国内の発展と安定を最優先にしてきた。極めて冷静と言える。
そもそも17世紀の時点では「鎖国」というのは決して間違った判断ではなかったのではないか。
557 :
(-_☆) :04/02/27 19:17
>>554 その結果が黒船騒ぎというのでは「敵を知らず己を知らず」としか言えないな・・・
だいたいオランダが一時滅亡しても、まともな対応が取れないというのは笑える
何が”十分な情報を持ちつつ”だよ!
それともあの頃の幕府は東アジアあたりで英国諜報部と諜報戦の1つもやらかして
いたというのかい?
真実の幕府の姿は世界の中の一地方政権でしかない!それも200年以上にも渡って海外
視察を一度もしないという井の中の蛙状態だ!(内政に関しては人類史上稀に見る
平穏な社会を構築した事は認める!!)
徳川時代全期間を通じてまともな情報を取っていたのなら、欧州の戦訓情報に対応した
兵制の整備や銃砲の量産を見据えた工業の育成に早めにかかれたはずだ。
所詮、実地に”戦争経験が無い”事が侍を弱くしたと思う!(刀が主武器というのは
笑える!鎌倉の武士でさえ飛び道具の有効性を認めていたというのに)
558 :
(-_☆) :04/02/27 19:17
>>555 「問題の先送り」という事を除いては間違ってはいなかっただろう。
だがその問題の先送りが数百年後幕府のみならず日本の滅亡の危機をも呼び寄せた
事実を私は無視しない!!
あの頃の幕府、正確には秀忠は長期的世界的な視野が全く欠けた小人だった事が
ヒステリックな切支丹狩りにつながり、その結果、日本人による西洋文化研究の
土台と成り得た各地の神学校の活動を破壊した!
せめて英国のように”日本教会”でも造っていたらまだマシな展開になったと思う。
559 :
世界@名無史さん :04/02/27 19:29
>>558 >>”日本教会”でも造っていたら
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
幕末も粘り腰外交で清のようにあっさり不平等条約を認めず、 また暴走して侵略の大義名分を与えなかったのは幕府がむこうのやり方を よく知ってたからだよ。 馬鹿長州だけ分をわきまえず暴走したがね。 国交さえあれば西欧と対等の国家になり得たとか思ってる人はトルコの 悲惨な状態をみてみな。 技術的に日本に劣っているわけでもない、日本ほど分権社会でもない、 むしろ文化的に日本よりまだヨーロッパに近く、日本より遥かに大国。 それでもヨーロッパに追いつくことは出来ず半植民地化しいまやヨーロッパ でもかなり弱小のギリシャと互角の争いを繰り広げる始末だ。
>>559 白人富裕層が人口では一割しか占めないが国の実験を握り、
貧しい日本先住民が20世紀に入ってようやく大統領を出すような
ステキな国になってたかもね。
トルコと日本の類似性を教えて欲しいんだが・・・当時のトルコの内情 を見る限り、日本と同一線上に論じることは無理があるんではないかと。
>幕末も粘り腰外交で清のようにあっさり不平等条約を認めず、 え?そうなの?
>>562 類似性は全然無いけど、今までの開国派の人の意見を取れば日本より
有利な条件山盛り。
>>563 うん、なんども難癖突けて突き返したみたいだよ。
いちいち一字一句確認してね。
これ以上耐えられないと思った井伊が強行調印に踏み切ったけど。
明治政府や薩長のプロパガンダによる洗脳の為に幕府は海外事情に暗いように 認識されているが、これはまったくの出鱈目。 西洋の脅威は十分に認識していたし文久の軍制改革で洋式の軍隊に既に改葬していた。 海軍の充実は既に西洋列強と互角に戦える軍事力があった。 なぜ幕末の混乱時に西洋が日本を侵略しなかったのか? 答えは簡単だ。大和民族が神の国にほかならないからだ。
566 :
(-_☆) :04/02/28 00:01
>>565 まだまだ足りないね!
本当に西洋の科学情報などに通じていれば西洋と同じ水準の先端技術研究(工作機械の
研究開発など)や祖国を追われた天才科学者(スウェーデンボルグなど)を招聘する
(英国はやっていた)くらいの事はするものだ。
もしくは幽閉され毒殺を待つばかりのナポレオンを救出亡命させるぐらいあっても
良かったはず!
真に西洋事情に通じるというのはこういう事をやろうという動きだけでも見せられるか
どうかで決まる!!!
国際的な諜報機関さえ作らなかった日本と、諸外国が隠す情報さえも貪欲に収集した
英国で世界的地位に差が出たのは当然であり、幕末には日本はまな板の上の鯉になる
寸前の状態だったのだ。
567 :
(-_☆) :04/02/28 00:13
>>565 洋式の軍隊に改変するというだけでは全然全くダメ!!!!!
どこが優れてどこが劣っているかという冷静な判断が重要だ!(だいたい
そういう頭脳があれば、忍者の発想が近代軍隊に取り入れる要素がメチャクチャ
多い事にすぐ気付いたはず!当然、迷彩服だの地雷だのが正式の軍用品として
続々登場したはずだ!)
戦乱の激しい国家に戦訓研究要員を送り、常に新しい兵器とその戦術を見て
おくぐらいの事はすべきだ!(南北戦争で幕府がそういう視察を送ったという話は
無い!)
だいたい米国の規格統一による大量生産方式と部品交換の利便性確立の意味を
幕府は気付かないままだったじゃないか!(英国はすぐに気付いて導入したと
いうのに)
>>563 ペリーと幕府の交渉の経過
1863年7月8日に来航したペリーに対して幕府は突貫工事で久里浜に
仮設応接施設を作ってそこにペリーを上陸させ、大統領国書を受理。
ペリーは来航の目的だけ述べて、即答も何も要求せず即座に一時退去した。
理由は秘匿されていたが、ペリーの日記から判明。
理由は「食料が一ヶ月分しかなく、交渉が長引けば日本に食料供給を要請せねば
ならず、交渉上弱みとなる。」
幕府は即座に大艦建造を解禁、同時にオランダに蒸気船を発注。
(かの咸臨丸はこの時にオランダに発注されたもの。)
ペリーは当初しばらく時間をおく予定だったが、ロシアのプチャーチンが
長崎に来航したとの情報を得てロシアに先を越されないために急遽予定変更。
7ヶ月後、ペリー再び来航。
到着したペリー艦隊は祝砲を発射。「日本国皇帝の栄誉に21発、応接掛に18発」
まずペリーは条約草案を幕府側に提示、漢文の正文とオランダ語訳副文。
ペリーは一挙に話を進めるのは難しいと考え、まず国交を結び、後に通商条約
を結ぶ二段階の方針でした。
幕府の点検の結果、条約草案は望廈条約(米清間の条約)の平和・親睦・通商から
通商のみを省いた縮小版である事が見て取れた。
(故に平和・親睦を略して和親条約と呼ばれる。)
しかし草案の点検の結果、内容から通商関連事項が存在しないのにも関わらず、
条約草案名は平和・親睦・通商(貿易)である事が発覚。これを指摘した幕府側が
交渉で一気に優位に立つ。
>>566 幕府は西洋事情に通じていたが、海外の要人に直接コミットできる人材がいなかった。
要は知識があったが、人脈が形成されていなかったという事。
後世の独ソ不可侵条約の至急報に関して政府首脳陣が有名な「欧州情勢は複雑怪奇」
なるコメントを出したが、地勢的要因と人脈不足で欧州情勢にコミットできないというのは
あった。
だが、明治以降になるといわゆる「お抱え外国人」が帝都に地方にへと進出するように
なっているわけだ。
その理由は官の上層部は西洋事情に通じていたが、民間は一部の知識人以外彼らの
受け入れ態勢が整っていなかったからでもある。
ちなみに幕府は文久の軍改革で周知のとおりフランスの助力を仰いで整えているが
わずか数年で海防の改革に成功している。
※清の曽国藩が洋軍創設した例があるが、明治維新以降の話であり、また変革を咸豊帝
自らが、行おうとしたが西太后が幽閉、退位させるなど東アジア諸国は危機管理が薄いの
とは好対照を成している。
その意味で幕府首脳陣はまず国防をなし得ているし、人材育成にも手をつけている。
咸臨丸の洋行以外にもパリ万博に徳川昭武を送り、大英帝国に留学生を送り
遣欧使節団にエジプトや欧州各地を検証させているのだが。
ペリーは3月半ば、蒸気機関車の1/4模型を荷揚げして幕府官吏に見物させ、 また通信機や祝砲の発射を見せて技術力を誇示し幕府に圧力をかける。 ペリー主催の祝宴も開かれワイン等が振舞われ大いに盛り上がった。 幕府側との間に人脈を築く事にも成功し、交渉が一気に加速。 その後幕府側は函館・下田をアメリカ人漂流民と物資欠乏船に対して 避難港として開港する事を認めると通達。しかし、幕府側は日本だけが アメリカ船救済等の義務を追う事を懸念し、双方に義務のある条項を 加える事を強く主張。 日本船もアメリカに漂着する事があるとして、海難事故の救助経費の相互負担を要求。 (後にアメリカ側合意)またアメリカ人は日本の正直な法度には服従する。(第四条) とする条項を入れる事にも成功する。 ここまでが決まって条約締結の儀式が行われた時、幕府側代表・林大学頭が突如 「我々は外国語で書かれた、いかなる文書にも署名する事はできない。」と発言。 アメリカ側が反論する間の無いまま儀式が進み終了。 日本語版・漢文版・英語版・オランダ語版の四種が製作されたが、幕府の署名が あるのは日本語版のみとなった。 (私の推測に過ぎませんが、英語に関して高い能力を持った人材が当時日本に いない事を考慮すると、英語版は判読が難しく秘密裏に条項を追加される事を 警戒したと思われる。現にロシアが清国に対してこのような詐欺を働いた例もある。) ペリーは英語版にのみ署名。4月1日、海軍省に当てた報告。 「英文版に署名が為されなくても、条約の効力をいささかも妨げないと考えた。 よって、日本側の方針に対してさしたる異議も唱えなかった。」 日本側応接掛の上申書 「通常は連判だが、今回は双方が別紙に署名し、連判を拒否した。調印の翌日に アメリカ側より連判が無いのは不都合との通達があったが、そのまま押し通した ので問題ない。」
後に下田追加条約によって今後は日本語と英語を正文としてオランダ語訳をつける。 漢文は原則として使用しない事を合意。 とまあ大まかな経緯はこんな感じだったようです。 『世界の歴史 25巻 アジアと欧米世界』・・・中央公論社 を主に参照。 結構がんばったんじゃないでしょうか。
ちなみに西欧の技術者を招聘しづらかったのは洋国事情はまず蘭語を通して行われた事。 そして蘭語の次に仏語が軍制改革の関連で主流になった事が大きい。 そもそも直ぐに招聘というが、幕末の期間は10数年程度でしかない。 徳川昭武氏を巴里に送ったのが1867年の事であるから直ぐ明治なのだね。 先ほど述べたように幕末が欧米の侵略に対抗できなかったというのは誤り。 幕府は海防の必要性を認識すると即座に改正したのだから。 ちなみに欧米の侵略は正面で戦争した場合、数百年かかることもザラだった。 インドや東南アジアをみればわかるように大半は土豪国同士の争いに介入し 年月をかけて侵略するというものであり、わずか数年で軍備を整えた幕府に 付け入る隙がなかったのである。 たとえば4カ国戦争のように長州が敗戦したが、植民地化されてはいないのである。 なぜか? 簡単な話である。日本武士が強かったからだ。 幕府は洋軍として改革し、陸軍、海軍を供えた軍を所持し、欧米とも戦争できるからである。
幕府は銀流出にも対応している。 ニューヨークまで使節団を送り度量衡面で説明し、 アメリカの説得に成功している。
>>567 忍者の発想?あなたは馬鹿まるだしですね。忍者なんて当時(江戸時代)から
戯作家の妄想でしかないのですが。
【森田】伊賀国人衆を語ろう【浄雲】
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1075671167/ だいたい米国の規格統一による大量生産方式と部品交換の利便性確立の意味を
幕府は気付かないままだったじゃないか!
時系列を無視していますね。
規格統一が本格化するのはWWT頃からです。
また民間において大量生産方式が本格化するのは米国のフォード社によるフォードT1に
よって市場を制圧し、大量生産方式が有効だと認識されたからです。
>>576 幕末の対外戦争で領土を割譲した事は唯の1つもない。
むろん偶然でそうなったわけではない。欧米諸国は戦時賠償として
島嶼部の租借を要求してきたこともあるが、幕府首脳陣が交渉して
これを取り下げさせたこともある。
※租借が欧米列強の植民地化に至る常套手段であることを知り抜いていたため。
賠償金は大抵幕府の負担で決着し、何人かが人身御供として
腹を切った。
578 :
世界@名無史さん :04/02/28 01:34
幕府最高! 攘夷じゃ! 異人を排撃せよ!
579 :
(-_☆) :04/02/28 03:55
>>575 は生産管理の歴史に精通していないな・・・
あまり不勉強なので怒る気にもなれないがひとつだけ指摘してやる。
規格統一といっても国家が細かく工業規格を定めるようになったのは確かに
WW1あたりだが、それ以前に銃器の分野で19世紀初頭にイーライ・ホイットニーが
生産と修理の効率化の為に「部品の共通化」を立案したのが最初のものだ。
この発想は仕事を発注した米国政府に注目され、後に英国政府の注目するところとなった。
当時の英国もネジなどの利用頻度の高い部品に関する規格を定めていたが、ある製品の
全部品の規格を統一するという手法の方が利点が大きいことを認めて歩兵用の銃の設計に
採用したが、当時の幕府や薩摩の斉彬もその銃単品の構造に気を取られて
規格統一というものの利点には気付かなかった。
一部、村田などの銃器の専門化が”同一形式の銃”を大量に揃える事の利点に気付くのが
やっとの有様だった。
なお、フォードの場合は自動車という当時の人々のライフスタイルをも変えた
ハイテクマシーンを量産で安価な国民車を生み出したというのが画期的だと
いうのが正しい。
もっと勉強しろ、皮相的な事で終わらせずにね・・・
以上。
幕府首脳陣は攘夷論は早期に放棄しているよ。 井伊直弼が暗殺されたのは攘夷論を標榜する テロリストの仕業だが、井伊が冬に暗殺されると 失脚していたなりあきや松平春獄らが復権して いくわけだが、彼らは攘夷論を見切り通商派に 転じていくわけよ。 むしろ薩長がより所とした孝明天皇を始めとする 朝廷側の人材が攘夷論者でまったく時機を見ない 大うつけどもであったわけだが。
http://www.chuokai.or.jp/kumiai/fij/screw/history.html ねじの標準化は、互換性生産方法にもとづく大量生産システムの母国となった
アメリカでも推進され、ウィリアム・セラーズがウィットねじに改良を加え、山の角度60°
のインチ系ねじを発表、セラーズねじとして広まり1868年にアメリカの政府関係事業に
全面的に採用され、セラーズねじ、あるいはアメリカねじとして知られるものとなりました。
なおこれは第2次大戦中に武器などのねじの互換性の必要から、アメリカ・イギリス・
カナダの三国が協定してつくったユニファイねじに発展しました。
何が当時の「英国」なんだか・・・
黒舟来航〜明治維新時のねじの標準化がリアルタイムに伝わるはずも無いだろうにね。
フォード関連ねぇ。
フォードが画一生産によるコスト抑制によって市場を制した事実になんら変わりは無いな。
もっと勉強するのは君だろう。
時系列を無視して嘘をかきなぐるのは止めような。
わかっているだろうけど。1968年に英国がねじの標準化にふききったわけだ。 薩摩が未来へタイムスリップでもして生産工程を学んできたのかw 年代も表記せずに自説を押し通そうとは小賢しいにも程があるというものだな。 そうおもわないかい(-_☆)くんとやら。
そもそも、洋式の軍隊に改変するというだけでは全然全くダメ!!!!! と異論を唱えているわけだから文脈からして幕府の文久の軍制改革に意を唱えているわけだ。 ところが慶喜&春獄コンビは周知の通り仏蘭西式を採用したわけだ。米英ではない。 ところが、(-_☆)くんは突然対抗勢力の薩長側の軍改革を引き合いにだし、 米英の生産管理が行われたことをもって自説を唱えているわけだな。 周知のとおり英国の助力で軍制改革を行ったのは薩長であって幕府ではない。 君のダメ!ダメ!は仏式を採用した幕府首脳陣に矛先がいくのならまだしも 批判の矛先が英国式を採用した薩長側の軍制改革に転じている訳だ。 なんとも奇妙な話じゃないか。 おまけに1868年にねじらが標準化されたわけだから極東の軍事顧問に技術情報が 伝わり活用されるのは当然それ以降の話になるわけだな。 2重3重にねじくれた話になっていて議論の前提条件自体が成り立っていないよ 君こそ出直しておいで。
ちなみに洋式の軍隊に改変するというだけでは全然全くダメ!!!!!
と発言したのは、(-_☆)くん自身だ。
>>567 以降の彼の言動を追って見たまえ
彼の言動が支離滅裂である事が一目瞭然。
幕府の話が一転して言及してもいない薩長の話に変化ししまいには薩長側の
英国の技術変遷の話に変わり、おまけに時系列を無視している訳だ。
誰もそんな話をしていないのにまったく彼の一人相撲もよい所だろう。
しろーと考えですみませんが、支那の宋時代って惜しくなかったですか? 日本は田沼意次の時とか。
さらに言及すれば英国の銃器の大量生産は 19世紀後半ー60年代より後の話だ。 倫敦万博で米国の ロビンスandローレンス社が6丁の銃器を 展示し、この製品の一部の部品に共通性が あるという事に英国が着目して米国に調査団を 送ってはじめて大量生産に着目したに過ぎない。 倫敦博覧会は51年の話だ。黒舟来航は53年だ。 大量生産にともなう技術情報が当時の幕府に 伝わる訳もない。 そもそもそういう利点があると言うことに着目 したのが倫敦博であるというだけの話で 大量生産によるコスト圧縮効果に着目したのは 広大な国土を抱える米国の資本家たちが労働力の 確保に難儀した結果としての選択に過ぎなかった。 それとても軌道に乗り出したのはずっと後の話 なんだがな。 当然銃器の大量生産には螺子らの規格統一も 前提条件として必須だな。 幕末にそんな思考形態が伝播すると考えるには 無理がありすぎ。
587 :
(-_☆) :04/02/28 12:03
>>586 さん
まず言うけど、洋式の軍隊にするだけではだめというのは”形だけ真似てもダメ”
という意味だ。
軍用・民用を問わず機械力を重視し、その利用による軍事能力の発達をも考える発想と
自然科学の応用による高度技術の研究開発という”西洋人の発想”を幕府が学ばなかった
というのが問題なんだよ。(その根底にはキリスト教思想を研究しなかったことが影響している)
英国を引き合いに出したのは薩長問題云々を言いたいからではない。
自国の天然資源で自給自足を計った日本が軍需能力の向上を図った場合、
工業化には資源の不十分でありながら発展した同じ島国の英国がどういう工業思想を
持っているのか調べるのは”当たり前”であったにも関わらず、幕府は何十年も
それをやらなかったという事だ。
しかも信長がやった大道路整備政策を継承せず、中国に昔からあった馬車を導入せずでは、
後方支援能力の充実という発想そのものさえないという事になるし、それではいくら
大砲を持っても、打撃力のある部隊と軍需物資を目的とする時間と場所に素早く送る事
もできない。 それで軍隊も張子の虎でしかなく対外的な(史実どおり中国やロシアとも
戦うことを考えると)経戦能力が無きに等しいという事だ。
そして最も言いたいのは欧米がアイデアを見せるのを待つのではなく”自分で発案し、
工夫する”という事が出来、欧米すらも注目するようなアイデアを出せるくらいでないと
真の意味で 欧米に対抗するなんて出来ないという事だ。(向こうが重要な情報を隠してたら
判らないまま戦争に突入したとき危ないじゃないか)
もっと本質を見極めた導入・・・兵器や戦法の創意工夫を行える体制作りだけでも・・・
ができないか?と君は考えたことが無いのか?(フランスだの英国式だのという話は
どうでもいい!!何が伝播だ!いつ敵に回るか知れない国家の人間から懇切丁寧に教えて
貰うのを待っていられるほど当時の日本はのんびりできたのか?!!!)
588 :
(-_☆) :04/02/28 12:05
ここで互換生産方式の事で言うと英国では1780年にモーズレイの製作した
送り台付きねじ切旋盤を皮切りに各種工作機械が出来て、機械や部品の製作に
熟練をあまり必要としなくなっていた。
そして1841年にウィットワースが英国土木学会誌(秘密文書でもなんでもない)に
ネジの標準規格を提案した。(当時使用されていた各種のネジを調べて割り出した
標準となる寸法形状)
この提案はさっそく英国工業規格制定協会がとりあげてネジの規格としたんだ。
(旧JISでいうウィットネジの事。)英国が互換生産方式の利点を素早く理解し
即時導入できた背景がそこにある。 (
>>582 さんあんたの発言は無視しておいてやるよ)
当時の欧米の情報がリアルタイムで伝わらなければならないなどおれは思わない
それよりも当時の欧米の産業界がどういう方向を目指していたか分析できなければ
ならないとは思ったがね!
それ以上に時流に乗るよりも時流を作れるくらいの工業化を達成できなければ
情報が伝わっても”導入の必要性が認められなくなる”もんなんだ。(ほとんど
工業化がなされなければ”互換生産方式の利便性”なんてわかりにくいだけだって)
日本自身も自力で工業化を進めて、独自の工業規格を(君みたいに一々欧米人に
教えられなくとも)創造できるぐらいの産業思想を?%9
589 :
(-_☆) :04/02/28 12:47
ここで互換生産方式の事で言うと英国政府がネジの規格を定めたのは確かに ホイットニーの互換生産方式からだいぶ後の事で私のミスだった。(面目ない!) だが規格制定の動きはペリー来航よりずっと前に始まっていた事は 確かなのだ。 少し話すと英国では1780年にモーズレイの製作した送り台付きねじ切旋盤を 皮切りに各種工作機械が出来て、機械や部品の製作に熟練をあまり必要と しなくなっていた。 そして1841年にジョゼフ・ウィットワースが英国土木学会誌にネジの標準規格を 提案した。(なおウィットワースは1851年の万博で群を抜いて多くの工作機械や 計測機器を出品した人物であり、当時の英国工業界をリードする一人だった。) この提案はさっそく英国工業規格制定協会がとりあげてネジの規格とした。 (旧JISでいうウィットネジの事。)英国が互換生産方式の利点を素早く理解し 即時導入できた背景がそこにある。 以上の事は当時の幕府が注意深く西洋の動きを調べていたら収集できた情報だった。 なお、当時の欧米の情報がリアルタイムで伝わらなければならないなど私は思わない それよりも当時の欧米の産業界がどういう方向を目指していたか自分で情報を収集して 分析できなければならないとは思っている! そして時流に乗るよりも時流を作れるくらいの工業化を達成できなければ 情報が伝わっても”導入の必要性が認められなくなる”と確信する。(ほとんど 工業化がなされない世界で”互換生産方式の利便性”なんてわかりにくいだけだ) せめて1851年に日本の本州と四国、九州、蝦夷の間に海底電線をしくぐらいの 工業技術力はもってほしかったよ。(史実の幕府崩壊時期前に江戸からブルネイ あたりまで電信が出来るほどの力を持っていたら倒幕運動に英仏は介入できなかった だろう。)
590 :
(-_☆) :04/02/28 12:49
591 :
世界@名無史さん :04/02/28 13:00
なんだこいつ
>>566 以降、「こうするべきだ、あーするべきだ」論が展開されてますが、
○○すべきだった。と鎖国してなければ○○できた。は別の問題でしょう。
開国しておけばヨーロッパをも凌駕する軍事的発展を遂げたと言うのは
まるで根拠のない物です。日露戦争の戦訓が第一次大戦で殆ど活かされ
なかった事を考えても、情報を活かす能力は鎖国開国で決まるような
話ではないと思われます。
大日本帝国時代になっても欧米に遅れを取る、ないし欧米で効果のあった
技術やシステムに価値を見出せないなんて事はしょっちゅうだったわけで
開国してさえおけば世界を先導できたと言うのも妄想です。
可能性がある事は否定しませんが、
鎖国しないと想定→外国交易が活発化→対外進出→世界各地を植民地化
→欧米を上回って日本が覇権を握る。
この話は「鎖国しない」以外は不確実性のある仮定で、それにさらに仮定を
重ねていっても妄想にしかなりません。
それでもそれをやるとしたら相当細かい論証をやらなければならないわけですが、
実際にあなたがやってる事は
「世界を相手に忍軍が・・・」「日本教会を作って・・・」「ワーテルローに軍隊を派遣して・・・」
「満洲に干渉して・・・」「ボルネオを日本化して・・・」
と言うようなすっ飛んだ物ばかりで、これではどうしようもないでしょう。
こういうのが認められるならば、ビザンティン帝国が復活する仮定やらオスマン帝国の再興やら
いくらでも世界を支配するストーリーが作り上げられそうです。
不確実性のある仮定と仰るが、「鎖国しなかった」という仮定を導入すると、 その後は史実どおりにならないのだから、全て仮定になるのは当たり前のような。 問題はその仮定が実現可能な国力や世界情勢があったかということでしょう。 また、鎖国しないという状況が進捗していく事による現実の日本とのズレも 年代を経るにつれて大きくなっていくわけで、200年たった段階ではもはや 現実の日本からは類推できない状況になってるのではないでしょうか?
>>593 まあそのとおりだと思います。っていうか全て仮定になるのは
当たり前でしたね(^^; もうしわけなひ。
200年後の世界を現在予測するのができないのと同じく
鎖国しなかった日本の200年後300年後なんて正確性のある
予測は立てられないと思われます。
一種の架空史として、いろいろ考えて見るのは楽しいと思いますが、
こうなったかも、以上のものではないです。
しかしそれをやるにしても、当時の人口・対外関係・軍事・社会等に関して
考慮を全く払わない場合と払う場合では多少差のある物とは思います。
妄想も都合が良いばかりでは面白くないってこった
596 :
世界@名無史さん :04/02/29 09:27
長篠の戦いでの戦力は、世界最高水準という書籍を読んだことがある。 それから、日本は鎖国で停滞、欧州は覇権争いに明け暮れ、戦力は向上し続けた…それでもインディアンを追いつめたのは産業革命後。 一方、日本は、世界に希有な平和を享受出来た。欧州は、戦力の向上から、大量に兵隊が死んでいった。 その間、日本の文化的発展は相当なものと思われる。 しかしながら、世間の評価は、ワーグナーやベルディのオペラ>近松の浄瑠璃。財力の違いなのか… もっとも文化の優劣は単純に比較できないのは分るが。 そのころの文化水準の高さを、誇りに思えない状態は、教育のせいか、それともそれ程高くなかったのか。
>>596 印象派に影響を与えたジャポニズム。があるよ。
陶器も伊万里とかあるよ。刀とか。
文化・教育水準が低いとも意外と欧州の人に
思われてなかったかもね。
でも。当時なんか鎖国してしまうと島国だし
情報なんかもう皆無になってしまうしねぇ。
>>596 『長篠合戦の世界史』ですか?その本が三段撃ちを認めているか否かでも大分
評価が変わって来そうですが。
歌舞伎や浄瑠璃は、日本人ですらまず見ませんからねえ。個人的にはあれらを
宣伝するよりも民俗芸能の継承にお金を出して欲しい。
国民のほとんどが見ていないものを誇示するというのも、なんというか。
(近松作品などの内容が欧州のそれに劣っているとは思いませんが)
>>597 贔屓目もあるでしょうが、オランダ商館長のフィッセルは『日本風俗備考』の
中で次にように述べています(刊行されたのは1833年)。
「概していえば、科学はまだ未発達な状態にあるにもかかわらず、また彼ら日
本人の知識を増進させるために彼らが用いる手段はきわめてわずかであるにも
かかわらず、(中略。彼らの遂げた進歩は)まことに驚嘆すべきことである。」
江戸でつくられたガラス製品は欧州製といっても通る質であり、地図もまた遜
色の無いものであるとも書いています。寺子屋の評価も高い。
彼は中国から来た漢字を憶える手間が日本人の学問の阻害になっていると考え
ていたようですね。
18世紀までは欧州でも「鎖国」(という言葉を日本人は知らなかった)を
評価する意見が多かったようですよ。
601 :
世界@名無史さん :04/02/29 17:24
>598 そうです。「長篠合戦の世界史」で当時の信長軍は世界最強であったとの記述があったような。 当時鉄砲が日本に無かったけれど直ぐに追いつけた。 但し、産業革命後の欧米とは相当差が付いた。 鎖国の功罪の内、功は平和が続いたこと。 そうであれば、世界に冠たる文化が花咲いても良かったと思うのですが。 財力が無ければ、所詮、グローバルなものは残せないということなのかもしれませんが。 燻し銀のような、功績にもう少し光を当ててもいいような気がします。
長篠の戦で鉄砲が活躍したというのはフィクション
『長篠合戦の世界史』も世に出たのが1988年(邦訳は1995年)と少々古いです からね。それと文化面で劣っていたとは(近世には詳しくないものの)思いません。
604 :
世界@名無史さん :04/02/29 23:49
「首都攻撃見合わせる」日本の武装集団リーダー 【日本=本間隗菜】日本で徳川政権の打倒を掲げて蜂起、首都江戸に迫っている武装集団のリーダー、西郷隆盛氏は14日、高輪薩摩藩邸でAP通信に対し、江戸への進攻について「勝海舟の要請に応じて1日か2日見合わせる」と語った。 同氏は「米国から直接、要請があったわけではなく、電信で得た情報に基づく判断だ」としたうえで、「米国の意図がはっきりするまで首都を攻撃することはない」と語った。 西郷隆盛氏は13日、首都に通じる陸上と海上の物資輸送路を遮断、首都を軍事的に封鎖する考えを示したうえで、首都封鎖の理由について、「江戸の制圧は難しい。戦闘が激しくなり、犠牲者も多数に上る。彼ら(将軍陣営)を絶望させることが最も大事だ」と語っていた。 同氏は英語に堪能であることから、水面下で米情報筋と接触しているのではないかとの指摘もある。
>>603 大坂では既に先物取引もやってたし、江戸などの都市部では福祉的政策も実行
されてたらしいから、そういう面で見たら欧州に遅れていたとは思えないね。
もちろんそれらが可能だったのは長期安定があったからこそ・・・
それじゃあ戦乱だらけでちっとも安定してなかったはずのヨーロッパは、 どうして日本以上に発展したんですか? 馬鹿にもわかるように教えてください。
ヨーロッパの大国は安定していました。
つまり、科学技術と経済発展を 結びつけることが政治上できなかった。と。
609 :
世界@名無史さん :04/03/01 22:32
徳川家安泰第一。 欧州は新大陸からの奪った財力のおかげで、それなりの芸術作品が残った。 但し、宗教、諸侯入乱れての戦禍はひどかった。 それを、米国への移民で、補った。 戦前日本の満州政策ののようなものか。
日本人が外国人に評価されるととてもうれしいのは何でですかね 昔の人は違ったみたいな感じがするんだけど、 例えば岩倉使節団とか松岡洋介とか、 外国に憧れてるとはおもえない威厳がある。 鎖国以来?西洋のことあまり知らなかったほうが、良かったってこともあると思う。
外国にあこがれ癖が付いたのは、戦後だろ。 しかし、不思議なことに戦後間もなくより、後の世代の方がその兆候が激しいな。 いまさらなんでロンドンに留学するのかほとんど意味不明なんだが。
うーんロンドン留学はかっこいいなあ
>>611 > 外国にあこがれ癖が付いたのは、戦後だろ。
そんなことないだろう?戦前の方が遥かに憧れがあったろうに
海外旅行なんか海外への憧れとは別。欧米なんかただの観光地。
> しかし、不思議なことに戦後間もなくより、後の世代の方がその兆候が激しいな。
君の方が不思議。若い香具師で海外に憧れてるのなんかいないぜ。
> いまさらなんでロンドンに留学するのかほとんど意味不明なんだが。
君が意味不明。いまさら誰がロンドン留学するんだい?
>若い香具師で海外に憧れてるのなんかいないぜ。 気持ちはわかるが、西洋に憧れない若者の方が少ないと思うなあ 戦前生まれは外国の良いところを見てるが、 戦後生まれはちょっと変なくらい西洋好きだと、おもう。 TV、映画とかが影響してると思う
最近の海外というか欧米嗜好はエキゾチシズムの範疇に入るくらいにまで 落ちてきてると思う。 盲目的な欧米信仰は薄れてきてると思うけどなあ。 ガイジン=濃い=キモイってイメージというか違和感が少しずつ 出てきてるというか。茶髪とかそういうのはすで欧米嗜好でなく 別の方向に向かっているような気がする。 ここ10年くらいはアジア系にだいぶシフトしてるんじゃないのかな。 それも欧米のエキゾチシズムとしてのそれでなく、 主体的なそれへと変貌してるというか。 アジア的な文化へと回帰を始めているのかもしれない。
つまり、今の若い香具師は 姿かっこは欧米化してるが 逆に中身はこてこての日本人。 昔の人は頭の中を欧米化しようとしてた。と・・・
いや、もっと根深いとおもうなあ 権威に弱いっていうか、長いものに巻かれろ的な。それが普通か。 他の黄色人種をバカにしちゃってるのが、つらいとこだな 脱亜入欧で。中国人頑張れと。
>>617 それが、日本の近代化の代償だったんだよ。
欧米主導だった文化が90年代あたりに退潮するも、 バブル崩壊〜不況〜アジア経済勃興で 欧米崇拝でも自国マンセーでもないような状況になってるのかもなあ。
>日本人が外国人に評価されるととてもうれしいのは何でですかね やはり西洋が優れていると思うからだろう。それ以外にない
> 権威に弱いっていうか、長いものに巻かれろ的な。それが普通か。 少なくともこの特色は関東圏だけのものだと思う。
まず日本と西洋を対等に見ようとしている事からして間違い セガールのひとがアメリカで活躍すれば国民的英雄になるしな
アジアはみな厨房なんだよなあ。 約束がまもれない、働かない、勉強しない。
624 :
世界@名無史さん :04/03/02 16:02
>>1 鎖国以前ってか、大陸にもまれて国境がずっと絶えず変化するような境遇だったらイエローもヨーロッパに並んだだろう。
大舞台で喧嘩したり手を組んだりする事を出来なかったのが、視野の狭さに繋がってると思う。
そう言う意味じゃイギリスと日本はダブる、前者は勝ち組後者は負け組みだが。
626 :
世界@名無史さん :04/03/02 17:26
>>624 地球規模で見たら日本は勝ち組だよ。
確かにアングロサクソンの成果には見劣りするけど、
それはアングロサクソンの方が特殊なだけ。
日本で負け組とか言ってたら、インカ人やアステカ人やアフリカ人に申し訳ないだろ。
627 :
オスカー和要る怒! :04/03/02 17:58
3月1日が近隣国の歴史的反日記念日だったので 、サムライも清兵衛も敢えなく討ち死に…。
隣国では反日法制定だって。 日本の鎖国は国内開発に向かったが、 あの国の鎖国って、閉められた国の中で 内部争いしているだけだったなあ。
>大陸にもまれて国境がずっと絶えず変化するような境遇 そんな国で欧米以外の勝ち組みを教えてくれ。
そんな国自体がないずら
むしろ19世紀まで植民地化を免れたのは相互鎖国の東アジアぐらいでは。 東アジア以外ははトルコとエチオピアとタイと・・・他にあったっけ?
なんか。段々話が現代とオーバーラップしてきたね。 イラク戦争では親米的な香具師が 『日米英の海洋国家がこれからの世界を支配する。』 なんて言ってたけど彼らは江戸時代の鎖国の日本を支持してるんだよね。 そうか。アメリカが居なければ日本は鎖国したままでよかったのかぁ。
だれか632を解読してくれ
東アジアとりわけ日本はヨーロッパから一番遠かったからな でもそれだけじゃなく日本の反応が早かった タイはモンゴルにも支配されてないんだよねたしか、 モンゴルに勝ったかどうか忘れたけど
>>633 >>634 世界史的動乱に対する日本の反応は
(極東という理由もあるが)
結局一番最後に対応するんだよ。
ヘレニズム文化。モンゴル帝国。
大航海時代。帝国主義時代。第1・2次世界大戦。
70年安保。湾岸戦争。イラク戦争と枚挙にいとまがない。
>>635 なんか、ド田舎みたいだな。
東京で流行のものが必ず一年遅れてからはやるというw
>557 そうだよな。オランダがこの世から消えたとき オランダ国旗が立っていたのは唯一長崎の出島だったらしいぞ。 これだけみても幕府がビクついていてまともに外国のことがわかっていなかった証拠だよ。 いやホントに日本人てつくづく馬鹿なんだろうね。
だいたい日本が今ヨーロッパの仲間になってんのは 半ば無理やりだからな。 両国家郡とも大陸勢力を押さえつけておくために お互いを必要としてるからに過ぎない。
ポルトガル船打ち払い令がでたのが1639年。 しかしポルトガルはスペインに併合されていたのを幕府は知らなかった。 打ち払い令の翌年に独立を回復するというブラックジョークつきw
遥か彼方で本部が潰れても支部はすぐ潰れないわけで、というか本部のシステム すら何年もそのまま残っているのが普通の状態。しかもどっちも名目だけの併合。 受入先にとっては遥か彼方の本部よりも今目の前でポルトガルやオランダの支部が 活動していればあまり大した問題ではないんだが。 アメリカのマクドナルド本社が潰れても日本マクドナルドが今まで通り運営してれば 客にとっては関係ないだろ。
>>639 当時のポルトガルは、スペイン王が国王を兼ね、総督を派遣してはいたが、
それ以外はほぼ完全な自前の国家機構を備えていた。
併合されていたわけではない。
……それを言い出すと「スペイン王」ってなんだ、という問題もあるのだけど。
642 :
世界@名無史さん :04/03/05 03:14
鎖国下の日本が欧米の事情に通じているはずがないだろ(w 常識で考えてみよう。
幕府に出す蘭人の風説書にスペインに利する事かくわけないじゃん。 オランダがどこの王家から独立したんだと小1時間
644 :
世界@名無史さん :04/03/05 23:49
鎖国肯定派の意見で納得できるのは長期間の平和を維持できたってことだけだ。 それ以外はハァー?って感じのものばかり
牧野信成・親成親子なんか「見てきた様に西洋の事情を語る」とオランダの日記に記されているし、 井上政重なんかはオランダ人が知り得ないほど精緻なマニラの地図を持っていた (まあ後者は中国人使えば割と簡単に手に入ったのかも知れないが。) 逆に、紀伊藩主なんかは、「オランダには四季があるのか?」とか、「鳥はいるのか?」とか、 まるで我々が宇宙人に会った時のような反応をしている。 このように実際は、「通じているはずがないだろ」と一蹴できるものでも、 かといって通じていると断言できるものでもないちぐはぐなものなのだが・・・ どうもこのスレは、当時の状況をまったく調べないで、憶測だけで語る傾向にあるな。
646 :
世界@名無史さん :04/03/06 08:18
一部の人間だけを取り上げて西欧の事情に日本人が通じてたなんて言うのは本末転倒。 紀伊藩主の意見が一般的な日本人の感覚。 西欧について知る機会がほとんど無かったから当たり前だ。
647 :
世界@名無史さん :04/03/06 09:58
鎖国と言っても鎖国しますと言って鎖国したわけじゃないしねえ 大きくわけると、 ・外国人が日本に来ることの極端な制限 ・日本人の海外渡航の完全な禁止 となるのかな。
648 :
世界@名無史さん :04/03/06 12:01
結局、天下統一と徳川幕府の安寧だけに 力を使い果たしすぎたんだよ。 室町幕府みたいに有力諸藩と内戦しながら 幕府をやってれば江戸時代は相当面白かったと 思うのだが・・・
649 :
世界@名無史さん :04/03/06 12:41
>>647 今の北朝鮮と比べても比較にならないほどの鎖国ぶりだな
>>646 はあ?政策決定者が知っていたかどうかが問題だろうが。
西欧の情報がオランダ人経由でしか入らなかったなどという考えは、認識不足。
オランダ人の日記を読めば、報告前に日本側がその情報を知っていた、なんて話しはごろごろでてくる。
まあ、ポルトガルとスペインが同君になったことをオランダ人が報告しない、なんて
常識で考えればありえないな。ポルトガルを追い出すチャンスじゃん。
>>647 上は賛成できないな。ロシア船が近づくまでは、カトリック教徒以外を来航禁止にしたなんて聞いたことはない。
ロシア船が近づくまでは、という条件付けについては、藤田覚氏の「鎖国祖法観」関係の論文でも読んでくれ。
ちなみに、カトリックとプロテスタントの区別は、
十字架の近くに聖像がついているかどうかで見分けたようだ。
まあここまで厳密にやるのは長崎だけだが、その他の土地でも、
イギリス人(オランダ船乗船の、だが)が十字架を壊すような仕草をしたら歓待されたとの記述がある。
彼に関わる記事を見る限り、歓待しないとむしろお咎めを受けたようだ。
まあ、江戸時代初期で言うなら、カトリック教徒の入港禁止と貿易港の制限と言うべきだな。
下も、朝鮮貿易は完全にこっちから出向く形だし、蝦夷地は当時「日本」ではないだろうという考え方もある。
薩摩の監視役が琉球に行っていたし、完全と言っていいものか。
652 :
世界@名無史さん :04/03/06 19:52
>>651 外来人の来航禁止ではなくて、極端な制限だよ。
法令によるものとそうでないものとあるみたいだけど。
1616年、家康死去ののちすぐ、イギリス船とポルトガル船の入港が長崎、平戸に限定されている。実際としてはオランダ船も対象となった模様。
1624年、スペイン人来航禁止。
1623年には、これは自主的にではあるけれどもイギリス撤退(平戸の商館閉鎖)。ちなみに同年、ポルトガル人の居留地制限。
1635年、唐船の来航を長崎に制限。
1636年にポルトガル人の居留地を長崎の築島(出島)に限定。同年ポルトガル人居留民およびその子孫の国外追放。
1639年、ポルトガル船(カレウタ船)の来航禁止。オランダ系居留民の国外追放。
1641年、オランダ商館、長崎出島に移転を命じられる。
ちなみに法令と書いたけれども、
公に発布されたものではなく長崎他の役人に対しての命令書みたいなものだったりする模様。
なので、法律的には一応、日本はまったく鎖国をしていないと言えるかもしれないけど、事実上、ねえ。
ちなみにイギリス船について、1673年に長崎に来航しているけれども実際追い返されている。
653 :
世界@名無史さん :04/03/06 21:49
家光の時代にマニラ侵攻計画があった。
んー、その「来航の制限」の内容が不明瞭なんだよ。 居留及び貿易地が制限されたのは確かだが、入港地が制限されたなどという事実はない。 ブレスケンス号を代表として、オランダ人及び中国人・朝鮮人・琉球人がどこに入港しようと、 国籍(などという言葉を使用して良いか疑問だが)によって対応は違うものの 無事に居留地に送り届けられている(幕府が規定したシステムに乗っかることに成功すれば、だが)。 来航に関する朱印状にも、いかなる岸にも入港してよいとの条項がある。これは建前でもなんでもない。字義通り。 まあ外来人にしてみれば、居留も貿易もできないところに立ち寄る意味は、緊急事態でも無い限り存在しないが。 また、自分で言っておいてなんだが「貿易地が制限された」ってのもどこまでこう言っていいものか。 日記を読むと、上方で商品を売るなどという言葉が1641年以後にも出てくる。 商品の発注なんぞ当然長崎ですべてできるわけでもないし、 また、日本からの輸出品は大坂や京などの「阿蘭陀宿」に来る「定式出入商人」から購入する場合も(片桐一男氏の海老屋関係の論文より)。 ちなみに、命令書ってのは老中奉書。外交案件は老中以上が決定権を持つ。 山本博文氏が老中奉書だと論証したのは所謂「寛永の鎖国令」って奴だな。 あの人も、「寛永時代」じゃ鎖国の語を支持する、とか言ってたんだよなあ。 イギリス船については、残念ながら史料及び該当する論文を読んだことがないので、 どのような状況で起こったのか正確なところはわからない(日記もまだ邦訳されてないのよ)。 ただ、あれは通航一覧に載るような事態になってたっけ? 長崎奉行が上に報告しないで追い返したって形じゃなかった? どちらにしろ、あれは国交(これも使ってよいのやら)の問題も絡むから。 オランダ船に乗ってきたイギリス人、もしくはオランダ船として来たイギリス船が追い返されることはなかったはず。
655 :
世界@名無史さん :04/03/06 22:14
来航に関する朱印状?外国船にも朱印状を交付したの?
656 :
世界@名無史さん :04/03/07 00:10
>>654 >オランダ人及び中国人・朝鮮人・琉球人がどこに入港しようと、
>国籍(などという言葉を使用して良いか疑問だが)によって対応は違うものの
>無事に居留地に送り届けられている
居留地=出島であり、この意味は入港の制限を指すことにはならないのかな。
勝手に来てしまった船があるからといって入港が認められていたとは言えないでしょう。
来てしまった船への対応を考えると、幕府は入港を制限していた、と言えると思うのですが。
1616年にヨーロッパ船の来航を長崎、平戸に限定というのはいろんなところで見るんだけど。
1616年の秀忠のキリシタン禁令と共に発布された?らしいですが、でも具体的になにがなんだとまではわからないです。
あとついでに、三浦按針の東インド会社への報告に、
(秀忠は)外国商人は何人であってもいかなる大都市にも滞留してはならないと命じられた、
とあるみたい。
1673年のイギリス船は幕府まで通報されイギリス国王とポルトガル王女の結婚を理由に退去させられてます。
さらにデンマークからの船(の情報)について、南蛮国の一種で御法度の宗門でなくても商売させてはならない、と長崎奉行に命令がいってることなどからも、
たしかに正式に?禁止と意識されているのはカトリックのみ、と思えなくもない。
などなど書きましたが、まあ原文史料や論文を読んだわけではなく一般の歴史本からの知識なので、
あなたのほうが詳しくかつ正しいでしょう。
で、話がなんか細かくなってきてるような気がするけど、
>>647 は
・キリスト教禁止
・貿易統制(制限ではなく)
の結果現出した状態が鎖国と呼ばれるもの。
としてみる。
658 :
世界@名無史さん :04/03/07 01:31
実際に一連の鎖国政策が完成するまでは日本人の海外渡航は頻繁にあったわけだ。 日本人の海外渡航を禁止にした時点で立派な鎖国状態だよ。
659 :
世界@名無史さん :04/03/07 01:38
人の流れは制限されたね。 物の流れ=貿易は少なくとも一連の鎖国令の時点では 制限されたとはたぶん言えないね。 情報は、うーん。
>>655 もちろん。
>>656 入港云々については確かに言葉遊びの感がある。
が、薪水の補給が許されているので、入港が許可されていると見ていいと思う。
五嶋探査に行った人達の日記を読む限り、そのまま出て行っていいようだし。
ただ、究極的には史料がねーんだ(俺が探せてないってのも含めて)。俺が出したのも漂流民の例で、自力で帰れないから送還、ってだけで。
2段落目についても、よくわからないってのが正直なところ。なにせオランダ人の日記が残っているのは1620年代からだから。
ただ、その後も大坂や京都、江戸に滞在するオランダ人がいたのは日記から確認できる。確かこれに関する論文もあったはず。
3段落目については、もっと調べてみるわ。
どこの分野でもそうだけど、ほとんど何もわかってないってのが正直なとこなんだよ。歴史研究なんて。
だからこそ、「入港とはなんだ」「制限ってどういうことだ」とか細かいことにこだわるわけだが。
共通認識なんて存在しないと言っても過言ではないからね。
まあまた、「統制」なんて問題ある言葉を持ってきたわけだが・・・
>>658 俺は基本的に荒野泰典氏の論に賛成だから、
近世初期の対外政策を「鎖国」と呼ぶべきではないと考えているが、
なんら制限がなかったなどと書いたつもりはないが。
人の流れが制限されてたら貿易は十分に制限されてるよ。 輸入が出来てれば貿易そのものに問題ないとでも思ってる?モノを 売りに行ってなければ一方通行で意味ないじゃん。 日本に来た外国船が買っていったから日本からモノも流れてる と言いたいのかも知れんが、その状態は買い手独占の状態だから 不公正の源泉になってるだけだ。
662 :
世界@名無史さん :04/03/09 00:12
今の日本で鎖国をしてみたらどうなるか考えてみよう
ベルギーワッフルが食べられなくなる
改良されて米が結構あれだから5千万くらいは生きられるんでねーの? あー薪が足らんな。炭鉱復活させっか?
665 :
世界@名無史さん :04/03/09 00:26
>>662 普通に飢えます。僕には機械は食べられません。
少なくとも2ちゃんねるは出来ませんね。
大根飯にオカラご飯に…
いや大正時代の農村部に遡れば 麦飯(明治なら粟飯)+漬物(ぬか漬け・たくあん・梅干) に行商から買った魚や近くでとれた季節の産物でしょう。
669 :
世界@名無史さん :04/03/09 00:38
麦飯とか粟飯とか聞くと思うんだが、 それだと米の生産料が人口の限界にならないんじゃないのだろうか、と。 で、米よりも麦や粟をたくさん作ってたの? つうか粟ってなに。
670 :
世界@名無史さん :04/03/09 00:39
>つうか粟ってなに。 何をなにと聞かれているのか・・・。
673 :
世界@名無史さん :04/03/09 00:45
麦や粟は庶民が食べるために生産されていたの? 少なくとも麦は米よりも生産性が悪いんじゃなかったっけ?
婆ちゃんから聞いた話だと、麦飯が食えない(麦アレルギー?)兄弟がいて、
彼の分はいつも米だけだったからひどくうらやましかったとか。
戦前の九州の田舎の話。大正14年生まれだから昭和10年くらいかな。
>>668 にあげられてるような食生活だったみたい。
でも一応小作人ではない農家だったらしい。
結婚して子どもができても電気は無くて夜はランプで風呂や炊事は
取ってきた薪だったとか。
日本の人口は100年後には約半分になる。 又、江戸時代みたいな のどかな田園風景が見られるね。
>>673 生産性は米が遙に高いが、日本で米を安定生産するにはある程度の投資が必要。
戦前は灌漑施設が不充分で、水田なんて全体の半分しかなかった。
病気や蟲にも弱く、手入れが必要だし、日照量や緯度、つまり気温の影響を受ける。
それに比べたら粟稗などは、米に比べ比較的簡単に育成できる。
けど大正期なら、人口の大半は米食(毎食)かと。
貧乏人は安い、朝鮮、台湾米でしょうけどね。
とまぁ、今の現在で鎖国したらこんな問題が発生するわけだが、 江戸時代の鎖国はなぜ賞賛されるんだろうか。鎖国してなかったら 開けていた未来はそれほど暗黒な未来だったんだろうか。
678 :
世界@名無史さん :04/03/09 15:57
日本の対外政策の不運な点は必ずその時代のスーパーパワーと タイマンはった戦争してしまった点だと思う。 白村江で 大唐帝国 元寇で モンゴル帝国 朝鮮出兵で 大明帝国 幕末に 大英帝国 フランス帝国 日清戦争で 清帝国 日露戦争で 帝政ロシア 太平洋戦争でアメリカ合衆国 うーん凄い面子だ。 これだけの実力で引きこもりせずに、つまり大陸と衝突する北進論でなく 海外雄飛の南進策をとってれば、当時のスーパーパワーと衝突する機会を 遅らせて結構いいとこにいけた気はするが
679 :
世界@名無史さん :04/03/09 16:04
不運で済ますのかよ。 それは愚かと言うんだ。 学習しないやつだな。 まあしょうがない面やしょうがないときというのもそりゃあるが。 >海外雄飛の南進策 戦前の言葉に今でも乗せられる奴がいるというのは 当時のプロバガンダが優れていたというべきなのだろうか。
680 :
世界@名無史さん :04/03/09 16:11
不運でも何でもなく、日本も一応スーパーパワーの部類なんだよ。 大国同士はいずれぶつかるのさ。
>西欧の情報がオランダ人経由でしか入らなかったなどという考えは、認識不足。 いや、中国からの情報に頼りきってたのが真実。 オランダは中国の情報を補助する程度。 これが中国だけになると完全に朝鮮と同じ道をたどっていたでしょう。
>>650 横レスだが、同君連合になった事を知らなかったから1639年にポルドガルの来航を禁止
したのだが。
仮に認識していたら、スペインはとうの昔に禁止されていたし、イベリア半島で区分けする
ならまだポルトガルとスペインという区別よりもレオンやガリシアとカスティリア地方の人間
がむしろ全然ちがうし。
1640年に同君連合が解消されたのは皮肉だがな。
>678 そもそも周りに大国ばかりしかいない。(中国、ロシア、アメリカ) 大国じゃないとそもそも日本と戦争できない。(フランス、イギリス) 大国だったのに日本が強力すぎてそもそも戦争ができなかった。(ポルトガル、スペイン) そもそも力の差がありすぎて戦争にならない。(日韓併合) 多少手間取ったのは台湾かな一応原住民と戦争してる。
684 :
世界@名無史さん :04/03/09 17:06
つうか一度制覇したようなもんじゃん 鎖国も間違いじゃなかったに一票
685 :
世界@名無史さん :04/03/09 17:31
スレタイは推測や推論や演繹ではなくて願望
東南アジアが日本のリーダーシップに期待したり 親日とまではいかないが、大陸半島連中の様な 極端な反日では無かったりを考えると 江戸時代にアメリカとフィリピン辺りで戦争して 勝ったり負けたりしながら太平洋戦争に至れば たとえ、最終的に負けたしても 今みたいな『平和万歳』みたいなおかしな風潮は無かったと思う。 あまりにも明治の近代化が急すぎた。その反動なんだよ。 戦後もある意味鎖国と変わらない。
そもそもなぜ鎖国したんですか? 家康がキリスト教を嫌がったとか、 明にならったとか、雄藩を儲けさせないためとか、いろいろありますが どうなんでしょう
688 :
世界@名無史さん :04/03/10 00:02
家康は三浦按人をシャムに派遣して通商の許可を求めに行かせていたから 全面的な鎖国を家康は考えていなかった模様。 俺の意見としては朱印船廃止の傾向自体は家康を内心快く思っていない 秀忠の意思が強かったんじゃないのかなと思うのだが。 で、家光の時代に林羅山や知恵伊豆が入れ知恵したつーのが真相じゃないのかと 妄想してみるテスト
689 :
世界@名無史さん :04/03/10 00:03
家康は鎖国してない
691 :
世界@名無史さん :04/03/10 00:15
今の日本で鎖国したらどんなひどい状況になるかは明らかだ。 何故江戸時代の鎖国が賞賛されるのかがわからん。 鎖国していなければ島国の日本は大航海時代の波に乗れたと思う。
692 :
世界@名無史さん :04/03/10 00:29
大航海時代に乗れても産業革命に乗れるとは限らない
乗れないとも限らない。 唯一、確かに言えるのは貿易利益を不十分にしか獲得できなかった ということだけ。 鎖国は経済的には国全体で損失を生じさせた。
鎖国と言う文面は江戸時代全くない。長崎出島を開港したのです。オランダ東インド 会社との契約により。
695 :
世界@名無史さん :04/03/10 14:45
朝鮮も攻略できない国が世界制服なんてできるわけが無い
>>694 ・・・・。文言の問題で実態に目をつぶってどうする?
実体は出島に関与した一部の商人、大名、奉行が儲かった。平和と金儲けが主流の 時代を生み、戦争による制覇という考えがなくなった。川原慶賀の絵を見ても裕福 な武士、商人が描かれている。これにあやかれなかった貧乏サムライが明治を起こす。 歴史の必然。そして徳川は悪者になる。これも必然。
実体は出島に関与した一部の商人、大名、奉行が儲かった。平和と金儲けが主流の 時代を生み、戦争による制覇という考えがなくなった。川原慶賀の絵を見ても裕福 な武士、商人が描かれている。これにあやかれなかった貧乏サムライが明治を起こす。 歴史の必然。そして徳川は悪者になる。これも必然。
19世紀のヨーロッパ人の頭には浅薄な歴史的背景しかなく、 深く洞察する批判の習慣はなかった。 西方における機械革命による、旧世界の他の部分に対する ヨーロッパ人の一時的の優勢が、ヨーロッパ人の永久的に保証された人類指導権の証拠だと、 蒙古人の大征服のような事件を少しも知らないような人々には、考えられていた。 彼らは科学やその果実の移転可能性を知らなかった。彼らは中国人やインド人が、 フランス人やイギリス人と同じく有能に研究事業を遂行しうることに気がつかなかった。 彼らは西方にはなにか先天的な知的活力があり、東方にはなにか先天的な怠惰や保守気質があって、 それがヨーロッパ人の永久的な世界性はを保証するものと信じていた。 つづく
続かんでいい!
鎖国をしなければより早期に欧米に並んでいた可能性も無い訳ではないが、そこん じょそこらの東南アジアの国と同じように植民地化されていた可能性もあるわけで。 実際の所は前者の例となるような国は存在しない(かろうじてタイがその例と言える かも知れないが)ので、あまり期待しない方が妥当。 まあ歴史IFなんてオナニーの道具でしかないって割り切るなら別だがね。
702 :
世界@名無史さん :04/03/11 07:41
>>701 じゃ、朝鮮みたいに明治以降も鎖国してた国は??
鎖国がイイのであればペリーも無いことにしなければ
鎖国の有効性を言えないよ。
703 :
世界@名無史さん :04/03/11 09:32
朝鮮人はハン板で海馬自体に異常がある事が証明されていて 人類とはとてもいえない。だから国家もひどいものしかできない。
704 :
世界@名無史さん :04/03/11 09:41
380 :あのねえ :04/03/07 02:42 ID:6SdedpZH あのね、広告代理店のすることってね、 CMだけじゃないのよ。 映画にしてもTVの製作にしても、スポンサーから 金を引き出すのは代理店だし、いろんなイベントやらキャンペーンやら、 CDの大規模売出しやらありとあらゆるところで絡んでるの。 だからね、何かしようと思っても広告代理店が動いてくれないことには 何にもできないわけ。 それで、有形無形の影響力を持っているのだし、外タレのライブで 一般人が徹夜してチケットとるのに、奴らはただでアリーナで 観たり、アイドルと一発かましたりできるわけ
705 :
世界@名無史さん :04/03/11 09:42
372 :せり :04/03/05 03:42 ID:DWpSswG9 エイベックスの幹部は女グセ最悪 ヤンマガの編集長と寝れば誰でも表紙飾れるよ(^^) 373 :今日は寒い・・・ :04/03/05 06:38 ID:1TMtk+QU ま、早く言えば、この業界セクハラがまかり通ってるわけだ。 本当に実力ある人からすれば、納得いかんというか、 おかしいと思うところだけど、 それで手っ取り早く売れるならと、かえって業界が健全 になったら困ると思ってるタレントもいるんだろうな。 難しい問題だ。 ま、自分からすすんでやる子は、風俗嬢と一緒。 なんらかの人格障害持ってる子だと思うけど。 しかし、相手の足元をみて、セクハラしてる ゲスなキモイ親父どもを想像すると反吐でそうだ
>>702 いかなる状態でも常に鎖国が正しいなんて誰も言ってないと思うが?
状況次第でとるべき政策方針が変わってくるのは当然だろうに。
しかし今や、列強の闘争のなかに新たな一強国日本が現われた。 これまで日本はこの物語のなかで小さな役割しか演じなかった。 日本は鎖国文明によって、人類の運命の全体的形成に対した貢献をしなかったからである。 日本は多くのものを受け取ったが、ほとんど与えるところがなかった。 日本人は蒙古人種に属する。彼らの文明や文字や文学的および芸術的伝統は中国から得たものである。 彼らの歴史は興味深くロマンティックなものである。 彼らはキリスト紀元後の、数世期間に、封建制度と武士制度とを開始した。 朝鮮や中国に対する彼らの攻撃は、フランスにおけるイギリス人の戦争の東洋版である。 日本は16世紀にはじめてヨーロッパと接触するにいたった。 つづく?
708 :
世界@名無史さん :04/03/11 21:05
しかし今や、列強の闘争のなかに大日本帝国が登場した。 日本は徳川幕府によって本来皇紀2300年代に唐入りを果たし、世界史に燦然と輝く 日本政府の元で天下統一され全ての支配者を絶滅し、天皇を中心とする日本一国に 当然なっていたからである。。 日本は縄文文明によって、長江文明から南米に至る縄文大帝国を築いてきた。 本国であるムー帝国は1万年前に沈んだが、その後、南米やエジプトらに太陽神信仰を 伝え、後世のギリシャのオリンボスの神々やローマのユピテル神信仰やシナの僭称皇帝に 多大な思想を与えた事でもわかるように地球文明の母体は日本に他ならないのだ。 したがって 地球上に存在する文明や文字や文学的および芸術的伝統は日本に回帰すべきものである。 日本の歴史は一万年にわたる雄大なものである。 縄文人はキリスト紀元前の、数10世紀前に、太陽神ラー=大君と氏族制度とを開始した。 シナは、ムージャパンにおける縄文ムー人の奴隷が逃げ出したのである。 ところがある日魚類との交雑実験に失敗したできそこないがムーを沈めてしまった。 これが半魚人である。後世に意味が訛って半島人と捏造したのはいうまでもない。 当然つづく つづく?
なにいってるの?
600レスを超えてようやく議論の前提である「そもそも鎖国って何だ」をやりだしたと思ったら
結局、日本人はヨーロッパ人は我慢のならぬ害悪であるという、 ―ことにカトリック教、法王とスペイン王国は既にフィリピン諸島を占領していた― との政治的野望の仮面に過ぎぬという結論に達した。そして1638年、日本はヨーロッパに対して 絶対的に閉ざされたのであって、その鎖国は200年以上も続けられた。 この2世紀間、日本人はあたかも他の惑星に住んでいたかのように 外部の世界から完全に遮断された。単なる沿岸航行用の小船よりも大きな船を作ることは禁止された 日本人は外国へ行く事ができず、ヨーロッパ人は日本に入ることができなかった。 つづく
713 :
世界@名無史さん :04/03/12 20:01
徳川家が幕府や征夷大将軍を選択したのは 自分が国王では無い。あくまで日本とういローカルな 地域性の政権である宣言でもあるんだと考える。
↑ はいはい国へかえろうね在日くん
だからなんで鎖国したのか聞いてんだWO っていうか教えてくださいWO
そもそも誰かが「こんな体制がいい」と考えたわけではなく、 瞬間瞬間における判断の積み重ねが結果的に後年「鎖国」と呼ばれる形になったわけで、 なぜ鎖国をしたのか、を答えるためには、1580年代から当時の政策決定者の判断を 編年的に説明せねばならず、 さらにその際には近世特有の権力関係・意識が密接に絡んでくるのでそれの説明もせねばならず、 すんげーめんどい上に結論もでないので 自分で調べろ。
>>713 新井白石などは公家の価値観・歴史を完膚なきまでに叩きのめして朝鮮通信使
に対しても「日本国王(それまでは「日本国」)」の称号を用いるように進言
していますね。
もっとも言い換えればそれ以外は・・・という訳で。年寄などの名称は三河時代
以来のもので、これをもって地方的な感覚の表れと見做す人もいる。
なお白石の「武家的(とされる)価値観」至上主義による歴史観というのは現
代まで尾を引いており、影響はかなり深刻なものがあります。
早い話公家的な発想・価値観を軟弱なものと見做して力でごり押しするような
「武士らしい」やり方を正義と見做したもの(明治以降も続く)。
火葬戦記に代表される信長人気なんてのも典型的な例でしょうね。
(「武家的〜」の典型が分かり易い例でいえば漫画家の本宮ひろし)
現代人が考えるよりも近世以前の朝廷の影響力は大きなもので、独立政権を築
いていたような奥州藤原氏ですら鎮守府将軍の延長線上に自身を位置づけてい
た節がある。
>>682 前回はど忘れしてたが、
1628年のポルトガル船交易禁止の理由が、
海外でスペイン船に日本の朱印船が拿捕されたのはけしからぬ事であり、
スペインと同君のポルトガルにはその責がある、ってものだったんだが。
とは言え、フランシスコ会その他の修道院から自由になれないスペインと、
イエズス会勢力を駆逐しようと努力していたポルトガル人(てかマカオ市民)とでは、
幕府の対応が違って当然だがな。
719 :
世界@名無史さん :04/03/13 00:54
>>706 状況次第で鎖国した方が良いというと?
SARSや鳥インフルエンザのようなウィルスの侵入を抑えるためには鎖国した方がよい。
後は海外のテロリストの侵入を防ぐ上では鎖国した方がよい。
後は難民が殺到するような状況では鎖国したほうがよい。
後は?
720 :
世界@名無史さん :04/03/13 00:55
江戸時代に鎖国したほうが良かったことは?
722 :
世界@名無史さん :04/03/13 01:05
今まで出た意見を総合するとこうなる? みなさんは@〜Cのどれ? @日本は折角、地政学的な好条件と海洋国家なのに。 鎖国が無ければ今頃は真のワールド・パワーになれたのに。 A鎖国は当時の判断で仕方が無いものだが、開国が遅かった。 これで産業革命と植民地争奪戦に乗り遅れ、日米戦争敗戦の遠因になった。 B鎖国、鎖国と言うが別に国を閉ざしてたわけじゃ全然ないじゃん。 出島もあったし、薩摩琉球。松前蝦夷。などでの海外ルートもあった。 今の飛行機で気軽に海外旅行の時代と同一して考えるなよな。 C徳川幕府の鎖国・開国の時期選択も絶妙じゃん。平和な時代だったし、 国内の整備に力が注げたし、わざわざ海外進出する時代では無かったな。
723 :
世界@名無史さん :04/03/13 01:10
1。 イギリスのように、自らの地政学的な優位性を最大限利用できた国は大英帝国になった。 日本は開国以後、イギリスを目指したが時すでに遅かった。 どうせ帝国を目指すなら、鎖国などしなければ良かった。
2、3、4 鎖国は当時の判断で仕方が無いものだし、 「鎖国令」と呼ばれるいくつかの命令によって国内の整備に力が注げた。 鎖国といっても貿易がほとんどなかったわけじゃなくて、 出島もあったし、薩摩琉球、松前蝦夷、などの海外ルートもあった。 そもそもわざわざ海外進出する時代では無かった。 ただし鎖国が時代にあわなくなっても続けたのはいけない。つまり開国は遅かった。
3と4。
2の開国が遅かったと言うのも否定しきれるわけじゃないが、
差し迫った危機も無いのに大幅な方針転換なんて為政者の仕事
じゃない。
>>723 その芽は朝鮮出兵の失敗で既に摘まれた罠
江戸幕府の国内整備って参勤交代やら、江戸滞在やらで、無駄な出費をさせ、 日本全土を疲弊させることですか? はっきりいってそんな事するくらいなら、戦国時代の方がまだマシ、 予算の半分以上を無駄な出費に遣うなど、戦国時代でもありえない。
諸侯への統制策と相まって諸侯とそれにともなう家臣団が街道や大阪、江戸に 落とす金は内需拡大面で大きいと思うがのう。 倹約令で経済が改善されるわけもないしのう。
>>726 赤字公共事業で国内整備をするのはむしろ現代に近いやり方では。
参勤交代が無ければ宿場町の発展も江戸の繁栄も無し。
政治的安定によろしくないのはもはや説明するまでもあるまい。
>>722 @ 日本人の常識
A 敗北主義者の戯言
B 成せば成るナセルはアラブの大統領を知らない奴が主張
C 社民党の手先か?
まさかあんな遠い国から来て日本や中国に戦争はしかけまい いまは国内の平和が一番大事じゃからして 足利と違う事せねば・・大名を弱らせよう。 よし幕府のみ貿易させて利益を吸い上げよう みたいなのが一番普通の原因じゃない
幕府が利益を吸い上げたなんて事実は、初期には存在しない。
733 :
世界@名無史さん :04/03/13 02:35
鎖国は権力者にとって非常に都合の良い体制だった。 江戸幕府がキリスト教徒を恐れていたのは事実。 スペインに侵略されることを恐れていたのではなく、国内のキリスト教に恐れを抱いていた。 外国の情報は国内の情勢に変化をもたらす。 国内を変化させたくないならば外部からの情報をシャットダウンし鎖国を行うのが一番。 北朝鮮や旧ソ連などの全体主義国家の多くは情報統制や鎖国政策を行ってきた。 そんなことは江戸時代から分かっていたことなのだろう。
734 :
世界@名無史さん :04/03/13 08:25
今のロシアには、旧ソ連時代の安定を懐かしむ層がいるらしいが、 鎖国肯定派というのはそれと似たようなもんだろう。
735 :
世界@名無史さん :04/03/13 08:49
ヨーロッパ列強の発展に大きく寄与したもののひとつに中央集権化があると思うが、 江戸幕府もそれまでの武家政権に比せば相当程度に中央集権がなされた政権だった。 そうした体制が築かれた要因のひとつに鎖国があると思う。 信長であれば絶対王制となったとする意見もあるかもしれないが、それは怪しいだろう。 江戸幕府は基本的には秀吉の体制を引き継いでいるし、秀吉は信長を真似している。 仮に信長が絶対王制を目指していた、あるいはあと10年20年生きていれば絶対王制的体制を築けたと仮定しても、 それは信長の個人の性質に依存するものを超えることはできず、 秦のように、信長の死により崩壊したように思う。
736 :
世界@名無史さん :04/03/13 09:06
一連の鎖国令によって貿易量が減ったという事実はたしかなかったのでは? だいぶ後になって銀の流出などの理由で鎖国化においてさらに貿易の制限が強化されたのだったように思う。 自由貿易が国に利するとは限らない。 現代でも特に発展途上国において、自国の産業の保護のために保護貿易的な政策がとられる。 仮に当時、幕府が諸大名の貿易の統制をしなかったら、あるいはできなかったら、 国内経済がよりひどくなった可能性も高いのではないか。 まあ当時ヨーロッパ諸国が自由貿易体制だったかというと違うだろうし、 保護貿易的体制をとるにはいわゆる鎖国が必要だったとは言い切れないが、 鎖国が国内の産業発展に利した面は少なからずあると思われる。 鎖国をしなければ経済的に発展したという意見が若干見られるようだが、それは短絡的に過ぎるだろう。
「鎖国」批判派の人達はもうとっくに信頼性を失っている古典派 経済学や自由主義の幻想に囚われてるとしか思えないね。
古典派って・・・・経済学の話を哲学に持ち込んで、話を無化しよう としなさんな(w ま、幻想と信じたいならそれはあなたの勝手だけどね。ただ、比較 優位財への特化が厚生を改善しない場合があることぐらい、普通の 教科書にも載ってる話。
739 :
世界@名無史さん :04/03/13 12:31
英欧西と植民地争奪戦やった場合、仏教、神道が東南アジアで大流行したんでしょうか? 神道の神様が各地の宗教に組み込まれて違った文化が花開くかも 台湾に逃げた明朝も幕府の支援で清に組み込まれず独立を保ったと思うのですが
740 :
世界@名無史さん :04/03/13 13:31
>神道の神様が各地の宗教に組み込まれて違った文化が花開くかも どう考えればそういう想像ができるんだ?
742 :
世界@名無史さん :04/03/13 14:55
>>740 カオダイ教とか東南アジア、スリランカの仏教がヒンドゥーの神やキリスト教の文化吸収して独自の文化を形成したから
743 :
世界@名無史さん :04/03/13 15:03
>>727 ,728
けどさ、それは江戸と街道だけだろ、日本人の九割は都市や街道に住んでいるわけじゃない。
地方の城下町や農民などは、恩恵は得られない。
日本全体で見た場合それはどう考えてもマイナスだ。
744 :
世界@名無史さん :04/03/13 15:16
>>743 江戸期は現代に比べても地方が栄えた時代とされていますよ。
参勤交代は、江戸で発生した様々な文化を地方に伝播させた面があります。
都市で発達した文化、文明が地方に(城下町に限らず、さらに農村まで)伝播した時代が江戸時代です。
参勤交代により大名が疲弊したのは事実と言えるでしょうが、
農村を含む地方そのものが疲弊したというのは事実とは言えないでしょう。
文化の伝播が何故栄えたことになるのかな? それに参勤交代などにより、大名が疲弊し、その為農村まで疲弊したのは事実だぞ。 特に北関東や東北諸藩では、借金返済の為、凶作時でさえ米の飢餓移出などが発生し、 廃村にまで追い込まれたところすらある。
上段と下段に関連性が無いね
実際のところ鎖国の江戸時代の間に日本はマニュファクチュアの段階まで経済発展 したわけだが、産業革命まで至らなかった原因はなんだろうか? 科学力が足りなかったのか需要が足りなかったのか? 上記二つの場合、どちらでも開国で賄える可能性はあるが、外来の科学を吸収できる 下地がいつでも整っているとは限らない、需要は逆に食われてしまう可能性がある。 鎖国しなければ産業革命が起こったとするのは希望的観測に過ぎる。 まあ希望的観測は歴史IFの付物ですがね。
>>733 かつては資本主義側も共産主義側に対して鎖国してたしね。
当時実際にテロリストを量産していた危険思想の持ちこみを禁止するのは
むしろ当然の処置。
何故ヒッキーになったか 自分の心に聞いてみればいい。
>@日本は折角、地政学的な好条件と海洋国家なのに。 >鎖国が無ければ今頃は真のワールド・パワーになれたのに。 中国を模範に農業国家やってたから海の利便性に気づきませんでした。
終わったことをグダグダ抜かしてんじゃね〜。 青年時代にヒッキーやってれば いくら高学歴でも 個人資産は歴然とした差であらわれんだよ。
752 :
世界@名無史さん :04/03/17 19:50
参勤交代は鎖国しなくても行えるが。 参勤交代に伴う街道の整備や経済的効果も鎖国しなくてもあるのだが。 鎖国しなくても良いじゃない。
753 :
世界@名無史さん :04/03/17 20:23
鎖国でのプラス面は 鎖国しなくても継続できた可能性あるな。 全国市場の確立 参勤交代による文化の伝播 殖産興業による地域産業育成 んで鎖国して達成されたとされる 日本独自の文化 キリシタン弾圧も キリシタン弾圧せんでも必要以上に増えないと思うし、日本独自の文化 とて・・別段日本中が外国文化に染まるわけでないので、適度な刺激 となってより良い文化が育まれた可能性も高い。 貿易統制で金銀の流出を抑制するのも、先の殖産興業による独自の 輸出産業育成の動機となるので寧ろ明治の際やお密貿易とかで海外に 流出する以前に良い対処が出来た可能性もある。
754 :
世界@名無史さん :04/03/17 20:31
逆に鎖国しないでプラスとされる面 殖民地確保ですが、これは最初のうちは意味合いが低い。 日本人は稲作に拘るだろうからあまり未知の土地で住み着いて 日系の国家になり得ない。 海軍力とて最初のうちは大規模なものは必要ない上、日本には 国家水軍では長期間運営した実績が当時ない上、出身藩ごとに閥 となって有効に機能しない可能性もある。 朝鮮出兵のマイナスイメージもある。 欧州勢を中国貿易から締め出し欧州に交易に赴くとかなら上記 にも変化が出てくるが、明は秀吉の件があり、そんな画策ができた 余地はない。明清の争いに便乗し中国を二分して両者に富国強兵の 必要性を与え海禁策ではない交易振興をとらせてから食い込むしかない そうなって初めて海外交易にうまみの出る可能性がある。 それからさきはIFの歴史になるんで省略する。
755 :
世界@名無史さん :04/03/17 20:31
>>753 日本独自の文化とか言うが、開国しまくりの戦後の日本も十分独自の文化を創ってきた。
そもそも独自の文化を創らなかった文明があるだろうか?
鎖国しなくても独自の文化は発展した。これは確実。
756 :
世界@名無史さん :04/03/17 20:35
日本は海外交易を鎖国前までは盛んにしていた。 鎖国をしないメリットは無限にある。 台湾やフィリピンは稲作に適した土地であり、日本人の移住は可能。 そうなれば植民地も容易に成功していた。 台湾もフィリピンも豪州も日本化していただろう。
757 :
世界@名無史さん :04/03/17 20:37
また、バカウヨの誇大妄想か・・・
758 :
世界@名無史さん :04/03/17 22:13
江戸時代は寺院が民政を肩代わりしていた側面があるが。 キリシタンが人口の数%しかいなくても、 それがどれだけ幕府への権力集中に影響があったかだな。 キリシタン大名などもいたわけだし。 貿易に関しては鎖国していようがしてなかろうが対して変わりはなかったと思う。 ただ、日本人の海外渡航がどのような効果を生んだかだな。
>>757 ○愛国戦士の天下国家論
Xバカウヨの誇大妄想
761 :
世界@名無史さん :04/03/18 00:43
貿易に関しては鎖国しなければ決定的な変化があった。 例えばイギリスが自ら貿易していなければどうなったかを考えてみよう。
貿易なんて商人の発想なんだよ 国家にはもっと威厳が必要
763 :
世界@名無史さん :04/03/18 09:10
764 :
世界@名無史さん :04/03/18 10:14
経済や通商抜きで戦争はできない
765 :
世界@名無史さん :04/03/18 10:17
日本は世界で一番すぐれた国
766 :
世界@名無史さん :04/03/18 10:22
思うのは勝手だが、対策練らないとね
767 :
世界@名無史さん :04/03/18 10:46
>>761 イギリスなど西欧では、茶も香辛料も綿花も金銀も自給できなかったから、
それらを入手するために貿易拠点を作ることが必要になり、
そこから属領を広げ、属領に植民していく……という流れになった。
しかし日本では、それらは全て国内で自給可能だった。
天然資源の利用の高度化・商工業の発展・識字率の向上……
みたいな意味での近代化の基本形はむしろ江戸期の日本の方で、
近代化が海外領土の拡張を伴った西欧型発展は、
必要な資源を自国内で入手できない場合の苦肉の策なのかもしれない。
工業化が更に進んだ段階で必要になる石油などの資源に関しては、
日本も国内で自給できず「苦肉の策」に頼らざるを得なくなったわけだが、
西欧は初期段階からそういう状況だった。
少しづつなら何でもある「幕の内弁当」な日本の国土は地球的に見てかなり特殊で、
大半の地域は、特定の資源には恵まれていても別の肝心なものを欠いているような、
一点豪華主義な資源配分になっている。
国内資源だけでやっていくとしたら、綿花の育たない英国は、
綿織物工業の世界的中心となり世界で最初に工業化することはできなかった。
そういう資源配分の特殊性を考えてみれば、
多くの地域――特に西アジア――の相対的没落は意外なことではない。
>>753 >全国市場の確立
可能性はあるがその手綱を幕府が握れる可能性は皆無。
分裂主義者の餌食ですわい。
>殖産興業による地域産業育成
江戸期の銀流出を考えれば国際貿易の開放は資本蓄積への邪魔になるので
投資は減る、もしくは時代が経てば一部が欧米資本のプランテーションと
なっていたかもしれない。もちろんそれはそれでメリットもあるけど、
ますます国内資本の流出に繋がりますね。貿易の勝ち組みになって大
もうけする可能性もゼロじゃないんだけど、まだまだ欧米の生産力が低い
江戸初期ですらそうはなってなかったんだから期待するのは間違い。
>日本独自の文化
また今と全く違う日本文化が出来てただろうね。それが良いか悪いかは別として。
>キリシタン弾圧せんでも必要以上に増えないと思うし
それは甘すぎる観測。キリシタンには数十万の大型反乱を起こすだけの勢力が
あった上、武士階級(もちろん江戸初期にそんな階級は無いが)にも広がり切支丹
大名も数人いた。イエズス会は必死に布教してたから鎖国してなければそっから
更に増える。
国際貿易が自由化されれば当然国際貿易によって力を得る藩と零落する藩が
でてくる。幕府に匹敵する力を得た藩は幕府に従わなくなるし、むしろ幕府を
ひっくり返そうと企むかも知れない。その際に海外勢力の助けを借りていわば
売国奴になる可能性も否定できない。
零落した藩は事実上商人に国を奪われるかもしれない。または他の藩に事実上
吸収合併されるかもしれない。その場合力を得る藩はますます増強される。
最低の場合は海外勢力に土地や港を割譲するなんて可能性もあるかもしれない。
769 :
世界@名無史さん :04/03/18 15:30
武士道はなくなってただろうな
何で「鎖」で「国を閉ざす」なの 外人がいったらしいことはわかってるが何のことだろう そのまま熟語にしてる日本人もおかしいきがするけど
771 :
世界@名無史さん :04/03/19 00:32
>>768 何もかも自分の都合のよいように悪く考えるんだな(笑
そもそも、150年以上鎖国していて征服されなかった日本が、鎖国しなかった場合に征服されたというシナリオに何故、信憑性を感じるのかがわからん。
鎖国したおかげで日本の軍事力は極度なまでに弱くなった。
その事実は認めるよな?
>>771 ちゃんと読んでからレスしような。
768の何処にも日本が征服されるなんて書いていないぞ。
>>770 「鎖国」ってのは長崎通詞志筑忠雄が1800年ごろ
ケンペルの著書の「日本が諸外国との外交を禁じていることが非常に合理的であることの説明」
とかいう部分を「鎖国論」と訳したところから来てる。
外人が言ったとも、日本人が言い出したとも言える微妙な言葉。
しかし世界史板に有る癖に史料から引いた話がほとんど出てこないひどいスレだな。
ヽ、.三 ミニ、_ ___ _,. ‐'´//-─=====-、ヾ /ヽ ,.‐'´ `''‐- 、._ヽ /.i ∠,. -─;==:- 、ゝ‐;----// ヾ.、 [ |、! /' ̄r'bゝ}二. {`´ '´__ (_Y_),. |.r-'‐┬‐l l⌒ | } ゙l |`} ..:ヽ--゙‐´リ ̄ヽd、 ''''  ̄ ̄ |l !ニ! !⌒ // . i.! l .::::: ソ;;:.. ヽ、._ _,ノ' ゞ)ノ./ ` ー==--‐'´(__,. ..、  ̄ ̄ ̄ i/‐'/ i .:::ト、  ̄ ´ l、_/::| ! |: | ヽ ー‐==:ニニニ⊃ !:: ト、 おれたちはとんでもない思い違いをしていたようだ。これを見てみろ。 まず「クソスレ」略して「クソ」をローマ字で表記する。 kuso これを逆にし、 osuk ロスチャイルド(Rothschild)から一文字借り、 osuko 日本語に直し、オスコ 今日が8月10日と言う事を考え、末尾に「ノストラダムス」を加える。 オスコノストラダムス そして最後に意味不明な文字「オスコ」 これはノイズと考えられるので削除し残りの文字を取り出す。 するとできあがる言葉は・・・・・・『ノストラダムス』。 「クソスレ」とはノストラダムスを表す言葉だったのだ!!!!!!!!!!!!! 地球はおしまいだぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!
鎖国はキリスト教にびびってやりました。 日本人の引きこもり根性の現れです。 だから日本人の海外渡航と帰国を禁止した。 それ以外に外様の交易を幕府は恐れたというが そんなものはいくらでも調整可能。 キリスト教だけはどうにもならなかったんだろ。
つまり外の世界の出来事が怖いのでヒキコモってったわけ。 その間に西洋人に世界中を占領されました。
>>775 俺ミッションスクールに6年いた。宣教師に変なのもいる。それの取り締まりだな。 それから当時汚い船で漂着同然でつく船の検疫だな。どうみても。
779 :
世界@名無史さん :04/03/23 10:25
780 :
世界@名無史さん :04/03/24 23:10
鎖国することで日本はグローバリゼーションの波に乗り遅れたんだ。
781 :
世界@名無史さん :04/03/27 18:37
日本は間違いなく世界を制覇していた。
782 :
世界@名無史さん :04/03/30 21:16
>>1 よほど順調に言って実力もあったとして
まず第一段階で
朝鮮半島と大陸(当時は明)を征服しないといけないんですが
どっちも日本の手に負えなくなる気がします。
半島は政府が派閥争いしてても民衆の抵抗とかは激しかろうし
大陸は広くて人口も多く中華文明の伝統ありーの日本のほうが
史実の満州族のように大陸に埋没してしまうでしょ?
そのうえ天竺(インド)あるし、太平洋はだだっ広いし
日本は世界進出するには周囲が不利すぎる。
783 :
世界@名無史さん :04/03/30 23:41
>>782 >まず第一段階で
朝鮮半島と大陸(当時は明)を征服しないといけないんですが
征服しないといけなくはありません。何でいきなり大陸を征服しなくてはいけないのでしょうか?
スペインがモロッコを征服したでしょうか?イギリスがフランスを征服したでしょうか?
大陸を支配しなくても台湾やフィリピンを経て、東南アジアに進出すればいい。第二次世界大戦と同じ。
>そのうえ天竺(インド)あるし
その前に東南アジアがあるでしょ。その後にインドです。
インドがあると何か不都合なのですか?
>太平洋はだだっ広いし
だから?イギリスは日本よりも遙かに遠いオーストラリアに植民していますよ。
スペインは本国から遙かに離れたフィリピンを植民地にしてますよ。
両方とも太平洋沿岸の国ですが。
島に沿って航路すれば太平洋航海はそれほど難しいものではありません。
>日本は世界進出するには周囲が不利すぎる。
逆です。有利な位置にありました。
南は沖縄、台湾をえてフィリピン、東南アジア、オーストラリアと
北は北海道、アリューシャン列島、アラスカ、カナダ西部、アメリカ西部と
無限の可能性がありました。
第二次大戦はこの流れを一気に欧米列強から取り戻そうとして起こした戦争です。
鎖国さえしなければ欧米にとられる前にそれらの土地は日本人が植民していたでしょう。
鎖国前の日本はイギリスと同じ島国であり、イギリスよりも遙かに強力な国力と人口を持った大国だったからです。
世界進出するには不利すぎる国とは、チベットや中央アジアのような地域の国を言うのです。
>>782 言われてみればそのとおりかも。
確かに地理的に最適な場所にあるかもしれませんね。
その点世界征服を成し遂げる可能性はあったかもしれません。
ただし、当時の日本人に世界制覇のために海外に進出する理由がないのでは?
東南アジアに日本町を作ったといえど、
現地をわざわざ植民地として搾取するだけの理由がない。
徳川幕府も豊臣秀吉の朝鮮出兵の失敗を見ているから他国への武力侵攻には
慎重だっただろうし。
それにもし鎖国が無かったら、明治から始まる近代〜現代の勢いがなくなる可能性もわけだけで。
そうなると、今の経済大国としての日本の豊かな生活もありえなくなるかも知れない。
785 :
世界@名無史さん :04/03/31 02:53
時代的にも日本人の海外進出が多かったし、鎖国後は 東南アジアから帰れないで現地に同化してった日本人も多かったわけだから、 鎖国ないんなら華僑より日僑のほうが多くなっていたのかも。
786 :
世界@名無史さん :04/03/31 03:02
明智光秀が信長を殺さなかったら今頃俺は 性奴隷を30人ぐらいもっていて、飽きたら 裸で道ばたにほうり出してレイプショーを 見物するような生活が可能だったかもね。 そう考えると光秀はとんでもないやつだ!
787 :
世界@名無史さん :04/03/31 10:48
>鎖国ないんなら華僑より日僑のほうが多くなっていた あり得ないw
788 :
世界@名無史さん :04/03/31 12:33
このスレの住人はヨーロッパの植民地が どうやって形成されたのかほとんど知らずに妄想してる気がする。
789 :
世界@名無史さん :04/03/31 13:32
確かに鎖国をしたから近代化が遅れたかも知れんが、 鎖国をした事によって欧米列強の植民地化を防いだというのが 常識だよ!
790 :
世界@名無史さん :04/03/31 13:39
鎖国をしたことと直接関係はないだろうけど 江戸時代の寺小屋教育の普及は 次の時代に向けての基礎教育の充実につながったと思う。 また江戸時代は結構近代的 下水道も整備されていたらしいし。
鎖国がなくても多分清が元気なうちは日本も植民地化されることは無かっただろうけど ただし大陸側への進出は不可能だし、そのため南方への兵站の確保も難しい。 東南アジアに向けて兵を繰り出しても予算の無駄で終わりそう。 琉球のような平和主義国家ばかりならともかくねぇ・・・ 鎖国って言われているのは当時現に有った国際問題に対して対応していった 結果なわけだから、ただ単に無くせば問題が悪化してしまう。鎖国しない場合 の代替案も欲しい所。豊臣や徳川のブレーン達が考えつかなかったような凄い 政策をね。
792 :
世界@名無史さん :04/03/31 17:09
じゃあハワイをガッチリ征服して西海岸やパナマに入植しよう。
793 :
世界@名無史さん :04/04/01 00:37
>>784 >>明治から始まる近代〜現代の勢いがなくなる
その勢いが性急すぎた為に明治国家のスタイルは昭和20年で
挫折した。
>>784 ネタだと思うが明治時代の国家感覚は昭和初期では相当変質してるので、
明治国家のスタイルが昭和20年で挫折したと言うのは大きな誤り。
勢いが性急過ぎたなんてのは抽象的過ぎて意味不明。
795 :
世界@名無史さん :04/04/01 02:19
やっぱ豪州出兵だろ。
796 :
世界@名無史さん :04/04/01 06:55
>>792 それじゃあコロンブスやバスコダガマみたいな探検隊を送ってまず
地理を把握しなければ・・・金が持つかな?
798 :
世界@名無史さん :04/04/04 01:12
アホばっかり。本当にここは世界史版なのかな? 日本が南方進出するのに金がかかってしょうがないって(w 貿易で得られる利益のほうが大きいだろ(w
799 :
世界@名無史さん :04/04/04 01:48
800 :
世界@名無史さん :04/04/04 01:59
>>791 >鎖国しない場合
の代替案も欲しい所。豊臣や徳川のブレーン達が考えつかなかったような凄い
政策をね。
豊臣は朝鮮出兵でアホをした。当時の日本の対外認識の不足が原因。
徳川は家康時代は貿易を盛んに行い、日本人町が東南アジア各地に出来た。
ただし、秀忠、家光になって日本人の海外渡航を禁止したのは日本の発展のためではなく、自家の安定のため。
江戸時代は徳川の徳川による徳川のための政治が行われ続けた。
徳川の優秀なブレーンが考えたことは日本の発展ではなく、徳川家の存続をどのようにしたら永続化出来るかと言うこと。
その結果が鎖国だった。
801 :
世界@名無史さん :04/04/04 02:05
代替え案だが、琉球は鎖国以前に支配していたのだから、台湾、フィリピンと普通に進出していけばいい。 台湾もフィリピンも稲作が可能であるから日本人の植民が可能である。 台湾などは19世紀末に日本領になってから完全に日本化された。 日本化は簡単に出来る。 台湾やフィリピンなどの新しい植民地は徳川家の直轄にすればいい。 そうすることで南方貿易の利益と海軍の独占を行えばいい。 徳川家の他藩に対する優位性は決定的なものになると思うが、商人が力をつけることになり、市民革命は起こりやすくなるだろう。
>>800 愚問。政権の安定は国家の発展にも安定にも必要不可欠。
どんな政権でも自らの安定を図るのは当然だし、そうしなければ
国家は機能しない。
>>801 徳川のどこをどうすればそれだけの強権が発揮できるのかと。
そもそも一体なんの代替案なんだ?
あと、台湾にも反日厨は結構居ることは無視?
>>801 市民革命ってなんでげすか?
最後が市民革命じゃ底が知れているな。
804 :
世界@名無史さん :04/04/04 11:13
>>802 北朝鮮を見てみればいい。
政権を維持するために鎖国を行い、民衆は貧乏のどん底にある。
政権の維持=国家の発展ではない。
近代のヨーロッパが発展したのは国力を強化しなければ政権が維持できなかったから。
政権の維持=国家の発展の図式が生まれた。
しかし日本では逆の効果をもたらした。
805 :
世界@名無史さん :04/04/04 13:42
>>800 どうせなら徳川支配の台湾やフィリピン想定するより
徳川日本と別個の日系国家想定しないと鎖国と大差ない気がする。
秀吉が九州征伐に失敗するか関ヶ原の紆余曲折で
九州が事実上の独立国家として日本と別の道を歩み台湾や呂宋を占拠して
強力な海洋国家の道を歩むとかしてたら
徳川日本の進路も違ったのでは?
>>804 >政権の維持=国家の発展
だれもそんな事言ってないが。政権の安定は発展以前の問題。
金王朝にしろタリバンにしろあんな抑圧政権が政治主体足り得るのは
国家にとって最低必要な治安の維持が出来るから。逆に言えば、どんだけ
対外進出しようが交易を盛んにしようが最低限の治安を維持できなければ
国家ではない。
そんでもって日本も北朝鮮に対して「鎖国」しているわけだが、これも今すぐ
解除したほうが良いのか?テロ支援国家と全面的に交流するのが本当に
国家の発展と安定をもたらすのか?
で、徳川時代の場合はその治安の維持の為に強力な国際交流の統制が必要と判断
した故に「鎖国」と後に呼ばれる政策をとったわけだ。
現にテロ宗教を広められたり異常に銀が流出したり、島津や伊達がまだ不穏な
動きを見せてる中では他に有効な政策も中々あるまい。
>>805 それイイ!
九州連合政権ってところかな?盟主は島津?まさか毛利?
明確にトップを決めればもめそうだから共和政権かな?
日本の地位を引き継ぐのは徳川だろうから国際的には新興国扱いか。
九州連合だったら各地に植民都市を作っててもなんか違和感無いね。
南蛮人や華僑を柔軟に吸収しつつ独自の文化を築き挙げるだろう。
逆にそれが出来なければ鎖国とおんなじ。
徳川としては九州無しじゃ、対中国朝鮮貿易が無くなるから鎖国じゃやってけない
な。貿易統制は少しは緩くなるかな。そうだとしても交易ルートも九州連合側に握られて
いるから北方進出を盛んにしたかも。
結局さ世界大戦もそうだけど 政府の失策なんだよ。 日本政府はびびりすぎ。 アホ丸出し。
>あと、台湾にも反日厨は結構居ることは無視? 現代の話をしてるんじゃないぞ。w
>世界大戦 いや、2次はビビり過ぎとは逆で調子のり過ぎだろ。 どうして1次のように狡猾に立ち回ろうとしなかったのか。 分を弁えない馬鹿が政治を動かすと絶対ああいう失態が起こる。 >現代の話をしてるんじゃないぞ。w 801への返信だろ。反日厨房がわんさか居るのに「完全に日本化」なんて・・・ 台湾の反日厨房は全て国民党と脳内断定しているなら仕方ないが。
妄想ばっかり。 中国人や韓国人の妄想を笑えない。
スペインvsポルトガルみたいだな>九州独立勢力 そのうち言語も分かれるのかね? 天皇が東経何度以西は九州日本の領土とか勅令出すんだろうか。
813 :
世界@名無史さん :04/04/04 20:20
この場合 天皇がローマ教皇の役割になるんだろうね。 ようは本州日本勢力が九州連合勢力を攻略しあぐね 天皇の名で妥協するということで。 本州中央政権は九州側に九州探題か鎮西管領の役職を 勝手につけるが、 九州は琉球を属国にしたり台湾、呂宋を支配して 独自に明や清に朝貢して、キリシタンについても日本とは 違う対応をとっていく。
はははは。面白いネタスレだ。 はははは。面白い。ネタスレだ。 ・・・・・・まさか本気じゃないよな
>>806 同意。江戸時代以前は戦国時代は勿論鎌倉、室町時代でも内乱続きだよ。
それらが原因で100年過ぎると大抵は幕府の衰退が始まる。
平安時代は長かったが江戸時代と似てるんでないの?
それ以前は似たようなものだ。
諸藩の乱立を防ぐのはかなり困難と思われ。
明治初期にすぐさま征韓論がおこったり、台湾出兵に走る
のも武士の不満が押さえきれなかったからだ。
当時はまだ改革も国内の安定もままならなかった点を考え大久保なんぞは大反対
していたが、結局は押しきられた。
よく江戸幕府は300年もこういった猛者を押さえられたものだと思う。
816 :
世界@名無史さん :04/04/05 00:50
>>815 黒船みたいなの直接的なのが来ず
対外的なナショナリズムが発生しなかったから
武士も猛者にはならなかったと。
817 :
世界@名無史さん :04/04/05 01:20
イギリス、フィリピン、インドネシア、その他の島国のバラバラぶり を見るにつけても、日本の統一ぶりは奇跡そのものだ。徳川家光は 偉かった・・・。
818 :
世界@名無史さん :04/04/05 02:06
っま、日本が植民地持って生産消費が増大しても産業革命が起こせたかどうかは謎
820 :
世界@名無史さん :04/04/05 15:14
豊臣秀吉が朝鮮ではなく台湾を目指していれば良かったのだと思う。 「まず台湾をとって中国への侵攻拠点にしよう」という構想もありえたはずだ。 もっともこの場合も、本作戦の中国侵攻の方は当然失敗しただろうが、 少なくとも台湾は、日本領――豊臣家の直轄地として手元に残っただろう。 秀吉の死後、家康との闘いで負けた豊臣家は、 直轄領たる台湾に亡命政権を築いて生き延びることになる。 この時代に大勢いた浪人たちは、台湾に移民して農民や商人となり、 多くの犠牲を払いつつ、猖獗の地を開拓していく。 後に徳川日本が鎖国すると、 史実では、東南アジア各地の日系商人たちは日本との縁が切れ、 原住民に溶け込んで消えるわけだが、 この時間線では、豊臣領の台湾を自分たちの本国と見なすようになり、 日本語や日本文化を維持して「倭僑」という立場になっていく。 倭僑の長となった豊臣家は貿易立国で繁栄し、 各地に探検隊を送り出して、やがてオーストラリア大陸を発見する――
>>816 スペインやポルトガルは十分にナショナリズム刺激
し得たと思うよ。
黒船なんかも殆どの藩では幕府のお仕事程度の感覚だったと思うよ。
幕末の薩長土肥の対外脅威論は多分に権力奪取のお題目と言う側面が
あると思う。植民地の危険性なんぞは戦国時代からあったわけで幕末に始まった
ものでもない。
江戸時代にそもそもナショナリズムなんてあったのか? 武士なんてほんの一部だろ。殆どが農民だろ。 大して読み書きもできずに新聞も宅配されたわけでもない時代に 江戸湾沖の事件なんか地方では誰も庶民は知らないだろ。 維新なんて所詮は支配階級間の権力闘争と言うのが正確だろうな。 仮にナショナリズムがあったとしたら、やはり統一した政権の貢献大と言うことになるわけかな、、、、。
823 :
世界@名無史さん :04/04/05 19:07
そもそも征夷大将軍からして 天皇の軍隊の意識が無ければ成立しない 水戸学なんてナショナリズムの塊。
>>822 西南雄藩はちょっと事情が違う。
寺小屋などが各地に出来ており、例えば長州などはそれを通じて、庶民の教育にまで乗り出している。
つか寺小屋自体、藩が率先して各村に作っているほど。
それほど詳しくはないだろうが、町民どころか、農民まである程度は知っていたそうな。
だから日本という視点ではなく、藩という視点だが、ナショナリズムは存在していた。
その証拠に、馬関戦争では庶民が、率先して鉄などを提出して、(大きい物では寺の鐘、小さい物では簪まで)
それらから大砲などを鋳造していたくらい。
>>815 台湾出兵は大久保が強引に進めた事なんだが?
陸軍の首魁山縣が動かないから、西郷(弟)で無理矢理出兵したほどだし。
>>822 実の所、幕末になって再び戦禍が訪れても当の武士自体は鎧のつけ方も
分からない人達が続出。
一方新撰組などを始め本来農民や町人のはずの人間が何らかの形で
武士になったり、何らかの組織で活動するという事態もあり。
と、いうわけで一概にそうとも言いきれない。
>>820 台湾全土を支配しつづける力は当時の日本には無いだろ。
どうしても対外進出するならば日本人町などを足場に植民都市を築くのが
精一杯では。数で圧倒的に不利なので華僑のような存在になるのも無理。
むしろ華僑を支配体制にうまく組み込んでいくことが上策では?
828 :
世界@名無史さん :04/04/05 21:56
本能寺直後、光秀が毛利に送った密書が秀吉に押さえられることがなければ歴史は違った。 毛利・光秀連合軍によって秀吉が討たれ、その後、織田は信孝の下で柴田勝家が指導。 勝家は足利幕府再興論者だった。信孝×信雄の対立に乗じて徳川が信雄支援を名目に 濃尾平野も制圧。その結果、現在の区分でいうと、ちょうど、東北=伊達、関東=北条、 北陸=上杉、中部=徳川、近畿=織田、中国=毛利、四国=長宗我部、九州=島津で 拮抗。徳川・北条同盟のように、同盟政策で安定化は図られただろう。 そしたら、西欧の成功の秘訣と同様、各勢力の競争によって、日本の発展が図られた。 伊達は当然、北海道・樺太・千島・カムチャツカの経営に注力するはず。東北農民を 蝦夷地に移民させて開発し、物産で本土や明との貿易を強化し、東日本の人口は激増 していき(幾多の飢饉も十分乗り切れる)、一方西国諸国は競うように南蛮貿易に。 大型船舶が建造され、鎖国などありえない。一国が儲ければ、他国が真似る。これこそ、 『銃・病原菌・鉄―1万3000年にわたる人類史の謎』ジャレド ダイアモンド (著)が指摘する通り、 近代化で、西欧が先行していた中国を抜いた根本原因の一つとされる。 西欧諸国が東南アジアに送れる兵力には限界があり、西国一国で十分対抗できる。 日本が鎖国する前、オランダ商人も、「このままではアジア貿易は日本の独壇場になる」と まで警戒されていた。貿易ネットワーク・日本町が形成され、やがて西欧諸国との角逐が 始まる。やがて近代技術で劣勢に立たされると、日本連合が形成され、統一絶対王制& 西洋化が明治維新よりかなり早い時点で断行され、日本の目は戦略物資・鉄を中心とする 鉱物資源豊富な豪州に向き、インドは英国、ジャワ島はオランダなどと勢力範囲を相互承認 する形で豪州確保は容易だっただろう。やがて豪州は日本の移民先になる。シーレーン上 重要なボルネオ、セレベス、ニューギニアも日本領。もちろん台湾も。フィリピンは米西戦争 で独立を約束された以上、独立勢力に武器援助して、米国の野心を絶つ。
829 :
世界@名無史さん :04/04/05 21:57
ボルネオ油田確保によって、米国の策謀にはまり戦争に引きずりこまれる危険はない。 秀吉出兵がなければ明は満州を制圧できていたから、その後、満州のシナ人は激増し、 ロシアが満州占領の野心を抱く可能性は低いし、たとえ満州・朝鮮を狙ったとしても、 既に近代化が急速に進展している日本が一喝しただけで、ロシアはそれを断念せざるを えない。そして、日本はボルネオ・豪州を経済的生命線にして、海洋国家として歩む。 北方は樺太・千島・カムチャツカが日本領。カムチャツカは海獣確保を目的にして守り、 千島全島確保とロシアの太平洋進出を完全阻止を達成。
830 :
世界@名無史さん :04/04/05 22:01
>>828 フィリピンの場合は、国際連盟が結成され、植民地の区分が明確になる時点で、
武力行使も視野に入れ、スペインによる領有を認めず、独立させるのがベストかな?
>>824 農村の一部だろ。
藩と言うナショナリズムならリージョナリズムに近く
統一されていなかったと言う例になるよ。藩レベルの
ナショナリズムなら藩自体が国家単位と言うことか?
>>826 それも一部だけだね。
一部? 大部分だと思うが。寺小屋がない村落なんて滅多になかったんだぞ。
幕末の推定人口2-3000万人。寺子屋の平均規模20-30人。
教育年齢の人口1000万人として50-30万の寺子屋が
必要なはずだが、実際は1万程度。
つまり30-50人に1人程度しか寺子屋の恩恵は受けていない。
別の統計があれば提示されたし。
>>832
寺子屋の数は藩によって大きな差がある、多い藩は、軽く千を越える。 ここであげた長州藩は日本で四番目であり、千を軽く越える。 (当時の長州の人口は約60万人程度) もう少し付け加えるなら、その人数は一度に学べる人数、一日中または毎日通うわけではないので、 生徒数全体なら、平均で100人は軽く越え、だいたい50〜200くらいとされている 他にも県単位だと岡山や長野などはその長州藩すら越えている。 また他にも寺子屋などに相当する教育機関は存在する。 雄藩の場合、それらに積極的に介入し、藩論の普及に熱心だったそうな。
835 :
世界@名無史さん :04/04/06 12:54
>>833 「人口三千万人のうち一千万人が就学中」なんていう人口構成の社会は現代でも無い。
836 :
世界@名無史さん :04/04/06 13:03
もし日本が世界を制覇してたらもちろん欧米人は日本をパクリまくり 端を使い、町並みもアジア風に大きく変わっていただろう。
837 :
世界@名無史さん :04/04/06 13:04
箸
>822 大阪の庶民はええじゃないかと 踊ってたが2chの祭りみたいなもんだろ。 ナショナリズムはあったよ。 外国船が来るようになって 明らかに物価の上昇に より庶民の必需品が不足するようになる。 そしてその責任はといえば やはり幕府か黒船の責任と いうことになってた。
>一方新撰組などを始め本来農民や町人のはずの人間が何らかの形で >武士になったり、何らかの組織で活動するという事態もあり。 >と、いうわけで一概にそうとも言いきれない。 それ以外にも戊辰戦争で 殿様が薩長に敵対しようとしても 有力農民が殿様を城から出さなかったりしたこともあった。 江戸時代に殿様ってのがどれだけ面目上の 存在になり。形だけ従属していた農民たち がどれだけの力を持っていたかの証拠 国民国家はできていなくても藩民国家みたい なものはできていたと見るのがただしい。
>>834 それおかしいだろ?1000の寺子屋で毎年100人就学したのなら
数年後には毎年10万人の修学者が出る。
6年で人口越えちゃうぞ。
もう少し数字の整合性考えれよ。10年前後で識字率100%と言う
結果が出てないとおかしい。
そんな藩なかったろ?
そもそも60万人の人口なら年1-5%程度の増。
6000人から3万人しか増えないのになんで毎年10万人も就学するんだよ。
残り7万人は成人か?7年前後で払底するぞ。
当時の識字率は多く見ても3割程度。5割は有り得ても10割は幻想だよ。
>>839 藩民国家?それと戦国時代の守護大名国家とどう違うんだ?
少なくとも国民国家を妨げる対象だな。
藩閥政治の根源と言うわけかな。
豪農はいつの時代も力はあったよ。
>>838 例によって、都市部だけの意見だな。
>>840 1年で終わるわけないでしょ。どういう計算をしているんですか。
4、5年は普通にあります、武士の通う藩校になると、10年くらいは行く事になります。
(1873) 豊田郡友永村、下川会村、上川会村、大谷村、牛飼の5か村が、連合して小学校をおく。
友永村 積雲院本堂を仮校舎として、開校。教師として、士族 永井定勝、補助教員として小島幸次、
寺田周平の3氏を招いて開校した。就学率は人口の7%、生徒数は50〜60名。無学年で、
開校当時は昔の寺子屋と大差なかった。
1880) 規則改正。連合村385戸、人口1822人に対し、日々登校する者 平均93人。
20.3%の就学率となる。
13.10. 女生徒のために、裁縫授業を始める。
13.12.25. 就学 男子92名、女子46名。 不就学 男子11名、女子54名。
就学率 男子89%、 女子46%。 平均68%となる。
(1897) 就学237名。 不就学66名。
http://www3.tokai.or.jp/mitukawa/02rekisi.htm これがいいとこじゃないかな。
>>841 何時の数字だい?
寺子屋は江戸中期から発達。
50-100年で識字率100%だな。
幕末の数字ならこれからってとこだろ。
当時の識字率の平均は2割程度。
この中には人口比5-10%の武家、寺社、豪農、貴族等々
も含まれる。地方農民の殆どは文盲だよ。
で、どの程度の農民が情報を享受していたってか?
都市部のしかも良い数字しか挙げて無いだろ。
寺子屋の数は末期、江戸中期からあったわけじゃない。 ついでに識字率が2割ってどっからの数字だ? 都市部で男女合わせて八割。 農村部で、男6割、女2割ってのが明治初期の数字だぞ。
農村部じゃなくて、全体でだった、すまん。 だから平均で四割程度。当然幼児は除く つか幼児を入れたら、人口自体が、3000万を越える。
都市部の人口なんて全体の1割もないのだが。
農村部で字が読めるのは庄屋クラスか寺の人間くらいじゃないの?
>>848 どういう計算なんだ?
>>849 藩ごとに違うから一概には言えないが、僻村でもない限り、そこまで酷くないよ。
852 :
世界@名無史さん :04/04/09 07:52
少なくとも、当時から台湾に出てれば、沖縄みたいに日本固有の領土になったと思うよ。 当時、琉球は国も言語も本土とは違うわけだが、今の沖縄の人は自分は日本人だと思ってるんじゃないの? もっとも漏れは沖縄出身じゃないから、本当は今の沖縄人も実は独立したいと考えて、 反日感情を持ってるという可能性を完全には否定できないわけだが。 少なくとも台湾は、日本固有の領土になったと思われ。 さらにルソン島もという可能性もなくはない。 いずれにせよ、植民地という形体ではなくて日本の固有領土が広がるという形になったと思う。 大陸進出は絶対無理だろうけど。
辞めとけ。やっかいな島が一つ増えるだけだ。 沖縄なんぞ金食い虫だろうがよ。 軍事的に見るとしても同盟で十分。
沖縄は先の大戦がなければめちゃめちゃいいとこだったと思うよ。 飯はうまいし景色は綺麗だし人は親切だし。 でも今は、平地は基地ばっかりだし、ガマの中は人骨でいっぱい。 本州の人間としては、本土の盾、不沈空母にしちゃって申し訳なく思うよ。 とキレイごと言ってみる。
>852 薄っぺらな日本人論ふりかざすなよ、異民族にされても本土日本人を異民族に 出来ない事情がまだ、沖縄には残ってる。
>>851 男女あわせてならそれくらいだろうな。
男性の半分以上が文字を読めるんだ、極めて高い数字だろ。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/zuihitu.htm 江戸幕府のの財政事情と制度の話。著者は元会計検査院の役人で大学の先生やってる人。
これによれば江戸幕府の統制下の制限貿易でも国内の総資金が15万両程度のうち
毎年一万両近くの金属が海外に流出していたことがわかる。
江戸も半ばになると都市部は既に商品経済になっていたため
知行を米で受けていた武士達は生活のために米を換金しなければならない。
国内金属の払底は米価を弱体化させ武士の経済基盤を破壊しかねないし、
事実幕末には崩壊していた。
>>849 ひらがなくらいなら結構な人が読めたみたい。
江戸に出稼ぎに来た農村の人が女子どもへの土産に
絵草子をよく求めていたというから、それなりの教育はあったと思われ。
>>858 それはいびつな為替レートの問題であって、貿易そのものの問題では
ない。そして、いびつな為替レート(国際的に1:15のレートが1:5)を
放置した失政が問題なのであって、貿易システムの問題でもない。
(念のためにいっとくが、レートは金銀交換比率の話で、両ドル交換
比率の話じゃないからな。)
>>859 馬鹿らしい屁理屈だな。
それじゃ幕府が「明日から金銀交換レート変えまーす」といったら解決したのか?
国内ですらマトモな権力を行使できない末期幕府が迅速に全国の金銀流通量を調整し、
さらに全ての取引所での取引を監視できたと?
何処の国も国内外の商人もそれに対して何の圧力もかけずきっぱり従ったと?
んなわけあるか。
いびつな為替ルートはそのまま貿易問題になるのは当たり前。
それが原因でどれだけ多くの経済混乱が起きていることか。
国際的に信用のある貨幣(硬貨や紙幣のことではないよ)が貴金属ぐらいしか
なかった時代に金銀交換レートがおかしいってのはかなり致命的。
>>860 おぃおぃ。遅きに失したが、幕府は金銀交換レートを途中で修正
しているが。何も変動相場制を導入しろなんていってないだろうが。
早くすることなんて出来たのか? 早くした所でちゃんとした効果があったのか?
863 :
世界@名無史さん :04/04/13 21:47
幕末の金銀比価の問題に関しては、 佐藤雅美『大君の通貨』の説明が判りやすい。 結論だけ書くと、当時の日本でも海外でも金銀比価は約1:15で、大差なかった。 しかし当時の日本の基本通貨であった天保一分銀は、 幕府が通貨発行益を得るために銀含量が少なくしてあり、 額面価値の1/3しか銀を含んでいなかった。 つまり秤量貨幣ではなく、紙幣のように信用を価値の根拠とする貨幣だった。 しかし為替レートを決める交渉の場では、そういう日本側の主張は受け入れられず、 秤量貨幣として同じ銀重量のドル銀貨と交換することを強制された。 この結果、天保一分銀は、額面価値の銀1単位ではなく、 含有する銀重量に基づく銀1/3単位の価値しか認められないことになった。 この為替レートの結果、ドル銀貨は本来の三倍の購買力を持つことになり、 海外の商人は日本の商品――特に金地金――を買いあさることになった。 もっと詳しいことは『大君の通貨』を読んでくれ。
>海外の商人は日本の商品――特に金地金――を買いあさることになった。 うわーあったまー! つか幕府アフォすぎ。
>>864 >つか幕府アフォすぎ。
いや、だから途中で改訂したんだってば。
金銀交換レートとしては当初は日本は1:5だったわけ。んで、両ドル
交換比率を後に金銀交換レートに改訂している。
結局のところ、信用経済の下地が、日本は諸外国よりも進んでいた
ために諸外国に理解されず、当初の金銀レート交渉で失敗したとも
言える。この点に関して当時の官僚はかなり苦労したんだろう。非難
するのはあまりに酷かも知れない。しかし最初のレート決定時、不公平
を当時の責任者がどれぐらい意識していたかどうか漏れは良く知らんが、
結果的には放置してしまったのは失政といえるだろう。
866 :
世界@名無史さん :04/04/13 22:28
外の世界を知らないということは恐ろしいことだな。 今でも精神的に鎖国してるこの国の将来を思うと 末恐ろしい。みんな外に出ろよ。日本に固執するな
867 :
世界@名無史さん :04/04/13 22:56
外の世界というよりも、金融や商業を理解してなかったこと、 算盤勘定の話を軽蔑していたことが、江戸幕府の問題点だろうね。 田沼意次みたいに判っている人も少しは居たんだけど、 少数の例外的個人では武士階級全体の流れを変えることはできなかった。
先物取引も早い時期にはじめてたし、金本位制を一部放棄っていうか マクロ政策採らないとにっちもさっちもいかないところまできてたのねぇ 幕府が倒れて近代化したのは必然、ってことかぁ
>>1 そもそも「制覇」の定義はなんだ
当時の日本の価値観で世界を統一することか
それとも軍事的に世界を制圧することか
まあどっちにしろ ムリ
って言うか望んでない
870 :
世界@名無史さん :04/04/15 16:02
>>834 60万人の人口で1千の寺子屋は大嘘だろ。
1200万人の現在の東京でも1500の小学校しかない。
幕末はどの藩も財政難だったはずだ。
当時の資料には数十程度とあるはずだな。
算出根拠を挙げよ。
>>870 漏れは834じゃないし専門外の人間だけど。
寺子屋と藩の財政となんで関係あるの?寺子屋って藩が援助して
たっけか?あと、今の東京は少子高齢、幕末期のピラミッド型人口
構成だった時代と比較するのは無理があると思われ。
>>410 すごい遅レスだけど、前回のそのとき歴史が動いた(天正使節団)見たら
別にキリスト教広まっても侵略せずに和親条約結ぶのでは
と思い増すた。
そのときはまだ信長生きてたし。
『そのとき歴史が動いた』を鵜呑みになさる方がいらっしゃるとは・・・。 都合のよいイデオロギー・志向をばらまいているだけでしょう、あれは。
874 :
世界@名無史さん :04/04/16 01:03
>>870 山口県教育史それと長州藩の財政?(ちょっとこちらは題名忘れた、家のどっかにあると思うけど)
私の持っている史料と少し数が違うけど、(調査年が違うのか?)サイトでいいならここ。
http://www.ysn21.jp/furusato/know/10educate/educate00.html ていうか数十ってなにを根拠に、日本全国で一万五千は下らないのにさ。
ついでに財政難であったけど、それをなんとかしたから雄藩と呼ばれるわけで。
>>871 藩によって違うけど、教育に熱心な藩は1村に一つは作るようにしていた。
資金や人材などを援助する代りに、教育内容に干渉していた。
普通教育とは違うけど、藩の思想を庶民に教えるような形を取っていた。
これは村田清風の改革の一つだね。
>>874 さん
庭訓往来は江戸時代の寺子屋で広く使われた、基本的なテキストです。
室町時代後期頃に書かれたものといわれています。日本史をやっている
人は読んだ方が多いと思います。私も高校の頃読みました。
上に紹介されているの東洋文庫版は、江戸時代に出版されたもので、挿絵が
入りですが、室町時代のものには挿絵は入っていません。(それ以前に筆写ですが)
庭訓というのは「にわのおしえ」つまり、家庭教育のことで、元々は孔子の
故事に基く言葉ですね。内容は、日常生活やその他身の回りの事柄に
関する知恵が書かれていますが、一言では説明しにくいので、「庭訓往来」
でぐぐって見てください。
この本は室町時代末に書かれたものと言われていますが、江戸時代には
初学者用に「往来物」と呼ばれる教科書が多数出版され、寺子屋教育などに
用いられました。
往来物は12世紀初めの『東山往来』以下が『続群書類従』第十三輯に収め られています。
878 :
世界@名無史さん :04/04/19 14:45
879 :
世界@名無史さん :04/04/20 03:00
いろんなところで秀吉の朝鮮の役はバカだったというけど、 天下統一後外国攻めるのは正しい、武力も余ってるし 武器造ってたのが滞ると景気悪くなるだろうし 攻めこむのはやはり正しかったとかいう人いないのはなんで? 朝鮮に攻めこむことより 統治をうまくできなかったことのほうがだめなわけで 司馬とかも無謀っていってた
統治の能力も無いのに攻め込むのはバカだ、ってテレビで今イヤになるほど放映してるでしょうが
まあどっちも「サル」だしな
半島大陸でなくて 琉球台湾フィリピンインドネシアと 島づたいでシーレーンを確保するんだよ。
883 :
世界@名無史さん :04/04/21 15:49
ヨーロッパと同じように海を拠点に植民地を増やしていけばいい。 そうしたら太平洋沿岸は簡単に支配できただろう
もう既に華僑ネットワークと欧州の出先期間がばっちり支配している海域をか? 事ある毎に縄張り争いが起こる中、地理も把握していない交易ノウハウも余り 無い日本がどうやって?
16世紀は、少なくとも末になるまではマラッカ海峡より東の海域をヨーロッパ 船が自由に行き来していたという事は無かったようです。 日本へは明人の用意したジャンクに乗って来ていたらしく、種子島に鉄砲を伝 えたのはそうした面々の古い例。 17世紀はじめになってようやく日本の朱印船と並んで南シナ海方面に進出、と いったところでは。 もっとも883の内容が妄想だという点には同意せざるをえませんが。
886 :
世界@名無史さん :04/04/22 03:06
なんだ惜しかったじゃんニッポン
887 :
世界@名無史さん :04/04/22 05:37
>>885 そうだっけか?では、どうやってスペインは16世紀にフィリピンを
領有したんだ?
>>887 商船レベルでは自由にならなかったというだけです。
ソースは『歴史学研究』第785号ほか。
889 :
世界@名無史さん :04/04/24 11:15
900間近クマー(● ●
890 :
世界@名無史さん :04/04/24 16:03
最終コーナーを前に下記4つから結論を出して頂きたい。 @日本は折角、地政学的な好条件に恵まれた海洋国家なのに。 鎖国が無ければ今頃は経済だけでない、真のワールド・パワーになれたのに。 A鎖国は当時の判断で仕方が無いものだが、開国が遅かった。 これで産業革命と植民地争奪戦に乗り遅れ、日米戦争敗戦の遠因になった。 B鎖国と言うが当時の日本は鎖国した意識は無かった。 出島もあったし、薩摩琉球。松前蝦夷。などでの海外ルートもあった。 今の飛行機で気軽に海外旅行の時代と同一して考えるなよ。 C徳川幕府の鎖国・開国の時期選択も絶妙。結果として平和な時代を作れたし、 国内の整備に力が注げた。わざわざリスクを冒して海外進出する理由も無いし、 そんな時代では無かったな。
C徳川幕府の鎖国・開国の時期選択も絶妙。結果として平和な時代を作れたし、 国内の整備に力が注げた。わざわざリスクを冒して海外進出する理由も無いし、 清・朝鮮の鎖国制度にあわせた面もある。
892 :
世界@名無史さん :04/04/24 23:59
さて、日本人種の未来についてだが、 現在の日本の国際結婚率が約5%だから、 新生児の約5%が異種との混血児と推測できる。 平均的に約30才で子供を出産したとすると、 30年で5%ずつ日本人の血が異種の血に占められていく訳だから、 このペースで行くと、約300年後には、日本人の血の半分は 異種の血で占められてしまい、現在の日本人とは 全 く 違 っ た 人 種 に な っ て し ま う 。
>>892 ネタだと思うが一応・・・
300年後という計算が30年を10回として考えて5%×10回で
50%という数字を出してきてる?仮に10回で計算したとしても、
300年後に「純潔の日本人」で約60%は存在する。また、非常に薄い
混血も含めるなら、約40%は異人種の血も持っているはなる。
しかし、「全く違った」人種になることはこのペースでいくとありえない。
>>890 >出島もあったし、薩摩琉球。松前蝦夷。などでの海外ルートもあった。
>今の飛行機で気軽に海外旅行の時代と同一して考えるなよ。
このスレの住人、広辞苑で「鎖国」という言葉をまず調べなさいな。
「完全な断絶」だけが鎖国じゃないぞ。江戸期の日本は十分に鎖国
状態だ。
史学の立場から論ずるのに『広辞苑』はどうかと。
>>885 その認識は間違いないが(出典もはっきりしてるし)
秀吉以降の話しで「16世紀は」ってのはどうかと思う。
また、南方云々の話しが定期的にでるようだが、
外海の領土保持経験が皆無に近い日本と、
セウタ以降海外拠点運営を続けてノウハウを蓄積しているポルトガルなど、
ヨーロッパの海洋国家を同列に語るのは愚か以外の何者でもないな。
>>896 ああ、ちょうど過度期でしたね。秀吉もルソンに朝貢を進めている。
長崎出島の開港。その坪数、長崎奉行大岡清相による「崎陽群談」によると3924坪 これ漢文です。三千世界二十四節気、九星人の世の吉凶をうらなう。その扇の形は世界 に向けて商売繁盛を願う末広、そして病む者には厄よけです。すなわち「貿易」と「防疫」 の表裏一体をあらわす。陰陽二つの意味を持つ「懸詞」であらわす。これ易学という。
>>897 しかし、秀吉時代の対外環境ってよくわからん。
ご存知なら教えていただけないだろうか。
華僑というか、倭寇というかにしても、
鄭氏が台頭する直前で、どういう状態かよくわからないし、
オランダはまだこの海域に来ていない(連合会社以前の初期航海の時代やな)。
ポルトガルはマカオを占拠したのだろうが、教会関係の史料でもあるんかな?
スペインも台湾に進出するころか?
特によくわからないのは日本人の動向であって、
確か秀吉の朱印状が残っているはずだが、
家康時代は相当体系立って研究されているが秀吉時代についてはあまり聞かない。
どうもわからないことだらけで。
>>898 いつもおもろいなあ。ネタ本でもあるん?
495 名前:名無し三等兵 投稿日:04/04/14 10:31 ID:???
>>484 それ微妙に違う。
ポルトガル人がインドにたどりついたら日本人奴隷がわんさといた、が正しい。
そんでもってポルトガル人も一緒になって日本人奴隷売り飛ばしましたよええ。
(ポルトガルはヨーロッパ向け交易のみならずアジア内交易にも手を出していた)
それで秀吉が
>>485 みたいなことを言って禁教のネタに使い回した。
宣教師たちは無実だが、同じキリスト教徒の仕業つーことでなしくずしに禁教。
>セウタ以降海外拠点運営を続けてノウハウを蓄積しているポルトガルなど、 >ヨーロッパの海洋国家を同列に語るのは愚か以外の何者でもないな。 そりゃ大げさなのでは、ポルトガルだってはじめて植民してから たかだか百年から二百年って所だし、結局、火気の武力で征服してただけ その点、火縄銃なら日本いっぱい持ってたし、早合とか、武器として工夫されてきてた 距離にしてもヨーロッパから半年かけて東南アジアへ来るのと 日本から1週間で行くのじゃコストが違いすぎる 日本に植民の意思があれば、送りこむ人数がけた違いになる また中国が国策として黙っているなら やっぱ東南アジアは征服できた可能性は高いと
>>899 鎖国に関係する本はかなり読んだ。そのなかで一つ歴史家が根本的にマチガイが
ある。「坊主頭」の人がお寺の坊さんとしたことです。当時「医官」は剃髪といって
坊主頭でした。国立病院、大学の医師、厚生官僚は当時坊主頭だったのです。
施薬院といいます。すなわち厚生省の管轄の出来事だったということです。
>>901 100年200年莫大な金を費やし続けて航路開拓したスペインポルトガルと
の差はかなり大きいと思うぞ。当時の日本にそれを短期間で成し遂げるだけの
経済力があるか?
距離の問題にしても中継点すらない日本がすでに各地に植民都市を持って
いるヨーロッパ勢に優位に立てるとは思えない。
人口増産政策をとれば確かにヨーロッパ勢よりは多くの人間が海外に出て行く
だろうけど、実際傭兵ぐらいしか需要の無かった日本人が優位なる事は無い。
まぁ、日本が小さな船しかなかったのは幕府が抑制していたからで、 奨励しないまでも特に感知しない、という態度だったのなら、もう少し 海外との関係は深くなっていただろうけど。 貿易抑制をしていなければどうなっていたかは興味深いけどifの話で スレが荒れるもとなんだろうな。でも、魅力的な話だと思う。
905 :
世界@名無史さん :04/05/01 21:33
>>902 んー、オランダ人自身、剃髪したポルトガル人を
「寺の坊主か茶を点てる人のよう」
と表現してるから、それはちょっと無理があるんでない?
東洋文庫258「日本医学史綱要 1」富士川ゆう著平凡社の119ページ 施薬院、秀吉側近の施薬院全宗、その養子で家康側近の施薬院使宗伯共に「剃髪」 しており、まちがいない。当時医者の最高の位を「法院」といった。 明治になってヨーロッパの医療制度を取り入れた時みな消し去ったのです。 手塚おさむの「ひだまりの樹」をみると。幕末の医療界の葛藤がおもしろい。
907 :
世界@名無史さん :04/05/02 11:59
>>901 実際問題、大航海時代の西洋国家が支配できたのは
海及び川沿いの都市だけだから、ある程度は陸は支配できただろうね。
でも海では絶対に勝てない。人数と陸の勢力で圧倒的に勝っていたオスマン帝国が、
インド洋ではまったく勝てなかったからね。
それでも、陸戦使用可能な大砲がヨーロッパで生産開始されればどうせ陸でも負ける運命・・・
>実際問題、大航海時代の西洋国家が支配できたのは 能力の問題よりもする必要性の問題だったと思いますが・・・。 >インド洋ではまったく勝 そんなことはないです。 >陸戦使用可能な大砲がヨーロッパで生産開始されればどうせ陸でも負ける運命・・・ 何か時代の認識が混乱されてるような・・・。大砲がいつ生産されたと お考えですか?
>>906 いや、医療にたずさわる人が剃髪していた事については、
異論はないよ。
ただ、「坊主頭」の人だっけ?どこの史料の文言をさしているのかわからないけど、
これを医者とするのは難しいんじゃない?ってこと。
>>908 30年戦争のころに発明された
炸裂式の大砲の事を言っている
・・・好意的な解釈をすればこうなるかな。
910 :
世界@名無史さん :04/05/03 01:11
鎖国肯定論者の意見は、 日本が東南アジアの利権において西欧に勝てるわけがないってのが主なポイントらしいね。 だから日本は鎖国して良かったってことになるらしい。 第二次世界大戦ではあっという間に征服したんだけどな(w
帆船の時代には、欧州諸国のアジア領土なんて、 「商館+砦」という狭い交易拠点が各地にあるだけなんだが。 長崎の出島だの、東南アジア各地にあった日本町だのと大差ない。 違いは、支配下の点を幾つか確保した段階で、 面の領域支配を行なっていると図々しく主張するかしないかというだけ。
個々の海戦では勝てないんだろうな、ただイスラム商人などは西洋の支配後も 香辛料のため東南アジアをほぼ自由に行き来していた。 つまり個々の海戦に強くても人の往来は妨げられなかったとうことだ。 武力の差に関して ポルトガルはアフリカ植民、インドは交易だけ植民はかなりあと、 スペはアメリカ大陸、と、未熟な国家ばかりを火縄銃で征服 しかし、西洋火縄銃は日本の火縄銃とあまり変わらず その他、東南アジアまでの距離の違いと、ポルトガル150万人 に対する人口1500万の多さ、天下統一後の 無駄な武士とその火縄銃で、実質的な支配を勝ちとることが可能である 勝てるとしても行くかどうか動機付けだが、 ポルトガルがアフリカに目を向けたのはスペインに追い詰められたからであり、 スペインもまたイスラムという外圧があり、 さらに西欧全体がベネチア商人にアジア交易独占されていた。 だから最も圧力のかかっているポルトガルはアフリカへ船を出す 必然性があった。
913 :
世界@名無史さん :04/05/03 04:35
j
日本は余った武士をどうにかしなければ行けないという 維新の後の征韓論と同じ発想で外洋に出る消極的な動機は少しあったここで ポルスペが頑張って植民した動機は、 香辛料と奴隷と金など得てを他の西洋諸国に売りつけられるからだが、 つまり売る相手がいたからだが、 日本も東南アジアを支配する事によって、中国に対して何か売りつける・・ことは不可能だと思われるので動機が弱くなる そこで、ヨーロッパに売るための香辛料確保を目的とした東南アジア支配という発想・・それを実現するのも結局は武力、火力であって、 という事はもし仮に鎖国しない→武力の進化となるのであれば 世界征服というか世界帝国くらいはなんとか
>>912-914 もう少し歴史を勉強された方が良いと思われ・・・。歴史認識が
ズレまくってる。
>イスラム商人などは西洋の支配後も
>香辛料のため東南アジアをほぼ自由に行き来していた。
>つまり個々の海戦に強くても人の往来は妨げられなかったとうことだ。
海上交通は大幅に減少してる。陸路と海路じゃ意味が違う。
>ポルトガルがアフリカに目を向けたのはスペインに追い詰められたからであり
エンリケ航海王子とかバーソロミューディアスとか知ってる?
あと、スペイン・ポルトガル型の植民地と英仏型の植民地の意味の違い
をわかってます?航海・交易の拠点としての植民地か、いわゆる帝国
主義型植民地か、って違いはかなり大きいですよ。
916 :
世界@名無史さん :04/05/03 11:32
鎖国しなかった日本が東南アジアで貿易戦争において西欧に負けるという発想は非現実的。 日本は海洋国家なのだから船の数は圧倒的に多くなるし、貿易の需要を支える莫大な人口も存在する。 実際、鎖国する前までは東南アジア各地に日本人町が出来、タイなどではオランダが脅威を感じるくらい商品を買い込んでいた。 日本は海軍の創設に少し努力すれば、何世紀もかけて南シナ海や東南アジアを支配していったと考えるのが無難だと思う。
日本の発想だと支配ってのはなかなかない(明らかに異民族なのに わざわざ支配しようと発想する人は当時なら珍しいだろう)だろうけど、 日本文化圏とか日本の影響力とか交易圏が広がったことは間違い ないだろう。 日本は海軍作るどころか逆方向に向かったし。もっとも、海軍を作る 方向で政治が出来たか、というと、これまた微妙な話やね。本当、if の世界だ罠
918 :
世界@名無史さん :04/05/03 11:56
>>916 但し、そうなると産業革命後のヨーロッパにまっ先に狙われるのが日本になる
>>918 開国してるのに、軍事力は変化しないってのは可笑しな前提。
日本自体は狙われないわけではないし、日本”勢力圏”の局地紛争も
抑止力がそれなりに効くわけで可能性は低いんでは?
920 :
世界@名無史さん :04/05/03 12:13
鎖国肯定論者の意見として 開国しているのに軍事力が日本だけ変化しないという意見が目につく。 しかし開国していれば東南アジアでの貿易紛争は必ず起こる。 ヨーロッパとの競争になるわけで、明治以降の日本と同じように日本も富国強兵を進めていくと考えるのが妥当。
921 :
世界@名無史さん :04/05/03 12:27
欧米諸国と交通のあったインドシナ諸国が富国強兵(なんだそりゃ?)できなかったのは何故? 江戸時代を通じて、さんざヨーロッパ諸国は此の地域に影響力を持とうとしていたけど全然駄目なンね で、産業革命が始まると一斉に襲い掛かっていく
922 :
世界@名無史さん :04/05/03 12:27
>>917 > 日本の発想だと支配ってのはなかなかない(明らかに異民族なのに
わざわざ支配しようと発想する人は当時なら珍しいだろう)
秀吉は大陸アジアを支配しようとした。そのために当時の世界では有数の規模の侵略軍を派遣した。
秀吉の発想にはスペインなどの植民地主義も影響していたと思う。
鎖国をしなければ、外部からの刺激が常にたもされる。
西欧との貿易もあるわけで、地理的な欲求は当然強まったと思われる。
地理の知識は国家運営上、最重要課題であり、領土的な欲求は当然起こってくる。
開国以後の日本では西欧の植民地主義に影響され激しい領土欲求が起こった。
鎖国をしていなければ遙かに早い時期に、西欧に触発された領土欲求が国家的な意志となっただろう。
923 :
世界@名無史さん :04/05/03 12:36
>>921 > 欧米諸国と交通のあったインドシナ諸国が富国強兵(なんだそりゃ?)できなかったのは何故?
国家としての強度が低かったから。
東南アジアの大陸諸国は、人口が少なく、未開発な大陸国家であり、民族意識が薄く、行政レベルが低かったため。
島嶼諸国は、人口が少なく、都市国家であり、民族意識が薄く、すぐに分裂し、行政など殆ど存在しなかったため。
924 :
世界@名無史さん :04/05/03 12:50
日本だって支配しようという欲求は当然あったはず、そのために戦国乱世って あったわけだし。相互の切り取り競争が終わった時点で、目標が外に向かうのは 極く自然の勢いなわけだ。戦乱で潰れた戦国大名の家臣だった失業武士も巷に 溢れてたろうし。 そのエネルギーを利用しようとしたのが太閤秀吉の「妄想」ってわけだ。何も 西洋の植民地支配からアイディア貰ったって考える必要はないんじゃないか。
925 :
世界@名無史さん :04/05/03 12:58
わしの指図を受けんじゃと?誰に向かって言ってんだよ。
926 :
世界@名無史さん :04/05/03 13:00
西欧自身がスペインとポルトガルの海外植民地に触発されたわけだし。 こういうのは伝播しやすいんだろうな。
>>924 いや、支配欲求はあったろさ。でもね。肌の色すら違う明らかな
異民族を支配しようとするかどうかは疑問。言語も違うしね。
言語について言及すると、明治前は方言がかなり独立性があって
薩摩人とか南部人とかとは意思疎通はほぼ不可能だったという
例を持ち出す人もいるだろうけど、それこそ江戸期の幕藩体制下で
交通が制限されたせいが大きいのであって、秀吉期に幕末ほど
言語上の差異があったとは思えないんだが。
928 :
世界@名無史さん :04/05/03 13:07
アイヌを支配しましたが何か?
929 :
世界@名無史さん :04/05/03 13:09
台湾は同じ肌だし、フィリピンだってそんなじ違わないだろう。
930 :
世界@名無史さん :04/05/03 14:24
肌の色が違う人間に対して支配欲が起きないという論理は納得できない。 異民族で夷テキだから平気で支配できるというのが普通の感情では? 誰も方言のことなんか持出してないんじゃないか?
江戸幕府がどれだけ糞だったか分かるな。 中国が明の時代大艦隊を組んだのに 結局やめちゃったよね。 東洋人はそろいもそろって馬鹿。
932 :
世界@名無史さん :04/05/03 15:19
国家の発展という観点からすれば江戸幕府は糞政府。 海洋国家日本の潜在的な発展能力を消滅させた。 明治以降に日本はその遅れを取り戻そうと国家を上げて取り組んだが遅きに失して自滅。
肌の色が違うとかいうことじゃなく東洋人は他国の領土を実効支配して、 経済的利益を挙げようという意欲はたしかに西洋人より淡白でしたね。 支那人の場合は理念的な部分が満足されれば良しとするという感じで実利度外視。 東南アジアの王朝なんかも一時的に周辺の小国へ出兵したりするけれど、折角の 征服地をメンテせずに放置。ともかくも征服したという達成感なり優越感だけで 終わっちゃうとゆうか。
日本が持つそもそもの限界っちゅーのがある。 海外に軍隊を送り出すような国力はそもそも存在しない。
935 :
世界@名無史さん :04/05/03 15:34
東南アジアの日本人町って、現地女性との結婚によって同化消滅したらしいね。 妻を連れていかなかった、鎖国されたということもあるけど。 日本人は団結心が意外と弱く、華僑と違ってコミュニティーを維持できなかったようだ。 米国でも日系人は、中国系とかと違ってまとまりがないそうだ。 ヒトラーの人種理論では、ラテン系は原住民と混血・同化し、ゲルマン系は そうならずに自分達の文化・血統を維持し続ける。だから、ゲルマン人種こそが 正統アーリア人種であると。 中国人は華僑となって、東南アジアで隠然たる影響力を保持し続けているけど、 もし日本が鎖国せずに海外渡航を認め続けたとしても、ラテン系のように混血・同化 が進み、消滅に等しい状態になったのではないだろうか。 今現在でも、日本国内でガイジンとの結婚のパーセンテージが異常に高まっているし。
936 :
世界@名無史さん :04/05/03 15:35
西洋人が領土支配に貪欲だったのは、ヨーロッパの競争が作用していた。 スペインとポルトガルに遅れをとるな、とオランダとイギリスが参入した。 アジアにはそういった長期にわたって継続する安定した競争が無かった。 グローバル化が進んでいる現在の世界では、どこの国でも熾烈な経済競争を行っている。 競争は環境が生み出すものだと思う。
937 :
世界@名無史さん :04/05/03 15:36
>>934 17世紀前半の日本には海外に軍隊を送り出す国力は存在したが。
その後も存在し続けているが。
実際問題として、薩摩藩なんか勝手に琉球を制圧しとる。しかも中央に 内緒に。これが中央集権体制が成立して国全体で海外進出を目論んで いたら、それなりの勢力圏は築けただろう。 ・・・・くどいけど、徳川政権ではそんな中央集権体制を構築するのは 無理なんだが。
で、次スレどうする? 厨房スレとしてじゃなくて、”徳川幕府、鎖国せず”とでもタイトル つければそれなりのifスレになって、だらだら延々と気が向いたときに 書き込める、割と楽しいスレになると思う。 (まぁ、タイトルがこれでは仮想戦記そのまんまだけどねぇ)
>>940 じゃぁ、17世紀前半の日本の国力を教えてちょ。
>>941 朝鮮出兵を軽くいなした徳川政権成立の過渡期です。
徳川政権の黎明期に国外に兵を、 なんていうトンデモな発想は家康には無かった。 抵抗勢力が地方に温存されてるのに、大陸とガチンコ勝負するなんていうのは愚作。 だから駿府に引きこもって内政の安定に勤めた。 実に賢明な考えだね。
>>943 せめて過去ログを読んでおいで。大陸方面に進出するなんて議論は
ここしばらくいなかったんだが。
17世紀前半って、朝鮮出兵「以後」じゃん。 アホちゃうか?
朝鮮出兵の大失敗が鎖国政策を後押ししてるのは事実だと思う。
947 :
世界@名無史さん :04/05/03 17:00
台湾には出兵できる実力はあったな(w 間違いない。
948 :
世界@名無史さん :04/05/03 19:08
>>947 兵士の半分以上がマラリアで死んで、ほうほうのていで帰ってくるん
じゃないのか?
949 :
世界@名無史さん :04/05/03 22:06
オランダは17世紀前半に台湾を支配しました。 その後、鄭成功がオランダを追い出して支配しました。 ようは台湾支配は簡単だと言うことです
950 :
世界@名無史さん :04/05/03 23:29
>>943 家康は台湾領有の意志を示し、二度も兵を送っているよ。
原住民に撃退されたようだ。
その後、徳川政権では、明の援軍要請に応じて鉄砲隊二万を送ろうとしたが、
サルフの戦いに明が敗れたと聞いて、取り止め。
鄭成功の日本乞師でも、徳川頼宣が、牢人数十万を率いて自分が戦うとまで
いったそうな。結局、正規兵ではないものの、千人ぐらい送ったそうだ。
何で史料の一つも挙げずに妄想だけで突っ走るかなあ。
鎖国研究にしろ、東南アジア研究にしろ、
教科書・概説書が学会の動向から30年ほど遅れてる分野だってのに。
>>938 旧記雑録って何か知ってるよな?
>>935 華僑がネットワークを保てたのは、
東南アジアの貿易が結局中国を中心に回っていたから、ってのが大きいと思う。
これは中世後期の中国人の動向についての研究を読んでの、俺の推測にすぎないが。
少なくとも、核家族まで社会単位が細分化された現在の日本人と比べるのは
妥当とは思えないな。
>>950 微妙に、出所不明な情報が混じってるな・・・
952 :
世界@名無史さん :04/05/04 00:17
家康が台湾に出兵したのではなくて、九州大名の有馬が出兵したんじゃなかったっけ?
953 :
世界@名無史さん :04/05/04 00:19
>>951 華僑は一族単位で大型船に乗って移住していったからね。
日本では商人とか男が出掛けただけで、日本に帰りたがったようだ。
そういうことをマニラのスペイン人が書いている。
ヒトラーが「わが闘争」で書いている通り、たしかに北米と南米を比較
すると、ゲルマン系を上に見ざるをえない。
日本も貧困農民とか賎民、キリシタンとかを大量移住させればどうなったか
わからんが。
>950のは、検索したら見付かった内容等。
>>951 >華僑がネットワークを保てたのは、
以前研究者の書いた概説書で「ヨーロッパ人たちが東アジアに進出出来た背景
には、求心力であった明の衰退が(原因の一つとして)あった。」という文を
読んだ覚えがあるのですが、やはり正しいですかね。
955 :
世界@名無史さん :04/05/04 00:28
台湾の戦略的重要性に気づいたのは、漢民族だけでなく、オランダやスペインもそれぞれ台南と基隆に要塞を築き、貿易・海防の拠点とした。 日本への鉄砲やサビエルによるキリスト教伝来も、おそらくは台湾を経由してきたのだと思われる。 日本もそのころ台湾に対して領土的な興味を持っていた。 豊臣秀吉は「高山国」宛に朝貢を促す文書を作成し、原田孫七郎という商人に台湾へ届けさせた。(高山国とは当時台湾に存在すると考えられた国名。実質的には存在せず朝貢の目的は果たせなかった) また1608年には有馬晴信が、1616年には長崎代官村山等安がいずれも成功はしなかったものの台湾へ軍勢を派遣した。
956 :
世界@名無史さん :04/05/04 00:35
高山國はタカサングニと読んで現地のタカサグンという名称を訛り伝えたものとか。 タカサグンは後に日本人により高砂と聞き取られ高砂族という山地住民の呼称の 由来になったものだそうです。
958 :
世界@名無史さん :04/05/04 00:54
>>953 結論が短絡的にすぎるきらいがある。
北米と南米については、
征服の過程と、現地の領土・人員編成の方式が全く異なるし。
それこそ、北米の場合は当初から一族単位で行かざるを得ない状況だったし。
日本人と中国人の違いについても、国内状況を考えずに「日本人の特性」扱いするのはどうだろう。
あの頃、近世権力が国内の紛争調整を成功させた時期に、
帰りたいという考え方が出てくるのは当然だろう。
>>954 難しい問題だと思う。
ヨーロッパ人がああも簡単に浸透できた背景には
倭寇(いわゆる後期倭寇)が介在していたというのはよく知られている。
ただ、それじゃあ明がしっかりしていたとして、
明がわざわざヨーロッパ人の進出を邪魔するか、というと、ねえ。
ただ、明を後ろ盾としていたマラッカが簡単に陥落する事はなかったんじゃないかなあ。
>>959 やはり仮に明が衰退していなかったとして、海上交通に積極的に関与したと
いう可能性は無理がありますか。まあ、これだけが原因として挙げられてい
た訳では無かったのですが。
やっぱり一神教徒が強いと言うことですよね。
>>960 海禁緩和後もヨーロッパ人の「進出」自体は止まらなかったのだから、
「邪魔」をすることはなかっただろう、ということが言いたかった。
あの頃すでに海禁が緩和されていたとしたら、
海上交通に積極的に関与することは間違いないだろうし、
ヨーロッパ人の活動があそこまで重要な役割を担う事は無かっただろう。
しかし、ヨーロッパ人が進出してくるのを妨げるわけでもないだろうし、
一つの可能性として、
マカオ開港がはやまり、もしかしたらもっと大きな港への入港が許可されたかも。
とは言え、これも田中健夫さんの「倭寇」とか中世関係の本を読んでの
推論にすぎないのです。
あなた自身で調べることをお勧めします。あなたならできるだろうし。
>>955 オランダにしろスペインにしろ、もちろん日本にしろ、
台湾のどこに戦略的な価値を見いだしたか、わかって言ってるよな?
まさか、征服活動の橋頭堡とか、
頭にかびの生えたような考えは持ってないよな。
964 :
世界@名無史さん :04/05/04 15:54
豊臣政権は農業政権の徳川政権と違って商業政権で、政策立案に商人が深く食い込んでいたんだ。 そして、生糸貿易なんかは大きな財源だった。 関ヶ原で徳川が破れていたら、東南アジア貿易・日本町は拡大していただろうし、 通商ルートの台湾は日本領となり、南方での西洋人との接触で日本の近代化も早まり、 少なくとも、領土の区分けの最終画定の頃、インドネシアとかがみすみすオランダ領と なることを日本は許さなかっただろう。 オーストラリアあたりもぶん取れただろう。
965 :
世界@名無史さん :04/05/04 15:56
東南アジア全域で、ハワイぐらいの日系密度な感じかな
>>964 徳川政権だって糸割符制度とかやってるじゃん。
それに豊臣が商業政権で、徳川が農業政権だなんて単純すぎない?
で、次スレどうする?
>>1 の意図とはズレただろうけど、割と皆が
このスレに参加してるようだし。
>>962 >最後の一行
わざわざ言われないと動かぬ者と見做されるとは情けなや(なんてね)。
勿論自分でも調べるつもりでおります。ただ少々お待ちを。
969 :
世界@名無史さん :04/05/04 19:15
日本が鎖国しなければ、スペインとアメリカのフィリピン支配、オランダのインドネシア支配、華僑による東南アジア経済支配、イギリスのオセアニア支配は存在しなかっただろう。
970 :
世界@名無史さん :04/05/04 19:16
代わりに日本が支配することになる
971 :
世界@名無史さん :04/05/04 21:32
>>969 華僑による東南アジア経済支配は止めようがなかったと思うぞ。
972 :
世界@名無史さん :04/05/04 21:41
>>971 華僑による東南アジア経済支配ってのは、白人支配のなごりなんだが。
973 :
世界@名無史さん :04/05/04 21:41
>>971 華僑による東南アジア経済支配ってのは、白人支配のなごりなんだが。
>>973 華僑が欧米の仲介していたと言いたいわけだろ。
しかし、それ以前から属国になっている歴史がある
わけだからそればかりでもないよ。
なぜ仲介が可能だったかもかんがえんとな。
次スレ、タイトル候補。他募集。 鎖国が無ければ日本は世界を制覇していた【2】 もしも、徳川幕府が鎖国をしなかったら? 【鎖国】江戸時代に海外進出は可能だったか?【開国】
>>975 鎖国がマイナスだったと考えている人も、よほど無知な厨房じゃない限り、
「鎖国が無ければ日本は世界を制覇していた」とまでは言わないから、
そもそもこの話題に対して、このスレタイは不適切だったと思う。
煽った方が2chではレスが来やすい(反論が来て、反論への反論が来る)から、
スレを伸ばすために挑発的なタイトル付けたんだろうけど。
また、鎖国しないシナリオの多くは、
「秀吉が、朝鮮じゃなく台湾からの唐入りを目指していたら」とか、
「徳川じゃなく豊臣が幕府を開いたら」とか、
徳川幕府じゃない日本を仮定しているから、スレタイ候補の後二つも不適切だろう。
<海禁政策が無かったら、17世紀以降の日本と世界はどうなっていた?>
くらいのタイトルがニュートラルでいいんじゃないかと思う。
おぃおぃ、このスレは明らかに厨房スレで最初は立てられただけ
でしょ。別に人が着やすいからこのタイトルにしたわけじゃないと
思うぞ。
ところで、非徳川政権のシナリオってそんなにあったっけ?
タイトルとしては、海禁策とだけあったら何のことか意味不明になるから
鎖国政策でいいんじゃない?
「鎖国が無かったら、日本と世界はどうなっていた?」
あたりのシンプルなのを希望。
>>975 が例に出してるけど、このスレタイ
のpart2でもいいような気もするけどね。そうすれば初心者にも敷居が
低くなって、このスレで蒙を啓くことが出来るかもしれないし(w
もし江戸幕府が国策で行けば 東南アジアに日本人を送りこんで、 西洋人1000人とかを駆逐するのは容易い、 だけどその後、原住民と仲良くなってマッタリくつろいでると 機を見るにビンな華僑がきて通訳されたり物買わされたりして 「いい経験したぁ」とか言って帰ってくる これが一番ありそうなシナリオ
>975 このスレを読むと 鎖国は必ずしも国を閉ざす事を意味してないくて 幕府による統制貿易っていわれてるね だから鎖国の反対が開国というスレタイはおかしいかも 俺候補 【西洋】鎖国がなければ日本は世界を制覇していた【東洋】 の方が食いつきがよさそうな感じがするな
980 :
世界@名無史さん :04/05/05 15:33
早く次のスレを建てようぜ
981 :
世界@名無史さん :
04/05/05 22:57 日本人種の血統の純度がいかにも低いように見せかける三国人の工作が
2chには頻繁に見られるが、世界中、純粋な人種などは極めて少ない事など
は当然ある。
問題なのはその純度であり、日本人は、中国人や朝鮮人などと比べて、
極めて純度の高い北方モンゴロイドである事をgm遺伝子が証明している。
日本人種は、純度の高い北方モンゴロイドであり、コーカソイドと
分かれた頃の古モンゴロイド形質を残しているという世界でも珍しい
とても貴重な人種。
世界の宝たる日本人種の血統を絶対に汚してはいけない。
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg