>>397 <<この問題について以前書いたものを再掲しておく>>
黄浦公園(Public Garden)における「犬と支那人は入るべからず」なる表札の有無の問題だが、
確かに、こういう表札があった、と言うこと自体は、いわゆる都市伝説の類だったらしい。
だがこの話は以下の点で単なるネタとして片づけるわけにはいかない要素がある。即ち、
(1)この伝説は決して日本だけに存在したものではなく世界的普遍性のあるものだったこと
(2)さらに現実においても、これに準ずる規則が存在したことは事実だったこと
(3)ただその規則による公園への入園制限は、より広範囲の存在に対し適用されたのであり
「犬と支那人」だけが閉め出されたのではなかった、といった点においてである。
この事情について Leo Ou-fan Lee は SHANGHAI MODERN: The Flowering of a New Urban
Culture in China, 1930-1945: Harvard UP: 1999 において以下のように述べている。
A humiliating reminder of the Western imperialist presence was, of course, the
notorious sign of exclusion that reportedly hung at the gate of the Public Garden
in the International Settlement: "No Chinese or Dogs Allowed."
The real sign, though no less humiliating to the Chinese, did not exactly read
this way. It was a bulletin listing five regulations first decreed in 1916.
The first regulation reserved parks for the use of foreign residents.
The second stipulated that "dogs and bicycles are not admitted," and was followed
by the third: "Chinese are not admitted" except "in the case of native servants
accompanying their white employers." The fourth and fifth regulations excluded
Indians (except for those in dignified attire) and Japanese (except for those
wearing Western clothing).(p.29)
つまりこの規則は原則として人間は白人オンリー、自転車や犬もだめ、ということであり
日本人すら洋服を着ていなければ入ることは出来なかったし、逆に中国人であっても、
召使いとして主人と一緒になら入れた。確かに人種差別的ではあり特に中国人には屈辱的
だったろうが、それでも元ネタの「犬と支那人は入るべからず」とはニュアンスが異なる
ことは認めなくてはならない。即ち「犬」は「自転車」と対で入園禁止なのであり、
別に中国人を犬並みの存在と見なし、かつ扱った訳ではなかったのである。
なお、この規則は1927に蒋介石派が上海の実権を掌握したとき廃棄されたという。