1 :
世界@名無史さん:
ここ最近海外旅行でベトナムツアー等が流行っているが、
行ったヤシの何人がこの国の歴史を知っているのか小一時間(略
情報戦争の先駆けだったのだろうか。
ベトナム観光公社
,,-' _,,-''" "''- ,,_  ̄"''-,,__ ''--,,__
,,-''" ,, --''"ニ_―- _ ''-,,_ ゞ "-
て / ,,-",-''i|  ̄|i''-、 ヾ {
(" ./ i {;;;;;;;i| .|i;;;;;;) ,ノ ii
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.(:::::{:(i(____ i| .|i _,,-':/:::}
`''-,_ヽ:::::''- ,,__,,,, _______i| ゚ ∀ ゚ .|i--__,,----..--'''":::::ノ,,-'
"--;;;;;;;;;;;;;;;;;""''--;;i| .|i二;;;;;::---;;;;;;;::--''"~
 ̄ ̄"..i| .|i
.;.;"..;.;" .i| |i/ ".;.;".;":
.;".;": . \( ⌒.i| |i )⌒)/".;.;".;":
.;".;": ..;. ;( ⌒( .i| .|i⌒) )⌒".;.;".;":.
.;".;": ..; 从へへΣ( ∩ ∧∧ ∩/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧∩\ ( ゚∀゚)< ベトナムベトナムベトナム!
ベトナム〜〜〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
________/ | 〈 | | .;.;"..;.;"..;.;".
.;.;"..;.;"..;.;". / /\_」 / /\」 .;.;"..;.;"..;.;".
 ̄ / /
4 :
世界@名無史さん:02/11/18 00:37
で、もうちょっと何がテーマかはっきりさせて
5 :
世界@名無史さん:02/11/18 16:48
>1
たて逃げ?
6 :
世界@名無史さん:02/11/18 17:07
>>1 >情報戦争の先駆けだったのだろうか。
「情報戦争」の定義にもよるが、
さきがけと言うよりも、典型的で歴史的な情報戦争だったと思ふ。
『ベトナム戦争』というABC(かな?)製作のドキュメンタリーがあるが、
とても面白い。ベトナム戦争の後は、放送局がドキュメンタリー作れる映像
を残せるような戦争は無くなってしまった。
7 :
世界@名無史さん:02/11/18 17:31
湾岸戦争の地上戦映像なんて何にも無いしね。見たいんだけど。
戦車戦では、第4次中東戦争の際にアラブ連合対イスラエルが史
上最大の戦車戦をシナイ半島で演じたのだが、映像は何も残され
ていない。多分イスラエルが撮影していて秘密で保管してるはず
なんだよな。見せてくれよ。
8 :
世界@名無史さん:02/11/18 19:16
もう
>>1はベトナムツアーにでも行っちまったか?
せっかくなんで、【ベトコン】小学生にもわかるベトナム戦争【プラトーン】
てな感じでどなたか語ってくれる人いませんか?
9 :
アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ :02/11/18 19:51
>>2 筒井康隆の初期作品に、そんな名前のがあったような・・・
暫し逃げてました…すみません…
ホーチミンが、各国のマスコミやカメラマンを自国に招いて
積極的に報道させてたのは有名な話で、これによって対米、
さらには米国内での反戦運動までに発展した訳だが、この
事がベトナム戦争における「情報戦争」なのだろうか?
他にもあるのだろうか?
11 :
世界@名無史さん:02/11/18 20:12
情報戦争の定義はさておき、マスコミの報道によって戦争の流れが作られたのには
ユーゴ紛争がありますね。
おかげで代議士になれた。
13 :
魚類 ◆PZGoP0V9Oo :02/11/18 21:47
この調子じゃテト攻勢やソンミ村まで後300はかかりそうですね。
ベトナムは世界最強の国だ!蒙古に勝ち、仏蘭西に勝ち、亜米利加に勝ち、
中国にさえも勝った!!!
ベトナム戦争とは北が南を武力で併合した戦争です。
>14
そんなベトナムをわしゃ食った
17 :
世界@名無史さん:02/11/18 22:28
>>10 超有名な、べトコンを路上で処刑した映像が
流れて反戦運動に火を付けたんじゃ?
ベトナム戦争でアメリカ国内に厭戦報道が蔓延したのは、あの戦争においてアメリカが
あくまで平時体制を貫こうとしたことにも一因があります。
おかげで厭戦報道を押さえきれなかった。
第二次大戦時もアメリカが国内の報道を押さえていなかったら歴史は違ったでしょう。
19 :
世界@名無史さん:02/11/18 22:44
>>17 あれって射殺された奴テロリストだったんでしょ
で射殺した方は家族をそいつに殺されてたって聞いたんだけど
日本軍もそれに期待していた。よって大東亜戦争の終結の日は1975年4月30日
でアジア側の勝利であ〜る!!
22 :
世界@名無史さん :02/11/18 22:50
中国とソ連のどちらが沢山援助しましたか?
23 :
世界@名無史さん:02/11/18 22:52
赤化ドミノ理論
>>17 初歩的質問でスマソだが、その映像はどこの国が撮ったの?
年末に「映像の20世紀」で初めてその映像を見た時はショック
だったなぁ…そういや、その撃たれる直前の写真もあったね。
あのカメラマンは誰だったっけ…
25 :
魚類 ◆PZGoP0V9Oo :02/11/18 23:42
>>24 あの年のピュリッツァーがあの写真やったから・・たしかAP通信?
26 :
世界@名無史さん:02/11/19 00:40
キャメラマンはエディー・アダムスとかいう香具師。
アフガンでも兵士の死体がゴロゴロした映像とかあるんだろうな。
ベトナムの映像では。
飛行機が飛び立とうとしているのにしがみついてる人に白人のおっさんが
銃をぶっぱなしてる奴。
「蜘蛛の糸」みたいでした。
28 :
世界@名無史さん:02/11/19 00:48
情報をうまく利用した為というよりも
ヴェトナム人の粘り強さが仏・米を追い出したと思うんだが、どうよ?
29 :
世界@名無史さん:02/11/19 00:52
>28
ヴェトナムが他民族国家でベトナム人というアイデンティティもフランス統治以降のものと
考えると「ヴェトナム人の粘り強さ」というのはすんげーあやふやな概念だつー気がしますね。
地の利によって粘り勝ちという結果の評価は間違いじゃないと思いますが
30 :
世界@名無史さん:02/11/19 00:54
地の利だけじゃなく人の利も大きいか。
さうですか(´・ω・`)
32 :
魚類 ◆PZGoP0V9Oo :02/11/19 01:11
地(米)<人(越)
大国が初めて負けた戦争。
>>25・26
ありがd
アメリカは兵士が戦ったワケだが、ベトナム側は農民までも
参戦して、50年近く戦ったんだからある種「粘り勝ち」な気
もするが。まぁ、あやふやといったら、あやふやな概念かもな。
いくらなんでも五十年は長過ぎだろう
共産主義の侵略であったものを民族の統一、自立を目指す闘争という風に強力にアピール
できたのも情報戦の勝利というやつでしょうか。
37 :
世界@名無史さん:02/11/19 01:42
38 :
世界@名無史さん:02/11/19 04:16
39 :
魚類 ◆PZGoP0V9Oo :02/11/19 07:47
>>33 当時日本も負けなしだったので
大国扱いにしてヨ!
>>35 しまった…第一次インドシナ戦争から約30年でした。
テト攻勢は南の解放戦線を潰すために行なわれたというのはホント?
統一後もかなり冷遇されたそうだが…
>>41 テト攻勢終了時、南ベトナム解放戦線の兵力がほぼ壊滅状態になったのは事実。
米軍推定で、攻勢に参加した8万4千のうち実に5万をたった一月で失った。
ちなみにこの数字は解放戦線だけで北ベトナム軍の分は入っていない。
しかし、この攻勢のおもな目的は米国世論に衝撃を与え、米軍が戦争を継続でき
なくする為でした。米国大使館が解放戦線の決死隊に襲われたのはその良い例。
当時の北ベトナムは米国の圧倒的な軍事力の前に徐々にその戦力をすり減らし、
このままではジリ貧になることが目に見えていた。そのため、北ベトナムは米国
の世論が反戦に傾くような攻勢をとったわけです。
あと北ベトナムは統一後、解放戦線が政治的に強い立場が取れないように、しば
しば解放戦線を弱める為に無茶な攻撃をやらせていた。
統一後、解放戦線の要人は多くが亡命したり強制収用所に送られたりした。
>40
レスありがとう。
>8万4千のうち実に5万をたった一月で失った。
うーん、この数字はすごい。。使い捨てにされたんですかね。
結局北による占領という面が強かったんだなぁ。
44 :
世界@名無史さん:02/11/19 23:04
統一後は南、というか非共産な人の扱いはひどいもんだったそうだね。
難民として追い出すのまでやったんじゃなかったっけ。しかも金とって。
マジで軍事的な勝利を目指して身の程知らずな攻勢に出たが
あえなく失敗。
米国世論が厭戦に傾いたのは結果的にそうなっただけで、
北ベトナムの当初の目的ではなかった、という説も有力だけどね。
統一後に旧統一戦線が冷遇されたのはそのとおり。
46 :
世界@名無史さん:02/11/19 23:35
小林源文の「キャットシットワン」という漫画が意外と勉強になる。
ベトナム戦後に生まれた若い衆に特にお薦めする。
アメリカ人=ウサギ、ベトナム人=ネコ、という描写に最初はひくかも
しれんが。
(ちなみに、日本人はサルで、韓国人はイヌだ。もちろん犬猿の仲(W )
>>44 金取って追い出すというのは知らないなー。
いわゆるボートピープルは、黙認状態だったらしいけど。
当時「棄民政策」だとの批判もあったとか。
49 :
世界@名無史さん:02/11/23 01:52
ぐっともーにんぐべとなむ!
50 :
世界@名無史さん:02/11/23 02:00
>>48 国外脱出の手引きを共産党の手の人間が金をとってやっていたそうな
漏れの父はベトナム戦争に行って白馬師団が居た基地に配属されてました。
53 :
世界@名無史さん:02/12/05 23:09
age
>>52 都市伝説の一つ、密かに自衛隊員がベトナムに派遣されて、実戦経験を積んだ
というやつの生き証人ですか?
ベトナム戦争当時のアメリカはまだ人種差別が当然という
時代だったから、韓国兵との関係も今の基準で考えては
いけない。
56 :
世界@名無史さん:02/12/06 01:38
57 :
世界@名無史さん:02/12/09 01:34
ベトナム戦争と云えば、ハローアイラヴユー
59 :
世界@名無史さん:02/12/17 04:59
>>57 アメリカ軍の死者は6万弱か。
ベトナム側の死者ってどれくらいなんだろうね。
民間人の死者数も気になる。
60 :
世界@名無史さん:02/12/20 22:11
ズオン・バンミン将軍がまだ健在と聞いたときは正直驚いた。
61 :
世界@名無史さん:02/12/21 00:07
アメリカは負けてないよ。
勝てなかっただけ。
「サイゴン陥落では、最後の米軍部隊がベトナム解放勢力についに敗れてヘリで逃げ去った」
とよくいわれましたが、
最後の米軍部隊は実際にはサイゴン陥落の二年以上前にベトナムを去っていたんですよ。
アメリカにとっての直接の軍事関与という意味でのベトナム戦争は、実はサイゴン陥落の
二年以上前に終わっていたのです。
パリ和平協定が成立し、その規定に従って、米軍の完全撤退が実施されていただけです。
(^^)
64 :
世界@名無史さん:03/01/13 21:46
age
65 :
世界史@名無史さん:03/01/13 22:09
あるベトナム人識者の言葉
「今に思えば、我々はアメリカに勝つべきではなかった」
アイゼンハワー政権の副大統領時代、ニクソンは強硬にベトナム派兵を主張していた。
その彼が後に大統領になってベトナム戦争のアジア化、ベトナム化を図るなんて・・・
何という歴史の皮肉・・・
67 :
世界@名無史さん:03/01/14 20:11
今のアメリカ人は意外とけっこうベトナムびいき。
68 :
世界史@名無史さん:03/01/16 14:45
>>65 アメリカに負けていたら、今頃は工業国家として繁栄していただろうにね。
民族解放戦線は、南ベトナム政府に宣戦布告するのは分かりますが、
何故アメリカに宣戦布告を行なったのですか?
それは社会主義国の中国やロシアが、バックに付いていたからですか?
70 :
世界@名無史さん:03/01/17 06:30
ヴェトナム戦争では宣戦布告はどこもしていないんじゃないの?
73 :
世界@名無史さん:03/02/01 13:47
age
74 :
世界@名無史さん:03/02/01 16:17
横っ飛びで質問します(スマソ)
『アジアの黒い影』デニス・ウォナー著/朝日新聞社
を読んで南ベトナム(ベトナム共和国)、
とりわけゴ・ジン・ジェム政権&マダム・ヌー
に興味を持ちました。
これから何を読んだらいいのかご教示下さい。
岩波新書『南ベトナム政治犯の証言』
サイマル出版会『ベトナム秘密報告』
は所持しています。
75 :
世界@名無史さん:03/02/04 00:04
繁栄をとるか、民族の誇りをとるか。
今となっては単なるアジアの小国であるよりも
アメリカを駆逐した歴史の重みを、
少なくとも外人の立場からは凄いことだと思う。
したたかな国ベトナムはひょっとしたら、
ドイモイ以降の資本主義まで計画した上で、
アメリカと戦うためにわざと共産主義を装ったのではないかと
あまりに適当な仮説を親しいヴィエトナム人に話したら、
「私もそう考えた」と言っていた。
76 :
世界@名無史さん:03/02/04 02:40
ぐっとも━━━━━━━━━━━━━━━━━にんぐべとなむ!!!!
77 :
世界@名無史さん:03/02/18 23:41
age
78 :
世界@名無史さん:03/03/06 23:55
age
79 :
世界@名無史さん:03/03/08 18:44
連戦連勝の輝かしい合衆国の歴史に泥を塗った戦争
(^^)
ううむ…………あの美国(アメリカ)がそのような無道な真似をするとは…
法賊(フランス)よりマシだと思っておったのに……
やはり、西洋の夷どもには朝貢貿易を許すわけにはいかぬな…
二代目でした、すみません。
ベトコンに比べるとイラク軍は根性ねーよなー
やはり砂漠とジャングルの違いなのか?
84 :
世界@名無史さん:03/03/21 12:00
キッシンジャーの回顧録拾い読みしてたら
レ・ドク・トのことを「ト」って略称してるのに激しく萎えた
85 :
世界@名無史さん:03/04/02 00:39
age
86 :
世界@名無史さん:03/04/14 20:47
これまでの通説では、アメリカの要請に応じて朴大統領は派兵を決意したことになっている。
ところが、近年アメリカの研究者などのあいだでは、逆に韓国側から派兵を持ちかけたとする
異論が出され、こちらの方が説得力を持ちつつあるのだ。いずれにせよ、アメリカは派遣され
たすべての韓国兵に戦闘手当てを支払い、その大半は右から左に韓国本国へ送金された。
これらを含む、アメリカからの“ベトナム特需”の総額は十億ドル(当時で三千六百億円)を
はるかに上回り、実質的には朝鮮戦争時の日本における“朝鮮特需”以上の利益を韓国に
もたらしたのである。
『コリアン世界の旅』 野村進/著(講談社)
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
89 :
世界@名無史さん:03/04/23 09:43
age
90 :
世界@名無史さん:03/04/23 11:29
91 :
世界@名無史さん:03/04/23 11:42
>>86 誤り。
日本の朝鮮特需>韓国のベトナム特需
ですね。
10年以上の物価上昇額を無視してさえ、
日本=約30億ドル>韓国=約10億ドル
ですね。
『日銀《貿易及び貿易外便覧》(1959年12月)によれば,特需収入は1950年
の1.5億ドルから始まってピークは52年の8.2億ドルであり,50‐53年の
4ヵ年で24億ドルを記録し,その後は年間4億〜5億ドル程度となった』
(百科事典より「特需」の項)
ベトナムでいくら韓国が儲けようが日本の朝鮮特需による起死回生の事実
は何も変わらんのだが。
それに、ベトナム特需は日本にも来たが?
92 :
世界@名無史さん:03/04/23 12:09
人口1人あたりを比較すれば、韓国の方が上>特需
91はナニをそんなに必死になってるんだ?
94 :
世界@名無史さん:03/05/11 23:15
age
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
たとえアメリカが勝っていたとしても、ベトナムが工業国になる
保証なんてどこにもないよ。なったとしても、収奪されるだけの
下請け国に。
今の体制のほうが、真に自立した工業化を進めることができるだろう。
ベトナム人にはそれが可能だし、性に合っている。
98 :
世界@名無史さん:03/06/10 00:34
age
100 :
世界@名無史さん:03/06/12 00:33
age
南ベトナム解放戦線本当に懐かしい。
中学一年生の時にプラトーンを見て感動した。
最近また見直したら今度は涙が止まらない。
同じ場所に立っていたら自分はどう行動しているか
まったく、わからない。
102 :
世界@名無史さん:03/06/12 03:00
「解放」から数年で解放戦線の幹部がほとんど粛清されてしまって
結局北ベトナムによる南ベトナム侵略戦争だったことがわかっても
後の祭とはこのことで
歴史とはそんなものだよ。
所詮どこの国も勝てば官軍、負ければ匪賊。
104 :
世界@名無史さん:03/06/12 16:36
北ベトナムにはソ連指導の無線傍受・暗号解読チームがあったと言う話で、
暗号解読用の解析元となったハードウェアはプエブロ号拿捕事件で北朝鮮→ソ連、
使い捨て暗号はほぼ毎日金欲しさの漏洩者→ソ連とソフト・ハードの双方が揃って
いた事と「ジャングルの未開民が高度な暗号を解読なんかできまい」と思って
同じ内容の繰り返し・コード管理の甘さなども重なり情報が筒抜けだった……とか。
そんなものだろうな、
米国や日本の情報管理の甘さは第二次大戦以来有名だな。
所詮民主国家や移民国家の限界でもある。
でも、暗号戦のベテランであるアメリカにしたら失態だろう、これは。
あと南越政府・軍は完全にザルだっただろうし、こんなもんようやれませんわ、と
言う感じだよなアメリカにしてみたら...イタリアくっつけて戦争やるようなもんだ。
ソ連はしょっちゅう情報抜いてたんだよ。
核開発以来だよ。朝鮮ももともとソ連産の政権だろ。
ロシアは昔からそうだよ。
米国は今もしっかりスパイ天国と同盟結んでいるだろ。
西ドイツの大統領だか首相だかの側近がスパイだったってのも有名だろ。
そんな話しばっかだよ。
ソ連の諜報活動に関しては、ロシア革命での官憲と革命家の丁丁発止でも
歴史の本で読んだ方が良くわかるよ。
イギリスのスパイ小説だの、軍事・諜報関連に詳しい本より遥かに
面白いし、底知れないのがよくわかる。
108 :
世界@名無史さん:03/06/19 18:26
ロバート・マクナマラについて、
彼に現場の経験が無かったことが失敗の原因だとよくいわれますが、
これは当たっていますか?
110 :
世界@名無史さん:03/07/01 23:41
ホーチミンは現代の聖者のような人ですね。
温厚篤実で
生涯粗食・粗衣に甘んじ色恋沙汰にはまったく縁がない。
近代国家の指導者にはちょっと類がないタイプ。
まぁ後継者がホー・チ・ミンの死後、彼のカリスマを利用したやり口は
ちょっといただけないが。
サイゴンを改名しちゃったのをはじめとして。
111 :
永遠の青 ◆V9k1yZSe4M :03/07/02 04:37
ホー・チミンに「もう一人の私」と呼ばれ、
戦争指導に辣腕を振るったファン・バン・ドン首相の辞任の言葉。
「平時に国家を運営していくことは戦争を続けていく以上に難しい」
戦争指導にしか向いてない政治家って、守成の時代になると本当に悲惨ですね…。
112 :
世界@名無史さん:03/07/02 09:15
>>110 >近代国家の指導者にはちょっと類がないタイプ。
マハトマ・ガンジーは?
113 :
世界@名無史さん:03/07/02 09:26
>>112 似てるっちゃ似てるけど
ガンジーは妻子がいたよ。その点が違う。
ホーチミンが聖者なら、何万人が死んでも平気なのか?
むしろ独立の名を借りたアジテーター、共産主義を標榜する独裁者、
としたほうが良いのでは? 自身は清廉潔白を装い、他者を死地に追いやり
思想までも強要し、尚且つ、それがソ連の手先だと判らぬような韜晦。
みな知っているだろうが、聖人君子のどこに居る? 歴史の中だけ、しかも
ベトナムは改革解放。資本主義化だ。革命の必要などなかったのだ。さげ
115 :
世界@名無史さん:03/07/02 12:09
なぜ左翼はアメリカが侵入したベトナム戦争だけとりあげて
中越戦争は不問にしますか?
思い切り中国の侵略なんですけど、無視ですか?
116 :
世界@名無史さん:03/07/02 13:22
>>114 そうだね。だからといって
当時のベトナム人は、どうしようもなく腐敗堕落した南ベトナム政府を見てるから
いちがいに北ベトナムを否定するわけにもいくまいよ。
まぁガンジーなんかホーチミンなんか問題にならない危険思想の持ち主だと思うけど。
何しろガンジーの思想は一言でまとめると「インド人は前近代に戻るべきだ」だもんな。
だもんでインドではかなり評価の分かれる人物。
>>115 批判してる左翼もいると思われ。君が知らないだけだろ。
118 :
世界@名無史さん:03/07/02 20:51
>>117 いるのは事実だが、プロ市民団体の言動はまず反米ありきだ。
こないだのイラク戦争にしても反米活動がめだっていたが、
実はその後フランスがコンゴに展開したのは一転して沈黙している。
まさにピース活動のダブスタそのものだな。
119 :
世界@名無史さん:03/07/02 20:54
>>117 つけくわえると今の北ベトナム中心の政府は南部の旧サイゴン出身は
コネがないと貧民のまま。
北支配のままなんだがね。
ベトナムでの富裕層はベトナム人では北出身の連中で独占されているの
だが。
120 :
世界@名無史さん:03/07/02 20:59
なぜ左翼はベトナムのカンボジア侵攻を脳内からあぼーんしますか。
>>120 別に左翼ではないが、カンボジアのポルポト政権を打倒して虐殺を止めた功績に
比べれば、侵略がどうのなどという問題は小さいな。
んで、藻前は何を主張したいんだ、クサレ厨房!
122 :
世界@名無史さん:03/07/02 21:12
このスレの前半はいかにも左翼な言動の連中が出ているが
反論が出てくると
別に左翼ではないが・・・・だとか
左翼の中にも反対しているヒトがいるとか
どう考えてもおまえプロ市民だろとつっこみたくなる手合いが多いよな。
123 :
世界@名無史さん:03/07/02 21:14
そもそもベトナム戦争での左翼の主帳の一つに
他国に内政干渉するなというのがあったのだが、
アメリカは悪くてポルポトを打倒するのは是なんだな?
中越戦争もその論理でいけば「懲罰」と称して侵攻したから
これは「良い戦争」という事になるのかね?
124 :
世界@名無史さん:03/07/02 21:18
フランス、アメリカ、中共とガチンコで勝負して勝ち抜いたベトナムの栄光に
比べれば、他のすべてはどうでも良いこと。ウヨサヨなどを超越した偉大な
歴史なのだよ。
125 :
世界@名無史さん:03/07/02 21:20
>>124 なんだ議論できなくなって開き直ったのか。
みっともないね。
126 :
世界@名無史さん:03/07/02 21:22
ウヨサヨやりたきゃ、他板に逝きな。
ここは世界史板、基礎的な歴史知識もない厨房には縁のない場所だよ。
127 :
世界@名無史さん:03/07/02 21:29
>>124のような事大主義をもって開きなおったかとおもえば
今度は追い出そうと路線変更ですか。
ロジックにロジックで返せないとはね。
どうだろ。レッテルの貼り合いも不毛な行いだが。
ベトナムのカンボジア侵攻か。
地政学的に隣国は親越にしておきたい。
しかるに越中関係が悪化しかつ中カが接近している
状況は非常に好ましくない。
この辺が基本的な動機か。
129 :
世界@名無史さん:03/07/02 21:46
>>128 いんや、もっと直接的な動機があったんだよ。
もちろん、潜在的にはカンボジアに親ベトナム政権があるにこしたことはないが、
クメールルージュ政権下で、カンポジア領内のベトナム人が迫害されたことが武
力侵攻の引き金になっている。まぁ、カンボジア人だけ虐殺してれば見て見ぬふ
りをしたかも知れないが、カンボジアにはそれなりの人数のベトナム人が住んで
いた。
もともと、インドシナ3国の中でベトナムが突出した地域大国であって、歴史的に
も一方で明や清に朝貢しながら、帝国を名乗って周辺国を従属させていた経緯
がある。たとえ中国寄りであっても、正面から敵対しない政権であれば、地政学
的に見てもあえて侵攻する必要はなかっただろうし、カンポジアの国力や民族的
な能力から見て直接的な脅威ではなかったと考えていいだろう。
130 :
世界@名無史さん:03/07/02 21:52
http://www10.plala.or.jp/kooi/cambodia/cambodia.htm 人口1100万人の内約9割をクメール人が占めている。
残りの1割が20余りの民族によって構成されており主なものに
チャム族、ベトナム人、華僑などがある。チャム族はかって中部
ベトナムで貿易国家として栄えたチャンパ王国の末裔でベトナム
南進後カンボジアに逃れてきた人の子孫。ベトナム人とカンボジア人に
付いては過去の複雑ないきさつがある。フランス植民地前はベトナム
阮朝に侵略され、植民地後はフランスの下級官史としてカンボジアに
君臨した、そのためいまだに反ベトナム人感情は強い。ポル・ポト時代
こうした少数民族は虐殺の対象になった。現在トンレサップ湖畔に多く
いるベトナム人はインドシナ戦争後の難民が多い。
東南アジアで華人が欧米人の官吏となって収奪したのと同じ事を
やっているわけじゃん。
そら嫌われるのも無理ないな。
131 :
世界@名無史さん:03/07/02 21:54
チャム族で思い出したが、中越にあった古王国で占城だったかな。
ベトナムに侵攻されて大虐殺された民族だよな。
カンボジアだけでなくベトナム内にもほんのわずかだが生き残っている。
132 :
世界@名無史さん:03/07/05 00:46
グエン・バン・チョイ
133 :
世界@名無史さん:03/07/05 12:49
柘植最高
134 :
世界@名無史さん:03/07/05 13:52
軍事板で柘植を誉める奴は素人。
某自営業氏も柘植を酷評している。
>>108 信賞必罰は軍事組織にとって重大な問題なのだが、
”客観的に”戦果を上げたとみなす為の評価基準を、
”殺したベトコンの首の数”で評価しようとした。
その意味で軍事を理解できていなかったと記憶している。
アメリカによる武力介入に関して、60万人規模の兵力をベトナムへ展開させる必要があったが、
しかしながら、それを充分に行なえるほどの橋頭堡が存在していなくて、
結果的に兵力の逐次投入に繋がったという経緯がある。
マクナマラ自身は、米軍統合軍によるその提案を却下したという意味でその認識は正しいだろうね。
ちなみに、イラク戦においても同様の事態が起こっている。
一説には6〜12個師団の陸軍をイラク国内に展開させるべきであったのだが、
現実には2個師団しか投入していなかった。
そのため、フセイン政権を早期のうちに打倒する…という戦略目標は果たせたのだが、
一方で陸軍という組織でしか果たす事が出来ない、
「面を制圧し敵を武装解除させ、警察機関による治安維持サービスへ移行させる」
という戦略目標を果たしえていない。
結果、現在は統率された反米ゲリラ組織が残存してしまい、
連日のテロ行為が続いている…と観測する向きもある。
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
137 :
世界@名無史さん:03/07/22 21:50
明日の論述テストのお題が
「なぜベトナムはアメリカに勝つ事ができたのか?」です。
授業ではベトコンが自分達にとって有利な状況でしか戦闘しなかったから
みたいな事言ってたんですが・・・
これをどうやって広げていけばいいですかね?
138 :
世界@名無史さん:03/07/22 22:05
139 :
世界@名無史さん:03/07/22 22:08
ベトナムは買ってないよ
>>137 授業って、、高校かな?
1 まず、軍事は政治の延長という基本を押さえれば「民族独立」という政治理念を
掲げた側と、植民地主義者の傀儡と見なされやすいアメリカが後押しする南べ
トナム政府では、政治的な正統性の意識と士気に大差があった。
2 地形的に、北ベトナムからラオス・カンポジアとの国境沿いのルート(ホーチミン
ルート)による軍事物資支援が可能であった。
3 北ベトナムへの地上侵攻や中国内への攻撃は中国やソ連との全面戦争を引き
起こす可能性があり、戦域を限定されていた。
4 このため、南ベトナム内での長期にわたるゲリラ戦を可能とする条件がととのっ
ていた。フィリピンや朝鮮、マレー半島と違う点である。
5 ベトコン、南ベトナム解放戦線は必ずしも有利な状況でだけ戦ったわけではなく
68年のテト攻勢では、無理をして攻勢に出て、主力部隊がほぼ壊滅する打撃
を受けているが、政治的には大勝利を収め、その後の戦闘の主力は北ベトナム
正規軍が義勇兵として担い、軍事技術的にはむしろ戦闘力を強化している。
6 米軍に軍事的に勝っていたわけではないが、死傷者の続出と政治的な行き詰ま
り、米国内を含む反戦運動などにより、撤退に追い込んでいる。
7 米軍撤退後の南ベトナム政府軍は機甲部隊を含む北ベトナム正規軍が叩き潰
した。
>>138 ボー・グエン・サップの仕掛けた情報戦って事ですか?
あの処刑映像がアメリカのお茶の間に流れて反戦ムードが
高まったとかそんな感じですかね?
>>140 うおおおおおおお ありがd
あなたのような人を待っていますた。
ちなみに大学生ですw
143 :
世界@名無史さん:03/07/22 22:27
>>140 >>3 北ベトナムへの地上侵攻や中国内への攻撃は中国やソ連との全面戦争を引き
起こす可能性があり、戦域を限定されていた。
これが一番大きかったのかな?
もちろん、ベトナム人自身の努力も大きかったけど。
日露戦争のときの日本みたいなもんだね。
世界中に海上覇権を持つ英国と同盟関係を結んでなかったら、
日本もどうなっていたかわからない。
144 :
世界@名無史さん:03/07/22 22:30
人民の戦争、人民の軍隊
ベトナム戦争はソ連も支援してたんですか?
中国が支援してたのは授業で聞いた憶えあるのですが
なんか中国とソ連は仲悪かったみたいな事も言ってたような
気がします。
1点だけ、書き忘れた。
8 ソ連の援助による北ベトナムの濃密な防空システムが機能したため、
アメリカは通常型の戦略空爆による軍事圧力の継続を断念せざるを
えなくなり、手詰まりとなった。
軍事技術的には、これが大きい。精密誘導兵器が登場したのは北爆終了
の間際だったが、もっと早く開発されていても北ベトナムのように非工業社
会で、聖域となっている他国から陸路で対空兵器が供給される状況下で
は、空爆の継続は困難だっただろう。
竹の橋を1つ落とすのに、戦闘爆撃機を対空ミサイルを含む十字砲火の危
険にさらすんだから。
まぁ、この点は防衛大学かなんかの宿題でもないかぎり、試験やレポート
等でふれる必要がない項目だけどね。
>>145 ベトナムと支那は歴史的に仲が悪いということは覚えておけよ。そうしないと
後でおきるベトナムへの中共の侵攻の理由が見えないぞ。
>>145 北ベトナム軍の主要兵器、特に対空ミサイルはソ連製だったんだよ。
遮断するところまではいかなくても、中国はソ連からベトナムへの支援をかなり
妨害して、ベトナムを困らせているくらいだ。
サンクスコです
そういえば授業で対空ミサイルで戦闘機落としてるビデオとか見てました。
あぁ〜だんだん記憶が蘇ってきますた。
これでかなりいけそうです。
ホントにどうもありがとう
中国の核兵器保有が丁度ベトナム戦中だよ。
逃げた奴はベトコンだ
逃げなかった奴は良く訓練されたベトコンだ
>>151 ゲッサム!ゲッサムゲッサム!!イヤーハー!
153 :
世界@名無史さん:03/08/04 20:54
中公新書
ベトナム症候群
超大国を苛む「勝利」への強迫観念
松岡完 著
二十世紀最後の四半世紀、アメリカはベトナム戦争の亡霊と壮絶な戦いを
繰り広げた。ベトナムで得られず、その後も手に入れられなかった完璧な
勝利、疑念の余地なき正義、そして英雄が存在する戦争を求めて、巨象は
もがき続けた。サイゴン陥落後、アメリカの外交・軍事・社会はどのような
変化を被ってきたのか。世紀を超えてアメリカを蝕み続けたベトナム症候群が、
タリバン戦争、イラク戦争の背景にあることを明かす。
新書判/352ページ/本体920円+税/ISBN4-12-101705-6 C1222
154 :
世界@名無史さん:03/08/04 22:43
世間では結構誤解されているけど、北ベトナム軍は戦車に戦闘機、ミサイルを装備した近代的な軍隊だった。
テト攻勢の時は電撃戦もやっているし、アメリカ空海軍相手にエースも出ている。
VCの印象ばかり強いのは当時の報道と映画の影響だろうか?
155 :
世界@名無史さん:03/08/04 23:14
このベトナム戦争ってやつぁー
何回聞いても、フランスVSベトナムからアメリカVSベトナムになった経緯が理解できない・・・
140さんみたいな人が教えてくれないだろうか・・・
156 :
無料動画直リン:03/08/04 23:15
>>154 1968年のテト攻勢の時に戦車も使ったような記憶はあるが、
電撃戦と呼べるような規模ではないな。
それに、テト攻勢までは南ベトナム解放戦線が主戦力だった
から、北ベトナム軍と呼ぶのはためらわれる。
電撃戦を見せたのは1975年の南ベトナム侵攻の時だろう。
>>155 140って誰だ?と思ったら、なんだ、漏れのことか。
なんで、対フランス独立戦争がいつのまにか対アメリカになったんだ
ということね。細かいことをはぶいて説明すると、もともとは第二次大
戦直後の軍事力の空白を衝いて、共産党系のベトナム独立同盟会、
ベトミンが権力を奪取し、ベトナム民主共和国を樹立した。
次に、フランスが戻ってきて、独立なんぞ認めんぞと、南部を占領して、
戦争になり、アメリカの支援を得て南部ベトナムに政府を作ってベトミ
ンに対抗させるが、1954.5にディエンビェンフーでベトミンにボコボコに
されて降参し、当面は17度線で停戦して1956.7に統一選挙をすると
いう条件で終わりにする。
この頃、中華人民共和国の成立など、東南アジアでの共産党勢力の
伸張が著しかったため、アメリカが介入しないと全アジアが共産党の
支配下になるという「ドミノ理論」が立てられ、南ベトナム政府が北ベト
ナムが共産主義政権であるという理由で統一選挙を拒否する。
南ベトナム内での内戦がはじまるが、アメリカは北ベトナムには、南に
手出しをしたら承知しいぞっと恫喝しながら、南ベトナム内の反対派を
つぶす努力をはじめる。
もともと、仏教国のベトナムにアメリカのいいなりになるから都合がいい
と考えてキリスト教徒の大統領を押し付けたりしたから、すぐに国内的
に孤立してしまい、アメリカの軍事援助と経済援助に頼りきりになる。
アメリカは南ベトナム政府にせっせと軍事援助をして、南ベトナム内の
反対派や北ベトナム側に対抗させようとするが、人気のない政府なの
で効果があがらず、アメリカが自分で戦闘に参加することになる。
なんとか形がついてきて、これで南ベトナム軍に引き継げるかな〜っと
考えていたら、1968年のテト攻勢でひっくり返される。
といった経緯ですな。
ジョン・フォスター・ダレス(John Foster Dulles)は1888年にワシントンDCに長老教会の牧師の子
として生まれた。プリンストン大学在学中の1907年に、国務長官だった祖父に同行して
第二回ハーグ平和会議を間近で見る機会を得て、国際政治に関心を持ちパリ大学や
ジョージワシントン大学で法学を修めた。大学卒業後にニューヨークで弁護士を開業。
第一次大戦中には総力戦体制の遂行のために設置された戦時産業調整委員会で働き、
戦後はヴェルサイユ講和会議に携わった。帰国後は弁護士に戻り、主に国際的な法律紛争の解決に
携わった。
三七年に共和党政治家トマス・デューイと付き合いようになり政界に関わるようになる。
デューイはニューヨーク州知事(43〜55年)を務め、44年と48年に大統領選に立ったがいずれも
負けている。ダレス自身は共和党員として超党派的な外交政策活動に関わり、1945年には
サンフランシスコで開いた国連創設会議の米国代表主席顧問を務めた。しかし第二次大戦が終わると
各種の国際会議でソ連が非妥協的な態度をあらわにしたのに幻滅し、たちまち反共主義者に変じた。
49年にニューヨーク選出のロバート・ワグナー上院議員が辞任し、デューイ知事がダレスを後任に
推薦したが、この選挙では落選している。しかし50年にトルーマン大統領から対日講和条約の策定を
命じられ、51年9月8日、同条約は米日安保条約とともに締結に至った。この時期は国内ではマッカー
シー旋風(赤狩り)が荒れ狂い、アジアでは「国連軍」を僭称する多国籍軍の朝鮮半島における戦争が
膠着状態に陥っていた。こうしたなかでダレスは民主党トルーマン政権の対外政策を臆病で
一貫性がないと攻撃し、その強硬姿勢が買われてアイゼンハワー共和党政権が発足すると
国務長官(53〜59年)に抜擢された。
朝鮮戦争が1950-1953年。米国の反共法が1950年。ディエンビェンフーの仏軍敗北が1954年。
ダレスのドミノ理論は1954年にアイクの演説や東南アジアでダレス自身が発表。
朝鮮戦争がインドシナ介入の原因だよ。民主党トルーマンの「封じ込め」が軟弱として
「蒔き返し」と称してより強硬派に転じたダレスは民主党のトルーマン治下でも大統領だか国務長官だかの顧問
をやっている。ダレスは1951年のマッカーサーよろしく1954年のインドシナで原爆使用も
考えていたと言われている。
ダレスは国務長官として“外交戦”の分野で「冷戦」体制を構築した人物だった。
ソ連および中国の周辺にある国々と個別に軍事同盟を結ぶとともに、
NATOやANZUSに続いて作りだした「東南アジア条約機構」(SEATO、54年発足・77年解消)
のように反共主義的な地域集団安保体制を張りめぐらし、冷戦体制を恒久的な“世界構造”として
固定させた。そして大規模な核兵器軍拡を行ない、“共産主義のドミノ倒し的な拡大”をくい止める
ためにヴェトナムを“共産主義と戦うための戦場”にしたのである。しかしヴェトナムの地域紛争は
そもそもイデオロギー的なものではなく、フランス植民地主義からの独立を求める
民族自決運動だった。ダレスはこうした現地事情にもとづく歴史的背景を理解することができず、
反共妄想に駆られて対外軍事干渉を進めた結果、米国の国益を損ねることになったのである。
(中略)
ところが米国とヴェトナム共和国(サイゴン政権)は、和平協定の調印を拒んだ。第二次大戦中に
ヴェトミンを支援し「民族自決」を尊重していたはずの米国が、単独で――朝鮮半島で「大韓民国」を
作ったのと類似の手口で――傀儡国家を作ったのは、米国国務省のダレス長官を中心とする
反共勢力が「ドミノ理論」という一種の被害妄想に駆られていたからだ。米国政府の認識は
「ホーチミンと民族独立運動はすべて共産主義者の陰謀である」というものだった。
そこから引き出される推測はこうだ――「この和平協定にもとづいて民主選挙を実施すれば
ホーチミン勢力が国民の支持を得てヴェトナムが共産主義化するだろうし、そうした動きがヴェトナム
から東アジア全域に波及していってやがては"反共の防波堤"日本まで共産主義化してしまう
かもしれない。そういう可能性を封じるには、なんとしてもヴェトナムの共産主義勢力を潰す必要が
ある。つまりアジアを“赤い伝染病”の蔓延から防ぐには、ヴェトナムに軍事介入しても共産主義勢力を
絶滅する必要がある」。米国は、政府と軍部を蝕んでいたこういう妄想に駆られて、みずから
ヴェトナムに軍事介入していくことになった。
スターリンの死が1953年。後任フルシチョフは対米協調重視。ただし毛沢東が対米強硬派で
対立。しかし毛沢東もインドシナの北ベトナムの台頭までは警戒していた。
共産理論の普及が現実だった当時を考えると、上の論文はやや断定的にすぎるかもしれないが、
マクナマラといいダレスといいリチャードパールといい、どういうわけかシビリアンに強硬派が出易い
のも困ったものだね。因みにアイクは協調路線を併用。
164 :
世界@名無史さん:03/08/24 08:40
アメリカが支援した南ベトナムの大統領がキリスト教徒だったの
は致命的だったよね。あれが仏教徒の大統領だったらどうなった
かわからないよなあ。
165 :
世界@名無史さん:03/08/24 09:26
ゴ・ジン・ジェム
王党派だったくせに、自分が大統領になれるとなると
あっさりカオダイ帝を捨てたDQN
そんな男に託さざるを得なかったところに、
アメリカの痛さがあるよね
166 :
世界@名無史さん:03/08/24 11:32
開始時期がはっきりしない戦争
>>164 中国のときも宋美齢や蒋介石がキリスト教徒だったことが過剰な思い入れ
の一因になったし・・・
アメリカもこりないねえ。
>>160 長老教会ってのは現ブッシュやレーガンの所属していた
会派だろ。
たった30数年前に同じ共産国のスターリンがどれだけ惨いことをやったか、
毛沢東のキチガイ沙汰が始まり、文革の嵐が吹いたのがいつ頃だったか、
その毛の教え子であるポルポトがどんだけ酷い事したか、
ちなみにKienGiang省で取材したけどあれは正確には「隣国」の出来事じゃないんだよね
ポルポトはベトナムがカンボジア攻める前に国境侵犯して幾つもの村で虐殺をしている。
「ベトナム・カンボジア侵攻」と言うのは多分にアメリカ得意のプロパガンダなんだよね
俺が言いたいのは、例えば「ドミノ理論」は言うのをアメリカの妄想と定義されがちだけど
100%そういいきれるのか?文革のキチガイ沙汰見れば誰だって隣国をつぶすくらいの事は
なんとも思わない狂気の暴走機関車のように感じる。
「カンボジア侵攻」は本当に「侵攻」なのか、
中国はそれに対して「制裁」として国境の町LanSonを破壊した。
アメリカは本当に馬鹿で意味の無い、くだらない戦争をしたと俺は思っている
でも、ドミノ理論そのものを切り取ってみれば、そういった危機感そのものは
「妄想」とは切り捨てられないと思う。
周辺の歴史とかを見ながら当時の「気持ち」を探りながら見るとちょっと違って見えてくる
170 :
世界@名無史さん:03/09/17 22:29
>157
テト攻勢というよりケサン攻防戦だったと思う。
確かNVAは、米海兵隊ケサン基地から4q離れたランベイ特殊部隊基地に初めてPT−76軽戦車10両(11両?)を投入した。
それ迄、NVAは戦車を保有していないと思っていたアメリカ軍の首脳陣はビックリしたけど・・・。
何だか軍ヲタ的なカキコだな・・・スマソ
>>169 だから、その中国やポルポトの天敵ベトナムを最初に敵に
してしまった時点で妄想なんだよ。
寧ろ取りこむべきだったんだよ。共産主義が一枚岩ではないのは50年代
の中ソ対立からからわかっていたことだ。フランスとベトナムの戦争から
民族の独立運動と言う視点を持つのは容易だったはずだ。
共産主義にはもともと黒い猫と白い猫がいたんだよ。
全てをマッカッカに見てしまったのが米国の失敗だ。
くだらない理論に拘泥して、植民地からの独立、もともと宗主国で大国たる隣国中国
へのベトナムの警戒心、中国の四方の民族への警戒心等々のアジア地域での歴史的過去を
想定できなかった時点で外交を創造するセンスが欠落していたと言わざるを得ない。
外交にとってもっとも教訓になるものは理論ではない。歴史だよ。
これは共産主義理論だろうが、ドミノ理論だろうが、原理主義だろうが、同じだ。
単なる個人の発想した戦略だの、イズムだのに引っ張られるのは実に下らないこと
だ。そんなものはいずれ伝統や民族の歴史に粉砕されるものだ。
スターリニズムで叩き上げられたソビエトも同様の末路をたどったろ。
歴史の短い国の限界なのか、はたまた自国の植民地からの独立の理念や過去を
忘却した大国の傲慢さからなのか、、、。
米国が抱いたのは宗主国や植民地から独立しようとしたベトナム人への同情の「気
持」ではなく、利己的な「猜疑心」だろうな。所詮「大きな島国」の狭量さなのかもしれんな。
それが国内ではマッカーシズムを生んだのだよ。
ドミノ理論は単なるその内政の結果だよ。時系列で調べて味噌。
米国は共産理論などと言う表面ではなくその奥底にある民族の歴史を見るべきだった
のだ。今回でも単に原理主義勢力だのテロリストだのイスラム過激派等と言う表面ばかり見
ていてもやはり結果は同じになろうな。
172 :
世界@名無史さん:03/09/29 18:20
ドミノ理論に関して言えば、ナチズムがあっという間に欧州の国々に広まっていった
事実を経験してる人間ならむしろそお考えるのが自然。
飴から見たらナチズムもコミュニズムも大した違いはないだろうし。
173 :
世界@名無史さん:03/10/01 21:44
キャットシットワン
175 :
世界@名無史さん:03/10/01 21:51
>>171 アメリカの単細胞で喧嘩好きのカウボーイぶりを知ってるから、イギリスは助っ人してるらしい
マッカーサーは朝鮮戦争で中国に核兵器使用しかねなかった
悪いことに、アメリカの大衆はトルーマンよりもマッカーサー支持だった
陰でトルーマンに進言したのはイギリスだという
今回のイラク侵攻でも中東へのアメリカ政府上層部のネオコンの無知ぶりは酷いものだったそうだ
176 :
世界@名無史さん:03/10/20 21:50
177 :
世界@名無史さん:03/10/20 22:10
スクリーミング(虐殺)イーグルス
179 :
世界@名無史さん:03/12/06 20:30
p
180 :
世界@名無史さん:03/12/19 06:30
>>171に同意。
ベトナムは漢の武帝に占領されてから1000年間もの中国支配にあえいだが、
その間も無数の蜂起、反乱、ゲリラ戦をくりかえしてきた。
10世紀末、唐滅亡後の混乱に乗じて、ディンボリンがついに独立を達成。
その後、宋、モンゴル、明、清の大規模侵略をことごとく撃滅し、
南のチャンパとも侵略したりされたりを繰り返しながら、総じて
国力を伸張させた。
とくに対モンゴル戦では、当時の超々大国相手に3連続で圧勝。
19世紀からのフランスの侵略に屈したものの、反植民地闘争は他の
東南アジア諸地域とは比較にならないほど執拗で、激烈であった。
1954年、ディエンビエンフーにて仏軍を撃破。
まあベトナム自身、カンボジアから肥沃なメコンデルタを卑劣な
やりかたで奪ったりして、決して聖人君子の国ではないのだが、
偉大な歴史をもつ国だといわざるを得ない。
こういう国を相手に大義の薄弱な戦争をしかけたアメリカは
あふぉ、である。アメリカ人はいまだに「何であんな貧相なチビども
に負けたんだ?納得いかねえ」などといっている。再び、あふぉである。
それから、アメリカはいまだに枯葉作戦に対してさえ「決して補償しない」
と明言している(クリントン大統領)。
正義の戦いだったからだそうだ。
181 :
世界@名無史さん:03/12/19 06:36
だったら、日本も補償しなくていいよな。
WW2の後始末で日本軍撤退の後、アメリカがキチンとデザインを書けなかったのが
大きいとおもう。
米軍が北ベトナムに直接上陸してれば即効で終わった。
結局アメリカの国内状況に救われたってだけの話。
184 :
世界@名無史さん:03/12/20 00:04
>>183 北ベトナムに直接上陸って...。
1962年のキューバ危機で全面核戦争の一歩手前までいった時、
文字どおり世界は恐怖したのだよ。ガンダムのナレーションどころの
話ではなくて。
それ以来、米ソの暗黙の了解で互いのナワバリに直接侵攻するのは
禁じ手になった。米ソとも、人類滅亡のリスクを犯してまで代理戦争に
勝つことは許されないオプションになった。
当時のアメリカの選択枝は、ベトナムを朝鮮半島のように分断国家の
まま固定することだけだった。それに、当時米ソとも冷戦のコストに
圧倒されて経済破綻に向かっていた。
朝鮮戦争の仁川上陸作戦よろしくハイフォン上陸作戦決行、一発逆転
なんてことは政治的、経済的に絶対に不可能だった。
ホーチミンは、米ソの人類の存亡をかけたチキンゲームを巧妙に
利用し、アメリカを追い詰め、勝つべくして勝った。
200万人の犠牲を払っての勝利であるが。
185 :
世界@名無史さん:03/12/20 19:00
いつかはホー・チミンも強い批判に晒されることがあるんだろうか
186 :
世界@名無史さん:03/12/21 00:02
どうだろうか?
彼の弟子たちが批判に晒されても彼だけは伝説の英雄として記憶に残るのではないかな
彼自身は最後まで高潔だったからな。
毛のように晩節を汚してはいない。
188 :
世界@名無史さん:03/12/26 04:16
南部では結構嫌われてるよ<ホーチミン
ゴ・ディン・ジェムがDQN過ぎた。
パクチョンヒやスハルトくらいの政治家であれば
あの地域の歴史は大きく変わってただろうな。
190 :
世界@名無史さん:03/12/26 22:48
なんかアメリカバカにしてるけど
奴らが必死で反共活動しなかったら
第三世界の8割方は共産主義国家になってるだろうよ
191 :
世界@名無史さん:03/12/27 04:30
それはそれでat your own riskだろう。
別にアメリカは第三世界のために反共活動したワケじゃないんだから。
そりゃ究極的には国益のためだろうが、その尻馬にのって自国の安全保障を任せた
日本が言えたセリフじゃねーなー。
アメリカが孤立主義になったらアメリカはもちろん困るけど、その他は無茶苦茶困る
わけで。
193 :
世界@名無史さん:03/12/27 22:02
ゴ・ディン・ディエム以後の南ヴェトナムの政権の推移が
簡潔に書いてある本無いですか
194 :
世界@名無史さん:03/12/28 03:58
195 :
世界@名無史さん:03/12/28 20:26
何にしろ本多勝一は氏ねってことだな。
196 :
世界@名無史さん:03/12/29 04:55
閑散としていたこのスレも今夜は盛り上がりそうだ。
197 :
世界@名無史さん:03/12/29 15:35
あげ
兵隊の位でいえば二等兵な国旗だな(ワラ
199 :
世界@名無史さん:03/12/29 16:32
外交の勝利を人民の勝利と勘違いしてる阿呆は今でも結構いる。
200 :
世界@名無史さん:03/12/29 20:07
地獄の黙示録にでてきたカーツ大佐って、実在のモデルはいるの?
アホすぎアメリカ兵。
民衆を懐柔するのが勝利の秘訣だというのに、村ごとやいて敵増やしてどうするんだよ。
202 :
世界@名無史さん:03/12/30 01:04
>>201 だからそれがベトコンの手だっつーの。ただの農民と思ってたやつに手榴弾で殺され
たりとかあったのよ。
203 :
世界@名無史さん:03/12/30 01:17
459 名前:公共放送名無しさん[sage] 投稿日:03/12/30 00:51 ID:SRVwvIqT
●第二次インドシナ戦争(ベトナム戦争)
南ベトナム(米国とゆかいな仲間達) vs 北ベトナム(中国・ソ連)
●ベトナムのカンボジア侵攻
ポルポト(中国) vs ベトナム(ソ連)
(当時は米国もポルポトを支持していたと思う。反ベトナムだし。つーか、
そもそもポルポトの本性がまだ世界に知られてなかったし。)
●中越戦争
中国 vs ベトナム(ソ連)
全て代理戦争なんだよ。 冷戦+「ソ連vs中国」のな。
ベトナム人にとってはたまったもんじゃねえけどな。
205 :
世界@名無史さん:03/12/30 02:10
西ベルリンでは、物資ばら撒き作戦でベルリンの壁を作るまで追い込んだのに、ヴェトナム
ではなぜ同じような手が使えなかったのか。
206 :
世界@名無史さん:03/12/30 02:13
ホーチミンが子供を作らなかったってのが
方々の独裁者の末路見てると凄く正解。
でも共産圏で2世に継がせた国は北朝鮮以外ではあまり無いと思うんだけど
209 :
世界@名無史さん:03/12/30 03:51
毛沢東の息子も朝鮮戦争で戦死したしな
次男もいるけどそいつは政治家にはなってない
211 :
世界@名無史さん:03/12/30 05:50
スターリンの長子は前線に送られドイツ軍の捕虜になり、
ヒトラーは取引材料にしようとしたが、スターリンは取引を拒否。
次男は学校でのデキが悪く、教師がスターリンに送った
「家庭での教育はどうなっているのですか。あなたは国家の偉大な指導者ですが、
あなたのお子様は成績だけでなく、性格も素行も悪くどうしようもありません。」というような
手紙とスターリンからの返事「申し訳ありません。私は仕事が忙しく子供の面倒を十分に見てやることが
できないのです。どうかどうか私の子を見捨てないで下さい。」との手紙が共産政権崩壊後公開された。
この頃、既にスターリンの独裁政治が確立されて、誰もがスターリンを敬い、恐れていた頃。
だが、「親の地位と子供の処遇は別」という共産主義の理想のひとつが生きていた時代でもある。
212 :
世界@名無史さん:03/12/30 06:33
毛沢東の甥は文化大革命で大暴れ。
質問なんですが、
WW2で第三帝国に、ろくに戦いもせずボコボコにされ
犬のように尻尾振ってたくせに、米英に助けてもらったとたん
「自由」だの「解放」だの「断固、侵略に抵抗」だの叫んでた国が
どの顔下げて、有色人種に惨敗して放棄した旧植民地の
独立運動を、否定できたんですか?やっぱホーチミンが赤色な所為?
214 :
世界@名無史さん:03/12/30 14:08
>>213 フランスに限らん。オランダもそう。それが世界の常識だった。
あと、自由フランスに関しては「犬のように尻尾振ってた」訳ではないよ。
215 :
世界@名無史さん:03/12/30 14:20
ま、ド・ゴールの偉大さがわからない反仏厨には何言ってもムダだろうがw
ドイツにボコボコにされたからって有色人種の独立運動を肯定しボコボコにされることもあるまい。
強い者には弱いが、弱い者には強い。こういう人が会社に多くいるだろ?
217 :
世界@名無史さん:03/12/30 14:27
ベトミン鎮圧を最初に指示したのはドゴール。
1940年にドイツ軍に最も激しく抵抗し、
亡命中も米英首脳と堂々と渡り合った彼に、
>>213のような批判はあたらない。
当然の権利じゃないの?
>>216 説得力あるなー。会社は社会ということだな。
219 :
世界@名無史さん:03/12/30 15:35
なんだなんだ、陳興道の話題がまったくないじゃないか!?
220 :
世界@名無史さん:03/12/30 18:04
>>216 まあ、でもディエンビエンフーでボコボコにされたしね。
弱いと見下していたベトナムにも世界史的敗北を喫する…
フランスかっこ悪い。
221 :
世界@名無史さん:03/12/30 18:21
でもロレーヌ十字の旗印のもと、ナチと戦ったドゴールはカッコイイ。
アルジェリアの危機から国を救ったドゴールはカッコイイ。
222 :
世界@名無史さん:03/12/30 21:05
冷戦下における代理戦争はある種の制限戦争だった
そしてこの制約のなかでもっともうまく利用してたち回ったものが勝者となった
ベトナムの失敗の後アメリカが再びクラウゼヴィッツの研究からはじめたのも
基本から見直す以上の理由があったからだろう
225 :
世界@名無史さん:03/12/31 02:24
>>222 そりゃ、WW2の時点では政治的キャリアが違いすぎるから。
ジョンソンってあんまり民主党の政治家っていう顔してませんねえ
>200
『地獄の黙示録』はジョセフ・コンラッドの『闇の奥』が原作というのが通説だが、
この映画の脚本を最初に書いたのは、ジョン・ミリアスだった。ミリアスの書いた
脚本は、「ベトナムではドラッグを吸ってジミ・ヘンドリクスを聞きながら戦争を
しているらしいぞ」という、アメリカナイズされた戦場への憧れをそのまま謳った
ものだったらしい。ミリアスの脚本は「サイケデリック・ソルジャー」という題で、
ラストシーンでカーツ大佐がドアーズの「ライト・マイ・ファイア」をスピーカー
で大音響で鳴らしながら北ベトナム軍と戦うというものだった。
ミリアスが書いたこの脚本は、海兵隊〜CIAという経歴をもつアンソニー・ポシュニ
ーという秘密工作員が、ラオスのジャングルで共産軍と戦ううち、モン族たちのなか
で自らの「王国」を築いていったという実話に基づいている。
詳細は町山智浩「映画の見方がわかる本―『2001年宇宙の旅』から『未知との遭遇
』まで」映画秘宝COLLECTION
228 :
世界@名無史さん:04/01/01 16:12
みなさんあけおめです
年末にまた『映像の世紀』やってましたね
またべトコン処刑のシーン見てしまった・・・鬱
229 :
世界@名無史さん:04/01/01 16:39
あのベトコンはテロリストで銃持ってた秘密警察長官の家族が殺されてた
という話聞いたことあるけど、そうなの?
230 :
世界@名無史さん:04/01/01 16:58
>>228 おれもその話を聞いた事があるけど、
なんか眉唾物(南・アメリカ側の言い訳)な気がするな。
231 :
世界@名無史さん:04/01/01 20:11
今、ベトナム戦争をアメリカが闘ったら果たして勝てるんでしょうか。
232 :
世界@名無史さん:04/01/01 21:19
>231
昔と違ってベトナムを強力支援する国が無さそうだからなぁ。
一方でアメリカがベトナムを軍事的に叩く大義名分も無さそう
なのでそんなことしたらアメリカが世界中に叩かれそうだな。
233 :
世界@名無史さん:04/01/01 21:38
結局は、トンキン湾事件みたいなのをでっちあげるんだろうし、
(アメリカ及びその追従国には)大義名分の心配はないと思われ。
で、でっちあげであることが判明すると、
「ベトナムの自由と民主主義のため」と言い出すと。
なに利いた風な事いってやがる。小ブッシュのテロ支援国家に
指定されなきゃ戦争なんて起こらんよ。
メリケンがそこまでゴーイング・マイウェイなら、チベット救えよ
チベット「自由と民主主義のため」さ
235 :
世界@名無史さん:04/01/01 22:03
>>227 ジョン・ミリアスは検査で落ちてナム戦にいけなかったんだよね。
おかげで、軍オタ青年のまま成長しのちに「若き勇者たち」を撮ったりします。
政治的状況が同じだったとしても、もはや北・解放戦線に勝ち目はないね。
兵器の性能が段違いだし、隠れ蓑だった密林やマングローブ自体が殆ど消滅寸前。
イラク程度のゲリラはできても政権の転覆なんて無理。
237 :
世界@名無史さん:04/01/02 10:31
>>235 この「若き勇者たち」の原題Red Dawn(赤い夜明け)は確かベトナム戦争の
作戦のひとつの名前と聞いたことがある。(ウル覚えでスマソ)
俺はつい最近までこの原題をRed Down(赤が降りてくる)と
思っていた。(鬱)
アメリカの黄昏と言われたベトナム戦争だが
結局、あれも中国やソ連が支援したから
負けたんであって今やれば簡単に勝てるだろう。
ソ連を退けて強いと言われたアフガンも
アメリカが支援したからできただけだろう。
今回のアメリカのアフガン戦争イラク戦争で
露呈したのは、これだろうね。
最大54万派遣だけど、実戦部隊は1割の5万4000人。
残りの49万だかは、アイスクリーム製造士官や配車担当軍曹。
北ベトナムは毎年10万人投入できて、6割損耗しても、翌年、補充・増員
できる
今だったら一ヶ月で制圧できるんだろうな。
241 :
世界@名無史さん:04/01/02 16:55
ベトナムでは泣き止まない子には韓国人が来るよという
韓国人=殺人鬼、レイプ魔
242 :
世界@名無史さん:04/01/02 17:01
ベトナム戦争での米兵の死者46000人程度だって。
カンボジア侵攻って必要だったのか?
おかげでカンボジア混乱しちゃってさ。
米兵の死者って6万人じゃなかったっけ。
帰還兵も自殺したり精神障害起こしたりで大変。
244 :
世界@名無史さん:04/01/02 18:08
>>242 だからそれはニクソン&ウェストモーランドの大失敗として、あらゆる概説に
書かれてるではないか。
245 :
世界@名無史さん:04/01/02 20:09
号外祭り!!! 2004年は千葉総帥の年!
チバック第3代皇帝の千葉総帥の新スレができたよ!!
この神々しさ!この癒しのお姿!!たまんないね〜
みんなも遊びにいこうよ!!フォウ!
┌────────┐
│J 謹賀新年 │
│O 臣民たちよ . │
|K %%%%%%%% |
|E 6|-○-○ | . |
|R | > | │
| \ ∇/ ..|
| / \ |
│ | | │
│あけまして .│
│ おめでとう!! │
└────────┘
明けましておめでとう!チバック帝国千葉です
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/kitchen/1072942920/l50
>>236 政治状況が同じならまた決定的攻撃手段は得られずるずるいく
今やればというのはあくまで
>>232,238
のいうように政治状況が違えばアメリカが持てる力を発揮できる可能性があるから
ベトナムで得られた戦訓は出来うる限り
自分たちの力を発揮できる政治状況を築き上げる事
特に重要なのは自国の世論を戦争指示で揺るがさない事
それからそれらのような有利な状況を得られないなら武力行使は
匂わせる事はあっても実行はしないという事
247 :
世界@名無史さん:04/01/03 04:59
北が南に勝ったのであって、「ベトナムがアメリカに勝った」のではありませんが。
248 :
世界@名無史さん:04/01/03 22:17
その伝でいけば「アメリカは南を勝たせることができなかった」とも
言えるな。
軍事的には確かに敗北しとらん気もするが
政治的には思いっきり敗北しとる気もするが
250 :
世界@名無史さん:04/01/03 22:37
ホーチミンとその弟子たちって現実主義の極みだったから
現在でも状況に合わせてなんとかするんじゃないかな
ブッシュとその手下どもとは腹黒さでは役者が違いすぎるような
だいたいホーチミンの社会主義思想だってナショナリズムの
方便だったように思えて仕方がない
ホーチミン、自分は中国領にいて安全なところからゲリラを指揮する。
つーか師事したソ連が現実主義だからなぁ
253 :
世界@名無史さん:04/01/04 07:27
>252
核兵器を大量に持ってるソ連が冒険主義だったら・・・
(((( ;゜Д゜)))ガクガクブルブル ((((
254 :
世界@名無史さん:04/01/04 08:00
今の政治的状況だと、中国の介入可能性が低そうだし、
北ベトナムそのものを占領しにかかりそうな気がするね。
レーニンおよびソ連共産党はクラウゼヴィッツをよく研究している
256 :
世界@名無史さん:04/01/06 02:34
今、米国がベトナムに戦争し掛けたら?
民衆が米国側に寝返って、政府関係者を皆殺しにするんじゃねえの(w
一瞬で終わりよ。 で、民主主義体制の確立。
社会主義なんて、あまりに不公平だもんな。 農家の子供は一生貧乏人確定。
党員の子供はどんなに馬鹿でも将来を約束される。
ベトナム人って勤勉だし、農業資源も豊富だ。 二十年もすれば、
韓国クラスの経済、とまでは行かなくても、タイやマレーシアを軽く抜いて、
東南アジア一の経済大国になれるんじゃねえの。(w
>>249 そりゃまあ、アメリカは民主国家だから。
258 :
世界@名無史さん:04/01/06 23:37
ちょっとお聞きしたいのですが、
ベトナム戦争の時に和平協定の仲介をした国ってどこですか?
↑自分で分かりました。失礼しました。
雑誌の特集記事などを読むうち、ベトナム戦争に興味をもつようになりました。
ベトナム戦争について、おすすめの本がありましたら教えていただけないでしょうか。
アマゾンとかで検索しても、どれが面白いものやら見当がつかないのです…
ベトナム料理はうまい。したたかさがにじみ出てる。
262 :
世界@名無史さん:04/01/10 19:23
この戦争は、起こる必要の無い戦争だったのではないか。
赤狩りがなく共産主義陣営に詳しい人々が残っていれば確かになかったろうな
知日派がもっといれば太平洋戦争が起こらなかった可能性と同じくらいは
264 :
世界@名無史さん:04/01/10 22:14
映像の性器を見て思ったのだが
クーデターの時にゴ・ディン・ジエムとその弟は殺されたけど
弟の嫁(確か焼身抗議をバーベキューと称したおばさん)はクーデターの後どうなったのでしょうか?
265 :
世界@名無史さん:04/01/10 22:17
友人が1さんの言っているベトナム旅行に行ってきました。
東南アジアのなかでもけたはずれに貧しい。おつりを必ず
ごまかしてきちんとくれることがない。
南ベトナムが続いていたら今のタイくらいにはなっていただろう。
266 :
世界@名無史さん:04/01/10 22:25
>おつりを必ずごまかしてきちんとくれることがない。
これは貧しいからじゃなくて、国民性だろう。
正直な人なら、どんなに貧しくても盗みはしない。
あれほど優秀に立ち回った国だから、
>>231 今だったら、ベトナムは戦わないのではないでしょうか。
”戦わずして勝つ”みたいなことやってくれそうだ。
素早くSARSを封じ込めたのもなんとなく納得できてしまふ。
亀レスだが、
>>110 HCMはかつてフランス人の恋人がいたみたいですね。
(どうでもいいし)色恋沙汰という程ではないですが、
出てなかったのと、詳しくは知らないので。
>>265 それは行った場所が悪かったのかと。俺はごまかされたことはなかったよ。
あと、金に関してはタイの方が意地汚いと思うよ。
でもさー、どっちにしろ日本人から見ればゴミみたいな金額だろうから目くじら
たてなさんな。
つーかお釣りを間違えない国のほうが少ない
それが学力のせいか
わざとなのかは知らんが
途上国に旅行に行ったらボられることは覚悟していかんと行けませんからな。
しかしゴ・ディン・ジェムも含めてアメリカが選んだ国家指導者って
ろくでなしばかりだなあ。
ロン・ノルとか李承晩とかノリエガ、バティスタ、etc
>>269 間違いなくわざとだと思われ。
こっちが少なく渡したら、すぐさま指摘されるぞ。
hosyusitoku
273 :
世界@名無史さん:04/01/17 12:42
>270
あと蒋介石。
274 :
世界@名無史さん:04/01/17 13:19
>>273 蒋介石はちょっと時代が違うって。
戦前から指導者やってたし、もともとバックは日本やソ連だし。
275 :
世界@名無史さん:04/01/17 15:49
ベトナム旅行の話はおつりの件が大事なのでなく、
共産主義でやってきたので、かえって貧しくなっただろうと
いう点がポイント。貧富の差があって不満を持つのと、
みんな平等に貧しいのとどちらがよいかという問題。
しかし現実の共産主義は平等じゃないけどな・・・
むしろ前近代的な機構に近いけど
その分途上国では受け入れやすいという点と
中央集権化しやすいという利点はあったかもしれん
戦いに勝って、自由と貧しさを得た国だからな。
負けて豊かにしてもらった国の人間が偉そうに言うのも、どこか卑しさが残る。
負けてもやはり貧しかったろ。仏植民地時代がそうだし、
中南米の現在や中東の欧米傀儡独立国を見ると
日本は例外的に冷戦下で幸運だったにすぎないと思うよ。
冷戦がなければモーゲー損案が日独の戦後だったかもしれんよ。
いや原爆同様ドイツにはやらずとも日本には適用したかもしれん。
のどかな江戸時代の田園風景へ回帰ってやつだな。ポルポト並の斬新な発想だな。
ま、それで幸せかどうかはまた別って奴だね
物質的に屋たかでも心が豊かでないとか
じゃまずしけりゃ心は豊かなのか?
結局どこまでいっても民衆にあるのは不満だけだね
>>279 とりあえず、貧しき者を見て満足している
人間の心が貧しいことは間違いないが。
hosyusitoku
283 :
世界@名無史さん:04/02/17 15:03
アメリカで手や足が無くなって帰ってくる兵隊達を見て
若いやつらが冗談じゃねぇっつって皆徴兵逃げ出したんだよな。
しかもそれは徴兵拒否って事にならないし。
284 :
世界@名無史さん:04/03/09 15:11
>>242 カンボジア侵攻は、アメリカにとってはロン・ノル政権をたててカンボジアを傀儡国家にするために必要だったんでないの?
285 :
世界@名無史さん:04/03/31 22:02
ホーチミン市の戦争証跡博物館ってさ、
意外とショボくない?
連中が戦ったのは南のためでも米国のためでもない
自分たちのための行動だからな
反日もそうだ
でもそれは当たり前のこと
そんな他国人のことを真に受ける馬鹿正直な日本人のほうが変
日本人の謙虚さは美徳かもしれないが
他国人がそうでなくても彼らにそれを強要することはできないし
彼らがそこにつけ込んできても対応できるようにすることは必要だ
288 :
世界@名無史さん:04/04/02 20:19
256 名前:名無しさん :04/04/01 14:10 ID:n1ukOOu8
>>254 そんなに低い?全員では無いと思うけど・・・。
ただ、 私も海外でルームメイトがベトナム人だった。
私費留学生で全員超リッチ。ちょっとの距離もすぐにタクシー。
買い物やカジノでの金遣いに本当に凄く驚かされたよ。
親もすぐに学費とは別に100万くらい送金してきて、
一緒に住んでる間に300万円以上送金があったのはたしか。
そういう面で精神年齢が・・・と思ったけどボンやおジョウは
向こうでは特殊なので一般人はどうなんだろう?
257 名前:名無しさん :04/04/02 19:26 ID:dZTqIEHu
ベトナム人のお金持ちって、ほんとにハンパなく金持ち。
いい年して無職、なのにいいバイク乗って、遊びまわっている。
最新の携帯を自慢されてむかついた。働け!
一般ベトナム人も、子供っぽい、と思う。(少なくとも私の周りの人は)
やきもち焼きで、他の友達と遊びに行ったりすると怒ったり、
ちょっと考え事をしてると、 どうしたのか、さびしいのか、私といるのがつまらないのかと
言われたり、 同姓同士(女の子)でも手をつないだり、腕を組んで歩いてたり、
ちょっと小学生ぽい・・・
258 名前:名無しさん :04/04/02 20:06 ID:/I2TDW0+
>257
うむむ。自分の周りの人達と全く同じだなあ。
それから、「1人でいるってこと」を不幸だと思う文化
だよね。1人で旅行いったりすると、こいつなんて哀れ
なんだ!みたいな感じだし。濃密な人間関係から 離れてリフレッシュするためには、
たまには必要なの
だが。 1人の時間と、誰かと一緒にいる時間、そのバランスを 取りたい人には難しい
国かも。完全な善意から、「友達 が1人でいる。寂しいに違いない!私が一緒にいて
あげ なきゃ!」という発想が一般的(多分99%くらい)
289 :
世界@名無史さん:04/04/03 01:01
>>285 計画経済の失敗でアジアの最貧国に転落しそこから必死ではいあがろうとしている国に
博物館なんか整備してる金なんかないと思われ。
290 :
世界@名無史さん:04/04/18 14:57
ベトナムに興味があり先日
ベトナムを舞台にした
「タン・ビエットの唄」というミュージカルを観て来ました。
ベトナム戦争を生き抜いた人たちの芝居で
とても重く涙なしには観れませんでした。
291 :
世界@名無史さん:04/04/19 01:29
失楽園で川島なお美と不倫してた古谷一行がベトナムのダーちゃんの映画にでてた。
不覚にも泣いてしまった。
統一後民族解放戦線が北に吸収・無力化されてゆく過程をフランスに亡命した解放戦線幹部が
告白した本があった。「チュンニュータンの証言」だったかな。
あれだけの犠牲を払いようやく民族の悲願である統一を成し遂げながら、
その後南北の民衆が真に融和の喜びを味わう間もなく、指導者の腐敗の為に逆に乖離していく様は
なんだかとてもやりきれないものがあった。
まあ経済発展が進んで北も南もその恩恵にあずかる事ができれば同じ民族なのだから
完全に融和していく事はできるだろうと思う。たとえ時間がかかってもね。
292 :
世界@名無史さん:04/05/07 19:46
ヴェトナムは負け組になったんだぜ
共産主義は自滅し、ヴェトナムは資本主義に擦り寄っている。
あの、何十万と死んで、ついでにヴェとコンも死んで、
出来た国がこれだ、資本主義になるのだったら、革命など無意味じゃないのか?
ホーチミンは愚だ。死んだ人は浮ばれない。どいもい等と、誤魔化しだ。
294 :
世界@名無史さん:04/05/08 01:00
華僑を追い出して、勢力を殺いだ事は成功したからな。
あのままの資本主義では華僑だけが超え太っていた。
295 :
世界@名無史さん:04/05/08 01:14
>>293 資本主義がどうのこうのではなく、国民の9割は農民で、
その農民(小作人)が、地主・流通業者(華僑・フランス人)や
彼らに支えられる政府と戦争したのであって、これら資本主義の恩恵を
受けていない層は、イデオロギーなんてそもそも関係ない。
イデオロギーが関係ないなら、
そもそも戦争をする理由がない。
農民も豊かになれるんだと騙して戦争したのだろ?
でも共産主義じゃ豊かになれないから資本主義に擦り寄る。
だったら最初から資本主義なら、あんなに多くの人命は失われなかった。
297 :
世界@名無史さん:04/05/08 14:06
戦争により小作人にとっては、それまでの主人(華僑・フランス人)がいなくなった事が大きいのよ。
ジェム政権が日本並みの農地改革をやっていれば農民は共産主義者を支援しなかったよ。
イデオロギーの戦いではなく、あくまで土地をめぐる戦い。
298 :
世界@名無史さん:04/05/08 14:35
ベトナムといえば、ヴォ・グエン・ザップ将軍だ。
小学校の先生からベトナムの軍事的な星にまでなったんだから…。
299 :
世界@名無史さん:04/05/08 16:53
>298
「ヴェトナムのナポレオン」ザップ将軍、ディエンビエンフー絡みで
こないだテレビに出てたね。御年94才とか。
300 :
☆大祖国戦争勝利59周年!!:04/05/08 17:19
【卍】戦闘停止を命ずるデーニッツの声明 【卍】
真夜中からすべての戦線が射撃を中止する。
デーニッツ提督の命令によって国防軍は望みのない闘争を止めた。殆んど六年間にわたって続けられた英雄的な闘いはついに終った。(以下略)
+「米と南戦争」は、大東亜百年戦争の最終勝利確定であった。
だからなぜ共産主義を支援したの?
幸せになれると、エデンの園の夢を見させたのだろう?
で、戦争に勝って、エデンの園はあったかい?
その何とか将軍にはあったのかも知れないが、
農民にはなかった、だろ? あの、死んだ人々に報いるには、
共産主義をつきすすむか、頭を下げ、お金儲けがしたいと、
謝るしかなかろう?
今ヴィエトナム人はささやかな幸せの中に暮らしてるよ。
外敵を排した後、ドイモイによって資本主義化するのは別に戦死者への冒涜でも何でもない。
自らの独立のために戦い、それに勝利しただけでしょ。
しかし面白いのはアメリカやその他諸外国の方が、戦争を話題にすること。
現在のヴィエトナム人はそうゆう話は殆どしない。
アメリカなんてまだ
>>301みたいなこと言ってるんだろうな。
>301
ヴェトナムは共産勢力に支援されたのであって、支援してはいないと思うが
どうだろう。カンボジアには革命の輸出とか言って攻め込んだわけでもあるまい?
ちなみに「農民にはエデンの園がなかった」っていうのはどのような301の実体験が
込められているのか、謹んで拝聴したいところではあるね。
ああ、あと社会主義と共産主義という術語については、もう少し社会の先生にでも
違いについて聞いたほうが良いよ。
(まさか君、大学生以上ではないよね?)
>>303 私は301ではありませんが、社会主義と共産主義の違いについて説明していただきたく
存じます。恐縮ですが、宜しいでしょうか?
ちなみに私は工房です(w
カダフィは両手を上げた、カストロは頭を下げるのを拒んでいる。
ヴェトナムもディエンビエンフー何周年かで老人を前面に出してきた。
引き締めだろ? 愚かとも、資本主義に擦り寄っているにも関わらず、
負けを認めないつうことだろ? それを言っているのだ。
マクナマラの頓馬みたいな意見を言っているな。
その資本主義にすりよっている共産主義とやらに必死で擦り寄っているのが
今の欧米日なんだが、、、。
ベトナムのドイモイは中国の後追いの改革なんだよ、ぼくちゃん。
フランスも100人もの大使節団を送って必死にベトナムに擦り寄ったのは数年前の
話しだな。ベトナムが逆にフランスにそんなあからさまな迎合をしたと言う
話しは聞かないな。
実際どちらが擦り寄っているのかは一概には言えないんだよ。
ベトナムは中国との歴史的政治的地理的距離を上手く利用して外交や貿易を
している。戦争と長い属国の経験からだろうな。
東南アジアの安定はラオスやカンボジアの安定に掛かっていると言ってもいい。
その安定の鍵を握っているのは実はベトナムだ。ベトナム戦争の貯金をしっかりと生かしている
と言うことだよ。政治的安定があるから治安が安定し経済活動がスムーズに行くのだ。
イラクをさんざん見せつけられているからわかるな?
東南アジアではそれはベトナムの采配次第なんだよ。
カンボジアを見てみろ。国際社会の後押しがありタイと米国と中国の推す三パー政権を
結局は親ベトナム政権で押し切った。
だから事有る毎にカンボジアはタイニに噛み付くわけだ。
こう言った外交的なテコを利用しながら東南アジアの安定の要所を
押さえているのだよ。明石大使なんぞはその掌で遊んでいたようなものだ。
もともと7割はベトナム軍の後押しで親ベトナムのヘンサムリン政権が
押さえていたのだ。それがカンボジア和平の基盤だよ。
その後継者が今の実力者フンセンだよ。
で、ポルポトを含むトンチンカン三馬鹿トリオ派はシアヌーク形だけ太子を擁立して
米中タイ日の後押しを受けていたわけだ。ポルポトと言えば、その昔すばらしい「エデンの園」
を作ろうとした有名な政権だったな。日本や米国も中国との和解の関係から
しっかり当時は容認していたわけだよ。随分すばらしい政権がカンボジアには
できたよなー、ポルポトと言うな。そのエデンの園をしっかり破壊してくれたのは
ベトナム軍だよ。
似たようなことがラオスでもある。
これが中国やフランスや米国を排除してベトナムが勝ち得た東南アジアでの小さいながらの
覇権だ。これはベトナム戦争の勝利から得られたものだ。
だから日本はせっせとベトナムやカンボジアやラオスにODA支援しているのだよ。
ニクソンの尻拭いみたいなものだな。
東南アジアが安定し経済が発展し自由貿易協定も進展している重要な基礎だよ。
政治と経済は不可分だよ、ぼくちん。
単純なイデオロギーの二項対立で考えないで、現実の政治の力学で考えなよ。
納豆食?
309 :
世界@名無史さん:04/05/09 13:13
ドイモイが始まったのは中国の社会主義市場経済より早かったが。
>310
政策方針としてのドイモイは86年の党大会で初めて採択された。
ソ連のペレストロイカを受けて始まった運動だね。
中国もまだ、社会主義市場経済という政経分離現実路線への
大きな舵取りがされていない時期だった。
ただ、中国には天安門があり、社会主義という国体護持の必要に
強烈に迫られた反面、経済開放が急激に促進された。
(天安門はまず経済開放ありきで起きた運動とも言えるが)
一方、ヴェトナムは中国を他山の石として慎重に改革を進めていった。
その意味で考えると、>306の言っている「後追い」はその通りだろう。
ドイモイについてまとまった資料をみつけたので貼っとく。
「ドイモイ後のベトナムの社会変動」
ttp://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no74/ogawa.pdf
独自路線などと、誤魔化しだ。
資本主義化、民主主義化を遅らせる言葉のアヤだ。
頭を下げ、負けましたと言えず、見栄をはる厚顔だ。
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| X_入__ノ ミ
>>312そんな独占資本主義の餌で俺様がクマ━━!!!!!
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\___)___)(´;;⌒ (´⌒;; ズザザザ
314 :
世界@名無史さん:04/05/09 18:35
資本主義制度を導入したからといって、
かつての地主に土地が返還されたわけではない。
華僑勢力も支配層として復活していない。
フランスやアメリカが示した「資本主義」は、
そのあまりの中途半端さにベトナム人に
拒絶されたまま現在に至る。
逆に、オレンジ剤によって人類共有の財産であるはずの自然を破壊したのは
アメリカの過ちであって、決して資本主義に由来する問題ではないと思う。
アメリカは現在もなお同様の愚行を繰り返しているが、
だからと言って資本主義が否定されるものではないのと同じことか。
>頭を下げ、負けましたと言えず、見栄をはる厚顔だ。
それが得策と判断すれば、ベトナム人は頭を下げると思う。
寧ろ、現在もこだわり続ける連中の方がどうなのかと。
政策は微妙だ。対フランス戦勝記念のディエンビエンフーを
記念して共産主義のベトナムを讃え、アメリカへの刺激を和らげている。
まるで神経症の母親が子供をしつけるようだ。w
>>314 支配層にはなっていないかもしれないが復活はしているだろ。
318 :
世界@名無史さん:04/05/10 20:13
華僑が率いる資本主義を受け入れるほど、ベトナム人は卑屈じゃなかったってこと。
319 :
世界@名無史さん:04/05/10 21:08
>>314>華僑勢力も支配層として復活していない。
>>317>支配層にはなっていないかもしれないが復活はしているだろ。
>>317は読解力に難があるような...。
ベトナム人は卑屈じゃなく、素晴らしいと?
武士はくわねど高楊枝か? ほんと?
じゃあ、どいもい等と言わず、外資や経済援助も請わず、自力で…
そりゃ華僑は悔しいわな。
ムウウゥゥヴィィィ〜 タァァ〜イムッ