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何だこの小物荒らしどもは。
気になる「三国志平話」の結末
三国志平話が出版されたのは元の末期頃である。
平話と演義は大きく異なる点がある。
漢王朝建国の功臣である、韓信・彭越・英布。三人とも劉邦に粛清されている
三人だが彼らがそれぞれ曹操・劉備・孫権に転生し高祖劉邦は献帝に転生して
罪の償いをすると言うエピソードから始まる。
仏教的な輪廻転生・因果応報の反映であるが演義は儒教的正統思想
に基づくのでこれ等の話は採用されていない。
その二
結末も大きく異なる。
演義では怒涛の勢いで魏晋禅譲〜呉滅亡までが描かれ「滅びの美学」が終焉を迎える。
だが「平話」の終焉はこのようになる。
蜀が滅びた際に逃走した漢帝の外孫、劉淵が漢王となり晋を滅ぼして
漢を復活させる。
劉淵とは308年に漢の光文帝と称した人物である。彼が漢を自称したのは
匈奴に漢の公主が結婚していた事にある。すなわち劉淵は異民族系の漢族である。
よって劉備・劉禅とは関係はない。一種のこじつけのようなものである。
あぼーん
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やはり三国志改変小説は蜀が勝つように話を作り替えてしまうと面白くなくなりますね。
「蜀が負ける」からこそ三国志が生きてくるわけです。
ある意味2次大戦モノに似てる?
判官びいき感覚じゃないのかなあ。
判官贔屓的な要素を含む民間伝承が、北宋の頃には講談という形で発展していますものね。
講談で盛り上がって、平話、演義へとつながったのでしょうね。
957 :
455:2005/06/04(土) 11:50:25
>>950 張飛の出自が肉屋さんというのもその転生の話に由来がありますね。
>>951 三国志という物語のメインテーマは実は「無常観」です。つまり、いかに劉備が徳を示してみても
どれだけ関羽が義を貫いてもどんなに諸葛亮が知恵を絞ってみても、あるいはどんなに姜維が
あがいてみせても、最後には全て無に帰す、んです。
というわけで、
>>954の通り、物語が「生きる」んでしょうね。
>>955-956 講談というスタイルが逆に判官贔屓を促進させていったのかもしれません。
>>957 >張飛の出自が肉屋さんというのもその転生の話に由来がありますね。
知りませんでした。できれば詳細を
959 :
455:2005/06/06(月) 01:04:34
>>958 張飛が転生した、とは書いていませんが、三国志演義の文章に特徴があります。
劉備・関羽は科白部分が文語であるのに対し、張飛は口語で喋っています。これは
史記の鴻門の会の劉邦・張良=文語、樊カイ=口語という位置付けに共通します。
そしてこの樊カイ、屠殺業でした。
ここから、張飛という人物には「樊カイ」を追随する役割を担っているわけです。
>>959 ありがとう御座います。
演義の作者も手が込んでますね。武将(魏・呉)の死亡時期を利用して
見事に戦死に作り変えている場合もあるし。
ただ地理関係があやふやですが・・・
許柔…
ここを見たら宮廷内の議論に意見下さい
>>962 屠殺業といえば、どうしても何進を思い出してしまいます。
何進は袁紹らを部下に持っていたわけですが、その政治力はどの程度だったのでしょう?
妹が皇后なのでそうとう政治的影響力を持っていたのではないでしょうか?
>>963 お久しぶりです。
皇后の肉親が大将軍に就任し政治を牛耳るのは外戚の典型的な例ですね。
弟の何苗も車騎将軍に任命されています。
西園八校尉のトップである蹇碩は司隷校尉以下、大将軍何進の統率権があったそうです。
補足、『老子道徳論』を著したり、『論語集解』の主編集である、学者何晏は何進の孫。
父?? 母が曹操の夫人となり、宮中で育った。
最後は曹爽とともに、司馬懿に誅殺される。
何進本人は屠殺業あがりなのでしょうが、孫は優秀だったのですね。
>>965 文帝の時は冷遇されて明帝の時にやっと官に就いたようですね。でも実権はない。
老荘思想に耽っている人物だったそうで。
そう言えば諸葛誕も老荘思想だったような・・・
「大司女」みたいな官職無いですか?
>>967 聞いた事ない官職だったので調べましたが確認できませんでした。
魏はその狗を得たり の諸葛誕ですか。
>>966 演義では諸葛亮らの従兄弟になっていますが、一族なだけみたいですね。
狗 ではなく優秀な方ですが、不遇と活躍を行ったり来りですよね。
征東大将軍にまでなりながら、司馬昭に反乱を起こし斬られましたね。
ところで、先祖諸葛豊は法家、諸葛亮らを保護した諸葛玄は儒者ですよね。
諸葛誕…老荘はちょっと調べつきませんでした。
970 :
455:2005/06/11(土) 10:37:35
劉備の字の「玄徳」は老子51章に出てくる「最高の徳」を示す文言です。
劉備自身、一応は学問を身に付けています。ここから、ある程度の学問を
身に付けている人ならば老荘は誰しも通っているのではないかな、と
思います。ので、法家や儒者のようにその人となりをくくるようなものでは
なく、もっとこう、一般的に普及しているんじゃないかなあ。また、儒者だから
とか法家とかで括りきれないんじゃないかなあ。李斯と韓非からして儒者の弟子だし。
現代日本人がクリスマスから1週間のちに寺社仏閣で手を合わせるかのうよう、
というと判りやすいかな。
演義は巷で広がった三国志の講談話(むしろ講談の台本)を集めて一つの物語にした物です。
その為客である人々の受けの良い形に語り手たちはあの手この手で話を加えています。(例えば10万の矢を集める話や苦肉の計の話など)
特に民衆心理として強いものを嫌い弱いものに同情するという流れがありそれが講談にも影響しています。
また成立した時代の宋代は都市の市民の力と文化が高まっており大衆文化が生まれていたと思いました。
うる覚えなので間違ってたらスマソです。
>>970 昔の学問は老子、荘子などを暗記するのがメインでしたからね。
恐らく学問を志した人なら多少なりとも影響を受けてしまうことはあるのではないだろうか。
>>971うむ、つまり蜀を贔屓しすぎてしまうという問題が出てしまうわけですな。
特に曹操や周瑜が可哀相過ぎる
>>970 「玄徳」にはそんな意味があったんですね。
とすると曹操の字「孟徳」にも何か特別な意味が?
974 :
無名武将@お腹せっぷく:2005/06/12(日) 22:17:20
孟に意味はないよ、いやあるけど
孟は主に庶流の長子に用いられる字。
>>975 補足、字について 当スレ
>>767 よりしばらく、字論議をしておりますので、ご参照ください。
宮廷 新体制討議の場に 趙休より新人事の成案が出ている
許柔 破才 東王公 勾汪伯 魏興の各氏
自身の人事案について 希望を
又 他の案に関して意見あれば…
なかなか埋まらないな!
ここは埋まらなくてもいい
むむむ・・・
981 :
劉秀:2005/06/13(月) 13:30:45
久しぶりです。
宮廷でオレの名前あるの見て登場しました。
でも、トリップ忘れちゃったな。
おまけに、劉秀は光武帝の名前だし、劉じゃ皇族みたいだしな。
改名&トリップ変更します。
劉秀から竇秀に改名し、参加するね。
今後はこのトリップでいきます!
仕方ないなクイズで勝負じゃ
劉秀コテが最初に仕えた、帝は誰じゃ?
昭烈帝陛下です。
うむー 正解じゃ
竇秀が本物
>>983 は偽者じゃ!
お待ち下さい
そんなの先に答えただけじゃないですか!
昭烈帝陛下の事を忘れるわけがないですよ。
自分が本物だと言う事を何とか証明しないと・・・
じゃ昭烈帝って誰のこと?
申し訳ありませんが質問の意味がわかりません