歴史上の人物をコーエー数値化するスレ! 2

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1世界@名無史さん
これを能力値をつけるときの指針にして下さい。
0代=逆にすごい
10代=ゴミ
20代=ろくでなし
30代=苦手
40代=凡人
50代=可もなく不可もなく
60代=まあまあ
70代=優秀
80代=一級
90代=超人
100=神

前スレ
世界史上の人物をコーエー数値化するスレ!
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034939698/
2世界@名無史さん:03/02/15 20:22
>>1
乙彼!
3世界@名無史さん:03/02/15 20:41
2
統卒10
武力10
知力10
政治10
魅力0
精力100
4前スレの948:03/02/15 21:41
>>1
ありがとうございます。
さっそく第二回を書きたいと思います。

「赤いナポレオン」ミハイル・ニコラエヴィッチ・トハチェフスキー(1893〜1937)
【統率】85:(烏合の衆であったソ連赤軍を10年で、世界でもっとも先進的な軍隊に育て上げる。戦場でも参謀本部でも、偉大な名将であった)
【武力】96:(弱冠25歳で軍司令官となり、連戦連勝。内戦を終戦に導く。彼の編み出した縦深戦略は、第二次世界大戦でドイツの電撃戦を完全に封じ込めた)
【知力】80:(当時の世界では最高の軍事理論家。教養豊かで語学に堪能。バイオリンを嗜み、ショスタコビッチとも交友。)
【政治】49:(特筆すべき政治的業績は無い。スターリンに粛清されたことは、減点材料ではないだろう)
【魅力】83:(軍人だけでなく、国民にも絶大な人気を誇ったため、スターリンに危険視される。海外でも名声が高く、ド・ゴールとも友人だった)

帝政時代に陸軍少尉となり。第一次世界大戦に従軍したが、ドイツ軍の捕虜となる。
同じ収容所にいたド・ゴールを始めとするフランス人捕虜と仲良くなったり、
神様のお面を作って遊んだりするなど、なかなか愉快な収容所生活を送ったようだ。
やがて脱走して赤軍に入り反革命勢力との戦いで功績をあげ、レーニンとトロツキーに認められるようになり、
25歳で軍司令官、26歳で方面軍司令官と、冗談のようなスピード出世を遂げた。
27歳の時にポーランドに攻め込み、首都ワルシャワまで迫るが、
ピウスツキの反撃に遭い、生涯でただ一度の敗北を経験する。
しかし、この敗戦は政治委員として従軍していたスターリンが足を引っ張ったせいだったので、
実質的にはトハチェフスキーは死ぬまで不敗である。
なお、責任を取らされてクビになったスターリンは、トハチェフスキーを逆恨みしたという。
5前スレの948:03/02/15 21:42
内戦終結後、参謀総長となったトハチェフスキーは、百姓一揆に毛が生えた程度でしかなかった赤軍の近代化に尽力。
1930年初頭には機械化を成し遂げ、世界最強の軍隊となっていた。
彼の名声は外国にまで届き、世界最高の戦略家と称えられた。
37歳で赤軍最初の元帥となり、その栄光は頂点に達したかに見えたが、
その二年後にスターリンの粛清に遭い、処刑される。
この時の粛清で、トハチェフスキーが育て上げた優秀な指揮官のほとんどが殺され、
赤軍はスターリン派の政治軍人に牛耳られるようになる。

1941年、ヒトラーはソビエトに侵攻した。
昔日の力を失っていた赤軍は連戦連敗し、国家存亡の危機に陥った。
しかし、トハチェフスキーが残した戦略研究にヒントを得た赤軍は、大反攻を開始する。

トハチェフスキーは、死んでもなお、国を守り続けたのだった。
6前スレ983:03/02/15 22:39
まとめておきました。
7世界@名無史さん:03/02/15 22:47
>1
>6
お疲れさま。
8世界@名無史さん:03/02/15 23:20
【ガイウス・ユリウス・カエサル】

【統率】92(数々の逸話を残している天才。ただ、ブルータス、お前もか」で原点)
【武力】92(超一流ではあるが・・)
【知力】92(神がかりだとは思うが。諸葛亮との比較であえておとす。)
【政治】92(ほぼ完璧)
【魅力】90(やはり、ブルータスの件が大きくマイナス)

私の評価ね。
光栄の三国志や、信長の野望をもととするとこのくらいに落ちるとはおもう。
でも、信長、秀吉、曹操、信玄と戦えるスペシャル数値。
結局は、ブルータスの件が最大のマイナスポイント。
敵対者を取り込んだ曹操などとくらべるとね。
9世界@名無史さん:03/02/15 23:56
>8
チャレンジャーだね。
ローマ史に置いては一流の「ど」の字たんはこうだったが
【ガイウス・ユリウス・カエサル】
【統率】97(数々の逸話を残している天才。ただ、中級指揮官の手綱を誤まって暗殺されたので数字を少し落とした)
【武力】96(個人としては卓越した騎手。戦略戦術にほとんど傷の無い将軍。後世の神君扱いも納得)
【知力】100(彼を100とせずに誰に100を出すのか。最高の教養、表現力、本質把握力、解法考案力、実行手腕、どれも完璧。まさに神)
【政治】99(硬軟両面を併せ持ち、相手の急所を突く凄腕。100を与えても、と思ったが、反対者の心理洞察に欠けたので1下げた)
【魅力】100(この面においても彼は伝説的。数々の伝説に彩られており、現代でも未だに魅了される者が居る。神と言うに相応しい)

>光栄の三国志や、信長の野望をもととするとこのくらいに落ちるとはおもう。
>でも、信長、秀吉、曹操、信玄と戦えるスペシャル数値。
信長、秀吉、曹操、信玄がカエサルと勝負になると?
曹操はまあまあ、信玄・秀吉がかなり譲ってぎりぎり。ましてや信長がカエサルと比肩できるかよ。
すっかり逆。
10世界@名無史さん:03/02/16 00:34
>>8
ブルトゥス(ブルータスは英語読みです)
のことはマイナスポイントじゃない人もいると思う。
その辺は個人の価値観の差かなあ。

個人的に微妙なのが、逆に曹操かな。
統一半ばで倒れてて、しかも死後に(統一前に)王朝乗っ取られてる
んで、評価しづらいんだよね。
似た状況にあると言える信長-秀吉-家康の流れほど、
魏晋南北朝は安定してないし。
エピソード読んでも冷酷なんだか優しいんだか、一貫しない印象。
実は最大の業績は「魏武註」の作成じゃないのかと。

それと、諸葛孔明って実際そんなに凄いか?
こっちは伝説でかなり誇張されてそうだ。
11世界@名無史さん:03/02/16 00:41
>>10
諸葛亮は今から1800年ぐらい前に、
四川と雲南、貴州を支配していた地方軍閥のナンバー2をやってた人です。
西部国境をチクチク攻撃し、中央政権を困らせてました。
わりと有能な人だったみたいです。
12世界@名無史さん:03/02/16 00:57
先駆者という意味では信長に匹敵する天才は中世日本にはいない。
その後のヤシなんか掠め取っただけ。 信玄?甲斐にひきこもってれば?

と言ってみるテスト
13世界@名無史さん:03/02/16 01:39
武田信玄=ヴェルキンゲトリクス級
14「ど」の字:03/02/16 02:14
 ちょっと待って〜〜。
 武田信玄は、失礼ながらガリアのヴェルギンゲトリクスには及ばないと思われ。
 彼は群雄糾合の技術も、戦略グランドデザインを敷く能力もありませんでした。
 唯一経済観念においては、古代を生きたヴェルギンゲトリクスに勝ってはいますが。
 戦術の腕でも、かなりの疑問手を見せていたりします。
15世界@名無史さん:03/02/16 02:20
全然およばない、これ常識と思われ。
信玄厨ってけっこう多い。日本史で言うならまだわかるが・・・
16世界@名無史さん:03/02/16 02:23
>>14
若い頃は結構負けてるよね、信玄。
17世界@名無史さん:03/02/16 02:25
信長の、面じゃなくて点と線で戦線を拡大していく近代的な戦術って
同時代の世界の戦術と比べても卓越してると思うけどなあ
18「ど」の字:03/02/16 02:35
 戦国群雄の一人、信濃源氏の末裔の評価です。

【武田晴信】 1521〜1573

【統率】62(やたら家内騒動が多い。何故だ?)
【武力】82(川中島では疑問手を打っている。また戦略感覚の欠如は痛い)
【知力】72(事務処理に卓越していたようである。人事もそれなり)
【政治】85(内政には卓越していたが、宗教勢力の跋扈を許した責任は重大)
【魅力】82(宣伝戦が上手く、自分のイメージを増大させるのに秀でていた)

 仏門に入道して以後は信玄と呼ばれ、こちらの名のほうが有名になった人。
 武田信虎の嫡男。父を駿河に追放して家督を相続する。
 その翌年から領土拡大に乗り出し、信濃・上野などに進攻。
 信濃を巡っては越後の長尾景虎(上杉謙信)と敵対した。
 五次にわたって戦い、結局決着がつかなかった川中島の合戦は有名である。
 駿河・北関東にも進攻し、これに反対した嫡男・義信を自害に追い込んでいる。
 上洛を目指して西進し、三河の徳川家康を三方が原の戦いで撃破するも、それ以後行軍を停滞させてしまう。
 停滞した陣地の中で病に倒れ、信州駒場にて死去。

 赤備えの武田騎馬軍団は諸大名の恐怖であったが、実数は120名程度しか居なかったと言われる。
 その騎馬隊の突撃にまで持ちこむ戦術の冴えと、内政の巧みさで有力武将に数え上げられる。
 事実、その治世は外征より内政に日本史的な意義が存在する。
 反面、戦略デザインと世の中の流れを読む能力は拙劣。ことに既得権益たる宗教を掣肘できなかった責任は大きい。
 以前、家康との対比で90を与えているが、考えてみればあの数値はインフレでした。
 孫子の兵法を深く学び、旗印にまでしている人ですが、孫子の説く心理情報戦略は結局理解できなかったのは大きな皮肉です。
19世界@名無史さん:03/02/16 02:45
信玄厨もクソもねーだろ。
カエサル厨も、曹操厨も信長厨もその逆の曹操と信長のアンチも
みんな目クソ鼻クソだ。
日本の戦国時代とローマと三国志が関係するといつもこうだし。
20世界@名無史さん:03/02/16 02:57
>>19 キミの発言が一番厨度が高くみえちゃう
21世界@名無史さん:03/02/16 03:00
>>19


コーエー数値化という基準で、そういう異種格闘技戦を展開するのがこのスレの趣旨と思われ

前スレは中世ヨーロッパや高麗といったマイナーところも話題になっていた。
そういうネタもきぼーん
22「ど」の字:03/02/16 03:02
 続いて、戦国時代を終局に導く端緒を拓いた人の、自分なりの評価です。

【織田信長】 1534〜1582

【統率】79(どちらかと言うと武断に寄った手法ながら優秀でした)
【武力】93(やや過少評価気味?ローマ史との対比的に見ればカエサルより下、大スキピオと競るでしょう)
【知力】84(既存の文化知性に拠らない近代的視点で物事の善悪を判定した天才です)
【政治】97(内政も天才的だが、特にグランドデザイン構築に優れます。政教分離は世界史的意義を持つ偉業)
【魅力】68(既得権益保持者には徹底的に憎まれたが、庶民の支持はありました)

 尾張清洲城主織田大和守の一族である父・信秀の二男として生まれました。
 幼少の頃より「うつけ者」として疎んぜられましたが、家督相続と共にこうした一族を各個に撃破。尾張統一に成功しました。
 桶狭間の戦いで今川義元を倒すと、松平元康(後の徳川家康)と同盟、背後を固め美濃を攻略、足利義昭を奉じて上洛します。
 各地の宗教一揆、本願寺、浅井・朝倉連合軍など四囲に敵を受けながらこれらの足並みの乱れを突いて各個撃破。
 天正元年にはそれら勢力を陰で操った足利義昭を追放し、室町幕府を滅ぼしました。
 武田氏を長篠の戦い(1575)で破ると、翌年、近江国(滋賀県)に安土城をきずいて本拠とします。
 1580年には石山本願寺を屈伏させ、中国地方の毛利氏攻略に羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)を送りだします。
 その後詰として西上中、京都の本能寺で明智光秀の謀反に会い、自刃しました。享年49歳。
 彼のこよなく愛した『敦盛』の詩の如く、現世を50年生きることなく去っていきました。
(彼の業績評はもう少し続きます。また明日……)
23世界@名無史さん:03/02/16 03:08
信長は大スキピオかぁ・・・すげーな。
24こっちだ・・・・:03/02/16 03:21
石原莞爾(1889〜1949)
帝国陸軍中将・参謀本部作戦部長、第16師団長

【統率】80
信賞必罰綱紀厳正。彼の師団では常に軍紀は厳格に保たれ、
横行していた私的制裁を根絶。「兵卒は神である」という信念に基付き
常に部下を労わり絶大な信頼を得ている。激戦地に彼が赴いただけで、
自然と兵の間から軍歌の合唱が沸き起こり、危機を脱したという伝説あり。
石原のいる部署では、同輩上司の区別無く常にボス格。
【武力】88
満州事変では1万の関東軍を指揮して30万以上の張学良軍相手に圧勝。
事変を経てその名は世界に知れ渡る。WW2に参加出来なかったのが残念。
【知力】97
陸軍大学では授業はサボリがち、授業には出ない、にも関わらず恩賜の
軍刀組。保守的な旧軍部内にあってWW1直後というかなり早期から航空主
兵論を提唱。WW2を経て後の常識となる。
東部戦線に於けるドイツの敗退を予言。
太平洋戦争の推移を正確に予測、日本の敗北を予言。
核兵器の出現とそれに伴う冷戦の到来を予言。
議論の際の舌鋒の鋭さは敏腕検事以上。鬼だ。
【政治】79
満州事変に於ける政治的な駆け引きはなかなかの手並み。
徹底した民族平等を唱え、満州国建国に尽力。しかし石原が携わらなく
なって以後日本の傀儡化。GHQ統治の欠陥、トルーマン外交の誤謬を指摘。
チャーチルは“未来に何が起こるかを予見すること”が政治家にとって最
も必要な才能だと言ったが、預言者石原こそ最高の政治家と言っても過言
ではないでしょう。正し実際に行政に携わったわけではないので割引も
やむなし。
【魅力】82
陸軍部内で台等してきた東条英樹に苛烈な罵倒を加えまくった為に実務を
追われてしまったが、それでもカルト教団の教祖並のカリスマ性を発揮。
熱烈な信奉者は部下同僚は元より一般市民、さらには上官の中にまで及ぶ。
25石原莞爾の経歴:03/02/16 03:24
満州事変を計画、指揮した元凶。
比類ない武略や指導力を誇る上、予知能力の有無を疑わせるほど未来展望
がきき、様々な予言を成就させる。
新しい戦争の形態予測、日華事変不拡大、対米戦反対、対戦中の陸海軍部
の間違い、その後の政治情勢など彼の主張はことごとく正しい。
後知恵だが、彼に日本の舵取りを任せていたらその後の日米戦の結果はだ
いぶ変わっていただろう。

しかし彼が招いた大本営軽視の風潮は、その後陸軍の独断専行を頻発させ、
皮肉にも彼が最も反対していた日中全面戦争、日米開戦の淵源となってし
まった。さしもの預言者も、“神”ではなかったということか。

また彼の思想は常人の理解の限度を超えてかなり宗教じみていたが、
人望も厚く、政治家でもないのに庶民の支持が強い。
極東軍事裁判でのやり取りでは敗戦国側の証人にも関わらず、
敵国の判事には尊敬され、石原を追及したイギリス人検事すら
「馬鹿な尋問ばかりしてすいません」と謝るほど。

石原の能力・実績のわりに現代での人気がそこまでないのは、
彼が引き起こした結果責任がマイナスされてのことだろう。

追記。
能力の基準を決めるにあたって、トハチェフスキーを書き込まれていた方
がとてもよく纏められていたので、参考にさせていただきました。
なお、あの、間違って書き込んだスレッドの方、大変ご迷惑をお掛けしま
した。平に謝罪いたします。ごめんなさい!
26世界@名無史さん:03/02/16 03:41
いや、これくらいでもいいと思うけど。

関係ないけど政教分離には、信長が一向宗の弾圧のためにキリシタンを優遇したことも
入るのかなあ。
2726:03/02/16 03:43
>>23さんへのレスでした
28蘭太郎:03/02/16 03:46
【知力】の項の
「陸軍大学では授業はサボリがち、授業には出ない」

「陸軍大学では授業はサボリがち、宿題は出さない」
に訂正させて頂きます。

うう、自分、駄目な奴ですから・・・
29世界@名無史さん:03/02/16 04:12
石原莞爾キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!!

いや漏れも信長は世界史からみても評価してもいいとは思うけど
相変わらず「ど」の字タンの数字は高すぎだよ (゚Д゚ )
30世界@名無史さん:03/02/16 04:20
石原莞爾評価かなり納得。割引も適切な感じ。武力は実績の意味では
もう少し引いてもいいような気もするが。
31蘭太郎:03/02/16 04:56
>30
そうですね。事変の実質の作戦指揮は石原といっても、
当時の彼は関東軍参謀長、本庄軍司令官の下で才能を発揮して
いたにすぎませんね。
おまけにちょっと相手がへちょすぎるかな。
彼の指揮する部隊が進攻アメリカ軍を迎撃したらどうなるか、
まだまだ知数な能力にググッと肩入れして加算ということで
多めに見て下さい(笑)。
それと、“東條英機”ですね。
32世界@名無史さん:03/02/16 08:30
誰かバイバルスおながいします。
自分がやるとオール90以上になりそうなので。
33蘭太郎:03/02/16 09:30
WW2世代の名軍略家対決なんて面白そう。
だれかマンシュタインあたりやってくれないかな。
僕がやるとジャンケンの後出しの如く石原に軍配あげちゃうだろうし。
34世界@名無史さん:03/02/16 09:32
前スレでも出たが、チトーきぼんぬ。
賛否両論ある人物なので難しいとは思うが。
35山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/16 09:50
突然やって来てなんですが、>19当時は家内騒動・宗教勢力の活動は当たり前の
ことで、信長も主導権を握ろうとはしたものの「政教分離」はしていなかったかと。
武田に対する評価は高すぎず妥当ですね。流石に慣れてらっしゃる。
(前スレで書いた通り人物評価はしばらく自粛させて戴きます。)
36世界@名無史さん:03/02/16 11:20
>24
行政に携わる地位を獲得する能力も政治力の内なので、
政治だけは少し下げるべきかと思いますが、それ以外は文句ないです。
37世界@名無史さん:03/02/16 11:43
>29
>>22の評価に穴は無いと思うけど。武力、知力、政治共に問題ない。
強いて言えば統率が少し高い気もするが…。高過ぎって程でも無い
38世界@名無史さん:03/02/16 12:06
話変わるが、チンギスハンとヒトラーの数値あったっけ?
記憶にないんだが。
なかったら誰かやってくれ。
39世界@名無史さん:03/02/16 13:41
>38
チンギス=ハーンは >566。
ヒトラーは何度か出ている。
前スレで検索してみそ。
40前スレの948:03/02/16 14:04
第三回 「平和の調停者」
バイバルス(1223〜1277)バフリー・マムルーク朝第五代スルタン
【統率】90:(内乱状態だったマムルーク朝を再統合し、国内の統一を恒久的なものとした)
【武力】83:(モンゴルからシリアを奪回し、西進を阻む。以後、38回の戦いを経て、モンゴルと十字軍を国内から完全に駆逐した)
【知力】92:(正攻法と謀略を自在に使い分け、敵を翻弄。その智謀は当時の西方世界では並ぶものが無かった)
【政治】91:(駅伝制度を整備し、キリスト教国と外交関係を結ぶなど、政策にも調整能力にも卓越。だが、マムルーク勢力を温存し、子孫に禍根を残したため減点)
【魅力】89:(クーデターに失敗して放浪していた時も、部下は彼の周りから離れなかった。また、善政を敷いて民衆の人気を集めた)

キプチャクの人。十代の頃に奴隷狩りに捕まり、アイユーブ朝が治めていたエジプトに売り飛ばされる。
武勇を見込まれてスルタンの親衛隊に入ると、メキメキと頭角を現し、
二十代で将軍となり、十字軍との戦いでルイ9世を捕虜にするという大金星をあげた。
後にクーデターに参加してアイユーブ朝を打倒し、実力者にのし上がったが、
政争に巻き込まれて、部下を引き連れて国外に亡命する。
41前スレの948:03/02/16 14:24
モンゴルがシリアに進軍すると、呼び戻されて軍の司令官となり、
アイン・ジャールートでモンゴル軍を打ち破り、敵の総司令官キト・ブカを戦死させた。
しかし、戦後処理の問題でスルタンと対立したため、
クーデターを起こして、自らスルタンの地位に就く。
かくして、ムスリム=エジプトの最も輝かしい時代が始まった。

対外戦争にことごとく勝利を収めて、マムルーク朝の領土を確固たるものとした。
いくつかの派閥に分かれていたマムルークを上手に統制し、クーデターと内乱の連鎖に終止符を打った。
駅伝制度を整備し、社会資本に投資を行い、重税を廃し、民衆の生活を向上させた。
キリスト教国に外交攻勢を展開して聖王ルイを孤立させ、十字軍を終わらせた。
キプチャク=ハン国と同盟し、宿敵イル=ハン国を挟撃する態勢を作り上げた。

これだけの業績を一代で成し遂げたバイバルスであったが、
治世17年目にして、あっけなく病死してしまう。
彼の王統はすぐに滅んでしまったが、彼の意思は生き続けた。
1291年に十字軍最後の拠点アッコンがマムルーク軍の手で陥落。
中東は完全にムスリムの手に戻ったのである。
42世界@名無史さん:03/02/16 14:34
43前スレの948:03/02/16 14:46
コラム「戦国の三傑」
織田信長(1534〜1582)
【統率】58(やたらと部下に裏切られている。雑多な集団を統率したということは同情に値するにせよ、甘さが目立つ)
【武力】70(彼の用兵の本領は大兵を集めて、有利な状況で戦うことであった。勝つべき戦いに勝てつだけの力量は有していたが、名将とは言いがたい)
【知力】95(戦場を設定し、敵に勝る兵力を集中させることにかけては、天才的。統率力と戦術の欠如を補って余りあるだけの戦略があった)
【政治】80(天才というよりは応用者。楽市楽座も、宗教勢力の排除も、既存の政策であるが、それを大きい範囲に広げたことが彼の功績。
      政略に関しては、敵を切り崩すのは得意だったが、自陣営の調整に失敗し続けたため、減点せざるを得ない)
【魅力】57(信長はカリスマではなく、実利で人を引き付けるタイプ。そのため、窮地になると良く裏切られた)

列伝は割愛します。
44前スレの948:03/02/16 15:07
豊臣秀吉(1537〜1598)
【統率】87(本能寺の変以後、分裂していた織田家中を迅速に再統合し、天下を統一。存命中は絶対君主であった)
【武力】76(勝つべき戦いで勝つ能力は、信長と同等。危ない局面は信長より多く経験しているので、若干高く評価できる)
【知力】84(当時において戦略的勝利というものを良く理解していた数少ない将帥。天下統一以後は戦略的には迷走した観があるため減点)
【政治】90(分裂していた日本に全国的な支配組織を確立したのは、偉大な調整能力のなせる業であろう
      だが、彼自身の力量に依存し過ぎる体制を作ったため、死後に日本が分裂しかけた)
【魅力】82(陽気で会う人を魅了する性格。人を育てることにも熱心で、多くの忠実な部下がいた。
      だが、恐怖政治を敷いたために多くの人を苦しめ、自己の政権に対する反感を広く育ててしまった)
45蘭太郎:03/02/16 15:40
アドルフ・ヒットラー(1889〜1945)
ナチ党党首・ドイツ第三帝国総統

【統率】90
時代に味方されたとはいえ、
これほどまでに絶大な支持を取り付けた政治家が嘗てあろうか。
1対40という国力差でベルリン陥落まで国民を纏め続けた人心掌握術は、
まさのファシズム(結束を重んじる)と呼ぶに相応しい。
歴史上最も成功したファシストは、国防軍を掌握しきれなかった事で大きく割引も
侮れぬ。

【武力】38
フランス攻略戦では独創的な策を採用し奇跡的な成功を納めるなど、
「ん?」と思わせたがやっぱり気のせいだった。
その後はオリジナリティー溢れる珍作戦を立てまくり、
累々たる死体の山(味方の)を築いた。終戦に到るまで国防軍の足を引っ張り続け、
その崩壊に多大な貢献を残したド素人。

【知力】62
ライラント、オーストリア、ミュンヘン、チェコと英仏を手玉にとった心理戦のセン
スにはキラリと光る物が。脅しとハッタリだけを武器にヨーロッパを荒らしまわる。
権謀術数も国内外問わず細かい仕事ぶりだが、ただWW2も後半からが余りにもお粗末
すぎる。酷い。問題外。よって数値は平凡。
46ヒトラーつづき:03/02/16 15:42
【政治】95
「ゲルマン民族の生活圏拡大」という壮大な政治理念を掲げて政治家
デビュー。少数党の党首から独裁者にまで登りつめるその嫌らしい手口は、
もうほとんど“芸”の域に達している。
インフラ整備や失業者問題解決、再軍備とかなりの統治者ぶりだがユダヤ人
や不穏分子に対する弾圧などその功罪は数知れず。
外交ではポーランド戦までギリギリの綱渡りを見事にこなしている正に天才
政治家。
でも直接世界に何の建設的な貢献をしてないことと、財政赤字が常に深刻
だったことを考えれば残念次点まで。

【魅力】87
事あるごとに悪の見本として引用される知名度は史上随一。
SSなどという素敵な組織を作り上げ、脳内エンドルフィン全開発狂的信者
多数。軍部の反乱を招くなど、合わない人間には毛虫のように嫌われるが、
そのぶんコアなヒトラーファンも数知れず、今に到るまで怪しい人気を保
ち続けている。
嫌い嫌いというのも、実は強い関心の裏返しということか。
47ヒトラーつづき:03/02/16 15:45
え?ヒトラーもうあるんだ!?
ごめん、お手つきだ!
48前スレの948:03/02/16 15:51
徳川家康(1542〜1615)
※大阪夏の陣直前の能力
【統率】98(関が原で石田三成を打ち破って以後、諸大名に反乱される事はなかった。
      大阪の陣は、粛清に近いものがあるので、減点材料とはならないだろう)
【武力】80(正攻法と奇略を巧みに使いこなす、当時では屈指の用兵家だった。
      五カ国時代までは、高い軍事能力が彼の最大の政治的財産であった)
【知力】92(失敗は少なくないが、それを打開するだけの「応変の将略」を備えていた。
      そして、同じ失敗を繰り返すことは無かったため、年を取ると共に能力を向上させた)
【政治】97(狡猾さと政策能力を兼ね備え、恒久的な支配体制を築き上げた。
      宰相を持たなかったのにこれだけの業績をあげたのだから、その功績は彼に帰するべきだろう)
【魅力】50(感情的で自制心に乏しい上にケチで、付き合いづらい人物だったようだ。
      信頼はされても、好かれることは少なかっただろう。
      彼の元に集ってきた人材は、彼のカリスマでは無く、指導力に付いて来たのだろうと思われる)

家康というのは、実に評価のしづらい人物です。
前半生においては、とにかく戦場で雌雄を決しようという姿勢が目立ち、
指導力にも、政治力にも、何かと穴が目立ちます。
本来の資質は、信長にも秀吉にも大きく劣っていたように思います。
しかし、彼には「失敗に学ぶことが出来る」という歴史上の英雄には稀な特性がありました。
49前スレの948:03/02/16 15:57
秀吉と小牧・長久手で戦った時、戦術的には大勝利をあげましたが、
戦略では完全に後れを取り、臣従を誓わされた上に、
家老の石川数正を引き抜かれて、家中をぐちゃぐちゃにされています。
しかし、豊臣政権下では狡猾に立ち回り、秀吉が死ぬ頃には、
押しも押されぬナンバー2に成り上がっています。
そして、関が原や大阪の陣では、さまざまな手を打ち、
戦が始まる前から勝てる態勢を整えています。
50前スレの948:03/02/16 15:59
三方が原で信玄に負けると、武田家の軍制を取り入れていますし、
三河一向一揆以降は、極端な宗教政策はとっていません。
大大名に政治権力を与えてしまったため、乗っ取られてしまった豊臣政権の教訓を生かし、
大きな領土と強い権力を備えた「ナンバー2」を置かない体制を作りました。

「最初は英雄ではなかったが、最後には英雄になった人物」というのが、私の評価です。
51世界@名無史さん:03/02/16 16:10
>>45
統率は84ほどでは?暗殺されかけてるし。

また、武力はそこまで低くない。
WWU後期が減点材料であったとしても、WWTでの功績を考慮すると67ほどだ。
52前スレの948:03/02/16 16:22
>>51
武力は、私の基準では「戦場で軍を指揮して戦う能力」です。
近世以前の戦争なら、兵士としての軍功も加味して良いかもしれませんが、
近代戦では評価材料にはならないでしょう。
ヒトラーは優れた政略家でしたが、軍事センスが明らかに欠けていました。
戦場で軍を指揮したとしても、これといった成果をあげられなかったのではないでしょうか?
武力38は妥当だと思います。
53前スレの948:03/02/16 16:28
>>1のフォーマットでは、60台というのは、平凡ではないが、優秀とはいえない。
つまり、「まあ優秀」というレベルです。
近代の戦争なら、師団長や軍司令官を務めて一つの戦争を戦い抜き、
戦勝国側ならば、これといった功績は無かったが、大過なく任務を果たした人物。
敗戦国側ならば、不利な状況でも負けはしたが、致命的な失態はなかった人物でしょう。
54蘭太郎:03/02/16 16:55
>51
確かに暗殺未遂なんて駄目指導者の見本のような事件起こされてますけど、
あれだけイカレた戦争指導続けて、
終戦まで主だった反乱があれだけってのは、
ある意味かなりの歴史的偉業だと思うんですね(笑)。
それから、僕はヴァイマール時代を終結させたファシズムの指導力ってのを
世界史的な意義から重く取りたいんですね。
ムッソリーニも中途半端にしかできなかった政治体制を作り上げたという意味で。
だからどれだけ大きく割り引いても、90のラインは切れない。
これがギリギリの線(笑)。でもそのぶん魅力を考えたりして調整してます。

後、確かにWW1では勲章もらったりしてますけど、
あれって要するに、やんちゃな兵卒の、ただの無謀な突進でしょ?
それにヒットラーの評価にナチ党入党以前も含めるんですか。
んー、ちょっとそれには抵抗ありますね。
それに武力を67にすると、 >>43 の織田信長に匹敵する武力になるって、
新たな問題が発生しちゃうんですね。ヒトラーは信長よりは、全然劣るでしょう。
東部戦線で雲行きが怪しくなってくると、とたんに狂った異常行動を続けて、
優秀な部隊を潰しまくったヒトラーの能力を50よりも上にすると
ちょっとかの国の英霊の皆さんに悪いかな、という気がします(笑)。
55前スレの948:03/02/16 17:20
第四回「密林の虐殺者」
サロト・サル(1928〜1998)カンボジア首相
【統率】35(粛清を行って国を維持したが、それでも部下に逃げられ続け、
      ベトナムに攻められるあっと言う間に崩壊した)
【武力】43(クメール・ルージュ草創期は、自らゲリラ戦を戦ったこともあるので平均点。
      組織が大きくなってくると政治指導に徹したので、軍事には長じていなかったと思われる)
【知力】80(ロン・ノルの失政に付け込み、勢力を拡大。
      政治的妖怪とも言うべきシアヌークをも手玉に取りカンボジアを乗っ取った。
      政権を追われた後もパワーバランスを巧みに利用し、勢力を温存した)
【政治】11(農本主義に走って国民の4分の1を虐殺し、ベトナムを執拗に攻撃して反撃されるなど、何をやっても裏目に出た。
      悪い意味で極端なのがこの人の政治家としての特徴だった)
【魅力】80(常に穏やかな笑みをたたえ、人に「信頼できる」という印象を与えることの出来る人物だった
      虐殺が明らかになってから彼に会った外国人ジャーナリストですら、彼を善人であると認めざるを得なかったという
      彼の人格的吸引力には素晴らしいものがあったようだ)
56前スレの948:03/02/16 17:31
一般的には、ポルポトの名で知られる、人類史上最悪の暴君の一人。
その複雑な人格そのものが、20世紀の謎である。

王族に連なる名門に生まれ、フランスに留学して共産主義に染まる。
帰国後は教師をして、生徒や同僚に慕われたが、政治活動への傾倒を強め、
1960年代初頭にカンボジア共産党(クメール・ルージュ)を設立する。
1970年に親米派のロン・ノルが政権に就くと、ベトナムや中国の援助を受けてゲリラ戦を展開。
1976年にプノンペンに入城し、カンボジアの首相となった。
57前スレの948:03/02/16 17:36
政権に就いた彼は極端な農本主義を掲げた。
商工業に従事する人々を、農村部に強制移住させ、
クメール・ルージュの役人・軍人以外のカンボジア国民は、全員農民になった。
こんなムチャな政策がうまくいくはずもなく、あっという間に破綻したが、
彼は失敗の責任を「裏切り者」に押し付け、
政権を批判した者や、旧政権の役人、インテリなどを八つ当たりのように殺しまくる。
58前スレの948:03/02/16 17:48
それでも農本政策がうまくいかなかったので、
彼はクメール・ルージュの幹部の中にも「裏切り者」がいると思うようになった。
また、農作業の出来ない老人や病人は「無駄飯食い」であるとも考えた。
これらの人々も収容所に送り込まれて、処刑された。

こんなことをしていては、長続きするはずが無い。
粛清を逃れていたヘン・サムリンやフン・セン(現カンボジア首相)が、
サロト・サルの敵視政策に我慢が出来なくなったベトナムと結託し、
カンボジアに攻め込んできたのである。

彼は政権の座を追われたが、その後もカンボジアの実力者であり続け、
1998年に自派が分裂した直後に、死亡した。
59前スレの948:03/02/16 17:53
「実現しない理想を持ち続けることほど苦しいことは無い」と、
フィデル・カストロは語ったという。
サロト・サルもまた、終わりの無い苦しみの中にいたのであろうか?

平和な時代なら、彼は善良な共産主義かぶれの先生として、生涯を終えたであろう。
しかし、当時のカンボジアは親米派とシアヌーク派が抗争を続け、混乱状態であった。
そして、彼には人を引き付け、扇動する能力があった。
政治闘争を勝ち抜くだけの能力もあった。
そのことが、全ての人に不幸をもたらした。
60前スレの948:03/02/16 18:01
サロト・サルは人を集める能力に恵まれていたが、
集めた人の面倒を見ることは出来なかった。
自分が国民に何を求めているかを述べることは出来たが、
国民が自分に何を求めているかを、知ることは出来なかった。

彼は政権を手に入れる能力には傑出していたが、
政権を維持する能力に完全に欠けていたのである。

「逆らう者は殺す」
それ以外の統治方法を彼は知らなかった。
6151:03/02/16 18:07
>あれって要するに、やんちゃな兵卒の、ただの無謀な突進でしょ?
独逸軍だってそれ如きで、たかが兵卒(伍長勤務上等兵)に第二級鉄十字章、
さらには普通、兵卒なんぞには与えられない第一級鉄十字章まで与えるほど暇ではありません。

統率に関しては貴方の仰る通りかもしれません。
62前スレの948:03/02/16 18:09
晩年、彼は「良心に恥じることはしていない」と語ったと言う。
彼は清廉で私心の無い人物であった。
ただ、農本主義のユートピアを実現するために生き続けた。
これほど、自己の良心に忠実な人物は、人類史上でも稀である。
だが、それでも唾棄すべき虐殺者としての汚名を、彼は甘受しなければならないだろう。
普通は、理想のために殺されるぐらいなら、私利私欲にまみれて生きることを選ぶからだ。

「枕の上で死ねて良かったな」
これが私のこの人物に対する正直な気持ちである。
63世界@名無史さん:03/02/16 20:45
あのさ、日本史人物関連の人に言いたいけどさ、完全に減点制でやるつもり?
一つの村でまったく問題なく村長を務め上げた、で100なわけ?
家康に世界史レベルからみて「98」がつくの?

別に西洋史観でやれとか、日本人の点は低く抑えろとか言うつもりはないけど
もうちょっと大きい目で見てくれよ。減点はなくても土台そのもののスケールを
少しは勘案してくれ。無論日本のスケールは小さいと一概に言うつもりはない。
しかし開国以前の日本にそんなスケールのでかいやつがそう何人もいると思うか?
64前スレの948:03/02/16 21:12
>>63
信長、秀吉、家康の統一事業は、欧州史に例えると、
「神聖ローマ帝国を再統一して、絶対主義国家にした」ようなものだと思います。
神聖ローマ帝国と異なり、外国の干渉はほとんどありませんでしたが、
各地に割拠する有力諸侯はヨーロッパ列強の軍隊とも遜色の無い戦力を備えており、
(当時の戦国大名の軍隊の鉄砲の装備率は、欧州諸国を遥かにしのいでいた。
 動員力に関しても、米作主体の日本は、麦作主体の欧州より多くの兵を集めることが出来た)
欧州の覇権争いと、応仁の乱以来の日本の内戦の苛烈さは、ひけを取るものではないと思います。

このような強力な諸侯を武装解除し、明治維新期まで大きな内乱を起こさせないほどに
磐石な体制を築き上げた家康の統率力は、世界史レベルでも上位に位置するでしょう。
65世界@名無史さん:03/02/16 21:29
>>63
確かに減点制は、おかしいと思うが
スケールてどうやって判断するんだ?
動かした兵力か?それとも獲得統治した人口?
何故開国前の日本にはスケールのでかい奴はいないと思うの?
ヨーロッパもECて概念からみれば内戦ともとれそうだが。
66前スレの948:03/02/16 21:33
ここは世界史スレですから、生きていた当時の世界での存在感と、
後世に与えた影響から評価すべきでしょう。
ただ、大航海時代以前の人物は、後世への影響への配点を高くすれば良いのではないでしょうか?
そうすれば、数値のインフレは防げると思います。
67前スレの948:03/02/16 21:41
ネタばらしになりますが、トハチェフスキーの武力96と言うのは、
赤軍の司令官として、勝利を収めたことだけを評価対象としたわけではありません。
彼の勝利が、彼の軍事理論の勝利であり、20世紀の軍事史を塗り替えるという歴史的意義があったからです。
戦いに強いだけなら、せいぜい80台、その時代で屈指の戦上手という程度です。
しかし、トハチェフスキーは、目前の敵だけでなく、既成の軍事理論にも勝利を収め、
彼の縦深理論は、彼の死後にドイツの電撃戦理論に完全な勝利を収めたのです。
ロシア赤軍の父であり、20世紀前半最大の名将の一人である彼こそ、
武力96にふさわしいと言えるでしょう。
68世界@名無史さん:03/02/16 22:17
>63
面積が小さい国を統一したからってそれが何、という意識が根底にあるようですね
69世界@名無史さん:03/02/16 22:19
>>63
概ね同意。このスレのヒトラーの評などと比べてみれば温度差歴然。
欧州を一時席巻した巨大な扇動政治家を善悪二元論からでなく評価しようと
する反面、影の部分も見逃せない、という姿勢が見えるが、
それに比べて日本戦国時代の武将の評価などは
「諸大名に反乱されることはなかった。98!マンセー!」
としか見えんよ・・・
70世界@名無史さん:03/02/16 22:23
>>68 んなこというなら日本史板でやれ!
71世界@名無史さん:03/02/16 22:38
>70 うぜぇ
    きえてくれ
    世界のために
72前スレの948:03/02/16 22:44
>>69
日本史関係の人物を評価すると、どうしても紛糾しますねえ。
統率「98」の理由は、>>64に書きましたが、まだ足りませんか?
これ以上書くと、スレ汚しになるから書きたくないんですけどね。
73世界@名無史さん:03/02/16 22:54
>63
問題は日本史の人物にあるのではなくて日本史の人物を出してくる人間
の評点にあるということなら同意なんだが…

開国以前とか日本のスケールとかそういうのはナンセンスだと思うがな。
軍事関係での90台連発は疑問符がつくが政略関係ならば日本だって
相当にスケールの大きい舞台だと思うが?
74ありあけ921号:03/02/16 23:00
>>66
>>ここは世界史スレですから、生きていた当時の世界での存在感と、
>>後世に与えた影響から評価すべきでしょう。

この意見に全面的に賛成!
75前スレの948:03/02/16 23:02
>>73
これは私個人の基準なのですが、武力90以上というのは、
新戦術や理論を編み出して戦史を塗り替えたか、
純粋に戦術的な勝利によって、世界の歴史に影響を与えた人物に与えたいと思います。

この二つが揃っていれば、95オーバーとなります。
トハチェフスキーはこの二つを同時に満たしているので、武力96なのです。
日本では、今のところ、武力90に匹敵する人物は思い当たりません。
唯一、東郷平八郎が89か90にするかのボーダーラインにいます。
76通りすがりのROM:03/02/16 23:20
>>75
その評価の基準はなんとなく納得できます。
77世界@名無史さん:03/02/17 00:21
>純粋に戦術的な勝利によって、世界の歴史に影響を与えた人物に与えたいと思います。
結局世界の歴史に帰結。世界の歴史に残る出来事かそうでないかをどうやって決める?
78世界@名無史さん:03/02/17 00:28
>>77
戦術史に名を残した人物をピックアップすれば事足りるのでは。
79世界@名無史さん:03/02/17 00:34
自分の思う数値−10〜20くらいでちょうどいいくらいでは。
80「ど」の字:03/02/17 00:36
 なるほど。日本に武力90の人物がほとんど存在しないのはそれが根拠ですか……。
 では織田信長はどうでしょう?
 彼が長篠で編み出した公算射撃による飽和攻撃戦術は、新戦術理論では?
 三段射撃は虚構らしいですが、思考の方向はイングランドのロングボウ戦術と同様、画期的です。
 かなり後になるまで、西洋では火器による飽和攻撃は実施できないこともありますし(西洋の銃は射程が50mと短い)。
 自分は、織田信長の戦略の腕と併せて、武力93を与えました。どんなものでしょう?
81世界@名無史さん:03/02/17 00:38
戦略的な能力と戦術的な能力は別
勿論、一騎打ちの能力も別
【武力】ってのは何を指すの?
コーエーの【武力】は一騎打ちっぽいが
82前スレ933:03/02/17 00:43
>>77

例えばファルサロスの戦いとリュッツェンの戦い、
どっちが世界史に与えた影響が大きいか?となると前者なわけだ。
まあ言いたいことは分かるが(近世以降のヨーロッパあたりだと特に
一会戦あたりの重さは量りづらいんで)、集積すれば個人の力量は
ある程度推測出来ると思う。
数値に思い入れは禁物。表現したければコメントでやれ、と。

というか>>75、「新戦術や理論〜」だと古代人が不利じゃないかと
思うんだが。
あの当時、そういう意識が明確にあったかどうか疑問だし。
同時代限定、ということでなら同意。
83世界@名無史さん:03/02/17 00:44
ピサロやコルテスの武力は90オーバーなんでしょうか?
二人とも僅かな手勢で大帝国を滅ぼしてるんですが。
84世界@名無史さん:03/02/17 00:48
>彼が長篠で編み出した公算射撃による飽和攻撃戦術

それはさすがにヨタ
それに弾幕射撃戦術はヨーロッパのほうが先
85「ど」の字:03/02/17 01:00
 あれ?
 公算射撃戦術は、欧州ではもう始まっていましたっけ?
 当時最先端を行っていたスペインのテルシオ戦術時代では、鉄砲充足率・鉄砲威力ともに物足りないものだったはずでは?
 グスタフU世時代の漸進射撃戦術時代でも、射程の短さは懸念要素だったはず……。
86前スレの948:03/02/17 01:01
>>80
その戦術は、1514年のチャルディラーンの戦いで、既に用いられています。
オスマン・トルコのセリム1世は、当時のイスラム世界で無敵と謳われた常勝のサファヴィー朝騎兵軍を破るために、
12万の大軍に鉄砲を装備させ、これを殲滅しました。
この勝利によって、イスラム世界におけるオスマン・トルコの覇権は確立します。

時系列的に見ても、歴史的意義においても、
長篠より、チャルディラーンの方が遥かに大きな意義を持っています。
それに、長篠の勝利は、鉄砲の勝利と言うよりは、
勝頼を長篠という周到に組み立てられていた罠に引きずり出した、信長の戦略の勝利です。
87世界@名無史さん:03/02/17 01:03
>>82
75は「新戦術や理論〜」だけでなく
「純粋に戦術的な勝利」も含めているからいいんじゃない?
古代でも伝説に残るくらいの人物だったら十分90台は可能かと。
アレキサンダー大王・・・は新戦術か。

>>83
明らかなハンデ(銃とか馬)があるのはダメじゃない?
「野心」なんてあったら、90オーバーしそうだけども。
88前スレの948:03/02/17 01:04
戦略の能力は、知力として計算しました。
信長の武力を71と設定したのは、信長のあげた勝利の中で、
純粋に戦術的な勝利と言えるものが無かったからです。

彼は戦争が強かったから天下人になったのではありません。
政治と外交が上手だったから、天下人になれたのです。
89世界@名無史さん:03/02/17 01:07
>>85
テルシオの銃兵の定数比率は25%
実数はそれ以上だったとも言われている
織田の鉄砲足軽の比率より高い
また弾幕射撃の思想自体は百年戦争当時からあった
長篠合戦は兵力優勢かつ野戦防御による勝利であって
鉄砲の新戦術を編み出したおかげで勝ったわけじゃない
信長を過大評価しすぎ
90世界@名無史さん:03/02/17 01:07
うーん、たしかに信長は武力よりも
知力や政治で勝負する人間って感じだよなぁ。
姉川の戦いでも数的に劣勢な浅井軍に押しまくられているし、
石山本願寺との戦いでも精彩なし。
91世界@名無史さん:03/02/17 01:11
蛇足ながらグスタフの漸進射撃戦術は射程の短さではなく、
騎兵の戦術的価値の低下に伴い
歩兵に攻撃的運用を強いる必要性が高まったために確立した
銃の短射程は問題ではなかった
むしろ当時は銃の短射程化が進んでいた時代であり、
長射程化はむしろ時代に逆行している
92世界@名無史さん:03/02/17 01:15
活躍した地域が狭ければそれだけで無条件に最高点を引き下げるべきだと思うが。
よほど絶対評価の対象になる事項があれば別だけど。
確かに「この人物が世界にでてれば」と妄想するのも楽しいけど、
現実にそうなってないならちっとは謙虚に点つけにゃ。
正直ここんとこの95オーバー連発には萎えるよ…
「そういう人物ばっかりやってるから」っていうんだろうけど、
じゃあそれをもちいと相対化しないと、100オーバー連発になるYO!
93前スレの948:03/02/17 01:18
>>82
当時の人間にそのような認識が無かったとしても、
後世の人々がちゃんと認識してくれているはずです。
その戦術が後世のスタンダードになったかどうかというのは、
それを判断する良い材料になるでしょう。

>>83
彼らの新大陸征服は、内紛に付け込んだものであり、
武力で征服したと言うよりは、謀略で乗っ取ったという方が近いでしょう。
ピサロは内乱の一方の当事者に荷担し、コルテスは自ら反アステカの民衆を組織組織しました。
あと、アメリカ大陸では編成できなかった騎兵を有していたというのは、
大きなアドバンテージだったはずです。
これらのアドバンテージを生かすだけの力量が彼らにあったのは事実です。
ですが、武力90は難しいかもしれません。

欧州か、東アジアか、中東の国家相手に同様の戦いを演じたのなら、
90を与えても良いかも知れませんが。
94世界@名無史さん:03/02/17 01:19
>>92
同意です。いくら大国の英雄でも、国内限定の英雄の能力値が
ここまで高いと萎えますね・・・
例えば信長とか家康、シャルルマーニュといった人物のね・・・
まあ何度も出てる意見なのに、一向におさまらないからもう言っても無駄ですかね・・・
95世界@名無史さん:03/02/17 01:20
戦争の才能と言っても戦略や戦術、作戦、戦闘等色々なパラメーターが
複雑に絡み合うから百点満点で評価するには無理がある罠
司令官と一兵卒では求められてる能力が違うからな
例えば、戦略30点、戦術30点、戦闘指揮30点、一騎打ち10点の
計100点満点で評価するというのは如何?
96前スレの948:03/02/17 01:23
>>95
これは私一人の基準ですが、
戦術は武力、戦略は知力で評価しています。
97前スレの948:03/02/17 01:27
>>95
あと、個人的な武力や、下士官・兵卒として立てた勲功は、
評価の対象から外しています。
史書に「武勇に優れていた」と書かれていても、評価の対象とはしません。

どれだけ多くの敵を打ち破り、国家に利益をもたらしたか。
あるいは、どれだけ不利な状況で善戦したのか。
それが世界史レベルで将軍を評価するときの基準でしょう。
98世界@名無史さん:03/02/17 01:29
【知力】:国家戦略(行政組織の整備維持、経済基盤の充実等)
【武力】:軍事戦略(戦争計画の策定、軍政等)
ってのは?

99前スレの948:03/02/17 01:31
>>94
おっしゃることは分かりますが、そうすると、
近世以前の人物には、決定的に不利になってしまいますよね。
そして、ローマやモンゴルと言った世界帝国の人物だけが、
高い評価を得るのでは、少々不公平に過ぎるような気がします。

そういうわけで、「後世の自国にどのような影響をもたらしたか」という点で、
一国限定の人物にも高い点を付けるべきだと考えたのですが。
100世界@名無史さん:03/02/17 01:35
>>98
それって時代が進むほど未分化にならないか?
101前スレの948:03/02/17 01:36
>>98
そうすると、ナポレオンの参謀長のベルティエみたいに、
500人の兵士もまともに指揮できない人物でも、
軍政や戦争計画の策定に長けていたということで、武力が高くなってしまいますね。

戦上手と、参謀本部で戦争計画を立てる能力は分けて考えたいのですが、どうでしょうか?
102世界@名無史さん:03/02/17 01:39
>>94
シャルルマーニュ(カール大帝)は国内限定じゃないだろう。
今で言うならドイツ西部とか北イタリアとかも
支配下に置いてたわけだし。

日本は、秀吉の朝鮮出兵が失敗したのが全てだ。
あれを見る限り、戦国の三傑も大したことはないと思う。
103世界@名無史さん:03/02/17 01:39
>>101
【武力】の評価には軍事戦略のほかに戦術的な能力も加味すれば問題ないと思うが?
104世界@名無史さん:03/02/17 01:42
>>前スレの948
まあこれも何度も言われてることだが、何か評者なりの基準とかがあるときは
その旨、注釈すればいいだけのことよ。
「理論は優れていたが実戦での実績はないので低めの評価」とか、あるいはその逆。
他にも「個人的武勇は100」とかね。軍略とモーレツ度を分けたければその人が
注釈入りでそうすればいい。別にそういうことにいちいち文句つけてる人はいない。

…でもオレもあの家康評に納得いかない人がいるのは当然かと思うが。
世界史的に(ま、この言葉むなしいけどさ、それいっちゃこのスレつまらんし)
統率98という人間が何人いるのか。そしてその中に家康が入るのか。と考えると
首を傾げざるをえんよ。
105前スレの948:03/02/17 01:42
「単に戦場で敵を破るのが上手だった」というだけで、
歴史の表舞台に躍り出た人物が、世界史にはたくさん表れます。
不似合いな君主や宰相の地位を得て、たちまち破滅した人物もいれば、
たまたま良い部下に恵まれて、痛い目を見なくて済んだ人物もいます。

こういう人物にも日の当たる場所を与えてやりたいということで、
武力を「戦場での強さ」限定にしてみたわけです。
106世界@名無史さん:03/02/17 01:46
>>102
それでも過大評価されすぎだと思うよ。
せいぜい西ヨーロッパの英雄の域を出ない。
107前スレの948:03/02/17 01:47
>>104
260年の平和の基礎を、自己の指導力で築き上げた政治家は、
世界史的にもそうはいませんからね。
そういう意味で、98を付けてみたんですよ。

こういうと怒られるかもしれませんが、
カエサル・オクタヴィアヌスと同レベルぐらいです。
108前スレの948:03/02/17 01:51
それにしても、日本の人物を書いた時だけ反応があるのに、
世界史の人物を書いても反応がないのは寂しいですね。
トハチェフスキーと、サロト・サルは、評価に結構苦労したのですが。
109世界@名無史さん:03/02/17 01:53
ポルポトの評の力の入れように感服しました。
110世界@名無史さん:03/02/17 01:54
>>107
いや、オレもそういう意味なんだろうな、とは思ったよ。江戸時代の日本文化は
世界的にも評価できるだろうしね。その下積みあっての明治維新だと思ってる。
ただ260年全てを家康に帰せるかというとそんなことはないし、一国の英雄を
絶対評価する、というならそれこそ日本史スレでやったほうがよい。一国とやらの
定義すらよくわからんしw
111世界@名無史さん:03/02/17 01:54
>>98

その【知力】は政治の分野でないか?
少なくとも政策論だろう。

個人的には、知力ってのはある程度他の基礎になる項目で、
(戦術の発明・発展も、政治も、味方の統率も、知力なしでは
うまく出来ないだろう。知力の向く方向の違いはあるだろうが)
独立しているのは魅力だけだと思う。
112世界@名無史さん:03/02/17 01:55
まあ、家康ほどメジャーじゃないからね。
漏れにはジューコフくらいしか、わからんよ。

んでも98はやっぱやりすぎかも。
信長、秀吉は同意。
113世界@名無史さん:03/02/17 01:59
>>111
確かに。 軍人皇帝なんか評価に困るよな。ギリシア・ローマ時代の政治家も然り。
政治センスなくしては務まらんし、軍事的功績を政治功績に取り違いやすい。
ま、その辺は評者のバランス感覚でしょ。注釈でフォローしてあれば大丈夫だろうし。

数値の細分化は評者それぞれでやればいいんとちゃう?あまり厳密にやるときりがないし、
文人の個人的武勇なんて数値はイランw デフォルトにする必要はないかと。
魅力とかだって外見とカリスマじゃ違うし。
114世界@名無史さん:03/02/17 02:03
>>107
ただ、信長・秀吉と来て家康だからな。
カエサルとオクタヴィアヌスが「二人で」やったことを
「三人で」やっているわけで。
単純に言って1/2と1/3の差、とでも言おうか。
そこを考えるとやっぱり高い。
115世界@名無史さん:03/02/17 02:05
つうか誰も1や2の数字に関して言ってるわけじゃなくて・・・

 高 す ぎ る ん だ よ ( ;゚Д゚)
116前スレの948:03/02/17 02:10
>>114
信長の歴史上における最大の功績は、
「たくさんの領土を切り取って、秀吉の仕事を楽にした」ということです。
彼は組織固めというものが下手くそで、
統一政権作りという作業には、およそ不向きな人物でした。

この事業に本格的に取り組んだのは、秀吉と家康だけです。
「二人で」やったとしても差し支えないでしょう。
117世界@名無史さん:03/02/17 02:14
もうちょっとバランス感覚をだね・・・
ベトナムとかエチオピア限定の外国人は誰も知らないような英雄の能力が軒並90だと、
さすがに萎えるだろ?(別にこの二国を貶してるわけじゃないが)
118世界@名無史さん:03/02/17 02:19
>>117
まあ極論すればそういうことだよな
それでも実はこうなんだ!と言うことは別にかまわんと思うが
説得力ないと。世界史的に見てくれないと。

創造型と調整型の違いもあるわな
信長なしに家康があったかと考えると・・・
IFを言っても意味無いけどね。
119:03/02/17 02:21
楽しく読ませて貰っています。
私は、あくまで素人なので、教えて下さい。
>99
>そういうわけで、「後世の自国にどのような影響をもたらしたか」という点

という基準が私も正しいと思いますし、一般に知られていない新戦術を組み入れたあるいは、
伝わっていない戦術を考えたのであるならば、実行力も含め十分、信長も高評価を与えるに値すると思います。
(大スキピオは、ハンニバルの戦術を学び、ハンニバルもアレキサンダー大王の戦術を学び発展させたもので高評価ですから)

でも、一方で、その基準を入れると
「ど」の字さん、「前スレの948」さん共に家康の評価が高すぎると思うのですが。いや、光栄的な割り振りならば、そんなところでしょう。

でも、家康の作った徳川政権は、後の日本に鎖国と平和という名の停滞と圧政をもたらしたのでは?
(江戸時代の多くの飢饉は、イノベーションを許さない圧政の結果の人災でしょ)

その結果、戦国時代は欧州と各大名でも対等にやるだけの力のあった日本が、明治維新の頃はすっかり途上国に落ちぶれたのでは?
全ての責任を家康に負わせる訳にはいかないかもしれませんが、安定の代わりに停滞をもたらせた家康は

【武力】89(新戦術を生み出すことはなく、武田や織田の戦術から多くを学んだが、
      三河武士の強さと果敢さは有名。激戦の戦国を勝ち残ったという所で
      武力は高評価に値する。つまり戦国日本最強戦力。
      兵力的にも当時の欧州各国に劣るところはない)
【知力】75(前述のとおり、統治や占領のための能力には問題がないが、
      治めた国を豊かにするか否かという点で大きくマイナス。
      光栄のゲーム的にいうなら、前線に置くなら良いが、
      儲けのあがる地域には、置いておきたくない武将タイプ)
【政治】75(恒久的な支配体制を築き上げたのは、事実だが、
      その結果、国を豊かにはしていない。
      刀狩は秀吉だが、身分制の導入や鎖国に繋がる
      キリシタン禁令の失策は大きい)

と、この程度だと思うのですが、如何でしょうか?
120世界@名無史さん:03/02/17 02:33
数字のインパクトってのもあるし、やっぱ90以上はそれなりに説得力が欲しい。
戦国時代の武将の武力に関しては世界史的に比べるのは確かに難しいと思う。
なにしろ(ほとんど)国内でてないからね。その理論とかから考証してくのも手だが
少々高いならともかく95以上をポンと与える評が多すぎるよ。

>>119
>後の日本に鎖国と平和という名の停滞と圧政をもたらしたのでは?
その見方はちょっと短絡的なんでは? 身分制・鎖国=マイナス ではない。
121世界@名無史さん:03/02/17 02:39
家康とは話ずれるけど、明治維新の頃に多くの人材が生まれたのは
それなりの下地あってだと思う。元をたどれば例えば識字率とか。
それに260年閉じこもった罪を家康に帰すのはムゴイw
122蘭太郎:03/02/17 02:46
おはよ〜。
おお、なんだかレスの進み具合が鬼ですね。

>>119
ふんふん。ってえと、武力には率いてた部隊の強さも加味するんですか?
それから、鎖国令って結構再評価されてますよね。
スペインポルトガルに対する断交や、
キリスト教の価値が扶植されることによって植民地統治が容易になると困る、
あと日本文化の保護とか
123世界@名無史さん:03/02/17 02:52
まぁ95以上ってのはカエサルの魅力とか項羽の武力とか
飛びぬけてるくらいの人物につけてほしいね。
124蘭太郎:03/02/17 02:57
それから僕が設定した能力の基準は、
80代が国史上で重要な役割、90代が世界的に一定の役割ってやつですね。
まあトハチェフスキーです。ようするに(笑)。

それと、各能力の定義はだいたい・・・
【統率】組織を統括する能力
【武力】戦術指揮能力
【知力】国家戦略、策謀、+その他技能
【政治】立法、行政、司法、政治闘争・駆け引き
【魅力】カリスマ
大略こんな感じですね。
で、僕の設定する能力って適正ですかね?(笑)
125蘭太郎:03/02/17 03:10
日本には武力90代がいない・・・
確かに、東郷は微妙なとこかもしれませんね。
日本海海戦は、率いてた部隊の優越や地の利、
ランチェスターの法則における、その他の不可要素が絡んでますしね。

でも、宮崎繁三郎なんて戦闘だけは90はあげてよかないですか?
ノモンハン攻防戦では優越した敵機甲兵力相手に、不利な歩兵部隊で
かなり優勢に戦ってます。キレナイカでロンメル将軍やとったような
革新的な戦法を、もう四年も前に、さらに劣勢な状況でやってる。
この戦闘が元で後のソ連の機甲部隊は編成、運用にだいぶ影響うけてますよね。

それにインパールでも、そうとう不利な状況で、理想的な退却戦演じてます。
どんな状況でも、つねに最善の結果をだしてんですね。宮崎繁三郎は。
126世界@名無史さん:03/02/17 03:12
高すぎるという香具師は自分で点数つけよう。
でなきゃ反論する資格なんてないぞ。

かくいう俺も高すぎるような気がする派が、点数つけるほどの力はないのでがんばってくれ
127世界@名無史さん:03/02/17 03:30
いちいち付け直すのもヤダってことよw
それに反論とかなかったらただただ数字の羅列だそ?
その辺も含めてこのスレはなりたってると思われ。

トハチェフスキーってよく知らんがロシアの軍人ってーとまず
焦土作戦が頭に浮かぶよ(゚Д゚)
128世界@名無史さん:03/02/17 03:32
>>122
うむ。そしてその功績も全て家康に帰すのはおかしいw
129蘭太郎:03/02/17 03:42
ヒットラーが、
「私はトハチェフスキーが生きていたら対ソ戦には踏み切らなかっただろう」
って言ってるぐらいだから、そうとうなもんですね。
僕がここで現代史以外手出さずにいるのは、
他の時代トハチェフスキーがいないから(笑)。基準がね。

それと、宮崎が90いかなかったら、日本の近現代史には
武力90代なんていないかもしれない、マジで。
130蘭太郎:03/02/17 04:02
戦術理論を構築して、実践して大規模な戦果をあげれば95か。
948さんの基準でいけば、グーデリアンは95かな。
電撃戦を考案、実際に機甲部隊を指揮して対ポーランド、フランス、ソ連、
各地でこれ以上ないってくらい戦果あげてますね。
でも、それでオッケーですか?トハチェフスキーが96なのに(笑)。
131:03/02/17 04:27
最初に書いたように、僕は素人で少々歴史の本をかじった程度なんで、おかしいところがあったら教えて下さいね。
>120
>身分制・鎖国=マイナス ではない。

では、プラスは何でしょうか?鎖国に関しては、僕は日本が発展から取り残された原因だと思っていますが。それに、江戸時代の間、人口増加は全く止まっていたという話も聞いたことがあります。
戦国時代では、人口爆発と言えるほどに人口は増えていたのに。これは間引きとかが行われ、国が停滞していた証拠では?それから、身分制の利点は?今も残る同和問題の原因も作ったのも身分制ではありませんか?

>121
>家康とは話ずれるけど、明治維新の頃に多くの人材が生まれたのはそれなりの下地あってだと思う。元をたどれば例えば識字率とか。それに260年閉じこもった罪を家康に帰すのはムゴイw

識字率の高さは、徳川政権のおかげではないですよね。寺小屋とか、庶民の努力の賜物。
鎖国が完成するのは確か家光の頃だったと思うけど、後継者たる秀忠、家光を直接に選んだのも家康。それならば、責任の一端以上はあると思いますが。

>蘭太郎さん
>ふんふん。ってえと、武力には率いてた部隊の強さも加味するんですか?

部隊毎に強さが違いますから、光栄的に言うと兵の錬度も武力に加えるということです。

>それから、鎖国令って結構再評価されてますよね。スペインポルトガルに対する断交や、キリスト教の価値が扶植されることによって植民地統治が容易になると困る、あと日本文化の保護とか

えーっと、スペインやポルトガルと断行して得られた利点というのが、キリスト教布教を防ぎ、植民地化を防いだということでしょうか?でも、明治時代はキリスト教を禁令にせず、武力も圧倒的に劣るのに、植民地化されていませんよね。
それなら、武力的に西欧より優位であった戦国末期ならば、植民地化は十分防げたのでは?

日本文化の保護に関しては、西欧と付き合っていた安土桃山時代も日本文化はありましたよね?そもそも、積極的に付き合っても、距離があるこの時代、現代のようにアイデンティティを失うほどの付き合いは不可能なのではないですか?
132止めるなら今だよ:03/02/17 04:28
新しい人物書かれてないみたいだから、またなんか書いてみようかな。
田中角栄とか(笑)。
133世界@名無史さん:03/02/17 04:46
なんか、どえらいキチガイが現れたな(w

こういうのって日本史板から流れてくんのか?ローマの時はだんまりで戦国時代の話になると
急にイキイキして長文書きまくってるし。そのうち家康は影武者だったとか言い出すんじゃねーの(w
134蘭太郎:03/02/17 04:47
あ、レスありがとう。

>部隊毎に強さが違いますから、光栄的に言うと兵の錬度も武力に加えるということです。
それでもいいんだけど、日本には寡兵よく戦った将軍たくさんいますよね。
兵の質や兵器の装備率で決めちゃうと、人物一人一人の本質的な意義が見
え難くなりませんか?

あと明治初期に日本が植民地戦争から逃れられたのは、運がよかったんですね。
列強は対外戦争や反乱で日本に手が回らなかった。
それから、清もそうですよ。列強より最初は強かったけど、布教や交易で、
少しづつ国が穿たれていったんですね。

それから鎖国ってのは、受身じゃないんですね。
鎖国できる余裕ができたから、始めたんです。
135世界@名無史さん:03/02/17 04:50
☆★お星様キラキラ★☆
http://jsweb.muvc.net/index.html
136蘭太郎:03/02/17 04:53
>133
えー、好きなこと話したらいいんじゃない?
色んな歴史の話できたら楽しいですよ。
それも世界史のうちだし。
137世界@名無史さん:03/02/17 05:40
しかしあまりにも歴史の見方が幼いぞ。
発展から取り残されたとか同和問題とかの表現をみると馬鹿サヨ教育の影響を
疑ってしまうよ。当時の価値観、それも世界史との比較が望ましい、ってもんを
少し鑑みて見るべき。
教えてといわれてもそんな基本から逐一語ってられんよ・・・
138世界@名無史さん:03/02/17 06:03
長々と持論を展開するのも結構だが
ついでに数値化もしてくれよ
139蘭太郎:03/02/17 06:28
江戸時代に人口増えなくなったのは、土地耕さなくなったからですね。
戦国時代は石高上げるため、大名家は競って開墾してたけど、
戦争終わったから必要なくなったんですね。
それからフランス革命も起こってない時に身分制けしからんって言っても、
家康かわいそうですね。

あと鎖国っていっても、この国は結構通商大国だったんですよ。
一概に鎖国で損してるとも言えないんですね。

これは僕の独り言、でございます。
140世界@名無史さん:03/02/17 06:55
もまえら「世界」史を「地中海世界」史と勘違いしてませんか?

コーエー数値化するちゅーんなら、その前提であるコーエーゲームの
システムを想定して数値化してください。
君主(元首)以外の人物も対象とするならば、軍人、行政官など、その人物の
活動分野を限定した数字にしてください。
こうすればインフレは防げると思うけど、近世以降の人物の能力が低くなりそうだね。
141世界@名無史さん:03/02/17 08:31
>>108
>>117

前スレのアクバル大帝にコメントがないのがちょっとさびしい
インド史上で超有名な存在なのに
142:03/02/17 09:01
>蘭太郎さん
>明治初期に日本が植民地戦争から逃れられたのは、運がよかったんですね。
確かに初期はそうだと思いますが、その間の近代化と列強への仲間入りは「運」で済まないんじゃないですか?
特に布教や交易で弱体化できるなら、明治以後も弱体化できたはずでは?むしろ情報が無かった所為で、江戸末期の方が交易で損をしている。
ならば、戦国でも弱体化されない交易は可能だったのでは?

>鎖国できる余裕ができたから、始めたんです。
その余裕を江戸時代が食いつぶしたから問題だと思うんですが。

>戦国時代は石高上げるため、大名家は競って開墾してたけど、戦争終わったから必要なくなったんですね。
その結果、食料生産率も停滞してしまった。これは、マイナスでしょ?

>フランス革命も起こってない時に身分制けしからんって言っても
あ、マイナスしかない例で同和問題を出したのは失敗でした。失礼しました。
僕が言いたいのは、人権ではなく社会の流動性とか発展の問題。身分制で固定された為、どんなに才能があっても農民は農民。
重んじられた学問は、実学ではなく統治のための儒教。その結果、経済は当然、戦国のような発展はせず。

教師や医師にローマ市民権を与えてローマへの両者の流入を促進したカエサルとの違いはとても大きくはありませんか?
143世界@名無史さん:03/02/17 10:31
ボブ・サップ
統卒35
武力99
知力65
政治1
魅力100
144山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/17 10:36
>131
人口増加は止まって当たり前。吉宗の時点で日本の人口はその100年前に比べて
1000万人増の約3000万人に増えていましたが、日本列島で養える人数なん
てそれがいいところです。やや極端な例ですが八丈島など人口が一定ラインを越え
ると飢饉が起きて減り、また増えての繰り返しでした。
間引き自体は徳川政権の前にも後にもあったことでしょう。大正時代まであった。

身分制のことについてですが、中世というのはある意味自由で暴力的な時代であっ
たわけです。自分の縄張りに入って来た人間には制裁を加えてもよいが、逆に追い
出されたらそれはそれで(公に権利を認めてもらうだけの材料が無い限り)認めら
れてしまうといった具合。(勿論一応のルールはありましたが)
そんなわけで居住地も身分も入れ替わることが考えられましたが、政権と社会が安
定して来るとそうはいかない。必然的に権利や地位が固定・限定されるわけです。

同和問題の原因が徳川時代なんて20年前にはすでに否定されていましたよ。エタ
の語源は(鷹の)「餌取」エトリであったらしくこの事は鎌倉時代の辞書「塵袋」
にも載っています。「今昔物語集」にも餌取の法師の往生した話がある。
また乞食というのは非人の一種で中には裕福なものもいましたが、つきあっていた
女が実は乞食の頭の娘で結婚してしまった為に非人の身分に落とされてしまった僧
がこれまた「今昔物語集」に出てきます。

それと識字率は昔から高かったようですが、安定した時代であったからこそ更に高
くなったということは確かでしょう。
145山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/17 10:50
余談ですが、「天狗草子」に描かれている最古のエタの絵では彼等はザンバ
ラ髪でした。近代まで髪を結っていなかった(中世には冠をかぶっていなか
った)のは僧侶や被差別民など特殊な人々だけです。
勝海舟も「薩長の連中の頭はごみ拾いのようだ」と言っていた。下手なドラ
マでは現代の感覚で平気でザンバラ髪を出しますが、怪しいにも程がある。
たまに「本鳥を切られた」という話がありますが、これは賤民の姿にされた
というこれ以下は無いというくらいの侮辱でした。
絵巻の中では領主の館で折檻されている人や地獄に墜とされた人がそんな姿
で描かれています。
146世界@名無史さん:03/02/17 10:58
>>139

福岡だと有明海の干拓は江戸時代通じて延々と行われていたし、
新たに水路を通して開墾もしていた。
また、長州藩は江戸時代通して石高は表向き38万石程度だったが、
実際には幕末には100万石程度の経済力があった。
では何故報告しなかったか? 参勤交代その他の負担が増えるから。

まあ実際、幕府も知ってて黙認したんだろうとは思う。
色々大名間の格付けが面倒だから。
147世界@名無史さん:03/02/17 11:13
>>116

それは逆に、信長を低く見すぎのような。
宗教勢力の削減やら何やら、信長の後だったから
やりやすかったこともあるだろう。
一向宗が大勢力のままだったら、少なくとも寺社の統制は
史実ほどすんなりとは行かなかったと思う。

個人的にはカエサルが秀吉の関東平定までをやった感じで、
オクタヴィアヌスはそれ以降、という印象。
天下統一自体の苦労を軽く見すぎだと思う。
148世界@名無史さん:03/02/17 11:36
日本史上の人物のこれまでの評価は高過ぎるのは同意なんだが、
日本を平らげるってのも世界史的に見て結構ハードだと思うよ?

明治もそうだけど、WW2でもアメリカが本土上陸作戦はしなかったのも
日本の攻めにくさを現してると思ったり。
149世界@名無史さん:03/02/17 11:41
>>128
正直な話、江戸時代の繁栄はほぼ家康に帰せられると思うが。

>>131

>識字率の高さは、徳川政権のおかげではないですよね。
おかげです。教育を高めることを推奨する政体だった。
強制的に愚民のままおいておく国なんてざらですよ。

>それなら、武力的に西欧より優位であった
>戦国末期ならば、植民地化は十分防げたのでは?
将来、西欧で産業革命なる珍奇な事態が起こって世界を
圧倒する武力を手に入れるなどということを誰が想像しますか?
遠国の思想団体にはお帰り頂くのが順当な解決策だったでしょう。
150山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/17 13:57
突然ですが、宗教勢力の撤廃はやはり家康・秀忠の時代まで待たなければ完
成されなかった事でもあり信長という一個人の存在が無くとも天下が治まれ
ば自然と行われていた(行われざるを得なかった)ように思われます。
勿論実際の歴史において結果的に信長が果たした役割は大きかったと思いま
すが、彼だけがやった事でも彼にしか出来なかった事でも無いはず。
151世界@名無史さん:03/02/17 16:02
>>149
それ以前に、当時の状況でスペイン・ポルトガルの日本への侵略の可能性が
どの程度だったか、冷静になって考えてみた方がいい。
アルマダ敗戦が1588年だよ?
はっきり言って1600年以降の両国に、そこまでの国力はない。
おまけに1620年代以降は、三十年戦争にスペインが本格的に絡むし。
侵略の恐れがあると幕府が本気で考えていたとすれば、
オランダに騙されたと言ってもいいだろう。

>>150
どうも言葉が極端すぎ。
宗教勢力は幕府の統制に従うようになっただけで、
別に「撤廃」されたわけじゃなかろう。

その前に一定の軍事行動が「行われざるを得なかった」として、
戦国の後にそれが来た場合、また社会の混乱を招いただろう。
率直に言って、「世俗対宗教」の構図は非常に危険だ。
下手をすれば戦国時代に逆戻りしかねない。
特に当時は、全国的に大衆に浸透している一向宗があったからね。
我々は戦国大名の一種みたいに見がちだけど、
宗教勢力は本質的な部分で違うから。
あの時期に天下統一を目指していた以上、
信長がやらなければならなかったことだと思う。
152山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/17 16:23
>151
別に「信長」という個人・英雄が居たから成し遂げられたのでは無いと言いたかっ
ただけの話です。どうも信長一人を神聖視して彼の世界観があったから出来たとか
やったとかいう人が多いようなので。
例え有能であったとしても一人の「英雄」から歴史がつくられたという見方には問
題があるでしょう。
153世界@名無史さん:03/02/17 17:22
家康の数値なんていいとこ80代にしとけば誰も何も言わないと思われるのに
片や97、片や75。どうしてオマイらはそう

 極 端 で つ か ?

まあその後の議論もまた楽しいけどねw
154世界@名無史さん:03/02/17 18:37
今の所こいつが最強らしい
35 :名無しは無慈悲な夜の女王 :03/01/23 05:24
ビッグブラザー(1984:ジョージ・オーウェル)

【武力】100(Big Brother is doubleplusgood.)
【統率】100(〃)
【政治】100(〃)
【知力】100(〃)
【魅力】100(〃)

【列伝】
オセアニア革命の星、人民大将軍、対ユーラシアの防波堤、不敗の(以下略
党の創立初期からのメンバーで、イングソックの諸原則を体現した理想的指導者。
以前は革命の同志であったゴールドスタインの下劣な陰謀を未然に防ぎ続けてきた。
しかし、いつ頃から活動しているのか、歳はいくつか、などの情報が全く明らかにされていない為、
その実在が疑もnっえr4gq「おp
155世界@名無史さん:03/02/17 18:44
派生スレから持ってくるな
156世界@名無史さん:03/02/17 19:35
しかもわざわざ貼るなアホ
157世界@名無史さん:03/02/17 19:55
>>131>>139
江戸時代の1600年頃から1720年までの間に、人口は1200万人から3128万人に、耕地面積は206万5千町から292万7千町に、実収石高は1973万1千石から3203万4千石に増大している。
幕末期には人口こそほとんど変化が無いものの、耕地面積は約25万町、実収石高に至っては約1千万石増加している。
地方によってはこの間にも飢饉等による苦しい時期は確かにあっただろうが、データから類推するに全体的に江戸時代は豊かで安定した時代だったと言えるのではないだろうか?
158世界@名無史さん:03/02/17 19:59
>>157
世界で屈指という見方まである。宣教師とかが驚いた手記とかも多い。
ま、だから家康すごい、ってのは短絡だけどなw
159世界@名無史さん:03/02/17 20:04
江戸時代の日本と清時代(乾隆帝まで)の中国の国力伸張って
どっちのほうがすごい?
160世界@名無史さん:03/02/17 20:06
>>158
大規模な開墾や農業技術の向上は安土桃山時代からの流れですからね。
国内が安定した為にそれらが結実する事が出来たという事でしょう。
その意味で家康の功績は大きいでしょうが、過大に評価するのもどうかと私も思います。
161世界@名無史さん:03/02/17 20:27
>159
乾隆帝の時代は過ぎてしまってるけど、参考までにどうぞ。

【1820年の経済大国10傑】    【1992年の経済大国10傑】
 1.中国               1.米国
 2.インド               2.中国
 3.フランス             3.日本
 4.英国               4.ドイツ
 5.ロシア              5.インド
 6.日本               6.フランス
 7.オーストリア           7.イタリア
 8.スペイン             8.英国
 9.米国               9.ロシア
10.プロシア            10.ブラジル


以上「世界経済の成長史」より。現在で言えばG10と言ったところか?
1992年でも中国が2位なんだけど、何か各国で標準化するために色々
よく分からない計算をしたらこうなるんだって。

でもこうして改めて見てみると、日本は昔から大国だったんだねぇ。
162世界@名無史さん:03/02/17 20:27
つーか、家康のせいで経済が停滞したとか言ってるサヨへのレスだろ、おまえら読解力あんの?
だれも家康すごいなんて言ってないの、分かる?

どうせまたしつこく話題をループさせるんだろうな(´・ω・`)
163世界@名無史さん:03/02/17 20:31
>>154
それ漏れがSF板で書いた奴やん・・・

なんとなくスマソ
164世界@名無史さん:03/02/17 20:32
>>161
さすが中国。っていうか日本すごい!
近代化の波が押し寄せる以前なのに、既に欧米の後進グループより上とは!
165世界@名無史さん:03/02/17 20:33
>>162
いやオマイだけ浮いてるw
166世界@名無史さん:03/02/17 20:42
158=165か・・・
167世界@名無史さん:03/02/17 20:43
>>164
つーか欧米諸国は産業革命ではじめて圧倒的な経済力を手にしたんだよな。
それまでは日本のほうがよっぽど経済大国だった。
産業革命で一時抜かれたけど、明治以来の近代化への努力と戦後の経済成長で
再び地位を取り戻したって感じでは。
168世界@名無史さん:03/02/17 20:58
ここまでのスレ総括

・日本すごい
・いやすごくない
・いやいやすごいって
169世界@名無史さん:03/02/17 21:05
日本はほどほどにすごい。世界屈指の潜在的大国ではある。
中国、インドには及ばないがペルシアレベルではあると思う。
170前スレの948:03/02/17 21:06
>>125
宮崎将軍は、おそらく第二次世界大戦時の日本陸軍の将軍では、屈指の名将でしょう。
ただ、当時の日本軍から武力90を選ぶとしたら、彼よりは、栗林忠道を推します。
補給も無く、兵力も無く、退路も無いという、最悪の状況で、戦史に残る戦いぶりを見せた将軍です。

彼の守る硫黄島は、日本最辺境の航空基地で、この地が落とされれば、
日本本土が米空軍の脅威に晒されるのは明らかでした。
171世界@名無史さん:03/02/17 21:08
陸軍自体がネタ
172前スレの948:03/02/17 21:16
米軍はこの島の戦略的重要性を知り尽くしていたため、
航空戦力と大艦隊に支援された、25万の兵力を投入しました。
対するは、栗林将軍率いる小笠原兵団2万。

勝てるはずの無い戦いでした。
小笠原兵団は、時間稼ぎのために置かれた、捨て石でしかありませんでした。
しかし、自分達が敗れれば、日本本土を空襲の炎に包まれるであろう事を知っていた彼らは、
「一日でも長く戦う」という一点に目標を絞った戦いを開始するのです。
かくして、戦史上、最も壮絶な時間稼ぎは始まりました。
173tantei:03/02/17 21:18
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174前スレの948:03/02/17 21:29
米軍は、激しい艦砲射撃や空爆を加えた後、上陸を開始しました。
それに対し、小笠原兵団は、地下壕に隠れてゲリラ戦を展開します。
栗林将軍は、バンザイ突撃を厳禁していました。
一日でも長く米軍を引き付けるのが、目的だからです。
やがて、弾薬が尽き、兵も次々と倒れていきました。
戦いが終結した時、小笠原兵団の戦死者は、2万人。
米軍の戦死者は、2万6千人でした。
175世界@名無史さん:03/02/17 21:32
× 米軍の戦死者は
○ 米軍の死傷者は

勝手に殺しちゃいかんよ
176世界@名無史さん:03/02/17 21:34
軍板逝ってください
177前スレの948:03/02/17 21:38
米軍は、5日で硫黄島を攻略しようとしていましたが、実際には一ヶ月以上の時間がかかりました。
そして、これ以上の進撃が困難なぐらいの損害を受けていたのです。
(全軍の一割が死傷するというのは、通常の戦闘では、惨敗と言っても良いぐらいです)

日本陸軍の将軍で、米軍が名将としてあげた日本陸軍の将軍は、
栗林将軍と、牛島満将軍(沖縄戦の司令官)でした。
178前スレの948:03/02/17 21:41
>>175
おお、そうでしたね。
失礼失礼。

実際には、米軍の戦死者は7千人、戦傷者が、2万2千人でしたね。
179前スレの948:03/02/17 21:49
栗林将軍は、米軍の物量の前に成す術も無かった日本軍の中で、
一矢を報いて、敵味方の双方に強い印象を残した将軍です。
彼は、ただの特攻では無く、ただひたすら、一日でも長く戦い続ける方法を探り、
日本本土を守り続けたのです。

ただ、彼が時間を稼いでも、戦局には何ら寄与しなかったこと、
そして戦史に残っても、戦史を塗り替えることが出来なかったことを思えば、
武力90は難しいでしょう。

日本の軍人から武力90を選ぶとすれば、
先の大戦の将軍より、日清・日露戦争の将軍から選びたいような気がします。
180世界@名無史さん:03/02/17 21:59
凄そうな人物でも、たまたま生まれた場所が良かっただけかも
しれないし。逆に、たいした事なさそうな人物でも、大国に生まれて
いたら凄い活躍してたかもしれないし。
人物よりも国の方が数値化しやすい気がする。
181前スレの948:03/02/17 22:09
>>130
グデーリアンは、95でいいと思いますよ。
グデーリアンと並ぶ電撃戦の権威であるマンシュタインは、
94か95か、迷うところですね。
ただ、他の能力は、トハチェフスキーより一回り落ちると思います。
182前スレの948:03/02/17 22:14
>>180
大国でも無能な人物と、有能な人物の差というものはあります。
大国の力を使うにも、それなりの力量は必要だと思いますよ。
183前スレの948:03/02/17 22:24
>>117
一国限定の英雄でも、偉大な人物はいます。
ご要望にお答えし、小さな国の偉大な英雄を紹介しましょう。
184前スレの948:03/02/17 23:18
第五回「おじさんとだけ、呼ばれていた」

グエン・タト・タイン(1890〜1969)ベトナム国家主席
【統率】95(超大国米国と泥沼の消耗戦を繰り広げたにも関わらず、国民の戦意を常に最高レベルに保ち続けた。
      戦争中に死んでしまったが、彼の作った党は、
      社会主義国のお家芸である内部崩壊も権力闘争も起こさずに、
      そのまま戦い続けて米国に勝ってしまうという、奇跡を成し遂げた)
【武力】30(軍事経験は、中国で軍事訓練を受けた経験がある程度。軍人としての実績は無い
      そのため、武装闘争路線を掲げても、自らは軍事指導者にはならなかった)
【知力】94(正論と、実力行使の使い分けが、これほど見事な政治家は稀であろう。
      やっていること自体はもの凄くえげつないのに、
      彼に反対する者の方が、道義的に責められてしまうと言うのは、見事というほか無い。
      政治闘争においては、無敵であった)
【政治】82(大国フランスを手玉に取り、ジュネーブ協定でインドシナ全体の独立を獲得。
      フランスの代わりにアメリカがやってくると、周辺諸国を抗争に引きずり込み、戦争に協力させる外交能力。
      自らの率いる党では、権力闘争の兆しすら見せない調整能力。
      ただ、国民を戦いに駆り立てる政治家であり、豊かにする政治家ではなかった)
【魅力】96(聖者にさえ例えられる高潔な人格は多くの人の尊敬を集め、
      傑出した政治家というだけに留まらず、精神的支柱としての役割も果たす。
      自己のカリスマを増幅させる能力も高く、国内に留まらず、
      当時は世界中の共産主義者や反米主義者のシンボル的存在であった)
185前スレの948:03/02/17 23:27
一般的には、ホーチミンの名で知られる。
温厚そうなイメージとは裏腹に、なかなか激しい人生を送った人である。

21歳の時にフランスへ渡ってから船乗りになり、
アフリカ・アメリカ・イギリス・ソ連などの港を流れ歩き、その間に社会主義に染まった。
第一次世界大戦の頃にフランス社会党の党員になり、
ベルサイユ講和会議にベトナム独立を要求する手紙を送りつけるというパフォーマンスで、
一躍有名人の仲間入りを果たした。

その後、フランス共産党に鞍替えし、
民族主義団体や、コミンテルンの集まりに顔を出しまくって、
肩書きを貰ったり、組織を作ってみたりと、多感な青年時代を送る。
186前スレの948:03/02/17 23:35
1928年に、香港で念願のインドシナ共産党結成を実現したが、
派手に活動しすぎたために、植民地政府に目を付けられて、地下に潜る事になった。
この間も病気で寝込んだり、警察にパクられたり、
モスクワに留学したり、中国共産党の手伝いをしたりと、
なかなかに多忙であった。

1941年、30年ぶりの帰国を果たした彼は、ベトミンを結成。
本格的にベトナム独立闘争に乗り出す。
187前スレの948:03/02/17 23:48
中国南部へ出掛けてる時に、国民党にパクられたこともあったが、
ベトミンの活動はおおむね順調に進んだ。

八月革命で植民地政府を追放し、その後に成立したバオダイ政権も倒し、
ベトナム民主共和国の成立を宣言した。
旧宗主国フランスはあの手この手で邪魔しようとしたが、
策略を仕掛けても、彼の外交能力に阻まれ、
軍を送ったら、グエン・ボー・ザップ(グエン・トン・タインの片腕。武力97)に打ち破られ、
手も足も出なくなり、ついには独立を認めざるを得なかった。
しかし、さらに大きな敵が彼とベトナムの行く手に立ちはだかるのである。
188前スレの948:03/02/18 00:00
当時、ソビエトと対立していた米国は、「ドミノ理論」を唱えていた。
どこかの国が共産化すれば、隣の国もドミノが倒れるように共産化してしまうという、
一種の被害妄想である。

「ベトナムが共産化の共産化を許したら、東南アジア全体が共産化するのではないか」と言う、
冷戦時代にしか通用しないようなテンパった考えを抱いた米国は、
フランスが実効支配していた南ベトナムをもらって、反共民族主義者ゴ・ジン・ジェムを擁立。
南ベトナム共和国を建国し、反共の砦とした。
189前スレの948:03/02/18 00:09
北ベトナムしか手に入れられなかったグエン・トン・タインは、
フランスとの和平協定で定められた南北統一選挙を行って、平和統一しようと試みたが、
ゴ・ジン・ジェムが選挙をボイコットしたため、南北分裂は決定的になった。

だが、そんなことで挫けるグエン・トン・タインでは無い。
不屈の闘士である彼は、迷うこと無く武力統一を決定し、
南ベトナム国内に反政府組織を作り、内と外から南ベトナムを攻める準備をしたのだ。
190前スレの948:03/02/18 00:21
これにブチ切れた米国は、南ベトナムに軍事支援を開始。
ベトナム戦争が勃発した。

米国は湯水のように兵隊と爆弾をぶち込んだが、
ベトナムはジャングルに隠れて、爆弾をやり過ごし、
米国の兵隊を片っ端から狩り立てたので、戦争は我慢比べの段階に入った。
191蘭太郎:03/02/18 00:27
こんばんわ〜
さっそくレス返し。

>149
>その間の近代化と列強への仲間入りは「運」で済まないんじゃないですか?
はい。その運を無駄にする事なく列強の仲間入りするまで国を
富ませたのは、日本人の献身的努力の賜物です。

>戦国でも弱体化されない交易は可能だったのでは?
それがようするに鎖国なんですね。
幕府の銅の輸出は最大の輸出国スウェーデンを脅かすほど
ヨーロッパ市場の価格を揺るがして、
その代わりに珊瑚や薬用香料とか色んな物買い込んでます。
江戸幕府は十分通商大国だったんですね。

それから明治維新を成し遂げる日本人のメンタル面での力になったのが
新渡戸の言う武士道だったとしたら、その基礎を作ったのは家康ですね。
江戸時代250年も揺るがず大きな戦乱もない、安定した体制を作ったっ
てのは、世界史的にも例のない偉業です。
だから家康の指導力と政治力はかなり高く評価してもいいと思う。
でも、90後半ってのはさすがに採点甘いかもしれないけど(笑)。
192前スレの948:03/02/18 00:35
1966年に徹底抗戦を全世界に宣言するなど、
老いてなお盛んなところを見せ付けたグエン・トン・タインであったが、
さすがに年には勝てず、1969年にこの世を去った。享年79歳。

とても生臭い人生を送ったのに、なぜか聖人の面影を帯びていて、
数限りない栄光に包まれていたのに、「おじさん」とだけ呼ばれていた男は、
生涯の夢であったベトナム統一の日を見ることは出来なかった。
まあ、こんなムチャなことばかりして、この年まで生きてこれただけでも御の字だろう。

ベトナム統一は、優秀な後継者達が片付けてくれたのだから、
志が永久に満たされないまま逝くことが多い歴史上の英雄としては、
幸福な人であったと言える。
193蘭太郎:03/02/18 00:41
名前: 蘭太郎
E-mail:
内容:
>948さんの一連のログ
栗林は十分名将だと思うけど、主な戦歴が硫黄島だけってのは割引ですね。
インパールの迷将牟田口さんも、マレーでは結構やったんです(笑)。

宮崎将軍は作戦指揮だけじゃなく、戦いはそこに住んでる人心掌握が
不可欠だと、いつも小猿連れて村々周り、子供と打ち解けたりして
仲良くなったんです。お陰で食料補給はかなりスムーズだったとか。
こういう細やかな気遣いが高得点取得のポイントです(笑)。

それから名将の基準にアメリカの評価を加味するのはいいけど、
ちょっとバランス取れてないかも。
米軍との陸戦は島々の拠点攻略がほとんどだし、陸軍の真価が
試されるのは広大な大陸での作戦行動でしょう。

牛島満将軍が良かったのは、配下の2人の参謀の優秀さによるものですね。
牛島は玉砕叫んだりとか、無茶苦茶です(笑)。
まあ、優秀な参謀の力を生かしたのは好評価ですけど。

日清日露で90探したいなら、児玉と東郷に90ずつで決定ですね。
救国の英雄だし(笑)。
194前スレの948:03/02/18 00:41
グエン・タイ・トンは、偉大な指導者であった。
生涯をベトナム民族の自決という課題に捧げ、
全てを犠牲にしてでも、志を遂げようとした。
自分の個人的な幸福を犠牲にしたばかりで無く、
ベトナム国民をも、容赦なく犠牲にした。
195世界@名無史さん:03/02/18 00:47
ホーチミンか。
スカルノの娘のメガワティ(原インドネシア大統領)が
「ホーおじさん」と呼んでたらしいな。
確かに子供心にも、印象に残る人物だったようだ。
196蘭太郎:03/02/18 00:49
>一連のログの続き
948さんのホーチミン論、ポルポトに続いて力作ですね。
でもちょっと評価は高すぎるよ〜。
ホーチミンがこんなに高かったら、レーニンは魅力や統率両方100
はあげないとバランス取れないし。
フィデル・カストロなんて、
無茶苦茶優秀な革命的指導者ってことになる(笑)。

僕は人物に与える評価が最高で100だとしたら、
100行く能力なんて隋の楊帝の【精力】位だと思います(笑)。
95超えなんて、同時代的に各分野1人、2人もいれば十分だと思う。

だから韋駄天ハインツが95ってのは行き過ぎかな?
彼が勝てたのは機動兵力と制空力の優位が保たれてる間位だから、
東部戦線ではずいぶん負けてますよね。
トハチェフスキーが96なら、92か3で十分じゃないかな。

ハリコフ攻防戦とか、ロンメルのクルスクとか、
ああいう戦いできればかなり名将でいいけど。
197前スレの948:03/02/18 00:49
現在のベトナムは世界最貧国であり、水道普及率は1割に満たない。
この貧しさをもたらしたのは、長きに渡る戦争と、社会主義経済であった。
ベトナムに戦争と社会主義経済をもたらしたのは、グエン・タイ・トンであった。

このことを思うと、グエン・タイ・トンという人物は、魔王の如き人物にも思える。
だが、彼はヒトラーやサロト・サルとは違い、
破滅することも無く、栄光に包まれてこの世を去り、
今も偉大な指導者として尊崇を集めている。
この二人と、彼と、一体何が違っていたのだろうか?
198世界@名無史さん:03/02/18 00:50
話題をループさせそうですまんけど、
ある程度の規模をもった国家集団の体制を変革させた人物というのは、やはりすごいと思うよ。
そういう意味で、家康とカエサルは同等の英雄でしょう。
また、後世に与えた影響(国家体制うんぬんだけではなくて)も加味すべきだとすれば、
カエサル>家康 となるだろう。
そして信長はどこに置くべきかと言えば、宗教改革を断行したというバイタリティを評価すべきで、
だがしかし長期間に渡る政権を維持できなかったという点で、総合評価では家康よりも下とすべき。
三河衆はなるほど諸国には類のないほどに統一がとれていたが、それだけに
閉鎖的であり、外来の風を警戒し、そういう外からのにおいをもつ者に対しては
矮小な想像力をはたらかせて裏切者(というよりは魔物)といったふうな農民社
会そのものの印象をもった。この集団が、のちにさまざまな風の吹きまわしで
天下の権をにぎったとき、日本国そのものを三河的世界として観じ、外国との
接触をおそれ、唐物を警戒し、切支丹を魔物と見、世界史的な大航海時代の
なかにあって、外来文化のすべてを拒否するという怪奇としか言いようのない
政治方針を打ちだしたのは、基底としてそういう心理構造が存在し、それによ
るものであった。
200世界@名無史さん:03/02/18 00:53
徳川家康
統率 88(日本全国を統一したのは事実)
武力 75(並の武将以上ではあるが、軍人というよりは政治家)
知力 84(外様を抑えつける思想を実行に移した(させた)点)
政治 90(二百年余に渡る政権の基盤を確立させた功績)
魅力 82(江戸時代を通じて、神格化されたことを加味して)
201世界@名無史さん:03/02/18 00:56
織田信長
統率 89(勢いという点で家康+α)
武力 85(長篠は日本史における逸話になっている点)
知力 91(宗教改革に踏み切ったオリジナリティ)
政治 88(献帝を利用した曹操と同等)
魅力 68(自ら憎まれることを省みない点)
202前スレの948:03/02/18 00:59
一番の違いは、ヒトラーやサロト・サルは敗北したが、
グエン・タイ・トンは敗北しなかったと言うことであろう。
独裁国家の場合、指導者の力量が直接国家の命運を左右する。
戦時の指導者の仕事は、国民のモラルの維持と、正確な判断である。

ヒトラーは、卓越した指導力でドイツを勝利に導いたが、
戦争の重大な局面でたびたび判断を誤ったために、ついに国家と共に破滅した。
サロト・サルは、指導力に欠けていて、部下を統制することが出来ず、
現実より原理原則を重視したため、リアリズムの極致たる戦争では、まともな判断が出来なかった。
203世界@名無史さん:03/02/18 01:01
カエサル
統率 90(迷走するローマ政界を再編成させた力量。また、決断力を加味)
武力 82(傑出した軍人というより失敗しなかったという評価)
知力 87(軍略家であり、雄弁家でもあった点。また書物を著すこともした)
政治 88(機会を逃さない抜け目なさ。政界を相手取って従わせた力量)
魅力 85(軍団の兵士を魅了した点)
204前スレの948:03/02/18 01:06
一方、グエン・タイ・トンの
「国土を戦場として徹底抗戦し、敵に出血を強いる」という戦略は、
民主国家の軍隊に対しては、最も効果的な戦い方であった。
米国相手にやれば、北ベトナム国民も無事では済まないが、
大勢の国民が犠牲になっても、なお支持を得るだけの指導力が、彼にはあった。
そして、国民の犠牲を効率的に、戦局を有利にするために生かしていくだけの判断力が彼にはあった。
205前スレの948:03/02/18 01:32
普通の人間は、理想を世界に合わせて生きていく。
しかし、英雄は世界を理想に合わせて変えていくのである。
この難事業に挑戦しただけでも英雄であるが、
グエン・タイ・トンはこの上ない成功を収めてみせた。
そして、英雄が勝利しても、必ずしも人を幸福にする訳では無いと言うことの良い見本であった。
206前スレの948:03/02/18 01:38
>>196
レーニン統治下のソビエトでは、わりと反乱が起きていました。
また、レーニンは共産党内の派閥争いを抑え切れていませんでした。
反乱も、派閥争いも、大勢に影響を与えるものでなければ、
減点の対象とはなりませんが、レーニン時代のそれは、かなり深刻でした。
レーニンの統率力に高い値を付けるのは、ためらわれます。

ソビエトが強力な全体主義国家になったのは、スターリンの時代です。
彼は、統率力100の候補者の一人です。
207前スレの948:03/02/18 01:43
>>193
そうですね。だから、栗林将軍に90を付けるのはためらわれるのです。

あと、宮崎将軍の民心掌握が人柄によるものなら、魅力で。
計算によるものなら、知力で評価すべきでしょう。
まさか、占領地行政の能力まで、武力で評価するつもりですか?
208前スレの948:03/02/18 01:49
>>196
カストロは、無茶苦茶優秀な革命指導者ですよ。
米国の玄関先で、40年も共産主義の看板上げて、未だに潰されないんですから。
今のところ掲載予定はありませんが、グエン・トン・タインの能力の基準を決めるために、
カストロの能力を計測してみたら、結構高い数値が出ました。

あと、100は複数人居てもいいと思います。
数世紀に一人ぐらいの割合ですね。
209世界@名無史さん:03/02/18 02:00
どうでもいいですが、蘭太郎タソの(笑)って喧嘩うってますか?
それで人当たりをやわらげているつもりですか?
210世界@名無史さん:03/02/18 02:02
まあただでさえ能力値インフレ気味やからねー
211世界@名無史さん:03/02/18 02:03
カエサルがオール95以上ってんなら
家康の能力値ひとつやふたつがそれに匹敵(もしくは準じる)
するぐらいの値が割り振られていても特に疑問におもわんです。
212前スレの948:03/02/18 02:05
>>196
それはしょうがないでしょう。
機甲戦力を欠いたグーデリアンは、馬に乗らない匈奴のようなものですから。
彼の武力は、機甲戦力が使えると言う条件下において、95なんです。

あと、ロシアの沼地が多くて、冬の寒さが厳しい地形は、
電撃戦に不可欠な機動力を削いでしまいます。
そうなると、物量が豊富なソビエト軍が圧倒的に有利です。
制空権がソビエト側にあれば、縦深突破に長じた彼らは、
あっという間に前線と後方を制圧するでしょう。

戦略・戦術にも、相性はあるのですから、
武力を評価する時には、その辺も加味する必要があるように思います。
213蘭太郎:03/02/18 02:06
レーニンの統率ってのは、11月革命を指揮して巨大な社会主義政権を
打ち立てて、20世紀世界を荒れ狂った社会主義革命の精神的支柱になった
っていう偉大な影響力の事ですね。率いてた物がデカイ!
あとスターリンが統率100候補ってのは賛成です。
彼が権力を維持するためには少なく見積もって2000万の民衆を虐殺しなきゃ
いけなかった。でも逆にいえば、あんだけ大きな国でWW2の死者を越える数
殺しまくって、政権が揺るがなかった凄さとでもいおうか。
98位はあげていい(笑)。

カストロが偉大ってのは認めますけど、
とても小さなコミュニティーの中での話なんですね。
世界的な視点からみて、レーニンやスターリンのような巨大な指導者と
タメはる能力にするってのは、やっぱりちょっと抵抗がありますね。
214世界@名無史さん:03/02/18 02:08
そんなことカエサル厨に言ってくれ
215蘭太郎:03/02/18 02:10
>209

ああ、この(笑)ってのが気に障られたのならあやまります。
悪意はないんですけど、感情が伝わり難い文章で、精一杯
気持ちを伝える感情表現の手段のつもりで・・・

確かに馬鹿にしてるととられてもしかたありませんね。
以後封印します。ご指摘ありがとう。
みなさん、ごめんなさい!
216前スレの948:03/02/18 02:17
>>213
統率力と言うのは、打ち立てた後のことも含まれます。
巨大な社会主義政権を乱れなく統率したと言うのなら、
統率90以上も有りでしょうが、レーニンの統治は結構乱れてますしね。
彼が偉大なのは、「最初に大国を共産化しようと頑張った」ということです。
並みの人物に出来ることではありませんが、それでも、統率に高い数値はあげられませんね。
結局、右往左往してるうちに寿命が尽きてしまったんですから。

カストロに関して言えば、大軍を乱れなく統率した指導者は偉大ですが、
少数の兵で大軍と対峙して、ついに敗走しなかったというのも十分に偉大だと思うと。
どちらにも高い統率力を付けていいと思いますよ。
217蘭太郎:03/02/18 02:36
>207
宮崎が腐心した人心掌握ってのは、軍政においてとかじゃないんですね。
例えば、戦いにはただ作戦を立案するだけじゃ駄目ですよね。
部隊間の連絡網を調えて、編成を工夫して円滑な意思疎通ができるように
しなきゃいけない。地形や彼我の情報を正確に把握して、
その場その場で有効な対処をとらなきゃいけない。
宮崎は戦場になると想定される場でスムーズに作戦行動が行われるよう、
地形の把握は勿論その地域の人心掌握までしてたんですね。
これは、戦略というより戦術行動でしょう。
そういうのは統率、知力、魅力、他のカテゴリーにも勿論分類できますが、
でもその一つ一つにしても完全に分離してるわけじゃないんですね。
相互に影響しあってる。
優秀な指揮官にある程度の統率力は必ず求められるように。

それとグデーリアンが優秀な機甲部隊があること前提の名将ってのは認めます。
でも、例えばロンメルはいかに敵の機甲力が優越してても、
高射砲たおした長射程で対抗したり、平坦な砂漠の地形を生かして、
イギリス軍みたいに陣地構築せず自由な作戦行動とったりして、
敵が優勢でも工夫して勝つんですね。
孫子のいう「水に常形なし」っていうように、臨機応変にその場その場の状況に
合わせて最善の用兵する指揮官こそ名将の称号が相応しいと思います。
あくまで私見ですが。
218蘭太郎:03/02/18 02:50
>216
うん。レーニンが統率100って言ったのは確かに不適切でした。
誰も信頼できず、スターリンなんかに毒飲ませてくれって頼んだりとか、
かなり不遇な政治家人生でしたね。
スケールはでかくても、やっぱり統率者としては理想とは言い難い。
219蘭太郎:03/02/18 04:15
>>216
ちょっと話が堂堂巡りしてますね。
僕は用兵家としては、小をもって大軍に勝つ指揮官は
大軍をそつなく率いて大きな戦果をあげる指揮官を凌ぐと思う。

でも指導者としては、いかに社会に大きな影響を及ぼしているかとか、
歴史にとって大きな政治的役割を果たしたか、それが小さなコミュニティー
を理想的に纏めた功績をも凌ぐと思うんですね。
220蘭太郎:03/02/18 04:21
僕は石原莞爾に統率80より上を付けなかったけど、
彼はかつての部下や同僚、上司の間では絶大な影響力をもつ指導的役割を
果たしてるんです。
でも、それはとても限定された範囲の中での話なんですね。
というのも、石原は軍閥政治に一貫して猛反対続けてたんです。
だから、どこの派閥にも属さない、自分でも派閥なんて作らないのに、
それでも石原を指示する人たちが一つのコミュニティーを形成するほどの
様相を呈してる。それはある意味常人離れした偉業なんだけど。
でも当時は軍閥政治が軍部では猛威を振るってた時代だから、
どれだけ指導力があっても派閥人事で飛ばされちゃったりしたんです。
今は軍閥ってのはロクでもないものってのは常識だから、軍閥に反対
したことは石原の評価を少しも下げるものじゃないんだけど、
それでも小さな範囲に収まって、大きな組織に影響を与えられなかった
という意味で統率は80にしたんです。
小さい範囲で絶大な影響力を誇ってる人は結構多いですしね。

だから政治家ってのも、率いてる物の大きさで随分評価上下させても
いいんだと思うけど、まあこれは考え方の問題ですね。
948さんの評価の基準は解りましたので、それに関して文句ありません。
長々とぼやいてごめんなさい。
221世界@名無史さん:03/02/18 04:57
議論して基準だの理由だの語るのはよいことですな
222世界@名無史さん:03/02/18 06:39
おお、すげー伸びてる。
223蘭太郎:03/02/18 11:25
モハンダス・K・ガンジー(1869〜1948)
インド国民会議代表

 【統率】86
実際に政治家として新しい国家運営に携わったわけではないが、
服従することになれきった民衆を纏め上げ全インドに波及する運動に発展させた指導力は、
かのチャンドラ・ボースをも凌ぐ。
 【武力】0
言わずと知れた非暴力無抵抗主義者。
彼の政治闘争が暴力を伴う運動に発展しそうになると常に運動自体をその場で取りやめるほど。
彼自身どれだけ暴行を加えられても抵抗はしない。絶対に。
 【知力】93
インドは度々大規模な反乱を起こし、そのつど武力によって鎮圧されてきたが、
非暴力絶対不服従という全く新しい方法によって独立を勝ち取る前代未聞の発想力
とオリジナリティー。
運動の成功も英国の世論とインドの民意、事を興すタイミングを見極める洞察力があってこそ。
内乱を止めるため断食をするなど、全く新しいタイプの策士。
 【政治】81
独立運動の手段として、
学校教育拒否、イギリス製品不買運動、住民登録放棄、
そして有名な塩の行進やはた織り機の使用。
何が効果的で何が運動を育てるか、その手段の適切さと上手い駆け引きはなかなかの政治家。
平和主義という大きな政治思想の根幹を担うが、
やっぱり実務経験という面から割引。
 【魅力】99
その余りに強い影響力から、宗教上の対立を受けて暗殺されてしまった。
しかし食事を摂らないだけで戦争を止めれる人徳は歴史上のどんな宗教指導者にもありえず、
その精神的財産はアジアの独立運動を支え続けた。今ではインドのみならず、
思想民族宗教を超え世界中でありとあらゆる賛辞を受ける偉大なるマハトマ。
224ガンジーの経歴:03/02/18 11:28
イギリスに留学して弁護士の資格をとったガンジーは、
1893年、南アフリカに渡る。ここで有色人種が社会的に抑圧されているのを目の当たり
にし、その地位向上を目指した運動を始める。
その運動は徹底した「非暴力」と「不服従」を特徴とする抗議行動であり、
ここでの活動を通じてその名は世界に知れ渡り、「聖者」と呼ばれ始める。

インドに戻ってからも活動は留まる所を知らず、次第にその運動は活発化し
1921年ネールやボースらと共にインド国民会議を組織、代表となる。
おかげで何度も逮捕、監禁されたがちっともへこたれなかった。
どんどん運動はエスカレートしていき、1947年遂に独立を勝ち取る。

イギリスはヒンズー教とイスラム教の対立を煽りインド支配を容易にしていたので、
常にインドには宗教対立の問題が立ち塞がっていたが、
ガンジー自信はヒンズー教徒でも、あくまで宗教の壁を超えた国家統一を目指し
ヒンズー教とイスラム教の融和を唱え続ける。
しかし結局インドは三つに分裂してしまった。いかに聖者でも宗教の壁は超えられない。
やっぱり、“神”ではなかったということか。
インドが独立した翌年、最も否定していた暴力によって命を落す。

アインシュタインは彼についてこう語る。
「未来の人たちは信じられないだろう、このような人が地球上に実在していたことを」
思想上人類に最も大切な普遍的問いかけをした、その功績は余りに偉大。
225前スレ933:03/02/18 11:48
私はまず結果だな。勝敗、成功、歴史的影響。
それと同時代の比較。直接のライバルがいれば特に。

ヴァレンシュタインは生涯、殆ど敗北らしい敗北はしていない。
リュッツェンで戦術的には負けたけど、グスタフ・アドルフ戦死させたから
戦略的には勝ったとも言える。
そういう意味では、純粋な能力値的にはもっと高い数値をつけられるとも思う。
ただ、彼の勝利の歴史的影響はかなり限られたものに過ぎなくて、
おまけにグスタフ・アドルフと違って新戦術をdevelop(開発・発展の意)
したわけでもないから、そういう意味で武力に90以上はつけられなかった。

あと政治について71つけたのは、敵に対する調略能力が
結構高いと見たから。ザクセン公とか買収してるし。
味方相手だけなら、正直言って60台。
別に政策能力が高いわけでもないからね。

80台までなら純粋に能力値(絶対値)で出せるけど、
90以上を出すには比較検討がいる。
あと、全ての能力値が高い必要はない。
家康に関しては魅力は60〜70台で、その分他の数値が高いってのなら
それなりに納得いくんだが。
226世界@名無史さん:03/02/18 12:17
>223
武力ゼロって凄いな。しかも納得。
日本政府が憲法上武力ゼロって言ってるのとは違うし;藁
227世界@名無史さん:03/02/18 15:00
インフレしすぎだバカ。
ちょっとくらいは忠告に耳を傾けろよ。
ここは公開オナニーの場ですか?
あらゆる人物に90台80台をつけて何の意味がありますか?
228227:03/02/18 15:02
一般的な知名度とかもちょっとは考慮しろ。
運・知名度も実力のうちだ。
いいかげんにしろ。
229227:03/02/18 15:04
それに世界的な影響力もな。
家康やホーチミンやガンジーに世界的に歴史に残るような功績ありますか?
230世界@名無史さん:03/02/18 15:19
>>227
だったら自分で書けばいいのでは?
べつに一人しかその人物について評価してはいけない訳じゃないし。
231世界@名無史さん:03/02/18 15:39
まず、世界的の定義を明らかにせよ
232世界@名無史さん:03/02/18 15:46
でも>>227の言うこともわかるけどね
みんながみんな80以上だったら点数つける意味なんて無いんじゃないの
233ガンジーの経歴:03/02/18 16:13
がびーん。
ガンジーなら、「知名度」「影響力」「世界的意義」
の何れに於いても、かなり大きな“歴史に残る功績”を残しており、
十分80、90代を受けるにたる資格を有する人物だと、
自信満々に、夢遊病者のような確信をもって、堂々と書き込んだのに
それが、“インフレ”した“バカ”で“考慮のない”
何の意味もない公開マスターペーションだったとは!
ああああんまりだ

きっとこのような愚かな評価をしてしまうのは、
史的成立条件も解きえぬ、
分析の未到か洞察の不徹底であるに違いありませんね。
僕には歴史上の人物を評価するにたるLVにまで、
知能水準が達していないと推察できますので、
これよりは、ガンジーにあやかって、断食の代わりに断レスいたします。

皆さん、今までお相手していただきありがとうございました。
大変勉強になりました。ありがとう。
色々とスレッドをお騒がせして、申し訳ありませんでした。
わたくし、疲れきってしまってもう走れません。
234蘭太郎:03/02/18 16:14
>>233
あ、名前が・・・
まあいっか。断レス断レス
235世界@名無史さん:03/02/18 16:18
ガンジーの影響力や世界的意義って?
非抵抗不服従の精神は偉大だと思うけど、そういうあいまいなものより
明確な形で残した功績が不足してるってことじゃないの?
インドじゃ消極的なガンジーより積極的に独立運動を展開した
チャンドラ・ボースの方が人気あるしね。
236蘭太郎:03/02/18 16:32
>>235
そうですか?
インドに行けば、どこの家にも貼ってあるのは
ボースじゃなくて、ガンジーの写真ですよ。

それからインドの初代首相も、
ガンジーが全幅の信頼をよせて自ら後継者に指名した、
ジャワハルラ・ネルーですよ。
(うわー、断レスみじか・・・)
237世界@名無史さん:03/02/18 16:37
話し振り返すみたいで悪いんだけど、
世界的とか後の歴史に影響を与えたとか
余りに抽象的だと思うのだが。
取り合えず先に、各パラメータのトップを決めたら指針となって
やり易いんじゃないのか?
俺としては、知力100は孔子しか居ないと思うのだがね。
んで世界史的(藁)と歴史に影響を与えた点を考えて
武力100はチンギス・ハーンかなw
238世界@名無史さん:03/02/18 16:44
>237
賛成
魅力100カエサルor劉邦
武力100は項羽に一票!
チンギスは統率100だと思われ!
239世界@名無史さん:03/02/18 16:45
政治110はオクタヴィアヌスに一票!
う〜む、ローマと中国に集中してるな・・・
240世界@名無史さん:03/02/18 17:28
>>239
ローマと中国が偉大な歴史的大国なんだから仕方ないと思うな。
孫子武力100・墨子知力100でもおかしくはないが激しくインフレな予感。
241世界@名無史さん:03/02/18 17:30
>知力100は孔子
オマイどこの工作員だよ(ワラ

世界的の定義とかいって話題をループさせるなよ。まず過去ログ読んでこいって。
解決してるわけじゃないが、指針ぐらいはもうたってるだろうが。
242世界@名無史さん:03/02/18 17:32
まったく厨房増えたな
頼むから過去ログ少しぐらい読んでくれ
243世界@名無史さん:03/02/18 17:36
>>241
工作員?w
ヤレヤレ
244世界@名無史さん:03/02/18 17:41
世界史上で知力100は孔子しかいないという意見は明らかにマトモではない。
245世界@名無史さん:03/02/18 17:49
>>227

>>運・知名度も実力のうちだ。
つまんねースレになること請け合い。
角のとれた一般的な評価聞いて楽しいか?

俺は前スレでインフレに苦言を呈したこともあるが、
おめーの俺様指標といっしょにされたかねーよ。
ここの楽しいところは自分の考えで該当人物の能力を測ることにある。
根拠を示せばマイナーな人物が能力高くたっていいんだよ。
246世界@名無史さん:03/02/18 17:49
>>244
どの様な根拠に基づいてマトモじゃないと断言できるのか
説明してくれ。無論君に出来ないのは承知しているが
取り合えず嫌味で聞いてみる
247世界@名無史さん:03/02/18 17:52
話題がループするのは未だ解決していないからでつ。
指針というものは具体的に示さないと指針にならないのでつ。
248世界@名無史さん:03/02/18 18:00
またこういう流れでつか・・・過去ログ読めないのか・・・

>ここの楽しいところは自分の考えで該当人物の能力を測ることにある。
根拠を示せばマイナーな人物が能力高くたっていいんだよ

何度もこういう風にいわれてるじゃん。漏れもそう思う。根拠がおかしいと
思った人は議論すればいい。
それと嫌味とか低レベルなこといってないで自分がまず「世界史上で知力100なのは
孔子しかいない」という根拠を示したら?
249世界@名無史さん:03/02/18 18:02
>>233

ん?
確かにスレッド全体的にインフレーションしすぎの感もあるが、貴方のガンジー評は
かなり妥当な評価だと俺は思うよ。それとは別に文章の構成や表現が読みやすくて面白い。

インド史に詳しいのならアショーカ王の数値化とかやってもらえませんかね?
自分は中途半端な知識しかないのでお願いします。
250世界@名無史さん:03/02/18 18:06
まあ武力0ってのは象徴的意味もあるよな
251世界@名無史さん:03/02/18 18:21
>>248
どうしてそう論理性の欠片も持ち合わせてないのかね
>それと嫌味とか低レベルなこといってないで

この低レベルてのは嫌味じゃないのか?
君は自分の発言の矛盾でさえも気付けないのかね
252世界@名無史さん:03/02/18 18:33
謝罪・賠償を要求しる!
253世界@名無史さん:03/02/18 18:36
用は>248も>251もこの話をお止めになれば宜しいのである。
254世界@名無史さん:03/02/18 18:38
>>246
まず、史実とおとぎ話の区別はついておられますでしょうか?
いや、もちろん、その程度は解っているとは思いますが、
もし万が一、それすらも理解されておられないというのであれば、
当方と致しましても少し説明の仕方を考えなくてはなりません。
どうかまず、そこの所をお教え頂きたく存じます。
255世界@名無史さん:03/02/18 18:41
孔子知力100・・・? プッ 人肉でも食べてなさい
256世界@名無史さん:03/02/18 19:08
>>253
確かに貴方の言うとおりなんだけど、俺暇なんよね・・w
つーことで、予想を裏切って再レス付けた>254さんにレスしてしまいます

>>254
貴方もまあ論理的に考えられない人ですね。
貴方の質問は、質問として成り立っていませんね。

>史実とおとぎ話の区別はついておられますでしょうか?

との、ご質問ですが区別がついてない人に対して
区別がついていますか?と聞いても無意味だと通常は考えますが

具体例をあげれば、リンゴとミカンを混同している人に対して
リンゴとミカンの区別が付いていますか?と質問をした所で無意味ですね
この場合はリンゴとミカンの双方をもってきて
まず説明をしてから、区別が付いていたのかどうかを聞くのが正しいですね

よって貴方の質問は、区別が付いている人も付いていない人も
YESとしか答えらないので、質問の体を成し得てないですね
257世界@名無史さん:03/02/18 19:11
>>256
詭弁っていうか本質とかけ離れたどうでもいい主張はもういいよ。
それでアナタは何を言いたいの?
258世界@名無史さん:03/02/18 19:20
『世界史上知力100は孔子しかいない』らしい
259世界@名無史さん:03/02/18 19:24
260世界@名無史さん:03/02/18 19:55
>256
論理的に考えてそれでございますか。随分とお粗末な。
論点がズレて宇宙の果てに飛んで行ったというか、もう帰ってこなくても良いのだけれど、暇だったらもう少しマシな事考えて下さい。
つーか、暇なら数値化すれ。
26124:03/02/18 20:03
一流とか優秀とか言われてもピンとこない。
こういう風にしたほうがいいんじゃ?
0代=100人中最下位
10代=10人中最下位
20代=何処にでもいる
30代=10人に一人
40代=100人に一人
50代=1千人に一人
60代=1万人に一人
70代=10万人に一人
80代=100万人に一人
90代=1000万人に一人
100=一億人に一人
262世界@名無史さん:03/02/18 20:04
>>256
どうも私の話が難しすぎたようで、
あなたにはもっと咀嚼して話して差し上げるべきだったかなと後悔しております。
実際いちいち指摘するのもバカバカしいのですが、
ここで反論せずにいれば、あなたが「言い負かした」と誤解するかもしれない。
それも癪ですので、一応お答えしておきます。

ただリンゴとミカンを混同している人に
「区別がついてるか?」と聞いても答えられないというのはその通りでしょう。
しかし私はミカンを指差して「これはリンゴだ」と言っている人間に向かって、
「リンゴとミカンの区別はついていますか?」とご質問した次第です。
これはつまり、明らかに「リンゴとミカンは別のものだ。あなたは誤解しています」
という意味の含まれた付加疑問という文法の一形態であることは、
それこそ小学生でもわかる自明の理ではありませんか?

どうもあなたには難しすぎて、日本語でコミュニケーションを取ることは困難のようです。
これ以上は時間の無駄ですので、
移行はシカトぶっこかせていただきます。あしからず。
263世界@名無史さん:03/02/18 20:10
>256
>254の言ってる言葉の意味、理解できないわけではないでしょう。
理解できているならコミュニケーションとしては成功です。いちいち揚げ足を取る必要は無い。
理解できないなら日本語圏から消えるか日本語を学び直してください。…おわかり?
264世界@名無史さん:03/02/18 20:19
なんだ、なんだ?楽しいのかソノおもちゃ?
265前スレの948:03/02/18 20:43
>>217
それは戦略の領域に属する事柄です。すなわち、知力として評価すべきです。
宮崎将軍の事跡を見るに、彼の強さの秘訣は、知力の高さによるところが大きいように思われます。
武力80台後半、知力70台とするのが妥当と思われます。
知力80台の軍人が日本軍に居れば、当時の国民党相手に戦って、膠着状態に陥ることは無いはずです。
知力80とは、同等以上の知力を持った相手が居なければ、一つの戦線ぐらいは引っくり返せる能力です。
当時の国民党に、知力80以上の人物は居ませんでした。
266前スレの948:03/02/18 20:56
>>223
ガンジーの能力は、妥当な線だと思います。
特に統率80台というのは、彼の優れた指導力と、
宗教には勝ち得なかった限界性の両方を良く現していると思います。
そして、知力90台にも同意です。
非暴力闘争という手法を、政治運動の場に持ち込んだ功績は、
人類の政治史において、限りなく大きな意義を持っていると思います。
267世界@名無史さん:03/02/18 21:04
ガンジーの統率ってのは軍隊に対してのものではないし、彼に付き従うという事は
下手すると犬死にみたいなもんだから、それでも尚且つ大規模デモを指揮できた
というのはどういうもんなんだろうなあ?

そういうこと考えると80台は低いかなとか思ったりする。というか他の人物とは
なんか点のつけ方があまりにもかけ離れてるような…難しいなあ。
268前スレの948:03/02/18 21:20
>>225
ヴァレンシュタインのテルシオは、ついにグスタフ・アドルフの三兵戦術に勝てませんでした。
彼はティリーと同じように、旧時代の名将であることによって、
新時代の名将であるグスタフ・アドルフの武威を輝かせたのです。

しかし、彼の名を不滅の存在にしたのは、軍税制度を導入し、
大軍の集中を可能にしたという軍制史上の功績でした。
彼は、軍略、政略の両面において並ぶ者の無い存在でしたが、
あまりに急速に出世し、あまりに野心を剥き出しにしたために挫折を繰り返し、
ついには命まで絶たれてしまいました。

いったい、彼をどう評価すればよいのでしょう?
どのような数値を付ければ、この人物の個性を表現できるのでしょうか?
269:03/02/18 21:32
家康の件では、いろいろと教えて頂きありがとうございました。いろいろ勉強になりました。本当はレスを付けたいんですが、時間がないので、少しだけ。

今、丁度、基準の話になっているようなので、僕からも一言。
僕は、家康の武将としての能力は否定しないけど、統治者としての能力には疑問なんですよ。

皆さんのお話からも社会の安定と繁栄はトレードオフの関係にあるのかもしれませんが、それならば僕の出す統治者としての基準は次のとおり。

70代優秀(繁栄と安定のどちらかを有効に選択可能。安定を選んだ場合、その政権は長く続く)
80代一流(繁栄と安定の両立可能。生きている間に、平和で豊かな時代を実現する)
90代超人(繁栄と安定の両立を生前のみならず、死後数100年に渡り実現する)
100は、神とありますから欠番でしょうか?

で、僕は繁栄のレベルを落として政権の維持を狙ったと思われる家康は70代と判断したんですがね。
日本史レベルならば90代でも、世界史レベルで日本という地域を長期に渡り繁栄させたかというと疑問が大きいですからね。
むしろケチで有名な家康が自分の政権を無くしたくないために、発展を留めてしまったと言う方が納得できる。

余談も入りましたが、あるいは、もう少しパラメーターを増やすのも手かもしれませんね。

ちなみに、孔子は持続には有効だけど、繁栄には阻害要因となる要素が大きいので、また70代です。
厳し過ぎるかもしれませんが。
270前スレの948:03/02/18 21:34
>>229
日本ほどの人口と経済規模を有する国家に、海外情勢に介入しないという方針を与えた事。
そして、その方針を200年余りに渡って保持し続けるだけの保守的かつ、
強固な体制の基礎を築き上げたことは、東アジアの歴史に大きな影響を与えました。

歴史にIFは禁物ですが、日本の統一政権の指導者が近隣諸国にちょっかいを出したり、
あるいは分裂状態に陥って、日本人の武装集団が中国沿岸部を脅かすようになったら、
歴史は違う方向に進んでいたことでしょう。
271(V)o¥o(V):03/02/18 21:46
>>268
>グスタフ・アドルフの三兵戦術

グスタフの戦術は歩兵主兵主義だよ
基本的には旧来の戦術と何ら変わらん
少なくとも三兵戦術ではない
昔は三兵戦術はナポレオンのトレードマークだったが、
何時からグスタフが三兵戦術だったと言われるようになったんだろう

>ヴァレンシュタインのテルシオ

リュッツェンのヴァレンシュタイン率いる皇帝軍はテルシオのような重厚な隊列では戦っていない
薄い隊列の採用と砲の増強を行っており、その編組はスウェーデン軍に近い
これもスウェーデン軍を模倣したからでなく、当時提唱されていた戦術理論に従っただけだし
ヴァレンシュタインは決して旧時代の将ではないぞ
戦争実業家の名は伊達ではない
むしろ兵站組織の確立においてはヴァレンシュタインはグスタフよりも成功している

>大軍の集中を可能にしたという軍制史上の功績

リュッツェン戦の際、大陸に展開していたスウェーデン軍は総数18万
そのうち彼がリュッツェンで指揮していたのは2万2千
大軍の集中を可能にしていないようだが?
もっとも皇帝軍も事情は同じだが

>いったい、彼をどう評価すればよいのでしょう?

勇敢で有能な野戦指揮官
彼の戦傷の多さとその最後を考えれば勇敢だったことは否定できないが、
極めつきの有能であったかは疑問が残る
ニュンベルクではボロ負けしてるし
272前スレの948:03/02/18 21:53
ホーチミンの世界史における歴史的功績は、ベトナム戦争を起こしたことです。
そして、米国相手に戦い抜き、その威信を失墜させたことです。
この戦争以後、米国は長い低迷期に突入します。
そして、世界各地に米国が立てた、親米反共政権を大きく揺さぶったのです。
273世界@名無史さん:03/02/18 21:56
巡洋艦エムデン号の艦長
274世界@名無史さん:03/02/18 21:58
>269
繁栄とは安定に附随する形で起こる向上です。国政が右往左往していたら繁栄の暇がありません。
少なくとも、江戸時代は日本が特に繁栄した時期と言えると思います。
ので、貴方の基準に寄れば90代出せますね。

275前スレの948:03/02/18 21:58
まあ、現代史の大事件であるベトナム戦争を引き起こし、
死ぬまで主導し続けたと言うのは、世界史的に大きな功績だと思いますよ。
負の功績ではありますが。
276世界@名無史さん:03/02/18 21:59
まあガンジーは、存在自体が当時としては異質だったから。
今で言うならNGO的運動方法かも。
要は彼のカリスマに従ったということだろうと思う。
そういう意味で数値には概ね同意だな。

>>235
イギリスにチャンドラ・ボーズの路線で勝てたかというと
ちょっと疑問なんでね。
インドネシアみたいに一度宗主国が追い払われた国でさえ、
しかもその宗主国がオランダという、当時まだズタボロだった国にも
関わらず、国際世論の支持がなければ独立は危なかった。
独立派の内紛が(特に共産主義系とそうでないのとの間で)
かなりあったってのも一因だが。

それくらい、軍事力の差は歴然としている。
イギリスに力で勝てるほど、インドは強くはない。
そういう意味で、ガンジーの非暴力はリアリズムでもあったと思う。
277世界@名無史さん:03/02/18 22:01
>>271
出たな、バルタンw
>何時からグスタフが三兵戦術だったと言われるようになったんだろう
私の知る限り、グスタフ・アドルフの散兵戦術説を採っているのは、中里融司の「覇者の戦術」位だったと思う。
歴史読本別冊の「戦略・戦術・兵器事典 ヨーロッパ近代編」では、散兵戦術思想の走りと位置づけてあったように記憶しているが…。
確かにグスタフ・アドルフの機動火力横陣は彼の発案によるものではなく、マウリッツ公のプランを改良したものに過ぎない。
ヴァレンシュタインの改良型テルシオもマウリッツ公のプランを彼なりの解釈で改良したものだろう。
つまり、両者の戦いは同じ思想から派生した戦術同士の対決だったと言えるのではないだろうか。
278世界@名無史さん:03/02/18 22:06
しかし家康って、実は貿易積極派でなかった?
支倉常長をメキシコ・スペインに派遣してるし。
オランダと貿易始めたのも彼だ。
幕府が鎖国傾向強めるのって、むしろ家康の死後・・・
279前スレの948:03/02/18 22:07
ガンジーの歴史的功績の説明は、>>276さんのおっしゃる通りです。
私が付け加えることはありません。

当時の世界で流行っていた武装闘争による独立闘争路線は、
武装闘争を戦った闘士が、その軍事力をもって独裁者になったり、
旧宗主国の恨みを買って国内をぐちゃぐちゃにかき回されたり、
国土を荒廃させ、独立しても結局列強の実質的な属国になるなど、
大きな禍根を残したからです。

私は、インドがボースではなく、ガンジーの手によって独立したからこそ、
独立後も一応の安定を保つことが出来たと思っています。
280世界@名無史さん:03/02/18 22:08
>>278
支倉常長を欧州に派遣したのは伊達政宗なわけだが…。
281前スレの948:03/02/18 22:13
>>237
孔丘は偉大な思想家でしたが、その生涯において疑問の残る判断が少なくありません。
自説に固執しすぎたあまりに、危険思想の持ち主扱いされ、
自説を実践する(政務に携わる)機会から遠のいてしまったことは、
大きな減点材料です。
282世界@名無史さん:03/02/18 22:15
>>280
しかし、幕府の許可なしで出せたとは考えづらい。
家康も乗り気だったとは言えると思う。
283学園天国グル−プ:03/02/18 22:16
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284前スレの948:03/02/18 22:17
>>237>>238
チンギス・ハーンは用兵に長じていましたが、
その戦術は、モンゴル人の伝統的な戦術を踏襲したものでした。
彼が偉大な征服者になったのは、モンゴル人を組織化し、
草原の羊飼いを勇猛な軍隊へと生まれ変わらせたことです。

チンギス・ハーンは、偉大な軍人ではなく、
偉大な組織者であり、偉大な政治家なのです。
285世界@名無史さん:03/02/18 22:19
>武装闘争を戦った闘士が、その軍事力をもって独裁者になったり、
>旧宗主国の恨みを買って国内をぐちゃぐちゃにかき回されたり、
>国土を荒廃させ、独立しても結局列強の実質的な属国になるなど、
>大きな禍根を残したからです。
まんまアフガニスタンやな・・・
286世界@名無史さん:03/02/18 22:21
>>277
三兵か散兵かはっきりせんかw
287世界@名無史さん:03/02/18 22:22
>>282
当時の幕府と伊達家の関係を考えるとその可能性は薄い。
遣欧使節関係の日本側の記録や、支倉と政宗の間で幾度か交わしたと思われる文書も一通も現存しておらず、伊達家の記録からも抹消されている。
伊達家側に「記録を残せない事情」があったと考えるのが妥当だと思う。
288世界@名無史さん:03/02/18 22:45
>284
えと、ということはチンギス・ハーンの数値はどのような物になるのでしょうか?
加えて
>237の『孔子知力100発言』は森元総理でもしないような発言だとは思うのですが、ただ各能力値のトップを決めておく事は有効だと思いますので、これらトップの人物を出して頂けませんか?
289前スレの948:03/02/18 22:50
>>238
カエサルを魅力100の候補にするのには異存はありませんが、
劉邦の魅力には、疑問符が付きます。

と言うのも、劉邦は実利で人を釣るタイプの指導者であり、
人格的吸収力は、イマイチであるように思われるからです。
あまりに癖の強い人間性のため、
「まともな人間はみんな項羽に付いてしまい、
 劉邦に付いて来るのは恩賞目当ての欲張りばかり」と、
腹心中の腹心である陳平に揶揄されています。
無用に人の反感を買う態度を取ったエピソードも少なくなく、
この人物に人間的魅力があるかどうか、かなり疑問です。
290世界@名無史さん:03/02/18 23:00
スレのタイトルのコーエー数値化で考えるとさ、

三國志も信長でも、
武力、知力、政治力、魅力、いずれのパラメータのうちどれか100なのが一人ずついるだろ?
90以上でも10人程度はいるし、
80、70なんてごろごろいる。60で並み。
50台以下だと人手不足のときでもないと、積極的に使わないレベルだろ?

まあ、閉ざされたゲーム世界でのバランス調整なので、グローバルな世界史視点に置き換えるのは問題が生じるのは当たり前だが、
いわれるほどインフレでもないと思うぞ。

このスレはお遊びなので楽しいから、人がつけた数値に納得いかない方は、自分で数値化してその価値観を披露して楽しもうよ。
それに、それぞれの見方や見解が異なるから面白いんじゃん。




291前スレの948:03/02/18 23:04
>>271
このあたりについてのネタは、
「戦略・戦術・兵器事典 ヨーロッパ近代編」から頂きました。

集中というのは、常備兵力を保つということです。
何か勘違いしておられるようですが、>>268のレスは、
グスタフ・アドルフに対する評ではなく、ヴァレンシュタインへの評価です。
そもそも、王様に対する評に「あまりに急速に出世し」とは書きません。
292前スレの948:03/02/18 23:06
>>271
グスタフ・アドルフは、比較的単純明快な人生を送っているので評価しやすいのですが、
ヴァレンシュタインの評価は本当に難しいのです。
よろしかったら、ヴァレンシュタインの評価をお教え頂けませんでしょうか?
293前スレの948:03/02/18 23:14
>>288
あれほど有名な人物の評価をしても、あまり楽しくないのですが、
統率力は95以上。武力は80台。知力、政治ともに90を超えるでしょう。
ただ、魅力は60、70台になると思います。
指導力を示すエピソードは多いのに、人間的魅力を示すエピソードは、
それほどありませんので。
294世界@名無史さん:03/02/18 23:15
【ニュース速報板】
世界で反戦デモやってる奴って偽善者の糞だな2
http://live2.2ch.net/test/read.cgi/news/1045563023/
前スレ
世界で反戦デモやってる奴って偽善者の糞野郎だな
http://live2.2ch.net/test/read.cgi/news/1045542243/
賛否両論あるかもしれんが、意見を訊かせてくれ
295世界@名無史さん:03/02/18 23:18
>289
劉邦は士大夫には受けが悪い人物だと思う。
だが民衆には受けが良かったと思われる。それとショウカのような男を手元に
置き続けられたのはそれなりに魅力があったのではないかと。
296世界@名無史さん:03/02/18 23:21
蕭何が士大夫かどうかは微妙なところだな
297(V)o¥o(V):03/02/18 23:32
>>292
>ヴァレンシュタインへの評価です。

失礼、勘違いしてた
でも軍事力の集中と常備軍の維持は全然違うと思うぞ

自分はヴァレンシュタインの軍事的な能力はグスタフ・アドルフより高いと思ってる
彼は当時のヨーロッパでも戦争に真面目に取り組んだ戦争屋で、
戦争に熱を入れて国を傾けたグスタフに比べて政治的な能力もグスタフより高かっただろう
ガンジーが武力1とすれば95くらいだろうか
298前スレの948:03/02/18 23:34
>>288
現段階ではあまり考えていませんが、
統率力100候補は、東洋では始皇帝と朱元璋。
西洋では、スターリンです。

武力100候補は、アレクサンダー大王です。

知力100候補は、今のところはビスマルクです。
常に判断を過らず、思うがままに世界情勢を動かしました。

政治100候補は、今のところ清の康熙帝です。
世界の歴史にこの人物が存在したこと自体が奇跡です。

魅力100候補は、今のところカエサルです。

俗な選択になってしまいましたが、たいした根拠は無いので、
気にしないでください。

候補は、今後もっと増えていくはずですから。
299前スレの948:03/02/18 23:44
>>295
劉邦が民衆に歓迎されたのは、項羽があまりにひどすぎたからでしょう。
反項羽派の巨頭として支持されただけで、彼個人のカリスマは怪しいものです。

蕭何が劉邦に従ったいきさつは、史記に述べられています。
「蕭何や曹参は(反乱の)頭に立とうと思ったら立てたが、
 失敗したら後が怖いので、劉邦を頭に立てた」
のだそうです。

成り行きで従っただけで、劉邦の人徳に引かれたわけではないようです。
実際、平和だった頃に「劉邦の野郎は口先だけで何も出来ない野郎だ」と、
呂后の親父に吹き込んでいます。
300世界@名無史さん:03/02/18 23:51
>>262
まあ、なんだ。俺も無視してもいいんだが、どうも性に合わないので
やはり反論して置こうw
まず、何時貴方がミカンを指差したのか激しく疑問ですな。
>まず、史実とおとぎ話の区別はついておられますでしょうか?
としか、発言してない事実からみても、なんら具体的には述べてないですね。
分かりますか?具体的の意味。
ましてや、貴方は孔子に100をつけた事実をもってのみで、私が
史実とおとぎ話の区別を付いてないと断定付けているみたいですが
これはもう、妄想としかいいようが無いですね

しかし、このスレに来ている諸君は、自らが厨房だという事認識しているのかね?
無論私は自ら厨房だといえるのだが、どうも自らを厨房だと認識してない輩が
ちらほらと見受けられるのは非常に由々しき事態と言えるのだが。
元々妄想でしかない数値化なのだから、孔子に100をつけようが
森首相に100をつけ様が、論破できると思ってる時点でやばいですよ
歴史の人物評価もいいんだが、まずは自身も評価すべきだろう
301前スレの948:03/02/18 23:52
史書を見る限り、劉邦の治世が安定するまで、
蕭何の価値を高く評価する人は少なかったようです。
ただ、劉邦だけは蕭何を贔屓し、信頼しました。
最初は成り行きで従ったけど、信頼されてしまったから、
離れられなくなったというのが、実情ではないかと思います。
302世界@名無史さん:03/02/18 23:52
>299
だから、劉邦は(つーか時代の要求というのかな)面白いと思うよ。
いや、あなたの意見に混ぜっ返すつもりではなくて。

それに、
>「失敗したら後が怖い」
というのが本当だとしたら、その時点で、英雄失格、2流の人だろ。
303世界@名無史さん:03/02/18 23:56
>299
俺は別に劉邦が魅力100だとは思わないのだが、ちと酷評過ぎやしない?
戦闘ではまるで歯が立たなかった男を何を持って支持するの?それとも支持した
人達も成り行きまかせだったの?

成り行きだけなら蕭何なんかは幾らでも劉邦を見捨てる機会はあったと思うけど?
なんつーか、そういったいい加減な部分をあっけらかんと見せてしまう所が劉邦の
恐ろしいとこなのではないかと。
304前スレの948:03/02/19 00:09
>>302
鉅鹿の戦いで秦の主力を殲滅した項羽は、次代の指導者として支持を集めましたが、
中国の支配者になってからは、失政続きで支持を失ってしまいました。
時代が求めていたのは、項羽に代わる指導者と言うポジションであり、
劉邦本人ではなかったでしょう。
305前スレの948:03/02/19 00:17
>>303
戦争に弱かった劉邦が支持された理由を、史記はしつこいぐらいに描写しています。

「項羽は恩賞をケチったが、劉邦は大盤振る舞いした」
「項羽はやたら残虐だったけど、劉邦は残虐じゃなかったから」
「項羽は政治上の失点を重ねたけど、劉邦は項羽ほど間違いをしなかったから」

まあ、そういう理由みたいです。
項羽は、「戦いこそ無敵だけど、その治世で生活するのはカンベン」というような指導者でしたが、
劉邦はそうではありませんでした。
だから、消去法で劉邦が支持されたのだと思います
306前スレの948:03/02/19 00:21
>>303
成り行きじゃないですか?
いや、蕭何伝を読む限りでは、それ以上の感想を抱きようがないので。
307世界@名無史さん:03/02/19 00:22
>>298
ビスマルクはむしろ政治100だと思うが。
知力100なら、新皇帝のヴィルヘルムも説き伏せられたろう。
別に康煕帝も100でいいけど。

あとアレクサンドロスが武力100って、インドでは結構苦しめられた
みたいだけど、そっちは無視?
308世界@名無史さん:03/02/19 00:24
アレクサンドロスが長生きしていたら、と思うとぞっとするよ
309世界@名無史さん:03/02/19 00:29
せっかくだから誰か蕭何数値化してくれ
310前スレの948:03/02/19 00:30
>>307
政治100なら、政争でも無敵ですから、クビになったりはしないでしょう。
まあ、知力100の人間が、アホのヴィルヘルムを誑かせない訳が無いと言う気持ちも分かりますが。

アレクサンドロスは、限界が近づいてた兵隊を率いてたのに、
苦戦しただけで済んだんですから、十分武力100の資格はあります。
ナポレオンなら、殲滅されてたでしょう。
ただ、彼の武力100はフィーリングによるところが大きいので、
再考の余地は山ほどあります。

「俺にとっての100はこいつだ」という人物がいたら、
どしどしご応募ください。
311前スレの948:03/02/19 01:04
【コラム】
蕭何(?〜?) 漢の相国
【統率】84(前線の軍は連戦連敗していた。前線に行くのは、死にに行くようなものだった
      それなのに、後方は全く動揺することなく、兵士と食糧を前線に送り続けたのだ
      これだけの戦時体制を築き上げたのは、高い指導力の賜物である)
【武力】39(漢楚抗争期は宰相の称号を帯びる人物が、軍司令官になる事も当たり前だったが、
      蕭何は一度も軍を率いることが無かった。よほど向いていなかったのだろうと思われる)
【知力】65(韓信を抜擢したり、役人だった頃に乱世の到来を予想して、出世を断るなど、鋭いところはあるが、
      鈍いところも色々と見せているので、判断力にムラがあるようだ
      足して二で割って、中の上である)
【政治】93(漢楚抗争期には、兵站・行政を一任されて、完璧な戦時体制を築き上げ、
      漢が統一されると、大帝国の政治体制を構築すると言う大事業に挑戦し、
      漢帝国の礎を築いた。事実上の漢の建設者である)
【魅力】80(戦時指導者として、民衆に犠牲を強いることが多かったが、
      怨嗟の的になることなく、人気が高かった。
      人気があり過ぎたため、劉邦に妬まれる可能性があると、指摘されたほどである。
      蕭何は劉邦が自分をどう思っているかを気にしていない節があったが、
      要所要所で色んな人が助言してくれたおかげで、一回逮捕されただけで済んだ
      劉邦より、この人の方が人徳はあったと思う)
312世界@名無史さん:03/02/19 01:12
>>300
いってることもう無茶苦茶。今度はソクラテス気取り?
とっとと少しでも孔子が100な理由を言ってみ。

チンギスハンも武力100候補だと思うが。異論はあっても実績が巨大すぎる。
それとさ・・・「覇者の戦術」とかのいってみればライトノベルを
論拠にもってくるのはやめれ。
313前スレ933:03/02/19 01:12
ヴァレンシュタインについて、評価やった者から一言。
率直に言って、彼は不幸な存在だと思う。
能力は全般にかなり高い。旧教諸侯への対策が疎かだったという面は
否めないが(繰り返すが、政治の数値をかなり低めにしたのはそのせい)。
ただ、高い割に、ドイツというヨーロッパの地域にいた割に、
彼が直接、後世に残した影響は余りにも少ない。
せいぜいハプスブルク家の存続に手を貸しただけだ。
しかも、これも冷静になってみれば「彼がいなくても
ハプスブルク家が生き残った可能性は結構高い」という程度のもの。

要するに、権力者から見れば「代わりはいくらでもいる存在」だな。
(だから解任されたり殺されたりしたんだろうが)
歴史上の人物は、能力・地位・個性その他から、多くの場合
「代わりのいない存在」であって、そこに「代わりは幾らでもいる存在」
が一人混じっている、というところに、彼の歴史的評価における
最大の問題点(というか迷いや評価の違いの原因)があるように思う。
314世界@名無史さん:03/02/19 01:56
>>300
>まず、何時貴方がミカンを指差したのか激しく疑問ですな。
タイピングを教えられたチンパンジーと遊ぶ気はないので、ちょっと確認させてください。

『しかし私はミカンを指差して「これはリンゴだ」と言っている人間に向かって』
上の文章で、ミカンを指差したのは誰ですか?
(1) 私
(2)「これはリンゴだ」と言っている人間

これ、マジで解りませんか?
前後の文脈からこれでも解って当たり前だが、
もっとやさしく「しかし私は」の後に読点付けてみたら貴方にも解りますか?
それとも、狂ったフリをして不利な形勢を誤魔化そうとしていますか?
315世界@名無史さん:03/02/19 02:06
リンゴ・みかんはもうやめれー
孔子マンセーに理由なんてないよー
300は元角な儒家なだけなんだよー
そっとしといてあげれー
316世界@名無史さん:03/02/19 03:19
康煕帝が政治100なら雍正帝は政治150だな。
と岩波新書一冊を根拠に主張してみるてすと
317世界@名無史さん:03/02/19 03:47
みかんが知力100ならリンゴは知力150だな。

と煽ってみるテスト
318世界@名無史さん:03/02/19 04:34
>>300って面白いね
森でもしないとか言われたらそりゃ怒るよね(プ
319世界@名無史さん:03/02/19 08:59
おまえらは腐ったみかんじゃなぁいぃ!!
320世界@名無史さん:03/02/19 10:36
韓信とか張良って数値化したっけ?
見たいね
321世界@名無史さん:03/02/19 11:54
グスタフよりヴァレンシュタインの方が上だとは思えない。
国を傾けてもいないだろ。フリードリヒ大王みたいな一種の賭けに出たんだと思っていた。
だけど、それに耐える準備をしたのも有能な官僚や軍人をうまく配置をしたのも彼だし。
まあ、常に前線で指揮をとる人だから生き残ってもそのうち死んでたと思うけど。
322世界@名無史さん:03/02/19 12:06
それと三兵戦術って歩騎砲の統合戦術のことで散兵戦術ではないんじゃないの。
連帯砲の導入とか抜剣突撃とか。
実験段階で速度の調整とか考えると理想ほどはうまくいかなかったと思うけど。
323世界@名無史さん:03/02/19 13:32
戦史上、価値あるのはグスタフだわな。
324世界@名無史さん:03/02/19 14:11
>>321
財政面はかなり大変だったらしいけど。

ヴァレンシュタインが、少なくとも第二次総司令官時代において
スウェーデン軍騎兵と同等の戦術(重装甲で抜刀突撃)を採った
ことについては、装備で確認が取れる。
だから多分、他の兵種についても新戦術採用の方向を向いていただろう
ことは推測出来る。

新戦術を本格的に最初にやったのはグスタフだから、
そういう意味では>>323に同意。
だから数値としてグスタフが高いのは分かる。
ただ、実際の戦場での指揮能力はほぼ同等だろう。
325世界@名無史さん:03/02/19 17:55
>>321
思いっ切り傾けてますが何か?
326世界@名無史さん:03/02/19 19:17
【岳飛】(1103〜1141)

【統率】88(金に対して圧倒的不利な状況の中、義勇軍を率い戦い続けた)
【武力】85(金軍の数と勢いに、地形を利用し少ない兵数で勝利した)
【知力】66(「戦場を自分の手で選ぶ」という戦略眼。書家としても名高い事も考慮)
【政治】43(国から援助の無いまま義勇軍を経営し続けた手腕。しかし秦檜との政争に敗れる)
【魅力】95(中国史上、最高の「英雄」。当時から民衆の人気は高く、後世の人気も+して)

字は鵬拳。北宋末期から南宋初期の武将。
農民の子として生まれ、北宋末期に義勇軍に参加。「抗金名将」の一人、宗沢に見出され、
頭角を現す。武功によって高宗から「精忠岳飛」の書を授けられた。
30代初めには節度使、宣撫副使として湖北一帯を拠有する軍閥巨頭にのしあがった。
その軍は岳家軍と呼ばれ、武勇をうたわれる。
長江を渡り侵攻してくる金軍を同じ「抗金名将」の韓世忠らと共に迎え撃ち、
たびたび撃退する。
しかし、撃退することは出来ても反攻することは出来ない南宋の現状を省みず、
強硬に反攻を主張し続けたために宰相の秦檜と対立。
謀反の罪を着せられ、獄死する。
死後、その罪は高宗の次の孝宗の時代にそそがれ、武穆、忠武と諡された。


……宋という王朝を滅亡から救い歴史を変えたとも取れるので、
統率か武力を90以上にしようかとも考えたのですが、
・岳飛一人で金軍を撃退し続けたわけではない
・最後は岳飛を殺してまでも講和した、秦檜の政治的判断
の二点で80代にしました。
いかがでしょうか?
327前スレの948:03/02/19 20:54
>>316
正直、雍正帝と康熙帝のどちらの政治力を高くするのか、難しいものがあります。
中華世界の理想の帝王像を示した康熙帝と、
歴史上で最も成功した啓蒙主義君主である雍正帝。

この二人を比べると、雍正帝の方が理想の高い人物であったと思われます。
彼の理想が全て地上に実現していたら、文句無く彼が政治100です。
しかし、天は彼にわずかな時間しか与えなかったため、
理想は中途半端にしか結実しませんでした。
ですから、彼は世界史上最も偉大な君主ではなく、
最も偉大な君主の中の一人と言う地位に留まっているわけです。
328前スレの948:03/02/19 21:07
康熙帝は、国家存亡の危機である三藩の乱を鎮圧し、
ネルチンスク条約でロシアと通商条約を結ぶなど、
雍正帝より際どい局面を多く経験しています。

在位期間の違いが4倍以上違うのだから、
当たり前だと言う意見もあるかも知れませんが、
長く在位すれば、普通はボロも出ます。
多年の労苦も、わずかなミスで水泡に帰するのが、政治です。
長くその地位に居たと言うのは、高い評価を得るには、むしろ不利なのです。
329前スレの948:03/02/19 21:15
61年も君主をしていたというハンデをものともしない持続力。
建国以外のあらゆる政治課題を乗り越えている事。
この二つが、康熙帝と雍正帝の優劣を決する決め手になりました。

私は、「失われた可能性」は評価しないことにしています。
ですから、雍正帝は康熙帝を越えられないわけです。
それでも、雍正帝の13年間が、君主政の歴史において、
不滅の価値を持っていることは言うまでも無いのですが。
330前スレの948:03/02/19 21:23
>>321
同意です。

>>324
ティリーの用兵は旧時代の戦術の完成形であったのに対し、
ヴァレンシュタインの用兵は、旧時代の戦術の改良形でした。
彼は未来を目指して歩いていましたが、
元々未来にいたグスタフ・アドルフには敵わなかったのだと、
私は解釈しています。
331前スレの948:03/02/19 21:30
>>325
グスタフ・アドルフが死んでも、スウェーデンは強国であり続けました。
彼の片腕というより、体の半分だった万能の宰相オクセンシェルナが生きていたからです。
ただ、常勝スウェーデン軍が、強いスウェーデン軍にランクダウンしただけで済みました。
332(V)o¥o(V):03/02/19 21:44
>>321
>それに耐える準備をしたのも

その準備が破綻したからスウェーデンの外征軍は外国人傭兵に頼らざるを得なくなったんだが
「襤褸を纏ったスウェーデン人」は北欧で伝説にまでなっているのだが

>有能な官僚や軍人をうまく配置をしたのも

少なくとも戦場ではうまく配置できていなかったようだが
うまく配置できなかったか、部下を信用できていなかったから
常に最前線で指揮を執らざるを得なかった
レヒ河畔で隊列転換を陣頭で指揮したこと、リュッツェンで最初の逆襲
(しかも主逆襲ではなく局地逆襲)を自ら指揮したこと、
死の原因となった突撃準備を自ら先導しようとしたこと、
これらはいずれも最高指揮官の仕事ではない
このような行為を行わせたグスタフ・アドルフの勇気は賞賛されて然るべきだが、
所詮は連隊長以下の下級指揮官に要求される資質であって、
野戦軍の最高指揮官のやるべき仕事ではない

兵站上の制約を無視して悲惨な結果を招いたこと、野戦軍の指揮官としての職分を
十分に果たせなかったことの二点において、グスタフ・アドルフはヴァレンシュタインに劣る

蛇足ながら、フリードリヒ2世が博打を打ったのは1740年12月から翌年の1月まで
それ以外では博打には一切手を出してない
333世界@名無史さん:03/02/19 21:53
ヴァレンシュタインとグスタフ・アドルフの話なら、別にスレ立てしてもいいような気がするけど。
とりあえずスレ違いの話になってないか?
334世界@名無史さん:03/02/19 21:54
>333
いいのでは?
数値を決めるのだから、優劣を論じる事はありでしょう。
335前スレの948:03/02/19 21:55
>>326
岳飛の統率は、そこまで高くないように思います。
確かに彼は自分の軍隊を良く統率しましたが、軍規が厳格すぎました。
そのため、部下に恨まれ、秦檜につけ入る隙を与えてしまいました。
統率というのは、「どんなに嫌われても致命的な裏切りを許さない」能力でもあります。
岳飛の統率力は、もう少し割り引く必要があるかもしれません。
80前後で良いかと思われます。

少し低いように思われるかもしれませんが、
統率力80は、直率の部下なら、死ぬまで戦い続けさせることが出来るぐらいの能力です。
武力と統率が両方80有れば、
軍事的天才(武力90以上)が直接率いる軍隊か、
天才的指導者(統率90以上)が指導する国の軍隊と戦わない限り、
その時代ではほぼ無敵でいられます。
336(V)o¥o(V):03/02/19 21:55
グスタフ・アドルフの欠点ばかり指摘すると怒られそうだから、
彼の軍事上の功績もあげておく
グスタフ・アドルフの最も重要な功績は、国力の限界を超えた
外征軍を組織し、維持したこと
これによって対ロシア、対ポーランド戦に勝利し、三十年戦争で
軍事的優位を確立できた
最終的には破綻するのだが

戦術においては当時提唱されていた新しい戦術理論を実践し、
成果を収めたこと
もっともこれは彼の創意ではなく、当時の軍事技術の発展の当然の帰結だったのだが、
それでもライバルより一歩先んじていたことは否定できない
337前スレの948:03/02/19 22:08
>>325
岳飛は、武力が80を越えていたと思われる韓世忠や呉カイより軍事的功績が多かったので、
武力90は無理ですが、80台後半を与えても良いような気がします。

知力は70を越えても良いかも知れません。
一つの戦線で戦争を優位に進めるだけの戦略を立てるには、
このぐらいは必要です。

政治力については、もう少し低いと思います。
彼は他人を味方に付けると言う思考が無く、政治的計算というものが全く出来ない人物でした。
彼の経営能力は統率力で表現し、政治力を低く抑えてはどうでしょうか?
338世界@名無史さん:03/02/19 22:49
スウェーデン軍の兵站と傭兵採用の問題は
三十年戦争専門スレで語られてる。
取りあえずそこを読むべし。
339前スレの948:03/02/19 23:02
>>320
【コラム】
張良(?〜?)太子少傅
【統率】36(秦の末期に韓王成の宰相を努めたが、指導力を発揮することは出来なかった。
      宰相クラスの大物だったにも関わらず、劉邦の下では、組織を率いる役目に就いていないことから、
      人を率いることは得意でなかったと思われる)
【武力】52(韓王成とともに小部隊を率いて、幾つかの城を落としたが、
      楊熊率いる討伐軍にあっけなく敗れた。
      弱い地方軍相手には勝って、強い中央軍相手には負けたのだから、
      実戦としては水準レベルだったのだろう)
【知力】95(項羽に負けまくった劉邦が天下を取れたのは、常に正しい政治的判断をしたからである。
      それが出来たのは、劉邦がいつも張良の言う通りにしたからである。
      これほど君主に信頼され、かつ君主を良い方向に導いた個人顧問は、稀である)
【政治】32(彼の勲功を考えれば、政治上の要職に就いても良いはずであったが、
      短期間太子少傅を務めた時以外、公職に就くことは無かった。
      劉邦の顧問としてはこの上なく有能だったが、政治家として生きることには関心が無かったか、
      能力が無くて勤まらなかったかの、どちらかであろう)
【魅力】60(人望に関するエピソードは無いが、若い頃に裏社会で顔を売っていて、
      比較的顔が広かったらしいので、それなりに魅力的な人物だったと思われる)
340前スレの948:03/02/20 00:08
韓信(?〜紀元前205)
【統率】78(戦いに強いだけで無く、軍隊の組織者としても優れていた。
      また、占領した趙や斉でも、短期間で平静を取り戻していることから、
      指導力は優秀だったようだ)
【武力】90(漢の領土の大半は、彼が切り取った土地である。
      弱兵を率いて、何度も大国の軍と戦って打ち破り、
      項羽以外の相手には不敗を誇った)
【知力】25(大将軍に任命された時の戦略分析は見事であったが、
      軍略以外の面においては、煮え切らない態度が目に付いた。
      劉邦の忠臣としては中途半端に野心的だったし、
      野心家としては、中途半端に良心的だった)
【政治】70(短期間で趙、斉の支配を確固たるものとし、
      外交で燕を降すなど、内政・外交でも成果をあげるなど、
      軍略だけでなく、政略でも大きな成果をあげた。
      劉邦への進言や、李左車への対応からも、
      世情に通じ、なかなかの政治感覚があったことが伺える。
      失脚したのは、判断力の欠如によるところが大きいと思われる)
【魅力】40(人間性のせこさをあらわす逸話が多く、小物だったようだ。
      多くの人を従えたのは、おそらく彼が勝ち続けたからだろう)
341世界@名無史さん:03/02/20 00:29
武力=戦術(+個人的武勇)
知力=戦略
これでいいのか?
342世界@名無史さん:03/02/20 00:58
>>341
こーえー的には
知力=戦略
統率=戦術
じゃなかったか?
343世界@名無史さん:03/02/20 01:58
誰か今までの数値化をまとめたサイト作ってくれよ
344世界@名無史さん:03/02/20 02:30
(こーえー関係者です)が、知力や統率はゲームによって適当です!

単純にプログラム上の計算処理のベースにする数値なのです。
たとえば戦闘結果を導き出すにしても、統率と武力が関係します。
ほかに計略の成否には性格(冷静とか剛胆とか短気とか)が影響するので、知力だけではないんですよ。

まあ、最近の傾向では、おおまか
統率 → 部隊を率いた場合の指揮官としての能力。
武力 → 個人的な戦闘力。
知力 → 地頭の良さ、IQ。
政治力 → 開墾したり、商業振興したり、外交折衝したり。もっともてきとー。
魅力 → 漢度。人材登用ではメイン。外交や兵の訓練、開墾やらの内政にも少し影響します。まあ、人に言うことを聞かせることに少しずつ影響するのです。

マジレスするとつまらないなあ。
ごめんね

 

345世界@名無史さん:03/02/20 04:10
このスレで言うコーエー数値化ってのは
コーエーの設定を遵守するってわけじゃないだろ
あくまでわかりやすさのためにコーエーって表現しただけであって。
346世界@名無史さん:03/02/20 05:22
しかしここまで、武力には明らかに戦略の意が入ってる。
知力ってのはなあ、なんとなく、そら、あれだよ。わかるだろ?(ワカンネエ

ま、ニュアンスはわかるし、なんなら注でフォロー。もうその辺あんま
繰り返しこだわるなよ・・ 
347世界@名無史さん:03/02/20 05:43
>>346
そう、あれなんだよな、あれ。わかるわかる。
>>344
参考の為にSF板スレにも書き込んでやってくれw

SF・FT・HR作品の登場人物をコーエー数値化するスレ
http://book.2ch.net/test/read.cgi/sf/1043243611/l50
348世界@名無史さん:03/02/20 06:08
>>314
おやおや、やはり予想どおりレスしてしまいましたねw
実に厨房らしい反応で何よりです。

で、ご質問の件ですが
そうですね。答えは1)と2)の両方かと思いますね。
『しかし私は、ミカンを指差して「これはリンゴだ」と言っている人間に向かって』
に付ければ、指してるのは2ですが
『しかし私はミカンを指差して、「これはリンゴだ」と言っている人間に向かって』
に付ければ、指しているのは1になりますね。

まあ、如何でもいいことなんですがねw

第一私の言わんとしていることを理解できないほど知性がないとも思えないんですが
それでも、揚げ足を取ってしまうとは実に同情を禁じえませんね。
ひょっとして、理解していなかった場合に備えて、言い換えておくと
具体的に何時貴方が指摘しましたか、と言いたい訳ですね。

因みに揚げ足をとる事に意味が無いなんて、それこそ小学生でもわかる自明の理ではありませんか?
と言わせて頂きますw  
349世界@名無史さん:03/02/20 09:26
リンゴミカンはもうどうでもいいからさっさと孔子について説明しる!
350世界@名無史さん:03/02/20 10:09
ばかばっかだなこのスレ。

純粋に人間としての個の能力を、組織としての功績で推し量ろうとして
矛盾がでてるんだから、誰かが出した数値を批判したってしょうがないじゃないか。
歴史的な背景もよく学ばずに、教科書的な字面だけ追っているから、
こういうとんちんかんな数字付けたりしているんだし。
無知な奴らの単なる公開オナニーなんだから、数字の多寡を批判している奴は
一緒になってセンズリ始めているだけに過ぎないんだよ。
351世界@名無史さん:03/02/20 10:19
>350
お前のオナニーが一番醜いわな
352世界@名無史さん:03/02/20 10:21
>>351
その一行を書かずにいられない段階で、おまえ1人だけ高みの見物、
っていう状況じゃなくなっていることに気が付かないのか?
353世界@名無史さん:03/02/20 10:24
>>352
てかオマイが書き込まなきゃいいだけ。2chに来ること自体オススメしない。
354世界@名無史さん:03/02/20 10:31
>>353
低脳な文章だな。他人に意図を使えることが出来ないような
文字の羅列は、書くだけ無駄だ。

家康とカエサルの比較をするのに、単なる教科書的な史観のみをベースにしてみたり、
風土や文化、政治的思考や哲学、軍の武器や集団戦のあり方、
組織としての権限やその権限の範囲、そうした個別の背景に精通もしていない
ゲーム厨が、安易に付けた数値にあれこれ言い合っているのが滑稽だっていうのは
おまえら自身が、実は心の奥で一番わかっているんだろうよ?
355世界@名無史さん:03/02/20 10:45
>>354
同感だけど、言わぬが華ってかんじだなー
好きでやってるんだから、ホットケ(・∀・)
って所もあるし
356世界@名無史さん:03/02/20 11:05
>354
あなたの言うことは間違いではないが、
わざわざ精神病院に出向いて、ここにいるのは精神障害者ばかりだ!と喚くのと同じくらいに滑稽だ
357世界@名無史さん:03/02/20 11:13
確認しておきたいのだが
350=300だよな?
358世界@名無史さん:03/02/20 11:14
>>350>>354
他人が楽しんでいるお遊びに対して「そんなものはくだらない」と冷水をぶっ掛ける。
言ってる内容の是非はともかくとして、一つだけはっきり言えます。
アナタは無粋な人ですね。
359世界@名無史さん:03/02/20 11:19
>>357
間違いないと思われ。彼も「世界史上で知力100は孔子だけ」などと
言ってしまい、説明できないのを照れ隠ししているだけですので、
皆さんあまり責めないでやってください。
360世界@名無史さん:03/02/20 11:49
哀れ・・・
361世界@名無史さん:03/02/20 13:41
合掌
362世界@名無史さん:03/02/20 14:44
このスレにとって数値など実は従属物に過ぎない事を350は理解していない。
363世界@名無史さん:03/02/20 15:06
ま、350ネタはそろそろやめようや
恥の上塗りに来られたら相手するのも億劫だし
本流に戻しましょ
364世界@名無史さん:03/02/20 15:22
まあ、人によって知能は大きく違うとはいえ
357と359は余りに酷いですよ。
300で、私自ら厨房であると公言しているではないですか?
それを何故今更傍観者気取りで書き込む必要があるのですか?
私ははっきりと参加者=350の主張する馬鹿だと自ら認めているのですよ?

300での主張を見て貰えればいいんですが、ヤバイのはですね
厨房又は馬鹿でもいいんですが、己がそうであると認識してない人なんですよ。
ちらほらと見受けられるのですがね。
前スレの伊藤博文を評したどの字氏への叩きもそうですが
実に愚かと云おうか救い難いですね。無論真実厨房もいてる事でしょうし
16歳以下なら、勘違いも仕方が無いと思いますが
18歳以上でこのスレを見ている者で、自らが厨房だと認識できないのは

ま さ に リ ア ル 厨 房 と し か (藁
365世界@名無史さん:03/02/20 15:51
もういいよ
厨房は無視、もしくはモニターのこっち側で笑ってればいいだろ
マターリいこうぜ
366世界@名無史さん:03/02/20 16:05
孔子知力100評価の論拠をまだ聞きたいのは俺だけか?
あながち間違ってるとも思えんが
367世界@名無史さん:03/02/20 16:10
徳川家康
【統率】リンゴ
【武力】ミカン
【知力】リンゴ
【政治】リンゴ
【魅力】ミカン
368世界@名無史さん:03/02/20 16:42
ナポレオン2世 ライヒシュタット公フランツ
(1811-1832)

【統率】30 大過なくメイドたちを指揮しました
【武力】10 若くして結核で命を落としました
【知力】30 偉大な父を崇拝していました「母は父にふさわしくない女性だった」
【政治】30 祖父に引き取られウィーンで育ちました
【魅力】60 薄命の美少年であっただろう、という希望的観測です

父はフランス皇帝ナポレオン。母はマリー・ルイーズ(ハプスブルグ家)
369世界@名無史さん:03/02/20 16:49
うーん。ひとこと言わせて頂くなら300=364は2chビギナーですね。
370 :03/02/20 16:49
>>354
×低脳
〇低能
371世界@名無史さん:03/02/20 17:29
>16歳以下なら、勘違いも仕方が無いと思いますが
貴方が勘違いをしていないとは全く思わない訳ですか。
「ど」の字氏ではありませんが、ソクラテスを引き合いに出した貴方が最も「無知の知」を理解していないのは大きな皮肉です。
372山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/20 17:32
藤原通憲(?〜1159)

【統率】60(平安朝の政治家としては優秀。しかし武者の世を生きる才覚は無かった。)
【武力】40(史書に精通しており基本的な戦術は押さえていたらしいが指揮官では無かった。)
【知力】85(平安後期最大の学者。通訳無しで宋人と会話出来た。)
【政治】70(公家相手なら敵なしであったと思われるが、時代は武力を求めていた。)
【魅力】30(利益の無い人間とは付き合わなかった。成り上がり者として必死であったのか。)

法名は信西。藤原南家出身で少納言止まりであったが、それを補って余りある学識と
後白河天皇の乳母夫という立場を最大限活用して権勢をふるった。
史書「本朝世紀」、法律書「法曹類林」、注釈書「日本紀抄」などを執筆し更に古い
芸能を描かせ、記録させた(信西古楽図)。
1156年の保元の乱では勝てばいいとばかりに源義朝案を受け入れて夜討ちを行わ
せて勝利を得ることに成功。この時彼の提案で「薬子の変」以来350年ぶりに公的
な死刑が復活させられた。乱の後は平清盛との関係を深めた。
これが百年前なら天寿を全う出来たかもしれない。だが平時に力が無くても押し通せ
ば叶うようになっていたことを信西は察知出来なかった。
1159年、平家が熊野詣で留守にしていた隙を狙ってかねてより不満を抱いていた
藤原信頼・源義朝が蜂起。遠くへ行こうとせず地中に隠れていた信西は発見されて首
級を晒されたのであった。
「これ以降武者の世が到来した」とは史書「愚管抄」の記すところである。

【余談】
ある日彼は水鏡に映っていた自分の顔に剣難の相を見て出家したという(1144
年)。だが周囲の人間に気を配るという事が出来なかった事は「察知しても防げな
い程度の才覚」であったということを伝えているといえるのかもしれない。
373世界@名無史さん:03/02/20 17:33
>371
放置しろ。
374世界@名無史さん:03/02/20 18:25
>>371
うーむ
私を悲しくさせないでください。

貴方の371での発言は、小学生の罵倒となんら変わりがないですよ
今時居ない様な気もしますが「ばーか、ばーか、お前のかーちゃんでーべーそ」
と喋ってるのと違いはありませんね。
無論言葉自体は小学生とは違うのですが、内容が無い一点に置いてはまったく同質と
言えるでしょう。
もし、私を中傷したいと願うならば、どうか哀れみをさそわないでください。
馬鹿だと言われて傷つくのは、小学生までですよ。
内容をもってお願いしたいと思いますね。

貴方の言い分よりは、まだ262の方が大人の罵倒と言えるでしょう。

これは多分日本人全体に言える事だと思うのですが、知識を得たから知恵が付く訳ではないですよ
無論知識を得るのは重要ですが、知識を料理する知恵がないと意味が薄い上に
勘違いして、始末に悪いですねw
知識は食材、知恵は料理人と言えると思います。知識と言う食材が無ければ確かに
料理は完成しません、だが知恵と言う料理人が拙ければ、これもまた悲惨だと言えるでしょう

どうか貴方も知識だけではなく、知恵をつけてください。
思考してください。
375世界@名無史さん:03/02/20 19:47
>>374
偏執的と言っても過言ではないようなしつこさを見せますね(w
いっそコテハンでも名乗ってはいかがですか?
376世界@名無史さん:03/02/20 20:27
>>375
現代のソクラテソはさっくり放置でよろしこ。
377世界@名無史さん:03/02/20 20:31
なにげに>>368はワラタ

もし>>366がソクラテソじゃないとすると、あながち間違ってないというところを
説明しる!いや、ソクラテソが言ったのは「孔子知力100」ではない。「世界史上で
知力100は孔子だけ」だ。
378世界@名無史さん:03/02/20 20:44
                \ │ /
                 / ̄\   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
               ─( ゚ ∀ ゚ )< ソクラテソソクラテソ!
                 \_/   \_________
                / │ \
                    ∩ ∧ ∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< ソクラテソソクラテソソクラテソ!
ソクラテソ〜〜〜!    >( ゚∀゚ )/ |    / \__________
________/ |    〈 |   |
              / /\_」 / /\」
               ̄     / /
                    ̄
379世界@名無史さん:03/02/20 20:52
アインシュタインも知力100。
380世界@名無史さん:03/02/20 21:33
シャーロック・ホームズ
【統率】70(ベーカー・ストリート・イレギュラーズを縦横に操る。)
【武力】80(火かき棒をねじ曲げる腕力。)
【知力】100(コメント不要)
【政治】80(ヨーロッパ各国の王室・政府の様々な危機を救った。)
【魅力】90(現役時・引退後を通じて、無数の熱狂的な崇拝者を生む。)

その生涯・人となりに関してはワトソン博士の著作を参照すること。
381世界@名無史さん:03/02/20 21:37
>>380
そりゃこっちむけ。
SF・FT・HR作品の登場人物をコーエー数値化するスレ
http://book.2ch.net/test/read.cgi/sf/1043243611/l50

説明も単純すぎだろ。ホームズの「偏」なとこの解説は不可欠。
382前スレの948:03/02/21 00:47
第六回「勝利の組織者」
ラザール・カルノー(1753〜1823)フランス共和国陸軍大臣
【統率】92(わずかな期間で軍制を定め、大軍を編成し、兵站を整えるなど、
      フランス軍の抜本的な改革を行い、見事な成功を収めた。
      近代国民軍の雛形を作った人物であり、軍事史上における功績は不滅である)
【武力】75(組織者として後世に名高いが、軍司令官としても多くの功績があった。
      彼の「勝利の組織者」と言う異名は、彼が前線でも多くの勝利を得たことに由来している)
【知力】87(北方地域の戦況が、革命戦争の勝敗を決すると看破した彼は、一大攻勢を計画。
      その結果、戦況は完全に逆転し、国内の防衛で精一杯だったフランス軍は、敵国の領土に攻め込むようになる。
      彼の知力は戦略以外の分野にも及び、メートル法の制定に関わるなど、科学者としても活躍した)
【政治】32(本職は政治家であったにも関わらず、決定的に政治能力に欠けていた。
      権力闘争に首を突っ込んでは失敗を繰り返し、1794年以降は明らかに精彩を欠いていた)
【魅力】70(高潔で公平な人柄に加え、一日16時間働くという驚異的な仕事ぶりで、誰からも一目置かれた。
      革命戦争の英雄でもあったが、策を弄し過ぎる性格から、
      ついにカリスマを得ることは出来なかった)
383前スレの948:03/02/21 00:58
王政時代は、陸軍の士官だった。
地方の守備隊にいたため、功績をあげることは無かったが、
暇にあかせて論文をたくさん書いて投稿し、本も出版している。
この頃に、啓蒙思想にかぶれたらしい。

革命が起きると、啓蒙主義者の彼は大喜びしたが、
残念なことにつまらないトラブルを起こしてパクられてたらしく、
参加出来ずに悔しい思いをした。
384前スレの948:03/02/21 01:11
しばらくして議員になってからは中道左派に属し、
その他大勢の一人として地味な議会生活を送っていた。
しかし、1792年に派遣議員(共産国で言うところの政治委員)として、
前線に派遣されると、一生懸命働いてやり手と評判された。

1793年に中央に呼び戻された彼は、軍事知識を買われて、
公安委員会(共産国で言うところの政治局)に入り、
国防の最高責任者に任命される。
385前スレの948:03/02/21 01:27
当時のフランスは、外敵と地方反乱のダブルパンチに苦しんでおり、
それらを討つべき軍隊はまるで頼りにならなかった。
そこで彼は、軍制改革に乗り出し、14個軍団もの大軍を集めた。
そして、彼が革命戦争の主戦場と定めた北方戦線に投入したのである。

彼の戦争指導はことごとく的中し、フランスは危機を脱した。
外敵が去ると、内訌が始まるのは世の常である。
そして、戦争の英雄である彼も、政治の場に戦場を移す事になる。
386前スレの948:03/02/21 01:43
政争における彼は、単なる風見鶏であった。
戦争で得た名声のおかげで、政争の渦中でも国防の責任者の地位を保ち続けたが、
体制が変わるたびに存在感を失い、フリュクチドール18日のクーデター以降は、
フランスにも居られなくなって、イタリアへ亡命した。

ナポレオンが権力を握ると、再び軍のトップに返り咲いたが、
実権の無い名誉職でしかなく、完全に過去の人になってしまっていた。
387前スレの948:03/02/21 01:56
その後はまるでいいところが無く、
帝政末期にアントワープ防衛戦を指揮して、
ナポレオンが退位するまで守り抜いたのが、唯一の活躍であった。

王政復古後にルイ18世に接近したが相手にされず、
百日天下では、内務大臣になったが、やはり名誉職だった。
ルイ18世が復帰すると、百日天下でナポレオンに付いたことが問題視され、
国外追放処分を受け、ドイツでその生涯を終えた。
「勝利の組織者」も、戦場の外では、何一つ勝利を掴むことができなかった。
388前スレの948:03/02/21 02:20
カルノーの事跡を追っていくと、
栄光に満ちていた時代のあまりの短さに驚かされる。
1793年から1794年にかけて、革命戦争を指揮していた時期が、
彼の最も輝いていた時代だった。

彼ほど傑出した軍事指導者が、19世紀初頭の華々しい戦争の時代に、
全く活躍していないと言うのが、本当に不可解である。
彼の軍事理論に関する最も重要な著作は、ナポレオン時代に書かれている。
また、アントワープでは、水際立った指揮ぶりを見せた。
これらのことから類推すると、彼の軍事能力は、革命期以降も高い水準にあったと類推される。
それなのに、なぜ実務から遠ざけられてしまったのだろうか?
389前スレの948:03/02/21 02:37
彼は、1794年の時点で、既に国家の最高首脳の一人であった。
そして、並ぶ者の無い功績をあげていた。
政治家としては頂点を極めていたと言って良いだろう。
しかし、頂点に達すれば、後は沈むだけである。
政治力があれば、その日を先に伸ばすことも出来ただろうが、
悲しいことに、彼は政治力が全く無かった。
判断力には富んでいたから、勝ち馬に乗ることは出来たが、
それでも次第に影響力を失っていったのである。
390世界@名無史さん:03/02/21 02:49
>>382-389
長いですなあ…。
391前スレの948:03/02/21 02:50
いかに地位が高かろうと、影響力を失った政治家は、
何も出来なくなってしまう。

何かしようと思えば、影響力のある人間に使ってもらうしかないのだが、
彼は人に使われるには、あまりに地位と名声が高すぎた。
偉すぎて、部下として使えないのである。
392前スレの948:03/02/21 03:07
政治力が無いのに、政争にのめりこんだために、
影響力を失って、政治家として行動する余地を狭めてしまったこと。
そして、ナポレオンが現れる頃には、偉くなりすぎていたこと。

この二つが、彼を実務から遠のかせた原因であろう。
393世界@名無史さん:03/02/21 03:11
>>390
Insanabile cacoethes scribendiなんでしょうな。
394前スレの948:03/02/21 03:19
もし、彼が職業軍人か、有能な専制君主の将軍であったら、
もっと長く活躍できたことだろう。

後半生の彼は、役不足ともいえるアントワープの司令官になったり、
共和主義者なのに、反動で有名なルイ18世に接近し、
無視されるとナポレオンの百日天下を支持したりと、
見苦しいとしか言いようが無い行動が目立つ。
そこまでして、地位が欲しいのかと言いたくなる。

だが、同時に、もう一度腕を振るってみたい、
自分はまだまだ働けるはずだ、と言う哀切な叫びをも感じ、
何ともやり切れない思いがするのである。
395世界@名無史さん:03/02/21 03:24
いつも勉強になります
396世界@名無史さん:03/02/21 04:52
>前スレの948氏
力作乙です。

ただ、続きがあるときは(続く)とか入れてもらえないでしょうか。
できれば途中に割り込みたくないので。

それと、書いた端から少しずつ書き込んでるようですが、
全部書き上げてから、適量に分けて投稿されたらいかがでしょうか。
今回も11レスに渡る大作ですが、纏めれば最少で4レスに収まりますし、
省略されない行数に押さえても8レスに収まります。
それに、途中に割り込みたくない人が終わるまで待たずに済みますし。


しかし、スレの趣旨である能力の数値化より
評伝読んでる方が楽しいわ、こりゃ(w
397世界@名無史さん:03/02/21 05:03
誰か、ベルトラン・デュ・ゲクランの評価をお願いします。
398世界@名無史さん:03/02/21 07:38
上杉謙信も評価お願い
399世界@名無史さん:03/02/21 08:02
戦術で戦略をカバーしたとか言わないようにお願いw
400世界@名無史さん:03/02/21 08:35
ダブーもよろしく。
401世界@名無史さん:03/02/21 13:55
ダヴーは前スレでやった。
402世界@名無史さん:03/02/21 14:30
ここにいる人は賢そうだから、誰か金正日のやってよ。(歴史上の人物じゃないとか、堅いことはいわないで)
こういうこと書くと、ハングル板に帰れ!とかレス来るかな・・・
403世界@名無史さん:03/02/21 14:36
策謀能力は知力なのか政治力なのか統率力なのか
金日成、金正日はやる価値あるかも。
404世界@名無史さん:03/02/21 17:17
>>402
前スレでガイシュツだったと思われ
405世界@名無史さん:03/02/21 17:18
裴仲孫(はいちゅうそん)

高麗、対モンゴル精鋭部隊・三別抄の首領

出身や経歴はよく分からない。一般兵からの抜擢か?
1269年、高麗がモンゴルに降伏後、三別抄部隊を解散し、その名簿を没収しようとしたので反乱を起こす。
(名簿がモンゴルに渡れば戦犯として処罰されるおそれがあった)
裴仲孫は元宗の弟の承化侯温を担ぎ出し、首都だった江華島を略奪して武器財宝を奪取、政府高官や
モンゴル駐留軍の妻子を人質として根こそぎ連行する。一千余艘の舟で全羅道の珍島に渡り、立てこもった。

穀倉地帯の全羅道や海上航路の要衝である済州島をも占領、強力な海軍で慶尚道南部をも荒らし回った。
高麗政府も討伐軍を差し向けたが、頑強な抵抗と民衆反乱が相次いで鎮圧できなかった。
当時の農村部は戦乱と高麗政府の苛斂誅求で疲弊していたので、三別抄政府は以外に民衆の支持があったらしい。

窮した高麗政府はモンゴルに救援を要請、手始めにモンゴルとの休戦・降伏交渉がおこなわれる。
裴仲孫はこれに返答した「蒙古が高麗から撤退したら服従しよう」
実にかっこいいセリフかと思いきや・・・・
406世界@名無史さん:03/02/21 17:18
「しかし、モンゴル駐留軍はそういう要求には従わないだろう、そこで我々に全羅道を任せたうえで、元の直轄領にしてほしい。」

つまり自己保身のためか、絶対に勝てそうにないと思ったのか?全羅道や済州島を手みやげにモンゴルに寝返ろうとしたのである。
数年前に、平壌付近で反乱→領土をモンゴルに献上→モンゴル配下になってウマー(゜д゜)となった高麗人がいたため、
どうもそれを真似ようとしたらしい。

むろん、これでは対モンゴル徹底抗戦の意思統一が図られるはずもなく、のちに内部分裂が原因?で形勢逆転。
最後は忻都・洪茶丘率いるモンゴル軍と金方慶率いる高麗正規軍によって珍島を攻略され、本人も担いだ温も戦死。
周辺地域の民衆反乱も鎮圧された。新政府の命はわずか10ヶ月であった。

このあと、部下だった金通精が三別抄の残党を集めて済州島に立てこもるが、それはまた別の話・・・・

統率:52(反乱軍を統率できた実績は認めるが、自滅してはいかんだろ)
武力:55(一応精鋭部隊の長で、高麗の討伐軍を撃退している)
知力:40(知力を伺わせる記録知らず、一般兵出身なので教育もそれほど受けていなかったかも)
政治:50(寝返ったのは保身の為なのか、勝てないと判断して無駄な戦い避けようとしたのか?不明)
魅力:40(反乱のために婦女子を拉致したり・・・やはり評価低そう)
407前スレの948:03/02/21 22:27
>>396
ご指摘ありがとうございます。
おっしゃる通りにするつもりです。

ラザール・カルノーの評伝に付いては、まだまだ書き足りないと思っています。
ほぼ万能と言って良い才能の持ち主であり、欧州史を揺り動かす程の功績をあげながら、
唯一の欠点であった政治力の無さが命取りとなって、栄光を掴めなかった人物です。
偉大な軍事の天才である彼が、ただのピエロとして後半生を生きたことを思うと、
尽きることの無い興味を覚えるのです。
408前スレの948:03/02/21 23:26
>>397
デュ=ゲクランは、軍の改革と、国土の回復と言う、
二つの功績を同時に成し遂げた将軍です。
彼が総司令官となると、フランス軍が飛躍的に強くなったことから、
彼の指導力は、一つの戦線に留まらず、全軍レベルに及ぶものと推測されます。
ですから、統率力は、80以上を与えるべきです。
武力については、一軍を率いて占領地を次々と解放し、
フランスからイングランド軍をほぼ駆逐しました。
戦場における指揮能力によって、歴史を動かしたのですから、武力は90を越えます。
ただ、エドワード黒太子(武力95)と会戦して捕虜になったことがあり、
以後も彼との直接決戦を避け続けたことから、黒太子よりは弱いと思われます。
90前後が適当でしょう。
409前スレの948:03/02/22 00:02
>>401
ダヴーは、生涯で一度も敗戦を経験していない将軍です。
彼の指揮は、前線指揮の模範例と言われています。
ただ、彼はナポレオンの勝利には貢献しましたが、
軍司令官として歴史を塗り替えるほどの勝利を獲得したことは無く、
新戦術の考案・発展にも寄与していません。
武力は89が適当と思われます。
低いように思われるかもしれませんが、ウエリントン、ナポレオンの両名以外、
彼以上の武力を有する将軍は、この時代には存在しません。
410前スレの948:03/02/22 00:30
>>401
次はダヴーの統率力について考察します。
彼の軍司令官としての最高位は、ドイツ方面軍総司令官でした。
つまり、一つの戦線に指導力を及ぼすことの出来るレベルです。
この職務を、彼は完璧にこなしました。
一つの戦線で、指揮下の軍団の士気を高いレベルで保つのに必要な統率力は、70台です。

また、彼は戦場以外でも、優れた指導力を示しました。
ワルシャワ大公国総督に任命された彼は、
ポーランド人が皇帝に失望していた時期に赴任し、
疲弊した国土と腐敗した行政組織の立て直しに取り組まなければなりませんでした。
(続く)
411前スレの948:03/02/22 00:44
驚くべきことに、彼はこの困難な仕事を成功させています。
後にハンザ同盟総督を務め、そこでも厳正な統治ぶりで知られています。
地方総督として、優れた指導力を示すのに必要な統率力は、やはり70台です。
難題に直面したことも勘案して、80に近い数値とします。
80台は必要ありません。80あれば、一つの国家の偉大な指導者になれます。
(続く)
412世界@名無史さん:03/02/22 02:19
ひろゆき
統卒5
武力21
知力3
政治0
魅力100
413世界@名無史さん:03/02/22 02:49
私的な印象は・・・
・ひろゆき
統卒70
武力20
知力70
政治30
魅力60
414世界@名無史さん:03/02/22 05:25
田中さん
統卒80 (素朴な人柄に多くの人がついてくると考えられる。)
武力50 (数有る戦いで無勝を誇った。しかし化学物質を使った攻撃は侮れない。)
知力91 (「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」によりノーベル賞受賞。)
政治95 (その知名度をいかせば、簡単に日本国の政治家になれると思われる。)
魅力97 (彼の魅力に数千万人の日本国民が酔った。その魅力は同時にノーベル賞を受賞した
小柴さんの存在を打ち消すほどであった。)
415蘭太郎:03/02/22 06:26
ほとぼりも冷めてきた頃なので復活です。

アショーカ王は・・・宿題として、
今日は性懲りもなく現代史から。
416蘭太郎:03/02/22 06:30
山本五十六(1884〜1943)
帝国海軍大将・連合艦隊司令長官
 【統率】64
大鑑巨砲主義が蔓延る保守的な海軍の中で、
革新的な改革を実行していくなどある程度優れた指導力はあったようだ。
しかし陸軍の圧力や海軍内の開戦派を抑えきれないなど、
組織の不協和音には常に手を焼いている。
真珠湾やミッドウェー攻撃に於いても、
作戦反対派を説得しきれず強引に推し進めるなど、
リードは出来ても完全に統率はしきれないタイプのリーダーだった。
 【武力】70
空母機動部隊による集中的な航空兵力の使用により、
航空兵力のみで敵部隊に大打撃を与える戦法を世界に先駆けて採用するなど、
確かな戦術的才能がある。
 【知力】80
次世代の戦争形態が航空戦主体になることを見越し、
航空戦力、機動部隊の育成に尽力した。
日米開戦に反対。また開戦を受けても長期戦になれば勝ち目がないと考え、
短期決戦にかけるなどかなり優れた戦略眼を有している。
また迅速で的確な判断が要求される航空戦には、南雲提督は
機動部隊司令官として不適と考えるなど、なかなか人を見る目もあった。
 【政治】73
優れた軍政家で、三国同盟反対など軍部にあってとてもバランスの取れた政治感覚。
国土が攻撃にさらされる事を恐れたり、敵戦意を挫くため短期決戦を挑むなど、
彼我の国力、士気を見極め、その作戦には政治的配慮に多く気を配った傾向がある。
 【魅力】77
東郷平八郎と並ぶ日本の軍神。戦中戦後と国民に最も親しまれた軍人は彼であろう。
タコ八郎の様な容姿を思い浮かべる方も多いと思うが、
いやいや米駐在武官当時の写真はなかなかの男前だった。
ミッドウェーの失敗を受けても、“嫌いな南雲司令官”を部下が
悪く言わないように気を使うなど、かなり人格者。
でも、影に回ればやっぱり自分も陰口を言っていたらしく、ちょっぴり幻滅である。
417山本五十六の経歴:03/02/22 06:32
1901年海軍兵学校に入学。日本海海戦に参加の後、
米国駐在武官、航空戦隊司令官、海軍次官を経て1939年連合艦隊司令長官に就任。
日独伊三国同盟、日米開戦に反対するなど戦争回避に尽力した一方で、
開戦した場合の“負けない戦い”に備えて洋上航空戦力の強化を図った。

1941年難航していた日米交渉は遂に決裂、
山本自身が起案した真珠湾攻撃により日米開戦の幕は切って落とされる。
この作戦は、それまで艦隊や陸戦部隊の補助的な役割としてしか捉えられて
いなかった航空戦力を、集中的に使用することで攻撃の主力とする
非常に革新的な方法だった。
この攻撃の成功を受けて戦艦主体のそれまでの海戦の様相は、文字通り一変する。

山本長官の育てた機動部隊は当時世界最高の攻撃力を誇る戦闘集団であり、
真珠湾後もセイロン島沖海戦、珊瑚海海戦と連合国艦隊を圧倒し続ける。
同時に艦隊戦や陸上航空戦でも各地で連勝、
連合国そのは支配地域の奥底まで日本に攻め込まれた。

翌年6月、真珠湾で打ち漏らした敵空母を掃討するため、
山本はミッドウェー作戦を計画。危険な博打だと反対する声も強かったが、
「認められなければ職を辞す」とか「帝都が攻撃されてもいいのなら」とか
脅しのスパイスもまぶせて沈黙させ、勇んで出撃。
しかし、周知の通り暗号を解読した連合軍に待ち伏せされ、
日本側の指揮系統の不備なども災いし、空母4隻を失う大敗北となった。
この戦いで多くの航空機とベテラン搭乗員を失い、山本の機動部隊は事実上壊滅、
最大の攻撃手段を失った連合艦隊の快進撃はここで止まる。
その後はガダルカナルを巡る攻防戦など、圧倒的な工業力をフル稼働させている
アメリカを相手に不利な消耗戦を挑む結果となり、
一度覆された優位は、その後二度と挽回されることはなかった。
418経歴のつづき:03/02/22 06:34
943年4月、前線視察に向かう途上、米戦闘機に待ち伏せされ戦死。
その後、戦争の様相はますます絶望的な防衛戦となっていく。
太平洋戦争に於いて連合艦隊がその制海域を最も広げ、
勝利を続けた最盛期は、山本が長官をしていた最初の一年間だけだった。

山本五十六は紛れもなく、不世出の名将だった。
指導力、戦略眼の何れに於いても当時の海軍には彼を凌ぐ長官適任者は見出せない。
でも、だからこそ多少詰めの甘い面が見受けられるのが気になる。
日米開戦に反対し、南雲に機動部隊を指揮させることに不満をこぼし、
それは結果的に正しかったが、
しかし自分の権限外のことには強く働きかけることもしなかった。
不適と思うのならば何故強固に人選に口出しをしなかったのか、
危ういと思うなら、何故自分の進退をかけてまで開戦に反対を続けなかったのか。
大きな成功の反面、失敗の原因も結局職務を越えた行動に踏み出せなかった、
その自分の詰めの甘さにある気がする。
彼がもっと毅然とした態度を通していれば、多少歴史の結果も違ったものになって
いた気がするだけに、残念でしょうがない。
419401:03/02/22 07:42
>>409
おお、マジでやってくれるとは。感謝。
420400:03/02/22 07:43
間違えた、上は400でした。スマン。
421前スレの948:03/02/22 13:01
途中で寝てしまいました。
ダヴー評の続きを書きます。

彼の知力はどうでしょうか?
ダヴーは、ナポレオンの部下では稀な、戦略を解する将帥でした。
参謀としての役割をこなすことも出来たし、戦略眼も確かなものがあります。
彼は帝政の後半をドイツ方面軍総司令官として過ごしましたが、
常に的確な判断を示し、優勢な連合軍相手に善戦しました。
皇帝の命令はドイツの制圧でしたが、防衛に主眼を置くべきだと考えた彼は、
あえて軍を動かさずに、防備の強化に力を注ぎました。
彼の勇名を不滅のものとしたハンブルク篭城戦は、その結実と言えます。
しかし、良く判断し、良く勝ち続けたのに、戦略的劣勢を覆せなかったことを考えると、
知力80は難しいように思います。
宮崎将軍の項でも述べましたが、知力が80ある軍人なら、不利な戦争でも、
一つの戦線で戦略的優位を勝ち取ることは可能だからです。
知力は、70台前半とします。
422前スレの948:03/02/22 13:23
今度は政治力について考察します。
彼の実務能力は、飛びぬけて高いものでした。
生涯で就任した官職の全てで高い実績をあげています。
特に、ワルシャワ大公国総督としての功績は、特筆すべきものがあります。
ただ、彼の本領は、預かった部署を良い方向へ導くことです。
一国の内政・外交に携わることはありませんでしたが、
あまりに厳格すぎて、味方の将帥や政治家のほとんどに嫌われ、
足を引っ張られ続けたことを考えると、政治感覚の欠如は明らかです。
嫌われても、足を引っ張らせないと言うのが、政治家の条件です。

彼の実務能力は統率力で表現し、政治力には、30台を付けます。
主君がナポレオン以外の人物なら、最後まで元帥で居られたかどうか、
非常に怪しいからです。
423100である:03/02/22 13:33
ザ・グレート・アドミラル「ヤマモト56」のカラー写真を誰かupしてくれ!!
1942年5月27日「海軍記念日」に「赤城」(?)艦上で、草鹿・宇垣両参謀
に囲まれて海図を見ている有名なヤシ!モノクロではよく見るのだが…。
424前スレの948:03/02/22 13:35
最後に、魅力について考察します。
信じがたいほどの堅物で、遠くから仰ぎ見る分には良いが、
近くで付き合うとなると、嫌な人物でした。

ただ、彼の真価を認めて付き合ってくれる友人もまた多かったことは、プラス材料です。
個人的には多くの人に嫌われたが、好かれもしたということで、平均点の40台を付けます。
425前スレの948:03/02/22 13:43
最終的な評価を発表します。

ルイ・ニコラ・ダヴー
【統率】78
【武力】89
【知力】73
【政治】36
【魅力】45

この時代では、ほぼ無敵と言っていい将帥です。
統率・知力も高いので、戦場以外での活躍も見込めます。
しかし、政治・魅力が低いので、軍人・官僚以外の職務には向いていません。
国家の命運を左右するほど、スケールの大きな将帥では有りませんが、
手駒としてはとても使いでがあります。
426前スレの948:03/02/22 14:06
>>398
上杉謙信は、戦国時代の有力な諸侯ですが、
日本の覇権をめぐる戦争を指揮したわけでもなく、
居ても居なくても、日本の歴史には関係の無い人物です。
世界史板では、評価の対象外です。

>>402
金日成、金正日の二人は、とても興味深い人物です。
ただ、金正日については知られていないことが多いので、
評価を付けるのは難しいかもしれません。

前スレにおけるこの二人の評点には、私は大いに不満です。
彼らはもっと高い能力を持っているはずです。
そうで無ければ、北朝鮮でも、東欧諸国のように民主革命が起きていたはずです。
427かんなんな:03/02/22 14:06
まひくのくにり
428前スレの948:03/02/22 14:14
>>403
厳格な評価はまだ行っていませんが、金日成は、統率力と政治力が高いように思われます。
粛清を繰り返したのに、内乱が起きることも無く、宗主国のソビエトが崩壊した後も、
政権の座に留まり続けられたのは、高い統率力の成せる業です。
多くの派閥が存在した北朝鮮で、策謀によって自派以外全ての派閥を排除し、
巧みな外交で近隣諸国と米国を振り回してきたのは、政治力が高いからです。
知力については、国家指導者としてたびたび判断を誤ってきたので、
それほど高くは無いでしょう。
魅力に付いては、自己のカリスマで政権を握ったわけでも無く、
自分の親族と古くからの側近以外に信頼できる部下を得ることは出来ませんでした。
自己神格化をしないと国民の支持を得られないのも、彼の魅力が低いことを裏付けるでしょう。

この能力だと、既にある組織を保つ能力は高いのですが、
組織を新たに作ることと、組織を大きくすることには向いていません。
金日成は、きわめて保守的な適性を持った指導者です。
429前スレの948:03/02/22 14:27
>>416
不世出の名将と言うのは、山本五十六では無く、
宿敵アーネスト・キングにこそふさわしい評価です。

山本五十六に関しては、先見性と戦略眼を備えていた戦略家ではあったが、
名将とは言えなかったと言うのが、私の評価です。
良い意図を持っていたというだけでは、評価できません。
良い意図を地上に実現して、初めて名将の評価が得られるのです。
430前スレの948:03/02/22 14:51
>>416
山本五十六の統率力と知力についてのみ、評価を行います。
彼が海軍の指導者になると、大艦巨砲主義の海軍に航空主兵主義を導入し、
大戦初期は米海軍を圧倒しました。
一国の軍隊を指導して、精強な軍隊としたのですから、統率力は80を越えます。
米国の戦争指導者に人材が居なかったら、帝国海軍が制海権を握り続けることも、
不可能ではなかったように思われます。

蘭太郎氏が指摘する指導力の欠如に関しては、
彼が抑え切れなかったのは、彼の部下ではなく、同僚や他の組織の人々ですから、
調整能力の欠如、つまり低い政治力として評価すべきです。
431前スレの948:03/02/22 15:01
知力については、私は全く評価していません。
確かに当時では一流の見識を持っていましたが、
航空主兵主義の導入以外に、彼の見識が歴史を動かしたことはありませんでした。

正しい答えを知っていても、現実を動かす判断が出来ないのでは、
知力に高い数値を付ける事は困難です。
知力と言うのは、正しい判断を行い、状況を有利に導く能力です。
彼は判断ミスを数多く犯しました。

また、連戦連勝を重ねたのに、それ以降のビジョンらしきものを示したこともありません。
戦術的勝利を積み重ねて、戦争に勝利しようとしていたのでは無いかとの疑念を、
抱かずにはいられないのです
432前スレの948:03/02/22 15:12
彼の判断力の欠如、自分の意思を実現する意思の乏しさは明らかであり、
知力には相当辛い点数を付けざるを得ません。
軍指導者としての有能さは、統率力で評価しました。
ですから、知力は40台とします。

彼が戦争に勝利できなかったのは、
統率が80代後半で、知力も80を越えているキングが米海軍の最高指導者だったからです。
指導力の優位が存在しないとなると、後は物量の勝負になります。
キングは、物量の優位を、全軍レベルで運用できる戦略能力を有していました。
こうして、山本五十六は敗北したのです。
433世界@名無史さん:03/02/22 17:10
昭和天皇の評価どなたかお願いします。
434世界@名無史さん:03/02/22 17:44
マッカーサーもきぼん
435前スレの948:03/02/22 17:54
>>433
>>434
分かりました。
昭和天皇については、今すぐにでも評伝を書けるだけの資料があります。
次回は誰を書くのか決まっていなかったので、昭和天皇を書くことにします。
能力的には、見るべきものの無い人物ですが、面白い評伝を書けそうです。
楽しみにお待ちください。

マッカーサーについては、調査不足なので、もうしばらくお待ちください。
いつか書きます。
436蘭太郎:03/02/22 22:40
>>948さんの一連のレス

僕が山本を『不世出の名将』って称したのは、
彼の軍神としての名前と経歴に敬意を評して言ったんですね。
数値と履歴を読んで頂けたら、ベターな『優秀な提督』として
以上の評価はしていないということは解っていただけると思います。

それから、僕は山本に自分の考えを具体化できる実行策が備わって
いたら、知力は90を余裕で凌いだと思っています。
なにせ三国同盟を結んでいなかったら、日米関係があそこまで険悪に
なることもなかっただろうし、まず山本の考えを日本が実行していれば、
そもそも日米戦回避はある程度可能だったと考えてます。

次に、「航空主兵主義の導入以外に、彼の見識が歴史を動かせなかった」
というのはその通りです。
でも、それだけでも凄い功績だと思うんですね。
だって当時の世界の海軍の、誰も実行できなかったことを真っ先に実現
して、文字通り海戦の歴史を一変させたわけですから。
空母航空戦術の確立以上に、まだそれが実践されて有効性が実証されて
ない段階で、否定的な意見が支配的な海軍を動かして大規模な機動部隊
を組織する。十分世界に誇れる先見の明だと思います。
437蘭太郎:03/02/22 22:41
それと、山本のビジョンに関してはわりと簡単だと思うんですね。
当時の大本営陸海軍部の戦略計画は、だいたい
『南洋資源地帯を確保して、ニューギニア南太平洋諸島を攻略、米壕の連絡路
を遮断してアメリカを孤立させる。そのうちイギリスはドイツが降伏させる
だろう。折をみてドイツと共にソ連に攻め込めば、これも落せる。そうすれば
国力の面でもアメリカに十分対抗できるだろう』
大略こんな感じですね。つまり時を稼げば有利になると。
それがいかに非現実的な夢想であったかというのは歴史が証明する通りですが、
でも山本は、「アメリカと国力で対抗しようと思っては勝てない、大規模な決戦
を行って米国民士気を削ぎ、早期講和に持ち込む以外日本の勝ち目は無い」って
思ってたんだろうと推察できます。
結果をみれば、日本が勝つにはそれしかなかったというのは今では周知ですね。
山本は遠くで戦うのを嫌ったんです。石原莞爾が「本土で戦えば100の力がある
部隊でも、ガダルカナルまでいけば10か20でしか戦えない」って言っていた様に、
戦線を広げすぎたら日本にとって不利な状況になることを山本は見越していた。
でも、大本営や政府の意向で戦線を広げざるを得なかったって彼の悲劇がそこに
あるんです。あくまで軍官僚として自分の分を越えない、支持された作戦を実行
するっていう良かれ悪しかれ彼の軍人としての美学が、優秀な戦略眼を実行に
移せなかった足かせになったわけですね。
だから、戦略的失敗の責任を山本だけにきせて知力40っていうのは、少し可哀想
な気がします。
勝てない事は解ってたのに、機動部隊も失った連合艦隊で戦わざるを得なかった
山本の限界、時代の犠牲者じゃないかな。軍人としての能力欠如というより
438蘭太郎:03/02/22 22:42
後、対人折衝力は政治力で計算すべきだって意見、それも軍人だけの能力評価
なら十分有効だと思いますけど、でも政治家も同じ文脈で評価する設定だと
少し問題があると思うんですね。
例えば竹下登をどう評価するか、彼は対人折衝力はとてもあるんですね。
人を纏めるのは非常に上手くてブレーンも沢山いた。
でも、発想力がまるで無いといい政策がどれか理解できなくて失敗しちゃうんです。
もちろん知力の問題でもあるんだけど、政策の善し悪しも政治力を決定する有力な
ファクターですね。政策を実行していく権力を得る技術と政策力、それと対人折衝力
を同じ数値で評価するのは、少し人物評としては人の意義を解り難くしちゃうと思う。
やっぱり対人折衝力は組織の統率力として考えた方がバランス取れるんじゃないかな。
439蘭太郎:03/02/22 22:58
宮崎将軍の件に関していえば、僕は『戦場で実戦部隊が行う作戦行動』は全て
『戦術』に分類されると思うんですね。それ以外の軍事行動は全て『戦略』。
だから、エルアライメンやクルスクで行ったドイツ軍の、
『敵に好きなだけ進攻させて、進撃が止まった所で反撃を行う』
といったような防御戦術も、戦国時代に島津が得意とした『釣り野伏せ』みたいな
囮戦術も戦術のカテゴリーに分類できると思う。
宮崎が戦地で行う補給経路確立もしかり。
ともあれ、作戦の上手い将軍は武力と知力両方に分割して評価すべきだという意見には
大筋賛成してます。
でもそれもバランスじゃないかな。
それを完璧に数値に反映させたら、『ほぼ同兵力で戦った戦史の敗軍の指揮官が、勝った
相手の指揮官より武力が勝る』といったことも十分起りえるわけです。
それでもいいんだけど、そういう事例が一般化されたら歴史の評価が解り辛くなると思う。

純粋に謙信は信玄と戦って常に勝勢だったから、武田信玄より上杉謙信の方が武力が上、
でも信玄はどんなに敗勢でもいつも戦略的優位は確保してたから、謙信より知力が上。
そう言う風にラフな分け方が解り易いと思います。
80以上なら戦線を覆せるとか、そういう基準もいいと思うけど、ちょっと歴史を見るには
曖昧な基準という気がします。
440蘭太郎:03/02/22 23:03
マッカーサーの数値化なら僕でもできるけど、
でもやっぱり948さんがやった方が適切かも。

じゃあ僕はニミッツかロンメルやってみようかな。
948さんは現代史上最高の軍人は誰だと思います?
僕はロンメルだと確信してます。あと戦略では石原。
ミーハーだと言われても構わないけど、ロンメル元帥を知れば知るほど、
あらゆる賛辞を受けて相応しい稀代の名司令官だと思えてくる。
それだけ素晴らしい軍人です。司令官としても人間としても。
441鉄十字:03/02/22 23:46
最高の軍人?やっぱロンメル陸軍元帥でしょ。彼は常に相手より少ない戦力で勝ち、
損害は相手より少なかった。アフリカでの、ロンメルと8.8のコンビは凄かった。
442世界@名無史さん:03/02/23 00:04
>>438
「政治」の数値は、政策と対人折衝、半々でいいんでないか?
50/50で評価して、足して100。
部下とか格下の人物は統率でいいけど、
「対等以上の人物」に対する折衝は政治の方だと思う。

中国の皇帝のように、対人折衝(交渉)を余りしなくていい人物が
ミスがない=政治100かというとやっぱり違う。
そこは貴方のいう通り、政策能力も重要になってくる。
ただ、政策遂行で多少折衝(交渉力)がいる面はあるだろうし、
それは共和制とかの政体にもよるから、どっちかに偏ると
評価として不公平。

かと言って、特に君主政では国内統治と国際政治(外交)の能力も
異なる面があると思う。国内では圧倒的に支持されて反乱のない
名君だけれども、国際政治では読み間違えが結構ある、とか。
ヨーロッパではこういうのが多いから、部下/臣下とそれ以外を
一緒くたに「政治」で論じると問題があると思う。
大体、君主には従うのが当たり前だけど、外国はそうではないから。

部下/臣下の反乱が起きたら「統率」の問題だけど、
外交は「政治」の分野ではないかと。
443世界@名無史さん:03/02/23 00:04
フランスのフォッシュ元帥と、唐の劉仁軌をリクエストします。
あ、もちろん気が向いたらで結構ですし、無理にとは申しません。
評価を書いてくださる方々、楽しませてもらって感謝してます。
444前スレの948:03/02/23 00:09
>>436
私の考えていた山本像とは異なっていたので、少し書いてみたくなっただけです。
山本五十六が、優れた軍人であると言う評価を否定するものでは有りません。
ただ、判断力と実行力が著しく欠けていただけです。
彼が困難な立場に居たことと、優れた先見性を有していたことを勘案して、
人並みの知力40台という数値を与えたのです。

彼の敗戦には、彼一人の責任では有りません。
他の愚劣な政治家や、将軍たちの責任も大きいです。
しかし、当時の彼の地位と発言力を考えると、
彼もまた、他の愚劣な将軍たちと同じ穴のムジナであったと断じざるを得ません。
445鉄十字:03/02/23 00:11
フォッシュ元帥?よくわからない。よければ説明お願いします。
私のリクエストは悪名高いヒトラーです。私は彼は天才だと思ってますが。
446前スレの948:03/02/23 00:15
>>436
山本五十六は、確かに悲劇の名将です。
彼の悲劇は、全てを知っていながら、何も出来なかった事にあります。
物量や味方の愚劣さに悩まされながら、戦争を勝利に導いた、
あるいは自分の受け持った戦線だけは、優勢を保ち続けた将帥は、歴史上に数多く居ます。
彼らと比べると、山本五十六に高い知力を与えるのはためらわれるのです。
447前スレの948:03/02/23 00:29
>>438
私は、国家や軍隊のような規模の大きな組織にあって、幹部を指導する能力、
そして、顔も見たことの無いような兵や国民を指導する能力を、統率力と考えています。
より広範囲で、より高いレベルでモラルを保ち、組織の質を向上させられる指導者は、
統率力が高い指導者と言えるでしょう。
このスレで評価するレベルの人物なら、最低でも政治家は一地方、
軍人なら、一軍団は統率する地位にあるはずです。
統率力が低い人物が、このような地位にあって成果をあげられるはずが無いので、
統率力が、政策遂行能力も含むものとします。
448蘭太郎:03/02/23 00:40
なるほど。やっぱり基準は統一した方が面白いので、
あまり意固地にならずみなさんの基準を参考にして、
見解のスパイスを振り掛ける、という程度にしますね。

あと948さんの山本に関する見方はだいたい解りました。
やっぱり近現代史に出てくる人物って、ファンタジーの要素が少ないのと
現在にもシンクロする見方として、純粋な人物評になり面白いですね。
ただ現代全体戦争っていうのは、石原莞爾の主張するような(好きなので度々引用して悪いですが)
政治的な力が占める割合がとても強いので、個々の戦場はともかく、
全体的な戦況を個人の力量で左右するのはとても困難なんですね。
山本は確かに大きな指導的役割を担ってはいましたが、
あくまで一軍人としては、かなり優れた指導をしたと、そう考えております。
もっとも、ベストとは遠いかもしれませんが、
敵も結構優秀な司令官多かったですし。

>>445
ロンメルが最高なんて、意見が合いますね(笑)。
ヒトラー評は最初のほうで僕がやってますので、よかったらご覧になってください。
あと石原莞爾とかも書いてるので見てくださると嬉しく思います。
449前スレの948:03/02/23 00:46
>>447
次に政治力に付いてですが、これは「バランス感覚」であると考えます。
同格以上の人間や外国を動かすには、利害を調整しなければなりません。
また、政策を考え付いても、それが現実世界に及ぼす影響を考慮して、
上手にバランスを取らなければ、せっかくの政策も民衆を苦しめるだけに終わります。
ですから、政治的に成功するには、バランス感覚が必要なのです。

もちろん、優れた統率力があれば、バランス感覚が無くても成功を収めることは出来ます。
ですが、その成果が長続きすることは無いでしょう。
政治力のある上司か、補佐役にフォローに入れてもらう必要があります。

政治力とは、「何かを維持する能力」なのです。
450蘭太郎:03/02/23 00:55
統率力に関する見解、
徳川家康が旗本や譜代だけじゃなく、
外様を上手く纏める。これは統率でしょうか。
実質幕府の下といっても、連邦制みたいな感じで
他藩も他組織といっても過言ではないですよね。
ムッソリーニが国王とバチカンの間で苦しんで、
結局イタリアを纏められなかったのも対人折衝ですが、
ファシズムを語るのにこれと政治力を同等に位置付けるのって難しく無いですか。

組織と統率、各々の歴史人物がよってたつ立場も状況も大きく違うので、
一つの基準で統一ってのはやっぱり色々と議論が必要ですね。
451前スレの948:03/02/23 01:04
>>438
竹下登については、統率力は低いでしょう。
彼は利益で人を集めましたが、日本のために指導力を発揮することはありませんでした。
いや、日本を指導する意思があったかどうかも、怪しいです。
利益で釣った自派の人々を纏めるだけなら、
世界史レベルではさほど高い統率力は必要有りません。

知力は、それなりにあるでしょう。
政権を奪取すると言う明確なビジョンを持ち、
田中角栄を打倒した後、勢力を扶植して、ついには野望を遂げました。
ただ、日本の首相になってからは、全くいいところが無かったので、
彼の知力は、自民党というそれほど有能な人物の居ない政党でしか通用しなかったのでしょう。
(多少先見性があるだけで実行に移せなくても「次代の指導者」と言われるレベルの低さ!)
世界史レベルでは、人並みです。
452蘭太郎:03/02/23 01:10
僕も外交や全く利害の異なる他組織との交渉は外交力、
つまり政治力として考えるべきだと思ってますが、
山本は立場的に国内でも強い影響力があるんですね。
犬猿の仲の陸軍と言っても、海軍の意向を無視して戦争はできないし。
比類ない指導力を誇っていれば、十分国の行く末を左右することも可能だった
んだと思います。
政府や陸軍も、連合艦隊司令長官が戦えないっていってる戦争やるわけにはいかないし。
それでも政治的には外交的な役割は、
連合艦隊司令長官として十分果たしてるんですね。あくまで分を越えず。
ただ、一軍官僚として、それ以上の指導力を発揮しなかった。
だから、外交力と指導力を、そういう視点から分けたんですね。
453蘭太郎:03/02/23 01:12
>>451
竹下は、人を釣るのが上手いんですよ。
それだけは、天才的に(笑)。
454前スレの948:03/02/23 01:19
続きです。
竹下登の政治力は、それなりでしょう。
彼の調整能力は、日本政界では卓越したものがあり、
90年代の激動の中でも黒幕的地位を保ち続けました。

ただ、政策面では全くのでたらめで、日本破綻の原因を作った一人です。
また、外交でもまったくいいところがありませんでした。
おそらく、彼は権力の座に居続けること事態を目的としており、
日本を良い方向に導く意思は無かったのでしょう。

スケールは全然違いますが、金日成と同種の政治家です。
ただ、金日成の場合は自国の国益の確保が、
権力維持に結び付いていた為、かなり危ない橋渡りをしています。
平和な時代の日本でしか通用しないような政治家ばかり相手にしてきた竹下登が、
同様の状況に立たされたら、とっくに潰れていると思われます。
ですから、世界史レベルでは並より少し上、50台後半から60台前半です。
旧ソビエトの庇護下でのみ、長期独裁政権を維持できた東欧の指導者と同レベルです。
455蘭太郎:03/02/23 01:23
>>454
だから竹下の能力を設定するには、
統率と政治を分けて、性格付けを明らかにした方が面白いと思ったんですね。
組織、人を纏める上手さと政治の不両立ってのを。
456前スレの948:03/02/23 01:26
>>439
布石を打っても、打たなくても、同条件の戦いなら、
武力の高い将軍が必ず勝ちます。

「勝利のために何をしたか」では無く、
「どんな状況でどれだけの戦果をあげたか」のみが評価材料です。
戦場に付いてからの勝敗を決するのは、武力。
相手より有利な条件を、戦場に付く前に確保するのが、知力です。
457世界@名無史さん:03/02/23 01:34
>>426
謙信の評価に関しては同意だが
>世界史板では、評価の対象外です。
これはお前が決めることじゃないだろ。謙信を世界的に高く評価しすぎることに
反対するならともかく、評価するのは自由だし、謙信ぐらい知名度があれば
全然ありだろ。
このスレの番人きどりですか?948なのに(プ

458蘭太郎:03/02/23 01:37
>>456
そこ、面白いと思いますね。
例えば永禄四年の川中島の戦いで、どこからを『戦場』と判断すべきですか?
妻女山に謙信が布陣して、武田が対抗して茶臼山に布陣したところで『戦場』なのか、
それとも武田が奇襲をかけてくるのを予期して、
謙信が決戦を覚悟して山を下りた時点が『戦場』なのか、
謙信の本隊が武田の本陣に襲い掛かってから以降が『戦場』なのか、
どれだと思います?
459蘭太郎:03/02/23 01:41
>>457
あくまで個人的見解ですが、
現時点でこのスレッドのチンギス・ハーンは948さんっぽいですよ。
謙信をどう定義するかは、確かに評価する人の自由だとは思いますが。
460蘭太郎:03/02/23 01:43
>>458
ちなみに、僕が定義する『戦場』は、
両軍が布陣して、相対したときから始まってると思います。
461世界@名無史さん:03/02/23 01:48
>>458
川中島の戦いなんて資料がでたらめで戦術とか評価できんよ。
謙信が妻女山に布陣したかどうかすら不明だし。
462世界@名無史さん:03/02/23 01:50
最近妙にエラそーなウざい仕切り屋新参者ばっかで辟易だな。
中途参入野郎はもうちょっと慎ましくしろよ。
このスレを盛り立てた最大の功績者の「ど」の字さん最近来ないね。
降臨きぼんぬ。
463蘭太郎:03/02/23 01:53
>>461
色々見解はあるとは思いますね。
でも、ここの話のポイントなのは『川中島の通史が史実たりえるか』
ではなくて、『この通史でどこからが“戦場”なのか』ですから、
とくに歴史的な検証とかは、あまり関係はないはずですね。
464前スレの948:03/02/23 02:02
>>440
戦略に関しては、保留します。
近代の戦争は、意思決定が複雑で、誰の戦略で勝ったのか、とても分かりにくいからです。
ただ、第二次世界大戦の場合に限って言えば、フィンランドのマンネルヘイム。
次点がソ連のジューコフでしょう。
マンネルヘイムは、無限の回復力を有するソビエト軍と戦い続け、
ついにフィンランドの独立を守り抜いた将帥です。
弱体な兵力で最大限の軍事的成果をあげ、
タイミングを見計らって和平工作を開始するという彼の戦争指導は、
戦略の芸術と言って良いでしょう。
あの恐るべきスターリン相手に武装も兵力も貧弱な軍隊を率いて、
妥協を引き出すだけの戦果をあげたのですから、マンネルヘイムの名は不滅です。
ジューコフについては、実のところ、欧州戦線はわりと際どい戦況でした。
太平洋戦線のように、連合国軍の戦略的優位が最初から存在したわけでは無かったのです。
ジューコフが世界最強のドイツ軍を翻弄し、ようやく欧州の戦況は連合軍側に傾いたのです。
465蘭太郎:03/02/23 02:03
>>462
あくまで“個人的見解”と断ってる話を、
仕切っているとか断定されては世話ないですが。
でも少なくともエラそーだとかうざいとか、
勝手に断罪するほど誰も仕切ってはいないと思いますよ。

あと、今話してるのは仕切るとか以前に“能力の定義”ですね。
その件に関してなにか異論がおありでしたら、慎ましく拝聴させていただきます。
466前スレの948:03/02/23 02:09
>>440
戦術に関しては、保留します。
ドイツ軍かソ連軍の誰かでしょうが、ロンメルでは無いでしょう。
戦史上の意義においては、グーデリアンが、
実績においてはマンシュタインの方が勝っています。
また、武力90以上の条件を満たしていない将帥ですが、
モーデルの方が戦術的な技量では上だったように思います。
467前スレの948:03/02/23 02:18
>>442
あなたの見解に同意します。
私も、部下は「統率」、同僚や外国は「政治」としています。

>>443
考えておきます。

>>448
歴史に出てくる人物を、数値化するというのは、
いつの時代でも面白いですよ。
具体的な数値は出しませんでしたが、竹下登の評価は結構楽しかったです。

>>450
同格の大名を、臣従させたばかりの家康の時代の対外様大名折衝は、
外交の要素が大きいと思われますので、政治です。
ただ、完全に外様大名が徳川の臣下として扱われるようになった家光時代以降は、
統率になるでしょう。

>>457
あくまで個人的な見解です。
あなたが、上杉謙信をこのスレに登場させるべきだと考えるのなら、
それもまたあなたの自由です。

468前スレの948:03/02/23 02:26
>>458
前に私は、韓信という将帥を、知力25、武力90と評価しました。
彼は知略を駆使して敵を打ち破るタイプの将帥ですが、
戦略的には他の人物の戦略に完全に従属し、
自分一人ではロクな判断をしなかったので、知力を低くしました。
彼が戦場で見せた知略は、武力として評価しています。
戦場で勝敗を決する能力が、武力です。
戦場とは、少なくとも片方が相手の軍勢を捕捉可能な距離に
到達した時点から始まる状態です。
ですから、このケースでは、謙信が布陣した時点から「戦場」です。
469世界@名無史さん:03/02/23 02:32
ロンメルは補給についての概念が無いのが痛いよな。
470世界@名無史さん:03/02/23 02:49
ウワァァンヽ(`Д´)ノ最近書き込みのレベルが高すぎてついていけない・・・・
ネタがあっても恥ずかしくて書き込めない・・・
471世界@名無史さん:03/02/23 02:54
別に評価する人物がかぶってもいいと思うんだが。
評価ってのはひとそれぞれで違いがでて当たり前で、それを承知で
それぞれの差異を楽しむのも一つのあり方ではないかな。
472蘭太郎:03/02/23 03:03
>948さん
ありがとう、勉強になりました。
軍人の評価、どういった所が948さんのツボなのか、
よくわかりました。なかなか博識でいらっしゃいますね。
謙信の数値にしても、知力25・・・っていうのは、からいな、
とは思いましたが、だいたい同意見です。
でも、いつも冷静で動じずマイペース、素敵ですね。
影ながら脳内評価、【魅力】がググッと上昇しております。

>>469
作戦指揮官としての優秀さに加え、僕がロンメルを買うのは
その人間の高潔さに負う部分が大きいんですね。
もののふとはかくあれかし、と。
473世界@名無史さん:03/02/23 03:09
>現時点でこのスレッドのチンギス・ハーンは948さんっぽいですよ。

??? オマイらの馴れ合いウザイよ。
474世界@名無史さん:03/02/23 03:13
>>326
岳飛の字は鵬挙。
475世界@名無史さん:03/02/23 13:08
読みごたえありますね。面白い。
竹下登がでたならぜひ小沢一郎をやって欲しいな、と
思います。最後破れたとは言え、国内の利害調整を
主とする行政家のレベルを超えた、戦後日本では
数少ない政治家ではないでしょうか。
476世界@名無史さん:03/02/23 16:19
>>473
確かに少し行き過ぎ
477世界@名無史さん:03/02/23 16:51
中国史の人物をこきおろし、西欧をべた褒め、日本史は論外、ときて

金親子の能力はもっと高いと来たか…

評価の視点が人物で切り替わる所は「ど」の字と変わらんが、アイツよりもなあ…
478世界@名無史さん:03/02/23 21:59
古代と近現代では、武力とか知力の定義が変わるだろ?
近現代の職業軍人が個人的な武勇は発揮する機会なんて少ないしさ。
ほとんど判定不能な場合が多いんじゃないかな。
軍事の実行力は統率力、作戦や戦略構想は知力なんじゃないかな。

それと金親子。魅力なんて0だろ?
国内を押さえているのは政治力でしょ。
自国の国民、他国の国民、後世の人から、魅力ある人間って映るかな。

まあ、おれは数値にはこだわらず各氏がその数値を導き出した論拠とかを楽しみにしているので、
このくらいで。
あと、ゲスな横槍の方がうざいぞ。
書き込み回数が多い方も少しはペースを落として、他の方が書き込む余裕を作ればいいのに、とは思うが。





479世界@名無史さん:03/02/24 09:33
名のあるコテハンによる歴史有名のハイレベルな評価が続く中、裴仲孫というドマイナーな人物をあえて書いた>>405に拍手を送りたい・・・
480世界@名無史さん:03/02/24 09:34
歴史有名

歴史上の有名人

スマソ
そういやなんでコーエー化するスレなのに、「運」の値がないのん。
482世界@名無史さん:03/02/24 17:34
運なんて普通でてきてないっしょ?
大航海時代だっけか出てきたの。
それなら野望がないのは何故?ということも言える。

ついでに言えば運は数値化難しそう。
483前スレの948:03/02/24 21:10
>>471
そうですね。
私は、他の人が歴史的人物をどのように評価しているか、
知りたくてこのスレにやってきました。
そして、手土産代わりに自分の評価も書いているわけです。

>>972
知力25、武力90と言うのは、漢の大将軍韓信の数値です。
上杉謙信については、評価は行っていませんが、知力25と言うことは無いと思います。
また、武力が90を越えることも無いでしょう。
484前スレの948:03/02/24 21:12
>>475
申し訳有りませんが、小沢氏の能力を評価することは、今のところ出来ません。
なぜなら、彼は現役の政治家であり、
今後どのような歴史的業績をあげるのか、未だ不明瞭だからです。

ただ、仮に明日死亡したとしたら、あまり高い評価は与えられないでしょう。
最も権力を持っていたと思われる自民党幹事長時代には、
金丸信の片腕として、ずいぶんデタラメなことをしていますし、
非自民連立政権を樹立したものの、内では与党をまとめきれず、外では自民党に揺さぶられ、
最後は梶山静六、野中広務、村山富市といった、
器の小さい策士に出し抜かれて、政権の座から転落しています。

彼の遠大な野心とビジョンには、見るべきものがありますが、
それを実現するだけの能力はまだ発揮されていないと思います。
485前スレの948:03/02/24 21:24
>>477
私の康熙・雍正両帝に関する文章と、漢の三傑に関するコラムをお読みになりましたか?
石田三成の評価と、戦国の三傑に関するコラムをお読みになりましたか?
お読みになれば、私が中国や日本の人物にも惜しみない敬意を
払っていることがご理解いただけると思いますが?

>>478
私個人のスタンスとしては、武力=個人的武勇ではなく、
軍隊を率いて勝利する能力としています。
ごく一部を除けば、歴史上の名将がどれだけ武術に長けていたかなんて分かりませんので。

金親子の魅力は、0とは言いませんが、相当低いと思われます。
その根拠は>>428で述べました。
後世の人々は、権力を保つために世界をも敵に回して見せた男として、
金日成を記憶することでしょう。
そして、彼が有能であったことが、朝鮮民族にとって不幸であったと嘆くことでしょう。
486前スレの948:03/02/24 21:26
昭和天皇の評伝は、今しばらくお待ちください。
テーマを絞りきれずに悩んでます。
487世界@名無史さん:03/02/25 02:41
それぞれの見方の差異を楽しむくらいの余裕でいこうよ。
それこそ「世界」史板なんだし、匿名なんだからさ。
特にマイナーな人物でも取り上げてくれると、発見できて楽しいよ。
488世界@名無史さん:03/02/25 02:46
んじゃハイセイセイきぼーん
489世界@名無史さん:03/02/25 04:59
【距離】2000 (基本的に中距離人。地方デビューから皐月賞、NHK杯までは無敗)
【武力】80 (中距離でのスピードとスタミナは一級品)
【知力】55 (菊花賞出場は仕方ないとしても天皇賞・春は己知らず。
       配下の厩務員に勝手に決められたともいわれる)
【政治】65 (敗れ方でも感動を呼んだ。後宮に引きこもってからも幾人かの
       有能武人を世に送り出した)
【魅力】97 (当時一世を風靡。以後の歴史をみても人気で上回ったといえるのは
       オグリキャップぐらいしかいない)
490世界@名無史さん:03/02/25 05:08
>>489
そりゃハイセイコーだ、ゴルァ!
491世界@名無史さん:03/02/25 07:09
>>489
それは世界史的にみていかがなものか

>>489
インフレだね

>>490-491
西洋中心史観ですか?(ワラ

などと言ってみるテスト
492世界@名無史さん:03/02/25 10:06
>>486
依頼した者です。どうもお疲れさまです。
今まで十分楽しませてもらいましたし、悩むなんて言わないで、
気楽にやって下さい。
・・・でも期待してるんですけどね。
493世界@名無史さん:03/02/25 14:19
なんかしつこく「西洋の人物ばっかり高評価で東洋を貶す」とか言ってる被害妄想気味な方
がいらっしゃるが西欧コンプの方でつか?
このスレでは朝鮮の聞いたことの無いような人物まで評価されてるってのに
それでも西欧中心でつか?
494世界@名無史さん:03/02/25 15:34
>>493
( ´_ゝ`)プッ
495世界@名無史さん:03/02/25 15:54
>>494
( ´_ゝ`)ププッ
496世界@名無史さん:03/02/25 16:52
ネタニマジレスカコワルイ
497世界@名無史さん:03/02/25 17:23
>>495
( ´,_ゝ`)プッ
498世界@名無史さん:03/02/25 17:28
>>497
( ´,_ゝ`)プッ プクプ
499世界@名無史さん:03/02/25 20:51
あんまり変な笑い方ばかりしてると唇の形がゆがむぞ藻前ら
500481:03/02/26 12:30
>482
あ、最近のコーエーのは運の値は無いのか・・・(年寄りだなぁ、漏れ)。

(290さんも言ってるように)結局厳格な人物評価合戦というより、むしろ楽しみ的
要素の強いスレなんだから、もうちょっと書き手の自由意志で追加能力値とか技能とかい
う形での「遊び」をつけといたほうがいい気がします。
501世界@名無史さん:03/02/26 17:30
502世界@名無史さん:03/02/26 17:34
ここ面白いですね

同じ時代ににいた3人、
ティムール、バヤジット、永楽帝の能力を評価してください
お願いします
503山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/26 23:11
永楽帝(1360年〜1424年)

【統率】90(実力で皇帝となり、拡大した領域を破綻させる事が無かった。)
【武力】80(父洪武帝は「朕に(燕王に任せた)北顧の憂いなし」と言った。)
【知力】80(文武両面に渡って明朝の最盛期をもたらし、海外にその力を示した。)
【政治】80(問題なし。)
【魅力】40(流石に建文帝殺害のことは印象が悪いか。)

姓は朱。名はテイ。洪武帝の第四子。21歳で燕王として北平(北京)に分封
されると、兄晋王とともにモンゴルと数回にわたって交戦して勝利を収めた。
1398年、16歳の建文帝が即位。翌年には野心家として知られていた燕王
に逮捕命令が出されて内戦(靖難の役)となるが数に勝る政府軍は決定打を与
える事が出来ず結局1402年6月に南京は陥落。永楽帝が即位して北平への
遷都が決定した。
建文帝の政権は文治主義的で多くの儒学者を抱えており、建文帝の死に殉じた
者も居れば生きて政権批判をした者も居た。方孝ジュという学者は「燕賊簒位」
を叫び目の前で873人の親類縁者が殺害されても翻意する事なく処刑されて
逆に永楽帝は評判を落としてしまったという。
遷都の理由には彼らの存在もあった。(続く)
504世界@名無史さん:03/02/26 23:17
>>502
チンギスWのパワーアップキットに登場してるよ。
505山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/26 23:27
永楽帝の治世はその勢力が対外拡張を目指したことでよく知られてい
る。モンゴルへの親征が5回あり、最後の遠征の帰途に陣中で病没し
たという徹底ぶり。
明の版図は最終的には黒竜江下流域・樺太からベトナム、西はチベッ
ト・青海まで及んだ。(但し永楽帝の死後ベトナムからは撤退)
侵略以外には東アフリカまで到達した鄭和の大遠征が有名。日本とは
1404年に足利義満との間で勘合貿易が復活している。
こういった一連の対外活動とそれに伴った朝貢貿易機構は国際的視野
とそれに見合う実力を併せ持っていた永楽帝の時代に完成されたもの
といえるが、国内の文化活動にも目が向けられ百科全書「永楽大典」
が編纂された。(明末から義和団の乱までの混乱の中で多くが散逸し
僅か(それでも800冊近いが)に残されたものも日・仏・英などに
渡ってしまった)
永楽帝の政治には鄭和をはじめとする多くの宦官の活躍が目立つ。こ
れは科挙資格に囚われることなく実力のある腹心を動かそうという永
楽帝の実力主義によるものであった。
だが彼のような統率力を持たなかった後の皇帝たちの治世下では宦官
の専横を招くこととなり、やがてそれによる政治的混乱は緩やかな滅
亡を呼んだのであった。
506世界@名無史さん:03/02/26 23:29
25歳。
去年まで金無し君だったけど、オンラインカジノとパチンコで
二年で350万貯めた。一度やってみなよ。
初回のみだけど、1ドル以上のチップを買えば30ドル(4000円くらい)貰える。
もらうだけもらってプレイせずに換金することもできるし、ルーレットで赤か黒に
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507世界@名無史さん:03/02/26 23:30
新スレです。
「珍説世界史」っていう映画知ってる?
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1046178712/l50
508世界@名無史さん:03/02/28 02:41
どの字さんはもう来てくれないのか
509「ど」の字:03/03/01 03:27
 少し忙しかったので、席を外しておりました。
 また書き込ませて頂きます。
510世界@名無史さん:03/03/01 03:33

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511世界@名無史さん:03/03/01 03:56
ジャンヌマダー?
512「ど」の字:03/03/01 04:04
 歴史家に書く題材すら与えなかった、幸せな時代の皇帝です。

【ティトウス・アウレリウス・アントニヌス】 A.D.86〜161 在位138〜161

【統率】78(平和な時代の一国の指導者として全く文句なし)
【武力】45(凡人並み。ハドリアヌス帝の残した武将を使いこなせていない)
【知力】79(バランスの取れた知性を見せ、国内の安定統治に貢献した)
【政治】87(要所はきっちり締めた温和な内政は満点。外交防衛は及第点ぎりぎり)
【魅力】96(幸運に恵まれ、本人も協調を第一に政治をした。摩擦ない政治の結果)

 歴史にはアントニウス・ピウス帝と呼ばれることになる、帝国が最も栄えていた時代の皇帝。
 ちなみにピウスとは、帝位に即いて以後の温和な人格に対しての尊称。大慈大悲ほどの意。
 その大元の出自は、カエサルによってローマの版図に加えられた南ガリアの貴族。
 祖父の代にヴェスパシアヌス帝の下での働きが認められて以降の元老院階級。
 ローマのシビリアンとミリタリーが混然とした指導者教育システム内では珍しく、軍事経験が無い。
 ハドリアヌス帝の時代では、ハドリアヌス帝が諸国を歴訪する上で留守を任された『内閣』の常連だった。
 特に元老院との協調が上手く、国内の安定を希求していた最晩年のハドリアヌス帝の目に止まる。
 後に「哲学皇帝」と呼ばれるマルクス・アンニウス・ヴェルスを後継者にすることを条件にした後継者指名を受ける。

 皇帝に即位して以降は、ハドリアヌス帝時代にやや緊張があった元老院と皇帝との協調体勢を再復。
 温和な統治を心掛けつつも、締めるべきところは締めてハドリアヌス帝のリストラを継続した。
(この項続く)
513「ど」の字:03/03/01 04:30
 恐らく元老院対策であろうが、アントニヌス・ピウス帝は一度もイタリアを離れることの無い統治をした。
 スコットランド侵攻とアントニヌス・ピウスの線と呼ばれる長城の建設はブリタニア総督ロリウスが行っている。
 が、当地を見たことの無い総司令官の戦略にはやはり限界があり、殆ど成果は上がらずに終わっている。
 常に次期皇帝たるマルクスに相談して統治を行っているのだが、このマルクスにも軍事経験が無かったのである…。
 また、マルクスに軍事経験させず、手元から離して経験を積ませようともしなかった
 外交では、ゲルマニア蛮族のローマ編入希望を遮断するという強烈なミステイクをしている。
(ローマ帝国の門戸を閉ざすこの決定は、『哲学皇帝』マルクス・アントニウスを死ぬまで苦しめる戦禍となった)

 外交と後継者教育においては幾つか大きな疑問手を打った皇帝だが、内政においては全くと言って良いほど瑕が無い。
 あまりに安定した治世だったので、歴史家に題材を提供できないほどである。
 74歳になって半年後、食事後に嘔吐して倒れ、数日後に崩御。死後の国葬は壮麗にし過ぎないようにと遺言した。

 人となりの特徴は、ある意味溺愛といって良いほど家族を大事にする人であったこと。
 ことに皇帝になって数年後に死去した妻とその遺した娘を愛していたようだ。
「ファウスティーナ(妻の方ではなく同名の娘)と離れた皇宮より、共に暮らす辺境の地を選ぶ」と言ったそうである。
 また、次期皇帝として養子にしたマルクスがすでにしていた婚約を相談の上で破棄させ、自分の娘を結婚させている。

 そういったいくつかの瑕にも関わらず、アントニウス・ピウス帝の評判は古今問わず非常に良い。
 しかし、この皇帝が残した幾つかの瑕や手抜きは、次期皇帝の時代になって噴出することになるのである…。
514世界@名無史さん:03/03/01 07:00
マルコポーロきぼんぬ。
515世界@名無史さん:03/03/01 08:27
「ど」の字、復活歓迎記念カキコ
516世界@名無史さん:03/03/01 23:23
>>514
 実在しません。
517世界@名無史さん:03/03/03 23:35
別に、コテハンの書き込みのせいで名無しが書き込めなかったってわけじゃなかったんだな
518世界@名無史さん:03/03/05 00:04

519世界@名無史さん:03/03/06 13:58
[:
520世界@名無史さん:03/03/07 19:37
あーあ、止まっちゃった・・・・
521「ど」の字:03/03/07 22:08
 しばらくお待ち下さい。今、『哲学皇帝』の略伝を手掛けていますので……。
522■中国の歴史人物を登場させよう!その弐【改】■ の1:03/03/07 23:25
安敦は私も期待してます。

「ど」の字さんには
評価の難しい
ドミティアヌスやセプティミウス・セウェルスもリクエスト!(^▽^)

カラカラちゃんは個人的武勇だけはベラボウに高そう(w


あと、燻し吟のコルブロや、デキウスのほうのブルータス、
ドゥルースス、ゲルマニクス、グッチョ〜ネのガリギュラちゃんも
未登場なのは悲しや( ;´Д`)
523世界@名無史さん:03/03/07 23:53
「ど」の字たんがんがれ
524「ど」の字:03/03/08 02:06
 まずはコンモドゥス帝までやって、そこから一渡り過去に遡りたく思います。
 また、塩野女史が問うた様に、自分も「何故、ローマ人だけが」を少し考察します。

 塩野七生女史を歴史家として特徴付けているのは、全体を俯瞰してみる能力だと、自分は考えています。
 その結果、これまでの歴史家が答えることの出来なかった疑問を、いくつも答えることが出来ています。
 その視点は、井沢元彦氏(『逆説の日本史』の著者)に通ずるものがあります。

 何がローマを育て、何がローマを栄えさせ、何がローマを衰退させ、何がローマを倒してしまったのか。
 自分は自分なりに、その本質を語ってみます。
525前スレの948:03/03/08 21:10
今回より、評伝の形式を変更することにしました。
評価の根拠を示すため、考察を行いながら、
能力値を決めていくという方法を採用します。
つまり、ダヴーの時と同じやり方で、評伝を書くということです。

それでは、長らくお待たせいたしました。
第七回を、お楽しみください。
526前スレの948:03/03/08 21:11
第七回「亡国の英主か、帝国の暗君か」

裕仁(1901〜1988)第124代天皇

この人物について考える時、私はある種の戸惑いを覚えます。
度の過ぎた賛美や、支離滅裂な批判の声があまりに多く飛び交いすぎていて、
彼の実像に迫ろうとすると、どうしてもそれらの声に引きずられてしまうからです。
私は、その人物が何をしたのかを調べてから、評価に取り掛かるのですが、
彼の場合は、実際に何をしたのかすら、よく分かっていません。
そのため、今回はどうしても憶測に頼る部分が多くなるでしょう。
実証を重んじる私としては、いささか不本意ではありますが、
自分の手で裕仁の輪郭を描写したいという誘惑には、勝てませんでした。
至らない点は多々あると思いますが、ご了承ください。
527世界@名無史さん:03/03/08 21:15
れでは、裕仁の統率力について、考察したいと思います。
裕仁は大日本帝国の天皇にして、陸海軍の大元帥であり、政治・軍事両面における最高権力者でした。
しかし、日本の慣習では、文武の実権は、
日本国内の様々な派閥の代表である「宰相」や「将軍」たちが握ることになっており、
天皇は儀礼的な存在に留められていました。

平穏な時代ならば、それで良かったでしょう。
しかし、裕仁の時代は、日本の歴史でも、もっとも苛烈な時代でした。
経済危機と、対外関係の悪化で、国家が崩壊しつつあるのに、
「宰相」や「将軍」たちは、主導権を争っていがみあっていました。
彼らの意地の張り合いが、事態をどんどん悪化させ、日本を泥沼へと引きずりこんでいったのです。
このような状勢を苦々しく思っていた人々の中には、裕仁の指導力不足を非難する者もいました。
528世界@名無史さん:03/03/08 21:16
沢田茂陸軍中将は、
「天皇に統率力が無かったから、将軍たちが好き勝手するようになった」と、
裕仁の統率力の無さを激烈に批判しています。
また、近衛文麿は、
「政府と軍部の両方を抑えられるのは、天皇しか居ない。
 天皇が指導力を示さないのは、危急の時には、障害になる。
 イギリスのように、重臣たちを激励したり、注意を与えたりするだけではだめだ」
と語っています。

どうやら、裕仁は、あまり積極的な指導者ではなかったようです。
多くの場合は、「宰相」や「将軍」のすることに意見を述べるだけで、
彼らの決定を変えたりするようなことは、しませんでした。
529世界@名無史さん:03/03/08 21:48
ですが、それだけで裕仁を無能な指導者と決め付けるのは、
少々酷ではないでしょうか?

そもそも、大日本帝国における天皇というのは、
無制限の権力があるのに、原則として政治に関与しないと言う、
不可思議な存在だったので、沢田や近衛の言い分は、
言いがかりに近いものがあります。

制度上、指導力が問われるのは、近衛のような「宰相」や、沢田のような「将軍」です。
裕仁は、実質的に指導力が問われる地位に居たわけではないので、
無能とも有能とも、言いようがありません。
ただ、組織の指導者であった経験の不足を加味して、
苦手レベルの「38」とします。
530世界@名無史さん:03/03/08 22:03
裕仁の武力については、言うまでもないでしょう。
彼は、軍事教育を受け、大佐の階級を有する軍人でしたが、
この地位は軍功ではなく、血縁によって手に入れたものでした。
また、戦場で軍を動かした経験もありません。

軍事知識はあるが、実際の経験が無いことを加味して、
やはり苦手レベルの「30」とします。
531世界@名無史さん:03/03/08 22:29
次は、裕仁の知力について考察します。
彼が戦争について賛成だったか、反対だったかは、
諸説が入り乱れており、定かではありません。
しかし、統率力の項でも述べたように、
昭和天皇は、意見は述べても、それを現実に反映しようとはしませんでした。
「この事件(田中義一叱責事件)あつて以来、
 私は内閣の上奏する所のものは仮令自分が反対の意見を持つていても裁可を与へる事に決心した」
と独白録で述べている通り、「宰相」や「将軍」にすべてを任せて、
象徴君主に徹しようとしていたからです。
第二次世界大戦終結に至るまでは、好材料はそれほど多くありません。
2・26事件での判断は、重臣が決起部隊に殺されたことを怒ったからであり、
政治的判断ではないので、これもプラス材料にはなりません。
532世界@名無史さん:03/03/08 23:00
裕仁の知力にプラス材料を与えるとしたら、むしろ戦後です。
日本が敗北すると、連合国や、左翼勢力はもちろんのこと、
支配者層からも、裕仁に退位を迫る声があがりました。

「戦争責任をすべて裕仁に押し付けて退位させ、
 皇太子明仁を立てて、天皇制を維持する」
という考えです。

しかし、周囲に流されているだけだった裕仁は、
はっきりと退位しない意思を示しました。
侍従長が残した記録によると、
「混乱を招かないため」だったそうです。

裕仁は天皇の地位にしがみつきたかったのだろうと言う意見も多いですが、
私はそうは思いません。

終戦と同時に皇室財産は没収されています。
それに、裕仁は権力に対する執着が希薄で、
政治より学問の方が好きな人物でした。
「人類史上稀に見るぐらい派手に負けた国の君主」という地位に留まる旨味など、
彼にとっては何一つ無かったのです。
533世界@名無史さん:03/03/08 23:30
また、「責任を痛感して、退位した」という方が、
戦犯として裁判を受ける際にも、心証が良くなります。
裕仁が退位を拒んだのには、もっと別の理由があったのではないでしょうか。

昭和天皇に強い影響を及ぼした人物に、西園寺公望という人物がいました。
ドイツ式絶対帝政が信奉されている日本においては、
珍しくイギリス型の立憲君主制を支持している人物でした。
彼は、ことあるごとに、裕仁にイギリス流の立憲君主の心得を吹き込み、
裕仁もまた、よくその意見を聞きました。
田中義一叱責事件以後、裕仁が政治への直接関与をやめたのも、
西園寺の進言によるものです。

このことから考えると、裕仁も西園寺の影響で、
イギリス流の立憲君主主義を信じていたように思われます。
534世界@名無史さん:03/03/08 23:43
大日本帝国の象徴帝政と、イギリスの立憲王政は、
似たもののように思われますが、実際はまったくの別物です。

象徴帝政では、「宰相」や「将軍」は天皇の名を借りて、
天皇の持つ無制限の権力を振るうことが出来ますが、
立憲王政では、民衆が権力を持っているので、
基本的には王は権力と無縁で居られます。

象徴帝政の天皇は、「宰相」や「将軍」に名前を使われて、
権力闘争にまで持ち出される存在ですが、
立憲王政の王は、権力と関係なく、国民の敬愛を集めることが出来るのです。
535世界@名無史さん:03/03/09 00:03
この先は、完全な憶測になります。
電波と言われかねない危険がありますが、あえて仮説を立てます。

裕仁は大日本帝国の天皇として何もしなかったために、
彼の名を騙る「宰相」や「将軍」たちが、日本を破滅させてしまいました。
その事に責任を感じた裕仁は、日本を立憲君主国として再生させることによって、
事態を看過した責任を取ろうと考えたのではないでしょうか?

終戦後の裕仁は、退位論者と激しい闘争を繰り広げました。
そして、マッカーサーと吉田茂を味方に付けて、最終的な勝利を収めます。
この戦いは、裕仁の生涯で、唯一といっていい政治闘争でした。
どう考えても座り心地が悪いであろう、瓦礫の国の玉座に、
政治的野心が大して強いとは思えない裕仁が執着した理由を考えると、
どうしてもこのような考えが浮かんでくるのです。
536世界@名無史さん:03/03/09 00:17
二つの世界大戦において、敗戦国の君主の多くは、退位しました。
そして、それらの国々のほとんどは求心力を失い、混乱状態に陥りました。
また、第二次世界大戦終了後の世界では、
世界中を共産化しようとスターリンが策動しており、
国王がいなくなった国は、格好の標的とされていたのです。

日本でも、共産党の山村工作隊が、武装闘争を繰り広げました。
また、ソ連の支援を受けたその他の左翼勢力も、急速に勢力を伸ばし、
日本中でテロとストの嵐が吹き荒れます。
537世界@名無史さん:03/03/09 00:46
しかし、日本は覆りませんでした。
裕仁のもとで求心力を保ち続けた日本は、混乱の時代を耐え抜き、
立憲国家として、新たな歩みを始めることになるのです。

私は、退位を肯んぜず、日本を安定させた裕仁の英断を、高く評価したいと思います。
彼の英断は、日本と、彼自身の未来を切り開いたからです。
立憲君主としての地位が確立してから、裕仁が政治的な判断力を示す機会は二度と訪れませんでした。

何分にも実績に乏しいので、あまり高い点は付けられませんが、
退位問題で高い判断力を示したことを評価して、人並み以上の「55」とします。
538世界@名無史さん:03/03/09 01:17
次は、政治力について考察します。
裕仁が政治力を発揮するのは、やはり戦後のことです。
占領軍司令官のマッカーサーを味方に付け、戦犯訴追をも免れています。
また、退位問題では、マッカーサーの他に吉田茂も味方に付け、
時の首相芦田均の退位工作を失敗に終わらせました。

日本が敗北した後に、カリスマの多くを失いましたが、
模範的な立憲君主として振舞うことによって、徐々にカリスマを回復させ、
軍国の皇帝から、平和国家の王に転身を遂げました。

いずれも、そう簡単には出来ないことであり、
裕仁の政治感覚がなみなみならぬものであることを伺わせます。
優秀と言うことで、「71」とします。
539世界@名無史さん:03/03/09 01:38
最後に、魅力について考察します。
裕仁は、前半生を大日本帝国の帝王、後半生を日本国の立憲君主として過ごし、
どちらの時代でも、彼のカリスマを増幅させるためのプロパガンダが行われてきました。
しかし、プロパガンダが行われたからといって、それが即人気に結びつくわけではありません。

実務に携わる政治家や軍人の場合は目に見える実績が、
そうでない人物の場合は、個人的な魅力が、人気を得るために必要となります。

裕仁があれだけの破滅を経験しながら、国民の敬愛を受けられたのは、
やはり、裕仁の人間的魅力によるところが大きいでしょう。
彼は、あの風貌からは想像できませんが、
天皇と言う地位を抜きにしてもなお、
人を魅了するに足るだけの話術を有していたそうです。
540世界@名無史さん:03/03/09 01:44
現在に残っている裕仁の戦時中の発言などを見ても、
きわめて高い知性と判断力を持っていたことが分かります。
彼が自分の考えを実現しようとしていたなら、
もう少し歴史は良い方向に進んだのではないかとも思わされます。
(本当にあの時代の日本は、こういう人物が多いです)

また、裕仁は道徳的にも優れた人物でした。
小さい逸話が腐るほどあるので、いちいち取り上げませんが、
「戦後に激しい非難に晒されたのに、一度も人格攻撃を受けたことが無かった」という事実をもって、
その凄さを噛み締めてほしいと思います。
541世界@名無史さん:03/03/09 01:50
知的なだけでなく、道徳的にも非の打ち所の無い紳士。
それが、裕仁という人物でした。

君主の人格的な高潔さが問われる立憲王政においては、
理想的な君主像というべきでしょう。
まさに、日本の象徴たるにふさわしい人物でした。
その魅力は、歴代の名君主と比べても遜色ないと思われますので、「88」とします。
542世界@名無史さん:03/03/09 01:59
ご苦労様。
でも、メモ帳とかに書いたものを、コピペしたらいいのに。

いや、貴方が「俺はどうしても考えながら書きたいんじゃあゴルァ!」
っていうなら、勿論それでいいんです。
次も期待してますんで、よろしくおねげしますだ。
543世界@名無史さん:03/03/09 02:02
最終的な評価を発表します。

裕仁
【統率】38
【武力】30
【知力】55
【政治】71
【魅力】88

統率力が低いので、組織を動かすことには長じていません。
武力が低いので、軍も率いさせない方が無難です。
知力がそれなりにあって、政治力が高めなので、政治家としては、優秀な部類に入ります。
魅力の高さは、一級品です。

指導者としては、力不足ですが、
政治力と魅力が高いので、外交や対外宣伝に向いています。
ブレーンではなく、道具として使ったほうが、力を発揮できるタイプです。
544tr:03/03/09 02:08
   。  *    。 ☆   。 + 。 + ☆  *
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ryo-kyo/osu.html
   。 ☆ 。 * ☆ + 。    。   +   +   ☆ ☆
545542:03/03/09 02:10
おおっと割り込んじゃった。カコワルイー。
546「ど」の字:03/03/09 02:41
 昭和帝の評伝、お疲れ様でした。良く練られていますね。
 自分の目線からは、何も言えないほどです。堪能しました。

 日本の天皇は、桓武帝以降ゆるやかに権力(俗世のケガレ)から離れる方向に動いていました。
 下手をすれば「押し込め」を食らいかねない日本社会の指導者としては、良くやったと思っています。
(現に戦争継続を訴える陸軍は彼を押しこめようとしていた)
 自分の考えを表現することが許されていなかった天皇としては、最大限頑張ったと、自分は考えています。
547「ど」の字:03/03/09 02:43
 ただいま、マルクス・アウレリウス帝の描写中です。
 この皇帝はローマで最大の評価を受けている割に、書くのが難しいです。
 しばらくそのままでお待ち下さい……。
548「ど」の字:03/03/09 07:28
 やっと、書き終えました。
 ローマの衰退の始まりに居合わせる羽目になった、不幸な皇帝の略評です。

【マルクス・アウレリウス・アントニヌス】 A.D.121〜180 在位161〜180

【統率】72(それなりに優秀だったが、この点で一流とまではいかない。反乱を起こされてもいる)
【武力】43(皇帝になるまでローマを出た経験が無いのが大きく響いている。特に戦略政略眼の欠如は痛い)
【知力】91(政治のための教養と事務処理能力は高かった。『自省録』は後世にも評価は高い)
【政治】85(やや対症療法のきらいはあったが、適切な手当てでローマを補強した)
【魅力】101+(恐らく、カエサルを超えて最も当代と後世の評判が良いローマ人であろう)

 ストア派哲学を深く学んだことと、晩年『自省録』を著した事で、『哲学皇帝』と呼ばれることになる皇帝。
 生まれは首都ローマの7つの丘の一つ、チェリオの丘。当時の名はマルクス・アンニウス・ヴェルス。
 彼の一族ヴェルス家の出自はスペイン出身で、曽祖父は戦功によってヴェスパシアヌス帝に貴族階級に取りたてられた。
 同名の祖父は、ハドリアヌス帝の信頼特に厚く、国政の実務を託されていた内閣の一人だった。
 ハドリアヌス帝は少年時代の彼を、祖父と同じ国事輔弼の一翼を後々任せる人材として考えていた節がある。
 様々な国事に若くして参画させ、15歳から超一流の教師を配したのはハドリアヌス帝であった。
 が、次期皇帝に決まっていたアエリウス・カエサルが、彼が17歳の時に急死してしまう(死因は結核)。
 そのため、ハドリアヌス帝は予定を変更して、彼を将来のローマ皇帝とするための手を打つことになる。
 ハドリアヌス帝は、まだ若い彼に皇帝のバトンを渡す為の中継ぎとして、アントニヌス(ピウス)帝を次期皇帝に指名。
 その一環として、マルクスはアントニヌス帝の養子になる。これ以降の彼の名はマルクス・アウレリウス・アントニヌスとなる。
 その後は、何事も自分一人では即決しない温和なアントニヌス帝の側近として政治家生活を送ることとなる。
(最初に彼ら父子のしたことは、結婚についてのハドリアヌス帝との約束を反故にすることであったが……)

(この項続く)
549「ど」の字:03/03/09 07:28
(続き)

 アントニヌス帝の逝去するまで、彼はアントニヌス帝の側で内政経験を積むことになる。
 だが、この間の防衛努力と軍事的学習経験の欠如は、彼が皇帝に即位した途端欠陥として噴出してしまうことになる。

 マルクス帝は、まず帝国の統治をルキウス・アウレリウス・ヴェルスとの共同統治にすることを要請した。
 恐らく、まだ後継者が決まっていない時期に単独の帝位に就いていることに、不安を覚えていたのだろう。
 まだ若かったアエリウス・カエサルの急な病死は、アントニヌス帝同様に彼にも影を落としていたはずであるから。
 ただ、ルキウス帝は、人格においては問題無くてもマルクス帝同様軍事的経験は無かったのである。
 といって、当時のローマ上層部では、辺境での軍事的経験の無い方が普通であった。
 アントニヌス帝時代以降の実践経験軽視の風潮は、こんなところに影響していたのである。

(この項つづく)
550「ど」の字:03/03/09 07:28
(続き)

 この『哲学皇帝』の治世は、はっきり言ってローマにとって良い時代ではなかった。
 まずローマ本国の飢饉とティベリス河の洪水で治世初年度の幕が開く。
 その処理が片付かないうちに、パルティアが同盟国アルメニアに侵入したニュースが届く。
 属州総督の初動の誤まりによって第一陣が敗退、しかも後任に軍事的経験の無い者を据える誤まりによって状況が悪化する。
 さらにその状況を啓開するために動くこととなったルキウス帝も、軍事経験の無いことでは同じであった。
 この状況は、さらに後任の将軍たちの到着を待たねばならなかった。161年から166年までの5年間、戦争をしていたことになる。
 さらに、西方から帰還した軍隊の罹患した悪疫(ペスト)がローマ全体に蔓延、その国力、特に防衛力を大きく弱めてしまう。
 その北方防衛力の減少を見て、ゲルマニアの蛮族が動き出し辺境を襲うようになる。
 同時に、ローマの治世に反発する内部反体制であるキリスト教徒の動きが顕在化したのも、この時代だった。
 ローマ人にとって、他人の信じる神を排斥するキリスト教は、人間の限度をわきまえぬ傲慢であり許しがたかったのだ。
 結局、マルクス帝の時代にキリスト教徒の処刑が再開される(最初の例はネロ帝の反ローマカルト宗教としての処刑)。
 それらのことを片付けて後、168年の春、両皇帝はゲルマン問題解決の為に北方へ向かうこととなる。
 168年は皇帝二人とも前線に出るローマの決意に、ゲルマン諸部族は息を潜めていたようである。
 そして169年の早々、ルキウス帝は病死してしまう(症状から、死因は脳溢血と推定される)。
 169年は、その事件の後処理とルキウス帝に嫁がせていた娘ルチッラを信頼する武将ポンペイアヌスに再婚させたりして費やす。
 この元『皇后』の娘を右から左に物を動かすような再婚のさせ方が、後のコンモドゥス帝の災いになってしまうのである……。

(この項まだ続く)
551「ど」の字:03/03/09 07:29
(続き)

 それより以前、アントニヌス・ピウス帝の時代に、ゲルマンの諸部族がローマの支配化に入ることを希望し陳情したことがあった。
 しかし、アントニヌス・ピウス帝(と相談を受けたマルクス)はこの申し出を深く考えること無しに拒絶してしまう。
 それが、蛮族を人口圧力から暴発へと導くことになった。
 特に170年は、属州ダキアを攻撃されたのをはじめ、各地で北方防衛線を抜かれて蛮族侵攻を許した悲惨な年になってしまう。
 ローマ本国やギリシャ中央部まで侵攻された攻撃を退けると、翌171年はスペイン南部の防衛をアフリカからの蛮族に抜かれてしまう。
 これの手当てにも時間を割かれたが、結局マルクス帝はいくつかのゲルマン諸部族と交渉しそれなりの講和をする。
 来たるゲルマニア戦役で従わない部族を平らげる下準備としたのだが、その講和は成功とは言えなかっただけでなくまた遅過ぎた。
 せっかく講和で分断したゲルマン諸部族に付け入る戦略戦術にも、マルクス帝は不足していた。
 まず意気揚揚と攻め入った172年のドナウ河戦線でローマ軍は敗北し、せっかく切ったゲルマンの共闘戦線まで再復されてしまう。
 173年は、必死に戦略を修正して諸部族の各個撃破をすることとなる。
(この173年にはパルティアとエジプトでクーデター未遂や暴動があるが、ヴェルスやカシウスなど優れた総督たちの活躍で難を逃れた)
 174年にはサルマティア族などと戦って一定の成果を得ていたが、その北方での行動はカシウスの乱で中断する。
(皇帝病死の誤報を受けたカシウスが蜂起したが、誤報と知った自部隊の百人隊長に殺されてしまうという騒動)
 177年に息子コンモドゥスを共同帝位に就けて内乱の芽を摘むまで、外征行動は中止されてしまうことになる。
 前線での散発的な戦闘は行っていたようであるが、蛮族撃破は達成できなかったようである。
 その状況を見て、マルクス帝は再びローマの全力を傾けた大規模攻勢に出ることを決める。
 179年からの攻勢は、マルクス帝の意図である防衛強化のための近距離蛮族属州化を目指したものになった。
 ローマ軍は連戦連勝で終始し、純軍事上の制覇は全く問題が無いように見えたのだが……。

(この項続く)
552「ど」の字:03/03/09 07:30
(続き)

 ローマの人材上の、そして経済上の負担はすでに限界点近くに達していたのであった。また、マルクス帝の健康状態も。
 マルクス帝は、戦闘再開直前の180年3月はじめ、滞在していたウィーン(当時はウィンドボナと言う基地)で倒れた。
 急を聞いてやってきた将軍たちや息子たるコンモドゥス帝に、二つのことを遺言した。
@コンモドゥス帝を助け、帝国の安全維持に力を尽くすこと。内乱は決して起こさないこと。
(よほどカシウスの乱のことや、それまでのローマ内乱がローマに与えた傷を忘れられなかったのだろう)
Aゲルマニア戦役を完遂すること。
(軍事力制覇は目前であり、ゲルマニア属州化による国境防衛力強化は達成できると信じていたのだろう)
 遺言の後、皇帝は古のローマ人のように全ての経口物の摂取を拒絶し、4日後に逝去した。享年58歳。
 マルクス帝は、ローマ軍の前線で死を迎えた最初のローマ皇帝である。

(この項つづく。次回は自分こと「ど」の字による総評)
553「ど」の字:03/03/09 07:32
(続き)

 マルクス帝の生涯を俯瞰してみると、この皇帝がハドリアヌス帝をついに理解できなかったことにまず驚かされる。
 ハドリアヌス帝も、マルクス帝も、内乱を起こしてはならないという考え方は同じであった。
 しかし、ハドリアヌス帝はマルクスを帝位につけるのにアントニヌス帝という繋ぎの人材を最高の権威を与えて置いた。
 マルクス帝は、コンモドゥス帝を帝位につけるのに権威ある繋ぎの人材を置かなかった。
 コンモドゥス帝があのような治世に終始し、あのような最期を遂げた原因の一端はマルクス帝にもあるのだ。
 もしハドリアヌス帝がマルクス帝を直接帝位に就けたなら、マルクス帝も同レベル(良くてネロ帝レベル)の評価だったであろう。
 これは資質とか教育とかの問題ではなく、人格を深める時期を持てるかどうかという、単純に時間の問題である。

『自省録』には、アントニヌス帝の帝位条件に自分との養子縁組を挙げたハドリアヌス帝は一切書かれていない(暗喩はしているが)。
「名を出して語るに値せず」が、マルクス帝のハドリアヌス帝評であったことは疑い無い。
 マルクス帝は、平時の防衛システムを常時整備し効率化するという考え方が、もしかしてなかったのでは無いかと予想する。
 故に、マルクス帝は侵攻された痛みから防衛システムの必要を理解できても、システム確立のために何が必要が理解できなかったと。
 自分が、国境線を挟んだ相手に戦闘を思いとどまらせる抑止力と思うものは以下の3つ。
@侵入の隙を伺う相手を圧倒できる、維持効率の良い軍事力。
Aいざという時に、軍事力を効率良く使用できる戦略戦術の研究。
B相手がなるべく侵攻しないように納得させる交渉力。
 マルクス帝が北方防衛線で揃えられたのは、上記3つの条件のうち何一つ無かった。
 @は、すでにマルクス帝の時代には整っており、それを手直しし強化するする力量はマルクス帝には無かった。
 Aは、トライアヌス帝を含めても完全に確立できた人間は居なかった(カエサルの戦略構想は暗殺されたことで頓挫していた)。
 そして、Bはコンモドゥス帝の講和という、マルクス帝の遺言を無視した行動で成されることになるのである。
554世界@名無史さん:03/03/10 02:50
ご苦労様です
帝政ローマは高校の世界史レベルでしか知らなかったので
「ど」の字さんの評伝をいつも楽しみにしています
555世界@名無史さん:03/03/10 08:31
魅力101についての説明キボンヌ。
評伝読んでもよくわからないんだが。
556世界@名無史さん:03/03/10 09:46
ディオクレティアヌス帝を是非…
軍人皇帝以降、天寿をまっとうした数少ない皇帝なので政治高めかな?
557「ど」の字:03/03/10 13:39
(補追・マルクス・アウレリウス帝の魅力をローマ人の中で最大にした理由)

 マルクス帝は、生前はアントニヌス帝と同様に、元老院と協調して慎重な政治をしています。
 逆に言うと、思い切った改革は実施していないのですが、それが当時の元老院の好評に繋がっています。
 カシウス・ディオなど、同時代の歴史家の評判が最高なのは、それが理由です。
 カエサルには常に反対派が存在しましたが、この皇帝には殆ど反対派が存在しませんでした。
(カシウスなどは、腐敗し始めた元老院への慎重に過ぎる態度に不満を持って反乱を起こしています)

 後世の歴史家は、この皇帝が「ローマの良い時代」最後の皇帝であることもあって、かなり高い点をつけています。
 キリスト教徒に大規模な迫害をしていないので、キリスト教徒に悪く書かれていないのも好評の理由です。
『自省録』を著し、その書物に矛盾しない治世であったことも、好評に拍車をかけています。
 幸運にもキリスト教徒に破壊されずに済み、ミケランジェロにリファインされた騎馬像の存在も好評の理由です。

 同時代に全く非難されず、後世に『良い声』と『良い肉体』を残すことが出来たこと。
 これが、この皇帝の「魅力101+」判定の根拠です。あのカエサルですら、ここまでの好評を得ることは出来ませんでした。
(政治家としての力量には、カエサルとマルクス帝には大きな差があるとは思いますが…)
558世界@名無史さん:03/03/11 12:16
下がっていたのでカキコ。
マルクスアウレリウスって確かに後世の人にはすごく評価が高いけど
同時代の人には結構”偽善者”とか陰口たたかれていたんじゃなかった
でしたっけ。人間の魅力としてはただいるだけで周りの人間の気持ちを
明るくし、兵士たちには理屈ぬきで命を捧げる気持ちにさせたカエサル
の方がずっと上と思います。ということでマルクス帝の魅力は81+アイテム
自省録(魅力+20)ってのはどうでしょう。光栄っぽくてよいと思い
ますが。
559558:03/03/11 12:20
前レスが倉庫行きで読めなくなっちゃたので、もしもう評価済み
でしたらなんですけど「ど」の字さんには2代皇帝ティベリウスの
評価を是非お願いします。当時の評価と後世の評価がかなり割れる
人物ですよね。いっしょにゲルマニクスやドゥルーススなんかも
お願いできたら‥。
560世界@名無史さん:03/03/11 23:35
そろそろ割り込むぞゴルァ

【リチャード1世】(1157〜1199)
イギリス、プランタジネット(アンジュー)朝2代目当主、1189〜1199年在位
通称「獅子心王」(the Lion-hearted)
1170年にアキテーヌ公となり、反抗する貴族達を次々破っていった。
兄弟やフィリップ2世と結び、1189年父ヘンリー2世を屈服させた後、兄の夭折により国王の座に着く。
即位後、手段を選ばず資金をかき集め、わずか9ヶ月でフィリップ2世とともに第3回十字軍遠征を開始。
結局エルサレム奪回はならなかったが、無敵のサラディンを破り、わずかな成果ではあるがキリスト教徒の聖地巡礼権を認めさせ、シリア(資料によってはパレスチナとも)の一部を割譲させた。
その際の強引な戦費調達やムスリム達への残虐行為は現代でこそ有名だが、当時は(現代も?)どういう訳か敵のサラディンも含む誰も問題にしようとしなかった(あるいは無視された)。
友情を結んだサラディンとの和平交渉をすませ帰国の途に際して、オーストリア公レオポルド5世に西アジア(現代のトルコ)で旗を踏みつけにしたという理由で捕縛される。
その間弟ジョン(後の失地王)が反乱を起こすが(圧倒的な)人望の差で失敗、疾病を理由に遠征途上帰国していたフィリップ2世を頼る。フィリップ2世はそれを受け盟約を破り、フランス内イングランド領に攻撃を仕掛ける。
1194年に10万マルクという膨大な身代金を払うことを条件にようやく釈放され、イングランドで兵を集め借金を国爾(ハンコ)の改訂で踏み倒し、直ちに反抗開始。領土をことごとく奪い返す。
1199年フランス、リモージュにおいて受けた矢傷が原因で戦死。享年42歳。彼がイングランド本土に国王として居たのはわずか6ヶ月であった。
この矢を撃った射手が捕らえられると、リチャードは彼の堂々たる態度に感服、死の床で放免を命じる。だが、リチャードの死後、結局彼は車裂きの刑に処された。
中世最高の騎士と謳われるが、国王としてはただの暴君でしかなかった。にもかかわらず、現在に至るまで彼を慕う声は途絶えたことはない。
561560:03/03/11 23:38
↑の続き

【統率】74・・・ノーミソ筋肉なやり方でだが、遠くエルサレム遠征で心身共に疲れ果てた騎士達を纏め上げたことは立派。

【武力】86・・・ぢつは無敵のサラディンをアウェーで破った名将。フランス随一の賢王フィリップ2世相手にも遠征中に奪われた領土をすべて取り返している。
野戦において扱いづらい石弓を効果的に運用したのはポイント大。
「獅子心王」の名に恥じない戦上手。

【知力】56・・・ただのDQNと思われがちだが、十字軍遠征時に本国を守るためフィリップ2世も十字軍に誘ったり、サラディンとの和平交渉に対してイスラム勢の反乱情報をキャッチして蹴ったりもしている。
知恵が回っても、戦に関係のないことにそれを向ける気がないのが最大の問題だ。

【政治】19・・・説明不要。正真正銘のドキュソです。

【魅力】100・・レオポルド5世の恨みを買ったりもしたが、それを差し引いても、さんざん非道を重ねられたサラディンも「誰かに領土を奪われるならお前にやって欲しい」とまで言ったり、戦費や身代金の調達で民衆を苦しめてもすべて弟のジョンのせいになったりする。
マイナス点がことごとく無視されるか、他人のせいになったりしてあぼーんされるあたりはまさしく魅力100にふさわしい。
562「ど」の字:03/03/12 01:21
 リチャード王の評伝おつかれさま。
 物語などでは良く出てくる王ですから、最も他国に知られているイングランド王ではないでしょうか。
 政治を考えないで良い時代の将軍であったなら、名将だったかもしれませんね。行いには疑問符が付きますが。
563「ど」の字:03/03/12 01:28
>>558
 確かに、同時代人によるマルクス帝への唯一の批判は「教師的(説教臭い)」だったようです。
 しかし、マルクス帝は前線の兵士にも十分慕われていたようです(カエサルと比べるのは馬鹿げていますが)。
 普通、どんな政治をしようと不満分子は出てくるもので、そういう人が政治を阻害するのですが(例・日本のサヨク)。
 そういう人々の声を極限まで小さくしたという点で、マルクス帝の魅力を高くしています。
 カエサルの改革も、結局は暗殺で途切れてしまったことを忘れるべきではありません……。
564「ど」の字:03/03/12 01:50
 今回は、マルクス帝の尻拭い以外は何一つできなかったかわいそうな皇帝の略評です。

【ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アウレリウス】 A.D.161〜192 在位180〜192

【統率】38(他人に対する手綱を握ることができなかった。指導者失格)
【武力】59(「無知の知」は自覚していたが、それ以上はない。個人武勇はやけに高かったらしい)
【知力】21(行政書類ひとつ書かなかった。ただ単に熱意と意欲が無かっただけだと思うのだが)
【政治】18(何一つ皇帝としての通常責務はしなかった。人材の不要な粛清もマイナス材料)
【魅力】9(ローマの皇帝の中でも最低クラス。どうしても父親と比較されてしまうことも不幸)

 若くして帝位に就いた事が不幸を招くことになった、『剣闘皇帝』。
 マルクス帝とアントニヌス帝の娘との間に生まれている。
 マルクス帝の晩年には共同皇帝として、ゲルマニアの前線に出て指揮を執っている。
 マルクス帝の生前は、皇帝として不適格な人間では全く無かったようである。
 マルクス帝没後、マルクス帝の遺言を破って強引にゲルマン民族と講和という挙に出る。
 以後、この地域は優れた兵力の供給源として安定する(ガリアやヌミディアと並ぶ騎兵の産地)。
 また、戦争早期終結と予定されていた軍団創設中止で国家財政も安定させた。
 この講和とそれ以後の処置が、コンモドゥス帝唯一最大の政治的成果となる。

(この項続く)
565「ど」の字:03/03/12 02:13
(つづき)

 この皇帝の心を壊してしまったのは、信頼していた姉ルチッラが彼を暗殺しようとした陰謀の暴露による。
 それ以降、コンモドゥス帝の政治への熱意は完全に失われ、猜疑心に取り憑かれてしまう。
 それでも、近衛長官ペレンニスの補佐あって、最初の5年間は何とかやれていたのだが。
(マウリタニア防衛線の強化やカレドニア侵攻の撃退はこのペレンニスの功績)
 ペレンニスを元老院や召使の讒言で取り除いてしまって以降、側近人事の錯誤に歯止めが利かなくなる。
 それ以後のコンモドゥス帝は、実権を振るう側近に政治を全く委ねてしまう。
 ことに、後任の近衛軍団長官エミリウス・レトーの存在は、ローマに深い傷を残すことになる。
 その最期は、愛妾マルチアと召使エクレクトゥスの謀により、レスリング教師ナルキッソスに浴室で絞殺された。
 どんな武器を取っても大変な使い手であったため、闘技場では殺しようが無かったためだといわれる。享年31歳。
 人生を深める暇を与えられなかった若き皇帝の、哀れな最期であった。

 評価を下すにも、まるで救いようが無い皇帝で、当代の評も後世の評も最低クラスである。
(後世、この皇帝の悪を糾弾する映画が二本も出ている。有名なのは「グラディエーター」)
 ただ、その間のローマ財政は安定していた。災害も起こらず、大きな戦争もしなかったためである。
 もしも、姉ルチッラと彼の誕生順が逆であったら、このような最期を遂げていたであろうか?
566「ど」の字:03/03/12 02:24
>>564
 皇帝の名前を書き損じていました。

 正しくは【ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス】でした。
 失礼しました。

>>522、566、559
 過去に遡るので、全部とは言いませんがあらかたやります。
 セプティミウス・セヴェルス帝やティベリウス帝やデキウス・ブルートゥスはぜひやりたいですね。

 一渡り書いたら、ローマ文明を跡形無く破壊したキリスト教との抗争について、やっていきます。
 自分の見たところでは、ローマは排他的一神教たるキリスト教に敗れて滅んでいったと言えるのです…。
 キリスト教の勃興は、文明を千年停滞させる凶行だったと言えます。
567世界@名無史さん:03/03/12 04:07
「ど」の字さんのにも感嘆したが、前スレの948さんの昭和天皇評はそれ以上にいいねえ。
これほど納得させられるのはあまり見たことがないよ。
昭和天皇っていまだに謎が多いし、冷静に判断下せない人だからね。
568世界@名無史さん:03/03/12 04:09
リチャード評、(・∀・)イイ!! と思うんだけど
ネタっぽく魅力100にすると台無しになっちゃうんじゃ・・・

それなりに魅力あるのはわかるけど100はやっぱし選ばれし者に!
569世界@名無史さん:03/03/12 09:49
魅力100ってーと誰だ?
誰かしらどこかで反発を食ってる筈だから、いないんじゃないのかと思う。
便宜上の最高値ってとこかと。
570世界@名無史さん:03/03/12 12:24
>>569
生前の全体的評価+最期のあり方への後世の評価、
ってところだろうと。
信長や義経は「最期のあり方(非業の死)」で、かなり魅力
アップしているからね。そこは評価しないと。
カエサルは生前95+最期25、
でも100が最高値なので100ってところかと。
571世界@名無史さん:03/03/12 12:36
>570
信長は反乱を起こされるだけの事をした訳で、非業の死ではないと思うが。
572世界@名無史さん:03/03/12 12:45
正直最後のあり方なんぞを評価に加える必要はないと思うけれど・・・まあそれは評者の自由ですしな。
573世界@名無史さん:03/03/12 15:10
マイナス点も加味しないと一方的な評価になる。
信長は典型だな。明智光秀に裏切られて死んでるわけで、かなりマイナス。
魅力が高けりゃ裏切らん、と。

裏切られて死んだ人物は、その点をかなり考慮しないと。
574世界@名無史さん:03/03/12 15:19
まぁカエさんも魅力100はいかねーな
575_:03/03/12 15:19
イエスキリスト

【統率】42 結局は弟子に裏切られるはめになった。
【武力】89 ユダヤ教シナゴークに対するテロ行為を繰り返し時の支配者を悩ませた
【知力】12 当時の流行に従い自分をメシアであると嘯いた
【政治】 ? 未知数
【魅力】28 実は処刑された時、気にかける人間は誰一人としていなかった
【野蛮】99 後の世界では彼の教えに従い多くの尊い命が奪われた
576世界@名無史さん:03/03/12 20:09
>>573
信長は、利をもって人を引き付けるタイプの指導者で、
人間的な魅力はあまり高くありません。
彼の治世で、最も多くの利益を得たと思われる明智光秀が裏切ったのは、
やはり、実利上の理由でしょう。

1581年から、1582年にかけて、織田軍は急激な膨張を遂げました。
しかし、以前のコラムでも書いたとおり、信長は組織を統御する能力に欠けており、
本能寺の変の時点の織田軍は、もはや彼が矛盾無く運営できる規模を大きく越えていました。
明智光秀の裏切りは、大きくなりすぎた織田軍の組織的な矛盾が、
反乱と言う形をとって現れたものだと、私は思います。

ですから、魅力よりは、統率力に帰せられることではないかと思います。
577世界@名無史さん:03/03/12 21:57
>>573

それなら、暗殺の原因に繋がった他の能力を下げればいいと思う。
実際、「魅力」を厳密に生前の評価に限定すれば、
アレクサンドロスだってインド遠征やカルタゴ遠征計画で
部下の兵士にとってはいい迷惑だったろう。
毒殺説もあるわけだし。

>>575
キリスト教が野蛮になったのは彼の死後数百年以上経った後だから、
彼一人の責任にするのは酷だと思う。
578世界@名無史さん:03/03/12 22:53
>575
多教の神を自分たちを守護するものとして取り入れた仏教と、すべて敵として取り入れたキリスト教。
思想自体が野蛮ですし。もちろんユダヤ教もそうだった訳ですが…
579世界@名無史さん:03/03/13 09:14
過去ログにもあったけど減点方式だと100になるわけないからね。しかし100を超えるような
史上輝ける人物には100以上からの減点で100ってのはあり得る。
後世の評価を加味するかとかは評者次第だけど、説得力は欲しい。
とにかくバランス感覚ですよ。

サラディンのドキュソぶりは政治力とかに反映してるんだろうけど
漏れ的にはその印象が強くて魅力にも反映してしまって100はないだろって感じw
580世界@名無史さん:03/03/13 10:56
>>579
100の基準がないのに、100を超えるってのは変だろ。
そんなに凄いなら、そいつが100で良いのではないか。
581山崎渉:03/03/13 12:42
(^^)
582世界@名無史さん:03/03/13 21:33
>580
だから>579は100を超えるような人は100でも良いとおっしゃっているではございませんか。
583世界@名無史さん:03/03/14 03:28
>>582
それ以前に「100を超える」って表現が変だって事だろ。

魅力100はどんな人で、歴史上の人物では誰に当たるのか。
それを決めた上で、後からその人物より魅力が高そうな人が
見つかった時に、初めて「100を超える」ということになると思う。
584世界@名無史さん:03/03/14 21:14
つーかそれ以前に「魅力」の内容の定義をやった方がいいんでは?
純粋な人格的・人間的魅力? カリスマ?
何に人間的魅力を感じるかは人それぞれだしなあ。
死後に新たな史料が発見されて評価が変わる、ということもありうる。

大体、ヒトラーなんて生前と今とは評価が180度違うだろう。
あれも一種のカリスマだろうが、人格的・人間的魅力とは違うだろうし、
その辺難しいと思う。

大体、先天的にカリスマ持ってる人間なんてかなり珍しいだろう。
ある地位に達するまでの苦労は「人間的魅力」には含まれるが、
「カリスマ」であるには必ずしも有利ではないだろうし。
585世界@名無史さん:03/03/15 13:46
夏姫、西施、楊貴妃、このあたりの魅力は如何に?
コーエーのゲームだったら100だろうけど。
586世界@名無史さん:03/03/16 00:24

587世界@名無史さん:03/03/16 15:24
>585
歴史を作った魅力と
歴史を乱した魅力とは、同列で判断できない
588世界@名無史さん:03/03/16 18:13
>>585
コーエーゲームの魅力は外見ではなく人間的魅力ではないのか。
よってその3人が100となるかどうかは……
589世界@名無史さん:03/03/16 19:26
黄巾のボスのひともけっこうな魅力なんじゃなかったっけ?
590前スレの948:03/03/17 19:01
コラム 「魅力についての私論」

私は魅力を「不特定多数の他人から、利害関係を越えた支持を得る能力」と規定しています。
世界史に名を残す人物なら、子飼いの部下の忠誠を得ることぐらいは、出来て当たり前です。
その中には、その人物のために、命を賭ける人間も何人かはいるでしょう。
しかし、中途から従った人物の忠誠を得ることは、とても困難です。
一国の国民の支持を得るのは、さらに困難なことです。
それを可能にするのが、人間的魅力です。

ただ、魅力だけでは、何も出来ません。
統率力が無ければ、支持者を集めても動かすことは出来ません。
武力が低ければ、命惜しさに兵士は逃げ散ってしまいます。
知力が低ければ、判断を誤り、支持を失くするような判断をしてしまいます。
政治力が低ければ、支持者同士の調整を図れずに、自分の地位を保てなくなってしまいます。
魅力は、あくまでボーナスと考えるべきでしょう。
591前スレの948:03/03/17 19:11
ただし、その他の能力が問われる地位に居ない時期なら、魅力の高さは、かなり重要です。
例えば、指導的地位に就く前の政治家、即位していない王族などです。
このような場合は、魅力の高さだけで有能な指導者というイメージを人々に与え、
高い地位に就くことも可能です。

ただ、魅力だけが高い人物は、多くの場合、人々の期待を裏切ることになります。
統率力の低さゆえに、組織を弱体化させたり、
知力の低さゆえに、組織を誤った方向に導いたりするからです。
その好例が、元コンゴ共和国首相パトリス・ルムンバです。
592前スレの948:03/03/17 19:32
ルムンバは、現在では理想的な政治家としてアフリカ中央部で崇拝されています。
そのカリスマと、高邁な理想は、多くの人をひきつけ、
彼がこの世からいなくなって数十年が経ってもなお、不朽の輝きを放っています。
しかし、指導者としては、愚劣としか言いようの無い人物でした。
指導力があまりに低かったためにコンゴ動乱を引き起こし、自らの不幸な死を招いたのです。

伝説的なカリスマの持ち主でありながら、それ以外のものは何一つ持っていなかったこと。
そして、欠点を補ってくれる有能な人物が居なかったことが、
ルムンバの、そしてコンゴ人民にとっての悲劇でした。
593前スレの948:03/03/17 19:43
簡単に言えば、
魅力は「利害関係の無い不特定多数の人間を集める能力」
統率力は「集めた人間を使う能力」です。

ですから、魅力が高くても、統率力が低ければ、裏切られてしまいます。
人間的には魅力的でも、将来を託すには不安があるからです。
逆に魅力が低くても、統率力が高ければ、裏切られません。
優れた指導者は、人材を上手く使うし、裏切られても抑え込むことが出来るからです。

人々から敬愛されたルムンバやスカルノは、裏切りによって国を失いましたが、
人々に嫌悪されたスターリンや始皇帝は、致命的な裏切りにあうことなく大帝国を築き上げました。
それは、彼らの統率力に差があったからなのです。
594前スレの948:03/03/17 19:53
>>579
私は減点方式は取りません。
偉大な人物の評価を、些細なミスで下げることなど、
愚かしいことだからです。

減点材料は、あくまでその人物に一生付きまとった欠点だけにするべきであると考えています。
つまり、ブルータスに暗殺されたことのみをもって、
カエサルの能力を下げる材料とすることには、反対であるということです。
彼ほど偉大で有能であれば、敵対者にとってはそれだけ目障りであり、
それゆえに、暗殺計画も念の入ったものになると考えるからです。
595前スレの948:03/03/17 20:01
>>584
ヒトラーは、悪魔でも何でもなく、ただの人間です。
巧みな話術と、豊かな知性を兼ね備えた彼が、
多くの人の心を掴んでみせたのは、ごく自然なことです。

私は、「先天的なカリスマ」というものの存在は信じていません。
カリスマというのは、あくまでベーシックな人間的能力の延長上にあるもの。
つまり、きわめて常識的なものの範疇に入るものであると考えています。
596前スレの948:03/03/17 20:06
>>585
いずれも、権力者の寵妃だったというだけの人物であり、
独自の意思をもって歴史を動かした人物ではありません。
彼女たちの魅力が君主を堕落させたのは確かですが、
それは人の支持を得る魅力ではなく、君主の寵愛を得る魅力です。
私は、このスレにおける魅力とは別物であると考えています。
彼女たちが魅力100なら、秦の趙高(二世皇帝にのみ絶対的な支配力を誇り、国を傾けた)だって、
魅力100になります。
597世界@名無史さん:03/03/18 01:51
>前スレ948

ヒトラーを例に出したのは、ユダヤ人その他への差別政策の兼ね合いで。
あれは>>594で言う「一生付きまとった欠点」だと思うし、
一般的には彼の人間的魅力を下げこそすれ、上げはしない。
ただ、それが発覚したのはほぼヒトラーの死後だということで、
生前の魅力に限定してしまうと、この要素が完全に抜け落ちる。
加えてヒトラーは、>>590の規定はほぼ満たしている。

こういう場合、私は死後の発見も数値の検討内容に入れるべきだと思う。
さもないと生前と現在の評価の差を説明したことにならず、
歴史としては片手落ちになるから。
598世界@名無史さん:03/03/18 06:44
>>596
するとエビータあたりは魅力に反映されるのかな?
599前スレの948:03/03/18 21:02
>>597
差別政策は、ドイツ国民やナチス党員のヒトラー人気を下げるものではありませんでした。
ヒトラーが穏健な政治家なら、中核的な支持層の多くは、
彼を支持しなかったことでしょう。

「穏健で差別政策を採らないヒトラー」などは、存在しません。
ヒトラーが激しく差別的な政治家として登場し、
ドイツ国民の支持を受けたという事実が存在するだけです。
虐殺をしようと、粛清をしようと、魅力的な人物は、魅力的なのです。
600前スレの948:03/03/18 21:16
>>596
エヴァ・ペロンは、傑出した宣伝家、大衆政治家として、名を残す人物です。
そして、死後半世紀経ってもなお、絶大な人気を誇っています。
夫のアルゼンチン大統領フアン・ペロンも決して無能とは言えない人物でしたが、
エヴァがその短い政治生活で放った輝きと比べると、どうしても色褪せてしまいます。
それだけの存在感を示してきた彼女の魅力が高いのは、ごく当然のことです。
601世界@名無史さん:03/03/18 21:54
マウリッツの能力ってどんなもん?
602世界@名無史さん:03/03/19 01:30
>>599
ただ、ヒトラーの差別政策の核心部分(いわゆるホロコーストや
安楽死政策)は、公表されていたわけではない。
要するに一般国民=不特定多数の人々は、ヒトラーの(ナチスの)
そういう部分を明確には知らなかった。
あと、ヒトラー自身はナチス内では必ずしも過激ではなく、ホロコーストを
明確に指示したことはないとの説もある。(ヒトラー関連スレ参照のこと)

その中でヒトラーに与えられた支持というのは、ある種の虚像に対する支持
だろう。理想化されたヒトラー、というべきか。
その「虚像」に対して得られた支持を、そのまま「魅力」として
数値化していいものかどうか。ことに「実像」との落差が激しい場合。
(普通は死後に虚像が作られるものだが、ヒトラーは隠すことで
生前から虚像が存在した)

虚像を維持しえたのは政治・統率などの能力が高かった
ためだから、そっちの方を高く評価することに異存はないが、
生前の「魅力」はあくまでも「虚像」に対する支持として、
割り引いて考えた方がいいと思う。
603世界@名無史さん:03/03/19 18:40
>>602
いくら政治や統率が高くても、大衆的支持を獲得することはできません。
魅力が無ければ、畏怖されても、好かれることは無いのです。
ヒトラーは、畏怖されたというよりは、好かれた指導者です。
やはり、個人としても、豊かな魅力を持っていなければ、
ヒトラーはあれほど広汎な層から支持を得ることは出来なかったでしょう。

虚像を作るにも、基礎となる魅力が無ければどうにもならないのです。
生まれてから死ぬ日まで、プロパガンダによって、
虚像を作られてきた裕仁の魅力を高く設定したのも、そういう理由からです。
604世界@名無史さん:03/03/19 18:57
マウリッツは、ヨーロッパ戦史において、最も偉大な将軍の一人です。
偉大な組織者であり、偉大な軍事科学者であり、
野戦・城塞戦・ゲリラ戦のいずれにも卓絶した力量を見せた用兵の天才でした。
彼ほど、軍人としてのありとあらゆる才能を一身に集めた人物は稀です。

おそらく、統率・武力ともに90を越えるでしょう。
これだけの能力を持った人物は、歴史上では数世紀に一人ぐらいしかいません。
605「ど」の字:03/03/24 01:55
>>604
 誰かマウリッツの能力と略史やってくれないかなー……。
 この人、オランダの生みの親みたいなものでしょ?


 現在、ローマ共和制末期の人物を編集しています。
 そちらの方はしばらく待ってください……。
 ティトゥス・ラビエーヌスやデキウス・ブルートゥス、少ししたら上げます。
606世界@名無史さん:03/03/24 19:53
>>605
マウリッツ公は偉大な才能で歴史を動かし、栄光に包まれて世を去りました。
あえて私がここで顕彰しなくても、公の偉大さは明らかです。
そういうわけで、今のところはマウリッツ公の評伝を書く予定は無いのです。

現在、「最も良き意図を持ちながら、何一つなしえなかった君主」の評伝に着手しています。
楽しみにお待ちください。
607前スレの948:03/03/24 20:05
コテハン付け忘れました。>>606は私です。

>>605
共和制末期の人物なら、クラッススの評伝を希望します。
英雄カエサルと、常勝ポンペイウスに比肩し得るほどの地位に登ったにも関わらず、
金持ちであったことと、カルラエで敗れたことでしか語られない人物です。
彼が、なぜ3頭のうちの1頭でありえたのか、
あなたの筆で明らかにしていただければ幸いに思います。
608世界@名無史さん:03/03/24 23:56
このスレは良スレだね。
609世界@名無史さん:03/03/25 01:41
「ど」の字たん。
アウレリアヌスの良きライバル、
パルミラ女王バト=ザッバイ ゼノビアきぼんぬです。ハイ。
610世界@名無史さん:03/03/25 01:51
クラッススは最近興味を持ったばかりなので、便乗して希望。
やはりスパルタカスの敵役というのがマイナスイメージになっているのだろうか。
そして最後にはポンペイウスに美味しい所持って行かれたのも痛いかも。
かなり有能な人物ではある筈なんだが……
611世界@名無史さん:03/03/25 02:18
「ど」の字さんではないが・・・
クラッススが3頭に入り込んだのはカエサルの思惑。
元老院とは一線を隔す商人層の代表としてだと思われ。
有能かどうかは関係なかった為、
「金持ち」のキーワードでしか語られないのでは。
612世界@名無史さん:03/03/25 02:28
つか、それを言うならポンペイウスだって本来は立候補権すら無かった筈だが>コンスル
それだけスパルタクスの反乱がローマにとって衝撃的であり、
その鎮圧に大功あった両名が選ばれた最大の理由だと聞いたが。
無論、クラッススに多額の金を借りていた借金王カエサルの思惑もあっただろう(w
613世界@名無史さん:03/03/25 11:12
息子の方は結構有能だったらしいが>クラッスス

クラッススは単なる商人と言うより実業家で、
今で言うアパート経営(質はともかく)もやっていた。
金に困らなくなった人間が次に求めるのは名誉か地位、というのは
古今東西そう変わるまい。
その辺をカエサルが利用したのは言えるだろうが、
クラッススに何の政治的野心もなかったとは思えない。
野心がなければ、キケロの友人のように実業に専念する生き方も
あったわけだから。
614世界@名無史さん:03/03/25 12:14
 キリストや釈迦やマホメッドの魅力は100でいいのかな?
 100は神だそうだから。
 その場合、パウロとか、龍樹はいくつが妥当なんだろう。
615558:03/03/25 12:24
カエサル関係ではどうしても塩婆受け売りになりがちですがクラッススは
カエサルの大借金を肩代わりしていたから、カエサルとしてはいろいろ
政治的利益誘導をしてあげる必要があったのではないかと思いますが。
クラッススはカエサル、ポンペイウスに比べ小物とは思いますが、彼が
いたからこその三頭政治とは思います。あと最近講談社から出ている
内乱記を読んでいたらその解説に塩婆が全く触れていなかった暗殺直前
のカエサルの精神的堕落が書かれててちょっとショックでした。うーむ、
カエサルほどの人でも独裁権力を握ると人格が変貌するのかーと思って
ちょっとブルー。
616世界@名無史さん:03/03/25 16:32
よりゲームっぽく特技とか兵科適性をつけてみると面白いかも。
617世界@名無史さん:03/03/25 16:44
>>615
そこは解釈の問題ではないかと。
あと、スエトニウス(だよね? 手元にあるので確認した)
自体の信憑性もどうだろうって感じなんだが。
確かローマ関係の書き手には「スポーツ紙並みの信憑性」しかない
と判断されてるのが一人いて、それがスエトニウスじゃなかったっけな。
(詳しい人補足頼む)
いずれにしてもカエサルの死後に又聞きで書いた本だろうから、
(三次史料)、史料としての信憑性は幾らか落ちる。

というかそんなことを実際に言ってたら、キケロあたりが手紙か何かで
記録に残してそうなんだが。そっち方面は見つかってないからね、
何とも言いようがない。
618617:03/03/25 18:00
出がけに書いたもんで焦って分かりにくくなったか。

下から三行目の「そんなこと」ってのは
講談社の「内乱記」に出てきたスエトニウスの文における
カエサルの言葉。
カエサルが共和制を否定するようなことを公の場で言ったと
書いてあるんだが、キケロあたりの史料がその辺不明確なんで
どうだろうと。
もし書いていたら、そっちの方が引用されるはずだからね。
619558:03/03/26 08:26
すごい下がっていたのでカキコ。
>617
うむ、確かに出典はスエトニウスのようですね。そこまで見てませんでした。確かに
記載の正確さにかけることで有名でしたね。ネロが自分の野望のためにローマに火を
かけたとか、カリグラをセックスの魔人のように書いていたのも確か彼‥。そうなる
と逆に東スポのようなもので誰も信じなくなるという効果が生まれてきそうですね。
しかしカエサルの”ブルトゥス、お前もか””来た見た勝った”も確かスエトニウス
からの出典‥。どこまで信じてよいのやら。
620bloom:03/03/26 08:43
621世界@名無史さん:03/03/26 13:27
>>619
多分、周りがカエサルに対して気を遣うようになっていたのは
事実と思う。実際、称号/特権を貰ったのは塩婆のにも書いてあるし。
ただ、それとカエサルが実際にああ言ったというのとは違うから。
その辺は他の史料/本との類推。
ブルタルコスとかで類似の表現があれば、多分そうだったんだろうと
言えるけど、あれだけでは何とも言えない。
キケロの手紙で直接言及があれば、ほぼ間違いないんだけどね。

エピソードに関しては、小説やら戯曲やらのネタにする分には
別にスエトニウスでも構わないと思う。
そこは書き手の自由で、解釈の問題だから。
622世界@名無史さん:03/03/29 01:14

623世界@名無史さん:03/03/29 23:39
age
624「ど」の字:03/03/31 23:14
 再び、紀元前1世紀の動乱時代に戻ります。オクタヴィアヌスが抜擢した、最良の広報幕僚です。

【ガイウス・クリニウス・マエケナス】 B.C.70頃〜B.C.8

【統率】55(ローマの軍人としては十人並み)
【武力】50(武の功績は全く聞かれない。破綻もしていないが)
【知力】80(教養は当代最高ランク。また自らの役割に良く識り、そのために尽くした)
【政治】86(アウグストゥスの私的幕僚として、大きな功績を残した。文化広報と外交に特功あり)
【魅力】77(エトルリア民族を纏める才はあった。民族としてのエトルリアに自ら止めを刺した人でもある)

 現代にも企業の行う『メセナ運動(文化助成活動)』の開祖として知られている人。
 当時のエトルリア民族の中心的な一族に生まれ、家はスッラの迫害に遭遇もしている。
(古くはエトルリアの王の一族であったとの説もある)
 オクタヴィアヌスとの出会いは、フィリッピの会戦のさなかだったと言われる。
 その出会いを経て抜擢されたマエケナスは、以後外交交渉を一任される。
 共にオクタヴィアヌスを助けたアグリッパと違い、彼はそれ以降は公職に就いていない。
 私的顧問としていつでも相談できる人としての役割を求められたからである。
 また、同時にローマの文化と広報担当を一任されることになる。
(彼の助成を受けた有名な詩人に、ラテン詩文の巨人たるウェルギリウスとホラティウスがいる)

 彼の死は、アグリッパの四年後のこと。
 アウグストゥスの両腕とも言えるこの二人と、引き取って育てた子のティベリウス。
 彼らの政治舞台からの脱落が、アウグストゥスを危険なゲルマニア問題に踏み込ませることとなる。
625187:03/04/01 01:52
 唐代の名将李靖(字は薬師)は忘れてはいけないと思うのだが。

 統率92(江南からモンゴル高原まで、支障なくスムーズな舞台運用を可能にした点は高く評価できる)
 武力99(農耕民族の軍隊が騎馬民族相手に騎馬戦術で勝つ・・・神業としか言い様がない。その上、江南での船戦まで見事にこなしている)
 知力90(将軍としてだけではなく参謀長的な役割をこなしていた事や、太宗の高句麗遠征に反対するなど、戦略的判断も的確)
 政治81(中書令として、政務を担当し、滞りなく世界帝国への礎を太宗とともに築いた点を評価。ただ、魏徴や房玄令などに比べると一歩劣るか)
 魅力72(太宗からも敬われ、引退後も事実上の最高顧問であったことを考えるとこれくらいあると・・)

 ともかく戦術、戦略、双方の合計点、1人で前線指揮官、参謀長、政治家を兼ねる豊かな才幹は長い中国史でもトップ3に入ると思われます。
 後世、余りの活躍ぶりに民間伝承では神仙の仲間入りを果たし、西遊記にも登場。また武神としても崇拝され、毘沙門天として扱われています。
 
 個人的には武力は100でも良いと思うのですが、諸賢の反論を期待w
626世界@名無史さん:03/04/01 07:21
どのスレの187なんだろう
627187:03/04/01 07:56
 ごめんなさい。紛らわしいですね。187はスレには関係ないです。(新しいHNに、っと思ったのですが)
 よく考えたら626さんのように誤解するのが当然・・・・。大失敗w
628「ど」の字:03/04/02 11:37
>>625
 お疲れ様でした。
 自分はこの数字にはあらかた同意します。
 武力は、自分はアレクサンドロスV世なみの97を与えて良いのではないかと思います。
 長い中国史でも、この数字を出せるのはこの人一人でしょうね。日本人には居ない…。
629中華@名無史さん:03/04/02 18:47
まぁちょっと聞いてくれよ「ど」の字よ。スレとはあまり関係無いけどさ(w

「ど」の字氏ってサカ板住人だったんですね?ちょっと感動(趣味被ってて)
雑談ぽかったけど、本人が良く現れるだろうスレが、此処しか思い浮ばなかったので、
スレ汚しかも?とも思いましたがお邪魔しました。スマソ
630世界@名無史さん:03/04/02 18:57
サカで思い出しましたが
どなたかトルコ現代史の英雄、ケマル・アタチュルクを数値化していただけませんか?
(欠点は早死にしたことだけ、と私はおもってるんですが)
631世界@名無史さん:03/04/02 19:06
誰かイラク戦争編お願いします。
632「ど」の字:03/04/03 00:01
>>629
 はい。元々は川崎サポで、今は福岡サポです。
 サッカーを見ているうちに韓国のことを知って、ハングル板住人になりました。
 また、排他的一神教が世界を壊していく過程を調べるうちに、ローマ史を学ぶようになりました。

 私事で恐縮ですが、今日からギコナビ導入致しました。
 少しは板に書きやすくなると思います。

 次回書きこみは、多分共和制末期ローマになります。
 トチ狂ったら、自分の拙い知識でアメリカの大統領の略史を書くかも。
633世界@名無史さん:03/04/03 02:18
>631
評価の変動する余地があるので、
基本的に存命中の人物は扱わない事になっている筈だが。

ま、イラン・イラク戦争編なら何名かは可能か(何
634世界@名無史さん:03/04/03 12:51
アメリカ帝国のカエサル、ジョン・F・ケネディの評価はどうかな。
635世界@名無史さん:03/04/05 00:11
今更ですが...
各能力値についてみなさんはおおよその定義をどのように考えているのでしょうか?
【統率】戦術(大隊クラス)、戦略レベルでの戦争指導、方針決定力及び人身掌握力
【武力】戦術級での、個人の武功が及ぶ範囲での戦闘能力
【知力】これが定義しづらいが
     書生としての知識と、謀略やあらゆる場面に対応できる頭の回転を総合
【政治】政策決定、 先見の明の有無や対話能力が影響?
【魅力】これは上に議論されていたのですが
    信長や家康、あるいはカエサルといった人間の魅力は
    どう反映すればいいのでしょうか?
当時生きていた人間からの尊敬を集めるのはともかく、後世になって高く評価される
ようになった信長のような場合は魅力が低くなりがちです。
636世界@名無史さん:03/04/07 16:32
あげ
637「ど」の字:03/04/08 18:54
 ようやく私事が吹っ切れたので、少し筆を進めます。
 カエサルやポンペイウスと共に、共和制ローマ末期の三頭政治の一頭だった男です。

【マルクス・リキニウス・クラッスス】 B.C.115?〜53

【統率】50(ローマの将軍としては中程度。方面軍司令官としては失格)
【武力】69(スッラ復権の際やスパルタクスの反乱鎮圧に功績があった。ただ戦略の才に欠ける)
【知力】68(多分に見栄重視にしろ高い教養は積んでおり、息子にも良い教育を積ませている)
【政治】74(当時の手詰まりだったローマを理解できてはいたらしい。小手先のテクにも定評があった)
【魅力】45(金に貪欲であったことが知られており、支持者以外のローマ市民に好かれてはいなかった)

 血筋ではローマの名門の生まれであるが、騎士階級(経済界)代表とみなされていた男である。
 マリウスの粛清によって父と兄を失っており、復仇の念に燃えてスッラ派に加わった。
 スッラ揮下の将として働くが、年下の将軍ポンペイウスと軍才で戦うことを避けて政界入りする。
 B.C.73から起こった剣奴スパルタクスの乱では、対抗するローマ軍の中核を担い、これを殲滅。
 ただ、残敵掃討戦を見事に行ったポンペイウスに手柄を取られる形となり、凱旋式の名誉も喪う。
 ポンペイウスとの不和はこの件で決定的となる。弁護士キケロともあまり仲が良くなかったようだ。
(この項続く)
638「ど」の字:03/04/08 18:55
(続き)
 当時から借金王カエサルの最大債権者であったらしいが、そのカエサルの仲介で三頭政治に一枚噛む。
(ポンペイウスが噛んだと知れば、自分も噛まなければ夜も眠れなかったであろうけれど)
 協働して国内問題の閉塞を解決した後、ローマ東の国境線を侵していたパルティア問題に取り組む。
 が、彼には総司令官としての視点と経験に欠けており、情報収集も十分な準備もないまま軍を進めてしまう。
 しかも、三頭のうの二頭から付けられた息子プブリウスやカシウスを活かさず、自ら指揮を執ってしまう。
 いくつもの過誤の末に、パルティアの将となったスレナスの軽弓騎兵一万騎を使った斬新な戦術の前に敗退。
 撤退の殿に残ることになってしまった彼は結局包囲され、部下の兵士に逐われるように交渉を強いられる。
 交渉の席上での混乱の際に死亡。享年61歳。
 なお彼の死因はローマの制式武器グラディウスによる刺突。捕虜になるのを恐れた幕僚に刺されたらしい。

 パルティア遠征に出たクラッスス軍四万人余りのうち、帰還できたのは一万足らずと言われる。
 戦死二万人、捕虜一万人を出した、ローマ史に残る敗退になった。
639世界@名無史さん:03/04/08 23:40
とりあえずさ、
【統率】【武力】【知力】【政治】【魅力】
この5つのステータスで数値が100の奴を決めないか?
何かインフレしすぎてるようで・・・

で、各偉人の能力を査定する際、能力値100の偉人と比較して、
どの程度劣るかを考えた方がいいのでは?
640世界@名無史さん:03/04/09 00:00
>>639
おい、100のやつがいることがすでにインフレだと、
何故気づかない?
641「ど」の字:03/04/09 00:30
>>639
 100と言ったら、生き神クラスですね……。
 100を基準にして80以下の人物数値を決めるのはどうかと思いますが。
 しかし、世界史的に見ても飛び抜けて高い人物を比較するには役に立つかもしれませんね。
 やってみましょう。
んじゃその候補を絞り込もう。
貧弱でスマンが、

【統率】カエサル、アッチラ、カール大帝、ムハンマド、スターリン、毛沢東
【武力】アレクサンドロス、大スキピオ、カエサル、フリードリッヒ大王、ナポレオン一世、ネルソン、トハチェフスキー
【知力】サラディン、ゲッペルス
【政治】アウグストゥス、織田信長、アクバル大帝
【魅力】カエサル、ムハンマド、リチャード一世、ホー・チ・ミン

さあ、まずは漏れを叩くところから始めよう。


>>640
漏れは>>639
相対評価でいこう、そのために能力100の人物を決めよう
という趣旨だとオモタが。
しまった、【魅力】に「J・F・ケネディ」を入れるの忘れてた。
あと、【政治】に高橋是清を入れてみようか。
644世界@名無史さん:03/04/09 00:34
【武力】100でもめそう
【魅力】100でもっともめそう
645「ど」の字:03/04/09 00:46
 ただいま思考中……。

 武力では、アレクサンドロス大王は100認定してもおかしくないですね(自分はかつて97を出しましたが)。
 政治では、アウグストゥスは100与えても文句はないと思います(自分は99にしましたが)。
 魅力、カエサルの100に文句を言う人は居ない筈です。
 統率は、ここに挙げられている人物で100出せる人物は居ないのでは?全員どこかに瑕がありそう。

 もう少し、考えてから書いてみたいと思います。
646世界@名無史さん:03/04/09 00:58
>>642
えっと、前スレの「どの字」さん評だと
カエサルは武力96で知力100だったような。
実際カエサルは幾つか負けてる(戦術的敗退)し、武力100は
ちょっと高すぎる。96か97だろう。最終的には全て勝ってる
(戦略的勝利)から、どう低く見積もっても90以上はあるが。
あと、途中で配下の兵士の反乱に遭っていることを考えると、
統率も100はいかない。
ただし最終的にほぼ無血で収めているから、95以上は
固いところだが。
問題は、暗殺をどの項目で減点するかだ。
ただ、カエサルに100なら知力と私も思う。
647世界@名無史さん:03/04/09 01:03
>>645
東郷平八郎、ネルソンとかは海戦史上の(武力?統率?)100に値する人物としてもいいんじゃないかな?
両方とも相手がDQNだったことを無視して。
648世界@名無史さん:03/04/09 01:08
>>642
信長はあのまま天下とって廃朝して自分が皇帝にでもなってたら
文句なく100

毛沢東の100は行き過ぎでは?やっぱ4億の住民をまとめた力量からか。
朝鮮戦争でもアメリカ相手に善戦してるし。個人的には90くらいでいいんじゃなかろか。

魅力100は劉邦じゃ駄目か、といってみる。
649「ど」の字:03/04/09 01:10
>>646
 自分は、カエサルの暗殺の件は統率で減点しています(96)。
 カエサルは、知力と魅力に100を出せる、世界史上のスーパーマンではあります。
 カエサルの政治はどうでしょう。自分は99を出しているのですが。武力は96か97で適当でしょうね。

 100を二つの項目で出せる人物は、他には居ませんよね……?
650世界@名無史さん:03/04/09 01:12
前にもちらと出たが、統率力はチンギス=ハーンも有力候補だと思われ。
知力には孫子の両名も。
651前スレの948:03/04/09 01:19
>>642
統率100候補には、秦の始皇帝を加えても良いと思います。
秦は皇族や重臣が足の引っ張り合いをしていたために、
単独で六国と対抗する力を持ちながら、天下統一には乗り出せませんでした。
しかし、彼が秦の実権を掌握すると、瞬く間に秦は六国を併呑し、
大規模な反乱を招くことも無く、中華帝国という概念を打ち立てました。
彼が秦の最高権力を掌握している間は、秦軍は無敵の軍隊でした。
ロウアイの乱などは、呂不イ粛清の一環と見るべきで、
彼の統率力を減点するものではないと思います。

私は、始皇帝とスターリンを、統率力100に推します。
652世界@名無史さん:03/04/09 01:25
正直魅力100はカエサルよか
劉邦やらサラディンなんかだよな
653世界@名無史さん:03/04/09 01:29
>642
趣旨とは全く関係無いが、ゲッ「ベ」ルスな。

統率力「だけ」ならスターリン最強だろ。
魅力は劉邦に1票。
654世界@名無史さん:03/04/09 01:32
>>653
独ソ戦争を勝利に導いたといっても、その代償として
損害が大きすぎます。バルバロッさ直後の戦争指導を放棄していた点も
減点。スターリンとヒトラーはどっこいどっこいですよ。
私はスターリンのほうが上だとは思いますが。
655世界@名無史さん:03/04/09 01:36
天才スレのノイマンたんは知力100でいいのか?
656前スレの948:03/04/09 01:36
>>642
毛沢東の場合は、蕭何と張良の才を一身に兼ねた周恩来と、
陳平にも比すべき策士劉少奇を両腕にしていたことも大きいでしょう。
この二人がいなければ、軍政両方に強大な権限を有していた中国共産党の地方組織は、
実質上独立国家として振舞うこととなった可能性が高いと思われます。
(実際、建国の功臣である高崗は自立しようとして、失敗しています)

大躍進、文化大革命で、国そのものを揺るがしかねない悪政を敷き、
行政組織と軍隊を弱体化させた毛沢東は、統率90も怪しいです。
統率90は、むしろ毛沢東の後始末に奔走したケ小平に与えるべきでしょう。
毛沢東の真骨頂は、政略にものすごく強かったことと、
高い魅力でいくらでも人材を集めることが出来たことだと思います。
657世界@名無史さん:03/04/09 01:37
>655
このスレの知力の趣旨とは違うような気がする。
前スレが読めるようになったので、今読んでます。
中国史に暗いのであっちの人間は丸投げさせてください。

サラディンの人望は、主に人間的魅力よりその行いによるものだと思ったので、【知力】100にしました。
「偽善的でイヤらしい」という評をする人もいますので。
【魅力】100は「どーしてこんなヤシが人望あんだ、俺にはわかんねーぞゴルァ」な人間にふさわしいと思いました。

>>652
ゲッベルスだったのか。

アクバル大帝は結構自信あったんですけど。今度評伝書いてみます。

ちなみに、>>560は漏れ。けっこうマジだったんだけど。
659前スレの948:03/04/09 01:47
>>642
私はヨーロッパの暗黒時代史には疎いので、
アッチラとカール大帝については、何とも言いかねます。
また、何かと内輪もめが多かったイスラム帝国から統率100を出すのには、賛成できません。

あと、統率100候補には、チンギス・ハーンと、
明の朱元璋も加えるべきだと思います。

>>654
ヒトラーは国を亡ぼしましたが、スターリンは世界帝国を築き上げました。
この差は、大きいと思います。
660世界@名無史さん:03/04/09 01:52
【魅力】の決定打は「将の将たる」ことかと思われ
661世界@名無史さん:03/04/09 01:53
>658
>「どーしてこんなヤシが人望あんだ、俺にはわかんねーぞゴルァ」
なら劉邦だな(w
662 :03/04/09 01:53
大帝国の創立者ならば、100ゲト争いになってもしかたがないの?
663世界@名無史さん:03/04/09 01:54
>>「どーしてこんなヤシが人望あんだ、俺にはわかんねーぞゴルァ」
これはやっぱ劉邦だろ
664世界@名無史さん:03/04/09 01:56
【魅力】100
は劉邦でケテーイか?
665世界@名無史さん:03/04/09 01:59
リチャードちんぴんち
666世界@名無史さん:03/04/09 02:02
>>659
赤軍の赤い彗星を粛清してるのはかなりマイナスでは。
ソ連もアメリカに国力で並んだわけではない。戦後のソ連は
産業的にも行き詰まりを見せ、結局フルシチョフのスターリン批判に
つながります。
667世界@名無史さん:03/04/09 02:04
>666
それは政治力とか知力における減点材料であると思うが。
668世界@名無史さん:03/04/09 02:06
北の首領様も統率力は高いのか?
669かおりん祭り:03/04/09 02:07
http://saitama.gasuki.com/kaorin/
〜oノハヽo〜 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄                
  ( ^▽^) < こんなのがございまーす♪ 
= ⊂   )   \_______
= (__/"(__) トテテテ...
670あぼーん:03/04/09 02:08
671世界@名無史さん:03/04/09 02:19
>668
恐怖政治で高々一半島の北半分だけをどうにか、というレベルが高いと思うのなら、そうなる。
672前スレの948:03/04/09 02:34
>>642
武力については、アレキサンダー大王で決まりでしょう。
敵地の中で、ありとあらゆる戦いに勝利し、
兵士が音をあげるまで勝ち続けました。
そして、もう一人。フス戦争において、
フス派の最高司令官を務めたヤン・ジシュカを推薦します
この人は、百姓に毛が生えた民兵を率いて、ヨーロッパ中の正規軍と戦い、ことごとく撃退した後に、
かえって敵国領に攻め込んでみせるという、奇跡的な強さを見せた人物です。
彼は対騎兵戦術を確立し、何度も国家の存亡を賭けた戦いで勝利したので、
武力100の資格はあると思います。
673前スレの948:03/04/09 02:34
大スキピオの勝利は、どちらかといえば、
武力に勝るハンニバルに対し、戦略面で勝負した印象があります。
カンナエでハンニバルに従ったヌミディア騎兵が、
ザマでもハンニバルに従っていたら、
果たして大スキピオは勝利を得ることが出来たのでしょうか?

フリードリヒ大王の偉大さは、戦術能力よりは、
高い統率力と戦略眼にあると思います。
彼の軍は、わりとよく負けていますが、
それでも軍をすぐに立て直し、ついには勝利をもぎとったのです。

ナポレオン一世は、ワーテルローで、純粋な戦術的ミスから敗れています。
決定的な戦いで、決定的なミスを犯したことは、失点材料でしょう。

最強の海将は、順調に行けばネルソンでしょうが、
私はアルマダの実質的な司令官であったドレーク。
あるいは、15世紀から17世紀にかけての海戦の時代の提督たち。
あるいは、李舜臣や東郷平八郎といったアジアの海将たちの中から推したいと思います。

トハチェフスキーは、事実上不敗を誇ったとはいえ、
ポーランドでは敗北しており、ピウスツキ以外に名将といえる人物と
対戦していないので武力100は難しいでしょう。
674世界@名無史さん:03/04/09 02:41
>>673
ポーランドでの敗北はスターリンのミスもあり、
ですし、彼の最大の功績は「縦深戦術」の確立だといえます。
粛清によって彼のシンパはそのほとんどがいなくなりますが、
ジューコフら粛清対象に至らなかった当時の若手が生き残ったことにより
独ソ戦争を勝利することが出来たといっても言い過ぎではありません。
675世界@名無史さん:03/04/09 02:42
【武力】100のポイントは「不敗」でつ。
676前スレの948:03/04/09 02:42
>>666
それでも、ジューコフやコーネフが出てきて、ドイツ軍を打ち破りました。
その背景には、スターリンが築き上げた社会システムが、
確固として存在し、軍隊を支え続けたからでしょう。

貧しいロシアを元手に、あれだけ多くの人にも憎まれたのに、
致命的な裏切りにもあうこと無く、
曲がりなりにも世界帝国を築いてから、
枕の上で死ねたのだから、凄まじい統率力であったと思います。
677世界@名無史さん:03/04/09 02:44
>>667
トハチェフスキーはスターリンに比べてもっと純粋に軍人で
特に彼らを粛清したことによるソ連の軍事力低下は明らかであったためと、
軍事部門の部下の人事は統率に属する分野ではないかと思うのですが。
678前スレの948:03/04/09 02:50
知力については、ビスマルクを推します。
変幻自在の智謀で一国を築き上げ、
建国後は平和外交に徹して、19世紀後半のヨーロッパに、
一定の国際秩序をもたらしたからです。

ゲッベルスは宣伝の天才でしたが、
それは彼の政治能力の高さと、
ヒトラーという宣伝するだけの商品に恵まれていたからです。
ナチの欠点は、最高指導部に統率力や政治力が高い人物を大勢抱えていたのに、
知力の高い人物が存在しなかったことでしょう。

>>673
大スキピオ、ナポレオンは100に不足だと思いました(特にナポ)が、さすがに出しとかんとまずかろうと思いまして。
フリードリッヒは、チョトケンカ売る相手まちがえてねが、というのが黒星の多い理由だと感じました。戦略眼が0と思います。
あんなに不利じゃ少しくらい負けても仕方がない。

>>675
それにくわえ「新戦術の確立」も欲しいです。
というわけでトハチェフスキーを推したわけですが。
680前スレの948:03/04/09 02:54
>>667
普通、あれだけの粛清をやれば、国は破綻します。
しかし、スターリンは破綻させるどころか、
世界帝国まで築いて見せたのです。

支配体制を揺るがせず、国家を強くしたのなら、
いくら粛清しようと、虐殺しようと、
統率力の評価を下げる材料にはなりません
681世界@名無史さん:03/04/09 02:55
>>679
オレもトハチェフスキーを推したいが、その時代で
一番大事なWWUに参加していない(できないけど)のが痛い。
682世界@名無史さん:03/04/09 02:57
>>680
中国は?といってみるテスト。
かの指導者も百万人やそこらの人間はたいしたことがない
といっておりました。
683世界@名無史さん:03/04/09 02:58
>>680
それは政治力なんじゃないの?
684世界@名無史さん:03/04/09 03:01
【武力】100のポイント(改)
・戦場において不敗
・新戦術の確立
・歴史的に重要な戦争での勝利
685前スレの948:03/04/09 03:04
政治100については、康熙帝を推薦します。
彼ほど長い期間善政を敷き続け、対外問題に関しても、
常に正しい対処が出来た政治家は、空前絶後です。

アウグストゥスはローマ帝国の事実上の建国者です。
彼に付いては、もう少し考えたいことがあるので、保留します。

織田信長は、途中で死んでしまったので、
ここで議論の対象になっている人々と比べると、いささか見劣りがします。
彼は、敵を切り崩す政略には長けていましたが、
敵方からの政略には、かなり痛い目にあっていました。
民政家としては、既存の政策を大きい範囲で応用したことが、彼の功績です。
これらのことを考えると、彼の政治力は、
100どころか、70台でも良いと思います。
686世界@名無史さん:03/04/09 03:09
趙匡胤の評価を希望。
687前スレの948:03/04/09 03:09
あと、許されるものなら、
フィンランドのマンネルハイムも知力100に推したいと思います。
ナチスドイツとスターリンを、外交とゲリラ戦を使い分けて翻弄し、
ついに独立を守り抜いた人物です。
彼の変幻自在の策士振りは、知力100にふさわしいと思います。
688世界@名無史さん:03/04/09 03:11
>>684
となるとWWUでは一人も出ないと思う。ま、いいか。
大戦の核だった、「電撃戦」「縦深作戦理論」「機動防御」「機動艦隊」を
確立実践した人間の中で敗北してない人などいないし...
689世界@名無史さん:03/04/09 03:12
統率できなかった人物を殺していくのは統率力があったことになるのかな?
という疑問が涌いたりするが…
690世界@名無史さん:03/04/09 03:14
>>687
ソフィン戦争はすごいね。
フィンランドの日露戦争だけど、国力的にはそれ以上の健闘。
ただ、冬戦争のときはソ連軍がDQNだったことは内緒。
691前スレの948:03/04/09 03:21
>>682
>>683
統率力というのは、組織を強固なものにする能力です。
つまり、軍隊なら本人の居ない別の戦線でも、
勝利できるだけの軍事力を整える能力。
政治家なら、国家を安定させる能力です
半世紀近く世界の半分を支配するだけの、
旧東側のシステムを築き上げたのは、スターリンです。

建国後の毛沢東は、派手な政策をぶち上げておいて、
収拾が付かなくなると、国家そのものをぶち壊そうとさえしました。
文化大革命の無秩序状態によって、
権力を掌握しようとしたのは、まだ構わないにせよ。
彼の統治下で中国の経済力は低下し、軍事力も弱体化しました。
この事実は、毛沢東の統率力が高くない証拠と言ってよいでしょう。
692前スレの948:03/04/09 03:25
>>689
統率できない人物を粛清するのは、
独裁者としては。ごく自然な行動です。
その人物がいなくなったおかげで、独裁権が確立され、
国家が強くなるのなら、統率力を高くしてもよいと思います
693世界@名無史さん:03/04/09 03:31
>>691
ということは、戦術〜戦略レベルでの視点の欠如、例えば、

○対ポーランド戦での敗北での、当時の南西方面軍軍事委員のスターリンの失策
  →これを非難されたのをスターリンは逆恨みしてトハチェフスキーを粛清したといわれる

○赤軍粛清によって軍全体で4万人以上、旅団長以上の幹部と政治将校の45%が粛正され、
  これによって冬戦争、及び独ソ戦争初期の混乱を招いた

あるいは兵の「統率」の基本に関わる、この問題

○ソ連軍のモラルの低さ、占領地での略奪、暴行を奨励する発言

694693:03/04/09 03:34
は問題ないのでしょうか?
独裁体制の維持という観点からみれば近現代史上類をみない成功を
収めているのですが、ほころびがいくつもありますし、90〜95が妥当では?
695世界@名無史さん:03/04/09 03:35
んでスターリンの統率は政治家としての統率ですよね?
何か結果重視の時と過程のミスを材料に加える時とがあって混乱するな。
696世界@名無史さん:03/04/09 03:39
政治力100=アウグストゥスは譲れない
40年以上ローマ皇帝やってたというだけで既に神レベル
697世界@名無史さん:03/04/09 10:25
今川氏真 【蹴鞠】100

みみっちい人物でスマソ
698世界@名無史さん:03/04/09 11:22
>>678

ビスマルクは後継者育成しそこねたからな。
(しかもそれが、ドイツ帝国の崩壊にかなり直接響いている)
そういう点、カエサルの無欠ぶりに比べて一歩劣る。
90台は固いが、100までいかない。

>>679
フリードリヒ大王は戦略より戦術問題と思う。
ロシアの変節のお陰で勝てたというが、本来オーストリア単独で
勝てるだけの力を身につけていれば、他国が変節しようが関係ない。
最終的にはその辺の国力・軍事力がものを言ったわけで、
オーストリアに国力増強の猶予を与えずに先手を打って攻め込んだ、
フリードリヒの戦略的判断が間違っていたとは言えないような気がする。
そもそもオーストリアと事を構えるの自体どうかという問題はあるが、
それは政治の領域だ。
699世界@名無史さん:03/04/09 22:46
大久保利通の【政治】
西郷隆盛の【魅力】
大村益次郎の【武力】

……の、数値化きぼん。

(木戸孝充は……どれが高いんだろう)
700世界@名無史さん:03/04/09 23:55
>>699
あとにしる!
各能力の100に当る人物の議論中だから。
>>698
いや、七年戦争より、それ以前のオーストリア継承戦争そのものが後先考えない無謀そのものに思えたもので。
たとえ一時的にシュレジェンを奪い取れても、その後のオーストリアの逆襲のことをお前は考えていたのかと小(ry

後、>>684に習って【政治】100のポイント
・内政
・根回し
・渉外能力
・自己の立場の保全および向上

これだとカエさんの暗殺は【政治】で減点されるなぁ。

一番難しいのは【知力】かなぁ。
・駆け引き
・先見の明

あとは何だろ。・自己制御力 も入れた方がいいかな。
702世界@名無史さん:03/04/10 02:54
>701
教養も知力における大いなる要素だと思う。
実際、これが足りないと低めに見られるし。
703世界@名無史さん:03/04/10 11:01
>>701
だから、オーストリアと事を構えることの是非は政治の領域だと。

「政治」の場合、一番大事なのは内政と外交の両面における
政策立案/遂行能力だろう。
根回しも渉外も、政策遂行のための手段に過ぎない。

「知力」に関しては、先見の明だけでは、皆に受け入れられる
現実的な政策は出来ない。駆け引きと交渉は似たようなものだし。
>702の言う教養ってのは多分「魅力」と絡む。人格的魅力と
教養の高さは、ある程度比例するからね。
704世界@名無史さん:03/04/10 12:50
>>701
確かに知力の評価が一番難しいと思う。光栄風に考えると謀略の成功率および計略
に対する防御力に最も影響するファクター。そうなると当然地頭のよさだけでなく
教養も大事だね。カエサルの戦術はかなりいきあたりばったりだけど、そのつど最も
有効な戦法を考え付くあたりやはり相当に地頭が良い。教養の深さは言うまでもなし。
やはり古代ローマで知力100候補はカエサルしかいないのでは‥。あと知力だけ100
なのはアルキメデスとか。古代中国だと誰だろう。孫子、張良あたりかなあ。諸葛亮
は100はなさそう。日本だと聖徳太子くらいかな(彼以上の知力を持った政治家は日本
史に未だ出現していない気がするし)。
705世界@名無史さん:03/04/10 14:24
中国で知力100を出すなら韓非子を挙げたい。
706世界@名無史さん:03/04/10 15:02
>>705
始皇帝に認められながらも讒言によって大成できなかったのは
減点かもしれないが、コーエー数値化するのなら100近くあるのかも。
ただ、太平の世には向かない理論がどう評価されるのか。
707世界@名無史さん:03/04/10 16:31
>太平の世には向かない理論
何故に?後の歴代王朝の基礎になってるだろ。
708世界@名無史さん:03/04/10 17:01
>>706
始皇帝のブレインはこれに近い思想を持った人が多いのですが
中国で繁栄したのはやはり儒教、しかも性善説寄りでした。
始皇帝は統一後も同じような統治方法で民衆の不満を募らせ
死後あっさり秦は崩壊しています。
韓非子の限界は、人を利益を追いもとめるだけの存在としか見ていないところです。
実際には損得を超えたところにも人間の動機というものが存在しています。
709世界@名無史さん:03/04/10 17:21
>>708
選挙や科挙などでは儒教が表面化されているが
官吏の実務面では法家の法術が常に受け継がれていた
実際漢の法制は秦のものをほとんど継承している
710世界@名無史さん:03/04/10 17:58
そろそろ中間的なまとめをしてホスィ
711世界@名無史さん:03/04/10 18:29
>>708-709
支配階層内でのシステムと支配階層外の人々を治めるシステムが違う、
というのは、最近でも独裁体制なら良くあることだ。

始皇帝の(というか当時の法家思想の)失敗の原因は、
支配階層内の人々を治めるべきシステムを、支配階層外の一般人にも
無差別に適用してしまったことだと思う。
だから漢以降の王朝では、この辺はちゃんと使い分けている。
始皇帝は最初だから仕方ないとは思うが、この辺の柔軟性は欲しかった
ところだな。
712世界@名無史さん:03/04/10 21:16
ナポレオンに対する評価が少々低すぎるような気がしないでもないね。
彼が失策を犯しているのは主に戦略・政略の部分においてであって、戦術面ではほとんど失策らしい失策を犯していない。
ワーテルローの話が出ていたが、当時彼が率いていた軍がかつての「大陸軍」とは練度、士気、士官の質ともにお話にならない位低かった事は割り引いて考えなくてはならないのでは?
そもそもワーテルローの敗戦の直接の原因も、ネイらの部将との連携・意思疎通が上手く行かなかった為ではあるし。
政治・統率の両面においては減点の対象ともなるだろうが、「Art of War」とまで言われた戦術能力は十分に武力100に値すると思うけがどうだろう?
>>703
あれ、もしかして漏れバカか?馬鹿でケテーイですな、全然レス読んでねぇし。
それではちゃんと読んで返します。

>オーストリアに国力増強の猶予を与えずに先手を打って攻め込んだ
>フリードリヒの戦略的判断が間違っていたとは言えないような気がする。
正直、フリードリヒにオーストリアと戦わねばならない戦略的な理由はなかったような。

>そもそもオーストリアと事を構えるの自体どうかという問題はあるが、
>それは政治の領域だ。
ならばなおさら【武力】の減点材料にはならないのでは?

>>712
うーん、しかしナポレオンは「新戦術」を造り上げたことはなかったですし、そもそも勝利を続けていた頃の彼が恵まれすぎたように思えますが。
そこらへんは圧倒的不利な戦争に善戦したフリードリッヒや背中から撃たれたトハチェフスキーとかに比べれば見劣りするのではないでしょうか。
彼の「Art of War」は、既存の戦術を完璧な水準で纏めあげたことで評価されるものだと思います。
714世界@名無史さん:03/04/11 00:42
>>713
マリア・テレジアがプロイセンと戦うためにフランスと同盟結んだのが
発覚した直後に、フリードリヒは先制攻撃をかけているからね。
オーストリアの方が本当は戦争する気になっていて、
後は「いつ戦うか」という次元の問題だった。

あと、フリードリヒの場合、戦術レベルでの失策が結構多いから。
同じ戦術(斜行戦術)を使いすぎて見破られるようになった節があるのと、
勝っても負けた側と同程度の被害を出していることも多いから、
そこまで優秀とは言えないように思う。
715世界@名無史さん:03/04/11 17:29
フリードリヒが負けた戦いを具体的にあげてくれ。
でないとわからん。
勝った戦いなら知っているけどね。
ロスバッハ、ロイテンなど。
>>714
あれ?
>マリア・テレジアがプロイセンと戦うためにフランスと同盟結んだのが
>発覚した直後に、フリードリヒは先制攻撃をかけているからね。
これは七年戦争のことですよね。
私はその前の”オーストリア継承戦争”での彼の振る舞いから始まったと認識しています。
シェレジェンをいただいたりしなければフランス=オーストリア同盟もなく、小国プロイセン相手に戦争準備など考えなかったでしょう。


>>715
1757 コリン
1758 ホッホヒルキ
1759 クーネルスドルフ
私の知る限りはこんなところです。

七年間、始終優勢な"同じ"相手に戦い勝利したフリードリッヒは偉いと思ふ。
しかし、不敗でないこと、斜行戦術は前時代にも存在していたことを考えると、100は言い過ぎだったかもしれません。
「全体戦争」の基礎を創った功績(?)はありますが。
717世界@名無史さん:03/04/13 13:12

718世界@名無史さん:03/04/13 14:00
コンスタンティヌス11世
   実質  架空
統率 55   40
武力 40   60
知力 80   50
政治 40   30
魅力 40   90
719世界@名無史さん:03/04/13 15:01
80、70台でも評価としては
結構出来る奴と思うんだが、「あいつは90なのに?」っていう風に
比較するからインフレするんだよな
720世界@名無史さん:03/04/14 00:10
世界史への影響力を考えれば、モンゴル帝国を一大で築いたチンギスハーンには統率100を与えたいです。
721世界@名無史さん:03/04/14 00:20
>>720
確かに、白色人種だけに100を占めさせるのはよくないな(w
722世界@名無史さん:03/04/14 00:23
>>720
実際に世界帝国になったのは彼の子孫の時代ですね。
でも、下地は彼の功績で、、、統率100でいいんじゃないですか?
少なくとも同時代で国家SLGを作ったら私は100にしますね。
723世界@名無史さん:03/04/14 00:30
>>721

少なくとも、「アジア最強の皇帝を一人出せ」、と言われればチンギスハンを推薦します。

その知名度と武威(統率によるものだが)は、西洋人にもすぐに理解できよう
724世界@名無史さん:03/04/14 00:32
>>723
国別にパラメータがあったら
100は間違いない。

というか
「歴史上の国家をコーエー数値化するスレ」
つくったら需要あるかな?
嫌韓厨がきて荒れるか。
725世界@名無史さん:03/04/14 01:40
チンギスは統率100でも全然おかしかないと思うけど。
彼が生存中の版図でも充分過ぎるほど巨大だと思うし。
726「ど」の字:03/04/14 02:19
>>724
 需要はあると思いますよ。面白そうですね。
 自分は色々と書きこみたいと思っています。

 まずは公正に日本の各時代ごとの数値化をしないと。
 嫌韓厨や反日厨の相手は面倒臭いから。
 ただ、事実として、高麗以降の朝鮮半島国家を自分が採点したら激辛になるでしょうね……。
 今から厨の相手をさせられる自分が想像できそうだ……。

 あと、パラメータも人物評からは少しずらさないと。
 皆さんで相談しませんか?
727世界@名無史さん:03/04/14 02:25
>>726
確かに国家で「統率」ってのもヘンだし。

武力
経済
治安もしくは文化
野望?
国民
自由

ヒネリなさ杉ですな。
728世界@名無史さん:03/04/14 03:36
正直やめといた方がイイと思われ
729「ど」の字:03/04/14 03:46
>>728
 もしかして、厨の大挙襲来で荒れるのを懸念しているのでしょうか?
 確かに、まだ評価が定まっていない、現代まで続く国家は止めておいた方が良いかも。
 そこまで譲歩しても、厨はやって来るでしょうけど……。

 でも、面白いと思いません?
730世界@名無史さん:03/04/14 04:27
統率ってリーダーシップ能力のことだよね。
要は「よしっ、やるぞ!」って言い出した時に
「どうぞ勝手にやってね」と言われるか、「ははっ、地獄までもついていきます。」
と言われるかの違いでしょ?

まあ、個人的には>>1の基準は変だと思う。
コーエーゲームでは統率30代の軍人なんかいくらでもいるし
正直このスレに書き込んでる人は皆学生か、大して地位も高くないサラリーマンでしょ?
数百人の軍の指揮官に自分がなれると思う?あるいは10人でも?
僕を含めた『一般人』は、正直統率は一桁〜20台だと思うよ。

以下は自分の考える統率力の基準
90代  神 松下幸之助クラス 
80代  巨大企業のリーダー 奥田さん、出井さんクラス
70代  大企業の重役や一般のCEO
60代  大企業の部長、ベンチャー企業の社長
50代  大企業の課長
40代  大企業の係長
30代  一般的な小規模集団の纏め役
20代   (何か『長』がつく立場の経験がある)普通の人
10代以下 (個人主義を好む)ごく普通の人
731世界@名無史さん:03/04/14 11:16
>>730
「勝手にやってね」程度ならまだいい。
「地獄までも」派と「妨害してやる、殺してやる」派が両方いる場合も
往々にしてあるからな。
あと、単なる独裁者で「殺されるから反対意見が言えない」だけという
例もある。企業に例えるとワンマン社長。
そこをどう見極めるかだ。
単なる独裁者でも逆らうものがいなければいい、というなら
金日成辺りの数値は結構高くなりそうだが。
732世界@名無史さん:03/04/14 13:04
企業厨。もっと視野を広く持てよ(w
大体コーエーの数値と関係ないってのはすでに議論済み。
733世界@名無史さん:03/04/14 15:05
>>731
独裁のためのシステムを自分で構築した、場合は統率は高くて良いんじゃないかな。
既存のシステムを上手く利用して独裁者になった場合は政治か。
問題はシステムを受け継いだ独裁者の場合かと。
734世界@名無史さん:03/04/14 16:27
スターリンって伝統的なロシアの独裁的政治手法を取っただけのような…
彼が創出した政治システムって何?
735730:03/04/14 20:01
>>731
現実には「妨害してやる、殺してやる」派が存在するほど
その人は有能な人間であると言えるでしょう。(ゴ―ンさんは例外かな)
統率力のない人はどんなに工夫して企画を立てようが、誰も聞いてくれません。
その対立する人間との利害の妥協点を見付け、折衝をはかり味方に取り込む能力は
政治力(交渉力)の範疇に入るでしょうね。

確かに優れた独裁組織の頂点に座れば、強い統制を部下に課することが
出来るでしょう。しかし脅迫・強制によって部下を働かせることが
クオリティや献身を要求される仕事には全く向かないことは自明です。
部下の自発的な力を引き出させることは統率力の大きなファクターでしょう。
また、京セラや昔のIBMのような極端に部下が規格化されている組織の長は
多国籍の人間を集めた組織の長に比べ、要求される能力は低いでしょう。

以上から、統率力は簡単な式にまとめることができます。
 統率能力=(手に余ることなく指揮可能な部下の最大数)
     ×変数α(部下の能力・献身を引き出す能力)×変数β(部下の多様性)

これらの変数を考慮に入れることで世界の宗教家や軍人や民主的・独裁的政治家の
リーダーシップ能力を比較的同列に論じることが出来るのではないでしょうか?
(まあ韓信みたいな人もいますけど)

>>732
妄想の世界から出て、少し現実世界の風に当たることをオススメします。

ちょっと長くなって申し訳ないです。
736世界@名無史さん:03/04/14 22:10
>>734
彼の軍管理は結構独特ですよ。
独裁国家は軍掌握が最大のキモですから。
自分がすべてを掌握してないと気がすまない彼は
中間管理職をおかず、自分の意志を伝達するために
幹部を前線に派遣する「大本営代表制度」という形で
WWUを戦い抜きました。
737世界@名無史さん:03/04/14 23:14
>736
なるほど。良くも悪くも実効性があったっぽい制度ですな。
映画とかで出てくる政治士官とかいうヤツかな…
738世界@名無史さん:03/04/14 23:15
山本五十六元帥

 統率80(国難の時期の連合艦隊司令長官として真珠湾奇襲から暗殺まで、良く実戦部隊を統御した)
 武力72(真珠湾奇襲はアメリカの教科書にも日本軍が素晴らしい戦略で真珠湾を奇襲したと書かれていたらしい)
 知力80(早くから航空主兵時代の到来を見抜き、また日本の戦力枯渇時期もほぼ正確に読んでいた)
 政治55(海軍省時代艦隊派を抑えることができなかった点や、南雲解任をしなかった点を勘案して)
 魅力85(後輩将校や一般の兵まで広く支持を集めた)
739世界@名無史さん:03/04/15 01:55
なるほど
730のようなのを統率力が低いと言うんですな
もう少し他人が読むことを考えた文を書くことをオススメする
740世界@名無史さん:03/04/15 03:31
>>736-737
赤軍兵士の多くは、学問はおろか読み書きそろばんも碌にできませんでした。
日本軍捕虜をみて「オマエ 計算ガデキルンカ。スゴー(゚Д゚)士官ミテェ。」みたいなエピ
ソードは多ぅございます。

ヴァカと言えばそのとおりですが、それ以上言うならばアンタラもヴァカ。
世界的に見ると、当時の日本軍兵卒(の学識)は異常だったのれす。

で、そんなソ連兵卒にいろいろ教え伝えるのが政治将校。
ソ連軍に覿面に効いた特効薬といえますれす。おかげで独ソ戦を局地的
に見ると、同条件ならばドイツ軍に負けない、そんな強い軍隊になれたの
れす。
741世界@名無史さん:03/04/15 03:38
>>740
で、736,737に何が言いたいの?
742世界@名無史さん:03/04/15 04:16
>>741
ツマランことを聞くなよ
コミュニケーション能力が欠如してんだろうから
743世界@名無史さん:03/04/15 10:14
要は当時の赤軍兵士は字が読めなくて計算も出来ず、
政治将校からその辺のことや共産党の思想まで教わっていた。
で、ドイツ軍と互角に戦えるようになったと。
そんなに煽るようなことでもない。
744736:03/04/15 16:44
>>743
政治将校のおかげで勝てるようになったと言うわけではないでしょう。
ソ連もかなり義務教育が普及してきていましたが、当時兵役年齢にあった
人たちの中には読み書きに疎い兵士もいたことでしょう。
白紙の状態に近い彼らを思想的に赤色に染め上げるのは簡単なことです。
政治将校の主な役割は共産主義ドクトリンの護持と半体制者の密告にあります。
この軍事委員制度は指揮系統の二元化という根本的な問題から
復活と廃止を繰り返し(1936廃止1937復活1940廃止1941復活1942名目廃止)ました。

736で私が言っているのは「大本営代表制度」とは、
スターリンとともに作戦立案などに参画する人物(ヴァシレフスキー、
ジューコフの二者が圧倒的に多かった)が、前線に赴き情勢の確認をし、
大本営に帰って作戦の最終決定に参加、計画の策定、命令の裁可を終えた後、
それをもって方面軍に帰り、作戦実施を支援する、というものです。
745724:03/04/15 17:12
敢えて立ててみました。みなさんのご来訪をお待ちしております。
歴史上の国家を数値化するスレ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1050394205/
746「ど」の字:03/04/16 18:01
 ようやく文章を纏めることが出来ました。
 カエサルの幕僚の中では最も認められていた武将です。

【デキウス・ユニウス・ブルータス】 B.C.84〜43

【統率】76(戦時平時ともに、統率を誤ることは無かった)
【武力】81(細かい気配りと機転を信じての大胆な行動は、カエサルに大いに認められていた)
【知力】48(事務処理能力に不足は全くなかったが、カエサルのグランドデザインを理解できなかった)
【政治】75(総督として大過無くこなせる内政能力はあった)
【魅力】72(軍団を自らについて来させる才はあった。カエサル暗殺後急低下するが…)

 カエサルを乱刃で切り刻んだ14人の中の一人として名を残す、カエサル揮下の将軍。
 恐らく、カエサルが最も熱を入れて教育した「ローマの危機をわかって欲しかった」人。

 歴史には、ガリアでの活動を始めたカエサルが有力者にこぞって預けた子弟の一人として現れる。
 軍人キャリアをカエサルの下で始め、『ガリア戦記』では海戦での活躍が目立つ武将である。
『ガリア戦記』でカエサルは彼のことを「青年ブルータス」と親しみを込めて呼んでいる。
 内戦時代もカエサル揮下の将として元老院派と戦い抜き、その後ローマの要職をカエサル推薦で歴任。
 カエサル暗殺の半年前には、遺言状でオクタヴィアヌスが相続を辞退した場合の相続人指名をされる。
 どうも、カエサルは彼の力量をアントニウスより上であると見ていた節がある。
 だが、カエサルの遺言状は封印され、カエサル暗殺に加わった彼がそれを知ることは出来なかった。
 カエサル最期の言葉「ブルータス、お前もか」は、彼に向かって掛けられた言葉であるとの説が有力。

 何故、彼がカエサル暗殺者集団に入って自ら武器を振るったか、それを知ることのできる資料はない。
 ただ、それ以降の足どりから、彼は結局カエサルが伝えたかったことを理解できなかったことはわかる。
 カエサル暗殺の三日後開封された遺言状の中身を知った彼は、衝撃の余り重い鬱病に罹ったという。

(この項続く)
747「ど」の字:03/04/16 18:03
(続き)

 その後は生きていたカエサルの人事で北伊属州の総督となり、ローマを離れる。
 アントニウスに足下を見られる暗殺者集団から距離を置きたがっていたらしい。
 驚異の政治力を見せ始めたオクタヴィアヌスへの対抗上、北緯属州軍を欲したアントニウスに攻められる。
 そして、戦いを止める為に派遣されたローマ正規軍+オクタヴィアヌス軍と連合してアントニウスを退ける。
 しかし、彼の軍は『偶然にも』執政官二人とも戦死したローマ軍を掌握したオクタヴィアヌス揮下に走る。
 部下の支持を失って絶望した彼はギリシャへの遁走を図るが、途中ガリア人に捕獲される。
 それを知ったアントニウスの命で殺された。享年41歳。
 彼の首級はローマに送られて、フォロ・ロマーノの演壇に晒された。
748「ど」の字:03/04/16 19:54
 続けて、カエサル暗殺の凶行を考案した、真の首謀者の評価です。

【ルキウス・カシウス・ロンジヌス】 B.C.84〜42

【統率】66(カッレの敗戦後の軍を纏められているから低くはない)
【武力】66(カッレの敗戦後、嵩に懸かって攻めるパルティア軍を撃退した功績はある)
【知力】70(善意には欠けるが、醒めた知性の持ち主ではあった)
【政治】24(全くの門外漢。シリアでも過酷な政治で人々を苦しめた)
【魅力】30(魅力には全く欠けていたらしい。その分現実認識能力が磨かれたと言うべきか)

 カエサルを殺すことを計画し、乱カタナ
 軍歴をボンペイウスの下で始め、騎兵隊指揮官をしていたらしい。
 クラッススのパルティア戦役遂行のために、クラッスス軍にレンタルされる。
 だが、必要以上に間違った主導権を発揮してしまったクラッススを補佐できていなかった。
「カッレ敗戦」後、優柔不断なクラッススを見限り500の騎兵と戦線離脱、ローマ軍壊滅の原因となる。
 その後シリアに攻め寄せるパルティア軍撃退には、残党をかき集めて奮戦している。

 内乱では元老院側に立ち、エーゲ海確保を一任されていたが、ファルサルス戦後カエサルに降る。
 以降、カエサルの将として便利使いされていたが、民生で冷遇されたのを機にカエサル暗殺を図った。
 ただ、自分には人がついてこないことを知っており、マルクス・ブルータスを名目上の首謀者に据える。
 彼の首謀者人選は、成功であった……。

 その後の彼は、暗殺者集団の足下を見たアントニウスと妥協し、シリア総督としてローマを脱出し赴任。
 その地で、復讐に来ること必定のオクタヴィアヌスに対抗する軍を集めるためにシリアに酷税を課す。
 しかし、オクタヴィアヌスと連合したアントニウスの軍にフィリッピの野で敗れ、絶望して自殺を遂げた。
 享年42歳。
749山崎渉:03/04/17 09:17
(^^)
750世界@名無史さん:03/04/17 12:26
保守age
751「ど」の字:03/04/17 16:26
>>748
 あちゃー、文章校正をし損なっている…。
 略史の最初は、こう書く予定でした。訂正します。

→カエサルを殺すことを計画し、乱刃を振るった14人のグループの中核となった人物。
752世界@名無史さん:03/04/18 18:52
F・エンゲルス
【統率】55 その政治スタイルから強引さに欠ける。
【武力】60 実は元近衛砲兵。1848年には実戦参加。軍事論文も秀逸。)
【知力】92 彼の著作は死後も多くの人を「狂わせ」た。博識で文章力はマルクスより上。
【政治】70 いわゆる「政治屋」ではないため、現実政治では苦労したことも多い。
【魅力】90 「人柄のエンゲルス」。甲斐性無しのマルクスを終生庇護した。

ナポレオン一世時代の将星や当時の軍事一般についての小論文が多数あるため
興味のある人は読んでみると良い。
753世界@名無史さん:03/04/18 18:57
ここおすすめ
http://zoetakami.fc2web.com/
754世界@名無史さん:03/04/18 21:47
「ど」の字さんサンクス!

デキウス・ブルータスとカシウス
最高ッス。

カエサルの義父で、統率が著しく低くなりそうなキンナと
カエサルの優秀な副将として活躍したラビエヌスもお願いしたいけど・・・

755世界@名無史さん:03/04/18 23:25
出来れば「ど」の字氏のナポレオン評が見てみたいが…。
漏れ的にはこんな感じかね?

【ナポレオン・ボナパルト】A.D.1769−1821
【統率】 86(彼の創り上げた「大陸軍」は当時欧州で最も精強かつ統制の取れた軍団だった。「分進合撃」と言う、彼独特の戦術はこの「大陸軍」の練度があって初めて可能だった。)
【武力】100(Art of Warと評された戦術の天才。アウステルリッツ三帝会戦はその白眉。三兵戦術を確立し、近代戦の基礎を築いた。)
【知力】 85(咄嗟の機転と冷静な計算で多くの戦争を演出した。また、文化・芸術に対する造詣も深かった。ロシア遠征強行等がマイナスポイント。)
【政治】 55(ラメルらを用いて改革に励む等無能では無かったが、外交面での失敗が多かった。)
【魅力】 88(国民の熱狂的な支持を受けてフランス皇帝の座に就き、「大陸軍」からは絶対的な信頼を受けた。失脚後も彼を信奉する者は多かった。)

てなとこだろうか…。
756755:03/04/18 23:27
説明が長すぎてグジャグジャになってるな。
御目汚しスマソ。
757「ど」の字:03/04/19 00:20
 リクエストにお応えします。マリウスの「遅れて来た左腕」の評価です。

【ルキウス・コルネリウス・キンナ】 B.C.134?〜84

【統率】40(一般人並み。軍編成の混乱で死んでいるあたり、存在感絶無だったのだろう)
【武力】52(ローマ人平均よりは上。それなりの戦略眼はあったが戦機を見る目に欠けた)
【知力】72(穏やかでバランスのとれた知性は、元老院派と民衆派双方に便利だった)
【政治】83(国内の安定を保つ上では有能。誰からも信頼される手腕の持ち主)
【魅力】62(生来温和な人格者で、人を恐怖させる人ではなかったため人に推された)

 スッラと同様のコルネリウス氏族に生まれた名門の出。
 セルトリウスがマリウスの右腕とするなら、彼は遅れてきた左腕。
 それまでの人生では、元老院の一要素として順調に民生キャリアを重ね、おおかた好評を得ている。
 B.C.]87年には執政官となり、国内独裁を完成して小アジア遠征に出るスッラに後事を託された。
 が、彼はスッラが遠征中にマリウス弾劾決議を撤回させ、マリウスを呼び戻している。
 B.C.86年にマリウスが死んだ後は、なし崩し的に執政官に連続当選することでローマを独裁した。
(セルトリウスが文句一つ言わない事を見ると、二人の協力体制だったのだろう)
 独裁の間に、民衆派の立場に立った多くの法を可決し、ローマ市民権所有者を大きく増やした。
 B.C.84年には、元老院派との融和を策して自分の娘とマリウスの親族であったカエサルを結婚させる。
 当時小アジアでの戦争にケリを付けてギリシャで戦争準備中のスッラに対する措置だったのだろう。
 が、その直後、軍団編成の混乱を鎮めようと兵士の間に分け入って、人の波に潰されて死ぬ。
758「ど」の字:03/04/19 00:57
 続いて、カエサルに最も信頼された副官の評です。

【ティトゥス・アティウス・ラビエーヌス】 B.C.100?〜45

【統率】91(カエサルの第10軍団を微動だにしない精鋭に育てたのは彼。文句なく超一流)
【武力】90(カエサルが安心して任せられた武将。名将と言うにはかすかに足りない程度)
【知力】79(カエサルに長く従ったのは、行き詰まるローマを正しく理解できていたから)
【政治】77(政治力学を使ってカエサルを後方援護し、この面でもカエサルに信頼された)
【魅力】70(人について来させるだけのものはあったが、一流とまでは。基本的に仁義の人)

 カエサルが最も信頼し、離れたのを最も悲しんだであろう副官にして親友。
 イタリア南部の寒村チンゴリ出身の平民出。先祖代々、ポンペイウス家のクリエンテス。
 カエサルとの出会いはカエサルのローマ帰還後であろう。
 護民官となってカエサルの代理として振舞うなど、政治的にも功績がある。
『ガリア戦記』では、カエサルが最も信頼する分遣軍団司令として、各地で奮戦したことが記される。
 元老院派とカエサルとの争いの中、有力部将である彼はポンペイウスの縁で引き抜かれる。
(その去り際は潔いものであったと伝えられる)その後はポンペイウスの副将として働く。
 ファルサロスの会戦では騎兵隊を率いて包囲網を形成しようとして、カエサルの編んだ奇策に敗れた。
 その後はポンペイウスに分派され、その死後も元老院派として戦い、ムンダ会戦での敗北時に戦死。

 カエサルの『ガリア戦記』『内乱記』では、行間に漂う程度にしろカエサルに私情を挟ませている。
 生涯の友人にして副官であった彼が去ったことが、いかにカエサルにとって痛打であったかを示している。


 なお、彼の息子はペルシアに逃れペルシア軍司令官になるが、B.C.41年シリア攻撃の際に戦死している。
759世界@名無史さん:03/04/19 01:21
>>758
統率91で武力90なら、立派な名将の部類に入ると思うけど。
カエサルには及ばないとしても、「名将と言うにはかすかに足りない」
という根拠が知りたい。
760世界@名無史さん:03/04/19 01:42
>>752
知力92はさすがに高すぎではないでしょうか。
たしかにマルクスの意味不明な著作に比べれば、いくぶんは「まし」でしょうがねぇ。
しかし「科学」が聞いてあきれますよ、あの手の主義者の主張は。
超人的な知力なら、もっとまともなものを書いてほしいと思うのは私だけでしょうか?
761「ど」の字:03/04/19 02:09
>>759
 ラビエーヌスの知る戦術は、当時ローマの最新モードだった重装歩兵と騎兵のミックス戦術です。
 騎兵の延翼運動で敵を包囲、歩兵の壁に押しつけるという、大スキピオ以来のものです。
 その戦術に持ちこむ応用、戦術を実行する手際の良さ、戦機を見る目が、彼を信頼に足る部将にしました。
 ただ、彼は、その戦術を破るための対抗策を予想できず、カエサルの騎兵機動力封印策に敗れました。
 戦術の発展的な面で「三手先を読む」ことが出来なかったことで、名将にかすかに足りないと評しています。

 ファルサロス会戦では、ラビエーヌスの敗退が、元老院派全体の崩壊のきっかけになっています。
 この点でも、自分はやや評価を下げています。
762世界@名無史さん:03/04/19 05:13
>761
微かに足りないというなら、武力90とは過大では?
既存戦術の名手という評価なら80台後半くらいが妥当かと思われ。
763世界@名無史さん:03/04/19 07:02
>>760
マルクス、エンゲルスをそこまで馬鹿にできるあなたの「科学」
の定義を聞いてみたい。
764752:03/04/19 08:17
>>760
>たしかにマルクスの意味不明な著作に比べれば
それを意味不明だと思うのは、お主の知力が…(以下略
765「ど」の字:03/04/19 09:00
>>762
 いや、自分もそう思ったんです。最初は87を与えようかと思いました。
 しかし、政略戦略まで理解して戦術を振るえる力量と手際の良さは、80代後半とはちょっと言えません。
 90(超一流)の評価は、かなり迷って付けました。
 彼の存在は、ルビコンを越えるまでのカエサルの苦労を半分あたりに削減しています……。

>>760、>763、>764
 カール・マルクスの著作は循環論が特徴です。
 論理的整合性に欠けた論旨ですので、意味不明な著作と書かれたのでしょう。
 知性が無いとまでは言いませんが、あれは詐欺師的詭弁を弄する類の知性の産物です。
 エンゲルスの著作についてのことは知りませんので、論評は控えますが。
766755:03/04/19 09:07
>>765
ラビエーヌスの評価については同意です。
評価も説明も判りやすいですね。

「ど」の字さんならナポレオンの評価はどのようになりますか?
私は政治をかなり低めに見積もったのですが。
767世界@名無史さん:03/04/19 09:08
> カール・マルクスの著作は循環論が特徴です。
> 論理的整合性に欠けた論旨です

例をお願いします。
768763:03/04/19 09:15
>>765
最初に聞いておきたいが、マルクスのどの著作を読んでそう思った?
769「ど」の字:03/04/19 09:44
>>767-768
 あ。しまった。
 手元に書籍資料が無い!
 自分は、古くはハイエク氏の、日本人では小室氏などによるマルクス書籍の評価で、この見方を確定させています。
 原典は、それに対応するところを拾い読みして確認した程度です。

…突っ込まれたら返せない事など、言うべきではなかった。
 勉強しなおしてきます。
770752:03/04/19 10:05
なんか、私のカキコでみなさんを殺伐とさせてしまい
申し訳無いです。

>>「ど」の字さん
もし良かったら、これを機会に彼の著作を「虚心坦懐」に読んでみてください。
オススメは『空想から科学へ』です。岩波から文庫で出ています。
分量も値段も手ごろで入門書として最適です。
771世界@名無史さん:03/04/19 10:45
>>770
図書館の向かいに座ってる奴と
いつ論争が始まってもおかしくない
そんな緊張感がいいんじゃね−か

772世界@名無史さん:03/04/19 14:16
できたら能力値だけじゃなくて特技も書いてほしい
773世界@名無史さん:03/04/19 21:39
スレ違いかもしれませんが、「世界史Flashを作ろうぜ」でチトーのFlashを見て興味を持ったので。

ヨシップ・ブロズ ユーゴスラヴィア大統領 1893〜1980

【統率】91(「君は、あれを!」だけで意思の疎通ができる組織を作り上げる)
【武力】45(ユーゴ統一戦線の司令官だが、苦戦続きで仲間も多く失っている)
【知力】83(社会主義を自国の状況に合わせて応用。ソビエト型社会主義とは違う独自の方針を打ち出す)
【政治】92(非同盟主義路線をとるばかりでなくそれを世界に広める)
【魅力】86(死後ユーゴ政府が求心力を失い、内戦→分裂の道を歩んだことを考慮)

クロアチア農民の出身。指示を出すときには「チ(君は)トー(あれを!)」を多用したことから「チトー」と呼ばれる。
第一次世界大戦でロシアの捕虜となり共産主義者となる。帰国後ユーゴ共産党の指導者となる。
第二次世界大戦ではドイツの占領に抵抗すべく「パルチザン」を結成。抵抗運動の中心人物となる。
戦後は大統領となり民族・宗教の違いを越えて国をまとめるため社会主義政策を進めるが
独自路線をとったためソ連と不和になり、国際的に孤立する。

(つづく)
774世界@名無史さん:03/04/19 21:40
(つづきから)

国際的な孤立を打開すべく取った政策が「非同盟主義」。
これは後に独立して間もない弱小国や西側・東側のどちらにも属さないアジア・アフリカ・南米諸国に広まり
非同盟主義諸国のリーダーとして積極的平和外交を展開する。

1980年、87歳で死去。
チトーの死後ユーゴ政府は求心力を失い民族問題が再燃。
内戦、そして分裂と茨の道を歩むこととなる。
775世界@名無史さん:03/04/19 22:08
>>773-774
チトー必死だな(w
776世界@名無史さん:03/04/20 04:12
>>765
>政略戦略まで理解して戦術を振るえる力量と手際の良さ
これは武力よりも知力の範疇に入るのではないかとも思うのですが。
この辺、境界が曖昧なんですよね。

>>772
最近、皆さん書かなくなりましたね。
前スレで「ど」の字氏が諸葛亮に付けた特殊能力などが面白かったです。
777bloom:03/04/20 04:16
778山崎渉:03/04/20 04:29
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
779お知らせ:03/04/20 08:07
歴史・伝説について興味がある方にオススメの番組があります。それは、
毎週火曜20:00〜20:54にてテレビ朝日系で放送中の『運命の
ダダダダ〜〜ン』という番組です。歴史上の人物から万物の歴史・逸話
について毎週テーマを絞り紹介しているクイズ形式の番組です。
この番組で歴史上の逸話についての知識が増える場合もあります。
是非ご覧くださいませ!!
次回は4月22日の(火曜)20:00〜放送予定です!
780世界@名無史さん:03/04/20 12:03
>>773-774
ユーゴの統一がチトー一代限りのモノだったからこそ、
【統率】【魅力】はもっと高くてもいいんじゃない?
奇跡みたいなものだし。
781世界@名無史さん:03/04/20 14:51
>>780
1 自力でヒトラーを追い出し、スターリンからの支配を
  受けずにすんだという矜持から醒めるのに時間がかかった

2 実際に、各民族が独立した意識をもつまでに
  ある程度期間が必要だった
782世界◎名無史さん:03/04/20 17:37
ていうか、十分高いと思うが。
783世界@名無史さん:03/04/21 19:29
ブランキ(19世紀の革命家)
【統率】68 何度失敗しても、蜂起する組織を結成・統率していた。でもやっぱり失敗した。
【武力】80 バリケード戦なら負けないぞ。
【知力】59 いわゆるプロレタリア独裁を最初に唱えた人物。詳しくは知らないがこんなところか。馬鹿ではなかった。
【政治】10 政治技術に心をくだいた痕跡はない。
【魅力】85 独断と偏見。

生涯の半分以上を牢獄で過ごした不屈の革命家。
いわゆるあっち系の人。
784世界@名無史さん:03/04/22 18:20
曹操 155−220
【統率】96 指揮能力は抜群。 世界史レベルでも通じるだろう。
【武力】91 全67戦58勝9敗勝率.865 だけど、彼は戦争に強いと言うよりも、戦争が上手い。
【知力】82 傑出した天才だが、案外ポカもある。 
【政治】93 『冷静』かつ合理的な判断力で、人材登用面でも隙を見せてない。
【魅力】77 容姿は優れてなかったらしい。 徐州大虐殺など批判面も結構ある。
785世界@名無史さん:03/04/22 18:30
劉備 161−223
【統率】66 曹操には遥かに及ばないだろう。
【武力】74 曹操、陸遜以外には殆ど敗北は無い。 群雄から高く買われている
【知力】75 教養は限りなくゼロに近いが、生き残るためのひらめきは限りなく高い
【政治】53 これは凡人より少し上程度
【魅力】96 数々の逸話がある。 
786世界@名無史さん:03/04/22 18:53
孫権 182−252
【統率】71 曹操には遥かに及ばないだろう。
【武力】64 普段は部下任せだが、たまに自ら戦ったりもする。 軍事的才能は結構あった。
【知力】74 配下の起用が上手い
【政治】80 人材の登用が上手く、外交戦略も抜群。 呉を繁栄させた。
【魅力】70 晩年は政略紛争を巻き起こした。 また、酒乱であった。 だが、これくらいはあるだろう。
787世界@名無史さん:03/04/22 19:29
そーそーの能力高すぎ
788世界@名無史さん:03/04/22 19:50
>>787
曹操の能力ならこんなもんだろ?
他の2人は高すぎだと思うが…。
789世界@名無史さん:03/04/22 19:51
他の二人高すぎ
劉備の魅力以外
790 :03/04/22 19:52
世界史上に何人もいない人物かと問われると少し答えに窮するが、
あの時代に一人の傑物であった事は疑う余地がない。

武力90代は疑問に思うが、知力は90代に迫る80代を与えてもよろ
しいのではと思う。孫武兵法を今に伝えるなど当時の詩文文化へ
の功績が非常に大きいから。
791 :03/04/22 19:53
>>790
書き忘れ(^^; 曹操のことです。
792世界@名無史さん:03/04/22 20:00
>>789
他の二人は妥当なもんだろ
そ嘘ーは武力と政治が疑問
90代与えていいものか
793「ど」の字:03/04/22 20:21
>>792
 政治は90代で文句は無いのでは?
 武力は80〜85あたり。鉄火場になると突っ込みすぎる悪癖で少し損をしている。
 彼も、自分に自信があり過ぎる人間だったのかも……。
794世界@名無史さん:03/04/22 20:24
劉備に世界史レベルで知力70もあったかというと極めて疑わしい。
孫権も晩年は耄碌してたし。
795世界@名無史さん:03/04/22 20:27
三国志から出て世界史の話でするなら
80代が並ぶとはおもうが
90以上の数値は連発できないよな
政治か統率どちらかが90代といったトコロか
796世界@名無史さん:03/04/22 20:28
>>793
そりゃそうだわ。そうじゃなきゃ自分の英雄詩よんだりしない。

曹操は戦術家としてはさほどでもない感じだな。
優秀な戦術家を引き抜く軍政家だった。
797世界@名無史さん:03/04/22 20:29
>>794
機知の面で考慮するなら
知力68ぐらいか?
798 :03/04/22 20:41
うん。
「生き残るためのひらめきは限りなく高い」程度なら、
劉備の知力は精々「まあまあ」の60代でしょう。
799前スレの948:03/04/23 23:48
第八回「日はまた昇らず」

朱由検(1610〜1644)明朝第17代皇帝
本スレの中国熱が盛り上がっているところで、私も一筆書かせていただきます。
漢民族のラストエンペラーであり、傾きかけた帝国を中興せんとの志を抱きながら、
何一つ成し得なかった悲運の君主です。
一般的には廟号の崇禎帝で、呼ばれることが多い人物です。
それでは、お楽しみください。
800前スレの948:03/04/24 00:04
1.統率力
朱由検は日頃から、「君は亡国の君に非ざれど、臣はことごとく亡国の臣なり」と語っており、
遺書にも「これ(明の滅亡)は皆な諸臣が朕を誤らせたためである」と記しています。
確かに明には愚劣な臣下が数多く居ましたが、袁崇煥、徐光啓、史可法、呉三桂など、
忠義と能力を兼ね備えた人材も少なくなく、
明の家臣団は決して無為無能の集団ではありませんでした。
しかし、朱由検は己1人以外何者も信じず、重臣・将軍を用いては、
落ち度を見付けて粛清するということをやっていました。
彼の治世で粛清された重臣は、数十人にのぼります。
朱由検自身は有能な人物でしたが、彼1人で大帝国の統治は出来ません。
部下を信じて任せることが出来ず、真に君主たる度量に欠けているというべきです。
それゆえ、統率は「15」とします。
801前スレの948:03/04/24 00:12
2.武力
李自成の軍が北京に押し寄せて来た時、
南京に逃げるべきだとの臣下の意見に対し、
「今さら逃げられるか」と抗戦を命じ、気概を見せますが、
首都防衛軍に裏切られ、実現しませんでした。
また、李自成に対して親征しようともしましたが、
これも実現していません。

気概のある人でしたが、戦争は気概だけでは出来ません。
知識と才能が必要なのです。
彼にはその両方がありませんでした。
よって、武力は無能レベルの「22」とします。
802前スレの948:03/04/24 00:26
3.知力
朱由検は即位すると、明を蝕んでいた元凶である大宦官魏忠賢を処刑し、独裁権を確立しました。
そして、信じられないほどの勤勉さと実行力をもって、政治改革に取り組みます。
彼の行った財政改革、軍事改革は、いずれも的を得たものでした。
しかし、重臣の派閥闘争や打ち続く飢饉に阻まれ、
何一つ効果を上げられませんでした。
また、世界史上最も有能な一族である愛新覚羅一族率いる満州軍と、
李自成、張献忠率いる強力な反乱軍の両方を敵に回して戦わなければならなかったことも、
彼にとっては不運なことでした。
歴史にIFは禁物ですが、もっと彼が平和な時代に生まれていたらと願わずにはいられません。
そうであったら、朱由検は有能で勤勉な君主として、生涯を全う出来たはずです。
彼の知力は、極めて高いレベルにあったと推察されます。
よって、知力は優秀レベルの「78」とします。
803前スレの948:03/04/24 00:38
4.政治
前項でも述べた通り、朱由検の打ち出した政策は、いずれも的を得たものでした。
しかし、それらがすべて失敗に終わったのは、彼にバランス感覚があまりに欠如していたからです。
袁崇煥がヌルハチを戦死させると、袁崇煥の武力を恐れて殺してしまうし、
財政改革のために駅站制度(運送業者や郵便配達に関わる人たちを泊める専用の国営宿屋)を廃止すると、
失業した駅站労働者に反乱を起こされてしまいます。
また、財政再建のために税金を重くしたら、たちまち農民の生活は苦しくなり、
彼等もまた反乱を起こしてしまいます。
朱由検ほど、民を愛し、国を愛した君主はいませんでした。
それは、彼の感動的な遺書(魅力の項で紹介します)からも明らかです。
しかし、あまりに理想が高すぎたために、現実に即した対応が出来ず、ついには国を亡ぼしたのです。
よって、彼の政治は苦手レベルの「30」とします。
804世界@名無史さん:03/04/24 00:41
ボブ・サップ
【統率】50 部下を率いるというより、優秀な部下。頭は悪く無いようなので普通
【武力】92 素手なら最強クラス 
【知力】69 大卒、頭の回転がはやく、異国の文化を取り入れる
【政治】73 自己宣伝能力に長ける。自らプロモーションビデオを作成。プロレス界へ転身
【魅力】84 愛嬌のある表情で日本の御茶の間を虜に


805世界@名無史さん:03/04/24 00:48
猪木寛二(アントニオ猪木)
【統率】68 心酔するものも多く、人が集まるが、結局自分が中心で人を使う感じはない
【武力】89 組み付き術、不意打ちに長ける 
【知力】50 馬鹿ではないが明かにマトモじゃない。
【政治】73 自ら会社(プロレス団体)を起し一大ブームを築く
【魅力】90 何をやっても許されるカリスマ

806前スレの948:03/04/24 00:51
5.魅力
明が滅びた時、李自成は「明の政治はひどかったが、帝は立派な人物だった」と慨嘆し、
朱由検を裏切って自分に寝返った明の廷臣を怒鳴りつけています。
パフォーマンスの側面があったにせよ、
朱由検本人の人気が、民間では高かったことが察せられます。
また、北京陥落後、華南地方では朱由検を悼む声が日増しに高まりました。

彼は臣下にとっては魔王のような人物でしたが、
乱脈を極めた後宮生活を送った明の皇帝には珍しく、側室を1人しか持たず、
凄まじい激務をこなしていたにも関わらず、幸福な家庭生活を送っていました。
朱由検本人は、個人的な魅力に富んだ人物だったようです。
よって彼の魅力は「72」とします。
807前スレの948:03/04/24 00:55
5.魅力2
最後に、朱由検の遺書が感動的な文章であるので、
ここに紹介したいと思います。

朕は、基(もとい)に立って十七年、上に天の罪を邀(むか)え、虜(てき)に地を陥されること三次、逆賊も遂に京師(=首都)にせまる。
これは皆な諸臣が朕を誤らせたためである。
朕は、死んで地下にいる先帝たちに会わせる顔が無い。
だから髪でもって面を覆う。
賊をして朕の屍を引き裂くのは構わない。
文官を尽く皆殺すのも構わない。
だが、皇帝たちの陵寝(みささぎ)は壊すこと勿かれ。
我が百姓を一人たりとも傷つけるなかれ。

遺書にある通り、彼の顔は髪の毛で覆われていたそうです。
808前スレの948:03/04/24 01:06
朱由検の最終的な評価を発表します。

【統率】15
【武力】22
【知力】78
【政治】30
【魅力】72

彼の能力を設定する時、私の頭には1人の人物が念頭にありました。

「サロト・サル」
ポル・ポトの名で呼ばれたこの人物は、あまりに高すぎる理想と、
思い通りにならない現実の狭間で苦悩し、狂気に走りました。
狂っていたとしか言えない朱由検の粛清熱も、これに通じるものがあったと思います。

この能力は、政策を考え出すブレーンとしては向いていますが、指導者としては不向きです。
向いていなかったのに、指導者の座に就いたのが、彼の悲劇でした。
確かに、内では派閥抗争が激しく、外では強力な外敵がおり、
人を信じるには難しすぎる時代でした。
もっと穏やかな時代なら、彼もここまで苛烈になる必要は無かったかもしれません。
しかし、彼が人を信じることが出来れば、
彼の統率にも、知力と同等の数値を付けることが出来たのに。
そう思うと残念でなりません。
809前スレの948:03/04/24 01:45
【コラム】三国志の君主
曹操(155〜220)魏王
【統率】54
致命的な裏切りを何度も起こされています。
特に子飼いの陳宮と親友の張バクに離反されたのは、マイナスポイントです。
親族以外の将軍では、張遼にしか戦線を任せることが出来なかったのも、
天下人としてはどうかと思います。
また、魏書を紐解くと、やたらと反乱を起こされており、
曹操は国家の運営には向いていなかったのではないかと思われます。

【武力】82
曹操は当代でも一流の戦術指揮官で、少部隊での強襲と、
持久戦の両方を得意としていたという、珍しい人物でした。

【知力】90
変幻自在の外交戦略で、常に他の群雄を出し抜き続けました。
特に、兵力的に優勢だった青州黄巾軍を自軍に取り込むと言う、
政治的荒業を成し遂げたことは、特筆すべきです。

【政治】49
意外に思われるかもしれませんが、曹操は意外と民衆の統治が下手でした。
魏書を紐解くと、曹操統治下の領内で、かなりの民衆反乱が起きていたこと、
袁紹との決戦において、兵力で劣っていたにも関わらず、補給でも負けていたこと、
統治下の地域で無秩序な地域が随分あったことが伺われます。
どうも、曹操の統治はうまくいってなかったみたいです。

【魅力】73
親族や名士、豪族以外の人物を重用できなかったように思えたので、
魅力的ではあるが、一級とは言えない、としました。
人材が集まったのは、荀イクの魅力の高さに帰するべきでしょう。
810世界@名無史さん:03/04/24 12:01
ゲバラって既出ですか?
811世界@名無史さん:03/04/24 13:31
>810
いや、中南米方面は全くと言って良いくらい出ていない。
812前スレの948:03/04/24 17:40
>>811
前にグエン・タト・タインの能力値を計算するために
試験的にキューバのカストロ議長と、チリのアジェンデ大統領の能力値を計測したことがあります。
カストロは、統率・知力・魅力が高い革命独裁型、
悲運の宰相アジェンデは、知力・魅力の高い革命家型でした。
カストロが生き残れたのは、彼自身の高い統率力と知力の賜物です。
アジェンデは知力と魅力が高かったため、政権を掌握することが出来ました。
しかし、極度のインフレを招いたのは、政治力が低かったからでしょう。
アメリカの過度の干渉が無ければ、合法的な政権として存続できたと思われるので、
統率力はそれなりにあったと思われます。
813784-786:03/04/24 17:44
前回は失礼しました・・ やはり、過大評価気味になってしまいました。
今回は厳しく(?)行かせてもらいます! 

「蜀志六」、演義で言えば五虎将軍ですねー

関羽
【統率】52(部下に裏切られまくり。)
【武力】76(勝った戦も碌に無いのに武勇優れたとは、甚だ言い難い。 1万人に匹敵を考慮して76)
【知力】55(相手陣営における寝返りを誘発していた。 それなりにあっただろう)
【政治】40(二面作戦食らったが、都督を任されたんだから、まあ凡人並み)
【魅力】71(傲慢だけど、人格はできていた。 後世の人気も含めて)

張飛
【統率】53(コイツも部下に裏切られた。)
【武力】81(厳顔、張郃を攻め破ったり、戦闘的センスはかなり高い)
【知力】40(凡人並)
【政治】13(政治的センスはまず無いだろう。)
【魅力】36(粗暴な性格だが、何処か憎めないトコがある。)

馬超
【統率】62(名声はあり、涼州に赴いて軍勢をよく統率した。)
【武力】73(誉めるべき点はそんなにないが、これくらいはあったかと)
【知力】26(無謀にも曹操に挑み、曹操の策に敗れた。 評価できる点は皆無)
【政治】8(韋康を殺して、部下に復讐されたり・・・ 本当何も考えずに行動してそう)
【魅力】58(親不孝で、殺人者だけど、名声は高かったので)
814784-786:03/04/24 17:44
続きれす

黄忠
【統率】50(記述はすごく少ないが夏侯淵を斬ったので、人並み以上)
【武力】77(夏侯淵の軍勢に突撃、その首級を挙げる大武勲を成し遂げた。)
【知力】49(夏侯淵を破ってるので(こればっかりw)
【政治】45(劉磐とともに長沙の攸県を守ったりしてる。)
【魅力】52(活躍が少ないのに最終的に劉備から後将軍に任命されてる)

趙雲
【統率】41(あくまでも親衛隊長)
【武力】74(親衛隊長だから個人的武勇は高かっただろう。 他の方面は駄目だけどw)
【知力】53(空城の計)
【政治】58(周辺警備を考えての数値)
【魅力】46(三国志一の人気は何時の事だっけ?)

まだ高いかなw
815前スレの948:03/04/24 17:57
【コラム】関帝聖君
後世では神にまで祭り上げられた関羽ですが、
正史上での活躍はそれほど多くありません。
白馬で顔良を殺害したのと、于禁を捕虜にしたぐらいです。
しかし、前者は曹操の指揮下でのことであり、
後者は水害に遭って戦闘能力を失った于禁軍を降伏させただけに過ぎません。
単独で軍を率いた場合の活躍はあまり多くないのです。
それどころか、はるかに兵力の少ない甘寧の軍を恐れて渡河を控えたり、
徐晃に真っ向勝負で陣地を次々と落とされるなど、冴えないところばかりが目立ちます。
では、関羽の将軍としての高い名声は、どこからきたのでしょうか?
816前スレの948:03/04/24 18:04
同時代に、負け戦ばかりだったにも関わらず、主君の片腕として重用され続け、
将軍としての名声が高かった人物が存在します。
魏帝国において、大将軍にまで登った夏侯惇です。

彼が信頼されたのは、挙兵以来の同志であったこと、親族であったこと、
そして何よりも個人的な親友であったことがあげられます。
そして、彼はリーダーシップとバランス感覚に優れた人物でした。
だから、曹操は安心して彼に軍を委ねることが出来たのです。
関羽が劉備に信頼され、荊州を任されたのは、同様の理由であると、私は考えています。
817前スレの948:03/04/24 18:21
当時において、劉備の武名は非常に高いものがありました。
関羽の「万人の敵」という評価は、その『強い劉備軍団の副将』であったから、
生じた評価であったのではないでしょうか。

徐州で曹操に反旗を翻した時、劉備は自ら軍を率いて戦い、
関羽に本拠地である下ヒの守備を委ねました。
また、曹操が荊州に侵攻してきた時には、劉備とは別に水軍を率いています。
おそらく、関羽は軍事能力よりは、「長い間の同志で安心して使える」ことを買われて、
荊州を任されたのだと思います。

確かに彼は、リーダーシップに優れた軍人でした。
しかし、いかんせんバランス感覚に欠けていました。
そのため、隣国の呉を敵に回し、副将格の麋芳(徐州以来の劉備の腹心)と、
士仁※に裏切られ、悲劇的な死を遂げたのです。

※士仁は幽州の出身であり、劉備とは同郷です。
 劉備は早い時期に幽州を離れているため、士仁もかなり早い時期に劉備に従った人物であり、
 おそらくは劉備の腹心と言って良い地位にあったと推察されます。
 だから、荊州を任されてから傲慢になった関羽に対して、反感を募らせたのでしょう。
818世界@名無史さん:03/04/24 20:48
>>808

ポル・ポトと崇禎帝を、似た人物であるかのように評価するのは
どうかと思う。

ポル・ポトの場合は、虐殺は彼が「はっきり敵と認識していた」
都市のブルジョワ階級から始まり、次第に本来の支持基盤であるはずの
農民たちをも巻き込んでいった感じで、やり方が大きく異なる。
また、カンボジア人にとってポル・ポトは、ある意味で影の薄い、
それだけに不気味な存在だった。
崇禎帝のような大衆的人気はない。
819世界@名無史さん:03/04/26 10:36
張飛は、蜀の諸将から漢中太守を任されると思われていました。
(実際は魏延が任されたわけですが)
周りから『張飛が任されるだろう』と思われていた以上、
張飛にもそれなりの政治能力があったはずでは。

漢中は魏方面の最前線であり、張飛が政治能力皆無の人間だとしたら、
そんな重要拠点を『任されるだろう』とすら思われなかったのでは?

張飛の【政治】50 くらいかな。
820世界@名無史さん:03/04/27 00:52
劉邦、劉徹、劉秀、劉備は?
821世界@名無史さん:03/04/27 01:52
確かに、正史読むと後詰めばっかやってるような印象があるな>盲夏侯
822世界@名無史さん:03/04/27 21:56
日本の戦国時代の武将なんて低数値いいよ。
大陸支配とかいいながら、朝鮮すら支配出来ず。
まあそれは明のおかげだけど。でも李舜臣に敵う日本の
戦国武将はかなり少ないね。家康ぐらいかな。
823世界@名無史さん:03/04/27 22:43
>>822
海を越えて攻める側と防る側を同一には語れんだろ。
ただ、「海戦に関して」李舜臣に敵う戦国武将がかなり少ないってのは同感。
「世界史レベルでは」日本の戦国武将の数値が低いのも同感。
824世界@名無史さん:03/04/27 23:28
日本の陸自の元将官が、戦国時代の日本の陸戦の戦術は
当時世界最強と言われたスペイン方陣に酷似しており、
朝鮮を制圧して北京まで侵攻することも純軍事的には十分可能だったと書いていた。
そう考えると、戦国時代でも優秀だった部類の武将の武力は世界史レベルだったとも考えられる。
825世界@名無史さん:03/04/27 23:39
『世界史レベル』とは一体なんなのか詳しく説明して頂きたく存じます。
826世界@名無史さん:03/04/27 23:42
>>824
大半の武将はロジスティクスや外交戦術(他の国家とのね)に疎かったし
世界史レベル(このスレで100候補に上るほどの)での革新に少なかった。
と、言いたいのでは?
827世界@名無史さん:03/04/27 23:53
李舜臣は行ったのは海戦と呼べるものなのかねえ…?
勿論、補給線をズタボロにされた日本側があかんのは確かだが。
828世界@名無史さん:03/04/28 00:14
ブルシロフ 1853−1926

【統率】80(厭戦気分のロシア軍を良く率いた)
【武力】65(普通の職業軍人)
【知力】95(ブルシロフ攻勢)
【政治】60(赤軍の長官になる程度の世渡りは出来た)
【魅力】80(控えめながらロシアでも上流階級出身)
829「ど」の字:03/04/28 01:29
>>822>>827
 李舜臣に敵う日本武将が徳川家康くらいとは、とても言えないでしょう。
 李舜臣は以前査定してみましたが、謎の多い人物です。
 彼は弱点も多いですよ。ことに政治力は絶無ですし。
 また、その最期が犬死にであるのも、事実です。
 詳しくは下のスレを。
 ハングル板で、かなり突っ込んだ意見が交わされていました。

【李舜臣】壬申倭乱/丁酉再乱【倭寇説】 2ダ
ttp://ex.2ch.net/test/read.cgi/korea/1048832368/l50


 少なくとも、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三人は、世界史レベルの指導者です。
830世界@名無史さん:03/04/28 17:14
康熙帝、雍正帝、乾隆帝はどうなんでしょうか?
831世界@名無史さん:03/04/28 17:43
ナポレオン
832前スレの948:03/04/28 21:19
次回予告です。
次回は、南北戦争を戦った、アメリカの将軍の評伝を書きます。
また、皆様のご要望につきましては、【コラム】という形で、
取り上げることがあるもも知れません。

特に過去の漢の四帝については、書きたいことがいっぱいありますので、
いずれ書けたら、と思っています。
清の三帝については、前向きに考慮のしたいと思います。
ナポレオンの評伝については、他の方が書いておいでになっていますが
私流の評価でぜひ書きたいと思っています。
また、他の方が評価された人物の再評価もありえるので、
私の執筆意欲をかきたてるような人物の紹介を、お待ちしております。
833前スレの948:03/04/28 21:28
>「ど」の字さん。
確かに豊臣秀吉、徳川家康は世界史レベルの指導者ですが、
信長は、あくまで戦国時代の日本でしか通用しないタイプの指導者だと思います。
信長は、外交と謀略は上手でしたが、それ以外の能力に見るべきものは、
特にないように思われます。

致命的な裏切りに何度もあっているし、戦いもあまり上手ではありません。
おそらく、本能寺時点での領土が、
彼の統治できる限界だったのではないでしょうか?
そんな信長が限界を超えて、日本全土を制覇しつつあったため、
「信長が日本を統一したら、また混乱の時代になる」ことを危惧したから、
明智光秀は、信長を殺したのではないでしょうか。
834前スレの948:03/04/28 22:16
>>818
二人とも、荒れ果てた祖国を復興するために奔走したのに、
理想が高すぎて、どんどん付いていけない人を殺していった点で共通しています。
ただ、民を愛したか、民すら粛清の対象にしたかの違いに過ぎないと思います。

サロト・サルのような無差別虐殺には、前例があります。
明末の時代に四川で割拠していた群雄張献忠の行った虐殺もまた、
官吏・軍人・民衆を問わない無差別的なものでした。
ただ、史書の記述によると張献忠は精神に異常をきたしていただけのように思われます。

私がサロト・サルと張献忠ではなく、朱由検と対比したのは、そのような理由からです。
835オナニー最高!:03/04/28 22:20
昨日ここでアダルトDVD買ったんですがすごく安くてすぐ届きました
購入したのは看護婦、OL、人妻、スッチ、女子大生などです。
抜けました!

http://www.net-de-dvd.com/
836前スレの948:03/04/28 22:26
「ナポレオンになれなかった男」
ジョージ・ブリントン・マクレラン(1825〜1886)

彼は南北戦争において、事実上の最高司令官であるポトマック軍司令官を務めた人物です。
日本での知名度は、皆無に等しいのですが、
当時は最も兵士に人気のあった将軍で、
あまりに面白すぎる人物なので、評伝を書いて見ることにしました。

それでは、お楽しみください。
837世界@名無史さん:03/04/28 22:37
>833
……信長の過大評価を戒めるのに光秀を過大評価してどーするよ。
838前スレの948:03/04/28 22:40
1・統率力
マクレランの軍政は、「待遇の改善」と「猛訓練」を軸としており、
兵士1人1人にも目配りを欠かさない緻密さも併せ持っていました。
彼は壊滅状態にあった北軍主力のポトマック軍を短期間で再建し、
魔術のように強大な軍隊を編成してしまいました。

マクレランは、19世紀屈指の、軍隊を組織することに長けた人物だったのです。
彼の統率力は、自分のいない戦場でも勝ち得る軍隊を作り上げました。
よって、統率は「84」とします。
南北戦争の将星の中で、これほどの数値を付けられる人物は、ほとんどいません。
839世界@名無史さん:03/04/28 22:40
つーかあの時代に日本の将来を憂えて主君を殺害した光秀って一体・・・・
結構電波入ってないか?
840「ど」の字:03/04/28 22:42
>>833
 ご意見、どうもです。
 そうですか。三者の中では織田信長を最も力量が劣ると見ていますか……。
 自分は、豊臣秀吉が三人の中では最も力量が劣ると見ています。
 とはいえ、先に書いた通り、彼もまた世界史レベルの人物と考えていますが。

 自分の頭の中では、
 古代ローマのカエサルの力量=織田信長の力量
 古代ローマのオクタヴィアヌスの力量=徳川家康の力量=大久保利通+伊藤博文の力量
 です。

 織田信長の能力で特筆すべきものは、国家的戦略……グランドデザイン描出能力です。
 天下統一を当時で最初に考え、またそのための論理的方法論を考案したのは、特筆に価します。
 当時の日本では(恐らく当時の世界史を俯瞰しても)その能力を持っていた人物は他にいません。
 豊臣秀吉も、徳川家康も、織田信長の敷いたレールを自分流に修正したに留まります。
 彼の成果の中で特筆すべきものは、通商を保証する治安と物流の確立と、宗教に対する掣肘です。
 この二つの成果あるが故に、現代に至るまでの日本は多大な国力を蓄えることが出来ています。
(多神教古代ローマがキリスト教に滅ぼされて以降、現代までの宗教戦争史を俯瞰すれば、影響は瞭然)

(この項続く)
841世界@名無史さん:03/04/28 22:43
まあ日本の戦国時代にカエサルやナポレオンがいても
全国統一して海外に雄飛できたとはとても思えないがな。
842「ど」の字:03/04/28 22:53
 あなたが織田信長の能力に疑問を抱くのは、浅井長政と明智光秀の裏切りによる統率力の欠如と思われます。
 しかし、この両者の裏切りは、歴史研究者の研究に拠れば「狂気の沙汰」です。
@浅井長政は、古くから友誼を結んでいた朝倉氏との縁を切れなかった、明らかな愚行でした。
 朝倉義景はその後、全く頼りない有り様を見せて、浅井長政を道連れにするように滅んでいます。
A明智光秀の本能寺襲撃は、襲撃成功が見えたため行った、文字通りの行き当たりばったりの襲撃でした。
 織田一族の襲撃自体には成功するも、その後の外交・政治的行動には大きな疑問符が付きます。

 織田信長は、まさかその両者がそのような真似をするとは、夢にも思わなかったことでしょう。
 理と利で人間を測っていた織田信長は、人間が感情の動物であったことを忘れてしまっています。
 それは確かに弱点ですが、とはいえ彼の歴史的業績を打ち消すほどのものではありません。

 自分は、日本を代表する指導者を一人挙げよと言われれば、迷うことなく織田信長を挙げます。

 次回は、この日本統一の端緒を拓いた政治家の、数値化と略史を書いていきます。
843前スレの948:03/04/28 22:55
2・武力
マクレランは軍隊を編成することにかけては、並ぶ者が無い力量を誇っていましたが、
自分が手塩に掛けて育てた精鋭を戦闘で失うことを恐れ、
決戦を避け続け、政府から参戦命令が出ても、訓練ばかりしていて、
肝心の戦場には赴こうとしませんでした。
彼ほど兵士を愛した将軍は、いませんでした。
しかし、兵士を愛しすぎたゆえに、戦機を何度も誤りました。
ただ、南北戦争最初の会戦である、8日間戦争では勝利を収めているので、
平凡な将軍と、無能な将軍の狭間ということで、「40」とします。
844「ど」の字:03/04/28 23:01
>>841
 自分は出来たと見ています。
 豊臣秀吉による対朝鮮戦略は、グランドデザイン先行で、現実的実行論に欠けたものでした。
 故に、明の介入や朝鮮の反攻を許しています。
 自分が豊臣秀吉を三者の中で一番低く置いたのは、「唐入り」の失敗があまりに無残だったことに拠ります。

 もしも織田信長が、本能寺の変で死ぬことなく天下布武に成功していたら、どうだったでしょう?
 カエサルも対パルティア戦役直前に暗殺されていますので、丁度良い対比になると思います。

 自分の結論は、こうです。
「日本の勢力圏は、朝鮮半島と中国北部沿岸部まで伸びていたであろう」
 それは、当時の大変な世界情勢の只中に、日本が踏み込むことを意味します。
 そこからの歴史は、全く見当も着きません。
845「ど」の字:03/04/28 23:05
>>843
 たびたび解説をブツ切りにしてしまって、大変申し訳ありません。
 >838まで見ずに書き込んでしまったために、途中で割って入るみたいになってしまって……。
 マクレラン将軍の書きこみが終わってから書きこむことにします。
 失礼しました。
846前スレの948:03/04/28 23:10
3.知力
マクレランは、自らをナポレオンの再来と信じていましたが、
実際にはただの無能な戦略家でした。
戦場だけでなく、戦略立案に関しても、敵を過大評価し、
兵力の投入を惜しむという悪癖を持っていました。
彼自身は知的で教養に富んだ人物でしたが、
それが戦場や政治の場で発揮されたことは一度も有りませんでした。
色々と策動しても、現実を把握する能力を欠いていたため、
戦後10年経ってからニュージャージー州の知事に立候補して当選したことを除いては、
彼の判断がまともだった試しは無かったので、知力は「23」とします。
847前スレの948:03/04/28 23:32
4.政治力
マクレランは、リンカーンを始めとする政治家を完全に軽蔑しきっており、
露骨にそれを示しました。
彼がポトマック軍再建に際して、要求した物資と兵員を得ることが出来たのは、
彼自身のの政治力ではなく、当時の合衆国政府が寛大だったからでしょう。
また、終戦後に軍務から離れた彼は、軍隊に対して影響力を失っていたにも関わらず、
軍隊票をあてにして立候補しますが、リンカーン相手に惨敗しています。
唯一の政治的成功であるニュージャージー州の知事を二期務めたのち、
ホワイトハウスに閣僚として入ろうとしましたが、これも失敗に終わっています。
旺盛すぎる権力欲のわりに、政治家としては失敗続きでした。
よって、政治力は無能レベルの「28」とします。
848世界@名無史さん:03/04/28 23:36
おいらも信長が海外に派兵して成功できたとは思えないな。それ以前に、信長は国内統一後に
明へ派兵するかなぁ?「理と利」を考えたら南蛮交易を優先して、わざわざ海外派兵なんかしなかったのでは。
後金と明の戦いに介入すれば何がしかの成果をあげることも可能だったかもしれないけど、信長とは少々時期が
ずれるし。
朝鮮での戦も秀吉だろうと信長だろうと、多少の戦果の違いはあれど最終的には結果は同じだったでしょう。
秀吉が信長だったとしても朝鮮側のモチベーションは変わんないし。
849前スレの948:03/04/28 23:44
5・魅力
マクレランほど、兵士を愛した将軍はおそらく、世界史上でも稀でしょう。
アンティータムの戦いで2万の戦死者が出たことを知った時、
彼は「もういやだ。どれほど勝利があろうとあのぐじゃぐじゃになった傷口を見るぐらいなら死んだほうがましだ」と嘆いています。

兵士たちもマクレランの愛によく応えました。
彼が軍営の中を歩き回るたびに、兵士たちは彼に賞賛を浴びせました。
マクレランは、きわめて単純で幼稚な人物でしたが、
それゆえに目下の人間には深い愛情を注ぐことが出来、大衆的なを支持受けたのです。
大統領選挙では惨敗したとはいえ、それでも彼の政治生命は絶たれませんでした。
これほど判断力とバランス感覚に欠けているのに、ニュージャージー州の知事になれたのですから、
彼の魅力は当時でも一級品だったので、「81」とします。
よって、
850前スレの948:03/04/28 23:58
ジョージ・ブリントン・マクレランの最終的な評価を発表します。

【統率】84
【武力】40
【知力】23
【政治】28
【魅力】81

国家レベルの指導者になり得る能力ですが、
知力と政治力があまりに低すぎるため、
良いブレーンがいなければ、最高指導者になれないでしょう。
また、戦術能力はギリギリ水準なので、将軍として使えないこともないのですが、
兵士の命を惜しみすぎるという悪癖のため、前線に出すべきではないでしょう。
理解のある指導者の下で、全国レベルの組織を任せるなら、
目覚ましい能力を見せてくれるはずです。
軍事なら、後方支援の最高責任者、
政治なら、閣僚として一つの省庁を任せるのが良いでしょう。
851前スレの948:03/04/29 00:03
【後書き】
評価に困る人物ばかりの評伝を書いてきたので、
たまには、こういう不思議な能力を持った人物も書いて見たかったのです。
合衆国の歴史には、たきたまこういう訳の分からない人が出てきて、面白いです。

最後に、後世の歴史家がマクレランを評した言葉を引用し、締めとしたいと思います。
「マクレランは将軍としては失格だった。
 魅力的ではあるが虚栄心が強すぎて、かつ情緒不安定な人だった。
 軍事的知識があって乗馬がうまく、そして大統領になりたがっていただけの話だ」
852「ど」の字:03/04/29 00:08
>>851
 お疲れ様でした。興味深く読ませていただきました。
 面白い人物も居たものですね。
 これからも、頑張って秀作を書いてください。
853前スレの948:03/04/29 00:20
>>842
浅井長政は、信長の部下ではなく同盟者でした。
それゆえ、彼の裏切りは、統率力の欠如の根拠にはなりません。
むしろ、政治力の範疇です。

私が織田信長の統率力を低く見積もっているのは、
明智光秀、荒木村重など、自分で引き立てた部下にまで手痛い裏切りを受けただけでなく、
佐久間信盛のように、政治と軍事の両方に通暁し、
実績を十分にあげているはずの人物を使い切れずに、追放してしまったこと。
調略で配下に加えたはずの別所長治、松永久秀に反乱を起こされ、
磯野員昌のような名将を使いこなせず、出奔されてしまったことなど、
失敗例があまりに多過ぎるからです。

信長が長男の信忠に早めに家督を譲ったのは、自己の限界を悟り、
ローマ風に言えば、自分を正帝、信忠を副帝として、
自分の統率力の欠如を補う体制を作りたかったのではないかと思います。
854世界@名無史さん:03/04/29 00:20
正直、信長の描いた日本の将来とカエサルが描いたローマの将来、
後継者によってそれぞれがどう引き継がれたかを見れば
実情にあった先見性という意味での優劣は自ずと明らかになる。

信長は明らかに傭兵制を志向し、後の士農工商のような身分制度
としての「戦う者」の固定には否定的だったと思われるし、
(少なくとも、中枢部はともかく末端までの固定は考えていなかったろう)
海外政策・宗教政策は180度くらい違っている。
鎖国擁護派が言うように、日本の海外進出で実際に諸外国に
侵略されたかどうかはともかく、
明智光秀の反乱は、少なくとも旧来の権力層が信長のやり方に
違和感や行き過ぎを感じていたことを示すし、
それがある意味で正しかったことは、奇しくも秀吉以降の
キリスト教弾圧・刀狩りなどによって証明されている。

カエサルの場合、オクタヴィアヌスはカエサルの政策を大きく
変えたと見られる節はないし、変えようとしたことの方が失敗している
(北部国境を、ライン川からエルベ川にしようとしたことなど)
節もある。どちらが自国の実情を踏まえていたかは明らかだ。

別にカエサルが戦国日本にいたからといって、海外進出が出来たとは
言わないが、特に宗教政策(キリスト教と仏教の兼ね合い)では
もう少し上手くやったろう。
仏教が気に入らないからと言ってキリスト教に接近したりせず、
放っておくのがカエサルだと思う。
855前スレの948:03/04/29 00:36
>>844
私が秀吉を高く評価するのは、
日本の武家政権としては、はじめて中央集権体制を確立し、
数十万の兵力の動員を可能にするシステムを築いたからです。

信長の天下統一戦争においては、軍功第二位にあげられるほどの軍事的才能を持っていました。
また、数十万の軍の総帥となって、破綻させること無く戦い抜いたのも、当時の世界では素晴らしい事です。
政治家としては日本統一から、体制の整備に至るまでの彼は、新時代を切り開いた偉大な指導者だと思います。
ただ、統一後は圧制を敷き、ロクな戦略もないままに韓半島に攻め込み、
日本と韓半島の人々を苦しめ、最悪の暴君に変貌しました。

あなたの得意なローマ史風に表現すれば、
信長は中途半端なマリウス。
秀吉は信長に仕えていた頃はポンペイウス。信長死後はスッラ。
家康はスッラとカエサルを足して二で割り、文学的才能を引いたようなものだと思っています。
856山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/04/29 00:40
乱入して言わせていただくのも何ですが。圧制というのは何の事でしょうか。
秀次云々なら為政者にはしばしば見られる「症状」かと。
検地や刀狩はそれをもって「中世」の終焉とされるものでしたし。
基本的に家康・秀吉>信長という意見には賛成です。
857「ど」の字:03/04/29 00:44
>>853-854
 だいたいの主張は、わかりました。
 あらかた、納得のいくものでしたが、二つほど質問が。

>明智光秀の反乱は、少なくとも旧来の権力層が信長のやり方に違和感や行き過ぎを感じていたことを示すし、
 それがある意味で正しかったことは、奇しくも秀吉以降のキリスト教弾圧・刀狩りなどによって証明されている。

 明智光秀は、当時日本の旧来の権力層と結んでいたんでしょうか?自分は知りませんが…。
 織田信長は、旧来の既得権益層を一度完全に潰そうとしていました。
 だから、明智光秀が「織田信長の政治的成果を否定する」目的で兵を挙げたなら、共闘できたでしょうが……。
 明智光秀が、そこまでの政治的行動をした節は、見当たりません。

 あと、織田信長は、キリスト教の布教を公認してはいましたが、それは優遇とまで言えるものでしたっけ?
 仏教勢力を潰すのに、別にキリスト教の助けを得た節は、無かったはずなのですが。
 織田信長は、仏教が既得権益団体であることを禁じたのみで、宗教そのものを禁じたわけではありません。
 宗教に対する締めつけは、後の徳川家康が最もきつかったと記憶しています。
858世界@名無史さん:03/04/29 00:45
最初からそう言えば良いものを、
何でそこで光秀が日本の将来を〜などという電波が混じるのやら。
859前スレの948:03/04/29 00:46
>>844
>もしも織田信長が、本能寺の変で死ぬことなく天下布武に成功していたら、どうだったでしょう?
おそらく、信長の能力では、日本の統治さえままならなかったと思います。
一群雄だった段階でさえ、何度も部下や民衆に反乱を起こされています。
ですから、仮に天下統一に成功したとしたら、反乱の種がさらに増えるので、
信長は内乱の鎮圧に忙殺され、一生を終えてしまうように思います。

>カエサルも対パルティア戦役直前に暗殺されていますので、丁度良い対比になると思います。
名前は忘れたのですが、当時のパルティアには、たしか名将がいたように記憶しています。
それに、歩兵主体のローマ軍と、騎射を得意とする精強なパルティア騎兵では、相性が悪すぎます。
カエサルがパルティアを征服できたかどうかは、微妙なように思います。
860「ど」の字:03/04/29 00:55
>>855

>日本の武家政権としては、はじめて中央集権体制を確立し、数十万の兵力の動員を可能にするシステムを築いたからです。

 北条政権の得宗専制体制はどうでしょう?
 元冦の際には、関東からの動員が出来(間に合いませんでしたが)、長門〜石見・安芸方面まで兵力を張りつけていました。
 数十万の兵力の動員は、生産技術レベルが向上したためだと思っていたのですが……。
 豊臣秀吉の軍は、それまでの軍編成とは、また違った画期的なものだったのでしょうか?
 不勉強ですいません。
861世界@名無史さん:03/04/29 00:56
つか、信長が天下統一した後に秀吉と同じ道を歩むか? という根本的疑問もある。
南蛮貿易とか南方進出の方が割に合うと試算すればそちらの方を選ぶだろうし。
862前スレの948:03/04/29 01:00
>>854
果たして、明智光秀は、旧支配層の意見に賛同するような人物だったのでしょうか?
彼が築いた福知山城の石垣には、墓石が使われているし、
比叡山焼き討ちでは、中心的に関わって、恩賞まで受けています。
合理性を尊ぶ信長に、最も信頼された武将である彼は、
やはり合理的で旧支配層とは、最終的には相容れない人物だったと思います。
本能寺の変は、そんな彼が「統治能力の無い信長の下でなんかやってられるか」と、
何らかの合理的な理由を踏まえて起こしたものだと思います。
ただ、光秀のクーデターは、ソビエトのゴルバチョフ政権下で起きたクーデターと同じく、
あてにしていた人々にことごとくそっぽを向かれてしまったので、
失敗に終わったのでしょう。

あと、信長とカエサルでは、器量が違いすぎます。
比較の対象にすらなりません。
863世界@名無史さん:03/04/29 01:03
>>857
普通なら、異教をたやすく公認しないよ。
まして日本の在来教とは、教義が大きく異なるんだから。
影響が予測出来ない。
古代の、明らかに当時の先進地域から持ち込まれた仏教でさえ、
物部氏との内乱を経なければ完全に公認されたとは言えない
状態だった(物部氏によって弾圧されていた)。
古代ローマでさえも、キリスト教の発生から公認まで三百年
かかっている。
異教というのは、それくらい反発を生むものなんだ。
それをたやすく公認した場合、保守勢力がどう思うか
分かりそうなものなんだが。
864「ど」の字:03/04/29 01:04
>>859
 織田信長が、民衆に反乱を起こされたのは、宗教的な反乱が主だった筈です。
 宗教問題にケリをつけた後、経済的にも繁栄した織田氏の統治下で民衆反乱が頻発したとは思えません。
 ただ、豊臣秀吉や徳川家康も武断派幕僚から文治派幕僚への転換には大変苦労しています。
 ですから、部下の反乱はどうか分かりませんが……。

 あと、クラッススを破ったパルティアの将スレナスは、戦勝直後に王によって暗殺されています。
 また、当時のローマ軍は、多国籍軍の様相を呈しています(ガリア・ゲルマン騎兵の参入は大きい)。
 カエサル率いるローマ軍なら、クラッススの仇を討ち東方国境を安定させることは容易だったでしょう。
865前スレの948:03/04/29 01:05
>>857
>>854は、私ではありません。
と言ったところで本題に入りましょう。

本能寺の変については、明智光秀が
統治能力の無い信長を見限って起こしたクーデターだと捉えています。
ただ、いざトップに立ってみると、計算が狂いまくり、失敗に終わったのでしょう。

それ以外の意見については賛成です。
866世界@名無史さん:03/04/29 01:06
つーかやってもいないことを出来た出来なかったなんて論じても無意味
867世界@名無史さん:03/04/29 01:08
>865
……おい、最初に言っている動機とニュアンスが違っていないか?
表現の誤りくらい素直に認めないと後に引くぞ。
868前スレの948:03/04/29 01:09
>>860
元寇の際は、確かに日本は大軍を動員しましたが、
統一された指揮が確立されておらず、
そのために集団戦に長じた元軍相手に苦戦を強いられたのです。
統一された指揮の下に数十万の軍勢を、自ら動かしたのは、
日本史では秀吉が初めてだったと思います。
869「ど」の字:03/04/29 01:12
>>865 
 総評、ありがとうございました。
 あなたは、明智光秀の反乱は、彼なりに成算を立てての行動と捉えていたのですね。
 実際は、どうなのでしょう?自分なりに、もう少し研究してみたいと思います。


>あと、信長とカエサルでは、器量が違いすぎます。
 比較の対象にすらなりません。

 確かに。器量が違うのは認めます。ただ、自分は比較対象としては良いのではないかと思った次第です。
 その先進的なグランドデザインといい、大目標を完遂する直前で死んだことといい、似てはいます。
870前スレの948:03/04/29 01:12
>>867
いやあ、同じ事を書いたつもりだったんですが、
違う事を書いているように見えてしまったみたいですね。
申し訳ありません。
前に書いた方は間違いです。

>>865を、私の本能寺の変に関する公式見解とします。
871867:03/04/29 01:17
>870
了解。それなら貴方の見解として納得出来る。
>833の言い方だと、光秀を過大評価する余り信長を低く見ている様に見えなくもなかったので……
872「ど」の字:03/04/29 01:20
>>868
 集団指揮統制の確立、ですね。言わんとすることは了解しました。
 確かに、元冦の際には、まだ日本軍は一騎駆けの戦闘慣習が残っていましたね。
(しかも二回の戦いで、経験学習すらしていない)
 しかし、派遣軍司令官だった北条兼時の戦略命令は、よく守られていたと聞きますが。
(昼間は固守、襲撃は夜間のみ)

…元冦のことばかり詳しくて、秀吉の唐入りは不勉強のきらいがありましたね。
 もう少し当時の秀吉の軍制を勉強してからにします。

 織田信長の評価も、勉強するまで少し間を置くことにさせていただきます。
873前スレの948:03/04/29 01:22
>>864
信長の統治下では、宗教的でない民衆や豪族の一揆も結構起きてます。
また、強大すぎる武力を持った軍団長の処遇の問題もあるし、
仮に天下が取れたとしても、それを維持できるかどうかは疑問です。
信長に高い統率力があったら、部下や民衆の反乱に足を引っ張られることも無く、
本能寺の変のあたりで、とっくに天下は取れてたはずです。

>あと、クラッススを破ったパルティアの将スレナスは、戦勝直後に王によって暗殺されています。
>また、当時のローマ軍は、多国籍軍の様相を呈しています(ガリア・ゲルマン騎兵の参入は大きい)。
>カエサル率いるローマ軍なら、クラッススの仇を討ち東方国境を安定させることは容易だったでしょう。
ああ、スレナスでしたね。思い出しました。ありがとうございます。
そういえば、ヌミディア騎兵の存在も忘れてました。
これなら、パルティアを征服することは出来なくても、
パルティアの主力を殲滅するぐらいは出来そうですね。
874「ど」の字:03/04/29 01:35
>>873 
 そうですね。
 織田信長に、オクタヴィアヌスレベルの軍縮をする力量があったかどうかは、疑問ですね。
 それは認めます。
 オクタヴィアヌスの軍縮も、エジプト征服による財宝全てと私財を擲ってのものですし。
 特別な財源(南海貿易の上がりとか)の当てがなかったら、不可能かもしれません。
 織田信長は、強大に過ぎる兵力を、どうするつもりだったのでしょう?
 彼のことですから、考えてはいたはずと思うのですが……。



 カエサルの残した人事では、カエサルは自分がローマから居なくなる期間を2年と踏んでいたようです。
(カエサルの残した人事は、カエサルの死後も継承される)
 2年では、パルティア全土征服は不可能でしょう。目的は、ローマの伝統である「叩いて譲る」でしょう。
 カエサルは、国境の安定化と流刑にされた生き残りローマ兵奪還のためにパルティア戦役を計画したようです。
 カエサルの死で、うやむやに終わってしまいますが(結局捕虜のローマ兵一万人は一人として生還しなかった)。
875前スレの948:03/04/29 01:38
>>869
>確かに。器量が違うのは認めます。ただ、自分は比較対象としては良いのではないかと思った次第です。
>その先進的なグランドデザインといい、大目標を完遂する直前で死んだことといい、似てはいます。
当時の日本で最も先進的な民政を行っていたのは、
意外に思われるかもしれませんが、今川氏と後北条氏の領内でした。
また、信長は政教分離をしたとおっしゃいますが、
実際には宗教同士の対立にかなり介入しているし、
熱田神宮など、宗教勢力の力(軍事力・財力)も随分と借りています。
信長が政教分離をしたと言うのなら、特に宗教にのめりこんだ形跡の無い、
過去の日本の支配者も、みんな政教分離をしたことになります。
信長が偉大なのは、天下を取ろうと本気で考えて、戦略を練ったことです。
彼の政策のほとんどは、過去の為政者や戦国大名の行った良い政策を取り入れたものであり、
斬新なことを始めたりしたということも、ありません。

ローマを本当の意味で世界帝国に仕立て上げ、しかも死後にまで、
自分の打った布石を生かしてのけたカエサルとでは、雲泥の差があります。
876前スレの948:03/04/29 01:45
>>874
>織田信長は、強大に過ぎる兵力を、どうするつもりだったのでしょう?
>彼のことですから、考えてはいたはずと思うのですが……。
信長の指導力で、数十万の常備軍を維持し続けることは、不可能と思われます。
おそらく、兵力を持ちすぎた軍団長クラスの武将を粛清し、
代わりに自分の息子や親族に兵力を与え、
少しずつ減らしていったのではないかと思います。
いわゆる、劉邦方式です。
877「ど」の字:03/04/29 01:53
>>875
 戦国時代当時は、宗教(ありていに言えば仏教)勢力の援護を得ていない大名は稀です。
(九州に出現したキリシタン大名くらいのものでしょう。これも信長は嫌っていたようですが)

 織田信長は、政治的・軍事的権力としての宗教を征したことで、世界史に名を残しています。
 これ以降の日本人は、宗教の狂熱からは免疫を得る事になりましたから、その功は大です。
 なお、織田信長は、権力から離れた宗教的論争に対しては、公平な仲裁者として振舞っています。
878「ど」の字:03/04/29 01:56
>>876
 それが一番可能性としては大きいでしょうか。
 確かに、ローマ方式(殖民都市を作ってやる方式)は、当時の日本の国土では不可能だったでしょうから。
 もしローマ方式を採るとしたら、国内では蝦夷地しかありません。外国なら朝鮮半島へ外征するか……。
879前スレの948:03/04/29 02:12
>>877
桶狭間の前哨戦では、熱田神宮の神主が信長側に参戦して戦死してるし、
信長の治世では、恭順姿勢を示す宗教勢力はわりと政治に利用されていたような感がある。
恭順を示さない勢力は、叩き潰す。ただそれだけのこと。

中国の各王朝の方が、よっぽど政教分離出来てるような気がするんですが…。
それに、強力な聖界諸侯が鬼のようにいた欧州と、
武家に圧迫されて力を失いつつあった寺社勢力の力が日本を比べるのも、どうかと。
880「ど」の字:03/04/29 02:16
>>876
 大事なことを忘れていた!
 当時、関東地方は過疎の土地だった!
 当時の関東地方なら、帰農した兵士を養う場所になるはず。
 徳川家康によって造成され、江戸は大都市になるけれど。
 それは、秀吉や家康の独創であったのでしょうか?

>>879
>武家に圧迫されて力を失いつつあった寺社勢力の力が日本を比べるのも、どうかと。
 とんでもない!一向一揆による争乱は、戦国大名にとって悩みの種でしたよ。
 実際、大名を追い出して教国を作ってしまうほどの大争乱もありました。
 むしろ、民に力の無い欧州よりも、当時の日本の方が宗教の害は激甚だったはず。
881世界@名無史さん:03/04/29 02:25
百姓の持ちたる国は何処へ行った
882前スレの948:03/04/29 02:26
>>880
>当時、関東地方は過疎の土地だった!
>当時の関東地方なら、帰農した兵士を養う場所になるはず。
>徳川家康によって造成され、江戸は大都市になるけれど。
>それは、秀吉や家康の独創であったのでしょうか?
江戸に関しては、家康の入府当時から大都市だったという説が最近出てきました。
また、後北条氏の治世はうまくいっており、決して関東は後進地域ではなかったはずです。
だから、家康の関東転封は、秀吉の嫌がらせだったのではないかと思います。
(前領主の後北条氏が善政を敷いていただけに、その後をやって見ろというのは、
 かなりプレッシャーだったはずです)

>とんでもない!一向一揆による争乱は、戦国大名にとって悩みの種でしたよ。
>実際、大名を追い出して教国を作ってしまうほどの大争乱もありました。
>むしろ、民に力の無い欧州よりも、当時の日本の方が宗教の害は激甚だったはず。
説明が足りませんでしたね。
一向一揆は、一種の民衆反乱だと思っています。
彼らと本気で戦ったのは、信長だけでなく、朝倉氏や上杉氏も、戦っています。
ただ、彼らの存在は日本史においてはイレギュラーであり、
戦国時代に欧州の聖界諸侯並みに、政治に介入していた寺社勢力は、なかったはずです。
883前スレの948:03/04/29 02:41
失礼しました。
今思い出したのですが、近畿の日蓮宗なども武装していて、
浄土真宗が石山に本拠を築いたのは、他の武装教団に京都を追い出されたから、
だったということを思い出しました。

それと、もう一つ。
政教分離の試みは、信長以前から、世界各地で行われていましたよ。
欧州では徹底できませんでしたが、それでも宗教勢力の力を削ごうという試みは度々行われてきたし、
中華帝国では、ごくたまに宗教に傾倒する皇帝がいたぐらいで、
宗教勢力が政治に介入することはほとんどありませんでした。
宗教が反乱の温床になること(一向一揆パターン)はたびたびありましたが、
時の政府は常に全力でそれを叩き潰してきました。

為政者が反乱の温床となっている宗教を解体しようというのは、
世界史的に見ても、それほど珍しいことではありませんよ。
884「ど」の字:03/04/29 02:45
>>882
>ただ、彼らの存在は日本史においてはイレギュラーであり、
 戦国時代に欧州の聖界諸侯並みに、政治に介入していた寺社勢力は、なかったはずです。

 反論させていただきますが、日本史において宗教勢力の跋扈はイレギュラーではありません。
 すでに平安時代、後白河上皇に「ままならぬもの、山法師」とまで言わしめています。
 特に国家鎮護の象徴であった比叡山の僧兵による強訴は、中央政府に常時プレッシャーを与えていました。
 足利義教や織田信長は、それに対して怒り、宗教勢力としての比叡山を取り除いたのです。


 すいません、今日はそろそろ寝る準備をしますので。
 良い論争が出来て何よりでした。では、また明日。
885「ど」の字:03/04/29 02:52
 あともう一つ。
 政教分離を画策するのは、世界史的に見ても珍しいことではありませんが。
 政教分離を実現したのは、世界史的には稀有のことです。
 織田信長の世界史的意義はその点ではないかと、自分は考えています。
886前スレの948:03/04/29 02:55
私は一向一揆は民衆反乱の一種ととらえていたので、
比叡山などの伝統的な寺社勢力とは、一線を画すものと考えていました。
一向一揆を弾圧したことは、政教分離ではなく、ただの民衆反乱の鎮圧でしょう。
あれが政教分離なら、黄巾の乱を後漢が鎮圧したことも、政教分離になるのでは?

すいません。これ以上やっても平行線になりそうだし、
ここは世界史板なんで、世界史の話に戻しましょうか?
887世界@名無史さん:03/04/29 02:59
信長はフリードリヒ二世とかぶる所がある。
どちらも宗教的権威を軽んじていた。

信長が結局他国の宗教排除者と比して際立つところは
排除した信仰の代替物をろくろく示さずに成功した所だろう。

欧州の王たちも力の強いものは教会の財産を収奪したくなったり
離婚したくなったりした時は気ままに教会を弾圧したが
弾圧後には代替物を立てるか、あるいは手のひらを返したように
元に戻るのが一般的であった。

信長の場合は、信仰の伝統自体が呪わしかったのだろう。
彼の出現以降、国教になりうる宗教が日本から消滅したのだけは確かである。
888前スレの948:03/04/29 03:03
>「ど」の字さん
最後に一言だけ。
信長が政教分離に完全に成功してませんよ。
一向一揆は潰しましたが、大和の国の寺社勢力などは、
未だ武装解除されていませんでした。
大和守護原田直政(戦国時代において、初めて大和統一に成功した男。信長の片腕)でさえ、
寺社勢力の武装解除は出来なかったのです。
それどころか、統治への協力を仰ぐ始末でした。
信長は、反乱の温床になる宗教勢力を潰しただけです。
そうでない寺社勢力は、武家の台頭に怯えつつも、既得権を守るべく武装を続けていました。
(原田直政の後任の筒井順慶は、どこぞの寺社の門徒代表の家柄。つまり思いっきり寺社勢力の人です)
889前スレの948:03/04/29 03:06
>>887
江戸幕府は檀家制度を通じて、民衆支配の手段にしてましたが、何か?
仏教は、江戸時代の事実上の国教でしたよ。
あまりに江戸幕府と仏教が癒着しすぎたので、
明治維新後に廃仏毀釈が起きたのです。
890世界@名無史さん:03/04/29 03:39
>886
一向一揆と寺社勢力は別物ではないのだが……
例えば「長島一向一揆」でぐぐってみ。
891世界@名無史さん:03/04/29 03:51
論議中、横レスですまん

暇があったら、「衛青」、「カク去病」、「班超」
の評価もキボンヌ

(前スレで既出だったらごめんなさい
892世界@名無史さん:03/04/29 04:02
伊藤博文のときもそうだったが、日本史の話になると茶々を入れる奴が出てくるな。
893世界@名無史さん:03/04/29 04:07
>892
茶々入れられるだけの知識がある分野だからだろ。
894前スレの948:03/04/29 04:29
>>891
衛青と霍去病の双璧は、いずれも騎兵戦で匈奴を打ち破り、
漢の武威を漠北まで轟かせた名将です。
彼らの軍功を考えれば、二人とも統率は70台後半、衛青の武力は80代後半、
ただ、霍去病の武力は90を越えます。
匈奴の主力が壊滅したのは、霍去病が前面に出てきてからだからです。
この2将の勝利が、漢の北辺に安寧を齎したのですから、それぐらいの能力は与えてしかるべきです。
ただ、二人とも一戦線レベルの将軍で、軍の編成などに活躍したわけではないので、
統率80は付けられません。
知力に関しては、二人とも戦略立案の段階から携わっており、
戦場の外でも勝ちを得るための布石を打てる将軍です。
二人とも、知力80前後はあると推定されます。
政治力については、霍去病はあまりに若くして亡くなったので、
評価材料は少ないのですが、傍若無人な性格から、
それほど政治に長じているようには思えません。
おそらく30台です。
衛青は武勲のわりに宮廷における存在感が薄く、霍去病が台頭してくると、
精彩を欠くようになり、衛青の部下たちは、皆霍去病に取り入るようになりました。
このことから、衛青に政治家としてのセンスがあったとは思われません。
20台で良いと思われます。
魅力については、温和で謙虚な衛青より、傍若無人な霍去病の方が、
大衆的人気が高かったそうです。
どうも、当時の人々は、衛青を卑屈な人物として見ており、
霍去病の天真爛漫さにひかれたようです。
よって衛青の魅力は30台。霍去病の魅力は70台でしょう。

統率70台、武力80台後半、知力80前後の衛青と、
統率70台後半、武力90台前半、知力80台の霍去病のコンビは、はっきり言って凶悪です。
しかも、統率80台の武帝劉徹が後ろに控えて戦争の総指揮をとっているのですから、
匈奴に同情したくなるぐらいです。
895前スレの948:03/04/29 05:35
「中央アジアの覇王」
班超(32〜102)漢西域都護
班超は中年になるまで、小役人をしていましたが、
平穏な生活が嫌になって、軍人を志したという面白い人物です。
そして、一代で中央アジアを征服し、西域の覇王に成り上がりました。
平和的な外交を求めてきた国に言いがかりをつけて、戦争をふっかけたり、
ローマに勝手に使者を送って見るなど、好き勝手な外交をしていましたが、
30年ぐらいたってから、急にホームシックにかかって故郷に帰り、
まもなく死んだという、とてつもなく波乱万丈な人生を生きた人です。
それでは、お楽しみください。
896前スレの948:03/04/29 05:42
1.統率力
名目上は漢の官吏でしたが、本国からの支援はほとんど無く、
異国の地で、異国の兵を率いて、一代で覇業を成し遂げたのです。
彼の支配した領土は、大帝国と言っても良いぐらいの領域でした。
しかも、放っておけば混乱状態に陥るぐらい不安定な西域に、
30年間も君臨し続けたのです。

班超の統率力は、一代で大帝国を築き上げた覇者に匹敵するものがあります。
よって、統率は「88」とします。
897前スレの948:03/04/29 06:04
2.武力
西域都護府が匈奴に攻略された時、漢の中央は西域の放棄を決定し、
西域に滞在していたすべての官吏に、帰還命令を出します。
しかし、班超は命令を無視し、親漢派の疏勒国・于闃国から兵を借りると、
次々と匈奴に味方した国を攻略し、西域を再び漢の手に取り戻しました。
その後も班超の野心はやむことなく、大月氏の7万の大軍を撃破し、
中央アジアにおける覇権を確立しました。

これらの偉大な軍事的業績を、
班超は異国人の兵を使って成し遂げたのです。

班超は新戦術を確立したわけでも無いし、
彼の勝利は、その戦略能力によるところが大きいと思われます。
しかし、それでも班超がこの時代でも屈指の用兵家であることに、
異を唱える人はいないでしょう。
よって、武力は「85」とします。
898前スレの948:03/04/29 06:20
3.知力
「虎穴に入らずんば,虎子を得ず」のエピソードでも明らかなように、
班超は機略縦横の策士でした。
中央アジアの大国で対等外交を求めてきた大月氏を挑発。
激怒した大月氏は、圧倒的な大軍をもって攻めてきましたが、
班超は持久戦で望み、業を煮やした大月氏軍が、
他の国に援軍要請の使者を送ったのを察知すると、
その使者を襲撃して戦意を挫き、大月氏に服従を誓わせたのです。
このように、ありとあらゆる策略を駆使して、
班超は西域どころか、中央アジアすべてを服従させたのです。
よって、班超の知力は「89」とします。
899前スレの948:03/04/29 06:28
4.政治力
班超は、反覆常ならぬ西域諸国の王を服従させ、
彼らから兵を借りて中央アジアの征服に乗り出しました。
これは、高い外交能力が無いと、不可能なことです。
また、彼は常に異国の兵の連合軍を率いて勝ち続けましたが、
これは、高い調整能力が無ければ、不可能なことです。
班超は軍略だけでなく、政略にも長じていました。
よって、班超の政治力は「87」とします。
900前スレの948:03/04/29 06:38
5.魅力
後漢書の班超伝を紐解くと、彼が政治・軍事の両方に高い能力を持っていたこと。
そして、あふれんばかりの覇気に満ちていたことは分かるのですが、
彼の人間的魅力に関するエピソードは、それほど多くはありません。
ただ、西域都護府が陥落し、帰還命令が出た際に、
赴任地の人々から引き留められたことを考えると、
それなりに魅力のある人物だったのでしょう。
よって、魅力は「50」とします。
901前スレの948:03/04/29 06:50
班超の最終的な評価を発表します。

【統率】88
【武力】85
【知力】89
【政治】87
【魅力】50

乱世の雄どころか、王朝の一つや二つぐらいなら、簡単に作れそうな能力です。
部下として使うにしても、地方の総督にするか、
軍司令官にするか、中央の大臣にするか、大いに迷うことでしょう。
ただ、何でも自分でやろうとする癖があるため、健康には気を配ってあげてください。
30年ぐらいで使い物にならなくするのは勿体無い人材ですから。
902前スレの948:03/04/29 07:05
班超の評伝を書いていて気付いたことが、一つあります。
それは、「私の基準で評価すると、どうしても独裁者の能力が高くなってしまう」
ということです。

独断専行を好む班超の性格を考えると、
彼は政治も戦争も戦略立案も、おそらく全部1人でやっていたと思われます。
それで、これだけの業績をあげたのですから、
インフレと言われても仕方が無い、化け物のような評価になってしまいました。

古代の専制君主の能力を査定する際も、
彼らは軍事・政治の両方を1人でやっていたのですから、
近代民主国家の指導者より、どうしても評点が高くなってしまいます。

こういう万能型の人材はどうしても古代に集中してしまいますが、仕方がないのでしょうか?
職業軍人と、文民政治家が分かれてしまっている近現代に、このような人物を求めるのは、難しいものがありますね。
903前スレの948:03/04/29 07:29
さらに補足です。

衛青と霍去病の能力が低すぎるとお思いの方もおられるでしょうが、
二人ともあくまで一戦線の司令官だったので、統率は70代後半で十分だと考えました。
また、二人とも知力が高いので、事前に自軍が有利な戦場を設定したり、
諜報を駆使して敵軍を混乱させたりすることが可能です。
そして、武力が衛青は80台後半、霍去病は90台前半ですが、
高い知力のおかげで自軍に有利な状況が生まれているので、
戦場では衛青、霍去病の武力が一時的に上がるか、
匈奴軍の将の武力が一時的に下がることになります。
つまり、【知力・武力が両方80】のコンポは、
とてつもなく凶悪だということです。

まして、統率までが80を超えている班超などは、
もっと恐ろしいことになります。
1人で精強な軍隊を編成し、あらかじめ自軍に有利な戦略的状況を作り出した上で、
武力85を引っさげて戦場に出て来るわけですから、
これはもう神と言っても良いでしょう。

そんな奴が戦場に出てきたら、普通は勝てません。
904世界@名無史さん:03/04/29 07:37
漢の時代一つとっても
部下よりも個々の能力が高そうな曹操や劉秀のようなタイプの人間と
部下の方が個々の能力が高いが扱いに長けている劉邦のようなタイプ
とでは比較が難しいような気がする。

 
905世界@名無史さん:03/04/29 08:03
>>904
曹操と劉秀ではタイプが違うだろ。曹操は武力と知力に強い
タイプで、劉秀は統率力・政治力・魅力に強いタイプかと。
曹操自体には光武に肖る行動・言葉も多々あるにせよ。
906参考までに一応:03/04/29 08:13
「ど」の字さんの信長評は>>22
前スレの948さんの信長評は>>43

ちなみにこのあと「インフレだ」とさわぐ厨が大量に発生しています。
連休中に信長ってなんか荒れそうで嫌だなぁ
907前スレの948:03/04/29 08:25
>>904
漢の4帝の評伝は、いずれ書きますので、
楽しみにお待ちください。

>>905
私の評価とは、若干異なりますね。
曹操については、>>809のコラムで扱いました。
政治家としては、かなり問題の多い人物です。

劉秀については、かなり面白い能力になりそうです。
私としては、「バランス感覚のある項羽」が、劉秀のイメージです。
908前スレの948:03/04/29 08:37
漢の四帝とは、

高祖  劉邦(統率力と知力が高い戦時指導者タイプ)
武帝  劉徹(統率力のみ高く、他の能力は平均的な独裁者タイプ)
光武帝 劉秀(武力、政治、魅力の高い、何とも形容しがたいタイプ)
昭烈帝 劉備(統率、武力、政治、魅力の高い万能タイプ。
       ただし、スケールは上の3人に劣る)

の4人です。
909世界@名無史さん:03/04/29 11:34
ずっと見てたけど、このスレの人たちって
誰にレスってんの?
910世界@名無史さん:03/04/29 12:20
>908
酵素が知力?
911前スレの948:03/04/29 13:05
>>910
ええ、漢の高祖は知力高いですよ。
良い部下に助けられたとはいえ、おおむね正しい判断してます。
状況を見抜く目にも優れているし、戦略眼も確かです。
張良が高祖に従ったのは、劉邦の判断力(正しい進言をすれば、必ず受け入れてもらえる)を、
評価したからだと思っています。
912世界@名無史さん:03/04/29 13:13
>>911
知力の基準は教養も含むだろ
913動画直リン:03/04/29 13:18
914前スレの948:03/04/29 13:22
>>912
このスレの評者の中には、教養を知力の中に含む方もおられますが、
私は基本的に教養があったかどうかは、魅力の中に含むことにしています。
いくら教養があっても、それを政略や戦略で生かせなければ、
「知力は低い」と判断することにしています。
そして、教養の高さは、知識人や身分の高い人物などをひき付ける要素に成りえるので、
魅力の中に含むことにしているのです。
915前スレの948:03/04/29 13:35
例えば、前に論評したマクレラン将軍は、当時のアメリカでは一流のインテリでした。
しかし、彼の事跡を追っていくと、まともな判断力が無いことが分かります。
コーエーの三国志シリーズで言うところの「計略に引っかかりやすい」人物なのです。
ですから、知力を「23」としました。

マクレランの魅力が「81」となっているのは、目下の人間に厚い愛情を注いだだけでなく、
教養が醸し出す「知的な魅力」で、人々を魅了することが出来たからなのです。
916世界@名無史さん:03/04/29 13:51
教養を政略や戦略に十分に活用できて
はじめて高い知力といえるんじゃないの?
的確な判断力では水準以上の知力といったところか。
917前スレの948:03/04/29 13:59
>>916
教養があってもなくても、ぶっちゃけた話、実績がすべてなんですよ。
政戦両略に通じていれば、文盲だろうが、何だろうが、その人物の知力は高く評価します。
逆に、いくら教養があっても、それだけなら、プラス材料にはなりません。
「たまたま教養がある戦略家」や「たまたま教養がある魅力的な男」がいるだけで、
教養の高さは絶対的に求められる要素ではないということです。
918世界@名無史さん:03/04/29 14:05
劉邦の知力は71
919世界@名無史さん:03/04/29 16:27
日本の戦国武将はカス。李舜臣の足元にも及ばない
    ↓
いや、そんなことはない。
    ↓
カスでもないが世界史的には大した事はない。
    ↓
いやいや、中には凄い香具師も確かにいた。
    ↓
戦国大名の能力値付け
    ↓
ふりだしに戻る
920世界@名無史さん:03/04/29 16:46
ジサクジエンスレだったのか。失礼しますた。
921世界@名無史さん:03/04/29 16:47
つーかさ日本の戦国武将と挑戦の李某を比較すること自体が無意味だし、
信長や秀吉や家康なんかは海外じゃ通用しないなんて主張も意味ないと思われ
そんなこと言ってたらカエサルやナポレオンだってアジアや南米じゃ通用しないという
主張だった成り立っちゃうぞ
922前スレの948:03/04/29 16:59
>>921
まあ、そういうことになりますね。
日本の戦国武将には、世界史レベルでも通用する人物もいました。
李舜臣は、海戦にかけては、16世紀のアジアでは最高の提督だでした。
信長や秀吉や家康なんかも、ヨーロッパでも立派に通用するし、
カエサルが明治維新に遭遇したら、素晴らしい改革を行っていたでしょうし、
ナポレオンが14世紀のジャワにいたら、南海の覇王ガジャ・マダなんぞ出る幕も無かったでしょうね。

そういうことで、手を打ちませんか?
バカバカしいんで。
923世界@名無史さん:03/04/29 17:13
そもそも点数つける事が無意味なんじゃ?
924動画直リン:03/04/29 17:18
925世界@名無史さん:03/04/29 18:01
>923
それを言ったらこのスレの存在意義が……
926世界@名無史さん:03/04/29 18:52
中国歴代の政界の多くは、儒学が事実上国教の地位を占めています。
しかし皇帝・官僚の帝王学(出世学問)に変質し、
中国を治める統治者としての皇帝
天命を受ける祭祀者としての皇帝であり
程度問題ですが政教分離とは異なる点があります。
927世界@名無史さん:03/04/29 21:41
>>809
曹操の統治が下手だったと言うよりは後漢の緩治に民衆が馴れきってしまったために曹操の法治主義がなかなか受け入れられんかった事が大きかったんじゃないでしょうか?
政治的合理主義の曹操は、人材登用面では九品中正法により優秀な人材を当用し、農業政策として屯田制度を敷くなど、政治家としても高い水準であったと思われますよ。
立派な政治家と言われた諸葛亮でさえ、言わば曹操の政策を真似た部分がちらほらありましたからね。

私的には政治は88くらいです。
928世界@名無史さん:03/04/29 21:48
慕われる諸葛亮
嫌われる曹操
929前スレの948:03/04/29 22:01
>>926
確かに、西漢中期以降の中華帝国において、儒教は国教的地位を占めました。
そして、儒学を修めた人物が、国家の中枢を担うようになりました。
儒教を宗教と見るか、学問として見るかによって、
中華帝国の政教分離に対する認識も変わってくるでしょう。
儒教を宗教として見るなら、祭政一致国家になりますが、
学問として見るなら、政教分離が行われていたことになります。

私は儒教を学問とみなしていましたが、やはり宗教と認識した方が良さそうです。
皇帝は天命を受け、天地の祭祀を行う最高責任者でもあるわけですから。
いや、兵家以外の諸子百家も、宗教と認識した方が適切かも知れません。

前に述べた自説を、取り下げます。
中華帝国は、祭政一致の国家であり、共産党時代になっても、何ら変わりは有りません。
せいぜい、論語が毛沢東語録に変わった程度の変化でしかありません。
930前スレの948:03/04/29 22:32
>>927
そのことについては、大いに反論したいことがあります。

>曹操の統治が下手だったと言うよりは後漢の緩治に民衆が馴れきってしまったために
>曹操の法治主義がなかなか受け入れられんかった事が大きかったんじゃないでしょうか?
民衆に受け入れられない政策を推進し、反乱を引き起こしているというのは、政治家としては、大きなマイナスです。
官度で曹操が袁紹軍の主力を殲滅してから、華北を平定するまで、実に7年の歳月を要しています。
東漢の制度を継承したと思われる袁紹の統治方針が民衆の心を掴んでいたからでしょう。
袁紹というのは、非常に政策能力に長じた政治家で、晋の時代になっても、華北では彼の治世を懐かしむ声があったそうです。
あと、曹操に仕えた文官の大半は儒学者出身であり、儒治によって統治を行っていました。
曹操の政治が、法治主義だったというのは、誤りです。
むしろ、三国の中で一番儒教的な統治を行っていました。

>政治的合理主義の曹操は、人材登用面では九品中正法により優秀な人材を当用し、
九品中正法は、理想としては素晴らしかったのですが、
実質は貴族制度を固定させるだけに留まっていました。

また、屯田制については、袁紹との決戦の時期には上手く言ってなかったようです。
袁紹より少ない兵力を率いていたのに、袁紹よりも先に兵糧が尽きてしまうと言うミスを犯しています。
また、屯田制は、当時の豪族が各々荘園を所有して富を蓄えていたので、
「いっそ国営の荘園を作って見るか」という意図で開始されたように思います。
ただ、屯田民にも反乱を起こされたりしているので、曹操の在命中には、
あまり上手く行っていた様には思われません。
良い為政者と言うのは、斬新な政策を打ち出す政治家ではなく、民衆の生活を安定させる政治家です。
この点において、曹操は完全に失敗していました。
ただ、筍或がたくさん儒治の出来る人材を連れて来て、
民政・軍事の両方を見ることが出来る夏侯惇が後方を押さえてくれていたので、
破綻には至らなかったのだと思います。
931石勒曰く:03/04/29 22:52
「もし私が高祖に遭えば、彼に仕えて韓信や彭越と肩を並べたであろう。もし光武帝
に遭えば、共に天下を争っただろうが、どちらが天下を得たかはわからない。
大丈夫たる者、事にあたっては公明正大なること月日のごとくなければいけない。
曹孟徳や司馬仲達のように女子供を欺き、万民をたぶらかして天下を取るような
真似はしない。」
932世界@名無史さん:03/04/29 23:14
儒教の経典に皇帝の定義は無いんだよな。
ついでに皇帝は儒教の祭司では無い。
933前スレの948:03/04/29 23:26
>>927
諸葛亮は、政治家としては儒治を行った曹操とは異なり、
厳しい法律を作って、法治主義で四川を治めようとしていました。
連年出兵して、大した成果もあげられなかったのに、国を維持し続けて、
曹操や劉焉・劉璋親子のように内地化している地域で反乱を起こされることは、ありませんでした。
政敵だった漢嘉太守黄元に反乱されたぐらいです。(すぐに叩き潰しましたが)
諸葛亮の厳格な政治は、民衆に歓迎されました。
おそらく、政治は80台前半になると思われます。
934堕天使:03/04/30 00:31
935世界@名無史さん:03/04/30 01:02
評価基準をスレに準拠しないで自分の解釈をだらだらと書かれてもなあ…
博識なのは凄いと思うのだが、反論に対する例示がトンデモな時が多いような。

曹操と諸葛亮で政治手法自体の評価が逆転してるのはどういう事?
936世界@名無史さん:03/04/30 02:23
>926>929
間違ってると思う。
儒教を宗教と勘違いしたのは皇帝の祭典の儀式があるからだったらなおさら。
儒教は宗教よりも現代の見方からすればイデオロギーのひとつ。科挙など
で儒教の教えの丸暗記を要求される思想統制なされる明の時代以降。現在
の中国共産党でも共産主義の教条をいろんな国家試験に組み込んでおり、
その成績次第で思想の評価をする。
皇帝の祭祀や天命なども、宗教とは程遠いもの。祭祀の儀式自体は春秋戦国以前
、西周時代から存在する正式儀式であり、それを行うことによって王朝は周の時
代から延々と続く王統を継承するというパフォーマンスである。政権の入れ替わ
りの激しい中国では支配者の正統性を示せるものは血統ではなく、こういう儀式
や玉壐など象徴的のもの。
もっとも正統の儒学は宗教自体を否定している。
937890:03/04/30 02:25
本願寺は「伝統的な寺社勢力」に含まないという認識なのか、
単に知らなかっただけなのかだけでも回答して欲しかったものだが。
ま、一足先に切り上げられてしまったから仕方ないか。
938世界@名無史さん:03/04/30 02:48
>>935
おまえの文句ばっかのレス見てるとイライラするんだよ。評価に不満があるなら自分で書いてみろ。
自分の意見もなしに、相手の発言をトンデモ、トンデモ言っても誰も納得しねーんだよ。共産党レベルだ、こりゃ。
939世界@名無史さん:03/04/30 03:04
>>938
おまえもなw
940世界@名無史さん:03/04/30 03:16
>>939
w じゃねーよ、なんだよ w って。くだらねー低脳レスつけて逃げんなよ。
941世界@名無史さん:03/04/30 03:32
www
942世界@名無史さん:03/04/30 03:47
>>941 ← w
943世界@名無史さん:03/04/30 03:52
>>940-942
944世界@名無史さん:03/04/30 04:10
>>943
まだいたのかよゴミ
よっぽど低脳扱いされたのが辛かったみたいだな(ゲラゲラ
945世界@名無史さん:03/04/30 04:25
煽り合いはスレの雰囲気を極端に悪くするからやめてくれ…
946世界@名無史さん:03/04/30 04:46
>>936
私は一応東洋史を専攻していたが、
どちらかというと儒教は東アジア土着の死生観が組み込まれた
宗教とする見方が強く、宗教ではないという見方をしている人はあまりいなかった。
加地伸行「儒教とは何か」あたりを一度参照されたし。
947世界@名無史さん:03/04/30 04:57
煽りが去ったか。
>>946
>加地伸行「儒教とは何か」あたりを一度参照されたし。
こう言うのもなんだけど、オレが自分自身の体験からすると、儒教は
宗教ではない。少なくとも中国人は宗教として考えていない。むしろ
イデオロギーの一種としてとらえている。
ちなみにオレは台湾出身。
948動画直リン:03/04/30 05:18
949続き:03/04/30 05:20
946さんが紹介したその本を読んだことないから、どういう根拠で
宗教としたのかわからないが、中国人(じゃないけど、これに関し
て観点は一番近いと思う)の考えからではちょっと想像できない。

中国における儒教と宗教の関係をたとえるのなら、一番近いのは
古代ギリシアの状況。宗教といってもはっきりした形ではなく、何か
あったらお寺まで行って神に祈っては願い事を占う。儒教はどちら
かというとギリシアの哲学に似てて、人々に「人間とはこうであるべ
き」とか、「政治家たるものは」とか「国家とは」などの理念の総まと
めである。
実際宗教みたく、儒学を精神的の依託にはしてもいない。だから、
仏教伝来した後も両者が平行線のまま共存している。もちろん、
儒教自体は宗教や神話などのものに関しては否定的であって、
その学説自身も人間関係を中心に展開しているので、946さんが
言ってた生死観を取り入れるとかについて、ちょっと理解できない
。そもそも生死観に関してその民族の文化そのものを反映している
のだから、それがあるから宗教に分類されるのはちょっと違うと思う


長文&脱線、どうもすみません。

950世界@名無史さん:03/04/30 10:48
というかもともと前スレ948さんは、マルクス主義も宗教の一種として
捉えている感じだな。
今の共産党による独裁体制も、論語が毛沢東語録に置き換わっただけの
祭政一致国家、という見方らしいし。
これはそもそも「宗教とは何か」という問題とも絡むから
儒教に余り詳しくない私は細かいことは言いたくないのだが、
儒教では「何故(他の子ではなくて)私の子が」という問いにどう答える?
「何故私の子が死んだのか」「何故私は病弱なのか」と。
本来の宗教が人の苦しみを除くためのものという側面を持つ(というか
そうあるべき)以上、儒教が宗教であるためには
この問いに答えられなければならないと思う。
951前スレの948:03/04/30 15:05
>>931
有名な石勒の英雄評ですね。
劉邦や劉秀を廟号で呼び、曹操と司馬イを姓+字という普通の呼び方で呼んだのも、
石勒が前の二人に敬意を払い、後の二人に対して敬意を大して払っていないことが伺えて、興味深いです。

>>932
そうですね。儒教は皇帝の概念が無い時代に生まれた学問ですから。
おかげで、漢が儒教を国教に定めた時に、
「曲学阿世」の公孫弘などが、苦労したわけです。
952前スレの948:03/04/30 16:25
>>935
私は、このスレの>>1の基準に準拠して、評価を行っています。
曹操は積極的な施策を行ったとはいえ、なかなか領内を安定させることが出来ませんでした。
何年も統治して、内地化したはずの地域でさえ、反乱を起こされています。
知力・政治力・魅力の高い筍或を片腕としてもなお、このような状態だったということは、
曹操の政策能力に疑問符を付ける材料になり得るでしょう。
ただ、統治が困難だった戦乱の世に生きたことは、情状酌量の材料になると考え、
平凡な政治家として、40台の数値を与えました。
953前スレの948:03/04/30 16:30
>>935
諸葛亮は、四川を統治した地方軍閥のナンバー2でした。
後漢末期の四川は、ひじょうに不安定な地域で、
劉焉・劉璋父子の時代には、何度も大きな内乱が起きていました。
しかし、劉備が四川を支配し、諸葛亮が行政を担当するようになると、急速に安定しました。
連年の出兵と重税にも関わらず、四川で大きな内乱が起きることは、二度とありませんでした。
政敵を次々と粛清し、敵国内に内通者を作るなど、「汚い」ことも出来る政治家でした。
外交上でも、劉備と孫権の同盟を成立させ、荊州失陥後に途絶した呉との国交を復活させ、
北伐に際して、鮮卑の王軻比能を味方に付けるなど、多くの成果をあげています。
戦略上では彼は多くの過誤を犯しているので、知力に高い点を付けることは困難です。
あまりに厳格過ぎた為に、貴州・雲南地方の離反を招き、反乱鎮圧後も内地化出来なかったこと、
また、自分の言うことを聞く小粒な人材ばかりを登用したために、
結果として蜀を「諸葛丞相の個人商店」にしてしまったことから、
統率に高い点を付けることも困難です。
そのため、彼の政治的業績は高い政治力によるものと判断しました。

ちなみに、彼が厳罰主義の法家的政治家であったことは、
蜀の法律制定委員になった時、彼の出した案は、
他の委員から「あまりに厳しすぎる」と言われましたが、
「これまでがぬるすぎたんだ。本来ならこれぐらい厳しくしないといけないのだ」と答えたこと、
劉備の薨去に伴って、彼が名実ともに蜀のトップになった時に、
「恩威政治」(いわゆる馴れ合い)に親しんできた貴州・雲南地方が一斉に反発したこと、
街亭の敗戦後、敗戦責任者の馬稷を腹心であったにも関わらず、容赦なく処刑し※、
自らの官位まで引き下げていることも、
彼が厳罰主義の法家的政治家であったことの傍証となるでしょう。

※意外に思われるかもしれませんが、三国時代では、どんなにみっともない敗戦をやらかした将軍でも、
 せいぜい左遷か免職で済む場合が多く、罪に問われない場合すら、ありました。
 馬稷が処刑されることは、当時の常識を越えていました。
954前スレの948:03/04/30 16:48
>>950
そういうことです。
いや、世界史の本を紐解けば紐解くほど、
イデオロギーと宗教の区別が、付かなくなってしまうのです。
キリスト教徒が聖書を、ムスリムがコーランを、儒学者が四書五経を、マルクス主義者が資本論を奉じるのに、
どれだけの違いがあるのか?
結局は、同じ結果に、原理主義と革新主義がせめぎ合うだけになっているのでは、ないかと。

>儒教では「何故(他の子ではなくて)私の子が」という問いにどう答える?
>「何故私の子が死んだのか」「何故私は病弱なのか」と。
>本来の宗教が人の苦しみを除くためのものという側面を持つ(というか
>そうあるべき)以上、儒教が宗教であるためには
>この問いに答えられなければならないと思う。
論語には、数々の死生観が語られています。
オカルトも、死後の世界も否定した孔丘にとっては、この世界がすべてでした。
だから、「この世界でより良く生きよ」と説き、そのための「道」を探せと説きました。

スレ違いなので、sageましょう。
955世界@名無史さん:03/04/30 18:03
>前スレの948さん
よろしければ、袁紹と荀イクの数値化お願いします。 
曹操との比較によく出てきますから。
956前スレの948:03/04/30 18:24
>>955
いいでしょう。
この二人については、言いたい事がいっぱいあるのでお受けします。
中華が長く分裂する遠因を作った人物であり、
世界史レベルで扱っても良いと思われるからです。

sage進行でいきますので、楽しみにお待ちください。
957前スレの948:03/04/30 18:40
【コラム】「天を掴めなかった男」袁紹 (?〜202)
1.統率
彼は、おそらく後漢末で唯一の武力90を有すると思われる名将麹義、
冀州乗っ取りで主導的な役割を果たした策士張導、公孫讚で多くの功績をあげた名参謀田豊など、
多くの功績ある人材を使い捨てにしてきました。

袁紹軍は急激に膨張したため、
逢紀・許攸を中心とする、漢が平和だった時代からの子飼いの部下、
郭図・辛評らを中心とする、頴川出身者のグループ、
沮授・田豊・審配・張コウといった、冀州乗っ取り後に参入してきたグループなど、
多くの派閥を内部に抱えていましたが、袁紹はそれをうまく統御することが出来ず、
無用な派閥争いで自陣営を無用に消耗させてしまいました。
その隙を知力の高い曹操に付け入られ、天下を取れなかったのです。
よって、統率力は苦手レベルの「39」とします。
958前スレの948:03/04/30 18:52
2.武力
袁紹は自ら軍を率いて戦うタイプの指導者であり、
多くの戦いを指揮し、多くの野戦攻城で勝利を収めてきました。

特に河北統一期の彼の指揮は冴え渡っており、
遠征している隙に本拠地の魏郡を黒山賊に奪われたにも関わらず、
迷うことなく黒山賊の大軍に戦いを挑んで勝利したり、
界橋の戦いで公孫讚軍に本陣を奇襲された際にも、
自ら先頭に立って抗戦し、主力を率いる麹義と合流するまで耐え抜きました。

官渡で敗北したのは、統率力と知力の欠如によるものであり、
彼自身の武力の低さによるものではありません。
むしろ、袁紹は戦上手といって良いぐらいです。
よって、武力は優秀レベルの「76」とします。
959前スレの948:03/04/30 19:22
3.知力
彼は策謀好きで、さまざまな謀略を画策してきましたが、
どれもロクな結果を生み出しませんでした。
大将軍何進の参謀となって宦官皆殺しを計画したら、
もっと危険な董卓を呼び込んでしまうし、
袁術配下の将孫堅が董卓を洛陽から追い払い、河南一帯を抑えつつあった時、
いきなり孫堅の根拠地を部下の周昴に攻めさせ、孫堅を河南から撤退させ、
董卓に河南の再確保を許してしまうという、反董卓連合軍の盟主としては、
やってはならない致命的なミスを犯してしまいます。
また、皇族の劉虞を皇帝に擁立しようとしますが、曹操や袁術の反対に遭い、
さらに劉虞との関係を悪化させただけで、失敗に終わりました。

これだけミスを犯しているのに、天下を掴みかけるところまで行ったのは、
不思議としか言い様がありません。
ただ、彼がミスを犯したのは、董卓・袁術・曹操など、知力が高い人物相手であり、
公孫讚や黒山賊の諸将など、知力の大して高くない相手には、それほど苦労していません。
よって、知力は凡人レベルの「45」とします。
960前スレの948:03/04/30 19:34
4.政治力(1)
袁紹は後漢政府の中で順調に出世街道を歩き、若くして司隷校尉(警視総監)の重職に就きます。
こうして書くと、エリート然とした貴公子という姿が浮かびあがってきますが、
実際はそれほど順調な人生を歩いてきたわけでは無かったようです。

名門の出身とは言え、彼は妾の子であり、母親の身分がモノを言う当時では、
本来なら日の当たるところに出られる人物ではありませんでした。
ですから、若い頃はかなりグレて、豪傑(ヤクザな奴ら)とつるんでいました。

そして、あまりにワルとして名が売れすぎて、
叔父で当時の袁一門の総帥であった袁隗に
「お前みたいのが居ると一族の恥さらしになるから、とっととマトモな仕事に就いてくれ」と言われ、
ようやく役所勤めするようになったのです。
961前スレの948:03/04/30 19:56
それ以後は、信じられないようなスピードで出世し、
袁一門嫡流のプリンス袁術の地位をあっという間に追い抜いてしまいます※。
袁紹の実務能力が、よほど高かったことが伺われます。

話は飛んで、反董卓連合軍が失敗した後に移ります。
この時、彼は渤海郡しか持っておらず、かき集めた大軍を食わせるのに苦労していました。
かなり危機的な状況だったのですが、逢紀の策によって、冀州乗っ取りに成功します。
あまりに汚いやり口だったので、周囲の総スカンを食らいました。
当然、民衆の反発も強かったものと思われます。

※宦官皆殺し当時、袁紹は司隷校尉。袁術は虎憤中郎将(近衛軍の指揮官の一人)でした。
 前者よりは、後者の方が格下のポストです。
 エリートコースであることに変わりはないのですが。
962前スレの948:03/04/30 20:10
4.政治力(3)
しかし、袁紹はよほどの善政をしいたのでしょう。
短期間で冀州の内地化に成功し、餓死寸前だった袁紹軍は、
食い物には困らない袁紹軍に生まれ変わったのです。
後年、袁紹は圧倒的な大軍を率いて曹操と官渡で対峙しますが、
先に兵糧が切れたのは曹操の側でした。

官渡で惨敗した後、冀州の各地で反乱が起きましたが、
彼は軍を再編成して、これを鎮圧しています。
以後、彼が死んでからも、冀州は袁一族に忠実であり続けました。

冀州平定後、曹操は敵討ちと厚葬(派手な葬式)を禁止しました。
袁紹の重臣達は皆、職権を濫用して私財を貯め込んでいました。
冀州は長い間、袁一族の兵站基地となってきました。
それでもなお、冀州の民衆は、派手な葬式をやるだけの余裕があったのです。

「袁紹様の時代は良かったなあ」と、河北の民衆は言っていたそうです。
それを証拠付けるかのように、冀州平定から十年以上経ってもなお、冀州では民衆の反乱が起きていました。
魏が冀州の内地化に成功するのは、曹操が死んで、統率力と政治力の高い曹ヒの時代になってからのことです。
統率力の低い袁紹が、冀州を上手く治めることが出来たのは、高い政治力を持っていたからでしょう。
よって、袁紹の政治力は一級レベルの「83」とします。
963前スレの948:03/04/30 20:20
5.魅力(1)
袁紹は容姿端麗な美男子で、押し出しも立派でした。
若い頃、ヤクザな生活を送っていましたが、
物凄い人望があって、いつも4人の高名な豪傑(ヤクザ者)を連れ歩いていました※。
あまりに人気者過ぎて、ビビった叔父の袁隗に、仕官するよう泣き付かれたぐらいです。
妾の子で、家門を背負えなかったのに、これだけの人気を得たのですから、
袁紹の人間的魅力には凄まじいものがあります、

仕官してからも、袁紹の人気はとどまることを知りません。
あまりに多くの人が袁紹の元に集まるので、
袁一門嫡流のプリンス袁術は、その人気を妬んでいたそうです。
964前スレの948:03/04/30 20:32
5.魅力(2)
反董卓連合軍が結成された際も、人々は袁一門のプリンス袁術を差し置いて、
袁紹を盟主に推しました。
冀州乗っ取りの際、袁紹のブレーン達は、
「袁紹は人気者だから、冀州を譲ってやって恩を売っといたほうがいいと思うよ(かなり意訳)」
と言って、冀州牧(冀州総督)韓馥を説得しました。

また、統率力の項でも述べましたが、
袁紹には、人材を使い捨てにする悪癖があります。
にも関わらず、袁紹配下には次々と新しい人材が集まり、
官渡まで破綻しなかったのです。

その人格的吸引力には、凄まじいものがあります。
よって、魅力は一級レベルの「82」とします。
965前スレの948:03/04/30 20:44
袁紹の最終的な評価を発表します。

【統率】39
【武力】76
【知力】45
【政治】83
【魅力】82

統率力と知力が低いので、指導者には向いていません。
武力が高いので、軍人としては、かなり使える部類です。
ただ、知力が低いので、単独で軍を率いさせると、
敵方に戦略的優位を確立されるおそれがあります。
良い参謀を付けても、言うことを聞かない恐れがあるので、
知力の高い方面軍司令官の下で、一軍を率いさせるといいでしょう。
政治家としては、政治と魅力が高いので、かなり使えます。
政策実務や対外宣伝に従事させれば、いい仕事をしてくれます。

これだけ能力があれば、勘違いして天下を取ってみたくなる気持ちも分かります。
人に使われてこそ、能力を発揮できる人なのですが。
魅力が高すぎるために、指導者の地位に押し上げられてしまったことが、
この人の悲劇でした。
966927:03/04/30 20:46
ほえぇ〜 
袁紹は世界史レベルでも、政治83、魅力82ですか〜
自分は魅力は臧洪や田豊の件でマイナスですね。 

あ。 955は私です。
967前スレの948:03/04/30 21:18
【コラム】袁紹が連れ歩いていた4人の豪傑(ヤクザ)について。
1.許子遠(名は攸)
「百計を蔵し救世の才がある」と評された策士です。
霊帝の時代にクーデターを計画して、失敗するなど、かなりきな臭いことをやっていました。
知略を評価される一方で「根性が曲がっている」「金に汚い」という評判が、
全国的に鳴り響いていました。
その評判を裏付けるかのように、官渡では袁紹の参謀をやっていたのですが、
曹操に寝返り、袁紹の主力が壊滅するきっかけを作っています。
しかし、最後はつまらない自慢話がきっかけで曹操に粛清されてしまいます。
まあ、とんでもない危険人物なんで、曹操としては、とっとと消してしまいたかったのでしょう。

2.張孟卓(名はバク)
とてもいい人で、人が困っていたら、
自分の金をいくらつぎ込んででも、助けてくれる人だったそうです。
そのため、当時の名士ランキングでは「八厨(8人の気前がいい奴)」の一人に数えられてました。
乱世になっても、この人のいい人ぶりは変わらず、
曹操が董卓軍に無謀な突撃を試みた時、兵士と腹心の衛慈を貸しました。
兵士は全滅し、衛慈も死んでしまいましたが、彼は曹操を恨むことなく、交友を続けました。
袁紹に殺されそうになった呂布や、袁紹に地位を追われた前の冀州牧(冀州総督)韓馥に、
居場所を提供してあげるなど、男気満点です。
しかし、いい人なだけでは世の中渡れません。
反董卓連合軍の頃に袁紹に意見を言ったところ、激怒されてしまいます。
袁紹は曹操に「張孟卓をぶっ殺せ」と命じますが、
曹操が袁紹をなだめてくれたおかげで、どうにか助かります。
このように曹操とはマブダチで、「俺が死んだら孟卓を頼れ」と言っていたそうです。
しかし、彼はある日唐突に曹操を裏切ります。
曹操の腹心陳宮や、弟の張超に曹操の悪口を吹き込まれた彼は、
曹操が徐州に出かけてる隙に、曹操の本拠地エン州を乗っ取り、
知り合いの呂布をエン州牧(エン州総督)に担ぎ出したのです。
しかし、乗っ取りは失敗し、彼も部下に殺されてしまいます。
たった一度の裏切りが、いい人人生を終わらせてしまったのです。
968世界@名無史さん:03/04/30 21:43
>>929
農家も縦横家も宗教ダターノカ
969前スレの948:03/04/30 22:11
3.何伯求(名はギョウ)
洛陽で太学(国立大学)の学生をやっていましたが、とんでもない事件を起こして有名になりました。
彼には、虞偉高という親友がいたのですが、病に倒れ、「オヤジの仇が討てなかったのが残念だ」と言い残し、息を引き取りました。
虞偉高のオヤジの仇というのは、「巨万の財を蓄し、百駟(400頭)の駿馬を飼う」と言われた大物でした。
今風に言えば、「億万長者で、何百台もいいクルマを持っている」というところでしょうか。
仇なんて、普通に考えれば取れるわけがありません。
しかし、何伯求は普通ではないので、「俺が仇を取ってやらにゃあいかんな」と考え、
仇を本当にぶっ殺して、虞偉高の墓前にその首を供えたのです。
この事件で何伯求は一躍洛陽中の有名人になりました。

その後、「党錮の禁」(反宦官クーデター失敗事件)に絡んで、全国指名手配されました。
しかし、年に何回か、洛陽に潜入しては、自分のように指名手配されている人の逃亡を手助けしたり、
反宦官派と会合するなど、大胆不敵に立ち回ります。
ちなみに、この時アジトにしていたのは、袁紹の屋敷でした。
指名手配犯を匿ってるのがバレたらただじゃすまないのに、袁紹はやはり大物です。

「黄巾の乱」(カルト教団の武装反乱)の際に、反宦官派と黄巾軍が手を結ぶのを恐れた政府は、
すべての反宦官派の指名手配を解除します。
15年間に逃げ続けた彼でしたが、そんなブランクなどはものともせず、 北軍中候(近衛軍の監察官)にまで出世します。
そして、親友袁紹とともに、宦官皆殺しを決行しました。

しかし、宦官の次に政権を握ったのは、悪名高き董卓でした。
董卓は何伯求の能力を評価し、相国長史(宰相の首席補佐官)に昇進させますが、
何伯求は「董卓は消さなきゃいかん」と思っていました。
かくして、クーデターを起こそうとしますが、バレて逮捕されてしまいます。
彼は自分の口から余計な事が漏れないように、獄中で自決しました。
(荀攸伝では、「捕まってビビったから自殺した」とされていますが、海千山千の何伯求が捕まったぐらいでビビるとは思えないので、
「墓場まで秘密を持っていくために自決した」と解釈しました)
970前スレの948:03/04/30 22:24
>>966
>袁紹は世界史レベルでも、政治83、魅力82ですか〜
中国ほどの大国で、自力で政権を掴みかけるところまで行った乱世の雄なら、
それぐらいはあってしかるべきでしょう。

袁紹は、最初からいい立場にいたわけではありません。
自力で高い地位を勝ち取って、後漢政界の実力者となり、
反董卓連合軍失敗後、軍を維持できなくなるほどの窮地に陥ったのに、
韓馥を騙し、黒山賊や公孫讚との死闘を経て、大国冀州の支配者となったのです。

>自分は魅力は臧洪や田豊の件でマイナスですね。 
臧洪や田豊の件に関しては、むしろ統率力でしょう。
「臧洪や田豊は、袁紹の魅力が高かったから、従った。
 しかし、統率力が低かったため、使い切れなかった」
と解釈しています。

>あ。 955は私です。
そうでしたか。少し、曹操の評価が高すぎはしませんか?
971前スレの948:03/04/30 22:30
>>968
そういえば、縦横家と農家を忘れていましたね。
ご指摘ありがとうございます。
農家に関しては、知識が無いので、何とも言えません。
しかし、縦横家に関しては、「舌で天下は動くんだ」という、
一種のイデオロギーみたいなものを感じます。
972前スレの948:03/04/30 22:39
>みなさま
申し訳有りませんが、どなたか次スレを立てていただけませんでしょうか。
どうも、私のところからは立てられないみたいなのです。

既に次回のネタは用意しております。
「世界史で『真の政治家』と呼べる人物を一人推せ」と言われたら、彼を推します。

>>966
そういうわけで、荀ケに関するコラムは少し遅れますが、よろしいでしょうか?

それにしても、このスレで私が最後に扱ったのが袁紹とは…。
日本史ネタと三国志ネタは盛り上がりますが、
世界には立派な人物がたくさんいるんです。

それを書きたくて書きたくて、書いているわけです。
皆様も「このような優れた人物が知られていないのは許せん」と
お思いになることはあるはずです。

そんな時にこのスレを利用していただけたらと。
そう思います。
973世界@名無史さん:03/04/30 22:44
>>4-5 トハチェフスキー by前948
>>8 カエサル
>>18 武田晴信(信玄) by「ど」の字
>>22 織田信長 by「ど」の字
>>24-25 石原莞爾
>>40-41 バイバルス by前948
>>43 織田信長 by前948
>>44 豊臣秀吉 by前948
>>45-46 ヒトラー by蘭太郎
>>48-50 徳川家康 by前948
>>55-60>>62 サルト・サル(ポルポト) by前948

>>184-190 ホーチミン by前948
>>192>>202>>204
974世界@名無史さん:03/04/30 22:44
>>200 徳川家康
>>201 織田信長
>>203 カエサル
>>223-224 ガンジー by蘭太郎
>>311 蕭何 by前948
>>326 岳飛
>>339 張良 by前948
>>340 韓信 by前948
>>368 ナポレオン2世
>>372 藤原通憲 by山野野衾

>>382-389 ラサール・カルノー by前948
>>391-392>>394

>>405-406 裴仲孫
975世界@名無史さん:03/04/30 22:45
>>416-419 山本五十六 by蘭太郎
>>409 ダヴー by前948
>>421-422>>424-425
>>503>>505 永楽帝 by山野野衾
>>512-513 アントニウス・ピウス by「ど」の字
>>526-543 昭和天皇 by前948
>>548-553 マルクス・アウレリウス by「ど」の字
>>560-561 リチャード1世(獅子心王)
>>564-565 コンモドゥス by「ど」の字
>>624 マエケナス by「ど」の字
>>625 李靖
>>637-638 クラッスス by「ど」の字
>>738 山本五十六
>>746-747 デキウス・ブルータス by「ど」の字
976世界@名無史さん:03/04/30 22:45
>>748 カシウス by「ど」の字
>>752 エンゲルス
>>755 ナポレオン
>>757 キンナ by「ど」の字
>>758 ラビエヌス by「ど」の字
>>773-774 チトー
>>783 ブランキ
>>784 曹操
>>785 劉備
>>786 孫権
>>799-808 朱由検 by前948
>>809 曹操 by前948
>>813 関羽・張飛・馬超
>>814 黄忠 趙雲
>>828 ブルシロフ
>>836>>843>>846-851 マクレラン by前948
>>895-901
>>957-965 袁紹 by前948
977世界@名無史さん:03/04/30 22:48
誰か、昭和天皇を!!
978世界@名無史さん:03/04/30 22:53
まとめの季節、ということで
前スレに引き続きまとめてみますた。
前948氏は一気に書いてもらえると助かるのですがw
979世界@名無史さん:03/04/30 22:54
>977
ネタでなければ二つばかり上を見てみ。
い、今次スレのテンプレ作ってるからちょっと待って>ALL

次はリチャードの好敵手、サラディンを書かせて頂きます。お楽しみに!
981前スレの948:03/04/30 23:37
>>978
ありがとうございます。

ご迷惑をおかけしますが、私は考えながら書き込まないと、
文章が書けない性質なのです。

申し訳ありませんが、ご理解をお願いします。

>>828
唐突で申し訳ないのですが、
ブルシロフの能力は、もう少し高いのではないかと思います。
統率に関しては、問題ないと思うのですが、武力は確実に70を越えているはずです。
彼は戦略だけでなく、戦術にも長じていました。
第一次世界大戦では、緒戦から武勲を重ね、
ロシア軍が最も無様に敗れた戦いの一つであるゴルリッツの戦いでも、
態勢を立て直して逆襲を成功させた将軍です。
知力は、少し高すぎますね。90台前半で良いのではないかと思います。
当時のドイツ・オーストリア軍の指導部の知力を考えれば、
90台前半でも、十分に一つの戦争を逆転させることができます。
政治力は、他の軍司令官と十分な連携が取れなかったこと、
ブルシロフ攻勢の後に、アレクセイエフに自分の意見を通せなかったこと、
(通せれば、戦争は完全なロシアの勝利に終わっていたはず)
赤軍では棚上げされた感があることから、根回しには長じていなかったと思われます。
苦手ということで、30台でも良いと思われます。
魅力については、赤軍でも閲兵長官を務めていることから、
ブルシロフの名声と人柄は、軍の看板とするに足るものはあったのでしょう。
平均以上ということで、50台とします。
982世界@名無史さん:03/04/30 23:43
以下、項目別TOP
【統率】アレクサンドロス
【武力】チンギスハーン
【知力】孔子
【政治】徳川家康
【魅力】イエス
983世界@名無史さん:03/04/30 23:44
カエサルはどこいった?
984世界@名無史さん:03/04/30 23:50
このスレ的には孔子より孫子の方が合っていると思うが。
正直、申し訳ないが、漏れも建てられなかった。本当にすみませぬ。
テンプレだけ公開・・・。


歴史上の武将・政治家達をコーエー数値化するスレ!3

このスレは、歴史上の著名な政治家・軍人・国家指導者達の能力を”光栄”の歴史
シミュレーション風に数値で勝手に表してしまおう、という名スレです。

数値の指標は>2〜4、関連スレは5で。
能力値の基準

0代=逆にすごい
10代=ゴミ
20代=ろくでなし
30代=苦手
40代=凡人
50代=可もなく不可もなく
60代=まあまあ
70代=優秀
80代=一級
90代=超人
100=神
各能力値の説明

右にある指標については、いまだ議論中です。

【統率】組織を纏めあげ、強固にする力。また、そのために組織を改編し、造り上げる能力。
【武力】戦術・戦域級での戦闘指揮能力。
【知力】問題への正しい理解・判断能力。先見の明。戦略眼。意志力。
【政治】己の描いた方策を実現する能力。内政、外交、謀略の能力。
【魅力】利害抜きで人を引きつける力。人望。
項目別TOP候補

【統率】始皇帝、チンギスハーン、スターリン
【武力】アレクサンドロス、ナポレオン、トハチェフスキー
【知力】カエサル、サラディン、マンネルハイム
【政治】アウグストゥス、康煕帝
【魅力】劉邦、カエサル、ムハンマド、リチャード一世、サラディン
関連スレ

前スレ
世界史上の人物をコーエー数値化するスレ!@世界史
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034939698/
歴史上の人物をコーエー数値化するスレ! 2@世界史
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1045307937/

関連スレ
■中国の歴史人物をゲームに登場させよう!■@三国志・戦国
http://hobby.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1005659817/
歴史上の国家を数値化するスレ@世界史
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1050394205/


・・・これで、許して下さい。
990前スレの948:03/05/01 00:10
>>982
私の基準でも、項目別TOPを立てて見ました。

【統率】スターリン・始皇帝・朱元璋・チンギスハーン
【武力】アレクサンドロス・ヤン=ジシュカ・バトゥ・李靖
【知力】ビスマルク
【政治】康熙帝
【魅力】カエサル

といったところでしょうか?
991前スレの948:03/05/01 00:25
>>989
別の場所から試して見ましたが、ここからも立てられないみたいです。
新スレを立ててくださる神様の出現を、切に祈ります。
992世界@名無史さん:03/05/01 00:42
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1051717230/

立てましたので移行よろしく。
993世界@名無史さん:03/05/01 00:43
994世界@名無史さん:03/05/01 00:44
例の170さんテンプレちょっと手直しさせて頂きました、
勝手にすみませんです。
995世界@名無史さん:03/05/01 01:06
>>982確かにコーエー数値化向きに考慮となると、要は
イエスを精神的カリスマとし、アレクサンドロスを王に頂いた、宰相の家康(他にも人材?)の派遣した、孫子(孔子辞め)を軍師に伴ったチンギスの軍勢。というエライことになった。
996蘭太郎:03/05/01 04:34
アショーカ王の評伝を書くため、
軌跡を辿って天竺に渡り、ガンジスを吹き渡る風に涼んできたため(嘘)
しばらく書き込みができませんでしたが、
ここもいよいよ新スレに以降ですね、謹んでお喜び申し上げます。
新スレでも、折をみてお邪魔させていただきますので
その時はまたよろしくお願いします。

>>973
ついでに、石原莞爾のは僕です。
997世界@名無史さん:03/05/01 18:12
向こうでジャンヌダルクのリクエストがあったが、ジャンヌ自身ではないのでこちらでコソーリと(w
前もって言っておくが、贔屓目があるのは否定しない。
 
ラクシュミー・バーイ
【統率】83 宗教・民族の枠を超え、多くの民衆が彼女の元に結集し戦った
【武力】71 蜂起してから最期に至るまで常に陣頭に立ち、騎馬隊の指揮も執った
【知力】77 イギリス総督に送った理論整然とした抗議文は、イギリスの役人達が驚嘆する程の説得力を持っていた
【政治】64 イギリスによるジャンシー併合の危機に際し、毅然たる態度と正論を以て抵抗した
【魅力】95 その美貌も去る事ながら、細やかな気遣いと聡明にして公正なる人柄で人々に愛されていた
 
ジャンシー藩王国王妃。通称『ジャンシーの女王』『インドのジャンヌ・ダルク』。
「反乱とその弾圧の直中で、ただ一つ輝かしい名前が暗闇の中に一点の光を投じている」とネルーが絶賛し、
「反乱軍において最も優れた、最も勇敢なる指導者」と敵軍からも賞賛された、
インド独立戦争(セポイの反乱)の指導者の一人にしてインド史上最高の女傑。
絹のブラウスに乗馬ズボンを纏い、短剣と銃を携え白馬を駆る若き王妃の姿は、
ジャンシー城で蜂起しグワーデリ城攻防にて狙撃されるその時まで常に最前線にあった。
 
植民地時代には彼女に関する書物は全て発禁とされていたが、
独立運動家達の間で密かに愛読され、その名は先駆者として彼らのシンボルとなっていた。
そして現在に至るまで敬愛を以て語り継がれ、様々な物に彼女の名前が冠されている。
998世界@名無史さん:03/05/01 23:13
sage
999世界@名無史さん:03/05/01 23:27
さげ
1000世界@名無史さん:03/05/01 23:28
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