1 :
世界@名無史さん:
どうやって象をイベリア半島に連れてきたの?(ハンニバル)
弥生人はどうやって大量移入してきたの?(対馬海峡は難所)
等、古代の航海技術のナゾについて語りませんか?
2 :
世界@名無史さん:03/02/23 15:56
膿・膿・膿
この後の流れ
重複スレ立てんなヴォケ
↓
世界史板って過去スレ検索しないヤシ多いよね
↓
んじゃ沈めるか
↓
コテハン登場、マジレスをかます
↓
10レスほど話題が続く
↓
1週間後くらいに新ネタで4レスほど追加
↓
2ヶ月後くらいにageられ、ネタ振りされるもそのまま沈む
↓
世界史板はDAT逝きが少ないので、半年くらいはそのまんま底棲
5 :
世界@名無史さん:03/02/23 16:25
僕はこんなスレを待っていた。
ずっとずっと、千億の時を超えてお前を待っていたよ。
はい、
>>4破綻。
E
7 :
世界@名無史さん:03/02/23 16:55
>>2 帆船に限らず後悔技術全般てことでいいんじゃない?
8 :
世界@名無史さん:03/02/23 16:57
では帆船について語ろう。
フリゲートは何年に誰が考案したんですか〜?
9 :
世界@名無史さん:03/02/23 18:25
どうやって文字をアメリカ大陸に持ち込んだの?(フェニキア人)
イースター島人はどうやって南米から大量移入してきたの?(海流で無理っぽい)
等、超?古代の航海技術のナゾについて語りたいです。
>9
イースター島って、南米からじゃなくてポリネシア系の移民じゃないの?
アメリカ大陸には到達してません >フェニキア人
ポリネシア人です東から来ました >イースター島
12 :
世界@名無史さん:03/02/23 18:33
イースター島には縄文式土器と同系統の土器があるんだよ。
ところでフリゲートを考案したのはどこのどなた様なのですか伊能?
>>12 一応レスつけるけど…
イースター島には土器はありません
縄文土器と似ていると言われたのはエクアドルのものですが、実際には似てもいません
バヌアツからは縄文土器が出たといわれましたが、フランスの大学で、日本から寄贈された資料とバヌアツの資料が混ぜられてしまった管理の問題だということになりました
>12
俺もうろ覚えなので自信ないんだけど、フリゲートは18〜19cの5等艦の中で
マストとかの配置によって分類されてるだけだから、
特に考案者とか発明者みたいなものはないんじゃないかな?
15 :
世界@名無史さん:03/02/23 20:44
ってかほんとにどうやって、フェニキア人はイベリア半島に象を連れてったんだよ。
誰か教えて。
船で
>>13 南北アメリカ大陸の太平洋岸各地から土器はでてる。
それが縄文土器に似ているかどうかという話。
エクアドル云々ではない。
18 :
世界@名無史さん:03/02/23 22:07
つーか、帆船軍艦の分類って主に砲数で分類してるのな。
まぁ、小型のものは船型でスループとかを分けてるけど、3本マストの
シップ型は砲数だけ。でもって、シップ型の砲数の少ない軍艦をフリゲ
ート艦と呼んだってこと。
んで、排水量がほとんど同じビクトリーとインディペンダンスが分類上
は砲数の違いで1級戦列艦とフリゲート艦になるんだな。
>4の続き
1の騙りが多数現われるか、1は二度と現われないかのどちらかである>このスレ
日本の航海技術は高かったらしい。
18世紀の釣り船でオーストラリアまで行ったらしい。
>>20 フダラク渡海なんてもっとすごいよ ある意味
>>17 縄文土器との類似性が云々されたのは、エクアドル沿岸地方のバルディビア文化のものです
メガースという女性研究者が提唱し、十数人くらい(だったと思う)が遭難した場合、海流に乗って到達し、かつ時間的に1人くらいは生き残る可能性があるというシミュレーションをしたりしました
最近ではとんと音沙汰のない説です
>ところでフリゲートを考案したのはどこのどなた様なのですか伊能?
一部概出だがあえてかかせてもらおう(YBB規制中ずっと書きたかった)
●フリゲート艦の定義の変化●
もともと:複数のマストと帆を備え多数のオールを持つ快速船
時代が下り:快速の帆走軍艦を広くさす言葉に
18世紀:より厳密になり帆走の軍艦のうち5等艦、6等艦をさす(のちの巡洋艦的存在)
19世紀中:蒸気機関の発達によりフリゲート艦(=帆走の快速軍艦)という艦種が廃れる
ww2英:対潜水艦用の小型、低速護衛艦(駆逐艦より格下)の種類としてフリゲートが復活
1950〜60年代米:駆逐艦より大型のミサイル護衛艦にフリゲートの艦種を
与える<19世紀のフリゲートに近い意味)。Natoのひねくれモノのフランスも
コレに賛同するが、のちに米、仏ともNATOスタンダードに合わせて駆逐艦より格下
の艦をフリゲートと呼ぶことにする
現在:外洋でバランスと取れる最小サイズの護衛艦をあらわす。
値段も性能も跳ね上がり、駆逐艦との差異はほとんどなくなっている
24 :
世界@名無史さん:03/03/05 19:50
ahooBB!!
25 :
世界@名無史さん:03/03/05 19:53
海上自衛隊ではなんでもかんでも護衛艦だね。
各種の資料で駆逐艦やフリゲート艦に分類されてるものも
海上自衛隊公式資料では全部護衛艦になってる。
羅針盤
>>25 いいんじゃない?
内部の資料に書かれてたら。
あと艦首にDDGとかうってあるから十分でしょ
28 :
世界@名無史さん:03/03/05 23:37
>25
それはやっぱり政治的な配慮なのかな。
F2を支援戦闘機って言うのと同じような。
「護衛艦」なら守り専用って感じがするから当たり障りがないんだろう。
「駆逐艦」だと攻撃的に聞こえる。
31 :
世界@名無史さん:03/03/06 21:18
>>30 無理してつけることないんじゃない?
そのままが一番しっくりくるよ。
帆走船の時代→日本になかったから必要性がない
WW2の日本の船をさすばあい→海防艦という名称つけてたし
(^^)
336 :名無したん(;´Д`)ハァハァ :03/03/20 20:09 ID:TalLo9n3
┏┓┏┓┏┓.html
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
36 :
世界@名無史さん:03/05/12 22:55
未開のバイキングに、地中海までくりだす造船技術を教えたのは、誰だったんだろ。
自前で開発したんじゃないの?でなければイスラム教徒?
>南米の縄文土器
縄文人が到達していた事はほぼ間違いない。
それなら土器も行っている。
38 :
例の170 ◆vBOFA0jTOg :03/05/14 23:02
>>36 そもそもヴィーキングの住む北海は荒々しいからね。独自に造船文化が発達しても違和感はない。
もっとも、造船に関してローマなんかの影響を受けなかったかといえばNOだろうけど。
>37
土器に紋様をつけるのは、全世界でわりと普遍的だったと思ったけど。
たまたま「縄目」をつけていたからってそれだけじゃ・・・。
>>13も読むべし。
39 :
第20軍団兵:03/05/15 01:31
>>36 ヴァイキングたちの船で特徴的なのは竜骨から組んでいき、板の端を重ねて組んでいく量産には便利だけど、
メンテには手間のかかかる建造方式。
地中海世界(ギリシア・ローマ・フェニキア等)の建造方式で特徴的なのは板の端を重ねず、外板から"ほぞ"を使って組んでいく建造方式
手間はかかるがメンテが簡単なので、一回建造したら20年程度つぎはぎを重ねて使えるのが長所。
自分の知っている限り、技術で直接影響を受けたという証拠はないみたいです。
地中海に行きたいのだったら、沿岸伝いに行けば到達できるのはそれこそ、古代から知られ、忘れられたことはないのでいつでも可能です。
40 :
世界@名無史さん:03/05/15 23:15
>>39 >地中海...沿岸伝いに行けば到達できる
アイスランドやフェロー島には、沿岸航海じゃむりだろ。やはり、星を頼りに
航海したのかな。
41 :
世界@名無史さん:03/05/16 00:09
>>40 どこかのスレで読んだが、バイキングがアメリカに渡った時は、
海一面に氷が張っていた為、ほとんど沿岸航海と同じようなものだったらしい。
タイタニックは何日でアメリカへ行く予定だったの?
43 :
世界@名無史さん:03/05/16 22:18
>>41 >>海一面に氷が張っていた...
バイキングの竣動が始まったのは8世紀からですよ。8世紀以降現在まで、地球寒冷期は
訪れていません。
>38
以前は土器の類似のみだったけど、最近は寄生虫とウィルスの関連で
太平洋航路があったと言われている。らしい。
45 :
世界@名無史さん:03/05/17 16:34
46 :
世界@名無史さん:03/05/18 10:45
>43
単にかなり北の方を航海しただけでは?
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
48 :
世界@名無史さん:03/05/23 22:51
age
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
50 :
世界@名無史さん:03/06/03 09:35
age
51 :
世界@名無史さん:03/06/17 09:30
age
>1
>どうやって象をイベリア半島に連れてきたの?
まず、象を船に乗せる。
次に、その船でイベリア半島に渡る。
最後に、船から象を降ろす。
53 :
世界@名無史さん:03/06/28 02:32
age
55 :
世界@名無史さん:03/07/03 01:35
中国のジャンク船の航海能力ってどんなだったのでしょうか?
特に外洋航海の能力はどのくらいだったのかな。
>55
ジャンク船は帆の仕組みが悪く、追い風には良くても向かい風を間切って進むことができないので
外洋には出られない(もちろん船体の強度もあるけど)、という話を聞きますた。
それにそもそも中国大陸って、海岸線がのっぺりしすぎてて
あんまし海運の利点ってないんだよね。
水密区画が発達してたから船体強度が高かったとか
戎克について聞きかじったようなきもするんですが、
帆は勝手が悪かったんでしょうか? 筵と竹ってイメージがあるんですが。
そういや鄭和艦隊はどうだったんでしょう? 羅針盤は有効活用してたのかな?
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
59 :
世界@名無史さん:03/07/15 21:43
竹筏=テッパイという竹製の筏も外洋航海に
用いられていますた。特に華南の沿海部。
中空の船材だから浮くにはもってこいですな。
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
>>4 コロンブス等の活躍した大航海時代スレは、何処へ行ったんだ?
2002年には、中流域に生存していた記憶があるのだが。板違い記憶かな。
62 :
世界@名無史さん:03/08/06 01:05
ケビンタンの映画「ウォーターワールド」に登場する
三胴船(トリマラン)って実在するのですか?
>62
する。
けどローリングしやすいから大型船はカタマランが主流
thrace.org見てみれ。カコイイよ
64 :
世界@名無史さん:03/09/06 08:51
age
65 :
世界@名無史さん:03/09/15 21:56
家畜を船に積むと船酔いしたりはしないのでしょうか?
66 :
世界@名無史さん:03/09/25 00:06
聞いた事ないが・・・けどあるんだろうなあ。
67 :
世界@名無史さん:03/09/25 17:51
今のインドネシアあたりからマダガスカルに行った人たちも凄い。
途中の島(たとえば、アンダマンとか)にはマレー系の人は
定着してない見たいだけど、一気にインド洋を横断したのだろうか。
68 :
世界@名無史さん:03/09/25 23:17
69 :
世界@名無史さん:03/10/04 20:44
シクースナインage
70 :
世界@名無史さん:03/10/14 13:53
東南アジアのガムラン楽器⇒
マダガスカル渡来⇒
木琴系楽器が対岸へ伝来(モザンビーク・タンザニアなど)⇒
中央アフリカを経て西アフリカへ広まり「バラフォン」となり⇒
後世ヨーロッパ人がオーケストラに取り入れたのが「マリンバ」
71 :
世界@名無史さん:03/11/04 11:53
唐揚
測深儀とかあったっけ
一尋ごとに印がついてるやつ
73 :
世界@名無史さん:03/11/04 20:28
大航海時代初期には六分儀で緯度の測定は(揺れで誤差が出るが)出来ても、
経度の測定は出来なかったので、どのように計測したかというと、24時間
速度を計測し続け、大体の距離を計算するというもの、その速度の計測方法も、
船首で水面に落とした目印が船尾を通過するまでの秒数を数えるというもので、
また、船内での正確な日時の測定も出来ないので、砂時計を延々ひっ繰り返し続けて、
出航日時からの経過時間を測定していた。
こんなんで、太平洋のど真ん中の以前見つけた小島を再発見しろってのが無茶だよなあ。
74 :
世界@名無史さん:03/11/05 19:49
A
面舵イパーイとかの航海用語ってどうやって広まったんだろか?
76 :
世界@名無史さん:03/11/07 08:59
朝鮮出兵の頃のかの国の航海技術ってどのぐらいだったんだろか?
栄光の亀甲船の存在そのものも捏造なんじゃないだろうかと、
他人事ながら心配になってきた。
実際は嘉靖倭寇の兄ちゃんたちがマージナルマンしてたんだろうから
造船技術とかもそこそこはあったのかな?
朝鮮出兵のときの陸軍輸送船団は朝鮮や明の妨害を受けたのでしょうか?
78 :
世界@名無史さん:03/11/07 23:44
a
>>75 ふぉ。面舵一杯という言い回しが広く人口に膾炙したのは、
テレビコマーシャルのせいじゃろ。あれは、「のり玉」とかい
うフリカケの宣伝じゃったかのぉ。
あれがどう面白ろうて受けたのかは説明がつかんが、一世
を風靡した感があったでの。
大体、おもかじとかとりかじとか、日本語じゃん。
全然世界に広まってないよ
81 :
与那国島遺跡太郎:03/11/08 00:43
船尾くぐり上げ
82 :
世界@名無史さん:03/11/08 09:18
age
帆船時代の死因一位が用便中の転落事故って
どっかのスレで語られてなかったっけ?
二位が反乱、三位が壊血病かなんかで。
85 :
世界@名無史さん:03/11/17 10:57
船べりからじかに「海洋投棄」してたのかw
容器にヒってから海へ捨てればいいものを・・・・
うんこするときズボンずらすんじゃなくて全部脱がなきゃいけない人って前世の死因はやはり…
>>86 君はアレかい?おしっこ用の穴からうんこするわけかい?
88 :
世界@名無史さん:03/11/18 21:18
落ちた人も浮かばれないよな・・・いやシャレじゃなく
でもって帆船について話し合わないスレにも書いたけど
帆船時代、水夫用便所はheadと呼ばれ、船首部につき出されていたらしい。
…速度出てたら船体についちゃったりしなかったか不安。
現代でも、自家用の船でつりとかするやつは船べりからしょんべんするから、
結構船にかかるぞ。ピカピカのきれいなバスボートとかも、実は何度もしょん便
浴びてるわけだ。でも、そんなの当たり前だし、仕方ないことだから、誰も気にしないよ。
どうせ、使ったあとは洗うし、天気のいい日は船体にワックスかけたりするからね。
船で用いられた砂時計にはいくつか種類があった。
戦闘用のやつは4時間持続
航海用は30分単位でひっくり返し
速力測定用(ロック)は30秒
当直員のごまかしがあったり、元々不正確なもんだから
誤差や狂いはしょっちゅうだったそうだが。
92 :
世界@名無史さん:03/11/24 21:57
へ〜・・砂時計も用途によって大小使い分けていたんだ。
揺れる船の上で精度はどのくらいだったのだろう?
93 :
世界@名無史さん:03/11/24 22:40
砂時計は元々、ひっくり返しがずさんなので揺れによる精度の問題なんか無いも同じ。
揺れが影響するのは、緯度の観測と、コンパスによるやまたて(これは陸伝いの航海じゃないときは関係ないが・・・)
>>72を補足
海の深さを測るには手繰りの測深器が用いられた。
10〜15キロの鉛が先に付いていて、一尋(1.66M)ごとに印しのある紐。
帆船小説で御存知の方が多いとは思うが。
「ログ」の「記録」のニュアンスが、船首から丸太(ログ)を流して
船尾を越えるまでの時間を計って速度計測に使われた
航海日誌用語から来てるってガイシュツ?
96 :
世界@名無史さん:03/11/30 01:29
>>94 今でもそれ使います。錘の先のへこみにグリスを詰めるようにできていて、
それで底質の調査もできます。船舶免許をとる時、習います。
>>96 さいですか。
今も使われとるとは知らんかった。
98 :
世界@名無史さん:03/11/30 12:48
>>97 無論、魚探もつかいますが、ローテクは基本だし電気を使わないので
廃れることはありません。
99 :
世界@名無史さん:04/01/07 20:46
age
100 :
世界@名無史さん:04/01/09 10:17
age
101 :
世界@名無史さん:04/01/10 10:43
ストライキ
って
帆船の乗組員達が船長に反逆する際
帆を一斉に巻き上げた( strikt up)からだっけ??
>>85 喜望峰こえて大時化海域に突入すると
汚水が船底に大逆流。
104 :
世界@名無史さん:04/02/22 18:04
保守age
>56
中国人の交易は東南アジアに分布する華僑や江戸時代の唐人貿易が参考になる。
中国大陸では確かに河川・運河を利用した内陸水運が盛んで、
外洋での活動は消極的なように見える。
実際、中央の歴史である正史には外洋海運なんざ極めて扱いが軽い。
ところが、例えば明代のアジア交易のライバルであったオランダの記録などを見ると、
華僑の圧倒的な貿易量になんとか対抗しようとする苦労が書かれている。
また「蒲寿康の事績」などを見ても分かるように、
中東〜極東あたりの交易は極めて盛んで、
これが中国史で軽視されるのはそれこそ56のいうとおり、
中国という国家にとっては海運は重要ではないからだ。
ただ、華僑という国家の束縛から解放されたディアスポラの強大さを思えば、
広義の中国はやはり世界屈指の海運勢力だったといっていい。
ジャンク船がガレオンやその後の大型帆船に比べれば
いくつかの点で劣っていたのは事実だが、
現在も利用されるアラビアのダウ船と同じく、
すでに民間レベルの外洋交易において充分に実用的だったからこそ、
あまり発展しなかったといった方がいいように思う。
106 :
世界@名無史さん:04/03/29 16:48
外輪船を発明・実用化したのは北宋だそうな。
河賊や蛮族討伐に投入され、結構効果を挙げていた。
帆も無く船員も見えないのに高速で追ってくる姿に
ビビったというPR効果もw
107 :
世界@名無史さん:04/03/30 01:42
90年代の東シナ海でも使用されていた。
108 :
世界@名無史さん:04/04/13 22:43
太陽コンパスって
特定の緯度上でしか使えないんですか?
緯度が大きく変わると目盛がずれてくるとか聞いたが・・・
109 :
世界@名無史さん:04/04/16 20:53
そりゃ緯度が変われば太陽の高度角も変わるわな。
だから船乗りが使うのはコードラントやクロススタッフみたいな
天体高度に合わせて緯度を算出できる道具になる。
それでも大航海時代の初期じゃ誤差は大きかったらしいがな・・・
目盛を合わせられないコンパスなんてただの飾りだろ。
緯度を割り出すより経度を割り出すほうが技術的には難しいんだが。
110 :
世界@名無史さん:04/04/16 20:57
バイキングは環状の板に目盛を刻んだだけの
素朴な太陽コンパスを使って
新大陸まで渡って帰ってきたってね。
経度を知るには・・・時計、それも分単位で正確なやつがないと不可能かな。
ポリネシア人の大西進は赤道に近い低緯度だったから
恒星がほぼ東西に回って見えたため、
夜間でも容易に方角が判別した利点は大きいね。
112 :
世界@名無史さん:04/05/29 22:26
ナイノア・トンプソン(外洋カヌー航海者)
●1953年ハワイ生まれ。伝統に基づいて復元された古代の遠洋航海カヌーを駆って、
海図、羅針盤、磁石などの一切の近代器具を使わず、星を読み、波や風を感じることで
正しくナビゲーションして、かつて祖先達が数千年前に渡ってきた。
タヒチからハワイまでの五千キロの海の旅を現代に蘇らせた。
この航海は、ハワイの先住民の人々に、かつてない勇気と誇りを与え、自然の大いなる営みと
調和しながら生きてきた祖先達の、高度な技術的、精神的文明のあり方を学びなおそうとする運動に結びついていった。
先史ポリネシアのスターネビゲーションって改めてすごいよな〜
http://www.arakitakuji.com/master/hokurea/hokurea.html
113 :
世界@名無史さん:04/06/14 03:29
age
114 :
世界@名無史さん:04/06/26 15:10
アウトリガーカヌーやダブルカヌーのような構造の船・筏は
三ネシア(ポリ+メラ+ミクロ)だけでしょうか?
115 :
世界@名無史さん:04/06/26 22:27
アウトリガーカヌーはニューギニアや地中海域、南インド、マゼラン海峡、スカンジナビア半島
の原住民が使用していたことが分かっています。
バイキングも張り出し材のある同様の船を利用していましたし、ニューギニアのカラコーと
呼ばれる船はアウトリガーと船体の間に梁を渡していて、この上に座って漁をすることで有名です。
もちろんオセアニア地域でも利用は多く、メラネシアやポリネシアのほかにインドネシアでは両舷に
アウトリガーを取り付けた横帆船が広く利用されています。
双胴船はカタマランやトリマランの例を出すまでもなくオセアニアでの利用が盛んですが、
マゼラン海峡付近の原住民は上記のアウトリガー船のほかにアシカの皮を袋状にして
膨らませ、カヌーと同じように2つあわせて梁を取り付け利用していたそうです。
116 :
世界@名無史さん:04/06/27 19:30
ビョールン・ランドストローム『星と舵の航跡――船と海の六千年』
元値2マソのものをブクオフで1500円で手に入れたぜ
117 :
世界@名無史さん:04/07/01 21:08
あげー
何故か、新城カズマの「星のバベル」を思い出してしまった。
119 :
世界@名無史さん:04/08/03 21:58
漂海民が存在したのは世界で南シナ海だけ?
熱帯の多島海で、しかも海況が概して穏やかなのが幸いしたのかな。
地中海やカリブ海にもいてもよさそうだが聞いた事ないな・・・
120 :
世界@名無史さん:04/08/05 22:37
瀬戸内海の家船(エブネ)とか?
121 :
世界@名無史さん:04/08/31 19:24
蛋民も昔は航海してたの?
122 :
世界@名無史さん:04/09/08 22:19
港を根拠地に船で移住していた沿岸漁業民だったっけ。
123 :
世界@名無史さん:04/10/03 21:27:46
東洋の船は板を貼り付けた感じの平べったい船だけどそれじゃ近海航海しかできない。
大航海時代を経た西洋の船は竜骨をもった船底が細いため遠洋航海にも耐えられたらしい。
日本も竜骨持った船開発してたら今頃秀吉は中国制圧して謝罪賠償求められてただろう。
124 :
世界@名無史さん:04/10/03 21:29:36
キールのある船は古代ギリシアの時代からありましたが
125 :
世界@名無史さん:04/10/03 22:56:33
>>123 ジャンクや朱印船は遠洋出まくってましたが
126 :
世界@名無史さん:04/10/03 23:58:37
127 :
世界@名無史さん:04/10/03 23:59:22
アフリカまでは行っていた
128 :
世界@名無史さん:04/10/04 01:47:18
西洋の船がバンバン東洋に来て、東南アジアと東アジア、インドを往復してるのに
ジャンク船は・・・へたれ!遠洋航海に耐えられる船体じゃないんだよ。
129 :
世界@名無史さん:04/10/05 00:12:35
ていうか、明は鎖国してたし
130 :
世界@名無史さん:04/10/05 00:20:47
131 :
世界@名無史さん:04/10/06 23:12:43
>>128 ジャンクは外洋船だと言っとるのにもう。
耐航性は当時の船としては十分すぎるほど十分。
水密隔壁で縦横に仕切られていてそう簡単には沈みません。
(15世紀までは西洋の船より高性能だったのだよ)
まー鄭和の船が全長150メートルだったなんていうのはさすがにヨタ話だと思うが。
>>131 >まー鄭和の船が全長150メートルだったなんていうのはさすがにヨタ話だと思うが。
イブン・バットゥータやマルコ・ポーロの伝える最大級ジャンク船はそのくらいだったはずだけど。
>>126 フランク人と違って中東を迂回する理由がない
133 :
世界@名無史さん:04/10/14 20:46:39
ジャンクには竜骨がないので高いマストを立てられない
→短いマストを多数立てることでカバー
→船体が前後に長くなりどんどん巨大化
ということらすィ。
鄭和のジャンクは9本マストで甲板上に畑があって野菜が作れたとか
畑は凄いなあ。飲み水以外に用水は足りたのだろうか?
136 :
世界@名無史さん:04/11/05 16:57:40
>>132 西洋の貿易船は東洋まで来てるのにへたれだってことだよ。
ジャンク船が優れてるなら一つくらい西洋に行っててもいい。
華僑だって世界中にいるんだし。
いかなかったということはへたれってこと。
137 :
世界@名無史さん:04/11/05 17:00:46
138 :
世界@名無史さん:04/11/05 19:22:21
139 :
世界@名無史さん:04/11/05 20:47:43
140 :
世界@名無史さん:04/11/05 21:45:57
買い付けに
141 :
世界@名無史さん:04/11/05 22:19:43
ポリネシア系はどうしてアメリカ大陸には定着しなかったんだろう。
到達はしていたと思うが。
142 :
世界@名無史さん:04/11/05 22:22:19
>>141 先住民がいる場所に定着するのは難しいだろ?
武力を持ってるわけでなし。
143 :
トール・ ハイエルダール:04/11/05 22:34:51
定着したっっての!
144 :
世界@名無史さん:04/11/05 22:46:02
>>143 ATOKをお使いになることをお薦めいたします。
ポリネシアで一般的なバナナの葉包み蒸し料理が伝播してタマレになったとか
中南米で帆を持つカヌーがあるのはペルー沿岸だけで、これもポリネシアのカヌーからの影響、
などと唱える説もないではないが。
148 :
世界@名無史さん:04/11/13 13:32:27
イースター島で出土した船の模型が、
チチカカ湖で使われているトトーラ(葦)の船とそっくりという話もあったな。
ポリネシア人が南米へ行ったのか、南米からポリネシアへ行ったのか、どっちだろう?
149 :
世界@名無史さん:04/11/13 18:51:35
そりゃ西洋が中国より優れていたのであれば西洋に行く理由もあるが
明代頃にはまだ中国の方が優れていた訳だし。
多少の苦難はあれど陸路での貿易も可能だった訳だし。
西洋はトルコの力が強大過ぎて陸路での貿易が難しく海路に道を
見出そうとしたんじゃねーの?
中国から見た西洋なんてのは眼中に無かっただろうし。
まあその自惚れが悪かった訳だが。
150 :
世界@名無史さん:04/11/13 18:56:45
>>149 清朝時代だって、清は欧米から買いたいものがなく、
欧米は清から買いたい物だらけだったから、欧米は一方的な輸入超過。
仕方なくアヘンを売りつけていたんだからね。
日本の航海技術は近代までは大した事はなかったと見ていいですか?
152 :
世界@名無史さん:04/11/15 07:53:33
いいです。海戦は負けが多いですから。百済支援、朝鮮出兵と。
でも中国沿岸まで九州からはるばる荒らしにいけた倭寇は実はすごいと思う。
貿易船でも一か八かの時代に、漁船であんなところまで荒らしに行くんだから。
実は簡単だったのかな?
153 :
世界@名無史さん:04/11/15 11:23:06
>>152 陸地づたいの航海はそれほどリスキーではない(でもあの時代では…)
154 :
世界@名無史さん:04/11/15 12:41:45
>>151 戦国時代(堺の最盛期)は結構凄いんじゃないの?
フィリピンやベトナムあたりまで定期貿易船を派遣してたんだから。
ルソン壺とかタダ同然で仕入れてボロ儲けしているからなあ。
堺からの船の当時の航海の成功率ってどの程度だったのだろうか?
>>155 朱印船の船主の一人、角倉了以の場合
三十一年間に十七回渡航、そのうち難破が一回だったとか。
当時としてはなかなかの成功率と言って良いんじゃないかな?
ただ当時は、船主が日本人でも航海士は中国人・南蛮人という場合が多かったと聞くから、
はたして「日本の航海技術」と言って良いかどうか。
船そのものは日本オリジナルのものも多かったけど。
ヤン・ヨーステンも南蛮人航海士の一人だね。
157 :
世界@名無史さん:04/11/15 19:13:45
1650〜1850年くらいの間に、わかっているだけで
50隻以上日本船が北米に漂着してたんだってね。
当時は北米西海岸の原住民は日本文化の影響をかなり受けていると考えられて
いたみたいだ。
インディアンと日本人の遺伝的共通性を主張する人がいるけど
江戸時代の漂流民がインディアンと混血した結果なのかな?
159 :
世界@名無史さん:04/11/15 20:31:41
ちくま学芸文庫「ズニ族の謎 THE ZUNI ENIGMA」 1500円+税
著者:ナンシー・Y・デーヴィス
訳者:吉田禎吾、白川琢磨
2004年9月10日第1刷発行
日本の歴史読みかえの可能性
表紙「室町時代、
日本人は太平洋を越え、
北米先住民の祖先となったのか」
帯「コロンブス以前、日本人は北米に到達していたか?
ロマンと知的刺激に満ちた書。本邦初訳」
裏表紙
北米先住民・ズニ族は、人類学者たちにとって、永
いあいだ大きな謎の存在であり続けた。その身体
的、言語的特徴が周辺の諸部族と際立って異なり、
類縁関係が認められなかったのだ。かれらは一体何
者で、どこからやって来たのか。本書は、この問い
に極めて大胆な仮説を提示する。文化、身体的特徴
の類似、考古学的遺物の存在などから、室町時代に
日本人が太平洋を渡り北米大陸に到達し、原ズニ族
に文化変容を与えたのではないか、と。形質人類学、
海洋学、考古学、言語学などの成果を採用しつつ、
文化人類学のみならず、人類の移動史に大きな発想
の展観を促す、知的刺激に満ちた書。本邦初訳。
160 :
世界@名無史さん:04/11/15 20:49:30
>>157 >わかっているだけで50隻以上日本船が北米に漂着してたんだってね。
ホントに分かってるの?
なんでわかったの?
和包丁が柄だけ取り替えられて北米ネイティブに使われてたりって話じゃないの?
あと、サンディエゴ辺りだとノヴァイスパニアに運ばれた積荷から
伊万里の染付の破片なんかはけっこう出土してるね。
現メキシコの事情はわからないけど情報が入ってこないだけで
多分かなり大量に出てるのかも。
大部分は長崎から中国経由でスペイン船が持ち込んだもんだろうけど、
戦国時代頃に入った可能性もある古瀬戸とかもある、らしい。
162 :
世界@名無史さん:04/12/10 00:45:15
ホッシュ
天正13年 秀吉、バテレンに語る
「予は内国を平定するの後、シナを征伐してこれを降伏せしめ
以って我が帝国の利益と為さんと思う。
故にニ千艘の戦艦を作らしめんと欲す。
堅牢にして武装したるポルトガル大船ニ艘が入用である。
購入の周旋をたのみたい」(「日本西教史」より)
戦艦二千艘って、あのな(´・ω・`)
秀吉って、南蛮船まともに見たこと無かったんだろうか・・・
伴天連禁教寸前にスペイン船にのっけてもらって
おおはしゃぎしてなかったっけ?
164 :
世界@名無史さん:04/12/10 18:22:08
朱印船はいかにも日本的な船なんだよな。つまりパクリの天才。
骨格はジャンク、それに和船の伝統を融合させた船(錦絵等から見る限り)。
商人が中国船を買い入れて、それを改良していったら朱印船になったらしい。
航海の成功率は遣唐使の頃から見れば驚異的だね(むしろ遣唐使の失敗率が
驚異的。俺なら怖くて乗れない。古代の人は偉大だ)
パクリは悪いことではない。むしろあらゆる所からパクリまくったものだけが
一歩先に進むことができる。
秀吉の戯れ言は別にして、あの時代の日本人は商売で世界に雄飛しかけていた。
もし、鎖国がなかったら、アジア中に日本人街ができていたかもしれない。
しかし、鎖国。そして、その後の日本人の航海技術は停滞、ちゅうか衰退。
同時代に琉球人はアジアを股にかけて活躍したのに。
もう一つの歴史が見たかった。
165 :
世界@名無史さん:04/12/10 22:31:53
>>163 そうそう、それで、その時に初めてガレオン艦を見てかなりのショックを受け、
これはかなわんと思ったためにバテレン追放を決意したんじゃないかと。
実際に見るまでは、西洋の船も関船や安宅船と大差ないと思ってたんじゃなかろうか?
>>164 俺もそう思う。
朱印船は部分的には西洋の帆船すら凌ぐ部分があった(マストに登らなくても帆の揚げ下ろしが出来る、等)のに、
江戸時代に入って技術が失われてしまったのは惜しい。
現代の日本人ビジネスマンは世界中で活躍しているし、
南米やハワイ等にも日系移民が大勢いる。
日本人ってもともとは、海外進出が好きな民族だと思うんだよな。
むしろ国内にひきこもっていた江戸時代の方が、日本史の中から見たら異様な時代なんじゃないか。
166 :
世界@名無史さん:04/12/10 23:56:00
>>164 なるほど、当時世界最先端級の造船技術(『中国が海を支配した時』を読んで
びっくりした)をパクッて更に進化させてしまったのが朱印船ですか。
それは最強だな〜。
本当に関船や安宅船なんて帆掛け船なんかで満足して欲しくなかった。
やればできたはずなのに。ついでに西洋船からもパクって欲しかった。
ていうか、当時の日本の造船技術は大航海時代の先陣を切っていたポルトガルやイスパニアからも認められるほどのものだった。
なのに鎖国なんかするから一辺に退行してしまったんだよな。
実際シンガポールよりこっち側には短期間に異常な数の日本人街が形成されてた。
華僑みたいに血縁やペイでがっちり固めるようなことはしなかったんで
どんどん現地の人と同化してったのと、やはり鎖国海禁制作の影響で
しょうもないことになったが、躍進のタイミングを考えると
本当に華僑と競り合えた、もしくはそれ以上をいけたかもしれんよなあ。
169 :
世界@名無史さん:04/12/11 06:03:20
時代劇専門チャンネルで、NHK大河「黄金の日々」の再放送が始まったので、
安土桃山の大航海時代に興味がある人はチェックだ。
>>16 それが、あるのだ。西洋船からもパクった部分が・・・
ベースはジャンクなのに、バウスプリット(ツノのように船首に突き出たあれ)を持ち
船尾近くの帆が三角帆という帆装はガレオンそのもの。
それでいて船首には和船風の矢倉があったりする。
つまり和式+洋式+中華式のミックスなわけ。
まさに洋の東西が接触したあの時代が生んだ船と言えるな。
170 :
世界@名無史さん:04/12/11 06:04:02
171 :
世界@名無史さん:04/12/11 08:56:02
172 :
世界@名無史さん:04/12/11 17:19:40
173 :
世界@名無史さん:04/12/15 09:45:37
江戸時代、田沼意次は、オランダ商館からもらった資料を元に
「三国丸」という、千石船と西洋船を足して割ったような船を造った事があるのだが
西洋船並みの船を、本気で模倣し、量産しようと思えば
もしかしたらいつでも可能だったんじゃないか。
ただ政策上それが許されなかっただけでね。
戦艦大和や武蔵を造った世界一の造船大国の萌芽は、当時から既に存在していたと見る。
174 :
世界@名無史さん:04/12/20 13:06:53
博学な諸兄にご教示を請う。
「ろくとう綱」(勒肚綱)について
琉球の進貢船に装備されていました。進貢船は、ジャンクと同種と
聞いておりましたが、この「ろくとう綱」の使用目的・機能・材質等
について、ご教示頂ければ幸甚です。
175 :
世界@名無史さん:04/12/22 21:16:23
>>174 詳しいとこまではわかりませんが、舵をコントロールするための綱らしいです。
沖縄特産・宮古上布の創始者、下地親雲上真栄(しんえい)は
乗っていた進貢船のろくとう綱が切れて難破しそうになったため、
海に飛び込んでこれを結び直し、船の危機を救った、とか。
鎖国しなければ、日本人もかなり民族的にも文化的にも混血が進んだんだろうな。
177 :
世界@名無史さん:04/12/23 13:06:09
>>175 有難う存じます。綾錆布→宮古上布→重要文化財となり、真栄を偲ぶ
「稲石祭」が行われているとのことですが、小生も、大兄のように思料
しておりますが、さらに、明確な情報を得たいものですから、さらなる
ご教示を頂戴したいと存じます。
ジャンクの工法は、船首、中央、船尾の断面を決めて板を張り、その
中央部は補助肋材(マツラ)や断水壁の板の形にあわせ、後から取付け
る方式を採っていたようです。また、鉄釘をあまり使っていなかったと
しますと、「ろくとう綱」の適用方がある程度は推定できますが、では
どの様に、といったところを詳しく知りたいと思います。
どうか、宜しくお願い申し上げます。
178 :
世界@名無史さん:04/12/23 15:26:18
朱印船かっけぇ〜!
ジャンクと蘭船を足して2で割ったようなあんなデザインは
普通ありえねぇよ。
179 :
世界@名無史さん:04/12/25 04:55:36
朱印船とか中世の船の航海の記録ってあるんですか?
政府の船が沈没とかしたらどっかに記録・文献があるんでしょうか?
誰か知ってたらお願いします。
180 :
世界@名無史さん:05/01/08 08:07:59
聞いたことないな〜
181 :
世界@名無史さん:05/01/09 02:21:14
『石井研堂これくしょん』とかいろいろあるよ。
182 :
世界@名無史さん:05/01/21 23:44:30 0
関ヶ原で小西行長と九鬼嘉隆が死んだのが痛かったな。
二人とも貴重な海事のエキスパートなのに
183 :
世界@名無史さん:05/02/05 07:06:11 0
何がどう痛かったのかさっぱり分からん。
小西は所詮備前の商人。茶屋やら角倉やら代わりがいくらでもいたのは朱印船貿易が証明してる。
九鬼にしても嫡男と家臣団は残ってるんだから問題なし。
184 :
世界@名無史さん:05/02/05 10:10:08 0
>>183 茶屋や角倉はただの船主で「船乗り」では無くなかった?
荒木は別ですが。
まあまあ、ゲーム脳のお子様はそっとしておいてあげてください。
186 :
世界@名無史さん:05/02/05 16:30:39 0
実際のところ、ジャンクは荒海にどの程度耐えられるのだろう?
東&南シナ海で航海できても太平&大西洋のような長距離外洋航海にどれだけ
持ちこたえられたのでしょうか。
造船技術といったら鄭和の頃の明もすごかった。なのに自分から引きこもってこれまた停滞。
閉鎖的なのは東アジア(日中朝)の性質なのかね?
閉鎖的というより、何でもそろってるから別に外の世界はイラネってとこかと。
変に交流するより、関係を絶った方が国内は安定しやすいと考えたのでしょう。
沿岸航海での長距離航海は可能でも、太平洋のような大海を何週間も
航海したらジャンクは耐久可能だろうか・・・
水密区画などは洋船より発達していたらしいけど。
190 :
世界@名無史さん:05/02/05 22:19:57 0
アウトリガーカヌーだって半月くらいは太平洋を航海出来るんだから
腕のいいクルーが居ればなんとかなるんじゃないの?
まあそもそも用途が違うんだけど。タッキングとか出来ないよね?
191 :
世界@名無史さん:05/02/07 21:58:00 0
>190
出来ないことも無いけど、ずんぐりしたジャンクの胴体で無理にやって失敗すると
全身力を失って操船に苦しむそうな。
(ソースが白石一郎先生の小説でスマヌ)
ジャンクは西洋船と比べて、あまりスピードが出ないみたいね。
船首が平べったいから水の抵抗が大きいのかな。
192 :
世界@名無史さん:05/02/07 22:43:48 0
全身力×
前進力○
でした
193 :
世界@名無史さん:05/02/07 23:03:54 0
スピードだけならシングルアウトリガーカヌーだよなw
シャンティングも出来るし。まさに太平洋の猪牙舟。
194 :
世界@名無史さん:05/02/09 15:08:01 0
>193
猪牙舟。 ワロタ。
195 :
世界@名無史さん:05/02/09 15:23:56 0
自演乙。ワロタ。
196 :
世界@名無史さん:05/02/26 01:30:28 0
ポリネシアの大型カヌーの船材は何だったのでしょうか?
ヤシはどちらかというと弱い材ですよね?
椰子以外にも、幾らでも良材があるだろうが。
198 :
世界@名無史さん:05/02/26 22:55:41 0
>>196 ハワイはハワイアン・コア
ニュージーランドはカオリ
199 :
世界@名無史さん:05/02/26 23:31:16 0
>>1 ながーい歴史の間には、いろんなことが起こるものだ。
ハンニバルは、象をインドからつれてきたという話があるぞ。
アフリカ象は飼い慣らせないから、インド象にちがいないと。
まあ、ちょっくら交易すれば、インドくらいいけるだろうが。
ちなみに、アメリカ大陸に猿がいる理由もよくわからない。
猿が進化したのは、アメリカ大陸とアフリカ大陸が分裂した
あとのことだからね。
200 :
世界@名無史さん:05/02/27 00:41:36 0
宇宙人の仕業だ
201 :
世界@名無史さん:05/02/27 00:41:56 0
そうか
202 :
世界@名無史さん:05/03/02 22:54:30 0
「あずみ」のラストシーンの安宅船は良く出来ていた
203 :
世界@名無史さん:05/03/13 01:54:22 0
創価
204 :
世界@名無史さん:2005/03/24(木) 21:38:43 0
李朝の亀甲船って本当に朝鮮の発明なの?
205 :
世界@名無史さん:2005/03/25(金) 13:43:47 0
>204
ジャンクと安宅船を足して二で割ったものと思われ
エエトコどりで良く出来てるけどな
206 :
世界@名無史さん:2005/03/25(金) 15:38:07 0
後悔技術か・・・
>>205 船に刃物をつけたというから、倭寇の飛乗り戦法に対しては効果的だったろう。
けど、韓国が宣伝している世界初の鉄甲船とはほどとーいと思われ。
そもそも鉄甲船って大砲の打ち合いの為にできたんであって、倭寇だとか侍相手に作る意味がないだろ。
208 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 14:40:47 0
ヨーロッパで発明されたことはなかったんだろうか?
ローマあたりで誰かが考案しててもおかしくなさそう。
209 :
世界@名無史さん:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 17:38:18 0
朝鮮の亀甲船は、サラミス海戦さながらの体当たり戦法が主体であった。
朝鮮侵略時の日本艦隊は砲撃主体であったため、
安全に接近し体当りを行うために重装甲を必要としたのだ。
亀甲船はゲリラ的に大型の輸送船団を相手に運用することで
一定の戦果を挙げた。
その一方、手漕ぎで船足が遅く、指揮官を務めた李舜臣自身に
戦術センスが欠如していたこともあり、
島津水軍の陽動作戦にかかり海の藻屑と消え、
以降朝鮮で亀甲船が作られることもなかった。
210 :
世界@名無史さん:2005/04/09(土) 16:49:17 0
中国では、宋・元・明が大航海時代といえる。この時代、中国の商人は遠く
アラビアやアフリカにまで交易に出かけていて、アフリカ南部のジンバブエ遺跡
からは宋・元・明の陶磁器が出土している。
明の場合、鄭和の遠征以後航海は禁止されてしまったが、東南アジアからの
朝貢使節の船や密貿易商人の船が盛んにやってきた。
16世紀の隆慶年間に海禁が緩和されて、民間の私貿易が認められるようになると、
南海貿易が盛んに行われた。鄭成功の父の鄭芝龍はこの時期に力をつけた
海賊まがいの大商人だった。
211 :
世界@名無史さん:2005/04/09(土) 17:01:59 0
> この時代、中国の商人は遠く
> アラビアやアフリカにまで交易に出かけていて、アフリカ南部のジンバブエ遺跡
> からは宋・元・明の陶磁器が出土している。
陶磁器に限らず、いくら中国製品が出土しても中国人がそこまで行った証拠にはならないよ。
212 :
世界@名無史さん:2005/04/09(土) 17:21:55 0
南インドでローマ貨幣が大量に出土したりしてるしな。
交易の盛大さを物語る材料にはなるけど。
中国の宝船しらないんですね。
214 :
世界@名無史さん:2005/04/10(日) 01:53:48 0
そんなもん誰でもしってる。
そして、スエズマックス級タンカーなみの頻度でインド洋を往来したわけではないこともみんな知ってる。
215 :
世界@名無史さん:2005/04/11(月) 22:39:06 0
廃人にお勧め
光栄かよ!糞ゲーもうイラネ
ラ・レアルが最強
219 :
世界@名無史さん:2005/05/10(火) 20:11:26 0
ソシエダか?
220 :
世界@名無史さん:2005/05/10(火) 20:34:49 0
ポエニか。
ガレー船→帆船→フリーゲート艦
イタオマチプの航行能力ってどのくらいなの?
沿岸航海ならば比較的遠くまで行けたらしいけど。
223 :
世界@名無史さん:2005/06/29(水) 02:20:20 0
age
移動力1
225 :
世界@名無史さん:2005/07/20(水) 21:20:07 0
亀甲船は亀みたいな船じゃない。
韓国の復元模型は大嘘。
227 :
世界@名無史さん:2005/07/22(金) 01:53:17 0
>>226 亀のようにドンくさい船、の意味ならあながち嘘でもないか。
李舜臣将軍と共に海戦に参加した甥の李芬は、「李舜臣行録」の中で亀甲船について次のように書いています。
「亀甲船の大きさは、板屋船(当時の主力戦艦)とほぼ同じく上を板で覆い、その板の上には十字型の細道が出来ていて、
やっと人が通れるようになっていた。そしてそれ以外は、ことごとく刀錐(刀模様のきり)をさして、足を踏み入れる余裕も無
かった」、「前方には竜頭を作り、その口下には銃口が、竜尾にもまた銃口があった。左右にはそれぞれ6個の銃口があり
、船形が亀のようであったので亀甲船と呼んだ」、「戦闘になると、かや草のむしろを刀錐の上にかぶせてカモフラージュし
たので、敵兵がそれとも知らず飛び込むとみな刺さって死んだ。また、敵船が亀甲船を包囲するものなら、左右前後から
一斉砲火をやられた」
「李忠武公全書」(1795年)によると、亀甲船の構造は底板の長さ14.2メートル、舷板最下第一板20.6メートル、舳板
(船尾)上4.4メートル、頭の広さ3.6メートル、最上級第七板34.2メートル、下の広さ3.2メートル、腰の広さ4.4メー
トル、高さ2.3メートル、尾の広さ3.2メートル、厚さ0.12メートル
ウソなのは鉄甲船だという解釈。
229 :
世界@名無史さん:2005/07/31(日) 01:01:05 0
そういや中国にはこういった軍船は登場しなかったの?
230 :
世界@名無史さん:2005/07/31(日) 14:22:36 0
>>229 蒙衝とか楼船とかいろいろあるけど、どれも河船だからな
「航海」技術スレでは語れまい
だれか
232 :
世界@名無史さん:2005/08/21(日) 09:04:09 0
age
ポリネシア人のスターナビゲーション(星の航海術)について
知りたいんだけどだれか知らない?
何か、羅針盤等の一切のツールなしで遠洋航海が可能であったらしい
んだけど。どうやって可能になるのかな
聞いてみれば?
ttp://www.straightree.com/ 緯度は季節が分かってて黄道、というか黄道上の指標になる星を見つければ
理論上は把握できる。昼でもいいなら普通に太陽で。
現在地が把握できてるんなら
星の相関的な角度と位置から見かけ上の経度角は割り出せる。
大体の島の位置というか感覚的な座標が分かってればたどり着けるけど、
この方法だと遭難とかして現在地をロストすると経度はかなりあやふやになる。
235 :
世界@名無史さん:2005/08/29(月) 01:01:17 0
経度は精密な時計が普及する時代まで測定不能と思っていたが・・・不可能じゃないのね。
236 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 17:17:56 0
>>233 ナイノア・トンプソンの著書がいくつか刊行されているよ。
ポリネシアの伝統航法の復元に挑む人だよ。
237 :
世界@名無史さん:2005/10/07(金) 18:55:18 0
保守
デーヴァ ソベル「経度への挑戦―一秒にかけた四百年」藤井 留美 訳
239 :
世界@名無史さん:2005/10/24(月) 00:52:26 0
240 :
世界@名無史さん:2005/10/26(水) 22:03:58 0
ポリネシア人はスティックチャートと言う、木を組み合わせたものを
使って海図として使用することができた、という。
この方法を知るのは今では少数の古老だけになってしまったようだが。
技術の進歩だけが航海術の進歩ではないということだね。
ポリネシア人はすげー連中だよなぁ
241 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 17:17:30 0
あの拡がり方なら、南北アメリカ大陸へ到達していてもおかしくないんだよなあ。
決定的な物証にはまだ至っていないが、サツマイモの件などで状況証拠がちらほらと見られるし。
242 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 21:53:27 0
最初の世界一周を成し遂げたのはポリネシア人だったりする悪寒が・・・
古代縄文人かもよ?
244 :
世界@名無史さん:2005/10/30(日) 22:53:07 0
>>243 世界各地で遮光器土偶とか火焔形土器とか発掘されたら面白いのにな
>>244 そしたら、世界の文化は全てウリナ(ry
246 :
世界@名無史さん:2005/11/01(火) 00:41:44 0
ポリネシアの航海って貿易風を利用してるんじゃないの。
もし、風上に向かって進めなかったら、世界一周は限りなく夢物語に近い。
ゲームの大航海時代では、ガレー船で太平洋横断とか出来るけどな。
248 :
世界@名無史さん:2005/11/01(火) 12:42:24 0
>>246 ポリネシアのカヌーもタッキングしまっせ。
むしろ大型帆船より機敏。
速度も旋回能力もすさまじいってクックも折りに触れては書いてるよな。
喫水も低いから珊瑚礁の中まで入れるし。
積載量はもちろん大型帆船ほどではないけど。
250 :
世界@名無史さん:2005/11/19(土) 18:35:44 0
ポリネシアのカヌーの帆って三角帆が一枚だったっけ?
251 :
世界@名無史さん:2005/12/14(水) 14:43:27 0
クックが見たハワイやマルケサスのカヌーは大小二枚の三角帆が
前後に配されるタイプだったような。
カヌーにも長旅用、戦争用と種類があったようなので色々あるんだろうけど。
つまりポリネシアカヌー最強でFAか
253 :
世界@名無史さん:2005/12/21(水) 22:32:23 0
age
254 :
世界@名無史さん:2006/01/03(火) 02:05:47 0
あの田舎だったヨーロッパがなぜかくも高度な航海術を手に入れたのか。
貧乏だったわりには総合的な技術力が高かった。
極論すれば当時の超大国オスマンの技術パクったからじゃない?
今から見ればイベリア半島の連中は
結局異教徒の遺産食いつぶしてはじけて終わりだった希ガス。
ヴェネツィアやジェノヴァあたりの積み重ねもあるけど、
それも大部分は地中海の東側でごちゃごちゃやってる間に磨かれたもんだし。
ヒント:ヴァイキング
257 :
世界@名無史さん:2006/01/04(水) 16:15:41 0
ヴァイキング?
258 :
世界@名無史さん:2006/01/04(水) 17:12:36 O
喫水浅いバイキングの造船技術と地中海のラウンドシップの造船技術は全く別物だし
259 :
世界@名無史さん:2006/01/04(水) 21:22:11 0
星を見て航海する天文航法に関しては完全に中近東のパクリ
もともとは砂漠という海を渡るために編み出された砂漠の民の技術
260 :
世界@名無史さん:2006/01/08(日) 12:52:02 0
ヒント:ヴァイキング
>>258 ロングシップ以外にもいろいろあるんだが。
262 :
世界@名無史さん:2006/01/08(日) 13:33:10 0
ヴァイキング由来の北方系の造船術
+地中海の三角ラテン帆
+中近東経由で伝わった羅針盤、六分儀
を全部合体させたのが西洋の航海術って事か?
263 :
世界@名無史さん:2006/01/08(日) 21:43:12 0
>>259 古代ギリシャでは、神話や星にまつわる話が多いのは、航海でなれした
親しんできたから。
>>263 そのギリシャ文化を受け継いだのがイスラムなのだが
266 :
世界@名無史さん:2006/01/16(月) 18:04:45 0
イスラムは偉大なり
267 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 00:20:51 0
イスラムの商人が中国にまで進出したりしているけど、大航海時代
とはいわないよね。
268 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 00:52:41 0
>>9 もの凄い遅レスですが…イースター島の文字は1722年最初の西洋人がイースター島に到着
した時はなかったとする説があるそうです。で、イースター島の住民に西洋人が文字らしきもの
の知識を伝えた…で、それを見た島民が、何かを参考に自らの島の文字を作り上げた…
で、参考にした文字があってそれに似ているという説が有力なようです。
269 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 00:55:53 0
○○という説が有力です
とかいう連中は何て研究者が言ってるのかまで明記しろ
270 :
世界@名無史さん:2006/01/20(金) 11:10:49 0
じゃ、そういう話があるそうです…でおしまいにしますw
その話が書いていた本には一応参考文献等が載っていたから調べりゃわかるんだけど
2chだしなーw この程度でいいでしょ。
>>266 イスラムってインドや中国の文化をパクって、ヨーロッパに
もたらしただけで、どっかの半島と同じような位置づけの
ような気がするのだが。
273 :
世界@名無史さん:2006/02/13(月) 01:44:22 0
>>270 考古学板でも同じ説が載ってたのを見たよ。
ウォレアイ島にある別種の音節文字にも同様の説あり。
274 :
世界@名無史さん:2006/02/19(日) 13:21:15 0
>>267 イスラム商人の航海は沿岸伝いが大半だしね。
大洋を横断して初めて「大航海」時代、ってことなんだろうか。
275 :
世界@名無史さん:2006/03/05(日) 23:26:57 0
祝3周年オメです!
航海技術かどうか、少し微妙だけど、
信長(+九鬼)の造ったといわれる鉄甲船って、捏造だっていう話があるけど、
どうなんだろ…
某そのとき歴史が動いたの漫画を読んで、詳しく書かれていたけど…
278 :
世界@名無史さん:2006/03/26(日) 03:05:04 0
逆に鉄甲船が存在したという根拠は何なんだろう。
よーく考えよ。
279 :
世界@名無史さん:2006/03/26(日) 08:11:33 0
がレオン船の速度を教えてください。
280 :
世界@名無史さん:2006/03/26(日) 12:02:53 0
>>277 捏造も何も、確かに実在したと断言してる学者なんていない。(いたらトンデモさんだ)
漫画とかのは全部想像図に過ぎない。
考古学的にはゼロ
283 :
世界@名無史さん:2006/04/19(水) 01:22:43 0
>>267 そだな。
「地理上の発見」が条件ならば、中世のイスラムも相当世界地図を作ってたよね。
欧州より先に香辛料を求めてモルッカ諸島あたりまで足を伸ばしていたくらいだし。
コロンブスもイスラム経由の地理情報が得られる環境にあったんではないだろうか。
鄭和大艦隊の中国人鄭和はイスラムだったそうですから中国には
すでにイスラム教徒が存在したことになるのでイスラムが中国に進出、
と言ってもすでにイスラムはそこに存在した、って感じですね。
だったらモルッカ諸島にイスラムが到達していたとする中には中国人イスラムもいたのかなぁなんて思ったりしちゃいますね。
あとオーストラリアを中国が発見していた!みたいに驚きー!!って感じに書いたりしてる本があったりしたようですが
まぁその「驚き」は西洋人視点の世界史での驚きかなと思いますね。
つまり西洋人にとって、南極を覗いて、最後の未探検大陸だったオーストラリアを、
中国が先に発見していた、ってのは驚きなのかなと思えます。
ですがオーストラリアってマレー、インドネシア、モルッカ、って辿っていくと次はオーストラリアって感じですから
中国にとってはマレー、インドネシア、モルッカって辿っていってオーストラリアにナマコ漁でたどりついていたとしても
西洋視点の世界史から見たときに生じるであろう「驚き」なんて感じられないように思います。
285 :
世界@名無史さん:2006/05/05(金) 18:12:53 0
って感じ
って感じ
って感じ
286 :
世界@名無史さん:2006/05/06(土) 12:19:12 0
メンジーズの「1421」で、正確な時計のない時代に洋上で
経度を測定する方法として、日食や月食を参考にしたとのくだりがあったが、
それで正確な経度が割り出せるものなんでしょうか。
やはりクロノメーターの登場を待たないと不可能なのかな。
「1421」だと2000年に月食測定して実験したらタヒチ、ニュージーランド、
メルボルン、シンガポールでの経度誤差は最小0度、最大1.1度におさまったそうだ
289 :
世界@名無史さん:2006/06/11(日) 17:20:34 0
月例保守に上がりました。
>>283 >コロンブスもイスラム経由の地理情報が得られる環境にあったんではないだろうか。
すべてはイスラム起源説でつな。
さらに発展すると、すべては中国起源説につながる。
291 :
世界@名無史さん:2006/07/04(火) 23:05:51 0
月例寄航に上がりました。
292 :
世界@名無史さん:2006/08/11(金) 00:13:36 0
コロンブスがアイスランドにも行ってたって本当ですか。
やはりヴィンランド航海に興味があったらしいですね。
>>255 遅スレだが
オスマンの時代には既にイスラム圏は技術的にヨーロッパに抜かれて
中東ではヨーロッパの技術者(医者、建築家、砲兵家などなど)を
高級で雇うのが流行ってた
294 :
世界@名無史さん:2006/09/01(金) 00:05:05 0
よーそろー
295 :
世界@名無史さん:2006/09/01(金) 18:35:48 0
現在確認できる最も古い天測航法はポリネシアだと思うが。
ポリネシアの航海技術が中近東に伝わり・・・云々
って話にはならないだろうなぁ
296 :
世界@名無史さん:2006/09/02(土) 01:48:37 0
中世の日本人が習得してたら面白い歴史になった>スターナビゲーション
297 :
世界@名無史さん:2006/09/02(土) 18:54:00 0
サムライ、太洋を渡り、新大陸へ
っていう歴史があったかもな。でも渡ったところでろくな
ことはしないと思うよ。
引き篭もったから武士道が成立した
サムライのほうが死語になっていた
299 :
世界@名無史さん:2006/10/02(月) 14:22:29 0
>>295 マダガスカル先住民もポリネシアのものに近い航法技術を使ってミンダナオ島から
直接マダガスカル島まで行ったので、中近東の近くといえば近くかもしれない。
300 :
世界@名無史さん:2006/10/02(月) 14:23:26 0
>>296 「ズニ族の謎」という本はそういうことを主張している。
>>293 オスマン帝国は13世紀から20世紀まで存続したわけで
時代毎に事情が異なるのにオスマン時代等と言う歴史認識自体間違い。
最早歴史を学ぶ以前に問題認識を把握する能力が劣ると言わざるを得ない。
そもそも国家意識や民族意識が未成熟な時代において
有名なベネツィア人画家やハンガリー人発明家の招聘といった事例を
進んだヨーロッパからの技術輸入と考えているならばその認識も誤りだ。
ヨーロッパの商船は無名の数多くのインド人航海技師を雇っていたし、
南米の銀山では無名の多くのインディオの精錬技師を雇っていた。
ヨーロッパ諸王国では17〜18世紀に絶対主義化が図られたが、
これはヨーロッパ諸王国のオスマン帝国化と考えられている。
仮にヨーロッパが進んでおりオスマン帝国が遅れていたとすれば
先進国ヨーロッパ諸王国が後進国オスマン帝国を国家モデルに
国家運営していたという矛盾に陥ってしまう。
ヨーロッパが15世紀ルネサンス以降オスマン帝国を凌駕していたなら
トルコの脅威や三日月の一世紀等と言う歴史用語はなく、
遅くとも18世紀前半にはオスマン帝国は滅亡していなければならない。
302 :
世界@名無史さん:2006/10/03(火) 10:21:37 0
>>287 月食ってそんなに都合良く起こるものなのか?
それと測定機器はどんなものを使ったの?
>>301 あのな技術は15世紀にはヨーロッパがほぼ完全に凌駕してたけど
当時の技術レベルでは技術の高さが必ずしも強さの基準にはならない
スペインがモロッコ遠征した際
火器の威力はヨーロッパがすぐったが雨で濡れて使いものにならなくなり敗退
それにオスマンは国家体制が巨大で技術差だけで当時では覆すことはできなかった
ただオスマンが大量にヨーロッパの技術者、建築家、医師、砲兵家などを
15、6世紀の時点で積極的に雇ってたのは事実だし
逆にそれでヨーロッパの優れた技術を獲得できたからそこまで大きな差はつかなかった
18世紀以降になると輸入や表面的なまねだけではおっつかなくなる
それ程、技術がより複雑になったからね
オスマンというか当時のトルコでは機械時計などの機械類や火器も輸入や
ヨーロッパ人に作らせていたし、解剖学も発達しておらず、医学は中世レベル
ルネッサンスのイタリアの精緻な技術レベルに比べると
はっきりいうと中世レベルで優れていたという程度
ブローデルに書いてある、当時は技術者が高給を求めてイスラム圏で就職したのはよくあること
それに比べヨーロッパ人でなくインド人が外洋航海用の船舶を開発したなんて聞いたこともない
インド人は単なる人手不足のヘルパーみたいなもんだろ
ヨーロッパの船に乗るんだからインド人にヨーロッパの航海技術を教えたんだろうな
それにインディオは文字さえ知らんし、
未開の人間がある特定のことに関して異常に優れているのはよくあること
その技師を雇う際、スペイン語を教えたのかな
当時のヨーロッパはその後もだけど内部闘争ばっかしてたから
フランスや新教諸国はトルコと同盟あるいは友好関係だったし
十字軍の時みたく全ヨーロッパがまとまって本格的にイスラム圏侵略してたら
当時の技術レベルならオスマンを滅ぼしたり属国化したりするのも可能かもね
オスマンはヨーロッパの内部分裂に助けられたともいえる
その後のオスマンは内部分裂したままの
オスマンより国家規模でいえばはるかに小国のオーストリアにボロ負けするまでにレベルが落ちている
しかも当時のオーストリアはフランスや新教諸国、オスマンという両面の敵と戦っていたのに
305 :
世界@名無史さん:2006/10/03(火) 20:13:00 0
306 :
世界@名無史さん:2006/10/04(水) 09:52:28 0
>オスマンより国家規模でいえばはるかに小国のオーストリアにボロ負けするまでにレベルが落ちている
それでは何故オーストリアはオスマンを征服しなかったのでしょうか?
小国が広い領土をどうやって征服するんだよ
308 :
世界@名無史さん:2006/10/04(水) 12:11:56 0
マケドニアはどうやって大帝国を築いたのでしたっけね
そろそろ航海技術の歴史に戻らないか
クロノメーターの開発によって航海が楽になったとも言うけど
まだまだ困難なものだったとも言うし
2点間直線航海は困難なものだったとも言うけど
昔航海士は進路変更がめんどくさいので2点間直線航路で航海したとか言うし。
まぁつまりは人それぞれ。
百点満点の70点のものを見て素晴らしいという人、こりゃダメだという人がいるということだね
>>306 当時オーストリアは最強国フランスと新教諸国と戦争状態でおされ
恒常的なチェコの内乱、同盟国スペインの強国からの転落など最悪な状況
オスマンに攻め込む余裕なんてあるはずがない
勝手にオスマンが調子に乗って攻めてきて返り討ちにあっただけの話
んであげくの果てハンガリーを割譲するはめに
その後もロシアとの緊張関係で緩衝地帯としてバルカンはトルコ領のままだったんだよ
ロシアは何度もバルカンを侵略してるが、その度に他の欧州諸国が介入して引き上げさせてる
ようするにパワー・バランスの問題
オスマンは大国だったが、先進国なんてのは笑い話でしかない
16世紀の時点でそんなに先進的で欧州を越える科学技術もってたなら
今時イスラム圏が世界の中心だよな、というか欧州も征服してただろうな
トピズレなんでこれで終わり
313 :
世界@名無史さん:2006/10/05(木) 12:28:05 0
>>311 なるほど。ブローデルの「地中海」を翻訳したフランス文学者がそう言っているのはわかった。
ただちょっと気になるのは、当時の戦闘でピストルやマスケット銃はあくまでも
補助兵器だったはずなのに、それがヨーロッパの優位の象徴みたいに書いている
ところかな。当時のヨーロッパの戦術はパイクを持った歩兵方陣によるぶつかり合いで、
携帯用火器がそれなりの威力を発揮するのは17世紀あたまにマウリッツ・ファン・ナッサウが
カウンターマーチ戦術とオランダ式方陣を考案してからのはず。火器を中心とした
兵科複合戦闘が歩兵方陣を完全に廃れさせるのは1640年代の話だ(ロクロワの戦い)。
それにしても歴史学者でもない人の講演だけが論拠ではつまらないな。
せめて『地中海』から直接該当部分を引用してくれないか。
314 :
世界@名無史さん:2006/10/05(木) 12:42:31 0
それと、イスラムが上とかキリスト教ヨーロッパが上という単純な二項対立の比較というよりも、
地中海という空間でイスラム圏とキリスト教ヨーロッパが活発に相互交流していったプロセスが
この時代の技術革新を促していったと考えた方が良いように思えるのだがどうか。
つまり、イスラムあるいはカトリック、プロテスタントの信仰ではなく、イスラムとカトリックの
信徒が交流出来るトポスとしての地中海という存在が技術革新の原動力になったという
ことだな。
>>314 そういう文化相対論のごった煮に入れるのもあまり感心しないなあ。
>>301>>303などの議論の理由というのは簡単な事だよ。
ルネッサンスというのは「人文主義の復活」から始まった。
この人文主義あるいは実践哲学というのは、いわゆる「文系」であって
実はいわゆる「理系」とりわけテクノロジーは全く得意ではない。
古代ギリシアの天文学・暦法などは、その政治的発展期には悲惨など低レベルで
ずっと前の時代のメソポタミア文明のレベルに遠く及ばなかった。
僭主政が横行する政治的にはgdgdの時期になってはじめて、
アルキメデスのような科学者の原形が本格的に活躍し始めている。
西欧文明は、その後ニュートン等により、実践哲学から物理学と数学を分離して
これを結合させることからまず自然科学理論として一気に発展を遂げる。
これを応用するテクノロジーが大発展するのはさらに後のこと。
だから、欧州がオリエントを「こりゃダメだ」と判断する歴史的順番は、
まず政治と哲学、次に自然科学の理論分野、最後に具体的テクノロジーとなる。
もう一つ付け加えれば、
日本の「文明開化」は西欧での発展とは全く逆の順番で行われているんだな。
まず江戸中期に医学・測量などのテクノロジー、次に数学などの自然科学理論、
最後に開国後になって政治や法律などの人文主義に繋がる分野が入っている。
ルネサンスが一番最初に行った古典学は今でも事実上等閑視されたままだ。
日本の文系がダメだと言われる真の理由は実はこれで、
時間的積み重ねの致命的なハンディキャップがあるからだ。
あまり参考にならないかね。スレ違いスマソ。
317 :
世界@名無史さん:2006/10/07(土) 09:28:08 0
参考にならなかったが言いたいことはわかる。
>日本の文系がダメだと言われる真の理由は実はこれ
それよりも具体的に
・世界に問うべき性格の研究でも日本語で論文を書いて終わらせてしまう
・欧米の最新流行理論の輸入紹介に終始する
・国内にムラ社会を作ってその中で下らない政治に明け暮れる
318 :
世界@名無史さん:2006/10/07(土) 22:01:29 0
近世に入ると様々な分野でヨーロッパが世界をリードしだしたのは確かだけど、
医学だけは(少なくとも実用レベルでは)違うと思う。当時のヨーロッパの医者
がそんなにはやったのかな〜。
絶対王政の頃のヨーロッパ医学の治療法って瀉血、瀉血、また瀉血ってかんじでしょ。
むしろ軽い病気も重病にしかねない代物。食事療法とか薬草とか、穏和な療法
が中心のユナニーや漢方の方が実用的にはむしろ優れていたと思う。(多分、
ローベルト・コッホの登場まではそう)
>318
とはいえ、パレの時代からじわじわと進歩していたことは確かだ。
ただ、人体にダイレクトにアプローチする方法は体を傷つけるのとイコールだからな。
治療してるのか拷問してるのか分からないようなのに比べれば、
漢方等による穏やかな治療の方がまだましだっただろう。
>>314 しかしルネッサンス以降の技術革新ってヨーロッパ側でしか起こってないんだけどね
はるか昔から考えればオリエントからギリシャ・ローマ、
そこからイスラムいってヨーロッパと長いスパンで考えれば相互作用は成り立つけどね
ルネッサンス以降の技術的側面に限定すればあてはまらないな
ヨーロッパ側が一方的に発展してるって感じ
あとルネッサンスは文系が起点とか書いてる人いるけど
ちゃんと科学や技術も明らかに中世レベルから一歩踏み出してるから
機械の原点である機械時計の発明や、
近代科学の幕開けともいえる解剖学の発展は14世紀に始まるし
コペルニクスも15世紀、コペルニクスの地動説がそれ以前と違って画期的だったのは
ちゃんとした軌道計算から推測したこと、それ以前の地動説は思いつきみたいなレベルだからね
この時代なくして一速飛びにニュートンはありえない
>>318 ヨーロッパは中世後期から解剖学が発達してたし
解剖学に直接関係する外科技術は他の文明圏に比べかなり発達してたよ
ただ内科は外科に遅れて発達したが
他の文明圏に比べて特別遅れてたわけじゃない
そもそも内科の技術もイスラムから入ってきたわけだしね
というか内科の技術はイスラムもヨーロッパも17世紀あたりまで
ローマ時代とあまり差はなかったそうだ
322 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 16:26:21 0
外科技術ったって麻酔と消毒が発達しなければ使いようがない。
この2つの技術が実用レベルに達するのは比較的遅い時代だし。
あと、地動説の元祖アリスタルコスは思いつきで地動説を唱えたんではない。
太陽の大きさを計測した結果、太陽が地球より大きいことを見出し、
そこから地動説に発展させていった。地動説を取れば惑星の見かけの動きが
単純なモデルで説明できるようになることも知っていたし、だから地動説に
傾いた。これは天動説の完成者プトレマイオスも知っていたこと。ただし、
プトレマイオスは万有引力を知らなかったから、地動説では地上に遠心力が
働き、物体は宇宙に弾き出されてしまうとして、天動説を取っただけの話。
以外と天動説も理詰めに構築されているんですよ。
323 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 17:33:16 0
航海技術のスレなんだが
アリスタルコスは計算自体間違えてるし、考えも現代からすると杜撰だな
結果的に、地動説が正しかったけど
あくまで彼は提唱者であり、証明からは程遠い
ただパイオニアとしては評価するけど
それと惑星の軌道を知るのは航海技術とも関係あるけどね
麻酔や消毒がなくても外科技術は存在してたし、発展もした
パレーの時代は麻酔も消毒もあったのかな たぶんなかったと思うよ
当時の手術は死んだ方がマシなくらい痛かっただろうけどな
近代の科学はギリシャ・ローマ時代の知識を否定するところからはじまるんだよね
特に医学はそういうところがある
325 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 19:28:34 0
イスラムとキリシタンの比較はもう良いから。
パレの時代には麻酔も消毒も無かったよ。
どっちも19世紀半ばの発明だから。
日本ではそれよりも早く経験的に発見・発明されていたけど、
それが医学全体の発展には寄与しなかった。
ちなみに、実際に人体を解剖してガレノスの著作に無いものが現れると
人体の方が間違っていると考えられた時代だった。
327 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 20:30:46 0
しつこい
328 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 20:36:34 0
いずれにしても西洋に追い抜かれる。
329 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 20:41:01 0
はいはいうれちいねえ
330 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 20:47:03 0
そうか
331 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 20:47:34 0
誰
332 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 20:48:50 0
うほうほ
333 :
世界@名無史さん:2006/10/08(日) 20:49:26 0
ほす
334 :
('◇')ゞ鳥肌実中将:2006/10/08(日) 20:52:13 O
《太平洋にも吹いた神風》
【第一次被害☆昭和19年12月18日】
ハルゼー米海軍第3艦隊は、フィリピン北部ルソン島東方海域で巨大な台風に遭遇し、
駆逐艦3隻が転覆沈没、軽空母2隻、護衛空母2隻、重巡1隻、駆逐艦3隻に大損害、
その他の大小艦船19隻が損傷し、航空機146機を喪失。
人員790名が死亡又は行方不明となった。
【第二次被害☆昭和20年6月5日】
沖縄近海で再度ハルゼー第3艦隊は台風に遭遇し、
戦艦1隻、正規空母2隻、重巡2隻、軽巡1隻に大損害、
その他の大小艦船27隻が損傷し、航空機142機を喪失。
今回の人員被害は十数名だった。
【卍】 ≦予 ̄>
G\(^■^ ラ 《我が闘争》より
\ <!>+\
今日以後、かりにヨーロッパとアメリカが滅亡したとして、
すべてアーリア人の影響がそれ以上日本に及ぼされなくなったとしよう。
その場合、短期間はなお今日の日本の科学と技術の上昇は
続くことができるに違いない。
しかしわずかな年月で、はやくも泉は水がかれてしまい、
日本的特性は強まってゆくだろうが、
現在の文化は硬直化し、七十年前にアーリア文化の大波によって
破られた眠りに再びおちてゆくだろう。
☆確かに《神風》は太平洋にも吹いた。
しかし、造船技術の進歩は、中世のそれを遥かに凌駕していたのだ。
>>302 月食はまぁ年に1〜2度ほどか?
なもんで多分「1421」は船上でなく、地上での経度測定について述べてるのではないか?
で
>>287の実験に関しては中国の天文観測台がある場所に観測チームを送り月蝕を測定したとある。
で、その観測チームはアマチュアだったんでアマチュアでも月蝕に頼れば
これほどの精度で計測できるってことかな。
しかしどんな機材を用いたのかについてはふれてないようだし
「1421」的トンデモ本は読者が誤解するように書いてる様子があるので
このデータをどう読むべきかちょっとよくわからないので自身で「1421」読んでみてはどうでしょう?
図書館にありましたよ!
336 :
世界@名無史さん:2006/10/09(月) 10:49:33 0
あげ
337 :
世界@名無史さん:2006/11/05(日) 17:51:01 0
月例投錨に上がりました。
ジャンク船でベーリング海峡越えてアメリカ大陸発見したんだろ?
339 :
世界@名無史さん:2006/11/05(日) 22:55:53 0
いつ誰がよ?
鄭和
341 :
世界@名無史さん:2006/11/07(火) 02:59:13 0
>ベーリング海峡越えてアメリカ大陸発見
メンジーズの本にもアジア経由なんて書いてあったか?
342 :
世界@名無史さん:2006/11/19(日) 17:26:14 0
古代ギリシャの軍船の沈没船は見つかっていないらしいね。
商船はあるらしいけど。このため、詳細が分からない。
343 :
世界@名無史さん:2006/12/07(木) 21:51:11 0
月例出帆に上がりました。
344 :
世界@名無史さん:2006/12/07(木) 21:56:34 O
でも三段櫂船の復元船はあるんだけどなw
人力のくせにびっくりするほど速い
345 :
世界@名無史さん:2006/12/07(木) 22:14:29 O
ちなみにローマ時代の船はネミ湖から完全発掘されたことがあったが
落雷で消失した
346 :
世界@名無史さん:2006/12/19(火) 23:31:43 0
横浜の氷川丸は無くなっちゃうんですね
347 :
世界@名無史さん:2006/12/22(金) 01:44:17 0
プトレマイオス4世の40段のガレー船の復元図キボンヌ
古代ギリシャの軍船は軽かった?
ナウパクタスの戦いで、座礁した船は、戦闘終了後、基地まで引っ張って
帰っている。
349 :
世界@名無史さん:2007/01/11(木) 21:21:07 0
バイキングの船もよく担いでは
川から隣の川へ移動したりしていたね。
インディアンのカヌーも同様
352 :
世界@名無史さん:2007/02/05(月) 20:09:46 0
安っぽい模型だな
>>352 酷いトップヘビー構造。外洋での使用は困難。
波の無い、運河、河川、湖沼、ならいざ知らず。
高い横波を受ける外洋では、転覆する。
特に下の隋の楼船は、帆装も無く、貧弱な櫓or櫂しかないため推進力が極めて弱い。
運河、河川で、陸地から引っ張って補助しない限り使えない代物。
精々煬帝の物見遊山用といったところか。
いやこれ、河船だし。
河船が白村江に参加する訳ねーよな。
ウヨも大変だな
359 :
世界@名無史さん:2007/03/03(土) 13:07:55 0
結局、沿岸航海を脱して外洋を航海できるようになったのは、いつごろの誰だろう?
陸地の見えない海を長距離航行するとなると・・・
案外ポリネシアのカヌーだったりするんだろうか。
360 :
世界@名無史さん:2007/03/03(土) 16:48:18 0
最古はラピタ人!
361 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 02:48:22 0
いや、5万年前にウォーレス線を突破したアボタンでそ。
362 :
世界@名無史さん:2007/03/11(日) 12:42:09 0
ダインガンガンかジャンカウ兄弟か!
363 :
世界@名無史さん:2007/03/24(土) 11:38:44 0
5万年前ならネアンデルタール人かも知れんぞ!
竹で編んだザルでも船のかわりになるよ。東南アジアとかでは漁につかってる
365 :
世界@名無史さん:2007/04/18(水) 02:58:04 0
だからといって銭湯の脱衣カゴで出航しないように。
ベトナムの籠舟は沿海漁にしか使わないぞ。
手漕ぎで遠洋航海するつもりかw
367 :
世界@名無史さん:2007/07/01(日) 16:19:50 0
368 :
世界@名無史さん:2007/07/15(日) 15:17:59 0
>>335 近代以前に月距法を試みた国・民族などはあったのでしょうか。
望遠鏡による精密な計測がないと無理ですかね。
月食と月距法は別?
371 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 08:49:52 0
>>39 >ヴァイキングたちの船で特徴的なのは竜骨・・・
竜骨があると、どういう利点があるのですか?
372 :
世界@名無史さん:2007/09/08(土) 09:07:02 0
脊椎動物だって肋骨があるから体が崩壊しないんですよ
>>371 ・大型船が造れる
・波切り性が良くなる
・強度が上がる
>>372 無脊椎動物は肋骨がなくても体が崩壊しないんですよ
でも原生の生物みればわかるとおり大きくなれてない
>>375 バイキング船は大型ではないが、キール構造を持った西洋帆船は大型化していくだろ。
体の構造を維持する方法として
脊椎を中心に骨格を構造材とする方法と
カニやエビのように外殻を構造材とする方法とがある。
この二種は一概にどちらが優れているの言うのもではない。
もし一方が優れているなら、世の中の生物は、
優れた一方の方式のみが、もう一方の方式を駆逐し、
生物界は一方の方式のみが残っていただろう。
サイズによって
構造の有利不利が分かれるだろ
380 :
世界@名無史さん:2007/10/19(金) 13:53:27 O
動物の世界では大型動物は脊椎系。
木造帆船も大型のものは脊椎(竜骨)系。
しかし現代の船は外殻系?
>>376 バイキングのロングシップも、最大の物になると70m超えてるよ。
現代の船は材質と溶接技術の進歩のお陰だろう。
現代の船も大型船はキール構造だろ。
384 :
世界@名無史さん:2007/12/03(月) 12:07:13 0
タンカーとか、空母とかはどっち?
空母は知らんがタンカーはキールのような構造部材は無かったような・・・
船殻で強度を持たせているだろうから外殻系だろうな。
船じゃあないけれど車もそうだし、乗り物は
脊椎系(強度計算が楽、造りやすい)→外殻系(計算は複雑、造りにくい、材料が少なくてすむ)
という流れなんだろうな
386 :
世界@名無史さん:2007/12/05(水) 00:07:45 0
一応今の大型船にもキールはあるけど、平板キールと言って
船底板の一部をなす板にすぎず、昔の帆船のそれとは大きく違う。
(むしろキールより肋材の方が重要)
今は輪切り状のパーツを接合して作るブロック工法だからね
>>386 初期のタンカーが溶接割れで沈没した事が
タンカーは外殻系だという良い証拠だね。
389 :
世界@名無史さん:2008/01/23(水) 17:28:28 0
390 :
世界@名無史さん:2008/02/03(日) 15:12:31 0
>388
第四艦隊事件で沈んだ特型駆逐艦も溶接面で破断したが、
だからといってそれが「外殻系」の証拠とは言えないしょ(^^)
航海技術の歴史が造船技術の歴史になりつつあるがまあいいか。
391 :
梵阿弥:2008/02/03(日) 20:19:17 0
>>371 ヴァイキング船の特徴として「V」の角度が浅いので結氷時に潰れずに押し上げられる
というのが在ります
392 :
世界@名無史さん:2008/02/04(月) 00:34:18 0
>>391 一般的に竜骨の方が平底より喫水が深くなるのでは?
バイキング船は竜骨なのに喫水が浅い特殊な例では無いかい?
平底だとねじれに弱いから波風が少ないところじゃないと危険
394 :
梵阿弥:2008/02/05(火) 18:58:07 0
>>392 特殊かもしれませんが、ともかく結氷時も食料や燃料の備蓄さえあれば流氷に流されるまま
漂いつつ春を待つことが出来たそうですよ
395 :
世界@名無史さん:2008/04/03(木) 11:30:14 0
ポリネシア人の航海能力てスゴイよな
396 :
世界@名無史さん:2008/04/03(木) 15:12:44 0
あれは技術と言うより根性じゃないの
太平洋渡ってイースター島根性だけで行けるのか
嵐でワケワカランとこに流されたら
偶然島があって
そこがイースター島だったとか
399 :
世界@名無史さん:2008/04/13(日) 05:27:48 0
チャンパ王国の船ってどんなだったのでしょう?
交易の範囲もあまり判っていないのですかねえ?
2000年近くの歴史があるわけなのだが
401 :
世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:00:08 0
ポリネシア人の航海した距離って大西洋横断なんか軽く超えてるよね
ニュージー〜ハワイ〜イースター島という広大な海域を原始的な船で移動できてたんだから
フェニキア人とかが大西洋横断くらいしてても不思議じゃないと思う
402 :
世界@名無史さん:2008/04/15(火) 14:03:12 0
古代の日本人も沿岸航海中に嵐にあって黒潮に乗って
カムチャッカやアリューシャン、アラスカにたどり着いていた可能性はあると思う。
アメリカ大陸を最初に発見したのは日本人かもしれないw
403 :
世界@名無史さん:2008/04/15(火) 19:12:25 0
漂着したのと発見したのは違うと思われ
それに帰国して報告しないと意味無いし
405 :
世界@名無史さん:2008/06/24(火) 22:23:52 0
日本を発見した人物の名は未だに知られていないわけだが
>>401 現在確認済みのポリネシア人の最大行動範囲は、マダガスカル 〜 イースター島です。
地球を2/3周くらいしてるのではないかと。
最近の研究の情勢ではアフリカ〜南米まで範囲が広がる可能性が十分にあります。
ポリネシア人って原始的な狩猟採集社会だった割には、結構巨大な石造建築物作ったり、意外と
文化が成熟してるのが不思議。
407 :
世界@名無史さん:2008/08/24(日) 01:39:00 0
408 :
世界@名無史さん:
いまさらだが
>>174 「ろくとう(勒肚)綱」あるいは「勒舵策」は船首から船底を通して舵の下端を
結ぶ棕櫚や竹の綱。 中国船の舵は波の状態や海底の深浅に応じ上下にスライド式に
可動するタイプで、綱が腐食して切れると舵が左右にグラつき取り付け部まで破損して
最悪、舵をもっていかれる。
ただ、明代には鉄釘で造った船体の外側をさらに籐や鉄の箍(たが)で締めて補強して
いたらしいので、嵐にあって破損すると予備の綱がそっちに用いられたかも。