帆船について話し合うスレ 2点鐘
934 :
世界@名無史さん:2006/10/07(土) 03:25:54 0
935 :
世界@名無史さん:2006/10/07(土) 04:01:43 0
936 :
世界@名無史さん:2006/10/07(土) 05:15:56 0
そこは帆船オンリーじゃないような…
それなりに人がいらっしゃるし(ここと重なってるかもだけど)
乱入は申し訳ないような気がする。
937 :
世界@名無史さん:2006/10/19(木) 19:44:34 0
あげ
すたん帆船
939 :
世界@名無史さん:2006/11/26(日) 22:34:32 0
船出の刻・・・
940 :
世界@名無史さん:2006/12/01(金) 09:50:30 O
大阪の時空館で実物大の千石船を見てきた。
近くで見るとデカい。
西洋船のような飾り付けはないがシンプルでなかなか格好よかった。
日本の船もいいね。
帆柱一本、帆も一枚だから思わず小さいと錯覚してしまうが
あれでも全長30mあるんだよね
性能的にも風上航行が出来ないとか間違った知識で不当に貶められてるし。
速力なんかは逆に西洋船なんかよりずっと早かったというのに。
943 :
世界@名無史さん:2006/12/03(日) 19:05:14 0
>>942 船舶の規模からするなら、外洋帆船であっても小さい物が多いからな。
沢山の帆が張ってあり、復元性能などを重視した帆船と内航船とじゃあ・・・・・
比較にならないのは無理ないかも。
日本の場合、鎖国政策で帆柱一本に制限されていたりもするから、
技術云々は何もいえんな。
そうはいっても、技術的進歩は有った訳で
帆なども莚みたいな物から綿に進歩してるし、新しい航路も開拓されている。
だよなー。
そんなに和船が優れてるなら、
福建からロンドンまで100日以内で走ってみろ
・・・という話になっちゃうからな。
んじゃさ、西洋帆船の近海タイプである
ケッチ?とかと較べて和船ってどんなものだったの?
エロイ人教えてくだちい。
946 :
世界@名無史さん:2006/12/03(日) 21:19:30 O
千石船の帆は三十五反あるそうな。
江戸時代には「新綿番船」という、新しい木綿を満載した廻船で
大坂から浦賀までの速さを競うスピードレース大会が行われていたが、
1859年の歴代一位の船の記録は、
所要時間=50時間、平均速力=7ノットだったとか。
弁才船もそのころの時代だと、西洋船の影響か、帆柱が一本とは限らず
船首に弥帆・中帆・伝馬帆、本帆の脇には補助用の副(そえ)帆、船尾には艫帆・・・と
かなり複雑な帆装をしている場合があったみたいだな。
和船の話だと、明治時代の合いの子船がなんか笑えたな。
西洋帆船への移行を進めるべく和船を制限する明治政府と、
「じゃあ西洋船と和船の違いって何よ?」と突っ込んだ上に
和船を西洋船っぽく弄繰り回して「はい、これは西洋船です」と
頑張る船主のいたちごっこ。こういう流れも日本的だよなぁ〜(w
949 :
世界@名無史さん:2006/12/10(日) 19:46:06 0
船体だけは従来の弁才船で、帆装はスクーナーってやつか>合いの子船
朱印船もそうだが、ああいう風に外国のアイデアと在来技術をごった煮にして応用するのは
日本のお家芸よのー
ハイブリした先には高性能化が待っていたのに残念なことじゃ
しかしまぁ、上からの強制に「これでいいんだろ?」と頓知のごとく切り返すのは当然のことだよな
下々の者からするとやってられますかって話だ
つか下々の船乗りたちには
西洋船を動かすノウハウはなかっただろうに、
無理やり押し付けてもなぁ・・・
咸臨丸のときも、帆を張るのに和船なら「せみ」でリモートコントロールなのに
帆柱の上にのぼんなきゃいけないことで、日本の船乗り衆はだいぶ
びびった&まいったらしい。
よく考えたら船のマストに登るのって世界でヨーロッパだけだよな
某板で軍艦長門の登檣礼の写真を発掘して、みんな
水兵の数の多さと「とんでもないところに登ってるやつもいる」
(たしかに丸い測距儀にまで登ってるやつがいる)ことに
一様に驚いていたが、
帆船時代の登檣礼はきっと網の部分とかに水夫が登りまくって
それこそ豊漁の漁網みたいになってたんだろうな。
っていうか、きっとなにかあると水夫どもがマストや網に登りまくって
はしゃいだのが登檣礼の起源なんだろうけど。
昔は今みたいな命綱はなかったのでマストに登ったりするのは命がけ
でもこれがメインの仕事だから誰もがやっていた、やらなければならなかった(今でも海王丸とかの訓練生はやってるね)
さすがにそんな命を張る場所ではあんまりはしゃいだりしないんじゃないかなぁ
寄港するときに陸地を見るため登っていた者はいそうだけど
単純に乗組員が重ならず整列できる方法としてやむなく高いところに行ったんじゃないの
帆が無いんだから、軍艦長門のは登舷礼かと
登檣礼、てのは停泊中の船舶で行うもの。
礼式であるので作法は決まっている。
日本で最初に登檣礼が採用されたのは昭和28年日本丸が帆装復帰し、はじめての遠洋航
海が企画されたとき
バウスプリット、各マストのヤード及びジガーマストのトップ台に実習生を配し職員は登舷礼の配置
に立ち、笛の合図でヤード上の実習生は岸壁側に注目、士官は敬礼をします。
敬礼が終わるとバウスプリットの先端に立つ実習生が後ろを向き、「脱帽」、「ごきげんよう」の号令に
合わせ、全員で「ごきげんよう」と発声しながら帽子を振りこれを3回繰り返し、「着帽」してマストか
ら降りてきます。
だそうな
登檣礼ってどこかの人望の厚い船長が下船したのを水夫達が見送ったのが始まりじゃなかったっけ?
遠くまで見送れるように帆柱に登ったのが始まり、だとずっと思ってた。
それ聞いたことがあるような気がするが、
日本丸の勧進元によると、登檣礼の記録は16世紀イギリス海軍の記録にあるけど、
起源はよくわかんない
だそうな
ま、ある種、出初め式みたいなもんですね。
「見よ!オレタチは危険なマストに平気でひょいひょい登る勇敢な海の男だぜ!!」
みたいな。
960 :
世界@名無史さん:2006/12/16(土) 22:26:05 0
いや、どうも、登檣礼だけやるボランティアがいるらしい。
そいつを水兵として雇えよ
>登檣礼だけやる
いいとこ取り
963 :
世界@名無史さん:2006/12/30(土) 21:03:02 O
あげ&皆様よいお年を!
964 :
世界@名無史さん:2007/01/07(日) 20:06:27 0
チャールズ・W・モーガンが好き。
たまらん。
965 :
世界@名無史さん:2007/01/18(木) 17:06:19 0
イギリスは17世紀か18世紀に帆船用に国内の木材を切り尽くして蕩尽してしまったために
自然保護運動が盛んになったってきいた事がある
大航海時代以降ヨーロッパで造船の為に木を切りまくって森林が殆ど消滅して
今の森林はその後の植林によるものとか聞いたことがある。
967 :
世界@名無史さん:2007/01/19(金) 10:41:20 0
あと海賊の話もとりあげようよ
968 :
世界@名無史さん:2007/01/19(金) 11:45:28 0
海賊スレがあったはず、と思って探したら
「野盗・山賊の歴史」だった・・・
969 :
世界@名無史さん:2007/01/19(金) 13:47:43 0
現存する最古の帆船ってトラファルガー会戦のヴィクトリー号でよかったんだっけ?
970 :
世界@名無史さん:2007/01/19(金) 14:13:12 0
>>966 スペインなんて、そのせいで禿山だらけになったって聞いたことある。
>>969 少なくとも「現役艦」ではそうだろうな。
ヴィクトリーはまだロイヤルネイビーに在籍してるからね。
971 :
世界@名無史さん:2007/01/19(金) 14:15:01 0
エジプトの太陽の船(上り用)でないの?
水中から引き上げたり土の中から掘り出したものはさすがに除外じゃね?
973 :
世界@名無史さん:2007/01/19(金) 23:07:24 0
じゃスウェーデンのワサ号もダメだな
974 :
世界@名無史さん:2007/01/22(月) 11:31:57 0
ジャンクは帆船?
975 :
世界@名無史さん:2007/01/22(月) 11:36:04 0
立派に帆船なのだ
976 :
世界@名無史さん:2007/01/22(月) 11:54:53 0
太陽の船はガレー船のような・・・
977 :
世界@名無史さん:2007/02/03(土) 04:46:31 0
>>977 ワロタ
船上にカタパルト装備かよ。何を攻撃するんだw
>>978 古代日本の超絶テクノロジーで作られた天の浮船。
その元ネタの船ならクレオパトラかそんな映画で見たな…
>船上にカタパルト
オスプレイ社から出ている"Acre 1291"って本のイラストで
十字軍兵士が軍船のカタパルト発射してる絵があったな。
もっと小さい船だったが。
>>977 投石機が逆を向いてるあたりも芸が細かいな。