世界史なんでも質問スレッド10

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952世界@名無史さん:04/01/13 00:22
>>946
京都大学の間野英二教授(現・名誉教授)が、講談社現代新書『中央アジアの歴史―草原とオアシスの世界―』
(1977年刊)で提起された、当時、中央アジア研究で主流だった「シルクロード」史観に対する批判の事です。

1、中央アジアの歴史はあくまで二次的な史料にすぎない中国の漢文史料ではなく、トルコ語、ペルシア語
などの現地語史料の記述に基づいて再構成されるべきである。
2、中央アジアの歴史は、北部の遊牧民と南部のオアシス定住民の「南北の関係」を軸に考えるべきである。
3、オアシス定住民を中心に展開され、その盛衰が中央アジアの死命を制したとされる国際交易(シルクロード
による交易)は、中央アジアにとって、いわれているほどに重要とは思われない。

問題提起の骨子はこのようなものです。

本書の出版当初から多くの研究者から好意的な反応が寄せられたのに対して、当然ながら、漢文史料を中心として
東西交渉史をやっている一部の研究者はこの考え方を執拗に批判し続けたようですが、

22年後の1999年に出版された『アジアの歴史と文化8』【中央アジア史】(同朋舎)の冒頭の「総論」の中で、間野先生が、
「小著のような考え方が、学界ではむしろ当然のこととして認められているように思われる」と、事実上の「勝利宣言」を
されているところを見ると、「間野説」は日本の中央アジア研究では今や、主流のようです。

まあ、平たく言えば、学界レヴェルで何の留保も付けずに、無条件に「シルクロード」なんて言葉を使おうものなら、
「コイツ、学界の動向を何も知らないドシロウトだな」と笑われちゃうわけです。






953世界@名無史さん:04/01/13 08:39
「シルクロード」 1970年頃ポッと出のムードコーラスグループ、以後名前聞かず。
954946:04/01/13 12:44
>>952
なるほど。間野氏の本を読んでみます。
955世界@名無史さん:04/01/13 17:03
中国史について質問させていただきます。
三国志に関する書籍をほとんど読んだのですが、
その当時の文化や生活習慣についてはあまり書かれていないのですが
それを知るためにはどのような本がオススメなんでしょうか?
それと他の中国の歴史について知りたいのですが、
誤解せずに大体の概要を知るためには、どれがいいというのはあるでしょうか?
漠然とした内容で申し訳ございませんがお願いします。
956世界@名無史さん:04/01/13 17:05
955ですが補足させていただきますと、
上の質問での薦める書籍に関しては小説でも何でも構いません
957世界@名無史さん:04/01/13 17:08
陳寿も読破したの?!
958世界@名無史さん:04/01/13 17:21
>957
言い過ぎました、スマソ、
筑摩学芸文庫のなら読みました。
959世界@名無史さん:04/01/13 17:34
>>958
それ聞いて安心したw
まずは中国史の通史を読むといいんじゃないの? 
三国時代がほとんど後の時代に影響を与えていない事がわかるよ。
960 :04/01/13 19:56
今クリストファー・コロンブスについて調べているのですが、彼について詳しく紹介してあるHPなどありますか?
961世界@名無史さん:04/01/13 20:21
>958
阿片戦争なら陳瞬臣が読みやすい
962世界@名無史さん:04/01/13 20:24
宮崎市定なんかどうよ?
963世界@名無史さん:04/01/13 21:50
ヒトラー政権下のドイツって、俗に
ドイツ第三帝国とか言われてますが、正式な国名は公式には
何というんでしょうか?
ワイマール共和国も、正式名ではないですよね?
正式名を知りたいです。
964世界@名無史さん:04/01/13 22:16
どっちも、土居チェ・ライヒでは?
965世界@名無史さん:04/01/13 22:20
Das Deutsche Reich
966世界@名無史さん:04/01/13 22:25
>>963
1940年のドイツの5ペニヒ硬貨には、

 表(?):Deu**chesReich
 裏(?):Reichspfennig

と書いてある。(*印箇所は判読不能。ただ、その二文字はtsには
見えない)Reichは通常は帝国と訳してるけど、帝国という意味
以外に「国」という意味もあるから、「ドイツ国」が国名だったんじゃ
ないかな?まぁ、硬貨に正式国名を全部は書いてないだろうけど。

ところで、イギリスの硬貨に書いてある「D.G.REG.F.D」って
どういう意味?
967世界@名無史さん:04/01/13 22:44
>>966
Latin : Dei Gratia Regina Fidei Defensor
English : By the grace of God Queen Defender of the faith
968世界@名無史さん:04/01/13 22:51
>>967
THX!
969世界@名無史さん:04/01/13 23:21
>>966
ドイツ国・・・公式にはそうなのかな。SUNX
970世界@名無史さん:04/01/13 23:39
オーストリアの没落が上で話題になっていますが
オーストリア崩壊後のバルカンを纏め上げたチトーって
相当な政治手腕を持っていると思うのですが
現在の評価はどうなっているのでしょうか
971世界@名無史さん:04/01/13 23:48
「無理矢理いっしょくたにしやがって」ってことで、
少なくともクロアチア人には嫌われてるだろうなあ…

個人的には、辣腕政治家のままで評価を変える必要はないと思うよ。


ところで次スレは?
972世界@名無史さん:04/01/13 23:53
ザグレブに北朝鮮の工作員の活動拠点を認めていた事を知ってがっかりしたな。
ソ連とケンカして独自路線とってたと思いきや、同じ穴のムジナだったのかと。
973カラジチ ◆mWYugocC.c :04/01/13 23:55
>>970
歴史学での評価は悪くありません。
ユーゴをまとめたこと、第三世界の提唱・指導など、政治的・外交的手腕に関して高い評価を受けているようです。
ユーゴの紛争当事者には嫌われているでしょうけど。
彼のパルチザンが第二次大戦中に虐殺を行ったのではないか、という指摘もあるようですが、彼の命令によるのかは怪しいところです。
チトーに対する批判で大きいのは、63年憲法、74年憲法で、クロアチアなどのナショナリズムに寛容な姿勢をとったことです。
この姿勢が、彼の死後、中心を失ったユーゴを内戦へと導いたのだ、という考え方です。

ただし、現在のユーゴ史を引っ張っているのは、チトーのユーゴが上手くいっていた時代に生まれ、育った人たちなので、
平和で国際的発言力を持ったチトーのユーゴに好意的であるのは当然なのかも知れませんが。
974世界@名無史さん:04/01/14 03:07
>972
敵の敵は味方。
975世界@名無史さん:04/01/14 21:34
質問なんですが「神聖ローマ帝国」ってどの辺が神聖で、どの辺がローマ
帝国なんですか?

確か、ローマ帝国の戴冠(後継)貰ったのってカール大帝でしたよね?
976世界@名無史さん:04/01/14 21:36
>>975
「神聖」でも、「ローマ」でもない。
977世界@名無史さん:04/01/14 21:45
>>976
忘れ物

そして「帝国」ですらない
978世界@名無史さん:04/01/14 21:53
以下の教科書の中で、世界史を構造的に理解するのに
どれが最も適していますでしょうか。

『詳説世界史』(山川出版)
『新世界史』(山川出版)
『世界史B』(東京書籍)
『詳解世界史』(三省堂)
979世界@名無史さん:04/01/14 22:58
オーストリア・ハンガリー二重帝国って何ですか?
何が二重なんですか?
皇帝や政府が別々?なのに不都合はなかったのでしょうか?
980世界@名無史さん:04/01/14 23:21
Doppel-Monarchie
981世界@名無史さん:04/01/14 23:24
世界史上3つの指に入る良い匂い、臭い匂いって何ですか?
982975:04/01/14 23:49
>>976,977
んじゃ、なぜ「神聖ローマ帝国」なんですか?
983世界@名無史さん :04/01/14 23:53
>979
1867年の普墺戦争の結果、国内体制に揺らぎを見せたオーストリア帝国は、国内の単一支配を
断念し、ハンガリー人の調停を受入れ、共通の外交・軍事・財政政策と、別個の憲法・行政府・
立法府・国防軍を持つ国家を誕生させます。

この国家は、いずれもハプスブルク家の君主を頂き、オーストリア(ツィスライタニア)は帝政を敷き、
8民族、15州、17議会で構成されており、ハンガリー(トランスライタニア)は、王政を敷いていました。
また、通商・租税・通貨・運輸問題については10年ごとに協定を更新し、共通支出については、関税
徴収、分担金の協定を結ぶようになっています。

要はハプスブルク家の下で統治体制が完全な二重構造だったので、邦訳として二重帝国という名前を
頂いている訳です。

当然、オーストリアのドイツ人と、ハンガリー人だけが統治権者として君臨したので、各地の民族か
らは不満噴出で、オーストリア側ではポーランド人がガリツィアの自治権を獲得するまでになってい
ますし、1880年にはチェコ人に対しドイツ語とチェコ語同権を承認した後も、民族運動に悩まされ、
1907年に普通選挙法が施行された時には、スラヴ人が帝国議会の多数を占め、議会は活動不能となり、
1909年以降、議会を通さず、政府の直接統治が始まります。

ハンガリーも同じで、1868年にクロアチアの自治権を認め、1876年にはトランシルヴァニアの自治権を
剥奪しています。
984世界@名無史さん :04/01/15 00:04
>982
1247年、大空位時代の欧州で教皇党によるフリードリヒII世の対立王に選ばれた
ホラント伯ウィレムが、1254年の公式文書に「神聖ローマ帝国」という国号に使用
したから。

1256年冬、彼はフリースラントへの遠征中に誰も知られることなく沼に馬ごと落ち
て落命し、次の王に選ばれた数名の内、コーンウォール伯リチャードも同じく、
その国号を使った為、以後、その国号が定着してしまった。
985世界@名無史さん:04/01/15 00:10
「神聖ローマ帝国」ってオットーT世の頃からじゃなかったのか。
986世界@名無史さん:04/01/15 03:15
現在のアメリカのベトナム戦争への一般的な評価ってどうなんでしょうか?
「アメリカの侵略で、ベトナムの皆さんごめんなさい」
でしょうか?、それとも
「単なる作戦失敗で、アメリカは決して悪くない」
と考えているのでしょうか?

アメリカにも左翼右翼あるとおもいますが一般的な評価ってどうなんでしょうか?
987世界@名無史さん:04/01/15 03:26
すいませんかなり漠然としてるのですが
ルイ16世が廃止した有名な法律って何か分かる人いますでしょうか?
お願いします。
988世界@名無史さん:04/01/15 03:37
>>982
んじゃ、オットー1世の時は、なんて呼んでいたんだ?
989世界@名無史さん:04/01/15 03:44
>>988
「ローマ帝国」じゃなかったか?
990世界@名無史さん:04/01/15 04:57
新スレ立てますた!

世界史なんでも質問スレッド11
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1074105994/l50
991世界@名無史さん:04/01/15 07:33
>>989
いわゆる「神聖ローマ帝国」の国名(と言うのも微妙だが)の変遷を書いてあった本があったな。
でも忘れたw

で、それによると「神聖ローマ帝国」と言っていた時期は結構短かった記憶がある。
後年は「ドイツ人の」が付くしね。
埋め立てっか
そういえばよー●って便利だよ?
今外国なんだけどよー
よく解らんのだよ。文字とか。
多分三つ国境を越えたんだよな。
ビザとか待ったりして面倒だよな。
馬とか乗りてーけど飼えねーから無理だしよー
●があると規制とか引っかかりにくいな
なんかめんどくせーな
もうそろそろ1000か
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