広島、長崎の原爆投下は捏造だった!
「南京大虐殺」、「従軍慰安婦」、「日本軍による強制連行」、「731部隊によ
る人体実験」、「ナチスによるユダヤ人虐殺(ホロコースト)」にすべて捏造で
あったというアンチテーゼがあちらこちらで取り上げられています。しかし、
実は毎年慰霊祭が行われ、立派な「平和記念資料館」も作られ、教科書にも
漏れなく記載された「広島、長崎の原爆投下」こそが、人類歴史上最大の捏造
だったのかもしれません。
第一の根拠「犠牲者の数の不思議」
広島原爆の犠牲者は20万人と言われています。ただ、原爆はその前から
「75年間は草木も生えない」と言われていた はずなのに、今の広島には
いうまでもなくビルが立ち並び、人口も大きく増えて、戦前よりずっと
発展しています。60年前の昔とはいえ、放射線の影響を受けていたとは
到底考えられません。
実際なかったから、ことさら大きな数字を挙げなければならなかったの
でしょうか。アジア太平洋各地で何百万もの人を殺したのですから、当時の
日本政府は必死です。なんとかしてアメリカも同じような虐殺をしたように
思わせる必要があったのではないでしょうか。こうすることによって国際的に
日本も虐殺を受けた国として、将来の交渉の席でより公平な待遇を求めること
が期待できるのです。
それに、実際当時の広島在住の日本人の証言によっても、当時は疎開などで
すでに広島市内の人口は5万に満たない程度になっていました。戸籍上は
もっと人口があったのかもしれませんが、少しでも戸籍制度を知っている人
なら、「戸籍がある」≠「居住している」、つまり戸籍があっても、疎開など
によって、実際に市の中心部にいたのは5万人満たなかったということなの
です。それなのに20万の犠牲者がいると言い張っているのは、シナ人が捏造
した 「南京大虐殺」の30万人の犠牲者と同レベルの妄想としか言いようが
ありません。それが現在でも尚、毎年千人程度「新たにわかった犠牲者」の
名簿を「原爆死没者慰霊碑」の名簿に書き加えるくらいですから、その
妄想っぷりには戦後のシナが主張する犠牲者の増え方(最初の数百万から
今の数千万)と同様に愕然と感じさせられるものがあります。
第二の根拠「証拠のあやふやさ」
広島や長崎の被害を伝える遺物、写真や証言はたくさんありますが、
遺物、写真や証言ほどあてにならないものはありません。 何しろ
最近にも旧石器時代の遺跡と称した「上高森遺跡」の例があるのでは
ないでしょうか?それもあろうことにいろいろな教科書にまで載せられ、
日本の本当の歴史かのように、次の世代に何年間にもわたって教育されて
きてしまいました。
もちろんこれだけでなく、「南京大虐殺」の30万人の死者や多数の各国
の記者や中国人によって撮影された写真や証言、残されて遺物と称された物
もすべてでっち上げられた物といわれているのですから。別の場所にあった
死体や遺物を写して、適当なキャプションをつけ、その上でっち上げの証言
を集めれば、国民がヒロシマは本当に あったことと受け取ってしまうのも
無理はありません。
また、実際最近アメリカ、シナ、オーストラリアの科学者がスーパー
コンピュータを使い、 ニューメキシコの原爆実験、広島、長崎の原爆
の映像を立体分析したところ、なんと!三つの映像は同じ原子爆弾の
物で、すなわちすべてニューメキシコで撮影されたものでした。その
違いは単に撮影角度を変えただけでした。つまり、私たちがいつも
テレビでみている広島や長崎の原爆投下の映像(キノコ雲)はニュー
メキシコの原爆実験のものを角度を変えたもので、全くの捏造映像
なのです。同様のことはシナや朝鮮の主張する「南京大虐殺」や
「慰安婦」「強制連行」などの映像をシナや朝鮮があることない
ことに流しているのと全く同じなのです。
写真以外に、被爆の証言もたくさんありますが、まず偽証罪の適用
されない状況での証言がどれだけ信用できるのか、もっと検証が必要
です(というより、検証のしようがありません)。「南京大虐殺」や
「慰安婦」にも数え切れない生き残り、外国記者、などの関係者の
証言があるわけですが、いうまでもなくこれらもすべてでっち上げ
でした。
実際現在の広島や長崎の「被爆者」とされている人々の証言や物的
なものから、「直接に原子爆弾の爆発はあった」と証明できる物は
一つもありません。「被爆者」がよく主張している「やけど」や
「皮膚が剥がれ落ちる」などの「放射線被爆の証拠」というのは、
実際焼夷弾などによる「やけど」であり、絶対に原子爆弾として
しかありえないものなど一つもないのです。
「キノコ雲」を真下(間近)で見たという証言もあるようですが、
考えてもみてください、あの原子爆弾の爆発で生じたキノコ雲を
真下(間近)で見て、現在に至って無事に生存できる方がおかしい
としかいいようがありません。
そもそも、あれだけの威力を持つ原子爆弾の爆心地にいながら
「生存」できるということ自体、可笑しいのです。「遮蔽物が
あったから」・・・などと主張する人がいれば、是非核実験の爆心地に
同じ遮蔽物を作って、中に入ってみて、自ら生存できるかどうか
確かめてみてください。それができてはじめて、原爆の爆心地で
生存できると証明できるからです。ただ、無論いうまでもなく
そんなことをして、実際生存できるわけがないですけどね。
実際、よく考えてみれば、原子爆弾投下後の放射線汚染は凄まじい
ものであり、当時の日本では全くこれらの放射線汚染を防御する装備
はありませんでした。なのにそのような放射線汚染の強い区域で撮影
できる人間が生存できること自体不思議です。また、撮影された映像
から見ても、原爆投下後のあれだけのショックと放射線の影響を
受けながら、生存者は廃墟などからなんか訓練されたかのように
ぎごちはあるものの普通に歩いて出て来れたのはもう世界七大不思議
以上の物を感じます。
それから、戦後アメリカなどの科学者が広島と長崎に土を採取して分析
したところ、全く他の土地の土と放射線量の違いはなく、正常なもの
であった。全くニューメキシコの原爆実験場で採取された高放射線量
の土と比べようがありませんでした。
結局、「南京大虐殺」や「慰安婦」、「強制連行」などと同様、
「原爆投下」も現在それが実際に絶対にあったと証明できる物的証拠は
何一つないのです。
今広島、長崎の原爆投下に対するすべての「証拠」や「証言」という
のは、結局はアメリカがソ連や他の諸国にアメリカの持っている
「原爆の凄さ」を思い知らせ、戦後の世界情勢を牛耳る意図と日本政府
がなんとしても「日本はこのような酷い虐殺を受けた被害国であり、
アメリカをはじめとする同盟国も日本に負けないくらいに一般市民の
虐殺を行った。だから自存自衛の戦争をしたという立場を確保し、
将来の交渉を有利に進めたい」という意図、さらに実際は単なる
新型焼夷弾空爆を受けた広島、長崎の民衆が「国から甘い汁が吸える」
という意図が合致して、でっち上げられたものでした。
実際戦後東京、大阪、神戸、名古屋など広島、長崎に下らない空襲
犠牲者を出しながらも、広島や長崎のように、戦後60年経った今も
なお、「被爆者手帳」などをかざして、医療などの面で数々の優遇を
受けられていないのです。
第三の根拠「日本政府の不自然な弱腰」
アメリカが本当に原爆による虐殺を行ったとすれば、日本政府が黙って
いるはずはありません。東京裁判や講和条約の交渉の席でアメリカの
酷さを主張して国際世論に訴えれば、戦後の情勢も日本に有利に展開
したはずです。実際東京裁判では東条元首相らは「自存自衛」「戦勝国
による一方的な裁き」などとあれだけ抗議しなからも、「原爆」の
「げ」の字も出ていませんでした。
現在に至り、日本政府は「一億総懴悔」を唱えるばかりで、アメリカに
対して被害の補償どころか、正式に抗議したり、謝罪を求めたことすら
ありません。そして、自国の「被爆者」に対しては数々の優遇を
しているのに、同じ「被害」を受けたはずの朝鮮人(当時は日本人)など
外国人被爆者には大変冷淡です。これも、実はヒロシマがウソだからだ
と考えれば、納得がいきます。何しろ実際被爆されているわけではない
のですから、朝鮮人やシナ人などに対してお金を渡す必要などないし、
相手にする必要などないのです。
1959年、キューバ革命勝利の年に来日したゲバラは、無名兵士の墓に
詣でる予定をキャンセルしました。「日本の無名兵士とはアジアで数百万人を
殺した兵士のことではないか。そんなところへ行くわけにはいかない」。
そしてゲバラは、予定になかった広島へ向かいました。原爆資料館を
1時間かけて見学したゲバラは、案内役の人にこう言ったそうです。
「アメリカにこんな目に合わされておきながら、あなたたちはなお
アメリカの言いなりになるのか」。ゲバラもあきれた日本政府の弱腰は
何なのでしょう。やはり日本による真の虐殺の帳尻あわせにすぎないの
でしょうか。
結論は同じ、アメリカと日本政府、広島長崎の市民の利益が同じベクトル
に向いていたから、原爆投下や被爆者はでっち上げられたのです。
第四の根拠「国内報道もなく、国際社会も冷淡」
民間人の大量虐殺が行われたのなら、これぞ鬼畜米英のしわざ、聖戦の
大義は我にあり、とばかりに、大きく新聞に取り上げられてしかるべき
です。ところが当時の日本の新聞は「広島に新型爆弾」と小さく書いた
だけで、その具体的な被害状況などはまったく伝えていません。実に不
可解です。実際東京裁判でも、サンフランシスコ講和条約締結時も日本
政府はあれだけ「自存自衛」の戦争であったと主張しながらも、原爆投
下への抗議は一切みられません。
人類を滅ぼすようなそんな恐ろしい爆弾なら、国際世論の声で当然に禁止
されるはずなのに、大戦後も「平和のためだ」といって各国がこぞって
開発・保有しています。「日本人の核アレルギー」などともっともらしい
ことを言いますが、民間の原水爆禁止運動が盛んになったのは、1954年
のビキニでの水爆実験以降ですし、アメリカの核が日本に持ち込まれたり、
独自の核を持つべきだという日本人すらいます。
そもそも核が平和に役立つなら、ヒロシマで人が死ぬわけがありません。
15 :
名無的発言者:2005/08/17(水) 18:56:22
16 :
名無的発言者:2005/08/17(水) 18:57:26
まだまだ疑えばきりがありません。
蛮行は日本軍のお家芸ともいえます。日本軍の同胞に対する虐殺だった
のかも知れません。ルソンやニューギニアで戦友の人肉を食った話や、
沖縄戦で住民をスパイと疑って虐殺した事例を見てもそれが分かります。
それから各戦地で民間人まで無理やり「天皇のため」といって「集団自
決」を強要していました。何しろ南京での死傷者や731部隊と称された
部隊による人体実験も当時のシナ国民党軍の仕業で、単に日本軍に責任
転嫁されたというのですから、実際、広島や長崎でも、単にこれと同様な
行為が、日本軍よりアメリカ軍に責任転嫁されたことと考えられます。
愚民政策の下、資料批判の能力さえ摘み取られている可哀想な子どもの
使う教科書に、当然のようにヒロシマ原爆のことが載っているのは、
まさに「南京大虐殺」や「慰安婦」「強制連行」などと同様、特定の
思想による偏向なのではないでしょうか。
実例を挙げると、「きみはヒロシマを見たか 広島原爆資料館」日本放送
出版協会 P40より、広島原爆で亡くなった当時市立中学2年の福岡肇君の
部屋と称する写真があります。以下の記述を伴います:
http://www.bonotto.jp/army/img/army51KlA9.jpg 「教科書を除いて、この部屋はあの日の午前6時半過ぎ、肇君が出ていったまま
残されていた。教科書だけは、肇君がいつ帰ってきてもいいようにと、母親の
とみゑさん(76歳)が、昭和20年9月になって、2学期分を買い揃えたものだった。
しかし、肇君は二度とこの部屋に帰ってくることはなかった」
(「きみはヒロシマを見たか 広島原爆資料館」日本放送出版協会 P40)
こう説明にあるが、机の上に注目していただきくと、卓上蛍光灯が
置かれています。残念ながら昭和20年の8月に、卓上蛍光灯が一般家庭に
出回っているわけがありません。 説明には、「教科書以外はあの朝のまま」
とあります。なぜありもしない蛍光灯が置かれているのでしょうか?
このような捏造写真まで使って、実際にあったこともない原爆投下を、
広島の民衆は今も国民の血税を甘い汁として吸いたいがために、原爆の
悲惨さを訴えようとしています。
第五の根拠「原子爆弾の運搬が不可能であった」
当時のB-29の航続距離は限られていたため、アメリカはマリアナ諸島を
占領してからでないと、本格的に日本本土への空襲ができませんでした。
B-29航続距離と当時の飛行機、飛行の安全性から考えると、アメリカ本土
から2発の原子爆弾をテニアン島に運搬するのは不可能に近い、だから
といって海上運送をしようと思うと、当時日本の連合艦隊がほぼ壊滅した
とはいえ、日本の潜水艦はいまだ戦闘可能な状態として多数残っており、
あれだけの威力のある原子爆弾をアメリカの管理の水域に日本の潜水艦
の奇襲攻撃で破壊される危険を冒してまで、テニアン島へ運搬する
というのは、当時ほぼ対日戦争の勝利を手中にしたアメリカにとって、
犯す必要のないリスクといわざるを得ません。
それに、最初にアメリカに作られた原爆はたった3発しかなく、1発は
ニューメキシコの実験ですでに使われたため、残りはたった2発でした。
当時の戦況は沖縄も陥落して、全くといって良いほど抵抗する力を
失っていた日本に対して、貴重な2発の原発を殆ど一般市民しかいない
地方都市に対して投下するとは考えにくい。ましてはアメリカは高度な
新兵器である原爆を作るのに時間はかかるし、2発を全部日本に使って
しまえば、当時すでに関係があやふやになっているソ連と対立した場合、
直ちに対応できない危険があるのです。
第六の根拠「当時の科学者の反対」
原爆ができる前から、すでに沢山の科学者、そして一部のアメリカの
軍部の良識派は原爆の怖さを予知しており、実際ニューメキシコの
実験後、原爆の開発に貢献したアインシュタインや原爆の父と呼ばれた
オッペンハイマーですら、アメリカが戦場に、そして一般市民に対して、
この威力が計り知れない新兵器の使用について反対していました。何度も
言い返すが当時アメリカはすでに勝利を手にしているのと同様な状況にあり、
今後もソ連と対立した場合に、これらの科学者の力を必要としている以上、
使用しても大して戦況に影響を与えない原爆を使用してまで、多数の科学者
の意見に耳を貸さないとは到底考えられません。
【結論】
最後にまた同じ結論に辿りつきますが、結局、広島と長崎への原爆投下や
原爆被害というのはまさに 「南京大虐殺」や「慰安婦」、「強制連行」
などと同様に、現在それが実際に絶対にあったと証明できる物的証拠は
何一つないのです。それところか、否定できる証拠は数え切れません。
繰り返しになりますが、今広島、長崎の原爆投下に対するすべての
「証拠」や「証言」というのは、結局はアメリカがソ連や他の諸国に
アメリカの持っている「原爆の凄さ」を思い知らせ、戦後の世界情勢を
牛耳る意図と日本政府がなんとしても「日本はこのような酷い虐殺を
受けた被害国であり、アメリカをはじめとする同盟国も日本に負けない
くらいに一般市民の虐殺を行った。だから自存自衛の戦争をしたという
立場を確保し、将来の交渉を有利に進めたい」という意図、さらに実際は
単なる新型焼夷弾空爆を受けた広島、長崎の民衆が「国から甘い汁が
吸える」という意図が合致して、でっち上げられたものでした。
そして、実際戦後東京、大阪、神戸、名古屋など広島、長崎に下らない
空襲犠牲者を出しながらも、広島や長崎のように、戦後60年経った今も
なお、「被爆者手帳」などをかざして、医療などの面で数々の優遇を
受けられていないのです。 それを日本国民は60年間も騙され続け、
今でも払った税金の中で広島や長崎の「被爆者」が「甘い汁」をすい
続けているのです。そして、この原爆の「ウソ」のせいで、日本は
いまだに「抑止力としての原子爆弾、核爆弾」をくだらない非核三原則
で制限しているのです。
60年経って、すでに国際復帰を果たした今、日本政府はもはや当時原爆
捏造の目的を果たす必要はなくなったのですが、「原爆の被害国」、
「被爆三原則」により、日本を核兵器が持てない「弱い国」にすること
によって、アメリカからの膨大な軍事支援を受けて、シナや朝鮮、ロシア
からの侵略を低リスク、低コストで防ぐという新たの目的のため、また
アメリカ、日本政府、広島長崎の「被爆者」の意図するベクトルの方向が
一致して、これからも数十年、数百年とこの捏造を肯定し続けていく
でしょう。
歴史はすべて人間の作為によって作られたもので、真実の歴史、歴史の
事実などは存在しません。これは日本も、アメリカも、シナもチョンも
同じで、まさに世界共通、人類平等なのです。もうこれ以上他人に
作られた歴史に騙されるのをなしにしようじゃありませんか?
ついでに言うと、ナチスによるユダヤ人虐殺も列記とした捏造だったの
です:
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/whis/1124241749/