欧州の人口100万人未満の小国の歴史

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867世界@名無史さん
>>860
辺境伯ってのはカロリング時代の官職の名前に由来します。
軍事権を併せ持った伯の事で、速やかな軍事行動が必要な区域に
置かれました。(反乱が怖いので、数は絞ってましたが)
で、王命がすぐに届かずなおかつ軍事的脅威に晒される区域というと
国境地帯が多かった為、辺境伯と呼ばれているわけです。
で、この官職ですが、カール大帝以降の混乱時代になると王国内部でも
頻繁に軍事衝突が起こるようになり、その対処として辺境伯管区が設置される
ようになりました。

という説明をしておいてなんですが、中世盛期(10世紀以降)になると
フランク王国の官職的要素の強い伯なんて、いなくなってしまいます。
いくつかの伯管区を兼ねる事で、強大な権力を獲得する事に成功した伯が
箔付けの為に、かつての王国の遺制からそれらしい官職名を引っ張ってきて
名乗る事が多くなりました。(公とか大公とか辺境伯とか)
もちろんアンジュー伯のように、称号に興味の無い上級貴族もいたので
この時代、爵位の間に明確な区別なんてなかったと考えるのが正しいです。
(帝国諸侯制度なんかが整備されてくると、また話は変わってくるわけですが)