952 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/15 01:08
>951
家康と三成は同列には論じられないでしょう。魅力は味方(主に家臣)の目
から見たものでしょうが、嫌われていたのも確かなのではありませんか。
>>952 文治派と武断派の対立は、立場の違いによる対立であったと思います。
三成が武断派に嫌われたのは、対立派閥の中心人物であったからであり、
人格的な理由は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の類の後付けだったのではないでしょうか?
家臣や友人の多くが関が原で死ぬまで戦い続けたことを思えば、
カリスマでは無いにせよ、十分に個人的な魅力を備えた人物であったとは思います。
身内であろうと、平凡な人間のために死ぬまで戦うなんてことは、ほとんどありませんからね。
武士は主君に殉じるものであるという観念の薄い時代ですから。
954 :
世界@名無史さん:03/02/15 02:03
>>949 息子は方向が違うだけで、無能という訳ではないと思うのだが。
>山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM
おまえは第二の「ど」の字か?
正直インフレ数値ですぎ。
足利義満なんて、正気の沙汰とは思えない。
ここは世界史板ですよ?
>955
「ど」の字たんは極めて適確であったと思うが。
949の足利義満の数値は確かに高いが、しかしそう大騒ぎしなさんな。
つーか、正しい日本語を学んでくれ。
>>955 >ここは世界史板ですよ?
つっこむ場所が違う気がするが。俺なら「納得できる論拠を示せ」
かね。90以上与える場合は(そして、納得できない人が多いだろうと予測される場合は)
そう判断するまでに至った理由(文献+主観)がほしいところ。
別に世の一般的評価が低いからってそれに迎合する必要はないと思う。
新鮮な意見が多いのがこのスレの良いところだと思うし。
>>949に苦言を呈すと、
>【統率】90(失敗らしい失敗が思い当たらない。しいて言うなら息子の教育か。)
これとか凄さが全然伝わらなくて説得力に欠ける。
>>957 まあ同意。ただ世界史板ってのはやっぱ日本史限定と世界史でやれば
数値が違ってくるということを言ってるのだと思う。漏れもそう思う。
正直、足利義満であんな数字でるんなら100超えるやつがいくらでもいるんと違う?
世界史的に比べるつもりがないんならやっぱ日本史板でやったら?
能力値のインフレが話題になっていますが、ならばインフレにふさわしい人物をネットで捜してみました。
西洋や日本は既出ですので、少々マイナーなところから
(日本史ネタも好きですが、まあ世界史板ですので・・・話は折りたくないのでsage)
アクバル大帝
インド・ムガール帝国第3代皇帝(1542〜1605、位1556〜1605)
イスラム教徒の父の急死によって14歳で即位。
即位当時は豪族(ヒム・・・デリー付近を支配)の反乱やペルシア軍の侵入など、領内は混乱しており、
その鎮圧が初仕事となる。
ヒムは商人カースト出身ながら22回もの戦で負け知らずという猛将で、即位時も1,500頭もの
戦象部隊を率いていた。大帝は苦戦しながらもこれに勝利、北インドの支配権を確立した。
さらにアフガニスタンのカーブルやデカン高原に兵を進めて支配領域を拡大し、
ムガール帝国はアクバル大帝の時に最盛期を迎える。
内治について、豪族・貴族らを政府官僚へ吸収して整備された官僚制を構築。
全国を州・県・郡に分けて中央から官吏を派遣して統治させた。
なお、彼らには土地を与えず、国庫から給料を支給して封建領主化を防いでいる。
また全国の耕地を測量させて面積に応じて課税し、良質の銀貨を鋳造して貨幣を統一して財政の確立に努めた。
文化にも深い理解と造詣を示し、彼の保護の下、独特のムガール文化が発達した。
インドといえば激しい宗教対立だが、大帝はイスラム教徒とヒンドゥー教徒との融和をはかり、
ヒンドゥー教徒(ラージプート族)の王女を王妃に迎え、ヒンドゥー教徒に対する差別待遇を廃止、
差別的待遇の象徴とも言えるジズヤ(人頭税)を廃止した。
と、ここまではいいのだが、理想主義の大帝は両教徒のさらなる融和を目指すべく、
皇帝を神として、イスラムとヒンドゥーを融合した新宗教(ディーネ=イラーヒー)を創設する。
・・・人民の心理にも伝統にも基礎を持たない人為的な宗教が受け入れられる訳がなく、彼の死後、急速に廃れた。
融和のための新宗教とはいえ、人民からみれば異教の押しつけにすぎなかった訳である。
【統率】92:(まとまりが悪いインドを一時的にせよ統一している、神レベルとしたい)
【武力】81:(その人生は戦争の連続でもあった、インド帝国最大の版図を得ている)
【知力】85:(政治改革を成し遂げる構想力と実行力、宗教勢力を抑える説得力を裏付ける知力はあったと思われる、
しかし新宗教の失敗でわかるように、いささか理想に傾倒していたのかも)
【政治】94(官僚制構築、検地、貨幣統一、宗教紛争の沈静化など、インド史上における功績は数知れない、
ジズヤ廃止という大減税をおこなったにもかかわらず、国家財政は豊かであった)
【魅力】70(「大帝」の名前にふさわしい数値にしたかったが、やはり宗教関係の失敗が・・・・、理想主義者は敵も多い)
961 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/15 10:33
石田三成の場合、知力や統率力が高ければ日和見や裏切りなど出さなかったと思う
のですが。魅力もまた然り。
足利義満は息子が悪いというわけではありませんが、なんというか反発し過ぎてい
たきらいがありましたので。能力が高すぎると言われましたが低くする理由があま
り思い当たらなかっただけの事です。
とりあえず当分書き込みは止めておきましょう。
>>961 「低くする理由が思いあたらない」という程度なら
80台で調節すればいいと思うんだが。
あと、三成に関しては、日和見や裏切りは政治の方の数値だと
思うんだが、どうだろう?
政策に関しては「知力」だろうけど。
裏切りといっても、所詮は同僚の大名たちだからね。
部下に裏切られるのとは相手が違う。
963 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/15 11:25
>962
配陣は理想的。しかし実際に機能しなかったあたりやはり「机上の空論」を
ふりかざしていたと言えないでしょうか。忍城を水攻めにした時も結局落と
せませんでしたし。
出典が分かりませんが、落とせなかった理由を言い訳する三成に対して秀吉
は「それなら敵に向かって『この城は(計算通りなら)落ちる筈であるから
落ちよ。』と言ってやれば良かったでは無いか。」と皮肉られたという逸話
があります。
それと「本当の巧者は目立ったことをせず目立った失敗もしなかった」人物
では無いかと。別に義満が世界史上を見渡して上位に位置するというわけで
は無く、90代が何人も居てもいいくらいに考えられたので。
逆に華々しい活動を行ったわりに・・・という人が居ませんか。
964 :
山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM :03/02/15 11:34
まあ「目立ったことをせず」には義満は当て嵌まりませんが・・・。
山野野衾はアナクロな漢籍の読み過ぎで神経が麻痺してるらしいからな。
世界史と日本史の区別もようつかなくなっとるんだよ。
>965
それは言える・・・。
足利義満
【統率】76
【武力】65
【知力】75
【政治】82
【魅力】50
このくらいでも良いかと
968 :
世界@名無史さん:03/02/15 14:39
>とりあえず当分書き込みは止めておきましょう。
この一時間後に書き込み再開する山野野衾に激しく萎え
一つ言っておくと、関が原の布陣は諸将が空いているスペースを
探しているうちに、「偶然」なったようなもの。
決して三成の計算どおりじゃないですよ?
基本的には933の姿勢に同意。
世界史って、ヨーロッパで何カ国か舞台にすればそれで「世界史レベル」なんすか?
評点の疑義は読んでても面白いが、これは世界史じゃないとかいう頭悪い書き込みは
勘弁してくれや。
武力等は日本史における野戦のトップクラスの家康とハンニバルが戦ったとしたらとかを妄想してみるのがいいんじゃないかな?
あと絶対値がないから100段階で付けるのは難しそうだ。
10段階ならもうちょっとやりやすいかもしれない。
ジャンヌ・ダルク
統率 7 (腐った王太子派の将兵を立ち直らせたのは素晴らしい)
武力 4 (戦闘力で劣る兵で素人ながらよく頑張った。戦素人ゆえの砲の使い方も+)
知力 1 (すべては宗教的情熱で動いたために思慮浅く)
政治 1 (実直すぎたので王太子派が盛り返すとトカゲの尻尾切りよろしく)
魅力 10(数々の貴族や兵そして王太子の心を動かした)
魅力maxがやりすぎかもしれないがそこは個性を出すための誇張表現なので
972 :
世界@名無史さん:03/02/15 18:26
世界史って、ヨーロッパで何カ国か舞台にすればそれで「世界史レベル」なんすよ。
評点の疑義は読んでても面白いが、地元の方ですかとかいう頭悪い書き込みは勘弁してくれや。
>968
光成を書いたのは山野野衾たんでは無いと思われ
AC146前後のローマの発展よりAC221の始皇帝の中国統一の方が劣るのか?
東洋は総じてレベルが低いとでも?
>973
横から口出しスマソだが。
古代ローマと戦国中国では歴史に対する個人の力の影響具合が異なると思うのだよ。
ローマのシステムの中で個人が政治家と軍人を兼ねていた世界と、既に文官と武官の
別が立てられ始めていた中華世界とでは、個人の能力の発揮され方が違う。
始皇帝は統治者として優れていたが軍人、行政官としてどうよ、と問われれば疑問でそ?
国家としての能力を君主に集約して数値化すれば、始皇帝はカエサルにやや劣り、スラと
肩を並べる程度に評価できるとは思う(戦争についてはちょと劣るかも)
975 :
世界@名無史さん:03/02/15 19:03
私は
>>948さんに全面的に賛成ですね。
家康のような保守的(独創性に乏しく小心者)な人物にさえ高い数値をつけているのならば
石田三成には、それに匹敵、あるいは上回る数値をつけてしかるべき。(運と領土と狡猾さ
だけは家康の方が上)。また、家康のように悪逆非道の行為をなした人物であれば憎まれ
て当たり前であるが、三成、島左近、真田父子は当時から人気も高く、それだけの魅力を
備えた人物である事は間違いない。
>>948さんのご指摘のとおり、関が原に東軍を圧倒する
兵力を結集させた手腕(戦略的才能)は同時代からずば抜けているといえるだろう。
>>961 関が原で西軍を裏切ったのは、利に釣られて集まって来た人々でした。
彼らは元々三成と同格の大名ばかりで、三成の指揮権に無条件で従う立場ではありません。
このような人々を動かすのに必要なのは、統率力や個人的な魅力ではなく、政治力です。
三成は高潔な人物で、多くの人を引き付けましたが、清濁併せ呑む政略は不得手でした。
それ故に内部調整に失敗し、日和見を許してしまったのです。
三成の指揮権を認めていたと思われる部隊は、西軍の半数程度でした。
彼らは数的劣勢にも関わらず善戦し、松尾山銃撃という苦し紛れの策を使わざるを得ないところまで家康を苦しめました。
歴史にIFは禁物ですが、全軍が三成の指揮権を認めている=統率力の影響が及ぶ部隊だったら、
関が原は違った帰趨をたどっていたように思います。
>>963 関が原の戦いは、綿密に作戦が練られた戦いではなく、遭遇戦でした。
おそらく、三成と家康の双方にとって、不本意な状況だったでしょう。
また、忍城の水攻めは、三成の戦下手を象徴するエピソードとされていますが、
現在残っている当時の書状によると、忍城を水攻めにするという作戦は秀吉が立案したようです。
秀吉は頻繁に三成に書状を送り、後方から作戦指導を行っています。
しかし、忍城は水害にきわめて強い場所に建っており、
誰が指揮を執ったとしても、水攻めにすることは不可能でした。
無理な命令を押し付けられて当然のように失敗し、
戦下手呼ばわりされるのは、三成にとって不本意きわまりないことでしょう。
だれか次スレ立てて。
まあ、このスレは三成論で埋め立てていいよ、次スレには持ってこないでね。
あと山野野衾さんの評価、好きですんで次スレでもよろしくお願いします。
>>978 新スレ立てようと思ったんですが、私のホストからは立てられないみたいです。
これじゃ、二回目が書けませんね。
今度は世界史板にふさわしいネタを用意しておりますので、
よろしくお願いします。
しかし良スレだ。
>>971 家康は既存の戦術の範囲内での戦上手であり、
歴史そのものを塗り替える軍事的業績をあげたわけではありません。
戦史に不朽の名を刻む軍事的天才ハンニバルには、見劣りするように思われます。
>>983訂正
>>7 ヘラクレイオス
でした。まあ1もヘラクレイオスといえばそうだが…
他、スレ序盤で多数あった「統率」の代わりに「用兵」を入れてある
ものは入れてません。ご容赦を。特に山野野衾氏。
>>987 ローマ史と日本史に偏っているような気がするな・・・
以外に朝鮮半島の人物が多いのね
あまり荒れていない。良スレです
990 :
世界@名無史さん:03/02/16 00:25
ムルワカ(1968〜2005)
背100
ごますり96
武力98
稀代の政治家MUNEOにあやかったカス
MUNEOが逮捕されたあとは格闘家に転身
その才能の多彩さを示す。
>>983〜
(・∀・)イイ!! 仕事したね!感謝。
埋め
993 :
1 ◆DPvZRJ5eF2 :03/02/16 01:32
>>983-987 漏れに代わりまとめありがとう。しかしこのスレ育ったなあ。
「どの字」氏の功績は絶大だな。
994 :
ヘラクレイオス ◆DPvZRJ5eF2 :03/02/16 01:32
名前訂正
995 :
世界@名無史さん:03/02/16 10:38
アドルフ・ヒトラー
【統率】54
【武力】69
【知力】73
【政治】87
【魅力】89
996 :
世界@名無史さん:03/02/16 10:42
次スレは?
>996
>982
998 :
世界@名無史さん:03/02/16 12:05
0
999 :
世界@名無史さん:03/02/16 12:05
田代
1000 :
世界@名無史さん:03/02/16 12:06
まさし
1001 :
1001:
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