1 :
世界@名無史さん:
決して脇役でもなく、辺境の蛮族でもなく、単なる軍事的要素でも
なかった、匈奴、鮮卑をはじめとする遊牧民たちにスポットを
あててみましょう。
2 :
世界@名無史さん:03/06/29 15:05
匈奴が最大勢力を誇ったのは、漢の時代。
初めのころは漢も匈奴帝国の属国扱いだったとか
3 :
世界@名無史さん:03/06/29 18:27
やはりスキタイ文化の東半分を担っていたのでしょうか。
4 :
世界@名無史さん:03/06/29 18:29
スキタイが好きたい
文章残してないから知らないよ
6 :
世界@名無史さん:03/06/29 21:19
そう遊牧民って文章残さないから、本当の姿ってわかりにくいんですよね。
7 :
世界@名無史さん:03/06/29 22:14
冒頓単于(ボクトツゼンウ)
完顔阿骨打(わんやんあぐだ)
愛新覚羅弩爾哈斉(アイシンギョロ・ヌルハチ)
秦と匈奴の関係はやっぱり秦>匈奴だったのかな?
五胡十六国で異民族王朝乱立マンセー
10 :
世界@名無史さん:03/06/30 00:30
冒頓単于VS韓信ならわかんなかった。
劉邦は卑劣な事が得意なんであって
軍事の才は
単于>>>>項羽>>>>超えられない壁>>>>>>>>劉邦
11 :
世界@名無史さん:03/06/30 00:31
>>8 オウセンやモウテンや白起が匈奴に遅れを取ると思うか?
12 :
世界@名無史さん:03/06/30 22:30
8>>匈奴が強くなったのは、やっぱり冒頓の時代からでしょう
13 :
世界@名無史さん:03/06/30 22:34
冒頓単于は鳴鏑の逸話もあるように統率力抜群て感じですよね。
14 :
世界@名無史さん:03/06/30 22:35
争って異民族に聴講したんだよね。
15 :
世界@名無史さん:03/06/30 22:39
秦より強いって事はないだろ。
趙の李牧にも惨敗しとるし。
16 :
世界@名無史さん:03/06/30 22:43
秦があれほど短命でなければ、匈奴も帝国を作るまでになれただろうか
秦や趙の対匈奴の戦果は誇張だと思う。向こうが逃げたのを
「撃滅」と記録したとか。
匈奴の騎兵を補足して壊滅させられるほどの機動力が秦や趙にあるとは思えない。
後の統一された漢の時代ですら苦戦しているわけだし。
18 :
世界@名無史さん:03/06/30 23:15
漢と匈奴、ペルシャとスキタイってい似てる部分もあるね。
ペルシャはギリシャとの戦いばかりが目立つけど、スキタイにかなり
苦戦している。
冒頓が匈奴をまとめたのと、秦の二世皇帝が即位したのが大体同じ頃だっけ
20 :
世界@名無史さん:03/06/30 23:26
大体同じころじゃないかな。
冒頓が単于になったのが始皇帝も死の直後だったと思う
21 :
世界@名無史さん:03/06/30 23:30
檀石槐ってどうよ?
22 :
◆uKVTjeIm9A :03/06/30 23:32
なんで清あたりの頃は、あんまり存在感がなかったのかね?
23 :
世界@名無史さん:03/06/30 23:40
センピが分裂の三国時代に華北を得れなかったのは何故?
曹魏が強かったから?
それとも部同士で争ってたから?
24 :
世界@名無史さん:03/06/30 23:42
一代の英雄って感じだな。
もし鮮卑がさらに力をつけていたら三国志の時代も変っていたのかな
冒頓が統一したから強かったんであって
秦のころはさほど強くない
既出だが
26 :
世界@名無史さん:03/07/01 00:23
ペルシャ的視点では匈奴=スキタイ、西域=ギリシャぐらいの認識で、
対スキタイ戦略が主眼にあって、交易相手のギリシャを攻撃したのも
スキタイ対策の延長にあった可能性がある。
まあ「歴史」を語るのがギリシャ人であってスキタイ人ではないので
なんとも断言は出来ないが。
27 :
世界@名無史さん:03/07/01 00:39
>>17 蒙テンや李牧は実際に功があったから昇進し、李牧にいたっては
君主が李牧の名声を恐れて濡れ衣まできせてまで処刑したのだが。
28 :
世界@名無史さん:03/07/01 00:41
>>23 曹氏の魏が強いんだと思う。
烏ガンが壊滅しているし、匈奴の一部にいたっては定住化政策まで
やっている。
魏武の強勢ここより始まる
30 :
世界@名無史さん:03/07/01 00:44
>>22 ロシアに押さえ込まれたとか。火器が兵器の主流になると、さすがに
騎馬軍団だけじゃどうしようもなくなるしね。
烏丸や匈奴は当時弱体化してたから
32 :
世界@名無史さん:03/07/01 00:51
ロシアはマスケット銃とコサックでシベリアー沿海州ーアラスカー中央アジア
を征服したからなぁ。
モンゴル系の国々も全部壊滅した。
支配層は貴族になったけどne.
というか、ロシア皇帝は東に対してはハーンの称号ももっているしなぁ。
清ももっているから
ある意味、遊牧帝国の後継国が2国あるともいえる。
33 :
世界@名無史さん:03/07/01 15:04
於扶羅
劉豹
劉淵
34 :
世界@名無史さん:03/07/01 21:08
匈奴や鮮卑は自分たちのこと・国をどう呼んでいたのかな
35 :
世界@名無史さん:03/07/01 21:18
大韓^^
禿髪烏孤
乞伏国仁
赫連勃勃
沮渠蒙遜
37 :
世界@名無史さん:03/07/07 20:56
>33-36
しかしこうして並ぶと字面だけで圧巻だね。
原語の発音でなんという名前だったのかは・・・もはや推測するしかないんでしょうな。
38 :
世界@名無史さん:03/07/07 21:07
言語の発音
だいかん
39 :
世界@名無史さん:03/07/10 21:59
天>テングリコト?
40 :
■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■ の1:03/07/13 16:02
土木の変の
エセン・ハーンはどうよ?
あとガルダン
41 :
世界@名無史さん:03/07/13 18:30
夏王朝の始祖も、甘粛関の西から中原に入ってきた羊飼の猟民だから、
もともと、チャイニーズは遊牧民だな。
42 :
世界@名無史さん:03/07/13 19:03
遊牧民の子孫っているのかな?
モンゴルとウイグルくらいしか思い付かないけれど。
鮮卑とかタングートとかはやはり漢族に同化したのか。
おはつです〜^^
はじめて来ました
ぼくのとこもよろしく
HP初心者ですが^^;
掲示板誰もカキ子してくれないくて寂しかったんです(汗
てか・・また来るかも・・そのときはよろしく^^
44 :
世界@名無史さん:03/07/14 02:13
よろしく〜。こちらにもカキコしてって下さい。
45 :
世界@名無史さん:03/07/14 02:38
>>42 漢人が、周より前の時代には、遊牧民だったということ。
46 :
世界@名無史さん:03/07/14 10:09
夏は長江文明の良渚文化の移民、商(殷)は狩猟民のテキ(ツングース系?)
周はチベット系遊牧民のキョウ。
47 :
世界@名無史さん:03/07/14 10:49
「タングート=羌」ですよね?
明代以降の西夏遺民の消息がよくわかりません。
48 :
世界@名無史さん:03/07/14 11:57
羌(チャン)族が青海省に現存しますね。
現存する言語の中では羌語が西夏語に最も近いとのこと。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
50 :
世界@名無史さん:03/07/15 22:03
アゲ
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
52 :
世界@名無史さん:03/08/04 07:20
age
53 :
世界@名無史さん:03/08/15 01:09
チベット系も忘れられがちですが
中原を脅かしてきた遊牧民ですな。
吐蕃のころが最盛期だったなあ・・・
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
55 :
世界@名無史さん:03/09/12 07:43
age
56 :
世界@名無史さん:03/09/12 20:25
モンゴルの領土にならなかったのは
辺境や田舎だけだな
57 :
世界@名無史さん:03/09/12 20:27
亀レスですが・・・
>>47 タングート(党項)は鮮卑族拓跋部の末裔とも言われています。
58 :
世界@名無史さん:03/09/12 21:32
こないだ現代中国の紳士録見てたら
「拓跋」姓が今もいるのね・・ビクーリ
末裔かは分からないけれど。
59 :
世界@名無史さん:03/09/12 21:44
>36
禿髪=拓跋 Tabgatch
乞伏 Kivugh
赫連勃勃 Ghoren Borbor
沮渠蒙遜 Tsugu Mengsun
なんていう推定があるよ。こうすると俄然北方民族っぽくなる。
60 :
世界@名無史さん:03/09/12 21:45
>47
>「タングート=羌」ですよね?
「羌」という民族は長い歴史があって、その概念も時代ごとに
変化しているが、まあ「10世紀頃のタングート」と「現在の羌」が
近縁の民族であるのは間違いない。
「タングート=羌系民族の一派」とした方が誤解が少ないだろうね。
61 :
世界@名無史さん:03/09/12 21:45
>47
> 明代以降の西夏遺民の消息がよくわかりません。
チベット人は「タングート」を「ミニャク」と呼んでいて、現・四川省西部
(チベットで言うところの「カム」)にその末裔がたくさんいる。「ミニヤ
コンガ」なんていう山は「タングートの白い峰」という意味だ。
現在は「チベット人(蔵族)」に区分されていて「チベット語」も話すけど、
その他に「ギャロン(ヂャロン)語」「アールゴン語」なんかの羌系
言語も話す。
西夏滅亡後、ここに流れたタングートもかなりいるらしいよ。実は
「西夏のタングート」もこの辺が原郷で、「王国滅亡後故地に戻った
だけ」という説もある。
62 :
世界@名無史さん:03/09/12 21:46
それから西夏貴族の中にはチベット各地に流れ着いて豪族として
活躍した連中もいる。もう完全にチベット化したけど、それでも
「先祖はミニャク」と名乗っていた。
シッキムの王家も「ミニャク」だったよ。はるばる西夏から流れた
のか東チベットから来たのかはよく知らないけど。
ただ西夏滅亡後、現地に残ったタングートの多くは周辺民族に
同化してしまったんだろうね。
63 :
世界@名無史さん:03/09/12 21:47
>57
> タングート(党項)は鮮卑族拓跋部の末裔とも言われています。
西夏王家の祖先は鮮卑拓跋部を名乗っていたから、王家は鮮卑
出身だった可能性もある。が、箔をつけつため拓跋姓を名乗ったと
いう説もあるよ。
ただ領民は羌系民族が多かったんじゃない?(だいぶいろんな
民族が混血していたろうが)。鮮卑語がわからないから、西夏語に
鮮卑の要素がどれほどあるか不明だけど、今のところは羌系言語
との共通性が多く指摘されているよ。
64 :
世界@名無史さん:03/09/12 22:09
>59
ちなみに
頭曼 Deuman
冒頓 Baghdur
という推定があって、この辺から匈奴は
原トルコ・モンゴル系か?という説がある。
65 :
世界@名無史さん:03/09/12 22:19
両者に文化する以前の集団ってことでしょうか?
66 :
世界@名無史さん:03/09/12 22:28
匈奴時代にトルコ系言語とモンゴル系言語が
どういう関係にあったのか(また確立していたのか)
わからない。
ただDeumanもBaghdurも両言語に共通する
単語らしいよ。
Baghdurは延々受け継がれて、現モンゴル語の
「バートル」、それからムガル帝国最後の
皇帝の名「バハドゥル・シャー2世」まで
続いてるのを見ると感慨深いね。
レスどうもです。
はるか匈奴の冒頓からムガール末代皇帝まで連綿と・・・目から鱗っすウオオオー
> タングート(党項)は鮮卑族拓跋部の末裔とも言われています。
鮮卑直系というより吐谷渾の拓跋部経由かもしんない。
69 :
世界@名無史さん:03/09/25 00:48
吐谷渾の遺跡ってないのかな?
70 :
世界@名無史さん:03/09/25 00:59
チベットは「遊牧民」じゃないぞ。
一家で手分けして農業と羊飼いをやってる連中が圧倒的大多数。
羊飼いオンリーは少数派。
73 :
世界@名無史さん:03/09/25 16:09
>>72 司馬遼太郎の短編に、匈奴マニアと飲み屋で酒をのむというストーリーがあって
遊牧民好きの性格のタイプを分析するというか、遊牧民に憧れる情念を描いたようなのがあった。
おもしろかったよ。
>>73 できればその短編の題名を知りたいです。
司馬遼太郎の短編を全部ひっくり返して調べるのは疲れそうで…
えーと、なんか文庫にあった。「敦煌」に入ってたような気がするが…
内容はタイトルからすぐわかるよ。検索でなんとかなんないかな?
「ペルシャの幻術師」という短編集に「戈壁の匈奴」という作品が収録されてるらしいのでそれかも。
>>77 「読んだ人の感想」みたら、73で漏れがいってるのとは明らかに内容がちがうようでつ。
79 :
世界@名無史さん:03/10/06 17:15
ツングース系で最古の記録といわれる「東胡」については
あまり分かっていないのでしょうか?
>>79 冒頓単于が匈奴帝国を出現させるまでは、東の「東胡」と西の「月氏」が2大勢力。
古くは「屠何」とか「無終」という種族(または都市名?)が南満州方面にみえ、これが東胡の前身とする説もある。
のちに匈奴に服属してからは「烏丸(=烏桓)」とよばれる。
(東胡はのちに烏丸と鮮卑にわかれたことになっているが、鮮卑の起源についてはやや疑問視する説がある)
ちなみに「東胡」がツングースだというのはめちゃくちゃ古い大昔の説で、
今ではモンゴル系と考えられているかと。
81 :
世界@名無史さん:03/10/07 16:51
耳β 彳聿 β可 イ呆 木幾
82 :
世界@名無史さん:03/10/08 09:56
中国の秦とか漢とかあるでしょ?古い順からおしえてほしいんだけど・・・?
83 :
世界@名無史さん:03/10/08 15:53
屠何ってなんとなく匈奴の中核氏族、屠各氏に通じてるっぽい名前だな。
>>82 1)有巣氏>烈山氏(神農)>有熊氏(軒轅)>金天氏>高陽氏(センギョク)
>高辛氏>陶唐氏>有虞氏>夏后氏(=夏)>商(=殷)>周(姫姓)>秦(贏姓)>漢(劉氏)
2)漢>魏(曹氏)>晋(司馬氏)>宋(劉氏)>斉>梁(蕭氏)>陳
3)晋>漢>前趙(劉氏)>後趙(石氏)>燕>前秦>魏(拓跋氏)>北周(宇文氏)
>隋>唐>後梁(朱氏)>後唐>後晋(石氏)>後漢>後周(郭氏)>宋(趙氏)
4)唐>遼>金>元>清>民国>人民共和国
85 :
世界@名無史さん:03/10/16 13:10
エドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』を読んだんだけど、
遊牧民に対する偏見が強くて、そのあたりの記述はちょっとひいてしまった。
(ギボンは18世紀のヨーロッパに生きた人だから、所詮限界があるってことは
わかってるんだけどね)
86 :
世界@名無史さん:03/10/16 13:20
>>84 五胡十六国のところがやたらに詳しいわりに、
なんで五代十国や明が抜けてんの?
87 :
世界@名無史さん:03/10/16 13:30
88 :
世界@名無史さん:03/10/17 03:05
>>86-87 北宋と南宋はひとつにまとめて「宋(趙氏)」としてある。
隋と五代もちゃんとあるよ。
ぬけてるのは十国と明。でも十国はいらんだろ?
89 :
世界@名無史さん:03/11/08 16:16
乾燥した気候が多い華北だと、
牧畜を営む漢民族の中から
気候風土上の制約などから遊牧生活に生業を変えた人々が現れた、なんてことは
聞いたことがないが、あったのだろうか?
90 :
世界@名無史さん:03/11/08 16:50
キルギスは白人だった
91 :
世界@名無史さん:03/11/08 19:09
>>89 華北の場合、小麦の栽培が盛んだからねえ・・・
92 :
世界@名無史さん:03/11/10 13:31
中央アジアのトルコ系遊牧民。「クルグズ」とも。
元来はインド=ヨーロッパ系の白色人種だったと考えられるが、
その後トルコ系諸民族との接触が長く続いたため、
形質的にも言語・文化的にもトルコ (テュルク) 化。
紀元前 (前漢代)
イェニセイ川上流地方に遊牧し、「堅昆 (けんこん) 」「鬲昆 (かくこん) 」
と記録される。
93 :
世界@名無史さん:03/11/10 13:33
8世紀初め
この頃 (唐代) には「黠戛斯 (かつかつし) 」「コツ(糸へん+乞)キツ(手へん+乞)斯 (こつきつし) 」と書かれる。
また、「金髪で白い肌、青い瞳」と書かれていることから、少なくともこの頃までは白色人種な形質を保っていたと考えられる。
8世紀後半〜9世紀前半
東突厥が滅びると、それに代わってウイグル帝国の支配を受ける。
840 ウイグル帝国を攻撃
ウイグルの都カラ・バルカスンを攻略、そのカガンを殺し、ウイグル帝国を崩壊させ、全部落を南方に追い散らした。
13世紀初め
モンゴルのチンギス・ハーンから攻撃され、本格的な民族移動が始まる。
追い散らされた部族 → 南西方面へ
イェニセイ上流に残留した部族 → 「ハカス人 (アバカン・タタール) 」と呼ばれるようになる。
94 :
世界@名無史さん:03/11/29 08:20
なんだかよくわかんないけど、
ののたんここに置いていきますね
∋oノハヽo∈
(´D` ) <アーイ、ののれす
O^ソ⌒とヽ
(_(_ノ、_ソ
尉遅敬徳
彼は名は恭(敬徳はアザナ)朔州(山西省)の人で劉武周の部下から
唐の太宗に降り、群雄の平定や玄武門の変に功績を顕わし、高句麗の
征討にも参加しています。
最近では隋唐演義で名前を知ったという人も多いと思いますが、支那
民衆にとっては正月の門神としてやはり隋唐演義に出る秦叔宝と一対
の姿が親しまれています。
ところで尉遅という姓は于テン(フォントなし門がまえ+眞、ホータ
ン)の王族のものです。Visyaの音訳と解されています。その語源を
遡るとアーリヤ系言語のvicの形に基づくらしい、勝利を意味するもの
のようです。ホータン系の尉遅という人物はたしか井上靖の「敦煌」
にも出てきます。但し北魏の被支配部族の中に尉遅部というのがあり
尉遅敬徳はそこの出身である可能性が高いと考えられます。
byあやめ
モンゴル高原-華北平原は絶えず遊牧民がいきかったことから
歴史的に共通性が多いらしい
北京のあたりも元々は遊牧民の地
柔然/蠕蠕って存在感ないね〜。
99 :
世界@名無史さん:03/12/29 03:36
なんでサゲてんの?
100 :
世界@名無史さん:03/12/29 07:44
数年ぶりの1000getか。
誤爆スマヌ。
中央アジアの白人系はローマ帝国の末裔と聞いたが・・・・?
103 :
世界@名無史さん:03/12/29 18:12
バクトリアのこと逝ってんのかな?
102のネタはともかくとして
バクトリアはギリシャ系だろ。
樓蘭や亀茲に住んでたコーカソイドが気になる。
やつら何者?
105 :
世界@名無史さん:04/01/25 01:28
>104
トカラ語話者だろうか? いまだ謎・・・
106 :
☆キキ+キ゚Д゚ ◆qpmo.OOqAo :04/01/25 01:45
哲板最強のカリスマ・☆キキ+キ゚Д゚♪が満を持して再登場!
物事に表面上の美しさを求めるな、
深く掘り下げれば真実が見えてくる、、、
そんな☆キキ+キ゚Д゚♪の哲学HPはココ↓
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/8862/ 僕の哲学は、学問ではない。
人間が生きていく中、背負うべき道徳なのだ。(HPより抜粋)
孤独を越え、闇から光を見出した☆キキ+キ゚Д゚♪だからこそ言える!
もう何も迷う事は無い、、、
☆キキ+キ゚Д゚♪に触れ、明日への一歩を踏み出すのだ!
杉山正明が喜びそうなスレだな。
>8とそのレスポンスに関する話なんだが、
そもそも秦という国は、
純粋な農耕民からなる国家だったのか?
中原諸国からは蛮夷扱いされてたところを見ると、
後の金や元の先がけ、
匈奴にとっては先輩格だったんじゃないのか、とすら思えるんだが。
やつらこそ西戎に他ならないというか。
まあ、商オウ以降の秦は法家思想に則った中原風国家だったとは思うが、
他の諸国に比べて素朴で武断的な面が強いという特徴がある。
>>107 秦の建国伝説には、牧畜(馬)に長けていたと言うことで周王に認められた、
という一節があります。
要するに、
>そもそも秦という国は、
>純粋な農耕民からなる国家だったのか?
の答えは「No」。
109 :
世界@名無史さん:04/03/08 10:51
>>102 ギリシア人のバクトリア王国はアレクサンドロスの東方遠征で誕生した国で、
バクトリア語を話したのは、バクトリア王国を滅ぼしてバクトリア地方に入植したクシャーン族などの遊牧騎馬勢力。
出土したカニシュカ王の碑文とか最近発見された書簡文書でクシャーン族が言語的に東イラン語派に属してたことが分かってるそうな。
バクトリア語はイラン語としては唯一ギリシア文字系の文字を使っていたのも特徴だとか。
110 :
世界@名無史さん:04/04/18 10:34
トカラ語派の集団はもとから新疆で発祥したのでしょうか?
あるいはやはり西方から移住してきたのでしょうか。
111 :
世界@名無史さん:04/05/17 21:23
あとから来ました
>>107-108 秦は西戎ではなくて北狄。
1)秦は建国当初から伝統的に周囲の「○戎」系の諸民族と対立関係
2)秦に対する侮蔑語は「秦戎」とでもいえばよさそうなのに実際には「秦狄」
3)秦と関係ありといわれる匈奴がそもそも西戎ではなくて北狄。
古代の華北には広大な原生林が広がっていたらしい。
それが開墾と鉄器の普及による乱伐でどんどん失われていき
秦漢時代にはほとんど消滅してしまったそうな。
この森林破壊のスピードと北方遊牧民の脅威の度合いが妙に比例するように思うのはど素人丸出しかな。
春秋から戦国前期あたりまでは北方遊牧民が中華世界を脅かす大勢力という感じはあまり受けないが
秦代にはもう匈奴の圧迫が重圧となってのしかかっている。
「森が消えて田畑や草原に変わり、騎馬軍団がスイスイ侵入して来れるようになった」という
厨房チックな考えがどうも浮かんでしまうんだけど、そういう研究はないのかな。
教えてエロい人
114 :
世界@名無史さん:04/05/24 19:35
「人方」「鬼方」も遊牧民ですかね?
115 :
世界@名無史さん:04/05/24 21:32
耶律休哥萌え
116 :
世界@名無史さん:04/05/25 03:51
>>112 > 秦は西戎ではなくて北狄。
とはいえ、原住地は西や北の地方ではないらしい。
西周代嬴姓諸侯(徐・黄・穀など)の国は、淮水〜漢水付近に集中している。
秦の部族(嬴姓)も原住地はこの辺だろうと推測されている。
さらに元をたどると山東の東夷か?という説もある。
秦の始祖伝説は「顓頊高陽氏の孫・女脩が玄鳥(燕)の卵を飲んで産んだのが
始祖・大業」てな話で、商の始祖・契の卵生説話に近い。
他にも秦には鳥にまつわる伝説が多く、東夷系の伝説と共通している。
117 :
世界@名無史さん:04/05/25 03:53
どういう経緯か知らないが、西周・孝王の代には渭水上流・犬丘(現甘粛省)にいて、
そこで西戎とはずいぶんケンカした。周東遷後陜西に移ってからが諸侯としての秦。
西戎=羌とのケンカは続き、戦国期にようやく羌を陜西から甘粛・青海に追っ払った。
あまりはっきりはしないが、甘粛に来る途中、山西・汾水流域にいた形跡もある。
嬴姓諸族は汾水の神・臺駘(東夷系の神・少昊の孫とされる)の祭祀を持っていた。
山西にいるときに分かれたのが、趙の始祖・造父(西周・穆王の代)。
北狄とは山西にいるときに深い交流があったんでしょう。
118 :
世界@名無史さん:04/05/25 03:55
>>114 「鬼方」は北方に住む民族で狩猟牧畜民の可能性は高いでしょう。
「人方」は山東〜江蘇あたり沿岸部に住む民族で、牧畜民とみるのは
ちょっと無理があるんでないかい。
119 :
世界@名無史さん:04/05/25 03:55
>>113 スキタイやアヴァールはポーランド南部まで侵入してたよ。
森はあんまり関係無いっぽい。
120 :
世界@名無史さん:04/05/25 09:48
たとえば講談社学術文庫の「魏晋南北朝」では、冒頭で中国の北部を
「見通しのよい平原が広がるオープンランド」とし、南部を「森林が
多くて動きにくいフォレストランド」としている。
当然、騎馬民族はオープンランドの方が動きやすい。実際、モンゴル人
が南宋を滅ぼすまで、純然たる異民族王朝が大陸を統一することは
できなかった。
121 :
世界@名無史さん:04/05/25 10:47
キチガイ遊牧民は逝ってよし
中華思想を漢民族が持ったのはこんなキチガイを相手にしていたからだ。
122 :
世界@名無史さん:04/05/25 12:16
確かに、それは言える。中国もロシアもイスラムも、遊牧民の破壊が
文明人をおかしくしてきた歴史だ。日本と西欧が近代化に成功したのは、
遊牧民に文明を破壊されることなく、定住する文明人が営々と文化を
蓄積できたという面が大きい。
123 :
世界@名無史さん:04/05/25 12:23
全くその通りです。
なーんじゃそら、よそのせいにばっかすんな
コヴぁやヴァカウヨの屁理屈に通じるものがあるぞ
125 :
世界@名無史さん:04/05/25 12:55
>>120 その点はヨーロッパも似たような地相、モンゴルがポーランドから先には
一気に突進できなかたのは、森林や山脈に阻まれ、騎兵の運用に難があったため。
ウルス内部の事情もあって引き返したとばかりも言えないものがある。
126 :
世界@名無史さん:04/05/25 13:33
日本の「エミシ」「就馬党」も広い意味では遊牧民?
127 :
世界@名無史さん:04/05/25 13:34
アイヌも馬を持っていた時代があったのでしょうか?
遊牧民になれなかったようですが。
ウイルタはトナカイ遊牧民ですが。
北アジア狩猟民と遊牧民は別の括りでは?
女真がその間くらい?
130 :
世界@名無史さん:04/05/25 22:31
131 :
世界@名無史さん:04/05/25 23:39
アイヌは和人か元人に接触するまで
馬そのものを知らなかったはず。
132 :
世界@名無史さん:04/05/25 23:59
>>130 フン族はヨーロッパでは歩兵中心で戦ってたって何かで読んだ。
やっぱり馬群を維持できないらしい。
133 :
世界@名無史さん:04/05/26 00:18
>>128 満州も森林地帯。華北が砂漠になっても、ここは残ると言われている。
遊牧民が入りにくい、狩猟民の世界。
134 :
世界@名無史さん:04/05/26 23:53
そうすると満州を拠点にした女真族って遊牧民なの?
狩猟民なの?
135 :
世界@名無史さん:04/05/27 00:27
牧畜+農耕+狩猟+漁撈を組み合わせていたというところかな。
定住牧畜民をも平気で「遊牧民」なんていう奴もいるからなあ
「遊牧民」という言葉になんか変なロマンみたいなものを
求めていないか?
女真は狩猟民である生女真と、農耕もしてた熟女真とがある。
生女真も熟女真もブタなら飼ってたから、遊牧ではないが
牧畜は副業としてやってたことにはなる。
138 :
世界@名無史さん:04/05/27 03:30
生女は狩って狩られて、熟女は濃厚なサービスでそれぞれ生計を立てていたと。
生女も熟女もブタオヤジなら飼ってたから、遊女ではないが
140 :
世界@名無史さん:04/05/29 02:15
遊牧民はあまり森林地帯を征服したいとは欲しなかったのでしょうか。
狩猟や木材調達の場としては必要だったろうけど、優先順位としては農耕地より後回しだった感も。
141 :
世界@名無史さん:04/05/29 19:00
支配を維持するのも難しいしね。
森林地帯を領土として重要視するのは開墾できる農地として、あるいは交易ルートとして
欠かせないと見なしたときくらいかもね。
女真族、蒙古(+契丹)族、漢民族ってのは、ある種の三国志?
契丹→女真→蒙古→漢→女真→漢
143 :
世界@名無史さん:04/06/01 17:18
つまり、古代華北の森林は天然の万里の長城であったにも関わらず
文明の発達のおかげで漢族は自らそれを破壊してしまい、
わざわざ人力で造り直すはめになった。
ということでFAなんでしょうか、エロい皆さん。
144 :
世界@名無史さん:04/06/01 23:56
>>142 それは言えてると思う。中国大陸の政治史は、中国人・モンゴル人・満州人
の争い。
これは、中近東でのアラブ人・イラン人・トルコ人に似ていると言えなくもない。
イスラム世界の中心はアラブ人なのだが、政治的にはイラン人・トルコ人の
力が強く、常に波乱要因になったり、支配者になったりする。
違いと言えば、中国人(漢民族)の人口が極端に多いこと(w
145 :
世界@名無史さん:04/06/02 00:02
女真だけはよくわからない。
農耕なのか?
遊牧なのか?
146 :
世界@名無史さん:04/06/02 00:05
>>145 >135のミックスと思われ。部族により組み合わせの比率はまちまちですが。
147 :
世界@名無史さん:04/06/02 04:27
>>140に関連したことなんだが、中国近辺の遊牧民族は北の狩猟民と毛皮の取引などはしなかったのだろうか?
>>147 いやしてるだろ。
中国に入ってきた毛皮の殆どはそのコースだと思うよ
>>140 >>147 当然しただろうけど、それよりも食い物(穀物・野菜)の方が重要。
だから交易にしても略奪にしても南に向かうことが多いのは当たり前。
150 :
世界@名無史さん:04/06/04 01:57
クロテンは古くから代表格だわな。
あと漢方薬としてクマの内臓やシカの角も需用が高かったようで。
151 :
世界@名無史さん:04/06/07 00:47
オットセイのアレやトナカイの角といい、北方特産の漢方薬は
なぜかどれも滋養強壮&強精回春用が多いのは気のせいかハァハァ
152 :
世界@名無史さん:04/06/07 00:51
農耕民族→漢民族
狩猟民族→女真族
遊牧民族→蒙古族
宋代以降の中国史はこの三つ巴だね。
153 :
世界@名無史さん:04/06/17 23:11
>>127 樺太アイヌがトナカイを飼育していたね。
間宮林蔵が絵入りで紹介している。見慣れた北海道アイヌといろいろ異なるから珍しかったのかも。
154 :
世界@名無史さん:04/06/19 01:12
分かってやってるんだとは思うけど、女真族は狩猟農耕民ぞな。
155 :
世界@名無史さん:04/06/27 18:00
まだ登場していないので振ってみるとしよう。
チベット高原のヤク遊牧民は未出だよね。
一時は五胡十六国の一角に食い込んだり、唐代に長安を奪ったりと元気だったんだがなあ・・・
156 :
世界@名無史さん:04/06/28 10:57
>>155 >チベット高原のヤク遊牧民は未出だよね。
>一時は五胡十六国の一角に食い込んだり、
「五胡」の中の氐族とは違うの?
>>153 それはアイヌじゃないぞ。
サガリンに渡った満州化してないツングースの一族。
トゥルファン文書についてお詳しいかたいませんかねー?
ぜひとも教えていただきたいんですが…
159 :
世界@名無史さん:04/07/03 15:20
160 :
世界@名無史さん:04/07/05 20:21
>>156 >>159 氐族であれば、
>>155が言うように、
>一時は五胡十六国の一角に食い込んだり、
なんてもんじゃないですよ。
一時期華北を統一した前秦の符堅は氐族です。
漢人宰相・王猛ら群臣の反対を押し切って東晋に攻め込み、大敗して滅亡したけどね。
161 :
世界@名無史さん:04/07/05 20:25
漢代以前の羌はチベット系だって話だけど、「チベット系」の定義は何?
羊+人で羊を飼ってる牧畜民族かなと思ったが、漢人でも羊は飼ってたよね。
言語が違うってことかもしれないが、吐蕃以前にも羌語と漢語の区別ははっきりと存在したのかな。
ちなみに姜姓は羌だと言うけど、斉の王家も「チベット系」ってことか?
姜姓は姫姓の周王家との姻族関係を歴代結んでいたし、周も羌の同族みたいなものか。
とすれば漢人も羌人ももとはたいして違いがないと言うこと?
殷はツングース系だとか。時代は下って唐の王室もタクバツ系の血統だとか。
なのに何で漢民族は周辺民族を夷狄視したがるのかな?
「中華思想」とかいう言葉で判断停止しないでつっこんで考えてみる必要あるかもね。
↑中華思想ってのは都会人による田舎っぺ差別であって、
本質的には民族差別ではなかった。
>>163 その点では、大和朝廷による東漸策放棄後の
日本における都鄙関係と似ているかもしれない。
165 :
世界@名無史さん:04/07/07 20:57
>>162 >なのに何で漢民族は周辺民族を夷狄視したがるのかな?
そりゃあ、何度も苦しめられてるからでしょ?
侵略目的の場合や、ただの略奪目的だけの場合でも頻繁に侵入されてるから。
166 :
世界@名無史さん:04/07/08 00:56
前にもあったと思いますが、漢民族が遊牧民族を夷狄視だと言う考えるのは当然かも知れません。
なぜなら、遊牧民族が文化的水準が低かったという点と、中国国境での略奪、侵略があったという点です。
とくに、周辺に強大な農耕を主とした王朝が存在しなかったからではないでしょうか。
言葉は悪いですが「お山の大将」だったのです。
話はずれますが、遊牧民族は強いですから、飴玉をやって我慢してもらっていたのです。
もちろんそうでもしないと大打撃を受けますから。それで、漢民族の一種思い込みともいえるものが形成されていったのでしょう。
現に、清帝国の時、アヘン戦争があったとき、イギリスを夷狄視しているのです。
あの強国にここでも飴玉を何回かやっているのです。最終的に思い込みだと気づいてしまうのですが。
>>164 京人が坂東武士を指して言った「荒夷(あらえびす)」
なんつー表現は、まさしくそれを地で行く感じだよなぁ。
168 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 10:18
>>166 イギリスを夷狄視した清自身が漢民族出身ではなかったというのも皮肉ですね。
清自身が漢民族の価値観に取り込まれてしまったのか。
まあ、イギリスの国力がどのようなものか、
その情報が中原のど真ん中にすら無かった
状況ではいたしかたないとも言えるけど。
169 :
世界@名無史さん:04/07/12 04:16
>>168 それもそうですよね。モンゴル民族(元)の例外を除けば、
知っている限り中国に侵入し征服王朝を立てている民族は悉く漢化していますよね。
それだけ漢民族の文化が魅力的だったのかも知れませんね。
↑「漢民族の文化」ではなくて「中華文明」なのでは。
171 :
世界@名無史さん:04/07/12 07:38
>>170 全くそのとおり「中華文明」の方が適切ですね。
172 :
世界@名無史さん:04/07/24 14:29
【英国】チンギス・ハンのご子孫はお食事無料です
http://news13.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1089203704/ 英ロンドンにあるモンゴル料理店「シシ」が3日、来店客に無料でDNA鑑定を施し、
モンゴル帝国の始祖、チンギス・ハン(位1206ー27年)の子孫と判明した客には
食事を無料提供する試みを開始した。
父親から息子に受け継がれるY染色体を検査するため、鑑定を受けられるのは男性に限られる。
鑑定は9日まで実施し、結果は2カ月後に出る予定。
チンギス・ハンは12世紀から13世紀にかけて、アジアを征服し、現在の東ヨーロッパにまで
及ぶ帝国を形成。その際、各地に、多数の子を残したとされる。
AP通信によると、料理店と共同してDNA鑑定を実施するオクスフォード・アンセスターズ社は、
中央アジアなどで計「1700万人」の男性が、チンギス・ハンの遺伝子を受け継いでいる
可能性を指摘している。
「シシ」によると、今回の企画は、モンゴルで再び姓を名乗ることができるようになったことを
たたえるのが目的。
モンゴルでは、過去70年間、国民の団結などを理由に、姓を名乗ることが禁止されていた。
しかし1990年代に政府がこの政策を撤回し、国民に名字の登録を呼び掛けている。
先月末までに国民の半分以上が、チンギス・ハンの家系が名乗っていた名字を登録したという。
2004.07.07 Web posted at: 20:42 JST - CNN/AP
http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200407070029.html
173 :
世界@名無史さん:04/07/24 23:49
ところでそこのエロい人。
翡翠と秋葉どちらが好きだ?漏れは翡翠なのだが・・・隣人は秋派で困った。
そういえば蒙古八旗は雍正の頃には蒙古語が話せなくなっていたらしい。満洲八旗より酷い。
それらの結果、翻訳科挙が実施される事になった訳だが試験の項目に弓と剣である。(当然辛亥革命まで)
そんな蒙古八旗は革命後独立する外蒙古や、西蔵とも戦ったらしいがその戦いっぷりを教えてもらいたシ。
その情報元は「最後の公爵」です田。
中国の歴史は繰り返されていると仮定すると
統一帝国→混乱→南北分断とする
・秦漢帝国→三国〜五胡→南北朝
は、わかりやすい
・隋唐帝国→五代十国→遼/金と北宋/南宋
北方と漢族国家による中国分断ね
・元帝国→元末の混乱→タタール/オイラートと明帝国
これも上記同様
・清帝国→軍閥支配/日中戦争→中共とモンゴル国
といった流れで…
南北分断期の「北側」は
華北全域→燕雲十六州等→長城より北→漠北
だんだん南側が大きくなっている
175 :
世界@名無史さん:04/08/11 02:46
ってことは今の共産中国亡き後の中国大陸は・・・
176 :
世界@名無史さん:04/08/11 20:35
モンゴル最古の文学って元朝秘史?
177 :
世界@名無史さん:04/08/11 20:41
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>>176 文学といえるかどうかわからんけど、
碑文にもうちょっと早いのがあるはず。
中共は北京に拠しているから、北の政権では?
今を分裂とするなら、台湾が南の政権かと。
180 :
世界@名無史さん:04/08/14 01:33
元史には芸文志が無いよな・・・
文学はそれなりに盛んだったような感じだけど。
中国の歴史を遊牧民と農耕民の対抗の歴史とみるのは一面の真理だが、
今さら遊牧民によるポスト中共の分裂王朝など考えられないポ。
182 :
世界@名無史さん:04/08/26 23:33
元朝秘史は完全に漢民族のつけた題ですよ。正式には題名がないんです。
ちなみにモンゴル秘史には元朝に関してほとんど書いていなかった。
モンゴル秘史にすべき。
原題はあるよ。「ジンギスカンの隠された物語」
そもそも漢訳される前から書物だったんだから。
184 :
世界@名無史さん:04/08/28 23:12
ないと思うよ。モンゴルの書物には題が書かれていないんですよ。
そうゆう文化でなかったというか。その原題も最初の1文からとったものでは?
185 :
打通さん:04/10/03 19:36:03
186 :
世界@名無史さん:04/10/24 17:24:15
チベットも長安を乗っ取った吐蕃の頃は凄い勢いだったのになあ・・・
>>188 でもジュンガルのガルダンは元ラマ教の坊さんだけど
中央アジアからモンゴルにまたがる大帝国作ったしなー。
190 :
世界@名無史さん:04/10/30 03:02:09
北京はモンゴル帝国の都だった
匈奴=スキタイというのはほんとですか?
ヘロドトスの描写したスキタイの風習と、司馬遷の描写した匈奴の
風習がほとんど同じだそうで。
>>191 匈奴はスキタイではありません。そういう説もないです。
遊牧民の風習が似てるのは匈奴とスキタイに限りません。
193 :
世界@名無史さん:04/11/30 21:56:45
春秋時代ごろまでは中原にも遊牧民がいたようですが、
都市国家の間を交易もしながら行き来してたのでしょうか?
今でもいるんですが。
195 :
世界@名無史さん:04/12/02 18:06:42
196 :
世界@名無史さん:04/12/18 08:53:27
高麗人です
198 :
世界@名無史さん:04/12/18 20:45:48
>>192 ノインウラ出土の匈奴の刺繍などは
典型的スキタイ文様として紹介されている文献もあるのだが。
2行目には同意するがな。
199 :
世界@名無史さん:04/12/18 20:53:34
遊牧民の集団なんてアメーバみたいなもので、どこまでが匈奴、
どこまでがスキタイとか明確に分けられるものじゃない。
飢饉になれば部族は四散するし、強力な指導者が出ればあっという間に
そこらじゅうの集団が次から次に帰参して一瞬で大帝国の出来上がり。
匈奴やスキタイといっても、はっきりその名が通用するのは
心臓部の一部集団だけだろう。他の連中は見方次第でどうとでも見なせる。
200 :
世界@名無史さん:04/12/18 23:03:35
烏桓の一派「使鹿部」ってトナカイ遊牧民のことなんですか?
>200
そんなサンタさんみたような遊牧民族が居て溜まるかいな!!
するってえとあれかい?禿髪族は全員ハゲだったのか?
まあツァータンとか現存するしね・・・
203 :
世界@名無史さん:04/12/19 13:47:19
>201
今もシベリアに居るヤクート族はトナカイ遊牧民です。
契丹、西夏、女真などなど頭髪を剃る習俗のあった集団は多い。
中国の史書にも時おり登場するトゥバやハカス(トルコ系)、
エベンキ(ツングース系)などもトナカイ遊牧を営む集団がいますね。
草原地帯=ウマ、北のタイガ=トナカイ、といった感じなのかな。
206 :
世界@名無史さん:04/12/25 16:56:45
チベットのヤク遊牧も忘れないでけろ〜
ヤクの家畜化はやはりウシやウマの応用で野生種を飼い馴らし始めたのだろうか。
今でも野生種はいるそうだし、比較的家畜としての歴史は浅いほうなのかな。
207 :
世界@名無史さん:05/01/08 08:18:13
猫の遊牧。
208 :
世界@名無史さん:05/01/15 13:54:05
中国は偉大
209 :
世界@名無史さん:05/01/16 13:08:53
女真族はかなり古くからブタを飼育していたようだけど、これは
中原からの影響?
紅山文化のころにイノシシの骨が出てくるそうだが独自に家畜化されたのだろうか。
>>209 三世紀の邑婁の頃からブタは飼ってなかったかな?
中原とどっちが先ってことはいえないぐらい豚の飼育は古いだろう。
211 :
世界@名無史さん:05/01/18 01:47:07 0
>>204 ヤクートは牛馬を主要な家畜としていた。1917年の統計によれば、
ヤクーツク南部の住民一戸当り所有家畜の平均頭数は、牛9、3頭で
馬は2,4頭であり北部のそれは、牛5、5頭で馬4、9頭となる。
ロシアの他の地方の馬において2倍、牛において5倍に当るという。
尚、1933年以前のヤクート住民は八割以上がヤクート人。
冬季の為乾草の刈入れが重要で、純遊牧と異なり半農半牧的、
牛の多い所以も農耕の役畜、農作業の運搬用荷車に使う。
>>209 女真以前の靺鞨や挹婁、モンゴル系の室韋等も豚を多く飼育していた。
紅山文化より後の、青銅器期に遼河流域の夏家店文化から、
松花江流域の西団山文化、沿海州アムール地方のポリツエ文化に
至るまで豚飼育をしている。
212 :
世界@名無史さん:05/01/18 13:31:56 0
匈奴は漢より強いが秦に勝てるイメージはなぜか思い浮かばないな
ヤクルト人
214 :
世界@名無史さん:05/01/18 17:06:40 0
>>212 匈奴は秦の時代にはそもそも未統一状態だったんじゃないかな
215 :
世界@名無史さん:05/01/18 17:16:29 0
>>214 戦国時代末期の頭慢単于が匈奴帝国初代じゃないかな。その頃はまだモンゴル高原は統一してなかったのかな。
統一後間もない秦が匈奴を追い払ってるね
216 :
世界@名無史さん:05/01/18 17:22:25 0
高原は統一してないと思うな。
冒頓単于の時代に東胡と月氏と丁零を破って初めて統一・・・さらに頭曼単于が
蒙テンに追われて北走するまでは彼らはオルドスに住んでいたわけだし。
冒頓単于が少年時代(これがだいたい始皇帝の治世前期あたりに相当するのかな)に
東胡の人質にされていたことを考え合わせると、冒頓の征服戦争以前は
まだ南から来た新参者扱いだったのかも。
>>211 ヤクーツク一帯で農耕というとどんな作物を作っていたのでしょうか。
牛馬飼養・農耕はロシア人との接触以前からの生業なのでしょうか?
半地下式の家畜小屋を見たことがあるので定住性の高い生活だったのでしょうか。
218 :
世界@名無史さん:05/01/19 22:39:00 0
>>217 牛馬飼育・農耕はロシア人との接触でパンを食す等の影響はあるが、
ヤクートの作物は勉強不足で、申し訳ありませんが分かりません。
しかし、ヤクートが馬乳酒を飲む習慣はロシア的ではないと思います。
ヤクートの原住地の問題は其の伝承でキルギスの逃亡者、ブリヤートに
あって自己の氏族に不平を懐き、新天地を求めた移住者であった事や
遺跡においてバイカル地方とヤクートの鉄器類の類似、バイカル地方は
半農半牧で住居址は土屋と洞窟で固定住居を有したことが窺われる事
等から、バイカル湖畔のブリヤートの土地であろう。すなわち「牛馬、
馬乳酒(クミズ)の祭りや製法を北方に将来した」とはいえるでしょう。
北部ヤクートは、その住地が農業不可能な凍土地帯の為漁猟を主業とし、
家畜には牛馬のほかトナカイもあるが、類接民族のエヴェンキと
比較しても牛馬の重要性が際立っていると思います。
>218様
詳しいご解答ありがとうございました。
ヤクート関連サイトを検索しても現代の生活は紹介されているのですが、
どれが伝統的な生活様式なのかが判然としないものが多くて困っておりまして(笑)
220 :
世界@名無史さん:05/02/03 23:15:47 0
杉山正明の「遊牧民からみた世界史」読了アゲ
独創的過ぎてなんともいえん
某S山先生の本は独特の言い回しはともかく、佐口透、山田信夫、護雅夫、本田実信など
先達の諸先生がたの本とか読まないと言わんとするところの信憑性がいまいち実感できない感じが(w
「遊牧民から見た世界史」
信憑性については関知するところでないが、実に面白かったのは確か。
223 :
世界@名無史さん:05/02/06 12:55:08 0
中国史において、遊牧民は名脇役。
岡田・杉山の「モンゴル全面的に大マンセー」は
中華思想の裏返しだから、あんまり真に受けちゃダメよ
225 :
世界@名無史さん:05/02/10 00:57:54 0
つーか杉山氏ってさんざん「バイアスのかかった中華史観」だの弾劾するくせに
自分も不条理なくらい遊牧民をえこひいきしてんのは自覚してんのかな。
>>225 意図的にやってる。ちょっと子供っぽいね。
227 :
世界@名無史さん:05/02/10 01:12:00 0
とはいえ、おとなしく穏当な部分を押し出してたら、
今頃こんなに話題にはなってないだろう。
228 :
世界@名無史さん:05/02/10 02:02:37 0
杉山氏の著書は、遊牧民マンセーなバイアスさえ気をつけていれば
読めるし参考にもなりますよね。
まあ、まるで自分がモンゴル史研究者の代表面をしているというか、
恩師を初め中央アジア史の先達たちを無視しているがごとき態度は
いかがなものかと思いますが。
231 :
世界@名無史さん:05/03/10 15:55:56 0
中国の思想か韓非子の話
くつを買おうとした鄭の男の話
この男は、足の寸法を計ってひかえておいたのに、くつを買いに行くとき、持っていく
のを忘れてしまった。くつを買う段になってこの男
「寸法書きを忘れてきたから」
といって、家に取りにもどった。
寸法書きを持って来たときには、店はもうしまっていて、くつは買えなかった。
「その場で足に合わせてみれぱいいのに」
だれかがそうきくと、男の答え
「足なんか信用できない。寸法書きの方がたしかだよ」
http://www.geocities.jp/sousou7jp/index.html
パンツタイプの服は遊牧民が起源なんだよね
YES
234 :
世界@名無史さん:2005/04/11(月) 05:51:36 0
保守
235 :
世界@名無史さん:2005/04/24(日) 11:54:56 0
>>232 牧畜開始以前の旧石器時代にはすでにあったと思われ。
エスキモーなど極北の狩猟採集民が着ていることを見てもね。
236 :
世界@名無史さん:2005/04/24(日) 21:22:02 0
世界で最初に立ちションした民族はエスキモーかも知れないね
237 :
世界@名無史さん:2005/04/24(日) 22:58:22 0
たちションの起源はウリナラ
238 :
世界@名無史さん:2005/04/24(日) 22:59:26 0
類人猿でも姿勢的には可能そうだが。
239 :
乳1号:2005/04/24(日) 23:04:13 0
中東のほうでは男も立ちションではなくしゃがみションする
(なにもないところで立ちションはなんとなく不安?)
というのは本当なんですかね
240 :
世界@名無史さん:2005/04/24(日) 23:07:22 0
風が強いと立ちションの場合、自分にひっかかる場合があるため
なるべく地面に近い位置から排尿する習慣が発生した
・・・かどうかは分からぬがw
241 :
世界@名無史さん:2005/04/25(月) 02:37:41 0
>>239-240 きてる服の構造から。立ちションするにはものすごくまくり上げないといけない。
これが意外と手間がかかって大変。しゃがむと楽に裾を寄せることはできる。
連中はズボンはいてても坐りションする人もいるから
はたで見ていて「難儀やなあ」とは思う。
長年の伝統ですでに文明の形=礼儀作法が確立した後だからね。
可児はいらね
太刀しょんできないような効率の悪い服をどうして変えなかったのだろう。
しゃがむだけですむから楽。
ズボンとちがっていちいちベルトゆるめて降ろしたりしなくていいから楽なんだよ。
248 :
世界@名無史さん:2005/05/04(水) 16:51:44 0
日本では庶民の服装から袴系の衣服が何度も廃れているね。
長着だけで下はフンドシ/腰巻だけというスタイルが定着したし。
袴は作業時か礼装だけの用途に限定されたのかな。
もんぺ、股引
だから作業着じゃんさ。
庶民の服装だから、作業着が着用時間でも製作数でも保有数でも最多だろう?
252 :
世界@名無史さん:2005/05/07(土) 01:35:55 0
脱ぐぽ
253 :
世界@名無史さん:2005/05/26(木) 12:44:20 0
単于と河汗
254 :
世界@名無史さん:2005/06/11(土) 01:55:44 0
モンゴル人も地域によっては雑穀などは栽培していたんですか?
255 :
世界@名無史さん:2005/06/30(木) 20:32:42 0
ソバとか?
256 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 20:26:24 0
できないことはないけれど。作物は限られるとは思うけど。
どうだったんだろうね。
257 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 21:10:53 0
キプチャク草原のタタール人は夏営地に向かう途中で雑穀をまいて
冬営地に戻るときに収穫したとか。
カラコルム周辺では、発掘で大麦や陸稲がかなりの量栽培されてたらしいことが
判明したとか。初期はモンゴル本土へ穀物などの糧食をウイグルの辺りから輸出
させてたそうだけど、クビライのころから華北の再開発が軌道にのり始め江南の
物資もカラコルム周辺やモンゴル本土まで搬送するようになったらしい。
カラコルムの場合は都市の生活維持のために栽培されてたみたいだとか。
>>257 どんな雑穀なんだろ
牧草に近い品種なんじゃない?
260 :
世界@名無史さん:2005/08/14(日) 17:21:19 0
hosyuage
261 :
世界@名無史さん:2005/08/27(土) 19:17:40 0
ライ麦かソバなら作れそう。
262 :
世界@名無史さん:2005/09/02(金) 13:54:42 0
チンギスの時代は温暖期のおかげでだいぶ北まで耕作可能になってたんだっけ。
263 :
世界@名無史さん:2005/09/21(水) 23:36:40 0
現代でこそモンゴル伝統料理の材料に小麦粉が普通に使われるが、
昔はもっぱら交易で入手していたんだろうか。
あるいは一部の富裕層だけの食材だったのかな。
264 :
世界@名無史さん:2005/09/22(木) 01:05:57 0
魏被告ら中国人三名は共謀し、十五年六月二十日未明に強盗目的で
松本さん宅に侵入。
妻の千加さん=当時(40)、長男の海(かい)君=同(11)、
長女のひなちゃん=同(8つ)=を殺害して、現金約三万七千円を奪った。
その後帰宅した松本さんを暴行して意識を失わせ、三人の遺体とともに
重りを付けて博多港に沈めて水死させた。
中国人はたった3万7千円で、一家皆殺しが出来ます。
すれ違い
266 :
世界@名無史さん:2005/10/08(土) 14:31:47 0
>>263 元代には華北の農村が補給基地のような存在だったそうな。
山西省・河北省が中心だったようで。
267 :
世界@名無史さん:2005/10/08(土) 22:15:46 0
268 :
世界@名無史さん:2005/10/12(水) 20:02:19 0
タリバンの中にウイグルからの義勇兵が「研修」に来ていたと報道されてたな。
いよいよ実行の時が来たのか(((ガクブルアル)))
それだと漢民族=共産主義からアラブ=イスラムに支配層が移ってしまうだけになってしまうかも。
中央アジアにおける近隣民族の連帯みたいなのはないのかね。
>>269 いやそれはないだろ。共産主義=漢民族の支配が崩れたら
ウイグル、内蒙古、チベット、台湾が独立するだろうし。
イスラムの支配はウイグルと寧夏だけだと思われ。
しかし混乱が大規模になれば吉林の延辺朝鮮族自治区も
どうなるかわからんなー
271 :
世界@名無史さん:2005/10/21(金) 03:07:59 0
今のトルコはヘタレだからそんな力はないし、
西トルキスタン諸国にもまとめきれる力を持つ
カリスマは存在しない。
273 :
世界@名無史さん:2005/11/06(日) 21:25:20 0
>>270 五胡の群雄割拠が再来したらハゲワロスw
274 :
世界@名無史さん:2005/11/07(月) 00:42:46 0
朝日新聞社が出している、「シルクロード紀行」という薄い雑誌、
その4号の桜蘭編。28ページの噴水の写真って、CG臭いんだけど
みなさんはどう思います?
本屋で立ち読みして確認してください。
もそCGならねつ造の証拠として買ってください。
>桜蘭編。
ふーん、花の雑誌なんだあ。売れないでしょ。
276 :
世界@名無史さん:2005/11/22(火) 10:14:40 0
>>274 うーん…これフォトショでいじってるだけでは?
広い意味でのCGかもしれんが…。
277 :
世界@名無史さん:2005/12/10(土) 11:24:26 0
>>270 漢民族同士も結束を保てるか怪しそう。
華南や沿海部は独立したがっているしなあ。
278 :
世界@名無史さん:2005/12/10(土) 13:26:42 0
コリア、マンジュ、モンゴル、タングート、ウイグル、チベット
キタイ、スーチョワン、チワン、マンヂ、カントン、シャンハイ
東アジア再分割してえ。これなら日本がリーダシップ取れるのに。
279 :
世界@名無史さん:2005/12/11(日) 00:38:49 0
280 :
世界@名無史さん:2005/12/12(月) 22:14:20 0
土曜の読売新聞「本よみうり堂」で
杉さまの「疾駆する草原の征服者」が取り上げられていたことにさっき気づいた。
281 :
世界@名無史さん:2005/12/16(金) 22:36:06 0
質問
遊牧民は馬を二頭連れて走り、馬が疲れたら乗り換えるといいますが!
乗り換えられた馬だって人が乗ってないにせよ同じ距離を走って疲れてい
るだろうから、いか程のものなのでしょうかと。 どうよ。
今、グリーンディステニィを見ていてふと思ったから書いてみたよ。
282 :
世界@名無史さん:2005/12/16(金) 22:46:51 0
米袋しょってフルマラソンするQちゃんを想像なさいw
Qちゃんを馬に例えるとは失礼だ!
Qちゃんは小さいからポニーだ!
謝罪と賠償を請求する。
284 :
世界@名無史さん:2005/12/16(金) 23:34:08 0
考えてみれば追掛けてくるのが漢族の重装騎馬隊という条件ですな。
285 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 02:06:29 0
杉様の最新刊、沙陀への猛烈な悪口にかなりびっくり。
喜んで人殺しするとか、とにかく酷い。
何かあったのか?
「疾駆する草原の征服者」?
287 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 06:40:41 0
アッティラのフン族って本当に匈奴の一派なのかな?
もしそうなら、モンゴル族よりも移動距離長く、ローマまで到達したことに
なるな。もう少し研究進んで資料出てこないかね。
288 :
世界@名無史さん:2005/12/17(土) 12:53:53 0
ありゃ、フン族関連スレがない・・・
落ちてしまったか?
>>281 替え馬用意するのは遊牧民族に限らず、日本なんかでも有力な
武士なんかはやっていたはず。
一頭だけにずっと乗っている途中休憩いれるより移動効率がいいし、
戦闘で傷ついたりしたら徒歩になるわけにもいかないし。
>>287 モンゴル族とはスタート地点が違うから、移動距離は短いのでは?
中国に記録される場所からは消えてしまって(本拠地が移動して)
そこから勢力を再興したのだから。
>>287 パンノニアに本拠をおいていたアッティラの軍勢は
ゲルマン人の兵士が多く、歩兵が主体になって戦ってたそうだ。
フビライの軍隊が中国人ばかりだったのと似てるな。
ぐぐって見ましたが、ゲルマン人とか現地民を徴兵して戦っていたみたいですね。
フン族だけでさっと行って戦ったかと思っていましたが。
どうやら、根拠地を築いたり、腰をすえていたようですね。
フン族関連スレあったんですね。見たかったな・・・
>>285 杉様最新刊は、沙陀・契丹万歳!遊牧民万々歳!な本だと思ったけど?
とくに李存勗と耶律阿保機に対する愛に充ち満ちてると見たけどな、俺は。
李克用の鴉軍が凶悪だったのは本当だから、別に杉様がおかしいわけではない。
むしろこれまでの概説書の五代記述が薄すぎただけだろ。
そうかなぁ、なんか沙陀全体が戦しか能のない殺戮集団(ちょっと言い過ぎか)みたいな書き方にも思えたが。特に余録。
山西の歴史的重要性への言及がもう少しあれば話は変わったと思うんだが。
294 :
世界@名無史さん:2005/12/19(月) 05:59:33 0
便乗質問。
『疾駆する草原の征服者』で蒙古人至上主義とやらを「わざと」捏造した人って誰のこと?
名前を挙げないってことは京大関係者かな?
295 :
世界@名無史さん:2005/12/21(水) 22:26:28 0
age
296 :
世界@名無史さん:2006/01/03(火) 02:06:21 0
レスがつかなくなったな。
髮を剃って、騎射を行うって、
ヤブサメする鎌倉武士みたい。
298 :
世界@名無史さん:2006/01/06(金) 09:03:24 0
平原インディアンもその点は共通してるな。
299 :
世界@名無史さん:2006/01/07(土) 17:51:45 0
杉様の本初めて読んだけど途中で放り出した
エキセントリック過ぎ
なんか逆の意味での偏見と固定観念を感じる
300!
「遊牧民から見た世界史」?
>>301 そう
面白い所もあるけど通説への攻撃が
あまりに行き過ぎて読んでて疲れる
逆の意味で教条的な感じ
303 :
世界@名無史さん:2006/01/13(金) 17:17:23 0
質問です。
後漢書にでてくる異民族、『哀牢夷』のことについて調べたいと思うのですが、
何かよい参考文献、論文はないでしょうか??
単発質問ですみません。
谷口房男さんの本とか。
フラーのドームに住む遊牧民あったらいいな
306 :
世界@名無史さん:2006/02/02(木) 23:17:25 0
>>303 今の四川か雲南だっけ?
現代のイ族に相当すると聞いたが違うかな。
307 :
世界@名無史さん:2006/02/12(日) 17:21:28 0
インドシナ半島へ南下したタイ系民族の源郷の候補地の一つとも言われる。 <哀牢山系
308 :
世界@名無史さん:2006/02/17(金) 10:54:47 0
ヤクの家畜化は比較的遅い時期からと聞く。
野生種が現存し、時おり家畜と勝手に交雑してしまうwそうな。
309 :
世界@名無史さん:2006/03/05(日) 23:08:09 0
しかし野生の屈強さを受け継いだ子が生まれるので案外重宝されたりする。 <野生ヤクとの雑種
310 :
世界@名無史さん:2006/03/09(木) 01:07:06 0
>>303 今さらのレスでスマンが、哀牢夷に関する日本語論文だと、
藤沢義美先生の南詔前史関係論文を当たるといいよ。
『西南中国民族史の研究』大安 1969
に集大成されてる。
312 :
世界@名無史さん:2006/03/28(火) 15:38:13 0
age
313 :
世界@名無史さん:2006/04/15(土) 16:57:13 0
月例保守。
314 :
世界@名無史さん:2006/05/07(日) 20:54:34 0
315 :
世界@名無史さん:2006/05/08(月) 00:24:24 0
中央アジアから出てきたトルコ系の民族はすぐに混血して消えてしまうからな。
ハンガリー人だってもともと中央アジアから出てきたが、キリスト教を受け入れて、
今ではほとんど白人になっている。ブルガリア人もいつの間にか白人になっているし、
ハザール人もいつの間にやらユダヤ人になっているし、中華に進入したトルコ系の人々は
いつの間にやら漢民族に飲み込まれてしまったし、
トルコ系の人々は郷に入れば郷に従えの考え方が強いのだろう。
んなこたぁーない
アナトリアはクルド人を除きほぼトルコ化されてしまった
中央アジアはもともとイラン系が中心だったところにトルコ系が徐々に浸透して
今の姿になったんだがな。それにハンガリー人(マジャール人)はウラル系だ。
汎トルコということになると、日本も韓国も北朝鮮も大トルコの一員ですね。
319 :
世界@名無史さん:2006/05/13(土) 10:31:47 0
>>315 >トルコ系の人々は郷に入れば郷に従えの考え方が強いのだろう。
そんな気がする。お気楽な民族。
遊牧民は定住文化を持っていないから、定住し始めると同化されるのは自然現象。
321 :
世界@名無史さん:2006/05/13(土) 13:19:33 0
しかしよくまあ、アナトリア半島をトルコ語で席巻できたものだ。
322 :
世界@名無史さん:2006/05/13(土) 17:27:13 0
>>318 >汎トルコということになると、日本も韓国も北朝鮮も大トルコの一員ですね。
語族の観点から、
汎日本と言うことになると、
ハンガリーもトルコも蒙古も満州も大日本の一部です。
YAP+の観点から、
汎日本と言うことになると、
ブータンもチベットも四川省や雲南省も広西省チワン族自治区も
カムチャッカもアリューシャンも南北アメリカも大日本の一部です。
323 :
世界@名無史さん:2006/05/28(日) 05:32:25 0
>>318 トルコの教科書では堂々とそれが書いてあるんだよね。
「西進したのがトルコ人、東進したのが日本人」てな具合に。
324 :
世界@名無史さん:2006/06/09(金) 00:11:41 0
アジアの至る所にあるよ。チベット人や納西族にも
「一族のうち分かれて東に進んだのが日本人」てのが
ある。おそらく発生したのは日露戦争の頃だろうな。
326 :
世界@名無史さん:2006/07/01(土) 13:12:45 0
月例放牧に上がりました。
327 :
世界@名無史さん:2006/07/19(水) 06:34:57 0
祝三周年!
328 :
世界@名無史さん:2006/08/05(土) 02:40:58 0
遊牧民は万里の長城をどうやって突破したんだろう。
人はともかく、遊牧民ならば馬と荷車を通過させられないと
その後の進軍ができないんでは?
門も至る所に設けてある訳じゃないしね。
今の長城は明代のものだから、昔はそんな立派なものじゃなかった。
それに写真やTVでよく見る山上に堅固に築かれてるのはごく一部。
西に行くほど低いしグズグズ。いくらでも抜けられる(特に明代以前なら
楽勝)。
先日、TBS世界遺産でやった長城全域空撮見ればわかるよ。
いずれDVDになるだろうからそれで確認して。
長城は昔の方が立派じゃないの?
331 :
世界@名無史さん:2006/08/24(木) 09:17:57 0
華北・河西あたりには漢民族の遊牧民もいたんだろうか?
いたっつーか、むしろ今いるよ。
333 :
世界@名無史さん:2006/08/24(木) 17:30:19 0
333ゲット
>>332 起源的には、漢化したモンゴル人等の末裔?
逆。遊牧民化した漢人。モンゴル化はしてない。
336 :
世界@名無史さん:2006/09/06(水) 21:17:12 0
名著の誉れ高い 周偉洲 『吐谷渾史』 が広西師範大学から復刻された。
同著者の『唐代党項』とか、やはり名著である馬長寿の諸著作
『氐與羌』『北狄与匈奴』『烏桓与鮮卑』なんかも復刻してるし、
広西師範大学なかなか目が高いな。
遊牧民が勢力拡大するのって
降雨量増大 → 草原拡大 → 家畜数が増大 → 遊牧民が増大 → 家畜の餌確保 → 版図拡大
って順番でいいの?
338 :
世界@名無史さん:2006/09/17(日) 03:29:24 0
逆じゃねえのかな
寒波・干ばつで家畜大量死→食糧難→対農耕民掠奪激化→そのまま居着く
五胡時代&ゲルマン大移動が期せずして東西で起きたのは
当時の寒冷化が原因という説もあるし。
339 :
世界@名無史さん:2006/09/17(日) 04:29:23 0
なぜ日本人女性は韓国男性に憧れるのだろうか。
まず韓国人男性は紳士的な振る舞いをします。
そして女性を大切に扱います そして情熱的です。
このような韓国人男性の振る舞いに日本人女性はコロリと落ちるのです。
日本人のような幼児的な男性にあきあきしてる裏返しの行動でしょう。
韓国人男性に憧れる日本女性は週末になるとソウルを訪れるそうです。
ソウルで運命的な出会いを期待しての訪韓です
ソウルでは毎週末にお見合いパーテーが開かれています
日本女性と韓国男性のお見合いパーテーです
日本女性の参加者が圧倒的に多く韓国男性を集めるのに苦労するそうです。
日本女性は婚前交渉に積極的だと聞きました。 韓国では婚前交渉はタブーです。
お見合いパーテーで知り合い、その日のうちに関係を持つカップルが多いと聞きます。
「日本人女性は優秀な遺伝子を求めて韓国で股を開く」と韓国のWEBサイトで話題になっていました。
韓国では不道徳なものは、東から来ると言われています。
韓国は日本から多くの不道徳を持ち込まれています。
すべて事実だ。 日本の女は淫乱で男はまったく魅力がないインポ。
かわいそうな劣等民族
>>337-338 チンギスの時代はどっちだろう?
どちらかというと気候に恵まれたほうだろうか。
>>340 チンギスの時代に限らないけど、遊牧民たちは遊牧民たちで戦争してたんだね。
文献があまりなくて分からないけど。
サルや熊が食い詰めて里に降りてくる感じかな。
343 :
世界@名無史さん:2006/10/10(火) 23:43:10 0
( #`ハ´)<稔りの季節に押し寄せ、追い払っても根絶やしにできずいたちごっこ・・・
<まさしく禽獣の如き奴らアルネ
後漢の頃に鮮卑の気候が悪化し困窮していると聞いて漢は北方へ出兵し
弱っている鮮卑を徹底的にたたいたという記録があったような。
「溺れている犬は叩け」そのもののやり口で
遊牧民が悪天候で弱ると漢民族はすかさず攻撃を加えて遊牧民を叩いている。
漢民族の間では「馬肥える」というのが憂鬱な表現であるように
天候に恵まれ馬を充実させ力をつけた遊牧民が攻めてくるパターンだが、
フン族のようにヨーロッパでは悪天候で困窮した遊牧民が襲ってくるパターンだった。
飢えて弱っている遊牧民にやられてしまうヨーロッパ諸民族が異常に弱い。
もしかしたらそれは
飢えた遊牧民が南下して農耕民を襲うことを想定しての出兵という側面がない?
中国北方の遊牧民が南の漢民族を攻撃するという状況は
遊牧民が統一され強大な勢力を築いているか、(匈奴・モンゴル)
漢民族が分裂して弱体化しているかのいずれかで、(五胡十六国)
漢民族が富み、遊牧民が飢えている状況では遊牧民側が漢民族政権に帰順し
経済的援助を請うという事態は見られるが
飢えた遊牧民が富める漢民族を攻撃して勝利するなどというのは到底不可能だった。
明は富んでいたがモンゴルの襲撃に悩まされているぞ
明は富んでいたものの、襲撃していた時点のモンゴルも飢えていないし、馬資源が充実し、
アルタン・ハンという英主を頂いて勢いが盛んであった。
モンゴルは武力にものを言わせ、有利な取引協定を明側に認めさせている。
明はモンゴルだけでなく満州族の勃興にも気を配らなくてはならない状況だった。
なるほど。
しかし遊牧民が飢えていた時代っていつですか?
前漢の宣帝の時代は匈奴は旱魃に見まわれていた。
一方で漢は宣帝の治世で富み、匈奴の多くは漢に帰順し援助を乞うている。
中央アジアの遊牧民の人たちは蹄鉄って打ってたのかな?
それとも戦国以前の日本みたいに
焼き鏝あてて硬質化させたり藁沓はかせてたんだろうか?
353 :
世界@名無史さん:2006/11/15(水) 22:53:57 0
>>350 五胡十六国時代も寒波や飢えで南下したのが契機だったような。
>>353 晋王朝の司馬一族が皇帝の位を争う為にそれぞれ己の陣営に北方遊牧民をひき入れて
継承戦争を始めたのが五胡十六国時代の幕開け。
355 :
世界@名無史さん:2006/11/25(土) 00:42:54 0
八王の乱ですな。
八郎「反抗しちゃうもんね」
357 :
世界@名無史さん:2006/12/16(土) 10:04:57 0
八王子スペクター見参パラリラパラリラ
農耕民が土地を耕すと
草原が後退するっていうな
草原地帯を耕しても地肌が薄く下が岩盤となっており、却って砂漠化してしまう。
360 :
世界@名無史さん:2007/01/06(土) 18:26:36 0
>>358-359 漢人は、遊牧民族への報復として草原を耕地にしたそうな。
一年、二年程度は収穫ができるが、以降は砂漠化。
漢人は作物を得る一方、遊牧民に欠かせない牧草を奪う、というわけ。
361 :
世界@名無史さん:2007/01/10(水) 13:15:32 0
楊海英氏がそれについて書いてたけど
別に故意の報復としてなされたとはいってなかったと思う。
362 :
世界@名無史さん:2007/01/11(木) 21:53:34 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。三つの足の部分は空洞に
なっており,その部分に水をため,足の上にのせた簀のこ(すのこ)の上に米を
置く。足の間の火で炊く(というより蒸す)と,上にのせた蓋(ふた)の間から,
湯気が立つ。この様子がそのまま漢字になりました。つまり「氣」です(後漢の
『設問解字』による)。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html 古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
>>354 遊牧民も弱体化していたであろうが、中原も三国・八王でそれ以上に
弱体化していたことが、五胡の侵入を促したという構図だろうね。
364 :
世界@名無史さん:2007/01/20(土) 13:10:56 0
三多摩も八王子スペクターの台頭で新旧勢力の
抗争地図を塗り替えたんだよ。
365 :
世界@名無史さん:2007/02/28(水) 01:10:14 0
>>353 古墳寒冷期ってやつですかね。
フン族の出現とも重なる時期だし。
366 :
世界@名無史さん:2007/02/28(水) 04:01:07 0
デイブスペクターって八王子だったのか
367 :
世界@名無史さん:2007/03/18(日) 21:33:59 0
千年来の「遊牧生活」に別れ―新疆ウイグル自治区
3月18日9時40分配信 Record China
新疆ウイグル自治区の遊牧民が今後5年以内に、千年来続けてきた「遊牧生活」に
別れを告げ、定住生活を始める。
新疆ウイグル自治区の遊牧民の多くが今後5年以内に、千年来続けてきた「遊牧生
活」に別れを告げ、定住生活を始める。
これは新疆ウイグル自治区人民政府が推進している遊牧民の移転プロジェクトで、
第11次5か年計画の期間中に定住化プロジェクトを完了させる計画だ。具体的には
、2007年から毎年10〜15万人の遊牧民を農業や牧畜関連の第二次、第三次産業に転
業させるという。
2007年3月17日、新疆畜牧庁は記者の取材に対し、今後一定期間内に、退化してい
る草原の保護、飼料基地の建設と安定的な飼料供給、遊牧民の移動と定住による収
入増の実現、などの任務に重点が置かれるだろうと答えた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070318-00000008-rcdc-cn
モンゴルはB型が多い
369 :
世界@名無史さん:2007/04/14(土) 10:49:10 0
三国時代にいた烏桓は、系統的にはなに系の集団だったんでしょうか。
ツングース系?
370 :
世界@名無史さん:2007/05/02(水) 14:54:55 0
匈奴の遺跡からペルシアやギリシャの品が出たらしいね
交易は凄かったのか
371 :
世界@名無史さん:2007/05/02(水) 15:25:21 0
北方民族はずっと強い国だったのに
人口が少ないしもう恐れる必要がなくなったね
>>370 パジリクなど紀元前の現アルタイ共和国の古墳(クルガン)からも
小アジアや南ロシアの遊牧民古墳と良く似た製品が出土する。
絹とか中国からと見られる製品も出土する。
後の4世紀末〜6世紀の新羅においてもローマングラスとか出る。
当時の新羅は中国とは没交渉に近い。高句麗の西は柔然、
6世紀半ば以降は突厥なのでそこを経由したと考えられる。
草原の交易は長く盛んに行われていたようだ。
373 :
世界@名無史さん:2007/05/05(土) 09:33:32 0
皆詳しいですね。私はまだ概説書の段階。うちの大学の馬鹿教授の講義より面白い。
374 :
世界@名無史さん:2007/05/05(土) 09:52:12 0
aich大学の東洋史教授陣は腐っている。。。何故あんなにひどいのだ。。。
スキタイの墳墓から東方から流入してきたと見られる玉が発掘されたりしている。
376 :
世界@名無史さん:2007/06/20(水) 15:51:57 0
あげ
378 :
世界@名無史さん:2007/07/17(火) 12:39:36 0
遊牧民は中国に異国の文化を伝えたり
戦争したりと難しい関係だね
メルカトル図で見るから遠く感じるけれども、球体で見れば高緯度地帯を通る
距離は短い。
モンゴル高原から、支那もヨーロッパもそんなに遠くは無いよ。
380 :
世界@名無史さん:2007/08/23(木) 17:59:41 0
四周年!
381 :
世界@名無史さん:2007/08/26(日) 12:05:29 O
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした
382 :
世界@名無史さん:2007/08/27(月) 12:35:55 0
支那の遊牧民と中原人ってどっちが歴史古いんだろ?
中原から追い出されたのが騎馬民族になったのか、
それともはるか西方からやってきた騎馬民族が
そのまま中原に住み着いたのか。
383 :
世界@名無史さん:2007/08/27(月) 12:55:26 0
遊牧民のほうが新しい。
理由:鞍というものが発明されて、騎乗で戦闘しやすくなるまでは、戦闘馬車をもつ定住民の王朝に遊牧民は蹴散らされていた。
遊牧民の脅威に対抗する為に秦が中原を統一し
遊牧民も秦の統一に対抗するために匈奴が草原を統一した。
385 :
世界@名無史さん:2007/08/28(火) 20:47:00 0
やっぱヌヒってフンだったんじゃないかなあ。
だって後のモンゴル族が西方まで行くのには、
やっぱりある程度地理に明るくないとダメだよねえ?
だからフン族の西方陸路みたいなのをモンゴルは
知ってたんじゃないかなあ。欧州各国が
海路に乗り出すときはアフリカ経由以外は
結局かつての航路を再利用したんだし。
386 :
世界@名無史さん:2007/08/28(火) 20:49:05 0
匈奴はやっぱりフン族なの?
ディズニーアニメの「ムーラン」でも、「フン族が攻めて来た!」と言っている。
中国で西匈奴の音信が消えてから、ヨーロッパにフン族が現われるまで100年も空白期間があるんだぞ。
それから考えても単純に匈奴=フンであるわけがないだろ。
388 :
世界@名無史さん:2007/08/28(火) 22:31:15 0
あれだけの距離を定着しながら進むんだから、
100年くらいたつだろうよ。
>>388 定着って意味解ってるか?定着するって事は、もう移動しなくて良いって事だ。
だいたいモンゴル平原の西も、多くの騎馬民族でびっしり埋まっていたんだぞ。
それらは西匈奴について、直接にも間接的にも記録を残していない。(騎馬民族自体に文字がなくても
それらの騎馬民族に対峙していた、インドやペルシアなど文字を持った文明圏が、新しく強大な
勢力が現われればそれについて記録を残すものだが、そんなものもない)
匈奴は西走して、他の騎馬民族に吸収され同化していった、と考える方が自然。
フンは東からはるばる移動してきたのではなく、元々カスピ海周辺に居た多種多様な騎馬民族が、
アッティラの強力なリーダーシップで大統合したものでしょう。
>>382 そもそも遊牧民に歴史なんて無いし、そんなものを残す必要もない。
古さを較べるなんてナンセンス。
>386
いやあ「フン=匈奴」説の論拠がディズニーアニメとは、
「フン=匈奴」説も落ちぶれたもんだなw
突厥はTurkを漢字表記(音写)したものと考えられ、テュルク系の遊牧民族と考えられている。
6世紀中頃に勢力を増し、遊牧民族集団の鉄勒を支配下におさめた。
鉄勒はTurkを漢字表記(音写)したものと考えられ、テュルク系の遊牧民族と考えられている。
同じなんかいな?別もんなんかいな?
民族レベル(言語レベル)では同じ仲間に入るが、
部族・氏族レベルでは別勢力、ということでしょ。
394 :
世界@名無史さん:2007/09/04(火) 05:31:29 0
契丹は今でも雲南省に15万人ほどいるんだってな
新疆のウイグルは、10世紀頃の回鶻とは断絶がある。
14世紀に金帳帝国やチムール帝国に飲み込まれて同化・消滅。
漠然と回教徒のトルコ人という意識はあっても、ウイグル人とかいう
帰属意識はないところに、チャンコロが無理やり呼称をつけた。
契丹はどうなのかな?
自称以外の民族呼称なんてたいがい権力者がつけたもんだと思うのだが、
遼の契丹人と、雲南の契丹人と、集団・言語・文化としての継続性はあるの?
398 :
世界@名無史さん:2007/09/11(火) 23:17:54 0
>>397 墓から契丹族でモンゴル帝国の時代に移住したことを書いてある物が見つかったそうだ
「図説 中国文明史(8) 草原の文明」の最初らへんに書かれてる
遊牧民を専攻する人たちって、なんで総じて「左翼」化するわけ?
なぜそういう色眼鏡をかけてしまうのか不思議。何を見てるんだか。
自分以外はほとんどが左翼なんだろうな。
自分が飛びぬけて右翼化してるのかね
この場合の右翼左翼ってのは、(歴史上の)遊牧民を称えて中国等の文明国を貶める傾向にあるように見えるということ。
いや、特に文明国を貶めはしなくても、遊牧民を徹底的に称えたがる。
あー、杉様とか岡田のことだな?
ありゃ今までの歴史観への反発だろ。それと自分のキャラ立てだな。
学会も生臭いからな、大袈裟にしないとなかなか注目されないのよ。
じゃあ「判官贔屓」なんて399の定義する「左翼」の最たるもんだw。
「左翼」の意味が分かってないんだな。
既存の用語に、自分にしか通用しない意味を与えて使っても、
話通じないから困るよ。
「左翼」って言葉に拘れても困る。
モンゴル高原遊牧民関係で右翼・左翼というと、
常識的に、(南を向いて)右翼=西、(南を向いて)左翼=東
のことだから、それ以外の意味で使うときは注意した方がいいよ。
遊牧民をたたえて中国を貶めるのがどうして左翼になるんだかわからん('A`)
専攻対象≒好きなもの≒贔屓の対象
さらに発表する場合は客受けも考慮する必要がある。
>>404 杉山はともかく、岡田は最近発狂してないか?
中国嫌いは元からなので別にいいが、WACに書くとか正気とは思えん。
411 :
世界@名無史さん:2007/09/24(月) 14:22:25 0
自分の感情を出す奴は、論理性がなくなるだろう
岡田は妄想的でおかしい
>>408 左翼はマイノリティを被害者にしたがる。そしてマイノリティを絶対正義にする。
思考様式・行動様式が昔なつかしいイデオロギー的な左翼そのままだ。
彼らにかかると、モンゴルの遠征も世界に平和をもたらした事業になる。
はいはい、ボクちゃんの政治談義は別板でね
>>409 そういう方向に傾くのは人間、誰でもあることかもしれんけど、
そんな堂々と開き直っちゃいかんことだと思うけどな。
厳密さだけを求めるなら「やってはいけないこと」なんだし。
開き直るんなら、揶揄されるのも指摘されるのも覚悟の上に
することじゃねえ?
岡田氏のモンゴル史研究は『蒙古源流』翻訳で終わったんだろうな。
ガッチリまとめたものを1冊書いてほしかったが、もうボケはじめてる
みたいだし無理だな。
>>412 歴史系で遊牧民を称えて中国とかを貶める人って遊牧民を
強者だ勝者だと持ち上げてる事が多い気がするんだけど。
418 :
世界@名無史さん:2007/09/28(金) 23:09:43 0
遊牧民の中国辺境への寇略は文化。そうやって生きてきたという伝統文化。
客観的にこれを認識できないと、遊牧民=悪になるよね簡単に。
でも寇略された人々にとってはふざけた話で、客観的に見ようとする我々現代人も被害を受けた
人たちへ感情移入しちゃうからどうしても遊牧民=蛮族という概念から離れられない。
419 :
世界@名無史さん:2007/09/28(金) 23:45:09 0
>>394 元軍の末裔。
蒙古族あつかい。
契丹は民族としては居ない。
漢族にしてみれば、近代の日本人も匈奴、鮮卑みたいなもんだろうな。
シナ事変も後世、海の遊牧民の雄大な遠征だった、と讃えられてたりしてw
んでもよ、史上、支那の文明の発展した時期って、決まって遊牧民の外来系王朝の
時代なのな。
漢は例外か。でも、劉氏は匈奴・突厥・吐番にやたら和蕃公主をやっていて、
姻戚関係だしなー。
決まって?違う違う。
科挙が機能的にも時代的にも最高潮に発展したのは宋時代だ。
清時代は人口が増えて一見すると発展しているように見えるが、世界と差をつけられていた。
漢の姻戚云々も、それが直接発展とは関係が無い。
そもそも漢代には突厥なんて無いし、漢を通じて婚姻関係が頻繁だったわけではない。
423 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 20:50:19 0
>>420 宮崎市定は日中戦争も、
彼の評価する満州人の入関と類推し、中華文明に貢献するもののようにいっていた。
日本が中国征服に成功したら「第二の満州人」として、逆に日本列島も漢語が話されていたはず。
日本風の漢語だろうが。
424 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 20:52:56 0
中国皇帝になった天皇家の姓は、さしずめ「大和」で、
完全に漢化したあとでは「和」姓か。アイシンギョロが「金」姓になったように。
425 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 20:54:11 0
宋なんて、遼だの金だの夏だのに貢ぎものをしてようやく独立を保っていた
ようなものじゃん。中原も半分は取られてるし。
挙句、元に取られてしまうし。
それに、科挙なんてものは、後進性そのものじゃん。
試験で官吏を選ぶというお題目は立派なものだ。が、実質的には、貴族の横占を
容易にして政局を不安定にするためものものでしかなかったし。
427 :
世界@名無史さん:2007/09/29(土) 21:43:30 0
天皇に姓はない。
>>421=
>>426 これ以上無知を晒すな。あなたの為に密かに恐れます。
>それに、科挙なんてものは、後進性そのものじゃん。
確かに明清期にはその後進性が目立つようになってきた。
だが宋代は南北期を通じて世界の最たる制度だったのだよ。
>が、実質的には、貴族の横占を
この部分に最も脱力感を感じたw
>宋なんて、遼だの金だの夏だのに貢ぎものをしてようやく独立を保っていた
>ようなものじゃん。
ようやく保ったおかげで最高の文化発展を遂げたのだよ。
430 :
世界@名無史さん:2007/10/22(月) 19:19:27 0
遊牧民は宋以降は邪魔なだけだよね
>>429 科挙を採用したせいで党派争いが取りとめも無く続いて国が傾いた訳ですが?
あと現代の中国でも続く官僚の汚職の伝統は科挙による官僚システムが
形成したんじゃないかと。
>科挙を採用したせいで党派争いが取りとめも無く続いて国が傾いた訳ですが?
それは科挙の先進性や後進性とは関係がない。論点ずれてますよ。
さらに、今世界中を見渡せば党派のない国なんて珍しい。党派争いがなぜだめなの?
文明と文化の区別もつかん馬鹿が偉そーに宣巻いてるスレはここつか?w
434 :
世界@名無史さん:2007/10/23(火) 03:38:25 0
> だが宋代は南北期を通じて世界の最たる制度だったのだよ。
理想通り機能していればね。実態は…。
南宋なんて中央は恩蔭組が幅を利かせ、地方は軍閥の天下でしょ。
明清と比べてとくに宋代の科挙制度が上手くいってたわけじゃない。
435 :
世界@名無史さん:2007/10/23(火) 04:14:47 0
明清こそ科挙は不正の温床だった。宋代が一番マシ。何事も始まりからしばらくは上手く行くものだ。
それに国力・文化が最も発展したのは宋代だ。南宋と北宋の差異はまた別の問題。
436 :
世界@名無史さん:2007/10/23(火) 04:35:29 0
> それに国力・文化が最も発展したのは宋代だ。
何を証拠にそんなこと言ってるの?
元代も引続き発展しているではないか。
> 南宋と北宋の差異はまた別の問題。
なに都合よく別問題にしてるんだよw
南宋を動かしてたのは恩蔭組と地方軍閥。しかも江南に追っ払われた弱小国家。
北宋も童貫や蔡京なんかが跳梁跋扈してた北宋末の時点でもう終わりじゃん。
するってと科挙がまともに動いてたのは、せいぜい太宗〜哲宗って事になるよ。
437 :
世界@名無史さん:2007/10/23(火) 11:03:08 0
>>432 科挙を取り入れた中国と朝鮮半島ほど党派争いを国が傾くの関係無しに
延々とやり続けた例は無いかと。
438 :
世界@名無史さん:2007/10/23(火) 11:43:07 0
国力って難しいよね。
日本人が大好きな「経済力」もその国の一つの要素でしかないし。
人間で言えば「どれだけ食べてどれだけ出せるか」という性質で
その人の有用度をはかるようなもので、ちっとも正確には思えない。
ということでこういう基準はどうだろう?「その国の文化文物が
まねされる程度」。古代に栄えた国のさまざまな有形無形の産物は
周辺国に受け継がれ、またそれを戻して取り入れ相互に循環しながら
発展していくもの。だから支那が当時の世界でどのくらい栄えて
いたかは西方に支那の文物がどれだけ伝播したかである程度
見当がつくと思うのですが。
だから、科挙の制度自体が当時の最先端であるということがわかればいいよ。
党派争い延々と?結構じゃないか。最先端制度が齎した結果だ。
南北宋を同等に語ることは無理だろう。状況が違うんだから。
宋代の発展は確かに挙げるべき根拠を今持っていないが、唐・五代と続く宋代でそれまで以上に一気に文化が発展したのは事実。
唐代までは、中国で輸出されていたものは、黄金や絹などの一次産品だったが
宋代に入ってからは、陶器などの二次産品が大量に輸出されるようになった。
441 :
世界@名無史さん:2007/10/23(火) 15:58:56 0
>>439 >党派争い延々と?結構じゃないか。最先端制度が齎した結果だ。
最先端でさえあれば人民が疲弊してもokって狂人ですか?
大体党派争いなんて非効率な事やり始めた時点で単なる「使えない制度」でしか
ありませんよ。そんなものに価値なんてありません。
遊牧民から脱線しまくってますが…
>>441 あのね、党派争いなんていつの時代でもあるの。科挙に限らず。
それに科挙の負の面しか知らないようではお話にならない。もう一回勉強して来い。
444 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 00:25:55 0
>>439 新しいことやればそりゃ最先端だろ。で、そんな「最先端」に何の意味があるんだ?
宋代の科挙制度には殿試の導入→皇帝独裁制への制度的基盤創出という意義が
一応ちゃんとあるんだから、盲目的にマンセーしてないで普通に説明してみなさい。
> 南北宋を同等に語ることは無理だろう。状況が違うんだから。
自分で「宋代」と一括しているではないか。ドンだけお花畑な脳みそしてるんだ?
> 唐・五代と続く宋代でそれまで以上に一気に文化が発展したのは事実。
それは要するに前の時代より発展しましたマル
というのとどう違うのかね?「最高の文化発展を遂げた」とはえらい違いだぞ。
遼の仏教関連遺跡とか、別に北宋に劣っていたとは思えんけど。
>>440 唐三彩って知ってる?それに絹のどこが一次産品なんだよ。
445 :
世界@名無史さん:2007/10/24(水) 10:29:51 0
>>443 中国の党派争いは明らかに科挙が原因。
その害悪は計り知れない。
>>445 証拠というかどういう論理でそうなるの?
貴族制だった唐以前、科挙が停止された元代。
どっちも党派争いやってるぞ。
448 :
世界@名無史さん:2007/10/26(金) 17:22:31 O
とりあえず
>>426の空知識はあまりにもヒドイな
貴族の専横を容易にしたとか、見当違いもいい所。むしろ逆だ
唐代にあった蔭位の制のような、貴族に対する試験免除制度も無くなったし
受験資格も広く開放されていた。貧しい階級の人間が科挙を通る事もめずらしくは無かったんだよ
貴族階級が要職を独占していたとかは無い
てか、その前に宋代に貴族階級なんてほとんど残ってねーよww
当時の科挙は最先端かつ、有能な人材を最も採用できていた制度と言っていいと思う
あと、確かに中国には大きな派閥争いが多いけど、その原因が科挙と言ってる人は何を根拠にしてるの?
449 :
世界@名無史さん:2007/10/28(日) 04:30:43 0
450 :
448:2007/10/28(日) 19:47:07 O
いやいや、俺はこのスレに書き込んだの初めてだったよw
あまりにも事実に反する事を言う奴がいたから気になっただけ
誰も、具体的にそこを突っ込まなかったからさ
451 :
世界@名無史さん:2007/11/03(土) 02:21:50 0
ど素人が流れぶった切って質問。
遊牧民が中原に征服王朝を立てて漢民族を支配するでしょ。
で、そのあと「皇帝になった一族」以外の遊牧民たちは何になるの?
貴族? 軍人? また長城の外に戻って遊牧生活?
北魏では上流階級が貴族化、中流程度は世襲軍人化した。
特に洛陽遷都以降は北方の中央貴族となった層と北方の軍事拠点に残された層にえらい差が出てきた。
結局北方に残留した軍人が反乱を起こして北魏は滅亡した。
北魏や隋・唐のような北朝系の王朝は、
やはり、漢化しても騎馬兵を主力としていたのでしょうか?
アホな質問だけどエロい人教えて。
454 :
世界@名無史さん:2007/11/04(日) 05:50:45 0
456 :
世界@名無史さん:2007/11/24(土) 19:02:49 O
457 :
世界@名無史さん:2008/01/02(水) 19:34:00 0
匈奴、突厥あたりが好きかな
ケツを突くから、突厥。
その後裔のオスマン王朝は征服地のヨーロッパ人の貴公子を集めて小姓に取り立てる、
マムルークは捕虜を……
デヴシルメは一般庶民とかから徴集してたらしいけど
460 :
世界@名無史さん:2008/03/20(木) 19:04:00 0
異民族が漢人の傭兵になって
異民族が華北に増える
異民族が反乱を起こす
そして争ううちに異民族が漢人になる
この繰り返しなんだろうな
未だに中国史を循環で捉える奴がいるんだなあ。
>>461 中国の歴史は同じパターンばっかりやってるようにしか見えんよ
463 :
世界@名無史さん:2008/03/21(金) 19:20:29 0
>>461 461は、しっかりと説明すべき
明らかに説明不足
464 :
世界@名無史さん:2008/03/23(日) 13:21:53 0
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
465 :
世界@名無史さん:2008/05/17(土) 20:52:00 0
なるほど!
>>461に言いたいことは、
「進歩史観で捉え直せ」ということだな!
466 :
世界@名無史さん:2008/06/12(木) 14:42:50 0
sage
467 :
世界@名無史さん:2008/06/13(金) 01:44:57 0
もう遊牧民国家って無理なのかなぁ
ある程度の版図を維持し定住型都市ではなく
かつその中で季節ごとに首都も都市も首都機能も移転する草原の流浪国家
世界に一つぐらいそういう国があってもいいなぁ
ここ50年ぐらいでどの国も同じような形態になっちまってまたく魅力がなくなっている
もっと個性を!!
468 :
世界@名無史さん:2008/08/21(木) 03:15:33 0
469 :
世界@名無史さん:2008/09/17(水) 16:28:24 0
470 :
世界@名無史さん:2008/11/10(月) 01:13:15 0
数年前に岡田英弘氏が「sapio」に中国史に関する論文を寄稿してたけど、
その論文中で「後漢が滅亡した2世紀以降、中華民国が出来る以前には漢族の王朝は明の300年足らずしかなかった云々」って書いてた。
隋は遊牧民系、遼は北アジア系とか詳しく書いてた。
471 :
世界@名無史さん:2008/11/10(月) 05:57:33 0
遊牧民−Wikipedia
中華帝国を例に取れば、漢・宋・明以外は遊牧民の王朝そのものか、その援助によって成立していた。
ただし、漢もまた武帝以前は匈奴の属国も同然であり以後も姻戚関係にあり続けた。
さらに宋の建国の背景となった中核軍事集団は沙陀突厥系の遊牧民軍団を源流としていた事と、
明が王朝の軍事力として多くのモンゴル集団を取り込んでいる事を考慮すると、
遊牧民の支配を跳ね返した漢民族王朝と呼ばれることの多いこれら二王朝も、その政権維持を支える軍事力の背景は遊牧民の影とけっして無縁ではない
宋は支那文明の終わり花みたいなものだ。
技術や社会制度の進歩が無い支那文明が、余ったエネルギーを享楽に注ぎ込んで
絵画芸術が華やかになったに過ぎない。
日本の中世の行き詰まった、徳川幕府期の元禄文化や化政文化のようなものだ。
473 :
世界@名無史さん:2008/11/13(木) 02:46:17 0
質問ですが、
ウィキの漢民族の項目に「日本の学界では唐王朝の皇帝の一族もまた鮮卑系の北方民族に近いものであると考えられている」や、
唐の項目に「唐李氏は鮮卑系であるとの見解が戦時中に日本の宮崎市定によって出され、以後日本学界ではこの考え方がほぼ定説となっている。
なお、近年の中国では、宮崎説を「日本軍の中国支配のために持ち出された論説である」と批判する見方もなされている。劉及辰『京都学派哲学』(光明日報出版社 1993年)または『日本対中国的文化侵略』叢書 (昆侖出版社) 」
といった記述があるのですが、これはつまり中国の学界では唐李氏は鮮卑人ではない。あるいは鮮卑人とは認めていないという事でしょうか?
台湾の学界や韓国の学会やアメリカの学界等の日本以外の学界では唐李氏=鮮卑人は定説とはなっていないのでしょうか?
474 :
世界@名無史さん:2008/11/16(日) 03:20:11 0
岡田英弘氏って評価どうなんですか?
科挙を単なる登用試験制度のように勘違いしてるバカがはびこってるなぁ。
「みなさーん、試験で官吏を選びますよー。
試験範囲はここからここまで。
登用する官職はこれとこれ。
試験の日程と応募要綱は、かくかくしかじか。」
なんて方法でやってたイメージで捉えてるから、そういう勘違いをする。
実際の科挙は、募集要項も日程も登用する人数や官職も、どの時代の科挙にしたって
すべて非公開。
判っていることは、下級の試験ですら、相応の官職にある者の推選が受験資格。
コネと財力が推薦を得られない、官職に就いてる者しか試験の日程や応募のしかたすら
判らない。
試験によって有能な者を官吏に登用する名目が、結局のところは、特定の縁故の者が
官職を占め。賄賂社会を築く原動力にしかならなかった。
476 :
世界@名無史さん:2008/11/16(日) 09:55:48 0
落第したとはいえ、客家の生まれの洪秀全が何度も受験してるし、
両替屋の番頭の息子の蔡元培にいたっては合格して任官してるけどな。
客家ネットワークを駆使しても金が続かなければ受験できるだけ。
両替屋というは立派な特権層じゃん。
銀行と蔵役人と徴税官とを兼ねてるようなもので、商人でありながら支配層の一部。
当然、財力もある。コネもカネも任官するまで続く。
478 :
世界@名無史さん:2008/11/16(日) 11:56:37 0
蔡元培の親父は両替屋そのものじゃなくて、使用人である番頭だろ。
479 :
世界@名無史さん:2008/11/17(月) 00:03:18 0
:世界@名無史さん:2008/11/15(土) 11:41:55 0
日本人は外国の王朝の"帰属の基準"を
血統に偏らせ過ぎてるといわれた
たとえば中国の学界は、隋や唐を当然ながら純然たる中華王朝、
すなわち、漢民族の王朝とみたがる(というか断定してる)
ところが日本の学界は、隋や唐の初期の皇帝が草原の出身
すなわち万里の長城の外、遊牧民の血統者であることに粘着し
隋や唐を半征服王朝といった位置づけで捉えている
つまり近代国家成立以前、国境などあってなかったような大陸では
隣の民族と血統を峻別することなど不可能、という諦念があって
その王朝の帰属条件を文化に求める傾向がある
つまり祖先が遊牧民であっても、漢民族の言葉をしゃべり、
漢民族の服装、文化、つまり風俗を受け入れた者は
漢民族に認定する、という感覚をもっている
一方、古代から海で国境を隔てられてきた日本人は
自他の民族の血統を峻別しようとする傾向がすさまじい
とっくに混血してトルコ化しているティムールの一族を
祖先がモンゴルから来たからモンゴル人だ、などというのは
日本人の血統信仰の証左に過ぎまい
480 :
世界@名無史さん:2008/11/17(月) 05:33:20 0
岡田英弘氏って評価はどうなんですか?
一流学者?二流学者?三流学者?
481 :
世界@名無史さん:2008/11/17(月) 14:57:02 0
>>480 おいらの個人的な感性だが、一流であるのは間違いない、
ただ少々癖が強いとは思うのだがww
まあ、網野さんだってかなりの左翼だったからなぁww
この辺のところは笑い飛ばすしかあるまい。
>>478 両替屋の番頭は両替屋でないとでもいうのか。
まぁいいや、それで、蔡元培の親父を雇っていた人の名前は?
支那人は家族経営で、日本の幕藩時代の商人にあったような上級の雇い人とオーナーとに
血縁が無いようなことは滅多に無かった出よ。
>>479 唐は中国最大の領土の上日本に一番影響のある国だから
漢民族ってことにしとかないとあいつらの面子が維持できないんだよw
唐の鮮卑の子孫は今の漢族だけどな。
華北を領土としてモンゴル高原の柔然と死闘を繰り広げた
北魏の鮮卑も遊牧民と呼べるのだろうか。
>>479>>483 「週刊東洋経済」5月3日・10日合併号の総力特集「中国と世界経済」に、
「韓国ジャーナリズムの大御所」って肩書きで趙甲済っていう韓国のジャーナリストが論文寄稿してるけど、
その論文中に、「新羅は唐と手を組み、百済、高句麗を滅亡させた後、今度は唐が新羅と戦った。これを新羅ははねのけ、
統一を果たした歴史がある。その後、文化的友好の時代が大陸とは続いた。特に唐、宋、明といった“漢族政権”との友好時代だ。」
って書いてあるけど、唐が漢族ってこのジャーナリストの勘違いなんでしょうか?それとも韓国では唐=漢族なのでしょうか?
486 :
世界@名無史さん:2008/11/19(水) 23:07:36 0
数年前に岡田英弘氏が「sapio」に中国史に関する論文を寄稿してたけど、
その論文中で「後漢が滅亡した2世紀以降、中華民国が出来る以前には漢族の王朝は明の300年足らずしかなかった云々」って書いてた。
隋は遊牧民系、遼は北アジア系とか詳しく書いてた。
487 :
世界@名無史さん:2008/11/19(水) 23:12:15 0
遊牧民−Wikipedia
中華帝国を例に取れば、漢・宋・明以外は遊牧民の王朝そのものか、その援助によって成立していた。
ただし、漢もまた武帝以前は匈奴の属国も同然であり以後も姻戚関係にあり続けた。
さらに宋の建国の背景となった中核軍事集団は沙陀突厥系の遊牧民軍団を源流としていた事と、
明が王朝の軍事力として多くのモンゴル集団を取り込んでいる事を考慮すると、
遊牧民の支配を跳ね返した漢民族王朝と呼ばれることの多いこれら二王朝も、その政権維持を支える軍事力の背景は遊牧民の影とけっして無縁ではない
489 :
世界@名無史さん:2008/11/20(木) 19:18:58 0
元王朝は、支那支配のために中原王朝風の帝号だの国号だの使い始めた時点で
漢人王朝なのか?
中華のシステムを取り入れたのは支配の手段。
元の支配者はモンゴル人であり続けたから、元はモンゴル人王朝。
漢人ってのは、民族のアイデンティティーを捨てて最大公約数に埋没した者のこと。
だれもおまいぃの考え方なんぞ訊いてないわい
494 :
世界@名無史さん:2008/11/23(日) 13:54:00 0
元=モンゴル
清=満洲
その他=漢族
でFA?
496 :
世界@名無史さん:2008/11/26(水) 00:48:55 0
>>494 ……とりあえず五胡十六国と
その他大勢扱いの国名・始祖・存続年・民族あげときますね
前涼 張軌 301年 - 376年 漢族
前趙 劉淵 304年 - 329年 匈奴
成漢 李特 304年 - 347年 巴賨
後趙 石勒 319年 - 351年 羯
前燕 慕容皝 337年 - 370年 鮮卑
前秦 苻健 351年 - 394年 氐
後燕 慕容垂 384年 - 409年 鮮卑
後秦 姚萇 384年 - 417年 羌
西秦 乞伏国仁 385年 - 431年 鮮卑
後涼 呂光 389年 - 403年 氐
南涼 禿髪烏孤 397年 - 414年 鮮卑
北涼 沮渠蒙遜 397年 - 439年 盧水胡
南燕 慕容徳 400年 - 410年 鮮卑
西涼 李ロ 400年 - 421年 漢族
夏 赫連勃勃 407年 - 431年 匈奴
北燕 馮跋 409年 - 436年 漢族
<五胡十六国以外の国>
仇池 楊茂捜 296年 - 506年 氐
代 拓跋猗盧 315年 - 376年 鮮卑
冉魏 冉閔 350年 - 352年 漢族
西燕 慕容泓 384年 - 394年 鮮卑
翟魏 翟遼 388年 - 392年 丁零
後蜀 譙縦 405年 - 413年 漢族
宇文部 宇文莫圭 302年 - 344年 鮮卑
段部 段日陸眷 310年 - 357年 鮮卑
例えば祖父がアメリカ人で日本にずっと住んでたアメリカ系日本人は
日本人といえるだろう
異民族も争いを繰り返しながら同化していったと言えるんじゃない
後漢末の人口減があるので一つの時代が終わった感じだね
異民族が必要だったんじゃね
499 :
世界@名無史さん:2008/11/29(土) 02:42:21 0
>>480 学者としての業績は間違いなく一流。
だが最近はただのボケ爺さん。
501 :
世界@名無史さん:2008/11/30(日) 01:43:16 0
先祖が遊牧民で漢族になったのが多い割には
現在遊牧民に無理やり寒冷地で農業やらせて土地を砂漠化したり
満州族ほぼ滅ぼしたり先祖の気持ちを分かってやれない奴が多いんだな
503 :
世界@名無史さん:2008/11/30(日) 02:34:51 0
漢民族って概念が出来たのは1900年くらいだからね〜
匈奴〜モンゴルまでの、北方民族をそもそも中国史で語るのがおかしいんであって・・・
万里の長城以下だけだろ、中国史に入れるのは。
>>503 かといって、モンゴルならともかく、それ以前の北方民族に関しては
漢文史料以外が殆どないから、どうしても中国史の視点になってしまいがちだよなぁ。
匈奴なんて絶望的だし。
505 :
世界@名無史さん:2008/12/01(月) 06:16:55 0
>>502 明治元年頃には人口の82%が農民だった今の日本人で、たとえば、稗と稲との見分けが
ついたりしないじゃん。田植をする深さとは間隔とか判らないし、水をどれだけ張るのか
とか全く判らないで。
507 :
世界@名無史さん:2008/12/05(金) 01:24:37 0
>>480>>481>>500 岡田英弘氏って凄い中国の事を批判してるよね。
中国が好きだから中国研究してるって学者はたくさんいるけど、
中国が嫌いだから中国の研究してるって学者はあまりいない。
まぁそういう人が居ても、構わないでしょ
研究の成果が色褪せることでは無いし
ロシアは遊牧国家の後継といえるのかな?
単純な遊牧国家の後継ではなく、遊牧的(つかモンゴル的?)的要素も取り込んだ国家じゃね?
杉様史観と言われるかもしれないが、それなりの影響を受けたのは事実でしょうし
遊牧民は近代には対応できなかった
ロシアは遊牧民じゃないけど
その性質は遊牧民の後継だろう
軍事はいまだに脅威であり西洋諸国は警戒してるしね
>その性質は遊牧民の後継だろう
どの辺が?
>>512 昔よりはましになったかもしれないが
ほとんど信用できない外交姿勢・戦後レイプ
軍事的脅威度など
>>513 そういった点は19世紀ぐらいまでは他のヨーロッパ諸国と大差ないだろう。
またロシアが本格的に軍事的脅威になったのはピョートル大帝による近代化後だ。
それまではどっちかというとスウェーデンやポーランドの脅威を受ける側でもあった。
少なくとも西欧に限って言えばフランスの方が長い間そういう危険視される存在だった。
宋が正統、金や遼は周縁国、ということになっているけれど、当時の感覚では、
金や遼が正統で、宋の方が属国(周縁国・朝貢国)だったんだよね?
>またロシアが本格的に軍事的脅威になったのはピョートル大帝による近代化後だ。
それまではどっちかというとスウェーデンやポーランドの脅威を受ける側でもあった
昔は弱かったが立場が逆転することは歴史上よくあることで
遊牧国家の後継論と関係ないでしょう
例えば遊牧民も昔は従属してたが、その後に強くなった例を知らないとは思わないが
517 :
世界@名無史さん:2008/12/11(木) 03:03:21 0
岡田英弘氏の著作集って発売されると思いますか?
518 :
世界@名無史さん:2008/12/11(木) 04:11:46 O
人口比で圧倒的な漢民族が何度も周りのモンゴル人とかに征服された理由って何?
その度に興漢思想が巻き起こって異民族狩りが起きてるから民族的団結心が無い訳では無いんだよな
漢民族に関しては、そういう民族心的なのは近代に入って急に沸いたのでは無く
岳飛が未だにヒーローだったり昜家将の人気を考えると昔から有ったような気がする
520 :
世界@名無史さん:2008/12/11(木) 08:25:47 0
もし帝政ロシアが東北部と華北部を領土に併呑していたらどーなってた?
521 :
世界@名無史さん:2008/12/11(木) 12:37:06 0
東北部は沿海州のようにロシア化していただろうな。
>>518 基本漢民族は気質的に軟弱だからね
2次大戦の時も戦闘中でも飯が冷めてると食わないようなやつらだったし
イタリア人と通じるとこがある
過酷な生きるか死ぬかの遊牧性格してる尚武の精神の奴らに勝てるわけねぇよ
>>518 遊牧民はほぼ全員を高機動性の戦闘員に使える。
農民を戦闘員にするのはかなり手間。馬の調達も訓練も大変。
>>521 しかしロシア統治下においてもどんどん漢族が流入していたので
沿海州とはかなり様子が違ってたと思う。
遊牧民族は騎馬民族(?)で漢民族は農耕民族だから武力に勝る遊牧民族に漢民族は支配され続けてきた、みたいな事を書いてある本を読んだ記憶がある。
農耕系の日本人にも漢民族はふるぼっこだけどなw
日本人が暴れた時代は遊牧民の軍事的優位性も失われていたから
農耕系とかは関係ないだろうけど。近代文明をいかに取り入れる
ことが出来たかどうかが主因ですかねー。
527 :
世界@名無史さん:2008/12/13(土) 02:42:55 0
岡田英弘氏の著作集って発売されると思いますか?
日本が農耕系とか欧米人が狩猟民族とかいうばかって未だにいるのがふしぎ。
明治期のトンちん学説や自称学者、無学文学者じゃあるまい・・・
>>516 >昔は弱かったが立場が逆転することは歴史上よくあることで
>遊牧国家の後継論と関係ないでしょう
それは遊牧民的性質のひとつとして「軍事的脅威度」を挙げている
>>513に言うべきでは?
>>526 ただの海賊の倭寇に沿海部荒らされまくるようなのだから普通に弱いだろ
>>528 先祖はともかく江戸時代は百姓80パーなんで間違いではない
>>530 でもまあノルマン朝とかマグレブの海賊共和国のように
中国沿岸に倭寇国家作ったわけでもないようだし。
>>531 中世ヨーロッパも似たようなもんでしょ。
534 :
世界@名無史さん:2008/12/15(月) 02:50:18 0
>>507 中国政治の中嶋嶺雄や中国経済の渡辺利夫も同じタイプ。
中国嫌いの中国研究者。
とりあえず、雑胡でも漢族を自称すれば漢族認定という事で?w
>>534 多分、最初は好きで始めたけど色々と知るうちに嫌いになったか、今の中共が嫌いかのどちらかではないかと思われ。
536 :
世界@名無史さん:2008/12/18(木) 12:49:49 0
岡田英弘氏のウィキに満州史とモンゴル史で世界的業績をあげたって書いてある。
537 :
世界@名無史さん:2008/12/19(金) 00:37:55 0
中華の史書を読むと、中華を征服した北方遊牧民族も中華に帰化してしまう
ように書かれているが、実際は文字だけが残って北方遊牧民のほうに
帰化されているケースが多いのではないかなぁ
上海や、香港がイギリスの植民地だった時代には両親が中国人でも
英国国教会の信者になるケースがあったみたいだしww
538 :
世界@名無史さん:2008/12/19(金) 02:06:55 0
>530
それを言うとイラクのゲリラを押さえ込めないアメリカは弱いことになる。
>>538 そうだよ、実際権威失墜しまくってるじゃん
30年前には考えられない
>>539 30年とちょっと前はベトコンを押さえ込めなかっただろ。
金の30騎馬隊が宋2000を破ったらしい