711 :
世界@名無史さん:2009/07/31(金) 04:09:24 0
age
712 :
世界@名無史さん:2009/10/15(木) 02:04:36 0
a
〔お金のない時代〕
昔々、人間は生活に必要なものをすべて自分たちの共同体で作りださなければなりませんでした。
それはとても効率が悪く、大変な作業です。
それに自分たちだけでは作りだせないものもあります。
また、せっかく作っても必要な時に足りなくなっている場合もあります。
そこで、他の共同体が作ったものと自分たちが作ったものとを交換する必要が生まれました。
これが物々交換と言われるものです。
しかし、物々交換は交換の手段としてはとても不便でした。
たとえば、あなたたちが魚を捕っている漁師さんだとしましょう。そして、魚を焼く時に使う塩が欲しいとします。
塩を作っている人が魚をほしがっていれば、交換はスムーズに成立します。
しかし、相手が「魚より肉がいい」と言った場合は、さぁ大変です。
あなたたちは山に獣を狩りに行くか、他の余分な肉を持っていて尚且つ魚をほしがっている人を探さなければなりません。
また、その人を捜している間に魚が腐ってしまう場合もあるでしょう。
このように物々交換はお互いの間で欲求や必要がピッタリ合っていないと交換がスムーズにいかないのです。
この不便さを解消するために、何にでも交換できる媒介物が考えだされました。
それがお金と呼ばれるものです。
つまり、お金とは、それを持ってくれば「それ相当分の何かと交換しますよ」
という"取り決め"であり、言い換えれば"情報"だったのです。
このお金が発明されたことにより、交換がスムーズにおこなわれるようになりました。
そして、人類は初めて自分の好きな事を職業して生きていくという自由を手に入れます。
たとえば、絵が好きな人がいるとして、それまでは絵を描いているだけでは食べていけないので、
日常生活に必要な食糧等を作りながら絵を描かなければなりませんでした。
しかし、絵を売ってお金にし、そのお金によって日常生活に必要なモノを買って手に入れることができるようになったのです。
また、お金の発明により分業が可能になったため、専門技術を持つ人が現れ、
生産がより高度比・効率化され、文明が発達していくことにもなりました。
〔商品貨幣〕
お金として初めから今のような紙幣や硬貨が使われていたわけではありません。
米や小麦、塩、油、布、皮革、牛や羊といった、その土地で多くつくられ、
誰もが生活していくにおいて必要としている物を"お金"として使っていました。
このような貨幣を"商品貨幣"といいます。
誰もが必要とする"必需性"が、その品物を交換の媒介物=お金として成り立たせたのです。
ただ、商品貨幣には不便な点がありました。
お米や小麦は古くなれば品質が悪くなりますし、小額の取引を行う度に牛を切り刻むわけにはいきません。
塩ばかりたくさんあっても腎臓を悪くするだけです。
それに自然物は天候に左右されるので供給にムラがでます。
〔貝殻貨幣〕
最初にお金として世界的に広く使われたものはタカラ貝でした。
この貝は珍しく、希少で、美しい色艶をしており、硬く、粒も揃っているので、
ネックレスなどのアクセサリーとして大切にされ、皆が欲しがりました。
皆が欲しがるからお金として成立したのです。
ちなみに、買・資・財・貯などお金に関する漢字に"貝"がついているのは、この頃の名残です。
ここからお金は「必需性に基づいたもの」から「希少性に基づいたもの」へと変わってゆきます。
希少性とは、それ自体が少ししか存在しない珍しいもので、皆が欲しがるようなものです。
このことは後の社会を形成する際に多大な影響を与えてゆくことになります。
なぜなら希少性に基づくということは常に大衆に「足りない」という意識を植え付けるからです。
「足りない」という意識は競争を生み出します。
誰かが豊かになればなるほど別の誰かはより足りなくなってしまうのです。
それを手に入れるためには競争に勝たなければなりません。
〔金属貨幣〕
やがて鉱石から金属を採る技術が発達してくると貴金属がお金として使われるようになりました。
貴金属は腐ったり、磨り減ったり、なくなったりすることがあまりありません。
また、自由に分割したり足し合わせたりすることもできますし、少量でも交換価値が高いので持ち運びにも便利です。
こうして長い年月が経つうちに世界中のほとんどの地域で金・銀・銅などの金属がお金として使われるようになりました。
このようなお金を「金属貨幣」といいます。
金属貨幣の最大の特徴は「腐らない」ということです。
ですから商品貨幣と違い、保持していても交換価値が落ちません。
これによりお金に「価値の貯蔵手段」という機能が加わります。
しかし、金属貨幣も最初の頃は受け取るたびに品質を調べたり、重さを量ったりと、不便な点もありました。
そこで大きさと重さ、混合物の量がきちんと決められたお金=鋳造貨幣(コイン)がつくられるようになったのです。
〔鋳造貨幣〕
紀元前6世紀頃には、各国で盛んに鋳造貨幣がつくられました。
重量や混合物が一定の鋳造貨幣は、交換価値の尺度となります。
たとえばボールペンと箸はまったく別の分野のモノなので、本来は比較できないのですが、
価格という価値尺度を間に挟むと、不思議と100円のボールペンと500円の箸ならば500円の箸の方が価値が高く感じられ、
逆に500円のボールペンと100円の箸ならば500円のボールペンの方が価値が高く感じられます。
このようにあらゆる分野の商品の価値を、価格という一定のモノサシで測ることができるようになりました。
ただ、誰もが勝手にこの鋳造貨幣をつくってしまっては、本当に重さは正しいのか、混合物の量が一定なのか不安になります。
信憑性が薄くなると、やはり取引の度に調べなければなりません。
そこで次第に国王や貴族など、権威のある人に鋳造貨幣をつくる権利が集中していきます。
これまで、お金の量は「どれだけ金(銀・銅)が発見されるか」にかかっていました。
しかし、貨幣発行権の集中は、誰にどれだけお金を分配するかを決める権利を時の権力者に与えることになりました。
これにより、お金は「支配の道具」にもなっていきます。
〔兌換紙幣〕
さて、中世の後期、最も価値の高いお金の単位は金のコインでした。
その金の純度をチェックするのは金細工師の役割です。
金細工師の家には、大きな金庫があり、当時のお金持ちは金貨を強盗や空き巣から守るために、その金庫に預けていました。
金細工師は金貨と引き換えに受領書を渡し、保管のための手数料をもらっていました。
お金を預けていたお金持ちのAさんは、何かを購入するときに金細工師に受領書を渡し、引き出した金貨で支払いをします。
その代金を受け取ったBさんは、金貨を持っていると強盗や空き巣に入られると困るので、
やはり金細工師の家の金庫に預け、受領書を受け取ります。
それならば、わざわざAさんは金貨を引き出さなくてもBさんに受領書を渡せば、それで済むことです。
次第に人々は金貨を使って取引するより、直接、受領書を使って支払する方が
便利で安全であることに気づき、その受領書が紙幣の役割をすることになります。
こうして人々が紙幣で取引をし始めると、金細工師の金庫の中にある金貨は眠ったままになります。
「もし預金者全員が一度に金貨を引き出しに来なければ、この金貨を担保に紙幣を発行してもよいのではないか」
そう考えた金細工師は、お金に困っている人に紙幣を貸し出し、その貸し出し料として
利子を受け取るというビジネスを始めたのです。
こうして13世紀のイタリアで近代式銀行業が始まりました。
続く
続き
この時から、お金は銀行から融資を受けた時につくられる(=信用創造)ようになったのです。
よく考えてみれば、預かっている金貨は金細工師の金ではありませんし、
勝手にそれを貸し出しているのですから、これは横領です。
しかし、その方法は秘密裏にされていたために非難されることはありませんでした。
お金が、銀行が発券する紙幣に変わっていくと、これまでのように国家がお金をコントロールすることができなくなりました。
近代になると、政府と銀行の間で一つの取引がなされます。
それは政府が必要とする資金を常に供給する代わりに「銀行がお金を発行し管理する権利を得る」というものです。
このような取引は、1668年にスウェーデンの不動産銀行(現在のスウェーデン中央銀行)
と初めておこなわれ、これをモデルにイギリスでも1688年にイングランド銀行が誕生。
その後、そのような役割と特権を持った中央銀行が各地で誕生しました。
〔金本位制の崩壊〕
1929年、ニューヨークのウォール街で株式が大暴落したのをきっかけに、世界大恐慌が起こりました。
経営がおかしくなった企業は、銀行に駆けつけて預金を引き出します。
はじめのうちは要求に従っておとなしく銀行券を渡していた銀行も、
苦しくなった企業が増えるにつれ、預金引出しを渋るようになりました。
そうなると預金を引き出すのに銀行券をもらうのが不安になり「金で返せ」というようになります。
しかし、それだけの金貨が銀行にはありませんでした。
既にみてきたように、銀行は手持ち以上の銀行券を発行していたのです。
ますます銀行券は信用されなくなり、兌換要求に応じられない銀行は倒産に追い込まれました。
そうなると倒産した銀行に預金していた企業や融資を頼っていた企業も巻き添えになり、倒産してしまいます。
このように倒産の嵐が吹き荒れ、失業者が街にあふれてしまったのです。
こうして大恐慌が原因となり、主要各国の金本位制は崩壊しました。
〔金為替本位制〕
第二次世界大戦は膨大な物資の消耗戦となり、広大な国土に豊富な資源を持つ米国は、その資源の供給国となりました。
戦後、全世界の70%、約22000t(全盛期の英国でさえ1000tといわれる)もの金が米国に集まっていたことが決め手となり、
ブレトン・ウッズ会議で「米ドルのみが金と交換可能で、他国のお金は米ドルと交換できる」
という金為替本位制がとられることになります。
〔変動相場制〕
しかし、米国は1960年代にベトナム戦争での大量支出や、対外的な軍事力増強などを行った結果、
大幅な財政赤字を抱えることになり、国際収支が悪化して、大量のドルが海外に流出してしまいました。
米国は、金の準備量をはるかに超えた多額のドル紙幣の発行を余儀なくされ、金との交換を保証できなくなったのです。
1971年、当時の米国大統領ニクソンは、ドルと金の交換停止を発表しました。
これをニクソン・ショックといいます。
金為替本位制は崩壊。
通貨制度は変動相場制へと移行しました。
これにより、お金はこれまでの兌換券から不換券へと転換しました。
お金の裏付けとなるものが何もなくなったのです。
この頃からお金は糸の切れた凧のように不安定なものとなっていきます。
その中でも最も重要な変化が、それまでは銀行へ預けた金貨をいつか返還してもらうための「預金者の債権証書」
であった銀行券が、立場を逆転し、銀行へいつか返済しますという「銀行の債権証書」となってしまったことでしょう。
すべてのお金は銀行への負債(=借金)からつくられ、銀行券は銀行へ返済する証文となったのです。
〔投機マネー〕
価値の裏付けを失ったお金の価値は、為替市場で決められるようになりました。
需要と供給のバランスによって決まる「お金の価値」は、投機的利益の道具となっていきます。
そして、金という「実質的な財」の制約から解放され、単なる数字となったマネーは、
コンピューターの発達に乗って、利益を求め世界中を駆けめぐるようになります。
投機とは、将来の価格変動を予想して、現在の価格との差額を利得する目的で行われる
商品や有価証券などの売買のことです。
その基本は、安い時に買って高い時に売る。
価格変動がなければ利益がでませんし、変動幅が大きければ大きいほど巨額の利益を獲得するチャンスとなります。
一般の生活者からみれば、お金の価値は変わらず安定していた方が良いのですが、
投機家にとっては変動しないと困るわけです。
そして、巨額な資金を持つ機関投機家は、為替市場を操作することができます。
実体経済からかけ離れ巨大に膨れ上がった投機マネーは、1990年代後半に世界各国で
金融危機を引き起こし、世界を新たな混乱に陥れていきました。
どこから写してきたの?
子供の頃は、日本や中国の貨幣しか興味なかったが、
今はヘレニズム時代の貨幣が好きだなあ・・・。
貨幣の表面に刻まれる国王の肖像彫刻がいいんだよね。
円形方孔の銭を発行してほしい。
やっぱり伝統文化は尊重てくれよ造幣局さんよ。
そして中国や韓国や越南にも同じこと言いたい。
724 :
日本からパクった成果を民族主義に転換している:2010/02/20(土) 12:28:51 0
1.15世紀の朝鮮、ハングルを作った国王世宗の治世。中国で貨幣が流通していることを知った
世宗は中国から貨幣を輸入して、「貨幣を使わない者は処罰する」という法律まで作って、貨幣を
流通させようとしたが、結局失敗している。それは農民と官僚が主体の社会で、物々交換が行われ
ていたからである。(世宗実録より)
2.12世紀の日本、平家の治世。平清盛は周囲の反対を押し切って、中国から貨幣を輸入して、
流通させようとしたら、爆発的に大流行したという記録が残っている。世宗と清盛を比較する人は
いないが、やろうとしたことは全く同じである。
3.15世紀の世宗の治世。朝鮮から役人が来日して、漢文の見聞録を書き残している。それによ
ると、当時の日本(室町時代)は社会の隅々にまで貨幣が浸透していて、乞食でさえ米を欲しがら
ず金をほしがる様子に驚いている。さらに有料の宿屋、渡し舟、馬まで用意されていて、日本では
金さえ持っていれば旅ができるので驚いているのである。(老松堂日本行録より)
725 :
日本からパクった成果を民族主義に転換している:2010/02/20(土) 12:30:05 0
4.17世紀、江戸時代初期の日本。米などの物資が集積するのが大阪で、巨大消費地が江戸に
なったため、代金をいちいち運んでいては不便で危険であった。そのため、手形で決済する仕組
みが成立した。さらにそれが発展して、18世紀初頭には米が収穫される以前に権利を売買して
おく、いわゆる先物取引市場が大阪堂島に世界で最初に成立するのである。(NHK出版「マネー革命」より)
5.19世紀末の朝鮮。イギリス人女性イザベラバードは、日中韓を旅してそれぞれ旅行記を書
き残している。当時の朝鮮半島の様子を、ソウルとその周辺で銅銭が流通しているのみであり、
地方に行くとそれさえも流通しておらず、物々交換が行われていると指摘している。(朝鮮紀行より)
※以上、山本七平著「日本人とは何か」を簡潔にまとめてみました。
日本人って先物取引みたいな人をひっかけて金を毟るのが好きだよなー
それだけバカが金を蓄えてるんだよ
>>726 上手に利用するにはシステムへの理解が必要だよ、そして上手に利用すればシステム自体からも
利益を得ることができたのが先物取引。
よくわからないままケンチャナヨでやるから痛い目にあう。
誰かが損をしたということは
それと同額分を誰かが得をしたということ
株や先物によって資金が消えて無くなるわけではない
分からない奴は手を出さなければいいだけの話
分からないまま資産を運用して得をしようなどと考えるから
手痛い授業料を払うことになる
>誰かが損をしたということは
>それと同額分を誰かが得をしたということ
紀元前の儒教やらに毒されてる支那人の考え。
近代経済学でこんなこと言うと笑われるぞ。
「自由意志による交換では双方の富が増大する」というのが経済学の大原則の一つ
>株や先物によって資金が消えて無くなるわけではない
消えるよ。先物は判りにくいけれども、株なんか解り易い形で消えるじゃん。
東証の時価総額が半分になったら、本当に時価総額の半分に相当する金(貨幣)が
世の中から消滅してしまう。
株式会社が負債抱えて倒産してみろよ。負債分の債権はチャラつまり償還できなかった
負債分の金が世の中から消える。株券が紙クズになる、つまり、資本分の金が世の中から
消えてしまう。資金がすっぽり消えてしまう。
いや知らない人間が無理に突っかかってこなくていいから
とりあえず五十万ぐらいの自己資金で株でもやってみろよ
そうすれば俺の言っていることが分かるから
食い違いまくりだな
>分からない奴は手を出さなければいいだけの話
>とりあえず五十万ぐらいの自己資金で株でもやってみろよ
これはひどい
自分が損した分、誰かの儲けになっている、と思い込みたいわけだな。
パチンコやマージャンとは違うんだよ。
735 :
世界@名無史さん:2010/05/05(水) 08:35:45 0
デナリウス銀貨のレプリカを作ってくれるところ
もしくは販売してくれるところご存じないですか?
レプリカで結構ですし銀でなくても結構なんですが〜☆
736 :
世界@名無史さん:2010/05/05(水) 08:41:15 0
世界で始めて紙幣や硬貨などに「数字」を記したのはどこの
貨幣ですか?
737 :
世界@名無史さん:2010/05/06(木) 13:16:33 0
中国
738 :
世界@名無史さん:2010/05/08(土) 00:35:59 0
蟻鼻銭にも数字があるんだっけ
739 :
世界@名無史さん:2010/05/08(土) 09:33:25 0
>>737ありがとうございます。今日のユダヤ人の金融支配のやり方は
古代中国に類例がありそうですね
>>739 別にユダヤとか意味不明なもの持ち出さなくても
金融は市場経済が発達した所にはでてくる。
世界初のデリバティブは日本じゃないかって言われるぐらいだったみたいに、
無理やりユダヤだのこじつけるなら、日本や中国の方がユダヤに似てる。
逆に朝鮮みたいに市場経済が遅れてた所は農本的な秩序で、支配ー被支配
身分制度がっちりで商業自由民の発達が遅れて、その辺は日本の支配とその
経済体制に組み込まれるのを待たねばならなかった。
741 :
世界@名無史さん:2010/05/08(土) 10:51:07 0
いや先物取引っていわゆる「マネーゲーム」として孟子がすでに批判してますが・・
742 :
世界@名無史さん:2010/05/08(土) 10:56:51 0
>>740その数字が何らかの「重さ」の単位じゃなくて「単なる数字としての数字」として
印刻されたのはどこの国の貨幣ですか?
>>741 先物取引って相当情報の共有ができてないと無理だから
インフラの整備、市場間の情報整備、それに扱う側の理解が必要だよ。
よって孟子の時代では無理。
弟子「先生、処女を貴重だと思う男は多いです」
孔子「その通りだ」
弟子「しかし逆に童貞は女に気持ち悪がられます」
孔子「確かに」
弟子「おかしいじゃないですか、何故このような意識の違いが生まれるのですか」
孔子「それは一度も侵入を許していない砦は頼もしく、
一度も侵入に成功しない兵士は頼りないからだ」
弟子「では30年も侵入を許していない砦は相当頼もしいのでしょうか?」
孔子「建てられてから30年も経つと、砦はどうなるかね?」
弟子「多くは朽ち果て、場合によってはうち捨てられます」
孔子「そのような砦を攻める者はいないということだ」
745 :
世界@名無史さん:2010/05/09(日) 19:18:51 0
>>743無理、じゃねえよ孟子くらい読んだらどうだ?
横だが741の言う「先物取引」って何?
絶対に話が噛み合っていないと思われ
こういうときは違う概念の導入を試みる者に説明責任があるんじゃねぃ?
はいはい「産業革命の詭弁」を使うんですね。
1、Aという歴史的事象はBという国にCが起こったときのDがないと成り立たない
2、その根拠は言い出した側の定義のみ
3、命題EはDがなかったのでE=Dの関係は成り立たない
4、つまりDは歴史上存在しなかった
問題;ABCDEに当てはまる言葉を書け。
4のDはEの間違いね。
以下の単語を用いて747の記号を埋めよ。
1、機械のある生産設備
2、産業革命
3、イギリス
4、産業の飛躍的な発展
5、イギリス以外の産業の飛躍的な発展
ここは何時からエスパースレになったんだ?
ハロルド・ウォーレス・ローゼンタール
『我々の権力は国民の金融体系を操作することを通じて作られてきた。我々が「金は力なり」という言葉に
説得力を与えた。我々の基本計画で明らかにしたように、秘密の国家銀行を作ることは我々にとって
必要不可欠なことであった。連邦準備制度という名前は政府機関を連想させるが、我々の計画にうまく
合致した。なぜならそれは我々のものだから。その設立当初から我々の目的はすべての金銀を取り上げ、
払い戻しの利かない無価値の紙幣に変えることだった。これはうまく行った!』
「払い戻しの利かない紙幣」という言葉について尋ねると、ローゼンタールは言った。
『一九六八年以前、騙されやすいゴイは1ドル連邦準備札をアメリカの全銀行に採用し、法律上、
銀貨90%中26.73gの銀を含む1ドル硬貨とそれを取り替えることができた。1933年までは、その紙幣を
金貨90%中1.67gの金を含む硬貨と取り替えることができた。我々はただゴイに、より多くの払い戻しの
利かない紙幣か銅貨を与えるだけだ。我々は決して金銀を渡さない。渡すのはより沢山の紙切れだけだ』
と彼は軽蔑を込めて言った。
『我々ユダヤ人は紙のごまかしを通じて繁栄してきた。金を取り、代わりに紙切れだけを渡すのが我々のやり方だ』
751 :
世界@名無史さん:2010/06/03(木) 02:27:06 0
日本の現行5円玉さっさと変更しろ
あの稲穂と歯車のデザインが唾棄すべき共産主義を想起させて気持ち悪い
現に日本共産党の党旗は稲穂と歯車だからな
5円玉だけが今までの貨幣の中で異質だろ
752 :
世界@名無史さん:2010/06/03(木) 22:04:10 0
稲穂は稲作民族たる日本人の歴史的感性にマッチし、
歯車は技術立国たる日本の在り方ふさわしい。
>>751は5円玉に謝れ〜 \(-_- )/
753 :
世界@名無史さん:2010/06/04(金) 06:54:29 0
やっぱ「数字だけの紙幣」を発行したのはユダかい。昔は必ずその記された
数字は「重さ」だったんだよ、交換できる物の。だが今は信用を単に数字にし
現物なんて何の関係もない世界になってしまった。一時期支那宋代もそんな
世界になったのだが(上のリンクでなぜイタリアが近代銀行の起源になっているのか
が不明なのだが)、すぐにやめた。余りにも危険だったから。
754 :
世界@名無史さん:2010/06/12(土) 02:52:51 0
和同開珎について質問ですけど、当初和同開珎は下関などで造られたんですけど、
その後は造られなかったようです。
なぜ下関で造られなくなったか、わかる人教えてください。
調べてもなかなか見つからないので
>>747 単に先物取引があったかの話で、それで東洋でもユダヤ云々関係なく
投機取引あった、そこまで忌避感情無かったみたいな話なのに
何が産業革命だの関係あるんだ?頭大丈夫か?
756 :
世界@名無史さん:2010/07/29(木) 08:53:51 0
古代中国で金貨や銀貨がほとんど出回らなかったのはなんで?
銅銭は地金と額面の価値に差がありすぎて補助貨幣としてしか
使えないんじゃないの?
ローマとかだと金銀貨もジャンジャン使われてたのに。
>>156 > 理論上、本位貨幣はいつまでも額面の通貨として通用す
残念ながら10円金貨をはじめとする本位金貨は88年に通用しなくなったね。
最もそれ以前であっても時価が優先されて税務署は見逃してくれないだろうけど
>>726 先物は豊作過ぎてとか、将来市価が暴落する場合の
リスクのヘッジになるんだよアホ。
759 :
世界@名無史さん:2010/08/25(水) 05:12:42 0
改鋳age
>>750これは支那思想の「虚実」だろ。名誉でバカを釣り、
何か危険なことをさせてこちらはその実際の利益をもらう。