スタッフ・スリングで火炎瓶投擲。
スタッフスリングを槍と一体化しても面白そうですね。 さすがに長すぎるかな?
ただ、目の前でいきなり火が燃えさかると自分たちの馬が怖がって
きちんと突撃できないなんてことはないでしょうか?
(逆にそれで乱れるような騎兵なら守備側が火の壁を焚きますかね?)
……正直そこまで考えてなかった。スマソ。
謝罪に加えて賠償も。
「1834年、デンマークの発明家で、軍の銃器製造業者でもあったN・J・レブニッツが
実物大の空気機関銃を発明した。デンマーク軍の軍事委員会でテストされ、最高1分間
あたり80発発射できることが実証された。弾丸の初速は従来の火器よりも劣ったが、
それでも250フィート(75メートル)の距離から厚さ1インチ(2.5センチメートル)の松材を
撃ち抜いた。しかしこの銃を実際に軍事的に価値のないものにしたのは、発射に使われる
縦型の空気圧縮機が直径2メートルはあろうかといいう巨大なはずみ車2つで動かされて
いたという点だった。さらに、この巨大な銃を移動するには車輪付きの銃架が必要だった」
(ジョン・エリス「機関銃の社会史」平凡社、1993)
さらに賠償。
>>500 >素人さん
「武当絶技(続集)」によれば、宋の真宗皇帝(在位998〜1023年)の頃に霞鶴道士が四川省
峨嵋山で諸葛孔明の著作「機輪経」を発見、その中に袖箭の製造法も記されていた……と
あるので、諸葛孔明うんぬんは権威付けのための創作で、実際の発明がその頃と見れば
良いのではないでしょうか。
なお、発射筒は銅または鉄の鋳造で作り(一例では直径2.6cmで全長26cm)、中に鋼製コイル
スプリングを仕込み、矢は竹の節が無い部分を箆に使い(一例では全長23cm、太さは細い箸
ぐらい)鋼製の鏃(全長3cm)を付けたものです。
単装の単筒袖箭の他、2連装の双筒袖箭、3連装の三才袖箭、4連装の四象袖箭、6連装の
梅花袖箭、7連装の七星袖箭、9連装の九宮袖箭もあります。
有効射程は100mに達するとされていますが、暗殺用なので毒矢を用いた上での数値かも。
(以上、篠田耕一「武器と防具 中国編」新紀元社、1992より。厨臭い種本で済みません。)
また、バネではなく紐を引っ張って矢を射ち出すものや、筒に鉄か鉛の散弾を入れ遠心力で
振り出すものもあるとか。
>503
いえいえ、素人なのでこの反論も自信ありません。運用の仕方しだいでは有効かもしれませんし
爆音に弱いはずの馬も訓練すればピストル騎兵になれるのなら、これもやればできそうな気がします。
映画やマンガなどでは、騎兵が敵陣の柵の向こうへ紐つきの火炎瓶を振り回して投げ込んで逃げ去る
というのはよく見ますよね。
夜襲や敵の矢が尽きたのを見極めた時など、機動小隊がスキを突いて一気に接近して攻撃する時などには
こうした戦法も実際に行われのかな?
>504
おお!すばらしい!爆発力のある火薬がもっと貴重な存在だったら、きっとこういう武器が一時的にも発達したでしょうねー
昔のサバゲのようにエアタンク背負ったり、今の銃のように、カートリッジ単位で圧縮空気をつめておくとか・・想像がひろがります
そういえば銃の場合、銃兵と防衛用の槍兵がペアになってたのがまもなく銃剣に進化し、効果をあげたようですね。
弓と槍の持ち替えがきかないような重装騎兵も、散兵と突撃兵を兼ねるような武器や戦術が早期に登場していたら、
初期の銃剣のような大きな効果を上げた可能性も、と思いをはせてしまいます。
書いてる間に新カキコがw
>505
至れり尽せりの情報、たいへんありがたく拝読させていただきました!
すごいですねー!ネット上ではコイルスプリングはヨーロッパ17世紀の発明、というのも2,3見かけるのですが、
これは車用の話かもしれませんね。
やはり中国は凄い!
種本のほうは私にとって便利で好きなシリーズでいくつか持ってましたが、
これはなかったので早速購入します〜
こちらこそ長々ともうしわけないです。&多くの楽しい情報をいただいて感謝感激!
空気砲自体は役立たずでも、副作用でさまざまな技術が生み出されたのは面白いですねえ。
日本版ダーツの打矢(内矢、短矢)は手で投げるだけではなく、
筒に入れて振り降ろす打法がある。
武板でこれを棒手裏剣で試した人によると、簡単に達人並みの
威力と精度を出せたとか。
これを応用して棒手裏剣を筒(竹?)に収め、一端は塞いで(節を残す)
もう一端は打ち出す際に破れるよう紙の蓋で覆い、矢のように箙や
空穂でまとめて携帯すると良さげ。
>510
おお、武板の猛者たちの実験ずみw
これなら特別な技術もいらず、コストも安く、大量生産ができ、小型軽量で使い捨てもできる。
またさほど凝った訓練もいらず、目的に応じていろんな弾丸を投げられる、とメリットが大きいように思えますね。
槍投げ器でも良いかもしれませんが、こちらは近距離用に、コンパクトなスイングで高精度に使えそうです。
(ローマ歩兵も中距離は投げ槍で、近距離にはダーツを使ったようです。)
騎兵が敵の槍ぶすまに対して使う場合、右手の槍は重さや時間的に持ち変えるヒマがないならば、
左手に盾と一緒に握りこんで使うといいかも。
(スコットランドの突撃歩兵は右手に剣、左腕に盾と一緒に短剣をにぎっていて、相手の武器を払った後に短剣でも攻撃するらしい)
>>511 も素人さん?
どうしてもランス・チャージと併用できないと不可?
あとSSでも書かれるつもりですか?
>>512 あ、はい
>>500以降、長文投稿を重ねさせていただいてる素人です、
仮想戦記の設定みたいな話で一人で盛り上がってはウザがられると思い、そろそろ名無しにしとこうかと思いまして。
>>SS
恥ずかしながら、それに近い感じです。会社のゲーム企画に少し関わる事もあるので、趣味もかねて
騎士などについて少しずつ勉強中です。勉強の足りない状態であれこれ語るのはたいへんに迷惑ですし、
その他スレ初心者として配慮の足りない事を申し訳なく思っています。
応用できそうないろいろな情報を知るたびに嬉しくて飛び上がってた状態でした(´д`)オハズカシイ
そっち方面のための目的としましては、少数精鋭の騎士団の生存率の向上についての研究です。
はなやかな反面犠牲者が出やすい突撃戦術を主体としながら、主要なヒーロー達を長く生き残らせたいという場合、
その根拠とするために、火薬登場前に存在可能な銃や特殊な戦法は無いか考えていた所です。
ですのでその目的上、ランスチャージとの併用は必須ではありません。
しかしキリスト教を守るガチガチの西洋騎士の場合は飛び道具は信条的に使えないですから、
実際の西洋騎士は歩兵にくらべて戦法は退化していると評されることも多いですね・・
アジャンクールの戦いで、自業自得とはいえ誇り高い騎士が惨殺されていく様にちょっと感情移入してしまった事もあります。
もっとも、過去ログや手元の資料によると敗因はロングボウを侮ったことではなく、地形や運用の問題が大きかったようですね。
514 :
例のにゃあにゃあ:04/03/13 17:05
>>513 騎士の戦死者って意外に少ないニャ。
1066から1346年を封建騎士優位の時代と呼ぶ事があるニャ。
この説に反対している研究者も多いとあったニャ。
1127年のフランドル戦争だと千人の騎士が戦って戦死者は一人、
ブーヴィーヌの戦いではフランス側の騎士の戦死者は三千人中の二人で、負けたドイツの方は1500人中、70から100人、
1217年のリンカンの戦いだと三人、
1119年のブレムールの戦いでは900人の騎士が参加して戦死は3人だけニャ。
ここまでは下の論文にあるニャ。
http://www.deremilitari.org/RESOURCES/ARTICLES/rogers.htm 1298年にイギリス王エドワード一世が槍兵を中心としたウィリアム・ウォレス率いるスコットランド軍と戦ったファルカークの戦いの時のエドワード一世側の騎士の戦死者は一人だけで、それ以外の兵士の死傷が二千人に及んでいるニャ。
戦死した騎士はテンプル騎士団のマスターとあるニャ。
馬は記録にあるだけで百十頭死んでるニャ。
多分この二、三倍の馬が戦死したみたいだニャ。
上の数値はイギリスの支払い台帳を元にしてるから当時の史料としてはかなり信頼できる数値だそうニャ。
michael prestwich, edward I,london,1988,p.481
敵の騎士を殺さないで、捕まえようとするのは、捕まえて親類から身代金をせびり取る方が儲かるからみたいだニャ。
騎士同士の戦いが突撃戦になりやすいのは、その方が敵の騎士を捕まえやすいからみたいだニャ。
紋章官も大忙しってわけか
>>514 おぉお!なるほど!
アジャンクールの戦いでは、報復を恐れた英軍は王の命令により、落馬して身動きのとれない
騎士を庶民の兵たちが殺していったとのことですが、英軍側も貴族身分の人たちは名誉をかけて戦ったフランスの騎士を
殺したくなかったようですし、そうでなくとも本来は人質としての価値のある人は捕らえて利用したほうが良いということですね。
地獄の沙汰も金次第(*´Д`)・・
それにしてもすごい生存率ですね・・キリスト教会による騎士に対するクロスボウ攻撃の禁止や、
弓矢の威力(プレートメイルを軽々打ち抜く)などの実験データからのイメージがあって、これは本当に意外でした。
落馬して後ろの馬に踏まれたりもしたでしょうけど、いやはや死なないもんですな・・
他にも、戦場の医療のレベルの問題で、アメリカの南北戦争のようにケガ人の放置による死者
が出るとも思ったんですが、銃創ほど深刻なケガは少なそうですし、大金を呼べる貴族の人質とあれば
治療にも力が入りますよね・・
貴重な情報、ありがとうございます!英論文もがんばって読んでみます〜
>>514 >騎士の戦死者って意外に少ないニャ。
>1066から1346年を封建騎士優位の時代と呼ぶ事があるニャ。
...
>1298年にイギリス王エドワード一世が槍兵を中心としたウィリアム・ウォレス率いる
>スコットランド軍と戦ったファルカークの戦いの時のエドワード一世側の騎士の戦死者は
>一人だけで、それ以外の兵士の死傷が二千人に及んでいるニャ。
この生存率の違いは、身代金という文化的要素もあったでしょうが、
元来騎兵は突撃も華々しいが、不利になって(歩兵を置き去りにして)
逃げるときも早いという要素があるためじゃないですか?
# 敗走しかけた歩兵の秩序を取り戻し、再び戦線を立て直すよりも、
# 敗走しかけた騎兵の秩序を取り戻す方がはるかに難しい。
で、歩兵から騎兵に対する期待とともに不信感もある。
その不安を取り除くためもあって、イングランドは長弓兵と
下馬した騎兵の組合せで長弓兵の士気を高めたとも聞きます。
無論戦傷の悪化による死者もあるが、戦場および行軍中の不衛生な状態での
病死も多かった。
20世紀に入ってからでもアメリカースペイン戦争ではマラリアによる死者が
戦闘による死者を大きく上回っていた。
アジャンクールの戦いの直前でもイングランド軍の多くの兵士が下痢で
消耗していたとある。
この種の消耗のかなりは、行軍中のキャンプでの注意(便所の適切な設営、
沸騰した水を飲むことなど)で避けられるが、なかなかそこまで規律ある
軍隊は珍しい。
# 古代ローマ軍はこの種の注意で戦闘以外の損耗避けたというが。
補足
>>518 は
>>516 の
>他にも、戦場の医療のレベルの問題で、アメリカの南北戦争のようにケガ人の放置による死者
に対する返答でした。
「中世の傭兵戦争で死亡率が低い」というデマを流したのは
ニッコロ殿の陰謀でござるよ
>>517-518 ありがとうございます。
アジャンクールの場合は英軍の圧倒的な数的不利と、敵地での川を挟んだ行軍のかけひきの問題もあったかもしれませんが
ローマ時代の歩兵より衛生状態が悪いとは、徴用兵のつらさでしょうかねえ(涙
戦術書などはあったようなので、研究不足や戦術の退化というよりは、
ローマのように大資金をかけてキッチリと訓練した専業の軍隊を常備するのが難しく、
規律その他のレベルを高くすることができないということでしょうか。
投石器で死体を投げ込むなど、疫病の恐ろしさは当時から認知されていたようですが、
それでも衛生を保つのは難しかったのですね。
ロングボウの射手も、弓は日常から相当練習していたものの、ふだんは別の仕事をしているので
行軍などの組織的訓練は不十分だったかもしれませんね。
># 敗走しかけた騎兵の秩序を取り戻す方がはるかに難しい。
うーむ、これも言われてみればナルホドですが、いままでまったく意識してなかった事です。アリガタヤ アリガタヤ〜
歩兵は後ろから味方の剣や弓に脅されているケースが多いですし、
逃げたいときに逃げられる騎士と違ってつらい立場なのですね。
523 :
例のにゃあにゃあ:04/03/15 23:26
524 :
例のにゃあにゃあ:04/03/15 23:28
>>517 どうなんだろう。わからないニャ。
馬で逃げたから死なずに済んだのかニャ?
あの論文によると、リンカンの戦いで死んだのは三人だけど、捕虜は四百人に達したとあるニャ。
ブーヴィーヌの戦いでは神聖ローマ皇帝以外の有力諸候、フランドル伯、ブーローニュ伯、ソールズベリ伯などはみんな捕まったみたいだニャ。
だけど歩兵は手当たり次第に殺されたようにも見えるし、単に追い散らされただけにも見えるニャ。
ブーヴィーヌの戦いについては下の本を見たニャ。
ジョルジュ・デュビー,ブーヴィーヌの戦い,平凡社,1992
ファルカークの戦いは敵を大きく迂回した騎兵隊の突撃で始まってるニャ。
スコットランド軍の主力は4つの槍兵集団で、各集団の周囲に騎兵と弓兵を配置していたニャ。
騎兵隊は背後からスコットランド軍を攻撃して騎兵と弓兵を追い散らしてから、次に創兵隊を攻撃したけど、攻撃に失敗して退却したニャ。
次にイギリス軍は弓攻撃に切り替えて、敵の陣形を動揺させてから再び騎兵隊を突撃させて、スコットランド軍を撃ち破ってるニャ。
歩兵はなにをしていたか、はっきり書いてなかったけど、たぶん正面から突撃を行って直ぐに退却したみたいだニャ。
囮にされたのかニャ?
これはサー・オーマンの構成した戦闘像で、プレストウィチによると迂回したのは騎兵隊じゃなくて歩兵隊だと言ってる史料もあるみたいだニャ。
sir sharles oman, a history of the art of war in the middle age vol.2,london, 1978(first ed.1898),pp.78-80
他の戦いはまだ分からないニャ。
>>524 >馬で逃げたから死なずに済んだのかニャ?
まあ、そこまで強い主張はしませんが、その要素もあったということで。
http://www.deremilitari.org/RESOURCES/ARTICLES/rogers.htm にも
"The mobility afforded by his horses, in addition to its obvious strategic value,
enabled him to pursue a defeated enemy effectively,
to flee rapidly if himself defeated,
and to avoid unwanted battles with slow-moving infantry forces."
「馬が与えた機動性により、明白な戦略的価値に加え、
敗北した敵を効果的に追撃したり、
自分自身が敗北した時素早く逃げたり、
ゆっくりと移動する歩兵部隊と不必要な戦闘を避けることが可能になった。」
とあります。
戦闘の損害は、主要な戦闘の最中より、秩序を乱した敗者に対する追撃、
落ち武者がりの方がずっと多きいのは中世に限らず、古代、近代の戦闘でも
共通する要素ですね。
# 第一時世界大戦のような塹壕は別ですが。
>ファルカークの戦いは敵を大きく迂回した騎兵隊の突撃で始まってるニャ。
その前後のスターリングブリッジの戦い(1297)、ロウドン・ヒルの戦い(1306)、
バノックバーンの戦い(1314)が抜けているのが気になりますが?
# つまり、騎士の側が大きな損害だした例を無視していないか?
年代は
>1066から1346年を封建騎士優位の時代と呼ぶ事があるニャ。
だし。
>>514 >敵の騎士を殺さないで、捕まえようとするのは、捕まえて親類から身代金をせびり取る方が儲かるからみたいだニャ。
という慣習はいつから始まったのでしょうね?
貨幣経済が麻痺したことで封建制度が発達したと聞きますが、
じゃあ身代金をどうやって調達するか?
身代金という慣習は商業の復活以降なのか?
それともそれ以前にも「牛百頭分」とか取り引きしていたのか?
527 :
例のにゃあにゃあ:04/03/18 18:21
528 :
例のにゃあにゃあ:04/03/18 18:31
>>526 貨幣経済や封建制云々は、持ち出さない方が無難だニャ。
ピレンヌ他,古代から中世へ,創文社,1975(original ed.1922)
これ見るとわかるけど中世に於ける商業の衰退云々を言い出したピレンヌの説が出た当初からその説についての追従論に異論反論が現れていて今に至るも議論が続いている見たいだニャ。
残念だけど、今の我が輩の能力ではそこまで話を広げられても困るだけだニャ。
今言えるのは、身代金をどのように払ったか疑問があるのならそのような主張を持ち出したロジャーズに聞いてくれと言うくらいしかできないニャ。
もし、もっと調べる必要があると思うなら、貨幣スレに持っていった方がよいと思うニャ。
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1038211373/l50 だけど、身代金の制度が現れてきたのがいつなのかは面白そうな話だニャ。
たしか、ロジャーズの論文の根拠の一つにあげられていた Verbruggen, Art of Warfare はガッコの図書館で見た覚えがあるから調べてみるニャ。
いまテレビで、プロゴルファー片山晋吾選手が
厚さ10cmの氷柱に対してゴルフボールでこれを打ち抜く、というのをやってました。
7メートルの距離からドライバーショット。 ショットの初速は時速290kmだそうです。
一球目はヒビが入っただけで跳ね返されましたが、氷柱も新しくした2球目で、ボール大の穴を空けて貫通。
やはり速度が速いとなかなかのパワーがありますね。
野球のピッチングとサッカーのシュートはプロによるものではないものの、いずれも歯が立たなかったらしい。
ボールの硬さとかはいいのか?その実験。
>530
硬さが最重要だと思われ。
野球の硬球大のゴルフボール作って投げさせりゃ割れると思う。
厚さ10cmなら、野球のボールでもいけそうだが。
当たらなかっただけじゃない?
当たってたよ。
534 :
世界@名無史さん:04/03/28 12:10
その場面見てみたかった〜
その実験だが、反射弾が出てかなり危なっかしかった。
ゴルフボールの時は防護用の板をゴルファーの前に用意してたし・・・
それとゴルフのプロでも一発貫通はできず、一回目でヒビの入った
氷にぶちあてて貫徹してた。5cmのは一発貫通してたが。
世界史板住人って偉そうな話する割にはちゃんと論拠やソース示さないよな。
史料とか研究論文とか。
>>536 そうかね?
見るスレッドよりけりか?
このスレは比較的にソースは出してると思ったが。
>>536 そんな風に批判する割にはちゃんと論拠やソース示さないよな。
該当レスとか。
所詮2ちゃんだしな
みんな半ば憶測で言ってんだから典拠示すと立場が悪くなるんだよ
論文に注付けるために読み返すと、内容が記憶と微妙にちがってた、
なんてことはあるからなあ。だからスレに出す話はうろ覚えだよ。
信用すんな。
542 :
例のにゃあにゃあ:04/04/02 23:21
>>541 もの凄く力強く同意するニャ。
我が輩も漠然とした記憶だけで書いたレポートに注付けようとしたところで、
文献の読み違いや読み落とし見つけて、よくアワアワしてるニャ。
だから、最近は読みながら書いて、直ぐに注付けたりしてるニャ。
ここに書き込む時はツッコミが激しいから、読みながら書くようにしてるニャ。
543 :
世界@名無史さん:04/04/08 23:11
すいません。アーネスト・ヴォルクマン著「戦争の科学」を読んで、
イングランドの長弓の威力に驚愕したクチです。
「(中略)あっという間に数百名の騎士が倒された。フランスの騎士たちは
わが眼を疑った。百八十メートルの彼方から放たれた敵の矢は、最強の
甲冑をあたかも紙であるかのように貫いていたのだ。」
このスレ読むとその威力に否定的なカキコが多いんですが、それがホントなら
この本の第二章の前半(長弓・長弓の科学)の項ははまったくの誇張というか捏造に・・・。
544 :
世界@名無史さん:04/04/09 22:48
実際アーチェリーの弓持っているけど
フライパンぐらいは軽く打ちぬけるよ。
長弓の威力は本当だと思う。
長弓は威力や精度では明らかに弩に劣る
イングランドの長弓戦術の真の恐ろしさは威力ではなく
その火力集中による突撃破砕射撃の弾幕密度にある
>>544 歴史群像の別冊か何かで
治承・寿永の乱で使われた弓を再現していましたが、
遠くからフライパンを射抜いていました。
正確な距離は忘れた・・・。
しかも世界史じゃなくてスマソ。
>545
弩は連射できんから野戦とか会戦じゃ使い物にならん
つうのも百年戦争でイングランドが善戦した理由だと思う
長弓、弩、鉄砲の射程と威力&連弩の存在についてたまたま調べて本に記述が
あったんで書き込んどくね。
明末の『天工開物』(宗応星著)によれば、
1.最も強力な弓の射程距離は200歩(317メートル)
2.最も強力な弩の射程距離は50歩(79.25メートル)で、射程距離から1歩でも
離れると極端に威力が落ちて、絹一枚貫通できないんだって。
じゃあ、なんで弩が必要かって話なんだけど。
1.射速は弓の10倍で
2.貫通力は弓の2倍なんだって。
3.(矢を装填した状態で待機でき、)城塞の防衛戦に向く
といった利点があったから必要だって。
4.は私見なんだけど、4.弩は弓に比べて腕力が必要ないってこと。
例えば、英のロングボウマンは育成に時間がかかったんで
結局欧州の戦争で主役になれなかったわけやし。
そんでもって、明代の連弩には
1.神臂弩・克敵弩というのがあって、これは2〜3本の矢を同時に発射する
弩だったみたい。で…
2.諸葛弩というのが10本の矢を装填して、発射するごとに矢が装填される
連発式の弩なんだって。でも、射程は31.7メートルと短くて、実戦向きの
弩じゃなくって、対泥棒用の護身武器に使われる程度だそうです。へぇー
そんで次に火砲の射程距離いっきまーす。
1.銅鋳造の西洋砲は射程が285.3メートル
2.防衛戦用の鉄鋳造のオランダ式砲は1141.2メートル
たぶんどっちも大砲かなぁ?
両方とも射程内で当たれば人馬は木っ端微塵(ギャ〜、えぐ過ぎ!)
大将軍(中国の巨砲)、仏郎機(水戦用)は射程の記述わかんないから
省略して…
>六
お前がAfoだってことは十分承知してるつもりだが、それにしても
>1.最も強力な弓の射程距離は200歩(317メートル)
>2.最も強力な弩の射程距離は50歩(79.25メートル)で、射程距離から1歩でも
と
>じゃあ、なんで弩が必要かって話なんだけど。
>1.射速は弓の10倍で
との両立が物理法則と矛盾してるぐらいのことはわからんのか?
なぜ射速が十倍なのに距離的には1/4しか飛ばないんだ?
お前が「ゆとり教育」の産物なのか、それともリア厨なのかはわからんが。
3.狩猟用の鳥撃銃(鳥銃)の記載は詳しくて…
射程47.55メートルで鳥はバラバラって、それ猟じゃないっちゃ!
射程79.25メートルで鳥の原形をとどめる。うーん(-_-;)
射程158.5メートルでは威力はまったくなし。って書いてます。
補足で銃身の長い鳥撃槍の最大射程は317メートルに及ぶそうです。
なるほどねぇ。
>>547 >弩は連射できんから野戦とか会戦じゃ使い物にならん
後のマスケットの発射速度を考えればその考えにはいささか同意しかねる
556 :
例のにゃあにゃあ:04/04/11 01:31
もしかしたら、割り込んじゃうかもしれないけど、横からごめんニャ。
西洋だと、15世紀の巻き上げ式で金属ボウの軍用クロスボウは、
45度の角度で発射した場合で最大飛距離が350メートル、
浅い角度での有効射程が64メートル、水平射撃時には45メートルだニャ。
14世紀の主流は両手引きの木製ボウで、最大飛距離が180メートルだニャ。
イギリスの長弓は木製ボウよりも射程は長いが、金属ボウよりは短いニャ。
騎乗から使ったり狩りに使うタイプの金属ボウの小型クロスボウは、
最大飛距離が250メートル、有効射程が45メートルだけど、
打ち抜けるのは小型の動物くらいで武装した人をうち倒せるかどうかは?だニャ。
軍用とは矢が違うみたいだニャ。
sir-ralph payne-gallwey, the crossbow,london, 1903,pp.5-6,20-22
このトピでも何度か紹介してる本だけど、著者はクロスボウコレクターのイギリスの貴族だニャ。
実際に当時のクロスボウを再現したりして実際に使った結果から算定した値らしいニャ。
放物線をかく弓の起動に対して、弩の矢は直進してより強い空気抵抗を
受けます。加えて、弩の矢は弓に比べて短く、羽の形状から空気中では
不安定で早く威力を失うため、射程は短くなります。
一方、機械式もしくは梃子の原理で巻き上げてるんで、威力は弓に比較
して、弩の方が高くなるんです。
ほんと、個人攻撃は感心しないっちゃね。それと少し理系の勉強したら
どうでしょう?食わず嫌いはいけんよぉ。
軌道が変換ミス…(TロT)
ネコ語さんの資料もかじっとこ♪サンクス☆
矢羽の形状などどうにでもなるし、そもそも直進するほうが
空気抵抗を受けるというのは信じられない
そもそも弩だって弾道が放物線になるように仰角をかけて撃てるし、
長弓だって水平弾道で撃てる
全然説得力を感じないな
それ以前に命中率で格段の違いがある曲射弾道と水平弾道を比較している
時点で意味がない
弩でも弓でも銃でも遠くの目標を射撃する場合は仰角をつけて撃つだろうし、
目標が近ければ水平に構えて撃つものだ
放物軌道=斜方投射は、水平方向に等速直進運動し、鉛直方向に鉛直投射運動します。
簡単に言うと、軌道は発射後に頂点に到達する弧をかいて落ちます。蛇足になるけど、
45度の斜角が一番飛びます。
直進軌道=水平投射は、水平方向に等速直進運動し、鉛直方向に自由落下運動します。
こちらの軌道は発射時点が頂点で、ひたすら空気抵抗を受け落ちるだけになります。
クロスボウガンはもともと構造上斜角がつけにくいんで時代が下ると
最初から台座に45度の傾斜をつけるんですが…効果は?どうなんかなぁ?
あと、矢を台座に固定する機構のために矢羽や矢の形状は限定されちゃうんです。
もっと根本的に…空気抵抗は速度の2乗に比例なの。
つまり、初速の速い威力のある弾ほどより強い空気抵抗を受けるわけ。
ソフトボールの球は速いほど軽いのと同じっちゃ。
思いつきだけの批判の為の批判はやめなよ、大人気ないなぁ(ーへー;)
重要なとこ書き落とし…
威力の高いクロスボウガンの方がより強い空気抵抗を受けて
急速に威力を失うんですよ
…です。
やれやれ、直進するほうが空気抵抗が大きいとか、初速が大きいから空気抵抗が大きいとか
ころころ持論を変えるのはいかがなものだろうか
初速が大きければより空気抵抗を受けて射程が短くなるというのは
明らかに矛盾しているのだが、罵倒の文句をひねり出すのに夢中で気づいていないのかな?
現代の火砲が射程を延伸するために初速を上げようと様々な改良を施すのと同様に、
弓や弩も射程を伸ばしたり精度や威力を向上させるために、弓部を大型化したり
材質を改良したりして初速を上げようと工夫をこらしているのだが
科学知識が無いって悲しいっちゃね。
ずっと弩の方が空気抵抗の大きい理由を羅列してるだけなのに、
どうやったら変節したようにとれるのかな?
世界史や物理学だけじゃなくて、日本語も苦手な人?もしかして?
>放物線をかく弓の起動に対して、弩の矢は直進してより強い空気抵抗を
>受けます。加えて、弩の矢は弓に比べて短く、羽の形状から空気中では
>不安定で早く威力を失うため、射程は短くなります。
この文を読むに、弩は空気抵抗が大きいから弓より射程が短くなると主張してるようだが?
ところで空気抵抗の大きい矢羽とはどういう形状なのかな?
まあ初速で10倍も違うのに、射程が1/4というのは明らかに物理の法則を超越してるのだが(苦笑
変なコテ付けてsageないで書き込んでるだけでNGワードだな
弩も弓も、用途や技術レベルに応じて種類やサイズは勿論、威力も射程も精度も千差万別
両者の違いは、発射に必要なエネルギーを人力に頼るか梃子等の装置に頼るかでしかない
中世ヨーロッパにおいて、携行可能な火器や投射式冷兵器の射撃戦の戦闘距離は
直接射撃を行う関係上、百〜百数十メートル程度で、二百メートルを超えることは滅多になかった
イングランドの長弓戦術は純粋に公算射撃を行うので仰角をかけて射撃できることから
従来の弩や手銃よりも戦闘距離は幾分長かっただろうが、それを戦場で実現するためには
いくつもの要件をクリアしなければならない
決してイングランドの長弓がイタリアやドイツの都市で製造された弩よりも
長距離で貫通力が勝っていたわけではない
本来、イングランドの長弓戦術がフランスの騎兵ではなくスコットランドの槍兵密集陣に
対抗するために編み出されたことは長弓戦術の戦術的意義を考察する上で注目に値する
素人でただの推測だけども。
矢が降ってきている状態では、たとえ装甲ではじき返せるとしても
落ち着いて陣形を組んだり、会議をしたり、昼飯を食ったりは
できないだろうと思う。
攻撃する側は、防御側の射程外で攻撃の準備をし、
攻撃を始めたら、弓の射程内ではじっくり活動することは許されない。
そうやって、攻撃側の自由度を拘束することに、
野戦での弓矢大砲の意義はあったんじゃないのかな。
イングランドだけでなく、古代のペルシアとかもやってた気がするけど、
なんで英国のロングボウだけが騒がれるんだろう。
あと、ひたすらあほらしいんだけど、
>561
・なぜ斜方投射では空気抵抗を受けないのか
・なぜ斜方投射では45度が最も飛ぶのか
・空気抵抗のある矢やボルトが、
等速直線運動をするにはどのような条件が必要か
>563
・速度の自乗に比例する項に対して
速度に比例する項を無視できる理由は何か
・「威力のある弾」の威力とは何か 単位は?
わかってると仮定して物理の問題
高さhからある速度vで水平に矢を射出した時、
到達した距離はlであった。
同じ矢を速度10*vで射出した時の到達距離l2を求めるために
必要な物理量を列挙せよ。
弓や弩が欧州で最後に使われた戦争はなに?
今でも矢文を使ってたりするんじゃね?
ランボーも使ってたしな!
576 :
例のにゃあにゃあ:04/04/14 21:06
>>543 sir charles oman, a history of the art of war in the middle age vol.2,london, 1978(first ed.1898),pp.143-144
これがなにを根拠にしてるかが分からなかったんで調べてみたんだけど、
ここまで長弓を過大評価しているかもしれない、歴史系の本は上のサー・オーマンくらいしか見あたらなかったニャ。
オーマンはクレシーの戦いでのフランスの損害の大半は長弓によるものだと評価しているニャ。
但し、弓がどこまで強力な物だったかははっきり書いてないニャ。
というより、見つけられなかったニャ。
>>556にも書いたけど、長弓より威力が強い金属ボウの大型クロスボウですら、有効射程は60メートル足らずだニャ。
ttp://www.deremilitari.org/RESOURCES/ARTICLES/ekdahl.htm エークダールの論文によるとクロスボウは敵を威嚇する目的で200メートルの距離から射撃を開始するけど、
これは威嚇が目的でこのために矢に飛ぶ時に音が出るように細工がしてあったみたいだニャ。
実際の戦闘距離は80メートルみたいだニャ。
鎧はと言うと、上の論文によるクロスボウの恐ろしさはよく知られていただけあり、
アザンクールの戦いが行われた15世紀の鎧はクロスボウや弓に対する防御を念頭に入れて発達したもので180メートルで、
紙のように打ち抜けるほど弱くなかったみたいだニャ。
577 :
例のにゃあにゃあ:04/04/14 21:06
john keegan, the face of battle, pimlico, 1991, pp.90-94
キーガンによるとアザンクールの戦いの時にイギリス軍は270メートルの距離で射撃を開始したけど、
これによる被害は殆どなく、フランス軍が前進してきた時にも水平射撃で鎧の隙間なんかを、
ねらい打ちしてようやくうち倒せるって感じで鎧を簡単に打ち抜けるってほどじゃなかったみたいだニャ。
それで、弓だけではフランス軍の前身を阻止できずに歩兵同士の戦いに移行したニャ。
>>353 で実際に弓の威力を実験した番組が紹介されてるニャ。
この手の実験は昔からちょくちょく行われてきたみたいで、キーガンなんかその手の実験を元にアザンクールの戦いを分析したりしているみたいだニャ。
とりあえず、180メートルの距離で長弓が甲冑を紙のように打ち抜くとは、考えづらいってことになるみたいだニャ。
但し、捏造とか何とかとは考えない方がいいと思うニャ。
この手の学説って論争が激しくて、明確なファイナル・アンサー、最終結論って出し難いみたいなんだニャ。
我が輩もなにを信じていいのやら、困ってるところだニャ。
578 :
AIRSHIP:04/04/14 21:42
4月17日(土)1300から、台東区墨田公園で流鏑馬が行われます。
興味がある人は、行って見たら如何ですか。
駅は、浅草から、場所的には吾妻橋と言問橋の間の隅田川沿い。
579 :
世界@名無史さん:04/04/14 22:40
>575
ランボーが射たあの矢は実在するの?
>>551 神臂弓は元や明の時代には既に実態不明になってたらしいが。
連弩なのかどうかすら、誰も断言はしてないとはず。
ついでに神臂弓→克敵弓→神勁弓、と強化改良されてったみたいだな。
>>562、
>>564 ・・・クロスボウガン?
クロスボウかボウガンだろ?
もまえはモンハンプレイヤーか?
神臂弓は中国におけるバリスタって意見もありますね。
>>581 そうか、
>>562と
>>564はバリスタと言いたかったのかも知れんなw
それはそうと、確かに? 神臂弓はかなり強力らしいな。
とは言え、確証や正体の正確な情報は今のところどこにもないのか・・・。
実物がどっかで出土でもしないだろうかな?
以下の話は本来なら鎧スレ向きかも知れないのだが、見るとむしろこちらの方で何度も
話題に上りながらも立ち消えしてしまった話のようなので、ここに書かせてもらいたい。
それは、<<西洋の中世から近世にかけて用いられた武器の威力はどの程度のものなのか
そして鎧はその攻撃にどれぐらい耐えられたのか>>という基本問題である。
以下の叙述については下記の本が主なネタ元だが、上記のテーマに関心が深い人には
購入を勧める。かなり高価(279$)だとはいえ科学史畑出身の著者による大判で954p.の
この本には、質と量の両面で十分値段に見合った情報が詰め込まれていると思うからだ。
Williams,Alan:The Knight and the Blast Furnace:A History of the Metallurgy
of Armour in the Middle Ages & Early Modern Period:Brill:2002:90-04-12498-5
(以下における参照及び引用で「Williams, p.○○」とあるのはこの本のことである)
私はこのスレの諸氏ほど鎧や武器、及び戦史や戦術に明るくないので、不十分な記述も
多々あるかと思うがその点はご容赦願いたい。だがこと金物としての鎧の強度と武器との
力関係に関してならば、きちんとmechanical testを行った上でのシミュレーションに
基づいて書いているこの本の方がネット上や邦語文献の情報よりも信頼性は高いと思う。
ではまず装甲用金属について基本的な事実を確認しておこう。対象は銅と鉄である。
基本的に装甲用金属の強度を高める方法は、成分の工夫、鍛造、熱処理の三つである。
まず銅に関して言うと純銅の硬さは40VPH(Vickers Pyramid Hardness(kg/mm^2)だが、
錫の添加によってその硬度は増加し錫を10%含む青銅の場合110VPH程度にまで達する。
さらに銅及び銅合金は冷鍛が硬度向上において効果的であり、純銅を厚さが70%減少
するまで冷鍛を行うと硬度は約100VPHに高まるし、青銅の場合も同様に冷鍛によって
硬度は増大し錫10%の青銅では270VPHに達する。(Williams p.5f.)
なお銅合金の場合、焼き入れによる硬度の向上が可能なものと(ある種の黄銅系合金)
逆に柔らかくなってしまうもの(銅ーアルミ、銅ー金系)があり、青銅は錫の量にも
拠るが、錫が7-8%を超えるものでは急冷でかえって柔らかくなる可能性があるようだ。
(参:鹿取一男:工芸家のための金属ノート p.28f.:アクネ社:4-900041-03-3)
これに対して鉄はどうかというと、実は純鉄の硬度は60-80VPH程度に過ぎない。
だがこれに炭素を吸収させる事で漸次硬度が増すのは周知の通りで(いわゆる鋼鉄)、
空気中で徐々に冷まされた炭素1%含有の鋼鉄の場合、硬度は230VPH程度に達する。
(ただ昔の鉄はスラグが多いため脆いが硬度に関しては低炭素でも100VPH以上あった)。
だが鋼鉄といえど、このままでは必ずしも鍛造された青銅に硬度の点で及ばないことが
わかるだろう。実際、前6世紀ギリシャの9-11%の錫を含んだ青銅鎧の史料は平均で
155VPHを示しており、これは16世紀のドイツで低炭素鋼によって作られた大量生産の
兵卒用甲冑(munition armor)の硬度に匹敵するほどなのである。(Williams, p.8)
従って鎧の素材としての青銅が鉄に駆逐された原因としては、古代においてはコスト、
特に近東の資源が枯渇して以後はイギリス南部まで赴かざるを得なくなったことによる
錫のコスト高に帰因する面が大きいと思われる(刃物ではなく鎧の素材としての話)。
(cf.Embrey,P.G.& Symes,R.F.:Minerals of Cornwall & Devon p.16f.:British Museum)
だが鋼鉄の実力はこんなものではない。もちろん鉄にも鍛造は効くが、鋼鉄の場合、
焼き入れという遙かに効率的なやり方によって大幅に硬度を増す事が出来るからだ。
即ち800-900度に熱した鋼を水で急冷することにより、僅か0.1%程度の低炭素鋼ですら
約300VPHにまで、そして炭素含有量を増すにつれ硬度は上に凸の放物線を描いて増大し
炭素1%の鋼では1000VPH近くに達するのである。だからスラグの多い昔の鋼でも容易に
300-700VPHを得られただろう事は、強靱さを増すため焼鈍しで硬度を落した15世紀末
以後のインスブルック製良質鎧がなお400-500VPHを示していることからも明かだろう。
この焼き入れ技術自体は紀元前からあったものなのに、鋼鉄のプレートアーマーが
14世紀末あるいは15世紀初めまで作られなかったのには冶金学的な理由がある。
それは人類が長い間、鉄を完全に溶かす事が出来ず、鉄鉱石を比較的小さな炉の中で
木炭による還元を利用するやり方によって小さな塊(bloom)状態で鉄を得ていたため、
この塊鉄の大きさが最終製品である装甲板の大きさを限界づけていたのである。
この不純物を含んだ塊鉄から最終製品としてできる鉄の量はおよそ1/2〜1/4(研究者
によって見積もりが異なる)である。仮に1/3とすると、リベットでつなぎ合わせながら
ブレストプレートを構成するやり方をとっても、その鉄板を作るのに必要な3〜4kgの鉄
を得るためには最低10kgの塊が必要だが、高炉技術の発達によってこれ以上の塊が
安定的に得られるようになったのがまさに14世紀末頃なのだ。(Williams P.877f.)
実は帝政時代のローマでも、ほぼこの水準の塊鉄が作られ始め、lorica segmentataを
超えるような板金鎧の製造も可能になる寸前だったのだが、平均的な炉の能力がその
水準に及ばなかったのか、それとも戦術思想の問題だったのか、結局実現しなかった。
そしてその後は製鉄技術の衰頽のため大きな鉄塊が得られなくなったせいで中世の鎧は
長い間、chain mail等の形で発達せざるを得なくなったのである。
では、当時のロングボウやクロスボウ、さらにはピストルや火縄銃、マスケット銃は
どの程度の威力があり、同時代の鎧との力関係はどのようなものだったのだろうか。
まずはロングボウとクロスボウの放つ矢の威力から話を始めよう。
種々の武器による打撃力を比較するには運動エネルギーとして一般化するよりない。
一般に、運動エネルギー(J)=1/2x質量(kg)x速度(m/sec)x速度(m/sec)、であるが、
古代から中世にかけての剣、槍、斧の出せるエネルギーは60-130Jであったことが
(Blyth,P.H.:unpublished PH.D.Thesis, University of Reading:1977)
の実験によって検証されている。
もちろんインパクトエリアはエネルギーと同じぐらい重要な問題で、同エネルギー
なら、あたるポイントが小さいほど貫通の脅威は増大する。
例えばPope,Saxon:Bows & Arrows rep.1974、によればロングボウの矢のエネルギーは
draw-weight50lbのものが10ft地点で170J、75lbので212Jであるが、矢頭については
ソフトな目標にはbroadhead型のものが、装甲化された目標にはbodkin(尖った)
タイプのものがエネルギーは同じでも、より効果的であったという。
ではこれは当時のmail系の鎧に対してどれぐらいの効果があったのだろうか?
Popeの実験では75lbの弓で7ヤードの距離からbodkinタイプの矢を撃ったところ、
松板の箱に張られた重量25lb、直径13mmで22ゲージワイヤの輪からなるmail shirt
を貫き、さらに箱の両面をもぶち抜いたという。ただ彼の数字はやや過大であるか
あるいは弓が材料等の関係で歴史上の長弓より過剰な性能が出ていた可能性がある。
なぜならMcEwen et al:Experimental Archery in Antiquity,62(1988)pp.658-70
の実験によれば、draw-weight36kg(80lb)のイチイ製のロングボウで射られた50gの
field arrowの初速は53m/sec、90gのbroad-head arrowは43m/secにすぎずイニシャル
エネルギーも計算上それぞれ約70Jと83J程度だからである。なお彼らはクロスボウに
ついても考量しており、41kg(90lb)draw-weightのクロスボウから発射された100gの
boltの初速は62m/secに達し192Jのエネルギーを得るとした(*)。(Williams p.919)
(*)ただこれは初速であり空気抵抗を受けた矢やboltは徐々に減速するが、この抵抗は
矢より短く太い形をした弩のboltの方が著しく、例えば50mの地点では最初43m/sec
だった矢が37m/secに減速しエネルギーは83J→61Jとなるのに対して、同じ地点での
boltの速度は62m/secから41m/secへと減少し運動エネルギーも192J→101Jへと急減する。
次に当時の銃器の威力はどれぐらいだったのだろうか。もちろんこれが口径、銃身長、
火薬量、火薬の質といった多様な条件に左右されるのは言うまでもないことだろうが、
とりあえず各時代における標準的と思われる性能を持った銃の威力を数値化してみよう。
初期のハンドガンは14世紀に登場するが、レプリカを造り実験したLassonのデータ等
から推測するに、50gの鉛弾丸に38gのuncorned powderを使用した (200x23mm)口径の
この銃ですら250J程のイニシャルエネルギーを持ち、現に実験では30mの距離で軽装甲
の鎧を貫通したという(*)。
(*)ただこの250Jという数値を持つ銃弾の破壊力が矢や弩のそれと同列には論じられない
ことは後で説明する。実は弾丸は鎧を「破壊」するのに矢などよりも大きなエネルギーを
要するのであり、この鎧(詳述されていない)はかなり脆弱なものだった可能性がある。
その後ハンドガンの火力は15世紀のフス戦争の際に大いに発達して500-1000Jに達したし
後に登場した長銃身の火縄銃やマスケット銃の威力は火薬の改良もあってさらに恐るべき
ものとなった(serpentine powder から燃焼速度の均一なcorned powderへの改良などで)
cf.Hall,Bert S.:Weapons & Wafare in Renaissance Europe chap.3:Johns Hopkins:1997
以下に各時代別の武器の威力の概算的な値をまとめて挙げておく。(Williams, p.922)
@時代 @武器 @イニシャル・エネルギー
全時代 剣、斧 60-130J
11-12C ロングボウの矢 80-100J
クロスボウのbolt 100-200J
14C 初期のHandgun+serpentine powder 250J
15C フス戦争期のHandgun+serpentine powder 500-1000J
16C 火縄銃+serpentine powder 1300J
火縄銃+corned powder 1750J
16C後期 マスケット+serpentine powder 2300J
マスケット+corned powder 3000J
これを見ると15世紀以後の銃器の発達がどれほど戦争の内容を変えたか想像がつこう。
はたしてこれらの火力に対し同時代の鎧はどの程度対抗できたのだろうか?
Grancsayが強度実験のため自分の持ついくつかの鎧を、ホイールロック型マスケット銃、
draw-weight 30kgの弓、同じくdraw-weight330kgのクロスボウで5mの距離から試し打ち
したところ、その距離でも目標に対する角度が大きい場合、矢やboltは弾かれることが
わかったし(正面からなら貫通しても)、マスケットの弾丸の場合も2/3はhelmetや
brestplateを貫通したものの、16世紀の上質の鎧を貫通させる事はできなかったという。
彼が用いた火薬は20gのserpentine powderという比較的弱いものでイニシャルエネルギーは
マスケットなのに900J 程度だったと推測されるとはいえ、鎧は意外と効果的に見える。
また王侯貴族のような高級な鎧の注文者は15世紀においてはクロスボウに対する耐久力の
保証を、16世紀においては火器に対するそれをしばしば要求したことも記録されている(*)。
(*)そういう顧客の要望に応えるため当時の鎧制作者は注文の鎧をクロスボウやハンドガン
による近接射撃テストで安全を確かめてからマーク付きで販売する事もあった。ただこの
テストをクリアできたPistol-Proof鎧は高価で重い物ではあったが。(Williams, p.920)
次回はこういうプレートアーマーの強度を実際のmechanical testとシミュレーションから
算出しているWilliamsの論考を追ってみる事にする。(この項続く)
ブラボー!
すばらしい!
さて、博物館の鎧を破壊するわけにもいかないのでWilliamsの採った方法は以下である。
(1)まず現代の軟質鋼板(厚さ2mm、炭素0.15%、硬度235VPH)を用意し、これに各種の武器
(主に当時の模造品)によって攻撃を加えてデータを取り、様々な厚さのこの種の鋼板が
矢と弩のbolt、及び弾丸に対して発揮しうる抵抗力の基本数値を測定&シミュレートする。
(2)著者が長年に渡って調査した当時の鎧に関するデータと、(1)におけるデータに基づき
(i)鎧の厚さ(ii)形状(これにより当たる角度が変化する)(iii)硬さ(iv)スラグの混入
といった諸要因が持つ強度への影響力を具体的に数値化する修正強度算定式を作る。
(3)対象の鎧に(1)の基本数値と(2)の数式を当てはめて、当時の鎧の強度を計算する。
ただ「鎧の破壊」の定義だが、実際問題としてこれが矢と弾丸では同一でない事は明白
である。例えば矢やboltはある程度先端が食い込めば「中の人」に致命傷をも与え得るが
銃弾は全体が完全に正面装甲を貫かなければ「中の人」を傷つけられないし(打撃力に
よるショックは無視する)弾丸は変形でエネルギーをロスすることも考慮せねばならない。
それゆえWilliamsは矢系の場合それが鎧に40mm食い込めばdefeatedとみなしたが、弾丸は
装甲を完全に貫通した場合にのみそうみなしている。(以下「破壊」に替えdefeatを使用)
矢(及びbolt)に対する現代軟質鋼板の抵抗力の表(defeatするのに必要なエネルギー)
鉄板の厚さ1mm 2mm 3mm 4mm
垂直正面 55J 175J 300J 475J
角度30° 66J 210J 360J 570J
角度45° 78J 250J 425J 670J
弾丸に対する(現代軟質鋼板の)抵抗力の表(defeatするのに必要なエネルギー)
鉄板の厚さ1mm 2mm 3mm 4mm
垂直正面 450J 750J 1700J 3400J
角度30° 540J 900J 2000J 4000J
角度45° 630J 1050J 2300J 4700J
これを基に前述の鎧の強度を左右する要因である(i)鎧の厚さ、(ii)形状、(iii)硬さ、
(iv)スラグの混入、の影響度を具体的な数値で見てみる事にしよう。
(i)鎧の厚さ
上の表からでは読み取り難いが抵抗力は厚さの約1.6乗に比例することがわかっている。
(cf.:Atkins,A.G.& Blyth,P.H.:Stabbing of Metal Sheets by a Triangular Knife:
International Journal of Impact Engineering:2001 の研究によるWilliams, p.928f.)
具体的には1mmの抵抗力を1とすると1.5mmなら1.9、2mmなら2.9、2.5mmで4.1、3mmで5.5
3.5mmで7.0、4mmで8.6、4.5mmで10.3、5mmで12.1、5.5mmで14.1、6mmでは16.1である。
(ii)鎧の形状
上記の表からも判るように平らな板の垂直正面に命中する場合と角度がある場合とでは
defeatに要する力はまるで異なる。(a)鎧には丸みを帯びたものがあるし、中にはさらに
(b)竜骨的形状をを付加したものもある。図を書いてみれば理解できるだろうが、一般に
角度Aで板に当たった場合のエネルギーはcosAを掛けたものになる。逆を言えば、平板
ならEのエネルギーでdefeatされる場合、角度Aで板にぶつかった場合defeatに必要な
エネルギーE’=E/cosAであり、これを実際に(a)や(b)のような形状をした鎧を撃つ
場合に当てはめてみると、(a)には1/cos30=1.2、(b)には1/cos45=1.4を掛けたものが
実際のdefeatに必要な修正値となることが確かめられている。(Williams, p.930)
(iii)鎧の硬さ、と(iv)スラグ混入の影響とは「鋼の質」で一括して数値化しよう。
容易に想像されるように、鎧の材質にとって重要なのは単に硬いだけではなく強靱で
あることであり、これは鋼の熱処理の過程が優れているだけではなくスラグの混入が
少ない事も重要な条件である。Williamsは調査対象となった鎧の成分検査と平行して
現代の鉄にスラグを混入したものを造って、それが強度に及ぼす影響を実験した。
この結果に基づいて彼は当時の材質をおおよそ四段階に分け、前記の現代における
軟質鋼板の強度を1とした場合に、それらの材質が示す強度修正係数を算出している。
従ってそれぞれの材質カテゴリーでできた鎧の板金をdefeatするためには同じ厚さの
現代軟質鋼板をdefeatするのに必要なエネルギーに以下の係数を掛ける必要がある。
@材質のカテゴリー @現代軟質鋼板を1としたときの修正係数(W)
(*) (最低品質の)鉄製兵卒用甲冑 0.5
(**) (中品質の)低炭素鋼の鎧 0.75
(***) (ミラノ式の)中炭素鋼の鎧 1.1
(****)(インスブルックの)熱処理で硬化された中炭素鋼の鎧 1.5
現実にはさらに考慮すべき要因がある。
(1)鎧下などの緩衝材の効果:
十六折りのリネンが鎧の下にあると、刃物に対しては+80Jの、槍の切っ先に対しては
+50Jの追加防御効果の存在が検証されている。
(2)肉体に深手を負わせる事自体に必要なエネルギー:
戦闘中に軽い傷を負っても相手は戦いをやめないだろう。だが「深手」をモノとしての
肉体に負わせるには、さらに50-60Jのエネルギーが必要だと考えられる。
それゆえ、単に鎧をdefeatするのに必要なエネルギーだけではなく(1)と(2)とを併せて
(余裕を見て)150J程度の付加的エネルギーが現実の戦闘においては必要と考えられる。
従って、Eを同じ厚さの現代軟質鋼板をdefeatするのに必要なエネルギーとすると
(中の人のdefeatに必要なエネルギーである)E'=(EW/cosA)+150J、となり、
T^1.6を厚さ(mm)の1.6乗を表すとすると矢の場合は、E'=(55WT^1.6/cosA)+150J
弾丸ではE'=(450WT^1.6/cosA)+150J、剣ではE'=(80WT^1.6/cosA)+150J
となる。(Williams,p.935)(原文には弾丸の場合の数字が155になっているが訂正した)
次にmail及び非金属製の鎧の耐久力(defeatに必要なエネルギー)について触れる。
ただしmailはプレートの場合と異なり下にキルトのlinen jackを着けての評価である。
なおここでのbladeは、剣ではなくハルバード著者が長年に渡って調査した当時の鎧に関するデータに基づきを模したものによる実験結果である。
@材質 @対Blade @対Lance @対矢 @対弾丸
現代の材質でのmail >200J >200J 120J 400J
15世紀のmail 170J 140J 120J −
buff leather 70J − 30J −
hardened leather 50J 20J − −
horn 120J − 50J −
cuir-bouilli 80J 30J − −
(padding) 80J 50J − −
jack 200J − −
hardened leatherとcuir-bouilli(革を蝋につけて硬化したもの)は5mm厚のもの。
paddingは16x21cmで60gのlinenの16折。jackは12.5x15cmで171gの物がテスト対象。
さて、最後に具体的な戦闘状況におけるWilliamsによるケーススタディを紹介しつつ
当時の鎧の総合的な防御力について考察してみる事にしよう(これまでの表を参照)。
(1)mailを着用した11-12世紀の騎士の場合。
@刃のついた武器で彼の鎧(の中の人)をdefeatするためには少なくとも200Jが必要。
(mailと下のjackは170Jでdefeated、それ以上の分が人体を直接傷つける力となる)
200Jは極めて力の強い男が両手で斧や剣を振るった時かろうじて可能かも知れぬ数値。
@弓矢の場合は120Jでmailと下のpadding双方をdefeatできるが、これは例外的な力
を持った射手の強弓でないと不可能。ただクロスボウなら片手用のでも可能であろう。
(2)増大するクロスボウの脅威に対抗してmailに加え別の鎧も着けた13世紀の騎士の場合。
@cuir-bouilliによる補強。これで対抗できる運動エネルギーは120+30=150Jにすぎず
近距離からのクロスボウの攻撃に対抗するには不十分。
@厚さ2mm、材質カテゴリー(*)のcoat of iron plateによる補強。不快なほど重いが
120+175x0.5=207.5J、でなんとか対抗できそうである。