32 :
世界@名無史さん:
33 :
世界@名無史さん:03/09/20 22:58
第二次ポエニ戦争について記した一次資料(当時の人間によって書かれた文章)が読みたいです。
知ってたら出版社、訳者名をなるべくつけて教えてください。
>>32 はひ。
ワインに加えるグレープシロップを作るとき、鉛製の鍋から大量の鉛が
シロップに混入し、鉛シロップ入りワインを摂取することによって鉛中毒となりまつ。
ワインの消費量が劇的に増加する富裕階級ほど症状が重いです。
文献によく出てくる「痛風」「基地外」「子無し」は、肉食いすぎとか血筋とかの
原因ではなくて、ほとんどが鉛中毒が原因と言われてますな。
うんこ硬くてちんこ軟らかそう。
よく言われる鉛水道管は、決定的な要因ではない(というかむしろ大したことない)です。
水道管は水のカルシウム分でコーティングされるし、ローマ水道は溜めずに
常時流しっぱなしなので、含有量も少ないですわ。
35 :
第20軍団兵:03/09/22 22:39
>33
同時代人っていたっけ?後世のローマ史家、ギリシア人史家の記述をもとに
再構成するのだと思っているけど。
>34
ただし、骨から鉛が検出された例が1件しかない点と、
すでにウィトルウィウス(アウグストゥスと同時代人)が『建築論集』で
「...鉛は有害である、なぜなら鉛管工には」
として鉛の有害さと、それが水中に析出してくることが知られていたこと。
まろやかなワインを味わう機会が、裕福な人間でも日に1回あれば良いほうであった事。
(美食のルクッススも客なしで豪華な昼食を食べようと思ったとき、料理人はまったく準備をしていなかった)
皇帝が鉛中毒でおかしくなったという説はほぼ確実にデムパ。
いわゆる「暴君」の共通項は、
1."青二才"とされる年齢で元首の地位についた。
2.先代の元首は"騎士階級"の強い支持を受けていた。
(あるいは人気が高かった)
3.哲学者に嫌われていた。
*ただしカリグラは基地外です。
36 :
第20軍団兵:03/09/22 22:43
おっと結論が抜けていた。
私としては、鉛中毒にはきわめて慎重にならざるをえないと思います。
すくなくとも、『ポンペイの滅びた日』には賛同しかねますね。
パルテノン神殿が木造だったのは本当ですか?
また、現在の形になったのはいつ頃ですか?
38 :
世界@名無史さん:03/09/28 11:15
>35
> すでにウィトルウィウス(アウグストゥスと同時代人)が『建築論集』で
> 「...鉛は有害である、なぜなら鉛管工には」
意訳が過ぎないか? 彼が「毒と言われている」と一般的な見解として断定
的に述べているのは、鉛白、cerussaであって、鉛、plumbumそのものではな
い。
> それが水中に析出してくることが知られていたこと。
何巻何章何節に書いてあるのか?
そんなことはどこにも書いていないと思うが。
> まろやかなワインを味わう機会が、裕福な人間でも日に1回あれば良いほう
とあなたも書かれているようにワインをまろやかにするのは鉛の容器は
一般的に使われていた。毒だとわかっていれば誰も鉛の容器なんか使わんと
思うのだが。私見だが、たとえ毒だと認識していたにしても嫌煙権運動が
盛んになる現代でのタバコの害と同程度の認識だったと思う。
> 皇帝が鉛中毒でおかしくなったという説はほぼ確実にデムパ。
どうしてそう言い切れるんだ?
たとえば、ベートーベンの毛髪から正常値の100倍以上の鉛が検出された
という有名な話もある。ベートーベンの腸関係の患いはそれで合点がいく。
39 :
世界@名無史さん:03/10/01 01:50
1)帝政期ローマの統治機構(官僚組織)をご教示ください。
その中でとくに、当時の支配階級の若者の栄達順序が知りたいです。
2)ローマ時代(キリスト教以前)の人々の望ましい美徳(道徳)
とはいかなるものだったのでしょうか?キリスト教のそれ、日本人のそれ
との違いに大変興味があります。
教えて君ですみません。
40 :
第20軍団兵:03/10/01 04:28
>38
今のところ、ソースは「技術の歴史」第4巻p377およびp587を参照しています。(2時資料!!)
鉛管まわりのことは『建築書』5巻1あたりのようですね。『建築書』というタイトルで
東海大学出版会から出てますし、どうやらしっかり当たったほうが良いようですね。
水中に溶け出してくる事は「技術の歴史」p587のほうですが、
そこではウィトルウィウス、ガレノスを総合した結果、鉛毒について知られていた。
という風に結論しているようですね。
ワインと鉛の容器。こここそが議論の焦点になる所なのでしょうが(笑)、私としてはギリシア・
ローマ人の習慣に注目したいと思うのです。
彼らがワインを流通させるときはアンフォラを使います。そのままでは酸敗してしまうので、
できるだけ早く飲もうとするし。本気で長期保存を狙うときは埋めてしまいますよね。
(コルクは16世紀からだし。)
密閉できないという壁と、陶器、青銅器というライバルがある事、甘さがもてはやされる要素であったか?
という点が引っかかるのです。
皇帝の件は、暴君にほぼ共通した特徴があるからです。
青二才、騎士階級に人気がある、哲学者あるいは知識人を敵に回す。
また、ニュートンやベートーベン、ナポレオンの場合、本人の毛髪等が直接残っているのですが、
(資料を不活性ガスの中に封入して蒸し焼きにし、そうやって作った資料を分光器にかけるんでしたっけ?)
皇帝たちの場合それらが無いですよね。文献をもとに病名を決めるのは行き過ぎではないでしょうか?
疫痢の様にある日突然なくなってしまう病気もありますし、トゥキディアスが記したアテネの疫病の様に、
あれだけしっかり記録しても特定できない病気もありますし。
42 :
世界@名無史さん:03/10/01 08:46
>>37 パルテノン神殿は最初から大理石で建てられました。
オリュンピアのヘラ神殿など、アルカイック時代の古い神殿は最初木で建てられ、
その後石に替えられていきました。
43 :
世界@名無史さん:03/10/02 22:03
>40
ウィトルウィウスの「建築書」はネットでも原文もしくは英訳で読めますよ。
鉛管については8巻6章10節より。ガレノスの書は読んだことがないので詳しい
ことはわからないが、ローマ史上最高の博学者・大プリニウスは「博物誌」の
14巻136節で「デフルトゥムもしくはサーパを作るには青銅ではなく鉛の容器に
限る」という主旨のことを書いている。デフルトゥムとサーパは34が言っている
グレープシロップ、甘味料のことで、これを料理に使うわけだ。
大プリニウスをしてこんなことを書いているのだから、一般のローマ人が鉛が
毒であると認識していたとは到底思えない。だから、たとえ毒だと認識していた
としても、現代の「タバコのすいすぎには注意しましょう」、「タバコを吸い
過ぎると肺ガンで死ぬ可能性があります」くらいにしか考えていなかったと
思うのだが。
また、古くなったワインも鉛の容器で煮て甘みをつけていたことも知られて
いることで、陶器と青銅器と鉛の容器とでは用途が違う。
甘さについては、大プリニウスやアピキウスの料理書を読めばローマ人は甘
い物好きだと断定してもそう間違ってはいないと思う。イタリア人やフラン
ス人が甘党であるのに通じるものがあるのかもしれん。
ベートーベンの話を出したのは、鉛中毒患者でも作曲家として偉大な人物を
輩出することができること、すなわち、ある分野で秀でた才能を発揮するの
に邪魔にならず、鉛中毒のすべてが精神に著しい異常をきたすわけではない
例証を示したまで。現代人よりも鉛を摂取する機会が少なくなかったことを
考えれば鉛中毒でおかしくなった皇帝がいても不思議ではない。