【日本が】この国に魅了された人たち八【好きだ】

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438日出づる処の名無し
>>397
>> このスレ的に言うなら、この時代に来たパードレは、日本が好きだったようです。

「この国の人々は、私が遭遇した国民の中でもっとも傑出している。
どの非キリスト教徒も、日本人より優れている者はいないと考える。
日本人は相対的によい素質を持ち、悪意がなく、交際して気持ちがよい。
彼らの名誉心はことさら強烈で、彼らにとって名誉がすべてである。

日本人はたいてい貧乏である。
しかし、武士でも町人でも、貧乏を恥と考えている者は一人もいない。

彼らにはキリスト教国民にはないと思われるひとつの特質がある。
それは武士がいかに貧困であろうと、平民がいかに裕福であろうと、
その貧乏な武士が、裕福な平民から、富豪と同じように尊敬されていることである。
金銭よりも名誉を大切にしている

日本人の生活には節度がある。
ただ飲むことにおいては、いくらか過ぎる国民である。
彼らは宣誓によって自己の言葉の裏付けをすることはまれである。
宣誓するときは太陽に由っている

彼らは盗みの悪を非常に憎んでいる。
私は今日まで旅した国において、それがキリスト教徒たると異教徒たるとを問わず
盗みにおいてこんなに信用すべき国民をみたことがない。
獣類の形をした偶像などは祭られていない。
大部分の日本人は昔の人を尊敬している。
太陽を拝む者がはなはだ多い。月を拝む者もいる。
しかし彼らは、皆、理性的な話を喜んで聞く。」

   (フランシスコ・ザビエルがイエズス会に送った報告より)
347 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:04/02/13 22:05 MxZCCaQM
ザビエルも日本を絶賛しているが、一番はオルガンティーノだろう。

オルガンティーノは1570年に来日し信長の厚遇を受ける。
だが秀吉時代になると、バテレン追放令が出てしまう。
しかしオルガンティーノは日本を脱出せず、小西行長の庇護を受けて
長崎に潜伏する。77歳で長崎に没した。
日本語をしゃべり、米を食べ、39年間日本に住んだ。

彼がイエズス会に送った報告。

「日本人は全世界で最も賢明な国民に属しており、
彼らは喜んで理性に従うので、我ら一同よりはるかに優っている。

我らの主デウスが人類に何を伝えたもうたかを見たいと思う者は、
日本へ来さえすればよい。

彼らは不必要なことを外面の表情に表すことはなく、甚だ忍耐強く、
大度ある国民で、悔悛は真摯にして信心深く、
儀礼に大いに気をつかい、交際においては丁重である。

我々ヨーロッパ人は、互いの間では賢く写るが、日本人に比べると
はなはだ、野蛮であると思う。
私は毎日、日本人から教えられることを告白しなければならない。
私は世界の中で、これほどまで天から才能を与えられた民族はないと思う。

京都は、ヨーロッパならローマにあたるが、
科学、見識、文明はローマよりはるかに高尚である。

信仰さえ別にすれば、我々は日本人よりもあきらかに劣っている。
私は日本語がわかるようになってからは、
世界にかくも聡明で明敏な人々はいないと考えるに至った」
352 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:04/02/13 22:22 MxZCCaQM
>>348 それはルイス・フロイスかな。以下はフロイスの言葉。

われわれの間では顔に刀傷があることは醜いこととされている。
日本人はそのことを誇りとし、よく治療しないので一層醜くなる。

われわれの間ではよい服を上に着て、よくない衣服を下に着る。
日本人は良いのを下に、良くないものを上に着る。

われわれの間では、まったく人目を避けて、家で入浴する。
日本では男も女も坊主も公衆浴場で、また夜に門口で入浴する。

われわれの間では4歳の子どもでも自分の手を使って食べることを知らない。
日本の子どもは3歳で、箸を使って自分で食べる。

我われの間ではなべのそこに焦げ付いた飯は戸外に捨てるか、犬に食わせる。
日本ではそれは食後の果物である。または、それを終わりに飲む湯の中に投ずる。

われわれは食卓についているときに、談話はするけれども歌ったり踊ったりはしない。
日本人は食事が殆ど終わる頃まで話をしない。しかし、緩まってくると踊ったり歌ったりする。

われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。
日本ではそういうことはめったに行われない。ただ、言葉によって謹責するだけである。

ヨーロッパの子どもは青年になっても口上ひとつ伝えることができない。
日本の子どもは10歳でも、それを伝える判断と思慮において、50歳にも見られる。

われわれの子どもはその立ち居振る舞いに落ち着きがなく、優雅を重んじない。
日本の子どもはその点非常に完全で、まったく賞賛に値する。

われわれは怒りの感情を大いに表すし、また短慮をあまり抑制しない。
彼らは、得意の方法でそれを抑える。そしてきわめて中庸を得、思慮深い。
423 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:04/02/14 12:09 ACiUZYSC
>>359
>>日本賛美カキコは正直どうでもいい。

もちろん親日的な宣教師ばかりではない。

当時、スペインとポルトガルとで世界を2分割する協定
(トルデシリヤス条約)が結ばれ、それは着々と実行されていた。
最後に残ったのがアジアの2つの国、日本と中国である。
特に、イエズス会=スペインの最大の狙いは中国だった。

イエズス会東インド巡察師の肩書を持ち、日本に3年滞在した
アレッサンドロ・ヴァリニャーノはフィリピン総督に書簡を送っている。

 「私は閣下に対し、日本布教は最も重要な事業のひとつと断言できる。
 何故なら、国民は非常に高貴かつ有能にして、理性によく従うからである。
 日本は征服の対象としては不向きである。
 何故なら、国土が不毛で、貧しい故に、求めるべきものは何もなく、
 また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、
 征服が可能な国土ではないからである
 だが、中国を征服するとき、日本の軍事力は、非常に役に立つだろう」

10年以上日本に滞在したイエズス会日本布教長フランシスコ・カブラルは、
スペイン国王にあてた手紙に中国征服の利点をこう書いている。

 「第1に、シナ人全体をキリスト教徒に改宗させる事は主への大きな奉仕。
 第2にそれによって全世界的に陛下の名誉が高揚される。
 第3に、シナとの自由な貿易により王国に多額の利益がもたらされる。
 第4にその関税により王室への莫大な収入をあげることができる。
 第5に、シナの厖大な財宝を手に入れる事ができる。
 第6にそれを用いて、すべての敵をうち破り短期間で世界の帝王となることができよう」
(↓つづく)
424 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:04/02/14 12:10 ACiUZYSC
続き)
カブラルは中国人が逸楽にふけり、臆病であるので征服は容易であると述べ、
その例証に13人の日本人がマカオに渡来した時に、2〜3千人の中国人に包囲されたが、
その囲みを破り、中国人の船を奪って脱出した事件があり、
その際に多数の中国人が殺されたが、日本人は一人も殺されなかった事件をあげている。

 「私の考えでは、この征服事業を行うのに、最初は7〜8千、
 多くても1万人の軍勢と、適当な規模の艦隊で十分であろう。
 日本に駐在しているイエズス会のパードレ(神父)達が容易に2〜3千人の
 日本人キリスト教徒を送ることができるだろう。
 彼らは大変勇敢な兵隊であり、わずかな給料で陛下にご奉公するだろう」

しかし、宣教師の裏に隠された野望に気付いた豊臣秀吉は、1587年バテレン追放令を出す。
これは宣教師を追放し布教を禁じたもので、商人の来日は許された。
また日本人がキリスト教を信仰することも自由とされた。
注目すべきはこの追放令の中に「日本人を南蛮に売り渡すことを禁ず」というのもある。
すでに九州などから日本人が奴隷として外国に売られていた実態があった。

バテレン追放令当時のイエズス会日本準管区長はカブラルの後を継いだガスパル・コエリョだった。
コエリョは、キリシタン大名だった有馬晴信のもとに走り、
他のキリシタン大名達を結集して秀吉に敵対するよう働きかけた。
そして自分は金と武器弾薬を提供すると約束し、軍需品を準備した。
しかし、この企ては有馬晴信が応じずに実現されなかった

最近、秀吉の朝鮮出兵はスペインに対抗するためだったのではという説が出されている。
スペインが明を征服したら、元寇を上回る大軍で日本に押しよせてくるであろう。
コエリョは、フィリピン総督にスペイン軍を送るよう要請したがこれも実現しなかった。
秀吉は朝鮮出兵中に、フィリピン総督に手紙を送って
「日本軍が中国に至れば、フィリピンはすぐ近く予の指下にある」
と警告している。
(↓につづく)
425 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:04/02/14 12:11 ACiUZYSC
つづき)
1597年、秀吉は追放令に従わずに京都で布教活動をした宣教師と日本人信徒26名を
わざわざ長崎に連れて行って処刑した。
キリスト京勢力に対するデモンストレーションだった。
一方、イエズス会とマニラ総督府も、すかさずこの26人を聖人にするという対抗手段をとった。

秀吉との対立が決定的になると、日本を武力で征服すべしという声が高まった。
1599年、日本に15年滞在したペドロ・デ・ラ・クルスは
イエズス会に次のような手紙を出している。

 「日本人は海軍力が弱く、兵器が不足している。
 国王陛下が決意されるなら、わが軍は大挙してこの国を襲うことが出来よう。
 この地は島国なので、九州又は四国を包囲することは容易であろう。
 そして敵対する者に対して海上を制して行動の自由を奪い、さらに塩田その他
 日本人の生存を不可能にするようなものを奪うことも出来るであろう。
 このような軍隊を送る以前に、誰かキリスト教の領主と協定を結び、
 その領海内の港を艦隊の基地に使用出来るようにする。

 日本国内に防備を固めたスペイン人の都市を建設すれば
 日本人は、教俗(教会と政治と)共にキリスト教的な統治を経験することになる。
 多くの日本の貴人はスペイン人と生活を共にし、
 子弟をスペイン人の間で育てることになるだろう。
 スペイン人はその征服事業、特に機会あり次第、敢行すべきシナ征服のために、
 非常にそれに向いた兵隊を安価に日本から調達することが出来る。」

大村純忠は軍資金調達のために、長崎の領地をイエズス会に寄進しており、
ここにスペインの艦隊が入るだけでクルスの計画は実現する。
秀吉はこの前年に亡くなっており、キリシタンとの戦いは、徳川家康に引き継がれる。
家康はキリシタン禁教令を出し、高山右近をフィリピンに追放した。
島原の乱を平定の後、オランダ以外の交易を禁じ、鎖国へといたることになる。
これは鎖国と言うより、正確にはキリシタン勢力との絶縁と言うべきである。(おしまい)
671 名前:名無シネマ@上映中 投稿日:04/02/16 03:59 dlr0tEo0
>>537

侵略と奴隷獲得の先兵だった宣教師がなんで「平等」を説けるんだ。
日本がスペインの侵略を免れたのは、遠かったことと
ちょうど戦国時代で軍事力が強かったからだろう。
スペインに近くて弱い南米はひどいことになった。

ジャマイカには原住民のアラワク族が100万人住んでいたが
スペイン人によって絶滅させられた。
現在、ジャマイカ人と言われて我々が想像するのは黒人である。
彼らはアフリカから奴隷として連れてこられた子孫だ。
今の人種構成は黒人91% 混血7.3% その他 1.7%。

虐殺を逃れた人々がキューバに渡って、原住民に危険を知らせた。
彼らは金を奪うために人を殺すと。それならと住民はすべての黄金を捨てたが、
スペイン人はやはり皆殺しだけはしていった。
現在は、白人25%、黒人15%、白人と黒人の混血59%、中国人1%。
中国人も労働力としてキューバに連れてこられた子孫だ。

さすがに宣教師の中にも、そのひどさを訴える者がいた。
スペインの征服者に同行していたラス・カサス神父だ。彼の書いた
『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫)には
読んでいて気分が悪くなるほど残虐描写が続く。

メキシコで、スペイン人が犬を連れて狩りにいったが獲物はなかった。
腹を減らした犬を不憫に思った披は、インディオの母が抱いていた赤ん坊を
取り上げて、その手足を切って犬に食べさせた。

黄金のありかを白状させるためにローストチキンのように火で何日もあぶった。
スペイン人の上官がそのうめき声がうるさいからと
部下に命じてインディオに猿轡をさせた。
672 名前:671 投稿日:04/02/16 04:01 dlr0tEo0
だが、ラス・カサスのこうした告発は無視された。
またラス・カサス自身も、インディオを救いたいあまりに
「アフリカ黒人の方が、体が丈夫で、苦役に向いている」と報告してしまう。
これをきっかけとして、アフリカからアメリカへ、黒人奴隷の移送が始まる。

船倉に棚のような何段ものベッドを作り、そこに黒人たちをぎゅうぎゅうに押し詰め
鎖で固定する。食事も与えず、糞尿も垂れ流し。当然、病気が発生するが、
治療などせず、病人はどんどん海に投げ捨てていったという。
(アメリカの黒人がスポーツに強いのは、
これでも生き残った強い遺伝子だからだという話もある。)

こうしたことに宣教師たちは
「異教を信じるより、キリスト教国で奴隷になった方が天国へ行ける」
という態度だった。

ある族長は供出した金の量が足りなかったために焼き殺されたが、
その処刑前に宣教師からヰリスト教への改宗を迫られた。
「改宗すれば天国にいく。そうでなければ地獄に落ちる」
族長は聞いた。「あんたらキリスト教徒はどっちにいくんだ」
「我々は天国に行く。正しい人はすべて天国に召される」
「それならキリスト教徒たちには二度と会いたくない。地獄にしてくれ」

日本も他人事ではなかった。現にフィリピンはスペインに征服された。
1521年、マゼランが世界一周探検の途上、マクタン島に上陸して
スペインの領土であることを宣言する。
さっそく住民数百人にキリスト教の洗礼を受けさせている。
その後、数度に渡ってスペイン軍が来襲し、フィリピンは占領される。
フィリピンという名は、スペインのフェリペ皇太子にちなみ名付けられた。
ただしイスラム教徒だったモロ族はその後も抵抗を続けた。
モロ族は現在もフィリピンからの独立を目指して闘争中である。
673 名前:671 投稿日:04/02/16 04:03 dlr0tEo0
1876年(明治9年)、リトルビッグホーンでカスターの率いる騎兵隊が
インディアンに包囲されて全滅した。
同じ年、アルゼンチンでは北部と南部に追い詰められていたインディオに対し、
「国家近代化作戦」が実施された。要するにインディオ皆殺し作戦だ。
指揮官のロカ将軍は、この功績でアルゼンチン大統領となった。
こうした民族浄化作戦で、アルゼンチンは先住民も混血もほとんどいない国となった。
現在のアルゼンチンの人種構成は白人(スペイン・イタリア系)97%、先住民=3%。
(アルゼンチンがスペインから独立したのは1810年)

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ちなみにこうした歴史を知らないと、↓こんな会話になる。
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/other/column/2001/ZZZ25CTI4OC.html

――例えば、サッカーのアルゼンチン代表メンバーの顔ぶれなんかを見てみると、
 どうしてもヨーロッパ系の選手が主流になっていますが、
 これはどうしてなんでょうかねぇ? 
 お隣のブラジルでは、あんなに人種間の混血が進んでいるのに

半田 どうなんでしょうかね? 
 先住民の血を引くという意味では、例えばマラドーナであれ、
 メディナベージョ(元アルゼンチン代表)であれ、ある程度はイメージできますよね。
 だけどそういう人って、町を歩いていてもほとんど見かけなかったと思います。

――あちらでは、アフリカ系の黒人は住んでいないんですか?

半田 アフロっぽい人には出会わなかったですし、インディオというか、
 先住民系の顔もあまり見なかったです。
 ブラジルでは、極端な混血政策を取っていたでしょう。
 でもアルゼンチンって、それほど交じり合うことはなかったみたいですよ。
 ブラジルの混血政策も確かにすごいけれど、全然混血されていないまま、
 ずっとヨーロッパ人の血が今日まで続いているというのも驚くべきことですよね。