ドイツ民主共和国

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1世界@名無史さん
色んな本でボロカスに言われてるが、そんなに酷い国だったの?
2世界@名無史さん:03/10/15 19:04
No.1 ソヴィエト社会主義共和国連邦・・・偉大なる始祖
No.2 日本人民共和国・・・極東の優等生、対米帝の防波堤
No.3 ドイツ民主共和国・・・東欧の優等生、対西側の防波堤
3世界@名無史さん:03/10/15 19:06
No.4 朝鮮民主主義人民共和国 極東の劣等生 落ちこぼれ 足手まとい
4世界@名無史さん:03/10/15 19:08
DDRですね。大学のドイツ語の教師がフンボルト大学の出身だった。
なつかしいな。戦後も光学の会社のツアイスの美味しいとことか、V2ロケット美味しいところ
とか結構もってたはずなんだが。全部、ソ連に取られてるのかな。
5世界@名無史さん:03/10/15 19:26
国営カールツァイスは技術革新がないせいで
散々だったそうな
6世界@名無史さん:03/10/15 19:37
栄えあるわが祖国、ドイツ民主共和国万歳
ドイツ人民の全ての勝利の組織者であり嚮導者である社会主義統一党万歳
7世界@名無史さん:03/10/16 04:13
本多勝一が書いてたな。
8世界@名無史さん:03/10/16 04:16
中国への旅と異なって本田まともだったね。
ニュヨーク高地人などのルポモノを書いた時の本田節を彷彿とさせる。
こいつ、イデオロギーをやめれば今でも相当なものなのにねぇ。
9世界@名無史さん:03/10/16 05:07
>>8
ニュヨーク高地人に藁タ。
いや失礼。
10世界@名無史さん:03/10/16 09:14
ニューギニア高地人だろ。
11世界@名無史さん:03/10/16 19:25
摩天楼の上部に定住する人々を想像してしまった・・・

最近旧東ドイツ人の書いた北朝鮮本が出てましたが、
作者の幼少期の共産主義体験が語られてておもしろかった
12世界@名無史さん:03/10/16 20:12
しかしこの板のやつら本みるのはいいが分析したり
なんか為になる言葉吐けよ。。

本みてぼけーっとしてんじゃ読む価値ねーよ。。
13世界@名無史さん:03/10/16 20:13
>>12
まず隗より始めよ。
14世界@名無史さん:03/10/16 20:50
 旅行をすれば西ドイツには無くなってきたドイツらしさを体験できる
よなー、東は。
そんなにボロカスに書いた本はあまり知らないですね。
『国家破産』くらい。
>>14
環境破壊とかひどかったらしいですけどね。
今はどうなっているのかしらん。

旧東独スレの1さんが来ることを願いつつ!
おいらもあのころよりは少しは東独に詳しくなりましたぜい!
東ドイツの国産車トラバントってゴミだよな。
17世界@名無史さん:03/10/25 01:24
赤きプロイセンって自称?
18世界@名無史さん:03/10/25 02:11
スラヴ(ロシア)に支配された屈辱の歴史だろーな。ドイツ人にとっては。
19世界@名無史さん:03/10/25 02:13
軍事的には支配下だったけど
経済の質はソ連を
凌駕してたという・・・・・・・・・・・・
20世界@名無史さん:03/10/25 02:30
国境亡命者の射殺、密告制度。こうした卑劣な共産主義のやり方は
ロシア的そのものだ。
21世界@名無史さん:03/10/31 00:15
いつの間に東独スレができてたなんて。

DDR第一次五カ年計画について詳しく書かれてる本は無いですか?

22ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :03/11/15 18:45
hoshu
23世界@名無史さん:03/11/20 01:37
世界の歴史教科書:ドイツ民主共和国/ほるぷ出版はかなり藁える。
DDR順調に成長しすぎ。
24世界@名無史さん:03/11/20 23:30
ブックオフで見つけた本『夢見る東ドイツ』。
蒸気機関車マニアの人が書いた、旧東独社会のルポなんだけど、
東ドイツの経済については、かなりボロカスに書いてる。
DDRの末期は、医療水準も、インフラも、
ポーランドやハンガリーに劣ってたって。
東独の女は、玉の輿を夢見て、ハンガリーの男を追いかけるんだって。
25世界@名無史さん:03/11/25 19:11
「プラハの春」
「ベルリンの秋」春江一也

これを読んだ後、BSで「壁崩壊」特集を見たら全編涙無くして見れなかった。
この本で初めて「シタージ」という秘密警察の存在を知った。
26世界@名無史さん:03/11/25 20:23
社会主義統一党指導者ウルブリヒト
首相グローテヴォール
大統領ピーク

実質的なナンバー1はやはりウルブリヒト・・・・・?
27 :03/11/26 18:55
全然民主的でも共和国でもないんだろうな。
東側だし。
28世界@名無史さん:03/12/03 15:17
社会主義国は本質的に帝国主義への労働者の血と汗から
誕生した人民の理想の国ですよ。
資本主義の犬が帝国主義に阿る発言は世界中の労働者を
敵に回すと知れ。
29世界@名無史さん:03/12/03 15:36
「私はドイツが好きだ。1つよりは2つあった方がいい。」
30世界@名無史さん:03/12/03 15:40
人民のドイツと米帝の手先のドイツ
31世界@名無史さん:03/12/03 18:10
建国以来、人口は減少傾向

建国時の人口   西暦1949年 1889万人
消滅寸前の人口 西暦1988年 1667万人

前年より増えた年は、西暦1963年、1965年〜1967年の4年


ソース『マクミラン 新編 世界歴史統計』
32世界@名無史さん:03/12/03 18:14
人口計画がうまくいったのだな。納得。
33世界@名無史さん:03/12/03 19:10
>.31
やっぱレイプされすぎてセクースする気がなくなったのか・・・?
34世界@名無史さん:03/12/07 20:19
朝鮮人は生殖能力衰えず!
35世界@名無史さん:03/12/08 18:02
D・D・R・!D・D・R!(AA略)
36世界@名無史さん:03/12/11 22:25
他の東側諸国からはどう思われたの?
37世界@名無史さん:03/12/12 00:43
ピーク、グローテヴォール、ウルブリヒト、ホネカー、シュトフ
この中で一番最悪なのは?
38世界@名無史さん:03/12/12 00:45
一番最悪
39世界@名無史さん:03/12/12 00:46
グローテヴォールってフランス人みたいな名前だな。
>>39
デメジエールなんぞは思いっきりフランス系ですしね。

次回の『歴史群像』でベリリン封鎖が記事になるらしい。
私のFLASHが影響したかなーなどと勝手に悦に入ってみたり。
ま、どーせ山崎雅弘氏がグロセールやクレスマン、永井清彦あたりに
こけおどしの(なくても書ける)洋書数冊を参考文献にして書くんでしょうけど。
41世界@名無史さん:03/12/17 22:20
素朴な疑問なのですが、ナチス・ドイツがの継承国は西ドイツと東ドイツのどっち
なのですか?
42世界@名無史さん:03/12/19 17:53
>>41
西ドイツ。正確に言うとドイツ共和国の継承国だが。
43世界@名無史さん:03/12/19 19:02
じゃあ西ドイツの方が正統じゃん。
44世界@名無史さん:03/12/19 23:21
東独はナチスについては完全他人事決め込んでたからな。
ソ連の子分じゃしかたないとは思うが。
( ’ ⊇’)裸眼ですぅ〜。。びば、洋楽板。。。
46世界@名無史さん:03/12/27 01:23
SSはかなりシュタージに雇用されてるけど
47世界@名無史さん:03/12/27 01:59
国歌だけは感動的なんだよな。
48世界@名無史さん:03/12/27 13:44
Auferstanden aus Ruinen
廃墟より蘇れ
Und der Zukunft zugewandt,
未来へ向かいて
Lass uns dir zum Guten dienen,
我ら汝に尽くす
Deutschland, einig Vaterland.
ドイツ、統べられし祖国よ
Alte Not gilt es zu zwingen,
過去の苦境は克されて
Und wir zwingen sie vereint,
我らは堅く団結せり
Denn es muss uns doch gelingen,
そを成し遂げんがため
Dass die Sonne schoen wie nie
陽は美しく輝いて
Ueber Deutschland scheint.
ドイツをあまねく照らさん
Ueber Deutschland scheint.
ドイツをあまねく照らさん
49世界@名無史さん:03/12/27 13:52
ドイツの左翼作曲家、ハンス・アイスラー作。
50Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/27 14:02
さび?の部分以外は好きです、DDRの国歌。

ドイツ人の友だちは10人ほどいますが、東ドイツ人が一番感覚的に合います。
小食、謙虚、思い遣り。

西ドイツの人は、個人主義って感じです。変にアメリカナイズされた(ように
振る舞う)のが好きになれません。。

まぁ、サンプルが少ないですが。
51世界@名無史さん:03/12/27 15:45
52世界@名無史さん:03/12/27 15:45
露西亜帝国とか言うサイトにMP3があるよね。最早歌われることは無いのか・・・
53世界@名無史さん:03/12/27 16:43
チェルノブイリの死者って何人?
54Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/27 18:27
MP3なら、こちらに
http://ingeb.org/Lieder/aufersta.html

よい声です。
55世界@名無史さん:03/12/27 18:37
向坂逸郎だっけか最も成功した社会主義国と言ってた。
フィギアスケートのカタリナ・ビットが性行為やら何やらすべてシュタージに
盗聴されてたらしい。
56世界@名無史さん:03/12/27 18:54
アメリカの手先 VS ソ連の手先
57世界@名無史さん:03/12/27 18:58
東独の歴史教科書って東独の正統性をどのように書いていたのですか?
58Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/27 19:55
脱線ですが。。

懐かしい、ヴィット、巨乳でしたね。。それだけは、子どもでしたけど覚えています(笑)
カール・マルクス・シュタット出身でした。
59世界@名無史さん:03/12/27 21:02
日本人が伝統的にイメージするドイツ人といったら東ドイツ人のほうがそれに近い。質実剛健。謹厳実直。

西ドイツ人は、ありゃドイツ語を喋るアメリカ人だと断言していい。陽気で個人主義で商売上手でイイカゲン。
60世界@名無史さん:03/12/27 21:04
>>59
それは戦後に西ドイツがアメリカナイズされたことが原因ですかね?
旧東ドイツがそれに近いのはやはりプロイセンの一部があるから?
61世界@名無史さん:03/12/27 21:10
戦後体制の違いでしょ。

旧東独は全体主義社会で独裁政治、といったらこの点ではプロイセンやナチスドイツとあまり変わらない。
国民性もドイツオリジナル「欲しがりません勝つまでは」のまま。

旧西独はワイマール的民主化の復活、アメリカよりも自由なハイエク的自由経済の導入。
アメリカ軍基地やハンブルグ港のおかげでアメリカ文化の直接流入もあったし。
62世界@名無史さん:03/12/27 21:22
>>59
西ドイツ人は、それに加えて酒飲みで大食いでもある。
63世界@名無史さん:03/12/27 21:27
そもそもプロイセンって東ドイツじゃん
64_:03/12/27 21:41
ゲルマンは昔から嫌われてるの。
ローマに攻め込んだヴァンドールしかり
第一次大戦しかり第二次大戦しかり

アメリカをあるってて悪口言われる大国には
ドイツも含まれてますね。ただ、同じ白人同士
なので仲良くなると日米以上の友情をつくり
だすんだけどね
65Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/27 21:53
プロイセンって、独裁かなぁ。。
66世界@名無史さん:03/12/27 22:13
そう言えば日本共産党は西ドイツが1956年にドイツ共産党を非合法化した
時には「ナチスの再来」と滅茶苦茶非難していたな。
その日本共産党が今ではHPでそのドイツを支持しているんだから無節操
な話だw
67世界@名無史さん:03/12/27 22:18
支持しているわけではない
68世界@名無史さん:03/12/27 22:24
共産党のHPには「ドイツの戦後処理を見習え」とか散々書いてあるぞ。
かつて東ドイツが「アイヒマンからグロプケへ」とか「元ナチ党員の
キージンガーを首相にするな」とか非難していた時はその尻馬に乗って
西ドイツの戦後処理をクソミソにけなしていたクセになw
69世界@名無史さん:03/12/27 22:27
あなたのほうこそクソミソ
70世界@名無史さん:03/12/27 23:47
共産党はいわゆるナチ犯罪は「ユダヤ人絶滅の唯一無比な独自性」を
強調し、他の全体主義国家の犯罪と比較することはナチ犯罪を相対化
すると主張しておきながら、「ドイツの戦後処理を見習え」とも主張してい
る。
日本の戦後処理と比較することはナチ犯罪の相対化である。
このように共産党は矛盾した主張をしている。
71世界@名無史さん:03/12/28 00:21
DDRキター!
72世界@名無史さん:03/12/28 01:33
近代主義に毒された西ドイツに較べて、伝統を残しているという印象だったけど。

シュターツカペレ・ドレスデンやシュターツカペレ・ベルリンが好きだったから、ドイツが
再統一されたときは不安になった。
ドレスデンのほうは健在だけど、ベルリンのほうは無茶苦茶にされちゃったからな。
(とくにバレンボイムが音楽監督になった以降)
73:03/12/28 01:47
プロシアとプロイセンの違い?
74世界@名無史さん:03/12/28 02:41
政治的なチクリの恐怖を度外視すれば、労働者にとってはかなりの天国だった。
なにしろまともなノルマもなしに、ちんたらやっててもそれなりの文化的な暮らしができるんだから
ま、そのせいで産業は国際競争能力を失って沈没していったんだけどね。
75世界@名無史さん:03/12/28 13:42
>>71
DDRとは何?
76世界@名無史さん:03/12/28 14:05
昨日の映像の世紀で東ドイツのプロパガンダ映像がでてたけど、
西側の退廃的な風俗を批判して共産党青年団の規律正しい生活を
賞賛をしてるところなんてナチスと変わらんじゃないか(w
77世界@名無史さん:03/12/28 16:21
>>76
支配者が置換しただけだからね。
78Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :03/12/28 18:06
>>75
ドイツ民主共和国(所謂旧東ドイツ)のドイツ語頭文字による略称でつ。
79世界@名無史さん:03/12/28 19:04
ドイチェ・デモクラティシェ・レプブリク。
80世界@名無史さん:03/12/28 19:07
>>76
東ドイツ軍の制服はナチ時代そっくり。
おかげで東ドイツ軍の制服を改造したナチ軍服を作り
レプリカとして売る&本物と称してマニアに売りつける奴が出るほどだ。
ただし鉄兜だけは似ても似つかない代物。

一方、西ドイツ軍の鉄兜は
ナチ時代そのもののフリッツ・ヘルメットであった。
81世界@名無史さん:03/12/28 19:11
あのNVAメットは完全オリジナル?ソビエトのとも違うよね
82世界@名無史さん:03/12/28 19:13
映像の世紀でアメリカ人のブギブギダンスを写して
「この生き物も人間に属しているのです」
というナレーションにはワラタ。
83世界@名無史さん:03/12/28 20:17
民主的ではないのにどうして民主共和国なんだろう?
84世界@名無史さん:03/12/28 20:45
民主集中制も立派な民主主義の一形態ですよ。
85世界@名無史さん:03/12/28 21:05
国号に民主を冠する国は対外ヤバヤバだな。
86世界@名無史さん:03/12/28 21:28
「人民」とかね
87世界@名無史さん:03/12/28 21:33
独裁やる奴らに限って「民主」とか「人民」ってのを強調したがる
88世界@名無史さん:03/12/28 22:37
旧与党「社会主義統一党」ってのは、やっぱり両ドイツを社会主義(赤化)統一
することを指していたのだろうか。
時代遅れの経済体制で自由市場経済に勝てるとでも思っていたのかね(笑)。
89世界@名無史さん:03/12/28 22:44
そうじゃなくて
ドイツの二大社会主義政党である共産党と社民党が統一してできた政党って意味。
90世界@名無史さん:03/12/28 23:39
>>89
社会主義でドイツを統一するとの意味もあるので88の意見もある意味
正しい。
91世界@名無史さん:03/12/29 13:45
国家社会主義は社会主義の一つなんだろ?
それなのに国家社会主義ドイツ労働者党が共産主義者を敵視したのは
なんでだろう?
92世界@名無史さん:03/12/29 15:15
同じような思想だからといって味方になれるわけじゃないだろ。
各国のナショナリズムは、やってること一緒だけど、互いに対立するし。
カトリックもプロテスタントもキリスト教の一つだけどお互いに敵視してたよな。

で、まあ、理由はたくさんあると思う。
そもそも共産主義は宗教を否定するので、キリスト教徒には嫌われるし、
民族や文化といったものも否定しようとするから、アーリア人の優越どうのこうの言ってるナチスにはウザいだろう。
93世界@名無史さん:03/12/29 19:41
ナショナリズムとインターナショナリズムの違いである気もするな。
94世界@名無史さん:03/12/29 20:56
あの〜、社会主義と共産主義の違いわからないんですけど、資本論でも
読めばわかるでしょーか?_?
95世界@名無史さん:03/12/29 21:13
>>94
その質問はよく見るけど、ちゃんと誰からも文句つけられることのない回答は見たことない。
発言する人の立場によって定義が変わるから。

でもまあやってみるか。
「社会主義」……国家の経済への介入・統制によって国民の幸福を追求する思想。
「共産主義」……1.(主に)マルクス主義者たちが、資本主義社会の崩壊後に誕生すると考えていた想像上の体制。
            貧富の格差も国家すらも存在しないそうだが、実現したことはない。
           2.マルクス主義を標榜する国家の体制。本来は誤用(1.が正しく、マルクス主義国家のどれも共産主義段階に達していないので)
戦後の日本や北欧、戦時中のドイツは、共産主義ではないけど、社会主義。
96世界@名無史さん:03/12/29 21:19
その定義だと、現代において社会主義じゃない国家は存在しなくばるんじゃないか。
9795:03/12/29 21:23
小泉政権は反社会主義的(というか、自由主義的)だとおもうけど、まあそうなんじゃない?
98世界@名無史さん:03/12/29 21:24
>>95
戦後日本が社会主義とか俗説に騙されてるバカ?
戦時中が社会主義というなら分かるけどな。
9995:03/12/29 21:25
反論するんだったら、罵り言葉ではなく自分自身の定義でどうぞ。
100世界@名無史さん:03/12/29 21:27
社会主義そのものではなくても
日本に限らず戦後福祉国家は大なり小なり社会主義的なんじゃないか。
101世界@名無史さん:03/12/29 21:32
ニューディールが社会主義的な政策なのがよくわかった。
102世界@名無史さん:03/12/29 21:41
普通、社会主義というと私有財産の否定&計画経済とセットだろ。
日本は多分に社会主義的要素があったが、あくまで要素があったに過ぎない。

あとさ、国有化の割合だと労働党時代のイギリスが西欧最強だと思うんだよ。
石炭・鉄鋼・電気・ガス・通信・鉄道・トラックに医療の全てを国有化して
いたんだぞ。おまけでイングランド銀行も。
でも滅多に例としてでないんだよね。日本や北欧はすぐあげられるのに。
日本は資金の割り振りや企業統合などについてはかなり口を出したが、
戦後は一時国有化された産業をドンドン民営化したわけだが。
103世界@名無史さん:03/12/29 21:43
国営化しているものを民営化するとどういうメリットがあるんですかね?
104世界@名無史さん:03/12/29 21:44
>>102
イングランド銀行って英国の中銀じゃなかったっけ?
105世界@名無史さん:03/12/29 21:46
造船と航空産業も忘れてた。大体20%ぐらいが国有化された。
日本で戦後も長く国有化されていたのは、鉄道と通信ぐらいでしょ。
10695:03/12/29 21:47
>>102
北欧の福祉国家やナチスドイツは社会主義ですけど、私有財産は否定してないと思いますが。
とは言っても、税金をがぱがぱ取って福祉に使う、という考えそのものが私有財産権の侵害、という見方も可能かな。

イギリス労働党については初めて聞きました。確かに普通は北欧や日本が挙げられますよね。

あと、時期とこのスレの位置を考えれば、
「社会主義・共産主義はソ連陣営を想起させるので、マイナスのイメージを付与されている」という説明もしておくべきだったでしょうか。
10795:03/12/29 21:48
>>103
小泉さんに聞いてくれ(笑
国家財政への負担が減る、とかかな。
民営でもやっていけるから民間に任せよう、というタイプの民営化もありますけど、今回はあんまり関係ない。
108世界@名無史さん:03/12/29 21:51
国民社会主義は社会主義の一種なのか?
109世界@名無史さん:03/12/29 21:52
結局ファシスト国家の統制経済は資本化に都合がいいだけのものだったんじゃないの?
11095:03/12/29 22:00
>>108
私はそう前提して話してます。
>>109
企業を立て直さなければ雇用が生まれないのは事実ではないかと。
資本家にしてみれば、経済活動の自由を奪われ、しかも税金をたくさん取られるので、
いいことばかりというわけではないです。
111世界@名無史さん:03/12/30 00:09
普通「社会主義」と言われるのは共産主義に向かう前段階としての
社会主義であって、ナチス式国家社会主義や西欧式社会民主主義の
意味合いは含まない事が多いのではないか?
112世界@名無史さん:03/12/30 15:03
>>111
マルクスは共産主義の前段階を社会主義とは規定していないはず。
113世界@名無史さん:03/12/30 17:31
でもいわゆる「社会主義国」は建前としてそれを掲げてたじゃないか
114世界@名無史さん:03/12/30 20:56
95は修正資本主義という言葉をしらんのか
11595:03/12/30 21:47
>>113
誰が共産主義の前段階は社会主義だなんて言ったんですか?
私は寡聞にして知りませんが。
マルクス主義ではあくまで、
資本主義→(帝国主義→)共産主義
という規定だったように思うのですが。
>>114
社会主義が経済的な側面に限定して修正資本主義と呼ばれていることは知っていますが、それが何か。
116世界@名無史さん:03/12/30 22:47
幸徳秋水は社会主義者であり無政府主義者だそうだけど、矛盾している
ように思える。
誰か説明できませんかね?
117世界@名無史さん:03/12/30 22:49
いいかげん失せろ。
ここはDDRスレであって社会主義スレじゃねえ。
118世界@名無史さん:03/12/31 11:04
社会主義統一党の党歌"Die Partei"を訳したことがあったけど
レーニンだのスターリンだのを賛美する内容に鬱になったよ。
戦争に負けるとこういう歌うたわされるのかと。
119世界@名無史さん:04/01/03 16:27
ttp://www.net98.de/kult/download/lied-der-partei.mp3
コレか。
スターリン賞賛部は後に削除されたのか。
120Reichsprotektor ◆z4Op9cXCnM :04/01/05 12:13
DDRを再現したホテルがケムニッツかどこかにあるんですよね?
そこにいってみたい。。。
121世界@名無史さん:04/01/05 17:42
ドイツの共産主義化ってソ連にとっては
レーニン以来のドイツ革命の夢の達成だったの?
それとも一国革命論のスターリンだったからそんなに感慨なかったの?
122世界@名無史さん:04/01/05 19:46
ゲハハハハ、いけすかないジャーマンビッチを子分にしてやったぜ

くらいの感想だった可能性もなきにしもあらず
123世界@名無史さん:04/01/05 23:51
ドイツに限ってどうして「北朝鮮」「韓国」の様な呼び方にしなかったんだろう?
例えば「東ドイツ(ドイツ民主共和国)」「ドイツ連邦」と言う風に。
124世界@名無史さん:04/01/06 00:30
「韓」と「朝鮮」という漢字のため。日本人は読めるから区別する.
読めない西洋人はノースコリアとサウスコリア。
125世界@名無史さん:04/01/06 00:53
昔は朝鮮も北朝鮮と南朝鮮て言ってたよ
126123:04/01/06 01:39
「朝鮮民主主義人民共和国」は略すなら本来「朝鮮」のはずだが、
「北朝鮮」と呼ばれているのは体制に対する憎しみが込められて
いるのが大きいと思う。

それなら東西ドイツについても同じ様になってもおかしくなかった
と思うが。

単に遠い国だから関心が無かっただけかもしれないが。






>>90
>社会主義でドイツを統一するとの意味もあるので
ないない。SEDの名称は>>89が正解。
>>121
ソ連にとってドイツ政策の根本は「ドイツを再びソ連の敵にしないこと」。
で、ドイツ軍国主義の根幹がオストエルベのユンカー支配にあると見て、
それを解体するために土地改革をはじめとするソヴィエト化を進める訳ですが、
スターリンはドイツが敵対陣営に入らなければ(=中立でも可)、
別にドイツを赤化するつもりはなかったようです。
しかし結果として西側3占領区とは異なった社会構造が出来上がっていき、
しかも冷戦の進展に伴って西側が積極的に分断国家化を目指す動きを見せる中で
結局ソヴィエト化した東ドイツが出来てしまった、という感じです。
ちなみに西側単独国家の樹立に積極的だったのは米英仏だけではなく、
磁石理論を唱えるアデナウアーもそうでした。シューマッハーはこれに強く反対しています。
49年以降もソ連は折に触れて中立化を条件に東ドイツを放棄するそぶりを見せますが、
西側は応ずるはずもなく、
ソ連側にも「せっかく作ったのに何で放棄しなきゃいけないんだ」
という考えが定着していきます。
スターリンの死後、ベリヤが粛清された理由の一つに
「ドイツ問題での妥協」というのがあって、
ベリヤにもやはり中立化を条件に東ドイツを放棄する用意があったようです。
ベリヤ以降、ソ連が東ドイツ放棄を考えたことはなかったかと思います。
記憶に頼って書いたので、若干微調整が必要かもしれません。
128世界@名無史さん:04/01/06 02:58
>>126
日本語で朝鮮と呼ぶとき
朝鮮半島全体を指すからだろ
総連の回しもんか?
129世界@名無史さん:04/01/06 02:58
オーストリアは中立化できたのに
なんでソ連はダメだったの?
130世界@名無史さん:04/01/06 02:59
ドイツは。
131123:04/01/06 03:02
>128
> 総連の回しもんか?
違うよ
132世界@名無史さん:04/01/06 03:12
ナポレオンの最初の妻?
133市民社会は歓迎すべきか:04/01/06 03:25
西洋ではプロテスタンチズムが市民を勤勉にしました。日本では儒教文化が勤勉にしました。しかし儒教文化なしに日本はどうなるのでしょうか。上部構造の変化
134世界@名無史さん:04/01/06 10:01
>>133
>日本では儒教文化が勤勉にしました。
ちがうだろ。八百万の神ののほうだろ。
儒教体制下ではむしろ人間を怠惰にする、某大陸や某半島を見てみれば・・・
135世界@名無史さん:04/01/06 13:38
>>127
先に通貨改革をしかけたのは西側だよね。
西側にはオーストリアのように緩衝地帯として中立化する気はなかったんですかね?
136世界@名無史さん:04/01/06 13:40
>>133
今時の経済ではプロテスタント的な質素、倹約をやられると経済が返って悪化する訳で・・・
137世界@名無史さん:04/01/06 14:14
>>134
儒教思想を持つ東アジア人は基本的には勤勉だよ。
韓中国人は日本人から見れば怠惰なイメージがあるかもしれんが
それでも欧米や東南アジア、アフリカから見れば働き過ぎと言われる。
138世界@名無史さん:04/01/06 19:04
>>137
韓国、中国の庶民は開国するまではみな怠惰だったよ。
勤勉になったのは近代化して努力すれば誰でも地位やお金が得られるようになってから。
結局、どんな文化であろうと、努力すれさえすれば栄達できる社会環境が整っていれば
勤勉になる訳で、あまり儒教がどうとかは関係ないと思うが。
139世界@名無史さん:04/01/07 00:53
スレ違いの話題は極東板ででもやってくれ

そういえば「グッバイ・レーニン」がそろそろ公開ですね。
140世界@名無史さん:04/01/07 09:35
建国の際ナチス関係者は全滅させたのか?
141 :04/01/07 09:42
>>139
国際映画祭では、気がついた時には前売りは全日売り切れでした
(当日はあったかも)。

すごい人気に驚きました。
142世界@名無史さん:04/01/07 13:41
あらすじ聞くだけで面白そうだもんなあ。
143世界@名無史さん:04/01/07 16:13
>>140
警察、司法関係は一部利用、残りは皆殺し。
144世界@名無史さん:04/01/07 16:36

私的所有を認めないのが社会主義、
認めるがそれを国家統制化におくのが国家社会主義
145世界@名無史さん:04/01/07 16:38
東独ってどんな社会だったの?イメージ的には北に近いの?
例えば個人崇拝とか。
146世界@名無史さん:04/01/07 16:39
西ドイツでは看板変えただけのナチってイメージが強いようだ。
147世界@名無史さん:04/01/07 16:40
個人崇拝はキツかったのかな?
ウルブリヒトとかホーネッカーとか。
148世界@名無史さん:04/01/07 16:40
ピークが大統領だった時代も
実質的な序列第一位はウルビリヒトだったんだよね?
149世界@名無史さん:04/01/07 16:44
>>147
あんまり聞かないんだよね。
スターリンとか毛沢東や金親子、キューバのカストロなんかは個人崇拝の典型だけど。
150世界@名無史さん:04/01/07 17:42
ソ連の締め付けが強くて国歌すら歌えなかった(曲のみOK)
ウルブリヒトはソ連の言うことを次第にきかなくなり
ホーネッカーに替えられた
151世界@名無史さん:04/01/07 18:33
50年近く占領が続いたのと大して変わらん。
152世界@名無史さん:04/01/07 19:04
SEDがクレムリンの傀儡でしかなかったわけでもないようだけどね。
153世界@名無史さん:04/01/07 20:10
カストロが個人崇拝?
あたまがおかしいのか?
>>129>>135
実はオーストリアに関してはよく知らないのですが、
ドイツとオーストリアではやはり違うのでは?
そのうちキチンと調べて書きます。私でよければ。
>>140>>143
関係者というくくりは大雑把過ぎて何ともいえませんが、
「皆殺し」ということはないでしょう。誰のことを想定しているのですか>>143
東独には元ナチ支持者を取り込むための衛星政党が存在していました。
155149:04/01/07 21:20
>>153
カストロは違うのか。スマヌ。
156世界@名無史さん:04/01/07 21:22
カストロは個人崇拝されているが
本人が露骨に嫌がっているので
生きている間はあまり極端な方向にはいかないだろう。
157世界@名無史さん:04/01/07 21:30
>>154
NKVDがノルマを達成するために
末端の党員まで残らずラーゲリに送り込んだと聞いたけど。
>>157
そりゃ何かのプロパガンダに踊らされているのでは?
山川の『世界史大系ドイツ史3』の東独の章(斎藤哲)によれば、
終戦時ソ連占領地区にいたナチス関係者100から50万、
45〜48年に公職および産業部門から廃除された者52万、
ソ連に敵対的という理由で強制収容所に入れられた者15・8万、
うち死亡者4・3万、となってます
(異説としてソ連に敵対的として拘留された者20万、死者10万)。
またグロセール『ドイツ総決算』によれば
「かつて役職についていた者」6・7万が拘留されていますが、
これは『大系』で「突撃隊、親衛隊、秘密警察のメンバーは逮捕され…」
と書かれている(人数の記述なし)のと同じ事をさしていると思われます。
また、クレスマン『戦後ドイツ史』によれば、
47年には「小物のナチ」は選挙権・被選挙権を回復しています
(人数はわかりませんが)。
訂正。
「終戦時ソ連占領地区にいたナチス関係者」
は「100から50万」ではなく「100万から150万」でした。
ただ、関係者という表現は曖昧でよくわからないんですよね。
それと、今石田勇治『過去の克服』見たら、
「旧ナチ党員が内務(警察)・司法分野に職をもつことは固く禁じられた」
と書いてました。
160世界@名無史さん:04/01/07 23:10
>>159
そうなん?シュタージはナチの秘密警察機構を継承してるとかいうのは
全体主義論者のデマか?
>>160
それはデマというより、
「ドイツの秘密警察」というイメージからきた誤解なのでは。
シュタージはソ連の内務省をモデルにしてるはずですし。

ちなみにソ連の人民委員部は46年に省に改称されているので、
この当時はNKVDではなくMVDですな。
162世界@名無史さん:04/01/08 00:38
確かナチ系の人材が生き残ったのは軍隊では?
戦前にヒトラー崇拝を吹聴していた大佐がNVAで大将になったそうで。
163世界@名無史さん:04/01/08 14:20
軍隊ですが、NVAの将軍、提督は全員、大戦時にソ連軍の捕虜の経験があります。
ナチス党員や突撃隊の経歴をもつ者はいましたが、
皆、国防軍で武装SS出身者はおりません。
164世界@名無史さん:04/01/08 14:45
で、実際その個人崇拝はどうだったの?
スターリンでも崇拝してたの?
>>163
フライスラーの人民裁判所で判事だったレンスキーのような例もありますが。

>>164
社会主義国=個人崇拝というそのステレオタイプもどうかと。
資本主義国はみんなハンバーガー食って野球とフットボール見て訴訟社会ですか?
特にホーネッカー時代に入ってからは全体主義から権威主義に移行したという説もありますし、
個人崇拝はまあないと考えていいのでは?
公式の場でホーネッカーが登場するときの歓呼とかは凄かったらしいですが、
それは個人崇拝とはまた別次元の話でしょう。
166世界@名無史さん:04/01/09 02:24
ホーネッカーやウルブリヒトは政治家としては結構人気があったの?
167世界@名無史さん:04/01/10 22:18
ブレジネフみたいなもんじゃない?
ホーネッカー=頑迷な官僚
みたいな感じがする。
頑迷すぎてゴルバチョフに引導を渡されたんじゃないかな?
168世界@名無史さん:04/01/11 13:11
>>164
スターリンが生きていた時はウルブリヒトがものすごい勢いでスターリン崇拝してたみたい。
「我々は勝利するだろう。なぜなら、偉大なスターリンが我々を率いているのだから」



169世界@名無史さん:04/01/11 14:29
スタ批判にはどう対応したのだろ
170世界@名無史さん:04/01/11 18:49
>>169
「漏れはマルクスレーニン主義だが、資本論とかにスターリンの名前は書いてあるか?
ん?書いてないだろ。」

みたいな屁理屈をこねたそうです。

       

171世界@名無史さん:04/01/11 20:03
確かウルブリヒトってレーニンと生前に親交があったって?
172世界@名無史さん:04/01/13 21:53
ttp://makimo.to/2ch/mentai_whis/988/988890102.html
過去ログ検索で旧東ドイツスレ発見。

漏れも卒論がDDR史な予定なんだけど、日本語の文献少なすぎ。
テーマ選びに失敗したかなあ。。。
ああ、昔の私が、昔の私があぁっ!
>>172
今卒論の話ってことは、大学3年?
頑張れ、うん、頑張れ!
174172:04/01/14 16:00
>>173
とりあえず手元には
ヴェーバー翻訳の「ドイツ民主共和国史」
山川出版「世界歴史体系ドイツ史3」
ほるぷ出版「ドイツ民主共和国」
本田勝一集「ドイツ民主共和国」
がありますが、他によさげな日本語の文献は無いでしょうか?
>>174
えー、私でよろしければ。
どの時代をやるつもりなのかにもよるとは思いますが、
学術書なら
クレスマン『戦後ドイツ』(未来社)が1945−1955の時期を扱ってます。
永岑三千輝『独ソ戦とホロコースト』(日本経済評論社)には、
最後に東方からの避難民のことを扱った章があります。
星乃治彦『東ドイツの興亡』は左翼の立場から書かれた物で、
伊東孝之氏との間で論争となった(学術雑誌『現代史研究』参照)
いわくつきの書。内容はトピック的。
ルップ『現代ドイツ政治史』(彩流社)は西ドイツ史の本ですが、
89年革命を知るには必読。
概説書では
成瀬・黒川・伊東『ドイツ現代史』(山川出版社・世界現代史)は
まあ、大系読んでりゃいらないのかな? いや読んだ方がいいとは思いますよ。
永井清彦『現代史ベルリン(増補)』(朝日選書)西ベルリン市長から西独市長となった
ブラントを中心にすえた1945−1990のベルリン史。
足立邦夫『ドイツ傷ついた風景』(講談社文庫)統一直後のドイツのルポだが、
東独について興味深い情報もあり。
つづき。
シュタージに関しては
『シュタージの犯罪』93年ころに書かれた(10年前!)本だが、著者失念。
アッシュ『ファイル』(みすず書房)シュタージに監視されていた英人ジャーナリストが
IMやシュタージ関係者を訪ねる。
1人に対して3、4人のシュタージ職員が監視していたことを知って、
「あんたたち、そんなに大人数で何やってたんですか?」
と元シュタージ幹部に聞く件は笑える。
東独関係者の回想録はホーネッカー、ハーヴェマン、レオンハルト、マイヤー、フルシチョフあたりを調べること。
壁の構築についてホーネッカーとフルシチョフを読み比べるとおもしろい。
89年革命から統一に関しては、ゴルバチョフ、ベーカー、コール、テルチク、サッチャーなども。
89年革命に関しては
大系に参考文献として載ってた斎藤哲『東ドイツ体制崩壊の政治過程』
高橋進『歴史としてのドイツ統一』(岩波書店)
キースラー・エルベ『ドイツ統一の舞台裏で』(中央公論事業出版)は
当時の西独外相首席補佐官とシュピーゲル記者の共著。

えー、ほかにもあるとは思いますが、とりあえずこんなところで。
ま、私も自分で挙げた本を全て読んでいる訳ではないんですけど。
追加。
グロセール『ドイツ総決算』(社会思想社)基本的に西独の本だが、
東独を扱った1章あり。
東中野修道『国家破産』(展転社)南京虐殺否定論の論客が何故か書いた東独の本。
出版社もそっち系で、当然東独に関する評価は極めて厳しい、
というかこれでもかとこき下ろしている。
ただ、亡命者の証言などが使われているため、多少の価値はある。

後、ソ連史関係の本も読んだほうがいいかと。
178世界@名無史さん:04/01/21 22:52
>>80-81 戦時中に試作して、生産性と防御性のいずれもフリッツヘルメットより優れていると判定されたが、
ヒトラーの「カッコ悪い 士気が落ちる」の一言で没になりました。よってドイツオリジナルです。
尚、旧WTO諸国軍のヘルメットは、大体において戦前型を継承していました。伝統尊重で。

>>149 キューバは革命直後の法律で、「存命する国家指導者」の写真・銅像、絵画その他を公共の場に掲げる事を厳禁しています。
ただし死後は別。ゲバラとか。

>>163 ヒトラーの警護隊長のラッテンフーバーがDDRの将官になってた筈だけど、SSじゃなかったですか?
179世界@名無史さん:04/01/22 01:09
東ドイツ軍の兵力きぼんぬ
180世界@名無史さん:04/01/22 01:10
馬一頭、大根一本
181世界@名無史さん:04/01/22 01:14
統一ドイツ空軍が引き継いだMIG-29はまだ在籍してるの?
182世界@名無史さん:04/01/22 02:32
してる
183世界@名無史さん:04/01/22 04:41
学術的な資料じゃないですけど、
フィギュアスケート選手のカタリナ・ビットが書いた自伝
『恋とメダルと秘密警察』は、なかなか面白かったですよ。
シュタージが具体的にどういうことをしていたか、その雰囲気がつかめます。
ビットって、冒険野郎マクガイバーの男優と恋仲だったんですね。
184世界@名無史さん:04/01/22 04:45
ドイツ分断問題について扱った本では、
歴史学者ウェルナー・マーザーの『ドイツ現代史入門』が
わかりやすくまとめられていて、勉強になったと思います。
講談社現代新書ですけど、今でも入手可能なのかなあ?

岩波新書の三島憲一『戦後ドイツ』はどうも長らく品切れのようだし。
185世界@名無史さん:04/01/22 04:52
東ドイツ陸軍のグースステップ行進は、統一ドイツ軍では消滅したの?
186世界@名無史さん:04/01/22 04:55
ドイツの文豪のエルンスト・ユンガーは若い頃の作品『火と血』の中で
ドイツ軍の鉄兜のスタイルについて、形而上学的深遠さがあると書いています。
187世界@名無史さん:04/01/22 10:43
(カストロ個人崇拝)
>本人が露骨に嫌がっているので

まあ、将軍様だって口ではそういっているわけだが。

東欧で個人崇拝らしい個人崇拝やってたのはチトー、ホッジャ、ラーコシ、チャウシェスクくらいか。
東独はソ連に警戒される旧敵国である以上、やりたくても出来なかったのでは。
188世界@名無史さん:04/01/22 13:17
>>185

ボルゴグラードの戦死者の墓地の兵士がそれっぽいのしてたけど・・
189世界@名無史さん:04/01/22 23:30
>>172自分もそっち方面のこと勉強したいんだけど
社会主義者の烙印押されるんじゃないかと心配してるんだけど大丈夫かな?
ちなみにオレは反共
>>189
社会主義者の烙印押されると出世にさしさわるんですか?
191世界@名無史さん:04/01/22 23:45
先入観で「運動家」だと思われる危険性はあるかもしれない。
192世界@名無史さん:04/01/23 08:41
>191
いつの時代の話じゃ?
今のお偉いさんは学生時代に一度はデモに行ったような連中だから無問題。
ホーネッカーは壁崩壊の後どこに亡命したんだっけ?
アルゼンチンかな?
それにしても壁にオストの人たちが集まった時は
治安当局が実力をもってして解決しようとしたため最悪の場合
まさに天安門の二の舞になる寸前だったそうな・・・(この板の方々なら周知か)
194世界@名無史さん:04/01/23 18:04
>>189
誰に烙印押されるのを心配しているのかが問題だとは思うけど……、
俺なんかは、共産主義陣営の研究って「敵を知れ」ってのがそもそもだという気がする。
195世界@名無史さん:04/01/23 21:10
>>193 確かチリ。
ピノチェト時代に東ドイツへ亡命してた人たちが政権奪回してたから、恩返しに匿った筈。
196世界@名無史さん:04/01/24 20:44
Von Rusland, dem grosen, auf ewig verbundet,
Steht machtvoll der Volksrepubliken Bastion.
Es lebe, vom Willen der Volker gegrundet,
Die einig' und machtige Sowjetunion.

Ruhm sei und Lobgesang dir, freies Vaterland!
Freundschaft der Volker hast fest du gefugt.
Fahne der Sowjetmacht, Fahne in Volkes Hand,
Du sollst uns fuhren von Siege zu Sieg.

O Sonne der Freiheit durch Wetter und Wolke!
Von Lenin, dem grosen, ward Licht unserm Pfad.
Und Stalin erzog uns zur Treue dem Volke,
Beseelt uns zum Schaffen, zur heldischen Tat.

Ruhm sei und Lobgesang dir, freies Vaterland!
Freundschaft der Volker hast fest du gefugt.
Fahne der Sowjetmacht, Fahne in Volkes Hand,
Du sollst uns fuhren von Siege zu Sieg.

Wir haben in Schlachten das Heer uns geschaffen
Und schlagen den Feind, der uns frech uberrannt.
Entscheiden das Los von Geschlechtern mit Waffen
Und fuhren zum Ruhm unser heimatlich Land.

Ruhm sei und Lobgesang dir, freies Vaterland!
Freundschaft der Volker hast fest du gefugt.
Fahne der Sowjetmacht, Fahne in Volkes Hand,
Du sollst uns fuhren von Siege zu Sieg.

197世界@名無史さん:04/01/24 20:46
上記はソ連国家のドイツ語版(ドイツ訳ではない)です。
ドイツ系ソ連人や初期の東ドイツで歌われたようです。
ttp://www.fysel.ntnu.no/~makarov/anthems/anthem-sovietunion-1944-de.mp3
198172:04/01/24 22:00
>ナポレオンさん
詳細にありがとうございます。
89年革命なんかはメジャーなので、1949〜ウルブリヒト失脚あたりの経済or政治でいこうかと思ったのですが。。
回想録は面白そうですね。今度探してみます。

>>189
それ、思った。。。
発表なんかで「マルクスレーニン主義政党の〜」とか言ってると
こいつまさか。。。( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
って思われてるような気がしてなりません。
199 :04/01/24 23:40
>>197
そういえば、初期のソビエト国歌はドイツの民謡「もみの木」の節回しと同じでしたな。
200189:04/01/25 00:29
>>190勉強すればするほど、そんな気がしてきます。
>>194
>俺なんかは、共産主義陣営の研究って「敵を知れ」ってのがそもそもだという気がする。
うちの教授はそーゆー研究をしてるんだけど自慢気に「チャウシェスク」と握手してきた
なんて話すもんだから( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )って感じでした…

>>198絶対自分が聞く側になったら絶対そう( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
ってなりますもん。もう最近は「革命」って言葉でも身構えるくらいになりましたw
だから当然「生味革命」にも反応しますよ。ユン○ナが言うとシャレになんねーなー
って一人で思ってます。

ソビエトの誉めれる個所は国歌のみですなぁ。
201カラジチ ◆mWYugocC.c :04/01/25 01:29
……自分赤くないのに教授が真っ赤だったらめんどくさそうですなあ。
202世界@名無史さん:04/01/25 12:41
今時、赤も白もあるかって。
203世界@名無史さん:04/01/25 12:51
いやぁそれが大学って閉鎖環境だから…
204世界@名無史さん:04/01/25 23:26
体面や体裁気にするくらいなら学問止めろよ。
205世界@名無史さん:04/01/25 23:44
引きこもりじゃないんだから気にできないわけないだろ。
206世界@名無史さん:04/01/26 00:37
共産主義という「敵」はほとんど姿消してると思う
207世界@名無史さん:04/01/26 02:48
>>206
http://www.zengakuren.org/040118str.htm
なんかいろいろやってるよ。

>>204
教授になるとか骨うずめる勢いで研究するのならいいけど、
興味持ったから勉強〜みたいな感じの人には、厳しい風当たりが待ってるような気がする
208世界@名無史さん:04/01/26 09:31
>200
漏れでもチャウシェスクだろうと将軍様だろうとピノチェトだろうとフセインだろうと
握手してきたら自慢すると思うがな。
209世界@名無史さん:04/01/26 19:09
共産国を研究してるだけで赤認定する馬鹿なんてまともな大学にはいないだろ。
そんなこといったら外務省なんて赤の巣窟だぞ。マルキストより社会主義に詳しい
専門家がゴロゴロいる。
210世界@名無史さん:04/01/27 01:00
ひきこもりじゃない限り、ねぇ。
敵の親玉であるマルクスの方が研究に対する心構えがしっかりしてるなんて、変な話でつねW

まあ、○経の学者でも政府に協力するやつはいる。
大学に○経のゼミや講義も結構あるし、受講しただけで就活などで特に不利益を蒙ったとは寡聞にして知らないな。
要はどこかの党派の活動家とかじゃない限り問題はないと思われ。

てか、東ドイツの話はどうしたW
211旧東独スレの1:04/01/28 02:07
うわー、懐かしいなあ。東独スレ。
ナポレオンさんもいるし。お久しぶりです。
すごい詳しくなってますね。さすがです。
俺も昔のスレ見ましたが、自分恥かしいことばかり書いてますね。
打ち間違いも多いし。(笑

で、上の方の話ですが、
学部や院レベルで社会主義や共産主義勉強を研究しているからって
どってことないので、まったく安心してください。(笑
もし問題になったとしても、それは学者レベルでの研究内容であって
研究対象ではありません。まあ、学部レベルなんてきちんと書けていれば
なんでもありですよ。少々、思想的に怪しげでもね。

172さん東独やられるのですか?チャレンジャーですね。(笑
僭越にも、ちょっと軽くアドバイスいたしますと、
「1949〜ウルブリヒト失脚あたりの経済or政治」
現段階ではこのようなテーマを考えているとのことですが、
(1949-1970、71ぐらいですよね?)
はっきりいって経済は厳しいです。資料や論文の読解にあたっては、
○系の知識が前提ですし、新しい切り口となると近経の知識が
多少必要です。もちろんテーマによってはやれないことはないですけども。
「DDRにおける壁構築前までの私企業から人民所有企業の移行とその諸問題」
とか有名ですが、個人的に薦めたいのは、「NOeSPL
(計画と誘導の新経済システムだったか?)とその失敗」です。
が、日本語の資料はほとんどないです。ただ、2,3年前当時でも現地には
ろくな論文がありませんでしたので、かなり注目されます。(笑 
でも厳しいですね。

212旧東独スレの1:04/01/28 02:08

とにかく、もう現役ではないのであれですが、
自分のテーマに近い日本語論文がどれくらいあるかをまずチェックしてみて下さい。
政治の方が多少やりやすいと思いますが、「一次史料を使って新見解を出す」
などの野心をお持ちでしたら、ドイツ語能力がめちゃくちゃ要求されますので、
覚悟のほどを。でもまあ手を付けてる人が少ないので、本気でやればかなり評価
されるのではないでしょうか。それと、M大の斎藤先生や、星野さんなどを除けば
東ドイツ史全般に関して正確に助言できる教授などほとんどいないので、
論文の形式的なこと以外で教授は頼りに出来ないのも知っておいてください。
では、論文が上手くいくことを願っております。
213カラジチ ◆mWYugocC.c :04/01/28 10:13
……なんか身につまされるなあ……
>>211
おおう! 1さんではないですか!
物凄く久しぶりです!
なんというか、もう8頭身モナーのように
「1さ〜ん!」と抱きつきたい気分。
私は趣味のレベルを出ないので、
1さんのような方がいると心強いです。
またよろしく。良スレを目指しましょう。
>>172
という訳で私なんかよりよっぽどあてに出来る人が来たので
ご安心召されい。
しかし、その「赤だと誤解される」とかいう考え方自体が、
私には理解を絶することでしてなあ。
70年代80年代ならともかく、
もうソ連崩壊してから干支一回りしてるんですよ?
しかもハン板や極東板のOFF会とかいうならともかく、
大学での発表でしょ?
ナチのように訳の判らんマニアが山ほどいる訳でもなし、
単なる研究対象以外の何だと受け取られるというのですか?
と、言うか、大学の発表でそんな誤解をするような奴とは、
付き合う必要ないと思われ。
215旧東独スレの1:04/01/31 02:23
>ナポレオンさん
本当にお久しぶりですね。
2,3年ぶりでしょうか?
ネットで2,3年ぶりに話すっていうのは、
俺も初めてのケースです。(笑

さてざっとスレをみましたが、
マルクス主義とマルクス・レーニン主義を
分けて考えた方がよさそうです。
SEDの綱領では、「マルクス・レーニン主義に基づいて」
となっていますので、マルクス主義に基づいていたわけではありません。
またマルクスの理論とマルクス主義というのも
厳密に言えば違うはずです。後者は、マルクスの理論を
基に「より発展的に」に展開した主義だったと思います。
それから、社会主義が共産主義の前段階というのは、
マルクス・レーニン主義が基になった理論だったような気がしますが、
もう忘れてしまいましたので、自信はありません。 
今手元にほとんど資料がないので。(笑 けれども、少なくとも当時の
東ドイツではそのように考えられていたのは事実です。
あいまいな俺の記憶が正しければ、両者の特徴的な違いとして、
私企業と国営企業の並存を許していたのが社会主義で、
共産主義に至ると私企業の存在がなくなり、
労働者(すなわちこの文脈では人民のことですが)が
各物質的欲求を理想的に満たしていること、文字通り完全に
共産主義的な経済になっているというものだったと思います。
正確な理論的な違いは哲学関係の辞典を調べればよりはっきりするでしょう。
216旧東独スレの1:04/01/31 03:13
また人口問題ですが、
壁構築すなわち1961年の8月13日までは、前スレに西への逃亡が主な
人口減少の理由です。はっきり言えば、東西冷戦の激化ではなく、
これがベルリンの壁構築の原因です。これは「Republikflucht」と言われ、
農業の強引な集団化と国内食料情勢の悪化、西ドイツ経済復興による
「豊かさと自由へのあこがれ」が基になっていると主に「西側の研究者から」
言われています。
31さんが「前年より増えた年は、西暦1963年、1965年〜1967年の4年」
とおっしゃっていますが、ではこの増加の原因は何が考えられるかというと、
NOeSPLすなわち1963年から計画され、実質的には1964年から始まった
「計画と誘導の新経済システム」であろうと思います。
この計画の特徴は、経営の代表(社長ではない)が、実質的に
以前より大きい、経営における自由裁量権を手にすることによって、
計画経済のどんづまりを改善しようということにあります。
これにより、一時的な経済の回復また消費財の生産が伸びたと言われていますが、
(このへん記憶が定かではないです。)すでに計画経済、(労働者から見れば、
賃金とノルマのなあなあとした形態)に慣れてしまった労働者には不満を呼び、
またウルブルヒトのソ連の指導からの脱却傾向を危険視していたソ連指導部と
ホーネッカーの遠まわしな圧力により、そのシステムは、2,3段階に渡って
社会主義的なものに徐々に修正され、最終的に1969前後?に中止されました。
俺の現役時代、ウルブルヒトの失脚には、プラハの春の影響も大きいとも
言われていましたが、個人的な見解としては、NOeSPLの失敗をかなり
重視しています。で、ホーネッカー時代の人口減少ですが、これについては
減少したとはいうものの、一般的な西への逃亡以外の原因がわかりません。
ただ、壁構築以前のような大幅な人口減少は見られなかったはずです。
資料がないからわかりませんが。
実質的には、1980年代には、DDRは破綻寸前であったことは研究者の間では
常識になっていますが、それがDDR市民の人口減少に効果を齎したかどうかの
因果関係は明白ではないと思います。
217旧東独スレの1:04/01/31 03:15
では、次に当時の両国の名称問題ですが、
北朝鮮と韓国や南北ベトナムとどのように比較可能かはわかりません。
ただ一般的な略称として、ドイツ現代史では、
西ドイツ→Bundesrepublik Deutschland→BRD
東ドイツ→Deutsche Demokratische Repunlik→DDR
とします。
「西ドイツと現在の統一ドイツの呼称が同じではないか?」
と疑問に思いますでしょうが、普通現在のドイツのことを意味したい場合、
Bundesrepublikか、Deutschlandといいます。
もちろん、分裂時代も上記の二つを西ドイツ人は使っていましたが、
基本的にDDRとの区別化をはかるときは、BRDを使います。
さらに、一時期DDRという呼称が侮蔑的とかなんとかで問題になり、
D.D.Rとすべきではないかという議論もありましたが、
結局現代史ではDDRになりました。

個人崇拝の件ですがスターリン批判の前、
ウルブリヒトの個人崇拝的傾向が問題になったことがありました。
スターリン批判の後は公式には個人崇拝がよくないととされましたが、
彼にしろホーネッカーにしろ、スターリンほどではないにしても、
権威の象徴となり、多少なりとも国民に崇められていたのは事実です。
218旧東独スレの1:04/01/31 04:30
>ナポレオンさん
あ、今気付きましたが『東ドイツ体制崩壊の政治過程』は
山田徹 著ではなかったですか?

さて、次に第一次五カ年計画ですが、俺が現役当時、ジャストのテーマで
統一以後に日本語で書かれた研究論文は無かったと思いますが・・。
(日本語文献では山川の体系ドイツ史3が一番詳しく載っていたような
気がしますが、どうだったかな?) 
極簡単に説明しますと、第一次5ヵ年計画は1951年に始まりました。
あまり知られていないのですが、その前に半ヵ年計画、
2ヵ年計画がすでに行われていました。その成功があり
はじめて5ヵ年計画が東ドイツに導入可能と判断されたのです。
主にエネルギー分野ですが、重工業の開発にかなり力をいれていて、
消費財の軽視が目立ちます。東欧全体的には、
この頃はまだ東ドイツが工業の優等生とは言われていなかったと思います。
(実質的には1970年代以降ではないでしょうか?)
もちろんソ連の指導があります。東欧の経済圏というのは、その意味でソ連を
中心にされて計画され、各国がその得意とするあるいは主とする産業特性に
併せてソ連を補完するよう形成されていきます。これは、原材料の供給などが
ソ連に握られていることも意味し、東欧各国にとっては首根っこをつかまれて
いる状態です。
その後、1952 年の「社会主義の建設」の計画がウルブルヒトによって発表され、
労働者はノルマ達成にくるしむことになり、消費財軽視とあいまって
国民にものすごい不満がひろがります。あわてたSEDの政治局は一旦、
コース変換を宣言するのですが、ノルマの緩和には触れなかったため、
最終的に1953年の「6月17日事件」に結びつくことになります。
(実はもっと複雑なのですが、それは置いておきましょう。)
219旧東独スレの1:04/01/31 04:34
オーストリア中立問題ですが、オーストリアは今後ドイツと一緒にならないことを
約束させられていますし、ドイツとの地理的重要性が比較になりません。
ハンガリー、チェコスロヴァキアなどとも分離されたオーストリアなど
ソ連が重要視しなかったのでは。が、結局のところ西側の交渉が上手かった
だけかも。詳しいことはナポレオンさんの調査に期待。
(なんて無責任なこといったりして。笑
東ドイツをソ連が諦めなかった原因として、最近では(もう2,3年前ですが)、
ソ連以上にウルブルヒトを中心とするSED指導部が、権力を握りたくて
たまらなかったため、と言われています。BRD建国にあせったので、
SEDは統一よりもDDR建国を重視しました。ソ連はこの時期まだ
統一ドイツを視野に入れていましたが、50年代半ば以降は諦めていきます。
(4巨頭会議以降だったかな?)
ソ連が何故ドイツを諦めなかったかというのは、あれだけナチスドイツ
にやられたのですから、当然といえば当然です。線路や信号機まで賠償と称して、
東ドイツから持ってったぐらいですからね。工場施設はもぬけのから。
(そんななかで東ドイツは戦後よくがんばったと思います。)
また、ドイツというのは、地理的にヨーロッパの心臓部にあたり、
東西冷戦のさなかでソ連がわざわざ手放すはずがありません。
1949年以前は、ベルリンでさえ、ある意味奪い合いの状態でしたからね。
東ドイツ開放と見合う条件はちょっと見当たらないでしょう。

最後に、StasiやFDJなどのナチ時代との構造的共通性ですが、
Stasiの場合、公式にはナポレオンさんの説明で正しいのですが、
やはりヒトラーユーゲントとFDJの例を見てもわかる通り、
その取り締まりの仕方や組織の構造にナチ時代の影響を研究者に
よって多く指摘されているのも一方事実である、と言っておきます。
220世界@名無史さん:04/01/31 22:41
>>215-219
合計3610字。
221世界@名無史さん:04/02/01 14:42
去年の日本西洋史学会のせいでどうしても東ドイツ研究者を色眼鏡で見てしまう今日このごろ
222世界@名無史さん:04/02/03 16:02
西ドイツ軍は全部隊がNATO指揮下だったけど、東ドイツ軍もすべてWTO指揮下だったのですか?
223世界@名無史さん:04/02/03 19:10
東西ドイツが統一した時の各国政府の声明ってどこかでわかりませんかね?
日本政府は何も言わなかったのかな?
>>215-219
流石、流石。堪能させていただきました。
私はどうも東独に関しては事件史的な知識の積み重ねしかなく、
構造史的に知識を蓄えるという段階に至っていない気がするので、
ありがたく基礎固めをさせていただきます。
最近は図書館でホーネッカーとクレンツの失脚後の回想録を見つけたので比べながら読んでます。
ホーネッカーの方はジャーナリストのインタビューですけどね。
アンデルト/ヘルツベルク『転落者の告白』
クレンツ『国家消滅』
すげえなと思うのは、どっちも原著は90年の4、5月ころ、
すなわちドイツ統一前に出てるってことです。
しかも3月選挙直後というどうも微妙な時期に。
時折弱気になりながらも「社会主義は間違っていない」と頑なに言い張るホーネッカー、
卑屈なまでにあまりに率直に誤りについて認めるクレンツ、
どちらもそれなりに哀れを誘います。
私もクレンツには同情的なんでクレンツの方はむしろ泣けますが、
ホーネッカーの頑固じいさんぶりは、時々(皮肉でなく普通に)おもしろくさえあります。
後、南窓社から出てる東中野修道『東ドイツ社会主義体制の研究』って、
どうなんですかね…?
展転社ごときから本出すような人間が、
南窓社の出版に耐えられる本が出せるんでしょうか…?
著者と出版社のギャップの激しさに戸惑っているのですが。
>>221
何がありました?
星乃さんの言動とかはなしですぜ。
>>222
ワルシャワ条約機構はモスクワに統合軍司令部があり、
総司令官はソ連の国防第一次官なので、
究極的にはソ連指揮下といってもいいかもしれません。。
「ソ連指揮下のワルシャワ条約機構への国家人民軍の編入は、
西ドイツ国防軍のNATO編入よりはるかに強固なものである」
(グロセール『ドイツ総決算』)
実態のほどは、1さんに丸投げ。
226旧東独スレの1:04/02/06 03:29
>ナポレオンさん
いや、ほとんど記憶で書いているので細部に不正確な記述が
ないか不安ですよ。でもありがとうございます。
東中野さんのは、なかなかよかった記憶があります。
ホーネッカーの『告白』はいいですよね。
クレンツのは読んでないな。こんど機会があったら
買ってみようか。

>223
パッとグーグルで調べたのですけど、
一括したものは出てきませんね。
ドイツ外務省のページ見ないと駄目そうです。
申し訳ないですけど、ちょっとそこまでする時間が無いです。

>222
時間があって家帰れば、即効で詳細に調べられるのですが、
今の俺に出来るのはこれくらいです。

ttp://www.tabiken.com/history/doc/T/T360R200.HTM
227旧東独スレの1:04/02/06 03:33
>ナポレオンさん
どうでもいいことなんですが、
私今日本にいないため、串規制があり
あまり頻繁に書き込みできない事を
お伝えしておきます。
228世界@名無史さん:04/02/06 04:23
「プラハの春」への介入には参加しなかったみたいですね<東独軍
WTO侵入後はチェコスロバキアにちゃっかりいたみたいだけど。
229世界@名無史さん:04/02/06 21:33
>228
>東独軍
彼らも1968年8月に
第7装甲師団、第11機械化狙撃師団をチェコスロバキアに送り込んでいますよ。
参加しなかったのはルーマニア軍のみです。
(ルーマニアは反ソ独自社会主義路線のチャウシェスク政権だったため。)
230世界@名無史さん:04/02/09 22:35
hoshu
231世界@名無史さん:04/02/10 03:48
共産趣味をかき立てられる国だなあ。

日本にある旧東ドイツ大使館の建物って、今はどうなってますか?
232 :04/02/10 05:37
赤坂にあったということは本で読んで知っています<東ドイツ大使館

勝手に、ゲーテのところにあったものと想像しています。
あの建物が同じかどうか、判りませんが。
233世界@名無史さん:04/02/11 00:22
旧東独大使館の建物が残ってたら、そこでオフ会でもやりたいですねえ。
234世界@名無史さん:04/02/11 14:55
なんだDDRってドイツ民主共和国の略称か。。。。。


ダンスダンスレボリューションかと思って「こいつら何話してんだ?」って思ってたよ
235世界@名無史さん:04/02/11 21:25
DDR-SDRAMというのもあるぞ

ドイツ民主共和国大使館の情報を具具っては見たが、見つからん脳・・・
236世界@名無史さん:04/02/11 22:59
>>235
本当に情報全然ないな。。。
237 :04/02/12 00:53
>>235
まぁ、80年代の赤坂の住宅地図を見てみれば、(おそらく)一発なんですけどね。
238 :04/02/12 00:58
..と、研究室に87年の地図があったんで見てみました。

今、カナダ大使館脇(高橋是清公園脇)の道を進んでいくとゲーテの入っている
ドイツ文化会館がありますが、当時の東ドイツ大使館はその敷地あたりで、ただ
当時の大使館の入口は今のドイツ文化会館の反対側についています。
根拠なく推測しましたが、確認できて良かったです。

なお、赤坂にあるということは「きのうの祖国」というルポの出だしにありました
ので記憶していました。
239 :04/02/12 01:01
違った、正確にマピオンで敷地単位に確認したら、


おどろくなかれ、

そのままスロヴェニア大使館になっています!!!
240 :04/02/12 01:05
場所は、
ttp://www.mapion.co.jp/c/f?grp=all&uc=1&scl=10000&el=139%2F44%2F01.329&pnf=1&size=500%2C500&nl=35%2F40%2F07.349

ここです。

昔スロヴェニア大使館に行った事はありましたが、記憶では小さなところで、
大使公邸か何かにしか見えなかった印象です。

小さく建て替えられたのかもしれませんが、前面道路の幅員から考えて、もともと
大きなものが立つ雰囲気ではないです。

小さいところだったのかなぁ。。
241世界@名無史さん:04/02/12 01:30
>>237-240

ご苦労、ゲノッセ!

でも、スロベニア大使館でオフ会なんてできないですね。スロベニア大使館もそんな理由で開放するのはイヤだろうw
242地図屋:04/02/12 01:38
結構東好きな人、多いんですね、東ドイツ。

わたしはただ漠然と好きなだけなんですが、
ポツダマープラッツでDDRの旗をジプシーのおばさんから買いました。

で、その旗もってWC2002の決勝戦会場の外に行きました。
バイエルンの旗を持っている人ばっかりだったんで、デイパックから
出しもしませんでしたが(笑)


一寸思ったんですが、これは西ドイツのスロヴェニアに対する
援助か何かですよね?(現物供与)

(googleでSlowenien、Tokio、Botschaftで検索したんですが、そんな
生々しい話は出てきませんでした。)
243242:04/02/12 01:39
>>242
訂正です、

「西ドイツ」ではなく、「(統一)ドイツ」、です。

ごめんなさい。
244世界@名無史さん:04/02/12 02:12
>>242
> 一寸思ったんですが、これは西ドイツのスロヴェニアに対する
> 援助か何かですよね?(現物供与)

西ドイツとしては適当な値段で売却できれば相手は企業だろうがどっかの国だろうがなんでもよかったんじゃないですか?
245世界@名無史さん:04/02/12 02:12
西ドイツじゃなくて統一ドイツですね、私まで間違えた。
246242:04/02/12 02:28
>>244
国交ができたのが1992(?)年、大使館の開設がいつごろか判りませんが、
赤坂の土地がバブル後に値下がりしたとはいえ、そうは簡単に買えるとも
思えません。
(昔は外国公館の底地を貸したりあげたりしたみたいですが、多分今は売買
 を通じて所有していますよね?)

また、道路が狭いのでマンションにするのは難しいとは思いますが、
スロヴェニアよりももっと高く買ってくれるところがあったように思います。
(例えば、麻布にあったフィリピン大使館は長い間廃墟でしたが、(たしか)
K島が買ってマンションを建てて売却しました。)

そんな訳で、ドイツから譲られたのかなぁ、と勝手に推測した訳です。



247世界@名無史さん:04/02/12 12:03
>>246

ははあ、なるほど。

それこそ赤坂の不動産を無償譲渡ってことはないと思いますけど、特別な値引きはあったかもしれないですね。
248世界@名無史さん:04/02/12 12:14
スロベニアは、本来の国力からすれば「ビルテナント大使館級」だからなぁ。
249世界@名無史さん:04/02/13 01:25
ところで、東ドイツ人って、日本旅行したり、日本人と結婚したりできたんですかね?
250世界@名無史さん:04/02/13 03:37
ネットがあるんだからドイツ人に質問してくれば?
251242:04/02/13 16:02
>>249
結婚したひと、いますよ。少なくとも、一例。

大月書店から出た「ベルリン1989」という本に登場する女性がそうです。
息子さんも登場します。

旅行は...どうだろう。。。

ああ!
なんだか面白い話題で盛り上がってる。
>>249
旅行は、コネががあるとかツテがあるとかないとだめぽ。
89年革命でも「旅行の自由」は民衆の重大な要求だったし、
壁崩壊のきっかけも旅行自由法案だったし。
足立邦夫『ドイツ傷ついた風景』に、
「俺は日本に行きたいんだ。協力してくれ」
と著者に頼んでくる青年のエピソードが載ってたと思います。
253242:04/02/13 16:52
>>252
近隣諸国ですと、亡命されそうですが、行き先が日本でも
パスポートの発給は難しかったんですか?

うーむ、かなり厳しい国だったんだなぁ。。

プロイセン王国のパスポートを古本屋で買いましたが、
DDRパスポートを買うのは難しそうですね。
254世界@名無史さん:04/02/13 17:44
だって日本は西側じゃん・・・
255242:04/02/13 18:25
>>254
西側でも、亡命先には選ばれないでしょうし、
そこから別のところへ亡命するためには面倒が多そう。

ヨーロッパの西側へ行くよりは簡単そうに思ったのですが。
256世界@名無史さん:04/02/13 18:55
>>255

東京にある西ドイツやアメリカの大使館に駆け込むのってそんなに難しいかな? 東ドイツ大使館員がこっそり監視してるとか?
257世界@名無史さん:04/02/13 19:58
>>256
外国公館に駆け込むなら、
DDR内は難しいとしても、
チェコスロヴァキアやらハンガリーに出かけていって入ることは
可能でしたよね(そもそも出国できる人は限られていましたが)。

最初から駆け込み目的だったらこんな遠くにまで来ない気がします。

ベルリンの友達はあんまり昔のことは話したがらないので、訊けません。。
(昔の話題が出てくるとすれば、大体DDRへの郷愁というか感傷ですが。
 母親と二人で共和国宮殿で時々外食するのが楽しみだったとか...)
258世界@名無史さん:04/02/14 01:24
日本人と東ドイツ人の夫婦の事例を発見したが、日本でじゃなくて東ドイツで結婚したみたい。そののち、西ドイツへ。

結局、破綻したようですがw

ttp://courtdomino2.courts.go.jp/schanrei.nsf/0/778399a7f961d98349256a8500311de8?OpenDocument
259世界@名無史さん:04/02/15 03:09
公式には、ローザ・ルクセンブルクはどう扱われてたのですか?
レーニン主義じゃないから、評価低かったのかなぁ。
260世界@名無史さん:04/02/17 10:43
DDRスレを発見し、非常に嬉しく感動しております。
いやぁ、皆さんお疲れ様です。皆さんのレスは興味深く拝読させて頂きました。
既出ですが、DDR関連で特に画像を扱った当時の旅行記なんかを、
読んでみたいのですが、“東ドイツ”でググッた時、ヒットするのは、
全て統一後の東ドイツであり、“またか…、またか…”とウンザリしています。
DDRでググれば、ダンスダンスレボリューションですしね…。
よろしければ、どこか興味深いDDR関連サイトをご紹介頂けないでしょうか?
>>260
またまたでしゃばりで失礼します…。
ネット上で探すのは難しいのではないですかね?
時代が時代だけに、ネット公開を前提として書かれたものは存在しませんし、
今更ネット上に公開しようと思う人も、まあ、そういないでしょう。
むしろ書籍で探した方が良いかと思います。
とりあえず、3年前の、前スレでも紹介されてたここはどうでしょう。
「駐在員の見たドイツ統一・旧東独・東欧」
http://www.din.or.jp/~a_ohno/
いきなりスレが止まったな…。ageようぞ。
>>259
建国記念日なんぞのパレードの際には、
マルクスやレーニン、リープクネヒトなんぞと並んで
ローザの巨大な肖像画が練り歩いておりました。
ただ、40年の歴史の中でどう評価が変わったかはよくわかりませんが。
林健太郎『ワイマル共和国』(中公新書、1964)によると、
1960年代には既に、ローザもレーニンも顕彰したい人たち(≒東独?)は
「ローザは最終的にはレーニンの思想に接近していたんだ」
というような理屈をつけていたようです。

それにしても『ワイマル共和国』、40年前の本か…。
ちょっと前に「おおっ、30年前の本なのにこんなにおもしろい!」
と感動したような気がするのだが…。
263ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/02/21 21:24
あがってねーし。ageじゃage。
264世界@名無史さん:04/02/21 23:17
冷戦下では、アメリカナイズされた西ドイツに比べると、伝統的なドイツの質実剛健を
守っているって言うイメージがあったんだけど、このスレとかでも否定的なイメージが
多いね。
265世界@名無史さん:04/02/21 23:25
>>264
西の友達(3名)は飯をカッ喰らうイメージですが、東の友達(2名)は静々と
少しだけ食べる感じです。

で、「共和国宮殿で日曜のお昼を食べるのがサイコーの贅沢だったわ」なんて
話をされるとキューンときてしまいます(笑)

統一までうちのテレビは白黒だったとか、ものはなかったけどその分いろいろ
別の楽しみがあったなんて話をきくと、親の子供時代のような印象を受けます。
266世界@名無史さん:04/02/21 23:29
>>259
ローザタンも立派な共産主義者として扱われていたはずです。

で、1988年か1989年の「カール=リープクネヒト・ローザ=ルクセンブルク記念集会」みたいな式典(記念日?)で
東ドイツ市民がルクセンブルクの発言を引用して
「自由とは他の考え方ができる自由だ」とか横断幕を出してデモしたら
シュタージに思い切りタイーホ鎮圧されたらしいです。
267世界@名無史さん:04/02/22 01:24
東ドイツの旅行規制の話を聞くと、ハンガリーってよく体制が持ちこたえましたね。

ハンガリーの例を見ると、他の東側諸国もそんなに規制しなくてもよかったのでは?
268世界@名無史さん:04/02/22 02:24
>>266
党が主導する考え方が唯一最良のものだから
他の考え方はする必要ないはずだよ
共産国ならタイーホは当然だね
269世界@名無史さん:04/02/22 03:27
>>267
ハンガリーはカダルが偉かった
56年の動乱の後書記長になって対ソ追随を進めたんで
国民からは忌み嫌われたけど実際やったことはすごい
東欧のどこかの国が試みてソ連が文句をつけなかった政策はすぐ実行
後継者も党指導部一丸となってソ連に面従腹背を続け
いつの間にか東欧で最も自由化の進んだ国になってた
1980年代にユーレイルパスが使えた東欧唯一の国だし
東独崩壊前もハンガリー経由で西側に逃げる人が多かったし
コマネチも森の中を歩いてハンガリーに出たしね
270世界@名無史さん:04/02/22 06:48
ttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20040220id27.htm
東ドイツ吸収のつけがまだ残っているのかしら。
271世界@名無史さん:04/02/22 06:49
グッバイレーニン公開記念あげ
272世界@名無史さん:04/02/22 12:33
273世界@名無史さん:04/02/22 20:05
グッバイ!レーニンとハンガリーがらみで話をすると、映画の中で1階上の住人
が統一ドイツのテレビを見ている音が聞こえてきたので、ドイツ統一を知らない
母親に主人公がごまかすシーンがある。
そのとき主人公は、「彼はハンガリーに行ったときに西のテレビを見て以来、こ
っそり見てるんだよ」というんだけど、ハンガリーでは西ドイツのテレビを見る
のって合法だったの?
274世界@名無史さん:04/02/22 21:25
冷戦時代のハンガリーは東側としてはかなり自由化が進んでたんじゃないのか?
275世界@名無史さん:04/02/22 22:08
国歌を聞くと泣けてくる。
曲も(特にイントロ)素晴らしい。
276世界@名無史さん:04/02/22 22:12
http://home.att.ne.jp/gold/rendan/sorani-2.htm
国歌は日本の「天長節」と似てるらしい(w
277ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/02/22 22:18
それより和訳が載ってるのが気になりますなあ。>>276
普段勝手な俺訳を歌ってるもんで。
278世界@名無史さん:04/02/22 22:22
>>277
貼ってみてよ、謳いやすいの?
279ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/02/22 22:32
俺訳だから当然私個人は歌いやすいのですが。
勿論原詩のニュアンスは部分的にしか再現できていないのですが、
こんな感じ。

廃墟の中から今立ち上がれ
我等がドイツよ、一つの祖国
苦難の時は去り
固く手を取り合い
いつしか朝日は高く輝く
ドイツの上に、ドイツの上に

最後の2行を
「いつしか朝日は高く輝き
 ドイツを照らす、ドイツを照らす」
と歌うこともありますが。
原詩はhttp://david.national-anthems.net/ddr.txtここに
280世界@名無史さん:04/02/22 22:44
uber Deutschland scheint!
281世界@名無史さん:04/02/22 22:49
ドイツは東も西も国歌はいいね。
282世界@名無史さん:04/02/22 22:58
>>279
トンクス
>>281
東のほうが好き、ハンス・アイスラーマンセー
283世界@名無史さん:04/02/23 17:06
DDRの国営スーパー「H.O」は、統一後大方潰れたけど、
今でも残ってる店舗はあるんだろうか?
284世界@名無史さん:04/02/23 17:16
ttp://www.medianetjapan.com/10/travel/vladimir/russian_house/ddr.html
ここすごい。っていうかそんなに天長節に似てないと思った
285世界@名無史さん:04/02/23 18:06
>>284
ここも面白いですよ。
ttp://ingeb.org/
286世界@名無史さん:04/02/24 19:14
「グッバイ!レーニン」、アカデミー外国語映画賞ノミネートから漏れる。
287MR..Q:04/02/24 20:50
アンケセナーメンについて語ろう!
288MR..Q:04/02/24 20:52
間違いでした。済みません。
289世界@名無史さん:04/02/24 20:55
>>279のナポは雑談スレ敵前逃亡事件直後の書き込みだと思うとなんとも
感慨深いね。


290世界@名無史さん:04/02/27 09:54
ドイツ野党CDU、CSUが、政府のトルコEU加盟推進路線に反対表明。

大統領を誰にするかの駆引き。
291世界@名無史さん:04/02/27 13:35
ドイツの大統領ってどのくらい影響力あんの?
292世界@名無史さん:04/02/28 00:04
>>290-291
ドイツって大統領制じゃなくて首相制じゃありませんでしたっけ?
293世界@名無史さん:04/02/28 00:12
ドイツの大統領は、日本の天皇みたいなもので、実質的権限はほとんど無い名誉職
みたいな感じだと思った。
294世界@名無史さん:04/02/28 02:56
ドイツの大統領がドイツになってもあんまり関心なさそう。
295世界@名無史さん:04/02/28 04:19
くだらない冗談を言う奴はどいつだ?
296世界@名無史さん:04/02/28 04:22
都都逸を好む奴だ!
297世界@名無史さん:04/02/28 12:29
>>292
首相制?
298世界@名無史さん:04/02/28 20:01
言いたい事はわかる。
299世界@名無史さん:04/02/28 20:29
議院内閣制っていう言葉は中学で教えるよね?
300世界@名無史さん:04/02/28 22:49
大統領が上位にいる政治体制で議院内閣制というのは成立するのか?
権限の多寡はあれど大統領制じゃないの?
301世界@名無史さん:04/02/28 23:32
エーリッヒ・ホーネッカー著「私の歩んだ道:東ドイツとともに」
  サイマル出版社、1981
302世界@名無史さん:04/02/29 22:35
サイマル出版会潰れちゃったんだよ・・・
地域研究系の良書をたくさん出してたんだけど・・・
303世界@名無史さん:04/02/29 23:40
>>300
儀式典礼用の大統領を議会が指名してる国はいくらでもある
304世界@名無史さん:04/02/29 23:48
>303
ドイツの場合は両院合同会議で指名だったっけ?
305世界@名無史さん:04/02/29 23:52
>>300>>303
ドイツ連邦共和国は一元的な議院内閣制。大統領は儀礼的性格しか有さない。
ちなみにフランス、韓国などは半大統領制ね。
完全な大統領制をとっているのはアメリカなど、それほど多くない。
306世界@名無史さん:04/03/01 00:15
日本もはやく初代大統領 土井たか子を実現するように配慮してくれないと。
307世界@名無史さん:04/03/01 05:48
>>301
Monosugo気になるけど、県内の図書館には無い。。。_| ̄|○
308世界@名無史さん:04/03/01 10:31
中井斌著「もうひとつのドイツ:ある社会主義体制の分析」
   朝日新聞社、1983年
309世界@名無史さん:04/03/02 23:09
>>306
現状からどうやってたか子が大統領になるのかシミュレーションするのは
それはそれで面白い知的ゲームかもしれん。
310世界@名無史さん:04/03/03 01:21
>>308
図書館で借りてきました。
あと、「転落者の告白 東独議長ホーネッカー」も。
311世界@名無史さん:04/03/05 13:47
ロベルト・ハーベマン著「私は亡命しない:東ドイツ・コミュニストの発言」
 朝日新聞社、1980年、朝日選書171
 壁の崩壊後彼はどうしてるだろう?
ジョルジュ・カステラン著「東ドイツ:ドイツ民主共和国」
 白水社、1962年、文庫クセジュ
高岩仁著「東ドイツ、いま:エルベ河の社会主義」
 御茶ノ水書房、1988年
312世界@名無史さん:04/03/05 21:37
「ザ・メイン・エネミー」って本にシュタージ崩壊の経緯が出てた。
最後の最後まで名誉に悖ることなく消えた連中もやっぱりいたんだな。
まだ東独があるころの東独本というのは貴重ですねえ。
特にホーネッカーの自伝はサイマルが潰れただけに。
ナチ時代の指導者ならともかく、東独の指導者の本なんて、
再販しようって奇特な出版社もないだろうしねえ…。
ハーヴェマンは82年に天寿を全うしてます。
89年には、彼の旧宅に民主化メンバーが集まって
「新フォーラム」を旗揚げしました。
シュタージといえば、統一後は元シュタージ職員ということで色眼鏡で見られがちな一方、
「シュタージ職員なら真面目に働くだろう」ってんで就職が有利、
なんて一面もあったようです。
なんでもオッシーは労働意識が滅茶苦茶で、ひどいのになると
勤務時間中に同僚の誕生パーティー始めちゃったりするのもいたそうで。
ヴェッシーはそれ見てボーゼン。
まあさすがに今は統一から14年も経ってる訳で、
そんなことはないと思いますけど。
自分で書き込んで驚いたんだけど、
もう統一して14年も経ってるのね…。
正確には13年と半年くらいだけど、
ナチ時代の全期間よりも長く、
ワイマール時代の全期間に迫る年月が流れてるんですねえ。
315世界@名無史さん:04/03/10 00:34
崩壊当時、小学生だったな
どれだけの大事件か全く気づかなかった…
316世界@名無史さん:04/03/10 20:46
信山社<講義案シリーズ17>ドイツ憲法集 1994年9月発行 2800円+税
高田敏、初宿正典編訳

  ドイツ憲法略史
1.フランクフルト憲法(1849年3月28日)
2.プロイセン憲法(1850年1月31日)
3.ビスマルク憲法(1871年4月16日)
4.ヴァイマル憲法(1919年8月11日)
5.ナチスの憲法(1933年〜1934年)
6.ドイツ民主共和国憲法(1968年4月6日)
7.ドイツ連邦共和国基本法(1949年5月23日)
あとがき−ドイツ憲法と日本
317世界@名無史さん:04/03/18 21:05
やっぱり時節柄「グッバイ!レーニン」を語ってみるのがふさわしいんじゃない?
318世界@名無史さん:04/03/19 00:55
>>317
>グッバイ!レーニン
友達からあらすじを聞いただけで泣けた。
319世界@名無史さん:04/03/19 01:02
この前、旧東独出身のドイツ人メル友が日本に来たから、
東京をちょっと案内したけど、純朴そうな良い子だったな。
日本語もすごい上手だった。
320世界@名無史さん:04/03/19 01:18
そして夜のテクニックもすごかった。
ドイツのフランクフルトの変わりにオレの自然薯を
ぶちこんでやった。3回気をやったら、赤ちゃんが
ほしいといわれた。
そんなもの遊びにきまっているだろう。
賞味したら捨てるんだよ。
いい子を弄ぶのは心の洗濯だと実感した。
また来るらしいが、手放すのももったいない。
大学の後輩に宛がって結婚させて俺専用の
肉壷にしたてようと楽しみだ。
321世界@名無史さん:04/03/19 01:21
質素につつましく生きるのも言うならば
誰もがアメリカの中、上流階級並に豊かになるため。
将来的に誰もが人生をエンジョイするためであり、
これが「質素につつましく生きるべき」とか楽しんで生きるのを許さない、
とかなると宗教かイデオロギーと化してしまう。
あくまで手段であり、富裕に達する為に経る道のり。目的では無い。
322世界@名無史さん:04/03/19 01:25
なんだこの下手糞な官能小説は?
しかも言い回しが微妙に古いし……。
323世界@名無史さん:04/03/19 03:48
転落者の告白を読んでいる途中です。
なんだか
ホ ー ネ ッ カ ー 必 死 だ な
と思わずにいられません。
324世界@名無史さん:04/03/21 15:28
>>322
東側だからです。
325世界@名無史さん:04/03/24 03:00
社会主義→できるだけ国民の面倒を見てやろう
共産主義→国民のクソの仕方まで指導してやろう
326世界@名無史さん:04/03/25 02:25
グッバイレーニン面白かったよ。
とくにベルリンの壁崩壊で
東に助けを求める西ベルリン市民が
なだれ込むってギャグに。
327世界@名無史さん:04/03/25 07:47
>325
マルクス社会主義は人民を調教するための体制であり、
完全に人民が調教されたら共産主義になる、というわけで。
328世界@名無史さん:04/03/25 10:10
>>326あなたのスレはこっちだよ?
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1076085469/l50
329世界@名無史さん:04/03/25 21:07
161 :世界@名無史さん :04/03/25 05:51
>大川周明

社会制度の根本的変革が必要だと
幸徳秋水に私淑し、「マルクスを仰いで我が師とした」
という急進社会主義者の一人だったな。
北一輝と並ぶ戦前型社会主義者の代表格。

時々“右翼”と誤解してる奴がいるが。
330世界@名無史さん:04/03/28 01:03
ttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0749.html
これとDDRのFDJって関係ないの?
331ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/04/18 00:11
age
332世界@名無史さん:04/04/18 00:11
>>331
なんかネタ投下汁
ネタねえ…。
コミケ行くと「DDRの友社」ってサークルがあるんですよ。
出してる本は多分ドイツ本国で出てる軍装の写真集をただ転載してるようなもんばっかりで、
まー正直「DDRの友」などと名乗るにはJAROってナンJARO?
なサークルでして(「DDR軍服の友」とかならわかるけど)、
私は2、3度立ち読みして以後はスルーしてます。
しかもここ、
「私たちは研究サークルなので、
DDR関連の研究をしているほかの方には本を売りません。
私たちの本に頼らず自分で研究してください」
とか何とかいう意味不明な注意書きを大書してブースに掲げてる
勝手にパクられることを警戒してんだろうけど、
何というかあきれてものも言えない気分。
誰かここの本買った人いますかね?
334世界@名無史さん:04/04/18 07:56
ネタというか質問を思いついた。

元西ドイツ人なのに東ドイツマニア、みたいな人はいるの?
335世界@名無史さん:04/04/18 10:22
>>334
西ドイツでもオスタルジーって言って
東独趣味者が増えてるよ。
336世界@名無史さん:04/04/18 17:05
>>335

でも西ドイツ人は東ドイツでの生活を経験してないよね?

西ドイツ人のオスタルジーってどういう形なのだろう。
337世界@名無史さん:04/04/18 17:40
確かにノスタルジーじゃないよな
ノスタルジーには自分の体験していないものを擬似的に
懐古する気持ち、というのも含まれますよ。
けど、オスタルジー(ドイツ語ではオスタル「ギ」ーではないかと思われ)てのは、
基本的に西側生活に違和感を感じる旧東独人(オッシー)の感情ではなかったですかね。
もう7、8年前になるけど、
ポーランドのワレサ元大統領が来日した際講演を聞いたことがあるんですが、
「皆さんも青春時代の思い出は美しいでしょう?
私も共産時代に青春を過ごしましたからねえ、
ときどき共産時代に戻りたいと思うこともないではないんですよ」
と言って笑いをとっていたことを思い出します。
339世界@名無史さん:04/04/18 21:52
>>338

んじゃ、西ドイツ人のオスタルギーってのは、「あー、東ドイツってこういう物を出してたよねぇ」みたいな、文物レベルにとどまるってことですかね。
340世界@名無史さん:04/04/19 01:22
トラバンドブーム到来…?
>>339
うーん、そこまではちょっと。
全くの想像ですけど、日本でも例えば、
生まれも育ちも都市生活者なのに、
田舎暮らしに「郷愁」を感じる人がいたりしますよね。
忘れかけていた日本の原風景〜とか言って。
それに似た感じで、
東独人の郷愁に観応して、
東独の(社会主義ゆえの、あるいは貧しさと不自由さゆえの)「良さ」を
想像してそれに淡い憧れを抱いている、
といった感じじゃないんでしょうか。
つまりそれはノスタルジーと言うよりはオリエンタリズムに近いような…。

…うーん、適当に書いてみたけどやっぱよくわかんないや。
すんません。
DDRの友社のように単なるコレクターみたいなマニアもいるでしょうしねえ。
342世界@名無史さん:04/04/19 23:09
東独関連の映画だと
「トンネル」が良かった。
ドイツ映画っていいね、フランス映画ほど難解過ぎず
ハリウッドほど馬鹿っぽくない。
343世界@名無史さん:04/04/20 03:26
いや、ちょっと前のドイツ映画は、無意味に難解だったぞ。
蓮見重彦が一時期すごいヨイショしてた、ヴィム・ヴェンダースとか。

最近のドイツ映画が面白いのは、
やっぱり現実の社会問題や生活と、
きちんと切り結んで格闘している作品が
増えてきたからだと思うな。
「トンネル」しかり「グッバイレーニン」しかり。

ある意味、昔のイタリア映画とか、
アジア映画の面白さに共通しているように思う。
ま、一方で『カスケーダー』とか『モン・ゼン』とかもある訳で。
そういや数年前までNHK教育で『アジア映画劇場』て番組があって
よく録画してたんだけど、いつのまにかやらなくなっちゃったなあ?
あとMXとかテレビ神奈川とかも、
時々思いついたようにアジア映画とかロシア映画やってたのに。
『モン・ゼン』すげー見たい。
345世界@名無史さん:04/04/29 15:28
NVAのNationaleってどういう意味なんですかね?
普通なら Deutsche Volksarmeeなんでしょうが。
346世界@名無史さん:04/04/29 15:32
DDR指導部には教祖たるマルクスの国なんだから
ソ連よか俺らのほうが格上、みたいな意識もあったようですね。
347世界@名無史さん:04/04/29 21:59
というか、戦前まではドイツが社会主義運動の中心だった。
むしろ、ロシア・マルクス主義が亜流。

東ドイツの紙幣ってどれに誰が描かれたっけ?
348世界@名無史さん:04/04/30 00:43
5マルク トマス・ミュンツァー
10マルク クレラ・ツェトキン
20マルク ゲーテ
50マルク エンゲルス
100マルク マルクス
349世界@名無史さん:04/05/01 01:11
>348
ゲーテはどう考えても社会主義社会では敵の階層だが。
ミュンツァーもアヘンである宗教を広めたんじゃなかったっけ?
350世界@名無史さん:04/05/01 01:13
ミュンツァーが煽動した農民戦争は
市民革命の元祖だとかなんとかいう見解だと聞いたよ。
351世界@名無史さん:04/05/01 01:37
ミュンツァーはエンゲルスの『ドイツ農民戦争』のお陰だろ。

しかし、なぜツェトキンになって、ルクセンブルクじゃないんだ?
ポーランド生まれが災いしたのかなぁ。
352世界@名無史さん:04/05/01 01:43
>>349
それ言い出したらマルクスもry
>>349
言うたらなんですが、東ドイツ人も馬鹿ではありません。
確かに「ハンガリーやポーランドは社会主義を止めても
ハンガリーやポーランドであり続けることは出来るが、
東ドイツは社会主義であることを止めたら、国家であることの存在意義を失う」
が故に、思想的に大変「真面目」ではありました。
が、だからといって、
そんなに何でもかんでも杓子定規にイデオロギーに当てはめる訳がないでしょうに。

70年代後半以降はドイツ史全体の流れの中に東独を位置付けようとする
「東独国民史」の試みがなされ、
例えばルターやフリードリヒ大王、ビスマルクといった人々も
ドイツ史の良質の部分として再評価されるようになっています。
ましてやゲーテ、ゲーテですよゲーテ。
354世界@名無史さん:04/05/03 00:34
「真面目」かぁ。マルクス研究にも熱心だったな。
ディーツ社っていまでもあるのかな?
ちょっと前の話ですが、BS1の海外ニュースで、
ロシアのニュースの中で
「東独の国章が商標登録された」って話題を取り上げてました。
700ユーロとか、そんな程度の値段で。
何でも国章のデザインをした人自体まだ生きてて、
彼や旧東独関係者は嘆くことしきりなんだとか。
で、このレポートの最後に、
Бэрлин,Гэрманиаとか表記されてたんだが…、
ロシア語でもドイツのことゲルマニアと呼ぶようになったんですかね?
ニェメツは私語?
356世界@名無史さん:04/05/09 01:13
700ユーロで、デザインした人が登録したの?
ああ、すいません変な書き方で。
登録したのは何の関係もないヴェッシー。
で、彼や旧東独関係者は
「ありゃワシの作品なのに…」「あんなんでも俺たちの祖国だったのに…」と嘆いてる訳で。
358世界@名無史さん:04/05/09 01:42
商標登録を他人ができるのか…
二重の意味でひどいな
359世界@名無史さん:04/05/09 01:55
東側の国々がEUに加盟し、東ドイツも本当に過去のものになったね。
なんだかさびしいのう。
360世界@名無史さん:04/05/12 02:25
東独には体制派ロックバンドなるものが存在したらしい。なんじゃそら。
361世界@名無史さん:04/05/14 18:04
ディパルタイ ディパルタイ ディパルタイ♪
362世界@名無史さん:04/05/14 21:06
 東ドイツの小学校で、先生が「みんなは電気を節約するために、どんなことをしてるかな?」と聞いた。
 それを聞いた生徒の一人が答えて曰くに、「西のテレビを見てます」

 東ドイツでは西ドイツのテレビが視聴できたが、電波の届かない東部のドレスデンは“嘆きの谷”といわれた。
363世界@名無史さん:04/05/14 21:10
北朝鮮みたいに、放送形式を西と変えるとかしたらよかったのに。
364世界@名無史さん:04/05/14 21:11
365世界@名無史さん:04/05/15 08:15
雇用対策について、与党は雇用開発機構に、野党は自治体に、役割を渡そうとしている。

失業給付と年金の一本化は決まったようだ。
366世界@名無史さん:04/05/15 09:47
>>353
>東ドイツは社会主義であることを止めたら、国家であることの存在意義を失う」
>が故に、思想的に大変「真面目」ではありました。

日本では東西本願寺をはじめ、宗旨に特段差はない各宗の○○派が分立したままですが
それに危機感を覚えたり統一を志向したりする動きは皆無。
同じドイツ人でもオーストリアなんかはそのような強迫観念をもってはいない。

アイデンティティーの問題というより、単にプロイセン人の民族的生真面目さのような希ガス。
367世界@名無史さん:04/05/15 09:54
>>364
1975年のヘルシンキ宣言で、西独をはじめとする西側が現状の国境の恒久化を承認するのと引き換えに
東側は人権保障を約束しました。
そのため、おおっぴらに放送の受信妨害をすることができなくなりました。

当時東側はこの共同宣言を勝利と見なしてましたが、実は崩壊の第一歩だったわけです。
368367:04/05/15 09:55
アンカーまちがえた。>>363でつ。
369世界@名無史さん:04/05/15 10:10
すごい
日本 も情報戦みならわないと
370世界@名無史さん:04/05/15 12:10
そういう妥協をするから駄目なんだよなー
北朝鮮を見習えばよかったのに。
371世界@名無史さん:04/05/15 15:07
「日本海」「東海」併記の地図販売…独の出版社(読売新聞:5/14)

【ベルリン=宮明敬】韓国が「日本海」の名称を「東海」と変えるよう国際的に
働きかけている問題で、ドイツの地図専門出版社がこれに応じる形で、
「日本海」と「東海」を併記した地図の原版ソフトを制作、販売していたことが
明らかになった。

 この会社は、コーバー・キュメリー・フライ(本社デュッセルドルフ)。
デュッセルドルフで6日開幕した印刷機器見本市で、印刷機メーカーが同社製の
地図を印刷見本として14日に配る予定になっていた。外交専門誌の記事から
これに気付いた在独日本大使館は、「極めて政治的な問題が経済交流の場に
持ち込まれるのはおかしい」と見本市事務局等に抗議、見本市での配布は
とりあえず中止された。

 しかし、同社のティム・コーバー社長は「併記するのが最も中立的と判断した。
一方の当事者の抗議だけで地図を修正するつもりはない」と話している。問題の
原版ソフトはすでに一部の企業に販売されており、1―2年後には、広く出回る
ことになるという。

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20040514id26.htm
372世界@名無史さん:04/05/16 02:24
>>364
スターリンがどうとか歌ってるように聞こえるけど、批判後改正されてないのかな
373世界@名無史さん:04/05/16 12:17
>>372
国歌同様メロディだけとか
374あぼーん:あぼーん
あぼーん
375あぼーん:あぼーん
あぼーん
376世界@名無史さん:04/05/22 10:48
それはあの卑屈なヤブにらみ顔を見てればわかる。
私怨を学問に持ち込むタイプだな。
377世界@名無史さん:04/05/22 11:37
>>374-375はコピペ。反応すべからず
378世界@名無史さん:04/05/22 12:10
なんかやたらドイツ系のスレが上位に目だつと思ったら、
狂ったようにコピペしてるアホがいるわけだ。
379カラジチ ◆mWYugocC.c :04/05/22 12:15
外国語板も同様の状況になってた……
380あぼーん:あぼーん
あぼーん
381世界@名無史さん:04/05/22 14:07
イギリスが終わったらドイツか。次はどこだ。
382あぼーん:あぼーん
あぼーん
383あぼーん:あぼーん
あぼーん
384世界@名無史さん:04/05/23 12:45
マルチコピペにマジレスする藻前を見て腸が煮えくり返る
385世界@名無史さん:04/05/23 20:46
>>348
日本人として恥ずかしくないか?
386あぼーん:あぼーん
あぼーん
387あぼーん:あぼーん
あぼーん
388世界@名無史さん:04/05/26 02:44
>>387
ドイツってBRDかDDRかどっちだよ。
まあどうせBRDのことなんだろうけどな。DDRのことを言ってるんであったらそれは西側の卑劣なデマゴー
グに過ぎない。
389あぼーん:あぼーん
あぼーん
390世界@名無史さん:04/05/28 17:53
DDRのSED党員やってる。先月どこかの党員になろうと募集ポスター見てたら正直これしか選択しなかったから即決した。
カッコイイ、マジで。そして正しい。党歌に「党は我々に全てを与えてくれた」「党は常に正しい」とか書いてある、マジで。ちょっと
感動。しかも独立国なのにソ連の言うことさえ聞いていればいいから政治も簡単で良い。DDRは民主的じゃないと言わ
れているけど個人的には民主的だと思う。BRDと比べればそりゃちょっとは違うかもしれないけど、「わが国は既に民主化は完了している」ってホーネッカー書記長も言ってたし、それは間違いないと思う。
ただ暴動とかが起きるとちょっと怖いね。ソ連の力がないと鎮圧できないし。
経済状態にかんしては多分BRDもDDRも変わらないでしょ。BRD行ったことないから
知らないけど資本主義かどうかでそんなに変わったらアホ臭くてだれもDDRな
んで住まないでしょ。個人的にはDDRでも十分に豊か。
嘘かと思われるかも知れないけど1978年にドイツ人初の宇宙飛行士がソユーズに乗ってマジで宇宙生活を
した。つまりはBRDですらDDRには勝てないと言うわけで、それだけでも個
人的には大満足です。
391世界@名無史さん:04/05/29 23:09
黄色猿が世界で一番カリの対象にされたよな。
白人の労働力(犬や牛と同じ)として使われることもなく
白人と同じ権利を主張する黄色猿は
南北アメリカ大陸では天然記念物になるほどまで
数が減少したよな。
残った商売ゴキブリとロボット猿が
今まで生きながらえただけでもありがたく思えよ。
392ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/06/04 22:44
うーん、もうネタ切れ?
393グラスヒュッテヲタ:04/06/04 23:44
>>392
ロボトロンでも語ってみませんか
394旧東独スレの1:04/06/05 04:38
ひさしぶりにカキコ。
といってもナポレオンさんと同じで全くネタがない。。
395グラスヒュッテヲタ:04/06/05 10:03
無視ですか

まあ政治史だけやってりゃいいでしょうから
396ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/06/06 23:01
>>395
気早すぎ。
私ゃロボトロン知らんのでなんか話してくださいな。

さて、本日23:25からNHKで
『ヨーロッパ・ピクニック』を11年ぶりに放送します。
ベルリンの壁崩壊のきっかけになった、
ハプスブルク家当主オットー大公のピクニック計画とは。

ああもうあと25分しかないや
397世界@名無史さん:04/06/07 01:02
>>396

これ去年あたりにもやってました。藤原帰一教授がコメントしてました。

しかし、よくできたドキュメンタリーですよね。再現映像もNHKが作ったんだろうか。

いまのNHKでこのレベルのドキュメンタリーはなかなか観られないですね。
398世界@名無史さん:04/06/07 02:53
ホネカー最悪だな。たしか統一後処刑されたよな
金正日にも同じ末路が・・・
399世界@名無史さん:04/06/07 06:01
>>398

処刑ではなく、病死ではなかったか。
400世界@名無史さん:04/06/07 06:03
ぎゃー
九時に寝ちゃったから見過ごしたー
401世界@名無史さん:04/06/08 03:36
自由ドイツ青年団、原語だと
フライエ・ドイッチェ・ユーゲントという邪悪な響きに。
402世界@名無史さん:04/06/08 03:36
_| ̄|○見そびれた。。
403402:04/06/08 03:38
こんなスレのこの時間でで同時分カキコかい
404世界@名無史さん:04/06/08 03:39
けこん
405旧東独スレの1:04/06/08 06:09
>>401
そう?邪悪かな?ユーゲントの語感のせい?
通常はFDJだからあまり気にならないなあ。
どちらかというと、SEDの方が邪悪な漢字が・・・。
406世界@名無史さん:04/06/08 14:10
>>15

>環境破壊とかひどかったらしいですけどね。
>今はどうなっているのかしらん。

東西ドイツ時代、西ドイツや西ベルリンの企業が排出した産業廃棄物は
東ドイツが買い取って国内で埋め立て処分をしていた
(1)マルクやドルのハード・カレンシィが欲しかった
(2)褐炭を採掘した跡の穴に埋めた
(3)国際的な環境保護条約に加盟していなかった
(4)環境問題があっても住民運動を力で抑えていた

最悪は放射能汚染された廃棄物や高度に危険な薬物も引き受けて
鉱山の跡地に対策もせずに埋設したこと

東西ドイツ統合後に西側から進出してきた企業が買収した工場内に
大量の産業廃棄物を発見して労働環境基準を守れず操業を継続できない事件が多発
旧西ドイツの経済援助や発展の足を引っ張っている要因の一つとなっている
407東独フリーク:04/06/08 14:18
>>25

>「シタージ」という秘密警察の存在

みすず書房刊T.ガートン・アッシュ著「ファイル」・・・秘密警察とぼくの同時代史 今枝麻子訳
がお薦めです。

ベルリンの壁崩壊直後にシュタージの書類は大量に廃棄処分されたが、
東西ドイツ統合後に、「ガウク(長官の名前)機関」が国家事業として
シュタージの残した書類を回収し、分類の上、関係者に開示している

多分探せば私のファイルも残っている筈
408世界@名無史さん:04/06/09 19:11
ttp://atlasgeo.span.ch/fotw/flags/de%7Dsed.html

SEDのマークはセンスあると思う。
>>397
>これ去年あたりにもやってました。
ぐはあ(吐血)
410東独フリーク:04/06/10 11:51
>>16

東ドイツの国産車トラバントをゴミと言うのはちょっと可哀想
2気筒2サイクルでドイツ人成人4名搭乗して自足100キロで走れた
もっとも長時間運行は無理のようだったがこのクラスでは最高性能だった
混合気を使用するので大気汚染の原因の一つになっていた

東独のアウトバーン(制限速度あり、100km/時)ではベンツに乗っていると
よく追い抜かれたが直ぐ先でエンコしていたのがご愛嬌ね

東独では自動車修理工場は不要だった
トラバントは構造が簡単でバイク並なので自分で修理できた
ボディは骨組みが金属で、外装は紙に合成樹脂を含侵させた
強化外装ボディだあったから火災では骨を残して全焼

4気筒4サイクルではバルトブルグという国産車もあったが
ソ連のラダやチェコのシュコダがよく走っていた

日本製のMAZDAが約1000台輸入されていた

政府高官は西ドイツ製のベンツやBMWに対抗してVOLVOを使っていた
411世界@名無史さん:04/06/10 16:33

あっそうか、東独にもアウトバーンがあったんですよね。東西分裂前の事業だから。

お話を聞いていると、東独自動車事情について質問が思い浮かんできました。


・東西でのアウトバーンの違い(制限速度のみ?)

・東独国民が輸入車を買うのはどれくらい大変だったのか?

・当時、トラバントを日本に輸入して購入することは出来たのか?


そういえば、シュコダってまだ生き残ってますよね。すごいや。
412東独フリーク:04/06/10 18:24
>>411

文献を漁った訳でないので体験の記憶のままに

1)東・西ドイツでのアウトバーンの違い
  西側は戦後も改修や拡張を続けてヨーロッパの大動脈に値する高速車専用道路になった
  西ドイツでは速度無制限や制限速度ありと何度か変更もあったが現在は一部の規制を除いて上限なしでは?
  東側のアウトバーンは戦前に造られた道路をほとんどそのまま使い改修もままならなかった
  特に東西ドイツに分離して後国境線が遮るいわゆる行き止まり地域に続く道路の荒れようは凄まじかった
  ツビッカウ方向にはベンツが丸々落ち込む大きな穴があいたままのアウトバーンがあった
  ただ凄いのはほとんど改修しないでも半世紀以上幹線道路として機能していたこと
  制限速度は100km/時で、大半の道路は80km/時以下に規制されていた

  戦後西ドイツや西側ヨーロッパの経済復興が顕著になると西ドイツから東ドイツを経由して
  南部に貨物を運ぶルートが時間的にも経済的にも有利であるとして東ドイツ内の幹線道路
  通称「トランジット道路」が活用されて陸の孤島だが大消費地西ベルリンとも連携していた
  このトランジット道路の改修・拡幅のために西ドイツ政府が東ドイツに多額の援助をし
  その金で東側は道路を改修していた
  しかし最高速度は100km/時としてパトロールが西側(ドイツに限らず)ナンバーの
  速度違反車から容赦なくもしくは狙い撃ちで罰金を徴収していた
  もちろん支払う金は西側の硬い金(ハード・カレンシィ)で東ドイツの外貨保有が潤った

413東独フリーク:04/06/10 18:27
>>411   >>412の続き

2)東独国民は輸入車を買えたか
  日本のマツダ車が輸入されて一部だけ一般国民に販売されたが東ドイツ国外の親戚などから多額の外貨送金を
  受け取ることができる恵まれた国民に限られた
  国産車のトラバントすら優秀な労働者が申請してから10年以上順番を待たなければならず
  もちろんその間少ない収入からこつこつ貯金をしなければならなかった
  裏業としては外貨(西ドイツ・マルクやUSドル)を溜め込んでトラバントの優先購入権を買い取りすることで
  10年も待たずに手に入れることができた者もいた
  その他の西側の車は中古車と言えども簡単には入手できなかった

3)西(ドイツ・ベルリン)側の車自体が盗難に遭うことはあまりなかったが
  車の装備品の中で高性能カセット付きラジオは西ベルリンで駐車中にガラスを割られて盗られた
  これは東ドイツ側から型式の指定付きで盗難依頼があったと言われている
  ら時をグらいなら車に乗せて西ベルリンから東ベルリンの境界線を簡単に超えて持ち込めた

4)東ドイツでは部品の調達が困難なので特にゴムのワイパー・ブレードは駐車中は取り外していた
  東ドイツではヒッチ・ハイクは禁じられていて西側の車に東ドイツ人を同乗させるには許可が必要だった

5)ガソリンは西側の車用のガソリン・スタンドがある程度の間隔を置いて指定されていた
  ので津念に予備タンクを積んでいた   
  ガソリンは東ドイツ製だが代金は西ドイツ・マルクに限定
  それに対してトラバントは混合気用の燃料を使っていたので排ガスは最悪
  スパイ映画『ベルリンの熱い壁』では東ドイツのガソリン・スタンドの様子が克明に描かれていた
     http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=21112
414東独フリーク:04/06/10 18:36
↑  >>413 訂正

>ら時をグらいなら    →   ラジオぐらいなら

>ので津念に予備タンク  →   ので念のため予備タンク
415世界@名無史さん:04/06/10 19:38
>>412-414

おお、詳細なお答えありがとうございます。

西側の人間が東独に自動車で入ることが出来たんですね。すごいな〜。

日本からの輸入車がマツダだったということですが、何か理由があるんでしょうかね。

それと、トラバントを日本に輸入するという奇特な人はいなかったんだろうな。
416東独フリーク:04/06/10 20:46
>>415

西側(西ベルリン・西ドイツ・その他西欧諸国)の車が東ドイツに入るには一定の基準はありました
基本的にはビザが必要ですし、トランジット道路だけを通行・通過するのであれば検問所で簡単な申請で可能でした
ただしトランジット道路から脇道に外れることは原則厳禁で道路から2km以上離れると逮捕もありえました
さらにトランジット道路の入り口で通貨時刻が刻印されますから出口までの時間が非常に長く掛かると尋問されました

ベルリンの南西に接した有名なポツダムへ無許可で足を伸ばした駐在員夫人の一行が捕まったことがあります

日本からの駐在員は特別のビザを持ち東独の特別なナンバーを付けた車なら
東ドイツやソ連駐留軍の軍事施設周辺などの立ち入り禁止地域を除いて原則出入りが自由でした

ホーネッカーが日本にやってきた時に大型プロジェクトが手土産代わりに契約されて
代表的な総合商社各社が受注を競いましたがマツダの乗用車は住友商事との縁で決まりました
他社は化学プラント・繊維製品工場・自動車部品工場・鋳物工場などでした

日本にもトラバントは10台ぐらい輸入された筈ですしネット・オークションにもでているのでは?

   http://www.google.co.jp/search?q=cache:atxN3rLvki4J:www.as-net2.org/usr/ico-d/mkgif/mkgif.cgi%3Falpaca01+%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%88%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BC%B8%E5%85%A5&hl=ja

ちなみにトラバントとはソ連のスプートニック人工衛星を記念して名づけられたようです
トラバントを改造した国境警備隊のパトロール車がありましたが高値が出そうですね

ソ連製の乗用車ラダやチェコスロバキア製のシュコダ車を安くするから買わないかと勧誘されたことがありましたが
さすがにトラバントは性能や排ガスに問題があって公然とは輸入されていなかったと思われます
417世界@名無史さん:04/06/10 22:26
>>416

いやあ、本当に興味深いです。

日本と東独の経済関係についても興味を引きますね。特別のビザが発行されていたということですから、かなり優遇されていたということなんでしょうか。

トラバントの日本への輸入が10台くらいということで、いったい誰が買ったんだという感じですが。
418世界@名無史さん:04/06/11 15:24
>>258

夫:日本人(初婚)
妻:東ドイツ人(初婚)・・・日本語堪能な小柄な美人

の結婚が当時の東ベルリンで行われた
その後日本に帰ったがまたドイツに戻ったらしい
まだ結婚は続いていると風の噂に聞く

結婚してから数年を経ずしてベルリンの壁は崩壊した
無理して日本人と結婚しなくても西側に出られたのにねー
と言うのはやっかみ半分の噂雀の声
お幸せにね
419世界@名無史さん:04/06/11 15:38
>>256

当時東独人が置かれた特殊な状況に関してちょっと認識不足ですね

東独から日本を含む西側諸国に出国できたのは非常に限られた人で
(1)政府・党の要人およびその子弟
(2)貿易関係公団の職員で成績優秀・・・当然党員であった
(3)結婚していて、子どもの一人ぐらいはいて、人質として東独内に留め置かれた

もちろん大使館員や海外駐在員で家族帯同の場合も思想信条の調査は厳重だった
東京の同じマンションに相互監視がなされていたから西側との接触も少なかった
その駐在員で親しい男が帰国時にさよならパーティをその家族とマンションで開いた

対外貿易公団の女性担当者が見本市で上層部に随行来日した時
是非彼女を日本の我が家「ウサギ小屋」に招待したいと直訴したが
笑って誤魔化されて実現しなかった
420世界@名無史さん:04/06/11 21:51
>>418

その東ドイツ人の奥様は日本に出国することが出来たんですか。

>>419さんのお話を聞くと、日本への出国は相当難関のようですね。


ちなみに、東独から日本への留学生も特定の人間に限定され、厳重に監視されていたんでしょうかね。
421東独フリーク:04/06/11 22:57
>>420

結婚すれば日本(と言うことは西側に合法的に)に出国できましたし一時帰国(里帰り)も認められました
ベルリンの壁を乗り越えて射殺されるか、日本人と結婚して壁を越えるか・・・なんて陰口を言われてました

東独から日本への留学生は残念ながら寡聞にして存じません
しかし日本人の教師や日本からの留学生を東独は受け入れていました
西独の外国人に対する大学教育制度に対抗して無理した背伸びだったのでしょう

こんな笑えないエピソードがあります
東独の化学コンビナートは大半を日本の企業が受注して次々に建設しました
当然日本から多数の技術者が東独に渡り長期間滞在しました
男女の関係も発生し混血児が生まれましたが父親は単独で日本に戻ってしまいました
その子等の一人が相当成長してから在東ベルリンの日本大使館を訪れて父親を探して欲しいとうったえました
日本の週刊誌も嗅ぎ付けて書き立てました
日本大使館は日独混血児の存在が日・東独間の国際問題になることを恐れて
具体的には何の手も打たず闇に葬ろうとしました

後日分かったことはその子もその母親も決して父親の金等や出国が目当てではなく
確かに子どもの父親だと逃げた日本人男性に認めて欲しかっただけのようでした
東南アジアでも同様の混血児問題がありますが・・・・東独での実態は分かりません

日本は東独の国民にとってちょっと特別の憧れも含む国・国民だったようです
日本が西側陣営のNo.2であることはとりもなおさずソ連の圧力に屈しながらも
東側陣営で科学技術力No.2であるという自負心が東独にはありましたし
勤勉で契約期日を確実に守る、特に東独に対しても裏表のない態度が信頼されていたようです
422世界@名無史さん:04/06/12 03:53
かつての東側No.2も今では母国のお荷物というのはつらいだろうね…
423世界@名無史さん:04/06/12 03:56
>>421
> 結婚すれば日本(と言うことは西側に合法的に)に出国できましたし一時帰国(里帰り)も認められました
> ベルリンの壁を乗り越えて射殺されるか、日本人と結婚して壁を越えるか・・・なんて陰口を言われてました

これはけっこう思い切った措置ですよね。
「日本人と結婚して・・・」なんていう冗談があるということは、日本人と結婚した場合のみの措置だったんでしょうか?

日・東独混血児の話は初耳でした。結局、どういう決着をしたのでしょうね。

> 日本は東独の国民にとってちょっと特別の憧れも含む国・国民だったようです
> 日本が西側陣営のNo.2であることはとりもなおさずソ連の圧力に屈しながらも
> 東側陣営で科学技術力No.2であるという自負心が東独にはありましたし
> 勤勉で契約期日を確実に守る、特に東独に対しても裏表のない態度が信頼されていたようです

冷戦期の日本外交は東側諸国とも太い関係を築いていたということですね。
424東独フリーク:04/06/12 11:16
>>423

誤解があるようなので訂正して強調します

>冷戦期の日本外交は東側諸国とも太い関係を築いていたということですね。

日本外交に全くそのような事実・実績は全くありません
(1)東欧諸国との経済交流はあくまで民間企業の努力と実績によるものです
(2)外務省はソ連以外は3等国扱いをして大使も自ずとその程度の人材しか派遣していない
(3)行動の自由が制限された腰抜けの日本外交官(キャリア組・ノンキャリア・他官庁出向者含む)に何が出来ますか?
(4)東独の情報は西側プレスの翻訳情報や東独内を足で稼ぎまわっている総合商社駐在員から間接的に入手していた実態

スズキ宗男のような男が牛耳ることができる外務省(ソ連担当)を考えればどれほどのものか分かるでしょう
>>423 世界@名無史さんがそちらの関係者もしくは少しでも知っていれば想像が付くと思います

それでもソ連・東欧貿易に注力した理由は【5ヵ年計画】などの長期経済計画が国の運営の基本にあって
採算や受給バランスを無視した設備投資を長い間つづけていた美味しい市場だったことと
日本を初めとする西側諸国のような経済変動による景気の低迷の波を緩和できたからです

だからこそ革命記念日に大化学プラントの始動式が開催できるような(常識外の)
大建設の納期厳守ができる日本が頼りにされていたのです
西独や欧米のメーカーは東独を馬鹿にして契約違反のやり放題だと東独の担当者がこぼしていた

中曽根大勲位が東独のホーネッカー議長を訪問したことなんかはもう忘れられていますよね?
425世界@名無史さん:04/06/12 11:22
すげえな東独フリーク
おれもこれぐらいちゃんと説明できるフィールドもちたいよ
426世界@名無史さん:04/06/12 12:06
東独にして統一後はえらい苦労してるんだから、朝鮮が統一したら
阿鼻叫喚の地獄になるだろうな。
427世界@名無史さん:04/06/12 12:21
>>425

ご評価に感謝

でも東独フリークは「墓掘り人足」か「墓碑銘削り」みたいなものです
体力・経済力・寿命が続くうちにもう一度深東独地域の思い出の土地や友を訪ねたい

もう少し過去スレを検証して気が向いたら投稿しましょう
当時知っていたことは多少曖昧でもよかったらお答えします
428世界@名無史さん:04/06/12 16:52
>>424

なるほど。わかりました。主役は民間企業だったということですね。

好意的にいえば、外務省の関与が薄かったからこそ、アメリカからの反発・圧力も弱かったということになるんでしょうか。
429世界@名無史さん:04/06/12 18:59
東独フリーク氏って本当に東独に詳しいんだね。
俺は小学生のときにベルリンの壁が崩壊した世代だからこういう実体験からくるような
話が読めるのはすごく楽しい。
430ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/06/13 01:37
ホントに凄い人が登場しましたね。
やはり実際に行ってる人は違う。
私のようなインチキ君は横から見てるしかないです。
私の独り言のような質問すら、ちゃんと答えてもらってるんですね。>>15>>406
ありがとうございます。
旧スレ1さんと東独フリークさんの活躍を祈りつつage
431旧スレの1:04/06/13 06:07
いやはやすごい方が登場しましたね。
アウトバーンは、LKWの80キロ制限以外、
そして一部を除いては現在規制は無いですね。

東独フリークさんは、もしかして前スレで
東ドイツのサイトを紹介していたかたかな?


「駐在員の見たドイツ統一・旧東独・東欧」

http://www.din.or.jp/~a_ohno/

違いました?
432世界@名無史さん:04/06/13 11:09
>>431

いやー、この方と誤認いただくほど理路整然とした情報ではないので直ぐ別人とお分かりでしょう
それにしてもこの方 http://www.din.or.jp/~a_ohno/ と間違われるのはまことに光栄です

この方が実費で配布してくださる東西ドイツ時代の国境や壁の写真集は
何よりの思い出のよすがとさせていただいております

もうちょっと言い訳を致しますと私のほうが東独の内部に深く入り込んでおりますが
当時はビザを没収されれば即失業・強制的に家族共々本国送還の憂き目に遭いますから
きわどい場所で写真を撮ったり官憲およびシュタージなどの秘密機関に目を付けられない様
最新の注意を払っておりましたので手元に記録が少なくあくまで曖昧な記憶が頼りです

東独が発行したぼろぼろになった地方都市の地図や立ち入り禁止地域のハーツ山脈地方の写真集程度はあります
暇があれば東西ドイツを巡る「スパイ小説」(もちろん翻訳物)を読んでいましたので
機会を捉えて小説の舞台となった東ベルリンや東独の実際の場所・建物などを見にいったこともあります

ご質問があればお答えいたします
433世界@名無史さん:04/06/13 11:10
↑  「細心」の注意が払われておりませんでした   訂正いたします
434東独フリーク:04/06/13 12:47
>>21

>DDR第一次五カ年計画について詳しく書かれてる本は無いですか?

多分ドイツの図書館、特にベルリンの図書館に行けば、しっかりとした資料の閲覧が可能でしょう
通年で「経済白書」に類する報告書がきちんと発行はされていましたから
もし日本語の本があったとしてもそれは「地上の楽園・北朝鮮」みたいな提灯持ちが著したものと思われます

東独は五ヵ年計画を発表し、暦年の経済状況の発表と、五年毎の総括もしてはいました
しかし【大いなる嘘話】と呼ばれていて、発表される数字は事実を示してはいませんでした
毎年その「経済白書」を購入してざっとチェックしていましたがドイツ人の作ったものにしては
時々過去のの数字が修正されたり削除されてしまい継続性がなくなる性質のものでした

もっともそういう出版物は東独の一般国民には販売・閲覧が禁じられていた可能性があり
自分達がいかなる生産実績を上げて国際的な評価を受けているか等は一切分からない仕組みになっていました
もっとも西独のマスコミ関連の新聞・雑誌・テレビ・ラジオが詳細な分析をして現実に近い数字を報道してので分かっていたと思います
435東独フリーク:04/06/13 13:00
>>39 >>40

フランス語系の苗字の人は東独では結構活躍していました
ドイツがユグノー派を受け入れた歴史的な名残かも知れません

私のビジネスを超えた友人にフランス系の名前の東独国籍の男がおりまして
彼は自分がフランス人の血筋を引いていることに誇りを持っていましたし
周囲の東ドイツ人も一目置いていました
彼は苗字はドイツ語に変えていましたが
名前はフランス風で冗談が上手い体つきも華奢で洒落男でした

ついでですがナチ時代に追放と大虐殺により戦後ドイツでは激減したユダヤ人も
東独のビジネス界では幅を利かしていましたし特にフィクサーとして優秀だった
政府要人の中にもユダヤ人が多数いたようです
436東独フリーク:04/06/13 13:09
>>53  チェルノブイリ原発事故の現在・・・・万感胸に迫る写真が多数あります

http://www.geocities.jp/elena_ride/

死者の数も信憑性が高い学者の数字が載せられています
私も寿命拙く早逝すればチェルノブイリ事故の死の灰を被った死者の仲間入りでしょう
437世界@名無史さん:04/06/13 18:47

日本以外に、東独と経済関係の深かった西側国家はあるんでしょうか? フィンランドとか?
438東独フリーク:04/06/13 19:52
>>437

当然と言えば当然ですが【 西ドイツ 】が最大の貿易相手でした
もちろん西ヨーロッパ諸国とも経済関係はそれなりに堅持していました
誰しも現在の北朝鮮との対比や類推が先立つのですがもう少しましな国でした

当時の具体的な数字については手元に資料がないため示せませんから
全体がある程度把握できる歴史的背景や概観とその理由をぼちぼち説明しましょう

もし >>437 :世界@名無史さん がその分野の学生・学究であるなら
曖昧な話よりは一度、大学図書館や国会図書館等でしっかりしたソースに
正面から触れられたほうが良いと思います

東独フリークとしては体験したり現地で耳や目にしたことを思い出しつつ
巷間言われるような「誤解が多い旧東独」について肩を持ちたい気持ちがあるから
調子に乗って浮ついた気持ちで説明していると真実から遠ざかる恐れが十分あるからです
439世界@名無史さん:04/06/13 22:15
>>438
> 誰しも現在の北朝鮮との対比や類推が先立つのですがもう少しましな国でした

その分野の学生というわけではないのですが、共産圏には少なからぬ興味がありますので。

共産圏だからといって一緒くたに出来ないというのは理解しているつもりです。

ハンガリーやユーゴスラビアは比較的開放的な体制であったと聞いております。
440東独フリーク:04/06/14 13:40
>>439

前のほうもちゃんと読んだら >>172 に前スレの紹介があって

       http://makimo.to/2ch/mentai_whis/988/988890102.html

こちらのスレもきちんとお読まないと失礼かな?と・・・・東独時代に東独にいたというだけでは

ここに投稿されている ナポレオンさん、1さん、172さん他の方々は
皆この分野の専門家のようにお見受けしますから、私がいんちきを書いたら
訂正・修正をして下さるかも知れませんね
441東独フリーク:04/06/15 16:25
【23件】  ・・・・東京・上智大学図書館の検索「ドイツ民主共和国(のみ)」でヒットした件数です

   http://lux.lib.sophia.ac.jp/opac/index-j.html

【18件】  ・・・・名古屋・南山大学図書館の検索ヒット数です

   https://alta.lib.nanzan-u.ac.jp/servlet/opac.OpacSearchServlet
442東独フリーク:04/06/15 16:51
【東ドイツ】で検索すると上智大学図書館は39件ヒットします
443東独フリーク:04/06/20 19:05
【クイズ】

東ドイツと日本が食物(一般的なものの原料です)を相互に輸出していました

1)東ドイツからは何?

2)日本からは何?

現在はどうなっているか全く分かりません
444世界@名無史さん:04/06/21 18:34
>>342
トンネルってテレビドラマじゃなかったっけ。
それをガンダムよろしく総集編を劇場公開。
445世界@名無史さん:04/06/21 19:18
東独は腐ってもドイツ、北朝鮮は共産国というより李氏朝鮮だ。
446東独フリーク:04/06/21 22:00
>>444 さんが指摘されているのは2つあって

(1)NHKドキュメント地球時間で再放映もされた前後編各45分で
   1963年のエミー賞を受賞したドキュメンタリー『自由へのトンネル』
   バックに流れるカンツォーネが心に沁みます
   
(2)ドイツ映画『トンネル』2001年

     http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD1498/

   この映画は東ベルリンから西ベルリンにトンネルを掘って必死に脱出した
   数々のエピソードをまとめた構成になっています

     http://www.cablenet.ne.jp/~berlin/platz/kino/kino.html
     http://www.cwjpn.com/kijiback/y2002/3664/6p-tunnel.htm

   レンタル・ビデオ出来ます




     

447東独フリーク:04/06/22 07:59
>>398 >>399

1994年5月29日旧東独の最高権力者として18年ホーネッカー元議長が死去
エーリッヒ・ホーネッカー元東独国家評議会議長がこの日、がんのために死去した。
81歳だった。独裁者として旧東独に18年間君臨したが、ベルリンの壁崩壊を前に失脚。
旧西独への逃亡者に対する発砲を命じたことなどから、両独統合後は殺人罪で起訴され
ていた。肝臓がんの悪化が理由で裁判が中止になった際も、市民の反発は大きかった。

1月30日にモドロウ東ドイツ首相はモスクワを訪れてゴルバチョフと会談し、東西ドイ
ツ統一の承認を得ることができた。西ドイツはその直前に、ソ連に対して安価での食料供
給と、50億マルク(約3500億円)の借款を約束しており、ドイツは統一後も、良き
パートナーとして無視できないと考えていたのである。すでにゴルバチョフの目には、東
ドイツが崩壊することは明らかであると映っていたが、NATOに加盟することには反対した。

同じ日、エーリッヒ・ホーネッカー前書記長が殺人共犯の疑いのかどで逮捕されたが、
病弱のために取り調べに耐えられないという理由で、翌日の31日には釈放された。
ところが、ついこの2〜3ヶ月前まで賛辞を送っていたSEDの党員の誰一人として、行き
場所のなくなったホーネッカ−夫妻に手を差し伸べる者はいなく、そのままではホーム
レス状態で野垂れ死にしてしまう、という二人に手を差し伸べたのは、なんと、彼らが
それまでないがしろにしていた教会であった。ある牧師夫婦が、自宅の天井裏の部屋が
空いているので、そこに住まわせてあげたのである。彼の子供たちは成績優秀にもかか
わらず、牧師の子供であるという理由で、大学に入学を拒否されたのだった。
当然この夫妻に抗議する市民もいたのだが、ホーネッカー夫妻を受け入れたのは、あく
までも神の意思によるものであり、人間愛に基づくものであると牧師は説明した。
ちなみに、それに対するホーネッカー夫妻からの公式な言葉はなかった。
そして牧師夫妻に対して、ホーネッカー夫妻がどのようなお礼の言葉を述べたかも、
お礼そのものを述べたかも聞かされていない。
448世界@名無史さん:04/06/22 12:40
アルゼンチンに亡命?
449東独フリーク:04/06/22 14:45
>>448

ホーネッカー(Erich Honecker)は1994年5月29日
チリのサンチャゴで病没している  享年81歳
450東独フリーク:04/06/22 15:27
ホーネッカーは金正日ほどではないが隠密行動が多かった
国家を束ねるトップ3人が同郷(ザールランドのノインキルヒャー)らしく
3人ともホーネッカーに瓜二つ(瓜三つ?)で影武者説も流れたほどだった

ライプチッヒで毎年二回春と秋に開催された国際見本市「ライプチッヒ・メッセ」の
オープニングを飾る、ゲバント・ハウスの音楽会に出席すると期待されていたが
残念ながら一度も本物には会えなかった
日本からの招待客は偽者でも分からないので遠くから写真を撮って喜んでいたが

国営(ほとんどは国営だが)工場の工場長応接室には、必ずホーネッカーの写真が
飾られていたが、個人崇拝というより、今での欧米の工場(食堂)でよく見かける
「ベスト・ワーカー」の表彰写真みたいなものだった
もちろんその写真に悪戯書きをしたり唾を吐き掛けたりしたらどうなったか分からないが

建前としては民主的な選挙で選ばれた議長なので公式の席では平服を着用し帽子を被っていた
文民を装っていて軍服姿は観たことがない
451ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/06/22 18:44
おおー東独フリークさんの知識が炸裂してますね。
私は単なる好事家ですので参考になります。
さて、それにしても>>441-442の検索結果は少ないですねえ。
ウチの職場近くの市立図書館でももっとたくさんあったような気がします。
それでいいのか上智大学。
>>446
映画はエピソードを色々まとめたものとはいえ、
一応フィクションですね。
見所はバス特攻作戦と最後の最後で見られる間抜な東ドイツ兵。
あとフリッツィの恋人が撃たれたときの、撃った東独兵の表情。

ホーネッカーはマルゴット夫人の話が『独裁者の妻たち』とかいう本に載ってた気がします。
それにしても、ホームレス同然とは。
「ワシ、孫とテレビ見ながらワッフルとか食うようになっちまってのう…」
と恥ずかしがるような老後をすごせているヤルゼルスキとはえらい違いだ。
452東独フリーク:04/06/22 19:55
>>451 ナポレオンさん

確かにドイツと縁が深い上智、南山にしては蔵書が貧弱ですがドイツ語や英語の原書文献なら豊富なのかも知れません

東京都下の八王子図書館でも蔵書検索したら吃驚するぐらいあってCDなんかも混じっていますよ
多分書籍の題名だけで簡単に図書分類をするため使う身になった内容分類を加味していないからかも知れません

>見所はバス特攻作戦と
あれは実話で、昔の壁博物館に写真がありました
気球やグライダーで越境に成功した実物も飾ってありました
旅行用のバッグを二つ並べて中に隠れた小柄な女性が乗用車のトランクに入って脱出した写真もありました

>最後の最後で見られる間抜な東ドイツ兵。
>あとフリッツィの恋人が撃たれたときの、撃った東独兵の表情。

ベルリンの壁は東ベルリン(東ドイツ)側に約1m下げて構築されていました
銃撃の流れ弾がアメリカン・セクターや英・仏側に被害を与える恐れがあり
それが即西側諸国への攻撃と解釈されることをソ連も嫌がって
逃亡者が境界線を越えてしまうと国境警備兵も銃撃を控えたようです

453東独フリーク:04/06/22 19:56
チェックポイントチャーリーでは東西両陣営の戦車が対峙したこともあったのですから
冗談抜きで第三次世界大戦の勃発です
その時のモノクロ写真ばかり絵葉書を買い漁って来ました

境界線(東ドイツは国境とは呼ばなかった)を無許可で越境する自国民に対しても
裁判なしで即射殺を命じていた訳で、(国境)警備兵も堪ったものではありません
でも撃たなければ自分が刑務所に入ることになります

国境警備兵は大体20歳ぐらいの若者で、彼等を胸に沢山勲章を付けた中年の上官が統率していました
誰も逃げ出さす誰も撃たずにその日の任務が完了することを願っていたそうです(文献もあるようです)

私、その国境警備の任務に就いていた元東ドイツ人の一人と日本で会いました
ちょうど私が東西ベルリンを毎日往復していた頃に任務に就いていたそうで奇遇でした
しかし「もし目の前を脱出する人がいたら迷わず銃を撃つのか?」なんて立ち入った質問はとても出来ませんでした

チェックポイント・チャーリーにはいわゆる税関職員もいましたからパスコントを通じて彼等とはそれとなく交流が生まれました

今夜は「自由へのトンネル」のビデオでも観ましょうか
454世界@名無史さん:04/06/22 22:11

冷戦下の敵国でありながら、国交があるというのが、何か今となっては不思議な感じですね。だから冷戦というのだとはいってもね。

是非とも、冷戦下の東独を観光してみたかったです。

東独フリーク氏は駐在員であったそうですが、当局の監視・圧迫・干渉なんかもあったのでしょうか。
455旧スレの1:04/06/23 04:17
蔵書の少なさに関しては、単純に日本語文献自体が少ない結果ですよ。個々の大学のせいではありません。

456世界@名無史さん:04/06/23 10:16
>>451 >>449
未亡人は、チリでホームレス?
457世界@名無史さん:04/06/23 12:52
>>31
それは国外流出人口が多かったから。
458世界@名無史さん:04/06/23 17:41
当時の日本からの留学生に関し;
クラシックの本場ですし、生活費も安いということで音大生は
行っていたのではないですか?
459東独フリーク:04/06/23 21:02
>>456

未亡人マルゴット・ホーネッカーMargot Honecckerはまだチリのサンチャゴで暮らしていて
2001年12月に彼女と対面したレポーターもいますが
現在の詳細な所在はホーネッカー・シンパにも明らかではないようです

2000年頃にDDR再建なんて勇ましい本を共著で出したこともあるようですが
本当にホームレスになっている可能性もありますね・・・勉強不足痛感
亭主と一緒に死んでいれば今頃は「神」だったかも知れないのに
460世界@名無史さん:04/06/23 21:09
ホーネッカー夫人も教育相かなんかでしたっけ。
461【^▽^】ジーモン@ブレスラウ:04/06/23 21:48
DDRには中部ドイツだけではなく、
ブレスラウなど東部ドイツも統治して欲しかった。
462東独フリーク:04/06/23 21:54
マルゴット・ホーネッカーはベルリンの壁崩壊(11月9日)より以前の
11月3日に「国民教育相」をミールケ(国家公安相)ら5政治局員と共に
解任されている
463世界@名無史さん:04/06/23 22:03
>>457
社会主義国だから中絶も多かったと思うけど。
464【^▽^】ジーモン・ジョーカー:04/06/23 22:06
カネをやるからマルゴットを輪姦せよ!>スキンへッズ
465【^▽^】ジーモン・ジョーカー:04/06/23 22:10
>>463
簡単に離婚出来た上に中絶も多かったらしいですね。
466世界@名無史さん:04/06/23 22:24
200万近くの減少だぞ。
常識的に、中絶がその一番の原因だったらこえーだろ。
大きいのは流出人口だって。
467東独フリーク:04/06/23 22:29
>>454

>(日本人駐在員等に対する東独)当局の監視・圧迫・干渉なんかもあったのでしょうか。

まだ生きている差し障りがある人もいますので、ちょっと記憶を整理してからアップします

>>458

>当時の日本からの留学生に関し; クラシックの本場ですし、・・・・

日本から強い円やドルを持ち込めば確かに基本的な生活費は安上がりでした
ただし東独の大学(ベルリンならフンボルト大学)に留学した日本人はきわめて少数だった

(1)東独は西独ほど留学生を優遇・援助していない
   AA諸国は別として日本のような資本主義国の学生を優遇する理由がない
   日本の革新勢力が送り出していたかも知れないが、やはり学生も本山のモスクワに行きたがるだろう
(3)日本からの留学生は西独(ハイデルベルグ等主要大学のある都市)や西ベルリンに集中
   西ベルリンには自由大学(フライ・ウニ)や工科大学(テー・ウー)があって卒業後帰国しても箔が違う
(4)音楽関係も西ベルリンに集中していたと思われ東独は留学生を受け入れ教育する余力に乏しかった
   音楽関係の大学自体および教授も西側との接触が大幅に制限されており力をつけた学生が海外(東独以外)で
   コンクール等に参加する途も狭められていたから日本の留学生もその点は考慮していたはず
(5)日本からの仕送りだけでは生活が苦しく、まして西側の強い通貨をえるためには、アルバイトは西ベルリンでした方が有利
   東独で日本企業が必要とした日・独通訳は大半が日本人学生もしくはその流れであった(表現が苦しいので、あ・と・で)
   日本食レストランや観光ガイド・通訳も西ベルリンに住んでいればこそ情報網があった

壁が崩壊した後の音楽関係留学生については別項で説明します


468【^▽^】ジーモン・ジョーカー:04/06/23 22:38
>>466
前スレを読んでなかったが、人口激減の一番の
原因は西への人口流出でしょうね。
ただし、離婚率と中絶率がベラボウに高く、
出生率が極度に低い(子供を作らない夫婦が多かった)かったことも
一因でしょう。

マルゴットが「(ドイツ連邦共和国は)私の祖国ではない」
と言ってチリに移住したのは憶えていますが、
ホームレスになっている可能性(?)まであるほど
落ちぶれているとは。。。何だか可哀相。
469ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/06/23 22:57
おおおーー…ジョーカー氏!
すんごい久しぶりではないですか!
今まで何してたんすか!
またかつてのように面白カキコしてくだされ。
470【^▽^】ジーモン・ジョーカー:04/06/23 23:11
>>469=ナポレオンさん

お久し振りです。昨年末から体調を崩し、
帰宅してパソコンを開く元気がありませんでした。
471世界@名無史さん:04/06/23 23:41
ポーランドの自主労組「変態」だっけ? 
ワレメとかいう大統領になった人がいたのは。
472世界@名無史さん:04/06/24 18:18
>>455
前スレに、ウルブリヒトが、日本やアメリカの企業グループ形態を理想にしていたと書かれていましたが、
ttp://www.crinet.co.jp/contents/articles/doctor/200202.html

これの垂直型のことでしょうか?
473世界@名無史さん:04/06/24 18:30
>>443   どなたからも回答がないので自己スレでつ

1)東ドイツから日本に輸出されていた日常的な食物(?)の原料は

  大麦麦芽、モルツです・・・日本のビール及びウイスキー会社にはほとんど入っていました
   
  ベルリンから東ドイツのアウトバーンをやや南東に下ってドレスデン方向に車を走らせると
  道路の両側にしばらく続く針葉樹や白樺の切れたあたりから左右は一面の麦畑でした
  農作業は大規模機械化農法ですから畑に人影はなく大きなコンバインや耕運機が
  黙々と作業していて妙に非現実的な風景でした

2)日本から東ドイツに輸出されていたのはチョコレートの原料です

  これはカカオではなくてココ椰子などの植物油を精製して不飽和脂肪酸に水素添加した
  ハード・バター・イクイバレント(チョコレート類似品で日本が最高品質)で白色・無味・無臭ですが
  チョコレートと同じ歯触り・触感と口に入れるとチョコレートと同じく体温で解けます
  最近の日本のチョコレートはHBEをあまり使わなくなりましたが一昔前の安いチョコは
  全部このHBEに色・香り・味をつけた紛い物だったのです

  ちなみに西ドイツや西側欧州諸国は紛い物の使用や混入した物はチョコレートとは認めず
  市販品の規格も厳重でしたから西ドイツのチョコレートは日本では味わえない美味でした

輸出入貿易額のバランスは覚えていませんが結構大きな金額が安定して続いていました
474世界@名無史さん:04/06/24 18:59
>473
5月にベルリンからドレスデンまで列車で行きましたが
途中、町が全然ないですね。菜の花みたいなのを栽培していて
一面黄色の畑でした。
農家の家の庭にバラックみたいな小屋がもう一つあって最初
それを住居かと思って東は貧しいななどと思ってましたが、
あれは納屋だろうと思い直しました。
国土に平野が広くて土地の条件は日本よりかなりよさそう。
ただし、外国と境が無いのは恐ろしい。
475東独フリーク:04/06/24 20:01
>>474

それってたぶん屋外トイレの小屋ですよ地下吸収式の
東では随所で見かけましたから

国土が平坦・・・・第三次世界大戦はワルシャワ条約軍の戦車が大挙
東西ドイツの緩衝地帯を一気に突き破って西ドイツに侵攻するのが
きっかけでもう後戻りが出来ない戦闘に突入する・・・・って
198年代半ばの東西のドイツ人が言ってましたっけ

476東独フリーク:04/06/24 20:16
1980年代の誤りでした

東ドイツ軍の戦車部隊がハレとドレスデンをつなぐアウトバーン上で
西から東に移動する現場に偶然居合わせたのですが
東独が許可した特別ナンバーの車だったせいか全く規制も干渉もされず
ただ停車して左側を通り過ぎるのをじーっと息をこらして観ていました

帰りにその場所(元カールマルクス・シュタット現ケムニッツ近郊)を通ったら
アウトバーンから大きく外れてそのまま農地の中に曲がって入っていった
キャタピラの跡がくっきり残っていました
戦車が7台ぐらいと後方に補給車両やパトロール車が従った大編成でした

さすに写真は撮れませんでしたね、まだ命が惜しかったですし・・・
477東独フリーク:04/06/25 02:50
今夜はBS1で25時15分から約1時間
ベルリンの壁のドキュメント(1999年11月放送)の再放送があった

    【壁を見つめてきた男たち・・・壁崩壊から10年】
478東独フリーク:04/06/25 10:24
>>21

>DDR第一次五カ年計画について詳しく書かれてる本は無いですか?

>>434 の方法でしか詳細を把握できないが、流れが分かるものをちょっと切り取って転載

【年次計画】

建国以前すでにSEDは、生産を1936年の水準に戻す二ヵ年計画を実施していた。
その後、1950年7月の第三回党大会で極めて野心的な第一次五ヵ年計画が承認され、
51年1月1日から実施された。
計画完遂のため、53年3月には労働ノルマが強化された。
「新路線」のために目標が変更され、第一次計画は延期されたにもかかわらず、
56年3月には第二次五ヵ年計画の基本方針が楽天的気分の中で承認される。
近い将来追いつき追い越すことを目指して西側に挑戦するフルシチョフ時代が始まる。
58年、新計画を発足させたソ連経済に連動させるため、第二次計画の最後の二年間に
第三次計画が発足するが、このいわゆる「七年計画」(1959〜65年)の中途に、
決定的転換が起こる。

1960年、工業生産は予定の上昇テンポを取り得ず、この年、実施された農業の集団化は
食料品の欠乏を招いた。
61年以降も停滞が続き、63年1月、計画委員会議長でSED政治局員のカール・メリスは
解任される。
しかし、この頃、第四回党大会では、新計画(1964〜70年)の準備と実施に有利な
諸要素が評価され、以後は細かな目標より一般的な予測と年間の達成度が問題となり、
重点は依然として社会主義的な経済指導における企業経営と価格の役割に置かれる
ことになる。
479旧スレの1:04/06/26 03:21
>>472
そうですね。 今現在自分が所有している論文等を
確認できないのが残念ですが、記憶の限り説明しましょう。
1963年の新経済システムが始まる前に、
ウルブリヒトは新しい社会主義的経営の導入を目論んでいました。
企業の中で、各労働者を競わせること、
すなわち社会主義的競争ですが、
それだけでは、生産物の品質や、労働生産性の向上に
結びつくことには限界がありました。
そこで理想となったのが、日米の企業形態です。
グループ形態そのものは、確かに近いものが導入されましたが、
資本形態も異なりますし、貴方が提示された垂直型とは、
厳密に言えば違うかもしれません。

最も重要なのは、親会社というより中心企業が
各子会社を管理すること、
またその際、最も重要視されたのが、経営者の裁量権の増大と
役員会議のような上部組織の話し合いです。
党中央で計画された目標をただ割り振って、実行させるのではなく、
各企業の経営者が、ノルマと賃金の関係に深く食い込み、
労働組合の力を一時的に弱めることを許容しつつ、
『脱中心化』を図るということですね。
この文脈を読むに当たって、経営者が社会主義経済の中では、
あまり自由な権限を持ち得なかったことに留意せねばなりません。
480旧スレの1:04/06/26 03:21
この場合の中心は国家であり、企業ではありません。
従って、脱中心化とは、国家から各企業の経営者に
生産の際の計画立案の自由、賃金とノルマのより強い決定権を
与えるということになります。
より率直に言えば、資本主義的要素の導入ということになります。

社会主義国というのは、労働者の権利を「建前上」重視しており、
イデオロギーの無い、あからさま搾取など不可能に近いということを
念頭におけば、実質的に経営者に労働者の賃金を抑えさせながら、
生産性の向上を図らせるというのは非常に画期的なものでした。
もちろん、その際には報奨金なども経営者の裁量で与えることも
できたようです。
わかりにくい説明で申し訳ありません。
481旧スレの1:04/06/26 03:27
DDRの5ヵ年計画の動向をつかむためには、
Statistisches Jahrbuch der DDRを読む必要があります。
これは東独フリークさんのおっしゃる通り
研究者の間では数字の粉飾が常識となっておりますが、
避けて通れません。
滑稽なのが、SED指導部も統計局も数字の粉飾には
ケースによって相反する立場を取っていました。
時には、正確な動向をつかむため、
下部組織の点数稼ぎ的な粉飾を厳しく禁じたりもしていたそうです。
482旧スレの1:04/06/26 03:32
7年計画でのスローガンは、
一人頭の消費で西ドイツに追いつき、追いこせ
でしたね。
483世界@名無史さん:04/06/26 08:54
>>481 旧スレの1さんがご教示された Statistisches Jahrbuch der DDR を
上智大学蔵書 >>441 で検索すると下記の蔵書があるようです

Statistisches Jahrbuch der Deutschen Demokratischen Republik /
herausgegeben von der Staatlichen Zentralverwaltung für Statistik ;
1978-1990 - 1990.-- VEB Deutscher Zentralverlag, 1956

コネがあればもぐりこんで閲覧の上ご希望の編年資料があるか否かチェック
されては如何でしょう
出入り自由な「一般の市立図書館や国会図書館」も検索されては如何?
今は振り返る人も稀な東独ですが、一時は注目の国・社会制度でしたから
484東独フリーク:04/06/26 10:46

Statistisches Jahrbuch der DDRは1955年度版から1990年度版が
南山・立教・青山の各大学図書館にも所蔵されています
初年度と最終年度を見てみたくなりました

国会図書館はまだ検索できません
東京都立3館の検索では1990年度から6年分(下る)がヒットしました

残念ながら川崎市と八王子市にはありませんでした

485472:04/06/27 03:24
ありがとうございます。
どうも壁建設後辺りから、ウルブリヒトさんは社会主義に見切りをつけ始めたような気がするのですが。
ソ連とは違った別の道がある云々といったことを発言していたようですし。。
486世界@名無史さん:04/06/27 17:54

>どうも壁建設後辺りから、ウルブリヒトさんは社会主義に見切りをつけ始めたような気がするのですが。
>ソ連とは違った別の道がある云々といったことを発言していたようですし。

この論点(ソ連とは別の道)に関して強く興味を引かれ、思い当たることがあるのですが、
このスレおよび前のスレを参照した結果、事前に皆様に「個人的体験と考察」を投稿する
ことの是非をお尋ねしたいのですが如何でしょうか?
487東独フリーク:04/06/27 17:58

>>486 は私の質問です (文章の訂正をしたら名前が消えてしまったのです)

なるべく分かり易く書くつもりでいます
488旧スレの1:04/06/28 01:52
472さん言うとおり、この問題は非常に複雑で
当時学生であった私もメインテーマではないため、
深く掘り下げることはできませんでした。

ご存知のようにウルブリヒト政権下で、
主に農業集団化や私企業の国営化のために
人口流出に歯止めがきかず壁建設が行われたのですが、
このことに当初ソ連指導部は戸惑いをみせたといわれています。
いたずらに東西関係を緊張させたくなかったという配慮もあるでしょう。
このことが、ウルブリヒトがソ連との距離を感じ始めた一因であるかもしれません。

もう一つは、国内の経済の完全な社会主義化の実行と
経済の回復は相反するものであったことを述べておかなければなりません。
従ってむしろそれが1961年の危機を招いたといえます。
この政治的危機を乗り切ったウルブリヒトは、
その後経済的な危機に対処せねばなりませんでした。
「閉じ込められた」と感じ始めた東独の国民の労働生産は激しく落ち、
実質的な賃金上昇の停止を強要していました。
そのような経緯で始まったのが、新経済システムであったのです。
489旧スレの1:04/06/28 01:55
訂正
賃金上昇の停止を強要していました。

賃金上昇の停止を強要されていました。


このシステムの導入により、生産性の向上と国家財政の回復、生活水準、
経営者、エンジニア、マイスター、専門労働者の地位の上昇が成し遂げられましたが、
一般の労働者の待遇は激しく悪化しました。
新経済システムの第2段階でこの問題の改善が考慮されましたが、
経済優先の指導システムが、徐々に深刻な政治的論争に発展していきます。
のちに新経済システムは「社会主義の経済システム」として
第3段階に入ると、経営者の裁量権の縮小が行われました。
この1964年から1970年に、ウルブリヒトの独自路線「現実に存在する社会主義」(だったでしょうか?)
を疑問視していたソ連指導部と、密接に連絡をとりあっていたホーネッカーの台頭が起こっています。
ホーネッカーは、経済優先のウルブリヒトの政策が「労働者」を無いがしろにしていると
攻撃していました。逆にいえば、新経済システム導入による、一般労働者の不満を自分の地位上昇に
利用したのです。
しかしながら、ホーネッカーの安定期といわれる1970年代前半以降、
DDR経済が悪化していくのを考えれば、ウルブリヒトの経済改革は、
後年評価される側面も出てくる可能性があるでしょう。

以上は私の仮説ですが、
ウルブリヒトの50年代と60年代のソ連に対する態度の変化と
それに関連する経済政策の詳細は、最新の研究結果を待たなければ
ならないと思います。
東独フリークさんの見解も楽しみにしています。
490東独フリーク:04/06/28 12:57
>>458 >>467

旧東独時代といっても80年代の限られた状況ですが
(1)音楽関係で東ベルリンに留学していた学生を寡聞にして接点もなく存じません
   繰り返しますが、東独側は日本関係の教育に携わる日本人教員は受け入れて
   いましたし、フンボルト大学の講師もしくは準教授とは懇意にしていました
(2)既に日本で十分修練を積んだか、相当期間東独もしくは別の外国で修練した
   日本人音楽家(声楽)は東ベルリンで開催された独唱会を拝聴しました
(3)その方は東ベルリンの滞在が永く、東独人と結婚していたかもしれませんが
   そのキャリアで後から東ドイツにやってくるアカデミック(文化・社会・音楽関係)
   な日本人のボス的(いろいろな意味で)存在でした

それに対して西ベルリンには多数の音楽関係の学生(日本で既に音楽大学を卒業している学生)
がいましたし、プロもしくはセミプロとして活躍している音楽人は多かったので、西ベルリン
における日本人留学生の音楽および生活環境は良かったと思います
西ベルリン(もちろん西独各地も含み)を足場に世界的なコンクールで優勝したり、各国の
オーケストラに就職し、日本に帰国してからも本場のドイツで修業したという箔がついたと
思われます
491東独フリーク:04/06/28 13:02
>>490 承前

壁が崩壊して東西ドイツ統合の後1990年代半ばに入り、日本人留学生を
取り巻く環境・様相が変わってきました
(1)財政難のドイツ政府が外国人留学生に対する優遇策を見直し始め
(2)もちろん学生全体(ドイツ人学生)に対しても授業料(自治会費みたいな性格もある)
   の値上げやアルバイトの無税を有税化するとか、モラトリアム年限の短縮などです
(3)皮肉なことに(2)による学生(生活)の特権を剥奪すると、親の援助でドイツで楽々
   生活ができる日本人学生の留学比率が増えるという現象がでてきた
(4)日本人学生を狙い打ちにした訳ではないだろうが、外国人に対しても教育補助費に差別
   をしない建前とは裏腹に、自国民の学生を応援する雰囲気が強まって、たいした才能も
   ないにもかかわらず大挙して押し寄せる日本人留学生の受入枠の厳密な選別が始まり
   ました
(5)ベルリン(旧東ベルリンもベルリンのうち)で音楽関係の勉強をすることが極めて困難に
   なった具体例として、ベルリンの音楽大学でドイツ留学の資格試験はパスできるが、実際
   に勉強する大学の所在地はベルリンでない地方都市の提携先の大学なら許可するという
   ものです
(6)二、三の保護者から相談を受けたものでは、旧東独の港湾都市であるバルト海に面した
   ロストックを指定されて、やむなくそこへ留学した女子学生がいた
   当時はまだ日本大使館はボンにあってベルリンは領事館の管轄で邦人保護や援助の実務
   はおざなりで、遠隔地のロストックには領事館すらなく、元々東独時代の保安措置から
   日本人をはじめとする外国人の居住は少ない地域であったことから、治安の悪化(ネオ
   ナチや東欧の経済難民の流入等)が心配されました
492東独フリーク:04/07/03 00:29


ソ連をはじめとする共産圏・社会主義諸国とは明かに異なる
旧東独が行っていた経済機能(メカニズム)についての私見

(1)対外貿易に関して公然とフィクサーが存在した

ソ連・中国・ベトナム・(旧)チェコスロバキア・(旧)ユーゴスラビアだけの
商取引の経験による比較だけで断定するのは無理があるが、これら社会主義国の
対外貿易は全て国家機関たる公団(公司)によって遂行されており、それは国内
の需要や供給を基にした委託ではあっても、契約当事者として全てを仕切ってい
たが、東独はそれと平行してフィクサー(日本企業の対東独代理人と称して)が
介在し高額のコミッションを吸い上げる仕組みを確立していた

欧米諸国との貿易でも、それぞれにフィクサーが介在していたと思う

日本は更に特殊で、日本側は総合商社と製造者のグループ化(絶対的固定関係
ではないが、実績ベースでほとんど変動がない)によって、化学プラントを
初めとする製造機械・設備・機器ならびに食品・金属・繊維製品の輸出を行い
決済金額が合計して最終的に同額となるように見返り輸入(Gegengeschaeft)
が義務付けられていた

フィクサーの一社は代表者をシンドラー(まるでブラック・ジョーク)といい
もう一社はフォルグベアーといって、両者共ばりばりのユダヤ人であった
493世界@名無史さん:04/07/03 06:11
>>492

旧東独のフィクサーは、政府公認だったんですか?
494世界@名無史さん:04/07/03 07:58
ドイツで思い出したけど、ドイツ人は全員死ね。
とても傲慢でアジア人に対する差別がすごい。
なにげにアジア人を卑下した含みを持つ発言するところがむかつく。
俺の女友達(顔は可愛い。高級ブランド物は持たないタイプ)が
ドイツ語勉強してて、憧れのドイツに旅行して帰ってきたんだけど
さんざんな目にあったって言ってた。
ドイツ語でアジア人や日本人を馬鹿にした発言したり
罵倒してきたりしてむかついたって。
酷かったのは、広場で見知らぬ金髪青目男にドイツ語で「馬鹿な日本人」と
言われた事らしい。
あと、17、8才ぐらいのガキにワザと肩ぶつかられて、「プッ」って
笑われたって言ってた。
こういう体験を旅行記としてホームページに書こうかなって言ってたけど
絶対書いたほうが良いと思う。
495世界@名無史さん:04/07/03 08:01
街中で、後退する配送トラックに若い女がもろに轢かれた。ここ何年か聞いて
ないような猛烈な悲鳴ですた。まぁ、叫んでいたくらいだから死んではいない
と思うけど、ビクーリした。衝撃テストの人形みたいになるんだなぁ、オモタ。

女は、トラックに背を向けて歩いていたから、街中の喧騒でトラックの気配
に全く気付いていなかったわけ。日本人だと意識しないけど、よく考えてみると、
この手の状況は、日本じゃ起き難いだろうなぁ。だって、日本のトラックは
後退するときビープ音がするモンね。電子音声で「バックします。ご注意くだ
さい。」と連呼するお節介な奴もまったく珍しくないし。

案外と気付かないが、細かいところに工夫があるんだなぁ、と思いましたよ。
このドイツ人も日本仕様のトラックだったら、事故に遭わずに済んだかもねー。
もちろん後方確認不十分の運転手が一番悪いのは間違いないのだが。それに
しても街中なのに救急車遅かったっす。怪我の程度によっては死んでたかも。
496東独フリーク:04/07/03 09:10
>>493

フィクサーは公認であったが、一般国民まで知っていたとは思われない特殊な法人で
対外貿易に関係する東独内の(製造)企業に対してはその名前は隠然たるものがあった

立場としては、日本の企業グループの対東独代理店の形をとり東独から日本に向けて
出される引合(商取引の申し入れ・見積依頼)は全てこの代理店を経由していた
例えばS社は日本の6企業グループの代理権をもち、F社は1グループの代理権を持っていた

S社に集中したのはS社の歴史が古く、当時のウルブリヒト(党上層部及び個人)と密接な
関係にあったため有利な引合や契約が取り易すかった

F社を代理店にした日本企業(総合商社)は他社と同様にS社と代理店契約を結ぶと
引合入手が順番待ちもしくは機会が少ないと判断して、敢えて後発のF社と手を
結んだが、当初フランスの香水等の輸入代理権を持っているに過ぎなかったF社で
はあったが急激にホーネッカー(個人および党上層部)との関係を深め徐々に力を
付けていった上、機械輸出入公団の総裁と個人的に関係が深かった(タイプも似ていた)

フィクサーの存在理由は別項で説明
497世界@名無史さん:04/07/03 09:21
フィクサーはフランスにもいる
498東独フリーク:04/07/03 13:22
>>496

東独におけるフィクサーの存在理由

(1)対外貿易取引に介在してコミッションを取る
   もちろん支払いはハード・カレンシィであるドル・西独マルク・日本円等
   口銭率は当初1〜3%程度(商品・契約金額により異なる)
(2)その金は東独ではなくスイス銀行の口座に振り込まれる
   東独の政府機関ではないフィクサーが全く自由に使える
(3)当然考えられる使途は、東独政府要人、党幹部・公団上層部への上納金や裏金
   対外秘密工作資金
   ココム規制該当品等の密輸入の資金
(4)東独末期の1980年代後半になって、この口銭率を一律上げて最高8%を要求してきた
   かような高率のコミッション支払いがフィクサーの所在地でもないスイスであること
   とも相俟って、日本政府から正常な商取引に係わる口銭とは認めがたいので
   贈与等に該当するとして日本企業に対する課税対象になりかけて紛糾した

(5)日本企業の駐在員の中期滞在ビザはこのフィクサーの召請状に基づいて発給されていた
   東独にとって好ましからざる言動があれば直ちにビザは停止される
(6)在東独(東ベルリン)の外国企業は全てIHZという高層の貿易センタービルに一括入居
   させられていたが、その事務所への東独人のスタッフを派遣する権利を有していた
(7)日本企業の中には現地スタッフを全員西ドイツ人もしくは現地雇用日本人で構成する
   事務所もあったが、多かれ少なかれ東独人スタッフの受入は拒絶しがたい状況にあった
   もっとも特異な例では、駐在員(もちろん本社派遣の日本人)・西独人・東独人・日本人
   (現地雇用)がそれも男女混成で事務所の運営をしている企業もあった
   東独人スタッフの給与の支払いは派遣元(フィクサーもしくは東独企業)に西独マルクで
   なされたが、東独人スタッフには東独マルクで支払われていた

IHZ(Internazionale Handels Zentrum)はフリードリッヒ・シュトラーセ駅の近傍にある
ベルリン有数の高層(23階建てと思われる)ビルで鹿島建設が建設した
内部には入居企業を対象とした秘密諜報活動の諸設備が完備した階があると噂されていたが
所在は未確認で通称24階と言われた
499世界@名無史さん:04/07/03 13:30
東独にもポップミュージックってあったんですか?ロックとか。
500東独フリーク:04/07/03 14:18
東独にもポップミュージックやロックはあったが、東ベルリンで派手に活躍したり
レコードを発売していたとは思えない

地方都市、例えばドレスデンなどの方が、資本主義的音楽に対する締め付けも緩く
隠れた演奏活動も含んで盛んであったかも知れない

西ベルリンに住んでいると、半端な東独製ミュージックを探し回ることもなく
東独人にも敢えて尋ねるようなこともしなかったので情報は皆無ですまぬ

(東独からの指示で)西独製の最高級のカセット付きカーラジオが頻繁に盗まれた
のでテープで聴いていたのかもしてない

東独人の家庭(アパート)にはテレビと並んでやラジカセを見かけたが、
周囲を気にしてか、訪問時にあまり音を出しているのを聴いた覚えがない

西側の音楽番組等のラジオ放送は東独政府の妨害電波によって受信困難であったが
テレビ放送は受信できた(ドレスデンは盆地なので受信不可)から録音していたかも
501東独フリーク:04/07/03 19:22
>>499

独日翻訳はできぬが、簡単な検索でもこんなにあったみたいです

http://suche.netscape.de/suche/search.jsp?q=Popmusik+in+DDR&x=0&y=0&wo=
502世界@名無史さん:04/07/03 20:04
>>496, 498

いやあ、これほどまでの東独情報通が日本にいらっしゃったというのは、非常に驚きというか感動です。

恐縮ながら、また質問が思い浮かんでしまいました。

1.東独崩壊以後のフィクサーたちの状況。一気にどん底にたたき落とされたのか。

2.東ドイツで働いていた西ドイツ人たちはどういう人たちなのか。あえて東ドイツで働こうとする西ドイツ人についても、敵国人たる西ドイツ人を自国領内で働かせる東ドイツ政府についても、不思議な感じがします。
503東独フリーク:04/07/03 22:31
>>502    >1.東独崩壊以後のフィクサーたちの状況

ベルリンの壁崩壊(1989年11月9日)から日を経ずしてF社の代表者夫妻はオーストリアか
スイスに逃亡したと、翌年1月中旬にまだ統一前(どころか統一の意思確認のための
東独側の選挙より前)に急遽調査のため派遣されて訪問したベルリンで元の部下から聞いた

S社の代表の動向は未確認だが、いずれも身辺に危険を感じて、政府要人でもなく党幹部
でもない身軽さから、雲を霞と第三国に出奔したと思われる
なおSは糖尿病の末期であったと聞くので、ホーネッカーと同じく死亡したであろう

F社は東独政府が西独に対する対抗心から使用しなかった、ベンツやBMWなどの高級車を
多数所有して、自社および東独のために活用していたが、壁崩壊の翌日には全ての車を
スイスに移動させて財産の保全をした(ユダヤ人だからこそ簡単にできる芸当)

F社の社長は、80年代に何度か西独および西ベルリン当局から告発されて逮捕状が出て
いた(ベルリンで発行されるB・Zやベルリーナ・モールゲン・ポストに記事がでた)
いたので、もたもたしていれば刑事告発の被告として収監されることが分かっていた

しかしSもFも銀行口座をスイスに持ち、不動産を除く財産の保全は完璧であったで
あろうし、旧東独政府・SED党幹部(もちろんホイーネッカー一派)からも公に請求
される筋合いではない隠し財産の隠匿は十分に出来たと思う
その後の統一後のドイツ政府が告発・回収・没収したか否かは知らないが興味は残る

>2.東ドイツで働いていた西ドイツ人たちはどういう人たちなのか。

東西ベルリンが置かれた、ドイツ人にとって極めて特殊な状況と環境が深く
関わっていて、簡単には説明できないので考えを整理して別項で説明する



504502:04/07/05 00:40
>>503

東独フリーク様、質問1への丁寧なご回答ありがとうございます。というより、常々丁寧な東独解説を読ませていただき感謝しています。

やはり、黒幕というものは、表舞台に出てくることはないということですね。

まぁ、政治的弾圧に荷担した人間たちとは違って、徹底的に訴追するほどの対象とは見なされていなかったのかもしれませんが。
505世界@名無史さん:04/07/08 13:47
>>447
>そのままではホームレス状態で野垂れ死にしてしまう、という二人に手を差し伸べたのは、
>なんと、彼らがそれまでないがしろにしていた教会であった。

なんかあれだ。
連合赤軍が散々自分の祖国を世界最悪の国みたいに
ボロクソに言って北朝鮮に亡命しておきながら、
今頃になって「日本に帰りたい、帰らせてください」と自民党政治家に
泣きついてるのと同じ感がある。
506東独フリーク:04/07/08 22:50
>>505

東独(ドイツ民主共和国)国家評議会議長を解任されたホーネッカーは
病気治療と称してモスクワに逃れてかの地で元気に社会主義は永遠だ勝利するぞ
なんて演説なんかをしていたがソ連政府も手に余って
一度東独に送還されたときの状況を言っている

よど号ハイジャック犯も同じ末路なら良いのだが自民党政権では利用価値があれば
赤軍派を延命させる腹かもしれず既に還っている犯人や妻子も結構偉そうに威張っている

理由を追々述べたいが  >>1 のようにあちこちでぼろくそに書かれているほど
東独は酷くはないし北朝鮮ほど理不尽・不条理でもなかった
507世界@名無史さん:04/07/08 23:24
帰還を許してやったのは
中曽根だったっけ?
刑法犯だから当然刑務所入りだけど。
508世界@名無史さん:04/07/09 03:03
>>506
「転落者の告白」でも社会主義は間違ってないうんぬんとか言ってましたね。
ホーネッカーさんのインタビューは、同じ事をくり返し延々と言っているようでした。
509世界@名無史さん:04/07/09 03:32

年齢も年齢だったし、この期に及んで信仰を変える気はさらさら無かったのだろう。
510世界@名無史さん:04/07/10 19:45
1990年頃の国営航空会社インターフルークの運行状況、路線展開など教えてください。
511東独フリーク:04/07/10 23:47
>>510      非常に難しい注文だけれどサービスで検索してみた

    http://www.fly777.com/zukan/interflug.html

【航空路線図】  ・・・・拡大されていれば良いが

    http://www.ddr-alltagskultur.com/inter03.jpg

念のために     http://www.ddr-alltagskultur.com/interflug.html

ただし東独国内で飛行機に搭乗した経験は皆無
季節を問わず全て乗用車で移動していたから
512世界@名無史さん:04/07/11 00:18
>>503
> 東西ベルリンが置かれた、ドイツ人にとって極めて特殊な状況と環境が深く
> 関わっていて、簡単には説明できないので考えを整理して別項で説明する

なかなか説明の付きにくいことでしょうか?
513東独フリーク:04/07/11 00:25
ぶっつけ本番で書きなぐってみましょうか・・・・・
記憶もぼやけてきたことだし、そろそろ纏めが必要かも
514世界@名無史さん:04/07/11 03:47
>>511
情報ありがとうございます。
末期にA310を導入して印象的だった記憶しかありませんでした。
一度、長距離線に搭乗したかったのですがあっという間に倒産して未だに
後悔が残っています。
515名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 18:55
東独地区の工場閉鎖が相次いでます。
フランスやベルギーの航空会社もどんどん倒産してます。
516東独フリーク:04/07/11 20:56
>>512

ちよっと下書きしてみたが、やっぱり拙文で堅苦しく面白くない
格調は低いが「面白い実話」をとりあえず思い出してみました

80年代半ばなのに、日本人絡みでスパイ小説もどきの奇妙なことがあった

東独南部のコンビナートの女性コンピュータ技師(当人は取締役と自称)が
日本の某重工業の部長クラスの技術者と東独内のホテル・バーで知り合って
親密な仲になったが、彼女が東ベルリンに出てきたりして彼が東独に来る度
に会っていた

それどころか、なんと西独のフランクフルト等でも密会していたのには驚いた

もちろん常識では考えられない行動が簡単にできる彼女は秘密警察かも知れないと
彼には何度も警告したがずるずる会っていたし、時々二人の食事に付き合わされたり
東ベルリンで彼女に呼び出されて伝言を頼まれたこともあった

しかしそんな神出鬼没の彼女でも、西ベルリンにはどうしても足を踏み入れることが
出来なかったようである

もっとも西ベルリンの自宅に会いに来られたらパニックだったろう
517世界@名無史さん:04/07/11 20:57
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これを見た人は確実に【不合格】です。これをコピペでどこかに1回貼れば回避できます。
これは本当です。やらないと一年無駄になります.

私も最初は嘘だと思ったんですが、一応コピペしました。それでセンター私大に合格出来ました。
けどコピペしなかった友達がA判定とっていたのに、おちたんです
518世界@名無史さん:04/07/11 20:59
>>516
日本の男て篭絡しやすいと舐められてましたか?
519世界@名無史さん:04/07/13 20:35
なんか質問ばっかりになっていますが。。

>>489
私の持っている文献(日本語のしかありませんが)には
集団農場についての記述が無かったのですが、
新経済システムは農村にも適用されたのでしょうか?
520世界@名無史さん:04/07/13 20:42
あと、「現実に存在する社会主義」っていうのはホーネッカー時代の言葉みたいですね。

521旧スレの1:04/07/14 02:57
>>519
農業分野の新経済システムの影響は、当時の私の専門外でしたので、
全くの未知数です。システムそのものも、第2次産業をメインにしたものでしたし。
日本語文献で調べるのは、
新しい論文を出ていない限りおそらく不可能だと思います。


>>520
それは失礼しました。
「社会主義の建設」の後に続く独自路線を思わせるような
なんらかのスローガンがあったように思うのですが、
失念してしまったようです。
522旧スレの1:04/07/14 02:58
新しい論文を→新しい論文が
に訂正
523東独フリーク:04/07/14 09:28
3日間程この「スレ」のみが開けず、空白のまま「完了」となっていました

その間に尋ねられている質問に専門家ではありませんが、当時「何故だろう?」
「どうして他の社会主義国と違うのだろう?」と疑問に思い、自分なりに
整合性を求めて「予断と偏見で独り合点」していた感想を順次述べたいと思います

専門知識があられる方達のご指摘や訂正を切に希望するところです。
524東独フリーク:04/07/14 13:20
>>518          ご興味があれば核心部分の話をしましょう

1)外国人を相手にする東独人のプロスティテュートは、首都東ベルリンはじめ、ドレスデン、ライプチッヒ他の
主要都市にはいました
完全雇用・失職者なしの東独でも「売春婦」と言う正式な職業分類があった訳ではなく、 なんらかの事情で
文字通り肉体労働で稼がなければならなかったのでしょう
売春で入手した外貨で、車(トラバント)を買うとか、西側への逃走資金にしていたかも知れません
外貨でしか買えない商品があるとか、(外貨)西独マルクと東独マルクの交換比率が非常に高い等の経済環境が
売春してでも稼ぎたい(東独には出所や事情説明を一切求めず、外貨を吸い上げるシステムを持っていた)
ようにしむけけられて居たのかも知れない(それが哀れで、いつも憤慨していたが)
問題はソ連等の社会主義国と同様に、当局の黙認を得るための諜報機関との連携・協力、取り締りの官憲や
場所を提供するホテルへの上納金が結構馬鹿にならない額・率だったことでしょう

2)外貨(西マルク・ドル、円も一部では可)をたっぷり持った外国人を重点的に相手にするので、 日本人だけが
篭絡しやすく舐められていたとも言えませんが、日本人の外人女好きは東独でも知れ渡っていました
東独では基本的にドイツ語が堪能でないと、外人向けホテルのキャッチ・バーで女性を捉まえられない問題はあります
ロシア語はまだしも英語、フランス語あたりの高等教育を受けている(受けるチャンスがあった)階層しか外国語は
喋れませんし 、外国語といえば英語が一本槍の日本人では東独女性とそもそも会話が成り立ちません
それに誘いを掛ける時に、彼女等は乙に澄ましていて、妙にプライドが高い(笑)ので商談が成立しません
前述の某女性は例外中の例外で、然程若くはなく英語が堪能でインテリジェンスも非常に高かったので
なんであんなおっさんが気に入ったのかと・・・・

525東独フリーク:04/07/14 13:28
>>524   ← >>518 

3)周辺諸国から流入してくる東独人ではない出稼ぎ売春婦は沢山いました
特に春秋二度の国際見本市が定期的に開催されて、集中的に外国人が集まるライプチッヒの国際ホテルには
有名なキャッチ・バーがあって、アイフルな美女が(常時)待機していますし、英語の他にも二、三ヶ国語は操れる
本物のプロが大半でした
それでも日本語まで喋れる女性はいませんから、しかたなく日本からの重要な客の仲介をしなければなりませんでした
ここはホテル内での性行為が認められていて、部屋への連れ込み料が一回60マルク
チェック・アウトの時に明細付きで客がホテルから請求されました(恥を掻く笑い話あり)

4)日本人は彼女等にとって上客でしたね(言い換えれば舐められる一因でもあった)
「金払いが良い」・・・・決めるまで通訳兼世話人(私)にもっと値切れと脅迫しながら、部屋に入るとチップを弾む
「短時間で終わる」・・・・商談成立後エレベータで一緒には上がれないので、彼女等は別の経路で指定の部屋に
後から行くが、あっという間にバーに戻ってきて、プロモーターと勘違いされている私に次の客を紹介しろと迫るのです
要するに「三こすり半」が多いので、日本人は超特急だから、一晩で何人もこなせて効率が良い客なのです
皆があまりに早く終わるので、翌朝どうだった?と探りを入れると、十分満足したから今夜も頼むなんてにこにこしています

5)そんなメッセの期間中は街に出れば、セミプロ(半玄)やお祭り騒ぎに隠れて稼ごうなんて素人(学生や主婦)
もいたかも知れませんが、それこそ女性のアパートに行かざるを得ないし、美人局や強盗、秘密警察等危険が一杯だと
どうしようもない好き者を脅して思い止まらせました
なお他の共産圏・社会主義国と同様、一般市民の住居に無届で宿泊すると外国人も高額の罰金をとられたり
出国の際別室で事情聴取をされて、ぎゅうぎゅうの目に遭わされることがありました
526東独フリーク:04/07/14 13:55
>「現実に存在する社会主義」

1970年代から東独との取引があって、何度も東独の深部の工場や、一見西側の雰囲気を思わせる
コンビナート(これも説明すると永くなるので省略)の事務所や生産現場に立ち入り、ドイツ語は
分からないながらも公団の職員にそれとなくスローガンや従業員の統率、労働管理について質問
してはおりました

1)何故「東独は社会主義圏で第二の地位を占めている」と自らを誇れるのか?
2)他の衛星諸国以上のノルマをあげながら、ソ連の限りない・底なしの収奪に耐えられるのか?

マルクスの資本論はきちんと読んでいませんが、社会主義革命が確実に成功する前提条件として
その国・地域の状況が既に(高度もしくは進んだ)資本主義体制に達していなければならず、
無知蒙昧な農奴や農業従事者ばかりの国・地域では一足飛びに社会主義に移行できない
ドイツ民主共和国は、戦前から本家のソ連以上に資本主義化されており、革命の次の段階に
以降する必然性があったと自負している節がありました

2)ホーネッカーは東西冷戦こそが東独の存続基盤であって、ソ連の後ろ盾がなければ、
東独は存在できないと明確に理解していたし、マルクス主義の理想は理想として、ソ連の
要求はどんなことがあっても達成し、ソ連以上の効率が良い国家運営のためには手段を選ばず
「鬼にも邪にもなる」覚悟だったのだと思います

無断越境者を裁判なしで射殺する(できる)法律が、東独の憲法下でも違法であることは
分かっていたので、明確な文書による命令は残さず、越境によって射殺された人数の西側報道にも、
正面から反論せず、自国民に過大な恐怖心を植えつけるに任せたのだと思います
527東独フリーク:04/07/14 13:59
>>526

修正  【以降する】  →  【移行する】
528東独フリーク:04/07/14 14:37
>>521  専門家に口を挟むようですが・・・・実際に車で走り回った経験から

>集団農場についての記述が無かったのですが、
>新経済システムは農村にも適用されたのでしょうか?

1)東独は氷河期の侵食による平坦な土地が続き、緯度的にはポーランドやソ連の
穀倉地帯と同じ状態が想像されますが、大麦を中心とした穀倉地帯は、ベルリンより
南部から、ハレとドレスデンを結ぶアウトバーンの北側、それに東西ドイツ国境に近い
シュベリーンSchwerinより南部で、ベルリンとハンブルグを結ぶトランジット道路の
周辺に限られていたようです

ベルリン周辺からバルト海沿岸のロストックまでは湖沼地帯で、まともな農業どころか、
人が住むのもすら困難な地域でした
ソ連型の原子力発電所がそのへんにあったはずです

2)ジャガイモや甜菜糖の砂糖かぶら、葉菜類等の一般的な農業は盛んでしたが、何時手入れを
しているの目撃していません
基本的に食物輸入は困難な外貨状態でしたから、自国内でしか賄えない自給自足体制で毎年
乗り切っていました
食肉生産や酪農の生産物も、良品は大半が輸出用に回されていましたし、農業生産者であり
ながら厳冬期には餓死者がでたと80年代(!)になっても聞きました(日本人から伝聞)

更に工業化重点政策によって、農業従事者はどんどん工場労働力に組み込まれて行き、
農場で働ける労働力が不足するので、機械化による大規模農業にせざるを得なかったと
思われます

農村地帯と思われる地域を走っても、農地に人影はなく、表通りを歩く人がいない
ときたまトラバントで通りかかるお年寄りに道を尋ねるために、西側のチョコレートを
常に車に積んでいました

529世界@名無史さん:04/07/16 10:12
n    人     人     n
       (ヨ )  (_ )   (_ )   ( E)
       / |  (__)   (__)   | ヽ   ヴンコー!
       \人/( ・∀・)∩(・∀・ )ヽ/  人
   _n    (_ )u    ( ⌒)   uu)∩_  (_ )
  ( l   (__)    ./,. 人     i ,,E)__)
   \ \ (・∀・ )   / /_)   ./ .ノ( ・∀・ )    n
    ヽ___ ̄ ̄  )   / /____) ,/ ./ ̄    \    ( E)
    / ̄| .  人 / / ・∀・)  / フ 人  ./ヽ ヽ_//
    |  |. (__)       /   (__)   \_///  
    |  |. (__)\  人 ヽ    (__)    / /人 
  ,―    \( ・∀・)  (__)    ∩ ・∀・)∩  ./   .(__)  
 | ___)   |  ノ   (__)    〉    _ノ  / ∩(__)  
 | ___)   |)_)  (,,・∀・)   ノ ノ  ノ   / .| ( ・∀・)_ 
 | ___)   |      ( O┬O   .し´(_)  .// |    ヽ/ 
 ヽ__)_/  ≡ ◎-ヽJ┴◎         " ̄ ̄ ̄ ̄"∪   

530東独フリーク:04/07/16 13:59
>>519 >>520
>>489
   >私の持っている文献(日本語のしかありませんが)には
   >集団農場についての記述が無かったのですが、
   >新経済システムは農村にも適用されたのでしょうか?

本田勝一著『ドイツ民主共和国』1990年10月20日初版(朝日新聞)の
P221付章・「ドイツ民主共和国」と称した国・・・永井清彦帝京大学教授は
P231◎ベルリンの壁の建設の章で、「社会主義統一党は58年7月の第五回党大会で、
農業の全面的集団化を決定し、前例のない大キャンペーンを繰り広げた。しかし、
集団化は思うようには進まず、59年12月31日現在で、農業共同組合に加盟した
農民は半分ほどでしかなかった。」と述べられ、更に「ところが、それからわずか
四ヵ月後、政府は農業の集団化が完了した、と発表した。自作農は7.6%を除いて
農業協同組合への加盟を終えたというのだ。自発的な加盟ではなく。強制の結果
だった。その代償として、60年には20万人が東ドイツを去り、61年に入ると月に
2万人ほどの割合になっていった」と述べています。

P229およびP233には、東独から西独への逃亡者や流出者の詳細データがありますから
永井教授の著作・論文を精査すれば、お探しの資料が見付かるものと期待されます。
531世界@名無史さん:04/07/16 14:03
ドイツ最低だな
532東独フリーク:04/07/16 14:16
>>530 本田勝一著『ドイツ民主共和国』をネット古書店から入手し一気に読みました

(1)1990年4月頃から7月1日通貨統合の前まで滞在し、主として東独南西部の西独に接して
深く切れ込む地域のヒーブー市を中心に庶民から直接取材(通訳つき)しています
全く抵抗がなく、すらすらと読み進めたのは、レポートの地域とは多少異なっても、
自分の記憶との乖離がほとんどないことによると思われ、つられるように記憶が
ずるずると引き出されている感覚でした

(2)写真・図が多数貼付されており、それに付記された説明がまた素晴らしいため、今後は
「後付記憶の披露」にならぬよう、脳細胞を活性化させる必要性を強く自覚しました
533世界@名無史さん:04/07/16 16:34
トリビア:
DDRの国歌は有名エロゲーキャラのテーマソングになっていたりする。
534世界@名無史さん:04/07/16 16:42
>>533
似てるってだけでそのものではないような
535世界@名無史さん:04/07/16 23:24
「イエニンガー事件」という事件を調べているのですがイマイチよく分からないで
苦しんでいます…。
ナチスのホロコーストが絡んでいるというのは分かったのですが…。
誰かご存じのかたがいらっしゃったらどんな事件なのか教えて頂けないでしょうか?
536ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/07/17 00:43
いやー、東独フリークさんや1さんのような本格的な方を前にしては、
わたしなどはどーしたらいいのかもうわからんちんですが。
一応蟷螂の斧で(?)知ってることを書いてみようかなと。

>チェックポイントチャーリー
チャーリーというのは、ABCのC、ということです。
米軍や航空会社などでは、聞き間違いを防ぐためにABCを
「アルファ」「ブラボー」「チャーリー」「デルタ」…と呼びます。
その「チャーリー」。
だからチャックポイントチャーリーてのは、
「C検問所」あるいは「第三検問所」といった程度の意味です。

>本多勝一氏の著作
東独フリークさんがそう言うなら、信用できる本なのでしょうね!
どうも本多勝一というと警戒心が先立ってしまうもので…。
537ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/07/17 00:58
>農業について
東独フリークさんが本多市の著作を挙げたので、
私は山川の『世界史大系ドイツ史3』463ページから引用。著者は斎藤哲氏。
「58年なかばからふたたび始められた自作農を協同組合へと組織化していく農業集団化の試みが、工業発展が停滞するなかで59年後半から協力に進められた。
60年はじめには19345の農業協同組合が耕地面積の84・4パーセントを、
さらに669の国営農場が6パーセントを経営した。
多くの農民(1960年には約1万5000人)が「自主的な強制」と皮肉な名で呼ばれた協同組合への加入を嫌って西ドイツへ逃亡したが、
そのことが結果的に民主共和国の食糧事情を悪化させることになったのはいうまでもない。
61年5月末にはバターと牛肉の配給制が再度導入された。
(略)
非現実的な経済計画、農業や私企業の強制的な「社会主義化」は、
工業生産を後退させ、農民の耕作放棄による食糧事情の急速な悪化をもたらした」

もちっと引用必要な箇所もあるけど、また後で。
538ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/07/17 01:54
>イェニンガー事件について
勉強せい勉強せい、もっともっと勉強せい!
…といいたいところなのですが、とりあえず、概要を。
てか、ねえ、これ西ドイツの話ですよ?
1988年11月9日、「水晶の夜」50周年の記念行事において、
連邦議会議長フィリップ・イェニンガーが行った演説が問題視された事件。
この演説自体は、実はナチスの過去を強く反省する、
というトーンに貫かれてはいたのですが、
イェニンガーはその演説の中で、なぜそんな蛮行が易々と行われたのか、
ということを説明するために、
「当時のドイツ国民の一般的心情」を長々と引用するという愚を犯したのです。
つまり、当時どうしてドイツ国民がヒトラーを支持したかということを、
「当時の国民」の立場に立って解説して見せたのです。
それは、内容的にはまあ学問的にも妥当なものであり、
原稿で見れば「ああ、ここは引用なんだな」とすぐ解るものです。
けれど、口から流れ出る言葉には引用のカギカッコはつきません。
ここが、イェニンガーの失策でした。少なくとも、政治家としては致命的な。
長々と「当時の国民の心情」を解説しているうちに、
聴衆はそれが「引用」であるのか、それともイェニンガーの個人的見解であるのか、
段々解らなくなってきたのです。
「イェニンガーは当時のナチ政権を肯定しているのか?」と、
傍聴席がざわめき出し、
ついには憤慨した野党議員やユダヤ人の代表が次々と席を蹴って退席する、
という事態に陥りました。
なにしろイェニンガーはナチ時代を擁護したわけではないのですから、
さすがにユダヤ人団体の側にも同情の声はあったのですが、
結局騒然たる情勢の中、
イェニンガーはその日のうちに連邦議会議長の職を辞することとなった――
と、これがイェニンガー事件の概略です。
ドイツの公人が公の場で「過去」について語る際、
いかに気をつけていなければならないか、
ということを示した事件ではありました。
539旧スレの1:04/07/17 06:47
イェニンガー事件ですか。
そういえば、そんな事件もありましたね。
時代が時代でしたから、問題になったのでしょうね。

ところで、一つだけ東独フリークさんとナポレオンさんに
申し上げておきたいのですが、
新経済システムの農業分野の影響は、
一般の図書館等にある日本語図書では調査不能であり、
壁構築前の農業集団化とそれによる人口流出、
壁構築後の食糧危機とは時代が少しずれています。
したがって、永井さんの本を読んでも分からないでしょう。
もし、519さんが、どうしても調べたいとおっしゃるなら、
前スレで上げたDDR百科事典のCD−ROMをアマゾンで
買う事をお薦めします。
Enzyklopaedie der DDR. Personen, Institutionen und Strukturen in Politik, Wirtschaft, Justiz,
Wissenshacft und Kultur Degitale Bibliothek Band 32 Ausgabe Dirextmedia Berlin 2000
学生時代これがなければ、研究不可能でしたね。(笑
540旧スレの1:04/07/17 06:49
もう一つ斎藤さんが上げている参考文献で、
Peter Huebnerさんの "Konsens, Konflikt und Kompromiss"
はかなり面白いです。
農業分野の記述がそんなになかったような気がしますが、
50年代、60年代の東独企業内の問題がよくわかります。
あと手始めにAus Politik und Zeitgeschichteから
参考になりそうな論文を検索しましょう。
http://www.das-parlament.de/2004/29-30/index.html
ここからいくつかはDLできますし、大きな大学の図書館なら
過去のものもあるでしょう。

>東独フリークさん
ところで、東独フリークさんのフィクサーの話は
改めて読むと本当に興味深いです。
個人的に私は、ツァイスとマイセン国立陶磁器工場の
東独時代に非常に興味があります。
もしなにか存じ上げていらっしゃいましたら、
是非お話しください。
541東独フリーク:04/07/17 08:28
>>536

ナポレオンさま
>本多勝一氏の著作
>東独フリークさんがそう言うなら、信用できる本なのでしょうね!
>どうも本多勝一というと警戒心が先立ってしまうもので…。

そうですね私も著者には先入観があって、今頃1990年出版の本を読んで、ふむふむ
レポートは概ね妥当(正しいというべきか)で、ちゃんと通訳も同行しているし
短時間の実地調査にしては・・・・と、ちょっと褒めすぎましたか?
この本自体はとても貴重な記録ですよ、もう誰も書かないし出版もしないでしょうから。

農業問題は、集団化等の政治的・専門的知識をしっかり踏まえて見ていた訳では
ないので、東独内で供応された食事の貧弱さやドライブ中の農地の侘しげな様子が
豊かな西独との比較で、いつも気になっていたための「思い出し」です。
日本語の文献が少ないとの投稿が相次いだので、帝京大学の永井教授の文章を
見つけてその部分を転記してみました。

なお曖昧な記憶・体験でよければ、少しずつ思い出されてきますから、箇条書きで質問があれば
延髄反射的な書き込みをいたしましょう。
2年前、あの大洪水がなければ旧東地域を走り回れたのに残念です。

在東独日本大使館一等書記官の依頼で(大使からの指示)、闇雲に東独内を走り回っていた
頃に、見聞きした天候状態や実際の農業生産状況を定期的に尋ねられていて、その重要性や
問題点に眼が覚めてからは、素人ながら真剣に観察してはいました。
集団農業化等の農業生産方式よりは、生産物や生産のための農業機械、更には食肉加工機械、
チョコレート製造機械等について興味をもったのは、分掌公団の担当者と親しかったことも
理由の一つです。

それより、農業生産物の強制的な供出による、僻地農村の食糧事情悪化の惨状を後日述べたい
と思います。
542世界@名無史さん:04/07/17 09:14
どうあがいても、旧東独からは、人が流出するのは避けようがないですね。
543世界@名無史さん:04/07/17 09:51
後から、移民やスラブが入ってきそうだ
544535:04/07/17 09:55
>>538
どうもありがとうございました!とても分かり易かったです。
今ちょうどこの辺りの歴史に興味があるので、もっと一生懸命
勉強したいと思います!本当にありがとうございました。
545東独フリーク:04/07/17 12:27
>>540   >旧スレの1さま

>ツァイスとマイセン国立陶磁器工場の東独時代・・・・

1)マイセン国立陶磁器工場は、いわゆる観光コースとして一般に公開されていた製造過程を客の随行で二、三度見学した程度です。

(1)日本におけるマイセンの評価が高く需要が大きかったことから、ドレスデン見物のついでに立ち寄る日本の見学者がひきもきらず、
フンボルト大学日本人準教授監修・吹き込みの録音テープで、「完璧な日本語」による館内案内がありました。
窓口で申し込むと追加料金なしで、長蛇の列であった東独人達見学者を突然遮って、見学コースから全員排除した上で、たった5人程度の
日本人の独占見学時間となったのには驚きました。

(2)マイセンには世界的な日本の建設機械メーカーの産業機械が納入されていて、その技術者と営業マンが厳冬期に常駐していたので、
生鮮食品・日本食や防寒着を差し入れに定期的に訪ねていました。他の地域より食糧事情は比較的良かったようです。

(3)マイセン陶磁器は、西ベルリンに店を持つユダヤ人卸商が買い占めて、世界に供給していたようです(家内の人脈なので詳細は不明)。
そのユダヤ商人は片腕がなく、強制収容所の生き残りの世代でしたから、ここでも東独におけるユダヤ人脈の強さがわかります。
我が家は、帰国時に親戚の分も含んで大量に、短い納期でそのユダヤ人からマイセン陶磁器を調達しました。

546東独フリーク:04/07/17 12:31
>>545

2)カールツアイス・イエナは(義務であった)日本への見返り輸入のめぼしい商品探しに一度だけサンプル・ルームを見学し、
工場の上層部と直接面談するために訪問しただけです。

1)戦争前のカール・ツアイスはイエナが発祥の地で、その工場運営・生産管理・労働者優遇のシステムが極めて先進的・革新的であったとの
自慢話はたっぷり聞かされましたが、東独成立後は、優秀な技能工が西側に流出・逃亡したことや、マーケッタビリティが乏しいオールド・
ファッションな製品(カメラ・レンズ等も軍需中心かも)のため、業績は低迷していて、日本および第三国への販路開拓の興味はあまり
湧きませんでした。

2)工場内の見学は拒絶されましたから、詳細はわかりません。
なおドイツ伝統の【ギルデ・マイスター】制度の東独残存については、別項で述べます。

3)現在SONYがカメラに組込んで宣伝しているカール・ツアイスのレンズは、このイエナの製品と思われます。
西独ツアイスと東独ツアイスは既に合併しているのでしょう。
547東独フリーク:04/07/17 16:12
素人の農業観察・・・・もうほとんど忘れましたが

(1)なだらかな丘陵地帯で、遥か彼方にこんもりとした森を残す広大な土地は、
誰でも分かる麦(大麦、春小麦など)の大規模農法で、季節の移り変わりで、生育状態や
収穫量も、素人ながらその良し悪しは見当が付きます。
(2)たまたま遠出をして、初めての土地であるとか、道の両側の農地に何が植えられて
いるのか、経験がなくて全く分からないことがありました
仕事で出張してきた日本の技術者の中に、東南アジアでサトウキビの圧搾プラントを
多数手がけていて、農村出身であったのか、やけに作物に詳しい人がいて、単調な東独の
ドライブの道すがら、まだやっと芽を出したばかりの作物や、良く耳にしながらも日本では
畑に植わっている状態を見ることがない作物の名称や見分け方を教わりました
(3)普段はなるべく幹線道路から脇道に不用意に入らないようにしていましたが、全くの
田舎になると、目的地の位置を大雑把な地図だけでは確認できないので、遠くに見える
村落まで回り道をすることがあって、予想外の場所に出てしまうこともありました
例えば、トウモロコシ畑の中の細い道をどんどん進んだら、急にトウモロコシが切り倒されて
鉄条網にぶつかり、車から降りてその先を確かめに行ったら、旧式のプロペラ機があって、
その周囲にソ連兵がいたので吃驚して引き返したことがありました
(4)ドイツ人は小さな物置のようなバラッケ(バラック)を建てて、その周りを家庭菜園に
する習慣があるようで、東独でもその手の自家農園からの収穫は馬鹿にならない収量だった
のではないでしょうか
それがレストラン等に正式に販売されていたかどうか分かりませんが、町で一軒しかない
レストランで出される食事もあまり潤沢とは言えず、それでも話を盛り上げるために、この
野菜はこの土地で採れた名物か?ぐらいのお追従は言っていました
(5)食用の家畜(牛・豚・羊・鶏・兎・山羊など)がどのように飼育されていたか、
その中心的な生産地はどこなのかは覚えていません
古い東独のパンフレットには概略の説明はあると思いますが、生産量や消費量は多分明記
されていないでしょう
548旧スレの1:04/07/18 22:55
Enzyklopaedie der DDR. Personen, Institutionen und Strukturen in Politik, Wirtschaft, Justiz,
Wissenschaft und Kultur Degitale Bibliothek Band 32 Ausgabe Directmedia Berlin 2000
の間違いでした。

>東独フリークさん
どうもありがとうございます。
この二つの企業は、統一後も生き残りましたからね。
逆にいえば、戦前から有名だったから生き残れたかもしれませんが。
549519:04/07/19 01:17
おお、そんな百科事典が。
さっそく注文してみようと思います。

Stat〜の方も手に入りそうなので、ようやく研究できそうな気がしてきました。
550東独フリーク:04/07/19 09:16
1973年日本は東独と正式に国交を回復しました

それ以前は、革新系の組織との付き合いがあって、結構日本人が出入りしていたようです
その最たるものは、国交が回復すると、どっと日本人が東独を訪問するので、
それ以前に東独の田舎町を廻って、住民が戦争中も守って持っていた、骨董に類する陶磁器を
買い漁っていった一団があったそうです

それが革新系の組織人とは断言できませんが、ぶらっと行って何でも持ち出せる国ではなかったので
当然「特別のコネ・ルート」を持った人たちの筈です

現在日本で流通している「年代物のマイセン磁器」にはその時に、二束三文で買い叩かれたものが
大量に含まれています
551世界@名無史さん:04/07/19 23:30
社会党が密貿易していたと?
552旧スレの1:04/07/20 02:46
550>東独フリークさんは、
すごい暗部をご存知ですね。
実はかなり地位の高い方なのではないでしょうか。

そのような情報は一般の駐在員では
手に入れようがないですし。
553東独フリーク:04/07/20 07:14
>>551

「密貿易」って、嵩張る物を東独から密かに持ち出し(輸出)ができたとお考えですか?
それは無理と言うものですよ
東独内の日本人の行動は全て把握されていましたから(有名なエピソードは後日)
輸出先が日本であれば書類上のチェックも厳しいし、まして骨董品ともなれば
不足する外貨を獲得する手っ取り早い手段なので、政府・党が見逃す筈がない
ということですよ
一方日本への輸入は輸出国側からの「美術品の密輸出の告発」等、余程のことが
なければフリー・パス同然でしょう

なお、東独国内の骨董品や美術品を国民から買い上げ(半強制的)て輸出する
専門の公団があって、ナイス・ガイの東独人が突然そこに左遷されました
とても親しくしていた男なのですが、ある日私の部下から「彼は危険だ」だから
今後は付き合わないほうが良いと警告されて、しばらくしたら花形の機械輸出入
公団の担当から外されて、地味な骨董屋になるとよ挨拶にきて、来訪が途絶えました

事務所の女性スタッフ全員にも人気があって、それでも反体制的な言動があったのか、
それにしてもあれは、私に対するシュタージの露骨な警告だったと思います
554世界@名無史さん:04/07/20 08:44
裏貿易

 ぐらいの意味ですよ。
官憲とつるんだ非合法ビジネスなんて日本でもよくありますしね。
旧ソ連の組織犯罪も、官僚の汚れ仕事を引き受けて成長したし。
555世界@名無史さん:04/07/23 06:04
422 :異邦人さん :04/07/20 00:04 ID:QJloysBf
日本人に警告。ボンには行くな。
スキンヘッド集団の大物がいて、東洋人は大概ボこられます。
423 :異邦人さん :04/07/20 00:55 ID:J2sOA2vw
スキンヘッドにボコボコにされるのは勿論嫌だけど、小学生くらいのドイツ人の
ガキの集団に中国人の口マネされてからかわれるのも癪だよな(ニガワラ まぁ、
マジになるのも馬鹿らしいから無視するけどさ。

っていうかさぁ、日本のガキが集団で外国人観光客をからかったりするかいな?
白人ならいうに及ばず、いわゆる途上国の中国人や韓国人相手でも、そういう
事例は余りないような気がする。外人に対してよそよそしいことはあっても、
露骨な嫌がらせはありえん。

つまり、ドイツ人の大人の多くは表立っては黄禍論的な態度は示さないけど、
ガキの態度を見ていると、やはり家庭教育の本音ではそういう差別感情丸出し
なんだろうね。普段は澄ましているだけに、嫌味さが際立って不快だ(w

あと、この手の嫌がらせにヘラヘラ笑ってる日本人もどうかと思うねー。
まぁ、元はといえばドイツ人が悪いのだし、被害者同胞に対して怒るのは
まるで筋違いだが、せめて無視するくらいの態度で臨んで欲しいですよ。


556世界@名無史さん:04/07/23 06:07
連邦雇用庁は、西独地区の職員から、東独地区へ派遣される者を募集。
5000ユーロの特別手当。
東独地区の人々は、地元で採用しないことに反発している。
557東独フリーク:04/07/27 17:55
>>556

猛烈に暑いので、支離滅裂な論調に強烈な反論も予想されますが・・・・スレ保持に

(1)ドイツ人(旧西独)は、職員採用に際して常に学歴と経験・熟練度に拘る
表向きには、もちろん人種差別をしない・男女雇用の均等化・年齢制限撤廃を謳うが
旧西独時代だって、その仕事に適した能力があることが採用の前提であったから
数字の上で失業率が改善しない(若年労働者や女性・高齢者の就業率が低い)ことを
逆手に取られて、ネオ・ナチまがいの政党の進出を許した程である

(2)>連邦雇用庁は、西独地区の職員から、東独地区へ派遣される者を募集。
が正しい報道であるなら、まさに適材を募集して適所に配置し、当然特別手当を付ける
ドイツ人の採用方針に合致したもので、旧東独地区の人々は適材ではないから決して
採用されないし、旧西独人をして旧東独人に対して教育・訓練を施す能力向上(開発)を
目的とした派遣であろう

(3)旧東独時代の「不十分ながら国が全てを与えてくれた」意識をいまだに引き摺って
いることが根本的な問題だと思われるし、行政機関には西独的な思考と業務の遂行が
まだ定着していないことの顕著な現われであろう

(4)>5000ユーロの特別手当。
が一時金なのか、年額なのか、それとも月額なのか分からぬが、当然西独化が遅れた地区に
派遣されるであろうから、なかなか応募する職員はいないであろう

本件の続報があったら、ニュース・ソース付きでアップして欲しい


558世界@名無史さん:04/07/27 18:12
しかし、当たり前ながら旧西独の人間は
移民労働者より旧東独の人間のほうが
好ましいと思ってるのだから腹を立てながらも
結局、摩擦は時間が解決してくれると思うが。
559世界@名無史さん:04/07/27 20:29
>>555
勘違いするな。
嫌われているのはおまえら在日なんだよ。
日本人は東洋の一等国民なんだよ。
寄生虫とは生まれも育ちも違う。
やりなおしたきゃ自殺して蛆虫から転生はじめろや。
560旧スレの1:04/07/28 02:38
>>558
政府関係の人はそうかもしれませんが、
西独時代に受け入れたガストアルバイターの方が
実際は雇用主に評判がいいですよ。
いや、評判がいいというよりマシあるいは信用度の問題でしょうか。
旧東独の方は使い物にならないという意見が、
特に肉体労働系では多いです。
一般事務系に関してはそうでもないでしょうけど。

大企業はグローバリズムの影響を受けていますから、
優秀であれば何人でも良いというのが基本です。
雇用者側から見れば。
30代半ば以降の東独人は、英語すら苦手な人が多く、
外国語に堪能でない。
また基本教育を東独時代に受けていて、
非常に評判がよろしくないそうです。
加えて、資本主義に偏見を持っており、
しかも怠惰な傾向すら持ち合わせているというのが、
旧西独人の雇用者の意見です。

若い人以外で旧東独人で成功してるのは、
たいてい外国語が話せるインテリか、
脱出組みでしょう。
昔知人にそういう人がいましたが、
無一文で窓拭きから初めて、
経営コンサルタントにまでのぼり詰めたと
話していました。
561世界@名無史さん:04/07/28 06:05
ttp://laputa.de/walter/wu.html
ワーオ ワーオ

ウルブリヒトは有能だけど自信過剰って感じのイメージが強いですね。

ホーネッカ−たんは。。。(´・ω・`)
562東独フリーク:04/07/28 16:30
>>560

一昨年の今頃のベルリンでの友人招待の会食時の話題ですが・・・
ドイツ(ベルリンだけの傾向ではなさそう)では医療研究者の世界は完全に
旧西独勢が牛耳っており、その中でも米国に留学経験がある堪能な米語使いの
独壇場となりつつあり、論文作成は英語、発表も英語とのことである

旧東独勢は東西統合によって医師資格の継続は可能であったようだが
遅れた旧ソ連式の医学がアメリカ式の医学に取って代わられようとしている現状
言葉の習熟度は如何ともしがたいハンデキャップとなっており、旧東独勢は
学会・研究会では周辺部に追いやられている・・・・と英語堪能な医師の妻の話

一方20年程前のライプチッヒの女医(外科医と思う)の生活は
画一的なソ連式の小さなアパート(正味3部屋)で驚くほど質素に暮らしていて
ライプチッヒ・メッセの期間中(春夏夫々5日間)に民宿として一部屋を
西側来訪者に提供して、ささやかな外貨を得ていた

私は1シーズンだけ宿泊したが、残念なことに英語の会話は全く成立せず
つたないドイツ語で聞き出した医師の社会的評価・待遇は、工場労働者の
「熟練旋盤工」より遥かに低賃金で、医学研究の時間的余裕はほとんどなかった

何故そんなに責任だけ重くて見返りの少ない医師の職業をを選んだのか?との
質問に対して、父も戦前から医師であったから、と言いながら食器棚の上の実物の
頭蓋骨を指差して微笑んでいた
563世界@名無史さん:04/07/29 22:24
東ドイツサッカーチームのユニフォームがアディダスから出るん
だか出てるんだか。
で、本日、都内某所でこれがそれらしきモノを見つけたんですけ
ど、DDRと書かれてる訳でもなく、黒い鷲みたいなエンブレムが
付いてるだけ判別出来ず。
店員もはっきり判らずなので取りあえず買うのは見送りました。

つきましては、参照したいので、どなたか東ドイツサッカーチー
ムのエンブレムが載ってるサイト教えて下さい。
さっきまで結構探したんですけど見つけれずでした。
まったくスレと関係ない書き込みですいません。

あと、CSSRと書かれたシャツも売ってましたが、これがチェコ
スロバキアのレプリカなのかもよう判らずでした。
564世界@名無史さん:04/07/29 22:25
ヴァイマル共和国って名前はいつなくなったの?
565世界@名無史さん:04/07/29 22:28
もともと通称でしょ?
ナチスが政権獲って、独裁になったとき終わったよ。
566世界@名無史さん:04/07/29 23:50
>また基本教育を東独時代に受けていて、非常に評判がよろしくないそうです。

基本教育にそんなに問題になるようなギャップがあったんですか?
資本主義への偏見植え付けられるのは理解できるけど、
科学技術とか理工系はあんま経済体制による違いは生まれないような気が。
絶望的に遅れた状態だったのかな。
ハロウィンというドイツのロックバンドがインタビューで
「東独の人間は働かないんだ」って文句言ってたの思い出すけど、
「食っていかねば」となったら怠惰な姿勢ぐらい変わりそうな……
567旧スレの1:04/07/30 03:23
>>562
弁護士、医者、教授などはかなり苦労された方が
多いようですね。興味深い話ありがとうございます。
旋盤工や配管工などの熟練技術者は
統一後もなんとかなった人が多いというのは、
日本語のどれかの本にも書いてあったような気がします。

>>566
そういう方々は、西独企業への吸収や合併後、
統一後数年は試用期間に置かれたりしました。
またUmschulungを受けなければならなかったり、
かなり悲惨でしたよ。理工系でも無関係ではありません。
上記の熟練労働者以外、大学での教育は、
マルクス・レーニン主義と無関係ではいられませんからね。
食っていかねばというのはわかりつつも、
もともと仕事探しの経験が乏しかったので、
諦めて失業手当で食いつないだりしている人が結構今もいます。
この間ドイツで、失業手当削減の方針が纏まりそうになったのですが、
旧東独のうちの3州が大反対し、
シュレーダーが、経済的な東西対立にならないよう気を配るほどでした。

数年前ですが、私が知り合ったある一家は、
父親(建設関係)が数年以上失業中で、
奥さんが生活費を稼いでいました。
そのため、父親が子供たちから
ないがしろにされていましたね。
体制転換によって家庭環境が激変し、
また、今までの教育やキャリアが無に等しいものにされた
経験をもつ人たちは、資本主義に懐疑的ですよ。


568旧スレの1:04/07/30 03:32
>563
http://www.eckball.de/?ji_partner=google&svArtikelArt=Nostalgietrikots&svArtikelUnterart=
Deutschland&artikel_artecksuperdetail=1.+FC+Dynamo+Dresden&leisteframe=eckball_trikotleiste.php3
とりあえずこんなのが検索にひっかかりました。
70年代の奴ですね。参考になるかどうかわかりませんが。
569東独フリーク:04/07/30 08:45
>>563

あんまり詳しくないのですが、エンブレムが懐かしい DDR Oberliga (DDR) 1990/1991 14フランチャイズ

   http://www.homecourt.de/weltfussball/spielplan.php?Thema=268&Liga=99

統一後も活躍していますよね? 頑張って欲しい
570東独フリーク:04/07/30 09:02
コレがDDRナショナルチーム70年代のユニフォームらしいのですが、
80年代はBRDブンデスリーガの話題ばかりで、何も知りませんでした

http://www.eckball.de/?ji_partner=adbutler&root=1&fp=1091145402|9746caeb81ea20b6344dd9c98ff68cfa8|1|3|2993|11673|91||&ref=adbutler
571世界@名無史さん:04/07/30 11:04
>>567
旧西独に引っ越す人は、少ないのですか?
572東独フリーク:04/07/30 17:02
西ベルリンの南端に接してテルトウTeltowと言う地域があります
もちろん当時は二重のフェンスで厳しく東西に隔てられていましたが
現在は開発が進んで新興住宅地やショッピング・センターになっている地域です

仕事上とはいえ、東独の機械公団の担当者の中で、一番優しい心を持っていて
常に友人として付き合っていたユグノー派の流れを汲む男性担当者がいましたが
ある日「お前の近所に引っ越すよ」と言うのです
えっ?冗談でしょう、そんなことできる筈がない

地図を広げると直ぐ隣の町ぐらいの距離でしたが境界線の向こうです
東独人の彼はもちろん西ベルリンに住むことはできませんが
大きな声で呼んだら返事してくれよ・・・・と、とても嬉しそうでした
573563:04/07/31 00:49
ダンケシェー。ダンケシェー。
くだんのジャージ、青&紺だけど、きっと西ドイツのものではないかな。
どう考えてもDDRとコンパストンカチをマークしない理由は無いと思うの
で、東ドイツレプリカでは無いと判断。
つうか、コレあまりカッコ良くなくて御紹介頂いたサイトのモノの方が
1000倍イケてる!
なんとかトライして調達してみる。
574世界@名無史さん:04/07/31 20:29
>>572
ユグノー派健在だったんだ!
575辻加護ヲタ:04/08/01 22:16
「ベルリンの秋」春江一也著でDDR国家治安省事務次官のシュナイダーがソ連
によるアンゴラ傀儡政権樹立支援の為、DDR軍事技術顧問団長としてアンゴラ
へ派遣される場面があります。
この小説、前作「プラハの春」同様、DDRの実情が詳細に描かれていまして、
あまり東欧に詳しくない読者でも手軽に東欧事情を知ることの出来る小説なの
ですが、内務省に相当すると思われる国家治安省(シュタージ)の最高幹部が
突如軍人たる軍事顧問(軍人でないと軍事顧問は勤まりませんよね)として
アンゴラへ派遣されてしまう流れには無理があると思われました(話の流れでは
左遷人事です)。DDR国家治安省というのは警察ではないですか?しかも
アンゴラ派遣後、シュナイダーは在アンゴラキューバ人部隊を反政府ゲリラから
救出するため、戦闘ヘリで舞い降りてキューバ人部隊を指揮しているんです!
もう国家治安省次官からバリバリの軍人に転身してシュナイダーは活躍されて
おられます。実際のところ、DDR国家治安省という役所は軍事組織的性格も
持ち合わせた官庁であったのでしょうか?
576世界@名無史さん:04/08/01 22:19
>>567
法律家は、殆ど再就職できなかったのですか?
577世界@名無史さん:04/08/02 21:25
>>575
小説はあくまで小説であるがさすがに著者は当時の東独駐在外交官であって内容は克明です。

DDR国家保安省というのは警察ではないですか?>
警察は内務省が統括していました。
デッケル上級大将が内務大臣と人民警察長官を兼任。

DDR国家保安省という役所は軍事組織的>
「フェリクス・ジェルジンスキー」警備連隊のことですか?
DDRの国家体制自体が軍事組織的形成をなしている思いますが。
578世界@名無史さん:04/08/02 21:40
>>577
ナチスドイツのヒムラーみたいですね。
ナチスの組織を模倣したとしか思えない。
579世界@名無史さん:04/08/02 21:57
衛兵の歩き方も、プロイセン式。
580世界@名無史さん:04/08/02 22:02
>>577
よくぞ平和的に東ドイツを潰しました。
ゴルバチョフがKGBに支援を止めさせたとか聞きますが。
>>577
>DDRの国家体制自体が軍事組織的形成をなしている思いますが。
それではちょっと答えになっていない気がしますが。
ジェルジンスキー連隊を除けば、国家保安省は軍事組織的ではないでしょう。
正規職員9万、主な職務は秘密警察・犯罪者の査問・情報収集などでした。

>東独フリークさん
質問です。経済におけるフィクサーの話し、とても興味深かったのですが、
わからないことが一つ。
フィクサーの存在は、東独政府からはどのように見られ、
なぜ東独ではその存在が許されたのでしょう?
フィクサーが介在することで東独に何かうまみはあったんでしょうか。
582辻加護ヲタ:04/08/03 00:09
お答えありがとうございます。

>>577
国家治安省とは別にDDRには内務省がおかれているのですね。

>デッケル上級大将が内務大臣と人民警察長官を兼任。
日本でいえば警察庁長官に相当する方ですね。警察が軍と同じ階級を持って
いるのが東欧っぽいです。シュナイダーも階級が中将でした。

>ジェルジンスキー警備連隊
旧ソ連のジェルジンスキー師団のようです。
部隊にもソビエト共産主義の英雄の名前が付けられるのですね。

>>581
国家治安省はロシアのKGBに相当するような官庁になりますでしょうか。
内務省の警察とは別なようですね。DDR政府よりモスクワに忠実な役所で
ありますような・・・。国民からは嫌悪の対象ですね。
583東独フリーク:04/08/03 09:40
シュタージの組織図があります

   http://www.stasimuseum.de/e-v1/StasiOrg-eng.PDF

私見を述べれば、確かにシュタージは国家権力がなしうる可能な限りの(大多数の国民が嫌悪する)
体制維持活動をしていましたが、軍事面、ましてや他国の軍隊を指導する組織やノウハウを持って
いたとは思えません

対象となる同国人や敵国人を情報網で絡め捕って、心理的に個別撃破する手法には長けていましたが、
白昼堂々、広い野原で兵器を使った、正々堂々互角に戦う白兵戦とは対極にあったと思います

中でも、第20局というのでしょうか、良く書物に名前が出てきますね

    Directorate XX
  Counter Dissidence, Culture,
   Church, Underground
    LG Paul Kienberg
584世界@名無史さん:04/08/03 11:16
>>582
>国家治安省はロシアのKGBに相当するような官庁になりますでしょうか。
>内務省の警察とは別なようですね。DDR政府よりモスクワに忠実な役所で
>ありますような・・・。国民からは嫌悪の対象ですね。
ゴルバチョフが見捨てさせたのは間違いないな。

西側の治安機関の場合も、日本政府や韓国政府よりワシントンに忠実ということは
なかったのですか?


585東独フリーク:04/08/03 19:57
>>584
>西側の治安機関の場合も、日本政府や韓国政府よりワシントンに忠実・・・なのかどうかは知りませんが  

【リビア:独ディコ爆破事件 遺族との補償交渉9日再開】

http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/afro-ocea/news/20040803k0000m030021000c.html

冷戦時代の西ベルリンの治安は、米・英・仏3カ国の夫々の駐留軍と西ベルリン(西ドイツ)の警察によって維持されていました
時々米国等の要人がベルリンに来るときは、西独各地からも応援の警官が多数派遣されていました

上記のような事件が発生すると、冷戦による東側の破壊工作とみなして、直ちに軍・警が協力して非常線を張って不審者を取り締まっていました

(1)ディスコ爆破の直後に、アメリカン・セクターでは一ヶ月間の戒厳令が敷かれ米軍MPによる頻繁な巡回が行われました
軍人家族が多数住んでいる駐留米軍の総司令部の近所だったので、緊張でピリピリしていましたし、黄色いアメリカン・スクールのスクール・バスの
前後には、機関銃座を取り付けたジープが完全武装で警護に伴走しました
(2)通勤に使用していた社用車ベンツは、東独が発行した青色の準外交官ナンバーであったことから、接待で遅くなったりした深夜に、米軍司令部前の
大通り(クレー・アレー)では二度ほど米軍MPと西ベルリン警察の職務質問に遭いました
当時爆破犯は東独側が破壊工作を承知の上で、東ベルリンから西ベルリンに送り込んだ非ドイツ系人だと噂されていましたから、裏通りをこそこそ走ったり
すればてかえって怪しまれるので、なるべく大きな通りを、毎回コースを変更してチェックポイント・チャーリーを通過して、東ベルリンまで通勤していました
理由や根拠は示されずに、戒厳令はぴったり一ヶ月で解除されました
(3)同じ年に三井物産の若王子支店長がマニラで誘拐された直後も、西ベルリンでも日本人が誘拐される(東ベルリンでは、常時警察に監視されているので
安全だと思っていましたが)可能性があると在ベルリン日本企業は日本大使(在東独)からも直々の要請で身辺は自分で守るように注意がありました
586辻加護ヲタ:04/08/04 00:51
>>東独フリーク様
やはり国家治安省(シュタージ)はKGBのように治安・諜報を主な職務として
行っている官庁のようですね。軍はソ連軍の縮小版のような人民軍がしっかりあり
ますので、治安警備部隊がある他は人民軍のような本格的な軍事組織では無いと
思われます。それでも、「ベルリンの秋」では国家治安省に関して書かれている
特徴が少しずつ治安組織から軍事組織であるようなものにシフトしているのです。
シュナイダーの先代のベーナー次官が国境警備の最高責任者として軍用ヘリに乗って
巡察に向かいましてその際に撃墜されたり、シュナイダーが次官として士官学校や
多くの部隊を視察するような記述があったり、上で書きましたアンゴラへの軍事顧問
としての出向等ですね、彼らが治安組織の官僚であるにもかかわらず、軍人を連想
させるような記述が多くあるのです。この小説自体はとても面白く何度も読み返して
いるのですが、この辺り国家治安省に関して若干認識が誤るもととなるのではと
思っています。小説としては大変完成度の高い作品です。

>>584
そういう面もあるのでしょうね。
特に冷戦の頃はその傾向が顕著であったかもしれません。
587東独フリーク:04/08/04 14:18
>>581  ナポレオンさん

一応説明済みですが、愚推するに、東独内で隠然たる力があったユダヤ人グループが
「フィクサー」の存在を必要とし、なおかつ国民に知らせずに外貨を獲得し、自由に
消費する手段としたものと思います

他の社会主義国ではこんな組織は聞いたことがないし、政府がぴんはねするなら、もっと
直截な手段が取れた筈です

肝心のソ連がその仕組みを知っていたかどうか分かりませんが、ソ連貿易にも携わっていた
経験から、それを問題視しているとか、ソ連でも採用する話は聞いたことがありません
588東独フリーク:04/08/04 15:02
> ゴルバチョフが見捨てさせたのは間違いないな。

1986年春だったと思いますが、ライプチッヒ国際見本市会場で、ゴルバチョフの改革
「ペレストロイカとグラスノスチ」に関する文書が突然配布されました

原本はもちろんソ連政府が正式に東独政府に手交したロシア語で、東独の政府機関が
一字一句間違えのないように、完璧なドイツ語に翻訳して印刷したものです

見本市会場で、広告チラシのように配布された小冊子は、慌てて翌日回収されたそうです

日本人は、いつもの東独万能宣伝だろうと誰も興味を示さず、受け取った人はいなかったので
詳細については分かりませんが、ゴルバチョフの真意がそれで理解できる内容だったそうです
翻訳と印刷の許可を知らなかったホーネッカーは、配布されたことに激怒して、わが国は既に
2つの改革を完了して次の段階に進んでいると吼えたそうです

その後ゴルバチョフがホーネッカーを東独に訪ねて、改革の必要性を縷々説いたのだそうですが、
ホーネッカーは書く耳持たずの態度に終始し、ゴルバチョフはその時にホーネッカーを見捨てた
と言われています
589東独フリーク:04/08/05 08:47
書く耳 → 「聞く耳」 の誤りです
590世界@名無史さん:04/08/05 14:08
フ゜ーチン知っていたはずですね
591東独フリーク:04/08/07 10:48
プーチンが主として諜報活動をしていたのは、確かドレスデンですよね?
あまり優秀な諜報員ではなかったと昔のニュースがありましたが・・・・

ドレスデンは東独内で一番足繁く通った地方都市です
月に2度は定期的にMIKROMATという超精密ジグ加工用工作機械メーカーを
訪問していました

ツビンガー宮殿とか、ゼンパー・オパーで有名ですから観光地としての顔しか
見えていませんでしたが、ソ連KGBのセンターがあるとは知りませんでした
エルベ川畔に鹿島建設が建てたベル・ビューという高級ホテルが定宿でした

東独内のソ連軍やソ連人は、服装も垢抜けせず、何時も数人で固まって歩いている
政治的、軍事的は力があっても、何故かおどおどしていた印象しかありません

真夏でも水虫が出来そうな長靴で、上半身裸の兵隊がなにやら屋外作業をしている
光景を随所で見かけましたが、東独駐留ソ連軍は確か30万人で、駐留経費の全てを
東独が負担していたと思います

大ベルリン(東西)がぐるっとソ連軍の基地で包囲されていて、西ベルリンのみならず
東独の要人もボルボグラードに住んで、優雅な保養所を利用できても、結局はソ連軍の
人質みたいなものだとドイツ人は言っていました
592世界@名無史さん:04/08/07 11:08
>>591
>ベルリン(東西)がぐるっとソ連軍の基地で包囲されていて、西ベルリンのみならず
>東独の要人もボルボグラードに住んで、優雅な保養所を利用できても、結局はソ連軍の
>人質みたいなものだとドイツ人は言っていました
露骨なことしていたのですね、ソ連はw

>東独内のソ連軍やソ連人は、服装も垢抜けせず、何時も数人で固まって歩いている
>政治的、軍事的は力があっても、何故かおどおどしていた印象しかありません
ドイツ人に嫌われていたのかもしれませんね。
体格的には、東のドイツ人とロシア人、どちらが上ですか?
593世界@名無史さん:04/08/07 14:06

東独フリークさんのお話は大変おもしろいです。このスレに来るべくして来られたというか。

ところで、鹿島建設が建設した建物がよく登場してますけども、鹿島は東独で積極的に事業展開していたのでしょうか?
594世界@名無史さん:04/08/07 19:05
プーチンは、手を抜いていたのでしょうか?
カレは、スパイにしては冷静すぎたそうです。
595東独フリーク:04/08/07 22:18
>>593

鹿島建設の海外実績、特に欧州おける実績・評価についてはほとんど存じませんが
こと東独に関しては、建設実績は相当なものと思います

(1)ホテル・メトロポール・・・東ベルリン・フリードリッヒ・シュトラーセ駅西
(2)IHZ(東独国際貿易センター)・・・・東ベルリン・フリードリッヒ・シュトラーセ駅南東
(3)1985年頃建設されたホテル(名前を忘れた、現在は改名しているはず)
     ・・・・ウンターデンリンデンの一筋北側の通りとフリードリッヒ・シュトラーセの交差点角
       当時こんなに金を掛けたホテルは欧州では最後だろうと噂されたが、統一後林立している
(4)ホテル・メルクーア・・・・ライプチッヒで一番の高層ホテルだった
(5)ホテル・ベル・ビュー・・・・ドレスデン
他にも実績がある筈だが忘れました

鹿島建設(日本)に高級ホテルを作らせた東独側の理由・事情を推測すると
1)何かの記念日に合わせた竣工式にも、納期厳守で工事を完了させる実績がある
  東独は自力では高級ホテルを作るノウハウに乏しく、資材調達が困難であった
2)外人向けホテルなので、建設が終わってから、いろいろ諜報設備などを設置
  するが、日本企業は「その手の政治問題」に巻き込まれないよう黙認していた
3)三井物産の東独における力が十二分に発揮された(東独の日本におけるAgent
  リストにも明記されている)
  重化学工業プラントは、TEC(東洋エンジニアリング、倒産?)と三井物産が
  一手に受注していた
596世界@名無史さん:04/08/08 06:30
東ベルリンから西ベルリンに麻薬が密輸されていた件については、ご存知ありませんか?
597世界@名無史さん:04/08/08 06:32
なにしろ、西ベルリンでは、麻薬の代金ほしさから売春する少年少女が
大勢いて、生き残りの女性が、著書出していましたし。
598世界@名無史さん:04/08/08 06:32
日本人のやくざ風の男たちもよく来ていたそうです。
599東独フリーク:04/08/08 11:37
>>597

  映画「クリスチーネ・F」1981年西ドイツ

   http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Guitar/8004/030chris/christianef.html 

  原作本『かなしみのクリスチアーネ・われらツォー駅の子供達』

当時(80年代初頭)はツォー駅周辺のポルノショップやたむろするいかがわしい連中に
恐れをなして、夜間一般人は近づかないようにしていました
今でも相変わらずいかがわしい人間はうろうろしていますが、駅内部や周辺が全体に明るく
開放的になって様変わりです

東独では麻薬や覚せい剤が大規模に流通・蔓延することは考えられないのですが、第三国人
例えばベトナム人やキューバ人(少数ながら北朝鮮人もいたかも)等のいわゆる親東独人が
東ベルリンから西ベルリンに持ち込んで、密売組織や個人に売っていて、西ベルリンが汚染
される原因になっていると、東独政府の黙認を西独の新聞が非難していました

エイズが大きな問題になるのは、80年年代半ばです
600東独フリーク:04/08/08 12:27
>>593

>(3)1985年頃建設されたホテル(名前を忘れた、現在は改名しているはず)

確か戦前有名だった「グランド・ホテル」を再建しようと名前を取ったと思います
戦前ベルリンで超有名だったホテルは「アドロン」で、現在ブランデンブルグ門に
最も近いウンター・デン・リンデンに面して再建されて、文字通り最高級のホテルです

   http://www.hotelgaido.com/city.php?cityid=272&source=adwords

更に、中国(本土)から調理人を呼んで、本格的な北京料理を食べさせるレストランも
建設したと思いますが、残念ながら北京ダックを食べ損ないました


601東独フリーク:04/08/09 12:00
東西ドイツ時代の西ベルリンの裏社会は
(1)ドイツ人のギャング組織はけっして表に出ない
   売春婦の管理をする元締めはいるが、個別にヒモが売春婦をこずいたり
   暴力を振るって金を巻き上げる・・・なんて話はあまり聞かなかった
   麻薬・覚せい剤の取り締まりは、警察が本気でしていたかどうか怪しい
(2)トルコ人には、明らかにやくざ・暴力団・マフィア風の一群の男達がいた
   高級住宅地に住んで、超高級車を乗り回し、レストランで札びらを切り
   白い上下の服で決めている黒髪がいたら、そいつはトルコ人のギャングだった
   麻薬や売春を一手に仕切っていたらしいが、貧しいトルコ人社会の寄生虫では?
(3)タイ人女性の売春組織の元締めは、ドイツ人なのかそれ以外なのか分からない
   日本人にも優しいタイ人の売春婦はアパートに住んで、売春宿で管理されていた
   タイの生活より豊かなのか、昼間もタイ人特有の服装で、グループで外出し
   明るく陽気だった(客でもないのに、交差点で信号待ちの車に手を振られて困った)
(4)ベルリン随一の老舗デパートKaDeWeのエスカレーター3階の上りきった正面に
   タバコ・ショップがあって、そこではベルリンの売春婦案内地図が売られていた
   売春宿の一斉手入れがあると、繁華街クーダムにも「立ちんぼ」が表れた

英語を流暢に喋る日本のやくざはいるが、ドイツ語となると数は激減するはず
遊びに西ベルリンに来ても、「しのぎ」までができたかどうか大いに疑問
602世界@名無史さん:04/08/09 20:11
>>601
専ら麻薬などを買う側だったのでしょうね。
603東独フリーク:04/08/10 20:32
往時のオリンピックの覇者「ドイツ民主共和国」について語り合いましょう

1)人口比率から言えば、驚異的な東独のメダル獲得数ですが
(1)ドーピング疑惑・・・検出できないのが不思議でした
(2)飴と鞭の国策・・・・現北朝鮮や旧イラクみたいに
が先ず思い浮かびますね

2)オリンピック級のアスリートと知り合う機会はそうはないのですが
(1)食品加工機械公団の担当者と知り合いになりました
   彼は周囲を威圧する体格の持ち主で、人目で重量挙げの選手だと思いました
(2)相当時間が経ってから、二人きりの時にずっと考えていた疑問をぶつけました
   やはり重量挙げの選手だったそうで、オリンピック選抜にも入ったことがありました
   しかし、大学生であった彼は、全ての優遇(飴)策を辞退して、あらゆる説得にも
   応じないで、きっぱり選手を辞めたそうです
(3)尊敬する先輩が、選手生命を終えると同時に、廃人のようになって行く現実が目の前に
   あって、筋肉増強剤等の副作用を感じて、東独の国策スポーツと縁を切ったそうです
   幸運にも無事に大学を卒業することができて、外国貿易公団で働けるようになったのです
(4)何時も大きな手で握手をして、眼がなんとも優しく、穏やかで理知的でした
   帰国する直前、本当に抱き合って別れを惜しみました
   壁の崩壊後の消息は知りません

3)詳しいデータは別の方の解説を待ちますが、
(1)アスリートの選抜は小学生の後半から始まります
   確か12歳ぐらいの時に、優秀な子供は総合体力判定試験を受けます
   測定項目は200ぐらいあったようです
   最も重視されたのは、性的な成熟度だと聞きました
   つまり「ませた子供」ほど、アスリートとしての才能が早く開花するのだそうです
(2)日々の特訓と選抜により無敵の東独選手は生まれるのですが、当然脱落する子供が
   沢山います
   高等教育の途は閉ざされて、精神的にも追い込まれますが、再起するチャンスは
   全くないそうです
   期待をかけていた親も冷たくなるそうです
604世界@名無史さん:04/08/10 21:12
人造人間製造工場ですな
605旧スレの1:04/08/11 05:24
>>576
ほとんどではないでしょうが、かなりの方が法体系の違い、
東独時代の人権を無視した判決などによりほされてしまいました。

>>東独フリークさん
確か12歳ごろのその試験に合格すると、
スポーツ特別学校に入学することになるというのを
聞いたことがあります。
606東独フリーク:04/08/11 10:28
東独スポーツ事情の続きです

(1)「東独で決してやらない競技種目」がある     ・・・冗談のネタになっていましたが
   棒高跳び                 ・・・ベルリンの壁を跳び越えられるから
   ベルリンの壁は二重構造になっていますから、越えるのはきつい
   一つ目の壁を越えても、更に長い棒を持って、帯状の中間地帯を走って
   もう一度壁を跳び越えなければなりません
 
(2)自転車競技用の自転車は、東独では長い間、一般の自転車を改造して乗っていた
   そんな自転車では、いくら体力があっても多分メダルには手が届かなかった筈
   1980年代半ば、自転車製造ラインを輸出したときに、その遅れた実態が判明し
   日本のトップ・メーカーから、10人分(10台程)の競技用自転車を寄贈しました
   選手一人一人の個人データを実測して、設計・製作した一級品の自転車でした
   結果として成績が上がったかどうか、覚えていませんが・・・・大いに喜ばれました

(3)何故「自転車製造ライン」を輸出したかというと、東独の法律(?)で
   自動車および関連部品工場は、必ず自転車を製造する義務があったからで
   大規模な最先端の自動車部品製造設備を輸出したからです
607世界@名無史さん:04/08/11 11:59
ヤン・ウルリッヒ
608東独フリーク:04/08/11 12:41
>>585 ディスコ爆破事件補償問題の続報(無断転載ごめん)

8月10日(火)のドイツのニュース

ラ・ベラのテロ犠牲者に3,500万ドルの賠償金 

(ベルリン)ベルリンのディスコ「ラ・ベラ」に対する20年ほど前
のテロ攻撃で、ドイツ人の犠牲者は3,500万ドルの賠償金をリビア
から受け取る。リビア大使サイード・アブドゥラートと犠牲者の弁
護士が、ベルリンでこのように発表した。この直後、連邦首相ゲア
ハルト・シュレーダーはリビアを近く訪問する、と予告した。その
理由として、今回の合意で、ドイツとリビアの関係の拡大が可能に
なったからだ、と政府広報は述べた。
ベルリンのこのディスコは1986年に攻撃を受け、3人が死亡、230人
以上が負傷した。負傷者の多くはドイツ人であった。彼らの弁護士
は、今回合意に達したのよりも、はるかに高額の賠償金を要求して
いた。
609東独フリーク:04/08/13 18:29
あまりの暑さで、どなたもいらっしゃいませんね・・・・

時節柄、東独の温泉ネタなど
(1)東独チューリンゲンのどこかに、日本風の温泉宿(クアーハウスかも)がありました
   名前と土地を完全に忘れていますが、どなたかご存知ではありませんか?
   あのあたりに火山があるとも思えず、多分沸かし湯でしょうが、浴用剤を入れていたかも
   行ったことがある日本人も少ないのですが、結構しつこく話題に上っていまして
   簡単にいくことが出来ないので、東独のエリート層には垂涎の的の保養地だったようです
(2)日本に一、二度立ち寄ったことがあるだけの東独人の船員(もちろん外航船)上がりが
   想像を膨らまし創意工夫を凝らして、日本の温泉宿ならこんなこと、あんなことがあるだろうと
   全く東独で調達できる資源と人材を使って作り上げた温泉宿だったそうです
   ライプチッヒのホテル・メルクーアには日本食レストランがあって、若い東独人女性が着物で給仕を
   していましたから、そのへんの接客のノウハウが流れたのかも知れません
(3)一度行っておけば良かった・・・・西ドイツマルクで支払うと東ベルリンの旅行社に申し込めば、
   空きを待つ東独人の予約をすっ飛ばして、好きな時に行かれたと思う
   しかし一番行きたがっていた東独人の友人を同伴も出来なかったことだろう
   個人的な親しさは癒着に繋がり、逆にこちらの弱みともなるから、本当に交友が難しかった
610世界@名無史さん:04/08/13 20:31
      ,r=ヽ、            r';;;:;:;;:::;;;;;;;;;;;;ヽ、 なんだなんだ
     j。 。゙L゙i     rニ二`ヽ.   Y",,..、ーt;;;;;;;;;;;)
 r-=、 l≦ ノ6)_   l_,.、ヾ;r、゙t   lヲ '・=  )rテ-┴- 、
 `゙ゝヽ、`ー! ノ::::::`ヽ、 L、゚゙ tノ`ゾ`ー ゙iー'  ,r"彡彡三ミミ`ヽ
  にー `ヾヽ'":::::::::::: ィ"^゙iフ  _,,ノ ,  ゙tフ ゙ゞ''"´   ゙ifrミソヘ,
 ,.、 `~iヽ、. `~`''"´ ゙t (,, ̄, frノ   ゝ-‐,i ,,.,...、  ヾミく::::::l
 ゝヽ、__l::::ヽ`iー- '''"´゙i, ヽ ヽ,/   /  lヲ ェ。、   〉:,r-、::リ
 W..,,」:::::::::,->ヽi''"´::::ノ-ゝ ヽ、_ノー‐テ-/ i / ,, 、   '"fっ)ノ::l
   ̄r==ミ__ィ'{-‐ニ二...,-ゝ、'″ /,/`ヽl : :`i- 、ヽ  ,.:゙''" )'^`''ー- :、
    lミ、  / f´  r''/'´ミ)ゝ^),ノ>''"  ,:イ`i /i、ヺi .:" ,,. /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`゙
    ! ヾ .il  l  l;;;ト、つノ,ノ /   /:ト-"ノ゙i  ,,.:ィ'" /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;
611世界@名無史さん:04/08/13 20:40
北フランスは、ヒョウの降る暴風雨だったそうですね。
ドイツも、今年は寒くなるのでしょうか?
612世界@名無史さん:04/08/13 20:50

東独スポーツ事情、興味深く拝読しました。

お話にあった、競争で敗れていったスポーツ・エリートはその後どういう職に就くのでしょうか?

肉体労働とか?
613世界@名無史さん:04/08/13 21:50
ドーピング漬けで死亡です
614東独フリーク:04/08/14 12:04
詳しくは知りませんが、ドーピングをしている最中よりは
現役を退いて、国のバック・アップが全くなくなった時が
危ないようです
615世界@名無史さん:04/08/14 12:16
>>608
でも確かそのニュースの後でドイツからのリビアに対する経済支援の話が出ていたような・・・
要するに表向きリビアが非を認める代わりにドイツはリビアの体制を援護して、
自国の石油利権の確保を図ったということなんだろうな。
616世界@名無史さん:04/08/14 22:51
>>615
外交上手だな。
617世界@名無史さん:04/08/14 23:30
リビアのカダフィは小ブッシュに屈服するという屈辱を味わったわけだけど、
逆に言えば面子を失なってでも実利を取るという外交的選択が取れるようになった
わけだよなぁ。
618東独フリーク:04/08/14 23:46
>>616 >>617

先週だったと思うが、合衆国高官が、日本に対して中東依存度が高い石油供給を
安定化するため、今後はリビアから石油を買ってやってくれと言っていたような
619世界@名無史さん:04/08/15 03:28

イランの油田開発からは撤退せよとも言い始めてますねw
620世界@名無史さん:04/08/18 03:11
リビアかぁ。30万tタンカーってスエズ通れるのかな?
通れないならコスト高くつくだろなぁ。
621世界@名無史さん:04/08/18 13:25
ところで3100ユーロの貯蓄てどのくらい?
失業手当もらえなくなる額だそうたけど
622世界@名無史さん:04/08/18 13:35
イランには中国か゛入りそう
623世界@名無史さん:04/08/21 04:41
東独でググッたらこんなのがあった。
軍装ヲタの自慢ホムペだが、「〜の友社」と違い「東独軍装入門」と謳ってるだけマシか?
掲載されてる制服がナチっぽい詰襟ばかりだが?だな。
トップにDDR国歌、コンテンツにNVA軍楽が流れる。
工事中多し!

http://members.at.infoseek.co.jp/LeicaIII/nva-index.html
624世界@名無史さん:04/08/23 19:23
西はアメリカ化したからな?
625Keitel:04/08/23 23:30
ドイツ連邦共和国ではトラバントはいつまで活躍できるんだろうね?
626Keitel:04/08/24 00:09
あと旅行案内か何かのビデオで共和国宮殿の地下にはボーリング場があると解説されていたのですが、人民議会が開かれる会議場
、レストランの他にはどのような設備があったのでしょうか?
627世界@名無史さん:04/08/25 17:37
( ・∀・)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー


628世界@名無史さん:04/08/25 17:40
>>618-619
イランの石油は中国の独占化w
629世界@名無史さん:04/08/25 17:48
>>59-62
日本もあんま人の事は言えん罠。
もう東独フリークさんもさすがにネタ切れ、かしら?
では、ネタ振りしてよろしいでしょうか。

1)今オリンピックやってますが、旧東独の選手で今も現役アスリートっていますかね?
流石にもうみんな引退した?
2)前レスでちょっとエイズのことが出てましたけど、
西独だと劇作家のファスビンダーとかナオナチのキューネンが有名ですよね。
東独出身の有名人でエイズで死んだ人います?
3)東独のサブカルチャーについて。
ZDFが製作した統一10周年記念ドラマに
『エルフ99』という若者向け娯楽番組が出ていましたが、
ほかにテレビ事情とか面白いネタがあったらお願いします。
631東独フリーク:04/08/29 10:21
あはははは・・・・、ネタを思いつくというか、探し出す能力に乏しい3流芸人で
すみません

あまりの暑さに、皆様の問いかけもなくて、ちょっと淋しい思いをしていましたが
オリンピック期間中に転居をして、所在すら忘れていた東独関連の資料が出てきました
から、何か報告ができるかも知れません

>>630 ナポレオンさんのネタ振りは
現在のドイツのデータが必要なのでお答えが難しいですね
何とか頑張って見ましょう
それにしても東独時代のドーピンは、全くばれなかったのが不思議です
632世界@名無史さん:04/08/29 15:11
反シュレーダーデモに、旧SEDが関わってるみたいですね
633世界@名無史さん:04/08/29 15:56
東独への助成金や失業給付が削減されるそうですね。
634東独フリーク:04/08/29 23:24
アジェンダ2010に基づくハルツW法の成立に絡んで、旧東地域はどうなってしまうのでしょう
  http://page.freett.com/germtopnews/20040823.html
  http://page.freett.com/germtopnews/20040816.html  
  http://www.iti.or.jp/kikan55/55tanakan.pdf
  http://www.jil.go.jp/foreign/jihou/2003_11/germany_01.htm

EU拡大に伴い旧東独を見捨てるドイツ企業の東進は収まらない
全独企業の23%が東欧に新規投資、12%が移転を計画している

EUの東方拡大で、旧東独地域の発展は10〜15年遅れる予測もある
自動車部品工場は。旧東独地域クロッセン工場の時給10ユーロに対して
ポーランド・イェレニアグラ工場への移転で時給1ユーロ60セントに下がる
635世界@名無史さん:04/08/30 10:11
予算関連法案で、政府は2005年度に予定される税制改革の第3段階を1年前倒しして、
所得税と法人税で合計156億ユーロの減税を図る。これにより、2004年度の減税と合
わせて、減税総額は220億ユーロに達する。他方において、法案には歳出削減も盛られ
、公務員関係の休暇手当とクリスマス手当の削減、いくつかの税制優遇措置の廃止等も
含まれ、後者には、マイホーム建設手当の廃止、遠距離通勤者の通勤費一括払いの削減
等が含まれる。また、養育費に関しては、従来の世帯単位の基礎控除は廃止されるが、
片親の家庭では新たに年額1300ユーロの基礎控除が与えられる。

636世界@名無史さん:04/08/30 20:34

旧東独に限った話じゃないんですが、現在、ドイツ人マフィア組織ってのは存在するんでしょうか?
637東独フリーク:04/08/30 22:40
調べた訳ではないが、東独時代も最近もドイツ人のマフィア組織って聞いたことがないなー
(1)日本人もヤクザや暴力団はいても、あまりマフィアとは呼ばれない
(2)ドイツ人もマフィアって体質的に合わないのじゃないかなー
(3)マフィアなら宗家シシリア、本家イタリア、現有最大ロシア、中堅グルジア
   あいまいチャイナ・・・・といろいろあるけど、なんとなく地縁・血縁が
   求心力になっていて、泥臭い感じがするし

現在ベルリンの闇社会は、トルコ、ロシアあたりがのさばっているらしく
寿司バーのオーナーは大半がロシア・マフィアで、マネーロンダリングよりは
自分や身内が旨い寿司を喰いたいから、日本人の寿司職人を雇って、質の向上を
競っているそうで、採算は度外視していると日本人の寿司職人から直接訊いたよ
638世界@名無史さん:04/08/30 22:55
ドイツ→ツドイツ
ドイツ人(にん)→ツドイツァー
639世界@名無史さん:04/08/31 01:06
>>637

マフィア組織ってのは、広い意味で使ったので、日本のヤクザみたいなものでもよかったんですけども。

そういうのも含めて、ドイツの闇社会は外国人主体になっているということでしょうか?
640世界@名無史さん:04/08/31 01:56
nurupo
641世界@名無史さん:04/08/31 02:13
ドイツ人がマフィア組織を作ったら、ナチの突撃隊みたいな組織になって
目立ってしょうがないような気がする。
642世界@名無史さん:04/08/31 02:42
>>639
日本でも闇社会は外国人主体でしょ
伝統ある京都の会津小鉄会もすっかり在日に乗っ取られちゃったし
643東独フリーク:04/08/31 05:44
ベルリン在住30年以上のあらゆる階層の日本女性を存じ上げていますが
敢えてドイツ人マフィアについて問い合わせはしないことにします

トルコ人にも尊敬されているおばさまや医者の奥様、女性看護士なら
裏・闇社会の情報もたっぷり持っている筈ですが、ここはあくまで
東独を偲ぶスレタイ(オスタルギー)と言うことで話題を広げましょう
644東独フリーク:04/08/31 14:08
>>540  旧スレの1さま  Re: ドレスデンの磁器

マイセンの東独時代について、マイセンの超市場性(外貨獲得)から、東独公団を通さず
大半は西ベルリン在住のユダヤ人の本締めが世界に販売していたらしいと報告しましたが
グラス・ケラミック公団を販売窓口とした、ドレスデン陶磁器も商品価値はありました

そのドレスデン陶磁器の販売カタログ(1982年ごろ印刷され、ライプチッヒ・メッセで
85年頃商品展示の歳に頒布された)70余枚が引越荷物の中から出てきました
印刷インクの臭いから判断すると、珍しく東独国内(ライプチッヒあたりか)で印刷された
もののようです・・・・ライプチッヒの印刷技術は伝統がありますが、眼を惹くグラビア印刷は
金を掛けてスイスあたりに発注していました
公団: Glas Keramik
Volkseingener
Aussenhandeslsbetrieb der
Deutschen Demokratischen Republik
DDR - 1080
Berlin

製造: VEB Saechsische
Porzellanmanufaktur Dresden
DDR - 8210 Freital
Bachstr. 16
    Scharf, Director   
645世界@名無史さん:04/08/31 14:14
扇風機の中心でア〜を叫ぶ

    ∧ ∧γ⌒'ヽ ヴァァーーー
    (,, ・∀i ミ(二i
    /  っ、,,_| |ノ
  〜( ̄__)_) r-.! !-、
          `'----'
   ア〜ワレワレハ〜
    ∧ ∧γ⌒'ヽ
    (,, ・∀i ミ(二i
    /  っ、,,_| |ノ
  〜( ̄__)_) r-.! !-、
          `'----'
 ウチュウジンデアル〜
    ∧ ∧γ⌒'ヽ
    (,, ・∀i ミ(二i
    /  っ、,,_| |ノ
  〜( ̄__)_) r-.! !-、
          `'----'
646世界@名無史さん:04/08/31 17:14
扇風機の中心でぬるぽを叫ぶ

    ∧ ∧γ⌒'ヽ ヴァァーーー
    (,, ・∀i ミ(二i
    /  っ、,,_| |ノ
  〜( ̄__)_) r-.! !-、
          `'----'
   ア〜ワレワレハ〜
    ∧ ∧γ⌒'ヽ
    (,, ・∀i ミ(二i
    /  っ、,,_| |ノ
  〜( ̄__)_) r-.! !-、
          `'----'
   ヌルポデアル〜
    ∧ ∧γ⌒'ヽ
    (,, ・∀i ミ(二i
    /  っ、,,_| |ノ
  〜( ̄__)_) r-.! !-、
          `'----'
647世界@名無史さん:04/08/31 17:34
東欧諸国はEUに最近加盟して生活は混乱してるようですね。
その点東ドイツは90年の統一、93年のEU発足、99年のユーロ導入と
段階的な変化で慣れる余裕がありましたね。
旧東ドイツマルクはあるレートで自由に交換したんですか?
648世界@名無史さん:04/08/31 17:47
>>641
ここ数ヶ月日テレがオランダのテレビ局と組んでドイツマフィアの追究してるじゃん

>>647
統一して東独マルクのレートを西独マルクのそれと同じにしてしまったから、
経済は大混乱し、失業者が爆発的に増大し、投資は東独を跳び越して東欧諸国へ行ってしまい、
今もその後遺症に苦しんでいる。
経済がまったく独り立ちしていない。
東独は与党SPDが西独から金を持ってくるから、何とかそのバラマキ的福祉政策生きながらえてるが、
政権交代もささやかれている今、もう将来ダメかもしれない。
東独から西独へ職を求めて移住する人々の流れが止まらない。
649世界@名無史さん:04/08/31 17:58
>>647
旧東ドイツマルクはあるレートで自由に交換したんですか?
>>648の言うとおり、ドイツ統一時に旧西ドイツマルクと同じレートで交換する事にしてしまった。
コール政権の大失敗。
このために旧東ドイツの経済は、死んだ。
もう立ち直れないかもしれない、というのは当たっている。
650世界@名無史さん:04/08/31 17:59
Rust-belt, redneck Americaのパクリで、
Rust-belt, redneck East Germanyといわれる。
651647:04/09/01 10:38
>648,649
ありがとうございます。
大事なことなのに全然この問題の知識がありません。
北朝鮮崩壊の対応策としても重要でしょう。
652世界@名無史さん:04/09/01 11:51
中国に占領されても不思議ではない
653\(^■^ ラ 【卍】:04/09/01 12:05
1939年9月1日こそは、歴史的な記念日だ!
戦後も、東西ドイツはこの日に近隣から、ナチナチもといネチネチ言われたんだろうな。
654東独フリーク:04/09/01 12:47
自分の知識が曖昧にも拘わらず、畏れ多くもちょっと反駁・疑義を述べます

(1) >>648   ドイツ統一時(1990年)に東独マルクと西独マルクを同じレートで交換
(多分1対1で交換したこと指すのであって、第三国、例えば米ドルとの交換レート
のことではないと思うが)した事実関係のURL等をアップして頂けませんか?
(2)それが何故、旧東独地域の経済の死を招いたのか、詳しく説明してください。
(評論家の受け売りURL貼り付けでも結構です)
(3)東独時代、東独人は生活必需品以外に購入したい物がないので、結構「箪笥(靴下)預金」
をしていましたが、1対1で西独マルクに交換してもらえたら、一気に西独のみならず資本主義国の
高品質で豊富な商品が買えた筈ですし、東独人の金(西独マルク)をかき集めれば、企業買収や投資
だって夢ではなかった筈ですが、それでもコールの失政なのでしょうか?

長くなるので、東独マルクと西独マルクの関係・交換レートの概観は次に述べます。
655世界@名無史さん:04/09/01 13:39
>>653
今日はシュレーダーはポーランドへ謝罪に行かないの?
先月ワルシャワへ頭下げに行ったけど。
656世界@名無史さん:04/09/01 13:39

>>654
第三者だけど
1.1対1交換だった事実は知ってるよね?
2.上の条件で東独に投資すれば経費倒れするわけだから、実際の投資がその先のポーランドやチェコに行ってしまったのは当然でしょ
3.箪笥預金なんてたかが知れてるし、東独人はバナナばかり買ってたくらいだし
結果、一時的に消費は増えたが、それもほんの一時的な話で、
すぐに東独の産業は衰退し、ドレスデンやライプチヒの郊外の工業地を見てきたことがあったけど、
そりゃひどいもんだったよ
657東独フリーク:04/09/01 14:48
>>656

東独・西独マルクを1対1交換とした結果、西独が東独に投資すると、何故経費倒れになるの
でしょうか?
(1)要するに、物価・賃金を旧東独レベルに留めたまま東西ドイツ統一して、旧東独地域に
投資をすれば、現在も言われているようにEU加盟後ポーランドにも負けない、経費倒れしない
旧東独地域への投資が可能で、企業も成功すると言うのですか?
(2)それでは1国に2経済体制を維持することになり、全く東西統一ではないし、1対1交換
の通貨政策によるコールの責任の所在とは論議の筋が違うと思いますが
確かに東独地域の賃金レベルを旧西独と現EU加盟ポーランドの中間にすれば、企業の東進は防
げるという分析・提言をする者は経済学者のみならず労働者側にもいる
(3)バナナを買っていたのは、壁解放直後に東独人が越境時、臨時手当として100西独
マルクが西独側から支給されたためで、もちろんバナナを食べたかったことと、そのくらいの
商品しかとりあえず買えなかったからに過ぎない
(4)旧東独産業の衰退が酷いことは知っているが、補助金政策も期限切れとなり、東欧との
比較における賃金レベルが本質的な問題ではないだろうか
もちろんその根底には、技能労働者が少ないとか、勤労意欲に欠けて生産性が低いという、
東地域の特殊事情があるので、時間を掛けて政府が改善していく総合的な責任はある
658世界@名無史さん:04/09/01 15:08
>>657
一番本質的に問題なのは(1)かな。
「物価・賃金を旧東独レベルに留めたまま東西ドイツ統一して」というが、
統一を段階的に行なわず、性急に完全統一をしてしまったのが失政だと思う。
もちろん、統一を段階的にして(特に東独マルクのレートを低く設定し、人の往来を制限して)、
東独の賃金を低いレベルにしておけば、西独はもちろん、西側諸国からの金も東独に落ちたにちがいない。
それは東独の生産性を引き上げると共に、雇用も維持できたに違いない。
そうしなかったために、結局はチェコのような勝ち組にサクッと追い抜かれたわけだが。
ポーランドは別の事情があったので簡単には東独を抜けていないが。
659東独フリーク:04/09/01 15:55
東独マルクと西独マルクの関係・交換レートの推移(うろ覚えなので要注意)

1)ドイツの敗戦直後は、ソ連管轄地域と米英仏3カ国管轄地域におけるマルクは
同一であったが、ソ連が戦時賠償の徹底(専門用語を忘れた)のため、ソ連管轄地で
独自に通貨を発行して、3カ国管轄地域と二重の通貨体制になった
2)3カ国管轄地域は米国の強力な経済援助でいわゆる西マルクの実力が付いたが、
ソ連管轄地ではソ連の収奪が優先したことと、社会主義体制維持の根本政策である
最低生活維持として消費物価据置政策で、東マルクの力は弱まっていった
3)ドイツ民主共和国の独立は、その東マルク・西マルクの価値の差が歴然として
きて、経済政策だけでは格差を縮めることが出来なくなった時点で行われた
しかし、ベルリンでは日常の東西の往来は認められていたから、西ベルリン市民や
西ベルリンで働く東ドイツ人が持っている西マルクを闇で東マルクに交換して、東
ベルリンや東独で生活物資を安く買うことができた
西・東マルクの闇交換レートは当時1:4であったし、言い換えれば東独は貧しい
国庫から、消費物資の差額を補填させられていたことになる

660東独フリーク:04/09/01 15:57
東独マルクと西独マルクの関係・交換レートの推移(承前)

4)ベルリンの壁による封鎖で、東の消費物資を実質的に安く買うことは出来なく
なったが、経済復興を遂げた西マルクは闇の交換レートで5〜9倍の東マルクに
交換できるようになり、この状態が長く続いた
5)1980年代、西ベルリンから東ベルリンに越境するには、1日限りのビザ等
(Tages Visum)でビザ支給代の他に、強制両替(西対東が公定レートの1対1で、
確か20西マルク=1500円程度)をさせられた
東ベルリンの観光で、ランチを食べて休憩に珈琲を飲んでも、20東マルクが使い
切れず、グレンチェで元の西マルクに交換してくれと頼んだ強者がいたが、全部使い
切るまでもう一度東ベルリンを廻ってこいと係官に突っぱねられた(ちなみに東
マルクの域外持出は禁止)
6)公団の要人が西側諸国出張の際は、個人的に(自腹を切って)1対3ぐらいの
交換レートで東マルクを西マルクに交換してやった(その東マルクがどんどん手元
に溜まって、特殊な経理処理や東独内のレストラン等で使うのに大変苦労した)

7)ベルリンの壁崩壊直後(東西統一以前)の闇の交換レートは、1対15である
と1990年1月ベルリン訪問時に現地スタッフから耳打ちされたが、闇で交換をする
必要は感じなかった

8)なお凋落したホーネッカーの例から、東独人はみな無産階級の労働者だったと
思っている方が多いが、実は個人資産や高額の預貯金も認められていて、いわゆる
億万長者も少数だが存在した(実話は別の機会に)
661647:04/09/01 16:04
段階的ということは、国民の権利、平等意識が高い国家では、
西ドイツ側にしても受け入れ難かったんでしょうね。
662世界@名無史さん:04/09/02 01:55
> コール首相が下し、経済の専門家が首を傾げた決断の一つは、東西ドイツ通貨同盟導入とその交換レートを、西
> 1マルク=東1マルクもしくは2マルク、にしたことである。当時、1西マルク=7東マルク、で交換されてい
> た。・・・この「コール・レート」のおかげで1東マルク、あるいは2東マルクで手にいれることができて、東
> ドイツ国民は大感激した。そして、コール首相は東での優勢をばねに統一直後の選挙で大勝利をおさめる。

> 「コール・レート」によって、東独の企業は完全に競争力を失い、閉鎖に追い込まれる。その結果、市場経済へ
> の移行によけいなコストがかかることになった。

> また、統制経済体制下の東ドイツでは買うものが少ない以上、お金は貯めて銀行に置くしかなかった。当時GN
> Pでは世界で11番目の東独国民全体の預金量は、もちろん日本国民「1200兆円」にかなわないにしても、
> 相当の額であった。東独国民の預金は東独政府が国営企業に貸したりして運用していた資金でもある。国営企業
> が倒産していくので、統一ドイツの納税者の負担が増えることになる。東西のレートを、もし1対4で換えるこ
> とにしていれば、この負担は半分以下になったのである。

> 選挙に勝ちたいために、コール首相はこんなレートにしたのだ。同時に、彼が鉄のカーテンの向う側で西ドイツ
> の繁栄から置いてきぼりにされた「同国人」に対して、心から親切にしたいと思って、それをやったことも、ま
> た確かなのである。そしてこの気持は、コール首相や、それより上の世代の熱心な統一賛成派に共通する、東独
> 国民に対する「同国人意識」である。

ttp://home.netsurf.de/tan.minoguchi/kohl.htm
663東独フリーク:04/09/02 14:56
>>662

頂点に立つ独裁者や、勝手なことをやり放題の党幹部・秘密警察は憎いが、虐げられ
自由を奪われて、ソ連の収奪に喘いでいた同胞・東ドイツ人に西ドイツ国民が過剰な
思い入れがあって当然。
コールはキャベツ頭と馬鹿にされていたが、彼だからこそウォーム・ハートで、闇雲
に東西統一に突進し「一夜明けたら、西ドイツ並」の夢を抱かせ、事実追いかけた。
政治家としては失敗だったろうが、ベルリンの壁を壊して、東西ドイツを統合した偉人
の一人として、ゴルバチョフ同様、いつまでも記憶にとどめたい。

いま北朝鮮が崩壊したら、このドイツの歴史的事実は、そのまま朝鮮半島に当て嵌まるの
だろうか。
既に韓国民は、ついこの間まで敵対していた北鮮の一般国民に対して過剰に同情的である。
脱北者が南北朝鮮の非武装地帯・国境線を開くような、歴史の類似性は期待できなくとも、
開放後の南北統一には、東西ドイツ統一の歩んだ道筋から、失敗も含んで、歴史の教訓が生か
されることを望む。
664世界@名無史さん:04/09/02 15:05
その結果日本にたかるのだけは勘弁して欲しいわけだが。
665東独フリーク:04/09/02 16:40
現在でも物心両面でたかられているし、北鮮が崩壊すれば、日本の安全保障上
米軍と韓国軍に応分の物的援助はせねばならないだろう
中国にもODA等見え見えの口封じもせねばならない
国際的には避難民の一時受入も認めざるをえないでしょう

日本がドイツから学ぶべきことはないのだろうか?
その状況にならなければ、本気で考えない民族性だから、放置しますか

そろそろ薄闇の追憶の彼方、ドイツ民主共和国に戻ろうではありませんか
666世界@名無史さん:04/09/02 17:15
え!? だから北に米やるんだろ?
667647:04/09/02 17:41
>東西ドイツ統一の歩んだ道筋から、失敗も含んで、歴史の教訓が生か
されることを望む。

しつこくてすいませんが、教訓として朝鮮では統一直後は行き来を制限して、
通貨を安くして、段階的に解放するとなるのか??
これが心情としてやり難いので、統一を先に延ばすというへんな状態。
668世界@名無史さん:04/09/02 18:00
>>667
その話題を続行したいのなら世界情勢の東アジアnewsへ行けば幾らでもある。
ここはドイツ民主共和国であって北朝鮮ではない。
669東独フリーク:04/09/02 19:29
東独マルクと西独マルクの追加説明

>>659 >>660 で「闇の交換レート」と表現したが、開発途上国のように、現地(この場合東独
もしくは東ベルリン)で闇西独マルク(ドル)買いのオッサンが近寄ってくるイメージではなく、
西ベルリンのZoo駅で堂々と両替していたので、半ば公然とした両替であり、東独側から見れば非
公式・非合法の東独マルク対西独マルクの闇交換だった

東独人は西側の親戚から西独マルクなど硬い金を送金して貰っていたが、その西独マルクは東独
政府が巧妙かつ平然と国民から吸い上げていた

ちなみに、東独は労働者に対して律儀な面を残しており、例えばプラント建設のために東独内で
働く日本人(外国人)に対して、本契約の条件とは別個に、日給として約17東独マルクを
各労働者に直接支払っていたし、それだけあれば味の保証はないが、最低限3食は賄えた

しかし日本人技術者はそれを使う方法を知らず、東独では買いたい物もなく、結構溜まってしまい、
西ベルリン経由で帰国時に、なんとか西独マルクに交換してくれとしつこくせがまれて困った
日本の会社から支給された硬い(堅い)金(円・ドル・西独マルク)は、西ベルリンのカジノで
全て蕩尽してしまい、土産代がないと騒ぐのが通例だった

しっかりした日本企業は、現地に高位のプロマネを派遣して、東独側からあてがわれた宿舎で
集団生活の自炊をすることで、東独マルクも上手に使い、経費を節減していたことは特筆に価する
海外生活が長いプロマネは、手料理が上手くて、陣中見舞い時に日本食をしばしばご馳走になった

各地のプラント・サイトを巡って、日本食材や酒を行商にくる日本人もいて、ベルリン(東に限る)
でも重宝させて貰い、特に日本酒は安く、米もカリフォルニア米だが旨かった
670\(^■^ ラ 【卍】:04/09/02 21:48
マルクス主義が死んでも、マルク通貨は残ったんだな。
671世界@名無史さん:04/09/02 22:43
でも、ユーロになりますた。
672旧スレの1:04/09/03 05:45
>>644
東独フリークさん、貴重な情報ありがとうございました。

http://www.dresdner-porzellan.com/frame/frameset.php3?type=ie&lang=de

これによると設立は1872年とありますね。ドイツ帝国ができて一年後です。
1972年に完全に国有化されたようです。確かマイセンの今のマークも1972年か、
1973年から変わりましたから、ホーネッカー政権初期の何がしかの政策の意味を
持つ可能性がありますね。この1,2年は。統一まで、主要な輸出産業のひとつだったとも
あります。統一後は所有者が二人も代わったあと、1997年に完全に民営化したようです。
673旧スレの1:04/09/03 06:08
終わった話にわりこみますが、
1対1の通貨交換には、確か制限があって、預金は確か1000か2000マルクまでだったと記憶しています。
ですから、完全なものではないでしょう。(記憶がありまいでもうしわけないですが。年金なども一部制限が
あったはずです。

それから、通貨を1対1の交換レートにしようとしまいと、東ドイツの国家財政は
80年代ですでに危機的状況であったことは前スレでも述べましたし、
コールのそれが、ドイツ中央銀行の反対を抑えた強引なものあったにせよ、
東ドイツの衰退は必至でした。
それに当時CDUを選んだのは他ならぬ東独市民なのですよ。
すなわち、雇用市場が悪化したのは、経済的平等を後先を考えずにえらんだ東独市民の責任でもあります。
いたずらにコールの責任はできませんし、東独フリークさんのいうとおり、
それでコールの業績が損なわれるものではないでしょう。
物事にはタイミングというものがあり、後世から見るとやや強引ではあったものの、
コールのそれは成功といえるのではないでしょうか。
東西ドイツ市民が統一を望んだかぎりは。

また段階的に統一をしようと、資本主義下で東ドイツ企業が丸々生き残ることは
不可能でした。もともと生産性は西より低いものでしたし、
自由競争の仕方などほとんどわからない経営者ばっかりでしたからね。
一部の熟練労働者の技術はよかったにしても、
社会主義下での労働になれてしまったものは、
資本主義側からみるとやはり怠惰に見えたそうです。

予断ですが、現在のユーロになってからの物価の上昇は少し異常です。
一部のレストランなどは、マルクを「そのまま」ユーロ表示に変えたところもあるくらいです。
旧西ドイツ地域でさえそうなのですらから、旧東ドイツ地域はほんとに大変ですよ。
674世界@名無史さん:04/09/03 07:46
>もともと生産性は西より低いものでしたし、
>自由競争の仕方などほとんどわからない経営者ばっかりでしたからね。
>一部の熟練労働者の技術はよかったにしても、
>社会主義下での労働になれてしまったものは、
>資本主義側からみるとやはり怠惰に見えたそうです。

それじゃポーランド・チェコ・ハンガリー企業の多くの成功例の説明がつかない。
ハーバードのビジネススクールではポーランドのシュチェチン造船所の成功例が講義されている。
675旧スレの1:04/09/04 04:42
説明がつかないとおっしゃられても、
実際そのようだったから、仕方ありません。
ドイツの場合主要な企業が信託公社によって
売買され、また経営者や上役が西ドイツ人で
占められてしまったため、モチベーションが
下がってしまった可能性はあるでしょう。
この点が他国とことなるところです。

ほかの旧東欧諸国で多くの企業が成功しているといわれますが、
資本がどこからきたのかとか、技術がどこからきたのかとか
がわからないとなんともいえませんし、社会・共産主義体制では、
国民性あるいは労働に対する姿勢が文化の差を越えてほとんど同じか
どうかもまだわかりません。

またポーランドにおいては、ドイツとの賃金格差がまだ大きく、
多くの人が出稼ぎにドイツその他で働いている状況です。

旧東ドイツ人が成功しても、ドイツ人としかみなされないので、
目立っていない可能性もありますが、
実際失業率が西より高いのは事実ですから、その意見には賛成しかねますね。



676世界@名無史さん:04/09/04 18:43

東独は旧共産圏の中では経済大国だったわけで、人件費その他のコストはそれほど低くなく、他の東欧諸国よりも投資先として魅力が薄いため、資本を呼び込むことが出来なかったということじゃないでしょうか。
677世界@名無史さん:04/09/04 21:11
共産主義の考え方に「投資」とかいう言葉はない。
収益は「平等に」という“考え方”のもと、ソ連に収奪される。
したがって「経済大国」というものもない。強いて言えばソ連。
レーガンはそのアキレス腱のソ連経済をルーブルレート釣り上げでつぶしたわけだが。
678東独フリーク:04/09/04 22:20
ところがどっこい、ソ連に収奪されていた東独は、苦し紛れに資本主義経済の
最先端の手法を使って、外貨を稼いでいました

勉強不足で詳しく説明できないのが自分でも歯がゆいが・・・
ソ連から買った石油(原油: なんと末期には硬い金で決済させられていた)
を東独内で精製し、西ドイツや西欧諸国、更には東独内を通過するトラン
ジット車に売って硬い金を稼いで、一部をソ連への決済に充てていたのだが
価格変動の波をもろに受けて欠損が出た苦い経験から、逆に石油の商品取引や
今まで培った輸出のルートを使って、外貨収入を大幅に増やしたことがあった

もちろんソ連にも内緒で、胆の据わった優秀な人材を投入し、東独外にダミー
会社を作る等、あらゆる手法を駆使した成果らしい

・・・・この顛末を詳細に調べると面白いことが分かってくると思います
679世界@名無史さん:04/09/05 00:01
>>676
ソ連以外の旧共産圏で最大の経済大国はポーランドだった。
680世界@名無史さん:04/09/05 06:37
>>678
んなことは共産圏のどこの国でもやってる。
そうしないと国が干からびちゃうからな。ソ連に全て絞り取られて。
「プラハの春」やブタペスト・クーデターはそれが遠因。

一番顕著なのは中国だけど、中国はほとんどソ連と喧嘩別れしてるから
これを例にあげるのはちょと不適当か。
681世界@名無史さん:04/09/05 08:38
コテハンじゃないとドイツに対応したらよいか分からんな
いつもこのスレは話が行きつ戻りつ立場が支離滅裂
682東独フリーク:04/09/06 14:17
>>672 :旧スレの1さま

ちょっとよれよれになった資料ですが、Glas Keramik公団傘下の製陶磁器工場の一覧
パンフレット "Saechsische-thueringisches Manufakturporzellan" が見付かりました

(1) VEB Saechsische Porzellanmanufaktur Dresden
(2) Aelteste Volkstedter Porzellanmanufaktur (1762 in Brand Mark)
(3) VEB Porzellanmanufactur Plaue (1817 in Brand Mark)
(4) VEB Vereinigte Zierporzellanwerke Lichte (1822 in Brand Mark)
(5) Porzellanmanufaktur Scheibe-Alsbach (1835 in Brand Mark)
(6)(7)(8) VEB Sitzendorfer Porzellanmanufaktur Rudolstadt (1850)
(9) Unterweissbacher Werlstaetten fuer Porzellankunst (1882 in Brand Mark)

(1)Dresdenを除いて、生産地(2)〜(9)はThueringer Waldに所在し、ERFURTの南で
SUHLの東方にに集中していました

683世界@名無史さん:04/09/06 16:23
社会主義圏の銀行ってどんな感じだったの?
684東独フリーク:04/09/06 18:07
>>683 社会主義圏の銀行ってどんな感じだったの?

ほう?今度は銀行の一般論で迫ったきましたね・・・・

1970年代から1990年のドイツ統一直前までの期間、あまり気が進まなかったが、いわゆる共産圏(社会主義圏)
貿易に携わってそういう国に随分出かけていましたが、銀行の記憶が少ないのは不思議ですね

思い出せるものは
(1)ソ連の銀行には足を踏み入れたことはないが、地方都市に行くと外国人専用に両替をする、
インターナショナル・ホテルには必ず特定郵便局の窓口みたいな簡易な作りで、鉄枠がはまった窓口
にドル(または円)紙幣を入れて、ルーブルに交換して貰っていた
特筆すべきは、両替されたルーブルは紙幣の最高額が20ルーブルで、硬貨ともに真新しいものである
これは闇ドル交換を防ぐための巧妙な方法であることが、ある事件に巻き込まれて分かった(別記参照)
(2)中華人民共和国ではやはりホテルで両替した
四人組が追放された直後で、さすが北京は首都として格式も高く、闇ドル交換など命にかかわる犯罪行為
は噂では聞いても実際に行われているとは思えなかったし、固定公定レート(1人民元=100円)でも、
会社から支給される日当で優雅な食事が楽しめて、一ヶ月も滞在が伸びれば貯金が出来るくらいであった
(3)ベトナムではハノイに到着直後に国立銀行(確か統一銀行=トンニャット・バンクと言った)で
厳粛な気分を味わいながら、ドルをベトナム・ドン(Dong)に交換した
出国前に調べておいた、銀行に表示された公定レートの倍額を黙って渡された時は吃驚した
それでも闇ドル・レートでは膨大な金額になったそうで、常時秘密警察に見張られているから
けっして闇ドル交換をするなとベテランから釘をさされた
南北ベトナム統一後、ベトナムを脱出するボート・ピープルが家財を売って、ドルに交換する
需要があったからである
685東独フリーク:04/09/06 18:09
(承前)
(4)東独は駐在前にも出張で訪問していたが、ドル・西独マルク(円も少々)を持参はしたが、わざわざ
銀行で東独マルクに交換する必要はなかったし、ホテルもレストランも全て西独マルクもしくはドルで
支払っていた(出国時に可逆性がないことがそうさせたし、受け取る方も喜んでいた)
駐在時代もわざわざ銀行に出掛けて西独マルクから東独マルクに交換する必要を一切感じなかった
前述のごとく、東独マルクは無理やり押し付けられて事務所の机に溜まっていたし、外国人が泊まれる
ホテルは、西独マルクかドル・円での支払いが前提であった
ただしレストランによっては表向き東独マルクのみの支払いを要求されたので、貯まった東独マルクを
ようやく減らすことができた
サービスを良くしてもらうテクニックは、ウエイター達に西独マルクでチップを握らせ、支払いは東独
マルクで済ますことであった
(5)駆け足で訪問した東欧諸国では、両替はほとんどホテルで済ませたし、会社に提出する外貨換算
レートのエヴィデンスも必要であった
昼間のんびりと銀行に行って両替をする余裕がないことと、言葉で揉めたくなかったからである
ただしユーゴスラビアのように、通貨の切り下げで同時に二つの単位の新旧の紙幣が存在したり、不慣れ
な旅行者は、うかうかしていると闇ドル換えに騙されることがよくあった
(6)盗難などの危険防止のためにT/ Cを持って行くと良いと言われるが、銀行まで出向くのが面倒で
結局はドルや西独マルク・円を体のあちこちに分散して持参したし、日本人ビジネスマンは正規のビザを
取得していけば、陰に陽に(秘密)警察が見張ってくれている安心感が、逆に安全を確保していた
ただし、帰国後の旅費清算は現地通貨建が社内ルールだったので、仕方なく少額の交換をして、エヴィ
デンスを残したが、その当時の紙幣や硬貨がいまだに手元にある(もう使用できないものが大半だが)
686東独フリーク:04/09/06 18:30
(訊ねられてはいないが蛇足です)

(1)東ベルリン駐在当時は、チェックポイント・チャーリー至近のドイッチェ・バンク
に口座を持って、給料の受け取りや、出張など緊急時に必要な西ドイツマルクの引き出し
を頻繁にして、通勤では必ず通る場所なのでその銀行は重宝していた
しょっちゅう大金を引き出すので、顔見知りの窓口のおばさんは優先的に処理してくれた
(2)東独への西独マルクやドル・円の持ち込みは自己申告制となっていたが、実際に所持
金を調べられたことは一度しかなかった(スリリングな失敗談は後日)
西ベルリンに戻るときに、手持ちの現金をチェックされたことは一度もなかった
(3)前任の駐在員達は、国境警備員から嫌がらせのようにボディ・チェックや車の分解
検査までされたと言っていたが、そんな嫌な経験は一度もなかった
実は、それはほとんど嘘で、後から来る日本人に対する日本人の嫌がらせだったのかも
知れないし、時代は確実にデタントに向かっていた
(4)東独マルクは原則域外持出禁止であったから、東独の地方都市への出張から帰ってきて
事務所に立ち寄らず、直接ドレイビッツ検問所から帰宅する時は、高額の東独マルクを所持
したまま検問所を通過することになるので、もし見つかって拘束されたらどうしようと内心
穏やかではなかった
687世界@名無史さん:04/09/06 22:49
向こうの一般市民は高額口座とか持ててたの?
688東独フリーク:04/09/07 00:41
映画『グッバイ・レーニン』でもでてきたが、東独マルクを西独(統一)マルクに
交換する期限までに、病気の母親から預金通帳の在り処を聞きだせず、見付かった
時は交換期限が切れていたどたばたをやっていたから、結果的に高額の残高が残る
東独一般市民の口座もあった(認められていた)のではないかな?

いくら親しくとも「あなたの銀行預金は高額ですか?」と羽振りの良い東独人には
直裁に尋ねることはできないわなー
689世界@名無史さん:04/09/07 01:36
東ドイツの人口が減っているようですけど
東ドイツ政府は産めよ増やせど政策はしなかったのですか?
あと社会主義国は中絶が多いってマジですか?理由は?
690ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :04/09/11 02:38:58
軍事経済のリスクは雪達磨式に膨らみ、既に米国の国債赤字を発行限度額にまで押し上げている。
戦争はもともとハイリスク・ノーリターンなのである。
それにも関わらず米軍主導の経済運営を一体どこの国が望んでいるのかである。
表向き米軍に逆らわないのは単に米軍が世界最大の軍事国家であり、資本主義経済の利権を独占しているからであり、ひとたび世界に目を向ければそれこそ奴隷文明のハイリスクが渦巻いているのである。
軍事経済はそのリスクの切れ端に過ぎない。
実に狭い価値観の中で我々は背後から突き動かされているに過ぎないのである。
米国が我々のアイデンティティーを弾圧し、軍事経済を正当化してきたのなら、そこに最初から正義などあろうはずもなかったのである。
【米国主導の奴隷文明、すべてのリスクは弱者から被る】沖縄・琉球民族
http://homepage3.nifty.com/darkelf/
691世界@名無史さん:04/09/11 09:20:12
>>689
無神論者だからでは?

もっとも、毛沢東やチャウシェスクは、産めよ殖やせよ
692世界@名無史さん:04/09/11 13:34:49
はじめまして
質問なんですけど、鉄道や航空はどんな感じだったんですか?
東ドイツの一般庶民は用事があるときに制約なく乗れたんですか?

それから、花形路線はやっぱりモスクワ線だったんですか?
693東独フリーク:04/09/11 15:10:56
>>692

新規来訪者にはサービスしちゃいます・・・・・過去スレをチェックすれば載っていますが

1)国際線も就航していた東独のインターフルッグで、機内の様子や機内食も写っています
       http://www.fly777.com/zukan/interflug.html
       http://www.ddr-alltagskultur.com/inter03.jpg

2)東独人は自国内の移動の自由がなく、まして国際線に乗ることは稀でした
  日本に来るときは、必ずモスクワに飛んで、一泊させられた後、アエロフロートで日本に
  向かいました(その意味では幹線で花形路線でしょうね)

3)日本人も東独国内の移動に飛行機を使うことはほとんどありません
  理由は、チケットがとれない、快適ではない、空港からの足がない(東独のレンタカーがない)

4)いわゆる東側諸国の間を直接航空機で移動することは、リスクが大きいので避けました
  燃料不足で片道の燃料しか積んでいないため、飛び立ったら着陸地の天候が悪いと、とんでもない
  東側の都市(国)に降りてしまい、その先はバスや鉄道による移動を強いられる
  まともな西側ビジネスマンは、一度西側のハブ空港に戻って次の国に移動する

5)ベルリン・ドレスデン間の列車に一度だけ立ち入ったことがあるが、おんぼろで清掃も行き届かぬ
  あまり乗りたい列車ではなかった(物好きな客が、どうしても独りで列車で行きたいというので)

6)地方都市の東独人が仕事の打ち合わせで首都(東ベルリン)に出張する時は、
  (1)許可取得にうんざりするほど時間が掛かる
  (2)日帰りが前提(ホテルが不足していて、勝手に予約できず、友人宅にも宿泊不可)
  (3)早朝一番の列車で出発し、最終列車(夕方には出てしまう)でトンボ返りさせられていた
  (4)ベルリンで事務的な打ち合わせをして、翌日ドレスデンでも工場訪問による詳細打ち合わせを
     約束したが、慌しく夕刻の打ち合わせの直後、車でドレスデンに向かうので、同乗することを
     薦めたが、どうしても上層部の許可が取れず、打ち合わせ途中で未練を残して列車で帰っていった 
694世界@名無史さん:04/09/11 15:31:46
>>688
いや、社会主義国だから私有財産はかなり制限されて
あんまり高額口座とか持てないんじゃ無いかとか思って。

個人でこっそり売春だとかいろんなサイドビジネスやって稼いでる人間居たって
あったけど、貯めたお金を個人口座に入れてたら、預金が膨れ上がって
「どっから手に入れたんだ!」って当局からマークされて押収されたりしそうな感じがしてたんで。

自分の家とかに隠しておくとすると、あんま高額になったら置きにくいような。
みんな金庫とかタンス預金みたいにして隠しといたんだろうか。
695東独フリーク:04/09/11 16:20:47
>>689 >>691

東独の人口減少については既に何度か論議されていると思うが
自発的な妊娠中絶に関しては、下記の本も参照してみては如何?

『幸せってなんだろう』(大月フォ−ラムブックス ) 東ドイツの日常から
斎藤瑛子/大月書店 1983/09出版 238p 20cm NDC :916 \1,260(税込) 入手不可

この本は入手困難で図書館で借りることになるが
P69 生み、育てのコンセンサス
P70 妊娠中絶法と親の負担
に続いて、
幼稚園・親と子
学校・教師・生徒
愛と性と結婚
少々偏った見方ではあるが、長期東独生活をしていた日本女性の
分析・感想を読むことができる


696世界@名無史さん:04/09/11 20:12:54
>>693
ありがとうございます
大リーグやサッカー見るだけのために海外へ行ったりする今の日本人からは隔世の感がありますね

ちなみに東ドイツは鉄道マニアの類の人はいたんでしょうか?
697世界@名無史さん:04/09/11 22:44:11
東ドイツは労働力が減少してたんでしょ?
なんで国力を増強するために産めよ増やせどはしなかったの?
そんなことだから西ドイツに負けちゃったんだよ
698世界@名無史さん:04/09/11 23:56:17
とらばんと!
699世界@名無史さん:04/09/12 00:03:08
人民は共産主義に興味がなかった。
お上が恐いから働いていただけ。
隣のポーランドはお上の締め付けがゆるかったからサボタージュ戦略をとった末に自主管理労組まで作った。
秘密警察の恐怖におののいていた東ドイツ人はポーランドの政情がうらやましがったらしい。
700旧スレの1:04/09/12 02:58:22
>>689、697

1961年の壁構築以降の
人口問題に関しては、いまだ明確な答えが出ていないと思います。
(もしかしたら、最新の研究では出てるかも。)
ひとつには、複雑に種々の要因が絡み合ってるためです。

DDRは人口政策をやらなかったか?
もちろんそんなことはありません。
ウルブルヒト政権末期にはすでにきちんとした
政策が行われていました。
では、なぜ増えなかったのか?
ここからは事実を元にした推論になりますので、
そのおつもりで。

壁構築が、労働力の減少をこれ以上悪化させないためであった
というのは、さんざん述べました。
実はこの層に青年層が含まれていました。
20代〜30代が、かなり多かったのです。
それはそうです。よっぽどの政治的危険性がない限り、
経済的理由だけで年寄りは現在の地位を手放して
西へ脱出してゼロからやり直すのは大変ですから。
もちろん、脱出したのが若い者だけであったわけではないですけどね。
701旧スレの1:04/09/12 02:58:50
そういうわけで、子種を植え付ける若い男性がかなり減ったため、
早急に女性の労働力が必要となりました。
60年代末期までは、女性の出産環境のための法が整備されていなかった。
60年代末期、実質的にはホーネッカー政権から、整えられていきます。
DDR関係の本を読んだことのある方は、東ドイツでは女性もほとんど働いていて、
託児所や育児休暇などが充実していたという文を見たことがあるでしょう。
さらにいえば、部分的には西ドイツよりも機会均等が進んでいた、と。
何のことはない、それは女性も労働力として考慮しなければならないほど、
労働力が不足していたのです。女性に対する法的優遇は、経済的需要から
生まれた即物的なものだということは、私が学生だった時代に
すでに多くの研究者に指摘されていました。

前述したとおり、60年代は、青年層が不足していたので
人口が増えるはずもなく、70年代の法整備が実って
ようやく80年代に一時出生率が上がります。
702旧スレの1:04/09/12 03:00:11
ここで、一度私の推論を述べてみましょう。
総人口が壁構築以降一度も増えなかった原因として、

1.住宅不足
DDRの住宅不足は深刻でした。
産めよ、増やせよという前に、国民が住むところに
金をかける余裕がありませんでした。
若い者は結婚して、初めて自分の住居が持てたと記憶しています。

2.Republikflucht
壁が構築したとはいえ、
西へ逃れるものがゼロになったわけではありません。
失敗したら強制労働所か銃殺でしたから、
いずれにせよ、少しずつ減っていった計算になります。
703旧スレの1:04/09/12 03:01:05
3.女性の就労政策
70年代からは、育児環境が整ってきたとはいえ、
女性自身は、育児、家事、労働をすべてこなさなければ
なりませんでした。残念ながら、夫婦間の家事の分担は
あまりすすんでいなかったようです。
DDR政府も1000東ドイツマルクまでの財政支援、
子供一人あたり50マルク程度の補助金を一部で出していたようですが、
そんなものはあまり足しにならなかったようです。
したがって生めばそれだけ手間もかかるということです。
ただ、託児所だけは、西ドイツより一杯あったのは有名な話です。

だいたい主にこの三つの要素が絡んだ結果が、
東ドイツの総人口の数に反映していたのでしょう。
それから女性の中絶は、法的に認められていました。
これに関しては資料を読んだことがないので
はっきりとした原因はわかりませんが、
背景にはベルリン陥落後のロシア兵の残虐さがあるかもしれませんね。
704旧スレの1:04/09/12 03:14:39
それから忘れてはならいのが、
家族関係ももちろんDDRのプロパガンダに
密接に絡んでいたこと。
「社会主義的模範家族」
これはFamilienpolitikに属する話ですが、
家族関係すらも規範が求められていた。
80年代にImformantを含む、
Stasiの活動が活発になり、
家庭内でも密告が存在した時代では、
おのずと私の言わんとすることがわかると思います。
705旧スレの1:04/09/12 03:40:45
総人口が壁構築以降一度も増えなかった

80年代に微増している可能性がありますね。
ちょっと資料がないので上記のように
断言するのはまずいので、撤回します。
706東独フリーク:04/09/13 00:29:19
>>695  自己スレになりますが・・・・

『幸せってなんだろう』 P70「妊娠中絶法と親の負担」の一部を転載すると

「子どもを生むという、古来、女性にとつてきわめて原初的で自然なよろこびが、社会的に守
られているという意味からいえば、東ドィツはすぐれてヒューマンな国である。
1972年に成立した妊娠中絶法をとりあげておこう。
この法律の基本的な考え方は・教育や職業・夫婦や家族関係における女性の自立と平等を真に
実現するため、子どもを生むかどうかは、ひとり当の女性本人の判断によるべきであり、女性
のこの決定権は法的にも実際的にも守られなけれぱならないということだ。
この法律により、中絶手術は妊娠12週以内に病院の産婦人科で受けられるが、それに必要なのは
妊婦当人だけの署名である。」

東独礼賛の感はあるが、この著者は当時はそのように考えていたようです。
707旧スレの1:04/09/13 05:36:17
>>701
人口が増えるはずもなく

出生率が増えるはずもなく
ととりあぜず訂正します。


ちょっと時間をおいて考えてみると
上のように青年層の不足により
女性の労働力が求められたのは確かですが、
60年代のNOsSPL期にも、若干総人口の増加
も見られますから、人口が増やせなかった原因は
さらに多面的で詳しい調査が必要だと思いません。

みなさま、混乱させてもうしわけありません。
708旧スレの1:04/09/13 05:36:58
ととりあぜず

とりあえず

でした。たびたび失礼。
709旧スレの1:04/09/13 05:38:30
必要だと思いません。

必要だと思います。

まったくお恥ずかしい。

眠いせいか文章がめちゃくちゃです。


710東独フリーク:04/09/13 11:24:29
>>697 予定調和的な、いかにも東独的なチェック結果も転載しましょう

( >>706 に続き )
「この中絶法もさることながら、避妊薬も合法的に普及ーー選挙権をえる18歳までは親の署名を
必要とするがーーしているから、子どもはほとんど例外なく両親または母親に「望まれ」て、
「計画的」に生まれてくる。
さらに人口増加が緩慢な東ドイツでは、政策的に産めよふやせよの福祉措置がとられているから、
出産、そしてその後の子育ての経済的援助はいたれりつくせりで、楽である。
東ドイツでは、子どもを産んで育てるのはあまりお金がかからない。
たとえば、病院の産婦人科産婦人科専門の病院はなく、すべて国立か公立の総合病院内にある
ーーで妊娠と診断された女性は各居住地区にある妊産婦相談所に登録される。妊娠16週をへて、
流産などの危険が一応遠のくと、まず100マルク、ついで21週から28週のあいだに
50マルク支払われる。栄養のあるものを食べてがんぱりなさいとの激励金である。
無事出産、母子ともに健全で750マルク、母乳保育奨励金として4ヶ月まで毎月25マルク、
計1000マルクがすぺての出産ケースに支給される。

711東独フリーク:04/09/13 11:25:34
(承前)
どうしてこんなにこまぎれに?といつか知り合いの医者にただしてみたら、「1000マルク
ぐらいいちどきに手にしたからといって目がくらむなどということは、まずないのですけど、
やはり無事赤ちゃんを産んでこそ手にできるお金、ということを徹底させるためです。
今はみんな『Gewuensches Kind(望まれて生まれてくる子)ですから、妊娠と同時に1000
マルク全額払ってもかまわないようなものですけど・・・・」ということだった。
ごく最近、ベルリンのバンコフ区の妊産婦相談所では妊娠12週で150マルク支給される、
ときいた。事務労働の合理化でもある。
出産後1年間第1子は無給、第2子以後は有給で母親が休職できる制度は1976年に成立した。
これによって乳幼児と母親のスキンシップのたいせつさがふたたぴ市民権をえたわけだ。
それだけでなく、乳幼児が咳だ、熱だというたびに、おもに母親が職場を休むという偶発性、
それによって生じる経済的非能率を改善する効用も計算されたものと思われる。保育園側でも
1歳未満の最年少児は数が減って好都合だときいた。
それから3歳までは保育園、6〜7歳の学校入学までは幼稚園に通うのが普通だが、絶対大多数
の子どもたちが、月曜から金曜までの朝から夕方までの大半の生活時間をこうした全国一律的な
公共育児施設で過ごすわけである。
入園は義務ではないが、保育園は保健省、幼稚園は国民教育省の管轄下にあって、全国どこでも
同じ育児・教育方針がとられ、就学前教育に重要な役割をもっている。
また、親が払う食費は、国の補助によって実費の6分の1、平均賃金の約3パーセント程度と、
とても安いのも全国共通である。」
712東独フリーク:04/09/13 16:05:47
>>709 :旧スレの1さま さすが専門家のご意見は説得力がありますね

一方、いかに説明しても、どのような資料・データを示しても、本当のところは不明だし
そんな筈はないと反論する立場もでてくるが、過去に調べて出版している人達の努力は
無にしたくない

永井清彦著【現代史ベルリン】〈増補〉朝日選書から
P161 評W−@ 東ドイツからの難民
  年    全体  うちベルリン経由(%) うち25歳以下(%)
---------------------------------------------------------------------
1949-1952 492,681 193,227(39.2) -
1952 182,393 118,300(64.9) -
1953 331,390 305,737(92.3) (48.7)
1954 184,198 104,399(56.7) (49.1)
1955 252,870 153,693(60.8) (49.1)
1956 279,189 156,377(56.0) (49.0)
1957 261,622 129,579(49.5) (52.2)
1958 204,092 119,552(58.6) (48.2)
1959 143,917 99,862(63.1) (48.3)
1960 199,188 152,291(76.5) (48.8)
1961(-8/13) 155,402 125,053(80.5)
(8/13-) 51,624 25,428(49.3) (49.2)

出典: Klaus Horn:Die Berlin-Krise 1958-61,
Europaeische Verlagsanstalt, Frankfurt/M,1970 等から作成    
713東独フリーク:04/09/13 16:08:23
(承前)

P181 表X−@  「壁」以後の難民
年    難民   うち、直接「壁」を越した人々
--------------------------------------------------------
1961  51,624  - (8/14−12/31)
1962   16,741  -
1963  12,967  3,692
1964  11,864  3,155
1965  11,886  2,329
1966  8,456  1,736
1967  6,385  1,203
1968  4,902  1,135
1969  5,273  785
1970  5,047  901
1971  5,843  832
1972  5,537  1,245
1973  6,522  1,842
1974  5,324  969
1975  6,011  673
1976  5,110  610
1977  4,037  721
1978  3,846  461
1979  3,512  463
1980  2,976  424
------------------------------------
 187,538  23,398

出典:Hermann Weber: Kleine Geschichte der DDR,
   Edition Deutschland Archiv, Koeln, 1980

命を賭して直接壁を越えた(越境に成功した)人数に戦慄を禁じえない
714 何足道:04/09/13 17:20:49
>>688
>病気の母親から預金通帳の在り処を聞きだせず、
あれは机の引出しを上げ底にした“タンス預金”だったのでは?
だから主人公は、何も知らずにごみ置き場に搬出してしまった机を必死で探してた様な・・・
まぁぃぃゃ
715世界@名無史さん:04/09/13 20:22:16
>>713
意外に少ない気もしますが(´・ω・`)
716世界@名無史さん:04/09/13 23:56:49
http://health.nikkei.co.jp/special/child.cfm?&i=20020620p4001p4

今の東ドイツは人口減でヤバイっぽいね
いっそのこと合併しないで別の国として歩んだ東ドイツを見てみたかった。
717東独フリーク:04/09/14 01:40:53
出生率改善へ新法案/保育所全員入所めざす
   http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-07-18/06_02.html

別表ー少子化に関する諸外国の取り組みー
   http://www.pat.hi-ho.ne.jp/musashi/index-nanibeppyou.htm

中央公論 2001年10月号 掲載「頭脳移民」
   http://www.tkumagai.de/Imin.htm
718東独フリーク:04/09/14 10:29:24
今夜の放送です

ハイビジョン特集  ▽欧州最初の磁器誕生
「城・王たちの物語・マイセン・幻の磁器の城・アウグスト2世の尽きせぬ欲望」
放送日時 9月14日(火)20:00〜21:55 NHKハイビジョン Gコード(623882)

再放送かも知れない・・・・
719東独フリーク:04/09/15 16:22:02
>ハイビジョン特集  ▽欧州最初の磁器誕生

ハイビジョンの画面はとても素晴らしく、あんなに立派な動物磁器がドレスデンに
あったのか?と眼を疑いました
旧東独時代は果たして一般公開していたのか記憶がまったくありませんね

歴史的な磁器製作の試行錯誤と成功に絡む3人の天才の話が中心ですから
残念ながらその生産量、獲得金額など歴史的経済データの提示はありませんでした
それがNHK的というか、最近は特定人物に脚光を浴びせる脚本の手法が鼻につきます
絵が綺麗だから許すんでしょうね一般人は

現代のマイセン磁器の芸術家・名工は確か1985年からこの仕事に就いたと言ってました
720世界@名無史さん:04/09/15 19:46:25
フリードリヒ大王の時代から、名工はいたのですか?
721東独フリーク:04/09/15 20:11:38
マイセンの歴史は17世紀末から18世紀初頭の「アウグストU世」の願望・欲望が実現したものらしいです

    http://www.sohbi-company.com/club/tokusyu/meissen/tokusyu_back1.htm

マイセン磁器とはっきり銘記したのは1720年からのようです

    http://www.sohbi-company.com/club/tokusyu/meissen/tokusyu_back2.htm

有名な「マイセンの双剣」の時代変遷です

    http://www.sohbi-company.com/club/tokusyu/meissen/tokusyu_back4.htm


東独時代のマイセンの製作・保存・発展の記録は、ドイツ語ならあるのでしょうが残念
722世界@名無史さん:04/09/15 20:16:59
>>721
マルコ・ポーロの時代に、中国から技術を習得し、追い越した?
723旧スレの1:04/09/16 03:05:55
東独フリークさんいろいろ情報ありがとうございます。

マイセンについては検索した文章を引用してみましょう。
”「マイセン」・・・このドイツ西部の小さな街の名が世界的に有名になったのは今から
約290年前のことです。
17世紀、東インド会社がヨーロッパへ持ち込んだ中国の「景徳鎮」や日本の「有田焼」などの
東洋磁器は、当時の王侯貴族らを魅了しました。
その中でも特に熱狂的な収集家であったドイツのザクセン選帝侯アウグスト強王は、
錬金術師・ペットガーと自然科学者・チルンハウスの二人に「白い金」と呼ばれた東洋磁器の製造を
命じました・当時のヨーロッパには磁器を製造する技術が確立されていなかったのです。
そしてアウグスト強王の庇護のもと、ベットガーとチルンハウスは1709年にヨーロッパで
初めて真正磁器の焼成に成功し、マイセンの歴史が幕を明けました。
1709年にヨーロッパで初めて白磁の焼成に成功して以来、
今日までヨーロッパ陶磁器界の最高峰の地位を誇るマイセン窯。
一品一品手書きによって生み出される作品には気品と伝統がいきづいています。
「マイセンを語らずして今日のヨーロッパを磁器を語ることはできない」といわれる
名窯「マイセン」は最高のステータスシンボルであり、最高のブランドポジションを確立しています。”
http://www.tomiya.co.jp/meissenrekishi.htm

ベドガーは錬金術師がなくて、薬局の助手だったそうですね。
王に勘違いされていたそうです。
彼は、白磁の技術が外部に漏れないようにするため、
毒殺された悲劇の人です。

私はマイセンの特に東独時代について知りたいのですが、
おそらくマイセンに行ってそこの職人に聞かないと
何もわからないでしょうね。
724旧スレの1:04/09/16 03:06:53
ベドガーは錬金術師がなくて

ベドガーは錬金術師ではなくて
725東独フリーク:04/09/16 11:45:26
東独時代の職人も逃げずに残っていますから、必ず情報は得られると
あなたのご報告を期待しています

現物のマイセンのことは家内の方が詳しいと思われます
貧乏ですが、結構マイセンを見ていますし、ユダヤ人の
卸元から直接買ってもいましたから

マイセンが作った磁器で、企業が記念に配るメダルを持っています
(1)白色で、上薬をかけていない艶消しのもの
(2)白磁ではなくて、赤銅色の多少艶があるもの

貰ったときはちっとも嬉しくなくて、せめて灰皿ぐらいくれたら良いのに
と思っていましたが、もしかしたら東独時代の歴史的希少品としての価値
があるかも
726世界@名無史さん:04/09/16 12:59:54
>>725
> マイセンが作った磁器で、企業が記念に配るメダルを持っています
> (1)白色で、上薬をかけていない艶消しのもの
> (2)白磁ではなくて、赤銅色の多少艶があるもの
> 貰ったときはちっとも嬉しくなくて、せめて灰皿ぐらいくれたら良いのに
> と思っていましたが、もしかしたら東独時代の歴史的希少品としての価値
> があるかも
これらのことですね。
ttp://www.bimoclub.com/tokyo_list/stock/t/t-3.jpeg
727東独フリーク:04/09/16 15:05:35
そうです
ちゃんとマイセンの双剣マークが入っています

ソ連からは、精巧なコイン(エンボス)加工がされたアルミ合金と銅合金のメダルも貰いました
ただし、アルミ製のぺらぺらなバッチを、工場長が大げさに金庫から取り出してくれる
のですが、それが名刺方型電卓に対する返礼というのが可笑しくて笑っちゃいますね
そのバッチを着けていれば、工場長(社長)室までフリーパスで入れたのかも知れませんが
728世界@名無史さん:04/09/16 17:14:07

なんか、東独フリークさんの話は、古き良き時代の日本まで思い出させますね。
729東独フリーク:04/09/20 00:03:28
♪青春時代のまんなかはー、胸に棘刺すことばかりー・・・・♪

これって70年代の囃し唱でしたっけ?ふるーい(自分に突っ込みを入れてみる)

>古き良き時代の日本

東独に関しての実体験に近い記憶は、このまま放置すると、朽ち果ててしまいます
記憶の小引出しを叩いてくだされば、連想ゲームみたいに、ぽろっとでてきますから
どんどんヒントを頂ければ幸いです

最近東独時代に入手して、死蔵されていた写真集やパンフレットの類がでてきましたが、
どのような手段を使うと、少ないリスクで皆様に公開できるのでしょうか?

やっとスキャニングが出来る複合プリンターを買いましたので、不十分・不鮮明なデータと
してネットに乗せることも勉強中です

実は、ドイツ版の東独HPに載っている写真等も、この写真集から転載されていることが
多いのですが、適切なご質問やご要望があれば、それに対応した情報を流すことができれば
良いかな・・・・なんて大それたことを考えています

ところで古き良き時代とは、日本経済の高度成長の前期・中期・後期、バブル期もしくは
壁崩壊直前期のどのあたりに該当するのでしょうか?
730世界@名無史さん:04/09/20 02:53:26
>>729
> ところで古き良き時代とは、日本経済の高度成長の前期・中期・後期、バブル期もしくは
> 壁崩壊直前期のどのあたりに該当するのでしょうか?

80年代初頭〜半ばってところですかね。

あくまで個人的な印象です。
731旧スレの1:04/09/20 05:25:45
マイセンは遠いもので、なかなか。。。

ところでニュースダイジェストによると
ドイツ国民の2割が壁復活を望んでいるそうです。

旧西ドイツ人が24%
旧東ドイツ人が12%

旧西独地域の人は、旧東独地域への財政支援を
負担に思っているようです。

旧東独地域の人は7割が社会主義を肯定している模様です。

統一直後は時間が東西の軋轢を減らしていくものだと
希望的観測を持っていましたが、
経済格差が拡大することによってますます「心の壁」は
拡がってしまったようですね。
732特定東独物マニア:04/09/20 11:45:00
最近DDRのお札を人からおまけで頂いたのですが

100マルク カールマルクス
50マルク  フリードリヒエンガルス 等

紙質はぺらぺらの薄い透かしが入ってます。
やはり社会体制や思想関連の人物が印刷されてます。
まあ当時の外国通貨としては綺麗じゃないかと思ってます。
今のビール券や商品券のようなユーロ札よりお札らしいです。

>>731
>統一直後は時間が東西の軋轢を減らしていくものだと
>希望的観測を持っていましたが、
>経済格差が拡大することによってますます「心の壁」は
>拡がってしまったようですね
EU拡大により経済発展は西ドイツ並に高い社会保障と高くなるであろう賃金の旧東ドイツ地域を飛び越えて
ポーランド等の旧WPO地域へ移動しました。
旧東ドイツ地域の産業空洞化に伴う失業の増加はドイツ経済にとって重荷でしょうね。
733世界@名無史さん:04/09/23 09:01:35
ドイツとフランスが財政赤字の抑制を義務付けているユーロ圏の財政協定に違反している問題で、
欧州連合(EU)の司法機関である欧州司法裁判所(本部・ルクセンブルク)は13日、両国に
是正手続きの実施を求めた欧州委員会の勧告案を採用しないとしたEU財務相理事会の決定を無効
とする判決を下した。
 これを受けて、財務相理事会は10月の会合で、欧州委の勧告案について再協議を迫られる見通しだ。
 同裁判所は、財政政策に関する欧州委の決定を変更する権限は財務相理事会にあるとしたが、今回の決定では
協定を尊重しなかったとしている。

独仏両国がこれまで非難を幾度にわたって回避できた背景には、同協定違反になりそうな国々が両国を支持
してきた経緯もある。欧州委員会によれば、両国にイタリア、オランダ、ギリシャ、ポルトガルを加えた
6カ国が2004年に財政赤字基準を破る見通しとなっている。
http://d.hatena.ne.jp/ookitasaburou/20040713

734世界@名無史さん:04/09/23 18:11:11
東の食文化って西とは違ったんですか?
735東独フリーク:04/09/23 19:07:32
統一から13年経った(2002年)の旧東ドイツの人々の暮らしというテーマで
(1)「ある家族の肖像」
(2)「(旧)東ドイツから見た(旧)西ドイツと日本」
という大学の公開講座に出席できそうです

90分ずつの短い講座ですが、専門家(大学の講師と教授)に是非確認して欲しい
事項がありしたら、上記(1)と(2)に逸脱しない範囲で短い質問を持って行き
ますから、希望者はどうぞ・・・ただし面識はありませんから回答が得られなくても
ご容赦を

>>734

歴史的にはドイツ人の食べ物はそれほど変化していませんから、食文化として
大きくかけ離れたとは言えないでしょう
しかし、東西ドイツ間には食文化以前の食にかかわる深刻な格差がありました
言いたいことがたくさんありますから、後日投稿します
736世界@名無史さん:04/09/23 23:18:43
ビールは恐ろしくまずかったらしいね
737世界@名無史さん:04/09/24 00:16:00
>>735

この公開講座はどこの大学で行われるんですか? 聴講してみたい。
738東独フリーク:04/09/24 01:04:58
随分前に締め切っていますが、来年か再来年にも同じような公開講座を設けるでしょう。
なにしろ隠れオスタルギーは結構いますから
私は往復飛行機で相当な出費になるため2回しか出席できませんが、出席できなかった回の
資料も頂けるように交渉しましたので、講師が著作権を主張しない程度に情報漏洩をしましょう

ところで明日(24日)の夕方までに(1)の質問をお願いしますよ
(2)は来週でも構いませんが・・・・

>>736

ドイツのビールはモルツと水とホップ以外は原料として使用しない伝統があるが
ビールを美味しくするコツは「モルツの含有量」であることはお分かりですよね?

東独はモルツの輸出国(日本の主要ビール・ウイスキーメーカーも輸入していた)
ではあっても、外貨が欲しいから国策で自国内のビールにはモルツの含有量を制限し
不味いビールしか作らせなかった

それに逆らった地ビールの醸造主は徹底的に弾圧されたようだし、醸造・瓶詰めの設備が
老朽化しても改修すらままならず、不味くて劣化しやすいビールで我慢させられていた
739世界@名無史さん:04/09/24 05:59:21
アメリカの俳優ディカプリオは、ブランデンブルク州の民主社会党支部長に
似ているようですが・・・・

たしか、彼も母親がドイツ系ですよね?
740世界@名無史さん:04/09/24 06:04:22
ブランデンブルク州での民主社会党と社会民主党の連立交渉は、決裂したようです。
741世界@名無史さん:04/09/24 07:38:50

東独フリーク様

公開講座のテーマについてですが、事前に発表されている「概要」みたいなものをお知らせいただけるとありがたいですね。タイトルだけではなんとも・・・。
742東独フリーク:04/09/24 09:01:08
>>741

これが公開講座の趣旨と日程で、パンフレットにも同一文が記載されています

ただし、主催者や講師の了解を得て掲載したものではありませんから、何らかの不祥事や問題が事前
事後に発生しても責任は負えませんし、講師の先生方とは一面識もなく、発表された学術論文や著作、
思想・信条に関しては全く不勉強ですから、異論・反論・反駁の嵐に巻き込まれることは本意では
ありません

    http://www.kanazawa-u.ac.jp/faculty/kaiho_c/04kouza/0414.htm

このうち、4回目9月25日および5回目10月2日に出席する予定ですが、天候不順や巳むを得ない
事情で欠席することも考えられます
743germany good!!:04/09/24 09:21:48
744世界@名無史さん:04/09/24 20:54:07
そういえばナディーンも東ドイツ出身だったような。
巨乳多いのか東には。
745世界@名無史さん:04/09/24 22:55:40
>>743
     こんなのがタイプってぇのは眼に余るなー

     http://www.berlinonline.de/rubrikenstartseiten/erotik/.html/index.html

     こっちの方がちょっとまし
746世界@名無史さん:04/09/24 23:25:16

東独フリーク様

ご紹介のページを拝読いたしました。
実際に講座を聴いてみたら、いろいろ質問が浮かんでくるとは思うんですけども、短い題目を読む限りではぱっと浮かんでこないですね。

私の方からは質問はないんですが、講座の内容について要点を一通りご報告いただけたらそれだけで十分興味深いと思います。
個人的には、「(旧)東ドイツからみた(旧)西ドイツと日本」について興味を引かれております。

あっ、そういえば、日本・東独混血児問題ってのがありましたが、題目に関係あるかな?
747東独フリーク:04/09/25 00:15:20
短時間かつ講師の方針や経験に大きく左右されると思われる公開講座内容なので
なるべく前広ろに話を聴いて、気が付いたところがあったら質問してきます
講座内容の要点報告は、不得手でプレッシャーになるので、あまり期待しないで下さい
748世界@名無史さん:04/09/26 15:00:26
西と東で体格の差はあったんですか?
韓国と北朝鮮なんて10cm以上差があるし
749世界@名無史さん:04/09/27 00:24:48
鉄道大国ドイツなのに市電がボヘミア製とはorz
750世界@名無史さん:04/09/27 10:01:31
チェコの方が優秀?
751世界@名無史さん:04/09/27 14:40:44
チェコのほうが優秀。
752東独フリーク:04/09/27 22:11:57
CATVの番組をうろついていたら、あのシュコダの最新量産車がサーキットで健闘していました

チェコと分かれたスロバキアは今どうしているのでしょうか?
各種の鉱山があって、武器生産に関連した重機械工業もあったのですが、噂も聞きませんね
確か007が石油(天然ガスだったけ?)の油送管を通って、カプセルで脱出したブラチスラバが首都ですよね
753世界@名無史さん:04/09/27 22:14:36
>>752
一時期の低迷を脱した

      と、官辺(;´д`)ノ
754東独フリーク:04/09/28 11:50:59
>>748

東・西ドイツ人の体格差を比較して、当時を思い出すのは非常に難しいところです
当然のこととして、ドイツの保健省などがデータを残し・比較・公表しているとは思います

日本人はドイツ人を男は偉丈夫、女はグラマーだと思い込んでいる節もあるが
175センチの身長の眼から観察すると、さほど身長は高くないし、単に肥満であることが多い
ただし胸板の厚さと脚の長さには日本人は負けると断言できます

当時の東ベルリンで見掛ける東ドイツ人男性は、ちょっと猫背で、自信無げに歩いていた
一方西ベルリンではドイツ人以外の人種も入り乱れているので、確実にドイツ人だと見分けるのは難しい
ラテン系やスラブ系は良く観れば分かるが、西ヨーロッパ人は区別が難しい(商売人としては重要なのだが)
平均的に陰気な顔をしているのがドイツ人かな?という程度の判断力はあったが

生活環境・社会的地位・経済状態が大きく影響するのが西ドイツ人であることも一因でしょう
755東独フリーク:04/10/01 15:27:12
>>742

東独関連公開講座10月2日の回は欠席します。すみません。

前回出席して反省:
(1)都内某所・羽田・小松・金沢・大学の往復は半端でない出費になった
(2)早朝から夜まで物凄く時間が掛かった割には、講座は1.5時間に過ぎない
(3)乗継・連絡が悪く土曜日ということもあり、バスの連絡がなくタクシー代が馬鹿みたい
(4)他の受講者のレベルが、ここの皆さんとは月にすっぽん程も違っていて話が合わない

講座出席に掛ける費用で、東独関連の参考書籍を買い集めた方が有意義と判断しました
なおレジュメなど資料は少し頂いたので、著作権に触れない程度に、情報と共に流用転載しましょう
756世界@名無史さん:04/10/04 09:49:30
ライプチヒのネオナチデモを阻止すべく、バリケードに放火した左翼と、
警官隊が衝突。
ザクセン州行政裁判所が、デモを適法と認めたため。
757世界@名無史さん:04/10/04 11:53:32
>>755
>他の受講者のレベルが、ここの皆さんとは月にすっぽん程も違っていて
>話が合わない
鷲もアサヒカルチャーセンター受講して毎度そう思う
758世界@名無史さん:04/10/04 16:35:47
>胸板の厚さと脚の長さには日本人は負けると断言できます

172cmの私では、ヨーロッパのトイレ、小のうけ口が高い、
大も高さが日本より高く感じられます。
759東独フリーク:04/10/04 21:55:48
>>758

実は接触せずに済ますことが不可能ではないかと思われる場所に何度か遭遇しています
日本では縦に細長くしたり、子供用までありますから不安にはならない・・・・ほっ

ところがドイツ人の発想は逆なんですね
ぎりぎり厳しい環境に身を置けば、人間は無分別に周囲を飛沫で汚染するような
不躾なことはしないと考えているらしいのですよ

しかし便座が暖かくて、ウオシュレットが各家庭に普及している日本のことを
説明すると、目を丸くしています
760世界@名無史さん:04/10/05 18:35:53
>>700

>DDRは人口政策をやらなかったか?
>もちろんそんなことはありません。
>ウルブルヒト政権末期にはすでにきちんとした
>政策が行われていました。

手持ちの資料には書いていなかったのですが、具体的にどのようなことをやっていたのでしょうか?

761旧スレの1:04/10/06 03:42:14
>>760
この場合の人口政策とは、
上位概念としての「社会政策」の下での
「家族政策」における女性の育児環境の
改善および支援を意味しています。
それは上述したとおりです。
SEDの資料に直接的な「人口政策」に関するものが
あったかは調べたことはありません。

もしあたりたいのでしたら、
Handbuch der Geschichte der Sozialpolitik in
Deutschland, band 2 "Sozialpolitik in der Deutschen
Demokratischen Republik"
をあたってみるのもいいでしょう。
検索すれば著者や出版者もわかるはずです。
このなかに「Bevoelkerungspolitik」というそのものずばりの項目が
でているかもしれません。
あとは論文をあたるのみです。
すくなくとも女性関係の論文はくさるほどありますから
すぐ女性に対する社会政策やその結果がわかると思います。
日本語文献ではわかりません。
(山川「ドイツ史3」のDDRの章で、少し女性のことにも
触れていた思いますが定かではないです。)
762東独フリーク:04/10/06 22:48:24
いまだにドーピング問題で自尊心を傷付けられているハンガリーからの
ある日本人発行のメルマガです

  http://backno.mag2.com/reader/BackBody?id=200410062130000000058559000

気になるのは、日本が騒ぎ過ぎだというくだりだが、プロ・アマ混合は時代の流れとしても
せめてドーピングのあくなき追及と資格剥奪ルールは残してもらいたいところです

メダル大国の東独はソ連の後押しもあったのか、判定検査方法が未熟であったのか
あきらかに確信犯の筈のドーピングがばれることもなく、メダルの剥奪もなかった

壁が崩壊した後は、ドーピングを主体的に指導していたスポーツ関係者が世界中に
拡散して、いわゆる「東独スタイル」のドーピングが蔓延したと言われている

他のメルマガによると、アメリカはオリンピックのメダリストに見向きもしないらしいですね
763世界@名無史さん:04/10/07 01:25:26
>>762
> 他のメルマガによると、アメリカはオリンピックのメダリストに見向きもしないらしいですね

アメリカ=世界だというアメリカ人の認識ゆえでしょうね。アメリカ国内(=世界)の大会>海外の大会という図式。
764世界@名無史さん:04/10/07 17:33:50
ttp://www.htokai.com/hara/pdf/chronological.pdf
67年以降に児童手当の引き上げが行われているようですね。
765世界@名無史さん:04/10/08 20:10:02
>>761
ありがとうございます。やはりドイツ語文献に当たらないとダメそうですねorz

しかし、NOeSPL期に若干人口が持ち直したのは一体なんだったんだろう。
教授(現代史専門ではない)に聞いてみたら、
「食料が増えたからじゃないの?」
との答え。ソ連の農業改革で増えた食料が東ドイツにも回ってきたってことなのかなあ。。

後、住宅不足なのも、都市部と農村、田舎ではやはり違ってくるんでしょうね。土地余ってそうだし。
766旧スレの1:04/10/09 03:07:49
>>765
何度も申し上げましたように
NOeSPL期に関して日本語資料を期待しても無駄でしょう。
私が学生をしていた2000年前後でも、このNOeSPLを詳述している
ドイツ語論文はありませんでした。

この当時、「50年代の研究はかなりされているが、60年代はまだ途上である」と
研究者間でも言われて、歯がゆい思いを私もしました。
ベルリンのBundesarchivに行って一次文献に直接あたるか、
気合でドイツ語論文を探すしか方法はないですね。
著名な方が書かれたドイツ語のDDRに関する本でも、
概説的なこと以外は書かれていませんし。

可能性としては、経済史方面からの研究ですが、
統一した以降に纏められたものはまだ極少数でしょうね。

住宅事情に関しては、70年代か80年代なら、論文もそこそこあると思いますよ。
767東独フリーク:04/10/12 19:57:11
>>766 :旧スレの1さま

BRD/neue Laenderと BRD/alte Laenderとはどういう意味でしょうか?

http://www.ifl-leipzig.com/daten/deutsch/nationalatlas/demo/cd/beispiel/beispi.htm

力技でこんなものを見つけたのですが、Key Word から類推して、方向性に間違えがなければ
辞書と首っきりで内容を把握しようかと思うのですが如何でしょうか?
768東独フリーク:04/10/12 20:44:43
>>766 :旧スレの1さま

BRD/neue Laenderと BRD/alte Laenderとはどういう意味でしょうか?

http://www.ifl-leipzig.com/daten/deutsch/nationalatlas/demo/cd/beispiel/beispi.htm

力技でこんなものを見つけたのですが、Key Word から類推して、方向性に間違えがなければ
辞書と首っきりで内容を把握しようかと思うのですが如何でしょうか?
769東独フリーク:04/10/12 20:47:21
ドイツ語どころか日本語も怪しくなってきた

   首っきり → 首っ引きが正しい
770旧スレの1:04/10/13 02:30:58
東独フリークさんへ

>BRD/neue Laenderと BRD/alte Laender
新州と旧州つまり、
旧東ドイツ地域と西ドイツ地域の
別称です。

旧東ドイツの5州は、統一後に加わったので
このような言い方が定着しました。

リンク先の分析に関してはまたのちほど。
771旧スレの1:04/10/13 02:59:37
分析は後ほどと思いましたが、
東独フリークさんが自らなさると書いてありましたね。
何か他に質問がございましたら、
遠慮なくおっしゃってください。
772東独フリーク:04/10/13 14:18:57
>>770
>>771  旧スレの1さま

ご教授ありがとうございます
BRD/neue Laenderは「旧東独」と置換えて考えます(他にも似たような表現の資料がありました)

つい指が滑って、できもしない分析をしていみょうかな?などと大それたことを申しました

ドイツ語は全く単語の訳が頭に浮かびませんし、文法もどこかに流れ去ってしまいましたから
是非あなたの分析をお願いいたします

このスレでは「定性的、情緒的な投稿」より、専門的な「定量的、客観的な投稿」が
再三もとめられていますから、あまり拙の出番がないのです
もともと邦訳された資料が少ないうえに、たまたま見付けたドイツ語の資料が
果たして「定量的、客観的な投稿」のネタに合致するものなのか、それとも数字やデータ
(定量的)がまことしやかにあるだけで、所詮作成者の恣意的な列挙に過ぎず、
信憑性(納得性)に乏しいものなのか、全く分からないもどかしさがあります

なにやらグラフや分布図が付いていて、面白そうなドイツ語資料なので、宜しくお願いいたします

773世界@名無史さん:04/10/14 02:50:05
SEDの党歌が一行目からはっちゃけすぎなのはなぜですか。
774旧スレの1:04/10/14 05:23:50
>>772
いえいえ大したことはしてませんから。

>このスレでは「定性的、情緒的な投稿」より、専門的な「定量的、客観的な投稿」が
>再三もとめられていますから、あまり拙の出番がないのです

本で調べればわかることより、
東独フリークさんの実体験の方が
他の方々は喜ばれるのでは?
それにもし私がそのような経験をもっていても、
東独フリークさんのように丁寧かつ詳細に書ける自信は全くないです。(笑
775旧スレの1:04/10/14 05:31:23
. LIED DER PARTEI (Die Partei hat immer recht) (1950)
Komposition und Text: Louis Furnberg

Sie hat uns alles gegeben,
Sonne und Wind und sie geizte nie.
Wo sie war, war das Leben,
Was wir sind, sind wir durch sie.
Sie hat uns niemals verlassen,
Fror auch die Welt, uns war warm.
Uns schutzt die Mutter der Massen,
Uns tragt ihr machtiger Arm.

Die Partei, die Partei,
Die hat immer recht
Und Genossen es bleibe dabei,
Denn wer kampft fur das Recht,
Der hat immer recht
Gegen Luge und Ausbeuterei.
Wer das Leben beleidigt,
Ist dumm oder schlecht,
Wer die Menschen verteidigt,
Hat immer recht.
So aus Lenin'schem Geist
Wachst von Stalin geschweist
Die Partei, die Partei, die Partei.
776旧スレの1:04/10/14 05:31:44
Sie hat uns niemals geschmeichelt.
Sank uns im Kampfe auch mal der Mut,
Hat sie uns leis nur gestreichelt:
"Zagt nicht!" und gleich war uns gut.
Zahlt denn noch Schmerz und Beschwerde,
Wenn uns das Gute gelingt,
Wenn man den Armsten der Erde,
Freiheit und Frieden erzwingt?

Sie hat uns alles gegeben,
Ziegel zum Bau und den grosen Plan.
Sie sprach: "Meistert das Leben,
Vorwarts Genossen, packt an."
Hetzen Hyanen zum Kriege,
Bricht euer Bau ihre Macht.
Zimmert das Haus und die Wiege,
Bauleute, seid auf der Wacht!
777旧スレの1:04/10/14 05:33:46
>>773
上を見ると確かにはっちゃけてますね。
「党はわれ等にすべてを与えくれた」

だってタイトルが

『党は常に正しい』

ですからね〜。
778旧スレの1:04/10/14 05:42:58
1950年というと建国後まだ一年ですから、
ドイツ後で生まれた初の社会主義国として
喜びを表現したかったのでしょうね、この作者は。
この時代は真剣に社会主義に希望をもっていた人が
少なくなかったですから。
779旧スレの1:04/10/14 05:57:05
与えくれた>与えてくれた

ドイツ後で>ドイツで
780世界@名無史さん:04/10/14 06:04:12
So aus Lenin'schem Geist
Wachst von Stalin geschweist

此処の部分ってどういう意味?
781旧スレの1:04/10/14 06:44:51
>>780
「レーニンの精神から、
スターリンが血を流して育った」
ぐらいでしょうか?
geschweistの訳が難しいですね。
782旧スレの1:04/10/14 06:59:43
「レーニン主義の精神」から
の方がより適切かも。
783世界@名無史さん:04/10/14 08:15:12
トルコ加盟に反対する署名運動をCSUがしてますね?

あれは、政治家からは、批判が強いですね。
784世界@名無史さん:04/10/14 08:16:19
ヘッセン州では、この戦術でCDUが選挙に勝ったそうだが。
785773:04/10/14 19:28:34
>党は風や太陽、それら全てを与えてくれた。
最初から飛ばしすぎ。

>>780
「レーニンの精神から生まれ育ち、スターリンによってまとめられた」党!党!党!
schweissen(溶接する?)を意訳して、KPDとSPDの合同なのでこんな感じだと思いました。
786世界@名無史さん:04/10/14 19:31:51
ザクセンとブランデンブルクでは、旧SEDが第二党だってさ
787旧スレの1:04/10/15 04:34:12
CDUのアンゲラ・メアケルの戦略は、
EUへのトルコ加盟反対で
与党と一線を画すことによる保守層の支持回復でしょう。
シュトイバーはともかく、メアケルが本気で反対しているとは
思えないんですよね。

旧SEDつまいPDSですが、
確かに支持層を東ドイツで拡大しています。
ただ実際のところは、旧東ドイツ人の利益を代表してくれるという
イメージが先行していて、実際の対案能力は非常に疑わしいですが。
788東独フリーク:04/10/27 18:32:09
ちょっと話題が途切れているので、最新情報を・・・・
ただし、調査対象(地域・人数)および出典は分かりません

1)東ドイツ人に対する西ドイツ人の印象
             2002年11月     2004年7月
(1)不満を持っている     49%         54%
(2)疑り深い         46%         46%
(3)びくびくしている     27%         34%
(4)怠  慢         27%         32%

2)西ドイツ人に対する東ドイツ人の印象
             2002年11月     2004年7月
(1)傲慢(ごうまん)     69%         77%
(2)お金に執着している    61%         64%
(3)自分に自信がある     50%         55%
(4)官僚的          47%         49%
(5)表面的          38%         44%

現在の東西ドイツにおける問題点は「異文化(たった半世紀で)理解の過程」にあるらしい
   陶酔期 → 疎外期 → 不満拡大期 → 誤解解消期 → 共存期
789世界@名無史さん:04/10/27 19:03:41
不満拡大期が永遠に続いたりして。。。
何しろ西ドイツの資本が東ドイツを飛び越えてポーランドやチェコに行ってしまう現象が止まりそうにない。
790世界@名無史さん:04/10/27 19:13:48
東ドイツの若い世代が西ドイツに移住していけば、過疎化します。
日本の田舎みたいに。
791世界@名無史さん:04/10/27 21:46:05
何でドイツって東と西に別れたの?真剣に知りたいんだけど。
792世界@名無史さん:04/10/27 23:37:57
中学の教科書でも読めば?
793世界@名無史さん:04/10/28 00:09:40
私はドイツが好きだ。1つより2つの方が良い。
そういや、歴史家のAJPテーラーはドイツ統一に反対してたな。
794世界@名無史さん:04/10/28 01:18:54
>>793

2つのドイツが好き♪っつったのチャーチルでしたっけ?

ヤな奴だw
795世界@名無史さん:04/10/28 13:57:26
>>792
分割占領の後、ソ連が自国の占領部分を社会主義化したがったから。
東西冷戦の産物。
796世界@名無史さん:04/10/28 13:58:51
>>794
統一されてみると、メディアが騒いだわりに、大したことないw
「○○の時代」で、的中したのって、どのくらいあるんだ?
797世界@名無史さん:04/10/29 00:35:13
>>791
この辺を読んでみたら? ドイツ外務省の公式見解。
http://www.tatsachen-ueber-deutschland.de/2400.99.html
798東独フリーク:04/10/29 01:54:42
旧西独で12.000人がシュタージ(Stasi)の協力者だった
Die Welt, Dienstag, 8. Juli 2003 Berlin, 16:15 Uhr

    http://tovalis.or.tv/auslese/Rosenholz%20StasiDataien.htm

驚くべき事実の判明や刑事罰の可能性はないと予想。
調査当局のビルトラー(Birthler)局長は外国に情報提供していたスパイについて
35万件のデータを保存した「ローゼンホルツ」−ファイルを公開した。
799ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/10/29 02:05:41
お久しぶりです。
1ヶ月近い出張があったり、それより何より
もう私のようなインチキ君にはついていけない高度な内容になってしまったので、
ずっとROM専になってましたが…、
西独で12000人て多いのやら少ないのやら。
やはりベルリンが中心なんでしょうかね。
800東独フリーク:04/10/29 02:26:24
一昨日久しぶりでポツダム在住の日本人と東京で会った
「何が腹立たしいと言って、旧東独時代は、東独人が外国と自由に往来できない
とのみ、一般的な日本人には思われていたことで、本当は生まれた町や村から
他の土地に行くことすらできないことだったのだ」と意見が合った

先ず、望む教育を受ける自由は基本的になかったし、職業選択の自由もなかった
国内すら移動の自由が認められず、居住の異動の自由が全くなかったから
生まれて育った町や村に足止めされていた
これでは収容所で強制労働を強いられていたことと変わらないじゃないか

もっと、もっと旧東独時代の許せないことを、忘れないうちに書きたくなった
いままでは、オスタルギーなんて気取っていたけど、嫌なことを更に暴露しなければ
本当の意味で東独を直視したことにならないと、最近思うようになってきている
801世界@名無史さん:04/10/29 05:57:04
お願いします。(゚-゚)(。_。)
802世界@名無史さん:04/10/29 13:05:10
そういうとこは北朝鮮と変わらないね。
803世界@名無史さん:04/10/29 16:29:08
80年代、隣のポーランドでは英米や西欧の音楽・映画が普通に出回ってたし、国内なら移動も自由だったそうだが。
つか国外にもアメリカや西欧に出稼ぎに行ったりして、大分自由だったわけなのだが。
食い物だけいつも足らんかったそうだ。

食い物は豊富でも秘密警察に監視されたり、移動の自由がなかったり、外国の情報の入らなかった東ドイツとどっちがよかったか、は難しい問題だが。
東ドイツでは、おとなしく国家にしたがってれば、食い物だけはあったわけだから。
804世界@名無史さん:04/10/29 18:16:23
北朝鮮よりは、マシだな
805世界@名無史さん:04/10/29 22:35:21
ポツダム見物では美しい町でした。次のどれでしょう?
1、統一後、金持ちが移住した。
2、共産国時代も支配層がすんでいた。
3、戦前も戦後も統一後も金持ちがすんでいる。
質問のポイントは、共産時代の金持ちの生活でしょう。
806世界@名無史さん:04/10/30 00:44:53
>805
共産主義時代に戦前の金持ちは皆殺しだろ。
党幹部が住んでいたのか?
肝心のサンスーシはぼろぼろだが。
807東独フリーク:04/10/30 02:25:36
>サンスーシ

統一後は大分整備されたようですが、確かにぼろぼろでしたねー、特に80年代は
冬は炭火をたいて樹木を保護した、階段状の温室の中には草木が枯れていました
絵画館に入るとき、もこもこしたオーバー・シューズを靴の上から履かされませんでしたか?
それが物凄く埃を吸っていて、歩くたびに咳き込む程の埃を撒き散らしていました
808世界@名無史さん:04/10/30 05:25:50
>>806
戦後の金持ちが住んでいたんだろうよ。
共産主義時代のね。
809805:04/10/30 10:13:29
どうも私の無知による誤解があったようです。
訪問したのはごく最近なので、ポツダムがきれいになったのは
最近の話で戦後はポツダムも貧しくきたなかったようですね。
ポツダム会談のころはベルリンは焼け野原であそこしか無かった
のでしょう。
810東独フリーク:04/10/30 21:49:52
東西ドイツ時代、西ベルリンとポツダムを隔てる湖ユンゲフェルンゼーJungefernseeの境界線は
グリニッカー橋Glienicker Brueckの真ん中を通っていて、西ベルリンのケーニッヒ通りKoenigstr.
のどん詰まりにあり、大好きな場所の一つでした(このURLで表示ができると良いのですが・・・)

  http://www.stadtplandienst.de/map.asp?sid=d8ab53c38eeb2e44163d924c50469f79&maxnearest=1&nType=0&linkauswahl=0&printauswahl=0&onlineauswahl=0&routesel=start&grid=dedatlas10&Map1022_1225.x=139&Map1022_1225.y=86

当時西ベルリンからポツダムに行くには、ドレービッツの検問所からトランジット道路を通り、
大きく迂回して、案内看板もない水溜りが残るような田舎道を辿りますが、この橋の袂にくれば
直ぐ向こうのこんもりとした木立がもうポツダムです

この橋の中央で、東西両陣営のスパイが交換されたニュースが80年代初めに暴露されて
そのこともあって、西ベルリンの住宅地からは最も離れた場所にも拘わらず、気分転換によく車を
飛ばしていったものです
811世界@名無史さん:04/10/31 01:10:54
北朝鮮みたいに
西独人を拉致抑留することってなかったんですか
812世界@名無史さん:04/11/03 07:12:33
874 :世界@名無史さん :04/11/02 21:39:31
http://www.worldtimes.co.jp/
エリザベス英女王が訪独 謝罪要求で独英に不協和音
 
【ベルリン2日豊田剛】エリザベス英女王は二日、ベルリンに到着し、三日間
の訪独を開始した。第二次世界大戦の英軍によるドイツ大空爆を謝罪するか
どうかに注目が集まっている。
独大衆紙ビルトは女王が謝罪することに期待を表明。保守系日刊紙ウェルトは、
「英国は常に反ドイツ的な論調を展開して新聞を売っている」と批判。女王が
謝罪すれば、両国間の敵意を取り去られるであろうとしている。これに対し、
英タブロイド紙デーリー・テレグラフは、「すまないが、ドイツは罪悪な過去を
忘れてはならない」とし、謝罪要求を拒否した。
ベルリンでは、ケーラー大統領、シュレーダー首相らと接見するほか、第二次
世界大戦による犠牲者の記念碑に献花。英大使館で行われる気候変動会議にも
参加する。三日には、旧東独ドレスデンを訪問し、英軍の空爆によって破壊
され現在は再建中の聖母教会で行われるチャリティーコンサートに出席する。
空爆では約三万五千人が犠牲になった。
女王の訪独は十二年ぶりで今回が四回目。一九九二年にドレスデンを訪問した
際には、市民の大きな批判を浴びた。
875 :世界@名無史さん :04/11/02 21:48:15
見出しだけ見たら独が英に謝罪かと思ったよ。
日本とはまるで逆だなぁ。。。


813世界@名無史さん:04/11/03 07:15:48
ドイツの国軍の国内の503の駐屯地の内、105箇所を閉鎖。
シュレスビッヒ・ホルシュタインなど3州で、特に打撃、という。

「打撃」って連邦の補助金でも削減されるの?過疎化の恐れ?(;−−)・・・・ウーン
814世界@名無史さん:04/11/03 12:48:06
謝罪する必要などないでしょ。
もう60年も前に終わったことを謝罪しる!なんて要求するのは
自らの品位を汚す。
815世界@名無史さん:04/11/03 15:27:30
ドイツ人と朝鮮人は似ている。
816世界@名無史さん:04/11/03 15:28:40
ドイツ人というか、社会主義者のドイツ人ね。
社会主義者に品位なんて言葉はないから中国、韓国と相性がいい。
817世界@名無史さん:04/11/03 15:31:56
60年前の謝罪を要求するところが似ている。
818世界@名無史さん:04/11/03 16:37:00
東ドイツ軍の陸・海・空の兵力ってどれぐらいだったの?
東ドイツというと駐留するソ連軍20個師団のイメージしかないし。
819世界@名無史さん:04/11/04 13:27:59
ほとんどソ連軍頼みだろ
820世界@名無史さん:04/11/04 16:54:28
たしかソ連が大軍の保有を認めなかった。
ソ連軍三個師団がNVA一個師団を囲む配置など信用されてなかった
821世界@名無史さん:04/11/04 18:01:23
でも「英が独に謝罪するかしないか」なんていってるけど、
「米国が日本に」なんて話は聞いたこともない。ドイツは戦後、
日本よりもいっそう惨めな道を歩んできたけど、なんだかんだいって
しっかりしててうらやましい。
822世界@名無史さん:04/11/04 18:32:30
アホか。60年も前に済んだことに謝罪を要求する方がキチガイ
823世界@名無史さん:04/11/04 19:17:44
米国は原爆投下、無差別空爆などの民間人虐殺を謝罪せよ?
824世界@名無史さん:04/11/06 21:19:14
相変わらず景気はどん底のまま回復の様子は見られず、
政府は年金にまで税金をかけると言い出しています。
統一のつけが今に尾を引いているのですが、失業率の高い
旧東独民を助けるため、統一援助連帯税を大幅に引き上げると
いう案までだし、ナイン ダンケ!!と旧西独国民の批判をあびています。
国の言うなりに動いてきた旧東独民、自由資本主義のシステムには
なじまず、支援はザルで水をすくうように消えて行きました。
また支援金を横流しにするという旧スタージーとマフィアグループが横行、
その結果の税金吊り上げは反対と東西国民の亀裂を益々助長しています。
そんなわけで、首都ベルリンも大変な混乱状況です。例えば,
ベルリンフィルが財団化し、自主的運営が強く要求されています。
今3つあるオペラ劇場などは、この2^3年の間に統一化されるでしょう。
(今の状況下では西ベルリンのオペラが閉鎖されそうです。)
また、オーケストラの数も半分になることでしょう。かって開催されていた
華やかなベルリン音楽祭のようなプロはもうありません。
旧東西ベルリンにオケ、オペラ劇場、大学など2重に存在して
いた訳ですから、人口400万人のベルリン市には、負担が重過ぎた
といっていいわけです。経済の現実が素顔を見せたのでしょう。
正常化されると言うわけですが、芸術家にとってはリストラという
厳しい状況になるようです。
http://sst.gaiax.com/www/sst/e/i/ebichan/bbs.html

825世界@名無史さん:04/11/06 21:51:53
ライプチヒは、シュタージの支配の後遺症で、ロシア・マフィアの拠点だったそうですね?
826世界@名無史さん:04/11/07 06:11:18
統一されたら、(西ドイツでも)ただでさえ低い出生率が東部地域ではものすごいことになったそうで。
827石原 慎太郎&莞爾:04/11/11 12:50:11
東独フリークさん はじめまして
ここは、なかなかの良スレですね

漏れは頭が悪いから政治体制の話はよく分かりません^^
ところで色々質問があるのですが、
1、フリークさんが滞在中の頃 庶民はどういう料理を
 食べてたのでしょうか?漏れの脳内妄想では配給制度の
 為にジャガイモに塩をふりかけたものや硬いライ麦パンを
 1日3回 毎日食べてる印象があります。
2、当時、オリンピックやワールドカップで結果を出した選手には
  どんな特典があったのでしょうか?
3、これは漏れの趣味なんだが、フリードリッヒ大王やモルトケや
 メッケル、ロンメル、マンシュタイン、鉄血宰相の墓や博物館は東ドイツ
 (西?)では存在してますか?
 
828Buta Attila:04/11/11 12:52:41
ハンガリー人民共和国よりマシだったのでは?
829世界@名無史さん:04/11/11 14:05:00
ソ連の選手は、コーチになれた人たち以外、優遇されていなかったらしい。
ペレストロイカ時代は、合法すれすれのゆすりをしたり、犯罪に加担したり。
830東独フリーク:04/11/11 17:27:28
このニュースは本当ですか?

【「壁」再現の土地の買い手はフルシチョフ2世】

 かつて米ソ冷戦時代の象徴で、東西ベルリン間の検問所だった「チェックポイント・チャーリー」に隣接するベルリン市の所有地に買い手が現れた。

 ドイツ誌によると、買い手はセルゲイ・フルシチョフ氏(69)。旧東ドイツ市民の西側逃亡を阻止するため、「ベルリンの壁」建設を背後で促したニキタ・フルシチョフ旧ソ連首相の息子だ。

 壁の崩壊15年に合わせて、この土地には「壁」が再現、展示されているが、セルゲイ氏が許可すれば、この壁が永久保存される可能性も。(ベルリン共同)

ZAKZAK 2004/11/11
831世界@名無史さん:04/11/11 17:30:00
意味ない(・A・)!!
832世界@名無史さん:04/11/11 17:35:52
セルゲイ氏って何してんの?
年金生活者?
833世界@名無史さん:04/11/12 05:41:40
ニキータたんは促したってか最初は嫌がっていたんじゃなかったっけか
834世界@名無史さん:04/11/12 14:51:48
有栖川公園の前にドイツ大使館を新築している。
ベルリンの壁の何倍も厚さも高さもある壁で周囲を防御している。
誰に攻撃されると思ってるのだろう?
835世界@名無史さん:04/11/12 15:04:23
最高裁はいざというとき城砦になるというのは建築方面では有名な話し出し、
日銀も怪しいらしい。トイレの窓が斜めになっているとか。
836東独フリーク:04/11/12 17:43:26
トラバント : 思い入れたっぷりに書いたので、こちらにも転載してみます(その1)

哀愁を帯びた響きと揶揄を含んだ名前、地上から消滅したドイツ民主共和国(東独)にふさわしい名車でした。
(1)命名: トラバントTrabantとは「人工衛星」のことです。1957年ソ連邦は米合衆国に半年先んじて、
ピーピー鳴るだけだが地球を周回する人工衛星の打ち上げに成功し、トラバントはその翌年に本格生産・販売を
開始したので、社会主義国の繁栄を祝って名づけられました。
開発当時は世界の最先端をいく性能であったが、直ぐに時代遅れとなり、東独がソ連の衛星国Trabantstaatと
同じだと自嘲気味に呼ばれました。
(2)入手: 優秀な労働者が購入を申請してから10年以上待たされても、まだ手に入らないトラバントでしたが、
外貨を持っていると順番待ちの売買ができて、西側に親戚がある人には有利でした。
(3)公害: 何度かの改良はあっても、2サイクル2シリンダーのエンジンでは、混合気を燃焼させる排ガスは
広く国土を汚染し、特に冬の東ベルリンは耐え難いスモッグに覆われました。
ホーネッカー議長が日本を訪問した当時に、日本の最先端技術を使ったクラッチ製造プラントが東独に輸出され
ましたが、新型クラッチはトラバントに搭載されることもなく、全てルノーやプジョーに輸出されました。
(4)車体: 外装は紙で出来ていると言われましたが、紙に合成樹脂を含浸させた強化プラスチックで、
骨組みはもちろん金属でした。
ベルリン市内で火災事故に遭ったトラバントの残骸が放置されていましたが、確かにあばら骨は焼け残っていました。
837東独フリーク:04/11/12 17:47:53
トラバント(その2)

(5)性能: ドイツ人の成人男性4人と手荷物を載せて、時速100キロメートルで疾走する現場を何度も目撃しています。
東独のアウトバーンの速度制限は100キロメートルですが、南部の工業地帯をつなぐ、ハレとドレスデンを結ぶアウト
バーンは西側の車の往来が比較的少ないためか、外貨による罰金徴収を目的とした東独交通警察の巡回が少ないので、
ベンツで100キロ制限を守って走っていると、その横を追い抜いて行くトラバントがいます。
運転手も同乗者もちらちらとこちらを盗み見していますから、どうだい?トラビーでも速いんだぞと言っています。
しかし次の車待避所(トイレも売店・休憩所もない東独独特のサービスエリア)ではボンネットを開けて、タバコを
ふかしながらエンジンを冷やしていました。
(6)色・デザイン・車種: ドイツ人が好きな、肌色(カーキ色というかも)が圧倒的に多く、何故か自分で色を
塗りなおすことが憚られている感じでした。
ワゴン・タイプやオープンカー・タイプの他に、軍用にオリーブ色に塗ったり、車体を強化して、なにやら軍用艤装が
施された車種もありました。
ちなみにパトロール・カーはトラバントではなくて、上位機種の東独製ヴァルトブルグまたはソ連製ラダやチェコ
スロバキア製シュコダでした。
(7)交通事故: トラバントと出会い頭にバンパーを接触しました。こちらのベンツは擦り傷一つなく無傷ですが、
相手はバンパーがぎゅんなり曲がってしまって、遠くからパトカーが近づいてきたので、30西ドイツマルクを
握らせて直ちに示談成立、雲を霞と逃げました。相手はニコニコしていました。
当時は外国人の立ち入りが厳しく制限されていた、唯一の国際港湾都市ロストックでのことです。
838東独フリーク:04/11/12 17:55:19
トラバント(その3)

(8)修理: トラバントは基本的には四輪のオートバイ程度のエンジン構造ですから、専門の修理工場はありませんでした。
ガソリンスタンドで直すか、大抵は部品の入手にてこずるので、所有者は自分でこつこつ修理していました。
車検証の有無は・・・忘れました。
(9)温情: 東独の深部に入り込むと、良く道に迷います。都市部と違って、道路標示はありませんし、昼間は表をぶらぶら
歩いている人もいません。さて困ったなと、道端に車を止めていると、必ず現れるのがトラバント。仲が良さそうな老夫婦が、
年金生活の余生を磨き上げたトラバントのドライブで楽しんでいます。
見知らぬ外国人、ましてベンツに乗った胡散臭そうな東洋人に、積極的に話し掛ける若い東独人はあまりいませんが、言葉は
通じなくても持参した地図の地名を指差せば、長々と説明してくれます。
それでも分からないと肩をすくめると、そこに連れて行くから後から車でついて来いと合図します。
結局訪ねる目的の工場の正門まで案内してくれて、感謝、感謝の握手です。それで何時も西側の美味しい本物のチョコレートを
ベンツにたっぷり積んでいました。
(10)輸入: 日本には10台程試しに輸入されたようですが、排ガス基準をクリアーすることは到底適わず、純正トラバントは
公道では走っていないと思います。
社内で、ソ連製ラダを買わないかと勧められたことはありました。部品を一台分付けるとか言ってましたが。

壁崩壊に繋がる東独国民のハンガリーへの逃亡と、ヨーロッパ・オリンピック計画直前、あれだけ執着があったトラバントでも
国境線に次々と乗り捨てられて、人々はオーストリアに足を踏み入れていく・・・・東独の栄光と挫折を最後まで背負って
消滅したトラバントに哀悼の意を・・・・さようならトラビー。

839東独フリーク:04/11/12 18:03:13
早速訂正です、ごめんちゃい

ヨーロッパ・オリンピック計画 → 「ヨーロッパ・ピクニック計画」 が正しい
840世界@名無史さん:04/11/12 18:11:48
昔U2のコンサート観にいったら、ステージに虎ビーが2台逆さにぶら下がってたな(w
841世界@名無史さん:04/11/12 20:19:56
>>838
あの〜その10台って大阪の国道1号線沿いにあった並行輸入車扱っていたでかい車屋で十数年前で見たモノでしょうか?
たしかナンバー取得可能でしたよ。末期型のワーゲン4サイクルエンジンのエンジン積んでいたタイプでしょうか?
そのわりにオイルメジャーがトランクにあったような・・・うろ覚え。
842世界@名無史さん:04/11/12 21:32:18

東独人のベンツ車に対する感情・評価はどのようなものだったんですか?
843東独フリーク:04/11/12 22:33:22
>>841

大阪にあったと言う話は、どこかのサイトで見たことがありますね
ワーゲン4サイクルエンジンのエンジン積んでいたタイプというのは初耳ですが、
それはトラビーの純血種とは言えないでしょう
2サイクル特有のリズミカルなエンジン音と混合気の排気は特有なものでした
燃料はボンネットを開けて、エンジンの横上の燃料タンクに入れるタイプを覚えています
運転したことはありません
2ドアなので後部座席に入り込むと、もう逃げ場がない恐怖がじわじわと・・・・

844東独フリーク:04/11/13 15:34:15
トラバントの記憶・・・・ちょっと違って、勝手に思い込んでいたスペックもありました

    http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=575

    http://gazoo.com/meishakan/meisha/shousai.asp?R_ID=574
845東独フリーク:04/11/13 17:56:21
トラバント情報・・・・出し惜しみではなくて、探し惜しみです

1)ライトのHi-Lo切り替えスイッチはライトの真下にあり、切り替え操作は
   一旦クルマから降りて行う必要があった。
2)燃料計は付いていないので、燃料を入れた際のトリップメーターの数値を覚えて
   給油時期を逆算する必要がある。
846東独フリーク:04/11/15 20:14:22
>>842   

1)東独の党・政府の上層部が使用した高級乗用車はボルボに限られていて、権力の象徴でもありました
  最重要グループが住んでいた一帯をボルボ・グラードと呼んでいました
2)ベンツやBMWは対抗心からか東独は輸入していませんでしたが、本音は分かりませんし、
  ソ連の高級車ジルなんかを押し付けられるのを嫌がってボルボにしたのかも知れません
  ちなみに日本車MAZDAは小型車が約1,200台輸入されています
3)新車・中古車に限らず、一般国民が西側の外車を入手することは至難の業だったようです
  必要にせまられて、外国貿易関係の公団やエージェントはベンツやBMWを所有していましたが
  わざわざ西ベルリンでナンバー登録をしていたようです(スパイ活動や密輸にも便利)
4)東独人のローカル・スタッフは社有車でも、ベンツには乗りたがりませんでした
  他の東独人にベンツを運転したり、同乗しているところを見られたくなかったのだと思われます
  アメ車のでっかいワゴンやMAZDA車には良く乗っていましたが
5)私は社用と、私用にも憧れのベンツを持っていましたが、何故世界一性能が良い日本車に乗らないのか?
  と東独人から良く質問されました
  ベンツの安全性・堅牢・高燃費効率等を指摘すると、ちょっと肩をすくめて、自由に選べるなら
  三菱の四駆かHONDAを買うと言ってましたが
6)東独内で車種による差別や妨害は経験していませんが、どちらかと言えば付けているナンバー・プレート
  による特別待遇があり、東独当局の許可に基づく特殊な権限が付与されていたからだと思います
  軍事関係地域を除き、24時間東独内を走行出来るとか、速度制限違反をしても、一般の西側諸国(西独・
  英仏伊蘭など)の車のように目の敵にして罰金を取るようなことは少なかったと思います
  (もっとも東独内では一度も交通違反で捕まっていないので、あくまで推測です)

どうも説明になっていないみたいですね・・・・具体的に追加で質問してください  
847世界@名無史さん:04/11/15 22:42:43
>>846

詳細な説明ありがとうございます。VOLVOですかぁ。そういえば、「グッバイ・レーニン」にも西に逃れた父が新しい家族とVOLVOに乗っているのを娘が目撃するシーンがありましたね。

さらに質問させてください。

1) スウェーデンと東独の関係について何かエピソードがあれば。

2) >>502-503で話題になっていた、「東ドイツで働いていた西ドイツ人たちはどういう人たちなのか。」という点について。

3) 西ベルリンで車のナンバー登録をする東独人の話がありましたが、西ベルリン(西ドイツ)で働く東独人(外交官除く)は多かったのでしょうか。
848東独フリーク:04/11/16 01:05:15
>>847

そういえば、説明不十分で決着が着いていない話や、誤解を招く表現が過去にありましたね
予断と偏見、さらに勝手な思い込みで言い切ると、

2)「東ドイツで働いていた西ドイツ人たち」とは、あくまで西ドイツ・マルクが労働の対価として
  支払われる職場に限られるので、東独政府や党が特別に認めていない限り、東独の企業ではありえず
  従って西側の企業の東独(主として東ベルリン)における支店・出張所で働く西ドイツ人ということに
  なります
  西ドイツ人は東ドイツ人を敵だなんて思っていませんし、哀れな状況にある人達だ程度にしか一般の
  西ドイツ人は日常的には考えていません
  東ドイツ人で西ドイツ人を敵だと考えるのは、ごく一部の特権を有する階層の人だけでした

3)一般の東独人は、西ベルリンと東独・東ベルリンを自由に往来出来ませんから、所有する車の登録を
  西ベルリンではできません(例えトラバントでも)
  西ベルリン(場合によっては、西ドイツの諸都市)で車の登録をして、自由に東西間を往来できるのは
  東独人でも限られた階層の人達で、シュタージの構成員等がその代表でしょう
  
  ちなみに、東独は、西独(西ベルリンでも)にダミー会社を多数作っていて、秘密工作や場合によっては
  為替取引や石油取引、先物相場など資本主義のルールで資金調達をしていましたから、そういう隠れ蓑を
  使って、車の登録は簡単にできたと思われます
  もちろん西側はしっかり実情を把握していたでしょうが、多少の隙間を作らないと、大物や大きな組織は
  摘発できないので、わざと目こぼしをしていたと思われます
  ただし東独はそういうことも一切許さず、執拗に摘発していたと思われます

1)スウェーデンと東独の関係についてのエピソードは知りません
849世界@名無史さん:04/11/16 01:09:39
★プロ固定会議
ひ(略は内弁慶(会議の場で殴る事もある)
2次会は養老乃滝(体育会系の乗りらしい)
http://corn.2ch.net/test/read.cgi/net/1010675150/594-597

★夜勤氏の関わり
実は各派閥の元締め
タラコ親分でさえ逆らえない
何時・何故、立場逆転したのは謎
http://corn.2ch.net/test/read.cgi/net/1010675150/627-628

★海老原氏
プロ固定の重鎮
1ch殲滅の特命を切(略から受け単身乗り込み達成
その温厚な性格と実行力の高さに他プロ固定からも一目を置かれる
http://corn.2ch.net/test/read.cgi/net/1010675150/630-633
850世界@名無史さん:04/11/16 01:16:49
>>848

素早いお返事ありがとうございます。両国の一般庶民には相互の敵愾心がなかったというのは興味深いですね。

> ちなみに、東独は、西独(西ベルリンでも)にダミー会社を多数作っていて、秘密工作や場合によっては
> 為替取引や石油取引、先物相場など資本主義のルールで資金調達をしていましたから、そういう隠れ蓑を
> 使って、車の登録は簡単にできたと思われます

逆に西独は東独にどういう形で浸透していたんでしょうか?
851世界@名無史さん:04/11/16 01:28:54
>>848
日本人というか非白人に対する人種差別とかは、ありました?
共産主義思想からすれば、「ない」筈の物ですが。
852東独フリーク:04/11/16 02:50:35
>>851

結果として非白人に対する差別が、東独にも明らかにありました
1)東独は労働力不足を補うため、ベトナムから大量に単純労働者を受け入れていました
  あくまで短期間の国対国の労働契約ですから、西側(私達)に対してする説明では
  研修・教育目的だと言っていましたが、3K職場の最下層の仕事をさせられていました
  北朝鮮人や中国人で同じ立場の労働者もいた筈ですが、地方の大中小規模の工場まで
  現場を覗いても、大半はベトナム人でしたから、やはりその国の経済力の格差が差別
  待遇に繋がっていたと思われます
   (西ドイツも同じだし、日本だって現在同じ様なことをやっています)
2)キューバ人も出稼ぎに来ていたようですが、目立つほどではありませんでした
  社会主義政権のアフリカからも出稼ぎが来ていたと思いますが、実態は分かりません
3)ベトナム人は第三国人ですから、旅費さえあれば、東独の田舎からベルリンに出てきて
  更に西ベルリンにも入り込んで見物に来ていました
  中にはそのまま西ベルリンに住み着いてしまい、やはり最下層や非合法の仕事をして
  国へ送金をしているとも聞きました
4)以前レポしましたが、タイ人はちゃんと航空券を買って、組織的に東独を経由して
  西ベルリンに入り込み、風俗関係や最下層の仕事にありついていましたが、東独で
  働いているとは聞いたことがありません

日本人は人種による差別はされませんし、経済力や技術力で一目置かれていました
それをいいことに、プラント工事現場で、現地の女性と良い仲になって、子どもを
作って逃げてしまうなんて言う、東南アジアと同じ悪さをする技術者や作業員が
いました

言わせてもらえれば、共産主義者が人種差別をしない・・・・というのは幻想に過ぎません
肌の色の違いばかりか、対して差もないスラブ系がアラブ系を差別したり、ユダヤ人を
内心軽蔑していたり(東独人に限らないと思うが)眉をひそめる態度の悪さはありました
853世界@名無史さん:04/11/16 04:44:49
共産主義者がというよりロシア人はあまり人種差別しないというイメージある。
ドイツ人始め西欧人は差別的みたいな
854世界@名無史さん:04/11/16 05:28:51
>>852
なんかの本(失念しました)では、DDR時代のベトナム人は(表向きは)差別されず普通に仕事についていたけど
統一後に東ドイツ人の不満が噴出したとか書いてありますた。
855世界@名無史さん:04/11/16 08:13:13
健康保険の野党改革案に不満噴出していますね。
856世界@名無史さん:04/11/16 09:30:06
東ドイツ国歌は傑作。これだけは言える。
857東独フリーク:04/11/16 13:51:25
>>827

>3、これは漏れの趣味なんだが、フリードリッヒ大王やモルトケや
 メッケル、ロンメル、マンシュタイン、鉄血宰相の墓や博物館は東ドイツ
 (西?)では存在してますか?

【文芸ジャンキー・パラダイス】       http://homepage2.nifty.com/kajipon/

【恩人巡礼墓ベスト500】
★世界恩人巡礼写真館           http://homepage2.nifty.com/kajipon/haka/haka500.htm
● 謁見希望者リスト
● 実録!墓をたずねて三千里(胸キュン・イラストつき)

で探してみてください
こんなに感動する巡礼レポートは多分世界で唯一だと思いますよ




858世界@名無史さん:04/11/16 13:58:18
>>856
旧社会主義国の国歌は出来がいいの多い気がするなあ。
859東独フリーク:04/11/16 14:27:58
>>827

>1、フリークさんが滞在中の頃 庶民はどういう料理を食べてたのでしょうか?
>漏れの脳内妄想では配給制度の為にジャガイモに塩をふりかけたものや硬いライ麦パンを
>1日3回 毎日食べてる印象があります。

オスタルギーで東独フリークを自認しているので、今となってはホーネッカーの一派だって
それなりに主義・主張があって、立場上やむを得ない政策をとっていたのだろう・・・・
と、つい甘い考えになるのですが、こと食い物に関しては絶対許せないのですよ、奴等を

ご指摘通り、東独の庶民の食生活は非常に貧しく・惨めでした
1)ホーネッカーは東独の発展の根拠として、農産物の輸出が出来るようになったと言ったが
本来西ドイツと変わらない気候・風土から生産される農産物は、多少の豊・不作はあっても
農業生産者および都市生活者を賄って十分な量と質が確保されている筈だったが、東独人の普段の
食卓は、非常に淋しいものだった
2)地方の工場を訪問した際に食堂で昼食を摂ることがあり、もう少し重要な場面であれば
その町村で唯一と思われるレストランで食事を振舞われることもある
更に、春秋のライプチッヒ見本市期間中は民宿に泊まるので、朝食を提供されることもあったし
東独人のローカル・スタッフのベルリンの自宅に招かれてディナーをご馳走になったこともある
3)それらは特別に歓待されて、上等な食事(材料)が準備されていたとは思えないが、
西ドイツの一般的な食事(レストラン・家庭)と比較すれば雲泥の差があった
香辛料の種類が少なく、新鮮な輸入果物等がないのはやむを得ないとしても、肉は貧弱で、
野生の鹿やイノシシ、ウサギの肉の方が数段ましであった
4)ソーセージなどは添加物が入っていないから、美味しい物にもたまには巡り会えたが、
生産地でも良い新鮮な肉類は、大半を強制的に徴収されて、西側諸国に向けて外貨稼ぎのために
輸出に回されているから、美味しい肉は手に入らないと地元民は言っていました
(続く)
860東独フリーク:04/11/16 15:45:40
>>859  (承前)

一番酷い食糧事情の例を一つ・・・これだけはどうしても許せなかった
1)東独の南部、ワイマールWeimarとエアフルトErfurutを底辺として、正三角形の頂点にあたる、
いわゆる山間部の村に比較的大きな繊維(毛織物)工場があって、当時世界最高峰の数値制御
(CADによるデザイン通りの絵柄が織れる)新鋭自動織機を納入したことがありました
日本から中年と非常に若い技術者をスーパー・バイザー兼組立技術者として現地に送り込みましたが
その時期が晩秋になってしまい、冬の厳しさを予感させました
2)中年の技師は現地の受入体制が全くなっていないと再三苦情を言って来ましたが、なんとか
なだめ、ワイマールのホテルに宿泊させて、毎日タクシーで工場まで往復させましたが、それでも嫌だ
と先に帰国してしまい、仕方なく若者一人を継続して作業と指導に当たらせました
もちろん、途中で日本食(カップラーメンとかレトルト食品やご飯パックなど)を持参して、陣中見舞いに
何度か工場を訪ねていました
3)インフラ整備が遅れていることや、独・英通訳が地元の中学校の英語教師のアルバイトという劣悪な
環境で、機械設備の引渡しがなかなか終わらず、若者が現地に常駐・宿泊することになりました
普通は日本からの技術者はチームを組んで送り込むので、手が空いた人が炊事当番や買い物をすることで
比較的充実した食生活が確保できるのですが、たった一人のために、食事は全て受入れ先任せになりました
それで、事件が起きたのです
4)突然電話が入って、どうしてもベルリンに行きたいから東独側に了解を取って欲しいと泣き声です
日本人は外貨(西ドイツ・マルク)を十分持参して、東独人に特別な食物や必需品を購入して貰うように
していますが、いくら外貨を渡そうとしても相手(通訳の教師も)が受け取らず、食事が日ごとに貧弱に
なってきて、とても冬の寒さに耐えられない状態だと言うのです
了解なんかどうでも良いから、直ぐにタクシーと鉄道を乗り継いで、ベルリンに来るよう指示して、
どうしたのだろうと事務所の皆が心配していました
(続く)
861東独フリーク:04/11/16 15:48:58
>>860  (承前)

5)ようやくやって来た彼は、ふっくらとバラ色であった頬がこけて、体重が激減し、病気かと思われる程
憔悴していました
詳しく状況を尋ねると、その年は例年にない厳冬で、秋の収穫期の不作と重なって、地元民の食物の備蓄が
底を尽きかけていて、自分達が食べていくのが精一杯で、喉から手が出る程欲しい外貨を渡されても、食物を
特別に分けてあげることができないと、2週間以上ジャガイモと薄いスープに少量のバターの食事をさせられて
いたらしいのです
ワイマールのホテルに逃げ込む知恵もなく、じっと我慢して苦情も言わず、一日も早く機械設備の完成に
漕ぎ着けたいと言う、若者の熱意が裏目にでて、完全に栄養失調になっていたのです
6)急遽健康診断を済ませ、一応食事の量さえ確保すれば元に戻ると言われて、事務所の備蓄食糧を掻き集め
車に積んで、今度は工場に同行しました
もちろん、契約違反の処遇だと苦情を申し入れて改善を要求しましたが、何年かに一度はこのような食糧不足
に見舞われる苦しい事情を、日本側も理解してくれと逆に頼み込まれる始末でした
7)東独政府にこんな悲惨な状況を訴えても、何も手を打ってくれないのだそうです
その年は暖房に使う褐炭を運ぶ鉄道に事故が発生し、各地で大量に滞留してしまい、火力発電所も燃料不足で
休止に追い込まれ、全国的に工場の操業が3割以上停止しました
東独の田舎の集落は、中心にある工場の大型ボイラーからの廃熱を暖房に使うケースが多く、自宅にいると
凍死する危険すらありました

・・・・東ベルリンや大都市はさることながら、地方の庶民は食物の流通も不備で、暖房用の褐炭すら届かなくて
どうして厳しい冬を越せるのだと、その時は心底東独の独裁体制と後進性を呪いました
862世界@名無史さん:04/11/16 16:24:08
・・・・・・・・北朝鮮と大差ないやん
863世界@名無史さん:04/11/16 20:28:57
ホーネッカー一派とか、支配階級だけが豪勢な
生活してる噂とかはなかったんですか。
864世界@名無史さん:04/11/16 22:31:51
東欧の旧共産圏はどこもそうでしょ
865世界@名無史さん:04/11/17 04:12:50
>>862
冷戦期西側諸国>>>>>ベルリンの壁>>>>>冷戦期東欧諸国>>>>もうなんか凄い壁>>>今昔北朝鮮

こんな感じじゃなかったのか。
866世界@名無史さん:04/11/17 05:45:27

そういや共産圏で一番豊かだった国ってどこでしたっけね。

チェコスロバキアかハンガリーかな?
867世界@名無史さん:04/11/17 08:13:22
やっぱり東ドイツじゃないの?
868世界@名無史さん:04/11/17 17:21:46
数字上ではトップはユーゴスラビアのはず。
869世界@名無史さん:04/11/17 17:23:38
気候がいいからな
連邦内のスロベニアやクロアチアは産業も発展していたし
ボスニア・ヘルツェゴビナではオリンピックもあったしな
870世界@名無史さん:04/11/18 03:27:11
ユーゴは、国連の統計では西側に入っていたらしいからなぁ…
871カラジチ ◆mWYugocC.c :04/11/18 09:07:20
社会主義国ですが「旧共産圏」とくくられると違和感ありますね。
クロアチアの沿岸は観光で相当もうけていたそうです。夏は西ドイツあたりからアドリア海にわんさかおしかけたとか。
872世界@名無史さん:04/11/18 17:25:34
共産圏ではあったがソ連圏ではなかった>旧ユーゴ
873世界@名無史さん:04/11/18 21:39:58
ベルリンの壁崩壊の翌年1990年ユーゴスラビアに約1週間滞在しました
1)ベオグラード
2)ザグレブ
3)コソボに近い地方都市の工場見学

1)はさすがに首都の趣があって、そこいらじゅうが工事中の印象でした
2)は繊維機械の見本市があって、手伝いを兼ねて訪問したが、ほとんどドイツの街並みでした
  確か大分破壊されましたよね
3)騙されて、公団の担当者に連れて行かれた「既に散発的な戦闘が始まっていた」危ない
  地帯にたった一山手前だと後で分かった

例の7つの州が、6つの何とかが・・・・と、最後はそれを一つに纏めたのが偉大なるチトーとか
何度か聞かされたが、要するに1つの州が何かをやろうとすると、他の州が不公平にならと揉めて
結局経済効率が悪い分散配置をずっと繰り返していたらしい

とっ捉まえたドイツ軍捕虜を何千キロも徒歩で引き摺りまわしたり、やることはソ連と変わらず
経済的に西側に依存するための資本主義導入だったのではないかな?
たがが外れりゃ民族浄化だと、オスマン・トルコ時代の怨念でお互い虐殺ができる民族性は恐ろしい
ちなみにアメリカへ大量に移民しているから、有名なハリウッド・スターの中にはあのあたりの血が
流れている筈

ベオグラードの事務所長がカジノに入れあげて、会社の金を流用した挙句、自宅に立て篭もったが
ロンドン支社から人事担当が極秘に身柄を引き取りにきた後で、司令官がいない事務所はローカル・
スタッフが右往左往していた

特にローマ字で入電するテレックスの処理が全然できず、うず高く積み上げられていたのを
処理させられて飛んで火に入る、とんだ助っ人出張になってしまった
これが国際化の尖兵だと威張る総合商社の実態だ!   あーアホらしかった
874世界@名無史さん:04/11/18 21:46:44
ドイツ語できる人雇わなかったの?
875東独フリーク:04/11/18 22:40:24
>>873は私です、名前が抜けました

ローマ字とは「日本語」のことで、ローカル・スタッフは自国語の他に最低限
英語が堪能であるのが条件だが、土地柄で独・仏・伊はこなせても、暗号まがいの
日本語では意思疎通はできないし、要求もされていない

日本人一人が駐在する連絡事務所は、日本との通信は基本的に「英語・米語」と
しないと、所長はもっぱら通訳・翻訳業になってしまう
・・・・日本語の連絡は社内の秘密が漏れない利点はあるが、ビジネスは進まない
876世界@名無史さん:04/11/18 23:02:27
ってか総合商社ってそんなレベル低いんか。
俺でも雇ってくんねーかな
877東独フリーク:04/11/18 23:20:33
そうですね・・・・・生まれてくるのが遅かったようで
いまなら英語以外にも1、2ヶ国語は操れないと無理?
878世界@名無史さん:04/11/18 23:35:31
高卒だけど英語独語蘭語分かります。
現地まで行けばバイトで使ってくれますかね?
ビサ取れりゃ働きたいもんです
879世界@名無史さん:04/11/18 23:58:23
総合商社って体育会系だろ。
レベルの高いのは民間なら銀行に行く。

って、別に東独フリーク氏に対する悪口のつもりではない。

97年に列車に乗ってたら20歳そこそこのイタリア人と同じコンパートメントになった。
クロアチアからヴェローナに帰る途中だという。ザグレブなどでいくつかの縫製工場と契約して
自分のデザインする服の製品化をしてもらうことになったのだそうな。
で、夢はミラノに出店だとさ。

>>878は会社で他人の飯を食うより上のイタリア人のように自分で何かやった方がよっぽどいいと思われ。
880世界@名無史さん:04/11/19 00:13:34
商社はバイト身分だと給料安くてコキ使われそう。
881東独フリーク:04/11/19 00:28:06
うん、現地採用の日本人ローカル・スタッフは安い給料でコキ使われていたな
まあ、その国の永住権をとりたいとか、独立起業して見返してやろうとか
しっかりとした目的がないと、まったく馬鹿みたいな奴隷奉公になるからね

駐在員はエスタブリッシュメントの一員なんだそうですが、
やはり給料が3倍でも、仕事は24時間時差なし拘束でしたね
もう脇道で盛り上がらず【ドイツ民主共和国】を語りましょうよ
882878:04/11/19 18:32:18
>>879

アニキ全くその通りです。実は俺も人の釜でメシを食いたいとは
毛頭思ってません。自分が考えてるのはそんなアホな一流商社だったら
取りあえず入ってバリバリこき使われればなんとか旨そうなチャンスが
あるんじゃないかと思ってます。んで横領コイてドロン。
金はバミューダの銀行に隠してリヒテンシュタインに会社を作って
自分はインド洋やカリブ海で遊んで暮らしながら
ヨーロッパでマレーシア人のパスポート名義でも買ってホテル業や
飲食業でも人を使ってやりたいなーなんて妄想したりしてます。
DQNですんません
883世界@名無史さん:04/11/19 18:39:24
各自治体で大幅な財源不足 厳しさ増す予算編成

2004年度予算の編成時期を迎えた各自治体は、国から配分される地方交付税が実質で平均12%減となるため大幅な財源不足が見込まれ、かつてない厳しい編成作業を迫られることになった。
小泉純一郎首相が進める国・地方財政の三位一体改革の痛みが直撃した格好で、各自治体は事業の徹底した見直しによる歳出カットや、財政調整基金などの取り崩し、人件費抑制などでしのぐ考えだ。
しかし、今後も交付税抑制が続く見込みで、各自治体からは「04年度は何とかなっても、このままでは05年度予算は組めない」(高知県幹部)との声も上がる。
都道府県より財政規模の小さい市町村はさらに影響が深刻となりそうだ。(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040124-00000121-kyodo-pol

最近のドイツは、特別手当も切られるわで、消費も伸び悩んでるようですね。

884世界@名無史さん:04/11/19 18:39:41
会社人間の方がよっぽどDQNだと思うが
という漏れも会社からこっそり2ちゃん覗いてるDQNだし
いつまでもこんな暮らしはゴメンだね
885世界@名無史さん:04/11/19 18:40:05
自治体への歳出もカット中。
886878:04/11/19 18:43:05
>>881
脇道作ってすんません

DDRってなんか共産主義の重苦しく暗いイメージしか
無くてあんま興味無かったんですけど
失業が無く、なかなか平等な社会だったなんて
いい面も聞きますが実際のとこはどうだったんですかね?
だた言えるのはそれでも西の繁栄に憧れ貧しさ(東)から
逃げ出したいが為に壁越えを試みて散って行った自由を
求める民が山ほど西に辿り着く前に倒れたって事っすかね?
辿り着けた者も本当に自由になれたんですかね。俺はそうは
思わないけど。資本主義には資本主義のクソがあり共産主義には
共産主義のクソがある。結局俺らは人間社会という同じクソの中に
いる。そんだけじゃないかな。今も昔も
887世界@名無史さん:04/11/19 18:54:55
みなさんそろそろ資本主義という競争社会に嫌気が差してきたんじゃないですか?
888世界@名無史さん:04/11/19 19:17:29
社会主義も競争社会だよ
上は出世競争、下は行列に早く並ぶ競争
889878:04/11/19 19:43:47
>>887
嫌気が差しまくってる。しかし人類はこれ以上の
政体には進化出来ない様な気がする。
共産主義は紙上の理想論で改悪でしかならなかったのは
歴史が証明したし。

キューバはある意味成功と言えるのか?貧しいが
890世界@名無史さん:04/11/19 19:48:57
キューバが貧しいのはアメリカが経済封鎖しているから。
アメリカの因業さえなければ今頃地上の天国になってるかも。
891世界@名無史さん:04/11/19 22:00:43
>>887
それはそうだけど代わりの体制がないからね。
イデオロギーの時代は終わったのかな.

>>890
カストロ後が問題だね。
「神はあまりにも遠く、アメリカはあまりにも近すぎる。」
892887:04/11/19 22:13:03
>>889
僕は「人類はこれ以上の政体には進化出来ない」とは思いませんね。
歴史上の社会主義が失敗に終わったのは、
社会主義の土台となる民主主義が確立していなかったからだと思います。
民主主義が確立されてなければ、
社会主義はだまってても全体主義的になるでしょう。
社会主義インターのスローガンに
「社会主義は民主主義を通じてのみ実現し、民主主義は社会主義を通じてのみ完成する」
という言葉もありますし。
むしろ科学技術がさらに発展するこれからの時代こそ
人類は平等で公平な社会への道を歩むのではないでしょうか。
どっちみち資本主義に甘んじている今の人類は過渡期だと思います。
893878:04/11/19 22:42:24
仰るとおりだ。確かに民主主義が完全に確立されていれば
話は大きく違ったかもしれない。でも。。。
民主主義って本質的に不可能じゃないですか?
例えば民主主義の旗頭となっているアメリカ・・・
本質的にあの国は民主主義と言えますか?
例えばそのアメリカの属国の我が日本・・・
議会制民主主義という事になっていますが
本質的に我が国は民主主義でしょうか?
民主主義は機能してますか?
一部の人間が裏から情報をコントロールし
社会、民衆を支配しているしょーもない
システムが現状では無いですか?
人間は欲やエゴの無い生き物ですか?
自分を犠牲にしてまで困ってる人々を
助ける生き物ですか?争いごとを好みませんか?
科学技術は日々発展してますが、精神レベルは
発展してますか?進歩してますか?
地球の人口は減っていますか?紛争は減っていますか?
我々は子孫に人間が生存していく環境を残せますか?

俺は人類がそんな高みまで進歩できると思わない。
人間はそんなに立派な生き物じゃ無い。
近い未来一人残らずいなくなるまでの
殺し合いが発生すると思う。少なくとも
俺らの国では池田大作なんていう80過ぎたクソジジイが
裏からの見えない天下取りに大手をかけてる。
そんな国が民主主義といえますか?
最近のお上や警察の変化に何か疑問を覚えませんか?

長文失礼
894878:04/11/19 22:44:45
今現在この地上に民主主義が機能している地域があるとは思えない。
建前では多くの国が自由民主主義制という事になっているが
895世界@名無史さん:04/11/19 22:46:46
学級会活動見ても、民主主義など正常に機能するとは思えないが・・・
896878:04/11/19 22:54:06
>>895
だしょ?つーか人間なんて
サルをタチ悪くしただけの動物だよ。
そして小学生だろうが中学生だろうが
赤絨毯の上で昼寝してるジジイどもだろうが
大差は本当に無いよ。テメーが儲ける事ばかり
考えているジジイ共より小中学生の方がよっぽど
マシと思われる
897887:04/11/19 23:59:18
でも民主主義を信じるもの同士団結すれば、いつの日かきっと・・・
898世界@名無史さん:04/11/20 00:04:09
古代を見ても共和制の発展が王政だからね・・・・
西暦2500年くらいになれば世界はまた王政に戻り始めるんじゃない?
899世界@名無史さん:04/11/20 00:21:38
銀河の歴史がまた1ページ・・・
900世界@名無史さん:04/11/20 00:22:25
ゴールデンバウム朝ルドルフ大帝
901世界@名無史さん:04/11/20 01:42:11
>>898
ちゃうがな
昔は
王政→共和制→帝政
902世界@名無史さん:04/11/20 03:03:15
史的唯物論の資本主義までは分かるけど
次の段階とか絶対に無理くさいぞ。
903878(aho):04/11/20 18:17:12
>>889
俺だって誰しもが笑って過ごせる時が
来ると信じたいよ。俺はお前みたいな人間に
政治家になって欲しい

>>898
あんま関係ないかもしれないけど
俺、ベネルクスとスエーデンノルウェーとタイに
滞在したことある。国王の権限なんてのは無いに
等しいかもしれないけど少なくとも日本人よりは
人々が幸せそうに見えたぞ。タイはちょっと重いけど・・・

>>902
だしょ?人間の本質と数の原理を考えると
次の段階の前に滅亡色がとても濃厚。
いやなこったけどな。人間はそんなに
崇高な存在でも無い・・・
904878(aho):04/11/20 18:24:19
>>898
あとデンマークに移住したセルビア人の
友達はデンマークを大絶賛してた。
そりゃ醜露シェbitchのユーゴに
くらべりゃどこでもマシか。。。
905878(aho):04/11/20 18:26:44
また脇道それた・・・ゴメン
906世界@名無史さん:04/11/20 20:10:32
ジオンだって公王制敷いたしね・・・

それはそうと、東独時代のヨーロッパ鉄道旅行ってどんなもんだったかしら?
ユーレイルパス使えない融通きかないから地獄って感じだけど
907東独フリーク:04/11/20 22:50:01
>レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。

ここは1000で終わるとどうなるのでしょうか?
908ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/11/20 23:05:07
>>907
終わったらそのままおしまいです。
話を続けたければ新しいスレを建てなければなりませんが、
前スレ(つまりここ)の内容は、
しばらく(ひょっとしたら永遠に)見られなくなります。
2ちゃんねる専用ブラウザがあればそんな心配もないのですが。
909東独フリーク:04/11/21 11:05:49
新しいスレッドはどなたが、何時頃、どのように建てるのでしょうか?
910世界@名無史さん:04/11/21 12:45:49
奇特な暇人です。
世界史板トップ?の一番下にあります、新規スレッド作成にて行います。
良スレほど出現率が高いですから、大丈夫でしょう。
911東独フリーク:04/11/21 23:10:51
このスレは残り少なくなったのですが、トラバントでじっくり東独時代を考えたら
いろいろ思い出しました(尋ねられないことを書くのは一種のカミング・アウトですが)
1)東独人と社会主義について話し合ったこと
2)東独の体制批判を東独人から直接聴いたこと
話し合った相手は、決してただの東独人ではなくて、当時の体制に属する人達です

先ず1)の相手はは私と同年の女性で、さる公団の部長をしており、私は初対面で好きになりました
もちろんお互い既婚者ですし、理由は違っても、結果的に立場が悪くなる・地位を失う虞があるので
最後まで危ない関係にはなりえませんでした
(1)社会主義について日本人、特に私がどう考えているか?というきわどい質問から始まりました(英語です)
「日本では20代までに社会の矛盾に悩み、社会主義にその解決の希望を抱く」、
「しかし40代になっても、社会主義に幻想を抱いているのは馬鹿」だとよく言われると説明しました
(2)個人的には、社会主義に対して、いまだに資本主義の矛盾を解決する何かを内包していると思うこと
しかし、人類は社会主義を受け入れるには、まだ未熟であると指摘しました
(現存する社会主義国に、社会主義の真の実現はないと、当てこすったつもりです)
(3)それに対して、彼女は「お前の方が、自分よりよほどソーシャリストだ」と言って、この話は終わりました

(4)駐在が打ち切られた時、彼女と別れの挨拶をしましたが、思ってもみなかった話が出ました
「お前は、とうとうドイツ語が上手くならなかったが、それはドイツ人のガール・フレンドを作らなかったからだ」
最後まで私の本当の気持ちは伝えられませんでした・・・・。
912東独フリーク:04/11/21 23:44:26
>>911 (承前)

2)東独の体制批判を東独人から直接聴いたこと
(1)相手は、社会主義国ではあるが(多分中国の青島)海外駐在経験があって
日頃から「ホーネッカーはわが友、同志(ゲノッセン)だ」と、自慢していたさる公団の
年配だが出世に乗り遅れた中程度の男性管理職です
名前が笑ってしまうんです、共産主義の生みの親、マルクスです
(2)彼は、私と二人きりになる機会が多い外出、例えば東のシェーネフェルド空港
への出迎え(モスクワ経由で、日本から賓客がやってくるなど)に同行したがります
(3)彼から誘われて、断る理由がなければ、たまには心置きなく東独や第三国の
ソフトな情報交換も嫌ではないのですが、空港の待合場所で、平気で体制批判と
受け取られかねない発言をするのです
(4)もちろんその時は英語ですが、私の方がびびってしまって、周りに秘密警察や密告者が
いるかも知れないので、あまりその手の話はしない方が良いとたしなめる程でした
彼は、われわれの英語の会話が理解できる人間は、周囲には一人もいないと断言していました
(5)彼は、ホーネッカーは取り巻き連中に操られていると、苦々しげに言っていました
私は、それでも頂点に立つ人間には責任があって、改善する義務があると反論しました
もっとも資本主義国では、上司の失策は、部下に責を負わせるのが常だとも言いましたが

(6)彼は、突然再度の海外勤務になりましたが、正確な任地は分かりません
今は現役を退いて、多分旧東独地域のどこかで暮らしているのでしょうか
913世界@名無史さん:04/11/22 01:09:26

いやぁ、全くドキュメンタリーですね。東独フリーク氏のお話は。

ちょっと漠然とした質問で申し訳ないですが、日本の商社は共産主義諸国でのビジネスについてはどういう位置づけをしていたのでしょうか。

具体的に言えば、どの共産国を重要視しているかとか、共産圏担当部門の規模とか、主要な取引品目とかです。
914ナポレオン ◆vYVYAtFe0o :04/11/22 01:40:41
いや、まったく、>>911-912の東独フリークさんの話は、
いろいろ考えさせられますね。
以前話題に出た『ファイル』でも、
ミールケが「もうDDRに未来はない」みたいな趣旨の発言をしていた、
という記述がありましたけど、
やはり体制の中にいる人のほうが見えるものが見えていたんでしょうか。

で、さて、すっかり「東独フリーク氏に聞く!」なスレになってしまって、
ちょっと申し訳ないなという気もするのですが、私からも質問。
みすず書房の『ディナモ・フットボール』という本はご存知でしょうか?
東欧圏のサッカーチームで各国に見られた
『ディナモ』というチームについて追いかけた本なんですが。
ディナモ=発電機、ということで、電機関係、あるいは電力関係の労働者のチームか?
と西側では思われていたけど、実は…みたいな内容の本です。
実際、東独では「いかさまマイスター」ことディナモ・ベルリンは、
どんな風に見られていたんでしょうか?
あと全般的に、サッカー人気、スポーツ人気についても教えていただけると嬉しいです。
915東独フリーク:04/11/22 12:19:24
>>914   ナポレオンさま、まことに申し訳ありませんが、非体育会系なので
東独駐在中には、東独にサッカー・チームがあったことすら知りませんでした
もっとも東独人はスポーツ観戦や勝敗結果について、あまり興味がないみたいな
風情でしたし、オリンピックの成績のことだって、裏の事情や挫折感があったのか
インテリ層は口に出さないようにしていたと思います

現在まで生き残っている旧東独のサッカーチーム、例えばロストック等の歴史や
活躍の足跡は、ドイツ版の検索URLにありますので、そちらで確認してください

ところが他の日本人の中には、猛烈なブンデス・リーガのファンがいて休みを取って
西独本土まで何度も応援に行っていました
大学の後輩で、美人の新妻を帯同した某商社の駐在員は、学生時代にサッカーを
やっていたことと、元々ドイツ語専攻でしたから、テレビやラジオでサッカーの
実況を克明に追いかけて、ランチの度に説明してくれるのですが、いい加減に聞き
流していました(他の日本人も同じような反応でしたが)

それで帰国後ビッグ・ビジネスのチャンスを逃しました
日本にもいよいよJリーグが発足することが確実になって、スポンサー探しが盛んな
時期に、さる人が私のところに特別に破格の条件で、スポンサー権を売り込みにきたのです

特に、アメリカでなく、ヨーロッパに駐在していたなら、あの熱気と狂乱の
サッカー・ファンの雰囲気が分かるだろうと、わざわざ名指しで尋ねてきたのです
確かスポンサー権(ロゴ使用とか、後援者として名前を名乗る等)が2千万円
でしたが、結局上層部に参加を進言せずに見送ってしまい、Jリーグ・ブームに
乗りそびれてしまいました
自分の退職金を担保に「スポンサー権」の買取を、当時社内公募されていた新規事業
として進言していれば、二階級特進もありえたでしょうね、残念(ギターサムライ)

という訳で『ディナモ・フットボール』、多分フシュボールだと思いますが、は全く
知りません、不明と不徳を恥じております
916世界@名無史さん:04/11/22 12:48:23
統一前、東独側にも西独と同名のCDUなどの政党があったようですが、
これは西独のCDUなどと関係があったんですか?
それとも単に同名であるだけで、全く無関係なんでしょうか?
917世界@名無史さん:04/11/22 16:44:57
東ドイツはヘゲモニー政党制で、建前上は複数政党制となっていました。
社会主義統一党(SED)のほかに、
キリスト教民主同盟(CDU)
ドイツ自由民主党(LDPD)
ドイツ国民民主党
ドイツ農民民主党
がありましたが、当然SED以外は衛星政党に過ぎません。
CDUとLDPDは統一後に西ドイツの同名政党と合併したそうですが、
もともとは名前が同じなだけで、まったく関係なかったようです。

確かそうでしたよね。東独フリークさん
918東独フリーク:04/11/22 20:25:07
>>917

ど、同意を求められると・・・・・確か、そのようでしたとしか
一番弱い分野が政党の離合集散なんですよ、すみません

解放記念日(ソ連に敗けた記念日)等のパレードには必ず
野党の党首もホーネッカーと同じ壇上に登っていた筈です

東独人に尋ねたが、野党に党首はいても党員はいないと、笑っていました
でも、ドイツ人からキリスト教と政党・党派の二つは、絶対切り離せないでしょうね

919917:04/11/22 22:07:31
野党、というよりもSEDを含めたこの五つの政党で国民戦線を形成していたんだと思いますが
920世界@名無史さん:04/11/22 22:15:46
国民民主党ってナチスの残党(下級党員)のための組織だったって本当ですか?
921917:04/11/22 22:57:16
そうかもしれませんね。はっきり知りませんけど、
今のドイツ国民民主党といったらネオナチですし。
だとしたら党員が党首だけってことはないような気がします。
922世界@名無史さん:04/11/22 22:58:09
SEDもナチ同様党員は統一後あぼーんするべきだった。
そうすれば失業問題もなかったはずだ。
923東独フリーク:04/11/22 23:45:56
ドイツ各州別失業率(旧東西地域別もあり)・・・・2chで見つけました

   http://www.euroassist.de/germany/unemployment.htm

下のほうに分かりやすい棒グラフ表示のバーもあります
924世界@名無史さん:04/11/23 00:37:20
ベルリンも失業率高いなぁ
925世界@名無史さん:04/11/23 09:25:23
手当ても切られている
926東独フリーク:04/11/25 00:08:20
>>913

回答を作成中なので、もうしばしお待ち下さい
ただし東西冷戦時代の東西貿易の(旨味の)説明になります
927世界@名無史さん:04/11/25 00:19:08
山崎豊子の小説で有名なSさんが昔率いていたI社ですね>東独フリークさんの職場
928世界@名無史さん:04/11/25 00:51:17
ソー連とズブズブ繋がる西村博之 :04/10/30 00:25:54 ID:???
http://ez.st37.arena.ne.jp/cgi-bin/danwa/kiji_display.cgi?thread_id=200310-001&kiji_id=00129

ちなみに、今、世間で話題となっているネット掲示板の『2ちゃんねる』だが、あのサイトは、
朝鮮総連が運営しているサイトである。代表の「ひろゆき」こと西村博之は、もちろん在日
朝鮮人である。彼は朝鮮総連の工作員なのだ。『2ちゃんねる』にアクセスして書き込み活動を
している日本人は、『2ちゃんねる』とネットカフェ(ほとんどが朝鮮系)店員から、監視されているのだ。
『2ちゃんねる』とネットカフェ、そして朝鮮総連は、互いに連絡を取り合いながら、
ネットカフェの日本人客を監視しているのである。
それだけではなく、その日本人の身元・住所・職場なども調査し、日本人に対する集団
ストーカー行為をしている。私自身が、現在、朝鮮総連による組織的な監視活動の対象になって
おり、集団ストーカー行為の被害を受けているのだ。
正論は、『2ちゃんねる』代表の西村博之へのインタビュー記事を掲載したが、西村博之が、
在日朝鮮人で、朝鮮総連の工作員であることを公表する責任がある。
それは正論誌の義務である。
929世界@名無史さん:04/11/25 02:08:17
▲ブッシュと統一教会の文鮮明 (Bush and the Moonies)
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/kok_website/fireworks4/main_pages_sub/OUMUNOSEIRISEITON_PAGE7_1.HTM
実現不可能と思うよ。米国のメディアは、CNN、FOX含め、大半がユダヤ人シオニストの経営。残りの
WTとUPIは、ブッシュとつるんだ朝鮮人の麻薬密輸業者が経営。よって、どこも911の真実など絶対に
報道いたしません。でなけりゃ、とっくに911陰謀なんかばれてるよ。日本でも読み捨てと産経は確実
にユダヤ系列売国新聞。毎日も朝日も問題あり。少し救いがあるのは、東京新聞くらいかな。
930世界@名無史さん:04/11/25 09:12:49
統一 協会ね・・・・・・
931世界@名無史さん:04/11/25 09:23:15
>927
野暮なかきこですね。
932東独フリーク:04/11/25 10:48:26
ま、やっぱりばれましたか・・・・と開き直るか、
それとも筆を折って、しばし謹慎・閉門としましょうか

知っていながら〜、知らないそぶり〜、ほんにあんたは屁のような
・・・テトチンシャン
933世界@名無史さん:04/11/25 14:45:03
>>852
アンゴラやモザンビークからの労働者たちは隔離宿舎で暮らし、一般市民が
彼らと接する機会は少なかったそうです。
934世界@名無史さん:04/11/25 17:22:31
>>932
誰でも>>927くらいの見当はつくからいまさら慌てなくてもいいと思うよ
935世界@名無史さん:04/11/29 02:18:38
御社の近くのいちょう祭り行って来ましたよ>東独フリークさん
あと一週間くらいは見ごろですね
並木の両脇、何でミニが草むらに並んで置いてあるんですか?
936東独フリーク:04/11/29 07:51:18
あの悪徳食品依存総合商社とは縁を切りましたから、最近の不祥事とか
思い出の銀杏並木や日曜蚤の市に話を振られても、もう反応できません

拙としてはあくまでオスタルギー繋がりの結界で余生を楽しみたい訳です
937世界@名無史さん:04/11/29 22:58:05
>>936

>>913の質問も一応日・東独関係史の一片として捉えていただけるとうれしいのですが。
938世界@名無史さん:04/12/03 07:56:28
連邦雇用庁の仕事の斡旋は26%減少したそうですね。

オンラインと民間企業の斡旋が増えたからと反論していましたが。
939世界@名無史さん:04/12/08 19:15:40
東独最大の発明品は、2ストロークエンジンのチャンバーだな。
MZ(DKWの東独側)のハラルド・バートルの発明。
これで2ストロークエンジンの排気逆流を防ぎ、原理上出せるとされた
4ストロークエンジンの2倍の出力に近い数値を出せるようになった。

・・・でもチャンバーを発展させたのはMZの主戦ライダー、エルンスト・デグナー
(鈴鹿サーキットのデグナーカーブの元)が、ベルリンの壁が出来たので
西独へ亡命して、スズキに参加してから。
もっともその前に、MZレーサーの写真を見たのか、
ヤマハが似たような部品をつけてたけど。
940世界@名無史さん:04/12/09 18:00:52
本多氏の本(永井教授のところ)には45年から49年までに70万人が西に逃げていったと書いてありますが、
東方から東ドイツに流入してきた人は何人くらいいたんでしょうか?
941世界@名無史さん:04/12/10 01:09:41
東西統一後シュタージ関係者をすべて死刑にしておけばこんな失業問題は起こらなかったのに。
942世界@名無史さん:04/12/10 07:05:26
>>941
(;・_・)ん …?どういうこと?
裏で工作でも発見されたの?
943ミールケ:04/12/10 11:07:17
>>941
そりゃ無理だ。
西側政治家(特に西独逸政治家)は、シュタージのスパイ網によって
不正やスキャンダル、はては全てのプライバシーまで知られていた。
そんなことやったらシュタージの情報暴露によって西側政治体制は
政権交代の嵐になっていただろう。
944東独フリーク:04/12/10 14:29:26
だからシュタージの全組織が分かるディスクは公式に廃棄されたのでしょう
でもどこかに誰かがコピーを押さえている筈と思うのですがね
945世界@名無史さん:04/12/10 22:39:27
それで、旧シュタージが、犯罪シンジケートと化していると。(゚-゚)(。_。)(゚-゚)(。_。)
946世界@名無史さん:04/12/10 22:50:39
>943
どうせ現ドイツ政権は次期選挙で政権交代が必死なんだからやったらいいと思うぞ。
947世界@名無史さん:04/12/11 17:18:50
旧シュタージの人間は「使える」ってことで
統一後も就職においては有利だと何かの本で読んだことがあるが。
そこんとこどうなんでしょ?
948東独フリーク:04/12/11 18:16:28
うーん、確かに一般市民は触ったこともないコピー・マシンの操作方法とか知っているし・・・・

旧身分を隠して、企業に潜り込み、昔の仲間と濃密な情報交換をして、頭角を顕わして
結果的にその企業・組織の中枢に食い込んでいる可能性は十分ありますね

私の元部下のシュタージのその後は、残念ながら先般現地で聞き漏らしているのですよ
949ミールケ:04/12/12 10:10:48
>>948
そういや1990年頃に東独崩壊で本国召還命令が出たが帰っても就職先が無いため
国際性?が買われてバブル真っ盛りの日本の水産会社に就職した東独2等書記官の2人どうしてるかな?
950世界@名無史さん:04/12/16 09:22:01
旧 東独の諸ラント 連邦に連帯協定もとめる
政府難色

他の州 反対
951世界@名無史さん:04/12/17 11:15:40
過疎化しかなさそうだな
952世界@名無史さん:04/12/18 19:50:36
ドイツってのは分裂する前から東と西では別の国という意識があったという話があったのは本当ですか?
東のほうがプロイセン人で戦争好きとかいうイメージが西のほうにはあって、日本人がイメージする質実剛健な
ドイツ人というのは東のほうの人間だという話を聞いたんですけど。
953世界@名無史さん:04/12/18 23:16:39
>>952

東西ではなくて南北なら聞いたことがある。
954世界@名無史さん:04/12/23 00:16:49
>東独フリークさん
私は旧ソ連、東欧のジョーク(主に政治関連)が好きだったのですが
もし現地で聞いたことがあってなおかつまだ記憶にあるのでしたら
いくつか披露して戴きたいのですが。

当方、旧東側に興味を持ったきっかけというのも「それ」ですのでw
955東独フリーク:04/12/23 08:39:36
確かに嫌ってほど、アネクドート(彼等のジョーク)を聞かされましたが
すみません・・・・、咄嗟には出てきませんので、このURLなどを

    http://www5.ocn.ne.jp/~leskov/
    http://homepage3.nifty.com/mir/russia.htm

強烈なものを思い出したら、少しずつ載せてみましょう

ロシア語を習得した・しつつある連中は、必死に覚えて実戦に使って
いましたが、通訳してもらう立場としては、日本のジョークをロシア語
に訳させることは控えましたし、ジョークを聞かされたら(通訳が完了
する前から)どっと笑うのが礼儀と心得ていました

もろ下ネタや、下ネタ落ちで、ソ連当時に流行ったジョークは、
最初に「アルメニア放送では」と前置きをして、皆の注目を集めておいて、
やおらジョークを飛ばすというルールがありました

もちろんアルメニア出身者もパーティには参加していますから、生真面目な
アルメニア人としてはちょっと居心地が悪いようでしたし
アルメニア人がジョークを作ったり、吹聴しているのではないのですから、
いい迷惑だと直ぐ分かりました

一種の被支配民族に対する謂れのない差別や蔑視だったのかも

政治ネタのジョークは、70年代から80年代に盛んだったと思います

某住友商事の所長は、東独政府の経済発表そのものがジョークだと
口癖のように言っていました
956世界@名無史さん:04/12/23 10:26:43
>>955

>>913の質問についてはいかがですか?
957東独フリーク:04/12/23 14:09:12
>>956

ご返事遅れてすみません
もし何か発表のヒントとお考えでしたら、急いで書きなぐります




・・・・ここが終わって、新しいスレッドが立ったら書こうかな
      なんて、こずるいことを考えたりしていたのです
958954:04/12/23 18:23:11
>>955

サイトの紹介ありがとうございます。

>強烈なものを思い出したら、少しずつ載せてみましょう
楽しみに待ってます。
959世界@名無史さん:04/12/23 18:27:34
フルシチョフやホーネッカーの回顧録とかはありますけど、
ウルブリヒトの物は探しても見つからないんですが、日本語で出版はされていなかったんでしょうか?
960世界@名無史さん:04/12/26 10:15:48
[ベルリン 25日 ロイター]
ドイツの東部にあるシュテンダールの町では、経費削減のあおりで白雪姫の劇を
4人のこびとで行わなければならなくなったと地元新聞が伝えた。
アルトミュール・シュテンダール劇場の関係者によれば、
「白雪姫と7人のこびと」をクリスマス公演するのにあたって、
6人の役者分のギャラしか予算がなかった。
その結果、劇場の常連客は抗議の意味を込めて、
西側の隣町であるハノーバー町に行って「7人のこびと」を観るという。
劇場では、こびとの衣装を着せた2体の人形を舞台の背景の壁に張り付け、
こびとが6人居るかのように見せかけた。
また、白雪姫を演じる役者は、もうひとりのこびとの二役を演じるはずだったが、
こびと役では一瞬しか登場していないという。
「7人目のこびとは舞台には上りません。
彼はいつも鉱山で採掘の仕事が忙しくって、残業しているんです」
と劇場の広報担当スザンヌ・クロイツァーさんが新聞に語ったという。
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081104019727.html

劇場に財政支援する余裕はないのかな?
961世界@名無史さん:04/12/26 11:05:12
のどかだな。
962世界@名無史さん:04/12/27 02:15:49
どうでもいいことですけれど、
旧東ドイツ陸軍士官の制服を入手いたしました。
生地が安モノ!
私が中学の学蘭の方が良いモノつかってましたね。。。

963世界@名無史さん:04/12/27 20:31:02
コミュニズムの小さな悲劇のうちの一つだな
964世界@名無史さん:04/12/27 20:34:46
コミュニズムの小さな悲劇のうちの一つだな
965児玉達矢 ◆LsFjO0g2Dk :04/12/28 03:21:13
2chらしくないスレを見たのは今回が初めてだ。
社会主義・共産主義というだけで荒れることもなく、旧スレの1さんや東独フリークさん、ナポレオンさん
の詳細なレスも見下すような感じではなかったので、とても心地よく見ることが出来ました。
次スレが立ったら見に行きますので、その程はよろしくお願いします。
966世界@名無史さん:05/01/07 22:26:52
国際)4/10
旧東独地域の「不良少女と呼ばれて」?
統一後ドイツの旧東独地域で、極右の少女による暴力事件が多発しているという。
15歳の少女が仲間の男3人と共にアフリカ人を襲撃するなど、外国人襲撃など従来極右の
少年犯罪が中心だったものまでになっているという。
有名な極右少年組織「スキンヘッズ」の少女版の「レーニーズ」と呼ばれる極右少女団体が
悪名を馳せているという。
・・・・ちなみに「レーニーズ」の少女の特徴は「髪をブロンドに染め、たいてい後ろ髪を
短く前髪を長くし、白い靴紐のブーツをはいている」だとか。
結構渋谷とかにもいたりして。(笑)ってくだらないこといってる場合じゃあないかもしれませんけど
http://rm.k2.tku.ac.jp/hsj/DEP/ECONOMICS/mur/mur-9.html
967世界@名無史さん:05/01/15 21:27:23
シュナイター学校。
968世界@名無史さん:05/01/16 05:53:56
>>966
これはさすがにネタじゃないかと思うのだがどうか
969世界@名無史さん:05/01/23 13:57:17 0
今旧東ドイツ人は差別されているんですか?
例えば居住地区の制限や公務員になれなかったり
この上記の例はありえないと思いますが。

逆に旧東ドイツ人が西ドイツ人を物欲主義者と逆差別することは
無いのですか?
上手くまとめられなくスイマセン
970世界@名無史さん:05/01/23 13:58:44 0
すいませんageまつ
971世界@名無史さん:05/02/03 20:36:31 0
★ドイツの失業者数、戦後初の500万人台に

 【ベルリン支局】ドイツ連邦雇用庁が2日発表した1月の雇用統計で、失業者数が
503万7000台となり、戦後初めて500万人の大台を超えた。失業率も12.1%と
戦後最悪となった。冬で求人が減ったのに加え、1月導入の雇用改革で失業者として
登録される人の範囲が広がった。特殊要因が働いたとはいえ、雇用市場の厳しさを
映し出した。
 1月末時点の失業者数(季節調整前)は昨年12月に比べ22万7000人増加。失業率も
1.3ポイント上昇した。旧東独地域の失業率は20.5%と前月比2.0ポイント上昇、
旧西独は9.9%で前月より1.2ポイント高かった。
 急激な失業者数の増加について、独雇用庁は「実質的な雇用市場の悪化を示した
ものではない」と説明している。独政府は長期失業者への失業給付改革に伴い、
先月から生活保護などの福祉を受ける人も統計上の失業者としてみなすよう改めた。
特殊要因による増加が22万2000人と先月の増加分にほぼ相当する。職業紹介の強化など
雇用改革の成果で今後は失業者数が徐々に減ると政府はみている。

日経新聞 http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20050202AT2M0201W02022005.
972LDPD:05/02/03 21:15:16 O
SED以外の衛星政党の人達って何やってたんだろ? すごく気になる。別に政権
取れる訳でもなく、政権批判出来る訳でもなくで、なんか党としては暇そうなん
だけど。
973世界@名無史さん:05/02/03 21:58:11 0
どうせ工作員が入党して暇そうにしていたと

映画のセットみたいなもの

創価学会に対する公明党みたいなもの
974世界@名無史さん:05/02/04 09:10:12 0
大学授業料有料化 合憲判決

抗議
2マン人 デモ
975世界@名無史さん:05/02/05 02:00:08 0
CDUは少し頑張ってたんじゃないの?妊娠中絶法反対とかやってたみたいだし。
976世界@名無史さん:05/02/05 09:10:10 0
>>975
それ、頑張る方向が…
結構CDU(DDR)は党員が多かったらしいね。
977世界@名無史さん:05/02/20 13:18:22 0
町役場の職員まで党員がいるのだもの。
司法官も入党できるし。
978世界@名無史さん:05/02/20 23:41:31 0
>>962
今更のレスですが。
'60年代半ば頃の物は兵・下士官用でさえ結構上質でした。
'72年に大幅な服装規定改訂が行われますが、
これと期を一にするかの様に目に見えて品質が低下しています。
装備品についても同様で、同じ種類でも'70年代後半の物は
一目で区別出来る程に仕上げが粗雑、素材も低品質になります。
良く言えば生産合理化なのでしょうが、経済状況を示すようで
興味深いものがあります。
979世界@名無史さん:05/02/26 14:51:36 0
よく観察しとかんといかんですなあ
980世界@名無史さん:05/02/28 19:08:38 0
中国の衛星政党は最近、力をつけてきてるらしい。
大学とかで共産党と主導権争ったりするとか。
981世界@名無史さん
統一に西独人の反対ってなかったの?
お荷物になるなら反対って。