882 :
世界@名無史さん:2005/08/11(木) 16:42:13 0
>>881 絵なんて証拠にならんよw
それにその絵、放送局のアルバイトが描いてるんだぞ?
放射線による健康被害はごまかしようが無いんじゃないの?
体験談は捏造というか記憶の再構築が行われている可能性は高いが。
南京大爆笑の詐欺師と一緒みたいな言い方イクナイ。
>絵なんて証拠にならんよw
何の証拠を欲しがってるんだ?
886 :
世界@名無史さん:2005/08/11(木) 23:35:39 0
>>884 自然放射線を知らんのか。
誰でも放射線なんて年中浴びてるんだよ。
さすがに爆心直下は放射線の量が多いが、爆心をちょっと離れれば
自然放射線のレベルと大差ない。
887 :
世界@名無史さん:2005/08/12(金) 02:15:50 0
617 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2005/08/12(金) 01:35:10
「いずれ近いうちにちょっとしたお土産を広島市民諸君にお目にかけたい」
広島市への原爆投下の少しまえに敵機からそんなビラがまかれた。
他者の痛みに対する想像力の欠如と言うか、
こういうのを見るにつけ、アメ公って教室で独りはしゃぎ回ってる
知恵遅れのガキみたいに思えるよなあw
1943年のイタリア降伏と同時に、昭和天皇に退位してもらう。
他の宮様に即位してもらって、連合軍に降伏。
これしかない。
889 :
世界@名無史さん:2005/08/12(金) 07:23:45 0
政府の撮影チームが被弾直後の広島に入って撮ったフィルムがあったはず。
そのフィルムは進駐軍にすぐに取り上げられ、アメリカに持ってかれて、
撮影をしたという事実だけが伝わっていた。
で、昭和40年代だったか、アメリカからそれが返却され、一部がNHKで放送された。
放送されたのはプライバシーに問題がなく放送に耐える部分。
今は、学術用に限定でのみ全編を閲覧できる体制になっているはず。
>>812 投下前に、「新型爆弾が投下される」という噂があったらしいけど、
それって、そのビラがソースだったの?
891 :
890:2005/08/12(金) 23:33:10 0
1945年8月はじめ日本の各都市に「爆撃を将来する」ビラは撒かれたらしい。
しかしいかなる形であれ、原爆を予告するビラは考えにくい。
国をあげてのプロジェクトだからね。
894 :
世界@名無史さん:2005/08/13(土) 03:35:32 0
「高橋さんの職場では、ある伝単(宣伝ビラ)の噂が広まっていた。実際に彼女は、その伝単を見たわけではない。
しかし、伝単には恐ろしい爆撃予告がされていたという。
『八月五日、広島を大空襲する』」
「デマ放送(宣伝放送)は、だいたいニュースや空襲の予告だった。敵の空襲の予告は実際、その予告どおりに
行われていた。(略)
八月一日にアメリカ軍が次のようにくり返し放送するのを聞いた。
『八月五日、特殊爆弾で広島を攻撃する。非戦闘員は広島から逃げろ』
「B29エノラ・ゲイ 原爆搭載機 射程内ニ在リ」 NHK広島放送局原爆取材班 P76-78
*アメリカ時間の8月5日は、日本時間の8月6日に当たる。
>>886 一週間以内に現地入りした兵隊が、ころころ原爆病で死んでるが。
そんな甘いものじゃない。
896 :
世界@名無史さん:2005/08/13(土) 12:55:41 0
>>895 入市した人が死んだのは、衛生状態が悪かったため疫病になって死んだんだ。
原爆とは何の関係もない。
え?
898 :
世界@名無史さん:2005/08/13(土) 15:09:25 0
899 :
世界@名無史さん:2005/08/15(月) 18:09:47 0
広島、長崎の原爆投下は捏造だ!
第一の根拠「犠牲者の数の不思議」
広島原爆の犠牲者は20万人と言われています。ただ、原爆はその前から「75年間は草木も
生えない」と言われていた はずなのに、今の広島にはいうまでもなくビルが立ち並び、人口
も大きく増えて、戦前よりずっと発展しています。60年前の昔とはいえ、放射線の影響を
受けていたとは到底考えられません。
実際なかったから、ことさら大きな数字を挙げなければならなかったのでしょうか。アジア各
地で何百万もの人を殺したのですから、日本は必死です。なんとかしてアメリカも同じような
虐殺をしたように思わせる必要があったのではないでしょうか。
それに、実際当時の広島在住の日本人の証言によっても、当時は疎開などですでに広島市内の
人口は5万に満たない程度になっており、20万の犠牲者がいるというのは、シナ人が捏造した
「南京大虐殺」の30万人の犠牲者と同レベルのでっち上げとしか言いようがありません。
第二の根拠「証拠のあやふやさ」
広島の被害を伝える写真はたくさんありますが、写真ほどあてにならないものはありません。
何しろ「南京大虐殺」の30万人の死者や多数の写真はすべてでっち上げられた物ですから。
別の場所にあった 死体を写して、適当なキャプションをつければ、国民がヒロシマは本当に
あったことと受け取 ってしまうのも無理はありません。
また、実際最近アメリカ、シナ、オーストラリアの科学者がスーパーコンピュータを使い、
ニューメキシコの原爆実験、広島、長崎の原爆の映像を立体分析したところ、なんと!
三つの映像は同じ原子爆弾の物で、すなわちすべてニューメキシコで撮影されたもので、
単に撮影角度を変えただけでした。
証言もたくさんありますが、偽証罪の適用されない状況での証言がどれだけ信用できるのか、
もっと検証が必要です。「南京大虐殺」や「慰安婦」にも数え切れない証言者、生き残りがいる
わけですが、いうまでもなくこれらもすべてでっち上げである。
実際現在の広島や長崎の「被爆者」とされている人々の証言や物的なものから、「直接に原子
爆弾の爆発はあった」と証明できる物は一つもありません。「被爆者」がよく主張している
「やけど」や「皮膚が剥がれ落ちる」などの「放射線被爆の証拠」というのは、実際焼夷弾など
による「やけど」であり、絶対に原子爆弾としてしかありえないものなど一つもないのです。
そもそも、あれだけの威力を持つ原子爆弾の爆心地にいながら「生存」できるということ自体、
可笑しいのです。「遮蔽物があったから」・・・などと主張する人がいれば、是非核実験の爆心地に
同じ遮蔽物を作って、中に入ってみて、自ら生存できるかどうか確かめてみてください。それが
できてはじめて、原爆の爆心地で生存できると証明できるからです。ただ、無論いうまでもなく
そんなことをして、実際生存できるわけがないですけどね。
904 :
世界@名無史さん:2005/08/16(火) 20:57:40 0
実際、よく考えてみれば、原子爆弾投下後の放射線汚染は凄まじいものであり、当時の日本では
全くこれらの放射線汚染を防御する装備はありませんでした。なのにそのような放射線汚染の
強い区域で撮影できる人間が生存できること自体不思議です。また、撮影された映像から見ても、
原爆投下後のあれだけのショックと放射線の影響を受けながら、生存者は廃墟などからなんか
訓練されたかのようにぎごちはあるものの普通に歩いて出て来れたのはもう世界七大不思議以上
の物を感じます。
それから、戦後アメリカなどの科学者が広島と長崎に土を採取して分析したところ、全く他の土地の
土と放射線量の違いはなく、正常なものであった。全くニューメキシコの原爆実験場で採取された
高放射線量の土と比べようがありませんでした。
結局、「南京大虐殺」や「慰安婦」、「強制連行」などと同様、現在それが実際に絶対にあった
と証明できる物的証拠は何一つないのです。今広島、長崎の原爆投下に対するすべての「証拠」や
「証言」というのは、結局はアメリカがソ連や諸国にアメリカの持っている「原爆の凄さ」を
思い知らせ、戦後の世界情勢を牛耳る意図と日本政府がなんとしても「日本はこのような酷い虐殺
を受けた被害国であり、この虐殺をとめるために自存自衛の戦争をした」という立場を確保したい
意図、さらに実際は単なる新型焼夷弾空爆を受けた広島、長崎の民衆が「国から甘い汁が吸える」
という意図が合致して、でっち上げられたものでした。実際戦後東京、大阪、神戸、名古屋など
広島、長崎に下らない空襲犠牲者を出しながらも、広島や長崎のように、戦後60年経った今もなお、
「被爆者手帳」などをかざして、医療などの面で数々の優遇を受けられていないのです。
第三の根拠「日本政府の不自然な弱腰」
アメリカが本当に原爆による虐殺を行ったとすれば、日本政府が黙っているはずはありません。
東京裁判や講和条約の交渉の席でアメリカの酷さを主張して国際世論に訴えれば、戦後の情勢も
日本に有利に展開したはずです。実際東京裁判では東条元首相らは「自存自衛」「戦勝国による
一方的な裁き」などとあれだけ抗議しなからも、「原爆」の「げ」の字も出ていませんでした。
日本政府は「一億総懴悔」を唱えるばかりで、アメリカに対して被害の補償どころか、正式に抗議
したり、謝罪を求めたことすらありません。そして、自国の「被爆者」に対しては数々の優遇を
しているのに、同じ「被害」を受けたはずの朝鮮人(当時は日本人)など外国人被爆者には大変冷淡です。
これも、実はヒロシマがウソだからだと考えれば、納得がいきます。何しろ実際被爆されている
わけではないのですから、朝鮮人やシナ人などに対してお金を渡す必要などないのです。
1959年、キューバ革命勝利の年に来日したゲバラは、無名兵士の墓に詣でる予定をキャン
セルしました。「日本の無名兵士とはアジアで数百万人を殺した兵士のことではないか。そん
なところへ行くわけにはいかない」。そしてゲバラは、予定になかった広島へ向かいました。
原爆資料館を1時間かけて見学したゲバラは、案内役の人にこう言ったそうです。「アメリカ
にこんな目に合わされておきながら、あなたたちはなおアメリカの言いなりになるのか」。
ゲバラもあきれた日本政府の弱腰は何なのでしょう。やはり日本による真の虐殺の帳尻あわせ
にすぎないのでしょうか。
結論は同じ、アメリカと日本政府、広島長崎の市民の利益が同じベクトルに向いていたから、
原爆投下や被爆者はでっち上げられたのです。
第四の根拠「国内報道もなく、国際社会も冷淡」
民間人の大量虐殺が行われたのなら、これぞ鬼畜米英のしわざ、聖戦の大義は我にあり、とば
かりに、大きく新聞に取り上げられてしかるべきです。ところが当時の日本の新聞は「広島に
新型爆弾」と小さく書いただけで、その具体的な被害状況などはまったく伝えていません。実
に不可解です。実際東京裁判でも、サンフランシスコ講和条約締結時も日本政府はあれだけ
「自存自衛」の戦争であったと主張しながらも、原爆投下への抗議は一切みられません。
人類を滅ぼすようなそんな恐ろしい爆弾なら、国際世論の声で当然に禁止されるはずなのに、
大戦後も「平和のためだ」といって各国がこぞって開発・保有しています。「日本人の核アレ
ルギー」などともっともらしいことを言いますが、民間の原水爆禁止運動が盛んになったのは、
1954年のビキニでの水爆実験以降ですし、アメリカの核が日本に持ち込まれたり、独自の
核を持つべきだという日本人すらいます。
そもそも核が平和に役立つなら、ヒロシマで人が死ぬわけがありません。
まだまだ疑えばきりがありません。
蛮行は日本軍のお家芸ともいえます。日本軍の同胞に対する虐殺だったのかも知れません。ル
ソンやニューギニアで戦友の人肉を食った話や、沖縄戦で住民をスパイと疑って虐殺した事例
を見てもそれが分かります。それから各戦地で民間人まで無理やり「天皇のため」といって
「集団自決」を強要していました。何しろ南京での死傷者や731部隊と称された部隊による人体
実験も当時のシナ国民党軍の仕業で、単に日本軍に責任転嫁されたというのですから、実際、
広島や長崎でも、単にこれと同様な行為が、日本軍よりアメリカ軍に責任転嫁されたことと
考えられます。
愚民政策の下、資料批判の能力さえ摘み取られている可哀想な子どもの使う教科書に、当然の
ようにヒロシマ原爆のことが載っているのは、まさに「南京大虐殺」や「慰安婦」「強制連行」
などと同様、特定の思想による偏向なのではないでしょうか。
実例を挙げると、「きみはヒロシマを見たか 広島原爆資料館」日本放送出版協会 P40より、
広島原爆で亡くなった当時市立中学2年の福岡肇君の部屋と称する写真があります。以下の記述を
伴います:
ttp://www.bonotto.jp/army/img/army51KlA9.jpg 「教科書を除いて、この部屋はあの日の午前6時半過ぎ、肇君が出ていったまま
残されていた。教科書だけは、肇君がいつ帰ってきてもいいようにと、母親の
とみゑさん(76歳)が、昭和20年9月になって、2学期分を買い揃えたものだった。
しかし、肇君は二度とこの部屋に帰ってくることはなかった」
(「きみはヒロシマを見たか 広島原爆資料館」日本放送出版協会 P40)
こう説明にあるが、机の上に注目していただきくと、卓上蛍光灯が置かれています。残念ながら
昭和20年の8月に、卓上蛍光灯が一般家庭に出回っているわけがありません。 説明には、「教科書
以外はあの朝のまま」とあります。なぜありもしない蛍光灯が置かれているのでしょうか?
このような捏造写真まで使って、実際にあったこともない原爆投下を、広島の民衆は今も国民の血税
を甘い汁として吸いたいがために、原爆の悲惨さを訴えようとしています。
第五の根拠「原子爆弾の運搬が不可能であった」
当時のB-29の航続距離は限られていたため、アメリカはマリアナ諸島を占領してからでないと、
本格的に日本本土への空襲ができませんでした。B-29航続距離と当時の飛行機、飛行の安全性
から考えると、アメリカ本土から2発の原子爆弾をテニアン島に運搬するのは不可能に近い、
だからといって海上運送をしようと思うと、当時日本の連合艦隊がほぼ壊滅したとはいえ、
日本の潜水艦はいまだ戦闘可能な状態として多数残っており、あれだけの威力のある原子爆弾を
アメリカの管理の水域に日本の潜水艦の奇襲攻撃で破壊される危険を冒してまで、テニアン島へ
運搬するというのは、当時ほぼ対日戦争の勝利を手中にしたアメリカにとって、犯す必要のない
危険といわざるを得ません。
それに、最初にアメリカに作られた原爆はたった3発しかなく、1発はニューメキシコの実験で
すでに使われたため、残りはたった2発でした。当時の戦況は沖縄も陥落して、全くといって
良いほど抵抗する力を失っていた日本に対して、貴重な2発の原発を殆ど一般市民しかいない
地方都市に対して投下するとは考えにくい。ましてはアメリカは高度な新兵器である原爆を作る
のに時間はかかるし、2発を全部日本に使ってしまえば、当時すでに関係があやふやになっている
ソ連と対立した場合、直ちに対応できない危険があるのです。
第六の根拠「当時の科学者の反対」
原爆ができる前から、すでに沢山の科学者、そして一部のアメリカの軍部の良識派は原爆の怖さを
予知しており、実際ニューメキシコの実験後、原爆の開発に貢献したアインシュタインや原爆の父
と呼ばれたオッペンハイマーですら、アメリカが戦場に、そして一般市民に対して、この威力が
計り知れない新兵器の使用について反対していました。何度も言い返すが当時アメリカはすでに勝利を
手にしているのと同様な状況にあり、今後もソ連と対立した場合に、これらの科学者の力を必要と
している以上、使用しても大して戦況に影響を与えない原爆を使用してまで、多数の科学者の意見に
耳を貸さないとは到底考えられません。
【結論】
最後にまた同じ結論に辿りつきますが、結局、広島と長崎への原爆投下や原爆被害というのはまさに
「南京大虐殺」や「慰安婦」、「強制連行」などと同様に、現在それが実際に絶対にあったと証明
できる物的証拠は何一つないのです。それところか、否定できる証拠は数え切れません。
今広島、長崎の原爆投下に対するすべての「証拠」や「証言」というのは、結局はアメリカがソ連
や諸国にアメリカの持っている「原爆の凄さ」を思い知らせ、戦後の世界情勢を牛耳る意図と
日本政府がなんとしても「日本はこのような酷い虐殺を受けた被害国であり、この虐殺をとめる
ために自存自衛の戦争をした」という立場を確保したい意図、さらに実際は単なる新型焼夷弾空爆
を受けた広島、長崎の民衆が「国から甘い汁が吸える」という意図が合致して、でっち上げられた
ものでした。
実際戦後東京、大阪、神戸、名古屋など広島、長崎に下らない空襲犠牲者を出しながらも、広島や
長崎のように、戦後60年経った今もなお、「被爆者手帳」などをかざして、医療などの面で数々の
優遇を受けられていないのです。
歴史はすべて人間の作為によって作られたもので、真実の歴史、歴史の事実などは存在しません。
これは日本も、アメリカも、シナもチョン同じで、まさに世界共通なのです。
「おチビタン萌え」、まで読んだ。
「だめえっ、お兄ちゃんやめて」まで読んだ
915 :
世界@名無史さん:2005/08/18(木) 12:36:13 0
原爆がより多くの人命を救った説→アメリカ人兵士の命を救ったのは間違いない。
日本人の命をより多く救ったかどうかは証明でき
ない。ルメイ方式の東京大空襲を考慮しない限り。
原爆が日本の領土をソ連から
救った説 →正しい。ソ連は8月15日に本土参戦予定だった。
原爆投下はソ連にとって全くの予定外。急遽参戦したが、
北方4島しか奪えず。 ドイツのように半分持っていく
のが理想だったので、ソ連としては大誤算。
結論:原爆投下によって多くの人命が失われた。原爆投下によって、より多くの日本人の
命が救われたなど、証明しようがない。
しかし、原爆投下がなければ、日本は、ドイツや朝鮮のように分断されていた
可能性もあるし、少なくとも北海道はソ連領になっていただろう。
基地を除き、全領土を1972年までに返還したアメリカと、北方4島すら返還しない
ソ連。
北海道をソ連に獲られてたらと思うと、ぞっとするのである。
しかも、アメリカは(日本に対する)戦勝国だったが、ソ連は単なる裏切った漁夫の
利を汚く得ただけの国だった。ソ連が日本領を奪うのは完全に筋違いなのだ。
>>915 そうだね
「政治的」に原爆を受け入れるのは構わないとおもう
しかし「原爆でなければならなかったかどうか」は検証するべき
日露戦争はあっちが仕掛けてきたようなもの
シベリア出兵は極東共産化の防波堤としての意義はあったろう
真珠湾攻撃もアメリカが仕掛けたってかw
街がいくつ焼けようが関係ない。
「ソ連、ソ連なら、和平交渉の仲介をしてくれる」だから。
人生においてチャンスに恵まれないのは大変だな
923 :
宮内庁.com ◆K.qmyQDBQc :2005/08/19(金) 09:16:36 0
【宮内庁@コラム】第5回『原爆記念日』
どうも宮内庁.comです。原爆というのは宮内庁.comにとってちょっと大きい花火程度の認識なのですが、
今回は原爆記念日とのことで、私の中学生の頃のお話をします。わたくし宮内庁.comは中学の修学旅行で
広島の平和記念資料館(原爆資料館)に行きました。ここには原爆の悲惨さを物語る資料がたくさん展示して
ありました。ある一角に蝋人形が展示されていました。その蝋人形は原爆が落ちた瞬間、人々が逃げ
まわる姿をリアルに再現していました。体の一部が溶けながらも必死に逃げまわる人々を再現した
蝋人形を見て私は「これが広島市民マラソンかぁ(笑)」と冗談を言い、クラスメートの笑いを誘って
いました。するとどうでしょう、近くにいた大久保という男性教諭の顔がみるみるうちに強張り
私に近寄ってきます。「宮内庁.com。ちょっとこい。」そう言ってと私を館外に連れ出しました。
外に出て大久保は周りを見渡し人がいないのを確認すると、私の顔面めがけて拳を振りまわしました。
驚いた私はとっさに避けました。
続く…
924 :
宮内庁.com ◆K.qmyQDBQc :2005/08/19(金) 09:17:55 0
続き
大久保教諭「宮内庁.com!!なんで避けるんだ!お前は殴られても仕方が無いことを言ったんだぞ!」
宮内庁.com「いや、俺は殴られてもいいことなんて言ってないです。」
大久保教諭「言ってないだと!?お前は原爆の恐ろしさ、悲しさを知らないのか???」
宮内庁.com「知ってるけど殴られる理由にはなりません。それにさっきのは冗談ですよ?」
大久保教諭「冗談でも言っていいことと悪いことがあるだろ!その年でそんなこともわからないのか!」
宮内庁.com「冗談に言っていいことと悪いことなんてないと思います。それに俺が言った冗談によって
なんで大久保先生が俺を殴る権利が発生してんですか?」
大久保教諭「口が減らねぇ奴だな。とにかく!二度とあんなこと言うんじゃないぞ!!」
宮内庁.com「いや、別に俺は言いたいこと言いますよ。構わないでください。」
その瞬間大久保の拳が私の顔面にヒットしました。直後私も大久保の顔面を殴りつけました。
そして怯んだ大久保を言いくるめ事無きを得ました。
そして先日、大久保先生が亡くなったとの連絡がありました。死因は脳溢血。あの時広島での一撃が少し
でも大久保の脳にダメージがあったとしたら嬉しい。
*宮内庁.com>久保>小久保>>>>大久保
・ご意見ご感想、投票はこちらへ→kunaicho_com@yahoo.co.jp
宮内庁.com
>>894 亀レスだけど、その本は信憑性にかけるらしい。
ロックバンド・シカゴの八枚目のアルバムに「Harry Truman」という曲が収められていてシングル
カットもされたんだが、広島在住の日本のファンから「原爆を日本に落としたトルーマンを讃える
歌を作るなんて」と抗議の手紙を貰って一切のプロモーションを中止した。
この曲を書いたキーボード担当のロバート・ラムは政治意識が高い(つもり)の人間で、抗議を
受けてすぐそれを受け容れるような人間でもあるんだが、それでも指摘されるまでトルーマン
=原爆という連想が働かなかったようだ。
意識が高いとされる人間でこれだから、一般大衆たるや推して知るべきだろう。
927 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 03:25:16 0
SAPIO今週号
「降伏しなかったから原爆を投下された」戦後最大のフィクションはこうして作られた
鳥居民著
にトルーマンのポツダム宣言に対する3つの細工が書かれている。
1.宣言の共同署名国からソ連をはずす。
(トルーマンは天皇がソ連に和平の仲介要請をしているのを知っていた。共同署名国
からソ連をはずすことで日本にソ連の和平仲介の希望を持たせるため)
2.宣言の草案第12項目にあった「天皇の地位の保持」を削除する。
(日本に宣言受諾を受け入れがたくするため)
3.形式と伝達方式を公式の外交文書とは違う「宣言文書」のような形で発表。
(宣言が最後通牒であることを日本に意識させないため)
*カッコ内はコラムの筆者の意見です。
928 :
927:2005/08/20(土) 03:47:00 0
マンハッタン計画の責任者スティムソンのトルーマンに対する報告に
よるとプルトニウム、ウラニウム両原子爆弾の投下準備が整うのが
8月1日。
ポツダムの3カ国首脳会議でスターリンが「8月15日前後に対日参戦する」
とトルーマンに語ったのが7月17日。
トルーマンが原爆投下命令の案文を作ったのが7月24日。
そしてポツダム宣言発表が7月26日。
広島への原爆投下が8月6日。
長崎への原爆投下が8月9日。
929 :
927:2005/08/20(土) 03:57:22 0
私の読後感。
「原爆投下は止むを得なかった」というのがトルーマンの戦後の弁解
だが、日本が降伏する前になんとしても二種類の原爆を日本に投下する、
というトルーマンの強烈な執念を感じた。要するにコラムの著者の意見
に同意です。
原爆の使用で返って人名が救われた、原爆のおかげで日本は分断されず
に済んだ、という意見は興味深いIFですが、少なくともトルーマンには
そのような「人道的な」考えは全く無かったようです。
930 :
世界@名無史さん:2005/08/20(土) 04:09:38 0
中国の将軍(この前台湾に介入したら米を核攻撃とかいって物議を醸した人)が、
「中国は人口が多く分散しているから核戦争になったら勝利」とか、
「人口問題解決のために10年以内に世界人口を半分に出来る核戦力を構築する」とか喚いています
中国政府は困ってますが、軍はこのドクトリンを圧倒的に支持しているそうです。
こういう馬鹿はどうすればいいのでしょう?
931 :
世界@名無史さん:
>>929 トルーマンじゃなくてバーンズだろ、主導権を握ってたのは。