848 :
世界@名無史さん :
04/12/29 16:06:22 >>847 イタリア史で侯爵と訳されるMarch'ese (英語のMarquess,Marquisに相当)も
神聖ローマ帝国下ではMarkgraf 辺境伯に相当する。
つまり英国・イタリア史の侯爵は、歴史的にはドイツ史の辺境伯と同格。
でも英国やイタリアではドイツ史の辺境伯をMargrave, Margr`avioと読んで区別する。
逆に英語ではドイツ史のKurf"urst 選定侯、Reichsf"utst 帝国侯などの諸侯F"urstと
Kronprinz 王太子/皇太子、Kurprinz 選定侯子、Erbprinz 皇子/侯子などのPrinz親王を、
ともにPrinceと翻訳してしまう。
結局のところ欧州側でも呼称に混乱があってしょうがない面もある。
849 :
世界@名無史さん :04/12/29 17:02:14
失礼 ×選定侯 ○選帝侯 ね。 ドイツ史だと K"onig 王 = King (一応イタリア国王とかドイツ国王(ローマ王)とかいった 称号が神聖ローマ帝国崩壊まで存続していた) Kurf"urst 選帝侯 =Prince Elector (19世紀のヘッセン=カッセル公国などは むしろ選帝侯を好んで称しており、Dukeよりも上と見なされていた節がある) Erzherzog太公 = Archduchess (オーストリアのみ) Grossherzog 大公 = Grand Duke (19世紀以降) Herzog 公爵 = Duke Markgraf 辺境伯 = Margrave (Markherzog 辺境公と呼ばれていた時期もある。 英国などの侯爵Marquisと同格) Landgraf 方伯 = Landgrave (元々はDukeと同格とされた) Burggraf 城伯 = Burgrave (Landgrafよりは小さい土地を支配する) Pfalzgraf 宮中伯 = Count Palatine (元は皇帝の司法代理人) Reichsf"urst 帝国侯 = Prince of Empire (無冠のF"urstと違って帝国会議に参加できる) F"urst 侯爵 = Prince (元々諸侯という意味であり、どっちかというと 領主聖職者(後述)を指した。 英国のPrince of Walesなどは、むしろDukeよりも上で、「公爵」という訳が ふさわしいが、ドイツ史ではMarkgrafやLandgraf等などの独立的な地位を持った grafたちよりも下とみなされた。 神聖ローマ帝国末期には、侯爵といえば総てReichsf"urstであり、 無冠の侯爵は存在しなかった) Reichsgraf 帝国伯 = Count of Empire (無冠のGrafと違って帝国会議に参加できる) :Graf 伯爵 無冠の伯爵は帝国会議に参加できない。この他Rheingraf ライン伯 = Rhinegrave), 高地伯 Altgraf = Altgrave), Wildgraf 僻伯 = Wildgrave), Raugraf 土伯 = Raugrave)等々 怪しげなタイトルが地方により使われていたらしいが、これらは帝国的には無冠のGrafと 何ら変わりがなく、辺境伯、地方伯、城伯、宮中伯とは比較にならない。 Vizegraf 子爵 = Vicecountはドイツ史では一部の伯領内でのみ存在。 Reichsfreiherr 帝国男爵 = Baron of Empire Freiherr 男爵 = Baron (伯爵等の下の低い身分の帰属)
850 :
世界@名無史さん :04/12/29 17:21:10
>>849 のGrafの英訳はCount
ドイツ史では聖職者グループも領主権を持ち、
F"urstと言えば、領主聖職者を指す時期もあった。
F"urst-Erzbischof 領主大司教 Prince Archbishop
F"urst-Bischof 領主司教 Prince Bishop
F"urst-Abt 領主大修道院長 Prince Abbot
Reichsabt 帝国大修道院長 Abbot of Empire
Reichs-Kloster 帝国修道院長 Cloister of Empire
Reichsprobst 帝国教務院長 Provost of Empire
そして最後に混乱の元となるタイトルが
Prinz 親王 = Prince 英語ではF"urstと区別されない。
Kronprinz, Kurprinz, Erbprinzb等々...