1 :
水 ◆rDhngbng2E :
2ゲト
帝国>>>>>同盟
よってローマ>>>>>魏呉蜀
>一方で諸兵種連合軍は高度に組織されていれば柔軟性を発揮できる
>内戦を経てきた三国時代の中国軍がその手のノウハウや経験や能力に疑問があるとは考えにくい
具体的な例が知りたい。諸兵科連合軍がその力を発揮して、鮮やかに勝利した例は?
>現代の士官学校の教例に使われていれば偉いのかな?
>カンネーはよく取り扱われているが、大敗北を喫したのはローマ軍だと記憶している
その敗北を徹底的に研究し、ザマでやり返した点がローマの凄い点だと思うのだが?
>ザマやファルサルスで不測の事態があったかな?
>どうやら事実誤認しているのはそちらのほうだが?
私が言いたかったのは、前スレ970の
>ただひたすら百人隊長の奮闘を期待することしか出来ない
と言う点が間違っているという事。
敵味方の陣形は会戦の中で刻々と変化するわけで、その中で敵を包囲
するというのは、司令官が的確な指示を出し、その指揮通りに兵士が
動かなくては不可能。
百人隊長の奮闘を期待する事しかできないというのは、明かな誤り。
5 :
世界@名無史さん:03/02/02 18:30
とりあえず、前スレの続きとして
(V)o¥o(V)さんには、あれだけローマ軍の優秀性と欠点について具体的に
語ってるんだから、その優秀なローマ軍すらも凌駕する三国の戦術について
「具体的」に語ってほしいです。
内乱が続いても戦術は必ずしも発展しないことは当然ご存じですよね。
スキピオはカンネーで何を研究したのかな?
カンネーの教訓は、両翼に配置する騎兵の優勢を確保すべしという
ローマの伝統的な戦術ドクトリンの再確認に過ぎない
カンネーではローマ軍は騎兵戦力で優勢を達成できなかった
ローマ軍が、カンネーで何かを新たに学んだとは言い難い
それに自分は、「不測の事態が発生しても百人隊長の奮闘に期待するしかない」
と言ったのだがな
>敵味方の陣形は会戦の中で刻々と変化するわけで、その中で敵を包囲
>するというのは、司令官が的確な指示を出し、その指揮通りに兵士が
>動かなくては不可能。
これについてはどうやら指示と命令の区別がついてないように思えるが?
それにローマ軍は常に包囲を狙っていたわけではない
私は正直言って(V)o¥o(V)氏の言う事には納得できない事が多い。
例えば、前スレにこのような発言がある。
>兵の練度と兵の統率は相関関係が薄い
>精強で知られながら同時に独立心が強く指揮官に不服従を示す事例も少なくない
>一方で、寄せ集めで訓練未熟ながら指揮官に最後まで服従する事例も珍しくない
私は兵の練度と兵の統率の相関関係は、極めて高いと思う。
例えば、よく兵数で劣る軍が、兵数に勝る軍を破った例はいくらでもあるが、
兵数に勝る軍が少数の軍を破った例は、それよりも遥かに多い。
これと同じ事が上記の事にもあてはまる。
一般的に練度の高い兵の方が命令に忠実であると言う事は言える。
もちろん例外はあるが、しかし、その少数の例外をもって、すべてを
覆す事はできないと思う。
「一般的に〜のような事が言える」という意見に対し「〜とは限らない」
と言う反論の仕方をよくしていらっしゃるが、これはすなわち三国時代の
中国軍の優秀性を示す反論ではない。
もし中国側が有利だと考えるのならば、有利だとされるその根拠を示してもらいたい。
>>5 誰が野戦能力で三国時代の中国がローマを凌駕するといったかな?
自分は単にローマの戦術の特徴を利点欠点含めて考察しているに過ぎない
何度も言うが、お互いに利点と欠点があり、絶対ローマ圧勝や中国大勝利などという
短絡的な結論はいかがなものか
>>7 練度と統率の相関関係が「皆無」だとは言ってない
兵の練度と兵の統率は相関関係が「薄い」
それよりも統率には指揮官の果たす役割のほうが「より重要」だと言ったのだが
10 :
世界@名無史さん:03/02/02 18:51
って言うか、軍事板の住人を呼んでみるか?
専門的な事が聞けるかもしれんし。
>>7 それと、無形戦闘力の話の反証として有形戦闘力を引き合いに出しても説得力はない
無形戦闘力とは文字通り計数的に把握できない要素だから、
結局は個人の価値観の相違という決着しかつかない
軍事板の雑談スレにカキコしてきますた。んじゃ、皆さん頑張って!
14 :
世界@名無史さん:03/02/02 19:00
某研に荒らされるだろ!
ヴォケ!
15 :
世界@名無史さん:03/02/02 19:12
(V)o¥o(V)さん
>>6での
>スキピオはカンネーで何を研究したのかな?
>カンネーの教訓は、両翼に配置する騎兵の優勢を確保すべしという
>ローマの伝統的な戦術ドクトリンの再確認に過ぎない
>カンネーではローマ軍は騎兵戦力で優勢を達成できなかった
>ローマ軍が、カンネーで何かを新たに学んだとは言い難い
この書き込み、なんか意味があるんですか?
再確認に過ぎないなら、以前からローマの戦術は優秀だったってだけでしょ?
本筋に関係ないことを言ってお茶を濁しているだけだとおもいます。
それに、戦場は常に変化するのだから事前の作戦を成功させるには、
「司令官が的確な指示を出し、その指揮通りに兵士が動かなくては不可能。」
というのは妥当な意見だと私には思えます。
指示と命令の区別について、少なくとも私には良くわかりません。
説明していただければ幸いです。
それから、
>それにローマ軍は常に包囲を狙っていたわけではない
これについてですが、少なくともザマでは包囲をねらっていた訳だし、
包囲以外の作戦でも、状況にあった指揮は必要でしょう。
無意味な揚げ足取りに過ぎないと思います。
中国側のこの時代の戦術だと
伏兵戦術の成熟や徙民、徙戎とかがあるのかな(後者は戦術じゃないが)
ちょっと焦土戦法に近い気もするが、とにかく相手を地形の険しい所におびき寄せる
陸遜の夷陵の戦いがあるね
中国独特の偽退なんかは結構効果的な気もするけど
でもこれは苻堅みたいに失敗することもあるからなあ
攻城兵器とかには差が無さそうだが、いきなり流民たちが集まって城作り始めたりするのは
結構嫌らしいな>>塢主
こういうしぶとさはローマもてこずるんじゃない?
それと鐙の登場とかはどうよ?
この時代ぐらいでしょ、確か(晋代だった気もしたが)
ローマには無知でスマソ
17 :
(V)o¥o(V):03/02/02 19:24
>>15 >>6の文章は、
>その敗北を徹底的に研究し、ザマでやり返した点がローマの凄い点だと思うのだが?
についての反論であり、それ以上の意味はない
何でもローマ軍を過大評価するのはいかがなものか
それと
>ローマの戦術は優秀だったってだけでしょ?
どこがどう優秀なのかな?
どんな戦術ドクトリンにも利点と欠点があり、手放しで優秀と言える戦術など存在しない
より重要なのは、戦術固有の欠点を克服し、利点を助長することであって
ローマ軍も例外ではない
指示と命令の違いについては、命令の定義と方針、任務付与、戦闘指導とは何か
作戦会議の目的と意義について調べればすぐ理解できると思う
>>8 まず、三国は分裂状態で国家の統制力も弱かったってのが前提にあるわけですよ。
である以上そのような不利な状況でも、どちらが勝つか分からないと言うには、
この不利を覆す戦術上の優越がなければならないと思いますが如何です。
もちろん、私もどちらかが「絶対に勝つ」などとは思っていません。
どちらが勝つ確率が高いか、どちらが有利かという点を議論しているんです。
このスレはそういうスレでしょ。
あなたの考えは、ローマと三国は完全に互角、
どちらが勝つか全く分からないってことでいいんですか?
19 :
世界@名無史さん:03/02/02 19:41
「三国とローマ」じゃなくて「漢とローマ」にしてくれよ
「三国とローマ」じゃなくて「三国と東西ローマ」にしてくれよ
むしろ劉邦(又は項羽)とカエサル(又はスキピオ)ぐらいに限定したら。
>>21 劉邦よりも光武帝の方が強そうだぞ
配下には騎馬軍団も仰山居ったみたいだし
じゃあ光武帝とトラヤヌス帝とか。
まあ中国・ローマ側が何万人動員可能か
海軍力は何れが上なのかと言う事だろうが
(ギリシャ火でもローマが使えば中国に勝算は無いだろうか)
陸軍力はローマのレギオンと諸葛の八陣
騎兵の力は何れが上なのかと言う事だろうが
騎兵に関してはクロスボウを装備する騎兵や弓騎兵が
中国側に存在しこれにローマ騎兵は雨天以外では勝てない訳だろうが
雨天ではローマの投げ槍騎兵の方が有利と成る訳だろうか
歩兵はレギオンと諸葛の八陣何れが強いかは謎だが
側面や後方からの攻撃にレギオンが八陣より柔軟に対応可能かは疑問だろうか
(弓の装備率は中国の方が高いだろうが
バリスタ・カタパルトは何れが多い訳だろうか
弓やバリスタ・カタパルトの使えない雨天では中国の槍歩兵にローマの投槍歩兵が突入し
テルシオを殲滅した円盾兵の様に中国の歩兵がやられる可能性も有る訳だろうか)
まあしかし攻城戦では攻城塔・城の性能・城の攻略能力・防御能力は何れが上なのだろうか
(海戦でもそうだろうが中国がローマ側にギリシャ火をカタパルト等から使われるときつい場合も有るだろうか)
まあローマ歩兵はプレートアーマーを装備した
重装備の指揮官等が邪魔に成って
機動力は中国側よりかなり低い訳だろうか
(其の上で八陣等の柔軟性が有るなら
弓の使えない雨天以外では
ローマ側には全く勝ち目は無いと言う事には成らぬだろうか)
まあしかしクロスボウはローマ側で使われていたのだろうか
まあしかし中国で投げ槍と言うのは使われたのだろうか
(雨天は弓は使えず飛び道具は投石かこれしか使えないだろうし
中国軍がこれでダメージをかなり受ける危険は有るだろうか)
投石兵に関してはどちらが多かったのだろうか
(能力の差に関してはどうなのだろうか)
28 :
水 ◆rDhngbng2E :03/02/02 20:11
野戦の雨天以外では中国有利
海上戦・攻城戦はギリシャ火の存在で
恐らくローマ有利と言う事だろうが
総体的に見てどうなのだろうか
まあ矢張り物量の差も考えれば中国が勝つと見て
良いだろうか
まあ決戦には雨天等選び続ける事は出来ぬだろうから
中国の弓騎兵・弓歩兵にローマ歩兵・ローマ騎兵が
一方的にやられ続け
ローマ兵は中国の城を攻略する前に野外で殲滅される訳だろうし
ローマの城もギリシャ火でローマ側が反撃して来
攻城塔や人間に対しての攻撃も有り得るだろうが
中国側も兵糧攻めと言う手は有るだろうし
ローマ側は城で時間を稼いでギリシャ火を利用した海上の中国輸送網破壊でも
やるしか無い訳だろうか
32 :
水 ◆rDhngbng2E :03/02/02 20:31
もうめんどーだからAOEで決めちまえよ
ローマ側が城を攻略するには雨天での強襲しか無く
雨が止む前に城を落とさないと
城内から出て来た敵兵の弓での反撃で勝ち目は無いだろうか
34 :
世界@名無史さん:03/02/02 20:44
物量なら圧倒的にローマ。
ところで戦場はどこ? インド洋上? 中央アジア?
それにもよるだろ?
まあしかしローマ帝国が中国の様に200万以上の軍隊を
動員可能なのだろうか
諸兵種連合ねえ・・・
戦訓としてすぐ吸収されそうだが
まあ弓・特に騎馬民族に対抗してクロスボウを中国の軍隊が
大量に揃えていたならローマの負けだろうか
(まあしかし騎兵突撃は弓は兎も角中国の槍兵では
止められないだろうか)
>>35 あほか。当時の中国が200万も動員? 厨房は雨天の心配でもしてろや
魏呉蜀の三つの心がひとつになれば、一つの中国は100万パワー。だからだいじょぶ。
なるほど、これが某研を呼び込んでスレを潰す某研信者のやり方か・・・
>あほか。当時の中国が200万も動員? 厨房は雨天の心配でもしてろや
魏500万・呉200万・蜀100万との意見も有るが
曹操軍100万との意見も有るだろうし
トータルでは200万を超える可能性も有るだろうか
>魏500万・呉200万・蜀100万との意見も有るが
失礼これは人口であり
兵力は50万・20万・10万の間違いだろうか
>魏呉蜀の三つの心がひとつになれば、一つの中国は100万パワー。だからだいじょぶ。
それはありえん。
三国はアイデンティティーに賭けて、お互いに協力するぐらいならローマと組んだ方がましと考える。
三国は「夷を以て夷を制す」と考え、ローマと組んでライバルを潰そうとするし、
ローマは「分割して統治せよ」と考え、三国が連合しないように外交術を発揮。
43に続き
それゆえ、三国のうちどれがローマとの同盟を生かしきるかという差で勝敗が決まる。
人材からいうと魏が有利だが、ローマは戦略的にあえて蜀を重視することも考えられる。
呉の協力なくてはローマは大海軍の運用が難しいが、海上貿易国家ローマとしては
むしろとっとと滅ぼして直轄支配したいところで、痛し痒し。
ローマの欲しい絹布は魏が最も豊富だが、蜀も中国西南やインド東辺の物産など売りはある。
呉がやはりつらいような感じがするなあ。
つーかまともに戦ったらとっくに漢字文明は消滅して、
中国人はポルトガル語やルーマニア語みたいな
ラテン語が崩れてできたような言葉をしゃべるようになっただろう。
その後、五胡が乱入してくると、漢字がないのだからアルファベット表記で
鮮卑語を使い続けるしかなくなり、今頃中国人は
モンゴル系だかトルコ系だかわからんが膠着語をしゃべっていただろう。
「越絶書」によれば呉はインドやアラビア方面とも貿易してたそうだが、
以前、越絶書しらべてもどの箇所の記事がそれに相当するのかわからなかった。
どうも、トンデモかデマくさいな。
とにかく呉に海軍力はありそうだが、貿易じゃなく軍事行動としては
ローマまで到達するのはかなり無理めな感じだね。
まあしかしローマ帝国は100万程度なら
動員可能なのだろうか
つーかローマと三国が戦うためには勢力圏が衝突しないと戦場すら設定できないだろ。
ローマは後世のイスラム帝国に加えアラビアやインド西部まで膨張していて、
魏は鮮卑(モンゴリア)や西域、中央アジアまで版図に入れ、
呉は東南アジアやインド沿岸に基地をもち、蜀はチベット及びインド東北まで従えて。
でもこれはもうローマでも三国でもないだろう。仮想の諸帝国。だから
通常の史実の版図にとどまっている三国とローマでなく、
大帝国へ膨張した後の制度・人口・技術などを想定しながら考える必要がある。
某研が来て急速に低レベル化したな
ローマ軍20−50万・中国軍150ー200万と言う対決共
成り得るだろうか
まあ火縄銃が出る迄は中国軍かモンゴル軍が世界最強かも知れぬが
以後は欧州か日本の軍の方が強いだろうか
シミュレーションゲーム板へどうぞ。
54 :
世界@名無史さん:03/02/03 02:41
いやはや、新スレたったか。随分にぎやかになったものだね。
ところで蟹氏、前スレ990でローマ軍が中国軍を攻略しきれない理由として
ローマが決戦戦略主体、中国が消耗戦略主体だからだということを
挙げているが、
ttp://angrif.hp.infoseek.co.jp/Stg2.htmによると 「1は短期戦(決戦戦争)で目的とされることから、殲滅戦略と呼ばれ、
2〜4は長期戦(持久戦争)でとられることが多いことから、あわせて
消耗戦略と呼ばれる。
また、持久戦争についてつけくわえるならば、持久戦争では消耗戦略と
決戦戦略の双方が用いられる。例えば、独ソ戦におけるシタデル作戦では、
消耗戦略の一環として、敵主力撃滅が目標とされている。」
とあり、決戦戦略は消耗戦略に必ずしも対立する概念とはいえない。
ローマはカンネー以後の対ハンニバルやガリアなどでは消耗戦略を長らくとり、
機が熟せばその一環として決戦戦略をとるなど戦略の柔軟性を見せているように思う。
ローマ側が中国の能力をきちんと把握すれば(こればっかりはその当時のトップの能力次第だが)
きちんと対応できるように思える。
55 :
世界@名無史さん:03/02/03 10:59
民族の世界史5 山川出版 「漢民族と中国社会」より
北族の時代 中国史の第一後期 (著者 岡田英弘)
184年の黄巾の乱とともに、秦の始皇帝で始まった前期が終わって後期が始まる。
後期の特徴は、古い漢族の事実上の絶滅と、北アジアからの新しい血液の流入による、新しい漢族の成長である。
黄巾の乱後、中国の人口は極端に少なくなった。
ことに河北の平野部ははなはだしく、千里、人煙を絶つという有様であったという。
黄巾の乱から50年を経た230年代に、当時の魏の高官三人が明帝に提出した意見書から、当時の魏の人口が推計できる。
杜怨は、「今、大魏は十州の地を奄有しているが、喪乱の幣を承けて、その戸口を計れば、往昔の一州の民にも満たない。」といっている。
十州というのは、後漢の十三州から、呉が支配する、揚州、交州、蜀が支配する益州を除いた数である。
後漢の中国の総人口は、140年の統計では、4915万220人だった。これから揚州、交州、益州の人口を差し引くと、残りの十州は3635万5210人となる。魏の人口はその十分の一にも足りないというのだから、360万人よりも少なかったわけである。
また、陳羣は「今は葬乱の後で、人民は至って少なく、漢の文帝、景帝の時に比べれば、一大郡に過ぎない」といい
蒋済も、「今は十二州あるけれども、民の数に至っては、漢のときの一大郡に過ぎない」といっている。
十二州というのは、魏が雍州から涼州、秦州をわけたからであって、杜怨のいう「十州」と同じ地域を意味する。
56 :
世界@名無史さん:03/02/03 11:00
とにかく前漢の最大の郡は、紀元二年の統計では、汝南郡の259万6148人、それに次ぐのは頴川郡の221万923人であり、後漢では最大が南陽郡の243万961人、その次が汝南郡の210万788人となっている。
要するに三国時代初期の魏の人口は、約250万人ということになる。
華北を支配した魏に対して、長江中流の武漢を中心とした地方と、下流の南京を中心とした地方だけを支配した呉の人口は、
魏よりずっと少なく、約150万人というところであろう。
皇甫謐(215ー282)のいうところでは、244年に将軍朱照日が、呉の領するところの兵戸は13万2千であると魏に報告している。
兵戸というのは軍人の戸籍に登録されている家族のことで、一戸から一人が兵士になるとして、これをそのまま軍隊の定員と考えれば、
後に呉が晋に併合された280年の数字では、呉の全人口の9%が兵士となっている。
この比率を適用すると、三国時代初期の呉の人口は、約150万人になるのである。
四川盆地を支配した蜀については、90万人とも、100万人ともいわれているから、三国の合計は500万人ということになる。
これを傍証するように、皇甫謐は140年の後漢の南陽郡、汝南郡の戸口統計を引用して、
「これを今に比べるに、三帝(魏・呉・蜀)が鼎石して、二群を超えない」といっている。
これは、450万人以下、ということである。つまり、184年の黄巾の乱から半世紀の後、中国の人口は十分の一以下に激減したわけで、これは、事実上、漢族の絶滅である。
57 :
世界@名無史さん:03/02/03 11:01
これより先、220年、後漢の最後の皇帝から帝位を禅られた魏の曹丕(文帝)はその翌年の221年、西は宣陽(河北省宣陽県、洛陽の西南)、
北は太行山脈、東北は陽平(河北省大名県、洛陽の西南)、南は魯陽(伏牛山脈)、東はタン(山東省タン城県、江蘇省との境)までの範囲を限って
石碑を立て、その内側を「中都の地」、すなわち「中国」として指定し、生き残った中国人をその中に移住させた。
これはほぼ河南省の全部と、山東省の西南部に当たる。
この狭い範囲に中国人が立てこもることになり、その外側は、軍隊の駐屯以外にはほとんど住民がいなくなったのである。
こうして真空状態となった中国の周辺地帯には、北方から鮮卑、匈奴、羯、氐、羌などの、いわゆる「五胡」が移住してきて定着した。
やがて、魏は蜀を併合し、魏をのっとった晋が呉を併合して、280年には黄巾の乱以来ほとんど100年にして中国の再統一が成り、
人口は一時、順調に回復し始めたが、わずか20年にして皇族の将軍たちの権力争いから八王の乱と呼ばれる全面内戦となり、人口は再び減少した。
それに乗じて、匈奴など、内地に定着した諸部族の軍閥もおこり、305年に匈奴の劉淵が漢王と称して独立してから、いわゆる16国の乱となり、
これは439年に隋が陳を滅ぼして中国を統一するまで150年続くわけだから、結局中国の分裂は、たった20年間の晋の統一をはさんで、
黄巾の乱から400年以上も回復できなかったわけだが、その原因は人口の過少によって、農業生産の復興がままならず、食糧の余剰がなくて、統一のための戦争の余力に乏しかったためであろう。
この人口過少が中国史の第一期の後期である。
58 :
世界@名無史さん:03/02/03 11:01
中国人と中国語の変質
黄巾の乱から400年間に目立った減少は、中国人と中国語の変質である。
既に述べたように、黄巾の乱に際して、中国の人口は十分の一以下に激減し、しかもその減少の大部分は、
それまで中国の都市文明の中心であった華北の平野部で起こった。そして、それに続いておこった五胡の移住と、
16国の乱、南北朝の時代を通じて、河北の支配者が多くアルタイ系の民族であったことから、
漢語を話す人々ももはや漢族ではなく、しかもその話す漢語も秦・漢時代の言語と同じではなくなった。
後期における漢語の発達史上、見逃す事の出来ない現象は、「反切」と「韻書」の出現である。
儒教が国教であり、その経典の知識に基づいて官吏が選ばれた後漢時代においては、漢字の読み方は公用のものが規定され、
洛陽の太学において伝授されていたはずである。ところが黄巾の乱後、洛陽が荒廃して無人の地となり、
しかも文人官僚の時代が去って軍閥の内戦時代となると、漢字とその読み方の知識は、危うく難を逃れて地方に亡命した、ごく少数の学者によって後世に伝えられなければならなかった。
そこでこれまで師から弟子へ口伝口授によって伝えられるだけであった漢字の伝統的な発音を記録し、知識の亡逸を防ぐ為に考案されたのが「反切」である。
これは例えば「東」の発音を「徳」と「紅」の組み合わせで示すやり方で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
59 :
世界@名無史さん:03/02/03 11:06
↑黄巾の乱スレッドにありましたので、コピペしてきました。
本当か否かは知りませんが、もし本当だとしたら、当時の中国は
軍団性&道路網の完備したローマとなど、とても戦えません。
戦う以前に、兵糧不足で自壊します。
そうでなくても、国力がまるで違う。
三国合わせても、前漢・後漢の半分以下だろうから、中途でエネルギー切れしてしまう。
60 :
世界@名無史さん:03/02/03 13:56
ここってたまに煽り入るけどかなり良スレだと思われ
軍事板の雑談スレッドにリンクが載っていたので来て見ました。
過去スレ読みました。
地理的にあり得ない話なのでなんとも言えませんが、
私が敬愛する旧日本海軍の『決戦』といった考え方で良いのでしょうか?
それとも戦争とは、両国の国力をかけた消耗といった観点から見れば良いのでしょうか?
結論的には経済力の優劣が全てだと思います。
62 :
世界@名無史さん:03/02/03 14:28
>>16 鐙は登場するのはこの時代くらいだが、普及するのは隋唐時代になってからである。
>>54 余り冗長に書くとまた関係ないこと書くなと怒られるので手短に
東部戦線の独軍が終始消耗戦略で戦っている
ツィタデレ作戦は南方戦線の赤軍の突出部の奪取が作戦目的ではなかったかな?
その過程で独軍の攻勢を阻止せんとする赤軍の大兵力との戦闘は予期されていただろうが
第2次ポエニ戦争のローマの戦争計画はカンネー以前も以後も決戦戦略なのだが
確かにカンネーの敗戦で計画の修正を強要されることになったが、基本的な方針は変化していない
前にも書いたが、この時期のローマは大規模な対外戦争を遂行できる状態ではない
ローマは建国以来、戦略指向の違いで概ね3期に区分できるが、
2世紀頃のローマはカルタゴとやり合っていた時のローマと戦略指向が違う
あと、宇宙忍者の異名をとる我が種族を地球の甲殻類呼ばわりするのは許し難い
我が同胞20億3千万に謝罪と賠償を(以下略
64 :
世界@名無史さん:03/02/03 20:23
バルタンさんの意見は、
国力の差を全く考慮に入れていない点で問題だと思います。
人口十分の一は言い過ぎでも、国が把握していた人口が数百万人に過ぎなかったということは、
それだけ、国の統制が弱かったということであり。
「大規模な対外戦争を遂行できる状態ではない」とはむしろ三国側にこそあてはまる事でしょう。
また、ローマ軍は優秀だが欠点もあり、絶対に勝てるとは言えないというのは全く正論ですが、
「絶対勝つ」とは言い切れない、などというのは当たり前のことなので、
双方の軍の特性を考えた上で、どちらがより優秀か、勝つ確率はどちらが高いかを
議論すべきでしょう。
バルタンさんは勝つ確率は、ほぼ五分五分でどちらが有利とは全く言えない、
と言うことで良いのですか?
>>64 その数字には余り説得力がないと考える
>>55-
>>58氏のレスを読めば、
魏の人口の根拠は陳羣と蒋済の証言のみであり、それだけで魏の人口が
250万だと決めつけるのは早計だと考える
呉の人口の根拠は兵戸は13万2千で兵士の国民に占める割合が
9%だからとあるが、兵隊に9%もとれば国は成り立たない
2世紀のローマですら0.5%程度でしかない
それでもローマは兵員不足に悩み、その結果軍のゲルマン化が進行している
兵戸とは純粋に兵役義務を課せられた家(恐らくは自作農や都市民で
家人を軍役に出せるだけの経済基盤を有する)を意味する
呉は兵戸のみで構成された国家だったとは考えにくい
蜀については単純に全部で450万程度だから魏と呉の人口を引き算しただけ
もう少し別の根拠があれば教えて貰いたいのだが
スレ違いだけど半世紀で4500万が450万というのは
何があればそんなに減るんだろう? 疫病? 飢饉?
10分の1といっても450万が45万になるのとは訳が
違うと思うんだけど。
まあ、南米のインディオ激減の原因は病気と社会制度の崩壊だったな。
インカのみで1000万以上いたが40年で10分の1、
その後も100年間に渡って減り続けた。
インディオの場合全く耐性のない未知の病原体がヨーロッパから
もたらされたのだから激減は納得がいくけど、中国の場合何なん
だろう?
69 :
水 ◆rDhngbng2E :03/02/03 22:05
散々既出ですが、
現実に人口が十分の一にまで減ったのではないでしょう。
戦乱のため難民が大量発生したりとかで、
お上の把握できる人口がそこまで減ったというだけで。
71 :
水 ◆rDhngbng2E :03/02/03 22:14
兵力はどっちにしろ少ないよな。
三国の実際の人口がわかったところでローマとの優劣は決められないと思うが?
大体の兵力は分ってるし。
>>69 それは大きな要因だがまるで答えになっていない。栄養状態
の悪化の原因(上に飢饉を挙げた)を示さなければ。あるいは
都市人口を支える食糧が決定的に流通制度に依存していて、
それが戦争によって完全に破壊されたとか。それでも50年で
4000万人は尋常な数じゃない。課税対象を戦乱期に把握でき
なかったという説の方がはるかに説得力があるなあ。
74 :
水 ◆rDhngbng2E :03/02/03 22:25
>>73 >課税対象を戦乱期に把握でき
>なかったという説の方がはるかに説得力があるなあ。
これを否定した覚えはないぞ?
栄養状態が悪いだけで4000万死んだとも書いてねーし。
まあいいや。オレは見るだけにするからマターリやってくれや。
75 :
世界@名無史さん:03/02/04 13:29
なんだか論争が「中国の人口減少」スレッドの方に移動してしまった感じだな。
こっちは終了するか?
で、どっちが勝ったの?
知識量によりバルタンが押すが、論客はローマ側が多く、入れかわりたちかわり
やってくる。納得していない面々も。
もともと不毛な言い争いという説もあるが。
78 :
世界@名無史さん:03/02/04 18:30
どのみち戸籍にのってなければ徴税も徴兵もできないのだから。
国力を考える上では500万を基礎にして構わないだろう。
79 :
世界@名無史さん:03/02/04 18:42
バルタン氏は知識では文句ないが、三国が勝つという論拠を示してはないからなあ。
バルたんは知識を垂れ流してるだけなとこがヲタor厨くさくてやだ。
三国あわせて総兵力max100万、へたしたらもっと下だろ。
---------------------------------<終了>------------------------------------------------
やれやれ・・・・煽ればいいてもんじゃないよ
バルたんは人口問題は回避して別の論点で議論したいわけだろ?
自分の見解を述べておく
ローマ
1 戦略
決戦戦略
攻勢では兵力配置から大規模な遠征軍を抽出できる状況でなく、本格的な攻勢は極めて困難
防勢では兵力が前方に集中展開しているため侵攻に対する対処は容易な反面、
戦力の縦深性に欠ける
2 野戦戦術
戦力の均質性に優れる反面、柔軟性に欠け、その運用は硬直
攻防両面において戦列兵を基準に戦術を展開し、近接戦闘における戦力の維持と
縦深に優れる
ローマのゲルマン騎兵は中国のステップ系騎兵に勝るとは考えにくく、
ローマ軍の戦術における要件の一つである両翼における騎兵の優勢を確保できる
公算は低い
2世紀頃のローマは散兵を正規兵科として整備していない
基本的に重歩兵戦列に対して強みを発揮できる戦闘隊形ではなく、
三国時代の中国軍のような諸兵連合軍を想定していない
3 攻城戦術
大規模包囲戦の能力は高い
ただし、一連の小規模な包囲を連続または同時に行った経験に欠ける
三国時代の中国
1 戦略
消耗戦略
軍の実質的な主力である都督軍は全国に展開しているため、攻勢を行うことは極めて困難
中国軍も長期間独立的に行動できる野戦軍を編成できる状況ではない
ステップ系騎兵による国境侵犯及びローマ後方地域への浸透は十分考えられる
この種の戦略的な騎兵運用は当時のローマの発想にはない
防勢では消耗戦略を展開することにより国土防衛が容易な反面、
国家経済に対する打撃は長期化、深刻化する危険性がある
2 野戦戦術
その戦略姿勢から積極的に野戦に訴える傾向は弱いが、野戦を忌避するわけではない
軽歩兵、重歩兵、弩兵、騎兵による諸兵種連合軍であり、ローマのレギオンに比して
柔軟性は高いが衝撃力に劣るものの
弩兵の阻止射撃とそれを掩護する各兵科による防御戦術を慣用戦術とする
また、重歩兵戦列に対する経験とノウハウでローマ軍より優れる
3 攻城戦術
包囲、防御両面で能力は高い
結論
お互いに攻勢作戦が成功する公算は低い
ただし、ローマ軍が全く未知数の敵を相手に戦争するのに対し、
中国軍にとってローマ軍は比較的わかりやすい敵だと言える
蛇足だが、三国時代の中国軍がmax100万もいれば、兵力比ではローマが圧倒的に劣勢
86 :
世界@名無史さん:03/02/04 21:09
バルタンさんは
兵士の士気という観点を、
「多くの要素があり一概にどちらが有利とは言えない」と言う理由から、
完全に排除してしまう。
ローマ軍が「ローマ市民」という中国には史上全く存在しなかった人々によって
構成さけているというのに。
金のためや強制によって兵士となっている者と、
国家の構成員という自覚をもっている者との、戦う意欲が全く同じだというわけだ。
それにローマの重装歩兵の力を明らかに過小評価している。
ローマはその力で地中海世界を制圧したというのに、
そのローマが制圧した中には、重装歩兵、軽騎兵、重騎兵、散兵等のなどの
諸兵科連合軍であったマケドニア軍も含まれる。
87 :
世界@名無史さん:03/02/04 21:29
バルタンさんには、三国の軍の具体的な運用を、実際の戦闘を例にして
示していただきたい。
ローマの場合なら、カンネーやザマのように勝ったもの、負けたもの含め、
軍の配置図まで分かるような戦例があり、その軍隊がどのようなものなのか、
具体的に想像できる。
バルタンさんは三国時代の中国の軍隊は、諸兵種連合軍だというが、
軍隊運用の具体例がなければ、本当にそうだった事を証明することはできない。
>>86 よく読んでみればわかると思うけど、士気以外にも、ローマに有利となる
要素はすべて、「一概にどちらが有利とは言えない」と切り捨ててるよ。
そりゃ、まともな議論にならないよ。
前提がキッチリと定められていない点も問題だが。
それに対して三国側の有利な点としてあげているのは消耗戦略と
諸兵種連合であるという点。
ローマも重装歩兵を主力とした諸兵種連合だという点や、当時の中国が
史上最悪の人口崩壊期にあり、相対的に国力が大きく落ちこんでいた時期
であるという事は意図的に無視しているとしか思えない。
三国軍つえーなおい
バルタン氏の三国分析の主な資料は何すか?
90 :
世界@名無史さん:03/02/04 22:02
中国が何度も統一されている地域なのに対し、
西ヨーロッパを含む地中海世界が統一されたのは、史上ローマにる統一ただ一度だけだ、
という点も考慮されるべきだ。
その後もこの地域に覇をとなえた勢力は、東ローマ、ウマイア朝、オスマン朝
などがあるが、結局完全な制覇は出来なかった。
ローマだけが成功した理由は、ローマが他の勢力に比べ盛強であった期間が
飛び抜けて長いからである。
つまり、他の勢力はその盛強な期間が、おもに英明な君主個人によって
もたらされているのに対し、
ローマはその社会制度のよって盛強さを保っていたからである。
ローマ市民によって構成され、民会や元老院といったシステムを持つローマは、
指導者が平凡な時にもある程度の力を発揮し、指導者が無能な時には、
その被害を最小にでき、指導者が優秀なときには、恐るべき力を発揮する。
対して、中国を見るとその制度は専制君主制であり、その強弱は君主の能力に依存する。
確かに、優秀な総司令官を得た中国軍は、平凡な総司令官の指揮するローマ軍になら、
勝利するだろうが、平凡は総司令官同士が率いた場合、明らかにローマの方が有利となる。
そして、優秀な指導者が総司令官になったときのローマ軍の戦闘力は、
決して、中国のそれに引けを取らない。
91 :
世界@名無史さん:03/02/04 22:10
加えて言うなら軍事的に優秀な才能は非常にまれで、
ほとんどの司令官は平凡な者である。
>>86 ローマ軍は少なからぬ数のゲルマン系傭兵がいた筈だが?
彼らはローマ市民ではなかった
ローマと戦ったマケドニア軍はフィリッポス2世当時のマケドニア軍ではない
マケドニア軍はピュドナでもマグネシアでも両翼を掩護できるだけの騎兵を
揃えられていない
ローマと戦った頃のマケドニア軍が諸兵種連合軍を整備できていたとは言い難い
>>87 三国時代の中国軍の野戦は消耗戦略的な傾向から機動戦、運動戦になる傾向があり、
ローマのように1カ所に両軍の主力が集結して一気に決着を付けるような戦闘は
生起していない
故にローマのような個々の戦闘の詳細な記録はほとんど残っていない
ただし、副葬品や当時の記録から、どのような兵科が存在していたかは明らかであり、
弩の多さから弩兵が重要な戦術的役割を果たしていた諸兵連合軍だと考えられている
前にも書いたが、諸兵連合軍はうまく機能すれば柔軟性に優れるのであって、
戦術の確実性の点では均質性に優れるローマ軍のほうが有利だと言える
これも前にも書いたが、一概には決められない筈だが
>>88 はて、三国派だ三国厨だと言われている自分が中国に有利なニュアンスで書くのは
当然だと思ったのだが?
ローマ派の方々も、何が何でもローマが有利という論調ではなかったかな?
実際のところ、自分は引き分けだと思うが、「勝てる論拠を示せ」と言われれば、
ご期待に沿わないわけにはいかないのでは?
論が強引だと言われるならば申し訳なかった
その点については改める
しかしローマがあらゆる点で優れていたとは考えられない
人口問題については、とても三国時代の人口が500万程度だったとは思えない
それについては前に書いていた筈だが?
ローマの戦術は、重歩兵である戦列兵を他の全ての兵科が支援することで展開される
明らかに歩兵第一主義であり、諸兵連合とは言い難い
>人口問題については、とても三国時代の人口が500万程度だったとは思えない
>それについては前に書いていた筈だが?
人口が500万人にまで減ったと考えている人は、ここで議論している人の中には
ほとんどいないだろうと思う。しかしながら、中国の文献の白髪三千丈式の誇大な
表現があるにせよ、この当時の中国の人口が漢代に比べ大幅に減ったであろう事は
確かな事なのではないだろうか?
そして、実際の人口減よりも、実際に記録された人口が500万人程度であったという
事の方が重大なことのように思う。これはそれだけ国家の統制力が弱まっていたと
いう事の証明である。まずバルタン氏はこの時期の中国の国力が大幅に落ちこんでいた
という事を、率直に認めるべきであろうと思う。
95 :
世界@名無史さん:03/02/04 22:43
>>82 ゲルマンに限らず、市民以外の兵は多く存在したが、
中核がローマ市民であるのは間違いないはず。
バルタンさん自身が言っているとおりローマ軍はあくまで重装歩兵が中心であり、
それが、ローマ市民により編成されている。
>>94 これも繰り返すが、>>55-
>>58を読むに「実際に記録された人口が500万」とは
どこにも書かれていないと思うが?
自分は4000万前後だと思うが、これはあくまで自分の推測の域を出ないので
この数字が正しいとも思わない
しかし同時に、ローマに圧倒的に不利だとも思えない
例えば、前に三国時代中国の総兵力がmax100万というレスもあったが、
自分はどれだけ最大に見積もっても40万〜50万程度ではなかったかとこれも推測している
>>95 いや、ゲルマン系兵は騎兵と戦列兵両方に存在していたのだが
それもローマ市民の兵役忌避が出始めたからなのだが
2世紀頃のローマ軍には市民の兵役忌避が少しずつ深刻化しており、
3世紀に入ると洒落にならない段階に達するんだが
98 :
世界@名無史さん:03/02/04 22:54
>>93 バルタンさん、
あなた、前からローマ派に向かって、軍隊には有利な点と不利な点があり、
一概にローマ有利とは言えないと言っていたのに、
自分は周りから三国厨と言われているから、三国に有利なことを言うのは当然ってのは・・・
言行不一致なんじゃないですか?
引き分けだと思ってるなら、最初から三戦派じゃない、引き分けだと思うって
はっきり言えば良かったのに・・・・
なんで今まで、そう表明しなかったの?
>>96 当時の人口4000万というのは過大評価だと思うのだが?
ローマの有利な点を上げると「過大評価はよろしくない」と言うわりに、
中国に関して語る場合は過大評価をしても良いんですか?
>>98 それは、三国派だ三国厨だと言われて「そう演じたほうが盛り上がるかな」などという気になってしまった
自分の主体性のなさが全ての元凶だと考えている
>>99 だからその数字は自分でも正しくない、と言ってるのだが
>>100 んじゃ、これからはもうちょい中立的な発言を心掛けてくれ。
そうすれば、ここもっと良スレになるかもしれんし。
103 :
世界@名無史さん:03/02/04 23:21
>>100 主体性がないって言うか、目の前の話題に流されて、
本筋見失うような傾向もあるよね。
前スレでローマ派が誤解して、三国は徴集兵だから、常備兵のローマの方が
有利だって言っていた時、
最初から、三国も常備兵だって言えばそれで終わりだったのに、
徴集兵でも強かった軍隊の例何かを出して、反論するんだもん。
それで、徴集兵と常備兵のどちらが有利かって議論がかなり煮詰まってから、
「三国の軍隊の常備兵なのだが」とか言われると、なんでいまさら?
と思っちゃうって。
104 :
世界@名無史さん:03/02/04 23:26
人口については、三国志正史にそのように記載されているらしい。
確か、魏と蜀についてははっきり明記されていて、そこから類推して、
呉の人口も推測できるとか。
それによると、当時の人口は500万くらいってことになるとか。
まあ、なんかからの孫引きなんで正確とは限らないけど。
それから、陳郡とかは魏の中枢を担った重臣なので、彼が人口を2百数十万と認識していたなら、
それがイコール魏という国家の認識と考えても良いのでは。
あまりにも「士気」を強調しすぎたローマ派にも問題があるのでは?
将の優秀さを強調する三国派を「厨」と呼びながら、自らは「常備兵
で市民だから士気が高い」と繰り返すのは傍から見ていてどっちもどっち。
>>105 例えば、226年の曹叡が即位した際に加増された曹魏の諸侯の封邑の合計は約13万戸
この中には陳羣の1300戸も含まれる
これらの家が全て両親と子供2人の4人家族だと仮定しても、約52万人に達する
もし曹魏の人口が2百数十万だとすれば、約5分の1を諸侯が領有していることになる
無論、これらの戸は自作農であることから人数は4人より多かっただろうし、
曹叡即位の際に加増を受けなかった諸侯もいるわけであり、
恐らく5人の1どころではない比率になるだろう
人口250万程度で封邑がこれだけの割合となると、封建制でなかった曹魏が
国家を経営できたとはとても思えない
>>107の続き
ただし、この封邑の数字が過大で誇大であるかもしれない
反証として通用するとは思っていないが念のため
何年も前に読んだ本に書いてあった数字なので、
記憶違いの可能性だって十分あるから今まで書かなかったものなので
バルタン氏を指して「厨」とはほとんど呼ばれていないはず。
自分は前スレでは949以外確認できなかった。そして前スレ949は少なくともローマ派
ではない。「三国厨」と呼ばれていたのは「名無し」「中国最強」の類だろう。
それらの「厨」とは一線を画したバルタン氏の筋の通った論に対しては、
納得できない人間はいても罵倒した発言はほとんど無かったように思うが。
>>106 しかし、共和制時代のローマ軍は実際士気が高く、
それによって地中海世界を席巻したんだからそれを強調しても
おかしくはないのでは?
当時のローマは経済力ではカルタゴに及ばないし、
戦術面でも少なくとも初期にはマケドニアの方が強かったはず。
その状況で最終的にローマが覇者となったのには「軍の士気」という要素が大きかった。
もちろん、アメとムチの巧み統治技術や、
敵の優れた点を吸収する柔軟性という要素もあっただろうが、
「軍の士気」は十分強調されるに足るローマの優位点でしょう。
翻って三国の武将の優秀さについて考えると、
少なくともそれが世界レベルのものだという証拠は全くない。
確かに2〜3世紀のローマ軍が共和制時代の士気の高さを完全に維持していた
とは思えないので、士気の高さを強調しすぎるのは問題かもしれないが、
三国の武将の優秀さを語る三国派と一緒にされては一寸困る。
だってあれでしょ、将の優秀さを強調する三国派って
関羽はマキシムスより強いだから三国が勝つとかいってた人とかでしょ?
>>107に関して
今検索かけて調べたら1万数千戸だった
>>107については撤回する
やはりあてにならない記憶を頼りに書くべきではなかった
申し訳ない
共和制期を引き合いに出すなら戦国期を引き合いに出してもいい。
どっちもどっちというのはそういうこと。帝制期の士気が世界レベル
という保証もない。
>110
上のほうで士気の高さを強調しまくっているようですが。
その諸侯の封邑ってのがくせ者なんですよね。
三国時代ってのは古代中央集権制が崩れて、豪族が独自に領地を持ち軍などを組織するような
体制に移行しつつあった時代なんです。
当然そのような体制になれば、封建制の軍隊同様、豪族ごとの単位で戦闘をするようになり、
バルタンさんが言ったような司令官が全軍を指揮出来るような軍隊ではなくなってしまいます。
呉では特にこの傾向が強く、実質的に豪族による連合国家であったらしい。
三国時代にどの程度この傾向が強まったか詳しくは知りませんが、
諸侯の封邑ってのが諸侯個人の人民ないし領地であるなら、その数が少ないってのは、
むしろ三国側に有利なデータだと思います。
人口については、晋の時代には1500万人くらいはいたと聞いたことがあります。
数十年で3倍にもなるとは思えないので、ほぼこの数を最低の数字として良いのでは?
ただし、三国時代に国がこの数を把握していたとは限らない。
三国の人口問題が出ているが
この頃から流民の戸籍把握や兵役の徴集は大きな問題だった
そういう中で、行主や塢主の存在は重要なファクターではなかろうか?
有名な行主の中に、西晋〜東晋時代の祖逖がいる
彼は流民たちを纏め上げ、東晋からは戦力らしい戦力を与えられずに中原回復を目指した
当時中国の各地にこのような流民集団を統率する人物がいた
これは三国時代から連綿と続く流れであった
言いようによっては、劉備なども行主のひとりみたいなものだろう
こういう流民たちは戸籍にも載らないし、まともな戦闘訓練もうけたとは思えない
もともと、匈奴たちの民族浄化みたいな大虐殺から逃れてきた人たちだからだ
祖逖は河南省に進駐し、最終的に後趙の南下政策を一時的にではあるが頓挫させた
祖逖は近隣の村村を襲って軍資を稼ぐような男であったが、決して彼の軍隊の士気は低いものではなかった
戸籍からの人口漏れの奴らだって、中国では兵力になりうる
しかも彼らは存外しぶとく、士気が高いものである(祖逖が無念の死を遂げた後、その勢力は多くが撤退した)
そしてその士気は彼らを率いる武将から、その多くを引き出せれているのだ
中国側では、将軍の個人的資質を引き合いに出しても良いのではないのだろうか?
>>112 少なくとの帝政初期、1世紀頃まではローマ軍は士気の高さを維持していた、
2〜3世紀にそれが低下したとしても、ローマはその後数百年持ちこたえた、
このことから、ローマ軍の士気が一気に下落したとは思えない。
そして、世界レベルだった根拠は、士気の高さの元となる「市民」という概念を
持っている国家が他に存在しなかったこと。
確かに当時のローマ軍の士気の高さを直接的に証明するには脆弱なものだが
根拠が全くないわけではない。
中国拳法がパンクラチオンより強いから三国の武将はローマに勝つとかいう、
全く根拠のない事を言う人と一緒にしてほしくはない。
>>116 > 中国拳法がパンクラチオンより強いから三国の武将はローマに勝つとかいう、
> 全く根拠のない事を言う人と一緒にしてほしくはない。
そりゃ荒らしでしょうが。真面目に指揮官の優秀さを主張した人のこと
を言ってるんですけど。
118 :
世界@名無史さん:03/02/05 01:25
>>117 >真面目に指揮官の優秀さを主張した人のこと
そんな人いたっけ?
真性の厨の強烈な印象に隠れて見落としてかな?
↑正:見落としてたかな?
120 :
世界@名無史さん:03/02/05 01:34
三戦厨の相手をしたいだけのヤシか
121 :
世界@名無史さん:03/02/05 01:39
>>92 >故にローマのような個々の戦闘の詳細な記録はほとんど残っていない
>ただし、副葬品や当時の記録から、どのような兵科が存在していたかは明らかであり、
>弩の多さから弩兵が重要な戦術的役割を果たしていた諸兵連合軍だと考えられている
多くの兵科があったとしても、それだけで、諸兵科連合軍だとはいえない。
それらの兵科が有機的に結びつき、有効に機能して初めて諸兵科連合軍だといえるはず。
故に実際の戦闘における具体的な運用例がないならば、
その軍隊が諸兵科連合軍だという証拠はないということになる。
>>120 いや、マジで覚えがないのよ。
本当にある程度の根拠をもって、三国時代の武将の優秀性を語ってる人いましたっけ?
>>121 実際のところ、決定的な記録は存在していない
前にも書いたが、野戦の記録は各部隊の機動の推移に関する記述がほとんどで、
個々の戦闘に関する信憑性の高い記述はほとんどない
これは、当時の中国軍の作戦がローマより距離的なスケールの大きかったためであり、
また部隊同士の衝突を必ずしも重視していなかったためと考えられている
ただし、三国時代に騎兵と弩兵の比率が上昇していること、三国時代以降、
弩兵の重要性が増していること、軍の常備軍化等から、
少なくとも初期的な諸兵連合が確立していたと考えられている
より詳細な部分については、史料の発掘を期待するとしか言えない
ローマ軍の戦術戦闘でさえ、現在でも新たな史料の発掘等により
新発見や過去の通説の否定や修正が行われているし、
議論の結果が出ていないものもある
実際、レギオンの戦列交替については未だ論争が続いており、
結論が出るに至っていない
もし、諸兵連合でないのなら、三国時代の軍隊は、盾を装備した刀兵、戟兵、矛兵、
弩兵、騎兵が隊形もとらずに無秩序に戦っていたのだろうか?
少なくともそのようなことを示す証拠も資料も見つかっていないのだが
124 :
世界@名無史さん:03/02/05 02:15
士気と指揮か…死期もあるな
>>バルタン氏
カンネー以後もローマは決戦戦略だったとは理解しがたい。
「ある地点からの敵の撃退目的」「敵戦力の消耗目的」がカンネー以後の
ローマの対ハンニバルのスタンスで、軍の動かし方や外交的姿勢なども
含めて消耗戦略に当てはまると思う。
あと蟹呼ばわり相済まなかった。賠償は平に勘弁して下され(((( ;゚Д゚)))
>>123 なるほど、「否定する証拠はない」ですか。
確かに、具体的戦例がなければ否定もできませんな。
それから、ローマ軍については1000年以上も前の事なんだから、
完全には分かっていないの当然だけど、豊富な戦例により少なくとも三国時代よりは、
はっきりしているでしょ。
それから、三国の作戦のスケールがローマより大きいってのは語弊があります。
ローマもガリア全域やライン川流域全体等を作戦範囲としており、けして三国に対して
スケールが小さいとは言えないはずです、最終的に大軍による決戦が勝敗を決める要素に
なることが多いと言うだけだと思います。
あと、以前三国の軍は司令官の指揮が戦闘中も軍全体に行き届くと言っておられましたが、
具体的戦例がないのにどうしてそのようなことが、分かるのですか?
これも、「否定する証拠はない」からですか?
>>126 >以前三国の軍は司令官の指揮が戦闘中も軍全体に行き届くと言っておられましたが、
そんなこと言ったかな?
ローマのレギオンは戦闘中に不測の事態が発生した際に
軍団長の指揮が末端に及ばないという趣旨の文は書いたが、
それに比べて中国軍って凄いんだよね、とは一言も言ってないが?
それにスケールの大きい小さいと優劣とは別なのだが
ローマを馬鹿にしてるととったのかな?
前にも書いたが、両者は戦争の種類が違うから優劣などつけられない
中国はスケールが大きいから偉いなんて一言も言ってないのだが?
もしかして怒ってる?
>>125 カンネー敗北後も、ローマ軍の戦争目的は「カルタゴ軍の主戦力の撃破」にあり
そのための条件を作為することに費やされている
それと、消耗戦略の消耗とは「敵戦力の消耗」ではなく「敵国力の消耗」のこと
そのアプローチの一つとした確かに「敵戦力の消耗」というのがあるが、
必ずしもそれが絶対ではない
128 :
世界@名無史さん:03/02/05 19:03
いつの間にこんな膨大なレスがついてるんだ?
正史スレは全然書き込みないのに・・・
スレタイトルからして三戦板っぽいこのスレが
これほど盛り上がるとは・・・
129 :
世界@名無史さん:03/02/05 19:06
バルタンが出現してやっとまともなスレになったことは否定できない
130 :
世界@名無史さん:03/02/05 19:07
それまでは三戦板そのものだったからな
131 :
世界@名無史さん:03/02/05 19:23
関係ないけど、ローマ側にマルクス・アントニヌスが
中国に使者を送った記述ってあるの?
>>131 後漢書。漢名は大秦王安敦。普通「マルクス・アウレリウス」って言わない?
ごめん、「ローマ側」なんだね。大変失礼。
134 :
世界@名無史さん:03/02/05 19:47
>>132 漏れの読んだ本によると、実はマルクスの使者ではなく、漢まで商いに来ていた
ローマ商人が接触したと書いていた
実は東南アジアを経由して来た、とも読んだことがある。
ベトナムあたりで当時のデナリウス金貨だか銀貨だかが見つかって
いるという話。
>>127 >>以前三国の軍は司令官の指揮が戦闘中も軍全体に行き届くと言っておられましたが、
>そんなこと言ったかな?
そう受け止められても仕方がない言い方はしてたと思いますよ。
とりあえず確認すると、
ローマ軍は戦闘中に不測の事態が発生した際に軍団長の指揮が末端に及ばないという問題があるが、
それは三国側も同様である、ってことでよろしいのですか?
スケールの大きさについてですが、
あなたが中国軍の作戦はローマより距離的なスケールが大きかったと言っていたので、
単純に、そんなことはないと反論しただけです。
こちらも別に優劣に絡めて語ってはいません。
だから怒ってはいませんよ。
それで、繰り返しますが、ただ単に騎兵や弓兵が増えたからといって、
その軍が諸兵科連合軍だとはいえません。それらが有機的に活用されていなければ、
それは、ただ単に多くの兵科が混在する軍隊です。
バルタンさんも兵科の種類が多い=諸兵科連合軍、だとは思っていないでしょ?
あくまでも、実際の戦闘での運用例がなければ、諸兵科連合軍とは証明できません。
もちろん、諸兵科連合軍だということをを否定する証拠もないですが、
そうすると、結局三国時代の軍隊が実際にはどのような軍隊だったか全く分からない、
ということになります。
バルタンさんは以前から三国の軍は諸兵科連合軍だと言っていましたが。
それは、実像が分からないにもかかわらず、想定されうる可能性の中で最も優秀な
モデルを採用しており、公平でなかったと思いますが如何でしょう?
137 :
世界@名無史さん:03/02/05 22:03
こう言っちゃ悪いけど、バルタン星人の言い分は
漢方薬の効能書きみたいだな・・・
138 :
世界@名無史さん:03/02/05 22:18
ワラタ
まあ、読者に残尿感を抱かせる漢方薬かな。
140 :
世界@名無史さん:03/02/05 22:51
安敦はアントニヌスのアントンなんだよね。
中国人って略すの好きだよな・・・
>>136 >そう受け止められても仕方がない言い方はしてたと思いますよ。
それは君の思い込みではないかな?
そのようなことを書いた覚えはないが?
>ローマ軍は戦闘中に不測の事態が発生した際に軍団長の指揮が末端に及ばないという問題があるが、
>それは三国側も同様である、ってことでよろしいのですか?
そう決めつける根拠は?
念のために言っておくが、自分はそのようなことを書いたことはないはずだが
距離的なスケールの違いについては、前にも書いたが決戦戦略で戦うローマ軍は最終的に
野戦による敵軍の撃破が作戦目的となるため、作戦は最終的に決戦場に集約される
一方で三国時代の野戦軍は必ずしも敵主力の撃破を優先しないし
戦場で決定的な勝利を上げた事例はほとんど存在しない
三国時代の作戦機動は機動戦や運動戦の様相を呈する
戦場で敵軍を細くするために移動するローマ軍とは距離的なスケールは違う
諸戦国末期の秦には長兵、短兵、弩兵による諸兵連合の原型が確立しており、
唐の時代でもこれらの兵科を整備していた
三国時代に入り、軍隊が常備軍化したのは諸兵連合が遂行できる専門的な技能を
持つ兵士の需要が増大したからであり、諸兵連合の思想が消滅したとは考えにくい
むしろ、三国時代だけ諸兵連合の思想が消滅したと考えるほうが不自然だと思うのだが?
「この戦闘でこの軍隊は諸兵連合で戦ってはいない」という具体的な事例を
幾つか上げて貰えないだろうか?
142 :
世界@名無史さん:03/02/05 23:43
>>141 言っていないとおっしゃるならそれでいいです。
ただ、実際にはどう思っているのかは聞いておきたい。
私が、
>>136で
>とりあえず確認すると、
>ローマ軍は戦闘中に不測の事態が発生した際に軍団長の指揮が末端に及ばないという問題があるが、
>それは三国側も同様である、ってことでよろしいのですか?
と言っているのは、
>>127であなたが書いた
>ローマのレギオンは戦闘中に不測の事態が発生した際に
>軍団長の指揮が末端に及ばないという趣旨の文は書いたが、
>それに比べて中国軍って凄いんだよね、とは一言も言ってないが?
を受けて、
中国が凄い訳ではない→どっちもにたようなもの、という意見なのかと思ったので、
それを確認したものです。
はっきりと聞きますが、あなたは軍隊の指揮についてどちらが優れていたと思うのですか?
ちなみに私は、どちらも似たようなものだっただろうと思います。
理由は、古代においては洋の東西を問わず、指揮伝令系統が未発達だったと考えるからです。
スケールについてですが、あなたは最初に作戦のスケールがと言っていましたが、
具体的な説明を聞くと、戦略面の事のようですね。
それならば、特に反論はしません。優劣には関係ない事ですし。
諸兵連合軍については、私は一度も三国の軍隊がそうでないとは断言していません。
諸兵連合軍でなかったことを証明する証拠はないとまでいっています。
あなたは、諸兵連合軍であったことを前提にしているのだから、
当然証明する責任は、そちらにあると思いますが?
とりあえず、秦や唐では諸兵連合軍の原型が確立していた、とのことですので、
それらの時代における、実際の戦争での運用例を示していただきたいです。
挙証責任については142に分があるね。
141は「わしの漢方薬の効能書きが間違ってると事例を
挙げて証明して見ろ」と言ってるようなもので、
マッチポン(以下略
前スレで出て、流れ去ってしまった質問をちょっと訊いてみたい。
両軍の指揮系統について。
ローマ軍はよく言われるように、行動がマニュアル化されており
指揮系統も司令官→軍団長→大隊長→→百人隊長と階層化。
一時に主戦場及び周辺地域に投入する戦力は、多くて数軍団(数万人単位か)。
これは正しいと考えて良いですか?
対する三国時代の中国。
動員可能な総合兵力はさておき、戦場に駆り出されたとされる数十万の軍勢。
これらの兵士を実際戦場で指揮するにあたり、命令の系統はどうなっていたのか。
またそれを記した具体的な記述など(あれば)教えてほしいのです。>詳しい方々。
現在進行中の兵科の話からは少しずれるけれど、
興味があるor知っている人、どうぞよろしく。
これに加えて「兵站」についても尋ねてみたいんですが、今回は指揮系統のみで。
145 :
世界@名無史さん:03/02/06 00:19
>>142 つーか、自分で調べれば?
これほど図々しい教えて君は久々に見たな。
他人の知識で相撲とってんじゃねーよ。
バルを質問攻めにして言葉尻とらえて文句つけてるだけじゃん。
>>145 自分で言い出したことを自分で証明するのは当たり前の事では?
147 :
世界@名無史さん:03/02/06 00:33
>>141で十分根拠を説明していると思いますよ。それをもう一度畳み掛けて
実例を示せ、と要求していることになります。
それが悪いと言ってるのではありませんので悪しからず。
>>142は三国時代に諸兵連合がないからあったと主張するなら実例を示せ、
と言ってるんでしょ?
そう受け止められても仕方がない言い方はしてたと思いますよ。
だから、無かった証明をすればこの論争は決着すると思うんですけど。
>>149 違います、私は諸兵連合軍がないとは言っていません。
まず、軍隊が諸兵連合軍であることを証明するには、実例を上げる事が不可欠です。
ところが三国時代には、具体的な戦闘の内容が分かる戦争がないので、
証明する事が出来ないと言っているんです。
もちろん、逆に諸兵科連合軍ではなかった事を証明する事もできません。
結局「分からない」ってことです。
私が問題にしているのは、「分からない」状況であるにもかかわらず、
バルタンさんが諸兵科連合軍だと言い切っているのはおかしいってことです。
そもそもが空想からはじまったことに、
いちいちマトモにレスするのがおかしいって。
前提を考えよう。
中国の昔の軍隊の最小単位である伍は異なる武器を持つ5名の兵士で構成されていた
これは諸兵連合の証明にはならないかな?
結局ローマ全肯定の流れに一石を投じたバルタンが憎くてしかたがないんだろ?
>>152 141の説明では、秦や唐が諸兵科連合軍だから、三国時代もそうだと説明していますが、
本当に秦や唐が諸兵科連合軍であることを証明するには、
やはり実例を上げる必要があります。
バルタンさんがそのように言い切っているのだから、証明してほしい、
といっているんです。
結局
>>136にある
> バルタンさんは以前から三国の軍は諸兵科連合軍だと言っていましたが。
> それは、実像が分からないにもかかわらず、想定されうる可能性の中で最も優秀な
> モデルを採用しており、公平でなかったと思いますが如何でしょう?
これが主張の内容でしょうか?「想定される可能性の中で」何故諸兵連合だった
可能性が高いか、についての根拠を
>>141で主張していると思うのですが。あくま
で可能性であることは皆理解していると思いますよ。
158 :
世界@名無史さん:03/02/06 01:05
あのね、ちょっとでも歴史学に興味があればわかることだと思うが、
ある事実が「存在した」という事を証明するのは比較的簡単だけど、
「存在しなかった」という事を証明するのは非常に難しいの。
だから歴史学では、存在を証明できない、あるいはその存在を示す証拠が
無い事柄に関しては、「存在しなかった」と判断するしかないわけだ。
この場合、バルタン氏が「諸兵種連合が存在」して、それが有効に用いられた
戦例を示さない限りは、三国時代の中国軍の優位点である、諸兵種連合の
存在は「無かった」と判断するしかない。
>>142氏の主張は、至極真っ当なものだよ。
159 :
世界@名無史さん:03/02/06 01:09
>>157 >あくまで可能性であることは皆理解していると思いますよ。
それは三国時代の中国軍の優位性が「あくまで可能性でしかない」
と主張している事と同義だね。
「可能性でしかない」点が中国軍の優位点の大きなウエイト占めて
いるわけですから。
>147
ググってもなんも出ねえよ。後秦じゃねえ。
>>154 それは、むしろ諸兵科連合軍であることを否定しています。
異なる兵科が一緒になって戦っているのでは、ただの混成部隊であり、
諸兵科連合軍というには、それぞれの兵科ごとにまとまって、
騎馬部隊、重歩兵部隊、軽歩兵部隊、弓兵部隊などを構成し、それらの部隊が、
それぞれの役割を果たして、全体として一つの軍団を形成する必要があります。
違う武器を持った5人が戦闘の最小部隊なら、それは典型的な混成部隊です。
162 :
世界@名無史さん:03/02/06 01:13
結局、あくまで仮定でしかない事を「優位点」として主張している
三国側の根拠は、極めて薄弱であるということだ。
ただシミュレーションを行うにはいずれかのモデルを採用しなくては
ならない。そのモデルの撰択が議論になっている。その際、現在の歴
史学で有力な方法論上の哲学を援用しろ、というのも学者の立場から
は判らないでもないけど、ローマの士気の高さなどもそれこそどこか
へすっとんでしまいそうな気がする。
164 :
世界@名無史さん:03/02/06 01:16
>>162 しかもその諸兵種連合も、優秀な将軍のもとでは力を発揮できる、
とか言ったような、中国に有利な仮定の上に成り立ってる支那。
165 :
世界@名無史さん:03/02/06 01:19
>>163 ローマ軍の士気の高さを裏付ける史料というものは、かなりの数がある。
その点が三国側とは大きく異なる。
>>157 繰り返しますが、
>>141での説明が十分な根拠となるには、
秦や唐の軍隊が諸兵科連合軍である事が証明されねばなりません。
つまり、実例が示されなければなりません。
正直に言えば、私はそのようなことを証明する秦や唐の戦例をしりません。
時間をかけて調べろ、とおっしゃるかもしれませんが、
まずは、そうだと断言しているバルタンさんに、
根拠を示していただいてもいいのではないですか。
>>142 何か凄いことになってるな
例えば兵馬俑は当時の秦の戦闘隊形を表現していると言われている
1号坑は戦列を構成しており、前衛、主戦列、両翼、後衛からなっている
前衛に軽歩兵を配し、後方に戦車と重歩兵が戦列を構成し、
両翼と後衛に重歩兵が展開している
2号坑には敵に向かって戦車と歩兵を騎兵が掩護している隊列、
弩兵のみの隊列、騎兵のみの隊列の順に並んでおり、
弩兵の射撃を意識した陣形だと考えられている
異常のことから、当時の秦に諸兵連合の思想が存在していたと
考えられている
これで納得したかな?
あと、前スレで諸兵連合が有効に機能すれば柔軟性は高いとは言ったが
諸兵連合の中国軍のほうが優れているとは一言も言ってないが
まあ、そうとられても仕方がないなんて言われるんだろうな
それと、伍は長兵2種、短兵2種、弓または弩兵の5列からなる横隊を
縦割りにしたもののことで、実際には5個の横列が戦況に応じて
入れ替わり立ち替わり戦うというもので、この横列自体は一種の
諸兵連合ではあるのだが
関係ないけど、ローマ兵の士気の高さを示している史料で
出所がローマ側でないほうの史料というのはあったのかな?
>>167 思想が存在したということと、軍が実際にそのように機能していたということは、
別のはなしです。
当然兵馬俑は理想的な軍の形を示している訳で、
実際の軍隊が諸兵科連合軍として機能していたかどうかは、あくまでも実際の
戦例において、検討しなければなりません。
それから、バルタンさん、戦闘時の指揮については、
どちらが優れていたと思いますか?
いずれにせよ仮説は必要なわけで、それぞれがその仮説にもとづいた
シミュレーションをするのでなければ話にならないと思うが。
>>83-85 でバルタン氏の採用したモデルとその結果は説明されていて、それに
対する批判もまずは出たので、142氏の対立仮説をまず聞いてみたいのですが。
自分で調べれば? マジで
ローマみたいな詳細な戦闘記録なんて残ってないよ
ローマの戦例だって不明な点を推測で補ってる部分もある
そもそも春秋戦国時代なんて戦場の細部位置すら論争の的になってるんだよ
発想はあったけど実行は伴わなかったかもしれないから
諸兵連合だったとは言えないって言うんならもう価値観の相違としか
言いようがないな
前スレでバルタン氏と山犬氏がカキコしてから、少しまともな議論になり
はじめたが、前スレから疑問が出されている「実際の戦例」に関しては
その例が示される事は無いですね。
私は三国、ローマどちらかに与するわけではないが、前スレからのやりとりを
見る限り、根拠を示し、本質的な話に持ちこもうとするローマ側に対し、
三国側は本質から外れた反論をする、あるいは「一般的に〜である」という事象に
対し「〜とは限らない」という、部分的な反論をするにとどまっているという印象
を受ける。
今まで読んだ限りでは、まともな議論にはなっていないという印象を受けるし、
どちらかというと山犬氏をはじめとしたローマ側の意見に、頷ける点が多い。
それは三国側が、本質的な疑問に答えていないといためである。
いずれにせよ、誹謗中傷の類のカキコはやめ、有益な議論をしていただきたい。
ここは学問板なのだから。
>>173 凄く歯に物が挟まったような言い方する人ですね
えーと、事実かどうかは分からんが
一応、晋書からだ
陳安って武将がいたんだが、こいつは片手に蛇矛を、もう片方に青龍刀を握って馬上にまたがる
猛将だった(三国時代の関羽や張飛みたいなものやね)
まあ、馬上での獲物の扱い方なんて、よく不可能とか言われるが(俺は馬に乗ったこと無いから分からん)
こいつはこのスタイルで匈奴軍と戦いつづけた
こいつが死んだとき、将兵たちは、常々可愛がられていた恩を思い出し泣きつづけたそうだ
こいつの軍は寡勢になっても士気はすこぶる高かったとも言われている
中国側の武将ってこんなのばかりだな、イメージ的には
実際、ローマ軍にこんな将軍いた?
三戦厨の素朴な質問だ
175 :
世界@名無史さん:03/02/06 02:05
>>173 (V)o¥o(V)は根拠示してるのでは?
176 :
世界@名無史さん:03/02/06 02:10
>>中国側の武将ってこんなのばかりだな、イメージ的には
そうかの?
>>実際、ローマ軍にこんな将軍いた?
「こんな」というのはどこにかかってるんだろうか
兵に人望があるという意味ならカエサルは当然、コルブロとかもいるな
>>173 ローマ側に具体的な仮説と演繹による推論を行った人がどれだけ
いたの?犬山氏は確かにそうだったが。本質云々以前の人が多い
のはどちらも同じように思えるけど。
次スレ
「古代ローマの軍制」
「古代中国の軍制」
お互い仮想敵
私が三国側に対して根拠が薄弱であるといったのは、
ここにあがった反論を見ても正しかったと思う。
>>174氏は中国の、兵士たちの尊敬を集める名将の例をあげておられるが、
そういう人物は洋の東西を問わず存在したと考えるのが普通なわけです。
そしてローマ側は、そういった優秀な将軍は常に少数であるとの前提に立って
発言しているのに対し、三国側の主張は、中国側に優秀な将軍が存在している
との前提でなされている。これは、
>中国側の武将ってこんなのばかりだな、イメージ的には
という発言から明瞭に読み取れる。
問題は、そういう優秀な将軍がいない場合の戦闘であり、そういった
場合にもローマのシステムはある程度機能するのに対し、中国の場合は
優秀な将軍頼みという、ローマ側の主張を裏付ける結果になっている。
私が言えるのはここまで。
>>176>>179 俺が言いたいのは「人望アリ、侠気アリ、無鉄砲さアリ、膂力アリ」の将軍ってこと
陳安はハッキリ言って猪武者だが、分かりやすいイメージの武将なのであげただけです
俺は三戦厨だから、諸兵科連合だのレギオンだのの有用性なんか知りません
俺に噛み付くってことは俺レベルってことですか?
まぁそんなに卑下すんなよ。
みんな同じようなもんだから安心シロヨ。
そもそもifスレなんだし。
ローマの市民兵の士気の価値について無視していると怒ってた人がいたので
自分の見解を述べておく
2世紀頃、市民兵で編成された正規軍団は27個軍団で約14万
ローマは兵力の不足分を非ローマ市民
非ローマ系市民からなる非ローマ市民の補助軍で補っていた
帝政初期には正規軍団と補助軍はほぼ同数だったが、
時間の経過に伴い補助軍の全軍に占める比率は増大していき
しかも同時にローマ市民の徴兵忌避の傾向が拍車をかけるようになる
3世紀末には総兵力は50万を突破するものの、正規軍団兵の数は10万を切り、
ついにローマ市民の兵役の法的義務は消滅、ついにユガチオ・カピタチオ制度が施行される
2世紀頃のローマ軍はこれほど酷くはなかったが
全兵力は2世紀末には40万程度まで膨れ上がり、
正規軍団の占める比率は恐らく3分の1程度だっただろう
帝政ローマは戦略方針の変換に伴ってクラウディウス帝が
ブリテン島の3分の1を属州ブリタニアとし、
トラヤヌス帝が東部国境線をドナウ河流域まで推進しているが、
この際のローマ軍の軍事作戦の主力は補助軍だった
何故士気が高くて強いはずのローマ正規軍団ではなく、
実質的に傭兵である補助軍がローマの軍事作戦を担っていたのだろうか?
恐らく補助軍のほうが士気の高い正規軍団より軍事的能力が高かったからではなかったか
× ローマは兵力の不足分を非ローマ市民
非ローマ系市民からなる非ローマ市民の補助軍で補っていた
○ ローマは兵力の不足分を非ローマ系市民からなる補助軍で補っていた
ちゃんと推敲すりゃよかった
>>172 >ローマみたいな詳細な戦闘記録なんて残ってないよ
結局そういうことです、三国時代の軍隊の実像はほとんど分かっていない。
こちらとしては、バルタンさんの提示したモデルは、
ローマ側に比べると、三国側は推測の部分が多く不正確だと言いたかったんです。
私見を言わせていただくと、
戦術のマニュアル化により、凡将でも一定の戦闘力が発揮できるローマの方が、
総合的には有利だと考えます。
あと、双方の国力の話題が出ていましたが、三国時代の中国の国力を考える前に、
当時が国内が三国に分裂した状態であったという事も考慮にいれるべきではないでしょうか?
確か補助兵の任期つとめあげたらローマ市民権もらえるんだっけ?
目的意識がある分市民兵との士気は逆転したのかもね。
ローマの市民兵は確かに帝政以後は完全に覇権国家になって「義務」
としての束縛も曖昧になり、祖国防衛の高い意識も薄れるといった
変質は避けられなかったかもしれんなあ。
>>180 ローマだとアントニウスかねえ?興味あるなら
世界史上の人物をコーエー数値化するスレ!
http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/1034939698/l50 のスレで「ど」の字氏の書き込みを見てみると良いかもな。列伝も充実してるし
ローマにどんなんおるかってのはかなりのところ分かる。
三国志風味に能力値付けされてるしわかりやすいしな。能力が妥当かどうかは
個人の判断だが。蛇足だが関羽は高い評価だ。
186 :
世界@名無史さん:03/02/06 03:19
三国にローマが加わって四国志になったら、どこが勝つ?
邪馬台国
>>184 確かに解明されていない部分は多いが、では君はその実像がどうだったと推測しているのかね?
実像が解らないからローマ有利と言ってるわけではないのだろう?
それと、戦術のマニュアル化というが、具体的にはどのようなものなのかな?
>>184 > 結局そういうことです、三国時代の軍隊の実像はほとんど分かっていない。
>
> こちらとしては、バルタンさんの提示したモデルは、
> ローマ側に比べると、三国側は推測の部分が多く不正確だと言いたかったんです。
だから対立仮説を示して貰わないと議論にならない。「その仮説
の信憑性は低い、何故なら史料がないからだ」では、情況証拠(遺蹟
における出土品)から導き出された仮説に対する反論としては如何にも
不充分。少なくとも査読段階で蹴られて雑誌に載らない。今、明確に
三国側の軍制が問題になっているのだから、それに関する仮説を提示
すべきでしょう。
>>180 聞いてるから答えただけなのに噛み付くとか言われても・・・
>>188 こちらの主張は、「三国の軍制はほとんど分かっていない」ということです。
即ち、残念ながらローマ側の優位を証明するような推測を、論理的に導き出すこともできません。
ローマと三国の優劣について論ずるなら、
推測の部分が多くなり過ぎる軍制などについて語る前に、
もっと明白な相違点について論ずるべきだと思います。
例えば、当時の中国が分裂状態だったという、明らかな事実を無視するのはいかがなものでしょう。
確認しておきたいのですが、
バルタンさんは一応ローマと三国は引き分けるという考えとのことですが。
それは、魏、呉、蜀それぞれと戦って、すべて引き分けになるという意見ですか。
それとも、三国の中で最強である魏と戦うと引き分けになるという考え方ですか。
あるいは、三国が連合してローマと戦うと仮定すれば、引き分けになるという事でしょうか。
是非お聞かせいただきたいです。
戦術についてですが、これは、三国と違い個々の戦例の記録が残され蓄積されており、
戦術の優劣が司令官の才能に過剰に依存していないという意味です。
ローマ軍が、司令官の優劣に関わりなく戦力を発揮できるシステムだという事は、
バルタンさん自身も言っていたことのはずですが?
それから、バルタンさん、指揮についてのあなたの意見をそろそろ聞かせて下さい。
一連の議論の中で、あなたはローマ軍は戦闘が始まると司令官の指揮が、
全体に行き届かなくなると言っています。
これに対し、ローマと三国の優劣という意味で述べられているのかと思い、
三国の指揮がローマよりも優れていた証拠を出してくれというと。
あなたは、中国がローマより凄いとは言っていないと答えた。
それでは、凄くないということは、どちらも大した差はないという意味なのかと
思い、それで良いのかと確認すると、
また、「自分はそのようなことを書いたことはない」と言うだけ、
そして直接、指揮についてはどう考えているのですかと聞くと一向に答えてくれない。
そんな面倒な質問じゃないんだから簡単に答えてくれてもいいのではないですか?
こちらの根拠を「詳細な戦闘の記録がないから」の一点でことごとく否定するからには、
なにか興味深い仮説でも用意しているのかと思えば「わからない」か
ローマの戦闘ですら大勢の研究者の努力によって少しずつ明らかにされており、
状況証拠からの推測される部分も少なくないというのに
どうやら君はローマ建国以来の戦闘の正確で詳細な記録が現在まで少しも損なわれずに
ずっと残っていたと思っているらしいな
両者の記録の違いは研究の進度の違いでしかないというのに
最早絶句
指揮については前スレで述べているから読んどいてくれ
君のためにもう一度書く気にはなれん
>>192 > 最早絶句
全く同感。
> こちらの主張は、「三国の軍制はほとんど分かっていない」ということです。
> 即ち、残念ながらローマ側の優位を証明するような推測を、論理的に導き出すこともできません。
これでは自説の優位を示すためではなく、ただ相手を論破することのみを
目的として議論していたことになる。しかも論拠まで示した仮説を「史料
がない」の一言で切り捨てて以後の議論にはその仮説を使うなというのは
なんというか、もう。
>>192 両者の記録の違いが研究の進度の違いでしかなかろうと
現に三国の軍制が分かっていないのは事実、
事実を事実として言っているだけです。
根本的な質問をすると、関係のない話しをして煙に巻き、はっきりと答えないのは
あなたのいつものパターンですね。
195 :
世界@名無史さん:03/02/06 21:54
三国の軍制が諸兵科連合であるって事には同意。
兵馬俑の配置は根拠として十分なものだと考える。
142氏は
>>170で
>思想が存在したということと、軍が実際にそのように機能していたということは、
>別のはなしです。
>当然兵馬俑は理想的な軍の形を示している訳で、
>実際の軍隊が諸兵科連合軍として機能していたかどうかは、あくまでも実際の
>戦例において、検討しなければなりません。
と言っているが、詳細な戦例が無い以上は編成の具体的な例として認めなくてはならないのではないか?
ただ、諸兵科連合である=優位ではないと言うのはバルタン氏も言ってる通りだ。
各兵科を有機的に運用出来なければ諸兵科連合の利点は発揮できない。
編成的には諸兵科連合であったマケドニア軍がローマ軍に敗れたのも、そこに原因の一つがあるだろう。
古代において重装歩兵の横陣が主流であったのは、例え指揮官が凡庸であっても部隊の把握が容易だからである。
フィリッポス2世の改革後のマケドニア軍が諸兵科連合として機能していたのも、フィリッポス自身やアレクサンドロスの能力に負う所が大きかったと考える。
長くなったが要は、「編成の相違については殆ど結論が出てるんだから次に進め」って事だ。
>>193 論破するための議論というなら、正にそのとおりです。
この議論における目的は、バルタンさんが
>>83-85 で示した意見に対して、その中国側の軍制については、
脆弱な推論の上に成り立っているに過ぎないということを証明することです。
197 :
世界@名無史さん:03/02/06 21:57
全否定厨の142は放置ということで。
198 :
世界@名無史さん:03/02/06 21:59
>>195に補足
142氏も認めているが、兵馬俑が理想的な軍の形を示しているのならば、より効果的な軍制として以後の時代にも採用されていた可能性が高いと言う事も考慮するべきだろう。
199 :
世界@名無史さん:03/02/06 22:00
>>196 脆弱だと思ってるのはあんただけだよ。
つーか、あんたって相手を否定するだけで全然自分の意見を言ってないね。
あんたの言ってるローマ軍の利点も結局バルタンの意見そのまんまじゃん。
結局バルタンの主張で自分の好きな部分は肯定するけど嫌いな部分は否定するってことだろ。
>論破するための議論というなら、正にそのとおりです。
あちゃちゃ… それは議論とは言わんよ。議論の為の議論。不毛。
結局オナーニだったのか
>>196 仮説が必要な場所ではそれを立てるのが当然。脆弱であることを
指摘してもより有力な仮説を挙げない限り当該仮説は作業仮説と
してそのまま残る。しかも論拠は挙げてある。
それじゃあ、自分の考えを言わせて貰います。
あらかじめ言っておきますが、実際の戦例がない以上、
バルタンさんよりも有力な説を提示することはできず、
純粋な推論になることをごようしゃください。
三国時代に多くの兵科が存在したことはほぼ間違いなく、それらの兵科が部隊毎に、
運用されていたという証拠もある。
しかし、その運用方法が有機的に結びつき、高度に発達して「諸兵科連合軍」と呼べる
段階に達していた証拠はない。
故に、現段階では、三国の軍は諸兵科が混在した軍隊であったと考えるのが妥当である。
まあ、結局この程度なんですが。
念のためいっときますが、各兵科が部隊ごとに運用されていたからといって、
即「諸兵科連合軍」とはなりません。
例えば、中世ヨーロッパの軍も騎兵、歩兵、弓兵等の部隊毎に運用されていたけど、
それを「諸兵科連合軍」とは言わないでしょ。
もし、部隊毎に運用された軍をイコール「諸兵科連合軍」というなら、
ローマ軍も立派な諸兵科連合軍です。
少なくとも、バルタンさんが、
>>85で結論としていった三国の軍がローマ軍にとって未知の軍である、
ということを証明するには、それが「諸兵科連合軍」であることを証明せざるを得ず、
その為の手段としては実際の戦例を挙げるしかないってことです。
よろしいでしょうか。
203 :
世界@名無史さん:03/02/07 21:24
>>202 ローマ軍にとって「諸兵科連合軍」は未知の敵でも何でも無い筈だが?
>>202の要約
「おまえの論拠つきの仮説よりぼくの脳内妄想のほうが正しい」
相手の挙証責任は追求しておきながら自分は最初から挙証責任を放棄している
痛いローマ厨のいるスレはここですか?
207 :
世界@名無史さん:03/02/07 22:09
>>202 191年の界橋の戦いでの運用等を見ると、少なくとも各兵科の分用及び連動は十分行われていたのではないかと思われます。
袁紹の軍と公孫瓉の軍の間で行われた戦いですが、歩兵の方陣の両翼に騎兵を配置し、所謂「鎚と鉄床」を狙った公孫瓉に対し、袁紹は両翼に石弓兵を配置、集中射撃によって騎兵を潰走させるとともに、方陣に対して「鉄と鉄床」をやり返しています。
208 :
世界@名無史さん:03/02/08 06:46
>>206 なんとか「ローマ厨」という言葉を定着させようと必死だな。
209 :
世界@名無史さん:03/02/08 07:47
でも142は紛れもなく厨
>>207 あ〜ぁ、とうとう「具体的戦例」出ちゃいましたね。
これで総ての論拠が完全に否定されちゃいました。
ご愁傷様
結局85が結論か。
212 :
世界@名無史さん:03/02/08 11:41
恐ろしく不毛で見苦しい議論だったが、
結果的に三国時代の軍隊が諸兵科連合だという仮説が
かなり有力だということが証明された。
が、だからといって三国が有利とは言い切れない。
理由については
>>195さんの書き込み参照。
バルタン氏自身も言ってるが、軍制面では互角ってとこがとりあえずの結論といったところか。
結局
>>85の結論にもどる訳だが、未知の相手ってのには納得してない人もまだいるもよう。
また142が恐ろしく不毛で見苦しい議論をふっかける予感
142、
ひたすら相手の書き込みのアラを探し、それを声高に語ることに血道をあげる。
そのことのみに関しては、成功しつつあったようにも見えるが、
結局自前の知識が全くなく、対案を示せなかったのが致命的。
せいぜい、名無しでいちゃもんをつけてるのが分相応で、
コテハンつけて議論を挑むようなレベルには到底達していなかったってこったな。
まあ、名無しに戻って出直してこいや。
もっとも、名無しになっても、
書き込み読みゃあお前だってことはすぐばれるがな(w
自分から厨房ですって宣言してることすら気づいてないからねえ
仮説を「それは仮説に過ぎない」といくら一所懸命指摘しても
「そうだ」という答しか返ってくるはずがない。本当に不毛
だった。
217 :
世界@名無史さん:03/02/08 19:15
とりありえず、軍制については両者ほぼ互角ということで、
他の観点についてはいかがでしょう。
とりあえず、既出のものとしては、士気と国力がありますが。
士気については、ローマ派がその優越性を盛んに主張し、
根拠もあるように思えるが、実際にはその意見は共和制時代か帝政初期のもの
2〜3世紀については、徴兵忌避の傾向等から考えても士気は低下していたという、
バルタン氏などの三国派のほうが説得力がある。
しかし、だからといって中国有利とは言えない、徴兵忌避の傾向なんて中国じゃあ当たり前だし。
結局これも互角と考えるのが妥当か。(まあ、バルタン氏は引き分けになるという意見らしいから、
彼の意見を採用するとそうなるのは当然だが)
となると、残りは国力だけど、三国の人口減少ってのは結局どうなったんだ?
別スレの情勢でも見てくるか。
あと、他に考慮すべき点は何かあるかな?
218 :
世界@名無史さん:03/02/09 00:41
>>217 国力の点ですが、三国が個々にローマと事を構えるのか、共同でローマに当たるのかによってかなり違ってくると思われ。
個々に当たるのなら、三国中最大の国力を持つ魏でもローマには及ばない。
三国合わせれば対抗は可能だろうが、そこまでの協調性が三国にあるとも考えにくいと思う。
結論として、国力ではローマの方に軍配をあげざるを得ないと思うがどうだろう?
まあ、これも時期によって変わってくる訳だが。
例えば、パルミラとの戦争の時期(AD270)ならば、微妙なところだろうと思う。
219 :
世界@名無史さん:03/02/09 01:36
>国力の点ですが、三国が個々にローマと事を構えるのか、
>共同でローマに当たるのかによってかなり違ってくると思われ。
>個々に当たるのなら、三国中最大の国力を持つ魏でもローマには及ばない。
>三国合わせれば対抗は可能だろうが、そこまでの協調性が三国にあるとも考えにくいと思う。
>>43-44
220 :
世界@名無史さん:03/02/09 01:38
221 :
世界@名無史さん:03/02/09 01:41
団結できないとあれば、ローマは赤子の手をひねるように勝ちそうだぞ。
離間の計とか得意っぽいし各個撃破で一つずつ丹念に潰していくだろう。
222 :
世界@名無史さん:03/02/09 01:48
中国人でもローマ市民権が得られるとなれば裏切りが相次いで三国もろとも瓦解しそうだな。
戦国時代の「秦(=ローマ)vs六国(=魏呉蜀)」が再現されるだけだろう。
帝政ローマの軍事戦略の基本方針は防勢であり、数々の軍事行動も防衛すべき国境域の整理が目的である
もしローマと中国の勢力圏が接していたとしても、ローマが中国に対して版図拡大を目的とした侵略を
行うとは考えにくい
特産品が欲しければ交易で事足りる
当時のローマが最も欲していたのは国境地域の安全保障であって絹ではない
もはやこの時期のローマは、危険な敵を攻め滅ぼしてしまえとは考えないし、それだけの能力もない
もし仮にローマが中国に対して雌雄を決そうとするならば、まずブリテンやガリア、ゲルマン諸族に対して
備える必要があり、それは更なる補助軍の増強を意味する
ローマは中国の豊かな沃野を得る前に破産する可能性が高い
中国のいかなる階層も、ローマの軍事進出を歓迎しないだろう
ローマがダキアに何をやったかを考えれば、
地方の都督や有力者たちは間違いなく降伏を選択したりはしない
しかも、封建化の起こってしない中国ではローマが現地協力者を得る可能性も低い
これと中国の伝統的な焦土作戦が噛み合えば、ローマの侵攻作戦は
容易に攻勢限界点に達する危険性がある
中国人にたいしてローマ市民権を与えることは極めて危険な選択になりうる
まずまちがいなく属州の非ローマ市民は反乱を起こすだろう
ローマの属州でローマ法の庇護の下にいるかいないかにはそれだけの意味がある
属州にはローマ市民権を有さない豪族や有力者は珍しくない
大規模な反乱に発展する危険性は十分あるだろう
補助軍も間違いなく反乱を起こすだろう
補助軍の兵は、25年の年月を生まれ育った場所から遠く辺境に派遣され
軍役に服してやっと市民権を得ることができた
ローマ市民権はそうやすやすと乱発してよいものではない
225 :
世界@名無史さん:03/02/09 04:21
>>223 時代背景的にはそうなんでしょうけど、このスレの前提って「もし戦えば」って事なんですよね?
結局、国境線を固く維持して中国側の国境侵犯を封止することこそ
ローマがとりうる最も論理的な戦略だと考える
同時期の中国にも大規模な遠征を行えるだけの能力はない
唯一の脅威はステップ系騎兵による浸透だが、これも野戦軍との
連携がなされなければ重大な脅威とはなりにくい
せいぜい国境地域で小規模な掠奪が頻発する程度だろう
ただし、被害が蓄積されて問題になれば「ハドリアヌスの壁」式の要塞が
国境域に建設されるかもしれない
>>225 だから戦えば破産する危険性が高いと言ってるのだが
228 :
世界@名無史さん:03/02/09 04:32
だいじょうぶ!ちゅうごくが勝つよ!
諸葛亮孔明(ちりょく100)の人材登用(裏切り含む)!
呂布(ぶりょく100)の一騎打ち(むてき)!
229 :
世界@名無史さん:03/02/09 04:33
>>227 いや、それだと戦い自体起きないでしょ?
230 :
世界@名無史さん:03/02/09 04:34
>>225 時代背景を無視することは、「魏呉蜀が連合してローマに当たる」という荒唐無稽な想定もあり
ということになる
距離的な制約以外の設定は尊重すべきと思うが
232 :
世界@名無史さん:03/02/09 04:37
>>231 んじゃ、中国側も内紛で外征どころじゃない=戦争自体が起こりえないって事でよろしいか?
233 :
世界@名無史さん:03/02/09 04:37
でも、実際異民族が攻め込んできたら、3国が連合することも十分ありえると思うけどね。
ま、呂布(武力100)に一人ずつ相手してもらえば大丈夫だけど
>>232 >>226で
>同時期の中国にも大規模な遠征を行えるだけの能力はない
と言ってますが何か?
235 :
世界@名無史さん:03/02/09 04:41
>>234 確認しただけです。
要は、このスレの想定する状況自体が成立し得ないって事でしょうか?
236 :
世界@名無史さん:03/02/09 04:43
どうもローマ派の皆さんはローマに有利なように有利なように
状況設定しようとしてますな。
三国は協力しないけどローマは時代設定を無視していいとは・・・
>>235 自分の意見は「攻めたほうが負け」
前にも何度か言ってるはずだが?
238 :
世界@名無史さん:03/02/09 04:56
>>233 >でも、実際異民族が攻め込んできたら、3国が連合することも十分ありえると思うけどね。
まずそれはあり得ない・・・
魏も蜀も敵と戦うため異民族をとりこんでるんだから。
239 :
世界@名無史さん:03/02/09 04:59
結局このスレの目的はローマに不利な要素は無視して
中国に不利な要素を強調してローマが中国に気持ちよく
勝つことなのですか?
240 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:00
>>236 なんで?そういうこと言うなら別にローマからは攻め込まないということにしてもいいんですよ。
バルタン氏の言うとおり、中国に攻め込む旨みなんかほとんど無いんだからね。
それでも中国派が「ローマの方が国力が上なんだからローマが攻め込む設定が妥当」
というからそれで承諾してるんじゃないか。
それでローマに有利な方に状況設定しようとしてる、なんて言われたらたまらんよ。
241 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:02
>>239 ローマ側が自分から攻め込むという不利な点で妥協してるのは全く無視ですか?
242 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:04
243 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:04
>>242 すまん。あまりの身勝手な言い分に腹立った。
結局、どう考察すりゃいいのか?
史実と違う設想は距離だけだと思ってた自分は大勘違い野郎?
唐とイスラム帝国が衝突した「タラスの戦い」みたいのを想定したら平等じゃんよ。
カザフステップでの平野戦(ローマVS魏)
タジクあたりでの山岳戦(ローマVS蜀)
インド沿岸での海戦(ローマVS呉)
でもお互いに最前線に到着する頃には部隊が消滅しかかってて・・・
246 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:11
>>244 つ〜か、貴方のようなまともな考察を抜きにして戦えばどうなるかって事じゃないですかね?
結論:設定がリアルだと身も蓋もない話にしかならない。わら。
まともな考察をしなくて何が残るんだ?
いや煽りじゃなくてマジで教えて貰いたいんだが
コーエーのゲームみたいに全てのパラメーターを数値化して比較するとかかな?
249 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:16
では、今後はどう言う方向で進めましょうか?
250 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:17
>>249 三国が攻めて来るという設定で。
譲歩してるのに有利な設定とか言われたらたまんね。
251 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:18
まともな考察は抜きだからネタな考察で逝くか。
252 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:22
ネタな考察なら一騎当千の化け物がぞろぞろいる中国側が圧勝の予感
253 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:23
だーかーらー。
ローマか中国かという単純な二項対立でしか考えられない発想がよくないのだヨ
魏呉蜀に東西ローマで「五国志」ならどれが勝つ?
という五項対立で(ry
255 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:30
じゃあ魏呉蜀がローマに攻め込んでくるという設定でおながいします。
256 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:32
>>255 勝負にもならんと思う。でも一応やってみますか?
到達する前に距離の半分にもいかないうちに有象無象の異民族に殲滅されると思うが。
あ、これはローマが攻めてきた場合にもあんまりかわんないかも知れない。
まともな考察抜きなら孔明は目からビーム出すぞ
259 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:42
で、カエサルが兜を脱いでビームを跳ね返す。
260 :
世界@名無史さん:03/02/09 05:52
ネタ考察なんかいらんよ。
だってあれだろ?前スレの前半みたいに関羽や孔明が必殺技出すとか
くっだらねーこと言ってんだろ?
まああれだろうね。
孔明ビームとかなんとか言ってごまかすのはまともな討論では勝てないってことを
わかってるからだろう。
262 :
(。・_・。):03/02/09 06:58
263 :
世界@名無史さん:03/02/09 08:22
>>244 大勘違い野郎とは言いませんが、スレの目的が「もし戦えば」なんだから、
実際に戦える状態になるまで、設定を変える、あるいは無視する必要はあるのでは?
それが非現実的だからだめだというなら、スレ自体を否定することなり、
なんでこのスレに書き込んでるの?っとことになっちゃいますし。
264 :
世界@名無史さん:03/02/09 09:10
まあ、仮に両者が隣接していたとしても、攻め込まない(攻め込めない)、
仮に攻め込めば、攻め込んだ方が負けるってのは、当然の結論ですな。
でも、その結論ではスレ自体が成り立たないんですよね。
そもそも、両者の国土の広大さを考えれば一方が他方を完全に占領するのは不可能。
仮に戦争になっても、いずれは停戦・講和ということになるでしょう。
とりあえず、この停戦・講和をどちらが有利に結べるか、
即ち戦争を優勢に進められるのはどちらかって観点はどうでしょう。
ちなみに、両者が距離的にすぐ近くにある、あるいは隣接していると仮定しての話です。
あと、両者はともに全戦力を相手に対して向けられると設定してはどうでしょう。
これだけ、都合の良い設定を仮定すればある程度の結論でるのでは?
一応、両者とも戦いを望んでいないから、戦争にはならないって結論は無しにして下さい。
距離的に近ければ、双方が望んでいなくても衝突することになる可能性はあるんだから。
265 :
世界@名無史さん:03/02/09 10:55
まぁカエサルが戦っているところに
ブルータスが裏切ってローマ滅
あと、チョウヒがソウソウと対立して蜀対魏で両軍滅
まぁ血の気の少ないソンケン(こどもの方)がいきのこって
呉軍なにもしないでしょーり(?)
中国側がローマを攻めるためには少なくとも三国が
一つの王朝で統一されてる必要がある罠
でもそれでいいのか?
267 :
世界@名無史さん:03/02/09 11:16
ローマが他国に攻め込める状態ではないといってるのはバルタンで、
スレの結論じゃないだろ?
ローマが隣国に戦争を仕掛けて勝てる状態だって主張はないの?
269 :
世界@名無史さん:03/02/09 11:20
>>267 そうしてしまうと三国は分裂してるからローマ有利という過去の主張が意味を失ってしまう。
270 :
世界@名無史さん:03/02/09 11:38
>>268 ローマは帝政に移行した頃から基本的に専守防衛なんですよね。
ダキアだって拡大主義の結果というより、国境の安定化の為の征服だし。
少なくとの中国全土を占領出来るような状態ではなかったってのには、
私個人としては同意せざるを得ないと思います。
もっとも、国境安定の為に他国に攻め込む事はあったし、(対パルティアなど)
そのような戦争を対三国でやったらどうなるか、ってのを考えたらどうかと思うんですが。
271 :
世界@名無史さん:03/02/09 11:40
>>269 その前に「魏・呉・蜀が〜」じゃ無くなる罠。
まあ、晋書の人口統計が正しければ、それでも同時代のローマより国力は低いわけだが。
272 :
世界@名無史さん:03/02/09 11:46
273 :
世界@名無史さん:03/02/09 11:51
三国時代には1000万以下だったのに280年には1600万か
中国人の繁殖力って凄いな
ついこの間まで、「分割して統治せよ」の外交と寛容な占領地統治と
士気の高いローマ軍の素晴らしい戦術で分裂状態の中国なんて楽勝って
流れだったのに・・・・
>>274 それは厨の意見でしょ?…特に「士気の高いローマ軍の素晴らしい戦術で」辺りが(藁
276 :
世界@名無史さん:03/02/09 12:12
>>275 バルタンが現れるまではその厨な主張が主流だったことは否定できん罠
277 :
世界@名無史さん:03/02/09 12:15
>>276 確かにそうだね。
まあ、ローマ厨三戦厨ともに痛いヤシが多かったけどな(藁
ところで当時の人の体格はどっちが良かったの?
ローマ兵士はゲルマン人に体格については劣等感を抱いていたらしいが。
279 :
世界@名無史さん:03/02/09 12:22
>>278 ポンペイの発掘の結果では、成人男子の平均身長が150cm程度だったみたい。
280 :
世直し一揆:03/02/09 12:23
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけの優しさ・もっともらしさ(偽善)に騙され
るな!)
●とにかく気が小さい(神経質、臆病、二言目には「世間」、了見が狭い)
●他人に異常に干渉し、しかも好戦的・ファイト満々(キモイ、自己中心)
●自尊心が異常に強く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようと
する(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際に
はたいてい、内面的・実質的に負けている)
●本音は、ものすごく幼稚で倫理意識が異常に低い(人にばれさえしなければOK!)
●「常識、常識」と口うるさいが、実はA型の常識はピントがズレまくっている(日本
の常識は世界の非常識)
●権力、強者(警察、暴走族…etc)に弱く、弱者には威張り散らす(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザイ(例え10の長所があってもほめることをせず、たった1つの短所を見つけてはけなす)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格がうっとうしい(根暗)
●単独では何もできない(群れでしか行動できないヘタレ)
●少数派の異質、異文化を排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのパイオニア&天才(陰湿&陰険)
●悪口、陰口が大好き(A型が3人寄れば他人の悪口、裏表が激しい)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(「〜みたい」とよく言う、
世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(同じことを何度
も言ってキモイ)
●表面上意気投合しているようでも、腹は各自バラバラで融通が利かず、頑固(本当は
個性・アク強い)
●人を信じられず、疑い深い(自分自身裏表が激しいため、他人に対してもそう思う)
●自ら好んでストイックな生活をしストレスを溜めておきながら、他人に猛烈に嫉妬
する(不合理な馬鹿)
●執念深く、粘着でしつこい(「一生恨みます」タイプ)
●自分に甘く他人に厳しい(自分のことは棚に上げてまず他人を責める。しかも冷酷)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男
前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
日本陸軍の徴兵検査では5尺が合格基準だったらしいね。
似たようなものか。
282 :
世界@名無史さん:03/02/09 12:25
>>274 総ての面で最盛期のローマを持ってくればそうなるかな?
とは思うけど、現実に2〜3世紀って限定しちゃうとね。
ローマ好きはすぐに最盛期のローマ(それがいつなのかは人によって違うけど)
を思い浮かべちゃうから、
でも冷静に考えればローマも常に完璧に強かった訳ではないってことは理解できるし。
で、今は、それでも総合的な国力なら分裂期の中国なんぞに遅れはとらぬわ!
ってのがローマ派の意見かと。
283 :
世界@名無史さん:03/02/09 12:58
で、結局そういった妄想を剥ぎ取った結果が
>>226か(藁
んじゃ国境紛争で会戦が行われたとしたら?っつー仮定か今は。
何にしても漢か晋が相手の方がほうが色んな意味で分かりやすくて良い気がするな。
285 :
世界@名無史さん:03/02/09 15:47
しかし、このスレもう長いこと三国が勝つという積極的な書き込みないけど、
三国の勝ちはありえない、ってことでいいんですか。
286 :
世界@名無史さん:03/02/09 15:52
恐ろしく不毛で見苦しい142は逃げたの?
つーか、ローマ派は勝ち負けに拘ってその度にバルタンに論破されてるみたいないですけど
>>287 わざわざ、呼び寄せるようなことしないでもいいでしょうに。
厨を叩きたくてしょうがない、って趣味の人ですか?
291 :
世界@名無史さん:03/02/09 16:04
>>290 厨なんて酷いこと言うなよ
ちょっと不毛で見苦しいだけだろ
>ちょっと不毛で見苦しいだけだろ
「かなり」でした
293 :
世界@名無史さん:03/02/09 16:19
>>289 逆に言うと、三国派は根拠をあげて「だから勝てる」という主張をしない。
だから、叩かれもしないってだけでしょ。
ようするに、そういいたかったんです。
>>291 ああゆう見苦し負け方すると、ローマ不利って印象残すから、
ローマ派からも嫌われるんだよね。
まあ、もう来てほしくないですね。
雑談スレより
>75 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/02/20(火) 17:30
>最近の世界史板の住人は人をやたらと小ばかにするやつが多いな
>76 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2001/02/20(火) 20:07
>最近きたから知らないが、過去の世界史板の風習では人を小ばかに
>しなかったのか。
>俺は、俺は、俺はああああぁぁっ、そんな板にマターリと住みタイ。
>78 名前: 【^▽^】酔鯨ジョーカー 投稿日: 2001/02/21(水) 19:31
>>75、76
>それは、ハングル板から集団逃亡して来た厨房ウヨ共が原因です。
「ハングル板」を「三戦板」に「厨房ウヨ」を「三戦厨房」と読替えてみな
295 :
世界@名無史さん:03/02/09 20:59
>>ついこの間まで、「分割して統治せよ」の外交と寛容な占領地統治と
>>士気の高いローマ軍の素晴らしい戦術で分裂状態の中国なんて楽勝って
>>流れだったのに・・・・
ちょ、ちょっと待って。
これで合ってるんじゃないの?
別に厨な意見とは思わんぞ。
それに三国派って自分からは三国が勝つ根拠を全然示さないよな。
ローマ派の挙げた有利点を否定・茶化すのには必死になるけど。
だからこそ不毛不毛と言ってる割には妙に
>>142の話題をしつこく引きずるし、
隙さえあればネタ論議に持っていこうとするんじゃないの?あなたたちは。
296 :
世界@名無史さん:03/02/09 21:01
不毛な論議が嫌なら、もうちょっと建設的な意見を書こうよ。
今の状況設定が不都合なら、もう一回話し合って設定しなおせばいいんだし。
297 :
295=296:03/02/09 21:05
それにローマ厨も三戦厨もどっちもどっち、と主張するのもどうかと思うよ。
漏れは今はローマ派だけど(w、中立でROMしてた頃は
明らかに真面目に論議しようとしてるローマ派を茶化すばっかりの三戦派は
見苦しいと思ったし。三戦派でまともに議論できてたのバルタンだけだったし。
三国派が勝つって言ってないからローマ派の勝ちですか・・・・
不毛ですな
>>295 こいつ等馬鹿だから、何言っても無駄。完全に無視しな。
結局のところ、
61 :水雷太郎 ◆FlbT5W/31s :03/02/03 14:16
軍事板の雑談スレッドにリンクが載っていたので来て見ました。
過去スレ読みました。
地理的にあり得ない話なのでなんとも言えませんが、
私が敬愛する旧日本海軍の『決戦』といった考え方で良いのでしょうか?
それとも戦争とは、両国の国力をかけた消耗といった観点から見れば良いのでしょうか?
結論的には経済力の優劣が全てだと思います。
これが結論として最も適当だろ。
300 :
世界@名無史さん:03/02/09 21:52
>>298 >三国派が勝つって言ってないからローマ派の勝ちですか・・・・
誰もそんなこと言ってないでしょ。
でも、三国が勝つという根拠なり推論なりを述べる人がいないと、
少なくとも三国が勝つ可能性だけ無くなりますよ。
現に今は、引き分けかそれともローマ有利かというところで議論されているんだから、
何か意見があるなら、書き込んだらどうですか?
三つ巴の内戦状態の中国がローマに攻め込めるわけない罠
「分割して統治せよ」は外交じゃなくて属州経営の基本方針
寛容な占領地政策はローマの前科が明らかにされて否定されてるな
士気の高さも否定された
素晴らしい戦術も別に取り立てて素晴らしくはないって話だったな
やっぱ厨な意見だよ、こりゃ(藁
>>301 普通に考えればそうなるんだけど、ここに書きこんでる三戦厨はそれすら
理解できない、可哀想な人たちですから。
中国が内乱状態の時には、西域、チベット、長城以北などの周辺地域を
力で押さえられなくなるからな。とりあえず、三国側から外征して、
長期間そこを維持する事は不可能。
こんなのは統一期の中国と分裂期の中国の版図を比べてみればわかる事なのに、
それすら理解できない。
そして、「外征をしない」という事と「外征をする能力がない」ということ
の区別のもつかず、経済力は軍事力に転化できるという事すら知らない。
こんな連中が大量に世界史板に流入してきたというのは、世界史板にとって
非常に不幸な事だ。正直言って、ウヨサヨ厨よりもうっとおしい。
つーか、三国が攻め込んで勝つなんて誰も言ってないじゃん
落ち着けよ
それこそ孔明が目からビームでも出さなきゃ
三国がローマを征服できるわけないって三戦厨だって理解してるって。
それを、三国側がローマに勝てる根拠を出さないって文句言われたってねえ。
306 :
世界@名無史さん:03/02/09 22:48
つーか、三国が勝つということ自体最近は誰も言っていない。
307 :
世界@名無史さん:03/02/09 23:06
それでは誰も中国か勝つって言ってないのでローマの勝ちでよろしいでつか?
とりあえず、ここに書きこんでる人達は孔明が戦下手だって事ぐらい
は知ってますよね?
まぁ、そのかわり彼は軍政家としては非常に有能だったと思いますが。
309 :
世界@名無史さん:03/02/09 23:23
>>305 そもそも魏呉蜀がローマまで遠征するのも、ローマが魏呉蜀まで遠征するのも
不可能な話。
強いて同条件で魏呉蜀全軍とローマ全軍がぶつかればどうかを考えると数に物
を言わせた魏呉蜀軍が勝つ可能性は否定できまい。
とりあえずルールをもっとちゃんと決めれ。
310 :
世界@名無史さん:03/02/09 23:34
311 :
世界@名無史さん:03/02/09 23:39
>>309 数にものを言わせた?
あなた、レス全然読んでないのね。
312 :
世界@名無史さん:03/02/09 23:41
>強いて同条件で魏呉蜀全軍とローマ全軍がぶつかればどうかを考えると
それこそ不毛で無意味な比較だと思われ
バルタンが距離的な制約を無視して両者の勢力圏が接触しているという設定で
考察してるけど、これで何か問題あるのか?
313 :
世界@名無史さん:03/02/09 23:50
まず木牛流馬に驚いたローマ兵は気絶して全部捕虜になるかあわてて遁走するか
どちらかだ。その後、魏呉蜀連合軍は、籐甲の完全装備でローマ軍の刀や槍を
全て跳ね返す。猛獣をけしかける攻撃に不慣れなローマ軍は、連合軍の攻撃の前に
鎧袖一触で全滅する運命にあるといえよう。
314 :
世界@名無史さん:03/02/09 23:56
さらに城を攻めようとしたローマ兵を絶望の淵に落すのは、最新兵器「連ド」に
よって頭上に降り注ぐ矢の雨あられ。連ドの攻撃の前には、ローマ軍は一つの城も
落すことはできないといえよう。
315 :
世界@名無史さん:03/02/09 23:58
>>313 このタイミングでへたなネタ振ると本物の厨だと思われる危険性がありますよ。
なんだかよく考えてみたらローマとは友好関係にあったんじゃないか。
大秦国王安敦の使者が来訪したって習ったぞ。そもそも戦争など起こらんの
だから杞憂じゃないか?もしかして。
317 :
世界@名無史さん:03/02/10 00:22
318 :
世界@名無史さん:03/02/10 00:34
三戦派は、ローマ派の論の穴をつくことはするが、自ら三国の有利点を
論理展開することはほとんどないな。
これじゃずっと平行線のままでは。不毛な議論が続くだけ。
三国が有利だなんて誰か言ってたっけ?
いもしない敵に勝ち誇る姿は滑稽だな
320 :
世界@名無史さん:03/02/10 00:43
>>319 有利なのを示さないと討論にもならないだろ。
いもしない敵って何わけわかんないこと言ってんだよ。
321 :
世界@名無史さん:03/02/10 00:45
勝ち誇るってるんじゃなくて相手の理論のアラを探すことしかしない態度に
辟易してるだけです。
322 :
世界@名無史さん:03/02/10 00:48
583 名前:世界@名無史さん :03/02/09 19:34
「魏・呉・蜀がローマ帝国と戦ったら?」スレが凄いことになってるな。
三戦厨が「まともな考察するならこのスレに書き込むな」なんて言われてる。
584 名前:世界@名無史さん :03/02/09 19:51
>>583 あのスレの問題点はまともに軍事のシミュレーションができるだけの
知識とスキルを持ってるのが、件の宇宙忍者だけだということだと思
われ。少し交通整理に参加したけど、まったく議論になってない。
結局こういうわけか・・・・
とりあえずここで争点を整理してみようじゃないか!
324 :
世界@名無史さん:03/02/10 00:54
状況の設定も明確にしなきゃな。
ローマが攻め入るのか、三国が攻め入るのか。
距離の事は無視するのか、念頭に入れるのか。
時代設定はどうするか。
三国が連合できてる想定なのか、バラバラなのか。
あのー、分かりやすい例ですが
突厥が世界帝国となる過程で、隣接する北斉、北周、さらに梁(後に陳)って感じに中国は分裂してました
華北の二国は突厥に臣従(北斉は何度か喧嘩売ったりもしたが)、南朝は中立
ローマが中国近くにまで勢力を伸ばしたら、結局こんな感じになるんじゃない?
326 :
世界@名無史さん:03/02/10 01:20
こんな絵空事スレより正史スレもりあげれ。
すべて杞憂です。杞憂。
ローマと中国は友好国。ぜーーーーーーーったいに戦争はしません。
みなさんは心配性。ハゲますよ。
さあ、ごいっしょに、せーの「杞憂ですっ!」
328 :
世界@名無史さん:03/02/10 06:11
いっしょにバルタン星人しませんか?
(V)∧_∧(V)
ヽ(・ω・)ノ フォッフォッフォッ
. / /
ノ ̄ゝ
. (V)∧_∧(V)
ヽ( )ノ フォッフォッフォッフォッ
. / /
.......... ノ ̄ゝ
329 :
世界@名無史さん:03/02/10 07:42
魏・呉・蜀とローマでどちらが「勝つ」かといったら、
どちらも相手を屈服させることは出来ないのでどちらとも言えない。
しかし、どちらが「強い」かと言えば、国力の差でローマの方が上
ってことでいいのではないでしょうか。
実際にローマと三国が隣接していたら、三国がそれぞれローマと友好関係を築こうとして、
ローマに対して連衡すると思います。
もちろん、ローマには三国を征服するつもりはないし、完全に征服することは出来ないだろうから、
深入りはしようとしないでしょうが。
結局勝ったのはバルタンだけか
331 :
世界@名無史さん:03/02/10 13:03
>>330 どうでもいいけどいいかげん自演ウザいっすよ
雰囲気壊さないために黙ってたけど
ついに三国派がバルタンだけだと信じ込み始めた模様
333 :
世界@名無史さん:03/02/10 13:13
戦争しないって言ったらミもフタもねーんじゃねーの?
前スレ1=中国最強はどっちか勝つかって聞いてるわけだし。
まぁ、魏呉蜀がローマを屈服させるのは無理だろうが、
逆はできないこともないんじゃなかろうか。
334 :
世界@名無史さん:03/02/10 13:15
>>332 だってバルタンって見ててバレバレな自演してたんだもん
疑われるような軽率なことするのも悪いよな
335 :
世界@名無史さん:03/02/10 13:19
まぁ、大規模な戦争はあまり起きないとしても、水面下では
熾烈な外交戦が繰り広げられるんだろうな。
魏呉蜀はローマに踊らされるだけだと思う。
それこそ戦国末期の秦対六国みたいに。
336 :
世界@名無史さん:03/02/10 13:22
ローマから遠すぎるので、兵站が持たんよ。やっぱ、戦争自体が起こらない
と考えるのがもっともだ。まるでローマ人を馬鹿にしとるのかと。
337 :
世界@名無史さん:03/02/10 13:24
魏呉蜀のどこがローマと恒常的に手を組むといったら
やっぱり一番弱小の蜀かな。貢税払わされるんだろうな。
338 :
世界@名無史さん:03/02/10 13:26
>>336 距離は想定外だろ?
だからこそ「中国最強!」はありえない仮定を言っとるわけで。
>>334 雑談スレの584ならば俺だぞ。このスレもう末期的だな。
どっちかの勝ちって言ったらローマの勝ちだな。
341 :
世界@名無史さん:03/02/10 13:38
戦ったら?という前提が先にあるので、戦わないという結論は
>>333の言うとおり身も蓋もないのでは。
342 :
世界@名無史さん:03/02/10 13:52
設定が任意だからなあ・・どんな結果を引き出すこともできそうだね。
三戦板とかでやればいいのに。
343 :
世界@名無史さん:03/02/10 14:17
ローマなんか相手にならねえよ。
ハンニバルごときにあんなに手を焼いてるドキュソ国家が何をいきがるか!
344 :
世界@名無史さん:03/02/10 14:20
蜀ごときに手を焼いてる魏もどうかと思うが。
それからドキュソ度なら人攫いをして人口増加を図るような三国には敵うまい・・・
345 :
世界@名無史さん:03/02/10 14:22
所詮三国側は正攻法では勝てないのわかってるから
4流の面白くもない煽りしかできないんだろうなあ。
346 :
世界@名無史さん:03/02/10 14:27
中国にハンニバルが侵入したら絶対短期戦で決着すると思う。
強いものには弱い中国人だし。
異民族に支配されても、野蛮な武力では負けても文化では負けてないとか言って
負け惜しみで満足する中国人だし。
347 :
世界@名無史さん:03/02/10 14:31
>>344 ローマは険の蜀の桟道を越える必要はなかったからな。
348 :
世界@名無史さん:03/02/10 14:36
>>347 ??
それを言うなら文脈からいうとハンニバルと対比すべきでは?
そしてハンニバルはアルプス越えという険を乗り越えてます。
349 :
世界@名無史さん:03/02/10 14:39
>>347 たとえ蜀が天然の要害だろうが
魏と蜀の国力差って10倍以上もあったじゃん。
それでてこずってる魏はやっぱしょぼい。
どうせ孔明が偉大だからとか言うんだろうけど(w
350 :
世界@名無史さん:03/02/10 14:44
ローマの場合、第一次ポエニ戦争の時点ではカルタゴに対して
かなり勢力小さいからね。それで勝って、ハンニバルの第二次でやっと互角くらいか。
351 :
世界@名無史さん:03/02/10 14:56
蜀と呉は魏への対抗上ローマと組むだろう。
ローマも最大の魏を先に倒したいと考えるだろうから、呉蜀とは
とりあえず組んでおこうと考えると思う。
三国同盟締結だな。
352 :
世界@名無史さん:03/02/10 15:03
とりあえず西暦何年にぶつかるとする?
人材、国力ともにずれると大きく変わってくるからまずそこから決めよう。
353 :
世界@名無史さん:03/02/10 15:05
>>352 やな世界だな、おいw
草一本生えない土地に一人置いてけぼりにされた気分だよ。
354 :
世界@名無史さん:03/02/10 15:09
ど う い う 意 味 で つ か ?
355 :
世界@名無史さん:03/02/10 15:14
>>352 じゃあ三国時代初頭で。
その時代ならローマはセウェルス朝時代で5賢帝時代並に安定してるし。
魏も呉も蜀もローマ帝国より先に滅んだんだからローマの勝ち。
滅ばなかったら攻め込んだかもしれないけどその前に滅んじゃったんだから
ローマの勝ち。わーい
>>356 ローマ厨に見せかけた煽り、ご苦労さん。三戦厨くん。
358 :
世界@名無史さん:03/02/10 16:30
>>357 放置が一番いいよ。
気がつかない振りしてバカ丸出しさせとくのが一番面白い。
359 :
世界@名無史さん:03/02/10 17:05
三国派は勝ちには拘らないって言ってるからローマの勝ちってことでいいよね?
はい終了。スレの意味もなくなっちゃった。
勝ちに拘らないのなら何でこのスレに書き込んでたのかわからんな(ワラ
さんざん話を聞いてきたがローマと三国ではローマが有利みたいだな、だがもしローマ軍の相手が全盛期の漢だったら話は変わっているのかな、ローマと漢が戦えばどちらが勝つのかな
まあ矢張りモンゴル騎兵さえ撃退する中国のクロスボウの
集中運用(蜀でさえ10000か)に
弓も無いローマ歩兵や騎兵がこれを使えない雨天以外で
勝てるのかと言う事だろうが
さてここからはローマ対三国ではなく
ローマ帝国VS漢王朝
にしようよこのほうが少しは勝負になるんじゃないの?
ローマと三国の勝負の話ばかりでローマと漢の対決の話は
していなかったね
363 :
世界@名無史さん:03/02/13 00:02
>>362 スレのテーマが「ローマvs三国」じゃないのか?(笑)
魏のクロスボウ兵の数は
蜀との戦力差からして50000以上は
有ったのだろうか
(接近戦に持ち込まれれば歩兵はローマの方が強いかも知れぬが
騎兵に関してはどうだろうか)
某研は、挨拶するときも、疑問系なのだろうか?
こんにちわだろうか?おはようございますだろうか?なのだろうか。
>>363
しばらく新しいスレッド立てられなくて・・・・・
この勝負のほうが面白いだろ?
>>365 ごきげんいかがだろうか?
>>366
君、いたんだね。元気?なんで変なハンドルつけてるの?
さてここからはローマ対三国ではなく
東西ローマ帝国VS三国
にしようよこのほうが少しは変化に富むんじゃないの?
ローマと三国の勝負の話ばかりで東西ローマと三国の対決の話は
していなかったね
369 :
世界@名無史さん:03/02/13 18:39
>>368 だって時代的にまだ東西ローマになってない。
それに東西ローマ時代というともう西ローマはだいぶ弱体化してるし、
分裂してからはどんどんゲルマン人に領土を削り取られていくだけなので
統一政体としては三国と戦ってる暇なんか無い。
なので時代を無視するとしたら、やはりローマVS漢がベストと思われる。
370 :
世界@名無史さん:03/02/13 18:40
では、本スレでの結論は出たと見てよろしいか?
だって時代的にはもう漢帝国ではない。
それに三国時代というともう蜀はだいぶ弱体化してるし、
晋が統一したかと思ったらすぐ五胡にぶんどられていくだけなのだし
あっという間にほろんだ蜀など統一政体としてはローマと戦ってる暇なんか無い。
なので時代を無視するとしたら、やはり東西ローマVS三国がベストと思われる。
つーか時代を無視するならありえない組み合わせはないわけで、ベストも糞もないと思われるが?
373 :
中国最強!!:03/02/15 00:26
だからいいかげんローマ帝国対漢王朝の話をしようよ
両者が対決したらどちらに軍配が上がるかな
374 :
世界@名無史さん:03/02/15 01:42
だからいいかげん東西ローマ対三国の話をしようよ
五国が対決したらどれに軍配が上がるかな
376 :
世界@名無史さん:03/02/15 08:13
377 :
世界@名無史さん:03/02/15 08:26
この2国(実際いくつだろ)が闘うとしたら、場所はどのへんになるんでしょうかね。
シルクロードかなぁ?
>>371=375
なぜ君がそんなにこだわってるのか知らないが、漏れが
「東西ローマVS三国」より「ローマVS漢」の方が良いと思ったのは、
前にも言ったとおり「西ローマ帝国」という代物に不都合があると思うからなんだよ。
分裂して「西ローマ」という帝国ができた当初から、西ローマはゲルマンに対して
必死に抗戦し、そして切り取られていって滅びるだけの歴史だ。
膠着状態が何十年も続いて、妄想の余地がある三国とは違うんだよ。
攻め込んできたフンのようなケースならともかく、わざわざ離れてる中国に手を出す余裕と必然性が全く無いの。
それに時代を無視しないとしたら、東西ローマと三国の抗争なんて元々ありえないよ(w
379 :
世界@名無史さん:03/02/15 17:03
三国時代の英雄や武勇たん、戦の壮大さは構成の人間が捏造したフィクション
ってことに三国マニアはいつ気づくのだろうね。
ギリシャローマの文明と古代中国の文明の差は残された異物を見ても明らか。
文明と野蛮ほどの違いがある。
中国のクロスボウの装填には30秒掛かり
射程が300m程度であるなら
盾を構えて突入して来るローマ兵には2発程度の射撃が
限界であり柵が無い状況ではどの程度阻止可能なのかだが
(騎兵に関しては1回の射撃が限度だろうか)
ローマ兵の盾は大型であるし
2回の射撃では余りダメージを与えられない可能性も
有るだろうか
クロスボウ兵が左右からも攻撃を掛けられれば
盾の有効性も減じるだろうし
亀甲隊形で前進して来たらバリスタやカタパルトで攻撃すれば良いだろうか
じゃあ古代ローマの戦車対古代中国の戦車が戦えばどちらが勝つ?
まあクロスボウで馬を狙撃出来れば
中国側が勝つだろうか
久しぶりにきてみればヲタク丸出しなスレに(泣
このスレは結論が出てもう終わったんです。
387 :
世界@名無史さん:03/02/23 16:55
18インチの主砲で (⌒(( ))
ワシントンを粉砕します 目指せ西暦2041年!帝國の完全勝利!!!! ( ))())))ノ
( (ソ)ノ)((丿) +╋┘〜
( )(ソノ
( ))ノ _0/__ ( 丿
(( )) 艦ト=_ / /)ノ +╋┘〜
((⌒ノ 』橋|l /煙|//( ) __
_ (() -皿日回t7/突|/台- |●|
\  ̄``ー-、.,,______━主 ━主「(ソ)副砲問巛≡三三二「主━ | ̄
 ̄ ̄ ̄ 彡ミミミ〜〜〜  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄7
ミ彡彡~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~""""~~~~~~~~~〜〜彡彡
〜 〜 〜 〜
388 :
世界@名無史さん:03/02/23 22:35
兵法は中国の方が深いぞ。
どう深いのか説明してくれよ。
目からビームは勘弁してくれ。
390 :
世界@名無史さん:03/02/23 23:57
潰し合いしたところでペルシャが双方を制する
----------------------------------------------終了--------------------------------------
391 :
世界@名無史さん:03/02/24 01:37
孫呉のような兵法書がローマにあるか?
三国より500年も前に書かれていたんだぞ。
中国侮るべからず。
でも、三国時代の最高の戦術家が孫呉より上かというと
微妙だがな。
392 :
世界@名無史さん:03/02/24 01:46
>>三国より500年も前に書かれていたんだぞ。
中国は春秋戦国時代がピークで、後はその遺産で食ってるようなもんだから
当然のことです。
>中国は春秋戦国時代がピークで
根拠もなく言い切るね
394 :
世界@名無史さん:03/02/24 04:00
あとは、農民反乱→群雄割拠→朝廷or軍閥の実力者が頃合見て
挙兵→各個撃破、引抜き→新王朝創業 の繰り返し。
兵法書があれば軍隊が強いってのもどうかと思いますが。
とりあえず、三国派の人は、
三国時代は人口の減少期で(十分の一は大げさだとしても)しかも、
三カ国に分裂していたので、結局ローマ有利。
という、一応の結論に対して反論する処から始めて下さい。
396 :
世界@名無史さん:03/02/24 15:21
>>395 戦術書が普及している国の軍隊が強くなるのは当然だろう。
弱卒をいかに生かして戦うかとかは重要な問題だからな。
多彩な計略もローマ相手にかなりの効力発揮するだろうし。
火牛の計とかはローマにも似たようなのがあったか?
397 :
世界@名無史さん:03/02/24 15:25
孫子は具体的な兵法書ではなく精神論だと聞きましたが。
精神論って?
399 :
世界@名無史さん:03/02/24 17:55
孫子は二つあるけど・・・
>>397 「聞きました」じゃなくて自分で読んでみれば?
全然説得力ないぞ。
401 :
世界@名無史さん:03/02/24 18:20
「魏・呉・蜀がローマ帝国と戦ったら?」の結論は引き分けじゃなかったっけ?
いつからローマ勝利って結論になったの?
402 :
世界@名無史さん:03/02/24 18:26
いつ引き分けになったんだよ。
三国厨ってまじで往生際悪いな。
403 :
bloom:03/02/24 18:27
>>401 確かに、当初のローマ圧勝という意見に対して、反論が行われ、
「それほど圧倒的ではない、むしろほぼ互角」という流れになりましたが、
人口が減少していた上に分裂状態だった、という不利を覆すような意見は現れず、
結局ローマ有利という結論だったと思います。
他が互角なら、国力差が勝敗を決しますからね。
>>396 あのさ、「アレキサンダー大王の兵法書」が無かったからって、
マケドニア軍が弱かったってことにはならないでしょ?
軍事技術は別に「兵法書」という形式をとらなんでも発展するのよ。
406 :
世界@名無史さん:03/02/24 19:22
何度も言われてるが、前漢時代ならまだしも
三国時代では逆立ちしてもローマと張り合うのは無理
407 :
世界@名無史さん:03/02/24 19:32
ローマと蜀では勝負にならんと思うが
三国連合軍ならそこそこ戦えると思うぞ。
408 :
世界@名無史さん:03/02/24 20:09
で、ローマはどうやって勝つの?
人口が多いから一人一人相討ちしていけば勝てるなんて言わないよね。
409 :
世界@名無史さん:03/02/24 20:19
>>407 三国連合軍なら余計あっけなさそう。
足並み揃わないだろうし。
>>409 当然足並みもばっちり揃うと仮定するんでしょう。
そうしないと、連合したらと仮定する意味ないし、
そこまで仮定すればいい勝負になるかな?とは思います。
412 :
世界@名無史さん:03/02/24 20:35
>>410 ローマは他国に攻め込めるような状態ではないというレスもありますが?
>>412 三国もね。
要するに三国側は、最終的には人口と分裂状態という不利をどう解決するか
ってのが問題になるんです。
一応古代においては、人口が=国力、軍事力になるって事は理解してますよね?
もっとも、
仮に人口がいくら多くても、分裂して内乱していたりするとその限りではありませんがね。
414 :
世界@名無史さん:03/02/24 20:52
>>413 三国派は三国の不利な点は無視してローマのことは徹底的にあげつらうだけだから
言っても無駄
結局ローマも中国も相手を攻められないなら引き分けじゃん
>>415 それも既出ですが、
それでも、無理矢理戦ったことにしたらどうなるかってのがこのスレなので・・・
まあ、距離を無視してローマと三国が隣接していたらと仮定すれば、
小競り合いの後、ローマ有利のうちに三国がそれぞれローマと外交関係を結んで、
連衡するような事になると思います。
これも既出ですが。
417 :
世界@名無史さん:03/02/24 23:37
>>391 誰も突っ込まないけど「孫呉」じゃなくて「孫武」だよな?
こうしてループする訳か…どっちの厨も結局ウザイだけだな。
>>417 たぶんですね、
「孫呉」ってのは孫子と呉子(孫武と呉起)のことだと思うんですが。
419 :
世界@名無史さん:03/02/24 23:52
>>418 成る程、孫子と呉子の兵法書の事ね。
孫武一人の事だと思ってたよ…。
逝ってきます。
420 :
世界@名無史さん:03/02/25 01:17
念のためですが、
ローマの兵法書の代表的なものを挙げておきます。
Flavius Vegetius Renatusの『Epitoma Rei Militaris』
話の参考にはなるでしょうね。
421 :
世界@名無史さん:03/03/01 21:17
三国志ネタかどーかは知らんが、今日某雑誌で連弩を見た。春秋戦国の頃の奴。
これまでは連弩って単に矢をまとめて数十本ぶちかます原始的な代物と思っていたがびっくり。レバーを往復させるだけで自動的に射撃し、二の矢を装填してくれるオートマチックなクロスボウで驚いたんだが。
どーしてあれ、普及しなかったんだろ? あるいは何故後の東アジアのメーンウェポンにならなかったんだろ。凄い不思議なんだけど。
誰か解説して。ありゃパッと見中世ヨーロッパの戦術を一変させたロングボウの連射性能なんて目じゃないぞ。
>>419 実は孫武は架空の人物で、「孫子」は孫臏(そんひん)であるという説もあります。
ちなみに司馬遷の『史記』列伝では孫臏は孫武の子孫ということになっています。
>>422 最近は、孫子は孫臏が作ったという説が結構強くなってるみたいだね。
いずれにせよ、中国においては
今においても代表的と思われる兵法書を挙げただけでも
『孫子』『呉子』『戦国策』(外交書?)『六韜』(謀略書)…
三国志で「軍師」と呼ばれる人物においては常識だったかもしれません。
あくまで憶測ですが…
>>422 >>423 私が聞いた話しでは、
昔は「孫子」は孫臏が作ったという説が有力だったが、
「孫子兵法」と別に「孫臏兵法」という名がともに記載された文献が発見されて、
孫子兵法とは別に孫臏兵法があった→やはり孫臏とは別に「孫子」がいた、
という説が有力になったとのことですが。
>>425 孫武八十二篇に対して孫臏八十九篇の兵法書があるというのが『史記』の記述です。
で、現在一般に言われている『孫子』は十三篇。
つまりその発見された『孫臏』兵法書が『孫子』と別のものであるのか、
あるいは89マイナス13=残りの七十六篇なのかどうか?
ということだと思います。
念のため言っておきますが、
孫武が仕えた呉も、孫臏が仕えた斉も地域の有力国になっただけで
中国統一すら出来ていません。
呉に至っては一代で滅ぼされているし、
「軍師」ってのを過剰に期待しない方がいいですよ。
428 :
世界@名無史さん:03/03/01 22:07
>>422-423 「孫子」とは別に「孫臏兵法」が漢代の墓から発見されています。
その内容は「孫子」の内容とは被っていなかった為、現在では「孫武」と「孫臏」とは別の人物という事になっているようです。
1972年4月山東省臨沂県の銀雀山の前漢古墓より
「孫ビン兵法」の竹簡が発見。
今、世間に伝わる「孫子」は後漢末に曹操が注を付け、
序文をつけた13篇のものが元。
司馬遷は「孫子」13篇と明記。(漢書芸文志では82篇)
ということで孫武のものと、孫ビンのものは別だという
説が今では中心では?
そう言えば、昔見た人形劇三国志で曹操の書いた孫子の注釈書、ホウトウ(?)か誰かがこき下ろしてたなァ。
曹操を悪役にするのはいいが、歴史上の人物を正当に評価しないのはどーだろーと、後で思った記憶が……。
431 :
世界@名無史さん:03/03/01 23:25
曹操が注をつけたのは孫武の物という事だね?
>427
>呉に至っては一代で滅ぼされているし、
去斉−寿夢−諸樊
−餘祭
−句餘−闔廬−夫差
−僚
孫武が仕えたとされているのは闔廬。
呉は次の代の夫差で越に滅ぼされている。
ちなみに闔廬の中心的幕僚は伍子胥。
夫差の代に伍子胥は主君に自殺させられている。
>430
横山三国志では張松だったと思う。
>431
孫武作と伝えられているものでいいと思う。
これ以上孫子にこだわっていてもアレなので
ここで退場します。
>>432 そうですか、孫武が仕えたのは闔廬でしたか。
孫武が仕えてから二代で滅びたってことですね。
それから確か、闔廬って戦で大敗して戦死してましたよね。
>>434 傷がもとで死んだのは間違いないんだがね。負けては無いね。
ところで、スレ違いだねこの話題。
>>435 負けてない?
そりゃあ何を基準に勝ち負けを決めるかは微妙だけど・・・・
437 :
世界@名無史さん:03/03/03 21:29
「臥薪嘗胆」
(^^)
兵の質ならローマ、数なら中国だな
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
444 :
世界@名無史さん:03/05/28 17:07
445 :
世界@名無史さん:03/05/28 20:20
生きてる時代は違うけど孔明VSシーザ−を見てみたい
449 :
世界@名無史さん:03/06/13 12:28
>>448 カエサルなんて孔明の策略にはまって地中海で溺れ死ぬのがオチ!
450 :
世界@名無史さん:03/06/13 13:17
孔明のほうが優れているな。
演義厨は史書を読むように!
諸葛亮は名宰相! 名将ではありません。
つうか実際に二人が遭遇したら、劉備からカエサルに寝返るんじゃないの?
452 :
世界@名無史さん:03/06/15 14:39
孔明は泣いてカエサルを切るだろうな
>>451 比較することの馬鹿らしさから演義を引用してちゃかしているのだと思う。
それとカエサルに実際あったらの話しだが、これも馬鹿らしい。
454 :
世界@名無史さん:03/07/13 23:29
お初。三国(魏呉蜀)が連合できる確率はきわめて低い。その時点でこのテーマ自体が不成立に思えるが…
中国をローマと戦わせるには宗教持ち込むしかないでしょう。道教信仰を中国全土で広め、為政者がそれを利用する形を取れば、兵役を課すローマの兵に比べ、士気は高く数も圧倒的なものになるだろう。
しかし、装備の面では今までも議論されているようにローマのほうが圧倒的である。中国では兵数確保を優先すれば一部正規軍を除いて刀一本あればよいという風になることが十分予測できる。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。
457 :
世界@名無史さん:03/07/20 17:32
ローマは時代時代により登場人物が違うので、能力値化してみてはどうでしょう。
コンモズス(180〜192)
統率55 いまいち
戦闘84 戦闘は強そう。董卓並か?
知力32 だめだめ
政治11 呂布並み
魅力70 血統的魅力はある
セプティミウス=セヴェルス(193〜211)
統率95 競合的を破りローマを統一。
曹操ほどのインパクトはないが同時代人としてはかなり強いのではないか。
戦闘92 戦闘は強そう
知力72 コンモズスやユリアヌスよりはるかに強いが、後継者選びで失敗。
政治80 この時代のローマで殺されなかった皇帝は50年後までない。
すごいといえばすごいがローマを再建するまでいたらず並といったところ。
魅力91 結果だけ見ればニゲルよりは上?
>456
殺すぞお前。
こんだけあっちこっちで晒されてると
>>456の原文を書いたやつがいっそかわいそうだ
全盛期のローマが、全盛期の魏・呉・蜀と戦ったら……。
【ローマ】 トライアヌス帝政権 パルティア戦役直前 総兵力34万人
【魏】 曹操政権 赤壁の戦い直前 総兵力実数20万人
【呉】 孫権政権 赤壁の戦い直後 総兵力実数6万人?
【蜀】 劉備政権 夷陵の戦い直前 総兵力実数15万人(!)
…個々に戦ったら、鎧袖一触なんでしょうね。三国が完全な連携を取ったとして、互角な勝負になるかどうか。
人材的にも、多方面から人材を集める最盛期ローマと戦ったら、三国時代の中国といえど持たないでしょう。
しかし、同時代のローマと三国がそれぞれ争ったら。
ローマは統一されているだけに、上層部の退嬰は戦力減衰に直結します。
例えば208年以降あたりで比べれば、三国時代中国にも勝ちの目がありそうです。
(三国志では一番面白い時代ですね)
セプティミウス・セヴェルス帝は、戦略と政治に難があった人物で、人材粛清などで政治を混乱させています。
その後を継いだカラカラ帝では、とても非常時に適切な指揮は執れなかったでしょう。
戦略的思考の有無が勝敗を分ける形になるでしょう。三国が上手く連携を執れるかどうか?
三国志知らねぇヤツが適当な数値持ち出すなよ。
蜀が夷陵の役で15万? 笑わせるなよ?
三国圧勝だな
>>461 蜀を手に入れ漢中を制圧した時点での漢中の蜀軍が約10万だそうです。
その他に蜀本国内の守備隊、荊州の守備隊が居て、遊軍が2万。
「確定した数で」15万人前後はあったと考えられています。
幾度も戦争をしている割に、この数字には変動が無いらしく、諸葛亮の時代にはそのままだったようです
(当時の蜀の戸数は25万あたり、人口約90万。この国力で実数15万人の兵力維持は奇跡的。
諸葛亮ほか行政官の天才振りを示す数字です)
なお諸葛亮の没後、軍人で逃亡するものが多く、兵力が12万人まで減少したと言われています。
明確な記載がされていた時代の三国の兵力と戸数・人口は以下のとおりだそうです。
【魏】 A.D.263 66万戸 443万人 (正史には兵力記載無し。恐らく44万人近辺という研究があるみたいです)
【呉】 A.D.280 52万戸 230万人 兵力23万人(多分誇張であろうとの現代研究家の注釈あり)
【蜀】 A.D.263 28万戸 94万人 兵力10万人(12万人との異説もあり)
出典……『中国歴代戸口、田地、田賦統計』上海人民出版社 1980上海 梁方仲編
魏の戸口の実数はもっと多いでしょ?
おおよそ、夷陵の役で劉備が動員した兵力は三〜五万というのが定説だと思うが。
あと、書いてみたら長たらしくなったので端的に言うが、首都でない漢中で10万の動因は不可能。
続漢志によると、漢中郡口数26万。そのうえ、劉備が漢中を奪った際には、曹操が多数の領民を移民させていた。
>>464 至極単純に計ると、おおよそ3倍弱かな。
晋書他を単純に計算してみると、旧魏領には1200万余りが住んでいたことになる。
梁方仲という方がどういう考えで上の数値を算出したのかは、残念ながら私には判らないけれど。
>>465 屯田方式で駐屯させていたのではないか、と自分は推測します。
人口が激減した地域に兵士を駐屯させる方法として、当時多用されていたようですから。
(呉と魏の前線である長江流域で、全く同じようなケースがあります。魏は住民移動を頻繁にしていたようです)
「ど」が付く素人ですか?
20万余りの郡(都市ではない)に、10万もの兵=男を駐屯させておくはずがないですよ。
王平伝のように、「三万に満たない守備兵」なら分かりますけどね。
治安やセックス面などの問題からして、有り得る話ではないんですよ。
あと、上で書いたとおり、漢中は「首都でない」のです。
首都の駐屯兵がそれ以上だと仮定すると、おかしな噺になるのは分かりますか?
しかも、他にも蜀には要害が幾つかあるんですよ。
漢中だけにそんな大兵力を置いておくなんて、不条理極まりないはず。
>>468 ご指摘、ありがとうございました。
民生面で完全に無理があるのですね。
ということは、自分が見た蜀兵の文献内数字は、曹操と漢中を係争中だった頃の兵数だったのでしょうか?
セプティミウス・セヴェルス帝以降のローマと、三国史時代の中国。
戦術的な兵士運用の実態を見るに、どちらが上だったのでしょうね……?
最盛期だったらいざ知らず、当時のローマは「三世紀の危機」時代に差し掛かった、衰退期のローマですし。
特に魏の騎兵に数的面で対応できない可能性が……。
こちらこそ、きつい語気になってしまい失礼しました。
あぁいった通り一辺倒なデータは惑わすだけになりかねない、と思いまして。
確かに、諸葛亮集での「20万」、王崇が言った「姜維の兵力10万」、
果ては「諸葛亮が8万で司馬懿が30万」など、破天荒な数値もあるにはあります。
ですが、信頼できる数値は、概ね数万〜五万でしょう。
前述の王平の「三万に満たない」に加え、袁子や張儼の「(諸葛亮の兵力)数万」、
同じく「五万に満たない」、劉備が魯肅と対峙した「五万」、姜維の「数万」など。
これらに戸籍の数値を踏まえて考えると、やはりこちらが妥当なんです。
当時の通信とか流通とかで、ローマ+中国の版図を統治する事は可能なのだろうか。
472 :
世界@名無史さん:03/10/17 12:36
>>471 無理だろう。
古代の大帝国は当時の交通通信手段で支配可能な限界まで征服したのだ。
475 :
世界@名無史さん:03/11/01 00:52
そもそも水戦?陸戦?タラス河畔?
平地で 双方の全軍隊が真正面からしばきあったとして、
数の多い魏蜀呉が勝つと桃割れるが・・・。
ローマも騎兵中心じゃないだろ?中国も騎兵中心じゃないよな。
>>476 実際全軍団でやったら当時の通信手段でそんなん指揮出来る人間なぞいない
それはローマも中国も同じ
結局どっちもほとんど突撃だと思う
それだとどっちが勝つだろう・・・?
中国側は大将級やられたら当時はその部隊の兵士は敗走確実だけど
ローマ側は圧倒的に数で負けてるし
やってみないとわからんかな
素人の俺からみたら6:4で中国有利かな
圧倒的に数で負けてる?中国有利?
今までの議論が全く無駄になってるだろw
同じ兵数で人種的なもんも考えて
平地戦なら騎馬、弓では中国、
歩兵ならローマで6:4で中国
海戦ならほとんど互角でしょう。
山岳戦になるとゲリラ戦が重要なので
兵糧や体力の関係で、
中国の圧倒的有利だと思われるが。
海戦なら互角!?
河川や湖沼ならともかく、外洋で戦ったことなんか中国はないだろう・・・
中国は無闇な突撃は避けて火で焼き払う濁流で押し流す岩で押しつぶす
地の利をいかして兵力削いだり分散した後各個撃破するもんだと思ってたが違うのか?
そもそも国力の差で勝敗が決まるんなら
ベトナム戦争で結局勝てなかったアメリカの立場ないねw
さて、塩婆の本も軍人皇帝時代に入り、三国時代と同時期になってきたな。
483 :
世界@名無史さん:03/12/25 16:21
age
>>478 中国は職業軍人など殆どいない訳だろう
皆農兵ばかり
いざとなった時に民衆からの徴兵について強制力が強い中国が兵数で言えば圧倒的だと思うのだが
いやまあ数揃えるだけなら、ね
三国時代で言えば、農民を徴兵した兵はあまりいなかったと思われます。
ある意味職業軍人ばっか。
兵士の子も強制的に兵士になる「兵戸」。
あるいは軍閥や豪族みたいな連中が流民なんかを私兵として養う。
それか匈奴や烏丸、山越のような異民族を軍に編入。
実際に王朝の側で動員できる数は漢の全盛期なんかと比べたら随分少ないはず。
流民が豪族に取り込まれたりしてるから。
呉は違うぞ!
488 :
世界@名無史さん:04/01/08 02:55
476年西ローマは滅びたが魏・蜀・呉はすべてあぼんされた後だよね。
力道山がボブ・サップと戦ったら?
489 :
世界@名無史さん:04/01/08 07:55
力道山は朝鮮人でした
490 :
世界@名無史さん:04/02/10 23:22
ローマの重装歩兵部隊にボコボコにされるのがオチでしょ
>>490 正面からまともにぶち当たる必要ないのに?
正面決戦に応じない相手を決戦せざるを得ない状況に引きずりこむのがローマの怖さ・・・
ローマ騎兵がまず誘い出されて中国弩兵に殲滅され、
返す刀で中国騎兵と歩兵の連携で重装歩兵を撃破され終了。
万一敗北しても中国側には一年以上篭城できる城塞が数多く存在するので無問題。
494 :
世界@名無史さん:04/02/14 13:51
とネタを投下しつつ上げて見る。というかローマ最強厨うざい
まぁ、シナ最強厨もうざいが。
496 :
世界@名無史さん:04/03/20 21:01
呉の水軍とローマ海軍の対決はどうだろう?
497 :
世界@名無史さん:04/03/20 21:44
まぁ、シナなんて死語をことさらに使う慎太郎厨もうざいが。
>497
シナじいさんも知らんモグリは巣に帰れ
三戦板でやれよ。って・・・まぁ、春休みだし、春厨の時期か
500 :
世界@名無史さん:04/03/25 22:05
春だ満開500ゲット
501 :
世界@名無史さん:04/03/26 13:11
>>421 なんのことはない。
威力がないんだよ。毒矢だったら効果はあると云うが・・・。
それにカタログどおりとゆうわけにはいかない。
502 :
世界@名無史さん:04/03/27 01:58
漢人の戦争で毒矢はなぜか廃れてしまったな。なんでだろう。
鴆がいなくなってしまったから、と言ってみる
そもそもチンなんかいねえし。
505 :
世界@名無史さん:04/04/16 20:17
否、国家なり
506 :
世界@名無史さん:04/04/17 20:38
ローマ軍はタクラマカン砂漠で補給が途絶え壊滅、
またはステップ地帯で遊牧民騎兵に殲滅される。
もし、距離を無視して中国〜ローマが近接していたとしたら、
戦国時代に8雄の1国として興隆するも、
最終的には秦に滅ぼされている。
507 :
世界@名無史さん:04/04/17 22:07
白起に抗殺される40万のローマ兵萌え
508 :
世界@名無史さん:04/04/18 03:26
両勢力の各兵種における個人装備を比較すると
どちらが実戦向け?
両国とも戦争で疲弊した所に
五胡が進入
510 :
世界@名無史さん:04/04/18 04:00
三国じゃあ最盛期のローマにゃ勝てんでしょ。
最盛期ではないだろう…
それより、七国vsアレクサンドロス大王が戦ったほうが面白そう。
512 :
世界@名無史さん:04/04/18 04:31
アウレリアヌスなら三国など相手にしないに違いない
513 :
世界@名無史さん:04/04/18 05:55
伊勢丹新宿本店婦人服売り場の真能英子さん、かわいい
514 :
世界@名無史さん:04/05/04 01:02
>>512 アウレリアヌス(270-75)の時代は2国だ
515 :
世界@名無史さん:04/05/05 19:28
菊義かな戦法
馬を泥沼へ持ってきて馬坊柵で連ド
もしかしたら戦車も復活かも
516 :
世界@名無史さん:04/05/05 19:34
日本は一億 火の玉で国民皆兵だった。
史上最強の国家。
国民皆兵でない米に負けたじゃん
ハンニバル10万で三国を落とせるかを議論しよう
519 :
世界@名無史さん:04/05/09 16:28
カルタゴ圧勝
正面から落とせなければ謀略と外交手段で落とせばいい
どうしても駄目だったら核をつかえばい
523 :
世界@名無史さん:04/05/11 22:34
孔明レーザーで撃墜
524 :
世界@名無史さん:04/05/12 13:58
孔明レーザーは対空無理
少なくとも北方異民族(遊牧騎馬民族)を抱えているという背景がある以上、三国が同盟を結んで攻め寄せるにしても
守るにしても不利な状況なのは間違いない。まずはローマという脅威より北方異民族平定(或いは全面講和)を図る
方向に目がいくだろうな。味方につけて機動力を持つ遊牧騎馬軍をローマの後方撹乱に回せれば有利に転じるが。
526 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :04/05/13 23:53
今そうてんこうろという漫画を読んでいる僕としてはカエサルが出てこない限り曹操がいたら中国強いんじゃない?
正史三国志は面白いね。曹操の奇策、天才振りには本当にあきれ返る。あれは戦争の大天才だ。アレクサンドロスなら曹操に勝てるだろうか?
まんがの見過ぎには注意しましょう
曹操なんかコルブロで十二分。
戦争の大天才ってのはスキピオとかハンニバルを言うのだ。
・・・でもカエサルを西陵で戦わせて見たり、アレシアで陸抗がウェルチンゲトリクスを包囲し
たりする所は見てみたいような・・・
529 :
世界@名無史さん:04/05/19 15:56
で、ハンニバル10万で三国落とせるのか
ハンニバルに攻城戦部隊がいたらローマは占領されていた。
まずホームかアウェイかの設定をはっきりしろ
アウェイだろ
533 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :04/05/19 20:09
>>528 そんなことないよ。曹操のほうがすごいよ。官途の戦いなんてすごいじゃん。あの人はほかの戦争でも500人で1万人に勝ってるんだよ。
534 :
世界@名無史さん:04/05/19 20:14
中国人は昔も今も数ばっか。
都市国家からがんばったローマにかてるはずがない。
曹操なんてポンペイウス一人で十分。
535 :
世界@名無史さん:04/05/19 21:11
>>533 "めでたい数字"が出たら割り算をすることぐらい知っとけ、馬鹿
>>534 ポンペイウスにご足労願うとはもったいない・・・
デキウス・ブルータスやマルクス・アントニウスで充分じゃないか、と
538 :
ひかる ◆bodgOoQOHA :04/05/19 22:47
めでだい数字?なんのことだ?
馬鹿とはなんだ、死ね。
ハンニバル10万、諸葛亮の火計で敗退
540 :
世界@名無史さん:04/05/22 16:51
んなこたない
541 :
世界@名無史さん:04/05/22 19:39
日本は一億 火の玉で国民皆兵だった。
史上最強の国家。
不實.....
まぁ何にせよ、カクがついた側が勝つわけだが。
543 :
世界@名無史さん:04/05/22 19:40
>>534 いやいや、世界最強の戦闘軍団『イタリア軍』で充分ですよ。勿論武装は時代に合わせてだが。
544 :
世界@名無史さん:04/05/22 19:44
西涼鐵騎.天下無雙
545 :
世界@名無史さん:04/05/22 19:45
魏=ローマ帝国>呉=蜀
不等号厨にも困ったもんだ。
三国と帝政ローマじゃお話にすらならん、漢(武帝の頃とか)クラスじゃない
と相手にならんよ。
あと
>>545よ、呉=蜀はありえねぇ。蜀を三つ集めたくらいで呉と同レベル。
国力は魏が7か6、呉が3、蜀が1といったところ。
548 :
世界@名無史さん:04/05/24 14:57
で、ハンニバル10万で三国は落ちないと
落ちないとは思う。連戦連勝だとしても。
ハンニバルが行くんだったら案外、始皇帝死後の秦末漢初くらいのほうが
落とせるかも。中枢・主要軍叩いて終われるし。
うん、厄介な相手ではあるけど、野戦で勝利しつづけるだけで降伏するような
相手は劉禅くらいしか思いつかん。
陸遜級の名将ならハンニバルを破るかもしれん。
普通の名将でも10年も戦い続けてればスキピオのように学習して反撃できると
思う。
ローマの本当の怖さは兵站。
551 :
世界@名無史さん:04/06/23 14:14
552 :
世界@名無史さん:04/06/23 15:03
ハンニバル10万でいけると思うよ。
問題は戦う場所と、買った暁にどこを手中に収められるかということ。
関中(当時よう州)以西と漢中、益州(だっけ?)を手に入れるようであれば
その後の長期戦いもうまくいくだろうて。
ハンニバルが現地の傭兵、異民族、通訳、知識人をどれだけ味方に抱え込めるかにもかかっているな。
拠点と併せて数が揃えば後継者争いに乗じた内応、勝つだけ勝っての一時停戦、降伏勧告等外交戦も挑めるだろう。
554 :
世界@名無史さん:04/06/27 22:47
それに、ハンニバルは若くてタフで長命で兵糧管理も神なので
時間までたっぷりあるのが大きいはず。
>>550 >ローマの本当の怖さは兵站。
兵站というと、外征能力に聞こえるなあ。
それなら、前漢武帝や蜀漢もそうとうなもの。
ローマの本当の怖さは、異常な打たれ強さだと思う。
・整備された法制度と伝統による、政権の揺ぎ無き正当性
・市民の愛国心と(根拠がわからない)使命感
・マニュアル化・平均化された軍団運用
などなど。
異民族に一負けでギブアップする
ヘタレ漢民族にカルタゴとやりあう根気はねーよ
一敗、一城陥落でピーピー言って命乞いして献上品がオチだ
557 :
世界@名無史さん:04/06/30 13:23
曹操は世界有数の天才ですが何か?
558 :
世界@名無史さん:04/06/30 14:18
ローマはノゲイラの打たれ強さ・スタミナ・寝技と
ヒョードルの攻撃力・機転を合わせ持っている
559 :
世界@名無史さん:04/06/30 14:23
魏=7 呉=3 蜀=1としたらローマ=20くらいだろう
参考:漢全盛期=17〜8 パルティア=13
カルタゴ=6(同時期のローマ=7)
560 :
世界@名無史さん:04/06/30 14:32
いや、やはりパルティア=11〜2 ササン・ペルシャ=14
こんなところだな、うん
人口十分の一になった三国に、漢の半分も脅威があるとは思えんが。
魏=3 呉=1 蜀=0.5 こんな所だろう。
562 :
世界@名無史さん:04/06/30 16:48
10分の1ってのは戸籍上の数字に過ぎないだろ。
いや、戸籍把握能力というのは国がどれだけの人間を実効統制できてるかという事で、
国力を語るのにはそれで問題ないのかもしれないが。
563 :
世界@名無史さん:04/07/03 02:30
魏=5 呉=2 蜀=1
564 :
世界@名無史さん:04/07/03 04:29
個人的に、ローマ軍=ローマ市民としての誇りの強さという印象がある。
三国時代の中国の兵卒なんてそこらからの寄せ集めでいくら鍛えても限界がある。
市民兵の強さはペルシア戦争でもアレクサンダーの東征でも立証されてるし。
>ローマ軍=ローマ市民
帝政ローマ軍の半数以上は非ローマ市民ですが何か?
>市民兵の強さはペルシア戦争でもアレクサンダーの東征でも
ペルシア戦争のギリシア兵の主力は富裕自作農、
東征時のマケドニア軍の主力は傭兵ですが何か?
そもそも市民兵がヘタレな事例だって腐るほどありますが何か?
566 :
世界@名無史さん:04/07/03 07:07
というか三国時代のローマは自由民全員がローマ市民になってなかったか?
もっともだからこそ市民としての誇りなんて毛ほどもなかっただろうが。
あとペルシャ戦争時のギリシャ軍は市民軍以外の何者でもないな、
戦争で戦う者=市民なんだから。
>戦争で戦う者=市民
それでは戦場には市民以外は存在しないことにならないか?
ローマ自由民すなわちローマ市民ではない
ローマ市民はあくまで市民権を与えられた者に限定される
そして、ローマの支配地の自由民全てが市民権を与えられていたわけではない
ペルシア戦争期のギリシア軍の中核をなしていた重装歩兵は装備を自弁可能な自作農に限られている
装備を揃えるだけの財力の無い者は軽装歩兵として臨時徴募された傭兵とともに補助的な任務に
つくのがせいぜいだった
重装歩兵として従軍できる者は市民の中でもごく限られた富裕な者だけであり、
選挙権を持っていたのもこうした重装歩兵として参加可能な一部富裕市民だけだった
重装歩兵として従軍することは義務というよりも権利や社会的ステイタスであり、
市民なら望めば誰でもなれるようなものではなかった
この点で、古代ギリシアの重装歩兵は市民兵とは明らかに異なる
社会階層的観点から言えば、古代ギリシアの重装歩兵は市民兵というより後の封建騎士に近い
>>568 少なくともギリシャ側の正規軍で兵士として戦う者は例外なく市民権所有者だよ、
>>569によると市民なら誰でもなれたわけではないようだが、
もっとも傭兵とかもいなかったわけではないと思うし、
時代によってその割合も大分違うと思うけど。
>>569 君主との契約に従ってい戦うか、市民の自覚に従って戦うかという違いがあるわな、
多分、母集団への帰属意識はギリシャ市民兵の方が圧倒的に高かったと思う、
無論これも時代によるだろうが。
>>569 財力のステータスシンボルだったのだろうか。
たしかに家長とその叔父、長男たちは騎兵、次男たちは重装歩兵、
市街の農地に住む男たちは軽装歩兵となって、
市街を練り歩きながら整然と出陣していくさまを想像すると、
思わず尊敬してしまいそうだ。
>>571 騎兵は基本的に正規軍にはいないはず、
自力で騎兵を輩出できるような貴族階層を廃し、
重装備くらいなら自力で用意することが出来、
重装歩兵にならなれるクラスの市民が中心になっていたのがギリシャ社会だから、
無論そうは言っても貧富の差は生まれてくるから、
そうならないような、またそれを是正するような政策がとられていたわけだが。
>>572 そうか。
私の中にあるギリシアは貴族の居た頃のイメージか…。
ご教授感謝。
この中では曹操が突出した才能の持ち主だと思うが
曹操ねえ。中国史レベルでは「非常の人超世の傑」といっても
おかしくはないが、世界史レベルになるとそんなに凄いかと
思うなあ。国内統一に失敗、後継者選択で迷走、豪族は無力化できず、
異民族は懐柔、劉備にすら負けているのでは、
世界史的に突出した能力の持ち主とは
到底言えないだろう。まあ、曹操の征服領域はナポレオンに匹敵することは
事実では有るんだが、そこまで凄いかと言われると、
形容に苦しむなあ。そんなに凄い英雄の作った国がすごい短い国だというのも
わからんな。
漏れ、曹操好きだけどね。世界史レベルで凄いのは唐の太宗とかだろうと
思うが。
世界史レベルで見たら、曹操は内乱のドサクサに紛れて権力を握っただけ。
実際に他国を征服した訳じゃない。
577 :
世界@名無史さん:04/07/30 22:50
あげ
578 :
世界@名無史さん:04/07/30 22:52
まぁ、曹操の編集した孫子をナポレオンは読んだんだろ
ヴィルヘルム2世は孫子読んでたら第一次大戦始めなかったのに、と言ったとか。
580 :
世界@名無史さん:04/07/31 18:40
曹操は編纂者だから本当に凄いのは孫子って事だな。
>>575 軍人・政治家・文化人・一英雄としての個人的な才能だけだったら、世界史範囲で考えてもハイクラスだろう(○番目と書く自信は無い・・・)
「歴史上の記事と論断はあてにならない。信じられないところが多い。
某朝の年代が長ければそのなかには善人が多く、短ければたいてい善人はいない。
年代が長ければ歴史を書くものは同朝人で、当然同朝の人物に迎合する。
歴史が短かければ歴史を書くものは別朝人で、自由にその異朝人を悪く言える。
魏の曹操の時代は極めて短いので悪く言われること多いが、
実は曹操は一個手腕力量のある人物で私は彼に感服している。」
と、魯迅が仰っていますが何か?
>>582 魯迅のいうことはもっともだが、なぜわざわざ魯迅がそこまで言わなければならなかったかというと、
当時は曹操といえば演義で出てくる極悪人のイメージが一般的であったからであり、その再評価が必要だったから。
現代の、しかもこの板にくるような人だったら、曹操をそのような基準で見ることはないかと。
ていうかこのスレとまったく関連性が無いぞ
>>573 それでもユスティニアヌスに軍事的才能をプラスした程度には評価できると思う。
さすがに世界史最高レベルとはいかないだろうが。
曹操を評する時、確かに中国を統一できなかったのはマイナス点だと思う、
しかし、中国は統一されて当たり前とは必ずしもいえないのではないだろうか、
例えばローマ帝国崩壊後の欧州のようにばらばらになってしまう可能性が、
漢崩壊後の中国にはあったと思う、その中で再統一への道筋を作ったのはたいしたものではないだろうか。
個人的には自身で中国統一を果たしていればユリウス・カエサルクラス、
残念ながらここぞという戦いで破れ統一できなかったので、そこから軍事的才能を若干マイナス、
くらいに評価してよいと思う。
条件がまったく違う場所で活躍した者同士を比べようとするのは厨のやることだ。
>>586 ここぞという戦いで勝てないから三流なんじゃないのかね?
>>588 軍事面のみはね、
三流というかまあ一流ではない。
590 :
世界@名無史さん:04/08/14 02:04
まあローマ>三国
>>587 禿同。
カエサルが官渡で勝てるとは限らない
曹操の軍事的才能は実戦指揮や作戦立案のような将軍、参謀の才能ではなく
軍政のほうにこそあると思うのだが。
593 :
世界@名無史さん:04/08/19 01:16
三国が共同したとしても、ローマには勝てんのは当たり前やけど、ローマが
侵入してきたとしても、魏に勝利することは不可能だろな。
おそらく、甘粛郡からの侵入と想定して、(当時は甘粛郡はないか隴西郡?)
河西回廊あたり大軍では辛いとおもうで。魏はかなり有利な状況。
>592 曹操の軍政はホントすばらしい。そういうのも当時の曹操の配下の文官は有能な
人が揃っていたからなぁ。
>>593 今までの軍政と比較してどの辺がどうすばらしいのか
論理的且つ分かりやすく説明してくれないか?
595 :
世界@名無史さん:04/08/26 23:18
それまでに中国では例のなかった。屯田制からはじまる富国強兵対策。
当時の地方豪族は特に軍事費と兵糧にとても困っていたんです。袁家の
軍隊でさえ兵糧に困っているくらいです。そこで、屯田制は兵糧確保、
兵站の安定化、軍屯として平時に兵士を働かせることができた利点などが
あります。これは民政としてですが、荒廃した地方農村をすばやく復興
させたというのもあります。
このようなことを他の地域でやられていたかもしれませんが、中国で支配地域
全体で行ったことはかなり画期的だと思います。
む、俺は各軍司令官の適材適所ぶりについてだと思っていたが。
そもそも、なんで大乱の後でズタボロの三国と
衰退期に入ってヘロヘロのローマが戦わなきゃイカンのだ、 ア ホ か !
それにローマ「帝国」とはいっても周王朝の強化版程度でしょ‥
官僚も出来たばかり、属州も非効率な封建体制
前後漢の時代なら相手にもならんね。
598 :
世界@名無史さん:04/10/09 22:54:30
言うに事欠いて封建体制ときたか・・・・。
仮にも文明の原型を作った古代帝国つかまえて
どっちがレベル低いとか高いとか・・・アフォですか
宗教家の本を色々読んで曹操・曹不・曹植の詩の才能は誉めてました。
中でも曹操が一番賛美されてました。
彼は文人でありますが、軍人とは言い難い。
総力戦になればやはり君主が戦地に出向き陣頭指揮を取り采配するのがベスト。
兵士の士気は高まり、緊張感がでますが、
しかし曹操はあまり采配がうまいように思えないのが難点。
601 :
世界@名無史さん:04/10/12 18:54:45
ローマ≧漢>>三国>>>魏>>越えられない壁>>呉>>蜀
だろうな
>>597 ワラタ
ここは無知なインターネッツですね
あれ、このスレ何ヶ月ぶりだろ
目からビィムで凍るスレだったよね
秦でさえ、全土統一できたのに
ローマで漢代に整備された中国を制圧できないわけないだろw
これ、次スレいくようなことがあったら
「五胡とゲルマン諸民族が戦ったら? 3回戦」
とかなるの?
やっぱり細かい設定しないで決まるはずないわな
ローマは中国遠征中に本国で反乱が起こるのは間違いない
よって制圧むりぽ
609 :
世界@名無史さん:04/11/06 23:51:05
遠征なんか考えなくていんでねえの。
メソポタミアあたりの位置に中国大陸がくっついてる地理状況で考えようぜ。
カスピ海だのアラビア砂漠だのササン朝ペルシアだのあぼんで。
610 :
世界@名無史さん:04/11/07 01:46:14
地理的条件を外したら、もう漢軍だかローマ軍だかワカラナイ。。。
地理考えに入れたら話しにならないじゃん。
仮にもこのスレに書き込むならその程度脳内補完しろと。
612 :
山野野衾 ◆a/lHDs2vKA :04/11/16 20:43:34
英雄大戦・曹操・ハンニバル
で検索すれば・・・。
機械でも使ってるんじゃないかというくらい早いですからね。シリーズ三作目
(我が目を疑いましたよ)が出た四ヵ月後ですし。
3世紀初頭はローマは軍人皇帝時代で政情が不安定なので
ローマ敗北
>>575 曹操は支配者として死んだが
ナポレオンは…
魏呉蜀に政情が安定した時期なんてあったか?
まったくだ。三国分立自体が「中華」の感覚からしたら不安定その
ものに他ならない。
619 :
世界@名無史さん:04/11/26 18:47:57
>>615 しかし軍人皇帝時代でさえパルティアの首都を破壊したり
反乱起こしたパルミラやガリア帝国を完膚なきまでにボコったローマなら
魏呉蜀なんてどうにもなりそうだ・・・
620 :
世界@名無史さん:04/11/27 12:21:55
腕力ではローマだが、戦略では中国にかなわないだろう。なにせローマはハンニ
バル一人に四苦八苦したわけだが、おそらく、諸葛亮 >>> 司馬仲達 > ハンニバ
ルだろうから
621 :
世界@名無史さん:04/11/27 12:36:49
どこでもドアで両軍はタラス河畔の大会戦キボンヌ
とりあえず、ハンニバルの位置はさておくとしても、諸葛亮>>>司馬懿は
なにかに影響されすぎなんじゃないか。現実は全く逆としても
俺は全く驚かないが。
>>620 むしろ逆じゃね?
頭(兵站・戦略)でゲルマン人などとの腕力差を埋めるローマと、腕力(人海戦術)に物を言わして強引に西域や満州などを占領する感のある中国と
624 :
世界@名無史さん:04/11/27 19:45:09
>>622 なんで? 帝位の簒奪を、死の床の劉備に見透かされて、その上で子の劉禅が無能
だったら劉禅を殺して帝となってもよいと告げられたときの諸葛亮の心情や察す
るに余りある。その罪滅ぼしに、出師の表まで出して玉砕覚悟で司馬懿と戦った
のに、司馬懿の方は負けてばかり。もちろん司馬懿はのちの晋の祖となるだけあ
って知略縦横の大人物だが、諸葛亮とはちょっと格がちがう
負けてばかりって・・・・
司馬懿が全勝しているわけですが。
>>620 諸葛亮の戦略で特筆するようなのってあったっけ?
無難な策ばっかだし
むしろ司馬懿のが決断も早いし勝ってるかと
ハンニバルをその二人と比べるのはナンセンスじゃない?
今日の特集番組で確信した
三国時代の中国ではローマ文明には勝てない
ローマは内部ガタガタだったからな・・・
三国がしっかり連合すればいい線いくと思う
>>628 >しっかり連合すれば
それが出来ないのが中国の伝統だろうが。アホか?
>>628 んなこといったら中国はがたがたどころか分裂していたわけだが。
>>630 まずそれ以前に、遠交近攻って言葉知ってるか?
ローマは庶民までもが娯楽に興じ、文明を享受できてたんだな。
中国、というかローマ以外の前近代国家はほとんどそうだが国=支配者層だけのものってかんじだな
634 :
世界@名無史さん:04/11/28 09:05:57
まあ、ローマは民心を繋ぎ止めるために、公共事業に精をだしたからな。ヨー
ロッパからみたら、中国の王はひとしなみにメロヴィング朝の王のように“な
んにもしない王”とみなされるだろう
>>634 公共事業に精をだした中華の王はいるじゃないか。煬帝とか煬帝とか煬帝とか。
>>635 いわれて見れば確かにそうだ。
規模が半端じゃないがな
637 :
世界@名無史さん:04/11/28 17:53:58
>>635 >公共事業に精をだした中華の王はいるじゃないか。煬帝とか煬帝とか煬帝とか。
公共事業に精をだして民心の離反をまねいた王はいるじゃないか。煬帝とか煬帝とか煬帝とか。
>626
その司馬懿も曹真の敷いた長期持久で国力対消滅で蜀を削り殺すという戦略
の基本線を守っただけでして。まあああいう地味な戦略を頑として実行でき
るというだけでも充分大したもんだが。
ポエニ戦争ネタなら「ぐず」ファビウスっぽい話か?少しだけ。
>635
始皇帝だってローマ街道並みの規格の道路を敷いてみたり度量衡を整えたり
「公共事業」をガンガンやりましたがすっころびましたなそういえば。
「政治」が士大夫階級の独占的使用物である方がかえってうまく逝くのかも
しれんな。かの国は。
639 :
世界@名無史さん:04/11/29 11:42:02
だけど、孔明って、弱みをみせたり隙をみせたりして敵が挑発に乗ったところを
叩くっていう戦法が多くて、ちょっとえげつないよな。まあ、軍師だからといっ
てしまえばそれまでだが。。。対司馬懿戦でも、敵の鼻先で兵に畑をたがやさせてみ
せたり、司馬懿に簪を送って、女々しいぞと挑発したり。それでも司馬懿が挑発
に乗ってこなかったのは、過去に余程煮え湯を飲まされたせいだろう。その証拠
に、孔明の死を確認したあと、ここぞとばかりに退却する蜀軍を深追いしたが、
孔明の遺策で伏兵に包囲され、ほうほうの態で敗走して“死せる孔明、生ける仲
達を走らす”と物笑いの種になった
つか、演義は偉大だとつくづく再認識
黄巾の乱前の後漢とローマ帝国だったらいい勝負かもしれないが
(それでもローマの方が国力ありそうだけど)
内乱でぐだぐだの三国とローマ帝国だったら、正直話しにならないだろ。
しかしほんと三国志演義の影響力は凄い。
>>639 生きている人間の計略ならまだしも。
死人が相手ではこの儂でもどうしようもない
演義の話してるのは多分一人だけだろう。
644 :
世界@名無史さん:04/11/29 21:06:48
>>641 後漢は多少馬力が弱い気がしないでもないなあ。
武帝時代のガチガチな前漢ならローマとやりあえるかもなあ。
645 :
世界@名無史さん:04/11/29 23:51:56
ローマの軍制は近代のそれにかなり近いものがある。
叩き潰すだけでいいならローマの勝ち。
646 :
代官山人 ◆HU7XfvOYA2 :04/11/30 01:32:51
騎馬の戦いなら、中国が勝つよ
兵器でも勝っている
.ィ/~~~' 、
、_/ /  ̄`ヽ} 他板で迷惑かけてるんじゃないわよ
,》@ i(从_从)) さあ帰るわよシナ留
||ヽ|| ゚ -゚ノ| || ペチッ
|| ({ミノ⊂彡☆))Д´)←
>>646 ≦ ノ,ノハヽ、≧
テ ` -tッァ-' テ
>>1 カエサルが中国戦記を書いて「四國志」が分かりやすい文体になります。
おめーらよー
孔明様はビームとか出すんだぜ?
ローマが勝てるわけねーじゃん。
>>650 ハチドリの姿をした戦士の魂が相手を呪い殺す。
烈海王>最大トーナメントその他ヨーロッパ勢から
魏呉蜀>ローマ帝国はもはや明白
私は 一向に構わん!
貴様らは中国武術を嘗めた!!!
653 :
世界@名無史さん:04/12/28 00:48:02
ローマに懐柔されなかった国が先に滅ぶ。
戦争なんかやってみなきゃわからない。
開戦前に誰が日露の結果を予想したか?
>>654 フランス軍のブリュネ陸軍少将。
みんなが日本は絶対負けると言ってる中、
一人日本の勝ちを予想した男。
この男には熱い過去が(ry
656 :
茶系:04/12/28 19:29:08
ドイツのメッケルって奴も日本勝利と予想したらしい
児玉を『天才』と言い、彼がいるかぎり日本が勝つと言ったとか
657 :
世界@名無史さん:04/12/28 19:36:52
まあローマ軍の圧勝でしょうな。
文明の発達の格が違う。
だって当時のローマの水道橋とか巨大な円形闘技場とか全部あの時代のものだよ。
658 :
世界@名無史さん:04/12/28 19:40:34
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
/ \
/ ヽ
l::::::::: / \ |
|:::::::::: (●) (●) |
|::::::::::::::::: \___/ |
ヽ:::::::::::::::::::. \/ ノ もう時代は変わったんですよ
⊂二 ̄⌒\ /⌒ ̄二⊃
)\ ヽ / /(
/__ ) ( __\
//// / \ \\\ヽ
//// \\ヽ ヽヽ
///(/ \)ヽヽ ヽ
((/ \))
>>656 そりゃ、欧州に帰ってから珍しく教え子を褒めた手前・・・だけでもないか(笑)。
まあ、関羽・張飛を前面に押し出せば
ローマ人は「なんだ!あの化け物はぁ!!」とびビルだろう。
そこで、諸葛の計略で、谷間に押し込めて火計で
ローマ軍10万人全滅。ってな感じじゃない?
ローマ=突撃バカ
>>660 平地なら散々言われてる事だが、(ハンニバルとの戦いの後の)ローマ有利だな。
兵力と兵の体力が同等なら。
>>660 突っ込むところが多すぎるがとりあえず、
「演義厨必死だな。」
さすがにネタだろ。
664 :
世界@名無史さん:05/01/09 17:06:35
保守
>>660 キミおもしろいね。どこの事務所所属?
うちの事務所こない?スターの素質あるよ。
>>662 的確な指摘ですね。
ローマが中国と隣り合っていたとして考えたら
ローマは魏と結ぶだろう
呉もローマと結ぶだろう
蜀はローマに喰われるだろう
秦の統一よろしく各個撃破されて終わりだな。
中国人弱すぎ
ローマに勝てるわけがない
668 :
(-_-):05/02/09 22:43:05 0
そうですね。
確かにローマ文明は別格。
前近代の国では数少ない「知性」がほとばしっている。
まあ中華文明もがんばってるとは思うが弱体化してる三国時代だとローマには勝てなそう。
670 :
世界@名無史さん:05/02/13 18:00:57 0
でもいうほどたいしたことないよ。
モンゴル帝国のほうが強い
三世紀の両国を戦わせる時点で何かが間違っている気が・・・
ローマは皇帝は捕まるし、ガリアは独立するし、軍団は弱体化してるし死に掛け。
魏は魏で、皇室と司馬氏の権力闘争で安定してないし、士太夫が文人化している。
対決するならトラヤヌス時代のローマと武帝期の漢じゃない?
カエサルと霍去病どっちが上かってのも面白そうだな
673 :
世界@名無史さん:05/02/13 21:38:35 0
りょふつっこませれば勝てるだろ。
674 :
世界@名無史さん:05/02/17 19:09:40 0
ローマ程度ならかこうえんでもいい。
武力90あればいけそうなんだけどね
李典あたりでもおk
いやいや曹ひょ(略
677 :
世界@名無史さん:05/03/05 14:02:37 0
ヌミディア騎兵に対抗して匈奴軍を送り込んだらどうだろ?
当時の中国なんて兵糧なくて、そこらの村から人攫って来て食料にしてたんだぞ。
しかも道路も整備されてないから、せっかく調達した物資も前線に送るのに一苦労。
後漢末の戦い見てみ。かなりの割合で、兵站の確保が出来なくて戦線が崩壊してる。
戦う以前の問題だって。
679 :
世界@名無史さん:05/03/09 03:47:56 O
>>378 三国志8やってみたけど、余裕だった
兵糧きらす奴は馬鹿
681 :
世界@名無史さん:05/03/12 12:27:29 0
兵士自体が兵糧に早変わりという罠(((ガクブル)))
モンゴル人に衣服として使われ性欲処理に使われ最後に食料にされる羊と同じくらい
使い勝手いいじゃん
683 :
世界@名無史さん:05/03/19 02:41:41 0
中国は1年くらい陣地に篭るとか平気でやるからローマのほうが飽きて撤退
するだけのような。。
684 :
世界@名無史さん:05/03/19 02:55:11 0
英雄が敗れ死に絶えた晋以後の歴史と、
それ以前は全く別の民族ですので悪しからず。
685 :
世界@名無史さん:05/03/19 04:13:12 O
うわぁ 裸寒中ってすげぇな
後漢>>>三国>>>>>匈奴>フン>>>>>>>>>ゴート>>>>>>>>>>>>>>>>>ローマ
正直、演義廚いる限りこのスレがまともに論議できる事なし。
ただ俺的には中世以前の戦いは兵士の士気とか統率制のが重要だと
思うから、中国その他のアジア系の民族もローマ相手に結構やるのでは
ないかと思ってる。
>>687 士気の問題をいえば、大将がやられると瓦解することが多い中国の方がもろくないかな。
統率性でも訓練されたローマ兵は、体が小さいというハンディキャップをものともせず、
ガリア兵やゲルマン兵にも勝って来たんだし。
装備面、兵站面でも、ローマの方に歩がないかな?
> 中国その他のアジア系の民族もローマ相手に結構やるのではないか
結構やるだけなら、ガリアもブリタニアもダキアも結構やったと思う。
689 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 01:15:03 0
特に本拠地から遠ざかった遠征で差が出そうだね。
690 :
世界@名無史さん:2005/04/15(金) 01:29:43 0
ローマと唐なら結構互角そうだけどな。
漢がたいした事なかったんだよ。
量の中国連合軍と質のローマ軍団の戦いだな。
とりあえず、ローマ帝国側は・・・
・主力
ローマ軍団:6000名前後
重装歩兵(十個大隊):5,280名
騎兵隊:120名
技術隊:60?名
他に事務・軍医・参謀を完備
機械化も当時の水準で言えばかなりのもの。
ローマ軍団はつるはしで勝つといわれていたから、ほぼ全軍団兵が工兵並の水準をもつ。
国内での移動・補給・連絡は有名なローマ街道を使用。
なお、精鋭とされたドナウ=ライン戦線とブリタニア属州の兵士の練度は毎度のゲルマン人の侵攻で保障済み
補助兵部隊(属州民):4500〜6000名(騎兵多数)
総合計25〜30個軍団:30万人前後が常備兵力
いざとなればこれにローマ市民約500万人、属州民6000万人前後が後方支援及び戦力増強に使える。
国境線は伝統的に大河や山岳、砂漠地帯である上にローマ軍団の基地が連なっている為、鉄壁。
中国側は?
曹操軍100万+αと、それを撃退できる他二国
三国時代の中国は人口の大激減時でそれほど「量」は動員できないわけだが。
何回目の既出だ?
>>692 長期戦になったら自滅しね、その兵力だと?
2000年も前の軍隊が、兵制、軍装、軍団数など細部にわたって
資料から捕捉できるという時点で、ローマ軍の機能性・合理性が
窺われる。
中国側の場合、その辺の要素が資料から不明確だし、
そもそも三国時代の各国に定まった軍備があったのか怪しい。
比較は不可能だろ。
696 :
世界@名無史さん:2005/05/01(日) 02:40:08 0
同時代のヨーロッパにはまだ鐙がなかったんでしたっけ?
697 :
世界@名無史さん:2005/05/01(日) 13:37:47 O
中国にもないと思われ
698 :
世界@名無史さん:2005/05/07(土) 23:56:52 0
っていうかどこで戦うかが重要だと思われ
兵站を制した者が勝つのではないか
699 :
世界@名無史さん:2005/05/14(土) 11:34:50 0
>>695 資料が残ってるかどうかはその後の戦乱で散逸したかどうかだろ。
秦の始皇帝の兵馬俑からすれば、軍装の統一はされてると思うが。
後漢の黄巾の乱以後の混乱を考えればどうなんだろうな。
>>687 有り得ない事を比較するわけだから、演義厨とあんまり大差は無いけどな。
ヌミディア遠征だって兵站に苦労して結局は撤退してるわけで。
では、こちらも演義厨に対抗して。
ヌミディア遠征に失敗したのはザファル先生がいたからです。決して
ローマ軍の能力が劣っていたからではありません。
ヌミディアから撤退?
いつの話?
どのような条件で戦うかで結果なんてぜんぜん違うのに何でこんな議論してるの?
とはいえスレの流れを見るとほとんどの場合ローマ有利って感じだから、
別にいいんじゃね。三国びいきな人には納得いかんだろうけども。
705 :
世界@名無史さん:2005/07/08(金) 01:44:18 0
あげ
帝政ローマ軍なんざ、弩をそろえた射撃部隊と充実した騎馬隊を揃えた三国連合軍に蹴散らされて終わりだろ。
相手がスキピオでもカエサルでも同じ事。
条件とか国力とかくだらないことを言うから白けるんだろ。
条件は、
・お互いに同数の兵力(10万人対10万人程度?)
・見晴らしの良い充分な広さのある草原、
・5月の晴天の午後1時、
・食糧・水・兵器の補給は無限。
・伏兵なし罠なし
のガチンコで勝負したらどうなるか、ってことだろ。
709 :
世界@名無史さん:2005/07/24(日) 17:27:49 0
↑
条件云々言うのは時間の無駄だから、
上記の条件下での両者の優劣をきぼんぬ
弓の射程が長い方が有利
騎馬がいる方が有利
集団戦闘に慣れている方が有利
防具の質の良い方が有利
個人の戦闘能力が・・・・・
としか言いようがない。
>>710 つまり三国連合の圧勝ということでいいですね?
今日このスレを見つけた通りすがりなんだけど、
直接戦った事がある訳でもないなら判定は難しいんじゃないのか?
きょうど←(何故か変換出来ない)とフン族が同じ部族らしいが、中国とローマ帝国が
戦った相手で一致する?のはそれくらいで、両方とも騎馬民族に押されたって事が
多少判断材料になるのかもしれんけど・・
713 :
世界@名無史さん:2005/08/25(木) 17:36:45 0
807 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2005/06/30(木) 20:02:39
>>801 最大の戦術単位である軍団の長で、短期の戦略的な判断も求められるからそのくらいだろ。
三国の軍団長が世界史上最高の武将の集まりとか思ってるの?
810 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2005/06/30(木) 20:16:59
>>807 実績を見ればそう考えざるをえませんが?
一軍団長である、張コウは、楚漢時代の韓信と称えられていましたし。
正直、三国時代は張コウクラスの人物はまだまだいました。
つまるところ、韓信クラスの人物、いやそれ以上の人物が大勢いたということです。
中華を三分するという遠大な計略をたてた諸葛亮。
ローマ・マケドニア、欧州史上匹敵する人物はいましょうか?
いるなら教えていただきたい。
てか、天下三分の計のどこが遠大な計略なのかという気もする。
balance of powerのような外交戦略はどこもやっているし、
最後に残った空白地域を奪ったことを正当化するための
後付けエピソードに見えてしまう。