1 :
世界@名無史さん :
03/05/04 11:49 かつてローマ帝国は歩兵を戦闘の中心に置いた。 これによりローマは古代世界において圧倒的な強さを発揮した。 しかしアドリアノープルの戦いでローマが大敗して依頼騎兵を中心とする流れが一般化してきた。 ところがクレシーの戦い以後騎兵は徐々に没落の一途をたどった。 それに火薬が一層拍車をかけ始め、また歩兵が戦闘の中心に舞い戻った。 時代は戦車の時代になった。電撃戦により戦車の価値は一気に上がった。 これは騎兵の再来と言えるかもしれない。 今は戦闘の中心は戦車である。 しかし、また歩兵が中心になるかもしれない。
>>1 もう歩兵の時代になっているかも知れんぞ。
アメリカ軍にランドウォリアーが配備され、
今回のイラク戦争でも実戦投入されたからな。
ランドウォリアー
簡単に言えばIT装備をした歩兵。
>>2 それは戦場の情報化が進んだだけで。
戦車もデータリンク化が進んでいる事だし。
やはり陸上戦闘の中心は戦車でしょう。
ただ第四次中東戦争のエジプト軍によるイスラエル戦車隊撃破は現代のクレシーかもと思っております。
4 :
世界@名無史さん :03/05/04 12:01
騎兵の価値が上がったのは、鐙の発明から それまでは、重武装出来ないし突撃も出来なかった。 晋の滅亡から隋の成立までにおける重騎兵の役割を扱った本って無いかな?
5 :
世界@名無史さん :03/05/04 12:37
>>4 ハンニバルの時すでに騎兵って評価されてなかった?
>>4 重装甲できなかったのは事実ですが、長槍での突撃はできていたのでは?
アレクサンドロスの騎兵は、衝突力を活かした決戦兵力として活用されていましたし。
ヌミディア・ガリア・ゲルマン騎兵は、剣装備の軽装騎兵ではありましたが白兵戦騎兵でした。
(軽装弓騎兵を大規模活用したのは、ローマをカッレの地で敗退させたパルティアのスレナスを嚆矢とします。
カエサルが若きクラッススに託したガリア精鋭騎兵の突撃も、軽装弓騎兵の公算射撃の前に壊滅しています)
誰か、フランク王国騎士についての資料を見せてくださると嬉しいのですが。
フランクの主力は小規模白兵騎士集団のはずなのですが、当時の戦いの資料を見たいので……。
やはり『アーサー王物語』で描かれていたように、実戦では下馬戦闘が主流だったのでしょうか?
7 :
世界@名無史さん :03/05/04 12:45
パワードスーツ装備の機動歩兵が出てくれば、歩兵中心になるだろう。
>>7 それはどうだろう。
P.S.携行の火器で貫通できない装甲と、P.S.を貫通できる火器を装備した大型戦闘兵器が出現すると思う。
いやそれ以前に、パワードスーツは、個人運用できる安上がりな戦車という役どころではないか?
高速機動でき、大威力の火器と小銃で貫けない装甲を持つ、人型の戦車。それが、パワードスーツ。
9 :
世界@名無史さん :03/05/04 13:06
人型の戦車・・・ そして巨大ロボ時代の幕開け・・・!
11 :
二足歩行の話はおいといて(w :03/05/04 13:12
あくまで「戦争の帰趨を決する重要拠点を面制圧する歩兵」を支援するための 道具が「帰趨にいたるまでの前段階の戦闘(現代的な電撃戦)が可能な戦車部隊」で し。
このスレのどこが世界史板で扱う内容なんだ? 軍事板へいけ。 ただでさえ戦史スレは飽和気味なんだから。
現代戦は火力と機動力の連携であり、両者を高いレベルで連携されることが求められる 故に歩兵中心とか戦車中心という発想は正しくないと思うが 鐙の普及は8世紀頃だが、フランク騎兵の重装化は既に6世紀頃から始まっている 故に鐙が騎兵の重装化を促してはいない 鐙の導入が大規模な騎兵軍の編成を可能にしたとする記録もない それ以前からフランクの騎兵の比率は上昇傾向にあったが、 鐙が登場した時期にその増加率が急上昇してはいないし、 鐙導入以前のカバラリウスが下馬戦闘を専らとしていた訳ではない 故に、鐙は優れた発明ではあるが、それによって騎兵の運用に大きな変化を もたらしたとは考えにくい
パワードスーツなどと呼ばれるロボットアニメ風歩兵が戦場の主役になるか否かは 歩兵に何を求めるかで決定される 戦車の戦術的な価値は機動力であり、ロボットアニメ風歩兵が戦車の価値を否定できるとは 考えにくい 更に、ロボットアニメ風歩兵が機械化歩兵の役割を肩代わりできるとも思えない以上、 ロボットアニメ風歩兵が実用化されたとしても、やはり歩兵戦闘車に乗り、 戦車と連携して近接戦闘に従事することになるだろう
15 :
世界@名無史さん :03/05/04 16:55
機動力を備えた歩兵が機械化歩兵である。 今現在では戦車を中心にロシア、アメリカの機械化師団は構成されているが、機械化歩兵中心に部隊が構成されれば歩兵の復活と言えるかもしれない。 そのためには歩兵の持つ携帯火器が戦車を圧倒できる性能を持たなければならない。
16 :
世界@名無史さん :03/05/04 17:02
一時期、戦車不要論が唱えられたが、戦車が復権したのは、核兵器や生物兵器につよい ことが見直されたから。 パワードスーツが汚染地域でも活動することが可能になれば、戦車の相対的地位は下がる はず。 後、騎兵と言っても、重装騎士(カタクラフトみたいな)と弓騎兵系(マングダイ等)は、 ひとくくりにはできないでしょう。
17 :
世界@名無史さん :03/05/04 17:04
>>14 内容はおおむね同意だが、アニメ風、アニメ風と言わんでくれ。
パワードスーツは本来、『宇宙の戦士』などの小説で使われた
アイデアだ。
そのとおり! ガンダムは史実だよ!!!
機械化歩兵師団の戦術遂行の中心となるのはやはり機械化歩兵なのだが 例えばロシアの機械化歩兵師団は3個機械化歩兵連隊と1個戦車連隊であり、 戦車を中心に構成されているとは考えにくい 歩兵が戦車を上回る火力を携行できるとは考えにくい そもそも戦車と機械化歩兵の任務は異なっており、歩兵が戦車の任務を 肩代わりすることは不可能であるし、その逆もまたあり得ない 戦車の戦術的な価値はNBC戦環境下での作戦能力ではなく、その機動打撃力にある パワードスーツ風歩兵が実用化されたとしても、戦車以上の機動打撃力を発揮できない限り 戦車の戦術的な地位は低下しないだろう
20 :
世界@名無史さん :03/05/04 18:36
ナポレオン戦争時も、日露戦争時も、騎兵は立派な独立した兵科として存在してましたな。 別に歩兵と張り合って、片方が流行ると片方が沈んだ訳じゃない。
21 :
世界@名無史さん :03/05/04 19:34
>>19 普通、戦車師団と機械化歩兵師団の複合で軍及び軍団を編成すると思うのだが。
で、どっちを中心におくかは国ごとに違いすぎるので何とも言えない
一ついえるのはどちらの兵科も必要という事。
騎兵の時代においても基本的にはそうだったと思う。
ただやはりどっちを中心に置くという事はあると思うわけで。
ローマが歩兵中心の時、ペルシアは騎兵中心なわけだし。
やはりいつの時代も国によって違うんじゃないかな。
また戦車の機動力はある程度平らな所で発揮されるわけで。
山岳地形では歩兵の方が機動力があるとも言えるかも知れない。
古代に話を戻せばローマが歩兵中心なのはイタリアが山岳地帯だからだったし。
戦車、歩兵の価値/騎兵、歩兵の価値などは国によって違ってくるかもしれない。
>>21 「機械化歩兵師団」の中核となるのは「機械化歩兵」といってるだけだが何か?
むろん「戦車師団」の中核となるのは「戦車」なのだが?
第二次世界大戦でソ連の調達した馬は、荷物運搬用も含めて350万頭。 ドイツでは2750000頭。 ナチス・ドイツ軍は自動車を活用したことで有名だが、 ソ連侵攻の際には、約75万頭の馬を伴い、一日に1000頭近くの 馬を失った。
24 :
世界@名無史さん :03/05/04 19:52
>>22 あんたずっといるな。
てかトリップつけてなかったっけ。
まあいいや。
>>械化歩兵師団」の中核となるのは「機械化歩兵」といってるだけだが何か?
話の流れ的に陸軍の構成の中心は戦車じゃないじゃないか。と言っているのかと思った。
戦車の発展の過程やその運用を見れば、 近代以前の騎兵と同列に論ずるのは無理があるように思える 特に戦車の運用は騎兵のそれよりも歩兵に近い部分も多く、 戦車が騎兵の戦術的な後継者とは言い難い
>>22 てか俺が機械化師団と書いたのを機械化歩兵師団と勘違いしたか。
そうだったらスマソ
陸上戦の主役は、今やチョッパーと思われ。 イラク軍戦車がアパッチにボコボコにされますた。 制空権なくして地上軍は無意味。
28 :
世界@名無史さん :03/05/04 20:04
銀輪部隊はどっちになりますか?
29 :
世界@名無史さん :03/05/04 20:11
>>25 騎兵にも多様な種類があり。
二次大戦までは戦車にも多様な種類があった。
31 :
世界@名無史さん :03/05/04 20:56
>>30 あなたが言っている戦車の種類と騎兵の種類を特定していただかないとなんとも言えない。
>>30 近代以前の騎兵と言ってもなぁ。
戦車はMBTの事を言いたいんだろうけど。
発展や運用の過程の話をしてるんだがな 細かい話がお好みか?
>>33 発展や運用の話なら兵科の種類も関わってくるはずだが。
細かい話キボン
戦車のお話しはスレ違いで怒る人もいるだろうからやんない
36 :
世界@名無史さん :03/05/04 21:08
マークIやAV7と、M1やレオパルト2がひとくくりに扱えると思っているバルタン星人がいる スレはここですか?
>>35 部外者だけど、聞きたいです。
お願い出来ませんか。
騎兵の発展の過程と戦車のそれとには断絶があると言ってるだけなんだが 誰が黎明期と21世紀の戦車を一緒くたにしたのかな? やけにつっかかる御仁がおられるようだな
>>38 いや私以外に少なくとも2人はいるようだが。
レスしないから話を聞きたいのだが。
>>37 自分で調べるか質問スレで聞けば?
細かい話はさすがにスレ違いだから自分ももうしない
ああそうだね、確かに
>>1 に書いてる
スレ名になかったもんで申し訳ない
44 :
世界@名無史さん :03/05/04 21:18
話が途切れた。 さてみなさんこのクソスレをどう処理しましょうか? バルタン閣下なしで何が出来るのか?
45 :
世界@名無史さん :03/05/04 21:21
騎兵=世界史板 戦車=軍事板 よってこのスレは板違い。
46 :
水 ◆rDhngbng2E :03/05/04 21:23
>>45 んじゃ騎兵について語ればいいじゃん。スレタイにも歩兵と騎兵って書いてあるし。
>>45 軍事板にも騎兵あたりを語るスレはあるようだけど?
48 :
世界@名無史さん :03/05/04 21:25
戦車っていっても、ベン・ハーとかに出てくるやつなら板違いじゃないでしょ。
51 :
世界@名無史さん :03/05/04 21:29
まあ軍事板でやった方が
>>1 の話題は盛り上がるかもしれない。
誰か軍事板に立ててこいよ?
え?お前がやれって?
スマソ無理でした。
52 :
水 ◆rDhngbng2E :03/05/04 21:30
「板違い」と書きまくるより歴史の話した方がいいじゃん。 細かいことは気にしないでマターリとやろうよ。
53 :
世界@名無史さん :03/05/04 21:34
>>52 バルタンがいなくなって話題が途切れてしまった。
誰かネタ振りしる!!
とりあえあず偵察騎兵が軽戦車へそしてそれが装甲車になったという流れはあると思う。
>>53 >>偵察騎兵が軽戦車へそしてそれが装甲車になったという流れはあると思う。
で、そのような結論出して何を語れと?
世界史板には俺を含めて戦車と騎兵、両方に詳しい奴はいないから盛り上がれないと思うんだが・・・
55 :
世界@名無史さん :03/05/04 22:10
軽騎兵の役割としては、警戒、偵察、援護、追撃などがある 軽戦車もほぼ同じだな。 ただ、軽騎兵は歩兵の援護を必要とせず 単独兵科としての利用が可能だったのに比べ 軽戦車は、歩兵の支援がないと脆弱って違いがあると思われ
凄い不毛なスレだな。 揚げ足取りばっか。
あと我が儘な教えて君とな
59 :
世界@名無史さん :03/05/04 23:12
>>55 警戒、偵察、援護においては、軽騎兵は歩兵の協力をそれほど必要としない
なぜなら敵の強力な抵抗に合った場合、これらの任務においては
軽騎兵は離脱すれば良いからだ。
62 :
世界@名無史さん :03/05/04 23:20
軽戦車が廃れた理由は、機動力において優越していても 遭遇戦などで中戦車に対抗できなかった事にある。 火力と装甲で劣位にあれば、少々の機動力における優位なんて意味がない。 軽騎兵と重騎兵の関係では、上記の関係はなりたたない。 それが軽騎兵が常に有効な戦力であった理由でもある。
>>62 廃れたというか、装甲偵察車になったんだがな。
64 :
世界@名無史さん :03/05/04 23:30
現代ではATMの発達で小さな車体でもやろうと思えば戦車を倒せる位の性能があるものもあるがな。 ま、あくまでやろうと思えばだけど。
>>63 装甲偵察車になったというか、MBTに吸収されたんだがな。
>>65 軽戦車が廃れた当時。
MBTは存在してないと思うけど。
>>66 MBTは存在してないというか、今でも軽戦車は使われているんだがな。
>>67 軽戦車が使われてるって?
例えば何でしょうか?
>>69 教えて君云々の前に君が調べてみろよ。
軽戦車なんてものは存在してないぞ。
>>70 CV90120やM41DK-1、スコーピオン、PT-76もまだまだ現役だったな。
どこに存在してないって?
流れを無視して。 騎兵はアッシリアの時代から少しずつ少しずつ増えてきたと認識してますけど、 なぜ「少しずつ」しか増えられなかったんでしょうか。 ・戦術的に有効な兵科だということの認識が遅かった ・多くの馬を維持する余剰生産力がなかなか生まれなかった ・馬の品種改良に時間がかかった ・騎乗戦闘に必要な道具の開発に時間がかかった 適当にこんな感じですか?
74 :
世界@名無史さん :03/05/04 23:53
偵察装甲車と軽戦車の違いは、軽戦車が戦闘を主眼とし 強行偵察や軽度な防御陣の突破、追撃などをも行うのに対し(もちろん例外はある) 偵察装甲車は、あくまでも偵察が主眼で 強行偵察や突破などは、副次的なものにすぎない点にある(もちろん例外はある) 現在のMBTが、軽戦車と重戦車の役割を吸収したが 高価すぎ貴重すぎて、通常の偵察任務まではさすがに行えない。(もちろん例外はある) その任務は偵察専門の車両や軽車両が受け持つのが普通だ。
>>74 アメリカやロシアの偵察部隊にはMBTが配備されてるんだがな。
装輪のものも含めれば、軽戦車は世界各国で使われている 特に近年のPKO任務の増大はこの手の軽戦車の需要を増加させている 軽戦車が使用される余地はこれからもなくならないだろう
ていうかさ、現代の兵器の違いを掘り下げるなら軍板でやって
78 :
世界@名無史さん :03/05/04 23:58
>>73 熟練が必要な兵科であったことと、南方の農耕民国家では
軍馬の量産が難しい事にあると思う。
古代の医療技術では、落馬はかなりの確立で再起不能になる怪我を引き起こしたと
思われるし。
また、都市においては、馬を保有するコストは極めて高い
遊牧国家以外では、国家もしくは貴族や、裕福な商人階級のみが軍馬を保有出来るのが
ほとんどだっただろう。
え? こういう掘り下げた話がやりたかったんだろ?
80 :
世界@名無史さん :03/05/04 23:58
81 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:00
>>75 ついでに、強行偵察と普通の偵察の違いを勉強されたい。
アメリカ重師団の偵察部隊におけるMBTは強行偵察用途である。
>>80 通常の偵察任務にMBTを使用しないと決めつけるほうがむしろ例外なのだがな。
>>81 隠密偵察の場合はMBTは愚か装甲偵察車も使わないのだがな。
>>81 それと、「強行偵察と普通の偵察」ではなく「強行偵察と隠密偵察」なのだがな。
ところで軽戦車は存在しないって言ってた香具師はどこ行った?
たまたま見つけたけどこの流れだとスレそのものが板違い どうして現代の話しかしてないんだ? 胸甲騎兵の話とかしようや
87 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:10
>>87 だから現在は軽戦車は存在してないとでも?
ところで第2次世界大戦型の軽戦車の定義って?
そんなの国や種類によって様々だったんだが
種類とかを特定していただかないとなんとも言えない。
89 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:14
>>83 隠密偵察の場合でも、車両は使用される
敵前まで、偵察兵がえっちらおっちら歩いて行くのは何時の話だろうか?
後退における火力支援や拘束、移動において偵察戦闘車両が必要ないと
思うならそう主張すればいい。
90 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:15
>>88 ならば軽戦車の種類と、その使用法を特定して批判すればいい。
現代戦で隠密偵察における進入要領の主流はヘリですが何か?
>>90 誰も批判なんてしていませんが何か?
自分は現在も軽戦車が存在していると言ってるだけですが何か?
ところで第2次世界大戦型の軽戦車の定義って?
93 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:18
>>91 では、隠密侵入の方法がヘリだけの国を挙げてみれば?
なんか軽戦車がいないっていってやつは、バルタン臭いな。 最初は一般的なことを言っておいて、突っ込まれると後から制約事項をつけてくる。 あんまり人と議論とかし慣れていないやつなんだろうな。
95 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:19
>>92 定義にこだわっているのは私ではない。
自分でどうぞ。
>>72 それらを軽戦車と呼ぶねぇ。
君もしかして例のページを見てるのかな。あのページだとそれらは全て軽戦車にしてあるからな。
まずCV90120、これは戦車駆逐車。これは対戦車戦闘を目的としている。
二次大戦の軽戦車とはまるで用法が違うんだけどな。そもそもCV90シリースにはもっと軽戦車に近い車両があるんのになぜそっちを挙げないんだろうか。
次スコーピオン、これは軽戦闘車。小型の車体に対戦車能力まで持たせた多目的戦闘車両。戦車戦まで考慮に入れてなかった。2次大戦中の軽戦車とは別物。例のページだとこれの派生型はなぜか対戦車戦闘車の項目に入ってるんだよなぁ(w
PT−76,これは水陸両用戦車だね。あのページだとなぜか軽をつけてるけどねぇ。これは渡河作戦の為だけに存在しているような車両。偵察を主体にした二次大戦の軽戦車とは違うんだけどな。
>>93 隠密侵入って何?
隠密偵察を行う際にヘリを使用しない国は恐らく軍用ヘリを保有していない国だけですが何か?
現代の隠密偵察の進入距離は百キロ単位が普通で車両でえっちらおっちらまず行くなんて考えられませんが何か?
むしろ車両を使っちゃうほうが例外ですが何か?
PT-76は偵察部隊でも使用されてますが何か?
100 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:25
で、軽戦車は存在するのかしないのかどっちなんだ?
101 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:27
>>98 歩哨外哨が存在する理由を知らないのか?
連隊が守備する主陣地がある場合、必ず前衛大隊もしくは前衛中隊が前衛陣地を敷く
これは、主陣地を隠掩蔽するためであり
攻撃側は、主陣地を確認するために偵察部隊を投入して前衛陣地を暴露しようとする。
徒歩もしくは車両による偵察が重要なのは、ヘリを使用した後方侵入だけではない。
>>98 が、偵察は戦線後方だけだと思っているのは了解した。
何で第二次大戦型の軽戦車=軽戦車なんだ。 別に時代とともに同じ名前でも内容が変わるのはよくあることだ。 それとも、多砲塔タイプの陸上戦艦的重戦車と、KV-1やティーガーI型以降の重戦車は全然別物 だから、どっちかは重戦車と呼んではいけないと言うつもりかな。
103 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:28
>>99 その偵察部隊は「強行偵察」を前提にした部隊ですか?
その区別が付かないと、MBTを装備した偵察部隊があるぞ!と
自信満々に主張する羽目になる。
104 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:28
>>101 君が言ってる偵察が「斥候」だと言うのは理解した。
しかし残念ながらそれは斥候であって偵察ではないのだが。
>>103 残念ながらロシアの師団偵察大隊はMBTとPT-76の両方を装備してるのだがな。
106 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:31
>>104 では、隠密偵察ってのはヘリを利用した場合だけに限られるんですか?
陸自のオートバイ偵察は、何偵察に該当するんでしょうか?
あれで強行偵察するんですか?
107 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:32
>>105 つまり渡河も視野に入れた強行偵察部隊ってことですね
それがなにか?
>>106 バイクで強行偵察なんて自殺強要ですが何か?
>>102 話の流れからしてあきらかに2次大戦の軽戦車の話をしているのに。
現代でも軽戦車はいるんだ!!
と騒ぎ出したらそれは違うだろという話になるだろ。
111 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:35
>>108 じゃあ
>>98 >隠密侵入って何?
>隠密偵察を行う際にヘリを使用しない国は恐らく軍用ヘリを保有していない国だけですが何か?
>現代の隠密偵察の進入距離は百キロ単位が普通で車両でえっちらおっちらまず行くなんて考えられませんが何か?
>むしろ車両を使っちゃうほうが例外ですが何か?
これは何?
自家中毒おこしてますが
112 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/05/05 00:36
>>73 >・多くの馬を維持する余剰生産力がなかなか生まれなかった
この点については、シャリオットのことを考えると疑問です。基本的に、有用な兵科があれば
それのために資金を惜しまないのはどの国も共通な気がしますし。
むしろ、社会情勢の要求な気がします。
ヨーロッパでは、ローマ末期は進入してきたゲルマン人との小競り合いが頻発化したため、
そういったものに素早く反応できる騎兵が主流になってきたとか。
中国では、匈奴に対応するための「胡服騎射」です。その後は遊牧民の進入などにより徐々に
増えていったかと。
日本では、飛鳥時代にいきなり出現して、いつの間にか戦場の花形になっていました。
>>111 どこが自家中毒だって?
陸自にも強行偵察部隊はあるから心配しなくていいぞ。
7Rcnとかな。
おっと正確には7Rcnの一部が、だがな。
第2次世界大戦型の軽戦車と言っても例えばドイツの2号軽戦車と3号軽戦車とでは 運用は全然違うのだがな。
116 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:41
というか、農耕民族の場合、戦闘用の馬を維持するためには、貴族階級のようなものが存在しないと 無理だった。(騎馬民族はみんな持っているから違うだろうけど) だから、ある程度階級分化が進む必要はあったんじゃないの。
117 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:43
>>113 全然
>>111 に対する返答になっていないのですが?
>>98 隠密偵察はヘリでやり、それ以外は例外ってのがそちらの主張
>>106 それに対して、陸自のオートバイ偵察は何偵察部隊なんですか?強行偵察?と聞いて
強行偵察は出来ないと返答。
じゃあ、オートバイ部隊は強行でもない隠密でもない
何偵察を行うんですか?
>>115 んん〜?
それらは普通軽戦車とは呼ばないんじゃない?
ドイツは当初それらを攻撃の主力としてたわけだし。
>>117 偵察隊って言ったって戦闘間の偵察だけやってる訳じゃないんだが何か。
行軍中の先行班とかで車両を使うことだってあるんですが何か?
それに車両を使うのは例外とは言ったが全く車両を使わないとは言ってないが何か?
そもそも自分が言ってるのは隠密偵察に「装甲偵察車両」は使わないってことだが何か?
121 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:51
ところで、馬上からの攻撃が主流になるのっていつくらいから? 古代の騎兵は下馬戦闘が基本ってイメージあるけど
122 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:53
軽戦車の任務の大半は現在のMBTに吸収された。 ただし幾つかの任務で現在でも軽戦車は使用されている。 が結論でよろしいか? そもそも世界史板向きの話題じゃないし。
軽戦車の定義は難しいと思う。 ただ一ついえるのはその国の主力戦車よりも軽ければ軽戦車なんじゃないかな? 単純かもしれないけど。そうとしか言えないと思う。 日本の97式中戦車は15tだけど。アメリカのM3軽戦車も約15t。 さらにアメリカではM4シャーマンは中戦車だけど日本だと重戦車という扱いになってる。 一重にはなんとも言えない。
124 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:55
>>119 >隠密偵察を行う際にヘリを使用しない国は恐らく軍用ヘリを保有していない国だけですが何か?
>現代の隠密偵察の進入距離は百キロ単位が普通で車両でえっちらおっちらまず行くなんて考えられませんが何か?
>むしろ車両を使っちゃうほうが例外ですが何か?
嘘つき。
>>122 MBTではなく装甲偵察車になると思うが。
偵察だの斥候だの云々言ってる馬鹿は失せろ。 目障りだ。 ここで「戦車」について語りたいなら ベン・ハーの戦車について語れっちゅうに。
>>124 どこが?
隠密偵察で車両を使うのは例外ですよ?
>>125 第2次大戦でも装甲偵察車はあったんだけど
130 :
世界@名無史さん :03/05/05 00:59
>>128 オートバイ偵察部隊持っている陸自は、何偵察に使うつもりなんですか?
(またループかよ)
>>130 オートバイ偵察部隊なんてないぞ
偵察隊がオートバイを持ってはいるが
>>126 このスレの流れ的には第2次大戦以降の戦車の話がメイン
>>130 もしかしてオートバイだけで編成された偵察部隊があるとお思いかな?
>>129 軽戦車は敵戦車を倒すのには中途半端な火力なので。
登場し始めていた装甲偵察車に偵察任務を任せようという事になるんだけど。
軽戦車がすたれた1943年時点ではMBTにあたるものは存在してないし。
>>132 だったら軍板でやれよ。歩兵も騎兵も語ってねーじゃん。
>>134 1945年になっても軽戦車は使われてるんだけど
そもそも第2次大戦では偵察任務で対戦車戦闘を意識する必要性は
あんまり高くなかったし
じゃー戦車の話。 戦車は騎兵と違って、車輪とか色々な「発明」が必要でコストもかかるはずだけど 普通は戦車=古くて弱いもの、騎兵=新しくて強いものですよね。 >73 でアッシリアの話をちろっと出しましたけど、アッシリアより前には 馬にまたがる兵士というのは居なかったんでしょうか?そうは思えません。 それ以前は戦車がメジャーで、次第に騎兵がメジャーになった、 それだけの事だと思います。 ではなぜ、アッシリアより前の騎兵はメジャーになれなかったのか、 つまり、アッシリア以前は 戦車>騎兵 と扱われていたのか、 それがなぜ逆転したのか、解説できる方いらっしゃいませんか?
>>136 それは日本の話では?
でも米軍も使っていたかも。
ごめん勝手にドイツ、ソ連限定で話してた。
140 :
世界@名無史さん :03/05/05 01:12
>>137 戦車よりも騎兵の方が、機動力に長けていた
小回りも効くし、より不整地に強い。
戦車が騎兵にできるのは、射撃のみであった
歩兵に通用した衝撃力が、騎兵には通用しない。
射撃で戦車と騎兵が応戦する場合、戦車の動揺は激しく(サスが無いため)
的も大きい。
それに対して、騎兵の場合結構安定して射撃することが出来た。
悪いけどオートバイだの軽戦車だの 言ってる奴は軍事板にでも行ってくんない? マジうざいよ。
>>121 そう?ギリシア、マケドニア、ローマ、ペルシャ帝国の重騎兵(名前忘れた)、パルティア騎兵、
漏れがイメージ可能な古代の騎兵はみんな騎乗しているけど?
古代の騎兵はシャリオットの後継として使われたと思うから、下馬してはシャリオットの代わりが
果たせないかと。
むしろ下馬戦闘は中世以降、飛び道具の威力が上がってからのような。
>>141 >>1 に言えば?
戦車は古代の騎兵に相当するかという話題なわけだし。
144 :
世界@名無史さん :03/05/05 01:23
てか軍事板にスレ立てたら怒られるかな? 騎兵の話はこっち。 戦車の話は向こうでやるというのはどうよ?
>>137 私は、遊牧民の進入が原因と考えています。
アッシリアも戦車を使っていますから、戦車兵は騎兵に比べ、養成が簡単なため積極的
に使われたけど、数のそろった熟練の騎兵の機動力とそれによる戦闘力を遊牧民に見せ
つけられ、それには戦車じゃ絶対に勝てないことを思い知らされたので、戦車が駆逐された
のではないでしょうか。
森深いヨーロッパ北西端のケルト人達は一番最後まで戦車を使っていましたし、別スレで
ペルシャ重騎兵は遊牧民の矢に耐えて前進するための兵科だったと聞きました。
146 :
世界@名無史さん :03/05/05 01:30
>>144 とりあえず立ててみろよ
削除しろ言われたらそうすりゃいい。
147 :
世界@名無史さん :03/05/05 01:32
>>145 結局戦車では騎兵を駆逐出来ないってのがネックだったんでしょうね。
バトルオブブリテンで、駆逐されちゃった駆逐戦闘機みたいに。
148 :
世界@名無史さん :03/05/05 01:39
149 :
世界@名無史さん :03/05/05 01:42
そういえば、フス派の戦闘車って言うのもあったね。 あれはどっちかと言うと、移動城砦に近いのかな。
↑
とか言う人もいるかも知れませんが、
−−−−−−−−−−−−−−−−−
145 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:03/05/05 01:20 ID:???
>>135 >>138 同じスレが張られている。
世界史板に行ってる奴が多いという証拠か。
このスレの
>>1 は古来において戦争の主力が
歩兵、騎兵、歩兵と移っていき今は戦車が主力だがこれは騎兵にそうとうするものであり、やがてまた歩兵が戦闘の中心的役割を果たすようになるであろう。というお話。
以下のレスでは。
本当に戦車は騎兵の後継かという話になり。
軽戦車の話題になり。
そして現代の軽戦車と2次大戦の軽戦車は同一かという話になった。
明らかに軍事板向けの話だ。
−−−−−−−−−−−−−−−−
という人も居ますので。軍板のも参照して下さい。
151 :
世界@名無史さん :03/05/05 01:49
>145 すると、「アッシリア以前は 騎兵<戦車 だった」というのは、 農耕民の視点から見た歴史でしか無いと言うことでしょうか。 農耕民と遊牧民の交流が増えたため、騎兵の技術が輸入されて 農耕民同士の戦争にも騎兵が多く使われるようになっていった…? そういえば、戦車ってまるっきり農耕民の兵器ですしね。
アッシリア以前においては騎兵が兵器として確立するには馬体がまだ貧弱すぎた 初期の騎兵は馬の背中ではなく腰部に騎乗しており、後世の騎兵のような戦い方は 出来なかった 品種改良による馬体の向上は前世紀初頭まで陸軍の重大な関心事の一つだった
前世紀だとかなり情報も残っていますよね。 「こういう品種改良によって、実戦でこのような戦術的優位が生み出されました」 というような実例ありませんか?敵味方が同じように品種改良してるから無理か。。。 > 初期の騎兵は馬の背中ではなく腰部に騎乗しており コレの根拠は絵なんでしょうか、それとも骨などを元に推定した結果でしょうか。 両方かな…。 背中に騎乗を始めたのは、いつ、どこの人達なんだろう。
戦車の兵器としての欠点は不経済であることに尽きる 戦車は騎兵に比べて管理にべらぼうなコストがかかる 精密な車軸と車輪、軽量かつ堅牢な車台は生産コストのみならず 維持と保守に多大な資源と労力を要求する 戦車が一般にエリート兵として扱われ、貴人のステータスシンボルとなっていたのも このためである 故に、戦車が消滅したのは、戦車の戦術的価値の低下のみならず、 社会の変革に伴い戦車に象徴される社会的エリート階層の没落によるところが大きい 特に伝統的な軍事的価値を背景に公的特権を享受する階層は、 その伝統故に軍事的な改革を行えない故にかえって戦術的価値の低下や地位の喪失を招く ケースが少なくない 騎兵の衰退には地域によって様々な要因があって一概には決定できない アッシリアの戦車を撃破したのはスキタイの騎兵だったが、 当時のスキタイ騎兵の多くは二人乗りの実質的には騎乗歩兵と騎乗弓兵だった 中国の黄土から戦車を排除したのも歩兵で、それでも戦国末期まで 戦車は騎兵や歩兵とともに戦術遂行のための中核的な兵科の地位を守っており、 条件さえ揃えれば戦車の戦術的価値が歩兵や騎兵に劣らなかったことを示している ミュケナイの戦車を文字通り駆逐したのは北方から侵攻してきた組織された 歩兵戦術のためだった ペルシアやエジプトの戦車が役立たずになったのはギリシアの重歩兵に対抗できなかった こともあるが、馬体の向上による騎兵の戦力の向上のほうが大きい
後半の > 騎兵の衰退には地域によって様々な要因があって は、「戦車の衰退には…」の誤植だと読んでいいんでしょうか。 戦車の没落について聞くと、戦車が開発?された頃の話も気になります。
農耕民族において一般に歩兵が軍隊の基盤をなしていたのは、 農耕民族の戦争が土地を焦点に展開されるためである 土地の争奪は必然的に野戦よりも攻城戦の機会と重要性を増大させる 攻城戦においては騎兵が寄与できる余地は皆無ではないが 歩兵とは比較にならぬほど小さい 結果として農耕民族において歩兵の整備が騎兵よりも優先される傾向が 生じるのは必然とも言える 一方、移動を日常とする遊牧民族の戦争の焦点は、土地の確保ではなく 敵対する部族の財産や家畜、奴隷の略奪であり、このような争いで 歩兵が関与できる余地は全くない
159 :
世界@名無史さん :03/05/06 12:56
>>73 確か、古代の馬は小型で貧弱なため、最初は車を引く、
つまり戦車(チャリオット:chariot)として用いるしか無かったという
ことだったと思います。
それから、アッシリアあたりで品種改良がなされ、乗馬できる馬が
登場した。つまり馬の都合も問題の要因に含まれていたのです。
さらに、乗馬術の問題もあるかと思います。
最初に馬に戦車を引かせることを取得した人たちが、
馬に乗ることの技術とそのための馬具を開発していくなど
していたため、時間がかかったということではないでしょうか?
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161 :
世界@名無史さん :03/05/06 14:11
SOLで片っ端から焼き尽くせ
バルタン閣下、
>>155 の
>ミュケナイの戦車を文字通り駆逐したのは北方から侵攻してきた組織された
>歩兵戦術のためだった
>北方から侵攻してきた
というのはドーリア人のことですよね?
これは、貴方は「ギリシア歩兵戦術の源流は当時のドーリア人にすでにあった」と考えられている
という事でしょうか?
いえ、確かそのころのギリシアはどの本も一様に「全くわからない」と書いてあるもので。
>というのはドーリア人のことですよね? 一説にはドーリア人となっているが侵略者の出自は明らかにされていなかったと思ったが >ギリシア歩兵戦術の源流は当時のドーリア人にすでにあった ミュケナイが滅亡したのは紀元前12世紀、ファランクスが登場したのは紀元前7〜6世紀頃であり 時間的に隔絶していること、その間とそれ以後の戦争の形態は大きく異なっていること等から、 ミュケナイを滅ぼした侵略者の戦術とファランクスの戦術に相関関係があったとは考えにくい あと、自分は閣下と呼ばれるほどアフォではない
歩兵と騎兵の戦術というと槌となんたらがどうのこうのとよく言われるけど、 騎兵を集中運用してそういう器用なことを実行できた軍というのは 歴史上それほど多いわけでは無いですよね? ありふれた名もない戦闘、小競り合いとかで、馬に乗った兵士は どんなふうに戦ってたんだろう…。
165 :
世界@名無史さん :03/05/08 17:44
ハンマースレッジ!!
>>163 失礼しますた。
むぅ、やはりそうですか。では、
>北方から侵攻してきた組織された歩兵戦術
これは具体的にどのようなものなのでしょうか。
167 :
世界@名無史さん :03/05/09 08:06
>>164 ?の主旨が違うかもしれませんが、
騎兵の活躍には馬種による要因もあります。
西欧中世の騎士は重い甲冑を着込んだため、馬は大型化していきますが、
その過程で機動性とか持久性が失われていきました。
(ギャロップが出来なかったと言われています。)
そのため、アラブ種やバルブ種といった軽快な軽種馬を操るイスラムの戦士に
十字軍は苦戦したという話があります。
また、十字軍の騎士達は雄馬に乗っていましたが、イスラム軍は雌馬に乗っていた
ため、戦場で突然発情し、敵方に勝手に走っていったりしたという話も伝えられて
います。
168 :
世界@名無史さん :03/05/09 08:18
ギャロップ、つまり襲歩できないということは、突撃体勢に入った 重種馬に跨る西欧の騎兵は結構、とろかったっということです。
>>166 ミュケナイの貴族の乗った戦車と少数の随伴歩兵からなる少数のエリート戦士軍を
打ち破った侵略者の軍勢の中に鉄製武器を備え装備の統一された歩兵の集団が存在し、
隊列を組んで戦っていたことは当時のフレスコ画等から十分に推察できる
むしろそのような兵士たちが組織化されていなかったと考えるほうが難しい
170 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/05/09 23:28
>169
では、しつこくなりますが
>>155 の
>ミュケナイの戦車を文字通り駆逐したのは北方から侵攻してきた組織された
>歩兵戦術のためだった
というのは、ミュケナイの戦車そのものが、上の組織された歩兵戦術に無力
だったわけではなく、ただミュケナイの
>貴族の乗った戦車と少数の随伴歩兵からなる少数のエリート戦士軍
が隊列を組んだ歩兵軍に太刀打ちできなかった、ミュケナイの敗北は組織力
および単純な動員数の差によるもの、ということですね?
>>167 >馬は大型化していきますが、その過程で機動性とか持久性が失われていきました。
というと、西欧の騎兵戦術が、横隊を組んでの正面突撃、という特異なもので
あったのは、馬の特性がそれを推し進めたためと考えられるかもしれません。
ここからは私の私見になりますが、西欧で特異な騎兵戦術が発達したのは
>>164 で
言われているように迂回戦術が困難なものであったため、それを放棄してただ騎士
の突撃力に頼ったと妄想していますが、皆さんはどう考えられているでしょうか。
(過去ログでさんざん語られているかもしれませんが、私が読んだスレの中には結局
結論が出たスレは見つけられませんでした)
>>170 何故組織力だとか動員力だとか言い切れるんだ?
重装騎兵の打撃力を最大限に生かそうとすれば 横隊による突撃が自然と選択されると思います 縦深が厚い隊形の利点は、統制が取りやすく(前方の兵士に習えばよい)機動が簡単であること 短所は先頭部隊しか戦闘加入出来ないことで 横隊はその逆 重装騎兵は、圧倒的な打撃力を誇りますが 一度突撃したならばその統制を回復するのは難しいので。 強固に防御された歩兵横隊に突撃するのは、高価な騎兵を浪費することで やはり、決定的な予備として運用するのが効果的と思われます。
>>171 >>155 の前半の「戦車には金がかかる」という趣旨の文と、
>>169 の
>少数のエリート戦士軍
という文から、ミュケナイ側は動員できる絶対数が劣っていて、
>>169 の
>装備の統一された
>隊列を組んで戦っていた
>そのような兵士たちが組織化されていなかったと考えるほうが難しい
という文から北方軍の組織力はミュケナイに優越していた。
と読み取りましたが、おかしかったでしょうか?
>>172 なるほど、確かに「重装騎兵」には、相手の隙をついての突撃、味方の崩れた戦線への投入ですな。
しかし、「重装」「軽装」両方に共通した「騎兵」としての利点を生かそうとすれば、迂回になるでしょう。
何故ヨーロッパ騎兵は「重装騎兵」のみ、その独自の利点のみを生かそうとしていたのでしょうか。
「軽装騎兵」を主力に出来たのは、遊牧民のみでしたっけ。ただヨーロッパに遊牧民の兵がいなかった
ので、騎兵が「重装騎兵」ばかりになって、その利点のみを追い求めるようになった、ということでなのでしょうか。
174 :
世界@名無史さん :03/05/10 00:52
>>170 >>迂回戦術が困難なものであったため
ビザンツの場合において言えば当初中央に全軍弓をそうびした装甲重歩兵を置きその両翼に重騎兵をおいて装甲歩兵が敵主力をひきつけている間に重騎兵は包囲にかかるという戦法を使っていたわけだし。迂回戦術も訓練次第ではちゃんと使えるのだと思う。
騎兵が横列に並んでの突撃に頼ったのは騎士連中が戦争を一種の儀式のように考えていた事と軍全体があまり統率がとれなかった訓練も十分でなかったのであまり複雑な運動が出来なかったのだと思う。
>174 いえ、私が迂回戦術が困難だと考えたのは、相手に警戒されると、途端に迂回は成功しづらくなると思ったからです。 包囲戦術は一部の名将以外にはなかなか使いこなせなかったような気がします。というより、「鎚と金床」戦術を成功 させられる人間は、名将の誉れを受けられているのではないでしょうか。
>>172 単純に歩兵の量の優位のみで戦車という兵科が消滅したとは考えにくい
一般に重歩兵は防御に向いた兵科であり、隊列を維持したまま突撃することは
不可能ではないが極めて困難であるため攻撃には向いていない
それ故に両翼に重騎兵を配して隊列の弱点である側背を衝くことは古代ギリシアやローマのみならず
古くから多用された極めてオーソドックスな戦術(厳密には包囲ではない)であったが、
机上の兵棋ならいざ知らず実際にそれを成し遂げることは簡単ではない
この状況を打開するため、正面攻撃によって敵の隊列を破砕する兵器として発展したのが装甲槍騎兵で、
その起源はビザンティンのクリヴァノフォロスであり、これが西欧に普及してフランク伝統のカバラリウスに
取って代わることになる
ただし、装甲槍騎兵は常に正面攻撃に拘っていたわけではないし、機会があれば側面攻撃を追求していた
十字軍時代のアラブ騎兵は本質的にステップ系騎兵の流れをくむ軽騎兵であり、 中世ヨーロッパの装甲槍騎兵とは戦術的な特性が異なる アラブ騎兵がその機動力を利して十字軍を包囲したこともあれば 逆に少数のヨーロッパの重騎兵が兵力で圧倒的に優勢なアラブ軍を正面攻撃で撃破した こともある
178 :
世界@名無史さん :03/05/10 01:33
>>175 >>相手に警戒されると、途端に迂回は成功しづらくなると思ったからです。
そのための中央の拘束兵力でしょうが。
さらにビザンツの両翼の重騎兵には隠し兵力としてさらに重騎兵をおいており両翼の重騎兵を抑えたと思っても隠しの兵力によりやられてしまう。
>>包囲戦術は一部の名将以外にはなかなか使いこなせなかったような気がします
一部の名将どころか完全に包囲に成功した例というのは、カンナェ、サマルカンド、タンネンベルクくらいしか知らない。
別に完全に包囲は出来なくても側面をつくというのは敵にとって見ればかなり重大な事で側面をついた時点で多くの敵は敗走を開始する。
>>177 「十字軍時代のアラブ騎兵」って言われてもねぇ。
セルジューク朝の主力のトルコマーン騎兵も
アイユーブ朝の主力マムルークやクルド騎士も
そもそもアラブじゃないんだが。
(もちろんアラブの騎士もいるにはいたが…)
本題に関係のない横槍のうえ揚げ足取りでスマソ
そりゃそーだけどめん℃くせーし どう言えばよかったかな?
>>178 しかし迂回を受ける方が予備隊を用意していることもあり得る。
たとえ騎兵が側面を突いても、敵のすぐ後ろに控えた予備隊は短距離で側面を突いた騎兵の側面を直で突ける。
その予備隊の機動は短距離でいいのだから、歩兵でも十分と思われ。
私の結論は、側面・後方を突くのはそれを阻止するより数段難しい。
それゆえ、機会があればむろん迂回も試みたが、成功率が低すぎるのでほとんどアテにせず、
西欧騎士は正面突撃に拘った。
もちろん、
>>174 で言われたように統率が十分でなかったことも一因でしょう。
しかし、
>>174 の
>騎士連中が戦争を一種の儀式のように考えていた
という部分は、上記のように戦術が単純な正面突撃ばかりになったため、戦争が儀式化したと私は思います。
つまり、戦争が儀式的だったために単純だったわけではなく、逆に戦争が単純になってしまったから儀式的に
なったという考えです。
ヨーロッパの地形ってどんな感じでしたっけ。森のイメージが強いです。 だだーーーっと広いところだとサラセン人のやり方が良いのでしょうけど、 狭いと正面からぶつかりあうしか無い…とかそんな感じではないでしょうか。 森を使って側面を守っている事例、結構ありますよね?
>>179 これはアラブ種の馬に跨った騎兵ということで、
イスラムと西欧世界をくくることができると思います。
イスラムの軍勢は軽種馬を使用してしておりました。
歴史に学ぶ馬産理論スレ読んできました。 機動力重視かどうかは、馬の血統の違いとも言えるって事かな。
185 :
というか馬種です :03/05/12 18:21
>>184 血統というか、種類が違うと思います。馬学上は色々な
分け方がありますが、一般にはポニー、軽種馬、重種馬
の三通りがありまして、西欧の騎士は重種馬を使用して
おりました。いわゆるウォー・ホースです。
(うるおぼえですが、北イタリア産のデストレイアや
東プロシア産のトラーケンなどがあったとか)
これに対して、イスラム勢は軽種馬であるアラブやバルブ
種を使用しておりました。
これらは
>>177 でも記されているように、一長一短で、
戦場でどちらが優れていたということは戦例にもよる
とおもいます。ただし、環境に適合したアラブ種のほう
が西欧の馬に比べて、現地では有利だったことは免れな
いでしょう。
特にアラブ種が馬として優れていたことは万人が認めるところで、 西欧の騎士も十字軍の遠征過程でそれらの馬を持ち帰えっています。 なんでも、アラブ種は純血種だったため、優性遺伝の特性をもち、 子孫にその優れた性質を残すことができたそうです。 でも、西欧では重種馬の優位はだいぶ保たれました。 西欧の重種馬から軽種馬への移行時期を断定するには資料が不足(私の) しているので断言できませんが、恐らくは30年戦争あたりを分岐点にし いると思います。 たとえば、クロムウェルは、ウースターの戦い(1651)後に重種馬を退役 させて、海外から買い求めたアラブ種を採用したなどの記録があります。 ちなみに軽種馬といってもそんなに小さい訳ではなく、体高は14ハンドは あります。(1ハンドは4インチなので1422.4cm) (体高は地面から「き骨」のてっぺんまで。「き骨」は前足の肩骨の頂点) ちなみに、重種馬(デストレイア)は平均17ハンド(1727.2cm)、ナポレオン戦争 期のフランス軍は147cm以上だったとか...
187 :
世界@名無史さん :03/05/12 18:53
>>181 迂回戦術が失敗してしまったケースというのはそんなに多くなくむしろ成功した例の方が多いと思うんだけど。
普通旧来の戦術が使われなくなってしまった場合には多くの場合ある戦闘がキッカケとなるけども、迂回戦術の場合はその戦闘が見当たらない。
西欧で正面しか戦わなくなったのは戦術の研究の遅れから迂回戦術自体忘れてしまった事も考えられる。
側面攻撃の要件は敵主力の拘束と機動の発揮の優越にあり、 少なくともこの二つの要件を満たさなければ側面攻撃は成功しない 故に、戦術指揮官は上記二つの要件を満たせないと判断すれば 迂回攻撃を決心しない 言い換えれば、上記二つのうち一つでも満たせれば側面攻撃を 防ぐことは難しくない 側面攻撃は成功すれば大きな成果を期待できるが、失敗すれば 目を当てられなくなる 七年戦争のプロシア軍は斜行戦術を慣用としていたが、 それ故にしばしば壊滅的な打撃を受けた 中近世ヨーロッパの野戦軍の指揮官は、隊列の肩部を暴露しないように 翼を延伸し、または堅固な地形や隣接する部隊で側面を防護することにより 側面攻撃を防げることを十分に承知していた 地形の利用に関して言えば、中世ヨーロッパの戦術指揮官は 大抵の戦闘で側面を防護する騎兵戦力の優越を期待できた古代ローマの軍団長よりも 高い能力を要求されていた
中近世ヨーロッパの装甲槍騎兵は、圧倒的な衝撃力による強引な正面突撃によって 敵の隊列を破壊できる可能性を保障した これを重歩兵隊列の突撃で達成するためには、尋常ではない士気と練度が要求される 鈍重な重歩兵が隊列を維持したまま敵の突撃破砕射撃の弾幕をして突撃することは容易ではない 特に火力戦の著しい発展を見た中近世ヨーロッパにおいて、重歩兵による正面突撃を行えたのは スイス重槍兵だけだった
190 :
世界@名無史さん :03/05/12 21:06
>>188-189 ようするに中世ヨーロッパで迂回戦術を使わなかったのはリスクが大きかったからってこと?
敵を正面から拘束し、なおかつ機動力のある予備を使って側面攻撃を行うには よほど戦力の節用が出来るか、敵が無能で翼を地形などで援護しなかったか などの条件が重ならなければできないって事でしょう。 機動戦力や兵力で優勢ならば、博打に近い側面攻撃よりも正面からの圧迫で 敵主力を拘束し、隙が出来れば延翼でも突破でも可能なわけで 劣勢なら、地形を利用した防御で抵抗するか、城塞に頼るのも1つの手だと思います。
>>190 中世のみならず側面攻撃は必要な要件を満たせなければリスクは大きい
>>189 の訂正
× 敵の突撃破砕射撃の弾幕をして突撃することは
○ 敵の突撃破砕射撃の弾幕を突破して突撃することは
ちゃんと確認すりゃよかった
194 :
世界@名無史さん :03/05/12 21:55
迂回戦術についてはわかるが中世ヨーロッパでほとんど迂回戦術を行わなかったのとはつながってない気がする。
中世ヨーロッパのみならず古今東西側面攻撃を慣用とする軍隊は少なく、 その事例も少ない ペロポネソス戦争時のスパルタ、七年戦争時のプロシアくらいで、 マケドニア東征軍や古代ローマのレギオンですら側面攻撃を慣用とはしていない
196 :
世界@名無史さん :03/05/12 22:34
>>195 >>マケドニア東征軍や古代ローマのレギオンですら側面攻撃を慣用とはしていない
このマケドニアとローマの軍勢が戦った戦場でも何回か側面攻撃をしたりされたりしているが(成功したしなかったにかかわらず)、中世ヨーロッパではそれが行われていない。側面攻撃のマイナス面のみを捉えて本当に行わなかったのだろうか?
まあ騎兵から機動力を奪ってしまった中世ヨーロッパの国では機動戦術は無理というわけか。
それ以外にも騎士は
・真っ先に敵に突っ込んだものが称えられる
・弓矢、投石器を使うのは恥
・文よりも武を重んじる(この点から考えて
>>187 の言うようにそもそも迂回するという発想があったのか疑わしい)
とされたわけだし。正面攻撃以外しなかったのはリスク面よりもこのような問題が大きかったのではないか。
バノックバーンでは迂回したスコットランド騎兵がイングランドの長弓兵を撃破しているし、 モーロンのフランス軍は下馬騎兵が正面から攻撃をかけ、乗馬騎兵が側面からイングランド陣地を襲撃している アジャンクールのフランス軍の初期配置はイングランド軍への側面攻撃を意図したものだったし、 イングランド軍はフランス軍の側面攻撃を警戒して翼側を林縁に依託している クルトレーのフランドル軍は河川を氾濫させてフランス騎兵から側面を防護していた ローゼベーゲのフランス軍はヘント反乱軍を正面で拘束し両翼から圧迫して鏖滅している 特にイタリア戦争では野戦築城が多用され、チェリニョーラのスペイン軍の陣地の正面と側面には 壕による機動障害が構成されていた ブライテンフェルトでスウェーデン軍は右翼攻撃によって皇帝軍を撃破している 中近世ヨーロッパにおいても側面攻撃を行ったりそれに対抗しようとした事例は少なくない 中近世ヨーロッパの軍事技術者たちが隊列の弱点である側背への処置の重要性について 理解していなかったとは考えにくい
ただし、戦闘編成の観点から言えば、古代でも中近世でも 側面攻撃による攻撃が決定的な役割を果たした事例はそれ程多くはない 対ペルシア戦役におけるマケドニア軍の騎兵の役割は、 あくまでも主攻部隊である槍兵の隊列の攻撃促進であり、 この点でアレキサンダーが直率していたマケドニア騎兵は あくまでも槍兵の支援部隊であった その後の後継者戦争では騎兵よりも槍兵の増強が重視されており、 騎兵戦力はむしろ削減されていた 正面を担任する槍兵は敵の側面へ機動する騎兵よりも重視されていた マグネシアにおいて、マケドニア軍はローマ軍に対して側面を防護できるだけの 騎兵を準備できず、ローマ第2戦列の側面攻撃によって撃破されている 古代でも、側面攻撃が可能だったのは敵の側面の防護が十分でなかった場合に限られており、 もし古代のほうが側面攻撃の事例が多いとすれば、それは古代の戦術指揮官の多くが 側面の防護の重要性への認識が欠如していたからとも言える
無論、古代の将軍たちがそこまで無能だったとはとても思えない マケドニア軍やローマ軍で、騎兵による側背からの攻撃の戦例が幾つか見られるのは、 両面に配置された騎兵戦力において概ね優勢を確保できていたからであり、 逆に騎兵戦力で劣勢だったカンネーでは敗北を余儀なくされている どうも古代の戦闘では騎兵戦力の劣勢が被包囲に直結しやすいように思える
中世において飛道具が軽視されていたとは考えにくい 騎士身分の多くが飛道具を忌避していたのは事実だが、 飛道具の重要性が認識されていなかったとするのは疑わしい 特に攻城戦の重要性の増大に伴い、弩や火器の重要性は高まっている 十字軍は弩を多用していたし、リチャード獅子心王を戦死させたのは弩だった また、騎兵と連携するために騎乗した弓兵や弩兵、銃兵も存在しており、 投射兵科の戦術的価値が認識されていなかったとは思えない
201 :
世界@名無史さん :03/05/13 00:52
中世という表現に無理があったようだな。
「どうも古代の戦闘では騎兵戦力の劣勢が被包囲に直結しやすいように思える 」 なんでだろう?地形の問題なのか、戦術の問題なのか。。。
迂回戦術?の概念がかみ合っていないというか、それは何のこと?
というように思えますが...
迂回戦術は側面に部隊を迂回させて正面と側面から翼を攻撃する
体勢に部隊を導く戦術ですよね?
であれば、
>>195 のラケダイモンとプロシアの戦術は側面包囲と斜行戦術
のことで、これはまさしく敵の側面に部隊を迂回させる戦術だと思います。
迂回を意図した戦術を戦闘教義として組み込んだ軍隊はラケダイモンと
プロシアしか、わたしも知りません。
で、他の例は翼突破戦術?のようなものではないでしょうか?
ようするに、敵の翼を撃破して残された部隊の後方or側面に
回って敵を攻撃する戦術ではないかと。
204 :
世界@名無史さん :03/05/13 08:14
>>198 に
>その後の後継者戦争では騎兵よりも槍兵の増強が重視されており、
>騎兵戦力はむしろ削減されていた
とあるのですが異論有りです。後継者戦争では失われた優秀な騎兵を
補うために、歩兵を増強したのだと思います。
シュリアなどは、元来、軍の精鋭たるアゲーマの呼称を騎兵が継承した
点など考えても、騎兵はまだ重要な地位にあった...でもその疲弊も
激しく、歩兵を増強するしか無かったということだと思いますが。
205 :
bloom :03/05/13 08:20
206 :
世界@名無史さん :03/05/13 08:22
>>185 トラーケンは軽種馬でした。すみません。
>>204 マケドニアの戦術は重槍兵を基準に展開される
騎兵はあくまで助攻部隊であり、重槍兵の攻撃に寄与すべき支援兵科に過ぎない
精鋭部隊の名を冠していることと軍の中核を意味していることとは必ずしも一致しない
例えば、現代の空挺部隊は大抵の国の軍隊で精鋭の代名詞となっているが、
それでも空挺部隊は地上部隊の作戦に寄与する支援部隊でしかない
無論、支援兵科であるから軽視してよい訳ではない
マケドニア騎兵の戦術的な価値を否定するものではないし、その戦術的な役割は重要ではあるが、
マケドニアの主力兵科ではない
バルタン氏、 相手が中世ではと言っているのに、 中世の戦例と近世の戦例をごっちゃに書いて、 中近世と言い換えてしまうのは如何なものか? まあ、言ってることには概ね同意ではあるが。
>>203 確かに、例えばカンネは迂回作戦ではないですよね。
>196 俺もそう思います。 同じ、文化、宗教圏であれば特に戦争はあくまで外交の延長で 相手を殺したいと思って戦争するわけでなく政治的優位を得るためですから。 騎士であることの誇りを捨てて相手に勝ってもその勝利からは何も生まれないわけで・ だから飛び道具禁止等、宗教的なことなどでお互い死ににくくするための制約ができていったかと。 といっても身分の低い使い捨て連中には関係ないことですが。 平安〜室町前期までの武士も同じようなものでしょう。 あと、騎士の一隊ってのは徒歩の従者も含まれますよね? だから中世騎士とは純粋な騎兵のみの兵科でなく 騎士自体は強力な装備の歩兵と同じものと考えてはダメなのでしょうか?
>迂回戦術 中世だと、ポワティエの戦いの英軍、アザンクールの仏軍、ヴェルヌイユの仏軍が試みたのタイプはどうなんでしょうか? どれも戦闘の後半に騎兵のリザーヴを、敵の側面または後方に展開するというものでしたが。 ただ、これらは敵の退路を断って心理的なダメージを与えるのが主たる狙いとも考えられるから、 これはまた別のカテゴリーなのかな?
212 :
世界@名無史さん :03/05/13 23:41
てか中世でも騎士がそういうプライドみたいなのを持って戦ったのなんて。 ほんの一時じゃないの? 少なくともモンゴルの侵入で儀式的な戦争は終わりに近づいたんじゃないかな?
>>208 では
>>197 のイタリア戦争と三十年戦争の分は外しといてくれ
しかし百年戦争だけでも側面攻撃の戦例は少なくない
身代金による捕虜返還は、身代金が確実に得られる見通しがあってはじめて成立する そうでない場合では例え貴族身分の捕虜であっても平民身分の捕虜と平等に容赦なく殺害された 破格の身代金で買い戻された王族や、敵みよる手厚い待遇のエピソードがある一方で、 アジャンクールでは捕虜の奪回を恐れたフランス軍は捕虜にしたイングランド騎士を虐殺しているし、 アルズバッロタではポルトガルとイングランドの連合軍が捕虜にしていたフランスとガスコーニュの貴族を 皆殺しにし、その身代金の総額は40万フランに達したという 40万フランという額がどれほどのものだったかは解らないが、 フロワサールはこれを「酷い災厄」だと呼んでいる 薔薇戦争では、捕虜になった貴族はほぼ例外なく処刑されている 身代金の支払能力を有する貴族身分の捕虜は、身代金など払えない平民身分の捕虜よりも 生存のチャンスはいくらか期待できただろうが、少なくとも敵味方に分かれた貴族が お互いの生命に気を使っていたとは考えにくい
ゲルマン諸民族との断続的な小競り合いが続き、社会体制も整っていなかった中世初期 ヴィーキングやマジャール人と争った中世中期 十字軍遠征やモンゴル襲来で外の戦争文化に接触した中世盛期 銃砲が出現し、強力な対騎兵用武器のハルベルトやパイク、弩や長弓が戦場を席巻する とともにオスマン帝国の圧迫を受けた中世末期 これらをひとくくりにしようとすると本当にこんがらがってしまう。 しかし、改めて並べると中世ヨーロッパも常に外敵と戦い続けてきたことが分かる。 この敵の性質にも騎士の戦いぶりは変化させられてきたと思うんだが、どうだろう。
216 :
世界@名無史さん :03/05/14 00:25
というか中世ってフランク王国成立くらいからルネサンスまで?
>>214 >アジャンクールでは捕虜の奪回を恐れたフランス軍は捕虜にしたイングランド騎士を虐殺しているし、
これは仏軍と英軍が逆じゃないですか?
アジャンクールもアルジュバロッタも戦闘継続中にも関わらず、捕虜の数が多すぎたので
英王、ポ王共に軽いパニックに陥っていたというやや特殊な事情があるでしょう。
薔薇戦争については、私権剥奪・処刑による財産没収という内戦期特有の手法が
捕虜の過酷な処分を招いた、というこれも特殊な事情があるでしょう。
一方、アジャンクールではヘンリー5世の処刑命令をイングランド騎士は拒否していますし、
ナヘラではペドロ王による若干の捕虜殺害に対して強い抗議がなされています。
これらについては、身代金を取りっぱぐれた怒りによるものとばかりは考えられないように思います。
確かに、状況次第では容易く打ち捨てられるものではありますが、
騎士道的モラルが一定の実在感を持っていたのはやはり否めないのではないでしょうか。
やや文化史的・社会史的発想かもしれませんが。
>>217 確かに捕獲した捕虜に対する騎士道的なモラルが存在していたことは否定できない
しかし一方で、身代金を支払えない捕虜は殺されたり自由人としての権利を剥奪されていたし、
また貴族身分の捕虜の身代金に関する訴訟もしばしば行われており、
騎士道の精神とともに一方でそれと相容れない実利的な傾向もまた存在している
220 :
世界@名無史さん :03/05/14 07:57
>>207 ディアドコイ戦争における会戦のどれを挙げても騎兵が重要な役割を
果たしていると思うのですが。
主力に歩兵を置くという点では賛同できるのですが、騎兵無くして
サリッサを用いたマケドニアの歩兵があり得たでしょうか?
近代戦の兵科例えば空挺部隊の評価と古代世界の精鋭騎兵部隊を同じ
土台で論じるのは、役割の本来の意義のすり替えでしかないと思うの
ですが。
221 :
世界@名無史さん :03/05/14 08:27
上記の「マケドニアの歩兵」は「ディアドコイの歩兵」です。 本来、古代の戦場における歩兵と騎兵の役割は どちらかに傾倒していた(歩兵中心のローマとか騎兵中心のペルシアなど)軍と お互いを必要としていた軍に種別できるのではいかと私は思います。 という点では、ディアドコイは後者の部類に入ると思うのですが。 つまり、兵力の「削減」ではなく、「減少」を強いられたという されたということで、騎兵部隊の存在意義は絶対であったと思う のですが。
>>220 何が言いたいのだ?
自分はマケドニア騎兵の価値を否定してはいないぞ?
マケドニアの騎兵は重槍兵の支援兵科として重要な役割を担っていた
>ディアドコイ戦争における会戦のどれを挙げても騎兵が重要な役割を
>果たしていると思うのですが。
まさしくその通り
後継者戦争でも騎兵は歩兵の攻撃を掩護促進するという重要な役割を演じていた
ただし戦列を構成していたのはマケドニアスタイルの重槍兵密集陣であり、
東征時のような奔放な機動は困難になっていた
一説にはアレキサンダーのような優れた騎兵指揮官の不在が原因と言われているが、
両者の戦術的特性の違いによるところも大きい
>近代戦の兵科例えば空挺部隊の評価と古代世界の精鋭騎兵部隊を同じ
>土台で論じるのは、役割の本来の意義のすり替えでしかないと思うの
>ですが。
誰がすり替えたと?
これは「精鋭と呼ばれていたから重要だ」と主張する
>>204 に対する反論に過ぎない
精鋭であるから重要だとする直截な意見には同意しかねる
マケドニアの重槍兵と騎兵は戦術的な任務も特性も根本で異なっており、
相容れない部分のほうが多い
騎兵の減少を歩兵で補うことは出来ないし、その逆もまた然り
歩兵の数を増強しても騎兵の主動の利は補えない
223 :
失礼しました。 :03/05/15 08:13
話が、ずれてしまうのですが、精鋭についての話まえに、 失礼な言い方をしてしまったことのお詫びをこの場で申し訳有りませんが させていただきます。 私がシュリアが騎兵のアゲ−マを保有するに至った経緯として下記のように考えており ます。そもそも、私の考えるマケドニア軍は騎兵を攻撃部隊として翼に据えることが 戦闘教義にあったと考えるのですが、アゲーマは歩兵の精鋭ヒュパスピスタイの中の さらなる精鋭が冠していた名称であり、これをなぜシュリアでは騎兵だけが冠するよう になったのか?という点から、シュリア(=ディアドコイ)では騎兵を主力に置いた、 つまり騎兵中心と考えています。アレクサンドロスは騎兵のアゲーマを創設しましたが、 本来のアゲーマは存在していたので、どちらが優位かという点では 判別できませんが、均衡しているように見せているのかと思います。
224 :
失礼しました。 :03/05/15 08:15
そして、
>>198 その後の後継者戦争では騎兵よりも槍兵の増強が重視されており、
騎兵戦力はむしろ削減されていた
正面を担任する槍兵は敵の側面へ機動する騎兵よりも重視されていた
このような記し方だと、ディアドコイは歩兵中心になりつつあったという感じ
に思えたのですがどうでしょうか?その点については私は違うと考えています。
私は、この議論は
>>1 にあるように、歩兵中心か騎兵中心かということであると
考えておりましたので、ディアドコイでは騎兵中心だったと主張したいだけです。
支援兵科扱いではもの足りないのです。
ただ、支援兵科という言葉が、軍事的にはどのような意味を包括しているかは勉強
不足なので判りません。
225 :
bloom :03/05/15 08:20
226 :
失礼しました。 :03/05/15 08:28
歩兵を騎兵が補えないのは百も承知ですが、 ディアドコイの軍隊を騎兵が攻撃部隊、 歩兵が防御?部隊とした場合、攻撃部隊の質、量の 損失を歩兵で補えないかということを試みたたの ではないかと私は考えています。 それは、サリッサの長さの変化、防備の重装化などから の私の結論ですが。また、当時、勢力を拡大させつつあった ローマに習ってローマ風の装備を持たせた軍を創設する点など、 攻撃部隊としての歩兵の運用を模索していたのではと。 (私が思うに彼らは、ローマ軍が戦術よりも努力と根性で 勝っていたことに気づけなかったですね。とかいうと怒られますね)。
227 :
失礼しました。 :03/05/15 08:39
ただ、マクロなことをおっしゃっているのに、 私のような者がミクロなことを突っついても ただの揚げ足取りのようになってしまって、 申し訳有りません。
228 :
失礼しました。 :03/05/15 10:15
すり替え云々と暴言を吐いてしまったのは、 上記の考えがあったため、 つまり、精鋭たるアゲーマの名を騎兵に与えたということは、 騎兵を中心にしていると考えられるのではと言いたかったのです。 これに対して、空挺部隊の話はかみ合わないと、私は考え、 あのような発言となってしまいました。 ちょっと、ひとりで空回りして、板を汚してしまいました。 すみませんでした。
229 :
動画直リン :03/05/15 10:20
騎兵が軍の主力兵科になりえないのは 戦列を組むことが出来ない、つまり面の維持が難しい事にあると思います。 騎兵の打撃は、流動性が高く衝撃力がありますが 逆に、歩兵の戦列を組み土地を保持する能力とは相反します。 土地の占領が、古代から現代における歩兵不可欠の能力であり 占領こそが、敵を屈服させるほぼ唯一の方法である以上 騎兵が軍の主力にはなりえないと思います。 会戦においては、敵野戦軍の撃破及び戦場の確保が勝利条件になることがほとんどですが。 つまり、歩兵がその”土地”を保持出来ず、敗走することにより勝敗が定まります。 (カンナエのような、敵野戦軍の撃滅は理想だが、その実行は極めて困難) 騎兵は、土地の保持を行うに困難な兵科であり それこそが、騎兵を主力にしづらい理由であると思います。
> 210 後半の質問が気になります。 良くある戦記物のフィクションにそんな記述があったりするので。 中世に戦術が「後退」したという言い方はよくされますが、やっぱり変ですね。 舞台となっている、現在ヨーロッパと呼ばれている地域は、このころに ようやく勢力を伸ばしてきた訳ですから。 東ローマとか、国力は衰えても一応古代からつながる良い軍隊持ってますし。 で、あのカタフラクトってどんなのだったんですか? 槍と弓を持った重装備の…とか、 馬にも鎧を着せた前進しかできない超重量兵科…とか、 いろいろ聞くんですが。
カタフラクトはステップ系騎兵に対抗するためにパルティア王国から ササン朝ペルシアにかけてイラン高原の地主階級が整備した軽騎兵 これが5世紀に抗争相手のローマに普及して騎兵戦力の中核を占めるようになる フランク王国のカバラリウスはカタフラクトの装備と運用を概ね継承しているが、 イベリア半島経由で普及した大型軍馬のおかげでより重装備化している
今はじめて弓スレを見つけて読んできました。 カタフラクトの事、そっちみれば書いてありましたね。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
そういえば、騎兵隊を鉄道で運んだ時代もあったみたいだけど、 なんかとても奇妙な事のように思えてしまう。
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
237 :
世界@名有さん :03/05/28 16:24
東ローマ(ビザンティン)帝国の騎兵兵科は下の通り。 1.カタフラクトス・・・・重騎兵(装甲騎兵とも訳せるかも) 2.クリバノフォロス・・・・超重騎兵(全身鎧) 3.トラペツィトス・・・・軽騎兵(鎧を付けない騎兵) 1と3は弓も装備していましたが、あまり上手くは使えなかったのもあってマンティケルト前後には 弓騎兵としてクマン人、マジャール人、パティナク人などを雇うこともありました。
238 :
世界@名無史さん :03/05/28 20:14
239 :
ファシスト文学士 :03/06/04 23:46
機械化軽歩兵・・・オートバイ兵 機械化重歩兵・・・自転車に重機銃搭載?orリアカーに重迫撃砲?
240 :
世界@名無史さん :03/06/05 06:37
おまいら西と近代だけかよ! 東は「魏舒」から始まったのよ
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。 貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。 黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。 (黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。 また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。 「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。) 彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
>>8 あえて区別するなら、それは重歩兵というものじゃないのだろうか。
244 :
世界@名無史さん :03/08/05 14:05
つまり十分に態勢が整った状態なら戦車隊の正面攻撃にも耐え、 戦車や戦闘機よりは簡単に、まとまった数を揃えられる歩兵科。 例えるなら方陣を組んで騎兵の突撃を阻む長槍兵か。
モンゴルは騎兵ばっかだったのか? 騎馬民族というらしいが。 モンゴル軍には歩兵は居なかったのだろうか。
騎兵の用兵で質問。 騎兵同士の戦いで擦れ違いざまに相手をかすめきる事が映画や漫画でありますが、 実際にはこのような状況は少なかったのではないかという質問。 まず、攻撃と守備と考えた場合、攻撃側は縦陣で密集か重ね横陣だろうけど、 いずれにしても馬との間は詰めているはず。したがってその間を敵騎兵が すり抜けるとは思えない。また、防御側は相手の足を止めるのが任務だから、正面からぶつかる。 たとえ、両者とも縦陣でぶつかったとしても回り込もう回り込もうと左右に広がり、 結果として馬は棒立ちになったまま、騎兵は上半身だけで闘うことになるのではと思うのですが。 また、騎兵は歩兵の方形陣に弱いですが、例えばてき弾を投げる てき弾騎兵「ホースグレナディア」などの兵種はなかったのかな。
>246 十字軍時代、フランク重装騎士の密集陣について、「突撃中の騎士達の中にリンゴを投げ入れると、 必ず人か馬かに当たり、何にも当たらずそのまま地面に落ちるということはない」と記録者はこう驚嘆 していました。騎兵がこのぐらい密集すること自体とても凄くて珍しいことだったと言うことです。 つまり、縦陣ではそんなに間隔を詰められたわけじゃない、という事です。 そして、横に避けられずに騎兵同士が正面から激突すれば、突撃時の衝撃で必ずどちらかが跳ね飛ばさ れるでしょう。こうして自然と敵に跳ね飛ばされた者と、相手を跳ね飛ばせた者に分かれます。そして その後、馬上に残った者同士で乱戦が始まります。 つまり、騎兵の正面突撃後に、双方とも隊列が保たれているなんてあり得ないわけです。 ついでに、敵との距離が詰まった時点で下手に横に回り込もうとすると、真っ直ぐ突撃してきた敵に逆に 横を取られるだけでしょう。
>>246 てき弾騎兵ですが、少なくともルイ14世の時代には存在したそうです。(メン・アット・アームズより)
しかし、ピストル騎兵が騎兵の大多数を占めるようになると、騎兵は騎兵同士で戦い、歩兵と戦うこと
は稀だったそうですから、マイナーな兵科であったようです。
済まぬ。誤爆です。
251 :
世界@名無史さん :03/10/18 20:18
>>246 歩兵の密集陣形が崩れて、バラバラになった歩兵に対して、
軽騎兵隊も散開して、かすめきる。
歩兵はそれに対して、騎兵を長柄の武器で引っかけて馬から
落として、鎧を持ち上げてダガーなどを差し込む。歩兵の方
は絵にならないね。
そう、騎兵(戦車)は今も昔も戦場の華だが
しかし主力はあくまで歩兵なんだ
歩のない将棋は負け将棋というわけだ
>>3 歩兵の支援抜きでの戦車運用なんぞ無意味だよ
ピルムを持つ歩兵に対してはマケドニア長槍騎兵での 乗馬突撃は有効だったのかだろうが 長槍を持つ歩兵に対しては無効だっただろうか 発射速度の遅いクロスボウと片手用の短槍を持つ歩兵に対しては柵でも無い限り 乗馬突撃は有効だっただろうが ロングボウやパイク・ハルバードを持たれると柵が無い状況でも 乗馬突撃は無効化されただろうか 発射速度の遅い銃と短い銃剣に対しては 槍騎兵の乗馬突撃は有効と成った訳だろうか
鉄砲足軽と3m程度の槍を持つ短槍兵に対しても乗馬突撃は困難だった可能性は 矢張り有る訳だろうが 短槍兵では士気が保てないと敗走する危険は有っただろうか
古代では長槍歩兵が出る迄はマケドニアの長槍騎兵は 歩兵に対し役に立ったかも知れぬが 其れ以前にも機動力を生かしてピルムを持つ騎兵が 歩兵の背後や側面を突く戦術は有効だっただろうか 中世もロングボウやハルバード・パイクが出る迄は 槍騎兵は歩兵に対し柵を作られない限り有効であり 近世では槍騎兵は歩兵に対して役に立っただろうか
中国のクロスボウを持つ騎兵は弓を持つ騎兵に勝てたのかだろうが クロスボウの射程が長ければ弓をアウトレンジ可能だったかも知れないが 逆に大型のクロスボウでアウトレンジされる事も 有っただろうが これに対しては歩兵に弓が無ければ弓騎兵で対抗可能だった訳だろうか
中国の馬に鎧を装備している騎兵は 弓は防げたかも知れぬが クロスボウでは貫かれていたのだろうか (まあ矢張り全ての騎兵の馬に鎧が装備されていた訳では無いだろうが 装備率はどの程度だったのだろうか) 弓騎兵も歩人甲等は貫けたのかだろうし これを貫くにはクロスボウが必要だった可能性も有るだろうか (まあしかし中国の場合騎兵を阻止出来る槍襖等は 有ったのだろうか)
クロスボウの反撃が少なく歩人甲等も無いなら 馬に装甲を装備した騎兵が弓で歩兵を攻撃すれば かなりの損害も与えられたかも知れぬが 盾で弓をかなり防がれた可能性も有るだろうか
まあ上の様に弓で歩兵を一方的に攻撃可能な状況なら 柵や槍襖が障害と成り槍騎兵の突入が不能な状況でも かなりの損害も与えられたかも知れぬが
まあ十字軍歩兵のクロスボウでは発射速度が遅いので アラブ弓騎兵や歩兵の射撃を阻止出来なかった可能性も有る訳だろうか リチャードがアラブ軍に勝てたのはパビスや馬車等を弓や 槍騎兵に対する障害物として 利用したからなのだろうか (アラブ側はパビスが無いとすれば クロスボウでやられていたと言う可能性も有るだろうか まあ十字軍側も弓だけ封じても槍騎兵に突入されるので これを防ぐ障害物は必要だっただろうが)
まあ只装甲を施した騎兵等は高価だろうし 装甲歩兵やパビスを持った歩兵を増やした方が 良いかも知れぬし (まあ装甲歩兵は長距離の行軍には馬が必要だろうが) 敵に槍襖や柵の有る状態では 槍騎兵の突撃も困難だろうか
262 :
世界@名無史さん :03/10/19 11:34
>モンゴル軍には歩兵は居なかったのだろうか。 歩兵も行軍時には騎乗していた可能性も有るだろうが 絵を見ても下馬した騎兵なのか歩兵なのかの区別は 馬に乗っている人間と歩いている人間の装備が似ているので 不明な訳だが
264 :
世界@名無史さん :03/10/19 22:34
騎兵に対して、ジェミニ曰く 「秩序在る精鋭歩兵の方陣に対する襲撃は成功し得ない」 この対偶をとれば 「成功するためには、歩兵を混乱され方陣を崩しておく必要がある」 ということかな。
265 :
世界@名無史さん :03/10/20 22:18
騎兵もずいぶん変わったなぁ
>>247 .
騎兵が落馬したとしても馬はその場に残っている。つまり、主無き馬が障害になり
あとから突撃した方もそこで止まらざるを得ず団子状態になると思う。
また、槍で突き倒されない限りはねとばされることは少ないと思う。鞍の後きょうは
持ち上がっているし、剣で戦う場合は相手を右に回り込むしかないから、そこでも
突進力というのはそがれる。と思う。
てき弾騎兵はありましたか。しかし、その後のナポレオン時代は騎兵はむしろ砲兵をおそう
物でしょう?そのために歩兵は方型陣を組んで歩兵を守る。これをたたくには
私が将軍だったらてき弾騎兵で、方型陣を攻めたいところだが。
267 :
ACE ◆Z7a1IZ9GTI :03/10/26 04:16
どうしてもテルシオンのような方陣を騎馬で突撃する場合、 弱点であるカドをねらうしかないけど。突撃する方も、 される方もやだろうね。
268 :
世界@名無史さん :03/10/26 04:29
●●●マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるのか?●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/988/988402795.html 864 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/05/25(金) 02:10
>>860 856じゃないけど、盗聴/盗撮は、トイレの音や、自分の過去、
今日その日思いついた事、買ったもの、自分の体までネタですよ、
気持ち悪いですよ、
本当に大変だから、気軽にそう書かない方がいいですよ。(マジレス)
(笑)って冗談のように書く時あるけど、別に気楽な気持ちで書いているんじゃ
なくて、悲しい事を楽しく表現する事で、重い気持ちを無くしたいんです。
じゃないと、体にくるから・・・
949 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/05/28(月) 18:46
>>916 直接の実行犯はわからなかった。ただし、その盗聴機関がマスメディア産業の
各方面につながっていることは確認済み。団体名なんか書く必要ないでしょ?
フジ・テレビとか読売新聞社とか電通とか...みんなが知ってるあの会社って
感じ。講談社の週刊誌(現代とかフライデイとか)が政治家の過去を暴露する記
事や写真をよく掲載するでしょ。あの手の記事は、盗聴/盗撮で得た情報で商売
をしている人達がいるという証拠。あういう人達に、オレの個人情報をつかまれ
ているんで非常に心配ですが、現状では、対抗策がない。
>>268 をい、こんなところに現代の諜報活動みたいなネタ持ってくるなよ。
漏れ達は20世紀の頭にゃほぼ滅んだ物をうだうだ語りたいんだよ!
と、コピペに突っ込みを入れてみるテスト。
>>267 sageとこうや。
それこそドイッチェヴァグラムの騎兵突撃みたいにコピペの波状攻撃食らうからさ。
申し訳ない。コピペ攻撃が最強かも。防御側はサゲ進行しかないね。
円陣は死角がなくなるが、移動が難
>>271 でもさ、円だと微妙に広がったりしてあれでないかい?とか思ったり。
方陣の辺の槍襖な密度と円弧になった密度とどうなのだろう?
まぁ、どっちにしても騎兵刀いっぽんでそこに突っ込みたくはないが(死
設定 時代 中世(モデル) 自分 軽騎兵 相手 軽歩兵 人数 一対一 場所 平地 制約 特になし 武器 剣と剣 防具 盾と盾 攻撃種 突撃編 ターン 攻撃 剣が引っかかって、抜けなくなりバランスを崩して落馬しないように、 反っているサーベルなどを使用する。
>>273 盾を持ってる時点で軽騎兵じゃないんじゃ?
てか1on1なんて嫌すぎるな(死
突撃喇叭とか突撃太鼓は誰が?(そういう問題じゃ
歩兵と騎兵のみという状況自体がない罠普通。 遊牧民族との戦いでない限り。 歩兵中心の部隊と騎兵中心の部隊ぐらいでしょ。 歩兵が陣をくんだら、そこへ砲撃。 隊列が崩れたら騎馬隊の突撃でしょ。
>>275 普通そうだよねぇ。
てかゲームとかの影響で誤解してる椰子多い気がする
中世までは戦争の三分の一が遊牧・騎馬民族との戦いな訳だが。
攻撃種 通常編
ターン 防御
騎兵は対歩兵用の盾としてカイトシールド(逆三角形)を使用し、
盾で相手の打撃力を受け流すようにして防がないと騎乗でバランス
を崩しやすくなってしまう。
>>274 中世も幅が広いからね。
279 :
世界@名無史さん :03/12/06 19:31
重装騎兵だと、乱戦になってしまうと体力が持たない。あくまで、 集団陣形で突入、集合、休憩を繰り返す。
>279 デタラメほざくな。
>>280 乗馬やっていたが、馬に乗ると疲れるのはほんとだね
まあ、カールグスタフや64R持って歩兵の真似事もやっていたこと(一時期)有るので
比較すると歩兵の方が疲れると思うけど。
>>281 .
どうでしょうか?疲れるのはトロットの時でしょう?
乗馬倶楽部では普通にトロットで
で動きますが、例えばウェスタンではトロットはしません。
(ウマがしないのではなく乗り手がさせない)
カウボーイは一日中馬に乗っているので、体力の消耗を減らすためです。
ウォークは乗っていて楽ですし、キャンターやギャロップのほうがトロットよりも
楽です。そして、実際を考えると戦略移動であればウォーク、攻撃の時はキャンターか
ギャロップでしょうから、乗り手はそんなに疲れないと思います。
実際、映画撮影の時私は朝から夕方まで甲冑つけて馬の上にいましたから。
それとも、ここで言う「疲れ」は乗馬のこと?
283 :
世界@名無史さん :03/12/07 00:36
おや、ラスト・サムライのエキストラの方?
>>282 確かに並足はいくら乗っていても疲れないね
駆け足も同じ。でもヨーロッパの重騎兵は突撃時にしかゆっくりとした駆け足がすこししか
できなかったと聞いたことがある。
実際に使用頻度が高いのは軽早足で、あれが一番疲労するね。
甲冑着てたら死にそう。
襲歩は楽かなあ? 精神的にキツイけど。
285 :
世界@名無史さん :03/12/07 00:47
重装騎兵は、ステータス誇示用だぞ、おまいら。 軽騎兵は名前のせいで軽い存在かと思ってしまうが、花形職業だぞ。 軽騎兵は、志望率も死亡率も高いんだぞ。←これは駄洒落w
「天と地と」です。NHKの大河ドラマにも時たま。 攻撃の時の歩様は地面の条件などにもよります。 重騎兵が乗ったものは大型種で ペルシュロンなどに近い物でした。 日本ではばんえい競馬の馬が最適でしょう。 これら大型種は野生では森林をすみかとしており、 走るのは苦手でした。ギャロップができたかどうか怪しいものです。 一方、軽種はモンゴルに代表されるように 草原に住んでいました。だから、モンゴル兵は 大型種の馬を知らなかったわけです。 甲冑来て反動をぬく事は至難の業です (ロケの時、たまらなくなってやりましたけど) それに、騎士スタイル(ナイトシッティング)は鞍の後に座り、 足を前に投げ出すようにして鐙は長かったので構造的に 軽早足はとれませんでした。 ギャロップは身体を浮かせ馬任せにすれば、スピードが怖いだけで 他に問題はありません。 日本の馬場では走ってもすぐに柵にぶつかるので、 難しいですがモンゴルのような柵も何もないところでは、はじめて馬に触った ズブのしろうとが最終日にはギャロップでとばしていました。
NHKの大河ドラマって、出ている馬のほとんどが サラとアングロ、アラブですよね、彼らは軽種と中種のはず。 おかげで合戦シーン見ても、変だな〜と思ってしまう業をもらってしまいました。
288 :
世界@名無史さん :03/12/07 01:36
黒澤明の乱も、カナダから輸入したサラブレッド50頭でしたっけ?
>>287、288.クォーターです。私はクォーターが大好きです。 乗りやすいし、言うことをよく聞く。サラブレッドは怖い。 宇津井健氏などはウェスタンサドルを使っていますから。 鞍は、幾つかは撮影用の和鞍ですがおおくは森林警備隊のマクラーレンという鞍 にスリッパ鐙を付けて使用します。 昔の鞍馬天狗もウェスタンサドルでした。
それから馬の乗り方ですが、(裏付け資料はありませんけど) 私が思うに西洋東側はアジア風の鐙を短くし、足を軽く曲げる乗り方が 主流になりましたが西洋騎士の乗り方はヨーロッパで保守的で地理的にも離れた国 スペインで残りました。 闘牛のときのピカドールがまさにその乗り方をします。 やがて、新大陸が発見され移民が始まるとスペイン式 の乗り方もアメリカに渡りこれがウェスタンライデ イングのもとになります。鞍の形状や乗り方はこの両者は 非常によく似ています。つまり、騎士スタイルの 乗馬はアメリカのカウボーイに引き継がれている。 と言うわけです。 ウェスタンは牧畜作業で全く問題がなく 完成されています。モンゴルライディングも そうですから、少なくとも馬の乗り方だけではどちらも 甲乙付けられない完成された技だといえるでしょう
スペイン乗馬と言えばオーストリアの「スペイン乗馬学校」 が有名です。数年前一度日本に来ましたが、 行けなかったのが一生の後悔です。 幸い、ビデオで見ることができましたが、ここには騎士時代 の古い乗り方が今も継承されています。 馬が後ろ足で立ち上がり、(普通後ろ足で立ち上がる馬は とても危険なので敬遠されます。馬は後肢が弱いので、 そのまま踏ん張りが効かず崩れることが多いのです。 映画ではそれ専用の馬にそのカットだけ馬を変えるのです) 後ろ足で立ち上がり、前足で空を掻きながら前進する 技があります。 これは歩兵に対して、馬の腹を前足で槍から防護しつつ、 乗り手は馬の影になって身を守る技です。 あるいは馬の上で腕を組んで足だけで自由に動かす事も ありました。盾と剣を持ったときの扱いですが、これはさほど 難しくはありません、しっかり調教された良い馬であれば、 できます。実際、障害者乗馬では両腕のないライダーが足だけで 複雑な馬場馬術や障害飛越もしています。 ウェスタン競技や、闘牛などを見ると、良い馬は自分が何をすべきかは 乗り手に指示されなくても、自分で判断します。 例えばターゲットの羊が次ぎにどう動くか予想し、自分から羊 を追い込んでいきます。だから、戦闘馬はかなり高度な事ができた と思います。また、その分練習を積んだ人しか乗りこなせなかったでしょう。 農耕馬に戦闘馬の役ができるとは思えず、農耕馬に乗れたからといって 騎兵になレたわけでもなかったでしょう。
>>ttdd 確かにウェスタンで乗るとすっごい楽だよねぇ。 クォーターでウェスタンで乗馬は乗馬クラブな乗馬とずいぶん違って楽しいの。 雰囲気アメリカのカウボーイだけど、一人脳内は軽騎兵(ジャケット半分脱いでみたりして怒られてみたり<バカすぎ)。 今騎馬警官隊なんかの馬も日本では引退した競走馬というパターンが多そうだけど、本来の意味では あれは違うよねぇ、とか思ってみたり。 皇宮警察も制服を狩衣に変えてサブマシンガンでも吊って警備してくれると皇居の周りのお散歩も楽しくなるのだが(スレ違うな)。
294 :
AIRSHIP :03/12/07 21:29
<<ttdd様 私もキュイラッセの格好でサラブレッドに乗りましたが、私の体重とキュイラスの 重量で馬が嫌がり、むずがった拍子に腹帯が緩んだため、鞍ごと回転して、地面に 落ちてしまい、大事なカスクに傷を付けてしまいました。 傷が目立たないように修理するのが大変でした。 (身長182cm、体重78Kg, キュイラス20Kg、カスク1,5Kg,サーベルや制服弾薬号入とう6Kg) 馬も嫌がるはずです。 実際には、その他に装具が15Kgほど加わりますので、馬 にとっては迷惑この上ない事だったでしょうね。
>>293 。ウェスタンは片手手綱だから、脳内では右手に剣か槍を
持って駆けてます。
しかし、ブリティッシュも近代騎兵の馬術ですから、
障害飛越や水壕は戦場での必要な技術でした。
スポーツ化によって手綱が両手もちにかわってきたと思いますが、
元来はやはり片手手綱です。
騎馬警官はかっこいいですよね。ニューヨークやロンドンや
ローマにはよく警邏してます。
馬の上からは遠見がきき、威圧感もあり、また車と違って
方向転換が容易ですからかなり重宝されているようですが、
東京では無理でしょうね。
京都にはいるようですが、雅な姿をして欲しいです。
できればサラブレッドではなくて、もっとましな馬にして欲しいです。
AIRSHIP様。
ぜひ、その時の写真でも拝見させていただきたいです。
私はまだ、自前の甲冑を着て馬に乗ったことはありません。
確かに、私の体重でも甲冑が加わるとかなりの重さになりますから。
私は元々ブリティッシュで練習しましたが、その後ウェスタンを学びました。 だから乗り方は楽なウェスタンですけど、ブーツとキュロットはジーンズよりも フィットしているし、頭も守りたいので服はブリティッシュなんです。 しかも、最近はモンゴルスタイルも加わるし。 できたら鞍は自分で作りたいですね。基本はウェスタンサドルで、軽く腹帯は ブリテッシュ式。鞍の真ん中はスリットがあって馬の背中を痛めないマクラーレン。 ついでに、左右の鐙をはらしたでつなぐモンゴル風も取り入れる。
297 :
AIRSHIP :03/12/09 23:10
>>ttdd様 世田谷の馬事公園には、警視庁騎馬警官隊の馬が居ます。 ここの女性隊員と仲良く なって、馬事公園の人達とも仲良くなり、馬にも乗せてもらいました。 今は昔の話 ですが、現在も騎馬警官隊は居るはずです、小学校の交通教室等には、良く行ってい るはずですので。 今度、場事公園に行ってみたら如何ですか。 ここには、ベルシュロン等の重騎兵馬もいますし調教も好いですよ。 毎年の「愛馬の日」には、歴史的な乗馬ファッションでのパレードが有りますので、 次回はアバロンの皆さんで、ジョストでもやらしてもらえると好いですね。 甲冑での乗馬パレードだけでも受けると思います。 ROYAL HORSE GUARDES の胸甲なら軽いので、次回は馬に嫌われない様に為ると 思います。
そうでした。馬事公苑は騎馬警官がいましたね。とてもきれいな馬です。 乗馬パレードに甲冑で参加できるのですかね?愛馬の日は5月の連休でしたね。 この時期はよく遊びに言うので、一階しか行ったことがないですが、乗馬用品が安売り でした。私も20数年使ったキュロットがそのそろだめになりそうなので、買わなくては。 ちょいと、パレードのことが気になります。今度詳しいお話をうかがいたくお願いします。
鐙無しで両手放しギャロップ疾走というのは可能ですか? アッシリアの浮き彫りなんか見るとそういう絵柄がありますが。 しかもその状態で体を捻って後方…といっても左後方だと思うけど そっちに矢を放ってる。 しかも集団で編隊を組んだまま。
鞍はありますね?ギャロップになった場合、むしろ鐙は無い方が良いです。 言葉では難しいですが、鐙があると馬のリズムと鐙が揺れるリズムが狂ってきて じゃまになると言うか、そんな感じです。 手綱の手放しはもちろんです。手綱は体重を支える物ではありません。 むしろ、初心者は馬の反動を体で吸収できずそのまま手綱に伝わり 結果的に馬の口の中でハミが踊り回るので、いっそのこと手綱をはなした方が 馬の信頼を得ます。 坂道やジャンプの時は例外ですが、乗り手は座骨と馬の中心を常に合わせます。 (鞍がない裸馬は滑るので良い練習になる)足?あんな物は飾りです。 従って常に中心を取っていれば体をひねるくらいはできます。 ついでですが、マンガに見られる、「手綱を口でくわえて両手に武器を持つ」 はあり得ません。馬の手綱は馬が水を飲むときに地面に口を付ける最低の長さは 必要です。乗り手が口にくわえて左右が同じ長さになる手綱は短すぎます。 また、何のために口にくわえるかも理由がありません。 馬を動かすには自分の口でくわえて首を左右に動かしても、 馬には利かないでしょうし、落ちないようにバランスを取るのであったとしたら 満足にバランスもとれない騎士と言うことです。
301 :
世界@名無史さん :03/12/10 20:04
私のキュロット等は2次戦中の物はおろか、1870年製の物を未だに愛用し ています。 ヨーロッパ製の物なので、ウールの生地が厚く硬いのでズボン下 が欠かせません。 夏などは汗でビッショリにニ為ります。 次回のブラックホールでも、軍用のキュロットを売っているはずですし、安く してもらうことが出来ると思いますよ。 其れとも、ミラノ甲冑にロングスヲ ードで旧小田急ハルク2階(新宿西口ビッグカメラ)の乗馬用品店に行き、安 くしろと言ったら、安くなりますかも知れませんよ。 乗馬用品の中古リサイクル店が在りますので、インターネットで探してみては 如何ですか?
ttddさん、いつも興味深い話聞かせてもらってます。 では、後半の、その状態のまま体を捻って後方に弓を撃つ体勢を取ることに ついてはどうですか。 馬は乗り手が背中の上で妙な動きをしていてもまっすぐ走り続けてくれます? チャリオットなら御者と二人組なので問題なさそうなんですが、 騎兵がそんなこと出来るのかな…と。
airshipさま。1870年製ですか、素晴らしい! もちろん今の以外にも幾つか使ったのですが、生地がいい。丈夫で伸びるんです。 貰い物だからもうメーカーもわからなくて。 軍用はいわゆるニッカボッカーですか? 302さま。どのくらい捻るかですが、モンゴルに行ったときは後続が心配なので ギャロップで後を確認するぐらいは身体をねじれます。 最も、サーカスやモンゴル人であれば目をつぶってできることです。 私も羊取り竿を持って羊を追いかけ、お手伝いをしてお小遣いをもらいました。 それよりもモンゴルで驚いたのは、夜中に真っ暗な中で彼ら馬に乗って走り回るんですよ。 地面はタルバガンや鼠の穴があります。日中ならば見えるし、馬のほうがよけてくれるので 兵器ですが、「夜中に馬で走る」はさすがに怖くてできなかった。彼ら曰く「馬は見えてる」問いますけど。 あと、すごいのは、夜中に馬は遠くへ行かないように、それでも草はあるいて食べられる程度に 両前足を縛って放牧しますが、それでも朝には遠くへ行ってしまい馬がいません。 で、朝になると残った馬に鞍を付けて捕まえにいくのですが、「どちらの方角へ何頭いる」 とわかるんですね。地面見たって芝生みたいな草で足跡なんて付いていません。
馬は耳が良いので、反射してくる音で夜間も行動できると言いますね。
300の口でくわえる手綱ですが、障害者乗馬では両腕のない人もいます。 そんの場合は手綱を左右に分けて左右の鐙につけます。こうすると 足だけで細かい指示を与えることができます。 それから、車椅子で立てないひともキャンターをします。(トロットはしません) つまり、足はバランスを保つ上で必要ではなく、手綱はバランスを保つ支持架ではないと言うことです。
306 :
AIRSHIP :03/12/10 21:24
>>302 後方に矢を射るのは、所謂パルチアンショットの事でしょう?
矢を番え身体を捻り様に射掛けて、即座に身体を元に戻し、矢を番え直
します。 流鏑馬を見ても、何時までも後方を見ているわけでは在りま
せんね。 あれと同じです。 日本の犬追物の絵巻にも同じような射方
をしている場面が描かれています。
馬は膝の締め方と、拍車(日本では鐙)による合図で動きます。(訓練
にもよりますが。)
>>302 さま。馬がまっすぐに進むかどうかと言うことですね。
乗り手がバランスを保っている限り、普通にまっすぐに進みます。
しかし、100mも走れば大きく曲がってくるかも知れません。
馬も一頭一頭癖があって右回転がうまい馬や、左回転が苦手な馬などそれぞれです。
特に駆け足の場合は、馬場の中で走る馬術であれば、回転方向によって右足か左足かどちらが先に着地
するように走り出させるかを本当は指示するのです。
駆け足の歩様は空中に四肢がある状態から、まず左後肢、続いて右後肢と
左前肢、そして右前肢と着地します。あるいはその逆。
これは常に同じ繰り返しですから、回転方向に対して、左右どちらの足つきかは
馬が回転しやすいかどうかと言うことに関わります。当然、8のを書いてで走る場合は
交差点で左右の足つきを切り替えなくてはいけません。(屋外での直線は関係ない)
軍用では細かいことはないでしょうが、今のブリティシュが元々軍用馬術だったこと
を考えると、かなり重要な要素でしょう。
>>304 。最近聞いた話ではうまはコウモリのようにエコロケーションができると言う話です。
> 彼ら曰く「馬は見えてる」 走るのは馬に任せて、乗り手は弓に専念とすることも出来そうなセリフですね。 手綱・鐙なし、真後ろに撃つには膝もずれる、という、コントロールを 放棄したような状態でも、馬が普通に走ってくれるなら問題なさそう。
310 :
AIRSHIP :03/12/10 21:58
>>ttdd様ふるい乗馬ズボンには、ハンガリー風のピッタリしたタイツ風 の物(ユサールが履いていた様な物)。 その上に履くオーバーズボン。 画セットに成った物。 ニッカーズボン風に、太腿がゆるい物、2次戦 のドイツ軍風に太腿部分が大きく膨らんだ物等の種類が在ります。 財質も、皮(セーム皮等)で出来たものや、布に補強の為皮を縫いつけ た物、士官によっては、好みでレギュレーション違反を遣っている者も 在り、多種多様です。
セームは良いですね。高そうですが。私の使っていて駄目になったのは
尻から股にかけてセームでした。適度に鞍に付き、滑り、良かったのですが、
セームは縫製の部分が弱いですから、お尻が完全に裂けてしまいました。
>>309 。実際そういう物です。二頭縄間を平行させて走らせ、鞍から鞍へ乗り移る
は、それほど難しくはないとのことです。
馬が常に同じリズムで走ることを馬を信じていればできるらしいです。
馬の反動は、例えばスキーは斜面の凸凹を膝で吸収し腰から上は安定してますね。
馬もあれと同じです。
マウンテンバイクなんかもそうですね。 そうなると、鐙が無いとやっぱりかなり修得が大変そうだ…。 馬の話はこの辺で、剣と盾の方のスレもよろしくおねがいします。
313 :
AIRSHIP :03/12/11 21:13
>>ttdd様 コルトサービス東京という祖師谷大蔵に在る「中古馬術用具店」が12月12〜14 日まで、バーゲンセールをやっています。 入って見ては如何ですか? お気に入りの商品が安く手に入るかもしれませんよ。 古い形式の物も有るでしょう からね? 私も行って見ようかと思っています。
314 :
AIRSHIP :03/12/19 19:55
>>ttdd様 ブリテイッシュを習っていらっしゃるのでしたら、軽乗も供にやっていたので はないのですか? それでしたら、乗馬の移動、鞍上の立位等、お手の物だと 思います。
315 :
:世界@名無史さん :03/12/20 01:58
AIRSHIPさま、せっかくの情報ですが行けませんでした。 軽乗は数回しかしていません。そんなにうまくはないです。
316 :
世界@名無史さん :04/01/23 16:30
あfw
317 :
世界@名無史さん :04/03/18 14:01
age
318 :
例のにゃあにゃあ :04/04/04 05:18
319 :
例のにゃあにゃあ :04/04/04 05:19
とりあえず、調べてみたニャ。
1066年から1346年を封建騎兵(馬に乗った騎士)優位の時代と見るかどうか何だニャ。
ttp://www.deremilitari.org/RESOURCES/ARTICLES/rogers.htm 上のロジャーズ論文のWar in the "Age of the Horse"の章のはじめの方と注15と16によると騎兵優位論をとなえるのは
オーマン、デルブリュック、バーブリュゲン、コンタマイン、ジョーンなど多数に上るみたいだニャ。
歩兵優位論をとなえるのはリヨン、ブラッドベリーだニャ。
ただし、ロジャーズ自身が騎兵優位論に傾いてるみたいなんで、
この研究者の人数の差をそのまま信じていいかどうかは分からないニャ。
この中で我が輩が一部とはいえ読んだのはオーマン、ブラッドベリー、バーブリュッゲンだけだニャ。
j.f.verbruggen,the art of warfare in western europe,suffolk,1997(orig. ed.1954)
sir charles oman, a history of the art of war in the middle age vol.1-2,london, 1978(first ed.1898)
jim bradbury, the medieval archer, suffolk,1985
ブラッドベリーの本のp.40によると、歩兵と騎兵に関してオーマンとホリスターが議論していて、
ブラッドベリーはホリスターの指摘に従って論を構成したみたいだニャ。
そこで、我が輩はホリスターの下の本の一部を読んだニャ。
warren hollister,anglo-saxon military institutions,oxford,1962
ホリスターはヘースティングス以降に行われた
アングロノルマン期において最も重要と考えられる5つの戦いを論拠としているニャ。
ブラッドベリーもこれに従い、更にアランソンの戦いも例として加えてるニャ。
そこで、この5つの戦いをホリスターとオーマンがどのように解釈したかを並べてみるニャ。
320 :
例のにゃあにゃあ :04/04/04 05:19
騎兵優位論 オーマンによるとこれらの戦いの特徴は主力はもちろん騎兵だが、歩兵の支援がしっかりしていた側が勝利したと見ているニャ。 タンシプレーの戦いでは、騎兵による側面攻撃によりイギリス王が勝利し、 ブレムールの戦いでは歩兵の援護を欠いたフランスの騎兵隊が歩兵に援護されたイギリスの騎兵に敗退し、 ブルグ・ゼロールドはタンシプレーとほぼ同じで、 ノーサラートンの戦いはスコットランド・イングランド両軍とも徒歩で戦ったアブノーマルな戦いとし、 スタンダートの戦いはイングランド王軍、反乱軍共に歩兵に支援された騎兵による戦いだったとしているニャ。 基本的にどの戦いでも主兵力は騎兵だが、歩兵の支援が勝利の重要な要素だったとしているニャ。 それにしても、騎兵は歩兵なしでも戦えるが、歩兵の支援があった方がよりよい、というとこみたいだニャ。 バーブリュッゲンはこの5つの戦いを騎士が下馬して戦った例外的な戦いと位置づけているニャ。 バーブリュッゲンによると騎士が下馬して戦うのは地形が原因か、 それ以外の何かの障害要因があっての事で通常下馬して戦う事はないと見てるみたいだニャ。
321 :
例のにゃあにゃあ :04/04/04 05:19
歩兵優位論 ホリスターは5つの戦いでイギリス王側の騎士の大半が下馬していた点に着目しているニャ。 ホリスターは騎士が下馬して戦うようになったのはヘースティングスの戦いの影響で、 騎乗して戦うより下馬して戦った方が有利だと考えるようになったからと見ているニャ。 オーマンはタンシプレーの戦いでは騎兵による側面攻撃を決定的な一打として重視したが、 ホリスターは側面攻撃の効果は騎兵だろうと歩兵だろうと変わらないとし、 それを補足するようにブラッドベリーがアランソンの戦いを例に出しているニャ。 アランソンの戦いもタンシプレーの戦いと同様に側面からの奇襲攻撃が戦いを決したが、 この時側面攻撃を行ったのは歩兵だったニャ。 ホリスターによるとアングロ・サクソン軍にも騎兵があり、騎乗して戦う事もできたが、 下馬して戦った方が有利だからそうしなかったと見てるみたいだニャ。
322 :
例のにゃあにゃあ :04/04/04 05:20
一つ気がついたのはこの5つの戦いはロジャーズがいったような騎兵の機動力が生かされてない、と言う点だニャ。 騎兵は真っ直ぐ敵陣へ突撃してるだけだニャ。 側面攻撃が行われたタンシプレーやブルグ・ゼロールドの戦いでも戦いの前に伏兵として騎兵が伏せられていただけで、 騎兵が機動力を生かして回り込んだというわけではないみたいだニャ。 それと、騎兵が歩兵の隊列へ突撃して敗退した時でも、騎兵は素早く逃げる事ができずに多くが捕虜になってるみたいだニャ。 この点については、勝利者側は直ぐに馬に乗って追撃したと、オーマンが補足してるニャ。 この5つの戦いはバーブリュッゲンの言うように例外的な戦いだったかもしれないし、 ホリスターの言うように代表的な戦いだったのかもしれないニャ。 矛盾した言い方だけど、これは両者が対象とした範囲の違いに過ぎないと思うニャ。 バーブリュッゲンは9から14世紀の全ヨーロッパを対象としたし、 ホリスターは11から12世紀のアングロ・ノルマンを対象としていて範囲が異なるんだニャ。 だから、5つの戦いは9から14世紀のヨーロッパでは例外的な戦いだったが、 11から12世紀のアングロ・ノルマン地域では一般的な戦いだった、 別の言い方をするとアングロ・ノルマン地域は他のヨーロッパ地域とは異なる戦い方をする地域だったと、 まとめる事ができると思うニャ。 だけど、やっぱりどちらの研究者も自分の主張に都合の良いように戦いを解釈してるみたいな疑惑が抜けなくて困るニャ。 もっと調べないといけないニャ。
323 :
例のにゃあにゃあ :04/04/04 05:26
だめだ、頭使いすぎてオーバーヒートしたニャ。 当分、なんも考えられニャイ〜。
ディスカヴァリチャネルのバラクラヴァの話を見てしまった。 トルコ兵凄いじゃんか。あんな堡塁(土塁つーた方がええぞ)で3時間も砲撃受け続けてたのか 全滅したと思い込んでた騎兵はほとんど無傷だし(w ラグラン卿がタコでカーディガン卿も頑固親父ぽいのがよくわかったり。 しかし凄いなぁトルコ兵。見直してしまった。
>>322 騎兵はいったん攻撃を行ったら、敵を突破するか撃退されるかする
どちらにしても無秩序になるわけで、その結節を敵に逆襲されるとあっけなく敗北する
その空白部分を歩兵でうまく補完すれば、簡単には負けないってことかな
326 :
例のにゃあにゃあ :04/05/20 01:17
>>325 そう、それが騎兵優位論者の主張だニャ。
歩兵優位論者は騎兵が無くてもいいって言ってるみたいだニャ。
その一例がヘースティングスの戦いのサクソン軍って事になるみたいで、サクソン側は馬に乗ってた者も全員馬から下りて戦ってるニャ。
まけたけど。
タンシプレーの戦い、ブレムールの戦い、ブルグ・ゼロールドの戦い、ノーサラートンの戦い、スタンダートの戦いでも騎兵は決定的な役割を果たしていないと見ているみたいだニャ。
騎兵を主力にした事が負ける原因になったとすら見ているように見えるニャ。
ただ、この問題は単純に戦術がどうのとかいうだけじゃなくて戦闘を記録した史料をどう読むか、とか言う問題が密接に関わってきて結構面倒なんだニャ。
あんまり難しくて面倒だから、今の我が輩には手に負えないところなんだニャ。
327 :
世界@名無史さん :04/05/20 01:54
馬上の不利を知れ! 北斗騎馬騎兵斬!
一つ質問 マラトンの戦いで、アテナイ軍は騎兵・弓兵中心のペルシャ軍に 重装(改良)歩兵中心の編成でどうやって勝てたんだ?
329 :
世界@名無史さん :04/05/25 17:57
>>328 敵の弓の射程に入ると駆け足で前進して白兵戦に持ち込んだというような
ことだったらしい。ペルシア軍はヘロドトスによれば歩兵10万、騎兵1万
という戦力だったが、騎兵が戦いに参戦したかどうかは記るしていない
ようです。その辺の事情は色々と推測されているようです。
参考文献:『古代ギリシア人の戦争』新紀元社
330 :
例のにゃあにゃあ :04/05/27 22:38
>>328 マラトンの戦いのペルシア軍の兵力はだいたい一万から四万と推定されてるニャ。
この数値はペルシア軍の船の数から算定された値だけど、四万というのは漕ぎ手迄合わせた値なので陸兵はもっと少ないって事になるニャ。
漕ぎ手を除いて純粋に陸兵だけを算出すると歩兵最大八千、騎兵六百となるそうだニャ。
ギリシア軍の兵力はネポスによって一万と伝えられてるニャ。現在ではとりあえずこの値が信じられているみたいだニャ。
ペルシア騎兵と弓兵がうまく機能しなかった原因はペルシア、ギリシア双方に原因があるみたいだニャ。
弓兵はギリシアの駆け足戦術で無効にされたという点は余り異論がないみたいだニャ。
それと、現実は別にして、ペルシア軍はギリシアに対して歩兵一人一人の能力においても、兵力においても相手を凌駕していると考えていて油断もあったみたいだニャ。
ギリシア軍が騎兵も弓兵も伴わずに突撃してくると、ペルシア軍は「ギリシア軍の行動はきちがい沙汰だ」と驚いたそうだニャ。
騎兵については異論があるけど、騎兵部隊の規模が小さくて役に立たなかったと見るか、騎兵部隊はいなかったと見るかの違いだけみたいだニャ。
どっちにしても騎兵はいないも同然な状態だったみたいだニャ
騎兵がいたと見る研究者はヘロトドスの騎兵の活動に適した地点がマラトンだったとか言う記述と、パウサニアスやネポスを根拠にして、
騎兵がいないと見る研究者はヘロトドスの記述に騎兵の活動が記されていないところや、戦利品としても馬が記録されていないところ、スーダのマラトン会戦前に騎兵はマラトンから撤退していたとする記述を根拠にしてるニャ。
資料は
中井義明,マラトン−その戦術的側面−,古代文化44−1,1992,pp.16-24
パアサニアス,ギリシア記,龍渓社,1991,p.67
ネポス,英雄伝,国文社,1995,p.15
ヘロトドス,歴史中巻,岩波書房,1972,pp.258-267
>>330 >パアサニアス,ギリシア記,龍渓社,1991,p.67
ってPausaniasのDescription Greekかな?67ページてことは’Αττικαの後ろの方かΚορνθιακαの前の方ですかね?ちょうどギリシャ語手に入れたばっかなんで、これを
機会にそこら辺から攻めてみようかと思うんで、是非ともよろしくです。
332 :
世界@名無史さん :04/05/31 08:16
age
333 :
世界@名無史さん :04/05/31 10:21
>>329 ヘロドトスは兵力を明記していない。
ネポスが歩兵10万、騎兵1万と記していたはず。
334 :
例のにゃあにゃあ :04/05/31 23:57
>>331 いいニャ〜、ギリシア語読めるのか。我が輩も勉強中だけど、今は英語で精一杯だニャ。
Description Greekってことはロエブのクラッシックライブラリー版かニャ?
パウ、あっ間違えたニャ。パアサニアスになってるニャ!
ごめんニャ。これはパウサニアスの間違いだニャ。
マラトンの記述は 1.32.3−7 で、Αττικαの最初の方だニャ。
日本語訳では「マラトン奇談」って小見出しが付いてるニャ。
マラトンに夜な夜な出没する軍馬と兵士の幽霊の話が出てるニャ。
335 :
世界@名無史さん :04/06/01 17:40
ロエブ版は索引巻だけでも買う価値はあるぞ。
>>334 ありがとうございます。
これからここらあたりを中心に読んで行こうかとおもいまつ。
古典ギリシャ語は難しいでつよ。未だ勉強中。ラテン語より全然むずかしい<当たり前ぢゃ!
まぁ、うっかり手を出す必要性がなきゃその方がいいかとも思いますが。新約聖書みたいに決まり文句てんこ盛り!の方が楽かもしれませんね。参考にできる翻訳も各種そろってるし。
辞書とか高いですし、英語経由になるし。でも語感とか楽しいので(w<こういう馬鹿な理由で手を
出すのはそうそう居ないんだろうけど(死
ほしゅします
最下層一歩手前ー
あと一つ・・・
落ちるニャ。スレが消えるんだニャ。 だったら騒ごう。歩兵と騎兵をネタに独り言を呟こう。 ギリシアの重装歩兵こと、ホプライトは実は騎兵だった。 う〜ん、インパクトが弱い。 イングランドの騎士は実は歩兵だった。 上でさんざん騒いだから、新鮮味に欠ける。 スパルタの精鋭歩兵部隊の名前は「騎兵隊」。 有名な話らしい。 騎士が馬に乗って戦うことは実はもの凄く少なかった。 戦いのほとんどが攻城戦だったから。 あたりまえか。 騎士の騎馬突撃は精神的な効果しかない。 馬にも乗れないような貧民中心の歩兵は騎馬突撃を受けるとたいてい戦わずして逃げ出す。 歩兵が逃げなかった時、騎馬突撃は中断されるか、騎馬部隊の悲劇で終わる。 誰が言い出したのか、思い出せない。 ブーヴィーヌの戦いを記録したギョーム・ル・ブルトンの戦いの記述と、 サー・トマス・マロリーの「アーサー王の死」の騎士の決闘の記述が似ているような気がしてならない。 記述方法が原因か、実際の戦いがそうだったからなのか。あれではトーナメントと変わらない。 年代記などは貴族のことしか書かないから下々の者がどういう活動をしていたのかが分からない。 だから騎士の戦争では下々の者、歩兵や弓兵が戦いで重要な役割を果たさなかったと考えられがちだった。 それでもブーヴィーヌなどではフランス王がドイツの下々の兵に討ち取られそうになったとかの記述がある。 実際には下々の兵はけっこうな活躍をしてたんじゃないかな。 シェイクスピアのヘンリー5世にでてくるピストルとか、ニムとか、バードルフみたいな下々の兵。 教会が下々の捕虜の命乞いをして成功した例があると読んで覚えがあるけど、なんに書いてあったのか忘れた。 ただ処刑例が一つしかみあたらない。ジョン欠地王が下々の捕虜を一人、処刑したって話だけど。 眠いから寝よっと。
落ちるのはまずいな。 オリンピックネタで開会式のアトラクションの歴史絵巻でちょっと萌えた。 いいね、あの程度の数でもずらっと並ぶと。
お、まだ落ちてないニャ。 このぎりぎりな感じがいい。 オリンピックもスレに合わせて強引に。 古代オリンピックには武装したまま走る競技があったとか。 走る重装歩兵。 従来の装備はすべて青銅製で重くてとても走るなんてできなかったし、歩くのも大変。 だから戦場までは馬に乗っていた。 青銅製の装備と馬を持ってないと戦争に参加できないから、初期の重装歩兵の数は凄く少ない。 お金持ちの貴族だけが戦争に参加し、国政に参加する貴族制社会だったといわれてる。 それが大きく変化するのは「走る重装歩兵」が出てきた前6世紀頃。 麻や皮の鎧が使われるようになり、つづいて皮や麻の鎧の要所要所に金属を付けた複合型も登場して装備が一気に軽くなり、 製造コストも一気に下がり、馬に乗る必要もなくなった。 ちょっと小金を持つ平民も武装を整えて戦争に参加するようになり、平民の発言力が増した。 紀元前520年頃に完全武装で走る競技がオリンピックに加えられた。 走る重装歩兵で最初に優勝したのはヘライアのダマレトス、 ペロポネソス半島の西部、アルカディア地方の西端にある小さなポリス、ヘライアの市民。 次のオリンピックでも優勝してる。 紀元前6世紀というとギリシア各地で民衆のバックアップを受けた独裁者がゴロゴロ現れて貴族制社会をぶちこわした時期。 独裁者はたいてい貴族出身者だけど大きな権力ほしさに平民を味方に付けて独裁権を握る。 だけど最後は平民と対立して失脚。 次に現れるのが民会を中心にした古代民主制とか言われてる社会。 装備の変化が社会制度その物を変える原動力の一つになった例っていえるかも。
最後のぎりぎりになるまで書き込むニャ。 チキンレースみたいで面白い。 14世紀のイングランドでは戦場での騎兵の価値がほとんどなくなっていたとか。 だけど乗馬率は上がり続けていた。 1360年の支払い台帳なんかによると100パーセント騎馬兵で構成されている。 騎馬弓兵と騎士で構成されている。 15世紀にはいると騎士身分の人まで騎馬弓兵化していったとか。 戦場では騎士でいるより弓兵でいたほうが得だと考えるようになったみたい。 戦場ではみんな馬から降りて戦った。 問題は何に書いてあったか忘れた。だから勘違いしてるかも。 19世紀、ヘースティングスの戦いで戦った兵士の数は十万だとか百万だとか考えられていた。 凄い数だ。 マラトンの戦いに参加したペルシア軍の数は最近になっても十万だとかいう本があるそうだ。 現物はまだ見てない。 六百隻の船に十万人の人とそれを維持する物資を載せてくる。 凄いことだ。 両方とも十九世紀末にデルブリュックによって否定されている。 ヘースティングの戦いの参加兵力は多くて一万ちょい。 マラトンのペルシア軍は四千から六千。 問題はデルブリュックの数値が現代の学者に完全には受け入れられていないってことみたい。 ヘースティングの数値は概ね受け入れられているが、マラトンの兵力は数万って算定することが多いみたい。 当時の貧弱な海上補給だけで数万の兵力を数日間維持できるのか不思議、不思議。 周辺を略奪しようにもギリシアの痩せた土地でどのくらいの食料を集められたか。 第二次ペルシア戦争で陸路で侵攻した時は、事前に中継補給基地を用意して、大規模な補給部隊を随伴させた。 この方法で侵攻した場合、必要な水の量から兵力を算出すると最大値は四万五千程度だという。 たぶん実際にはもっと小さい数値になってしまう。 すると、第一次ペルシア戦争で数万の兵がマラトンに上陸したっていうのは無理な気がする。 デルブリュックのいう四千から六千っていうのが妥当って気がする。 ここでまた問題にぶつかる。何に書いてあったんだっけ? 記憶はあてにならないから勘違いしてるかも。
なにも調べず、記憶と空想だけで書き殴るのってあんがい面白いニャ。 ただ、こういうのをきちんとした説だとか言われて押しつけられるのは困る。 まともな説と主張するなら裏付けをとってからにして欲しい。 相手の論拠と、自分の論拠と二倍調べなきゃならなくなるから意外にたいへん。 古代ギリシアの軍事組織は極めて未熟でペルシアのそれとは比べものにならなかった。 ペルシアはプロフェショナルで、騎兵、弓兵、歩兵の諸兵連合や補給体制がよく整備されていたけど、 ギリシアは兼業兵士がほとんどで歩兵と僅かばかりの騎兵で構成されていて、補給なんて考えてもいない。 だけどキーガンのいう戦争の抑制とかいう概念に合わせてみるとギリシアの方がペルシアより遙かに進んでることになる。 同じ文化を共有する者同士の戦争は合理化されて戦争期間も被害も小さくなっていく。 無意識のうちに戦争のルールを色々作って戦争の被害を抑制しようとする。 ホプライトは敵地へ一度出陣して、農地を荒らしてその後で30分程度の押しくらまんじゅうをして戦争を決する。 農地を荒らすといっても一つの農場すら、完全には破壊できないから農地の被害は非常に小さい。 ペルシアの到来でギリシアの戦い方は変わってしまった。 戦役の大規模化、被害の拡大。 ペルシアの戦い方を取り入れて軍制や戦い方を変えてしまった結果だ。
同じことは中世の騎士の戦いにも言えるかも。 身代金制度が十分に発達してほとんど戦死者が出ず、イングランドなどにおいては農地の破壊も慣習的に行われなかったという。 教会が戦いになにかと介入しては止めさせようとするし、封建法に基づいた裁判により解決しようとする傾向が強い。 そもそも戦争では不確定要素の大きい決戦を避けて籠城を決め込むことが多く、結果を出せないことが多い。 騎士の戦いは13世紀にピークを迎えて壊れてく。 十字軍とモンゴルの到来が原因なのかも。 異なる戦争の形態を知ってしまったせいで戦争の形が変化したってことなのかな。 戦争の抑制って視点で戦争の歴史を眺めていったら結構面白いのかも。 戦争は際限なく巨大化して際限のない破壊を生みだすとかいう考えは当てはまらないことになる。 むしろ共通する文化を持つ、或いは共通点を見いだすことで無意識にせよ戦争は抑制されて被害は小さくなり、 戦争はゲームのようになっていく、とか、なるのかな。 だけど現代に適用できるかは疑問だな。
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つーか、篭城戦が大砲の発達により短期間になり 大砲に耐えうる要塞(イタリア式)はきわめて高価で、大貴族や王侯のみが保有でき 大砲と段列も高価なため、王侯大貴族のみが保有できる。 零細な中小貴族の城塞は無価値となり、零落していったため 戦争の形態がかわったと
あー、あがっちゃった。 ちなみにsageでも最近に書き込みがある限りはスレは落ちない。 聞いてたかったから言わんかったけど。
>>349 え〜、落ちないの。知らなかったニャ。
落ちるか落ちないかのぎりぎりな感じを楽しんでたのに。
>>348 年代を簡単にまとめてみよう。
十字軍が11世紀末から13世紀、モンゴルの到来が13世紀。
戦争での騎士優位の時代が終わったといわれてるのは14世紀初頭。
大砲の初登場は確実なところで14世紀初め頃。
大砲が攻城戦でようやく使える段階に入ったのが15世紀初め頃。
大砲が普及したのは15世紀後半から16世紀初頭。
イタリア式築城の登場は16世紀前半、普及したのは後半。
この流れを俯瞰して14世紀:歩兵革命、15世紀:大砲革命、16世紀:要塞革命。
なんて言い方もあるみたい。
我が輩のいう騎士の戦争の終わりとは、歩兵革命によって起こったと見る。
紀元前、ゲルマニアの騎兵は投槍を武器とし、 自分らと同数の勇猛で敏捷な歩兵を連れていた。 騎兵はこの歩兵と共に戦闘に臨み、いつでも歩兵のところに戻っていた。 騎兵の形勢が不利と見ればいつでも歩兵は援助に駆けつけ、 騎兵が重傷を受け落馬すると歩兵達が周囲を取り巻いて庇った。 遠く進まねばならないときとか、素早く退却しなければならないときは 歩兵は馬のたてがみを握りぶらさがったまま、馬に遅れをとらず 走り続けられるほどの敏捷さを訓練によって身につけていた。 要するに騎兵は歩兵の援護が有ってこそその本領を発揮するということだが、 これは日本の武士にも現在の戦車にも言えることだな。
>>351 これはガリア戦記の記述かな。違ったかな?
中世の話だと、騎兵優位論者と同じ感じ。
中世だと、騎馬隊が退却した時の避難所として歩兵隊の陣列がある。
歩兵の任務は基本的に防御で、騎兵が攻撃を担当するって感じ。
大丈夫みたいだニャ。また遊べそうだ。 また、記憶と想像で遊ぼう。 紀元前1200年頃にミュケーネとヒッタイトが滅亡した原因を武器の変化に見る研究者がいる。 この頃の主力兵器は、二頭くらいの馬に引かせた小型で二人から三人乗りの戦車。 ところがこの世界に長剣と投げ槍を主要な武器とする蛮族が雪崩れ込んできた。 別の説だと、この蛮族は盾と槍を装備した徒歩の集団戦闘を行う集団だという。 戦車を主力とした東地中海諸国は歩兵の集団戦闘を得意とするこのナゾの蛮族に容易く、 撃ち破られてしまったってことみたい。 このナゾの蛮族の戦い方こそが、ギリシアのホプライトの起源とも言われている。 当然反論も色々とある。 紀元前1200年以降もアッシリアとか、イスラエルとか、ギリシアで、 戦車が主力として使われていたっていうのもその一つ。 ギリシアのホプライトの登場は紀元前8から7世紀で、それ以前は戦車も使われていたとか。 アレクサンドロスと対したペルシアも戦車を使っている。 それと、ミュケーネやヒッタイトはナゾの侵略者により滅ぼされたのではない、と言うのも一つ。 特にミュケーネには新たな民族が来訪したって考古学的な証拠が見つからないみたい。 kelly devries,catapults are not atomic bombs; in kelly devries,gun and men in medieval europe 1200-1500,hampshire,2002,pp.XVIII456-460 ハンセン,古代ギリシアの戦い,東洋書林,2003,pp.32-35 周防氏の本のどれか。 他の本は忘れた。