1 :
世界@名無史さん :
03/03/16 13:38 現在、中国による苛酷な統治を受けているチベットの歴史を語ろう。
2 :
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所 :03/03/16 13:50
3 :
世界@名無史さん :03/03/16 14:00
4 :
世界@名無史さん :03/03/16 14:26
刑務所や強制収容所から生還した人たちの証言を元にまとめると、 チベット全体で収容者のおよそ7割が死亡している。たとえば北 チベットの荒涼とした高原にあるジャン・ツァラカでは、5ヶ所の 収容所に10,000人以上の囚人が収容され、ホウ砂の採掘と運搬に 従事させられていた。これら収容所から生還した人の話によると、 毎日10〜30人が飢えや殴打、あるいは過労によって死亡し、1年間で 8,000人以上が死亡したという。また、中国が解放軍の仕事だったと 主張する、ラサのアチェン水力発電所の建築現場でも、毎日3、4人の 収容者が死亡し、死体が近くの川に投げ捨てられたり、焼かれたりす るのが見られたという。東チベットの例では、1960年〜1962年の間に、 ダルツェド地区の鉛鉱で12,019人の収容者が死亡したと、元収容者の アディ・タペさんは証言している。
タントラの秘法で呪い殺せばいいじゃない。
6 :
世界@名無史さん :03/03/16 21:37
ヴァジラヤーナは、ネパールでしゅ
7 :
世界@名無史さん :03/03/24 02:47
チベット人は初めからチベット高原に住んでいたわけではないですよね? どこかから移住してきたのでしょうか。 チベット高原から周囲に拡散した歴史は良く聞く一方で、 起源についてはあまり耳にしないもので。
8 :
世界@名無史さん :03/03/24 03:07
『鳥葬』なんて古代ペルシア風だからそっち系では?(笑
9 :
世界@名無史さん :03/03/24 03:17
顔は東アジア系だよね?
10 :
世界@名無史さん :03/03/24 03:29
中共に占領されたときの状況はよく知らないんだけど、高僧による 神権政治だったの? そういう政治体制じゃ、滅びるよな。可哀相だけど。
11 :
世界@名無史さん :03/03/24 03:35
とばんの崩壊からダライラマ政権までの歴史は、ちと複雑すぎるな。○○派が多くて、わけ解らん。 つーか、だれか「とばん」を漢字出して。 漏れはコピペして使うから。
12 :
世界@名無史さん :03/03/24 03:38
吐蕃
13 :
世界@名無史さん :03/03/24 03:44
ずっと「とはん」って読んでた
14 :
世界@名無史さん :03/03/24 04:51
第二次世界大戦で、イギリスや中華民国の支援要請を断って中立を保ったので 見捨てられたんです。 連合国側についていれば、独立を維持できたかも。この判断ミスが致命傷。
15 :
世界@名無史さん :03/03/24 05:07
チベットが,そもそも中原の原住民なんじゃなかったっけ。
16 :
世界@名無史さん :03/03/24 05:40
>>15 スイスは山国という地勢だからこそ永世中立を守れるということを考えると
スイス以上の山国であるチベットが中立を選択するのは
それほど難しいこととも思えないと思う。
しかも小国スイスとは違って、チベットは人口はともかく面積では大国だ。
中立で居るための条件はスイスよりもっと有利なはずだと思う。
なぜスイスと違って中立で居られなかったのかというのも不思議だ。
17 :
世界@名無史さん :03/03/24 13:38
チベット族って仏教が浸透してからヘタレになってないか?
19 :
世界@名無史さん :03/03/24 17:25
スイスは裏でナチスに協力していたから攻め込まれなかっただけだろ。 それに中立を尊守する伝統がヨーロッパにはあるけど、チベットの辺りには そんな伝統はない。 もちろん軍備も弱かった。当時の中国も沿岸部はそれなりに発達していたし、 アメリカやソ連から装備の援助もあった。
21 :
世界@名無史さん :03/03/24 21:04
仏教は戦争向きじゃないし、近代にも向いてないから厳しいね。 日本仏教は相当変質しているから、近代化に際して問題にならなかったけど。
>>21 チベット仏教も、「変質」してると思いますが。
>>19 まあ大戦突入後のナチスドイツは永世中立宣言など意に介さないが、
スイスが総住民武装体制を敷いていたのが大きい。
それと裏で妥協して資金運用とか何とかで
要請に応じたりして侵攻回避のメリットも供与していたのはその通り。
本題からずれているのでサゲ。
25 :
世界@名無史さん :03/03/25 12:37
26 :
世界@名無史さん :03/03/25 13:11
ドエライマラ
27 :
世界@名無史さん :03/03/25 13:17
デカイタマ
28 :
世界@名無史さん :03/03/25 13:46
なぜに中国はチベットのような山奥の小国に拘るの? ダライ・ラマの威光に対する嫉妬、というか、彼を潰したいの? チベット位放っておいてあげればいいのに。 害を与えるわけでもなく、小さく、自分達の信仰を大切に生きている 弱小国だよ。 少なくとも中国の指導者より100倍はカリスマ性のあるダライ・ラマ が気に入らないとしか思えないのだが。
>>28 インド対策じゃないの。
隙あらば山を越えてインド洋を支配下に置くつもりだろうし。
30 :
世界@名無史さん :03/03/25 16:02
>>28 じゃあ一つ聞くが、ソ連は加盟国のワルシャワ条約機構からの脱退を許したと思うか?。それと似たようなことだろ。
日本だってアイヌが独立するのを許すとは思えない
32 :
世界@名無史さん :03/03/25 16:57
今どき植民地を持っても割に合わないだけなんだけどな。経済的には チベット支配は無意味。軍事的にもあまり意味はない。 政治的には大アリだが。
>>31 「アイヌが」はともかく、北海道や沖縄(またはその他の地方)の住民が、日
本からの独立を唱えて運動を展開し、道議会・県議会を制して「独立のための
協議」開催を中央政府に求めるに至った場合には、必ずしもそのかぎりではな
い。
その点、「独立」を唱えたり、こころの中で思い浮かべるだけでも罪になって
処刑または投獄される野蛮な中国とは大違い(嗤
(^^)
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
9ytiiy
37 :
世界@名無史さん :03/04/29 20:45
なんでプロ市民は、イラク解放は非難してチベット解放を非難しないの?
38 :
世界@名無史さん :03/05/05 02:11
ダライラマは肉食飲酒は一切しないのですか?
映画「セブン・イアーズ・イン・チベット」見ると人民解放軍に蹂躙されていくチベットの 姿が余りにも悲惨。
40 :
世界@名無史さん :03/05/07 02:51
チベット史というといつも現代史に還元されて しまう(もちろんそれが好きなのは中共シンパ) のがつまらん。 たまにはベリのボン教王国とかギャンツェ王の 話するヤシはおらんのか。いないか・・・
41 :
世界@名無史さん :03/05/07 04:20
>>40 そんなディープな名前だけでも知ってるアンタがすごい。
ぜひお前がここで紹介しろや。
>>28 中国の歴史で昔、領土だった場所をとりかえすのが目的
だったとかで。
43 :
世界@名無史さん :03/05/13 02:01
大チベット圏フカーツ!大計画 =現行チベット自治区+旧版図(四川+雲南+青海の一部)+ブターン+シキーム+ダラムサラ +アクサイチン+ネパール高山部!
44 :
世界@名無史さん :03/05/13 02:01
↑面積だけならEUを凌ぐぞ〜
45 :
世界@名無史さん :03/05/13 04:29
>43 「文化圏」というならまだしも、ブータンもシッキムも ネパール高山部もチベット領になったことはないし、 そこの住民もチベット領に入りたいと言ったこともない。 ダラムサラはインドから貸してもらっているだけ。 地元住民も亡命政府も迷惑だから幼稚なアオリはやめれ。 そうか、もしかすると手の込んだ中共側の主張か?・・・ 考えすぎ、といわれるかもしれないが、それ位はやりかね ない連中だからな
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
ダライ・ラマ日本代表部事務所から、パーティーの案内が来た。 くる香具師いる??
49 :
世界@名無史さん :03/06/05 15:48
ゲンドゥン・チューペルあたりはどう?
大韓はチベットより強い^^
チベットは大韓に賠償しろ^^
52 :
世界@名無史さん :03/06/19 01:40
age
何でこんなところにまで半島の話題が出てくるんだ? チベットと全然接点がないじゃん。 思いつくのは高麗の忠宣王がチベットに5年くらい流されたことぐらい。
54 :
世界@名無史さん :03/06/27 19:51
>>53 チョンはへタレっぷりはチベットにまで轟いていたか(w
でも、インドがチベットの中共主権を遂に認めたね。
亡命政府の扱いはどうなる?
55 :
世界@名無史さん :03/07/06 00:38
11月1日〜6日、訪日します。 訪日歓迎委員会のメンバーを募集中ですよ
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
>>38 チベット仏教僧は別段肉を食っていけないということはありません。
殺すのがイクナイだけ。
(そこはかとない矛盾を感じるが、チベットのような高地で菜食主義なんて
不可能だろうし)
ダライ・ラマは一時期菜食主義を試みたそうだけど、
医者のすすめでやめたと聞いたことがある。
>>28 中国は、清朝の勢力下にあった地域はみんな自分のものだ
(自分のものにしなければならない)
という変なドグマを抱え込んじゃってるんですな。
もっとも、清朝の時代にしたって別段中国人がチベットを統治していた
わけじゃないし、辛亥革命がおこるとモンゴルと一緒に清から離脱したので
あんまり根拠になってないんですが。
それで実は中国人は北モンゴル(外モンゴル)も本来自分たちのものだと
思っているみたいで、実際中華民國(台湾)の地図では最近までモンゴルまで
中国領になっていた。
60 :
世界@名無史さん :03/07/12 21:56
沖縄は中国じゃないし、満州やモンゴルでもないのでちがうでしょ。
私は一応仏教徒なのでダライラマを敬うし、その敵対勢力は好きにはなれない。 でも、日本で宗教がらみのスキャンダルがあると ダライラマと一緒の写真が出てくるのはなんかやだなあ。
63 :
世界@名無史さん :03/07/14 16:11
64 :
世界@名無史さん :03/07/14 20:03
亡命チベット人に聞いたら 奪還すべき領土には日本全土も 入ってるそうだ(笑止)
65 :
世界@名無史さん :03/07/14 21:47
領土の概念ない国だから、ある意味世界中を支配下に置かないと気が済まないんだろうな。
そういえば毛沢東が「台湾は中国固有の領土ではない」という意味の発言をしているのに、 今の共産党政府も台湾政府も台湾が中国の一部であるかのように振舞っているなぁ。
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
68 :
世界@名無史さん :03/07/17 09:22
age
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。 貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。 黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。 (黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。 また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。 「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。) 彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
70 :
世界@名無史さん :03/08/05 04:56
age
71 :
世界@名無史さん :03/08/05 06:34
チベット料理って 炒った大麦粉を、バター入りの茶で自分の指で丸めて食べるだけ。 いかにもわびしいなぁ
72 :
世界@名無史さん :03/08/05 06:46
>>71 自然条件もあるけど
信心深いから節制するからね
73 :
世界@名無史さん :03/08/14 20:23
チベットにあるものを食べる それだけ。特に節制とは関係ないよ。 アメリカ人は「日本食は肉少ないなー。 貧しい食事」と思うだろうし。 日本人は「アメリカの飯は肉ばっかで 大味。貧しい食事」と思うし、チベット食に 対して「貧しい」と思うのも大差ない
74 :
世界@名無史さん :03/08/14 20:33
チベット人が可哀相だよぉ。 どこか非難してる国はないの? 救い出すような手だてはないものか?
75 :
世界@名無史さん :03/08/14 21:29
今、両政府の話し合いがかなり本気で 進んでいるから、見守るのがいい。 今度のダライ・ラマ来日を中国政府が あまり邪魔してこないようなら、かなり 本気と思っていいはず。
76 :
世界@名無史さん :03/08/14 22:51
日本男性と結婚したチベット歌手ヤンソンさんて誰?TVで昨日みた
77 :
世界@名無史さん :03/08/14 22:53
バイマー・ヤンジンでググるとすぐわかる。 チベット語本名はペマ・ヤンチェン。
78 :
世界@名無史さん :03/08/14 22:53
現代史ばっかでつまんないー 黄帽派がなんで黄帽なのか 紅帽派がなんで紅帽なのか そのへんのいわれとかを教えて欲しかったりするのにー
80 :
世界@名無史さん :03/08/14 23:24
学術的な話は別サイト (テングリノールあたり)で 聞いた方がいいと思われ・・・
ここは学術板ではないのか
82 :
バイマーヤンジンかわいいにょ〜 :03/08/15 16:01
ココは今からバイマーヤンジン後援会スレに代わりますた。
83 :
バイマーヤンジンかわいいにょ〜 :03/08/15 16:35
84 :
世界@名無史さん :03/08/15 16:38
つうかチベット人の女の子って俺好み ヤンジンさんはちょっと年食ってるが
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
86 :
世界@名無史さん :03/08/15 21:33
『3X3EYES』もチベット娘がモデルですか?
87 :
世界@名無史さん :03/08/16 10:19
もともとチベット仏教僧はみな紅帽をかぶって いたのじゃ。おそらくその起源はインド仏教に あるんじゃろう。パドマサンバヴァも紅帽 じゃしのう。この辺はわしはよう知らん。 ツォンカパも初めは紅帽をかぶっておった のじゃ。ところが、ある日紅帽を裏返し 黄色い裏地を出して講義を行ったのじゃ。 それ以来ゲルク派は古派と区別するために 黄帽をかぶるようになったといわれておる。
88 :
世界@名無史さん :03/08/16 10:19
なお紅帽派はチベット語訳ではシャマルパと なるが、チベットではシャマルパというと通常は カルマ・カギュ派の一活仏を意味するのじゃ。 チベットでは「シャマルパ=紅帽派」という意味 では通用せんから気をつけることじゃな。
89 :
世界@名無史さん :03/08/16 11:30
>>88 日本のチベット史学者の東西ふたりの「御大」はどちらもこの点勘違い
し、御大たちの著作が孫引されて、この勘違いが拡大再生産されている
状況もあるので、注意が必要。
石濱裕美子・田中公明らの著作で整理・確認しておくのがよい。
シャマルパは、ギャルワ=カルマパの四大家臣の一人。
現在のシャマルパの襲名者は、他の三大家臣とは別に、独自のギャルワ
=カルマパを擁立し、分派活動を行っている。
90 :
世界@名無史さん :03/08/16 11:30
91 :
世界@名無史さん :03/08/16 11:37
>>86 中国語の単語は口走るのに、チベット語はひとことたりとも話さなかっ
たから、萎え〜。
大僧院の座主をテンジンと称し、ナンバー2をギャルツァプと称するなど、
ペマ=ゴンチェンの組織についての高田裕三の描写は、モデルになったカ
ルマ派寺院や、元ネタになった本までわかるほとだ。
92 :
世界@名無史さん :03/08/16 18:23
> 日本のチベット史学者の東西ふたりの >「御大」はどちらもこの点勘違いし、 御大が勘違いしているわけはない。 「紅帽派=シャマルパ」が間違いという わけではないのじゃ。ただ「現在の慣例」と して、古派三派はそれぞれニンマ、カギュ、 サキャと呼び、総称「シャマルパ」と 呼ばれることはあまりない。「シャマルパ」 と言えば「シャマル・リンポチェ」を指すことが ほとんど、ということじゃ。 チベット人の口から「シャマルパ(紅帽派)」、 「シャセルパ(黄帽派)」という言葉をわしは 聞いたことはない。これは外人が作った言葉を チベット語訳したのではないか?と推測するぞ。
93 :
世界@名無史さん :03/08/17 00:59
「外人が作ったことばを翻訳した」かどうかはさだかではないが、 17世紀のチェンジュンには、ゲルク派をさして「シャセルパ」という 用例はたくさんある。
「古派三派」を「紅帽派」と括るのは、清代漢籍の影響かな。 魏源の聖武記では、紅教・花教・白教などと区分していたような。
95 :
世界@名無史さん :03/08/17 20:41
花教・白教って何?
96 :
世界@名無史さん :03/08/24 00:19
ダライラマ来日すんの?
97 :
世界@名無史さん :03/09/14 21:36
花教 サキャ派 白教 カギュ派 だっけ? 黒教 ボン教 は知ってる。
98 :
世界@名無史さん :03/09/14 21:43
99 :
世界@名無史さん :03/09/16 19:31
「活きている文化遺産デルゲパルカン」 てどうなの?近所じゃ売っていないんだけど。
100 :
世界@名無史さん :03/09/16 20:03
101 :
世界@名無史さん :03/09/17 23:46
オラ的にはチベット政治史か、羽田野伯猷著作集1、2 がいいと思うけど。 紅帽派/黄帽派は、ゲルク派の人が作った言葉じゃないかな。 原書ならデプテル・グンポ、英訳ブルー・アナルがよいかと。 羽田野伯猷著作集1 に一部和訳あります。 羽田野伯猷著作集は、名著ですが読みづらいかと思います。 どれにしても固有名詞の洪水ですから、やっぱり厳しいかも。 そうそう『東洋仏教人名事典』のチベット部は結構便利です。
>『東洋仏教人名事典』 書いたのは金子さんだからニンマだけ やけに詳しい(w。
103 :
世界@名無史さん :03/09/18 01:00
やけに詳しいってほどじゃないでしょ。 でも若干長めですね。 てゆうか、日本はゲルク偏重してますから。
104 :
ty270410 :03/09/18 01:20
ダライラマ5世年代記という歴史書があるそうですが, 教えてください.
>>103 各項目の内容じゃなくて
取り上げる坊さんが偏ってる(w
現代史だったら Tsering Shakya THE DRAGON IN THE LAND OF SNOW 1999 が傑作だね。私感を交えず事実を淡々と伝えとる。 あんたらの好きなCIAの関与についても詳しいから ちゃんと読んどけよ>共産党工作員
映画じゃシンプルな悪役にされた ンガワン・ジグメーだが、この本では いかにチベット政府に失望して変節 していったかよくわかる。共感はしないが。 まあ読んでみれ。
108 :
世界@名無史さん :03/09/18 10:31
>>63 >>64 中国のドグマな歴史教育をもっと知らしめるべきだ
南京大虐殺の件でも、売春宿で撮った客と娼婦の写真など、明らかに捏造と判明
している証拠を掲げているくらいだ
中国人犯罪の増加で騙される人は少なくなってると思うが
109 :
世界@名無史さん :03/09/18 11:38
>>105 そうだっけ? オラ的にはそんな印象なかったけど。まあ、持ってないからなあ。
では、誰が抜けて、誰が入ってるのがおかしいのですか?
>>104 1643年、ダライラマ五世が、自分の為にチベットを征服し、「中央チベット」
という広大な荘園を寄進してくれたモンゴル人・グシハンのために執筆したチ
ベット史の概説書。
古代の吐蕃王朝から説き起こし、1642年にグシハンがチベット諸侯を整列させ
てチベットの王に即位し、「政教の白い傘を有頂天に至るまで回し転じた」と
ころで記述が終わる。
ザヒルッドゥン・アーマッドという人による英語の全訳があるから、チベット
語よめなくても中身を知ることができるよ。
111 :
世界@名無史さん :03/09/21 00:53
チベットが独立すればインドと中国の間に緩衝地帯ができる ダライラマのロシア訪問が実現すればヴォルガ河沿岸のカラムィク人が喜ぶ
112 :
世界@名無史さん :03/09/22 00:35
>>109 数えてみたら
ニンマ 21
カギュ 45
サキャ 16
カダム 23
ゲルク 25
その他 11
やっぱニンマ多いな(w。ゲルク派方面の
学者が作ったら、こうはならないだろうな。
カダム派のよく知らない坊さんが妙に多い
のも数えてみて気づいた(w。
あとプトゥンとかリンチェン・サンポがないのは
不思議。
113 :
世界@名無史さん :03/09/22 04:47
>>112 プトゥンとかリンチェン・サンポがないのは、もう説明するまでもないからかも?
ニンマ多くないでしょ。だってニンマが一番歴史長いんですよ。
カダム重要じゃないですか。
だから日本はゲルク偏重なんだって。
114 :
世界@名無史さん :03/09/22 04:50
「チベット社会主義人民ジャマリヒア」建国!
115 :
世界@名無史さん :03/09/22 07:04
モンゴル仏教(日本では、ラマ教ってよく言うよね)は、チベット仏教の何派?
116 :
世界@名無史さん :03/09/22 21:06
17世紀以降はゲルク派一色。 最近はサキャ派の寺もできたらしいけど。 元朝が北帰して、同じ頃サキャ派も没落。 その後はカルマ・カギュ派やチョナン派など 諸宗派がてんでに諸ハーン家に布教して いたようだが、 1578 アルタン・ハーンがダライ・ラマ3世に帰依 1615 オイラト四部がこぞってゲルク派に帰依 1637 オイラト・ホシュート部のグシ・ハーン (ゲルク派施主)がチョクトゥ・ハーン家(カルマ・ カギュ派施主)を破る。 1649 ジェプツン・ダンパ1世がチョナン派から ゲルク派に改宗(チベットではチョナン派は禁教) あたりでモンゴルはゲルク派一色になったようよ。
117 :
世界@名無史さん :03/09/22 23:08
ダライラマ14世はチョナン派を擁護されていますよ。 たしかシムラにチョナン派のお寺を私費で建設されました。 また、ご自身のリメー・ムンラムでもチョナン派の法の存続を願っております。 もちろん他派もです。
118 :
世界@名無史さん :03/09/22 23:20
そのシムラにあるチョナン派の寺で 座主をされているのがジェプツン・ダンパ 9世(モンゴル未承認)。 「新たに建設」と言うより、もともと あったゲルク派の寺を改宗したようです。
119 :
サムドゥラビーラ :03/09/23 01:40
>>118 ジェプツンタンパ九世は、1935年ごろ、ラサの摂政政府によってチベット人か
ら選定され、ラサのデプン寺でひっそりと暮らしていた(のち寺と共にインド
に移住)が、1990年、モンゴル国のオチルバト政権からの問い合わせにダラム
サラが回答する、という形で1924年以来の復権をはたした。
1999年夏、ウランバートルのガンダン寺に参拝した浄土宗の訪問団は、
上座に座って法要を取り仕切るジェプツンダンパ九世と遭遇している。
選挙で再び政権の座についた人民革命党のバガバンディ政権は、オチルバト政
権時代と方針を変更、彼を一外国人として扱う態度を取っているため、「モン
ゴル国の最高位の宗教的権威」としてモンゴル国内に地位を得ることはできて
いないが、信者達の間ではジェプツンタンパの転生者としての信仰を受け、ガ
ンダン寺のおりふしの法要に出席しているようである。
1924年に先代の八世が逝去したのち、ラサの摂政政府とはべつに、モンゴル人
信者たちがモンゴル人の中から「九世の候補者」をみつけ、推そうとする動き
がみられたが、人民革命党政府がそれを許すこともなく、この九世の候補は一
市民としての生涯を終えた。
先述のオチルバト政権のときにモンゴルの宗教の自由化がおこり、モンゴル国
がダラムサラに八世の転生者について問い合わせを行う、という運びになった
わけだが、ラサの摂政政府がたて、ダライラマ十四世により改めて認定された
九世に対し、モンゴル版九世候補の生まれ変わりをみつけて対抗させようとい
うような動きはまったくない。
120 :
世界@名無史さん :03/09/23 02:22
補足しておくと、モンゴル訪問前には カルムイキアとトゥヴァも訪問しており、 こちらでは政治的な絡みがないんで 単純に大歓迎されたそうな。
123 :
世界@名無史さん :03/10/01 00:02
カルムイキアはヴォルガ河流域の欧州唯一の仏教国だ
124 :
世界@名無史さん :03/10/01 00:43
革命前にはサンクト・ペテルスブルクにも チベット仏教寺院があった
125 :
世界@名無史さん :03/10/01 07:48
やはりロシア皇帝にはタタール系の遊牧民が配下となっていたと
126 :
世界@名無史さん :03/10/01 07:52
ロシア正教国教でも、ドイツ人にはルター派教会を認めてたし
もちろんドルジェフの寺です
128 :
世界@名無史さん :03/10/03 04:27
厳しい農奴制度があったそうだが、 それでも、中共の支配を受けるよりましだったんだろうね。
129 :
世界@名無史さん :03/10/03 12:36
なんでも農奴制度のマルクス主義史観、信じるにたりず。 現在の亡命社会を見る限り確かに身分制はあるが、楽しそうだぞ。 お寺への供養のことを言ってるんだろうが、自主的なものだからね。 まあ、たしかにチベットは生活面、衛生面では文明国ではないけど。 仏教に国の力のほとんどを注ぎ込んでますから、
130 :
世界@名無史さん :03/10/03 12:43
131 :
世界@名無史さん :03/10/03 12:57
チベットの高原で暮らせる漢族の適応能力も凄いが
解放前のチベットは人口の95%が農奴でした。 人口の95%が文盲でした。 そのほかありとあらゆることが95%でした。
133 :
世界@名無史さん :03/10/03 15:59
宮崎駿の「風の谷のナウシカ」(漫画版)に出てくる土鬼諸候国連合のモデルは土蕃? 実際のチベット(中共侵入以前)の統治形態は、 ダライラマ法王を中心とした中央集権? それとも、幕府直轄領と各地に封建的領主がいる、日本の幕藩体制みたいな感じ? 聖都シュワはラサ?それともメッカ? 神聖皇帝以前の土王時代の宗教はボン教がモデル? ちなみに「シュナの旅」はチベットの昔話がモデルだそうです。 ?が多くてゴメンナサイ。
134 :
世界@名無史さん :03/10/03 16:21
>>132 チベット人で解放なんて思ってる人は、現在洗脳された子供ぐらいじゃないか。
まったくの中共の侵略にほかならない。
95%が農奴というのは、中共がそういってるだけでしょう。
95%は、農民、商人、牧人だったと思うよ。
それでも共産主義の歴史だと農奴なんだろうが、
まったく共産圏の歴史や哲学史は、マンガみたいなもんだから、
なんでも農奴/ブルジョア、観念/唯物みたいな、
例えば鳥井克之訳『西洋哲学史概説』東方書店、1973 傑作ですよ
135 :
世界@名無史さん :03/10/03 16:39
農奴制度はあったのだろうが、 一方的に搾取されていたわけではないのではないか、 精神的には豊かであったのではと思う。 一向宗門徒みたいな感じか? 意味不明ですね。スマソ。
ある意味、一種のカルト教団が支配する国であることは否定できないのかな? モルモン教が支配していたころのユタ州みたいな
138 :
世界@名無史さん :03/10/04 03:48
チベット仏教をカルト視するのは、いかがなものか?
139 :
世界@名無史さん :03/10/04 03:54
中共工作員が現れると 党に奉仕するだけの貧困な歴史観 に塗りつぶされてしまう。ツマラン。 展開も毎回同じ・・・。
140 :
世界@名無史さん :03/10/04 04:18
霧の中のダライ・ラマ シャンバラ シャンバラ シャンバラ
141 :
世界@名無史さん :03/10/04 04:21
>>139 さん
どの書き込みが中共工作員のやったやつなのですか?
教えてください。お願いします。
143 :
サムドゥラビーラ :03/10/04 07:13
>>134 >95%は、農民、商人、牧人だったと思うよ。
ちがいます。
人口の2割は坊さん。
チベットのほぼ全家庭からピックアップされた連中。
彼らは「比丘戒」を受けると、「上層身分」に列せられたので、
旧チベットでは、ほぼ全ての家庭で、家族のなかに「上層身分」の者が
いたことになります。
そういう坊さん達を収容する寺院は、広大な所領を持っており、政府・貴族
とならび「三大領主(chos sger gzhung gsum)」の一つを構成していま
した。
すなわち、チベットの伝統社会では、ほぼ全ての家庭からピックアップされ
た人口の2割に、衣食を保障して教育を享受させる体制が整っていた、とい
うことです。
>>136 イタリア統一以前のローマ教皇領とか、織田信長に制圧される以前の、
一向一揆領時期の加賀や越前に近いものがあると思われ。
1642年以降のダライラマは、モンゴル人諸国や満洲人の清朝など、チベット
の国外にまで影響力が拡がる国際的宗教的権威であったから、ローマ教皇と
なぞらえるのが適当だろう。
144 :
サムドゥラビーラ :03/10/04 07:15
145 :
サムドゥラビーラ :03/10/04 07:26
144は文字化けしやすいので、「文字コード」を「自動判別」 か「EUC-JP」でごらんください。
146 :
世界@名無史さん :03/10/04 21:07
グゲ、ピヤントンガについて書かれた本とか論文てありますか?
ww2最後のベルリン攻防戦にチベット人義勇兵がいたと聞きます。 グルカ兵のような傭兵部隊だったのでしょうか?
148 :
世界@名無史さん :03/10/05 01:41
これはね、初出が1961年で、はっきりと 出所が明記されていない怪しげな話ですよ。 ところがトンデモ関係の売文業の連中が 無批判にどんどん孫引き曾孫引きして ついにはゴルゴ13に取り上げられて 日本で一般化という図式。 ソースがどこなのかは今だに不明。 ナチスとチベットを関係づけるヨタ話は 出所不明のものばかり。源泉は大半が Louis Pauwelsというフランス右翼から。 グルジェフ=ドルジェフ説もこいつ。 詳しくはジョスリン・ゴドウィン 『北極の神秘主義』(工作舎)をご覧あれ。
149 :
世界@名無史さん :03/10/05 01:45
最近Martin Brauenがこの辺の ヨタ話をばっさり切った本(ドイツ語) を出したらしいが誰か読んだ人いませんか?
150 :
世界@名無史さん :03/10/05 01:56
>148 「ムー」とか あすかあきお とかの 確信犯的プロ・トンデモの力も 大きいな(w。
151 :
世界@名無史さん :03/10/05 02:01
日本だと「シャンバラなんとか」 外国だと「ナチスorヒトラーと魔術or オカルト」なんていう本が何十冊も 出ていて、全部ソースが同じ孫引き だらけで内容は一緒(w。
皆様ありがとうございます。 半分信じていたのに、単なるオカルト電波話だったとは。 うーん、まいっちんぐ!
153 :
世界@名無史さん :03/10/06 02:29
河口慧海が1900年にラサ留学した時の「チベット旅行記」読んだけど チベットはそうとうムチャクチャな国だったようだね。 住民のほとんどは農奴制度で搾られるだけ搾られ、 生まれたときから奴隷契約されていたとか。 ラサの道路はいたるところウンコだらけで汚わいの街、 ダライラマのウンコを小便でこねたものが薬として高く売られてらしい。 チベット政府は腐敗汚職だらけでまったく無能。 ダライラマの選定方法は、4人の候補者の名前を書いた紙を壷に入れて 中国から派遣された役人が箸でつまみ出した紙に書いてあった者に決めたとか。 ただし賄賂次第で、4枚の紙とも全部同じ名前を書いて入れることもあったらしい。 まぁ、まともな国とはいえない有り様だったようだね。
154 :
世界@名無史さん :03/10/06 03:25
>住民のほとんどは農奴制度で搾られるだけ搾られ、 河口慧海が「農奴制度」なんていう共産党用語 使うわけないだろう(w。
155 :
世界@名無史さん :03/10/06 03:32
他人の発言の中に自分の解釈を紛れ込ませる ような歪曲・捏造ばかり恒常的にしているから 中共は信用されないんだよ
156 :
世界@名無史さん :03/10/06 03:55
なんか、どっちが正しいのか「チベット旅行記」を読みたくなった。 講談社学術文庫? 最近、2chとか見ていても、 真の反日、釣りの反日、右翼による自作自演の反日とか 真の愛国、釣りの愛国、左翼による自作自演の愛国とか 色々有りすぎて、よーわからん。 ここはひどいインターネットですね!プンプン!
157 :
世界@名無史さん :03/10/06 04:24
153はおそらく チベット旅行記(4)講談社学術文庫 47ページ あたりを指して >住民のほとんどは農奴制度で搾られるだけ搾られ、 >生まれたときから奴隷契約されていたとか。 と歪曲していると推測する。この下りは貧民の子供が 借金の形に働く羽目になる様を説明しているのだが、 これを慧海師は「ですから貧乏人の子供は生まれながらの 奴隷で誠に可哀想なものです」と表現しているのだ。 どこに「農奴制度」という言葉があるんだ?
158 :
世界@名無史さん :03/10/06 04:28
>153 平民について解説している3巻192ページあたりも 合わせて読んで、いったいどう読んだら >「ほとんどの住民」が「農奴制度」で搾られるだけ搾られ、 と読めるのか教えてくれ。
> ダライラマの選定方法は、4人の候補者の名前を書いた紙を壷に入れて > 中国から派遣された役人が箸でつまみ出した紙に書いてあった者に決めたと >か。 「中国から派遣されてきた役人が箸でつまみだす」 という部分が、捏造、歪曲。 ほんまに、仲恭支持者というのは・・・。 「紙」なんかではない。 名前を書いた象牙の札を瓶にいれ、逆さにして振る。 おみくじのようなもの。 しかもくじを実際にひくのは、ガンデンティパとか、しかるべき地位のチベット人。 中国役人は、ただ単に列席しているだけ。 しかも歴代十四人のダライラマのなかで、この方法で「選定」されたのは、 三人だけ。 清朝の最盛期に生じた異常事態とみなすべきだろう。
チベットといえば、逆襲のシャアの時の地球連邦の首都がラサだったな としか覚えてない・・・
162 :
世界@名無史さん :03/10/06 16:10
一九八九年二月二十六日付の「ワシントンポスト」紙は、次のような目撃者の証言を 掲載している(訳は『チベット・ニューズ・ダイジェスト』による)。 〈人口抑制隊は、僧院の隣にテントを設営した。村人たちは、 「すべてのチベット人女性は中絶と避妊手術をうけるためにテントに出頭するように。 出頭しなければ重大な結果を招くことになるであろう」との連絡を受けた。 拒絶した女性たちは強制的に連行され、手術されたうえ、術後の処置も受けられなかった。 妊娠数ヶ月になる女性たちは胎児を摘出された。たくさんの女の子たちが泣き叫んでいた。 テントの横には胎児が積み重ねられ、異臭を放っていた。〉 こうした残虐行為を行ってきた中国に対し、これまでも様々な非難がなされてきた。 しかし、中国政府は、人権の基準は各主権国家内の問題であって、 外部から非難されることは中傷であり内政干渉であるという立場を変えてはいない。 (改訂新版 チベット入門 ペマ・ギャルポ著 日中出版)
163 :
世界@名無史さん :03/10/07 01:37
>>147 > ww2最後のベルリン攻防戦にチベット人義勇兵がいたと聞きます。
初出のポーウェル&ベルジェ『神秘学大全』にはどう書いて
あるかというと、
「ドイツ軍の制服を着て・・・(中略)・・・戦死している
ヒマラヤ系決死隊員が千体も見つかっている」
「チベット人」などとは書いていないのだよ。ただし
その前後でチベットについて触れているものだから、
「チベット人の死体」とインプットされてしまう。
巧妙な手口。これを孫引きした著者達は例外なく
「チベット人の死体」と書いている。まんまと
ひっかかったわけだ。
おそらく追求された場合「ネパールのグルカ傭兵
かもね」と言い訳できるよう、あいまいな書き方を
したと推定する。グラハム・ハンコックも同じ
ような手を使うが、なかなか狡猾。
>162 それって、ミスリードを狙ってそういう記述をしたの? 全体としてそういう怪しい内容なのか、それとも単に頭の悪い整理で来ていない文章なの?
ちゅーことは、与那国の海底遺跡もガセなのかぁー。
166 :
世界@名無史さん :03/10/31 09:56
チベット仏教の最高指導者であるダライ・ラマ14世の31日からの来日をめぐり中国側が、
受け入れの中心となった民主党の牧野聖修前衆院議員に対し、招待を中止するよう求めていた
ことが30日、分かった。
牧野氏は14世の活動を支援する超党派の「チベット問題を考える議員連盟」の代表世話人。
国会議員の活動への直接的な働き掛けは波紋を呼びそうだ。
インド亡命中の14世はチベット独立の精神的象徴でもあり、中国は「分裂主義者」と敵視している。
これまでも日本政府に対して訪日を認めないよう要請している。しかし外務省が受け入れ方針を変え
ないことから招待元に直接、働きかけたとみられる。
招待中止を求めたのは在京中国大使館の劉毅仁参事官。今年8月1日、牧野氏の国会事務所を訪れ
「独立を目指すダライ・ラマを招くことは日中関係によくない」などと申し入れた。
引用元は
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031030-00000157-kyodo-soci
167 :
世界@名無史さん :03/10/31 12:49
戦前チベット政府がドイツと外交関係があったの?
168 :
ty270410 :03/10/31 22:19
ダライラマ5世年代記とはどんな本ですか? ご存じの方,教えてください!
169 :
世界@名無史さん :03/11/10 03:03
ダライラマから、信仰することを禁じられた 「ドルジェ・シュクデン」を信仰する「カダム派」 つー宗派があるらしいんですが、ドルジェなんとかの どのあたりが危険とみなされたのか誰か知りませんか? チベットでは「チベットのタリバン」とか言われるぐらいの 過激派らしいんだけど、最近その宗派の仏教センターみたいなのが 大阪に出来たらしい。 どうもチベット人から援助されないので、西洋人向けに お経を賛美歌にしたり、元もとの生活(仕事とか)しながら 出家できるシステムにしたり、レストランで料理を注文するみたいに 仏事がメニュー化されてたりと、かなりお作法が変化してて、 その仕組みを聞いた限りでは「自分達を正当化する為に 増殖することを目的」とした、パキパキの新興宗教だと思った。 どのぐらい危ないのか知りたいんで、ひとつヨロシコ。
170 :
世界@名無史さん :03/11/10 03:03
>169 もしかしたら、オウムと絡んでるんじゃないかなぁ なんて想像もする訳ですが。
171 :
世界@名無史さん :03/11/10 19:14
チベットにオウム残党が潜んでいないのかなぁ・・・?
172 :
世界@名無史さん :03/11/11 05:52
>171 残党つー言い方はアレだけど、前はオウムに居たけど 今は、チベット密教に帰依してるつー人はいるみたい。 (沢山じゃないみたいだけど) 元々の伝統仏教とオウムの危険度は比べ物にならないぐらい なので(危険じゃないって意味ね)それはそれで、いいとおもけど。 ただ、新興は「信者に何かさせる」のが目的なので・・・ その目的が何かによっては危ないかなァ、と。
実は、オウムは、宗教学者中沢新一の影響下にあったそうだ。 彼を媒介にかダム派を知ったのではないかと。
174 :
世界@名無しさん :03/11/11 07:19
宗教への復興ブームて来るかな?
175 :
世界@名無史さん :03/11/11 07:20
シューデン派がカダム派というのは誤り。 ゲルク派の原理主義。
シュクデン信仰者が「New Kadam Tradition (NKT)」と 称しているせいだろね。 通常「新カダム派」というと「ゲルク派」を指す からややこしいわな。使わないで欲しい。 ついでに「シュクデン派」という名称も 「ゲルク派」「カギュ派」といった確立している 宗派と同等のような印象を与えるから少し考えた 方がいい。
>175 レスどもです。 >シューデン派がカダム派というのは誤り。 そうですた。おおざっぱに書きすぎました。 カダム派→新カダム派→ゲルク派に吸収→ゲルク派から分裂?→New Kadam Tradition (NKT) この「New Kadam Tradition (NKT)」の事が知りたいのです。 なんの理由で禁止&破門されたのか・・・とか。
>176 >シュクデン信仰者が「New Kadam Tradition (NKT)」と 称しているせいだろね。 > >通常「新カダム派」というと「ゲルク派」を指す からややこしいわな。使わないで欲しい。 禿げ同。自分も調べてみて、最初ずいぶん混乱した。 資料が日本語だったから「新カダム派」と「NKT」が別物というのはすぐに理解できたけど 英語圏の人はもっと混乱しているに違いない。 本人達(たぶん)のHPでは「新興カダム派」になってました。 つーか、あのHPはかなり訳がまずい。
179 :
世界@名無史さん :03/11/12 00:09
ダライラマはもう帰ったのかな
ただシュクデン問題は公式声明を読んでも わからない闇の部分が数多く残る。 チベット人社会に詳しい人ほどこの問題に 触れたがらない傾向にあるし。 呪殺が絡んでくるダークなテーマでもあるし 素人は生半可に深入りしない方がよいでしょう。 私もこれ以上深入りしたくない。以上。
182 :
世界@名無史さん :03/11/12 00:26
チベット仏教はエロ密教で 元・明宮廷をびん乱させた?
>181 >素人は生半可に深入りしない方がよいでしょう。 むー、俺としてはチベット人社会には殆ど興味がありません。 ただ、その原理主義といわれる派が既に日本に上陸 してしまったようなので、日本の事を心配しているのです。 日本人は良くも悪くも宗教に関心が無い人がたくさんいます。 宗教を話題に上らせること自体がタブー扱いされています。 その為、世間を知らない人が、未整備の法の網をくぐった 悪い宗教にだまされてしまうことが多いように思います。 自分が知りたいのは、ヤバイかどうか。それだけです。 >私もこれ以上深入りしたくない。 私もここで話題に上げるのはこれまでにして置きます。 お付き合い下さいましてありがとうございました。
深入りしたくないと言っておきながら 補足するのはアレだが、シュクデン信者を 「原理主義」と呼ぶのはやめてもらえないか。 シュクデン信仰は仏教の原理からは遠いものだし、 「原理主義」=「過激派」という認識も正しくない。 その点よろしくお願いしたい。
北朝鮮と中国の原理主義者は既に上陸してるぞ。
186 :
ty270410 :03/11/12 23:02
西チベットに遺跡があり,かって王国があったと聞いた.
>184 補足どもです。 >シュクデン信者を「原理主義」と呼ぶのはやめてもらえないか。 > >シュクデン信仰は仏教の原理からは遠いものだし、 >「原理主義」=「過激派」という認識も正しくない。 そうですね・・・自分でも書きながら、何って言えば いいのかなーとか思ってました。てきとーすぎ? しかし「シュクデン信仰」と言ってしまうと、 今度は先の団体の名前からかけ離れてしまうので・・・ なんか別物みたいに聞こえるので、 とりあえず私は「NKT」と言う事にします。 (と言ってもこれに関して話す相手がいませんが(TT)) 厳密に言うと違うのかもしれませんが、これは これからおべんきょしてみて、考えたいと思います。 公式hp見てみましたが、英語なので・・・ちと、読むのに時間がかかります。 ボチボチ読んでみたいと思いますし、イギリスの信者の体験記など 探して見たいと思います。ありがとうございました。
188 :
世界@名無史さん :03/11/13 21:06
>186 ありましたよ。グゲ王国といって10世紀建国で 17世紀に滅亡しました。
189 :
ty270410 :03/11/14 21:47
>>188 ありがとうございます.
グゲ王国について書いた本はないでしょうか?
191 :
ty270410 :03/11/17 00:12
>>190 ありがとうございます.
「旅行人」の本を早速買って見ました.
遺跡については詳しいですね!歴史も後ろについていました.
再度,ありがとうございます.
英語については,検索してみます!
192 :
世界@名無しさん :03/11/17 20:50
age
193 :
世界@名無史さん :03/11/27 20:33
宗教国家というイメージではこれからは西側政府の共感も得られないのでは?
194 :
世界@名無史さん :03/11/27 21:47
NKT の日本語ページ
http://www.kadampa.org.uk/jp/ 大阪にいる人が作ってるね。
本家のサイトをかいつまんで日本語訳しただけだけれどね。
日本人かどうかもよく分からないね。
それによると、
Area: Osaka
Centre: Amitabha Buddhist Center
Main Address:
513 Tenmabashi Green Corporus
2-1-7 Kokumachi
Chuo-ku
Osaka
Osaka
540-0033
Japan
Phone: 0081-6-6945-1366
日本でも人が集まってるとしたら、かなりヤバいです。
シュクデンのメインサイトは最近はここ?
http://www.shugden.com/
将来におけるチベットの政治形態の指針と憲法の基本要点
http://www.tibethouse.jp/cta/future_tibet_constitution.html > 国家の基本性格
> 2.チベットは自国のみならず、その隣国および世界の利益と福祉
> のために貢献する。
> チベットは、非暴力の原則と仏の真理(ダルマ)に導かれた政策を
> 基調とし、自由にして社会福祉を大切にする連邦制民主主義国家
> である。
> チベットは平和地帯であり、環境保全を保証する。
>
> 暴力ならびに武力使用の放棄
> 4.チベットは、非暴力・愛・共感の原則に基づく平和地帯であり、環
> 境保護の中心とならねばならない。チベットは中立国家であり、い
> かなる目的のためであれ武力の使用と暴力を回避しなければなら
> ない。
>
> 土地所有権
> 8.チベット領土内のすべての土地は、環境に対する適切な配慮を
> 行った上で、国民の住居と利益のために配分・使用される。チベット
> 国民に対して住居・農業・牧畜・建築・工場・事務所・その他の私的
> 事業のために土地を供給する場合、政府は個々の案件をしかるべ
> く検討して、富が少数者の手に集中することを制限しなければなら
> ない。私的所有が行われていない土地はすべて政府が管理する。
>
> 経済制度
> 9.チベットは、極端な資本主義あるいは社会主義に陥らず、チベッ
> トの諸条件に合致した独自の経済制度を有すべきである。課税制
> 度は累進税を基本とする。
ダライ・ラマの頭はお花畑です。
199 :
世界@名無史さん :03/12/05 22:38
あげ
>198 >ダライ・ラマの頭はお花畑です。 ダライ・ラマは宗教家だし、日本人で言うところの「天皇」 みたいなモンだから、お花畑でいいんじゃないの? 行政の長は別の人だしね。
さげ
202 :
世界@名無史さん :03/12/13 02:09
前民政相のドジェ・ツェリンはチベット族だぞ? 差別されて過酷な統治されてるなら 閣僚になんかなれるわけないだろ。 反中日本右翼は反省しる。
203 :
世界@名無史さん :03/12/13 06:57
お前の理屈だと、満州人・傅儀を皇帝に 推戴していた満州国が日本に過酷な 統治をされていたはずがない、になるぞ。 お前らの理屈は矛盾ばかりなんだよ。 夜郎自大もいい加減にしろ。
204 :
世界@名無史さん :03/12/13 21:16
共産主義国家に民族差別なんてある訳ないだろ?
205 :
世界@名無史さん :03/12/13 21:34
チベットの領土はどこまでに設定するの? チベット自治区だけでせいいっぱいか?
206 :
世界@名無史さん :03/12/14 10:40
チェンチェンは弾圧 されてる でも個人で出世してる者はいる
ロシアの閣僚の顔ぶれを見ると面白い。 グルジア系、トルコ系、日系、チェチェン系…、ユダヤ系も多いらしい。 ロシア社会でマフィアや新興財閥などでチェチェン人として成功している者は多い。
208 :
世界@名無史さん :03/12/20 05:26
日本にあるダライ・ラマ法王日本代表部事務所は インドにあるチベット亡命政府の日本大使館みたいなものなの?
花園神社の近くにあったな、日本事務所
ったく、チャンコロのダブスタと歴史捏造は韓国以上だぜ。 何故にウヨは韓国だけ叩いて厨国はスルーするのか。
211 :
世界@名無史さん :03/12/20 16:35
チベット独立運動を支援して独立させたら日本はチベットにどれだけ感謝されるかわからない。
212 :
世界@名無史さん :03/12/20 17:12
チベットに感謝されてもなぁ。だが中共は滅ぼさねばならない。
213 :
世界@名無史さん :03/12/20 17:29
>>205 チベット自治区の他、旧西康省(四川省西部)全域と青海省の大部分
214 :
世界@名無史さん :03/12/20 17:37
もともと別の国なんだから独立して当然だ。
216 :
世界@名無史さん :03/12/21 02:56
>>210 もうず〜っと中国叩かれまくりだったけど最近緩和傾向にある。
正直 て ぬ る い !
217 :
世界@名無史さん :03/12/21 05:33
五体投地しながらラサまで行きたいのですが、何日かかるでしょうか? 出発点は日本橋です。
>208 そうだよ。
>>217 飛行機で行けば一ヶ月くらいかな。
成田まで数時間。
北京まで数時間。
北京から2週間くらい??
220 :
世界@名無史さん :03/12/25 13:07
今日やる「セブンイヤーズインチベット」ってどうなの? 見たことある人いる?
うわあ、俺先週レンタルビデオで借りたばっかじゃん・・・
222 :
世界@名無史さん :03/12/25 23:10
今のティベット亡命政府の国号は何? ティベット帝国?
223 :
世界@名無史さん :03/12/25 23:15
宗教、現人神(仏)、民族主義。。。 たしかにサヨクはチベット征服マンセーなんだろうなあ。
>220 中国政府に内緒でゲリラ撮影した分が美しかったな。 カイラス山もあったし・・・。ああ、TVでもあった?
225 :
世界@名無史さん :03/12/26 13:13
>>220 Last Samuraと同じくらい面白い。
>>223 脳内サヨクと一生シャドーボクシングしてなさい
国号は?
228 :
世界@名無史さん :03/12/27 21:48
>>227 チベット語で「ボエ」とかゆー話しを聞いたことが・・・
229 :
世界@名無史さん :03/12/29 14:04
>>210 力関係が
中国>>>>>>>>>>>>>>>>>>日本>>>>韓国
だから
230 :
(^■^ ラ【卍】 :03/12/29 14:28
余が、チベットと秘密に同盟を結んだという話を、聞いたことあるかな?
>>228 いやね帝国とか共和国とか、其とも只の国とかさー。
>220 マジおもろいよ(ってもう見たか・・・) チベット関係無しでも、映画として出来がいい。 小説の方は映画よりもっと濃くていいよ。
>>227 >>228 ワイリー式のチベット文字ローマ字転写方式では「 bod 」と書く。
子音はパ行の無気音、母音はオを発音する時の口の形で「エ」。
カタカナによる表記は、
「ポェ」とするのは佐藤長大先生による表記。
山口瑞鳳御大の表記なら「プー」。
最近の学者たちの間では「プー」が優勢。
いずれにせよ、チベット語による自称の国号は、古代の吐蕃王朝以来、
一貫して「bod」。
「チベット大虐殺」 1959年の3月チベットの首都のラサで「改革解放」の名のもと「民族浄化」が開始、殺戮・破壊・強奪・強姦が行われた。 15万人の僧侶と尼僧は公開虐殺によって1400人に減らされ、一般民衆の犠牲者は120万人におよぶ。 中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術によって奪う事)」や「強制交種(チベット女性を中国男性と 交わらせ民族の血統を絶つ事)」等の民族浄化に力を入れた。生き残った証言者によると、親の死体の上で子供に 泣きながらダンスをさせ、人民解放軍はそれを笑いながら銃殺した。「ジュネーブ法律家国際委員会」が受理した 供述書によると「何万というわが国民が殺された。軍事行動においてばかりでなく、個人的に、また故意に殺されたのである。 (略) 彼らは銃殺されたばかりでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、生きながら焼かれた。 溺死させられたり、生きたままで解剖されたり、餓死させられた者もあった。絞め殺されたり、首を吊って殺されたり、 熱湯による火傷で殺された。又、ある者は生き埋めにされたり、はらわたを取り除かれたり、首を切られたりして殺された。 こうした殺人行為はいずれも公衆の面前でなされた。犠牲者の同じ村人、友人たち、隣人たちは、それを見物するよう 強いられた。」とある。ちなみに侵略や粛清、失政による飢餓など、歴史上その数において世界最大の虐殺者は、 まぎれも無く中国で、犠牲者は自国民、他国民含め四〜六千万人といわれる。
236 :
世界@名無史さん :04/01/01 17:55
チベット120万人大虐殺なんて捏造でしょ 証拠は何一つ出てきてないし人口は中国進出以来増え続けている
120万人って…。中国韓国に負けず劣らず、チベットも捏造好きだなぁ。
チベット側は「チベット120万人大虐殺」なんて言ってないよ
239 :
世界@名無史さん :04/01/09 22:00
結局現代史(同じ話の繰り返し)に戻ったか・・・ 不毛だ
ティベット民族は自分達の国を何て呼ぶの? ティベット?
>>241 Bod (チベット文字の転写) と書いてプー (ラサ方言) と読む。
>>242 有難う。
では国号は日本語に直すと何?
帝国?共和国?それとも只の国?はたまた無いとか?
244 :
世界@名無史さん :04/02/03 03:14
新版世界各国史4中央ユーラシア史 第5章チベット仏教世界の形勢と展開(石濱裕美子) は、ありゃなんだ?使いものにならない。 前版中央アジア史(1987)は江上波夫の無駄に長い 前置きが余計だったが、山口瑞鳳のヤツは実に微に入り 細に入りで使いでがあった。 自説のご開帳はどっか専門誌でやってくれ。
245 :
世界@名無史さん :04/03/02 19:44
チベットって帝国なの? 共和国?
Yahooのスレついに落ちたな
>245 ダライラマは「法王」らしいから 「チベット王国」なんじゃないの? 今は、何も名前ついてないと思うけどさ
>>245 吐蕃王朝時代は「帝国」。
従属国家を幾つも従えていたから。
元首の称号は「ツェンポ」。
亡命社会で制定され、運用されている「憲法草案」の規定では、
ダライラマもしくはダライラマの職掌を代行する摂政が元首と規定されている。
「法王」は、和訳でダライラマに対する尊称の一種としてみかけるが、
旧体制のもとではダライラマの下にハンとかデシーなどの俗人の「王」
たちがおかれていたから、ダライラマ位をさして「王」と証するのは
違和感あるね。「ダライラマ」そのものが称号だし。
日本語の呼称としては、「チベット・ダライラマ国」もしくは「チベッ
ト・仏教教主国」くらいが適当だと思われ。
近世にみられた「法王」は、ダライラマの下で軍事や行政を担当した世俗君主の称号()
「将来の適用」
うひゃ。下2行カットね。
250 :
世界@名無史さん :04/04/06 01:36
唐で 吐蕃 と呼ばれ、突厥で Töpüt と呼ばれたのがオリジナル。 後半は bod に間違いなさそうだが、前半の 吐/tö は何の 音写か謎。 突厥語 Töpüt →ソグド語 Twp'wt →アラブ語 Tubbat Tibbat Tubbit→ヨーロッパ Tibet Thibet 山口瑞鳳説 lho phywa→吐蕃 の支持者はいるのかね? 他にも「拓跋/禿髪から」とか「stod bod から」とか 「dbud(dbusの別綴)から」とかいろいろ説はあるが 決着していない。
252 :
世界@名無史さん :04/04/06 07:04
太公望こと呂尚/羌子牙ってチベット系って言うのは確定してんですか?
チベット民族が形成されたのは7世紀。それ以前の民族を チベット系とするのはナンセンス。 羌の一部がチベット民族に吸収されたのは事実だが、 漢民族、回族など様々な民族にも吸収されている。 紀元前の羌の言語がよくわからないので、彼らと現在の 羌族がどの程度関係あるかはよくわかっていない。 まあ大昔の羌の一部の子孫が現在の羌族というのは おおむね了承されている。
255 :
日本@名無史さん :04/04/07 02:43
256 :
世界@名無史さん :04/04/07 03:49
羌という姓の中国人は、羌という部族の子孫ということですか? 馬超は?
257 :
世界@名無史さん :04/04/07 05:11
>>252 チベット・ビルマ語族だろ
シナ語とは全く別系統だ
258 :
世界@名無史さん :04/04/08 14:11
>>204 ソ連でも、文化大革命当時の中国でも、民族語が弾圧されていたぞ。
259 :
世界@名無史さん :04/04/08 14:26
260 :
世界@名無史さん :04/04/09 00:11
>>256 > 羌という姓の中国人は、羌という部族の子孫ということですか?
「羌姓」というより姓ならば「姜」でしょう。おおむねそういう理解で
よろしいかと思うが、「羌」の定義は時代によって変わっているので、
注意が必要。
羌人は炎帝神農氏(あるいは岳神伯夷)を祖としており、殷代には
河南西部(洛陽あたり)に住む牧民であった。殷の西進により陜西へと
追われ、周王家と協調するようになる。一部は周王家の貴族となって
姜姓を名乗った。周王家の祖・后稷の母は姜原といい、周王家も
羌出身という説もある。
斉、許、申、呂の四国は殷周革命での功を認められ、各地に封ぜられた
姜姓の国(羌人の諸侯)。その後・姜姓の人々は中国各地に散らばり、
「羌人」というアイデンティティは早々に失っただろう。
261 :
世界@名無史さん :04/04/09 00:11
一方、陜西の羌は、春秋・戦国時代には秦に掃討され、甘粛・青海に 追われた。というより、甘粛・青海原住の牧民に西進した一部の羌が 合流して、その総体が新たに「羌」と呼ばれたとみた方がいいだろう。 この羌は後漢代には度々大乱を起こし、後漢朝と激しく戦った。 三国時代の蜀で活躍した姜維の先祖は斉出身。漢代に関中天水に 移り、姜維の父・姜冏は天水の役人として羌の反乱で戦死している。 彼らの祖をたどると羌人になるのだろうが、この頃には「羌と同族」と いう意識はもはやみじんもなかっただろう。
262 :
世界@名無史さん :04/04/09 00:12
>>256 > 馬超は?
馬超は、後漢創業の功臣・馬援の子孫で、男系本流に羌の要素は
確認できない。ただし、馬超の祖父・馬子碩の妻が羌出身だった。
その子が馬騰(馬超の父)。つまり、馬超の祖母が羌女だったということ。
263 :
世界@名無史さん :04/04/09 00:43
伝説上の三皇五帝の一人、尭も、 羌と発音が似ているので羌出身チベット類似民族系?
264 :
世界@名無史さん :04/04/09 23:13
堯の神話には、共工(羌の洪水神)や四岳(姜姓四国の先祖とされる岳神) などが現れ、羌系神話の色彩が強い。ただし堯の子孫は祁(杜)姓。姜姓に 代表される羌主流には直結しないようだ。 堯の都は山西にあったとされる。ここは北狄の本拠地だから、堯も北狄系の 可能性もあるかもしれない。しかし、北狄系である禹−夏朝と結びつく 神話はない。今のところは西戎/羌に関係しているとみた方がいいだろうが、 これ以上はよく知らない。 なお、pinyinだと、 羌:qiang 姜:jiang (古音はキョン?) 堯:yao (古音はギャオ?) と音は全然違う。「羌」「姜」という字と「堯」という字は無関係。
羌は隋唐時代にならないと、チベットと結びついて 来ないから、大昔の羌の話は別スレの方がいいのでは? 「中国の遊牧民なんたら」っていうスレがあったような気がする。
266 :
世界@名無史さん :04/04/11 22:36
ソンツェンガンポって6世紀の人なんですね なにげに歴史が長い国
>>266 わが国が「日本」の国号を採用したのとほぼ同時期。
不思議なことに同じ時期に日本と吐蕃の双方に 「冠位十二階」制度が生まれている。
日本 吐蕃 大徳 (紫) g-yu che (トルコ石・大) 小徳 (紫) g-yu chung (トルコ石・小) 大仁 (青) gser che (金・大) 小仁 (青) gser chung (金・小) 大礼 (赤) phra men che (オパール・大) 小礼 (赤) phra men chung (オパール・小) 大信 (黄) dngul che (銀・大) 小信 (黄) dngul chung (銀・小) 大義 (白) zangs che (銅・大) 小義 (白) zangs chung (銅・小) 大智 (黒) lcags che (鉄・大) 小智 (黒) lcags chung (鉄・小)
120万人のチベット人が野蛮な中国人に虐殺されたってのに、日本のマスコミは全く伝えないな。 その時歴史は動いたとかでこのことをもっと伝えるべきだ。
271 :
世界@名無史さん :04/05/04 23:09
西蔵って呼び方は何時頃から?
>>271 呼び方自体は17世紀後半から。
チベットの東南部3分の1程度の地域を領域とする、現行の、「西蔵」とい
う地域的枠組みが誕生したのは1724年から。
訂正 「西蔵」は「チベットの南西部3分の1程度の地域を領域とする」でした。
アムドを青海として切り取って、カム東部を四川と雲南に編入して、 現自治区だけを「西蔵=チベット」と言い張る分割統治政策。 共産党はこの帝国主義政策をそっくり継承している。
275 :
日本@名無史さん :04/05/05 23:28
>>275 のURLに掲載されている地図の大きな誤りは、カム地方について。
この地図の「チベット地方」の東部、チャムドや「ニトゥリ」とあるあたりまで、「カム地方」。
277 :
日本@名無史さん :04/05/05 23:45
>>276 チベット地方ではなく、西蔵(チベット自治区)だろ。
279 :
世界@名無史さん :04/05/08 05:35
中国人によるチベット人の虐殺反対!
>>277 275で紹介されている地図のハナシをしているのだが。
>>278 亡命政府がダラムサラで発行しているチベット語・英語並記の地図は
正確だ。
法王事務所のチベット人スタッフが日本語に不自由で、
日本人スタッフがチベット地理に無知なことによる誤記と思われ。
281 :
世界@名無史さん :04/05/08 18:32
太平洋戦争の開戦前、経済封鎖された日本国に対し、 チベット政府から大量の羊毛が送られてた 来ました。その理由はただ、 「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」 でした。 戦争突入後、チベットは一貫して中立を守り、日本との 国交は変わらず続けられていました。当時の日中戦線において、 中国はアメリカから武器弾薬等をビルマ経由で輸入していましたが、た このルートが日本軍によって絶たれた後、連合軍側はヒマラヤ越えの チベット・ルートを開こうとしました。しかし、先代のダライ・ラマ13世は あくまでも中立を貫き、アメリカ大統領特使の強硬な 要求にも断じて応じませんでした。 このあまりにも理想主義的な外交が、やがてチベット国に 悲劇をもたらす結果となりました。 1945年8月15日・・・日本の敗戦です。 日本との国交を継続していたチベットは、なんと国際舞台で 「敗戦国扱い」をされるようになってしまいました。 その後、戦勝国によって「国連常任理事国」が結成され、 中国もそのメンバーになりました。これが更なる悲劇の幕開けでした。
>>281 >チベット政府から大量の羊毛が送られてた
>来ました。その理由はただ、
>「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」
>でした。
ふーん。
それが、ほんとなら今後もチベット亡命政府を支持したい。
>>280 チベット地方などどこにも書いてないが?
>>283 275で紹介されている帝国電網省の作者は、地図でも本文でも、
中国が、チベットのうちの西蔵部分のみに設けた自治区をさして、「チ
ベット自治区」といっているぞ。
せっかくチベットを擁護して、中国政府を批判する文章を書いてくれていは
いても、西蔵部分だけを「チベット」と思い込ませるためのプロパガンダ用
語「チベット自治区」をそのままつかってしまっているのが残念だ。
ちなみに、日本のチベット研究者たちが組織した学界も、チベット全般を
研究対象としていながら、「日本西蔵学界」と表記している。
いいかげんにしてもらいたいな。
「日本西蔵学会」と書いて「にほんちべっとがっかい」と 読ませるらしいのだが、あれはもう「日本チベット学会」と きちんと改称した方がいいね。
286 :
世界@名無史さん :04/05/09 14:42
つーかティベットって英語だろ? 現地語の国名に改めるべきだ。
日本ブー学会w それもどうかなw
>>286 英語以前に、チベット建国当初から、トッケツとか、アッバース朝イスラム帝国と
か、ペルシャとか、近隣諸国がのきなみ使用。
ネパールとかインドは、自称を写したらしいボータだが。
291 :
世界@名無史さん :04/05/10 12:28
言葉なんて適当なものなんだから、みんな共通認識できて短いに越したこと無いでしょ。 言葉に政治を含意させるから、おかしくなるんじゃないの。 それに、bod だとウ・ツァンなど中央チベットしか意味しないらしいぞ。 チベット(西蔵)は仏教文化を基盤とする文化圏のことを意味するように思われるが。 ゆえにモンゴル、ブータン、シッキム等も含まれると思うけど。
>ゆえにモンゴル、ブータン、シッキム等も含まれると思うけど。 入らないよ 「チベット文化圏」なら、ブータン、シッキムは入る。モンゴルは入らない。 「チベット仏教圏」なら、ブータン、シッキム、モンゴル入る。
293 :
世界@名無史さん :04/05/10 14:34
「日本西蔵学会」についていっているんですけど。 バックナンバーをみればモンゴル系論文もあるでしょ。 だから言葉なんかいいかげんで、意味射程なんて適当なんだって。 あなたのいうことも仏教を文化の一部とみるかみないかでしょ。 あるいはあなたの棲息する世界での共通認識か、そうゆうの押しつけられてもね。
294 :
世界@名無史さん :04/05/10 20:17
ボータで良いだろ。
>それに、bod だとウ・ツァンなど中央チベットしか意味しないらしいぞ。 かたよった決めつけだな。 たしかに、アムド・カムからみた、ウーやツァンをひっくるめた 呼称としての用例や、甚だしくは、「牧畜専業民」からみた「半農半牧民」 を指す用例すらあるが、「bod 」とは、チベットを指すもっとも普遍的な 呼称である。 ツァムセン・プーパとか、ブー・チョルカ・スムなど、全チベット人、 全チベットをさす用例もある。 いっとくけど、最初のは民俗用語、つぎのは地理用語だからな。 > あるいはあなたの棲息する世界での共通認識か、そうゆうの押しつけられても チベット人自身に、「bod」を全チベットを指す呼称として用いる用例が あるんだから、「あなたの棲息する世界での偏った認識」をふりかざして ダダこねてもむだ。
296 :
世界@名無史さん :04/05/11 12:13
たしかに bod chol kha gsum とかいうね。間違ってた。ごめん。 しかし「決めつけて」ないぞ。「らしい」と言っているじゃない? > あるいはあなたの棲息する世界での共通認識か、そうゆうの押しつけられても は「bod」のことをいったのではなく「日本西蔵学会」の「西蔵」の意味射程が bod chol kha gsum に限定されていないから曖昧な「西蔵」でいいじゃないかという意味。 理由は、モンゴル、シッキムについての論文もあるからですけど。 「日本プー学会」じゃ一般的に分かんないでしょ。語呂もわるいし。 そゆこともあります。 まあ、そうおこんなくても。
297 :
世界@名無史さん :04/05/11 16:35
「日本チベット学会」でいいじゃん。
298 :
世界@名無史さん :04/05/24 22:15
唐代は優勢だったチベットですが 明清の頃はぱっとしないのはなんでなんでしょ?
299 :
世界@名無史さん :04/05/24 22:57
仏教に深入りすると弱くなる>モンゴルも同じ それに元・明代は群雄割拠時代だから外に攻めていく余裕はなかった。 清代になって、ホシュート部・ゲルク派がチベットを統一したが あっという間に清に介入されちゃった。 チベット史の本でもスルーされているが、宋代にはアムドの地方政権が 宋や西夏と死闘を繰り広げていた。この辺はなかなかおもしろいよ。
300 :
世界@名無史さん :04/05/24 23:06
清代は特に軍事力としてモンゴル勢力(ホシュート部や ジュンガル部)を利用しすぎ。モンゴル勢力がこけると チベットもこける。 近代になってモンゴルを利用できなくなると、もはや 軍事的には弱小国家。もう人民中国に手玉に取られっぱなし。
301 :
世界@名無史さん :04/05/24 23:18
>>299 > 宋代にはアムドの地方政権が
山口瑞鳳御大が、『チベット』下でかるーく触れていたような。
>>301 青唐王国のロ角厮ロ羅だけじゃなくて、西涼府の潘羅支&厮鐸督とか
阿里骨とか青唐大酋青宜結鬼章とかいろいろいるねえ。
これにタングートも絡んでくるし。
303 :
世界@名無史さん :04/05/25 00:38
>>300 利用じゃなくて普通にモンゴルに支配されてたのでは?
7世にいたってはホシュトに殺されてるし・・・
ダライラマがチベット支配するようになったのは清のおかげ
みたいなものだと思うけど。
あほか、グシハーンの前にいつ清朝がからんで来たよ?
305 :
世界@名無史さん :04/05/25 06:03
で、ダライラマが実効支配していたのはどこまで? 青海は蒋介石が支配していたの?
306 :
世界@名無史さん :04/05/25 23:22
>ダライラマがチベット支配するようになったのは清のおかげ
グシハンのおかげ。
1642年までにチベットを征服したグシハンは、チベットの国土を当時のダライラマ
五世に献上している。
>>305 ダライラマはチベット仏教圏の政治・宗教・道徳の最高権威となった。
チベット仏教界最高権威としての実効支配圏は、チベットのほか、ラダッ
ク、シッキム、ハルハ、オイラト、清朝などの諸国に及んだ。
ブータンのみは例外。
ラダックってザンスカールとかあの辺ですよね あんな西迄支配したんだ…へぇ
308 :
世界@名無史さん :04/05/25 23:31
>チベット仏教界最高権威としての実効支配圏 これは誤解を招きやすい誇大表現。 宗教界に「実効支配圏」などという言葉はない。
ダライ・ラマが「政治的に」ラダックやシッキムを 支配したことは一度もないよ。モンゴル方面も当然ない。
310 :
世界@名無史さん :04/05/26 02:08
清朝崩壊〜占領までのダライラマ国家は 中央集権国家で国境がはっきりしていたの? それとも聖俗諸侯の連合国家に近かったの?
311 :
世界@名無史さん :04/05/26 02:10
((´;;(:;:: ;;:∵;: ノ <──≪ 三 ((::;; ;::;; ノノ __ 〜¶) ゝ __ノ Λ⌒Λ |.\ 彡-@∀@ミ ||\\ 三 ≫──> <──≪ 三 (⌒⊃y 二二つ) ) 〉 __ 〈 ||// /| (0ノ 彡 〜¶) く く \ \ |./ /.//ミ=ミヽ ,.,.-''""`'ヽ彡 ≡≡ Λ⌒Λ 〈__フ 〈__フ 三 ≫──> ミ∧ | | (゚Д゚ ;)´-→ ) ≡ 彡丶`∀´ミ /・ ''⊂= ヽ丑ヾ : ノ ━━(∩━━∩━━━> (ノ〉/~ヾ. ヽ=ヽ丑ヾ ,..;ヽ\ \ ≡ / __ 〈 : Y -→ (**) ´ ヽ \ \ ≡ / / / / 〜¶) ; // / : (土) ヽ_》 _》 〈__フ 〈__フ Λ⌒Λ /\ //::/ ; 彡 `ハ´ / /\\ ヽヽ_》 ; (⌒二二つ≫────> ‐ニ三ニ‐ 〈 〈 ヽヽ__// \ \ \ \./ <──≪ 三 〈__フ_フ
312 :
世界@名無史さん :04/05/26 02:17
一元的支配というよりもダライ、パンチェン両ラマを筆頭とし、 各地に両ラマほどではないが認められた大ラマが存在し、 その宗教的指導の下に領民と領主が存在する形だった。 胡主席と江軍事委員長(呉議長)の指導の下に、 地方的権威が存在する今現在の中国と似ている。 聖俗諸侯というよりも宗教的絶対主義であり、 その宗教的指導者ですらも俗領主の行動は完全には把握できなかった。 しかし宗教的安心感は領民に秩序をもたらし、 それなりに安定した社会を築き上げていた。
>310 20世紀前半は、民国地方軍閥とアムド・カムで陣取り合戦延々続けてたから 国境確定など夢のまた夢。
>>308 :世界@名無史さん :04/05/25 23:31
> >チベット仏教界最高権威としての実効支配圏
>
> これは誤解を招きやすい誇大表現。
> 宗教界に「実効支配圏」などという言葉はない。
いやいや、「実効支配」の定義しだいで、いくらでも可能。
たとえば、現在、中国の支配力が及ばない、モンゴルやロシア連邦のカルム
イキア、ブリヤート、トゥバなどの諸国においては、ダライラマが活仏の認
定権とか僧院の人事とか、様々なレベルの叙任権を行使しているぞ。
ダライラマと類似した存在を歴史にもとめるなら、
たとえば、ローマ教皇の場合、
「ローマ教皇領」の領域は、ローマを中心とするイタリア半島の中央部に限定されていたが、
ローマ教皇の権威が実効的に及ぶ領域は、ポーランド、オーストリア=ハンガリー以西のヨーロッパ全域。
宗教改革で、ヨーロッパにおける「実効支配領域」の減少が若干生じた
が、南北米大陸、フィリピンなど広大な領域があらたに加えられる。
> これは誤解を招きやすい誇大表現。
「誇大」どころか、事実の客観的な描写。
>一元的支配というよりもダライ、パンチェン両ラマを筆頭とし、 >各地に両ラマほどではないが認められた大ラマが存在しそ 「両ラマを筆頭」という部分が中国系工作員の願望を込めたデマ。 チベットの国土は「観音の所化」だから、チベットにおける最高権威は 観音の化身たるダライラマ一人のみ。 阿弥陀の化身たるパンチェンラマは、チベットではお客さん。
チベット史に関する中国のデマといえば、 史料に頻出するチベット政府のガンデンポタンの自称のひとつに、 gnam bskos dga' ldan pho brang (天命を承けたるガンデンポタン) というモノがあるのだが、「天が命じた(gnam bskos)」という部分の、 天(gnam)に関して、最近、中国の「天子」を指す、という捏造の珍解 釈を流布させようと躍起になりはじめている。 自国の君主が天命をうけた、というのは、中国・日本・モンゴル・ベトナ ムなどアジア東部の諸国で普遍的に自称されていることであり、チベットに対 してのみかかる捏造の珍解釈を押しつけようとして必死な有様が、端から 見ると哀れみとコッケイを催す。
で、
>>305 の愚問にあらためてコメントしておくと、
【ローマ教皇領の部分がイタリアのうちどの位を占めていたかという問題と、
イタリア国家の領域がどのような範囲であるか、は全く別個の問題である】
のと同様に、
【ダライラマ領の領域がチベット西南部の「西蔵」部分をやや越えたりこえ
なかったり、という問題と、チベットの国土が、西蔵の外側もふくむ、
ウー・ツァン、アムド、カムなどから構成されている】
という問題とは、全く別個の問題。
>>309 :世界@名無史さん :04/05/25 23:32
> ダライ・ラマが「政治的に」ラダックやシッキムを
> 支配したことは一度もないよ。モンゴル方面も当然ない。
君のいう「政治的」が何を意味するのか意味不明だが、
清朝の主も「転輪聖王」として「仏」の下につく、というチベット仏教思想に
則って行動している点を指標とするなら、「政治的にダライラマの下位にある」と判定できる。
「チベット仏教界最高権威としての実効支配圏」には、まぎれもなく、
モンゴルやラダックが含まれているぞ。
ラダックの大僧院のいくつかに、いまダライラマの兄弟が管長をしている
ものがいくつかあるね。
モンゴルについては
>>315 を参照。
306さんの書き込みにはイシハマセンセイの匂いがプンプンしてくるなあ。お弟子さんですか? > いやいや、「実効支配」の定義しだいで、いくらでも可能。 残念ながらあんたの定義する「実効支配」は一般には通用しない。それで論を進めても 誤解が生じるだけ。現に307さんが誤解してしまっているでしょ。 > たとえば、現在、中国の支配力が及ばない、モンゴルやロシア連邦のカルム > イキア、ブリヤート、トゥバなどの諸国においては、ダライラマが活仏の認 > 定権とか僧院の人事とか、様々なレベルの叙任権を行使しているぞ。 上記の国々で活動しているのは、チベット仏教のうちでもゲルク派のみ。 ゲルク派内の人事に、その宗派の指導者ダライ・ラマが影響力を行使できるのは 当たり前。 それをもって 「ダライ・ラマがモンゴル、ブリヤート、トゥバ、カルムイキアを支配している」 とはいわないでしょ。あんたの勝手な定義では「あり」だとしても、一般には通じません。 せいぜい 「ダライ・ラマがモンゴル、ブリヤート、トゥバ、カルムイキアのゲルク派を支配している」 なら目をつぶるが、それでも「支配」は適当な用語ではない。
> 「チベット仏教界最高権威としての実効支配圏」には、まぎれもなく、 > モンゴルやラダックが含まれているぞ。 宗教界での影響力を語る際に「実効支配圏」という政治用語を用いるのは妥当ではない。 特にラダックは17世紀以来ずっとカギュ派が優勢だし、ダライ・ラマ5世と戦争もしてる じゃないの。 宗教的な影響力の話をしておきながら、それを政治的な支配力にすりかえようと する詭弁はやめなさいよ。それじゃ中国共産党と同レベルに落ちちゃうよ。
> 君のいう「政治的」が何を意味するのか意味不明だが、 > 清朝の主も「転輪聖王」として「仏」の下につく、というチベット仏教思想に > 則って行動している点を指標とするなら、「政治的にダライラマの下位にある」と判定できる。 清皇帝の行動原理は、「チベット仏教思想に則ったもの」がすべてではない。 よって「政治的にダライラマの下位にある」とは判定できない。 宗教的に「ダライ・ラマ」が「清皇帝」の上位にある、とは言えるが、そこに「支配」という政治用語を 用いるのは妥当ではない。
324 :
ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・スターリン :04/05/26 20:03
「ヴァティカンだって?一体幾つに分れてるんだ?」
325 :
世界@名無史さん :04/05/26 20:38
満州族や北京のチベット仏教はどうなっているの? 清朝崩壊で廃寺?
326 :
世界@名無史さん :04/05/26 20:41
ローマ教皇領の内部には、教皇に従属する聖俗諸侯がいたのですか?
327 :
世界@名無史さん :04/05/26 20:48
パンチェンは売国奴でダライの下風につくのをうらんで、 それで、中国は分割統治のためパンチェンにテコイレしているの? 親中売国チベット人パンチェン派勢力というのも存在するの?
なんだよ教えて君ばっかりかよ
329 :
世界@名無史さん :04/05/26 20:52
パンチェン亡命したろう、最近
それはカルマパだよ
ゴルゴ13では、パンチェン・ラマが亡命してるかw
>「実効支配圏」という政治用語を用いるのは妥当ではない。 >「支配」という政治用語を用いるのは妥当ではない。 教団内における、叙任権・認定権の介在した上下関係は紛れもない「支配」 「被支配」関係である。ゆえに君のいう「妥当性」に妥当性はない。 君のいう「政治」の内実が、ショボいだけだな。 そのショボさに自覚がないから、 伝統的な中華思想とはまったく別個の指標によって、 中華思想が呈示するのとは全くことなる支配・被支配関係が呈示 されることが、我慢ならないのだろう。 ダライラマの宗教的権威が実効的に及ぶ範囲をもって、 ダライラマの「実効支配権」とする定義に、なんら問題はない。 > 清皇帝の行動原理は、「チベット仏教思想に則ったもの」がすべてではない。 > よって「政治的にダライラマの下位にある」とは判定できない。 無論、中華思想を指標として弁別すると、「天子」が『「政治的にダライラ マの下位にある」とは判定できない。』のは当然。そんなモノは当然の前提として、次のような事実の一面を指摘している。 > 清朝の主も「転輪聖王」として「仏」の下につく、というチベット仏教思想に > 則って行動している点を指標とするなら、「政治的にダライラマの下位にある」と判定できる。 「政治的な上位・下位」も、指標次第でまったく入れ替わるのが、 前近代国際関係の面白いところ。
> 残念ながらあんたの定義する「実効支配」は一般には通用しない。 「一般には通用しない」? ププ。 せいぜい、ボクちゃんには受け入れがたい、だろ。 > 現に307さんが誤解してしまっているでしょ。 無知で、かつ事実を受け入れられない困ったちゃんなだけ。 > 上記の国々で活動しているのは、チベット仏教のうちでもゲルク派のみ。 > ゲルク派内の人事に、その宗派の指導者ダライ・ラマが影響力を行使でき > るのは当たり前。 無知まるだし。 せめて、事実にもとづいて議論してくらはい。 最低でも、過去ログを夜目や。 ダライラマが、1642年以降、チベット仏教界の宗派を越えた最高権威であること をどうしても認めたくない工作員(?)がヒトリ. ダライラマ十四世は、17世紀にダライラマ五世がチョナン派を弾圧した歴史 を遺憾に思い、チベット仏教界の総主教としての立場から、特に部下を指名 し、ゲルク派その他の各派に伝承されてきたチョナン派の口伝・儀礼等を身 につけさせ、モンゴル国においてチョナン派を復興させている。 2000年にインドに脱出したカルマ派の管長ギャルワ・カルマパ十七世の継承の 場合も、カルマ派の手のものがチベット内で候補者を選定したのち、ダライラマの認定を仰ぎ、しかるのちに中国政府主催の即位式に臨んでいる。
> あんたの勝手な定義では「あり」だとしても、一般には通じません。
アンタがどんなにヒッシに「一般には通じません」とわめいても、
モンゴルやロシア連邦のカルムイキア、ブリヤート、トゥバなどの諸国におい
ては、ダライラマが、単にゲルク派のみならず、諸宗派の最高権威として、
活仏の認定権とか僧院の人事とか、様々なレベルの叙任権を行使しているのは
まぎれもない事実。
> 特にラダックは17世紀以来ずっとカギュ派が優勢だし、ダライ・ラマ5世
> と戦争もしてるじゃないの。
で、このことは、現在ラダックが、ダライラマの権威が及ぶ地域であることと
は、まったく矛盾しないのだが。
> 宗教的な影響力の話をしておきながら、それを政治的な支配力にすりかえ
> ようとする詭弁はやめなさいよ。
当方が行っているのは、「ダライラマの宗教的権威が実効的に及ぶ範囲」の
紹介と、その場合の「実効」の定義。
> 政治的な支配力にすりかえようとする
のは、
>>321-323 の脳内歪曲力の問題であって、当方の「詭弁」とやらではないね。
そもそも
>>305 > で、ダライラマが実効支配していたのはどこまで?
> 青海は蒋介石が支配していたの?
で聞いているのは、「ダライラマの宗教的権威が実効的に及ぶ範囲」
などではないと思うぞ。
336 :
世界@名無史さん :04/05/27 00:38
337 :
世界@名無史さん :04/05/27 01:51
ダライラマ5世がグシハンに国土(現在のチベット自治区の一部ね)を献上され たって言っても実権はあくまでホシュトでしょ。 でホシュトの勢力後退→ダライラマ×ホシュトの衝突→6世追放、 7世殺害に至ってるよね。 その後、ホシュト←ジュンガルが攻略←清朝が攻略で清朝から新たに領土を与 えられて現在のチベット自治区にあたる領域を統治してる。
338 :
世界@名無史さん :04/05/27 02:04
清朝傘下にあったダライラマ政権は1900年代始めから英の支援を受けて清朝 から離脱、アムド・カム方面で清朝軍と交戦。 清朝崩壊後は軍閥と同方面でやはり陣取り合戦。 中華人民共和国成立→欧米見放す→17箇条条約で外交以外は軍事も含めた 独立した行政を認められ中国に参加(現在のチベット自治区の領域) 1956年以降、アムド・カム方面で共産党統治に反発する僧侶を中心とした 放棄→チベット自治政府出兵して同地方を占領。→共産軍、2年の高地訓練 の後、アムド・カム方面奪回に加えチベット中央部に侵攻し自治政府解体。 →ダライラマ亡命政府政府樹立、一方チベット自治区発足。 で現在に至るだね。 宗教権威の及ぶ範囲とかはどうでもいい。
339 :
世界@名無史さん :04/05/27 02:12
あ、ちなみに上のチベット自治政府出兵時に17箇条条約破棄と独立を 宣言していますね。 ややこしいのはチベット自治区(西蔵地方)以外ではチベット人は元々、 少数派だけど、大チベット主義から周辺地方もチベット領とする主張が 問題をこじれさせて来た。 清朝や軍閥、中国共産党ともずっとチベット周辺部の支配をめぐって、 衝突してきましたから。 とまあ実効支配の範囲はこんな感じか?
340 :
世界@名無史さん :04/05/27 02:27
物凄く大雑把に時代毎に見ると 古代王朝時代(吐蕃):最盛期には唐に対抗するほどの繁栄、仏教の伝来。 廃仏運動でチベット仏教一時壊滅、古代王朝崩壊。 分裂時代(10C〜17C):仏教再考、多数の宗派が派生。主にモンゴル族が 軍事的な主導権(一時モンゴル帝国の統治下) ダライラマ時代(17C〜1959):モンゴル系のホシュト支配、グシ=ハンの 代に最盛期(西蔵・青海・四川・甘寧)。ダライラマ、チベット仏教界 で主導権確立、ホシュト支配崩壊以後は1959年まで西蔵地方を支配し、 アムド・カム方面等では他勢力と衝突。
>>334 世俗国家での聖職者の叙任権なんて、政治的な支配権とは全く別のモノではないか。
>ダライラマ5世がグシハンに国土(現在のチベット自治区の一部ね)を献上され >たって言っても実権はあくまでホシュトでしょ。 何度たずねてもスルーで、ちっとも回答できぬようだが、 ボクちゃんのいう、「政治支配」とか、「実権」とか、その内実はなによ? グシハン自身が制定にかかわった当時のチベット法典(1652-53制定と推定) の序文では、ダライラマを「世界の権威」とし、自らとデシーとを、ダライ ラマの下での、「チベットにおける太陽と月の一対」として併置している。 グシハンが設定したダライラマ・ハン・デシーの権限・権益の配分の構造は、 ジュンガルの侵攻によりいったん瓦解するが、ジュンガル撃退を目的とした 康煕帝の介入は、旧制の回復を標榜しており、現に復活直前まで行った。 グシハンが構築した権力構造の枠組みを完全に転覆したのは、雍正の青海 征服。
>ホシュトの勢力後退→ダライラマ×ホシュトの衝突→6世追放、7世殺害に >至ってるよね。 意味不明。誤り多し。 1697年に即位したダライラマ六世ツァンヤンギャムツォは、1703年に当時のラ サンハンによって廃位され、青海へ流刑される途中で死去したが、ラサンが擁 立したダライラマ六世´イェシェギャムツォは、チベット内外の君主諸侯に対 する称号・印章の授与や、僧院に対する叙任権の行使など、先代と同様の権限 を行使している。 七世ケサンギャムツォは、グシハンの分家一族とジュンガルが擁立を試み、 1720年に康煕の派遣した清朝軍の駐屯下で、イェシェギャムツォにかわって即 位したが、1757年に天寿を真っ当している。殺害されたというのは、勘違いも 甚だしい。 >その後、ホシュト←ジュンガルが攻略←清朝が攻略で清朝から新たに領土を >与えられて現在のチベット自治区にあたる領域を統治してる。 ↑ 無知まるだし。
> そもそも
>>305 で聞いているのは、「ダライラマの宗教的権威が実効的に
> 及ぶ範囲」などではないと思うぞ。
それがどーした?
「ダライラマの権威が実効的に及ぶ範囲」もまた、
まぎれもなく「ダライラマの実効支配圏」の一種。
> ややこしいのはチベット自治区(西蔵地方)以外ではチベット人は元々、
> 少数派だけど、大チベット主義から周辺地方もチベット領とする主張が
> 問題をこじれさせて来た。
またまた、工作員の主張(または工作員の主張を鵜呑みにした主張)。
まず、青海省全域、甘粛省甘南州、四川省ガパ州からなるアムド地方ですが、
青海省で「チベット人が元々少数派」なのは、東北隅の、面積だと十分の一に
もみたない海東地区(青海湖東岸)のみで、のこる九割以上の地域では「元々
は多数派」。
甘南州・ガパ州、それからカム地方で、「西蔵」に帰属していない甘孜州(四
川)、迪慶州(雲南)でも「元々は多数派」。
>大チベット主義から周辺地方もチベット領とする主張が問題をこじれさ >せて来た。 チベットの範囲を「西蔵」部分のみに縮小させようとする「小チベット主義」の主張が、問題をこじれさせて来た。
346 :
世界@名無史さん :04/05/27 17:18
>>345 19世紀後半のローマ教皇領の領地がイタリア半島中部限定であることをもっ
て、イタリア国家の領域は、イタリア半島中央部に限定されるべきだ、
というのと同じロジックを振りかざして、チベットの範囲をヒッシに狭めようと
しているヤシがいるね。
320って某事典に書いていた人? この世界って狭いから、多分そうだと思うけど。 もしそうなら英語版が悲惨な状態なのをどうにかできない?
348 :
世界@名無史さん :04/05/27 19:09
チベット高原って、むかし海底だったわけだし、 膨大な鉱物資源が眠っているんだろうな。 海底にはマンガン団塊なんかもあるし。 米国が独立運動に関心を示し出したことだし。 最近、石油が発見されたというニュースもあった。 石油は海洋性の堆積層にあるんだ。
320みたいなのがチベットを支援しているんだとしたら チベットの未来も暗いな
352 :
世界@名無史さん :04/05/27 22:36
ダライラマ・ポタラ寺の直轄地はラサだけで、 あとはチベットだけでなく他民族ゲルク派末寺から布施をとってたってこと? それにダライラマ直属の僧兵はどのくらいいたの?
353 :
世界@名無史さん :04/05/27 22:42
でもさ、チベット人が昔から少数派の青海とかをチベット領とするのは 流石に無理があるんじゃないかな? 民族自決の原則から言えば数が多い漢族やモンゴル族優先だろうし、実行 支配の立場から言えばダライラマの統治は全然及んでいなかった訳だし。 西蔵以外の地域をチベット領としようとすれば武力行使以外に選択肢はな いでしょ、昔やったみたいに。 今からそれをやったらただの侵略戦争と言わざるを得ないと思うけど。
チベット人が多数派じゃなければ中国領というのも無理があるぞ
355 :
世界@名無史さん :04/05/27 23:15
チベットに押しかけて僧兵になったオイラト人
>でもさ、チベット人が昔から少数派の青海とかをチベット領とするのは >流石に無理があるんじゃないかな? 工作員、ヒッシだな。 青海で、「チベット人が昔から少数派」のは、青海の東北の端っこの 「海東地区」だけ。面積は青海地方の10分の1以下。 あと、青海モンゴル族は、ダライラマのチベット制覇に貢献し、五代80年 にわたってチベット国のハン位を継承しつづけたグシハンの部下達の末裔 だから、チベット国が成立する場合に、チベット国民となることになんら 問題はない。
357 :
世界@名無史さん :04/05/28 00:05
>>356 いくらなんでもその言い草は無茶でしょ。
モンゴル族にチベット国民になれって・・・・
それに青海の人口の半数を占める漢族は?
回族は?イスラム教捨てろとか?
チベット族以外の権利は無視?
俺が会った撒拉族(モスレム)は、ここはいずれ チベット国になるんでしょ。て笑って言ってたな。
> いくらなんでもその言い草は無茶でしょ。 > モンゴル族にチベット国民になれって・・・・ 青海モンゴルは、1642年にジュンガリアから移住して以来、一環して チベットの住人。ダライラマを最高権威とする近世チベットをつくり 挙げた当事者。したがって、まったく「無茶」ではない。 > それに青海の人口の半数を占める漢族は? > 回族は?イスラム教捨てろとか? これはぜーんぶ、青海地方の東の端っこの「海東地区」の住人。 連中がチベット国への帰属を希望しないなら、「海東地区」だけ 連中にくれてやればいいだけの話。
360 :
世界@名無史さん :04/05/28 01:34
>>359 青海がいつ近世チベットの支配下にあったのでしょう?
ホシュトは一時支配したけどホシュト=チベットではないし、
どうしてホシュト支配領域をチベット領と強弁出来るのか不思議です。
361 :
世界@名無史さん :04/05/28 15:56
亡命チベット人は、チベットにはもはや漢族の方が多数派だといっていたようですが。 公式統計には含まれない屯田兵団もいるのか・・・
362 :
世界@名無史さん :04/05/28 20:35
工作員Uzeeeeeeeeeeeeeeee!!!!!!!!! 漢族が多いと何なんだ?
363 :
世界@名無史さん :04/05/28 20:36
工作員Uzeeeeeeeeeeeeeeee!!!!!!!!! 漢族が多いと何なんだ?
364 :
世界@名無史さん :04/05/28 20:55
殺しまくってるロシアは訓練されたジェノサイダーだ。 もっと殺しまくってる中共はよく訓練されたジェノサイダーだ。 まったく大陸は地獄だぜ!HAHAH(ry
>>360 >青海がいつ近世チベットの支配下にあったのでしょう?
青海地方は、1642年から1724年まで、ラサを本拠とするチベット第二王
の支配下にありましたがなにか?
>ホシュトは一時支配したけどホシュト=チベットではないし、
ホショトの指導者トゥルバイフは、全ホショトの指導者として1637年に
青海を征服したあと、兄の子オチルトに全ホショトの指導権を譲り、
ホショト部族のうちの自身の相続分を1638年から1639年にかけて青海
に移住させ、この手勢でもってチベット征服を行い、吐蕃についで、
チベット内に本拠をおきながら全チベットを統合した、チベット第二王
朝を樹立しました。
1639年以降のグシハンの手勢は、チベットに移住し、チベットに帰化し
たチベットの住民です。
したがって、彼らがチベット国民となることに、なんら問題はなし。
366 :
世界@名無史さん :04/05/29 02:10
>>365 たった82年支配していただけで(それも280年前!!!!)チベット領と
主張出来るとはもはや絶句するしかありません。
こんな無茶苦茶な大チベット主義を振りかざしていては国際社会に見放
されるのも当然だと思います。
今のチベットの状況は'東チベット'に野心を抱いたせいで自滅した点が
多分にあると思います。
少なくとも現在のダライラマが情勢判断を誤り、17箇条条約破棄と自
治区外への出兵を行わなければ独自の軍の保有まで認められた準独立国
の地位は失わなかったはずです。
>たった82年支配していただけで(それも280年前!!!!)チベット領と >主張出来るとはもはや絶句するしかありません。 青海モンゴルのチベット「支配」は八十二年ですが、青海モンゴルたちは、 その後も一貫してずっとチベット内に居住しています。 >絶句するしかありません。 反論できなくなったわけですな。素直でよろしい。 >こんな無茶苦茶な大チベット主義を振りかざしていては国際社会に >見放されるのも当然だと思います。 「海東地区」をのぞく青海地方の九割における住民は、青海モンゴルだ けでなく、吐蕃以来この地に居住するチベット系もいて、人口的にはそちら の方がおおいんですが、その点は、ヒッシに黙殺ですな(ワラ このチベット系の存在のみをみても、この地がチベットに属するのは当然。 >今のチベットの状況は'東チベット'に野心を抱いたせいで 「東チベットに野心を抱」き、チベットの国土を現に分割支配しているのは、 中国政府♪♪♪ >自滅した点が多分にあると思います。 軍事的に中国より弱体で、中国軍の軍事制圧を受けたことは「自滅」とはいいません。
満州人が「入関」し、中国支配に乗り出したのは、1643年。 グシハンと青海モンゴルのチベット征服を完成した翌年のことです。 青海モンゴルが、チベット人ではないことをもって、ありうべきチベット国 においてチベット国民となることが「おかしい」というならば、満州人がい ま中国国民となっていることも「おかしい」ということになりますな。
>少なくとも現在のダライラマが情勢判断を誤り、17箇条条約破棄と自 >治区外への出兵を行わなければ独自の軍の保有まで認められた準独立国 >の地位は失わなかったはずです。 このスレに出没している、 【チベットの範囲を「西蔵」部分のみに縮小しようとする「小チベット主義者」】 は、あからさまな捏造のデマを平気でたれながしますな。 現在のダライラマ、十四世テンジンギャムツォは、1950-51年の人民解放軍の 侵攻にビックリした摂政政府がビックリして政権を投げだしたため、慣例よ も五歳も若い十五才で親政に着手したわけですが、この時点で、 【「自治区(ププ」外に出兵】 どころか、一方的に押し込まれる一方で、結局1959年に至ります。 1951-59年の間に、ダライラマ十四世が麾下のチベット軍をいつ「自治区」外に「出兵」したのか、具体例をあげてもらいたいですな。 十七条協定破棄も、中国政府による「西蔵地方政府の廃止」宣言に対する 対抗措置であり、ダライラマのみに責任があるわけではない。
自己レスです。 >青海モンゴルのチベット「支配」は八十二年ですが、青海モンゴルたちは、 >その後も一貫してずっとチベット内に居住しています。 たとえば、ラサ北方100キロほどにあるダムシュン県にいる「達木蒙古」など とよばれる集団は、ホショト部族のうちのグシハンの相続分の一部で、青海 モンゴルが青海にやってきたのと同じ頃、この地方に配置された人々の子孫 です。
イタリア西北から、フランス東南隅にまたがる地域を領有していたサルディー ニャ王国は、それまでいちどたりとも実効支配したことのなかったイタリア東 北部・イタリア中央部、イタリア南部を併合してイタリアを統一しました。 20世紀前半のチベットには、ダライラマ領のほか、デルゲ王国、チャクラ王 国、チョネ王国をはじめとする四十数カ国が存在し、その大部分はチベット人 が大多数を占めた国でした。 ダライラマ領の実効支配領域 + デルゲ王国の実効支配領域 + チャクラ王 国の実効支配領域 + チョネ王国の実効支配領域・・・・ の総和がチベットだ、とするのが妥当だとおもいます。
>>371 氏もあげているデルゲ王国ですが、カム地方の東部、中国の行政区分
でいうと、四川省の石渠県・徳格県・白玉県などを領土としていました。
1956年に勃発した抗中戦争の際に中国軍に制圧され、最後の女王が政権を
放棄させられ、県の政治協商会議の委員(=何の実権もない名誉職)に祭り
上げられて滅亡しました。
清朝から授かっていた称号は「宣慰使」だかなんだかですが、自分自身で
名乗っていた称号は、チベットで「王様」を意味する「ギャルポ」で、
ゆえに、史家の間ではデルゲ王国と呼ばれます。
ちなみに、モンゴルのハンも、朝鮮の「国王」も、清朝の天子も、「ギャル
ポ」号。
で、【チベットの領域を「西蔵」のみに限定したい小チベット主義者】の
方に質問なんですが、デルゲ王国の実効支配領域を、チベットに含めたら
いけないのはなぜですか?
ちなみにこの国の国民の大多数はチベット人でした。
現在も漢人の植民はすすんでいなくて、旧領土上の住民の大多数はチベット
系です。
>>371 史実を捏造している「痛い」方は、小チベット主義者さんの方なんですが。、
いまこのスレに出没しているプロパガンダ屋は実にタチがわるい。
以下、中国で出版された『当代中国的西蔵』上巻の記述に基づき訂正します。
ただし固有名詞はJ.F.アベドン『雪の国からの亡命』による。
放棄から鎮圧に至るプロセスそのものについては、中国側、亡命政府の文献で
一致しているので、関心のある方は、ご自分の手元のもので確認して見てくだ
さい。
※捏造のデマ(
>>338 )
>中華人民共和国成立→欧米見放す
>→17箇条条約で外交以外は軍事も含めた独立した行政を認められ
>中国に参加(現在のチベット自治区の領域)
>
>1956年以降、アムド・カム方面で共産党統治に反発する僧侶を中心とし
>た放棄
>
>→チベット自治政府出兵して同地方を占領。
>
>→共産軍、2年の高地訓練の後、アムド・カム方面奪回に加えチベット中
>央部に侵攻し自治政府解体。
>
>→ダライラマ亡命政府政府樹立、一方チベット自治区発足。
>で現在に至るだね。
まず下記が全文まるごと捏造。 >→チベット自治政府出兵して同地方を占領。 アムド・カム地方において「民主改革」「社会主義改造」が始まったのが1955年、 抗中蜂起が始まったのが1956年、中国の軍事・警察機構は一時的にアムド、カ ムから除去されましたが、この状態は一瞬で、【ただちに】中国軍の反撃が開 始され、各個撃破された蜂起軍は、大量の難民とともに、算を乱して南方へ逃 れ、チベット政府のもとまだ平穏を保っていた「西蔵」に逃げ込みます。 当時の「西蔵」では、「改革を強要しない」という十七カ条協定により、チベッ ト社会に「改造」が押しつけられることもなく、アムド・カムにくらべて平穏 がまだ保たれておりました。 当時のチベット政府は、中国側の挑発に応じて彼らを暴発させることがないよ う、必死の舵取りを行っていた時期であり、なにより、ラサをはじめとする中 国の駐屯軍が睨みをきかせている状態でした。 チベット政府がアムド・カムの動乱に介入した、などと、いったいどんな オツムが思いついた妄想なのやら。 ええと、最近ここに出没している小チベット主義者さんへ。 ここは学問板であり、創作・文芸板ではありませんので、史実にもとづいて ものを語ってください。
これ↓も全文捏造。
>>→共産軍、2年の高地訓練の後、アムド・カム方面奪回に加えチベット中
>央部に侵攻し自治政府解体。
>>376 でも述べましたが、アムド・カムは蜂起が始まったその年に鎮圧。また
西蔵に逃れたアムド・カムのゲリラたちの、西蔵を舞台とした抗中活動は、
1951年以来西蔵に駐屯していた中国軍部隊がターゲットで、この部隊により
敗退させられていますから、
【2年の高地訓練の後、アムド・カム方面奪回に加えチベット中央部に
侵攻し自治政府を解体】
したという【共産軍】なるものは、これもまったく小チベット主義者くんの
妄想の産物です。
「西蔵」に逃れたアムド・カムのゲリラたちは、1956年に、西蔵ではじめて 統一抗中組織「チュシ・ガンドゥク」を結成し、故郷へ進撃する力はないので、 西蔵を舞台として、西蔵に駐屯する中国軍をターゲットとしたゲリラ活動を 展開しました。 彼らの回想禄には、「十七条協定」体制の維持にヒッシなチベット政府の役人 たちが、政府保有の武器・弾薬・食糧等をゲリラに供給することを拒否し、 戦機を逸したこと度々あったと、苦々しげに記録されています。 チベット政府軍自体は、1951年以降、ロクに中国軍と戦わないまま、1959年中 に全面的に解体させられます。 ツァン地方の師団など、無線により情報交換しあう中国軍部隊の奸計にひっ かかり、偽り開催された宴会によりへべれけとなった幹部が一網打尽にされ、 なすすべもなく無力化されています。 そういうチベット政府軍が、「アムド・カムへ出兵」などとは、妄想も甚だしい。 ******************* どのような立場から発言するのも自由ですが、 捏造のデマを平気でたれながすのは、恥ずかしいことですな。
抗中ゲリラの活動については、 阿部治平「カムパ「反乱」の記録について―『甘孜蔵族自治州民主改革史』の検討―」、愛知大学現代中国学会編『中国21』Vol.16、2003年5月 が最新の研究。コンパクトで、文章もよみやすい。
清朝スレに東トルキスタン、それにここか。政治的主張と政治的事実は きちんと分けろよ。一方で > 「ダライラマの権威が実効的に及ぶ範囲」もまた、 > まぎれもなく「ダライラマの実効支配圏」の一種。 と主張し、他方で > 「東チベットに野心を抱」き、チベットの国土を現に分割支配しているのは、 > 中国政府♪♪♪ と「支配」の意味を使い分けてるのは、自分でも意図してやってるんだろ?
381 :
世界@名無史さん :04/05/29 20:08
>政治的主張と政治的事実はきちんと分けろよ。 「政治的事実」←意味不明。 歴史的事実、といいたかったのかね(プゲラ
>>380 それで、デルゲ王国の実効支配領域を、チベットに含めたら
いけないのはなぜですか?
383 :
デマ屋の捏造デマ・その2 :04/05/29 22:37
>>338 に続く捏造のデマ(
>>339 )
> あ、ちなみに上(→
>>338 )のチベット自治政府出兵時に17箇条条約破棄
> と独立を宣言していますね。
>>376 でも明記したとおり、チベット政府による「アムド・カム出兵」など、
行われておりません。
実際の、チベット政府による「十七ヶ条協定」の破棄宣言は、1959年に展開された
・中国国務院による「西藏地方政府」の「廃止」宣言
・中国の「西蔵」駐屯軍によるチベット軍・チベット行政機構の解体・接収
に対応したもので、インドにむかって脱出する途上、国境越えを行う直前に
行われています。
384 :
世界@名無史さん :04/05/30 15:06
高原ならコカイン栽培できる?
デマだとか捏造だと痛い言葉を使いたがる陰謀論者が湧いて出てきているな
386 :
世界@名無史さん :04/05/30 21:30
>>385 学問板で捏造のデマを投稿するほうがもっと痛いとおもいますが。
1.1956-59年のチベット動乱で、チベット政府軍がアムド・カムに出兵
した事実はありません。
2.「アムド・カムに出兵した」のを期に「十七カ条協定の廃止」「チ
ベットの徳立」を宣言したような「チベット自治府」など、実在しません。
3.「二年間の高地地訓練」ののち、アムド・カムを「奪回」し、中央チベット
に「侵攻」したような「共産軍」部隊など、実在しません。
388 :
世界@名無史さん :04/05/31 19:16
>>276 ニトゥリのあたりはコンポなんじゃあ・・・
389 :
世界@名無史さん :04/05/31 19:34
>>374 清朝の天子は「ゴンマ(gong ma)」という言い方もする。
「ギャルポ(rgyal po)」の呼称はデルゲだけでなく、ギャロンの小領主達も自称している。
ちなみにアムド・カムに割拠していたチベット系の小領主の中でも、
清朝との関係が深かった連中は自分達のことを「プン(dpon)=原義は官僚や集団の長」と自称している。
390 :
世界@名無史さん :04/05/31 19:53
>>389 つまり、カム・アムドのチベット人には、清朝の統治を認めた奴らはいても、ダライラマの統治下に入ろうとしていたやつはいなかったわけだな。
>清朝との関係が深かった連中は自分達のことを「プン(dpon)=原義は官僚や集団の長」
この「プン」は、「清朝との関係が深かった連中」だけでなく、
チベット政府に奉職する役人、チベット政府の宗主権下で所領を施主する
土着領主、チンギスハンの子孫であるモンゴル人貴族(ノヤン)たちなど、
ようするに、チベット語圏で政治的な地位を持つ者の自称・多少として、
広く用いられている。
>>390 年羮堯に引きいられて1723-24年にアムド・カムに侵攻した清朝軍は、
清朝への服属を拒否した諸侯や村々を殺戮し、焼き払いながら、制圧していった。
台湾の故宮博物院から影印出版された年の報告書には、自分と部下達が
民族浄化する模様を、嬉しそうに記されているぜ。
>清朝の統治を認めた奴らはいても、
「認めた」のではないな。
暴力と殺戮の恐怖によって強要したのだ。
それと、清朝は「統治」などしていないな。
従来からいる諸侯を冊封しただけ。
アムド・カムの諸侯の実効支配圏は
お前のオツムでは、どーしてチベットに含まれないのかね。
392 :
世界@名無史さん :04/05/31 23:55
チベットは藩部であり冊封体制とはまったく違うが?
自ら捏造開始ですか?
>>391 しかもアムド・カムははっきりとダライラマ領からは分離されて
清朝の直轄下にあったが??
それにこの工作員の捏造で一番ひどいのがグシハン一族をダライラマ
の家臣扱いしていること。
ダライラマに寄進された領地はグシハン一族の本拠アムド地方は含まず
チベット中央部に限定され、グシハン没後は一族とダライラマが衝突し
ていたことはどこを調べてもすぐに出てくる。
>チベットは藩部であり冊封体制とはまったく違うが?
>自ら捏造開始ですか?
>>391 チベットの史実に無知で、かつ創作・文芸と史実を混同する小チベット
主義者さんからの難癖にひとつづつコメントします。
1.初代グシハンと、第五代ラサンハンは、「○○汗」号を清朝からうけ、
また青海にいる分家一族は、1997年ごろゾロゾロと北京詣でを行い、親王、
郡王、公、台吉の称号をウレシソウにもらっています。完全な内政自治を
おこなっていますから、この時期のチベットは、朝鮮、ベトナム、琉球と
同様の「朝貢国」と分類されます。
2.「藩部」と「朝貢国」、世襲(転生する坊さんは別)でなにがしかの称号
を清朝からうける君主が自身の領地を「実効支配」する点では同一。ひと
つあたりの規模がちいさく、「監督機構」がくっついてる点などが相違点。
3.
>しかもアムド・カムははっきりとダライラマ領からは分離されて
>清朝の直轄下にあったが??
ダライラマ領にはふくまれていないだけで、デルゲ王国、チャクラ、王
国、チョネ王国、ムリ仏教首長国etc.の実効支配下にあり、「清朝の直
轄下」になど、ありませんね。
たとえば、デルゲ王国の場合、デルゲ王は、四川総督・兵部を介して「宣慰使」号
の冊封をうけるだけで、王国政府の文武百官は自身で決め、内政自治を行い、自国
の領土を「実効支配」していた。詳しくは
>>374 を参照。
4. >それにこの工作員の捏造で一番ひどいのがグシハン一族をダライラマ >の家臣扱いしていること。 グシハンは、現に、みずからを「ダライラマの家臣扱い」してますが? 「原西蔵地方政府」制定の「十三条法典」の序文をみてごらん。 中央民族大学の喜堯尼瑪という人の中国語訳もあるでよ。 5. >ダライラマに寄進された領地はグシハン一族の本拠アムド地方は含まず 「ダライラマに寄進された領地」の外側にひろがるアムド・カムにおいても、 寺院の人事、活仏の認定などの分野で、ダライラマやラサ政府は「実効支配 権」を行使していた。
6.
>グシハン没後は一族とダライラマが衝突し
>ていたことはどこを調べてもすぐに出てくる。
グシハンの没後に、グシハンの「一族」とダライラマが「衝突」した事実
など、いかなる史料をしらべても全くでてこない。
ダライラマが「一族」の内紛を調停したりとか、分裂した「一族」が、それ
ぞれ別のダライラマを擁立して抗争したとかの類の「事実」はあるが。
「グシハン没後は一族とダライラマが衝突していた」などというタワゴトは、
>>375-379 でやらかしているのと同様、小チベット主義者氏の妄想もしくは
捏造のデマである。
*************
どのような立場から発言するのも自由ですが、
捏造のデマを平気でたれながすのは、恥ずかしいことですな。
>>338-339 のデタラメ投稿、撤回するんですか?
あくまでも真実だと言い張るんですか?
ここは学問板であり、創作・文芸板ではありませんので、史実にもとづいて
ものを語ってください。
訂正2
>>393 誤:また青海にいる分家一族は、1997年ごろ
正:また青海にいる分家一族は、1697年ごろ
398 :
世界@名無史さん :04/06/01 15:07
チベット仏教同志が殺戮しあったことってアリなんですか?不殺生
> 「ダライラマに寄進された領地」の外側にひろがるアムド・カムにおいても、 > 寺院の人事、活仏の認定などの分野で、ダライラマやラサ政府は「実効支配 > 権」を行使していた。 391の主張する「実効支配」とやらは、お寺の人事に口出しできる だけか。ずいぶんショボイ「実効支配」なんだねw。
>>399 で、ボクチャンのオツムでは、
アムド・カムに分布する、デルゲ王国、チャクラ王国、チョネ王国、ムリ
仏教首長国etc.の実効支配領域が、
チベットに含まれないのはどーしてかな?
401 :
世界@名無史さん :04/06/02 02:35
ホシュトのラサ=ハンはダライラマ6世の摂政を殺害し、6世自身も追放 していますがこれは衝突ではない訳ですか? チベット諸侯の封土を王国呼ばわりですか。 では当然、モンゴル諸侯の封土も王国と認めるのですね?
>これは衝突ではない訳ですか?
おやおや、私は「衝突」がなかったとは述べていないぞ。
君の文面は、たしか「一族とダライラマが衝突」だったはずだが?
確認してみようか?
デマ屋の原文(
>>392 )
>グシハン没後は一族とダライラマが衝突していたことはどこを調べてもすぐに出てくる
さて、史実をみてみよう。
1.史書『パクサムジョンサン』によれば、デシー・サンギャムは第四代テン
ワンを毒殺、弟の第五代ラサンの報復をうけて死亡。
ラサンとサンギャムの衝突は、ラサンと「摂政」の衝突。
サンギャムは「ダライラマ」ではない。
2.ラサンは1697年にダライラマ六世として即位していたツァンヤンギャム ツォの不行跡を理由に1703年に廃位、イェシェギャムツォをダライラマ六 世として即位させた。 その際、ツァンヤンギャムツォはラサンに抵抗しようとして集結したデプン 寺の僧侶に解散を指示、一切 ラサンと「衝突」することなく、おとなしく流 刑に従っている。また、ラサンが立てた新六世は、チベット内外の諸侯に対 する称号・印章の授与、宗教組織の叙任権の行使など、先代同様の権限を行 使している。 ラサンは、ダライラマ位にふさわしくない行動をとった人物を交代させただ けで、ダライラマ位そのものを尊崇する姿勢は、従前と同様である。 すなわち、ラサンと「ダライラマ」との「衝突」など、生じていない。 ?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B 3.グシハンの分家一族の主立った面々は、ラサンが廃位したツァンヤンギャム ツォが青海湖のほとりで死亡したのち、その生まれ変わりを探し、ケサン ギャムツォを第七世ダライラマとして擁立し、ラサンと抗争する姿勢をとっ た。 かれらの行為はダライラマを奉戴するものであり、のち、彼等はこの七世を 擁してラサに乗り込むが、ラサンが六世として擁立したイェシェギャムツオ は抵抗することなく位をしりぞいており、ここでも「一族とダライラマの衝 突」は生じていない。 ?B?B?B?B?B?B?B?B?B?B ?B?B?B?B?B?B?B
>チベット諸侯の封土を王国呼ばわりですか。 雍正の青海征服により、グシハン一族の支配から切り離された後、君主の称号 を世襲で「ギャルポ」と自称する諸国については、「王国呼ばわり」です。 >では当然、モンゴル諸侯の封土も王国と認めるのですね? 外藩蒙古のジャサクたちのなかで、「世襲罔替」で「親王」号か「郡王」号を 承けているものがありましたっけ?
>>399 「活仏の認定権」を「中央政府が行使することは歴史の定制」と必死に主張
する中国政府は、モンゴル、カルムイキア、トゥバ、ブリヤート等の諸国の
どこからも相手にされないようで、残念でしたね。
それで、
>>338-339 のデタラメ投稿、撤回するんですか?
読者のみなさまは
>>375-379 で↑のデタラメぶりをご鑑賞ください。
あくまでも真実だと言い張りますか?
あるいは、訂正も撤回も補足もしないまま、スルー?
どうでもいいですけど。
407 :
世界@名無史さん :04/06/02 07:50
400さん割り込んですいませんが『パクサムジョンサン』は非常に偏ったもので、 その記述を史実どころか参考にするのも危険だと思うんだけど、違いますか。
>>407 『パクサムジョンサン』は、1748年ごろ脱稿したもので、
ダライラマ政権やグシハン王朝に関する記述は、ほぼ「同時代史料」
といえます。
別の同時代の一級史料と矛盾しない記述については、おおいに利用し、
参考にしてもよいと思います。
>『パクサムジョンサン』は非常に偏ったもので、その記述を史実どころか
>参考にするのも危険だと思う
のは407さんのご自由です。
別の一級史料と対比して上記のごとき確信をお持ちになったのでしたら、
こんなところでのネタ披露はもったいなさすぎるので、ぜひ、どこか、
オフラインでそのご知見をご披露くださいませ。
>>402 。
>>408 への自己レスです。
『パクサムジョンサン』とは別の同時代史料には、「王子テンワン」が中風に
かかり、ある活仏にみとられて死んだとか、サンギャムから毒をもられたのは
ラサン本人だと述べるものもありますが、
・ラサンと衝突したのはデシー・サンギャムであること、
・ツァンヤンギャムツォはラサンと衝突することなく退位し、おとなしく流刑にされたこと、
・ラサンはツァンヤンギャムツォを退けたが、別の人物をダライラマとして擁立したこと、
等の項目については、史料間に食い違いがないので、史実とみて間違いないか
と思われます。
410 :
世界@名無史さん :04/06/03 13:20
活仏て世界に何人居るのですか? チベット・モンゴルに本願寺みたく世襲僧正はいるのですか? 日本仏教に「転生する」活仏にあたる存在はあるのですか?
411 :
世界@名無史さん :04/06/03 14:59
サキャ派の管長なんか、血統による世襲ですね。
412 :
世界@名無史さん :04/06/03 16:55
>>391 >台湾の故宮博物院から影印出版された年の報告書には、自分と部下達が
民族浄化する模様を、嬉しそうに記されているぜ。
ちょっと大げさな表現だな。
この時に清朝が武力制圧した地域は、アムドの中でも西寧や松潘周辺の限られた地域だ。
また清朝が「殺戮」したチベット人は清軍の交通路をゲリラ戦を行って妨害した連中だ。
清朝に投降したチベット人はそのまま許しているし、抵抗して捕虜になった連中も後で解放している。
413 :
世界@名無史さん :04/06/03 18:16
>アムドの中でも西寧や松潘周辺 アムドの主要部じゃん。
414 :
世界@名無史さん :04/06/03 19:26
>>413 より詳しくいうと、西寧周辺の地域というのは、おおよそ現在の互助土族自治県
にあたる地域、松潘周辺はおおよそ現在の九寨溝県にあたる地域だ。これらの地域はアムドの中でも土族や羌族が多くチベット圏の中でも周縁地帯といえるのではないだろうか
確かに西寧や松潘周辺にはクンブム、ラブランといったゲルク派の名刹があり、アムドの宗教的中心地といえるが、これらの寺院には清朝は大規模な破壊を行っていない。
ゴンルン寺を破壊したことは有名だが、それはこれらの寺院の僧が青海ホショトと結びついて清朝に抵抗したからだ。
よって清朝のこの時の作戦目的はあくまでアムド地域の交通路の確保であり、チベット民族の根絶やチベット文化の破壊を意図していたかのごとき表現は言い過ぎであろう。
415 :
世界@名無史さん :04/06/03 20:22
>>391 >それと、清朝は「統治」などしていないな。
従来からいる諸侯を冊封しただけ。
「統治」の概念を定義するのは難しいが、少なくとも近代以後の国際秩序の中では土司制度は、実効支配とは認められなかったことは確かだ。
19世紀ではビルマ国境付近の土司が、清朝の実効支配圏とは認められずにイギリスに併合されているし、そうした状況に対する清朝の恐怖感がカムに対する改土帰流と西康建省へとつながっていく。
しかし、清朝がカム・アムドのチベット人王国をほったらかしにしていたかというとそうとも限らない。
王国内で内紛が起きた時、当事者達は必ず清朝に自己の正当性を訴えている。そして清朝もそれに対して採決を下している。
また、ただ統治権を認めるだけではなく、時には内紛の原因を調査し、王の方に非があると判断した場合には役所に拘留して取り調べを行う実力行使もしている。
しかし、ダライ・ラマ政府がそのような事をカム・アムドの王に行っていたかというとそういう記録は無いな。
歴代のダライラマ伝を見ても、カムにあったダライラマの荘園の内紛には関わっているが、その他の王とのつながりは布施を受け取ったり、宗教的儀式を行ったりしたことだけだ。
だから、カム・アムドの諸王に対してはダライラマより清朝の方が相対的な「統治」を行っていたのではないかな?
416 :
ジュゼッペ・チェザーレ :04/06/03 21:40
>しかし、清朝がカム・アムドのチベット人王国をほったらかしにしてい
>たかというとそうとも限らない。
>王国内で内紛が起きた時、当事者達は必ず清朝に自己の正当性を訴えて
>いる。そして清朝もそれに対して採決を下している。
これは冊封を行う「天子」として当然の義務。
「土司」諸国だけでなく、朝貢国の諸国にたいしても↑こうだったじゃん。
つまり、カム・アムドの諸国は、漢字表記の漢人むけ官制では、六部所管
の「内地」に帰属していたが、その実質は、「藩部」はおろか、「朝貢国」
にも匹敵する高度の自立性を有しており、
>>392 が主張するような、「清朝
の直轄下」になどなかったことは明らか。
イタリアの場合、サルディニア+ロンバルト=ヴェネト+パルマ+モデ
ナ+マッサ+ルッカ+トスカナ+教皇領+両シチリアetcの総和でイタリアの
国土なわけだが、
ラサ政府の実効支配領域 + デルゲ王国の実効支配領域 + チャクラ
王国の実効支配領域 + チョネ王国の実効支配領域・・・・
の総和がチベットだ、としたら、なんでいけないのかね。
417 :
世界@名無史さん :04/06/03 22:39
>>416 カム・アムドが朝貢国は無理があり過ぎでしょう。
清朝は朝貢国の王をどうこうする権限など有りませんでしたし。
また青海ではモンゴル諸侯の支配する地域が多かったのに、それ
を無視するのは?
また6世を流刑にしちゃってるのにそれを衝突は無かったと強弁
するのはちょっと。
400さんがちょっと無茶を言い過ぎてるのでチベット擁護派?が
最近の書き込みではあなた1人になっちゃってますよ。
もう少し、相手の話にも耳を傾けてみてはと。
グシハンについてですが、 少なくともグシハンの存命中は彼がほぼ全権を掌握するところであった 事は色々な資料で一致するところだと思います。 ダライラマを支援し、宗教権威の頂点に立たせたのは彼であり、チベッ トの大部分の統一も彼が一代で成し遂げています。 チベット亡命政府はこの時の最大版図をチベット領としているのですが、 チベットのうちグシハンに征服された地域は結局中国領となり、征服を 免れたチベット人地域であるブータンが独立を守ったのは皮肉では有り ますね。 彼は功績の一方、ダライラマと清朝を接近させ一族のその後の衰退の遠因 を作ったり、中国によるチベット支配の下地を結果として作る、モンゴル の分断とハーン位の陳腐化を決定付けたり、功罪とも歴史に大きな影響を 与えた人物ですね。
>>411 > サキャ派の管長なんか、血統による世襲ですね。
サキャ派の管長は出家もしてないからな。今の管長が
リンポチェと呼ばれるのは、たまたまトゥルクに認められたから。
サキャ派管長がトゥルクである必要はない。
420 :
世界@名無史さん :04/06/03 23:29
>>419 ちがうんでないの。サキャ・コンマ・リンポチェが管長なのは、
前管長のご長子だからですよ。前管長夫婦は子供が生まれなくて苦労されたそうです。
コンマ・リンポチェ素晴らしい方だと思います。
421 :
ジュゼッペ・チェザーレ :04/06/04 01:04
>>416 >カム・アムドが朝貢国は無理があり過ぎでしょう。
捏造しない!
土司が「朝貢国である」などとはのべていません。
「朝貢国に匹敵する自立性の高さ」と述べたのですよ。
>>392 が主張するような、「清朝の直轄下」になどなかったことは明らか。
422 :
?W???[?b?y?E?`?F?U?[?? :04/06/04 01:04
>また青海ではモンゴル諸侯の支配する地域が多かったのに、それを無視す
>るのは?
青海三十旗のうち、ラマ旗1以外はすべて、グシハンの子孫か部下の末裔でしょ?
>また6世を流刑にしちゃってるのにそれを衝突は無かったと強弁
>するのはちょっと。
400がない、といっているのは、「衝突」一般ではなく、
「グシハン一族とダライラマの衝突」と読めるのだが。
実際、ふたりのダライラマ六世は、グシハン一族に迫られるといずれもおと
なしく位を退いてなんの「衝突」してないし、この二人に退位を強いた時、
それを行ったグシハン一族の側は、いずれも別のダライラマを擁立し、ダラ
イラマ位そのものを尊崇する態度はしっかりと保持していた。
つまり、史実で生じた衝突は、分裂したグシハン一族が、それぞれ別のダライ
ラマを擁立して抗争した、という「衝突」であり、
>>392 の主張するような、
「グシハン一族」と「ダライラマ」との「衝突」などでは、まったくない。
それに、もともとの
>>392 の文面をみると、ダライラマ五世の、ではなく、
グシハンの没後から、「一族とダライラマが衝突」している、とある。
グシハンの没後といえば、ときあたかもダライラマ五世の全盛期。
捏造もできずに遁走した
>>392 は、ダライラマ五世と「一族」との間の「衝突」
を、一例も示すことができないでいる。
>グシハンの存命中は彼がほぼ全権を掌握するところであった
>事は色々な資料で一致するところだと思います。
>>394 でも示しましたが、グシハンの存命時に編纂された「原西蔵地方政府」
の「十三条法典」という史料では、「ダライラマの家臣扱い」で、グシハンと
デシーとが併置されています。
>モンゴルの分断とハーン位の陳腐化を決定付けたり、
「モンゴルの分断」が意味不明。
1. グシハンと麾下のホショト族は、モンゴルではなく、オイラトに属します。
オイラトが「蒙古」の範疇にくくられるのは、乾隆による1755-60のオイラト
征服以後。
モンゴルの「外蒙」と「内蒙」との分断に、グシハンはかかわっていません。
元朝衰退後、モンゴルからオイラトが自立したのも、グシハンが登場する何
世紀も前の話であって、グシハンに責任ありません。
1623年に、アルタン=ハーンに征服されてモンゴルに服属していたオイラトが
モンゴルから独立した時には、まだグシハンの兄が健在で、部族の指導権を
握っていました。
いったい、あなたのいう、グシハンが決定づけたという「モンゴルの分断」
って、何ですか?
2.北アジアで、大ハーン以外の有力諸侯たちがハーンを名乗り出すきっかけを
つくったのは、アルタン=ハーンであって、グシハンの責任は非常に小さい
とおもいますが。「」
>ちょっと無茶を言い過ぎてるのでチベット擁護派?が最近の書き込
>みではあなた1人になっちゃってますよ。
べつに「チベット擁護」などしていません。
チベット問題にはさまざまな立場があり、そのいずれを採用するかは、
それぞれの判断ですから。
私の「立場」は、このスレで捏造を繰り返すデマ屋のデタラメを訂正
することだけです。
>もう少し、相手の話にも耳を傾けてみてはと。
「史実」と、「史料にもとづく記述」がしっかりしているなら、「史実
に対する解釈、価値判断」が私と違ってもむろん容認できますが、たと
えば
>>338 のごときデタラメにたいしては、「耳を傾ける価値」をまった
く認められません。
イシハマセンセイの本って吐蕃に全然触れないね そんなに山口瑞鳳のツッコミが怖いのかね?
426 :
世界@名無史さん :04/06/10 19:40
彼女はチベット仏教教団のエージェントかプロパガンダになってしまってるな。
チベット人の女性に避妊手術してるって本当なの?
428 :
世界@名無史さん :04/06/13 21:09
インドに亡命したインド人はインドに気化してるの? チベット併合以前にもチベット系インド人って存在したの?
>428 帰化してる人もいるが、大半はインドでのステイタスは難民。 難民用のパスポートで世界中行ける。 チベット併合前にインドに定着して帰化しているチベット人も たくさんいて、ギャカル・カムパと呼ばれている。インドでは 少数民族として公式に認定もされてる。ラダックあたりの人は これとは別にチベット系少数民族として認定。
430 :
世界@名無史さん :04/06/13 21:31
インドに亡命したチベット人だった >)429 とんくす あれから半世紀。高地、寒冷地に強いチベット難民の青年は今やインド軍の一翼を担う重要な戦力だ。 「昨夏、チベット族の兵士は皆、(インドとパキスタンの領有権争いが続く国境地帯の)カシミール地方に配備され、 砲撃で5人が死んだ」。入隊4年のNさん(23)は特別国境部隊所属だ。「部隊のチベット族兵士は約2万人。良い経験になると思った。給料も悪くない」と入隊動機を語る。月給は5000ルピー(約1万3000円)。亡命政府職員の倍以上だ。 14世の身辺警護も、かつては対中武力闘争を経験した元ゲリラがあたったが、今はインド軍OBだ。 「訓練は楽しい。カラテも習っている」。表情に自信がみなぎる。 インド軍にはチベット人外人部隊が存在するみたいですね。
432 :
世界@名無史さん :04/06/13 21:47
ああっ(恥
> インド軍にはチベット人外人部隊が存在するみたいですね。 正式な軍隊ではなく「義勇軍」という扱い。直接前線で 戦闘に参加することはないらしいよ。
434 :
世界@名無史さん :04/06/13 21:53
帰化しないのが恥?
435 :
世界@名無史さん :04/06/13 21:54
いや、誤字が
436 :
世界@名無史さん :04/06/13 22:04
ともあれ、インドでチベット民族語は存続しそうですな。 インドもパキスタン相手にチベット人利用できる。
437 :
世界@名無史さん :04/06/14 02:35
>>436 チベット系は、それ以前に、ブータンという国連加盟国を保有しているわけだが。
438 :
世界@名無史さん :04/06/14 02:49
ブータンとチベットの文化的、言語的距離ってどんなもんなの? ブータンには国王いるがチベットにはいないね。
>>438 ブータン並の王国は、20世紀半ばまでチベット各地に存在したよ。
デルゲ王国、チャクラ王国、ムリ仏教首長国、チョネ王国、シッキム王国etc.
440 :
世界@名無史さん :04/06/14 03:05
その王様らはみんなダライラマに帰依してたの? ブータンは別の教派みたいだけど。
>>440 国によって違う。
たとえば、デルゲ王国の国教はサキャ派。
逆にブータンは20世紀になってはじめて王様が出てきた。
何か鶴太郎の番組やってた。見た人いる?
デルゲ王国、チャクラ王国、ムリ仏教首長国、チョネ王国 どこにあったかどなたか詳しく教えて。
446 :
世界@名無史さん :04/06/15 01:13
>>445 アムド・カムのどのあたりかがわかりません。
現在の具体的な地名が知りたいのですが。
デルゲ王国、ムリ仏教首長国、チョネ王国はわかりましたが、 チャクラ王国だけわかりません。 具体的にどこにあるのかどなたかお教えください。
>>450 首都はタルツェド(打箭炉)。民国以降の中国名は康定。
ありがとうございます。
453 :
世界@名無史さん :04/06/15 21:05
独立チベットの国号は単に「Tibet」? 「チベット教国」なんかにしたらカコイイのに。
454 :
世界@名無史さん :04/06/23 21:37
「チベット法王国」 ちゅーのは?
455 :
世界@名無史さん :04/06/23 21:41
こらこら、勝手に他人の国の国号を議論しないように。 「ラサ市国」にして、「バチカン市国」と同盟を組む。 「ラサに攻め込んだら、全世界のカトリックを敵に回すよ〜」と北京政府に脅迫する…… そんなの、無意味か(sigh
456 :
世界@名無史さん :04/06/24 11:00
>>455 アムドやカムを「ラサ市国」と呼ぶのは、いちじるしい無理があるな。
鉄道を引くというのは、なんか、 19世紀の帝国主義という感じがしますね。
458 :
世界@名無史さん :04/06/24 21:14
中共のチベット統治は成功してるの? チベット人のノーメンクラトゥーラも存在するの?
459 :
世界@名無史さん :04/06/24 21:20
ダライ・ラマが称号なんだから チベット・ダライ・ラマ国でいいじゃん。Dalai Lamete of Tibet
> 中共のチベット統治は成功してるの? 「武力による抑圧」は成功している > チベット人のノーメンクラトゥーラも存在するの? もちろんいるが漢族のいいなり。中国の「自治区」「自治県」など 名目だけ。共産党幹部は中央に内緒で私腹を肥やして好き勝手 できるという意味では「党幹部自治区」「党幹部自治県」だが。
>459 現在の亡命政府は、「ダライラマの主権国家」を目指してはいない んだから、そんな名前つけるわけないでしょ。 民主主義と天皇制が併存していても矛盾しない「日本国」と 同じ扱いで、余計な文字がつかない単に「チベット国 TIBET」で 充分だと思うよ。
中央の投資による経済開発が進んだため独立を望む声は小さくなってると ニューズウィークに出てたけど。
464 :
世界@名無史さん :04/06/24 22:03
何処まで信じていいかわからん。 第一民主党寄りだろ?
>>460 ソ連の構成共和国とほぼ似たようなものと考えていいの?
漢族との差別はそんなに根強いの?
ソ連みたいに差別是正政策、チベット人官僚の中央進出はないの?
教えてクンでスマソ
466 :
世界@名無史さん :04/06/24 22:12
>>465 大学入試などで優遇措置が有る。
蒙古人やウイグル人同様、官僚への進出は普通に有ると考えられる。
最近もパンチェンラマが北京で戒壇するなど、
チベット仏教そのものも表面上は清国並に復興しつつあるように見える。
467 :
世界@名無史さん :04/06/24 22:16
チベットも一枚岩ではなく、 パンチェン、ダライの両ラマが対立したり、 それに宣統帝時代の清朝が介入したりしていた。 漢人のチベット人を無視した大規模入植、 核廃棄物の投棄については分からない。
ウイグル族もチベット族も閣僚を出してるけど これって差別がありませんよという対外的ポーズ? それとも本当に差別がない(パブックなレベルでは)と考えていいのかな。
まあ、大日本帝国における朝鮮人の地位ぐらいじゃない。
朝鮮人は将官にもなれたけど 人民解放軍には少数民族の将軍はいるのだろうか。
471 :
世界@名無史さん :04/06/25 00:56
>ソ連みたいに差別是正政策、チベット人官僚の中央進出はないの? ソ連では、グルジア人が書記長(スターリン)、外務大臣(シェワルナゼ) やったり、チェチェン人がモスクワ方面空軍司令官(ドゥダーエフ)とか、 最高幹権力の一角を少数民族が担った例がよくあるが、 中国で、少数民族の「中央進出」は例がないな。 せいぜい、最高でも、自治区レベルの地方役人。 しかもその場合、上で指摘されているとおり、その地方の実験を握るのは、漢人。 >ウイグル族もチベット族も閣僚を出してるけど 「閣僚」? いつ、誰が、どのポストに? ウソツキめ。
472 :
世界@名無史さん :04/06/25 01:05
>>469 それほどよくない。
満洲国における「満人」(=日本国籍をもたない満州土着の諸民族)
の役人と同レベルと理解したほうがよい。
中央政府から地方機関まで、各ポストの長には名目上「満人」が
据えられたが、そのすぐ下に「内面指導」を任務とする日本人の
「部下」がつけられ、実権はソイツが保有していた。
中国支配下におけるチベット人官僚の地位は、満州国における
「満人」レベル。
朝鮮人は、満州では、日本国籍があるということで、それなりのポ
ジションを獲得できた。
現チベット自治区政府主席はシャンパピンツォさん、どう見てもチベット族ですね。 北京いいなりであることは間違いないでしょうが、自治区政府内の漢族官僚から掣肘を受けるということはあるのかな。
確かにわざわざチベット、ウィグルから任命するあたりなんか恣意的だな。 人口ではもっと多い少数民族いるのに。
477 :
世界@名無史さん :04/06/26 06:47
>イスマイル・アイマット(ウイグル)さんとドジェ・ツェリンさんね。 >ドジェさんは現在中共中央委員のようです。 これのドコ↑が「閣僚」なのかな? >あと全人大常務委員会副委員長ペバラ・ゲレナムジェさんという方もいますね。 これも↑「閣僚」じゃないね。国会のポストではあるが。 それに、「委員長」ならそれなりにすごいが、中国の「副委員長」は、ひとつ の委員長職に対して十数人いるのがふつうだから、ハッキリいってカスポスト。 アリバイにもなりゃしない。 >現チベット自治区政府主席はシャンパピンツォさん、どう見てもチベット族ですね。 ↑ 「せいぜい、最高でも、自治区レベルの地方役人」に該当。 >現内閣では少数民族閣僚は国家民族事務委員会主任の李徳洙さん@朝鮮 >族だけのようです。 国防部とか外交部とか、中央軍事委員会とか、真に国家を動かすポストを 「少数民族」が獲得した例は、まだない、ということですな。 ソ連にはとおくはるかに及ばない、と。
478 :
世界@名無史さん :04/06/26 07:58
>>477 アイヌ人民を収奪しつづけ、沖縄出身の首相を未出の日本帝国主義の走狗が
共和国の不可分の領土に対し分裂工作を行うのは許されない。
君は日本号邦の暁には再教育を施す必要があると確信する。
>>477 国務委員=無任所相
民政部長=民政相
閣僚ではない、というのは苦しすぎないですか。
「真に国家を動かすポスト」が何であるかは置いておいてね。
たといソ連に及ばないとしても
あなたが言うように中共で少数民族の「中央進出」がない、とは言えないと思うけど。
480 :
世界@名無史さん :04/06/26 08:12
何しろ自治区を形成しているわけです。日本は自治区をつくっていないのです。 つまり抑圧しているのです。 日本は人民中国に口をはさむべきではない。海底油田は人民中国のものです。
481 :
世界@名無史さん :04/06/26 09:14
海底油田は、国際法にのっとって決められるべきものです。 チベットとは別問題です。
482 :
世界@名無史さん :04/06/26 09:15
>>478 中国も少数民族出身の首相や国家主席は未出だが。
483 :
世界@名無史さん :04/06/26 09:18
>>482 中華人民共和国は人民の指導者に相応しい人物が選ばれている。
世界の中心たる中国人は世界人民を指導するのに優れた特質を
持っている。したがって問題無い。
>>481 国際法は関係ない。もともと中国は尖閣諸島は自国領土と主張しており
日本は尊重せねばならない。
484 :
世界@名無史さん :04/06/26 09:22
>>483 尖閣列島は日本国の領土である以上、日本は中国の主権侵害に対抗して、
試掘を大々的に行わなくてはならない。
485 :
世界@名無史さん :04/06/26 09:29
ダライラマ政権は順治帝との会見以来明らかに中国の冊封下にあったからなあ。
486 :
世界@名無史さん :04/06/26 09:30
歴史捏造にご協力下さい。 中国共産党政府による南京大虐殺の犠牲者数の捏造に対抗し、 我々人類も天安門大虐殺事件の犠牲者数を捏造して後世に伝えましょう。 中国人が中国人に生まれてきた事を恥に感じる位の数字。 天安門大虐殺事件の犠牲者数=86万7000人 なお、その際サリンガスが使用された。 これで後世に語り継ぎましょう。
487 :
世界@名無史さん :04/06/26 09:34
>>483 21世紀にいたっても未だに軍事力での領土拡張を主張する国家が存在する
以上、米国が世界の盟主であり続けることが必要だ。
加えて、日本は軍事力の増強に努めなくてはならない。
488 :
世界@名無史さん :04/06/26 09:36
>>485 もともとチベットは独立の歴史が短いしたがって母なる国にかえるのは
当然だし、断種や子宮除去手術も人口抑止政策として問題ないと思う。
日本は10億を超える民が餓死しても良いと思うのか?
俺は中華の民が幸福に暮らせるためにどうすればよいか最善の道を
みつけたいと思う。
自衛隊が海底油田発掘を妨害しようとするなら人間の盾として身を投げ出す。
それが礼節を授けてくれた国への恩返しだ。
489 :
世界@名無史さん :04/06/26 09:38
>>487 まずイラク侵略を図る国であり民主朝鮮を攻撃しようとする国を打倒すべきだ。
自衛隊は覇権国を援助しようとしている。有事の際には自衛隊や米軍に
協力しないように運動していく。
アジアの平和の為に頑張るぞ。
490 :
世界@名無史さん :04/06/26 09:39
http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=MRO&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2004051501004021 中越国境の川挟み投石合戦 兵士や住民、多数負傷
【ハノイ15日共同】ベトナム北部クアンニン省モンカイと中国広西チワン族自治区東興を隔てる
国境の川の両岸で、3月末から4月初旬にかけての約10日間、国境をめぐり双方の兵士や
住民約400人が断続的に投石し合い、多数のけが人が出ていたことが15日分かった。
両国間の懸案となっていた国境画定交渉は2000年に一応終結したが、海上や河川に
関しては未画定の部分もあり、不安定要因となっている。
ベトナム当局によると、中国側が3月27日ごろに堤防工事を始め、ベトナムが自国領と
主張する中州の近くまで土砂を敷き詰めたことが発端。ベトナム側は「中国領を拡張し
ようとしている」と抗議、数十人で積まれた土砂を崩した。
このため中国側は私服の兵士や作業員ら約500人を堤防に配置。うち200人が
ベトナム側に投石を始めた。
ベトナム側も約200人が応戦。幅25メートルほどの川を挟み、双方が朝から晩
まで投石し合った
491 :
世界@名無史さん :04/06/26 09:42
>>490 ベトナムは元々安南都督府を置いていた地域です。
田中芳樹もベトナムは歴史的に中国の一部と発言していますよ。
492 :
世界@名無史さん :04/06/26 10:36
>ベトナムは元々安南都督府を置いていた地域です。 >田中芳樹もベトナムは歴史的に中国の一部と発言していますよ 国際法を踏みにじることを「歴史」を持ち出して、領土拡張を主張する 国家がある限り、白人の世界支配のがマシという証拠です。
493 :
世界@名無史さん :04/06/26 10:37
ベトナムは、国際法により主権国家と認められています。
494 :
世界@名無史さん :04/06/26 10:38
934 名前:世界@名無史さん :04/06/12 09:04 中国でも、ほうれん草に禁止農薬を使って 「輸出用だからかまわないと思った。 食べてみろ?冗談じゃない、誰がこんなの食えるか!」
495 :
世界@名無史さん :04/06/26 10:39
チベットは、国際法により主権国家と認められていません。 したがってこのスレは中国への内政干渉であり、日本帝国主義者の 中国への野心を示すものとして弾劾されるべきだ。
496 :
世界@名無史さん :04/06/26 10:41
吐蕃は、唐に攻めたことさえある独立勢力。
497 :
世界@名無史さん :04/06/26 10:44
131 :自転車小僧 ◆IBmI/K76EY :04/06/24 22:18 >最近長城が高速道路建築のため各所で壊されてるらしい、 違う。もう世界遺産に登録されてからは国レベルで破壊をすることは少なくなった。 しかし、とてつもなく長い距離なので所々で崩れている部分や近所の住民がレンガを 持ち帰って丸裸の土壁になっているところも結構ある。もともと、400年以上前の構築 物だから風化して崩れていてもおかしくは無いし、修復するにしても並大抵のものではない。 黄砂は長城以南でも発生している。北京などの黄砂被害については長城ではなく、革命 時期に封建制の象徴として城壁を破壊したために都市及びその周辺の乾燥が急速に進んだせい とも言われている。さらに、工業化で深刻な水不足になり黄河下流域で「断流」と言う現象 が起こり、川底に溜まりに溜まった黄砂が黄砂被害に拍車をかけているとも言われている。 一番の愚行はウイグルやチベットへの道路建設の際に砂漠地帯にわずかに残った木々を伐採して レンガを焼く燃料にしたため、砂漠化が進み、砂の移動に歯止めが利かなくなっていると言うものだ。 今残る長城の多くが明代の洪武帝から万暦帝の時代に修復されたもので、元の残党の南下を防ぐ 意味合いが濃かった。実際、北へ逃れたモンゴルは北元を建てるが中原に戻ることはなかったし、 明の永楽帝に至っては長城を越えてモンゴル討伐の親征までしている。
498 :
アホな欧米人は :04/06/26 10:47
今でも「失われた地平線」のシャングリ・ラが中国の イメージ電脳
499 :
世界@名無史さん :04/06/26 10:48
>一番の愚行はウイグルやチベットへの道路建設の際に砂漠地帯にわずかに残った木々を伐採して >レンガを焼く燃料にしたため、砂漠化が進み、砂の移動に歯止めが利かなくなっていると言うものだ。 ろくな資源もないチベットのために、中原の生活基盤を破壊する > 中華人民共和国は人民の指導者に相応しい人物が選ばれている よく言えたものだw
500 :
世界@名無史さん :04/06/26 10:51
領土拡張とその維持のため、どんな愚行を働く指導者が大陸を占拠しているか の象徴が中国のチベット支配。
地球環境に有害無益
502 :
世界@名無史さん :04/06/26 10:55
現在の中国という存在が
503 :
世界@名無史さん :04/06/26 10:56
>>496 唐時代に独立国家だったからといってなんでしょうか?
沖縄は日帝に征服されているわけで何の意味もありません。
チベットは国際法上主権者ではないことに対する何の反論にもなって
いません。
504 :
世界@名無史さん :04/06/26 10:59
>>497 人民共和国は過去の専制政治の遺物を再利用し
飛翔しようとしているのだ。
長城は人民の血と汗と涙で出来た醜悪な代物であるが、
チベットへの道路は人民の手足となる偉大なインフラである。
日本人は中国の発展の妨害する権利は無い。
505 :
世界@名無史さん :04/06/26 11:00
>>499 胡主席はかつてチベットの副主席であり、チベット人民の治世を評価され
主席に中全大会で選出されたお方ですよ。
506 :
世界@名無史さん :04/06/26 12:42
>>479 中華人民共和国には内閣という機関は存在しない。
だからその成員たる閣僚もまた存在しない。
507 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:11
つまり純粋に人民による政府という事だな。 素晴らしい!
http://www.kinaboykot.dk/video.htm チベット僧を縛り上げ、棒でたたき殺し、
寺を破壊する悪魔の中国兵!
日本に捏造の南京虐殺をつきつけるその裏で、
本物の虐殺を中国共産党がおこなっていた!
この真実は決してくつがえせない
「チベット大虐殺」
1959年の3月チベットの首都のラサで「改革解放」の名のもと「民族浄化」が開始、殺戮・
破壊・強奪・強姦が行われた。15万人の僧侶と尼僧は公開虐殺によって1400人に減らされ
た。僧侶に対しては、滑車を使い仏像の重みによる絞首刑や、尼僧に対し警棒の形をした
5万ボルトのスタンガンを性器に入れて感電死させ彼女の死体は裸のまま路上に捨てられた。
一般民衆の犠牲者は120万人におよぶ。中国は「強制断種(チベット男性の生殖機能を手術
によって奪う事)」や「強制交種(チベット女性を中国男性と交わらせ民族の血統を絶つ
事)」等の民族浄化に力を入れた。生き残った証言者によると、親の死体の上で子供に泣
きながらダンスをさせ、人民解放軍はそれを笑いながら銃殺した。「ジュネーブ法律家国
際委員会」が受理した供述書によると「何万というわが国民が殺された。軍事行動におい
てばかりでなく、個人的に、また故意に殺されたのである。(略)彼らは銃殺されたばか
りでなく、死ぬまでむち打たれたり、磔にされたり、生きながら焼かれた。溺死させられ
たり、生きたままで解剖されたり、餓死させられた者もあった。絞め殺されたり、首を吊
って殺されたり、熱湯による火傷で殺された。又、ある者は生き埋めにされたり、はらわ
たを取り除かれたり、首を切られたりして殺された。こうした殺人行為はいずれも公衆の
面前でなされた。犠牲者の同じ村人、友人たち、隣人たちは、それを見物するよう強いら
れた。」とある。
ちなみに侵略や粛清、失政による飢餓など、歴史上その数において世界最大の虐殺者は、
まぎれも無く中国で、犠牲者は自国民、他国民含め四〜六千万人といわれる。
509 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:14
中国復帰以前のチベットは李氏朝鮮並みの封建国家だった。
510 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:20
>>509 そして農奴制を解放した。この事は日本ペングラブのメンバーの代表として
チベット解放後の歓喜にあふれる人民の姿を井上靖、陳瞬臣、開高健の
三人が伝えている。
ソースもきちんとある。開高健のエッセイ集が出ているが、是を読めば
その際のレポートが読めるよ。
511 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:23
512 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:24
513 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:26
共産党の捏造情報に騙された日本人も多かったんだよ 代表が本多勝一。 最も十億の人民を騙しに騙して殺戮しまくってるんだから 日本人騙すのなんか簡単だろう。
514 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:28
http://www.chn-consulate-fukuoka.or.jp/jap/13779.html 6月27日、駐日中国大使館は東京の日中友好会館でチベット平和
解放50周年記念行事を開催した。写真展「ラサの一日」や映画
「ポタラ宮」のほか、記念レセプションが催された。日中友好会館会長
後藤田正晴氏、日中友好協会理事長村岡久平氏、衆議員海江田万里氏、
日本華僑連合協会会長陳焜旺氏など日本各界の関係者及び華僑代表など
200人余りが記念行事に出席した。
武亜朋駐日臨時代理大使は記念行事の開幕式で挨拶し、次のように
述べた。平和解放50年来、中国政府は一貫してチベットの発展を重視
してきた。1951年にチベットは平和裏に解放され、1959年にチベット
で民主改革を全面的に実施された。1965年にチベット自治区が成立し
、民族の区域自治を実行した。改革開放後、チベットは新たな発展の
チャンスに恵まれ、全面的な発展が成し遂げられた。
今、チベットの人々の生活水準が絶え間なく高まり、社会全体が進歩し
、歴史上未曾有の安定と繁栄に恵まれている。
中国政府の西部大開発戦略の実施に伴い、近い将来、チベットは必ず
一層輝かしい未来を迎えられるであろう。
とありますね。 中国の旗の下で人民が幸福に暮らしていて楽しそう・・・・
515 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:30
>>513 本多さんは解放直後のチベットを訪問していませんが何か?
彼は前述の3人よりずっと後の世代の人ですよ。
3人はこの目で歓喜にあふれる人民の姿を目の当たりにしているの
ですが。
516 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:43
そんなの朝日系が散々騙されている芝居 毛沢東も騙されて 大躍進どころか飢餓を招いた
517 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:49
シナの人々も大本営慣れしてるしな 騙されたのは田舎者の内陸人 やがき
518 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:51
519 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:52
>>514 だった。
福岡領事館がJAPとわざわざ書いているわけよ。
いったいどういう事だろうね。
誰か説明しておくれw
520 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:52
共産党の尻の穴舐めていても いずれ政争に巻き込まれて抹殺されるんだから いい加減目を覚ませよ
521 :
世界@名無史さん :04/06/26 13:54
ベトナム人の常識 日弁連の差別禁止法なんて向こうに言えだ
522 :
ジュゼッペ・チェザーレ :04/06/26 14:28
アムド・カムは、
>>392 が主張するような、「清朝
の直轄下」になどなかったことは明らか。
イタリアの場合、サルディニア+ロンバルト=ヴェネト+パルマ+モデ
ナ+マッサ+ルッカ+トスカナ+教皇領+両シチリアetcの総和でイタリアの
国土なわけだが、
ラサ政府の実効支配領域 + デルゲ王国の実効支配領域 + チャクラ
王国の実効支配領域 + チョネ王国の実効支配領域・・・・
の総和がチベットだ、としたら、なんでいけないのかね。
小チベット主義者は遁走したかな?
523 :
世界@名無史さん :04/06/26 14:30
>>522 すべて中国の一部だから問題ないでしょ。
524 :
世界@名無史さん :04/06/26 14:31
元々ダライラマはチベット解放十七箇条協定にサインして合併しているから 双方の合意があるでしょ。
中共工作員頑張ってますね。
526 :
世界@名無史さん :04/06/26 14:36
サインしたからには協定を守るのが国際社会のルールだよな。
527 :
世界@名無史さん :04/06/26 14:43
>>524 ダライラマはサインしてませんよ?
ダライラマが、中国軍の退去を交渉するために派遣した使節団に、
中国政府が偽造した印章を渡してムリヤリ署名・捺印させただけです
つまり、「協定」としょうするにも、締結の手つづき上いちじるしい
瑕疵がある。
さらにそのうえ、1959年に中国政府がみずから破棄を宣言している。
528 :
世界@名無史さん :04/06/26 14:54
経緯はどうあろうと、チベットには主権はありません。 内政干渉は国際法違反。
529 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:10
>>528 議論蜂起ですな。
独立をうしない、主権を喪失した国・民族が独立を回復した事例など、
世界史的にはありふれています。
1000年間もの間、州・県がおかれて「中央」直轄だったベトナムなど、
いまは立派な国連加盟国。
ここは「世界史板」ですからな。
「内政干渉」とやらは、政府と政府のあいだの問題。
一市民が何を議論しようと自由。
530 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:12
>>528 「チベットが主権を失った」と称する手続には瑕疵があり、
すなわち中国が「チベットは中国の一部」と称する主張には、
国際法上の根拠はありません。
したがって、チベット問題への国際干渉は、「内政干渉」には該当しません。
> 内政干渉は国際法違反。 中国では人民ですら内政に手を出せないんだ おまえらが口出すなんて生意気だ ということ(翻訳)
532 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:16
チベットと中国の関係においては、 西暦826年に、当時の吐蕃王朝と唐王朝が、対等・平等のニカ国間条約 を締結して、国境の確定と和平を定めて以後、 両国の当局者の間で、チベットの国土の一部もしくはすべてを、 中国に譲渡するとか中国に組み込む、という文面の条約・協定・取り決め を締結したという事実は存在しません。 すなわち、中国によるチベットの支配には、条約上の根拠はまったく 絶無です。。
533 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:23
534 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:26
>>533 『セブンイヤーズ・イン・チベット』でもみろ。
535 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:27
http://tanakanews.com/d0718asia.htm アジアの統合について
このように、今やアメリカもアジア統合を望んでいるふしがあるのだが、
その際にアメリカが考えているのは「中国を中心とするアジア統合」で
ある。「日本中心」ではない。日本は第2次大戦でアメリカに負けた後、
自前の外交(対外覇権の拡大)を行うことを止め、外交や防衛は全部
アメリカの意見に従うことにする代わりに、天皇制や官僚制度など
戦前からの国家体制を維持することをアメリカに許してもらった。
そのような経緯があるため、戦後の日本に国際的な主導権の発揮
を求めることは、もとから無理がある。1980年代以降、日本が世界
的な経済大国になったのに、外交の世界ではほとんど主導権を発揮
しなかったのは、そのような歴史的な経緯が関係していると思われる。
日本に国際的な主役を任せられない以上、アジア統合の構想は、
中国に推進してもらうしかない。10年前には、中国はまだ国内経済の
発展が至上課題で、消費市場としても期待できなかった。だが今や
中国には、沿岸部の大都市を中心に、それなりの収入を持った中産
階級が誕生している。中国は工業製品の質もかなり向上させてきた。
日用雑貨や衣料品はすでに世界的に通用するものを作っているし、
工業製品の分野でも中国製品は買われ始めている。そして中国は
今後もまだ経済成長を続けそうなので、投資先としても魅力がある。
先日、インドの首相が中国を訪問し、チベット問題や国境紛争な
ど両国が対立してきた問題を解消し中印間の経済関係を強化する
方向に進みだした。これは、中国とインドの企業が相互に製品を相手
先に売り込み、相互に投資する関係を強化しようというもので、アジア
統合策の一環である。
536 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:29
>>534 あれはアメリカの宣伝映画ですよ。
むしろ、あなたこそ、チベットの女やダライ・ラマを一度みて
奴隷化社会におかれていたチベットの真実に目覚めるべきでしょう。
論破された中共工作員のコピペ地獄がはじまりました。 さらに引用元がDQN 中国中心のアジア統合?地獄ですな
538 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:37
>>509 >中国復帰以前のチベットは李氏朝鮮並みの封建国家だった。
そこまで酷くありませんね。
「公武合体運動」展開期の徳川幕府程度かな。
ダライラマ十三世の政権掌握により、チベット国家の近代化の必要を認識する
人材の養成がはじまり、次第にその数は増加しつつあった。
中国がよけいなおせっかいをしなくとも、彼らなりの国家の近代化は達成され
ていたであろう。
>>536 チベット社会が「遅れていた」かどうかと、
中国によるチベット占領が「正しい」かどうかとは、まったく別。
中国のプロパガンダでは、このへんを意図的に混同し、中国による
正当化を誇張するため、チベット社会の遅れた部分をことさら歪曲
・誇張した描写を行っている。
キミが紹介しているuRLの文章もそのクチだな。
539 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:37
中国ってこんなに酷くて恐ろしい国だなんて知らなかったなあ。 最近、中国人と言えば、泥棒、強盗としか思わないけど、 侵略者で虐殺者でもあったのか。 自分達の国が帝国主義の争奪戦の場になり、嫌というほど屈辱と恨みの 気持ちを味わったのに、何で同じ様な卑劣で暴虐な行動を 他所の国の人に出来るのだろう? 卑屈で矮小な人間は、自分にされた嫌な事を、自分より弱い立場の人 に同じ様にして、鬱憤を晴らすものな。
540 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:38
>>537 この人が書いた「タリバン」が光文社からでていますけど
ベストセラーですが何か?
>>540 あれは単なる便乗商法。
パキスタン人の書いたホントは較べものにならない。
542 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:40
>>538 宣言ではチベット側の代表がリンク先の内容に賛同し即時発行してから
ほぼ半世紀経っていますよ。
むしろチベットはインドやイギリスやロシアの手から中国の一部として
回帰したといえます。
543 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:42
>>541 田中さんはアフガニスタンを直接訪ねているし中国もよく訪問しています。
あなたより事情通でしょう。
ベストセラー作家の意見だから正しいんですか? 小林よしのりもベストセラー作家ですね。
545 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:44
また中印日でNATOを作る計画があります。
安全保障を結ぶ関係上アジアの隣人と仲良くやっていく上で
内政問題に口をはさむべきではない。
http://tanakanews.com/blog/0404200019.htm 日本・インド・中国で「アジア版NATO」?
日本がアメリカ抜きで中国、インドと安全保障の枠組みを作ろうとし
ているのなら、それは戦後の日本の国体の根底をくつがえす新し
い動きということになる。この件に関しては、榎大使の発言が報じら
れた以外は、日中印いずれの当局者も何も語っておらず、事実か
どうか疑わしい感じもする。
ただ、アメリカの中道派は、インドと中国に強国になってもらうことで
アメリカとのパワーバランスが取れるようにして、タカ派に牛耳られた
アメリカが世界破壊を進行させてしまうのを防ごうとする均衡戦略を
持っている。そして、米の中道派の後押しを受け、中国とインドが
ユーラシアの安定化をめざして親密化の度合いを深めているのも
事実である
これはアメリカも了解済み
546 :
世界@名無史さん :04/06/26 15:47
http://tanakanews.com/d1016china.htm 柔らかくなった北京の表情
貧しい農民たちが共産党政権の打倒のために動くかといえば、
そうでもなさそうだ。共産党政権が倒れたら、選挙で指導者を
決める安定した民主主義社会になる前に、腐敗や弱肉強食的
な状態が今よりももっと拡大し、混乱が広がってしまうと思われる。
中国は多民族・多言語の社会で、地域間の違いが大きい。
地縁血縁の人間関係が強く、毛沢東はそうした古い社会関係を
破壊しようと強烈な文化大革命を挙行したが、状況はあまり変わ
らなかった。そんな中国に、今のような強い中央集権を目指す政府、
独裁的な政府が存在することは、国家としての統一を保つ現実的な
解決策として十分に理解できる。
多民族・多宗教で、小さな部族的なまとまりが無数に
存在するイラクの社会が、サダム・フセインによる独裁政治が
消えた後、なかなかイラク人自身でまとまることができないように、
中国も今の独裁的な共産党政権がなくなったら、混乱に陥るか
分裂する可能性が大きい。
民主主義の理想と、安定した余裕ある生活のどちらか一方を選択
するとしたら、中国人だけでなく日本人やアメリカ人でも、安定した
生活の方を選ぶだろう。いつもの反米的な論調になって恐縮だが、
アメリカ政府の上層部などで「中国の民主化」を声高に叫ぶ人々は、
そのあたりの事情を理解した上で、中国を弱体化させるために民主化
を要求しているように感じられる。
田中宇も中共信者に持ち上げらるまでに落ちこぼれたのか・・・
田中宇なんてハヤリモノを食い散らかしてウケ狙ってるだけ。 2008年までは中共賛美が売れる、とみたらいくらでもやるよ。 いちいちゴロツキ評論家の言うこと真に受けてると馬鹿見るよ。
549 :
世界@名無史さん :04/06/26 16:21
タリバンやイラク戦争の時に持ち上げといて人民中国賛歌すると 態度が一変する極右には呆れるね
人民中国...やっぱ真性の中国人ですか? 極右でもないし、田中宇なんて前からデンパだと思ってましたが。
タリバンもイラクもアメリカも嫌悪してますが。 中共が世界一の癌、というのは常に変わらん。
ようするに中国の人々を色眼鏡でみているんですね。
直視したらよけい酷くみえる>>中共
人民の軍隊は50年前歓声でもって迎えられたが でなければ国民党反動政府を打倒できなかったのだが。 抗日戦やチベットや対ソ紛争いずれも人民の支持あっての事ですが。
555 :
世界@名無史さん :04/06/26 17:03
その人民は、アフガンのカブール市民みたいに、いくつも旗の用意してるよ。 知識人も、主義主張以前に保身を考えている。 歓声だけでは、長いものには巻かれろ。
556 :
世界@名無史さん :04/06/26 17:12
民衆というより流ぼう、馬賊の集団が、向こうの軍隊だったわけで。 一般市民の参政権なんて、未だに全人代の直接選挙がないことで見当 がつく。
歓声で迎えた毛沢東が、まさかその後20年に渡って 人民を殺しまくるとは考えもしなかったわけだ。 理由がどうだろうと、正当性が有ろうと無かろうと 批判すると殺されるんだから支持のふりしてる しかないだろうよ。 ましてや支持のふりしててもいつ殺されるかわからん チベット人民は何も言えるはず無かろう。
558 :
世界@名無史さん :04/06/26 17:16
言論の自由ない 焚書坑儒健在
>>556 日本はいまだに天皇という君主が存在し、首相人選も民衆の意が
反映されていません。
翻って中国共産党は日本や欧米をたたき出し、ソ連の租借地を
撤廃させ、新疆やチベットに徘徊する帝国主義の走狗を打倒してきました。
どちらが人民の利益に寄与してか考えてみてくださいね。
>>557 あなたは殺される映像を見たことありますか?
わたしはありません。
今一番殺されているのはイラク人です。殺しているのはアメリカ人です。
アメリカをたたくべきでしょう。中国への内政干渉は南京事件をおこした
日本人に誹謗中傷する権利は無いでしょう。
人民殺すのは中国の自由だ、干渉するな ってか。アメリカよりももっと殺してるけど 人には見せないから中国は立派、ってか。
中共の殺人は数千万単位とケタ違い。
>>531 チベットで死刑になっているのは一部の分子や犯罪者たちです。
アメリカはこないだ来日した子のようによその国の市民が犠牲になっているわけで
悪質。
>>562 宣伝工作ってしってます? CIAなど天安門で不満分子を煽動しました。
ウァルカイシには常にCIAの工作員がついていたそうですよ。
こりゃすげえや、本物が来てるぞ
>>563 お前も党の方針が変わった途端収容所に送られるから
覚悟しておいた方がいいぞ。
566 :
世界@名無史さん :04/06/26 17:48
>>542 >宣言ではチベット側の代表がリンク先の内容に賛同し即時発行してから
>ほぼ半世紀経っていますよ。
だからぁ、17ヶ条協定を締結したとされる「チベット側の代表」なるものは、
もともと、「チベットに侵攻しつつある中国軍の撤退」を交渉するための
権限しかゆだねられてなかったの。
チベットの主権を放棄し、「中華人民共和国祖国大家庭」とやらに「復帰」
するかどうか、などを交渉する権限は与えられていなかったの。
このチベット使節に、偽印璽をもたせ、脅迫して「署名・捺印」させて
「成立」したのが、「中央人民政府和西蔵地方政府関於和平解放西蔵辨
法的協議」、いわゆる十七ヶ条協定。
このような、手続き上瑕疵のあるとりきめは、無効であるから、
「即時発行してからほぼ半世紀」
というのは、全くの妄想。
>
>>566 条約は締結されました。そしてチベットは中国の一部であると
インド、ロシア、アメリカがみとめています。
>>566 >条約は締結されました。
手続き上の瑕疵があるので、「締結」されたことにはなりません。
他国が「みとめ」ても、「手続き上の瑕疵」を補う代用にはなりません。
したがって、チベット問題への国際干渉は、「内政干渉」には該当しません。
>>568 チベット問題なる西側の内政干渉は国連決議にいたった事は一度も無い。
チベットの主権も国連で認めていない。
なぜなら中国の一部であると代表団が表明したからだ。
>>569 というようなことをいくら列挙したところで、
十七ヶ条協定締結における手続き状の瑕疵を補う代用にはなりません。
したがって、中国によるチベット併合には、法律上・条約上の根拠はなく、
チベット問題への国際干渉は、「内政干渉」には該当しません。
ある国が、自国の国益上、中国によるチベット併合を問題視しない、という
決断をしたとして、そのような国の国名をいくら列挙したところで、
中国によるチベット併合に法律上・条約上の根拠がないことへの代用にはなりません。
>>570 も事実は変わらない。日本の地図、みろtibetは
中国の一部。美国地図にも記載
>>571 そういう国では、チベットが独立を回復したら、ただちに
チベットを独立国として描いた地図が発行されるよ?
ソ連邦が崩壊し、たとき、旧連邦加盟14ヶ国が独立を回復したとき、
これらの諸国が、ロシアとともにソ連邦を維持すべきだという主張を行い、
自国で発行する地図に現実の変化を反映させなかったような国は、ひとつ
も存在しない。
もし、そんな国があるようなら、教えてよ?エロイ人。
>>572 不可分の領土の独立はありえない。
既に漢族が多数。選挙で否決される。
どんちゃん、どさくさに紛れて国務委員と部長が閣僚ではない、という妄言はスルーでつか?
918 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/06/26 16:56
>>914 国務委員は、旧副総理です。
いうなれば、インナーキャビネット(閣内幹部会)のメンバーです。
委員でない部長は、発言権が低いのです。
副首相って数が多くても国防相や外相より上位だよね?
最高幹権力を担う、真に国家を動かすポストでない、となぜ言えるのかな。
953 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/06/26 19:08
>>918 ありがとうございます。
部長も当然国務院のメンバー(閣僚)と見なしていいのですよね?
954 名前:世界@名無史さん 投稿日:04/06/26 19:15
>>953 そうです
576 :
世界@名無史さん :04/06/26 21:14
>>566 これで対華200か条がどうこう言っているから呆れる。
現内閣の少数民族閣僚は 国務院副総理の回良玉氏(回族)と国家民族事務委員会主任の李徳洙氏(朝鮮族)の二名ですた、お詫びして訂正します。
>>576 なにそれ?ググってもでてこないんだけど。
579 :
世界@名無史さん :04/06/26 21:59
おっと21か条ですた
580 :
世界@名無史さん :04/06/26 22:02
955 名前:世界@名無史さん :04/06/26 19:55 今の中国経済ってバブルってる所があるしなぁ。 オリンピックまでは今の調子で行け行けどんどんでいくだろうけど、 その後に反動が来そう。 そうなったら、対中貿易で持ち直している日本経済も一緒にドボン。 おーこわ。 956 名前:世界@名無史さん :04/06/26 20:39 >時期を見計らって元を切り上げれば それより先に完全なる変動相場制を導入しなきゃならない。 そしてそのときにバブルが弾けることが、今、一番のアジア経済の懸念材料だよ。 官主企業である中国の銀行の不良債権は、 日本のそれの比ではないそうだしね。
>>577 ようするに、ウイグル人・チベット人閣僚はいない、と。
>>573 「不可分」のものを分割はできないが、
「不可分と称せられていた」ものが分裂した事例はいくらでもあるね。
「自由の意志の、不滅の同盟」=ソ連邦なんかあっけなく滅亡しましたね。
あるいは、1000年間も中央政府直轄の州・県がおかれていたベトナムなど、
いまでは見事に国連加盟国。
兵部直轄の土司がおかれ、これもまた「中央政府」直轄だったビルマ北部
を、1960年代に周恩来は放棄してしまいました。
偉大なる毛主席は、瑞金を首都として発足させた中華ソビエト共和国憲法
において、チベットについて、自由に中華連邦に加盟し、また離脱する権
を承認しています。
「チベットは中国の不可分の一部分」という主張は、中国四千年の歴史の
なかで、「新中国」建国以降の、わずか半世紀あまりしかない、ごく新し
い主張であって、歴史的事実でも、道徳的正義でも、科学的真理でも何で
もありません。
>>576 あんた、何かと混信おこしているようだな。
オツムをしっかりさせてくれ。
史実と、他人の発言は、捏造したり歪曲したりしないこと。
>>581 >ソ連では、グルジア人が書記長(スターリン)、外務大臣(シェワルナゼ)
>やったり、チェチェン人がモスクワ方面空軍司令官(ドゥダーエフ)とか、
>最高幹権力の一角を少数民族が担った例がよくあるが、
>中国で、少数民族の「中央進出」は例がないな。
>「閣僚」?
>いつ、誰が、どのポストに?
>ウソツキめ。
(過去も含めて)例があったかどうか、って話だろ?
>>468 俺がチベット族とウイグル族の閣僚がいたと発言
↓
>>471 どどんがどん氏、これをうそつきよばわり
↓
>>473 >>475 で俺が朱鎔基内閣においてウイグル族のイスマイル・アイマットとチベット族のドジェ・ツェリンが入閣したソースを提示
↓
>>477 どどんがどん氏、国務委員と民政部長は閣僚ではないという意味不明の強弁
↓
>>575 両ポストが閣僚であることが明確に
↓
>>581 どどんがどん氏、現内閣においてウイグル族・チベット族閣僚がいないという意味不明の反論
せめて、うそつきよばわりした件については謝罪してほしいね。
>>468 は「解釈の余地などない、まぎれもないジジツ」なんだからさ。
それとも
>>477 は中共中央委員が閣僚じゃないと言いたかったのかな?
じゃあなおさら問題、入閣の例を挙げたのにそれをスルーしたんだから。
>それとも
>>477 は中共中央委員が閣僚じゃないと言いたかったのかな?
>国務委員と民政部長
は「閣僚」であり、「ウソツキめ」が不適切であることを確認する。
「どどんがどん氏」ってなんじゃい?
>>585 真摯に間違いを認めてくださって感謝します
>「どどんがどん氏」ってなんじゃい?
違うの?それは失礼。
>>586 補足です。
*************
>それとも
>>477 は中共中央委員が閣僚じゃないと言いたかったのかな?
ソノ通りです。
************
という一句が抜けました。
で、「どどんがどん氏」っていったい何ですか?
あんたのあだ名
>>587 昔あなたに口調がよく似たそういう名前のコテハンがいたのですよ。
違ってたならすいません。
ソ連との比較についてはどうなの? 国務委員や国務副総理は 最高幹権力を担う、真に国家を動かすポストではないの?
その話題はヨソでやれや。 ここはチベットスレだ。
>>592 形だけでもモンゴル語版を用意しろって言いたいな。
>>593 >蒙文版
アイコンはあるけどリンクがない(;´Д`)
つーかモンゴル文字フォントって存在するのか?
英文版もないし、デッドリンク大杉
仏教受容以前のチベットって?
中国の一部
>>598 ブラックマジックと暗殺が横行する、殺伐とした武断社会。
暗殺しても漢族みたいに、死体を煮たり塩辛にするほど野蛮じゃないが。
唐領土へもガンガン侵攻して一度は長安も占領。タクラマカンも全部占領
していた。仏教徒になってから弱くなった。
601 :
世界@名無史さん :04/06/27 16:12
確か五胡十六国時代にチベット人王朝ってあったよな。
>>600 非武装中立なんていっている島国の将来の姿を暗示していますね。
603 :
世界@名無史さん :04/06/27 17:01
>>602 韓国も、米国へのご機嫌取りでイラク派兵。でも、自主防衛計画も発表している。
極東、それも、ASEANの外で、欧州のような国家連合による平和は期待できないものな。
604 :
世界@名無史さん :04/06/27 17:19
この時期に、北朝鮮の金正日が拉致を認めて、社民党にトドメを刺されたのも 、米国の意向も含まれているでしょう。
605 :
世界@名無史さん :04/06/27 17:21
社民党にトドメを刺されたのも × 社民党がトドメを刺されたのも ○
606 :
世界@名無史さん :04/06/27 17:23
日本は、徴兵制復活はなくとも、米国流に進学や就職、生活目的の予備役応募 が激増しそうな予感(。・_・。)ノ
あぼーん
童貞ですか?
あぼーん
あぼーん
あぼーん
>>573 「不可分」のものを分割はできないが、
「不可分と称せられていた」ものが分裂した事例はいくらでもあるね。
「自由の意志の、不滅の同盟」=ソ連邦なんかあっけなく滅亡しましたね。
あるいは、1000年間も中央政府直轄の州・県がおかれていたベトナムなど、
いまでは見事に国連加盟国。
兵部直轄の土司がおかれ、これもまた「中央政府」直轄だったビルマ北部
を、1960年代に周恩来は放棄してしまいました。
偉大なる毛主席は、瑞金を首都として発足させた中華ソビエト共和国憲法
において、チベットについて、自由に中華連邦に加盟し、また離脱する権
を承認しています。
「チベットは中国の不可分の一部分」という主張は、中国四千年の歴史の
なかで、「新中国」建国以降の、わずか半世紀あまりしかない、ごく新し
い主張であって、歴史的事実でも、道徳的正義でも、科学的真理でも何で
もありません。
613 :
世界@名無史さん :04/06/27 22:24
614 :
世界@名無史さん :04/06/27 22:33
チベットの一部が独立することはあるかも。 放棄した方が、沿岸部や中原の民には有益だろう。
615 :
世界@名無史さん :04/06/27 22:43
あんな不毛の高原に、パンダと大仏以外、どんなメリットがあるの?
>>612 共産中国が崩壊すれば西蔵の漢族は自立する
多数派は漢族。多数決が民主主義。西蔵は漢族に
同化する事が幸福。
単純に民主主義では多数派が専断を下すことができるなんて 思ってるから、世界中で馬鹿扱いされるんだよ。>中共 お笑い毛沢東主義教育だけを受けてきたお前らが 民主主義を口にする権利はない。
618 :
世界@名無史さん :04/06/28 08:08
ダライラマの自伝読んだ。悲しかった。
619 :
世界@名無史さん :04/06/28 08:21
>>616 そもそも他国に乗り込んでいってどんどん人を送り込んでおいて
「多数決だ」などという話が通用するか?
だとしたら今頃世界は中国のモノになっている(人口世界一)。
>>619 >「多数決だ」などという話が通用するか?
通用しますが何か?
というわけで中国政府は我が国のシッキム併合の承認をよろしく。
>>619 アイヌモシリも和人が増加してアイヌが岡場所に売られ
日本の一部として彼らの同意なしに既成事実化してきた歴史がある
以上批判する資格はない。
>>620 人民政府は身毒の新疆・西蔵に対する領土要求を子飼歴史家に
代行せしめている事実を憂慮する。
ナガランドの撤兵・分離独立および印パ両軍のカシミール州撤退を協議
しようではないか。
結局インドと中国との二大(DQN)大国同士で手打ちして終わりかよ。 救いの無い話だこと。
623 :
世界@名無史さん :04/06/28 21:52
ナガランドのこと、ググって初めて知った。 インドも大概にえげつないな。
>>622 東南アジア以外の60-70年代までに両大国に挟まれた
プータン・ネパールを除いて大半が両国に分割・占領されている。
625 :
世界@名無史さん :04/06/28 22:18
プータンとネパールが無事なのはなんで?
プータンはアッサムがインド人移民が外国人選挙権を与えられて 自国併合論議世論を形成された選挙に持ち込まれた挙句の果てに 併合さえた事をうけて流入が続いていた外国人の流入を禁止し、 インドよりの議員が多い議会を解散して国王親政をはじめたんだよ。 欧米からは独裁政権だとうるさいしインドもそういう風に攻撃しているが よくいうよw ネパールはラマ一族の排除後、ヒマラヤという観光資源があることが幸いした。 大戦後に高まったトレッキングブームで有名になるにつれて 国際的にも認知されている事が幸いした。 ただし政治的にはインドの衛星国だし、国内にチベットの独立ゲリラが いるので中国の介入をおそれて定期的に軍事作戦を行うが、 別にマオイストゲリラがいて国内の1/3がマオイストの支配地になってる。 ちなみに今のラシャンドラ国王はクーデターで王位を簒奪した説が根強い。 いろいろしらべてみな。
ちなみにネパールにはよく中国から亡命者が相次いでいる。 最貧国のネパールに亡命するのは大半がチベット系。 経済が伸張する国から最貧国に亡命するとは さて自治区でどんな施政がおこなわれているのやら・・・・
628 :
世界@名無史さん :04/06/28 22:29
マオイストも中国の支援を受けてるわけではないみたいだね、意外。
一応中国政府からはマオイストゲリラは毛の名を汚す存在として 弾劾されている。 でもネパールに積極的に支援もしていない。
あーラシェンドラ国王と訂正。
631 :
世界@名無史さん :04/06/28 22:33
マオイストに梃入れして衛星国にすればいいのに
632 :
世界@名無史さん :04/06/28 22:33
インドとの関係が悪くなるから無理か
633 :
世界@名無史さん :04/06/28 22:34
634 :
世界@名無史さん :04/06/28 22:35
そういえばネパールでも仏教徒の立場はよくないようだね。 それでも自治区よりはマシなんだろうか。
チベットだって、インドが国際社会ででかいツラするために 中国に売り渡したようなもんだ。>結局はそれも一人相撲で 中国に裏切られて大国デビュー失敗。 その後戦争で大負けしたからって、急にチベット亡命政府に 肩入れしたって遅いよ。 インドに文句も言えず、あげくに核兵器に肯定的な意見を 言わされるんだからダライ・ラマもかわいそうだ。
チベットに核を設置されて自国の脅威になっているのはインド。 チベット解放に対抗してインド軍をラサに進めていれば チベットを限定的ながら干渉国にできたのにな。 すくなくとも長征の射程距離に入る事は無かったと思われ。。
638 :
世界@名無史さん :04/06/29 17:19
毛沢東の豚野郎がティベットを併合したのは印度併合の足掛りだぞ。
ネパールのソル・クンブは中華民族であるチベット人(シェルパ)が 住んでるから割譲しろとネパールに迫ったり、Chiniという地名は 中国人が住んでいた証拠だから中国領のはずとインドに難癖つけたり、 あいつらキチガイだよ。
チベットの地下には巨大なウラン鉱脈がある。 だから、地上の人間は要らないけど地下の資源はほしい。
641 :
世界@名無史さん :04/07/03 15:48
マクマホンラインあたりのアッサム北部はどうなっている? まだ中国が実効支配中?
>>641 あの辺はインドArunachal Pradesh州
643 :
世界@名無史さん :04/07/03 16:24
『清帝国とチベット問題』どうよ?
>>641 1962年の中印戦争は、はっきり言ってインドが悪い。というか馬鹿だった。
中国は大躍進の失敗でズダボロになっていた時期で、とてもインドと戦争
する気などなかった。
インドは、ブータン国境近くのマクマホンラインがヒマラヤの分水嶺よりも
やや南を走っていることに気づいた。それで中国に相談もなく勝手に
その線を北に移して軍を駐留させ始めた。中国が黙って見逃すはずなかろう。
インドからの道路もなく補給線も確保できていなかったインド軍は、 中国軍の急襲を食らっても援軍も来ない始末。援軍が来ても急に高度が 上がるもんだから高山病で使い物にならない。 国境近くまで道路を完成させていた中国軍はどんどん増軍。チベット高原を 越えてくる間に高度順応もバッチリ。インド軍はかなうわけもない。 インド軍は総崩れ。Twangを抜かれて平地近くのBomdilaまで一気に攻め 抜かれた。 だが中国もこのままヒマラヤを越えて占領を続ける余裕もなく、一方的に 停戦を宣言して元のラインまで撤退。インドは命拾いをした。 中国との融和策を続けてきたネルーはその後右派から総攻撃を食らう。 1964年に悶死。
西部アクサイチンでもインドは馬鹿だった。インド領と主張しているくせに インド人は誰も入ったことない。中国がこっそり新蔵公路を作っていたのに 全然気づかず、完成後にラジオ・新聞で初めて知るという体たらく。 こちらもインドと結ぶ道路がなく、戦争が始まっても補給に失敗。負けっ放し。 おまけに高度順応も失敗。こちらはそんなに攻め込まれることはなかったのは 幸運だった。
この戦争は中国の勝利というよりも、結局インドの自滅。戦争中の戦術的な 失敗はもちろんだが、そもそも1950年代に渡って続けた「中国甘やかし政策」の しっぺ返しを食らっただけだった。強欲・卑劣・裏切り上等・殺人鬼と史上最低・ 世界最低の政府・人民中国に手玉に取られたわけだ。 インドは40年前の戦争のことも忘れて、また中国に騙されようとしてる。 結局、中国共産党なんて体制もメンタリティーも何も変わっちゃいないのに、 今度はホントにどっか領土取られちまうぞ。前回犠牲にしたチベットはもう ないんだぞ。あ、今度はネパールとブータンを犠牲にする気か?
>>647 嘗ての中共の目標が印度支配だからな。
つーか中共は盗れる所は全部奪う腹づもりだし。
今も何沙諸島や西沙諸島、尖閣諸島は言うに及ばず
沖縄やミャンマー、アンダマン諸島から沿海州迄虎視眈々と狙っている。
649 :
世界@名無史さん :04/07/04 20:37
>>648 だから、日本も、韓国同様、正義なきイラク派兵をしてでも、米軍の極東駐留
を続けていただかなくてはならない。
自主防衛構想も、もちろん重要だが。
650 :
世界@名無史さん :04/07/04 20:49
651 :
チベットに興味のある人へ :04/07/06 17:06
★ 世界平和祈願のツォとダライ・ラマ法王のお誕生日を祝う会 ★ − チベットの大道芸人 ソナム・ゴンポ氏来日ミニコンサート − <要予約> 日 時 : 2004年7月10日(土)14:00 〜 17:00 14:00 〜 『グル・リンポチェのツォ(法要)』 15:00 〜 『チベットカム地方の歌とおしゃべり』 場 所 : チベット文化研究所(2階)及び7階<JR新橋から徒歩8分> 会 費 : 会 員 予約 1200円 (当日1500円) 一 般 予約 1500円 (当日1800円) (ツォの供物−菓子、生花、果物などをお持ち下さい) 内 容 : 当日はちょうど来日しているソナム・ゴンポ氏をゲストにお迎えし、 5年前にインドへ亡命するまで大道芸人をしていたソナムさんの楽しい歌と おしゃべりのミニコンサートを開催します。現在でもインドでパーティーに出演 し歌手として活躍しています。恒例のチベット料理は、チベット人が大好きな パクツァマク(甘いお団子のようなもの・サカダワ期間にお坊さんがよく食べる) とバター茶もお楽しみに!! 当日は僧侶を含め多くの在日チベット人の方もいらっしゃいます。彼らから普段滅多 に聞けない話を聞く機会があるかも。※チベット人の方は参加無料です。 ソナム・ゴンポさんは幼い頃より故郷で旅芸人をしていました。5年前インドへ亡命。 現在は南インドチベットキャンプに住み、結婚席など祝いの席で歌を披露しています。
652 :
世界@名無史さん :04/07/06 20:26
ギャワ・リンポチェの誕生日を祝う者は誰もおらんのか?
653 :
世界@名無史さん :04/07/08 08:07
137 名前:名無的発言者 :04/07/07 10:23 1757年、乾隆帝の清朝は、ながらく宿敵の間柄にあったジュンガル王国の内紛に乗じて、 その討滅に成功した。当時、イリ渓谷に本営を置いていたジュンガルの民は、ほとんど 皆殺しにされた。六十万、あるいはそれ以上といわれる。まさに「ジェノサイド」(民族 大虐殺)である。乾隆政府は、遊牧の民ジュンガルを文字どおり根絶やしにした。 ジュンガルが、最後の遊牧王国といわれるゆえんである。・・・ 現在、北疆は中国屈指の穀倉地帯であり、油田・精製・化学工業の産業モデル地区 でもある。新疆という枠組みは、純客観にいって、歴史上まれ見るジュンガル遊牧民 の「一掃」という事実のうえに築かれている。 杉山正明『遊牧民から見た世界史』(日本経済新聞社)、頁47
654 :
世界@名無史さん :04/07/08 08:09
あぼーん
656 :
世界@名無史さん :04/07/08 08:21
657 :
世界@名無史さん :04/07/10 10:25
品陣はホロンでほし
658 :
世界@名無史さん :04/07/10 18:26
>>655 瑞金に於る中華ソヴィエト共和国建国時の反対派大虐殺モナー。
あぼーん
661 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :04/07/11 10:44
>>651 のイベントいって来ますた。自分の地元に住んでるチベット人
がいて驚いたw みんななんかの理由ではるばるここまで来たんでしょうね。
パスタみたいな団子おいしかったです。
あぼーん
あぼーん
あぼーん
665 :
世界@名無史さん :04/07/13 10:48
資源 を守れ
あぼーん
あぼーん
あぼーん
チベットの話しろよ チベットを反中の道具にしないでくれ
670 :
世界@名無史さん :04/07/14 01:39
trt
671 :
世界@名無史さん :04/07/14 08:31
向こうに住んでる漢民族は、ちゃんと食えてるの? 食料は自給?華南からの供給? 高原にはなれたのか?昔は流産だらけだったそうだが。
672 :
世界@名無史さん :04/07/16 09:07
673 :
世界@名無史さん :04/07/16 09:15
841 :異邦人さん :04/06/11 21:05 ID:ymzZsu9L ラサは中国人(華人)が意外に親切だった。 高山病でどうしようもなくなったときにリクシャー呼んでくれたり、 道に迷ったときに道教えてくれたり。 ただ、中国料理は脂っこくてまずい。 治安は、ジョカンの周り(名前忘れた)で押し売りにひったくられ たりすることもあるとか聞いた。 乞食が道で抱きついてくることはある。
674 :
世界@名無史さん :04/07/16 09:17
809 :異邦人さん :04/04/26 15:34 ID:vnefKxBN ヒッチでチベットに入る事に関して一番の問題はなんでしょうか? 前レスで検問があると書いてありましたが、そのときはどのように 対処すればよいのですか?経験者または事情通の方がいたら、ご教授 お願いします。
675 :
世界@名無史さん :04/07/16 09:19
俺は北京ジープの闇タクだったんだけど、特に何もなかったよ。 他の人に聞いてみたら台湾人って言い張ったり、毛布の下に隠れたり。 噂なんだけど、日曜日は公安外事部が休みだからチェックが甘いとか。 後は運だね。
676 :
世界@名無史さん :04/07/16 09:20
826 :異邦人さん :04/05/08 18:35 ID:DjC4A0xo 太平洋戦争の開戦前、経済封鎖された日本国に対し、 チベット政府から大量の羊毛が送られてた 来ました。その理由はただ、 「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」 でした。 戦争突入後、チベットは一貫して中立を守り、日本との 国交は変わらず続けられていました。当時の日中戦線において、 中国はアメリカから武器弾薬等をビルマ経由で輸入していましたが、た このルートが日本軍によって絶たれた後、連合軍側はヒマラヤ越えの チベット・ルートを開こうとしました。しかし、先代のダライ・ラマ13世は あくまでも中立を貫き、アメリカ大統領特使の強硬な 要求にも断じて応じませんでした。 このあまりにも理想主義的な外交が、やがてチベット国に 悲劇をもたらす結果となりました。 1945年8月15日・・・日本の敗戦です。 日本との国交を継続していたチベットは、なんと国際舞台で 「敗戦国扱い」をされるようになってしまいました。 その後、戦勝国によって「国連常任理事国」が結成され、 中国もそのメンバーになりました。これが更なる悲劇の幕開けでした。
677 :
世界@名無史さん :04/07/16 09:22
678 :
世界@名無史さん :04/07/23 23:03
過去にチベットにキリスト教やイスラム教の布教が行なわれたことは あったのでしょうか?
あぼーん
あぼーん
681 :
世界@名無史さん :04/07/23 23:21
>>678 たくさんあったけど、ほとんどあいてにされなかったようです。
ただそゆ人たちが記録や辞書作ってくれたのはありがたい。
あぼーん
イスラム教徒は結構いる。回族・ウイグル人だけじゃなくて チベット人のイスラム教徒もいて「カチェ(もともとは カシミール人の意味)」と呼ばれている。 亡命カチェはスリナガルにたくさんいる。
684 :
世界@名無史さん :04/07/24 16:42
>>683 仏教系との関係についてご教示キボンヌ
険悪だったりしたのでしょうか?
685 :
世界@名無史さん :04/07/24 20:55
チベット人モスレムは、もともとラサ、シガツェ、ツェタンに集中している位 (アムドは別)で数も少ないし、とりたてて仏教・ダライ・ラマ政権と対立 することはなかった。 ダライ・ラマ5世は自治(モスレム集団内ではイスラム法が適用される)を 許可する勅令を出している。 現在チベットには約3000人のチベット人モスレム(カチェ)がいる。亡命カチェは 約2000人、そのうち1200人がスリナガル在住。
686 :
世界@名無史さん :04/07/25 14:18
漢民族は何食っているんだ?
687 :
世界@名無史さん :04/07/26 19:57
四川・青海から運ばれてる食料。 物価は高いが、役人関係は給料いいし、 店やってる連中はボッタくればいいし、 漢族はたいして食うには困らない。 観光客めあての強盗団も大儲け。
688 :
世界@名無史さん :04/07/26 21:16
それだけで数百万人分の稼ぎになるの? 中央の助成金は出ない?
植民地経営としては完全に赤字だが、いずれ実行する インド侵略の足場としてみれば安いもの
690 :
世界@名無史さん :04/07/27 22:07
インドも核ミサイルをパキスタン相手に持つほどアふぉじゃないものな
あぼーん
あぼーん
反中でもかまわないが、このスレではチベット関連の話を して下さい。
694 :
世界@名無史さん :04/07/31 13:10
そういやチベットとインドとは戦争したことありましたっけ? 漢民族と比べると距離も近いのに聞いたことがないんで・・・
696 :
東独フリーク :04/07/31 14:49
日本は中近東と同じ緯度なので本来は乾燥地帯であったが ヒマラヤ山脈があるのでインド洋の湿潤な風がせき止められ 偏西風にのって日本に流れてくるから乾燥を免れているらしい
>>694 ネパールと2回戦争してる
J&Kとも1回
1903年に先代ダライラマ(13世)がイギリス領インドと戦争したな。 ヤングハズバンド大佐率いる英国軍にラサを取られてダライラマはモンゴルへ逃げていった。
>>694 近世のチベットの戦争一覧
グシハン王朝のチベット征服
1637 対チョクトゥ・タイジ(青海を占拠していたハルハの王族)
1640 対ペリ王(カム地方の支配者)
1641-42 対ツァンパ・ハーン(中央チベットの支配者)
→ この副産物として中央チベットにダライラマ領が発足
1679-83 対ラダック 友好国のグゲ王国をラダックが滅ぼした報復に出兵、
一時はラダックの中心まで侵攻。
1714 ブータンに出兵。歴史的敗北。
1717 対ジュンガル。奇襲を受け、1720年まで中央チベットが占領される。
1723-24 対清朝。清朝がグシハン一族の内紛に乗じて侵攻。グシハン王家
がチベット各地に保有していた支配権・権益をすべて接収。
1789-90 第一回グルカ戦争 対ネパール・グルカ王朝(現王朝)
1792-93 第二回グルカ戦争 同上
1855-56 第三回グルカ戦争 同上
1840 ドグラ戦争 対シーク教国。シーク教国がラダック に侵攻したのを救援するも、撃退さる。シーク軍の将軍は、ほどな く、シーク教国がイギリスにより滅亡したのに乗じて自立、ジャン むー・カシミール藩王国に。 1860-63 対ニャロン。カムのニャロン地方の王グンポ・ナムギャルがカム諸 国の征服に乗り出す。清朝は無策のまま傍観。ダライラマ政権がニャロ ン軍を打倒し、グンポに追われていたカム諸国を復興、カム地方に支配 権と影響力を伸張させる。 1903-04 対英領インド。芝罘条約で清朝が勝手にイギリスに許したチベット 関係の権益の享受を、イギリスがチベット政府に要求し、拒否されたの のを口実として、英領インド軍がチベットに侵攻、ラサを占拠。 1905-10 対清朝。ダライラマ領の西蔵や、四川・雲南などに分属させてい たカム諸国を「中国に併合し、直接統治下におく」ことを目指した四川 軍が四川・雲南の2路からチベットに侵攻、ラサを占領。「西康省」「西 蔵省」の樹立を標榜。辛亥革命により、西蔵から撤兵。カム諸国では、 各国の首都と連作路の、点と線のみを確保。
701 :
世界@名無史さん :04/07/31 21:25
ダライラマってすげーDQNじゃん
702 :
世界@名無史さん :04/07/31 21:31
>ドグラ戦争 対ニャロン 対英領インド この時代のチベット軍って?ある程度近代化されてたんですか?
ほとんどされてないよ
704 :
世界@名無史さん :04/07/31 21:35
セブンイヤーズインチベット見たらわかる。 あの時代でもSMGや擲弾筒持った中国軍に弓矢で戦ってた。
>>694 トゥグルク朝二代目スルタン ムハンマドがチベットのあたりに侵攻している。
ただし、大失敗してトゥグルク朝没落のきっかけとなる。
706 :
世界@名無史さん :04/08/01 03:23
>>705 ムハンマド・トゥグルクが侵攻したのはヒマラヤ山麓までで、
チベットへは行っていないようだ。
本人は中国(元朝)まで進むつもりだったらしいが、1337年に
Kangra(今のダラムサラあたり)の城を一時占領しただけで
その後大雨で撤退した。雨で撤退したんだからヒマラヤを
越えてすらいなかったでしょう。
それ以前にも1193年にクトゥブ・ウッディン・アイバクが
チベット西部に侵攻している形跡がある。はっきりとした
記録ではないが、ある坊さんの伝記に「ホル(ここでは
イスラム教徒の意味)がチベット西部で寺を荒らし回った」
と記述されている。
>>706 ホルをイスラム教徒と呼ぶ坊さんの伝記って?
坊さんか史料の名前がわかったら教えてください。
漢藏史集という史料には、西方からチベットに侵入した「上ホル」が
フビライの手勢と争ったという記録がある。
時期的には、ご紹介のトゥグルクの進軍と同時期かな?
> ホルをイスラム教徒と呼ぶ坊さんの伝記って? 書名は mar lung pa rnam thar 当該部分は R.Vitali THE KINGDOMS OF GU.GE PU.HRANG に引用されています。 この「ホル」をイスラム教徒/アイバク?としているのはVitaliの推測。 実際には mtha' mi hor (国境のホル)と記述されているだけ。この推測の理由は、 ・ネパール西部の王も mtha'i rgyal po という記述があることから、mtha' mi hor も 南から来た連中だろう ・荒らし回ったのはチベット西部でもヤルツァンポ沿いなど南部ばかり ・さかんに寺院を略奪してることからイスラム教徒だろう ・アイバクがインド北部を制圧した時期と一致する というところ。
> 西方からチベットに侵入した「上ホル」がフビライの手勢と争ったという記録がある。 > 時期的には、ご紹介のトゥグルクの進軍と同時期かな? フビライの手勢ということならば、フビライは1294年に死んでいるので、ムハンマド・ トゥグルクの遠征(1337年)とは無関係。1337年はすでにトゴン・テムル(順帝)時代。 「ホル」という概念の変遷については、 森安孝夫 1977 チベット語史料中に現れる北方民族 −DRU-GUとHOR− アジア・アフリカ言語文化研究 14号 をご覧になるとよろしいでしょう。
カムの北部にいる「ホル」が元朝のモンゴル人の子孫という話しを聞いたことがあるが、史料的にどこまで裏付けられるのかね
>>706 いや、イブン・バットゥータが伝えるところによると、「三ヶ月行程にわたって連続する大山脈」
カラージール山の頂上の町ワランカルを占領したとある。このカラージール山は明らかにヒマラヤ。
また、インドの年代記家フェリシュタによると、インド軍が豪雨に降られたのは撤退中。
第一チベットといえど、山麓地帯に限ってだが夏の雨季にはそれなりには降る。
それと、Kangraを占領したのは2度目の遠征(確かに、1337年)で、儂の言ってる遠征は
第一回目の1329年?のもの。
ただ、このルートは本当にネパールと北インドとチベットの境界ギリギリなんだよな…。
もしかしたら俺の勇み足だったかも知れない。
一応、ワランカルに至る道が、道の片側に川、もう片側に山脈が連なっているという記述から
サトレジ川〜ヤルツァンポ川沿いではないかと推測されてるが…。
> カラージール山の頂上の町ワランカルを占領したとある。 何か勘違いしてないでしょうか。ワランガルはデカン高原東部の町で ヒマラヤと関係あるとは思えない。 それにヒマラヤ遠征が2回あった、というのもはじめて聞いたなあ。
>>712 >ワランカル
類名異地。ワランガルを攻略したのはハルジー朝のカーフールだし、
そう解釈しないと大山脈の頂上云々という記述との辻褄が合わない。
らしい。
>それにヒマラヤ遠征が2回あった、というのもはじめて聞いたなあ。
手短に説明すると、M・フサインという人が唱えた説。
家島センセも支持してるみたいなんで、それなりに信憑性は高いよう
なんだが、斜に構えてみると「シナに遠征してなきゃヤダヤダ」なだけかも知れん。
東洋文庫「大旅行記 5」巻末ちょっとに詳しく載っている。
>>710 文宗トクテムルの「弟」(笑 を祖とする「ホル王」なんてのもいるね。
715 :
世界@名無史さん :04/08/07 23:12
581 名前:世界@名無史さん :04/08/07 22:26 どうでもいいけど、宮崎市定は中国史家のなかで唯一、 中国の大国主義を批判した人物。「中国を叱る」という すげータイトルのエッセイがある。内容は清の康熙帝が 清とベトナムの国境にある金山を中国側のものにしようとした 臣下を怒鳴りつけ、「大国は小国の利を奪うことはしないものだ」 と言い切った事実を明らかにしたあと、中国大陸政府の南沙諸島 問題(だったと思うが尖閣かもしれない)に対する態度を批判したもの。 未だ問題になっていないことがらをとりあげ、世間に知らせるのは聖人 だというが、このエッセイの発表年代はなんと1980年代。 今になって慌てて尖閣問題で騒ぎまわるようになった漏れたちの、 遥か先を宮崎老は歩んでおられたわけだ。
あぼーん
あぼーん
718 :
世界@名無史さん :04/08/08 21:17
川喜田二郎先生も早くからチベット問題に関して 中共を堂々と批判してるよ。詳しくは著作集を みてね。 中国を深く知る人ほど「中共はクソ」というのを よく知っていらっしゃる>宮崎先生・高島先生など。 平山郁夫みたいに、商売用に付け焼き刃で中共礼賛 してる馬鹿とは違います。
719 :
世界@名無史さん :04/08/08 21:55
61 名前:57 :04/08/08 21:48 「その理屈」って中華民族論のこと? 私は中共の言う「中華民族論」とは何かを叙述しただけで それが良いことなどとは一言も言ってませんが? だいたいみんなが黄帝の子孫とかナンセンスもいいとこ 中華民族論は各部族の平等の実現でもなんでもなく 少数民族を漢族に同化させ、無理やり中国国民としての一体感を作り出そうとするもの そのために都合の良い歴史の解釈まで行っている
720 :
世界@名無史さん :04/08/08 21:58
721 :
世界@名無史さん :04/08/09 04:41
文革期の西蔵って?
「西蔵」はチベットの一部分。チベット人がいうところの ウィ地方・ツァン地方・ガリ地方と、カム地方の西半分。 中国による行政区分では、その他のチベットの各地について、 カム地方の東半分は四川省。 南部は雲南省。 アムド地方の中央部から西部にかけては青海省。 アムド地方の東部は甘粛省。 アムド地方の東南部は四川省。 という具合に分断されている。
723 :
世界@名無史さん :04/08/09 14:52
じゃあ日本語でもチベット自治区じゃなくて 西蔵自治区と呼んだほうがいいね。
724 :
世界@名無史さん :04/08/09 19:01
自治区以外のチベットに住むチベット族はどれくらい?
>>713 イブン・バットゥータは抄本しか読んだことなかったが、東洋文庫読んでみた。
家島先生は、ずいぶんA.M.Husainの影響受けてるんですね。だけど
専門がイスラム史なんで、残念ながらヒマラヤ・チベット関係の考察は全然ダメ。
いろいろ調べたけど、ヒマラヤ遠征が2回(ひょっとすると3回)あった可能性は
ありうるが、チベットまで入っている可能性はまずないでしょう。
14世紀の(ほぼ)同時代史料の中では、ChachがNagarkot遠征(1337年という
年号あり)を記録、BaraniとIbn-BattutaがQarachil遠征(年号不明)を記録している。
1600年頃の史料(FirishtaやBadauni)では、これらを統合して「1337年に
Himachal遠征(具体的な地名なし)を行ったが撃退された」と記録している。
一般にはこの見解が支持され、「ヒマラヤ遠征は1337年に1回だけ、Nagarkot占領」
という説が優勢。
これに異を唱え、「1329-30年のQarachil遠征と1327-28年のNagarkot遠征の 2回あった」と主張したのが、 Agha Mahdi Husain (1938) THE RISE AND FALL OF MUHAMMAD BIN TUGHLUQ Agha Mahdi Husain (1976) TUGHLUQ DYNASTY 家島先生や『中世インドの歴史』などもHusain説を採用している。 Husainは、Nagarkot遠征(1337年)とQarachil遠征は別ものと推測。 別ものとする根拠は、Chachは「ムハンマド王の親征」と記録しているのに対し、 Ibn-Battutaは「司令官を派遣した」と記録している、だから別、と、これだけ。
だが、Chachの記録は詩というか王に捧げる賛歌で、王自身を美化して過大に 表現している可能性がある。「実は親征していない」というのが事実かもしれない。 Ibn-Battutaは、Qarachil遠征について2度記しているのだが、司令官の名は 1つはMalik Yusuf Bughra、もう1つはMalik Nakbia。これは2回の遠征に 別々の司令官を派遣したと言ってるのか、1つの遠征だけど勘違いで (Ibn-Battuta結構多い)別々の名を記しているのか、何とも言えない。 家島先生は、Malik Yusuf Bughraの遠征の方をNagarkot遠征と同一視 しているが、それだと「ムハンマドの親征」と矛盾するので、その辺は むにゃむにゃとごまかしてるw。
Husainは、Qarachil遠征の時期は1329-30年と推測。これは、Ibn-Battutaが 記録している内容は伝聞であり、それはBattutaのインド到着(1334年)以前の 事件に違いない、また、Qarachil遠征のすぐ前にKishlu Khanの反乱(1327-28年) が記述されているからその直後だろう、ということらしい。 だが、これらは直接年代を示す証拠にはなり得ない。時期について言えることは Ibn-Battutaがインド滞在中(1334-42)に聞いた話ということだけ。 Ibn-Battutaの記録だけから、Qarachil遠征の時期についてこれ以上突っ込んだ 議論は不可能。 またもし2回あったなら、Ibn-Battutaがインド滞在中に起きたはずの重大事件 「ムハンマド王のNagarkot親征」の方は全く記録していないのも奇妙だ。 この辺は家島先生もあえて踏み込んでいかない。
Qarachil遠征については、Ibn-Battutaの記録が最も詳しい。しかしこれを見ると ヒマラヤを越えたとはとても思えない。その内容を簡単に記しておくと、 ・Malik Nakbiaと10万の騎兵を含む大軍をQarachilに派遣した。 ・山麓にある町Jidyaを占領し、周辺地域を破壊・略奪。住民は山の上に逃亡した。 ・山上の町Warangalを占領した。 ・Malik Nakbiaはムハンマドにこの征服を伝え、駐留指令を受けた。 ・駐留中に雨期が始まり、病人が相次ぐ。 ・撤退を開始したが、谷底の道で住民の待ち伏せに遭い、太い丸太を山の上から 落とされて軍はほぼ全滅した。 ・デリーに戻ったのはMalik Nakbiaを含む3人の司令官だけだった。 ・その後ムハンマド王は山岳民の入貢を受入れ、山麓平野部での農耕を許した。 ・シナから使節が訪れ、かつてトゥグルク軍が占領したQarachil麓の町Samhalに 寺院を再建する(シナ人が巡礼に訪れる場所であったが先の遠征で破壊された) 許可を求めたが、ムハンマド王はこれを拒否した。 というものだが、
まず高山(ヒマラヤ)越えを示唆するような記述がない。氷河・万年雪、高山病などの 記述は皆無。 次に、「麓の町Jidyaを征服後、住民は山の上Warangalに逃げた」ということで、どうも 麓の町から山上の町まではそれほど距離はなさそうだ。「ヒマラヤ山麓の町から ヒマラヤを越えてチベットの町に逃げた」と解釈するのは難しかろう。 それに、トゥグルク軍は撤退時に太い木を切って作った丸太を山上から落とされて 全滅している。森のないチベットやヒマラヤ高山での出来事ではないだろう。 雨期の記述もチベット、ヒマラヤ高山らしくない。 それに、遠征軍司令官はデリーのムハンマド王と何度も書簡を往復させており、どうも ヒマラヤの彼方にある遠隔地という雰囲気はない。
実は、この辺の記述はNagarkot遠征と解釈すれば、非常につじつまが合う。 麓の町JidyaとはJwalamukhi(Jwalajiとも呼ばれる)かもしれない。Jwalamukhiは Nagarkotの南東35km、平野部の町。 Nagarkot城は三方を崖に囲まれた山上にあり、その登り口はIbn-Battutaの記述通り 騎馬兵は一列縦隊で通るしかないような狭い道。 Nagarkotの南方は今も森深いシワリク丘陵が広がっていて、太い丸太を切り出すのも 容易だし、丸太を山上から突き落とせる谷もたくさんある。 さらに山岳民は麓の平野に農地を持っており、農耕の許可(どうも平野部はまだ トゥグルク朝が抑えていたようだ)をムハンマドに求めているのだから、どう見ても チベット高原の話ではない。
Ibn-Battutaの東洋文庫の解説で、家島先生はQarachil遠征の推定ルートを地図に 記している。 デリー→シムラ→サトレジ川を上流へ→スピティ方面へ北上→ラダック東部の高原 地帯→インダス川を上流へ→カイラス山・マナサロワール湖→ヤルツァンポを下り ラサ方面へ? が、これは何の根拠もない。妄想みたいなもの。地名比定がひとつもできていない のに、堂々といいかげんなルート図出しちゃうなんて、まともな学者のやることとは 思えない・・・。 それにこのルート、何万もの騎馬兵が通れるようなルートではない。家島先生は、 19〜20世紀の旅行記(Thompson、Gerard、Francke、Tucciなどたくさんある)を 読んだことはないらしい。
というわけで、ムハンマド・トゥグルク時代のヒマラヤ遠征は1337-8年の1回だけで、 それはNagarkot遠征という説の方が有力だとは思っているが、2回(ひょっとすると 3回)あった可能性は捨てきれない(誰が軍を率いたかを重視すれば)。ただし、 Ibn-Battutaの記すQarachil遠征の内容はおそらくNagarkot遠征の内容だろう。 チベットへ行っているような証拠は見つからない。
>>666 の掲示板を
見ると中国人は本当になにも知らない
ようだね。
どうやったら信じてもらえるかな。
う〜ん、つまりはチベット遠征など無かったと?
>>727 >だが、Chachの記録は詩というか王に捧げる賛歌で、
なんと(;´Д`)
>>729-731 確かに、つじつまを合わせるのはその解釈の方が容易く、真実とするに妥当ですね。
>>732 >が、これは何の根拠もない。
う゛ぇっ。フサインさんの論文とかからが出典と思いきや…
>19〜20世紀の旅行記(Thompson、Gerard、Francke、Tucciなどたくさんある)を
>読んだことはないらしい
ああ耳が痛い耳が痛い。
あーはっはっはっは。どんな凄い先生も、専門外のことは全く当てにならない
という事ですねはははははorz
>>736 実はHusainは、もう一つ「あんまり当てにならない史料」を使って
「Warangal占領後さらにチベットへ進んだ」という説を立てていて、
家島先生はその影響を強く受けたようです。
ところが家島先生は、その「当てにならない史料」に関してひとことも
触れないので、東洋文庫だけ読んでも「チベットまで行った」説が
どこから出てきたかさっぱり理解できないわけです。
>>707 > 漢藏史集という史料には、西方からチベットに侵入した「上ホル」が
> フビライの手勢と争ったという記録がある。
13世紀後半、ディグン・カギュ派と連合して元朝・サキャ派連合軍と
対立した「stod hor」の正体については、
乙坂智子 1990 元朝チベット政策の始動と変遷 史境20号
で詳しく論ぜられてる。
ここでは、ハイドゥ or ドゥアという説にやや傾きつつも、
結局「決定に資する材料はない」と、結論は保留されてる。
一方、乙坂氏に手厳しく批判されているのが、スタン&山口瑞鳳が 提唱する「イル汗国・説」。 まあ、1265年に死亡したはずのフレグ自身が1267年に寄進したり、 1290年にディグン派に援軍を送ったり、という、素人が見てもヘンな 記述があるのは事実だし、「イル汗国と元朝の対立は不合理」という のも、まあ説得力はある。 でも、一部の史料では、フレグが「stod hor rgyal po hu la hu」と 呼ばれていたり、チベット西部(ツァン西部からラダックまで)に 領地を与えられてる(定説とはされていないが)のは、もう少し 検討されていいはずだ。 というのは、ディグン派は13世紀にチベット西部(グゲやラダック)に 拠点を持っていたし、当時チベット西部に「stod hor」という集団が ちょこちょこ顔を出すのも事実(ディグン派やカルマ派関係史料)。
まあ、一気に「stod hor=フレグ家勢力」説に傾くほど強力な証拠では ないが、もう少し掘り下げる価値はあるような気がする。 フレグ・ウルス本土から中央チベットに派兵するのは無理としても、 もし「チベット西部=フレグ家所領」説が事実だとすれば、 ディグン派を支援した「stod hor」はチベット西部に駐屯していた フレグ家手勢が出兵したもの、という説は成立する可能性が出てくる。 どっちの説にしろ、もう少し材料がないと結論は出せませんな。
741 :
世界@名無史さん :04/08/28 23:34
シャンシュン王国というのはほとんど伝承上の国なの?
シャンシュン討伐の話は、敦煌文書にすでに出てくるから史実でいいでしょ。 シャンシュン都のキュンルンという地名も現存してるし、そこには大きな 遺跡もあるらしい。ただわかってないこと多いみたいだけど。
743 :
世界@名無史さん :04/08/29 17:40
19 :名無しさん :04/08/22 12:18 ID:Aa1Ec5yy それどころじゃないよ。 大学の友達に聞いたんだけど、NZ生まれの人が若いひとを中心に100万人ほど NZからそとに出ようとしてるらしいよ。 俺はそれ聞いたとき、「は、100万人?1万人の間違いじゃなくて?100万人っつたら全人口の4分の1じゃん。」 って思ったんだけど、結局その後にもネイティブの友達にそのことを話したら、「当然だろ?」みたいな顔をして驚きも しなかったんだよ。10年前までは300万人だった人口が、今は100万人の中国人とインド人を中心としたアウトサ イダーによって400万になったけど、また100万人のピュアキウィが出て行くから…、 …いよいよニュージーランドの中国化が現実になってきましたね! 少しさびしいよ
>>710 > カムの北部にいる「ホル」が元朝のモンゴル人の子孫
> という話しを聞いたことがあるが、史料的にどこまで
> 裏付けられるのかね
>>714 > 文宗トクテムルの「弟」(笑 を祖とする「ホル王」なんてのもいるね。
これは14世紀以降、ナクチュ〜ソク・ゾンあたりを支配してきた
ホル・ギャルポ(霍爾王)のことですな。
元皇帝トク・テムル(文宗)の弟グロン・オロン・タイジが6人の従者と共に
サキャ寺に向かう途中、ソク地方で道に迷いさまよったが、よい牧地を見つけ
そこに定着した。子がなかったので、トク・テムルの次子ウユク・ギャルを
後継者に迎えた。その後ナクチュ〜ソク・ゾンの蔵北諸部族を支配し、
彼らは「ホル三十九部」と呼ばれた(被支配層はチベット人)。
というのだが、限りなくウソ臭いw。
元史や新元史では、ハイシャン(武宗)の息子はクシャラ(明宗)と トク・テムル(文宗)の二人しか記録にない。記録に残っていない庶子の 弟がいたという可能性はあるかもしれないが裏付けは取れない。 トク・テムルの次子ウユク・ギャルというのも怪しい人物。記録に残っている トク・テムルの子は、アラドナダラ、エル・テグス、タイピンヌの三人。 皇太子アラドナダラはトク・テムルより先に死去、タイピンヌも早逝とされる。 次子エル・テグスはトゴン・テムル(順帝)即位後、高麗へ流される途中で 殺害されている。ウユク・ギャルに相当する人物は見当たらない。 ウユク・ギャルも記録に残っていない庶子、という可能性はあるかもしれないが やっぱり裏付けは取れない。
トゴン・テムルの即位後、トク・テムル一派の粛清が始まっており、 その難を避けるためにトク・テムルに近い皇族が逃亡した、というストーリーは 一応筋が通るが、それにしても逃げた先がイナカすぎ。 河西あたりには、小領地を与えられたモンゴル王族がたくさんいて(フビライ家、 オゴタイ家、チャガタイ家など様々)、後に土族の首領(いわゆる土司)になった。 その中の食い詰め者がチベットへ行き、その兄の名がたまたまトク・テムルで、 後に元皇帝トク・テムルと混同されたという話なのかもしれない(裏付けは取れないけど)。 フビライ家or元朝にこだわるならば、平西王−鎮西武靖王(オクルクチ家)の 家系とか、朶甘思(mdo khams)田地里管軍民都元帥府関係者あたりも 考慮していいかもしれないが、調べた人は誰もいない。
747 :
世界@名無史さん :04/08/30 23:10
>太陽熱発電 技術的な進歩は全然知りません。勉強したいです。 教えてくださいまし。。 3年前にチベット行ったんですがラサ(海抜約3600m)は 太陽電池のパネル、街中で結構売ってました。 太陽熱じゃなく太陽光発電でしょうけど。 強い日差しを利用してお湯沸かせるくらいです から太陽エネルギーによる発電コストもいいん でしょうね。裕福な漢民族と一部のチベタンしか 買えないんでしょうけど。。。もしかすると公的 な援助もあるのかもしれません。
748 :
世界@名無史さん :04/08/30 23:11
日本も日射きつくなってるのにな
>>745 で紹介されているホル族とかその王統に関する
資料とか研究とか、どんなのがある?
中村淳「チベットとモンゴルの邂逅ー遥かなる後世へのめばえー」 『岩波講座 世界歴史11 中央ユーラシアの統合』p.121-146
>>750 これは、元代の「上手のモンゴル(stod hor)」の話題はあるけど、ホル・ギャルポの
話題はない。
ホル・ギャルポの系譜に関する一次史料は
『hor tsho so dgu'i lo rgyus mdor bsdus(霍爾三十九部簡史)』
著者、成立年代などは知らない。近年に編纂されたものかも。
『西藏文史資料選輯 第12巻』 民族出版社 1990
に収録されているらしい。
アプローチしやすいのは、 格勒ほか・編著 1993 『藏北牧民−西藏那曲地区社会歴史調査』 中国藏学出版社 ホル・ギャルポの系譜と歴史が解説されている。 ホル・ギャルポとかホルセル・カンガ(ホル五公国)について 研究してるのは、中国でもゲレク先生(出身はカンゼ)だけ。
アメリカはイラク、ロシアはチェチェン、中国はチベット、大国は弱いものいじめばかりする
754 :
世界@名無史さん :04/09/03 12:52
チベット自治区が本来のチベットじゃないっていうのは 亡命政府の公式見解なの?
チベットは、アムド、カム、ウー=ツァン、ガリなどの藷地方 から構成されています。 中国政府のいう「西蔵」は、この領域のうち、ガリ、ウー=ツァ ン、カムの西部の部分に対する呼称です。 チベット亡命政府は、チベット全体を代表する政府を自認してい ます。
756 :
世界@名無史さん :04/09/03 20:34
>>753 だからみんな利害が一致してるんで、チベットについても中国に何も言わないわけ。
757 :
世界@名無史さん :04/09/03 20:51
もしチベットが独立したらってスレ誰か立ててみたら?
>>756 本当に嫌になるよ、「テロとの戦い」ってなんだよ
759 :
世界@名無史さん :04/09/13 18:27:53
世界的に有名名ソギャル・リンポチェ師(「チベット生と死の書」の著者)の来日特別講演です
1)上 智 大 学 の 一 般 講 演
テ ― マ : 「生と死の書について」
−困難な時代を生き抜くための思いやりに満ちたアドバイス―
日 時 : 9月23日(木) 開場 13:30 講演 14:00
会 場 費 : 1800円
場 所 : 東京都千代田区紀尾井町1−7(8号館 4階410室)
(JR四谷駅下車徒歩5分)
エスニックな雰囲気に包まれたラウンジ
2)ス − パ − デ ラ ッ ク スでの一般講演会
テ ― マ :「 混迷する世界で心の平和を求めて」
―チベットの仏教的な智慧で心に打ち勝ち、
あなたの生活を変えていく―
エスニックな雰囲気に包まれたラウンジでマーシャルのDJや大岩昭之写真展、琴奏者磯貝まきのソロ・パーフォーマンスをお楽しみ下さい
日 時 : 9月24日(金) 開場 19:00 開演 20:00
会 場 費 : 2500円
場 所 : 東京都港区西麻布3−1−25 B1F
電話 (03)5412−0515
お問い合わせ、ご予約は9月7日より下記へ
チベット文化研究所 東京都品川区西五反田2-12-15-401
(03)5745−9889(TEL)
3493−3883(FAX)
http://homepage3.nifty.com/tcci/ 生のチベット人の話が聞けるかも。
760 :
世界@名無史さん :04/09/13 20:45:15
チベット頑張れ!
761 :
世界@名無史さん :04/09/14 20:56:11
中国チベット自治区の武継烈副主席は19日、チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世に対し、
チベットを中国の一部と認める声明を発表するよう要求した。副主席はラサ市内で外国人記者団と記者会見した。
インド亡命中のダライ・ラマ14世は既に独立を取り下げ、香港やマカオの「1国2制度」のような高度な自治を求めている。
しかし武副主席はダライ・ラマ側の変化を一切認めず、
(1)中国が唯一の合法政権(2)チベットが中国の不可分の一部(3)台湾は中国の1つの省
と認める「公開声明」を出すよう求めた。副主席はチベット仏教の僧侶は「国を愛する責任を負っている」と述べ、
中国政府の意向に反する動きを強くけん制。過去にチベット独立運動の先頭に立ってきたチベット仏教の僧侶に対し、
中国政府の政治思想などを植え付ける「愛国教育」を続けていることを明らかにした。
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20040819AT2M1901O19082004.
762 :
世界@名無史さん :04/09/14 20:59:06
中国・日本・韓国の3国が3億円を共同投資するアニメーション映画「金玉鳳凰」プロジェクトが正式に調印され、
このほど、シナリオ製作の段階に入った。同映画はアジアの三大アニメ大国それぞれの得意分野を結集する初めての映画。
市場の共有も見込まれる。ストーリーは中国の蔵族(チベット族)の民話を元に構成する。
監督には、かつてアニメ「名探偵コナン」の劇場版を手掛けた日本人監督を起用。
韓国と中国はそれぞれの得意技術を生かして製作を担当する。中国側による具体的作業は上海美術電影制作廠が担当する。
現在、3国の製作スタッフがシナリオの作成と修正を行っている。
映画は2006年の年末年始に中日韓で同時上映される予定だ。
http://people.ne.jp/2004/08/12/jp20040812_42272.html ああ、こうやって既成事実化に日本も巻き込まれるのか…
>ストーリーは中国の蔵族(チベット族)の民話を元に構成する
大丈夫なのか?>日本人監督
763 :
世界@名無史さん :04/09/14 21:03:52
中国の暴走は凄いな。それを報道しないテレビNHKなんてひでーもんだ 最近まで、なんでこれほど「一つの中国」って主張をかたくなに通すのか わからんかった。 しかし、ある歴史の本を買ってみたら、非常に面白いことが書いてあった。 それによると、(日本では、日本史のように統一政権が連続しているように 中国史が語られているが)中国は分裂国家の時代もけっこうあったこと、中央 の地方からの収奪がなくなると逆に民が栄えているということの2点。 結局、1つの中国とこだわるのは、逆に「1つの中原、それぞれの民族国家」 がいいと言われるのを極端に怖れているんだな。 この意味では、「中華とは北京周辺だけですね。」とか「1つの中国とは1 つの中原、それぞれの民族主権ですね。」と言えばいいのでは。 中共の呼び名はもう古い。今は中帝だ。
764 :
世界@名無史さん :04/09/14 21:06:26
マルクス主義的な中国風の名前がチペット式の名前に取ってかわり、建物や道路、
広場などに名付けられた。また、チベット人の多くが中国風に改名させられもした。
ダライ・ラマの夏の離宮ノルブリンカは「人民公園」になった。
チベット語は中国語の単語と言い回しによって徐々に侵食されていった。
「チベット自治区」のある中国人官吏は、『チベット民族特集 1965〜1985』
という著書のなかで、チベット語の使用と学習を妨げる政策を批判的にこう書いている。
「チベット人の先生とチベット語翻訳のできる人間が、とても少なくなっている。
その結果、チベット語と中国語の両方において、公文書の利用や発行がとても骨の折れるれる作業となった。
チベット語を正しく読み書きできないチベット人役人がひじょうに多い。
党の政策をチベット人に布告することもできない。」
http://www.tibethouse.jp/education/educ02.html チベット人は、名前も言葉も奪われた。
765 :
世界@名無史さん :04/09/25 03:00:01
プロ市民ってなんでチベットの人権弾圧を支持しているの? 「宗教は阿片」というマルクス主義の教義からでしょうか?
766 :
世界@名無史さん :04/09/25 17:56:30
人権弾圧など存在しません。 社会主義国で民族差別など存在するはずがありません、全ては帝国主義勢力の反動的策動です。
>>766 というのを真に受けてる馬鹿ってかなりいるんかね?
どうなんだろう?
768 :
世界@名無史さん :04/09/26 01:11:18
769 :
世界@名無史さん :04/09/26 01:13:10
だって、今の中国って中華民国から奪っただけじゃんそれもいつまでもつやら
770 :
世界@名無史さん :04/09/26 01:20:56
771 :
世界@名無史さん :04/09/26 10:46:22
新華社電によると中国中部の河南省の山間部で25日、
陸軍機械化歩兵師団による多数の戦車、ヘリコプターなどを動員した大規模な実戦演習「鉄拳2004」が行われ、
インド、パキスタンとASEAN、上海協力機構加盟各国など周辺16カ国の軍首脳、駐在武官ら約60人が参観した。
中国軍がこれまで公開した演習の中で、最もハイレベルで多数の外国軍関係者が参観した。
新華社電は今回の公開について「中国軍への誤解を解き、地域と世界の安全に責任を負う大国のイメージを確立する」
とした軍事専門家の見解を伝えた。中国軍がアジア地域の安全保障の一角を担う存在であることを、
周辺国に誇示する狙いがあるとみられる。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040925-00000093-jij-int
だからチベットと関係ない記事のコピペはやめれ
773 :
世界@名無史さん :04/09/26 10:48:43
日本も、米軍に倣い、海上自衛隊の尖閣列島海域での作戦のための 訓練に励んでいるそうだ。 月刊誌『現代』に出ていた。 中国の一番の狙いは、天然ガス以上に、台湾侵攻の足場確保だそうだ。
774 :
世界@名無史さん :04/09/26 10:55:51
日本女子大の有賀友美さん、かわいい
>>767 社会主義礼賛って「定型」しか存在しないから、
本気なんだか釣りなんだか判別できないね。
要するに既存文面の丸写ししか出てこない。 本気にしても釣りにしても読む価値のある内容は皆無。 社会主義という文化が、いかにレベルが低いかということが わかるだけ
777 :
世界@名無史さん :04/09/30 15:17:36
アタイだけが 777げとー
778 :
世界@名無史さん :04/09/30 17:31:11
>>777 ご利益の経験は?(;^_^A アセアセ・・・
779 :
世界@名無史さん :04/09/30 18:30:13
7のご利益、ここんとこないぞヽ(`Д´)ノ ジンクスは効かなくなったら止めるべし。(゚-゚)(。_。)
780 :
世界@名無史さん :04/09/30 18:31:36
だから、ここぞという日に、面白いものの少ないヤングアニマル 買うの、金輪際止めることにした(;´д`)
781 :
世界@名無史さん :04/09/30 19:53:16
:.,' . : : ; .::i'メ、,_ i.::l ';:.: l '、:.:::! l::! : :'、:i'、: : !, : : : : : :l:.'、: : '! ,' . : i .;'l;' _,,ニ';、,iソ '; :l ,';.::! i:.! : '、!:';:. :!:. : : : :.; i : :'、: i:.i、: :。:!.i.:',r'゙,rf"`'iミ,`'' ゙ ';.i `N,_i;i___,,_,'、-';‐l'i'':':':':‐!: i : : '、 i:.!:'、: :.:!l :'゙ i゙:;i{igil};:;l' ヾ! 'i : l',r',テr'‐ミ;‐ミ';i:'i::. : i i i : : :i :!!゚:i.'、o:'、 ゙、::゙''".::ノ i゙:;:li,__,ノ;:'.、'、 :'i:::. i. !! : : !: .' :,'. :゙>;::'、⊂‐ニ;;'´ '、';{|llll!: :;ノ ! : !::i. : : : : i : : :,' /. :iヾ、 ` 、._. ミ;;--‐'´. /.:i;!o: : : :i : : ; : ,' : : i.: <_ ` ' ' ``'‐⊃./. :,: : : O: i. : : i ,'. . : :', 、,,_ ,.:': ,r'. : , : : !: : あやまれ!! :,'/. : : . :;::'、 ゙|llllllllllllF':-.、 ,r';、r': . : :,i. : ;i : : トンカツにあやまれ!! i,': : : :.::;.'.:::;`、 |llllH". : : : :`、 ,rシイ...: : ; : :/:i : i:!::i: ;'. : :..:::;':::::;':::::`.、 |ソ/. : : : : : : ;,! ,/'゙. /.:::: :,:': :./',:!: j:;:i;!; i. : .:::;:'i::::;':::::::::i::`:.、;゙、';‐ 、,;__;,/ノ . :,/.:::: :/. : :/.:::i. j:;;;;;;;; l .:::;:'::;':::;':::::::::::i::::i::`:,`'-二'‐-‐''゙_,、-.':゙/.:::: ;ィ': : :/.:::::i: j、;;;;;;; .:::;:':::;':::;'::::::::::::::i:::i:::::..`'‐、、、-<゙.::::::::/.::: ://. : /.:::::::i :j::.'、:;;;
782 :
世界@名無史さん :04/10/01 21:48:33
黄河の水源が、コロラド川同様、枯渇 チベットは、これよりマシなのか?
783 :
世界@名無史さん :04/10/03 22:20:09
NHKスペシャル観ましたか?天空の湖、殺生を禁じていたり なんか、あんなとこまで文化大革命のおばかさん達が来たり
>783 漢族の紅衛兵が大挙押し寄せて寺をブッ壊して回ったわけじゃないんだよ。 少数の漢族紅衛兵が地元のチベット人を脅迫して壊させたんだよ。 「共産主義教育の結果、チベット人が自発的に壊しました」っていう アリバイ作りだよ。>しかし結局は廃墟の寺の山を見て、誰もが 「文革って恐ろしいね。共産党って恐ろしいね」としか思わないw。 紅衛兵の作戦逆効果だったな。
文革時代のチベットなら『雪の国からの亡命』を読むといい。 ギェンロク(造反派)とニャンデル(穏健派)の内ゲバやら 部下の王其梅と周仁山を生贄にして自分はトンズラした張国華の 糞っぷり、やら、紅衛兵のお寺ぶっ壊し、宝物略奪、集団強姦、 父娘性交強要まで全部わかる。 個人の体験なら『雪の下の炎』を読むといい。しかし文革時代の 本はどれ読んでも胸くそ悪くなる。漢族の本性が丸出しになった 時代だ。本質は変わってないだろ。
文革時代には、チベット文化抹殺活動のあまりの酷さに チベット人の怒りが爆発して、各地で蜂起も続発したのだが、 漢族の内ゲバに隠れてあまり記録が残っていない。 最も有名なのは1969年ニェモ(尼木)県で起きた 尼僧ティンレー・チュードンらの蜂起。ニェモ県府に 押し入って漢族幹部を皆殺しにした後あちこちで ゲリラ戦を行った。最終的には解放軍に包囲されて つかまり公開処刑(<野蛮)されてしまった。 もっともこのティンレー・チュードンはギェンロク (造反派)に属していて、この蜂起には文革の内ゲバの 要素もあるらしいのだが、記録が少なくてよくわからない。 ニェモ県にはこの事件の写真などを展示した博物館が あるらしいが行ったことある人はいないだろうな。
787 :
世界@名無史さん :04/10/08 12:08:48
チベット人の紅衛兵もいたの?
788 :
世界@名無史さん :04/10/08 23:21:40
チベットの若い世代はインドのポップカルチャーに夢中で 仏教に興味を無くしてるそうです。
789 :
世界@名無史さん :04/10/09 10:33:59
インド好きならインドには好都合
790 :
世界@名無史さん :04/10/09 10:34:57
インド映画みたいに踊るの?
791 :
世界@名無史さん :04/10/09 10:43:17
確かにお経読むより救われそう 留学 もできるの?
中国の愛国カルチャーに染まるよりゃずっと健康的だ。
793 :
よろずこ :04/10/10 19:51:19
>>788 今から千年以上前、
チベットの若い連中が印度のタントラに夢中で
観世音菩薩を勧請しちゃったようなもんか?
ほんとはしらん。
794 :
世界@名無史さん :04/10/16 10:39:20
インド万歳
ラサから新疆に通じる南北直行ルートって存在したのでしょうか? ムチャ過ぎるか・・・
796 :
世界@名無史さん :04/11/07 08:08:56
:.,' . : : ; .::i'メ、,_ i.::l ';:.: l '、:.:::! l::! : :'、:i'、: : !, : : : : : :l:.'、: : '! ,' . : i .;'l;' _,,ニ';、,iソ '; :l ,';.::! i:.! : '、!:';:. :!:. : : : :.; i : :'、: i:.i、: :。:!.i.:',r'゙,rf"`'iミ,`'' ゙ ';.i `N,_i;i___,,_,'、-';‐l'i'':':':':‐!: i : : '、 i:.!:'、: :.:!l :'゙ i゙:;i{igil};:;l' ヾ! 'i : l',r',テr'‐ミ;‐ミ';i:'i::. : i i i : : :i :!!゚:i.'、o:'、 ゙、::゙''".::ノ i゙:;:li,__,ノ;:'.、'、 :'i:::. i. !! : : !: .' :,'. :゙>;::'、⊂‐ニ;;'´ '、';{|llll!: :;ノ ! : !::i. : : : : i : : :,' /. :iヾ、 ` 、._. ミ;;--‐'´. /.:i;!o: : : :i : : ; : ,' : : i.: <_ ` ' ' ``'‐⊃./. :,: : : O: i. : : i ,'. . : :', 、,,_ ,.:': ,r'. : , : : !: : あやまれ!! :,'/. : : . :;::'、 ゙|llllllllllllF':-.、 ,r';、r': . : :,i. : ;i : : トンカツにあやまれ!! i,': : : :.::;.'.:::;`、 |llllH". : : : :`、 ,rシイ...: : ; : :/:i : i:!::i: ;'. : :..:::;':::::;':::::`.、 |ソ/. : : : : : : ;,! ,/'゙. /.:::: :,:': :./',:!: j:;:i;!; i. : .:::;:'i::::;':::::::::i::`:.、;゙、';‐ 、,;__;,/ノ . :,/.:::: :/. : :/.:::i. j:;;;;;;;; l .:::;:'::;':::;':::::::::::i::::i::`:,`'-二'‐-‐''゙_,、-.':゙/.:::: ;ィ': : :/.:::::i: j、;;;;;;; .:::;:':::;':::;'::::::::::::::i:::i:::::..`'‐、、、-<゙.::::::::/.::: ://. : /.:::::::i :j::.'、:;;;
797 :
世界@名無史さん :04/11/07 08:59:48
チベットって中国に併合されたの何年?
>>795 ラサ−ゴルムド−敦煌ルートは
充分、南北直行ルートだと思うが
1949年7月8日 チベット政府がラサ駐在の中国政府(国民政府)の官吏を追放 1950年10月 中国人民解放軍がチベット東部のチャムドを占領 1951年5月23日 チベット政府代表団が北京で17条協定に調印。中国のチベットに対する主権を認める 1951年9月9日 中国人民解放軍がラサ入城 1959年3月10日 チベット動乱でダライ・ラマがインドへ亡命 1959年4月29日 ダライ・ラマがインド北部のムスーリーに亡命政府を樹立(翌年ダラムサラへ移転)
20世紀はじめにはラサが英国に占領されてましたな
801 :
世界@名無史さん :04/11/07 23:33:23
802 :
世界@名無史さん :04/11/08 11:34:05
803 :
世界@名無史さん :04/11/10 13:38:08
チベットにしろウイグルにしろ、この問題は右派的なアプローチばかりではなくて もう少し左派も関心を持つべきではないのか 日本だけじゃないのか、このネタが右派の中国叩きの材料にされてるだけってのは
サヨは氏ね。さっさと朝ピー配達事務所へ帰れ。
>>804 日本では問題の存在そのものが隠蔽されているような状況だ。右翼の道具やら左翼の道具だのといったレベル
の話ですらないだろう。知ってしまった人間がどういう立場かに限らず人として間違ってないか?中共政府は
と、思うのが普通ではなかろうか?
アメリカとかでも議会ロビー活動なんかで当然そういう動きはあるわけだしね。
ということで
>>805 激同!!
807 :
世界@名無史さん :04/11/23 13:18:49
むしろ右派がどうしてチベットを論じるのか? この手の独立、少数民族問題ってのは他にも世界中にあるわけで なぜチベットだけに固執するのか? 日本の国益を何より大事にし、地球市民を論難する保守派の皆さんが 日本にとっては完全に他人事であるチベット問題にどうしてかかずらうのか?
ほんとなんででしょうね チベットが日中戦争中に日本に味方(まではしていないか)してたからとか まっ、保守派とウヨは違うと言う事で
右派というか右翼でもいいかな?民族自決の援助とかってやってるよ。 カレン族とかのは有名でしょ? まぁ、いずれにせよ主立ったサヨが中国というだけで思考停止に陥ってる部分がまずいんじゃないかい? 田原某の一件なんかまさしくその際立った所じゃないかね? まぁ右でも左でも中共政府関係者が居る場所でデスクトップの壁紙にチベットに自由を!な壁紙張ってたり なんかの折にチベット独立させろやとか言ってたからなぁ(w きっと北京に降り立てないリストに載ってそうだ。
810 :
世界@名無史さん :04/11/25 19:48:35
今夜10:10からBSでチベットサッカー特集やるよ!
>>807 おれは政治も歴史もまったく疎いが、古来からの大乗仏教が
生活に根ざしているという点でチベットに興味があるけどな。
>>811 チベット仏教は大乗仏教じゃないでそ。じゃ何なのかといわれると困るけど。
1)上座部(小乗)仏教の一種
2)大乗でも小乗でもない密教
3)密教だが基本的には小乗仏教
などいろんな言われ方してる。要するに小乗密教なのかな。
小乗なのに密教ってのはなんとなく語義矛盾でおかしな感じだけど。
>>812 おいおい、チベタン仏教は大乗の教えだよ。そのうちの金剛乗に偏ってるけど。
まぁ、学者とかで小乗/大乗/金剛乗の三つに分ける人もいるけどね。
こないだ朝日にケサル叙事詩の記事があったね。いい取材だった。 朝日のチベット記事は、中共支配マンセー記事とまともな記事が交互に来る。 能無し左翼ジジイと若手のせめぎ合いが続いてるようね。
金剛乗=密教の乗り物で、上座部系仏教密教。 方便の教えをうまく使いながら密教的に発展させたのがチベット仏教。 今の大乗教が上座部教を否定しないけど軽視しているのは確か 日本の大乗教に至っては大乗の大乗だから最大乗?(ちが
812=815は頭悪いな。
818 :
世界@名無史さん :04/11/29 02:34:17
>>807 そりゃあ、「日本は過去の侵略を何故認めないのか、何故反省しないのか」
「南京はナチスのホロコースト並」などといわれ
と怨念のように中国に責められて日本の50年前に滅びた帝国主義を批判されて
実際、中国様が今現在やってることはナチス以上の残虐性であって
反省以前に認知すらしてない状態なわけで
文句言いたくなるのは当然じゃないの。
チベット仏教は顕密併修ですよ? それに最大宗派のゲルーの場合、坊さんは、最低二十年かかる顕教 のカリキュラムを卒業したものしか、密教のカリキュラムへは進め ない。 チベット業界の人でチベット仏教が「密教に偏ってる」って、いま 本気で主張する人はいないよ。
>>795 十八世紀の初期から存在しましたよ。
その昔、ジュンガル部のツェリン・トゥンドゥプ氏が六〇〇〇の兵隊を率い
てこのルートを南下し、みごとラサを占領しました。しかも真冬に。
ラサに到達したときは、戦わずして兵力は三〇〇〇に半減していたそうですが。
821 :
世界@名無史さん :04/11/29 05:45:38
昨夜、スナック「シャンバラ」に行ってきました。 なぜかチベットの雰囲気は全くなく、金髪美人ばかり。
>>818 現在進行形でナチ以上?それってどんなん?
>>821 スナックに世界の王とかがいても困ると思うが
チベットでは民族浄化が進んでいるのもしらんのか。
真言宗って大乗仏教?
金剛乗。
827 :
世界@名無史さん :04/11/29 22:32:57
チベット人自身は、インドで成立した大乗仏教を、仏教圏諸国のなかで最も 完備した形で受け継ぎ、そのままの形で忠実に伝承してきたと自負している。
禅か密教か。。日本人なら密教的猥雑さよりは禅の白だの黒だの のほうがピンとくるが、世界ではどんなもんだろな。 両方とも大乗なんだよね。
禅も密教的要素ってかなり多くない?
仏教密教・ジャイナ密教等の密教の違いって何だろう?
831 :
世界@名無史さん :04/12/01 22:23:52
832 :
世界@名無史さん :04/12/02 13:20:20
民主主義の総本山を掲げる米国様は見ぬふりなのかしら。 そういや新疆に大油田が(ボソ
833 :
世界@名無史さん :04/12/02 13:48:47
>>807 のように左派右派言ってるのがわからん。
中国共産党が、庶民の味方のわけなかろうに(^-^;)
834 :
世界@名無史さん :04/12/03 03:17:17
2002年12月2日、中国政府は、テンジン・デレク・リンポチェ(トゥルク・テンジン・デレク)に、 東チベットで起きた爆破事件に関与した容疑で2年の猶予期限付きの死刑判決を下しました。 現在この執行猶予期限が迫っています。
835 :
世界@名無史さん :04/12/03 04:58:11
執行猶予が切れてもうすぐ死刑は免除されるってことね
836 :
世界@名無史さん :04/12/03 06:58:05
うん?処刑されるんでないの?
837 :
世界@名無史さん :04/12/03 08:02:46
国際世論如何でしょう
838 :
世界@名無史さん :04/12/03 10:43:06
「執行猶予付きの死刑」というのは日本には無い制度だけど、 「執行猶予2年の死刑判決」というのは、「2年間獄中でさらなる犯罪を犯さなければ死刑にしない」という意味。 つまり「12月2日以降はいつ死刑が執行となるかわかりません」じゃなくて 「12月2日以降は死刑が免除されます」って意味なんだよ。 つまりこのチベット人僧侶はまもなく死刑が取り消されるというのが真相。 日本でも執行猶予付きの懲役刑というのなら、あるよね。 「執行猶予2年の懲役5年の刑」というのは 2年後の期限がきたら牢屋に入れられて懲役5年になるのではなくて 2年間さらなる犯罪を犯さなかったら懲役5年は免除されるという意味。 「執行猶予2年の死刑判決」というのも、それと同じだよ。 2年経ったら死刑は免除されるってこと。
839 :
世界@名無史さん :04/12/03 12:54:25
ダライラマは麻原の宣伝に協力していた奴だよ。寄付金もらって一緒に写真に写って。
840 :
世界@名無史さん :04/12/03 12:56:36
仏道者がニセ仏道者の見分けがつかないのか。 サリン事件に出くわしたあとの俺は、チベット独立運動への共感がさめちまった。 世俗の者を国民代表に選び、宗教はすっこんでないと独立運動に共感しない
やっぱりサヨって宗教は全面否定なんだね。 ちなみに小泉の靖国参拝も反対なんだろ?苗字が一文字君。
842 :
世界@名無史さん :04/12/03 13:38:36
>>841 は?
いまどき宗教が政治権力と一体化していいと思ってんのか?
おまえは層化と同類か?
もっとも層化は靖国反対だけどな。
843 :
世界@名無史さん :04/12/03 16:03:57
>>842 米国のキリスト教は政治と一体化しているのに、憲法違反じゃないのだよな(≧∀≦)ブッハハハハ━!!!!!
844 :
世界@名無史さん :04/12/03 18:50:14
>>843 アメリカの大統領は、司祭か司教が就任しなければならないと決まってるの?
>>840 オウムだって層化だって立派(?)に仏教の一宗派だろw
統一教会だってキリスト教だし。
846 :
世界@名無史さん :04/12/04 11:29:59
>>845 そのオウムに仏教としてお墨付きを与えたのがダライラマ
847 :
世界@名無史さん :04/12/04 11:54:15
神道的な天皇はだから俺は反対なんだよ。
宗教分離は必要なことかもしれない、けれど、宗教と政治を完全に切り離すことなんてできない。 権力には権威が必要なわけで。だからソヴィエトだって死後のレーニンを神格化して 「無宗教」という宗教、あるいは共産主義という宗教を作ろうとしたわけで。 中国でも北朝鮮でもそうじゃん。 人は人を超えた力にすがりつかなきゃ生きていけない程度には弱い生き物なんじゃないかな。 それこそいくら虚勢を張ろうともさ。
849 :
世界@名無史さん :04/12/07 04:59:43
フランスは完全に近い政教分離(アルザスでだけ、ドイツ帝国時代の名残らしく、カトリック、プロテスタント、ユダヤ聖職者の給料が税金から出るらしい)
皇帝のものは皇帝に、神のものは神に
851 :
世界@名無史さん :04/12/15 16:47:37
どうでもいいけど、ダライラマの件はオウムが勝手に言ってる事で ダライラマがオウムを公式に認めた事なんぞ一度もないんだけどw それとも中国共産党のチベット虐殺を正当化する為には オウム側の言う事ですら信じるのかねぇ?
853 :
世界@名無史さん :04/12/18 02:55:31
中国は何故チベットを自国に吸収したいのですか?
854 :
世界@名無史さん :04/12/25 17:05:46
インド征服への足掛かりかもな。 軍事・経済面でもインド洋への出口は欲しいはず。
855 :
世界@名無史さん :04/12/29 13:21:14
誰か亡命チベット人の里親やってる香具師いる?
856 :
世界@名無史さん :04/12/29 18:29:06
引き受けて人民中国大使館に知らせましょう。
中国は大変だよな。あんな辺境に開発投資しないといけない。 日本が半島を開発した時は、かなりの出費だったようだが、 それでも安全保障の必要性から半島を領有した。 チベットは半島より広く、半島より過酷だ。 それでも安全保障上は必要だろ。ババ引いてるよな。
858 :
世界@名無史さん :05/01/03 19:04:30
∧ ∧
. ./,_ヽ_/. ヽ
. /┏╋┓ \
. /´ ┗╋┛___.\、
. / |!(゜\iii'/゜),!||! ヽ
. | ┏,,ニ..,ニ、┓ノ( |
.アイヤー\.┃Y~~/~.y} ┃ /ーー日本どこまで歯向かうアルー!!
. >┃,k.,.,!,.,.,.| ┃.く
. /..┃<ニニニノ┃ \
【国際】ダライ・ラマ十四世が来春訪日へ 政府、入国許可の方向
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1104043741/
859 :
世界@名無史さん :05/01/03 23:10:30
地下都市があるって本当??ヒトラーも最後目指して死んだっていわれてるよね
シャングリラシャングリラ〜
862 :
世界@名無史さん :05/01/04 00:09:37
中国人や韓国人より日本人に似てる気がする
864 :
世界@名無史さん :05/01/08 11:39:18
日本人は観音菩薩の化身の転生とか信じないよ。 畏れ多いこと言ってるなあ。と思うのが普通。日本人はね。 大体、胡散臭い話だし。
池田大作は日蓮の生まれ変わり。
866 :
世界@名無史さん :05/01/13 12:28:02
寄付金もらってツーショット写真取らせて上げただけでも責任はあるだろ (あんなのはじめからうさんくさーい香具師だと同業者?だったら一発で気付くだろうが)
>>866 無いとは言えんと思うが、往々にして金持ってる怪しげな連中は名の通ったあれこれに巧い事を言って
寄付をするなりそういうのとは関係のない別の文化財団の名前とか使うんじゃないかな?
テレビのスポンサーにサラ金がいたり、オリンピックのスポンサーにマルチがいたりするのと同一視しても
可愛そうな気がする。
868 :
世界@名無史さん :05/01/14 08:40:10
>>862 中沢新一が、媒介したんだっけ?
チベット仏教と麻原を
869 :
世界@名無史さん :05/01/14 12:05:34
>>867 そりゃそうだが、問題はダライが謝罪をしていないことが許せないんだ。
高僧なら謝罪の必要がないと思っているのかと腹が立つのだ。
俺の家族は未だサリンの後遺症なのだ。医師は精神的なものでしょうと言うのだが。
なんでダライラマが麻原の犯罪で謝罪しないといけないんだよw
871 :
世界@名無史さん :05/01/17 14:20:40
872 :
世界@名無史さん :05/01/17 15:22:21
オウムの件だが、ありゃただ単に、たくさんの寄付をありがとう、 という内容の手紙をオウムが貰っただけなのだが、それがいつの間にか 麻原がお墨付を貰ったと思い込んだというより貰ったと宣伝しまくっただけ。
行政権を担うのがラマってことだろ? ラマの名の下で政治が行われるくらい、立憲君主制としては別におかしくもないと思うけど。
874 :
世界@名無史さん :05/01/17 21:31:26 0
>>873 そんなもん?
日本国憲法と比べちゃいかんのか
>>874 つーか藻前はヨーロッパの君主国の憲法知らんのか?
デンマーク、スウェーデン、その他・・・・
君主にまったく権能みとめてないのは日本くらいのもので
チベット憲法草案なんてまだまだ日本に近いくらいだよ。
極端なのがリヒテンシュタインだったかな? 曰く、「主権は公主と国民の双方に属する」とかいうやつ。 まぁ日本でも首相の任命とかは(内閣なり国会での指名に基づいてだけど)天皇の国事行為ですけどね。 やっぱりエンペラーと称されるお方は国家元首なわけです。
ところで、書き込み時間の後ろに表示される"0"って何?
878 :
世界@名無史さん :05/01/19 19:47:57 0
ダライラマって選ばれたら本人や親は拒否できないの? 選ばれるのは「ラマ教徒のチベット人」のみ?
>>877 から書き込むと0、携帯から書き込むとOになるらしいです。
880 :
世界@名無史さん :05/01/19 20:58:44 0
>>876 最後の1行さえなければ説得力があったのに・・・
>>878 選ばれたもなにも、本人の生まれ変わりですから。
記憶がありますから。
>>880 ごめんね。
でも俺、日本は立憲君主制の国だし、天皇って憲法下で日本の国家元首だと思ってるけど。
違うかな? って、すれ違いですね。
>>881 いや、十七世紀のダライ・ラマ五世など、家来たちが自分の何気ない仕草を
勝手に「前世の記憶」話にでっちあげて盛り上がってるのをみて、
ありゃ、ホントはかくかくしかじかのことにすぎない、様々な大ラマたちの
前世譚はみんなこの類かと思うと空恐ろしい気がする、と自伝に書き残している
らしい(山口瑞鳳『チベット』を参照)。
884 :
世界@名無史さん :05/01/20 01:34:44 0
>>881 だから転生した彼がラマとしての宗務、政務に就くことを拒否したらどうなんの?
885 :
世界@名無史さん :05/01/20 01:45:16 0
拒否はできないんじゃないの? つーか前ダライの死から転生者発見まで数年あるわけで あらかじめ利発で従順な幼児を見つけといてからヤオの 占いで探す方向決めるんだと思うな
>>885 >>886 十八世紀初頭、当時のダライラマ六世が「ダライラマとしての宗務、政務に就くことを拒否」
したことから大騒ぎになり、チベットは戦乱のちまたに・・・・。
888 :
世界@名無史さん :05/01/20 14:37:09 0
ダライラマに会って「私は前世で弟子でした」と言ったらどうなるの? チベット語でお経がいえないと証拠にならない?
ならないだろうね。 最低でもチベット語、サンスクリットに通じて、経文を空暗記できないと。
890 :
世界@名無史さん :05/01/21 20:44:04 0
891 :
世界@名無史さん :05/01/25 19:00:09 0
ラマ教に帰依する漢族が全国で急増し政府が警戒してるらしい。 ニューズウィークに、出家して坊さんになった漢族の話が載ってた。
法輪功を上回る大勢力になればいいのに。
ダライラマに会いたくて、インドに亡命する漢族が続出 なんてなったら笑うな
894 :
世界@名無史さん :05/01/29 16:31:46 0
東大出版会のUP12月号に 山口瑞鳳センセイの悪意たっぷりのエッセイ 「カリスマを追うチベット」が載ってる。 まだ毒舌は枯れてないんだねw。中身はいちいち ごもっともなんだが、こういう書き方しかできないのかね。
チベット仏教といえばブータン王国とダライラマとの関係はあるのだろうか? ほとんど聞いたことはないけれど。
896 :
世界@名無史さん :05/01/31 22:48:30 0
過去ログ嫁
シャンシュン王国については伝説と実話、どの程度信じたらいいのでしょう? 中央アジア起源伝承、ボン教の起源、チベット文字以前のシャシュン文字と経典・・・ なんというか古朝鮮のような位置づけでしょうか・・・
>>987 シャンシュンの伝説ったってそんなに伝わってないでしょ。
存在したのは間違いない。吐蕃によるシャンシュン征服は
敦煌文献に出てくる。その時期はソンツェン・ガンポ時代
(643/644年)。ティソン・デツェン時代とする説は誤り。
終わりはわかっているが、その始まりだの沿革だのは
さっぱりわからない。19世紀の文献にシャンシュン18王
(40王という説もある)とか8ヶ所の都だのが出てくるが、
他の文献や遺跡・遺物などでは裏がとれないから
そのまま信用するわけにはいかない。
シャンシュンがかつてチベット全域を支配した、というのは 怪しい。シャンシュン起源のボン教(まだ組織化されていない 民間信仰に毛が生えたようなもの)をベースとする文化が チベット各地に広がっていたのは間違いない。それを伝えたのは 西チベット出身の諸氏族(キュンポ氏とかダン氏とかドゥ氏とか ム・シェン氏なんか)でしょう。古代のボン教の拠点は、 西チベット以外ではナムツォ、タンラユムツォ、テンチェン、 ギャロンなどに広がっていた。 ただし、非仏教的な古代遺跡を簡単に「シャンシュン王国の遺跡」と 呼ぶのは軽率。「シャンシュン文化の遺跡」とは言えるかも知れないが、 「シャンシュン文化」の実体がよくわかっていないんだから、慎重に 扱った方がいい。
ボン教はシャンシュンあたりが起源なのは間違いないだろうが、 古代にはゾロアスター教やヒンドゥー教の影響も受けている。 箔付けのために後にイラン起源と言い出すようになる。 仏教に対抗するためにはインド起源というわけにはいかんものな。 シャンシュン文字は、見るとわかるけどチベット文字のパクリ。 古いものではない。シャンシュン文字で書かれた古代の碑文・経典 などは一切見つかっていないし。 シャンシュン語の方は実在していたとみていいでしょう。 シャンシュン語で書かれた経典も最近だいぶ解明が進んでいるし、 ヒマラヤ各地の言語がシャンシュン語とかなり近い単語・文法を 持っていることもわかっている。 古朝鮮みたいな胡散臭いものと一緒にしちゃいかん。実在したのは 間違いないんだから。どっちかというと夏王朝あたりに近い位置づけかな。
901 :
世界@名無史さん :05/02/08 01:16:49 0
前に、天海祐希と同じミトコンドリアDNAを持つ女性が 東チベットとブリヤートにいる、っていう番組やってたな
903 :
世界@名無史さん :05/02/11 15:39:46 0
少数民族の女性不妊手術ってペルーもやってたらしいが、中国もやってるの? チベットだけに?
904 :
世界@名無史さん :05/02/12 01:29:32 0
905 :
世界@名無史さん :05/02/12 12:24:24 0
>>904 それが真実だという証拠は?
外国の同情を引くために亡命政府が大げさに騒ぎ立てているのかもしらん
906 :
世界@名無史さん :05/02/13 21:54:19 0
日本人には同祖のチベット人を救出する義務がある
907 :
世界@名無史さん :05/02/13 22:17:03 0
>905 チョンは書き込み禁止だ。
>906 北の飢えた同胞も救出してほしいニダ 日鮮同祖論を忘れてはならぬニダ
ポーランドヲタといいチベットヲタといい、なんでこんなにアレなんだろう
910 :
アンニョンハセヨ :05/02/25 12:19:10 0
韓国、中国朝鮮族、ロシア朝鮮人にもチベット仏教をひろめよう
911 :
世界@名無史さん :05/03/01 05:37:34 0
チベットが独立した場合、ブータンと合邦するかな?
>>911 するわけないじゃん、今まで一緒だったこともないのに
>>912 ドウクパという宗派の座主が中央チベットでの派内紛争にやぶれ、支持者の
もとに逃れて建国したのが1616年、ごく最近だ。中央チベットでの地盤
提供など、懐柔するネタはいくらでもあるだろう。
いっそ、「国連加盟国」というブータンの地位をわがものにする荒技として、
ブータンにチベットを併合してもらい、ブータンの王様を元首にむかえる、
という大技もあろう。
>>911 吐蕃時代、医者がこの地を領地にもらう、とかの出来事があるのだが。
914 :
世界@名無史さん :05/03/18 00:28:49 0
保守。
916 :
世界@名無史さん :2005/03/28(月) 13:05:34 0
独立チベットでは、バルト三国のように、漢族が同化、追放、迫害の対象になるのは 避けがたいのかね?
916 1945年8月15日以後、朝鮮、台湾、満州の日本人が同化、追放、迫害の対象になったようにかね?
918 :
世界@名無史さん :2005/03/28(月) 18:38:13 0
旧支配者の末路は哀れですな
共産党政権が倒れたアカツキには、共産党員の旧支配層たちも 同化(新政権への忠誠、前政権や共産産党組織への忠誠の放棄)、 追放、迫害の対象になることはまちがいない。 とうぜんの末路である。
ここ数本のポストを眺めてまぁ、それが普通だろうなぁ。とか思って読んでたけど。 先日夜中にダライラマに恋してとかなんとかって番組を夜中見て思ったのだが。 ダライラマ猊下の場合相手に思いやりを持ちなさいなんて説法してるわけで。 一般大衆が仕返し汁!ってのを止めてしまわれそうな気もしなくはない。 うっかりすると同化せず好きにさせておきなさいとか言っても不思議ではない罠。 で、それがまたその後の災いの火種にとか。 いや、そんな先の話なんざ今考えても仕方ないしなぁ。しかし出来すぎたお方だな。
921 :
世界@名無史さん :2005/03/30(水) 10:53:15 0
中央アジアの場合、独立後も共産党の現地人ノーメンクラトゥーラが権力を維持して 一党独裁を継続した場合が多いようだがチベットもそうなるのかね。
ソ連と中国では異民族支配の方法がぜんぜんちがうからごっちゃには出来ないぞ。
922 そうだね。 ソ連では、諸民族が、連邦に自由に加盟し、離脱する権利を保有する共和国を構 成(と憲法に明記)。ソ連邦の崩壊も、バルト三国が、長年タテマエと化していた この憲法上の権利を行使することから始まった。 それに対し、 中共は、「中華蘇維埃共和国」時代(1930年代後半)は、「中華連邦」に自由に 加盟し、また離脱する権利を有する「民主自治邦」の結成を諸民族に認めていたが、 1949年以降は、支配下に組み込んだすべての民族とその居住地が、「歴史上、古 来より、中国の不可分の一部分」だと主張するようになって現在に至っている。
侵略が済んでから「古来からの領土だった。領土問題など 存在しない。口出しするのは内政干渉」とぬかすのが連中の手口。 尖閣もそうなるから良く監視しておくように。
925 :
世界@名無史さん :2005/04/08(金) 10:51:33 0
シャンシュン王国ってどれくらい人がいたのか
926 :
世界@名無史さん :2005/04/10(日) 18:22:50 0
今回の法王来日でも、一緒に写真を撮って商売に利用しようという あさましい餓鬼がわんさと群がっているんだろうか。
>>925 吐蕃時代にはシャンシュンにも「ru(翼,角)」制がしかれ、
上手シャンシュンに4つのstong sde(千戸)と1つのstong bu
chung(小千戸=千戸の約半分=約五百戸)が置かれた。
下手シャンシュンも同じ。
仮に一戸あたりの人数を6人とする(根拠はないけど)と、
6(人/戸) × 4500(戸) × 2(上+下) = 5万4千人
となる。多いとみるか少ないとみるかは・・・。
「千戸」といっても本当に千戸あったのか? とか、
すべての人々が ru 制に属していたのか? とか、
実際には機能していない stong sde はなかったのか? とか、
1戸あたりの人数についての記録はないのか? とか、
シャンシュンの領域はどこまでなんだ? とか、
問題だらけだが、とりあえずの目安として。
929 :
世界@名無史さん :2005/04/13(水) 22:43:40 0
なぜそれだけの人口で吐番と対等に戦えたのかな
>>929 それは君の妄想。シャンシュンはころっと負けてる。
もっともそれは吐蕃側が残した記録だから実際どうかは
わからんがね。